2019年09月07日

蝉の声に月 (故郷をめぐるー死者は家からなお離れず見ている)


蝉の声に月

(故郷をめぐるー死者は家からなお離れず見ている)


夏の星若人遠く行きにけり

朝蝉の鳴くやカンナの畑に映ゆ

故郷をそちこち回り蝉の鳴く

蝉の声昔神社に子供かな

夕べなお蝉鳴き昔の神社かな

夜に鳴く蝉の音聴くや謙虚かな



我が部屋を覗(のぞ)く月なれここにとどまり暮らしけるかな

我が家に久しく住みぬ思い出や月ののぞきて住みつづけるかも

我が家族時に面影浮かぶかな月ののぞきて跡継ぎ住みぬ


蝉という時夏の季語だけど今は9月でも夏である、一か月くらい季節がずれた
今日も暑かった、日ざしが強いと外に出れない、でもは今は夕方になると涼しくはなっている、でも秋なんだけど夏という感じになるのがこの頃である
ただ今宵は窓に今半月がでているから秋の月になる

何か昨日は中学校の校庭で野球していたので聞いた、その人は先生だった
それから駅であった人は岩手県立の大学生だったらしい
災害防災科となるとそこしかないからだ、それて自説を電車の待ち時間に語った
一時間待ち時間があったからだ、この待ち時間が何か話すのに有効なのである
それで意外といろんな人がいることを報告した
つまりあちこち近くを回っている、知人の畑もいつも回って通っているのである

近くにある神社では子供の時遊んだ、今は誰も遊んでいない、これも淋しいと思った
蝉が鳴いているがあの頃はどこでもわんさと子供が人だかりになっていた
それは全国的にそうだったのである、団塊の世代はとにかく子供が多い、人口爆発の時代だったのである
今は子供が遊んでいるのもぱらぱらとしてたまに見るだけである

とにかくちょっとでも話してみると何か通じ合うことがある
先生など話しないが一クラスが30人だというとき少なくなったと思う
それでも多いから減らしたいとしている
20人に位になるともうマンツ―マンの教育でもできるとなる

何か高校野球のU18で韓国に日本が負けた、野球部がある高校が日本だと3000以上あり韓国は70しかないというのは驚きである
それでも韓国に負けたし韓国は何度も優秀している、それだけの人材が出ている
とすると数とは関係なく優秀な人を育てている排出しているということができる
つまりこれから数ではない、少数精鋭主義になる、スポーツの分野でもそういうことが
可能だとなると知能分野では学術とか芸術とか知識分野では少数精鋭主義が適している
ヨ−ロッパでなぜ天才が多いのかというとそういう天才を醸成するものが10万以下の小都市が多くそこで育まれたとしている

いづれにしろ相馬藩内だけもこうして報道することは結構大変である
それはわからないことが多いからである、それで駅で聞いてみたりちょっと戸外であった人に聞いたりして見聞を広めているのである
まさに見聞である、実際に見て直接人から聞くことである
柳田国男はそうして人から聞き出すというか実地に現場に行って何か実感したものから民俗学を起こしたのである、それで口碑を重んじた
書類ではない文字ではない言い伝えられたものを重んじたのである
それはいくら本を読んでもわからないことがこの世に多いからである  

いづれにしろ本当に仙台にも今年は一回行ったのか行っていない
近間を回るだけであり自分の部屋にいる、でも老後は家が大事になる
安住するものとしての家が大事になる、貸家とかになると落ち着かないということがあるかもしれない、この家は家族と40年以上とかいっしょにいた
だから思い出がありただの家とは違っている、記憶の家なのである

それで不思議なのは時々死んだ人が自分をのぞいているように思う時がある
幽霊のようにその面影が窓に浮かんだりする、やはり死者は家から離れられずまだいるのかとなる
それだけ長く住んでいれば死者も家から簡単には消えないとなる
だから老人にとって家は重みがある場所なのである、思い出と記憶の場所なのである
後に残されたものもそうして思い出があり受け継いでいるのである
自分の場合は特別家族への思いが深くなったのはその歳月が長かったからなのである


U18 日本の敗戦の原因 (そこにもやはりゲームでも戦争とかの敗因と通じるものがあった)


U18 日本の敗戦の原因

(そこにもやはりゲームでも戦争とかの敗因と通じるものがあった)



U18の日本の敗戦の原因は何だったのか?

●人選(守備のいい選手を選ばなかった)

●相手のチームのことがわからず対処できなかった

●金属バットから木製のバットの切り替えができなかった

●合成チームであり団結できなかった

●アウィで韓国料理とかが合わず元気が出なかった

●監督の采配はまずかった、64歳で年齢的に合わなかった

●佐々木投手のアクシデントがひびいた

・・・・・・・・・・・・・・・・

私は何か高校野球かずっと見ていたからサッカーよりわかるから今回も見た
野球は見ていて面白い、それは野球というのも自分はしたことがなくても理解できるからである、プロ野球はずっと見なくなったが高校野球は面白いとして見ている
それで今回も国際試合ということで見ていた
それなりに面白かった
ただ国際試合の特有の問題が生じたり日本の敗戦は複合的原因で負けた
何かこうしたゲームでも複合的原因であり一つの原因ではない

相手のチームのことがわからず対処できなかった

これも韓国戦で失敗した、投手が誰かわからずに勝手に日本の方で決めてはずれて失敗した、対策できなかった、つまり敵を知り己を知れば百戦危うからずであった
これは日本軍でもそうだった、太平洋戦争ではアメリカがどういう国かわからずに戦争に突入したからである、アメリカのこと良く調べもしないで真珠湾で戦争に突入した
結果的に大敗北になった、情報戦で負けていたのである、暗号でもアメリカに見抜かれていた

人選では守備の乱れが大きかった、その守備の乱れで韓国戦では敗れたし台湾戦でも守備の乱れがあった、そもそももともと守る場所が違っていた選手が多かったからエラーになった、それから寄せ集め選手だから連携がうまくとれてかったのである
これももともと一つのチームでやるのとは違っていたのである
何か守備がチグハグだったのである

また金属バッドから木製のバッドの切り替えがうまくできていなかった
これも大きな敗因だった、他のチームはみんな木製バッド慣れていたからである
つまりバッドは道具であり武器だった
その武器が違っていて武器がうまく使えなくて敗れたとなる
それは日本でも飛行機とか戦艦とかをうまく使えないで敗れたのとにている
武器を道具をどするかでという問題があって敗れた
ただこれは前からわかっていたことなのである
ただそうした準備不足があることがわかっていても解決しなかった

それから監督も下手だった、采配がまずかった、人選自体がまずかったという人もいる
韓国戦ではハイブレークで采配が下手で失敗して負けた
投手を選ぶのでも失敗した
それから肝心の佐々木投手が宝の持ち腐れとして終わった
それは太平洋戦争で戦艦大和とかが何の役にもたたず海の藻屑と消えたのとにている
戦いには必ず思わぬアクシデントがつきものなのである
そこには運不運もあった、審判の判定にも疑問があった
そして韓国の料理が口に合わず選手が不満でありやせたというのも影響した
アウィでそうなったのである、それも準備不足だとして批判する人がいる
アウィの戦いは厳しくなるということである

こういうことは何か戦争とかでも戦いでは必ずある、だからゲームでも予測つかないことがありそれが勝敗を決める、第一天候も相当に影響したからである
どしゃぶりの雨にも何度もあった、台湾戦は途中で試合が中断して負けたからだ
天候で負けたともなるからだ

何かこうしてスポーツでも勝敗を決めるのは複合的様々な要素がからんでいる
野球はこうして理解できるから面白い、それはずっと野球を見て来たからである
サッカーはもう理解できないのである
ただゴールしたときだけわかる競技だからつまらない
野球には何か人間臭いかけひきがいろいろありその勝敗は複合的なのである
特に高校野球とかなるとそうである、エラーがあるのもそうである
戦争だって何か原発事故だってエラーなのである
そのエラーが致命的になったのである
今回の勝敗もエラーで決まったとなる
つまり攻撃は目立つが守りも防御も大事なのだけど自衛隊とかはあまり重要に見られない守りは目立たないのである、ミサイルでも打つとなると目立つが守りは目立たないのである、だから守っているだけの自衛隊は目立たないのである

ともかく日本は野球は強いと見ていた、第一韓国で70校くらいしか野球のチームをもっていないのに日本だと3000校だとかその差が大きいのに韓国に敗れ台湾に敗れたのはなぜなのか?
そこに批判が集中している、日本はもともと弱いとなっている
それは数の問題ではなく、精鋭が育てば別に強くなるという証明でもある
いくら数がいても優秀な人が育たない限り強くならないのである
だから少子化でも精鋭主義で優秀な人を育てれば世界のグロ−バル競争にでも勝つということがありうる、それは数の勝負ではない質の勝負になるからである
中国でも数が日本より十倍以上でも日本でも少数精鋭主義で対抗できるかもしれない
知能とかの争いになると対抗できるかもしれないのである
今回のU18から見えるものはこのようにあったから面白いと見た
ただ日本はもう決勝に出れないからもう見たくないともなったのである

結局運不運も勝負の内、運不運も人生

こんなふうになる、審判の問題もあったがこれもまた勝負のうちであったともなる
この世に公正な審判がない、人間が判定するからである
人間の判定自体必ず過ちがある、むしろ機械にしてもらった方が正確だとなるが最後に決めるのは人間なのである
動画の映像で判断してもそうだった、つまり野球というゲームでもそこに人間社会を見ているのである
実際にオーストラリアにも日本が負けたのだから日本自体の実力がなかったと見られるようになった
これだけ野球が盛んなのに情けないとなる
posted by 老鶯 at 17:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

高度成長時代は平均的人間を大量生産する画一教育 (次の時代は自己啓発による創造的人間を作る自己教育)


高度成長時代は平均的人間を大量生産する画一教育

(次の時代は自己啓発による創造的人間を作る自己教育)

●田舎の小園の学び(詩)

畑に実りがある
畑に働く人がいる
二十日大根、四〇日大根
実りには時間がかかる
時節により種を植え
それぞれの花は咲き開きぬ
蓮の花のづぼみは大きくふくらみ
その花の赤味帯びて開くを待ちぬ
揚羽が優雅に舞い来たり
畑にカンナが映える
朝いつもの木陰に休み蝉が鳴く
この小園にも学び尽くせぬものがある
大事なことは急がぬこと
悠長な自然のリズムに合わせること
実りを早めることはできない
人の力に限りがあり
自然により自ずと育まれるものを知るべし
あなたの学ぶべきことは
教えられるべきことは限りなくある
あなたは学校という枠に閉じ込められてはいけない
その建物の中で学ぶ自由な空気は消失する
先生のみが教師ではない
近くに回りに学ぶべき人がいる
農民に学ぶがよい、教えられるが良い
大工に教えられるが良い
漁師に教えられるがよい
・・・・・・・・・
その周りの自然に教えられるがよい
あなたの学ぶきことは都会にあるのではない
田舎でもその周りにいくらでもある
ただ気づいていない、自ら見出していないだけ
あなたの学ぶきは教えられるべきは
現実の自然であり社会である
学校とはそのほんの一部であり閉ざされている
学ぶ場が限定されて記号のみを教える場となる
あなたの学ぶ世界は広い
故にせかせることではない
また点数で判断することではない
学ぶ時間と環境こそがその人を育てる

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●高度成長時代は大量に平均的人間を送り出すことが教育

教育を語る時むずかしくなる、教育はあまりにも教育されることに問題があったからである、教育過剰が問題だった、私たち戦後団塊の世代が受けた教育は人数が多いから教室がないとか何か高度成長時代の平均的人間を育てるものだったのだろう
大量に労働力を必要とした時代だったのである、それもあくまでも平均的な大量生産を担うベルトコンベアーで働く従順なロボットの養成だったのだろう
それがわかったのは日本人は高度成長時代を日本人が特別優れていたからとなってジャパンアズナンバーワンとして得意になっていた
でも日本人は高度成長を築いたのは日本人が何か優れていたからではなかったのである
確かに日本人には優れた資質とか文化を育む土壌はあった
でも高度成長時代というのは日本人が特別優れていたから成し遂げたということではなかった
なぜなら今や中国でも日本と同じように10数年で同じようになったからである
その時中国は後進国だった、でもみるみるまに日本を追い抜くようになったからである
ということは大量生産というのは電機製品でもどこの国でも作れるものだったのである
今は中国の方がITでは進んでいて日本は後進国になり貧乏国になったというのもそうである
戦後の教育はこうして大量生産時代に適した平均的人間を作ることであった

平均的人間を作ることで日本は適合した

日本人は同質になりやすい、でもまた共同一致することでは団結することは得意なのである、そういう平均的人間を大量に作ることで向いていたのである
でも何か独創的なものを作る、機械でも人間でも作るのには向いていなかったのである
現実にIT分野になると全く遅れてしまったからである
それはアメリカ主導になっていたからである、アメリカとかヨ−ロッパはもともと発明の国であり天才が科学分野でも学問や芸術分野でも排出してきたのである

なぜヨ−ロッパでこれほど天才が生まれたのか?

これも大きなテーマなのである、日本はものまねであり中国もコピー文化である
それでアメリカから批判されて対立するようになった
日本とか中国で独自に発明したものがないからそうなったのである
発明されたものを改良することは改善することは日本は得意でも発明することは不得意なのである、日本が高度成長時代を築いたことは日本人が特別優秀だったからではない
平均的人間を大量に生産することでは日本は適合した結果だったとなる
教育でも何か独創的な人間を育てることではないあくまでも平均的人間を大量に生産して物でも大量に同じものを作ることで高度成長時代になったのである
今になれば別に韓国でも中国でも同じものを作れるようになったから売れないとなったのである

何か日本人は特別優秀だということ科学技術でも優秀だという奢りが原発事故を生んだ
原発事故など日本では起きない、ロシアでチェルノブエリでも事故をが起きたときもそう言っていたのである
他にもスマトラで大津波が起きて10万人とか死んだ時でも日本では津波を警戒しているあんなふうにならないとか言っていたのである
それが東日本大震災で二万人近くが津波で死んだ、地震と津波の国で警戒していなかったのである
確かに日本人には日本人に優秀なものがある、でも何か本当に科学分野で技術分野で優秀だったのかというとそうではなかったのである
その奢りが原発事故で打ち砕かれたのである

●少数精鋭主義の創造的教育へ

いづれにしろ自分自身が教育というのに興味がある、教育は教え方でありその教え方が創造的でありうるからだ
ただまるでロボットのように教えるのではない、様々な教え方がありそれが創造的なものだからである
それはあらゆる分野でそうなのである
ただ学校だけが教育の場ではない、学校の先生のみが教師ではない
教育は明治以来国家教育になっていた、強力な国家の指導のもとに学校が作られて教育があった、戦後はそういう国家の縛りがなくなったようでも依然として学校という枠に教育は限定されてきたのである
団塊の世代は一教室でも50人とかいたし教室がたりなくなっていたのである

そういう時代には大量生産の平均的人間の生産に適していたのである
何か自分の様な三流大学になると講堂に三千人とかいて講義を聴くというのも驚いた
それで学生は講義がつまらないから学生運動に走ったという事情があった
マスプロ大学として話題になったからである
新宿で石を投げると学生にあたるとか大学は大衆化したのである
エリートでもなんでもない大衆化したのである
でも高度成長時代であり大学生は企業にみんな就職できたのである
それだけの受け皿が高度成長時代で生まれていたからである
こうした平均的大量生産の教育からこれからは変わる、すでに変わっている
中学校では一クラスは30人でありその先生は30人では多いといって少なくしようとしている、団塊の世代は一クラス50人だったからその相違がすでにある
少数精鋭主義になりそうなると今までの教育とは違ってきているのである
大学の先生が今の学生の方が優秀だという時すでに優秀な人は独創的な人が出ているのかもしれない、それは30人以下の学級と50人規模の学級で教えられるものが違ってくるのからである

いづれにしろ高度成長時代を築いたのは日本人が優秀だからではなかったのである
それはどこの国でもできるものだったが早くそれを成したということに過ぎなかったのである、今になれば韓国でも中国でも日本より先んじて最先端の物造りをしていることでもわかる、またIT技術では後れをとっていることでもわかる
本当に明治維新から70年過ぎてまた戦後70年過ぎて時代が変わる
それは教育にも及んでくる、もしかしたら学校というものがなくなるかもしれない

例えば学校でなんでもやるのは向いていない、スポーツだったら野球クラブでもサッカークラブでもやるのがいいとかなる
学校自体も今までの感覚とは違ったものになってゆく、そういうことはオランダとかアメリカで始めている
教育というとき人間は結局自己教育なのである
その人の自主性にまかせた方が伸びる、何かに興味を持つことがありそこから学問でも自ずからするようになる
それは自分自身がそうだった、就職もしないでただ旅ばかりしていたというのもそうである、そこで地名に地理に興味をもったりして学問するようになったからである
自分には特殊な家庭の事情でそういうことが可能だったからである
それ以後自分は自己教育をしていたのである 

ただ自己教育でも節制が必要である、どうしても人間の弱点は楽な方に傾く、怠惰になる、これが避けられないのである
そのために時間を無駄にするし精神も損なわれるのが多い、自由といってもそのために悪い方の自由に悪とか快楽の自由の方に向かい時間を浪費するのである、だから自由な時間をいかに過ごすかもむずかしいのである
社会での会社員でもそこで経験することはやはり貴重な体験なのである
それができない引きこもりとかニートとかは後で問題が起きる、事件を起こしたりする、小人閑居して不善を成すとなる
それを自分自身が経験しているしそれは今度は老人になって高齢化社会で起きているのである
長生きするからそうなる、老人になったからと快楽をやめたりできないのである
それだけ快楽を追求するのが人間だと思った、快楽は強力なのである、人間は苦しみとかを求めない、あくことなく快楽を求めているのである、それは老人になっても個人差があるにしても変わりないのである

●教育は自発的自己教育が基本

じっと思いをこらすことや、心の安らぎをえることや、知識を豊富にすることによって
確かさをゆっくり成熟させること、といったことはすべての本性に逆らって努力したところでどうにもなるものではない
そこに達するためには自然と文化がしっかりと結び合うような環境の助けによって深められ、その気になるのを待つだけで十分なのである
(何のための教師‐ジョルジュ・ギュスドルフ)

この本はいい本である、人間は教育できるものではない、自発的にならないかぎり人間は学ばない、それは小学校の段階からただ暗記するのではない、算数でもあくまで暗記するものではない、考える一教材として教えるべきなのである
ただ結局あまりにも多くなった知識のためにつめこむだけになってしまったのである
要するに時間がない、じっくり学ぶ時間がないのである
また時間が与えられないのである、音楽を知るためには一つの楽器を与えてそれを覚える時間と環境を与えることなのである
何か教えるということでないのである、何か教えることは強制的になりその人に合わないことを押し付けることになる、それがこれまでの教育だったのである

ただ正直教育は知識が増えすぎてもう一人の教師では手に負えないのである
英語だと高校だと英文法専門の先生がいたりと何か部分化してつまらないとなる
郷土史となると実はこれはトータルな分野だった
そのことで私はプログで追求してきたからである、ただ科学的知識に弱いから原発事故について追求できなかったとなる
まず近くの畑にしてもそこに尽きせず学ぶものがある、教えられるものがある
でも農業を実地にしていない人は近くに田畑を見ていてもわからないのである
だから田舎に住んでいても今は農業を実地にしている人は少ないからわからないのであるそのこと自体が大きな問題であり知るべきなのだがそれもしないのである
自分自身でも最近趣味で農業している人に教えられたからである
この年まで田舎に住んでいて農業のことがわからなかったのである

だからいかにこの世のことは知らないことが身近でも多いか知るべきなのである
この世は死ぬまで学びの場なのである、それだけ社会が複雑であり自然でもわからないことが多いからである
だから教育という問題は学校だけの問題ではない、生涯学習として継続的にある
学校を出てからこそ本当に現実問題として事業するなら命をかけるようにまでなる
事業に失敗すると自殺する人が多いからである
そういうふうに真剣に学び実践する場が社会なのである
ただ自分の場合は特殊な事情で60までもモラトリアムとして遊学したようになっていたのである

そこに達するためには自然と文化がしっかりと結び合うような環境の助けによって深められ、
その気になるのを待つだけで十分なのである

こういうふうにして田舎で生きてきたのが自分だったのである 
ただ田舎に生きていても農業を実地にしていないからわからなかったのである
そこに知識として肝心なものが欠けていたとなる
そういうふうに人間は身近な世界でも近くでもわからないのである
その結果として原発事故が起きたともなる、もっと近くに関心をもっていたらこうならなかったからである
その危険性を誰も教えなかったということにもあったのだ
だからその住んでいる場所自体人間は知らないことが多いのである
つまり学んでいない、また教えられもいないのである、教育されていないのである
学校は社会のほんの一部の閉ざされた機関にすぎないのである
その学ぶべき場所は自然であり社会そのものなのである

何のための教師―教育学の教育学のために (1972年)   古書, 1972(アマゾン)

posted by 老鶯 at 05:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育、心理学など

2019年09月06日

世界史でも空間軸と時間軸の考察である (時間軸の思考がむずかしいからそこで問題が起きる)


世界史でも空間軸と時間軸の考察である

(時間軸の思考がむずかしいからそこで問題が起きる)

この世界を知るというとき基本は空間軸と時間軸である
津波というのもそうだった
空間軸というのは津波はその土地の地形と密接に関係していた
前にさえぎる小高い山があるだけで津波の勢いがそがれた
でも前に何もないともろに津波を受けて大被害になった
その圧力がものすごかったからである
つまり空間軸として地形として地理としてその土地のことを知らなければ津波に対処できない
今回の津波ではそれで高台を作るようになったのである

一方で津波は周期的に起きている、その時間軸の考察ができていない、時間軸の考察が人間にはなかなかできないのが弱点なのである
空間軸だったら何億年前と同じ世界が現実に今もあるから把握しやすいのである
大地とか山とか海はなくならないからである
でも時間軸だと村でも街でも消えてしまうことすらある
津波の被害では・・・千軒とかあり千軒の家が消失して何も残さないということがあったそして時間軸となる何か残されるのは祖父母の代くらいまでである
それはじかに聞いたりするから何か多少は実感になる
でも現実は戦争というのはいくら聞かされてもなかなか理解できない
それは日常生活とはかけ離れたことであるから理解できないのである
人を殺すことが日常化した世界はとても理解できないからである

そして津波でも400年前にこの辺に700人溺死として相馬藩政史に二行だけ記録されていたけど誰も注目せずに忘れられていた
今回の津波でそれが発見されたのである
だから専門家ですらそうした400年前のことになると見逃して忘れられる
時間軸での歴史の理解が難しいのはそのためなのである
人間は今の世界が現実であり過去になるとイメージの世界になりそこに必ず誤解が生じるもしタイムマシンで江戸時代とかに行ったら歴史で習ったこととは全然違っていたということなどいくらでもでてくるのである
それだけ時間軸で起きた歴史は理解しにくいのである
外国旅行しても今の世界に目を奪われて過去を歴史を知ることはむずかしい
ただヨ−ロッパとかだとローマでも石造りの建物などが残っているからその物から過去をリアルにたどるということがある
一つの建物の一片でも残っていれば違う、第一ローマと言えば2000年前ともなるからだ、そんな昔のものは日本では残っていない、古墳くらいである
だからヨ−ロッパは歴史をたどりやすく歴史を重みあるものとして受け継がれる
それでもこれだけ現代都市化すると過去を知ることがむずかしくなる

人間の歴史自体が空間軸と時間軸からできている、大陸だと余計に広いから空間の拡大がありローマ帝国をはじめモンゴル帝国とか空間の拡大がある
大航海時代も空間の拡大だった、アメリカはあれだけ広いから西部へと空間の拡大だったアメリカとかヨ−ロッパがなぜか知らないが西へ拡大するというときそのためにアジアへ向かったという人がいる
西部開拓からアジアへ向かって日本と衝突して戦争になったとなる
それはホイットマンの詩にもある
とにかく大陸は空間の拡大が歴史である、ただ古代になるとエジプトなどは時間軸の世界の文明だともなる、三千年も続けばそうなる
ピラミッドは空間の拡大ではなく空間に定着する時間軸の産物だとなる
建築は定着する時間軸の産物である、だから2000年前の建築でも残っている
石造りだから石の文明だから残っているとなる
そこに歴史的継続の思考が常に醸成されるのである
日本では木の文明だから木は残らないから歴史的思考がしにくいのである
だからこそ常に新しいものを受け入れるのだが歴史的に継続するものを見失う
日本の古来の文化とか伝統でも失いやすいのである


移住 ゲーテ

北も 西も 南も 砕け
王座は裂け 国々はふるえる
移り住もう、 清らかな東方で
族長の国の空気を吸おう

その純朴 その正義の地で
わたしは 人類の
原始のふかみに分け入ろう

Break to the north, west, south
The throne rips and the countries tremble
Move and live in a clean east
Breathe the air of the patriot country

In the land of justice
I'm humanity
Let's break into the primordial flock

・・・・・・・・

この詩のようにまさに空間の拡大なのである、大陸はこうして幾多の帝国の興亡があったそれは世界的な空間の拡大としての歴史なのである
大陸は空間に生きる、日本は逆に時間軸に生きるというとき日本は海に囲まれた閉ざされた山国という特殊な環境で歴史が形成されたからである
日本自体が一つの宇宙となり外に空間を生きるにも拡大するにもできない
日本では最西端とか最南端とか最北端とかが人気があるのはまさに海で囲まれているからそうなる、もし大陸のような陸続きだったら最西端とかに行くとなるとヨ−ロッパだったらポルトガルのロカ岬とかになってしまうのである
そして中国からヨ−ロッパまでは陸続きだということである
隔離されてはいない、陸続きなのである

その間に草原とか砂漠があってしも陸続きであり交通路になりやすいからシルクロードとかまた砂漠の民は移動しているから必然的に商業の民となった、イスラム商人となった
それは中国も農業国家でも商人国家だというときイスラムとか草原とか砂漠とかあっても陸続きであるから砂漠でも交通の道となる
そこには絶えず交流が生まれている、日本のように江戸時代の鎖国のように閉ざすことができない国である
中国でいくら万里長城を作っても異民族の侵入を防ぐことはできない
それで中国の歴史は異民族の侵略がありその国の王が変わる、モンゴルが支配したり満州族が支配したりするとなる
日本が萬世一系の天皇があるというときそれは日本が大陸のように海に囲まれているから異民族に進攻されなかったからなのである

君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで

これは時間軸の思考なのである

いづれにしろ人間は空間と時間軸に生きる、でも時間軸から思考することはむずかしい
歴史でもローマ帝国の拡大は空間の拡大時期でありキリスト教の中世は時間軸に生きていたとなる、内にとじこもる内省の時代だったとなる
そして現代はもう空間の拡大は終焉した、資本主義もグロ−バル経済で空間の拡大だったがそれも一段落してこれ以上フロンティアとして開拓する地域がなくなってきた、それで宇宙が空間拡大の場所となる、ここも限界がある
インドとかアフリカが最後のフロンティアになるとしてもそれも大航海時代とは違ったものになるだろう
そして空間的拡大としての投資が終焉するとき中世のような修道院に閉じこもる内省の時代になる、若い時は空間の拡大に生きる

夏の星若人遠くへ行きにけり

one summer star
a young man
go away in the distance

このように若者はとにかく空間の拡大に生きる、自分自身も60歳まで空間の拡大に旅に生きたのである、その憧れが強いものだから50でバックパッカーになり外国を旅行したのである
しかし遂に親の介護とかで十年過ごしてもう年になり遠くに行くの億劫になった
今は仙台すら今年だって一回行ったのかとなる
近間を回っているだけである、つまり中世的内省の時間を生きるようになったのである
老人はどうしてもそうなり安いのである、内省化して内面化する
そこに深い洞察が生まれる、それでつくづく批評家に向いてくる

いろいろな経験から批評家になる、本でもさっと一読するとその内容がもう直観的にわかる、そして自分の文脈で取り入れることができる
ただ読むだけではない、その内容は自分なり新たな創造として展開できるのである
これもだから不思議だと思う、本はただ買うだけで積んでいるだけだった
でも今は違うこうして新たな自分の読みで創造化できるのである
他者のものを引用するにしても創造的引用でありそれはただコピーしているものとは違うのである、つまりあらゆるものを深く読めるということなのである
それは新たな創造でもある、他者のものを何か自分なり新たな角度から創造しているのである、それは抽象画でもそうだった
他者の創作物を絵や写真をソフトで変えてもオリジナルものとは別物だったのである
だからそれも二次製作にしてもやはり創造であることは間違いないのである

2019年09月05日

abstract mountain (Demon Mountain)

abstract mountain (Demon Mountain)

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demon mountain

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hidden mountains

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2019年09月04日

「大災害時代」に突入している、地方の死はこの大災害 〈大事故)によって加速される―広域化社会の復興を考える


「大災害時代」に突入している、地方の死はこの大災害

〈大事故)によって加速される―広域化社会の復興を考える


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確かに原発事故周辺地域では実際に町や村の死が現実化したのである
南相馬市だと小高区との影響が大きいから営農再開でも45パーセントとか低いのであるでも原町市と鹿島区は山側をのぞいて営農が再開されている
でも小高区の面積が広いのでまだ45パーセントとかなる
南相馬市では小高が負担になっている
それは残されたのが老人が多いからである、まるでシルバータウンのようになっている

そして意外と老人でも南相馬市内に原町区とかまたは相馬市とかに住んでいる
若い人は仙台方面に移住しているが老人は南相馬市とか相馬市とか新地でも住んでいるのである
また浪江の人たちも復興住宅が作られた、原町は四階建ての団地が10くらいも作られた感じになる

だから今この辺がどういう状態になっているかというと小高は確かに3割とか帰ったとなるが老人がほとんどである、浪江は一割とかであり双葉大熊はまだ避難解除されていないのである、その人たちも補償金をもらったから原町とか鹿島でも相馬市でも新地でも立派な家を建てているということがある
それをとやかく言うのではなく現実だということである
その現実からこれからどうするのかと考えざるを得ないのである 

ここで取り上げたサイトで警告していることは地球が大災害時代に入ってその影響が地方に深刻であり地方の死が加速されるということである
それは原発事故周辺とか津波被害地域でそれが起きている、それは将来の予測ではなく現実化した問題でありその対応をどうするか深刻な問題となっているのだ
必ずしも政府が計画した街作りは成功していない、宅地を高台に作っても肝心の人が住まないのである
それは飯館村でも立派な学校とか施設とか作っても肝心の人が住んでいない、小学校でも立派だけど生徒は村に住んでいない、村外から通っているし第一村長も住んでいない
村長の孫も村外から通っているのである
そういう村が成り立つのうという問題がそもそもある

そして広域化した社会ということでこの辺は仙台に人口が集中している
山形の人口が減って仙台が増えている、山形県人が仙台に移動しているともなる
それは津波の被害や原発被害で加速して増えたのである
小高の人が仙台に二〇〇坪の土地を買いアパート経営している
仙台は不動産価格が阿武隈川を越えると二倍になると言っていた
岩沼とか名取とかになると高くなる、そこは仙台圏内だからである
名取に小高の若い人は移住して立派な家を建てた、そこで父親の部屋も作ったからそこに住んでくれという言われたがその人は小高に住んでいる

何かこうして浜通りはいわき市に浪江とか双葉とか大熊とかから2万人近く移住した
それから仙台方面へと広域的に人が移住したのである
そして小高の田んぼは草ぼうぼうであり営農は開始されていないのである
それを見たときもう小高でも浪江でももちろん双葉とか大熊なら余計にそこに住めるのか住みたいことがわかるにしてももう若い人たちは帰ってこないし、老人だけがまるでシルバータウンのようにして住めるのか?
それが疑問になった、前は復興ししてもらいたいと書いたがそれも時がたつにつれてこうした現実があるときもう捨てるほかないのかとも見た
それはかえって南相馬市だとそういう小高区のような地域をかかえると負担になるからであるそこに予算をつぎ込んでどうなるんだ、町は復興できないとも見るからである
今や復興を願っても現実問題としてそこを捨てた方がかえって楽になる
社会が広域化しているから仙台方面と移住したのである
すると復興というのは一地域ではなく広域的に考えざるをえなくなる

農業を復興してもらいたいと自分自身は思っていた、そういう願いがあった
でも現実は農業は維持できない、前から農業をになっているのは六〇以上の老人だったからである、それが余計にこういう状態になって担いなくなったのである
だからそういう場所に労力と金をつぎこむことが無駄なのではないか?
それより現実に南相馬市だったら原町、鹿島に人も移住している
すると原町と鹿島中心の市を作っていくとなる、それが現実的だともなる
小高は捨てた方がいいともなる、それは負担になるし介護でも福祉でもそうである
原町と鹿島区にそうして老人を集中させると効率的になるからだ
それはコンパクトシティにもなる

何か仮設の効用として女性などはいつも近くで会えるし話しできると喜んでいた人もいたのである、もちろん狭いから嫌だったという人もいた
ただ一時的に隣り合う長屋のような住まいになりそこでコミニュティが形成されたのである、だから仮設が悪いというだけではないいい面もあった
ただそのいい面は指摘されなかった、なぜなら被害者だということでそのことばかりを全面に出して援助を乞うようになったからである
原発被害者に援助が必要でも過剰になっていたのである

結局復興をどうするかとなると今の時代に適応したものとならざるをえない
つまり広域化した社会では復興でも広域的に考えざるをえない
だからこそ仙台方面へと移住したということは広域社会だからそうなった
そして復興とは被害にあった一部ではなく仙台方面とか広域的に考えざるを得ないのである、もともとここは仙台圏に近いから交流も多かった
それで仙台方面に移住した人が多いのである
何か市町村の枠を越えた連携が必要であり広域的復興の施策が必要になる
それはすでに現実がそうなったいるからそう考えるようになったのである
常磐高速ができたことでもそうである、ユニットバスを百万で作ったのも仙台の会社だった、もう地元だけでは生きられない社会である
それに自分自身が抵抗があってもそういう社会が現実なのである
それを否定していは生きていけない社会になっているからどうにもならないのである

大災害時代は広域化社会では一小地域が維持できなくなる、それは今の生活が昔のような村の自給自足生活とはあまりにかけ離れているからそうなったのである
インフラの整備でも過疎地域だと八〇倍かかるととんでもない金がかかるのである
だからこそコンパクトシティとか人を集中させて効率的生活をするとなる
それはこの辺ではすでに現実である、原町でも鹿島でも相馬市でも新地でも移住しているからである
そしたら小高を復興しようとすることがいいものなのか?
そうなってもらいたいと外からでも思っても現実がどうにもならない
すでにこういう時代は切り捨てざるを得なくなるのかもしれない
これから南相馬市は来年とかで十年とかなれば国から復興費用の援助がなくなる
その時苦しくなるというから余計にそうなる、負担になるのを減らすことが必要になるからだ

ただ自分がそういうことを言えるのかとなると問題なことを自分も承知しているのである市政というものに通暁していないからである
ただ現実を見るとすでに人はもう広域的に住んでいるから広域的に復興を考えざるを得なくなっていると見たのである
小高でも浪江でも復興してもらいたい、でも現実問題としてそれが不可能になっているとも見る、そこに費やす労力でも予算でも無駄とならないか?
それで霞が関の官僚が三陸などの津波被害地域にじじばばばかりの地域に予算を費やしても無駄だと言って顰蹙をかったのである
それも現実がそうだからあえてそうい言ったともなる
でも大規模な高台の土地の造成してもそこに人が住まなかった、そしたらその労力も無駄だったともなる、除染でもそうである、莫大な金が使われたがそれはゼネコンとか官僚の利権化しただけだとかきもなる
なぜならゼネコンから自民党への献金が増えたというからである
そういことのためにゼネコンに除染をまかせたのかともなる

広域化しているという時、南相馬市とか浪江とか双葉とか大熊でも広域的に政策を考え共有しなければ復興できない、それぞれの自治体単位ではどうにも処理できなくなっているすでに広域的に住民が移住しているのだからその対応も広域的にならざるをえないのである、そして現実に浪江でも小高へ帰らないと決めている人が多いからである
老人は小高に帰らないと原町とか鹿島とか相馬市とか新地でも住み仙台圏へと人が移住しているからである
そして少子高齢化や人手不足時代になり地方のまた小地域が維持できなくなっている
それが大災害自体に原発事故の人災でもそうなっているからそういうことかと読んだのである



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破壊された村の共同体、アイディンティティ (消える御先祖様、維持できない墓―無縁化する社会)


破壊された村の共同体、アイディンティティ

(消える御先祖様、維持できない墓―無縁化する社会)

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柳田国男ー先祖の話

日本人のアイディンティティは村で作られた、それで村の地名が姓になっているのかほとんどである、姓をたどればどこかの村に突き当たりそこが姓の発祥地なのである
相馬地方で大原の隣に大谷(おおがい)村がある
そこは土地が狭い、山があり耕作する土地が狭い、そこでなぜ栃窪村に大谷の姓があり一族を形成している、何か古い村だと都会のように外からの人が交わらない時その村を形成した一家がありその姓が分家したりして増える
例えば常磐線の末続駅をおりると墓地があり新妻の姓が八割くらい新妻の姓だったのである、ここでは明らかに新妻一族の村だとなる
他に葛尾村は松本の姓が三分の一でありこれは信州の方から今の長野県から移動してきた侍の子孫だとなる
そういうふうに辺鄙な村だと同じ姓の人がいることはわかりやすい。
井川線のローカル線の秘境駅に土本という姓の駅がある
そこにその姓となる家が三軒ほどあるからそうなった 

南相馬市に多い只野、但野という姓もそうである、これは本当に多いのである
その只野という中心となって人が同級生だった
それは南北朝時代に霊山での争いで落ち延びた侍の子孫だったのである
その基は郡山の多田野村にあった、これも落武者の系統に入る姓だった
何か落武者伝説が各地にある、葛尾村の松本姓ももともと信州の長野県の侍が落ち延びてきたともなる 

姓は血縁から生まれた、姓(かばね)のことだからである、屍(かばね)に由来しているからである、でも日本では村を中心にして社会が形成された
社(やしろ)を中心にして社会が形成された、社会とは社(やしろ)に会すからきているそれが会社ともなったのである、会社も一つの村という感覚にもなっていた
高度成長時代終身雇用制度が生まれたのはそのためだったとのかともなる
そもそも村での農業社会に定年はない、死ぬまで村に所属して死後は先祖になる
そういう長い継続のなかでアイディンティティが築かれてきた
だからこそ社会があり会社になったともなる
第一社会はソサイアティという訳語であるけどこれは仲間という意味である
この仲間がどういう意味なのかわからない、ただ血縁とか地縁とかとも違う意味があるのだろう、ヨ−ロッパでは社会の形成は広範囲なものがあり小さい村を越えて形成されているからである

日本でも最初は血縁で結ばれていた、第一天皇でも萬世一系とか今日までつづいていることでもわかる、2000年とかその血縁が変わらず続いているのは日本だけだとなる
外国ではたいがい姓は血縁であり父方の姓になる、中国でも韓国でも一つの姓で結合する李氏朝鮮とかあったのも李一族が支配するとなっていたのである
だから日本がなぜ村を中心にして共同化したアイディンティティ化したのか特殊だったとなる
そこに日本文化の特殊性が形成されたことを基本的に知らないと日本は理解できないのである、確かなことは血縁もあったのだが村という土地で共同して働き助け合いしているうちにその村で一つの共同体が形成されて一つの御先祖様になった
だから私は先祖になるということを言ったのは重みがある
その村の御先祖様になる、今ならそんなことを言うとだいそれたことになるからそれだげ時代が変わってしまったのである
つまり御先祖様になる基盤となる村が消失してしまったからである
今農業を継いでいる平均年齢は68歳だというから驚く、もう跡継ぎがいないのである

それで大原村では前田というところに草分けの農家らしいが病院で知り合ったがもともと息子が市街に出て働いていて一緒に住んでいなかったのである
それで猫のことを心配していたのである、猫と一緒に住んでいたからである
その人が死んで今は空家になっている、その墓は大原にある、何か墓に刀自とか記されているから古い家の感覚がそこにあったのかとなる
つまりこの人も御先祖様になるということに昔だらなっていた
でも今は墓はあるにしろ息子は市街に住んでいるからやがて大原とは疎遠になる
農業を受け継ぎそこで暮らすならそこに御先祖様がいることになる
それで春になると田植えの時期に御先祖様が山から下りて来るというのは農業がその土地で継続されてこそありえたのである
その基盤が失った時御先祖様は存在しえなくなったのである
だから墓を維持できないとかいろんな問題が生まれてきている
それがあまりにも戦前からでも戦後でも社会の変化が激しいからその拠り所とするものがアイディンティティが失われたからそうなったのである

要するに〈先祖になる)という場もなくなったのは農業社会から工業社会とかに移行した結果なのである、そこで共同の場は会社に移行したのである
でもそこでは御先祖様とかになることはありえない、会社を退職すれば会社の縁は切れるそれは死後もつづくようなアイディンティティの場にはなりえない
そもそも会社自体がグロ−バル化競争の中で消滅している、大企業でもそうなる
でも村の歴史は日本では長いのである、何代もつづいてきたのである
千年くらいつづいてときた村もある 

そこで日本人のアイディンティティが築かれて来たのである、だからこそそこに日本人の精神が築かれたのだからそれを失うということはアイディンティティの喪失になり実際は精神的拠り所になるものがあらゆることで失うことになるから深刻になる
それで先祖になるというときその言葉に重みがあるのはやはり死というものが共同体の中で位置づけられた重みがあったからである
それは靖国で会おうといって戦士した英霊にも言える
その人たちも日本の先祖になりたくてそう言ったのかもしれないからだ
それがなされないとき亡霊として日本を彷徨うとなるからである
それで村に帰ってきた兵士が亡霊となりそれがトンネルから出てきたのだか追い返えされた黒沢明の映画(トンネル)が何かリアルだったのである

いづれにしろ死という問題が今うまく対処できないのはこうした社会の急激な変化によってである、死というのも個人的な死と社会的に意味付けられる死があるからだ
個人的な死は世界共通であり世界宗教の問題である
でもまた共同体の中での死がありそれはまた別な問題としてある
それで同じ墓に入るために墓友達を作っているのも現代的である
でもこれも老人になってから作るからとても村のような深い強い継続的なアイディンティティは作りえないのである、ただ一時的なものとして処理される
つまり今の時代は長い時間で継続される、時間軸で生きることができないのである
そのアイディンティティとなる場が村がなくなったからだともなる
だからなぜ原発事故で簡単に町でも村でも解体したのか?
放射能汚染で住めないということもあったがそれだけではない、そもそもそうした町であれ村でれグロ−バル化広域化社会の中に貨幣経済のなかに巻き込まれてあった
どんな辺鄙な地域でも今はそうなのである
第一石油を使っていればそれは中東と関係してグロ−バル化しているからである

そうして商業というとき奇妙なのは神社が市場になりそこを村から無縁化した場所として提供されたのである
つまり村から無縁化されないかぎり自由な商売はよそものは村に入れなかったのである
今でも村となると都会の人が入りにくい、よそものとして見られるとか嫌がれるとういことでそういう継続がある
しかし資本主義となるとそうして無縁化して貨幣経済にすることで成り立つ
それがグロ−バル経済として現代文明を作ったのである
だからそこで無縁化社会になり孤独死とかが増えるのもそうした社会の変化の中でそうなったのである

それは世界的にグロ−バル化した社会でありそこで実際は様々な問題が矛盾が生まれたのである、人間が商品化する貨幣経済がすべてになり商品化するとかマルクスの思想とかがもてはやされたのである、人間とは経済的な一単位ではないからである
人間はとにかく経済的に何でも割り切れる存在ではないから様々な問題がそこに噴出している、墓の問題でもそういう矛盾となって現れる、それは全体の一部の問題にすぎないのである、他にも様々な問題が生まれたのである、原発事故もそういう社会の変化の中で起きたことなのである、そうして俟ち村も解体されていったというのもその原発事故前にもそうした日本人のアイディンティティとなるべきも基盤が失われていたためだともなる
それが原発事故で一挙に加速してそうなったのだともなるからだ

かつて日本人の間には一人一人の人間の個別性よりも、ある家やある土地に生まれ、一定期間の人生を生きて死んでゆく者は一つの大きな命のプールのようなものの中からある時間帯だけこの世に生まれ来て死ぬとまたその命のプ―ルに帰るとでも比喩される時代があった{波平恵美子)

これを政経東北8月号の「なぜ福島は分断するのか」に引用されていた
これこそまさに村というアイディンティティの場があり死後も継続していることを示している
ただこれはここでは極端なものにとして起きたが社会全般に起きていたことなのである



2019年09月03日

駅でみる老人と若い世代 (老人は知らないで困ることがあり頼るから謙虚)


駅でみる老人と若い世代

(老人は知らないで困ることがあり頼るから謙虚)

駅で依然として無人駅で乗車証明書をとることがわからない人がいる
今はあまり案内していないが依然として老人は地元に住んでいてもわからない
昨日は三人くらいわからなかった
その人も鉄道を利用していないので電車の乗り方がわからなくなっていたのである
車ばかり利用していると電車の乗り方すらわからなくなる
それはよほど電車を人生の中で利用していなかったということである
それは逆にどれだけ車社会になっていたかを証明している

何か無人駅でも老人は困ることがあり教えることがある
普通はみんな自動で改札するからである
それで何か教えようとすると怒る人もいる、余計なことをするなと若い人はそうなる
でも老人は違う、何か話ができる、駅で待っていてもちょっとでも話することができる
昨日は「鹿島は原町よりいい」と老人が言った
その女性はちょっとでも教えられたり話できたからである
原町駅だと大きいからそういうことがないからである
つまり小さい駅とかまたここが無人駅だからそうなった
なぜ鹿島がいいとか言ったとき、小さい街だからかえっていいということがある
小さいことは人が交わり安い人情的になる

そして何より駅には待つ時間がある、この待つということが人間的時間をもたらしているだからそごで10分でも待つ時間があれば何か話したりできるのである
かえって待つという無駄な時間が人間的時間をもたらしている
ただ現代は人と人が機械化してスマホとかで交わらない、駅でも年配の人でもスマホを見ている、その人自体が携帯をもっていたし直接人に頼らない時代である
第一無人駅になっいていることが機械化して人間を省いていることなのである
ただ最近は朝と二時半から高校生の見守り役がいる
ただ駅や鉄道の案内とか無駄なことにはかかわらない、待っている人と話したりはしないJRでは駅の業務を頼むと金がかかるから頼まないのである
高校生の見守り役は市でNPOに頼んでさせている、金は市から払われている

人間は何かできるとか〈俺は助けてもらわなくてもできるからいい)というとき傲慢になっている、それは自分自身がそうだった
介護も十年とかしてさんざん苦しめられた、自分も病気になった
その時弱者になった、するとなんとか助けてもらいたいとなるがそれもなかった
それも自分のカルマだった、ただ駅でわかったことは老人は弱者でありわからないことがあり教えてもらいたいという気持ちがある
またいろいろ人生を経験して謙虚な人が多い、だから話ができる
でも若い人は何も教えてもらいたくない、うざいんだよ、駅には人などいらないんだよとかなっている、つまり傲慢なのである
若い人は弱者の気持ち、老人の気持ちがわからないのである

その原町から来た女性も喜んでいたのはばばあと言われて無視されるだけだと言っていた若い女性なら勝手に近寄り教える人がいるがばばあにはいないということなのである
結局若いということだけがいいとはならない、若い人には弱者の気持ちとかわからない
老人はみんな弱者化する、でもその老人の気持ちがわからない
すると実際は介護とかには向いていないとなる
ただ介護となると体力仕事にもなるからしているだけだとなる

何か自分は本当に駅にいるのはわずかな時間である
30分もいない、でもそこから見える社会があるものだと思った
自分は社会性が欠けていた、だからこういう所で社会であり社会がいかなるものか見えてくる、やはり家に引きこもっていただけでは社会はわからないのである
それは本を読んでも社会でも何でも何か実感が大事だからわからないのである

2019年09月02日

刹那的な楽しみに生きる現代人、道徳性の後退 (忍耐力がなくなり長期的視野がもてない)


刹那的な楽しみに生きる現代人、道徳性の後退 

(忍耐力がなくなり長期的視野がもてない)



何か現代人は刹那的になっている、刹那的快楽を求める、地道に働くということになじめない、長期的視野がもてない、その場限りであり宝くじのように大金を得たいというのが共通である
そうなるのはなぜなのか?
それは社会的環境が関係している、社会はもう金、金、金・・である
金さえあればいい、金があれば何でも満たされるという感覚になっている
金さえあればスーパーに行ってなんでも買えるし遊んで暮らせるではないかとなる
そして地道に働いても今は非正規とかが多く簡単に金にならないのだ
現実にこの辺で原発避難者が仮設に住んでも地元の人に世話になるという感覚がゼロだった、むしろ私たちここで消費して助けているのよねということしかなかった
それは消費者が王様だということでそうなった
金さえあればその人がどこでも王様になるのである
それで小高の人が仙台で200坪の土地を買い家を建てアパートまで経営している
それは何億の金が補償金として入ったからだと思う
原発事故で被害者というよりその補償金で成功者になったという現実である

例えば高度成長時代は貯金をすれば10年後には利子で倍になるというとき十年間ためて貯金しようという感覚になる
でも利子もつかないとかなると貯金することに励むということもしなくなる
10年間の長さに耐えられない、石にも三年とかにも耐えられない
忍耐力が欠如しているのである、そういう教えが通じなくなっているのである
それに比べれば私の親などは大正生まれであり本当に忍耐強いのである
貧乏で育ったから贅沢しなくても文句を言わないのである、それは大正生まれとかなるとみんなそうなのである、そういう環境で育ったからである
辛抱強い、だから文句を言わないことに感心する、辛いことがあっても文句を言わないのである
そこが今の人と社会と根本的に違っていたのである 

そもそもなぜ現代は何かせかされるとか忙しいとか刹那的になるのか?
それは多分に今の社会環境と関係しているのだ
まずともかく(待つ)ということを嫌う、待つということが時間の無駄に感じる
ところが駅だと必ず待つ時間がありその時間が無駄ではなく何か人間的時間なのである
電車を待つという時間が人間的なのである
だから私は鉄道が好きなのである
クルマには何か待つ時間がない、いつでもクルマに乗ってキレルように去ってゆくだけである、そこからキレル人間が必然的に生まれてくる
クルマが便利でいいとしても人格まで変えてしまうことが怖いことだったのである

戦前とかまで社会の環境が違っていた、そこでは何か今とは違うものが精神的にも育まれていたのである
例えば戦前でも戦後10年でも馬とか牛とか普通にいた、すると牛がいるとすると牛に忍耐の象徴であり牛がともに生活することで忍耐を学ぶとなる
それはおそらく牛とともに生活することで性急にならないとかあった

「のんきな父さん」とか言われたのもその時代はのんきなものが時間がゆったりとまだ流れていたのである  

何かわからないのだけど世界中から物が入ってきてスーパーにある
でもその物は何か魔法のようにそこにある、とても人が苦労して作り出した感覚がないのである、それは農家でもないしどうしてその野菜でも果物でも作り出されるのか?
それが実感としてわからない、わかるのは金を出せば何でも買えるということである
だから現代生活で常に意識されるのは金なのである
もし農家で米とか野菜を作って入れは金を意識する前に作物をいかにしてとれるかということを意識する
米だったら浜に田植えして秋に収穫する、その間に何か作業がありようやく秋に実りがあるとなる、そこにはやはり時間がかならずかかっているのである

20日大根でも40日大根でもそれだけの時間がかかる、種を植えてすぐに育つことはない
でも買うとういことは常にできあがったものを買っているのだからいつもそこに完成品が育ったものがあるという感覚になる
すると自分で育てる待つ時間もないのである、問題なのは金があればいい、金があれば食料でもなんでもすぐに手に入るとなる
それはまた世界中からなんでも食料が入ってくることによる
地域だけに頼っていたらこんな感覚にはならない、住んでいる場所でとれなくても他からいくらでも入ってくるとなると住んでいる場所に頼るということもなくなる

問題なのは常に金があることなのである
例えば昔は郷倉とかあって飢饉のために米とか貯えていた
でも今はその必要がない、常に外から入ってくるからである
そうすると何が大事なのか金だとなるのである
米など貯える必要がないとなるのである
だから地域に依存していないから地方に田舎に住んでもいても別に地域に頼ることがないのである
ただ津波や原発でこの辺で何もなくなったとき二週間くらい困った
その時古米をこの辺では配ったのである、その時助かったとなるから古米を貯えていたことはやはり郷蔵の役目があったのである
その一番の要因が

外から食料が入らなくなった

この辺では一時二週間以上食料が入らなくなったからである
これでわかるように現代の生活感覚が刹那的快楽とか刹那的に向くのはいつでも食料でもなんでも入ってくるという感覚でありそこで金さえあればいいとなる
それも忍耐して稼いで貯金するというまどろっこしいことをしたくないのである
貯金して利子が高くつくようだと高度成長時代のようにみんな貯金しようとする
でも今は貯金したら銀行から利子をとられる、投資信託とか買わされたりゆうちょで必要のない保険を買わされたりしてごまかされる
そういうことでこつこつ稼いで資本をためる、金をためるということがなじまない時代なのである

そこで起きてくることは何か?ともかく時間をかけてこつこつ貯めるのは無駄だとなる
一攫千金を狙う、FXとか投資がいいとなる、こつこつためてもたまらないからである
また稼げない時代だからである、それでそうした一気に稼げるばの一攫千金を夢見るのである
そして時間のサイクルが早いのである
例えばローマ帝国であれスペイン帝国であれイギリス帝国であれそれなりに長い時間をかけて作られてきた、でもエジプト文明三千年はさらに長い時間で作られてきたのである
そして徐々に衰退したのである、その時間の感覚が長いのである
でも今だと日本の経済成長が30年くらいで終わりとか中国でも二十年くらい成長して終わりだとかなる
世界的に交通が発達してそうなったのである、その成長の速度が速くまた衰退するのも早いのである、だから中国が10数年で宇宙に行ったり新幹線まで走らせていることが信じられないのである
それだけ時間の感覚が早くなっている、そこで刹那的になるのはとめられないのである
長い時間の感覚で社会でも人生でも見れないのである
だから欲しいものはすぐに手に入れるようとする、待つ時間がないのである

道徳にしてもそこで育まれことがないのは時間がないからである
「ローマは一日して成らず」という時間の感覚が喪失しているのである
現代は一日にして成ることを求めているのである
そこに道徳的退廃が生じる、刹那的快楽主義になる、これは一人の力ではどうにもならない
つまり時間というのも文明的時間がありそれがますます加速されて異常化しているのである、文明人はたえず時間に追われている、待つ時間も消失しているのである
無駄な時間も持つことともできない、時間を極限まで無駄なく使うとかなる
生産現場ではそうなる、何か時間すら脅迫的に支配される

そして刹那的なものを求める、時間をかけるものが否定される
そういうところで道徳の退廃が生まれて社会自体がもう維持できなくなる
何か人間は忍耐力がなくなり争いにもなる
それでなぜ産業革命がグロ−バルにはじまったとき戦争となり莫大な死者を出したのか?それも現代の文明と関係していた、刹那的なものを求めて戦争で解決しようとする
そこに忍耐する待つ時間がないのである
だから戦争も文明の結果だということを指摘するのもそういう社会環境が人間を作っているからだともなる
文明が罪を悪を作り出して増幅させるということもある、それが世界的に起きていることは世界が同じように文明化しているからである 
インドの一部をのぞいて馬と牛を使わなくなったりしているからである
そういうことでは共通しているからである

文明には遅らせるとか待つとか減らす思想がない、つまりそのことはもう止めることができず暴走もすることになる
何か現代に必要なのは遅らせるとか減らすとかの思想が必要になっている
そんなことしたら経済が停滞するとか反対がありできないとなるのがそれが資本主義が投資先がなくなりもうそうした思想が時代にマッチしたものになる、だからそんな思想は批判するより現実がそうなんているのだからむしろ現実的思想だともなるのだ
もう文明はいろいろなものが限界になってきている、原発事故でも何か科学技術の限界現象だったのである
経済成長とか無限の科学技術の発展とかも限界が見えてくる、その時こうしてもともと東洋思想だったものが現実社会に適応するものとなる、だから文明が西洋から東洋へシフトするというとき思想の面でも東洋的思想が現実にマッチしたものとなる
資本主義思想はもう現実社会にマッチしなくなったからである

忍耐力がない長期的視野がもていないというとき、現代社会が日本でも高度成長時代は団塊の世代でも若い人が多かった、すると社会は若い人中心の社会だった
すると何でも若者向きになる、でも今度はその団塊の世代が老人になると社会が変わる
少子高齢化社会であり老人向きの社会になる、そのマイナス面も大きいのだがプラスの面もある
老人は70年くらい生きるとそこで一時代を生きたという感覚をもつ、それがどういう人生でもそうである、一時代を生きたという経験が若い世代とは違う、そこで物の見方も違ってくる、その一時代の過去をふりかえり未来を見るということができる
それより団塊の世代の上野の世代は戦争を小学生の時代でも経験した人は違っている
戦争の見方が戦後の戦争を知らない人たちの見方と違っている
その差は戦争の時代を小学生でも生きたということなのである

その経験の差が大きいのである、そういう経験はどうしてもいくら本を読んでも聞かされても実感できないのである、だから戦後は左翼関係者の戦争を否定することばかりが戦前の戦争の実体だとなったのである、それは戦争を経験していないからそうなったのである戦争の現実は経験していないからただ頭で理論的に悪いとばかり言うだけなのである
戦争が悪いことはわかる、でも日本の戦争もその時代の状況で生まれたからその時代を知るべきだとなる、でも実感として知り得ないから一方的に頭で判断する
そういうことは別に戦争でなくても戦前の生活でも江戸時代とかなるともわからないので必ず誤解しているのである、現在から時代を見るからそうなる

ともかく一時代の区切りは70年だということはあたっている
なぜなら明治時代から70年して太平洋戦争になり戦後の高度成長時代から70年して今がある、つまり70年過ぎると時代が大きく変わる、大きく変わらないと遅れとり衰退するということである
そして人生百年という時それがいい面と悪い面があるにしろいい面としては長期的な展望で生きれるとういことでもある
自分の場合特殊でも60までは遊びだった、旅行ばかりして60になりその後介護十年とかなりそのとき一時代が過ぎたのである、そして人生も終わりだとなる
何かふりかえると人生かこんなに簡単にあっけなくあっというまに終わるとは思っていなかった
でも70年生きたということはなんでもあれ誰でも一時代を生きたのである
ただ今の80以上90歳とかなると二つの時代を生きたとなる






posted by 老鶯 at 09:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2019年09月01日

時代の変化の中で二度捨てられた故郷の田舎の価値 (時代によって変わる価値―若い人は今は田舎志向になっている)


時代の変化の中で二度捨てられた故郷の田舎の価値

(時代によって変わる価値―若い人は今は田舎志向になっている)

時代によって変わる価値という時常に人間は長い歴史で経験してきた
明治以降は特に価値が変わった、江戸時代の価値観がまるで変ってしまった
侍がなくなったということが一番変わったことでもあったし藩がなくなったことでもそうである、殿様もいなくなった
その変化はあまりにも大きいものだった、だからそういうときその時代についていけない人たちがでてくる、変化が激しいのでついていけない
今までの価値観の中で生きようとする
そういうことは歴史の中で常に起きてくる
特に現代は科学技術社会でありその進歩が急だったからめまぐるしく変わりついていけなくなる

交通でも明治以降は鉄道中心であり車社会になるのは高度成長時代からである
その時国鉄時代であり社会党が大きな力をもっていたのは国鉄をバックにしていたからである、そういう時代も国鉄が民営化して車社会になった時変わった
国鉄は消えて輸送は車中心になったからである
その時代は鉄道中心に街作りでも行われていた
鉄道の価値が高いものだったのである、それで原町のように駅前通りが全国で作られ街作りの中心として駅があった
今は鉄道が衰退して高速となりその高速のSAは新しい街作りとはならない
街とは結びつかないのである、一時期に車をとめて休むだけだからである

通信でもまだ電話でも普及していない、手紙とかハガキであったりした
その通信の分野でも急速に変わった、インタ−ネット時代になるとこれは個々人が発信できるので新聞とかテレビが報道をメデアを独占する時代は終わった
携帯電話からスマホ時代になっても変わった
こういう技術の変化が激しかったのが20世紀だった
そういう技術の変化でも価値観が変わる

価値観というのは例えば文学でも万葉集というのが日本の古代という時代から生まれたものである、そこに日本の原始性が残っていて今になるとそれが理解しにくいのはそのためである、平安時代になると古今集となると万葉集とは別ものになっていたからである
つまり時代の産物として文学もありその時代を知らなければ社会でも知らなければ文学も理解できない、それが時代が変わると非常にむずかしくなるのである
なぜ芭蕉の奥の細道ができたか?これも江戸時代初期の元禄時代と関係していた
その時代の産物として生まれた価値を作りだしたのである
だからこれは今では作れないものであり価値が減退することもないのである
一流の古典となると価値が減退しないのである、代々読み継がれるのである
そういうものが古典となる、今の時代でも無数のものが残されても時代に代々受け継がれるものはまれなのである
万葉集の価値が減退しないのは日本という風土がありその原始性を歌っているからだとなる

ともかく人間はその時代時代の価値観に生きている
明治から太平洋戦争までは日本は貧乏だったけど農民が80パーセントだったとか農民中心の社会だった、そういう中で価値が作られていたのである
農業社会の価値観に生きて入たからこれは江戸時代の継続でもあった
なぜなら燃料は山の木材を燃やして作る炭だったからである
街中の家にもみんな囲炉裏があったからである
そういう生活で価値は作られてきた、その時何が大事なものかとなると江戸時代のようにその土地でとれるものが特に米が大事なものになっていた
第一パンは戦前はほとんど贅沢な菓子であり食べていないからだ
子供の時ようやくコッペパンなどが出てきて食べ始めたのである
それは子供の給食にもでてその味を覚えている

囲炉裏があるときその囲炉裏中心に生活があった、特に農家ではあった
そこで薪をくべて煮炊きしていた、そのことに価値を見出していたのが山尾三省である
この人は何げない田舎の生活に価値を見出して極貧の中に60くらいで死んだのである
その田舎の価値とは戦前とか戦後10年くらいまでみんの普通の生活だったのである
今になると自分の家のすぐ裏の堀で洗濯していた、これも今になると信じられない
洗濯機などなかったからである
でもそういう不便な生活でもその時代に作られた価値観がありそれを山尾三省は求めたのである
回顧的価値観とはなってしまうがその時代はそういう生活であり別に特別なものではないからそこに価値あると認めていたとはならない
一時代が終わった時その時代を回顧してその時代の価値を見るとなるのが人間だからである

その後高度成長時代になりこうした江戸時代から継続した生活は失われた
故郷でも田舎でも急速に変わったのである
それで小高に住んでいた人が父親に農業だけはやるな継ぐなとして殴られたというとき
それも極端にしろみんなそういう時代になった
農業とか漁業でも林業でも金にならないという時代になり捨てられた
原発事故になる前から第一次産業は金にならないとして捨てられていたのである
だから漁師は漁業権を東電に売り渡したし農業に従事する者は一割にも満たないものとなった、その時明らかに漁業とか農業とか林業でもか江戸時代から継続してもっていた価値が喪失したのである

なぜなら炭焼きは山村からなくなり石油とか電気にエネルギーが変わったからである
その前に常磐炭田とかあったがこれも終わり炭や石炭の時代は終わった
その時第一次産業は価値ないものとして原発事故の前でも捨てられていたのである
そして原発事故になった、その時この一回捨てられた漁業とか農業とか林業が一番打撃が大きかった
海でも水でも土でも木材でも森でも空気まで放射性物質で汚染されたからである
それか致命的であり住めなくなったのである
人間はその土地に住むということは生態系に依存している
水でも土でも空気まで汚染されたら住めなくなるのである

でもすでに第一次産業はすでに捨てられていた、跡継ぎもいないとか捨てられていたのである、そこに原発事故になり二度捨てられたことになる
それから原発事故の補償金でも故郷の田舎の価値は捨てられた
一億円補償金もらったら故郷のことや田舎のことより自分のこと家族のことが大事だとなりその多額の補償金をもらって故郷を捨てたたのである
その時故郷に残されたのは老人だったのである
老人は故郷に愛着があり残ったが若い世代は金の方が大事であり今の時代の価値観に生きるから広域化社会で金があればどこにでも住みたい所に住めるとなり故郷を捨てたのである

でも故郷には先祖の墓があったり故郷に受け継ぐべき価値あるものがあった
でもそれは目に見えない実利として見えないものがある
景観とか先祖とのつながりとかは目に見えない、だからそれは実は切れやすいものだったのである、金の力が大きくなるとそういうものは目に見えないし実利にならないから無視されるのである、何か故郷には目に見えない実利とならない価値があった
でもそういうものは無視されて捨てられたのである
おそらく老人が故郷に残ったのは思い出がありそこで暮らし歳月があり簡単に捨てられないから残った、それは実利にはならない、金にならないのである
でもその価値が実は大きなものだった、金に変えられない金で作りだせない価値でもあった、第一思い出はもう老人には作れないからである
その思い出はその土地と故郷と一体化してあった、だから故郷に残ったとなる

いづれにしろ故郷は二度捨てられたのである、原発事故前にも故郷の価値は捨てられていたのである、そして多額の補償金が入った時も故郷は捨てられた、そこにあった価値は無視されて捨てられたのである
複雑な事情にしろ親戚でもあった人は親の墓を自分が作ったが墓参り来ないで縁は切れたそれだけの縁だったとういこともあるが何か簡単に親の縁もキレると思った
その人は金がないから十万欲しいと電車賃を送ったが親の墓参りに来なかった
親に苦しめられたにしろ子供の時かわいがられたのだから親を思う心があると思った
実際は全然なかったのである、ただ電車賃十万が欲しいから墓参りに来ると言ったのである、そして墓参りには来ずに縁は切れた

このように十万でも死んだにしろ親の縁でも先祖の縁でもキレルものだと思った
先祖を供養するとか墓参りしても金にはならないから来なかったのである
その人は金が欲しいからであり親を思う心がなかったのである  
親とか先祖を思うとしても金の方が大事になる、それもたった十万で死んだにしても縁は切れたとなる、それはかないこの世の縁だだといえばそれまでだが何かここでも同じようなことが起きたのである
ただキレル縁は不思議にあっけなくキレル、親子の縁だって切れにくくてもキレる
何かこの世の縁はみんな切れるのかとなる
それとは違っても同じようなことがここで起きたのである
金の切れ目が縁の切れ目になりやすいことが変わりなかった

故郷でも田舎でもそうして目に見えないものとして価値あるものがあったがそれは捨てられたのである、多額の補償金の方が一億円の方が価値あるものとなっていたのである
もちろん放射能汚染とかあり帰れないといえばそれまでだが何かそれだけではないものがあった、それと強力な理由とはなったがやはり金の方が価値あるとなった時代だったのである、またグロ−バル化広域化社会の中で価値観が変わったからそうなったともなる
いくらグロ−バル化と広域化社会を批判したとしてもそういう中で生きざるを得ない
その時代の価値観で生きざるを得ないから金の価値が大きくなり故郷は捨てられたとなるただ逆に山尾三省のように東京暮らしの都会人は強烈に田舎生活の価値観を求めて移住して農業して死んだのである、でも田舎の人はそういう価値観をとっくに捨てていたのである
むしろ田舎の人は都会人の価値観に生きていた
いい車が欲しい、いい家が欲しい、うまいものを食べて贅沢したいときりがなかったのである、そのためなら何でもする、東電に漁業権でも売り渡す、農業などしても金にならない価値がないとした
そういう時代の価値の変化の中で原発事故が起きたのである

ただこの価値観は変わる、かえって今度は別な形で田舎が地方が見直される時が来ているのかもしれない、若い人は田舎志向になっている、都会に出ても働いても非正規であり金にならないとか田舎に帰っているという、田舎に星を見にきたという若い人もそうである都会にないもの自然でも田舎に求める時代になっている
そのように田舎は地方は見捨てられたのだがまた価値観が変わってくる
別な形で田舎が地方が見直される時代になる、その兆候が若い人に現れている
すると今後その若い人は60年とか生きる、するとまた時代が変わり価値観が変わるのである
だから貧乏であれ一時代に作られた価値観は貴重なものであり実際は廃れることがない価値がある、それで万葉集は時代が変わっても不滅であり古典になるものも不滅なのであるたから金になる者だけを求めるがどういう価値を求めて生きるかが人間は大事になる
どういう価値を追求するのかが問題になる
でも金になることが必ずしも求める価値とは一致しない葛藤がある
でも今の若い人は金にならなくても自ら求める価値を追求しているという時、時代が変わっているのである、その若い人達の価値観が次の時代を作るからである   

価値が変わってもその時代時代の価値は不変である

価値が変わるとしてもその時代時代に作られた価値は残るし不変である、だから必ずまた時代が変わっても見直されるのである
万葉集の価値が時代が変わっても変わらないように不変の価値をもちつづけいるように変わらないのである
活字でも電子文字になっても別にその内容までも変わらない、内容がなければ価値がないのである
俳句でも短歌でも紙に書いたから価値があるとか電子文字では価値がないとかならないのである
問題は内容にあるからだ、その辺が錯覚しているのである

posted by 老鶯 at 15:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

鹿島駅の引き込み線に(Plasser & Theurer)とまる (徒歩旅行者を案内)


鹿島駅の引き込み線に(Plasser & Theurer)とまる

(徒歩旅行者を案内)


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ここに新しい駐車場ができ


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プラッサー&トイラー (Plasser & Theurer) は、オーストリアの線路工事用重機メーカー。本社をウィーン、工場をリンツに置き、欧州周辺の鉄道をはじめ、ロシア、アフリカ、中南米、アジア、そして日本にも輸出している世界規模のマルチプルタイタンパーメーカーである。

1953年にオーストリアで設立。欧州では同業他社としてスペノ社とマティサ社(共にスイス)があるが、世界の鉄道の大半ではプラッサー&トイラー社の製品が採用されている。

日本では1971年、プラッサーグループの日本法人として日本プラッサー株式会社(豊島区駒込)を設立。旧国鉄(現・JR)、日本の私鉄をはじめ公共公団との関わりも深い。

2010年現在、製品は世界104か国へ輸出されており、15,000台以上が稼働している。全世界の従業員3,000人のうち1,500人がオーストリア勤務である。

引き込み線にこの車両がとまっていた、何なのかと見て調べた
これはオーストリア製であり線路工事用の車両である
なぜ外国製を使用しているのか?日本で作れないのか?
日本でその技術がないのか?日本が鉄道の先進国のはずである
ただこれは確かにオーストリア製であることは間違いない

これが引き込み線にとまっていたことは本当にめずらしい
引き込み線は昔は荷物をおろすために使われていた
自転車屋が駅前にあったのは鉄道で運んでいた時代があったがらだとしている

例えば繩屋という屋号の家が近くにある、それは梱包するのに縄が使われていたからだ
つまり荷物を出すにも縄で梱包するからだった
ともかく引き込み線は無用のものと思っていたがこうして使われていた
まだ残っている駅が多いが使用されることがあると思った

今はあまり駅で案内しないが毎日買い物の帰りに駅は通る
駅で案内はしなかったが昨日はコンビニにいたら徒歩旅行者とあった
その人は星を見たいとして〈手の沢)に行くと4時ころ栃窪の方面に向かった
でも栃窪には手の沢がない、瀬の沢があり間違いかもしれない
子供の頃、ここにきたから行くのだという

私は遠いと行ったが行きたいというので4時ころ栃窪まで行く道を案内した
真野川沿いにでてここをこの真野川を上って行けば栃窪に出ると行った
また真野ダムがありそこは高いから星空を見るにはいいと言って案内した
それにしても若いということは体力がありバックパッカーのように荷物を背負って
4時になってもそんなに遠くに行けるからうらやましい
自分は旅行しても徒歩旅行というのはししていないのである
だから自分は意外と本当の旅行を経験していないとなる
徒歩旅行はかなりきついと思うからだ
栃窪に行くにしても食料が必要でその若者はコンビニに寄ったのである

別に六号線では徒歩旅行者とは年配の人でもあう、徒歩旅行者には話しかけやすい
なぜなら歩いているからだ、自転車だとやはり走っているからとまらない限り話しにくいとなる
徒歩旅行者だと接触しやすいのである、クルマだと全く接触できない、話しかけたりもできないのである
ともかく駅でなくても案内することはあると思った、時々こういう人を見つけて案内している

不思議なのは都会の人は田舎に憧れているのだ、田舎の人は若い時は都会に憧れる
でも今はどっちかというと田舎に自然志向が強いともなっている
それで非正規の派遣の非正規底辺労働者がyoutubeで若い人が田舎に実家に東京から帰っていると言っている、金にならないから田舎に帰っているという
ということは地方に若い人が帰っている、東京から若い人が離れているともなる
時代はむしろ田舎志向になっている

山尾三省はあれほど田舎に憧れて田舎で最低限の生活をして死んだのも逆説である
それほど東京で生まれ育ったから田舎に憧れて田舎で生活して死んだのである
つまり田舎に住んでいる人より強烈に田舎志向が強かったし田舎人より田舎を求めていたというのも逆説である
ただ六号線を行く人は山の方には行かない、六号線をたどって歩いている
それだと便利だからである、でも山の方が景色がいいし魅力がある
でも遠くに行くとなるとどうしても便利だから六号線を行くのである

夏の星若人遠く行きにけり

2019年08月31日

「震災バブルの怪物たち」を読んで 補償金で原発避難区域はモラルが崩壊した


「震災バブルの怪物たち」を読んで

補償金で原発避難区域はモラルが崩壊した

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この本は今までプログで自分が書いてきたとダブル、8割が自分自身が言ってきたことだった
ただ場所がいわき市ということでそこに2万人近くの人が避難して家を建てたことが違っていた、それで地元の人と軋轢がひどくなり嫌がらせとか事件になった
補償金の額が多すぎた結果としてもらえる人ともらえない人の差が大きすぎたのである
いわき市の津波の被害者は何ももらえない、でも原発避難者は特に双葉とか大熊地域は一億円とか普通にもらっている
浪江町でも財産がある人はもらっている、仮設住宅とかに入ってもいわき市と近くに住んでもその差が大きするぎのでうまくいかなかった
それは南相馬市だと原町区までは30キロ圏内でそれなりにもらった
小高は避難区域になったのだから多くもらった
それで仮設住宅に隣り合わせになったが付き合わなかったと小高の人が言っていたのも当然である
今でも補償金の後遺症があり復興と言っても南相馬市では協力しにくいのである

いわき市の人たちの間では一部の原発避難者の生活を見て「レクサス、焼き肉、スシ、ソープ」揶揄されたこともある
高級車に乗ってうまいものを食い、女を抱くという意味である

この本に書いてあるがそういう小高の人を知っている、もちろん全部ではない、今日聞いた話でもそうである

小高の人だから金をもっているとおもったがもうない

フィリピン女につぎこんで仙台に店を出させたかということでなくなったというから頭に来る、ほかでもそういう人が小高にもいたのである
そして腹ただしかったのは仮設には毎日のようにボランティアが来て援助していた
だからかわいそうな被害者として来ているから補償金もらうことも援助されることも当然でありなぜ鹿島の人は不満なのだと協力できなくなったのである

そしてNHKでもマスコミも原発避難者側について放送した
NHKでは相馬市のトマト農家が飯館村の人を雇わずに津波被害者を雇ったということで暗にこの農家を批判していた
冷たい農家だと批判していた、でも実際はそれは極人間として当然のことだったのである飯館村の人は被害者であることはまちがいない、でも現実に飯館村の補償金も他より多い一億とかもらったとなれば人間どうなるのか?
何かここに外からも誤解があり内部でも補償金で分断されたのである
それがいわき市だと極端なものとして現れたからそれにじかに接した不動産の仕事をしている人が報告したのである
ただこういうことは私がプログで報告してきたことであった

そして小高の若い人が自分のことを「傷口に塩ぬって楽しいか」と攻撃してきた
この小高の人はおそらく補償金をもらい何もしていない、補償金暮らしになっていたのだろう
この本でもあまりにも多額の補償金をもらい若者も働かなくなってあそびほうけていると報告しているからだ
他からはニートは得したなとかとも言われた

何が荒廃したのか?補償金はもらえる、かわいそうだと全国から思われて援助される
そうなると原発避難者様という意識になり何かそれに文句言うとお前は同情もしないのか?それで人間なのかとまで言われる、それを後押ししたのがNHKとかマスコミとかボランティアは悪くないにしろそういうことに加担したとなる

この辺で複雑なのは原発避難者と津波被害者は根本的に違っていた
その差があまりに大きすぎたのである、でも同一に扱われた
現実は隣の仮設では一億円もらっていても津波被害者ほぼゼロだったとなる
そうしたらもう隣同士口をきかないとなるのは当然である
そしてそうして原発避難者は周りの人に気配りをしない、なぜなら俺たち被害者であり原発避難者様とされたからである
それを批判すればNHKをはじめとしてマスコミで許さない、NHKでマスコミでこう言っているのになぜお前は原発避難者様を批判するのだとなっていたのである
だからマスコミの力が今までは強すぎた結果としてこういう問題がここでも起きた
報道するとなるマスコミになるからである
ただインタ−ネットができて別な見方もあるのだと知った人はいる
ただ仮説を去るにあたって周りに餅を配ったというとき何かしら配慮があった、そういうものを最後に感じたとなる

そして今になって遊び女につぎこんで金がなくなった助けてくれとかなればふざけんなよとなる、そんな奴らとつきあえるのか?
そして復興のことを考えても無駄だともなる、その人は一部にしてもそういう人こそ糾弾すべきなのに私のように復興を考える人はなんで原発避難者を批判するのだとなる
だからこの辺は原発事故前から補償金がもらえていた
特に双葉とか大熊地域はそうである、飯館村などは違っていた
でもその後の補償金で経済感覚が狂ってしまってモラルが崩壊したのである
もう頭には補償金のことしかなくなったのである
何か地域を元に復興しようとかなくなった、もちろん放射能汚染とかあるがその前に心が復興するということがなくなったのである
また協力するという絆も消失したのである 

そこに元から住んでいる人はもう金しかないのである、金の亡者となり補償金をいくら東電からふんだくるしかない、それを見ている若者でも補償金でも遊び暮らしていればいいとしかならなくなる
そして何か相手を批判することには被害者だとしてたけてくる
それは沖縄と韓国と一面共通しているのである、常に被害者だということで賠償を要求してくるからである
そして現実はその金で遊び何にも復興のことなど考えないししないのである
補償金で仙台で大きな家を建ててアパートの経営までした人がいたしそういう外に出て復興した人がまた多いのである
つまり故郷のことより家族が復興すればいいのである
それは場所を選ばない、それだけ今は広域社会であり金さえあれば優遇される社会だからである
だからこの辺でも外部から入った人たちが本当に多い、その人たちは立派な家を建てた
それはいわき市と規模が違っていても同じだった

こうしてそもそも復興とは何なのか?
それすらわからなくなった、復興とは補償金をもらい各自自由に移動しても生活することだとなる、あとはさらに東電であれ補償金を積み増しさせるかとかである
浪江町でも一か月35万を東電に要求した、それは実際は20万くらいになればいいとしている、一人一か月20万であり5人家族だと百万になる
この辺では小高の人が家族か多いので一か月150万になっていた人も現実にいたのである、だから億の金をもらった人は普通にいるのである

とにかく鹿島の貧乏人は本当に避難区域に住んでいたらと思っているだろう
その人は明日食うものもないからである、避難区域になったらそこに住むことなど関係ないのである、それで普通の生活ができるとなったからである
別に避難区域に住む必要はない、南相馬市内でも相馬市でも仙台でも住めるとなるからである、老人でも別に南相馬市だったらどこに住んでいいからである 

結局補償金で復興も協力もなくなった、絆もなくなったというとき水俣病でも補償金でだめになったという、ここでも補償金闘争になりだめになった
ここも同じだったのである、モラルは多額な補償金で崩壊したし協力して復興することもなくなったのである
その一番の荒廃が補償金を外国人の女にとかシニアとかがつぎこんで遊んでいたということである、そういう所に最大の暗黒が現れたのである
その人にとって故郷は何だったのか?そんなことなんの関係もないのである
金さえもらえればどこに住んでもかまわない、補償金もらって遊べるから良かったとしかなかったのである
それで一方で外部から来て復興に尽くす人がいるのだからそういう人は外に出るべきである、そんな人いたって何もならないからである、かえって邪魔になるだけなのである
真面目に復興に尽くしている人にとってはまた外部からでもそんな人に援助する気になるだろうか?

要するに補償金でモラルが崩壊して復興できなくなった

これは水俣病で補償金でだめなになったと同じだったのである
だからつくづく人間とはわからないものだと思った

例えは浪江町の津島とかでは戦後開墾に入った人たちがいて苦労した、この辺では特にそういう人たちの割合が多い、でもそうして苦労したから結束が強いというのもわかる
その時何もない貧乏な時だったからである
でも今回のように多額の金が入ったときみんなそれで良かったのか?
協力したのかとなるとかえって反目しいがみあいまた多額の補償金でかえって故郷を出てその補償金で200坪の家を仙台に建ててアパート経営までしたというやり手の人もいたのである
その人にとっても故郷の復興など関係ないのである

つまりこの人だけではないそういう人の方が多かったのである
だから復興はもう不可能だとなる、逆に浪江でも小高でも飯館村だって自分は賛成できないが放置する他ないとまでなる、それで飯館村では一億円以上もらって外に住むべきだという人と菅野村長は残るべきだ住むべきだと二つに分かれて争うことになった
村長が村に住むべきだとしているのはそこで村長の職を維持して金にするためだともなるからだ
現実にはもう故郷を放棄してそれぞれが補償金でどこでもいいから自立した方がいいとなる、自分自身はむしろ昔のように飯館村に人が住んでもらいたい

でも現実は補償金のためにできなくなっいる
多額の補償金でそういう気持ちにさせたのであり補償金でだめになったという水俣病被害と同じになったのである 
つくづく金は恐ろしい、そうういことを自分の家で起きたので延々と書いてきた
もう借金している人から金のない人から盗まれるだけならいい殺される目にあったからである
最近の事件で塗装会社の経営者が従業員を養子にして保険金をかけて殺された
その社長も私的なものに女とかに金をつぎ込んでいたとかが動機だった
原発避難者でも思わぬ金が入って金銭感覚が狂った、レクサスとか一番この辺では売れた、いわき市では特にそれが目立った
これとは違っても金に狂った異様な世界がこの辺でも現実化したのである  

いづれにしろ何かモラルが喪失してこの辺は荒廃した、金の恐ろしさがこの辺ではまざまざと悪いものとして現実化した
もちろん補償金は必要である、ただ額が多すぎたしいくらでもまた要求するという欲が生まれた
それは株とかと同じである、自分自身が株とか投資信託が人間の欲を刺激するのである
結果的には地銀にすすめられて損した、何かそれで株とか投資信託も怖いなと経験で知った
この辺でも補償金でも交渉すればもっともらえるとかなる、欲を刺激されるのである
そしてもう復興とか地道なことはしたくなくなる、働きたくなくなる
後はギャンブルたと女で遊んでいればいいとなった、全部ではないにしろそういう暗黒が生まれた
それは一部だとしてもそういう人を知ったら復興に協力するのも馬鹿らしいとなってしまうのである  


1次産業と工場が支えだったのが、漁業は壊滅、農業は落ち目、工場の雇用は細々。貧しくても助け合ってきた村はなくなった。水俣病のせいで村が潰れたわけじゃない。補償金で潰れたんです。

 命や健康は返らない。補償金を取るしかない。でも今度はカネで村が破滅する。公害は起こしたらおしまいということです。 
 これが人間の性(さが)なのだと思います。

 埋め立てなどで漁業権を売り渡して多額の補償金をもらった漁民でも同じことが起きたようです

こういうことがここでも起きたのである、だから人間のことは地域に関係なく時代に関係なく同じようなことが起きるのである
漁業権については何度も私のプログで書いてきたことだったからである 


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2019年08月30日

地方の自然破壊は高度成長時代から始まっていた (飯館村の自然破壊の歴史から未来を見る―真野ダムができる前の大倉の映像)


地方の自然破壊は高度成長時代から始まっていた

(飯館村の自然破壊の歴史から未来を見る―真野ダムができる前の大倉の映像)


大倉村はダムができる前は本当に秘境だった、真野川の上流にあり家が固まってあった
それがダムに沈んだとき家が高台のみになり失われた
葉山祭りという古い祭りも失われた、ダムというのも自然を破壊して村を破壊していた
ただダムとなるとこれに反対する人はあまりいなかった
やはり効用があるからそうなった、それで大倉ダムがダムの底に沈んだときこの時多額の補償金が出たのだ、それで立派な家を街の方に建てた人が結構いて話題になったのであるそれで山でぱダムができれば金になるということで期待する人が全国でいたのである

それはもう50年前とかであり日本がという国は高度成長時代になり大規模な自然破壊が始まっていたのである、その最初がダムだったのである
これによってなんらか川の流れなども自然の状態ではなくなった
ただダムについては危険視する人は騒ぐ人はいなかった
ただダムも自然破壊だったことは確かである

そして気づいていないかもしれないが飯館村の木戸木から新しい道ができたけど七曲りの坂ではない道ができたけどあそこに道がないときは細い流れがあり森につつまれていた
そこは人が入らない神秘的な道だった、歩いていたのは10軒くらいあった開拓部落の人たちだけだった、その流れは長く清流であり森につつまれていた
一つの秘境だったのである
自分はそこに良く行っていたのである
でもそれもなくなったのが残念だった、でもそのことで誰も騒がない、むしろ道路を作ることが進められた、車社会だからそうなったのである
七曲りの道は車だと危険にもなるからだ
新しくできた道でも本当に必要だったかどうかわからない、なぜならそこを通る車はまれだからである

要するにここだけではない戦後は自然破壊が全国的に大規模に行われたのである
道路を作ることも地方では公共事業として進めれた、だからダムでも道路でも過剰に作られた、農道まで舗装されたとかまた水路でもコンクリートの水路になり自然の小川もなくなりメダカとかどじょうだとか生息できなくなったのである

文明が発達するということは必然的に自然が確実に破壊される、それは止めようがないのである、ただエジプト文明とかなるとこれは古いとするが自然と調和する文明だったのである、そこでは動物が崇拝された、アニミズム信仰ともなるがそれだけ動物が崇拝されることは自然と調和していたということなのである
そういう文明がピラミッドを作る大規模公共事業を成したということも不思議である
現代のような技術力があった、でも自然と調和した文明だったのである
普通だったら科学技術はどうしても自然を破壊する
それも科学技術の力が大きくなると大規模な破壊が生じる
人間の技術の力が弱小な時は自然破壊は大規模にはできないからだ 

現代は科学技術の力によって自然は地球が大規模に破壊された時代だとなる
アマゾンが大火事になって消失するとか問題になる
それも原因は何なのかわからないにしても何か大規模に自然が消失してゆく
それが現代文明社会の最大の特徴でありそういうことが起きたのかとなる
そして地球が大規模に汚染されてゆく
原発がまさにそういうものだった、この辺のように人が住めなくなるのだ

要するにやがて地球に人が住めなくなる

このことを暗示したのが今回の原発事故だったともなる、空気であれ水と土でも汚染された住めなくなる、そういうことが地球規模で起きてくる
中国などは広いにしてもそういうことが大規模に起きている
原発の数も多いし増やしているからだ、そういうことでいつかこの辺のように大規模な汚染が生まれて人が住めなくなる
文明によって人は地球に住めなくなる、これを暗示している
そして人間の文明そのものが滅亡してゆく、自滅してゆく
それは人間自身の技が発達して災い(わざわい)となり自滅自壊してゆく

それはあくまでも人間側の問題であり神の知恵で創造したものとは違うからである
生態系は神が創ったものだが科学技術は人間の知恵と技で作り出したものだからである
それによってまた人間が滅びるのもカルマだとなり自滅自壊がすでに定められていたとなる
それで火を盗んだプロメテウスが神から厳しい罰を与えられたことでそのことはすでに神話で暗示されていた、それが20世紀になり科学技術の発達で現実化してきたのである
何か現代はグロ−バル経済でも資本主義システムでも限界にきている
それは結局強欲資本主義でありあくなき人間の欲望を是認するものだからである
それで今の若いものは欲がない、欲をもてというのも変なのである
断捨離とかミニマム経済とかになるのはやはり時代なのである
拡大成長一辺倒の経済は地球規模で限界に来たからそうなっているのだ

ともかく一地域を見ても本当に自然破壊の歴史だったことをふりかえる
今度は飯館村に風力発電ができるという、これもまた自然破壊だったのである
ソーラーパネルも草野にしきつめられたが今度は肝心の森につつまれた飯館村が風力発電でその本来の自然が破壊される
一見ソーラーパネルとか風力発電は自然を利用した自然を破壊しないものとして作られたしかし実際は違っている、やはり何かしら人間の作り出す技は自然を破壊するように宿命づけられている
確実に風力発電でも森を破壊する、人口の風を起こすことでそうなる、また景観も乱す
つまりソーラーパネルでも風力発電も自然のエネルギーを奪う行為でありそれはプロメテウスが火を盗んだのと同じなのである
風力発電でも自然の風ではない、自然の風を奪う行為だからそこに必ず自然破壊が生じて森が破壊される
それで科学者の武田邦彦氏がそのことを指摘している

そして未来とは何なんだったのか?それは山尾三省とかが言うには未来とは新しい科学技術のことである
今でもそうである、AIとか自動運転が世界を変えるとか核融合のエネルギーができるとか寿命はまだまだ長くなるとか科学技術が未来なのである
でもそれが未来だとして本当に人間の未来なのか?

科学技術への過信は危険

むしろ生態系の維持とか接続可能社会とかが最近話題になるのもそのためである
私は極端にしろこうして自然が破壊されることに耐えられない
もうそういう社会には生きたくないともなる、クルマ社会でもいいものとは必ずしも言えない、だから自転車にのっているともなる
車も自然を破壊するものなのである、クルマ社会だからこそ飯館村の神秘的な小川が喪失したのである、ただそれに注目した人は一人もいない、飯館村の人でもいない
自分一人だったとなる、つまり別に飯館村に住んでいるからとして自分のように自然を見ている人はいない、そういうふうに強いられたからそういう生活をしていたのである
それで多額の補償金が入った結果として飯館村を出ていく人が多いことでもわかる
金の力がそれだけ強くなったからそうなるのである
実際外から見ていれば自然がありそういう村がいいと言えるのはそこで暮らしていないからである
でも未来は何なのか?未来に残すべきは何なのか?

未来に残すべきは自然だった!

これから生きる未来に生きる子供たちに残すべきは何だったったのか?
それは自然だったのである、その自然が破壊されたとき暗黒になる
もう人も住めなくなったのである
住むべき自然が残されなかったのである
その責任は今の世代にあり文明自体を作った人たちにもあった
ただそれはここだけではなく世界全体グロ−バルに起きたことなのである
ただ未来とは確実にすべて科学技術こそ未来を作るということで一致していることは世界で共通しているのである
でもそれがここではそうではないことを現実に示したのである
放射能の被害は何代もつづき人は住めなくなった、これこそ最悪だったのである
貧乏でも住めるならいい、住めないということは最悪だったのである

自分たちの世代はもう消えてゆく、でもではこれから生きる子供たちとか世代はどうなるのか?それをう考える時自然が破壊されて残されていないとなるとそこに幸福がありうるのか?まず次の世代まで考えて生きている人はほとんどいない
今が良ければいいとしかない、そのことによって次の世代が苦しむ
カルマとなって次の世代にのしかかる、そもそも幸福とは何かというときそのこと自体の価値観の過ちがこういう結果を生んだともなる
限りない欲望の拡大しかないのである、もう金のためなら何でもする
自然破壊もそのためにはやむをえないとなるとか無関心となる

そもそも人間は景観を見て感動するより飯の種にならなかったらそういうものは美はいらないとなっているからだ、それが人間の醜悪さとしてある
だからこそ東京のような怪物都市とかニュヨークでもそこに美がなくても生きていられるのである、その人間こそが異常なのである
そういう異常性に気づいていないのである、ただ経済だけを見ている
美を価値として見ていないのである
だから東京に住んでいた山尾三省があれほど田舎に執着してまるで田舎に命を捧げるほどになったのは逆説だったとなる 

第一田舎の人こそ東京の人と変わりないしむしろ東京の人より価値観では同じであり強いともなる、いい家が欲しい、いい食べ物を食べたい、いい車が欲しいとかもうきりないのである、借金してもそうしているのが現実なのである
田舎があって自然があってその価値観に生きている人はいないのである
だからこそ原発は積極的に誘致されたのである、原発は金の成る木だったからである
だからなんらかそうした都会の価値観とか文明の価値観を否定しないかぎりそもそもまた同じことが起きて住めなくなる、その価値観を変えなければならないのだがそれがもう簡単にはできない、それがみんな望むことでありそれを一人が反対してもどうにもならない

その一つがクルマ社会が変えられないのはみんなが車がなくては暮らしていけないと思っているからだ、だからわずかでも減らすこともできないのである
そして自転車を邪魔扱いしている、そういうこと自体いかにもう変えることが不可能かわかる
自然などどうでもいい、美などどうでもいい、それより便利さでありあくなき欲望の充足である、山なんかはげ山になってもいいとか森がなくなってもいいとかそれより電気だとか贅沢な暮らしだとなる、そういう価値観を変えられないのだから根本的には変えることはできず同じことが起きる、その未来も同じだとなる
そこに最終的に人類文明の崩壊が起きるという暗いものになる
それより人間の文明が神によって滅ぼされるともなる未来が見えてくるのである  

ただではどうするのか、炭焼きの時代にもどるのか?森が活用されなくなったとき木材が外材となり利用されなくなったとき森が無用のものとなり人の手がは入れらずに荒廃した、つまり炭焼きでも入会の共同の山でも森でも利用していたとき自然も活きていたのである、いくら景観をどうのこうのといっても現実の実利として自然と結びつかないと自然も維持できないのである
だからどうしても自然保護だけとなえているときれいごとだけになり結局自然は維持できなくなる
でも本当にこの辺は原発事故でどういう生活があるべきなのか?山尾三省は極端にしてもそれほどまでに自然との合一した生活を修行者として自然への殉教者のように実践して早めに死んだといことは何だったのだろうと問うのである

実際は全く田舎であれ地方であれむしろ都会人より欲望は深く都会人志向であった
だからこそ原発は積極的にむしろ地域で豊かになるために奪い合うようにして誘致していたのである
この辺では反対した人は一人もいない、それがこの辺の特徴だったと思う
そして残すべき自然は破壊された、未来に生きるものは放射性物質と遺伝子の恐怖に延々とおびえるというより住めなくなったのである、子供たちでも飯館村には住んでいない、将来も住まないのである
それは飯館村の責任でもない、原発によって自然は奪われて住むことができなくなったのである   



真野ダムができる前の大倉村の真野川の映像

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大倉がダムになる前のビデオ映像が残っていた
ただこれも30年前であり画質が相当に悪い、でも真野川が大倉を流れていた
急流ともなって岩を打ち流れていた、その真野川にそって家が結構あった、一部落を形成していた
ダムに沈んだとき高台の方の家は今に残っている
これは貴重な映像である、他にも30年前のビデオの映像が残っているのでそれを記録してプログに出す予定である




posted by 老鶯 at 16:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村

2019年08月29日

今日午後から虹が出る(約束の虹に実り)


今日午後から虹が出る(約束の虹に実り)

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約束の地に実りや虹かかる

「あなたたちならびにあなたたちと共にいるすべての生き物と、 代々とこしえにわたしが立てる契約のしるしはこれである。 13すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。 これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。 14わたしが地の上に雲を湧き起こらせ、雲の中に虹が現れると、 15わたしは、わたしとあなたたちならびにすべての生き物、すべての肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。 水が洪水となって、肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない。 16雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべての肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める。」  17神はノアに言われた。
 「これが、わたしと地上のすべての肉なるものとの間に立てた契約のしるしである。」(創世記9章12節‐17節)

約束ではなく契約の虹だった、契約というのが日本だとなじめない、約束と訳すとなじめる
そこに言葉の問題がある


今日午後から虹が出た、大きな虹ではない、半分くらいの虹だった
でもはっきりとした虹だった、この頃あまり虹は出ていなかったからめずらしかった
それを見たのはいつも行っている畑の道だった 
虹は夏の季語だけど今日は暑いから夏だともなる、秋の虹だったら秋の虹としなければならないからだ、まだ残暑であり夏だとなる

そこにはいろいろな問題がありそれを語れどきりがない、実りがあるとしても余りにも
様々な問題がありすぎたのである
ただキュウリだけは太いのがとれた、それは柔らかく売っているのよりうまいのである
でもそのキュウリは売れない、もらう人さえいないのである

ただ自分はそこで畑で野菜を作る人の話を聞くことで金を払っているとなる
農業をじかにしるために金を払っている
何かそれが情報社会なのかもしれない、農業を知ることはなかなか田舎でも直接かかわらないものはわからないからである
田舎だと確かに農業は田畑があり身近だけど実際に農業している人としない人の差はこれも大きいのである
そして今では農家でも農業しているわけではない、たいがい農地を貸しているだけだとなる、だから農家の人でも会社員であり農業をしていないのである

虹は聖書では約束を示している、契約の虹なのである
その天国には本当の実りがある、ただこの世ではその実りは本当の実りとならない
ともかくそこで野菜を作る人の苦労を考えると嫌になるからだ
田舎の嫌な面が延々と出てくるのである

つまり畑でもそれは孤立してはできない、隣がありその隣もまたうるさいのである
だからいつも隣の畑の人が嫌だと言って最近死んだが喜んでいたのである
そして近くに団地がありその四階からいつも見て何やかやいう人がいると嫌がるのである田舎では見ていないようでも誰かが見ていて監視しているのである

田舎の問題はこうして人なのである、この人にうんざりしているのである
それは自分だけではない、みんなそうなのである
そうはいっても田舎で人と関わらないでぱ生きていけないのである
私は家族がいたとき田舎に住んでも人と関わらずに生きていたのである
それも不思議だったとなる、家族がみんな死んだ結果田舎の人とかかわって生きざるを得なくなったのである
そこで田舎の人のまた今の人間の金しか求めない醜悪さに直接触れるようになったのである

ともかく自分の生活は普通ではありえない生活だった、そこで変な方向にも行って失敗したのである、こんなふうになったのもいいにしろ悪いにしろ家族がそうさせたともなる
ともかくどんなにしてもこの世に本当の実りは実現しない
この辺が津波や原発事故でがたがたになって混乱したようにもう原発事故で放射能汚染で住めなくなったように本当に地獄化したのである
結局この世は災いの地だったのである、この世が天国になることは絶対にない
この世は滅ぶべき場所であることは間違いない
ただ約束の虹があるよう本当の実りはこの世にはなく天国にある
神の備えし天国にある、それが希望なのであ

人間何のために働くのか? (金を払う方でもなぜ金を払うのかと考える)


人間何のために働くのか?

(金を払う方でもなぜ金を払うのかと考える)

youtubeのlove abd freedomの40くらいの人がなぜ自分が働いているのかわからないという
ただ毎日とにかく食べるために働いている
それも日銭稼ぎでありただ日々生きているだけだとなりなぜ生きているのかもわからないとなる
もし家族があったら家族のために働くとなりそこに生きがいもできるから結婚したいとなる
働く理由はまず最低限の衣食住の確保のために働くことが強いられている
でももし最低限の衣食住が保証されていたら働かなくなる人が多くなることは確かであるなぜなら労働自体に今生きがいを見出している人はいないからだ
文明社会は複雑化して無数のパーツになっている 

だからどういうふうに関連して働くことに意義が見出されるのかとなるとわからなくなるみんな巨大な文明社会の部品に過ぎないのである
それはどんな優秀な人でもそうなる、
何か発明でも科学者でも昔のようにニュートンとか天才が出ないというときもそねうなのだろう、何か一人ではもう複雑化した科学でもそこで傑出したものとはなりえなくなったノーベル賞でも何か昔の天才のように傑出したものではないという
確かにそれは地道な基礎研究であり何か世界観まで変えるような発明はないと科学に弱くても見る

働くという時、それは例えば雇う人がいる、働かせる上司がいる、幹部がいて資本家がいる、金を出す方がいてもらう方がいる
給料を出す方でもなぜこの人に金を出すのか?そういうふうに考える
それ相応に見合ったものが得られから給料を払うのである
それで別に効率化するには人間でなくてもいい、AI化したロボットがいいとなり無人化した店になり鉄道だと無人駅が増えてくる
それは雇う人が給料を払いたくないからコストでそうなっているのである

ところが別に人を雇う方でもその働く意義とか理由を与えない、ただ雇われる人は金が欲しいだけだとしか考えない、だから雇う方も金のことしか考えない
働く理由とか意義などは考えないのである
そもそも何か理由とか意義とか意味を考えるのは人間だけである
一体地球が何で存在しているのか?宇宙が何で存在しているのか?
そんなことを問うのは人間だけである
動物なら毎日今日の食べ物しか頭にない、植物でもなぜ自分があるのかなど考えない
木がなぜここに立っているのかなど考えないのである
つまり人間が自然でもその存在意義を考え価値を与えているのである
人間こそが宇宙であれ地球であれ自然の木であれ石であれ花であれ意味を与えるのであるすでに名前をつけること自体なにかしらの意味を与えている

なぜ現代は働くことに意味を感じないのか?ただ金の量だけで計られるのか?
そして金を使う方に重点があり金を使うことが生きがいになるのか?
それで原発避難者が補償金をもらってかえって仮設に住んでいたのに威張っていたのである、「私たちはここで消費して助けているのよね」と言っていた
これが現代人なのである、金のある者が王様であり金をもって消費する方が王様になっている、としたら働く方に価値がないとなってしまうのである
こう言った人が変わった人でもなんでもない、そういう社会に住んでいるからそう言ったしそれが常態化しているからそう言ったに過ぎないのである
つまりいくら労働しても感謝されるということは医者くらいでありほとんどないのである医者だけは命にかかわるから過剰にその労働が評価されて感謝されているのである

今私が金を払う立場にある、別に働いていもらっているからではない

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親(介護されるひと)−息子(施設に一部金を払う)−母親(私か金を払う)

青森の施設に入れても他にいろいろな介護に使うものがあり金を払っている
息子は建築現場で働いている、親は自力で生活できない、年でもある
でもなぜ私がこの人たちに金を払わねばならないのか?
でも払っているから母親のために息子のためにその親のために払うとなるとなぜその人たちに払う必要があるのか意味が価値があるのか?
それを問うことにもなる、それは金は誰しも無償で払いたくないからそうなる
なぜ金を払わねばならないのか?逆になぜ働かねばならいのかということもあるが何もしてもらわないのになぜこの人たちに金を払う意味と価値があるのかとなる

家族だったら自分の場合は特別良くしてもらったのだから介護することも当然であり意味と価値があった、今になると介護して世話して良かったとつくづく思った
恩返しができたとなり何か良心的に救われたのである
もし何もしなかったら後悔していた、なぜならそれだけ自分の場合は60まで世話してくれたからである、その特殊な事情で少しでも恩返したことで死んでから死者と話したり通じることができる、もしそれがなかったら死者とも通じ合えなくなることがあったと思うあなたは何もしてくれなかったとなると良心がいたむからである

でも赤の他人の介護のためになぜ金を払うのか、直接払っていなくても払っているとなるそれは福祉で世話になるとかでもそういうことが起きている
直接払っていなくても間接的に税金を払っているからである
その人に払う価値があるのかとなることはぬきに強制的に介護保険とかで払っているのである、でもその介護される人が介護される価値と意味があるのかとなるとわからないのである、そういうことは問わないが私的に間接的でも金を払うとなるとその価値とか意味を問うことになる

いづれにしろ何で働くのかということもあるが何で金を払うのかということも必ずある
何かしら価値と意味を見出すから金を払っている
みんな簡単に金を払わないからである、特に情報関係では日本人は金を払わない
情報は無料だと思っているからだ、でも情報提供する方でも苦労があり手間がある
するとなんらかその情報に対して金がは払われるべきだともなる
たたインタ−ネットだとプログだと発信するにしても手間がかかってもほとんど無料だということでしているのである

人間はパンのために生きるにあらずというとき何か必ずその意味と価値とかを追求しているのである、現代では働く意味も価値を見出せないという時資本主義とかの危機となる
モラルの崩壊でありそこで資本主義も崩壊してゆく
なぜなら資本主義がキリスト教の奉仕するということで修道院から始まったというウェーバーの説がある、その時は消費することではない働くこと自体に意味と価値を宗教的なものとして追求していたからである
それがなくなったときすでに資本主義のモラルが崩壊して金融資本主義とかギャンブル資本主義のようになりもう意味も価値もない、強欲資本主義となりモラルもなにもなくなるただ金を得て消費だけすればいい、消費する者が王様だとなってしまう

それでこの辺では何かそういうことで露骨なもの極端なものとして現象化したのである
いわき市では二万人が避難して多額の補償金をもらい飲み屋で札びらを切ったとか家を次々に建てた、この辺でも新しい街が二つくらいできたように次々に家が建ったのである
それも立派な家も多いのである
それで地元の人と軋轢が生まれたこともわかる
つまり消費者が王様であり金をもっているものが上になる、周りの事情など関係ないとなる、金が横暴に力をふるったからそうなったのである
第一家は地元の大工さんなど関係ないからである
ハウス会社が二週間くらいで組み立てるだけの家だからである
地元だ自分の家でも三か月以上建てるのにかかっていたが今は即席に建てられるし地元の大工とは関係ない、外から来た人が即席に建てるからである

そして社会がグロ−バル化して広域化すると金の力がますます強くなる
広域社会でありどこにでも金があれば住める、もし金がなければ慣れ親しんだ所でも住めない、だから避難区域に若い世代は帰らないのである
一億円やるからどこに住んでもいいよとなればみんな故郷でも出ていくのが現代である
そしてどこでも金がある人が威張ることができる、消費者は王様ごとなるからである
そういうことでこの辺では人々の絆は切れた
和合できなくなった、まだ補償金をいくらもらったとかでもめていてその後遺症がありうまくいかないのである
外との絆があってもいづれもう今はない、すると残されたのは昔から住んだ人たちでありその人たちで絆を作っていかねばならないとしてもできない
後遺症があり簡単にできないのである 

そして新しく入ってきて住んでいる人たちが金をもっているから威張っているということが依然として起きているのである
そういうことはグロ−バル化広域化社会で起きたことなのである
それで復興を考えるには広域化して考えねばならないという時そうなる
現実は今や原発事故で避難した人たちが仙台辺りまで広域化して住んでいるからである
残された老人にしても南相馬市とか相馬市とかに新地でも住んでいて若い世代は仙台の方に住んでいるからである
それで老人はかえって避難区域に住まわせるより原町とかに集めた方がいいともなる
分散すると世話しにくいからである
コンパクトシティ化するということである、広域化社会だからかえって人を集中させて維持させるとなる





posted by 老鶯 at 16:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

抽象画の不思議 (the wonder about abstract painting)


 抽象画の不思議 (the wonder about abstract painting)

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NORTH FOREST

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GREAT RUIN

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TRAIN GO UNDER THE SEA
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この山は私がソフトで変化させても不思議だった
何か私の作っているものはただ変化させていてコピーしたように見られるかもしれない
しかし不思議なのはこの山は変化させたオリジナルのものとは違ったものでありコピーではないのだ
だから著作権違反にならない、別なものになっているしこんなふうになるとはその写真であれ撮った人でも想像もつかないからだ
ただ著作権違反として微妙なものがあることは確かである
でも私が作っている抽象画が全部著作権違反とはならないと思う
やはりそこには創造的なものがあり創作品として見せられるものがある


This mountain was strange even if I changed it softly
Something I'm making may just seem to change and copy
But what's strange is that this mountain is different from the original, changed, not a copy.
That's why it doesn't violate copyright, it's a different thing, and it's because you can't even imagine the person who took the photo.
There is no doubt that there is a subtle breach of copyright.
But I don't think all the abstract paintings I make are violating copyright
After all there is something creative that can be shown as a creative work

2019年08月28日

海は誰の者かー漁業権を東電に売り渡した組合 (生態系が原発で破壊されて住めなくなったことが最悪)


海は誰の者かー漁業権を東電に売り渡した組合

(生態系が原発で破壊されて住めなくなったことが最悪)

 高級魚を密漁したとして、長崎県警が指定暴力団山口組系組長の男(51)(長崎市)や組員ら6人を漁業法違反などの疑いで逮捕し、長崎区検は26日、組長らを同法違反などで長崎簡裁に略式起訴した。密漁した魚は組長の親族が実質的に経営する飲食店でワンコインの海鮮丼などとして提供。年間約3000万円を売り上げていたという。

 県警幹部によると、組長らは数年前からオオモンハタやスジアラなどの密漁を繰り返していたとみられ、海鮮丼を売りにするJR長崎駅前の飲食店で提供。500円の海鮮丼もあり、周辺の相場の半額ほどの安さで、観光客や地元のサラリーマンらに人気だった。

そもそも国民共通の財産である海岸をなぜ特定の漁師だけが独占してるの? 
むかしからエラい疑問。 
稚魚を放流してるから密漁されたら損害だとか、そんなん知らねーよ 
勝手に公共の海に放流してるおめーらの都合だろうがと。 

なぜこんな意味不明な制度になってんのか、まったく理解できん。 
海の家もそうだけど、既得権すぎるだろ。

外国とか協会なり団体が漁業権持ってて、それを各人に振り分けてる感じ 
日本は個々人が持ってる 
団体が持つと、個人個人で取り分巡って殺し合いがあったから 
漁師=ヤクザだから 
個人から漁業権取り上げて現代風にしたほうがいい

密漁ってことは他の漁師が割食うわけだからよくないことだけど 
実はこの値段で出せるのにボロ儲けしてるやつがいるのを日の目に出したのはよかった

個人の釣りでも逮捕されねーよw 
釣った魚は個人で販売もできる 
漁業権ってのは養殖とか網漁ができたり、指定の魚介類(たことか貝とかエビとか)の漁が解禁されるやつ 
要は>>1のように漁業を生業にするレベルで獲る人以外には漁業権なんてほぼ無関係なんだよ

人手不足で困ってるのになぜ漁業権をもっとオープンにしないのか? 

跡継ぎがいない漁師が漁業権を譲りたいと知り合いに話を持ち掛け、知り合いもその気になって手続き勧めてたら 
そこの漁師組合ほぼ全員(正確な数字は忘れた)の承諾がいると言われ、初めに挨拶に行った漁師に反対され 
譲ってもらう話が即終了した話思い出したわ 

閉鎖的すぎるんだよ

魚の消費量が落ちているから漁師増やして儲け減らしたくないってのもある 

漁業権って事故や災害や(港湾)工事の漁業保証で利権発生するから(派閥)対立等も絡めて面倒臭いぞ 
*北九州では利権で工藤会が2〜3年前に発砲事件起こした 

漁業権欲しいなら手離す人見付けて買い取るか養子が早い 
*暴力団組員とかは買い取っても無効


日本の農業政策は、国(農水省)が経営者で、農協が中間管理職、農家は労働者だとの位置づけで、“上に従え”という論理です。本来ならば、市場メカニズムで新陳代謝が進むべきところを   

農政利権の歪んだ視点

これは農業でも同じだった、日本の農業は競争力があるが政府とか農協とかによって牛耳られて利権化している、つまり漁業組合とか農協は利権団体化する
それだけではない民主主義といっても団体民主主義であり団体が組合が組織がなければ政治は動かない、そもそも人間は利を追求しているのであり利権化するのをとめられない
選挙でも一票など何の価値もない、そこに数を集めなければならない、すると必ず利権団体が組織化するしそこに政治化は頼り優遇することになる
それで票が得られて政治家になれるからである 

それはあらゆるものが利権団体化する、宗教でも創価の利権団体化して票を集めて力をもつ、そこにまとまった票があるから政治家が頼る
前は自民党は農家の票を頼っていたのである、それは農協が利権化して農家を牛耳り票を集めることで成り立つからである
ここではそうした政府ー農協によって自由な競争がばばまれ利権化してかえって利益が個々人の農家にまわらない、そこで収益が吸い上げられていることを指摘している
つまり中間搾取されている、それが政府がかかわってくると強力になるから政治を変えないと変わらない、それで民主党時代に個々人の農家に直接に補助金を配ったことをここでは評価している

漁業権のことを私はプログで追及してきた、それは原発と深く関係していたことが原発事故で判明したからである
海が資源保護とかではない利権化して海を東電に売り渡したからだ
資源保護などということは無関係に海自体が利権化して東電に漁業権を売り渡した
そこで船主などは原発御殿を建てたとか回りでうらやましがっていた
事故後も補償金が確実に入るから裕福なのである、だから真っ先に立派な家を建てたのは船主だったのである
第一海が放射せ物質で汚染されたからと漁業組合が交渉してもっと補償金を出せというのも変であり矛盾である
漁業権を東電に売り渡したのだからそんなことを言えないのである
あなたたちから私たちは{東電)は海を買ったのです、それで海を汚しても文句言えますかとせなる
そもそも海は誰の者なのか?漁業権は漁師たちだけの漁業組合のものなのかとういときそうではなかった
あくまでも資源の保護とかのもののために漁業権は与えられているのであり東電に売り渡すために与えられていなかったのである

暴力団が密漁したときそれは漁業組合を無視してとって安く売ったからだとなる
つまり漁業組合が実は暴力団でもあった
俺たちの許可なしで魚をとってはならない、海は俺たちのものだから勝手にとることは許されないとなっていた
それは資源保護の名のものとにそうなっていたのである
でも現実はこの辺では海は利権化して漁業組合のものになっていた

それで魚は消費者のものだという漁師がいた、海の魚は海は漁師だけのものではない
そこを利権化して漁業組合のものだとするとき矛盾が生まれた
それは自然自体が実は農業者のものでも林業者のものでも漁業者のものでもない
土地でも山でも海でもまず自然の景観として成り立っているし生態系として成り立っている、またそこをそうした人たちの利権化したものとして所有すると山でも山林が荒れるとか農業でも土地を勝手に宅地とかソーラーパネルとかにされると困ることがあり管理されている
海とか山とか土地でもそれは神によってというか漁師に農民にキコリとかに委託されたものであり所有して勝手にできるものではなかった
だから山林でも入会権がなくなり無数に私的所有が明治以降認められたとき山を管理できなくなった、そこで山は荒れて宅地造成が勝手にされて大雨で被害を受けたことが広島であった、海と大地とか山は生態系に属していて誰が私的に所有することはできない
その生態系が破壊されると今回のように原発事故で住めなくなるからである
そこに住んでいる人たちが海でも大地でも山林でも関係している

ただ都会の人は東京とかではそうした海とか大地とか山とか関係ないように生活している生態系から隔離されたようにしして生活している
でもその水源の山でも放射性物質で汚染されたら水も飲めなくなったのである
食料でも日本から得られなくなることもあった
だから人間は生態系から離れて生きられない、何か文明が発達しすぎて生態系のことがわからなくなっている、実感できなくなっている
電気が太陽替わりにでもなるように錯覚される、そういうことはありえないのだけであまりに文明が発達してそう錯覚するようになる
そこに文明の危険性が落とし穴があった、それが原発事故で証明されたのである

原発事故で田畑が荒地になったとき蛙が消えた、蛙の鳴き声が聞こえなくなった
そしてそれと同時に鷺も消えた
でも田畑が特に田んぼが回復したとき蛙がもどってきて鳴いた
その蛙の鳴く声を聞いたときなごんだのである
田畑は自然と一体化したものであり生態系の一部だったことを知った
ただ無惨だったのは松原が根こそぎ津波で消失したことである
それもまた自然だともなる、それで八沢浦が元の美しい入江にもどったと報告した時顰蹙をかった、そこでは人が死んで幼児でも泥から掘り出されていたからである

でも現実は本当にあそこが入江にもどったとき波がきらきらと太陽の光で光っているとき奇跡のうように思えたのである
その後でも湿地帯になり釧路湿原のようになったのである
津波も自然の作用だったのである、それはあまりにも大きいからどう理解していいかわからないものだった、でも津波は明らかに一つの自然の作用である
地震でもそうである、だから天を恨んでもどうにもならないということである
それで縄文時代だったらそうした危険な場所には住んでいないから津波の被害には会わなかったと思った

とにかく文明人はここでは生態系より原発を神のように崇めていた、科学者を神官として崇めていたのである
なぜなら常に漁業でも農業でも林業でも生態系に依存するものが金にならないと否定されてきたからである、原発は金のなる木でありそれに市町村が依存するようになったのである、結果的に原発事故になりその土地に住むことさえできなくなった
住むことがてきないということは最悪だったのである
たとえ貧乏でも生態系に依存して生活していれば一応なんとか住むことはできた
それが住むことさえできない悲劇になった

津波や原発事故が問うたものは何なのか?
それを追求してきた、それは津波とかなぜこんな災いを人間をにもたらしたのか?
それが不可解だともなるが原発事故だとこれは人間がもたらしたものであることは確かである、自然がもたらしたものではない災いだったのである
だからそれはとめることはできた、津波は自然の作用だからとめることはできない、地震でもそうである、ただ耐震建築とか何か防ぐ手段を備えることはできる
だからいくら自然の作用でも人間は無力とはならない

原発がなくても人間は死なないその土地に住めないことはない、それで山尾三省が言っているように最低限のもの、水とか土とか空気があれば生きられるということもできる
その最低限のものが原発事故で失われたから住めなくなったのである
もちろん電気もなにもない原始時代に還れというのは飛躍である
別に原発無しでも人は生きられる、その被害が余りにも大きかったからそういう反省になったのである
ただ東京とかなるとまず生態系とか意識されない、そういう文明が果たして維持できるのか?何か大きな災害がきてもう東京でも住めなくなるのではないか?
それがどういうふうにして来るのは予想できない、大都会となるとどうしても生態系から遊離しているから何か大災害があるともうそこも住めなくなる
そういう恐怖が常にのしかかっているのが東京のような大都会なのである
その東京に電気を供給するために地方がフクシマが犠牲になったともいえる
その巨大な大都会を維持するためにそうなったともなるからだ

posted by 老鶯 at 10:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2019年08月27日

地方(大倉村)の小さな碑が語る歴史の重い事実 (神社は国家神道となり戦勝を祈る場となった)


地方(大倉村)の小さな碑が語る歴史の重い事実

(神社は国家神道となり戦勝を祈る場となった)
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大倉の山津見神社


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他の稲荷神社

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アマテラスやコトシロヌシといった人格神から始まったわけではない。「場所」の特定が最初だった。神社は、そこに神籬(ひもろぎ)や榊(境木)や標縄(しめなわ)などを示し、「ヤシロ」(屋代)という神のエージェントともいうべき「代」を設定することから発生した。
 やがてこの「場所」をめぐって自然信仰や穀霊信仰や祖霊信仰などが加わり、さらに部族や豪族の思い出や出自をめぐる信仰がかぶさって、しだいに神社としての様態をあらわしていったのだと思われる。

 神仏集合


神社の起源は複雑で多様でわかりにくい、例えばなぜ相馬地方に綿津見神社と山津見神社がこれほど多いのか?
それは松川浦に山津見という地名があり山津見だから山と関係しているとはならない
綿津見神社と山津見神社は対になって伝えられた
それは海から移住してきた安曇族の神だったとしている
安曇族が大和国家形成の前に日本を移動して子孫を増やした
それで長野県の安曇にその名を残してそこでは船の祭りをしている
船と関係しているのは船を操作するのにたけていた海洋民族だったからである

その安曇族が相馬地方では海からやってきて飯館村の山津見神社を祀らせた
つまり安曇族の子孫の神である、ただわからないのは安曇族というのは何かはっきりしない、その痕跡も残っていないが綿津見神社と山津見神社がこれだけ多いのはその子孫がここに定着して住んだからだとなる
そして古事記でも国造りでもそうしした海洋民族が作った神話として理解される
国産み神話では海洋民族の特色が色濃いからである
そして死までも佐渡島まで国産み神話で生まれたという時そこまで安曇族などの海洋民族が移動したことを示しているのである

とにかく神社とは何か?それはこの解説のように場所と深く関係して生まれたのである
それで自分自身が場のことをアイディンティティ化して詩にしているのと通じている
人間の生はその場と一体として文化も作られてきた、だから世界でも文化はcutivate-cultureなのである
何かその土地で神聖な場所に社を建てたとなる
その感覚は今でも人間として生きる限り変わらないのである
人間はその土地と一体化してゆく、その土地とアイディンティティ化して一体化してゆくそのことで私は詩を作って来た、その土地の山であり石であり岩であれ樹であれアイディンティティ化して一体化してゆく
それは外国でもそうである、ギリシャにあれだけ神々がるあるのともにているのだ
それはその土地と不可分に結びついている
ゼウスが住んだというオリンポス山は春に行ったみたら雪に覆われて本当に神々しいものだったのである、ギリシャは海と山が迫り島が多く日本の地形とにていたのである
だから自然の中に八百万の神が宿る日本とにていたのである

私は常に墓とか古い碑に関心をもっていた、江戸時代の碑があるとそこに注目してしげしげと見る、ただ明治以降になるとあまり関心がないのである
例えば身近でも意外と古いものがある、近くの神社に天明の碑があったり鹿島神社の脇に暗唱せよという小さな碑があったりしてこれは寺子屋があった証拠である
そして鹿島神社は建御雷(たけみかづち)の神を祀るものである
これは武の神なのである、その脇に墓地がありそこは元は鹿島神社の領域でありそこに寺が作られた、神仏習合の寺であり神宮寺とあればそれである
だからこういう小さな忘れられた碑が歴史を語っているのだ

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これは僧侶の名だろう、ここに暗唱せよというのが記されている


不詩(文)朗謡-朗詠

朗謡-朗詠・・・暗唱
詩に文にせず暗唱せよ
謡(うた)いなさい

自分の家の墓地に江戸時代の碑

佐須村より多いのは真野ダムの前には戸数も人口も多かったからである
村の中心部がダムに沈んだためである、また官林の面積が広くそこで山林事業で財をなした山持ちがいたためである

それで今回発見したのが大倉の墓地がある所に忘れられたように石段も崩れてある山津見神社の入り口の狛犬の台に
国威宣揚、武運長久とか記されていた
これは太平洋戦争時代に記されたものである
この時こうした村の小社まで国家神道化して戦勝祈願していた
つまり大倉村など本当に小さな村なのだ、所帯数にしてもわずかである
そこには平地がない、でも山持ちで金持ちがいて相馬市の前は中村市の女学校に通っていたというばあちゃんがいたのである
相馬の女学校に通っていたとなるとこの辺ではエリートであり相当な金持ちしか行けなかったのである
私の姉は頭が良かったけど女学校に行けなかったと悔しかったと言っていたからだ

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そしてなぜこんなと小さな村の小社にまで戦争の痕跡があったことに驚いた
ここでもこうして戦争に狩りだされて戦争に参加した人がいた
それは全国でもそうである、そして今なお戦死者名を記している原町区の馬場の綿津見神社神社にあった、神社と戦争は不可分な関係にあり「忠魂碑」未だにどこの神社でもある、それは天皇が現人神(あらひはかみ)となり戦争に兵士として小さな村からも満遍なく集められたからである
それで映画があり戦争が終わって村に英霊となり帰ってくる幽霊を写していた
村に英霊となり亡霊となり村の社に帰ってくるのである

ある日、清作さんは、村の子供たちをつれて、帰ったら、かならずいこうと思おもっていた、源吉さんのお墓へお詣まいりをしました。そこは小高い山やまでありました。
「さあ、これが話をした源吉さんのお墓だ。お国のためにつくした村の勇士しだ。みんなよくお礼れいをいって拝おがみなさい。」
 子供こどもたちは、お墓はかの前まえにならんで、手てを合あわせて頭あたまを下さげました。

 村へ帰った傷兵 小川未明

この時日本全国が戦争一色になっていた、だからこんな小さな村にもそうした痕跡が残されていた、第一この狛犬の台座にこうした言葉を記すというのも違和感を感じる
それは戦勝祈願だからである
もちろん戦争には今でもいろいろな見方がある、それを全部を否定できない
でも戦争というとアジアからアメリカイギリスもかかわり世界的になる
でもこの一部落がこんな小社が戦争に関係づけられたということの事実である
その当時はこの小社でも戦勝祈願の社となっていたのである
国家神道化されていたのである
戦争という時、姉が従軍看護婦としてシンガポールの向かい側のジョホールバルの赤十字病院で地獄の苦しみのなかで働いたことを延々と聞かされた
遂に認知症になってもそのことを千回も聞かされた、だから戦争は身近にもなる

ただ70年も過ぎると忘れられてゆく、そしてこのように当時のことも忘れられていたがその狛犬の台座に当時のことが生々しく記されていたのだ
歴史とはこうして忘れられるのである、そして残された碑でも忘れられてゆく
注目もしなくなるのである
ただ自分にとってこれは衝撃だった、こんな忘れられような小さな部落に戦争を伝えるものが残っていたということがショックだったとなる
ここから当時をふりかえることになる
戦争という時戦後でも相馬地方で山に開墾に入った人たちが多い、15パーセントくらいいるとなるとその数は多いのである  

私は小池に引揚者で入った人がいることを知っている
そこに玉子買いにやらされていたからである
それから飯館村でも大倉から坂を上って木戸木には十軒くらいの開墾部落があった
そこは本当に辺鄙な場所なのである、そんなところでどういう生活をしていたのか不思議だとなる
浪江の山の方へ放射線被害が大きかた津島の方だとそこも多かった
それで苦労して開墾して住んだから強い絆があるというのもわかる
それがそこには住めなくなったのである
つまり戦争から戦後となるとすでに戦後でもその時は子供時代でも団塊の世代は戦争とかかわる時代だったのである

とにかく人間は常に時代が変わり忘れられてゆくのが早いのである
だからこの狛犬の台座に記されている字で戦争がここにも色濃く反映して影響して会ったことを知ったのである、歴史というのはこうして忘れられてわずかのものから回想することになる、それが大きな事実でも忘れられて小さな碑のわずかな文字が昔を語るだけだとなる、戦争も70年過ぎるとそうなってゆくのである




夢 (映画)黒沢明
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トンネル


敗戦後、ひとり復員した陸軍将校が部下達の遺族を訪ねるべく、人気のない山道を歩いてトンネルに差し掛かると、中から奇妙な犬が走り出てきて威嚇してきた。

追われるように駆け込んだトンネルの暗闇で私は、戦死させてしまった小隊の亡霊と向き合うことになる。自らの覚悟を語り、彷徨うことの詮無さを説いて部下達を見送った私はトンネルを出るが、またあの犬が現れ、吠えかかってきた。

私はただ、戸惑うしか無かった

戦死者が亡霊となって故郷へ帰ってくる、トンネルを出てくる
それを返すのだがそれが何か生々しいのである
戦死者の亡霊は小さな村の社から出征して帰ってくるがそれが亡霊となっていたのである未だに戦死者の亡霊は実際は日本中で彷徨っている
posted by 老鶯 at 14:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村

2019年08月26日

芙蓉が似合う飯館村 (新涼に訪ねるー人が住まないと建物も自然も活かされない)


芙蓉が似合う飯館村

(新涼に訪ねるー人が住まないと建物も自然も活かされない)

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ここは栃窪でありこの石碑は明治時代が多い

ところが上の方に行くと金毘羅の碑が多く江戸時代の碑なのである

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山津見神社

綿津見神社も飯館にあり対になってこの辺では本当に多い

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文化という時代である、この石碑は倒れていた
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大倉村の主要部分はダムに沈んだ
ダムになる前に行ったことがある、そこはまさに秘境だったのである

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芙蓉がいたる所に咲いていたーここは新しくできたふれ愛館である

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石がその土地に根付いて離れない

そんな感じの大きな石



蔵に映ゆ木槿や農家ここに古る

栃窪に古碑の並ぶや実りかな
                                                        

草深くフジクロセンノウ咲きにけり飯館に我がたずねきたるも

大倉の墓地またたずね人気なき秋の蝉の声ひびき静まる

大倉に我は休みぬ秋の蝉ここに鳴きにつ誰か住みなむ

夏草にうもれし碑かな大黒天その碑倒るも直す人なし

ひぐらしの森の奥よりひびきけり大倉暮れて我が帰るかな

ゆったりと赤と白との芙蓉咲き客を迎えむ飯館村かな

この石の土地に根づきて離れざり虫の音聴きて夕暮るるかな




芙蓉が似合う飯館村

峠越えて新涼の山の村
悠長なる時の流れて
赤と白との芙蓉咲き
二つの花の愛のそそがる
至福なる日の我にあり
ここに心安らかに客を迎えむ
広々とした所に
一軒一軒森に包まれた家
その花の大らかにふくよかに
山間の空を仰ぎ咲く
ここを訪ねし者よ
疲れし者よ、癒されむ
去りてもそが心に深く
その花の写し残さむ 




今日は涼しい感じだから飯館村まで行った、途中大倉により墓地とか古い碑を見た
江戸時代のものがあった、大倉は古い村なのである
葉山(羽山)祭りというのが残されていてそれは古いものなのである
この辺では葉山信仰が盛んなのである
ただ墓地にあったのは山津見神社である
これは栃窪村にもある、その本山が佐須にある山津見神社であり飯館村には綿津見神社もある、これは二つがセットになった神なのである
安曇族のもたらした神だとされている、とにくかこの神社は相馬地方に本当に多いのである、それはなぜなのかとなる

大倉村には人が住んでいる、少ないにしろ住んでいる、だから蝉の声を聴くときやはり人が住んいるのと住んでいないのでは大きな差がある
またそこに暮らしがあるとないのでも大きな差がある
人が住んでいれば蝉の声でも人をイメージする、秋の蝉の声がひびけばやはりその村自体が山村に住む人たちの秋を感じるのである
つまりそこに村があり人の暮らしがあるのとないのとはまるで違ったものに感じる
人が住んでいてければ原始的な森になる、そこから人をイメージできなくなる
そこに人が住んで暮らしがあれば季節の移り変わりがあり人のことを思うのである

飯館村にはなぜ秋の蝉が鳴くころ行っているのかとなるとやはり暑いと自転車では行きにくいからである、特に最近日ざしに弱くなり熱中症になったから怖くなる
今日は新涼であり気持ち良かった
だから楽に飯館村まで行けた
途中会ったのが新幹線で郡山まできて三春からこっちの方に自転車で来た東京の人だった新幹線は輪行できた、これはいい方法である、景色のいいところを回れるからである
そして二三日だとそれほど疲れないからである
東京から自転車できたら大変だからである
いい景色の所を回るには途中下車で輪行するのがいい
飯館村のキコリの宿は泊まれるようになった
ただ食事は出ないからそこは気をつけた方がいい、コンビニがあり弁当は買える

飯館村はいたる所に芙蓉が咲いていた、道の辻でもまでい館でもまた新しい交流館でも
芙蓉が咲いていた
飯館の花はひまわりの里としているが芙蓉の里である
ひまわりは他でもあり飯館村は芙蓉があっている
花というのもその土地にあったものがある
相馬市だと神社に古い藤の木があり藤の花である
鹿島だと草深く咲く月見草とかなり原町だとひまわりがにあっている
何かにあう花がある、飯館村は前から草深く森深く花が映える
フジクロセンノウというのも草深く咲いていた、これも飯館村にあっている
飯館村の不思議は花が他より純粋に美しく見えるのである
高山植物のようにも見えるのである

ただ正直そこが放射線物質のフレコンバッグが積まれていたり荒地になっているので荒涼とする、ただ花を植えたりはしている、でも荒れ果てたという感じになる
それは小高でもそうである、田んぼが草ぼうぼうになり荒地になっているのだ
それが嫌なのである、田んぼというのは自分も気づかなかったが田んぼが荒地になり草ぼうぼうになったとき蛙が消えてその鳴き声を聞こえなくなり鷺も消えたのである
だから田んぼというのは米を作るだけではない、生態系を維持するものとしてもあった
景観を維持するものとしてもあった、それに気づかなかった
その効用に気づかなかったのである、だから農業をただ食料をとれるだけのものとして見ることは間違っている、自然を生態系を維持するための機能があった
それは金にならないにしても自然と一体化してあった
蛙の鳴き声が聞こえず鷺でも見れないとしたら淋しいとなるからだ 

景観(自然)と生業と暮らしが宝だった!

飯館村というときまさにこれがあったとき宝だった、それが全体として価値を作っていたのである
ただそこは貧乏にしても外から来た時でもなんともいえぬ味わいを出していたのである
そもそもそういう価値は全体が作り出すのでありそれが破壊されたとき失われたのである
それが原発事故の罪深さでありそれが飯館村に一番象徴的に現れたのである
多額の補償金をもらって外の便利な街に移り住んで良かったという人も現実にいる
外からただその暮らしの現実を見ないで理想化するのは問題だということもある
畑を趣味でしいてもそれがいかに苦しいものか理解している
畑仕事はブヨにくわれた、キジに野菜が食われた、ネズミに食われた、盗まれた、種が高い、肥料が高い・・・
様々な問題があり外から見ているだけなのとは現実は違っているからだ
ただ旅人のように訪れる時そうした苦労も人間の嫌な面も見ないですむからいいのである
それでツキデウスの人間の暮らしを神が隠したというとき自然の中に隠されるように人間の暮らしがあるときそこは桃源郷のようにいいものとなったのである、でもこの世に桃源郷などないのである、それはありえないから桃源郷なのである

までい館でアスパラガスと大きなトマトを買った
それは飯館村で作ったものである
そこでは放射線量を計っている人がいた
放射線量は量に作用される、多く食べれば体に蓄積される、少なければそうではない
それも確かである、相当の量を食べないと蓄積されないだろう
飯館村に住んでいた老人が山菜をキノコでも食べていた、その人は70以上とか80とかなっているから放射線は関係ないとして食べていたのである
その人は外から派遣された人ではなかった、飯館村の人だったのである
真野川の水質検査している人は中央から派遣されている人である
この前は農水省の人とあった、まだそういう人がこの辺には派遣されている
トラックが放射性物質を運んでいるのだろう
道路が狭いから危険なところがあった

までい館の前は住宅地化して家が建つ、その前の古い農家ではその土地を売って補償金でも多くもらったから新しい家になっていた
何か飯館村では補償金の額が大きかったから外に出る人も多く残る人と残らない人でもめたとかあった
現実に交流館とか他に学校でも建物は立派なのである
でもそこに住む人がいないことが致命的なのである
子供すら外から通っているのであり住んでいないからである
村長の孫とかでも通っているのである、それもは矛盾である
なぜなら村長自体が住まないのだからその他の人も住まないとなるからだ
帰ったのは二割弱というから少ない、そのことで人が住まない牛を飼うことなどの暮らしがないということで前に来たような感覚になれないのである

やはり人間は建物でもそこに人が住んでいないければ活きてこない
施設を立派にしても活かされないのである
それで立派な施設が南相馬市にあってもそこで働く介護士などいないから青森にこの辺では介護者が移されているのである
つまり立派な施設が建物がなくても人がいれば活きるということがある
人がまずいなければ建物でもなんでも活かされないのである
前に着たときも芙蓉が咲いているのが印象に残っていた
でも何か前の印象とは違うのである、それが残念なのである 

ともかくようやく涼しくなり自転車で遠くに出かけられた、暑い時はぐったりと疲れて寝ることが多かった、秋になれば遠出ができる

posted by 老鶯 at 21:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村

津波や原発事故以後仙台市に移り住んだ人が多い


津波や原発事故以後仙台市に移り住んだ人が多い

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若い世代がこれだけ流出している

総務省が28日まとめた2012年の住民基本台帳人口移動報告で、仙台市の人口集中が鮮明になった。東日本大震災の避難者らが流入している仙台市の転入超過は9284人となり、東京23区に次いで全国で2番目に多かった。


福島県は人口流出が縮小したが、転出超過が多かった全国の上位20位に郡山、福島、いわき、南相馬の各市が入った。宮城県と東京都に各2000人以上が転出した。 


昨日シシドスーパーの前で話した人は小高の人であり家族が多い、7人とかいたと言っていた、それで小高の家を30坪くらいのが売れたと喜んでいた
30坪では狭すぎる、でも何か田舎に住みたいという人に売ったという
ただそんな狭い家で7人もいたのか?
土地持ちとか農家ではない、財産をもっているという人ではない
ただ7人とかなると一人でいくらと補償金をもらえるからかなしりもらったとみる
10人もいた人は一か月百万以上もらったと言っていたからである
まだそうして田舎では大家族で暮らしている人が多いのがいるからそうなる

その人は今は相馬市に住んでいる、家族は仙台に住んでいる
この辺では人口が相当に移動した、その移動先が仙台市が多いのである
ある人は名取に移り住んだときいた
そこで小高に残っている親に部屋も用意したから住んでくれと言われているがいかない
名取というときすでに仙台市のつづきなのである

とにかく人口が移動しているというとき南相馬市でも小高の人がかなり住んでいる
知っている人が帰ったのかと思ったら小高に住んでいたのである
南相馬市では小高意外の原町、鹿島に移り住む人が多い、また相馬市でもそうである
新地でも山元町にも移動している
山元町に土地を買って農業をはじめた人もいる、山元町の被害が大きかったからである

とにかく仙台市に人が集中する、他県から東北でも移る人が多い
青森の津軽鉄道の終点の中里でタクシーに乗ったらその人の息子は仙台に住んでいるという、仙台市となると図のように山形の人口が減り仙台市に移住する人も増える
そして私の家のユニットバスを百万で作った人の家は面白山とかの手前に住んでいた
そこでは春だったが雪が残っていると言っていた

もともとここは仙台は鉄道でも近い、仙台中心になりふすい地域だったのである
福島市はクルマでしか行けないから不便なのである
それず病院でも仙台へ行く人が多かったのである、今でもそうである
震災以後今度はさらに仙台へ人口が移動した

現代は広域社会であり人が移動しやすい、仙台だと遠く感じない、日帰りでも普通に行き来できる距離なのである、東京になると遠いから行き来できなくなる
それで仙台だと故郷から遠く離れた感じがなくなる、移動しやすいのである

ただなぜ福島市とかいわき市で転出が多いのか?
転入が多いはずだが転出が多いのか?この理由がわからない
いわき市には双葉とか大熊辺りから二万人移動して家を建てたとかあった
そこで軋轢がありもめた、ここでも小高の原発避難者と津波の被害者は口もきかなかったというのはわかる、津波の被害者は補償金はもらえなかったからである
一時は転入者が多かったが逆に転出者が増えている
南相馬市では老人は南相馬市内と相馬市とかに移住している
そして若い世代は仙台に移住している
老人はやはり故郷の近くにいたとなりそうなっていることはわかる
つまり小高の人は原町とか鹿島でも相馬市でも移住して住んでいる
それも老人が多いのである

いづれにしろ広域社会になるとその住む範囲が広くなり移動もする
仙台市となるともう仙台圏になり南相馬市でもそういう圏内に入る
だから仙台とゆ行き来は盛んであり移住も多いとなる
常磐高速ができた結果、ユニットバスの会社も工事をしにきていたとなる
仙台市のような大きな都市は拡張し肥大化してゆく、その周辺をまきこんでそうなる
そして周辺地域は山形のように人口が減り吸収されてゆくのが現代なのである




posted by 老鶯 at 08:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連