2018年06月15日

野馬追いの旗は種類が多く由来がわかりにくいのか? (スコットランドのキルトのタータンとの比較− 南朝の霊山から落ち延びた武士はわかりやすい))


野馬追いの旗は種類が多く由来がわかりにくいのか?

(スコットランドのキルトのタータンとの比較−
南朝の霊山から落ち延びた武士はわかりやすい))


●スコットランドのタータンの由来

イングランドとスコットランド間では宗教・人種的な対立があり、ハイランダーたちにとっての"キルト"とは
 強大な権力をもつ中央集権へ対する反逆精神であり "アイデンティティー" を示す大切なものだったのです。

 決して「タータン・チェック」と言ってはいけません。。タータンは布地の柄というよりも、 氏族ごとに定められた家紋に相当する模様の総称なのです。

基本的に上下左右が対象になった連続模様で、 その連続する模様のパターンを「セット(sett)」といいます。

また、家紋に相当するといっても、 ひとつの氏族にタータンはひとつだけではありません。

 ビクトリア朝時代の「タータン熱」以来、特定のクランに属し、特定のクランを示す「クランタータン」はスコットランドのクランの重要な要素となっている。タータンの着用やそのデザインならびに命名は自由だが、クランのタータンを「公式に」定める権限は族長の仕事と考えられている。リヨン卿がそのタータンをスコットランド紋章院に登録したように、実際に族長がそのクランのタータンを登録した例もあり、これはタータンが紋章に並ぶクランの権威ある意匠であることを示している。


野馬追いの旗の種類が多くなぜ由来がわかりにくいのか?スコットランドのキルト、タ−タンとにているのだがまた違っている
ただヨ−ロッパの歴史と日本の歴史はにている、封建制があり城が本当に多いのである
日本も小さな城でも多いからだ、中国とか他でも城があったとしても性格が違うがヨ−ロッパの城は日本と成り立ちがにている
ただ城壁に囲まれてそこが市民共同体ブルジュアとなったのとは違う、burgとは城のことだからである。
ヨ−ロッパでは市の紋章があり市が一つの国を形成した、そういう歴史は日本にはないのである。

野馬追いの旗の系譜をたどると相馬氏一族の旗となるがなぜ旗の種類が多いのか?
それはもともと家族の家の旗に由来している
鎌倉時代のいざ鎌倉というとき自分の家の旗印をかがげて馬で集結した
そのときの旗印が家の旗印でありそれで手柄をたてて恩賞を賜るということで旗の種類が多いとなる,相馬氏一族の旗だったら一つでもいいはずだからである

スコットランドのキルトの紋様は部族に根ざしている、その部族の根拠地になった土地がある、土地に由来している
野馬追いの旗は相馬氏一族がこの地に移り住んで支配した
もともとこの地を支配していたのではない、後から征服したのである。
その前に館と地名がある所には在地の勢力があった、それで海側には泉氏とか磯部では佐藤氏とか協力な在地の豪族が住んでいたのである
それで相馬氏の進出経路で書いたように深野には館という地名が二つありそこには入れなかった、大原に進出したのである。
大原から小池から相馬市の方に進出した、相馬市には伊達氏の支配地ともなっていた

スコットランドの部族はもともと在地の勢力でありイングランドに支配されていない
もし相馬氏のようにスコットランドに入って来たら相馬氏の一族がスコットランドの地に部族に入り込み子孫となっていたからである。
それで相馬藩は相馬氏によって支配されたのだがもともと在地の勢力ではない
だから後から在地の勢力の中に入りその一族の人たちが郷士として土着したのである。
そこで姓も受け継がれその子孫が村を作ったのである。
ただもともとそこに住んでいた人は郷士の監視下に置かれたのである。
それで野馬追いの旗はもともとの地域に由来していないからわかりにくいのである。

A村B村C村の中に相馬氏の一族の人たちがはいりこみ土着した
その時の家の旗印がもちこまれたのである。その土地に由来するものではない
ただ村に入り込み土着したとき分家するからその分家した旗印はにているのである。
でもそれはもともとの村から発したものではない、スコットランドのキルトはもともとその土地に住んでいた人たちの部族に由来しているのとは違うのである。
つまり野馬追いの旗の由来はその村とか土地にないとしたらその由来は相馬氏がもともと支配していた千葉県とかになりさらに家の旗だから鎌倉時代にさかのぼりその旗印は関西方面にも由来しているのである。いろいろな家の人が相馬氏の中に組み入れられたからで知る。そこでその由来をたどることがむずかしくなっているのである

●南北朝の争いで霊山炎上して落ち延びた一族の旗はわかりやすい
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山王神社日吉神社の由来

山王権現日吉大社は、日本全国にある日吉、日枝、山王神社の総本宮で、東本宮に大山咋命(オオヤマクイノミコト)、西本宮に大己貴神(大国主神)が祀られています。

創祀は崇神天皇7年、およそ2100年前とされる。古事記に「大山咋神、此の神は近淡海国の日枝の山に坐し」とあり、これが東本宮の大山咋命のことですね。で、ここに記されている日枝の山(ひえのやま)というのが比叡山のことなのですが、日吉大社が、元は日枝大社といわれていたのは、ここからきていたんですね。

、“神猿(まさる)”さんという神の使いの猿がいらっしゃいます。「まさる=魔が去る=勝る」として、魔除けの象徴となっています。境内地で2匹の猿が飼育されて、可愛かったですよ〜(*^_^*)

豊臣秀吉は、幼名を「日吉丸」、あだ名が「猿」ということで、日吉大社を特別な神社としていたらしく、織田信長の比叡山の焼打ちで焼けてしまった日吉大社の復興に尽力したという話です。

日本全国に約2000社ある日吉・日枝・山王神社の総本宮。
比叡山の延暦寺は16弁菊の中に輪宝。或いは寺紋として単に「山」の印。
此れは日枝山王の神が大山くひの神であるからです。


南北朝の争いで落ち延びた武士が鹿島の真野に住んだそこに日吉神社がある
菊の紋は天皇に由来している、だから菊の紋は天皇の紋でありそれを利用しているのは南朝側であり山王とか王という旗もそうである。
霊山から落ち延びるとき今の玉野村で二手に分かれたからである。
山上と卒塔婆峠を通る道に分かれて落ち延びた、卒塔婆峠を通って落ち延びた武士は鹿島の真野の中館に住んだ、そこには日吉神社がある
それから鹿島村には只野氏一族が住んだ、その只野氏の先祖だった人が同級だったのである。
鹿島には只野、但野姓が本当に多い、その由来は郡山の多田野村から来ていたのである。只野氏の旗印は杉の紋でありその旗印があるのは只野氏由来のものである。
だからこの紋はわかりやすいのである。

それから山王とある旗印もそうである、王とあるのもそうだろう
例えば菊の紋で菊池とあるとき菊池氏は九州に存在して菊池という地名もある                          
肥後菊池に土着した勢力が菊池となり全国に散らばったし陸奥には菊池姓が多い
陸奥菊池氏も肥後菊池氏と同族で、建武の新政に関った人々の中に菊池一族も名前を連ねていることから後醍醐天皇の多くの皇子に伴って全国各地に散らばったとされる。
ただ菊池姓がいても紋は違っている、菊の紋ではない、別な紋である、ただ菊の紋は天皇に由来していて南朝である

野馬追いは旗祭りだというとき旗のことがわからないとつまらないと思う
誰でもなぜあんなに旗の種類が多いのだろうと疑問に思う
しかしその由来がわからないとつまらないとなる
旗とはスコットランドでもそうだがキルトはタータンはイングランドに対抗するものとしての土地のアイディンティティとして作られていた
とするとわかりやすいが野馬追いの旗印はもともと村に土地に根ざすものではない
この地を支配した氏族でありその由来をたどるとこの土地にはないとなるからわかりにくいのである。

ただ南北朝の争いで霊山が炎上したとき落ち延びた時の武士に只野氏とか桑折氏とかの姓は明確である。その子孫がこの地に増えて只野氏の姓が多いのである。
野馬追いは戦国時代に軍事訓練として始められた
それが伊達に対抗するためそうした、それを否定する者もいるが例えば北朝鮮に対して日韓で合同で軍事訓練をするのはやはり北朝鮮が攻めてくるとしているからそうなったのである。
スコットランドでもやはりイングランドとの対立でそれに対抗するための民族衣装としてキルトのタータンが生まれたのである。
なぜなら後でイングランドに負けたときその民族衣装が禁止されたからである。
民族同士の争いだとそういうことが世界で起きている   

●北郷鹿島村の旗印   
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北郷の行列(鹿島区)

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二本の矢から三本の矢になったのか?
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鹿島街内から出陣

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鹿島の一石坂を上る(鹿島からヒバリが原に出陣


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自作の菊の紋

鹿島村で顕著なのは杉の紋の只野氏である、只野氏については前にも書いた、それから菊の紋があるとき菊池氏がいる
それから桑折氏もいる、これらの武士は南北朝の争いの時鹿島に落ち延びた、日吉神社のある中館に住んだ
ただ鹿島村るも住んだ、それが同級生の只野氏だった、おつづら馬とういう荷物を運ぶ役をお浜下りの祭りで担っている重要な一族であり只野氏一族は鹿島に多いのである。

ただまぎらわしいのは戸川とあるとき川の字をとって旗印にしている、そういう旗印もほかにある
それから星が三本の矢になっているが菊池氏の紋は二本の矢だからここから波及したのかとなる
とにかく鹿島には南北朝の争いで霊山が炎上したとき落ち延びた武士の子孫が土着したということは明確なのである。
その旗印もわかりやすいのである。   

野馬追いの旗印をなんとか分類しようとするがむずかしい、でも野馬追いの旗は勝手に作って祭りに出れないというときそれは歴史の保存の役目を担っているからである。
なぜなら勝手に旗印を作って行列に参加したら訳わからなくなるからだ、その由来も混乱してくるからだ
それはスコットランドのキルトのタータンと同じであり正式に歴史的認められないものは許可されないのと同じである。
ヨ−ロッパでは紋章がありその紋章の由来を調査する機関もある、勝手に貴族の紋章が使えないと同じである。
ともかく南朝の旗印はわかりやすいから見ておくべきである。 




 菊池氏一族とは

 南相馬市鹿島区に多い只野(但野)氏の謎

  (お浜下りの祭りのおつづら馬の話ー野馬追いの旗印は杉紋)  









posted by 老鶯 at 17:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

人殺し医療(ベンジャミンフルホードを読む) (巨大企業が現代社会を世界を牛耳る)


人殺し医療(ベンジャミンフルホードを読む)

(巨大企業が現代社会を世界を牛耳る)


>たかが〈肺炎〉で年間12万人死亡する疎の訳は

>どうしして肺炎が死因の第4位なのか

>実は肺炎感染につながっているのがいわゆる〈院内感染)である

知っている人が63歳くらいで肺炎で死んだ
肺炎で死ぬ人が多いことは確かである。
肺炎がそんなに怖い病気なのかという認識がない
癌ならあるが肺炎にはない、それも不思議である。

肺炎が院内感染だというとき自分も病院で40度の熱が三日くらいつづいて出た
何か病院は危険な場所なのである。
院内感染で耐性菌は抗生物質がきかない、そういうことも関係している

医療ギルドの形成

>すべての医療行為は「西洋医学」の傘下に組み込まれ西洋医学の価値館、考え方のみが>「正しい」とされそれ以外は非科学的で野蛮とされた

日本は江戸時代以降過度に西洋かぶれになってしまってこれまであった価値観を否定した、日本の場合それは極端なのである。
漢方とか蘭学とかあり医療をしていた伝統を捨てたのである。
一段低いものとして見るようになった
だからそもそも江戸時代のことがわからないのはこうして明治にすべて西洋のものが価値がありこれまであったものがまるで価値のないものとしたからである。
江戸時代と明治時代では歴史の連続性が絶たれたのである
その影響は非常に大きいと思う
それは別に医療の分野だけではせない日本文化全体の問題である。
例えば政治でもなぜ朝鮮とかアジア進出を吉田松陰などが明治維新の時に主張したのか?そのことが太平洋戦争に通じていたのである。
江戸時代では朝鮮通信使とかあって友好関係にあったからだ

また江戸時代は健康的な生活をしていたと指摘するときもそうである。
とくに現代と全く違うのは当時の人は怪我や病気に対して(完治)目指していなかった
まず日常生活に復帰すればらしとしていた病気と怪我とつきあいながらゆっくりと完治をめざす、これを(養成)とい

江戸時代だと今から比べるとあらゆるものが遅れているというふうに見る、ところがそれは明治以降に極端に変化して西洋化された結果なのである。
最近江戸がなぜ繁栄したかというnhkの番組で格差社会になったが金持ちの商人が米蔵まで作り貧乏人を助ける組織を作っていたとか江戸時代にはいろいろな日本人の知恵がありそれがあって明治維新もできたという、つまり江戸時代のことはあらゆることで劣っているとすりこまれてしまったのである。
だから漢方とか何か今まであったものがインチキ臭いとなる、それは自分にしてもそうなっている、だからそうした教育の洗脳は恐ろしいのである。
東洋医学はあったとしてもそれは補助としての一段劣ったもはのとしてしか見られていないのである。

それは日本でもあまりにも西洋一辺党になってしまったからである
だから日本の文化は明治以降歴史の継続性が絶たれたのである。
江戸時代がなぜこれほど日本に住んでいてまるで異国のようにわからなくなったのはそのためなのである。
だから自分は国風文化の再興を言ってきたのである
東洋でも日本の良さがあり伝統があり見直すべきだとでもそれがむずかしいのは日本にはそうした伝統的なものが失われてしまったからである。

過剰な医療が薬でもそれは医薬品会社と結びついている、それでいらない薬をうりつけてもうけていくる、それは世界的組織化して会社がもうける仕組みを作っている
それはフリーメーソン、石工の組織と同じだという、石工は城などを作るとして建築を受け持つから秘密に通じたりするからギルドとして力をもっていた
医師会のギルドは強固である、政治も従わざるを得ない、それは患者のためというより医師会のためであり医師会の利益のためであり医者の利益のためだとなる

それは他の会社ともにている、巨大な企業が社会をギルドと化して支配する
多国籍企業でもそうである、原発事故を起こした東電でもそうである。
もうそうした巨大企業に一自治体では対抗できないのである。
だから巨大企業が事故を起こしたりすると今回のように被害も甚大になる
それはそもそも巨大企業は政府とも政治化して結託しているからである。
それは医療の世界でもそうでありそれが世界の構造になっているからだ
アメリカが軍需企業と一体であり戦争を望んでいるというときもそうである
銀行だってそういう世界的システムの中で資本主義を支配するものとなる
現代は政治とか国の力は弱体化して巨大企業に多国籍企業に支配されているのが現実なのである。

それだ医療でも国民の税金の負担が膨大になる原因なのである。
もうその負担に耐えられなくなる,それはこうして医薬品会社とか医者とかギルド制となり過剰な医療をしているからである。
もちろん延命治療とかにはむずかしい面があるから一概に言えないにしても過剰治療で国が潰れるまでになっているのは
医療のギルド制がありそれは大企業でもあり組織化して無駄に金を使われて吸い上げられているともなる
それは個々の医者とか病院の問題ではなくそうした体制そのものにもあるとてるからだ



読書の方法

本の読み方としてこうしてパソコン通信のように答える作業するのがいい
ただ漠然として読んでいても読んだことにならないからだ
答える作業が必要なのである。それはフログなどでもそうである。
何か自分で答えてゆく作業が必要である。
そうしないと実際は読んだことにはならないのである。
なぜなら膨大な本があってもただ積んでいるだけだったとなるからだ

本は自分の文脈の中で取り入れ消化するべきものなのである。
だからネットでこうして書けるのがいいのである。
自分がこうして書いているのは書きながら考えるということがある
だから書くということは理解するのに効果的なのである。
それで読んでくれる人があるということはまた励みにもなる
自分はこうしてこれだけ書き続けているのはそのためなのである。

2018年06月14日

AIで抽象画は作れる (でもAIは抽象画を鑑賞できない)


AIで抽象画は作れる

(でもAIは抽象画を鑑賞できない) 

Abstract painting can be made with AI

(But AI can not appreciate abstract painting)    

perpleseadepth.jpg

これが変化したものが下の抽象画である

What this changed is the abstract picture below
↓↓↓↓

mashine11122.jpg
powerful mashine

moutconst11122233.jpg

enlarge

windline1.jpg
wind

flamereddd123.jpg

flame

抽象画がAIで作れる、なぜならだいたいソフトの三つくらいの操作でできやすいことがわかった
それは創作ではない、ただ機械的に一つのソフトでも三段階の過程を経てできやすい
でも百回捜査して変化させてもできないこともある
何か抽象画ができるのは全くの偶然なのだ

頭の中で画家がイメージして作るのではない、何もイメージしない
機械がソフトの操作で作り出す、それをみてこれは川だ山だとか今回は機械だとみる
でもAIがコンピュターが作りだたとしても作り出したコンパトシティ自体は鑑賞できない,どの抽象画が優れているのか、その抽象画が何を意味しているのかわからないのだ

私の作った川とかの抽象画でもそれをコンピュターは川と認識するのか?
この抽象画は何を現しているのか?それがわからないものがある
抽象画はそういうのが多い,ではそれを見た人がどう鑑賞するのかとなるのだ
どうしても自然の中にあるもの、自然の中から生じるものとしてイメージする

ただ不思議なのは一番上の抽象画が機械に変身する、変形するとそうなる
でもこれが明らかに機械に見えるのである。
これは全く私自身がイメージして作られていないのだ
全く偶然の結果なのである。
でもこれは明らかに機械に見える、抽象画でも何かわからないと鑑賞できないということがある

ともかくAI化されて抽象画は現実にソフトで大量に生み出される
でもその中から選び取るのは人間である。コンピュターにはできないのである。
つまり川とか山とかなんでもそうだがイメージとして像として人間は頭の中に蓄えられている、それで判断するのである。
そういうことがAIにできるのかとなるとできないだろう
医療分野では癌の映像を大量に見て判断することはできるが
一つの抽象画を鑑賞することはむずかしい
ただ川でもこんなに多様な姿としてコンピュターのソフトの作用で現れたことに驚いているのである。

Abstract painting can be made with AI, because it turned out that it is easy to do with about three operations of software
It's not a creation, it's easy to go through a three-step process even with just one piece of software mechanically
But there are things that you can not do even if you investigate a hundred times and change it
It is quite a coincidence that you can do something abstract

I do not imagine like a painter in the head, I do not image anything
Machine produces with software operation, seeing that it is a river mountain and this time it is a machine
But I can not appreciate the work produced by the computer even if it is made by the computer, AI do not know what abstract picture is better, what the abstract picture means

Even the abstract paintings of rivers I made make it recognize it as a river?
What is this abstract picture revealing? There is something that I do not know of
There are a lot of abstract paintings, so how will those who saw it appreciate
I will imagine what is in nature absolutely, what arises from nature

The mysterious thing is that the top abstract painting turns into a machine, when it transforms it becomes
But it apparently looks like a machine.
This is totally myself imagined and not made
It is a coincidence result.
But this is clearly visible to machines, there are times when you can not appreciate that you do not know anything about abstract paintings


In any case AI is created and abstract paintings are produced in large quantities in software and in reality
But it is human beings to choose from among them. It can not be done to the computer.
That is, human beings are stored in the head as images as rivers and mountains, whatever they are, so judge it.
It will not be possible if AI can do such a thing
Although it is possible to judge a large amount of images of cancer in the medical field and judge
It is difficult to appreciate one abstract picture
I am surprised that it appeared with the effect of the computer's software as a diversity in the river.
タグ:mashine

相手を見て商品をすすめないのは誠実 (銀行はただ投資信託をすすめることしか頭にない))


相手を見て商品をすすめないのは誠実

(銀行はただ投資信託をすすめることしか頭にない)

スマホをやろうとしたがやめた、自分はパソコン20年とかしていると説明しても
実際は携帯もほとんど使っていない、遠出しないし旅にも10年くらい出ていないからである
だから携帯も最低の月2000円のでしていた,ただソフトバンクのはつながりふにくいauはつながりふすいということで聞いてみた

ケーズ電気でも聞いてみた、そしたら女の人がしない方がいいと言ったのでやめた
普通なら金になるのだからすすめるがすすめない
何か自分の話を聞いてこの人はスマホはしない方がいいと判断したのである。
前にもそういうことでしない方がいいと言われてやめた
パソコンでしているから必要ないと判断したのかもしれない
それとどうしても毎月5000円くらいかかるから無駄だと判断した
契約をとれば店の利益になるのにすすめなかったのである

かえってそのことがケーズ電気でもほかの店の人も誠実だなと思った
実際自分にしてもスマホは今は旅もしないし必要がない
やはり二年間くらい契約するから途中解約がむずかしいからすすめないということがあった、それは対応が誠実なのである。
とにかく契約をとればいいんだというのではない、相手をみてすすめないのである。
相手の話を聞いてすすめないのである。

一方で銀行では投資信託を強引にすすめる、それは客のためではない
銀行のためであり自分の利益を優先してそうなっている
とにかく契約すれば手数料が大きいのである。
その後も手数料が入る仕組みになっている、銀行にとっては損しないのである。
銀行は今窮地にたたされているから投資信託をすすめる
銀行は金を貸すの商売だけど貸さないと批判される
実際銀行でいくらでも金を集めても有効に使えないとする銀行に金をあずける意味があるのか?それは貸金庫なのかとなる
銀行でもうけを出せないということがあり金をただ集めてどうするのか?
銀行が社会でどういうい役割を果たすのか?それが問われている

客のことを考慮しないで投資信託をすすめる、それは銀行では絶対に損しない商品だからである。手数料が確実に入る銀行が得するものなのである。
家電の量販店の人はスマホを相手を見てすすめない,銀行では相手など見ていない
考慮していない、ただ投資信託を売ることで契約をとることである
だから株が上がったのに投資信託に回したのである、そのままにしてた方がよかったのである。銀行は不誠実である
ただ自分はそのとき銀行にまかせたのである。
でも銀行が投資を知っていると思ったし時間がないからまかせたのである。
いちいち調べるのが手間だからである。それが仇になった

ケーズ電気で相手の話を良く聞いている,若い女性だけど落ち着いて聞いていたのである銀行では相手の話を聞かない、ただ頭に契約をとることしかないのである。
それはノルマが課せられているからである。その重圧がありもう客のことを考えないのである。話でも聞かない、まず投資信託をすすめて手数料をとればいいだけなのである。
それも銀行は投資のことはほとんど素人と同じレベルだったのである。

結局個人的に余裕がない人は相手の話など聞けない、相手の身になって聞けない
追い詰められた人はただただ自分が苦しいことしかないからだ
そういう人が自分が病気で介護の時来たから最悪だったのである
要するに自分のところに来た人はそうして余裕がない人たちばかりだったからひどいめにあったし損もしたとなる

営業とか医者とか介護士とか人と直接接する人は相手の話を良く聞く、相手のことをしる必要がある、相手と通じ合う必要がある
これはなかなかむずかしい、相手のことを知るにも話を合わせるにもみんな違っているからむずかしい、だからトラック運転手は同じトラック運転手と話が合うし同じ仕事をしている人はその仕事で同じ経験しているから通じあわせやすいのである。
自分も工事現場で働いたから危険なことを知っているから話を合わせるとなる

結局現代は職種が無数に増えて他者のことが理解できなくなったのである
江戸時代ならみんな農民だとすれば理解しやすいしやっていることがわかる
これだけ職業がふえるともう理解できない、何しているかもわからない
だから現代は意思疎通がむずかしい時代なのである
そもそも銀行の仕事は本来何なのかということもわかりにくいのである
地銀は地元の中小企業を育てるために金を貸すというけどそういうことを具体的に理解することが経験ないものにはむずかしい
銀行は今どういう役割を社会でになっているのかもわかりにくい
銀行とか証券会社とかは理解しにくい、それは虚業なのかともなる

頼母子講などはわかりやい、相互扶助の組織であり銀行の基になっていた
江戸時代だと人間のしていることはだいだいわかっていたのである
代々後継いで仕事していたし農民だったら農民が集まり代々暮らしていたからである
そこで人心も安定していたのである,それで江戸代の日本人はいい顔していた、幸せそうな顔していたと外国人が見ていたのである
それは相手のことをとにかく誰でもわかりあえるという社会だったからではないか?
今はわかりあうことが難しい社会なのである

いづれにしろ現代はいらないものを多量にすすめられる時代なのである。
医者にしてもいらないくすりをすすめる、それで金になるからだ
でもそのことで医療負担も増えてくる
いらないものはすすめるべきではないし売るべきではない、現代は多くのいらないものをすすめられる社会なのである。
いらない需要が宣伝も作り出されて買わされる時代なのである。
だからすすめないということがかえって誠実になる
売らないということが誠実になる、でもそうなると売れないから商売あがったりだともなる、経済が停滞するとなる、無理に売らねばならない,買わされるのは会社でもうけるために強制されるからである
需要というのは自ずと生まれるのであり強制するものではない
そういうことを言う人がいた

医療自体が本当に病気でないものまで病気にしている、つまり無理やりそうして医療で需要を作り出して患者にして医療関係者もうけているとなる
強制的に医療でも患者が作られているという側面があるのだ
なにかすすめないということも現代では必要である。カルト教団なでも勧誘して会員にするためにすすめる
ところがそのすすめることが社会悪になっている
裏で信者を操作している、背後に韓国とかアメリカがかかわっているのではないかとも疑われる
今や現代ではなんでもすすめる時代であるがすすめないということが社会悪にならないともなる
それは何も成さずして成るとかの老子の思想に通じているのである

posted by 老鶯 at 15:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

鉄道俳句(3分5分とまる駅) (鉄道は人間的なものとして愛着がある)


鉄道俳句(3分5分とまる駅)

(鉄道は人間的なものとして愛着がある)


(逢隈(おおくま)

蝉の鳴く三分とまる電車かな

(亘理駅)

亘理駅車窓に一羽秋鴎

(山下駅)

通勤の人や菖蒲の列をなし

(新地駅)

蛙鳴き5分とまりて夏の月

月照らし5分とまりて虫の声

新地駅二本の木植え冬の暮



タンポポや一挙に遠く新幹線

暑き日や鉄路はつづく旅路かな

駅の名を一つ覚えて春の雲

雪うもれ乗る人数人小国へと


鉄道の旅が長いから鉄道には思い入れがある、鉄道に勤めた人も思い入れがある
人間は何であれそこで長い間働けば勤めればそれが人生だったとなるからだ
高倉健の「鉄道員」はそういう映画だった、最後は北海道の辺鄙な駅でしんだ
そして遺体は一両の電車に乗せられて真冬の雪の北海道に消えた
そのシ−ンがまさに鉄道とともに生きた人間を表現していたのである。

鉄道でもいろいろ興味の対象がある、車両とか機械に興味を持つ人もいる、マニアックな人もいる、
でもいくら機械が発達しても便利になってもそこに人間が生きているということを見るべきである。
この世界は機械がロボットが生きる場所ではないのだ
人間が生きる場所であり人間のドラマなのである
だからかえって辺鄙な駅で一両の電車が来るような所が人間的になっていたのである。
この辺で一時原町から相馬市の区間しか電車がはしらなかった
そのとき二両の電車でありそれがが人間的になっている、人間に見えたというのも不思議だった
時雨がふったりしてもそれが人間に見えたのである
ところが四両になるとそうはなりにくかった、6両になると余計にそうなっていたのも不思議である。
それで一両の電車はまさに人間が走っているように見えたのである
とことこ走ってくる姿は人間そのものなのである

何か駅は送り迎えしたりする場であり人間的な情がしみこんだ場所なのである
それが車の道の駅とは違う、そこに出会いとか別れもあまり感じないのである。
見送りで迎えるというものではない、駅には常に人が出迎え別れる場だから人間的な情がある

駅はまた必ず10分でも待つ場所なのである。その待つことで人間的なものが生まれてくる、道の駅では待つことはないのである。
そういうふうに鉄道は120年とかそうして人間的場として機能してきたのである。
だからこそ鉄道を廃止させたくないというときただ便利でなくなったからというだけではない、そうした人間と一体化したものがなくなることが淋しいのである。

それで新地駅が津波の後に新しくなったがその前の駅の方が人間的だったとなる
仙台から帰る時必ず5分停車するのである
その5分が人間的なものにする,ホ−ムに出ると海が近く津波の前は集落があって屋根が見えた、そこでカエルの声とか虫の音とか聞いていた
月が上って照らしてもいた、要するにその5分とまることによって自然を感じていたのである

それは阿武隈川をわたる手前の駅の逢隈(おおくま)駅でも待ち合わせのために3分とまる、すると蝉の声がそこでひびくのである。
こういうことは車で経験しにくいのである。
ともかく人間はなんでも自然が反映することで情緒が生まれる
東京となると地下鉄とかなると何にも自然が反映しない、そういうのは便利でも嫌だとなる、だからもう自分は東京には行きたくないのである
人ばかりで嫌になるからだ、ただ大江戸線ではトンネルをぬけて隅田川に出て公園になっているとこすは開けた感じで良かった、隅田川のところはまだ自然がしるからだ
百羽の鴎が群れていたことでもあそこは自然がある場である

自分は鉄道には思い入れがある、だから駅でもボランティアするようになった
要するに自分は鉄道が好きなのである。鉄道というときメカだけではない、何か人間的なものが鉄道にはあるからだ、今駅に行って人と会って話したりするものそうである
そこは広場とか出会いの場でもあるのだ
高速のSAがセディティは人で賑うが何か人間的ではない,ただ人がちょっと休憩して去るだけだと感じてしまうのである。
だから高速と鉄道はかなり違ったものなのである




タグ:鉄道俳句

2018年06月13日

米朝会談は成功したのか? (国にはそれぞれカルマがありそれを認識すべき―武田邦彦氏の意見に同調)


米朝会談は成功したのか?

(国にはそれぞれカルマがありそれを認識すべき―武田邦彦氏の意見に同調)

米朝会談にくいて武田邦彦氏は平和に向かっているからいいではとないかと指摘しているなぜそんなに水をさすような破断を望むようなことを言うのか?
アメリカでもトランプを批判する人たちがいる
一方的に妥協させられたのだとアメリカは損しただけだとアメリカのマスコミでも騒ぐ
日本でもそういう人たちがいる
アメリカと北朝鮮は一触即発の方がいいという人いる
アメリカは攻撃することを期待していく人達もいた

ネットだとそうして無責任にあおって面白がっている人たちがいる
それが現実に戦場に送られたり面白がっていられないのである。
つまり北朝鮮がアメリカに爆撃されて焼野原になっていいというならその人も戦場で戦い死んだり傷つくべきだとなる
ただ無責任にあおるのは自分の身に直接ふりかかってこないからである

武田邦彦氏は右だけど北朝鮮が爆撃されて焼野原になった方がいいというのも過激な右なのである。でも武田邦彦氏は必ずし右とはなっていない
右はこんな言い方をしない、北朝鮮を信じてはならない、爆撃しかないと言っているからだ
右にも実際はいろいろある、一つではないのである。
心の青雲の都築詠一氏もそうだった、死んだけど昭和天皇をあれほど批判するのか?
それも右だとすると理解しかねるものがあった、だから右でもいろいろあるのだ
第一右だ左だと分けることはできない、右でも左でもあることには同意するし同感する
原発には自分は反対でも賛成する人もいる,でも左は原発反対であり反対でない人は話し合うこともできない、受け入れられないというのもおかしいのである。

日本でも外部から国際的に公正にみれば戦争で原爆で悲惨なことを経験したがそのあとはアメリカに守られて冷戦の中で得したのである。
鉄くず拾いした子供の時を書いたがソレで財を成したのが和歌山の野崎氏であった
朝鮮戦争があり日本は特需で復興したのである
朝鮮戦争で鉄でなんでも日本から調達することで復興した
でもそのとき朝鮮半島は分断されたのである。民族は分断されたのである
それが冷戦が終わってもそうだった、北朝鮮は経済発展からも取り残されていたのである北朝鮮は忘れられていた国にてっていたのである
それで核をもちだして世界にその存在をアピ−ルしていたのかとなる

日本は戦後高度成長できたのはアメリカに敗北したが守られていたということもある
自立して守るということはなかった、それで経済だけに専念して高度成長を遂げたのである、ベトナム戦争でもそうである、日本はここでも特需がありベトナム人が苦しんで死んでも関係なく経済に専念して成長できたのである
そういう歴史的カルマを国は個人と同じように持っているのである

ただネットでは常に過激な北朝鮮でも批判しかない、それも一理ある
でも日本にもそうしたカルマがあることを言わないのである
もちろん慰安婦問題などは過剰であり韓国にも問題がある
そういうことは日本では受け入れられないのである。
そういうことはしこりになってただ反駁しあうだけだとなる
韓国でも北朝鮮でも常に日本を標的にして陥れるだけだとなっているから徹底的に対抗すべきだかとなる
それはdarkness tigaでもそうである、徹底して対処すべきとだと絶えず主張している
同じ右でもこのように違ったいるのである

自分にしてもイラク戦争を見ているあのように一方的に難癖つけて戦争するのは疑問だった、そこでアメリカには不信だったのである。
アメリカでは軍需産業が盛んだから武器を売る会社が戦争を欲しているという
トランプはその軍需産業の会社と距離を置いているという
それでその方面からの批判があるのか?マスコミも軍需産業の息がかかっているから反対するのかとなる
だから反対する声が大きくなるにはマスコミが利用される、どうしたら大きな声なるかというと依然としてテレビでありマスコミがまだその力をもっているからだとなる

ただ冷静に見るにはやはり右でもいろいろあり見方がある
その多様な見方がで可能になった、その都度テレビの様にリアルタイムで放送されるのが強みである。
ただユーチューブでも何百チャンネルも千チャンネルとかあると見切れないんとなるのも問題なのである。
そうなるとやはり人気がある人は読まれがある人は読まれないとなり選別される
ただマスコミとは違って独特の意見を言いやすいのである。
でも見られるのは和歌山ドンファン事件とかに注目が集まる
そこでは見る人が何十万とか百万人にもなっていたのである。
それだけ注目されるのに見る人が集まるのはマスコミと同じだったのである。

とにかく一触即発から平和に向かう作業はいいことでありこれを否定するとまた悪化するどうせ裏切られるだけだと右の過激派が言うときそうなのかとも思う人はいる
でも戦争を回避する方向に向かっているのだから日本でも後押しすべきだとなる
ただ右の強硬派はアメリカ軍が撤退すると日本が危機にさらされるとして反対しているのだろう、それも確かにある、常に日本は反日で批判されているからアメリカ軍が撤退すれば中国が韓国が北朝鮮が一体となり攻めてくるという恐怖におののいている
だから中国でも韓国でも北朝鮮でも過激な敵対感情を抑制すべきだとなる
でもそれができないから日本は断交すべきだとしている

そうなるとやはり敵対がエスカレートするだけだとなる、北朝鮮でも経済援助を受けるとそれなりに融和してくるのではないか?
ただ拉致問題は解決していないから問題である。
日本も戦争で悲惨な目にあったのだがやはりカルマがあり朝鮮半島が分断されたけど日本もそうなるところだったのである。
朝鮮半島は大国の対立の中でシリアのように犠牲になったのである
そういう点では武田邦彦氏の意見に同調するのである。
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高齢化社会で車に乗らない人が増えている (電車とかバスの利用も必要になる)


高齢化社会で車に乗らない人が増えている

(電車とかバスの利用も必要になる)


その人とは良く駅で会う,この前は仙台の方に温泉巡りに行っていた
その人は大型トラックの運転手だったのである
東京にトラック運送していたのである
でも運転したくないと言ってやめた
そして自転車を買っていたのである

トラック運転手となるとぐったり疲れて一日働くと後二三日働くことができないとか言っていた、前にもトラック運転手にあったことがある
その人も同じようて仕事をしていた、それで水戸街道とかのかとを良く言っていた
標識のことをよく言っていた
その人も今は仕事はしていない,何か孫に金をふるときだけ喜ぶんだとかボケたようなことを言っていた

これでわかることは田舎でもトラック運転手が多い、田舎だと農業のように思うが実際は違う、農業だけで食べている人はわずかである、一割にもみたない、
つまり金にならないからだ、その人は今は温泉とか回りで金回りがいいみたいだ
もうトラック運転手で根詰めて働いたから車にも乗りたくなったとなる
それがやはり老人になると同感する

自分は遊びで旅行していただけだけど何かふりかえると旅行も乗り物は疲れるなと思った電車だって長く乗ると疲れるしバスは一番疲れる、自転車旅行はもう最高に疲れる
それ以上に疲れたのが登山だった、だから登山は早い時期にやめたのである
そして自分も今は乗り物にも乗りたくないとかなった
旅に行きたくないというのも不思議である。
それは介護十年して気力が喪失したのである

だから老人も働けというけどできない、その人は十分に働いたからである
だから老人も働けというのは酷だともなる、それはみんながそうではない、自ら遊んでいるのも良くないとス−パ−で掃除している人もいるからである
ただ事故で死んだ人もいた,やはりなれないところだとどうしても反応が鈍くなるからどうしても危険になる
なぜ原発避難区域で復興できないかというと残るのは老人だけだからである
老人はこの人のように十分働いたからである。

確かに80過ぎても90でも運転する人はいる,でもこの前も80歳の女性が危ないからと運転をやめた
その人も駅に電車を利用してきていた
つまり高齢化社会はこうした車を運転しない人が増えてくる
すると鉄道とかバスなどの交通の便が必要になる
車というのはいくら老人より若者が事故の割合が多いとしても負担になるからだ

老人向きの社会は車社会とは違ったものとなるのだ
老人に向いた社会は住みよいのは田舎であるが田舎は交通の便が悪い
そこが問題なのである。車なしだと暮らしにくいからだ
電車も利用するのだが駅からの足となるものがないことが最大の欠点なのである
ただイオンのように郊外でなく駅の回りにあると便利なのである。
そういう駅中心に老人も住める街を作った市もある
原町クラスの街ならできるが一万くらいだとできない
コンパトシティである

駅は鉄道を利用しなくてもこうして人が集まり情報を交換するのにいい
その人はスマホをもっていてドコモのがいいと言っていたので自分も聞いてみようかと思った
自分はこうしてその人が何をしたかと聞くのが楽しいのである
それが一つの郷土史にもなるからだ
前は馬車の仕事をした人にも出会った、ただなかなか気軽には話せないのである
駅のような場だと外からの人でも話せることがある、それが面白いのである。
何か老後の楽しみとはいろいろあるがこうしていろいろな人と話すことが面白いとなる
ただその人は話しやすい人だからできた、気さくな人だからできた
ともかくあの人とは駅では暇だから会うのである
何かそうして老人は暇でありそういう人が集まる場が必要になる
その一つが駅だともなる

楽で終わらない人生 (苦は楽の元)


楽で終わらない人生

(苦は楽の元)

その女性は5歳まで娘と一緒に生活していた
でもその家に厳しい姑がいて家を出たのである
その事情はわかる、その姑は普通の人ではなかったからである。
それで自分の母親が継母になったからひどいめにあった
ただそれなりに気丈夫で家を支えたということはあった

それで家を出たというのも理解できる、でも家を出て苦労したかというとしていない
金持ちの家の後妻に入ったのでずっと楽していたのである。
そして認知症になったとき頼るものがなくその5歳の時別れた娘に頼ってきたのである。認知症なる前に頼ってきてその後に認知症になった
施設に入れたのは金があったからである。
地位ある人の後妻になったからである

でも長い間5歳の時別れた娘とは会ってもいなかったのである
その後娘は新しく嫁に来た女性に育てられた、その女性はずっと母親になっていたのである。でも何か理由がわからないが反発してその母親にもひどいことをした
病気になったとき放置したのである
ただその病気になってすぐ死んだから良かったのである。
介護などとてもできる女性ではないからだ
その育てた母親は「ひどい娘だわと最後に自分に言って死んだのである。
自分の家でもその娘の母親とは家とはうまくいっていないからそうなっていたことに意外だったのである

それが自分の母親が病気になったとき
「おばちゃんは金があるんだから金でめんどうみてもらへ」
と血相変えて去って行った
それでその女性の異常性に気づいたのである。
自分の家の場合はいい関係でないからしかたがない面があった
でもなぜ一番長く母親としてあった育ての親にそこまでするのか?
別に愛情がないのでもない,ただかわいがりすぎて母親の意のままにしたということで反発したとかはあった
でもあまりにもひどすぎたのである。
何か異常化した人間の心まで失った人に見えたのである。

こうして実の母親は娘に頼ったが後妻に入った家の子供と財産争いになっている
後妻の家でも子供は金にしか関心がないからだ
そういう状態でもう誰も金しか関心がない,それで認知症になっているからしょっちゅう電話来るとこぼしていた、自分は何も介護などしないがそこで苦しんでいる
なら自分は何もしないで施設にあずけて金さえもらえればいいと思っているからだ
実の母親でも全く愛情がないからである。

結局このように人生の最後にその人のカルマ(行為)の総決算を強いられる
それは自分でも書いてきたがそうだった、青年時代は20代は苦しんでいた
それも強いられたのではなく自ら苦しみを求めたともいえる
若いうちは望んでも苦労しろとかかわいい子には旅させろとういのは今もそうである
若いとき楽して高い地位についたりしたら傲慢になってしまう
なんらか傲慢さを打ち砕かれないと人格形成はできないのである。

ただ30以後は旅ばかりしていて楽したのである。
楽することもカルマとなっていたのである。
金あることもないこともカルマとなる、楽することもカルマとなる
社会性の欠如もあり七転八倒したのである。
介護で自分も病気になり誰も助けてくれないという苦境にあった
そういう時来たのは犯罪者とか借金に苦しむ人とかこの女性のような異常な人だったのである。それもつくづく自分のカルマだったのである。
だから自分はそのことについてひどいめにあったが恨んだりしない
人間はなんらかで苦しむのもカルマなのだ、それはもう逃れられないのである。
生きている限りカルマがある、そのカルマの故に苦しむのである。

ともかく人間は楽では終わらない、どんな金持ちでも恵まれていてもその恵まれたことで後で苦しむことになる,金持ちの娘が社会性がないとかで財産をとられたとかあった
それも社会性がない社会でもまれていないからそうなったのである。
自分も社会性が欠如しているから苦しんだのである。
旅ばかりしていては社会性は身につかないからである。

若いときは苦しむのはいい、また肉体的にもきついことは若いときしないとできなくなる登山などは特にそうである。海外旅行だって自分は50歳ではじめたから苦しんだのである。
大学で武道部に入って苦しんだのも良かった、体力がないのに良くやれたなとふりかえるそれは体力なくても若いということでできたのである。
若さはそれだけのことを成すということである。

ともかく苦は楽の元なのだ、苦しまないものは後で必ず苦しむ、それは人生の公式のようなものである。自分の母親は大正生まれで苦労の連続だったけど最後は百歳まで生きて楽に死んだ、眠るように死にたいと口癖のように言っていたが実際にそうして死ぬことができたのである、最後だけは願いがかなったとなる
それは苦労した結果として最後に神様が楽させてくれたともなるのだ

人間はだから楽ばかり求めるのも問題なのである。
原発避難区域とかで復興できないのはもう楽しか求めないからである
それは時代であるがそのために復興などできないのである。
一方であまりに苦労ばかりていると自分の母親のように庭はいらていと何にも興味もない人になってしまう、それも問題なのである。

ともかく人間には時代が変わっても変わらない教訓がある,それはことわざとしても活きつづけている

(鉄は熱い内に打て)(楽は苦の種)なのである


2018年06月12日

団塊の世代の少年青年時代の変化をたどる (戦中派とは違う団塊の世代)


団塊の世代の少年青年時代の変化をたどる

(戦中派とは違う団塊の世代)

90歳くらいの人はまだ戦争を経験していることがある。
18歳だと志願兵になった人がいたからである
それから小学生10歳くらいまでは戦中派である
子供心にも戦争を経験して空襲にあったり疎開したり苦労している
戦中派はギブミーチョコレートの時代でもあった
それは戦後5年くらいが進駐軍がきてそうなっていたが
誤解しやすいのは団塊の世代がそういう時代を生きたと思っていることである。

ギブミーチョコレートの時代は団塊の世代ではないしそういう経験をしていないのであるただ小学校で脱脂粉乳のミルクなどを飲まされた時代である。
何もないときに育ったのである。
家には飯台一つであり裸電球があるだけだった
それはみんな同じでありそこでまず物がそもそもないのだから贅沢しようがないのである買うにもバナナは売っていない,バナナのたたき売りとかあっても秋市とか特別な日にしかないのである。バナナそのものがないのである。

ただ人間は5年違っても生きた時代が違っているのだ
ギブミーチョコレートを言って人が5年違いでも団塊の世代とは違っていたなと思う
だから人間は本当に十年違うとかなると違ったものとして時代を生きている
5年違っても時代感覚が違ってしまうのである。
戦中派は戦争を子供のとき実際に戦場に行かなくても体験している
当時の時代の雰囲気を肌で知っているのである。
団塊の世代は戦争が終わって生まれたから戦争のことを肌で知らない
ただ親が戦争に行ったり経験しているから身近ではある
戦中派には貧乏がしみついている時代である。
飢えていたという時代でもはある

戦争が終わって生まれた団塊の世代は戦争のことを聞いても実際には体験していないのである
ただ中学生になる頃にテレビが入っていきて熱中したのである。
その頃からテレビ時代がとじまったのである。
だからそのときテレビを食い入るようにみんな見ていたのである。
野球も見たし相撲も最盛期であり国民で長嶋だ王だ若乃花だ栃錦だとかのことを知らない人はいなかった、子供では誰を応援するかで喧嘩になっていたのである。
テレビの影響はそれだけ大きかったのである。
その延長として東京リンピックがあった
テレビの前は小学校の時はラジオだったのである
天皇の終戦の玉音放送もラジオだったのである。

中学になると高校にも入れないと大騒ぎだった,そのとき受験戦争になったのは田舎でも中学生だと8クラスもあった、今は30人規模で3クラスとからしい
一クラス50人規模で一クラスだったから数が多かったのである。
自分はそのとき勉強を強いられたからそこでエネルギーを費やして失敗だった
受験戦争は本来の勉強ではなかったからだ、それから学校不適応症になった
自分はそもそも学校にあわなかった、団体生活にあわなかった
椅子にじっと座っていることが苦痛だったし体もそうだった
だから学校にいい思い出はないのである。
勉強そのものに興味をもったこともなかったからである。

中学校を卒業するときクラスの三分の一は集団就職だったのである。
中卒が当たり前だったのである。
大学に行けたのは四五人だったのである。自分は優秀でないし勉強嫌いになっていたから本当は大学に行けるような者ではなかった
わがままでもあり学校になじめなかった
ただそのとき自分は親から離れたいとか東京に行きたいという願望が強いから東京の大学に行くとなっただけである。
それは正解だった、やはり人間は親元から離れることは必要なのである。親から経済的ににだけでなく精神的に必要なのである。
それは集団就職した人たちよりずっと楽だったのである。

自分はでも結構楽でいないものを感じていた
大学は遊びだったけど一年くらい武道部に入って鍛えられたのが良かった
それまでは自分はあまりにも軟弱であり気弱すぎたのである。
もともと体力がないのだがふりかえるとそこで良く耐えたなと思う
一年でもそこで自分は変質したのである。
だから人間は教育でもその性格でも変えられる、弱気な体質でもは性格でも強気の性格に変えられるのである。

そのとき学生運動がはじまっていた、盛りにもなっていた
その一つの原因が大学を変えようと始まった
マンモス大学となり3000人に講堂で講義しているとき勉強に興味を失うということは自然なことである。勉強に熱が入らなくなって学生運動になったという背景もあったのである。そのとき高度成長の時代でありみんな就職できた時代でありそんな時代の不満はない、だからこそあっさりと就職すると企業戦士になったのである。

ただ人間は30までその基礎がつくられる、信仰の求道でも30超えたらできない
30で人間の骨格は決まり変えられなくなる
人生百年だとしてもそれだけ少年青年時代が人間を作る
それをもっと意識させるべきだと思う
いづれにしろ日本はそのとき上り調子だった、ただまだ車に乗っている人は少なかった
これも急速に普及したのかもしれない,まだインフラとして道路が整備されなかったからであるである、もちろん高速道路などもなかったからである。

国鉄が民営化するとき車時代になっていたのである。
国鉄一家とかが存在したし国鉄が社会党を支えていたのである。
その鉄道の国鉄時代も終わりモータリゼーションの波が全国に波及したのである。
そのときトヨタが日本の代表的メーカーとなったのである
時代の変化というとき明治以降は便利な道具が情報でもテレビのように視覚化される時代になった,ラジオで音で聴いているのと新聞で活字で読んでいるのでは相当に違うからである。テレビで視覚化されることの影響が大きかったのである。
それでラジオの時放送していたアナウンサーの出番がなくなったのである。
ラジオでは人気だったがテレビだと人気がなくなったのはメデアか変わるとそさに対応した人が人気になる、女性だったら美人でないと映えない

ラジオだったら声だけだから容姿は男女で関係ない、それより声がいいと人気になる
声優のようなのがいいとなる、容姿は関係ないからである。
そういう時代の変化に対応できないと時代に適応できないと価値もなくなる
つまり時代の変化によって価値観が変わるからである。
映像の時代になるとやはり見栄えがいいものが受けるからである。
映像の時代になるとデジカメで拍車がかかりスマホでもさらに写真投稿が活発になった
テレビの時代から継続して映像の時代は進行したのである。
テレビは放送局でしか放送できないが今度はインターネットでいくらでも放送できる時代になったからである。
もう情報はマスコミの独占ではなくなったのである
これも時代の大きな変化だったのである。









タグ:団塊の世代
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金閣寺の俳句(2)(千年の都の美)


金閣寺の俳句(2)(千年の都の美)

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金の美の極めてここに花の散る

金閣や都に乱も花の宴

金閣寺朝日に輝き散る椿

苔に散る椿の赤し金閣寺

三層に日本の歴史春の京

王眠る金に魅せられる京の春

常盤木の松に金閣夏日映ゆ

移る季(とき)池に金閣松と岩

(銀閣)

月光や砂に銀閣松の影

銀閣に秋の日さして松古りぬ


金閣のまばゆさや
銀閣のしぶさや
対なして千年の都の京都
築地塀古りて
その角をまがりて消えぬ
後ろ姿のその女誰や
優艷に枝垂桜の影
その塀に写りて暮れぬ
街中を流るる水の音
祇園の舞子の下駄の音かな
しずしずと歩みて去りぬ


金閣の美はやはり自然の中に映える美である。室内ではない,金色が自然に映える,それが魅力である。京都は京都が千年の都としてあったことである。
そこが他の都市とは違う,戦乱があったのも京都である。
だから金閣寺でも実際は炎につつまれている感覚になる
動乱の中に金閣が映えている,京都は文化が栄えてもそこは天皇がいて常に政治の場所だったからである。
寺に応仁の乱の争いの傷跡が柱に残っているというのも京都である。
それだけ古いということである。

京都と奈良とではずいぶん違う感覚になる,奈良だともの寂びた古代の感覚である。
それが奈良の大仏に象徴される,平城宮といってもそこは枯野であり何も残っていなかったのである。
京都はずんと千年の都として維持されてきたのである。
だから日本人の美意識は京都と磨かれたとなる
その象徴が金閣なのである。



タグ:金閣寺俳句

2018年06月11日

和歌山の野崎氏は鉄くずを売ってもうけた同世代 (朝鮮特需があり復興した日本-そして米朝会談戦後の区切りになるのか?)


和歌山の野崎氏は鉄くずを売ってもうけた同世代

(朝鮮特需があり復興した日本-そして米朝会談戦後の区切りになるのか?)

太平洋戦争時でアメリカのB−29爆撃機から投下された爆弾の破片を回収したり、工場から出る鉄屑を整理したりして、それを鉄屑屋に売却するという仕事です>

 当時、銅線や鉄屑は高く売れ、流行のビジネスだったそう。会社の上司に命令されるのではなく、自分で考えて動き、サボれば収入がなくなるスタイルが野崎氏にハマった。朝から晩まで休むことなく鉄屑を探しまわり、以前よりは高収入に。

鉄屑拾いというのは子供のときしていた,鉄くずを拾って買う所があった
金になっていたのである。鉄くずがその時貴重だったのである。
何か真鍮(しんちゅう)とかあると貴重だと喜んでいたのである。
このことは子供もしていたが大人もしていたのである。

でも年齢的には和歌山ドンファンとは差がないから子供時代からその後もつづいていたのである。
日本は戦争で焼け野原になり疲弊した,物もほとんどなくなっていたのだ
だから鉄は貴重なものとなっていた,鉄くずでも貴重であり金になっていたのだ
これも思い出すと不思議である。

日本が戦争に負けて復興できたのは朝鮮戦争の特需があったからである。
その時物資を日本に頼ったからである。
アメリカに売るものがありそれで鉄くずでも貴重であり集めて何かを作ったとなる
武器でも作ったのかとなる

B−29爆撃機から投下された爆弾の破片を回収したり、

これも生々しい話である。B-29で日本は絨毯爆撃されたからである。防空壕に逃げた原町に住んでいた母の話も聞いている
相馬農業高校の近くでありそれで低空飛行して防空壕の蓋が飛ばされたとか話していたからである。

小学校では脱脂粉乳のミルクを飲まされていた,食料かなくアメリカに援助されていたのである。それは相当にまずいものだったのである。
そんな中で団塊の世代は育った

朝鮮戦争がまだ解決していないというとき米朝会談がシンガポールで行われるのもそうである
シンガポールというときそこは昭南島と言われてイギリスの島だったが日本によって支配された,その時自分の姉は従軍看護婦としてその対岸のジョホールバルの赤十字病院で働いていた
四年間働いていて最後に日本が負けたときジャングル逃げた時が一番苦しかった
食べ物がなかったからである。
自分の姉は死ぬまで戦争のことを語り死んだ,認知症になってから千回も同じことを延々としゃべり遂に死ぬまで直前まで語って死んだ
それが人生で一番印象に残ることだったからそうなったのである。

日本は最初東南アジアで戦争に勝利してイギリス軍を捕虜にしたりした,インパール作戦でもインド軍も一緒に戦っていたことを教えられた
インド軍とは共同で戦っていたのである。
ネパールもビルマもイギリス領になっていた,そこでイギリスと最初日本軍は戦ったのである。その後にアメリカが参戦して戦争に負けたのである。
ネパールで登山の案内したネパール人は英語をしゃべるからガイドとして一緒に行動したネバールでも英語なのかと意外に思う,英語をしゃべる国はイギリスと関係しているし支配された国植民地にされた国なのである。

シンガポールで米朝会談が開かれるというときそこは日本でも戦争と深く関係した場所なのである。
米朝会談でも日本が戦争に負けて朝鮮戦争になりソビエト連邦との冷戦になった
そしてソビエト連邦は崩壊した,そのソビエト連邦時代の時裁縫会社の人がカザフスタンとかに機械を売るために行っていたということを駅で聞いた
その人は日本でも機械を売るために回って歩いていた
これもまた時代を生きた証人だったとなる
ソビエト連邦というのも過去のものになったからだ

何か歴史というとき身近なものから大きな歴史をイメージすることができる
それもやはり経験しているから身近になる
子供の時の遊びが実は朝鮮戦争と結びついていたのである。
和歌山ドンファンの一生もまた戦後の歴史だったことをこれでもわかる
その人が酒屋で働いていたというのも酒屋が働き口になっていた
戦前でも江戸時代でも酒屋が主な職業となっていた
それも時代である。明治生まれの父親は酒屋で丁稚していたのである。

この人はともかく底辺から成り上がった人である。そういう人は同世代にも多いだろう
何もない焼け野原は出発点だったからそうなる
ただ団塊の世代は焼け野原から小学校を卒業する頃テレビがすでに売られていた
自分の家では一番先にテレビを買った,父親が病気になりなぐさめるために買った
テレビはその頃みんな買っていない,裕福になった人が買ったのである。
それでテレビある理髪店とかに子供が集まって見ていたのである。
バナナも高価であり売っていないので仙台まで買いに行って食べさせた
こういう時代があったというのもずいぶん昔になったなと思う

両親から祖父母までは直接話を聞くから歴史でも身近である。
でも次の世代はもう直接戦争を経験した人からの話を聞けないのである。
するとただ映像とか資料とか何か直接語ることで聞けないからそこに歴史が身近にならず誤解することが生まれてくる,江戸時代でもその時代を生きている人がまるで外国に生きていたように不可解にもなるからだ

米朝会談があるけどそれは朝鮮戦争がまだ終わっていないということでもある
朝鮮が二つに分断されているということで終わっていないのである。
でも朝鮮戦争からでも70年とかすぎているのだ,だからそれも長かった
それで米朝会談が朝鮮戦争を終わらせる区切りとなるのか?
そして会談が成功すれば米軍が韓国から撤退するといわれる
その時日本はどうなるのか,韓国中国は共同して日本を攻める,常に反日であるとういときそういう危機が日本に迫る

インターネットではいろいろな情報が出る,もう新聞社とかテレビとかマスコミだけではない,個々の情報が膨大に出る,でもそれを読む解くことがむずかしい
つまりインターネットでは情報を結び関連づけることが大事になる
偶然にこのサイトを発見したので引用した
ともかく野崎氏の一生もまた戦後を象徴していたのである。

posted by 老鶯 at 21:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

平成も終わる時に天皇を見送る (戦後からの時代をふりかえる)


平成も終わる時に天皇を見送る

(戦後からの時代をふりかえる)

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昭和時代(戦後) - [1952年 〜 1989年]

高度成長時代(団塊の世代)

平成時代 - [1989年 〜2018 ]

1991年、総量規制や消費税などでバブルが崩壊して失われた10年(失われた20年)となる。

阪神・淡路大震災、東日本大震災(福島第一原子力発電所事故)などが発生する。


時代をどうみるか?昭和の前半は戦争の時代とみる,団塊の世代でも特徴づけられるのは戦後の焼け野原から引揚者などが帰ってきてその時ベビーブームになったからである。
だから今は少子高齢化だけどなぜ日本が焼け野原になったときベビーブームになったか不思議である。
その時と比べると今はいくら高度成長が終わっても電気もないとか毎日食べるのが精一杯とかの時代ではない,燃料は炭だったし水道もなかった
水道ができたのは戦後十年くらいだろう,何か子供時代は原始的な時代にも今になると思えてくる,父親が鰻をとったり鮎をとったりしてそれがいいオカズになっていた時代だし竈(かまど)でご飯を炊いていた時代でもあった
囲炉裏が街に住んでいてもあった,そんな時代から団塊の世代は出発したのである。

あとはオリンピックは高校のときだったけど相当に活気あるものだった,あの頃日本人が一番高揚していたのかもしれない,大学を卒業するときは万博がありあれにも人が集まった,つまりその頃高度成長時代の真っ最中だったとなる
その頃まだ車がそれほど普及していない,道路もインフラも整備されていないが急速に整備されてきた,その時ブルドザーのような田中首相の時代だったのである。
1972年(昭和47年)首相になり日本列島改造論を書いた時だった
それは自分が大学を卒業してまもなくだった、ロッキード事件はその頃に起きた

昭和39年(1964)

(10月1日)東海道新幹線開業
(10月10日)東京オリンピック開催

昭和51年・(2月)ロッキード事件(田中首相の時代)

1989年〈昭和64年〉昭和天皇崩御

昭和天皇が死んでからすでに30年とかなるのか?平成は30年だからそうなる

平成になるとバブルの崩壊とか日本経済は停滞してリストラが社会問題になったりと経済的には暗い時代になった,それが今も継続しているのである。

平成は年号の漢字とは裏腹に災害の時代だった,阪神淡路の震災で5000人死んだとか東日本大震災で二万人近く死んだとか大災害の時代だったのである。
その平成も今年で終わりになろうとしている
自分は団塊の世代は昭和と平成を生きた,戦前生まれの人は戦前の昭和と戦後の昭和を生きて平成も生きたとなる
100歳まで生きている人は大正生まれである。
自分の母親は大正生まれあり父親は明治生まれだった
大正は短かったがそれなりに特徴ある時代だった,その時この辺では原町の無線塔が作られて関東大地震をアメリカに伝えたことで有名である。

年号で不思議なのは江戸時代になるとその時代が年号では良くわからないのだ
元禄とかはわかりやすい,これは今の高度成長時代とにている,新田が全国で開拓されて繁栄した時代である。それは地方にも波及していたのだ
なぜなら葛尾村にも元禄の碑があったし相馬市の新田村にも元禄の碑があった
この辺では元禄の碑はまれである、幕末の碑が多い,墓でもそうである。
元禄時代というと俳句では芭蕉の時代だった、俳句が興隆した時代だとなる
各地で新田が開墾されて開拓されて人口も増えたり高度成長時代とにている
あとは江戸時代では文明が飢饉の時代として記録される
相馬藩では飢饉で人口が流出して三分の一に減ったからだ
そこで越中などの移民が入り立ち直った歴史がある

年号で時代を現すとき江戸時代だと順序が逆になったりする,年号が安政とか安永とかいろいろあっても時代の順序を間違えるのである。古いのか新しいのかわからなくなる
その時代がどういう時代だったかイメージできないのである。
それは江戸時代はあまり変わりないからそうなったのかもしれない。
ただ元禄と文明は一つの区切りのようになった時代である。
まず明治以降は明治という時代があり大正という時代があり大正が先になったり明治が後になることはありえないのだ,江戸時代だとそういうことが普通に起こるのである。

ただ戦後の昭和から平成に変わるがこの変化はどうなのか?
確かに高度成長時代から変わったとしてもそんなに生活自体に変化はなかった
それなりに豊かな時代を過ごしているのである。バブルもあった
低成長時代になっても豊かであり暮らしが貧しくなったとは言えないからである
格差社会となっているのは確かだがそれほどの変化がないとも見ている
文明のように飢饉とかなれば大きな変化だから記録される
平成はやはり阪神淡路大震災や東日本大震災が時代として記録される
そして原発事故だった
そのために今回平成の終わりに天皇と美智子妃が相馬地方を訪れたのである。
それが何か時代の区切りだったのである。
ただ原発事故は終息していない,廃炉に30年かかるとかまだまだなのである。
だから津浪や原発事故の後遺症は十年とかつづきそれ以上つづくのである。

平成天皇というと美智子妃の方が注目されていた,結婚式のときは盛り上がった,それはまだ高度成長の時代の時だったのである。
ただ時代というのは個々人でもどう生きたかで違ったものになる
会社で高度成長時代を生きた人はいい時代を生きたとなる
今は銀行が窮地に追い込まれるとか経済的には後退している時代だからである。

でも自分のように会社勤めもしないで旅ばかりしていた者にとっては会社のこは関係なかった,でも自分はそうして30年間とか旅できたことは今になるとあまりにも恵まれていたとなる
それがわかったのは介護になって十年間苦しんだ,旅もしていない,それで家族もみんな死んだが旅に出る気力もなくなったことでわかった
自分が旅できたのは経済的にもそうだが精神的にも帰る家があり留守してくれる家があったからだと思った
何か家があると旅に出にくい,留守する人もいないから家族が死んで自由になってもしにくいのである。そして何か気力がなくなったのである。

ともかく今回天皇陛下と美智子妃が相馬地方に来たことはそして写真を自らとったことは時代の区切りを自分でも感じた,平成も終わったのか次はどうなるのだろうと思う
平成の終わりを天皇陛下を見送ることで感じたのである。

梅雨入りや天皇去りて燕飛ぶ

雨しとと平成終わるや美智子妃を我が見送りぬ梅雨に入るかな

何か平成は梅雨のような時代だったかもしれない,ぱっとしない時代である。
時々晴れ間があってもぱっと快晴にはならない時代だったような気がする

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2018年06月10日

天皇陛下,美智子妃殿下鹿島のローソン前通る (南相馬市の植樹祭で来る)


天皇陛下,美智子妃殿下鹿島のローソン前通る

(南相馬市の植樹祭で来る)

来たのは四時だった

michikohi33.JPG

michikohi22.JPG
鹿島ローン前
michikohiii1.JPG


並ぶ所が決まっていた,そこは混んでいるのではずれたところ離れた所にいて写真をとった
並んだ所で手をふっていたと思ったがはずれても手をあげていたのである。
そこには人は並んでいなかったのである。
ただ三倍のデジカメだかぼやけていた,それが失敗であった

この写真は貴重かもしれない,なぜなら平成天皇は今年で終わりだし美智子妃も見られないからである。
平成が終わるからである。
ただ平成というとき何か特徴がなかったように思う
昭和と比べるとそうなる

天皇陛下が来るとなると一番張り切っているのは警察である。
警察の紋が菊の紋のだから天皇を護衛するためにあるともなる
私服の警官が来て回っていた,相当な警戒であった

何か狭い地域でも写真をとることがある,だから常時携帯する必要がある
今回の写真はみんなとっているから見られるだろう
ただ自分が平成の記念として撮ったことに意義があった


両陛下、福島県入り=最後の植樹祭出席

posted by 老鶯 at 16:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

和歌山ドンファン事件(2) (家政婦は家族の一員となり犯罪にもからむ)


和歌山ドンファン事件(2)

(家政婦は家族の一員となり犯罪にもからむ)

推理ドラマでは常に家政婦が疑われるし犯罪でもからむ,それはなぜなのか?
その家のことを家族のように知るからである。
家族の一員のようにさえなる,実際にそうなって人もいる
有名な俳優の家で家政婦になった若い女性はその家の家族の一員のようになっていた
愛されていたのである。ところが夫婦に子供できたら愛されなくなったと子供を殺した事件があった
この事件がまさに家政婦がどういうものになるか象徴しているのである。

家政婦とかはその家の事情に深くからむことになる特殊な仕事だと思う
コンビニとか会社につとめればただ時給いくらだとか払って終わりでありこうしたことは起きない
家政婦はその家と深い関係になり家族のようにもなる
するとどうなるのか?犯罪があれば犯罪に必ずからむものとなるしそう見られるのである

だから和歌山ドンファン事件でも家政婦が一番しゃしゃりでていのことでもわかる
家政婦と妻がいて同格にすらなっているのだ
妻が月に小遣い百万もらっていたというときそれが不満で一万五千円にしてくれと頼んだというときもそうである。家族のようになっているときその差があまりにも大きいからである。金を貸してくれとかくれとかも平気で家政婦が言うこともあるし経験している
そして親戚がきて金をやったときそれを見ているから不満になるのだ
それは家政婦はまるで家族の一員のような立場になるからだ
まして二十年間もつきあいがある家政婦となっていたら余計にそうなのである。
だから妻が百万で自分は一万なのかという不満が大きかったことはわかる
そんなことは会社ではありえないが家に入る家政婦には起きてくる

実際だから家政婦雇うほどやっかいなことはないから普通の人は雇うべきではない
ヨーロッパの貴族とかなるとそういう社会であり伝統があるから執事とかは地位があり社会にも認められているのである。
チップとかが生まれたのもおそらくそうした貴族に雇われる家政婦とか使用人がいてそうなった,それは家族のようにもなるからそうなったのである。
日本でも武家では使用人を雇うがそれも時代劇では家族のようになることがある
そういう身分制社会があって成り立っていたのである。

日本でも家事が電化製品がないとき大きな労働となっていた
中産階級ですら二人の女中を雇っていたというからそれだけ家事が手間だったのである。選択から食事の用意するのが手間だったのである。
ゴシゴシ洗濯板で洗っていたり竈で薪をくべてご飯を炊いたりしているたらそれだけで時間がかかる、だから女中という仕事が普通にあった
自分の母親も東京で女中していたのである。
こういうときは家に普通に入ってくるから危険だとなるがやはりヨーロッパのようにそういう社会だからこそ成り立っていたのである。

現代となると家事は本当に楽になった,一人暮らしでもあらゆるものが備わっているので困らないのである。自分のようなルーズな人間でもできる
問題はどういうものが売っていて買うかである
それが意外とわからないのである。品物の数も多いからわからないのである。
今でもわからない,冷凍食品が腐らないからいいと今になって利用している
他にも何を買うかが問題なのである。
外食もすれば食事でも困らない,都会だったら外食をうまく利用すればさらに楽である。
今でも家政婦を雇う人はいるがそれは特殊であり大金持ちの家になるだろう
そういう家でないと今は家政婦は雇いないと思う
家政婦を雇うのはそれだけ贅沢なものになったのである。
例えば本当の大金持ちは介護でも専用の看護師を雇っているという
それだけの贅沢できるのはもう日本ではわずかの大金持ちしかないだろう

だから普通の人はもう家に入ってくる家政婦などでもどう扱っていいかもわからない
戦前のように女中として雇うことが普通の時代だったらいいのである。
今はこうして家政婦というのはなじみがないのだ
みんな電化製品で家事をしているからだ
このように常に社会は変わる,だから対応がむずかしいのである。

それは家政婦になる人の心構えでもそうである。戦前のように社会に女中が普通にあるときは雇う方も雇われる方も心得ているし中産階級でも二人も雇うということは別に大金持ちだから雇っていたのではないからだ
そうしないと成り立たない社会だったからそうなっていたのである。
犯罪があったとしても少なかったことは確かである。
それだけの人が女中となっていた時代だから犯罪が多くてもいいはずであるからだ

いづれにしろ家政婦はその家のカルマにもかかわる,どこの家でも癖があるというときカルマをもっているからである。
和歌山ドンファン事件でもカルマが如実にあった,するとそのカルマの故に犯罪が起きて回りに及んでくる,最も愛していた犬が死んだのも毒殺だとか言う時そうである。
その家の主のカルマによって犬が苦しみ死んだとなる
犬にはなんの咎(とが)がなくてもその主人のカルマによってそうした無惨な死に方になった,だからカルマというのは恐ろしいのである。
主人も自分が罪深いから業が深いから愛犬まで苦しめて死にいたらせたと反省すべきだったのである。その前に自分も死んだとなる

ともかくカルマはその回りの人に及んでくるから怖いのである。
何の罪もない動物でも人でも苦しむ,それは戦争で馬が戦場を狂気のように走っている
『戦火の馬』という映画でもそうだった,人間の身勝手な戦争で馬も苦しんだのである。原発事故でも飯館村などは原発から四十キロとか離れているから関係ないと思っていたのである。でも被害が一番大きかった
飯館村はまでいなせいかつとか素朴な村として森につつまれてある村だった
それが一番被害が大きかったのである。
つまり人間のカルマにより業により罪により何の罪もないものが自然でも動物でも苦しめられるのだ,そこに人間の業の怖さがある
夫婦でも無邪気な子供がいても争いになり離婚だとか家族のもめごとで苦しむのである。
家政婦はよほど信頼がないと家には受け入れられないだろう
和歌山ドンファン事件の家政婦は二十年来の付き合いだというときまた違っていたのか?
ただ金銭的に不満があったように何か積年の恨みとなっていたのか?
それはわからないにしても家政婦が一番しゃしゃりでていることでもいかに家政婦が家とかかわるかを示している
その家のカルマも受けるし一体化するのである。
いい方に向かえば家族の一員となるのだから愛されるのだからいいとなる

反面家族の一員となるとなぜ妻が百万で自分は一万円なのかという不満が出て当然なのである。そこに配慮するものがないと危険になる
盗むことも簡単にできる,事情を知っているからできるのだ
そういうことを自分も経験している,その家と深くかかわる仕事なのである。
そういう仕事は何か人間的であり今の社会では会社勤めとかでは経験できないものである自分も経験しているし家政婦ではないがそういう人が一時間であれ皿二三枚洗うにしろきているとなるとそうである。
ただその女性は家政婦とは言えない,三日に一回くらいきてそれが仕事なのかとなるからだ,でも現実に家族のようになり家族のように要求しているのである。


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2018年06月09日

高平(タカヒラ)地名と貝餅地名の謎(他に曲田の由来)


高平(タカヒラ)地名と貝餅地名の謎(他に曲田の由来)

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名取(なとり): 「ナ」は古代語で「土地・地盤」のことで、また「トリ」は「洪水や津波などによる欠損や崩壊」を意味し、「ナトリ」とは洪水や津波で土地が削り取られた土地を表す。

平泉(ひらいずみ)

(1)「平」は斜めに平らな土地のことで、北上川氾濫原の平地、泉地 
(2)方言「ひら」泉で、逆芝山の山麓の清泉 
(3)伽羅御所などの奥御館の南隅に湧く平地の湧井


平安時代以降、とりわけ江戸時代以降の新田開発に
関係しているところばかりです

宮古島の平良市を調べて、「宮古島では、ピラは『坂』という意味の言葉だという。」(65頁)、「石垣島のコンピラは、
まさに坂で、 通称コンピラ坂と呼ばれていた。」、「いまはアスファルト舗装
されているが、 舗装される前、この坂を登るのは容易ではなかったと地元の
人はいう。」(同66頁)、石垣島の川平(かびら)は「海に突き出て崖状になった所であった。」(同67頁)、宮古島でも、「ひら」が崖として使われている、
file:///C:/Users/USER/Downloads/j19_05.pdf

名取が津浪と関係した地名なのか?名取の被害も大きかった,そういう地形にあったのか?

平泉は平はやはり傾斜地であるがここでは斜めに平な土地としている,泉があるところは人が住むから多い,ヒライズミというときヒラ+イズミであり一体化しているところが地名としてある,ヒラタイというときまさにそうである。ヒラという地名は一語ではあまりないだろう
なぜならヒラはアイヌ語のピラ(崖)から来たというが本当にそうなのか?
もしそうだとしたら日本中がアイヌ語が基となりアイヌが住んでいてアイヌは縄文人だとなる,それは解明されていないし日本の地名をアイヌ語で解明することは危険なのであるアイヌと縄文人はまた違っているし縄文語とアイヌ語もまた違っているのだ
このヒラにしても日本語でちゃんとヒラク(開く)という動詞がある
日本では山が多いから傾斜地を開いて生活してきたのである。
野が傾斜地を意味しているのもそのためである。日本には大陸のような平坦な土地が少ないのである。
だからこそヒラタイというとき開くとタイ(平)が一体化しているのである。
そこに先人の苦労が言葉に残されているのだ

だから高平とは高いということがまずある,どうしてそこが高いのだろうか。
そこは低い場所としてしか見えないのに高いのだろうか?

高平という地名はまず傾斜地があり斜めに平な所があり開く,開墾する,開拓する,そういうことで名付けられた,順序として金沢の方の高台がありそこから斜めに平らな所を開いて人の住む場所が広がった,何故なら低い場所は日本ではほとんど湿地帯になっていたからである。川の側も氾濫するから住むに適していないのである。
だから新田川付近は住むに適していない,ただ桜井古墳のあるところは一段と高くなった場所だった,古墳があるところは鹿島でも寺内と小池であり高い場所である。
横手の古墳は低い場所にあるがそれは時代的には寺内小池の古墳より新しいのである。

ともかくここで引用した学者でもヒラをアイヌ語のピラ(崖)から解釈するのは危険である。縄文人とアイヌが同一民族だというということは証明されていないからだ
あくまでも推測だからである。


●貝餅地名の謎

「度重なる飢饉や旱(ひでり)の連続で人びとはみな飢え、路傍で餓死するものが続出した。食うものもなく、やせ衰えたわが子のためかい餅三個と先祖伝来の美田一枚を交換した故事を地名とした」(『医王山物語』)。

私が育った越中散居村ではボタモチを「かいもち」と言ってました

高平地区に貝餅とあるのは何なのか?
これも不可解である。貝と餅でありこれは単なる当て字ではない
ここの伝説では貝餅とは単なる餅のことであるという,餅ならわかりやすい
貝餅坂というのはこの伝説から生まれた
ただ貝というときカイがカウ(買う)からきているかもしれない,餅を買うとなればわかりやすいからだ,ここの伝説では餅三個と美田一枚を好感した,買ったということで買った餅が貝餅と当て字になったともなる
なぜここに貝がでてくるかわからないからだ
貝とつく地名は貝戸とかあり場所的にはいい場所ではない,ここで貝餅とあっても貝は関係ないかもしれない

気になるのは

私が育った越中散居村ではボタモチを「かいもち」と言ってました

相馬藩内には三分の一が越中などからの移民で構成されている
天明の飢饉のときに相馬藩に移民として入ってきた人達なのだ
するとボタモチとこの辺では言っていたが越中の移民は貝餅といいそれが地名化したのだろうか?
そこには越中などの移民が住んでいたのかともなる
餅は持ち運びやすいから貨幣の役割もしたかもしれない,交換するものとして持ち運びできるからである。
でも越中の移民が来てそこが地名化したということはほとんど聞かない
ただ言葉は入ってきた,ノバというとき裸という意味であり子供の時使っていた
だから言葉は人とともに移動するのである。
西殿をニシドンというときもその基は京都とかにありやがて九州にも伝播して関東にも伝播する,それで蘇我殿というときソガドンになったとかなる
千葉県は相馬氏の発祥の地だからその一族が西殿に住んだからニシドンという言葉も移動したとなる

原町区の地名については解説した人がまだいないみたいだ,相馬市にはいた
地名は誤解が多いかあてつけが多いから問題がある
人によっていろいろと勝手に解釈しやすいから学問になりにくいのである。
ただ地名はいつも使っているから最も親しみやすいものなのである。
だから当然興味をもっても不思議ではない
自分は全国を旅行して最初鉄道だから駅名に関心をもった
地名から歴史とか郷土史に興味をもったとなり遂に
陸奥の真野の草原(かやはら)の歌の草原(かやはら)は地名だと考察したのである。
それはずっと地名に関心があったからである。

●曲田地名

曲田とあるのは田の形が曲がっているから名付けられた,扇田とか丸田とか三角田とか細田とか田に関する地名が多いのは当然である。
まず正方形と長方形にするのが文明のはじまりである。
でも田でも正方形と長方形に作ることはできない,どうしても曲がる田になってしまう
日本には無数の田がある,その田も小さいのである。わずかの土地を開き(ヒラ)きヒラタイものにして田畑を作ってきた

それで例の家が壊された広い土地をもつ人の話を聞いたらあそこがまっすぐな道路になっているがあれはまっすぐでなかったという,まずまっすぐな道路は日本では作りにくいのだ,いろいろな障害があって作りにくいのである。
それには相当な技術が必要なのである。
だから日本では曲がった道が多いのである。

ともかく最近この辺を見ると金沢へ行く坂もソーラパネルになった,あそこも小さい田が多かったのである。
今やそうした小さい田を維持できない,するとそんな土地をもっていても役に立たない,金にならないからソーラパネルにする,他でもそういう土地が多い
荒地になっている,するとそこはソーラパネルになりやすいのである。
でもそうなると景観が壊されるのである。
家の前が田んぼだったがソーラパネルになっている所をみかける
あれは夏にるなと光りの照り返しがあり暑くなる
環境破壊でもあるのだ,でも何にもならない土地をもっていても無駄だからしかたがないとなる
田畑をやめた人がかなりいるからだ,田畑を維持すること自体後継者もいないとか原発事故前からなっていたからそうした半端な田畑はみんなやめたとなる
ただ菊畑であったところもソーラパネルになったし何かそこで月が出ていい感じだったがソーラパネルになるとそんな風流もなくなったのである。

ともかく自分は相当に地名には興味をもちつづけていた,それは旅行したときから始まっていたのである。
人間は何か興味をもつ,ただそれをもちつづけないと成果がでない
雑学でもだからそれを成果に結びつけるには日頃からずっと継続して勉強していないと成果は出ないのである。
つまり能力がない天才でなくてもそうして継続していると何かしら専門家として通るようになる
「継続は力なのである」だから雑学でも学問であり馬鹿にできない
人間は雑学すらものにしていないからだ,それは継続しないからなのだ

タグ:高平 曲田 貝餅
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岩沼-仙台間で車両事故で約一時間ほど遅れる(2) (仙台行きが岩沼行きになっていた)


岩沼-仙台間で車両事故で約一時間ほど遅れる(2)

(仙台行きが岩沼行きになっていた)


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一昨日だった,東北電力に仕事に来た人がタクシーで鹿島駅に来た,その人は前にも来ていた
それでまた自分がいないかと言っていた,待ち合わせ時間に時々話し合える人と話すからである。
その時も自動化した無人駅のことで話していたのである。
その時車両が仙台-岩沼間で故障していたのである。
それで約一時間遅れた

そして今度来たらその人は岩沼でおりて東北線にのりかえたという,仙台-岩沼間は不通になっていたのである。
だから岩沼行きになっていた
でも確かに自動化された電子掲示板に岩沼行きと出ていた
でも自分は毎日その電子掲示板を見ていたのだがそのことに気づかなかった
岩沼行きになることはない,仙台行きなのである。
いつも表示されるのは仙台行きなのである。

英語で行き先はforである toだと途中でおりてまた次の駅に行くとなる
forだと終点なのである。目的地なのである。
だから岩沼行きとあれば岩沼でとまり終点になっていたのだ
だから
これはおかしいと原町駅の人にインターホンで聞けば良かったと後悔している
困らないように自動化しているのだがそれをよめこめないことがある
人間は自動化してもなんでもできるものではないと思った
未だにはじめく来るような人は仙台行きの乗り場と原町行きの乗り場,ホームがわからないのである,そんな簡単なことがわからないのかというがはじめての人にはわからないのだ
なぜなら何度も聞かれたからである。
それで表示するものを作ってもらったが以前としてそれが見ない人もいるし気づかない人もいるのである。
いろいろ案内してあっても気づかない人がいる
タクシーの電話番号は駅を出た所にあるから気づかないのである。

とにかくその人は自分を覚えていたのである。だから駅にまたいると思った
そこに人間がいるということはロボットがいるとか自動化した機械がいるとは違うものとなる
ただ普通駅員がいてあまり話さないかもしれない,でも駅員がいるのといないのとではかなり違ったものとなる
駅に駅員がいるということは安心を与えるものともなる
自分は一時間もいないからいつもいるわけではないからそれほど役ににはたたない
普通はあまり案内はなくなった,ただこうして故障したり風が吹いて遅れたりすると案内が必要になるのである。

社会は常に優秀な人を求めてきた (一番優秀なのはAIになるのか?)


社会は常に優秀な人を求めてきた

(一番優秀なのはAIになるのか?)


人間社会は優秀な人間が常にどこでも求められてきた,ただ優秀だというとき時代によって変わる、侍として優秀なのはやはり武道ができる人だったり戦争で力を発揮する人である。
明治以降になると福沢諭吉がでてきて学問に優れた人が出世するとなった
それから理系の技術者がいたるところで必要になりそこで優秀な人が望まれた
戦争も核兵器などのように技術競争になったからである。

人間社会は会社でもそうだが国でもそうだが優秀な人がいるとその人によって会社でも国でも株があがる,アメリカを見ればわかる
コンピュターを発明した人がビルゲイツとかいたからこそアメリカは技術的に情報社会で世界を支配するとなる
そういう天才がいて優秀な人がいて国家でも株が上がり世界を支配する
ただ金融だけでは支配できない,紙を刷っているだけで世界を支配できるとなればこれほど楽なことはないからである。

ヨーロッパが世界を一時支配できたのはヨーロッパには天才が非常に多い,それで発明発見があり産業革命があり豊かになった
イスラムが遅れたのはイスラムから学ぶものが宗教しかないというときほとんどの科学技術でもヨーロッパで発明されたものである。
その差が歴然としているのだ,イスラムになにがある,アラーの神がある,他に何がある石油と砂漠しかないのか?そんなふうになっている
世界レベルでイスラムから学ぶものがない,それは芸術の分野でもイスラムから偉大な天才は出ていないのである
中国でも発展したがパクリ国家であり何も世界をリードするものを発明されていないのである。だから先進国になれないと言われる

なぜ最近AIとかがうるさく言われるのか?
つまり人間は優秀な人材を求めている,でも優秀な人材は簡単に得られないのである。
会社でも国家でもどこでも求めている,その優秀な人材を得られれば会社も国家も株が上がるからだ
例えば医者でも一人の優秀な医者がいると例えば手術がうまい医者がいるとその病院の株は上がる,南相馬市では脳外科で脳出血関係で手術がうまい先生がいてその人がいたから脇に専門病院ができた,その先生に習うために若い医者も来るという
つまり一人の優秀な医者がいれば地域にも医者来るとなっているのだ
他に銀行でも投資に関しては素人並だった,投資には相当な知識と専門性が必要であるが銀行にはそうした優秀な人はいないのである。
もしそういう優秀な人がいれば投資関係でも銀行はもうけられるとなる

人間は簡単に優秀な人は得られない,するとどうするのか?
AIに優秀な人の代わりになってもらいうということになるのだ
いくら優秀な医者でも手術がうまいとしてもその数をこなすのは限られている
優秀な人はものすごく忙しくなる,優秀な手術のうまい医者にみなしてもらいたいからそうなる
するとAIにその代行をしてもらうとなれば好都合なのである。
Aiだと休まず24時間働いても疲れないからである。

自分もプログを三つくら一日アップすると疲れる,家事もしなければならないしそんなに一人の人間ができないのである。助士が欲しいがそれも簡単にはできない
金もないし家政婦も雇いない,やはり一人でやれば忙しくなる
ただインターネットだと知識吸収とか発信のスピードが早くなり効率的になる
これを図書館で調べていたら一冊一冊本で調べると時間がかかってできなくなった
家事があるので余裕がないからだ
図書館に必要なのはアルバイトの司書ではない,本でも情報化したAI化したロボットなのである。
なぜならキーワードで郷土史関係の資料でも調べられれば効率的になるからだ
まずアルバイトとかの司書などはただそこにいるだけで役にたたない,案内役にもならないからだ

ともかく優秀な人間は忙しくなる,やることが多くなる
でも助士が欲しいとかなるとその人だって優秀でないと勤まらない
それは科学者が実験している時でも弟子が助士が優秀でないと役にたたないからだ
だからどこでも優秀な人を望まれているがそんな人は簡単に得られないのである。

ただAIがどういうものか今はわからない,まず翻訳には驚いた,そのレベルが高いから学校の先生に学ぶよりいいとなる,あんなにすらすら翻訳できないからだ
他にも自分のしている抽象画も実はAIとにている,AIが創作しているのではないがソフトで制作しているからにている,これも70から80人のアメリカの人が見ているのである。
だから評価されているのかとなる,これもコンピュターが産み出した芸術でありAIと関係しているのである。
AIは人間の助士になる,知的な分野で助士になる人も簡単に得られないからだ
手術するにもAIロボットを使うのもそのためである。
それは手術の優秀な助士なのである。

AI社会とはどういうう社会なのか?
人間は優秀な人を求めてきた,でも優秀な人は簡単に得られない,するとAIに代行してもらえばいいとなる,労働者でも簡単な仕事はロボットがする
そのロボットを優秀な人が発明すればいいとなるのだ
そして優秀でない人は社会で人類でいらないとなる
なぜなら高度な知的な仕事はAIを使うからである。すべてができないにしろ助士として優秀だからである。
そこでロボットが簡単な機械的にできる仕事をさせると単純労働者はいらないとなる
働く場がなくなるとなり格差社会ちなる
でもまずみんな知的にも技術的にも優秀な人間になれるのは極一部なのである。
その極一部でもAI化すればロボット化すれば社会は回ってゆくとなる
人間はそうして優秀な人間を求めてきた,だから必然的にAI化してゆくとなったのだ

今後の社会の歪みは人工知能を拡大させ、巨大ハイテク企業が世界を制する


posted by 老鶯 at 07:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2018年06月08日

夏の桜井古墳(俳句短歌)


夏の桜井古墳(俳句短歌)

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古墳の上しきり飛び交ふ夏燕

夏の日や川海近く古墳かな

夏燕モスバーガーに休みけり

高平(タカヒラ)や桜井古墳に夏の月


我が立ちぬ桜井古墳大なりき燕飛び交いつつじ赤しも

草深く蛍袋の咲きにけり桜井古墳の夕暮れにけり

一軒の農家の古く広しかな庭に畑や夏の日暮れぬ


桜井古墳は東北で4番目に大きい,

東北最大の前方後円墳は宮城県名取市の「雷神山古墳」全長168m。次いで会津坂下町の「亀ヶ森古墳」全長127m。3番目がいわき市の玉山古墳」全長114m。同じく若松市の「会津大塚山古墳」全長114mが続く。

名取の古墳でも海側だしいわき市でも海側である。海側に桜井古墳もある
遠見塚古墳も海側である。
一方で会津はもともと国(くに)として知られていた
万葉集時代にすでに国という認識があった,だからあれだけ大きな古墳もある
その歴史は明治維新の城の落城までつづいていた

不思議なのはなぜ中通りには大きな古墳がないのか?

中通りの方が開けた地方だと見えるからだ,ただ古代に浜通りと会津が開けていた
それに何か訳があるのだろう,ヤマトタケルが海沿いに船で制服したという伝説があるからそれもかかわっているのだろう

桜井古墳の上に立つとそこからは海も見えたろうしまた新田川あり川の側だから立地的に納得する
高平(タカヒラ)というのもヒラが傾斜地という意味だと金沢の山側が傾斜地になっているからそこからなづけられた開けた平坦な土地として最初にこの辺で田んぼとかになったのかもれない
泉かんが跡もあるしそこは原町の歴史地区だったとなる

ともかくあの一軒の農家は広い,風も海側から吹いてくるから涼しいとなる
自分の場合はいつも高平は通って原町市街に入るから関心をもったのである。
あの五輪塔もあって関心をもったのである。

今は螢袋が咲いていた,これは梅雨の時期に咲く花である。

あそこは散歩するにはいい場所である,やはり人間は一番適地を選んで発展したとなる
だからその場を踏むとその土地の歴史が実感としてわかる
それは資料とか本だけ読んではわからないのである。





















下北高平の広い土地の家が壊されていた (その人にその辺のことを聞いてみた-7代目であった)


下北高平の広い土地の家が壊されていた

(その人にその辺のことを聞いてみた-7代目であった)

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高平の五輪塔
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ここは藤の花がきれいな家

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この家が壊された 端にその壊された木材が積まれている

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こういう地形から名付けられた地名なのか?



今日いつも通る原町の下高平の広い庭に藤棚がある家が壊されてのに驚いた
なんだろとう思い見たら誰か木を切ってかたづけている
そこは畑になっていてその家の土地だったのである。
それで聞いてみるとシロアリにやられて新しく家を建てるという
壊した家自体は古くない,20年とか言っていた

それでそこの家の人に聞いてみた,前にもその人とは会ったことがある

「新田川のそばに古い墓地があるんですよ,立派な大きな五輪塔があるんです
この辺は西殿といって浜の方の人に聞いたら西殿をニシドンと言っていました
この辺ではニシドンと言っていますか?」
「にしどの,ああにしどん」

何かこう言ったからやはりこの辺で西殿をニシドンといっていたのである。

「この家は古いですか」
「7代目だよ」
「じゃ江戸時代からつづいている」
「この辺の農家はあそこの家で4町でありこっちは7町とかだよ」
「広いな,やっぱりここは古い所なんだ」

近くに金沢の所に墓地がありそこに越中からなどの移民の墓誌がある
でもあそこの墓地はもともとあそこになかった,移動したという
移民の人も高平に入ってきた

「草履をぬいだ話を聞きました」
「それはいつですか」
「戦前のことだったな」
「それでは江戸時代ではない」

何か戦前でも土地を求めて古い農家で働いた人がいたのだろう

「この辺で槍をもっている人がいたよ,そこは古いよ」
「名前は」
「脇本だよ」
「その人は野馬追いに出ていますか」
「・・・・・」

それから村八分のことを語った

「それからこの辺で村八分にされた人知っているよ」
「どうしてされたの」
「その人は変り者で土橋を渡るとき誤って転げて死んだよ」

村八分など聞いたことがないが何かそういうことは村にあった
そういう話は日本の村には良くあったのかもしれない
ともかく狭い土地でいつも暮らしているから何かうまくいかないと出て行くわけにもいかないからそうなったのである

こんな話になったがその家は7代とするとそれなりに古い,確実に江戸時代にさかのぼる
とにかく蔵がありその脇も広い畑なのだから古い土地持ちの農家だったのである。
海からの風通しもいいし気持ちいい場所なのである。
あそこはいつも通っていたからあの家はずっと気になっていたのである。

そもそも高平(たかひら)の地名の由来は何なのか?
タカタイラともありタイラとヒラは違う,ヒラは傾斜地を意味しているという
ヒラはアイヌ語説になればアイヌ語由来なのか?
北海道には高平の姓が一番多い
ヒラタイというときヒラは傾斜地でありタイは平地になる
ヒラタイとういうのは一体として使われた言葉なのである。
日本には山が多いから傾斜地が多いからそういう地形が多いのである。
それで野とは傾斜地の意味だったのである。
すると高平とは傾斜地がありタイラな地形になる
傾斜地とする金沢辺りから傾斜地になっているからそこから地形として名付けられた

なぜそうなったのか?

それはまず原始時代から自然をみるとそこも湿地帯だから高い所からその地形を見て名付けられた、どうしても傾斜地とすると金沢の方の高台の方から見た地形なのかとなる
高平地区はとにかく桜井古墳も近くにあり泉かんが跡もあり古い地域なのである。
原町の歴史地区なのである。
それが具体的にわかりやすいのはあの五輪塔なのである。
あれは南北朝時代のものであり相馬氏が入り西殿となづけられた
あの辺ではニシドンと言っていたのである。

前にもあの辺りだと新田川の橋を渡ったところにも古い家があった
六号線かあってもあそこはもともと農家があった田んぼと畑だったのである。
そこで古い馬頭観音が畑にあったのでそのの由来を聞いた
そしたら火事があって馬が焼けたということで供養したのだと聞いた
あそこの家は升形の紋が蔵にあり古い家である
ただ脇本という姓の人は野馬追いには出ていない
そこがどうして古い家なのかは不明である。

つまり高平一帯で三軒から自分は直接話を聞いたのである。
するとバズルのようにその地域の歴史を編むようにつなぎあわせることができる
ただそれもこの辺では鎌倉時代から南北朝頃からでありその前は歴史的に残っていても何か具体性に欠けるのである。

いづれにしろ郷土史はこうして直接その土地の人に聞かないと具体的にイメージできないのである。
そうして聞く機会がなかなかない,たまたま家が壊されていたので驚いて聞いてみたからできたのである。

posted by 老鶯 at 18:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

大草原のローラ様とアシオ様のコメントがありました (遅くなりましたがレス(返信)を書きました)


大草原のローラ様とアシオ様のコメントがありました

(遅くなりましたがレス(返信)を書きました)


自分のプログはめったにコメントがないので見ていませんでした

「今日の一句一首」は特にありませんでした

今回コメントがありましたので遅くなりましたが返信しました

コメントがあれば返信をしますが全部にはできません

やはりコメントがないとどういう反響があるのかわからないですから困ることはあります
ただアクセス数を見ているだけですから

アクセス数はページビューは最近かなり減っています

ただ訪問者は増えています,ページはあまり読まれなくなったが

訪問者は増えている、だから必ずしも減ったとはなっていない

おそらく「心の青雲」の読者が多かったということで著者が死んでからこっちにもアクセスがあったのかしれこません

その分析ができませんが・・・コメントが一人でもその関係者だったということでもそうかもしれません

プログは何かリンクされないとなかなか読まれないですから・・・

遅くなっても一カ月後とかでも返信をすることはあります

ですからそういう間隔でも返信があるということは知ってコメントしてください

「今日の一句一首」の方はコメントはほとんどなかったですから・・・

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posted by 老鶯 at 10:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記