2025年01月16日

経済とは何なのか、人間の問題は総合的なものとして起きる 【政経学部があり政治とも不可分でありその範囲が広すぎる】


経済とは何なのか、人間の問題は総合的なものとして起きる
【政経学部があり政治とも不可分でありその範囲が広すぎる】

●経世済民の意味

経済をどみるか、これもわからない、第一経済学部を自分自身でても何も勉強していないからである。経済という学部の範囲が広すぎるのである。
経済という言葉は、「経世済民(けいせいさいみん)」を略したものです。

経世済民とは、「世を経(おさ)め、民の苦しみを済(すく)うこと」という意味です。

「経」には「治める、統治する」、「済民」には民衆を苦しみから救済するという意味があります。
経世済民は中国の古典に出てくる言葉で、世の中をよく治めて人々を苦しみから救うことや、そうした政治のことをいいます。
また経済は英語では「Economy(エコノミー)」と訳されますが、その語源はギリシャ語の「オイコノミア」で、家の家計(家政)を意味していました。
のちに近代になり、Economyに国家を意味する「Political(ポリティカル)」を加えた「Political Economy」という言葉が生まれます。

そもそも経済とは経世済民からきている。民を救うことが語原になっている。また家計からきている。
何か今の資本主義とか社会主義であれそうした大きな思想ではない、ただ経世済民というとき国家的なものであり政治として民を救うものとして経済があった。それは政治の一貫としてもあった
だから政経学部がある。政治として切り離せないものとして経済がある。何故なら日銀があるとしてその金利政策が経済に影響する。だから今度トランプ大統領になる時円高になるという学者もいる。それは経済と政治が密接に結びついているからである。

円高であれ円安であれ自由市場の原理で動くわけではなく政治で動かすことができる、第一グローバル経済など成り立たないのである。なぜなら世界的規模の経済となれば誰もそれを知りうる人はいないからである。アダムスミスの神の手に寄り導かれるなどありえないのである。そこに何かしらの政治的であれ国家的であれ介入してくる、だからトランプ大統領になれば関税が馬鹿高くなるとか操作されることになる。
政治的恣意で変わるのである。

そもそも明らかなことはグローバル経済で得するのは覇権国であるアメリカである。そこに世界の富が集中する。そのアメリカでも極一部の者に富が集中する。

さらに上位1%の超富裕層の所得は、世界の全所得の19%を占め、
成人1人当り年額32万1600ユーロ(約4142万円)を受けとっている

●大陸国家では富は独占された歴史がある

ただ大陸国家では富は必ず一部の者支配者に集中してきた
つまり中国なら国が巨大だから一将なって万骨枯れるとなる

将軍1人がその功績を我が物とすることを言います。 転じて、一人が功績を上げる陰で多くの人が犠牲となっていることの例えとして使用されます

中国の始皇帝は中国を初めて統一したがその墓は巨大な山であり地下まで宮殿を作っていた、つまり死んでも地下に葬られてもそこで贅沢しようとしたのである。酒池肉林の継続ともなる
こうして大陸では凄まじい格差が生まれた、民などは奴隷だったのが真実である。民の字の語原は目をつぶすとあるから怖いとなる。盲目にして民を支配するとなる。その富は奴隷によって築かれたのでありその矛盾も大きいものだった。だからこうした格差は別に昔から人間の歴史が始まってからすでにあったのである。

王の権力は絶大なものでありそこに富が集中した。それは世界的に共通している、ただ日本の天皇は例外なのである。それは大陸の皇帝とかとは成り立ちが違っていたからである。また日本では大陸のような富を産み出せなかったからである。
大陸では共産主義だろうが必ず大きな格差が生まれた。中国でも習近平は帝王であり巨万の富を隠しているという、外国に隠しているという。共産党の幹部も莫大な富を得ているのである
それは平等を目指す共産主義社会主義でも同じだったのである

日本ではそもそもそうした富を産み出せないからそれほど格差がうまれなかっただけである。
グローバル経済の富はアメリカに集中して世界的に巨大な格差が生まれる。なぜなら覇権国だから基軸通貨がドルだからそのドルを刷ればいいとなる。それはただの神でもアメリカが覇権国だから通用する。だからこそアメリカはドルの基軸通貨を維持したいのである、金は必ずロ−マ時代であれ皇帝の顔が彫られている
つまり支配の道具でありだからこそアメリカはドルを基軸通貨としてそれに反対する国を許さないのである。
ロシアとか中国がドルを基軸通貨とさせないと画策すると反対する。あくまでもアメリカの覇権を守りたいからである。

ローマ帝国が東西に分裂して通貨も別々になった 

●政治と経済は不可分―総合的なものとして問題が起きる

経済と政治は不可分なものである。なぜなら不況になると政治も不安定化して暴動が起きたり時の政権も倒れる、中国の経済が停滞してそれで習近平政権が危ういとされるのはそのためである
就職できない若者であふれ失業者であふれると時危険になる
それで支配者は戦々恐々となる。
日本も御上には従順な国民であっても物価高とかになればやはり不満が爆発して自民党でも選挙に負けて維持できなくなる
つまり経済と政治は一体なのである。経世済民というときそれはやはり政治でもあるからそうなる
実際にグローバル経済の自由な市場などありえないのである。

それは覇権国のアメリカによって操作される。ただグローバル経済はアメリカでも富の不平等を産んだ。中西部の工業地帯のはラストベルトとなりその人達の不満がアメリカ・ファーストになったからである。中国への関税を馬鹿高くするとかもそうである
つまりグローバル経済はそもそもを国自体を破壊するから当然そうなる。経済戦争に負ければ国自体が属国にもなる
そうした経済優先でいいのかとなったのがグローバル経済でありそれはアメリカにも影響したということである。

そもそも神の手に導かれる自由な経済市場は成立しない、それはサタンに導かれたとまでなる、世界の富が極わずかな人達に独占される。それが歴史上では継続したとしてそんなことが許されるのかとなる。
モラルなきグローバル経済は崩壊する。資本主義が終わるというときそうなる。何かそれが矛盾して自滅するとなる。それは何かバベルの塔のとうにも思える。アメリカが覇権国ななり世界の富を集める、それは形を変えた帝国主義だとなる
貨幣は人民を支配する道具でありだからこそローマ帝国が東西に分裂したとき貨幣もまた別々の皇帝の顔となった。それが今中国ロシアがアメリカと対立してアメリカの基軸通貨支配から脱することを画策する。つまり経済と政治は不可分なものである

●グローバル経済も公平なものではない

グローバル経済は公平なものではないしそこに政治が介入して操作される。そして経済戦争でも今度は本当の国と国の戦争に発展する。だから政治と経済は一体なのである。専門家の時代は様々な分野に分化したが人間の問題はは不可分にあらゆるものが結びついている。原発事故でも科学技術に政治と経済でも一体のものとして事故が起きた。なぜなら原発は現代の最先端の科学技術でありそこに政治があい国家的なものとして造られたからである。

また経済面から見れば地元に特に零細な漁業者に事故前でも多額の補償金が漁業権が強力な権利のために入って来た。原発とは経済的恩恵が大きいから地元でも誘致したとなる、それが事故で崩壊したのだがその補償金も莫大なものであったのだ
だから毎日十円でも安いものを買うことに苦労している庶民からするとその金のは驚くばりだった。除染でも6兆円なのかかかりそれをゼネコンが請け負ったのである。だから経済の問題として原発はあり政治の問題としてまた科学技術の問題としてあり一体だったのであり別々のものとして事故が起きたわけではないのである。

人間の問題は総合的な問題として起きる。様々な問題があったとしてもそれが必ず総合的な問題として起きる。それを象徴していたのが原発事故だったのである。それが単に科学技術の問題だけではないあらゆることが関係していたのである、政治の問題でもあり経済の問題でもあり科学の問題でもありあらゆることは関係していた。盲点は郷土史とも関係していたことである。
なぜならこの辺で400年前に生波〔津波〕で700人溺死と相馬藩政期に記録されていた。それもわずか二行であり学者の人も津波が来て調べて分かったのである。だから原発事故はこうして理系とか文系でも関係した総合的な問題として解析するものとなった。

ともかく経済というときアダムスミスの経済学が倫理学から始ったというとき人間のモラルとも密接に結びついていたのである。
道徳感情論でモラルに基礎とする経済学だったのである。それは資本主義がウェーバーの修道院で他者への奉仕として始まったというのと似ている、経済はモラルを基礎にして成り立つということでは共通している。だからこそグローバル経済がモラルなき経済というときもはやそれは何なのか返ってホッブスの万民の万民による戦い戦争にもなる、弱肉強食の世界である

資本主義は極わずかの何パーセントかの人が富を独占するシステムである。そこにウェーバーのキリスト教から発した他者を救済する労働などではありえない、むしろ他者を外国でも奴隷にするシステムである。確かに軍事力で従わせないがアメリカは覇権国であり軍事力がその背景にあり金融もドルを基軸通貨として支配できる。つまりアメリカ帝国主義資本主義であり大英帝国の世界支配と似ていたとなる。






posted by 天華 at 10:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2025年01月15日

2025新年 万寿菊


2025新年 万寿菊

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大輪の菊一輪に三輪の万寿菊そえ新年を祝う

万寿菊は名前がいい、これは長寿の花である、長持ちする花である。新年にふさわしいとなる。
百歳まで生きる時代になるとき万寿菊はふさわしい花だとなる
私の母hは百歳生きた。でも姉は85才で死んだ
なぜ母が100歳生きたのか?細身であ丈夫な人ではなかった
ただ血管が丈夫でありそれが影響した。なぜなら72才くらいで脳梗塞になり歩くこともままならぬ女性がいる。そして糖尿病にもなっているからである
糖尿病というとき血管を悪くするから目も悪くなる
体全体に影響するから寿命も短くなる

ともかく私の幸運は二人の母親に尽くされたことだった
こういうことはなかなかないだろう。争う家族でもあったが私にとっては良く作用したのである

なぜその母親の息子が母親の介護で虐待のようになっているのか、それはやはり粗末に扱われたからだともなる
その事情はわからないにしろそんなに冷たくするのはそれなりの事情がある

いずれに今年一年も親が残した大きな家に住めることは幸福である。何らかで親の影響は大きいことは確かである。
私が自由に生きられたのも親のお蔭だったからである。

2025年01月14日

2025新年松川浦相馬城下町


2025新年松川浦相馬城下町

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冬の浪飛沫き灯台沖に船
松川浦船の帰るや冬鴎
新年や参る神社に錦鯉〔八幡神社〕
六万石城下に時雨我が帰る
ニ三人城跡訪ね冬の暮
新年に白鳥飛ぶや道の駅

市〔街〕に来て若き女性の声ひびく冬の椿の窓の外に赤し


松川浦を回り相馬市の城下町に来た休み八幡神社の錦鯉を見て道の駅により帰った。
時雨に濡れた、自転車だと風を受けるし雨でも受ける、ただ時雨を感じるときは車ではできない、風も感じない、自然を感じないのである。そこは密閉された空間になるからだ
また車の人とは対話しにくい、閉ざされた空間にあるからそうなる。

ともかく2025年は始まった。今年はどうなるのかいいことを言う人はまれである。私自身のバイオリズムは悪くない、これまでしてきたこと学んできたことの総まとめである
ただ年齢的には厳しくなる。

今年も書き続けますのでよろしくお願いします

2025年01月13日

新津は鉄道の街だったー栄枯盛衰は避けられない 【交通の変化と栄枯盛衰ーIT、AI社会の変化】


新津は鉄道の街だったー栄枯盛衰は避けられない

【交通の変化と栄枯盛衰ーIT、AI社会の変化】

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三つの路線が交わる新津

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街がシャッター通リになり寂れている

●鉄道で栄えた新潟県の新津

南北朝期からの地名[。地名の由来は近くの古津の港が衰え、新しい港津となったことによる[4]。1889年(明治22年)まであった新津村の区域の一部。

新津の印象は津川から来て新津で鉄道の路線が三つ交わっている。だから鉄道の街ともなっている。また石油が取れたので労働者も集まり遊郭もできて栄えた。石油で栄えたというのはめずらし。石炭で栄えた街は多い、福島県でも常磐炭田があり石炭がとれて栄えた。明治とかでは仙台市よりいわき市の方が人口が多かった、鉄道自体が北海道でも石炭を運ぶために作られた。小樽などでもそうである。そもそも蒸気機関車は石炭が燃料だった
石炭は今の石油だったのである。

何か街の盛衰は交通とも深く関係している。最初に古津が栄えた。次に港が代わり新津が栄えた。ただ同じ地域でも古町と新町があり必ず栄える場所が移行している。
それより新潟県自体が明治の最初は東京より人口が多かったのである。これは意外である。新潟は江戸時代は北前船で栄えた。でもなぜ東京より人口が多かったのかとなる。江戸時代は別に江戸中心の経済ではない。江戸は何か生産するというのではなく大消費地だった。地方は米など主要なものとして生産地だった。
新潟は明治以降も外国船の寄港地として日本全国で5つくらいあり商業が盛んだったとなる。

津川を冬に行った時はそこに阿賀野川の川の港があり栄えた。つまり川も交通路であり栄えたとなる。それが鉄道が交通となった時北前船の港は寂れたとなる。鉄道が主要の時代になったからである。新津でも国鉄に勤める人が六分の一もいたとなるといかに鉄道が働き口になっていたかわかる。必ず駅前には国鉄の官舎があり国鉄で働く人が住んでいた。私の組でも10軒くらいでも2軒が国鉄で鉄道関係で働いていた
だから社会党が野党としてあったとき国鉄の力を背景にしていたのである。その後車社会になったのはその支持する国鉄がなくなり衰退したからである。

●IT社会に遅れた日本の衰退

ともかく交通による栄枯盛衰はある。私の店が戦後繁盛したのはただ角にあり場所が良くて繁盛した。歩く時代だから近くで用をたしていたからである。歩く時代があり鉄道の時代があり車の時代がありと交通の変化で栄枯盛衰がある、また石炭が取れたとか石油がとれたとかでも資源があり栄枯盛衰が生まれる、人間社会にはこうして常に栄枯盛衰がさけられない、相馬市から東北中央道ができて前の道路の食堂などが石戸の一軒を残して消えたのもそうである。

技術の変化でも栄枯盛衰がデジタル化するとIT、AI社会になると新聞テレビでも衰退してインターネットが通信の主流となりyutubeを見てテレビは見なくなる。新聞はそれを刷ったり配ることでも大変な労力であり金がかかりすぎる。今新聞配達は老人がしている。今や新聞でもテレビもオールドメデアになった
個々人がテレビ局にもなり新聞社にもなり出版社にもなる、その変化も大きいものだった。

何か怖いのは別にパソコンなどできなくても困ることはないとか言っていると技術的に取り残される。その人がオールドメデアの人間であり情報も操作されたもので新しい情報にアクセスできない問題が生まれる。
つまりそこで時代から取り残されたようにもなる。車が運転できないと地方では仕事もできないとかなる。
だから私自身車を持っていないから身内が交通事故で死んで自賠責とかも知らないで困ったことでもわかる、それが知らないですまされなくなる、つまり時代から取り残されることになる。

だから今AIが進歩して仕事がなくなるというときもそうである。
そんなものたいしたことがない、人間がやはり主役だとかいっていると会社でも高度な知的仕事でもこなして専門職でも人間に置き換えられる。だからAIが絵を作り詩まで作ることに驚く、それは相当に高度なものであるから不思議だとなる
こういう技術の進歩は常にあり世界を変えて来た、だからその技術から遅れると世界でも競争に敗れて日本でも衰退国家になる
日本はIT分野で遅れたからである。

●栄枯盛衰は避けられない

確かなことはは交通とかは栄枯盛衰と深く関係している。北前船で米相場とかり情報がもたらされて儲けたとかある、それは情報が船でもたらされたからである、今なら情報は瞬時に無線であれ有線であれもたらされる情報社会になった。

それにしても新津の街も廃れている。鉄道な町と言っても今は鉄道は利用しない。だから会津若松から新津まで行くにも便数が少ないから難儀する、
今になるとバスの方が便利になる、ただ私は鉄道が好きなんで敢えて乗るとなる。電車から見る風景とバスから見る風景が全然違っているからである。
ともかく人間社会は同じ地域でも古町があり新町がある。栄える場所も変わる、石炭から石油の時代にもなり大きく変化した。
この辺は原発で栄えても原発事故で街自体が廃墟化した。だからこうして栄枯盛衰は避けられないのである。

それは別に一地域だけえはない世界全体でも栄枯盛衰がある。イスラム諸国はヨーロッパより栄えて白人が奴隷として売買されていたとかある。これも信じられないことである。ある国が栄えてある国は衰退して没落する、西洋の没落とかもあり常に世界的にも栄枯盛衰がある。それがあまりにも現代では早すぎる、中国が繁栄していたとかなるとまた中国は衰退して貧困国に逆戻りだとかなる。それは日本でもそうである、ただ日本の場合は高度成長時代から失われた30年があり変化できなかった。
そして日本も貧困国家になると言われるしそうなりつつある。
そういうことは常にあった。三日見ぬ間の桜かなー三日見ぬ間の枯木かなともなる。人間もまたそうなのである。若い盛りはたちまちすぎて老人になり枯木となってしまったということである。



posted by 天華 at 19:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2025年01月12日

朝に蔵王がはっきり見えたから新年にふさわしいーAIが作る雪の山の詩 【福島県南相馬市からも見える】


朝に蔵王がはっきり見えたから新年にふさわしい-AIが作る雪山の詩
【福島県南相馬市からも見える】

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新年に真白く雪に覆いたる朝日さし映ゆ蔵王望みぬ

朝に珍しく曇っていたけど蔵王はきれいに見えた。蔵王はなかなか雲がかかっていたりしてはっきり見えないからめずらしいと思った。
曇っていても蔵王にだけ陽が射して明るくなっていた。
蔵王は確かに山形県と宮城県と福島県から見える

みちのくをふたわけざまに聳そびえたまふ蔵王の山の雲の中に立つ 斎藤茂吉

みちのくと言ってもこれは福島県と宮城県と山形県である。
福島県でも浜通リの南相馬市の鹿島区までは見えるが原町区となると見えない、だから幸運だとなる、なぜなら浜通リは高い山がない、最高で400メートルの鹿狼山しかないのである
それで何かものたりないのである。会津となると同じ福島県でも遠すぎる

ただ蔵王は山形県からみてもきれいに見えない、太平洋岸から見るときれいに見える。ともかく高い山があるところはその山が心に反映する。でも雪の日が多くはっきり見える日は本当に少ない、雲もかかりやすいからである。
今日朝にはっきり見えた蔵王は気持ち良かった、新年にふさわしかったとなる



雪の山

静寂の中に響くは、
雪の舞う音すら遠く、
白き山々の頂きに、
天の息吹が宿る。

氷の息吹を纏いし、
その姿は威厳を放つ、
古の時を越えて、
静かに語りかける。

空を飲み込む高さに、
星々もひれ伏すだろう、
月の光を浴びながら、
雪の王国は眠る。

風が囁く、氷の詩、
冷徹でありながら美し、
その厳しさの中にこそ、
命の力を感じる。

雪の山よ、お前は誰か、
遥かな遠い記憶か、
それとも未来の夢か、
ただ一つ、永遠の存在。



なぜAIが詩を作るのか?これは明らかに詩であり誰でも作れない
詩を日ごろ作ている人もつくれない、どういう仕組みで作っているのか謎である
AIはまだ何かわかっていない、詩となると相当に高度なはずだが作っている
詩など全く理解しない人が多いというとき不思議になる
たいがい詩について語り合う人などいないからである。
AIは芸術の分野にも深く入り込んでいるのか謎である

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2025年01月11日

2025新年の詩

2025新年の詩

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2025新年の詩

崇高なる山よ、威厳に満ちたる岩よ
年古り賢者は俗を離れ棲む
そが語るは真言、ロゴスなれ
重々しく打ち響き調和を示す
雑音はなくその絶妙なる神の指揮
そこに乱れなき統一がある
岩と岩は山と山が荘重に響き合う
峰々は高く連なり天に聳える
木は強く根を張り神殿の柱ともなる
大空に高く高く鳥は飛翔せよ
大海の彼方に大陸の境を越えて
地球は一つ俯瞰して遠望せよ
その羽ばたく翼の力強さよ
彼方へ彼方へと飛翔する
その力の増すとも衰えざれ
未だ見ぬ花を島に発見する
波は打ち寄せ轟き脈打つ波動よ
新年の太陽は喜々と輝き昇りぬ
神は新しい業を示すだろう
神の国を目指して心高鳴る
そこに賢者は集い新しい国造り
アテナイの学堂にも似て
共に計りてうむことを知らない
そこに神の力が加えれて
神の御意なる荘厳な都は成りぬ
そして神への讃歌が止まず響きわたる
大合唱は全地に鳴りとよむ


O sublime mountain, majestic rock
The wise man of old has left the mundane world to dwell here.
He speaks the true word, the Logos
That echoes and echoes and echoes in harmony
There is no noise, but the exquisite divine command
Therein lies the undisturbed unity
Rock to rock, mountain to mountain, they resonate in majestic harmony
Peaks soar high into the heavens
Trees are strong with roots and become pillars of the temple
High in the sky, high in the sky, let the birds soar
Beyond the oceans, beyond the borders of continents
The earth is one bird's eye view in the distance
Let the strength of its flapping wings
Soaring onward and upward
May its power increase and yet not diminish
I discover a flower on an island that I have not yet seen
Waves crash and roar, pulsating waves
The New Year's sun shines with joy and rises
God will show us new works
Our hearts soar toward the Kingdom of God
Wise men will gather there to build a new nation
Like the school of Athens
Together they measure and know not what to do
God's power is added there
God's will, the majestic city is done
And hymns of praise to God resound unceasingly
A great chorus rings throughout the land

Translated with DeepL.com (free version)






2025年01月10日

時間とともにチャンス〔機会〕も失われる 【何かをする時間が失い気づくー無常迅速を知れ】


時間とともにチャンス〔機会〕も失われる
【何かをする時間が失い気づくー無常迅速を知れ】

空間軸と時間軸で考えてきたが人間の盲点は時間軸で起きることがわかりにくいと考察して来た
何かのチャンス機会は空間軸でも起きる。でも時間軸でもチャンスが関係している。それがわかるのは老人になると否が応でも思い知らされる

なぜなら別に空間軸なら老人になっても旅行でもできる、でも時間を戻すことはできない、子供時代に戻ることもできないし青春時代にも戻ることはできない、何か共にする時間も失う、家族を考えるとそれは時間を共有した人であり別に血縁関係でなくても長く一緒に暮らしていたら家族になる

動物でも子供が親がいなくなったとき犬でも猫の親になったりとか他にもある。それはそのとき子供の時親代わりになったからである。では実の猫の親がいたとしても親と認識できなくなる
子供の時一緒にいることが家族になったとなる。
ともかくその時一時期でも時間を共有したからそうなった

でも人間の時間は限られている、友達になりやすいのは若い時でありその時利害関係で結ばれるのではなく何か一つの目的とかありそれを目指して共同するということがある
ただその時利害が入ってくると不純なものになる。それで社会人になると利害で結ばれるから学生時代とは違うとなり友情とか育まれないとなる。利害と関係ない一時期がありそこで友情も育まれる
それも一時期であり短いのである。学生時代は社会人として生活するよりずっと長いからである。

人間の盲点は時間を機会をチャンスを軽く見ることである。時間などいくらでもある。それより金が欲しいとなるのが普通である。
金があればいろいろなことができる、金がなくてできない、本を買って読みたいとしても金がかかる・・・そういうことがきりなくある。でも時間のことを考えないのである
老人になると金があっても何かする時間がないとなる。そして何かする時間が無くなりそこで失われた時間に貴重さを知る

求道とかは若い内にするものでありその若い時期も短く失われる
だから若い内神を知れとなる。その時期を失うと神を知ることができなくなることは怖い、ともかく最も失いやすいのが時間だとなる
何かスキルを身に着けるのにも時間がかかる、だから前は大工になるには親方に弟子入するのに18才では遅いとなっていたのである。若い内でないとスキルも身に着かない、鉄は熱い内に打てとなる

老人になりかつての同級生とかあって話しても何か噛み合わなくなる。それは空間が同じ地域に生きても別々の時間を生きていたからそうなる。仕事も多様だからその人が何をしてきたのかも理解できなくなる。それは空間も確かに関係しているけど何かを共にするとかの時間が失われたのである。

それは結婚でも時間の作用が大きい、共に生活する時間があって夫婦になる。そして結婚というときその人が性格がどうのとか様々な見方があっても大事なのは出会う機会だったとなる。そのチャンスは若い時期でありその時期を失うと後はなかなか出会うということもなくなる。

それは空間軸で近くにいるとかが関係しているのではなく時間軸が関係している、いくら近くても若い時期に会わなければ結婚にはならない、別に遠くても今なら特に出会い外国人で結婚しているからである。むしろその時期に出会うことが大事なのである
確かに空間軸が関係しているが時間軸の方が重要だとなる

青春とか若い時期は短いからである。それで親は娘の婚期に煩いのである。たちまち美貌も失うからである。
人間に与えられた時間は短い、青春でもたちまちすぎる。あっという間でもある、それとともに何かをする時間も失う
70以上になるとスマホも操作するのも覚えるのも大変だとなる

それで時流に遅れる、情報社会になったとき新聞テレビはオールドメデアとされるからである。私自身はたまたま引きこもりで時間がありワープロ時代から通信機能がついていたのでパソコン通信していたのである、それでも40以上くらいでありその時ひろゆきは2チャネルを主催したように20代の人がはじめていたのである。

今はすでに50以上になっているから時間が過ぎるのは早いのである、。今や70以上になれば死が目の前になっている、もはや何する時間もないとなる。つまり人と出会うというよりさよならだけが人生だとなる。もはや死んでゆき永遠に会わないというのが非情な現実なのである
だからこそ無常迅速というときそれは何かをする時間が消失する

神仏であれ求めるなら若い時期だとなる。その他のことでもいかに時間が大事か老人になると思い知らされる、なぜなら時間は戻すことができないからである。不思議なのは空間なら老人でももう一度行くことができる、でもタイムマシンに乗って時間をもどすことはできない、同じ場所に行ってももうそこで時間を共有することはなくなったのである。
だから歴史がわかりにくいのは時間軸で理解できないからである

ローマ帝国が作られた場に今でも立つことができる、でも時間軸で起きたことを理解することは至難になる。2000年前に起きたことを理解することは本当に難しい、人間は十年前でも起きたことでもあいまいになり忘れるからである。そして新しい事件が次々に起きてそれに心を奪われて前のことを十年前でも十年一昔というように忘れるのである

だから私がプログであれホームページであれ始めたのは25年前とかなる。それで自分で書いたもの読み返してこんなこと書いていたのかと自分で感心しているのも不思議なのである
つまり人間はこうして文章に書き記録しているからまた自分の書いたことでも思い出して確認できる。そうでなければやはり自分自身の書いたものでも忘れるのである。




2025年01月09日

飯館村、相馬市玉野村の変化−東北【福島】中央道で旧道となった道 【山村が失われるてゆくー日本の多様性が失われる】


飯館村、相馬市玉野村の変化−東北【福島】中央道で旧道となった道
【山村が失われるてゆくー日本の多様性が失われる】

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館東とありこの館は鎌倉時代のものであり地名化した


原発事故で3月21日に原乳が出荷停止となり、搾った原乳を捨てる日々が約1カ月続いた。「牛乳が出せないからお金も入らない」と仲間たちにこぼした。男性が所属するJAそうま酪農部会の酪農家28戸のうち、営業を再開できたのは16戸だけだった。

知人らによると、男性はフィリピン人の妻(32)と長男(6)、次男(5)の4人暮らしだった。そろいのヤッケを着た妻が、牛舎で牛の世話を手伝った。



NHKの放送-絹江さんと春江さん 浪江町津島をあきらめない
 【地理がわからないと何でも実感できないー津島の岩の墓】

相馬玉野メガソーラー】山林大規模開発への懸念

福島県相馬市玉野地区に廃校を利用した新たなウイスキー蒸溜所が操業予定

●飯館村は縄文時代から生活があり古い玉野村は新しい

飯館村の歴史は古い、何故なら縄文中期に遺跡の発掘がありまた木戸木〔ことぎ〕に住んでいた老人が石器を発見したとか聞いた
採集狩猟の生活があり古い、海岸地帯より古い、明確な歴史は鎌倉時代に南相馬市の鹿島区の屋形村の岩松氏の所領になっていた
鎌倉時代から明確な歴史がある。館という地名があるがそれは中世の鎌倉時代にさかのぼる。

飯樋は東日本によく見られる地名で、池の水を田地におくる設備のこと、「比曽」は「檜の生える土地」という意味だと思われる。「佐須」は「焼き畑」を意味する言葉から来たもので、美方郡香美町香住区の「佐津」という地名が由来であるらしい。「大倉」とは「大きな倉」ではなく「大きな崖山」という意味だと地形図から読み取れる。「新舘」の「たて」は、「射楯(いたて)」の意味で、「伊達」と同語源で、住吉神社系統の海神を「イタテの神」と呼んだことに由来し、西日本(播磨国など)からこの地に移住して開墾したものと推定される

これもくわからない、佐須は焼畑地名であることは確かである。
それが「佐津」かたきているとはならない。佐須という地名は多いからである。

大倉御所(おおくらごしょ)、または大蔵御所・大倉幕府(おおくらばくふ[2])は、鎌倉時代の相模国鎌倉大倉郷、現在の神奈川県鎌倉市二階堂・西御門・雪ノ下3丁目一帯にあった源頼朝の邸宅

鎌倉から来た岩松氏が最初に南相馬市鹿島区を支配して飯館村まで所領としたから大倉はそこから名ずけたのかもしれない
鎌倉も崖が多いからである。

相馬市の玉野村となると相馬藩でも新しい、江戸時代に入植して玉野村になった。そこは伊達藩、米沢藩の境でありそれで木材資源をめぐり争いがあった。
玉野村は鎌倉時代までさかのぼるものはない。ただ八木原という地名がありすでに古代から安曇氏系統の八木氏が焼畑をしていて松川浦から入って来た。飯館村の山津見神社と綿津見神社は目立ている。つまり最初は焼畑をするために入って来た海人族がいたのである。飯館村の佐須とは焼畑地名であり山津見神社がある
また浪江町の津島村も途中に大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)があった。

大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)は、大山祇神を主祭神とする『三島・大山祇信仰』の神社。1973年現在、北海道から鹿児島県まで全国に897社存在する。また、1995年の神社本庁の調査では293社、2019年の金沢工業大学の調査では960社存在するとされる。大山積神社、大山津見神社、山積神社、山祇神社、山住神社

これは安曇系海人族の神社である。ただ玉野村となると江戸時代になり開墾された場所である。だから飯館村と比べると新しい場所だったとなる。

いずれにしろ飯館村の領域は広い、だから未だに知らない場所がある。玉野村は広い場所ではない、飯館村だと戦後引揚者が入植して一万人に人口があったことに驚く、その後6000人に減ってもそれだけ多かった、玉野村一時1000人くらいあ人口があっても今は200人程度とか少ないから限界集落にもなる

でもそれなりに人口があり学校があった。その校舎も使われていない、飯館村には相馬農業高校の分校があり今の新しく作られた道の駅からその校舎が見える、その廃校が何とも淋しい感じになる。それは全国的に学校が廃校になり子供がいないのである
分校が辺鄙な村にあったのは国で援助していたからありえたのである。

●長野県の八坂村生坂村の廃校の宿

私は長野県の八坂村なのか廃校に泊ったことがある。それも奇妙な経験だった、校庭が見えて山また山であり坂が多いから自転車で難儀したのである、ここで子供の声があり賑わっていたとみる
本当にこうした廃校が多くその前の店をしている家では何か依然として学校で時を告げる鐘なのか音楽を流しているのがひびくのをテレビで見た。それも何かわびしいとなる

残念なのは玉野村は山ごとソーラーパネルになりまた廃校になった学校をウイスキー工場にする計画があるという、これも何かいいとは思えない、でも昔のように自給自足の生活もできないから
現金収入がないとその場で生活できなくなる。そして原発事故の影響はあまりにも大きかったのである。飯館村で6000人の人口があったとしても今は千人くらいでそれもほとんど老人であり子供はいないのである。学校は廃校になり別のところで学校に通っているからである。また放射性廃棄物の処理場になるとかそれもいいものとは思えない。

玉野村はもともと飯館村と比べると規模が小さい。だから本当に200人くらいしか住まないとしたら消滅の危機にある。だから今は何か木材で炭焼きしたり山菜を食べたり周りにあるもので細々と生活することはできない、ではその代わりに何になるかというと放射性廃棄物の処理場とかウイスキー工場になるのかとなる。するとその村の良さというものは消失してしまう
ただ不思議なののは身の回りにあるものを利用して竹細工であり藁細工でれ自給自足の生活をしてきた。そのとき電気などは使っていないのである。

ともかく阿武隈山地の村々は限界集落化して消滅するのかどうなる。それは何をもたらすのか何か人間の生活の多様性が失われ旅をしてもつまらないとなってしまう。本当にそういう場所は村は秘境であった。そうした秘境のような村は日本でも至るところにあったのである。浪江町の津島も相当に離れていて本当に秘境だったのである。そういう村々が日本から失われていくとき何か
精神的には貧しいものになるかもしれない。
海彦山彦の山彦の世界が消失してゆく、その生活の多様性が失われ何か画一的なものとなり都会的になり精神も養われないとなる。

八坂村の廃校の宿

犀川のうねりつたぎつ 流れを沿い下り 
大岡村や生坂村や 八坂村の山深く
あまた咲きしは木槿の花 その花におおわれ
我は入りにき 今日の一夜の宿はあわれ
廃校となりし村の 小学校の改築の宿
ここに六年生の教室と なつかし泊まる卒業生
窓辺に流れのひびき 校舎の廊下をきしみ歩みぬ
窓辺に寄りて外ながむれば 赤とんぼとぶ山の学校
かすかに虫の音や 校舎は古りて生徒はなしも
その山の道の辺 刈り入れの農婦ありにき
道の辻には地蔵や 昔なつかし何語る
童の遊ぶ声もひびかむ 野に山に川に
祭りの太鼓も笛の音も 野に山に森に
村の墓所には女郎花 我がしばし佇みぬ
山々は打ち重なりて 村は閉ざされしかも
八坂村の坂をし上れば 誰そその墓の主や
我を見送る影のありや 我は汗かきかき坂上る
ああ また来てくれと その影は別れを惜しむ
ああ なつかしき日本の国の 昔の村を思うかも
旅人はるか大町へ 坂を上りて去り行けり

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玉野村の小学校の廃校

こうした村が失われてゆくことは何か日本の欠けるものが生まれる、どうしても東京とか一千万人も住んでいることが何なのかわからない、人間が住める場所なのかとも見る
明かなことはそういう村でも人は住んできたのである。
そこで生きられないということはなかったのである。
都市にばかり人が集まることは何か異常な現象なのである。
でも現実は今の時代は住むことが容易ではない、でもそうした村々がなくなることは多様性がなくなることであり淋しいとなる

●外国人の嫁が山村にかなり入って来た時代

外国人が入って来て多様性が生まれるからいいというけど日本の中での多様性が失われてゆく、玉野村、飯館村などは原発事故で維持がむずかしくなる、だから森林公園にすればいいとかにもなる、でもそこに人の暮らしがなくなることは何か大きなものが欠落してくる。都会ばかり旅してもつまらないとなる、でも旅することは遊びだともなるからまた別問題になる。

それでもソーラパネルとか放射性廃棄物の処理場とかウイスキー工場とかの村はもはやかつての村とは違ったものとなる
ただ旅人の視点から見るだけだからそんなことは通じないともなる。そういう村は旅で行くならいいのである。でも住むとなると人間でも嫌な人がいても付き合わなわけにはいけないしその人間関係も閉塞的になり息が詰まるようにもなる。
何かそうした村とかなると常識も礼儀も通じない異常な人が普通にいる。それで推理小説で奇怪な事件が起きることがドラマ化する。それは余りにも狭い人間関係で生きているからそうなる。
そうした場所から逃れられないからそうなる。

不思議なのは浪町の津島でも中国人の嫁が来て夫を鉈で襲った事件があった。こんな山奥に住んでいられないと不満が爆発したのである。外国人の嫁をもらった人が本当に山村では多い、飯館村の木戸木〔ことぎ〕でもフィリピン人の嫁がいて40近くになっている。すでにそういう時代があり歳月が過ぎた。
玉野村で乳牛を飼う人がフィリピン人の嫁をもらっていて原発事故で放射性物質に汚染されて生活できないと自殺した。
それも原発事故のもたらした悲惨な例である
飯館村は避難区域になり相当な補償金が入った。それで家を新築しりした人が多い、でも相馬市とか玉野村でも丸森町でも原発の補償金は微々たるものでありそれで不満があった。放射性物質の汚染はそれなりにあったけど30キロで区切られたからである。
玉野村は飯館村の隣なのだから相当に汚染されたと思うからである

●サイクリング道路にはいい玉野から霊山への道

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空家化した玉野村の旧道 若木神社があるのは伊達藩と相馬藩の境にあるから

ともしくも共に生きなむあわれかなその生業や干し大根かな
飯館村冬に行かじも暮らしあれともしくもあれ春を待つかな
玉野村トンネルぬけて遠きかな暮らしの荒れや冬に思いぬ
玉野村境にあれや街遠く家並み古りて冬の日暮れぬ
井戸に蔵残しあわれ玉野村ここに刻みし歴史かな

玉野村の境の村に家並みがありそこに一軒の家が空家になっていた。蔵があり井戸があった。ここにも暮らしがあったとみる
やはり何代かここに住んだことは確かである。でもこうした空家山村でなくても街内でも多いのである。その数も一千万軒にもなるとか大問題なのである、その一軒一軒の家の歴史も失われるとなる。何か活かす方法がないのかと思う
旅人だとそうした空家を休憩所にすればいいとかなる。
なぜなら福島中央道ができた結果そこは車が通らなくなったからである。サイクリング道路としては最高だとなる。車が通らないから道の真ん中でも自由に走れたからである。
バイクでも車を気にせず飛ばしやすいとなっていた。
福島中央道ができた結果旧道化して休息する場とか食事の場がなくなったからである。

古い井戸があり蔵がありる空家
誰が住んでいたのか玉野村の家並み古りぬ
しばしここに休めと茶でも一杯飲む
秋の夕日のさして碑は並び古りぬ
そこは昔の宿場町や旅人は去りぬ

posted by 天華 at 16:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2025年01月08日

俳句短歌連作冬深む


俳句短歌連作冬深む

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二本の木の根露わに冬深む
二本の木の落ち着くや冬深む
この道に列なす樹々や冬深む

神殿の柱の如く根を張りぬ木々にしあれや冬深まりぬ
遺影にそ熱き茶献げ我が家を一人守るや冬深まりぬ
親残す家にしあるかな我が住みて守るべしかな冬深まりぬ
我が家の廊下の広く日向ぼこ我を育む家にしあるかな

冬深むでは相当に俳句を作ている、プログで便利なのは検索できることである。【冬深む】で相当の数の自部の作った俳句が検索できる。そして何か自分の書いたものを何であれ忘れている
そしてこんなこと書いていたのかと自分自身で感心しているのも不思議である、ともかく人間は忘れやすいのである。
冬深むというときこれは田舎に住んで感じることである。
木をテーマにしているが木が大地に力強く根を張っている

公園の二本の木は根が露わである。だから都会でも感じないことはないがやはり感じにくいとなる。
ともかく木を見ていると落ち着いてここに動かず根ずいていると感じる。それで見ている方も心静まる。木は神殿の柱になるのもわかる。整然として列成す樹々はまさにそうである。
冬深むは一月後半からかもしれない、今日は寒くなって来たからふさわしいともなる

2025年01月07日

仙台市は観光では魅力がない 【仙台市でも人口が減るー仙台市とつながりが深い相馬地域−広域化する社会】


仙台市は観光では魅力がない
【仙台市でも人口が減るー仙台市とつながりが深い相馬地域−広域化する社会】

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観光の新しい時代を」 郡市長が年頭の訓示 
11月から宿泊税導入へ決意示す〈仙台〉

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●自然景観
●歴史
●現代的実用的魅力

仙台市は自然景観でも確かに広瀬川が流れていいて青葉城恋歌などがヒットした。広瀬川が自然景観となっている。
また歴史としては伊達政宗の城下町となっている。でも青葉城には城がないので何か大きなものが欠落している
ただ石垣の反りが厳しくその下を広瀬川が流れ響く、

広瀬川早き流れや青葉城反りの厳しく燕来るかな

とかなる。そもそも日本の歴史で魅力あるのはやはり城が中心になる。でもその城にしても石垣しか残っていないとかなる
盛岡城は整然と石垣が残りその間を行くと岩手山が厳しく迫る
自然景観とマッチする、今外国人に人気がでてきたということがわかる。仙台市は交通の要所としてあっても何か自然景観歴史的魅力に欠けている、城下町といっても街を歩いてもそれが感じられない、それは日本では共通している、外国だと新市街と歴史地区旧市街があり分けられてる、でも日本だとそれも明確ではない、だから何か歴史を感じにくいのである

仙台は東京から会社の支店が集まるビジネス都市であり観光都市となりにくい、ただ経済的には拡張したのである。
それと十年前以上になった東北大震災で人口がまた集中した、何か小高で不動産の仕事していた人が仙台に移住して仕事をするよういなった。その親も70過ぎて原町に住んでいたが病気になり仙台市の病院に入院したのである。一人で住んでいたから息子の仕事している仙台市に移ったとなる

不動産というとき阿武隈川を挟んで岩沼市から不動産の価格が倍になると仕事している人が言っていた。岩沼市までは仙台圏でありまた亘理とか山下でも通勤圏にもなる
その仙台市でも百万都市でも人口が減少するという、それだけ少子化は深刻なのである。

ともかく仙台市はビジネス中心の都市であり何か観光としては人を集められないとも見る。何か目立つものがないのである
ただ松島は自然景観として優れているから観光客は来る。歴史的にも瑞巌寺とかと観瀾亭か観光の魅力がある
でも仙台市だけを見ると観光する魅力がないのである。だからインパウンドの外国人を集めるのが難しいと見る、つまりありふれた特徴のない都市に見えるからである
それでも城下町である

青葉城のたもとや暮れむ夕桜
並木道若人行くや青葉かな

とかになる。自然的景観として並木道の街路樹はいい。仙台市だと若い人が学生でも多いからそれで活気をもたらしている。何か地方都市とか田舎になると老人が多く若い人がみかけないからである。それでも他に何か特徴がないのである。

とにかく仙台市までが人口が減るのかとなる、日本全体が縮小していく、交通でも常磐線でも一時東北大震災で原町までしか通じなくなった。その時二両の電車が行き来して仙台市まで通じたが
原町からいわき市へが通じなくなったのである。相馬藩の地域は仙台市とかかわりが深いがいわき市の方はかかわりが薄いのである。現実に東北大震災以降確かに屋根瓦を直したのはいわき市の会社だった。
それからユニットバスを直したのは優創建という会社であり100万だった。それはいいものだった。地元だと300百万かかるとか言われた。なぜそんなに安いのかと聞いたら仙台市は競争が激しいからだと言っていた。

またなぜ仕事の範囲を拡張しているのかとなると常磐高速道路できて車で来やすくなったからである。正月のトイレが壊れた時も
郡山の会社の人に頼んだのである。東北自動車道路ができてこれも広域化するsものとなる。福島医大に行く人が時間がかかって困っていると聞いたが高速を使えば福島市も近くなったのである。

このように広域化社会になり遠くの会社とも競争が強いられる知られるようになっている。グローバル化でもすでに世界との競争が強いられているのである
とにかく仙台市はビジネス都市であり観光では魅力がない、だからインバウンドで外国人の観光客を集めるのはむずかしいとみる
観光には自然景観と歴史がマッチしないと魅力が出ない。二本松市は山城を原形として自然景観に恵まれているから魅力がある
それでも城と言っても城門はあるが屋敷のようなものしかなかったとある。でも自然景観と一体となっているから魅力がある

【2025新年東北讃歌の詩−松島など】
 北上川は盛岡から岩手山を経て石巻に流れる




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posted by 天華 at 21:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2025年01月06日

宗教は山を聖として修行から始まった―真言ロゴスを追求 【モーゼの十戒、山岳宗教の天台宗も同じ】


宗教は山を聖として修行から始まった―真言ロゴスを追求
【モーゼの十戒、山岳宗教の天台宗も同じ】


聖なる山の創成

熱いマグマが地の底から噴き出す
轟音を響かせて天地に鳴りぬ
その形成された大いなる山の力よ
天を衝きその優美な姿は形成されぬ
一本筋を通した不羈なるもの
太陽は輝き昇り山に映えぬ
烈風が山頂に唸り吹きつけ
氷河にも閉ざし人を寄せ付けぬ
しかしまたその愛らしい花々を咲かしめ
純粋無垢なる美に飾る
その強固なる硬い岩の真実
億年の風雪を帯びて山は威圧する
厳正厳粛泰然自若として不動
銀河の星々を飾りとして
強靭なる峻厳なる山は天地に映えぬ
神の奇しき業の成就
その畏怖すべき現存の迫力
厳格に山は荒肌を見せて閉ざしぬ

沈黙の大岩

沈黙の大岩は動ぜず
清流のひびき流れ
凍星はかなたに煌めく
徒事(あだごと)を言わず
真言を語れ
ロゴスを語れ
そを岩に刻め
聖なる山から
十戒を携えて
モーゼは山を下りぬ
その岩石の険しく
その厳格なる戒め
神より授かるもの
神に召されて汝は不破たれ
その言を伝えよ
愚かなる者に語るべからず
聖なるもの穢すものなれば
深く己を持して沈黙すべし
重鎮大岩不動厳正
安心立命解脱悟道
一喝覚醒雷神天鼓
正信受理貫徹信心


宗教と山は不可分である。モーゼはシナイ山で十戒を授かったのもそうである。そのシナイ山は木もない岩山であり荒寥たる山々である。
また仏教にしても中国の天台宗が基になったというとき山岳宗教である。山を聖として修行したのである。日本でも比叡山が天台宗に始まり日蓮でも親鸞でも修行したのである
宗教と山は一体なのだる。
だから都会から生まれたカルト宗教は本来の宗教を追求していない俗化したものなのである。

古代から宗教は都会から生まれない、なぜキリストが神殿を商売の場にするなと怒ったのか、それもエルサレムが都会化して堕落した場と見たからである。都会を嫌っていたのである
へブル人の宗教は商売と関係することを嫌ったのである
だからユダヤ人が離散して商売人になったことは本来はありえないことだが土地を持つことができない流浪の民となったからそうなった。

つまり宗教は山と切り離せずあった。だから大衆化した群集化したカルト教団などとはまるで違ったものとして出発していたのである。山を聖なるものとして籠り真言ロゴスを見出す。
だからとても東京であれ大都会から生まれるものではなかった
そこから生まれた宗教はカルトとなり異様なものとなったのである。本来の聖なるものは全くない。また山で身を浄める心を浄めることなどない、ただこの世の欲望がすべて是認されて御利益を権力を得る為に狂気のように祈っているから異常なのである

宗教的要素は全くないのである。山伏とか法印でも山で六根清浄とか祈り修行した。そういう身を浄めるとか心を浄めるとか一切ないのである。だからこそあれだけの人が集まったのである
山で修行しろとかなればそんなに人は集まらないからである。
つまり聖と俗を分離すべきでもあった、政教分離があるが聖なるものを追求するものと俗界の信仰を分けるべきだったのである

それで宗教は俗界と妥協して一体化して本来の宗教は失ったのである、俗界には厳しい戒律とかは要求すべきではないにしろ選ばれた人は厳しく真言ロゴスを追求すべきだったのである
すべて俗に合わせたことが宗教本来の聖なるものを消失したのである。地の塩であるべきものが塩となるものがなくなったのだる。聖と俗は分けるべきだったのである。そのために地の塩たる者が消失したのである。ただ俗なる世界があるだけとなったのである。民主主義でも数が多数がすべてとして決めるとき必ず問題が生まれる、それがファシズムともなる
地の塩となるべき者が必ず必要でありそういう人がいなくなればこの世はただ欲望を無限に追求する俗しかない世界になる。

自分の場合は引きこもりであり自然と一体化することを試みて来た。そして真言ロゴスを見出すことをしてきた
つまり一人修行していたのである。詩は真言であれロゴスなのである。

相互に影響し合った。真言は三密(身・口・意)の中の口密に相当し、極めて重要な密教の実践要素となった

ただ山でそれが人間を反映して巨人は山ともなる。すると偶像崇拝にもなる。ただ自然でも常に人間的なものが反映する
山にも人間を見るということもある。ただ山には愛とかはない、荒寥たる情もないものとなる
とにかくギリシャでもゼウスはオリンポス山に住みデルフォイの神殿も山の上にあったから人間共通のものとして山を聖なるものとみていたのである。でもそこは神の啓示を受ける場だった


2025年01月05日

なぜ人間は理解し得なくなるのか 【空間軸と時間軸で理解できなくなる】


なぜ人間は理解し得なくなるのか
【空間軸と時間軸で理解できなくなる】

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●静岡に住んでいる兄のことがわからなくなったこと

なぜ人間は互いに理解できなくなるのか。人間は空間軸と時間軸で生きている。でもこの両方が一致しないとやはり理解できなくなる。例えば空間軸でも狭い地域で住んでいての付き合いがなければ近くの人でも何が起きているか分からなくなる。
また空間軸でも離れてしまうと理解できなくなる。それで私の父親違いの兄が交通事故で死んだ時そこで何が起きたのか理解することが不可能になっていた。連絡はしあっていたがその間に静岡とかあまりにも遠く離れていて何が起きたか理解できなくなっていた。

その時兄はは離婚してまた住宅を出て中学生の娘がいたがその娘を一時トラック運転手になったので学校にもいかせず一緒に乗っていたらしい。その後に児童福祉施設に預けた。そして交通事故になったとき運送会社に勤めていてそこで葬式までした
そして母はその運送会社に行ったとき骨は置いてくれと言われた墓を作ってやるからと言われた。それが何のことか分からなかった。あとで考えると交通事故の補償金をもらいたいためにそうしたらしい。兄は身寄りが無いと見ていたからである。そして乞食のように来た雇ってやったと言っていた
ただ私自身は交通事故による自賠責とかでも分からなかった車を持っていないのでわからなかった。要するに何がなんだかわからなくなったので私は3日で帰ってきた

●関心領域の映画は極めて現代的問題

このように理解できなくなったは空間軸で距離的に離れていることと時間軸で何が起きていたのかわからなくなったためである
もし空間的に近くに住んでいれば行き来していれば事情も飲み込めたのである。だから空間軸と時間軸で両方でわからなくなったのである
そこから孤独死と様々な現代的問題が生まれて来る。カルト教団が増えたのもそういう社会の問題として生まれたともなる。

では近くに住んでいる人でも没交渉になっていればやはり理解することができなくなる。同級生でもその人は40年ぶりとかあったとしてその人は何をしてきたかも語らないしだからその人を理解することができなかった。それは時間軸でわからなくなったのである。
もう一人の同級生も何十年とも会っていないし近くにいても同じ町に住んでいても没交渉なのだから互いに理解できなくなった。つまりいくら空間軸で近くに住んでいたとしても理解できなくなる。
特に現代はさまざまな職業があり田舎ですら隣で何をしているのか分からないということもある。するとそもそもその人を理解することができなくなるのである。

だから関心領域という映画話題になったがそれは極めて現代的問題としてクローズアップされたのである。隣でナチスの収容所があり殺戮されていても何の関心もなく平和な暮らしをする人がいたのである。隣でも関心を持てなかったのである。何かそれは現代的問題だったのである。現代というのは社会が複雑化し無数に職業が分化してその職業自体を理解するのは難しい。

●昔から職業が違うと理解できなくなっていた

例えばこれは原発事故でもそうだがそこで働く人理解することは難しい。そこには立ち入ることもできないし説明されることもない。秘密のベールにかくされていてそれが危険でも知らされることはなかった。だからすぐ近くにあっても危険を感じなかったのである。そういうことは昔からあった。鉄を作る人は何か神秘的なものとみられそれを理解することができないからそうなった
また木地師とか山中び住んでいてお椀などを作っていた、その人たちも神秘化された。それで椀貸し伝説とかが生まれた。

椀貸し伝説

つまり昔から職業が違うと互いに理解できなくなり神秘化されるということがあった。だからこの問題は確かに今だけの問題でわなかった。でも現代はさらに職業が無数に分化しているのだから日常的にこれが起きているのである。

例えば農民が8割もいたという時代は同じ土地で村で空間軸で共有するものがあり時間軸でもやはり継続的にそこで時間を共にしたということがある。だから現代のように無数に職業が分化して理解できなくなることは無かった。
例えばお祭りと言う時それは村の共同体がありできるものであった。その祭りも廃れるというときその基になる共同体がなくなったからである。

村と言うの一つの家族でもあり

取り上げ親:生まれた子を取り上げた産婆
乳親(ちおや):実母より先に新生児に乳を飲ませた女性
名付け親:家族以外で生まれた子に名前を付ける人
烏帽子親:元服する武家の男子に烏帽子をかぶせ、烏帽子名(=元服名)を付ける人

とかあり子供の親となっていた。子供は村の家族の一員になることでもああったからそうなった。
だから村の人総出で太鼓を叩き田植えしている光景はそれを象徴している。協働していて一体化して連帯していたのである。

現代は村があってもそうした村の共同体は農民が一割にも満たないというとき消失している。つまり田舎でも隣が何をしているか分からない人が多いのである。田舎でみんな農民かとなれば違っているみんな会社員なのである。
だから原発事故で浪江の人が会社が二本松市に移り一時そこに通っていたが二本松に移住したとか聞いた、なぜか子供の時遊んでいた人が東京に就職して最近岩沼の工場に勤めているというのもそうである
村のように一定の場所に代々住むことがなくなっているのである
会社中心の社会になればそうなる。

●空間軸で時間軸でも相互に理解できない時代

つまりこうなれば空間軸でも時間軸でも別々になうから理解できなくなる。現実小さな町でも近くに住んでいてもそうなりやすいのである。だから関心領域という映画は現代的問題である
またナチスというのもなぜ生まれたのかも現代的問題である
様々な鵜数の職業に分化した人間の互いに理解できなくなりハイルヒットラーで一体化しようとしたのもそうである。
それは創価であれカルト教団でも似たものがある。それは宗教を追求しているというよりばらばらになった人間は一体感を求めてそうなったとみる。

ともかく現代は空間軸でグローバル化で世界的に拡大した。でも互いに理解し合うかというとできない、時間軸で起きてきたことが簡単に理解できないからである。それは個人でも同じでありすぐ近くであれそこに起きてくることは時間軸で理解できないからそうなる

だから現代は空間軸で共有するものがあっても時間軸では近くでも理解できなくなる。つまり現代といかに相互にいくら同じ場所に住んでいても理解し得なくなっているかである。だからこそ関心領域という映画は現代的問題として指摘されたのである同じ地域に住んでいて関心が持てないということである。そして時間軸でも10年20年と関係しなければ理解不可能になってしまう。そういうことが起こりやすいのは現代である。

ある人でも理解するには必ず空間軸と時間軸でみなければわからない。常にいろいろな事件が起きるがそれもやはり空間軸ではわかる。だから起きるはtake placeになる。場所は特定される、でも時間軸でその人に起きたことはわかりにくい、時間軸で起きることは近くでのわかりにくい、だから同級生でも没交渉にになっていれば近くに住んでいてももわからなくなる。
それは前からあったにしろ現代社会はそれが極端化している
無数に断片化された人間しかいないのである。だから天才とかはそんな断片化したパーツではないとなりアウトサイダーとなりニーチェの超人となり単独者となったのである。統一体全人間を志向したのである。
いずれにしろ現代はグローバル化して空間軸が拡大してさらに理解することがむずかしくなった。そこでどうしても誤解が生まれて戦争にもなる。それは国同士でなくても個々人でも互いに理解できない、それだけ複雑化した社会なのである。


なぜ人間は互いに理解できなくなるのか 
【空間軸と時間軸の相互関係―時間は取り戻せない】

2025年01月03日

老人はみんな後悔する 【貴重な時間が失われたことに気づくーそれは取り戻すことができない】


老人はみんな後悔する
【貴重な時間が失われたことに気づくーそれは取り戻すことができない】

老人になって気付くことは何かを得たということより何を失ったかということである。その失ったもので最たるものは時間だったのである。時間は限られている。その限られた時間に何をするかがその人の人生になる。また出会いのチャンスとかも本当にまれである出会うことも失われていく。

時間は貴重なものでありそこでその時間を何に費やすかが問題になる。例えば会社に勤めた人でもそこに人生の時間の主なものが費やされる。
でもそこで共に働く人がいて時間が費やされたとしても何のための共に働くのとかそういうことより利益第一主義でありそのためにともに働く。でもそこに後で振り返って共に働いたという達成感とか意味を感じられない。

何か銀行とか証券会社とかは今になればただ顧客から金を奪うものだとまでなってしまう。そうなったのは銀行でも投資先がなく利子ををつけることができないから投資信託など証券会社とともに投資信託などを売りつけて手数料を稼ぐ商売になる
ただそうしてその銀行とか会社で働いて収入を得ても何か実りとなったのか老人になって問われる。何か協働して成し遂げたという実りが得られるのか、でも利益は得たとなる

何か働くというときただ利益になればいいとなる。その目的は利益になることでありそれしかない、そうして働いて利益を得たとしても金を貯めたとしてもそれで満足するのか、共に働いたなと仲間と振り返ることができるのか、確かに金は得たけど何か虚しい後ろめたいとなる。

でも貧しくても江戸時代の村で村総出で太鼓を叩いて田植えしている映画を見た時村人はそこで強い絆をもって働いていたことを感じた
そういう村人は老人になった時ここで共に働いたととなり充足するものがあったとなる。戦後浪江町の津島とかに開拓に入った人たちはそこで苦労して働いたから協働したから強い絆が生まれたという、だからその土地を離れたくない、そこで苦労を語り合うときやはり連帯感が持つ、その土地を離れたらそいう連帯感は持てないのである。

大工になるにしても若い内でないと昔は18才では弟子に取らないとかなっていた。それでは遅すぎたとなる、スキルを身に着けるのには若い内であり鉄は熱い内に打てとなり若い時でないとできないことがありその時身に着けないともはや身に着けるこてゃできないとなる。つまり何するにも時間がかかるが時間は無情に過ぎて行く、スマホとかなると若い人には簡単でも70越えるとむずかしくなる。私はパソコンを引きこもりでたまたま早いうちにしていたのでできたとなる。だから20年とかしているのである。
ただこんなにインターネットが発達するとは思わなかったのである。

いずれにしろ何かをする共に働くことであれ時間は失われてゆく
こうすれば良かったああすれば良かったあんなことしなければ良かったとか誰でも反省する、でも無情に時間は失われあのである。もう一度生きることはできなくなった、そして何かをする出会うチャンスも失われたのである。もはや二度と会わなくなるからである。

老人になると何故話が噛み合わなくなるのか、それは10年であれ20年30年別々に生きてその人生が理解できなくなる。もし共に働く時間を共有していたらそういうことがない、その別々に生きた時間で何を生きていたのか理解することが不可能になる。
つまり何かを共にする時間が失われていたのである。それをやり直すことはできない、何かをする時間が失われて帰って来ないのである。
だから時間ほど貴重なものはなかったとなる、でも時間ほど浪費されるものあないはない、金はいつも勘定して無駄にしたくないと意識するが時間はそうして金のように意識できないのである。
そして老人になって気づくのである

成すべきことを成さなかった
様々なチャンスを逃がした
活かすことができなかった
もはや人生はやりなおすことはできないと、、、

それで後悔しない老人はいないのである。例えば今になると海外旅行が高嶺の花のようになった。でも円高の時はフリーターであれ海外旅行していたのである。その人達は金持ちでもないただ自由な時間があり円高で海外旅行できたのである。

今になると円安で簡単にできないというときやはりチャンスを逃がしたとなる、その時々にできることをしていないとできなくなる、私も50からバックぱかーになて世界を旅行したが今になると体力的にも金銭的にもできないとなる。だからチャンスを活かさないとそのチャンスが失われるのである。
ただ時間はいくらでもありチャンスはいくらでもあるとみる。

しかし振り返ると本当にチャンスもニ三回とであり何かするべきことを学ぶべきことをしないで時間は消失したのである。
今や後は死ぬだけだとなる、だから若い内神を知れというときこれがいかに大事なことだったか、青春時代などあっというまにすぎるからである。でも若い時は女性であれ様々なものに魅了されてたちまち夢のようにすぎてゆく、貴重な時間は常に失われてゆくのである。

とにかく時間が意識されにくいので一番失われやすい

なぜならもし後一年とかで死ぬとなれば時間の貴重さを意識せざるを得ない、それは老人はみな感じる、後何年生きるのだとなるからである。



2025年01月02日

人間は災難から逃れられない 【それぞれの災難苦難を経験した―原発事故、交通事故、病気、犯罪の災難】


人間は災難から逃れられない
【それぞれの災難苦難を経験した―原発事故、交通事故、病気、犯罪の災難】

それぞれに激しい変化に見舞われる。それは私自身の場合は親は2人いたとして一人は認知症になりその衝撃も大きかった。
何になったのかわからなくなり狂気になったのかと思い恐怖した。そのとき家族はばらばらになり一緒に住めなくなった
それも悲劇だった。それから津波原発が起きて四苦八苦した。
それより津波の被害にあいまた原発事故で避難した人はただ翻弄されるだけであった。
その後も家族の一人は死んだがもう一人は5年間介護した。
その間に私自身が二回も病院に入院したし手術もした。その間に盗難は会うとか散々な目にあった。
そのことをプログで書いてきた。

でも人間にはこうした災難が誰にでも起きる、現実に原発避難区域に住んだ人は一時立派な家を建てたがそこを捨てて原町の安い空家を買って住んだ。
でも息子が仙台市で仕事を始めて移り住んだ。そして私の家をリホームしたのだが病気になり息子のいる仙台市の病院に入院したのである
この人も激しい変化に見舞われた。ただ相当な原発事故の補償金をもらって贅沢したようである。他でもレクサスとか買ったとかあった。何か原町であれ鹿島であれ相馬市であれ相当数が移住した、だから新しい住宅街が三つくらい鹿島区でできた
だから3割くらいが外から来た人かもしれない。最近でもまた一棟大東建託のアパートが建った、何等かでまだ人口流入が続いているのかとなる。

知っている人は息子が足を怪我して何か月も働けなかった。それは団地のような所でなぜか骨折したのである。それからその母親は脳梗塞になりそれが最近はその後遺症でほとんど歩けなくなっている。その人は金もなく苦しんでいる。また障害者を抱えている。二重三重苦になっている。
また息子が交通事故になり新しい中古の車を買わざるを得なくなった、その後も何か車が誰かに傷つけられたとか修理に20万かかるとかなった。

なぜこんなに災難が続くのだろうとなる。だからこそ無病息災を神仏に祈る、でもそこで効果があるかとなればないのである。
でもこうして災いが続くとどうしてもまやかしであれ頼り金を払うのである。おそらくカルト教団の会員が増えたのもこうして様々な災難があり解決しないから頼るのである。でもそれで儲けるのは災いを払う人にもなる。
結局この世の中がどれだけ災いが多いのか、それを津波や地震や原発事故や一身上のこと家族のことでも嫌というほど経験した
それは自分にも起きたが他の人でも起きているのである。

ともかく人間は必ず災難に合う、自然災害があり病気があり貧困に苦しむとか必ずある、犯罪に会うのも災難である。
私は金銭的には苦しまないが犯罪にもあったし病気にもなったからである。この世とは一面地獄を生きることである。火宅の世である。必ず災難に会うし逃れられないのである。
この世から災いは消えることがない、まず必ず病気になる、自然災害でなくても病気は万人がなる。だからこそ村の中心に病気を直る祈願する薬師堂があった。それは病気にみんな苦しんできたからである。

何が幸福とかなれば人間の幸福は消極的なものでありむしろ災いがないことが幸福だというショーペンハウエルの言うこともわかる。それだけ災いが多すぎるのである。
自分自身もそうだが他者を見ても災いがあり苦しんでいる
災いは自分自身からも起きて来るし外部からも持ち込まれて苦しめられる。人は信用できないとか油断ならないとかなる。
この世は地獄が一定の住処だとなってしまう、何故なら弱体化すると他者が攻めるのに都合がいいから攻めてくる。弱肉強食の世界である。

とにかく幸福を願うより災いがないことを願う。幸福は人間には得られない、災いがないことが幸福なのである。それだけ災いが多いのである。
今年もやはり災いがある、貧困の時代になりそれも大きな災いの種である。災いの種はなくなることがない、何が災いになるかわからない、そもそも人間自体が災いを生む
動物を見ていると白鳥であれ鳥などは何を食べているのかわからない、動物でも飢えて死ぬことはある。でも鳥にはないようにも見える、それも不思議なのである。
なぜ人間だけが様々なことで苦しむのかとなる。自然災害があるとしても人間が作り出す災いの方が大きい。戦争で何千万人も死んだことでもわかる、自然災害でそんなには死なないからである
一番災いを作り出すのは人間自身なのである。
人間からもたらされる災いの方が多いし大きいのである。

今年の無病息災をお祈りします 良いお年を



posted by 天華 at 21:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

新年2025言祝ぐ短歌十首 【謹賀新年【松竹梅ー笠間焼、唐津焼・・・】


新年2025言祝ぐ短歌十首
【謹賀新年【松竹梅ー笠間焼、唐津焼・・・】

新年言祝ぐ短歌十首

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大和なれ西と東の結ばれて一つとなれや栄のありぬ
大海の波の轟き陽は昇る天地の力衰えざるべし
天皇の大和一つに結ぶかな民の和して栄あるべし
千歳経し岩の重くもここにあり梅の匂いて長寿の国かな
百輪の真紅の椿我に向き咲きて新しき年を迎えぬ
故郷の荒れにけるかなその栄天地と共にあるを知るべし
我が母の百歳生きてその栄姉と共に作られしかな
二本の大地に根を張る木のあれや巳年に粘り生きるべしかな
注連縄の結びの強く御社や大和の栄さらにあるべし
それぞれの国の栄や交わりてさらにますべし年は変わりぬ
大木の大地に根を張り土地土地に真直に生きて栄あるべし

今年もmusubu.jpをよろしく

注連縄は結ぶであり日本を結ぶである、それが日本の文化でもある。



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唐津焼は虹の松原のあるところにある。唐津城がありいい場所にある。松竹梅の松である。
笠間焼は茨城県であり土を求めてここに窯を開いた、やはり陶芸は土が大事になる。笠間焼は今は自由に作ることでここに集まる人がいる。自由な作風が許されるからいいという。確かに相馬焼だと伝統がありそれをベースにしている。陶芸は江戸時代からの伝統がある。相馬焼はかなり古く返って他に相馬焼の技術を伝播した。

梅を描いたのは何かわからない、中古店で売っていた、松と竹と梅がそろったので新年にいいと思った。
私は旅して窯元をまわった。陶芸は日本独特のものでありその土地の土からつくられるとしたら正にculture-cultivate(耕す)ものだとなる。茶道の抹茶茶碗もあるから日本の伝統文化なのである。

とにかく今年の正月は穏やかである。風もそれほど吹いていない。でも一番の問題は日本の貧困化である。これが一番深刻である。ミカンでも高いから買わず安い缶詰のミカンにした。
何でも高すぎる。こうして食料品とかが上がると苦しいとなる
今年どうなるのか、日本の景気は良くなることがない、じり貧になるだけなのか、こういとき人心が荒廃してゆくし現実に生活が苦しく余裕がない人が増大しているから犯罪も増える
でも景気を良くする何かいい方法があるのかとなれば見当たらないのである。
せいぜい節約する他ないのである。




2025年01月01日

【2025新年東北讃歌の詩−松島など】 北上川は盛岡から岩手山を経て石巻に流れる


【2025新年東北讃歌の詩−松島など】
北上川は盛岡から岩手山を経て石巻に流れる

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松島 MATUSHIMA
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岩手山荒肌見せて厳しく迫り
身を正し石垣の反る間を行きぬ
盛岡の城跡に夢見る詩人
時に紅葉の赤々と映えて
武士〔もののふ〕守るみちのくの城
忠節の古松のここに根を下ろしぬ
北上川の流れ悠々と岸辺波だち
蛇行しつつ滔々と流れつつ
大海にそそぎ入るかな
沖に船見え打ち寄す波や
石巻江戸に向かふ船ぞ勇まし
千里の彼方や波にゆられて
正宗の雄図や夢ははるか
大船の行くぞ頼もし欧州へ
大望を抱き雄飛せよ
牡鹿半島に金華山望む
航海の無事を祈るや
瑞巌寺杉の真すぐに立ち並ぶ
苔むす仏岩窟に座して瞑目
口を堅く結び悟りあれ
あわれもの寂びて鐘の音は
松島の海の底にもひびくかな
その音に魚も聞き入りぬ
波静か奇しき島々松の良し
観瀾亭の古木の太しも
金地に映えぬ殿の間や
桃山の障壁画雄渾なる松
威風に満ちて根を張りぬ
冬の鴎飛び赤い橋長し
伊達60万石の栄の威光かな

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仙台から盛岡まで新幹線で50分くらいだから早い、それで岩手山が近くに聳えているような感覚になった。
北上川は石巻まで流れているが運河になった所があり街ではない別な山の方に河口がある。それは大きな河口である。
北上川を通じて岩手県と宮城県が結ばれている。ただそれほど荷物が運ばれたとならない、最上川とは違っている。でも大河でありうねうねと流れている

川の名前は『日本書紀』に出たが、未だに位置を特定されていない「日高見国」に由来すると言われる。「日高見国の母なる川」という意味で「ひたかみ」と呼ばれたが、のちに転訛して「きたかみ」となり、やがて「北上」と当て字をするようになったと言われている

日高見の国はここから発しているのか?他では日の昇る国が由来としている、つまり北上川とは日高見の国がありその国を流れているから名ずけられた。最初に国名があったとなる。

東北も広い、六県あっても別々なのである。一関から岩手県というのもわかりにくい、でも宮城県と岩手県は別の国となっている
境界がわかりにくいのである。宮城県と山形県の境界は面白山トンネルを抜けると山寺があり山形県になるからわかりやすいのである。そしてトンネルを抜けると雪国だったというように宮城県は雪はあまりふらない、でも春になっても山形県は山には厚くまだ雪が残っている。気候が相当に違っている、宮城県は太平洋に面しているから海風が吹いてあたたかいとなる。日本海側は雪に埋もれる。
とにかく地理だと境界になるものがあるとわかりやすいのである。岩手県でも句界(くざかい)となると標高が高く春でもぶ厚いい雪が駅に残っていた、たしかにそこが気候の境でもある
でも山形県と秋田県の境はどこなのかとなるとわかりにくい、岩手県と青森県の境もわかりにくい、日本の地理はそもそも山多くてわかりにくいのである。

なぜ伊達政宗が東北の覇者となったのかというとやはり地理が関係していた。天然の良港に恵まれて欧州まで船を派遣した
それだけのことができたのもまず内湾があり船を出すのに恵まれていた。福島県の浜通リとかなると大きな内湾がないから漁業でも宮城県の十分の一しか漁獲量がないからである。
また石巻から江戸に米を船で運んだのもやはり航海できるものがあった。
伊達政宗が東北の覇者となりえたのは地の利だったのである。

観瀾亭の写真

今年も日本全体では良く言う人はいない、2025年はさらに暗黒になる。経済も悪いし暗澹なものになる
私自身は何かこれまでの旅したことなど実りとなるものがある
その総まとめになっている。だから自分自身のバイオリズムとしては悪くない、やはり何でも実りとなるのには時間がかかる
旅したとしてもそれを後で回想して作品にする。そのときすぐには作品化できないのである。東北だとやはり地元にもなるから作品化しやすいとはなる。東北を一つとしてアイデンティティを持ちやすいからである。

今年も創作を続けるのでよろしくお願いします

コメントは忙しくてできなかった。家事に時間をとられる。
プログに毎日書くだけで手間なのである。
何か工夫が必要ではある

2024年12月30日

冬の日に原町【太田】の墓地を見て小高の大悲山石仏をを見る 【冬椿、冬の日、冬田、冬の暮。。。】


冬の日に原町【太田】の墓地を見て小高の大悲山石仏をを見る
【冬椿、冬の日、冬田、冬の暮。。。】

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白旗神社(しらはたじんじゃ)は、関東地方・東北地方・中部地方に分布する神社である。白幡神社・白籏神社とも表記される。
多くは源頼朝を主祭神とするが、他に源義家・源義経などの源氏の武将、源氏の氏神である八幡神を主祭神とするものも多い。社名は源氏の旗である白旗に因むものである。


冬田中社一つや何語る
冬椿五体の石仏黙すかな

松一本根付きて太く頼もしや倉も二つや冬の日暮れぬ
【墓地】
墓地一つ尋ねてあわれ年の暮若く幼く死ぬ人のあり
冬の暮墓地を尋ねてあわれかな死者もの言わず何語るらむ
戒名に国を支ゆと農の字や誇りとあれや時は移りぬ
【小高】
小高城石段踏みて我が上る冬の日静か椿咲くかな
この地にそ巨杉根を張り石仏の五体黙しぬ冬の暮かな
この地にそ巨杉二本の根を張りて石仏動ぜず冬の暮かな
老人の何を語るや日短かき間もなく死して語らざるかな
何をか語らむとして語れざる人死にゆく短き日かな


冬の墓地

幼くも若くも死すや
その命尽くさず死にぬ
生きたしと生きるもならじ
その無念墓の語るかな
冬の日さして静か
短き日は暮れむ

冬の暮の街道

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小高より浪江に行きぬ
浜街道や古き碑三つ
何を語るやあわれ
菊も枯れなむ
日短く暮れんとするも
我が引き返して帰るかな


原町の北原から太田神社のほうに行く道に墓地がある。大きな墓地ではない、幼く若く死ぬ人が多かった、特に幼児の死亡が多かった。医療が発達しないのでそうなった。今は幼児で死ぬ人は稀だろう。そういう時代が動物のように子だくさんでないと生き残る人が少ない、それは自然の摂理だった。だから昔は食べ物すらないのに子だくさんになっていた。つまりその中で丈夫な子が生き延びればいいとなる。

戒名に立国院興農欽郎

「欽」は、「つつしむ」や「からだをかたくとじてつつしむ」、「かしこまる」

これは戦前の人でありこういうことがあった。この意は明確である。農民であり国を担うという固持がある。興とは農を興す意味である。これは何か意味が分かりやすい。他の戒名は意味がわかりにくいのである。つまり戒名を見ただけではその人のことがほとんどわからないのである。そうなると何を後世に伝えるのか不明になる。

ともかく人間とは何かを語る、墓でも何かを語る、でも何を語るのか明確ではない、老人は昔を語る、その生きた人生を語る
人間とは語ることに特徴がある、動物は語ることがないからである、語ることが歴史であるーhistory-物語なのである
ただ墓からその物語を知ることは難しい、戒名くらいではその人がなにをいきたかなどわからないからである。

ただ人間は老人になるとわかる結局その人が何を語るかが人生だったともなる。それもその語る時間すら消失してゆく、短い日はすぐに暮れてゆくのである。それだけ人間の一生もはかない
わずかのことを語り死んでゆくし何かそのことでも忘れられるのである。ともかく何かを語りそれが語られ続ける人は本当にまれである。死んだらそこに記されるのは何なのか年齢くらいなのである。語られるとしても数行で終わりなのである。

小高は一軒スーパーのような店がある、そこには人が入っていた
でも年配の人が多い、小学校も中学校も閉鎖している。だから問題は若い人とか子供がいないのだから後継ぎもなくなる。
そしたら街を維持できるのかとなる、それは空家だらけになり空地化してゆくのは私の周りでもそうであり全国的にもそうである
それで原町であれ鹿島であれ相馬市であれ原発避難区域から移住した人が多い、それで集約化しているから街が維持できるともなる。とても原発避難区域が復興できるのはむずかしいとみる

次代を担う子供がいないからである。自分の周りで街内に住んでいても子供が見かけないからである。
だから集約化して住み街を維持する他なくなるかもしれない。
いずれにしろ今年も終わりである、浪江の方には行けなかった
また夜に転んだから危険だった。自転車は夜は本当に危険である
4回くらい堀に落ちたり死ぬこともあった、でもすぐ暗くなるので困るのである。遠くには行きずらいのである

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試しに住んでくださいとなる。なかなか定着するとなるとむずかしい、でもこういうときはよそ者でも歓迎される、でも若い人になる。老人が移住しても負担になるからだる。





冬の日に原町【太田】の墓地を見て小高の大悲山石仏をを見る 【冬椿、冬の日、冬田、冬の暮。。。】


冬の日に原町【太田】の墓地を見て小高の大悲山石仏をを見る
【冬椿、冬の日、冬田、冬の暮。。。】

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白旗神社(しらはたじんじゃ)は、関東地方・東北地方・中部地方に分布する神社である。白幡神社・白籏神社とも表記される。
多くは源頼朝を主祭神とするが、他に源義家・源義経などの源氏の武将、源氏の氏神である八幡神を主祭神とするものも多い。社名は源氏の旗である白旗に因むものである。


冬田中社一つや何語る
冬椿五体の石仏黙すかな

松一本根付きて太く頼もしや倉も二つや冬の日暮れぬ
【墓地】
墓地一つ尋ねてあわれ年の暮若く幼く死ぬ人のあり
冬の暮墓地を尋ねてあわれかな死者もの言わず何語るらむ
戒名に国を支ゆと農の字や誇りとあれや時は移りぬ
【小高】
小高城石段踏みて我が上る冬の日静か椿咲くかな
この地にそ巨杉根を張り石仏の五体黙しぬ冬の暮かな
この地にそ巨杉二本の根を張りて石仏動ぜず冬の暮かな
老人の何を語るや日短かき間もなく死して語らざるかな


冬の墓地

幼くも若くも死すや
その命尽くさず死にぬ
生きたしと生きるもならじ
その無念墓の語るかな
冬の日さして静か
短き日は暮れむ

冬の暮の街道

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小高より浪江に行きぬ
浜街道や古き碑三つ
何を語るやあわれ
菊も枯れなむ
日短く暮れんとするも
我が引き返して帰るかな


原町の北原から太田神社のほうに行く道に墓地がある。大きな墓地ではない、幼く若く死ぬ人が多かった、特に幼児の死亡が多かった。医療が発達しないのでそうなった。今は幼児で死ぬ人は稀だろう。そういう時代が動物のように子だくさんでないと生き残る人が少ない、それは自然の摂理だった。だから昔は食べ物すらないのに子だくさんになっていた。つまりその中で丈夫な子が生き延びればいいとなる。

戒名に立国院興農欽郎

「欽」は、「つつしむ」や「からだをかたくとじてつつしむ」、「かしこまる」

これは戦前の人でありこういうことがあった。この意は明確である。農民であり国を担うという固持がある。興とは農を興す意味である。これは何か意味が分かりやすい。他の戒名は意味がわかりにくいのである。つまり戒名を見ただけではその人のことがほとんどわからないのである。そうなると何を後世に伝えるのか不明になる。

ともかく人間とは何かを語る、墓でも何かを語る、でも何を語るのか明確ではない、老人は昔を語る、その生きた人生を語る
人間とは語ることに特徴がある、動物は語ることがないからである、語ることが歴史であるーhistory-物語なのである
ただ墓からその物語を知ることは難しい、戒名くらいではその人がなにをいきたかなどわからないからである。

ただ人間は老人になるとわかる結局その人が何を語るかが人生だったともなる。それもその語る時間すら消失してゆく、短い碑はすぐに暮れてゆくのである。それだけ人間の一生もはかない
わずかのことを語り死んでゆくし何かそのことでも忘れられるのである。ともかく何かを語りそれが語られ続ける人は本当にまれである。死んだらそこに記されるのは何なのか年齢くらいなのである。語られるとしても数行で終わりなのである。

小高は一軒スーパーのような店がある、そこには人が入っていた
でも年配の人が多い、小学校も中学校も閉鎖している。だから問題は若い人とか子供がいないのだから後継ぎもなくなる。
そしたら街を維持できるのかとなる、それは空家だらけになり空地化してゆくのは私の周りでもそうであり全国的にもそうである
それで原町であれ鹿島であれ相馬市であれ原発避難区域から移住した人が多い、それで集約化しているから街が維持できるともなる。とても原発避難区域が復興できるのはむずかしいとみる

次代を担う子供がいないからである。自分の周りで街内に住んでいても子供が見かけないからである。
だから集約化して住み街を維持する他なくなるかもしれない。
いずれにしろ今年も終わりである、浪江の方には行けなかった
また夜に転んだから危険だった。自転車は夜は本当に危険である
4回くらい堀に落ちたり死ぬこともあった、でもすぐ暗くなるので困るのである。遠くには行きずらいのである

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試しに住んでくださいとなる。なかなか定着するとなるとむずかしい、でもこういうときはよそ者でも歓迎される、でも若い人になる。老人が移住しても負担になるからだる。





2024年12月29日

労働意欲の減退とモラルの荒廃と高齢化の退廃 【あらゆる分野で人手不足で社会が維持できなくなる】


労働意欲の減退とモラルの荒廃と高齢化の退廃
【あらゆる分野で人手不足で社会が維持できなくなる】

●働く意欲の減退−働くモチベーションがもてない

何か全体的傾向として人間のモラルの低下労働意欲の減退が起きている、ありがとうとかいらっしゃいとかもコンビニとかでも言わない、そういうことをみんな経験している
ただ日本人はこれまでおもてなしとか外国と比べて過剰接待になっていた。外国ではただ売るだけであり日本人のようなサービスをしない。でもそういうことも喪失してきているのかもしれない、その原因が人手不足で雇う人がいないから誰でもいいとなる。それで近くの地元の野菜を売る場で働いたのは77才の同級生はお前は何もしていないから来る必要はないとあからさまに言ったことにが驚いた。

まず客という意識が全くなかった。そんな人がなぜそこにいるのか理解できなかった。その理由が今いたるところで人手不足になって質の悪い人でも雇うほかなくなっている。
第一77才となるとレジとかで働くのは向いていない、なるべくなら若い女性がいい、でもその人手がたりない、それはいろいろな分野で日本全体に起きている現象である、もはや人を選び雇う時代ではない、高齢者でも何でもいいとまでなる。
ただ別にスーパーの女性の対応が悪いとは見えない、でも対応が全般的に悪くなっている。それは確かだろう。

その原因が働くモチベーションが低下している。たいがい時給いくらとかで働くのであり何か金意外の動機がもてないのである
資本主義がキリスト教の修道院から人を助けるために生まれたとかのウエーバーの説がある。そんな動機が今あるのかとなればない、ただ金で雇われる金を得るためありそれしか動機がないだろう、だから働きたくないのだけだ金のため仕方なく働いているというのが多い、そうなる客にしろ丁寧な接客などしないし何か客のためとか会社のためとか地域のためとか働く動機がない、それで普通の会社でも金の為でありそれしか働く動機がない
だから社畜と自ら言いただ仕方なく金のために働く、それが一部なあいいが全体的に働く意欲が減退している

●働くことは自己実現のためWORK【作品】をつくること

高度成長時代はとにかくがむしゃらに働いたのは団地でも住めるとか憧れになっていたりマイホ−ムがもてるだとかみんながいい暮らしをできるということが目に見えていたからがむしゃらに働いた、給料も毎年上がっていたからである。
つまり現代は働く意欲が出ない、賃金は上がらないそれより働く動機が持てないのである。会社のために働くとなってもみんな嫌々ながら金のために仕方ないとして社畜としてがまんする
そうなると社会全体が不満な人ばかりになり精神的にもスモッグのようにもなり空気まで汚れるという感じになる

働くということはただ金のためだけなのか?働くことは実はその人なりの価値を創ることでもある。それが働くことに見い出せないから働く意欲もなくなる、ただ要するに金のために仕方なく働く奴隷だとなる。
例えば昔の大工であれ職人であれ腕一本で生きてゆくと誇りがあった。職人気質とか形成されたのもそのためである。
でも今働くということはただ金のためでありだからあくどく稼ぐ、何か金融関係とかは金を右から左へと流しているだけなのかとなる。何かそこにモラルが働かないから精神的に荒廃するともなる。

本当は働くとはWORKすることであり作品という意味もあるから自分の作品を作ることである。それが自己実現なのである。
だから人間が働くことはすべて金のためではなくその人なりの自己実現なのである。
だからその働くことは誰かのためというのでもなく自己実現のためでありただ金がいくらで雇われるのとは違うのである
とにかく働く動機がもてないということも現代の問題である
それが問題なのは老人になるとわかるが何をしてきたのかもわからない語らない老人がいる、ということはその人の人生はなんだったのだろうとなる。

一芸に秀でるとかもない、何等か人間は職人でも一芸に秀でるよううなっていた。それは工場内でも確かにあっても個人としては現代は自己実現はむずかしい。
私の場合は俳句短歌詩など追求して来た、でもそれで一文にもならなかった。返って金を使うだけだった、旅をしていたからである。でも振り返らば自分の自己実現のためだったのである
別に会社に勤めそこで自己実現はない社畜として終わることはその人の人生は何だったのかとなる。

●老人が尊敬されないのなぜかー自己実現のため働かなかった

そして深刻なのは確かに意にそむいて会社で働いて老人になった時それなりに金を残してもその人の自己実現が何かあったのかとなる。何も語れないとか何をしてきたのかとかもおわからない
もし職人として励んで来たら私が作ったものを見てください、私が精魂込めて作ったものです、長年の修練で作ったものですとして見せて語ることになる、そいうものがないとしたら金は残してもその人生は何だったのだろうとなる。

ただ現代はその人の意にそぐわずに金のために強制的に働かせられる。そして老人になり何も語ることがないとしたらその人の人生は何だったのだろうとなる。
金融関係は金を残しても何かそれで誇るものがるのかとなるとないかもしれない、金を手にしてもその人の残したもの語れるも何もない、そして人格的にもモラル的に人間として有意義なものとして形成されなかった。

現代の老人は何か尊敬できるような人がいるのか、何か歪んでいる。それはやはり働いてきたしても金のためであり意にそぐわないものでありそれで人格まで歪めてしまったともなる
正直老人が老人だけで誰も尊敬などしない、何故なら老人が多すぎるからである。そのなかで自己実現した人一芸に秀でた人は極めて少ないとなる。そういう人が多ければ社会全体がどんよりとしたものになり空気まで汚れた感じになる
金銭的問題だけでなく精神的問題としても高齢社会化がある
ただ老人の問題はすでに若い時から始まっていたのである
なぜなら人生は連続したものである若い時があり若い時のことが老人になっても影響する、老人になったからと言って急に変質して何か尊敬される人などなれないからである。

そして老人になったらもはやその人を変えることは不可能である
偏屈な老人とかになり迷惑老人となりそういう老人が周りにひしめくようになったときどうなるのか、まるで精神病院にもなる。
異様な老人であふれる。それは障害者の施設に入る感覚にもなる
何かそれがもはや現実化しているかもしれないだから精神衛生上も悪い、社会全体に影響して社会自体が老化してゆく

テレビでローマ帝国が滅んだのは水道などのインフラを修理できなくなったからだという説を言っていた
つまりインフラでも老化する、でも修理することもできなくなり滅んだというのもわかる
社会全体が老化してゆくことの怖さである。現実にインフラが道路でも橋でもトンネルでも修理できずに通行できなくなる
何かそもそも別に外国が攻めてこなくて日本は内部崩壊してゆく
国自体人手不足でも維持できなくなる、その人でも相当にローマの水道のように劣化しているのである。
だからどうしても明るい未来をイメージできないのである。

●未来の労働はロボットがしてみんなアーテストなる?

これからの社会は機械的な単純な仕事は機械化してロボットがするようになる。つまりレジでも自動化したようにまたロボットでも高機能化して肉体労働もこなす、すると人手不足も補える
もともとロボットがするような仕事に生きがいを感じない
私自身が流れ作業とか肉体労働とかしたことないので仕事しなくなったからである。これからの人はそうした仕事はロボットはして人間は自己実現の労働をする、それは遊びに見えても自己実現の労働であり社畜の労働とは違う、生きがいを持てるから生き生きとしてやる。だからみんなアーテストなれということもわかる。自らのwork〔作品〕を作るための労働だからである

未来はどうなるかわからない、たいがい意外なものとなっているからである。私自身は旅ばかりしてもそこで地理に地名に興味をもったとか詩歌を追求して来たとかなりそれが実りとなっているからである。それはまさに自己実現だったのである
ただそれは家族に恵まれた結果でありだから私は家族が死んでも感謝して供養しているのである。
posted by 天華 at 22:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2024年12月28日

なぜ視野狭窄になるのか 【グローバル化広域社会でそうなったー村社会との大きな相違】


なぜ視野狭窄になるのか
【グローバル化広域社会でそうなったー村社会との大きな相違】

●500人くらいの村で自給自足していた時代

何でも人間社会はいい面と悪い面が生まれてくる。車社会の悪い面ばかり指摘してたが良い面も大きくある。それは自分は語るまでもないみんな車持っているのだから当然だとなる。
現代社会とはとにかく車社会だという時その生活する範囲が広くなったのである。例えば江戸時代の村とか考えればそもそも遠くに行くということが簡単にはできない。だからどうしても村という狭い範囲で生活するから外のことは分からなくなる。
でもそういう時代は別にそれでも良かった。その狭い範囲で顔見知りの中で村のことを知っていれば不便にしろいいものではないのにしろその狭い範囲のことを知っていればいいというだけである。そこは窮屈でもなんなんであれそうした生活するほかないそうした狭い村で生活するほかないから別に外からの広い知識を情報を得る必要もないのである

でも現代社会になるとそうはいかなくなる。グローバル化するときそれはまたいい面と悪い面として働く。ただ確かなことはいくらグローバル化を否定しても現実には否定できないし受け入れるほかなくなっている。
例えば広域化社会ということは車社会で起きたことである。例えば車がなかったらどうなるかとなれば南相馬市鹿島区の梨農家が相馬市までリアカーで運んでいたという。相馬市まで15キロくらいありそれを往復していたら大変な労力になる
一日掛にもなってしまうのである。だからそういう時代は基本的には身近なところであるもので生活する他なくなるのである。
だから戦後の間もない時あらゆるものは身近なところにありそれは歩く範囲内にあった。つまり今なら別に隣の市まで原町まで車で相馬市でもそうである。社会というときそれは別に日本全国というのではなく自分の住んでいる場所から30キロ内県内でも一つの生活圏であり経済圏になっているのである。

●広域化グローバル経済で強いられる競争

するとどうなるかというとその30キロ内で日常の生活圏になる時その中で競争することにもなる。なぜなら車で買い物でもなんでもできるからである。つまり昔のように一つの街でさらに狭い範囲内で生活していたのとはまるで違った世界になっているのである。つまりグローバル化というと世界のことを考えるからその前にすでにその生活圏は30キロとか広がりその中で日常の生活が行われている。だから常にすでに30キロ内に住んでいる人たちを相手に商売もするとなる。とても1キロ4方とか2キロ4方とかそんな狭い範囲でわもはや成り立たない。一つの村になくても近くに大きな町があればそこに車で行けるとなるからである。

なぜか私は近くの道の駅ではないが六号線で地元の野菜を売っている人に同級生がいてそこに入ることを拒否された。その理由はよくわからないが何か私が何もしてないと見て対話すら拒否したのである。その人はスマホをしてないから私がプログでいろいろ地元のことでも書いているのも全くわからないのである。このことでもその人は視野狭窄に陥っている。

狭い範囲でしか人を観ていないのである。まだインターネットにも接続していないから今はマスコミのテレビとか新聞だけではない情報に接していないということである。もう一つは70以上超えるとスマホとかはしていない人も多くなる。スマホとは結構パソコンの延長だから難しいのであり携帯電話なら私の母は90歳で携帯電話ができていたのでよでもスマホとなるとその難易度が高くなるのである。

70以上とかの高齢者の問題はインターネットとかの情報にアクセスできなくなることである。それでまた視野狭窄に陥るのである。また昔から井中の蛙とかいうことわざがあったからそういうことは常に起きていたことは確かである狭い範囲でしか世界を見れなかったからである。つまり今の時代はテレビとか新聞自体がオワコンになっている
でも70以上になるとスマホも持っていない人が多い、携帯はもっていてもスマホはもっていないのである。
そのことで情報から取り残されるともなる。500人くらいの村で生活するのとは余りにも違った社会なのである

「井の中の蛙に海の話がわからないのは、その小さな世界にこだわるからだ。夏の虫に氷の話がわからないのは、自分の季節しか見ないからだ。

つまりこの話は常に誰にでも起きている。田舎の人間は都会の人間を知らないし都会の人間は田舎の人間を知らない
日本人は外国を知らない、なぜ狭い範囲でもわからなくなったのかとなれば逆にグローバル化して広域化社会になったとき江戸時代のような限られた世界では通用しない生きられなくなったからである。お前が視野が狭いというときグローバル化広域化社会になればそれだけ村という狭い世界から何万倍かの世界に拡大したともなる。そうしたら世界的視野を持てとなるがそれができないからお前は視野狭窄だとされてしまうのである
現実50才まで自分がそうだった。一回も海外旅行もしないで本を読んで外国のことを書いていたからである。
その後に外国旅行して視野を広めたからである。

●現代社会誰でも視野狭窄に陥る

グローバル化すればどうしても視野狭窄に陥る、世界となれば広すぎるからである。それがグローバル化した現代の問題である。
第一田舎だったら一万くらいの町だったらそもそも外国旅行した人がまれになる。田舎の人間は視野狭窄に陥り安い、付き合う人間も限らていていろいろな情報が得られにくいからである
たとえば大学に入るにしても身近に見聞するのと田舎でイメージするのとは違ったものになる。田舎の人間は受験にしても不利になる。受験などは受験技術とかテクニックが関係していて本当の知識を習得することではない、受験技術に長けた人が合格するとかなる。だから大学序列があっても文系の場合はその能力が反映されないことが多い。都会の人が有利になるからである

視野狭窄にならないためには多様な人を知り多角的に見ろと言っても田舎に都会のようにできない、ただ田舎でも農業に従事する人は一割にも満たない、ほとんど会社員だとなる。
だからゴルフ関係の物を作る工場があった。でもゴルフをしないものにとっては関心もないしわからないのである。その仕事がすぐ近くに工場があっても理解できないとなる。別にゴルフをしない者は関心がないとなる。ただ自転車はいろいろ乗っているから私は関心がある、でも今の社会は自分と関係なければ関心がもてないのである、何かこうしててゴルフ用品作る工場があってもその前を通っても関心がない、それは他の会社工場でもそうである

日々生活するにしても私が行ったすぐ近くの地元の野菜など売る店には本当に行っていないのである。別のそこでしか買えないものもないしスーパーで用が足せるからである。
だから断られても何も困ることがないのである、でもスーパ―がなくなったりしたら生活できなくなるから深刻になる
それでも近くのスーパーに行かず隣の原町で車で買い物に行っている人が普通にいる。車社会になると近くでなくてもいいとなってしまうのである。
磐城太田駅前の惣菜屋は昼間並んでいた、なぜあんな無人駅の前の外れた店が繁盛しているのか、それはいいものを売っているから車でみんな買いに来る。距離は関係ないのである。
私は車がないから買いに来れなのである。
車社会になると別に街から離れた所でも車で買い物にくるから場所が関係しないのである。

だから商売でも狭い範囲の人達を相手にしては成り立たなくなる
広い範囲で競争しなければならないからである。だから別に近くの店で断られても何にも困らないのである。
でもそのことが近くでも疎遠になるとはなる。日常的に買い物のしていれば顔なじみになる。だからカスタマーとなる。習慣的に買い物に来る人である。昔の小さな店ならそうなっていた
お得意さんとかなっていた。今は別にスーパーでなど買う人を客でもいちいち覚えてもいないのである。

●現代は世界が拡大しすぎて視野狭窄に陥る

ともかくいいにしろ悪いにしろ車社会がどれだけ影響したかである。生活範囲が拡大して近くが大事にならない、大事になるものもあるがそれでも医者でもいないとしても車で行けばいいとなる。実際そうなっている。だから医者であれ小さな店であれ断られても困らないのである。
そのために隣近所とか狭い範囲の村で暮らしていたような時代とは余りにも違った社会となったのである。隣近所でも別に無関心で没交渉でも生活できる。広域化グローバル化競争社会なのである。

しかしそのためにまた視野狭窄に陥る。拡大した世界までのことを知るとなれば簡単にできない、だから地銀でも投資信託とかすすめるがそれは世界の市場に参加することであり理解できないのである。だから今や地銀とでも信用できないとなった。
そもそも銀行自体が株でも投資でも素人だからである。また客にはもうけさせるためではなくただ手数料を取る商売なのである。
何でもグローバル化したら理解できなくなる。その範囲が余りにも広すぎるからである。だからどうしても視野狭窄になることが避けられないのである。地銀は地元に根ざすものとしてあったが
証券会社と一体化してグローバル化したのもそうである。

要するにどんな優れている人でも現代は視野狭窄に陥る、専門家でもその専門に閉じこもりむずかしい専門用語を使い実際はその専門家が視野狭窄に陥っていたのである。それは原発事故でもそうである。東電の吉田所長が復水器のことは知らない、材料関係が専門だから知らないと言っていたからである。
原発でも一部分は知っていても全体を知る人いないのである。それがさらに社会となればその範囲が膨大に拡大するのだから余計にわからなくなる。
だから誰しも現代は視野狭窄に陥るのである専門家は専門家で専門バカになっている時もそうである狭い範囲の専門ばかりを追求してその知識の範囲も膨大であり視野狭窄に陥る

人間は何らかで視野狭窄に陥っていることを知るべきである

その視野狭窄にならないことは不可能にもなってしまう。それはまさに現代に共通する問題なのである
だから一人の狭隘な知識を持つ人よりAIと対話した方がいいともなる。膨大な知識でも情報でも処理できないからである
不思議なのは詩とか作り理解する人はまれである。でもAIが詩を作るのには驚いた、そうした詩は普通の人は全く作れないからである。詩であれ何かそうした芸術とか学問的なことを直接語れる人はいないからである。だからAIと対話した方が役に立つともなる。

問題があるにしてもそれだけ知識情報社会になりそうなったのである
老人が今なぜ尊敬もされないのか、それは世界がグローバル化して膨大な知識でも情報でも知らない、狭い村の範囲ならその範囲内で物知りともなり頼られて尊敬されて長老ともなった
むしろ今になると老人はスマホでもできないと情報弱者になる。
だから私がプログで書いたものを今はスマホで見ている人が多い、でもスマホ持たない人はわからないとなる。今や逆に老人でも若い人から教えられることにもなる。確かに老人の体験話は若者でも聞く価値はある、でも膨大な知識情報社会になるととても
一人の老人の知識では追いつかないのである。だからこれだけ老人が増えても尊敬されないし福祉に金を使うだけで社会の発展を阻む者となり金だけかかる無用のものとされて早く死んでくれともなる。そこに現代老人の不幸がある。


posted by 天華 at 19:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層