2026年01月01日

2026年新年に思う 【時代劇でなぜ侍は殿様に忠誠を誓ったのか?−城は聖堂と同じ】

2026年新年に思う
【時代劇でなぜ侍は殿様に忠誠を誓ったのか?−城は聖堂と同じ】

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年明けて我が目覚めれば赤々と椿の咲きて寒き朝かな

白百合の一輪開き間もなくもまた一輪の我に向き咲く

年明けて天守に望む我が国の栄えあれかし心直しも

時流れはや花散りぬ人の世をいかに生きるも心残りも

時流れはや花散りぬ人はみな心ならずも死ぬものなりしも

浅野内匠頭の辞世の句は「風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとやせん」だった。
久しぶりで忠臣蔵を見た。今に時代からみるとなぜそこまで忠誠を殿に誓うのかとなる
でも別に幕府は個々の家では仇討ちを奨励していた。それが武士のすべきことであり悪いとも思っていなかった。むしろ仇討ちをしないものは武士ではないとか咎められていたのである。ただそれは個々の家ではそうでも藩全体で仇討ちとなると別だった。

なぜ殿のためにそこまでしたのかとなればやはり当時の時代背景があり社会があり当時にしてみれば変わったことでもなく必然だった。藩は一心同体であり城はその象徴だった。城は単なる建物ではなく武士の精神的象徴拠り所としてあった。ヨーロッパの聖堂とも似ていた。城は心を一つにする場であった。その時代殿様がなぜその忠臣にあったのか?別に殿様でも優れた人とは限らない、でも殿様を神のごとく奉る。忠義というとき殿への忠義なのである。だから義といっても狭い社会の範囲のものであり今の正義を実現するものとも違う。何故なら殿様で悪い殿様がいた。別に殿様が聖人君子でもなかった。そもそも侍ではない一般庶民は侍とか殿様をどうみていたのか?

それは雲の上の人でありその姿すら見れない人だった。篭のにっていれば見えないのである。直接御目通りなどできないのである。それは天皇とも似ている。だから一般の人は殿様と言ってもどいう人かなどわからない、だから殿様への忠義などない
そのために会津では年貢で苦しめられていたから明治維新で薩摩長州に攻められても城が炎上しても無関心でありそれより年貢が安くなると喜んでいた。
つまり侍と庶民ではその差が大きい。だからここは侍と庶民を分けて考える必要がある
侍と庶民は別個の存在だった。それで会津でも城が燃えた時白虎隊が自刀したが庶民は城が燃えてもたいして感じなかったのである。城と一体となっていたのは侍であり庶民は関係なかったのである。何かドラマだとそこが抜け落ちているから庶民と侍を同一のものと見るから誤解する。ドラマは真実を歪める。何か美化される
歴史は現実を見る目が必要である。でも今はドラマが真実に思えるのである。

ともかく大晦日から時代劇とかテレビを見ていた。影武者とかも面白かった。戦国時代はドラマになりやすい。この辺では野馬追があるから戦国時代が再現されるからなるほどと見る。現実武田の旗印も出る。戦争でも見ているだけなら面白いとなる
今年の正月は午後から霙にもなりぱっとしない、今年はどうなるのか
私の場合生きているかもどうかわからない、それで人間は

心ならずも死ぬものなりしも・・・

人間はいかに偉大な人でもみんな心ならずも死ぬ、百歳生きてもそうである
何かそれぞれ心残りがあり死ぬ。そもそもそれがこの世を生きることである
この世では何か達成されることがない、心ならずもともなり心残りになる
ただ多少生きる時間に差があるだけである。この世に生きて完成されることはない、未完で終わる。完成されるのは神の国でしかありえないのである。

昔から馬は、縁起の良い動物として親しまれてきました。
これは、馬が後退せず力強く前に向かって走ることから「前に進む象徴」であることや神様の使いとして奉納されていたこと、農作業や移動など人の生活を助けてくれる身近な動物であったことが大きな理由となっています。
現在、神社でよく見られる「絵馬」は、もともと神様に奉納されていた馬だったといわれています。

馬という時相馬野馬追がこの辺であるから馬には親しみがある
でも私はとても馬のように行動できない、今年生きているのかとも見る
ただ確かに馬は前進する力を象徴している。ということは全体的には前進するのかとなるがとてもそうは思えない、これも個々人では違ったものになる

ともかくよいお年であることを願います



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2025年12月29日

吉展(よしのぶ)ちゃん誘拐の犯人は福島県石川町の人だった 【当時の時代は背景を知る・・・】

吉展(よしのぶ)ちゃん誘拐の犯人は福島県石川町の人だった
【当時の時代は背景を知る・・・】

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1963年(昭和38年)3月31日 - 16時30分 - 17時40分、東京・台東区入谷町に住む建築業者の長男・村越吉展(当時4歳。以下「被害者」という)が自宅近くにある台東区立入谷南公園(台東区入谷町)に遊びに出掛けていたが行方不明になった。両親は迷子を疑い警察に通報。新聞などで「誘拐」ではなく行方不明として報じられる。

吉展ちゃんの両親のもとに小原保から身代金50万円を要求する電話があり、両親が警察に相談しその後何度か小原保から電話がかかってきたことで録音することに成功しました。

4月1日 - 警察の聞き込みの結果、公園

「吉展ちゃん誘拐殺人事件」の犯人である小原保は、事件を起こした1963年当時上野御徒町にて時計店の修理工をしており、多くの借金を抱えて生活に困窮していました。

親族にお金を無心するために故郷である福島県石川町に向かった形跡もあり、お金は借りられなかったため何とかお金を工面しようと焦っていました。

小原保は福島県の貧しい農家の出身で、11人兄弟の10番目の子供でした。

小学5年生の時に骨髄炎を患って片足を悪くした小原保は、座ってでもできる仕事として中学を卒業した後に時計の修理工として仙台の時計店で働き始めました。

その後上京し上野にある時計店で働き始めましたが、月給2万4000円では生活は苦しく時計を横流しして生活を補っていたところ時計店にばれてしまい解雇され無職となりました。

小原保はその後貴金属のブローカーやヒモなどをして生活していましたが、借金がかさんでいき次第に生活が困窮していきました。

東京オリンピックを翌年に控え、高度成長の真っ只中だった日本の闇を写したような事件だったと言えるかもしれませんね

月給2万4000円では生活は苦しく時計を横流しして生活を補っていたところ時計店にばれてしまい解雇され無職となりました。



小原保の故郷は福島県石川町

白井弁護士は受任すると、東京拘置所に通い、小原と接見を重ねた。金に困って重大な事件を起こしたが、小原はおとなしい人物だったという。

身の上話も色々聞いた。福島県石川町で貧しい農家の五男として生まれた小原は、子供の頃に患った病気のために正常な歩行ができず、いじめにも遭っていた。不遇な少年期は山に登り、山並みを眺めている時が唯一、気分が安らいだと語っていたという。

「私も子供の頃、母親の実家がある福島県の会津に疎開していて、当時はよく山に登っていました。その話をしたら、小原は心を開いたようでした」


月給2万4000円では生活は苦しく時計を横流しして生活を補っていた

その頃の金銭感覚で2万円はどのくらいだったのか?50万の身代金を払ったがこれは今の感覚では少ないと思った、身代金だと軽く一千万とか要求する
50万でも当時だと5百万くらいになっていたかもしれない
そのくらいもらわないとこんなきけんなことはやれなからだ
ともかく借金が犯罪に結びつくことが多い。
何故私がこの事件に注目したのかとなれば福島県の石川町に自転車で行っている
そこまで阿武隈高原をたどり行っている、そこは郡山市に近くても山また山の土地である。その山にまだ萬屋(よろづ)があり寄ったら味噌汁をご馳走してくれた
これは今時めずらしいことだった。何か昔の素朴なものがまだ残っていたからだとも見た。第一萬屋(よろづ)というのがなくなっていたからだ。山の村では店でも品物を仕入れるにも難儀でありそれで萬屋(よろづ)が貴重だった。

和装館 よろづ屋 南相馬原町本店

これなどももともとよろづ屋だった。ただ元の原町市だから辺鄙な場所ではなかった
そのころスーパーなどないから何でも屋になっていたのである

いずれにしろ事件は時代を写す鏡になる。ただその時私は東京の私立の大学生であり恵まれていた。その頃貧しい時代であり中学生でもその時から10年前は集団就職があり中卒で東京とかに働きに出た、団塊の世代はとにかく数が多い、でも高度成長時代でありその多い人達を吸収できたのである。ただこの人のように犯罪を犯す人もいた
犯罪の動機で一番多いのはやはり貧乏である。その時代はまだ貧乏な人が多かった。
それでも高度成長の波に乗った人達は豊かになっていた。だからこの時代でも明暗がありすべて時代のせいにはできない。高度成長の時代だから成功した人も多いとなる
この人は足が悪いとか個人的事情でうまくいかなかったようである
だからすべて時代のせいともならない、それでもその時代を象徴していたとはなる
なぜなら小原保は脚が悪いから障害者だった、すると今なら国の支援があり援助されていたとなるからである。

何か借金を返すために故郷に帰り金を無心に来たらしい、それで実家の納屋の倉の凍み持ちのあるところにいたとか外の藁の中で寝ていたとかなる。
母親がいたが母親とは会っていない、母親は息子のことを脚が悪いから不憫だと思い他より目をかけていたのである。だから別に親が冷たいとはなっていないのである
ともかく古殿から石川町がありそこから
いわき市に自転車で下ってきたことがある。ただ地理的に郡山市に近いから郡山市で働くということもあった。でもその頃は東京や静岡県の方に工場が多くそこで工員になった。その頃また地方では働く場がなく農家では出稼ぎに出ていた。その頃農業だけであは生活が成り立たなくなっていた。原発のある双葉とか浪江辺はその頃出稼ぎ地帯でチベットとも言われた、働く場がなく出稼ぎ地帯になっていた、それで地元で暮らしたいとなり原発が誘致された経緯がある。つまり貧困が原因でもあった。人間の主な問題が貧困にある。人間は経済で動く利益を求めて動く、それは変わりないのである
江戸時代でも江戸への出稼ぎがありムクドリと呼ばれていた。

ムクドリがしばしば登場しますが、「椋鳥」は冬の季語と定められています。江戸時代、江戸っ子は冬になると集団で出稼ぎにやってくる東北人たちを、やかましい田舎者の集団という意味合いで「椋鳥」と呼んで揶揄していました。俳人小林一茶は故郷、信濃から江戸に向かう道中にその屈辱を受けて、「椋鳥と 人に呼ばるる 寒さかな」という俳句を残しています。

こういうことがあった。それだけ出稼ぎ者がいたということである。歴史は繰り返すと言うがこれもそうだった。ムクドリは大群で群れて飛ぶ。だからいかに江戸でも出稼ぎ者が多かったかわかる。出稼ぎは慣れないと都会で家もなく働くのだから辛いとなる
でも家に帰れるからいい方だともなる。小原保は故郷に帰っても迎える人がいなかった
母親がいても会えなかった、それが時代が違っていてそうなっていた。でも共通な面はある。
いずれにしろこれも時代を象徴する事件だった。個人的事情もあるが時代背景をみないとわからない。それでも50年も過ぎると記憶もあいまいとなりその時代のことがわからなくなる。また忘れてしまうのである。







posted by 天華 at 13:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2025年12月26日

全国城の俳句2【春夕陽、春野、桜、菊、月、春の暮、春爛漫・・・・】

全国城の俳句2【春夕陽、春野、桜、菊、月、春の暮、春爛漫・・・・】

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鶴ヶ城少年死すや蝉の声
夏日さす名古屋城や金の鯱
春爛漫大阪城や夢の跡
車窓より春野のかなた姫路城
姫路城望むや春の市街かな
和歌山城白壁映えて菊花かな
明石城船の往来春夕陽
萩城や残る石垣芒かな
秋日さす築地塀や武家屋敷
秋の日や古木の太く熊本城
松山の城下に桜海近し

波ひびき桜装う洲本城
春の日や大阪近く洲本城
花に月淡路島に洲本城
残る花月の光るや洲本城
淡路島波寄せ松や春の夕

二条城障壁画に松桜かな
雷鳴りて家康の天下二条城
雄渾に広間に松や京の夏
秋深む嗜好を凝らし京の庭
大庭に石の配置や秋深む
池映る月や所得て石黙す
京の庭木陰に石や夏の山

平戸城春の潮や外国へ
鐘の音や寺に教会春の暮



城の見方もいろいろである。城は遠くからでも見えるからランドマークになる。
城はいろいろな角度から見て違って見える。そこにはそれぞれの城の物語があり美がある
松本城は黒であり藤の花が似合う。ただ漆で板を黒く塗るのは他でもある
和歌山城は白壁が美しい。
淡路島の洲本城は小さいがあそこにも城があった。城は小さいのを含めるとその数が多い
すべての城をマニアでも見ることはむずかしい。私が俳句にした城は実地に行っている
だから私は相当に日本全国を旅している。
やはり城を中心にして街でも見る。だから城を見ることは欠かせないのである。

京都の二条城も城である。その中の障壁画は見ものである、京都は日本の文化を象徴した場である
でも見る所が多くなかなか深く鑑賞できない、庭でも朝から夕べと季節ごとに見ていないとその神髄はわからない
文化は簡単に理解できない、それだけ奥深いものがある。絵でもなかなか鑑賞するのがむずかしい
芸術は鑑賞すること自体むずかしいのである。京都に庭でもそうである。一回くらい見てもその奥深いものはわからない、

ともかく城は全国にありそれぞれ特徴がある。これも現場に一回でも行ってみない限りわからない
庭でも何回でも見ていれば何かそこに感じるものがある。ともかく京都を理解することはむずかしい






2025年12月25日

全国の城の俳句【人柱伝説の語るものー城から見る日本の歴史】

全国の城の俳句【人柱伝説の語るものー城から見る日本の歴史】

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弘前城門の古しも枝垂桜
上山城秋の一夜や泊る宿
青葉城石垣反りて燕来る
片倉氏白石城や秋没陽
井戸いくつ二本松城落椿
悲しきや乙女桜に小峰城
小田原城天守に望む春の海
海望み小田原城や花盛り
花盛り小田原城の門を入る
吉田城橋にもたれて春の風
名古屋城海の涼風金の鯱
松江城茶にもてなすや春の暮
籠城に井戸を備えて冬の城
福山城天守に人や花盛り
春光や波よせひびく唐津城

青葉城石垣反りて広瀬川ひびき流れて朝桜映ゆ


小峰城の人柱伝説は、城の石垣が何度も崩壊し、人柱を立てることになったという悲劇的な出来事に由来しています。最初に城に来た者として選ばれたのは、作事奉行の娘おとめです。おとめは父に会うために訪れた際に、父の手で「来るな」と合図されたにもかかわらず、逆に「来い」という合図と勘違いし、捕らえられてしまったのです。この事件を悼んで、おとめが埋められた場所には「おとめ桜」と呼ばれる桜が植えられました。現在の桜は二代目で、初代は戊辰戦争の際に焼失しています

城が何を語るのか、一つは建築の美として見る、またそこにはそれぞれの物語がある
何か人は残る物から昔を歴史を観る,それはわかり安いからである
古墳があればやはり古代を偲ぶ、そこには確かに人が葬られている。でもそこに残された物語がある。それが様々でありわかりにくい。城ならば一目見て立派だとわかる。
それは外国人でもわかる。いろいろ城を説明されてもピンとこないだろう。それは外国になるとそこに籠められた歴史が複雑でわかいにくい。
でも城に人柱伝説があるのはいかに城を作るのが大事業だったかを物語る。城の石垣が何度も崩壊して人柱を立てたというのもそのためである
そもそも今でも巨大なビルでも建てれば工事で事故で死ぬ人も多い
するとそもそもがそれは人柱だったともなる。他にも工事では人が死ぬ

人柱というとき普通の家でも私の家でも半年くらいかかり建てた。城となると十年くらいかかったとかありいかに時間と労力をかけたかを知る。つまり何でもそうだがこの世にある物は建築物でも時間と労力をかけている。つまり人柱という時それぞれの家でもそうなのである。何か神道では死者を一柱二柱とか呼ぶ

死者を「一柱」と呼ぶ理由は、古来より神と深い関わりがあったと考えられていることに由来しています。神は自然物に宿るとされ、特に「大木は神が宿るモノ」として重要視されています。柱の形状は地面から天に向かって垂直に立っている姿から、「神が降りて来る為の通り道」としての役割を果たしていたと考えられています。イザナギとイザナミが葦原中国に降り立った時に初めに立てた天御柱(あめのみはしら)は、神と柱の密接な関係を象徴しています。 


松江城約4年
大阪城(豊臣秀吉)約15年
名護屋城数か月で完成と伝わる
松山城約25年

盛岡城
1597年〜1615年頃  
→ およそ18年ほど


この年月をみればいかに時間と労力をかけたかわかる。現代だと重機を使うから工期も短い。第一石垣を作るのにもその石を運ぶのでも人力となると大変な労力になる。
ただそうした苦労を偲ぶことが今になるとむずかしい、それは現代から過去を見るからそうなる。そこに歴史を知る錯覚が生まれる。何か簡単に作られたとも見る
その苦労が偲べないのである

日本の城でもそこには何か精神的なものを象徴している。なぜ天守があるのか?
それは殿様がいて家臣がいる。縦軸の人間支配のためだともなる。頂点に殿様がいてその下に家臣がいて城を守る。でも戦で負ければ殿様が天守で切腹して終わる
それは武士としての覚悟でありそれが城に反映された造りとなる
松江城の天守に井戸があった。それは籠城のために作られた。他でも場内には井戸があったのは籠城のためである。
それは外国の城とは違った精神性が歴史がある。外国の城は市自体が壁に囲まれてその中で敵が攻めてきたら生き抜く構造である。市全体が城にもなる
だから目立つのは城壁なのである。城壁が頑丈であり市民を守る。そこで王様を守るともならない、そこにシテズンシップが生まれたのである
平原のような所では遮る物がないすると大軍が攻めて来るから強固な壁を作り防ぐ、日本の城は山城であり平山城から平地の城になった。山が多いからそうなった。

日本の場合は城があってもそこに住民とは関係ないとまでなる。侍は関係しても関係しない、城が燃えてもそれほど感じない、かえって会津ではその時年貢で苦しめられたからヤーヤー一揆が起きた。庶民にとっては農民は年貢が少なければいいのであり領主でも年貢を高くすれば不満になる、それで城主が変わることことで年貢が少なくなれば返っていいとなっていたのである、だから会津で城が燃えてそれを見て白虎隊の自刃があったが庶民はそれほど感じなかったのである。この意識の差は大きいと思う
侍と庶民は別だったのである。

ともかく日本だとどこでも城を見る、そこから歴史を観る、だから城から歴史を偲ぶ
白石城は丸森から行くと近い

金山城は標高117メートルの「お舘山」山頂にある山城で、1564年(永禄7年)[3]または65年(永禄8年)[1]に相馬氏の家臣井戸川将監、藤橋胤泰が築城したと言われる。その後伊達氏と相馬氏の争奪戦が展開された

天正9年(1581年)には伊達政宗が初陣を飾り、同12年(1584年)に伊達氏の領有となった。

金山城は相馬藩と伊達藩が交互に城主となっていた境の城である
白石城も蒲生氏郷の会津藩との境にあった。地理的に境を知ると見えてくるものがある。そこに興亡があり歴史が記されるからである。



2025年12月23日

寒さ身にしむ一人の暮らし【冬薔薇、冬タンポポ、冬の朝、冬紅葉、寒烏、枯野、・・】

寒さ身にしむ一人の暮らし【冬薔薇、冬タンポポ、冬の朝、冬紅葉、寒烏、枯野、・・】

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路地裏のいつもの道や冬薔薇
鉄道冬タンポポや浜通リ
玄関に重なり散りぬ冬紅葉
餌あれや枯野見ているノスリかな
故郷や墓地に枯野に寒烏
葉隠れに山鳩来たる冬の朝
姉と母遺影を見つつ年の暮
一人身に寒さ染み入る買い物に
古い家寒さ身にしむひとりかな
今日も見ゆなお散り残る冬紅葉
寒鳥の鋭く枝に止まるかな

冬の浪ひびきかなたに雪おおう蔵王望みて山形思ふ
白鳥の姿美し凍てる空鳴く声ひびき朝翔けゆきぬ


ノスリはネズミを探しているのか、必ず電線とかに止まっている。ネズミが枯野に見えるのかとなる。田舎の景色として枯野と墓地と寒烏となる。
福島県の浜通リは雪はほとんど降らない、それで鉄道に沿い冬タンポポがさいていた
でも今日は寒い。買い物が必ずありそれが一仕事になる
めんどうなので料理はほとんどしない。だから買い物は必須である

冬の浪が打ち付け響く、かなたに冠雪の蔵王が望まれる。蔵王が見えるから山形県が近いともなる。福島県でも吾妻山は磐梯山は浜通リからは見えない、だから返って山形県が近いともなる。やはり見えるか見えないかは相当に影響する
福島県でも広すぎる。ハマ、ナカ、アイズでは気候でも違い見える景色も違う
福島市は阿武隈山脈に遮られて全く見えない、だから福島県は地理的に一体感が感じられないのである。むしろ宮城県だと牡鹿半島でも金華山でも見えるから地理的には親近感があるとなる

故郷の風景は枯野と墓地と烏だとなる、何か墓地が目立つ、それで墓地を調べていたのである。冬は白鳥が飛ぶから気持ちいい。今年は冬が長い。ただ一人は寒さが身に染みるとはなる。それでも一人は自然に感じやすくなるから俳句でも短歌でも作るのにはいいともなる。毎日狭い所を同じ道を行き来している。冬は遠出するのがむずかしい
遠出するなら鉄道の旅になる。
ともかく今年も終わりになる。晩方になり寒くなった。












2025年12月22日

金沢の冬の俳句【冬桜、冬の水、冬深む、冬の川、冬の月・・・・】

金沢の冬の俳句【冬桜、冬の水、冬深む、冬の川、冬の月・・・・】

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水流れ古松に寄りぬ冬桜
冬の水めぐり流れて日は暮れぬ
金沢に金箔の技冬深む
金沢や技を伝えて冬桜
金沢の橋の古りにし冬の川
金沢の茶室や池に冬の月
冬深む古都に伝えぬ職人の技
金沢に買いし茶碗や冬深む
古都なれやともしび静か冬の暮
犀川の流れのひびき寒の朝
金沢に買いし茶碗や冬深む




日本の古都は京都と金沢だろう。奈良は日本の建国の場所であり古都とはまた違っている。それは現代に継続していない。京都と金沢は継続している古都である
いろいろな伝統の技が職人を育んだ。そのことで現代まで活き続けたのである。
京都も奈良も川があり水路があり庭が文化の象徴となる
金沢は兼六園があり魅力的である。水が街中を流れるということで盛岡も東北の古都になる。でもそこに伝統の技はないから物足りない。
ともかく金沢は遠いので一回しか行かないからわからない。ただ金箔など職人の技が受け継がれているから京都のように古都として活きている、どちらも冬もいいのも共通している。




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2025年12月21日

京都の冬紅葉の俳句とAIの絵

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京都の冬紅葉の俳句とAIの絵


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味わいぬ京の老舗や冬紅葉
京の道しとと雨濡れ冬紅葉
京の庭苔に散りたる冬紅葉
茶室にて京に交わる冬紅葉
抹茶呑む黒茶碗重し冬紅葉


京都は日本の文化を凝縮した千年の都である。だからどこでも絵になる
歴史の重みがある。庭はその象徴である、家庭というとき家と庭となるのも日本的である
それも文化である。外国のガーデンの由来は

「garden」の語源は、13世紀後半に古北フランス語の「gardin」から来ています。この「gardin」は、フランク語の「*gardo」(柵で囲まれた庭)に由来し、さらにゲルマン祖語の「*gardan-」に遡ります。最終的には、印欧祖語の「*gher-」(囲む)に由来し、囲まれた土地や庭を意味するようになりました

柵に囲まれた私有地の意味で日本の庭の感覚とは違う、何か柵で侵入する者を防ぐが基になっている。他者が入ってならないものになる。それは絶えず異民族が侵略してきた歴史があり庭でも柵で囲み侵入できないようにした。

いずれにしろ京都は日本の文化を象徴する場である。ただ本当の京都は住んでみないとわからないだろう。住んで実感する。ニ三回旅してはわかりにくいのである
それはどこでも外国でも同じである。だから外国に住んだ経験がある人はささいなことでも日本との相違を知る。そこから理解を深められる



2025年12月20日

冬の日家に籠る日々【冬紅葉、短日、年の暮、冬薔薇、木の葉散る・・・】

冬の日家に籠る日々【冬紅葉、短日、年の暮、冬薔薇、木の葉散る・・・】

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数枚の散り重なりぬ冬紅葉
短日や近間を回りはや暮れぬ
近くなれ空家と化すや年の暮

山鳩の家に来たれる冬の日や我は静かに家に籠りぬ
冬の薔薇一輪咲きしも今日見れば散りてなし我は家に籠りぬ
一枚の木の葉庭に散るそを見つつも我は静かに家に籠りぬ


何か今年の冬は11月で冬になりすでに長い11月から3月くらい冬だとすると5か月もある、約半年にもなる。どうしても冬は家に籠る日が長くなる
日も短くあっというまに暗くなる。それで近間を行くだけになる
直ぐ近くの組の人の家が空家化した。二人の老夫婦が住んでいたが車が二台あったがそれもなく空家化した、どこに行ったのかどうしたのかわからない。ただこうして空家だけがどこでもふえてゆく日本である。そこは子供の時からあった家だからそれなりに古い。これからも空家は増える。

山鳩が一羽庭に来る、それでなごむ、やはり窓から庭がみえるのはいい
そこに自然があり四季の変化がある。でも山鳩が来たのはめずらしい。
冬紅葉が重なり玄関に散る。それは老人に見える。
俳句は写生である。それをどう見るかはその人によって違ってくる。私はその冬紅葉が老人に見えたのである
とにかく今年はすでに冬が長く12月で冬深むともなる。
冬は瞑想して内面化して過去を回想するのに向いている。だから冬もいいとなる

2025年12月19日

時間が浪費され失うことが人生の一番の後悔 【後一年しか生きないとなるとどうなるか考えよ】

時間が浪費され失うことが人生の一番の後悔
【後一年しか生きないとなるとどうなるか考えよ】

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時間でその人なりの価値を創る、最後になるとその価値を創る時間がなくなる

人間は生きることは何らかの価値を作ってゆくことである。その価値は多様である
でも働くことはその人なりの価値を作ることである
だから老人になると何であれ職業でも自分のしてきてことを延々と語る。それが他者から見て価値無いものでもその人は語る。それは自分のしてきたことを価値あるものとして認めてもらいたいからであう。ただ現代だとその価値が金で計られる
いくら稼いだかで計れる。それでも金だけでは価値は計れない、またその人自身も金だけでは測らることに満足はしない。何であれ自分のして来たことは価値あることであり
当人も価値ある人間であり人間だったと認めてもらいたいとなる

それでは余命後一年とか宣告されて何をすればいいのかとなる。一年しか生きられないとしたらその間に価値を創る価値あることができるのかとなる
でも現実はそれが求められる。一年間しかないにしろそれが貴重な時間になる
それは誰でもそうなる。どうしても老いれば病気になりそうでなくても寿命があり死に向かっている。でも人間はそう見ない。時間は無限にあり老いて病気になることを考えない。まず後一年しか生きられないとしたら何をすべきか真剣に考える
時間を浪費できないと切実に考える。そして人それぞれにしろ価値あることをしようとする。でも現実はいくらでも時間があるとなり時間は浪費される
金の浪費は具体的に感じる。何を買って損したとか金を使って損したとかは失敗したとかなる。でも時間に関してそう思はない。だから時間は失いやすいのである
そうして最後に後一年しか生きられないと宣告されて時間の貴重さを思い知らされるのである

グラフのように年齢が増すごとに時間の価値は上がってくる。最後に後一年しか生きられないとなれば時間の価値は何倍にも上がってくる。その残された時間内に価値を創るとなると容易ではなくなる。何するにも時間がかかるからである。
そして時間はみんな平等に与えられている。金があるとかないとか才能があるなしにしろ時間は平等に与えられている。でもいかに時間を活かすかで差が生まれる
金を活かすかもあるが時間を活かすことで差ができる。ただ金を稼ぐにしろ時間が必要である。投資では十年くらい先を見て投資する。時間をかけないともうからないのである。時間をかければそれほど知識が無くても増やせる。それで老人は投資に向いていない、時間をかけられないからである。若い人は先を長く見れる。それで投資は若い時から始める。少額でも時間をかければ増える。

結局その人の価値は何に時間をかけたかで決まる。例えば普通は会社員で働き時間を費やす。するといくら社畜だとか嘆いてもその人の価値はそれぞれの会社で培い作られたものになる。それで退職したら会社の役員だっとか自慢する。それが嫌がられてもその価値を認めてもらいたいとなる。でも会社を退職したらその価値は消失する
それは狭い会社内の価値だからである。会社を退職したらその価値を言う場がなくなる
あの人は・・・・で会社に貢献した人だと言う認められるとしても会社内だけのことでありその会社を退職したらその価値を認める人はいないからである。

浪費した失った時間は取り戻せない!

あの時若い時もっとやりたいことをやっていればよかった。今その時間も体力もなくなり後何年生きるかになってしまった。こんなに早く老いてなにもできなくなるとは思はなかった。しかし時間は取り戻せない、価値でも時間があって創られる。後一年それも
病気になり何ができるのだ・・・・・こうなるのである。
それは誰しも老人になり後悔している。その時愕然としてもどうにもならないことを知るべきだとなる







2025年12月18日

はじめに言葉ありき―冬の大地の沈黙の詩 【新たなアカデミアが必要な時代−言葉が通じ合わない文明人間】


はじめに言葉ありき―冬の大地の沈黙の詩
【新たなアカデミアが必要な時代−言葉が通じ合わない文明人間】

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「はじめに言葉ありき」部分の、ギリシャ語による原文はこちらです。
Εν αρχηι ην ο Λόγος
(En arkhēi ēn ho logos、エン・アルケー・エーン・ホ・ロゴス)
簡単に言えば、「アルケーはロゴスなり」。

「アルケー」の意味は、万物の始源・宇宙の根源的原理。



師の言葉は確かに伝授されて
ロゴスとなり響き合う
荘厳に大地は鎮まり
その上に石と石は黙し合い
深く通じ合い言葉は活きる
喧騒と騒音の世界に言葉は響き合わない
言葉は事物と結びつかない
故に事物が盤踞して表現できない
表現する言葉がない
その前で人は何も語れない
言葉を失うのである
そこで人間は大衆群衆となり消耗される
ここで言葉が失うことは
心も通じ合わない
言葉を失う時心も死ぬ
『初めに言葉ありき』
言葉によって世界は創られた
その言葉を失う時世界も消失する
事物が無造作にのさばり占拠して
その前に人は言葉を失う
そこはカオスとなり出口無き迷路と化する
その迷路で怪獣に食われる
今冬の陽は音もなく静かに光を放つ
静寂は充ちて言葉はロゴスは自ずと成る
この静穏な冬に休息して瞑想する
冬は休息の時であり回想の時である
師の言葉は沈黙に心に深く共鳴して
大地に根を張る木々のように
神のロゴスは自ずと成る



現代の問題がいろいろある。その大きなものが人間が言葉で通じ合うことができなくなったことである【初めに言葉ありき】とあるとき言葉を持つことで人間になった。だから初めに言葉があったとなる。ただこの言葉はロゴスの意味であり言葉というだけではない
神の創造した世界を現わすロゴスのことでる。ロゴスには様々な意味がある

現代の問題の根幹に言葉が通じなくなったということがある。また世界を言葉で表現できないということで人間はその存在意義も失う。東京の大都会の風景を見れば

 言葉を失う

言葉で表現できないとなる。そしてそこは出口のない迷宮であり怪獣に食われるとなる
それは言葉で表現できない巨怪なものである。何か原始状態の様々な恐竜が跋扈した時代にも似ている。巨大ということで似ている。それはピカートとかが沈黙なき世界を語った
沈黙があって言葉が活きると説いた。それは確かである。騒音喧騒の世界では言葉は活きない。それで現代では言葉を活かそうとすると現代文明から離脱して遮断して沈黙の場を創る。それがアウトサイダーとなった。つまり現実社会では言葉を活かすことができない、その社会から離脱して言葉も活きる。それでニーチェとか社会から離脱して孤高になり超人を説いたのである。

ともかく師がいたとしてもその教えでも言葉でも通じ合わない、騒音語の中で暮らしているから通じ合わないしその言葉思想でも汲み取れないのである。
つまりその教えでも言葉を汲み取るにはやはりその人も社会から離脱したアウトサイダーとならねばならない。

「academia」の語源は、古代ギリシャの哲学者プラトンが設立した学園「アカデメイア」に由来する。アカデメイアは、アテネ郊外のアカデモスという神域に設立されたため、この名がつけられた。以降、学問や研究を行う場所を指す言葉として「academia」が使われるようになった。

こういう新たな場が必要になる。それは田園にあり自然から学べる場でもある
それは今のマンモス大学のように何千人に講義する所ではない、少人数なのである。
ギリシャは比較的温暖であり戸外で過ごすことに適していた。そこで人が集まり談話して議論した。真理を探求したのである。
インターネットでも共同研究の場であるがそこに生の自然の場はない。情報集積の場であるがアカデミアになる空間ではない、やはり生の自然の場が必要なのである。

ニーチェの沈黙は「逃避」ではなく、思索と力の蓄積です。声を上げるべき時と沈黙すべき時、その両方を見極めることが「超人」への道だと彼は示唆しています

真実の深い言葉を発するには沈黙が必要である、自然は山でも岩でも木でも沈黙している。無駄なことはしゃべらない、だから沈黙しなければ自然と通じ合うことはできない
それで禅宗はひたすら沈黙して座禅して心浄める修行をする、自分は一人引きこもりそうしてきたのである。特に冬は静寂の時であり沈黙の時である。
ともかく言葉は沈黙が合って活きて来る。現代の騒音社会では言葉通じなくなっていることは確かである







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2025年12月16日

大衆社会とは何なのか【導く者を否定するから国家も維持できない】

 大衆社会とは何なのか【導く者を否定するから国家も維持できない】

日本弱体化】なぜ分断国家アメリカは強く、安定国家日本は衰退するのか?


凡庸人が凡庸たることの権利を宣言し,強行する野蛮性」「 自分が正しいと信じ込み,他人の言葉に耳を貸さない自己閉塞性と歪んだ万能感」といった性質をもつ「大衆」そのものではないか.


●議論も何かを究めるものではなく水平化するために主張する

現代の問題はいろいろあるにしてもその根底に大衆化社会がある。この上に乗っかり上部構造がある。上部構造として現代社会の支配者となる上級国民がいる。それは政治家であり官僚でありマスコミでありとかいる。でも政治家でも大衆の代表だから大衆に支持されないと選ばれないから大衆のお気に入りにならねばならない、マスコミでも大衆に合わせるのであり大衆を批判したりはしない、なぜなら視聴率が一番大事でありより多くの人達に見られることで成り立つからである。また企業がスポンサーになるから企業では大衆がお客様だから大衆に受けのいいことを放送する。
またカルト宗教団体でもとにかく一人でも会員を増やしたいから大衆に合わせる。結果的に宗教は大衆に合わせて俗化した。

 凡庸人が凡庸たることの権利を宣言し,強行する野蛮性」「 自分が正しいと信じ込み,他人の言葉に耳を貸さない自己閉塞性と歪んだ万能感

大衆にとって自分より偉いと思う人はいない、自分自身が一番偉いと思っている
だから辻褄が合わなくても自分を延々と主張する。それは戦後民主主義が作り出した人間である。人間は平等であり対等であり自由に発言できる社会である
だから誰であれそれを咎めることはできない、その発言が支離滅裂でもかまわないのである。議論でもともかく発言して俺とお前とは同じだとなる。その内容は関係ないのである

だから原発事故にあって故郷に住めなくなても多額の補償金をもらったから原発事故でも東電でも政府であれ何であれ批判しない、私が批判すると猛烈に自分をあけすけに主張する、原発はいいものだった。みんな喜んでいるとまでいうのである
これは意外だったが現代はそれだけ金の力が大きいから金に支配される
要するに金をもらえればなんでもいいとまでなる。原発事故でも補償金を貰ったから良かったとなる。そもそも原発は金になるから誘致された、地元でも一部の者ではない
みんなが積極的に誘致したものだった。その経済的効果は絶大的なものだった。
原発事故前も金を貰った原発事故後も金をもらっためでたしめでたしとなる
ただ南相馬市だと小高区は避難区域になりその補償金の額は大きかった。原町区も数が多いがそれなりに多額だった。なぜなら鹿島区の三倍はもらったからである
割を食ったのは鹿島区である、それより相馬市とか別に放射線量が同じなのに補償金がもらったにしても余りに少ないから不満になった。

●民主主義が大衆民主主義―ポピュリズムになった

これも何が人を動かすかは金であることがわかる。それは原発だけではないあらゆることで金で動くのが現代である。それはいつの時代でも同じだとなるが江戸時代とかなると身分社会であり身分によって将来も決められていた。身分がものをいう時代である
それは金だけではなかったのである。
いづれにしろ大衆社会とは大衆が力を持った社会である。大衆と民衆とはまた違う
大衆とは現代文明社会から生まれたものであり江戸時代とかなれば存在しないからである。江戸時代なら藩に属して藩民は存在しても大衆は存在しない。大衆とは不特定多数の者でありどこに所属しているかも不明の人達である
民主主義でも大衆は存在しないギリシャの一万くらいのポリスで生まれたからである
大衆という時ローマ帝国のパンとサーカスに興じた人達と似ているかもしれない
その役割がマスコミになったからである、サーカスを娯楽を提供するのがマスコミである。日々の事故事件でも自分が被害を受けなければ娯楽にもなるからである

「 自分が正しいと信じ込み,他人の言葉に耳を貸さない自己閉塞性と歪んだ万能感」

大衆にとって偉い人はいない、自分が一番偉いのである。だから他者の言うことに耳を傾けず自分の言いたいこと主張する。それは別に辻褄があわなくてもいい、とにかく自分を主張して他者を認めたくないのである。何かを言うことにより俺とお前は同じだと水平化することは目的なのである。だから自分を導くものは自分であり他者ではない
自分が一番偉いとなる。
こういう大衆社会はギリシャで生まれた民主主義とはまた違っている。その数の規模が違いすぎる、何百万人を相手にするのと一万規模のポリスではその規模があまりに違いすぎる。だから現代の民主主義は大衆民主主義となりそれがポピュリズムとなりファッシズムとなるナチスとなる。それはカルト宗教でも大衆化して俗化した。そこでも御利益が金がものいう世界である。なぜなら利益になる金になることは即座に誰でも理解するからである。

●導く者がいなくなった現代ーそれでもヒットラーにカルト教団の教祖に導かれる

現代社会が大衆が主役になった時どうなったのか?もはや誰も導くものがいなくなった
大衆は導かれるとを拒否する、自分たちが導く者となっているからである
そこに何の信条が思想が無くてもいいのである。どんなことでも主張する
議論になればどちらが正しいとかも関係ない、議論することによって水平化される
議論で何かを究めることではない。対等になることなのである。別に優劣を決めることではない。何でもいいお前と俺は同じだと言いたいのである。
現代大衆社会は導く者がいない、導く者は大衆である
だから赤信号みんなでわたれば怖くないとなり法律でもルールでも無視できる
それがナチスとなるから実際は相当に怖いことだったのである

なにか国家でも導く者が必要でありその導く者がいなければ国家は継続できない崩壊する。大衆に導かれる社会はありえない、それがファシズムとなりナチスなる
明治維新が成功したのは導く一定の人達がいたからである。
侍はモラルを持ち指導する人達でありその人たちが明治維新でも成し遂げて指導者となったからである。明治維新は庶民が成したのではないやはり侍だった下級武士が成し遂げたのである、各界の指導者となったのである。侍が教育界に入った教師になったのが一番多かったからである。

ともかく国家を維持できなくなるというとき国家を導く者がいない、その導く者は常に大衆により否定される。牧者なき羊の大群が大衆である。そしてアナーキーに無政府状態になりそれでも導かれるものを求める。それがハイルヒットラーのナチスとなりカルト教団の教祖になる。ここで導く者と支配する者は別である、支配するという時権力で支配するとなるから拒否される。でも導く者は必要である。それは牧者であり権力で従わされる者ではない安全な場所に導く人である



2025年12月15日

来年はどうなるー第三次世界大戦の恐怖【世界最終戦争―ハルマゲドン】


来年はどうなるー第三次世界大戦の恐怖【世界最終戦争―ハルマゲドン】

何か高市首相の台湾有事の発言で中国が激怒して日中関係が悪化した。それから中国軍のレーダー照射で日本が抗議してアメリカ軍が具体的に後方支援する、空母のリンカーンを現実に配置する、それは核弾頭を持つ、これはかなり緊迫した中国と日本アメリカの対立が具体的に軍の一触即発なった。何が恐怖かというとどちらも核を持つ、核戦争の恐怖が具体化するからである。そしてウクライナ戦争でもロシアが核を使うと西側をNATOを脅す、つまり核戦争の恐怖を具体的に感じた。ロシアでも中国でも膨大な核を保有している
もちろんアメリカは世界一核を保有している、その核を空母からでも航空機で使用できる
潜水艦でも使用できる。つまり台湾有事は核戦争になる恐怖がある
何か今回は日本が外交の主役になるとかいう。ヨーロッパとも一早く連携することになったからである。でもそれが第三次世界大戦への恐怖となった。
その中心に日本があるということは日本が最も危険な状態になることでもある

昨年、米国防総省が公表した中国軍に関する報告書には“台湾での軍事作戦で敗北し、中国共産党体制の存続が脅かされる場合は、核兵器の先制使用を検討するだろう”と明記されています」

中国を守るというより共産党を守る、共産党一党支配を守ることが優先される、中国人民はその盾になる
そもそも共産党と中国人民は別である。だから中国でも人民が共産党に習近平に抗議して失脚させる。それを習近平でも共産党も一番恐れている。共産党は今や保守であり既得権者でありその既得権を死守する、中国人民を守るわけではないのである
だから中国人民が反乱してデモを起こすことを恐れている。政権交代は民主主義ではないから暴力であれ人民の反乱で起きる
それによって共産党内の権力闘争が起きる。それが軍部とかかわり内乱にもなる。それが中国の歴史でもあった

来年はどうなるのかというとき世界的には第三次世界大戦へ進む恐怖の年にもなる
ここ二十年親の介護や自らの病気でいいことがなかった。悪いことが重なり続けた
それが継続して来年は最悪になるかもしれない、癌が悪化して死ぬかもしれない
でもこういう危険があるときむしろ死ぬことは悪いことにはならない
核戦争になりそんな世界で生きたくないとなる

なぜこんなに災難が多く続くのだろうかとなる。この世は火宅の世であり災難の世であり地獄である。それで聖書のテーマがこの世からの脱出救出なのである
ノアの箱舟でも出エジプトでもソドムゴムラからの脱出でもそうである
災いのこの世からの脱出なのである。神は災いのこの世から選んだもの脱出救出することがテーマである。ともかくこの世はいつか滅びることは確実である
遅かれ早かれ滅びる運命にある。この世に天国は生まれない、人間の手では作れない
神の国は神自ら作り治め恩寵として与えられるものである
だからなんであれ核戦争であれこの世は滅びる。
だから自分としては来年でも死ぬことは悪いとはならない、核戦争の悪夢を見ずに死んだ方がいいとなる。悪いことばかり続くとなれば死んだ方がいいとなる

いづれにしろ来年でもいいことがない、個人的にもそうである。なぜか私には親の介護か20年過ぎても悪いことしか起きない。そして最後は死である
これも自分のカルマだったとなる。30年くらいは家族に恵まれて極楽だった
それが介護から一転して地獄と化したそれも自分のカルマだった。恵まれることはいいようでも悪いことにもなる。何か悪いことで苦しみ苦労していれば苦難に耐えられる
でも楽ばかりしていると苦難に耐えられないとなるからである
苦は楽の種―楽は苦の種になるからである。

とにかく来年はどうなるかとなればどうしても個人的にも世界的にも日本でも何か良くなるとは見えない。物価高で苦しみ戦争に脅えるし地震津波も年末にあり来年ももっと大きな地震があり津波もありえる。災難はつづく、こんなに災難が個人的にも自然でも続くのは何なのだろうとなる。人心の乱れが自然にも影響して災害が起きることもあり得る。相当に日本であれ人心は乱れモラルは消失している。それぞれがエゴむき出しになり金だけを追い求める加熱する。金を持たない人だけではない金を持っている人も安心できない、常に金が狙われる。親子でも親の遺産の金が目的となる
それで大金持ちがそうした子供に金を残さず猫に遺産を残したというのもそうである
子供でも親に求めるものは金である。親は死んでもいい金をくれとなるのが現実である
こうした世相は来年でも次の年でも延々と続く。線路は続くよ地獄は続くよとなる
つまり親鸞の言う地獄は一定の住処であることは変わりないのである。







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posted by 天華 at 10:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2025年12月13日

春の日天童寺を訪ねる【中国を模範にして学んだ日本の宗教】

春の日天童寺を訪ねる【中国を模範にして学んだ日本の宗教】

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春の日日本人寧波に着く
運河を舟に天童寺に行く
穏やかに川岸に春草
松は古り参道登り
紫山夕陽に映えて高塔いくつか
その塔の屹立して厳格に
道元の座禅修行の室に偲ぶ
そこに律して研鑽の日々
日本は遥か遠方に何想うらむ



禅宗寺院に於ける境致と十境詩について


「門外二十里松徑」
(相傳の謝康楽、すなわち杜明師に寄る、此に客は今土を為し、何人が更に詩を解かん、
山空に黄葉落ち、歳久しく緑苔滋す、日暮て高亭に坐し、悠然と動すれば我思う

(相傳の謝康楽、すなわち杜明師に寄る7、此に客は今土を為し、何人が更に詩を解かん、
山空に黄葉落ち、歳久しく緑苔滋す、日暮て高亭に坐し、悠然と動すれば我思う)

大權洞 
山椒古洞閴無塵
雲物深藏護塔神
歲月雖長人跡少  一番花發一番春 
(山の椒は閴にして無塵の古洞、雲物は護塔神の深蔵なり、歳月は長いと雖も人跡は少な
く、一番の花は一番の春を発する) 

梵苑
C幽絕世塵  洞中風月自通神 大權
顯迹名猶在  雲合雲開幾度春 

佛跡岩 
男兒膝下有黃金  踏斷懸崖鐵石心 多少人看都不識  可憐埋沒白雲深

(男児の膝下に黄金有り、鉄石の心で懸崖を踏断する、多少の人看は何れも識ず、憐れむ
べき白雲の深くに埋没するを) 

石書傳道是仙人  雪囓霜饕色倍新 一段精神磨不滅  年年香擁百花春 
(石書を伝える道は是仙人、雪を噛み霜を貪る色はますます新し、一段の精神を磨くは滅
せず、年々香を擁く百花の春)

放光松 
光放三千尺  形奇六百年 高枝幾墜地  老 欲參天 
霽夜亭亭月  晴春曖曖煙 幽人紀妙絕  吟就占松篇 
(三千尺の光を放ち、六百年の形は奇しい、高枝は幾ど地に墜ち、老幹は参天を欲す、霽
夜に月が亭々とし、晴春に煙が曖々とす、幽人は妙絶を紀め、吟は松篇の占めるを就す

赤菫峰 
赤壤多靈草  崖根出劍精 地從山勢結  脉向海門生 
甬水春流合  蛟川夕照 蒼蒼翠微際  一路有鐘聲 
(赤壤に霊草多く、崖根に剣精出ずる、地に従い山勢に結び、脈は海門の生まれるに向か
う、甬の水春に流合し、蛟川に夕照がぎる、蒼々たる翠微の際、一路に鐘声有り)

天童寺・霊隠寺・阿育王寺はいずれも中国浙江省を中心に位置する著名な禅宗寺院で、日本仏教との深い関わりを持っています。特に道元や鑑真など、日本仏教史に重要な人物が修行・滞在したことで知られています。


天童寺は中国的な場所だった。海から運河を舟で行き山の上の寺に行く
そこで山で修行した僧がいた。道元はここで学び修行した。修行の場にふさわしい風光明媚な霊場だった。禅宗に私が魅かれるのは心を浄めることを第一にする
そして正常な自然と一体化する。旅をするにしても雲水となる、それも修行なのである
そこは松の長い参道があり夕暮れ山が紫色に染まる紫山となった。
そこに高い塔がいくつか屹立する。中国の塔は日本の塔のように優雅ではない
厳しく天に聳え立つ、仏像でも柔和というものでなく引き締まり厳格に見える
いずれにしろ仏教でも中国経由で入って来たという時、中国的になった
禅宗は特にそうだった。日本の禅宗は中国の禅宗なのである。
何か山岳宗教でもあり仙人とかにも通じるものだった。

室町幕府・足利義満の時代(1386年)に京都五山と鎌倉五山が正式に整えられ、さらに京都の南禅寺を「五山之上」として別格に位置づけました

天台宗(てんだいしゅう, Tiantai)は、中国を発祥とする大乗仏教の宗派のひとつである。妙法蓮華経(法華経)を根本仏典とするため[1]、天台法華宗(てんだいほっけしゅう)とも呼ばれる[2]。名称は、実質的開祖の智が天台山に住んでいたということに由来する[3]。

天台教学は入唐した最澄(伝教大師)によって平安時代初期(9世紀)に日本に伝えられ、多くの日本仏教の宗旨がここから展開した。今日では中国、日本、朝鮮、ベトナムに信徒を持つ[1]。

禅宗は武士の宗教にもなった。禅宗はなぜひたすら座禅をして瞑想するのか、心を浄めるためであり雑念を払い心を大自然の中で浄化することである。
もともとは天台宗であるから山岳宗教でもあり比叡山がその中心となった
それで親鸞も日蓮も比叡山で学んだし後の山伏などもその系列に入る
宗教はそもそも心を浄めるためにある。それがカルト教団になると一切ない、政治経済を第一にして世俗の欲望を何でもかなえるためのになった。だから東京とか大都会が発祥の場になった。そこでは心を浄める場ではない、世俗的欲望をかなえる経済政治の場である

いづれにしろ中国は常にこうして仏教であれ文化であれ日本人は学ぶ模範とする国としてあった。今のような経済的政治的交流ではなかったのである。中国は日本の手本となる国だった。それが明治維新後失われたのである。でも漢字を使っているから中華文明の一翼を担っている。漢字を使うことは自ずと中華文明文化を継続して担っている
言葉は文字はそれだけ文明の文化の骨格を成すからである。
中国人は中華文明の自負があり日本はその文明の恩恵にあずかるものであり下位に見る
それで太平洋戦争で中国が日本に踏みにじられたことを許せない、親であり兄であるものを踏みにじったとなるからである。そういうルサンチマンがあり日中関係がうまくいかない。ただ日本が中国に従うべきだと思っているからである。










春の日天童寺を訪ねる【中国を模範にして学んだ日本の宗教】

春の日天童寺を訪ねる【中国を模範にして学んだ日本の宗教】

chinesetower.jpg

春の日日本人寧波に着く
運河を舟に天童寺に行く
穏やかに川岸に春草
民の安居の家々
松は古り参道登り
紫山夕陽に映えて高塔いくつか
その塔の屹立して厳格に
道元の座禅修行の室に偲ぶ
そこに律して研鑽の日々
日本は遥か遠方に何想うらむ


「門外二十里松徑」
(相傳の謝康楽、すなわち杜明師に寄る7、此に客は今土を為し、何人が更に詩を解かん、
山空に黄葉落ち、歳久しく緑苔滋す、日暮て高亭に坐し、悠然と動すれば我思う)
(相傳の謝康楽、すなわち杜明師に寄る7、此に客は今土を為し、何人が更に詩を解かん、

大權洞 

山椒古洞閴無塵
雲物深藏護塔神
歲月雖長人跡少  一番花發一番春 
(山の椒は閴にして無塵の古洞、雲物は護塔神の深蔵なり、歳月は長いと雖も人跡は少な
く、一番の花は一番の春を発する) 

梵苑
C幽絕世塵  洞中風月自通神 大權
顯迹名猶在  雲合雲開幾度春 

佛跡岩 
男兒膝下有黃金  踏斷懸崖鐵石心 多少人看都不識  可憐埋沒白雲深

(男児の膝下に黄金有り、鉄石の心で懸崖を踏断する、多少の人看は何れも識ず、憐れむ
べき白雲の深くに埋没するを) 

石書傳道是仙人  雪囓霜饕色倍新 一段精神磨不滅  年年香擁百花春 
(石書を伝える道は是仙人、雪を噛み霜を貪る色はますます新し、一段の精神を磨くは滅
せず、年々香を擁く百花の春)

放光松 
光放三千尺  形奇六百年 高枝幾墜地  老 欲參天 
霽夜亭亭月  晴春曖曖煙 幽人紀妙絕  吟就占松篇 
(三千尺の光を放ち、六百年の形は奇しい、高枝は幾ど地に墜ち、老幹は参天を欲す、霽
夜に月が亭々とし、晴春に煙が曖々とす、幽人は妙絶を紀め、吟は松篇の占めるを就す

赤菫峰 
赤壤多靈草  崖根出劍精 地從山勢結  脉向海門生 
甬水春流合  蛟川夕照 蒼蒼翠微際  一路有鐘聲 
(赤壤に霊草多く、崖根に剣精出ずる、地に従い山勢に結び、脈は海門の生まれるに向か
う、甬の水春に流合し、蛟川に夕照がぎる、蒼々たる翠微の際、一路に鐘声有り)

天童寺・霊隠寺・阿育王寺はいずれも中国浙江省を中心に位置する著名な禅宗寺院で、日本仏教との深い関わりを持っています。特に道元や鑑真など、日本仏教史に重要な人物が修行・滞在したことで知られています。

禅宗寺院に於ける境致と十境詩について 

天童寺は中国的な場所だった。海から運河を舟で行き山の上の寺に行く
そこで山で修行した僧がいた。道元はここで学び修行した。修行の場にふさわしい風光明媚な霊場だった。禅宗に私が魅かれるのは心を浄めることを第一にする
そして清浄な自然と一体化する。旅をするにしても雲水となる、それも修行なのである
そこは松の長い参道があり夕暮れ山が紫色に染まる紫山となった。
そこに高い塔がいくつか屹立する。中国の塔は日本の塔のように優雅ではない
厳しく天に聳え立つ、仏像でも柔和というものでなく引き締まり厳格に見える
いずれにしろ仏教でも中国経由で入って来たという時、中国的になった
禅宗は特にそうだった。日本の禅宗は中国の禅宗なのである。
何か山岳宗教でもあり仙人とかにも通じるものだった。

室町幕府・足利義満の時代(1386年)に京都五山と鎌倉五山が正式に整えられ、さらに京都の南禅寺を「五山之上」として別格に位置づけました

天台宗(てんだいしゅう, Tiantai)は、中国を発祥とする大乗仏教の宗派のひとつである。妙法蓮華経(法華経)を根本仏典とするため[1]、天台法華宗(てんだいほっけしゅう)とも呼ばれる[2]。名称は、実質的開祖の智が天台山に住んでいたということに由来する[3]。

天台教学は入唐した最澄(伝教大師)によって平安時代初期(9世紀)に日本に伝えられ、多くの日本仏教の宗旨がここから展開した。今日では中国、日本、朝鮮、ベトナムに信徒を持つ[1]。

禅宗は武士の宗教にもなった。禅宗はなぜひたすら座禅をして瞑想するのか、心を浄めるためであり雑念を払い心を大自然の中で浄化することである。
もともとは天台宗であるから山岳宗教でもあり比叡山がその中心となった
それで親鸞も日蓮も比叡山で学んだし後の山伏などもその系列に入る
宗教はそもそも心を浄めるためにある。それがカルト教団になると一切ない、政治経済を第一にして世俗の欲望を何でもかなえるためのになった。だから東京とか大都会が発祥の場になった。そこでは心を浄める場ではない、世俗的欲望をかなえる経済政治の場である

いづれにしろ中国は常にこうして仏教であれ文化であれ日本人は学ぶ模範とする国としてあった。今のような経済的政治的交流ではなかったのである。中国は日本の手本となる国だった。それが明治維新後失われたのである。でも漢字を使っているから中華文明の一翼を担っている。漢字を使うことは自ずと中華文明文化を継続して担っている
言葉は文字はそれだけ文明の文化の骨格を成すからである。
中国人は中華文明の自負があり日本はその文明の恩恵にあずかるものであり下位に見る
それで太平洋戦争で中国が日本に踏みにじられたことを許せない、親であり兄であるものを踏みにじったとなるからである。そういうルサンチマンがあり日中関係がうまくいかない。ただ日本が中国に従うべきだと思っているからである。




天童寺は中国的な場所だった。海から運河を舟で行き山の上の寺に行く
そこで山で修行した僧がいた。道元はここで学び修行した。修行の場にふさわしい風光明媚な霊場だった。禅宗に私が魅かれるのは心を浄めることを第一にする
そして正常な自然と一体化する。旅をするにしても雲水となる、それも修行なのである
そこは松の長い参道があり夕暮れ山が紫色に染まる紫山となった。
そこに高い塔がいくつか屹立する。中国の塔は日本の塔のように優雅ではない
厳しく天に聳え立つ、仏像でも柔和というものでなく引き締まり厳格に見える
いずれにしろ仏教でも中国経由で入って来たという時、中国的になった
禅宗は特にそうだった。日本の禅宗は中国の禅宗なのである。
何か山岳宗教でもあり仙人とかにも通じるものだった。

室町幕府・足利義満の時代(1386年)に京都五山と鎌倉五山が正式に整えられ、さらに京都の南禅寺を「五山之上」として別格に位置づけました

天台宗(てんだいしゅう, Tiantai)は、中国を発祥とする大乗仏教の宗派のひとつである。妙法蓮華経(法華経)を根本仏典とするため[1]、天台法華宗(てんだいほっけしゅう)とも呼ばれる[2]。名称は、実質的開祖の智が天台山に住んでいたということに由来する[3]。

天台教学は入唐した最澄(伝教大師)によって平安時代初期(9世紀)に日本に伝えられ、多くの日本仏教の宗旨がここから展開した。今日では中国、日本、朝鮮、ベトナムに信徒を持つ[1]。

禅宗は武士の宗教にもなった。禅宗はなぜひたすら座禅をして瞑想するのか、心を浄めるためであり雑念を払い心を大自然の中で浄化することである。
もともとは天台宗であるから山岳宗教でもあり比叡山がその中心となった
それで親鸞も日蓮も比叡山で学んだし後の山伏などもその系列に入る
宗教はそもそも心を浄めるためにある。それがカルト教団になると一切ない、政治経済を第一にして世俗の欲望を何でもかなえるためのになった。だから東京とか大都会が発祥の場になった。そこでは心を浄める場ではない、世俗的欲望をかなえる経済政治の場である

いづれにしろ中国は常にこうして仏教であれ文化であれ日本人は学ぶ模範とする国としてあった。今のような経済的政治的交流ではなかったのである。中国は日本の手本となる国だった。それが明治維新後失われたのである。でも漢字を使っているから中華文明の一翼を担っている。漢字を使うことは自ずと中華文明文化を継続して担っている
言葉は文字はそれだけ文明の文化の骨格を成すからである。
中国人は中華文明の自負があり日本はその文明の恩恵にあずかるものであり下位に見る
それで太平洋戦争で中国が日本に踏みにじられたことを許せない、親であり兄であるものを踏みにじったとなるからである。そういうルサンチマンがあり日中関係がうまくいかない。ただ日本が中国に従うべきだと思っているからである。











2025年12月11日

大学の大衆化と学びの場の喪失 【戦前と戦後の教育の相違】

大学の大衆化と学びの場の喪失
【戦前と戦後の教育の相違】

●戦前の大学はエリート養成の場


中小や無名校を中心に、今後10年間で少なくとも50校、多ければ100校が淘汰されると思います。有名校も例外ではない。首都圏の上位大学といわれる『MARCH(明治、青山学院、立教、中央、法政)』レベルでも、無策でいればあっという間に危機に瀕するでしょう。安泰なのは早慶(早稲田、慶應)ぐらい。自校の魅力をアピールし、少ない学生を奪い合う『大学戦国時代』に突入するんです」

偏差値50以下の大学を削減すれば、資源が優秀な大学や専門学校に集中し、学生のスキル習得が加速します。例えば、電気工事士や看護師などの職業訓練は、Fラン卒業生の事務職志向よりも需要が高い

大学の役割を「就職のための通過点」から「真の学びの場」へと再定義する

何か大学という呼び名が時代にそぐわなくなった。大学となると戦前は特別のエリートであり将来が約束されていた。そこでバンカラとか自由なふるまいでも大目にみられていた。

高等学校のエッセンスは帝国大学への進学保証制度であった。旧制中学校が入学定員数を順次増加していったのに対し、旧制高校はそれをせず、1学年の定員と帝国大学のそれとは戦前期を通じてほぼ1対1であったため、高等学校の卒業証書さえあれば、専攻を選ばない限り、どこかの帝国大学に無試験で入学できた
戦前の教育制度は今とは相当に違っていた。

高等学校の卒業証書さえあれば、専攻を選ばない限り、どこかの帝国大学に無試験で入学できた。

つまり受験戦争などなく大学に入れたのである。第一高等学校自体が誰でも入れるものではないからそこですでに選別されて大学に無試験で入れた。


大正生まれの私の母は尋常小学校出であり高校自体に入れる人は特別にもなっていた
戦後に教育は大きく変わった。高校に行くのは当たり前であり中卒になると最低に見られる。でも中卒は日本が高度成長時代になり東京などの中小企業の工場に集団就職した
クラスの三分の一くらいが中卒だったのである。

だから地方で大学に入った人は50人クラスで5人くらいであった。それだけまれだったのである。でも私の場合はその5人に入っていた。それでも三流の東京の私立大学に入ったがそこがマンモス大学であり授業でも千人が入る講堂とかでするので勉強する気が無くなった。
なぜそのとき学生運動が起きたのか?マンモス大学で大衆化して大学は戦前とは全く違うものとなっていた。別にエリートでも何でもなくなっていたのである。
新宿で石を投げれば大学生に当たるという時それだけ大学生が増えたのである
その人たちは戦前の大学生とはまるで違ったものになっていた
だからどうしても大学という呼び名が合わない、そぐわないのである
戦前の大学とは同じ大学でも中身がまるで違ったものになっていたからである。

ともかく戦後の教育と戦前の教育は全然違ったものになった。何故ならその内容でも戦前は修身という科目があり道徳教育が一番重んじられていた。それには国家がかかっわり国に奉仕するものとしてそうなっていた。
戦後は国家は常に否定されるものとなり道徳より知識偏重になった。それと利の教育となり勉強するのは金になる得をするためのものとなった。つまり勉強すれば立身出世のためだとなる。国に奉仕するとかではない自己の利益になるからする
何か戦前は大学生でも少ないしエリートだからそれなりの矜持が持てた。戦後はそれが無くなった。大学でもピンからキリまでありFラン大学もありとても大学という感覚にはなれない。つまり誰でも入れる名前だけの大学である
戦前と戦後の大学の差が大きすぎるのである。だから錯覚するから大学と呼び名を変えるべきだとなる。何か大学を知らない人は誤解する。それは大学を特別なエリートと見る。でもFラン大学となれば小学校から中学校の知識もない、それだけ大学の中身が変化したのである

●学問は自主的に問い学ぶ場

そして高校と大学の差が大きすぎる。大学は自主的に勉強する場であるが高校までそいうことをしていないから何か大学は遊びの場にモラトリアムの場になった
授業に出ないこと自慢して下宿で一日麻雀に明け暮れているとかそれは高校とあまりに違っているから何なのだろうと戸惑う、理系は別にしても文系は勉強をしなくてもいいのである。そもそも学問とは学び問うことであり、何か問うことがありそれで学び教えられる。その場が大学だとなる。その問いがなければ何を勉強していいかもわからない、そもそも向学心があれば自ずと人は勉強して自ら学ぶ、その向学心に答えるのが大学であり先生だとなる。もし向学心が無ければいくら優秀な先生がいても効果は期待できないのである。

何か私の場合変なのは常に疑問に思っていたのはなぜ人間は死ぬのだろうということであった。その解決を求めていた。それは宗教の問題になる。私には求道心があった
そのためにカルト教団に入りそこで会員から指導されていたのも奇妙である
大学では指導する先生がいなかった。でも学問とは問うことから始まる
そしてその解答は用意されている。でもその答えは別に学校で大学で得られるとはならないのである。確かなことはそうした問がありそこから学問があり得る。その問いが真剣であればあるほど自ら勉強するのである。

いづれにしろ教育でももはや大学でも時代によって変わらざるを得ない。そしてインターネットとかで自主的に学ぶ場が増大した。もう学校という枠にとらわれることが無くなった。ただ道徳教育とかは対人的とかコムニュテイとかがあり身に着く。侍はそうした場で生活の中で武士道を体得した。
現代の問題はそうした場の喪失である。確かに知識を得る場は多様化してもモラルは知識からだけでは身に着かない。それで貴族に問題があるにしても

●大衆化して失われたエリート(地の塩)

ノブレス・オブリージュ(仏: noblesse oblige フランス語: [nɔblɛs ɔbliʒ])とは「高い地位には義務が伴う」というフランス語[1]。「nobless」は「高貴さ」、「oblige」は「(義務を)強制する」という意味である

義務がありそれはただ特権階級となり贅沢することではない、それは日本の侍にもあった。それが大衆社会になった時世界的に失われた、すべてが大衆化することは何か高貴なものを目指す人がいなくなったのである。問題があるにしても地の塩の役割があった
何でも平等という社会はもそれは全体が劣化する。それで高貴なものが喪失してあらゆるものが大衆化して学ぶ場が喪失した。大学でもそうである。そこはもはや学ぶ場ではないしエリート養成の場ではない大衆化したのである。
何か現代は平等を目指すが高貴なものは否定される。どんな優れた人がいてもお前と俺は同じだと水平化される。つまり指導するにも指導できない。指導される必要はないとなるからである。
それで逆に大衆を指導するのはヒットラーでありカルト教団の教祖になる
またマスコミとかNHKが指導するものとなる、NHKは権威がありNHKが言っているという時納得するからである。

いづれにしろ現代の大衆化社会では教育は不可能である。そういう場もないし俺とお前は同じだ、偉そうなこと言うなとなる。俺を指導するのは俺様だとなる
つまりこうして大衆に席巻されたのが現代なのである。大学の大衆化でもそうである
そこは名ばかりであり中味がないのである。それで大学は公園だったとかレジャーランドだったとなる。現実とても何かを学ぶとかではない学生自体が相当に劣化しているからである。






posted by 天華 at 20:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育、心理学など

2025年12月10日

戦術があっても戦略がない日本 【山が多い日本は局所的戦争になり、大局的見方ができない】


戦術があっても戦略がない日本
【山が多い日本は局所的戦争になり、大局的見方ができない】

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世界から見た中国情勢の深刻化】※日本では報道されない新たな視点※ 武田邦彦×伊藤貫

ギリシャ語のstratos(軍隊)とagein(指揮)が組み合わさったstratogos(将軍)が語源である。18世紀に研究者が戦争術(art of war)を分析するための概念として再定義されたものであり、そこで初めて戦略と戦術に分けることが提案された。

名詞の「ジェネラル」は「将軍」の意味です。「将軍」は軍を指揮する大将のことで、日本では「征夷大将軍」の略称としても使われます。形容詞では、「一般的な」「総体的な」という意味になります。

軍事では、戦略は全体的な勝利を目指す長期計画や方向性を、戦術は具体的な戦闘や小規模作戦での方法や手段を意味します。これが現代のビジネスにおいても応用されています。

戦術とは、戦略によって定められた目標を具体的に実現するための手段や行動です。どのようなメッセージで訴求するか、商品の価格設定はどうするかなど、戦略を実現するための具体的な行動計画が戦術に含まれます

戦略は「地図」:目的地(勝利)までの大きな道筋。
戦術は「運転操作」:その地図に従って、現場でどう動くか。

戦略と戦術の違いの歴史的背景
戦略=長期的な目標達成のための計画(資源確保、外交、同盟)。

大局的戦争: 地図全体を覆うような大きな円や広がった網の目で表現できます。これは、複数の大陸や国家が関与し(例:第二次世界大戦)、政治・経済・文化など広範な領域に影響が及ぶ様子を示しています。
局所的戦争: 特定の地域や地点を示す小さな点や限定された領域で表現できます。これは、特定の地域に限定され(例:朝鮮戦争、ベトナム戦争)、全面戦争への拡大の危険をはらみつつも、一応は地域的に限定されている状態を表しています。

戦術=戦場での具体的な兵力運用や陣形、奇襲など。 日本は「戦略より戦術に偏りがち」と指摘され、長期的視点の不足が歴史的敗北につながったと考えられています。

これに対し、海軍は「極東での英領攻略は対米戦につながる」という考え、すなわち
「英米不可分」という立場にあり、これは海軍の伝統的な英米観でもあった。したがっ
て、この立場の意味するところは、先の企画院の国力検討において対英戦に限定しても戦争遂行の国力にかなりの限界があるということから、ましてアメリカとの戦争をも含む米英同時の対南方戦など成り立たないということであった

戦略: 長期的な方向性(例:敵国の経済封鎖、覇権の確立)。
戦術: 戦略を実現するための短期的な手段(例:包囲、突破、補給線活用)。

歴史的教訓: 戦術的勝利があっても、戦略が誤れば最終的に敗北する。逆に戦略が優れていても、戦術が伴わなければ成果は出ない。


日本人は戦術には優れていても戦略では劣る。戦略は空間軸と時間軸で想定する
中国とか大陸国家では空間軸でもその範囲が広い、時間軸でも長く見れる
日本は島国であり空間軸でも狭く閉ざされていて時間軸でも短く長い時間を未来を見て戦略する計画するのが苦手になる。
大陸国家では大帝国を形成した歴史がある。日本ではそれが狭い島国に閉ざされている。その島国でも山が多く平地が少なく戦略的思考ができない。大陸だったら戦争でも戦略的思考になる。
それは日本では戦争という時地理や地勢が影響されて戦略的思考ができない
どうしても大局的に見れない局所的になる。戦国時代でも日本の戦争は関ヶ原の東西の戦いくらいしか大きな戦争がない、局所的な戦いになる。

平家物語によれば、義経は馬2頭を落として、1頭は足を挫いて倒れるが、もう1頭は無事に駆け下った。義経は「心して下れば馬を損なうことはない。皆の者、駆け下りよ」と言うや先陣となって駆け下った。坂東武者たちもこれに続いて駆け下る。二町(218メートル)ほど駆け下ると、屏風が立ったような険しい岩場となっており、さすがの坂東武者も怖気づくが、三浦氏の一族佐原義連が「三浦では常日頃、ここよりも険しい所を駆け落ちているわ」と言うや、真っ先に駆け下った。義経らもこれに続く。大力の畠山重忠は馬を損ねてはならじと馬を背負って岩場を駆け下った

この鵯越えの戦いも山に遮られてその山を味方にして急襲して勝った。これは信長の桶狭間の勝利ともにている。つまり山を味方にして勝ったとなる。
山が障害ともなるがまた味方にもなる。確かなことは日本では山が多く局所的な戦いになる。大局的戦いになりにくい。局所的戦術を駆使した戦いになる。
戦略的戦いにならないのである。とにかく日本は大局的な見方、グランドストジテイを持てない国である。中国とその領土も広大であり大帝国も歴史的に形成しているから空間軸時間軸思考の幅がかなり違っている。日本は局所的戦い戦術は優れていても大局的に時間軸でも長期的に見ることが苦手である。

外交の巧拙は,交渉を指導し,これに従事する者のかけひきの術に依存するのみならず,彼らの,彼我の相対的力量を冷静に測定し,交渉をめぐる国際・国内環境を現実的に把握し,大局を見すえて緻密に駒を進める能力に依存する。 〈グランド・ストラテジーgrand‐strategy〉をもって,外交を進めることも成功の要諦であろう

日本の太平洋戦争の失敗はグランド・ストラテジーをもたなかった。最初に戦術があり真珠湾でもシンガポール攻撃でも戦術的には成功したが戦略的には巨大なアメリカを敵にしたことで戦略的には失敗だった。何か無計画な戦略なき戦線の拡張だった
そして広大な中国大陸に飲み込まれたともなる。そこに戦略が欠落していたのである
長安に今の西安まで日本軍が侵攻していたことに驚く。それも戦略なき戦いになり自滅したのである



2025年12月09日

青森で震度6強地震 気象庁「最悪のケースでは311のような地震」


青森で震度6強地震 気象庁「最悪のケースでは311のような地震」北海道・
三陸沖後発地震注意情報を初発表 北海道から千葉の182市町村が

地震の「大きな揺れ」と「小刻みな揺れ」は、揺れの周期(長周期・短周期)の違いによって生じます。大きな揺れ=長周期地震動で、ゆっくり大きく揺れるのが特徴。小刻みな揺れ=短周期地震動で、速く細かく揺れるのが特徴です。


10時過ぎ寝ているとき揺れを感じた。何かゆっくり揺れたのでそれほど怖くなかった。地震は急激に小刻みに揺れるのが怖い、これまでの地震はそういうものだった。
急激に激しく揺れて立つこともできない,物が落ちたり家が壊れるのではないかと感じた。今回は震源地が遠く長周期地震動地震だった。だから恐怖を感じないからテレビをちょっと見て寝たのである。ただ地震の大きさは長周期地震動の方が大きい
遠くでも揺れが結構ある。遠くまで揺れがあることはそれだけ規模が大きいとなる
ただ体感としては恐怖を感じなかった。
それにしても地震が多い、災害が多い、天変地異は何かを警告しているのか?
世が乱れるとき天変地異が起きるということで易姓革命が起きる

何か東南海地震も近いのかもしれない、ともかく悪いことは連続して重なり安い
私の場合は親の介護をはじめてからすでに20年近くになるが悪いことしか起きなかった。地震もありそれだけではないあらゆる災難が襲った、今も病気になりその余命がわずかだともなる。いったい何故こうなったのか、やはりカルマである。そもそも地震は定期的に起きるのだからカルマだからである。
いずれにしろ自然災害も人心の乱れとも関係しているかもしれない。

日蓮大聖人の教え:「天変地異は人心の乱れによる」と説き、社会の不信や誤った行いが災害を招くと解釈

人類が地上に増え、暴力や不道徳が蔓延していた時代。神は人間の堕落を嘆き、「彼らを創ったことを後悔した」と語ります。そして、大洪水を起こして地上のすべての生命を滅ぼすことを決意します。

しかし、その中でただ一人「正しく、完全な人」として評価されたのがノアでした。ノアは神に忠実で、日々の生活においても正義を守って生きていた人物です。

この災害は神の意志で起きた。科学的には証明できない、でも神の起こりの怖さを知らしめた。聖書の物語は神が良きにしろ悪しきにしろ人間に神が直接かかわったことの忠実な記録である。

ともかく今回の地震も次なる大災害の予兆かもしれない、中国ともめるのも内憂外患になる。モンゴルが攻めてくる日蓮の時代と似ている。貧困化でもそうである。
何か天変地異は世の乱れを正すためにも起きる。原発事故もどうである。危険なものでも人間の欲からやめられない、原発を増設するというのもそうである。これだけ被害があったのに反ししていない、地元でも補償金もらってかえって良かったと公然として言っているのも怖い、何ら反省していないのである。

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2025年12月08日

石の倉の俳句【冬椿、冬の草、冬薔薇、冬紅葉、冬桜・・・】

石の倉の俳句【冬椿、冬の草、冬薔薇、冬紅葉、冬桜・・・】

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冬椿古木一本石の倉
狭き土地貧に苦しむ冬の草
古寺にそ今年も咲きぬ冬桜
冬薔薇一輪見つつ籠るかな
石の倉いくつかありぬ冬紅葉
定期的に我が家に来る人冬紅葉


南相馬市の鹿島区の北海老の宝蔵寺の紅葉は江戸時代から有名だった。相馬の殿様も見に来ていた。そこには冬桜も咲いている。
ともかく石の倉は多い、石だと重厚なものを感じる。日本には石造りの物が少ない、それで昔を偲べない、ヨーロッパだと2000年前でも石造りのもものは重々しく残っている。それで今でも歴史を感じる。倉でも日本では木と土壁の倉であり明治以降に石の倉になった。だから歴史でも新しいのである。

俳句は写生である。説明していたら短いからである。それで写真と相性がいい、写真は見たままを映すからである。それで【写俳】という分野が生まれた。現代は映像の時代であり写真は欠かせない、技術の変化進歩で新しいアートが生まれる
アートそのものが技術の意味であった。

冬紅葉もいい。何か人が信頼するには時間がかかる、定期的に来る人は親しくなり信頼するとなる、今年は晩秋がなく冬になった。冬が長いとなる





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2025年12月06日

冬深むの俳句【冬椿、冬薔薇、冬深む・・・】

冬深むの俳句【冬椿、冬薔薇、冬深む・・・】

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これは外国になったけど煉瓦の家である、石の家もあるだろう。


十数本根付き冬深む
姉と母我見守るや冬深む
冬深む古木一本に石の倉
石一つここに変わらず冬深む
冬深む桜井古墳に眠る人
冬椿垣根に咲くや街の裏
原町に新しき店冬椿
冬薔薇一輪咲くや籠る家


冬深むというとき一月頃かとなる。でも今年は晩秋がなく冬になった。11月も冬であった。すると冬が11月から2月までになるのか長くなる。だから冬深むというのが12月でも不自然ではない。紅葉でも冬紅葉になった。
姉と母とは60年とか一緒に暮らしたから忘れられない。人間は親しくなるというとき愛し合うという時時間がかかる。誰と一緒に暮らすにしろ一人の生きる時間は限られている。だから老人になって気づく。一緒に過ごす時間が貴重だったと誰と過ごすかも大事でも誰であれ限られた時間をともにする。
それで熟年離婚は損である。なぜならまた新しい人と共に過ごす時間がもうなくなってしまうからである。
人間は金のことは四六時中考えるが意外と共に過ごす時間のことは考えないのである
まず親子でも共に過ごすことが無ければ親子にも兄弟姉妹にもならない。
そして長く一緒に暮らした人は死んでも忘れられない、やはりいるように思えるのである。

ともかく冬深むというときなにか老人に似合う。しんみりとしていいいのである
やはり季節を感じるのは田舎である。冬は過去を回想するとか深く思考するのに向いている。
石の倉は石だから何か冬に向いている。石と木では感覚的に違う。石は重みがある
重厚になる。そこに古木が一本立ち農家がある。そこに存在感がある
冬椿もいい、まだ寒椿にはならない、でも寒いのである
冬には冬の美がある、簡潔な美がある

「簡潔」とは、無駄がなく分かりやすいことを指している言葉です。
「簡」には「省く」「減らす」、「潔」には「いさぎよい」「余計なものがない」という意味があり、熟語が持っている余計なものがなくすっきりとまとまっているさまを示しています。

「簡潔」であるためには、単に短いだけでなく明瞭さが必須です。無駄なものを削ぎ落し必要なものだけを残すのですが、削り過ぎて意味が分からなくなっては本末転倒となります。

女性でも何かそういうふうに見える。冬は無駄なものを削ぎ落し必要なものだけを残す
冬にはかえって花の美でも空気も澄んで映える。冬は何か彫刻的にもなる。無駄なものをそぎ落としてシンプルになる。冬も自転車で走ると気持ちいいい。でも風が吹くと苦しくなる。桜井古墳に眠る人は二人なのである。その二人が誰なのかとなる

2025年12月05日

社会とは何なのか―社会のために人は生きるのではない 【神から見れば人間の社会は罪の社会であり容認できない】


社会とは何なのか―社会のために人は生きるのではない
【神から見れば人間の社会は罪の社会であり容認できない】

●社会とは何なのかーsocietyは明治以降にもたらされた言葉

人間は常に社会のために生きろと教育されるがその社会とは何なのか?
実は明治になりヨーロッパから入って来た言葉でありその概念でもわからなかった
第一社に会すと感じで表せば村の小社の会すとなる。それは村の範囲でありその村の中でもさらに一地域になる。日本人が意識する社会の範囲は狭いのである
向こう三軒両隣にもなる。でもヨーロッパだと社会ーsocietyとは相当に広い範囲をさしている。

上流の人たちが集まり交際をする社会(=社交界)もsocietyです。ちなみに、社交ダンスはsocietyの関連用語である形容詞socialを使用し、social danceとします。

サイズ感をみてみるとcommunity < societyであり、ソサエティのほうがより大きく組織化されたグループです。
そして集まるための目的としては、communityは共通の関心ごとがあります。一方、societyは組織的に共通の制度であったり文化を共有しま

日本では社会というときcommunity の感覚になる。村となればcommunityであり社会となれば広いからでる。communityは日常的に常に意識される。社会は具体的に意識されない、範囲が広いからである。だから社会のために生きろと言われるけども具体的に結び付かない、それより江戸時代なら藩に所属して侍は藩のために生きていた。藩が社会であった。藩は常に具体的に生活の中で意識されるからである。
江戸時代に国家とかは意識されない。それで天皇のことでも意識されないし知らないのである。天皇を意識するようになったのは明治以降でありそこで過剰に意識されるようになった、上から強制されたとなる。第一日本国を意識できなかったからである。

ともかく社会というとき日本では何が社会なのか漠然としている。江戸時代は村が社会である。社(やしろ)に会す社会である。その社会が会社になる。会社も社に会するとなる
現代では会社が村の代わりにもなる。そこで日々顔合わせて共同して働くからである。
今は農村でも会社で働くから会社が社会にもなる。
でも会社は社会ではない、様々な会社がありそれは社会ではない、社会とは様々な会社を総合したものであり一つの会社のことではない、でも現実は会社に属して会社が社会にもなる。社会のために生きろというより会社のために生きろという方が具体的でありわかりやすい、何か社会となると抽象的になる
いづれにしろ日本に社会とは何かわからない。だから翻訳してもそれが理解できなかったとなる。それでも常に社会のために働き生きろとなったのが明治以降なのである
その社会が何なのか明確ではないのである。

●社会のために生きろではモチベーションが持てない

人間は家族のために生きるとなればわかりやすいし現実は今でもそこが基本にある
会社で働くにしても家族を養うためであり会社のために働くがすべてとはならない。
会社といってもABCDE,,,,と様々な会社がありそれは別々な存在なのである
社会となれば総合的にすべての会社も含まれるものが社会になる
とにかく社会のために働き生きろと言うのはわかりにくい。村のためとか市町村のために生きろという方がわかりやすい、その範囲は会社より広いし総合的なものになる。
会社のためにという時は一部分だからである。

人間はその一人の個人を見るときでもその属性としてどこに住んでいるか市町村を見る
また現代ではどこの会社で働いているのかを見る。会社名を見る。大企業に働いていれば一目置くとなる。また職業も見る。職業からその人を判断する
姓名でも職業が姓になる。それは外国でもそうなる。
とにかく社会というのは何かヨーロッパでもその言葉はなかった。上流階級、貴族が
societyになっていたのは社会を作る指導する人達だからだったからだとなる
奴隷は社会の一員にもなれないとなる。だから社会は貴族階級のためにあったとなる。
社会のために生きろと言えば貴族階級のために生きろ働けともなる
貴族の奴隷として働けとなる。それが社会のために生きろというときそうなってしまう

社会のために生きろというとき何かあまりモチベーションがもてないのは具体性がないし範囲が広すぎるからである。
そして人間の存在で欠落しているのが社会という前に神の存在があり神と人間の関係が最初にあった。なぜならこの世界であれ人間を造ったのは神だからである
神がなければそもそも人間は存在しないし社会も存在しない
最初存在したのは家族である。家族が社会でもあった。人間は家族のために働き存在した。社会の前にファミリアがありそれは広い範囲の共同体であり村のようなものだった。familiyとは家族であるが家族が拡大したものであった。国家自体がファミリーが拡大したものであった。ヨーロッパでもハウスブルグ家が広範囲な国家を形成したことでもわかる、江戸時代も豊臣家とか徳川家が藩が家族の拡大したものだからである

それで聖書でも家族の物語でありその系譜が常に語られる。その系譜で最も重要なのはアブラハムであった。聖書では神が存在して人間と神がじかに結びつく物語である
そこに社会は存在しない、だから社会のために生きろと言うこともなかった
神のために生きるとなっていた。なぜなら人間の作った社会は罪で穢れそれで神はノワの洪水とかバベルの塔を破壊して民族を離散させたからである
人間の作る社会は神の意にそぐわないからそうなった。

●社会のために生きろは欺瞞

だから社会のために生きろというのは悪に生きる罪に生きることにもなる。なぜなら社会であれ国家であれ罪にまみれたものであり神の意にかなうものではないからである。
だからこそ神が滅ぼすとなったのである。社会のために生きろというけど罪にまみれた社会でありそれが別に神の意にかなうとはならない。神の意にかなうとは社会とは関係ないのである。神に意にかなうことは逆に社会に反することにもなる。だから神の意にかなおうとした預言者は迫害されてきた。人間は社会のために生きることではない、神のために生きることが理想なのである。でも社会のためにとなるのが問題なのである。

なぜこれほど社会が言われるようになったのか、社会のために働けという時その社会とは誰のことなのかとなる。社会とはあいまいであり社会を意識するだろうか、むしろ
家族とかcommunityは日々の生活で意識する。だから社会のために働けというのは何か不自然なのである。反社会的となってもその反になる社会があいまいなのである
イスラム社会だとアラーの神を認めないことは許されない、社会が信仰共同体にもなっているからである。

いづれにしろ何かというと社会のためにというのはおかしいのである
社会が何か別に善を求めるわけでもない、一体社会が何を目的としているのもわからない、でも社会のためにと常に言われる。その社会という時今ならグローバル化しているから世界のために働けとなる。でも世界でグローバル化に反対する人が増えるのは誰も世界のために働くわけではない、それでアメリカファーストにな日本ファーストになる
様々な組織団体のために働き運動する。それは社会ではなくcommunityだとなる
利益共同体であり利権団体である。カルト教団もそうである。仲間内で結束して利益を利権を共同して求めている。会員ならない者はその利権に利益にあずかることはできないのである。それは社会ではなくcommunityだとなる

社会のために働けとかなると無職の人は社会にとって許されない人になる、それは反社会的になる。でも神と人間の関係から見ると神は社会を見ていない、人間の社会は神から見て罪の社会であり容認されるものでもない。だから神が直接かかわったのは個々人であり組織団体ではない。

●アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神の意味

イスラエル人に言え。あなたがたの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、主が、私をあなたがたのところに遣わされた、と言え。これが永遠にわたしの名、これが代々にわたってわたしの呼び名である。」(出エジプト3:15〜16)

ここに社会とか組織団体はでてこないのである。それで別に社会が存在しなくても神と人は関係している。イノクは社会から消えたが神の下に存在した。神が取り上げたからである。つまり社会に存在しなくても神に選ばれた人は神の下にあり存在したとなる
神の国とは人間の社会ではない、神に選ばれた人達の国である。
人間は社会のために生きても理想の社会は実現しない、社会自体別に善なる理想の社会を目的にしない、便利な社会とかは目指している。でも理想の社会は作れないのである。共産主義社会でもそうである。それは理想を目指してもそうはならず暗黒社会差別社会になったことでもわかる。この世に理想社会ユートピアは作れないのである。
いくら努力しても作れない、神の国は神自らが造り治める国である

●この世で社会で無償で得られるものはない

例えばそこでは人間は労苦して働く必要はない。マナとして神の手から贈り物として無償で与えられる。人間は何か果物でも野菜でも誰かの手から買う時とにか苦労を言う
仕事としている人もその仕事が重大なこととして訴える。そしてその苦労に報えるべきだと強制される。それはマナとは違う。だから受け取る方も何か負担になる
これだけ苦労して作ったものを与えるからその報いを要求する、それは金になるが金だけではない、感謝であれ何かその見返りを要求するのである。
ただでくれる人はいない、ただより高いものがないというのはただで無料で与えられるものはこの世にはないのである。
そのために野に実る木の実を食べた時甘美だったのである。野の鳥は神から無償で与えられるものを食べているから幸福だとなる。

ともかく社会のためとか常に言われること自体負担になる。社会で得られるものに無償で得られるものはないからである。何かを得るとすれば誰かの労苦がありもたらされたものだからその見返りを要求される。だから人間の社会とは常に何か圧迫を感じる
社会のために生きるという時何かを暗黙の内に強制されているのである。そこに本当の自由はないのである。電車に乗るにも車に乗るのでもそこには人手がかかる。
何か社会で無料な物はない、水すら無料ではない、山の清水を飲むとき無料なのである。確かに文明化して便利でも無償でで与えられるものはないのである。人間は社会のために生きるという時社会から逃れられず生きるほかない、水を得るのにも代償がある
無料では得られない、だから社会のために生きろというとき無料のものはなく代償を要求される

人間は無報酬(金なしでは)では他者に何もしたくない―ただより高い物はないの意味 【神の国では神自ら無報酬で賜物として与えられる‐聖書の野の花の例え】