2025年10月18日

ないがしろにされた東洋医学や民間医療 【老人には手術や薬の治療はは向いていない】

ないがしろにされた東洋医学や民間医療
【老人には手術や薬の治療はは向いていない】

なんか医者自身が治療に限界を感じているのか?
温泉療法を進めている、西洋医学が本流となった時これまでの東洋医学が無視された。手術とか薬に過度に頼ることになった
その弊害が顕著になって医者自身が東洋医学的なものや民間医療を見なすようになった。
それは手術は効果があっても後遺症があり後でで苦しむ。薬には副作用があるなどマイナスの面がありそれで医者自身が東洋医学的なものや民間医療を見直すようになった

特に老人には手術とか薬でも適していない、体力がなくなっているから負担になる。
癌でもこれは老化現象であり手術や薬で治せないとかある
死体を解剖すると必ず癌があるというときそれは老化の結果であり病気とも言えない、老化は防ぎようがない、自然な現象であり直すこともできない、人間は老化して死に至る。老化は治療できないとなる
人間は最後は老化でも死でも受け入れざるをえないのである。
つまり医者でも万能ではなく限界がある。

だから不思議なのは目標をもって生きがいを持って生きろとかいう精神論を言う。そんなら自分でも言える
要するに医者が万能ではない医学でもそうである。そこに限界がある
それで病は気からということが今でも活きている。医者自体がそう言っているからである。
温泉療法とかは昔からあった。湯治がそうでありそれは民間療法であり効果があった。それを医者が奨める自らも実践する。だから何か昔からあるもの伝えられたものを古い役立たないものとするのは問題である
何か明治維新以後そうしたもの古来からあるものを古いものとして否定して排除してきた歴史がある。それは医学の分野でもあったとなる
西洋医学一辺倒になったからである。

ただ西洋医学でも文明でもすべて否定はできない、要するに西洋的なものと東洋的なものとの融合を目指す、それが望まれている
それが医学の分野でもそうだとなる
確かなことは東洋的なものがないがしろにされて何が東洋的なものかわからなくなったことである
東洋医学など漢方は今もあるがわからなくなった

「漢方」と「漢方薬」の意味するものの違いです。「漢方」とは鍼灸や食養生も含めた医学を意味しており、「漢方薬」は、漢方医学の理論に基づいて処方される医薬品のことです。「漢方」と「漢方薬」が混同されて用いられてしまう場合もありますので、区別しておきましょう。

漢方の基本は、“人間の体も自然の一部”という考え方です。“病気ではなく病人をみる”、という考えで、体の一部分だけにスポットをあてるのではなく、体全体の状態のバランスを総合的に見直すといった特徴があります。また、体質や生活習慣などから見直し、整えていきます。

漢方の基本は、“人間の体も自然の一部”という考え方です

こういうとき温泉療法は自然治癒であり自然の力によって体を回復させる、何か怪我をした鹿が温泉につかり直したから鹿の湯になったとかある。これも自然治癒である
前に書いた気の療法を言ったのもそうである。自然には何らか治癒力がある。

気の療法も効果的 なぜ病院がいい場所ではないのか―何でも気の影響を人間は受ける

気功とかもありそれなりに効果がある、特に老人の医療には合っていると見る

2025年10月17日

マリアとマルタの意味するもの 【花に興味がない女性が結構多い―花より団子】


マリアとマルタの意味するもの
【花に興味がない女性が結構多い―花より団子】

姉のマルタは、イエス様を自分の「家」にお迎えしました。姉は一生懸命接待の準備をして忙しくしています。イエス様のお話どころではありません。人数分の皿を準備したり、おかずをそろえたり、飲み物は暖かいほうがいいか冷たいほうがいいか考えて、頭の中は献立と接待のことでいっぱいです。てんてこ舞いです。
一方、妹のマリアは、「主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。」とあります。マリアは、イエス様の足元に座って、一生懸命集中してお話に聞き入っています

人間社会はほとんどマルタではないか?女性でも花に興味がない人が多い
女性でも家事に追われ仕事に追われている人がほとんどである
意外とは花に興味がないなと見る
私の母は不幸な生い立ちで花なんか買うなと自分に言って庭に豆を植えていた
それは貧乏で育ち継母に育てられたから生け花であれ習わせることもなく働きづめの一生で終わった。それが自分には悲しかった。
そういう環境で育ったことを知るから一概に責められない、貧乏だとどうしても食うことが優先される
でも現代は比較的裕福であり花を買うのがもったないとは必ずしもならない
でも意外と女性でも花に興味を持たない女性が多いと見る

奇妙なのはその女性は庭作りの緑化の会社に勤めていた。だから花に興味があると見たがそうでもない
その女性は花そのものに関心あるのでなく花をいかに育てるのかに注意を払う
花そのものの美を見ているだけではなかった。
花を野菜を育てるように見ていた、現実に畑で野菜を作っていたからである
だから花でも野菜のように見ていたとなる
私の場合は常に花そのもの美を見ている

ともかく女性だと花に興味を持つと見るがそうでもなかった
要するに例えば蝋梅の花をヒヨドリが食べに来ていた。鳥は花でも食料としてしか見ていない
それと同じように人間でも食料がまず先である
花は食料にならない、花を見ても腹の足しにならないとなる
それが一般的である。食料が先であるのが普通である
どうしても花より団子になる
だから芸術でも絵画でもそれが優先的にはならない、だからそれを鑑賞できる人は少ない
つまり芸術について語り合う人が少ないのはそれを見ても腹の足しにならないからだとなる

ヤクルトの販売する女性も花に興味がない、ただヤクルトを売ることを第一にしている
それしか頭にない、そもそも人間社会ではまず日々の生活であり食べることが優先される
だからみんなマルタなのである。そのために忙しく立ち回る
それは金になることでもある。
人間はどうしてもマルタになりやすい、社会自体がそうなっている
とにかく花など見る余裕がない忙しいとなる。
そしてかえってマルタのような人は忙しく働いていいる人から見ると責められる

現実自分自身今や家事に追われ雑用に追われるからゆっくり花も見ていられないとなっている
でも花の美を見ないというのは動物と同じになるから悲しいとなる
現代は食べることだけに追われる時代でもない、しかし依然としてマルタのようになる社会でもある
食べることが第一であり常に仕事に追われる。それは2000年前とかでも変わらない
働くという言葉が端を楽にするというというとき常に家族でも家事で働く姿を見ているから楽させたいという気持ちが自ずとでてきて生まれたことでわかる

古代だと奴隷が働き家事でもしていた。それで余裕が生まれスコーレ(暇)が生まれスクールになった
学問でも芸術でも暇があり生まれた。ただそれができたのは奴隷が雑用でもしてくれたからだとなる
今ならそうした労働は機械がするとかロボットがするとかで人間は雑用に追われず美でも探求できるとなる

いずれにしろマリアとマルタの問題は人間の普遍的なテーマである
だから現代でも適応されれる。女性でもでもどうあるべきかのテーマである






posted by 天華 at 11:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 聖書の言葉と詩など

2025年10月16日

末期の目で見る世界【鶏頭、虫の音、残る虫、秋の海・・・】

末期の目で見る世界【鶏頭、虫の音、残る虫、秋の海・・・】

seagulls.jpg



一際に鶏頭赤し死の近し
秋の海鴎の二羽や波荒らし
隅に鳴く虫の音聞くやなお生きむ
強き人も病に弱りて虫の声
残る虫なお隅になくあわれかな

朝日さす秋の薔薇しもしみじみと我は見るかな死も近ければ

autumnrose.jpg


癌が発見されて死を意識した。私の場合常に死を意識してきたが何か余命いくらとかまで意識しなかった
本当に死を意識することは余命一年とかなるとそうなる
ただ癌の場合はわからない、いくら生きるかはわからない、私はまだ症状がでていないから切羽詰まったものとならない
癌は別に仕事が継続できる。それで癌だからと会社を辞めさせるのは法律ができたできなくなった

人間はやはり生きる時間が限定されると何でも見る目が違ってくる
末期の目で見るようになるからである
朝日が薔薇にさして咲いている、当たり前のことでも何かその薔薇も見れなくなることで違って見える
当たり前のことが貴重なものに見える
死を前にして一段と鶏頭も赤いとなる、それは命の赤である
そこに日がさしているのも薔薇が最後の光を神から受けて咲いていると見る

隅になく虫の声は自分になるしみんなそうだろう。
ともかくまた烏浜に行けた。でも波が荒くそこに鴎が二羽飛んでいた
これはまさに写生俳句であり説明はいらないとなる








2025年10月15日

白鳥来るー【秋の蝶、冬の蝶、朝顔・・・】


白鳥来るー【秋の蝶、冬の蝶、朝顔・・・】


朝日眩し白鳥来るやなお生きむ
秋の蝶二羽舞いにけり美しく
冬の蝶羽根美しく死なむかな
冬の蝶隠れてひそと死ににけり

なおここに井戸水湧くや朝顔の咲きて清しも昔思いぬ


白鳥が飛んできた、今年は早いと見た、シベリアに早く冬が来たのか?
北風も吹いたから冬になったのか、まだ生きて白鳥を見れることはいいとなる
何か癌を宣告されて死を意識した。
人間は生きている限り美しいものを見たいとなる、それが生きることにもなる
冬の蝶は美しい羽根をみせて死んでゆく、人間は死ぬ時どうなるのか
ただ醜いとなるのか?

子供の時そこに井戸がありその井戸水をもらっていた。水道がなかったからである
その井戸はまだあり水は出ている。そこに朝顔が咲いている

朝顔やつるべとられてもらひ水 千代女

この句は井戸水をもらう人がかなりいたからできた。そこに生活感がある
そういう時代背景を知らないと鑑賞できない
人間は自然と一体化するとそこに自ずと美が生まれる
今は便利になりすぎて自然から遊離しているから美が消失する
ともかく冬が来た、今年は早く冬が来て寒くなるかもしれない
秋は短く終わるとなる。




2025年10月14日

無駄ない医療費が10兆円―でも簡単に減らせない 【患者側の問題もあるー専門家の医者には逆らえない】

無駄ない医療費が10兆円―でも簡単に減らせない
【患者側の問題もあるー専門家の医者には逆らえない】

医師、医師会、製薬会社、医療機器メーカー、みんなが既得権益を守ろうとするからだ。
しかし、このまま放置したら医療保険制度が破綻するのは時間の問題だ。若い世代が、高齢者に使われるムダな医療費を負担し続ける構造なんて、持続可能なわけがない。

ホリエモンが警告「日本の医療費は5〜10兆円をドブに捨てている」風邪で抗菌薬、無意味な検査…誰も止められない“ムダ医療”の実態



名取の癌センターの検査も無駄だった
【治療方法がない、何もできない】

南相馬市の市立病院と同じような検査をして同じようなことをいい
転移して進んでいるから治療方法がないという。
それで何か症状は出たら南相馬市の市立病院で治療する
そのことを連絡した。
こんなことならわざわざ名取のガンセンターに来た甲斐もなかったし来る必要もなかった
要するに普通に生活して具合が悪くなったら何か南相馬市立病院で治療する
その旨の紹介状を私に渡した
一体これは何なのか、検査などする必要もなかったのかとなる
南相馬市立病院にまかせるとしたらここに来る必要もなかった
ただ私自身ふりまわされて疲れただけだとなる
金は7000円とかとられたが徒労だった

老人は検査などしない方がいいというのもそうかもしれない
病気を発見しても治療できないとなればそうである
南相馬市立病院で検査して治療すればいいだけだった
そもそも癌を有効に直す手段がない、だから放置しておくほかないともなる
そうなれば医者に行くこと自体無駄だったとなる

私たちはこれ以上何もできません、そんならそもそも診てもらう必要もなかった
神にでも仏にでも祈った方がましだとなる
それなら何もできませんと突き放されより可能性はありましだとなる
だからいくら科学が発達しても癌は直せないとなれば医者にかかっても無駄だとなる
要するにただ疲れさせられて金を取られただけだったとなる


医療には相当な無駄がある、でもそれを是正することは簡単にできない
命にかかわるし患者自体が無駄な検査をしなくていいとか言えない

私自身の検査は確かに無駄だったが他の人が無駄とはならない
癌の場合早期発見が大事になるからだ
薬の処方にしても患者がいらないとか絶対に言えない
そしたら医者は怒りあなたは診ないとまでなる
そこに専門家が絶対的力を持っている、逆らうことはできない
何であれ医者の言う通りにしなければならない、絶対的服従が強いられる

現代は専門家に支配された時代である
医療の専門家がいて法律の専門家がいて核の専門家がいて原発でも素人は地元の人でも立ちいることはできなかった
そして事故が起きたのである
イリイチが専門家によって無力化された時代としたのもわかる
何にしろ専門家に頼らざるを得ない時代だからである
医者であれ何か患者が言うこともできない。

ただここでそれが問題になったのは金の問題である
無制限に無駄な医療でも金を使えばそれが負担になり国民の税金となり跳ね返り
苦しむ。だから無駄できないとなった
でも何が無駄なのかは簡単に決められない、

日本の医療費は5〜10兆円をドブに捨てている

この額が大きすぎる。実際それは素人でもわかる。でも医療費は削減しにくい
それ患者側にも問題がある。保険があるから安易に医者にかかり薬でも飲みすぎるとかある
ただそれにしても人間は病気に一番弱いから簡単に止めることはできない
つまりこれは医者側の問題だけではない、患者側の問題にもなるからむずかしいのである










2025年10月13日

公明党が自民から離脱の影響 【創価と公明は一体でありそれが強みでもあり弱みとなっている】

公明党が自民から離脱の影響
【創価と公明は一体でありそれが強みでもあり弱みとなっている】

soukaend.jpg

自公政権になった経緯を知る必要がある
なぜ公明党を創価は作ったのか?それは池田大作が政教分離問題で証人喚問されることになり危機感を持った
つまり池田先生を守るために公明党が作られた
そして自民党にそのために攻められるから自民党に従うようになった
つまり公明党の役割は池田先生を守るために作られた
公明党はだからいろいろ政策があっても池田先生守ることを使命としていたのである
だから結党の理念などない、平和の福祉の党というがそれも実際は中身は違う
それはあくまで何か宗教だからそう見せかけるだけである

現実は創価が権力を握り日本を支配して池田大作が日本の王になることだった
そのために公明党は具体的に権力を得るための手段になる
だから選挙で勝つことが至上命令になる
池田先生のために戦うとなる、つまり公明党はその親衛隊である
それは具体的に権力を得ることができるからである
実際に国土交通大臣の権限は大きい、それで権力を行使して票を得ることがえきるし背後に中国がいていろいろと便宜を計る
でも高市氏はそうした中国の日本侵略と見て反対するから対立した
公明党は創価の権力奪取のための一部隊である

私を折伏した人は学会子でありまるで中国の紅衛兵でまありヒットラーユーゲントでもあった
それは親が市議会議員であり子供の頃から完全に洗脳されてっそうなった
宗教というけどそこに宗教性はゼロである
ただ御利益と権力を得るために毎日選挙運動させらるだけだった
奇妙なのは創価というと会員が膨大であるように見えるが中身は幽霊会員が膨大である
その人達は何の活動もしない、名簿上の会員である
その人たちを一票に結び付けるのが日々の活動なのである
比例区で800万票もあったのが500万票に減った時そもそもそうした幽霊会員が膨大だからである
とにかく創価はその票を会員の数がすべてであり数を集めて権力を得ることが目的なのである
最近は会員が減り増えないから外国で会員を増やしている
するとそこでまた外国に何百万人会員がいると誇示する
すべては数なのである、その中味は関係ない

奇妙だけどそこには一人も法華経信者はいないのである
そんなことがあるのか?ではなぜ宗教団体として認可されているのか?
それは利権団体であり利権(御利益)権力を飽くことなく追求する団体である
政治的に権力を得れば御利益を具体的に配分できるから選挙に熱心になる
ただそのために国民政党にはなれないから創価の会員が活動が鈍れば公明党も伸びずいずれは消滅する
そして確かに創価会員が必ず公明党に投票する、それは信仰の一環としてしている
完全な政教一致なのである、そのために自民党に攻められて池田大作が国会に証人喚問されるところだった
つまり創価会員が硬い票田になってもその他の国民の支持はえられない、野党に回ってもまた自民党から政教分離していないと統一教会のように攻められる
野党と組むにしてもそこがアキレス腱になる。それは強みでも弱みにもなる、野党にとっても公明党と組むことには危険がある
自民党も勝手なのだが政治は権力闘争だから相手の弱点を突き有利にする
その闘争が熾烈だからそうなる

ただ自民党から離脱したことは公明党にとっても相当な痛手である
政教分離していないと攻められる。だから野党共闘でも公明党と組むと危険になる
何か共産党とも似ている、共産党もイデオロギー政党でありそれは宗教でもあり似ているのである
その支持者も共通している最下層の人達になり票の奪い合いになったのである
ともかく政局は混沌としてきた。どう展開するのか先が見えない、ただ創価公明は衰退してやがて方滅することは確かである


posted by 天華 at 11:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2025年10月12日

近辺の秋の俳句【桔梗、柿、虫の声、秋時雨・・】

近辺の秋の俳句【桔梗、柿、虫の声、秋時雨・・】

kakitokikyou2.jpg

蝉の声もはや聞こえじ森深し
日本なれ障子に映えぬ桔梗かな
石一つ村に変わらず柿なりぬ
田舎なれ柿と木槿になごむかな
虫の声幽かや去りぬ橲原を
顔にぽつり老いに病や秋時雨

大原から橲原の森の道を通ったが蝉の声は聞こえなかった
秋の蝉の声も聞こえない、もはや冬が近いとなる
ぽつりと顔を秋時雨が濡らした、確かに時雨は死をイメージする
自分が脳出血とか癌になりそれで死が近いともなり感じたとなる

障子には桔梗が映える、やはりそれが日本の文化だとなる
柿も外国でKAKIとして通じる。それは日本の文化でもある
ただ木槿は韓国の国花でもあり日本特有のものではない
中国でも延々と木槿が咲いていた

延々と木槿や中国の鉄路かな

なんか秋雨になり曇る日がつづく、秋晴れが少ない、季節的には秋でも10月では曇りで雨が多い。
何か季節的にも酷暑の後に変調した気候である





何故70才以上とか検査しても無駄なのか 【老化の病気は直せないー死に向かう自然な過程とあきらめる?】

何故70才以上とか検査しても無駄なのか
【老化の病気は直せないー死に向かう自然な過程とあきらめる?】


今回名取のガンセンターに行ってみてもらても何も治療もできません
何か症状が出たら南相馬市の市立病院で診てもらってくださいと言われた
南相馬市立病院から名取のガンセンターに紹介状を書いてもら行ったが
またガンセンターから南相馬市立病院に検査結果を報告する書類をもって
治療の時はかかるように言われた

これは何なのだろうとなる。検査しても無駄だったとなる
治療もできない、そんなら検査すること自体無駄だったとなる
だから70才以上とかなると検査自体が無駄であり病気があるとしても必ずしも治療もできないとかなる
それはなぜかというと70歳以上とかなるとそれは老化が関係しているからである
死んだ人を解剖すると老人は必ず癌が発見されると言うときそれは老化によるものであり
一つの自然現象だともなる。

老化とは体全体が衰弱して起こる、その老化は病気とも違う
人間は動物でも老化してやがて死んでゆく、それをとめることはできない
だから70歳以上とかなると検査しても無駄だという時それが老化が原因しているからだとなる
そして検査して病気とされてもかえって余計な心配をして体を悪化させるともなる
病気は気だとなり落胆させられるだけだとなる

私自身でも別に癌だと言われても普通に生活できる
何か体の異常も感じられない、ただ脳出血になり左手がしびれたというだけである
後は正常なのである、だから今まで通り普通に生活できる
だから検査してそれが癌でも何か症状もなく困ることがないのである
それで70才以上とかなると検査しても余計な心配が増えるだけだともなる

つまり老化は直せないとなる。人間は老化して最後は死んでゆく
それは避けることはできない、だから検査自体が70歳以上とかなると病気が発見されても余計な心配不安が増えるだけだとなるのもわかる
又治療にしても体に負担がかかり悪化することにもなる
検査自体でもそうである
老年医学という分野も生まれ何か老化は自然現象だからいくら医療が進歩しても直すことはできない
むしろ老化したらそれはやがて死に向かうことでありそれを止めることはできないから受け入れるしかない
要する人間はみんな老化して死んでゆく
だから老化の病気は直せない、むしろ受け入れて死んでゆくほかないともなる
だから余計な検査であれ治療でも無駄だとなる、それがかえって悪い影響を及ぼすこともあるから注意すべきだとなる








2025年10月11日

名取まで秋の俳句

名取まで秋の俳句

kakistashion.jpg


みちのくの駅々になりぬ柿にあれ
みちのくははや刈田かな我が老いぬ
蔵王に向きひまわり咲くや朝開けぬ
コスモスや新住宅地や電車に見ゆ
病院に岩の三つや秋の暮れ
秋の山名取に望み帰り来る
秋の灯や待つ人なしも我が家かな
夜の駅人々帰る虫の声
空地にそ残月あわれ隣かな

久しぶりに電車に乗って気持ちよかった
いろいろあって遠出できなかった、すでに田んぼはか刈田になっていた
季節の移りが早いと見た、曇って蔵王がはっきり見えなかったがひまわりの咲いている畑が見えた
ひまわりは真夏ではなく初秋に咲くようだ

この辺では蔵王がやはり山として高いし大きい
だから常に蔵王を望む、南相馬市からも鹿島区までは蔵王は明らかに見えるから親しい山になる
この辺では高い山がないのがものたりないからである

みちのくというときやはりアイデンティティの場である
それでみちのくに似合うものがある。駅々に柿が成るのもみちのく的光景にもなる
名取でも秋の山を望み見た。それも間違って仙台空港方面の電車に乗り次の駅で見たのである
あれは間違いやすい常磐線も乗り場に頻繁に入ってくるからだ

ともかく名取まで一時間だからそれほど遠くない、仙台市はさらに30分はかかる
帰りは秋の灯がともり何か待つひともなくなったが我が家に帰る
まず病気に成ると心細くなる。でも別に私は脳出血になっても手がちょっとしびれただけであり歩くのは普通なのである
だからまだ電車の旅はできる。だから女医さんが軽くて済んで良かったねと言われた
それは本当である。癌があってもそれが今は何の影響もしていない。
普通に生活できる、それで救われている。

残月は秋の季語だった、隣一帯が家が無くなり空地化した、そこに残月が出る
それも不思議である。


そこの家とはもめたことがある
でもその人は死んだ
今は何も無い
朝に残月が出ている
人は死んで何を残すのか
そこに良い思い出が残るのか
大人になるとそれがない
嫌な人が消えてせいせいしたとかなる
でも嫌な人はこの世から消えることはない
飛び鳥跡を濁さずとはならない
何かその後に怨念でも残す
今はただ幽かに虫が鳴き
そこに誰が住んでいたかもわからなくなる
束の間人は未練がましくあるが消えるだけ
だからこそいいとなる








2025年10月10日

名取の癌センターの検査も無駄だった 【治療方法がない、何もできない】

名取の癌センターの検査も無駄だった
【治療方法がない、何もできない】

南相馬市の市立病院と同じような検査をして同じようなことをいい
転移して進んでいるから治療方法がないという。
それで何か症状は出たら南相馬市の市立病院で治療する
そのことを連絡した。
こんなことならわざわざ名取のガンセンターに来た甲斐もなかったし来る必要もなかった
要するに普通に生活して具合が悪くなったら何か相馬市立病院で治療する
その旨の紹介状を私に渡した
一体これは何なのか、検査などする必要もなかったのかとなる
南相馬市立病院にまかせるとしたらここに来る必要もなかった
ただ私自身ふりまわされて疲れただけだとなる
金は7000円とかとられたが徒労だった

老人は検査などしない方がいいというのもそうかもしれない
病気を発見しても治療できないとなればそうである
南相馬市立病院で検査して治療すればいいだけだった
そもそも癌を有効に直す手段がない、だから放置しておくほかないともなる
そうなれば医者に行くこと自体無駄ったとなる

私たちはこれ以上何もできません、そんならそもそも診てもらう必要もなかった
神にでも仏にでも祈った方がましだとなる
それなら何もできませんと突き放されより可能性はありましだとなる
だからいくら科学が発達しても癌は直せないとなれば医者にかかっても無駄だとなる
要するにただ疲れさせられて金を取られただけだったとなる

寿命10年以内のがん検診はほとんど無意味?

https://x.gd/IEckP










2025年10月09日

原発事故で癌が増えた?専門家に全面的に従うことの危険


原発事故で癌が増えた?専門家に全面的に従うことの危険

gennpatudeath.jpg

統計では東京都と神奈川県で増えた、これは何の影響なのか?
福島原発事故と関連しているのか?
というのは私自身が肺癌と診断されたからである
私は30才でタバコでも酒でもやめた。ただ私の父親が肺癌で死んだ
だから遺伝なのか、問題は福島の原発事故と関連があるのかである
東京都と神奈川県でなぜ癌患者が増えたのか、その原因は何なのか
大気汚染が関係しているのか、そもそもその辺は原発事故と関係なく大気汚染地帯であった

でもこの辺は放射性物質で汚染された。東京とかになると遠いから放射性物質で汚染されたというのもよくわからない
なぜならもともと大気が汚染された場所だからである。
甲状腺癌は増えるとされて増えたらしい、でも癌一般になると原発事故が影響したのか因果関係がわからない
その因果関係を知ることが容易ではない、それで害がないとされる
でも日々汚染された空気を吸っているのだから何らか影響されるとも見る
とにかく福島の原発事故が癌が増えたことと関連しているとなるとそれは重大なことになる
原発は危険だとなり原発を新しく作ることに反対する人達が増える
それでも因果関係を証明することは容易ではない
そこに原発の問題がある、常に危険が隠蔽されてきたからである

科学でも明確に証明できないのである
MRIの写真を見ても本当の所はわからないともいう、それは医者が検査でも病気にしてもうけるためだという人もいる
それは原発でも専門家が安全だとして誤魔化したのと似ている
科学の時代になると専門家が神のようになる。でもそこに危険がる
ただ素人が簡単に判断できない、でも全面的に信用していいのかとなる
素人はなにもわからないのだから従えばいいとなる。そこに専門家時代の危険がある

いずれにしろ検査して癌と診断されればショックで返って悪くすることはありえる
自分もそうだったからである。それで意気消沈する。
病は気からともなる。何か現代の問題は科学技術の時代だからどうしても
専門家が力を持つ。ただ専門家も万能ではないのである。
専門家に全面的に従うことは危険になる
でもどう対処していいのかは本当に難しい。

名取の癌センターに行けばまた検査する。でも自分は手術などしたくない
それは強制できないと思う、でも反対するのもむずかしいとなる
検査だけでかえって悪くなった例があり検査にも相当な問題がある
特に老人の場合は検査すると必ず病気が発見される
それは老化の結果であり病気とも違うという
検査で病気が発見されてかえって体調を悪くするのも問題である
老人の医療と若い人の医療は違ったものになる






posted by 天華 at 10:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2025年10月08日

柿の俳句ー病人同士が慰め合う家ー虫の声 【病院に飾ってあった絵】

柿の俳句ー病人同士が慰め合う家ー虫の声
【病院に飾ってあった絵】

redflower1.jpg

tubakiaka.jpg

厚生病院に飾っていた絵が良かった。それでその絵の写真を撮りに行ったが見つからなかった
それでAIで画像を作った。こんなものではなかったがこれはこれで違ったものとして鑑賞できる
何か病院に飾る絵は見る人が病人だから特別なものとした見る
黒いバックに何か赤い椿は命の椿に見えた。病院は無機質な空間だが絵画を飾ることで和が生まれと思った。


誠実に生きるものなれ柿なりぬ
我が母に献げるものは柿なりき
田舎なれ蔵ある家や柿なりぬ
苦しくも共に生きなむ実のりかな

苦しくも共にいたわりあわれかな虫の音かそかなお生きむとす
黒地にそ赤き椿や病院に飾れる絵の心にしみぬ
我が部屋をのぞきし月やいつのまに消えて無しかも
隠れ棲む我を知れるや月かそかのぞくも消えて無しかも
秋の蝉一つひびきぬ森の中その声聞きて帰り来るかな
柿献ぐ大正生まれの我が母に貧に生きしを思うべしかな


柿は他の果物と違って精神的な意味を持つように見える
柿は日本特産でありkakiで外国で通じる
私の大正生まれの母は柿が好物だった。干し柿が好物だった。貧乏を生きたから果物となると柿になる

家に来る老女は足が悪くまともに歩けない、それでいたわる
その労わる自分も病気なのである。ただそれでも協力し合っているともなる
その女性は毎日のように来ている
病人でも互いに慰め合うとなる。

柿の俳句とエッセイ


2025年10月07日

検査の結果肺癌があったー余命5年らしい

検査の結果肺癌があったー余命5年らしい

脳に癌らしきものがあり体全体の検査で肺癌があった
それで名取の癌センターで詳しく検査することになった
いずれにしろこれは余命5年とか出ているから厳しい
というのは私の父親も肺癌で苦しんで死んだ
それをみているからその怖さを知っている
ただ死んだのは67才であった。となると私はすでに十年長く生きている
あと5年生きるとして82,3歳になると平均寿命まで生きるとなる

それもわからないが何か自分の人生も終わりかと具体的に宣告されたともなる
何か癌でもいろいろあり近くの人はやはり癌の治療をつづけ仕事していた
そして十年くらい自転車屋の仕事をしていて死んだ
三日前までもう仕事できなくなるなと私に言って死んだのである
だから別に寝たきりとかなく仕事していたのである

ともかく私は死の覚悟はできている。父親が癌で死ぬのを見てから死のことばかり考えるようになった
それで求道していた。間違ってカルト宗教に入ったがその後永遠の命を与えるキリスト教を信じるようになった。
だから死ぬ準備はできていたとはなる
自分は十分に生きた、そしてこの世の地獄を経験したからむしろ死んで早く神の国に行きたいとなる
それでも意外と死ぬ時期がこんなに早く迫るとは思わなかった。

人間は死刑員なのである。いつ刑が執行されるにしろ死は逃れられないのである
ただ苦しまずに死にたいとはなる
まあ、後5年生きることは最後の終活の時間はあるとなる
ただ体力的にどうなるかはわからない、人間の未来はいくら病気わかってもわからないのである
その間に奇跡でも起こらないとは言えない、それは医者でもわからない
癌の治療も進んでいる、癌の場合はすぐ死ぬわけではないから何もできなくなりわけではないから
最後をそれぞれぞれに締めくくることはできる



2025年10月05日

老人は検査でも手術でもかえって体を悪化させる危険 【何でも医者の言う通りにしていいのかー専門家時代の危険】

老人は検査でも手術でもかえって体を悪化させる危険
【何でも医者の言う通りにしていいのかー専門家時代の危険】

doktorprobrem.jpg
70歳を過ぎたら避けるべき5つの健康診断!あなたを助けるどころか害になる可能性があります!| シニア健康のコツ

人間ドックは受けない。自分の体の主治医は「自分」

検査であり治療であり老人になると危険にもなる
そして検査してもその検査自体に問題がありかえって体を悪くする
検査が体の負担になり体を悪くする
放射線を使うと被曝するとかある
老人は何でも負担になる、体の抵抗力がなくなっている
だから検査でもかえって体に負担となりまた手術したりすると後遺症があり
ただ苦しみを増やすだけにもなる

私が南相馬市の脳卒中センターでMRIの写真を見て医者が説明したが
脳に一部異常があるが私にはわからないから仙台市の専門医に診てもらうという
そして頭を切りその以上の部分を取り出して調べないとわからないという
その時頭を切るということで驚いた
そのことを知人にいったらおかしいという
頭を切ってその一部をと取り出してその後どうするのだ、元に戻すのか
そんなことできるのか、そもそもその医者は診断もできないい医者だと批判した
そんな医者に金を払う必要はないとまで言った

それもそうなのかとも思った。その医者は若いもしかしたら研修医かもしれない
だからそもそもその医者は何ももわからない医者だというのもそうなのかとも思った。
とにかく頭切って診ることは尋常ではない、それは検査のためなのである
検査のためにそこまでするのかとなる
何か検査で腸にポリープがあり切除したらその後にかえって今までしていた生活に支障ができてできなくなったとかあり検査自体に問題がある
そもそも老人は体に何らか異常がありそれは普通のことだという
それで手術してもかえって悪化するともなる

いずれにしろその医者自体が問題があり診る能力がないのだから診てもらっても無駄だというのもあおうなのかとなる
だから軽々しく言うべきではなかったとなる
その知人はそもそもその若い医者には診る能力がないと断罪した

ともかく医療にも様々な問題がある
ただ医者前にして何かを言うこともできない
現代社会が専門家の時代であり素人は何も言うな従いばいいのだとなる
それはあらゆる部門でそうなのである
原発事故でも知ろうとは核のことがわかるのかとなり専門家は説明すらしない
そして危険でも安全だと言って大事故になった
それは専門家の責任でもあった。それが問われないのである
コロナウィルスでも専門家が40万人死ぬとか物議を醸しだした
それでイリイチが専門家を厳しく批判した
専門家が力を持った時代である、専門家に逆らうことはできない時代である
でも原発事故であれ医療事故であれ生まれる
専門家の言うことを鵜呑みにすることも危険である
ただ専門家には逆らえないという時代でもある

私はそもそも年だからそんな手術はしたくない、そした看病する家族もいないのだから
しないほうがいいと思った。そんな手術して自分は苦しみ生きるより死んだ方がいいという考えになっている
ともかく老人と若い人の医療の対処の仕方は違ったものになる
若い人は手術して治るならその先が長いのだから手術してもいいとなる
老人はそ先がどうせ短いのだから無理な手術などしない方がいいという考えになる











posted by 天華 at 15:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2025年10月04日

気の療法も効果的 なぜ病院がいい場所ではないのか―何でも気の影響を人間は受ける

気の療法も効果的
なぜ病院がいい場所ではないのか―何でも気の影響を人間は受ける

病院がなぜいい場所ではないのかとなると当然病人が歩まる場所だから
である。病人から発する気が満ちている場だからである
また老人ホームなどでも老人ばかりいるのだから何か陰気になる
いろいろな場がありそこに発する気がある
歓楽街とかなると色気が発して欲望が刺激される場であり何かそうした気が必ず影響する
つまり人間は常に何らかの場の雰囲気の影響を受ける

一方で自然からでも気の影響を受ける、山でも山の気を出しているし海でも海の気を出している
この辺だと飯館村は山の気を受ける場所でありなにかそこに立つと気が変わるのである
場所によって気が変わる。だから場所の効用があり癒される
病院がいい場所ではないのは癒しが欠けている
そこに優れた機械が装備されて優秀な医者がいても何か欠けている
それはそこに癒しがない。確かに病気は診るのだがそれは体も診るのであり
心と体は一体だからその心が無視されるから問題なのである

だから不思議なのは病院から家に帰った時安らぐ。それは家と病院は違う
家とはもともと家族の住む場所でありそれ自体が癒しの場だった
だから家で死にたいという時そこが家族の生活する癒しの場だったからである
無機質な病院とは違うからである

いずれにしろ気の影響は大きい、あらゆるものが何らかの気を発している
それは人間でも物でも自然でもそうである
何か性格の悪い人と接すると悪い気を受ける、悪い人が集まるところには悪い気が満ちる
そういう場に行くと必ず知らずに気の影響を受ける
カルト教団などでもそこは宗教なのだからいい人が集まる場所と思うが前年違っている
あらゆる欲望を満たそうとする人たちが集まる場であり異様な雰囲気になる
だからそこでも悪い気を受けるから危険なのである

この世ではどうしても悪い気を受けやすいのである。大都会自体人が密集して悪い気が満ちる
気とは人間の念でもありその念の影響を受ける
自然の気は人間にいい影響をもたらす、だから山で修行することは山の気に触れることであり理にかなっていたのである
だから大都会から生まれたカルト教団は異様なものとなった
ともかく人間は常にこうした気の影響を受けている
人間個々人も何らかの気を発している。だから悪い気を発する人と接するとその気の影響を受けるから危険なのである
病気という時これも気であり病の気を発するとなる

人間であれ自然であれ何らかの気を発している、それが意外と見逃されている
だから知らず知らずどこでも人でも気の影響を受けるから注意する必要がある、悪い気が受ける場でも人でも近ずくことは危険である
だから気の療法がありそれも非科学的なことではなく効果的だとなる。










2025年10月03日

今日は南相馬市立病院で検査で疲れた【老化が関係すると病気も治りにくい―それよりしたいことすることを優先する】

今日は南相馬市立病院で検査で疲れた【老化が関係すると病気も治りにくい―それよりしたいことすることを優先する】

MRI検査もした。それは脳だけではなく体全体もした
脳に一部異常が見られたがそれが体全体とも関係しているということで体全体を検査した
その中で腎臓に異常が見られた
腎臓も高血圧が影響していた。だから血圧は毎日計った方がいいと言われた
十年ほど前に私は近くの胃腸科の医院で内視鏡で検査して腎不全るということで南相馬市の市立病院に緊急入院した

腎不全は基本的に慢性腎不全と呼ばれ、腎臓にダメージが蓄積して元に戻らなくなった状態です。日本では慢性腎不全の患者さんは約1,300万人と推定され、国民の成人の約8人に1人が該当します。
急激に腎不全が引き起こされる病態は、急性腎不全と呼ばれます。たとえば、尿管結石や腫瘍しゅようが生じて膀胱など尿路を塞ぎ、尿が排出されなくなって起こるような腎不全です

生物として想定された寿命は55歳ではないかと言われます。現代の日本人はそれよりもはるかに長く生きていきます。そのために必要なことは、やはり腎臓をケアする生活を心がけることです。

MRIの写真で腎臓の異常が見られた。それは血圧と関係していた
つまり脳出血も血圧が高いことが原因で起きた
それで家でも毎日血圧を測るように言われた
それから肺にも異常が見られたと言われた、でもそれは担当の医者でもわからないから仙台の専門医にみてもらうことになった、
やはり高度な医療となると仙台市の専門家でないとわからないとなる
それだけむずかしいとなう、何か緑内障でも手術するとなると仙台に眼科の専門病院がありそこでないとできないと言われる

ともかく一日検査で疲れた。何かわからないが全身が老化して出てきてのかと思う
血管でも老化して弱くなる。老化となると治療できるのかともなる
頭の脳の一部に異常があるとしても写真だけではわからずその一部を取り出して調べないとわからないという
そうなると手術になりめんどうになる
私は看病する人もいないのだからしたくない、また老化となるとそれが直るのかどうかもわからない
それでも役所の地域包括センターの女性が付き添いしてくれたので助かった
その人を中心に手配してくれたので助かった

だから一人暮らしでも支援する人があれば何とか乗り切れる
でも手術となるとその後に看護が必要でありなかなか難しくなる
だから私はしたくない、私自身は無理な治療をしてもらいたくないともなる
それは一人であり介護してくれる人がいないからである
そして年でもあり苦しんで生きるより死んだ方がいいと思っている
何か老化となると直るのかとなるからである
だから老人の病気の考え方は違ったものになる

何か老人になるとただ病気を治すというだけではない問題が生じる
それで癌に成った人でも富士登山したとかある
その人はそれだけ山に魅力を感じたから病気より自分のしたいことをするおいうことを優先したのである
いずれにしろ老人は病気になっても治らないことがある
それなら最後に自分のしたいことをして死ねば本望だともなる
病気にばかりとらわれるのも問題となる

我が家に帰りて静か月を見るかな心安らぐ一人なりしも

とにかく病院は疲れる。家に帰り月を見たら何か落ち着き安らぐ
家というのはそういう効果がある、病院では何かそいうものを感じない
体を診るが心は診ない。だから病院は嫌われるのである
家の不思議は家族がいなくても心安らぐのである、そこに家の不思議がある

月を見て心静かに我が死なむ家そ安らぐ家族の無しも




2025年10月02日

ヨーロパの河と歴史(詩)


ヨーロパの河と歴史(詩)

eumapriver.jpg

川はモノとヒトを運ぶ
川の岸に都市が生まれ
その都市と都市を結ぶ

船の操作にたけたバイキング
凶暴なノース人ノルマン人が
ヨーロッパに進出
ロシアを流れる川にも進出
異種なるものが交わり混血
スラブ人、ゲルマン人、ラテン民族
また川を境にして歴史の興亡がある
riverはライバルとなり
川と対峙して国と民族がせめぎ合う

ライン川の岸辺の都市、マインツ
古い教会の前の市が建つ
そこにとりどりの菊の花が売られる
岸辺のポプラに秋のさわやかな風が吹きそよぎ
その港の岸辺に船を待つ
そして次なる都市を目指す

ドイツの父なる川ラインかなたオランダまで流れる
岸辺の古城よその物語よ
ヨーロッパの千年の歴史は刻まれぬ
キリストの教会も川に結ばれぬ
祈りは一つとなりヨーロッパは形成されぬ
荘厳なる石の聖堂はヨーロッパの大地に根付く
そこにパイプオルガンは荘重に鳴り響く

ヨーロッパは分かれ争うも一つなり
川により結ばれ一つなり
旅人よ、路地裏の石畳みの道を歩み
古い教会の鐘の音を聞く
その音を聞き千年の歴史を偲ぶ
国々の興亡ありしも
ヨーロッパは一つなり
川によりキリスト教により結ばれ一つなり
切り離されず一つなり
しかしその争い流された血の上に築かれぬ

ヨーロッパを幾重にも流れる河よ
その川に沿い営みは続く
そして川の上を思い下を思う
川は人々を結ぶ










2025年10月01日

ロシアとウクライナの川の役割を知る

ロシアとウクライナの川の役割を知る

donepuluriver.jpg


これらのノース人たちは、ドニエプル川、ヴォルガ川、ドン川を水上交通路として利用した。
彼らの長船はバルト海と黒海を結び、スカンディナヴィア半島をビザンティン帝国やコンスタンティノープルといった繁栄した都市、そしてユーラシア大陸の市場へと繋いだ。

そのヴァイキングの影響
プーチンがウクライナはロシア領とすべきだと主張する理由、

なぜ外国がわかりにくいのか。つまり4大文明が大河の岸に生まれたということが物語るように大きな川の役割を見ないからである
そもそも日本にはそうした川がないのだからイメージもできないのである
何故川が大事になるかとなると川は道であり交通路になる。
外国の河は運河のようになっている。だから船で行き来しやすく自ずと通商が発達する
文明を作ったのは交通の便利な場所だともなる
そこでヒト、モノの交流が活発になり都市が生まれた

だからなぜノルウェーのノース人が当方のスラブ人と関わったかというとバイキングがいて船の操作にたけていて長船を作り川を行き来できたからである
だからウクライナのキエフの起源がノース人に由来するというのもそのためである
川が交通路となり結びつけたのである。川が道となり異民族と交わり結びつけたのである
だから4大文明が大河の側に生まれたのもそのためである

例えば日本でも最上川は長大な河である。それで紅花(べになば): 高品質で全国生産量の約4割を占める最上紅花は、酒田湊を通って上方に運ばれました。 
これも京都が消費地となり川を通じて運ばれた。これも最上川が交通路になったからなりたったのである。
また京都が大消費地になったからこそ紅花(べになば)の生産も増大して繁栄したとなる
それだけ川の交通路の役割が大きかったのである。

ともかく外国がわかりにくいのはそのベースとなる地理が川の役割がわからないからである
外国の河は運河のようになっている。道になっている。そこで異民族でも文化でも交わるのである
だからウクライナでも川を中心に見るとわかりやすくなる
またラインがローマ帝国のラテン民族とゲルマン民族の境になったということもそうである。
外国では川が国境となる。川を挟んで互いが争うライバルとなる。ライバルとはrever

英単語「river」の語源は、ラテン語「riparius」(川岸の)に由来します。それが古フランス語の「riviere」となり、英語の「river」に引き継がれました。この語源を通じて、「川」はもともと川岸に関連するものであり、水が流れる場所という意味が形成されました。
「ライバル」の語源は、ラテン語の「rivus」(小川)から派生した「rivalis」です。この言葉は「川を競い争っている者」や「川を共同で使う者」という意味で、水源の確保から生まれた言葉です。英語の「rival」は、競争相手や対抗馬を指し、特に「好敵手」という意味合いが強いです

川で重要なのは川岸でありそこが港にもなるからである
それは日本でも川とは側(がわ)であり岸を指していたのである
だから共通性がある左沢(あてらさわ)というとあちら側であり岸を意識して名ずけられた
それはあちら側に渡ることを意識すらから名ずけられた
河本体より岸の方方が大事だったとなる




2025年09月30日

地獄にも清浄の月は輝く―月涼し、新涼の月、・・・

地獄にも清浄の月は輝く―月涼し、新涼の月、・・・

無間地獄の苦しみと刑期
無間地獄の苦しみは、他の地獄と比べても桁違いに重く、罪人の寿命も長くなるとされています。無間地獄に堕ちる者は、死後に二千年間、たった一人で泣きながら真っ逆さまに堕ちていきます。この地獄にいる罪人は、地下深くにある阿鼻地獄まで、二千年間落下し続けて到達します。その間にも、地獄から聞こえてくる声を聞かされ続け、恐怖心を煽られます

脚が骨折したからその老女は立ち歩くの難儀する、そのことを毎日嘆く、それは地獄から聞こえる声でもある
それを聞かされる方もうんざりする。その嘆くことが生きることでもある
それは無間地獄なのかとも見る、その脚が直らない限りその嘆きはやむことが無いからである
地獄は来世にあるわけではなくこの世にある。なぜなら病気が地獄を作り出すからである
老人になると病気に成り安いからである
つまり確率的に人間は誰でもこうした地獄を経験しやすい
病気にもいろいろありそれで苦しみ嘆く、それは死なない限り終わりがなく無間地獄にもなる


我が部屋に嘆き聞こえず月涼し
この世の地獄を離れ月涼し
我が部屋をのぞける月や嘆き無し
新涼の月や地獄を離れ見る
地獄にも浄化の月や輝きぬ
一時や嘆きはやみぬ月清し

この世にそ生きるは苦し月見れば心静かに浄められるかな


この地獄の中に月が光る、今日もまだ暑かった、だから夏の季語の月涼しが生きているともなる
今に時期は新涼になる。でも暑さが残るから月涼しにもなる。
ともかくこの世こそ地獄である。でもその地獄を離れて月は涼しく輝いている
それが救いともなる、延々と嘆きを聞いていたら嫌になる
地獄にも風流があるともなる

世の中は 地獄の上の 花見かな 一茶

まさにこれである。
一茶的な物の見方になる。確かにこの世は地獄でも自然の美はあり慰める
地獄の上でも清浄な月は輝いている、それは汚れることはないのである



2025年09月29日

独身で終わっても家族を持っても人間は不満で終わる

独身で終わっても家族を持っても人間は不満で終わる

人間は何にしろ不足がある。結婚しない人は老年になり助け合う家族がいないとか嘆く
では結婚しても三分の一が離婚しているし子供にも老後が頼れないとかなる
つまり結婚しても子供を持っても不幸な人はいくらでもいる
昨今は家族の繋がりも希薄化しているからである
人間はどんな人でも満足な人はありえない、何かしら足りないし不満なのである
家族を持っても不満な人はあふれている。
だから独身で独身を嘆くのもわかるが家族を持っていても同じなのである
別に独身生活で終わってそれはそれでその人なりの人生だったとなり悪いとはならない
確かに老後は一人で苦しくなる。でも今は福祉の支援でも整っている
つまりそれだけ家族がいない人が増えれば対応せざるをえないのである。

いずれにしろ人間の不満が解消しない、人間は結局は死ぬということで不満になる
何やかにやあってもみんな死ぬのである。それで平等だとなる
人間は結局神の子に成らない限り不満である。神の子という時特別な人でもない
才能とか生まれつきものでなく神の子になれる

人間は神の子であり得ることが不満を無くすことである
全能の神の子であってこそ不満がなくなる。そうでないかぎり不満を無くすことができない
神の子だから死ぬこともない、また神の国に入る約束が得られる
そもそもこの世では満足はありえない、何かが足りないとか必ず不満がある
家族をもっても不満がある。結婚しても不満があり離婚する。老後を子供に頼れないとかある。
人間は何か必ず足りないのである。

もちろん自分自身が苦しんだように独身の老後は悲惨になる
でも家族がいても悲惨な人はいくらでもいる。
毎日息子のことで不満であり文句を言う女性もいる。結婚しても子供を持っても不満なのである
人間不満の無い人はいない。
人間は本当はあまり望まないのがいいとなる。限りなく不満があるからである
いくら望んでも自分のいいようにはならない、人間関係でもならない、満足することはない
はない。要するに人間はどこかで不満があっても諦める。
とにかく健康であればいいとしてあきらめる。そうしない限り幸福にはならない
だから欲望を抑えろとなる。欲望は限りないからである。そしてそこに満足はないのである。