2023年01月12日

人口減少して高齢化で縮小化する日本 (世界で起きている人口減少は地球規模の問題)


人口減少して高齢化で縮小化する日本

(世界で起きている人口減少は地球規模の問題)

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日本人は「人口急減の恐怖」を直視するべきだ
高齢者と若者の溝は、ますます深まっていく

建設業界で働く外国人11万人が去ってしまうと、家の建設5年待ち、マンション建設10年待ちも当たり前になり、道路や橋のメンテナンスが滞ってしまえば、地方都市への流通が軒並みストップし、地方のお店は閉店ラッシュに追い込まれるかもしれない。
河合氏はこうした状況については、「仙台が消滅する! は言い過ぎだが、仙台までもが! が正しい。



隣近所を見ると空家化であり空地化している、すぐ隣で三軒の家が壊された
また一人暮らしも多い、それも老人である、それもやがて空家化するとなる
跡継がいないからである、街一軒の自転車屋も死んでなくなった
駅の活性化など語ったがその人が死んでしまったのである
ここだけではない日本全体がこのような状態になっているしなってゆく
一万くらいの人口だと自転車屋もなくなる、無医村のようになる
自転車屋がないと困るのはパンクしても近くでないと直せないので困るのである
また修理が必ずあり近くでないと困るのである

何か人間は近くでないと困ることがある、介護とかも近くの人が看るのが効率的なのである、隣の市でも車で近いようでも結構手間になるからである
でも現代社会は遠くが近くなり近くが遠くになってしまった時代でもある
隣近所でも疎遠であり何しているのかもわからないのである
だから病気になっても介護になってもその家のことは無関心だともなる
要するに誰も助けてくれない、役所関係が来ても事務的なもので終わるということもある

市町村でも消滅してゆくというときこの辺は原発事故で住めなくなりゴーストタウンにもなった、でもそれが復興できるのかとなるとできないとも思う
なぜならもともとこうして若い人がいない子供がいないというとき飯館村などでも立派な施設を高額な費用で学校を新築しても肝心の生徒は村に住んでいない、他の市町村から通っているとなる、でももしかしたら戦後の焼け野原のような所でも人口が多いと復興するなぜなら戦後引揚者が大量に還ってきた、その人たちは若かった、だから大量に還って来た若者が結婚して子供生んだ、それが団塊の世代だったのである
戦後の焼け野原になっても人口爆発がありそれで引揚者がなんとか職もないので不便な地域に開墾に入ったのである、つまり土地を求めて農業するためだった
でもそれも困難であり半分は撤退したと言われる

このことは何を語っているかというと若い人の人口が多いということはそれだけ社会に活力をもたらす、不便な不毛な地でも開墾してなんとか生活しようとしたからである
でも現代は九州くらいの面積が耕作放棄地になっている、農業しているのは67才以上とか高齢化しているし後継ぎもいないとかなる
戦後の焼け野原から復興したのは電器産業で物造りで日本製品が海外に売れたからであるそこで団塊の世代を吸収した、都会でも集団就職があり中卒を労働者として吸収した
若い人の人口が多い時それがどこの国であれ未来があるとなる
ベトナムであれミャンマーであれ今は若い人達が多いからやはり未来があるとみる

ただ日本の人口でも世界の人口でも限界に来た、これ以上人間を養えないという所まで来ている、それは自然破壊にもなる、膨大なエネルギーを消費するからである
そこでアマゾンで開墾して食料を得る為に森を破壊して畑にするとなり原住民とか森を維持するために反対する、このままではアマゾンもなくなるとなっている
人口圧力は自然でも社会でも大きな影響力がある
不思議なのは日本では大正時代とかなると6千万人であり東京でも百万くらいだったのである、そして新潟県の人口の方が多かったともなる
地方の人口が東京より多かったのである、それから東京が一千万都市になったのだから十倍にもなったのである
何かその時東京は讃美されていた、都会としての価値が高かったのである

その東京の発見が人口増加が周辺に影響した、常磐線は常磐炭鉱があり石炭がエネルギーとして東京に運ばれたしいろいろな木材や石材や資材が蒸気機関車で運ばれたのである
だから子供の時長い貨物列車を見ていた記憶がある
鉄道は北海道ならもともと石炭を運ぶためのものであり人を運ぶものではなかったのである、その時は外国からまだ石油でも入ってこない、石油があっても買う金がなかったともなる、だからあらゆる場所で石炭を探していたのである
第一戦後十年は炭が燃料であり街中の家でも囲炉裏があったのである
その時電器製品はない、洗濯機もない、冷蔵庫もない、だから裏の堀の川で洗濯していた風呂炊くには山で落葉などを拾ってたいていた、便所紙は新聞紙だったのである
今の水洗トイレ用の紙などなかったのである、そんな暮らしは原始時代でもあり江戸時代からの継続だったのである、

おじいさんは川に柴刈りに おばあさんは川に洗濯に

これが戦後十年の生活だったのである、それは江戸時代の継続だった、戦前でもそういう生活をしていた、洗濯機などないからである、それで今なら一人暮らしでも洗濯機に衣服をほうりこめばいいのだからできるとなる、家事の手間は大幅に省かれたのである
その代りは電化するとあらゆることに電器がエネルギーが必要となったのである
それが原発にまで発展したというのが現代である
そして現代社会は便利さを追求して機械化でも何でも限界に達したのかともみる
何でも過剰化した、そして膨大な無駄な消費もした、膨大な食料でも何でも捨てているからである、そして交通が発達して車社会になり運送社会にもなった
それも何か頂点に達した感がある、そこに起きて来たのが原発事故でありまたコロナウィルスウィルス騒ぎだった、これは何を意味しているのか?

やはり科学技術の限界が現れたのかもしれない、常に未来とは現代でぱ科学技術であり
それが万能でありますます科学技術が発展してとどまることを知らないとなっていた
でも本当にそうだったのか、それが原発事故で問われた
科学技術の限界があり危険があることを認識したのである、科学技術をみるとき必ずバラ色の未来のみ語られるのである、空飛ぶ自動車とか実現するとかなるがそんなものが空をぶんぶん飛んでいたらどんな気持ちになるのか、何かゆっくり空すら見てられなくなる
また騒音があり空にも静寂がなくなるとなりそれが本当にいいことなのかもわからないのである、必ずマイナスとプラスの面が人間には生まれるからである

疑問なのは常に科学技術はいいものであり肯定されることである
科学技術がすべてを解決される万能のように見させることである、だから未来というき科学技術なのである、遂には人間は歌学の力によって死ななくなるとか言われる
老化を防ぎ死ななくなるとかも言うがそういうのは嘘なのである
ただ科学技術はバラ色の未来を見せるしそれを信じるのである
だからこそ科学技術者がまるで神のようになっているのが現代なのである
でもそこにも原発事故のように落とし穴があるとなる

もしかしたら人口が抑制されるのは原発事故でもコロナウィルスでも津浪とかウィルスでも神からの働きかけがあったのかとなる
地球の環境を守るための働きかけとして制御するようになったのかもしれない
また資本主義が終わりだというときそれは資本主義がSDGs(持続可能社会)を目指すのに合っていないからだとなる、資本主義は常にフロンティアを必要とする
だからグロ−バル資本主義になったのである、未発展があるとしたらそこに世界で投資して発展させる、そういう未開の地が常に必要だった、それが大航海時代からアメリカ発見からつづいてきたのである、でもそれも終焉しつつある

地球にフロンティアが消失しつつある、むしろさらに資本主義でもフロンティアを求めて投資すると自然破壊が大規模に起きて原発事故のように人が住めなくなる危機になっているのである、つまり人間が住める許容範囲を現代文明は越えているとなり人口減少が起きるのはやはり自然からの働きかけでそうなったのかとなる
つまり人口減少はそういうことであり地球で養える人口には限度があるということで起きた、とするとそれに逆らうことはできない、自然で地球で養える人口がありそれみ見合った人口にしようとする働きかけがあってそうなったともなる
日本の人口は多すぎたのである、だから減少することは理にかなっている

ただそのい衝撃も大きい、でも適正人口がありそれは自然と調和する人口規模だとなる
それを越えているからこそ減少するのは理にかなっている、いくら経済成長とか国力がなくなるとか言っても自然の理に逆らうことはできないのである
すべて人間側の都合で決めることはできない、そもそも人間が地球を自然をコントロールなどできないからである、それでグロ−バル経済も崩壊する
グロ−バル経済も限界に来たのである、そこに市場の公正などないのである
規模が大きすぎて誰も知る人はいない、だからギャンブルにもなる、どのように天文学的な金が流れて極一部の人が超富裕層になり富が集まるシステムになっている
そこに公正な市場の取引などないのである、そもそもグロ−バル化の金融システム自体が崩壊しつつある、なぜなら誰も公正なものだと見ていないし信用していないからである
それで投資信託を発明した優秀な人がそれが詐欺だとして良心の呵責に耐えられず公表したとなる、つまり富が一部のものに収奪されるシステムとして作られていたのである
だから銀行でももう成り立たない、金を貸してその金を有効に利用して利益をあげることができなくなっている、もう資本主義は成り立たなくなっているのである



posted by 天華 at 10:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2023年01月11日

2023冬の俳句短歌8(冬の暮の庭の石−芽吹く花の蕾ー母のこと)

2023冬の俳句短歌8(冬の暮の庭の石−芽吹く花の蕾ー母のこと)

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母は隠れるようにあり姉は目立つ

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新春や松が枝に添えるボケの花

満月や新春三日縁起良し

土壁の蔵に家古り冬柳

家古りぬ社やここに冬の暮

門古りて前田に育つ冬菜かな


津波にそ社流されその跡に枯木一本守り残りぬ

津波後庭の残りてあわれかな石に寄りにつ冬の暮かな

冬の川ひびき清らかその音を聞きつつ歩む心静かに

平穏の日々こそよけれ冬の薔薇我が一人見て暮れにけるかな

石と石物言わずあれ冬の日や穏やかにしてここに暮れなむ

姉と母今は亡きしも冬の暮思い出深く我が家にそあれ

我が庭に根付く木のかたへ久しく見ずや石のあり堅きものかな

我が母の目立たずありぬ陰にあり石の堅きも冬の暮かな

白百合の一輪咲きて我が家に待ちにしあればまた一輪咲く

狭き庭椿牡丹薔薇の芽のふくらむを見ゆ楽しみなりき


今日ひさしぶりで庭を見て水をやった、玄関の木には水をやっていた
でも狭い庭でも全部水をやるのも手間で忘れていた
億の庭を見たら椿の蕾がでていたし牡丹の蕾もでていた
やはり春になっている、今年はもしかしたら春が早いのか?

そして新しい部屋では庭が板で遮られて下の方が隠された
それを庭に出て久しぶりで見た感じになる
根付いた木がありそこに石があったのを見た
その石は堅いと思った、それは母のことを思った
母は目立たない女性であり陰の女性だったからである
そして馬鹿真面目で働くばかりだった、そこで性格的にかたよってものになっていた
面白味のない女性となっていた、それも生い立ちが恵まれていないからそうなった
花より庭に豆を植えて置けとか花にも興味をもたなかったからである
ただ人間は誰かのお陰でありうる、陰になる人がいて表に出る人がいる
それでお陰さまでとなる。、陰になる人がいることを知るべきだとなる

私の家族の不思議はおおらかな姉がいて陰となる母がいて成り立っていた
こういう家族も他からはわからない、でも自分にはいい影響を与えたのである
母だけで父が死んだ後維持できなかったからである
何か母親べったりとなって育つとかえって子供は母を嫌うことがある
そこに緩衝材として叔父とか叔母とか祖父母とかがかかわると子育てにいいとなる
それが核家族でくなったことが子育てが母親一人の負担になることが問題を生んだのである

花でも家に飾ると白百合でも待っていないと咲かない、その待っている時間が実は大事なのである、期待して待っている、それが実は無駄なようで人間にとって有効な時間なのである、それは駅で待つということがありそれが人間的であり駅を活かしていたのである
でも高速道路では待つとういことがないのである
車で寄ってすぐ出て行くだけだとなる、確かに便利なのだがそれがかえって人間的なものを喪失させていたのである
だから高速道路のSAに行くけど魅力を感じないのである、あそこで遠くから来た人と話すこともないからである、駅でちょっとでも話すことができてそれが良かったのである
現代はとにかく人間的なものが喪失してゆく社会である
一見無駄なように見えても無駄とはならないのが人間なのである
それで老子の無用の用の思想が生まれたのである、あらゆものが用で埋め尽くされた都会とかはそこに人間的な空間が失われてしまったからである

御刀神社は津浪でも残った、でも社は流された、この神社ゆ由来は相当に古い、物部系統であり原町の桜井古墳の時代のものである、それは海老とはエヒであり蝦夷(えぞ)なのである、海老には古墳がいくつかありこの辺では古い場所なのである
江(え)とつく地名は蝦夷がいたときからある、江垂(えたり)でもそうである

津浪で判明した江垂の地名の謎 (気になる江のつく地名2-地名伝説には嘘が多い)
気になる江(え)の地名 (蝦夷(エミシ)もエである)

今年はどんな年になるのか?新年に三日ほど満月がでていた
これは吉兆なのかとも見た、何しろ災難が自然災害でも病気でも多すぎた
それで平穏でありたいとなった、何か私は異常だったのたけど30年くらい平和に過ごしていた、そこで引きこもりとなり沈黙業をしていたともなる
だからこういう人生も不思議だとなる、今なら引きこもりとかニートが本当に田舎に多いのである、そういう人とどういうわけ自分は田舎町をぶらぶらして逢うからである
これも時代である、そういう人が普通にいるのが現代なのである





2023年01月10日

金の管理からパソコンのWIN11の変化から家のリホームで苦労


金の管理からパソコンのWIN11の変化から家のリホームで苦労


最近いろいろなことで苦労する、今日は信用金庫で契約の更新がありその時ハンコの一部分が欠けて使いないと言われ新しいハンコを用意しろと言われた
勘違いしていたのは実印であり役所に印鑑登録したものだと思っていた
これは取引先の銀行とか信用組合とかの契約でありそのハンコを銀行とか信用組合で認めれば通用する、でも欠けていたので新しいハンコを作るように言われた
ハンコもめんどうである、最近ハンコなしでも契約書が通用すると政府から通達があったようだ、でもまだ全部には行き渡っていない、ハンコの効力は法律的にも明確でないらしい、ハンコは今やデジタル化で無用の長物のようになっている
日本ではなぜハンコすら廃止できずデジタル化が進まないのか?
そのことは言われてきた、日本は何かそうした旧来のものにこだわり効率的に仕事ができない国となっていた、それは世界と比べると遅れたものになっていたのである
ハンコを押すために会社に行く上司とかまでいるとか、ハンコのために仕事がはかどらない、無駄が多い、それは前時代的なものである
ただ誤解していたのはハンコは銀行印とかあり実印として役所に登録したものとは違っていた、銀行ごとに違ったハンコでも使えるということだった

次にパソコンがwin8.1からwin11にするのに手間になる、いろいろな所に契約しているのでめんどうなのである、またパスワードでもそれぞれアクセスするに違っていてアクセスできないことがあった、ネットだとこのパスワードに苦労する
なぜならパスワードがないとアクセスできなくなる、オフィスとかでそうだった
パスワードを忘れてそれを再設定でもできなくなっていた
このパスワードの恐怖は映画で部屋に閉じ込められて出れなくなってなんとかパスワードを思い出そうとしたができなくなっていた
これも恐怖である、パスワードがわからないと閉じ込められた部屋から出れないとなるからだ、またパスワードがないと入れないとういこともある
パソコンは使い方が複雑であり困るのである
何かいろいろと機械を操作することに追われている、これが現代なのである
人間のやりとりは必ず機械を通して行う時代になっているからである
ハンコにしても信用組合の人が言うには機械で照合するからどうなるかわからないと言っていた、人間ではない機械を信用して照合するのである
つまり何でも機械を媒介としている時代だからそうなる

それから家が築50年で傷んでいる、トイレを直しに金曜日に来る、20万かかり消費税で22万かかる、消費税は額が大きくなると大きい金になることがわかる
でも一割となると百円で十円であり千円で百円税金としてとられることは大きいと思ったそして百円のものを値上げしないにしろ中味は減っているのである
家一軒持つといろいろかかる、そしてその管理が手間なのである
だから家政時代がエコノミーの語源になっていたことがわかる
親が家族がみんな死んでから一人で家のことでもすべてしているからである
そのために常に追われているのである、料理でも掃除でも全部一人ですることは手間である、三食親に用意されていた時は余りにも変わってしまったのである

ビデオレコダーも十年過ぎて壊れた、そこに記録したものが使いなくなった
それは前にテレビに付属した記録するものが全部消えたのである
このように記録する機器というのは消えやすいのである
それで一番の恐怖はパソコンに記録されたものが消えることなのである
一瞬にすべてが消えて水の泡になってしまう
とにかくあらゆることを一人でしなければならないから疲れる、家事も一人でしている
その合間にプログに出すものを書いている、これに写真を出すのも手間になる
ただ助かったのもはwin11のノートパソコンを前に買って試していたことである
それで今まで使ったもので書いてwin11のノートぱそこんでアップする
どうしても自分の場合親指シフトで文章を売っているからそれを使用しないとスムーズに文章を書けない、そのためにパソコンになじんだということがあり富士通には感謝している

次にキッチンが水漏れして直すことになる、これは春になってからになる
この金額が結構大きい、こうして何か費用がかかる、リホーム代は金が大きいのである
でも家は必ず修理したりすることがあり家一軒持つと金がかかるのである
ともかく金の管理とか家のもろもろのことをするのが手間なのである
家事でも料理でも手間になる、だから絶えず追われているのである
それでもプログに書けるのはやはり機械化していてすべて機械に頼っているからである
一番感心したのは簡単に揚げ物にできる機械だった、これはジャガイモでもサツマイモでもカボチャでも揚げ物に十分くらいでできる、即製できるからいいのである
時間がかかるとめんどうになりやりたくなくなるからである
これは安いものだからおすすめである

どうも今年は自分にとって変わり目の年である、だからろいろなことの整理が必要にな
ともかく何でもこれだけ一人でやることはつくづく我ながら苦労だとなる

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2023年01月09日

中国人が極東の土地を買い占めロシア人と対立 (ロシアは中国の植民地になる)


中国人が極東の土地を買い占めロシア人と対立

(ロシアは中国の植民地になる)

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【ドキュメンタリー】中国・農民工の大群がロシアへー国境の小さな村で勃発!大地争奪戦ー知られざる「食糧」を巡る攻防をカメラが捉え


これは興味深い、ロシア人の土地が中国人に買い占められている、それは北海道の山林とか土地とかでも買い占められているのと似ている
違っているのは広大な土地を買って自ら中国人が働き大豆を栽培している
ロシア人はなまけもので働かない、社会主義時代にソ連連邦時代にそういう癖がついてしまったとうい、働いても働かなくても給料は同じだとなってそうなった
ロシアどう理解するのかということがむずかしい、ウクライナとロシアが戦争になっていることはなぜなのだろうとなる
それは日本からすると遠いから理解しにくい、でも極東もロシアである
それは中国と接しているのである、日本とも海を隔てて接している

ウラジオストックからロシアをまわり中国の満州を回り日本に帰ってきた
それも長い旅であり外はトウモロコシ畑であり家も見えない、どこまでもつづいていた
満州というとと満州里がありそこではすでにトヨタの車を持っていた富裕層がいた
そこはロシアと中国の国境の街である
十数年前でありそんな所ですでにトヨタの車をもっていた人がいたのである
ただ春でも凍てついた大地が広がっていた、中国にはまだ未開の地がある
それでその延長の極東に広大な土地がありロシア人はその土地を開拓できない
そこで中国人にその土地を売っている、高い値段で買うからロシア人は土地を売っている
そこに日本人も大豆をとるために機械を売るとかその大豆をとるために商社がその土地を利用しようとしている、日本には農機具が技術的に優れている、アメリカからだけでは
遺伝子組み換えの大豆となり日本では買いたくないとしてそうなった
日本の問題は大豆でも自給できていない、大豆が大事なのは日本の食の根幹である味噌とか醤油の材料だからである、世界的にも食糧危機になるとき自国でも海外でも日本の食糧を確保しなければならない、ただ中国の力が強大になり日本は食料でも買い負ける
つまりいかに中国が巨大化しているかを実感させる放送だった

何かロシア人が中国人に土地を売り中国人のいる場所はゴミだらけだとか言っていた
中国人に相当不満だった、私は満州里でロシア人の女性が買い物して何か盛んに不平を言い怒っていたのを見ている、中国人が進出してロシア人が中国人からも買い物して不満だったのだろう、ロシアをみるとき一体なぜウクライナと戦争したのだろうか?
そのことを見る時、ロシアと中国は陸続きであるという地理を見なければならない
広大な土地が陸つづきなのである
そして中国人でもなぜあれだけ広大な土地があるのにロシアに極東に土地を求めているのか?中国では土地を持てないからだとなる、すでに誰かの所有になっていて新しい広大な土地を持てないからだとなる、それで渡り鳥としてロシアの極東で出稼ぎしていたのだが土地を買い占めて広大な土地で大豆を作りもうける、そしてロシア人はかえって劣悪な土地で耕作しているという矛盾がある

つまりロシア人には広大な土地を利用する活力というか人間もいないとなる
それは何を意味しているのか、土地があったとしてもそこでその土地を利用して働く人がいなければいくら広い土地があっても活かせないとなる
ロシア人にはそれができなくなっている、ここにやはりロシア人の問題がありロシアが
衰退してゆくものがある
それは日本でも同じである、東京のマンションとか買い占められたり中国に北海道の山林が買い占められたりしているのと似ている、北海道でも広大な土地を持っていても金にもならないとなれば土地を売って金にした方がいいとなるからである
そこで別に戦争する前から侵略される前から静かな侵略で中国人が日本を支配してゆくとなる、中国人はアメリカ人と違って人間がじかに移住してその国の人となり国を乗っ取るともなるのである

ウクライナのダニロフ国家安全保障・国防会議書記は1日の地元テレビで、中国を念頭に、ロシアが「植民地になる可能性がある」と主張した。兵器不足に陥り、思うようにウクライナ侵攻を進められないロシアが「隣国」の支援を受け、やがて支配下に置かれるシナリオに言及した。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2023010200101&g=int

中国はウクライナに戦争を仕掛けるほどの国力がなかったのではないか?
ロシアはソ連連邦が崩壊して弱体化した、中国と比べると余りにも差が大きい
どうしてそうなったのか、だからウクライナ戦争でもロシアがあんなに弱いのかとかえって世界にその弱体化を露呈したのである、張り子の虎とはロシアのことだったのである
確かに核兵器がアメリカと同等にある、でも軍事力だけでは国力にはならない
ロシアは核で脅す北朝鮮と同じだと言われたらからである

ただロシアでも中国でも国土が巨大すぎて理解しかねる、でも中国があれほど発展しているのにロシアが衰退したのか?結局ソ連時代の大国としての矜持がありその再興のためのウクライナ戦争なのだろうか?
様々な見方があるにしろロシアと中国を比べると余りにも違いすぎるのである
だからこそロシアは中国の植民地化するとロシア人の高級官僚が言うのも真実味がある
ロシアはウクライナの戦争で疲弊してやがて中国に併合されるとまでなる
とても極東などの広大な土地も活かせないしやがて中国の領土にもなる
ロシアはやはり縮小してゆく、要するにウクライナ戦争は大国の意地を見せたロシアの最後の戦いなのかもしれない、結果的には中国の植民地になるというのもイメージできる
ただ逆にロシアがエネルギー大国であるから西側のアメリカ支配を破るという意見もあるそれはやはりロシアが何なのか理解しにくいからだろう
ただロシアは土地が広大しにしてもGDPにしたら小国なのである
だから戦争つづける経済力がないとか言われる、武器も供給できないとか言われる

いづれにしろ今年はウクライナ戦争は停戦になるのか?

それとも規模が拡大してさらに激しい戦争になるのか、でも一体どちらが優勢なのか
おそらく今年は決着するのではないか、プーチンが癌を患っているというのも本当かもしれない、癌は意外と普通に行動できる、近くの自転車屋は三日前頃まで普通に仕事していたのである、そして死んだことに驚いたからだ
ガンの種類によるにしろ三日前まで仕事していた死ぬこともあるということになる
するとプーチン大統領もそうなるのか?元気そうにみえて突然死ぬかもしれない
今年は死ぬかもしれないとなる、そして異変があり戦争は終結する
それもわからないにしろ今年はとういう年になるのか、やはりウクライナ戦争は一番の世界の問題だとはなる



あとがき

外国は本を読んだりテレビを見ただけでは理解できない、その土地にじかに立つとき実感する
だから外国を理解できる人はそこに住んだ人である、短期間でもいいその土地で暮らしてみれば実感する
それで外国を語れるのはそこに住んだ人であり留学することが外国を知るには大きな力をとなる

満州里でなぜロシア人が買い物して中国人に対して怒っていたのか?その事情はわからないにしろ何かやはり中国人に不満がありそうなった、それはこの放送のように極東であれ国境を接してロシアの領土内にも中国人が土地を買ったりして農業をするようになったからである,ロシア人はもう極東とかでも土地を活かせない維持できなくなっている
それは日本でも北海道の土地が中国人に買い占められて維持できなくなっているのと似ている
つまり戦争する前から中国人が世界を支配するとはそういうことなのである
そこでアフリカでもソロモン諸島でも中国人排斥運動が起きる、それだけ中国の影響がグロ−バルに拡大したのである
posted by 天華 at 21:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2023年01月08日

2023初春日本列島栄華の詩 (鹿児島から船で大阪城へそして富士山を見て小田原から江戸へ)


2023初春日本列島栄華の詩

(鹿児島から船で大阪城へそして富士山を見て小田原から江戸へ)
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初春日本列島栄華の詩

夕陽に染まる鹿児島の開聞岳
今も煙り吐く桜島迫り
そのシルエットは離りゆく船に見る
目覚めれば四国沖船に昇る春陽を見ぬ
そして難波の港へと船は進めり
明石の戸より大和島見ゆとあれ
春の瀬戸の島々潮はめぐりぬ
秀吉の我が世の春と大阪城
桜満開人絶えず門を入り城内をめぐる
桜はやまず散るやその人の波
夕陽赤々とその昔日の栄心にしみぬ
西の栄よ、我は東に向かいぬ
駿河湾浪ちひびき魚躍り挙がり
富士嶺の高く日本の象徴
天下の険、箱根の山を越えて
海を望めば小島に波よす伊豆七島
小田原宿やその囲い厳しく関東治む
今花盛り望む海や帆船のあまた寄る
小田原を攻める秀吉の連合軍
伊達政宗も遅れて参戦
次に家康大江戸三百年の栄を築く
さらにここより陸奥は遠しも
故郷に帰れば桜咲きそむ
西の桜は散りしもみちのくに桜は咲きぬ
美しき日本の国よ、長寿の国よ
その栄は国土とともに天地とともにあれ
我が命大和にしあれ富士仰ぎ直(なお)くまことにここに生きなむ

電車の旅もずいぶんしたけど船の旅もした、船の旅もいい、一番長かったのは沖縄まで貨物船のようなもので行ったことである
一週間もかかったのである、船旅は時間がかかる、次に電車の旅でありそれも飽きたので自転車の旅になったのである、それだけ旅をしたということである
日本は海に囲まれているからやはり船旅は経験する必要がある
これだけ旅するにはとても勤め人ではできない、自由な時間が与えられたからできたのである、何か今になると旅もできない、意外と退職して自由時間ができてもできないことがある、それは金がないからではない、旅でも結構疲れるからである
だから外国旅行となるともうできない、それで50歳でバックパッカーになったしたのが良かった、その後は介護となりできなくなったからである
人間の一生はともかく短い、何かやろうとしてもできないし何か自分のしたいことをしようとしてもできずに終わるのである
それからその人に合った仕事など与えられないのである、私はたまたま家族に恵まれて好きなことをしてきたのである

旅という時本当は歩いて旅したりしないと地理はわからない、天下の険の箱根の山を登り越えてゆく、それも歩いて行ったら実感するのである
東海道でもそうである、でも車で混雑しているから往時のことがイメージできなくなっているでも海でも富士山でも同じようにある、だから地理は地形はそもそも変わらないのであるともかく船で鹿児島から桜島を見て開聞岳が夕陽の中にシルエットとなり船が離れゆき、大阪に向かったのは印象的だった、そして四国沖で春日が昇るのを船から見た
それから大阪に着き大阪城跡で桜を散るのを見た、その時夕陽がなんともいえぬものであり赤々と輝き沈んだ、それは西の栄を象徴していたのである
つまり自然と人間の歴史が一体となって反映されたものであり自然そのものというものではなく人間の歴史が加味された夕陽の色だったのである
西に先に日本の昔日の栄がありそうなったのである、それはナイル川の岸辺の西の方に太陽が沈んで行くときも感じた、エジプト三千年の歴史が繁栄されてその夕陽が輝き沈んでいったのである、だから歴史がわからないと深く自然でも見れないとなる

それから西から東に行くと富士山が見える駿河湾となり天下の険の箱根の山を越える
そして小田原になる、ここは西と東のせめぎ合いの場所だったのである
小田原城は強大な城郭であり関東を治める城だったのである
そこから家康が治め大江戸三百年の栄を築いたとなる
さらにみちのくとなると辺境の地だったとなる、でも伊達政宗が出て東北の力を示したとなる

華城春望<篠崎小竹>

突兀たる城樓 海灣を俯す
春空目を縦にせんと 一たび登攀
千帆白く映ず 洋中の島
萬樹く圍む 畿内の山
酒を賣るの店は 平野に連なって盡き
花を看るの船は 上流自り還る
牢晴の天氣 多く得難し
凝望せん斜陽の 未だ沒せざる間に

 斜陽大阪城

昔日斜陽赤
大阪城栄跡
秀吉栄華偲
万朶桜散花

凝望せん斜陽の 未だ沒せざる間に

この景色だった、夕陽が赤々と大阪城に輝き映えて沈んでゆく、それを現していたのである、春の夕陽が沈んでゆくのを惜しむのである
それは西の栄華を象徴していたのである、漢詩はむずかしいから作れない、でも確かに表現的には一致していたのである
詩となるとやはり言葉によって感覚的に違ってくる、だから詩語を知らないと表現できない、漢詩だと詩語としてあるから表現できているとはなる
ただ大阪城でも今はビルに囲まれているから当時の規模の大きさを感じなくなっている
でも石垣がやはり規模が大きいので当時の城の大きさを感じる




2023年01月07日

南相馬市鹿島区海老村に乳の木を発見ー乳神信仰はなぜ起きたのか


南相馬市鹿島区海老村に乳の木を発見ー乳神信仰はなぜ起きたのか

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乳の木があった場所

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「乳神神社とは? 乳神様とは?」
浦幌神社の境内には、「乳神神社」(ちちがみじんじゃ)、
通称「おっぱい神社」と呼ばれている神社があります。
そこには、乳神様(ちちがみさま)と呼ばれている神様がおります。
正式な御神名は、乳授媛大神(ちちさずけひめのおおかみ)といいます。

なぜ、おっぱいの神様が浦幌神社に?
と不思議に思われる方も多いと思います。
この乳神様の正体とは、女性の乳房に似たコブをもつナラの大木のご神木で、
乳神様と呼ばれるようになりました。

岡山県総社市の軽部神社で崇拝されている「乳神様」もそのお一人。その名のとおり、お乳に関する神さまであり、拝殿にはオッパイをかたどった絵馬がたくさん奉納されています。

「垂乳根の桜」(たらちねのさくら)と呼ばれる枝垂桜にあります。「垂乳根の」は古代より「母」「親」にかかる枕詞。毎年、春になると美しい花を咲かせた垂乳根の桜はそれ自体が崇拝の対象となるとともに、枕詞としての「母」「親」という意味が加わり、いつしか当社全体が乳神様として崇敬されることとなったのでしょう

オッパイいっぱい!乳神様として崇拝される岡山県の軽部神社
https://www.travel.co.jp/guide/article/8165/

『大正年間に建立、県道角田線字羽抜の八雲社内にある。
明治大正年間のころ、子供を産んでも乳が不足だったり、出なかったり、
又乳房の病気にもなり困っているお母さんたちがいたので、
同の一條利吉という人が、妻の胸を見ながら刻み乳神を祀った。

乳の出難い人や、病気の人は、甘酒を入れた2本の竹筒を供えて祈願すれば、
たちどころに効能があったと伝えられている。
大正12年耕野村で生まれた子供は、244世帯中、121人であったのが最高で、
その子供が小学校に入学したのは57人だけであった。
この碑は宮城県では珍しい

秩父、仙台まほろばの道
https://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/1af84c192b6a71792b03778e4abba6d1

ひとつ気がかりなのは…
おっぱいが張りにくくなってきたことだ…
このままおっぱいが出にくくなって
断乳、になるのだろうか。
不本意な断乳、悔しい。
昨晩は一応マグマグに母乳をしぼって置いてきたが
娘は飲んでくれたんだろうか。
よく寝ただろうか。

飯館村佐須の乳神の碑から現代を考える (牛乳がない時代は乳が頼り)
http://musubu.sblo.jp/article/79186515.html

乳神の木が海老村にあった、それが本当に乳房とそっくりなのである
乳神の木である、なぜそうしたことが語られるようになったのか?
それは子供を育てるのに乳が出ないと困るからである
乳が授かるように出るように祈ったとなる、それが乳神の木となったのである


飯館村の佐須にも乳神の碑があった、畑の中にあった、相当不便な所だから乳が出ないと困る、牛乳とかも余りない時代だと江戸時代とかなると乳がでるかでないかは切実な問題になっていた

大正12年丸森耕野村で生まれた子供は、244世帯中、121人であったのが最高で、その子供が小学校に入学したのは57人だけであった

私の母は大正4年生まれである、尋常小学校卒であった、小学校には行っていたのである丸森では耕野村でその時半分も小学校に行っていない
ということは読み書きをどこで習ったのかとなる、聞いた話では子守りとかで学校に行けなくて小説読んで字を覚えたという大正生れの女性がいた、つまりその時代必ずしも学校に行っていなかった、私の母は原町に住んでいたから小学校に入り字は覚えたとなる
大正でもその後でもまともに学校に行っていない人がいたとなる
その頃は本当に読み書きソロバンができれば良かったのである、それすらできない時代だったのである、ネパールとかになるとまた遅れた国だと学校に行けるだけでいいとなる
鉛筆とかすらない、書くものがない、それでボールペンをくれとなっていたのである

切実に乳をでるのを祈りけり乳神の木や年は明けにき

乳出ぬと女の悩み乳の木にさわり祈るも切実なりし

木は意外と男性的なものではなく女性的なものとしてもある、植物は女性的である
動物は男性的だとなる、女性は大地を根を張り定着して大きくなる
そして定着しないとなかなか子供を育てにくい、確かに遊牧民でも子供を育てたとしても本来は一か所に安定して子育てするのが向いている
世界を男性と女性に分けて言葉も作られた、男性名詞と女性名詞である、でもそれがどうしてそうなったのかわからないという、木にしても男性的に見る人もいるし女性的に見る人もいる、ただ植物はどうしても女性的なのかとなる



インタ−ネットの情報は地域の詳しい情報を出すのに向いている
おおきなニュースは全国版であり世界版になるからである
地域の情報はそれぞれの地域に住んでいる人が詳しい、それは大きな新聞とかテレビ放送でも出さない、出せない
福島県にしても福島県は大きい、でも市町村単位でもいろいろ違っていてそこに住んでいる人が一番知っている
でもそういうものはと全国版とか福島県全体にしても見ないのである
でも別にプログなど一人でも見ていてもいい、金にらなくてもいい、視聴率も関係ないからである
それは金がかからないからできることである
人間に起きることは場所と深く関係している、だからそれぞれの場所を知っている人が伝えるのがいいのである
take placeであり場所が起ることに関係しているからである

posted by 天華 at 16:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)


南相馬市鹿島区海老村に乳の木を発見ー乳神信仰はなぜ起きたのか

chibusanoki1.jpg

chichikami1.jpg

chichinoki1.jpg
乳の木があった場所

クリック拡大



「乳神神社とは? 乳神様とは?」
浦幌神社の境内には、「乳神神社」(ちちがみじんじゃ)、
通称「おっぱい神社」と呼ばれている神社があります。
そこには、乳神様(ちちがみさま)と呼ばれている神様がおります。
正式な御神名は、乳授媛大神(ちちさずけひめのおおかみ)といいます。

なぜ、おっぱいの神様が浦幌神社に?
と不思議に思われる方も多いと思います。
この乳神様の正体とは、女性の乳房に似たコブをもつナラの大木のご神木で、
乳神様と呼ばれるようになりました。

岡山県総社市の軽部神社で崇拝されている「乳神様」もそのお一人。その名のとおり、お乳に関する神さまであり、拝殿にはオッパイをかたどった絵馬がたくさん奉納されています。

「垂乳根の桜」(たらちねのさくら)と呼ばれる枝垂桜にあります。「垂乳根の」は古代より「母」「親」にかかる枕詞。毎年、春になると美しい花を咲かせた垂乳根の桜はそれ自体が崇拝の対象となるとともに、枕詞としての「母」「親」という意味が加わり、いつしか当社全体が乳神様として崇敬されることとなったのでしょう

オッパイいっぱい!乳神様として崇拝される岡山県の軽部神社
https://www.travel.co.jp/guide/article/8165/

『大正年間に建立、県道角田線字羽抜の八雲社内にある。
明治大正年間のころ、子供を産んでも乳が不足だったり、出なかったり、
又乳房の病気にもなり困っているお母さんたちがいたので、
同の一條利吉という人が、妻の胸を見ながら刻み乳神を祀った。

乳の出難い人や、病気の人は、甘酒を入れた2本の竹筒を供えて祈願すれば、
たちどころに効能があったと伝えられている。
大正12年耕野村で生まれた子供は、244世帯中、121人であったのが最高で、
その子供が小学校に入学したのは57人だけであった。
この碑は宮城県では珍しい

秩父、仙台まほろばの道
https://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/1af84c192b6a71792b03778e4abba6d1

ひとつ気がかりなのは…
おっぱいが張りにくくなってきたことだ…
このままおっぱいが出にくくなって
断乳、になるのだろうか。
不本意な断乳、悔しい。
昨晩は一応マグマグに母乳をしぼって置いてきたが
娘は飲んでくれたんだろうか。
よく寝ただろうか。

飯館村佐須の乳神の碑から現代を考える (牛乳がない時代は乳が頼り)
http://musubu.sblo.jp/article/79186515.html

乳神の木が海老村にあった、それが本当に乳房とそっくりなのである
乳神の木である、なぜそうしたことが語られるようになったのか?
それは子供を育てるのに乳が出ないと困るからである
乳が授かるように出るように祈ったとなる、それが乳神の木となったのである


飯館村の佐須にも乳神の碑があった、畑の中にあった、相当不便な所だから乳が出ないと困る、牛乳とかも余りない時代だと江戸時代とかなると乳がでるかでないかは切実な問題になっていた

大正12年丸森耕野村で生まれた子供は、244世帯中、121人であったのが最高で、その子供が小学校に入学したのは57人だけであった

私の母は大正4年生まれである、尋常小学校卒であった、小学校には行っていたのである丸森では耕野村でその時半分も小学校に行っていない
ということは読み書きをどこで習ったのかとなる、聞いた話では子守りとかで学校に行けなくて小説読んで字を覚えたという大正生れの女性がいた、つまりその時代必ずしも学校に行っていなかった、私の母は原町に住んでいたから小学校に入り字は覚えたとなる
大正でもその後でもまともに学校に行っていない人がいたとなる
その頃は本当に読み書きソロバンができれば良かったのである、それすらできない時代だったのである、ネパールとかになるとまた遅れた国だと学校に行けるだけでいいとなる
鉛筆とかすらない、書くものがない、それでボールペンをくれとなっていたのである

切実に乳をでるのを祈りけり乳神の木や年は明けにき

乳出ぬと女の悩み乳の木にさわり祈るも切実なりし

木は意外と男性的なものではなく女性的なものとしてもある、植物は女性的である
動物は男性的だとなる、女性は大地を根を張り定着して大きくなる
そして定着しないとなかなか子供を育てにくい、確かに遊牧民でも子供を育てたとしても本来は一か所に安定して子育てするのが向いている
世界を男性と女性に分けて言葉も作られた、男性名詞と女性名詞である、でもそれがどうしてそうなったのかわからないという、木にしても男性的に見る人もいるし女性的に見る人もいる、ただ植物はどうしても女性的なのかとなる



インタ−ネットの情報は地域の詳しい情報を出すのに向いている
おおきなニュースは全国版であり世界版になるからである
地域の情報はそれぞれの地域に住んでいる人が詳しい、それは大きな新聞とかテレビ放送でも出さない、出せない
福島県にしても福島県は大きい、でも市町村単位でもいろいろ違っていてそこに住んでいる人が一番知っている
でもそういうものはと全国版とか福島県全体にしても見ないのである
でも別にプログなど一人でも見ていてもいい、金にらなくてもいい、視聴率も関係ないからである
それは金がかからないからできることである
人間に起きることは場所と深く関係している、だからそれぞれの場所を知っている人が伝えるのがいいのである
take placeであり場所が起ることに関係しているからである

posted by 天華 at 11:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2023年01月06日

近くの家が何軒か解体される (縮小する日本がここに見えるー未来の年表の恐怖)


近くの家が何軒か解体される

(縮小する日本がここに見えるー未来の年表の恐怖)

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housebreak1.jpg

すぐ隣の家が一軒空地化した、その隣が今日壊されていた、去年の地震で壊れていたが取り壊れた、その家は理髪店であり40くらいだったのか息子が死んで次に母親が死んだのである
そして後ろの家の人は最近死んだ、そこは農家だったので広い空地になり不動産屋が買った、そしてその隣は空家になった、でもそこを借りていた人は近くに新しい家を建てて
住んでいる、道路を挟んで医者をしていた人の家も地震で壊れても屋根を直していない
それももったいないのだけどその一人息子も東京で医者をしていたが最近死んだ
78歳だった、去年だったか78才で三人くらい知っている人が死んだ
隣の女性も癌で78歳で死んだ、これも元気であり話したことがあり死ぬとは思わなかった、最もショックだったのは街一軒の自転車屋が去年死んだことである
この町ではもう自転車屋はないから困ったことになる

この状況はまさに日本が縮小してゆく象徴にも見える、子供もいない、遊んでいるのは幼稚園なのか保育所でしか見ない、ただ病気になった、50歳の息子が親を介護する人とか増えてゆくだけである、ただその親は軽い脳梗塞ですんだのである
ただそれでも金がもともとないのでいつも電気水道ガス代が払えないと嘆いていた
依然として退院したとしても金がない問題は解決しないのである
こういう状態はここだけではない全国で起きている現象である
この辺は津波や原発事故で廃村になったり街でもゴーストタウンのようになった
そこは空家だらけなのである、帰ったとしても老人が多いのである
もうそうなるととても復興できないとみる、また街一軒の自転車屋が死んで跡継ぎがいない、全国的にも後継者がいないとなっている
そして高度技術者のITかの人材不足が言われる、つまり人材不足が深刻になってくる

原発事故で街自体が廃墟のようになったのは極端にしろ私の回りをみても歯がぬけたように人がいなくなる、空家があったが解体される、ただ私の町は原発事故で住めなくなった避難区域から浪江とか双葉とかから移住してきた人達が新しい家を建てている
それで人口自体は減っていないみたいだ、一番移住したのは原町である、ここは住むのには便利だからである、相馬市より便利である、いろいろなものがそろっているし新しい店もできている、店員がいない餃子の自動販売店ができたりもしている
原町には新しいものができているから活気がある、相馬市はイオンが閉店したことが衝撃だった、あそこは街の中心のようにもなっていたからである
いつもあそこで休んで食事などもしていたからである
原町は離れているから郊外にあるから閉店しても街自体が寂れた感じにはならないかもしれない、相馬市の場合は街中にあったから寂れた感じになったのである

新年早々暗い話になるけどこれが現実である、日本が縮小してゆく、自治体でも生き残れない所が相当数出て来ると試算している、財政的に苦しくなってそうなる
税金にしても人口が関係しているし少子高齢化では働く人達がかなり減るのだから福祉関係でも年金でも維持するのがむずかしくなる
そして8050問題が深刻になる、50才くらいの人が80代とかの親を介護することになる、それは現実に見ている、その人は50代であり施設に父親を入れた
でも日給の建築土木関係で働いていて金がない、それで今度は母親が入院したとかで苦しむ、何かこの50代に親の介護の負担がかかり仕事もできなくなるとか問題になっているこの世代はまた氷河期世帯とか言われ経済的に苦しいのである
そして全体的にも日本は賃金が物価が上がっても上がらないのである
こうして日本自体が貧困化している、中産階級で下の方に落ちてゆく、みんなぎりぎりになる、、最下層もまた一千万人とか多いのである
それで日本では稼げないとして外国に働き稼いだ金が大きいとなり自慢する人がでてきている、日本ではもう稼げないのである、日本に来る外国人労働者はベトナムとかネパールとかミャンマーとか最低の生活をしている人しかこない、ネパールの山で生活している人はボールペンすらない、だからくれとなる
日本はもうそうして最下層の人しかこないしいづれはその人達も来なくなる

未来の年表が話題なになったようにこうして日本の未来は本当に深刻なものとなる
人口6千万人くらいになるとかそうなると空家化して耕作放棄地がさらに増えて今度は空家が隣のように解体されてゆく、その衝撃は相当に大きなものとなる
そして少子高齢化では全体の雰囲気がどうなるのかというと若者すら何か新しいことに
チャレンジすることもない、それは老人が上にいて頭を抑えられてあきらめているからだという、上にいる人達がこれは世界でもアメリカでも70代で80にもなっても大統領なのかとなる、ロシアですらプーチンがそうである、これも問題だろう
世界全体が老化してゆくのか?中国でも人口が減ってゆく、現代はもう人口はピークになり減少してゆく、これ以上人口を養うことが地球でできなくなっている

もう他の惑星にでも移住しないかぎり限界なのである、でも他の惑星に移住はできない
つまり世界自体が縮小化してゆく、人口も減少してゆく、でも高齢化はどこでも進んで行くのである、別に長生きが悪いわけではない、なぜなら人類の願いは長生きすることだった、それだけ若くて死ぬ人が多すぎたらそうなった
幼児の死亡でも多かったのである、だから大正生れとかなると家族でも兄弟でも必ず幼児が死んでいるのである、それだけ出産も危険であり死んでいる
また病気でも肺病とかでも若死にする人が多かったのである
延命地蔵とかあるのは長生きできる人は限られていたからである

ともかく新年になり明るい未来があるのか?この縮小化社会は相当な衝撃になる
徐々に百年とかそれ以上の時間をかけてなればいいが急激になると衝撃が大きい
辺りを見たら子供いない老人だらでけであり自転車屋が死んで一軒も街になくなったとか賃金は上がらない、物価だけが上がって苦しいばかりだとなる
そして電気水道ガス代が払えないという人が増える

そして貯金しても利子は一切つかない、だから銀行の役割は貸金庫なのか、何の役割があるのだろうかとなる、ただ投資信託とかは売りつける、でも銀行は証券のことはわからない素人と同じなのである、ただ借りてくれる会社とかがないので投資信託で手数料を稼ぐ商売になったのである、そもそも地銀でもつぶれてゆくとか言われる
何か社会での役割がなくなった、前なら銀行に金をあづけていれば7パーセントとかの利子をがついていたし銀行では金を集めるだけで良かったからである
今になると預金した金でも預金封鎖がありとりあげられるとか恐怖になる
何か安心がない社会なのである

そしてもう一つの問題は私の家も築50年で家がいたんできた、だから地震でトイレの配管なども壊れた、それを直すのに20万もかかる、トイレ自体を変えないと工事できないとしているからだ、それは郡山から来た会社の人だった、元旦でも仕事していたから頼んだ、他にキッチンも壊れてこれも直さなければならない、去年はいろいろ地震で壊れた所を直して金がかかった、こうして古くなると傷んできて直すの金がかかる
それは自分の家だけではない、水道管とか道路とか橋とかでも古くなって直す必要がでてきているのである、それでトンネル事故とかあったのも古くなってそうなったのである
これを直すのにもかなりの金がかかってくるのである
そして今日はビデオレコダーが壊れたので見てもらったらもう直せないとういう、それは10年前に買ったものだったのである、だから直しようがないと言われたのである
でもビデオレコダーだと安くていいものがでている、これはそれほどの金ではない
そしてWIN8.1のサービスが終わる、これでWIN11のパソコンを買わねばならない
これも出費になるし何かいろいろなものが変わり操作が変わることがめんどうなのであるでもウィルスの危険があるから変えざるをえないのである
老人は機械でも変わるとめんどうになる、慣れたものの方がいいのである

こういうことはあるにしろ夕べ帰りに見たら満月だった、それだけは心なごんだ

新年に満月にこやかなごむかな災いなかれ兎の年かな

月には兎がいるとかなっていた、兎年である、兎は飛び跳ねるから飛躍する年なのか
何かわからない、去年は怖い地震があったりウィルスが収まらず本当に激動の寅年だった月に兎がいるというときもしかしたら今年は悪い事ばかりではない状況が変わる年かもしれない、今日満月を見てそう思った、これもわからないがそう願うほかない
でも兎年はそんなに波乱はないかもしれない、でも人間は短い期間でも一年でも未来はわからないのである、今日も地震警報が出てびっくりしたからである
地震でも予測できない、ただこれだけ災難があると平穏であれ平和であさと願うほかないウクライナの戦争でも終わってほしいとなる、ただ和平が今年にあるかもしれない
私の姉は兎年みたいだった、私自身は猪年である、何かこの十二支は年に関係あるのか
今日の満月にはなごんだ、それが吉兆なのかどうか?ただそう願うほかないのである


ともかく無病息災を自分にも皆さまにもお祈りします






posted by 天華 at 20:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2023年01月05日

元旦の海辺で見つけたイソヒヨドリ (冬桜、寺の鐘、冬の星)


元旦の海辺で見つけたイソヒヨドリ

(冬桜、寺の鐘、冬の星)



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これはで雄である、背中が青く腹が赤いのである

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これはメスである

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これは雄か雌がわからない、腹が赤いのは朝日がさして赤くなった
でも背中が青でもなく雄なのかどうかわからない

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新春に見つけし雄雌のイソヒヨドリ

めでたしやイソヒヨドリの雌と雄

新年や波打ち寄せてイソヒヨドリ

(冬桜)

石重くすえてここに冬桜

冬桜石にひびきぬ寺の鐘

冬桜石に寄り暮れ一人かな

土着して蔵ある家や冬桜


石寺の鐘重くひびくや冬の暮

石一つ千歳動かず冬の星

大石に清流のひびき冬の星


海岸の堤防の上に見つけたのはイソヒヨドリであり前にも見かけたからである
雄は青色に赤い腹していてきれいである、でも今回見つけたのメスだった
これは見映えしない色である、地味である、メスがたいがい地味である
雄は雌の気をひくために自然界では目立つ色をしている
ジョウビタキとかでもそうだった、メスはきれいではないのである
鳥をとるのはむずかしい、すぐ飛んで消えるからである
だから狙い定めて写真をとらないととれない、つまり定点観測が必要になる
あそこは毎日自転車で行っている、そしてイソヒヨドリがいたからわかった
ただ雄は見ても雌が見たことがなかったのである
ともかく雄雌の番いを見たということは縁起がいいとはなる

去年になるが宝蔵寺に冬桜が咲いていた、どっしりと石がありそれに似合っていた
寺でいいのは鐘の音である、山とか大地に厳かに響くのがいいのである
教会の鐘だと甲高いし重みを感じないのである
冬桜は年が明けて少し咲いていたけど散った、秋桜があり冬桜があるとしてそれも12月までなのかとなる



2023年01月04日

去年の地震の被害がつづいているートイレが壊れる (自然災害から逃れられない日本)

去年の地震の被害がつづいているートイレが壊れる

(自然災害から逃れられない日本)

トイレが故障したのは配管が割れていたという、これは去年の地震のためでありまた家自体が古くなったためである、築50年とかなるとやはり痛んでくる
そのために大工さんにも壊れた部分を直してもらった、トイレを直すのは配管が関係しているからめんどうでる
TOTOの販売店でも配管までの工事はしない、トイレの製品売るだけである
それで床をはがして配管を見たりトイレ自体を新しいものにするのに10万かかり床をはがして工事するにのに十万とかかかり消費税で22万もかかる
大工さんには3月頃にキッチンを直す、これも地元だとかえって高くなる
でも地元の大工さんとかだと細かいところまでしてくれる、注文もできる
アフターサービスもいいとかなる、だから地元できいなものがある
なんでも大手だけではたりないのである、クラシアンとか郡山の会社は一日で来た
トイレは早く直さないと困るのである,トイレが使えないことは困るからである

とにかく去年の地震の被害は大きかった、まだ瓦とか直している、この修理代でも相当金がかかったろう、そもそも家を持つと修理代とかが大きいので金がかかる
私の家は築50年で古くなって傷んでいたから配管でも壊れたのである
去年の地震では古い家は相当に破壊された、だから全体を修理する家がまだある
家一軒持つことは金がかかる、私の家は1960年代の後半に建てた、その時は400万で二階建ての家が建てられた、大工の賃金が安かったからできた、その後大工の賃金は急に高くなったのである、あの頃は依然として高度成長時代であり今とは違っている
そもそも全国相手にするハウス会社はなく地元の大工さんが全部作った
その材料も橲原の同級生がキコリだったとか太い柱を地元の木を買い作ったのである
だからいつも姉は自慢していたのである

いづれにしろこの家そのものもが歴史であり郷土史になっている
それぞれの家を見ればそうなる、私の家はなぜ大きな二階建てにしたのか?
それはその前の家が粗末なものであり真野川が氾濫して水害で天井に水がつくくらいの被害だった、その原因は私の家の土地が街で一番低い土地にあったからである
そのために今でも雨がふると水がたまり三回くらい水があふれて道に流れ私の家に入ってきたのである、だから土地は良くない、でも私の家は乳が酒屋の丁稚してここに移り苦労して手に入れたものなのである
ただここの土地は低くて良くない土地だったのである
家というのはどういう場所にあるか問題なのである、だからテレビで常に放送されるように土砂崩れがあり家が埋まって死んだとか常にある、そういう場所は危険な場所である
でもなぜそういう場所に家を建てたのかそれも事情がある
それは外から見てわかりにくいのである、危険な場所でもそこに建てざるをえない事情があったともなる、また山の方だと家を建てるのにも平な場所がなく危険な所に家を建てたのかとなる

この家では水害を二回経験している、それも床上であったから被害が大きかった
それは真野川が二回氾濫したからである、それは40年前頃だったかもしれない
でも川幅を広げて堤防を頑丈にしてから氾濫しなくなった、水害はなくなったのである
日本は自然災害が本当に多いことを実感した、津波から去年の大地震からとつくづく何でこんなに災難がつづくのかと思った、他では津波では家族でも死んでいるからもっと過酷だった、しかしそうは言っても水害の被害がない場所も多い、高台にある家がある
そういう家は被害がないのである、だから日本だと本当にどこに住むかが大事になる
常に危険な場所がある、まず海岸地帯が港ととかがぎれだけ危険な場所だったか津波で
痛感した、とてもあんな所は住め場所でなかった、でも利便性があり三陸でも死者が多くてもやはり海の近くが便利なのでもどり住んだのである

なんか今年は幸先が悪い、トイレとか使えないと困る、電気水道ガスでもそうである
だから金がなくてもなんとか払うほかないとなる,ライフラインだからそうなっている
とにかく家というのは金がかかる、それが借りている市営住宅でもそうである
それを市の方で出してくれるとしても全部がそうはいかない、それよりか電気水道ガスが高くなると貧困者はその取り立てで苦しむ、そしてなぜ金がかかるのか、それは一人一人別々に部屋を借りて住んでいるからである
そこで一緒に住めといっても住まない、息子がいたとしても喧嘩になるからと住まない
また福祉関係だと一緒に住めないとかある、でも現代ではここが贅沢なのである
昔は大家族で住んでいたし江戸時代なら長屋であり狭い部屋で何人も一緒に住んでいたからである、いくら貧困化してもここは贅沢だとみる、でもそういうことが続けられるのか誰がその金を負担するのか、そこまで負担させられるとなると負担しきれないとなる

一軒一軒の家は郷土史である、でも近く家が何軒か壊されて空地になった、家がまるで歯がぬけたようになくなるのも現代である、空家が膨大に増えてゆくのである
駅前の活性化を語っても一見の歯医者がいななり空地になったままでありすぐ近くの自転車屋も去年で死んでしまった、その人はいつも駅を見ていて街の活性化を語っていたのである、その本人が死んでしまったのである
畑でも前の人は病気になり死に隣の畑は車で老人が来て這って作業していたがやめた
知っている人も体がつづかなくてやめた、そして最近脳梗塞になって入院した
軽かったがこうしてその後継ぎになる人もいないのである、耕作放棄地も膨大なのである少子高齢化であり日本が衰退してゆく、縮小してゆくのである
その衝撃は大きなものとなる、どこでも後継者がいないということも大問題なのである
一軒でも自転車屋があったときは貴重だった、でもその一軒の自転車屋も消えた
無医村のようにもなったのである

新年早々暗い話になるがこれが現実なのである、ともかく郷土史というとき一軒一軒の家が郷土史なのである、ただ家がない人もいる、市営住宅を借りて家がない人もいる
そうなると家の歴史はないとなる、ただ借りる家だとなるからである
でも家は本当に金がかかる、建て増ししたりもしたから家は新しく建ててからより建て増しとか修理とかで金がかかっている、これも問題である
でも家族全部死んでも不思議なのは家には依然として家族がいる感覚にもなる
家というのはこうして単なる人を入れる箱ではない、ごから家族が死んでも依然としているように思えるのである


まず狭い家では何か知的作業をするのは向いていない、また余りに家族が多いと煩いので知的作業には向いていない、気が散るからである、それで個室がない時代は勉強する環境としてはいいものではなかった、でも子供の時個室を持っているのは相当な金持ちだったろう、みんな小さな飯台一つを囲んで食事して個室というのはなかったのである
個室を持つことは贅沢だったのである、それで貧乏人でも別々の部屋を借りて住んでいることは金がかかる、それをしているのは贅沢だとみる
でも人間は個室があればそこで思索したり知的作業するのにはいいのである
私の家は部屋が七つもあり一人で使っているから贅沢だとなる、でも部屋を変えると気分転換になるのである
家でいいのは部屋によって見える景色が違うと相当に気分転換になりいいものになる
そこで違った景色を見るからである、だから今は知的環境としては最高の環境に自分は住んでいる
ただ家事に追われる、掃除するだけで家が広いとめんどうになる、だから家一軒を維持することが結構な労働になっている、それで暇なく家事やら掃除やらなにやらと家で働いているともなる

クラシアンでは正月でも電話一本で即座に来るのには驚いた
トイレの修理は早くないと困るからそういうサービスになった、そのついでにトイレを売ることもできる、こうしてこの会社は全国でしている、地元は意外とこうしたサービスをしない、屋根を直したのはいわきの会社でありユニットバスは仙台市の会社であり
安くていいものだった、百万は安い、工事が結構大変だったからである
地元だと二百万から三百万になると言っていた
でも今度は春にキッチンを直す、これでまた金がかかる、地元の大工さんであり細かいことまでしてくれるが金は高くなるのである
こうして去年の地震の被害は今年もつづいていたのである、まだ瓦でも直していない家がある、

今年はどういう年になるのか、去年は寅年であり本当に大きな災難の年だった
今年は兎年であり跳ねる年になるのか、家族が認知症とかなり地震津波がありここ十数年はもう災難つづきだった、日本とは本当に自然災害が多いのである
でも災害は忘れる頃にやってくるというように警戒が十分でなかった
災難というとき病気も大きな災難である、知っている人は脳梗塞になったが普通にしゃべれる、軽くてすんだのが幸いだった、でも病気も大きな災難である
結局人間はどんなことしても災難から逃れられない、それは必ず来るということである

posted by 天華 at 18:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2023年01月03日

2023年新年短歌30首ー 本当の栄とは何なのかー自然とともに天地とともに栄えること


2023年新年短歌30首

(本当の栄とは何なのかー自然とともに天地とともに栄えること)

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我が家や遺影に花を飾りつつ新年迎え共にあるべし

我になお学ぶべきことあり尽きじかも今年も励み齢知らじも

新年に花を飾り松が枝をさして調和し末永くあれ

新年に病も癒えむ我が家に来たりし女やなお生きむかな

赤々と椿百輪公園に原町の道新年に来ぬ

枝張りて木は真すぐに大地にそ根の深く張り椿は映えなむ

それぞれの地に住み人は日本にそ年も新たに力を得なむ

去年(こぞ)に死ぬ人の悲しもその遺志の継ぐ人あらむ年改まる

良きものや電熱ベスト我がまとい技も進みて老いを生きなむ

美しき日本にあれや富士の山新年に映え栄もあらむ

初春の東海道や富士に松波音ひびき今宵の宿かな

富士の嶺映えて旅人東海道五十三次行く春の風吹く

日本にそ生きにしものや大海の波の轟き初日昇りぬ

新しき世の拓けむや老いてなお力尽くさむ日本なるべし

新年を言祝ぐものや大地より山より海より力を得なむ

そが力何に尽くさむ真なれ徒に生きざれ時の貴重なるべし

北風の音のみひびき我が一人巌のごとく打ち籠もるかな

新年に希望はいかに生まるるや偽りに生くば力を得じも

新年や直き赤き心にそ再び日本に栄のあらむ

東西の要とあれや日本なり対立の世にそ和をもたらすべし

神の意志日本に働き新たなる世の拓けるや祈るべしかな

芽吹く木の若き力の育ちなむ様々な花の色にそ調和し映えむ

深々と根を張る樹々やその根こそ見えずも木を支えぬ

騒々しき世を離れてそ黙す石北風鳴りて地も休むかな

争いの時に聞こえず北風の鳴りて休みぬ石一つかな

石一つ何も成さざるも春来れば花も咲きなむ誰か休まむ

復興は人智を越えし神の業働きてこそ成るべきものなり

日本にも衰えざるや天地の力の充ちむ年改まる

大洋に旭の映えて船はいず海の命の尽きざりしかかな

大海に波うち寄せて新年や魚躍りて旭日照らしぬ

海囲み日本育む山々を仰ぎ祭りて初日のさしぬ


今年はどういう年になるのか、いい予想はない、それはみんな経済的な面でそうなのである、日本は後進国になりもう先進国ではないというときも経済的なもの、科学技術的な面で言われる、でも自然からみれば自然はどこの国でも美しいものがある
それは神が地球を作ってから変わりないのである
その美は衰えることがないしまだ発見されない自然の美がある
日本には日本の自然の美がある、それは他の国と違った美なのである
その作られた風土と地勢とから見れば日本は魅力的だとなる
実際世界の大都会をニューヨークでも上海でも東京でもそこに魅力が感じないのは自然の美が映えないからである

都市でもルネサンスが生まれたのはフィレンツにしても5万くらいだったのである
つまり5万くらいであのような魅力的な美の都市が生まれていたのである
それは何のだろうとなる、経済力からしたら雲泥の差がある
一千万都市と5万の都市の差は余りにも大きいのである
だから経済力があり美を産みだすことはない、むしろ経済力だけだとそこは殺伐とした
金だけの世界になる、金融市場の世界の中心のニューヨークなどでもそうである
そこに世界の金が集められ収奪されているともなる

宗教でも大都会から東京から生まれた宗教はカルトでありそこに本来の宗教は何一つないのである、ただ人を集めて大衆化してごたごたと人を選ばずあらゆる人を集めて数で勢力化して権力化利権化するだけである
だからそこから何一つ良きものは生まれない、美も生れない、ただ醜悪な物が生まれるだけである
江戸が美しかったというとき百万くらいであり回りは田園だったのである
そして水路がめぐらされてベネチアのようになっていたのである
もちろん過去を美化することはあるが一千万の大都会を見てもそこには群衆と車と高層ビルなどを見るだけであり人間はただ蟻のようになっているだけである
わからないのはそうして醜悪なものとなるのは何故かとなる
人間のエネルギーがなぜこうして一千万の人間が集まってエネルギーとなってもそこに何か美でも良き物が生まれないのかわからないのである

それより富士山は常に優美に映えている、自然は太古から原始から変わらず美しく映えている、それは人間が作ったものではない、神が創ったものである
だから何が繁栄なのかわからないのである、もちろん日本が貧乏になるのがいとかではない、大都会のような東京のようなものが繁栄にはならない、だから繁栄とは何かとなると

御民我れ生ける験あり天地の栄ゆる時にあへらく思へば
                       海犬養岡麻呂
                       
これなのである、天地(あめつち)が栄えるということは天地は常に栄えていたのである天地の美は常にあり変わることがないのである
神は実りを与えていたのである、それは経済的な面からみれば繁栄の時とそうでないときはある、でも天地の栄とは必ずしも経済的な面だけではない、栄えるとは天地の美があって栄えるともなる、天地の美を失う時、そこに栄があるとはならないのである
現実にこの辺では原発事故で住めなくなった、それは何なのか追求してきた
天地とともに栄えることが基本であり科学技術によって人間は栄えるとはならないのである、もちろん科学技術とか否定するのではない、優先すべきは神が創った業でありそれとともに栄がある、それを失った時、真の栄はないのである

だから東京であれ経済的には巨大化して栄えていてもそこに神の業(わざ)なる自然が映えないから殺伐としているだけなのである
江戸には美があったというとき百万都市でも自然が回りにあり水路が縦横にめぐらされてそれが美を作っていたのである
だから何が栄なのか、常に経済的な面から科学技術的な面からしか見ない
なぜかえって自然を破壊して美を消失させたのが大都会だったとなる
すると何のためにそこで生きているのか労働したのかともなる
むしろ極端になるがそんなものはない方が良かったとまでなってしまうのである

いづれにしろ正月でも正月気分などない、ただ年が変わるというだけである
正月とは祭りでも農業から農民生れたものだから現代では農民は全体の一割もいない
田舎でも農民はそんなものである、だから田舎でも農業のことを知らないのである
私自身も知らなかったのである、つまり現代人は田舎に住んでいても都会人になっているのてある、会社員なのである、それで浪江町で電気工が回りが田圃でも草ぼうぼうになっても何の関心もなかった、悲しいとか嫌だとかもない、全く無関心だったとのである
かえって補償金もらって良かったと言っていたのである
それだけもう農業を知らない人が多いのである、そのことは農業が自然と密接につながっているから自然のこともわからないとなる

むしろ田舎の方にこれから栄があるともなる、その栄は物質的なものではなく自然に映えるものとしての精神的なものである、それは文明ではなく文化だともなる
文明という時大きなものであり文化となると地域地域に根ざして生まれるものだからである、巨大文明都市から小規模地域都市こそ繁栄があるとなる
それを具現したのがフィレンツとかのルネサンスの都市なのである
それは5万くらいの小都市だったのである、それでもあのように荘厳華麗なルネサンスが生まれたのである
おそらく日本もこれから地方の小都市からルネサンスが生まれる、今の機が熟しているのである、高度成長時代は経済成長のみでありそれは物質的なものであり真の繁栄はそれではない、荘厳な美の創造なのである、それは飯館村などでも原発事故があり廃村みたいになったがそこには森に囲まれた美は残っている、だから美の創造はまたそこからもありうる、もちろん物質的なもの食料でも必要だから美だけでは成り立たない、でも大都会とは違って依然として森が消失したわけでもないからそこから再生しうるものがある

東京などでも大都会は何か戦後の焼け野原のようになるのではないかとも危惧する
そこに美がなく精神文化はない、巨大なあくことなく食い続ける胃袋しかない恐怖であるがつがつと食う怪物でも住んでいるのかとなる
だからなぜ東京に人が集まるのか理解できないのである、もちろん田舎がいいわけではない、人間は劣悪だともなる、でも自然に隠されたようになっているとき自然の美が映えるという逆説がある、醜い人間が隠れてあるとき自然の美が映えるのである
だからそもそも人間はなぜあくせく働き消耗されてゆくのか?もし何か意味ある美のあるものに費やされるならいいが実際は醜悪なものに労働を強いられる消耗されるだけだとなる、カルト教団のようなものに消耗され費やされているだけだとなる
ともかく何でもそうだが人間は末永くあることを願う、あまりにもあらゆるものが泡のように一時のものとして消えてゆく
人間の交わりでもふりえれば瞬間であり後は永遠に逢わないとなりはかないとなる
長くつづくものには価値がある、あらゆるものがただたちまち消えてゆくだけである、百年二百年でも継続されるのに価値がある
それでSDGs(持続可能社会)が言われるようになったのである、経済的繁栄は一時的なものである
でも天地の繁栄は太古から古代から変わらずつづいている、その美も一部損なわれてもつづいている
はかなくうたかたのように泡沫のように消えてゆくものに価値はないのである

今年も俳句短歌や詩など創作に励みますのでよろしくお願いします


天地の栄の歌を作った人のこと

犬養部は犬を用いて宮門、大和朝廷の直轄領である屯倉などの守衛に当たる品部であり、海犬養は、県犬養、稚犬養、阿曇犬養、辛犬養連、阿多御手犬養とともにこれを統率した伴造6氏族の一つである。
海犬養氏(海犬甘氏)は、海神綿積命の後裔を称した海神族に属する地祇系氏族で、安曇氏と同族とされる
これは私が古代の部で相馬地域に特に南相馬市の原町区に綿津見神社と山津見神社が多い、原町区には綿津見神社が
やたら多いのである、その関連した地名も多いのである、安曇族の後継者の名前が地名化しているのである、海犬養とあるように海に生きる海人族だったのである
その人が天地の栄の歌を残していた、とういうことは相馬地域にも深い因縁があるともなる
天とあるときこれは天はアマとかともなり海のことだとも解釈している
海人族からすれば天ではなく海なのである、海の魚などをとって生活していたから海の恵みで生活していたからそうなる













2023年01月01日

海老の宝蔵寺であったミャンマー人 (日本語がうまいのに驚いた―日本にはもう最貧国の人しか来ない)


海老の宝蔵寺であったミャンマー人

(日本語がうまいのに驚いた―日本にはもう最貧国の人しか来ない)

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インド、ネパール、タイ、カンボジア、ベトナムは行った


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スカートの丈が長い女性が来ていた、でもベトナムとも似ている


特徴A:言語能力が高い

「言語能力が高い」こともミャンマー人の特徴です。

ミャンマーでは元々イギリス領だったいうこともあり、幼稚園から英語を学習するという風習があるのです。

これまで鎖国状態だったことから、授業や試験では英語が使われており、日本人に比べるとはるかに高いレベルにあります。

最近では日本への移住を考える人も増えたことから、日本語を学習する人も多くでてきています。
https://one-team-project.jp/burmese-person-japan/


何か日本人だと思い海老の宝蔵寺で冬桜を見ていたので話しかけた、そしたらその人はミャンマーから来た人だった、女性一人と男性三人だった、原町で働いているという
その人は日本語がうまい、かなり高度な日本語を話せる、どうしてなのか?
日本語をミャンマーで相当学んだらしい、そしてその人は大学を出ている
ミャンマーで大学を出ているとしたら相当なエリートである
でも不思議だったのは二年間いるとしてそんなに日本語がうまくなるのか?
ミャンマー人は言語能力が高いということをネットに出ていた
なるほどそういうことか?日本語を何年間もいてかたことしかしゃべれない人がいる
スリランカの人はそうだった、でも英語で多少通じた、スリランカでも英語をしゃべる、ミャンマーでも英語をしゃべるというときイギリスに支配されたからである

その若い人は漢字がむずかしいと言っていた、でも東南アジア系の文字もわかりにくい
確かに漢字は全く慣れていない人にはむずかしいだろう、発達障害の人は普通の人と同じように話す、だからどこが悪いのか話しただけでは分りにくいのである
でも漢字が書けない読めないと言っていた、だから漢字を読んだり書くことは相当に高度なものだとある、なぜならアメリカ人でも新聞を読めないという人が結構いるというときでもそうである、日本人はみんな新聞を読めると感心しているからである
でも言葉だとまず音から話せるようにはなる、その音にしてもわかりにくいのである
だから中国語は何を言っているのかわからない、古代でも外国語を話す人を鳥のさえづりに例えたのもわかる、さっぱり音からわからないからそうなった
むしろ漢字が中国の多様な民族の共通なものとして中国統一の大きな力になった
今でも中国人とは筆談で漢字を書いて多少は通じるのである
上海と北京では音では話しが通じないという、それだけ中国では多様な民族がいて通じないのである
だからこそ漢字が文で明らかにするが文明を作ったともなる

ミャンマー人は宝蔵寺に来たのは同じ仏教国だから寺に来てみたとなる
でもこの仏教でもミャンマーであれタイであれ中国であれ韓国であれ国によって違っている、それは国にはもともと培った文化がありそれに適合させるからそうなる
中国でも仏教が盛んになったときがある、それは唐の時代である、その時日本から遣唐使が渡って学び日本に漢字を取り入れたのである、ミャンマーとかタイでも漢字を取り入れていない、ベトナムは一時取り入れている、だから中国から入った言葉がある
多少日本と似ているとなる、それにしても今日本に来ているのはベトナム人が多く私の住んでいる町にもいるようだ、原町だと働く場所があるから多い、そこでネパール人にもあっている、これらはもう最貧国なのである、もう最貧国しか日本には来ないし円安とかなり日本には外国人の労働者は来なくなると言われる
そして冗談で次はアフリカの黒人が来る、そして黒人との混血が生まれる、極一部では現実化ししているからだ

それにしても太平洋戦争で日本軍がビルマまで侵攻した、その時戦った相手がイギリスだったのである、七つの海を支配したイギリスを知る時、いかにイギリスの力か大きいものだったかを知る、シンガポールも英領でありマレーシアでも英語が通じるというときそうである
そして私の姉は従軍看護婦としてシンガポールの向かいのマレーシアのジョホールバルで四年間辛酸をなめた、そこに赤十字の病院がありそこで傷病兵を看護したのである
それは地獄にいるような経験したとなる
そして遂に死ぬときまでそのことを語りながら死んだ、それは24歳くらいであり青春時代であり忘れることのできない経験だったからである
そして世界帝国を築いたイギリス軍と戦い勝ったということが世界の驚きとなった
日本がその時世界史の大きな担い手として出て来た時だったのである
イギリスとは当時最強国だったからである、だからイギリスにとってはショックだったのである
今でも日本人に捕虜にされて虐待されたとか恨んでいるからである

不思議なのはミャンマー人は日本人に似ているというときも親近感を持つともなる
タイ人とかとも違う、ベトナム人とも違うのである、ただ様々な民族が混交している
目鼻立ちがくっきりしているのはインド人でありアーリア人系統と原住民が混血したからだとなる,インド、パキスタンとかイランの系統はアーリア人系統が混血した
そして印欧語系統として共通性がある、それは遊牧民の言葉なのである
ドラビダ族がインドの原住民でもアーリア人との混血があり宗教もイスラム教が入ったのである
いづれにしろ言語は余りにも多様である、なぜそうなったのか?その理由はバベルの塔の崩壊からきている、神に逆らってバベルの塔を作り神が崩壊させた、そして民は言葉が通じなくなったのである、その理由が的を得ている
それは単なる神話ではない、今もそれを現実として人類がある、人間は言葉の面でも一つにはなれないのである

その人は大学もでている、ミャンマーで大学を出ているとしたら相当なエリートである
だから大学でも日本語を学んだ、日本語相当に学んだから日本に来てしゃべるようになったとなる、ただ漢字はむずかしいというのは何でも文字を理解することはむずかいしということである、英語だってアメリカ人でも別に知識人でなくてもしゃべるからである、発達障害の人もしゃべることは普通にできる、結構高度なこともしゃべっているのである、でも漢字が書けない読めないとなる、しゃべることより書いたり読んだりすることが知的に高度だということになる

世界史で共通しているのは隣国とは必ず争っている、それも熾烈な争いになっている
タイ人とは今でもミャンマー人が争っているのもそうである
タイでは仏像とか壊された戦争の跡が残っている
タイ人とは人種も違っているのも不思議である、仏教でも同じようで違っている
そして争っている、ミュンマーの問題は軍部が既得権者となり経済的にも利権を握っている、その利権を手放したくないから権力を持ちつづけたいからそうなっいるという
軍部に金が入る仕組みを作っている、それは中国でも同じである、アメリカでもそうだし日本でもそうだとしている、既得権者は権力を利権を手放したくないというので共通しているのである
カルト教団でも宗教でも歴史をみてもカトリックが権力を持ち権力を手放したくないなったのと同じである
人間は一旦権力をもったら手放したくない、権力がなければ相手にされなくなる

権力を持っいることで利権がありそのためにカルト宗教もその利権と権力を得るために運動している、それが一連の統一教会のことなどで明らかにされたのである
創価とかなどはそうした権力奪取とか利権を得るためであり御利益しか眼中にないのである、だから宗教と何の関係あるのかさっぱりわからないのである
単純に考えてもお釈迦さまがなぜ仏さまになっているのか、そうしたこの世の欲を求めて達成するためにではない、だからこそ王宮から乞食にもなったからである
カルト宗教とはだから宗教ではない、では何なのかとなればナチスのような現代文明から生まれた病的なものであり異様な集団である、でも明確なのは御利益を得ることであり
権力が御利益と利権と結びつくから運動しているとなる
それは人間なら理解できるのてある、それがどうして宗教と結びつくのかそれがどうしても理論的に理解できない、でも人間は利権や利益があれば何でもいい喰らいついてくる
だからあれだけ会員が増えたとなる、山で修行して欲をなくせと言ったら誰もついてことないからである

いづれにしろミャンマー人はめずらしい、でも今や最貧国の人たちしか日本に来ないしやがて日本には来なくなる、それより日本人が海外に出て働くようにもなる
まだわずかでありそういう報告が円安で起きているのである
外国人を安い労働力として使うことはもうできなくなる、次はアフリカの黒人だとなるがこれも抵抗があるだろう、それらり日本人自体が外国に出稼ぎに行く時代になる
日本はそういう最貧国にならないにしろそういう人達とも同等になる恐怖でありそうなりつつある、なぜ日本がそんなに落ちぶれたのかということである
イギリス帝国は長かったが日本は高度成長時代は20年ー30年くらいしかなかった
余りにも短い繁栄で終わったとなる、その理由が何なのか問われているとなる



元日にベトナム人が大仏に大集結する理由、福岡の南蔵院・茨城の牛久大仏


「数年前からベトナム人が来ている。元日は多い」「ミャンマー人も来ている。伝統衣装で大仏の前で手を合わせている」(東京・多摩大仏のある寶光寺)、「それほどではないが、たまにベトナム人やミャンマー人が来る。ミャンマー人は10〜20人くらいの団体で年に2〜3回来る」(岐阜大仏のある正法寺)、「5年ほど前からミャンマー人が来るようになった」(愛知県の聚楽園大仏)、「ミャンマーの人は多いです。寄付する人も中にはいる」(千葉県の日本寺大仏)などの声があった。

仏教国だから日本に来ても大仏があれば母国のものと同じともみる、でも日本の寺と東南アジアの寺は違っている
妻帯しないとかあり日本は妻帯して普通の人と同じ生活している、そもそも日本では寺は宗教の場なのかとなる
葬式とか死者とか墓がある場所であり信仰の場所なのかとなる
だから外国人が同じ仏教徒でも受け入れないとしている、観光に来るのはいいとして共通の信仰の場にはならないのである
キリスト教だと日本でも外国人を教会で受け入れることがある、共通の信仰者として受け入れる
それよりカトリックだったら同じ信徒としてあるからグロ−バルだから受け入れるとなる
イスラム教徒でもそうである、でもまたイスラム教でもセクトがあり戦争までしている
宗教でもこうして派閥争いがある、大仏とかに外国人が集合するのは観光の要素が大きいだろう、なじみの仏像があるからなごむとなるのかもしれない、日本人でも京都辺りだと庭を見たり美術鑑賞したりする場にもなっている
別に信仰の場としてあるわけではないからである

インタ−ネットの強みはこうして情報を連結させることである、この記事でも他の場所でも東南アジア系統の仏教国の外国人が寺に集まっているのかと言っていたからである
確かにここでも寺に集まっていたのである、なも礼拝する場とういのではなく庭を見たり宝蔵寺だと紅葉がきれいだから来ていたりりしていたとなる、そもそも仏教というのはイスラム教徒とかキリスト教のようにグロ−バルな連帯がない
ただベトナムでもミャンマ-でも日々の生活の中で活きている、でも日本のような葬式宗教だけではないだろう
ただ大仏があるとなれば同じとみているのかもしれない、元旦に観光に来ているともなる
posted by 天華 at 16:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2023−新春東海道俳句十句


2023−新春東海道俳句十句

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広重画 冨士三十六景駿河三保之松原


ハ百八町大江戸の春明けにけり

めでたしや江戸前の魚味の良し

新春や大橋三つ舟百艘

初春や鴎百羽や隅田川

山登る箱根の道や春の夕

花満開小田原城や海望む

街中の道真すぐに燕来る

春光の電車の行き東海道

波ひびき魚躍りて望む富士

駿河湾魚打ち上げ東海道

海に映ゆ桜満開東海道

沖に船東海道や春の風

東海道でも旅した時とぎれとぎれになる、京都まで歩む旅でないからそうなる
東海道はやはり海に面して京都大阪まで伸びている、駿河湾がありそこで波がうちよけ魚が躍りうちあげられたのである、そして富士山が見えたのである

今東海道となると車が多いから偲ぶことがむずかしい、とぎれとぎれにたどるから旅ともならない、今はいくら歩いても当時の旅を再現はもうできない、車や電車の旅になるからである

新年早々申しわけないがトイレが詰まった、今回は簡単に直せなかった
何かついていない、なぜこうして自分には災いがつづくのか?
大晦日につまったのだが今年もまた災いが来るのか?
ともかく幸先が悪かった、去年の内に修理できれば良かった、それが大晦日だったのが不運だったとなる、前は自分で直したが今回は直せなかったらである

ともかく今年も去年の地震で散乱した本とかかたづけていない、障子も直していない
何かいろいろと追われてできないのである
今年の最大の問題はWIN8.1のサービスが終わりWIN11になるのがめんどうなのである
プログに書くことで時間がとられるからいろいろ手が回らないのである
今まで書いたものを整理することは続く、その量も多いので整理するだけで大変である

今年も書きつづけますのでよろしくお願いします


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2022年12月31日

流星、年の暮、冬銀河(年の暮、年終わる)


流星、年の暮、冬銀河(年の暮、年終わる)

lines trees.jpg

many lined trees
deep rooted one
stedy walking road
in winter



冬流星光芒迅速七つかな

動乱期流星光芒七つかな

流星の一つ大きく年終わる

瞬時なり冬流星の墜ちにけり

一つ一つ無益にあらじ冬銀河


冬の日の川の岸辺の桜の木育つ待つや一歩一歩歩む

この道を今日も歩みつ年暮れぬ一本一本根付く木かな

川の面に冬の日まぶし鴨の群れ相寄りにつつなごみて暮れぬ

我が姉と母しもなおも我を見む寒き日なれ熱き茶献ぐ


今年も終わる、流星は秋の季語になっている、でも冬にもみかける、今回見たのは冬である、一週間前くらいだった、冬の方が星がきれいに輝く、冬流星としたが流星で冬の季語にもなるのではないか?
動乱の時代に早死にした若い人がいる、明治維新などがそうだった
でもそこにも瞬時であれ光芒があり命が活きたとなる
街一軒の自転車屋の人も死んだ、自転車屋はこの街から無くなったのは淋しい
流星のように消えてしまったとなる
だからまだ喪の期間であり新年を祝うのをたらうこともある

冬銀河となると星となると無数の星があってもその一つ一つは無益なものがない
そもそも地球にも自然には宇宙では無益なものはない、石一つでも意味がある
でもなぜか人間は無数の人間がなぜ死ぬのかもわからない、無数の人間が無益なことにその労力をそそがれる、これが一番の謎である
戦争でも権力闘争でも何千万と死んだとかそれは何なのだろうとなる
そうなると人間の命は何なのだろうとなる

河岸の桜の木はまだ大きく育っていない、でも一歩一歩歩む、やがて大きく成長して桜が満開に咲く、でもその先が長いのである、だからもうこの年になると大きくなった桜の木は見れないとなる
残念なのは原発事故の避難区域になった所である、そこでも桜並木があり桜は咲く
でも人が消失した、残っている人は少ない、木が成長するには50年とかかかる
それだけの時間で育ったものでありそれは町の人々とともにあった
つまり桜の木で成長して満開の桜を見るには時間がかかるのである
その木でも人とともにあった、でも人が消失したときその桜の木も活きてこないとなる

ともかく人間の生は一歩一歩歩むことである、それしかない、冬だと静かに歩む
そして大地とも一体となるのである、だから冬はかえって大地の力を感じる
それで冬はふゆで増えることだったのである、冬に野菜がかえって育つことがあり冬となった、それは実地の農業から生まれた言葉だとなる

今年も災難だった、地震だけは恐怖だった、未だに家の中がかたづいていない、片づけられない、まだ家を修復していない家がある、それだけの被害だった
そもそもなぜこんなに災害が多いのか?それが疑問になる
今回は隣の原町は被害が少なかった、相馬市とか鹿島区は被害が大きかった
もう災難はごめんだとなる、平和でありたいというとき戦争がなくなってほしいとかあるても自然災害もなくなってほしいとなるがこれは防ぎようがない
地震は防ぎようがないのである、そしていつくるかわからないのである
来年はどうなるのかいい年になると予想する人はまれである
経済的にもっと悪化する、人々に余裕がなくなることも問題である

余裕がない人は困った人を助けることができない、自分のことで精一杯になるからである私が介護で苦しんでいる時来た人はみんな余裕がなかった
だからさんざんな目にあった、大金は盗まれるとかいろいろ責められたのである
それはみんな余裕がないからそうなったのである
余裕がない人はそもそも人を思うこともできない、自分自身のことで精一杯だからであるだから意外と余裕がなくなる社会は全体的に殺伐としたものになる
それが怖いのである、そうは言っても人間は希望をもって生きねばならない
どこまでも希望をもって生きねばならない、今世でだめなら来世へ神の国へ行くことで希望を持つのである、人間はなんらか希望がなければ生きられないのである

今年もプログを書き続けた、書くネタがなくなることはない、でもwin11に移行するのがめんどうである、何かめんどうなことをしたくなくなった、家事に追われているしめんどうなことをしたくないのである、でもどうにもならない、これは変える他ないからである
来年も頑張りますのでよろしく、良いお年を・・・

2022年12月30日

肥料で苦労してきた農民−農業を知らないと歴史をわからない (田舎でも農業を知らない人が増えた)


肥料で苦労してきた農民−農業を知らないと歴史をわからない

(田舎でも農業を知らない人が増えた)

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歴史道【別冊SPECIAL】そうだったのか!江戸時代の暮らし (週刊朝日ムック) ムック – 2022/12/6


業で一番大事なものは肥料である、肥料で苦労するのが農業である、そもそも農業自体の起りが森の木を焼き払って灰にしてその灰を肥料にして畑を作り野菜を作ったことに由来している、だから肥料がないと農業は成り立たない、其れでイワシが肥料になったのもそのためである、イワシは人が食べるものではなく肥料になった
そのために北海道で大量にとれたイワシが全国に肥料として売れた、それは松前から船で運ばれたのである、相馬藩でも松前まで船で行きイワシを積んできて買って肥料にしていたのである、米を売ってイワシの肥料を買っていたのである
それから肥料は落葉とかでも肥料になる、草も肥料になる

それで右田の農家の人はそれを馬車で運んでいた、橲原(じさばら)とかに山を所有していたのである、今は津波でその人が住んでいた家がなくなった
だから街内の団地のような所に住んでいる、また橲原とかに土地を持っていたからそこに家を建てた人もいるようである
小さな畑で野菜作りした人は角田まで行って鶏糞を買って肥料にしていた
その鶏糞を私の庭にも利用した、花でもやはり肥料がないと育たないのである
日本の地名で焼畑地名が多い、飯館村の佐須村の佐須は明確に焼畑地名である
そこに山津見神社がある、これは安曇族が入ってきて証拠である、安曇族は海人族であったが焼畑の技術ももっていてそこに土着したのである

肥料なくして農業はなし・・・・・・・

ロシアとウクライナで戦争があり肥料を輸入していたが入らなくなったことが世界的に影響した、日本でも影響して農産物が高くなるということがあった
肥料というとき今は化学肥料になる、それが入らないと農業が成立しないのである
農業とは肥料を作る苦労だったともなる

近くの街中の農家の婦人は人糞を取りに回っていた、それを子供の時見ている
汚いものだがそれを汚いとは見れないものだった、なぜならそれを肥料として食料としていたからである
江戸でも回りが農民であり肥料をとるために人糞を取りにきていたのである

隅田川の由来

「すみだ川」の名が登場したのは、西暦835年のこと。当時の政府の公文書に「住田河」と記されています。この「住田」が、どのように読まれていたのかは定かではありませんが、川の三角州に田を作ったという意味で「すだ」と呼ばれていたと考えられています。その後、平安時代の伊勢物語では、「すみだ川」という歌が詠まれ、すみだ川の名が全国に広まっていきました

「隅田区」の広報

地名とはこのように人間の生活に密着して名付けられる、詩的に美的にとか名付けられないのである、人間が生活するために田が必要であり米が必要だからこそその名がついたとなる


ある年に土地の半分を植え、残りの半分を休ませ地力を蓄える二圃式農業は古代世界では非常に一般的でした。ヨーロッパではこのような休閑による地力の回復の他にも、家畜の糞を藁と混ぜて発酵させてつくる厩肥(きゅうひ)が広く用いられました。 また、石灰肥料や緑肥(刈った植物を畑に混ぜ込む施肥)も行われました。

江戸時代の重要作物は関西の木綿と関東の桑(養蚕)で、品質と生産量を安定させるために多くの肥料を必要としました。当時重要だった肥料は菜種油粕と魚粕。菜種油粕は行燈の油として利用した菜種油の粕。魚粕はイワシなど採れすぎた魚の再利用法でした。

大阪では、家主は借家人の固形物の権利を持っていましたが、価値の低いとされる小便の権利は借家人が持っており、それぞれ仲買人に売ることができました。18世紀初頭では、一年の10世帯分の糞尿は、半両以上で取引されていました。

大阪では、家主は借家人の固形物の権利を持っていましたが、価値の低いとされる小便の権利は借家人が持っており、それぞれ仲買人に売ることができました。18世紀初頭では、一年の10世帯分の糞尿は、半両以上で取引されていました。

値段が高騰すると仲買人同士の喧嘩や論争も頻発し、貧農が糞尿を買えず盗みに走り罰せられるといった事件も頻発しました。

8世紀のイギリス、刃物の町シェフィールド。

この町では刃物の柄に動物の骨を利用しており、加工の時に削った骨くずが大量に生じて工場主は処理に困っていました。そんな時に誰かが骨くずを失敬して自分の畑に撒いてみたら、なんと作物がよく成った。それが噂で広がり皆が骨くずを欲しがるようになりました。こうして骨粉が誕生しました。骨粉はリン酸を多く含み、植物の生育を促す働きがあります。

 肥料の歴史"農業の始まりから化学肥料まで"
https://reki.hatenablog.com/entry/211105-Fertilizer-History



地力が失われるのでこうなった、土の栄養分が失われるから肥料を貯えさせてまた使う方法である、これも農業では肥料が大事なのように土が基本であり土を肥やさない限りできないからである
こうして農業から文明が生まれたのである、それまでは狩猟採集であり定着できないが
肥料を作る、土地を肥やすことをして定着できて農業が発展してそれを基礎にして文明が生まれたのである
骨紛とかでもそうである、何か肥料となるものを農業では常に探していたのである
今は化学肥料となり鉱物から取り出されているのである

いづれにしろ歴史とか社会を知るにはやはり農業が基本になる、農業は欠かせない食料を生産するのだからそうなる、食糧危機になるとか最近騒いでいるのでもわかる
外国から入らなくなりそうなることで不安になる
中国ではそうして飢饉になれば政権が変わる、革命になる、だから食料を供給できなくなったら人民に襲われるという恐怖が歴史的にある
14億の人間を食わせることが第一になりそれが政治にもなる
田舎だと回りが田畑だから農民が多いし農業で生活しているように見える、でも実際は今は農民は一割にもみたない、みんな会社員なのである、だから意外と農業のことが田舎でもわからなくなっている
農業でも実際にたずさわってみないと実感としてわかりにくいのである
でも肝心なこと農業がわからないとういことがある、すると農業が軽視されて跡継ぎもいなくなったとなる
浪江の電気工は原発で働いていた、だから浪江が廃墟のようになっても周りの田畑が草ぼうぼうになっても関心がなかった
何か補償金もらってみんな喜んでいると言っていた、これは明らかに農業で生活していないし実際は全体でみても少数者になったからそうなったのである、農民が八割の時代はそういうことはありえないからである
それは生死にかかわるからである、天皇が皇居で田植えしたり養蚕をしたりしているのはやはり農業中心の社会がありそれが継続して行事となっているのである

そして正月の行事でも実際は農民の行事であり正月は豊作を祈る時である、でも農民が全体の一割とかなるとそうした正月行事も
なくなってゆく、別に餅は正月に食べていたがいつでも食べられるから晴れの日はなくなったのである
ただ正月とは年が変わるというだけで何か晴れの日としての楽しみでもない、紅白歌合戦が国民みんなで見るというのもなくなりつつある、年代的に音楽でも何でも多様化しているから国民的行事とういのは消失しているのである
でも歴史をふりかえるときやはり農業が基本にあるからこれを知らないと歴史もわからないのである

御民我れ 生ける験あり 天地の 栄ゆる時に あへらく思へば  
                          海犬養岡麻呂

基本的に人間が栄えるというとき自然と切り離しはありえない、それが原発事故でわかった
生活の基本となるもの水でも土でも森でもさらに空気まで放射性物質に汚染されたら生きることもできない
住むこともできなくなったからである、科学技術文明の危険がここにあった
最近持続可能社会がSDGsが言われるのはそのためである

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原町区の北泉の残された碑−ここは延命地蔵を祭っている
延命地蔵とはやはり長生きを望んだからである
正月と記されている、正月がやはり特別な日だから記されたとなる

 

2022年12月29日

郷土史とは何かー支配者ではない庶民を語り残すこと (街一軒の自転車屋の死で考えたこと―庶民が歴史に記される時代)


郷土史とは何かー支配者ではない庶民を語り残すこと

(街一軒の自転車屋の死で考えたこと―庶民が歴史に記される時代)

●インタ−ネットで郷土史を各自追求できる時代

郷土史とは何かとなればそれは狭い地域であっても広範囲でありそれで理系も課かわてくるので私は文系であり地質学とか科学に弱いから語れないことがあった
地質学というときそもそもどうしてその土地が成立ちどういう土地なのか知ることであるそれで最初は日本全国を旅して「地名」に興味をもったことが自分自身の大きな歴史であれ郷土史であれ関心を持ったのである
どうしても学校の教科書で教えられたことは興味が持てなかった
でもだんだんと郷土史というより郷土学のようになり今は相馬新報とかなった
そこで書いているのは広範囲だからそうなった、今があり昔があり時間軸と空間軸と郷土を放送する、それはインタ−ネットができてホームページとかプログが個々人でもメデアを通さなくても発表できることになったのが大きかった

それでメデアが今までも新聞とかテレビに独占されてどれだけ力を持ったか知った
報道する力は実は大きな力を手にした、権力を手にしたことなのである
これまでは新聞であれ雑誌であれ本であれメデアをマスコミを通さなければ知らせることもできなかった、つまり報道することは権力を持っていないとできないことだったのである、だからこそマスコミは第三の権力となっていた
そこで宣伝してもらえば商品でも知れ渡り売れるとかありまた人でもマスコミに出ただけでたいした人物でなくても知れ渡り議員にもなれるとなった
それで「青島だ」とかふざけているのかそんな人でも東京都知事になったのである
それはマスコミの力でありその人の能力ではなかったのである
メデアは仲介するものでありその仲介するもものが力を持った、そのメデアに出るにはメデアの許可が必要でありそれはまた権力を持たない者は出れないし発言もできなとなっていた

でもインタ−ネットだと一応誰でも手間であれ発言はできなる、それは大きなものとならないにしろ発言はできる、ただインタ−ネットだと本当に誰も読まないということが普通に起きる、膨大な人がプログを書いているからそうなる、そこで目立つのは極少数になってしまうのである
だからいくら発言が自由になったとしても必ずしもそうはなっていないのである
膨大な数の中に重要な発言でも埋もれることが普通にある
だからネットの世界で目立つことは至難なのである

ともかくインタ−ネットの特徴としていろいろあるにしてもその人の住んでいる場所が基点となり発信する、ということは郷土史とか郷土学と密接に関係するのである
さらにその郷土の狭い範囲で基点になるのはその人が住んでいる家なのである
郷土史は家の歴史からはじまる、歴史そのものが家の歴史なのである
聖書もそうである、日本でも天皇家の歴史が歴史となっていることでもわかる
家は先祖がいて祖父ー父ーと系譜があり一軒一軒が郷土の歴史なのである
ただその中でも古い家はその土地に代々歴史を刻んでいるからそこを中心としてみる
野馬追いに出る家は歴史として保存対象にもなっていて野馬追いの場合勝手に旗印を作り行列に出れないのである、正確な歴史の再現でありハロイーンとかの馬鹿騒ぎとは違う
そもそもそれは日本の歴史とも何ら関係ないのである
祭りというとき小さな村でも代々伝えられたものがありその再現だから歴史的意味があるその歴史を伝えるために祭りがある、そこに祭りの意義がある

●郷土史はそれぞれの家から始まる

いづれにしろ郷土史は郷土学は家の歴史から始まる、私の父のことを書いたが他にもどうしてその家が成立ったのか自分の場合二代目にしろそれでも歴史なのである
只野家とかなると南北朝までさかのぼるから古い旧家だから違っている
そして意外とそれぞれ住んでいる場所が古くから人が住んでいた、この辺ではもともと農民が中心に住んでいた、だから街とかあってもそこは農家が多かったのである
町というとき宿場町でありそれも農民が参勤交代の時に臨時に侍を泊めるものとしてあった、それで双葉では長塚宿があり新山宿があったとなる
交代で村の人が接待したとなる、双葉町という地名は明治以降できた町名である

それで私の家の近くの神社に文明時代の碑がある、また法印の山伏の墓もある
ここに天明の碑があるということはここも古いとなる
まず江戸時代の碑には注目する、天明は飢饉の年でありこの辺でも何らかの影響があったでも街だと明治以降になると農民ではなく商人とか職人が移り住んだ、農民がいてもそっちの方が多いとなる、でも依然として街から二百メートルくらい離れた場所に田畑が広がりそこには農民が住んでいて農民の付き合いが代々ありよそ者は住みにくいということがある、小さな町でも外から住む場合そのことを知るべきだとなる
そもそも農民共同体としてあり街内でも農民がいて他所から来た人も住むようになった

郷土史というとき相馬藩政記があり相馬藩は代変わりしていないから外の人も参考にしている、相馬藩は六万石でもそれなりに大きい藩でありごからこそ伊達藩とも対抗できたともなる、第一相馬野馬追いの壮観を見る時そうである、なぜこれだけの行列が歴史に基づいてできるのかとなる、相馬藩は300藩あった江戸時代に60位の格があった
それなりに大きいというのでもなくても中堅の藩だったとなる

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●地歴として郷土史、郷土学

ともかく郷土史でも空間軸があり時間軸からみる、空間軸から見るのは比較的わかりやすいのは今でも空間自体は地理自体は変わっていないからである
でも地理でも福島県の地理でも簡単にわからない、地理は車とかで行ってもわからない
土地の高低差などがあり体の感覚で知らないと体得できないからである
私は自転車で相馬藩内なら回っているから体で知っているとなるそれでもわからない所がある、空間でも知るのは容易ではない、会津になったらもうわからない、山また山である二千メートルの山がひしめいているからである
また空間だと地史とも関係している、地歴というとき地理であり歴史を合体したものである、だから地史というときもそれは日本列島がどうして成立ったかまでさかのぼらばならない、とういうのは阿武隈山脈は高原は意外と古いのである
それで地盤が安定しているから放射性廃棄物を地下深く埋めておくのに向いているとか言われたのである、そういうふうに地歴を知ることが郷土史でも不可欠なのである

そして時間軸で見る時、これも重要だった、なぜなら400年前の慶長津波のことが相馬藩政記に二行だけ700人が生波(いくなみ)−津波で溺死したと記されていた
これほど重要な記録はなかった、でも学者すら知らなかったのである
これは大問題だったのである、なぜならこの辺には津波は来ないとしていたからである
だから津波のことを三陸のように警戒していなかったのである
そして相馬藩政記でも戦争のことはことこまかに記している、どこどこで戦争があり誰が死んだか誰が活躍したとかはこととこまかに記している、つまり戦国時代では庶民のことは話題にならない、支配者の侍の関心は戦さにあったからである

特に相馬氏は騎馬軍団を率いてこの地の支配者になったからそうである
土着した豪族と衝突して争いになり戦争になっていたからである
相馬藩政記の主流となるのはその戦(いくさ)のことである
庶民のことではない、だからこそ津波で700人溺死したことは大事件でも二行した記されていなかったのである
今だったら絶対にそういうことはない、いろいろ記録が映像でも残される
私自身もデジカメで写真をとってプログで放送したからである、その時はアクセスが相当あった、関心が震災や津波や原発事故でここに集まったからである
確かに福島民報や民友とか福島テレビとかでも放送した、でも個人で放送したということの意義は大きかったのである、そんなこと今までできなかったからである
それは明らかに全国の人達が見たのである

なぜ相馬藩政記で400年前の津浪の被害を二行しか記されなかったのかとなれば侍が支配者であり庶民は発言することもできないし記録にも残せなかったのである
何らか残っていいと思う、正式に紙に記さなくても伝説とかでも語りでも伝えられていいとも思う、でも紙に記すにしても紙が必要であり文字も書かなければ残らない
紙は紙漉きであり相当に貴重なものだから庶民は使えないものだったともなる
つまり記録することは金も必要だったし文字も書けなければならなかった、それがその時代に庶民にできなかった、侍にはできていたのである
ただ江戸時代の後半になると読み書きソロバンを寺子屋とかで習った
それで識字率があがった、その頃になると庶民でも記録することができたとなる
でも実際は侍が記録していたのである
もしその400年前に庶民でも記録することができたらその津波のことを記していたらそれは貴重なものになった、そして後世に伝えられて今回の津浪も警戒して被害をが少なくすんだともなる

●記録されるのは勝者であるーこれからは一庶民が歴史にその功績が記される

要するに記録することでも発言することでも現代でも放送することは権力を持たないとできないのである、そうなると庶民が直接発言するのではないから必ず歪められるし重大なのことも放送されないのである
そして狭い地域となると余計に報道できない、例えば福島県でも広いからである
地理的に広く中通りとは浜通りとは阿武隈山脈でさえぎられて地理の一体感がないのである、会津にしても地理的には隔絶した地域でありわかりにくいのである
福島県を一つの国と見ることは地理的にはむずかしい、地理的一体感がないのである

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(隠された社一つが語るもの)
http://musubu.sblo.jp/article/189970774.html

こんな所に隠されて社がありそれも相馬氏の戦勝記念の社だったのである、これでもわかるように相馬藩では相馬氏の戦(いくさ)のことを相馬藩政記でも事こまかに記しているでも津浪の被害のことは700人溺死で二行だけしか記されていなかった
だから歴史とは何かというとき支配者の歴史だとなる、それは全国規模でもそうである
一地域ですらそうなのだから日本の歴史とは支配者の歴史でありまた世界史でもそうである、アメリカは覇権国となったとき世界史はアメリカの歴史であり日本はただ悪者にされるだけだとなる、歴史とは勝者の歴史であり敗者の歴史ではないのである
ただこれからの歴史は民主主義となりプログなど誰でも発言してyoutubeでもテレビ放送もできなるようになった、その時郷土史でも興隆することになる
なぜなら郷土史は地元の人は読むにしても外部の人は余り読まない、関心かない、でも
誰でも発言できて表現できて放送できるようになることは庶民が権力を持ったことであり民主主義の促進にはなる
私がホームページからプログですでに20年とか発言している、それも今や一つの歴史ともなる

何か古い本を整理していると30年前とか買った本が多くもっと前のもありそれが何なのだろうとみる、そして著者がすでに死んでいるのも多いのである
この人も死んでいると本の著作者を見ると不思議になる、死んだ人を知るのは残された本しかない、あとは分らないのである、でもプログとかでも記録が残っていればそれも死者の残した物として参考になる、それで都築氏はプログにだけ書いて死んだのである
そのプログの記録も消していいとして著者が消したのである、するとその人の残した物は消えたともなる、これも問題だった、本だったら残り誰がが読んで参考にすることがあるそれができなくなったからである

郷土史というとき近くの自転車屋が死んだことはショックだった、そこは町に一軒しかなくなった自転車屋だったからである、それも郷土に懸命に生きた人として郷土史に刻んだ人だったとなる、それが死んでから余計に感じた、それで私は詩を献げたのである
郷土史に記される人だったとなった、相馬藩政記なら記されない、もちろん国史にも記されない、でも郷土史となると郷土に懸命に生きたものとして歴史を刻んだものとしてけ記されるとなったのである
民主主義とは平民の時代であり平民が主役になる時代である、だから庶民が歴史に記される、庶民が歴史を作るともなる時代である,そこに郷土史を郷土学の意義があるとなる
柳田国男の功績は文書だけに記されたものではない口碑で口伝いで庶民に伝えられたものを掘り起こして新たな民俗学を起こしたことである、時代によって新しい学問が起きる、脚光浴びるのも違ってくる、侍の時代は侍になるのが民主主義の時代は庶民がキ脚光をあびるとなる、ホイットマンが讃えたのは平民だった、労働する平民だったのである、ヨ−ロッパのように貴族はいなかったからである、それで皇帝も貴族もいないからリンカーンのように丸太小屋から歴史が始まったからそうなったのである
この時は大衆は存在しない、民衆が存在していたのである、それが讃えられたのである
アメリカは平民によって民衆によって作られた国なのである、でも今は格差が極端でありそれが失われたとなる
巨額な金をもった一部の人がいて支配する国になった、そこには建国時代の開拓者魂とかはなくなったのである

今年も終わりだが地震で散らかった本をまだ整理していない、障子も直していない、他でもまだ工事をしているとかあの地震の被害も大きいものだった、今年で一番印象に残ったのはあの地震だった

来年はどうなるか、いい予想はない、暗黒時代の継続になるとしている
近くの自転車屋が死んだことは年の暮でショックだった、その衝撃で新年を祝うとういこともそがれた
でも来年もがんばるほかない、コメントもできなかった、整理とか何か家事とかいろいろ忙しくて追われてできない
今まで書いたもの詩なども整理しようとしているができない、整理するだけで大変な作業になっている

では良いお年を・・・






posted by 天華 at 18:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2022年12月28日

精神障害者を持ち苦しむ家族 (発達障害者と認知症の似ていること)


精神障害者を持ち苦しむ家族

(発達障害者と認知症の似ていること)




Aさんから毎日聞かされる過去のことに対する愚痴や、めぐみさんに対する罵倒・被害妄想は、めぐみさんの子どもたちがいてもお構いなしで続いていたそうです。時には暴力を振るうようなこともあったそうで、めぐみさんは「もう限界だ、少しでいいから家族だけの時間が欲しい」と思い、引っ越しを決めたと言います。

、AさんからSNSを通して誹謗中傷を受ける日々がはじまったそうです。書かれている内容は事実無根だったそうですが、「SNSで障害のある姉を捨てた妹、いつも妹ばかりずるい、と発信するんです。どんどん投稿が増えていくと、精神障害があるからしょうがない、では片づけられない苦しい気持ちになりました」と言うめぐみさん。ある日ついにストレスで左耳が聞こえなくなってしまったのです。

精神障害者手帳を取得した現在も、両親はAさんが障害者になったことを認められず、福祉のサービスの利用を拒んでいるといいます。支援を受けてこなかった中で、両親が過剰な期待を寄せてきたのがめぐみさんでした。

「障害がある姉を家族やみんなで支えなければ、という気持ちはわかります。でも、障害者だからなんでも許されるわけではないということもわかってほしいと感じています。私の人生は姉の面倒をみるためにあるわけではないんだと、姉にも両親にもわかってほしいんですけどね」

「姉妹なんだから支え合って」と言われても…精神障害のある姉を10年支えてきためぐみさんの決断


この人と私が接した発達障害を持った家族と同じだった、兄の世話を弟がしていただが
兄の悪口を常に言っていて弟はなぜ私が世話しているのに悪く見られて責められるのかと何度も
くどいていた、精神障害者をもつ家族は家族が身内が一番苦しむのである
それは私も認知症になった姉を介護して経験しているからである

母親にしても終に自ら脳梗塞になりもう世話できないと匙を投げた、というのは弟が母親を苦しんで世話するようになんたからである、金銭的面でも援助しているから弟の言い分を聞かなければならないとなって発達障害の息子をもうめんどうみれないとなったとなる50歳までめんどうみて苦しんできたのだからそれが冷たいとはならない、限界が来たと言える
自分自身が脳梗塞になって苦しんでいても発達障害の息子は介護もできないからである
まず書類など書けないし福祉関係者の人ともまともに応対でなきい
そうなると母親も匙を投げたとなる

でもどうも精神障害者がいろいろあっても認知症の介護をしたので似ていると気づいた
発達障害者の人も家族を責める、特に弟のことを責めている、でも弟は金をだして風呂を作ってやったとか金銭的な面でも援助している、だからなぜ自分だけが悪く言われて回りでもそう見るのかとなって不満になった
母親が脳梗塞になって母親ももうめんどうみきれないとなった
一時は施設に入ってもいたが嫌だとして出た、母親が施設に入った方がいいと言ったら怒ったという、でも発達障害者の人と協調できる人はいないともみる
ただ福祉関係の人は障害者の味方になるという、だから不思議なのは認知症の人が警察を呼ぶぞというのは福祉関係とか警察が家族から責められる時守ってくれる人と見るからかもしれない、その辺はわかりにくいが認知症との共通点はある

何かそれは自分自身を防衛するためにそうているのかもしれない、障害があることでまともにあつかわれない、そのことに不満がある、そして自分自身はその障害が何なのか意識できない、だから自分は常に不当な扱いをされていると回りに訴える
それを聞く人が福祉関係者でありとがめられるのはかえって家族だともなる
認知症でも盗んだと責められるのは一番身近な家族だからである
その発達障害者も常に弟を嫌っていて盗むと言っているからである
ただ認知症のように極端な物忘れはしていない、銀行から金を下ろすことも知っている
そして金に敏い、金になることは金の計算がまともにできなくても敏いのである
欲もありその欲を金で得られるから抜け目ないという

そういうことは認知症の人もそうなのである、自分自身は悪いと思っていない、
回りの人が悪いと責めるのである、その心理はどこから来ているのか?
おそらく自分に障害があることを認めない、私は社会で一人でもまともに生活できる
誰かの世話になることもなくできる、そして自分自身に対して自分の言うことを聞かないと敵ともみなし責めてくる、それは認知症の人にもある、性格によって違ってくるにしろ何か共通していることがある、
自己防衛本能が働き他者に対して自分の言い分を拒否されると敵とみなして攻撃する
それがここでは弟なのである、そうでなくても家族が敵となり攻めてくるのである
それで世話する人がなぜ自分自身だけがここでは妹が姉の世話ばかりして他にできなくなるのか?それで遂には突き放すようになる
第一そうして世話しても感謝などないからである

そして親の認知症と違うのは親というのは子供に尽くしてきた、人によって違っていても親は子供に尽くしてきた、だから世話しなければならないという気持ちがある
私の場合は特殊な事情で特別世話になったから家を支えてくれたから恩返ししなければならないと自ずと思っていたから苦しくても世話するのは当然だと思っていた
それより自分自身しか世話する人はいなかったのである
では兄弟とか姉妹とかなると別に世話されたわけでもない、むしろ障害者が特別扱いされることもある、母親は障害者ばかりに手をかけて他の兄弟姉妹にはおろそかになる
その不満が障碍者をもった家族に常にある、ただ障害者でなくても兄弟でも姉妹でも
みんなに親が良くするわけではない、一人っ子の場合はそういうことはない
だからこそ介護になると一番良くされたかわいがられた人が介護しろとなるのである
これも当然だとなる

とにかくこうして遂に母親でも匙をなげた、するとこれから厳しいことになってゆく
回りでもそんなに悪口を言い自分の言い分を通すことを是認する人はいないからである
つまり世話になっているのだから何か悪口ばかり言って不満ばかり言っていることに対してそれを是認する人はいない、でも発達障害の本人は世話になっているとも思わないのである、だからこそ相手を攻撃して責めてくるのである
認知症にもそういうことがある、何か悪賢いということもある
外面はいいのである、最も親しい家族に対しては攻めてくるのである、つまり家族が悪くて自分は悪くないとするのである
だから福祉が味方だとなることがわかっていて家族の悪口を言う時福祉の人はそれを是認するから余計にそういうのかもしれない、だから不思議なのは警察を呼ぶぞということも認知症と共通している、警察は福祉関係者と同じであり自分の味方だと思っているからかもしれない、これは本当に謎である

精神障害とは発達障害者でも認知症でも似ていることがあると思った
でも根本的相違は認知症は別に優秀で社会に尽くした人であり家族に尽くした人でもあるでも発達障害者とか先天的精神障害者はそういうことはないだろう
幼児から世話をやかせて育った人もいる、だから親が病気になっても世話もできないのである、そうなれば親でも遂には見捨てるとなる
自分自身が介護される身になるからとてもめんどうみきれないとなったのである

ここで不幸なのは最も頼るべき親しい家族でも悪口を言い責めてきてかえって自分が損する、もし体の病気だったらそういうことはないだろう、親切に介護すればそれがわかる
だからありがたいと思う、でも精神障害者の場合はそれがわからないのである
そしていくら世話してもそれがわからずかえって責めてくる、悪口を言い自分は悪くないとする、それを福祉関係者が同調するとなる、だから罰せられるべき家族であるともなるそれで警察を呼ぶぞと言うのかもしれない、それも不思議であり謎だとなる
ただ心理的に解明すればそういうことなのかとみる
全く支離滅裂な精神病とも違う、その心理は理解できないことはないともなる

いづれにしろ発達障害が何なのかまだわからない、でも精神障害者を世話することはめんどうでありだからこ母親でも50歳の息子を自らが病気になってもうめんどうみれないと匙を投げたのである、どうしても弟に頼らざるをえないからである
その発達障害者は親の介護もできないからである、そうなれば弟に世話されるのだから
弟の言い分を聞いているほかないのである

私の場合は認知症になったとしても私は認知症になった人をたてていた
それは複雑な事情でそうなった、つまりその功績が大きいものでありいくら認知症になってもそれで捨てるわけにはいかない事情があった
だから死んでも篤く供養しつづけている、それだけ大きな功績が自分の家に尽くしたことがあったからである、でも幼児期から発達障害者になった人は50歳までただ迷惑をかける存在だったのである、そして世話しても感謝もないのである
またそもそも介護も世話することもできないのだから報いもないとなる
このことでいかに精神障害者もった親でも兄弟でも姉妹でも苦労するかわかる
それは認知症でも共通した面があるがやはり子供の時から一方的に世話するだけとなると報われることないし感謝されるたともないのだから辛いとなる
そのことは認知症で経験しているから多少は理解できなるとなる

おそらく発達障害者でも何か一芸に優れていれば社会でも認める、それで社会に適合できる、社会に役立つともなる、天才などは社会的には人間関係ではうまくいかなくても一芸に優れているからそれで認められるとなる
だから発達障害者は何か特異なことをできるようにする、そうすれば他の人も認める
そうなれば家族でもただ何もできない迷惑をかけるだけの人間とはみないともなる
もし一芸に優れていて収入もあったりしたら邪魔者扱いにもしないとなる
ただそれがみんなができるかとなるとむずかしい、社会不適合者でもかえってそういう人は特別優れた人でそうっている場合がある、天才ともなればとても普通の社会人として生きられない、平凡な生活はできないからである
ただそれはまれであり普通はニートであれ引きこもりであれそういう人ではない、ただの社会脱落者に過ぎないともなっている
第一天才自体まれにしかいないからである、それでも何かその人に自由を与えてあなたのやりたいことをやりなさいとなるとき自分のように旅ばかりして地名と地理とか風土に興味をもったようにその人なりのものを追及してそこで優れているともなり認められることはある、そもそも人間の才能とは多様でありそれを見出して伸ばせた人もまれだとなるからである