2018年06月30日

回想・大正初期の山村生活誌 (我心の奥の伊奈谷)ー武部善人を読む


回想・大正初期の山村生活誌

(我心の奥の伊奈谷)ー武部善人を読む

1912年(明治45年)生まれだから百歳超えているとしたら今は死んでいるだろう
自分の父親も明治生まれであり葛尾村で生まれ育って双葉の新山の酒屋で丁稚奉公したのである。
山村の暮らしとなるとわかりにくいがここにはその暮らしが実感として書いてあるから訴えるものがある。
学問でも実感が大事である、もちろん文学でも自ら体験しないものは訴えない
人の体験談でも自分が経験していなと共感できないのである。
だから職業を同じにしている人は話が合うのが当然なのである。
そして戦前から戦後十年は農業が主体の経済であり日本人の生活は農民が主体であった

ここで語られているようにまず養蚕が盛んでありこれにかかわらない家はないくらいだった、それで今でも近くでも兜型の屋根の家が多く残っている
二階で養蚕していたからである。
その時代を重ね合わせると自分の母の実家は祖父が機織り工場を経営して失敗しとか母が原町の原紡(原町紡績)で十年間糸取りとして働いたとかある
養蚕や絹織物が主な産業であった、自分の家の裏には桑畑があり麦畑もあった
それが今は住宅地になって何もなくなった、今思うと回りが畑であり田んぼだったということなのだ、街中にいてもそこは田んぼや畑に囲まれていたのである。

現実に街でも農家がいて養蚕をしていたし畑を持っている人はいまでも普通にいる
なんらか農業と関係していたのが田舎なのである。
それは一万くらいの町だからそうなっていた
原町になると大きな紡績工場があったりと多少違っていて農家だけではない
でも六号線近辺は農家だったことが今でもわかる、広い庭があり農地があった
原町では原の町駅が機関区になり引き込み線があった、鉄道と直結して荷が運ばれていたのである。鉄道が運送の主役だったからそうなっていたのだ
伊奈でも紡績工場に行く女工哀史があり肺病になって帰ってきた女性がいたとかなる
でもそこは現金収入になる場であり農村では食べられないものが食べられたとかある
今ではネパ―ルから働きに来ている人とにている
その人は四〇〇〇メートル級の所に住んでいたからだ
そこでしきりボールペンをくれと言われたの覚えている,つまり書くものすらないのである、山だらけでありそれも高いからどうして暮らしているのかと思った
ただにたような山の暮らしが日本にかつてあったのである。

この頃の時代と戦後10年の自分の子供時代はだぶる、だから自分は体験しているから共感する、それは団塊の世代まででありその後は急速に高度成長したから体験がないからわからなくなる、つまり戦後十年は戦前とか大正でも明治でも江戸時代まで生活の基本が連続していた、囲炉裏も街中の生活でもあった、みんな炭を利用していたからだ
電気があったとしても裸電球一つであり道は舗装されていない、輸送は馬車の時代でもあった、馬車のうしろに乗って遊んでいたときがあったからだ
馬車屋というのが普通にあった時代である。
その時水道もなく自分の家では井戸がないから近くから水をもらっていたのである。
ただその水は無料だったのである。

この本では肺病のことが書かれているがその時肺病は国民病と言われていてなる人が多かった、母の実家の墓には25歳で死んだ兄が眠っている、その話を聞いている、何か苦しいからキリスト教に入ったみたいだ、だから戒名はない。
啄木も肺病で27歳で死んだとかこの病気は若い人が死ぬから悲惨だったのである。
現代の国民病はアルツハイマーだというとき高齢化社会を象徴しているのだ
肺病が伝染病だということがその時かわらなかったのである。
病気というとき何か原因がわからなくてなるが原因がわかると直ることがある
戦後に伝染病だとわかり肺病はなくなったのである

天竜川沿いとかこの伊奈谷は山深い、そこで生の魚を食べたことがないとここで書いてある、昭和二年に伊奈電が開通するまでは「陸の孤島」で子供の時に海の生魚を食べたことがない、全部塩辛い、塩の吹いた、かちかちの干し魚であった
イカもタコもかちかちの干しものしか知らなかった、後年生きた実物を見てどうしても信じられなかった
そして蛇、マムシ、赤蛙、蝉、イナゴ、蜂、繭の蛹などを食べた

これがやはり山村の生活だった、塩漬けのものの魚を食べていた、でも糸魚川から松本まで長い塩の道があり有名である。牛で塩を運んでいた塩の道である。塩の道は飯館村へもあったから山村では塩は貴重なものだった、ただここはまだ海が近いから松川浦から塩だけではない、生の魚も運ばれたのかとなる、一日くらいで運ばれるから悪くはならないからであり事情が違っていた
ただ塩は山村では貴重なものだった、保存するにも貴重だった
そして何でも食べたというときイナゴはこの辺でも小学校の時、学校でイナゴをとり売っていたのである。みんなでイナゴとりしていたのである。
これは食用にもなっていたから同じだった、こんなこと今はありえないのである。
田植えの時期とか養蚕でも忙しいとき学校が休みになったというときそれは農業中心の社会だからそうなったのである。今は家の仕事が忙しいからと学校を休むことはありえないのである。

この人はまた家で紙漉きをしていた,これは辛い仕事であったことを書いてある
石神で紙漉きしている家に嫁いだ人を知っている、それは戦前までしていた
その家はもともと武家であり野馬追いにも出ていた古い家である
石神では実は紙漉きで有名だったのである。二三〇軒くらい紙漉きをしていた家があったのだ、紙漉きは当時大きな収入源となっていた
ただその様子を知ったらいかに紙が大事なのもか認識したろう
現実にこの著者は紙漉きをしていたからである。でもうまくやれずにいい紙を作れなかったと書いてある 

氷割り楮すすぎて生漉紙(きずきかみ)すく共の手の赤く大きく

冬に紙漉きするから辛い、氷が張っている川でする、伊奈というと寒いからである

いづれにしろこの著者はこうした貧乏な山村が嫌で都会に出た、その事情もわかる
ここには鉄道がまだ通っている、飯田線であり豊橋にでるまで長い,途中何回か乗り換えしたりしてやっとついた、一両の時もあった、相当に辺鄙な山奥である
ただ長篠があり織田信長と武田軍が戦った跡があるから意外と名古屋に近いのである。
飯田までは明治に電車が通ったが伊奈までは通っていなかった
それだけ発展が遅れたのが伊奈だったのである。

ともかく貧乏だった、明治生まれの父は酒の魚でも味噌を焼いたものとかしかない、それは戦後十年はそれだけ何もない貧乏な時代だったからである。
それで病気になりサシミ食えるようになっても食いたくないと言って死んだのである。
この著者は伊奈を出て学者になりあとは贅沢したとなる
戦前生まれは貧乏を体で知っている、ただ団塊の世代は確かに子供時代は貧乏を知っているがその後は豊かな生活であり飽食の時代を経験している
だから骨身に染みる貧乏は経験していないのである

子供時代はみんなそうして貧乏だったのである。だからそこに奇妙だが格差はなかった
なぜなら物自体がないしみんな同じようなもの食べていた
そして自家生産していた農家の方が食べ物に恵まれていたのである。
卵焼きすら食べられない時代だった
強い巨人軍や大鵬、物価の優等生と呼ばれた鶏卵が「時代の象徴」だと冗談で話していたことがきっかけであったという
卵焼きが食べられるようになったのは戦後一四五年くらいだったのである。
これでいかにまともなもの食べていないかわかる,ただ塩びきとかはこの辺では良く食べていた、御馳走だった、この辺の近くでとれる石鰈でも大晦日では食べるのが習わしだったそれは晴れの日にしか食べていないのである。

江戸時代から明治昭和と戦後十年くらいは庶民の暮らしは基本的にそれほど変わっていないのである。鉄道ができたことが大きな変化でもその鉄道を利用するのは貨物輸送のためであり庶民は乗車賃が高いから利用していないのである。
近隣を主体にして生活していたのである。梨農家が相馬市までリヤカーで梨を運んでいたというのも運送には鉄道は利用していないのである。

この著者は母のことも短歌にして残している

この静寂(しじま)生家の部屋に目つむれば憂ひに沈む亡き母の影

囲炉裏に座っている母を偲んでいる、意外と母というのは死んでから偲ぶことが多い
自分も生きているときはうるさいなとか思っていたが死んでから偲ぶようになった
母の存在感が大きいことを知った、人間はありふれてあるものを意識しないのである。
それがなくなったとき意識するのである。
故郷でもそうである、それがなにかわからないし意識しない、でも原発事故で避難したり故郷を離れて帰らないとなると意識するのである。
死後に存在感を増すものがある、失ってみてその大事さを知る
何かこの歌でもずっと母というのは存在している感覚になるのだ
人間は死んでもその存在が消えるものではない、存在し続けるのである。
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2018年06月29日

相馬藩内の地名を探る (津波で原始の状態が再現されて地名を理解した)


相馬藩内の地名を探る

(津波で原始の状態が再現されて地名を理解した)

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八沢浦にこんな広い沼が生まれた
二つも三つも生まれた、それで二ツ沼という万葉集の歌があることを実感した
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荒地化して羚羊がでて猿が増えた原発避難地域 
(橲原渓谷からバラ坂、大葦、大古林道から大原へ)

田の意味に「田畑のように何かをうむ所」があり、古訓に「ところ」があるのです。                       
 黒ノ田は「黒がある所」の意になります。  
 この周辺は金銀銅鉄などの鉱産物が多い地帯ですから、
 黒はくろがねの黒で砂鉄か鉄鉱石を産出した所と推測できます。


 大畠一・大畠二(小字名) 
上坂田集落の南東側の水田の地名です。耕地面積の大きい畑の意の地名です

地名から探る郷土史と歴史のポイント

●原始の自然状態をイメージする

●地名でも新旧を探る

●渡来人の地名は古く多いから要注意

地名学となるとまず日本の自然状態、人の手のはいらない自然状態をイメージすることが不可欠である
津波で驚いたのはその原始の自然状態が再現されたことであった
八沢浦が元の入り江にもどったときほど驚いたことはない、そして塩アまで津波が来ていた
そこに古代の港とされる船着という地名がありその近くまで津波が来ていたことには驚いた、つまり太古の状態が再現されて船着という地名があり確かにここに船が来ていたことが津波によってリアルに証明されたのである。
地名はまるで化石と同じくらい古いのである。船着といってもそれは化石地名となっていた、どうしてあそこに船が来たのかということがイメージできなくなっていたからだ
でもあそこはもともと低い場所でありだから津波が奥までおしよせたのである。

このように原始からの手のはいらない自然状態から考察しないかぎり地名はわからないのである。自然状態というとき一時八沢浦とかでもほかでも大きな沼ができたことにも驚いた、日本の原始状態は湿地帯であり沼が多かった、だから海側には沼とつく地名が多いのである。沼田とか池田となるともともとそこはには沼があり埋め立てて田にしたとなる
田下駄というのがありそうした湿地帯や沼を田にするのに下駄が生まれたのである。
その後でも下駄はぬかるよに強いからである。舗装されていな道では下駄が良かったのである。

ともかく無数の地名があるとしてまず原始の自然状態をイメージすることから地名を知るそれは歴史でもそうである、原始の自然状態から地理から歴史を知ることが不可欠なのである。
例えば芦田というのも多い、そこには芦が茂っていたからその名がついた
ところがアシは悪しきとかになり縁起が悪いとして吉田にしたという
吉田でも葦が茂っていたからの意味もあるが縁起を担いで吉田としたとある
吉原とかは遊郭で有名だけどそこは葦が茂っている原野だったのである。

ともかく相馬郷土史でも地名から探る時人の手の入らない原始状態を見るべきである。
原町だと長野とか深野があり大原がある、それが原始状態としてある
原町は原っぱであり名付けられた、そこは野馬が放し飼いされた広大な牧であり今の街などなかったのである。人も住んでいない原っぱだったのである。
原町の成り立ちは今の街の周辺地域から始まった、まず館とある地名は鎌倉時代とか中世に由来するからそこを注目しておく、深野には館とつく地名が二つもあり古い、大原は相馬市が入ってきて開墾された場所であり新しいのである。
この地名の新旧も大事なのだ、そもそも歴史でも郷土史でも村の新旧でも何か古いのか新しいのかを知ることが基本的にある、これを間違うと歴史を誤解する

新旧というとき朝鮮半島からなどの渡来人がきて地名化したことは要注意である。
例えば末続(すえづく)などは須恵器を作る渡来人の技術集団がきてなづけたし津宮(つのみや)とかあるのもそうだった,ツノとはツノガノアラシトのことだからである。
これは製鉄の技術をもっていた技術集団でありそれが最初に地名化したのである。
朝鮮半島には伽耶とかが百済とか新羅の前にあり日本の天皇が伽耶に由来しているとかの説もある、つまり伽耶(かや)という地名は萱(かや)と混同しやすいが伽耶の国の人たちが移住してきてついた地名がある
そしてこの人たち日本の大和王権成立前から来ていた
それで蝦夷とはこの伽耶族とかが入ってきて大和王権に対抗した人たちなのである。
それだけ日本に来たことが古いのである。

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原始の状態を見るとき地名が解明されることがある、大原から八木沢峠に行く道の薔薇(バラ)坂がある、ここになぜ薔薇なのか?それがわからなっかた、薔薇というとき薔薇の花をイメージするが茨のことであり荊とか棘とかなる,刺(とげ)がある茨(いばら)の原だったのである。
それを実感したのは薔薇坂でそこの家が放射能汚染で避難区域になった
その時そこに入ったら茨があり難儀した、そしてそこにカモシカが出てきたことにも驚いた、茨は茨木になった由来は知られている
なぜここが薔薇坂なのか?薔薇という字ではなく茨にしていればイメージするものが違っていたとなる
これでもわかるように地名は常にその土地の原始状態を人の手のはいらない状態をイメージすることが不可欠なのである。
そして地名でも常に新旧を知ることである。
深野にあった豪倉という地名は昭和十年とかに建てられた新しいものだった、だからそれほど価値ないと見た、歴史では常に古いものが価値があり古いものから歴史を探る

だから相馬市はもともと中村があり城が作られた側まで中村だった、その後に田町とか大町とか町(街)になった、ただ曲田となるともともと田があったとなる
順序的には田町は新しいとなる、城がてきてその後に地名化したとなる
それは中村という大きな村がありその中に後から町(街)ができたからである。
もともと田があったから田町となった

基本的に日本では田と畑の地名が多い,でも田より畑の地名が古い、畠とあり畑とあると火があるから焼き畑地名である。田が作られる前は焼き畑がった
だからこそ焼き畑地名は多いし古いとなる、飯館村の佐須とか比曽とかも焼き畑地名である。山林地帯であり森を焼いて畑にした場所であり狼が祭られていた山津見神社は
焼き畑とか関係し神社なのである。なぜなら狼は作物を荒らすイノシシやサルやシカを食べるからである、狼はだから大神になっていたのである。
焼き畑地名は田のつく地名より古いのである。

ただ黒田が黒の田というときそこに鉱物資源がとれたというのはわかりにくい、鉄生産の地名も多い、そしてその鉄生産に渡来人がかかわっていた
海側だと砂鉄がとれるしそのために海側を伝って移動してきたとなる
ツノガノアラシトの角(つの)とつく地名が小高にある角部(つのべ)なのである。
津軽(つがる)もツノガノアラシトがなまったものでありなぜ棚倉で大和王権軍と戦ったことが伝説化している津軽(ツガル)族がここで一緒に戦っていたのか?
ツノガノアラシト系が東北で離れていても連携していたともなるのである。
ただ渡来人系の地名とか足跡は大和王権になり隠されたことは確かである。
それで不明になったのが多いのである。

ともかく地名の起こりは日本の原始の状態がはじまっている、だから日本の純自然状態を知らないと地名もわからないのである。そこが吉原だったち遊郭とかなればイメージできなくる、都会のビルが林立すればイメージできなくなる
でも津波で原始の状態が再現されたときリアルにイメージできたのである。

南相馬市の大原から八木沢峠へ (バラ坂の地名由来の考察)

荒地化して羚羊がでて猿が増えた原発避難地域

(橲原渓谷からバラ坂、大葦、大古林道から大原へー春の短歌)


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2018年06月28日

人名探究バラエティー 日本人のおなまえっ! (相馬市は中村でありその由来は)


人名探究バラエティー 日本人のおなまえっ!

(相馬市は中村でありその由来は)

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このNHKの番組は面白かった、ドラマ仕立て姓の由来を追求していた
方角地名は一番多い,だから地名を見るとき方角からみる
でも方角でも東西南北があってもどこが中心か問題になる
中村は最初に人が住んだ古い村だから中心になる

相馬市は中村からはじまった、中村という地名が起こりであり中村市だったし中村城になっていた、相馬市と名付けられたのはまだ新しいのである。
中村という方になじみがある人はもう老人だとなってしまった

中村というのが駅前にあり城の側にも中村とある,これは何なのか?
中村が移動したものなのか?中村の発祥の地ではない、
なぜなら中村の城は中村という地名がある所に後から作られたからだ
だから相馬市は中村から生まれて城が作られた、中村は古いのである。

つまり何でも新旧がありそこから郷土史でも歴史でも見ることが基本なのである。
つまりこの城の側の中村は新中村なのかもしれない、中村の人達が城ができて移り住んだのである。何か城下町として城の側だから仕える仕事があってそうなったのかもしれない古町とか新町がありこれは狭い範囲でそうなる、鹿島区でも新築の家が何百軒と建ったから新町ができたとなる
ただこの見方は違っていた、中村という村の領域が城の近くまであったともなる
田町というとき城ができてそこが町になった、田町は新しいともなる、城ができた後に名付けられたからだ
やはりこれは中村という領域にあり中村はそれだけ広かったとなる

そして面白かったのは村は中村から開墾して広がっていった、分家していった
その時竹村とあるとき竹が生い茂っていてそこを開墾して住んだ
そして竹細工を作り売る村になった、他に樫の木があり樫村になったというときその樫は鍬に固いから使用されていた、つまりその木を鍬にして売る村があっとなる
栗村だったら栗を作り売り梅村だったら梅を作り売りとか様々なものを栽培して生活するそれは農村もただ米を田んぼを作るだけではない多様なものを作るうよになった
それは農村が分業化したことなのである。
百姓というとき百の姓があるということはそれだけの分業が起こりそうなった
分業というとき工業のことを考えるがそうてはなかった,村には多様な職業が生まれたのである。

木村が紀伊の国からきているというのも面白い、木のある村ではない、紀伊の国は古代に有力氏族だったからである。紀伊とは和歌山県でありその人たちが全国に散らばり木村となった、現実に紀伊国に年貢などを収めていたからである。
紀伊というとき和歌山県というとき熊野で有名であり熊野神社が多いのはそのためであるいたるところに熊野神社があり鈴木という姓は熊野から和歌山県から由来しているのである。

毛野国は古代で大きな国であり今の栃木県とかで大きな領域をしめていた
南相馬市の鹿島区の浮田は浮田国造(うきたくにのみやっこ)があり一番古い
それも紀伊国に由来しているともなる、ただ木村のすべてが紀伊国とはならないだろう。ただ古代だけではないクジラがとることで太地とか有名だけどそうした漁民もその後東北に移動しているからだ,漁をする技術を伝えているからだ
万葉集に真熊野の船を歌ったものがあり木が豊富だから船作りを古代からしていたのである。

島隠り 我が漕ぎ来れば 羨しかも 大和へ上る ま熊野の 船 

こういう番組の作り方はいい、ドラマ仕立てでできるのがNHKとかの強みなのである。
ただ番組は今や無数に作れる、テレビ番組すらyoutubeで作れる
そして番組の作り方は一つではない、無数にある、その説明の仕方も無数にある
説明の仕方で新たな視点を得ることもできる
だから現代は情報化社会なのである。
まずNHKで番組を作ったからといってただ見ているだけだった
今や批判もできるしその説明も即座にしているからだ
もう番組作りに参加しているのである。共同制作になっているのがインタ−ネットである新聞とかテレビだけが番組を作る時代は終わったのである。

posted by 老鶯 at 21:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

抽象画の制作過程の一つの例 (石を題材にして)


抽象画の制作過程の一つの例

(石を題材にして)  

One example of the process of creating an abstract picture

(Using stone as a theme)

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↓↓↓↓ change

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↓↓↓↓ change

rocksssss1234455.jpg
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lettersss1.jpg

breakrock.jpg

darkholl1.jpg

zeppikii1.jpg

icedtop1.jpg



写真でも絵でも石をソフトで変化させる、すると本物の石よりも石らしくなる不思議がある
それは全く絵の才能がなくてしているのではない、ただソフトで変形させる
完全に技術的な操作なのである。

次に草はただ草のように筆で描く、でもそれでは絵になりにくい、というのは画家だったら絵の才能があればできるがないからこれもソフトで変化させる
すると絵らしくなる、なるべく自分の手を加えないと絵らしくなる
なぜなら絵の才能が全くないから手を加えると絵らしくならないのである。
ただ私はこうして切り取りはりつけ変化させることをしているだけなのである 

無数の写真があり地形を変化させて新たな地形を創造している不思議がある
それは写真の変形で作られる、そういう地形は自然の中にもある
つまりそれだけ自然は多様なのである。
とても実際に自分の眼で見れない自然の景色が無数にあるということなのだ  

次に草は筆で描く、でもその絵は絵らしくない、なぜなら私は絵の才能が全くないから絵らしくならない
そこでソフトウェアで絵らしく変化させると絵らしくなる  
私の詩のテーマは石とか木とか山である。
言葉で表現すると詩は翻訳するのがむずかしい、絵や写真はグローバル化しやすいからアメリカの人たちが常時70人くらい見ているようだ



Whether photographs or pictures do change stone by software, 
there is a wonder that it becomes stone than real stone
It does not have pictorial talent at all, it does not just deform it softly
It is a completely technical operation.

Next I draw the grass with a brush, but the picture is not like a picture, for I do not seem to be a picture because I have no talent for painting
So if you change it in a pictorial way by software, it will become a picture

There are countless photos and there is a wonder that the terrain is changed to create a new topography
It is made of deformation of the picture, such terrain is also in nature
In other words, nature is diverse.
It means that there are countless natural sceneries that you can not really see with your own eyes


My theme is stone, trees, mountains.
Poems are hard to translate when expressed in words, pictures and phots are easy to globalize, so it seems that people in the US are always watching about 70 people

タグ:STONE

2018年06月27日

老鶯(昔を語る)⊶(梅雨の晴れ間の満月)


老鶯(昔を語る)⊶(梅雨の晴れ間の満月)

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ふるさとの昔語るや木陰かな

老鶯や昔語りて老い二人

老鶯や草深くして霧深し

根を張る木老鶯ここに長く鳴く


病にし倒れ直りぬふるさとになお生きるかな梅雨晴れの日

紫陽花や梅雨の晴れ間の満月の夕べ明るしはや消えにけり


今19時に雲の晴れ間から満月が出ていた、めすらしいと思って写真をとった
うまく写真はとれた、その時近くの家に紫陽花が咲いていた
梅雨の間の一時の満月だった
こうしてリアルタイムでプログにのせるのが本当は醍醐味である
事件でも速報性で新聞よりテレビが勝ったのと同じである。
ただインタ−ネットのプログはまず時間差があってみている
第一そんなに多くの人は見ていないからだ

同級生と川の土手の長い木陰の道で語る、あそこは場所がいい、座る場所もある
何か木陰で昔を語るのが今や向いているとなる
そこに老鶯が鳴く、老鶯は自分の俳号にしている
これは長く鳴くからである。自分も晩年になってやっと短歌でも俳句でもいんいものができたと思う
俳句より短歌の方が表現しやすい、その理由はただ長いからである。
俳句はもう短すぎて限界になったのである。

真野側は草深い、そこに昨日は霧がかかった、その霧も深かったのである。そこから老鶯の鳴き声が聞こえた
それも趣があった、遠くには行かないがこうして日々に日本の天候は変化するのである。

意志疎通できない社会の問題 (自然と歴史と社会への意思疎通が欠かせない)


意志疎通できない社会の問題

(自然と歴史と社会への意思疎通が欠かせない)

●自然への意思疎通

●歴史的意思疎通

●社会的意思疎通


駅に毎日行っていた,でも向かい側のホンダにネパ―ル人が三年働いていたとかわからなかった、人間は意外と近くのことがわからないのである。
灯台下暗しなのである。今や外国の方が詳しくても日本のことがわからない人もいる
ニュースはたいがい広域的だし今はグローバルになる

つまりホンダにネパ―ルの人が来て働いています

こういう報道は一切ないのである。
駅でいろいろな人とあったことをプログで書いたがそれもニュースだが報道はされない、人間は何かを知ろうとしているが身近なことすら今では知りえないのである。
駅でボランティアをして外部の人と内部の人と交わり土地のことをある程度理解したが一万の町でも今では複雑だからわからない、隣で何をしているのかわからないことも多い
こういう社会は今までなかったのではないか?
江戸時代だったら長屋だと家のことが筒抜けだし村だったら農家だったらもうその家のことはみんなわかる、     
だから現代というのは江戸時代と比べると異常だともなる

つまり身近に住んでいる人でも何をしているかもわからないということである
そもそもそうして外国人が来ているということは目立つことだがそれすらわからなくなっているのである
そしてただ金があればどこでも暮らしていけるという社会なのである。
ただそこで現代社会で何が起きてくるのか?それは様々な事件として現れてくる
まず通り魔事件などは江戸時代だったら起きないだろう
江戸時代の犯罪はわかりやすいのである。目的もわかりやすいのである
今でも犯罪は動機がわかりやすいものがあるが何か不可解なものもある
それは日ごろから社会が多様化して複雑化しているからである
仕事も無数にありその仕事を理解することが難しいのである。

人間とは生きるときまず自然との意思疎通が否応なくせまられる、自然のことがわからなければ生きていけないからだ、狩猟でも漁労生活でも農耕でも遊牧民生活でもそうである採集生活でも何が毒の植物なのかなど見分けなければ生活できない
そこに自然との意思疎通が不可欠でありそれがまずなければ生活できない
それは今でもつづいているが自然との意思疎通は文明化工業化が高度になるとおろそかになる、なぜならホンダで働いていたネパ―ル人がいたように今は農業社会ではないからだ
でもそこで何が起きてくるのか?
自然との意思疎通ができなくなるとき何が起きてくるのか?
そこに今回のような原発事故なども起きて自然が根こそぎ汚染されて住めなくなったりする、東電とかには自然との意思疎通はない、農民や漁民や林業にあったとしても東電には自然との意思疎通はないのである。
東電とか政府でも地元の人との意思疎通はなされていない、ただ政府とか東電では金さえやればいいとしていたのである。
地元でも意思疎通を望まない、金があればいいとしていたのである。
ただそもそも科学のこと原子力のことなどわからないから意志疎通ができないということもあった
ここも現代の問題なのである。専門家がいてお前たち素人には何もわからないとしたとき意思疎通がなくなるからだ
そして何か現代社会はホンダで30人くらい働いているのは多いなと見る
東北電力で働いていた人が2000人とかいたというのも驚きだった
そういうこともなかなか近くでいつも見ているのだが内部がわからないのである。
人間は今田舎に住んでもそうしてわからないことが多いのである。

もう一つ大事なものとして歴史的意思疎通がある、その土地には長い歴史がありその歴史の上に市町村でも作られている,でもこの歴史的意思疎通もむずかしいのである。
なぜならそれは死んだ人たちとの意思疎通ともなるからだ
もうそこに昔を語る人はいない、みんな死んでいるからわからなくなる
だからまるで江戸時代になると実は外国より異質な理解できない世界になっているのだ
ヨ−ロッパでも古い城が数多くあるが現代の生活はどこでもにたりよったりだからであるでも中世の生活はどうだったのかとなると江戸時代を理解するのと同じようにむずかしくなる、特に外国は理解するのがむずかしくなる

私が古い碑とか墓とかで常に時代を見る、江戸時代だったら貴重だったとなり何度もみるそれは昔の人と意思疎通する手段になる、文書だけではない、その土地を踏んでそこに生きた人たちをイメージするのである、つまりそこに生きたものをただの記録ではないものを感じるからである。墓には何かそうした文書ではないものを感じるから意味があるとはなる
でも日本でも旅行するとその土地のことは歴史を知るのは容易ではない、その土地と意思疎通することがむずかしいのである。
そもそも人間は歴史というとき親が死ぬとまた身近な人でも死ぬと謎になる
その人は死んだとき考えるのだがすぐに忘れてしまうのである。
そしてその人が生きていた実在の人物なのかどうかもわからなくなる
人間は死んだ時点でみんな不可解な謎になるのである
だから歴史上の人物でも明治維新のように吉田松陰などは一人のテロリストにすきなかったなどと言われるのである。歴史はそうしていろいろに解釈されるのは人間は死んだ時点で不可解な謎になるからである。

現代は思うにグロ−バル経済になっても社会になっても実はただそれは物のやりとりだけであり金を媒介にしてつながっているにすぎない、ではグローバルに意思疎通が深まったかというとそういうことでもない
確かに世界を旅行できるからしないよりはいい,ネパ―ルに一回だけでも行けばあんな山の上にどうしてい生活しているのだろうと実感してネパ―ル人とコミ二ケーションできるからだ、まず一回を行っていないとあの山のことは理解できないからだ
つまりそこから意思疎通が始まるからだ

そもそも4000メートル級の所に人間が住めるのか?
そこでどんな暮らしが成り立つのか?

そこからして意思疎通がむずかしくなっているのだ
人間は狭い地域でもは意思疎通することはむずかしい、まず農民と漁民でも職業が違うと意思疎通がむずかしくなる、天狗とか山に怪物が住んでいるとかなるのはそこに誰が住んでいるか意思疎通できてないから神秘化してそうなったのである。
山の人と里の人と海の人があまり交わらないからそうなったのである
江戸時代ではどうしても閉鎖された所で生活しているからそうなる

では現代はこれだけ広域的に交わり世界と交わっているがそれで意思疎通ができるようになっているのか?実際は金を媒介にしてそうなっているだけであり意思疎通できているとは思えないのである。
ただ物が入って来たとしても意思疎通できるとはならないからである。
そこでマルクスが言ったように物だけがありその物にまつわるものは一切省かれるからこそ金を媒介にして流通できるとなる
それで神社とかで無縁化した場所に市場が生まれる、というよりは村ではそうして無縁化したところでしかそうした売り買いはできない
なぜなら村人は濃厚な地縁との結びつきで成り立っている、そこでは簡単に物を売ったり買ったりできないからである。そうすると村社会が破壊されるからである。

現代はそうして金だけを媒介としてグローバル経済となり共同体を破壊してきたのであるそこに意思疎通がなくてもいい、金だけを媒介にする社会である。
そこでまた様々な問題が起きる、金だけが力をもち金だけが媒介にするとき共同体が破壊される、人間の関係も金だけになるとどうなるのか?
人間性すら喪失する、モラルすらなくなる、金が猛威をふるい共同体でも人間のモラルを踏みにじるのである。
要するに社会が共同体があって金があるのではなく金があり社会があるとなる
そういう社会は意思疎通もなくなる、相手から金をとるものとしか見なくなるのである。金持ちがいればその金を盗ることしか考えなくなる
親ですら金をとるものとして見なくなるのである。

歴史でも郷倉に文書を村人の意志で保存していたように歴史すら保存されなくなる
歴史の保存には共同体が必要だからである。
共同の意志がはぐくまれたのはやはり金だけの社会ではなかったからである。
だからなぜ原発事故でこんなに簡単に町も村も崩壊したのか?
確かに放射能汚染がありそうなったとは言える、でもそれだけではないということを追求してきた、それを証明しているのは原発避難民は多額の補償金をもらった、そしてその金のことしか考えなくなった、そこにあった自然と歴史と共同して作られたものはその人達の中になかったのである。
第一先祖がどうのこうのといっても現実そんなことを考えても生活できないとなるからだそれより金さえもらえれば一億もらえればいいとなる
それでその金でいわき市では二万人の人が避難して次々に家を建てた
それを地元で家を建てられない人がうらやましがり事件が起きた
いわきの人と金だけでそうすることが反感をかったのである。

でも現実問題として金があれば別にいわきの人たちが家を建てるのではない
今は会社が外部から来て組み立てるだけなのである。
この辺でも何百軒も家が建ったが地元の大工はほとんど作らない、というよりそんな数をこなせるわけがないからだ、家というものを作るのでも別に地元の人とかかわらなくてもかねさえあれば建てられるしどこでも住める時代なのである。
そこで見逃されたのか無視されたのが目に見えないものである。
先祖とのかかわの歴史とか自然の価値とか金にならないものの価値があったがそれはもともと金にならないから無価値として認識されなかったのである。
だから若い世代は金をもらってみんな散り散りばらばらになったのである

三つの意思疎通が人間には基本的にあるとしてその三つとも今の社会は希薄化している
一見金だけを媒介にしてグローバル経済になってもでは世界との意思疎通が深まったかというとそういうことも必ずしもないだろう
ただ物が自由に出入りしているということなのである。金を媒介にしてそうなっているのである。別にバナナが入ってきたからとこれがどうしてとれるかなど考えることもないからである。何かただ何の苦労もなく実りそれが店頭に並ぶとなるだけである
でもバナナをとるにも苦労だと実際にそこで働いた日本人が報告しているからその現場で働いてみれば違うのである。

意思疎通がなぜむずかしいのか?それはもう歴史的にもむずかしい、なぜ万里長城ができたのか?それが今も同じ問題を起こしていたことに驚いた

ナイジェリア政府は24日、中部プラトー州でキリスト教徒の農民とイスラム教徒の遊牧民が衝突し、多数が殺害されたと発表した。地元メディアは86人が死亡し、50棟以上の家屋が破壊されたと報じた。

 ナイジェリアでは長年、土地の所有権を巡り農民と遊牧民が対立している。農民は、遊牧民が農地で放牧し作物を食い荒らしていると主張。近年は天候不順で農地が減り、衝突が激化している。

こういう衝突はやはり農民と遊牧民が意思疎通することがいかにむずかしいかを示している、遊牧民にすれば食料がなくなると食料のある農耕民を襲うのは当然なのである。
なぜならそうしなければ飢え死にするからである。
でも農耕民にすればそんなことされては困るのである。それで万里の長城ができたのである。農耕民は遊牧民の生活そのものが理解できないから意思疎通できないからそうなったのである,あなたたちは遊牧して食料で困ることはわかります、では食料を分けてやりましょうとはならていからである。ただそこで何らかの交換が貿易が成り立てば争いはなくなる、ただ一方的に武力で食料をとられることになるのは意志疎通がないからである
その意思疎通でもやはり交換する経済があればそれは平和的なものとして争いにはならないということはある、貿易でも摩擦があると貿易戦争になる
確かにグローバル経済は意志疎通する手段ともなるがまた反目するものともなる
ただ近間でも意思疎通ができないように人間にとって意志疎通することはいかにむずかしいかわかる、ましてや外国になると言葉から何から違うからむずかしくなるのである。 

タグ:意思疎通
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2018年06月26日

ネパ―ル人とあって移民のことを具体的に考えた (駅の向かいのホンダで働いていた)


ネパ―ル人とあって移民のことを具体的に考えた

(駅の向かいのホンダで働いていた)

どこの国の人なのだろうとスマホをしている人に聞いた
そしたらネパ―ル人だった,その人は結構日本語ができる
その人が住んでいるのは4000メートルの場所だという
私が行ったのは3000mのトレッキングコースだった
そこは観光ルートであり別に登山ではないのである
なぜなら山小屋が点々とあり食事も寝るところも提供されているからだ
そこで別に体力がない人も上っている
なぜなら3000mまで上ると8000mの山が天を衝くように聳えているからだ
その時曇りだったので一回くらいしか見えなかったのが残念だったのである。
一人で登山していた人は十回も上っていたからうらやましかった
自分の失敗は海外旅行することが遅すぎたことである。

その人は30くらいなのか7000mまで上ったという、それで苦しかったというから
そんなところに住んでいる人でも7000mとなると苦しいのである。
ネパ―ルでわからなかったのはサイとワニが住んでいるジャングルもある、熱帯と8000mの山がありその変化が激しいのである。
そしてどうしてそんな高い所に住んで暮らしているのかわからなかった
ジャガイモとか作っている、牛を飼っていたりもするがとてもあそこで暮らすことがわからないのである。電気なども通っていない、カトマンズの近くでもそうである。
ただにたような生活というと葛尾村のようなところかもしれない
戦後まもなくだとやはり何もないのだからにているとなる
そういう場所でも暮らしていたからである。
自分の明治生まれの親はそこの出身であり双葉の新山に丁稚奉公に出たからである。

その人はその4000mの所に生まれて住んでいたが出稼ぎに出て十年以上くらいたっていて長い,だからその生まれた場所にも帰っていないという
ネパ―ルでは仕事がないのである。金になる仕事がガイドなのである。
でもガイドになると英語をしゃべらなければならない、でも女の人もいたが英語ができないという、つまりインドでもイギリスの支配したミャンマーとかも英語ができる人がいるができる人は一部なのである。
ただその人はもう日本に三年いて日本語が結構できるからコミ二ケーションできるから困らないなと見た

なぜ日本語ができるようになったのか聞いたらホンダで自動車の修理で技術を習っているから覚えたという、ていねいに教えてくれたという
やはり技能実習生でもそうして3年もいれば日本語でも覚えるのである。
ただこの日本語でも覚える人と覚えない人がいる
日本語を覚えると住みやすくなる

その人は日本は安全でしきりにいいという、ネパ―ルは政治的に不安定だとしきりに言う自分が英語のできるガイドとトレッキングに行ったときも一日ストライキとか何かデモがあり中止になった、それで一日分の金をさしひいた,でもそんなことをすることもなかった、自分は海外旅行に行ってもバックパッカーであり貧乏旅行者だったからである。
だから金の差、物価の差のことが良くわからなかったのである。

この人は工事に来た人たちとは違う、鹿島に住んでいる、日本にも長く住んでいる
だから言葉をできて日本をある程度知っているのである
だからある程度は日本語でコミ二ケーションできる、普通の人で話せるのである
その人は見た感じ性格がいいように見える、すると怠け者の性格が悪い日本人よりいい感じになる、つまりこれだけ国際化するとどうしてももう人でも自由に入ってくる
それをこばむことができない、そして深刻なのは日本の人手不足である
日本人が働かない、外人が真面目にこの人のように働いているのである。
そうなると日本に定着してもらうような政策をとらざるを得なくなるのである
その人は第一40000mの生まれた場所には育った場所には帰らないとなるどこで定着するのかとなるからだ

このネパ―ル人と接しして外国人を受け入れるべきか受け入れないべきかということを具体的に考えさけられた、日本人でもニートなど働かいな人がいるがこうして真面目に技術を学んで働く人がいる、こういう人は真面目なのである。
そして言葉もできてある程度コミ二ケーションがもできるとなる別にそれほど困らないとなる、むしろ働かない日本人は嫌われるようになる
だから政府でも家族でもよびよせる定住政策をせざるをえなくなる
それは問題があるにしろ日本の人手不足、少子高齢化が深刻だから考え方も変わるのである。

でも待遇を良くしなければとても定着はしない、ベトナムとかネパ―ルだったら中国人よりはいいとなるかもしれない、政治的には問題ないからである。
鹿島とかの田舎でも中国人と結婚した人がいる、ハルビン出身だった
前からそうだけどこうして人のグローバル化もさけられないのである。
ネパ―ルでは出稼ぎが多い、国が出稼ぎで成り立つようになっているかもしれない
それは仕事する場所がないからである。
ただ田舎でも今有力な仕事する場所が駅の向かいのホンダだったように車関係で一番仕事が多いと思った、だから日本でも車産業が衰退したら大打撃になるのである
仕事がなくなるからだ、朝に集まり朝礼していたが30人くらい働いていた、車関係とか天気関係で働く人が多いのである 

ともかくこうした田舎町でも国際化する,それは前からそうだったがそして人手不足が深刻だからホンダでも会社の人も親切だというときそういうふうに迫られている
人手がないからやめられたりするとまた困る、外国人を雇うことは日本語など教えることで手間になる,でも人手がいないからそれでも教えているのだと思う
だから日本はもう移民をどうのこうのとか言っている余裕がない、日本の国そのものが人手不足で成り立たなくなりつつあるからだ
ただ誰でもいいと言うわけではない、中には犯罪に走る人もいる、だからどうしても人を選ぶことにもなる,ただあの人は見た感じ素直に見えるからあういう人は定着してもいいのかなとも思った
あの人は4000mの生まれ育った場所には帰らないからだ

私も今になるとネパ―ルにはもっと行って本当に8000メートル級の山を見たかった
それが残念なこととして残った、自分はその時海外旅行に簡単に行けるものではないと思っていたのが失敗だったのである。
別に3000メートルまで観光ルートなのだから行くのは簡単なのである。
どんなところでも観光ルート化しているところが観光で行ける
ジャングルに行ったとしてもそれは観光で行っているからである。

とにかく自分は日本全国も隅々まで旅している,するとこの辺でいろいろな所から全国から労働者が集まったからどこの出身とかきいてちょっとでも話を合わせられるのである。外国人でもネパ―ルにも行ったしベトナムにも行ったからベトナム人とちょっとでも話したのである。ただその人は日本語があまりできないから今回のようには話せなかったのである。

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「ネット上で恨んでいた」 福岡のIT講師刺殺容疑者 (ネットを規制しろというのはマスコミである)


「ネット上で恨んでいた」 福岡のIT講師刺殺容疑者

(ネットを規制しろというのはマスコミである)


これも起こるべくして起きた事件なのかもしれない、ネットでは見知らぬ人でも言葉の暴力になりやすい、相手が見えないからである。
すると過激な発言になる、普通の社会だと相手と直接接していればなにりくい、制御されることでも制御されなくなる、ただ普通の社会でも見知らぬ人が酒飲んで口論になり殺人事件でも起きている
これもネットだから起きたというわけでもない、ただ11人とか殺害されたのは震撼とした、ネッとで誘い女性が殺された
そして意外と女性がsnsにはまるというのも意外である。
女性は相手の男性を信用するというのも意外である、警戒しないもの意外である。

ネットを通じて女性を暴行して殺害したという事件もそうである
ネットには闇の世界がある、匿名性でそうなりやすい、またネットでは誰でも発言することができる、どんな発言でもできる
こんなことをいってお前バカだなとか何か答えにもなにもならなくてもそこで発言できるつまりそうしてただ何もまともなことを発言できないのでおとしめるだけの発言をする人がいる、そういう人は相手にしたくない、フログだと無視できるからいいのである。
掲示板と他のsnsだと対話形式になっているから無視ししにくいのである
議論はあってもいいがただ馬鹿だとかおとしめるだけの人もネットには多いのである

ネットでも大統領がツイッターをしているとか普及しているし日常化した
自分はツイッターとかわからないし他のこともわからない
でもワープロで通信していた時代がありそのことを知っている
その時はみんな対話形式のものでツイッターとかラインとかと同じだった
フログのような個人が自由に発言するのではなく必ず対話形式だった

私はプログに発言するようになってからほとんど返答があっても答えていない
プログになるとまず書く量が多くなるからそれだけ手間になるのだ
相当なエネルギーを費やすことになる
今までは長い発言はできなかった、今でも対話形式ではできない
だからプログと他のSNSは違ったものなのである。
正直こうして書いているが反応がわからない、でも長い分を読む方にして手間だろうなと思う、熱心な人しか関心がある人しか読まないとも思う
プログなど無数にあるから読まれること自体が大変なのである。

最近Dマガジンとかインタ−ネットで一か月400円払って雑誌でも週刊誌でも読めるのは便利である、そこで気づいたのは週刊誌の記事はつまらないなと思った
今までは面白い記事があり買ったりしたがインタ−ネットになると何か読む記事がないなと思う、でももしインタ−ネットでこんなふうにして読まなければ週刊誌でも400円くらいで一冊買う、何か一つでもいい記事があると買ったりしていたのである。
それは結局週刊誌がコンビニなどにあり目立つからだったのである。
何か情報を得たいということで買っていたのである。
週刊誌が成り立ったのはコンビニなどに置いて目立ったことが原因ともなっていた
その内容がいいからとは限らなかったのである。

マスコミとかテレビとか新聞はもともとそういうものだった、それはメデアとして特権化したものであり放送する出版する権利をもっていたからだったのである。
そして新聞でもテレビでも本でも簡単に多くの人は何かを言うことはできない
メデアを持つことは権力を持つことだったのである。
現実に原発事故でわかったようにテレビとか新聞社には宣伝費として800億円も流れていたことでもわかる
それはメデアがそれだけ権力をもっていたことの証明なのである。
一プログなどは注目されないからそんな権利をもちえないからである。

ただDマガジンとかでわかったことはメデアが水平化したなとつくづく思う
NHKですら今は平気で批判できる、つまりなんでもキケルゴールのいう水平化現象が起きてくるのだ、民主主義でも平等を追求するから当然水平化する
誰でも発言ができる,こいつ馬鹿なことを言っているななど発言できる
それで満足する者もいるのだ、ねりにねって考えて発言したものへでも馬鹿な発言だとは言えるのである。
民主主義は平等であり下劣なものでも高等なものと対等になろうとする
それがインタ−ネットでメデアでもそうなったのである。

今回の事件でもITの専門家で講演までしている人が無職とかの人に恨まれて殺害にあった
それは「低能先生」とか罵倒されてそうなったのである。
そのバカにされたことで殺害までなったのである。
ネットでは馬鹿だとかいうことは普通である、でも面と向かっては普通は馬鹿だとは言わない、ただ低劣な人間でもともかく発言できる
それが水平化の社会なのである。
この社会はまず優秀な人とか認めない,みんな同じなんだという社会である。
だから低劣なものが入り込みやすいし受け入れざるをえない社会なのである。

君子危うきに近寄らず-これほど深い意味ある言葉はないことを今になると知る、危ういやつには近寄るなというときこの世には危うい奴が多すぎるからだ,
ネットだと余計に匿名だしそうなる、そこで思わぬ事件に巻き込まれるのである。
ただ殺人までいたるということはこれもネットでも普通の社会と変わらないものになってきた証拠である、別に見知らぬ人同士が口論になり殺人事件になるのはあるからだ
でもそのことの原因が何なのか?それは人間の劣情がら起きてくる
だからネットがすべて原因とならないのである。
ではネットのない社会で口論で殺人になる事件は何の原因だとなるからだ

いづれにしろ人間の社会では道具でも機械でも何か便利なものはいい面と悪い面をもたらす、鉄の時代が暗黒だったというときそれが鉄の武器が殺傷力が強くなり殺人マシーンともなる、それは核の発明でもそうである,もし核が発明されなければ広島の原爆はなかったからである。フクシマの原発事故もなかったからである、車の発明でもこれだけの人間か死に傷つくこともなかったのである
車は犯罪しやすい道具なのである。逃げるのにはいい道具なのである。
自転車旅行だとかならず目立つから職務質問されるが車は検問があってもなかなかわからないからだ
インタ−ネットでも同じなのである。便利な道具を使った犯罪はなくならない
では車を規制しろとかは言わないのである。
インタ−ネットを規制しろというのは特権を享受していたマスコミなのである。

ともかくこういう事件が起きるのもインタ−ネットが一般社会化したといかことである
殺人もネットからみであるし盗みもあるし性犯罪もあるしなんでもありになる
それは別にネットがなくても起きていたのである。
それが全部ネットのせいだとは言えないのである。
そして車と同じく今やネットなしではスマホでもそうだが社会が成り立たなくなっているだからネットを規制することはできないという前提でネットをするほかないとなる
別にネットを有効に使えは今までにない世界が開けるし知識も身につく、その利用の仕方次第なのである、それは車を犯罪に利用する人せいるし有効に社会の役立つように利用する人もいる、結局その方が多いから車は規制できない、社会で規制しないのである。
それはみんな合意の上に成り立っていからだ、ネッとを規制しようとしているのは特権を享受していたマスコミなのである。
なぜなら新聞とかテレビは自分たちの権益が損なわれることに恐怖を感じているからである,それでネットのことを危険だとか低劣なメデアだとか危険だとか言うのである。
それも不公平なのである。
ネットでは低劣なやつも発言が一応できるがマスコミではマスコミから除外されたものは発言できないし報道もできないからだ

2018年06月25日

病気や死んだ人の話が多くなる (老人が増え死ぬ人も増える)


病気や死んだ人の話が多くなる

(老人が増え死ぬ人も増える)

川の土手で自転車で走ってきたのは同級生だった、一回脳梗塞になりそれが助かったのである。体力的には弱ったがあのように自転車にのれることは回復したのである。
そして近くの知っている人がまた歩いてきた
組の人で死んだ女性は何歳だったか聞いたら84歳だったからそれなりの年だった

死因は肺血腫だった、肺の中に「血の塊」が出来る病気です。
原因は、外傷外圧・肺がん・肺結核・と色々あります

一週間前に歩いているのを見たのである。ただ血を吐いて死んだというからそういう病気だったのだろう,歩いているかと病気が治ったわかげではなかったのである
意外なのは肺炎で死ぬ人が四番目に多いのである。
老人は抵抗力がないからばい菌に弱くなっているからである

それから同級生の話をした、中学時代の話をした、双子の兄弟がいて二人とも死んだと聞いた、一人は同じクラスで慶応大学に入ったのは知っている
その後旺文社に入った、英語が得意で入ったが旺文社は倒産したという、でもまた立ち直ったとかともでている、出版社はどこも苦しくなっている
受験とか予備校とか浪人とか多かった時代は赤尾の豆単など売れたのだろう
今ならスマホで英語も勉強しているから時代が変わりすぎたのである。

田舎ではとにかく知的な仕事は会社はない、出版社だって仙台でもなかったろう
何か知的な仕事する場がない、博物館などがあるくらいだろう
そういう点で知的な仕事をしたいとなると田舎でそもそもないのである。
ただ二人とも死んだというのは信じられない,確認がとれないからである。
ただの噂かもしれないからだ

ただこの年になれば知っている人でも死ぬ人がとにかく増えてくる
親が介護になったり死ぬのも日常である、だからこの年になると病気と死んだ人の話になる、その死んだ女性のことを教えたのも74歳の男性だったのである。
その人も毎日散歩している,年は74歳だったから団塊の世代とは違う。

この年になると一生をふりかえる、それで小学でも中学でも高校でもその後どうなったのだろうとなる、同級会には行っていないからわからない
それでどういう人がいたのかもわからなくなる、ただその双子の兄弟は目立っていたから死んだよと言われたときあの人も死んだのかと驚いたのである。

その同級生は花とか園芸に興味があり庭いじりをしている、それは体に負担にならないからいいと思った、その人の庭を見て通るがバラが一杯咲いていた
その人は植木屋のように剪定する仕事が楽しいとか盆栽にも興味があるから老人にふさわしいとなる,ただ別に花に興味があるのは若いときでもある人はある
盆栽となるとなかなかないとなる、自分は高山植物でも見てあるいたし北海道には宋谷岬がありそこを自転車で旅した時ハクサンチドリが咲いていた
北海道は寒いから高山の花が咲くのである。

その人はまた郷土史とか歴史にも家が南北朝時代の争いで落ち延びた子孫だから興味をもっている
親立・・・となっていたから親がいて子がいる、その信頼される有力者が親になっていたとなる

もし信頼関係を築けないような人と頼母子講をしてしまっては自分がお金をもらう順番になる前に逃げられてしまうかもしれません

信頼関係が大事だからその金を集める親なる人は信用できる人だったとなる
その人の先祖関係でそういう人がいてその証書、証文が一枚一枚残っているという
その家は古いからそうした書類も残っていたとなる
それも郷土史とか金融関係の資料となる、つまり古い家にはそうした郷土史とかの資料になるものが残っているがその人が言うには水害があって流されたとか言っていた

それは真野川が氾濫して町全体に被害があったからである
その時自分の家は街で一番低い場所で大きな被害になったからである。
その後二回河川改修した結果水害がなくなった
でも津波の時は川をさかのぼってきてあふれるところだった
なぜならその下では水が土手を越えてあすれていたから危ない所だったのである。
だから河川改修はしておくべきなのである。

こんなことでまず資料も残りにくいのである。だから郷倉のような場所で村民の共同の意志があって資料も保存されていたのである。
それは村という強固な共同体があったからである。

他にもその人はいろいろ調べている、自分の家にそれだけ古いものがあるということはやはり歴史に興味をもつのである
その人の親も明治生まれだったというから随分年になってから生まれ人だと思った
そもそも明治生まれはもう生きていない、大正四年生まれの母も百歳で死んだ
明治生まれはもういないのである。
こういうふうに時代は急速に変わってゆくのである。
そして今やや老人となり過去をふりかえるようになるのである。  

タグ:頼母子講

2018年06月24日

東京一極集中が社会を歪めている−江戸時代との比較 (トラック運転手の過酷)


東京一極集中が社会を歪めている−江戸時代との比較

(トラック運転手の過酷)

 トラック過酷な労働−トラック列島3万キロ
                                              

一極集中の東京を考えるとき江戸八百八町の百万都市からはじまっている
その時も江戸は日本の中心としての機能があり栄えた
政治都市であり文化都市ともなる、江戸の日本橋を渡ることは日本の中心に来たという感激があった、それは天皇のいる京都が日本の中心だという同じであった
でも江戸時代の江戸百万都市と今の東京の相違はその規模でもそうだが景観でもそうであり全然違っている、だから同じ大都市なのにその様相はまるで違っていたのである。

江戸の回りは農民が住んでいた、それで江戸の町にきて肥料とする糞尿を運んでいたのである。そういうことは農民が深く江戸の町にかかわっていた
食料をどうしていたかというと回りの農民から供給されていた
ただ米は地方から運ばれていた、地方が飢饉のときも米は地方から運ばれていた
江戸では白い米が食べられるとなっていたのである。
それは現代の矛盾とにている,地方は江戸のために犠牲になったとなるからだ
でも野菜は遠くから運ぶことができないから近くでまかなっていた
それで練馬大根とか近くの野菜のいいものが売れることになる
米以外の食料は江戸の回りの農家から買っていたのである。
長崎から大根を東京まで運んでくるのとはあまりにも違っていたのである。

 吉宗が、鷹狩のため、享保4年(1719年)に小松川村を訪れた際、香取神社が御膳所となりました。
 この時に、香取神社神主の亀井和泉守が、地元で採れた青菜を入れた餅のすまし汁を吉宗に差し上げたところ、吉宗はたいそう気に入り、土地の名をとって「小松菜」と名付けたと言われています。

こういう話が伝わっていること自体いかに将軍ですら農民と関係をもつし近くで野菜がとれていたことの証拠なのである。

野菜は、タネの形で参勤交代などの際に全国から江戸へ運ばれてきたといいます。各地から集まったタネは江戸近郊で栽培され、よりおいしく育てやすい遺伝子を残すべく、原始的ではあれど選抜育種も行われました。こうして江戸とその近郊の土地の名前を冠した野菜が確立されていったのです。小松川(現江戸川区)の小松菜、亀戸(現江東区)の亀戸大根などが、その代表といえるでしょう。

 やがて街道沿いにはタネ屋が林立し、手軽な江戸土産として、江戸で確立した野菜は地方へも運ばれていきました

これでわかるように農業が主な産業の時は種は大事であるし肥料でもそうである。
だからこそ地方から種の多様な品種が集まり江戸でも品種改良されたりその多様な種が参勤交代などで地方へ伝播された
このことからちわかるように都市とは交流の基点とてり市場となりそこに農業技術を発展させた
つまり農業が主な産業の時は江戸は都市は世界的にもそうした機能をもって必要不可欠となっていた
つまり江戸に来れば地方では買いないものが買えるし見れないものが見れる
それは本でもそうだった、地方では置かれている本がわずかであり買えなかったのである。
それで仙台に一か月に何回も行っていたのは本を買うためだった

でもその本でも本の種類は膨大だから手に入れることができない、古本でもそうである
すると古本だったら古本屋街がありそこで買うほかなかったとなる
アマゾンでボタン押せば買える時代ではなかったからだ
そこに東京と地方の差が歴然としてあった、他にもありそれで田舎は嫌だとなって脱出したいとなったのである。
今は買い物でもなんでも困らない、東京に行って何か新しいものがあるのかとなるともうないように思う
だから東京に行きたいということがなくなったし仙台にすら去年一回行っただけで行っていないのである。
これはと年のせいもあるが田舎でも4,5万の都市が近くにあればそれなりに不自由しないのである。

地方創生とか盛んに言われるがこれだけ流通が発達していれば何も困ることがない、ただ物を買うにしても金がいる,その金になる仕事が地方にないということで地方創生になっている
原発事故のことで避難区域になっことを書いてきた、それが現代の問題を象徴したように起こった、それを社会学的に追求してきた
原発事故を様々な見地から研究できる,まず科学的な面から当然研究できる
でもここで起きたこことは社会学としても見本となったのである。
村や町が一挙に人がいなくなり住まなくなることはどうういことなのか私は追求してきた
それは放射能汚染だけではない科学的なば問題だけではないものを感じたからである。
なぜ簡単に共同体が崩壊したのかというのもそうである、それはやはり共同体が田舎でも喪失していたからではないかと追及した

このトラック運転手の過酷な労働を取材したユーチューブの放送でもそうである。
長崎から築城の市場にまにあわせるためにとか運ぶ眠ることもできずに運ぶ過酷な労働である
それは江戸時代などから比べるとあまりにも異常である
その距離も江戸時代とは比べようがないのだ、だから何かここに現代の文明の異常性に気づく
その過酷な労働を生んだのはまさに文明であり東京という肥大化した大都市だったのである。
地方はまた金を得るためにその奴隷となる構造ともなっていた
ただ東京という大都市にも様々な問題をかかえているからそうなる

原発事故だって東京で膨大なエネルギーを消費するからこそ危険でも必要になる、でも東京では誰も賛成しないから離れた福島に作ったのである。その時地方では出稼ぎが問題だったからである。
特に原発が作られた地域は過疎地域であり金になるもの仕事ができるものが欲しかったのである。
現実に浪江の前の親戚の人は原発関係に就職した、それで原発関係で仕事になっていた人が多かった
それが飯館村の、、、でも原発で働いていたのである。
川内村では三分の一が働いていたとか経済的効果が大きかったのである。
漁業関係者は漁業権を売り補償金で原発御殿が建っていてうらやましがられていた
だからこそ原発事故以後でも東電を責められないとか言っていたのである。
これも東京という大都市が近くにあることでそうなった
東京の問題が地方に波及してまた逆に地方の問題が東京に波及するのである。
それは江戸時代の江戸のように種を品種改良して東京−地方の流れでいい面もあったが
悪い面として現代では作用したのである。

明治維新以降は文明開化は鉄道の開始とともに新橋から汽笛一声ではじまった、歩いていた時代から鉄道という輸送がはじまり東京が一極集中になったのである。江戸もそうであったが明治以降は文化でも東京中心になった
なぜなら方言では意志疎通できないからと標準語東京語にしたからである。
文化も東京中心で発信される体制になった、出版でもそうであり最近のテレビ局が六局しか許可できないのも東京中心のためだったのである。インタ−ネットが普及するとそうした情報の一極集中も変わり地方からの情報の発信ができるようになったのである。

田舎でも仕事としてトラック運転手が多いということに気づいた、すでに四人くらい出会っている
それはなぜなのか?やはり東京の築地などの市場に地方から食料でも野菜でも運ばれるからである。
この辺だと石鰈などが運ばれて高く売れていたのである。地元では高くても買わないとしても東京だと買う人がいくらでもいるからだでも別に漁業関係者は東電から補償金を事故前も事故後ももらっていたから生活には困らなかったのである。

ともかくなぜトラック運転手が長崎から大根でも運ぶ、それは別に東京だけではない、全国的に運ぶ、それで過酷な労働となる
でもそうして広域経済が成り立っている、全国のいいものを食べられるとなっている
そのために過酷な運ぶ労働がトラック運転手に課せられているとなるのだ
こういう経済は何か自然ではない、文明とは自然なものではない必ず無理する、自然から発生した村はまさに自然村であり自給自足である,地産地消である、それが本当は自然な生活だったとなる
もちろん経済にはそうした物流が不可欠である、でも生鮮食料品となるとやはり地元で近くでとれたものでまかなうというのが自然なのである。長崎から大根を得るために運ぶというのは無理が生まれトラック運転手にそれが課せられることになる
そこに現代の異常性がある、いづれにしろこうした東京一極集中の時代は終わりつつある

実際は東京には人口は集中していないし若い人も減っている、そして意外と問題なのは東京が高齢化して老人が地方より増えてくるのだ,それが東京の重荷となってくる,逆に地方では老人が減ってゆくのである。そういう現象はすでに起きているのである。
それで今度は東京では老人を地方に移住させる,地方で面倒見させるとなるのも勝手だと思う
なぜなら若いときは積極的に若者を呼んで年取ったらめんどうみない、やっかいだから地方に帰りめんをとみてもらいとなるからだ
人間はやはりその土地で生きた場所に人生を過ごした場所が故郷になるからだ
そういうのもなにか東京一極集中の矛盾だったのである。ただ労働力がたりないとか会社や企業のためであり人間の人生のことなど考えていない結果だったのである。会社や企業の都合で人間がその一生を有意義に老人まで一貫したものとして過ごせないという矛盾を作り出していたのである。
老人だけが原発事故でも避難区域に帰っているというのは理解できる、なぜならそこで定着して死にたいとなるのがまさに自然な感情だからである。
なにか現代社会は経済は確かに全国と交通で結びつき物資の流れが盛んになったとしてもまたそのために矛盾を作り出していたのである。それが高齢化社会にもなりその矛盾が噴出してきたのである。



  

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2018年06月23日

金のことまであけすけに話す復興住宅に住む浪江の人 (補償金で老後は金で困らない)


金のことまであけすけに話す復興住宅に住む浪江の人

(補償金で老後は金で困らない)


浪江の復興住宅に住んでいる大工の人は話すきである
だからなんでもあけすけに話すのである。
金のことまであけすけに話している

「俺は3千万円くらいもらったんだよ,それで金があってもしょうがないから新しい車買ったよ」
「車買った人が多いみいだ、それでねたまれたこともあるからな」
「俺も気をつけているよ,この前ジュースのぺットボトル盗まれたからな、それで警察に行ったけど相手にされなかった」
「警察は大きな盗みで証拠がないと相手にしないよ、この辺でも貧乏な人がいるから気をつけたほうがいいよ、近くでも今は安心できないよ」

その人は金のことをあけすけに言う

「この復興住宅は7年間家賃払っていると自分のものになるんだよ」
「そうなの,相馬市の津波被害者の復興住宅もこれとにているけど1200万とかで宇わなければ自分のものにならないと聞いた」
「でも電気でも水道料でも払わなきゃならない、俺は毎日風呂に入るからガスの風呂だと金がかかるんだよ、8000円とかかかるな」
「でもそのほか年金もらっているのか」
「大工していたからその時積み立てていたからもらえるよ、11万だよ
その積立ししていたとき高いとは思っていたがな」
「国民年金よりはいいよ,原発で補償金ももらったから金に困ることはないな」
 「知っている人だけだよ、妾もって暮らしている人いるよ」
 「ここでもフィリピン人の女を仮設に呼んでいた小高の人知っているよ、金回りが良くなってそうなった、厚生年金の上に補償金だからな」

何か金では補償金では浪江の人の方が恵まれている、浪江の人はまた小高とも違う、全部避難者にされたからである

「今度町長選挙あるけど浪江町長は病気だったんだ」
「癌だったんよ,外から来る人が町長候補になる,後は地元の農協の人だな」
「こうなるとかえって外部の優秀な人がいいということがあるな、何かとめんどうだからな、ここでも南相馬市長に不満が多かったからな
「浪江は町の通りをイノシシが歩いているよし家は荒らされている
ハクビシンとか他の野生化したものも増えている、復興住宅が建って帰った人もいるけど買い物に原町まで来るのが大変だと言っていた」
「買い物できないと生活できないよ,小高では小さいスーパーできるらしい、浪江はその点厳しい、原町まで車でも30分かかるからな」

最近その復興住宅がある近くの小高が住んでいた復興住宅は壊されて整地されている

「あそこにコンビニできるらしいよ」
「ええ、本当なの,ここにも家が増えたからそれを見込んでらしい」
「シシドのスーパ−できたのも鹿島は人口も減らないし新しいが今でも作られているからな、寺内で仮設が建ったときすぐにセブンエレブンができたんだよ」
「ここからは近くていいよ,歩いて行けるからな」

こんな話をしたが金のことまであんなにあけすけに言う人はいない
あういう状態だから原発避難者は仕事はしないのである。
でもあそこを見ていても中のことはわからないなと思った
車持っている人が少ないというが車が前に置いてあるのが多いとみていた
実際は老人がほとんどであり車を運転できない人が多いという
その人は娘と一緒に暮らしているがほとんど老人なのである。

浪江町の復興住宅でも住んでいるのは老人だし飯館村でも立派な復興住宅に住んでいたのは老人だったのである。
若い人たちは子供とともに方に移り住んで帰ってこないのである。
何かこの辺でおかしなのは前にも書いたが補償金をもらいすぎてもう仕事はする気ないのは浪江町の人でも同じである。特に老人ならしないのである。60代以上ではしない
こんな状態で復興などできるのかと前から書いてきたのである。
この大工さんなら一応年金をもらっているしその上に補償金をもらうし娘とも暮らしているし楽だとなる,老後の暮らしに困ることはないのである。
小高より補償金では恵まれているのである
ただそれが移り住んだところで貧乏な人もいるから良くは見られないのである。

とにかく原発避難者は恵まれている、相馬市の松川浦近くの復興住宅はにたような作りであり安物である。その大工さんもわかっている、これを作ったのは東京の会社であり復興住宅の見本として作ったとある
安上りに作る見本だと言っていたからだ
それでも7年間家賃を払って住んで自分のものになるのだから恵まれている
津波の被害者にはそういうことがないからだ
浪江と小高の人たちはにたような状況なのだが浪江の方がもっと復興することがむずかしい、ほとんど人が住んでいないくてイノシシが街を歩いているとなるからだ
そして帰るのは老人だけなのである。
まるでゴーストタウンに老人が住んでいるだけだともなっているからである

何か疑問なのは小高の人は一応南相馬市だから別である
浪江の人たちの問題は南相馬市民ではない,とすると介護でも市民サービスでも南相馬市でするほかなくなる
でも浪江町民だからそれがどうるなのか?
南相馬市民になればいいと言っても補償金とかの関係でなりにくいこともある
でもそこも何かわからない、南相馬市ではこうして老人ばかり残されても介護関係などで金がかかる、ただ別に浪江の人でもわずかでも若い人たちもいる
現実にその大工さんは娘と暮らしているからだ、他にもそういう人はいる
だから南相馬市の力になることはありえる
ただ行政的にはかなり問題をかかえているのである。
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近くの人呆気ない死 (死者は生き続ける、社会的意義あるものとしての死を考える)


近くの人呆気ない死

(死者は生き続ける、社会的意義あるものとしての死を考える)

一週間前くらいその人を家の前でみかけた、一時体が悪くて歩けなくなり姿を見なかったが歩けるようになり元気になったと喜んでいた
それから話していない、一週間前くらいに家の前に出たとき話していればよかった
なぜなら死ぬと思わなかったからだ

でも一週間前ほどに家の前歩いていた人が死ぬだろうか?
普通寝たきり何年とかで死んでゆく
どういう病気かわからないけどそういう死に方もある
その人の夫も急に体が悪くなり一週間ほど入院して死んだのである
その前まで仕事していたのである。

その女性のことは子供の時から知っている人であり世話になったこともあった
身近なのだけど体良くなって歩いているのだなと見ていた
だから別に気にもしない,死ぬなど思いもよらなかったのである。

人間の死に方はいろいろある、何年も介護されてなかなか死なない人もいる
何かこんなに呆気なく死ぬのかという人もいる
ただ何か近くで死ぬ人がいると呆気なく死ぬものだなといつも思う
80歳くらいだったのか?まだ平均寿命にはなっいないのか?

だんだん身近な人がこの年になると死んでゆくことは確かである
同級生でも60代一割が死んでゆくとか70代と二割が死んでゆくとかなる
そうなると常に死者に接する年となり死ぬのもめずらしくなくなる
その人はすぐ近くだからびっくりしたとなる

死者のことを自分も家族が全部死んで常に考えるようになった
若いとき死を毎日のように考えていた,父親を早く亡くしたのでそうなった
その時は死そのものについて考えていた
それで宗教とかに入ったがそこはカルトでありそんなこととは何の関係もない政治団体だった、宗教の最大の問題は死の問題であり死の問題の解決なくして宗教はありえないと思う、その他に無数の問題があるが死の問題を解決しなければ宗教はありえない

ただ老人になって両親とか家族を亡くして死者のことを考える思うというのはまた別である。
死の社会的意義なども考える、あの人は生きて何だったのか?何のために生きたのかとか社会的に何を残したのか?何かそんなことを死とともに考える
不思議なのことは自分の場合家族が死んでから死んだ人のことを考えるようになった
生きているときはさほど考えなかったのである。
これも不思議だなとつくづく思う
それもやはり人間の生は死んで断絶しないからである。

死者は死んで勤めを終えぬ
生者は残され死者を思う
そして生者の勤めは
供養してその死を意味あらしめること

人間の営みはねそういうものだった、一代だけで生は終わらない、継続しているのであるそれが人間の生の営みであり歴史となる
だから先祖というのを重んじない社会は浅博なものとなる
死者は生きつづける、しかし忘れることもできる、死者を活かすのは生者の勤めなのである。
原発避難区域の悲劇はもう死者は重んじられない、若い世代が去ったとき継続するものがなくなり死者は本当に捨てられる、誰も省みないとなる 
だからその時死者は行き場を失い幽鬼のようになり彷徨い成仏しないとなるのだ

ただ現代は死というのが社会的意義あるものとなりにくい,死を考えるとき共同体の中での死がなくなったからだろう、村のような共同体での死なら別である
それで日本では死んだ先祖が春には山から下りてくるという信仰にもなった
それは死者が先祖が村の中で生きているということなのである。
村全体で死を先祖とつながりをもっていたということなのである。

現代は先祖と断絶している社会である。それは共同体が喪失したからそうなった
死そのものの問題が先にあるが社会的意義としての死がその後にある
現代では社会的意義あるものとしての死が喪失した
そこに生の継続がなくなり歴史が断絶することにもなる、今死者が省みられない、社会的意義が与えられないことは結局今生きている人でも死ぬのだから省り見られないとなる
それは今生きている人の問題でもある

2018年06月22日

丸森町の地名と歴史


丸森町の地名と歴史

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クリック拡大(手倉山への川を上る)

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クリック拡大


丸森は伊達氏の城があった丸山城から発しているという、丸はここから来ていたのであるテレビで見た旧亀岡家住宅の贅沢に使用した木材は丸森から供給されていた
保原はなじみがないが丸森と近かったのである。
丸森はもともと木材の供給地で伊達藩と米沢藩と相馬藩で争っていたことは有名である

丸森は地理的に歴史的に相馬藩と密接につながっている、金山城は伊達藩と相馬藩で交互に城主となっていたからである。伊達藩との攻防が繰り返されていたのである。
そして相馬藩が明治維新の時官軍についたとき伊達藩は仙台藩は対抗して戦った
旗巻古戦場には仙台藩士の墓がある、最後まで戦ったのが仙台藩士だったとなる
それはやはり藩が大きかったせいもある、相馬藩は小さいから早い時期に官軍に従ったのである。
あの場所に木製の大砲を備えたりしていたからやはり武器でも官軍に劣っていた
ただ敵を防ぐには崖のようになっているから守るにいい場所だったのである。

丸森と相馬藩が密接に関係があったというとき方言で如実にそのことを示していた
相馬総合病院に入院していた丸森の金山の人が んだちゃという言葉を使っていた
これも奇妙だがんだんだは相馬の方言である,でも仙台弁は語尾にだっちゃだっちゃというからだ
それが何かかわっているなと聞いていた
んだちゃんだ+だっちゃちゃがついたものだった
そのことがまさに庶民として普通の人でも密接な交流があったことを示しているのだ

丸森は地形的に魅力ある場所である。入り口として相馬市の宇多川をさかのぼり筆甫(ヒッポ)に入る道がある

太閤検地や江戸時代前期の検地によって石高が定められた田畑のことは〈本田畑−ほんでんばた)または(古田畑−こでんばた)とよばれていた

この地名は古い地名なのである。

なぜなら伊達政宗が領内検地した際、最初に記入した土地である由縁で「筆の甫(はじめ)」を意味して名付けられたとされる。
検地は全国的に行われた大事業だった、だからその事業を記念した碑が多い
新地に文禄の碑がある,ただ文禄としか記されていないのである。
だからこれが何の碑なのかとなると検地をした記念なのかとなる
たいがい検地が大事業であり検地によって新しい時代が始まり百姓の家が生まれたとなればそれを記念するのは当然だとなる

前に古田のことについて書いた、古田口とあり入り口の地名である。
こんなところに田があるのかと見た
ただ地名の問題はそれが古いのかどれくらい古いのかが問題なのである。
田でも新旧を知ることが大事なのである。
なぜなら古町とあれは新町がある、古町は小さな町内でも一時栄えた町だった、にぎわった町だった、そういう街の変化は常にあるからだ
古田というのは学問的には検地とかかわって古いものだったのである。
それは筆甫の由来でもわかるようにその中に古田があったからである。
地名は地名だけから見ては歴史的に混乱してくる、まず歴史的に学問的にたどりその由来を知れば知識になる,ただあれこれ推測していると間違った解釈になる

丸森は地勢が複雑である。手倉山とあり天明山の近くに細い川がありそこをさかのぼって行ったことがあった、樅の木の原生林かある所にきたがそれはたいしたものではなかったそれよりそこで迷い樹海のような森に入って出れなくなったことだった
丸森はそれだけ森が深いのである。
天明山とあるのは飢饉の時なづけられたのか?天明の碑とかもあり天明というとき飢饉の年だと特に相馬藩ではみる
他に曲木などという地名があり木を曲げるから木の器を作る集団が住んだ、木地師の集団となるがこの辺では会津のような由来はない

四重麦(よえむぎ)とは麦の種類からきている、八重麦坂がある南相馬市の片倉村に入る所の地名でありその種類は長野県とかからもたらされたとかある
ともかく麦を栽培していたことは確かである。

他に丸森の地名の特徴として川張とか革踏石とかの地名がある、川張村は大きな村である川張は皮張であり動物の皮を張ってほしていたところとなる、川の岸でその作業をしていた、私の父親は一時戦後皮なめしをしてい、イタチとかとってしていた
だからそういう仕事は山でもイノシシとかほかいてそういう仕事があったとなる
それが生業としてあったとなる

日本の場合、大陸から渡来した「熟皮高麗(おしかわこま)」「狛部(こまべ)」といった呼称の工人たちが革の加工技術を伝えた。つまり、日本の革の歴史は、1000年以上も前にさかのぼることができるのだ。播州姫路地方で当時より革のなめしが盛んに行われ、なめしの工程は、瀬戸内海産の塩による原皮処理→浅瀬で洗い流し→石河原での川漬→脱毛→塩入れ→加湿→菜種の油付け→揉み→さらし→革洗いの反復作業で行われていた。海が近い姫路は、まさに革の加工にピッタリの土地だったのだ。

こんなものまで渡来人が関係していたのである。
ここでは石河原での川漬とかあり川がある所でしていた
阿武隈川という大きな川があるからそういう仕事が生まれたのか?
生業が地名になることはある
欠入(かけいり)は欠けた土地に入ったからその名になった
荒地化したような土地に入った、そういう土地は日本全国にある
相馬藩も天明の飢饉などで欠けた地に越中の移民などが入って定着したからである

丸森は地形が複雑であるから魅力がある、蔵王も見えるし阿武隈川が流れ森が深いのである。丸森は飯館村と隣り合っているのだからそれなりに放射能汚染があったが補償金は宮城県とかになっていてされなかったから損だったともなる
飯館村は被害が大きかったから補償金は手厚いから一億円もらったら若い村民は帰らないとなってしまったのである。
新しく建てられた住宅に住んでいたのは老人だったからである。


丸森町筆甫の古田口の地名の現代的意味 (田より水芭蕉が価値ある時代)

丸森の秘境へ(夏の旅-新地からのつづき)

2018年06月21日

抽象画は変化して何が現れるか予測できない (一つの例)


抽象画は変化して何が現れるか予測できない

(一つの例)

Abstract paintings can not predict what will appear as it changes

(One example)

undertrain111.jpg

↓↓↓↓ 変化

blackforesttttt123.jpg

↓↓↓↓ 変化
moonrockk111.jpg
two joint rocks
hosttttrr111.jpg

chineselandscape1.jpg

chienese mountains

rockcolour11.jpg
Earth's constituents


地下を走る電車の絵から次に変化したのが森の抽象画である
次に変化させると岩の抽象画になった
ただこれは岩と見ればだがそうなった
それは全く予想できないものだった

こういうことを随分してきた、第二次創作としても面白いとなる
私は全く絵を描けないからである
一応抽象画だと絵のようになるからである

人間の才能は技術によって相当に影響される、AIは人間の才能を実は発掘するということももある、それは人間の才能を発掘して高度な知能にする
人間の知能の強力な補助役になる
AIは人間に代わるのではない、人間の頭脳を知能の強力な補助役になる
それはいろんな分野で起きてくる、波及してくる
芸術の分野まで波及してくる、それだけ影響力が大きいのである。


The next change from the picture of a train running underground is the abstract picture of the forest
Then it changed and it became an abstract picture of the rock
Just watching it as a rock, it turned out like that
It was totally unexpected

It has been quite a lot like this, it will be interesting as a second creation
Because I can not draw pictures at all
Once it is an abstract picture it will look like a picture

Human talent is influenced considerably by technology, AI sometimes finds human talent in fact, it uncovers human talent and makes it highly intelligent
Become a powerful assistant for human intelligence
AI does not replace humans, the human brain becomes a powerful supporter of intelligence
It happens in various fields, it will spread
It spreads to the field of art, so it has a great influence.



森の中の変わらぬ石

森の中の暗闇にいくつかの石がある
石はここに変わらずにある
石はここを共に動かない
石は共にあって離れない
石はここにあって重みを増しぬ
暗闇がおおい重々しい石
石はいつもここにありて
深い安心を得る
それは石が変わらないからだ
ここに石は安らぐ
森の中に月が光り石がある


The unchanging stone in the forest

There are some stones in the darkness in the forest
The stone remains unchanged here
Stone does not move each other  here
Stones are here and do not leave
The stone is here and it does not increase its weight
The darkness is heavy stone
Stones are always here in stability
Get deep relief
It is because the stone does not change
Here rocks relax
The moon shines in the forest and there are stones


タグ:森の石

2018年06月20日

荒地が回復しないのはなぜ (村の共同性が失われたため)


荒地が回復しないのはなぜ

(村の共同性が失われたため)

この辺では原発事故以後荒地が増えた、一部は回復しても依然として荒地が多い、周りに荒地が多いと草が伸び放題であり畑にも影響してくる
草刈は今では村の農家の共同作業になっている
田んぼでも畑でも荒地になると困るから村の共同として荒地にしないことを村の共同体があったときはしていた
村の土地は農業中心の時は共同地の性格が強かった
明治以降の私的所有はなかったのである。
土地とかとは自然環境と一体だから私的所有になじまないのである。

飯館村は離れているから放射能が関係ないとはできない
回りの山や森から放射性物質が流れてきてダムにたまりさらにセシウムが泥に付着して川から流れてくる
それで放射性物質の貯蔵庫として土地を売るのがいいと飯館村の人はなる
なぜならもう住めないとなり一億円もらって村を出る方がいいという人が多いからである飯館村だとまだ昔の村落共同体のようなものが残っているようにも見えるが実質はその考え方でも生活でも変わりない面があった
腰化に山菜を食べるとかでは違っていたが工場もありそこが働き場所ともなっていたからである。原発事故後その工場では人が働いていたが牛を飼うと農業はできなくなったからである。
今も帰って生活している人は別に農業している人ではない、会社勤めの人だった

江戸時代の村は自然村でありまさに自然から自然に成り立った村であり人工的要素は少ないのである、生態系に制限されて作られた村なのである。
右田の農家の人が橲原(じさばら)に所有する山をもっていた、入会権をもっていた
それは草など運び肥料とするためだった、だから農業でも山と密接に関係していたのが日本の農業だったのである。
そして津波で家が流されてたので橲原に土地をもっていたので右田村の人はそこに家を建てているというのもそのためだったのである。
農業中心の社会ではそうして生態系に依存する社会だから自然から離れてありえない社会だったのである。

なぜ荒地が回復できないのか?
それはすでにそうした江戸時代からつづいていた村落共同体は喪失している
欠入りとかあるとき欠けた土地に外からでも入る人が江戸時代にはあった
この辺では天明の飢饉のとき越中から大量に移民がその欠けた土地に入ってきて荒地を開墾して元にもどしたのである。
それが今荒地のままなのか?避難区域でもない南相馬市では依然として荒地化したところが多い、放射能の影響がそれほどでもなくても荒地が多い
それは結局すでに農業社会から工業商業社会に田舎でもなっていたからだとなる
農業の生産力は一割にも満たないとか田舎が農民なのかというとほとんど会社員なのである。近隣でも何をしているのか働いているのかわからないのである。
最近ではトラック運転手が多いなと気づいた、田畑があってもすでにそれがしめる役割は十分の一とかに低下していたのである。
つまり田畑をもっていて耕作していても割にあわない,現金収入になりにくい、そして田でも委託する農家が多い、その家はサラリーマンになっている
農業だけでは暮らしていけない時代なのである。

大原の前田という地名のある所の農家は草分けだったのだろう、前田というときそこが最初に開かれた地名だからである。
なぜなら遠田という地名もありそれは前田からかなり遠くの山の中に田があったからである。村の中心がありそこが前田であったのだその家は古い家であり今は空家となっている、他にも三軒くらい空家になっている
その家の息子は市役所に勤めているから空家化したのである。

こうして共同体が喪失することの影響は実際大きい、それをあまりにも極端に現れたのが原発避難区域だったのである。もう農業は回復しない、田畑は数軒とかで回復してももともと農業はそんな数軒でなりたつものではない、村で共同で維持してきたからである。
水の管理でもそうだし草刈でもそうだしそれがもうできないから荒地になるだけだとなった

そしてもう一つ重要なことはそうした共同体が喪失したとき、歴史も消失するということである、農家では戦国時代が終わり百姓が家として成立した
それまでは農家は存在しなかったという、そこで文書の保存がなされた
それが郷倉に収められて保存されつづけてきた、その文書は重要なものでありだからこそ火事で焼失したりするから村人で郷倉に収めていたのである
郷倉とは村の歴史の保存蔵だったのである
それは図書館のように事務的に保存するのではなく村人の意志があって保存された
図書館には何かそうした村人の市民でも意志があって存在するとなっていない
図書館の成り立ちは本当は郷倉にあったとなる

それから江戸時代の村では先祖を大事にする、それは一つの土地に代々土地を受け継いで生活してきたことによる
現代のように人が移動するのか普通の時、先祖のことは考えなくなるからだ
先祖のことを考えないということは歴史的に長い目で社会を見れないことに通じている
今というときからしか何も考えられなくル、過去はそこには存在しなくなるのである。
その時ものの見方が浅博になってしまうのである。 
原発事故避難区域でもそうした共同体も丸ごと失われたのである。
するとその土地の歴史も断絶して喪失する、先祖がどう生きて何を残してくれたかも不明になる
その時先祖も死んで何もなくなったのではない、実は死者はその土地でも家族でも生き続けているものなのである。
でもそこに生きる人がいなくなれば死者もさらに二度死ぬことになる
そうしてそういう場所では死者も幽鬼のように彷徨うようになる,それは廃村化した村ではすでに起きていたのである。

この辺ではそれが大規模にそうなったのであり今まで経験しないような悲惨なものとなったのである。
津波の被害地でもそういうことが起きた、村ごとなくなれば同じである。
ただ津波だとまだ原発事故のように二万もいた住民が一斉にいなくなるようなことはなかった
だから原発事故の被害は計り知れないものだったのである。
ただその原因が放射能被害だけではない、そもそも昔からあった農村共同体の崩壊があり原発事故で拍車をかけて喪失してしまったと自分は見ている
だからこのことはどこの田舎でも現代だと起こり得る、村に人がいなくなり廃墟化して、土地は荒地化してゆくのである。
それを回復することができなくなるのである。   

この辺で起きたことも現代という時代を反映して起きたのである、避難して来た人が「私たちはここにきて回りの人も金を使って助けているのよ」こういうことは一見おかしいように見えてもそうではない,それは現代を反映しているからである。
消費者は王様だというとき金さえあれば王様なのである。その人が特別変わった人でもないのである。
都会では東京などでは田舎なんかインフラに金がかかるから俺たちの税金が無駄に使われるから田舎などなくてもいいと言う時もそうである、食料は外国から金で買えばいいとなっているからだ
江戸時代だともう食料はその土地でとれなければ飢え死になる、他から食料を簡単に得られないからだ
相馬藩が飢饉になっても伊達藩が援助しない、今ならかえって遠くの人が援助する

この辺では仮設に入った人たちを絶えず外部から来た人たちが応援し援助していたからである
肝心の仮設に入った人たちは毎日ギャンブルにパチンコ通いだったのである。
これも現代を反映した矛盾であり光景だったのである。
そして南相馬市は避難区域となった小高と鹿島に仮設に暮らした人たちとは補償金でもめて分断されて協力がなくなったのである。
小高の人たにすれば俺たちは困って苦しんでいるのに鹿島の奴らは何なのだ、情も何もないのか、遠くから来た人たちは同情して援助してくれるのに近くでも援助もしない、金のことで文句いうだけだとなっていたのである。
村が江戸時代のようにあればまず村人が共同しないかぎり生きていけない、今は金さえあれば共同はする必要ないとなる
だから一億円補償金もらったら若い人はみんな出て行って帰ってこないのである。
放射能の被害だけではない、こういう社会に生きているのだから何か万一こうした事故でも村でも市の単位でも崩壊することの見本なのである゜

百姓の力(江戸時代から見える日本)−渡辺尚志

この本はいい本だった,何かわからないことでもこうして本を読むと一気にわかることがある
これまでは田舎だとまず本が買えなかった、それで学問するには相当に不利だったのである。
仙台まで行かねばならないとなるとそれだけでもう学問できないとなる
今はアマゾンで古本がボタン一つで買える
それが安いから前より本を買っているのである。
今はインタ−ネットもあるから知的環境としては田舎が不利になっていないのだ
郷土史を研究するにも全国と連携できるからいいのである。

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権力の謎 (人の弱さから権力が生まれる)

権力の謎

(人の弱さから権力が生まれる)

権力がどうして生まれのか?暴力が権力になる、戦争で勝てば権力をもつということが人間の歴史だった、それは今でもある、暴力団がいるのは暴力で権力を持つからだ
でも権力は暴力だけではない,知識とかほかにもいろいろな要素で権力をもつことができる

例えば科学も権力の大きな要素である、ひめこが日食を予言して権力をもったというときとき科学の力で権力を持った、科学は権力を持つ大きな要素だから現代では科学技術社会となり科学者が神官のようになったのである。

なぜ仏教がこれほど栄えたのか?会津などでは異常に多いし薬師堂はどこでもある
仏教がこれほど普及したのは病気を治すことができないから神仏に祈ることになったためである
今でもなぜカルト教団がこれほどの人を集めているのか?
それもやはり病気が原因していることがある
直らない病気がありその為に神仏に頼ることになる
山伏とか法印とかは小さな地域に必ず一人くらいいた、その人の役目は何だったのかとなると病気を直す加持祈祷だったことでもわかる

なぜカトリックなどが権力を持ったのか?
これは科学技術ではない、神のことを司ることで権力をもった、天国に行くか地獄に行くかを僧侶が決めるとなれば当然それで権力をもつ
天国への鍵をもっているのは僧侶ではない、牧師でもない
ただそれをあるように見せていただけなのである。
カルト教団では成仏とかに異常にこだわるのもそのためである
それは日本でもそもそもなぜ奈良とか京都であれほど仏教が栄えたのか?
僧侶が権力をもったのかとなる
そのために信長は権力をもつ僧侶集団と戦わざるを得なかった

権力とは何かというとき様々な要素があるからわからない、権力を持つのが表だっては政治家が権力があるように見える、でも実際の権力は政治家にあるだろうか?
実際の権力は大企業にある、企業という存在は何かを産みだす力をもった集団である
東電だったら電気を産みだすから力をもつ、そこに検察から官僚でも天下りする
東電の力がどれほど大きいものだったか?
それは原発事故でわかった、その権力があまりにも大きいので小さな地域と自治体などつぶされるような巨大なものだったのである。

疑問なのはなぜ銀行とか何も産みださない作らないものが大きな権力をもつようになったのか?いくら金の世の中で金さえあればいいとなっても何も産みださな作り出さないものが権力をもちうるだろうか?
銀行でも今金を貸す先がなくなって窮地に追い込まれている
それは銀行が何も産みださない作り出さないからである。
企業なら何かを産みだし作り出して利益を出す、銀行にはそもそもそういうことがないからである。つまり金をもっていてもそれで何かを作り出すわけではない
紙幣はいくらでも紙なのだから作れる、それで豊かになるかといったらならない
金が何かを物を産んだり作り出したりしないからである
もしそうだったらこれほど楽な商売はないからである。

なぜ石工の団体がフリーメーソンが力をもったのか権力をもったのか?
それは城でも教会でも作る力をもっていたからである。
そして秘密をにぎるということもあり実質の権力を持ったとなる
だから何も産みださない僧侶とかが権力をもったというのがわからない
今になると僧侶はあからさまに穀つぶしだとされるからである。
ただお経を唱えているだけで何か役にたっているのか、産みだしているのかとなるからだそれは医療でも科学技術に頼るようになったからである。

理系と文系を考えると理系の人は何かを産みだし作り出している人たちである。
文系の人はそうではない、例えばマスコミにしても実際は何も産みだしたり作り出していない、車でも電気でも建築物でも作り出さてい、ただ口八丁で力をもっているともなる
だから実質の力は東電などの大企業にありそこから800億円もの金が宣伝費としてもらっていたのである。
文系は何も作り出さないということで批判されることもわかる
芸術関係だと美を産みだしているということはある、でも実質何も産みだして作り出していない、農民だって漁民だって食料を作り出しているとなるがマスコミが何か産みだして作り出しているとはならない

だから権力と何がというときいろいろな要素がある、医療関係では薬の会社が世界的に大きな力をもつ、結果的にいらない薬まで使用させられ巨額の税金が医療関係に使われるのである。何か恐怖をあおり効かない薬を飲まされたりされる
それは医者と結託していらない薬でも使用させられる
医者の言うことは聞かねばならないからそうなる
でもそれは実質的に病気を直す薬も産みだし作り出しているから権力を持つのである。

人間はなんらかの弱みを必ずもつ、すると権力をもつようになる
弱者化するとカルト教団がその弱さにつけこんで会員を増やすようにする
人間は悪質であり弱者化すると食い物にされるのである。
そういうことを自分が介護と病気で苦しんだとき経験した
助けるということは一切ない、ただその弱さにつけこむことしかなかったのである。

カルト教団でも政治団体でもそうした弱者を利用する、一見助けるようでもその弱者を利用して権力をもちたいだけなのである。だから権力を追求していることでは変わりないのである。権力をもつ立場にあれば役得があり利権も得られるからである。
だからこの世の中は変わらないのである。
なぜ変わらないのか?権力から脱することができないからである。
理想の社会は権力なき社会である。権力があるかぎりそこに必ず不正が生まれるし権力によって社会は歪められるからだ
かといってそんな社会はこの世に出現しないから絶望的なのである
だから権力というとき個々人の弱さから生まれているということもあるからだ
なぜなら個々人で病気にもならない、金にも困ることがない、何が困ることがない、弱みがなかったら権力も生まれないからである。

タグ:権力の謎

2018年06月19日

交通事故発生 (南相馬市鹿島区寺内)



交通事故発生

(南相馬市鹿島区寺内)

accident222.JPG

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レッカー車で白い乗用車が運ばれた
それは脇がへこんでいた

写真の車と衝突した
怪我はたいしたことかなかったらしい

毎日どこかで交通事故が起きている
それでデジカメをもって歩く必要がある

結局ボランティアの記者にもなっているからだ
今や一億総記者の時代に
タグ:交通事故
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2018年06月17日

誰かが悪さをして自分が苦しむ (猫の尻尾が焼かれまた血が出ていた)


誰かが悪さをして自分が苦しむ

(猫の尻尾が焼かれまた血が出ていた)

誰かが猫にいたずらして尻尾を焼いた、一か月くらいいなくなったので帰らないと思ったそれが尻尾が焼かれて帰ってきた、血が点々とついて汚れる
一時収まったがまた血が出ている、そして家を汚すので嫌になった
何かこの猫は飼うつもりでなかったがいついたのである。

家族が介護になってから何かこうしてめんをとなことが次々に起きてきた
犯罪にもあい、事業に失敗した人が来て金を要求される
自分が苦しいときそうして次々に問題をかかえた人が来た
自分自身のことで精一杯なのに問題をかかえた人が来る

ある人は飲食店で賃金を払われなかったといいその分を自分が払った
その後畑をしていてもキジに食われた、モグラに食われた、虫に食われたとその度に
肥料だとか薬に金をくれといい、払う羽目になる

要するにこの災難つづきは自分が起こしたことではない、でも自分のカルマがあってそうなっているとあきらめた
でもそもそも猫の尻尾を焼いた人こそ重いカルマを負うべきだし猫を世話すべきなのである。
でもいつかその人もカルマを背負わされる運命にある
カルマとは行為であり悪い行為は必ず苦しみとなって現れるからだ

ともかく自分だけではない、なぜこうして家族でも親戚でも災いとなる人が必ずいて苦しむ、それはなぜなのか?
そういう事件は日常的に起きている,家族にそうした人がいると終わりだというのもそのためである。へたすると殺されたりするからだ
実際に兄弟姉妹でもそういうことあった、姉が優秀でも妹はだめだ、弟がだめだとなり殺人までになった
障害者をもって苦しんでいる人もいる

だからこの理不尽は何なのだろう?
悪いのは猫の尻尾を焼いた人であり自分ではない、賃金を払わなかった人が悪いのであり自分ではない,でも自分が払うことになった
猫の尻尾を焼いた人は誰かにそのカルマ(行為)を負わせたとなるのだ
借金した人もまたカルマだけど他者に負わせるのである。
実際他者のカルマによって何の罪もないのに殺されるという事件がある
なぜそうなるのか?それが不可解になる
それもやはり本人にカルマがあってそうなっているのか?

自分は家族がいたとき何かそうした災いとかにあっていないのである。
家族が介護になってからそうした災いが次々に起きてきた
それも終わったかと思ったら猫に苦しんでいるとなる
それはたいしたことがないにしろやっかいだなと思う
自分はペットを世話できる人ではない、ルーズだし自分のことをやるだけで精一杯だからである
家事もやらなければならないしいろんなことができないのである。

いづれにしろ人間は誰かのカルマ(行為)は必ず他者に及ぶ、悪るいことしたら当然だし善の行為でもそうである。
でも悪い行為は誰かが負い償わさせられるというのもどうしてなのだろうとなる
その行為をした本人こそ償わねばならないのだ
それはただいづれ否応なく償わさせられる、それがカルマだからである。
でも何の罪もない人がなぜ償わさせられるのか?
結局キリストが人々の罪をになった死んだというとき犠牲になったというときそのことかもしれない、何か猫とキリストは関係ないにしろそうかもしれない
人々の罪を背負って死んだとされるからだ

この世の災いはどこから生まれてくるのか?
誰かが悪をなす、それでその周りもカルマを負わされて苦しむ
だからこの世でいくら一人が罪を犯さないにしても災いを受けるのである。
災いから逃れようがないのである。
原発事故だって関係ないと所で飯館村とかで一番被害が大きかった
全然関係ないと思っても災いによって苦しみが与えられる
それにしても30年間はこうした災いが自分にはなかった
それは奇跡的なことだったかもしれない,ただその楽なことがカルマになっていたのである。

人間は生きている限り楽していても金をもちすぎてもカルマになる
つまりどう転んでもカルマから逃れられないのである。
それは死ぬことによってしかカルマから逃れられない
たかちいづれこの世は大きなカルマによって滅びるのである。
この世に天国など出現しない、なぜなら自分が罪がないように生きても回りがそうではない、そのために他者のカルマを受けて苦しむのである。
最悪はそのために殺されるとまでなっているのだ
〈地獄の道連れにしてやる)とか言う人がいるからだ
この世に災いは限りなくあり消えることはないのである。


失われた共同体を考える−(家族が共同体の基) (第3の経済を読む)


失われた共同体を考える−(家族が共同体の基)

(第3の経済を読む)

第3の経済

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金の切れ目が縁の切れ目である。しかし、共同体というのは全人格的に関わってくる関係によって成り立っている

今の事業、経営で一番問題なのは、志がないことである。志を失った原因の一つは、共同体、コミュニティの一員としての自覚がなくなったことである。

優秀な人材があれば、資金を出し合って中央の学校へも出したのである。また、有為な人材は、故郷に錦を飾る、あるいは、郷土に戻って働くことを誉れとした。医学などその典型である。

誰も他人のことを思いやらなくなった。そして、思いやるゆとりさえなくしてしまった。そして、他人と関わり合うのさえ厭(いや)になってしまった。親は子の世話をしなくなり、子は、親の面倒を見なくなった。それで足りなくなったところを教育制度や介護制度、福祉制度に求めるようになった。会社は、会社の都合だけで社員を雇い。社員にとって会社は、生活費を稼ぐだけの場でしか過ぎなくなった。国に、国民は、要求だけをして国に尽くす事を忘れた。


このサイトで語られることに共感する、なぜ自分がこんなに今になり家族にこだわるのか?
現代ではもう共同体というのはないとこの著者も指摘している、家族も人間の基本的な共同体でありそこから故郷でも江戸時代の藩でも明治維新以降の国でも天皇を親として国民は赤子という国家を家として意識させたのである。
そして家制度を国家の根幹にしたのである。

なぜなら墓のことで考察したように江戸時代ではみんな個人墓なのである。
墓を持った人は侍であり侍でも特別な人なのである、後は僧侶であり上流階級しか墓をもてない、経済的にも墓を作ることは金がかかるからできない
でも不思議なのは明治以降に家というのもに共同体の基とした
しかし江戸時代の共同体は家族があったとしても村が共同体だったのである。
だから一見墓もないことは家族共同体もないのかとも見える
むしろ村という共同体があったから個々の家族の墓も必要なかったのである。
村の共同墓地がありこの辺ではホトケッポという所に埋められたからである。
個々の家族が墓になると墓は増えるばかりだが今になると跡継ぎとがいなとか墓じまいするようになる、江戸時代の村だったら村全体で供養するからかえっていいとなる
個々の家族だったら後継ぐ人がいなくなると供養もできなくなる、墓は維持できなくなるからだ、墓にも家族としての共同性とか村の共同性とかが関係しているのである。

現代は共同体がない限り生きていけない、自分がなぜ共同体のことを考えるようになったかというと家族がみんな死んだとき一人取り残されてしまった結果である
家族という共同体があって自分は守られて楽していたのである。
だから自分は何か社会の非情さを感じなかったし社会はいいものだと思っていたのであるそれが親の病気や介護や自分の病気で今の世の非情さを身をもって知った
そのことを延々と書いてきた、人間がこんなに非情なのか結局金しかないのかということだった、そんなことはみんなわかっているということはあった
しかし現実に自分がそういう苦しみを受けたとき具体的に理解した

今はどんな田舎だろうが都会と同じである。共同体は喪失しているのである。
拠(よ)り所となる共同体はもうない、その代わりにあるのは金だけである
金をすべての拠り所としている、だから金の切れ目が縁の切れ目になる
現代社会ではより冷徹に貫かれている
共同体とは何か?それはいろいろあっても家がその根幹にある、家族が根幹にある、
その波及したものとして会社があり国家もある、国家も家なのである。
だから江戸時代では会社がないにしろ店があったとしたらそこは家族形態として経営したとなる

家族共同体というとき血縁とばかり思っているが違う、血縁を基礎にしても結婚自体が別に血縁ではない、他人同士が共同生活することであり子供をもつことで共同体を形成することである。子供でも養子とかもあり養子でも家族共同体になる
ただ家族共同体になるとどうしても排他的になる、自分の家族のことしか思わない、他者の家族は敵対するものにもなる、家族の利益だけを考えればそうなる
だから実は家族共同体だけでは共同体は維持できないようになっている
会社に勤めればそこがやはり共同体ともなるからである
江戸時代の侍社会では御家大事でありその共同体を維持するために人柱となり死ぬ人もいたし強制もされたのである。

共同体というときそれがある期間を共同することではない、学校でも会社でもそれは会社でも長いにしても一期間になる、でも家族は祖父母がいて両親がいて子供がいてと世代の継続がある、そこにまた家の重み生じる、それは故郷とか江戸時代の藩とかでもそうである。先祖がいて死んだ先祖はその家に死んでも生き続けることがある
そこに家の重みがある、そのことは死んで母を思うということで短歌俳句の部に書いた
家族がみんな死んでそのことを痛切に感じたからである。
家族の共同性は時間軸でも継承されている,事業を起こしても会社でもそうして何か継続されものがない、トヨタでもあれだけ大きくても車が売れなくなればそれでなくなる
でも家族はなくならないのだ、それは物による紐帯ではない、精神的なものだからであるもちろん物質的なものとしても経済的なものしとても家族はありうる
経済的破綻すると家族も崩壊する、事業に失敗したりすると家族が崩壊する
それでも家族のつながりは依然として維持されるのである。

いづれにしろ今は家族でも共同性を失い、ただ金だけだとなる
それで原発事故で避難区域になった所はなぜあんな簡単に住むことが放棄されて残されたのは老人だけになったのか?
それは放射能も確かに原因しているがそれだけではないものを感じていた
なぜなら今一億円もらうならこんな田舎を出て暮らすとかいう若者が普通にいる社会である
それは若者だけではない、そういう人はやはり多くなっている
だからこそ多額の補償金をもらった人はなんの抵抗もなく故郷を出てほかの土地で新しい生活をはじめたのである。何か未練もないとなる、そのことは何を意味しているのか?
それももともと田舎でも共同性は失っている,昔のような村もないし共同体はない
ただ金だけを求める社会になっていたのである。

それでみなんで共同して復興しようとする意志もないのである。
一番働いたのは地元の人ではない、外から来た労働者でありボランティアだったのである地元の人は毎日パチンコでありギャンブルしていたのである。
それは現代を象徴している奇妙な光景だったのである。
身近な共同体は喪失しているが広域的な経済でありそれで外部からの援助があって生活していたのである。
地元の人が復興するのに働かない、その意志もなくなりただ外部の人にまかせきりになったのである。
そして地元の人は補償金をもらうことしか頭になくなったのである。
これもやはり現代社会でもともと共同体が失っていたからそうなったのではないかと考察した 

人間はいづれにしろ共同体無くしては生きられない、上野霄里(しょうり)氏でもあれだけ家族にこだわっているのもそのためである
社会から離脱する強烈なアウトサイダーでも家族という共同体にこだわりそこに自分の最後の砦としているのである。
現代はとにかくグローバル経済になってもそこには共同体はない、共同性はない、ただ金が動く非情な市場があるだけだとなる、共同体の中で金は動いていない
非情な金の市場の論理だけが支配しているのである。
家族共同体であれその延長したものに波及した社会で情が通うことはある
それは家族の延長として見るからである。
手伝いさんが家族の一員になると書いてきた
でもまた金だけの関係となりそれも一期間でその関係も切れる
金持ちの家でもお手伝いさんに家族のようにやさしくしてもそれを感じない
要するに金さえもらえばいい,もっと金が欲しいとなり盗めばいいとなるだけである。
そうして関係は簡単に切れてしまう、同じ田舎に住んでいてもそうである
そこには共同性がない、共同体ではないからである。
ただ金をやりとりする関係に過ぎないからそうなってしまう

金の切れ目が縁の切れ目である。しかし、共同体というのは全人格的に関わってくる関係によって成り立っている 

つまり侍の共同体は全人格としてかかわっている,だから白虎隊が城が燃えたというときもう終わりだとして自刀したのもそのためである。
侍共同体は全人格的なものとして一体だったからそうなった
金だけをもらう関係とは違うからである、そういう関係はやはり戦国時代から江戸時代を通じて社会が作られたのでありそういう社会を明治以降日本では喪失したから理解できないものとなったのである
今は全人格的にかかわり生きる場も共同体もないのである。
ただ個々人は金を求め金がすべてとなる、金をより多く持ったもの稼いだものが勝者でありそれ以外の価値は認めない社会である。
金でも共同体の中で稼ぎ使われるのとただ個々人が金を求めて使うことには大きな落差がある。
共同体の中で人格を育成すること共同体を維持して発展させることになると金だけがこれほど突出して猛威をふることはない、もっと高い価値にあるべき価値に金はただ下僕のように使われるが今はみんな金の下僕になっているから殺伐としているのである。
こいつから金をとればいい、後は関係ないという社会なのである。

posted by 老鶯 at 10:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2018年06月16日

スミレと岩(母が死んで母を思うようになった不思議)


スミレと岩(母が死んで母を思うようになった不思議)


顔見せぬこの家の人やシャガの花

夏草やイタチめずらし顔見せ

忍耐の岩にスミレや母思ふ

我家に70年ありし母なりき死して思いぬその重みかな


家が何かと考えるとき前にも書いた、ホームとハウスは違う、ハウスはただの建物であり箱でもある、ただ日本では家というときまた別な感じになる
嫁の字を見ればわかる、女に家になっているからだ
家はホームという感覚である。家というときだから家に帰りたいというときそこは単なる建物だけではない、あたたかい家族がいる場所がホームなのである。
だから家族がみんな死んでいなくなった自分の家はホームがなくなったともなる

でも不思議なのは人間はやはり死んでなにもなくなるということはない、家には何か死者がまだいるという感じになる、母が死んで3年とかなるが生きているときその存在をあまり感じなかった、それは特殊な家の事情でそうなった
でも70年間家に尽くして働いてきた、それを感じたのは全部家事をするようになってからである。まず誰も自分のためにしてくれない、それで皿洗うを頼むと金をとられる要するにもう今は他者との関係は金しかないのである。
それで金の切れ目が縁の切れ目となる
そういう人は生きているときでも死んでからも何の関係があるのだとまでなる
そういう殺伐としているのが現実社会である。

では家はホームはそうした関係ではない、なぜなら金だけの関係ならその人が死んでも何にも思わないからだ、死んだとき心配するのは財産のことくらいである。
でも家族となると死んでもその家に家族に生き続けている
供養もしているし何か死んで重みが出てくるということもある
生きているときより死者のことを思うようになる
自分は生きているときは家事をして毎日食事用意してくれたことをなんとも思わなかったそれが死んでから65年間とかそうしてくれたことがありがたいことだと思うようになった

人間は家でもそうだし国とかでもそうだし必ずなんらかの犠牲の上に成り立っている
母も家のために犠牲になったという面はあった
国でも戦死者とかあり歴史をみれば犠牲になる人がいる
それで城を作るのに人柱伝説があるのはそのためである。
それは家でも人柱になる人がいる、犠牲が生まれる
母はやはりそうして犠牲になった女性だったともなるかもしれない
ただ自分の家に来てすべてが悪いことばかりではなかった
何かかよわいし世間を渡っていけるような女性でなかったからだ

ただ母の性格は忍耐強いということだった、派手なことはないが大人しいが忍耐強い性格だった、人はその性格もいい面と悪い面が必ずある
外交的な人間がすべていいとはならないのである、でも社会では外交的な陽気な人がどうしても好かれるし評価される
内向きな人は好かれない、そこにも大きな問題がある
営業とかでも必ずしも外交的な人だけが成功するとは限らない、内向きでも誠実な人が成功するということもある、外交的性格の人は人の話をしまり聞かないとこすがあるからだ
人間は死んですべてが消えるわけではない、必ず何かを残してゆく、残りつづける
母のことをあまり生きているときは思わなかったがやはり70年家にありつづけた重みを感じた、歳月が重みを生む、家というのはだから今生きている人だけ成り立つものではない、死者も家に生きているとなる
それは大きな国家でもやはり死者が生きていて支えるともなる
それが歴史の重みとなる、ただ人間は死んだからといってみんなそうして死者を思うことはない、ふしだらなでたらめな人生を送った人は死んでせいせいしたともされる
だから人生を軽んじていい加減に生きると死んでも何も残らないとなる

人間はやはり母から受け継ぐものが大きいのかもしれない、もちろん生きているときは母とか父でも嫌う人はいくらでもいる、自分もそういう面はあった
人間はどうしてもいい面と悪い面があるからだ
でも死んでから母を意識するというのも不思議である。
だから人間は死んですべてが終わるということはないのである。
後世まで影響してゆく,生きている時そこまで考える人はいないのである
だから自殺するとかするとそれが自分だけのことではなく周りの人にも特に家族に影響してくる、やはり人間の生というのは人生は自分だけのものではないからそうなっている
自分だけで終わればいいのだがそうはならないのが人間なのである。

忍耐の岩にスミレや母思ふ

この句にふさわしいのが母だったなとつくづく思う
岩にスミレが咲いているのを見かけるからだ
自分も性格的ににているから石とか岩と一体なるように詩でも書いてきたことでもわかる地味な性格なのである。そういう気質も受け継いだのである。
ただ人間は生まれつきですべてが決まらない、社会という場で人間は人生は作られるのである。天才というのは例外なのだろう、資質的に特別恵まれているからそうなる
でも普通は人生は生まれつきでは決まらない、人生をどう生きたかで決まる
ただ母というのはやはり子供の犠牲になるということもある
一方で逆に子供を犠牲にすることもある、母性はエゴだという人もいる
そう感じて肉親を嫌う人もいる,でもやはり70年家に生きて死んだという重みは死んでも残るものだなと思った

俳句というとき過去の思い出と結びつく、イタチは子供の時自分の家で飼っていたのだ
でも母が毎日餌をやっていたのだが慣れることはなく逃げたのである。
なぜイタチを飼っていたかというと皮をとって売っていたらしい
戦後まもなく何も仕事がなくそんなことをしていたみたいだ
そういうことでも思い出がありイタチが偶然草むらから出てきたので俳句にした
だから俳句はこうして鑑賞するにもその説明がないと鑑賞できない文学だと思う
それはあまりにも短いからそうなっている