2018年12月06日

平和と幸福は何もしないで与えられることはない (常に平和と幸福は努力して作り上げてゆかないとない)


平和と幸福は何もしないで与えられることはない

(常に平和と幸福は努力して作り上げてゆかないとない)

平和とはなんだろうと思う、平和平和と叫んでも平和が来るのか?
そもそも平和とは何なのか?
平和の逆を見るといい、極端なのは戦争状態であり飢餓状態とか災害で破壊されたとか事故で苦しむとかいろいろある
平和でない状態は常に歴史的にも個々人でもあった
個々人でも病気とか必ずあるからだ、死もあるし逃れられないのだ

最高にに平和を感じる時は逆に戦争で苦しんでいるとき戦争がないときとかなのである
殺し合いしているのは最悪だからである、だから戦争がない状態にもどったというとき
幸福感を人一倍感じる、それは個々人でも病期が直った時一番感じる
その時生きられんだとかつくづくそれだけで幸福を感じる

平和とか幸福はそこにただあり与えられているものではなかった
何か自分は恵まれていて家族に与えられている存在だった
その家族が介護になり死別がありその時自分は今度は家族のために尽くさねばならなかった、自分が今度は与える側になった
でも何かを与えるということも喜びになる、苦しみもあるが与えることは喜びがともなうただ相手から与えられるだけの存在に平和と幸福はない

平和とか幸福とかはただ与えられるだけでは得られない、人間はそういうふうにできている、何かをただ与えられるだけでは平和も幸福もありえない存在なのだ
幸福になるためにはやはり勉強も必要になる
勉強するということは幸福になるためなのである
ただ受験勉強とはかそうではなかった、勉強するのは人間は才能があったとしても必ず勉強せねばならない、才能を開発しないかぎり天才でない限り生まれないのだ

そして勉強していれば雑学でもなんでも最後に花開くことがある
それも勉強していなかったらありえないのである
ただ何でも努力も勉強もしないで与えられることは人間にはないのである
絵の才能が全然ないのに抽象画でもパソコンのソフトで描けたとなればそれなりにただ見ているよりはそこに自らで作ったという満足感がある
これもやはり才能を開発するという努力の結果で幸福が生まれたとなる

人間という存在はそもそも何か何もしなくて与えられない、平和でも幸福でもそうである家族だってそれも互いに努力するなかで築かれてゆくのであり結婚したときは愛がないというのもわかる、恋愛は愛ではないというのもわかる
愛は結婚して共に生活して子供を育てるという過程を経て家族も作られる
それはただ何もしなくて家族が生まれるわけではなかった
家族はそうして長い間生活してその中で苦労を共にして作られてゆく
家族はもともと与えられるものとも違っていたのである
子供の時は与えられる存在だが大人になれば常に努力して作っていかねば何事成ることはないのである

例えば農業でも何かを実らせるには本当にむずかしい、様々な試行錯誤必要である
そこで練馬大根とか・・・大根とか下仁田葱とか地名がついたブランド品が生まれる
それは特産品となる売れる、それがてきるまでは苦労している
それはどこでもそうである、それで特産品となったときそこに努力の成果がありその土地に幸福をもたらしたのである
それはあらゆる分野でそうである、平和とか幸福は作り出すものでありただ何もしないで与えられるものではなかった

だから復興というときこれもそうなのである、それは不幸な状態でありそこに再び平和と幸福を作ることが要請されている、それでもし復興が成ったらその喜びは何倍もの平和と幸福感を感じる、でも何もしなければもう何も生まれない
ただ荒廃してゆくだけだとなりそこには平和も幸福も生まれないのである
今の所はそうなっている、何か打つ手がないとなり町や村は捨てられたという感じになる
私の住んでいる所は幸いに避難区域でない、かえって外部からの人が集まり増えてにぎやかになったということがある、いろいろな施設も生まれたとかもある
だから避難区域との差が大きすぎるということがある
ただ人間はつくづく何もしなかったら平和も幸福も与えられないようにできている
戦争とは破壊でありだからそこからは平和とか幸福は生まれない
それでも破壊した後に建設がはじまりその時あらためて平和と幸福を感じるのである
それは前より一層平和と幸福を感じる

幸福は何か与えられる得たいということがある、でも人間の幸福は与えることにある
何かを与える時平和と幸福を感じる、神は与えるだけの存在だから幸福だとなる
人間にあらゆるものを与えるのが神だからである
ただ神は人に感謝を求めるが後は一切なにも求めない、人間は何か与えたとてしても必ず見返りを望む、そして恩着せたり俺は与えたからとその何倍を要求する
それは遂に脅迫にすらなる、無償で与える人は一人もいないのである
神は無償で与えている、でもそれを実らせるには人間でも農業に絶えない努力が必要になっているのである

でも一番実りの幸福を感じているのはそうして努力して実らせた人なのである
その時まさに平和と幸福が作り上げられたからである
無人駅でボランティアのまねごとしてもそうである
みんな自動化しているから別に人はいらないとなるがやはり人がそこに手を加えて作り出すものがある、まず機械とかAIだけで平和と幸福は作り出せない
なぜならあくまでも人間が生きるのであり機械とかはAIでも生きるということがないからである、それは人間が生きるということが先にあって活かされるのである
あくまでも人間が生きることであり人間が主人であることには変わりないからである

だから無人駅でも人間はいらないとか他でも機械があるから人間はいらないとはならない必ず人間が必要であり人間が主人公なのである
そもそも機械とAIは何か望むということもない、平和とか幸福とか愛とかも望まない
だから機械だと兵器となり武器と化して人を殺しても何も感じないのである
機械とかはあくまでも人間の道具でしかないのである
だから機械でもAIでも平和とか幸福をもたらすものとは必ずしもならない、それはあくまでも人間の道具だからである、使い方を誤ればやはり不幸をもたらし平和は破壊されるのである

いづれにしろ人間は与えられるだけの存在だと平和も幸福も感じない
それで退職した老人が不幸になりやすいのは何か社会的活動して与えるものがなくなるからである、ただ一日なにすることもなくテレビを見ていたり暇つぶしにギャンブルばかりしていたらそこに幸福は生まれないのである
そういう何も与えない人は膨大に増える時社会自体が不幸になる
それが高齢化の問題だともなっているのである  

人間の信頼関係でも簡単に作れない、俺には金があるからなんでもできる、人も自由に雇い働かせられるとかともならない
家に入れる人は相当に信頼関係がないとできない、金だけではひとを頼むことができないものだった
その人にとって金だけを得ることだとすると危険になるからだ
それじ十年もその家で働いていたとかなると信用できるとなる、でもそれだけの年月が必要であり時間が必要になる
そういうことで金だけで平和とか幸福は得られないのである
それが互いにでも作り上げてゆくものだからそうなっている、研究者に金をやるから一大発明しろといってもできないというときもそうである、研究するのは地道な努力も必要でありいくら金を積んでも一朝一夕にできるものはないからである

ともかく人間の逆説は「悲しむ者は幸いなり」ということもある、なぜ悲しむ人が幸いなのか?
そこに人間の根源的な問いがある、この世は悲しむことなしでありえない、悲しむことによって人間の深いものを理解するからだ
悲しむ者が幸いだという時、悲しむ後に本当の人間の平和と幸福を知るからそうなる
だからこの辺の復興でもそうなのである、悲しむ状態だけだとそこからまた幸いが平和がもどるということがあるということを示ししている、ただそう自覚することはむずかしい、ただ不満だけがあるともなっているのである

タグ:平和と幸福

2018年12月05日

冬の鳩に紅葉、木守柿(平和を感じるこの冬)


冬の鳩に紅葉、木守柿(平和を感じるこの冬)



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我に街に平和もどるや冬の鳩

苦労せし地元の女(ひと)や冬紅葉

老人と駅に語るや冬紅葉

金屏風紅葉の映えて古き壺


赤と黄の紅葉交じりつ映えにしも今日が見ればはや庭に散る

駅前の仕事いそしむ自転車屋今日も見につつ冬に入るかな



鳩というとき平和の象徴である、何か平和がもどった感じになる
それは自分自身も介護とか病気とか惨憺たるものだった
ただ毎日四苦八苦していた、だから余裕がなかった

でもすでに十年が過ぎて何か元の平和がもどったのか?
もう確かに家族は帰ってこない、でもまた自分自身にもここでは我が街でも平和が戻ったのかとなる、ここは避難地区ではなかったからかえって他からの人が増えた
それで駅で良く会うのは外部から来た人たちなのである
それは話しているとすぐわかるからである

それだけ外部からの人が実際は相当増えたということなのだ
原町でも同じである、新地辺りでも増えているのだ
それだけの人が移動して家を建てたりして住んでいるとなる
そして避難区域になった所には帰らないともなっているのである
だからそこには未だに平和ないのである

冬の鳩が駅の上を群れ飛んだ、何かそれが平和を象徴していた
ここでは平和な日がもどったとなる
何か自分自身でも周りでもまるで戦争のような状態だったともなるからだ
家族を失ったことはショックだし色椅子ショックがつづいたが何か平和がもどったという幸福な感じをもった
それは戦争のように焼野原から復興したとき人々も感じた
平和がやってくるんだなとそういう中で感じていたのかもしれない
平和もまたそうして苦しんできたあと一層感じるということがある

ただこの辺は本当に平和が来るのは相当に先の長いものとなる
避難区域はほとんど復興していないからである




タグ:紅葉 木守柿

2018年12月04日

年寄りの冷や水 (人間はこれまでやってきたことを老人になってもやめられない)


年寄りの冷や水      

(人間はこれまでやってきたことを老人になってもやめられない)

週刊誌ではしょっちゅう死ぬまでセックスとか一面で出している
週刊誌とかテレビは老人向きの番組作りにある
老人が多く老人が読み見るからである
老人社会になっているからである

人間は老人になろうがつくづく今までしてきたことをやめられないのである
死ぬまでセックスとかもそうである
なぜそうなるのか?快楽が忘れられないのである
これも中毒のようなものである

死ぬまで登山とか死ぬまでバイクとか死ぬまで車とか死ぬまで自転車とか死ぬまで・・・・・とかなる
死ぬまで酒飲んで早死にした評論家もいる、これもやめられないのである
自分もそうだった、自転車に乗ってきたからやめられない
電動のロードバイクは合っていなかった、軽くていいのだがふらついて危険だった
だから今度は最新式のE=BIKEが欲しいとなる
それは今までより馬力があり技術進歩がある
やはりロードは危険だかこれなら安定して安全だとなるからだ
私はあまり悪路を走ることはないが歩道を走るので安定性があるのがいいとなる

年寄りの冷や水という言葉の意味は何なのか?
それは今までしていたことをやめられないということで無理をする
今までバイクに乗っていたから74歳でもバイクで飛ばしていた人がいた
登山でも70歳でしていた人が普通にいる
それで遭難したとかある、それから車でやめられない、それで事故を起こしたとか免許を返納して失敗したと80歳の人が言うのもわかる
そして何か今までしていことができると思うのである、だからそれが年寄りの冷や水になる

人間は年をとろうが今までしたことがやめられない、酒が好きな人もやめられない
そういう快感が頭にインプットされているからやめられないのである
麻薬と同じである、人間の業(カルマ)は死なない限り消えることがないのである

結局自分の場合は

死ぬまで自転車だ!

これもどうにもならないのだ、40万近くても欲しいとなる
悪路を行かないにしろこれなら乗ってみたいとかなる
ただ乗ってみてロードのように失敗するかもしれない
でも乗ってみたいとなる

やはり技術革新したものはイノベーションしたものは売れる、老人でも買う
もともとe-bikeは老人が体力がないので作られたのだから合っているのである
70代でもまだ元気な人がいる時代である
だからこういうものでも老人が買うかもしれない、金のことがあるけどどうしても快感を味わいたいとなる
そしてどうせ死も近いんだからやりたいことをやって死んだ方が得だという考えになるのだ、この年になると毎日いつ死ぬのかとなる、現実に死んでいる人も多いからだ

死ぬ前に何をすべきなのか?

それが老人にとっては切迫したものとなる
何か常に死を意識するのである、金があってもそれを使わないで残しても損だとなる
無駄には消費しないにしても何かやりたいことしないで金を使わないのは馬鹿らしいともなるのである

ただ正直老人は動的なものより静的な志向にはなる、私はもともと性質は静的なのでじっとしていることが性にあっている
それで何か深い詩が作れるようなったとも自分ながら感じる
こういうことはほとんど金はかからない、田舎で冬ごもりで風の音とかじっとしている聞いているのがいいのである、そこで沈黙するとき自分は充実感を感じるのである

posted by 老鶯 at 23:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 福祉医療-老人問題

南相馬市の仮設は終了取り壊しがすすむ


南相馬市の仮設は終了取り壊しがすすむ

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はる食堂は小高ではじめるという

双葉食堂はいつも満員だから向こうに移れば客も見込める
浪江とか双葉に近くなるからその辺からも客が来るかもしれないからだ
鹿島でも工事関係者の客が仮設ではほとんどだった
地元の人はわずかだったからここではもうやっていけなくなった

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ここにも仮設があったが壊されて大東建託が3棟建つ

向こうの家は建築土木関係の家だという
それだけもうけたから立派な家を建てたともいう

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南相馬市の鹿島区の仮設は終了した、まだ住んでいる人がいるが来年の三月で住めなくなる
それにしてもまた一区画に大東建託が3棟建つ、そこも仮設があった場所である
なんでこんなに大東建託が建つのかと思う
もう20棟以上になる、そんなに借りる人がいるのか?
そんなに需要があるのか?
需要が見込めるから建てている、それはなぜなのか?

大東建託側の事情もある、利益だすとさらにその金を使って新しく増やすのが経営上いいためにそうしている、コンビニでも同じように増やすからだ
でもこんなに建つのはこの辺の特殊な事情のためだろう
外部から入ってきた人たちが多い
鹿島区も多い、新しい街が三つくらいできた感じになる
まるで変ってしまったのである

そして外から来た人と駅とかでも良く会う、それだけ外部から来た人達が住むようになったのである、まず2割くらいは外部から移り住んだ人たちかもしれない
原町区でもあれだけの復興住宅が作られたのだから多い
だから南相馬市の人口は5万とか減ったとしても実際は多いのである
原発事故で移り住んだ人たちは市の人口として数えられていないからである
南相馬市の市民にはなっていないからである、手続きではそうなっている

いづれにしろ震災以後仮設も修了してまた一段落である
鹿島とかは前より良くなったのである
相馬市にあった障害者の学校も大きい、その工事も大きなものにある
それでそれを請け負う建築会社は車を増やすなど大きくなったのである
建築会社は震災以後は大きな工事をつづけてきたから成長してもうけた
これだけの工事があるということはなかなかありえなかったからである

障害者の学校でもそれなりの規模でありこれができるとまた町がにぎやかになる
駅でも利用する人が増える、周りにも影響する、何かしら飲み食いしたり金を使うからである、波及効果がある
障害者というのは何かアサガオでもありそこで働く人も多いのである
良く私は障害者と会うからである、まず障害者の数もここだけではない全国的にも多いと思う、それに費やされる労力も大変なものになる


posted by 老鶯 at 12:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2018年12月03日

四人石(詩) (飯館村のまでいな村作りは間違っていなかった しかし原発事故がみんな駄目にした)


四人石(詩)

(飯館村のまでいな村作りは間違っていなかった
しかし原発事故がみんな駄目にした)

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落葉に埋もる四人石

大都会の顔のない
群衆に交じり
その無数の人に疲れぬ
誰でも疲れぬ
その顔に疲弊の色が濃い
山の村の林に
四つの石が落葉に埋もれあり
互いに寄りそいいつまでもあらむ
かなたに稜線の明確に
冬の陽は輝き没らむとす
その鋭い影を心に刻みぬ
ああ 都会に無数の人の群れ
その顔を覚えられることもなし
ただあわただしく消えるのみ
四人石、ここに離れず
記憶を留めぬ
一つ一つの石は異なり
そは長くもあれな
互いに寄りそいつ
ここに留まりて忘れられざるべし
人はみな散り散りになる悲しさ
金の切れ目が縁の切れ目
人はかくして離れて帰らじ
四人石ここに変わらず
長くあるべし
黙しつつも心は通じあう
そは幸いなり
北風は一段と吹き唸るも
ここに変わらず身を寄せ合いぬ
死すともここにあるべし
その場こそ生き死にの場なればなり



何かパラドックス(逆説)があった、双葉町は原子力とともに歩む町として進んだ
結果として住むことすらできなくなった
生業をもどしてくれといってもできない、それは何を意味しているのか?
何が間違っていたのか?

一方飯館村は貧しい村だったけどまでいな村として村作りをしていた
そこはもともと原発とは関係していない地域だった
ただやはり原発で働いていた人はいたのである
原発はそれだけ金になっていたからである

でも飯館村の村作りはまでいな村作りである、までいなとは無駄にしないで物を使うとか生活するとかの意味である、山菜なども利用してまでいな生活をすることである
物を粗末にしないことである、もったいないという言葉とにている
もともとみんなそういう生活をしていた、そうしなければ生活できないからである
外国からなど石油でも入ってこないからエネルギーは炭だとかなっていたから自ずとそうなった

この二つの村は対象的なものとしてあったとなる
しかし原発事故でどちらも崩壊した、双葉は積極的に原発を誘致して町作りしたのだから自業自得だという面があった、だから何か補償金でも限りなく要求することは国民から嫌がられる、原発乞食だとか見られる
それは最初から原発を町の方針として受け入れてそれで町作りして豊かになろうとしたからである

飯館村にはそういうことはなかった、ただ風向きとかその時雨がふったとかで雪がふったとかで条件が悪く最も汚染されてしまったのである
でももともとまでいな村作りしていたし東電からなど補償金をもらっていないだろう
だから飯館村の方針は今になれば正しかった
でも村民でもなんとか豊かになりたいということはあった
だからこそ原発で現金収入を得たいと働いた人がいたのである

ただ原発事故以後は今度は多額な補償金でもめるようになった
できるだけ補償金をもらって村を出る組と残るべきだという組に二に分断された
一つのまでいな村としてまとまることはできなくなった
それは南相馬市でもそうである、補償金のことで分断された

結果的にいづれにしろ飯館村の荒廃はひどい、放射線量が以前として高いのである
だからそこに住めるのかとなり若い世代は出で行きたいとなり帰ったのは15パーセントでありそれも老人が大半だとなりそれは他でも同じである

何か原発とういものが一番打撃を与えたのは不思議に漁業関係とか農業とか林業だったのである、それこそまさに第一次産業でありそれでこれまで生業として成り立っていたものだった、でも高度成長時代になるとその第一次産業は全体の経済活動の一割にも満たなくなっていたのである
そして誰も跡を継がないとかなっていた、グロ-バル化経済でも地方は打撃を受けた
木材は外材になり森の木材を活かせないとか農業でもそうである
そしてもう跡継ぎがいないとかなっていた
今でも農業に従事しているのは65歳以上であり後継ぐものがいないから農業が崩壊して食料危機になるともされている

ともかく何か極端なアンバランスな経済になった、中央と東京と地方の関係でもそうである、日本国土がアンバランスなものとなり歪みが生じたのである
だからこのアンバランスな状態を歪みを元にもどさねばならないということが政策にならねばならない、でもそれも簡単にはできない
それで東南海地震が津波が来ればもう東京でも一極集中だめだとなり地方分散することを決断せざるをえなくなるということを予想する人もいる
なかなか荒料理はそうした大きなことが起きないとできないからである

やはり最初の方針が間違っていたから今日の結果があるともなる
ただ豊かさのみを金になることのみを極端に求めることしかなかった
原発は金の鳴る木であり漁業組合は東電に漁業権を売り渡して贅沢な暮らしをした
事故前補償金で潤い事故後もなんら困ることがないのである
それも矛盾に満ちたものだったのである   
それは漁業だけではない、農業でも林業でもそんなものより金がとなり東電に国家権力の政府に売り渡したのかともなる
そこに価値を見出さなくなっていたからである、そもそも国土というけど東京に住んでいたら土もないのだから意識できない

意識するのはトヨタとか日産とか自動車産業で世界で売ってもうけるということが最優先にされるし政治でもそうなる
だから国土は地は血であり血肉である、そういうものを金のために売り渡したともなる
現実に空気でも土でも水でも森でも汚染されたらもう住めなくなるからである
実際は国土なくしてありえないのだがそういう意識もなくなっていたのである
車を売ることとか電気を生産することの方が最優先されていたのである、それに意義を唱える人などいなかったからである
豊かになるためには金になるのはそれしかないとなっていたからである

私は都会を嫌って田舎で文化を追求してきた、その田舎がこんなふうになるとは予想もできなかった、石が四つ離れずにある、そこに住めることこそ最も最優先することである
その住むことができなくなったらもうすべて終わりだとなる
何がなんでもその場に住めることこそ最優先なのである
それが奪われたときすべての努力は無に帰したとなってしまったのである

だからなにか修復できなくなったこの状態に茫然とする
でばどうしたらいいのかとなると自分にわからないのである
ただ何か無力感がそこに漂うだけになる、なぜなら放射能汚染というのはどうにもならないからである
一旦町でも村でも崩壊すると元に戻すことが至難になるのだとつくづく思った
そこには何もない所から始めるより困難になる
積み木のように一旦壊したらまた同じものを建てるのが嫌になるからである
ただそこに新しいものを違ったものを子供は作ろうとする
それは人間の心理なのである、復旧とは前と同じものにすることでありそれではなく復興は何か前と違ったものに前よりいいものとして復興することである

それができたのは新地町だったのである、駅で書いたが前よりずっと良くなっている、そこはやはり津波の被害だけだから復興できた放射線被害はこれはそのベースとなる土とか水とか森とか空気まで汚染したからどうにもならないものとなった
それに対処する方法がない、ただ花は放射能汚染と関係ないから花栽培はしている
後は奇妙なのだけど老人は山菜を食べているともいう、放射能など関係ないというのもわかる
いづれはガンになるしもう関係ないとなり食べている
でも若い世代が帰らないから復興できないのである

高度成長時代とかグロ-バル経済とか世界的にもゆきづまり次の時代は東京一極時代の転換も言われるようになりそういう転換期に原発事故が起きた、津波も起きた、その時もし原発事故がなかったら飯館村などは貧しくても注目される村になっていた
までいな村とかそれはこれからの人がかえって見本とすべきものでありかえってそれで人が集まるということがあったかもしれない
時代の風潮がありそれに今度は合うものとして村があり移住者すら増えていたかもしれないのである
だから原発事故は本当にあまりにも悲惨なとりかえしのつかないものとして打撃だったと思う
村は補償金で分断されて荒廃した村の土地がある、金があればいいとなるがそれにも大きな負の面がありそれがあからさまにこの辺では現れたのである 

ただこういうことは歴史でも世の中には起きてきた、金の切れ目が縁の切れ目でありそういうことを一身上で嫌というほど経験した
みんな求めるのは金だけでありみんな去った、そして二度と近くにいても合わない、絆とか盛んに言われたがそもそもそんな絆があったのかとなる、結局金の方が大事だったとなる、ここではそういうことが極端な現象となって現れたのである
この世の中でそういうことは日常的に起きているのである、だからつくづくこんな風に町でも村でも崩壊するとなると絆が何であったのかともなるのである、自然の無情、人間の無情、無常を極端なものとして経験したのである
これほど常なきものかということを経験したのである、町や村すら消失するということは想像できなかったからである

ただ冬の空には高原だからやはり一段と星が美しく輝いていたからそういう所は変わらなかった
それは救いだとなる、冬の銀河はその空にかわりなく映えていたのである 


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posted by 老鶯 at 22:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村

2018年12月02日

冬の日の俳句と短歌 (深野のユッサから大原ー橲原ー飯館村へ―ユッサの庭は貧弱すぎる)


冬の日の俳句と短歌

(深野のユッサから大原ー橲原ー飯館村へ―ユッサの庭は貧弱すぎる)

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舞い去りぬ今日も一羽の冬の蝶

道の辺に南無阿弥陀仏木の葉散る

(深野ー大原)

深野に地元の温泉冬紅葉

集いける地元の温泉木の葉散る

大原やや大根干しぬ家古りぬ

冬紅葉水面に写し川の奥

(飯館村)

離れじや落葉に埋もれ四人石

冬日没る遠山の影刻むかな

満天に漏らさず輝く冬銀河

心澄みきらめき増ゆる冬銀河

冬銀河千、万の星秘めにけり

(真野川)

大岩のここに隠され冬の星

闇深く隠さる岩や冬の星


大原に住みにし人の家なほもありしも住まず冬の日暮れぬ

大原に眠れる人の墓あわれここに生きしと冬のくれかな

橲原の奥にし家や隠されて我が知らじかな冬の日暮れぬ


ぬばたまの世のけゆくや大倉に冬の灯二三誰が住めるかも

(大原)

病院に大原語るその人の思いはここに短き日暮る

大原や子は街に出て家継がず残れる家や冬の日暮れぬ

(飯館)

村人の豊作願ふ井戸のあれ帰らぬ人やまた年暮れぬ

庭荒れて空家となりて久しかな帰らぬ人や冬の日暮れぬ

(我が家)

姉と母待ちにしあれや亡きにしをありしと思ふ冬の夜かな

我が家に帰り来たるも一人かななぐさむ人なく冬の夜ふけぬ

我が家に家族のなしも我が家やよすがとすべし冬の夜ふけぬ

(相馬市)

五本松二本欠けしもなおありや冬田の暮れて道の駅かな




天気がいいので深野(ふこうの)から橲原渓谷を行き飯館村までトンネルを通って大倉を通り帰ってきた、橲原渓谷は通行止めが解除されていた

深野のユッサはこの辺では唯一の温泉となるけどそれが本物なのかどうかわからない
一応温泉にはなっている、でも八〇〇円は高いが温泉ならこの辺ではないのだから価値があり高いともならない
ただあそこの問題は庭は貧弱すぎるのである、それはただ石を並べただけでありがっかりする、あまりにも貧弱なのである

普通のありふれた庭より貧弱なのである、個人の庭より人が集まる場所の庭が貧弱なのはがっかりする、まず個人の庭でも目を見張るものがいくらでもある
最近は船主の人が豪華な庭を作っている、それは軽く一千万以上の庭かもしれない
石だけで相当な値段である、なぜなら見ただけでほれぼれするような巨石だからである
私は石が好きだからしげしげと他人の庭の石を見ている
それで何か写真をとってとがめられたことがある
それに比べたらユッサの庭はあまりにも貧弱である

私は今旅行すらならいい庭がある旅館とかホテルに泊まりたい、そういう宿には泊まったことがないからだ、日本の文化は庭にある、だから京都は庭を見て歩くことになるからだなぜいい庭を作らないのか?予算の関係なのか?
今の時代はハードは整備された、それでこれからの経済は感性の時代だといういう人がいる、それはハードは建物であるがそれにほどこす装飾などがソフトになる
それから実は人もソフトなのである、もてなしとかソフトだからである
そういう時代の変化がある、だから人が集まる場所であの庭はあまりにも貧弱である
私がしたいことは庭作りだった、でも私の家の庭は狭すぎてできなかった

温泉という時長野県のアルプスに近い所の岩風呂の露天風呂は貫禄があった
大きな岩でありその岩から何か本当に英気となるものがにじみでていた感じになる
残念ながら浜通りにはあのような貫禄のある温泉はない
何か岩に癒されるとかなる、そういうことは本当にあると思う

深野から大原に行き大原では私立病院で一緒だったS家の家を見た
そこには息子は住まない、街の方に家をもって住んでいるからである
一か月いて大原の話をその人はした、暇だだからその話を聞いて興味をもったのである
でもそのあとすぐ死んでしまったのである
それで今でも大原を通るとその人のことを思い出すのである

橲原渓谷の奥の方に冬紅葉が美しかった、それが水面に映っていた
そこから飯館に向かった、トンネルを歩いた、あそこは幅が狭く歩く他ない
二キロくらいあるらしいがもっと長く感じた
飯館は坂がきつくて簡単に行けない、今回もひさしぶりである

トンネルを出たら日が暮れかかっていた、かなたの山に安達太良なのか冬の日が輝き没するところだった、までい館で働いていた人は地元の人ではなかった
年配の女性の人だったが地元の人ではない、それも変だと思った
飯館村はまず一五パーセントと帰ったとか言っているけど通りは誰も住んでいない
草野ですらそうなのだからもう村が崩壊したという感じになる

途中で石が四つくらい落葉に埋もれていたので四人石と名付けたがそもそも人が住んでいなければそういう石すら活きてこない、人が住んでいて自然も活きるということがある
人が住んでいなければただの石であり名前もないとなるからだ
小高と比べると飯館村は帰った人が本当に少ない、浪江でもそうである
小高は街でも帰っている人が増え店も増えているとかある
飯館村はもともと広いからもう崩壊したという感じになる
作見の井戸でももう人が住まないと生業が消失すると死んだものとなる
なぜなら人がいないければ農業もしていなければ誰も豊作を祈るということもなくなるからだ、その井戸を見て豊作を占なったということもなくなるからだ

大倉も真っ暗だった、二三灯が見えたから誰かが住んでいるが真っ暗である
それで万葉集のぬばたまという表現がふさわしいとなった
万葉集時代にどんな明かりがあったのかとなるからだ、行燈すらない時代だからである
それでぬばたまという表現が生まれたのである、漆黒の闇である

それから我が家を目指して帰った、満天の星がきれいだった、冬の空は澄んでいるから気持ちいいとなる、夜に行くのも景色が変わるから昼に見えないものが見えるのでいい
飯館は日帰りできる、ただ坂がきついのでなかなか行けない、風が吹くと自転車では行けない、今日は風も吹かないし晴天だったから行って見た
トンネルはできても自転車では何の役にもたたなかった
横の道が狭すぎるのである

いづれにしろ家に帰っても誰もいない、それでも何か家族が待っているような気がするのは不思議である、結局それだけ一緒に長くいたせいなのである
六〇年とか子供の時から一緒にいれば人間はその存在が簡単に消えるものではなかったのである

相馬市の道の駅の五本松の二本は枯れて消えたがやはり五本松として地名が残りまだそこには二本の松があるように見えるのと同じである
そこに長くあったものは簡単には消えないのである
ただまだ三本がまだあるから五本松をイメージできる
しかし津波のように根こそぎなくなるともう何もなくなってしまうという恐怖なのであるもう誰も右田の松原を思い出せなくなる、そこには何の面影も残っていないからだ
一本松もないし何も残らないからだ、土盛った高台とか風力発電の風車とかソーラーパネルになったとき思い出しようがなくなっているからだ
そこに津波の恐ろしさがあった、根こそぎあったものが消失させられたからだ



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ユッサのこの庭が貧弱すぎる、枯山水だとしたらもっときれいな砂があったり白い小粒の石でもしきつめるとかあるからだ
狭いこともあるが狭くてももっといい庭が普通の家であるからだ

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樅の木(fir tree)ーabstract paintaing


樅の木(fir tree)ーabstract paintaing


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shadow of forest

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drizzling rain [a shower] (in late autumn and early winter).

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2018年12月01日

みちのくの北風と荒野(詩) (みちのくの場の働きは何なのか?)


みちのくの北風と荒野(詩)

(みちのくの場の働きは何なのか?)


ごうごうと北風がまた唸り吹く
木の葉が舞い散る
それは荒野の声だ
みちのくに北風がまた唸り吹く
ごうごうと唸り吹く
その時森の樹々は強く結び合う
巌はさらに威厳まして主となり
みちのくは遠く閉ざされる
みちのくにはなお荒野がある
ごうごう北風がまた唸る
乱雑と騒擾の世に疲れし者よ
都塵を離れて荒野の声を聞け!
聖なる者がここに住む
荒野にこそ神が棲むものなれば・・・・

急にごうごうと朝から北風が唸り吹いた、それはいつも聞いているものだが年年に違って聞こえるのも不思議である
何か見るにしても同じものを見ていても違って見える
年齢によって心境が変わるからだともなる
私の場合は家族がみんな死んで無常をひしひしと感じたこともあり北風は一段とすさまじいものに聞こえた

風土という時、風と土なのである
風の感じ方はその土地土地によって違う、これはなかなか旅してもわからないのだ
まず現代の旅だと車とか電車でも風は感じないからである
風がどういうふうに吹いてくるのか感じることがむずかしいのだ
ここでは海から吹いてくる東風と山から吹いてくる西風と北風に分かれる、でも会津のような山に囲まれたところではどういう風が吹くのかわからないのである

例えばみちのくというとき一つの大きな地域であり今でもそうである、ここには荒野がまだある、みちのくとは日本では辺境であったから荒野がある
ただ仙台辺りになると繁華になるから荒野を感じなくなる
荒野とか自然がないところに宗教もなかった
だから東京とには宗教はありえない、カルト宗教とかなるとそれは宗教ではない、労働組合と経済活動団体である、宗教の神秘性とか聖なるものとか皆無である
どろどろとした人間の欲望がそこに噴き出している

宗教がどうして生まれたのか?
釈迦は洞窟にこもり一神教は砂漠で生まれたことを見ればかる
荒野から生まれたのである、モーゼはシナイ山に上り神の啓示を聞いた、山伏とかの山岳宗教だってそうである
何かいかがわしいように見えても自然の中で六根清浄を求めたのである
今の宗教には全くそういうものがない、ただ組合活動であり経済活動であり世俗の欲を増大させている場だから変なのである

みちのくはまだ荒野があり何か日本でも異質な場になっていた
つまり権力闘争とあまり関係しなかった
だからみちのくは常に敗者が逃れて敗者の場所にもなっていた
強力な権力を持ちえなかったのである
だがみちのくという場は荒野がありそこで西では確かに繁栄したが堕落した
宗教の場も金儲けの場になった、観光の場とか堕落した場なのである

日本をみるとやはりみちのくと北海道は異質だと思う
沖縄も外国になるがみちのくと北海道は感覚的に何か自然でも違っている
北海道は空気まで違うと感じる、原自然がある場なのである
だからみちのくと北海道は原生の心を養成する場なのである
ただ経済的には苦しいということがありそこが問題であり原発事故が起きた

それは間違っていた、みちのくという場はそうした場ではない
原発などは誘致すべきではなかった、本来の場は自然の中で荒野の中で野生の声を神の声を聞く場所だったのである
もちろんあまりにも戦前のように貧乏だと精神も醸成されない
ほどほどのところで質素に荒野の声を聞く場所としてあるべきだったのである

結局なぜこれほど人は働かねばならないのか?
それは余分なもの余計なものを作りすぎているのである
そのために人手不足となる、別に食堂とかで働く人がいないとしたら食堂でもあればいいがそんなになくても間に合うということもある
余計なものがありすぎるとそれだけ労働力が必要になる
オリンピックなどでも本来はするべきではない
なぜならそのためにまた人手が必要であり人手不足になるからだ
なんでも経済成長が果たしていいのかどうか?
それも見直される時が来たのである
それは多数の声とはならないからどうにもならないとはなる

風で電車が遅れる季節に


風で電車が遅れる季節に

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電車が風で遅れるようになった、それでとまどう人がいる
すると若い女性は遅れたと言ってどうこうとか教えていたら
私は知っているからいいわとか待っている人の前で言う
前にもそういう人はいた、地元の人はなれているから知っている
またスマホでも見て遅れが連絡されているのもわかる人がいる
でもみんなそうではない

駅に来た若い女性でもわからない人がいた
それは何か電車がどうなっているのか見にきたのかもしれない
それで説明したらわかったとなる
地元の人でもわからない人はいるし説明するとわかる人もいる

だから自分は知っているからというのは勝手なのである
その人は他の人を考えないのである
こういうふうにコミ二ケーションできない人はいる
何か話しかけても答えない人はいる
今はそういう人が多くなっているのかもしれない

若い人で遠くから来た人でも話せる人は話せる
その人は仕事できたけど津波のことを知りたかった
海は近いですかと聞いてきたからすぐ近くの高架橋に上れば見えると教えた
海は松原がなくなくり直接見えるようになったからである
その人は長崎の人だった、若いけどはきはきして受け答えが良かった

人にもいろいろだからこれはどうにもならない、別に聞かれなければ答える必要がない
でも遅れてみんなとまどうことがありそれを聞いた時、知っているからいいわとかいうのは身勝手なのである、他の人のことを考えていないのである
そこでまた私自身がここで何をしているのかということを認められていないからだともなる

つまり自分はJRからも客から認められないということがある、ボランティアには何かそういうことがある、ただ組織的にnpoとかの一員とかでやれば違っている
そういう人は報酬をちょんともらっているからだ
ただそうなると定期的に仕事をしないとだめになるからできない

いづれにしろこれからは風で必ず遅れる季節である
これがこれからの鉄道利用と駅の一番の問題なのである
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タグ:電車の遅れ

2018年11月30日

「愛と欲望のハレムオスマン帝国外伝」は世界史の大河ドラマ (なぜイスラムが衰退したのか、その原因の追究)

  
  「愛と欲望のハレムオスマン帝国外伝」は世界史の大河ドラマ
  
  (なぜイスラムが衰退したのか、その原因の追究) 

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歴史は地歴であり地の利である、これは神が定めたものであり運命である
その地理から離れて歴史もありえない、でも地理を知ることは容易ではない
一番いいのはやはり自ら踏査(とうさ)することである
つまりいくら本を読んでも地図を見ても世界はわからないのである
百聞一見にしかずとなってしまうのが世界なのである
世界となると知りえる範囲はどうしても限られるそこで何か的を得ないものになる

「愛と欲望のハレムオスマン帝国外伝」というシリーズのドラマを見ている
これは世界を舞台にした歴史ドラマなので興味をもった
なかなか世界史となると理解しにくいがNHKのような大河ドラマにすると興味がもてる
何かハレムは江戸時代の大奥とにている、そこでの女の戦いは時代劇とにている
あのようなハレムがあること時代イスラムが西洋にヨ−ロッパに遅れをとった原因だと見た、つまりキリスト教の西洋文明とは違った統治でありそれで改革できなかった
その足枷になったのがイスラム教だったのである
イスラムの衰退の原因は何だったのか?
その主要な原因が政教分離できなかったことなのである
政治と経済と宗教が不可分に一体化していたからこそできなかったのである

イスラムがヨ−ロッパより先進国だった、知識でも科学でも技術力でもイスラムが上だった、例えば十字軍はイスラムの富を略奪する強盗団ににていたというときそうである
イスラムの方に富があったからそうなった
面白いのはコーヒーがエチオピアで生まれそれがイスラムにもたらされてヨ−ロッパに入った、その時砂糖も中東経由イスラム商人によってもたらされたのである
アジアの物産はイスラム商人経由でヨ−ロッパにもたらされたのである

その貿易のルートが大航海時代になりヨ−ロッパが地中海がイスラムの海となった時
バスコダガマが喜望峰回りでアフリカからアジアへ航路を開いた
それが一大快挙でありアジアの貿易路ができてアジアの富が植民地を通じてもたらされた紅茶でもそうである、その習慣が生まれたのはアジアから紅茶がもたらされたからである今でもスリランカなどでは紅茶の産地で有名である
そして砂糖もアジアから直接ヨ−ロッパからもたらされるようになった結果イスラム中東経由の貿易は縮小したのである
それは陸の道としてのシルクロードが海の道に代わって廃れたとにている
どこが富む国に地域になるかはそうして交通の発達と交通の要所になることで決まる

小さな地域でも意外と戦争が終わった時はやる店はやはり狭い地域でも場所がいいところだったのである、何か私の家は小さな店をはじめた、家が角であり場所がいいということではやったのだとも言っていた、それで角屋とかの屋号がある
商売は場所がいいと人の集まりやすい場所だと繁盛する
それは前は駅が街の中心でありそこに人が集まっていたから駅前通りが生まれた
車社会になると六号線沿いや道の駅に店ができるようになった
常磐高速ができたらSAに人が集中するようになった
このように交通によって繁栄する場が変わるのである

なぜヨ−ロッパが栄えたのか?そしてイスラムが衰退したのか?
それはなぜイスラムは自爆テロとかイスラム国とか何かそれはやけくそになっている
何かヨ−ロッパよりオスマン帝国が優れていたのに今は衰退している
その不満があのような異常なやけくその自爆テロとかの反抗になっているのである
軍事力だけでは世界史では国は優位にたてない、総合的なものとして国家の形成があり
軍事力はその一部なのである
イスラムはなぜ衰退してヨ−ロッパが興隆したのかというのは世界史の大きな課題になる

●宗教の問題
●政治形態の問題
●交通路の問題

他にもあるにしろ主要なものとしてあった、では逆にヨ−ロッパはなぜ繁栄したのか?

●宗教
●政治形態(ガバナンス)→政教分離
●交通路の開拓(大航海時代)
●科学技術の進歩 
●産業革命

このうよに総合的なものとして文明があり盛衰がある、ヨ−ロッパはこれらが一体として世界をリードするものとなった、イスラム圏はオスマン帝国のようにヨ−ロッパを劣ったものとして見ていたのである
その頃ルターの宗教改革もヨ−ロッパにあり宗教的政治的改革があった
イスラム世界にはそうした改革は成されなかった、イスラム教の縛りの中でできなかった宗教が大きく影響をしていたからそこで改革ができなかったからだともなる

このことを日本に当てはめるとなぜ明治維新が成功したのか?
これも世界史の謎になる、江戸時代から西欧文明の挑戦を受けて応戦して改革できたのか江戸時代というとき相当に世界から遅れた世界だとみているからである
日本が中国などより先んじて西欧化したというのも世界史の不思議なのである

面白いのは日産のゴーン逮捕で騒いでいるけどベトナムのフランスの恨みだということをyoutubeで言っている人がいた、そういうことがあったのかともなる
ベトナムはフランスの植民地になった、でも日本軍に追い出されてベトナムは独立したとなる、その恨みがあるというとき歴史の継続を感じたのである
イギリスが日本軍によってシンガポールやマレイ半島から追い出された
それで捕虜されたりして今でも恨みになっている、オランダでもそうである
これも一つの歴史の転換でありその時世界史的に日本が世界の全面に出て来たためだとなる

ともかく世界史の興亡はくりかえされている、ではなぜある国が興隆してある国が衰退してゆくのかそこに共通の原因があるのか?
それは日本が高度成長を経験して衰退してゆくのか?またこれから興隆してゆくのかの問題にもなるからだ
ただこれには一つの解答はない、ただなぜヨ−ロッパが興隆したのか?
それが政教分離とかにあった、なぜ日本が戦争に負けたのか?
日本を神国とした政教一致政策にもあったとなる
もちろんナチスが生まれたのはなぜかとなるとこれは共通した現代文明から生まれたものだから宗教とはまた別問題である

とにかく文明という時、civilizationなのである、このcivilは市民なのである
市民の文明というのが文明の起源だとなる
でも市民とは何かとなるとそれはヨ−ロッパで生まれた概念であり歴史的に生まれたのである、市民は国民とも違う、国民の概念は近代に生まれた概念でありヨ−ロッパでも存在しなかった、ただ市民というのは歴史的にヨ−ロッパから生まれのである

(軍人・官吏に対して)一般市民の; (聖職者に対して)俗(人)の. 
civil life 民間人[一般市民]の生活
(軍用でなく)民間用の,民間人の. 

市民とは権力に対抗するものとして生まれた、聖職者に対抗するというときカトリックなどは宗教による政治支配体制だからである
だから創価や神道でも宗教が政教一致になるのはイスラムでもそうだったようにその国全体に影響して様々な自由な活動を制限して国自体を衰退させるのである、そういう団体に所属する会員は市民ではないのである 
創価などは何かあると必ず罰があたるとか集団的に権力で恐れさすことでもわかる、それはカトリックがしていたことなのである
他でも宗教が政治にかかわり実際に権力をもてば市民の自由な活動でも委縮させて経済自体も衰退させるのである
イスラム世界には市民というのは形成されないしその概念もない、それが停滞した原因だともなる 

だからもしヨ−ロッパでもルターの宗教革命が起こらなかったら停滞していたともなる
プロテスタントが起こりその精神から資本主義が生まれとなる説はそうである
そして世界をリードしたのはプロテスタントでありそれはアメリカに受け継がれたからである
アメリカの開拓は聖書の精神からはじまりプロテスタントが開いたからである
一方でカトリックが普及した地域はフィリンピンとな南米とか停滞しているのである
それは気候と関係しているともなるがやはり宗教の影響がある

いづれにしろ世界史でもアプローチする方法はいろいろある、コーヒーの歴史からでも興味をもつ、世界史でも興味をもつ方法は無数の入口がある、ただ一つの入口ではないのである、私の場合はトルコに行ったことがありイスタンブールに一週間くらい滞在していたそれで興味をもった、地理でもドナウ川は見ていないがトルコから黒海をさかのぼり東ヨーロッパのキリスト教国に船団を組んで攻め上る、そのために細身の船を開発したりとかしている
ここでも川が重要な役割を果たしていたのである、とにかくトルコは今もシリアとかでもめていて要衝の地である
ヨ−ロッパと関係して中東と関係してロシアと関係してアジアとも関係する
なぜならそもそもトルコの民族は突厥だからアジアは出身だからである、それは今も変わらなかったのである
トルコで最近起きた事件でもそうである、サウジアラビアの記者が殺害されたとかシリアの争乱とかでもトルコが要の国になったことはそういう地理的背景があり変わらないからである


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2018年11月29日

老人は買いものでも選び買えない (買っても使いこなせないものが多くて失敗)


老人は買いものでも選び買えない

(買っても使いこなせないものが多くて失敗)

何か買い物がうまくいかなくなった、買ってもうまく使えないということもある
要するにわかったことは人間はいろいろなものがあっても使いこなせない
特に老人になるとそうなる、ビデオカメラ前にしていたからまたやろうとして買った
今は小型のカメラについているし大きなものは買わなくなっていたのである
技術が進歩しておいつけくなっなった
それで買い物に失敗することが多くなる

ただ通信販売で2000円のロングパンツはいいものだった、自分は何か着こなしが下手でありルーズでずぼらなのでなかなか着こなしができない
でもこのスポーツタイプのズボンはぴったりだった
体にあったものでありルーズでも着こなしできるのである
レビューを見ていいとあっても必ずしも合わないのもが結構あり失敗する

買い物はいかにして使いこなせるかということが問題なのである
料理するにしても材料を買っても使えないのである
買うことはできる、でも買うものを選びそれを使いこなすことができないのである
これはいくら金があってもどうにもならないことである
高いものを買ったとして使いこなせないとしたらそうなる

私が30万くらいで買ったヤマハの電動のロードがそうだった、YPJである
確かに最初は早くていいなと思ったが乗っているうち何か不安定なのである
それで転んで大けがする危険を経験した
ロードは安定しないのである、だから体にあっていないし老人には自分にはあっていないものだったのである、これはだから損だった、大きな買い物の失敗だった
このように高価なものでも自分に合わないものだと何の価値もなくなる
使いこなせないとしたらいくら高価なものでも価値がないのである

それで最近出てきたe-bikeはマウンテンバイク型であり最新式の電動自転車でありこれは安定しているからぶれないから合っていると見た
今までにないタイプのもので馬力がある、そもそもe-bikeは老人が力がなくても使えるものとして普及した、つまり老人に合ったものとして開発されたからそうなる
電動自転車でもロードは一見老人向きのようでもそうではなかったのである

老人は買い物がとにかくなんでもむずかしくなる、特に技術が進歩しているから買うこと自体何を買っていいかわからなくなる、買っても使いこなせなくなる
テレビすらパソコン化して操作するのがめんどうになる
リモコンのボタンを押すというだけではない機能が増えたからである

時計を買うのは実際は失敗したのではない、バンドが切れたのである
それも意外と早く一年二年で切れたのである、それは一万近くしていたから損だった
それで今度はバンドを金属製ので2000円で買った
でもこれも何かはずしたり元に直すのがうまくいかなかった
物は悪くないのだがめんとうなのでまた千円で別なものを買った
バンドは金属製ではないが千円だからいいとした
それから方位をさす腕時計型のものを買った

温度計もあるといいと思ったがいろいろついているとなかなかその機能を活かせない
方位計はいちいち手でとってみるとめんどうになる
腕時計でいつも見れるようになっているとわかりやすいのである
自転車でも方向を腕時計で見るとわかりやすいからである
瞬時に変化を見れるからである、意外と方向はわかりにくいのである
近くでも方向がわからなくなることがあるからだ
腕時計を左に右に方位計をしていれば自転車にのりながら方角がわかる、変化がわかる

何かいろいろ買っても使いこなせない、印刷機でも使いこなせないとかありかえってコンビニで十円で印刷した方が得だと思った
本当に使いこなせないということが今や問題である、それは老人になると特にそうなのである
だから下手に新しいものを買いないと思った、簡単なものならいいがあまりに多機能なのは使えこなせないのである
老人が金をもっていても使わないという時使いこなせないものが多いかということもある使いこなすということは老人にとって大きな問題なことがわかった

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これは方向を常時見れるから便利、1000円だから安い、他のはいろいろ機能がついていても使いにくいもののようだ
方向だけ見るにはこれが良かった、温度も知りたいとかあったがそうなると使いにくくなる
腕時計型になると単純ではなくなるからだ
これをアマゾンで選ぶのに苦労した、選び買うことが一苦労なのである
買う種類とか選ぶ物が今は多いからなんでもそうなるのである

2018年11月28日

アイディンティティ論 (クニは国家のことではないー(自然とのアイディンティティから言語化することから始まる)


アイディンティティ論

(クニは国家のことではないー(自然とのアイディンティティから言語化することから始まる)

アイディンティティを考える時まず国家とクニは違う、国家は権力体制でありクニは自然の中で自ずから成ったものでありそれはだから地理的制限があり無闇に拡大しない
ある地域からクニがはじまりそのクニの中で生活して先祖がありアイディンティティ化してゆく、だから先祖が犬だとか猿だとかなるのもアイディンティティになる
猿族犬族とかトーテム信仰がありそれで結束する

会津嶺《あいづね》の 国をさ遠《どお》み 逢はなはば 偲《しの》ひにせもと 紐結ばさね
     〜作者未詳(東歌) 『万葉集』 巻14-3426 相聞歌

この歌は会津は一つのクニであったが大和王権という国家ができたときクニから大きな国家権力がかかわったということである、その大和王権という国家は会津のようなクニとはまだアイディンティティ化されていないのである
だから強引な権力によって兵士にされたという気持ちがここにはある

アイディンティティ化するというとき意外と言葉が大きく関係している、そもそもエデンの園でのアダムの仕事は名付けることだったということでもわかる
様々な植物でも名前をつけることが仕事になる、それは詩人的仕事なのである
つまり名前をつけることはそれでもって言葉を通じて自然をアイディンティティ化していることになるからだ
名前が意外と大事であり名は体を現すとか名前を言うことはその名前を唱えて呪い殺されることもあるから名前は簡単に教えないということが古代にあった
そして名をなのることは一つのそのクニを支配することにも通じていた

泊瀬朝倉宮御宇天皇代 [大泊瀬稚武天皇]
天皇御製歌

籠もよ み籠持ち 堀串もよ み堀串持ち この岡に 菜摘ます子家聞かな 告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我れこそ居れしきなべて 我れこそ座せ 我れこそば 告らめ 家をも名をも

菜摘ます子家聞かな 告らさね・・・家を知り名前を知りたいとなる、まず家を知りたいというのは家が先にあったしそれは明治以降までつづいていたからである
ただ相手の名前を聞いているのとも違うが名前を簡単には言わなかった
雄略天皇は堂々と王たるもので名前を言えたとなる
名を汚すことはキリスト教でも御名を汚すことは許されない
つまり名前は常に汚される、人間は常に世の中にある限り汚され存在なのである
それは神が出現してもそうだった、神とは信じないからである

先に名を名乗る=言霊を奪われる=相手に服従する
という意味が込められている。 
自分の名を知られた途端に相手の支配下におかれる。

婚約の儀式にも受け継がれ、男性が女性の名前を尋ね、 
女性は「人生を捧げてもいい」と思った男性にだけ名を告げる。 

こういう人事的なことの前にそもそも人間はこの大自然に対してどうしてアイディンティティ化したのか?
言葉が神聖化されたり宣(のる)いいう時、祝詞(のりと)というとき何かが言葉を通じてのりうつる、言霊と化すという言葉に対する信仰のようなものが生まれる
では自然の万物が人間にのりうつる時それを現すのは言葉なのである
人間に言葉がなければ大自然の中の混沌の中に置かれる、それは安定しないのである
この大自然とアイディンティティ化するには言葉が必要だったのである
実際はすべて言葉では現せない、言葉の限界がある
それはアメリカのようなグランドキャニオンを見たような時である
そこは地球だと思えなかったからである、その時人間は言葉を失うとなる
言葉で表現しえないとなるからだ
それはホイットマンの詩に現れている、あまりにも広大な故に言葉で表現しきれないのである、
もうそうなると神のような力が必要にもなる

日本だとまだ国土が小さいからそこで言葉でアイディンティティ化しやすかったとはなる
だからアイディンティティというときまず国とか国家とかとのアイディンティティ化ではない、
自然とのアイディンティティ化が先にある
そもそも日本語がどうして生まれたのか?これも未だに不明である
どういう背景で生まれたのか?その起源を外国にたどってもにたようなものがあるとかで終わっている、
その系統が不明である、つまり日本語は孤立語なのである
それでも日本語もやはり日本の風土と関係して生まれている
外国語で表現できないものが日本語にあるときそれは日本の風土が背景に関係しているからだともなる、なにかしとやかにはしとしとと梅雨に雨がふる感じでありつつむとかは森につつまれとかありつつましいとかの言葉として派生する
英語のクリアーというのは良く使われるがそれは乾燥地帯の風土から生まれた言葉であるからっと晴れている晴れる日がつづくからである、だからクリアーとかファインとかフェアーとかの言葉は本当は日本語には訳せないしまた英語も日本語に訳せないのである
その意味が本質的に理解できないからである
そのために詩は翻訳できないとなるのだ

ギリシア人達は自らを「ヘレネス」と呼び,ギリシア語を話さない他民族を「バルバロイ」(Barbaroi:意味不明の言語を話す者)と呼びました。「ヘレネス」とは,ギリシア神話に登場するデウカリオンの子の“ヘレンの子孫”という意味で,ギリシア人は神の血統を受け継ぐ勇敢な民族としてアイデンティティーを形成していきました

いづれにしろこのように言葉が共通していることがその民族のアイディンティティになる言葉が通じないことが一番意思疎通を阻むからである
またアイディンティティは地理的一体感とかからも生まれている
これも重要なアイディンティティでの要素である
それで歴史的地理的アイディンティティがクニの基本としてある
それで廃藩置県はどうしても無理に人工的に作られた所があり地理的一体感とか感じない福島県でもなぜ福島なのかもわからない、そして福島県は広いから一体感がもてない
ハマ、ナカ、アイズと別れていて気候も違っている
冬になれば会津は雪がふりつづけるが浜通りは海に面して雪はめったに降らないのであるだからむしろ相馬地方は浜通りであり海に面した太平洋岸と地理的一体感をもつ
それが証明されたのが津波だったのである
三陸だけに津波が過去にあったのではなく太平洋岸は歴史的に津波がありその歴史を共有する地帯だったと知ったのである

いづれにしろアイディンティティ論というのは人間の存在を問う基本にある
だからアイディンティティには様々なものがあり一つにはならない
ここでは基本的に言葉があり地理がアイディンティティのファンダメンタルなものだとなる 

fundamentalとはfindmentalである、それが過去形になりfind→found→fundamentalになった

つまり発見されたmental(精神的なもの)なのである、実は過去形ではなく常にアイディンティティは現在形のfindである
常に見出されるものである、私自身が郷土と一体化するアイディンティティ化することをしてきた
それを詩にしたり芸術化にするのもそうである、ただ芸術だけではない、そもそも自然からはじまるのがクニだからそこでは農業でも現実の生活と自然とアイディンティティ化しているのである
それで畑で野菜を作る女性は良く冬には土が眠り栄養豊かになるというときそうである、冬(ふゆ)は増えるでありふゆになったからである、それは農耕社会とアイディンティティ化して生まれた言葉なのである
春は張るであり万物が張る状態になるからそうなる、田んぼに水を張るということでも田植えがはじまることでも春なのである 
言葉のはじまりには農業的なものがまたは狩猟とか牧畜的なものがある、それは言葉でも生活から離れてありえないからである


冬の菊と老木と樅の木


冬の菊と老木と樅の木

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百歳に母は死ににき冬の菊

老木のここに朽ちなむ冬の菊

樅の木に孟宗竹や冬に入る


一本の樅の木ここに立ちにけり知らざりしかも冬に入るかな 

ふるさとの道に一枚散る木の葉しばしたたずみしみじみと見ゆ

よみとれぬ墓の文字かな誰が眠る短き日のはやも暮れなむ


母は冬の菊だった、目立たない女性だった、それでも最後までりんとしたところがあったただ処世術がない女性だった、何か世の中のことをわからない人がいるのだ
それは自分もそうだった、世の中にうとい人がいるのである

この老木は何か天然記念物のよにうも見える、この木は生きているのか?
まさに百歳の人間と同じである、これから百歳の人も増えてくる
今回発見した樅の木はいい木だった、樅の木は結構ある
でも意外と発見しにくい、ここにこんな木があったのかというのも発見しにくい
でもそういんう木があって故郷を支えていたとかなる

冬の菊でもここに朽ちるというときついの住処としてここで死ぬということにもなる
人間も生物だから最後はそういう気持ちになる
だから避難区域に帰ったのは老人なのである、つまりそういう気持ちになるのが生物として自然だからである


2018年11月27日

駅のインターホンは水戸にしか通じない (原町駅に通じなくなっていいのか?)


駅のインターホンは水戸にしか通じない

(原町駅に通じなくなっていいのか?)

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これは前から張ってったが気づかなかった
ただ時間がででいない、三回は原町に行くとして早朝があり実際は二回しかない
あとは一日二回くらいのバスが出ている、その時間をのせる必要もある
これから風で遅れたときなど知る必要があるからだ
タクシーだと高くなるからだ

これが私の作った鹿島駅の案内である―バスの利用を示していた
でも駅内にはっていたが駅長に置くなと言われてとられたのである

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この時刻表は小高浪江行きでも出ているので便利である
ただどこで出しているのかわからなかった



インターホンに出たのは原町駅の人ではなかった
水戸管理局の人だった、水戸管理局の人は来るけど原町が直接管理しているから
水戸ではいろいろなことで連絡取れるのか疑問になった

そもそも原町駅が隣の駅なのだから連絡するのには便利である
それをわざわざ水戸にしたのか?管理局になっていてもなぜなのか?
新地まで水戸管理局になっている、後は仙台である
仙台は近いから水戸にていること自体不便である

人手をはぶくために水戸管理局に通じるようにしたのか?
理由はわからないが原町駅でないとなかなか案内しにくいだろう
原町からバスが出ているしこの辺では交通の要だからである

ともかく何か自分が駅長とか駅の関係者に嫌われている
何か余計なことをしているとみられる
でもなぜそうなったのか?
それが無人駅になったからである、無人だから勝手に人が入ってきてもしょうがないのである、別に悪いことするのでもない協力している
それなのに一顧だにない、むしろここで何しているのだ、余計なことをするなと敬遠されているのである

ただ去年から飯館へ福島市に行くバスは出ていた、ここに張り紙してあった
でも自分は気づかなかった、なぜ張ってったのを気づいたかというとプログに書いてあるから日付を見てわかった、人間は記録していると後でそのことを思い出すのである

その前に私は飯館から福島に行くバスの案内とか原町のバスの案内を作って駅内に張っていた、それを断れたのである、その理由はルールがあり勝手に駅内を許可なしでは使ってならないということでそうなった
これもおかしいのだが責任とれないからだとか言っていた
何か外部の者を排斥する傾向がある、でも駅はJRだけのものではない
市町村でも外部から乗る人もありみんなのものなのである
だから便利にしようとしているのにいちゃもんつけてボランティアはうざいとか嫌がらせのようなことをするのはおかしいのである

ただ今度は原町駅を管理するのは水戸管理局でありそこに連絡するとなるとどうなるのか原町駅の人の文句を言うとどうなるのか?
水戸管理局は命令する立場にあるからどうなるのか?
ただ原町駅で直接管理しているのだから水戸では何かわからなくなることがある
それが納得いかないのである

2018年11月26日

隠されたトラウマ〜精神障害兵士8000人の記録〜 (死ぬ直前まで消えなかった戦争のトラウマー従軍看護婦だった姉も同じ)


隠されたトラウマ〜精神障害兵士8000人の記録〜

(死ぬ直前まで消えなかった戦争のトラウマー従軍看護婦だった姉も同じ)


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小林カツ(85歳死亡)

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このうち何人かは若くして死んでいる
会津の人とか従軍看護婦との交流があった
この時福島県の従軍看護婦が集められた
福島県の赤十字の支部である
ここでは十人がいた
昭和17年だった

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この会報が長く続けられていた、ここがジョホールバルの病院である
やしの木があるから南国である
ここに戦友の従軍看護婦がいて島根の女性からもらったバッグを認知症になってからも肌身離さず大事にしていた
これも認知症ではある、やはり人間は最後は記憶が大事になる
認知症でもそうした大事な記憶は忘れないのである
特に青春時代に異常な苦労をしたからこれは終生死ぬ直前まで忘れなかったのである
島根の戦友はまだ生きているかもしれない、93歳とかになるだろう
姉は85歳まで生きた



NHKのこの放送は生々しかった、なぜなら私の姉はシンガポールで向かい側のマレー半島のジョホールバルで四年間従軍看護婦として働いた
そこはイギリスの赤十字病院だった、青春時代の四年間は長い
そこでいろいろな体験をしたが過酷だった、姉自体は丈夫な気丈な人でも腸チフスになったとか苦しんだ、一番苦しんだのは戦争終わってからだった
ジャングルに逃げて食料もなくなったときだった
ジャングルは何か食べ物があったのだろう、ただそこで病気になりやすかった
マラリヤになりそれが基で精神病になったとか梅毒精神病になったとかある
隣の人が実は姉と戦地であったというのも奇遇だった
その人は戦後精神病になった、それは梅毒精神病であったのだろう
なぜなら奇声を出して徘徊したり異常を来していたからである、それは子供の頃でも覚えている
マラリヤから精神病になったというからそういう人はかなりの数にのぼっていたのである
すべてが記録されるわけではないからだ
それから何か精神病の人がいたがそれも戦地から帰ってなったとか聞いた
必ずしも病院に入った人だけではない、家族のもとに帰って人もいたのだ

この戦争のために精神病になったとか自殺したとかは相当数にのぼっている
なぜなら病棟でも姉は窓から飛び降りる人とか苦しみのために自殺しようとした人がいたとういことを聞いたからである
戦争は人間を極限状態においこむ、そこで何があったのか?
それはなかなかしりえようがない、ただ一時的に普通であってもその後も戦争の悪夢に悩まされていた、それで時々戦争の後遺症がトラウマとなって突然怒り出すると異常性が残っているとかあった、戦争のトラウマは実際は50年過ぎても死ぬまで消えなかったのである
姉は認知症になったけど最後はその戦争のことを千回語り死んだ
死ぬ直前まで戦争のこと語りうなされていたとなる
だからこのNHKの放送でもそれはそうだったなと納得した
それだけ過酷であり脳に戦争の悲惨さ残酷さが刻まれて心を病んでおかしくなっていたのである、ただ姉には別に陽気な人で日常的にはなにもない普通の人だったのである
何か異常性はなかったのである、何かそうして日常生活で異常性が残った人は少ないと思う、ただ時々でも常に戦争のトラウマが出る
それは死ぬ直前までそうなのだからいかに戦争が過酷で悲惨だったかわかる

ただNHKの放送ではシンガポールとかマレー半島には精神障害を出たという印がなかった
そこは意外と楽勝だった、シンガポールやマレー半島は簡単に日本軍の攻撃で陥落したからである、他は中国でも地元民でも攻撃されて四苦八苦して犠牲があった
それで姉の場合はまだましな地域にいたとなる
そして従軍看護婦だから人を直接は殺してはいない、看護だから人を殺すトラウマはなかった
でもいくら苦しいことでも50年過ぎるとかすれば死ぬ頃は忘れるのである
それが忘れられないということは青春時代だったこと多感な時期だったことなどが重なったからである

戦争は勝にしろ負けるにしろあまりにも異常な状態でありその非人間的な行為は死ぬまでトラウマとして残る
日本の戦争は無理な強行だった、もう兵士になるものもいなくて40歳以上でも徴集されていたしその記録が相馬市から招集された記録が短歌として残したのをプログに書いた
そして戦争に精神薄弱者まで徴兵していたのである
それだけ兵士になる人がいなかったのである、例えば建築現場には精神薄弱者がまぎれこんでくる、高度成長時代人手不足でそうなっていた
今の時代も人手不足になるともう誰でもいいからかき集められれる
いかに日本の戦争が追い詰められていたかこれでもわかる
ただシンガポールとかマレー半島でイギリスに勝ったとういことは評価されている
歴史的快挙だったとされているからそれがどういう意味をもっているからまた別である
アメリカがベトナムでもイラクでもやはり同じように精神障害になりトラウマになった
戦争はどっちが勝つも負けるも過酷であり残酷であり正常感覚を奪う
まず人を殺したたらやはり何かそれがトラウマとなる 

姉の場合は比較的にまだ戦地としては楽勝でありそれで中国とか他よりは条件が良かったとしても死ぬ直前まで戦争のことが忘れられず認知症になっても千回話つづけて最後の一か月前も意識不明になる直前まで話していたのが戦争のことだったのである
だから今回のNHKの放送は納得するものがあった
そういう話をやはり子供に伝えられている、まだ戦争の現実はその子供辺りまでは伝えられる、でも孫とかその後になるとなかなか伝えられなくなる
だから資料として残すとか何か記録を残して語りつづけることが必要になる
ただ長生き時代で百歳の人まで出ていたからその人が語ることはまだ生々しいとなる



posted by 老鶯 at 11:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2018年11月25日

抽象画を作る種は尽きない (インタ−ネットの写真や絵から変化させるから)

抽象画を作る種は尽きない

(インタ−ネットの写真や絵から変化させるから)

The source of making abstract paintings does not run out

(We will change it from pictures and pictures on the Internet)

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the sun goes up in the forest

blackforest234.jpg

dark forest

mmmmcloud11122.jpg

earthlavagreen122.jpg
eruptive crater

absankaku111.jpg
glancing light


抽象画を作るのは才能ではない、私自身には絵の才能は全くない
ただその種になる変化する材料がインタ−ネット上に無限にあるから作り続けられる
それは才能ではない、インスピレーションでもない
ただ機械的にソフトで変化させるだけだからである
ただ変化させてそれが森の変化だとか川の変化だと山の変化になる
抽象画の特徴は何か具象画だとどうしても絵の才能がないと作れない
抽象画は絵の才能がなくても作れる、それは材料はインタ−ネットに無限にあるからそうなる
だからこういう芸術は今までになかったのである


It is not a talent to make an abstract picture, I myself have no talent for drawing
Just because it is infinitely on the Internet changing material to become that kind can continue to make
It's not a talent, it's not an inspiration
It's just to mechanically change it with software -
Just change it and it is a change in the forest or change in the river turns into a mountain change
Abstract painting can not be made without painting talent by any means if it is a concrete picture
Abstract painting can be made without the talent of painting, it is because it is infinite in the Internet
That's why such arts have never existed before.




タグ:abstract forest

2018年11月24日

ゴーンも東電の清水社長コストカッター (総合的に判断できる社長など今はいないーグロ−バル化の否定へ)


ゴーンも東電の清水社長コストカッター

(総合的に判断できる社長など今はいないーグロ−バル化の否定へ)


連続して浮上してきた数々の事件・事故・トラブルの背後にある原因のほとんどが、こうしたコストダウン・コストカットに集約される。加えて「嘘をつく」「誤魔化す」「隠す」「手を抜く」「騙す」「脅す」「法律違反をする」など、倫理観すらコストダウンに飲み込まれている。

ニュースサイトで読む: https://biz-journal.jp/2016/02/post_13625_2.html
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どうして危険だと分かっていた1号機の廃炉をしなかったか。上の記述で明らか。10円を惜しんで、1億円を失ったのです。

社内の土木調査グループから、国の研究機関である地震調査研究推進本部の長期評価を用いて試算したところ、福島第一原発が15.7mの津波に襲われる可能性があるという報告がなされた。

しかし、吉田氏を含む東京電力の経営陣は、そうした津波の発生確率は1万年から10万年に1回程度で、防潮堤建設にも数百億円の費用がかかることを主な理由に、対策を打たなかった。

またGEは竜巻の経験はあるが、津波のことはまったく念頭になく、電源盤や非常用ディーゼル発電機などを、補修がやりやすいよう、建屋の地下にまとめて設置しており、これが3・11の大惨事を招いた。

東電から、福島第一原発を8.6〜8.9mの津波が襲う可能性があるという試算結果を説明され、その場合、ポンプの電動機が水没して冷却機能が失われることを認識していたが、「聞き置いた」だけだった。


日産の会長、カルロス、ゴーンの逮捕で気になったのがコストカッターだということであった、二万人の社員を首にした
それを恨みに思っている日産社員が語っている
そしてゴーン自身が会社の金を私的に流用して50億円を裏金として利用していた
社員を非情にコストカットのために首にして自分自身は裏金で日本に税金も払わず
私用に使っていた、ベルサイユ宮殿でまた結婚式までしていた
これでは腸(はらわた)がにえくりかえるともなる

経営はわからないにしても東電の事故でも清水社長はコストカッターでのし上がったと常に言われてきたのである
東電自体でもコストカットの圧力があり会社全体で取り組んでいた、社員も整理していたそもそも経営では常にコストカットが要求される、営業ではノルマを果たすことが要求される、それが強硬なものとなり社員に圧力がかかりプレッシャーとなり何が何でもノルマを果たすために客をだますということにもなる
私企業ならもうけを出すことが最優先なのだからそれはどこの会社でもある

ただ東電に関してはそのコストカットが重大事故の原因になったから問われた

原発事故の原因はいろいろあるが

●アメリカの押しつけ

●日本の技術の未熟性

●日本の風土の無視

●無理なコストカットの強制

●コストカットで安全の無視

これが主要なものとしてあった、原発はもともと原子力潜水艦から生まれ技術であり原子力技術者は陸で行うことは危険だから反対していた
つまり科学者でも技術者でも原発には反対する人がいたのである
ただそこにアメリカの圧力とか日本の政治の圧力があり無理やり作られたのである
最初に湯川秀樹はアメリカの原発を導入しようとしたときまだ時期が早いからやるべきではないと言っていたのである

結果としてアメリカからの強力なおしつけで古い型のマーク1の原子炉を売りつけられたのである、それは危険だからやめるべきだという意見もあったが無視された
アメリカでは外国だから事故のことを真剣に考慮しないからだった

もう一つはアメリカでは竜巻があるからそれにならって地下に電源を置いた
そのことが最大の過ちとなったのである
日本にはそんな巨大な竜巻は来ない、でも地震と津波が来るのである
それでもともと津波とか警戒して高台に作る予定していてそうなるはずだった
そうすれば津波の被害はなかったのである

コストカットするために高台に作ろうとてして土盛りもしたがわざわざ低くしてそれで地下に電源を置いた結果津波で破壊された
コストカットと日本の地震とか津波を予測されていたのにしなかった
何かここに経営の失敗の共通性がある
経営はわからないにしろ総合的なものから判断する必要がある
それを統括する人は社長になるとただコストだけを見ていたら失敗する
ゴーン社長もコストだけを見ていてそれをカットしたことには成功した
でもそのために二万人が犠牲になっていたのである
そうして犠牲にさせていて自分自身は巨額の会社の金を私用に使っていたのである
コストカットは誰でもできることだという意見もある

つまり経営は総合的判断だからコストカットということだけに目がむくと他がないがしろにされる、その総合的に判断することが社長の役目なのである
その総合的になるということが現代の複雑な社会では至難なのである
なぜなら吉田社長でもそうだけど私は資材部門の専門であり復水器については知らないと言っていたのである、復水器は原発の安全に欠かせない重要な装置だったが知らなかったのである
技術でもあらゆる技術を知り得る人はいない、そんな人がいたら神のような人だとなってしまうだろう
それで大病院で癌の見落としがあったことが問題になっている

主治医は、報告書が届く前に画像だけを見て診断し、患者に説明することも少なくありません。その際、主治医は自分の専門分野、例えば肺なら肺、腎臓なら腎臓の臓器だけに注目し、周辺に映っているほかの臓器に注意を払わない傾向があるといいます。ほかの臓器に異変があるかもしれない、そうした可能性を考えることなく判断を下す

「相次ぐ『がん見落とし』 背景に何が」(時論公論)
                                               
これも同じように体全体を診れる医者がいないのである、いくら技術が発達しても優秀な医者でも体の一部分しかしらない
全体の体を診れないのである、だからそこに落とし穴があるのは原発でも同じだった
原発全体を見渡せる知りえる人はいないのである、するとどうなるのか?
もう事故になったら何もできない、壊滅的なカタストロフィー大崩壊が起きて成す術もなくなるのである
それが現代文明の宿命でありそれで文明が崩壊するというのも納得する
誰ももう全体を知ることはできない、それはAIになってもそうである、そして操作不可能になり大事故になっても成す術がなくなり文明が崩壊する、それが現実にここで起きたことなのである
原子力文明の崩壊だったのである  

ゴーン社長でもコストカットということだけに目を向ける、そこでは成功している、しかし二万人の首切りとか犠牲があった
それはコストカットには必ず無理があるから犠牲が生まれる
それにしてもブラジルからレバノンからフランスから日本と渡り歩く人にも驚く、その育った家庭もグローバルだったのである
でもこのグローバルなものが実は今や危険だということを知る
原発事故でわかったようにそれぞれの国には歴史があり風土があり地歴があって成り立っている
日本には日本の文化があり会社文化もある、社員を大事にするという文化がある、社長が飛ぶ抜けて給料を独り占めするようなことは日本ではない、欧米では普通にある、それは階級社会があったからである、そこに奴隷も存在したからである
それでフランスの人の発言で富裕層は仲間でありこうした悪も暴かれないが日本では暴かれたとして喜んでいる
欧米では支配階級と被支配階級が明確に二分されているのである、それは歴史的にもそうである
日本は平等社会なのである、侍がいたとしてもヨ−ロッパの貴族とは違っている、質素なのである
極端な格差がないのが日本社会でありそれが歴史であり文化なのである

だから会社でも日本では日本文化に基づいた会社形成をするべきだという人がいるのもわかる
社員の幸福のために会社があるのであり株主のためではないという思想である
いづれにしろグローバル経済はいたるところでほころび限界に来ているのである
それは国々の地歴を風土文化を無視しているからである
そこが最大の問題でありそこからさまざまな軋轢が生まれるのである
グロ−バル化というのは今や限界に来ていてもう全否定とはいかなくても否定する方向に世界で向かっているのである



posted by 老鶯 at 20:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

大根干し、冬籠り(小山田村の冬景色)


大根干し、冬籠り(小山田村の冬景色)

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大根干し蔵ある家や冬ごもり

小山田の墓地をたずねて冬紅葉

貧しきや土地に働く冬あざみ

溜池に落葉沈むや一部落

鴨数羽しばし安らぎ去りにけり

残菊や人影見えず細き径(みち)

日短き墓地をたずねて名も知れず

小山田の細道今日も我は行く残れる菊にワレモコウかな

この写真は絵になっていた、今なかなか農家でも農家らしくなくなっている、田舎でも田舎らしくなくなっている、この風景はいかにも日本の農村の風景である
それで矛盾しているのがこの道をまっすぐゆきと常磐高速の鹿島のSAになる
そこで昼食をとったが混んでいる、あれほど混む所はこの辺ではない
働いている人も今日は十人以上いた、ひっきりなしに人がきて並んでいる
数えてみれば何人来ているのか?百人とかは軽く越えているだろう
500人とかわからないが相当な数である
これだけ駅と高速道路の相違があることに愕然とするのである
客にしても百倍どころではない千倍の差があることになるからだ 

だから何かこうして鄙びた感じの小山田村を紹介するとき奇妙になるのだ
常磐高速道路にこうした鄙びた村を通りそうした場所に行くからだ
常磐高速から町の方へ来る人は少ない、あそこだけが鹿島では人が集まる場なのである

今では田舎的風景がどこにでもあるという訳ではない、この大根干している風景はいかにも田舎的である、そして冬籠りの季節になる
今になると冬籠りというのもなくなる、冬は土も眠り栄養を貯える時期である
そのことは畑で野菜を作る人がしきりに言っていた
冬には土が眠り栄養が蓄えられるという、冬は増える(ふゆ)なのである
そういう感覚は農業していた人から伝えられたのである
春は張るであり張り田というのもそうである、夏はなじむとかであり秋は商(あきなう)となると商業の感覚が入ってくる、収穫したもの売るということで秋となっるからだ
いづれにしろ季語はこうして実際の農民の生活感覚から生まれたのである
ただ風流とか詩人とかが作り出したのではないのである
つまり実際の生活感覚から離れて芸術もないのである

冬籠りまたよりそはん此の柱芭蕉 

子を負うて大根干し居る女かな 正岡子規

これなどはいい句である、またよりそはむというとき何か変わらぬものがありそうなる
今だと変わりやすいからそういう感覚もなくなる、この柱とは人間と見ればそこに頼りになる親しい同じ人間がいるともなる、そういう人がいつもいるわけではなく現代は人でも変わりすぎるのである

冬田の畔の道を自転車で行く人は知っている人に見えた
最近なにか遠いけど仕事が見つかったとか言っていたからだ
その家に行ったのかもしれない、何か田舎だとあの人はどこの人どこに行くのかとか見ているのである、わかるのである
それで嫌だとなる、写真とっていたら写真とっていたなとか言われたからである

あそこの溜池ははじめて見た、溜池は多い、広い溜池もある、それは人口の沼のようになっている、その回りは林でありなごむ場所だった
鴨も数羽いたがすぐに去って見えなくなった

今年の紅葉は遅いし何か季節的に合わない、一応冬になったたら冬紅葉となるが何かそういう感じではない
まだ秋の感じでもある、なんか季節的に合わない、ただ冬らしくはなってきている
大根干すと冬ごもりで二つの季語になるのはまずい、季語は俳句では一つだからである
都会だと季節感がない、冬ごもりというものもない、一年中活動している、活動も必要だが過剰なのである
冬はやはり休む時であり栄養を貯える時なのである、そういう季節感もない所では住みたくないとなる
暑い寒いの感覚はあってもまわりで季節を感じないからである

日は短くなった、人間は本当にはかない、死んでみればすぐに忘れられる、そして墓に埋められるが
その人をどれだけの人が記憶しているだろうか?
ほとんど忘れられてゆく、そして名前を読みとろうとしてもできないとかなる
あの墓地は慶応とかあったから江戸時代からあった、たいがい田舎の墓地は江戸時代からあった所にありその継続として墓地がある、古い墓があるのは原町であり新地にも古い碑があるのは伊達藩内は相馬藩内より古い碑が多い
それだけ相馬藩より歴史があり古いとなるからだ

2018年11月23日

死者はどこにいるのか? (母は厨に立ち続けていたー詩)


死者はどこにいるのか?

(母は厨に立ち続けていたー詩)

母は厨にいつも立っていた
60年の歳月がそこにあった
目立たずそこにあり料理を出してくれた
母は細身であり霜焼けに苦しんで
台所仕事をしていた
その時温水器がなかったからだ
私はただその時当たり前のことして
母に感謝もしなかった
その労もいとわなかった
母は家で酷使された
私はずっと楽をしてきた
母はこの家で耐えていた
悲しみ涙も流した
そうして母は百歳で死んだ
母はどこにいるのか?
母はなお厨にいる
もの言わず影のように
厨に依然としている
そうして今も家を支えている
他人は私のために何もしてくれない
要求するのは金だけである
何の関心もない
そして私は厨に一人立って食事の用意をする
そのことにより母がここに立っていた
その苦労を知りその意味と価値を知る
外には北風がうなりはじめた
寒い季節がやってくる
人は死してその意味を知る
その存在価値を知る
死してその存在価値が現れる        
そのように無視され目立たぬものが
大きな価値を帯びて現れる
不壊なるもののごとく現れる
死者はなお生きてこの世にある者を支える

死者はどこにいるのか?それも謎である、墓にはいない、死者はどこにいるかとなるとやはりその人が長くいた働いた場所だろう
なぜならそこに60年もいたとしら長いからである
私の場合は結婚していないから何か親を思うようになった
結婚していれば妻を亡くせばこのように思うだろう
それで悲しんでいる淋しいという人がいる

でも生きている時は母のことは意識しなかった、目立たない存在だった
性格でも内向きであり派手でないから目立たない存在だったのである
それが死んでから意識するようになったのも不思議である
それはなぜなのか?

それは介護はじめてから自分自身が厨に立つようになってからなのだ
自分自身が今度は食事を出したり自分の食事を用意しなければならない
そのことによってここに母がいて食事を60年間だしてくれたのだなと自覚したのであるだから母が死んでも母はここにいるのだなと自覚した

死者がどこにいるのか?それはその人が一番長くいたところではないか?
一番長く働いた所ではないか、なぜならとにかくそこにいた働いた時間が貴重だったとなるからである、人生の時間は限られている、いくら長生きしてもそうである
すると何に時間を費やしたかが人生になる
才能あるなしにしろ何に人生の時間を費やしたかが人生になってしまうのである  
それでぽっぽやという鉄道員、駅員が最後に死んで電車が棺となりあの世に送られる
鉄道と電車と人間が一体化していたのである
男の場合は仕事が命となるのである

母の場合はこの厨にその人生を費やしたのである
母はその時何かそれが報われないものとしてしていたかもしれない
それは女性の場合はみんな言える、家事に生きがいを見出せないとかなっている
それで戦後は外で働くことで生きがいを見出そうとするようになったのである
でもそもそも女性の生きがいとは男と違って本質的には子育てとか家を守るとか
家と切り離せずあったのである
つまり女性は家の中で存在感があり意味と価値をもつものだったのである
ただそれが女性自体でも価値がないものとしていた
では外で働いて価値あるものとなったかというとそうもならなかった

母刀自(あもとじ)も 玉にもがもや 戴きて みづらの中に 合へ巻かまくも
  〜津守宿祢小黒栖 『万葉集』 巻20-4377 防人歌

これは若い防人にしてもこれだけ体と一体化しているのが母だったのである
こういうことは父親にはない、父親はまた別な意味と価値がある

 真木柱(まけはしら)ほめて造れる殿のごと

  いませ母刀自(ははとじ)面(おめ)変りせず」

    巻20−4342 坂田部 首麻呂(おびとまろ) 駿河国防人   
 
   
真木柱というとき実は私の家では姉がいつも橲原の木材を使って建てたということを自慢していたのである、そして面変わりせずというのは死者のことにもなる
死んでも変わらず厨に母がいるとか感じる
つまり家というのは女性が主役であり女性の存在感を示す場所なのである
男性の存在感を示す場所は家ではなく外にある、仕事場にある
なにかそこを戦後はき違えたのである、女性はいくら外で働いても存在感をもちえなかった、なぜなら女性の役割は家にあったからである
だから嫁は女と家なのである

そもそも外で仕事をしてもそこをやめたとしたらそこに仕事していたということを記憶する人がいるだろうか?
別にレジで働いていても人が変わるだけでありその人がいたということで記憶している人がいるだろうか?
それはロボットのように見えるからである
だから女性で外で仕事して存在感をもつのは看護師とかはあってもまれである
ただいくばくかの賃金をもらうだけであり何かそこに存在感と意味と価値がもてないのである

とにかく人間は死んでからでないとわからないことがある
他人は全く皿洗ってもらうにもただ金ばかり要求されるだけである
金くれ金くれしかないのである、ただその女性でも息子のことは40とかすぎてもあれやこれやと気遣っているのである
だから家族と他人の相違はあまりにも大きいとなる
それは介護になりそういう非情を今でも続けて経験しているのである
他人がこれほど非情で冷酷なものか知らなかったのである
それは家族がいればそうなるのである、でも人間はそんな家族中心で他人は虫けらと同じだ、金しか関係ないとなるとそこは地獄だとも思った
家族がないものは地獄だとなる、身寄りのないものは地獄を生きることになる
それでいいのかとなるがそれが現実として経験したということである


posted by 老鶯 at 11:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 福祉医療-老人問題

2018年11月22日

山眠る(俳句は説明がないと鑑賞できない)


山眠る(俳句は説明がないと鑑賞できない)


晩菊や落ち着き死ぬ場のほしも

数日や部屋に散る入る木の葉かな

無人駅二三枚落つ木の葉かな

平和なれみちのく遠く山眠る

みちのくの山々眠る争わず

石一つここに動かず冬の星


俳句は何か短すぎるから鑑賞しにくい、写生だと本当は説明はしない
詩は説明しにくいのである、説明すると散文になる
でもこの俳句が何を意味しているのか?
その背景を読み込まないと鑑賞できない、でもそれがむずかしい場合がある
それで私の場合は説明している

短いからその後の説明が生まれる、木の葉が二三枚家の中に入っていた
風で入ってきたのだろう、それか数日ずっと家の中にあった
その時向かいの家で死んだ女性のことを思った
その女性のことは知っていたからである
でも一週間前顔出していたら死んだのである
何か知っている人に会いに歩いて行った
だから直ってまた会いに行ったのかと思った

死ぬ人は最後に別れを告げるために知っている人に親しい人に会いに来るというのは本当である
兄も交通事故になる前に私の家に来て笑って去って行った
その後は死んだのである

ともかく人間ははかない、この木の葉のように数日部屋に入っていまのとにている
はかなく散ってしばらく自分の家の中にあった、その木の葉を私は見ていたとなる
無人駅のことはシリーズとしてずっと書いている
二三枚木の葉がホームに散ったりしている
何か無人駅だから数人とか待っていて話したりする
それはこのように人はまれだからである
だからこそ話したりできるのである、数が多かったらとてもできないのである
そこに人が少ないから人間的な場が生まれていたのである
ただ商売にはならないとなる

みちのく的なものは何かとなるとそれは東京とか西のように混雑していないことである
みちのくと的なものとはそこは癒しと休息の場としていいのである
ただ正直この辺は津波や原発事故でそういうこともなくなった
それでいろいろありすぎて疲れたとなり山眠る、静かに冬は眠りたいとなる
津波原発事故でみちのくも平和がなくなったのである

人間はとにかく一つの問題が解決してもまた問題が生まれる、延々と問題が生まれる
もう解決は永遠にないのだ、なぜなら一つの問題が解決したらまた新たに問題が生まれるからである、そして絶望的になるのである
だから山眠る、もうそういうことに関係しないで冬は眠りたいとなるのである
そういう場としてこれまではみちのくはふさわしい場所だったのである

老人になると石のように動きたくなくなる、この俳句は前も作っていた
認知症の問題など今の世の中は変わりすぎることで対応できない
認知症だと何か物を置いても変わらない場所にあるといいのである
いつも同じ場所にありその物を動かさないことがいいのである
なぜならそれを動かすと忘れるからである、それで今ここにあったのがないということでパニックになるのである、いつも同じ場所に同じものがあると安心するのである
だから狭い部屋でそうしておけば財布をなくしてもすぐにその場所が特定できるからいいのである
それで認知症というのは現代では治療しにくい、あらゆるものが変わりすぎるのである
また機械の操作も多い、なぜならテレビをつけるリモコンすら操作できなかったからである  

認知症になったら今の世の中は本当に困る、江戸時代のように単純な社会だったら良かったのである、その時代には時代の悪さもあるが良さもあったからである
江戸時代なら物もあまり持っていない、いつも見知っている人と暮らしているとか
それで症状も安定するのである
認知症にとって現代の環境は最悪なのである
例えば今みんなスマホを操作している、でもは認知症になったらテレビのリモコンも操作できなくなるからどうにもならなくなる
今はいいにしても認知症の人がこれだけ増えるのだからそういうとき困るのである

江戸時代のように情でもって人と人が対面的に情的に通じ合っている社会なら認知症の人にとっても楽なのである
それは認知症だけではない、現代が生む様々な問題も江戸時代のような環境の喪失がそうさせているのである
介護とかは機械で代替できない、それは対面的情的に接しないとできないからである
だからこれから情的なものが大きな役割を果たす時代になるかもしれない
なぜならそれは機械ではAIでも代替できないからである