老人ホームは死の工場、姥捨て山−高齢化社会の地獄
【尊厳を持ち死ぬことの困難ー仕事しながら死ぬのが理想】
これはフィクションでも似たようなことが現実に起きている
●老人ホームは死の工場ー姥捨て山の地獄
認知症を患っていた入所者の女性(当時85歳)に対して、今井とは別の男性職員4人が「死ね」と暴言を吐いたり、頭をたたいたりするなどの虐待を日常的に働いていたことが、家族が隠し撮りした映像からわかった。
「死んじゃうよ」“女性の首を2秒絞める職員の姿”も…高齢者3人が転落死しただけじゃなかった「川崎の老人ホーム」の“地獄絵図”(2014年の事件)
川崎市幸区の老人ホーム「Sアミーユ川崎幸町」で、入所者の男女3人が相次いで転落死した事件で、殺人容疑で逮捕された同施設の元職員の男は、
「(介護に)手がかかる人だった」
「ベランダまで誘導し、男性を抱きかかえて投げ落とした」
といった供述をしているそうだ。
ここはまさしく姥捨山です。入居者たちはみんなそういっています。
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検索すると老人虐待の事件が次々に出てくる。これを知ると老人ホームも恐ろしいとなる。終の棲家が殺人工場の姥捨て山になる。まさに地獄である
つまりこの世には安楽な場はない、最後まで地獄なのである
それも余りにも老人が多く介護でも人材が足りなくて劣悪になる
だからフィクションではなく殺人工場が現実化している
●実の親子も金をとる対象になる怖さ
高齢化社会で問題になることがいろいろある。高齢者の尊厳が守れないこととが重要なものになる。それはこの物語がフィクションにしても子供が死の工場に親をあずけて注射を打ち安楽死させていた。そういう専門の老人ホームであった
それはフィクションにしてもありえるとも思うのは家族でも介護の負担が大きすぎるからである。それは自分でも経験した
私の場合は親に特別良くされたから必死で介護した
でも家族はみんな違っていて毒親に苦しめられたから介護したくないとなる人もいる。つまり介護にはそうした家族の事情がありそれがきれいごとに処理できなくなる
ここのドラマでは息子が老人ホームに入れたのはまた保険にかけたのは親の持っている財産を奪うためだった。何故なら息子が事業で借金をしていた親の金を当てにしていたからである。これもありえる話だと思った。なぜなら介護しているとき親戚の人がやはり事業で失敗して助けるからと私の金を当てにしていた
高額な機械を買ってくれとか相談してきた。
だからこの物語と通じるものがあった。ただ実の親子でも金がかかわり親の金を当てにして老人ホームに入れて金を奪おうとした
それも怖い話だが今の社会ではありうると思った。
問題は借金していること自体がモラルが消失する、それが家族であってもそうなる
ただ金が欲しいとなり親でも金を奪おうとする。そこに借金の恐ろしさがある
借金で犯罪でも犯すようになる。それが常に推理ドラマのテーマになる
そして息子娘からそうして安楽死させる老人ホームに預けられる
そこで何十人も注射を打たれ殺される、死の工場となる、老人を安楽死させることがビジネスとなる。そこで起きていることは親でも金のため殺すことを依頼するとなる。それも恐ろしいことでも今の高齢化社会ではありえる
親子関係でも金だけになる。金を得るために親を安楽死させて金を得るとなる
それが実の親子で起きていることが異常なのである
それだけ金を持っていることも危険になる。
こいうことは極端であれ現実にあり得る、全くの空想ではないことが問題なんのである。それだけ高齢化社会で介護で苦しむ人達がいるからそれをフィクションとしてかたずけられないのである。何かそういうことが自分にも起きると戦慄する
それと似たようなことを親の介護で経験しているからである
要するに金しか見えない、金によってモラルも消失しているからである
もちろん様々の犯罪で多いのは金にまつわることである
老人は特に弱者化するからその標的になりやすい、だから実の親子でも金をめぐり修羅場になる
それにしてもこうなると老人が長生きすることは余りにも恐ろしいとなる
老人が弱者化するとそこに人間の本性が現れる。他者は今や金を得るものでしかない、それが実の親子でも普通に起きている
無用な老人は何の役にも立たない迷惑なだけだとなりただ金を持っているならそれだけが価値あるから奪えばいいとなる
正に老人は苛烈な地獄を生きることになる。
●尊厳ある死はありえるのかー仕事しながら死ぬのが理想的
だから高齢化社会で老人はいかに尊厳ある生き方ができるか、また尊厳をもって死ねるかとなる。それが実の親子でも難しいとなる。
そもそも人間の尊厳とは何なのかとなる。老人が尊厳がなくなるのは病気で体が不自由になる。杖をついてやっと歩くとかもちろん寝たきりとかなればそのこと自体が人間としての尊厳を失う、身体障害者になるからである
また認知症になれば普通に持っている人間としての権利を失う
禁治産者という名称は、「財産を治めることを禁じられた者」という意味があります
これになる。
ともかく人間が最後まで尊厳をもって存在しうるのか、それが問題になる
最後に過度な延命治療をされるのも尊厳を失うことになる
でもどうしても体が自由になるず勝手にそうさられる。それは尊厳ある死に方ではない、人間はそもそも死ぬときだけが問題ではない、これまで生きて来たことがありそれが最後の死で終結する。だからまともに生きない人には尊厳ある死はないとなる。死とは人生の総決算になる。その全人生と切り離して死があるわけではない。だから死だけを切り離して考えられない。
十分にその人なりの人生を生きれば満足して死ねるとなる
でもその生を全うしないものは安らかに死ねないとなる。
モーゼは神の命により大業を成し遂げて砂漠に消えた。何か病気になり介護されることなどなかった。何か延々と介護されて生きることは人間の本望ではない。
ただ仕事を最後まで続けて死ぬのが本望だとなる
つまり生と死が分離していない、また若者と老人も分離していない個々別々のものではない、人生は分断できない一連のものとして一体なのである
だからこ若いことと老人は別のものではない、若い時は若いなりに生きて老人は最後にやはり人生の実りとして老後を生きる
誤解しているのは人生は連続していて若い時と老人になって分離していないのである、確かなことはこれまで生きたことが老人なっても反映される
老人に青春が生きているともなる、反映されているともなる
死に方の理想は仕事しながら死ぬことである。そういう人を近くで三人くらいしている。自転車屋の人は死ぬ三日前まで仕事していた
癌だったけど仕事できていた不思議である。もう仕事できなくなるかなと私に言ってその後三日くらいで死んだのである。
もう一人も自転車屋の人だがその人も何か調子が悪いとなり入院したけど一か月くらいで死んだのである、それまでは仕事していたのである
また近くの医者90才になっても仕事していた。それも一週間くらいで死んだ
農家の人だと良く畑で死んでいたとあるがそれも仕事しながら死んだとなる
だから仕事しながら往生したのかとなる。
●結局人間は動物でも死があり敗北する―空の空になる
ともかくこういう死に方がいいとなる。寝たきりで何年とか苦痛であり家族の負担も大きい。それが今の大きな問題となる。そして何かそうなると人間の尊厳が失われてゆく、やっと厄介な人が死んでくれたとかなる
認知症とかなると負担が大きいから余計にそうなる
でも現代とはなかなか死ねない社会である。医療を手厚くするからである
何か生にしがみつき生きることが恥ににもなる。
となるとある所で尊厳をもって死ぬ方がいいとなる
ただそれが自分では決められないことに問題がある
要するに現代は死ねない時代だともなる
それでニーチェのような思想が生まれた。あまりにも人間に尊厳がない
それは尊厳をもって死ねないということにもなる
ニーチェの場合英雄的に生きる死もまた英雄的死を望んだとなる
そして結局は人間は死がある限るどんな人もこの世で栄華を極めた人でも王様でも
死によって敗北する。空の空になってしまう。
この世のことはすべて無と化してしまう。そこに人間の尊厳はないのである
強いと見えるものも弱いのである。動物でもライオンであれ強いと見えても何か他の動物に負ける、象にでも踏みつぶされる、それを見るとあわれだとなる
つまり強いものも弱いとなる。そして動物でも死をまねがれない。
人間も強いと見えても弱いのである。それはやはり死ぬからである
要するに絶対的に強いものはこの世にありえない、それは死ぬからである
だから永遠の命を持つ与える神が絶対的強者になる。後は死があれば弱いとなる。
いづれにしろ尊厳を言っても生あるものは尊厳を保てない、それは死があるからである。死を克服しない限り勝利はなくみんな敗北する。結局死んで無となるだけではないかとなる。そういうものに尊厳もないとなる。偶像でもそれがいかに巨大でも崩れ落ちる。永遠に存在できないのである、そこに無常がある
死があればそもそも尊厳が保てない、結局は灰となり塵となる無になるだけだとなる。この世に固執しても無駄だとなる
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