2018年08月18日

インタ−ネットで変わった放送 (情報の戦国時代となり百家争鳴になった)


インタ−ネットで変わった放送

(情報の戦国時代となり百家争鳴になった)

今回の高校野球は面白い、金足農業の逆転劇もドラマチックである
野球はプロ野球をずいぶん見ていない、王長嶋の時は見ていた
あれはプロ野球人気というよりテレビで放送されるようになって人気がでた
ラジオ放送だったりしたらマニアのような人しか関心がないとなる
テレビの影響は本当に大きかった
テレビの前は映像となると映画だがその時の俳優は映画で有名になったのである
映画館とかありニュースもそこで見ていたのである。
その時鉄道でフィルムが運ばれるから遅れていたのである。
リアルタイムでは放送されなかったのである。

現代を生きた人はテレビの影響が大きかった、テレビに出ればその人を問わず有名人になった、テレビに出ればなにしろ何百万人が見ているのだから影響力が大きい
テレビで取り上げらることはそれだけで有名人になる
今振り返ると本屋でもそうである、ごくわずかの本しか置いていない
それで冠婚葬祭とかの本が百万も売れたのである。
つまりこれは内容など関係ない、宣伝で売れたのである
テレビの宣伝だけで売れた商品はいくらでもあるだろう、内容より宣伝力がものを言うからである、それでテレビは絶大な力をもった、別に内容というより放送できるということで力を持っていたのである

ニュース解説でも放送でもテレビで放送されれば何百万人も見るからである
そして六局しかテレビで放送できないのだから独占だったのである。
するとマスコミでは放送によって独占できるとなる
世論でもマスコミが作ることができた、マスコミは単なる媒体ではない、会社が意志をもって放送する内容を決めていたのである
インタ−ネットだと一応目立たないにしろただの媒体,メデアだという感じになる
誰でも放送できるからである,それでも今はインタ−ネットでも操作されているという時代になった、それはインタ−ネットがそれなりにメデアとしてみんなが見るようになったからである。

メデアというと媒体という意味だけど実際は違う、媒体には機械的なものでそこに人間の意志はない、でもマスメデアであれマスコミではあれそれは明確に意志をもって報道している、だからこれが混同しやすいのである
誰でも言いたいようにマスコミを通じしてマスメデアを通じては言えないのである。
マスコミのマスメデアの方針にそって発言しているしその方針に逆らうことはできないのである。
新聞でも週刊誌でもメデア(媒体)と報道するものが一体となっていたのである
テレビでも放送するには莫大な金がかかる、新聞でもそうである、雑誌でも金がかかる
本だって出版するには金がかかる、その金をどうするのかというのが問題になる
それは会社の宣伝費でまかなうほかないのである。
だからマスメデアは媒体をもっているからそれで権力をもつようになったのである。

でもインタ−ネットになるとほとんど手間はかかっても無料で放送できる
それで中国の現状を討論番組で放送したがそれはyoutubeでも盛んに言っていたなと見た
youtubeだって今や放送局と同じなのである。個人の放送局にもなっているのだ
プログでもそうである、個人は総一億記者になってしまったのである
リアルタイムで写真でも動画でも出せるからである
そして何か自分でもしてみて放送するということが興奮することなのである。
それでこれまでのマスコミと同じく目立つためにわざと火事を起こしてそれを動画にとり視聴率を高めるとかあった、それは絶えずテレビで刺激的なことを事件を報道して視聴率を稼いでいるのと同じなのである。

アフィリエトとかで同じように宣伝費をかせぐからである。それはマスコミも会社から宣伝費をもらっているのと同じなのである。
それで会社から金をもらうと会社の意向にそうような記事を書かねばならないと言っているのもテレビと同じなのである
違うのはほとんど金をかけずに個人でも報道できるから会社から宣伝費をもらわなくてもできることが大きな相違なのである
これまではそういうことはできなかったのである

メデアが媒体だというときそれが目立つから何百万人の眼にふれるから会社でも宣伝として使おうとする、例えばテレビでなくてもコンビニでもそこに雑誌でも本でも新聞でも置けばその見出しだけを見ても目立つのである
書店でもそうでありそこは目立つ場所なのである。でも誰でも勝手に置くことはできないのである、本でも書店で目立つ所に置けば見る人がいるとなるからだ
ただ今や週刊誌や雑誌は買わない、インタ−ネットで月400円で見れるからである
ほとんどの週刊誌や雑誌はDマガジンで見れるのである。
すると読むにしても週刊誌一冊は読まない、目次をみて興味あるものしか読まなくなったのである
そうなるとコンビニに週刊誌が置くだけ目立ったがインタ−ネットでは目立たない
無数の記事から選び読まれるとなってしまうのである
まずインタ−ネットで目立つことは至難だからである
たたテレビと同じようにyoutubeにすると見られやい、たいして内容がなくてもやはり本読むより簡単だから楽だから見る人はいるなと思った

いづれにしろ今やインタ−ネット時代になると報道でも情報の流通でも戦国時代である
百家争鳴になったのである。
どんな人でも発言できる放送できる時代になったからである
そして放送するということは地域でも無数にあるから実際は無数なのである
なぜ自分でも不思議なのは自分の住んでいる場所の駅が無人駅になっていてそこを定点観測したことを報告している
駅長が一人でホームの草刈りしていているとか報告した
写真でも報告したりした、駅で放送するようなことがそんなにないと自分では見ていたのである。

でも駅にこれだけ放送することがあるということが自分でも意外だったのであるとすればどこでも定点観測して放送することがあると思った
駅でなくても病院であれ学校であれ会社であれ工場であれ農業であれ漁業であれあらゆる職業でも毎日ウオッチして報告することがあるとなる
それはでもみんなたが興味をもつ、これまでのマスコミでテレビで何百万人とか見るようにはならない、新聞でも福島県でも百万単位で新聞を見るのとは違うのである
福島県でも広いからである。
自分の場合は自分の住んでいる一万足らずの町を中心に報道しているからである 
ここでもインタ−ネットにより報道が変わったことだと自らしてわかったのである。

いづれにしろ何かを報道することは興奮することだと思った
それで津波の時にその映像をとることに夢中になって助けなかったとか問題になった
反省した人もいた、それはマスコミが今までしていんたことなのである。
まず刺激的な映像をとることが第一になるからだ、それが商売だからである。
その映像を見せることによってみんなが見ることによって会社からの宣伝費ももらえる、大勢見ることによって成り立つ商売だからである
だからこの辺で津波が起きたとき八沢浦が江戸時代の入り江にもどったと写真を出してのせた、それを相当の人が見たのである。
でも地元では現場では津波の後に泥に埋もれた幼児の死体を掘り出しているのになんなのだとしかられたのもそうである
それが自分はマスコミと同じようになっていたのである。
津波の刺激的な映像を報道したかったのである。
ただ無料だし宣伝するプログではない、金をもらっていないことが違っていたのである。別に金をもらわなくても人間は報道する本能があると思った
何か変わったことがあれば何でも口伝いでも伝える、口コミが常にテレビがなくても何がなくも人間はしてきたからである

ただインタ−ネットの問題はあまりにも放送する人がふえすぎたことである
プログしている人でも何百万にもなるとかなれば異常な多さでありそこから今度は読まれることは至難になるのだ、よほどのことでないと読まれないということにもなる
すると公的なもの国民として知るべきものや深く議論などして知るべきものがわからなくなるということはある、そこには確かにオピニオンリーダーのような人がいることはいるがその他にも無数に意見を言う人はいるからである。
そしてそこでもキケルゴールの言う水平化の原理が働くことになる
お前の言っていることはたいしたことはないとか水平化されて何が重要なことなのかもわからなくなるのである。指標となるものがなくなる
すると情報の海でおぼれるということもある、捕まる杭とか何かそういうものがないと判断できなくなるからだ      

インタ−ネットにもいい点と悪い点がありそれをうまく使えるのかということもある
ただマスコミとかマスメデアとか雑誌とか週刊誌とか新聞紙の時代は終わったというのは確かである。それはメデアをもっていたからでありそのことで力をもっていたからである新聞でもそれを配るには大変な金がかかるしテレビでもそうだったからメデアを独占できたからである、今はそれができなくなると報道するのでも内容が問題にされるようになったのである。
ただインタ−ネットではあまりにも数が多いので指標を見失うということはある
ただ個人でもメデアを報道する媒体をもったことは権力が与えられたことだったのであるだから中国ではインタ−ネットでも規制している、政府の批判はさせないのである。

丸森短歌十首(森の国で地理がわかりにくい)


丸森短歌十首(森の国で地理がわかりにくい)

marumorimap2.jpg
クリック拡大

みちのく戦国絵巻、金山城攻め、伊達輝宗、真冬の山城を攻める



春日さしなお雪厚く蔵王見ゆ金山城跡に我望むかな

長々と阿武隈流る丸森に海の近しも春日さすかな

一時は相馬の城と金山城夕べ桜や坂上り帰る

白石へさえぎる夏の山なれや丸森の領地伊達に属しぬ

森深く影なす中に陰々と苔むす岩に流れ清しも

阿武隈の川をそい下り瀬音かな山吹咲きて広き川かも

秋の日に大張りの名や舟に乗り岩の謂れを聞きつつ下りぬ

阿武隈の川の岸辺に栄えたる斎理屋敷や秋の日暮れぬ

丸森に展示したれる仙台銭伊達の歴史や秋の日暮れぬ

丸森の遠きや森の影なして帰りて相馬の秋のともしび

丸森の金山城を後にして相馬の城跡我がより帰りぬ



ある地域をみるときまず地理をみなければならない、ところがその地理といっても知ることが一番難しい、丸森とかなると近いから自転車で何回も行っている
ただ丸森は遠いと常に感じていた、飯館も遠いがそこには峠がありそれを越えることが容易ではないからである
ただ坂を峠を越える距離を行くということで心にその地理が刻まれるのである
車で行ったらあまりにも簡単に行けるからかえって坂を越えるとか峠を越えるという感覚はないし心に記憶されないのである。
だから旅は歩くのが一番いいがそれだと距離は行けないから自転車がいいとなる

丸森は風光明媚な変化に富んだ地域である、丸森とあるように森に深い場所なのである
それで米沢藩と相馬藩と伊達藩で森林資源をめぐって三つ巴の争いがあったことは有名である、それだけ森が深いのである、それでその森にまぎれて出れなくなった恐怖を経験した、この辺は阿武隈高原は飯館でもそうだが森の国なのである。
森がつづいているのである。飯館村でも7割は森なのである

ともかくその土地を知るには地理だというとき例えば鉄道だけではまたわかりにくいのである、坂を峠を越える感覚は鉄道にはないからである
そして丸森は相馬藩と伊達藩が争った場所だった
金山城は一時相馬藩の領地として城主になっていた
金山城は石垣は当時のまま残っているから貴重である
ここで伊達藩と相馬藩が実際に戦闘があり相馬藩は敗れて追い出されたのである
それをゲーム化したのがyoutubeに出ていたのも面白い

丸森を知るには相馬も知る、地理的にも知るというときやはりその距離の感覚も知るべきだとなる、それが鉄道と車ではわからないのである
丸森には相馬からだと三つ四つくらい入る道があるからだ
宇多川をさかのぼって行く所は山を分け入りダムがあるところから古田という地名の所から丸森に入ってゆく
他には森の中の細い道を分け入り上る道とかもあり青葉温泉の方に行く道もある
そして丸森も広いからわかりにくいと思った
丸森はまだ未知の領域が広がっていた、白石の方に行く所も山深い
丸森から入ってゆくが山にさえぎられていた、丸森は白石と近いから白石には伊達政宗の忠臣だった片倉氏がいた、そういう地理的感覚もわからないとその土地のことはわかりにくいのだ



タグ:丸森

2018年08月17日

秋めいた一日 (鷺内の社も障害者の学校が建ち変わる)


 秋めいた一日

 (鷺内の社も障害者の学校が建ち変わる)

 sagiuchiiii123.jpg
この風景も変わる


 駅長の草刈りするや無人駅秋めく風の吹きて淋しも

 鷺内の社に杉の木立かな秋めく陽の山の端に没りゆく

 田植えする女のありしも鷺内の神社に垂れ咲く藤の花かな 



今日は涼しかった、秋めいた風が吹いた、それで駅長がホームで草刈していたことを書いた

夕暮れには菊池の近くの鷺内の社を見て山の端に陽が没る光景が印象に残る
あそこの周りは田んぼだったが障害者の学校が建つ
これも大きく風景が変わることなのだ
前は御田母神のところはダイユーが建ち田んぼはなくなり社だけが残った
ここはまだ近くに田んぼが残るようだが学校だから敷地が広い
良くあそこの鷺内の社は見ていた
女の人が田植えしていた、そこに藤の花が咲いて垂れていた

故郷の光景は長い時間で作られたものである。人の営みがあって作られたものなのであるそれは津波で流された右田の松原でもそうだった
そういうものがなくなることはやはり景観というのはそこに住む人の血肉のよになっている
景観と一体化するのが人間なのである。だから景観が変わるということは実際は相当な影響をする、精神的な影響が大きいのである。

その鷺内の社にしろ長い時間のなかでそこに木のように根付いたものだからである。
そういうことは原発の避難区域で起きた、そこにも神社や社があり人々がそこで営まれ歴史がある、そういうものが失われたのである
神社とか社とか何か信仰とは必ずしも関係ないように思う
ただ豊作を祈るものとしてあるのが多いからだ
それは土地に根付いたものであり土地から離れてありえないものである

何か秋めいたというとき秋になったのか?お盆は終わったから秋だとなる
ただまた暑くなるらしい、残暑がつづくのか?
それでも季節の変わりは早い、前のような暑さはなくなるだろう
日本は季節の変化に敏感でありそれが文化になり俳句短歌が生まれた

ともかく景観が失われることは何か心まで失う感じになる
右田の松原はなくなりここもまた学校が建ち景観が変わる、景観は何百軒もの家が建って変わった、さらに変わるものがまだある,何かこの辺は都会化したのである。その影響のカ?何の影響なのか?あまり揚羽などが見えない、少ない、やはり何か影響で減ったのかもっと飛んでもいいような気がする

駅長が草刈していた (淋しいから一人一人が目立ち記憶される無人駅)


駅長が草刈していた

(淋しいから一人一人が目立ち記憶される無人駅)


駅長の草刈りするや無人駅秋めく風の吹きて淋しも 

原町の駅長が一人草刈り機でホームの草刈りしていた、前は二人で草刈りしていたのを見ている今回は一人で草刈していたのか?
普通駅長が草刈りするだろうか?部下がするものではないか?
あの駅長は前も来ているから知っている、時刻表を自分が置いた時ルールがあるからと断られたのでいい印象がなかった
何かそうであっても言い方があったかもしれないからだ

無人駅は淋しい、それなりに人の出入りがあるのだが一人一人が気になる場所である
それで声をかけて話したりする、駅は意外と話しやすい場所なのである
ちょっとでも話すとそこに何かを記憶する
駅でボランティアして気づいたことは駅は関所でもあり何か記憶する場所なのである
関所にはいいイメージがないが区切りでありそこは記憶する場所となる
関所とか境界がないと人間は記憶できない、関所があることで区切りとなり別の世界の入り口として意識するのである
今になると関所的役割があるのは駅だとなる
なぜなら本当は勝手に出入りできない,改札口があり駅員がいたからである
無人駅は出入り自由だがやはり駅があり改札口があることで外部の人が入る境界になるのである。
だから国境でも今は簡単に通過できるとき国というのも意識できなくなる
ヨ−ロッパではそうなっている、便利なのだが国を意識しにくくなるのである

駅が人が少なく淋しいということでかえって人がそこで一人一人でもそこで意識される空間になっていることに気づいた
まず高速のSAとかなると人を意識できない、群衆が流れてゆくだけだとなる
人が少ないことで人間的になっているのも不思議である
それは何か贅沢なことなのである。

小高の人が厚生病院に母親が入院して通うと聞くと大変だなとみる
なぜなら小高から電車で原町まできてまたのりかえる,原町と小高間は便数が半分くらいになるからだ,そうなると浪江でもそうだけど遠い感じになるのだ
その人は車がないからそうなっている、車がないと電車で来るほかないからである。
車がないと病院に通うとかなると不便なのである。
小高には病院がなくなったことも原因しているのである

ともかく何にもない無人駅だと思っていたがそこには人の営みがある、草刈ることでもそうだからである、誰かが維持するために働いているのである
ロボットがいて自動化してすべてたりるわけではないのである。
駅には鉄道には長い積み重ねられた歴史がある、それで鹿島駅は開通から120年すぎたことで花文字を作ったのである
常磐線でも120年の歴史がある、だから駅で営まれたものは一つの物語りであり歴史がある
昨日聞いた闇米がここから東京へ運ばれた話もそうである
その人は原高に蒸気機機関車で通い見ていたのである

今日は急に涼しくなった、風も秋風になったようである
今は自転車置き場を工事しようとしているから自転車置き場がなくなり無造作に置かれている
駅もこうして常に変化している、毎日一回は寄っている、ただ今は案内でもたいしてすることはない、でも駅は何か人間的な場を演出することを感じたのである。
それは皮肉にも人が少ない淋しいということで人が目立つからそうなる
もし逆ににぎわう駅だったら一人一人のことに関心をもてないのである。

無人駅蕗の葉大きく雨宿り

北海道の無人駅では雨宿りだった、北海道だと無人駅は本当に淋しいとなる
電車が来るのか来ないのかもわからないようになっている
そうなるともう淋しいなどと感傷的になっていられないだろう
いつ廃止になるのかとか深刻な問題となっているからだ
北海道の路線は歯がぬけるように半分は消えたのである。

グロ−バル経済を歴史的にふりかえる (東京に本社があり社長がいる問題)


グロ−バル経済を歴史的にふりかえる

(東京に本社があり社長がいる問題)

Economy"(経済)という言葉の語源を辿ると、"Eco-"はギリシャ語で「家・家庭・家計」などをあらわす"oikos(オイコス)"に由来する接頭語で、"-nomy"はギリシャ語で「法・秩序」をあらわす"nomos(ノモス)"に由来し、秩序や法則性、あるいは学問をあらわす語につく接尾語になります。つまり"Economy"というのは「家計の学問」という意味であり、いわゆる「家計のやりくり」から発展して今日の「経済」という意味になったものと思われます


経済学は家計から家政からはじまった、それがグローバルになり途方もないもう天文学的な世界の経済になった
日本でも働くという語源が端(はた)を楽にするというときそれは家のものが働くことで苦労しているから楽にさせたいいうことが起源になった言葉である
それは極めて狭い範囲で生まれた言葉なのである

グロ−バル経済というときこれを批判すること現代では必須である
ただそれを批判することは簡単にはいかない、グローバル経済とか資本主義とは何かという問題は大きな世界史的視野で見る必要が出てくるからだ
現代のグロ−バル経済はヨ−ロッパの大航海時代からはじまった
大航海できる技術が生まれたとき船が作られたときはじまった
グローバル経済になるにはまず距離を縮めることができないと成立しない
そのためには技術が発達しないとできなかった

大航海時代になりそれができるようになった、その時資本主義も発展した
株式会社の起源がこの船で大航海できるようになったとき生まれたからである。
その航海に投資する時株主が生まれた、その航海が成功すればその見返りが大きかった
ただ遭難して船が沈没したりするからその時は大損になったのである
それは今の株の世界とにている
それはオランダで発達してオランダが大航海時代に大儲けして豊かになったのである。
チューリップバブルが生まれたのもそのためである

距離を縮めるということでは蒸気機関車が発明されたことも大きかった
鉄道は世界に普及して距離を縮めることができたからである。
つまり船の次は鉄道でありその次は飛行機になり車になったのである
船でも帆船の時代から蒸気の時代へと技術は改善された
蒸気機関車でも電気で走るようになったとか改善されてゆく
つまり常に技術は改良されてそれに比例して距離は縮められるのである。

でもそもそもこうして利益を得たのはヨ−ロッパ諸国でありアジアは収奪の対象となったのである、植民地化されたのである
インドでもそうであり中国でも東南アジアでもイギリスの植民地化されたのである
日本だけはヨ−ロッパの植民地にされなかったのである
それが第二次世界大戦の基となったともみれる
ヨ−ロッパの延長としてアメリカがありアメリカに従わないものは征伐されるとなっていたからである
ヨ−ロッパとはインカ文明でもスペインに黄金を収奪されたように略奪者だった側面がある、アフリカから奴隷狩りして売買していたり収奪者だったのである。

ただグロ−バル経済は資本主義は外国から富を収奪するだけでは成り立たない
イギリスで産業革命があり蒸気機関車とか機械が発明されて大量生産ができるようになったこともある、大量画一生産は機械なしではできないからである
機織りでも手織りでしいたらとても大量生産はできない、手織りでしたものはだから高価になる、紡績機械が生まれたことで大量生産が可能になったからだ
現代のグロ−バル経済を作ったのはこうしたヨ−ロッパの距離を縮める交通手段の発達と大量画一生産のできる産業革命の結果である

ただそこから問題が生まれた、何事いい面と悪い面が生まれる
これは大局的な見方だが日本国内にしても距離が縮まることによりグロ−バル経済と同じような問題が起きていたのである。
例えば自分の住んでいる町は一万足らずである、でも工場がある、東北サッシとか友伸エンジニアとかある、その社長は東京に住んでいるのである。
それで社員が駅に迎えにくる、こういうことは全国であるだろう
会社が工場が地方にあっても社長とかは東京に住んでいるのである。
ということは地元に住んでいる人とか土地にそれほど関心をもたない
ただ地方で労働力をまかないそこで得た利益を東京で使うとなる
もし地方に住んでいれば地方で使うから金も地方に回るが回らないのである。
それは何かヨ−ロッパがアジアという遠い地域を植民地化して富を収奪したのとにているのだ、富が地元に還元されないのである

こういうことは原発でもそうだった、東電の本社は東京にあり東京で支持していたのである、それで吉田所長は事故の時独自に判断した、そのことで東京の本社と対立したのである、つまりそれは距離が離れていることで緊急時に対応できなかったのである。
こういうことは距離が離れていると緊急時に何が起こったかわからなくなる
いくら通信が発達しても事情がわからなくなるから対応できなくなるのである
それでローマ帝国でも離れた支配地域と中央のローマの政府の支持に従わない地方官が生まれた、その地方官が権力をもち中央に反乱することも生じた
それは日本だってそういうことが歴史にあったから共通している
遠くからだと統制ができなくなるのだ、満州で関東軍がそうなった
中央の指示に従わないで暴走して中国と戦争になったのである

確かに距離は交通手段の機械で縮めることができても依然として人間の意思疎通とかコミ二ケーションはむずかしいのである。
例えば東京に社長が住んでいると会社でも工場でも地方にあったとしてももし公害を出しても直接被害がないから無関心になる
また地元の人がどういう生活をしているかも関心がない、ただ地方は労働力を供給してくれてそこから利益をあげればいいとしか考えないのである。
それはグローバル的にも遠い外国で大企業の工場があることでも起きていることと同じなのである。

だから原発事故がなぜ起きたのか?東京に原発を作ることが正論だった書いた
もし東京に原発を作っていたらその関心度が全く違っていたからである。
すぐ近くにあるのだから関心度が違う、もし事故があったならじかに影響するからであるでも福島なら離れているからと無関心になる、そしてそこの土地のことはここと関係ないとなる、公害を出しても関係ないとなる
もし東電の幹部が住んでいたならそうはならないだろう、一番事故のことを心配するからである、家族のことを心配するようになるからだ
だから東電の人たちは福島に住むべきだったとなる、一部は住んでいたが幹部でも大勢で住むべきだったとなる、その時真剣に安全を考えるからである
離れていることはヨ−ロッパがアジアを植民地化したように富を得ればいい、その土地のことは二の次三の次になるからである。
これは国内の中央と東京と地方の関係だけどこれもグロ−バル経済の構造とにているのである

人間の生活はやはりその住んでいる場所からはじまる、そこが基なのである
だから経済のエコノミーが家政からはじまっている
そしてエコは循環だとかになるとその土地で循環する経済になる
つまり生活の場がこうして社長は東京に住んで会社や工場が地方にあることは本来の人間の生活からすれば無責任なのである
これは日本でも工場を労働力が安いからと外国に作ったのともにている
それはその土地の人々の富の収奪にもなっていたからである
そこにグロ−バル経済の矛盾がありそのシステムはヨ−ロッパの植民地と同じ構造ともなっていたのである。
つまり東京だったらどういう生活をしているかもうわからない
地元に住んでいれば社長でもその生活を見るし土地の人とかかわらざるをえないからあまり贅沢はできないとなる、社長だからといって貧しい生活をしている人が多くいたら無視できないのである。でも離れていれば土地の人とは関係なくなる
東京でどんな豪勢な生活していも見えないからわからないからである
グロ−バル経済とはそうした矛盾が必ず起きている

株とかで儲ける人は税金も払わずに外国で株を投資してもうけているとかいろいろ抜け穴がある、現実にタックスヘイブンでも日本では一人だけしか追求されていない
後はわからないという、何かその後も追求されていないのである
これもグロ−バル経済の中で富裕層はその抜け穴を知っていてできることである
こういうことは地方に住んでいるとしにくい、その生活が回りから見られるからである
グロ−バル経済とか資本主義はこうしてとびぬけた富裕層には莫大な富をもたらす仕組みなのである。
自分も株をしてみたが必ずリスクがある、ある時ギリシャ危機だとか北朝鮮危機だとか今度はトルコ危機だとかなんだかとこうして世界のことが常に気になり恐怖になりおちおち安心して眠れないともなる
そんな生活は何か変だと気付くべきである。
そんなことを心配していたらきりがないし別に関係ないとして江戸時代までは生きてきたそういう世界市場の中に生きていること自体が問題なのである。
そんなことで一喜一憂していたらきりがないしもう安心して眠れないともなる

いづれにしろグロ−バル経済とか資本主義は限界にきている、金融資本主義とは投資ではない、ただ右から左と金を動かしてその差益でもうけているだけなのである
為替差益でもうけるのと同じなのである。それは本来の投資ではないのである。
それがバブルとなり世界恐慌となる、資本主義はもう限界であり崩壊してゆく
グロ−バル経済資本主義は距離を縮めることからまず生まれた
でも距離を縮めることにも問題が生まれた
身近なことでも起きているのだ、人間は遠くとの関係より近くでの関係で生きるのがいいしそうでないといろいろな問題が起きる

経済でも同じである、それは地域が中央に収奪されることである
原発事故だってそういうことで起きた側面がある、距離を縮めた結果として起きた
交通が発達したことで起きた、江戸時代だったら300キロ離れていたらとてつもなく遠い距離にもなるからだ、そこと関係を保つには住むほかなるからだ
江戸時代にだから江戸に地方の藩の屋敷があったというのは幕府では手元に置いて支配するためである。離れていると支配できない、反乱することがある
人質だったとなるがやはり距離が縮めることができないとういことでそうなった
今なら新幹線と何時間飛行機で数時間とかなればそんなことをしないだろう
それでも距離を縮めることができても離れてしまうと人間の意思疎通とかコミ二ケーションができなくなり問題が生まれるのである。

原発を東京に作れというのは正論だった (人は住んでいる場所に一番関心をもつ)

2018年08月16日

津波で流された海老の隣の湊が実家だった人


津波で流された海老の隣の湊が実家だった人

(闇米の話)

闇米田購入拒否で判事

日本は戦争中、「配給制度」をとっていました。米、味噌、醤油、砂糖などの食料、調味料からマッチ、石鹸、ちり紙などの日常品までが、配給されていました。各家庭に、あらかじめ人数分だけの引換券(切符)が配布され、これを商品と引き換える方式です。こうした商品を配給以外の手段で手に入れることは法律違反でした。

  敗戦とともに、この配給制度はマヒしました。米の配給はわずかで、さつまいもやとうもろこしなどの「代用食」が配給になりましたが、それも遅配や欠配が続きました。
 人々は配給を頼っていては、食べるものを手に入れることができなかったのです。配給に頼れない国民は、法律違反とわかっていても、「闇市」と呼ばれる市場で食料などを手に入れるしかありませんでした。

 特に都会の住民が食料を手に入れるのは困難で、しばしば農村に買い出しに行くことになりました。それでも現金を持っている人はいいのですが、現金がない人は、衣類を売って現金を手に入れ、その金で生活物資を買いました。着ているものを次々に脱いで食べ物に換えていく様子が、まるで食用のタケノコの皮を一枚一枚はがしていくようだったので、「タケノコ生活」と呼ばれました。
 このころ、日本の国民にショックを与える事件が起きました。1947年(昭和22年)10月、東京地方裁判所の山口良忠判事(34歳)が、栄養失調のために死亡したのです。法律違反の闇市で食料を買うことを拒否し、正式な配給の食料だけで生きようとしたためでした。
 山口判事本人は、闇市で食料を売ったり買ったりしている庶民を「食糧管理法」違反で裁く立場にありました。
 法律を守る立場から、法律違反のヤミの食料に手を出すわけにはいかないと考えたのです。
 逆に言えば、当時の日本人は配給だけでは生きてゆけず、ヤミの食料に手を出さなければ死んでいたのです。  

951(昭和26)年7月3日、東京・上野駅で警察官による闇米の一斉手入れ。乗客は手荷物に隠し持っていた米を没収された。食糧統制下の戦後は配給米だけでは足りず、都会の人々は農家で闇米を手に入れてしのいでいた。組織的な運び屋を乗せた「闇米列車」まであり、取り締まる側とのいたちごっこが繰り返された。
<あのころ>闇米の一斉手入れ 上野駅で乗客を急襲

共同通信2018年07月03日08時00分

 闇米を買う列車の写真


その人は駅でおくさんの写真を鹿島駅を背景にしてとっていた
その人は「私は原高に通っていたんですよ、そこでね向かい側のホームの方が田んぼになっていて闇米を積んで運んでいたんですよ,日暮里に運んでいたんですよ」
「闇米の話は聞きましたよ、家の人も仙台まで買い出しにとか行った話聞きましたし」

その人は原高だというとき戦後原高に通っていた、自分よりは年上である
なぜなら闇米のことを実際に見ているとなると戦後まもなく物がないときの話である
だからその時配給米でたりなくて盛んに闇の流通があった
ただ米を東京まで運んだとすると相当な時間がかかるし金をもかかる
蒸気機関車の時代だったからである、時間でも八時間かかる 
ただ金になるから東京まで闇米を運んだとなる

その時農家では食料がありかえって豊かだった、第一農家では納豆まで作っていたとか鶏がいて卵を食べていた、卵はその頃食べらなかった、卵が食べられるようになったのは戦後十年以上たってからなのである。
それで自分の家では店をしていたがその卵を農家に買うことをさせられていた
それは自転車でしていた、箱に糠をつめて割れないようにして運んだが必ず一つ二つ割れるのである、それは道が舗装されていなかったからである
真野川の橋でも木の橋でありゆれるから怖かった
その頃は何も物がないから物があれば売れた時代だったのである

まず戦争が終わったとき食料不足が深刻だった、だからそういうとき子供が団塊の世代が爆発的に増えたのに良く育ったとふりかえれば思う
食料もないのにそんなに大勢の子供が育ったことの不思議である
アメリカからの食料援助はあった、脱脂粉乳などが学校で配られたがまずかった
戦後十年は貧乏だった、炭がエネルギーであり囲炉裏が街内でもあった
過去をふりかえるとなぜそんな極貧の食料もない時代に子供が爆発的増えて育つことができたのか?それが今少子化になっていることと比べると不可解だとなる
なぜなら今なら食料はあふれているし捨ててもいるからだ、子供に食べるものがないということはありえていからである。

その人は湊出身でありその湊の40軒くらいあった家は全部流されて何もなくなった
その人の話を聞けば面白かった、駅にはそうしたここに住んで老人になった人が結構来る今日来た人の話を聞けばこれも郷土史の一端を語るものだった
戦争の話は姉がシンガポ―ルに従軍看護婦として四年間いたから嫌というほど聞かされたそれは認知症になってもからもそうであり死ぬ間際まで語って死んだ

その人はその闇米のことを知っているということは自分より十年くらいの年の差があるのか?それにしても自分だって蒸気機関車の時代を経験しているのだから年とっている
ただ記憶があいまいになっている、
残念だったのはその人ととは数分も話できなかった、すぐに電車が来たからである

いづれにしろ時代を象徴する事件というものがある、判事が闇米を拒否して餓死して死んだのもそうである

渇しても盗泉とうせんの水を飲まず・・・とはこのことである

戦争とか戦後でもその話が無数にある、でも戦争を経験している人も死んでゆく
現実に今戦争を経験している人はその頃小学生とか中学生の人である
戦後の食糧難の時代を経験している、つまりギブミーチョコレートの時代の人である
その時アメリカに負けてなんでも食べ物が欲しいからそうなった
そのことが日本人の精神を退廃させた、アメリカに負けて貧困化して何でもいいから食べ物をもらえばいいとなったのである
その後経済でアメリカに追いつこうとした、高度成長時代になり団塊の世代はただ経済的豊かさを求めて企業戦士となって働いたのである

戦後70年で一時代がつくづく終わった、団塊の世代は豊かな時代を生きた
ただこれからは日本は厳しくなる、すでになっている、貧困化している
ただ時代はこれからの人が作るのでありではこの後の50年はどうなるのか?
それは世界情勢にしてもわからないのである
戦後の焼け野原から高度成長時代になることはその時予想もつかなかったからだ

戦後70年で津波とか原発事故があったのも大きな時代の区切りだった
何か日本はいろいろな方面で疲弊したのである、だから改革がまた望まれるのである
戦争が終わった時はかえって既得権者とか今までの組織などが財閥などでも解体して
発展したとなるからだ、戦争は大きな破壊だったがその後に新たな日本が生まれた
それは明治維新ともにているのだ、明治維新から70年で戦争になりアメリカに敗れた
そしてまた70年すぎて大きな変革が迫られているのである
70年が時代の節目であり何かその時規制のものが崩壊してゆく、制度疲労をしてくる
だから改革しないと日本は衰退して後進国並みになる
その兆候として観光立国とかカジノとかを作り売りこむのはまさに後進国的発想なのである

ともかく駅はいろいろな人がくる、それでちょっとで話すと面白いし郷土史を知る場にもなる、お盆だからそういう人も来る、ただ高速のSAのセデッティの数とは比べようがない千倍もの人間の数の差があるかもしれない、ひっきりなしにお盆で来ている
どちかとういと高速は家族連れが子供連れが多い、それで子供の遊び場まで用意してあるでも高速は人が多すぎてそこが会話することはできないからつまらないとなる
どういう人が来ているから全くわからないからである
でも高速と鉄道の差はあまりにも大きいと思う、それだけ車社会になっているのである
ただ東京辺りから来るのだったら新幹線できて鉄道でも便利だとなる
でも実際は車で来る人が多いのである

タグ:闇米

2018年08月15日

失われる故郷や家の記憶 (精神的なもの目に見えない価値は受け継がれにくい)


 失われる故郷や家の記憶

(精神的なもの目に見えない価値は受け継がれにくい)

双葉町には特攻隊を訓練した飛行場があった、それは原発のあった地域でありそれを記録するもの伝えるものがいなくなった、地域はばらばらになり崩壊した
記録でも記憶でも伝えるものがいなくなれば伝えられない
記録や記憶はやはり共同体がないと伝えられないということがある
なぜならそうした歴史の記録とか記憶はその共同体にとって重要なものとなっていたからである
津波の記録がこの辺で二行しか記されていなかった、700人溺死としか記されていないでも一応記されているのだからそれが嘘とは思えないから津波があったとみる

不思議なのは最近リバースモゲージとか家を担保に銀行で金を貸すという
そこで家の価値は耐震性があるのが第一であり後は省エネになっているとかである
家の価値は日本では10年過ぎると半分に下落するという
それは家というのを土地とか家という建物しか見ていないからである
建物は価値がなく土地だけだとなる、それで地方では家に価値がないから銀行ではそういうことはしない、それを価値をあるものと見ないからである

この辺で起きたことはこうした故郷とか家で営まれたものの価値は賠償されない
なぜなのか?それは金で計ることができない価値だったからである
だから賠償の対象になるのは家でもその建築物であり土地でありその他は賠償対象にはならない、それは土地や家のように具体的に見えるものでないからである
家というのはただの箱ではない、そこで家族が長い間暮らしたものとてし家がある
するとその家に精神的価値が付与されているのである
日本では家というというときただのハウスではない、家というとき代々の家という意味もあり侍だったら御家中となっていた、お家大事になっていた
それは建物だけを言っていたのではない

その家で暮らした人なら家族の思い出としての家がある
外からの人だったら家はた快適に安全に暮らすものとしてしか見ない
そこでどういう営みが行われていたか考慮しない
そこは単なる一区画の土地であり家という建築物でしかないのである
ただその家で自殺者が出たとかなると縁起が悪いとかなり売れない
それはやはり家には何か建物だけではない、何かそうした住んだ人の何かがまとわりついている、だからただそれを家という箱のようにみて古い家を買ったりして住むと災いを受けるとか不安になる、それは人間には物は物ではない、ものには心がつくものだからである

故郷とか市町村でもその地域地域によってかもしだす雰囲気がある
その雰囲気はやはりその土地土地で長い歴史のなかで作られた来たものである。
だから避難区域になった所で人が住まなくなった、廃墟の街となりゴーストタウンになるでも依然としてここに住んだ人たちが幽霊となっても住み続けているという感じになる
先祖が故郷には代々生きて葬られているからである。
それは墓だけではない、その土地全体になお生きているという感じになる

家族がみな死んだが自分の家にしてもそうである
何か長く一緒に家族が生活したということでその記憶がこの家からにじみでてくる
なおまだ家族がいるような気分になるのが家なのである
ただ他人から見れば外部から見ればそうしたものは何の価値もないのである。
ただ耐震性とか安全性とか利便性とか値段しか関係ないのである。
そういう物の怪(もののけ)とか何か精神的なものは金で計れない、だから賠償の対象にならないのである。
でも本当はそういうものに価値がありそれが失われたことが大損失だと気づく人もいるだろう、それはいくら賠償金もらっても取り戻せないものだからである。

津波で流された江戸時代からあった右田の松原は貴重だった
それは単なる木ではなく長い間故郷の原風景として心と一体化したものだった
だからそれがなくなったことは精神的な面でも喪失したものが大きいとなる
それはもう二度とありえないものとなりただ記憶としてしか残っていないのである
そして次の世代の人は何もわからない、ただ風力発電の風車が回っていることが風景となったからである
江戸時代にあったものでもそうである、江戸に縦横に水路があり舟が行き来していた
その中で生きていた人たちがいてその風景と一体となっていた
それは高層ビルの谷間になりもう回復できない、その時代にあったものは永遠に回復できないのである、その時代に戻ることは絶対にできないのである。
ただ残されたもので想像の世界でしかありえない、でもその想像する時その当時のものとはまるで違ったものとして想像しているかもしれないのである。

こうしたことでこの辺では人が住まない区域ができて相当に金で計れないものを失った
いくら賠償金をもらってもそれをとりもどせないのである
人生でも決してもう一回やり直すことはできない、過去にもどることもできないし青春にももどれないのである。
人間は金で計れるもので生きている、毎日の価値を計るのは金である
食料でもいくらで買って得した損したとかで暮らしている
でも金で計れないものが人間関係でもその営みのなかに生まれている
ただそれが金で計れないから意識しないのである
空気が最も大事なものでも意識しないと同じである
ただ故郷を失うとか家族が死んで残ったものは記憶でありそれが貴重なものだとしても
他人には外部の人には価値として計れない、見ることはできない

鉄道を利用しないのに鉄道を廃止させたくないというとき鉄道には長い歴史がありそこに人間の営みがつづけられてきた、出会いがあり別れがありそこに様々な人間の営みがつづけられてきた、何かだから駅でも鉄道でもレールにさえ愛着を感じる
何か哀愁を感じるのが鉄道なのである。それはただ物を人間を運ぶというたげではない
人間の営みが演じられたものがそこに付着しているからそうなる
だから鉄道がなくなると淋しいとなるのはただ鉄道という物や人を運ぶものがなくなるのではない、そこに営まれた人間の汗と涙でも付着しているからである
そこに何か哀愁が生まれる、ただ人が乗らないとかもう鉄道は不便だからいらないとなるが一旦廃止にしようとすると反対があるのはそれは鉄道は長い歴史の中で単に物を運ぶとか人を運ぶものではない、人間の営みとともにそこに人間の情がのりうつっているからである。高速には車には何かそうしこたものを感じないのである

人間は毎日金のやりとりで金で価値を計って生活している
でも人間の営みにはそれだけではないものが必ずある
それは金で計れないものでありそれこそ貴重なものだったと意識させられる時がくる
それは人生の最後に来るかもしれない、本当の価値は金にはなかったな、ともに苦労して喜び、悲しみ生きたことだったなとかなり涙を流す
青春時代の歌を歌って涙を流している人がいた、それはその時代が永遠に戻らないからである。失わたものは永遠にもどらない、それは時代でもそうである
過ぎ去った時代は永遠にもどらない、そこは想像の世界であり決してその時代に生きた実感ではありえないのである。
その時代に作った俳句でもその時代でしか作れないのはそういう時代が過ぎ去ったからである、それを体験することは不可能だからである、ただ想像する世界としてしか過去はありえないからである。右田の松原は何の痕跡もなくなったようにそれはただ記憶としてあるだけである、次の時代の人は全く想像すらできない、なぜならその片鱗すらも何も残っていないからである

posted by 老鶯 at 21:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

人間は二つのものを同時に得られない (得るものがあれば失うものがある)


人間は二つのものを同時に得られない

(得るものがあれば失うものがある)


人間はつくづく二つのものを得られないようにできている
才能だってそうである、一つのことができてもあらゆる才能はない
知能に優秀な人がいても体力がない、体力があるとしても知能に劣るとかなる
一般的にはそうである、でも知能に優れて体力も優れている人もいる
そういう人はうらやましいとなる
なぜそんな人がいるのかと不思議になる

人間はそもそも二つの能力を兼ね備える人はいない、何か優れていることは何かに劣っていることにもなる、知能でも知的なものでも何かに詳しくなれるとしてもいくら天才でもあらゆることに詳しくなれる人はいないのである
なぜ天才でもそれほど成果がでないということもある
それは人間の生きる時間が限られているからである
あらゆることに優れた人はいないのである   
天は二物を与えずである

そしていくら天才でも天分があっても発揮できない人が本当に多い
時代によって環境によってできない、そしてたいした才能もないのに環境とかに恵まれてそれなりに才能を発揮できる人もいる
だからいくらいい天分をもっていたとしても才能があっても発揮できないことがつくづく多い
この人は医者であり文学的才能もあり武道家でもあったが病で病室にとじこめられて最後は早死だった人もいる
どうしてそうなったのかわからない、いくら恵まれてもそうして無念に死ぬ人もある
たいして才能なくても何かそれなりに才能を発揮したとなる人もいる

いづれにしろ何かも備わった人はいない、何かに必ず人は欠けている
神だったらオールマイティである、神だけがそうであり人間は何か欠けている
その人が活きるかどうかはまた時代と環境にも影響される、だから優れた人でも何も力を発揮せずに終わることもある
たいして才能がないのに時代によって英雄にされたりする
明治維新ではそういうことが起きた、その時代が英雄を作ったのでありその人間ではないのである
現実に現代のような社会になるとそんな英雄は生まれ得ようがないからだ

人間は国によっても地理によっても運命づけられている
国によって地理によって恵みも違う、日本は海に囲まれて海の幸に恵まれているとか海が防壁となって侵略されなかったとかなる
でも逆に海によって閉ざされて大きくなれなかったとかともなる
それぞれの国にそうした地理的制限が必ずありその地理的制限の中で生きてきたしそこで歴史や文化を作ってきたのである。
一つの国であらゆるものに恵まれた国はないのである

この辺でつくづく感じたことは漁師がいたとしてその人たちは実は東電に漁業権を売り渡していい生活をしていたのである
それはどういうことなのか?二つのものを得ようとしたのである。
東電に漁業権を売りいい生活をする、もちろん魚もとるのだがそれは別に魚をとることだけに専念することではない、東電の補償金で事故前も事故後も十分だったからである
要するにここでも二つのものを得ようとしていたし実際に得ていたのである
でもそれができななかった、原発事故でそうなった
確かに船主などは事故前も事故後も補償金を十分にもらえるから変わっていない
でも周りからなんで漁業関係者は手厚い補償金がもらえるんだとうらやまれることになった、事故前からそういうことはあったにしてもそれはしかたないものとして容認されていたしそのことについて文句をおおぴらには言えなかったのである。
事故後がそうはいかなかった、周りの目が厳しくなったのである
そんなことが許されるのかとなった、そのことは前にも書いた

この辺では漁業関係者だけではない、二つのものを得ようとしていたのである
原発で金を得て豊かになりたい、その気持ちが非常に強かった
そして原発で豊かになりまた一方で自然とともに生活をするとかなる
両方を得て生活したかったのである
現代人は二つだけではない、ABCDと欲しいものがあればみんな欲しいとなっている
欲が限りないのである。そこに落とし穴があった

人間は何かを得れば必ず何かを失うという法則のようなものがある
江戸時代をふりかえると貧乏だけどそこに景色もいいし車もないからのんびりしていいと今では見る、でも現代は豊かになってもそうした景観は破壊されている
義理人情すらない金だけを求める殺伐とした社会になっている
それは江戸時代にあったものが失われたからである。
その代わりに豊かになった、贅沢できる時代になった
時代的にもなんでも良くなったというのではなく何かを得れば何かを失っているのである原始時代の生活が悪いかとなるとそうでもない、狩猟でも何でもその生活は今と違って興奮するものであり面白いものであったともなる
鹿を獲止めてそれをみんなで食べるとき充実感があったとなる
でもそういう生活を失った時今度米が食べられるとなったがそれで狩猟時代にあったものは失われたとなる

人間は何かを得ると必ず何かを失っているのだ
青春とかはたちまち過ぎて失う、あっというまに白髪の老人老女になっている
でもまた老人になると何でも深い見方ができるとか経験からいろいろなことがわかるとかなる、そういう知恵とか悟りとは若い時は得にくい、だからいくら本読んでも理解できないことが多いのであ

要するに人間は二つのものを同時に得られないようにできている
青春には体力があるが知恵はなく深い見方ができない、それで芸術なども深く鑑賞できないのである。
だから二つのものを同時に得ようとすることが間違っていたのである。
二つのものは得られない、都会で豊かな生活ができるが田舎には田舎の良さがある
自然の中でゆったり暮らすとかある
でも田舎では給料も安いと質素な暮らしする、都会のような贅沢はできないとなるが田舎には田舎の良さがありそれで満足するとなる
しかし今や田舎ではその両方を得ている、でも本当はそういうように世の中はできていない、飯館村などでも原発事故で住めないようになっても多額の補償金をもらった
ありあまる金を得た、でも何かを失った、他の避難区域でもそうである
何か常に二つのものを得られないのである。

でも人間は二つも三つも四つも得ようとしている、その欲が限りないのである
宗教などは本来は世俗に分かれていてこの世のものを得るものは天のものは得られないとなっていた、でもカルト宗教団体でも宗教は世俗でも聖なるものでも一緒になっている
政教分離というとき政治と宗教は別物であり一体化すべきではない
でも人間は世俗的なものと天なるものも得よとしている
この世のものも天国的なものも得たいとなって活動しているのが実体である
この世の欲を認めているし宗教団体の方がこの世の欲を増進させているのだ
だからどこでも何百万人もの会員がいる
それだけ数が多いことは世俗化したことなのである、だからこそ増えるのである

人間は二つの物は得られない、そこにこの辺の問題もあった
原発で豊かになりたい、貧乏は嫌だ、農業とか漁業とかでは今は豊かになれない
ただその二つのものを得ようとしたとき両方失うということもあった
第一人が住めなくなるということはもう最悪である
何でもいい故郷に住めればいいとなる、いくら豊かになっても故郷に住めなくなればもう終わりだとなる、それで事故後は蝋燭でもいいから家族一緒に故郷で暮らしたいとまでなったのである
人間は二つのものを同時に得られない、どんな国でもそこには良いことと悪いことがある貧乏でもそうである、その中で良くしようとするのがいいとなる

本当は漁師は魚をとり供給することで故郷に生きる
農民は米や野菜を作りそれで生活する、農民は米や野菜を漁師に提供して互いに豊かな生活となる、でも魚をとりさらに東電に漁業権を売り渡して富を得る
そこに問題があった、そしてその両方も失うということがある
確かに別に補償金もらって同じように豊かな暮らしができてもそれが回りから許されないものとして見られるようになった

金があってもそれですべてが満たされるない、金があることで失うものがある
人はまずその金に目をつけるからだ、それで本当の愛は得られないとなる
金でなんでも買うことはできないからである。
金がなくていいということではない、金ですべてが得られることはない
愛などでも買うことはできない、金がいくらあっても買うことはできない
人はただその金を求めるのであり愛は関係ないからである
金を得て得るものがありまた失うものもある
つまり両方を得ることはできないのである
今の時代ほどう豊かな生活をしている時代はないがそこにたりないもの失ったものがあるいくら科学技術が進歩したとしてもこれは同じなのである。
進歩とは何か新しいことを得ることだがまた同時に何かを失うことなのである
そうなると進歩がすべていいものとしては働かないことを知るべきである
核を発明したことは科学技術の進歩である
でもそれと同時にその核によって甚大な被害があり核戦争になり人類が滅びることにもなるとしたらそれはいいものではなかったのである。
むしろ進歩しない方が良かったとなるのである 

結局個人の人生でも国でも世界でも歴史が残すのは教訓である、失敗したとしてもそれが教訓として後世に残される
それを鑑みて今生きることの指針にする、人間は過去から学ぶことはできる、そして未来は実は過去からくる
維新とあれば明治維新でありこれは実はもともとあったものを改める新しくするという意味である
全く新しいものではないのだ
ともかくこの辺では津波とか原発事故で後世への教訓を残した
それはここだけではない、他でも世界でも教訓とすべきものとなった
ここでは様々なことが問題となりそれを解決する方法もなくなったからである


2018年08月14日

雲の峰(今日は雷が鳴った)


雲の峰(今日は雷が鳴った)

summercloudd123.jpg

summercloudd12344.jpg

玄関に配達の人雲の峰

新築の家の多しや雲の峰

雲の峰高空に飛ぶ夕燕

雲の峰に光放ちて陽は没りぬ

見回せばまた新たに雲の峰

雲の峰崩れてはたつ見回せば

雲の峰50羽ほどの鷺帰る

雷鳴りて四方にひびき夕燕 

隆盛夏雲
生々流動
変幻自在
飛廻燕哉

夏の雲次々に変化する、今日は夕立ちがあり雷が鳴った、一雨ふって終わった
毎日近間をぐるぐる自転車で走っている
同じ場所だが自然には変化がある

鷺の巣が川岸の竹藪にあり50羽ほどが集まる、夕方になると次々に帰ってくる
この辺では一時鷺はいなくなったり減ったがまた増えた
田ん゛が増えたためである、それでも田んぼは前より少ない
ただ50羽ほど鷺がいることはなんらか餌がありここに生きられるためだろう。

写真をとるにしても意外と自然の変化が速いので対応できない
いい景色は瞬間的であり瞬間を逃すと二度ととれない
夏の雲それだけ変化が激しい、今日は今年初めて夏に雷が鳴ったのも不思議である
まだまだ夏はつづくのだろう、暑いしぐったりして疲れる
でも夏らしい夏となり夏を十分に味わおう、それでこそ実りの秋になる
もうすでにお盆なのだから秋にもなっている、でもまだまだ夏なのだろう








タグ:雲の峰

故郷の失われた風景(実りと松と漁の船)


故郷の失われた風景(実りと松と漁の船)

matufurusato1.jpg


故郷は実りと松と漁の船

釣り人や松原の影涼しかな


故郷の原風景がこれだった、松原があり実りがあり海を見れば漁に出る漁船が見えた
これも実際は今になると失われていた
漁の船といっても東電の原発ができてからは漁師は多額の補償金で暮らしていたことがわかったからである
漁業も農業と同じだった、金にならないとか後継者がいないとかなり東電に漁業権を売り渡して生活していたのである

ただこの故郷の原風景は津波と原発事故前は変わりなかった
それが松原は根こそぎ流されて一本も残っていない
風力発電の風車がまわり津波のために土盛りして高くされた
この風景は何なのだろうとなる、それは火力発電者ができたときもそうだった
でもまだこの原風景は残っていた、今はない

右田の松原は江戸時代からの物であり松が古く太いのが多かったからいい松原だったのである、松川浦の松原は新しく細いからいいものではなかった
だからあの松原がなくなったことはショックだった
ともかくあまりにもこの辺は変化が激しかった
これほどの変化があるとはイメージもできなかった

ただ今やその風景は記憶にのみあるだけである
でも津波の後に原発事故の後に生まれた人はもうそこに松原があったこともわからない
つまり原風景として記憶に残っているのはその松原と親しく接していた人なのである。
夏だといつも自分は松原の影で休んでいた、海からの風が涼しかった
釣りの人もいた、釣りの人は今でも来ている
でも松原はなくなった

秋になると実りがあり松を見ていた、松は何か日本人に最も親しい木であり人のように見えるのである
松は質実なものとして人間の友のようにある木なのである
ただ日本の原風景は戦後の高度成長とかから白砂松原の風景は失われていた
コンクリートの防波堤になり失われていた
でも一応松原の風景はあった、それも喪失したのである、そして二度ともどってこないのである。

時代劇をいつも見ているのはそこになごみがある、その風景になにか落ち着き心もとけいるとかなる,それは江戸時代辺りは日本の原風景の中にまだ生活していたからである。
ビルもないし車もないし人々は貧しくても自然と調和して生きていたからである
ただつくづく時代は変わる、そしてその時代をもう生きることは経験することはできないその時代に生きたということはもう再現はできない、同じ経験はできない
だから過去をイメージするとき何か必ず間違ったものになる
それは過去はイメージの想像の世界になってしまっているからである
もう現実にありえない世界となっているからである。
タグ:松原 実り

2018年08月13日

コンビニ強盗で逮捕されたのは、南相馬市鹿島区の会社員・小松 悟容疑者(35)。 (原発事故の多額の補償金でモラルが崩壊した)


コンビニ強盗で逮捕されたのは、南相馬市鹿島区の会社員・小松 悟容疑者(35)。

(原発事故の多額の補償金でモラルが崩壊した)

28日未明、福島・南相馬市鹿島区のコンビニエンスストアに包丁を持った男が押し入り、現金を奪おうとする強盗未遂事件があり、35歳の男が逮捕された。

駅で小高の人に話を聞いてびっくりした、新聞とっていないからわからなかった
六号線のコンビニで強盗があったという、その人は双葉の人だと言っていた

なぜ双葉の人が強盗するの?

まだ避難区域になっているから十二分に補償金をもらっているはずである
みんなそれでうらやましがられている、だからなぜなのか?信じられないとなる

実際に鹿島では新築の家が次々に建った、豪華なのは庭が広くて家も大きい
それは船主の家が多いかもしれない、この前あったのは磯部の人であり船主だと思う
二人はそうである、つまり鹿島には相当に外部からの人が移ってきて家を建てている
この前は浪江の人が新しい家を建てていた
まず船主だと金には困らない、事故前も事故後も十分な補償をされているからである
汚染水でも漁業組合が東電と交渉すれば上積みされる
だから魚をとるより補償金で十分に暮らしていけたしそこに原発御殿が建ってうらやましがられていたのである。それは船主であり他の人はもらっていないからだ

その小高の人は鹿島の厚生病院に母親が入院して電車できている
車がないから電車で来る、でも電車だと原町から一時間おきではない、半分以下になるから不便である
その人も補償金のことなのか?兄弟五人いてもめているという、ハンコ押してもらうのに離れているから困っているというのもわかる
何か大きな金が入るともめるのだ
その人が言うには飯館村で酪農家が9億円もらったという、それ本当なの?
双葉辺りでも酪農家はもらっている、牛一頭いくらと補償されているのかもはしれない
大熊の酪農家が5億円もらっていたというのも聞いた
事業している人も多額になる、それで浪江の事業している人が仕事くれと仲間に言ったらお前ら金もらっているから仕事する必要がないだろうと言われたという
何億もの金をもらっているからである

今小高の人は浪江は5000万多くもらっていると不満になっている
まずこの辺ではこうして補償金のことが飛び交うだけなのである
第一酪農していたらもうけることもわずかである
それで飯館村ではまでいな村として県内でも所得が最低だったのである
それがもし本当に9億円も入ったらどうなるのか?
完全にモラル的にも狂い崩壊する
そういうことがあり一時金をもてあました人がいわき市で札びらを切って歓楽街で遊んでいたから顰蹙をかった、新築の家も次々に建てたから地元の人にうらやましがられて事件も起きたのである

何か原発事故以後この辺は多額の補償金をもらいモラルも崩壊した
小高の人が仮設でフィリンピンの女性を引き入れていたとか聞いた
金があまっているからそうなったのである
飯館村では残る人と金をもらって外に出る人たちで争っている
本当かどうかわらないにしても9億円とかもらったらもう完全にモラルは麻痺する
当然補償金もらって村を捨てる、働く気もなくなるのである
それで水俣病の時も補償金をもらうことで堕落して復興もなにもできなくなったと言う人がいたがここも同じである
もうモラルが崩壊しているのである

飯館村は素朴なまでいな村だとかなっていたし実際そこの人とかかわらなくてもそこの雰囲気は何か花が高原の村に映える場所だったのである
それが原発事故以後変わり果てた、土は削りとられむき出しになり放射性廃棄物の山となってしまった、そうして荒地化したのがその心も荒地化した
ただ補償金をむさぼりくらう餓鬼のようにこの辺ではなったのである
今になると小高はそれほどもらえないとも思った
ただその人により財産により額は違っている、だからその額でまたうらやましがり争うことにもなる
一時は小高と鹿島は険悪な状態になったのである

原発はそもそも事故前からそうして金になるものとしてこの辺の人はむさぼりついた
金になればいいしかなかった、それで小高に東北電力が原発を建てるときすぐに賛成した小高の大工さんは金になるからいいといっていた
みんなそうである、金になれば食らいつき何でもいいとなっていたのである
金の亡者となっていたのである
そもそもがここだけではない今の資本主義社会はみんな金を求めてモラルが崩壊している自分が介護して病気して苦しんでいる時も狙うの金しかなかった
それで事業に失敗した人は自分を殺すのではないかとまでなり恐怖になった
金に追い詰められた人しかこなかったからである
もはや他人は人ではない、金でしかないのである。
こいつからいくら金がとれる,金にならないなら関係ないとなる
どうしてそうなるのか?その欲が深いし限りないからである
見栄えもある、俺は成功者だと吹聴していたからである
そして借金してまで豪華の家を建てる人も普通にいたのである
そうなっているから金のためになんでもすると事故前からこの辺ではなっていたし世界的にもそうである、金がすべての世界になっていたのである

いづれにしろ飯館村でもモラルは崩壊した、までいな村とかの村作りどころではない
9億円もらったらそんなものふっとんでしまう、豪勢な浪費家になるのか?
何になるのか?その金で何かもめてくる事件も起きるのかとなる
ただ双葉の人がなぜ強盗までしたのか?
その理由が金がないからだとしたら全く解せないことである
ただ鹿島区にはとにかく外部から入ってきている人が多くなった
それだけは確かでありそこで事件が起きることもある
その外部といっても今は工事関係者ではない、双葉とか大熊とか浪江とかでも入ってきているからである、そこで地元の人と軋轢が生じることもあるかもしれない
ただそういう話はここでは聞いていない
小高の人が仮設に入っていたときは人が多いし補償金を鹿島の人はもらえなかったのであもめていたのである。

その人たちは毎日パチンコでありギャンブルであり遊びほうけていたからである
ただ最近鹿島でも高速は無料になったとかはある
小高、原町、鹿島と南相馬市は合併しても補償金で分断されたのである
ただ補償金でも浪江でも飯館村でも小高でもその内部でも財産に差があり補償金に差がある、酪農家とか事業している人は法外な補償金になっていることは確かである
船主もそうである、だからそういう人は豪勢な家を建てたのである。

いづれにろこの辺は補償金がいくだとかしか話題がなくなった
みんな血眼になって補償気金をもらうとするだけである
その額が大きすぎたこともありそうなったのである
その差もあるからまたそこで内部的もに分裂しているのである
だから人間は金は必要でもそうして法外な金が入ることは危険になる
常識とか平常心とかモラルがなくなる、金にもの言わせるような人も出で来る
その人たち飯館村だったら牛を飼い貧乏だか山で山菜をとり素朴な生活をしていたのである、自分はかかわらないにしてもそういう村だからこそ癒しがあった
こうなるともう癒しもなにもない、ただ光景としても殺伐であり人心も殺伐としたものとなった、までいな村などもうない、ただ補償金をむさぼりくらう人たちしかいないとなってしまった、いくら立派な学校を建てても大人たちの人心は荒廃してしまったのである
そういう場所には花が映えるだろうか?それが残念でしかたがないとなる
それが飯館村の人の責任ではないにしろそうなった事実があり悲しいとなる
posted by 老鶯 at 13:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2018年08月12日

田舎から考えるグローバル経済 (一本一万円のキュウリの味)


田舎から考えるグローバル経済

(一本一万円のキュウリの味)

kukuboo1.jpg

kannnaa11.jpg

キュウリをもらったけどそさが太い、こんなにキュウリが太いのかと驚いた
売っているものは細いからである、味も違う、うまいものだった
硬くなく柔らかいキュウリなのである
今はハウス栽培のを買って食べている、だから天然の露地ものの野菜を知らない場合がある、近くで市が開かれるがそこのトマトは露地ものでありうまいものだった
でも後で一個500円にもなって買わなくなった
近くの市場では何でも高くなる、だからスーパーで買った方が安いのである
それもグロ−バル経済広域経済のためなのである

なぜこの太いキュウリが一万円だとしたのか?
それは実際はもっと高くついている
肥料代と種代と農薬代とが自分が払ったからである
そこでもらったのはこのキュウリだけである
だからもっと高くついているのだ
でもそれが高かったのかというとそうでもない
農業についてじかに知ることができたからである
そういう勉強代に払ったとなる

農業する畑をもつことの意味がどういうものかわかったということがある
自分はちょっと草取りなどしても何もしない
でもその土地でとれるものを食べることその味は格別なものがあると思った
そう思うようになったのはこれまでも書いてきたが畑が例え趣味でしてもどれだけ大変なものか肌で知った
毎日草取りだしキジの被害は大きい、他にもモグラだとかネズミだとか虫に食われるとかの被害も常にある、それから必ず盗まれるのも困る
そういうことを毎日聞かされたから農業がいかに大変なものを肌で知ったからである。
だからこそもらったキュウリは格別なものとなったのである。

スーパーで売っているものはどこでとれたのか?どうしてとれたのか?
そうしたことは一切わからない、ただ金を払えば買える
だから金の方が貴重だとなる、食料がとれる過程が全くわからないからである
苦労なども全くわからない、ただ気にしているのは値段だけだとなるからだ

もらったキュウリはこの土地でとれたものであるということも価値があることだった
この住んでいる場所でこういうものがとれるんだということを実感する
すると買うより豊かな気持ちになる、その富はこの土地から生み出されたからである
戦前とかその後で自給自足的な生活は戦後十年くらいまではつづいていた
何故ならエネルギー炭だったから炭は近くの山の木材だったからである
たいだい周りにあるもの地元にあるもので生活していた
家を建てるにしても地元の木材をとり建てる人も地元の人だった
今は家は外材であり建てる人も外部の人であり地元の人も材料も関係ないのである。
そういうときそこが故郷なのか?
故郷とは何かというときこれもなかなかわからないものだった

故郷とは与えられたものではない、ただあったものではない、それは先祖が田畑でも切り開き作りだしたものである、家があるとしてもそれは先祖が作り残したものだとなっていた、戦後開墾に入った場所が全国で多い、この辺でも浪江の津島辺りでも開墾に入り切り開いた、それで結束が強いというのもわかる
そこは放射能被害で住めなくなった、放射線量が特に高い場所だったのである
そういうふうにして苦労して開墾して住んだ人たちはそこが第二の故郷になる
それはただ与えられたものではない、苦労して切り開いたからこそ故郷なのである
故郷とはただ与えられるだけでは故郷にならないともなる
故郷はそうして作り上げられるものがあって故郷となるのかもしれない
俺たちはここを苦労して切り開き田畑にして住めるようにしたとかなる
それは北海道を開墾して住んだ人たちもそうである

逆にこんなことを自分が言うがそこで働く人はそうはならない
いくら農業しても金にならないとして農業したくないというのが現実だった
それはあまりに過酷だったからそうなった
農業だけはやるな親に殴られたという人は原発で働き工事現場で働いたのである
そこは金になるからである、とても農業だけで生活できない、そして時代が変わったからである

その畑で野菜を作る人にしても実は貧乏であり誰かが援助しなければ畑もできない
畑で野菜を作っても金にはならない、実際は十倍もの金がかかるのである
いくらこの土地でとれたものだから価値がありうまいと言ってももし農業して生活することはできない、,小遣いにもならない、赤字なのである
でも何かその土地でとれるものを食べることは買うのとは違った充実感がある
充足感がある、それがやはり自然だからだろう
みんな普通はその土地の恵みがあり生きていたからである
地球の裏側か食料が入ってくることは異常なことである
グロ−バル経済は何か異常なのことなのだが慣れれば普通になってしまう
飯館村でも山菜を山でとって暮らすのが普通でありただ買うだけの生活になったとき不安になったとかなるのもわかる
飯館村が貧乏でもそこに暮らすもののメリットはあった
それはどこでも何かしらその土地に恵みがあり生きるメリットがあるのだ
だからこそ地球は多様な恵みがあり多様な文化が生まれたのである

畑にはカンナが明るく咲いている、そして実りがあった
その時買うだけの生活ではない、充足感を感じた
それが故郷となるのかもしれない、今のように買ってばかり生活していたら金が一番大事になり別に金さえあればどこにでも住んでいいという感覚になる
だからこそ今は金で買う生活だから一億円もらったらみんな故郷を捨てて簡単に流出したともなる
前から一億円もらったら故郷を出るのだがという若者も多かったからである。
自分でもそうだが金だけにたより金で買うことばかりの生活だそうなってしまう
そこが故郷となるのか?ならないからみんな流出したともなる

ただ正直人間は矛盾した存在である。いくらそうはいってもやはり金がないなら趣味の畑でも故郷の土地からでも実りはないとなる
でも実感として一万したとしてもそのキュウリにはそれだけの価値があったなと思った
それはそれだけその畑と自分もかかわったからだともなる
何か矛盾しているのだけどもその価値を認識した、それは理屈ではない実感である

畑にそカンナの咲きて夏の雲湧きあがかなここに生きなむ

カンナが畑に明るく咲いていた、そして夏の白い雲が湧きあがる、その時この土地に生きることを実感した、農業している人は自然と一体化するからそれを実感するのである
自分の場合はただ花を見ていただけである
だか今回畑で野菜を作る人とかかわりこの土地との一体感を感じたのである
ただ矛盾しているここに生きるとしてもその人自体も金がなくては生きられないのである医者通いもしているし年金ではたりないとか生活できない
それでも畑がもっている意味とか故郷とかその土地の意味とかが何かをじかに知ったということはあった、田舎だと本当は農業を知らないとわからない

ただ今は田舎でも農業を知らない、農家に嫁いだ人は何も知らない、土さえ触ったことはない、夫は会社員だし妻もそうである
田んぼは委託しているし花さえ作っていないからだ
その女性は古い農家に嫁いでも農業のことは何も知らないのである
今はみんな会社員だとすると田舎でも農業のことを知らないのである
一応田畑があるから見ているけど農業を知らないのである。

posted by 老鶯 at 20:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

無人駅でも管理者がいなと困ることがある (忘れ物ではない、捨てていったバッグ)


無人駅でも管理者がいなと困ることがある

(忘れ物ではない、捨てていったバッグ)
baggg1.jpg

その女性は大きなスーツケースとバッグとか紙袋とか荷物をたくさん駅に持ち込んだ
とてももちきれない荷物だった、それで今度はスーツケースに入れていた
荷物を小さくするためである、自分はそれを見ていた
その女性は中国人である、中国人はここに裁縫の会社があるのでいつも一定数来ている
来るのは前の満州地域である
だから仙台空港からだと飛行機で意外と近い、北京でも三時間だからである
気軽に行き来できる距離なのである

その女性はホームにでても荷物を整理していた、そして去って行ったのだが
大きなバックを残していった,それはいらろくなって残して去った
中には何も入っていなていからだ
でも駅員が無人駅を回ってきてなぜそこにこのバッグがあるかわからないだろう
忘れたものなのかとも思いとっておく、JRでは忘れ物を管理している
たいがい返ってくる、そういうのは日本だけだろう

でもこのバッグがなぜあるのか?
それが誰もいないからわからないのである
そのことで原町駅に連絡した、すると見回りに来るから理由がわかっているからこれはどうせ誰もとりにこないということで処分できるのである
そうでないといつまでも置いておくほかなくなる
今日見たらそのバックは置いてあった

そのバックは韓国製なのか?
韓国語と中国語の漢字で書いてあった、手に取った感じで相当な安物である
そんなもの日本ではもっていかない、盗みもしない
だから駅舎に置いたままになっているだろう
そして見回りにきた駅員が持ってゆくが事情がわかっているから処分できるのである

こうして無人駅には人がいないと困ることがある
管理者がいないから困るのである
もしかしたら監視カメラに映っているかもしれないがそこは映る場所ではなかった
改札口の方を写しているからだ,ただ大きな荷物をもった中国人らしい女性は映っているとなる、でもその女性がバックを置いていったということはわからないだろう

鹿島駅は結構人の出入りがある、だから誰か管理者がいないと困ることがある
ただ正直金がかかりすぎる、今度は自転車置き場を市の方で直す、トイレは障害者団体に金をだして毎日してもらっている、何かと金がかかりすぎるのである
だから維持するだけで手間と金がかかる
それでローカル線はみんな赤字になるし維持できないとなる
ただ常磐線はそれなりに乗る人がまだいるからいい、それでも赤字である
新幹線に乗る人が多いから新幹線とのつなぎであるとなる
後はこの辺では昨日も大阪に行くとか名取から飛行機で行く人が多くなっている
中国人の女性も名取から飛行機で中国に帰ったのだろう

今はお盆の時期だから多少出入りが増えている、地元に住んでいて嫁に行ったとか墓参りに来る人が多くなるからだ
いづれにしろ何でも無人化できるのか?
それはできないと思う、AIとかロボットで人はいらなくなるというが必ず人は必要なのである、全部を管理はできないからである
ただコスト削減で人が一番金かかるから会社ではそうするのである
でもそこにも問題がある、そういう社会が本当にいいのかどうかはわからないのである。でもコスト第一だからどうしても資本主義社会ではそうなる
民間になったら余計にそうである,だから国鉄時代だったら多少は無駄ができたからその方が良かったという人もでてくるのである

2018年08月11日

原発を東京に作れというのは正論だった (人は住んでいる場所に一番関心をもつ)


原発を東京に作れというのは正論だった

(人は住んでいる場所に一番関心をもつ)

人間は住んでいる場所に一番関心がある
当然住んでいる場所だといろいろ直接影響するからである
原発でも浪江だと請戸港から原発の煙突が見えるのだから関心をもつ
角のことはからないにしてもそれだけた近くにあれば関心をもつ
もし事故が起きたならどうなるのかなど想像する人もいる
でも離れていると関心をもたないのである

なぜフクシマに原発を東電で建てたのか?
それは300キロ離れていれば東京は安全だと思ったし
とても東京では反対があるから建てられないとなり福島に建てた
すると東京に住んでいる人たちも安全だとなり容認した
そこが間違っていたのである
東京の人たちも離れているからいいや,こっちには関係ないだろうとなる
東京の人たちも無関心になっていたのである。
でも東京に原発が作られたら恐怖で四六時中監視する人もでてくる
東京には科学者とか技術者がいるからさらにうるさくなる
常に原発はそうした人たちの監視にさらされるから安全を完全にしないと運営できなくなっていた

ところが福島とか離れると東京の人たちも関心が薄れる、安全だとなり容認するようになっていた、そこに落とし穴があった
人間は住んでいる場所だとささいなことでも気になる、この辺では土を削りとられた所が多い、それを毎日見ていると景観的に嫌だなとなってしまう
それは毎日見ているからである、見ざるをえないからである
一時的にいるなら通り過ぎるなら嫌でも離れれば見ないからいいのである

人間は住んでいる場所だったら身近だから自分のことのように考える
でも離れてしまうと他人事になってしまうのである
原発事故の避難区域でも故郷から離れて暮らしているとやがて住んでいた故郷のことでも無関心になってしまう、そこが何になろうと関係ないとなってしまう
土地をもっているけど放射性廃棄物になっても金にならからいいやとかなる
もし住んでいたらそんな危険なものは置くなとなるが離れていると関心がなくなるのである

だから人が住まないとどうなるのか?
その住む場所に誰も関心がなくなる、別に放射性廃棄物でもあってもいいやとなる
金になるからいい、どうせそこに住んでいないのだからいいやとなってしまうのである
住んでいれば住みやすいように自ずと努力するが住んでいないなら関心もなくなる
そこはやがて放置され原野化して政府の土地となり放射性廃棄物場になりやすい、現実住んでいないのだから反対する人もいないからである
住んでいないことは実際は権利を失っているのだ、だから土地でも空き家でもそうして利用されていない土地でも家でも所有の権利を失うのが自然なのである。

それにしてもすでに小高に東北電力の原発が建てられる工事まではじまる予定だった
そこに建って事故が起きたら南相馬市とか相馬市とかには住めなくなっていたのである。でもそのことを知っている人も少なかったのが怖い、何か報道でも取り上げないとそうなる、原発を建てる土地を買い知事の許可があれば原発を建てられると法律ではなる
それが異常なことだったのである。
事故になれば南相馬市でも相馬市でも住めなくなる
その時は南相馬市は合併していない、だから小高だけで決められることにもなっていたのも怖い、原発というのはこのようにあまりも建てるにも広域的な議論もなにもなかったのである。ただ地元の大工さんは景気良くなるよとしか言わない
地元では金のことしか関心がなかったのである

人が住まないとそこは無関心地帯となる、それが自然の原始の状態にもどるわけでなはい政府のものになり放射性廃棄物となったり何か他のよからぬものに使用されたりする
そこには誰も住んでいないのだから反対する人もいないからである
そしてそこに住んでいなければもともと住んでいる人も無関心になる
ただ何でもいいから金になればいいとなり土地を売ることになる

例えば無人駅でもそこを管理する人がいない、すると勝手にされるということがある
確かに監視カメラとかついていたり隣の駅で見ていたり連絡はできるが無人駅ということはその駅を管理する人がいないのである。
そうなると許可なしに何かをする人がでてくる
ボランティアで善意でもJRではどうにもならないともなる
いくら自動化しても全部責任を持てない、ロボットは責任を持たないからである。
無人化することはどうしても勝手にされるということをさけられないのである。

いづれにしろ東京に原発を建てろというのは正論だった
それができないなら原発は建てるなともなっていた
でもその正論は正論にもならない、何か風変わりなSF作家が提案していように見られていた、そういう本も出ていたが隅に追いやられて冗談かとまでなっていたのである。
それほど「安全神話」は強固に作られていたのである。
それは核が庶民にはわからないこともありそれ故にさらに強固な安全神話が作られた
日本の技術は優秀なのだといううぬぼれもあった、そもそも核と原発の技術はアメリカが基でありアメリカに指導されて作ったから日本の技術力で作られていなかった

そしてアメリカでは古い型のマーク1の原子炉を商売として売りつけていたのである。
これは明治維新の時古い武器を売りつけられたのと同じだったのである。
つまり自国の技術力でやれればいいのだがアメリカはアメリカで日本は遠いから無関心になり危険なものでも自分に及ばないから古い型の原子炉をうりつけたのである。
自国だったら身に危険を及ぶからそういうことはできないのである
国は国で離れていると無関心になり危険がないから親身にならない
ただ金儲けとして危険なものでも売りつけるとなるのである
ここにグロ−バル化経済の問題がある、自国だとうるさいが外国だと安全は食品でもなおざりにされる、どうせ外国人が食べるのだからいいやともなるからだ 

「遠くの親戚より近くの隣人」というように親戚でも遠くになると何しているわからなくなり無関心になってしまうのである、むしろ日々顔合わせている地元の人の方が頼りだとなってしまうのである
報道でも福島県の福島民報とかあるけど民友もあるけど福島県でも広いから福島の市町村単位でそこに住んでいる人が報道するのがいいとなる、なぜならそこに住んでいる人が一番関心があるからである
真野側で水質検査をいつもしていると放射性物質はどのくらい高いのかと気になるのである
それは近いからそうなるのである。だから福島県でも広いから報道はそこに住んでいる人がすべきだとなる
それがインタ−ネットである程度可能になったから自分も報道のようなことをするようになったのである。

posted by 老鶯 at 09:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2018年08月10日

蝉の声、カンナ(小高の街にひびく蝉の声の不思議)


蝉の声、カンナ(小高の街にひびく蝉の声の不思議)

kumoitooo1.jpg

kannnaa11.jpg

sagiwater111.jpg

雨しとと勤めの人や蝉の鳴く

蝉の鳴く定時に来る電車かな

農家の庭の広しも芙蓉かな

街中の古木聞き入る蝉の声

真昼間や高鳴りひびく蝉の声

入り混じり遠く近くや蝉の声

明るしや畑に人なしカンナかな

客よれや6号線にカンナかな

鷺一羽水辺の深く影写す


避難区の街に残りぬ古き木の根を張り聞きぬ蝉の声かな

誰をかに向かいて蝉のひたすらに鳴きにし声聞くべかりけり

人なしに空家にひびく蝉の声聞く人なしも帰らざるかな   

蜘蛛の糸一本なれど揚羽蝶とらえ離さじ巧みなるかな


小高で不思議だったのは街の通りに人はなく蝉の声だけがひびいていたことである
小高の街の通りは歩道もあり駅前から長いから鹿島よりずっと良かった
鹿島の通りは歩道がないしほとんど人が歩いていない
人が減ったのではない、前からそうだったのである
駅前通りも死んでいる感じになる

蝉の声というときこれも誰も住んでいない街に鳴いていたらその声は誰が聞くのだろうとなる
小高の街で目についたのは古い木だったのである
そして帰ったのも老人が多いのである、老人は古木とにている
その古い木が蝉の声を聞いていたのである
ともかく依然として帰った人は増えたが空き家の街である 

知っている人がしている畑があるけどそこに今日は人はなくカンナだけが明るく咲いていた
何か畑でも肥料だ、種だ、農薬だと金がかかりそれで金を要求される
そしてキジに食われた、盗まれた、モグラに食われた、ネズミがでる・・・
こういうことを常に聞かされるので嫌になる
これまでは自分はそういうことにかかわらなかった、でも何か現実の生活にかかわらざるをえなくなったのだ
現実の生活は花ばかりきれいだと見ていられないのである
そこには嫌なことがあり人間関係でも嫌になるのが田舎なのである。
ある人は知っている人と会いたくないからこの道を通っているというとき田舎では常時監視状態にあるからそうなる
四六時中監視されているのである
だからカンナだけ明るく咲いているのが気持ちいいとなる

飯館村などは時々行ったとしてもそこの人間とはかかわらなかった、だからよかったともなる
人間と実際にかかわれば嫌なことが必ずあるからだ
ただ花だけを見て帰るなら嫌なことはないのである。

今日は蒸し暑かった、でも夕方は涼しかった、この辺の暑さは峠を越えたように思う
それでも夏バテになりぐったりしたのである
西のように暑かったら地獄である、住むのも嫌になるだろう
避暑に行きたくなるだろう、35度が連日つづくとしたらもう住む環境でとなくなる
なぜこんなに暑いのか?偶然なのか?地球温暖化でないとしたら何なのだろうとなる
40度近くになるともう住む環境でなくなるからだ
ここは気候だけは暑からず寒からずだから過ごしやすいから助かったとなる

蜘蛛の巣に揚羽が一羽とらえられてばたばたしていた、農家の広い庭である
その蜘蛛の巣は大きいものだった、でも巣の真ん中にひっかかったのではない
はずれた端の方の一本の糸にひっかかっていた
蜘蛛の巣でも何本もの蜘蛛の巣にひっかかるならわかる
一本くらいで動けなくなるのか?
芥川龍之介の蜘蛛の糸という小説があったがそれは一本の蜘蛛の糸をたらしてそこに人間がはいのぼってくる光景だった
つまり蜘蛛の糸は一本でそれだけ強いものがあるということになる
一本の蜘蛛の糸にとらちえられた揚羽はそうだったのかもしれない、それで蜘蛛の巣をとりはらい揚羽を逃がしてやった
これは自然の一つのドラマだったとなる

鷺が水辺に映っていた、増水したから水辺が深くなっていたのである。
自然というのは同じところにいてもつくづく変化する、その変化することで飽きないとなる
同じ所に住んでいると見るものも同じだから飽きる、でも変化するから飽きないとなる    


kobokuodaka1.jpg
震災より7年過ぎた小高の不思議(短歌十首)
(故郷は古里で古きを守る場なのか?)




河の俳句から歴史をたどる (淀川から外国の河など)

河の俳句から歴史をたどる

(淀川から外国の河など)

rivermoon12.jpg

朧月大河をのぼる御舟かな 蕪村

夏の月御舟のぼるや塔の影


商人の河下り来る秋の暮(ドイツのハイデルベルグ)

河曲がり落葉の公園古き都市

石橋の古りし市の門秋深む


交通手段として旅客専用の三十石船が登場しました。米を三十石積めることから三十石船と呼ばれたこの船は、全長約17m、乗客定員約28人で、曳き船が必要な上りは約12時間、川の流れに乗れる下りは約6時間で大阪と京都・伏見を結びました。


淀川というとき昔の状態がまるでわからない、それは東京でももう江戸をイメージできないと同じである、東北だと平泉などは近いから風土的にも一体感がある
それでイメージしやすいが大阪とかは繁華な都会になっているからほとんどイメージできない、特に離れているからイメージできない、大阪でも江戸でも水の都だったということがイメージできない、だから現代の旅は意外とつまらない、ただ高いビルとか密集した人家を見るだけだとなる

淀川に大きな船が通っていて荷を運んでいたとか人を運んでいたかともイメージできない第一淀川がどう流れているのかもわからない、大阪だと外から来てわかるのは大阪城だけだとなる,生駒山があって高いなとは感じたが大阪の地理は都会化してわからない
だからイメージすらできないのである

だから「朧月大河をのぼる御舟かな」の蕪村の句はいい句だなと思うときそういう実景があって作られたのである。この御舟は荷物を運ぶのとは違う、何か貴族の人が裕福な人が乗っている舟なのだろうか?淀川の昔を彷彿とさせる光景である
淀川は当時運河のようになっていたのである
京都とも通じていたから淀川は交通路としてあった

洗ひ衣(ぎぬ) 取替川(とりかひかは)の 川淀の 淀まむ心 思ひかねつも
  〜作者未詳 『万葉集』 巻12-3019
  
 川で洗濯していた、取替える川にかけてこの歌を作った、この頃すでに淀む川がありそれで淀川になった

日本では何か川というとき船が行き来するのが少ない、外国だと中国でもヨ−ロッパでもどこでも大きな河があり河は運河のようになり交通路となっている
第一ナイル川でもそうだがガンジス河でもドイツの父なる河のラインでもそうだが四大文明が河から生まれていることでもわかる、河を知らないと文明がなぜ起こったかもわからないのである、そこで日本では大きな河がないから外国のことを理解しにくいのである

菜の花や運河に豚を運ぶ舟

これは中国の運河に一夜乗って見た風景である

千里菜花
運河行舟
豚運農民
大陸結河

中国の河は雄大だから想像を絶するものなのである、それは日本にいてとてもイメージできないからだ、ガンジス河でもライン河でもそうである
日本に大きな河が欠落していることが外国を理解できないとなるのだ
地理的に理解できないことが致命的なのである

ただそれでも江戸時代辺りは船運が盛んであり淀川でも利根川でも船運があった
最上川は一番有名である

川上とこの川下や月の友 芭蕉

これは川で結ばれていたことを如実に物語っている、それは経済的にも荷が運ばれて結ばれていたからである。
ヨ−ロッパだと川が運河となり交通路になりその川沿いに都市が生まれた、そしてハンザ同盟とかの商人の連合体が生まれたのも河が運河のようになっていたためである
ハイデルベルグもそうしたネッカー河の河畔に発達した都市である
そこに公園があり落ち葉ししてゲーテがここで瞑想にふけったとかあり納得した

夏の月御舟のぼるや塔の影

これはイメージしてし作ったから良くないがそもそももうそういう景色がないのだからイメージするほかないのである
何かテレビで淀川の岸に百済の五重塔が建っていたというの見たことがある
そこには塔が建っていた跡が残っているが塔はなくなっている
ただ百済寺は現実にありそこは広い場所である   

百済王 敬福(くだらのこにきし きょうふく)
当時、聖武天皇は東大寺大仏の建立を進めており鋳造まで終えていたが、巨大な仏像に鍍金するための黄金が不足し、遣唐使を派遣して調達することも検討されていた。全国にも黄金探索の指令が出されていたが、これまで日本では黄金を産出したことがなかった。天平18年(746年)4月に敬福は陸奥守を石川年足と交替して上総守に転任するが、9月には従五位上へと加叙を受けて陸奥守に再任されている

すめろぎの 御世栄えんと 東なる みちのく山に 黄金花咲く 大伴家持

玉縁のある粘土紐巻の丸瓦に、ヘラ書で「天平」と文字を刻んでいます。これにより「天平」と年号のつく年代(729〜766)に建物が建てられたと考えられます。
宮城県の涌谷が金がとれた場所であり時代が記されているから貴重である

塔の影というとき百済の五重塔だが今はないがその影が見えるということになる
百済をイメージすることは韓国をイメージすることに通じている
百済が滅びた扶余に行ったことがある
百済が滅亡したとき政治的難民として日本に逃れてきたのである。
ただその前に伽耶がありそことの興亡があり伽耶大和は一体であり伽耶は大和の日本の出城的な役目を果たしていたという説もある、伽耶は特殊な立場にあった
つまりこの伽耶であり百済でもいかに日本に影響したかを物語っている

陸奥(みちのく)の真野(まの)の草原(かやはら)遠けども面影(おもかげ)にして見ゆといふものを

この短歌が自分の住んでいる真野だとなり草原(かやはら)は伽耶に由来しているのではないかという説を自分がたてたとき大きな韓半島の歴史を合わせてみると見えるものがある、ただ伽耶(かや)とか百済とか渡来人の歴史は隠されたので不明になったのである。ただこの歴史は一方的に伽耶とか百済が日本を指導したというのではない、何か逆に日本が任那があったように日本府があり伽耶は日本の出張所のようになっていた
伽耶に関しては相互的なものであり一方ではないのである。
そして謎は伽耶はやがて蝦夷と一体化して大和王権と対立するようになったことである

東北は日本の歴史で大阪とか関係ないように見えても深く関係していたのである。
ただ河から見る歴史が日本ではイメージしにくいのである
外国はまず河から見る歴史が現実であり河の役割が大きかった、それはその河がいつも流れているから身近なのである。
河を知らなければ文学でも詩でも絵画でも外国を理解不可能なのである
外国の文明は文化でも川とアイディンティティ化して生まれているからである
この詩でもいかに河と魂が一体化しているかわかる、こういうことが多いのである
ヘルダーリンの詩もライン河なくしてありえないのである。
中国でも河なくして語ることはできないからである。  
  
朧月大河をのぼる御舟かな 蕪村

淀川の舟運は 「日本書紀」にも見 られるように、仁徳天皇30年 の秋 、皇后磐之姫が船 を曳
いて淀川 ・木津川(山 脊川)を へて山城国筒城(綴喜)へ 向か ったことを記 しているように古
くか ら舟運があ ったことがうかがえる 

淀川三十石船は京都と大阪間(約44.8`)を繋ぐ快速船で「早上り三十石」「早舟三十石」と呼ばれ、現代の新幹線のようなもので、多いときには162隻が就航し、一昼夜で上り下りをしたので合計320便、一日9000人が往来したことになります

この句が夜に作られている、淀川を夜に運行していた、それも良くわからない、淀川はまだ自然の河であり危険でもあった
帆掛け船なども運行していた、古代から運行していたので想像上の船かもしれない、蕪村には実景を見たとは限らないからである
ただこの俳句は河と舟と月が一体化してなんともいえぬ情緒をかもしだしている
それは淀川がただ流れている河ではない人間がかかわる河であったからだ、運河のように利用した河だから外国の川と似ているのである。
それで川下に堤が作られたのも早い時期に人工化した河だともなる
春風や堤長(なご)うして家遠し」これは自然の川ではない、人工化した運河のような河になっていたからできた句である
実際にこうした大きな河は氾濫して被害を与えているからだ、堤ができたとき安心して河に向かえる、運行もできるとなるからだ
旅というとき今つまらないのはこうして河の船旅などができないことである
大阪などでも行っても大阪城しかわからない、琵琶湖は残っているからわかる
もう想像するほか見ることはできないのである。



2018年08月09日

芭蕉と蕪村の五月雨の俳句の鑑賞

芭蕉と蕪村の五月雨の俳句の鑑賞

raingold1.jpg

samidare1.jpg

五月雨のふりのこしてや光堂 芭蕉

五月雨や大河前に家二軒 蕪村

この二つの俳句は対象的である、芭蕉の俳句は歴史的時間性の中で金色堂を俳句にしている、

文治元年(1189年)奥州藤原氏滅亡
松尾 芭蕉 寛永21年(1644年) - 元禄7年10月12日(1694年11月28日

芭蕉が平泉を訪ねたとき500年も過ぎていたのである、それだけの時間の流れがありこの句ができた、現代のように変化が激しくないから時間の感覚は江戸時代前は違う、時間の感覚は鉄道とか自動車社会になると変化する
電車とかでも車でも早く過ぎる,すると時間も早く過ぎるように思うのである
だから車のない所に行くと原発事故で避難区域になった所では時間が止まったように感じた、そこには芙蓉でも車が通らないからゆったりと咲いていたのである
車がひっきりなしに通っていればそう感じないのである
江戸時代までは自然の時間であり文明的人工的空間の時間とは違う中に生きていた
時の鐘でもおおざっぱであり一秒一分刻みではない、それで現代人は常に時間に追われている

江戸時代まで自然の猛威を感じる世界である、芭蕉の五月雨の句も自然の猛威の中で朽ちているはずの金色堂が一つだけ輝き残っていたことに感嘆した
後は堂塔伽藍も焼失したからである、そういう歴史を時間を感じる俳句である
五月雨に自然の猛威に押し流されてもいいはずだが残っていたという感懐である

一方蕪村の五月雨の句は

心細い二軒に住む人間を撮り始めると、次々にカット数がふえて行く。家族全員の表情を描写するだけでも、かなり面白いものになる句の表面には人の気配など全くない。それでいて、人間はどうなっているのだと考えないではいられない。それは蕪村の句にドラマがあるからだ。

この句は芭蕉のように自然に融合するのではなく懸命に大河があふれて流される危険の中で二軒の家が耐えている
自然の猛威に対して抗って存在しようとする二軒の家である
そこの二軒の家の存在の重さを示している、懸命に生き残ろうとする庶民の農民の姿なのである。
二つ谷とかの姓は二つの谷]や)は家のことである。四谷もそうかもしれない、四軒屋とかも地名にあるから
その家の存在は大きなものだったのである。自然の猛威の中で消される流されることに対抗して耐えている存在する二軒なのである。

蕪村の俳句は常に生活感覚がある、市井の人の声がある、だから様々な職業の人を俳句にしているのである、それはもともと農民であった、でも農民でも大阪に近い所で生活していたし京都にも近く文化的な生活も知っていたのである
それが事情があって家が破産して江戸に単身出てきたのである
蕪村の俳句は美的で絵画的なのだけどそこに市井の人々へとかかわるのである
芭蕉の不思議は市井の人々があまり眼中になく天然を優先した天然と禅のように一体化する、何か生活感覚にともしいのである
かといって干し鮭をかみえたりとか貧乏そのものの暮らしをしていたのである
芭蕉は禅の悟道を求めた人のように見える、俗を離れて自然と一体化するのである
蕪村は俗があってもそこに美がある世界を追求したのである。
そこには暗黙のうちに市井の人や農民への深い同感がある、だから様々な職業の人を俳句にしているのである
「しずけさや岩にしみいる蝉の声」などでもそうである
ここには生活感覚はない、ただ蝉の声と岩があるだけだからである
例えば今雨がふっていたので作った小生の俳句がこれである

雨しとと勤めの人や蝉の鳴く

蝉の鳴く定時に来る電車かな

たいした句ではないがここには勤め人とか鉄道で働く人への思いがあり作られた
なぜなら自分はここに二年くらい無人駅でボランティアをしていたからである
それで鉄道をただ乗るだけではなくそこに働く人への思いが生まれたのである。
何か駅員になったような気分になっていたからである
蕪村の俳句もそういうものが多いのである。

五月雨をあつめて早し最上川 芭蕉

毛見の衆の 舟さし下せ最上川 蕪村
―――――――――――――――――
秋の季語である「毛見」は「閲・検見」で、
「けみのしゅう」は米の収穫前に出来高を検分する役人たちのこと。
当時は今のような自己申告ではなくて、
お役人が査定して年貢の額を決めていました。
蕪村は農民の側から見ていたようですね。
―――――――――――――――――
○新米の 坂田は早しもがみ河
―――――――――――――――――
「坂田」は最上川河口の町、酒田。
江戸初期から庄内米の積み出し港として発展していました。
芭蕉が『おくのほそ道』に書いたように、
稲船(いなぶね)が最上川を下って酒田港に稲を運んだのです 

この句も対象的である、芭蕉は天然だけを見ている、五月雨を集めて流れる川だけを見ている
毛見の衆となると税金とる役人でありいいものではない、そういうことに同情している
何か常に市井の人々ふ農民に同情しているのが蕪村なのである。
芭蕉にはそういうものがないのも不思議だとなる、芭蕉は武家の出だったからなのか?
天然に没入することを第一としていたのである
別に豊かな時代になればそういうことが普通である、でも貧乏な時代はどうしてもそうした生活が目に留まり同情するようになる
新米に注目しているのもそうである、新米がとれこととかは農民にとってうれしいことなのである
それを食べる人も今でも待ち望んでいる、それが最上川の早い流れにのって酒田まで運ばれる
それは天下の台所の大阪まで運ばれることも見ているのである。

正岡子規がなぜ蕪村を模範にしたのか?それは写生というとき生活実感を重んじた、また写生というとき絵画的になるから蕪村を模範としたとなる、ただ芭蕉の句を否定したのは深く間違っていた、どちらにも良さがあり個性があったからである
要するに何でも対象的に見ると興味深いものとなる、そこで個性が際立って鑑賞を深められるのである。

菖蒲と金色堂 (芭蕉の俳句について)


菖蒲と金色堂

(芭蕉の俳句について)

goldayame11111112.jpg

夢の跡金色堂に菖蒲かな

雨しとと菖蒲の池をそめにつつみちのくの都の跡をしのびけるかな

芭蕉の奥の細道の俳句は不思議である、「五月雨やふりのこしてや光堂」というのは
雨の時期に来たからである、観光に来たら普通雨だと嫌だとなる
でも日本は雨の国なのである、外国では本当に雨がふらない地域が中東とかである
日本はいつも湿っている、だから湿気で余計に暑く感じる
今年が異常に暑いのは都市砂漠化して暑いということもある
まず平泉を訪れたフランス人とかいたけどこれを理解するのはむずかしい
フランスでも乾いた風土だからである
日本のような雨の情緒にはなりにくい、「夏草やつわものどもが夢の跡」でもそうであるとにかく日本は雑草がすぐに伸びるのである、農家の仕事は毎日草刈りなのである

平泉というとここからは今だと近い,新幹線で近くなった
でもなぜ芭蕉の句が生まれたのか?それは時代背景があった
平泉は江戸から遠い僻地となっていた、そこまで行く過程がありそれがこの句が作られた背景である、はるばる江戸から来てようやくたどりついた昔の都の跡には何もなくかろうじて金色堂だけが五月雨のふりこめられるなかにあったとなる
それはやはりその遠さの感覚からも生まれたのである

平泉は近いから春秋冬に行っているが夏には行っていなかった
今回菖蒲祭りを見に行こうとしたがこれも行けなかった
何か介護が終わっても遠くに行けなくなった、家を留守にすらから行きにくいとなる
ただ平泉となると近いから時々想像でその場を回想したり想像したりする
俳句でも写生だというとき想像する俳句は良くないのである。
どうしても実感がこもらないからである

俳句でも文学でもなんでもそうだがやはり継続したものとしてある
芭蕉の俳句はやはりそれがい300年すぎても深みをましている
それは確かに時代背景もありその時代が作ったものだとはなる
今なら東京から二時間で平泉に来たとなっても何の感懐もなくなるだろう
現代の旅は何か浅薄になっている、どこにでも楽に早く行けるのだが旅になっていない
ただ宿でうまいものを食べるとか温泉にひたるとか保養の旅なのである
ただ現代で有利なのは歴史的な場所に何回も行くことができるからそこでその場のことを深く追及して知ることができる、ある場所でも知るには四季に訪れる必要があるからだ
それで平泉についてもわかるとなる

自分の俳句も『夏草やつわものどもが夢の跡』の夢の跡とをとり作ったとなる
800年過ぎても平泉が鎌倉幕府によって滅ぼされて堂塔伽藍が焼失した記憶は残っている、とにかく芭蕉の俳句は色あせない、普通は時間がたてば色あせてくる
その色あせないことが古典になる、千年でも色あせない深みがあるからそうなる
だから「芸術は長く人生は短し」となっているのである

2018年08月08日

カシオの腕時計のバンドが二つとも切れた (金属でないと一年くらいしかもたない)


カシオの腕時計のバンドが二つとも切れた

(金属でないと一年くらいしかもたない)

ristwatch11.jpg

カシオの腕時計を二つ買ったけどバンドが切れた、方角のわかる時計はに三年もった
時刻も狂っていない、次の月の満ち欠けのわかる時計は一年ももたずくらいにハンドがきれた、このバンドが切れたらなおしようがないから使えなくなる
どちらも一万ほどだがこんなのでは買っても損である
何か欠陥がある、このハンドは安物を使っているのだ
こんな簡単に切れてしまうのでは損である

それで今度は2000円で金属のバンドのを買った、これもカシオである
別に時刻がわかればいいと思い買った、これはソーラ−電池ではないが
7年はもつとある、まずバンドがこんな簡単に切れるのは使えものにならない
そしてこのバンドは直すこともできないのである。

この頃買い物では失敗することが多い
これは別に年と関係ないが買い物がうまくできなくなった
それはなぜか?
新しいものが商品として出ていても使えこなせないのである。
そして良く「年寄りの冷や水」というけどその意味がわかった
年寄りでも別に急に年とって変わるわけではない
年よりもこれまで生きてきた延長として生きる
だから今までしていたことができると思う
それで今までしてきたことをやりつづけようとする
買い物でもそうである、今まで買ってできていたから使いこなせると思う
でも技術は進歩しているから追いつかないとなる
パソコンをやっていたからスマホもできると思うがスマホはまた違ったものだから使いこなせないとかなる

また登山しようとしてリュックを買ったがこれも使わない、登山がきつくてできないとかなる、自転車でも電動のロードのいいのが出たから今までのように遠くに行こうとする
でもロードは体にきついとかなる
つまり老人でも年とっても人間は今までしたことの延長としてある
それで年寄りの冷や水となるのである。
人間は年とることがどういうことか理解できないのである。実際に年取ってみないとわからない、年をとることは今までしたことができなくなる、体も頭も追いついていけなくなる、でもそれが実際にそうなってみないと理解できないから依然として今までしていたことをするのである、バイクにのるのも70の人も乗っていた
それは今までも乗っていたし車でも今まで乗っていたから年とって依然として乗ろうとする、それがいつか年よりの冷や水としてとがめられるようになる
車に乗るなというのはまさにそのことなのである。

いづれにしろ買い物がうまくいかない、それも年とることの特徴なのかもしれない
ただこの腕時計のバンドが切れたのは別に年取ることとは関係ないだろう
これはカシオでこのバンドを強くしないからだ、安物で切れやすい作り方あしているだけである、だから年寄りだから買い物に失敗したとはならい
でもこの腕時計でも使い方がめんどうでありそこが問題だったことは確かである
現代の商品は機械などは何か使い方がめんどうなのである
それが老人にとって不利なことは確かである
老人にとってはアナログ的なものが使いやすいのである
それで現代社会は老人にとって不利なものとなっている

2018年08月06日

蝉の声(晩年は時間に追われる)

蝉の声(晩年は時間に追われる)

horsechou1.jpg

晩年やせわしなに蝉鳴き暮れぬ

方角を違えて夕べ雲の峰

今日もまた同じ木陰に休みけり

夏の夕馬草を食い眠る蝶

親子して草食う馬や夏の牧


同じ年の人と自転車でよくあう、その人は一回脳梗塞をしたからそれ以後体を気にしている、体が弱っている,でも別に自転車でも散歩しているし普通の生活をしている
その人は郷土のことも調べているので時々話する
その人も晩年である、何か晩年になるとせわしい、楽隠居というが何か追われる
それは生きる時間が短くなって追い詰められるという感じになるからである
まだまだ生きる時間が長ければ追われるという感じになはならい
まず50代すぎるともう人生も終盤が見えてくる
すると何か追われるようになるのだ

人間が死ぬまじかになると延々と自分の生きたことを語る、認知症になっても過去を忘れないからそうなる、そして死んでゆく、それはちょうど蝉が短い間でも懸命に鳴いて死ぬのとにているのだ
最後は人間は日暮らしのように鳴いて死んでゆくとなる
終わってみれば蝉のように人間ははかないのである

昨日も暑かった、方角が違って雲の峰が夕べ見えた
今年は雲の峰が見えても雨がふらないのも不思議である
今日は雨がふってすずしい、ここも34度くらいになったが今日は相当にすずしい
ただ体が夏バテになりぐったりしている
40度近くになるともう耐えられない、体が弱い人は死ぬと思う
自分も体が弱いから危険になる、だからここは気候がいいからなんとかしのげるとなっている、老人は意外とこの気候が影響するから住む場所を選ぶべきだとなるが
簡単に人間はどこでも住む訳にはいかないのである
でも山を越えた福島市だったらもう住めない、夏は蒸し風呂になり冬は酷寒になる
だから気候的にここはいいからしのいで生きられるともなる

毎日川の土手の道の木陰で休む、ほとんど同じ道を行ったり来たりしているだけである、それは十年つづいている
それもいいのかなと思う、やはり人間はあまりに変わりすぎると落ち着かない
人は最後は落ち着く場所を求めるからだ、だから同じ木陰でアイスコーヒ−を毎日飲むのが楽しみだとなっていた
今年の体の状態は胃が悪くならなかったのが良かった、冷たい水を飲んでもならなかった
必ず夏には胃を悪くしていたから不思議である
やはり健康であれば冷たいものを飲んでもいいから夏を楽しめる
人間はやはり健康が第一なのだ、健康でなければいくら金があってもうまいものさえ味わえないからだ

夏の夕暮れこの辺には牧場がある、野馬追いのために馬を飼っている、それがこの辺の特徴である、ただ北海道のような広い牧場はない、写真は北海道なのである
それを写真を加工したからまずいと思うが著作権とかで注意されたことがない
インタ−ネットでは広いからわからないのだろう
現代は写真の時代でありその写真を活かすことが必要になる
でも他人の写真を見て俳句を作ったことはない
今回は親子の馬がいたので俳句にした
写真は写生になるのだが写真を見てだけでどうして俳句などでも作れないのか?
それは写真はあくまでも一部だからである
その辺の気候とか全体がわからない、それでいい写真でもそこにいる臨場感をもていなのである、写真はあくまでもきりとった一部だからそうなる

この辺は野馬追いがあるから馬の風景が一応があるが北海道のように雄大にはならない
そこに不満があるが馬と親しむ場所であることは確かである
それで小高復興のために牧場にして馬を放し飼いするのもありかなと思ったのである