2020年05月20日

大坂吉村知事のコロナウィルス対策の評価 (若いから機敏に対応できた?ー緊急事態の対応は至難である)


大坂吉村知事のコロナウィルス対策の評価

(若いから機敏に対応できた?ー緊急事態の対応は至難である)


大坂知事がコロナウィルス対策で評価されている、早めに手を打ち先を見たという

それができたのはななぜなのか?

40才という若さなのか?弁護士出だとすると文系である、政治家だと阿部首相とか文系である、とするとウィルスのことをとっさにわかるだろうか?
それは知事だけの力ではない、回りのスタッフに専門家がいて適切なアドバイスがしてくれたからだとかとも言う、それもありだとしている

適切にアドバイスしてくれる人は大事!

これは言える、自分も家族が認知症になったとき何が何だかわからなかった、でもそういう緊急の時は身近に相談する人はいない
その時インタ−ネットでとっさに検索して読んだことが役に立った
何かお茶とか飲ませて落ち着かせろということと目を見て話せということが書いてあった
それでそれを即座に実行したのである
別に詳しく見たわけでない、時間がなかった、でもそのページを読んだことで即座に実行したら効果があった
つまり認知症について医者する知らない、かえって経験した人が知っている
でもそういう人が近くにいないのである、近くでアドバイスを受けられる所はなかったのである
そういうとき親身になって相談にのってくれる人はいないのであく

また大阪庶民は大阪人は義理人情に篤いとか大阪人はもともと東京のように地方かからの集まりではなくもともと住んだ人が多く団結心があるともいう
大坂は東京とにたようなものと思っていたが違うのかとなる
大阪人に何か好感をもてる、それで外国人でも受け入れる素地があり大阪が好きになることがわかる 

第一大阪弁からして親しみ安いのである
かえって情に篤いというとき東北人は情に篤いということもない、田舎が情に篤いなど今はないのである
むしろ何か隣人でも誰か不幸になることとそれを楽しむという傾向が強いのである
そういうことがかえって露骨に現れるのが田舎なのである
まず正直東北人はとっつきにくいし何か自分自身東北に住んで東北人は好きでない
地元に住んでいても人との対応が本当に悪いのである
原町の自転車屋では来るなと言われた、それは原町に住んでいないからである
他の人もそういわれたとある、そういうふうに客商売でも縄張りとかを守る
つまり東北人は商売人に向いていない、それで事業を起こした人も失敗した
事業を起こす経営者としても向いていない、youtubeの経営者向きのコンサルタントは
商売人の嫁をもらいというときそうである
事業には商売の要素が大きいからそうなる
その人は事業を起こす経営者になる前は一級の免許をもった技術者であり優秀だったのである、でも経営者になるとそこは違った世界になっていた
客を相手に商売するということがある、それで失敗した

つくづく東北人は商売に向いていない律儀な職人とか技術とか向いている
自分もそうである、何か学問とか芸術でも内面的なものに向いている
性格もあるが東北人気質となると政治家とか経営者とか何か商売のようなものに関係するのは向いていない、大阪人はもともと商売の土地でありそのあいさつが「もうかりまっか」となることでもわかる、それは東は江戸は政治であり西の大阪は商都として秀吉の時代から発展したからである
それから近江商人とかがいる、そこの出身の人と旅でであった、その人は外国で中国でもねぎるのがうまいのである、それを自分もまねてしたがかえって失敗したのである
その人だからできたことなのである、だからその資質はその土地の風土と歴史から生まれ育ったとなる、東北にはそういう歴史がないのである
ただ伊達政宗だけは例外なのである、なぜあのような人間が出たのが不思議である
ただ仙台が唯一江戸時代でも商人の町だったということが影響しているのかもしれない
それで方言で語尾にだっちゃ、だっちゃという、その響きが東北弁だとこの辺でもんだんだとなるが全然違った押しの強いものに感じる
んだんだというのは何か口籠もるような感覚になるからだ
それは山形弁とかでもそうであり東北弁に共通している、でも仙台弁だけは例外なのである

今回のコロナウィルスで大坂知事が評判が良かったのは何か若いということも関係していたのか?
こういう緊急の時、本当に機敏に対応できない、それは津浪とか原発事故で経験している何か大きな事は急激にやってくる、それに対応できないのである
それで南相馬市長でも知事でも緊急事態の対応が迫られたのである
国でもそうだが成すすべもなく対応できなかった
そもそも放射線のことなど事前に良く知らなかったからである
避難訓練もしていないしそういう放射線被害のことは歴史でも経験していないのである
それより肝心の支持すべき東電の幹部でも政府でも支持できなかったのである
だから浪江町では町長の独断で最も放射線量が高い津島に避難した
放射性物質がどう流れかもわからないからそうなった
そして東電が最初に事故のことを放射線量を計るスピーディがあったがそれを報告したのはアメリカだったのである

つまり日本は原発事故で何もできない、お手上げだった!

だから緊急事態が人間社会には必ず来る、それにどう対応していいのかわからない
それでただ右往左往するだけだとなる、そして被害を拡大するだけだともなる
だからコロナウィルスも緊急事態だけど対応が遅れた、中国人を入国禁止にすぐしなかったなど批判される
大坂吉村知事はすぐに対応したから評価される、そして株が上がったとなる
政治家とは緊急事態の対応力で評価されるのかもしれない、平時はその人の能力がわからない、でも緊急事態になるとその能力が発揮される
それが信長でもそうだし明治維新でもそうである
明治維新では若い人が活躍したのはそうした危機に若い人でないと対応できないからである、まず命をかける戦争もするとなると若い力がないとできないからだ
それで今回若い知事だから対応できたのかとなる

何かこういう時代が大きく変わる時若い人が活躍するようになるかもしれない
テレワークだって50代くらいの管理職は適応できずに無用化するとかなる
IT社会に適応できなくなる、つまり常に若い人はその時代の最先端を生きるから適応できるし新しい時代を作ることができる、時代に機敏に反応できるのである
ただ本当に津波でも原発事故でも突然襲われるものには対応するのがむずかしい
だからこそ判断が遅れて死ぬ人も多数いたのである
何か津波ではかえって老人がかえって多く死んだ、この辺では津波は来ないということが確信にもなっていた、だから老人は逃げずに死んだとなる、高齢者の割合が多かったからである

ただ今回はやはり運が関係していたのかもしれない、別に大阪だけではない、東京でも日本全国でなぜか日本は感染者が少ない、本当は検査しないとしても死者数が極端に少ないのである、それはなぜなのか?それは日本の特殊な事情でそうなっている
だから大坂知事だけが評価されるのではない、日本の特殊性があったからである
それが何なのかは不明である、ただ第二波の感染が来るから油断できない
だからコロナウィルスとの戦いが終わったわけではないしその後遺症も大きなものになったのである

posted by 老鶯 at 10:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年05月19日

避けられないリスク(石油、J-reitの暴落)


避けられないリスク(石油、J-reitの暴落)

riskinvest1.jpg


fortune111.jpg

株式投資というときリスクが避けられない、そもそも投資するというときリスクが必ずともなう、そのリスクの分散ということで株主制度が生まれた、みんなで株をもち何かあった場合みんなで負担を負うというのが会社である
それで船会社に投資たとき航海で船が沈没したら利益はゼロになるがもし沈没もしないで航海が成功したらその利益が大きくなる、それでオランダはもうけて一時富裕国になったそれが投資なのである

私自身は株とか投資について経験もないし知識もない、ただ地銀の人がプロだというのでまかせてやらせた、ただ地銀は投資には株とか投資信託には素人と同じだったのである
だから証券会社のようになってしまったことが合わないのである
それで福島銀行は自力で経営できなくなりSBI証券と合併してその配下に入った、島根銀行などもそうである

ただ本当に株とか投資信託でもリートでも国債すら安全ではない
なぜならカナダ国債は石油が下がり急落したからである、カナダは石油産出国であり石油に頼っていたからである
でもその時は60ドルくらいだった、今驚くのは石油が20ドルくらいになった時がある
今でも25ドルとかである、これだけ下がることに驚く
するとそのリスクは大きい、投資しても半分以上損失をだす
つまりこんなに急激に下がるということは予測できなかった
石油の値段は高止まりしていたからである
何か石油は売れるし安全資産のように思っていたのである
これはコロナウィルスショックでそうなった

J-reitも半額ほどに暴落したのにも驚いた、それを一月で売ったから助かった
別に下落するのを見込んで売ったのではない、何かリーマンショックの時買った株が元にもどしたとき地銀の営業の人が勝手に売ってJ-reitに回したことで信用できなくなったから売った
もし売らなかったら半分になっていた恐怖だった

このように投資には相当なリスクがある、それで日本の国債が安全だと思い買おうとしたが今度は日本経済が危機になったとき預金封鎖のようになるとき最初に国債が没収されてゼロになるという、預金は90パーセントが没収されるとかいう
すると国債が一番危険なのかとなる
何故ならカナダの国債が石油の価格の急落で急激に下落したからだ
国債も格付けがあり急に下がるリスクがありその価値がなくなる
国債とはその国の価値であるからだ
カナダとかは石油の資源をもっているのでそれが価値を決めていた

では日本の価値とは何なのか?

経済的な面からだけみれば資源もない、何か価値なのか、電機製品も今や中国でも韓国でも同じものを作れる、それも安いとなれば日本の価値はどこにあるのか?
自動車産業だけは技術力があり一応持ちこたえて輸出しているからそれが主な価値なのかとなる
世界から見たとき日本の価値は何なのか、技術力なのか?それは今は中国になっている
新幹線などは技術力があり世界に売れるとかまだある
それで日本がの経済力は低下してインバウンドの観光に頼ったのである
それもコロナウィルスで頼れなくなった、電車はがら空きであり空港も飛行機が飛ばないただ貨物輸送は続けられている、鉄道の場合は貨物輸送が極端に少なくなったから人が乗らなかったら商売にならないのである
そうしてアメリカの航空会社に投資していた有名な投資家が何兆円とかの大損を出した
航空は花形産業だったのである、それが一転してしまった驚きである

とにかくこの世に生きる限りリスクはさけられない、そのリスクがどこにあるのかわからないのである、それは津波と原発事故で経験した
町や村が一挙にゴーストタウンになることが信じられなかった
もちろん津波でも村自体が消失したことは信じられないことだった
そういうリスクがこの世にはある、つまりこの世を生きることはリスクを避けられないことなのだ
だから完全に安全な投資はありえないのである

だから

投資も運だ!

こうにもなる、本当はそうでないにしても運が作用しているともなる
誰も先を見ることができないからである
この先を見ることができれば投資でも成功するからだ
それは突然のこうしたリスクを事前にすることができないからである
ただ長い目で見ればリスクはあっても経済は一般的には回復する
リーマンショックでも戦争でも終われば鰻上りに経済は回復して日本は高度成長時代になったからだ
それでリーマンショックの時半分になった株でも元にもどりそれをもっていたら私は相当な利益になった、でも売られたので損にはならないがもうけを得られなかった
それも結局は自己責任だった、地銀は地銀のもうけを優先するからである
ただ自分で決めるべきものであり自分が責任をとらされる
それで地銀の営業の人を信用しないでJ=REITを一月に売ったことが損をまねがれたのである
ただトータルとしては損はしていなかった

要するにこのリスクだけは予測できないものとして起こる、だからこそリスクなのであるつまり船に投資する、その船が沈没することもある、でも無事にかえれば大儲けになる
それはギャンブルにもなる、その賭けに勝てば大儲けになるが負ければ大損失になる
だからこれも運まかせだとかなる
それはどんなプロでも予測できないことによっていたのである
それで財産がfortuneでありそれは運だったともなる

何か自分は大きな金をもったことがない、自由に旅していたとしてもホテル代に苦労していた、旅しても最低限しか使わなかったからだ
贅沢な旅などしたことがないのである、だから大きな金が入ったとしてもそれを使えないということがある、貧乏性が習慣になっていたからである

でも結局人間は親が生涯金をためていたけどその親は金を使わず認知症になった
そして銀行から金をおろせなくなった、これほど驚いたことはなかった
そうしたらその金が自分のものだとしても自分の金を銀行から下せないとしたら自分の金ではなくなったのである
これもショックである、認知症も病気もこういう大きなリスクなのである

とにかく人間にはつくづくリスクがつきものなのである、リスクないことはそもそも人生にありないのである、だから経済でも常にリスクがある
何かヒットして何がヒットしないかわからない
たまたまマスクの在庫があった人は百倍とかで売れたとかもある
でも市場に出回ればたちまち低価格になってしまったのである

いづれにしろ高度成長時代は金を銀行にあづけていれば利子がついた、7パーセントとかついた時もあった、今はもう利子はつかない、かえって利子をとられるともなる
でも地方の人に田舎の人に投資をすすめてもそれが成功する人は少ないだろう
まず投資をわかるのは複雑でわかりにくいし理解しにくいからだ
ただ今や預金封鎖だとかなんとか銀行自体がつぶれるとかなるとどうすればいいのかとなる
その方法をいろいろ調べてもわからないのである
紙幣は紙きれになるということが迫っているともいう、こういう状態なのだからそうかとなりでは他に安全資産がなにかあるのかというと見当たらないのである
ただ投資は長期的にみれば必ず下がっても上がる、今がどんなに悪くても必ず良くなる
そういう波があることは確かなのである、でも老人は先がないから投資に向いていないのである、この木を植えていつ育つのか、花が咲くのかと考える
早く咲く花を見たいとなる、それが育つ時間を待っていられないのである
それで老人は投資に向いていないのである

投資という時、将来へ投資するとしても

バフェット氏の投資会社、赤字5兆円超 航空株全て売却

このようにプロ中のプロで将来が未来は予測できないのである
第一航空会社は現代のグロ−バル社会の花形産業だったからである
それが一転して急降下してしまったのである
コロナウィルスを予測できなかったからこうなったのである
posted by 老鶯 at 16:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

日本人は日本語と切り離せずある (日本語の特殊性は何なのか)

  
  日本人は日本語と切り離せずある 
  
  (日本語の特殊性は何なのか)
  
  日本人性の失われた場に日本語が生息できるわけがない
  どこの国の言葉であろうと言葉は環境の産物なのだ
  特に日本語が産みだした環境はその独自の精神生活にあった
  国語を守るのはその日本の生活環境を守ることと同義なのだ
            
  金銭や物質をふくめた富には長いこと無縁であり、争いごとから遠く離れ、豊かな自然は数学、理工脳よりも工夫、洗練といった芸術的な質の価値観を育んできた
  
  失われた日本語,失われた日本(林秀彦)

ayametwo111_FotoSketcher22.jpg


perpleyellow1.jpg
  
日本人が日本のことがわからない、日本を知るには外国と対比することで見えて来る
対象的にすると見えるものがある
例えばここに紫色と黄色がある、これは黄色の菖蒲と紫の菖蒲を単純化した抽象画になるつまり色が現すものがある、赤だったら太陽とかイメージするし青だと海とかをイメージする、黄色とかなると何か明るい感じものをイメージする
すると紫と黄色は何を意味するのかとなる
黄色は明るく目立つ、でもその色を目立たせるのは紫なのである
紫は何か謙虚な感覚になり黄色は派手な感じになるからだ
こういうふうに対比することで見えて来るものがこの世界には多い

日本語でも日本語が何かわからない、でも外国語と対比してみると日本語の特性がわかるそれで本居宣長が唐言葉と大和言葉に分けて日本独自の言葉の由来から日本文化を解き明かした
日本語は特殊な言葉であり英語とかと比べると論理的ではないとしている
情的美的言葉であり世界の言葉からすると特殊だとしている
日本語自体が詩的な言葉としている

良くわからないけれどなぜ中国人はIT社会になりアメリカを追い越すような国になったのか?
それは漢字だけだと論理的でありそれが意外とプログラムするのに適していたのかとなる漢字は象形文字でありそう見えないが中国語の語順とかが英語とにている
だからIT社会になることができたのかともなる

日本語の特殊性はかなが作られていたことである
このかなが平安時代に宮廷に仕える女御たちによって発明されたことである
それで最初は漢詩を作ることができる、漢字だけを使うことが優れているとなっていた
大和言葉より漢語が優れているとされたのである
それは日本語より英語が優れているとなるのとにている
だから一時明治維新でもフランス語を国語としろとか英語を使用こせて国際化社会に適応すべきだということが今でもある
でも日本語は特殊であり日本語を使わないと日本人でなくなる
外国語は別にそうはならないと林秀彦は言っている
この人も外国暮らしが長いから外国のことを深く知っているしそれで対比して日本が見えたとなる
そして日本の悪い所もありありと見えたので日本人をこきおろしたのである
一方で日本のいい面も日本語などを通じて称賛している

何か外国暮らし人でも日本の見方が違ってくる
内村鑑三はアメリカに留学したがアメリカは金銭崇拝の国であり嫌悪した
日本は金だけの国ではないとしてその良さを主張した
だから彼はまたアメリカでも宣教師を嫌って武士道に根ざしたキリスト教を説いたのである
アメリカという国はプラグマテズムの実用主義の国であり何か神秘的なことは嫌う、実業家の国である、だからアメリカからは宗教でも哲学でも思想でも絵画でも音楽でも芸術も生れない、一流なものは生まれない、巨大な富を産みだしても精神的に人類に寄与する面が少ないとしている

プラグマティズム(英: pragmatism)とは、ドイツ語の「pragmatisch」という言葉に由来する、実用主義、道具主義、実際主義とも訳される考え方

言葉にしても英語とかはそういう実用主義の言葉、ビジネスの言葉であり詩的なものとはなりにくいとし林秀彦は言っている
それも英語を日常的に外国で使い暮らしていたから日本語が何か見えてきたとなる

日本語は語源とかたどると本当に謎でありどうしてそういう言葉が生まれたのか不思議だとなる

美しい(うつくしい)というときうつは何なのか?

うつむく・・という動詞から来ている、美しいとはうつむくと関係あるのかとなる
日本画とかの美人画ではうつむいているの多いからうつむいている姿が美しいととらえたのか、何か日本語は動詞から形容詞になっているのが多い
動作がありそれが形容化する、しなるという言葉がありしなやかなとかなる
日本舞踏でもそういう感じになる、日本人は動作に重きを置く、その動作はしなやかなということに象徴される、外国のダンスは激しい運動だとするときその対象で相当に違ったものである、しなやかなというとき柳のような感覚になる
とにかく言葉を探求するとそこに日本人が形成した文化を知ることができる
何気なく使っている言葉でもそれがどうして生まれたのかを読み解くと日本人の文化の根源をしることができる、それで本居宣長は唐言葉と大和言葉に分けて日本の文化を探求したのである    

 日本人性の失われた場に日本語が生息できるわけがない
  どこの国の言葉であろうと言葉は環境の産物なのだ
  特に日本語が産みだした環境はその独自の精神生活にあった
  国語を守るのはその日本の生活環境を守ることと同義なのだ  
  
 この言葉を象徴していたのが万葉集の次の歌だったのである

 豊国の企救の浜辺の砂地の真直にしあらば何か嘆かむ 

この場所が今は工業地帯であり全く当時の面影がない、ということは日本人の心も失われたとなる、その地に立ってもこんな境地にならないからである
日本の自然景観は破壊されつづけてきた、それとともに日本人の心も失われてきたともなる 


2020年05月18日

原発事故で問われたもの-取り残された老人が語るもの (補償金だけでは償われない生の意味が失われた)


原発事故で問われたもの-取り残された老人が語るもの

(補償金だけでは償われない生の意味が失われた)

原発事故ではいろいろなテーマが広範囲に生まれた、それを追及して来た
コロナウィルスでもそうである、何か大きな事件が起きると様々な面から追及される
テーマが生れる
第一一つの町や村が消失すること、ゴーストタウンのようになることは歴史上でもなかなかありえないだろう
戦争中であれほどの被害、300百万人死んで市町村が消滅するようなことがなかった
これも不思議なことである
かえって人口が焼け野原からうなぎ上りに増えて高度成長時代になった
戦争の引揚者がわずかの土地を求めて開墾に入った
飯館村の木戸木のような四方山に閉ざされたところでどうして生活していたのかとなる

その時車もないし七曲りの峠道があり村の中心部の草野に出るのも容易ではない
大倉に出たとしてもそこも街から遠く離れているのだ
ただ林業が盛んでありそれで生活していた面はあった
それで大倉であったばあちゃんが私は相馬の女学校出たんだよと自慢していた
つまりその当時林業が盛んであり山持ちに裕福な人がいたのである
その木材は原町機関区から東京に運ばれたのである
日本全国で森林鉄道が網の目のように張り巡らされていた
だから山には山の暮らしが成り立っていたともなる
そういう時代からここでも東京となのつながりが深かったのである
でもその時東京までは蒸気機関車で8時間くらいかかっていただろう
だから今の距離感覚とは相当に違っている

原発事故が起きて町や村が消滅するような事態は大事件である、なぜなら戦争でもそういうことなかった、爆撃を受けても消滅しなかった
つまり市町村でも原発避難区域でも江戸時代からその前から人は住み続けていたのであるそれが途絶えることは信じられないことだとなる              

それがどうしてそうなったのか?その意味することは何なのか?

もちろん放射線被害のためだとなればそうである、ただ私が追求してきたようにそれだけではない、社会と時代の変化でそうなった
高度成長時代を経て社会が大きく変貌してししまったのである
社会の変化をみるとき江戸時代と比べるよりわかりやすくなる
原発避難民が資本家になったと考察したが江戸時代だったらそんなことありえないからだ

●藩より外に自由に移動できない

●金が万能ではないー貨幣経済ではない

この2つの制約が大きかった、何か藩内であっても藩の外に自由に出れないのである
ただ天明の飢饉のときはやむなく藩の外に流出した、それで荒地が増えて越中などの移民を呼び込んだのである、農業社会だったから土地を与えるとなるとそれでも来た
でも藩の外にでることは命がけだったのである
第一飢饉で人が流出したような所に住む人はいない、でも当時は農業社会だから土地が一番価値がありそうなった

明治以降は鉄道が発達して関所もなくなったから自由にヒトでもモノでも出入りできるようになった、そこから金が大きな力を持つ貨幣経済となり資本主義が普及したとなる
その時村の共同地である入会の山なども各自に私有権が与えられて無数に分割されたのである、それで共同地を所有するということがなくなり各自が私有する山となった
今でも山は所有している人がいるが山が荒れて管理する人がいない
それは共同して所有しているわけでもないからである、その所有者すらわからなくなってその所有者の許可がないと自由にできないということで困るとなる
江戸時代は社会主義的共有の共同体だった、村ごとに自給自足の社会が基本だった

そういう社会から私有を私権を拡大する社会と明治の時から変貌したのである
でも一応村としての共同体は継続されていた、それは農業社会が基本にあったからである養蚕が盛んでもそれは農業なのである、だから今でもいたるところに兜屋根の養蚕をした家が残っている、どれだけ養蚕が盛んであったか今でもわかる
私の母親は原町紡績で糸取りしていた、農家では養蚕をしてその材料の糸を提供していたのである
その時代はやはりまだ村の共同体が維持されていたのである

それから農業社会から工業社会に変貌したのが高度成長時代でありその時からグロ−バル経済へ社会がまた大きく変化したのである
なぜなら電機製品を外国に売ることで日本が豊かになったからである
つまり農業中心だったらグロ−バル経済にならない、工業社会になったときグロ−バル経済になる、交通が発達してまたITとか発達ててもなる、つまり世界の流通が盛んになるにはそうしたインフラが発達しないとできない、グロ−バル社会はそうしてインフラが整備された結果として生まれた
日本の国内の広域社会でもそうである

グロ−バル資本主義社会というときそれは何なのか?

それが原発事故の避難者が多額の補償金で資本家になった、事業家のようにもなったというときそうである、1億円とか入れば銀行にもなる、それで投資家にもなる
山元町の津波の被害にあった土地を安く買って農業をはじめる
仙台市でアパート経営をはじめるとかで成功したとかなる
つまり原発事故になりその補償金であっというまに外に流出したのである
それができたのはグロ−バルなまた国内でも広域社会でありどこに住んでもいい、金さえあればどこに住んでもいい、むしろ金があればどこに住んでもいい暮らしができる
そうなれば別に荒廃した市町村を立て直そうとかもしない
なぜなら多額の金をもらって便利な所で生活すればいいとなるからである
それで飯館村では福島市に家を建てたり仙台市に住んだりしたとなる
東京に出て東京で生活するようになった人もいる

そこで失われたもの、取り残されたものは何なのか?

それで象徴されていてのは老人が取り残されたのである
最近あった人でもそうである、津波で被害にあった家を直した、でも息子夫婦は仙台市に移り住みその妻も仙台市に行って一人残されたのが老人の親なのである
ただその人は60代で元気だから仕事もしているからまた違っている

でもこのことは何を意味しているのか?

それは老人とは何なのか?そのことを知らないとわからない
老人とは自分の親でもそうだが自分のこれまでしたことを自慢する
それで認知症になっても常に自慢していた、この家は俺が建てたんだよと常に言って自慢していた、俺はこうこうしたんだよと認知症になっても過去のことを覚えているからしつこく100回でも言うのである
それはなせかというとそれが親の人生でありその苦労を語ることで自分の存在感を示すからである
そういうことは自分でもわかるから親を大事にするとなる
それは実は親をその土地の先祖になるとするときもそうである、別に血縁でなくても
そうしてその土地を切り開いて苦労して作ってきたのが先祖だからである
それは越中のような移民は特に苦労して相馬藩の土地に根付いた歴史があるからそうなるまた苦労して浪江町の津島で開墾したとかもそうである、だから団結しているというのもそうである

でもその土地から離れたら便利な都市に福島市でも仙台市でも移り住んだらそうした親の歴史でも先祖の歴史でも失われてしまうのではないか?
ただ補償金をもらった、金はもらった、でもそこで問われるのが意味なのである
老人はこの土地に生きて何かを残したということで存在感をもつ
ただ近くに住んでる人も若い時苦労して家を建てた、そして立派な庭を作った
ただ今そこに住んでいるのは一人なのである、ただ娘は相馬市に住んでいるから近いとはなる、でも親が苦労して建てた家には住んでいないのである
だからその家のことを自慢しても一緒に住んでいないから感じることがなくなる
私の場合は親が建てた家にずっと60年も住んでいてそのことを語るから感じるものがある
この柱は橲原(じさばら)の木を切って作ったとか常に言っていたからである
ということはその土地とも深く関係してこの家があったとなる
ここに親とかその土地と深く結びつくものがあり生きる意味があるともなる
それは先祖とも結びつくものがあるとなる

ただグロ−バル広域社会というのはただ金さえあればいい、金が万能の社会である
資本主義でも資本というとき金のことなのである

でも金があっても生きる意味が失われた

これは言えるのかもしれない、そこまで深く考えることはない、単純に金があればいいとなっている社会である
だから毎月電気代もガス代でも水道でも止められる貧窮者はそんなことより金だとなっている、一般的にはそうである
ただそこにも失われたものがあった
それが象徴しているのは故郷に取り残された老親である,跡を継ぐものもいないのである
自分が苦労して築いてきたことも原発事故でも無益化されたともなる
そして市町村でも死者とともに生き続けるということがある
生者と死者は切り離されていない、一体化しているのが村であり町でもそうだった
ただ何か失うものがあり得るものがあるのが人間である
だから今失ったものを一番感じているのは故郷に取り残された老親だともなる
もしかしたらその祖父母でも先祖でも悲しんでいるともなる
ただそういうことは経済的利益にならない、だからどうしても今を生きる人は経済的利益を追求する、今食べるものが欲しい、金が欲しいとなる方が切実だからである
ただそこにまた失われるものが生まれる
それを痛感するのは個々人でもある、常に人生は老人になって後悔するからである
あくことなく金を求めたとしても何かむなしいものとなる
そこに意味がないとそうなる「パンののみに生きるにあらず」を感じるのである


この人は何か浪江町に住んで生きていればこうはならなかったかもしれない
復興団地に閉ざされて孤独したというのも共同体から土地から切り離されてこうなったのかもしれない、確かに金には困っていなかったとしてもこういうことはありえる
孤独死ということはそういうことになるのかもしれない、ただ別に孤独死は増えている
だからそれが特別なものともならない
ただ人間はパンのみで生きる存在ではない、そういうことは原発事故でも問われたしあらゆる所で問われるのである 

とにかく人間は得るものがあれば失うものがある

常にこうなっていることは確かである

復興住宅で60歳代男性が孤独死…コロナで見守り訪問中止、棟の管理人決められず
5/17(日) 8:52配信


posted by 老鶯 at 10:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2020年05月17日

補償金で資本家となった原発避難者 (故郷の復興はない、取り残された老人)


補償金で資本家となった原発避難者

(故郷の復興はない、取り残された老人)

近くの復興住宅には主に浪江の人が住んでいる、他に大熊とか双葉の人も住んでいるという、昼曽根とかの人が一人で住んでいるけど夜は電気をつけず水で節約しているという
でもそこでいつも会う人は5000万近く補償金をもらっている
その相違は何なのか?それは良くわからない
土地をもったり補償する財産があると高くなる、それはまた個々に違ってくるから外からわかりにくい
わかっていることは

genpatuhoshou111.jpg

こうなっている、とにかく30キロ以内の補償は手厚かったのである
でも別に30キロが特別放射線が高いわけではない、便宜上補償のために国で区切った
そこに不公平が生まれた、特に30キロ内と外でその補償金の差が大きくなり泣いて訴えていた女性がいた、隣とも仲が悪くなったとも言っていた

南相馬市というと小高町と原町市と鹿島町が合併してできた
小高町と原町市は30キロ内で本当に補償が手厚かったのである
それは金だけではない、医療費は10年間無料
高速も無料だったのである
同じ南相馬市でも30キロはずれた鹿島区

半年で医療費は打ち切り、高速も有料

この差も同じ市なのに大きかった、せめて医療費とか高速は同じ市なのだから同じように補償するのが筋だった、市長が変わって高速は無料化した
でも補償は10年で打ち切りであり財政援助も打ち切られるとなると苦しくなる
南相馬市は政府の言うままになんら対策をしていない
それは結局民主主義は数だからである、原町と小高の人口で8割くらいになると多数決なり少数派は無視されるとなる
でもこの補償金で南相馬市の一体感は喪失した

でもこの補償金は飯館村でも浪江町でも小高でも復興には使われなかった
個々人に家族に補償されたのでありそれは自由に使っていい金だったからである

福島県最大手の東邦銀行の個人預金残高は震災前の2010年度時点で2兆2698億円
2011年度末で3兆748億円、2012年は預金残高は4兆335億円となり前年度比でおよそ9587億円の増加  

一兆円の預金が増えたことに驚く、それたけの補償金で銀行に金が増えた

それで仙台市に行ってアパート経営で成功した人がいるという、まさか知っている人ではないと思うが不動産関係の仕事をして息子夫婦は仙台市に行ってしまいおばあちゃんも仙台市に行ってしまい夫の老人が一人残されている
何かそういう人が多いのである
小高の人が津波の被害にあった山元町の土地を買って農業をはじめたという
山元町の土地が津波の被害で安くなったから買いたたくということもあったのかもしれない、山元町の津波の被害が大きいものだったからだ
それもなにかあこぎだともなる、なぜなら小高でも津波の被害があるしその被害を知っているからである、原発避難者は特別待遇だったのである

復興住宅の浪江町の灯とも5000万近くもらったと言っていた、同じ浪江町の人が土地を買って家を建てたという、それは売るための貸すための家であるとかいっていた
すると自分の家は建ててその外に新しく家を建てたのかもしれない
とにかく原町と鹿島には新しい家が次々に建った、鹿島だと新しい街が二くらいできたくらい建った、そこはみんな外から来た人たちである
復興住宅には大熊と双葉町の人も入っているという,大東建託でも15棟くらい建ったのには驚いた、それだけ外からの流入者が多かった、それらは原発避難者なのである

つまりそれだけの金が人間はいるとどうなるのか?

資本家になる、銀行にもなる

仙台市でアパート経験できたのは資本家になったからである、資本家とは金をためているだけではない、その金を利用して何か新たに金を産みだす仕事をする人である
銀行は資金を調達するのはそういうふうに金をもうけてくれる人がいて利子を払うことができた、ところが銀行は今金を貸す会社がない、それで地銀で半分つぶれるとか言われるのである
江戸時代なら金貸しにもなる、銀行は金貸しでもあるから江戸時代の継続がある
ただ補償金を遊興費に使ってなくなる人もいる

どちらかというとそうした金が本当にバブルであり消失安いとなる
そして結局それも親のカルマであり因果応報となる
なぜなら80才くらいの人が親が農業していたが農業だけはするなと殴られたというからだその頃農業はそういう状態だった、そして双葉大熊地域は出稼ぎ地帯だったのである
その出稼ぎをしないで地元で暮らせるように原発を積極的に誘致したのである
それが裏目に出たのである

親が農業をするな⇒子供を殴る⇒その子供が原発で働く⇒原発事故⇒その子供が故郷から流出⇒子供は帰らず⇒老親が残される

これも因果でありカルマなのかもしれない
人間は親の影響が本当に大きいのである、何かその家が栄えるのは先祖とか親が関係している、とても一代では裕福になれない、二代三代とつづくことで富が貯えられて栄えてくる、でも親が悪いと栄えることはないのである
私は親が苦労したことを知っている、だから今の自分があることを常に自覚して親に感謝している
でもそういうことがないと親は捨てられたりその苦労も報われないとなる
親が苦しんで育ててくれたということを知れば子供もまたそれに報いようとする
子は親の背を見て育つというのはそのことである
それで意外と金持ちの親は必ずしも大事にされない、たいがい高価な老人ホームに入れられてめんどうみないのである

ともかくどうしてもこの補償金は震災バブルの金でありそれはたちまち消失してしまうのではないか?金の恐怖は紙切れになるということである
現実に戦後そうなったのである、母は前の夫が事故で死んだ、その時一生楽に暮らせる補償金をもらった、でも戦争が終わり預金封鎖になり本当に金は紙切れになった
残ったのはわずかの土地でも買った分だけだった
だから金に価値があるわけではないのだ
それでそうして補償金で一時的に金があってもそれは持続しない、あぶく銭となってた消える

いづれにしろ親に感謝しない、先祖に感謝しないとかなるとその家でも土地でも栄えるように思えないのである、果たして他の土地に行って一時的には栄えても継続して栄えるとも思えないのである
だから農業するにも三野混沌とか猪狩満直とか赤貧のなかで農業をして死んだ
でもその人たちは何か未来に残した、その苦闘自体が未来に残す遺産だったともなる
確かに富を残さないにしてもそういう心を残したともなる
ここではそうして補償金をもらっても心は荒廃している、故郷も荒廃してしまった
金だけですべてが活かせたり復興できたすりするわけでもない
人間は何か大事なのは心なのである

それで十津川部落では国らか金を援助されたがそれは部落の者全員でありがたくもらい無駄にしない、全員で心が一致して北海道に移住して新しい町を築いたのである
この辺では逆に補償金で争い分断してばらばらになり故郷に残されたのは老親だけだったのである、それもカルマだったのかとなる

「震災バブルの怪物たち」を読んで 補償金で原発避難区域はモラルが崩壊した

津波原発避難民の復興とは何なのか? (十津川村の北海道移住と比べる(2)




posted by 老鶯 at 17:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2020年05月16日

マスコミとテレビの報道支配の終わり (ネットで多様化、相対化、常に批判の対象に)


マスコミとテレビの報道支配の終わり

(ネットで多様化、相対化、常に批判の対象に)

tvnews11.jpg

「利益や保身のために自分たちの主張を通す。特定集団を守り、そこに対抗する人々を攻める」

テレビに「結論ありき」が跋扈する悲しい事情 なぜ都合の良いコメントだけを切り取るのか

msn ニュースpowered by Microsoft News(2020−5−15)


原発事故で避難した人が飯舘村の人が相馬市のトマト農家に雇われたことを断られた、相馬市の津波の被害者を優先的に雇ったからだ
そのことを飯館村の人に言わせた、するとその時見ている人は相馬市の農家はこんなに苦しんでいる時冷たいなと見た
自分自身もそう見たのである、でも実際はそれが冷たいことでもなんでもなかった
相馬市の津波の被害者には補償金が出ていないからだ

まずこの辺では補償金の額が多い、小高より浪江が多いとうらやましがったり浪江よりおそらく飯館村も多い、億の金が標準的にもらった人がいるだろう
最近近くの復興住宅に入った浪江の人は5000万近くもらったと言っていた
この額は土地をもっているとか家とか財産をもっていると多くなる
それが少ないか多いかは判断はできない、被害者に見れば当然であり少ないとしている人も相当いるからだ
ただ補償金をもらえない人ともらえた人の差がまた大きかったのである 

NHKの社員が取材に来ていたので直接聞いた
そしたらこのMSNの記事と同じことを言っていたのである
下の者にわかりません、上の命令通りに動くだけです

何か編集会議が行われそこで指針を上の人たちよって決める、この場合は原発避難者側につくということで編集して放送することにしたという
つまり上の人たちで決めた方針に従って決める
だからその方針に沿ったように編集するのである
だから専門家を呼ぶ場合でもその方針に沿ったヒトを学者でも呼びコメンとさせる
それで専門家が自分の趣旨とは反するとして文句言ったのである
つまり専門家の発言をそのまま採用されるわけではないのである
またテレビでは時間がないためにもそうなるとしていた
短い時間で放送しなければならないから長い発言はさせないのである

つまりテレビというメデアにはそれなりの特性がある、それはテレビ局が一方的に上の人たちによって方針が決められそれにそって取材して編集して放送されるのである
それで武田邦彦氏は常にテレビをNHKをも批判しているのはそのためである
武田邦彦氏は科学者であり専門家である
すると強固が科学者としての自負があり軸をもっているのだ
それをyoutubeだと一貫して話しているしそれもテレビ局のように切り取ったような発言ではなくその人自身の科学者として専門家としてしている
だから科学に弱くても素人でもなんとなく理解するようになった
何かそこにはぶれない軸があり一貫したものがあるからである
人間はそもそも科学でなくても右でも左でも一生をぶれないことなのである
その人なんであれ信用できるとなる
でもテレビ局はテレビ局の意向がありそれにそって科学者でも専門家でも呼びテレビ局の意向にそったものとして編集される

結局テレビとかマスコミとは中立でもなんでもない、テレビ局のマスコミの方針があり科学的なものとしてそれが真実でもそういうことを追及していない
何か国民受けすることを放送する、原発事故だったら避難した人が眼に見えて苦しんでいるということがありそれで原発避難者側についたのである
でも仮設住宅には原発避難者と津波被害者が住んでいたのである
その差が大きかったから一緒に住んでも話もしなかったというのは理解できる
一方は億の金をもらい、津波の被害者はもらっていないからその差が大きかったのである
ただNHKで報道するとそれが科学的に正しいとしても歪められる、武田邦彦氏は温暖化はないとしている、その科学的な真実を追及することは素人にはむずかしい
でもNHKがそういうことでそれが真実となり国民の世論になることが怖いのである
NHKはそれだけの放送する力をもっているからだ
ただNHKでもその後は津波被害者のことを考慮するようになった
いわき市の住宅でも原発避難者と津波の被害者がいた、その時も原発避難者側について
仲間に入れてくれないとか津浪の被害者を批判するようにしむけていた

なぜなら

津波の被害者にはしゃべらせなかったからだ!

つまりNHKでは双方の意見を言わせない、原発避難者しか言わせなかったのである
だから一見公平に見えてもそうではない、NHKの方針が咲にりその方針に沿ったように編集されているのである
するとなぜ津波の被害者は原発避難者を受け入れないのかとなり国民は津波の被害者を良くも思わないようになる
ただこういうことに気づいたのは自分自身が地元に住んでいたからすぐにそのことに気づいた、外部になるとこういうことが気づきにくくなるのだ
その土地の事情などわからないから結局短絡的に短い報道でテレビ局の方針に報道にのせられることが多いのである、外国とかなると余計にそうである
そこに報道の問題が常に生じることになる

原発事故では補償金でもめた、飯館村でもそのために二分化した、それはNHKで放送していたがそこは公平だったように見える、双方の言い分を言わせていたからである
とにかくテレビとかマスコミの報道はネットで相対化される時代になった 
youtubeは何かわかりやすいのと学習できることにある
一貫してその人の立場でその人の主張が言えるのである
そして対話的なことも違っている
だからネットのニュースでもこうして自分は対話してのせている
新聞記事でもテレビ報道でもなかなか自分の批判をのせることはないからだ
第一例えは新聞社でもその新聞社を批判したりマスコミを批判したりしたら誰もその意見を言わせたりしないからだ
だからこれまでは報道の自由はない、マスコミとテレビ局の方針に沿ったものが報道され編集されて国民に伝えられていたのである
特にテレビは一方的洗脳メデアだったのである

とにかくメデアが報道が問題になるようになったのはナチスはラジオから生まれたというときそうである、ラジオは国民を洗脳するものとして力をもった
ラジオがそんなに力があるのかとなるとそれでもあった
今はテレビであり映像の時代だから映像が力をもつようになった
それでイラク戦争の時、油まみれの海鳥がテレビで放送されたとき世界の人が

イラクはひどい国だ!

こう瞬間的に思った、ところがその海鳥一羽が油まみれになっていたのはその部分を見ていたそうなった、回りはそうなっていなかったのである
それはアメリカによって作られた映像だったのである、その影響は世界を動かしたからいかに映像の力が大きいかである
テレビの映像の問題は一部分をきりとったものであり全体は見えないのである
コロナウィルスでもスーパーにトイレットペーパーがなくなっている棚を見せる
すると

全国的にもトイレットペーパーがなくなる!

こういう恐怖心をうえつける、それて買いだめとかなりパニックにされるのである
別に他のスーパーの棚にはあったりするが全国でトイレットペーパーがなくなるという恐怖心になる、つまりそれだけの力がテレビ局にマスコミにあったことが問題だったのである
だからインタ−ネットでマスコミやテレビ局の報道が相対化させることがいいことであるそれで最近テレビをあまり見なくなったのである、新聞を見ていないのである
どうしてもそんなにいろいろ見れないし読めないからである
ただヤホーのニュースの編集とかmsnのニュースの解説とかは良くできている
今話題の旬なものをあらゆる週刊誌とかからも抜粋しているからいい記事が多いのであるだから習慣的に読むようになったのである

fakenews111.jpg

静岡経済新聞



2020年05月15日

南相馬市でも飲食店と葬儀屋のコロナウィルス対策 (観光業に鉄道も航空会社も打撃)


南相馬市でも飲食店と葬儀屋のコロナウィルス対策

(観光業に鉄道も航空会社も打撃)


marumatymenyu1.jpg

florabentow111.jpg
クリック拡大

ホッキ御飯弁当はいいかもしれない、これはどこでも出していない


フローラで弁当配達する、二食で送料を無料にする、マルマツでも弁当を出している
カレー丼が400円で安いしうまかった
店で食べると1000円くらいかかる、それでも安いので600円とかになる
相馬市のまるまつでは魚のフライがうまいが原町では出していないのが残念
何か揚げ方違うと味も相当違う、相馬市のイオンの広い店の天丼がうまい
これも天ぷらの揚げ方が違っていてうまいのである
その揚げ方にプロの技が入っている、それは他でできないのである
料理もやはりプロとなると家庭料理では出せない味を出せるかが勝負になる
家庭での天ぷらは味がうまく出せないからである

今回のコロナウィルスで困ったのは飲食店である
日本の飲食店は狭い所が多い、そうするとどうしても客同士でも接し合うことが多くなるでもガストとかまるまつはそれなりに広いし仕切られているのもある
高見ホテルは一番広いからあそこはコロナウィルスでも入り安い
悠々と座れるからだ
でも外食は必ず飽きる、だから野菜をとるとしたら自分で買って食べるほかない
ただ何か料理は本当にめんどうである、いろいろな素材が使うのがめんどうなのである
第一買い物の段階から種類がありすぎてむずかしいのである
それでいつも冷蔵庫になにが入っているのか忘れるのである
だから本当はこれも専門家になる、専業主婦にでもならないかぎりできない
そこに時間をとられるすぎる、家事全般でもそうである
だから自分は暇なく何かをしているようになった、前は介護でそうだったが介護が終わっても家事全般の仕事はつづいている
でもなんとかプログを毎日書いている、これも手間でありだからコメンとがあっても対応できないのである
一日分を書くだけで後は余裕がないのである

ともかくこの辺でコロナウィルスの影響が出たのはまず飲食店であり次に葬儀会社なのがわかった
人が密集できないからそうなった、それで弁当の配達をするようになった
何か催し物の弁当も高いから出している、でも人は密集できないということは人か集まる行事ができないのである
そしてそれが長くつづくとなると影響が大きい、観光業で苦しい
それで星野リゾートとの会社では観光の見直してをしている
地元の人たちを呼び込む作戦にも変えている、外国人が来なくなるからそうである
観光の痛手も大きい、スーパーヒタチが東京まで3月から行くようになったが時期が悪かった
乗っていたのは一人しか見なかった、仙台から一人しか乗っていないのである  

それより飛行機は空港はがら空きである、外国には行けない、国内でも行かない
飛行機内は密閉された空間だし接触もするから鉄道よりウィルスには弱い
ただ常磐線だと仙台空港まで名取から直結した路線ができている
仙台からも直行できる、良く駅で伊丹空港から來る大阪の人とあったからである
つまり大阪までは新幹線では行かない、仙台空港から飛行機を利用するのである
だから空港と鉄道は密接に関係している、交通のネットワークなのである
それで成田空港は不便だった、どうしても鉄道で成田まで行くと一時間くらいかかるから東京で一泊することになる、それが問題だったのである
羽田ならその日に行ってまにあうこともあったとなるからだ
ただ朝が出発になるとやはり時間的には苦しいとなる
そうなったのは官僚の天下り先として成田が選ばれたという論評があった
すると成田騒動とはなんだったのだろうとなる
原発でもそうだが必ずこうして天下り先とか利権がかかわってくる
そのためにこの場合はかえって国民にとって不便なものとしたとなる

コロナウィルスの影響はこの交通にも大打撃だった、自粛が解除されても県をまたいで
移動するなというのもそうである
いくら解除されても怖いのは東京から人が移動してくることである
これが避けられない、茨城県でも解除されると福島県も入り安くなる
だから何か関所が必要だったとなり見直されたのも不思議だとなる
関所のようにすぐに境界を閉鎖できる国とか地域は伝染を防ぐことができたとなる
それは遠く離れた島国のニュージランドとか台湾とかアイスランドが成功したことでもわかる
そこは地理的に隔離されていたし台湾にしても中国と国交がないとかあって独自に対策をとることができたからである
江戸時代の末期のコレラ流行では会津若松中心に増えたが桧枝岐は感染者ゼロだった
そこは交通もないまさに秘境であったからである、人も物の交流もほとんどなかったからである

新しい生活様式を作り慣れろというけど簡単ではない、ただ何か東京圏中心の経済から
地方へ分散して生活する新しい生活様式となると悪いことばかりではない
テレワークなどが普及して地方の経済が活性化するチャンスだともしている
第一これは今までも東京は密集して限界だったのである
そして首都遷都もできなかった、この際思い切ってそういうことが実行できる
だから地方がチャンスだというのも悪いことばかりではないともなる

posted by 老鶯 at 16:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年05月14日

夏の日の川の土手の道(藤の花が咲く―写真)


夏の日の川の土手の道(藤の花が咲く―写真)

summertre1.jpg


nabeyama11.jpg
なべの形したのがなべかんむり山である

これが鹿島町を象徴する山である

でもこの辺では高い山が見えないからものたりない、でも蔵王が見える場所があり紹介した


fujinohanalight.jpg


ayametwo111_FotoSketcher.jpg
写真⇒ソフトで絵画風に
ayametwo111_FotoSketcher22.jpg
クリック拡大

                                                        
深野や紫と白の菖蒲かな 

深野(ふこうの)の田の面に写す桐の花


すくすくと真すぐに木の伸びにつつ五月の風にさやぎゆれにき

夏の日に河岸に鳴く鶯や三人ほどの休み語らふ

藤の花さわに垂れにき午後の陽の光り川面に輝きまぶし

紫と黄色の菖蒲映えにつつ夏の日明るく行き来するかな


今日は暑いけど昨日ほどではなかった、昨日はぐったりした
今日は真野川の土手の道を歩いた、そこで復興住宅の浪江の人が休んでいた
それで話したら同じ自転車に乗った同級生の人に出会った
何か半年ぶりくらいであった、どうしたのかと思ったが元気だった

あそこの土手の道はいい道である、人間はつくづく自分の住んでいる場所の良さを気付かないのである
あまりにも当たり前になって気づかないのである
なぜあそこがいいのかというと河岸に木が生い茂り今回は藤の花が垂れ咲いていた
川面に午後の光りが銀色にまぶしく反射していた
それは一幅の絵だったのである、絵にできないから写真にした
あそこの木を切れという人いた、洪水で水が流れにくくなり土手からあふれることを怖がったためである
実際に去年は水が相当に出てそれで川自体変わってしまった
川岸の花壇もみんな流されたてしまったのが残念だった
でも他では河岸の木を切ってもあそこは一部切ってもきらなかった
だから何かそこに夏になり藤の花が咲き鳥がとまったりして気持いいのである

今はカメラが欠かせない、映像の時代である、それで原町の植松団地で撮った写真を多少変えた、藤の花の写真を写真に藤の花が映っていなかったのでアレンジしたのである
何か写真は作れる、絵のようにもパソコンでできる
ただソフトが使いこなせないのである、機能が多くなりすぎたのである
私は絵の才能は全くないけどカメラとパソコンのソフトで絵が楽しめるのである

とにかく夏の日がまぶしく本当に夏だった、何か外で自然の中で話すると話がはずむのである、屋内より周りの自然が心に影響するからである
ただ明日から曇りがつづく、それが残念である
遠くに行けなくなる、暑いと日射病になりやすくなったのでひかえるようになった
五月にしては暑い、何か気候がおかしくなった
いつも五月には自転車で遠くへ行っていた、どうもここ十年くらいが天気が変動した
温暖化したともなるが暑いのである
一〇年前なのか二〇年前の中、五月はさわやかな季節だった 

それで気持いいから自転車でどこまでも行っていたのである
その時は家族もいたから恵まれていたし何か平和だったのである
そういう日は過ぎて動乱の時代になった、そして歳も取り体力が低下した
でもヤマハのYPG=XCは本当に乗り安いから乗っていて気持ちいいのである
それでなんとか今も遠くに出かけることができる
つまり技術の恩恵を受けるのは時代である、時代が進まないと技術は進歩しないのであるだから時代によって技術が進歩してその恩恵にあづかる
でも逆行に原発は技術のために悲惨な結果にもなったのである

深野(ふこうの)というとき地名がいいのである、それで菖蒲もにあうとなる
人間は名前に左右される、深野は何か地名ににあった場所なのである


abstract flowers

abstract flowers

abstractperole1.jpg

perpleflower2.jpg

flowercellssss3.jpg

blueflowerrrr4.jpg

blueflower5.jpg

kyochikutou111.jpg

Rosebay street(夾竹桃の通り)

I abstracted an image of this photo

kyochikufff1.jpg



2020年05月13日

済州島を中継地として日本に来た渡来人集団 (相馬地域に多い綿津見神社の由来)


済州島を中継地として日本に来た渡来人集団

(相馬地域に多い綿津見神社の由来)

asiamap222.jpg

nikesshi111.jpg

watatumisss333.jpg

例えば長江の河口を出発点とすれば舳を東に向けて一心に漕ぎ続ければやがて黒潮に乗り海流が北向きに運んでくれるから九州の西岸あるいは長崎県五島列島の辺りに到達する
五島列島辺りから舳を西に向けて漕ぎつづければ黒潮を乗り切った後に済州島または
朝鮮半島西南岸辺辺りに着くから、そこから先は黄海を横断して中国沿岸に到達する

第二回の渡航集団は済州島の中継基地を経由して大村湾から有明海に入りそ北部沿岸、
現在の佐賀市の近辺に上陸してその地を最初の生活拠点とした

徐福の集団は居住地として選んだ済州島ならびに日本列島の各地方で土木技術、水田灌漑技術、養蚕技術、製紙技術、医薬など知識をもちこみ先住民の心をつかんだ

兄(先の渡来民)弟(後の渡来民)である山幸(農耕民を基盤とする亡命民)の物語として長く語り継がれるようになった

古代水辺民の物語(太陽の生まれる楽土を求めて)−倉富春成

済州島は中継地点となったということはこういう歴史を知らなくてもその場に私が立った時、直感したのである、まず地理はその場に立たない限りわからない
頭でわかっても体でわかることが必要なのである
だから必ずしも地図を見てもわからないのである
済州島のカンナさんを仰いだときそれは2000メートルとなれば高いのである
そこに上らないにしてもそこに上った中国大陸と韓半島と日本を望む場に立つのである
だからそこが中継点になっていたことで済州島が重要な役割を果たしていたのである

黒潮というとき与那国島辺りからその流れが生じている、その黒潮の流れに乗って日本列島に到達するようになっている、与那国島まで行ったからそこは台湾に近いのである
むしろ日本より本州より台湾が身近になる、そこは国境の島であり自衛隊が駐屯するようになった要の島だともなる

日本に到達した人たちは中国本土からもあり韓半島からもあり南太平洋のパラオとかもありそういう移民たちが海を渡ってきて日本と縁を結んだのである
だから江西(えにし)は縁(えにし)であり日下石(にっけし)は西の意味である
また日下石の日をあてたのは太陽の下になる、太陽の沈む場所だからである
海から見る時、日下石は太陽の沈む場所だった
それが津波で証明されたのである、その日下石近くまで津波が押しよせて海になったからである
それで確かに海とかした湾となった岸が日下石であることが実感としてわかったからである

徐福伝説でもそうだが日本には海から渡ってきた人たちが作った歴史がある
日本の建国神話も古事記でも海洋民の神話であり海を渡り日本に移住した人たちが作ったのである
なぜやたらに相馬地域に綿津見神社が多いのか、それと並行して山津見神社が多い
飯館村にも綿津見神社神社と山津見神社があり対をなしている

海彦は兄(先の渡来民)弟(後の渡来民)である山幸(農耕民を基盤とする亡命民)の物語として長く語り継がれるようになった

海彦と山彦の物語はそれを示している、海彦が咲きであり山彦は後であるというとき綿津見神社が先でありそれが相馬地域に多いのである
松川浦でも山津見という地名が和田とあるのは綿津見(わたつみ)から来ている
そこが二つ対になり地名化している、そこが上陸地点だったからである
ただ安曇氏(あづみ)という一族が長野県に入って跡を残している
そこで舟の祭りを伝えている、山の中でそういう祭りがあるのは海洋民が移動して伝えたからである

移動してものとして伽耶(かや)国からツノガノアラシトのがいる、それは伽耶国の王子でありその跡も福島県の浜通りに点々と残されている
それは線として海岸沿いに残している、津神社はツノ神社でありツノガノアラシト系である
その一団は砂鉄を用いて鉄を作る技術者集団だった 
松川浦の津神社はつのみつ神社でありツノ神社である
この二つの集団があるとしてツノガノアラシト系は線として跡を残している

一方綿津見神社とか山津見神社を残した渡来人は線としての跡ではなく面としての跡を残している
つまりその渡来人はこの土地に広く土着したのである、だから面として広く神社を残している、例えば飯館村に山津見神社があるがその近くに佐須があるとしてこの佐須(さす)は焼畑のことでありその技術は渡来人がもたらしたものである
渡来人は種々の技術をもたらしたからである
ただ先住民として縄文人がいてその人たちと合体したのである
だからそれは大和王権ができる前に蝦夷として大きな勢力として日本列島にあった
その蝦夷とは出雲族のことだったのである  

天照大御神が八百万の神々に今度はどの神を派遣すべきかと問うと、思金神と八百万の神々は「伊都尾羽張神(いつのおはばり、天尾羽張神)か、その子の建御雷之男神(たけみかづちのお)を遣わすべき」と答えた。天尾羽張神は「建御雷神を遣わすべき」と答えたので、建御雷神に天鳥船神(あめのとりふね)を副えて葦原中国に遣わした。

建御雷神と天鳥船神は、出雲国の伊那佐之小浜(いなさのおはま)[注釈 4]に降り至って、十掬剣(とつかのつるぎ)を抜いて逆さまに立て、その切先にあぐらをかいて座り、大国主神に「この国は我が御子が治めるべきであると天照大御神は仰せられた。それをどう思うか」と訊ねた。大国主神は、自分の前に息子の八重事代主神(やえことしろぬし)に訊ねるよう言った。事代主神はその時、鳥や魚を獲りに出かけていたため、天鳥船神が事代主神を連れて帰り、国譲りを迫った。これに対して事代主神が「恐れ多いことです。言葉通りこの国を差し上げましょう」と答えると、船をひっくり返し、逆手を打って船の上に青柴垣(あおふしがき)を作って、その中に隠れた。

建御名方神の服従

諏訪湖     

建御雷神が「事代主神は承知したが、他に意見を言う子はいるか」と大国主神に訊ねると、大国主神はもう一人の息子の建御名方神(たけみなかた)にも訊くよう言った。その時、建御名方神が千引石(ちびきのいわ)[注釈 5]を手の先で持ち上げながらやって来て、「ここでひそひそ話すのは誰だ。それならば力競べをしようではないか」と建御雷神の手を掴んだ。建御雷神は手をつららに変えて、さらに剣に変化させた。逆に建御雷神が建御名方神の手を掴むと、若い葦を摘むように握りつぶして放り投げたので、建御名方神は逃げ出した。建御雷神は建御名方神を追いかけ、科野国の州羽の海まで追い詰めて殺そうとした

この建御雷神が南相馬市の鹿島区の鹿島神社に由来している
つまり蝦夷とは出雲族のことでありまたは渡来人集団と一体化した人たちのことである
だから技術をもっていたから大和王権にとって手ごわい相手となった

そして神社をみる場合は古いのか新しいのかがわからない、郷土史の基本が村の新旧を見ることだという時、新旧が問題になる
だから一体津神社と綿津見神社がどっちが古いのかとなる
どっちも渡来系の神社にしてもどっちが新しいのか古いのかわからない
ただ綿津見神社系統がこの地に土着したことは間違えないのである
ツノガノアラシトの津神社系統は一時的に鉄の生産にたずさわりさらに石巻の北上川をさかのぼり登米に移動したのである

そこで真野氏がかかわっていたのだがこの真野氏はどこから来たのか?
これも渡来系であるのか?吉備に真野という地名がありそれが伽耶系と連なる一族だったともなる
それで真野の草原(かやはら)の万葉集の歌を残したともなる
草原のカヤは萱ではなく伽耶国に由来するとも私は推察した
古代史はこのように中国とか韓半島とか南太平洋諸島ともつながり範囲が広いのである

いづれにしろ歴史は地理であり地歴なのである、だから地理がわからないと基本的なものがわからないのだ
この逆さ地図で日本の立ち位置を説明した、これを見れば感覚的に相当に違ったものになる、視点が逆転して見える
すると出雲のある島根県から日本海を伝わり今の長野県に至り諏訪神社がありそれは大国主神はもう一人の息子の建御名方神(たけみなかた)を祭っているのだ
それから常磐線に末続がありそれは島根県の出雲由来なのである
末は須恵であり須恵器を作る渡来人集団が移住した跡だともなる

そして不思議なのはなぜ草原(かやはら)とあり原町の萱浜がある、この萱がもともとはカイだとしている、そのカイとはアイヌのことだともなる
北海道の北海(ほっかい)とあるがもともとカイ族のことでありアイヌのごとだったとしている、そのカイが甲斐になりその伝説がここに伝わっている
それもやはり地理的なものとして解明すると何か関係が見えて来る
つまり太平洋側からではなく中国から韓半島から日本を見るとそのつながりが可視化されるのである


米中対立の時代で日本が危機になる (アジアの地図の見方ー地図で錯覚される世界)

海に囲まれた日本の地理が日本を作った (日本とアジアの地政学―太平洋戦争の意味)



posted by 老鶯 at 21:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2020年05月12日

米中対立の時代で日本が危機になる (アジアの地図の見方ー地図で錯覚される世界)


米中対立の時代で日本が危機になる

(アジアの地図の見方ー地図で錯覚される世界)

asiamap222.jpg 

この地図のように逆さまに見ると何か具体的に見えて来る
中国からの視点で見るのと日本から見る視点は違ってくる
この地図から見る錯覚が大きな誤解を生んでいる
人間はその住んでいる場所が基点となり日本がでも見ているからその視点となる場所で
見え方が違ってくる
韓国で東海というとき日本で陽の沈む方向だが韓国から見ると太陽の昇る方向になる
この相違は本当に全く違って感覚になる
日本から見たら日本海は太陽の沈む方向だからである
旅行するとこの方向がわからなくなるのだ
海洋民にとって西が太陽の沈む方向である、でもなぜ海岸地帯が陽の沈む場所になっていたのか?
それを相馬市の日立木の日下石で津波が襲って海になったとき感じた
太陽が海から上り海岸地帯に輝き沈んだからである
海からみるとそこは西になる、それで江西という地名がある
江西は縁(えにし)である、そこが海洋民が上陸した地点だとなるからだ
縁を結んだ場所となるからだ

縁(えにし)とは海洋民族が縁を結んだ海岸のこと? 

韓国側からみると出雲のある場所が意外と近いし結ばれている、そこで

昔、ヤツカミズオミツノノミコトが、出雲の国を見て、
「八雲立つ出雲の国は、細長い布のように小さく、
まだこれからの国だ。
どこからか国を引いてきてぬいつけなくては」 と思い立ちました。

海の向こうを見渡して、新羅という国を見てみると、国のあまりがあります。

そこで、大きなすきを手にとって、
大きな魚の身をさくように新羅の土地をぐさりと切りはなしました。

そこに、三つよりになった強い綱をかけ、
霜枯れたかづらを「くるや、くるや」とたぐり寄せるように、
また、河船を「もそろ、もそろ」と引くように、
「国来、国来」 と、言いながら、引き寄せました。

こういう神話があるのもさの逆さま地図から見れば納得する、つまり日本からばかりの地図を見ているとそれが頭脳に固定されてしまい本当の地勢が見えなくなるのだ

そして出雲地域から信州の長野県の諏訪湖がありそこを通って関東に出て陸奥に渡来人が渡ってきたことも納得する
つまりなぜ末続が島根県由来なのか出雲由来なのか地図から見るとわかる
出雲何か東北からすると遠いしつながりがないようでそうでもないことがわかる

だから歴史でもまず地理を知ることが大事なのである、なぜ会津が最初に国として「
会津の国をさ遠み・・・」となったのか?
その神話も古いし大塚山古墳に三角神獣鏡が東北で唯一埋蔵されていたのか?
それは日本海が古代でも最初に開けて航路が開発されていた
それは秋田とか青森まで進出していたことは阿部氏でわかる

この逆さま地図をみると現代でも台湾が重要な国なことがわかる

台湾になぜ中国はこだわるのか?

地図をみれば一目瞭然である、台湾を支配下に置けフィリンピンも支配しやすくなる
南沙諸島に中国が空軍の基地を作ればベトナムでも東南アジアを支配できる
そして意外なのか済州島なのである
それが日本と結びついている、済州島の漢拏山(ハルラサン、かんなさん)山を仰いだとき、この山を中心にして中国、韓国、日本が視野に入り結ばれていると感じた
それは地理はその場に立たない限りわからない、その場に立った時、直感的にわかるのだ何か済州島が地理的に要の島であり榛名山に上ればそこで韓国と中国と日本を展望できるそれは直感的にわかる、ただ地図を見ただけではわからないのである
だからいかに地理を知ることが大事か何でもそうなる、国際情勢を知るのもそうである
台湾が要の島でありこれをゆずれないとアメリカでも重視するのはそれが要の島だからである、そこが中国側になるとそこから沖縄でもフィリピンでも支配されるからである
与那国島も台湾に近い、国境の島なのである  

すでに、中国の海空軍は対馬海峡を渡り、日本海に進出する訓練を繰り返している。今後は、済州島を含む朝鮮半島から容易に日本海に進出することが可能となろう。

 これにより中国は日本海側から日本の太平洋側の東京や政経中枢を攻撃できるようになる。新潟に大規模な中国領事館を作りたい気持ちがよく分かる。

済州島が意外と要の島となっているのだ、済州島から韓国で政争があったとき大阪に逃れた人たちが多いのもわかる 
   
 済州島民の蜂起に対して、韓国本土から鎮圧軍として陸軍が派遣されるにあたり、政府の方針に反抗した部隊による反乱が生じ(麗水・順天事件)、韓国本土でも戦闘が行われた。この混乱により済州島の住民を中心に、戦闘から逃れて日本へ渡る者が多数生じ、これが在日朝鮮・韓国人の先祖の多くを占めるともされる[                                                                                     
済州島では事件前(1948年)に28万人[12]いた島民は、1957年には3万人弱にまで激減したとされる

   済州島四・三事件
  B6%E5%9B%9B%E3%83%BB%E4%B8%89%E4%BA%8B%E4%BB%B6

そして

なぜ日本軍はハワイに真珠湾攻撃したのだろうか?

これもやはり地理が関係している、ハワイを攻略すればアメリカに近づくし太平洋を制覇できる、ハワイは拠点になるからだ
ただその時は航空機は発達していない、日本では戦艦大和のように巨艦主義でありそれでアメリカが航空機では先をゆき、日本の零戦を破り空中戦で敗れて敗戦になったのであるただ日本はその時ハワイを攻略すればアメリカを抑えることができると思った
それは台湾ともにている、一見無謀にも見えたが地理的にそういう計画が生まれたともなる
なぜなら太平洋は広いし飛行機の時代の前ならそういう発想が生まれるからである
船で日本まで一か月もかかるとする時代だからそういうふうに地理でも見ていたともなる
つまり世界を知ること、日本でも知ることは地理が基礎なのである
それで自分の場合、日本は隈なく旅した、外国も二十か国は旅した
ただ外国の場合は広すぎてまだまた行けない場所が残った、アフリカとか南米とかは行っていないからだ
ただナイル川をくだってアフリカ人にスーダンのヌビア人とあったのは貴重だった

いづれにしろ米中対立が深刻化してくる、その時日本はどうするのか?
どっちつかずにはありえいのである、その時熾烈な日本での分断が生じるかもしれない
明治維新の時

 碑によれば、しげは越後国三条の生れで、白河の旅籠坂田屋に抱えられていた。閏四月上旬に奥羽鎮撫総督参謀の世良修蔵(長州藩出身)が小峰城に入った際に世良と馴染みになったという。
 しかし世良は、白河は危険と察して白河を逃れた。その脱出を助けたと疑われたしげは、世良を敵視していた会津藩士に殺害されたという。享年二十二歳。法名を梅質貞顔信女と伝える。

こうして別にそうした争いを知らない者でも庶民でもは巻き込まれて殺されたりする
そういうことが米中対立で起きるかもしれない、日本が分断されたら起きる
なぜなら日本が敗戦でアメリカとロシアに二分割支配される計画があったからである
ただ不可解なの親中派に自民党でも二階堂派とかいるし公明党は創価はもともと親中派でありそれが二階堂派と結びついたのかとなる
十万給付も公明党と協同したことでもわかる、創価には外務省に力をもっている
それで池田大作の外遊を外務省が援助したことがある
佐藤優とかが外務省でありそのために創価と深い関係にある
だから自民党でも実際はアメリカと中国派に分かれているのだ
それが米中対立激化した時、自民党も分裂して二分化する,そうならざるをえないのである
共産党も中国派だとすると奇妙なことは創価と自民党の中国派と共産党は連合するともなる、つまり中国派とアメリカ派に二分されるのである

コロナウィルス騒ぎで中国が軍事的に進出しているということでアメリカが怒っている
だからコロナウィルスが一段落したときアメリカが攻勢にでるという
米中冷戦はすでに始まっている、そして本格的な覇権争いがその後に開始される
その時日本はどっちつかずにはいられないのである
中立はあたえないのである、だから東日本震災以後、国際的にも日本は岐路に立たされる外憂内患になる、経済的にも苦しくなり日本は危機になる
だから戦争になったときのように危機の時代になる
それで様々な災難がふりかかっているのだ、日本は明治維新とか太平洋戦争のような苦難の時代に突入したともなる
それで何か団塊の世代は恵まれていた、平和な時代がつづいたからだ
経済的にも高度成長時代があり恵まれていたのである
でもこれからの時代は厳しい時代になる、何か9条が守ってくれるとかはならない
日本が自ら血を流して平和を守らねばならない時代にもなる
それが本格的な米中対立で起きて来る

posted by 老鶯 at 20:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

コロナウィルスがグロ−バル社会をを変える (人間には境界が必要でありそれぞれの風土に適応して生きるのが自然)

                                                        
コロナウィルスがグロ−バル社会をを変える

(人間には境界が必要でありそれぞれの風土に適応して生きるのが自然)


韓国と台湾を見ていると、共産党の一党独裁下で中国の習近平体制が進めた極めて統制色の強い対策がすべてではないと勇気づけられる。双方に共通の成功要因は、個人情報をビッグデータとしてスマートフォンを使って上手に収集したうえで、国民一人ひとりに迅速に必要な情報を提供してきた点だろう。


これは何を意味するのか?

やはり人間はガバナンスとか一体感とか統制するにはそれなりの規模でないとできない
韓国は大陸とつながっていても小国でありガバナンスしやすい、それでITの活用もうまくいった                                      

そして北朝鮮と国境が閉鎖されて出入りできない

このことがかえってコロナウィルスにはいい面として作用したのも皮肉である
もし北朝鮮と強固な国境がなかったら中国から大量の人間でも物資でも流入したからである、そして半島だから海にも囲まれているので外部から入りにくい
それはニカラグアという小国でも似たような地理だったのである
細長い半島であり回りは海に囲まれているし国境を閉鎖すれば入れない
それでいち早く国境を閉鎖しておさえた、それは韓国よりもっと小国であったからだ
国とも言えないような小国だったのである
台湾とかニュージランドでも感染拡大を阻止できたのは地理的条件であり小国だったからである、また海に囲まれていたということである
日本もまた海に囲まれていて地理的条件はにていても実際は大国である
だからガバナンスがうまくいくとはならない、でもなんらかコロナウィルスに強い条件が備わっていた、地理的条件も良かったともなる

そもそもアメリカとかヨ−ロッパでも大陸と陸続きであり国境があってもないと同じである、EUは国境がない、人でも物でも自由に出入りする
中国も巨大すぎて統制ができない、何かコロナウィルスを抑えたと言うが別な地域でまた感染者が増えるのは国が大きすぎて統制ができないからだ
今回のコロナウィルスでわかったことは人間には国には国境が必要だ
境界が必要だという時、市町村合併でさえそうだった、南相馬市では小高、原町、鹿島と合併したがそれが原発事故の補償金の分配などでもめた、利害の対立が生れて一体感がなくなった、つまりこんな狭い範囲でももともと境界がありその境界内で自治体があった、それが全国的に合併が実行されたときうまく自治体として機能しない面があった
きめこまかい行政もできなくなった、つまりガバナンスがうまく機能しない面が生れた
こんな狭い範囲でもそうならこれがグロ−バル化したときもうそこにはガバナンスも何もないのである
ただ貨幣が支配する非人間的な世界である、それで金融資本家が世界を支配するとか多国籍企業が世界を支配するとかなったのはそのためなのである、極端な格差社会になったのもそのためである
世界の富が極一部のものに集中したのである

そもそもなぜ万里の長城ができたのか? 

そんなもの途方もない無駄にも思える、でも人間には国境が必要だということを歴史的に示していたのである
国境は人間に不可欠なものとして生まれた、時代がそうさせたとかそんなも何の役にたったのかとか今なら見る、でも必要だったから生まれたのである
それでアメリカとメキシコでもアメリカが移民が入らないように壁を作る
それは万里の長城の再現なのである
また江戸時代に関所が多かったのも必要から生まれた
関所があればそこを閉鎖すれば他国のものが入ることはできない
ウィルスの伝染もそこで抑えることができる

だから今コロナウィルスで関所が必要なったことは歴史の繰り返しだとなる
交通が途絶えてしまったからである
何か20世紀までに人間は国境なき世界を目指してきた
それがグロ−バル経済でありそれで世界が歪んだものにかえってなった
それを是正するためにコロナウィルスが生まれたのかとまでなる
国と国の交流というときそれぞれの風土や文化があり制限なく交わることは天の理とか地の理に反している
なぜならウィルスとは風土病でありその風土に生まれたもの、地理が限定されて他に広がらないものだったが世界と交流すると広まったからだ
コレラでもインドの一部の風土病だったのが世界と交流があり日本でも長崎とかの港から広まったのである                  

人間には本当は境界が必要なのである
境界とか国境とかは不便なもので取り払うべきだ、人間は自由に世界と交流すべきだというのがグロ−バル社会である、そこに落とし穴があった
第一人間の文化が育まれるのは実際は狭い地域である、日本は日本という島国でありそこで歴史と文化を作って来た、だから食生活から海産物主体とかなるのは当然だったのである、羊とか牛はいないし食べてもいないのである
また遊牧民の牧畜とか家畜を使わなかったからそこに根本的に違った文化が形成されたのである
奴隷とか宦官とか生れたのは牧畜とか家畜文化があり生まれた、人間が家畜のように見るからである,カースト制などでもそうである、そこには家畜文化があり動物をカースト制に入れる、つまり人間を家畜のように見ることがあるからだ

そのことはどれだけ深く動物と人間が交流している、動物と一体化した文化だったということである、それは宗教にも現れている
魚を殺して食べても何か罪の意識が生れない、でも動物を殺すことは罪の意識を感じるからだ
日本がでも狩猟時代があった、縄文時代はそうだった、でも後は動物をあまり殺していないのである、米が中心になり野菜と魚中心の食生活になったからだ
それで腸が長くなった、肉食中心の欧米人などは肉を消化する酵素がでるが日本人は出ない、すると体質的に肉食は本当は合わないとなる、それは風土によって体まで作られていたからである、今回のコロナウィルスの不思議は欧米人がなぜあんなに感染者が一挙に増えて死者が増えたのか、それが良くわからないのである

また日本人がこんなに死者でも少ないのはなぜなのか?

それが疑問なのである、ロシアでも増大している、大陸とかは広いから増大しやすい、感染をとめられないという地理的条件があることは確かである
つまり何でも地理が関係している、地理を知らないと人間のことも世界のことはわからないのである

自立を目指すということは境界線を閉ざすとういことではなく、それをうまく管理することである、各地域社会は各地域内の生命の営みの調和と一貫性を損なうことなく互いの境界線を介して交換活動を行う能力をもたなねばならない

健全な生活と地域社会と人間の幸福には「場所」と境界線が不可欠だという認識だ
そしてその認識が今度は多様性を賞賛し、人間と地球の利益のための国際協力を支持すると同時に、地方の独立性を守ろうとする新しい「建設的ローカリズム」を生み出している
(  ポスト大企業の世界ー貨幣中心の市場経済から人間中心の社会へーデビット・コーテン)

この本には全面的に共感する

つまりグロ−バル経済の矛盾は全世界的に心あるものが感じていたことである
何かおかしい、こんな世界でいいのかと感じていた、でも貨幣が世界を席巻して支配して多国籍企業が世界を支配する、それがグロ−バリズムである
その矛盾が頂点に達していた、そこにコロナウィルスが起きたのである
ということはコロナウィルスが世界を変えるともなる
なぜならコロナウィルスの前と後で世界が変わるとしているからだ
それは悪いことばかりではない、全体的にグロ−バル化した世界から新たな地域に根ざした人間中心の社会をとりもどすことである
文化とはcutivateでありその土地土地に根差してcultureを作ることである
だからワインにしても土地土地によって味が違うし米でも酒でもそうである
グロ−バル化でもみんな同じ味になったら文化はないのである
コカ・コーラとかが世界に普及したりマグドナルドとか食生活を一様化することは文化ではないのである

コロナウィルスは世界を変える、だから不思議になる、世界を変えるというときとても人間の力だけでは変えられない、原発事故でも津波で崩壊して原子力村の悪を暴いた
コロナウィルスも自然の作用であり世界を変えるというこで人間社会は人間だけでは変えられない、それで中国では易姓革命の思想が生まれたのである
posted by 老鶯 at 09:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年05月11日

東京にコロナウィルスに地震で地方に避難 (原発避難区域に移り住めそれがカルマ)


東京にコロナウィルスに地震で地方に避難

(原発避難区域に移り住めそれがカルマ)

今ニュースで東京に地震が起きて避難するようになから福島県でも用意しておけとか放送していた
でもコロナウィルスを伝染させるから困るとなる
避難する場所は密集するから伝染しやすいから拒否される
今でも〈東京の人は来るな)とてっていたからだ
観光地でもそうなったのである
何かこういうとき人間は協力する面もあるが分断する面もある

放射能がうつるとか東京の人に言われていじめにあったのも福島の人間だったからである今度はコロナウィルスがうつると拒否されたら深刻になる
もしかしたらそこで争いになる、移民が無理やり入ってきて争いになるのとにている
東京と地方の問題がもともとあってそれがコロナウィルスで顕著になったのである

常に地方は過疎地域でもそんなもの税金の無駄だとか批判されてきた
食料など外国から輸入すればいい、日本の田舎は地方は無駄だ、税金の無駄使いでしかないと言われてきたのである
そして東京人は原発は危険だから福島に作ったのである
東京圏は福島県とは遠からず近からずで影響が大きいのである
だからコロナウィルスでも宮城県についで福島県が感染者が多い
宮城県が多いのは仙台市が東北の中心都市だからである
その他は秋田県でも青森県でも少ない、岩手県は未だにゼロなのが不思議である
コロナウィルスは人口密集地帯の大都会から拡散しているからだ

こうして巨大化した東京圏が福島県の小高浪江双葉大熊地域をゴーストタウンにした
でも東京の人たちが何か地震とかあって避難するのならそこがいいとなる
なぜなら街自体が空家でありゴーストタウンになっているからだ
放射線の影響があるとしても浪江までそれほどではないから住める
それより東京の人がそこに住むべきだとなる、それがカルマだとなる
それでそこで町を復興させるようになる
そこでみんなが農業するわけではない、テレワークなどもある
何か技術をもっている人は仕事を作り出す、東京が離れていても仕事ができるとなる

人間は何かカルマがありカルマは責任でもありその責任を果たすことを要求される
だから地域的にもそうである、東京にはその責任があるとなる
なぜここだけがゴーストタウン化していなければならないのか?
東京の人たちが避難してきたらコロナウィルスのことは言わない
その代り地元に住んでもらう、それが復興になる
本当は流出した若い人たちが住むべきだがその人たちは故郷を捨てたのである
また親も捨てたのである、いづれそれもカルマとなって現れる時がくる

かならずいつかカルマはめぐってくる、苦しみとなってめぐってくる
それは個々人でもそうであり集団でもそうである、集団のカルマもいつか現れて苦しみとなる、地域でもカルマがありカルマを果たすことを要求される
ともかく何か今年から2年くらいの内にさらに大きな災害でも起きる
そういう予兆が現れている、そういう時期なのである

ただ人間は本当に自ら苦しみを受けない限り本気にならない
「なんとか助けてくれ」となったときもう恥も外聞もなくなり思い切ったことができる
だからさらなる大きな変動が起きる予感がする
それはすでに東日本大震災から原発事故から去年の水害からと災難つづきだったからである、その延長として大きな災害がカルマとして東京に起きる

それと何か人心の乱れとも関係している、日本の人心も相当に乱れてしまった
自然環境も破壊された、だからコロナウィルスでも一時的に空気をきれいにしたように
神からの作用かともみた、神から文明が粛清されたようにも見えたからである
文明の再構築を要求しているようにも見えたからである
そもそも全国でもそうだが耕作放棄地が原発事故の避難区域では多いというより街の回りは荒地になっているのだ
だから土地は空いているし町自体が空家化している、すると避難してもそういう場所に住めるともなるからだ

とにかく東京はもともと災害に弱い、ウィルスにも弱いことがわかった
だからこの際に集団で移住することも考えねばならない、そういう決断はやはりぎりぎりに追い詰められないとできないのである
だから首都遷都も盛んに言われたが実行されなかった
つまりそういう大きなことはとても何かぎりぎりに追い詰められなければ決断できないのである  

いづれにしろ人間にはカルマがありそれが苦しみとなって現れカルマを解消することを強いられる、その時苦しむのである、それが東京の人たちに課せられている
カルマを解消するために原発避難区域に住まざるを得なくなるともなる
東京はコロナウィルスでもそうだけど地方に分散しないと危険である、それは一時的なものではない、将来にも同じことが起きる、だから東京に密集して住みつづけることはもうできない、コロナウィルスはその警告でありもし東京脱出して地方に分散すれば命も助かるとなる
結局そうして生死がかかるような危機感をもたないかぎりそうした大きなことは決断できないのである

posted by 老鶯 at 19:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年05月10日

放射線量もコロナウィルスも数字で計る (科学は数字でも社会はすべて数字で計れない)


放射線量もコロナウィルスも数字で計る

(科学は数字でも社会はすべて数字で計れない)

原発事故で常に放射線量を計った、その計ることが機械があれば素人でもできた
だから浪江町から双葉町に入る時に0.5マイクロシーベルとか7マイクロに変わったとき驚いた、このようにはっきりと数字ででる
それは素人でもわかったのである、屋根にたまった放射性物質は樋から流れる
すると樋の下は7マイクロとかあった、これもわかりやすい、まわりは0.2マイクロだったからである

このように他でも明確に放射線量はわかる
それで飯館村でモニタリングポストの下を掘って放射性物質の土をとりのぞいて置いた
でもその周りは倍くらい高かったのである
つまりこの時大成建設では不正をして低くみせていたのである
それを飯館村の人が指摘したのである
それができたのは放射線量は素人でも計れるということだったからである

コロナウィルスはまず素人では計りえようがない、検査しようもない
すると専門家の言うままになる、何が本当なのかどうかもわからない
実際は検査していないから感染者の数は百倍もあるとされている
でも素人では何か機械をあてて検査できない、放射線量は体でもできたからだ

ただ放射線量で数字で計る、コロナウィルスでも感染者の数を常に見ている
数に左右されるのは同じだった
感染者が今日は何人とか毎日報告したからである
でもその数に一気一哀するのはおかしいという科学者もいた
そこに数字のトリックがありだまされるとしている
何か数字信仰のようになる、数字がすべてになる

不思議なのは地方では感染者が少ないから安全なのかと思う
それなのにこの辺でも毎日連休が過ぎてもスピーカーで危険を言っている
そして今日蔦屋に入ったら書店でも多人数で入るなとか長くいるなとか呼びかけている
どこでもマスクしているから常磐高速の鹿島のSAでは掃除している人がマスクをしなかったらマスクしない人は入れないと昨日は言われた
でも遠くから来た人はマスクしないで入っていたのである
これもおかしい、過剰防衛になっている

何かこのコロナウィルスは正体不明で怖いことはわかる、でも数字から計算するとそんなに怖くない、インフレインザより死者数も少ないとか過剰防衛になっている
その原因が正確な感染者とか政府でも調べて発表しないとかあるからだ
それで国民も疑心暗鬼になり過剰防衛になっている

放射線量でもモニタリングボストで低く見せたと同じことをしていると感じている
外国では隠蔽しない、というより死者数が多いから隠蔽できない

だから日本でぱなぜ感染者や死者数がこんなに少ないのか?

それが外国から見ると不思議だとなる、原因は何なのか?

●日本人特有のものBCGとか体質とか食生活が関係している

●政府が感染者と死者数を隠蔽している、正確に検査しない

このどちらかである、ただ死者数は隠せないとしている

ただ本当の感染者数がわかれば国民がパニックになる
それで数を極力おさえている、まず検査数が少ないのだからすでに百万単位で感染しているという学者もいる

でもそれでも死者数とか重症数が少ないのなら抗体がすでにできたためだとなり安心である
感染者数が増えてもかえって抗体を持つ人が増えるのだから安全だとしている
そういう政策をとったのはスエーデンである

ともかく科学とはつくづくこのように数字の問題になる、現代は何かとあらゆることで数字が問題になる、経済も統計であり数字で計る、だから株でも常に数字とかグラフを見ている
だから何かそこに血の通った人間を見ないのである
官僚とかでも常に国民を数字で計っている、すると血の通った個々人は見えなくなる
なぜなら相手しているのは国民であってもそれは数字としての国民なのである
そこに何か非人間的なものとなり政府でも首相でも国民はただ数字だとしか見ないということがある
だから個々人の苦しみでも感じないのである
それが現代文明社会だといえばそうなる

何かこんなに数字だけに左右されるのがいいのだろうか?

数字だけで社会のすべてが見えるのだろうか?正確な数字を出してもらうことが安心になる、それは必要である
変なのは感染者数は昨日は百人であり今日は50人だと報告されると安心する

数が少ないから安心だ!

これも何か数にだまされているともなる、一種の数の洗脳である
感染者の数ではなく重傷者と死者の数が重要だとしているからだ
感染者がいくら増えても重傷者と死者の数がふえなければかえって抗体が作られて安心だとしているからだ

結局放射線量でも常に数で計りそれで安心したり不安になったりしていたのである
見えないものだから数で計るほかないしそれしか感じる方法がないからそうなった
今回でもそうである
この辺だと10数人感染者が出たとしても東京と比べて少ないから安全かと思ってしまう現実はもっと多いのかもしれない、でも放射線量のように計れないから発表された数字で計るほかないのである

要するに検査を増やして感染者の正確な数を計れ!

これが正論になる、別に増えたとしても重傷者数と死者数が増えないなら安全なのであるそうなると日本がでは何かすでに抗体があり死者数が増えないとかなり安心になる
なぜそれを最初からしなかったのか?それがわからなかった

いづれにしろ人間社会は科学時代でも科学の基本が数学に数字にあるとしてそれだけで計れない、そこには血の通った人間がいてその声も聞くべきだとなる
すべてを数字で計ると血の通った政治もできない、何かここに科学の基礎が数学であり
社会を見るのが人間を見るのが文系だともなる
理系と文系の分化がコロナウィルスでも現象化したとなる
それで専門家会議に経済の専門家を入れろとういのはすでに自殺した人もいるし
経済の影響が大きくなると自殺者が増えるとか深刻になるからである
ただ感染者数を減らす数字だけを見ていては肝心の血の通った人間をないがしろにする
数字だけをみて判断するのも危険なのである

とにかく過剰防衛になっている、それは日本人の同調圧力となり告発して村八分のようになる、何か戦時中のようになっているのかもしれない
「勝つまではほしがりません」とかみんなマスクをしている
戦時中は鉢巻をして鬼畜米英と戦ったとにている
日本人は同調圧力が強くそうなりやすいのである
マスクをしない者は非国民だとか自粛をしないで店を開けるのは非国民だとかなる
それが何か一斉にそうなり強制的になりファシズムのようになりやすいのである
東京はある程度数が多いからしかたないとしても地方だと少ないのである
10数人でそんなに厳しい措置が必要なのか?
それは実際の感染者の数が地方でもわからないからなのか?
過剰防衛になっていることは間違えない、そうしてこの辺のようにゴーストタウンのようになり困窮して自殺者が増えたり犯罪が増える方が怖いのである
posted by 老鶯 at 22:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

科学の時代でも科学が無視される (マスコミの報道で真実が歪められるー武田邦彦氏の主張から)


科学の時代でも科学が無視される

(マスコミの報道で真実が歪められるー武田邦彦氏の主張から)


現代は科学の時代である、科学技術なしではありえない社会である
だから科学技術者が一番重要な役割を果たしている
昔は預言者とか聖職者とか僧侶とかが力をもっていた
それは会津で8世紀とか早い時期に大きな寺院が建設された
それは病気を治すための加持祈祷のためである
ウィルスでもそうだけど科学技術が発達しなければ神仏に祈るほかないからだ
それでた村では様々な病気を直す地蔵がいて目が悪くなれば目を直す地蔵とか
腰が痛くなれば腰痛を直す地蔵とか耳が悪くなれば耳を直す地蔵とかに祈る
それしか方法がないからである 

江戸時代でも医者は仁術というとき医者は病気を治すことができない
するとやはり仁術ということは病気を治すというより慰めるということになる
そもそも直せない病気が多いからである
今のように病気は直せるものとして医者にも期待していないのである
今はみんな病気を治せるものとして医者にも科学技術者にも期待している
それはもう信仰なのである、医者を神様のように頼っているのである
そして医者は科学者は全能のように見ている、今直らなくても将来は必ず治ると期待されている

だから今一番無能化している役立たずと見られるのは宗教者である
仏教でも神道でも僧侶でも神主でもキリスト教の牧師でも何か現実社会で何に役立っているのかとみる、ただ戒名料を馬鹿高くとったり神主でも何を祈っているのか良くわからない
ただ賽銭だけはとっているとかなる
要するに宗教に何ら効能が認められないからである
その割合にしてはなぜこんなにカルト教団でも多いのか?
その理由は宗教は効能がなくなったけど利権団体化して政治団体化して力をもつ
それは創価だけではない、宗教者は宗教団体として組合化して税金をかけられないように宗教が違っていても協力していることでわかる  
利益第一主義であり集団化組織化すればみんなそうである
その利益のために一致団結している
そして何かしらそうした利権から利益から脱することができないのである
あらゆるもものがそうして組織化組合化集団化しているからである

なぜこうなったかというと宗教者が無能化したかというと科学技術の時代になったからである
科学者が医者でも神官であり聖職者になったのである
現代人が崇めるのは科学でありそれに通じたものである
政治家とかマスコミとかはそれに付随して利益を得ている、たいだいそこは文系なのである

だから原発事故でも東電の科学者が十数メートルの津波が来るからそれに備えろと進言していた
そして本当に津波が来たから驚きだった
でもそのことは「安全神話」が権力で作られていたから公にも知らされていない
第一マスコミが知らせないからである

つまり科学的に追求されたことは信用できる

だから科学者や技術者は信用できる

そうなっているのだがその通りには社会は進まない、社会は科学で追求されたことを無視する、それで武田邦彦氏がダイオシキンは無害だったのにマスコミが危険を騒ぎ過ぎた
そのために社会が歪められたとてマスコミを怒っている
科学的真理も社会によってこの時はマスコミによって歪められた
でもその反省もなく罰せられることもないとしてyoutubeで訴えている

ガリレオでもカトリックに科学者として追及して来たことを主張しつづけた
それで否定されても「地球はそれでも回っている」と言ったのである
現代社会は科学技術社会である、それなくしてはありえない社会である
だから武田邦彦氏はコロナウィルスでもこれは普通の風邪だから普通に過ごせばいいとしている、インフレインザと変わりないとしている
ではなぜマスコミでも政府でも経済が破綻するようなことまでしているのか?

そんな過剰を防衛をしているのか?

何か得があるのか?政府にあるとは思えない、原発では警察から検察から海上保安庁から天下り先として役得を得る利益があった
コロナウィルスでは一体誰が利益を得るのか?
政府も巨額の財政支出があり医者でも必ずしも得するとはなりえない
医師会に予算を回すとしてもそれほどの利益にはならない
医師会が検査を拒むのは利権にならないからだともしている

ただマスコミは危険を言うと視聴率があがる、すると宣伝費をコマーシャル代を会社からもらうから視聴率をあげることは利益になる
その利益のためコロナウィルスは日本ではさほどの危険がなく風邪と同じだとしているがそれではテレビを見る人が増えない
だから毎日何人感染者が増えたとか恐怖をあおっている
その手法はナチスのゲッベルスと同じだとしている
つまり何回も同じことを言いいつつげるとそれが真実に見えて来る
恐怖をあおることを何度も言っているとそれが本当に恐怖として洗脳されるのである
カルト教団も恐怖で洗脳するのとにている

人間に恐怖を与える、おびえさせる、それが効果的なのである
人間はそうした恐怖に敏感であり地震のことでも科学的ないにしろ実際はわからないのだから何か恐怖して注目するのである
だからマスコミはそうしして危険をあおり社会を歪めたから罰せられるべきだという武田邦彦氏の主張に共感する
なぜならこれまでは六局しか放送できなかったからである
その影響力はあまりにも大きかったからこそその責任も重大だったのである

でもマスコミはNHKでもそれだけ影響力がありメデアを独占していたのにその責任を自覚していない、だから技術を手に入れるものが誤ると核でも原発として甚大な被害になる
マスコミも放送する機械を道具を与えられたものとして責任を自覚すべきだがしない
それは大きな間違えを報道したとしても誰も責任をとらないからである
ただ原発事故でも誰も責任をとらなかった、政治家も官僚も東電も科学技術者も全マスコミも責任をとっていない
ただ必ず戦争でも3百万人死んだように責任はとらされる
原発事故で周辺の町がゴーストタウンになったように責任をとらされる  

だから報道にもマスコミにも責任をとらせるべきだとなる
なぜなら報道の権利と武器になるメデアを機械を道具を与えられたからである
権利を与えられたものには責任も課せられていたのである
でも一切責任をマスコミはとらないのである
コロナウィルスでも経済破綻するし自殺する人もでた
だからこの影響も大きいから経済をとめることも慎重にすべきである
ただインタ−ネットで個々人にもメデアが与えられたからある程度は報道の公平さがもたらされた、でもまだ依然としてマスコミの影響が大きい
でもテレビ自体がyoutube化するようになるとテレビの影響が大きくそがれる
とういのはそんなにいろいろなものを見れないからである
youtubeを見ているから最近テレビを見る時間が減ったからである

ただコロナウィルスは科学者にとっても医者にとっても未知である
それで対処できないということはわかる、でもその未知なことをいいことにマスコミが誇大に危険をあおり視聴率を稼ぐことは許されないのである
要するに社会は利権とか利益ばかりを追求すると本来の使命が失われる
マスコミでも事実を正確に報道してその判断は国民にまかせる
マスコミが判断して裁判官になり私刑にする、リンチするようなことをしているから問題なのである

また危険を言う学者が医者が選ばれて放送する、マスコミの意図は危険をあおりコロナウィルスで視聴率を稼ぎ宣伝費をくれる会社のために貢献するということでそうなる
その利益も巨額なのである、だから原発事故が起きたとき朝日新聞でもマスコミは全部中国に招待されていた、その時事故が起きたのも因縁だったのである

 原発事故で十数メートルの津波が来る!

こう警告していた科学者集団がいた、でもそれも無視された、利益を第一として原子力村の利権集団に無視されたのである、安全神話はどれほど強固に作られていたか?
これが報道されていたら津波の被害も少なかったかもしれない
なぜなら仙台から宮城県の海岸線は津波の警戒がなかった
それは400年前に津波があったとしても忘れていたからである
それで津波は来ないという確信までになって避難が遅れた、津波を甘く見ていたことがある
だからこの科学者の指摘したことをみんな衆知していれば頭にそのことがあり早く逃げたかもしれないのだ、でもそういう危機感がないから死ぬ人が多かったともなる

安全神話もそうして強固に作られていた、事故はありえないとしていたのである
それで地元の人たちでもそれを信じていたのである
それはとても崩せないものであり津波でしか崩せないものだったのである
民主主義とはそうした原子力村とか利権団体の主張を通すことである
だからそうした利権団体に入らない者は利益を得られないのであるその利益を得るために常に社会が歪められるのである
原発事故では漁業組合は利権団体となり事故前も事故後も利益を得ていた
それだけでない、農協とかでも利権団体でありあちゆるものが利権団体化している
その利権団体を調整するのが政治だともなる

でも公正さを報道とかに求めるとそうした利権団体に組み入れられるとできない
必ずその利権団体に票を得るからと忖度する
そしてテレビとか六局が独占していたがそうした公器を手に入れたマスコミが宣伝費で成り立つから宣伝費を出す会社に忖度する
それは原発事故でもわかった、電事連から800億円とかの宣伝費が出ていたのである
原発は金のなる木だからみんな群がったのである
だからこそその危険性は地元でもみんなによって無視されたのである

だから科学で追求した真理でも事実でもそれがその通りに社会に通用しない
隠蔽されたり科学の真理がそのままに報道されることもない
コロナウィルスでも複雑なのだけどそういうことがある
聖書が予言の書だというとき現代では預言者は科学技術者になった
それで津波を警告するというとき科学者は預言者と同じだとしている
コロナウィルスでもこれからどうなるのか?
それを予言するからである、でもそれが当たらないとしたら科学者の信頼は失墜するのである
預言者は神の言を伝える者であった、でも殺されたりしたのは必ずなんらか不興を買うものがあったためである
科学者でもいくら科学的に追求しても正確にその将来を未来を示すことはできない

つまり未来は神の掌中にある、人間は知ることはできないのである
だから人間の未来を握っているのは人間ではない、神なのである
なぜなら神は人間界でも地球でも滅ぼすことができるからだ
創ることもできるか滅ぼすこともできるのである
人間の未来を決めるのはAIでもなんでもない、神が決めることなのである
そういう権能をもっているのは神だけである
科学技術者でも限界があり実際すべてがわかるわけではないからである
だからこそ何かあるとこうして不明な未知のことが出てきて混乱するのである 

takedacolona1.jpg

posted by 老鶯 at 10:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年05月09日

還暦(60)で四分の一が貯金が百万以下 (貧困化する老後‐田舎の例)


還暦(60)で四分の一が貯金が百万以下

(貧困化する老後‐田舎の例)
povertycc1.jpg


savemoney11.jpg

100万以下が増えていて24パーセントもいる

その女性はもともと食べることもまともにできていない、70近くになる
その女性が畑で野菜を作っている
でも勝手に草取りしたから金を要求する、それも5000円とかである
また蛇が畑にどぐろを巻いていたからとってくれと頼んだら5000円要求された
また肥料が蓄えていたものが盗まれた
あとは畑をうなってもらうのに金がかかる

畑の作物が果物でも盗まれることが良くある、畑の小屋とかなると夜なら誰も見ていない盗まれやすいのである
でも知っている人が勝手に草取りして金を要求する、また蛇をとってくれと頼んで金をとるというのは何かせこいなと思った
そんなこと善意で無料で知っている人ならするだろう
第一その女性は金が貧窮している、そんな人から金を要求するだろうか?

その人はおそらく60代だろう、何か余裕がないからそうなっている
なんとか現金を得たいということでそうなっている
それだけ金に窮している人が田舎でも増えているのかもしれない
現実そのために盗難で大金を失ったことがありそれも田舎で生活に窮している人だった
今はなかなか金に窮している貧困が見えない社会である
一応みんな田舎でも車を持っているからその車を持っているということで貧困に見えないのである
私は車をもっていないから実際は貧困の部類に入る、車ももっていないのかと今の時代ならなるからだ、でも別に自分は貧困ではない

だからこんなに貯金がないことに驚く、なぜなら私の親の世代は貯金することが楽しみであり貯金した、その時はまた必ず利子が高いから貯金したのである
だから団塊の世代ならその親の遺産を受け継いだ人は貯金がそれなりにある
でもここでも格差が大きくなっている

表でみると

百万未満の人が24パーセントもいる

これは尋常ではない、もちろん年金が高いならそれでもやっていける
でも厚生年金にしても15万くらいでたりないとしている
他の人は農業している人などは国民年金になるから少なくなる
だから貯金がない人がこんなに多いということに本当に驚く
つまり還暦になり60才で貯金がないということは相当に厳しい
普通に働けなくなっているからだ、収入は会社をやめたら半分くらいにもなる

それで2000千万貯金しろと政府が言うのである
国ではめんどうみれないからそう言ったのである
そして恐ろしいのは60代より今の50代以下がまた40代が氷河期世代はもう貯金もないし年金ももらえないとされる、そうしたらどうなるのか? 

これを予想すると本当に老後の生活が成り立つのか?

みんな生活保護になる、それより生活保護でも田舎だとただ医療が無料になるとかの生活保護もあり後は何ももらえない
第一国民年金でも4,5万しかもらえない人が結構いるのだ

そんな人がどうして生活ができるのか?

コロナウィルスでもその日暮らしのような人が困窮する、若い人は貯金がない
するとたちまち困窮して暮らしていけなくなる
だから何かあるときのために貯金がある、コロナウィルスのように経済が不安定になると解雇されたりするから貯金がないとどうにもならなくなる
でも貯金がないから10万の政府からの給与でも助かるとなる
何か怖いのはこういうふうに日本人が貧困化する犯罪が増える
その被害者に自分もなったから怖いのである
コロナウィルスではすでにそうして解雇された人がわずかの金が欲しくて強盗に入ったとかある
そううい人が増えてくると本当に怖いことになる、格差社会は南米のように犯罪国家になる

なぜこんなに日本は貧困化したのだろうか?

それはコロナウィルス前からそうだった、さらに拍車をかけて貧困化する
その割には貧困が見えない社会である、都会辺りだとホームレスとか見かけると一目でわかる、コロナウィルスで仙台にホームレスが増えたという時わかる
田舎ではかえって貧困見えないのである
なぜ食べるものも事欠く人からそんな金を要求するのかとなるからだ

現代の貧困は田舎でも車が無しでやっていけないとか金がかかる、何かと金がかかる
それで金がなくても出費が抑えられないのである
その人は毎月ガス、水道、電気がとめられると騒いでいるからだ
結果的に自分が払ってやる

まず畑で野菜を作ること自体が簡単にできない、とれるものはほとんどなかった
こうしてただかえって機械が必要だとか肥料だとか鳥にネズミに食われたとか盗まれたとかなんとかかんとか苦労だけ背負ったとなる
ただ少しでも収穫があると喜んでいてその人は農業がしたい好きなのである
でも実際は腰が痛いとか体も弱っているから無理なのである
それで隣の畑は車に乗せられて這って野菜を作っていた人がやめた
向かいの畑は病気で死んでこれも草ぼうぼうになった
そうして誰もそんな零細な農業をしない、跡継ぎがいないのである

その原因は実際の農業は専業農家が8割くらい食料を生産している
その専業農家は裕福でもある、キャベツ農家が話題にもなった
ただこの辺では梨の生産が盛んでそういうものは生活が成り立つのだろう
あとはなかなかむずかしいと見る
田んぼでも15町とかもっていれば専業農家なら成り立つ

そしてなぜ荒地が増えるのかというと全国が市場なのだからいくらでも全国から食料が入ってくる、すると全国の中でもキャベツ専業農家ならやっていける
他は田舎でも食料でも買うことになるからである
もし地元だけで自給自足しろとなるとそんなに荒地にしておけないからである
どうにかして地元で食料を得なければならないからだ
それどグロ−バル―化で外国から食料が入っていてそうなったのである

いづれにしろ人生百年時代にすでに60で百万以下の人が4分の一とかは異常である
もう老後の生活が成り立たないレベルである
それほど貧困化している日本でありコロナウィルスでますます貧困化する
ではどうするのかとなると私にはわからない
ただ農業というのは8割の専業農家が食料を供給している
それも全国からだから食料が高くなっても足りなくなることはないようである
でも零細農家などはとてもやっていけないのである
それでそうした零細農家とかもう跡継ぎもいない農家は廃業するようになる
そこで荒地が耕作放棄地が全国で増えているのである

2020年05月08日

藤の花(相馬市は詩と絵になる街―写真)


藤の花(相馬市は詩と絵になる街―写真)

deepgrasss1.jpg

zaonatu222.jpg

zaoviewpoint1.jpg

fujinohana22222.jpg
街道の藤の花
fujiyaesakura3.jpg

tutujikami4.jpg
相馬中村神社の神苑
fujisoma111.jpg


cafeefuji444.jpg

中村珈琲店の庭の藤

kyochikutou111.jpg
                        
すべてクリック拡大


白つつし夕べひそまり神苑に

夏柳風にそよぎて田町かな

奥に石木陰の深く藤の花                          

夏の夜や赤い満月昇るかな


新緑につつじの赤く映えにつつ蔵王大きく迫り見ゆかな

八重桜あまた散り赤し藤の花さわに垂れ咲き相馬市の暮る

紫と白の藤の花映えにつつ街道あわれ行く人のあれ

相馬市の通りにさしぬ夕日かな夾竹桃の街路を行きぬ
                

前に大きく見えた蔵王の写真をとるために同じ場所を探した、それがわからなくなっていた、場所は地図で示した、ここから意外と蔵王が大きく見えるのだ
他はこんなに大きく見えないのである、ここはだから蔵王のビューポイントである

相馬市は街として詩になり絵になる、何か特徴がないのだが街として活きている
それは原町と比べると違っている、原町は何か詩とか絵になりにくいと思う
街中に丸三製紙工場とかあり煙がでてたり何か街として整っていないのである
相馬市は城下町だから碁盤の目のように作られていて整っている感じになる

相馬神社の神苑にはいつも白いツツジが咲いて今日は藤の花が咲き八重桜が散った後だった、あの藤の花はいい
それから中村珈琲店に藤の花を見に行った、でも今日はコロナウィルスのために閉じていた、何かまだ正常にはならない、店も閉じているのがある
それか残念だったがあの藤の花は見ものである
相馬市の花は藤の花である、鹿島は草深く咲く月見草とかである
原町はひまわりがにあっている、何かにあう花がある、飯館村はゆったりと芙蓉がにあうただ人が住んでいないから花も活きてこないのである

相馬市の通りに夾竹桃の街路樹があり夕日がさして映えて絵になっていた
暗くなって赤い満月がでていた、赤い満月は見ることがある、自然現象であるが今回は大きく見えた、今日は夏らしい一日だった
風が涼しいから暑いというほどではない、去年は熱中症に二三回なった
今年はそんなに暑いというのではない、風は結構涼しい、それで自転車で走るのが気持ちいいのである


東京にコロナウィルスに地震頻発の恐怖 (福島原発事故でカルマを作った東京)


東京にコロナウィルスに地震頻発の恐怖

(福島原発事故でカルマを作った東京)


なぜ今東京が危険地帯となっているのか?

コロナウィルスでも東京から拡散する、南相馬市でも自分の住んでいるすぐ近くで東京のライブハウスに行った人が感染したのである
東京が危険なのは人口が多すぎるからである、その周辺の神奈川とか埼玉とかでも東京圏の人口が多すぎる、その影響が大きすぎる
そこで人の流れも止めることができない、それでコロナウィルスでも伝染するのが止めることができない、そのことは前から言われていた

そして福島に原発を作ったのも地理的なものだった、茨城県だと近すぎる、確かに東海に原発があっても実験用とかで規模が小さいが福島は大きすぎた
それで甚大な被害となった
福島県は東京から遠からず近からずという場所にありそれで東京圏ではないが疑似東京圏にもなっていたのだ
東京の影響が地理的に受けやすい場所にあったのである
それで経済的には東京の恩恵を受ける面があったが逆にまた原発のように被害を受ける面もあった、岩手県とか秋田県とか青森県になるとこうはならなかったのである
でも青森県でも核燃料貯蔵庫とかができているからかえって辺鄙な所に危険なものが作られることはあった

何かカルマというとき個人的にも家族的にもその場所であれカルマをかかえている
時間的にも空間的にもカルマがある、カルマとは繰り返すことであり自然災害も地震でもコロナウィルスがあったがこれも実際は百年前とかスペイン風邪とかで大被害が世界であったことなのである、だからまたカルマとして繰り返すとなる
カルマを意識するのは苦しみとなった時である
それは津波でもそうだった、それは余りにも凄惨なものでありこんなことが起きるのか?そうみて震撼としたがそれも過去に同じようなことが起きていたのである
相馬地域では400年前に700人溺死とありやはり起きていたが忘れていたのである
だからつくづく災害は忘れたころにやってくるとなっている
カルマは必ずめぐってくる、それは空間的にもそうなのである
世界で起きたことが関係ないようで日本にも起きて来る、カルマは空間的にも時間的にもめぐってくる

今なぜ東京が危険なのか?

何かそこにカルマがめぐるような状態になっている、東京はカルマを積んだのである
それは福島原発事故でカルマを積んだ、東京電力が福島に原発を作った時カルマの因を作ったのである
それで一時福島から放射性物質の汚染を恐れて東京に避難した人たちが放射能がうつるとかいじめられたとかあった
今度は東京の人たちが地方にコロナウィルスをうつすから来るなとち拒否された

放射性物質をうつすから福島の人は来るな!

コロナウィルスをうつすから東京から來るな、出るな!

これも何なのか?これもカルマではないか?そうして人にしたことが今度は我が身にふりかかってくる、それが個人的にもそうだし家族でもそうだし地域でもそうだしあらゆることにカルマが適応されるのである

東京が今地震が頻発して恐れている、東京は何か今の時期一番危険になっている
なぜならコロナウィルスと地震が重なったら阿鼻叫喚のようになる
コロナウィルスをうつすから東京から出るなとか地方から言われて今度は避難することもできなくなる、地方で受け入れないからである
地震が起きたら東京内でも密集するから避難場所もなくなる

東京から脱出したい、でも脱出もできない

その時東京がパニックになる、まさに生き地獄になる、東京にカルマがめぐり東京に今そういう危機が集中している
そしてカルマの解消は苦しまないと解消しないのである
それは個人的でも家族でも地域でもそうなのである
それは自分自身が死ぬような苦しみを受けた、介護とか自分の病気とかでそうだった
つまり死ぬような苦しみを受けないとカルマは解消しないのである
それだけのカルマを東京という地域が積んだのである
これは科学的でないにしろカルマには明らかに法則性がある
だから今東京がコロナウィルスとか地震とか一番危険になっているのだ

ではその他は安全なのか?

それもわからないにしろ福島は安全ではないか?、なぜなら津浪地震とか原発事故とかでその被害を受けてカルマを解消したと思えるからだ
ただ放射性物質はこの地に残り依然としてその後遺症が残りつづけている
人は住めなくなるゴーストタウンになったままの地域もある

だから不思議なのは

福島の原発周辺がゴーストタウンになった

コロナウィルスで日本でもゴーストタウンになった

世界中がゴーストタウンになった

これも何かカルマが関係してそうなったのかともみる、世界が村となったというとき距離に関係なく悪いことも広がるからである

ともかく何かこういう時不安がらせるということがある,マスコミは不安をあおっているという、視聴率のためにそうである

巨大地震が連続して起きた慶長時代とにている (東北と九州(熊本)に起こり今度は関東へ迫る恐怖)

ここにアクセスがそれなりにあったということは東京で危険を感じる人たちが多いからである
正直脅かすわけではないが、東京にはカルマがたまっている、それを一度出さないと治まらないのではないか?
そういう時期になっているのではないか?
だから東京を脱出する人が地震の無いところに移住しようとしている人が増えるのもわかる
かなり不安になっているからだ、そもそも東京は災害には弱い
あれだけ人が密集していること自体が危険なのである
それはコロナウィルスでもわかった、だからそうして警戒するのはわかる
つまり東京から人が地方へ分散する、それが日本の国土にとってもかえって東京と地方のバランスをとりもどす契機となる
あまりにも東京一極集中になりすぎたからその弊害が大きくなったからである

人間は危険を察知することが大事

人間は命が助かるためには危険をいち早く察知することである、それは津波で原発事故でもそうだった
危険を察知しないで甘く見ていた結果大被害になり多くの人が無惨に死んだ
だからソドム、ゴモラでもロトが危険を察知して脱出したことにより危機一髪助かったのである
でもその妻はその光景を見て石と化してしまった、それほど恐ろしい光景だったのである
だから東京が危険だと察知して脱出した人たちが命が助かるということがある
それだけそもそも東京は人が密集してビルが密集して危険なのである
逃れる場所もなくなるからだ




posted by 老鶯 at 11:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年05月07日

小川未明の「眠い町」の童話と似ているコロナウィルスの状況 (神がコロナウィルスをばらまいた?)


小川未明の「眠い町」の童話と似ているコロナウィルスの状況

(神がコロナウィルスをばらまいた?)


そこで少年は、袋の中なかから砂を取とり出だして、せっかく敷しいたレールの上うえに振ふりかけました。すると、見みるまに白く光ひかっていた鋼鉄のレールは真っ赤かにさびたように見みえたのでありました……。
 またある繁華な雑沓をきわめた都会をケーが歩あるいていましたときに、むこうから走ってきた自動車が、危く殺すばかりに一人のでっち小僧をはねとばして、ふりむきもせずゆきすぎようとしましたから、彼かれは袋ふくろの砂なをつかむが早はやいか、車輪に投なげかけました。すると見みるまに車の運転は止とまってしまいました。で、群集は、この無礼な自動車を難なく押おさえることができました。

 またあるとき、ケーは土木工事をしているそばを通りかかりますと、多くの人足が疲かれて汗を流ながしていました。それを見みると気の毒になりましたから、彼は、ごくすこしばかりの砂を監督人の体にまきかけました。と、監督は、たちまちの間あいだに眠気をもよおし、
「さあ、みんなも、ちっと休やすむだ。」
といって、彼は、そこにある帽子を頭に当あてて日の光をさえぎりながら、ぐうぐうと寝ねこんでしまいました。
 ケーは、汽車に乗ったり、汽船に乗ったり、また鉄工場にいったりして、この砂をいたるところでまきましたから、とうとう砂はなくなってしまいました。

コロナウィルスで起きたことも不思議である、この辺では津波とか原発事故とかがありこれも不思議であり恐ろしいものだった
このコロナウィルスで人間の活動が止まったことである
それも世界的に止まった、一番それを象徴していたのが空港とか鉄道とか交通関係が止まった
こんなに交通関係が停止するのを見たことがない、結果として交通事故が減り空気がきれいになった、それだけ人間の活動がもう限界に達していたのかもしれない
それで神がこの童話のように活動を止める砂をまいた
その砂とはコロナウィルスである、これをばらまいて人間の過剰化した活動を止めたとなる

だから何かこのコロナウィルスは何なのだろうと考えると不思議になる
本当にこの童話のように過剰化した人間の活動をとめるために砂をまく、すると人間の活動はとまり「眠い町」になる   

汽車に乗ったり、汽船に乗ったり、また鉄工場にいったりして、この砂をいたるところでまきましたから・・・

この時は飛行機はない、空港がなかった、車もあまりなかったがそれでも自動車は走っていたのである、何か今と比べるとその時代は牧歌的でさえあったともみる
東京でも百万とかであり市電が走っていたり何か今とはまるで違っていた
その時代こそ実は「眠い町」になっていたとなる、現代から比べるとそうである

とにかくは神が天から人間界を見下ろして「大気を汚すな、車でも多すぎる、煩さい、静にしろ、そんなに移動するな、もっと落ち着いて生活しろ、人口密集する大都会などに住むな広い田舎でソーシャルデスタントにフィズカルデスタントをとって静かに悠々と暮らせ」
東京のアパートかで騒音殺人が起きるのはフィズカルデスタンスがとれないからである
田舎でも市営住宅では隣に変な人がいてそれで悩まされている人を知っている
それは離れて住めないからである、常に隣に密着している、そして自分を見ているとなっているからだ
田舎は田舎で誰も見ていないようで見ている、窮屈さがある、でもフィズカルデスタンスがあり離れて住んでいる人が多いからそういう騒音問題は比較的起こりにくい、ただ密集して近接して人間が住めばそういうことはどこでも起きるのだ

何かそういうことを神が天から見て人間界にコロナウィルスをばらまいたのかもしれないそれが童話では魔法の砂だけどコロナウィルスがそれとにていたのである

原発にしてもなぜ津浪に襲われて爆発して人が住めなくなったのか?

それもなんらか神の関与があったのかとなる

そんな危険なものを作るな!

そういうことがあって神が津波を起こしたのかとまで思う
そして私が安全神話を作った権力集団、政府とか官僚とか科学者とかマスコミが一体化した利権集団を暴いたと追及して来た
何かこの世には人間だけがすべてを決めるのではない、神の関与がある
バベルの塔がなぜか単なる作り話ではない、事実に基づいていると感じるのはまさにそうである、人間は言葉が通じなくなるということは心が意志疎通がてきなくなることであるそれは何か原発事故でも起きた、人はみんなばらばらにされたからである
家族もばらばらになり自治体も補償金で争ったり世代でも若い世代は流出して老人だけが取り残されたりしてばらばらになったのである

だから何かコロナウィルスでもこれは一体何なのだろうとなると不可解になる
それは何かしら人間を越えた神の関与があってそうなったのかとも見る
つまり人間の活動が過剰化して限界に達していた、地球は人間の文明活動で大気を汚して大地も汚した、だからそれを戒めるためにコロナウィルスをばらまいたのかとなる

人間は生態系から離れて生活しえない、だから世界の大都会化はもう限度を越えていた
生物がそこで生きるということが不可能な状態になっていた
だからニューヨークとかが一番被害があった、もともと武漢風というように大都会から世界に広がったのである
だから一千万とかも密集して生活していること自体生物として限界でありそんな生活は続けられない、それでコロナウィルスをばらまいて人間を分散して生活させる
そういう働きがあったのかとなる

私の場合は常にこうした文明とか都会生活の逆に志向してきた、それで秘境を求めて来たのが自分だったのである
そうして大地とか森とか山とか岩石とかと精神的に一体化する、アイディンティティ化すること追及して来た
そういう文明否定をアウトサイダーはニーチェとか上野霄里氏とか他にも現代ではまともな人間ならそうなる、東京のような所に生きられ人は人間でもないとなるからだ
そこでもう生態系として生物として人間でありえない状態になっていたからである

いづれにしろどうしてもこの世に起きることはいくら科学が発達しても科学者が神のようになっても解明されていないのである
科学者が神のように何でも解明していると見ている、でも解明されていないのである
だからコロナウィルスというのもいろいろ言うがそれが何なのか解明されない、未知のものなのである、未知の侵入者なのである
つまりこの世には未知なものがまだまだあるし永遠にこの世界は解明できない
未知の世界である、全能の神のみがすべてを知っている
だから何らか神からの働きがこの世に人間界に起きる
それは不可解な不思議なものとして起きる
そういうことはなくならないのである、つまり絶対に人間はこの世のことを自然界を解明できないからである
だから科学者でも専門家でも何か解決してくれる、ワクチンができるとか言う
でもまた未知のウィルスが生れて同じ繰り返しになる

ではどうすればいいのか?神に祈って助かるのか?

実際は助かる道はそれしかない、なぜなら聖書ではノワの箱舟とかソドム、ゴムラから救出した、神に滅ぼされる前に救出した、つまりこの世が滅ぶことは定められている
しかし神の子とされたものは最後の日に救出されるからである
だからこれからも文明が滅びるような空恐ろしいことが起きる
人間は神に罰せられる、その一つがコロナウィルスであり未知の侵入者なのである

もはやこれだけ科学が発達したから未知なものはないということが傲慢なのである
人間はまだまだ未知の世界に生きている、その未知は永遠に解明されないのである
一つの未知が解決してもまた新たな未知が生まれる、そういう繰り返しであり科学者も実際は絶望しているのである
人間の限界を感じているのである

posted by 老鶯 at 18:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層