2019年12月20日

日本の戦後経済の復興した理由 (預金封鎖が再び来る!)


日本の戦後経済の復興した理由

(預金封鎖が再び来る!)

afterwar1.jpg

第25話・地獄の財産税法預金封鎖と預金税【後編】

これは連載であり長いから読み応えがある
一冊の本と同じである
なぜ戦後復興できたのか?それが今の日本のヒントになる
そういう大改革が痛みがともなってもその後に復興するということを説明している

J-reitを売った、全体的には損しなかった
でも株が倍くらいにあがったからもしその株を売っていたら相当な利益になった
分散投資と言っていたのに銀行員自身がそれを守らなかったのである
自分の都合でノルマのためにJ=REITに回した
だから投資の基本は分散投資だし財産を守るのも分散させることだと思った

なぜなら2020年に預金封鎖とか株価暴落とか悪いことしか専門家が言っていないからだ
中国の経済状況も悪い、アメリカの株価もバブルだし日本でもそうである
めのために何か給料が上がらないのに景気の良さを感じないのに株だけが上がっているのは危険な兆候だとしている
グラフで分析しているから何か納得する

預金封鎖がある!

これが心配になってきたしそれも単なる憶測ではない、専門家がそう言っているからだ
経済は金融のことを知らないと理解できないという

ここのサイトでは経済はエネルギーと金融だという、日本が戦後復活したのはエネルギーとして石炭があり金融政策がうまくいったからだとしている
金は血液と同じでありこれがまわらないと経済は死ぬから金融が要になるとしている
そういうことで国際金融資本家がグロ−バル経済の要にあり富を総取りするようなことが起きていることが納得する
それで銀行はつぶれないとしている、なぜなら国の税金が投入されるからだという
それだけ金融が国家にとっても大事だから銀行を守るといっている

エネルギーが国家を支えるという時イギリスでも炭鉱があり蒸気機関車を発明して運営できた、石炭がなければできなかったからだ
日本でも福島県だと常磐炭鉱が有名である
炭鉱という時何か戦後まもなくはいたるところで炭鉱を探していたのである
私の町でも探していた、それだけ石炭を必要としていたのである
そしてたいがい鉄道は石炭を運ぶものとして開かれた
乗客ではなく石炭を運ぶために開かれたのである、小樽とかもそうである
北海道は石炭のために鉄道が開かれたのが多いのである
乗客を乗せるためのものではなくまず貨物輸送であり石炭を運ぶためだったのである
私の学校時代でも石炭を使ったストーブであり蒸気機関車を利用して学校に通っていたのである

戦後なぜ日本が復興したのか?

それはあらゆるものが焼野原になりそこから新たな再生があった
既得権者が財閥とか地主とかが力を失った、結果的にそこで新しい企業が生まれて活躍して高度成長時代を築いた
農地改革も行われて小作が土地をもてるようになったことも大きい
なぜなら地主と小作の格差が大きかったからである、だから小作の恨みがどこでも大きかったのである、農業は土地が資本だからそもそも土地がないことには豊かにはなれないからである

結局日本の戦後は幸運だったのである
一見最悪の状態だったが復活したのは既得権者が解体されたり政治的にはソ連との冷戦になり共産主義に世界が赤に染められるとしてアメリカが対抗して日本がその防衛の最前線になったためである、政治的に保護されて経済的にも有利に働いたのである
このサイトでは朝鮮戦争の特需で日本経済が復活したのではないというのもそうだったのかとなる

こういう歴史は団塊の世代の親が経験しているから身近なのである
私の母親は原町の原町紡績で10年間糸取りしていた、それから女中として東京で働いた
そこで結婚したのだがその夫は事故で死んだ
その時かなりの額の金を会社からもらった
でも戦争で預金封鎖になり残ったのはその金で故郷に買ったわずかなの土地だけだったのである、その時みんな金をもっていても本当にそれが紙切れになったからである
だから預金封鎖は金がある人にとっては恐怖である

でも預金封鎖が全部悪いというのではない、荒治療だけど効果も大きい
つまり戦後のように大改革になり結果的に格差も解消されるということにもなる
いくら格差を解消しようにも戦後のような荒治療をしなかぎりできない
ただ戦後はそもそもみんな焼野原で何もなくなったのだからそうした荒治療する前に
戦争によって荒治療された状態になっていたからやり安かったのである
反対することもできない状態だったのである

でも今は安定社会であり一億円以上もっている人は相当に不安になる
また反対するだろう、下層階級でも影響が大きい、預金封鎖の結果どうなるか誰もわからない、ただ金を持っている人は持てるがために恐怖になる
金持ちは常に金が減るという恐怖にさらされている、人間の心理として一旦金をもつと減らしたくないのである、それが億とかさらにそれ以上の金でもそういう心理が働くのだ
金はあるはあるでそれが不安の種になる、なければないでまた苦しむ
人間に何であれ完全な安心を得ることはできないのである

とにかく預金封鎖は金持ちにとっては税金が80パーセントとかかけられたりそもそも金が国によって没収されるのだから恐怖である
ただそれによって法外な金を持つ人から金は奪い平均化できる
だから貧乏な層にとっては苦しいにしろ悪いことともならい、何より格差が解消するからである

だからこういうことは世界的にして極端な格差を解消させる、国際金融資本とかから金を奪い貧乏な層に金を回すということで今の資本主義が守るともなる
ベーシックインカムより有効になるのかとも見る
何かそうした荒治療をしないかぎりもうグロ−バル経済は資本主義はもたなくなっているからだ、自由主義でも自由市場にまかせることは限界に来ているのである
もうグロ−バル経済は格差を拡大してとても公平さを保てないのである
すると強権で預金封鎖とかしない限り破綻してゆく
そういう岐路が今来ているのだと思う



posted by 老鶯 at 18:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2019年12月19日

岩の具象画をソフトで変化させると原画より良く見えた


岩の具象画をソフトで変化させると原画より良く見えた

When the concrete picture of the rock was changed with software, it looked better than the original picture 

rockppp111.jpg



buidstonee1123.jpg

私は石と岩に興味がある、それでインタ−ネットで検索していたらこの絵があった
これは抽象画ではない、具象画でもソフトで変化させたら変化させた方が原画より良く見えた
これは著作権違反になるにしろソフトで変化させた方がいい絵になっている
こんなこと今までありえなかった
偽作というのはある、でもそれとも違う、かえって原画より良くなっていることはありえなかったからである
だから二次製作でも二次製作の方が優れている
それはコンピュターの技術がもたらしたものである
何か絵をコンピュターで分析する作業ができるようになったし実際にコンピュターが本物の絵からまた新しい絵を作り出しているのも見たからだ
これはただ試しに出して検討してもらいたいからあえて出したのである

I'm interested in rocks and rocks, so when I searched on the internet I found this picture
This is not an abstract picture, but even if it was a concrete picture, if it was changed with software, it would look better than the original picture
This is a picture that should be changed with software even if it violates copyright
This has never been possible
There is a counterfeit, but it is different, because it could never be better than the original.
So even in secondary production, secondary production is better
It is a result of computer technology
I can now analyze some pictures on my computer and see that the computer is actually creating a new picture from the real picture.
This was done just because I just wanted to give it a try and have it considered.

rockpsattern11.jpg


mountainblackkk1.jpg

silvermountain111.jpg

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Unexplored mountain


東西文明の橋渡し役が日本だった-内村鑑三の言葉 (それは今も変わりない、だから米中の仲介役ともなる)


東西文明の橋渡し役が日本だった-内村鑑三の言葉

(それは今も変わりない、だから米中の仲介役ともなる)

東西両洋の間に介して西を招き、東を弁じ,両者の暴を和らげ,後者の迷を解き二者の配合を計るは日本をおいて他に国民あるを知らず余輩は信ず、泰東の六億の生民は我ら日本人の蹶起活動にうながしつつありと
日本は亜細亜の正門を守の国なり
我らの一挙一動は我らの威厳に関すること多し(内村鑑三)

日本の明治時代はまさにそういう時代だった、西洋文明の挑戦を受けて日本文明が応戦した時代である
東を弁じる、両者の暴を和らげる・・・・とかなるのは何なのか?

そもそも東洋といってもそれが一体何なのか、アジアとは何なのか?
それ自体が大きすぎて不可解になる
ただ歴史を振り返れば日本文明とは何かとなればそこに縄文時代が一万年あったとされるそこでは争いがほとんどなかったとされる

それはなぜなのか?
それは老子のいうように小国寡民が実現されていたからである

小国寡民
什伯(じゅうはく)の器有れども用ゐざらしむ。
民をして死を重んじんて遠く徙(うつ)らざらしめば、舟輿(しゅうよ)有りと雖(いへど)も、之に乗る所無く、甲兵有りと雖も、之を陳(つら)ぬる所無し。

民をして復た縄を結びて之を用ゐ、其の食を甘(うま)しとし、其の服を美とし、其の居に安んじ、其の俗を楽しましめば、隣国相望み、鶏犬の声相聞こゆるも、民老死に至るまで、相往来せざらん。

住居跡などから割り出してみると、日本の人口密度は狩猟採集社会としては、世界一高かったといわれる。ところが縄文時代も晩期に入ると、その人口が一気に減少する。それも26万人の人口が、8万人にまで落ちてしまう急激な減少だった。

その原因が自然災害とかあり食料不足などで急激に減ったのである
それにしてもそんな人口で住んでいたということ自体イメージできないのである
そこでの暮らしが本当に貧しかったのかどうかわからない
例えばそれをイメージすると私の家とか戦後何もない時代があった
その時私の父親はアユ釣りとか鰻釣りをしていてオカズにしていた
その時鰻でも鮎でも御馳走だったのである、それは天然の物でありうまかったのである
鰻釣りは不思議だった、田んぼの畦道の穴に餌をつけた棒をさしこんでとる
そんなとこに鰻がいたのかとなる、今は全くいないからである
今や鮎すらいなくなった、津波以降全くいなくなった
鮎の稚魚は放流したのだが育っていない、ただこれは放射能の影響だけではない
鮎が各地でいなくなっているのである

縄文時代の生活になるとそれを具体的にイメージするのがむずかしくなる
だから謎になる、でも日本全国に20万人くらいしか住んでいなければかえって魚でも鹿でも採集する木の実でも豊富だったとなる
おそらく狩猟採集生活だと移動もしやすい、未開の地がまだまだあったからそこで食料を得られる
人間一番の問題は食料を確保することである、それができれば人間はそんなに争わないとなる
そうして縄文時代が一万年とかつづいたのは争いがなかった
それは自然の理の中に治まっていてそうなったとなる
老子の小国寡民の世界が実現していたのである
もちろんそれが理想社会でもない、ただそんなに長く戦争がなかったということが特筆すべきだとなっていたのである、ただ意外と自然災害に弱いから半分以下に人口が減ったのである

人間が弥生時代になり稲作をはじめたとき争いが始まった
稲作とは土地が必要でありそこに定着する、そこで土地の奪いあいや土地をめぐって争いが起きる、アフガニスタンでは水をめぐって争いが起きて中村哲氏が殺害された
そういう争いが稲作では起きる
それが発展して土地を治める主君が殿様がいて封建時代がはじまったともみる

それは大陸だとなぜあれだけ絶えず戦争がくりかえされたのか?
それはまず食料の確保のためであった
モンゴルなど遊牧民は定期的に食料不足になり農耕民の中国を襲ってくるために万里の長城ができた
歴史を見る時、その生活形態の方が大事である、その生活形態が文化であり文明となる
狩猟採集と漁労と遊牧民(牧畜民)と農耕民がいてその生活形態が違うから対立が生まれた
それで聖書でもカインが野菜を神にささげてアベルは羊をささげた
でも神がよみしたのはアベルだったのである、その理由はともかくここに農耕民と牧畜民が分かれたことを示している
そして遊牧民はモンゴルのように馬を使って大陸を移動して征服する民族に自ずとなったのである

世界を見れば必ず牧畜民がいる、遊牧民がいる、ヨ−ロッパにも今でも羊を飼っている
ヨ−ロッパは最初は狩猟採集民族でも牧畜民、遊牧民が先祖だった
それでドイツ語には秋という言葉がないというとき農耕民だったら収穫するということで秋があるのにない、それは狩猟採集遊牧民であったからだとなる
それを民族にするとアーリア人だとなるが遊牧牧畜民という生活形態をもった人たちのことなのである
なぜアーリア人が野蛮で攻撃的で戦闘を好むというけどモンゴルを見ればわかる
そういう生活形態が自ずと戦争に適したものとなっていたからそうなったのである

農耕民のような特定の村落共同体の帰属意識は小さかった
しかし家畜の群れを統率するリーダーが必要になった、見知らぬ人と出会い、異なる民族と接触する機会が多い牧畜民は不測の事態に守る武器を必要としていた(大河文明の誕生-安田喜憲)

この遊牧民牧畜民はヨ−ロッパでもアメリカでもその末裔である
なぜなら握手を交わすという習慣があるところは見知らぬ人でも握手することで危険ではないとうことを示すからである
握手という行為は敵ではないですよは相手納得させる儀式でもあったのだ

いずれにしろ日本の文化は歴史は世界と比べると特殊なのである
その特殊性は日本という島国で他国から攻められないとかの地理的なものである
縄文時代一万年が争いがなく、また江戸時代300年も争いがないというとき海に囲まれて守られていたためなのである
だからこういうことは本当に世界では特殊なのである

必ず大陸だと民族が混交してくる、他国から攻めてくる、インドでも原住民のドラビダ族とイスラム系の民族がアーリア人なのか混交してできた
西洋的な顔つきを見ればわかるのである、何か東南アジアは西洋的な顔つきの人がいる
だから東南アジアではいろいろ民族が混交したのである
日本でも縄文時代とかでもいろいろな民族が移動して混交した
でも日本の場合はそうした民族の混交がわからなくなったほど一つの民族化した
すでに縄文時代に縄文人は一つの日本人となっていたのである

東を弁じ,両者の暴を和らげ,後者の迷を解き二者の配合を計るは日本をおいて他に国民あるを知らず

明治維新から今でもその課題は日本にあり日本の使命ともなっている
そして中国人がきて敵の死者まで祀っている、敵味方塚があるのはありえないとししている、中国でも墓を暴いても罰しているからである、攻め立てているからである
こういうことがあるのはまさに日本の歴史と文化なのである
それは日本人同士ならそうなっていたのである
ただ日本人は異民族と熾烈な争いを経験していなかったのである
だから異民族にどう対処していいかわからなかった
そしてなぜ大東亜戦争が起きて300百万人が死んだのか?
そのことが今でも大きな問いとなっている
西洋の暴に対して暴と対処したからなのか?
ガンジーは無暴力で独立を勝ち取った、それはまさに東洋的な平和志向で勝ったとなる

東洋というときインドの仏教とかに発している、ただ宗教というときそれはアジアがオリエントが起源だとなる、イスラエルもアジアだからである
だからキリスト教でもヨ−ロッパがキリスト教国家となったときそれはローマ帝国を経て政治的なものとししての支配体制として組み入れられた
だからその宗教はまた別物だともしている

東洋という時どうしてもインドの思想が基になり中国でも老子とかの思想が東洋的だとなる、それは侵略的暴力的思想ではない、平和志向があり暴で治めるのとは違う世界であるそれを実行したのがガンジーのような人だったのかとなる
大航海時代からヨ−ロッパの暴力的進攻により世界が支配された
その暴力に暴力で対抗したのが太平洋戦争の日本だったともなる
そこでは一億総玉砕の危機にあった
つまり民族殲滅の危機にあった、そういうこと世界史では大陸では起きている
民俗と民族の熾烈な争いが聖書に記されているからである
日本もその熾烈な民族の争いの中にまきこまれたとなる

いづれにしろ内村鑑三は日露戦争は経験している、これには反対していた
これも日本人全部が熱狂していたとき覚めて反対していたのである
その日露戦争の勝利が太平洋戦争にも結びついたとなる
日露戦争もそうだが太平洋戦争で本当に世界史の舞台に登場したのだがそれで民族殲滅の危機にさらされたのである
だから太平洋戦争は世界史として日本を見るべきであり日本がだけから見えないのである世界史的に日本の戦争はどうだったのか、その意義はなんだったのかと問うことになるし世界から問われるのである

日本の歴史文化の特殊性は平和を長く継続していたことにあった
それは島国という環境で育まれた一つの文化だったのである
でも欧米の挑戦を受けて日本は応戦して敗れたのである
ただ内村鑑三が言ったことは今でもそういう立場にあるのだ
なぜなら中国とアメリカが対立するとき日本に仲介を求めるいうのもそうである
日本とはそういう立場にある、アジアでそういう立場に最初から明治からなっていたのである、つまり米中の対立を和らげるのは日本だとなる
両方の暴を治めるのは日本だともなる、それが日本の位置でありさすれば日本は重要な要の位置にある
内村鑑三が言ったことは今は通用しているのである

いづれにしろ世界史は小国寡民の全く逆に進行したのである
それが極点に達したのが第二次世界大戦だったのである、グローバル化だったのである
グローバル化は奨励されいいとされるしそれがなくては世界から取り残されるとなって
日本でも明治維新が起きて西欧化に邁進したのである
でもグローバル化はかえって熾烈な世界戦争に発展したのか?
そして老子の言うような結果になった、2000年前にそれを予言していた驚きである

西欧文明に世界史が席巻されたのが20世紀である
その暴に世界が巻き込まれたのである、日本もその暴にまきこまれて第二次世界大戦に突入した、もしヨ−ロッパ列強がアジアに進出しなかったらこういうことはなかった
アジアは蹂躙されることはなかった、
実際にヨ−ロッパ列強がアジアよ進出しなかったらどうなっていたのか?
別にアジアはアジアで戦争は起こらなかった、現実に江戸時代は中国とも韓国とも友好関係にあったというより没交渉だったからである
それで平和が保たれていたからである
だから世界史的に明治維新でもアジアの歴史でも見直すことが必要になっている

グロ−バル経済とか自由市場とか貿易がいいようにみえてもそれが世界的格差となったり衝突が激化して最終的に戦争で解決するようになる
そして民主主義国家とか国民国家とかの弊害も歴史をふりかえり反省する時代になった
なぜ内村鑑三のような人物が輩出したのか?
それは江戸時代300年で培われた日本の文化がありそれは西欧の挑戦を受けてキリスト教を受け入れた、その基に侍というエリート階級がいて成されたともなる
内村鑑三は幕臣であり明治維新というとき薩摩長州ばかり注目されるけど幕臣も明治維新を推進した人たちだったのである
要するに明治維新から国の指導者に侍はいなくなったというとき何かそれが太平洋戦争で敗北した、またはその戦争自体へ突入することを誤ったとなる
だかか内村鑑三は絶えず薩長政府を批判していたのである
そして日露戦争でも非戦論者になっていたのである





2019年12月18日

買い物でもそれを使いこなすには工夫と知恵が必要


買い物でもそれを使いこなすには工夫と知恵が必要

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まずヤマハのYPJ-XCk電動自転車を買ったけどこれの弱点は荷物がのせられないことだった
だから近くだといいが原町まで買い物に行くのに不便なのである
またスタンドがないので意外とこれも不便だった

だからこの自転車を利用するのに結構手間だった
なんとか前の方に荷物を入れるもの通販で買った
それでも原町まで買い物に行くと荷物を載せるには限度があった
でもこれだと楽だから行ける

今日が短いから夜になることがある、夜は自転車は相当に危険になる
それでライトがなかったので側溝に転倒した
これは実際は頭を打ったりしたら危険だった
前にも側溝に落ちたりしたから意外と自転車は側溝に落ちることがあり危険である
それも必ず夜なのである

そこでライトがあったがこれが近くの自転車屋では光が弱いのである
それでまたライトを設置するのがめんどうなことがあり
ヘッドライトを買った、1400円でいいものだった
ただ通販でも買い物でぱ失敗する
これは50グラムで軽いから気にならないので良かった、それなりに明るいので安全である、頭に光るので車からも見やすいとなる
自転車のライトというときどうしても自転車につけるものだとばかり思っていた
でもヘッドライトの方が良かったのである
何かこの自転車を利用するにはいろいろ足りないものがあり苦労した
でも楽に走れるのでこれなしでは今は生活に支障をきたすのである
これはマウテンバイクなのだが老人用だったのである
それで同級生の脳卒中になった人も買って喜んでいたことでもわかる
つまり病人にもいい自転車だったのである
老人向きの商品がないというときこれは実際は老人向きだったのである


kameradiji1.jpg

これは薄くて写真もきれいなのだけどもちにくいのとシャッターボタンが小さいから押しにくい

coolpixnikon11.jpg

これはデザインもいいし持ちやすくシャッターボタンも押しやすい
ただ乾電池だけの充電ではだめだった
一長一短はある


それからカメラではソニーのサイバーショットは薄くて軽いしいいものだが
もちにくいのとシャッターボタンが小さすぎるのである
ボタンが小さいから押しにくいのである
それて平板でありもちにくいのである

それでニコンのcoolpixを買った、それは乾電池で使えるものだった
ところがこの乾電池がしょっちゅう切れるので交換しなければならず金がかかるの弱点だった
デザインとボタンは押しやすいから良かった
そして乾電池でも家で充電できるもの両方を備えたものがあることを知った 
外に出るとどうしても電源が切れることがあるのでこれならいいと思った
ただ今回はまたcoolpixを中古で買った
楽天市場とかで安く買えるがセリになるとめんどうだからやめた
ただ7000円というの高いと思った、中古だったもっと安いはずだからである

なにかこうしてカメラにしても買うことがむずかしいし使いこなすのが苦労になる
ましてやパソコンはその物を買っても使いこなす方がむずかしくなる
それでもう金がある老人でも買うことかできても使いこなせないのである
それで中国では二割の老人がスマホ社会化した中で何もできない、IT弱者となり買い物すらできなくなっている、全部スマホで済ます社会になっていたからである
老人は何か物を買っても使いこなせない、だから金があっても買わないとなる
動画になると何かめんどうになり使いにくくなる
それで街の商店ではその使い方とか何かわからないことを教えることで高く売っても売れているというのもわかる
誰も使い方は教えてくれないからである
まずパソコンになると本当に使いこなすことがむずかしくなるからだ

いづれにしろ人間はいくら機械化してもIT化AI化してもそこでたりないものが生まれる

bamboooo11.jpg

手作りの仕事は必ず残る

家の中を棚とか自分で作り改造した、それはその家にあったように作らねばならないからできあがった家具を設置するというわけにはいかない
家具も何か自分なりに使いやすい、その部屋にあったものとなるとないのである
ただ家具などは家でもどういう構造になっているのかわかる
だからある程度日曜大工でできることがある
つまりどうしてもすべてが機械でできあがったもので完成品ではできないことがある
例えば田植えでも機械でするにしても必ず機械でできないも部分が残る
そこは手で田植えしなければならない、それは中国ではコンバインで麦刈りをする
でもコンバインの入れない土地がありそこはやはり出稼ぎの人が人海戦術でしていたのである

それから大工でも何か家のことを細かい所を直したり修理したりする人がいなくなっている
今の大工はただプラモデルのように家を組み立てるだけである
そしたらそこで大工の技はみがけないのである
それで昔は金持ちの家でそういう技術を磨いたというのもわかる
その大工の仕事は名前入りで残っていたりする、百年名家とかの番組で放送している
そういうことで金持ちの役割もあったとなる
なぜなら金持ちの家では大工を雇っていた家もあったからだ
そうなれば十分に工夫もできるとなるからだ
今は大工はもう組み立て屋になってしまって技術自体がみがけないのである

とにかく今は通販があるからいろいろな物は手に入る、でも必ずその物を使いこなすには
その人なりの工夫があって使えるのである
そういうことで必ず人間の仕事がなくなることはないのである




2019年12月17日

死者を愛しつづけることができるのか? [わたしたちは愛においていかに死者を憶(おも)うか(キケルゴ-ルを読む)]


死者を愛しつづけることができるのか?

[わたしたちは愛においていかに死者を憶(おも)うか(キケルゴ-ルを読む)]

●死んでみればどんな人もあっけない

人間は死んでみると実にあっけないことに驚く、生きているときは大騒ぎしても死ぬと全く信じられないほどあっけないことがわかる。灰となり煙となり終わりである。姿も形もなくなる。そしてあとは何もない、沈黙して終わりである。こんなに人間はあっけないのかとあきれるてしまうほどである。認知症になるとまわりに大変な迷惑をかけるが死んでみると全くそれも嘘のようにあっけない、死んでみればどんな人もあっけない、それは地位ある人もみんな同じである。人間の一生なんて大騒ぎしてもこんなにあっけないのかと唖然としてしまう。人生はこんなものなのかとむなしくなってしまうだろう。どんなに生きても人間は死ねばあっけない、この世で功績を残した人でもあっけないのである。そういう点で死は平等なのかもしれない、死はありふれているしどんな人も死ぬ、人間はどんなにがんばってもはかないものだとつくづく思った。そんなはかない人間がこの世でじたばたしてもはかない、むなしいと思う、何にしろしょせん、塵となり煙となるにすぎないではないか、つまり人間はどんなに生きてもどんな人の生も最後はあっけない死で終わりむなしいとなる。この世に受けた生ははかないものでしかすぎなかったのである。また一人死に自分も近い内死んでゆく、それは逃れられない人間の定めである。

だからこそ永遠の命を求める信仰が必要になる。この世限りの生はどんなに生きたってどんな人だってはかなくむなしいのである。死を見ればわかる、あまりにもあっけない、あまりにも無惨だった。人間はどんなにもがいても死ねばはかないもの、あっけないもの、死んだら何にもない、それだけのものにすぎない、あなたが求めていること焦燥していることは実際つまらないことである。最後はみんな塵となり煙になるだけではないか、何を成そうとしてあせるのか?この世にあせって成そうとするようなことはなにもない、結局人間の行き着く先は死なのだから、死の克服がない限りこの世をどう生きようがむなしいとなってしまうのだ。社会をどうのうこうのと言っても結局社会自体は死の問題を解決することはできないのだ。カルト宗教団体は社会改革を目指す、創価なんか特にそうである。宗教とは関係ない、カルトは社会改革を目指し傾向があるのだ。集団化するとそうである。宗教は政治で解決しない問題を追求してきたのである。

●生前と死後の継続

ただまだまだ死んで間もないとあっけない死でもその人を想いつづける日はつづく、新年もまた死者とともに明ける、いくら死があっけなくても死者との思い出はなおつづくのである。死んではじめてその人が自分にとってどうい人だったかわかる、生きているときは意外とわからないのである。60年一緒にいてもわからない、その人が死んだとき本当に痛切にわかることがあるのだ。だから人間の関係は死があっけないにしてもずっとつづいているのだ。死によってその人が自分にとってかけがえのない人だったことを気づくこともある。結局死の残酷さどんなに今や思ってもその人自体には会えないということにあったのだ。夫婦で喧嘩したり親子で喧嘩してもあとで反省して仲直りもできる、でも死んだ人とはできない、その人と永遠に会えないのだから和解もできなくなる。後悔しても相手は死んでいるのだからわかってもらえない、死んだ人と語っても返事がないのだ。だからわかってもらっているのかどうかわからないのだ。

あなたは私に対して介護で冷たかったね、だから呼びかけても返事しないんだよと死んだ人が思っていたら衝撃になる。そういうこともありうるのだ。生前冷たくした人がでは死後はどうなのか?やはりいくら死者に語りかけてもいい返事はかかってこないかもしれない、死者は何も言わないにしろそう語りかける人自体がそう感じてしまうだろう。やはり死者は語らない、返事がないにしろ真心で語りかける必要がある。死んでいる人に自分の心を偽ることはできない、死者は厳粛に見ている、死者に手を合わせることはやはり生きているときとは違う神仏に手を合わせるような気持ちになるからだ。あんたは生きているとき冷たかったね、あなたの心を私は知っているよ、しらじらしいとなる、そう思われたら見抜いているとしたら神仏に手を合わせることはできないだろう。死者は今や介護される必要もない、手をわずらわすこともない、では何を求めているのか?生前から継続する真心を求めているのだろう。あなたは生前良くしてくれたな、私はわかっているよ、ありがとうと感謝の気持ちが死んだ人から伝わるようだったらいい、でも自分にしてもそこまではしていなかった。家に帰りたいと言っても家庭事情でできなかったし病院での介護もそんなにしていないともいえた、ただそういう落ち度があってもわかってくれよなと願っている、認知症になったのだから直ったら事情をわかって感謝もしてくれよなともなる。
いづれにしろ老人の介護は死と結びつくものとしてある。それは介護している人が死んだ時わかるのだ。これは施設でも別に親族でなくても世話した人が死ぬことはやはり厳粛なものであり同じなのである。 山姥伝説は親を蓮台野に捨てたことが基になっているという、捨てた親が山姥となり恐れられた結果だという、これもわからないが人間の心性はそもそも変わらない、伝説も何らか人間の変わらない心性があるからこそ突飛なものでも理解できるのだ。あくまでも人間が作ったものだからである。死者への恐れは共通してあるからだ。

●キケルゴ-ルの死者の対処方法

死者のために声をひそめけ泣け、彼は安らぎに入ったのだから」

ひとは死者を想いつつ声をひそめて泣くべきであり、しかも長い間なくべきである

死者を憶(おも)うことは愛の仕事である。

死者はいかなる仕方でも報いるということをしない

死者はいかなる禍もこうむることがない、しかもこれほど容易にその人の遠ざかることのできる相手をもたない

死者の見開かれた眼をのぞきこんで嘲笑することはできない

私たちは愛において死者を想うことはもっとも信実な愛の行為である

死者を恐れよ、彼の狡猾さを恐れよ、彼の確固たる態度を恐れよ、彼の強さを恐れよ、彼の誇りを恐れよ

たとえ死が私たちの現に見ている人々をわたしたちから引き離すとしても彼らを愛するという義務はなくなりえない、なぜなら義務とは永遠であるからである。

人間が死んでしまうこと、これが何を意味しているのか、一体死者はどうなったのかなど理解することは簡単にできない、死者については霊媒者とかいろいろ語るけどわからない、キケルゴ-ルの言う死者についての話はわかりやすい、インタ-ネットで死別のことでいろいろ語っている人がいる。慰めている人もいる。そういうなかで10年とか20年とか想いつづけている人もいる。そんなに想いつづけられるのか、死者もそれなら幸せだと思ってしまう。たいがい死者とは死んだ時点でも忘れられてしまうことがある。肉親でも死んだら財産の方の話になり金にしか関心がない人も多いのだ。一方で逆にいつまでも死者を想いつづけている人もいる。それでは病気になってしまうという人もいる。確かに延々として死者を想い泣いていたら現在の生活に支障をきたす、もっと現実を生きろとなる。一般に死者を想い続けているのは若いとき死別した人なのである。老人の場合は少ない、天寿を全うしたんだからこの世に未練などないから想いつづけないことがある。これは個別にみんな違っているから外からは計りにくい問題である。死者でも障害者、知的障害者でもいつかは死ぬ、そして認知症になって死ぬ人もこれから多数になる。そういう人もやはり死者はかえって威厳あるものとして生者と向き合うようになるのだろうか?死者は区別がないのだろうか ?生前にノ-ベル賞をもらった人は優秀な人も多々いるし市井に極平凡に掃除婦などとして終った人も多数いる。そういう人も区別なく死者は威厳あり恐れるものとなるのか?死者はそうかもしれない、この死者は特別偉いというのではなくキケルゴ-ルの言っているのは一般的な死者のことである。

いづれにしろ死者はどうしたって忘れられる存在である。そのなかで死者を想いつづける人は相当に死者を愛している人だったとなる。でもそれは生前と関係してそうなっている場合が多い、生前に愛し合わないものが死んでからその人を愛すことがありうるのか、それはなかなかできない、生きているとき、生前愛さない人は死後も愛さないのである。認知症になったとき長年親しんだ人もよりつかなくなった。やはり死後もその人たちは死者を想わない、やはり生前と死後は連続している。認知症になったような人は死後はどうなるのか?回復して正気にもどりまた賢い威厳あるものに戻っているのか?やはり死者には変わりがない、死んでから馬鹿のようには扱えないものになる。死者はみんな厳粛なものになるからだ。死者を嘲笑したりできない、知的障害者でも認知症の人でもそうなる。この人は馬鹿だった、死んでからも馬鹿だとは言えない、死者とはみな平等なのである。

死者の見開かれた眼をのぞきこんで嘲笑することはできない

二カ月間意識失ったとき眼を開くのだがそれが魚の死んだような眼だった。それをみたときまともに見ていられない、気持ち悪いものだった。でも自分は眼を開けと開かせたのである。手も握っていた。手はまだ血が通いあたたかかった。そのあたたかい手をにぎり最後は手は冷たくなり死んでいった。そこまで生きていたし生きる交流はあったのだ。このとき死んでいなくてもその眼をのぞいたときこの言葉を確かに感じた。半場死んでいたのでありその眼を見て嘲笑はできない、半場死人になっていたからだ。死者を誰も笑うことはできないだろう。認知症だと生きていれば馬鹿を言うが死んでしまいば馬鹿なことも何も一切語らないことは他の死者と同じなのである。そこに死者の共通性がある。死者は一切語らない、しかし死者は何も見ていないのか?死者は見ている、まるで外観ではない、神は心を見ているというごとく生者を見ている。それゆえに死者は恐るべきものである。あなたの誠実と不誠実を見ているし知っているとなると偽ることができないとなるとそれは神がみていると同じになる。それゆえに死者を恐れよとなる。 そして生と死が連続したものであるときまた生者も軽んじることはできない、生者も死者になるからである。生者だけを重んじ死者を重んじないまた死者だけを重んじて生者を重んじないということもできないのである。いくら死んだからといって生と死は断絶したものとしてはないからだ
時事問題の深層からの転用です



前のホームページからプログに移した、まとめ作業をしている
それも膨大になるとまとめること自体がいつまでも終らないとまでなる
これが自分自身が書いたのを忘れていたのである
自分が書いても忘れているのが結構あるので読み返しているのである

理系と文系の謎 (経営者が理系が向いているのか?)


理系と文系の謎

(経営者が理系が向いているのか?)

その人は理系である、電気の一級の資格をもっていた、だから建築関係の会社をたちあげた
でもその人は経営者では失格者であった、まず経営するにしてもその動機が
「自分は優秀だから、会社経営も簡単にできる、自分の頭のいいことをみせてやろう」
そんな動機だったのである
そこからして間違っていたのではないか?
その人は別に会社で雇われて理系の技術者として働いていれば問題なかったのである
給料も良くて田舎では恵まれていたのである
とにかく今の社会は電気社会だというとき電気関係で働く人が多いのである
それで原発では事故が起きたとき1000人も電気関係者が働いていたということでもわかる
エネルギーが石炭の時は常磐炭鉱のようにそこで大勢の人が働いていたのである

最近IT社会とかAI社会になるとどうしても理系が重んじられて社長にもなっているというでも何か理系というと機械マニアとかいたりして社会にうといというか無関心になる
だからこそそういう人はそういう人で貴重だと言う人がいる
それこそ日本の製造業を支えているのだという
つまりそれはそれで容認されていいとなる

でも経営となると何か違ってくる、細部の機械の部品に異常にこだわったりしている人が経営者になれるのか?
その人は何か経営者になって人格までおかしくなったのかもしれない
経営者というと商売人でもある、その人はだから何かもう頭に金のこたとしかなくなっていた、商売人になった結果として常に・・・したらいくらだという頭になっていたのである
これが技術者として会社に働いていればそういうことにはならなかった

ただ人間を考えると経営者であり商売人であり技術者であるとか学者であるというのもむずかしいと思う
その人の性向が向き不向きが必ずあるからだ
その良い例が学者が経済学をいくら学んでも会社経営とかなると成功しない
経済学という理論を学んでも社会で実践すると全然違ったものとなるからである
学者が株を実際に投資とかしても成功していないのである
ただ理論家であり実践者ではないのである
政治家と政治理論は別物なのである

人間は本当に向き不向きがある、なぜ関西には商売人とか商売に向いている人が多いのか大阪だとそもそも江戸時代から商売の都市だからそこでそういうエトス{精神的雰囲気)が培われた、だから言葉まで「もうかりまっせか」とか挨拶になっている
それが別に不純でもない、商売自体が悪いということはない
商売はただ相手からだまして奪うというものでもないのである
そんなことしたら商売がうまくいくはずがない、一時的にはうまくいっても長続きはしないのである

だから土地によっては人間に向き不向きが作られる
まず東北人は商売に向いていない、根っからの商売人になれないのである
そしてそうして不向きなことをすると失敗する
東北人に向いているのは農業であり職人とかである、研究者とかにも向いているかもしれない、何か内にこもる仕事に向いている
ただ伊達政宗は商売人でもあったし政治家であり演技者でもあったし文と武にも優れていた、それは例外的存在だったのである
そんな多様なものを持っている人などいないのである
別に東北人でもいろいろな人がいるからそういう人は例外的にはいるのである
もし現代でもこれだけの資質がある政治家がいたら驚きだとなる
今の政治家は何かそんな素養もなにもない、政治家もまた何かそうして政治家として育まれ土壌がないと育たないとなる
今は何でもその土壌が大衆が主役なのだからそこからまともな政治家でも何でも生まれるだろうか?みんな大衆にこびているから低級化してゆくのである

なぜ今まで経営者が文系だったかわかる、理系者は経営者に向いていないのだ
経営は機械とか物だけではない、社会が人が関係してくる
理系だと機械とか物にこだわる、でも社会的役割とかその仕事が社会にどのように影響するかなどトータルに見ることも必要になる
だから本当に原発ほどそういう神のような万能の人でしか経営者になれない、社長になれない、会長にもなれないものだったのである
それが自然に地域にどう影響するかなどトータルに見る目が必要になった
それは歴史も郷土史も関係していた、津波のことなどもしらねばならなかった
ただ東電の関係者は津波が来ると計算していたから理系であって優秀な人が相当数いたのである
それは理系でも機械の一部を詳しく知る人がいたとなる、それはあくまでも一部に詳しい人だったのである
第一吉田所長が肝心の復水器のことを知らなかったのである
要するに原発とかなるともう全体を知る人などいない
するともう人間では運営できないものとなっていたのである
そして事故になり成すすべもなく解決もできなくなったのである

いづれにしろ人間は向き不向きがありあらゆることに通じる人間などいないのである
だから理系の経営者だから成功するとは限らないのである
経営という時国家を経営するということで政治家とかも経営者なのである
国家をどうするのか?国家をどう経営するのか?
それが一部の機械とか一部の物質とか一部分をいくら詳しい人でもできない
でもそんなふうにして国家でも大会社でも経営できる万能な人はいないのである
だから遂には老子のように自然にまかせろとか何もするなとかなる
人間は政治にかかわり結果的に混乱しただけだとなるからだ
中国何千年の歴史は政争の歴史でありそれで膨大な死者が犠牲者が生まれたからそうにもなった
結局国家など誰も運営できない代物だとなったのである

そのことは聖書でも言っている

わたしはわらべを立てて彼らの君とし、みどりごに彼らを治めさせる。イザヤ

なぜこんなことが記されているのか?
みどりごがなぜ治めることができるのか?
結局人間はみんな欲の塊りであり政治家でも欲で動くからそうなる
金で動くからうそうなる、これも逆説なのである
人間が優秀だと思うことは優秀ではないのである
優秀なものはある一面危険になる、人間が優秀だというときある一面に優秀なのでありそれは肯定できる
でも万能ではありえないのである
だから国家とかなると誰も経営できないのである

それで日本では天皇を王としたとき天皇が優秀とか関係ないのである
生まれた結果そうなっているだけである、何かしらの優秀さはあっても神のような人でもなんでもないのである
皇室など見てもあの人どんな優秀さがあるのと見る
ただ天皇家に生まれただけなのである、でもそういう人でも国家運営するとなると有効だとなる

天皇は命令してはならない

天皇は権力をもってはならない

天皇象徴制とはこういうことなのである、天皇に権力がないからこそ治められる
それはみどりこに治めさせよとにているのである
それは実質権力をもって命令できるものとは違うのである
生殺与奪の権利を持つ王とは違っている

つまり天皇は国の中心であり国が乱れる時天皇も二人になった
それが南北朝の熾烈な争いとなり日本が全国が二つに分断されたからである
つまり無能であれ国でも家族でも治める人は必ずしも関係ないとなる
一人の天皇をたてるということが大事になる、二人いると分断されたからである
結局人間は人間を治めることができないのである
それで人間社会は結局破綻する運命にある、日本国内であれ世界であれ誰が治めるのか?
誰も治めることがてきないのである、経営できないのである

2019年12月16日

冬の俳句十句(近辺を回る)

冬の俳句十句(近辺を回る)

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葉牡丹の畑に蔵や陽の没りぬ

誰が眠る桜井古墳や冬深む

冬の日に老人植える桜かな

古社一つ参る人無く木守神

奥の方冬田わずかに籠るかな

冬たんぽぽ我は恵まれ生きるかな

故郷に墓守り我や年暮れむ

墓地近く母の命日冬椿    

街の墓地日々通りて冬椿

冬の菊母の命日墓に挿す

我が一人家を守るや冬紅葉  


新田川に白鳥が二十羽くらい来ていた、そこで土手は広く桜の木を植えていた
市の方で植えた、でもそれが成長する日は死んでいるとなる
この辺では白鳥は今年は見かけない、前は真野川で餌やたしていたから来ていた
今はしていないから来ない、やはり餌やるのがめんどうになる
猫一匹でも餌やるのが手間になる

近くの墓地はいつ、もの通り道である、
そこの脇に公園があり椿が咲いている、冬椿というとき寒椿とは違う
でも今日は寒かった、寒椿は最も寒い時の椿となる
近くにあるということは何かそこに死者もいつもいるという感じになる、墓ですら離れると日々に疎しとなってしまうのである  

母の命日は12日だった、師走に死んだのがふさわしいとなる
なぜなら暇なく働いた人だったからである、93歳頃まで家事もしていたからである
それで認知症にならなかったともなる

人間はだからつくづく皮肉である、そんなに働かせられるのは嫌だと普通はなるが
全然働かない人がぼけやすいのである
それは笑いごとではなく怖いことなのである
奇妙だけど主人がいて召使がいて主人がもし何もしないで召使になんでもさはていると
主人がぼけて召使はボケないとなる
このように人間は召使が不幸だと思っても必ずしもそうともならないのが不思議である

昨日は冬タンポポが二三輪咲いていた、だからあたたかいと思った
浜通りでぱ冬でもあたたかいときがある、今年は暖冬気味だから咲いていたと見ていた
でも今日は寒いのである
家族で自分だけが一人残ったが自分は恵まれていたとなる、それで最後に残ったのが自分だったとはなる


2019年12月15日

秋の蝉の私の句について


 秋の蝉の私の句について

  
町一つ秋の蝉鳴く余韻かな

one town
one sympathy
all in one herat
Cicada voice in autumn
still sounding over


まず秋の蝉だが何か今年は川の土手の道が散歩道と買い物に行く道になっている
そこに座る場所があり秋になっても蝉の声を聴いていた
最後に一匹の声を聴いて後は聞こえなくなった
その余韻が残っていた
英語にしたがそれはグーグルの英語翻訳である、AIでも翻訳はかなり精度が高くなっている
ただ詩の翻訳となると限界がある、一部はでも機械翻訳を使い英語にして見る
すると何か英語の感覚が身につくかもしれない
ただこの英語は正しくはない、あくまで参考であり試しにしている

何か人間の心が一つになるone heratになる場が必要なのである
それがちょうど一万くらいの町だとなれる、原町とか相馬市になるとやはり広いからなりにくいのだ、ただ相馬市の街は原町よりは一体感一つになりやすいのである

人間が共感する一つとなれる場というときそれは狭い範囲になる
そういうところで一つの共感をがあり一体感をもてる
だから江戸時代の村だったらもう500人とかのレベルだからそれ以上に人間でも自然と一体化していたことは確かである
人間があえて絆だとか団結だとか言う時すでに絆も団結もなくなっていたからそういうのである、本当に連帯していればそんなこと叫ぶ必要もないからである
そして原発事故であったのは外から来た人たちの絆であり内部ではなかった
内部では補償金で分断されたのである

人間は家族であれなにかそうした小さな共感する範囲の共同体がないと安定しない
現代の問題はグロ−バル化社会とか広域社会とかで本当にそうした共感する場がない所に無限に広がったのである
そこで人々は経済的一単位とかなり金で何でも売買される世界にひび生きている
そこにはもう絶対に心で一体感をもてる社会ではない
やはり人間はアイディンティティをもてる一つの小宇宙とういか世界が必要なのである
それを求めることはもう都会ではできない、ばらばらのアトム化した社会しかないのである
だから豊かになっても現代の人間はみんな故郷喪失者とか漂流者のようになっている
だからこそ原発事故で簡単に町でも村でも人は補償金をもらってさっさっと出て行ったのである、そういうふうにばらばらになりアトム化した世界なのである
コミニュティとか共同体より金の方が大事になっている社会である   

秋の蝉余韻やここに我が座る
ふるさとや旧友と会い秋の蝉
ふるさとや同じ場所に秋の蝉
ふるさとにともに老いゆく秋の蝉

何かこうして故郷とは共感する場所である、人間にはそういう場所が必要なのである
それが今は喪失した、経済活動でもいくら田舎でもグロ−バル経済に組み込まれているからである
そこで心がココロがココから発しているようにそのココロが失われてしまったのである
だから心は場所と深く関係してありえたのである
それは都会にはない、共鳴したり共感したりする場はないのである

とにかく秋の蝉の俳句はずいぶん作っている、でもそれを調べるのがまた大変になった
膨大なログがありそれをまとめることが大きな仕事となる、それで今冊子のようなものにしよとしているがこれも手間なのである


自然とはそもそも何なのか? (自然に逆らう破壊しないと生きられなかった人間の業)


自然とはそもそも何なのか?

(自然に逆らう破壊しないと生きられなかった人間の業)

自然という時、その自然という概念が何なのかとなる
自然エネルギーは自然を破壊しないからいいという
ところが人間が存在したときから自然は破壊される運命にあった
なぜなら人間以外の動植物は自然を破壊したりできない
動植物自体が自然の中でしか生きられないからである
つまり人間が存在しなければ自然は神が創造した時のままだったのである
そういう世界では神の知恵で自然は治まっていた
自然の天の則(のり)は越えることがなかった
越えることはできなかったのである

でも自然とは何かというときそれが正確に把握されていないのである
何が自然なのか?何が自然でないのか?
ただ人間の業(技術)は自然に逆らうものとして生まれたのである
また自然に逆らわないと人間は採集狩猟時代にとどまって発展しなかった
縄文時代に日本列島に20万人くらいしか住んでいなかったとなる
そこでは鬱蒼とした森で覆われていて人が住んでいるとしてもほとんど森に隠されていたのである、そういう光景を見たら息をのむような自然そのもの美しさに驚嘆したとなる
つまり人間の生活が隠されていたときこそ自然は最も美しく映えていたのである

なぜ神道が生まれたかというとそういう太古の息をのむような日本の自然があって生まれたのである、その手つかずの自然の清浄圏で日本の神道が生まれた
その時、建御雷(たけみかづち)の神のような武神は存在しなかったのである
縄文人がなぜ一万年も平和に争いもなく暮らすことができたのか?
その謎は逆説的だけど動植物のような暮らしをしていたからだとなる
動植物は自然と和合しないかぎり生きていけないからである
それは神の則(のり)の中でしか生きていけないからである

でも採集狩猟時代から農業時代になると自然破壊が起きたのである
農業こそが文明であり自然破壊の張本人だったのである
なぜなら原始的な農業の焼畑でもそうである、それは肥料とするために森林を燃やして灰を肥料としたからである
農業にとって肥料が最大の問題だからそうなった
大規模な自然破壊は農業からはじまったのである

縄文時代に森林におおわれていたこところが農地になった、縄文時代には日本列島に20万人しか住めなかったのが農業時代になると飛躍的に人口が増えた
それは森林の破壊があったからである、たいだい今田畑になっている所は森林だったからである
とにかく日本の原始時代をみれば森に覆われているから暗黒なのである
森の中は暗いのである、それで遮光土器の土偶の目があんなに大きいのか?
これはやはり森が暗いから大きく目を見開いて見るために目が大きくなったのか?
ただ目が人間にとって重要なものとして認識していたためであることは間違えない
今でも見ることはseeは知ることだからである、それは外国でも同じなのである

そして農業が飛躍的な人口の増加をもたらしたというとき農業は一見自然のように見えているけど違っていた
農業と鉄器は密接に結びついていた、石器の鍬と斧とかではまず農業は発達しない
石器で稲を刈っていたりしたことがあったがそれでは農業は発展しない
そこでどうしても鉄器が必要でありその鉄器の発明で飛躍的に農業が発展して人口が増大したのである
だから鉄器が農業文明を作ったとなるのである

だから古代からの歴史を調べるといかに鉄がかかわっているから古代史のことで延々と書いてきた、そして南相馬市の鹿島区の真野の草原(かやはら)は鉄の一大生産地として
奈良の都に知られて万葉集に残ったということを書いてきた
鉄の発明がいかに人間にとって重要だったかである
だから古代史は鉄をめぐる争いであり鉄を中心にした歴史なのである
伽耶国(かやこく)からツノガノアラシトが来た、渡来人が来たのは鉄を生産する技術をもっていたからである

そしていかにツノガノアラシトが東北で最初に地名化したか、この辺だけでも神社でも
角(つの)とつくのはツノガノアラシトなのである、津神社が多いがこれはツノ神社のことだった
相馬市の津神社もツノミツ神社のことでありツノガノアラシト系でありツノとなればここに由来しているのが多いのである
荒巾木(あらはばき)とか蝦夷の原住民がいたとしてその荒もツノガノアラシトのアラなのである、つまり蝦夷とはいろいろな人がいたにしろツノガノアラシトと原住民が合体したのが最初の蝦夷だったともなる
それだけ古くからツノガノアラシトが入ってきて東北にその痕跡を残したのである
ただこのツノガノアラシトは伽耶国の王子としても日本の一部だったからこそ日本と一体化していたからこそこれだけの痕跡を残したのである
第一稲荷神社というとき稲荷は鋳成りであり鉄を祀ったものなのである
農業は稲作は鉄と不可分に結びついた文明だったのである

農業は大規模な自然破壊だったのである
それを証明したのが津波だった、海側を干拓して田を作った、そこに塩害を防ぐために
松原を作った、鹿島区の右田の松原は本当に幹が太くいい松原だったのである
それは江戸時代にできたから成長してそうなっていたのである
その松原が津波で根こそぎ破壊されたのである、これも信じられなかった
そこで気づいたことは松原が人工林だったということである

松原は自然ではなかった

つまり自然とは何かというとき田畑も松原も自然ではない、果樹園でも自然でないとなる人工的な産物であり自然そのものではない
そして松原は津波には弱かった、根が強く張らないからである
もし自然林だとするとそこにいろいろな種類の木が生えていてあんなふうに根こそぎ流されなかったかもしれない、自然林だったら松だけの森はない、ただ林というときこれもハヤスであり人工林になる、人間は生やして作ったものだとなるからである

ともかくこの自然は何か?そこが最初に問題になっているのだ
人間は生きるために自然を破壊しなければ生きていけないという業(ごう)を持っているそれが人間の歴史であり世界共通なのである
人間の業というときそれは世界共通なのである、だから世界の歴史もそうして人間の業からみれば共通しているから理解できるとなる
同じ人間であるからこそ同じことが歴史上に起きて来る
だからギリシャ神話などでもそれが日本人でも人類なら理解できる


プロメテウスはそれでも、どうして人間に火の贈り物をしたらいけないのか、教えてもらいたかった。ゼウスは「もし人間に火を持たせたら、人間は神同様、強力な存在となろうとし、オリュンポスを荒らしにやってくるだろう」と答えた。しかし、プロメテウスは、この回答に満足せず、翌朝、日の出の火を少し盗んで人間に渡した。

火を与えられて、人間は幸福になっただろうか。人間は洞窟から外に出た。夜道を照らす松明。調理された食物。赤々と燃える鍛冶場。鋤、剣、槍を作る。兜をかぶり、戦争に出かける。プロメテウスは人間に文明と技術をもたらした。

プロメーテウスをカウカーソス山の山頂に磔にさせ、生きながらにして毎日肝臓を鷲についばまれる責め苦を強いた。プロメーテウスは不死であるため、彼の肝臓は夜中に再生し、のちにヘーラクレースにより解放されるまで拷問が行われていた。その刑期は3万年であった

ゼウスから神から火を盗んだのが人間である、そのために過酷な刑罰が課せられた

その刑期は3万年であった!

原発事故でプルトニウムの毒がが二万年たたないと消えない!

まさにこれと同じだったのである、それほど過酷な刑罰でありそれが原発事故で起きたのである
だから神話というのはこれだけ先の人間の運命を暗示して生まれたのである
人間の業は必ずやがて苦しみとなって現れる、それは個々人的にはカルマである
かならず60以降は人生のカルマが苦しみとなって現れる
人間は過酷なカルマを課せられたものだったのである

そして自然というとき何なのか?
エネルギーを考える時自然とは何なのか?
必ず自然に逆らうもの自然を破壊するものとして科学技術もある
水力発電が水の流れを利用するからいいとかダムがいいとかなるがそれも自然に逆らうものだから自然エネルギーではない、それは今回の洪水で証明された
ダムは自然の流れをせきとめるから自然ではないのである
そこで放流して下流で6人死んだとか現実にあった、ダム自体が実は危険なものだったのである

そして太陽光発電とか風力発電も自然に逆らうものであり自然エネルギーではない

それは偽善エネルギーとして武田邦彦氏が指摘している
風力発電が一見自然の風を利用しているから自然エネルギーでいいとみるがそうではなかった、風というのものの自然での働きはいろいろあり風力発電はそれを阻害するのである思うに自然に逆らうという時、景観を破壊するのは自然ではないと見る
風力発電でもソーラーパネルでも何でも自然景観を破壊するのは自然ではないとみる
田畑が自然だと見るがそれももともと森林を破壊したものだった
何かしら必ず自然に逆らうものは自然を破壊しているのである
素人でも風土的にソーラーパネルとか風力発電とかは日本のようなな狭い国ではなく、とてつもなく広い土地がある所に向いていると直感する

自然界には「エネルギー保存則」があり風のエネルギーを電気に変えればその分だけ風のエネルギーが弱まる
つまり風車の風上と風下では風速はかなり違ってくるのです
樹木が育つのも葉の表面から水分が蒸発するからです
風が弱くなればそれだけ樹の成長は抑えられます
土も乾燥するのも風が吹くからです
風が弱くなったら土の表面はいつもべとべとして苔が生えるでしょう
「偽善エネルギー」武田邦彦

植物の呼吸

体温調節

水分の発散

植物は昼間に葉から水が水蒸気となって蒸発することによって水を吸い上げる力を生ずる

つまり葉でも植物でもぬれたままでは水分を蒸発できない、すると新たな水分を吸収できない、水分を蒸発させるためには風が必要だとなる
だから津波で破壊された所にソーラーパネルが敷き詰められて風力発電の風車が作られた場所に植林してもその木が育つのか?
それが疑問になったし景観的にもそこはもう回復しないのである
いづれにしろ風力発電も自然のそうした作用に逆らうものなのである

そして石炭とか石油は自然のエネルギーだという、なぜならそれは石炭ならもとは木であり石油も自然の植物であれ動物であれ有機物が貯えられたものだからである
だから武田邦彦氏は石油と石炭のエネルギ―利用は肯定しているのである
それは自然エネルギーだからとなる

ともかく原発事故も石器時代から鉄器時代と文明の発展の結果として必然的に起きてきたのである、だからこそプロメテウスの神話がこの辺で現実化したことの驚きだったのである
自然エネルギーというとき言葉からして誤解を生みやすいのである
ソーラーパネルも風力発電も洪水でこの辺ではとまった
風力発電の風車は台風以来とまったままである
電源装置が水をかぶったので動かくなくなったのである
ソーラーパネルも一部分低い場所にあり湖のようになり水につかってとまった
あれも意外だった、だから必ず人間の作った人工物は自然災害にあう宿命にある
それはそもそも自然に逆らうものだからである

とにかく文明が発達した時、縄文時代なら自然に逆らうことはほとんどないから一万年持続したとなる、農業文明も一応自然に逆らうものとしても自然と調和する面があったからエジプト文明でも3000年とかマヤ文明でも中国文明でも日本文明でも2000年3000年と長くつづいたのが特徴である
でも20世紀からの産業革命では加速度的にエネルギーの消費が天文学的に増大したのである
だから百年でエネルギーを農業文明の何百倍何千倍何万倍なのか計り知れないエネルギーを消費するようになりその行く着く先が原子力に頼るようになりこの辺で人が住めなくなる事故になったのである
だから文明自体がそうして自然に逆らい神に逆らい加速度的にその進歩もとめられないから最終的にはその業のために滅びるとなる
そういうことが現実化したのがこの辺であり原発事故だったのである

windpower111.jpg

台風以来泊まったままの風力発電の風車

電源装置が水にぬれたのである

ソーラーパネル自体が水をかぶった所もあった

結局自然災害でこれらも使い物にならなくなまことがある

あくまでも本体の補助であり主役にはなれないのである




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2019年12月14日

墓とは何なのかその謎 (墓参りすれば良心がなぐさめられる?)


墓とは何なのかその謎

(墓参りすれば良心がなぐさめられる?)

墓が何なのか?これも知ることは簡単ではない、そこで墓の歴史を見る
江戸時代には侍意外は墓はなかった
村の共同墓地に埋められていた、つまり墓はなかったのである
そこはホトケっボとか言われて残っている
そこには死体が埋められたのである
でもそこには誰々の墓とかはないのである

殿様とか侍の墓は菩提寺にある、それも個人名であり家の墓がない
…家という墓はないのである、男性でも女性でも個人名の墓はある
女性でも侍の家だったら個人名である
だから墓がある人は特別な人であり一般の人は墓がなかったのである

でも経済力がついた幕末辺りになると農民でも個人名の墓が生まれた
墓を作るのは結構当時は金がかかるから作れない
でも経済力がついたとき農民でも墓を作ったのである
今でも立派な墓を作るのは裕福な人だからにている
墓はあくまでも個人であり個人を供養するものである
ただ村という共同体があるときは共同の墓地にうめていた
ただそこには何もないのである

家族墓が一家の墓が生まれたのは明治以降なのであり新しいのである
それは上からの政策でそうさせられたということがある
家を一つの単位として国をまとめる国の政策として一家の墓が奨励させられた
天皇が日本国民の親であり国民は子であり赤子であるとかなった
それは上からの押しつけだったのである
だからち歴史的にみれば家族の墓は新しく作られた制度のようなものだったとなる
家族の墓は世界的にみてもない、みんな個人の墓である
そうすると家族の墓は一家の墓は特殊だとなる

不思議なのは共同墓地に個人が埋められたとき個人は消失する
でも村の人たちがそのホトケッポにお参りしていた
だから村がある限り誰かがそこにお参りしていたということはある
でもそれは特定の個人にお参りしていとはならない、なぜなら個人はそこで消失しているからである

墓の不思議は墓は家より長く残る、家が消えても墓が残っている
家は絶える家があるからだ、今になると家が維持できないとなり墓終い(はかじまい)
する人が多くなった、墓はこのように維持することがむずかしいのである
だから誰もお参りしない墓があり捨てられるようになる
墓の墓地ができてしまうのである、特に家族のつながりが希薄化している現代ではそうである、子供でも女性なら遠くに嫁ぐとか広域化すると代々つづく家というのが少なくなる
なぜ墓が家より長く残るかというとその土地と関係している
家だと家という建物は消える、でも土地にあれば墓は例えばその家の人が死んでも墓だけが残ることがある、無縁墓になっても残ることがある
家はもし人が住まなくなったら壊されてなくなるからである
そして家族がお参りする人がなくても無縁墓でも土地の比とがわれだとして花でもたむければ墓だけはその後も残るということがある
そこに墓の意味があるともなる

ともかく墓というのはまず人間は家族でも死ぬと何もなくなってゆく
そこで死体を埋める、そうしたときそこに卒塔婆のようなものを建てることからはじまった、死者はいないのだがそれが代わりになる
でもその卒塔婆だとこれも古くなり朽ちてなくなる
それでなくならないように石にしたともなる
ただ問題は墓でも誰かがお参りしないと墓は捨てられるのである
そのように継続することがむずかしいのである
それが共同墓地になると数が多いから誰かが子孫でもお参りすると継続できるのである
一家の墓は継続しにくいのである
それは墓石会社が言うのとは違ってくる
こういうふうに死者を商売するするとき何でも歪められる
墓を売りたくてそういうからである、また戒名などもそうである
そんなもの第一仏教ではそもそもなかったからである
それも寺や僧侶の金儲けのためであり歪められるのである
人間は必ず利益がかかわると公正に見れなくなるのだ

ただ骨を海に散骨するとか木の下に埋葬するとかして墓を建てないということも選ぶ人がいる
そうするとどこに墓参りしていいかわからなくなるので困ることになる
墓というのは墓参りがあって墓の役目を果たすからだ
その人の墓があればその人を供養することになる
そして何か墓というのは良心をなぐさめるためにあるともなる
親に苦労かけたのに何もできなかったから墓参りするとかである
それで心が慰められるのである
何か本当に死者に対しては良心が問われるものである

第一死者は何を生者に求めているのか?

供え物なのか?そうでもない、死者は心から私を思ってくれますか?
そのことかもしれない、死者はもう何も与えてくれないしまた何を与えても返事もないからである
それでそういうことになると何も思っていない人は墓参りもしなくなる
現実に実の娘ですら金にならないとして墓参りしなくなった
こちらで電車賃とか10万とか払ってもそれはその金が欲しくて墓参りすると言ったが来なかった、その人は事情があるにしろその10万が欲しかっただけなのである
それで死んだにしろ親の縁もキレたとなる
それは親に責任があるにしろなにか人間の縁などあっけない無常だと思った

とにかく墓があればその個人を偲ぶことがある、それは具体的に墓というものがあり墓参りして何か良心のなぐさめとなる、墓がないとそれがなくなる
死者との縁が墓を通じて結ばれるということはある
でも立派な墓は必要ないのである、そういう死者を思う心があれば卒塔婆のようなものでもいいのである、第一石の墓だとお参りする人がいなくなれば片付けるのに困るからである、卒塔婆のようなものだったら片付けるのが簡単だからいいのである 

私が新しく兄の墓を作ったとしてもそこに骨もなにも埋まっていないのである
でもそこに兄がいるとしてお参りする、不幸にも若くして事故で死んだしいろいろ私の家族ではマイナスのものとしてあったからお参りする
それで良心のなぐさめになる、母もまた苦労したからそれでお参りして良心の慰めになる不幸という時、子供の時不幸なのは愛されない最悪だからである
母も継母に育てられたからそうだった、継母にいじめられたのである
兄も私の家では愛されなかった、だから不幸だった

それで不思議なのは母の場合は何か愛されないというカルマをもっていたのかともなる
その子もそうなったりしたからである、それは自分の家族とも関係していた
それで私は恵まれたらか良心の慰めとして兄の墓を作りお参りする
でも実の娘も不思議なのは愛されないものとなった
これもカルマなのかとなる

親ー子ー孫とありみんな愛されなかったという連鎖はカルマなのか?

こういうことがカルマとしてあるのは確かなのである

いづれにしろ母の命日を今年も忘れていた、ただ一人になるとそうしていろいろ気がまわらなくなる、家事するだけでも忙しいからである
だから命日だけでも個人を偲ぶということは必要である                               



2019年12月13日

また忘れた母の命日 (死者は生者に何を望むのか―報いは何なのか?)


また忘れた母の命日

(死者は生者に何を望むのか―報いは何なのか?)

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母の命日(三周忌)
http://musubu2.sblo.jp/article/185201304.html                                    

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白い清楚な花は隠れるように
つつましく咲いていた
今は亡き女となり 
なお家にいて静に
やはりこちらを見ている?



報いあれ我が家に生きて冬紅葉

冬の菊母は支えぬ我が家かな  


忘れけり母の命日昨日かな満月光り4周忌かな 

明るくも冬の満月照らしけり母は彼岸に我を見るかな 

しみじみとこの家にあれな冬の日や母は長くもここにありせば


昨日が母の四周忌だった、15日だと思っていた、それがどうしてか先入観年になっていた、前の年も忘れていた、こういう勘違いがある

母は目立たぬ女性だった、性格がそういう目立たない女性だった
ただ家事にせわしく子供の時店でご飯を食べる間もなく忙しかった
そして実家の父親が事業に失敗した時、後妻が入ってきて継母でありいじめられたのである
こういう生い立ちは悲惨である、何か愛情をかけられなかったのである
その継母だった人も最後は悪かったなとと言って何かおかしくなり母に頼って最後は死んだ、そして実家の墓にその継母の骨は入った
ただ一人めい子が残ったがその人が異常人格者になったので今は墓参りしていない
何か不和分裂の家系でありそういうことは生前あると死後もつづく
一緒に墓参りできないのである

それにしても我が家にいたのは長かった、百歳まで生きて70年くらいいたとなる
これも長いと思った、だから人間は死んだらどこにいるのかとなるとやはり依然として家にいかるのかもしれない、女性と家は切り離せない、だから嫁なのである

なんか不思議なのは今は私は二階家であっても下にいつもいる、すると母親もその部屋にいて介護したから母もいる感じになる
何か自分を庭からでも見ている感じになる
時々幽霊のように現れる感じにもなる

母は生い立ちとか不幸だったけど経済的には戦後の一時期は苦労してもしなかった
経済的に苦労したという時戦前はみんなそうであり戦後の一時期はみんなそうだったからである、だからそれは苦労したとは言えない、でも自分の家で良い待遇だったとは言えなかった
ただ忍耐の女性でありじっと耐えて暮らしていたとなる
それは自分の性分ともにている
いい家に生まれたらやはり何か文学の才能があったみたいだから短歌など書いたかもしれない、ただそういう余裕が全くなく働きづめで終わったのである
短歌とか俳句でも何か暇があったり余裕がないとできない
そういう余裕が与えられなかったのである

今は遺影に向かい母と姉に語っている、返事はない、なんか認知症になった女性が壁に向かって一人で語っているという時、それは死んだ人と語っていたのである
つまり老人にとって死んだ人の方が生きて入る人より親しいのである
老人になると親しい関係を作ることはむずかしいからである
そして老人にとって家が安住する場なのである、だから家で死ぬのが理想だとなる
ただ母は一か月前に入院して病院で死んだ
でもそれまで家にいたのだから家で死んだ感じになっていたのだ
ちょっと目を離した時に死んでいたのである
おそらく苦痛はほとんどなかった、眠るように死にたいと言っていたがそのことだけはかなえられたのである
やはり苦痛なく死にたいというのがやはり死の理想でもある
百歳まで生きればたいがい老衰ではあり苦しむことはないだろう
だからやはり老衰で死ぬのが理想だともなる 

とにかく死者の報いとは何なのだろうか?
何かそれだけ苦労して尽くしたり働いたのだから報いがあってもいいとなる
でも死んだらその報いは何になるのか?
供養してそれを喜び報いとなるのか?
何か報いが欲しいとなる、でも死んだのだから何かを死者に与えられるのか?
死者に与えるものは何になるのか?

それは物でもないし金でもないし死者が欲するものは何になるのだろうか?

ただ少なくとも墓参りしり遺影に手を合わせたり語りかけたりして死者と交通する
何かそういうことは必要である
でも死者が得る報いとは何なのか?死者には与えるものがない
生きていれば体にふれたり声をかけたりして愛することはある
でも死者にはできないのである
キケルゴールは死者を愛せという論文を書いているけどそれもわかりにくい
死者をどうしたら愛することができるのか?
どうしても歳月が過ぎてその存在が希薄化してあいまいなものになってしまうからであるつくづく人間はここでも忘れやすいのである
60年も一緒にいてもそのことすら記憶が希薄化してゆく
まだ一緒に暮らした家が残っているからそれで記憶するということがある
家がなくなったら施設に入ったりしたらもう記憶がさらに消えてゆく
それだけ何でも家族すら記憶するのがむずかしく消えてゆく無常があった





失われる旅の記憶(七ヶ宿から上の山へ秋の旅の再考)


失われる旅の記憶(七ヶ宿から上の山へ秋の旅の再考)

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明治元年12月7日(1869年1月19日) - 刈田郡は磐城国の所属となる。
明治4年11月2日(1871年12月13日) - 平県の所属となる。
1876年(明治9年)8月21日 - 宮城県に移管される。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、関村、渡瀬村、滑津村、湯原村が合併して七ヶ宿村となる。
1957年(昭和32年)4月1日 - 町制施行して七ヶ宿町となる。
1991年(平成3年)10月22日 - 七ヶ宿ダム竣工。

ここでも不思議なのは磐城国であり平県の所属になっていたのである
こんなところまで磐城国になっていたのである

旅の記憶もきれぎれになる、この街道を自転車で行った、福島県の桑折町から上る小坂峠は険しい峠であり苦労した、でも昔の街道は山に埋もれていた
こんな急な坂を行くのは容易ではない、そして点々と忘れられたように昔の宿場があったその時晩秋だった、木の葉が街道に散った、ただあそこは取り残されたようにして昔が残っていたともなる            

木の葉舞ふ街道行くや人気なし

点々と街道の宿場木の葉散る

虫の音のかすかや聞き入る七ヶ宿

きれぎれの記憶をたどる冬籠り

ここの街道は本当に人気がなかったのである、まるで木枯し紋次郎の風景だった
仙台からの陸前浜街道も大きな街道ではないにしろあんなに淋しくはない、相馬市とか原町市とか街がある
途中にしてもあんなに淋しくはない、海からの風が吹いてくるのも違っている
海が見えるのは心を解放するという効果がある

東海道とかなるともう昔の面影が残ってるのを見るのはむずかしい
ただどこだったか街並みがあり道が真っすぐにつづいていた
普通はどうしても道が曲がるのが日本の道である

街道の街並真っすぐ燕来る

こういう道は東北にはほとんどない、そこは街並が長くつづいていたからである

何か人間は本当に記憶が失われやすい、だからこそ生きていられるのだろう
嫌な記憶か人間には多いからである、そういう記憶は消したいのだけで消せないからだ
だから忘れられないものとして苦しめられる
特に若気の至りとかあるけどその時はたいしたことがないと思っても必ず老人になると
後悔して苦しめられる、そういう記憶が消えないのである
罪の意識に苦しめられるのである

七ヶ宿で不思議だったのは疲れて休み虫の音を耳を澄まして聞いていた、そこは街道の宿場町といっても家もまばらである、それも真昼であり虫の声だけが聞こえていた
それはまるで静けさや岩にしみいる蝉の声ー芭蕉の俳句とにていた
つまりそういう俳句ができたのは江戸時代だったからである、今のような騒音の時代ではなかったからだ
ただ旅の記憶でもとぎれとぎれになり一続きとして記憶できない
何か最も印象的になった場所が記憶として残っている
まず都会では記憶しにくい、混雑しているし騒音にかきけされて記憶に残らない
そこで虫の音だけが聞こえていた、後は何もないという感じだったのである
だから記憶に残っていた、だから記憶というのも不思議である
記憶に残るか残らないかは重要である、なぜなら記憶に残らないものはないと同じになってしまうからである、そこに行ったという記憶もなくなるからその場にいたということもなくなる

それで私の母は旅などしたことがなっかたが団体旅行で旅した場所を全く記憶していなかった、そこに行ったとういことも記憶していなかったのである
団体旅行だとおしゃべりなどをしてわやわや行っていると記憶に残らなくなる
その場の雰囲気も忘れる、だから団体旅行は旅というのではない、物見遊山の気晴らしとかになる
芭蕉は自然と合一していた、だから「五月雨の降り残してや光堂」とか「静けさや岩にしみいる蝉の声」という名句を作ることができた
江戸時代だと自然と合一しやすかったことは確かである
車の音も何も聞こえないからである
現代人はそもそも記憶に残らない生活をしているともなる
車を日常的に使用しているが便利であっても旅でも記憶に残らない、街道を行っても
早いとういことでその土地のことを感じにくいのである
車は風を感じない、車内は快適でも自然を感じないのである
だから距離を行くにしても記憶に残らないのである


九代政宗は天授6年(1380)に父宗遠と置賜の長井氏を攻め高畠城に移ります。
二井宿峠で詠んだ二首の和歌が残されていますので紹介しましょう。

なかなかにつゞらおりなる道絶えて雪にとなりの近き山ざと 

山あひのきりはさながら海に似て なみかときけば松かぜのをと

雪にとなりのというとき何か山形は春になっても雪が残っている
仙台から仙山線で行くと面白山が境界になりそこをぬけると山寺になる
でも必ず春でも雪が残っている、それで山形を感じる
山形は雪深いのである、山形弁というときこれもかなり濁音であり聞きずらい
それは仙台弁の語尾のだっちゃとはまるで違ったものなのである
なぜ仙台だけが語尾に語勢の強いだっちゃという訛りになったのか?
宮城県が東北でないというとき宮城県だけは東北では異質な存在だったのである
福島県の浜通りも海に面しているから似ているようでもそうではなかった
やはり東北弁でありズーズー弁なのである

「山形の納豆汁や冬深む」

この納豆汁が有名である、その方言の訛りもなにかねばねばしているのだ

ともかく宮城県から伊達政宗が出たというのも何か地理の必然性があったのか?
ある人物が出るということはいくらその人が優秀でもその土地の影響がある
伊達政宗は短歌とか漢詩も作り文芸にも優秀だった
つまり文武両道の武将だったとなる

この短歌でも上手である、道絶えて雪にとなりのというとき山形はそういう土地である
道が絶えて山里があり雪がある、春でも雪が残っているのである
松風の音を聴いた時、それが波と思ったのは海側に住んでいたからそうなった

京都の伏見城では仙台中納言と最上守が並んで配置されていた
そのとき相馬藩の屋敷はない、石田三成は相馬藩に来ていて好みがあり三成の旗印が野馬追いに残った、

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烏帽子親であった石田三成の一字を賜って初名を三胤といったが、これは義胤が豊臣秀吉の小田原陣に参陣した際に、石田三成の取り成しで本領を安堵され、それ以来三成と昵懇であったためであった

野馬追いに出ていた石田三成の旗印

秀吉の栄華は一時だった、徳川幕府の300年からすると夢のように消えたとなる

黄金の茶室も夢や秀吉の栄華も一代伏見城跡

何か地理的にも福島県と山形県と宮城県は隣接して地理的一体感がある
それで南相馬市の鹿島区の右田浜から蔵王が見えたし片倉のフラワーランドから牡鹿半島と金華山が見えた
つまり山形県と宮城県と福島県がここで地理的につながるということである
ただ福島市からは蔵王は見えないのである
だから会津とかなるとどうしても阿賀野川があり新潟県と地理的一体感がある
新潟県側から会津の山も見えたからである

いづれにしろ冬は冬ごもりであり回想するにはいい季節である
でも問題は記憶が消えてゆくことなのである

我が家に記憶をたどる冬籠り

みちのくに老いるもよしや冬籠り

こんなふうになる、家そのものが今や家族がみんな死んで記憶の家となってしまったからだ、家というのはただの建物ではない、その家の家族の記憶のつまった記憶の家だったのである、でも母の四回忌なのか、月日のたつのが早い、そして家族の記憶もまた薄れてゆくのである、ただ60年も一緒にいたからなかなか自分の場合は忘れるとういことがないのである

インタ−ネットは何か記録するのには便利である
これも前に書いたものの加筆したものでありそういうことがしやすいのである
本だったらこういうことができない、完成して加筆できないからである
インタ−ネットではいくらでも再編集したり加筆したりできる
そこで終わっていないのである、それは死ぬまで終らないのである




2019年12月12日

abstract flowers

abstract flowers

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inside flower

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snow flower

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autumn forest




青い花の抽象画の二つは著作権にふれるかもしれない
原画と比べるとわかる場合がある

その他はわからないだろう、ただ別に著作権を抽象画で指摘されていない
というよりは原画を作った人とか見ていてければわからないのがインタ−ネットである
それで自分の作品いも勝手にどこかで利用されているかもしれない
外国だともうわからなくなるからだ

ただこうしてソフトで抽象画にできるのがいくらでもあるから機械的に大量生産できるのである

Two of the blue flower abstract paintings may be copyrighted
It may be understood when compared with the original picture

I don't know anything else, just the copyright is not pointed out in the abstract
Rather, if you look at the person who made the original picture, you will not know the Internet
So my work may be used somewhere without permission.
It ’s because you do n’t know when you ’re abroad.

However, because there are so many things that can be made into abstract pictures with software, they can be mass-produced mechanically.

中村哲氏の殺害事件の原因は何だったのか? (ボランティアは重大な責任ある仕事はしにくい―安全は確保されてする)


中村哲氏の殺害事件の原因は何だったのか?

(ボランティアは重大な責任ある仕事はしにくい―安全は確保されてする)


独善的になる

社会の一部に対する努力が社会の他の部分の利益や必要を妨害してはならない
社会の一つの年齢層、一つの職業、一つの部分の利益と必要ばかりを考えて
他の部分を無視してはならない
(希望と信頼に生きるーウィリアム・バークレーの一日一章)


中村哲氏が殺されたことはあまりにも衝撃的だった
だからこれは何なのだろうとなると相当にそこにかかわっていない理解できない
だから外から軽々には語れないのである
何かよほど込み入った状況があったとなる

援助するにのだからボランティアだから何でも受け入れらてほめられるとは限らない
何かボランティアというだけでその人は善人でありほめられるべきだなる
でも不思議なのは別に金をもらって働く人もほめられるべきなのである!
なぜならそういう人でも危険な仕事を命がけでしている人も普通にいるからだ
それがボランティアになったからとそれでその人が特別な人とはならないのである
だからむしろボランティアには金を支給した方がいいとなる
ボランティアの問題は無料であり無償であること故に問題が起きることが多いからである

無料ということ無償ということは→無責任なこと

こうなっている、社会で働く人は金をもらっているけど責任が課せられている
ボランティアには責任がないとなるといい加減だとなる
援助は継続的にしなければ効果がないというときもそうである
その時々で気まぐれではなく継続的なことが必要なのである

ただなぜこのボランティアが問題になるのか?
援助するにしてもそれがむずかしいからである
困った人がいるからとしてその人だけに金をやったり援助すると周りの人たちがねたんだりする
ある派閥だけに団体だけに援助すれば他の団体からねたまれて批判される
つまり公平であることが最高にむずかしいということである
障害者は一千万人いるとか数が多い、すると一人を援助することではなくそれだけの数を援助することが必要になる
でもそんなこと個人ではできないのである、しかたし地域にしてもそういう人達が多いから一人だけを対象にはできない
貧困問題にしてもそうである、一人だけを助けるとしてもその他の人たちはどうなるのかとなる
そして必ず一人を援助すると回りであいつは得しているとして周りに行ったり役所に言う人がいる
だから援助すること自体が何かめんどうなのである
それでしたくないともなる、めんどうだからかえってしない方がいいと実際に自分は思った
ただ自分の場合は何もできないのだからそういう前にそんなことも言えないとなっていた

現実に援助物資を送ってもその国の上層部の人たちのみに回り下層には回らないということが良くある、するとその援助はなんなのためだったのかともなる
今回の中村哲氏の事件も灌漑用の水路を作ったりしてそこに水利権が生まれて争いになった、何か一方に組みするようになった
それが原因だったとされる、利権争いが起きて巻き込まれた

でも明らかに中村哲氏に深い恨みをもった人の犯行だった

中村哲氏本人を狙って殺すことが目的だった、まだ死んでいないのかとしてそこでまた銃撃してきたからである
これも残酷でありそこまでするのかとなる
いくら恨みがあるにしてもそこまでするのかとなるとその事情はもう理解できない

中村哲氏は医者らしく医療のみの援助をしていればこうはならなかった?

灌漑事業に手をだしたためにこうなった

そこで水利権とにかかわり公平さを欠くようになった
でも中村氏は医療だけではこの悲惨な状況を解決しえないとしてそうなったのである
それが悪いとも思えないのである
ただ援助というのが何でも受け入れられていいものかとなるとむずかしい
駅の案内でも教えられることが嫌がる人が普通にいるからだ
私のしたことはほとんどとるにたらないことである
だから責任もなにもない、それで何をしているんだと警察に通報されて職務質問された
それも今思うとそんなものだったと思う
駅長にもとがめられたし何らそこでほめられることはなかった
ただうざいとされただけである
でも案内してありがとうと言われたことは意外だったのである
そもそもそんなことでありがとうと言われるとは思わなかったからだ
つまり自分には社会的経験が不足していてそういうことすらわからなかったとなる
ここにニートとか引きこもりの問題があったのだ

いづれにしろ今回の中村哲氏の事件は何を語っているのか?
ボランティアとか援助がそれが無償でも必ずしも受け入れられない
それが誤るとかえって反発される
ただ正直本当にそこまでして残酷に殺されるということは理解できない
つまりアフガニスタンの状況が理解できないということである
そこは想像を絶する場であり平和にのんびり暮らしている人には理解できない場だとなるそういう場にのりこんで働くこと自体が勇気あることだとなる

どうしても失敗したのは確かに灌漑事業が必要でもそうなるとそれはまた別な方法でしなければならなかった

その援助がどういうふうにその地域社会に影響するのか?それが問題だった
もしかしたら独善的になっていたのかもしれない、ボランティアでも何か俺はいいことしているんだとしてそれが独善的になりいいことしているんだから認められるべきだとしてかえってそれが嫌われることもある
灌漑事業は別な方法でするべきだったのかとなる

でも前に医者が一人死んでいる、その人はそういう灌漑事業と関係していたのか?
ただ医療に従事しただけで殺されたのか?
その詳しい事情はわからない、とにかくペシャワール会ではその時なぜ殺されたかの?。それを検討して中止すべきだったのかとなる
援助するにしても中村哲氏一人では独善的にしてもできない
結果的にガードマンが6人も死んだからである
その人たちの協力があってできる、一人ではできない、するとそんな危険な所に行くべきではないとなる、自分一人で死んだならそれで良かったのかもしれない
6人もまきぞいになり犠牲になっことは重大だった

なぜなら中村哲氏に深い恨みをもった人たちが殺害した

ガードマンはまきぞいになり犠牲になったことは確かである
それは中村哲氏が独善になったからかもしれないとなる

なにかボランティアはあまり責任の重いことはするのが問題がある
それだけの責任が生じるとういことはとてもボランティアではできないからだ
だからボランティアの領域を越えたものだった       

実は最近、アフガン社会に根差した活動をしてきた中村医師を取り巻く状況に、ある変化が起きていた。2018年2月にアフガン政府から勲章を、今年10月にはガニ大統領から「名誉市民権」を授与されたのだ。私はそのことが、中村医師が卑劣な犯行の“ターゲット”になった遠因ではないかと考えている。

あまりにも目立ち過ぎて標的になった、ガニ大統領に反発する集団がそれで中村医師を標的にした
だから目立つことも危険だと思った、現地の人を前に立て後方支援ならいいが率先して前に立ったということもあるのか?
でもそうしなければ灌漑事業などできない、だから政府支援でJICAで灌漑事業するべきだというのもわかる 
個人的には無理だということである、そんな危険な場所に行くには自衛隊も護衛として必要だとなる
それで中村哲氏を批判する人は9条信者だったが自分の命も守れなかった、9条信者でも結果的にガードマンを6人も道連れにして犠牲にしたとか批判している、これも一理あるとなる

とにかく何か援助するにしてもむずかしい、野良猫がかわいそうだとしても猫を飼うこと自体容易ではない、また野良猫に餌をやると増えてきて困るのである
だから地域で飼うことが必要だとしている、地域で野良猫をめんどうみる
それは去勢して増やさないようにする
それも協力ができてのことである、そうしないと迷惑になる
現実に一匹の猫を私は殺して始末したからである
猫の問題は増えすぎることなのである
結局かわいそうだと思っても殺すことに逆になったのである
そういう矛盾とかがある、それが中村哲氏にも起きたのかもしれない
ただこの事情はアフガニスタンを理解しなければわからないことである
だからそこまで行動した人を軽々には批判できないのである

posted by 老鶯 at 10:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年12月11日

相馬藩と伊達藩の境界の新地


 相馬藩と伊達藩の境界の新地

(廃藩置県で福島県になった複雑な経緯)

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境界を見ることが一つの地理の目安になるし歴史の目安になる
相馬藩だと伊達藩の境が新地になる
新地はもともと伊達藩に属していた
駒ヶ嶺城は伊達藩の城である、だから相馬藩との争いがあり興亡があった
でもそこは平地だから自然境界ではない
ただ相馬藩と伊達藩は飯館村でも争っていたし丸森でも争っていた
それは木材資源をめぐっての争いだった
丸森では米沢はんも加わって三つの藩で木材資源で争ったので知られている
それだけあの辺は森林地帯であり木材が多くとれた地域だったのである

丸森の金山城は峠を越えて入った所にありその城は一時は相馬藩の人が治めていた
それから伊達藩の侍が治めるようになった
だから一時は相馬藩領だったのである
それで面白いのは方言である
新地の人がだっちゃだっちゃという、仙台でぱ語尾にだっちゃというからわかりやすい
だっちゃという方言の語勢が何か攻撃的なのである
一方で相馬地域はんだんだであり口ごもるずーずー弁になる
だからちこのだっちゃは東北弁のズーズー弁と異質なのである
それで宮城県は東北ではない東北人ではないというのもわかる

第一伊達政宗のような国際人というか演技力まであり英雄は東北人ではないとなるからだそんな外交力が東北人にないからである
何か一般的に陰気で口ごもるとか口達者ではないからである
ただ相馬総合病院で入院して同室だった人が丸森の金山の人だったのである
それてんだちゃと言っていた
相馬ではんだんだというがんだちゃとは言わない、それは金山に城があり一時相馬藩の侍が城主ともなっていた
するとそこで仙台弁と相馬弁が合体したと推測できる
方言は訛りはお国の手形だともなり地域性を感じやすいのである
それで青森の津軽藩と南部藩の言葉は違っていてすぐにわかるという
ただ津軽藩と南部藩の境目に山があり自然境界として分かれている
丸森も峠を越えると相馬藩になり峠を下ると丸森に出る
自然境界としてある  

不思議なのは福島県と宮城県に分かれた経緯である

新政府は東北の広大な地域を分割して支配するために明治12年に磐城、岩代、陸前、陸中、陸奥の五か国に分割した
角田県は磐城国に属した、今でも宮城県の南に入る名取郡各郡に,磐城○○という地名があるのはこのためである(新地史)

磐城太田駅があるけどそれももともと古代に磐城国があり名付けられた
ただそれは明治以降に名付けられた、最初は高駅であり古代の高郷に由来しているし近くに多珂神社がある
ただ磐城とつく地名は葛尾村の落合とかにもあり磐城落合となっているのだ
だから磐城国は広い範囲でありその名がついた
でも古代からある国名でもそれは明治になって名付けられたのである
磐城とあるとき地名だけども姓ともにている、姓は一人のことではない一族を示しているからである

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とにかく宮城県内に磐城とつく地名があるのはこうした経緯がある
新地は相馬藩内と伊達藩として分断されていた福島県に入った
でも境界地域として複雑な経緯をへて福島県になったのである

境界でも山とか川とかで自然境界になっているのはわかりやすい
でも政治的行政区域になるとわかりにくい、廃藩置県でそういうのが多くなったから県単位では県としての歴史とかでも地理でも一体感がないのである
ただ伊達藩と相馬藩は戦国時代は争ってもその後は隣り合っているから協力した
伊達藩から神様も勧請された、小牛田の山神信仰とかその他いろいろな仏教信仰とかも入ってきた、相馬から妙見信仰が勧請された
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こんなふうに協力して栄えたとなるからどうしても相馬藩は福島県ということに違和感がある、そもそも福島県は本当に一つの県にすることは無理だった
地理的にも歴史的にも無理だった
むしろ宮城県に属していた方が良かったかもしれない、廃藩置県になるとその範囲が広すぎたのである、だから人為的人工的行政区分であり未だに違和感があるのだ
それで今回の津波で太平洋に面しているから南相馬市の片倉のフラワーランドから見えたから牡鹿半島と金華山が見えたから一体感を感じた
相馬藩内には金華山信仰がありその碑もある、何か福島市となるとつながりがない
ただ霊山になると吾妻山が見えるから地理的一体感が生まれてくるのである

ともかく伊達藩は相馬藩より古いから歴史的に学ぶことが多い
新地にあった文禄の碑は私が見た碑では古い、他にも墓地とか碑を見れば古いものがある宮城県に関してはなかなかそこまで見ていない

屍骸骨山のいたるところに横たわり、鳥獣の餌となれり、屍を運び骨を拾い、累々これを一穴に埋める、これを戦死塚と称す

駒ヶ嶺城では町屋も火事になりかなり消失して数十名が戦死した、つまり民家も被害があり悲惨だった、丸森には伊達藩が大砲を備えて戦った跡が残されている
相馬藩は薩摩長州軍に早めに帰属して伊達藩と戦ったのである
駒ヶ嶺城は境の城だからそうなったのである
ただ新地になるとまだ地理的にわからない面が多い、この地理がわかるのが近くても容易ではないのだ

新地で印象に残ったのは街内の神社にあった「文禄の碑」である
それは明らかに検地のためだったのである、年号だけを記しているのはたいがい検地の記念だったのである、伊達藩では大規模に文禄に検地をしていたからである

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posted by 老鶯 at 12:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2019年12月10日

国家自体が盗賊集団から起きた (追い詰められると個人も会社も国も盗賊化する)


国家自体が盗賊集団から起きた

(追い詰められると個人も会社も国も盗賊化する)


中華人民共和国は最後の「盗賊王朝」だ

個々人で盗んだり強盗すれば厳しく罰せられる、でもそれが大集団になって盗賊集団になると罰することかできない、むしろそれが正義となり国をのっとることになる
それが中国では常に起きてきた
中国とは常にそうした盗賊集団によって国ごと乗っ取られてきたのである
王朝はその度に変わる、今の共産党も王朝でありだからこそあれだけの格差になった
王朝になればそこに仕えるものは上層部は共産党幹部には莫大な富が入ってくるからである

つまりマルクス主義とはただ美名にすぎない、現実は盗賊国家なのだけでそれを隠すために理論でごまかしているともなる
中国という国柄がそういう歴史であったのだ
モンゴルでも満州でも周辺国に遊牧民がいてそれらも盗賊と化して襲ってくる
そして遊牧民では砂漠でぱ奪うことが正当化されているのである
奪って当然だとして罪の意識がない、関税のようにして奪ったとなる
女性まで略奪婚であり奪うのである、それが正当化されているのである 

中国だけではない、ヨ−ロッパでもスペインなどは本当に盗賊国家だった
それは南米でインカとかを亡ぼしたけどそこに侵略したのは本当に盗賊集団だったのである、国家というのはなかった、そこで馬と銃でわずかの人間でインカ帝国を亡ぼしたのである、そして黄金を奪い自国にもちかえりキリスト教会を黄金で飾ったのである
これも矛盾である、それでキリストが喜んだのだろうか?
そして異教徒は人間ではないとして殺戮したりした
それはスペインだけではない、ヨ−ロッパ全体が大航海時代にアジアの富を奪った
植民地化して奪ったのである、アメリカはイギリスなどの移民によってインディアンを滅ぼして根こそぎ広大な大陸を奪ったとなるからこれも盗賊集団だったともなる
オーストラリアでもアボリジニとかいてそれもイギリスの移民によって奪われた
その人たちは囚人だったともなるから荒っぽい人たちだったともなる
またイギリス国家の成り立ちが海賊から始まったというのもそうである
海賊もまた奪うことが正当化される
国が違えばもう法律は通用しないからである、力をある者が富を得るだけだとなる

盗賊とは個々人では罰せられる、でも大盗賊は罰せられないのである
むしろ崇められるのである、それは日本だって上級国民とかになれば警察も手を出せないと交通事故を起こして殺した人をみんなで言っている
社会というのはそういうものである
例えば戦国時代があるとする、それは何だったのか?
一種の盗賊集団の争いだったのか?権力を得るための殺し合いであり盗賊集団同士の戦いだったとなる
天下をとるとはまさにそういう盗賊集団の最も強い頭領だったともなる

そういうことは現代では社会が変わったからありえないとみる
でも人間は本質的に変わらないのではないか?
人間が富を得るというとき盗賊として他者の富を奪って富を得る
世界の富がなぜ数パーセントの大金持ちがもっていることでもわかる
それは巧妙な資本主義の制度の中で合法的に奪っているのである
だからいづれそういう人達が襲われて殺されたりするともなる 
株式市場が暴徒によって襲われるかもしれない、アメリカではデモでそれとにたことがあった
つまりそのわずかな人たちがそんなに富を得ているのか?
それがなぜ許されているのか?
これを世界の人がアメリカでも中国でも許すことはないと思うからである
そこで戦国時代のような内乱状態になってゆく
世界では今なぜデモとかが命がけで起きているのか?
それはそうした極端な格差に対して怒りはじめて抗議するようになった

そして日本も格差か階級社会になっているというとき底辺層は追い詰められて暴動化して盗賊化するかもしれない、革命という時、そうした不満層を集めることだからである
それが共産主義革命ともなっているが実質はこれも盗賊集団なのである
それは中国を見ればわかる、黄巾族とか宗教集団がもあったがこれも同じだった
盗賊集団なのである、今の創価とカルト集団もそうである
権力を狙い富を得よとしているからである  
要するに権力を得てその富を分配する御利益として分配する
そのために徒党を組んで毎日祈り選挙活動がすべてとなっているのである
仏教など何の関係もないのである、そんな人がいたら奇跡だというのがこの世である

それは戦国時代は念仏宗とかでもありそれが信長と対立したのである
島原の乱でもあぶれた浪人が集結して幕府と戦った
つまり失業しているということは侍でもそうなるのである 
アメリカでイラク戦争の時も下層の人たちが黒人が仕事を得て上の階層に入るために従軍した
だから人間社会で失業することは食べることができなくなるのだから一番深刻なのである
浪人は戦争がなくなれば失業する、すると戦争があった方がいいとまでなる
第一僧侶から侍になった人も多かった、寺という領域は一つの支配体制であり権力を有していた、僧兵もいた、無防備の集団ではない武装集団だったのである
だから信長が敵として認識したのである
人間が集団化するのはなぜなのか?利害とか利益で御利益を共同で得ようとする
それは盗賊集団でもいいとなる、ただ現代で権力を得るためには選挙でしかできないから戦国時代にならないというだけなのである
実質は変わっていないのである

そして今格差がこれだけ世界的日本でも大きくなると盗賊集団化する
金持ちを襲うこともありえる、金持ち自体も盗賊だと見るからだ
俺たちの富を奪っていると見るからである
そして日本でも貧困化すると生活が追い詰められると個人だけではない会社も盗賊化する富を奪うようになる
銀行でも地銀でも堅い職業として見ていたが今は違う、利益が得られないから投資信託とかゆうちょでもまやかしの保険を売り込んだりしてだまして金を奪う
人間は別に個人だけではない、追い詰められると会社でも盗賊集団と化すのである
だから追い詰められた個人も怖いが集団も怖い
国家自体が追い詰められれば盗賊集団と化す、遊牧民のように他国を攻めてくるのであるそのために万里長城ができたのである
それは別に南米とかでも大金持ちはガードマンを雇い高い塀をめぐらして富を盗まれないようにしている、強盗が入らないようにしているし金持ちがだけ住んで門を作りよそ者は入れないようにもしている
社会がそこでて分離して分断されている、アメリカなどでもそうなっているところもある  
生活保護あくまでも金持ち層でも犯罪を犯さないように最低限を供給するシステムである
でも氷河期世代とかロスジェネ世代が大量に高齢化すると生活保護ができなくなる
その時また危険な状態になる、追い詰められた老人でも何するかわからないとなるからだ

国家でも追い詰められれば盗賊集団と化して他国を攻める、その盗賊集団によって王朝が変わったのが中国だったのである
アメリカにしても今でも世界を支配するから富が集中するのである
ドルが世界の貨幣になっているのもそうである、金融でも世界を支配する
それでゴールドマンサックスがむずかしい投資信託を作りそれを地銀でもゆうちょでも農協にも売りつけて富を吸い上げているというのもそうである、アメリカは日本の富で容易に奪える、戦争に負けたらそうなっている  
アメリカに従わなければどうなるのか?日本はやはりアメリカに貢がないと自らの国すら守れない国はとなっているからだ
だから独立するにはアメリカと起き、中国とも距離を起きバランスを計ることだとなる
でもそれが日本が独立国で強国となればできることである、日本は敗戦でそれができなくなったのである
つまり地銀でもゆうちょでも農協でもそういうことで庶民の貯金がアメリカに奪われているのである
自分も投資信託を地銀から買って損した
それは地銀自体が証券のことをわからない、投資信託のことをわからないでアメリカの証券会社から買って庶民が貯金した金を投資して損していたのである

だからこの世とは何なのだろうとなる
人間の歴史とは何なのだろうとなる
ただ盗賊により政権の交代があり王朝の交代がある、ただ選挙制度ができて武力でそういうことがなくなっただけだともなる
そうなっても格差はなくならないからかえって増大しているからなんらかで革命が別な盗賊集団が台頭してくる
それが共産党でも公明創価でも同じである、それらの人たちは富を奪う集団だからである、そして仲間に分配するだけだだとなる
仲間に入らなければ奪った富は分配されないとなる  
罰当たるとか地獄に落ちるとか言うがその人間がそもそも地獄人間なのである、やはり本質的に変わらない人間の欲と業をもった人間でありその地獄人間がそんなことを言っているのだから異常だとなる
自分自身が親鸞のように地獄は一定の住処なりというならいい、それを他者に対して言うのは異常なのである
だからカルトでありファシズムともなる
いづれにしろ人間の社会は結局そんなものだったのかとなる
そこに主義主張とか何か大義名分と宗教とかかかわっても現実は富を得るための奪うための闘争だったとなる

そういう食うか食われるかの弱肉強食の世界である、だから格差社会とか貧困化は追い詰められ人間を大量に作り出すから怖いのである
そして失業がナチスが生まれた原因だったとか国が盗賊化する原因になる
他国に侵略する原因にもなる、日本が貧しい農民国家の時土地が欲しくて満州に浸出したそれも何か盗賊化してゆく原因である
それは世界中で同じなのである、それが世界の歴史だともなる

相馬藩の歴史でも野馬追いがあるように相馬氏が進出してこの土地を奪ったともなる
それは馬を操るのが得意でありまた強かったからである
だから地元の土着していた豪族も従うようになったのである
それはやはり奪ったとなる盗賊集団だったともなる、それは世界史でもみんなそうだったのである
ただその後に平和的な法的な支配体制が生まれたとなる
もともとの起こり侍でも盗賊集団だったとなる、それはみんなそうだったのである
結局これが人間の真実であり歴史だったともなる

維持維新でも革命でもそういうことがあった、富を奪うとは権力を奪うことでありそこで富を得ることである
薩摩長州が権力をとりそうなったからである
政治がもともと武力闘争で権力を得ることだったが選挙で決めるようになったのはそのためである
ただ選挙だって今や公平ではない、だから不満が鬱積している
それが暴動となり金持ちでも襲ってくる、そういう革命前夜にあるのが世界的にあり日本でもそうなのである
追い詰められ人間がそこらじゅうに増えてくるとそれがいつか爆発してくる
そういう恐怖の時代に突入しているのである

だから金持ちはむしろ戦々恐々としていなければならない、その不公平で得られる富に安住はできない
ただ下層階級を見下していることはできない、いつ襲ってくるかわからないからだ
日本が貧困化するとますますそうなってくる
だから消費税など上げてはならなかったのだ、何か買い物で10パーセントは大きいと思った
100円買って十円とられるのは日常的に大きいのである
毎日買い物しているから実感した、こうしたことで今度は自民党への不満が大きくなってゆく
これはもうさけられないのである

経済的に成功した層が激しい憤怒をもったアンダークラスに襲撃される日

posted by 老鶯 at 13:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

墓の平成9年は平成29年の間違いだった (年号でも元号でも西暦でも何がその時代に起きたかで見ている)


墓の平成9年は平成29年の間違いだった

(年号でも元号でも西暦でも何がその時代に起きたかで見ている)

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これは平9年ではなく平成29年に建てられた


昨日の今日の一句一首で短歌の刻まれていた墓は平成29年であった
平成9年ではない、間違えでした
訂正しておきます

平成から令和になったけど年号は以前として続いている
でもこれだけグロ−バル化したりすると何か違和感を覚える
平成がどういう時代なのかなど私にはわかなかった
それはあまり時代が変わらなかったからだろう

時代が変化する時、時代を感じる
だから明治は記憶すべきとなっている
大正も私の母と姉は大正生まれだから記憶する
昭和は戦後生まれでありそれなりに意識する
でも実際は昭和でも戦前と戦後は全然違っていたのである
だから年号は何かそぐわなくなったのだ

時代はその時何が起こったか何が大きく変わったなど事件とかでも意識する
だから天明は飢饉の時代であり特に相馬藩では三分の一に人口が減ったから意識する
でもその後はあまり意識しない、ただ幕末の年号が一番多いから墓でも碑でも見る時
意識する
この辺では宝暦とか元禄とかほとんど見かけない
ただ私の住んでいるすぐ近くに天明の碑があったことに驚いた
とするとその頃この辺でも飢饉の影響があったかもしれない
天明の碑はここでしか見かけていないからだ
それはどうしてなのだろうともなる

いづれにしろ年号は必ず墓でも見ている、江戸時代の年号があれば古いとなるからだ
ただ年号が時代にそぐわなくなったのはグロ−バル化したからである
日本は江戸時代のような日本だけの社会として成立しない
必ず外国との関係で成立する、外国と必ず何でもリンクしているからである
だから日本独自の元号は時代にあわなくなったのである

そうなると天皇が必要なのかどうなのかという大きな問題につきあたる
元号は天皇と不可分に結びくついているからである
だからそれが今問われている
令和という年にすでに二人死んで墓に刻まれていた
でも令和というのがこれから何か時代を現すものとして社会に活きるものなのか?
平成とかは日本衰退の象徴のようになっている
失われた30年としての平成となる、この漢字は平らであり上昇しないというものにもなる、名は体を現すとなったともなる

令和はどういう時代なのか?令というのは何かクールだとなる、ただやはり何か時代にそぐわなくなった
平成29年にこの短歌の刻まれたのを平成9年と間違えて書いた
この間違えは大きかった、だから年代とは西暦でも元号でも大事である
全く違って意味をとられるからである

だから元号でも江戸時代になるとどっちが先なのか後なのか本当にわからないのだ
元禄とかなると目立つ年号だからわかる
その他は常に後先がわからない、その時代の何が変わったかもわからないのである
ただ天明だけは飢饉の年だと自覚している
そして天明の前のか後なのかで時代を見ているのである
だから年号でも元号でも西暦でもその時代に何があったのか何が変わったのかが大事なのである
それを知らなければただ元号でも名前だけであり西暦だと数字だけになってしまうからである

2019年12月09日

冬の暮(新地の墓地をたずねて・・・)


冬の暮(新地の墓地をたずねて・・・)    

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尚英中学校の脇の墓地

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百六歳は大正二年生まれなのか、私の母は百歳で死んだ
今生きて入れば百四歳になにる
これから百歳以上の年齢で死ぬ人が多くなる
それが令和の時代の特徴ごとなる
でも百六歳は長いと思う
これが110歳とかなってゆくのか・?


かそけくも現れ消えぬ冬の蝶

顔見せぬ隣の女(ひと)や冬の蝶

朝望む蔵王に雪や初冬かな

蔵王見ゆ険しき嶺に雪覆う

新地にそ葱の匂いや家まばら  

冬の海新地の墓地や静まりぬ

名もしれぬ墓のあわれも冬の草

木の根っこ墓に残りて冬の暮


水戸の姓墓地に多しや伊達藩に謂れのあれや冬の日くれぬ

宝暦と記せし墓や我がたずね落葉を踏みて帰りけるかな

人死ねば騒がぬものや昼の月落葉をふみて我が帰るかな

墓あまた落葉にうもれ宝暦の年号見ゆや新地の墓地かな

たずぬれば倒れし墓や冬のくれ遺すものなく何を語らむ  

106歳と令和に死ぬや冬の暮その生思えば長くもあるかな

墓とても後継ぎなくば捨てられる参る人なく冬のくれかな 


今日は風もないので新地まで行った、冬の蝶を一羽八沢浦で見つけた
これはめずらしいかった、隣の女性は本当におとなしい人である
同級生の人がそういう人だったと言っている
ほとんど顔も見たこともないのである
すでに30年以上か40年いてもまともに顔を見たことがないのである
これも何か不思議である

蔵王が磯部から大きく見えた、結構険しい嶺が見えた
あんなふうに全容が見えたのは記憶しない、というより自然は山でもその時々で違ったように見えるのである、その印象が違ったものとなるのだ
蔵王は本当は厳しい山なのである

新地の駅前に行ったら葱が強く匂った、葱畑があった、どうしても新地だと田畑が目立つからそうなる、葱があんなに匂うとは思わなかった
私は鼻が蓄膿症で悪い匂いを感じないのである、でも今回は葱の匂いを感じたのである
葱(ねぎ)がこんなに匂うとは思わなかった

葱白く洗ひたてたる寒さ哉芭蕉 「韻塞」
葱買うて枯木の中を帰りけり蕪村 「蕪村句集」
うら町に葱うる声や宵の月蕪村 「蕪村句集」

葱は冬の季語なのである

それから尚英中学校の裏の墓地をたずねた
そこからは海が見えた、前にも来たことがあったが詳しく見なかった
今回注目したのはこの墓地は結構古い、なぜなら宝暦の墓があったからだ
一か所に墓が集められていた、それは塚というか粗末な石である
そこに宝暦とあった、隣はわからない、ただ宝暦だと古い

   1763年宝歴13年癸未  
  1771年明和8年辛卯  
  1780年安永9年庚子  
  1781年天明1年辛   
  
天明の20年前になっている、天明は飢饉の年である
宝暦は日立木の薬師堂にもあった

それから感心したのは短歌が真新しい墓に刻まれていた   

吾子逝きてななとせ過ぎし朧月時めぐりきて君を偲ばむ 七回忌

これは秀作である、このような秀作だと墓に刻んでも価値がある
朧月というのが良かった、何か死んでから七年くらいすぎると記憶が朧になるからだ
この吾子とはどのくらいの年だったのか若くて死んだのだろう
短歌を墓に刻むのも一つの記念になる
墓は何か無味乾燥だからである
この墓は平成29年とかに作られた、だからこれだけ新しいし立派である

ただ問題はこういうのは許可がないと出しにくい、姓は佐藤とあった
場所はわかっているし誰なのか地元の人だとわかる
貶めるわけではない、ほめているのだから許可されるかもしれない
後で文句言われるときはやはりその人が不満だったり名誉を傷つけられたときである
でもネットだとわからない場合がある、それも問題なのである
例えばこれを新聞に出したら目立つから勝手には出せないとなる
インターネットは本当に気軽に書いたり発表できるのである
そして自由にいくらでも書けるし写真でも出せる、まずマスコミだったらそんなこと絶対にできないからである

普通の町とか村でも見る物がない時、墓地をたずねるのがいい、今回は詳しく見た
水戸という姓がその墓には多かった
それで伊達藩と水戸家との関係からなのかとも見た
つまり墓地から郷土史が探れるのである
墓誌にその家の由来を記してあったりもする、それは古い家である

墓という時、それが何代も残っていればその家はやはり継続したものがあり家系としていいものを持っているとも言える
すべてではないにしろ必ずなんでも例外があるから数学の公式のようにはいかない
でもわかることは別に先祖でなくても両親のことをその息子でも娘でも語らない時
その両親のことを良く思っていない、だから語らないのである
そこにその家の問題があることは確かである
必ず両親のことを語るからである、そういう家は家系は残らないと思う

私の母の実家はめい子が墓を継ぐと頼まれて金をもらったが継がれないと思う
やがて無縁墓になるかもしれない、なぜなら何か不和分裂の家系だったのである
私は今はめい子と会うのも嫌だし墓参りもしなくなった
あの人は本当に異常である、あんなになることが信じられないとなる
人間はそれほど変わってしまうのかということである
ただ自分は子供の時しかあっていないからその後のことはわからないからなんともいえない
でもその変わり方は本当に異常である
とにかく何かそういう家系がありそういう墓は残らないともなる
ただ今は墓を受け継ぐ人がいないから一般的に墓を残していけなくなっている
だからこれからは墓が残る家はまれになってくるだろう

新地までは何回も行ける範囲である、何回も言うが今度乗っている電動自転車は楽だから行けるのである
でも暗くなるのが早いから冬は遠出ができないと思った
それでこの前ライトがなかったので側溝に転んだ
これは思った以上危険だった、側溝に落ちて死んだ人もいるからだ
側溝は意外と自転車にとって危険なのである
狭い道になるから暗いと見えないからである

この墓地については何かもっと詳しく知りたいともなる、そこで新地の歴史がわかると
新地について興味が深まるのである





ボランティアの最大問題は責任問題? (中村哲氏に日本政府は警告していた、受け入れ側にも責任があった)


ボランティアの最大問題は責任問題?

(中村哲氏に日本政府は警告していた、受け入れ側にも責任があった)


退避勧告を知っていたとして、それでもその地域にボランティアに出向くことの是非はどのように考えればいいのでしょう。

 もしも武装グループに拉致されれば、人質を解放するのにかなりの費用が費やされます。そしてこのお金は税金によって賄われることになります。「我々の血税をそんな無責任なヤツらに使うのは許せない・・・」という意見が出てくることは間違いないでしょう

 車を乗り合いにしないといけなかったり(人を乗せての事故は怖い)
子供のプールの監視も、何かあったら監視の責任らしく、「ずる休みした人勝ちじゃん!」と思ったり。

 ボランティアの者に子供任せる保護者の方のなかにも、なんと無責任なことか!と思う家庭があります。


 まるで学徒動員…日本五輪委員会の嘘が招いた過酷ボランティア

 。無償ボランティアが貴重な経験とは聞いて呆れる。強制であろうがなかろうが、”タダ働き”というボランティアそのものが罪なのだ。

 役員の報酬が悪なら、無償ボランティアの精神も結局は悪なのだ。つまり、タダほど高く付くものはない。


ボランティアはなぜいろいろ問題になるのか?
ここでは危険があるからその危険の保証をどうするのかが問題になる
またボランティアを頼む人にも問題がある

ボランティアはなにかあいまいな無責任が問題

それは頼む方でも頼まれる方でもそうである、人間社会は必ず責任が問われる
だから駅で案内のボランティアしていたがそれも受け入れ体制もないのに勝手にしていたら怪しい奴だと誰か見ていて警察に通報されてみんなの前で職務質問されただけだった
でも自分の場合はなんの危険もないしわずか数十分の案内していただけである
それは無人駅になって駅に立ち寄ったら自然とそうなったのである
今はほとんどしていないけど私は駅でどんな人がくるのか興味をもった
それで話したりしていて後はたまに案内していた

でも相手が必ずしも案内を受け入れるとは限らないから声をかけるのをはばかるときがあった、そのかねあいがむずかしかった
結局案内できたときありがとうと言われただけである
それを認めている人はいない、あの人何しているのというくらいである
だから怪しいとして警察に通報されて職務質問されたのである

人間の社会は何か本当に責任問題が大きいのである、誰が責任をとるのか?
それは原発事故のような巨大事故でもそうである
原発を作るのはいい、でも事故になったら誰が責任をとるのか?
結局誰も責任をとらなかったのである、それは戦争するのもいい、でもこれも300万人死んでも実際は責任をとっていない
でも人間は必ず誰かが責任をとらされるのである
戦争では国民が300万人死んで責任をとらされた、原発で故郷に住めなくなるという責任をとらされた、地銀の人が私はプロですからまかせてくださいと投資信託を頼んだら
損しても絶対に責任はとらない
手数料は確実にもらいあとは顧客のことはあなたの責任ですとなる
つまり責任は銀行ではとらない、頼んだ人がとらされるのである
それは原発でも同じである、安全神話を作り絶対に事故は起きないとしていた
でも事故になっても責任は誰もとらなかったのである
でも地元の住民は責任をとらされたのである

おそらくボランティアの最大問題は責任問題なのかもしれない
それは危険な場合がある、千葉県で屋根にシートを張るにしてもそこに危険がある
子供の世話ですら危険がある、何か事故があったらボランティアがとらされることがあるでも頼んだ親も無責任だとしている

ボランティアをする方にもされる方にも問題がある

そのボランティアで深刻なことが起きたのが中村哲氏が殺されたことである
政府ではテロ組織が狙っているから危険だと警告して行くなと言っていてもあえて行った結果的に殺された、それもガードマンを6人とか道ずれにしたのである

この責任は誰にあるのか?

中村哲氏の行動はただ賛美されるだけであった
でも今回は何かそれだけではない、ボランティアの問題が浮き彫りにされたのである

まずそうした紛争地域にはボランティアが入れるような地帯ではない

つまり受け入れ体制がないのである、中村哲氏はアフガニスタンの英雄とまでされていたからあんなことが起きないと思っていた
でもすでに仲間の若い医師が殺されていたのである
そして政府ではテロ組織の危険を忠告していたがあえて行った
そしてガードマンを6人も道連れにして死んだのである
やはりここにはどうしても手落ちがあった、中村哲氏の責任が問われることにもなった
その功績はあったとしても何かボランティアの問題が浮き彫りにされた事件だった

ボランティアは何か軽いものならいいような気がする
それだって子供の世話だって何かあったら責任が問われるから簡単にできない
私のした駅の案内など何も危険がない、でもそうなると誰も認めない
あの人何しているというだけになる、でもただそうでも何かどんな人が来ているのか話すことで情報を得る、それが目的としてもあったからいいとなる

ボランティアはいかにも何でもいいように見えてそうでもない
だから何かつくづく昔の諺はここでも活きてくる

ただほど高いものはない

人間は無料ですることがかえって高くつくとなる、それはオリンピックのボランティアでもそうだとしている、熱中症の危険があるとしているからだ
だから金を払うべきだとしている
人間のむずかしさはただ無料でしているからほめられるとかにならない
そこに責任が問われるから簡単に何でもボランティアがいいとはならないのである

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これは何を意味しているのか?

駅の業務をしないとこれほどまで書いているのか?
それはJRでは責任を問われることを恐れている、駅の業務を頼むとJRの責任になるからだだから高校生の見守り役に限定してNPOをに頼んでいる
その金はJRでは払わない、市の方で払っているのである
でもなにかしら駅の業務が駅員いれば聞かれたりするし何か案内があったりする
それで盲人が一人通っているから案内をすることを言ったらその人はしたのである
別にそれは危険ではないのである

とにかくボランティアで最大の問題は責任問題なのである

一体中村哲氏が殺された責任をどうするのか、誰がとるのか?

ガードマンが6人殺された責任は誰がとるのか?

政府がとるのか?

何かそれが問われる、ボランティアだと別に政府でも責任をとらないということも問題になる、でも政府にしてもアフガニスタン側でも責任があった
アフガニスタン政府でも危険だらか断るということも必要だったとなる
でも日本政府はテロ情報を伝えていて警告していたから日本政府には責任はなかったとなる
こういうことは前も危険地帯に行って殺された人がいたから問題になっていたのである
ただこんなふうに問うと人間は何もできなくなる
現実に今や子供に声をかけもできない時代である
みんな怪しいとされる時代だというのもそうである、それだけ人間の信頼関係が喪失した時代だから

ボランティア自体が盛んなようで実行することはむずかしくなっている
それはあらゆることで責任が問われるからだとなる
そうなると何もしないのが無難だとなってしまうのである
この駅の高校生の見守り役のように仕事を限定してあとは何もしない
それより何もしないことがかえって安全であり責任も問われないからいいとなる
そういう何か窮屈なものにもなってしまうのである
とにかく人間は人を何かしら責めたい、その非を責めたいのである
マスコミ自体が常にそうして人を責めている、それが仕事なのである
でもそんな資格があるのかとなると無責任だからそうしている

ただ人の口に戸はたてられない

必ずなにかにと言う人はいる、そういう人たちはとにかく相手の非を責めることが快感なのである
そして良き行動でも難癖つける、それは自分にもある
そういう人はケチつけるだけで何もしないのである





posted by 老鶯 at 09:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年12月08日

新しい産業が起こらない、フロンティアがない、投資先がない (停滞社会、中世社会へ逆行か?)


新しい産業が起こらない、フロンティアがない、投資先がない

(停滞社会、中世社会へ逆行か?)

世界史をふりかえると大航海時代とかアメリカ大陸発見からフロンティアがありヨ−ロッパは栄えた、オランダで航海するには危険であり沈没すると大損になる
でも成功すれば大儲けになる、それで株式会社として共同で出資して成功すれば株の配当でもうかる、オランダそうして栄えた
東インド会社とかを作り成功した
大航海時代はそうした世界がフロンティアとなっていた
その最大のフロンティアがアメリカ大陸だったのである

スペインは略奪国家だったけど南米で富をえた、ただそれが継続しなかったのはただ奪う国家、海賊国家だったからである
次にイギリスは自ら産業革命を起こして七つの海を支配した
それはただ奪うだけではない技術革新があった、今のITの技術と同じである
アメリカが開発したのでありそれで世界を支配する
鉄道の発祥の地はイギリスだったのである

日本では江戸時代までは新田開発でありそれで人口を増やした、一番栄えたの元禄時代だったのである、それは地方でも同じだったのである、葛尾村にも元禄の碑があったし相馬市の新田にも元禄の碑があった、この辺ではめずらしけど元禄の碑があるということはやはりこの辺で盛んに新田が作られたということなのである

明治になると個々人の家で零細な絹織物などの手仕事が大規模な産業となった
絹織物は養蚕農家を日本全体で作りだした
今でも兜形の家はいたるところに残っている、そこは養蚕がされた場所なのである
その絹織物はアメリカに輸出されたのである
原町の原町紡績(原紡)はこの辺では有名である
私の母はそこで糸取りとして十年働いた、それまでは農業が中心で現金収入は得られなかった

特に女性はそうだった、だから女性に働く場を与えたということで大きな変化だった、女工哀史とかあるけど全部がそうではない、そういう面はあったにしろ農業しか働く場がない時代から脱出したのが養蚕と絹織物産業だったのである
その後私の母は東京で女中になった
この女中もその頃女性の働き場だった、電化製品などないかである
それで中産階級でも二人も女中を雇ったいたのである
それだけ家事自体の労力がかかっていたのである
第一洗濯板で洗濯するだけで手間なのである、それはフランスのセーヌ河でも選択する女性がいた、それがルーブル博物館に絵として残っている
インドでは洗濯するカーストがあった、洗濯自体一仕事だったのである

戦前まで依然として農業に従事する人が8割とかの社会だった
そこでいかに農業で苦労したか?農民詩人を見ればわかる、食うや食わずであり小作が過酷でありその恨みが残った
その後戦争に負けて日本は焼野原になった、そして引揚者が開墾者となりやはり農業で生活しようとしていた、それも過酷で半分はやめた
でも戦後十年くらいから電機製品が世界で売れて高度成長時代になった
その後日本は電器製品から自動車産業が輸出産業となった
でも失われた30年となり日本が経済は停滞した
IT化にもおくれてスマートフォン時代にも乗り遅れた
そして新しい産業が起こらない、そして今は株が上がっていても好景気感はない
それはなぜか?歴史をみても新しい産業が起こらないとういことである
日本はITでは後進国だからである

そして自動車産業も衰退しつつある、そもそも自動車が自動運転化すると車の使い方が根本的に変わり車自体の数は必要ないという、車を実際に利用しているのは4パーセントであり家で使わないのである、ただ高い車を使わずに置いてある度合いが高いのである
ここでもAI化とかでかえって雇用する人が減ってゆく、人はいらなくなってくる
新しい産業は雇用を増大させるがAI化はかえって雇用する人を減らすのである

そして今金はどこでも余っている、その使い先が投資先がないのである
大企業でも膨大な金を留保している、それを社員の給料にもまわさない
保留しているだけで金が回らないのである、それだけ投資できない、保守志向になっている、銀行でも金が余っている、でも投資先がないのである
それで投資信託などを売りつける、それはゆうちょでも農協でもアメリカのゴールドマンサックスなどの餌食になっているという、投資信託とはそういうアメリカの頭脳となる人達が作り出したものでありそれで日本の金融機関から金を奪われるだけだとしている
金融とは金を右から左に回して差益でもうけている詐欺のようなものである
投資ではなく投機なのである、円高差益でかせぐFXのようなものである
だからもう地銀とか金融機関は必要なくなっている
かえって追い詰められているからそうした詐欺商品を売りつけるから害毒になる
それは医者がいらない薬を患者に与えて製薬会社と結託してもうけているのとにているのである
つまり社会に有効に働かない時、その人間は害になってくるのである
会社でも害悪として社会に働く、むしろそこで働くことは社会に害悪をもたらすだけだとなるから怖い存在になる

その仕事が害悪になるというとき例えばアフガニスタンで大麻を売らざるを得ない、栽培しなければならないのは食べるためにそうなっている
職がないからそうなったのである、メキシコで大麻でギャングがいるのはそれしか仕事がないからだとなる、それを簡単にやめさせることができないのである
だからそうして戦争でも失業者のために兵士にさせて仕事を与えるとまでなる
ナチスは失業者救済のため兵士にして戦争したとかなる
失業者が大量に出ると戦争にもなるのである
なにしろ追い詰められた人間は一番怖い、何でもするようになるからである
今日食べるものがないとしたらわずかの金でも殺す、そういう人に出会ったら最悪だとなる、でもそういう人が増えることはその社会はアフガニスタンやメキシコの麻薬社会にもなる、食べるために善悪もなにもなくなってしまうのである

だからこうして新しい産業も起こらないとか日本でも衰退してゆくばかりとなると非常に危険な状態になってゆく、それが金融機関にも現れているし社会が不安定になり犯罪も増えて来る
でも日本の場合は米が余っているとかとても食料不足になるとは思えない
アフガニスタンなどは食料すら確保できないから絶望的だからテロ国家になっている
ただ世界的に見て新しい産業はもう起こらないのかもしれない
AI化があってもそれは人力をますます減らすのであり今までの産業とは根本的に違うからである

するとどうなるのか?中世のような停滞社会、ゼロサム社会になる
そこでは何か内面性が追求される、精神世界の開発になる
第一パソコンとかITとかAI化は頭脳と関係して物つくりではないからだ
それに日本では追いつけなかったのである、物つくりが得意でもそうした頭脳となると苦手になる
ただ未来はどうなるかわからない、必ず予測しえないことが起きるからだ
津浪とか原発事故でもそうだった、予測し得ないことが人生では起きる
まず70年生きたら必ず戦争であり大災害であり何か大きなことがそのサイクルで起きているからだ
明治維新から70年後に太平洋戦争があり次に70年でまた大きな変化に見舞われている何か2019年も終わるけど2020年は本当にその節目であり大きなことが起きる
そうして時代が変わるのかと思う





posted by 老鶯 at 10:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題