2022年10月26日

銀行にまかせる投資は危険 (投資は長期的にしないとだめー金より時間が価値あるものだった)


 銀行にまかせる投資は危険

 (投資は長期的にしないとだめー金より時間が価値あるものだった)

何もしなければ10倍になっていたのに…投資信託を買う人がどうしてもやってしまう"最悪の行動"

これは自分の経験からもそうだった、そもそも間違っていたのが銀行にまかせたことである、銀行は投資のプロでもないし素人と同じなのである
ただ私は手続きとかめんどうだからまかせただけである
投資は別に自分で手続きして自分でトレダーになるのならいいのである
でもそうなると一日中パソコンの画面を見て取引することになるからめんどうになる
その時間がもったいないとなる、それでもうけても何かその人の価値を作るのかとなるとないとなる
私は何億円も株でもうけましたよと語ってもそれがその人の価値となるとも思えない
人間の価値は金で計るが全部は計れないからである

例えば大工さんの価値はやはりその腕にある、これまで培ったスキルがありそれは修行して訓練して仕事するなかで作られたものでありそこには価値がある
人間は何かしら積み重ねたものがありそれが実りとなり価値を作り出す
例え金にならなくてもやはり芸術とか学問でもなんでも価値を作りだす
私は株で百億円もうけましたよとなってもその人の価値は金にしかないとしたらどうなるのか、人はその金のことしか見ないのである
でもその金に魅かれる人はある、でもあくまでも金だけでありその人自身の価値ではないとなる

だから人間は意外と何に時間を費やしたかで人間の価値か決まる、そして時間だけは金持ちでも貧乏人でも平等に配分されている、特別多く配分されないのである
だから長生きするとそれだけ時間が多く使われるから早死にの時代よりその人の価値を高めることができる、高齢化社会の地獄を書いたがいい点としては生きる時間が長くなったことである、すると長い目で積み重ねでその人なりの価値を高めることができる
もちろん投資する金も必要である、ただ金だけでは何かすべての価値を作り出すことはできないのである
別にたいして金がなくても旅はできる、でも社長とかなくと忙しくてできないという
つまり時間はあらゆることに費やすことはできない、社長だったら社長の仕事があり他のことに時間を使うことはできないのである

例えば一つの外国語でも習得するとなると相当な時間がかかる、英語でも日本人がしゃべれないというとき外国語の習得が日本語からだとむずかしいからだとなる
すると膨大な時間を費やしてもしゃべれる人はまれだとなる
結局何をするにしても金だけではない時間がかかるのである
投資というのは確かに時間がかかる、それはリーマンショックの時、半分に下がった
ても8年後に元にもどしてその後に倍くらいになったのである
でも銀行員は上がった時に元にもどった時売ったのである

普通だったら上がり調子の時は売らない、では何故そうなったのか?

それは銀行の都合でそうなった、銀行でもうけるためにそうしたのである
一方的に話し合いもせず銀行員は売ったのである

何故そうしたのか?

銀行員はこうして株でも投資信託でも転売させる、そして別な商品を買わせる
するとその投資額が大きいと手数料が入るからもうかる
ただ自分の都合でもうけるのために銀行員だったらノルマのために転売するのである
だから銀行員には頼むことはするべきでなかったとなる
ただ投資は株でもリスクがあるのだから全部が銀行員の責任とはならない
結局自己責任になるのが自由主義民主主義の社会だからである

でも本当にそのままにしておけば倍にはなったのである
他でも転売したりして失敗した、というのはこんなに円安となることが信じられないとなるからである
もし外国に株を投資していればアメリカに投資していたら相当なもうけになったと驚いたからである
アメリカにも投資していたからである、だからこれも失敗だった
銀行にはそもそも素人であり頼むべきではない、頼んでも銀行員に判断させないで自分で判断することである、売る売らないは自分で判断できるからである

ともかく銀行員には投資は頼むな

これだけは間違いない、投資自体は資本主義社会だから悪いものではない
でも銀行は投資とか証券とか株の素人なのである、また証券会社と違ってそういうものを売るノウハウとか蓄積がないのである、だから銀行は証券とかには素人と同じなのであるただ銀行というとやはり会社とかに投資したり金をだしたりしているからプロだと思っていたのである

なぜ銀行がだめになったのか?

これまでは高度成長時代は会社を始めた人がいくらでも貸してくれと銀行に頼みに来た
でもここ30年は日本経済が低迷して借りに来る人が減って金余りにになったのである
だから利子もつかないし逆に手数料がとられるとか投資信託を売りつけられとかになった銀行とは何か今までは信頼できるものとして地域であった
堅い職業としてあった、でもそれも崩れた、それはゆうちょでもそうである
とにかく利子をつけられないということは致命的である
何のために金を預けているのかわからないのである
ただ貸金庫なのかともなる、そして預金封鎖があるとかなんと悪い話ばかりなのである
紙幣は紙切れになるとかである

ここで投資とは30年くらいみて投資しろとしている、それは確かにそうである
つまり上がり下がりがありその間に放っておいてももうかるとなる
それはリーマンショックの時半分になったのが元にもどりそれから倍くらいになったことでもわかる、それでも10年くらいの間のことである
このように投資とは長い期間を見ないと成功しないのである
短期間ではもうけることはできない、つまり投資の株のスキル以前に時間が問題だったのである

要するに人間の問題は意外と時間の活用が関係してくる、時間だけは一挙に増やしたりできない、30年間を見ろとなると長いとなるがそれが別に若い人だったらできるのである若い人の有利なのは体力があるとういだけではない時間があるという事でも有利なのである
それで庭に木を植えてもそれが育つまで十年かかるとすると植える木もなくなった
また家でも直してもリホームしてももう十年も生きないとると直す気にもなれないとなるだから老人は投資だけではない消費することすらできないとなる
ただこれまで費やした時間が何であったか問われる、学問にしても芸術にしてもこれも会得するに時間がかかるからである
一億円あってもではすぐに習得できるかとなるとならない、語学にしてもいくら一億円もらってもすぐに身につかないのである
それはあらゆることでそうである、何か技術でもすぐに身につかない、必ず時間がかかるのである

だから人生をふりかえれば

時間>金

時間の方が金より貴重だったとなる、もう最後は時間がないで終わる
金でないから終るという人もいるが何かする時間をがなくなって終わるとなる
時間切れで終わるというのが人生だとなっていたのである

そして大事なのはタイミングだ!

何するにもタイミングが大事である、投資でも株でもそうだった、もし株でも投資信託でも売らないでもちつづけたら大儲けだった
でも今になるとこれだけ円安になったからそのタイミングがはずれてできなくなった
投資するタイミングは株安の時だったからである
そして私自身タイミングをはずれて50代でバックパッカーになって外国に行ったが
今になるとそのタイミングをはずと外国旅行はできなかった
あとで親の介護になって国内すら旅行できなくなったからである
つまり何らかタイミングをはずすとチャンスを逃すとできなくなる
そしてそのタイミングとかチャンスは何度もないのである

それは人間の生きる時間が限られているからだ!

それが老人になって痛切にわかるのである

 ひとくちに30年間と言いますが、その間には株価の上り下がりは数え切れないぐらいありました。例えば大きな下落でいうと、1987年10月19日のブラックマンデーではNYダウ平均株価が一日で22.6%も下落しました。でも何もせずにそのまま持っていれば、その30年間でほぼ10倍になっているのです。

ただ正直これだけの長い時間を何もしないで待つとういことはむずかしい
何か不安にもなるから売った方がいいとなるからだ
自分の場合は銀行員がノルマを果たすため手数料をとるために売られたのである
だから別にもし本当にまかせられる人がいたらそうすればいいがそういう人はまれだろう銀行では銀行のもうけしか考えないからである
だから常に転売することをすすめる、そして新たに買わせて手数料をとるのである

とにかく老人には投資は株でも投資信託でも向いていないのは長い目で見れないからである
庭に木を植えても十年とかかかるとなるとその頃生きているのかとなり種を植えることもはばかるようになる、何か家を直してもあと何年生きているのだかなる
つまり時間が限られているから投資に向かないのである
ただ投資した成果を実りを老人になったら得るということである
それは金とは限らないのである、経験であり何かの習得であったりそれぞれに生きた時間で得たものが価値となるのである
未来に向かって投資することはいくら金があってもできない、時間が限られているからである
でも高齢化社会になると百才まで元気で生きるとなればそれだけ時間があるのだから
まだまだということもあるがやはりもう新たな投資することはむずかしいとなる

posted by 老鶯 at 11:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2022年10月25日

信教の自由とは何なのか? (統一教会は政治団体でもある,カルト団体がが信教の自由を盾にするのは間違い)


信教の自由とは何なのか?

(統一教会は政治団体でもある,カルト団体がが信教の自由を盾にするのは間違い)

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信教の自由を盾にカルト教団でもタブー化される、そして権力化して暴走する
それは原発でもそうだったのである、これも巨大な権力化して誰も批判もできなくなっていた
安全神話はこの政府と一体化した巨大権力でタブー化したのである
だから何かタブー化するのは危険だともなる
アンタッチャブルになりそれがナチスのように暴走するからである


常に宗教団体が批判されると信教の自由を言う、これを盾にして正当性を主張する
法律も常に都合のいいように利用されるのである
その解釈にもいろいろあり理屈はいくらでも言えるからである
そして最終的には法律でも権力がある者が決める、その権力が何かとなれば民主主義では選挙で政権をとったものである
すると選挙で勝てば数が多ければ法律も改正できるし何でも通るとなる
だから赤信号みんなで渡れば怖くないとなる

おそらく何が問題なのか?それは宗教法人とか宗教団体の問題である
信教の自由とは個々人にはある、個々人で何を信じようがいいともなる
だから無神論者もいいとなる、でも無神論者も一つの宗教だとしても無神論者の団体はないのである、ただ個々人的には別に神も仏もはいないというのは信教の自由で許されているのである
ただイスラム教国だと許されない、死刑にまでなるし殺戮される
イスラム国では信教の自由はないとなる

宗教法人とか宗教団体に信教の自由があるかが問題なのである

神は心を見ているという時、そもそもそれは個々人の心であり宗教団体のことではない
第一心を見るというとき団体化したら見ることもできないからである
団体化すること自体すでに政治化していることにもなる、また権力化していることになるなぜなら誰も一人だと社会では相手にしない、個人というだけで図書館に本を置くことを断られたりそもそも個人など社会では認めない、個人自体が犯罪者扱いなのである
でも団体化すれば犯罪的なことでも許されるのである

なぜ団体化すると社会で認めるのか?

それは団体化することは権力を持つからである、例えば一人で店で買うより十人が買うとなるとその十人の団体を相手にした方がいいとなるからだ
だからすべてこの世は団体でしか活動できない、NPOにしてもボランティアも団体でしかできないのである、つまり団体化組織化しないとこの世は動かないとういことである
つまり権力を持つためには団体化組織化することであるりそれは政治化することなのである
統一教会でも政治団体であり他のカルト教団も政治団体なのである
一番あからさまなのは創価である、宗教と政治が完全に一体化しているのである
教義自体がそうなっているから疑問も感じないとなる

だから奇妙なのはカルト教団は信教の自由を言うけど政教分離という法律があっても法律でも権力があれば無視できる、創価は完全に政教分離に違反していてもすでに自民党と一体化した政権なのだから無視である
だから自民党は創価公明党を批判しないのである、統一教会これほど問題にしているのに一切創価公明党にはふれないことでもわかる
でも政治的に質問権などを許可すれば創価も問われることになる

信教の自由は個々人にあるーでも宗教団体にあるのか?

そこが問題なのだけど信教の自由となれば何でも通るとなる、だから常に法律でも悪しく利用されるのである、理屈などいくらでも言えるからである
結局信教の自由というとき戦前はなかった、天皇崇拝となりその他は弾圧された
創価の初代会長の牧口恒三郎は逮捕されて獄死した
他の宗教団体も弾圧されたのである、そこで戦後は信教の自由が何かといわれるようになった、それはあくまでも宗教団体の信教の自由なのである
そして人間は団体化組織化することは政治化することなのである
民主主義ではすべて数で票で決まる時それで法律も作られ悪法でも作られる
そしてナチスは選挙で選ばれたことでもわかる、ナチスでも数が多ければ権力を持つことができるのである
こうして歴史的経緯があり戦後は極端に宗教団体とかでも批判されなくなった、でも逆にそこにも問題が生まれたのである
信仰なら信教の自由があり組織化団体化して権力を得ることも批判できないとなる、それは戦前の反省から極端化したのである

信教の自由というときこれも権力団体があり都合いいように使われるのである
力が正当化するのであり法律が社会を規制する訳ではないのである
だから創価になると権力を得ることしか頭にない、毎日選挙運動なのである
それは権力と御利益と直接結びつくからである
そういうものは大衆も即座に理解する、利にはさといからである
望むことは権力を得ることでありその他はどうでもいいということである
ただそこに宗教がかかわるからややこしくなるのである
宗教とはそもそも何かがが定義されないからである

現実は権力を得てこの世の王となることである、心の問題は関係ないのである
そんなことしたら人が集まらないからである
要するに人が集めるには心の問題より現実の利益であり権力を得ることが最優先課題なのである、そういうことは誰でも理解するからあれだけ人が集まるのである
だからそれが宗教なのか?信教の自由を言うがそもそもそれが宗教のなのか?
宗教は良心の問題だというときも宗教団体では関係ないのである、そんなことを問題にしているのではなく政治的利権とか御利益しか追求していないからである、それは一般社会だったら別に批判されないのである
でも宗教がかかわって信教の自由とかで批判するなとなるのがおかしいのである
それ自体が疑問なのである、信教の自由を盾にしているがそれは方便であり実質は権力を得ることだとしたら宗教法人でも許可すべきではないのである
宗教はあくまでも方便であり目的は権力を得ることだとなるからである
宗教と政治が一体化しているから複雑になっているのである
政治団体は政治的党派は許可される、でも宗教団体は実質は政治団体でも許可されるのかという問題がある

ともかく宗教が政治にかかわり権力を持つとおかしなことになる、別に預言者のように政治で権力を持つものを批判していい、それが日蓮でも預言者でもそうした
でもそれが政治団体化すると権力を持つことを目的化することは政教分離に違反するのである、でも自民党そのものが創価公明党と一体化しているのだから政教分離違反の政党であり法律違反だともなる
創価公明党に質問権を行使しなければならないとなる、それは他の宗教団体でもそうなるのである、でも自民党でも票が得たいからそれがでなきいとなる
つまり世の中は権力によって左右される、結局明治の前は戦国時代でも戦争で権力を持った者が支配するとなっていた、その後民主主義社会になっても権力が武力ではなくなったがやはり権力を追及するのが人間である、宗教でも権力を得る手段になる

目的は権力を得ることであり御利益を得ることでありそれしかないのである
あくまでも信教の自由とかいうのは方便である、権力をもちさえすればすべては通るとなる
それがナチスになったのである、現代では数が権力だからである
この世とはこの権力をどうするか、操作するか規制するかが常に問題になるのである
そのために三権分立とかもできたのである、権力は集団化して選挙でも得たものがナチスのようになる
権力が暴走するのである、原発事故だって権力を持ったものが起こしものだからである
だから権力を抑える監視することがどうするかか課題なのである、でも一旦権力を持つとその権力の悪しき利用が常にありそれを規制できない、それは歴史的にもそうでありそれが政治の一番の課題なのである

いづれにしろ宗教でもそうだが権力の危険なのはそれが常に権力自体が暴走する
それを制御できなくなることである、図のように必ず権力によって国民全体でも被害を及んでくる
オウムでも危険でも暴力装置化して権力を持つようにもなる危険があった
それでマスコミでも恐れて何も言えなくなっていたのである
マスコミは権力を監視するものとしてあってもそうではなかった
それは原発事故でも証明された、800億円もの金が電事連からでていたからである
宣伝費がでていて東電から朝日新聞でも全部新聞社では中国に招待されたとき事故になったのである
戦争中は朝日新聞が戦争を一番あおったとしている、それも権力側についた方が得だと判断したからである、だからこの世では政治では常に権力をどう操作するかか問題になる

でも結局人間ではできない、それで聖書でもみどり子に治めさせよとかまた老子だと治めずして治めるとか議員はくじ引きで選んだ方が公正になるとかなる
それだけ権力を持つと人間は危険なものになるからである
だからいかに権力を監視するかが制御するかが問題になるのができないのである
それは民主主義でもできない、なぜならナチスは選挙で選ばれたからである
民主主義だとすべて数で決まるのだから大衆化して数を集めようとしたのである
大衆社会になると大衆が権力を持つ、だからそもそも権力を制御することは不可能だともなる、人間はそもそもこの世を治めることが不可能だともなってしまう
だから神の国はこの世に成ることはない、神が治める神の国にしかないとなるのである
そこに人間社会の絶望がある、それは人間は権力を得ることを切望して争いが絶えないからである、それは民主主義社会でもそうだった、今度は大衆が数となり権力を持つようになったからである






2022年10月23日

南相馬市鹿島区浮田国造の謎 (地名から探る古代史ー物部、安曇、草(かや)部ー毛野氏の跡をたどる)


南相馬市鹿島区浮田国造の謎

(地名から探る古代史ー物部、安曇、草(かや)部ー毛野氏の跡をたどる)

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●浮田国造(うきたくにのみやっこ)の由来

『先代旧事本紀』「国造本紀」によれば、成務朝に崇神天皇の五世孫の賀我別王を国造に定めたとされる。
氏族
吉弥侯部氏(きみこべうじ、姓は不明)で、上毛野氏、下毛野氏、針間鴨国造などと同族神護景雲元年(767年)7月19日には宇多郡人の外正六位上勳十等吉弥侯部石麻呂が上毛野陸奥公を賜姓されている。

東界と北界にはそれぞれ大きな山があって、境界をつくっている。その山の向こう側が、毛深い人の住む国なのである。

「毛人(蝦夷)」説
「蝦夷」を古くは「毛人」と記したことから、「毛の国」、二字表記にして「毛野」の字が当てられたとする説。『宋書』倭国伝の倭王武の上表文には「東に毛人を征すること五十五国」という記述があり[原 1]、この「毛人」との関係が指摘される[6]。


地名と言うのは相当に古い、そして地名は古代に由来する、なぜなら最初に地名もない土地があるとしたら最初に来た人たちが名付けるからである
それで古代由来の地名が多い、その地名の多くは渡来人に由来する時、渡来人が最初に名付けたらかそうなった
確かにもともと住んでいた原住民がいた、ヨ−ロッパだとケルト人とかいてその人達が名付けた地名が今の地名でもある
日本だったら縄文人が一番古いから地名もその時代に基づくものとなるが言葉が明確ではないので実際の地名は渡来人が来て名付けたものが多い

そして南相馬市の古代史で一番の問題は一体桜井古墳には誰が埋められているのか?

これが問題なのである、賀我別王(かがわけ)が埋められているとのの説だとなぜ浮田国造の地域に真野地域に大きな古墳が作られなかったのか?
時代的には桜井古墳は古いからである、真野古墳群は大和王権に組み入れられたもので
大伴氏が派遣された支配した地域となる、つまり浮田国造は毛野氏が入ってきて国造(くにのみやっこ)が置かれたのである、ただすでにその前に大きな勢力が桜井古墳を作った人達がいた、それは物部氏だとなる、それは物部吉名という人がいて吉名郷ができたからである、真野郷も真野氏が入ってきて地名化したのである
一族の名前だということである、古代は人命とか氏族名が地名化しているからである

物部氏族にもいろいろあり

浮田物部

馬見物部

などがある、ここで馬見とはなになのか、それは鹿島区の浮田地区内に馬見がある
馬見塚となっている、それは上真野地区にあり上浮田の領域なのである
つまり上真野地区までも浮田の領域に入っている
この馬見はマミアナとして狸の字があてられている

信太の馬見山には小字名で駒込があり隣接して馬掛(まがき)があり駒込は馬を追い込んだ放牧地、馬駆けで馬場のことか、馬見山とかあるがマミアナは牧とか古墳などで馬に関係していることが多い、
(常陸風土記と古代地名ー鈴木健)

浮田国造がある地域に馬見がありその浮田国造は真野郷に編入されたともなる
馬見塚とは古墳があったからなのか、真野郷の寺内から小池には真野古墳群で有名であるただ横手にも古墳があるが上真野地区となると残っていない、ただ馬見はやはり古代に由来した地名なのである

最近できた高速道路のSAにも浮田神社が作った
この浮田は浮田国造として最も古い地区として歴史の正史に記されている
その浮田国造は毛野氏系統なのである
毛野とは栃木県とか群馬県を本貫とした氏族であり鬼怒(きぬ)川は毛野川だったのである

ここで注目すべきはなぜ浮田国造が毛野系統なのかということである
それを地理からみればまず一番古い地域は会津であることは歴史書に記されている
山側の方が古いというときもともと日本人は縄文人から始まっている
この縄文人は山を根拠として生活していた、この辺でも意外と一番古いのは飯館村でありそこから縄文中期の遺跡が土器とかが発見されている
もちろん海側にも縄文人は貝をとってとか暮らしていた、でも山でも暮していたし海側より山側が古いともなる、すると日本全体で見た時、山の方により古い時代は人々が住んでいたとなる、採集狩猟で生活していた、だから毛野というときここから遠いとなるがなぜそんな遠くから浮田国造として大和王権から官吏が派遣されたのかとなる
つまり毛野氏の勢力がその時大きいものだったからそうなった
そして毛野氏にも物部氏が進出していて一体化していた

毛野氏族はその分布からみて、大阪湾岸の茅渟地方にその起源をもち、血沼之別の流れとみられる。御諸別命より以前の系譜は難解であるが、三輪君一族との同質性がかなり濃く見られる。
 
毛野氏族の分布は、起源地の茅渟地方を出て摂津・河内に入り、近江から北陸道(特に能登)、信濃を経て毛野地方(上野、下野の両国)に到る経路をとって、畿内から東国へと続いていたとみられる。
 東国では、両毛に限らず、隣接する常陸西部や信濃における一族の分布も濃く、さらに下総にも分布が及んでいた。毛野では鈴鏡・鈴杏葉など鈴をつけた祭祀具が用いられ、古墳の埋葬品や埴輪にみられるが、この鈴文化圏は両毛を中心として、常陸西部・武蔵北部にも及んでいたことがしられる。

○ 毛野氏族は東国第一の大族であり、上毛野君をその宗族とする。朝廷の命をうけ東北の蝦夷を討伐し経営に当たったものであり、大和朝廷から独立した東国の存在とすることは

毛野氏族は東国第一の大族であり、上毛野君をその宗族とする。朝廷の命をうけ東北の蝦夷を討伐し経営に当たったものであり、大和朝廷から独立した東国の存在とすることは無理である。その部曲を吉弥侯部(公子部、君子部)としており、その関係氏族には本来の毛野氏族と血縁のない蝦夷の人々も組み入れられか付合されている可能性が強い。
 また、朝鮮半島にも出兵していることから、渡来系の色彩のある毛野一族(田辺史に代表される)も多く、その中には実際には血縁のない帰化人系統が上毛野君姓等を冒姓している可能性もないではない。これら蝦夷系・渡来系で本来は他姓であった氏族も、その判別が極めて困難であるので、ここであわせてとりあげざるを得ない。
 https://ameblo.jp/oyasumipon/entry-12103720558.html

  毛野氏族から出た地方の国造としては、上毛野国造、下毛野国造、針間鴨国造、浮田国造(及び能登国造)があげられる。この氏族奉斎の神社としては、下野国河内郡宇都宮の二荒山神社(宇都宮大明神)及び豊城入彦命を祭る示現太郎宮があげられる。また、駒形神(駒弓神、子眉嶺神、子檀嶺神)や豊受比売神(保食神)を奉斎したが、これは陸奥で顕著に見られる。

(4) 東北地方……陸奥国宇多郡の浮田国造の一族が、駒形神を奉じてさらに北方に展開したのが主な流れとみられる。ただ、毛野に属した蝦夷が混入したものも一部あろう。
 吉弥侯部(君子部。録・左京)、上毛野陸奥公(浮田国造の姓氏とみられる。中村、黒木−陸奥宇多郡仲村郷に起る)、吉彦宿祢(斑目、荒川−出羽仙北郡人。山口−下野人、越中にも分る。西沢−濃州石津郡人)、名取公(名取−陸奥国名取郡人、後甲州に遷)、名取朝臣(名取郡の菅井は族裔と伝える)、上毛野名取朝臣、上毛野遠田公(遠田−陸奥国遠田郡人)、上毛野中村公(中村−甲斐国山梨郡人)、、置井出公、上毛野緑野直(同上の改姓。出羽の田夷とされる)、上毛野賀茂君。
http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keihu/sizokugairan/kenu1g.htm

  また、出羽国秋田郡の金成(嘉成)氏は陸奥栗原郡に起っており、栗原郡の吉弥侯部の族裔(上毛野栗原公という姓氏があったか)とみられる。陸奥宇多郡黒木の諏訪神社祠官桃井は、同郡の物部末流か。
 下毛野俯見公(陸奥玉作郡の吉弥侯部の改姓)、下毛野静戸公(陸奥信夫郡の同)、下毛野陸奥公(陸奥柴田郡の丈部の改姓)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%BE%8E%E4%BE%AF%E9%83%A8

毛野氏一族の吉弥侯部氏(君子、浮田国造)がその伴造だったと考えられており[4]、賜姓の際には多く「上毛野」某公、「下毛野」某公の氏名を賜っている。一例としては陸奥国信夫郡の外従八位吉弥侯部足山守(きみこべのあしやまもり)が上毛野鍬山公(かみつけのくわやまのきみ)を賜ったことがある[2]。吉弥侯部のうち、一部の者は中央に貢進され、朝廷や貴族などに仕えて雑役に従事した。吉美侯部(吉弥侯部)が東北地方以外にも各地に広く分布するのは、律令国家が俘囚を全国に配して内民化をはかったためだと考えられる[3]。奈良時代後半の吉弥侯横刀(きみこのたち)は近衛府の判官(近衛将監)から上野介へと昇進し、「下毛野朝臣」を賜姓されている

陸奥国宇多郡の浮田国造の一族が、駒形神を奉じてさらに北方に展開したのが主な流れとみられる。

この吉弥侯部は相馬地域では相馬市に配置された、つまり真野の草原とは真野郷のことであり相馬市は古代でぱ毛野氏の吉美侯部が支配していたのである、なぜなら宇多郡に相馬市に駒ヶ嶺がありこれは駒形神であり高麗にも通じているのであるそしてここは境界ともなっていた、毛野氏の勢力は相馬市から名取の方へ拡大したのであり、物部氏とか安曇氏の支配する原町区の桜井古墳がある方には拡大しなかったのである
泉かんが跡は大和王権の官営のものであり真野郷が大和王権に大伴氏などによって組み入れられたのである、ただ毛野氏に入ったのが物部氏であるから何か対立したとはならない物部氏が最初に大きな勢力となり桜井古墳を造り安曇氏と一体化していたのである
鹿島区には安曇氏の綿津見神社がないからである

毛野氏は大きな勢力として古代にあった、蝦夷というときこの毛野氏のことだという学者もいる、

陸奥宇多郡黒木の諏訪神社祠官桃井は、同郡の物部末流か。これは物部氏と毛野氏が結びついていてそう推測した

『古事記』によれば、10代崇神天皇は12人の御子がいたとありますが、そのひとり
豊木入日子命(トヨキイリヒコノミコト)について、

 「豊木入日子命は、上毛野、下毛野君等の始祖」
 
●埼玉県稲荷山鉄剣が意味するものー毛野氏がかかわっていた 
 
埼玉稲荷山鉄剣から発見された鉄剣に「獲加多支鹵大王」、「斯鬼宮」の文字があ
り、これをワカタケル大王、すなわち雄略天皇のことと、磯城宮のことだとする説があ
りますが、解読をめぐっては決着をみません)

 ただし、関東の氏族たちは大和王権の勢力圏に加えられながらも、6世紀に至っても
なお半独立性を保っていたとも考えられます。
 おそらく上毛野の東部の氏族たちも同様だったでしょう。
 それに対して、武蔵の紛争に介入する形で東国に進出してきた大和王権はその支配体制をより強力なものにしようとしたと思われます。
 
1意富比抔 おほひこ
2多加利足尼 たかりのすくね
3弖已加利獲居 てよかりわけ
4多加披次獲居 たかひ(は)しわけ
5多沙鬼獲居 たさきわけ
6半弖比 はてひ
7加差披余 かさひ(は)よ
8乎獲居臣 をわけのおみ

意富比抔 おほひこは多(オウ)氏であり神八井天皇に連なる大きな氏族である
笠は加佐であり韓国の地名なのである,笠とは当て字にすぎないのである
埼玉古墳群の南方10km程の所に、笠原という地名があり、使主はここを拠点とした豪族であるとされている。

『日本書紀』安閑天皇元年(534年?)条に記載されている。同条によると、武蔵国造の笠原直使主(かさはらのあたい おみ、おぬし[2])と同族の小杵(おき・おぎ)[注 1]は、武蔵国造の地位を巡って長年争っていた。小杵は性格険悪であったため、密かに上毛野君小熊(かみつけののきみ おぐま)の助けを借り、使主を殺害しようとした。小杵の謀を知った使主は逃げ出して京に上り、朝廷に助けを求めた。そして朝廷は使主を武蔵国造とすると定め、小杵を誅した。これを受け、使主は横渟・橘花・多氷・倉樔の4ヶ所を朝廷に屯倉として献上したという。

武蔵国造の乱
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E8%94%B5%E5%9B%BD%E9%80%A0%E3%81%AE%E4%B9%B1

ここに内乱があり上毛野君小熊の助けがありと記されていて毛野氏が大きな勢力であったことを示している
その前に毛野氏と物部氏が結びついていた、そのことは南相馬市相馬市の領域にもあったなぜなら南相馬市の原町区でも桜井古墳は誰が葬られていたのか?
それは毛野氏と一体化した物部氏になるのが有力だからである
それは大和王権が全国を統一する前に物部氏が大きな勢力となっていて古墳も作られた
それが東海地域と関連しているとかなると物部氏なのかとなる
ただ東海地域としてもその時は海伝いではなく毛野氏の支配地域の山伝いに物部氏が進出してそれがこの地域に及んだとなる
ただここで大事なのは毛野氏が関東東北の古代で大きな勢力でありそれを見ないと理解できないのである

●たかは高句麗、高麗に由来していて物部氏は筑後国の高良山を祭神としている

有名な稲荷山鉄剣銘に

2多加利足尼 たかりのすくね
3弖已加利獲居 てよかりわけ
4多加披次獲居 たかひ(は)しわけ

このタカは高句麗や高麗のことであり九州の壁画古墳は高句麗系統のものである
「肥前風土記高来郡」とは高来の峰とある山であり「和名しょう」に郡名として(高来多可久とありタカクと読む、高句麗は紀元前一世紀中ごろから668年までつづいた高句麗のことである、今の北朝鮮地域である、918年に建国されたの高麗である高来とは高麗から来た人達の意味である、

肥人の額髪結へる染木綿(しめゆふ)の染(し)めにしこころ、我忘れめや)

万葉集の肥人(こまひと)とは高麗人でありこれは高句麗のことである、熊本とかある熊はコマだクマとなまったものだとしている

この本に相当に詳しくこのことを書いている、そもそもその常陸から移住して作られたのが行方郡であったから地名も移動しているのである、地名は最初に移住した人達が名付けたのである、その前に原住民とも言える蝦夷が住んでいた
海老のエヒはそうである
だから常陸からそっくり地名まで移動しているのである、高倉とかあり信太とか駒ヶ岳とか相馬市にあるがこの駒はコマは高句麗のことである
物部氏は高句麗から来たのでありだからこそ馬にも乗り船も操作する技術ももっていたのである
多珂神社は大きな神社であり格式ある神社である、その隣に綿津見神社神社がある

それで九州に見られる装飾古墳は高句麗由来のものでありその九州の物部氏が最初は毛野氏に入りそれがこの相馬地域にも入ってきて浮田国造になった
なぜ毛野氏がこの地に関係したのかというと地理的にもともと奈良から大阪地域から日本海側に出て越の国から加賀に勢力を伸ばした、日本海側の方から進出したから浮田国造が加賀別王になっているのである
常陸から移住した人達は毛野氏より後なのである、だから毛野氏はもともと蝦夷であり一番古い氏族だったとなる、最初に大和王権が遭遇したのは毛野氏であり毛野氏は蝦夷でもあったが大和王権に組み入れられたのである

七国の高麗人(こまひと)、1799人を以って武蔵国に遷し高麗郡置く(続日本記)高麗川があり高萩も由来であり高来(たかき)から高萩になった
高萩には駒形山弥勒寺があったしここを一体として高麗原と称していた
高萩に駒木原、呉坪があり高句麗の句麗(くれ)である、高句麗系統の地名の伝播がある相馬市の駒が峰もそうである、駒をあてたがもともと高句麗のことである
ただ高句麗は北方の騎馬民族であり馬に乗るのにたけていた、また船を操作する技術も持っていた、だから装飾古墳とかに馬に乗った武人が描かれているのである
(常陸風土記と古代地名ー鈴木健)

この本は詳しいからそれを読むとなるほどと得心する

神武天皇の東征の神話も多氏の事跡を基に作られたとか神武天皇の前に神八井耳命(多臣の始祖)が支配する国造の系譜がある。これは全国に及び道奧石城國造もそうである出雲国に「阿太加夜神社」 (出雲風土記、意宇郡)があり大隈国−蛤羅郡に阿多小崎君(古事記)がいて鹿屋郷がある。それがそのまま出雲−伯耆国(安曇郷 鹿屋郷)→国→因幡国に移動しているのだ。この伽耶に由来する地名は関東になると埼玉郡に草原郷があるだけで少ない、それがなぜ陸奥真野の草原郷にあったのか?

●桜井古墳は物部氏が作った

この地のに最初は物部氏が入り桜井古墳が作られた、それは大和王権より物部氏のものだったとなる次に大きな謎なのは綿津見神社が原町区から小高区でも多いことである
本当にいかに綿津見神社が多いから20近くあるようにも思う、それも格式が高いものなのである、だからなぜこんなに綿津見神社が多くまた対になった山津見神社が多いのか
飯館村の山津見神社は綿津見神社と一体となっている大きな神社なのである
それは安曇氏系統が入ってきてこの地を開拓したからだとなる
焼畑とか農業の技術もあり船を作る技術ももたらされたからである

この辺では物部氏が先であり次に綿津見神社を建てた安曇氏の後継者が入り最後に大和王権の直属の大伴氏が真野地域に入った、そして前方後円墳に金銅双魚佩を残したのであるただ謎は一体時代順序がわからないのである、物部は一番古いとわかる、次に毛野氏とかになり安倍氏でもそうである、でも安曇氏に関しては歴史書に記されていないのである
それが謎なのである、でも地名として安曇族の系統の八木氏とか犬飼氏が地名化しているそれは八木沢峠がそうであり霊山をおりた所に犬飼というバス停があるのもそうである
犬飼(犬養)は安曇族の系統だからである、安曇氏の後継者だったからである
また吾妻山は安曇(あづみ)のなまったものだというのもそうである

ただ安曇族は太平洋側から入ってきたのである
なぜなら松川浦に和田と山津見という地名があるからだ、和田とは綿津見(わたつみ)の和田(わた)なのである、それが対になっていて飯館村の方に移動している
栃窪村に山津見神社があり宇多川をさかのぼった所に山津見の社が隠されるようになったまた八木原というのもあり明らかに八木氏なのである
だからこの安曇族のことはただ神社があるだけで正史に記されていないから謎なのであるでもなぜこんなに多く神社があるのかとなる、それが解明されていないのである

でもこの安曇族は九州の福岡から出て移動してきた海人族であり古事記にも記されている有力な氏族だった、でも安曇族のことは後にその存在感が消失してゆく
でもなぜこんなに綿津見神社が多いのか、特に南相馬市の原町区に多いのかとなる
最近では大原にも綿津見神社があったことを発見した
つまり大原を通り飯館へ八木沢を峠を越えて入ったということである
それで安曇族の後継の八木氏が入ってきて八木沢峠になったのである
三方向から飯館村に入った、一つは松川浦であり一つは真野川をさかのぼった栃窪村から入った、おそらく栃窪村は塩の道の通り道でありそこは古代も通り道だったとなる
もう一つは大原から八木沢峠を越えて飯館村に入ったのである

そして物部氏は歴史書に余り記されていないが物部吉名という人がいて小高は吉名郷という古代の大和王権の領域として支配された、だから確実に物部氏が大和王権の前に支配していた、ただ綿津見神社や山津見神社を残した安曇氏については歴史書に記されていることがわずかなのでわからないのである
物部氏というとき右田の御刀神社が右田にある、その前は湿地帯になっていて江戸時代に開拓されて田になったのである
海老はエヒでありこれは蝦夷のことである、海老には津波で30人が死んだ高台にも古墳が最近発見された、弥生時代から人はそこに住んでいたのである
右田は江戸時代から住んでいたから新しいのである
なぜ右田に御刀神社があるのか、それは海老は蝦夷でありそこで争いがあり物部氏と戦うこともあり刀を使うからそうなったのである
つまり最初に蝦夷と戦ったのは鹿島区では物部氏だったとなる
その後に大和王権が蝦夷と戦い鹿島御子神社を創建したのである

つまり一番古いのは桜井古墳がある原町区であり物部氏が最初の移住者であり入ってきた次に毛野氏が入り浮田国造に大和王権から官吏が派遣された
その後に本格的に大和王権が直接的にかかわり真野地域に前方後円墳が作られた
そこに金銅双魚佩が発見されたのである、それは大和王権から大伴氏が覇権されてこの地の支配者に贈与されたものである
だからその古墳は大伴氏が葬られたのかもしれない、その大伴氏を慕った笠女郎がみちのく真野の万葉集に歌を残したのである

桜井古墳(物部氏)⇒(安曇族(綿津見神社)?⇒毛野氏(浮田国造)⇒大和王権(大伴氏)(真野古墳群)⇒真野の草原の歌

こういう順序になる、ただ綿津見神社を多数残した安曇族がどこに入るのかその順序がどうなるのかわかりくいのである、毛野氏の前なのか、毛野氏の後なのかわかりにくい
ただ歴史書に記されている安曇氏は古い氏族である、だから物部氏の後か同時期なのかとなる

神武天皇の東征の神話も多氏の事跡を基に作られたとか神武天皇の前に神八井耳命(多臣の始祖)が支配する国造の系譜がある。これは全国に及び道奧石城國造もそうである出雲国に「阿太加夜神社」 (出雲風土記、意宇郡)があり大隈国−蛤羅郡に阿多小崎君(古事記)がいて鹿屋郷がある。それがそのまま出雲−伯耆国(安曇郷 鹿屋郷)→国→因幡国に移動しているのだ。この伽耶に由来する地名は関東になると埼玉郡に草原郷があるだけで少ない、それがなぜ陸奥真野の草原郷にあったのか?

●物部 安曇部、草(かや)部

高良神社の祭神五姓とは丹波、物部 安曇部、草部、百済という

高麗に属するものとして物部があり安曇部があり草部がある、ただ草部はカヤ部ともあてられるが草部はクサ部と読むと違ったものにはなる
カヤと読めば伽耶の国のことになるからだ、物部、安曇部と連なっている時、原町区の桜井古墳はこの二つの氏族が関係している、というのは二つの棺があったとかなるとやはり物部氏と安曇氏の首長が葬られたのかとなるからだ

東界と北界にはそれぞれ大きな山があって、境界をつくっている。その山の向こう側が、毛深い人の住む国なのである。

「毛人(蝦夷)」説
「蝦夷」を古くは「毛人」と記したことから、「毛の国」、二字表記にして「毛野」の字が当てられたとする説。『宋書』倭国伝の倭王武の上表文には「東に毛人を征すること五十五国」という記述があり[原 1]、この「毛人」との関係が指摘される[6]。

古墳時代前期には東海地方由来の前方後方墳が多く築かれたほか、同地方由来の「S字甕」と呼ばれる土器も多く出土しており、畿内に対する独自性が見る説がある[20]。一方この墳丘形式について、墳丘規模がどの地域においても前方後円墳が前方後方墳を上回ること、東国においても前方後円墳と前方後方墳が併存していること
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%9B%E9%87%8E

九州が出雲より古く出雲をあけ渡す前に、おそらく安曇部族が入っていた
その験しとして安曇族の信仰や伝来物が包囲した形跡がある

阿部氏(安倍)はアヅミのなまったものである

福島県の吾妻山とか安積(あさか)とかも安曇(あづみ)のなまったものだという
http://musubu2.sblo.jp/article/189571236.html


これは九州のことであるがこれが不思議にこの辺と関係している
なぜなら桜井古墳は物部と関係して安曇となるととにかく綿津見神社が原町区には本当に多すぎるからである、20もあるとしたら本当に多い、この三つの部は明らかにこの辺にもあてはまるのである
ただ百済は違うとしても伽耶国とか唐(から)は関係している、唐は中国のことではなく韓国の韓(から)である
原町区には物部と対になって安曇氏がかかわっていたのである
ただなぜか安曇氏は正史の記録として残らなかった、でも神社は多く残した不思議がある物部系の神社が見あたらないからである
何らか物部氏は歴史から消されたとなる、安曇氏も消されたのである
残ったのは大伴氏でありそれは寺内古墳群を形成したのである

鹿屋野比売 顕宗即位前記 取葦草葉

<日本書記 神代上81>

草祖草野姫

この草祖草野姫(かやのひめ)は不思議に寺内に祀られている、この草とあてているがカヤであり伽耶国の姫ともなるのである、何らかで伽耶の国の人が葬られていくいる墓だったのかもしれない、それで真野の草原はこのカヤに由来しているのかとなる
萱が茂っていたから憧れの地とかなったとはありえないのである

黒樹取 草毛苅乍 仕目利 勤知気登 将誉十万不有

黒木とり 草(かや)もかりつつ 仕へめど 勤いそしき奴わけと 褒めむともあらず

皮のついたままの丸太。製材してない皮付きの材木。くれ。くろぼく。⇔赤木。
※正倉院文書‐天平宝字六年(762)三月九日・造石山寺所告朔「採黒木百八十物〈柱桁間度之類〉」
A 三〇センチメートルぐらいに切った生木をかまどで蒸し焼きにして黒くしたもの。たきぎとして用いる。京都の八瀬、大原あたりでつくられ、大原女(おはらめ)が頭にのせて京都市中を売り歩いた。江戸中期(天明ごろ)にはすでに名ばかりで、普通の粗朶(そだ)であったらしい。大原木(おはらぎ)。

黒木という地名が相馬市にありこの由来も古いとなる

阿太加夜神社」 (出雲風土記、意宇郡)がありこの阿太は安達太良や安達の地名と同源である。安積は安曇族と関係しているとなると海人族の宗像市などともに九州から出雲、瀬戸内海と海人族の跡は残っているからそれらと一緒に草原の地名も移動したのである。意富(オオ)氏と「阿太加夜神社」は草(カヤ)原という地名はセットととなって武蔵に移動して陸奥の真野郷に移動した。
http://musubu.jp/manokayagimotoketa.html

金銅双魚佩が発見された寺内の前方後円墳の下に草野姫(かやのひめ)が祀られている真野明神がある。ここはかなり重要な場所である
この草野姫とは伽耶から来た姫ともなる、つまり単なる草のことではない、伽耶国にまつわるものでありそれが祭られていたとなる

ともかく物部氏ー安曇族ー毛野氏吉弥侯部)ーは一体としてありこの地に関係した
ただ物部氏は一応物部吉名とあり吉名郷があり名前を残しているがその外神社がないのである
でも安曇族の残した神社は綿津見神社は多いのである、これも謎なのである
正史には記録がないことも不思議なのである、ただ他でも伽耶がかかわったとしてもそれも正史には残されていない、大和王権が最後にかかわった大伴氏族は正史に記されているし万葉にも残されているし大伴氏となれば天皇に仕えた大豪族だったのである
それで真野の草原の歌を残したとなる、浮田国造は毛野氏の系統でありその隣の相馬市の宇多郡が毛野氏系統の君子部が支配した、つまりここも一つの境界となっていたのである原町区の方が先に物部氏とか安曇氏が入ってきて開拓して桜井古墳を作った
でも大和王権は最初に毛野氏を通じて浮田国造を置き浮田地区が最初の拠点となった
その後にここに大和王権直属の大伴氏が入り支配したのである
そして金銅双魚佩はその首長に贈与されたのである

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2022年10月22日

高齢化社会の地獄-大事なのは健康 (8050問題は始まっている-頼る人がいない恐怖の経験)


高齢化社会の地獄-大事なのは健康

(8050問題は始まっている-頼る人がいない恐怖の経験)

●人間の体もこれまでの行為の積み重ねで健康もあり不健康にもなる

72歳で脳梗塞になったのは辛い、ただ近くで三人くらいその前の年ても脳梗塞になっている、だから70以上になると何らか病気になりやすいのである
知っている人は煙草も吸っていたし健康的にはいいものではなかった
なぜ煙草をやめられないのか、他の人でもやはりストレスがたまりそうなっていたのである、問題はストレスでありそれが解決しないとやめることもできなかったのである
女性でも今は普通に煙草を吸う人はいる、でもそれが老人になって60以上になって
病気となる場合がある、もちろん煙草と癌の関係ははっきりしないがいい影響はないだろう

ともかく人間はそもそも突然何か病気になったり何でも突然には起きない、これまで積み重ねたものが現象になり症状となって現れてくる,カルマを積んでいてそうなっているのである、それは裕福でも楽した人も最後はかえって苦しむとかある
つまり人間はカルマから苦しみから逃れられない存在なのである
それは肉体的にも精神的にもそうである、生まれつきもある、人間は遺伝的に必ず誰でも欠陥をかかえているからだ、それは自分自身でもそうだった、高校の時蓄膿症の手術を二回もしている、それで頭がさえずやっと三流大学に入学できたのである
それも家族に恵まれてできたのである、今でもやはりこ鼻腔が狭く息が十分にできないのである
でも私は30頃に煙草とか酒はやめた、それが意外とそれが影響していてまだ体がそれほど衰えないのかもしれない、たた衰えていることは衰えている
それから私は学校とか会社に適応できな体であり心でもそうだった
だからそういう場所でマイナスであれ働くことがなく自由に生きられたので良かったのである、だからそうさせてくれた親には感謝しているから介護もできたのである
死んでも供養しつづけているからである

すべては生まれつきでは決まらない、体力ある人でも無理するとそれが後年たったて病気になり早死にしたりするからである、スポーツ選手が意外と早く死んだりするのはそのためである、では体力がない人がいいともならない、何か体力がない人は若い時でも冒険がしにくいからである、それで私でも登山はきつくてやめた、疲れ方が尋常ではなかったからである、40前で登山はやめたのである、その後は自転車旅行になったのである
自転車旅行は意外と楽なのである、ただ登山より楽だというだけでそれなり厳しい面はあった、でも疲れたら休めるし食事もとれるから長距離でも行けたのである
だからもしかしたら70以降でも自転車旅行はできないことはないかもしれない
つまり老人でもできるのが自転車なのである

●高齢化社会はマラソンになる、最後まで健康で走りぬいた人が勝利者

ともかく高齢化社会になるとマラソンなのである、70以上とかなると力尽きて脱落してゆく人も増える、病気になったり死んでしまう人もでてくる
つまり百才まで健康に生きる人がまれだというときそれはマラソンなのである
百才まで走り続ける人が本当に百才を生きた人なのである
でもどうしてもそれまで故障したりする、そこで百才を元気で走れる人は極まれだとなってしまうのである
金も必要だしまた百才まで生きればかかる、でも健康でないと悲惨になる
介護でも息子娘にも頼れないとかなっている時代である、それも息子娘も今は生活が厳しいからそうなる、頼りにくいからである

その負担は肉親と家族だけで負いきれないのである、その女性は72歳で脳梗塞になっても頼る人がいない、知的障害者の人を一番世話したが他の兄弟二人とはうまくいっていない、だから脳梗塞になっても知らせるなとか言ったという
また知的障害者の人に頼って頼ることもできないとなる、何か兄弟三人いきても二人は親のめんどうみたくないとなっている
でも誰がめんどうみるのか?父親は施設で死んだから良かった、では母親はこれからをなるのか、知的障害者の息子がめんどうみれるのかとなる
軽度にしても何かやはりわかっていないことがある、まだ母親は世話してくれるめんどうみてくれると思っているのである、その辺の理解がたりないのである
そこで知的障害者なのだとなと思った

普通だったら50歳まで子供の時のように世話していたら親が病気や介護になっても必死で世話する、自ずと強制されなくてもそういう気持ちになっているからだ
それは自分自身のことだった、60歳まで世話してくれた、だから私は自ずと自分が病気になっても必死で世話して介護したのである
悲しいのはそうして親に尽くされた人がそういう感覚を持てないことである
一応親に対して全くなにもしないということではないが何か親がまだ世話してくれると思っているのである
そんなこともう不可能でありそこが認識されていないのである
そこに不幸が悲劇があったともなる、何らか家族でもこうして悲劇がある

●病気や介護になると頼る人が問題、非情な人になると地獄になる

私自身の家族でも悲劇だったのである、家族が認知症でばらばらになったからである
その苦労をプログで書いてきたのである
たから人間は悲劇的に終わること知ったのである、それは私の家族だけではない何か悲劇的に終わるのが人間なのかということを知った
人間は悲しむ存在であり悲劇的存在なのである、地獄を生きるのが定めだと親鸞が言ったのもわかる、この世とはなんらか地獄を生きることなのである
戦争を生きた人もまこにこれこそ地獄を現実に生きたのである、その戦争の地獄は経験しない限り理解できないものだったのである

病気、介護⇒頼る人⇒?


頼った人⇒事業失敗して借金した人または泥棒(自分)

頼った人⇒5才で捨てられた子供⇒親は認知症になり金のみをねらい施設に入れる

頼った人⇒知的障害者の息子(ほかの二人は頼りにくいから)

ここに恐ろしい悲劇があった、頼る人がそういう人だったということである
でも他にいないからそうなったのである、これもその人のカルマだけど恐ろしいと思ったこの世とはこうして恐ろしい場所だと自ら認識した
もちろん介護などしたくない、それはわかる、でもそれだけではないそういう人は簡単なことすらしたくないのである、それが必ず行動となって現れる
だから病人の世話とか介護とかにその心が出やすい、なんでこんなジジババを世話しなければならないのだ、そういう気持ちが持てないからである
兄弟でも親に良くされ人が介護しろというのはそのことである
つまり人間はいくら装っても本心を偽ることはできないのである
必ず行為となって現れるから怖いのである、日ごろは隠されているが相手が弱者化したりする怖くないとなりその本心が現れるのである

知っている人は実の娘は五才まで育てていたが嫁ぎ先を出ては金持の家に後妻に行ったから金はもっていた、でも認知症になっていたのである
その人は全然親とも思っていないのである、ただ金だけ欲しいとなっていて施設にあづけただである
本人は頼る人がなくなってそうなったのである、これも恐ろしいことである
人間は必ず親でも子供に対して強い時がある、絶対服従だとかなる、でも後で必ずまた弱者化する、例え金があったとしても認知症になったら貯金すら下ろせなくなるのだ
これには本当に自分でも驚いた、いくら金を持っていても何にもならない、もう金を自由にできないのである
金を持っていてもそれ自由にできない、法律的に資格を失ったしまったのである
これは体だけではない、何の権利もなくなってしまったのである、そこに認知症の恐ろしさがある
もし信頼する人がいないならその人はどうなるのか?
実の娘でも育ててもいないのだから金だけが目当てになる、そうでなくてもこの世の中金だけが目当てなのがフツウだからである
施設で金持ちを介護してもそこに愛情など持てないからである、むしろこいつは金もっていて働かせられていると思っているからそれが行為となって必ず現れる、人間はどうしても本心を隠すことはできないのである

こうして楽した人でもカルマとなり苦しむことになる
誰もめんどうみる人はいないということである
助けてくれと言っても金をだせ、全財産を出したら助けてやるとかなる
そういうことがやりやすいのである、それが非情な人間社会の現実なのである
つまりこの世は地獄だということである、非情な人間がいるから地獄になる
他人の苦しみでも田舎なら楽しみにもなる、田舎の人間が情あるなど今はないからである人間は地獄を経験するために生まれて来たともなる
それはやはり地獄に生きることで天国を渇望するためなのともなる
ただひたすら念仏でも唱えて来世の極楽に行くことしか希望がなかったともなる
それがこの世の現実だったのである

●人間の本性の怖さ

また老人は老人を頼りにできない、病人が病人を頼りにできない、それだけの力がないからである、知っている人は糖尿病であり最近良くなったとしても85歳であり頼りにならない、老々介護になると介護する力もないとなるからこれも悲劇なのである
でも若い人に息子娘に頼ることもなかなかできない社会になっている
そこで悲劇的な最後になる人がさらに増加する、高齢化社会の地獄絵図がそこに展開する時代となる
おそらく一番世話した知的障害者の息子にその母親は頼っていることである
それが悲劇になる、私が頼ったのも泥棒であり金だけを要求するような人ばかりだった
他でも悲劇的なのが5才まで一緒にいた母親に育てられた娘にしか頼ることができなくなった、その娘は母親となと思っていないからである

本心が現れた世界が地獄!

地獄とは何か、それがダンテの地獄辺のように本心が現れた世界である、人間の悪が非情でもあからさまに隠されることなく現れた世界である
この世ではそうした本心は隠すことができる、でも地獄ではあからさまに現れる
それがまさに地獄なのである
「お前なんか世話したくなかったんだよ、俺は欲しかったのは金だけだよ、金持ちだから金をもらいたいだけだったんだよ、世話する気持など全くなかたんだよ」
こういう本心が行為となって現れ虐待になる
この世ですでになっていることもある、だから病気と介護の問題は金で解決できないのである、どうしても気持が現れるからである

いつも若い世代は老人は死んでくれといっんているときそれが冗談のように思っていてもそれが必ず現実化する、それは老人施設でも病人の世話でも介護でも起きて来るのである人間は力ある者、権力がある者には低姿勢になりごますったりするのが普通である
でも相手が弱者だとなると平気でいじめたりする踏みつけることもする
つまり人間を見る時弱者に対してどういう態度をとるかでわかる
そこに本心が出やすいのである、だから病気と介護の現場ではその本心が現れやすいとなる、やはり気持がないとできないからである
別に他の仕事だったら金をもらって一定の仕事するとか金をで買ったり売ったりする
そこに人間の心はあまり関係していないからである
そこは別に金で割り切ってやっているしそれをとがめる人などいないのである

もしそうして頼る人がまともだったら地獄に仏となる、そんな人はめったにいないとなるからだ、諺もこうして人間の経験の実験の歴史でありそれは今に通用しているのはいくら科学技術がこれほど発達しても人間自体が変わっていないからである
第一キリスト教徒が何十億人いたらこの世が天国になっているはずである
依然として地獄であり変わっていないのである
だからこの世を去ることこそが楽になることである、地獄はまさにこの世にあり別に来世にある訳もないのである、この世でみんな地獄を経験しているからである
地獄に落ちるとか罰当たるとかカルト教団が言っているけどそいつらもみんな地獄人間なのである、地獄に落ちるというけどこの世が地獄であり地獄人間が現実に生きている場所なのである

世の中は地獄の上の花見かな 一茶

一茶はまさに地獄を生きた人だからこの句ができた、救いは地獄にも美があったことである、でも大都会になるとそこに自然の美がなくなる、つまり大都会とは地獄でもあり地獄を作りだしたのは人間なのである

人間の本性とは怖いものである、権力ある者にはへつらう、また金持ちにもへつらう、でも本心はあくまでも違う、権力者に従うのはあくまでも相手が強いからそうなる、でも立場が変われば相手が弱者化すれば逆になる、今度はその強者も虐待することにもなる、あくまでも相手が権力者であり金持ちだから従っているのであり立場が変われば逆転するのである
人間社会とはそういうものだろう、戦国時代の下剋上とはそのことである、要するに人間社会は弱肉強食の世界だったのである
それは歴史をみればわかる、そこに平和などないのである、だからこそキリストは下僕となりなさいと言ったのである
権力を持ち金をもって人間の心は支配できないからである、やはり愛情をもって接して子供でも育てれば違うとなる
親がもしただ力をかるとして子供を支配するだけなら親とも思わないだろう
それが後で復讐されるともなる、夫婦の間でも夫が力があるからは服従させたりしても病気になり弱者化したら虐待されるのである、でも人間は必ず弱者化する、老人になると体も弱り弱者化する、その時が怖いことになる

「おれをこんな地獄におとしこんだのは、へつらいのせいだ、おのれの舌はそれでも飽きもしなかった」ダンテ地獄

へつらうというときみんな権力者には金持ちにはへつらうのである、それはマスコミとかもそうである、巨大な権力団体には逆らえない、だから原発が危険でも知らせない、その権力は政府が指導して電事連でも800億もの宣伝費が出ていたからである
そんな巨大な権力だから安全神話が作られたのであるねそれを暴いたのは津波であり人間ではないのである
とてもそんな巨大な権力に抵抗できないからである、権力が巨大化すると手がつけられなくなるからだ
そういうことはウクライナ戦争のロシアのプーチンなどでもそうである、独裁者の権力が絶大なものとなり誰も逆らえなくなるからである、そういうことで歴史は争いが戦争が絶えないともなる

●高齢化社会はマラソンであり最後まで健康で走りぬいた人が勝利者

ともかく高齢化社会を生き抜くにはマラソンを完走するには健康第一になる
健康失えばたちまち地獄に転落するのである、でも老化することは病気になることでもあり最後は体も弱り誰でも死んでゆくのである
望むことは健康で死ぬことだとなる、それができない、老衰は体が枯れるように死ぬから苦しまず死ぬから理想的だともなる、私の母親は100歳生きたが枯れるように楽に死んだのである、いつでも楽に眠るように死にたいと言っていたのである
その望みだけはかなえられたのである、それは苦労した大正生れの人だったら最後は楽に死んだとなる、でもみんながそうはいかない、苦しみ死んでゆくのが普通だとなる

頼る人がどんな人になるのかそれが問題だった
もちろん頼る人が無く孤独死とかもあり他にもある
実の親子でも子が親のめんどうを見ないことも普通にある
でも病気になり介護になると誰かがめんどうみざるをえない、でも人間はそういう人がいないなら誰にも世話にならず死んだ方がいいとなる
孤独死でも誰もそもそもめんどう見る人がいないのだからそれが悪いともならない
隣の部屋の人が二け月間も死んだのを知らなかったというのもそうである
電気がついていると隣の人は思っていたのである
でも兄弟が近くにいても付き合いがないとなっていたのだから孤独死が全部悪いともならない、そもそもめんをとみる人がいないなら一層死んだ方がいいとなる
後の死体の処理が問題だとしても誰も病気になっても介護する人がいないならそういう死に方の方がいいともなる

高齢化社会はマンションでも老朽化してぼろぼろになるとかそれも60年くらいでなる
そして空家が膨大に増えてゆく荒寥とした風景になる
子供の遊ぶ声も聞こえず老人だけが増えて認知症も膨大に増えてくる、その光景はもう始まっているのである、plan75という映画が公開された、75に成ったら安楽死を選ぶことができるとなる、それは余りにも悲惨なものとなるからそうなる
それは本人だけではない周りの人の負担も大きすぎるからである
国家自体が老人によってつぶされるとまでもなるからである
8050問題はもう始まっているのである、それは金だけでも解決しない問題なのであるもちろん国家の経済的負担も人数が多いのだから重荷となる

ともかく地獄が一定の住処なりという親鸞の言葉が高齢化社会の現実なのである
それは金がないこともあるが健康が喪失する病気になる老化して弱ることが地獄を産むのである、それは極一部除いて避けようがないのである
8050問題は始まっていてすでに地獄を見るようになっている、私の家族でも一人が認知症になりもう一人は百才まで生きたがやはり最後は5年間くらいは介護になったからである、その時自分自身も病気で塗炭の苦しみになった
その時助ける人はいなかった、それもカルマだった、私自身はそのカルマを自覚していた結局それほど自分は親に良くされたことでできたことなのである
他の人はそういうことがないから簡単にできないのである、だから子が親を捨てきる家族遺棄社会にもなる、でも誰かが世話しなければならないことにもなる
だから息子娘が放置することは問題である、代わりに世話する人がいるからである
それか強いられるからである、捨てる訳にもいかないからである

2022年10月21日

今年の冬が早い、近隣の無常迅速の短歌二十首 (柿の俳句ー冬に入るに故郷や家の短歌)


今年の冬が早い、近隣の無常迅速の短歌二十首

(柿の俳句に冬に入る故郷や家の短歌)

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伊達市石戸村

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石の庭我が家に安らぐ柿なりぬ

老人の我が家に安らぐ柿なりぬ

蔵古りて柿のたわわに石戸村

秋の夕一番星の冴え光る

枯山水流れひびきて冬の庭

組み合いぬ石と石かな冬深む


漁の船幾艘浮かぶ秋の朝海面光りて輝きまぶしも

何を見む何を語らむ命かなふるさとにあり冬に入るかな

誰か住むその跡に咲く菊の花我が手折りて室に挿すかな

金木犀一時匂ふ広間かな我が家の栄にあづかる人かな

近く住む医者を語れる人もなし何を残さむ忘れらるかな

苦しみつ生きてあわれも我が家に語りし女や病に倒る

病なれなほ生きなむ家にあれ齢幾ばく冬に入るかな

ふるさとに老いてなほ生くそれぞれに語るものあれ冬に入るかな

松一本家の跡にしありにしも今無きかも冬に入るかな

故郷の夕べさみしも幽かにも虫鳴く声に耳を傾けぬ

地震にそ壊れし家のそのままに空家のあわれ何を語らむ

昔なれ子供遊びし神社かな今は淋しも声も聞かじも

神社にそ天明の碑ありこの地にも歴史はありぬ我が家も古る


我が家に越中よりの移民なれ相馬の歴史語るもあわれ

小高より原町に住む女にあれ老いて変わりぬ無常なるかも

昨日(きぞ)ありし人は今無し無常迅速冬に入るかな

若き時逢いにし人はいづこにや行方も知れじ永遠に逢わざれ

誰が問うや墓のあわれも戦争に死す人なりし省みる人もなし

戦争に苦しみ果てしその命生きて語れる人も消えゆく

子に恨み残して死にぬ親ありぬこの世の縁の切れるも早し

我が母の遺影にそえてカーネーションの紫濃きをさして偲びぬ

言絶えて遺影微笑我を見む花を献げて守る家かな

清らかにきらめきあいぬ秋の星み空の澄みて濁りなきかも


昨日は北風が吹いた、今年はもう冬なのかもしれない、夏が来て秋が来ても短い
冬の感覚になっている、ただまだ紅葉にはならない、何かつくづく近隣を見ても死んだ人の家が空地になったりまた地震で壊れた家がそのままになっていたり今年の地震はまだ修復されていない、屋根が直されていない家がまだまだある
私の家の中もまだかたづけていないのである

本当にこの年になると無常迅速である、こんなに変わるものなのかとなったのは震災原発事故以降でありその後すぐに家族もみんな死んだ
何かめまぐるしく変わったのである、こんなに変わるものかとただ驚くばかりである
この世の中とは本当に変化である、常なき世界なのだ、無常の世界なのだ
それは昔からそうだったのである、だからこそ別に宗教を知らなくてもそのことは諺に残っている

若い時はどうしてもこうした無常だということがわからない、ただ人生は無限につづくものとみる、ところが30過ぎるともう青春とか若さは消えてゆく
そして40才になると白髪でてくる、つまり初老にもなる
だから実際は高齢化社会でも老いることは早いのである、青春はもう夢のように消えてゆく、それはあっという間だったとなる
その時あった人はどうなったのか、それももうわからないし逢うこともないとなる
人間が逢うということは縁があってそうなるのだがそれも束の間であり別れから一期一会となる出合いを大事にしろとなる

でも実際はいくら人と逢ってもそれはこの世の一時であり後は永遠に逢わないのである
もう50年前ともなれば本当にそんな人いたのかとまでなる
それで確かに子供の時五年間一つ屋の下で暮らした人のことを覚えていなかったという
女性がいた、その人は非情化した人間だからそうなった
でもその人とは本当にいたのかとも50年も過ぎるとなる

回りを見ると空家になったり空地になったり死んでしまったりしている
近くの医者はとにかく話題になる人だった、でもその医者のことを語る人もいないのが不思議である、あれほど語っていたのに語る人も死んだこともあるが他でも語ることがない家は残されているが地震で屋根をが壊れても直していない、一人息子も78歳で死んだと聞いて驚いた、その家にしても放置されているだけである


とにかくこの辺は原発事故の避難区域になった所は空家だらけであり老人が住んでいるだけでありやがて消滅するのかとなる、これも余りにも大きな変化だったのである
次々に人間関係でも変わってゆく、五六年家に来ていた女性も突然脳梗塞だ倒れた
これも大きな変化だった、その人の親しい人も糖尿病であり最近あったらめっきり老けていた、病院通いであり八五歳になるとやはり老ける、でもぼけではないない
どうしても病気になれば老人は一挙にさらにふける

その人は病院に半年くらい入院していた、でも病院にいてかえって悪くなりもう入院したくないと言っている、家に帰ってきてかえって回復したのである
そして良く庭を見たら柿がなっていたのである
その庭は大きな石を積み重ねた立派な石の庭がある、それはすでに若い時人一倍働いて家でも庭でも作ったのであり自慢なのである
だからそういう家にいることは病院と違って気持ち的に尊厳があるとなる
老人になれば体だけではない、やはり心が問題になるのである

だから総合診療が必要だとなる、家で死にたいというのは家がアイディンティティの場でありそこが生きた証の場所でもあるから家で死にたいとなるのである
そして死者は家でなお生き続けているのである
なぜなら残された人がいれば供養しつづけるからである、死者も家に生き続けるからである、また故郷でもそこは生き死にの場所であるから老人になると離れたくないとなる
ただ若い時なら他の場所でも慣れるから第二の故郷となるのである
だから老人は故郷を離れることが辛いとなる

柿は何か日本的な果物であり、KAKIで外国にも通じる、柿と石ともあっている
それは単に果物ではない、何か精神的価値がある、バナナとか外国の果物はただ食べるだけだが柿には精神的な意味を感じる
それは極めて日本的なものになっているからだろう
私の母親は柿が好物であり干し柿を食べていた、大正生れだから果物でもいろいろ食べられなかった、柿は干し柿でも子供の時から食べていた
そして霊山を越えて伊達市に入るとあんぽ柿で有名になる、石戸という村の名前もいい
そこで柿がたわわになっていた、柿の季節でもある
ただ私はあまり柿は食べない、他にいろいろ果物が今はあるからだ
かえって柿は高い、干し柿でも高いと思った、やはり果物も種類が増えたから他のものを食べるよちうになったのである
ただ石戸村には柿が似合っていた、その名前が良かったのである
だからまた行ってみようとなるが結構遠いから疲れる、でも紅葉を見に行きたいとなる

2022年10月20日

老人医療は総合診療が必要 (体の部分ではなく心まで全体を診る医者が必要)


老人医療は総合診療が必要

(体の部分ではなく心まで全体を診る医者が必要)

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週刊新潮10月27日号

これは確かにそうだった、この人は老人医療の専門家にもなっいてた
老人医療は60代以下とかと同じにできない
老人は体の部分を見るより全体を心まで見る必要がでてくる
体の一部を部品を見てその数値とか見ているだけでぱわからない
特に老人医療の場合はそうなのである

その女性は72歳だけど体の不調を絶えず訴えていた、でも医者には行って訴えて相談していた、何か所もの開業医とか病院にも行ってみてもらっていた
だから片方の手がきかない、食器でももちにくいとか訴えていた
他にも目まいがしたとかして実際目の前で自転車で転んだ
明らかに脳梗塞の前兆の症状が出ていたのである

ではなぜ医者が脳梗塞と気づかなかったのか?

それが理解できないのである、ただ脳の写真をMRIで遠くにも近くにも行って撮っていた
それも何ら脳梗塞のことを疑う人はいなかったのである
あちこち不調を訴えてもそれぞれ一部分として診ていたのかもしれない
ここで書いている総合診療をしていない、またそういう医者がこの辺ではいなかったのかとなる
つまり仙台市の上手の眼科に行ってもその人は眼しか見ていない
でも片手がきかないとか目まいするとか脳梗塞の症状が出ていた
眼だけ見ないで全体を診ていればわかったかもしれない

その人の行くべき病院は南相馬市だったら脳出血をみる新しいセンターができているし
そこに優秀な医者がいる、なぜ開業医でもそこで診てもらわないかとすすめなかったのだろうか?それも不可解なのである
老人に必要なのは総合診療であり心のケアまで必要なことである
体の一部分の専門家ではない、心までふくめた総合診療なのである

でもそれをやれとなれば一人の医者では重荷になる、ただ精神的ケアになると別に医者でなくてもできる、何か医者だけが医療にたずさわることではない
病気には必ず精神的ケアが必要なのである
むしろもしただ人間を機械のようにみて臓器でも機械の部品のように診ている人がいたら怖いとなる、でも実際はそうもなっているのである

まず一人の人間でそんなにいろいろできる人が気が回る人はいないだろう
数をこなさなければならないから一人にそれだけ気を遣うことはできない
だから病院で議員でも番号で呼ばれて怒ったというのもわかる
つまり病院では数をこなすから数として処理されるのである
だから看護師でも家族の役はできないというとき精神的ケアは必ず病人には必要なのである、そこに心の働きが必要なのである

要するに医者とか看護師でも病人を機械のように数として診たりしていることは怖い
でも数をこなすとなればそうなりやすい、だから私は二回病院に入院して虐待もされたし親戚でもその人は全く愛情がない人だったから手術の時何もしなくてもいるのが嫌だったのである、また箱一つ入院するとき持つのも嫌がっていた
私のために何もしたくない人だったのである、そういうことは必ず行為となって現れる
それが病人に影響する、もうそういう人がいるだけで体は悪くなる
私はこうして病気になり介護になり人とかかわって恐ろしい目にあった
ただこれも楽をしてきた自分のカルマとなってこういう恐怖を味わったのである

心のケアとなると宗教家の役割なのかもしれない、医者は体をみるが心までみれない、
ただそれにしてもそんなに一人の人のために気を配る人はいない
前にも書いたけど

「もっと栄養をとりなさい」
「私は金がないので果物を食べろと言って買いません」

そうは医者には言えない、では金をあげますから果物を買って食べなさいとはしてくれない、むしろ医者は常に金をのことだけは心配しているのである
だからいらない薬でも飲ませるとかなる、そのために病気でも悪化するとここで書いている、医者は家族と違うのだから金のことや心まで診れないのである
そこに限界がありそこまで要求もてきないのである
でも医療は心が相当に影響する分野である、もともと心と体は一体である
それを分離するのが西洋式だともなる、漢方とかなると体と心を一体のものとして見ているからである、色心不二とかそうである、色とは肉体のことだからである

いづれにしろ現代の問題はあらゆるものが専門化して部分化することである
教育自体もそうだし学問でもなんでもそうなのである
全体としてみれないのである、職業でも無数に部分化して田舎でも近くでも何をしているのかわからないのである、これもだから不思議だと思う
何で生活しているのだろうとなる、昔だったら農業に従事している人が六割とかなれば自ずとどういう人なのかわかる、今は本当に職業自体が部分化してわからないのである

だからとても総合診療というけどできない、総合的に見れないのである
それは原発事故でもそうだった、原発もエネルギーを作る全体の一部分だったがそれが生態系を空気でも水でも森の木でも土でも放射性物質で汚染された
つまり生態系とは全体のことである、その全体にどういう影響があるのか見れなかったのである、つまり現代の問題は総合的に見れない、もし事故になったらどうなるのか生態系が汚染されたらどうなるのかを見ていないのである
ねの全体を壊すということを見ていないのである
人間はまず本当は全体を総合的に知り仕事でもするべきなのだけどそれが理解不可能になっている

第一原発事故でも吉田所長すら復水器のことがその方の専門家でないから知らなかったのである、他の社長でも会社のことを全部知っている人などいないのである
何かそういうことから破綻してゆく、社会が大きく文明も崩壊してゆく
それは科学技術の分野だけではない、経済の分野でもそうである
誰もグロ−バル経済のことなど知りうる人はいない、だから当然ある時株が暴落したり
世界中で破綻して混乱してコントロールできなくなる
経済政策してももう物価高がとめられないとか円安がとめられないとか世界恐慌になるとかなる、全体のシステムが崩壊してゆくのである
それはバベルの塔と同じなのである
要するに誰も全体を知りうるものはいない、そこでカタストロフィが起きてくる
そうして文明は崩壊するのである


2022年10月19日

白鳥来る(今年は早い)ー秋の蝶など


白鳥来る(今年は早い)ー秋の蝶など


高空に朝日まぶしく白鳥来る

玄関に大岩置きて菊の花

玄関に大岩起きて秋の暮

石の庭二羽ひそみいし秋の蝶


朝確かに白鳥が群れて飛んでいた、朝日がのぼり美しい光景だった
高い空に78羽は南の方に飛んでゆく
私のプログで白鳥が来たのを調べても11月になってから来ている
今年は早い、でも北海道の稚内とかに白鳥が来たことを写していた
日本海とか長野県でも10月下旬には来ている
すると今頃来てもおかしくないがここでは早いと見た

なぜなら稚内で二週間ほど休み移動するとテレビで説明していたからである
だから今年は早いと思った
一瞬写真をとろうとしたができなかった、でも気持のいい朝だった
白鳥は冬を告げる鳥だから冬になったともなる、でもおかしなことは秋なのに秋の紅葉も見ていないのに冬になったということは秋が短すぎるとなる
今は秋なのである、晩秋ともなる、秋が短すぎたともなる、季節感としては変になる

隣の空家の庭に入る、空家だから誰もとがめるものもいない、そこに秋の蝶が二羽ひそんでいたのである
空家でも近くにいると誰かが見ていたり勝手に入る人もでてくる
ただ空家にしておくのはもったいないと見る、その庭は広いからである
大きな石もありそこで暮らしがあったとき庭も活きていたとなる
洗濯物干したりして大きな石があって活きていたのである
空家になると家も庭も死んだようになるのである
それはこの辺では原発事故で避難区域はみんなそうなったのである
空家の街になってしまったのである
ともかく今年は急速に秋が短く冬になるみたいだ、ただまだ紅葉は見ないから季節感が狂ってしまうのである

玄関に大岩を置いてある家が結構ある、なんかどっしりとしていい感じである
知っている人の家にもある、その人は病院に半年くらいとか入院してつくづく嫌になったそしてかえって病気が悪化した、糖尿病であり最近また悪くなっていたらしいが良くなったと喜んでいた、糖尿病であり苦しんでいたからである
ただ見た感じは相当にふけていた、耳とか悪く良く聞き取れないと言っただ実際は会話は普通にできていたから認知症にはなっていない
知っている人が脳梗塞になり入院したとか隣の人が心臓病になったとか癌になった人もいる、でもその人は癌になっても十年くらい働いているのが不思議なのである
点滴をする場所がなく首にもした痕があった、でも癌では今やは簡単には死なない時代になっている
こうしてとにかく老人と病人が増えるばかりなのである、そしてその世話や介護となる重圧になるのである、それはもう誰もがそうなるから人事ではないのである





2022年10月18日

日本のあるべき姿ー小国寡民 (日本は島国で資源もないから豊になれないーでも平和であることが肝心)


日本のあるべき姿ー小国寡民

(日本は島国で資源もないから豊になれないーでも平和であることが肝心)

資源に乏しく、国土も狭い。原材料、食料の海外依存度が高い。人口が減り続けることによる労働力不足。でもそれでいいのかも。所詮、小さな島国日本。平和であるならそれでいい。

日本は石油とかでも資源がない、ロシアなどは石油でもガスでも資源があることで大国となっていた、だから別にドルを使わなくてもルーブルでいいとなった
でも石油でも中東から買うのに他の国はドルで買う、ロシアは石油を買う必要がないからルーブルでいいとなった、つまり富とは紙幣とか貨幣とかにはないのである
いくら紙切れの紙幣を積んでもそれは所詮紙切れになる運命にある

富とは何なの?

資源だけではない、現代では科学技術力が富になる、欧米が力を持ったのは科学技術力である、ヨ−ロッパは特にそうである、アメリカは資源もあり技術力もあり豊かになった
軍事力も豊さを作る、覇権国になり基軸通貨にドルがなっているからだ
日本は科学技術力で世界の競争に負けた、高度成長時代は特別優れた技術力というものでなくても電器製品が売れたから豊かになったのである
その科学技術力も中国であれ韓国に追いつかれて抜かれたともなり貧困国になってゆく

日本はそもそも大陸国家のようには豊かになれない国だった
そして日本は地政学では島国でありそれで300年の鎖国がありえた、そこに300年間戦争がないということは世界の歴史でも奇跡的だったのである
それができたのはまだグロ−バル化していない時代であり外国とかかわらないことでも
それで国が継続できないとか破産するとかはなかったのである
確かに貧しいとしても国自体が破綻するとかはなかったのである

富とは何かとなれば紙幣とか貨幣にはもともとなかった、最近証券の証券化債権化とか起きているという、それも不思議なのだけどそれは単に紙幣を増やしているにすぎずその証券も債権も紙切れだから紙切れにもなるという、いくら証券とか債権とかでもそれは紙幣と同じく紙切れになる、実際の富は現物でありまた技術とかも関係している
だから極端な円安とかなるのは紙幣にはもともと価値がないのだから紙切れだからそうなる
紙幣にしてもカンボジアとかベトナムとかネパールの紙幣をもってきてもそれは本当に紙切れにすぎなかった、それに比べればドルは違っていたのである
だから日本の経済が弱体化すると恐怖なのはカンボジアのようにな紙幣になる
それも恐怖だがそもそも紙幣とか金自体には価値がないのだから大きく変動して紙切れになっても不思議ではないのである
要するにいくら紙幣を紙幣を貯えても安心はない、それは本当に紙切れになる

本当の価値は現物にある、米であれ野菜であれ木材であり石油であれ石炭であれ工業製品であれ現物こそ変わらぬ価値がある、紙幣はいくら貯えていても紙切れになる
だから銀行であれ国であれいくら紙幣を作れるとしてもそれが富にはならないのである
それでグロ−バル化経済で金融で証券でも債権でも操作して架空の虚の富を作り出しているとされる、だからそれせリーマンショックとかなり金融市場の崩壊現象のようなものが起きて来る
つまり銀行であれ国であれいくら紙幣を金を貯えてもそれが富にはならないとなる
世界に売れるもの、車を作れば富になる、また何か世界に売れるものがあれば富になる
その富はどこから作りだされるのか?それは金融の操作では作れないのである

日本はもともと経済的には豊かにれない国であった、大陸だと資源もありアメリカでも馬鹿でかい土地を持っているし富が国に蓄積される
それは中国でも皇帝となれば王ともなれば地下にまで大宮殿を作って墓ともなる
その富が支配者階級に蓄積されてそうなった、今でも共産党幹部は兆もの金が労せずして入るとかなる、それは支配者階級に富が集中するからである
日本はもともとそれだけの富を産めない国だからそうはならなかったのである

ただ日本は大陸のような熾烈な民族抗争もなかったし貧乏でも平和な国だった
鎖国はマイナスともなってもそこで300年間も平和がつづいた、戦争がなかったということは世界史では稀有なことだったのである
それは明治になって日本も世界の戦争にまきこまれて遂に太平洋戦争で3百万人も死んだとなる、こんなことは世界の戦いに巻き込まれなかったらありえないことだったのである日本はアジアの覇権国になろうとして失敗したのである
そんな強国になりえなかったのである、日本は島国で貧乏でも平和な方が良かったのである、覇権国となると確かに豊かにはなれる、それを担うとなるとアメリカであれ中国であれロシアであれその負担は馬鹿高いものとなる
日本はそもそもそんなことできる国ではなかったのである

結局老子が2000年前に説いた小国寡民が平和なのである、大国化することが平和にはならない、日本はもともと小国寡民の国だったのである
だからこそ平和な国でありえたのである、それは地政学的にも島国で恵まれていたからである、海に囲まれていて海が自然の防衛を担ったからだとなる
大陸だとどうしても陸地がつづいているのだから国境争いがあり戦争が絶えなかったとなるからである

いづれにしろ紙幣に貨幣に本当の価値がない、だからこそ極端な円安にもなる、でも資源の価値はそんなに変動しない、石油が一時安くなってもやはり回復した
つまり石油の価値は基本的にはなくなることはない、多少の変動があっても価値がありつづけるのである、そこに資源がある国は強いとなる、アメリカが強いのは資源国でありまた科学技術に優れているからだとなる
日本は資源もないのだからどうしても大国にも強国にもなれないのである
だからどうしても独立志向でもアメリカか中国に従属するほかない国だとなる

ただ従属する国を選ぶだけでありとても太平洋戦争のように覇権国になることはできないそれは歴史か証明したのである、中国でも十数年前まで後進国だったのにみるみる巨大化した成長したことに驚く、中国とはそもそも国自体が巨大でありそういう潜在力があってそうなったのである、日本にはそうした潜在力がポテンシャルがなかったのである
つまり身の程を知れということであり日本は過剰に日本を誇大化して見ていたのである
それが太平洋戦争でアメリカに打ち砕かれたのである
ただ明治維新で世界に伍するようになったことは不思議だとなる、鎖国から一挙に世界の国と伍するようになった、でもそこには相当な無理がありそれが太平洋戦争で破綻したのである

日本は日本なりの道がある、それが何になるのか、とても覇権国になどなりえない国なのである、だから問題は覇権国を選ぶ従うことだともなる
それが悪いともならないのである、だからかえって問題があるにしろアメリカに負けて従属してもそれが豊になることでもあったからだ
とても日本は覇権国家にはなりえないのである、ただ平和を維持するにはどうするのかということが問題なのである、自ら覇権国になることではない、そんな力はない
すると中国側につくより欧米側につくほかないとなる、そこでは一応自由は保証されるとかなる、ただ覇権国には従わざるを得ないともなる
でも中国に従うよりはましだともなる、そこには確かにいろいろな問題があり簡単には言えない、でも中国に従うと自由などなくなる、完全な属国となり自由は奪われる
日本はそうした選択を強いられる、日本が覇権国になれないのだからどうにもならないとういことである

経済でも食料などでも自給することである、それはウクライナ戦争とか何かなると食糧を入ってこないからである、アメリカではトウモロコシをとれても食糧として輸出しない
餓えている国があり人達がいても安くは売りたくないからエタノールにして売る
つまり世界ではアメリカは人権とか人道とか言っても上辺だけであり自国の利益優先なのである,グロ−バル化経済というのはこうしてリスクがある、互いに助け合うことではない、どこでも自国優先なのである、まず自国民を食べさせなければ国が成り立たないからである、だから食料を他国に頼ることがいかに危険であるかが今回の争乱で証明されたのである、他でもなるべく自国で供給する体制を作っていることが安全を計る防衛にもなるそれは軍事力だけではないのである
本当に武力だけで平和が守れるのか?中国の防衛費はすでに日本の十倍である、そういう国と戦えるのかとなる
貧困化している日本にそんな財力はもうないのである、すでに自国防衛自体が不可能なのである
最右翼の人が日本は侍の国だから戦う精神をなくしたら終わりだとかいうけどそれは時代錯誤になる
そもそも刀で戦う時代ではない、ミサイルとか核が飛んでくる時代に戦争ができるのかとなる
軍事力を増強してもそれが防衛になるのか疑問である、ただ防衛としても食糧自給とかはできるのである、食糧自給できなくなったら戦争にもなる
だから自国でなるべく自給する体制をしておくことが必要である
posted by 老鶯 at 08:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年10月17日

介護もカルマになっていた (誰が親の介護するのか?−8050問題はすでに起きている)


介護もカルマになっていた

(誰が親の介護するのか?−8050問題はすでに起きている)

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【脳梗塞】人生が変わる知識、脳梗塞の初期症状7選+α
https://onl.la/vQMKGtn

札幌母娘餓死事件の中心にあるのは、ほんとうに「8050問題」か
https://www.hikipos.info/entry/2018/04/19/060000


その72歳の女性は脳梗塞で倒れた、その症状は明らかに脳梗塞であることを医者なら気づいたはずである、しきりに一方の手がしびれると言っていた
めまいがしてふらついていた、片目も悪くなって仙台の眼科でもみてもらっていた
これらはすべて脳梗塞の前兆だったのである
それで医者は実際脳梗塞かもしれないとして脳の写真をMRIでみてもらへとして二回もみてもらった、一回は埼玉県なのか遠い場所なのである
二回目は南相馬市原町区の方であった
でもそこで脳梗塞だということが見抜けなかった、だから機械は万能ではない
第一福島県で精巧なMRIの機械は二台しかないとしているしその機械でも診る医者がいなければできないのだと思う、そういう人材はこの辺でいないのかもしれない

ただ南相馬市立病院には脳梗塞の専門病棟がありそこには優秀な医者がいて近くの人が
早い治療でカーテルを脳に入れて助かった、その人は今も別に普通に生活しているのである、だからこうして早く脳梗塞を見つけて治療すれば軽くてすむことがあったのだ
今回はなぜそれができなかったのかわからない
なぜならその女性は医者に頼り医者には良く行っていたからである
そしたら片手がしびれいるとなればそのことで脳梗塞かもしれないとわかったからであるでも脳の写真をとれということは薄々気づいていたのかもしれない
でもその治療はしなかったのかとなる

でも息子と普通にしゃべれているし言語障害はないから軽いものらしい、だからリハビリをすれば回復する、ただ息子三人いるけど一番頼りにしているのが障害者の息子であり
それでも50歳になっている、その人はどこが障害者なのかわからない
話していてもどこが精神障害なのかわからない、まずスマホとかしているし知能は普通なのである、それより昨日知人宅に行って納屋で米をとりだせなくなっていたがその息子は取り出すことができた、ごちゃごちゃしてとりだせなかったのである
その米はその知人宅でもらえるものだったのである
自分もとりだそうとしたができなかった、何か自分は知的作業はしているがこういう体を使うことが不得意なのである、だからその息子のどこが悪いのかわからないのだ

そして母親もその息子を頼りにしている、他の二人の息子には病気のことを言うなとまで言っている、また兄弟は仲が悪いのである、二人は働いているし休む訳にもいかない
すると残されたその障害があるという息子が介護せざるをえない、その息子が介護ができないものではない、金銭的問題があるにしろ軽い症状だったらできる

ではなぜその息子が介護しろとなったのか ?

それはカルマだったと思う、このカルマのことを書いてきたけどやはりカルマはあるのだなとまた再確認した
なぜならとにかくその女性は自分の家に来ていても絶えずその障害者とされる息子のことを心配していたのである、それはおそらく子供の時から50になるまで心配していてその息子にばかり手をかけていた、それは三人の兄弟がいるにしろ他は余りかまわないがその息子は障害があるとして手をかけていて他はなおざりにしていたのかもしれない
だから一人とは合ってもあいさつもしないとかあったが最近仲直りしたようである

なかなか他人の家の事情はわかりにくいが共通していることは介護は必ず兄弟でも一番良くされた人がしろとなる、それがカルマなのである
その障害があるとされる息子はどこが障害者だかわからないし介護はできる
親もその息子をあてにしていて他はあてにしないのである、でもなかなか一人では困っているから相談に来たのである
だからつくづく介護もカルマだということを感じた、誰が介護するのか一番かわいがられた人がやれとなる、兄弟であっても姉妹であってもそうなる
それがカルマなのである

ただなぜ自分がそれにかかわるのかとなるとわからないが他人のカルマを背負うこともある、そのことは良くわからないにしろそういうことはある
人間は誰でもカルマを背負っているからだ、そもそも社会というとき一人では成り立たない、別に血縁とか家族でなくても社会を構成するのは他人だからである
すると誰かが働いてその恩恵をこうむるしまた恩恵を与える関係になっているからである人間のの人は互いに支え合うという字であることでもわかる
互いに支え合わなければ社会は成り立たないからである
つまり家族だけてはない何らか常に人はカルマがある、それは社会に対してもある
そのカルマから逃れらないもないということである

ある人は夫が若い時から病気になり大変な苦労をした、そして今度はその娘が夫で事業の失敗などで苦労している、これもカルマなのかとなる
なんらか人間はカルマを背負っていていつか苦しみとなって現れる
何か世話になったとかでもカルマになる、それを返さないとさらにカルマが重くなったりする、だから因果応報だとかなるのがカルマである
私自身は二人の親に特別良くされたから二人の介護と自分の病気で死ぬほど苦しんだ
誰も助けてくれないとかなった、それもカルマだったのである
人間はカルマから逃れられない、苦しんでカルマを解消するほかない
それでカルト教団に入ってもカルマは解消しないしかえってその集団自体が大きなカルマを背負っているのだからその集団のカルマも受けることになる
つまり集団でもカルマがありそれがいつか表面化して苦しみとなって現れるのである
集団の場合は社会自体がそのカルマを背負うことになるから怖いのである
いづれにしろ人間のカルマを解消できない、だからこそ最終戦争とかハルマゲドンになるとかなる、そうしなければカルマが解消しないからである

いづれにしろ8050問題はすでに始まっている、50くらいの人が70から80の人を親を介護する、その数も多いからいたるところにその問題が生じてきて社会全体に影響する、団塊の世代は数が多いから介護になる人も多いからである
そこで地獄の苦しみを受ける、介護地獄社会で家族崩壊や凄惨な事件も起きて来る
それは社会全体の問題であり家族だけでも解決しない問題だからである

2022年10月16日

愛とか慈悲が一番実行されにくい (宗教団体でもそんなものはない)


愛とか慈悲が一番実行されにくい

(宗教団体でもそんなものはない)

宗教というと愛と慈悲を説く、でもこのことを実行している宗教団体でも宗教家でもいるのかとなる
カルト教団で共通していることは会員を数としてしか見ていない、数として増やして勢力化する、創価なら一票とみて政治化して権力を得ることしか考えていない
そもそも政治家にしろその人達は自分のために働くのであり選挙の時は頭を下げても選挙の時だけだと言っている
選挙自体が利権を得るために議員に成りたい人がいてまた利権を得たいために投票する方もある、それが基本的に政治である
第一党派になるとき我が党のためということは実際は我が家族のためとかになる
我が家族のためが我が党のためにもなる、創価でも議員に成っていた人はそうだった
我が家族の御利益が我が党のためになっていたのである
そもそも党派とはそういうものである、宗教でも党派化するとそうなる
宗教でもそうして党派争いになり戦争にもなる

人間は基本として家族愛がありその延長として集団の愛がある、党派愛がある
だから宗教で説く愛とか慈悲とかはない、愛でもいろいろある、家族でも親子の愛があり夫婦の愛があり兄弟愛がありまた男女の恋愛もある
だから愛というときキリストが説いた愛とかシャカが説いた慈悲とかはない
それがどういうものかもわからないだろう
それは家族を越えたものでありまた男女の恋愛とかでもないし党派愛で仲間愛でもない
だからこの世にある愛とかはそういうものではない
それが宗教団体でもそこにあるのは家族愛であり党派愛とか団体愛とかなりその仲間にならないものは排斥される、ではなぜそれが宗教なのかとなる
そういう根本的なことが理解できないし当然実行もされていないのである

家族愛とかは基本にあり否定できない、それが悪いともならない、でもそれが本当のキリストが説いた愛なのかシャカの説いた慈悲なのかとなるとそうではない
家族愛は団体愛、党派愛へと拡大する、侍が御家とかあり有力な家が拡大したものが一つの集団となり他の団体と戦うことになるからだ
それはヨ−ロッパでも外国でも同じだった、ハウスブルク家がヨ−ロッパを支配したというときそうである、これも御家だったのである

例えばキリスト教だと当時ユダヤ人がいてユダヤ民族主義がやはりあった、でもそれにキリストは組みしなかった、民族を越えた愛を説いたのである
良きサマリア人の例えでもそうである、多民族でも平等の愛を説いたのである
なぜ民族と民族の争そいが熾烈になるのか、そこに平和がないのか、今起きているウクライナ人とロシア人の争そいは民族争いでもある、でももともとウクライナ人は日本だと沖縄のようなものだという言う人がいた、沖縄人は日本人であるが沖縄人はまた別だともなる、ロシア人と沖縄人はおそらく言葉にしてその顔にしてもたいして変わりなく見分けがつかないとなるからだ
大陸ではとにかく多様な民族がいてその民族争いが熾烈なのである
だからジェノサイドがある、互いに容赦なく殺し合う、もう相手が人間でもないとなる
中国では敵の墓を暴いてもまで罰するというときそうである
日本のように敵味方塚などないのである、日本は大陸と違って民族がすでに古代で融合していたのである、同じ日本人になっていたのである

ともかく宗教の要に愛とか慈悲がある、でもこれが何なのか誤解しているし実行できない
そもそもなぜ宗教団体であってもそれはキリストが説いた愛とかシャカの説いた愛とは違っている、誰もそんなことを実行している人はないないのである
確かにそこに党派愛はある、仲間にあれば愛すことがある、でも仲間に入らなければ敵ともなり徹底的に戦い殺し合いとまでなる、そのことで疑問も感じないのである
地獄に落ちろとか罰当たるとして大集団で仲間にならないのも攻撃してくるのである
それが宗教の名のもとに正しいとして行われるのである
こうして国と国でも民族と民族でも争いが絶えることがなく最後はハルマゲドンの争そいとなり人類滅亡するともなる

では一体愛とか慈悲がどこにあるのか、誰かそんなこと実行できなるのかとなる
人間の日々の活動が愛と慈悲など関係ない、利益を得るために働ているのでありそこに愛とか慈悲など関係ないのである、むしろ利益を得るためには何でもするとなる
相手を騙してもでも利益を得るというのが人間社会である
損して相手に尽くすなどありえないのである、別にそれでとがめる人もない、だますとなればまた別だが働いて利益をあげるのは正当な活動なのである

ただ愛というときどこでも必要なことは確かである、私の母は継母に育てられていじめられた、その継母はなぜ愛がもてなかったのか?
自分の血のつながらない子供だったからである、それで弁当を作って与えられたがそれを残した時、俺の作ったものを実の母親でないから食べられないのかとその弁当を投げて怒った、その女性は余りにも気が強いということでそうなった
これも別に愛を持てば良かっただけのことだが実の子ではないから愛を持てなかったのである、ただ最後に死ぬときになり悪かったなと言って死んだのである

愛と言う時何かむずかしい負担になることでもない、別に血のつながらない子供でも愛したら実の親子と同じになる、むしろその子供は実の親子でないのに愛しててくれたからと感謝するのである、かえって実の親子でも何も感謝しない子もいるからである
だから家族愛でもいろいろある、家族でさえ愛し合わない人も普通にいる
その親は一人娘をかわいがったが親が病気になり介護になったとき冷たい仕打ちをしている、何か金をあづけたのだが出したくないのである
別に介護にもなっていない、一週間に一回くらい世話に来ているだけである
つまり愛というときまた家族では当然だとしてもなかなかそれすら実行されないことがあるのだ
何か血のつながらないということで父親でも母親でも愛さないということがある
私の家族でもそうだったのである、そこは複雑であり簡単には言えない事情がある
ただそういうことは家族でもある、だから必ずしも特殊なことではないのである


そもそも愛とは何かなのかということがわかりにくいのである、ただキリストとかシャカの慈悲とかを実行している人がいるのかとなる
それは別に血縁とか党派愛とか民族愛とも違ったものである、それは人類的な愛だとなる慈悲だとなる、だからキリストの愛はユダヤ人の中で民族愛の集団では受けいれられなかったとなる、シャカでも仏教を受けいれたのはインドではなくその周辺国だったとなる
それは民族宗教ではないからである、ナショナリズムとは違っていたからである
人類への普遍的な愛であり慈悲である、だからかえって人道というのが愛になる
人道だと宗派とは関係ない、イスラム教だから親切にしない助けないともならないからである、でも宗教でも違うと血で血を争うものとなっていたのである
かえって宗教戦争は熾烈なり神の名の下に敵を残酷に殺したとなる、それも神の名のもとにそうなったのである、宗派とか団体だとそうなりやすい、仲間にならないものは人としても扱わないとなっているのだ

だからこの世の中宗教自体が不可解だとなる、これだけの人がキリスト教徒であり仏教徒でありイスラム教徒になっていもそこで愛とか慈悲とか何かそうしたものが実行されているのかとなるとされないない、そんな人がいるのかとなるからだ
そこで実行されいてるのは民族愛であり集団愛であり仲間愛であり党派愛である
それは本来の愛とは違ったものだけど実際は集団化して組織化したものがそうなっているそれは世界中で共通しているのである、これはエゴの延長なのである
でもこの世の中は何らかの集団に属さない人はいない、その人は人間でもないとなってしまうのである、だからキリストはどの団体に属さないからユダヤ民族からも排斥されて十字架で死んだともなる、党派を否定したからである

いづれにしろ人間は愛は不可欠である、でもその愛が実行されない、医者などでも愛が必要である、今回どうしてその女性が脳梗塞になったのか、その兆候があっても医者でもわからなかったのか?それはその女性を親身になって診ていなかった
いろいろな症状を総合すれば医者ならこれは脳梗塞の兆候ではないかとか気がついたかもしれない、そこに愛が欠けていたのかもしれない
私自身もその人を親身にみていないからただいつもの愚痴を言っているのだとしてただうざいとまでなっていたのである
家族だったら親身になり相手をみる、どこが悪いかとか別に専門知識がなくても心配するその愛には利害は関係していない、だからなぜ一人暮らしの人が早死にするかとなると身近に家族がない、妻がないとなるとその体でも心配する人がいないからである
何か体でも悪くなっても心配する人もいないのである


それは自分自身のことだった、家族が死んで誰も心配する者がいなくなった結果さんざんな目にあったのである、自分の所に来たのは金目当ての人しかいなかったからである
相手にとって自分の病気などどうでもいい、金をとればいいとしかなかったからである
これは医者でも患者をそうみるだろう、いらない薬でものませたりいらない治療をして金稼ぐこともある、どうしても医者でも利益をあげることが第一になるからだ
人間社会はそれから逃れることができないのである
だから一概にそれがすべて悪いとはならない、でも医者となるとそこに愛が必要になる
それで医は仁術だというときそういうことだった、つまり医は算術ではなく仁術ということは何かしらそこに愛の作用が必要とすることだとなる

でも医者にしても相手は家族でもない、多数の一人にしかすぎないのである
とにかく数を多くみるというとき愛など実行されないのである
だから議員ですら病院で番号で呼ばれて怒ったということにもなる
大勢の一人にすぎない、家族でもない人に親身になり多数を診ることなどてきないのである、それはどこでもそうである、多数を相手にするところでは愛はありえないと思う
だから大衆を愛するなどありえないと思う、大衆というのはもう人間ではない、ただ数としてあるだけだとなる、そして数として処理されるだけだとなる

2022年10月15日

脳梗塞の前兆を医者が見抜けなかった (医者の判断が致命的になる怖さ)


脳梗塞の前兆を医者が見抜けなかった

(医者の判断が致命的になる怖さ)

感覚障害は、身体の左右どちらか片側の手などの感覚が鈍くなる、突然しびれる、などの感覚異常です

昨日脳梗塞になって病院に入院した女性がいる
家に来る72歳の女性はしきりに体の不調を訴えていた、しきり手がしびれるとか言っていた、でもその手を手術すれば治ると言われていた、目まいもすると言っていた
そして私の目の前で自転車で転んだりしていたのである
だから手術するとか言っていた、それから目が悪いとか仙台の眼科にも行っていた

脳のMRI検査も遠くと近くで検査した、でも脳梗塞の前兆だということを見抜いた医者はいなかった
というのはその女性は歯医者に行っていた、手がしびれるとか悪いとしてその方面の医者にも行っていた

ではなぜそれだけ医者に行っても脳梗塞の前兆だと見抜けなかったのか?

MRI検査しても機械で見てもわからなかったというより医者がみれなかったとなる
まず機械でも頼りにならない場合がある、なんのために高価な機械で高額な金を払ったのかとなる
私の家族でも認知症になって脳をMRIで見たが何もわからなかった
というよりその機械ではとても認知症などわからなかったのである
成功なMRIは福島県だと二台くらいしかないのである
あとのものはたいした機械ではないとなっていたのである

もしかしたらそれぞれの分野の医者に専門医にみて全体を見る人がいなかったかもしれない、、私の家にきて訴えていたときこの全部を訴えていたのである
だからもし私に医者の素養があったら脳梗塞から来ているかもしれないと注意くらいしたかもしれない、一種の感が働いたかもしれない、でも私は病気に関心がなかったのである
ただ家族が認知症になったとき認知症に異常に関心を持ち調べたのである
それは家族がなったからそうなったのである
それで認知症に詳しくなったのである

でもその女性が家に来ていろいろ訴えてもそれを親身に見ていたとはならない
いつものように愚痴とかのように体の不調を訴えていたのかと軽く考えていたのである
脳梗塞の前兆のような言語障害は全くなかった、とにかくしゃべる人であり話術にたけた人で感心していたのである
もし呂律が回らないようだったら確かに脳梗塞の前兆だったと気づいたロウ
でも医者ならなんらかおかしい脳梗塞の前兆と見たとも思えるがそれがなった

医者は見立てがいい医者が優れた医者だとしている、つまり脳梗塞の前兆なのかもしれないと多少でも疑う医者がいたら対処方法があったのかとなる
いろいろな専門医にみてもらっても全体をみていなかったから脳梗塞の前兆ということをみぬけなかったのかとなる

手が悪いんです、手かきかなくて台所仕事に苦労するんです

めまいがするんです、めまいをしない薬を飲んでいるんてす

体がふらつくんです

眼が悪くて見えにくいんです 仙台の眼科医にみてもいました

・・・・・・・

こうしていろいろ症状が出ていてもこれが脳梗塞になる前兆だとは見えなかった
医者もわからなかった、何かと医者に行く人でも医者がみぬけなかったのである

脳梗塞も多い、一人の同級生は足が悪くして歩くことが苦しくなっていた
ある人はしゃべることに障害が出た、ただ一人は奇跡的に助かった
早く病院に行きカーテルを血管に入れた結果障害もでなかったのである
これも不思議である、治療が良く素早くした結果である
また南相馬市立病院では脳梗塞関係の専門医で優れた医者がいるからだとしている

ともかく老人と病人が増えて困った、その人は金もないから金もだしようがない
福祉関係で出すにしてもその他オムツ代とか何かかにか金がかかる
その夫は離婚したにしても最近死んだ、その次にまた母親の方が72歳で脳梗塞になったのである、その介護となると容易ではないとなる

糖尿病の親しい人の所には毎日のように通っていた、呼ばれていた、でも今度は行けないもともとたいしたことをしないにしてもやはり話し相手になるだけでも良かった
それもできない、その人の役割があったか病気になったら誰かが世話しなければならない息子は知的障害者である、でも普通の人と見分けがつかなかいから母親を支えることはできる、でも限度はある
あと息子二人いるが働いているので金をえられなくなると困るから家で介護もできない
親が介護になって子供が介護の負担を負いきれないという報告が常にある
つまりこれから介護地獄になるのである、その兆候はすでにあちこちで現れている
これは一人の問題ではない、社会全体の問題であり社会自体が老人の病気や介護がのしかかり破綻しかねないのである
それは経済的問題だけではない、介護には人手が欠かせないからだ、でも息子が会社をやめると収入がなくなるとか問題になる
様々な負担があり高齢化社会は全体的には地獄になる

高齢化社会の恐怖は家族崩壊と社会崩壊にまで通じている、その負担が大きくなる
老人が増えるばかりでありその老人はどうしても病気になりやすいからである
なんらか故障が生じてくるからである
その女性は体の動きが本当に悪かったのである、だから体がもともと弱っていたのである知っている大工さんは69歳なのに50代にしかみえない、また75歳で35歳にしか見えない人もyoutubeにいた
だから相当に年齢にも差がありその差が大きいのである、年齢では計れないのである








2022年10月14日

ヨ−ロッパ中世と日本の歴史の共通点 (日々の暮らしの食糧から見る―身近なことで歴史を知る)


ヨ−ロッパ中世と日本の歴史の共通点

(日々の暮らしの食糧から見る―身近なことで歴史を知る)

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https://www.youtube.com/watch?v=F4N_FdG_CCs&ab_channel=%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%8F%B2%
E8%A3%8F%E6%8E%A2%E8%A8%AA

●食べるものから歴史を知る

このyoutubeで見たが日本とヨ−ロッパの共通点があった、何かヨ−ロッパとか外国はわかりにくい、でも人間は食べなければ生きていけない、では一体食事はどうしていたのだろうかとなる、そういう基本的なことから歴史を見てみる
そうするとわかりやすいし共通点があることでやはり人間はどこでも同じなのだなと見たヨ−ロッパとかの歴史だと何かむずかしいことを語る、そういうのも必要でも興味がもてなくなる、それが歴史の勉強では問題なのである
何か身近でわかりやすいことからも歴史は見るべきなのである

何かわかりにくかったのはローマの貴族でもローマ帝国が衰退してからその人達が農奴になったということがあったのかとなる、没落して農奴になった
中世は領主がいてその下に貴族がいてカトリックの司祭とかいた
その人たちはいいものを食べていたのである、肉はその頃贅沢で食べられなかった
貴族は肉を食べていたのである


●水は土地が悪く飲めるのが少なかった、水の代わりにばい菌のないビールを飲んでいた
●パンにもまずいものといいものがありまずいのは食べるのにオートミルを飲んで食べた
●麦から作る米やビールが栄養源、麦の不作は飢饉になった

●肉を食べられたの貴族と聖職者―庶民は祭りの時食べるだけ

農家は「粘土と木材からなる」「地面からあまり高くない」「麦藁で葺かれている」のが当然だった。レンガが製造されるようになってからも、農民の間では石造家屋は稀だった。ガラス窓も稀なモノであり、通常は四角い小さな穴があって、それを木製の雨戸で閉めていた

農民の食事は「大麦orライ麦のかゆ,パン,塩魚(四旬節の食べ物),野菜,チーズ,卵,ベーコン」からなっていた。農民が肉を食べたのは休日だけ(だから休日は“肉の日”と呼ばれた)であり、そもそも家畜の疫病が度々発生したから、肉は乏しかった

繰り返す飢饉の間には事情はいっそう悪化し、人々はただ餓死を免れるために、根でも雑草でも樹皮でも(それどころか人肉さえ)食して生き延びた。これは穀物取引がほとんど発展していないことも一因だった。飢饉に見舞われた地方に穀物が届くのは、通例は飢饉が襲ってからであり、このため穀物価格は(住民が手に入れることができないほど)騰貴した
https://ameblo.jp/sumire93/entry-11614015879.html

●農奴の藁葺の家と食料

藁葺の家となれば日本は戦前まで藁葺の家だった、今でも藁葺の家に住んでいたという老人がいる、パンは良質なものは貴族が食べ農奴は黒い栄養の悪いまずいパンを食べていた食べ物も貴族と農奴では相当に違っていた
農奴にはまた土地にしばりつけられて自由がなかった、でも逃亡して都市に逃げるとそこで自由になった、都市は自由にするということはそこから由来している

中世のヨ−ロッパとか古代史でも外国になるとわかりにくくなる、日本でさえわかりにくいのである
でも何を食べていたかということでそこをてがかりとして歴史を見るのも身近だからわかりやすくなり人間はどこの国でも食べなければならないのだからそこで歴史を実感する
だから縄文時代に何を食べていたかを実験すれば縄文時代でも身近なものとなる

日本でも農民の暮らしには共通性があった、ヨ−ロッパではパンの良し悪しがあったが
日本では米をまともに食べられず稗とか粟とか山国だと蕎麦を食べていた
つまり米はみんな食べていないのである、かて飯というとき御飯にいろいろまぜて食べていた、つまり米がそんなにとれないから別なものでまかなうとなっていた
ともかく人間はどこに住んでいても何かを食べなければ生きていけない
そこから人間の歴史を見るとわかりやすいのである、他のことは宗教の歴史でも法律の歴史とかいろいろあってもむずかしいのである
人間は何か歴史でも必ずしもむずかしいものからではなく極身近なことから歴史を見る
そうすればヨ−ロッパでも理解できるとなる
ヨ−ロッパでは領主が大きな力を持っていたの土地をもっていたからである
日本でも土地をもっていたのは封建領主であり似ている面がある
でもヨ−ロッパの方が権限が大きいものだったようだ

それから中世のヨ−ロッパの土地は栄養分がたりない土地だった、それで領主が税をとりにきたとき鍋に動物の糞を入れたもを出したという、糞が肥料になっていたのである
それが貴重だから鍋に入れて税として納めていたのである
ここでもわかるように農業とは肥料が死活問題になっていたのである
日本でも戦後まもなく近くの農家の人が糞尿を集めて肥料にしていた
田舎の香水は糞尿の肥料のことだった、今では農薬になったがその肥料となるものが外国からロシアから主に入ってウクライナ戦争で高騰したとき物価が上がった
それが相当に影響している、それだけ肥料は農業にとって大事なものなのである
農業というとき肥料でどれだけ苦労したかを見るべきだとなる

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動物の糞を入れた鍋ー肥料がいかに大事だったかをこれでわかる

●ヨ−ロッパ中世の農奴の過酷さ

そして貴族と農奴とか庶民の差は食べるものにあった、これはわかりやすいのである
ただ農奴でも祭りの日には肉を食べていた、それは日本だったら晴れの日でありその日は贅沢した、正月とかそうである、餅とか食べられたのは正月だったのである
それからこの辺では石鰈とかは贅沢であり大晦日とか正月に食べるものだった
それは日本全国でそうだったのである、だから食べることから世界を見ると共通したものがあると見た
また農業から歴史を見るとやはり共通したものがある、肥料で苦労していることは共通しているからである、ヨ−ロッパは余り土地が肥えていないから苦労している
水でも良質な水でないから飲めないのでビールやワインを飲む習慣が生まれた
日本でも酒は栄養がありただ酔うためにではない栄養補給のために飲んでいたのである
それでザビエルの弟子なのか日本に来て布教するとき酒を飲んでいたという
つまり酒は栄養があったからそうなったのである
だから栄養をどうしてとるかということでは共通している
何か全く理解できないものを食べていることはないからである

それにしても中世の農奴は過酷だった、労働でも過酷でありまともに栄養がとれない
だから早死にする人も多かったのは当然である、でも貴族はいいものを食べていたのである、その相違がヨ−ロッパでは大きいものだった、日本だと侍と農民の食べるものはそれほど違っていない、とういうのは全体的に貧しいからそうなっていた
殿様でもそんなにいいものを食べていたともならないのである
ただ米くらいはいつも食べていたとなる

中世の農民の主食はパンだけどこれを焼く窯がないのでそこで焼いてもらうにも金がかかった、水車も利用したがそれを借りるので金がかかったから負担になった
それを作るだけの資力がなかったのでそうなったのである
それは今なら機械を持っている資本家とそれを持たない無産階級だとかなる
だからそのパンを焼く窯をもっていた人は恨まれたとなる
そうなるとマルクスの資本家階級を恨む、階級闘争という理論がそうした歴史からも生れるとなる、日本ではそういう明確な差がないから階級意識も生れなかったとしている
士農工商は最近では職種のことであり階級ではないとしているからである

中世ヨ−ロッパの環境は劣悪だった、だからこそペストが流行して三分の一が死んだとなる、糞尿も処理されていないし水も飲めないとかありそういう環境ではどうしても疫病が蔓延したのである、日本では水は江戸水でも飲めたから水には恵まれていたとなる
水道の水は外国では飲めない、スイスくらいしか飲めない、でも日本では水道の水は飲める珍しい国なのである
農奴というときロシアではまだ農奴というのが現実に存在しているのかもしれない
中世では戦争に戦闘の訓練をしていない農奴が戦場で兵士にされたとある
するとロシアでも今訓練していない人がウクライナで兵士にされて戦わされる
それは都市部の人ではなく地方の農民なのである、何かそういうことに歴史の連続性を見る、過酷な労働とか兵士とかに皇帝の命令でされるとなる

結局こんなふうにヨ−ロッパの中世でも過酷だったのである

まずいパンだな、肉なんか簡単に食べれねえ
早く祭りがこねえかな、肉を食いたい
パンを焼くにしても窯がない
それでまた金がとられふんだくられる
領主様が怖いから文句を言えねえ
藁葺の家も糞尿でかためて臭い
藁で家畜と一緒に寝る
そして今度は戦争になり兵士にされて戦わされる
こんな暮らし地獄だぜ
でもここから逃げたかったら都市に行け
そこには自由がある
土地に縛り付けられて生涯働かされることはねえぞ
ああ、うめえいパンが食いてい、ゆっくり休めてい
いつなったら楽になるんだ俺たちは・・・・・

では領主や貴族はどういう感覚で生きていたのか?
農奴などどうでもいい、ただ不満で反乱を起こすことがあるからあまり厳しくはできないその辺の加減が問題なんだよ、百姓は生かさず殺さずなんだよ
今日も肉をたらふく食うか、多少の残りものは農奴に食わせてやろう
日本でも農民が働かなければならないのだから過酷過ぎたら農民でも反乱するから手加減したとなる、それは自分たちのためでもあったからである

●ビスケットの由来

ともかく何か歴史はこうして外国でも日本との対比でみたり食べ物か歴史の連続性を感じるとわかりやすく実感をが持てるのである

大航海時代の船乗りの代表的な食事はビスケットでした。航海中にパンを焼くことはできませんからカビない様に固く二度焼きしたパンです。二度焼き(ビスキュイ)からビスケットと呼ばれる様になりました。焼いてから3日もすれば1年たったパンの様に固くなり保存食となりました。
https://histori-ai.net/archives/489

ビスケットにこんな由来があったのかとなる、カビないようになるというから保存食だったのである、何か野菜でもカビが生えてこまるからである
こうして何でも食べ物でもその成り立ちとか由来を知るとその味もまた違ったものになるただまずいとかうまいというだけではない歴史を感じつつ食べるのである
それは別に食べ物だけではなくあらゆるものに歴史かあるからだ、家にもあるし道具にもあるし着るものでも何でもある、その歴史を知る時何でも味わい深いものとなる

人間の歴史をたどり見る時見えてくるものがある、今がいかに豊かで楽な暮らしかとなるただ一方で今の不足している苦しい面も見えて来る
それは時代によって違うからである、ただ人間は一時代しか生きられない、でも歴史は連続したものとしてありそこからまた未来を見るのである
今の豊かになった生活の反省もある、こんなに食べ物でも無駄にしている時代はないからである、それは日本の江戸時代でもそうである、ヨ−ロッパの中世と似ているからであるただ日本では侍がいたとしてもそれがヨ−ロッパの貴族とは違っていた
侍はそれほど食べ物でも贅沢していないしできなかったからである
下級武士となるとたいして庶民と変わらなかった、それで内職したり庭で野菜を作ったり柿を植えて食料としていたからである
その内職したものが今ではお土産とかなっているのである

大石内蔵助の妻、りくの里は但馬豊岡ですが、その特産品の柳行李はりくの弟が発明したものです。

砂鉄の産地の倉吉では稻こきの道具(千把こき)、大和郡山藩では金魚を特産品にしていましたが、いずれも下級武士の内職から始またものですね。
https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12458118810.html

ヨ−ロッパの貴族ではこういうことはしていないだろう、それだけ日本の貴族といっても武士は貧しかったのである、でもなぜ領主と貴族がヨ−ロッパでは富を得たのか、農業だけからだとそんなに富を得られないとみる、後の貴族はイギリスとかなると外国を植民地にして富を得たのである、日本の侍とヨ−ロッパの貴族は相当に差がある
だからマルクスの階級歴史観が生まれたのである、明らかに貴族が下の階級を搾取したと見えたからである

日本の明治維新は下級武士が成したのであり庶民ではなかった、その下級武士は貧しかったのである、ヨ−ロッパでは貴族階級が強固にあり階級社会がありそれでフランス革命で王様がギロチンとかで処刑された、王侯貴族が処刑されたのである
それは富の差が大きいからそうなった、つまり極端な格差社会になると上級国民でも危険なのである、そういう社会は富める者でも住みにくいし危険なのである
ヨ−ロッパの貴族と日本の侍とは違っている、ヨ−ロッパの貴族は庶民とは格段の差があり別世界に住んでいたとなる、でも貴族でも平等化したのだが依然としてヨ−ロッパには階級社会が根強く残っているという、貴族階級の言葉と庶民の言葉が違っているという
日本でも侍言葉がありそれが庶民に伝わったことは確かである
でもそれほど明確な差は日本にはなかったのである
士農工商とは階級ではなく身分ではなく職種の相違だと今では見直しているからである

2022年10月12日

グロ−バリゼーションと資本主義の縮小化 (物の値段はどうして決まる)


  グロ−バリゼーションと資本主義の縮小化
  
  (物の値段はどうして決まる)
  
●物の値段がどうして決まるのか

農業の場合

●人件費
●原材料費
●技術設備費用(機械化)
●肥料代
●輸送費用
●燃料代

例えば今肥料がウクライナ戦争で高くなっている、供給が減少したから供給できない
また世界的にコロナウィルスなどで半導体不足になりそもそも商品が機械でも作れない自体になっている
ヤマハの最新作のYPJの電動自転車が作れていない、それもいつ作れるかわからないという、供給ができなくなっているのだ
それは車でも起きている、どこでも半導体が必要でありそれで作れないから新車が買えないとしている、それで中古車が売れているという、高く売れているという
中古車はもともと需要が大きかったからさらに大きくなったのである

物の値段は農業だったら原材料としてかかるものがある、特に肥料代が一番かかる
農業は肥料なくしてできない、肥料が最重要課題なのである
だから焼畑だと森林を燃やして灰にして窒素などを取り出して肥料にしたのである
また尿や糞も肥料にしたし枯葉とかも肥料になった
また北海道のニシンが大量にとれたときそれは人間が食べるものではなかった
肥料として全国に売ったのである、それだけ肥料は農業の生命線なのである

それから現代の農業は今までの農業とは違う、昔だったら田植えでも稲刈りでも人力でしていた、すると人件費がかかるが機械に変わった、でも機械には燃料として石油を使う
またハウス栽培が増えた時、電気でも暖房するこめにも石油を使う、その電気の材料が何かというと石油なのである、だから石油の値段が経済を左右するのである
石油ショックもそのために起きたのである

●値段でも輸送費用が大きい

そして現代社会でかかるのは輸送費用だ!

グロ−バル化すれば世界に物を運ぶのだから輸送費が大きなものとなる、日本国内でも日本全国なのだから輸送費がコストとしてかかる、例えば近くの梨農家で相馬市まで梨をリヤカーで運んでいたという、15キロも相馬市まである、だからその労力は余りにも大きいものだったのである、でも相馬市なら人口が多いから売れたから苦労しても運んだのである
とにかく現代の経済は米をとるのにただ米だけを見ていてはわからない
米をとるにも肥料が必要であり機械が必要であり輸送も必要でありと昔の農業とは違っている、だから必ずしも米はとれているから米は上がらないとかならない
外国から肥料代もかかるし運ぶとなると石油でもかかる、つまり輸送代も大きいのである機械を動かすにも石油が必要でありまた電気も使いハウス栽培しているのである
だから米は日本で十分とれているから高くならないとは限らないのである
それはグロ−バル経済なのである、一見米なら十分にあるように見えるがそれをとるにも食べるにもやはりグロ−バル化していたりする
つまり何でももう国内産だけではやっていけなくなっている、そういうシステムとして農業も組み入れられていたからである

工業製品でも自国だけで作れない、世界中から部品をとりよせて組み立てるとかなる
それで心臓部の半導体が不足したことが致命的になったのである
世界がサプライチェーンになっていたからである
つまり世界が密接に結び付くということは世界情勢に左右される
ウクライナ戦争でそれが現れた、小麦が入らなくなりアフリカでは食料が得られないので餓死にもなるとなり深刻化したのである
またロシアが意外と旧式の武器を使っていて弱かったというときグロ−バル化して技術の面で実際は遅れていたためである
農業でもそうなように工業ならさらにグロ−バル化しているからそうなる
技術的に遅れるとその国自体の国力にも影響してくるのである

●グロ−バル化資本主義の限界現象

でも今世界で何が起きているのか?

それはグロ−バル化とか資本主義の限界が見えてきたということである
私はグロ−バル経済を批判してきた、でもそれが批判するまでもなくグロ−バル化は縮小する、コロナウィルスとかウクライナ戦争とかまた資本主義が機能しなくなったことでそうなる
資本主義とかは常に投資先が必要になるシステムである
そのために資金が必要でありファンドが必要になる、でもその資金でも投資先がなくなれば機能しなくなる、それが具体的には日本の銀行でも起きている
金は集めても投資先がないのである、地方銀行でも高度成長時代は金を借りにくる会社がいくらでもいた、高度成長時代は資金必要として新しい事業を起こす人がいくらでもいたからだとなる、そのためには資金が必要だからである

私でも駄菓子屋のような店を始めるためにもわずかでも資金が必要であった
でも銀行では貸してくれずに苦労したのである
今は事業を起こすから銀行に金を貸してくれという人は減った、すると銀行は必要ないとまでなって苦しんでいる、何でももうけていいのかわからない、それで投資信託とかを売るようになった、それは必ず手数料が確実に入るから銀行にとっては損しないいい商売なのである
でも実際は銀行の預金でもそれを投資していれば必ず銀行でも損するリスクがある
それでも怪しいアメリカのCLOとかにジャンク債とかに投資して大損するとか警告されいる、でも農協でも農民から集めた金をそういう怪しい所に投資しているのである
金余りであっても投資先がないのである

それでスペインが衰退したのは金銀を集めたのだがその金銀を使って投資する先がなくて衰退した、イギリスとかだと金を産業革命が起り投資して七つの海を支配する大英帝国を築いた、でもスペインは投資先がなくなり衰退したのである
だからいくら金があっても金銀があっても豊かになれないなのである
投資先がありそこに金をつぎこんでもうけがでれば豊かになるのである
葡萄栽培でも土地がありさらに大量の葡萄を作ればもうけになる、でもその土地を全部使ってしまいばそれ以上大量には作れなくなる、そして今度は葡萄の質のいいものを作ることに技術開発するのである
日本の米でもそうである、日本の米の生産も最初は新田開発で量を増やして人口を増えたのである、でもその土地に限界があり今度は一反辺りの面積でも量をとれるようにした
さらに今は質も良くしてうまい米が食べるようになったのである
それは量の拡大ではなかったのである

経済は確かに需要と供給の原理で働いている、日本でも戦後高度成長したのはアメリカが電機製品を買ってくれたからである、アメリカが巨大な消費地としてあったからなのである、いくら物を作ってもそれを消費してくれなかったらもうけることはできないからである、戦前の養蚕でも絹を作るのに日本の生糸をアメリカで買ってくれたから農業が成り立っていたとなる、巨大な消費地があったから成立つ産業だったのである
つまり明治維新後は世界が経済の場となり市場となりグロ−バル化していたのである
それが現代になり頂点に達してコロナウィルスとかウクライナ戦争とかさらに自然破壊とかなりグロ−バル化とか資本主義は限界に達したのである
またグロ−バル化の弊害を述べて来たがグロ−バル化とは自然破壊にもなったから持続可能な社会としてのSDCG(持続化可能社会)が言われるようになったのである

●世界の大きな転換期

ともかく世界は大きな転換期を迎えている、そこに混乱が起きている
こんなに円安になり物価高になるにも驚いた、この変化も大きい、これにどう対処していいかもわからない、これは小手先の金融政策では対処できないものだろう
なぜなら世界的変化として起きているからだ、その世界の大変化の中で起きることだから簡単には日本だけでもどうにもならなん問題だとなる
それは一過性ではなく持続するというとき対処方法がないともなる
金勇政策だけではどうにもならないともなる
ただグロ−バル化は終わる時国内経済重視となり江戸時代の鎖国ではないが国内回帰とかにもなる、つまりグロ−バル化と資本主義には無理があったのである
その無理が自然を破壊するとか自然の理に反していたのである
コロナウィルスでもグロ−バル化して一挙に広がったのである
人間は基本的に生態系に依拠して生きるものであり生態系を離れてありえないのである
だから原発事故でも生態系を無視して作られたから事故になり住民が故郷に住めなくなったともなるのである、その被害は余りにも甚大だったのである

いづれにしろ今は時代の大きな変わり目でありそこでいろいろな混乱が起きてくる
ウクライナ戦争でもコロナウィルスでもそうである、そしてこういうときは株とかに手を出すなとか大きな買い物、車などは買うなとかなる
なぜなら優先するものは食料だとなるからである、車などでも増えすぎたのである
だから車が少なくなることはかえって騒音もなくなり落ち着くともなる
何かそもそも生活自体を見直す、必ずしも経済優先ではないものにすることも人間にとって幸福かもしれないからだ
あらゆることが経済優先になりすぎたのである、資本主義とはそういうものでありそれも限界に達したのである、だから何か時代の思想も変えねばならないとなる
資本主義も民主主義でも思想なのである、でもそれも変えねばならないとなった
だから独裁がいいというのではない、そもそもグロ−バル化というのも必ずしもいいものではないのである、だから食料でも基本的には国内でまかなうのが自然の理なのである
自然の理に逆らうことは人間にできない、そうなれば必ず災いが生まれる
それが原発事故でもあったからだ、ただ昔の貧乏に帰れというのではない
何か行き過ぎたものがありそのゆりもどしが来たのである

そもそも電気がなくて車がなくて暮らせないとなっているのがおかしいのである
第一縄文時代から江戸時代まで電気がなくても暮らしていたからである
戦後でも電気など裸電球一つであり水道もない洗濯機も冷蔵庫もなくても死ぬこともなかったのである、貧乏でもそれで人間の生活が途絶えることはなかった
逆にその時子供がわんさといたことの不思議である、食べるものもないような状態でなぜ多くの子供がいて育てられたのかとなる
別に電気を否定するわけではない、ただ電気がなくても石油がなくても人間は死なない
生活は継続されるのである、電気がなくなったらもう終わりだとか石油がなくなったらもう終わりだとかなっているけど実際は人間の歴史は江戸時代までそんなものなくても暮らしていけたということである、だから電気がなくなっても石油が入らなくても人間の生活は維持できるし継続できるのである
その辺を見直すことが迫られている、何か技術的にも見直す、電気だけではない何か方法かあるのではないかとなる
実際は日本は森の国でありでも木材を利用していない、外材に頼るとか不自然なのであるそうして自然の理にかなわないことが災いを産むということが怖いのである
それが原発事故として現象化したともなるのである

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この本はわかりやすい、でも対策は大きな買い物を家とか車を買うなとくらいしかないと書いている
何か有効な対策がないのである、貯金は危険だとしても株がいいとか外貨預金がいいとしても
それもリスクがある、結局この世の中はあるゆることにリスクがある

そもそも生きていること自体リスクだ!

これが世の中なのである


でんでんら野(蓮台野)と高齢化社会の老人 (老人が捨てられる社会)


でんでんら野(蓮台野)と高齢化社会の老人

(老人が捨てられる社会)


60歳を超えるとみんな、この蓮台野に送られる習わしがありました。
送られた人々は、すぐに亡くなることはなく、昼間は里へおりて農作業などをして暮らしをたてていました。
そのため、今でも山口、土淵のあたりでは、朝、田畑に出ることをハカダチ※3、夕方、野良仕事から帰ることをハカアガリと言うそうです。

ハカダチとは墓をたつ、墓から出るという意味なのか?
そして墓あがりとは墓からあがるとした、その辺一体が墓地だったのかとなる
でんでらのとは老人が隔離して住んだ場所なのかとなる
ただそこでは労働が行われてある程度自給していたようである
この辺ではホトケッポとかありそこは村の共同墓地でありそこに村人は埋められた
そこには死んだ人の名前もない、墓もないからである
何かそうした野がありそこは墓にもなっていたとなる

現代の老人を考える時やはりこれも歴史的に見るとどうなっていたのかわかりやすくなるそれが現代でも関係しているからである、老人ホームが実は姥捨て山だというときもそうである、食糧と寝る場所が与えられていても実際は子供からでも捨てられた場所だとしている、だから老人は淋しい思いをしているというのもわかる
ただ昔だと食べるだけで大変だから老人は邪魔だとなり別に暮らさせたとなる
そして何とか老人だけでも生きていくために畑を耕して食料を得ていたということになるでも小屋のような所で共同生活するにても苦労だったとなる
まず病気になったら何もできない、ただ死を待つだけだともなる
でも仲間がいて見守られ死んだとなる、孤独死とは違うとはなる

昔を見る時どうしても社会とか時代が違うから理解できなくなる、一見ひどいと思ってもそれが意外といいという見方もでてくる、確かなことは村という中でずっと仲間として生きてきた、共同して村で生きてきたことで仲間意識がありそういうことが自然とできたとなる、何か息子娘でもひどいとみるが当時の暮らしは過酷なのだから年老いた親を養えないということがあったからである
だから老人たちもそのことを知っていてそういう生活を選んだとなる

でも逆に現代になるとかえって物質的には恵まれていても精神的情的には恵まれないとういことがある
その人は85歳で糖尿病である、その治療費がかなりかかる、そしてそこに毎日通っている女性がいる、その女性は73歳であり前から付き合いがあり世話になった人だからと行っている、ところがその女性は普通の老人より弱っている、病気持ちでもある
だから何か世話するというのではない話し相手くらいしかできないのである
また金もないので余裕がない、それでその人に金をくれといってももらえないのである
というのは娘が隣の市に住んでいて来ることは来るのだが金をあづけてしまったので
金を自由にできず困っている、そして娘は世話することを嫌がっている
その娘は一人娘でかわいがられたのに薄情だということもわかる

ただ家族の事情は複雑でわかりにくいから誤解しやすい、どういう事情でそうなったのかわかりにくいのである
でも外から見たら明らかに薄情だとなる、それで親は来るなと言ったという、金も出してくれないと怒ったという、それもわかる
何かその男性はまだ一人で自分のことをしている、何かきつい介護などしていないのである、そもそもできないとみる、だから施設に入れたいのである
そして老人ホームは実は現代の姥捨て山だとしている
昔とは違っていても内実はそうなっているというのもわかる

私の親戚ともなるが付き合いがなかったので事情がわからなかった
その娘は三人の母親に育てられた、実の親とは五才で別れた、でもその後二人の血のつながらない母親がいて世話した、でもかわいがられたし貧乏にはならなかった
最後の母親とは長く暮らしていた、でもその親が「ひどい娘だわ」と私に言ってきたのである、その後すぐ死んだのである、そのことを何か付き合いがないので理解できなかったでもその娘がひどい娘だということを私の家にきて母を介護してきたとき
「おばちゃんは金があるんだから金でめんどうみてもらへ」といって去って行った
そのことでその女性がいかに非情にな冷酷な人間化を知った
本当にひどい娘だったのである、ただ子供の時、一回くらいしか会っていないからなぜそうなったのかその後の事情がわからないのである

でも私の家にきてそんなことを言うこともないのである
なぜなら何も要求していないしめんどうみてくれと言っていない、そんなことをわざわざ言う必要もないのである
ただその人にはどういう訳か金が入る
五才まで一緒にいた実の母親も認知症になり老人ホームにいても金が欲しくてそうしているだけである、認知症になった母親は頼る人がなく実の子に頼った
でもその子はもう親とも思っていないのである、非情化した人間なのである
ただこういっても他人の家族のことはわかりにくいから誤解になる
最初は親の方が悪いと見ていたからである

いづれにしろ今や子が親を捨てる時代になった、またこれだけ老人が多いと老人を尊敬する人などわずかである、老人はお荷物でしかないから早く死んでくれと若い世代は言うのである、どんなにしてもこれだけ数が多いと負担になるからである
だから今の若い世代は老人を嫌っている
私も病院に入院して看護師に虐待のようなことをされた、看護師でもその女性は老人を嫌っていたのである、相当に老人を嫌っている人が多い、だから病院であれ老人ホームでも老人に親切にするとは限らない、ただ金のために仕方なくしているとなる
それは金持ちの老人ホームでも同じなのである、たしかに待遇はいいにしても金だけしているから本音が現れる、その本根が人間は怖いのである
介護とか病人の世話は気持ちがないとできないのである
だから兄弟でも一番かわいがられた人が親の介護しろとなるのである
どうしても気持がでてくるからである、だから金だけでは介護とか病人の世話はできないのである

ともかく高齢化社会の問題はとても数が多くて老人を敬う社会ではない
それは儒教の親孝行を説く中国でもそうである、一億人が老人になるときテレビでも経済的にもめんどうみれないと親が捨てられるという放送があったらである
高齢化世界的な問題なのである
そしてデンデラの野に老人だけが共同して住んでいたという時、そこは過酷にしても村で共に生活した仲間がいて病気とか直せないにしろ仲間が助け合い看取られた
孤独死ではないのである、そういう社会があってそういう場所がありえたとなる
だからその時代で人間は違っているから現代と比べてもなかなか理解できないのである

ただ老人にも価値がある、でもその価値が村とかではあったにしてもなかなか見いだせない時代である、会社を定年になるとこれまで会社で生きてきたことが活かせないのである社会自体が変わってしまったからである、すると定年になることは社会的死にも通じている、後は社会にとっては必要ない邪魔の扱いにもなる
だから高齢化社会は会社だけに生きることに問題がある、定年とともにその人の人生は終わり社会に必要ない者とされるからだ
でもライフワークを追及してきたものはかえって長寿はいいのである
私は70以上になって今になってこれまで追求して来たものが実りとなって成果となって現れてきた、遅きに過ぎたともなるが長寿社会になればもう70以上が本番ともなる
それまで経験したことや追及してきたことが実りとなる
でも会社人間だったらライフワークがないから定年とともに社会的死の宣告されたとなるでも60歳がらでも30年とかの人生の時間が加わったのである
それをどう過ごすかが問題になる、でもそこまで考えていた人はないだろう
金銭的な面では考えたとしても精神的な面では備えられないのである

ただでんでら野で老人が共同して暮らしたことは参考にはなる
老人同士が助け合い若い世代に迷惑をかけない、負担をかけないということである
そうしないと老人とともに社会自体が衰退して社会自体が成り立たないともなってしまうからである、ヤングケアラ―とかそうである、老人のために人生が犠牲になりかねないとなるとこれは生物的にはありえないことである
親は子孫を残すためにあり子孫を繁栄させるために大漁の卵を産む、何か子孫を第一にしているからである、生物界では動物でも老人は淘汰されて若い世代が生きるのである
猿の社会では年老いた猿がボスになっていも若いボスが挑戦して戦いそのボスの地位を奪うのである、結局どうしても体力的には弱くなるから世代交代が起きて猿の群れを守ることになる

人間の場合は体力とかではなく財産力とか地位とか別なものが力となっている、権力となっているから若い世代と世代交代できないのである
財産にしても親が死ぬのは85以上とかなるとすでに60以上になって財産を譲り受けることができる、そうなると遅いとなる、若いうちに財産でも金でも自由にならないということは何か新しいこともできないのである
また老人は逆に金でも財産でも地位でも放したくない、権力を持ち続けたいのである
なぜなら老人は村社会とかと違って金とか地位とか権力がなくなったら誰も相手にしないということである
だから知っている老人が娘に金をあづけた結果、金を自由にできず困っているということでもわかる、それて娘を恨んだりする、つまり金を息子娘に預けるとそうなるのである
だから権力を手放すことは老人にとっては危険になるのである
それもまた高齢化社会の問題なのである

2022年10月11日

秋夕焼 秋薔薇(日が短くなる)


秋夕焼 秋薔薇(日が短くなる)


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故郷に老いをともにし秋夕焼

秋の薔薇庭に咲きだす一輪や老いにし女のまたたずねくる


夕方外に出たら意外と日が短くなっていた、陽が山に没るところだった
今頃こんなに日が短くなったのかと意外だった
今日は昨日より暑かった、夏が長く秋が短い、こうしてすぐに冬になる

老いるということは様々である、同じ年の人は若い、禿げてもいないし白髪もない
あの人はなんなのだろうとみる、老人ではなく加治兄とか呼ばれていることでもわかる
40代前にしか見えないのである
同じ年だったら禿げているか様子からしても老人風になっているからだ

毎日のように来る女性は普通の人より老いている、何か体ぎごちなくいつも何か地ぶつかったりして体をいためている、見た感じも老いている
その人は死っている人の所に毎日行っている、糖尿病であり世話するというのでもなく話し相手として行っている
でもその人はそもそも介護とかなるとできない、弱っているからだ
老々介護となるのは厳しいのである

老人はみんな一様ではない、年齢通りでもない、老いた感じも違う、やはり見た感じで判断するとなる、自分自身は体は動くのである、その人が体の動きが悪いのである
だから転んだりするから危険である

ともかく老いをともにするというとき現代ではそうした農民社会ではない、だから老いをともにするとしても何かつながりが持ちにくいのである
孤立しやすいのである、それは田舎でも同じなのである
その息子は足場の仕事をしていて最近佐世保まで行った、そんな遠くに行っているのかと驚いた、でも前は青森に働きに行った人を知っている
工事関係は仕事が遠くになる場合がある、そうなると地元で仕事しているとは限らない
とんでもない遠くで仕事しているともなるのである

いづれにしろ老人は高齢化社会でいろいろ問題になる、一人娘でもその娘を嫌って逢わないとう言う人もいる、今こうして介護でもめやすいのである

秋夕焼がきれいだった、確かに秋なのである、でもまた冬が近いとなる
秋は相当に短くなる、だから日が短いのは冬だから冬の感じにもなったのである

2022年10月10日

会津がなぜ福島県で一番古い場所なのか (日本海側が先に開けたためー船の交通から見た歴史)


会津がなぜ福島県で一番古い場所なのか

(日本海側が先に開けたためー船の交通から見た歴史)

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10人くらい乗った船の絵が南相馬市鹿島区の寺内古墳から発見された
この地域まで船が使われていた、それも結構大きな船だったのである


大毘古命は先の命のまにまに、高志国にまかり行きき。ここに東の方より遣はさえし建沼河別、その父大毘古命と共に相津に往き遭ひき。かれ、そこを相津と謂ふ。

(現代語訳)
ところでオホビコノ命は、先の詔に従って越国の平定に下って行った。ところが東方に遣わされたタケヌナカハワケは、その父のオホビコノ命と会津で行き会った。そこでそこを会津というのである。


何か錯覚しやすいのは時間軸で見ることなのである、例えば江戸時代であれば元号があるその後先を間違うのである、元禄時代とか幕末となると天保とかあるが離れていると違ったものとみる、でも江戸時代は間違い安いのである、元号でも十年くらいで終わりになったりするからである
だから昭和があり平成があり令和がある、今なら時代を間違えない、昭和の次は平成だとなる、でも昭和は戦前もあるから戦争を経験した世代と戦後を生きた人達はまるで違った社会を生きたのである、戦争のことは余りにも異常なことだから戦後生まれはいくら聞かされても理解しにくいのである
それでも親から戦争のことを聞いた人がいるから団塊の世代とまた直接話しも聴くことがない人の差も大きくなるのである

それに比べて歴史を見る時必ず地理からみる、地理は変化していない、だから地理から見る歴史もむずかしいにしろ変化しないからわかりやすい、川であれ山であれ変わらないからである、この時代順で誤解しているのは会津でもそうである
太平洋側から見ると会津は福島県でも遠い、そして会津は遅れた地域のようにも見る
でも会津は福島県では一番古いのである

大毘古命は先の命のまにまに、高志国にまかり行きき。ここに東の方より遣はさえし建沼河別、その父大毘古命と共に相津に往き遭ひき。かれ、そこを相津と謂ふ。

(現代語訳)
ところでオホビコノ命は、先の詔に従って越国の平定に下って行った。ところが東方に遣わされたタケヌナカハワケは、その父のオホビコノ命と会津で行き会った。そこでそこを会津というのである。古事記

会津嶺の 国をさ遠み 逢わなはば 偲びにせもと 紐結ばさね

この歌で国(くに)として自覚されていたのは福島県では会津だけである
そして大塚山古墳には三角神獣鏡が唯一東北で発見されている、これは吉備で発見されたものと同はんであり吉備国が関係していたとなる

ではなぜ会津は古い場所なのか?

それは日本海側が古代から船で交通があったからである、見逃されているのは日本海側が先に開けたということである、奈良とかの大和からの進出も太平洋側より早かったとなるそれは日本海側が冬をのぞいて比較的穏やかな海だったから交通に適していたからである

●船が古代に交通路になり大きな力を持った

阿倍氏は古くから越・北陸道方面の計略で活躍した氏族である。複姓が多く見られ、阿倍引田臣もその一つ。引田臣の性格については、比羅夫の活動にも関連して二説ある。一つは中央豪族である阿倍氏の一支族とするもの、もう一つは越国の地方豪族とするものである

斉明天皇4年(658年)4月に船軍180隻を率いて蝦夷を討ち、飽田・渟代二郡の蝦夷を降伏させる。降伏した蝦夷の酋長・恩荷に小乙上の冠位を与えるとともに、渟代・津軽二郡の郡領に定めた。また、有間浜で渡島の蝦夷を饗応している

これで安倍氏の遠征であった、高志の国、越の国、今の富山県とか新潟県とかの地域の支配者だったのだから比較的距離的にも短いから行けたとなる
地理からみれば出雲が大和王権と互角の地位にもあったのは鳥取とか島根は韓半島に近いからである、そこで国引き神話が生まれた、日本海側は力を持ったのは韓半島に近い地理的条件でそうなった、そして大和王権と出雲は争った、国譲り神話が生まれた
そして諏訪神社が多いのタケミナカタを祀っているのは争いで敗れたため東北地方に逃れたためだとしている、そして東北弁と島根県の方言が似ているというのもそのためだとしている

ここからもわかるように日本海側が時代的に先であり太平洋側は遅れて大和王権に組み入れられたのである、それは太平洋側が海が荒くて航行できないことにあった
それでも太平洋側でもヤマトタケルの東征で東北の沿岸に進出した神話が残っているのはやはり当時は森が多く道がないので船が交通の手段になっていたのである

日本武尊は上総(かみつふさ)より転じて、陸奥国みちのくにに入られた。そのとき、大きな鏡を船に掲げて、海路をとって葦浦あしのうらを廻り、玉浦を横切って蝦夷(えみし)の支配地に入られた。蝦夷の首領島津神(しまつかみ・国津神(くにつかみたち)が、竹水門(たけのみなと)に集まって防ごうとしていた。しかし、遥かに王船を見て、その威勢に恐れて、心中勝てそうにないと思って、すべての弓矢を捨てて、仰ぎ拝んで、「君のお顔を拝見すると、人よりすぐれておられます。きっと神でありましょう

この竹水門が南相馬市の原町区らしいとなる、多珂神社(たか)とかあり竹は高らしいからだ、そこには海側に大きな桜井古墳があるからだ、また玉浦だとうい説もある
そして南相馬市だと原町区から小高区にかけて多数の20くらいの綿津見神社がある
おそらくこの遠征の物語は海人族の安曇氏系統の人達の移住に由来しているのかもしれない、こんなに多いということはそうなる
つまりこの辺までは大和王権の支配地域として早い時期に組み入れられた
そして

●真野の草原と陸奥磐城国は黒潮と親潮の交わる南国的地域

みちのくの真野の草原遠けれど面影にして見ゆというものを 笠女郎

この歌は自然境界でもあり政治的境界ともなったのである、草原(かやはら)は地名であり萱のことではないのである

なぜなら磐城に朽ちた大船のことが語られているから磐城から辺りだと浦が多かったから入江になっていたからそこに休み休み船で来たとも思われる

祭神は住吉大神(底筒男命・中筒男命・表筒男命)および神功皇后の四座。A航海守護神とする信仰が最もよく知られる。B同様の航海守護神である宗像大神が宗像氏の氏神であるのに対し、住吉大神は特定氏族の氏神ではないと考えられている

軽野の東、大海の浜辺に、流れ着いた大船があって、長さは十五丈、内幅は一丈余りである。朽ち砕かれて砂に埋もれ、今もなお残っている。淡海の世に国秤(くにまぎ)に遣わそうとして、陸奥国石城の船大工に大船を作らせたところ、ここまで来て岸に着き、ただちに壊れたという。

古代造船の建材としてはクスノキが重要です。クスノキは暖地系の常緑高木で、大きいものは20メートル以上。いわき市内にはクスノキの大木が多く、理学博士の湯澤陽一によれば、その自生北限はいわき市小浜町であるとされています

楠(くすのき)は南の木である、漢字でもそうなっている、磐城は今でも親潮と黒潮の交わる地点である、それで波立海岸で熱帯魚を探していた千葉県の人がいたのである
小さいものだが熱帯魚が来るということは黒潮に乗ってきたとなる
いわき市は南国的な場所なのである、そして南相馬市の鹿島区の海老浜には自生した
シャリンバイが南限の地とされている、この花は奄美大島に自生していて南限の地とされている、またスダシイ神社もありこれも沖縄の山原の原生林に自生しているのである

ここで日本海側と比べて太平洋側は船の航行には適していない、でも古代だと最初は船が交通の最適な手段となる、陸には道がない、森とか山に遮られて歩くことも容易ではないからである、すると海人族の安曇氏系統が船の操作ができて南相馬市の原町区に進出してきたとなる、そこに大きな桜井古墳が作られたとなるのである
これは物部系とか安曇氏系統が関係していたともみる

遥かに王船を見て、その威勢に恐れて、心中勝てそうにないと思って、すべての弓矢を捨てて、仰ぎ拝んで

こういうことは技術力で支配することに通じている、太平洋戦争でもアメリカに原爆を落とされて日本が降伏したのとにている、科学技術力によって権力を持つことは歴史にある明治維新の黒船でもそうである、大航海時代でも船が大きな力となったからである
だから船というものが世界を変えたということを知らねばならない

●日本海側が先に開けたからそこから歴史も見る

ともかく時間軸で空間軸で見ることが歴史では不可欠である、でも時間軸だとわかりにくいのである、空間軸だと韓半島に出雲は近いから当然その延長として越の国がありそこから今度は阿賀野川があり会津に大和王権の勢力が伸びてきた
それで会津は福島県でも一番古い地域だとなる
だから歴史を見る場合交通も大事なのである、その交通は海の交通と川の交通がある
大陸だと川が長大だからそこが道ともなったのである
ただ時代が変わると遅れた地域となるのは交通が変わりそれで港でも栄えていても衰退する、それは北前船が明治になり鉄道ができて廃れた結果としてそうなったのである
北前船はやはり日本海側を青森から山形県の最上川まで通じて交通が盛んになり紅花(べにばな)が作られて京都に送られて加工されて口紅などの化粧に使われたのである

なぜ紅花の大産地が形成されたのでしょうか。気候・土壌が栽培に適していたということもありますが、山形の他に、奥州福島・奥州仙台・奥州三春・西国肥後・尾張・遠江・相模などで生産されていましたので、気候・土壌が決定的な要因だったというわけではなさそうです。むしろ、最上川の舟運で山形と京都や大阪が深く結びつき、紅花商人たちが活躍したことが、産地の拡大に繋がったと考えたほうがいいかもしれません。

この指摘は重要である、なぜなら交通があってまた消費地があって経済も発展することを示唆しているからである、京都は消費地でありそれと最上川が結びついて一大生産地となったのである、江戸でもそうである、江戸は巨大な消費地であり参勤交代があり発展したとなるからだ
でも明治以降は中国産とかの紅花が入り衰退したのである

福島県でわかりにくいのは南相馬市の鹿島区に浮田国造が置かれたことである
これは奈良の中央政権から派遣され宮っ子であり官吏のような人だった
その系統が毛野氏になっている、この毛野氏は栃木県とか群馬県とかを支配地域としていた、地盤としていた、ではなぜ毛野氏が福島県の浜通り進出したのかとなる
それは最初に栄えたのは交通が便利な日本海側であったからなのだ
ただ毛野氏となると山側だからそうなのかとなる、でも茨城県は遅れて大和王権に組み入れられたのである、とにかく日本海側が日本の歴史では先んじて発展していたとなる
そして会津は日本海側と越の国と関係していて早くから奈良に知られた場所にもなっていた

島根、鳥取⇒越の国⇒(毛野)⇒会津

毛野は浜通りの南相馬市の浮田国造の祖となっているのである

吉弥侯部氏(きみこべうじ、姓は不明)で、上毛野氏、下毛野氏、針間鴨国造などと同族神護景雲元年(767年)7月19日には宇多郡人の外正六位上勳十等吉弥侯部石麻呂が上毛野陸奥公を賜姓されている

つまり交通から見ると京都大阪があり瀬戸内海から日本海をめぐる航路があり日本海側が先に発展した、日本海側から順序として歴史を見る必要がある
ただ毛野氏というのは栃木県とか群馬県でありそこは山国であるから謎が残る

ただその後も越の国は上杉謙信が出て戦国時代は大きな勢力だったのである
一時は上杉が山形県の米沢に拠点を置いた上杉氏が福島県全体を支配したのである
それで丸森の森林資源の木材をめぐって争ったのが伊達氏と上杉氏と相馬藩だったのである、三つ巴の資源をめぐる争いかあった
上杉とは今の石川県とか富山県と新潟県を勢力圏としていたのである
ということは越の国は戦国時代でも大きな力をもっていたとなる
そこが誤解する、なぜなら日本海側は遅れた地域に見てしまうからである
それは交通の変化でそうなったのである

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福島県の大部分が上杉氏の領地になった時があった
だからこそ丸森で森林資源の木材の取り合いになって争いになった










posted by 老鶯 at 09:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2022年10月09日

会津の曲がり屋の写真 (まだそこで生活している)


会津の曲がり屋の写真

(まだそこで生活している)

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薪を積み曲屋に生く冬支度

干し大根曲屋(まがりや)古りて会津かな

曲がり屋に日のさしあわれ干し大根

この写真は会津で撮った、今写真の整理をしている、その時デジカメがまだ出ていない時代であり写真が貴重だと思った
なぜなら人間はとにかく忘れやすいのである、それで写真を見てこんなところあったのかとふりかえる、人間は記憶が大事なのである、でも旅したとしても忘れ安いのである
ここが会津だとしてもどこだったのか思い出せないのである
その時は秋から冬に入る時だったろう、大根を干すのは秋から冬だろう
季語としては冬である、いかにも冬らしいとなる、ただ大根は別に今でも農家では大根を干している、そういう風景はある、凍み大根とかは飯館村では有名である

飯館村で古い兜屋根の養蚕農家があった、そこは原発事故で空家になっている
それがなんとも淋しいものだった
でも相馬藩内で曲がり屋は見たことがない、各地に残っている曲がり屋は馬を飼っていて人間とともに暮らしていた
その曲がり屋の馬を飼っている上で養蚕をしている兜屋根がある写真を見た
いかにも当時の暮らしが感じられる

〈蚤虱(のみしらみ)馬の尿(ばり)する枕もと〉芭蕉

馬の尿(ばり)が聞こえた、馬の尿あ出す時相当な量であり音も大きかったのである
実際はそんなところで眠れたのかとなる
私は自転車で旅して隠れるようにある田んぼにテントを張って寝た
日本は田んぼが隠れたような場所にある、気付かないのである
それで隠した田が各地にありそれで税としてとられないようにしたということもわかる

隠し田の刈田に一夜テントかな

尿前の関はこけしの産地、鳴子温泉の近くにある。尿前(しとまえ)とは前が湿地の意味らしい、アイヌ語としているがこれが実際は曲者なのである
しとしとという語があるから日本語なのである、しとしとと雨がふるとなる、しっとりするとかもあるから日本語から来ている、アイヌ語由来は意外と少ないと思う
青森辺りにはあるみたいだがアイヌ語由来にするのは近年否定されているだろう

ともかくこの一枚の写真のいいのは生活感がにじみでていることである
薪を積んでいるから冬支度している、何か花も咲いている、でもこの家の茅葺の屋根は相当に傷んでいるからここに住めるのかとなる
でもなぜ曲がり屋とかが人が住まなくなり観光のために展示されるようになるとそれに
違和感を覚える、それはもうそこに人が住んで暮らしがなくなったためである
人間の暮らしがなくなるとき何か神社でも誰も参るものがなく原発事故の避難区域では死んでいるのである、暮らしがあることで家でも土地でも村でも町でも活きている
それが喪失したとき死の村や町になる、人が住まない限り死の世界になってしまうのである

もう一枚の写真は蕎麦の花である、この季語が初秋になっている、これも会津でとったものである、ただ場所がわからなくなったのである

蕎麦の花会津の暮らし小屋一つ

会津は山国だか蕎麦がふさわしいとなる、桧枝岐などでは米は食べられなかった、蕎麦を米代わりに食べていた、米を食べることは贅沢であった時代がある
山の村では稗とか粟を食べていた、また大根飯とかありかて飯があった

かて飯は、米の消費を抑える目的で、雑穀や野菜など他の廉価な食品を炊きこんで増量した飯である。米に加える食品を「かて」と呼び、その種類によって大根飯、蕪飯、芋飯、南瓜飯、小豆飯、山菜飯、海藻飯と呼び分ける。農業技術や輸送、貨幣経済が未発達時代だった近世以前は、全国的に広く食されていた。米が貴重な離島や寒冷地の山村では、粟や稗など雑穀の飯に野菜類を混ぜ炊きする例も見られた

米が貴重だから米にこうしたものまぜて食べていたのである
90年前に東北飢饉があった、それが悲惨だった、その写真を見たら着る物も粗末であり
もう貧困のどん底に見えた、娘でも売られたとかある、でも東京では西の方ではそんな飢饉はなかった、東北はやはり貧しい地域となっていたのである
それで何か戦争があり飯を食べられるからと兵隊になったとかある
人間はもう食べられないとなるとそうまでなる、食べなければ死ぬのだからそうなる

とにかくこの一枚の写真の語るものはかなりある、写真の時代だからこの写真から読み取るものが相当にある、この写真は貴重だった、こうして一時代が過ぎると写真でも貴重なものとなる
要するに歴史をふりかえると米の御飯でも食べられることは恵まれていたとなる
今なら全国のうまい米を食べられる、これも贅沢なことなのである
でもそのありがたみは感じなくなる、当たり前となり贅沢になれてそうなるのである
でも何か最近食料不足になるとかやはり必ずカルマがめぐってくる
同じ苦しみがやはりめぐってくる、カルマがめぐってくるから怖いのである

曲がり屋の養蚕と馬小屋がある写真

2022年10月08日

汽笛一声!文明開化を決めた資金調達若き大隈・伊藤の挑戦(NHK英雄たちの選択) (鉄道開設に見る明治維新―鉄道開設百五十年)


汽笛一声!文明開化を決めた資金調達若き大隈・伊藤の挑戦(NHK英雄たちの選択)

(鉄道開設に見る明治維新―鉄道開設百五十年)

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●鉄道開設でも日本は欧米の植民地にならないために苦慮した

当時の国庫には余裕がなく、「植民地主義を推し進める西洋列強に対抗するための軍備増強を最優先すべし」と唱える西郷隆盛らは、鉄道建設に猛反対。さらに、藩邸や兵部(ひょうぶ)省(軍務機関)の海軍操練所などがあった新橋から品川にかけての土地の買収問題も鉄道建設の行く手を阻みました。

日本初となる鉄道の敷設事業は、民部・大蔵両省の大輔(次官職)である大隈重信の主導のもと、民部省鉄道掛(がかり)により進められることとなった。

大隈は佐賀藩の出身で、精煉方が製作した蒸気機関車を見ていただろうし、西洋文明を尊重する土壌に育ったことも大きかった。日本を近代化させ欧米列強と肩を並べるためには早急に国を豊かにしなくてはならない。その一つの手段として、交通制度の整備が急務と考えたのである。そして「鉄道より軍艦を優先すべし」と主張する反対派を押し切って鉄道敷設を実現させたのだ。

実際に工事を指揮したのは、英国人鉄道技術者のエドモンド・モレル。さらにいえば、建設費も主に英国からの外債で調達し、汽車も英国製だった。レール幅は英国の規格に合わせた。ただし英国本国のそれではなく、植民地用の狭いゲージ(軌間)だった。このため、日本の鉄道は欧米よりずっと狭くなり、列車の幅も細くなってしまった。

資金や資材の調達は、パークスから紹介された英国人金融家のホレイショ・ネルソン・

レイに一任していた。ところが彼は、日本政府をだまして利ざやで儲けようとした。これが発覚すると新政府はレイを解雇したが、すでに中古の汽車や狭いゲージのレールが発注されていた。のちに大隈重信は、狭いゲージを採用したことについて「一生一代の不覚」と悔やんでいる。

いずれにせよ、当初の鉄道は、英国頼りでつくられたものだった。


これは興味深かった、明治維新を鉄道開設から見えるものがあった
明治維新はわかりにくい、良く日本だけが欧米列強の植民地にならなかったという
そして太平洋戦争はアジアの植民地解放の戦争だったという
そういうことは実際は明治維新を知らないとわからない
鉄道開設が明治維新の原動力にもなったことを知らないとわからない
なぜなら鉄道開設には巨額の資金が必要だった、その資金をどうするかがまず大きな障壁となっていたのだ

●金をいかに調達するかで苦労

●アメリカの資本家から調達ーでも経営権を渡すことで拒否

●イギリスの資本家からイギリス国家から資金援助を頼む

●国内資金でまかなう

ここに一連の資金調達の経過がでている

資金援助してもらいたいが経営権を渡すとそれは日本が植民地化されることにもつながる国内資金でまかなうべきだとか論議があった、でも急いでいたので資金調達を早くしなければならないのでそれもできなかった
最終的にはイギリスの銀行家が資金を調達できた、それは国家からではなく一銀行家であり経営権は日本にあり利益を出したら配当するということになった
その前にイギリスでも投資家がいて資金調達すると話しがあったがそれは日本が経営するものではなかった、それは契約書を良くみていなかった、まだそうした契約書に慣れていないからそうなった、見落としていたのである
そのことでアメリカではやはりインディアンを契約書でだまして土地を奪ったということがあった、欧米人はこの辺が巧妙であり契約書でもだますために使っていたのである

ではなぜイギリスから資金が調達できたかというとその頃イギリスの植民地化に収奪された国が反乱を起こしたりして政策が変わった、利益を出せばいいとしてイギリスの銀行が資金を出したのである、それは経営権を奪うということではない、日本人が経営して利益を出してその一部の利益を銀行に出すということになったのである

ともかくここで日本人は経営権とか独立して鉄道を運営することにこだわったのである
なぜなら外国資本が入り経営権がないと例えば鉄道を見守るとか保守するとかで軍隊まで駐屯するとかにもなる、実質植民地化されることを危惧したのである
それはイギリスがこれまでしてきたことでありそれを大隈とか伊藤博文はヨ−ロッパとかにも直接行ったので知っていたのである
明治維新の時上海でも高杉晋作が中国人がイギリス人に支配されて苦しんでいるのをじかに見ていた、それで日本は外国に植民地化されてはいけないと肌で感じていたのである
日本はとにかく欧米の植民地化されることを警戒していた
でも鉄道開設に関しては西郷や大久保利通などは薩摩は反対していたのである
軍事を優先するべきとして反対したのである
薩摩屋敷がありそこを鉄道が通ることにも反対したので海の方に鉄道を石積みで敷設したのである

鉄道開設に関してはまた庶民の反対も大きかった、篭屋とか馬車屋とか運送業が反対したりした、何でも鉄道と馬が競争したとかもある、それだけ鉄道というのがどういうものかまだ庶民はわからなかったのである
最初は鉄道の枕木は鉄で作ろうとしたが費用がかかることで木にしたのである
また橋でも鉄橋にしようとしたが費用がかかることで時間もかかることで木で作ったのである
最初はいろいろ苦労があった、その車両でも箱家とか見た人がいたこともわかる
家が移動するように見えたからである

●鉄道事業か明治維新を成功させた

日本は明治維新から鉄道の果たした役割が大きい、その後も日本は鉄道王国にもなった
イギリスがもともと鉄道を蒸気機関車を発明した、それはイギリスには石炭が豊富だったからである、まずエネルギーがないと蒸気機関車も動かない、エネルギーが大事なのである、それで日本の鉄道も常磐炭田があったが石炭を運ぶものとして拡大した
北海道でも石炭の産地でありその石炭を運ぶものとして鉄道は日本中にめぐらされたのである、つまり鉄道は石炭と一体となり発展したのである
鉄道は国家的事業だった、そしてそれは百年以上も国鉄であったことでもわかる
この国家的事業は世界にも拡大したのである、韓国に鉄道を敷設したのもそうである韓国の鉄道は日本が最初に作ったのである、そして朝鮮半島から満州鉄道が伸びて行ったのである、満鉄が日本の満州支配の原動力となっていたのである

ハリマンは、日本の財界の大物や元老たち、桂首相らと面会した際、日本はロシア帝国から譲渡された南満洲鉄道の権利を、アメリカ資本を導入して経営すべきだと主張し、アメリカが満洲で発言権を持てば、仮にロシアが復讐戦を企ててもこれを制止できると説いた[24]。9月12日、彼は日本政府に対し、1億円の資金提供と引きかえに韓国の鉄道と南満洲鉄道を連結させ、そこでの鉄道・炭坑などに対する共同出資・経営参加を提案した


「ひかり」の歴史は、日韓併合(1910年)までさかのぼります。日韓併合に合せて朝鮮鉄道局(以下「鮮鉄」)が設立、翌年の1911年に新義州と安東1を結ぶ鉄橋が完成、長春まで直通する「鮮満直通急行」が運転されました
明治45(1912)年6月、新橋〜下関間に特急(列車番号1/2)が運転されます。それに合わせて関釜連絡線の運行時刻も改正され、さらに鮮満直通急行が釜山にまで延長されました。さらに翌年、運転区間を釜山より釜山桟橋に変更、関釜連絡船との接続が重視されたダイヤとなりました。
船が釜山港へ到着後、目の前に停車している「ひかり」「のぞみ」に乗れば、朝鮮半島経由で大陸(満州)へ。そこからシベリア鉄道に乗ればヨーロッパへ。このルートが、当時の欧州への最短ルートでした。

ロシアから譲渡された鉄道が満州鉄道であった、アメリカを味方にしてロシアが満鉄を奪い返すことを防ごうとした、こういう時代もあった
金のない時代は飛行機が高いので鉄道を利用した、ウラジオストックからシベリア鉄道でヨ−ロッパへ向かった、日本からヨ−ロッパに行くには鉄道を利用したのである
私はウラジオストックからシベリア鉄道に乗り満州を回り日本に帰ってきた
外の景色はとうもろこし畑ばかりで飽きた、変化がないから飽きた
ただ満州となると相当に寒い場所だったのだろう、春だったのか大地が凍てついていたのである、日本人だったら満州の広さに驚いたろう、農業が主な時代だとどうしても土地が必要であり満州のような広大な土地があるということは驚きだったとなる

●明治は植民地化されなかった偉大な英雄の時代

明治を知ることは今の日本を知ることである、でもいろいろと錯綜していて明治維新はわかりにくいのである、確かなことは欧米列強の植民地化することに抵抗して自立するという意志が日本人にあったということである
これは日本だけがアジアでできたことでありそれは誇りとすべきものだった
でも太平洋戦争は確かにアジアの植民地支配からの解放というけどまた違っていた
とにかく明治は偉人が様々な分野で輩出した、それはなぜだったのか?
その偉人とはたいがい侍が多かったのである、だから明治維新は侍が成したものであり庶民ではないのである、侍が優秀だったから成したともなる
例えば宗教の分野だと内村鑑三がいる、彼も独立信仰を唱えた、外国人の宣教師を嫌ったのである、これも明治になかなかできないことである

カトリックとなるとそうしてヨ−ロッパ人に支配されたともなるからだ
内村鑑三が武士道とキリスト教を一体化したのである、ただ彼はヨ−ロッパの文明をキリスト教文明と見ていた、鉄道とかではない機械とかではないものとして見ていた
でも日本は鉄道とか機械とか便利なもの実用的なものを西洋文明として見ていたのである常にモラルを重んじていた、それも先見の明があったとなる
なぜなら今や日本人にはモラルすら消失したともなるからだ
ただそうして便利なもの機械とか道具が文明として追及してきたからである
不思議なのは仏教を取り入れた時はそこに確かに大仏とか仏像を作るとか寺院を作るのは技術力である、そういうものを取り入れたとしても本質的には精神的な仏教を取り入れたのである、でも西欧文明を取り入れる時日本は物質的なもの機械とか道具をその文明とみて取り入れたのである、その最大の象徴が鉄道だったのである

そういうことがあってもなぜ明治が偉大だったのか、その理由はやはり侍がいてその侍が日本人として独立心があり優れていたからだとなる
ただ現代をみれば侍などいない、太平洋戦争で戦った人たちはもう江戸時代の侍とはかけはなれていた、そもそも世界的にも戦争は貴族がしていたものだから外国でも何か違っていた、でも国民戦争になるとき戦争の形態が変わったのである
大衆戦争ともなったのである、機械戦争ともなったのである
だからそこに英雄がいないということでもそうである、英雄というときそれは極めて人間的な人だからである、でも現代の戦争には英雄は生まれない、ただ機械と物量の戦争であり人間的なものがなくなる、人間はただ機械より劣るものであり英雄は生まれないのである、ただ何か物のように人間が消耗されるのである
それは戦争でなくても文明は人間を物のように消費しているからだともなる
現代の戦争からは英雄が生まれないのである、ただ命が物のように消耗されるだけだとなる、そして死ぬ数が莫大なのである、何千万人も死んでもそこに一人の英雄も生れないのである

ともかく何か明治維新とかは人間的なのである、人間のドラマがある、だからこそドラマにもなる、太平洋戦争とかではドラマになりにくい、もちろんナチスとかでもそうであるただ大衆戦争であり人間の莫大な命が消費されるだけだともなったのである
核戦争になればもうそこには人間はいない、もう戦争することは人類滅亡にもなる
そういう危機がウクライナ戦争で迫っている、時代によって戦争の意味も変わった
もう戦争自体が核戦争となると人類滅亡の戦争となるだけなのである




posted by 老鶯 at 18:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層