関電と東電の疑惑と不正の構図は同じだった (原発利権の闇は深すぎる)


関電と東電の疑惑と不正の構図は同じだった

(原発利権の闇は深すぎる)

 
関西電力幹部に渡った裏金は3億2千万円どころじゃない! 関電の隠蔽工作と高浜原発をめぐるさらなる闇

10年ちょっと前、関西電力が原発反対派の高浜町長の「襲撃」、さらには「暗殺」を下請け業者に命じていたという告発をされたことがあるのだ。この告発が書かれているのは『関西電力「反原発町長」暗殺指令』(斉藤真/宝島社)なる本。証言しているのは、1999年から2007年頃までの間、福井県の高浜原発の警備を請け負い、その暗殺指令を受けたという警備会社の社長と従業員だ。

 当時、関西電力内の高浜原発ではプルサーマル導入を進めていたが、これに高浜町の今井理一町長(当時)が強硬に反対。プルサーマル計画は頓挫し、そのまま数年にわたって導入が見送られ続けた

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原発については追及してきた、今度は関電で全く吹く福島と同じ構図で不正が起きていた暗殺まで計画されていたというから原発は利権にかかわり暴力団化していたのである
その利権が巨額になるから原発にたかることになる

原発がそもそもがやましいものだから不正に通じる

原発はなかなか自治体から受け入れられないものだから余計にそこで闇の勢力がはこびるその闇の勢力とは自治体の町長の助役が暴力団化していたのである
だから今になって前の高浜町長が原発に反対していたので見直されたとなる
その当時町長が原発に反対することは容易なことではない
なぜなら原発の経済的効果は自治体にとってあまりにも大きいものだったからである
それは土木関係とかで田舎は仕事になる、たいがい原発とみんな関係している
必ず南相馬市でも働いた経験のある人が本当に多いのである

地方はそもそも田中角栄時代に公共事業をして地方に金を回していたのである
その延長として原発があった、そこから回る金は事故後も除染に7兆円とか驚くのである今日の深層newsでもそれを放送していた、ただ日テレであり読売新聞だから原発を最初に日本に作った正力松太郎が創業者なのだからここも追求するにしても限度があるだろう、それで電気連合会のことを言ったとき口を閉ざした
つまりこの電気連合会(電事連)はマスコミではタブーになっているし前面に出てこないのである
そこから宣伝費が2000億円とかでていたからである
とにかくゼネコンに巨額の金がまわりその下請けに回る、そして地元の土建業者に回る
その金は検察までもまわる、それで検察では東電の幹部を罰することができない
天下り先として東電があるからだ
そのことを今になってマスコミで問いただしているのは国民の怒りがもう収まらないとなったからである
もう政府を変える革命すら必要にもなる、それだけ国家自体が放射能に汚染されただけではない、どす黒い金によって汚染されていたのである

この記事からすると福島県の前の知事の佐藤 栄佐久氏が失脚したのはそういう大きな力が上から働いたためなのか?
福島県のマスコミでテレビで連日プルサーマルについてしつこく報道されていたからである、知事が強く反対していたから目障りになったためだったのか?
高浜原発でも同じ構図だったからそうだったのかとなる 

とにかく自治体の町長の助役までが暴力団化して殺人まで指示していたということは怖いと思った
でも福島県でも同じなのである、巨額の利権で暴力団化する、利権に食いつき金を得ようとするのは同じだったのである
漁業権のことでも漁業組合が利権化して海を売り渡して東電から補償金をもらっていた
そして原発御殿が建っていた、助役はその御殿よりすごい邸宅だったのである
そして助役自体が関電を脅迫していたというのも驚きである

そもそも土建業者とかは何か怖いというイメージがある、また漁業組合でもそうである
漁師となると荒っぽいと感じるからである
それでまず事故前だったらそういうことを言ったら怖いと思った
本当に小さな地域では住めなくなると言ってきたがそれは高浜でも同じだった
ここは一万くらいの人口しかないのである
そして人口が二割くらい増えたからその経済効果が大きいから反対することはできなくなる、だからどうして前の町長は反対したのか不思議だとなる
富岡町長の5億円入った津浪で流されて探してくれと頼まれたとかあった
自治体にもそうした巨額の金が回っていた
でもなぜ助役はそんな力をもったのか?議会とかもあり承認を得なければならないはずだがそれも暴力団化していて機能しなかったのか?
また議員にも金を回っていたのかともなる

あの人に逆らったらこの地域で生きていけない。

ここでも同じである、土建業会社でも漁業組合でも地域では力をもっている
一種の暴力団化することがある、この人たちににらまれたら地域で住めなくなると書いてきた
とにかく何度も言っているけど原発は国家ぐるみの犯罪と化していたのである
検察もその国家犯罪を裁くことはできない
なぜなら利益を得るからできない、つまり検察にも助役から贈り物が贈られていたとなるからだ、共犯者だったのである
ただそういうことは津波の前に原発事故の前には隠されていたのである
これも税務署の調査でわかったのであり検察は関係していない
検察も国家ぐるみの犯罪に加担していたともなるから裁きようがないとなっていた
本当に東電の幹部が無罪となり堂々としていること自体がもう日本国家に正義も司法もないとなってしまっているからだ

だから検察はあてにならない、世論を喚起して裁かない限りもう日本国家は放射能で汚染されるだけではない、人心も汚染されて国も保てなくなる
新しい日本国家再建をする革命すら必要になっているのかもしれない
ただそれは容易ならざることである
それは地元でもその恩恵が大きかったからである
だからその地域でこうした暴力団化した地域のボスに逆らうことはできないとなっていたのである

何かこれが江戸時代の悪代官とかの時代劇とにている、人間はこれだけ科学技術が発展して情報が自由になっていも実際は変わっていない、同じように人間は欲によって不正が行われている、つまり上級国民は何もしないでも得する仕組みは変わらなかったとなる
そして上級国民は罰することができなというときもそうである

一体誰が罰することができるのか?

国家ぐるみの犯罪はもう罰することができないのである、原発そのものがなにかそうした国家的犯罪を内蔵していた、そういうやましいものだった
それは原子力とか核とかがかかわり核武装するためだとかアメリカの意向だとかかかわりアンタッチャブルになっていたのである
そのアンタッチャブルから事故が起こりまた関電の不正が暴かれたのである
ただこのような国家的犯罪は裁くことはできない、のうのうと東電の幹部は無罪になっているからだ、検察もグルのだからうにもならない、検察はいらないとまでなる
国民は怒るべきなのだがその大きなものに対して対抗できない

「そのまっくらな巨きなものを/おれはどうにも動かせない/ 結局おれではだめなのかなあ」宮沢賢治

この闇を作り出すものは何なのか?賢治の場合は閉鎖的な田舎のことだった
この闇の世界はアメリカとかもからんだ余りにも大きなものだったのである
なぜなら検察はアメリカの言う通りに動くとか言われるからだ
検察自体がそうなると原発に関してはアンタッチャブルになる、また国内にしても電気連合組合は強力でありそこは労働組合も関係しているというとき左翼も関係しているから追求できないとなる
野党も原発に関しては追求できないのが日本なのである
そして東電とか電気連合組合から2000億円もの金がマスコミに宣伝費として出ていたのである
その額も大きいから批判は封じられていたのである

原発は放射能で日本の国土を汚染しただけではない、その心まで汚染したのである、それが深刻だったのである
その闇は深くは金の額でもまだまだ明らかにされていない、それだけ巨額の金が動くのが原発だったのである

ブルータスお前か-関電お前もか

こういうふうに次々に原発に関しては同じことが起きる、権力闘争でも起きる、それが人間の業(カルマ)だからである


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2019年10月02日

物の消費から語りの文化の時代 (多様化個性化地域化の価値の追求)


物の消費から語りの文化の時代

(多様化個性化地域化の価値の追求)

技術から情報へ、経済から文化へ、ハードからソフトへの比重が移ります
こうして二十一世紀のわが国では経済のあらゆる分野で「意味」や「文化」、つまり「コトバ」や「デキゴト」の「コト」のしめる比重が急増していくことです
(日本はなぜ縮んでゆくのかー吉田隆彦)

明治以降は西欧列強に対抗するために強力な中央主権国家が必要だった
それで標準語が作られた、方言でぱ通じにくいからそうなった
その時、国の訛りとかは消える、でも方言にはあったかさがある
情的なものがある、だからこそ国の訛りなのである

明治以降は中央主権国家手あり富国強兵を国是とした、日本人が一眼となって欧米列強と対峙しなければならなかったからである
それは太平洋戦争までつづいたのである
戦後また日本は今度は規格品の大量生産時代でありそれで高度成長があった
日本は別に技術的に特別優れていたのではない、ただ誰でもできることを先んじて
世界でしただけである
何かアメリカのように発明したわけではないのである
日本には発明することがない国である
ただ大量にいいものを規格品を作るに向いていたのである
そもそも日本というのは人間自体大量規格品であり同一化同質化しやすい国だから
大量にいいものを作るのは向いていたのである

でもそうした大量規格品を売る時代が終わった
そういうものは今でもテレビでもパソコンでも韓国中国で造れるしかえって日本はスマートホンとか通信分野で後進国になっていたのである
日本ITでは後れをとった、そしてこの情報化社会というのは何なのか?
それが今具体的にいろいろ問われる

新規農業者が語る農業の講義が面白い、今でも野菜は大量に規格品を出している
でもニンジンにしても多様なニンジンがある、他でも野菜でも多様な野菜がある
それはスーパーには売っていない
そこが小規模農業の狙いだとしている、それもやはり多様化ということがキーワードになり未来を示しているからだ
実際は農業でも8割は大規模農家で生産しているものが市場に出ているから同じ規格品しか出てこないのである

だからこのyoutubeで何が変わったのか?農業を語るということである
農業が実際にしている人が語ることができる、その語りでもやはり経験していないとできないのである
youtubeになると個々人がいかに語りえるかである
その人の経験が売りになる、それは底辺労働者でも非正規でもその労働現場を語ることでなるほどと思った、そういう情報はマスコミからは今まで出てこなかったのである
マスコミは中央集権的情報装置であり個々人を相手にしていないからだ
そしてマスを大衆を相手にして視聴率を稼ぐことだからである

それは県単位の新聞でも雑誌でもそうである
むしろ市町村単位の情報もありそれが放送されない、一部されても市町村単位放送局はないからだ
ただyoutubeだと個人単位でも放送局になれるということである
だから個々人の語りの時代になったのである
その語る人は特別な人ではない、マスコミによって選ばれた人ではない
マスコミではマスコミに適応する人しか選ばないからだ
それで武田邦彦氏が科学者だから個人放送局として見る人が多い
そこでも自分を語る場となっている

人間は何かしら語ることをもっている、特にある程度の年になると何かしら経験しているから語ることがある
だから平凡な人でも私が話を聞く、するとそういうこともあったのかと新鮮なのである
東北電力の建物はいつも見ている、それは高いのである
それでその中で働いていた人が階段を上り下りして荷物を運ぶのがつらくてやめたと聞いた、その階段が外から見ても高いのだから相当に高いとなるからそうなのかと納得した
たこうして人の話をいろいろ聞くことは知見を広めることになる
特に私は郷土史をプログで発信しているので郷土のことをトータルに知りたいから余計にそうなる

現代は語りがなくなった、人と直接語ることが少ない、スーパーでも語らずに物だけを買う、でもこの辺でも小さな地域の市場がありそこだと必ずその物について語られる
こうして育てたとかこれはこうだからいいものだよとかなる
ただ地域の市場はかえって高くつく、トマト一個でも400円したとかなる
それは特別なトマトだからである、安く大量に販売するものとは違うからである
ただ市場とは物をやりとりするだけではない、人間が交わるところでありそこで情報を交換するとか結婚相手を見つけるとか楽しむ場でもあった
特に遊牧民だと暮らしている範囲が広いから集まることができないから市がたつことは年に何回とかにもなるとしたら貴重な出会いの場だったのである

ねんごろに故郷の女(ひと)と話しけり我が家のありて秋となりしも

この女性とは話するためにだけあるようなものである
話がうまいということもある、ただ老人になるとやはり話すことが一つの仕事になる
昔を語ることが仕事になる、それで戦争のことを姉から認知症になっても千回語りつづけて効いていたが嫌になった
それは語りが同じことのくりかえしだからである
もし同じことでも語るとき何かまた知らないことを語れば違っていたのである
語るにしてもいろいろ語ることがありそれによってまた新たな発見がある

ふるさとを語るというときこれほど私がプログで書いているかというと津波や原発事故でその語ることが膨大に増えたからである
この辺ではみんなその苦労話を語ることになるからだ
それは十年過ぎてもその語ることはまた新たにある、津浪や原発のことはそれだけ広範囲であり重大なものだったから歴史的事件だったからそうなる
それは戦争とにているのである 

いづれにしろ語りの文化というのは稗田阿礼からはじまり長い、庶民の文化は語りの文化である、文字にしたのではなく語ったのである、文字を作ることは相当な高度な文化である、でも語ることはしゃべることは原始時代からしていたのである
それで地名という時、音が基本でありそれに漢字をあてたのである、それで漢字を見ているとどきうしても誤解が生まれているのである
語りという時江戸時代でも語りである、落語でも講談でもその前の盲人の琵琶法師などでもそうである
第一通信が発達しなければ娯楽でも芸能でも直接芸を見せなるから直接語ることとにている
語るということはしゃべることは常に日常でしている、だからそれが芸になる、歌はとはそもそも訴える(うったえる)→歌になったからである 

ヤップ島が石の貨幣として有名であるがそこで石の貨幣が運ぶ途中で海に沈んだ、その石を引き上げる苦労が語られる
するとその石の貨幣は価値が高くなる、つまりそれだけ苦労して引き上げたからだとなる
つまりストリーに価値がある、貨幣というのはただの交換する道具だとなるが実際はストリーがある
でもそのストリーが省かれている、語られることが省かれている
こういうことが何か不思議に思えるけど人生そのものを考えると人生は最後は物語になる、ヒストリーになる、ストリーが歴史なのである
すると語られことによりその物語により人生の価値がある、有意義な人生とは常に語られる人生だからである
だから英雄譚とかそうした人生で常人のできないことは神話とかとなって語り継がれてきたのである
まさに人生というのは語られるべきものがあるときその人生に価値があったとなる
あなたの人生に価値がないというとき語られるべきものがないとなる
いくら大金持ちでもそこに語られるべきものがないと価値がないとなる
死んでから百年後でも語られるものは価値がある、芸術でもそうである
それは延々と語り継がれているからだ


ともかく語ることは文章にするのとは違って全人間的行為なのかもしれない、そして語る時話す時効果的なバックグランドが自然でもあることである、自然を語る時その自然そのものがあれば具体的に言葉も活きてくるからである
本を読むにしても言葉だと文字だとイメージすることが不可欠になるが戸外で話する時はその言葉そのものが具体的にあるから話がはずむのである、どういう場面で話しているか実感するからである
語る時は必ず表情とかもみるし感情もでてくる、だから語ることはメデアを機械を通して語るのとは違う、インタ−ネットとかでもそこで語るということは直接ある場所で語ることとは違ったものになる
だから文字だけでやりとりするというパソコン通信は今までありえないことでなじめなかった
ただ語るとしても対面的になると語る人が限られるから広い知識は得られない、でも人間の基本的コミ二ケーションは語ること話すことなのである

だから本当は旅でちょっとでも土地の人とその場で話すると活きててくる、ただ私自身はしていない、旅は急いでいるから何か土地の人とも話せないのである、そして今はスマホを見ているから余計に土地の人と話しないのである
それは旅でも急いでいるからそうなるのである、土地の人に道を教えてもらうにも手間になるから土地の人も道を正確に教えないのである、適当にしか教えない、だからスマホの方がいいとなっているのだ  
その点柳田国男は土地の人と語ることが上手で口碑を文字で残した物より語られたことを重視して民俗学を起こしたのである 

ただ話すこと語ることは消えやすいのである、その証拠が自分自身書いたものを忘れている、プログでも十年以上していると過去に書いたものを忘れている、そしてこんなことを書いていたのかと自分で書いたものを読んで感心しているのも不思議である
だから話したりすることでもそれを文章にして残さないと消えてしまう、文章にすると長く残るのである
そして人は次から次と死んでゆくとき残るものは何か?その人が書き記したものであり本とかなる
それだけ世の中を生きることは常に忘れられてゆくことである、一つの墓が墓地に倒れていた、名前も記されていても名前だげであるその人について知りうるものはなとはなにもない、その倒れた墓石が何か人間を人生を語っている
その墓石は人間なのである、倒れてしまって死んで帰らぬ人となった人間なのである
最後になんとか名前を残しただけだとなる、ただ石に記せばそれは長く残るのである    

ヤップ島が石の貨幣として有名であるがそこで石の貨幣が運ぶ途中で海に沈んだ、その石を引き上げる苦労が語られる
するとその石の貨幣は価値が高くなる、つまりそれだけ苦労して引き上げたからだとなる
つまりストリーに価値がある、貨幣というのはただの交換する道具だとなるが実際はストリーがある
でもそのストリーが省かれている、語られることが省かれている
こういうことが何か不思議に思えるけど人生そのものを考えると人生は最後は物語になる、ヒストリーになる、ストリーが歴史なのである

すると語られことによりその物語により人生の価値がある、有意義な人生とは常に語られる人生だからである
だから英雄譚とかそうした人生で常人のできないことは神話とかとなって語り継がれてきたのである
まさに人生というのは語られるべきものがあるときその人生に価値があったとなる
あなたの人生に価値がないというとき語られるべきものがないとなる
いくら大金持ちでもそこに語られるべきものがないと価値がないとなる
死んでから百年後でも語られるものは価値がある、芸術でもそうである
それは延々と語り継がれているからだ




故郷の実りの秋


故郷の実りの秋 
                               

柿なりて代々の畑耕しぬ

秋の蝉朝に聞き入りいつもの道  

秋の蝉今日は聞こえぬ同じ場所

朝露の稲穂に光り野良仕事

夕日さしふるさとに老ゆ実りかな

橲原(じさばら)に山重なりて秋日没る

秋日さし橲原暮れぬ山の墓地


街道の松の変わらず道しるべ秋風吹きて坂越え来たりぬ

大海の波にゆれにつ鴎浮きまた飛びたたむ秋になりしも

丘の上に久しく立ちし樅の木の直しも実りに夕日さし暮る

ねんごろに故郷の女(ひと)と話しけり我が家ありて秋となりしも

礎(いしずえ)の祖(おや)あり成りぬふるさとの実りなるべし陽は山に没る


最近土手の道の同じ場所に座る、すると必ず蝉の声が聞こえた
しかし昨日も一昨日も聞こえなかった
つまり秋の蝉の声は聞こえなくなった、これは季節が変わったことである
蝉の声が聞こえないことで何か深い余韻がそこに残る
それはいつも同じ場所にいたからそうなった
ここ十年は介護して旅もしていないから同じ場所回っているからそうなった

ふるさとの実りはいい、この実りがないと秋という感覚がなくなる
橲原(じさばら)に行ったが実りが一区画くらいしかないのが淋しい
草ぼうぼうなのである、何か人間の営みは自然と融合しているとき一番美しいのである
だから形だけでも実りがあり畑でもしている人がいると自然も活きているのである
一区画しかなくては淋しい、山の墓地も何か秋の日がさしていい感じになる
そういう場所に眠りたいとなる

何かその場所場所には個性がありそこに暮らしがあるときいいのである
だから限界集落が消失するというとき淋しくはなる
ただ農業だけではもう暮らしていけない、第一どこでも農業だけで暮らしている人は本当に田舎でも少ない、勤めている人が多いからである
でもなにかしらそこに生業(なりわい)がないと自然も活きてこないのである 
橲原とかは奥座敷という感覚になる、場所としていいのである
山に囲まれた狭い地域だからそういう感覚になる

だから観光とかなるとその場所の特性を活かすことなのである
私は何か場所にこだわる、地形にこだわる
観光なら陸前浜街道とこうした山の地域を活かすことである
一日でも浜街道を車を通らないようにしたら昔が甦る、ただ日立木から相馬市の城跡までである、あそこは昔の街道が残っているからだ

実りという時、それは稲穂だけが実るのではない、それが心に反映される
だから田畑でもそれを食料とだけみるが文化的実りもある
実りは祖(おや)がいて実りがあるとなる

話するのは故郷の老いた女性である、その女性は話だけはうまい、でも腰がいたいとか何もできない、ただ話するだけである
でも年取ると実は話することが仕事にもなる、昔を語ることが仕事となる
昔話とかは老人が孫などに語り聞かせることからはじまったことでもわかる
何かを経験でも伝えるために話する、何か人と話する時、活きてくるものが自分自身思った
ちょっとでも相手と話すことでわかることがある、おそらく今の時代は語りの時代になっているのかもしれない
youtubeなども個々人の経験の語りなのである、それはマスコミとは違ったものである
語りとなると必ずしも大勢に語ることではない、知らせることでもない
対面的になるからだ、そこで多様性が生まれてくる、そういう時代の変化としてインタ−ネットとか生まれたとなる
インタ−ネットでも個々人の語りだからである

ねんごろとは

1 親密になること。

「おまへは貧乏神と―してござるかして」〈浮・禁短気・一〉

2 男女が情を通じること。

「此のお夏は手代と―して」〈浄・歌祭文〉

日本語も不思議である、ねんごろとはねむころから生まれた、寝るとなるから男女が情を交わすことである
日本語の語源を探ると何か日本の文化が見えてくる




わたしは待っている

I am waiting for you

わたしは待っている
あなたの帰るのを待っている
木の根のように
わたしはその土地に根付き
あなたを辛抱強く待っている
帰って来いよ
あなたのふるさとに
あなたを待つ人がいる
死者もあなたを待っている
ふるさとは荒れ果てていいの
あなたのふるさとはどこなの
わたしはふるさとに根付いて
一本の樹のように
あなたを待っている
帰ってこいよ
あなたはここに育った
あなたはここにはぐくまれた
愛する人がここにいた
深い愛がここにはあった
わたしはここに根付いている一本の樹
その根元に藪甘草が五六輪咲く
わたしはここに待っている
あなたが帰ってくる日を
辛抱強く待っている
わたしはここの土地を離れない
わたしはここでこの土地に朽ちてゆく
それでもわたしはあなたを待っている
辛抱強く待っている
わたしはここに生きてきた
ここを離れてわたしの生きる場はない
人はある場所に深く根付く
そこを終の住処と根付く
人も石や樹と同じだから
そこに人は安心立命する
あなたの思い出はここにあり
ここにまた生は受け継がれ
また新たに織りなされてゆく
わたしは待っているいつまでも・・・


これは前に書いた詩だけど読み返していい詩だった、これも忘れていたのである
何か自分の書いたものでも忘れていてもう一度読み返して感心しているのも不思議である
いいものは何度読んでもいいということがある
そういうものが古典として残る
時流的なものは一時的なものとして消える、それが百万人読んでも消える
なぜか芭蕉の俳句などはこれだけ時間がたったのに味わいをましている不思議である
そこに何か深い芸術性がありそれがかえってこれだけ時間を過ぎてもかえってそれが価値をましているのである


2019年10月01日

原発の汚染水問題の判断の難しさ (大阪で海に流すことは痛みを分かち合うことになる)


原発の汚染水問題の判断の難しさ

(大阪で海に流すことは痛みを分かち合うことになる)

汚染水を大阪に流すという提案は悪いものではない、福島だけにすべてを押し付けるのは納得いかないからだ
だからあえて大阪で汚染水を引き受けるということはなかなかできないことである
だからこれは評価できる、でるできないにしろそういう気持ちを大阪でもてってくれたということである
実際は東京湾に流すべきものなのである、東京が一番責任があるからだ

とにかく原発というのは様々な問題がからんで複雑なのである
第一原子力からして核からして素人は立ち入れることができない
それで汚染水を海に流したらどのくらい影響があるのか?
それ自体素人にはもう判断できない
なぜなら科学者でもトリチウムすら非常に危険だという学者もいるしまたそうでもないという人もいる、ただ汚染水の中には他の核種がありプルトニウムなどがあるからそれを排除しないと危険だとしている
それは反対する者でも賛成する者でも一致している

ただ原発となるとこうして汚染水問題でも科学者でも判断が違ってくる
すると素人はますます判断できないものとなる
そして科学者でも実際汚染水を海に流してどれだけの影響があるのか?
それも定かではない、科学者もわからないのである
それは結果をみないとわからない、何十年後かに影響がでるとか遺伝子に影響するとかなるとますます判断しにくくなるのである
そしてすべてが科学では判断できるわけではないのである

経済(利益)判断〉政治判断〉科学技術判断〉司法判断〉生態系生業判断

つまり原発は最初から経済(利益)判断で作られてきたのである
そこに何兆円という国家規模の予算が投入される、だから湯水のように金が出る装置だったのである
その経済的効果が大きいから自治体でも誘致する、福井の高浜原発でも小さな町でも1600人くらい人口が増えたとなる、この辺でもそのことを書いた、浪江町で二万人いたのも原発があったからだとされている
漁業権を東電に売り渡した結果、船主は原発御殿を建ったとか大熊町長は津波で5億円入った金庫が流されたとか噂になった
そういうことは今回福井の原発でも自治体から関西電力の幹部から地元の建築土木会社に金が回っていた、つまりそうして原発マネーというのはあまりにも大きいものだったのである、その金に人々は魅了されて狂わされたのである
事故後でも今度は多額の補償金が支払われてもめたりその金がギャンブルや女性のために使われたりした、そこで復興などない、その金がの額が大きいから復興とかはただ家族のためとか個人のためにしかない
それでその補償金でかえって自治体から若い世代が流出して崩壊するようになった

南相馬市というと原発から離れているからそんなに関係していないとみていたが本当に原発で働いていた経験のある人が本当に多いのである
それだけそこはいい働き場所になっていたのである、給料でも三倍くらいになるとかなるそして今でも東北電力の原町火力発電所はこの辺では大きな経済的効果をもたらしているのである

人間は今は特に経済(利益)がどこでも最優先される、それしかないのである
それで小高の腕のいい大工さんでも小高に東北電力の原発ができるということで景気よくなると喜んでいたのである、それは南相馬市でも経済的効果が大きいから反対できなくなる
原発立地自治体ではみんなそうなっているのである、別に事故が起きなければ金になるからいいとしかないからである
つまり経済的利益判断が最優先なのである、次に政治判断があり科学技術判断があり司法判断とかとかある
最後に生態系判断とかになる、その生態系判断というとき一次産業である
漁業とか農業とか林業とか自然と結びついた産業である
でもそれは一番無視されていた、それは今は金にならないからである
結果的にその生態系に依存する生業が一番被害があり放射能汚染で土も水も空気まで汚染されて住めなくなったのである

また原発で非常にやっかいなのは政治的判断というとき背後にアメリカがありアメリカの指示で原発は決められていた、それは日本がアメリカの属国の立場にあったからである
その圧力がありそれが政治判断となる、それは科学技術判断より優先されていたのである第一アメリカでも古い型の原子炉を日本に売りつけたということは経済利益優先でそうなったからである
今の社会は本当に経済(利益)優先になる、地銀でもゆうちょでもそうだった
もうなりふりかまわず投資信託でも売ればもうけになる、毎月分配型とか仕組みとして作られたのはごまかすためである
月々利子が給料に入ると錯覚させられるものだからである
それは元金から魅かれていたのである、そして確実に手数料だけはとれる絶対に地銀とかでは損しない商品だったのである
こうしてあらゆるものが経済{利益)優先で歪めれているのが現代の資本主義社会だとなる

そもそも安全より経済(利益)判断が優先されて事故になった、コストカッターの東電の社長がそうだった、それはみんな安全よりコストカットが優先される
社会全体でそうなっている、それに歯止をかけるものがいない
司法というけどこれもあてにならないことが判明した
裁判でも東電と政府側につき政治判断になるからである、司法は公正な権力を監視する役目だがそれもできなかった
原発に関してはできなかった、なぜなら検察はアメリカの指示で動くという時そうなる
原発というのは他の産業とは違って国が深く関与しているからそうなる
政治判断が優先されるのものだったのである

ともかく大阪で汚染水を引き受けて海に流すということはやはり責任分担であり痛みを分かちあうということで好感をもった
たしかに科学判断が私にはわからないにしてもそういう責任分担をあえて引き受けたことである
つまり原発は日本国土を汚すものだということを知らしめたということである
それは国家全体の責任だから分担することになる
原発というのは一地域の問題ではないのである、日本国土の問題でありまた世界の環境問題にもなるから一国だけのも問題ではないのである
だからあらゆることに関係してくる、総合的なものとしての判断が必要になる
ただそうなるととても一個人では手に負えないものとなる

でも何を最優先さこせるべきなのか?

やはり科学技術判断なのか?これにしてもどれくらい放射性物質が海に流されて影響するのか?それが素人には判断できないしまた科学者でもその結果がどうるなのかは判断できない、そうなると誰も確かな判断はできないとなる
ただ何が起きるかわからないものだから危険が予想されるから流すなとはなる
でももうタンクが限界だというときどうするのかとなる
だから大阪でも政治家の政治的判断がありそれを優先させるべきだともなる
科学者だけで確実に判断できるものならいいが実際には科学者でもできない
となると最後は政治的判断になるのか?
何かそうして原発の問題はもともと作る前からアメリカとかかわり政治的判断がありそれが優先されてきたのである
その結果が事故につながったともなるのである

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2019年09月30日

実り(旧街道は歩くか自転車がいい)


実り(旧街道は歩くか自転車がいい)

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柿なりて代々の畑耕しぬ

朝露の稲穂に光り野良仕事

秋の蝉朝に聞き入りいつもの道

遠くへと来たり舞いけり揚羽かな

相馬藩街道に実り今日の宿

松による旧街道や秋の風   

街道の昔やあわれ秋柳 
       

ここでは陸前浜街道がある、六号線は旅の道とはなりにくい、街道は何か人間的なのである
「奥の細道」のように道が細いと人間的になる、道の辺の花にも目をそぞくことがある
六号線は車の行く道である、荷物を運ぶ道である
街道はだからなるべく車が通らないのがいいのである
それは人間回復の道でもある、だから仙台から来た人たちが昔の街道を歩いたのはいいことである

陸前浜街道で一番いい所は城跡まで行く松並木である、そこではすでに城を意識するからである
現代はまず旧街道を知るにしてもとぎれとぎれにしか知ることはできない
すべてが車の道となっているからだ
旧街道は人間的な道なのである、観光という時、そういう旧街道とか見逃されている
一続きのものとしてではなく、ただ遠くに行く、旅の目的地までゆく途中が省かれているから旅にならないのである
道とは連続したものでありそれで風景でも連続したものである

とにかく不思議なのは歩くとなるそれが新鮮な体験となるのだ
自転車でもそうだが歩くことは本当に確かに大地を道をふみしめて過去に帰ることである江戸時代の感覚すら体で体験できることなのである
人間は必ず過去が失われてゆく、すると過去を懐古するようになる

要するに現代はもの凄く変化のスピードが早すぎたのである
それで何かもう精神的にも消耗したのである
正直自分はバイクさえ嫌いである、それは突然ぶっ飛ばしてきて乱すのである
車とかバイクでもそれは何か非人間的なのである

最近老人と会うと自転車に乗る人と話する、85歳の人も自転車に乗るようになってかえって医者から調子良くなっていると言われたという、それは自転車に乗っているからだとその人は言った、自転車に乗る人は仲間になりやすいのである
バイクに乗る人が仲間になりやすいのとにているのである

いづれにしろ私は旅ばかりしていたから感覚的に家にいてもいつも旅している感覚になってしまった、常時旅している感覚になってしまったのである
それで相馬藩内でも街道を自転車で行けばそれも旅なのである
そして家すら一時的に滞在する宿のような感覚になってしまっている
ふりかえればそれだけ旅したためだとなる

現代は旅人はいないし旅人になれない時代である、それは皮肉にも交通が発達しすぎたからである
新幹線で二時間くらいで平泉に来たらもう旅はないのである
便利になりすぎて失われるものも相当にあったとふりかえる
だからそうしたものが見直されてゆく時代になる
経済学と民俗学が関係あるのかとなるとやはりそこにも現代のグロ−バル経済がどれだけ人間的なものを喪失させたかを比較するとわかるからである

相馬藩内の実りがありまた相馬藩を出れば他藩の実りがある
この実りというとき米の実りではあるがまた様々な実りがある、文化の実りもある
そういう季節である、だから実りがない小高とか浪江は荒涼としているのである
八沢浦は一部でも実りが回復したから違っていた
そこに蔵王を望んだとき豊かさを感じたのである

今年は10月になるに暑い、だから秋にしては気候的におかしい、秋涼という感覚がない一時はあったが最近今日でも暑いのである
「秋暑し」という季語があってもそれとも違う、何か夏なのである
それで揚羽が飛んでいて夏だとも感じたのである
揚羽は夏の季語だからである

2019年09月29日

原町のキクチスーパーで話す (原町火力発電所と原発で働いていた人)


原町のキクチスーパーで話す

(原町火力発電所と原発で働いていた人)

キクチスーパーの前のベンチに座り話した人は東北電力と原発で働いていたという
今は仕事がないので探している、ダンプとかの運転免許がないので採用されないとかも言っていた、年なので免許とるのもめんどうだとも言っていた
見た感じはそんなに年とったように見えない、50くらいなのか?
まだ十分に働けると見えるが何か肉体労働がきつくなっている

東北電力をやめたのは階段の上りおりがきつくなったからだという
確かに東北電力の火力発電所は外から見ても高いのである
あそこの内部に入って上り下りしたら相当な肉体労働かもしれない
登山のようになっているかもしれない

とにかくこの辺では東北電力の火発とか原発で働いていた人が多いのである
それだけ経済的効果が大きいのが原発と火力とか電気関係なのである
その人は15万でぱ生活できないとかいって職を探している
でもそうした職は見つかりにくい、ダンプとかトラック運転手だった人には良く会う
その仕事は金になるから田舎でも多いのである
田舎で金になる仕事が限られているからそうした仕事につく

その人が年だだというとき肉体労働はきつくなる
それでそこでも若い外国人労働者が歩いている、その人たちはかえってそうした40、50とかの人より20代の若い人がいいとなっている
それでしきり40くらいでおっさんだおっさんだとyoutubeでそのみじめさを訴えている人がいる、それは底辺で働いているからそうなっているのだ

とにかく火力発電所であれ原発であれ周りに及ぼす経済的効果が大きいのである
するとみんな原発でも火力でも頼るようにな
それで原発は危険なものとなったのである
ただこうして経済的効果大きすぎるからもうそれをやめるということもできなくなる
どうして生活すればいいのだ、15万くらいではやっていけないとなれば原発でも働くとなるのである、そこの仕事は意外と楽なのである
放射能物質に汚染されるから三分ごとに交代するとか長くいられないからである
後は寝ていたというから楽だとなる
かえって建築現場とかはきついのである

確かに今は人手不足だけど給料がいい職場となると地方では少ない
そこが問題なのである
でもfree   で東京の労働環境を言うので参考にしている
東京では家賃とか高いし給料も安いからかえって田舎で帰って暮らした方がいいとなり帰っているという、それは非正規とかで働いても金にならない、東京生活の方が金がかかるからそうなる、東京で生活するメリットがなくなってきているからだ
どうせ貧乏なら田舎の方がいいとなる

地方経済も私のプログの一つのテーマである
労働問題もテーマである、だからこうして時々話するとわかることがある
東北電力の火力発電所で働いていた人か階段の上り下りがきつくて年だからやめたというとき実感なのである
そうした実感の話がひびくのである

それでyoutubeで経営の話をしている人が酔っ払いの便掃除するのがひどかったというのも実感である、そういう仕事をしていたのである
でも経営で成功したのはそういう下積みとがあったからだともなる
そういう仕事をしたくないとして経営者になったとなる
まず経営者になって成功するには俺は優秀で資格をもっているから成功するとか簡単なものではなかった、何かそうして下積みしていたりすると上昇志向が強くなる
外国人がそうなのである
ネパールの人がバス停まで何時間かかりそれからま何時間かかりとかバスを見たこともない人がいたとかなる
そういう人は豊かになりたいという上昇志向が強くなる
それは団塊の世代が高度成長したときそうだったのである
豊かになりたいということで一審になって働いたからである

いづれにしろyoutubeは何かそうした個々人の体験が語られるときためになる
何かしら人間は経験を積めば語るものがあるからだ
だから良く私は家族を亡くしてからちょっとでも話してみるとそこでこの辺の事情がわかったりするのである

なんか新田川の河口でマラソンしている人をみかけた
それが元の市長の桜井市長だった、あの人はマラソンすることで有名だったからだ
あの辺に家があるのかとなる、体力は相当にあった人だとなる
でもわずかの票の差で選挙に負けたのである
そういう人とも狭いとなれば会っても不思議ではない
私は南相馬市の全体について関心をもぷろぐて書いている
ただ原町は広いからなかなかわからないのである

posted by 老鶯 at 18:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2019年09月28日

烏崎の漁港で魚をとるなと言われた (海は誰の者かー漁業権をたてに暴利をむさぼる漁業組合)


烏崎の漁港で魚をとるなと言われた

(海は誰の者かー漁業権をたてに暴利をむさぼる漁業組合)



一定の水域は「物権」とみなされており、土地に関する規定が準用されています。
漁業を営むものの団体が都道府県の許可を受けて設定された区域で、それは漁業法で定められています。
「そもそもみんなの海なのに漁業組合に入ってないと魚を採ってはいけないと言うのは理不尽」と言いますが「みんなの土地」と置き換えれば納得できませんか ?
少なくとも、法律は、海と土地は同じ考えで成り立っています。

判りやすい所は「淀川は漁業権が無い」でっせ!
判りやすく言うとやな
あんさんでも構わんのでっけど「淀川の漁業権」取得すると、左手団扇で
残りの人生安泰っちゅう事ですわ。
銭がガッポ!ガッポ!入って「もぉ〜銭要らんわ!」になりますわ。
釣り糸垂れとる輩から「釣り代一万円」取れる権利が国で保障してくれるっちゅう事でんねん。
一つ問題なんは「我が見回らんと銭にならん」だけでんな!

 そもそもみんなの海なのに漁業組合に入ってないと魚を採ってはいけないと言うのは理不尽な話だと思いますがなぜ日本人は納得しているのでしょうか!?
乱獲防止、漁業資源確保のためと思えば理不尽じゃないと思いますが。バカが後先考えずに海を荒らしたらおしまいでしょう。

>乱獲や災害事故汚染を防ぐのは行政が線引きし、ルール作りをすればよいはなしでは無いでしょうか!?
だからそれを漁業権として制度化したんでしょ?何をいってるんだか。


水産庁HPにあるように工作物の設置等によりという部分は、恣意的に解釈される傾向にあり、漁協の「既得権」となっている部分が少なくない。国策に基づく政策であってもこの「漁業権」を盾に様々な理不尽とも思える要求を過去「漁協」がなされてきたのかなどをみるべきである。「杭一本」打つだけで、潮流が変わると言い様々な金銭を要求する所があったり、関空などでもみられたように、にわか漁師が発言し、工事を止め、その費用を増大させたことなど枚挙にいとまがないほどある。



漁業権のことでは追求してきた
その矛盾とか理不尽が原発事故で一番露骨に現れたのがこの辺だったからである
今日、老人がキノコとりとか魚とりで話した
魚を烏崎の漁港でとっていた人が話していた、魚をとって天ぷらにするとうまいとか言っていた、ただ鮭が上ってくるとき魚をとるなとか禁止されるとか禁止されることがあると言っていた

そもそもなぜ原発事故周辺で漁業権が問題になったのか?
それは漁業権が既得権とかなり海は漁業組合の許可なくて使用できない、魚もとってはならないとなっていたからである
そして原発ができるということで漁業組合では東電から多額の補償金を事故前でももらっていたのである、特に船主のもらう額は大きかった、それで原発御殿が建っていたといわれる
つまり漁業とは関係しないことで既得権化利権化された海になっていたのである 

「漁業権」を盾に様々な理不尽とも思える要求を過去「漁協」がなされてきたのかなどをみるべきである。「杭一本」打つだけで、潮流が変わると言い様々な金銭を要求する所があったり、関空などでもみられたように、にわか漁師が発言し、工事を止め、その費用を増大させたことなど枚挙にいとまがないほどある。

海は公海なのだけどそうなっていない、漁業権があり漁業組合のものとして私有されている、だから趣味で魚とるにしても制限される
それが確かに本来の役割である資源保護とかそこで生活するための権利ならいいが実際は海を私有してそれを漁業と関係ないもので利権化して金をもらうとなっていた

だから原発事故でも海を汚すから補償しろとなり手厚い補償がされた
とにかく原発は巨額の原発マネーが湯水のように出てくる場所だった
それでまた電子力会社の幹部が自治体から一億8千万もらっていたとか報道があった
その金の額が常に大きいのは原発は金を産みだす装置になっていたからである

そうなると漁業組合でも単純に金をむしりとればいいとしかなくなっていたのである
自分たちの権利がなぜ与えられているのかなど考えないのである
それは関西の空港とか他でも起きている
洋上に風力発電とか設置すればまた起きるかもしれない。
世の中今や金になればいいしかなくなってしまった
そのことで原発事故以後問題になったのである

ただ海を私有化してそれを漁業のために資源保護とかのためではない、海は俺たちのものだ、俺たちの土地だとなりそれで金を要求するようになった
東電に補償を要求するにしても事故になる前から多額の補償金をもらうことはありえない事故が起きて海を汚して魚がとれなくなったりしたら要求できるとなる
それも事故前から多額の補償金が支払われていたのである

それで暴力団が勝手に魚をとって安く売っていたことで警察につかまったとかなる
そもそも暴力的に海を私有化していたのが漁業組合ではないか?
海の魚は俺たちのものであり他の物はとってはならないとなる
でもその海が自分たちの土地と同じであり何か空港でも何でも利用するとなると使用権を払えとなる、確かに魚をとることに影響することは言えるがそれは漁業組合だけではない自治体とか周りに住む人たちと協議すべき問題である
なぜなら空港でも現代社会では必要としている、むしろ社会全体からすると空港でも原発でも電気を供給するから必要としているからそうなった
それは社会全体の問題なのである、だから社会全体で協議するものであり漁業組合だけが海は俺たちのものだから許可なしでは使えない、金を払いというのはおかしいのである

もし魚をとることに影響するとしたら事故前だったら影響がないのだから放射能に汚染されないのだからそんな手厚い補償はいらないとなっていた
多少は公共事業とかに寄付はあっても個々人に漁業組合に多額の補償金を払うことが必要だったのかとなる

だから地元の人が魚をとっているときここは俺たちの海だから魚をとるなというのは今になるとおかしいのである
漁業組合が東電に漁業権を売り渡して金をもらった、それで放射能に汚染されて魚までとれなくなった、お前たちが魚をとれなくした張本人ではないか?
その自覚もないのかもしれない、汚染水を流すなというときそもそも漁業権を東電に売り渡したからそうなる、売り渡した対価はすでに得ていたのである

むしろ漁業組合は魚をとる権利もないともなる
なぜなら東電に漁業権を売り渡したのだからその時権利を放棄したとなるからだ
海は誰の者か?それは自治体のものであり国のものであり住民のものである
だからこそ漁業権を勝手に東電に売り渡したりできないものだった
それは土地にしてもそうである、ここは俺の土地だから東電に売り渡して原発建てさせていいとはならなかった、でもその土地を買い県の許可があれば原発は建てられるとなっていた、それはそこに住む住民で話し合うことが必須だったのである
そのために長年住んでいた場所に住めなくなったからである

そこにはただ私権だけを求め公共のものを求めない、プライベートというとき奪うとういことの意味でありただ私的権利として奪うとういことしか頭になくなったのが明治以降である、入会権でも公共のものしとて分かち合うということがあったが明治以降私的権利として無数に山は分割された、結果として山は放置されて管理できなくなったのである
何かを所有すること時代責任をもたされることだったのである
ここは俺が買った土地だからどういうふうに利用してもいいとはならないのである
すると都市計画の街作りでもできないからである

いづれにしろ漁業組合でも魚をとるなというとき理不尽である
お前たちが魚を放射能に汚染されてとれなくさせた責任もある
魚の安全を保つべきものが保てなかった
ただ海を私有化して利権化して東電に売り渡して補償金をもらったとなる
だから漁業組合のものでもないから魚をとるなとは言えない
もうあなたたちは魚を守れなかったのだからその役目はない、回りの者にわびるべきだともなる、でもそういうこともない、そして魚はとるなというのは何なのだろうとなる
だから暴力団でも魚を勝手にとって安く売っていてもそれはみんなためだとまでなる
漁業組合自体が暴力団と同じだったともなるからだ
だから法律にしてもどうして決められたのか?
そんなに法律に権利があるのか?それを考えるべきである
回りの人が誰も納得していないからである、そうして一方的に権利を団体でもなんでも要求することこそ今の社会では成り立たないとなる 

民主主義社会というけどその悪い面があるゆるものが利権化することである
それはカルト宗教団体でもそうである、宗教を盾にして利権化する、団体は何でも悪い面になると利権団体だからである
民主主義だと数を集めれば利権団体化するからである
その正当性が問われるのだが数が多ければそれも許されるとなり遂にナチスのようになるのが民主主義大衆主義のポピュリズムの弊害なのである、やはり確かに漁業権を必要でもその正当性から大きくはずれた権利となっていたから見直すべきだとなったのである
ただこの正当性となると うどう判断するのか?
そこに法律問題がからんでくるしどうして合意のするか?
つまり正当性をrightの判断をどうするかで問題になる、ただそれが本来の民主主義だったとはなる
民主主義の論理は数でありそれ以外が無視されることである、それで数が多いシルバー民主主義になり若者は選挙に行かない
すると日本の将来も若者が担うのだからますます危機的状態になり老人にも日本国全体の問題になるのである



posted by 老鶯 at 15:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

経済を民俗学から考える (自由な市場とか交換は共同体の和解の祭りとして始まった)


経済を民俗学から考える

(自由な市場とか交換は共同体の和解の祭りとして始まった)

経済とは何かというときこれは総合的なものであり社会全体のことであり人間全体のことである
だから経済学となれば一つの分野のことではなくなる
科学技術でも深く関係している、産業革命とかなれば科学技術が発達して生まれたからである
だから経済を語っても世界でも社会でも一部分しか語れないのである

経済と民俗学が関係しているのか?

これも深く関係していた、文化人類学が関係していた

インドネシアでもクジラをとる民と山の民がいて山の民にクジラの肉をもってゆき豊漁を祈る、そこで山の民と海の民が和合する祭りが行われていた
つまり経済とはもともとそうした異なる地域に民族が和合するものとして貿易でも行われていた、現代のような金だけを紙幣だけを唯一の交換の手段として用いることはなかった貿易は交易にはまず民の融合が和合を計ることが先である
現実にグローバル化しても必ず国と国は対立してうまくいかなくなるからである 

これはおそらくクジラという食料がある前に物がある前に何か共同体がある
クジラをとることを生業とする海の共同体があり山で暮らす共同体がある
その違った生業の共同体が和解するために祭りがありクジラが媒介となっていた
ここで重要なのはクジラは共同体を結ぶものであってもその前に共同体がありその共同体同士が和解するために山の共同体がクジラをとれるように祈りクジラの肉も分けてもらうとなっていたのである

海彦と山彦の物語もそうである、ここにも綿津見(わたつみ)の神がかかわってきている海彦と山彦は暮らしが違うので対立しやすいことをここで語っている
その和解のために何かクジラでも同じように和解の祭りが必要になる

顔が醜いオコゼを山の神に供える習慣もある。なお、山岳神がなぜ海産魚のオコゼとむすびつくのかは不明で、「やまおこぜ」といって、魚類のほかに貝類などをさす場合もある。マタギは古来より「やまおこぜ」の干物をお守りとして携帯したり、家に祀るなどしてきた。「Y」のような三又の樹木には神が宿っているとして伐採を禁じ、その木を御神体として祭る風習もある。三又の木が女性の下半身を連想させるからともいわれるが、三又の木はそもそもバランスが悪いために伐採時には事故を起こすことが多く、注意を喚起するためともいわれている。

日本神話では大山祇(大山津見)などが山の神として登場する。また、比叡山・松尾山の大山咋神、白山の白山比盗_など、特定の山に結びついた山の神もある。

だからなぜ綿津見神社と山津見神社が対になっているのか、相馬地方だと飯館村まで綿津見神社があり山津見神社があり一番古いのである
それは海と山で暮らすものたちが実は一体だったからである
海彦山彦の国が日本がだったからである
おこぜがなぜ山の神に供えられているのか?
それは一種の海で暮らすものと山で暮らすものの和解のための儀礼と化したものである
第一山に海でとれた魚を献げることはありえないからである

これは今なら物を交換することであり海で暮らすものと山で暮らすものが和合することで祭りとなったのである
共同体と共同体が交わる時、そこで魚であれ何か物を媒介となる、それは互いの有効の印として交換されたのである
古墳から発見される三角神獣鏡でもこれは大和王権に服属したから与えられたというのではない説がある、それはただ友好の標として土地の有力者に与えられた
この辺の古墳でも金銅双魚佩が古墳から発見されたけどこれもそういうものなのだろう

つまり貨幣がない時代は物と物を直接交換する、その物は友好の印であり今の経済とは違っていた、中国と朝貢となるがそれとにていた、国と国が友好のために物があった
それが貿易の始まりであった
商業、貿易の始まりはそういうものだった
だから第一不思議なのは村で市が許されたのは神社内でありそこを無縁の場所として許されたのである、よそ者が商売することはそうした村の共同体から特別許可された無縁の場所でしかできなかったのである
つまり有縁なものは村の共同体の一員であり外から来る商売に来る人たちは無縁だから
神社の境内とかで商売をさせていたのである
これも矛盾しているが神社とは縁を結ぶものとしてあるがまたそこが無縁の場所にもされたとなる

現代の経済がグロ−バル経済とか広域社会でもこうしてもともとあった共同体を破壊する無縁化することがあった、また海彦となるとこれは海に通じているから広い世界と通じることがあった、貿易も漁民が船でしやすいからである
ただ商売とか貿易の始まりには祭りが必要だった
物があるからとしてそれを自由に売買はできないのである
共同体の許可なくしてはできない、それが人間社会なのである

それでなぜ人間社会がグロ−バル経済が人間をアトム化してばらばらにしてしまった
なぜならそこにある貨幣を通じて金を通じての交換にはもう祭りもなにもない
共同体が和解するものとして始まった交換の儀式がない
そういうややこしいものを全部省くことによって成り立つのが現代の経済だからである
つまり人間は個々人がアトム化して経済的一単位としてみる、そして商品を自由に流通させる、世界市場とすることがグロ−バル経済であり広域経済である
そうすると無縁化して神社の中だけでよそものを受け付けていたことが逆に村でも共同体でも無縁化されるのである、それで無縁化社会になったともなる

ここで人間とはなにかというとき人間は経済の一単位ではない、何かしら別な価値観が働く、もともと海でも山でも共同の暮らしがありそこで培ったものは違っている
それず海彦と山彦が共同するためにはまず祭りが必要である
そこで互いに和解して共同することである

でも現代はそういうものを全く無視してこそグロ−バル経済でもありえる
世界市場の原理だけがある、そして交換するときも金だけがすべてとなる
そして金が万能となり金を極一部のものが数パーセントの者が独占してしまう社会になるだから不思議なのは前近代的と思えるものが実はそこに人間の存在がそもそもどういうものかをふりかえるものとなる
人間が何か物を交換することはまず共同体がありそこで共同体と共同体が交わる儀式が祭りが必要になっていた

結局今でもグロ−バル経済がうまくいかない、うまくいかないと貿易も韓国とのように途絶える、そして戦争になりかねない、国々でも自由に貿易して交換することが行われたが逆にそれがうまくいかないと貿易も途絶えて戦争にもなる
つまり経済合理性というのはそもそもが人間社会では成り立たないのである
世界市場化することが一見理想のようでもそうならない
それは人間の存在がそういうものではないからである
経済だけで利益になるからだけで成り立たないからそうなっていたのである
そのことは世界の歴史が証明している、経済でも相手を武力で屈服させて支配して植民地支配のように欧米が人を奴隷化したりする
貿易でも経済でも強者だけが莫大な利益をあげる仕組みである
アジアの富を吸い上げたのはヨ−ロッパ列強だとなっていたからである

グロ−バル経済でも一旦競争に負けるとその国は貧困化する、それが今の日本である
グロ−バル経済とは新たな国々の戦争でもある
負けたものは貧困化する、別に昔の共同体と共同体の和解を目的として経済が貿易があるのではないからである、そこが根本的に違っているからである
経済とは共同体と共同体が和解する和合するものでもない、物は友好の印でもない
交換するための世界市場がありそこで金が万能化する社会である
それはマルクスが言ったことだが人間社会をふりかえるとそれはいいようでも人間がどういうものか人間存在とはどういうものかを問うとき経済でもその存立基盤を無視するから無縁化社会となり人は属する共同体もなくなる

共同体というとき国家自体がそうである、国家も無視されて経済的一単位化するのである日本が嫌なら外国に住めばいいと金持ちならなるしまた移民問題でもそうである
金をえるために外国で働けばいいとなるのである
でも外国人も人間だから国内に入ってくると機械でも物でもないから問題になる
文化的軋轢とかいろいろ生まれてくるのである
だからいくらグロ−バル経済でも人間を自国に入れることがいろいろな問題が生まれかわかる、うまくいかないことがわかる、それは人間の存在がもともと経済的利益だけで存在していた訳ではないからである
何かこの辺で原発事故で一挙に大勢の人たちが避難してゴーストタウンになったけどそれも今なら人は共同体に属していない、金さえあればどこでも暮らしていいとなっている
すると多額の補償金をもらったからとみんな町から流出して人がいなくなったのである
もちろん放射能汚染のためだともなるが何かそれだけではない現代社会の反映だったのかとも見たのである、そこには強固な共同体の絆は昔のようになくなっていたからだとなる

posted by 老鶯 at 10:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2019年09月27日

綿津見神社がなぜ相馬地域に多いのか (時代を知る、新旧を知ることが歴史)

                                              
綿津見神社がなぜ相馬地域に多いのか

(時代を知る、新旧を知ることが歴史)


●縄文時代

●綿津見神社−山津見神社(古事記、神話の世界)

●ツノガノアラシト系神社ー津(つの)神社、ツノミツ神社・・・・

●桜井古墳→鹿島区の古墳群

地域の歴史でもいかに新旧が大事かである、時代を知ることが大事かである
歴史を調べると江戸時代ですら年号があるけど新旧がわからなくなる
これが大事なのは例えば年号でも明治ー大正ー昭和とあるけど明治ー昭和ー大正とはならない、でも江戸時代になるとこうして年号の新旧を見るにしてもこういうことが起きる
どうして時代を知るのか?これができなくなる
江戸時代は300年は変化がないから余計にほかりにくくなる

だから歴史は事跡で何かその時代に重大な事が起きたのかでみるのも必要である
例えば戦争の前と後で全然違ったものになる
だから昭和という時代は一つにできないのである、戦前と戦後の昭和はまるで違っていたからである

このことはさらに時代をさかのぼるとわからなくなる
最近気づいたことは相馬地域には本当に綿津見神社が多い、それと対になった山津見神社が多い、でもこれはいつの時代のものなのか?
何かこれを新しいものとして見ている人も普通にいるだろう
この神社がどれだけ古いものなのか?それがわからないのである
でも古代史を調べると時代を見ることがいかに大事かわかる

綿津見神社があり山津見神社があるとしてまたツノガノアラシト系神社がある
それではこの神社はどっちが古いのか新しいのか?
それが問題になる、つまり先にこの地に移住した人たちはどっちなのかとなる
なぜならすでに綿津見神社を祀った人たちが先に来ていたのか?
それともその後にツノガノアラシト系の人たちが来たのか?
それを知ることが大事になるからだ
どうもツノガノアラシト系は後であり綿津見神社系が先のようにである
なぜなら安曇系の綿津見神社はすでに古事記の国造り神話に出ているからである
それだけ古い時代から安曇系は日本に欠かせない国造りにかかわった人たちだったとなっているからだ
ただその勢力は安曇氏というのはこの辺で出てこない、ただ綿津見神社と山津見神社が多いからそれがその跡を示しているとなる、安曇氏の痕跡がなくてもその神を奉じるものが神社を残したとなる
最初は安曇氏でもその綿津見神社というのは一つの信仰となり広がった 

次に生まれた六柱の神は、いずれも海の神です。

海の底で身体を洗われた時に生まれたソコツワタツミノカミ(底津綿津見神)
海中で身体を洗われた時に生まれたナカツワタツミノカミ(中津綿津見神)
海面で身体を洗われた時に生まれたウエツワタツミノカミ(上津綿津見神)

以上のうち三柱のワタツミノカミ(綿津見神)は、安曇氏(あずみうじ)たちの祖先の神です。
また、ソコツツ、ナカツツ、ウエツツの三柱の神は、住吉神社に祭られている神です

海を三つに分けている、それは潜水行で魚や貝をとっていた一団だっからである
海人の一団でありそれは安曇系の江南系の移民だったとなる
底と中と上に分けることは潜水行している民でないとこうはならないからだ
そして国産み神話でも島を中心にしていることは島ではそうした海にくぐり魚や貝をとることを生業としていたからである、また島伝いに渡ってきた人たちだということである
海彦と山彦の神話もまた日本独特のものである
ただインドネシアでもクジラをとる民と山の民がいて山の民にクジラの肉をもってゆき豊漁を祈る、そこで山の民と海の民が和合する祭りが行われていた
つまり経済とはもともとそうした異なる地域に民族が和合するものとして貿易でも行われていた、現代のような金だけを紙幣だけを唯一の交換の手段として用いることはなかった貿易は交易にはまず民の融合が和合を計ることが先である
現実にグローバル化しても必ず国と国は対立してうまくいかなくなるからである   

その生業を、雨降らず、日の重なれば、植ゑし田も、蒔きし畑も、朝ごとに、しぼみ枯れゆく、
そを見れば、心を痛(いた)み みどり子の、乳(ち)乞(こ)ふがごとく、天(あま)つ水、仰(あふ)ぎてぞ待(ま)つ、あしひきの、山のたをりに、この見ゆる、天の白雲、海神(わたつみ)の、沖つ宮辺に、立ちわたり、との曇(ぐも)りあひて、雨も賜(たま)はね  

この歌は雨乞いの歌である、でもその範囲は山から平地から海にまで及んでいる
普通は海にまで雨乞いすることはないだろう、やはり海洋民が海と深く関係していたからだともなる

ともかく相馬地域の古代とかその前の縄文時代とかなると九州の福岡とかの歴史をみる必要があるし大和の歴史をみる必要もある
つまり日本の歴史とか中国や韓国の歴史と不可分に結びついていたからである
中国でも江南から大量に海を渡り移住してきたというときそれが綿津見神社を残した安曇系だとか宗像系だとかなる
それが古事記の神話の世界を構成した、海の民によって作られたということが重大なことなのである
ただその前に日本の原住民の縄文人がいた、でもそれが歴史として未だに謎である
言葉でも解き明かせない謎となっている

漁業にしてもこれは船を造るとか操るとかなると技術が必要になる
縄文人には丸木舟のようなものを作っても魚をとる技術には欠けていたろう
ただ湾のようなところでは魚をとっていた、縄文海進で入江が多かったからである
ただこの辺で新地の手の長い神がその手を伸ばして貝を食べて貝を捨てたところが貝塚になったという伝説は貝を中心とした食料とした生活だったとなる
だから海洋民とは違った局地的な海の生活だったのである

とにかく歴史は時系列でみるのが本当にむずかしい
何が先で何が後なのかが見分けるのが何でもむずかしい
だから江戸時代だと年号が記されていればわかりやすいのである
その前になると年号が記されていないからわかりにくくなる
つまり歴史はそうした記録がないと時代もわからないとなる
ただ石器を使っていて次に鉄器を使ったというとか稲の栽培が始まったとかの技術の進歩で時代を見たりするのである

この辺の地理的空間的古代史は述べた、でも時系列になるとわかりにくいのである
大和王朝の前に物部王朝があり出雲王朝があったとするのもそうである
神武天皇が初代の大和朝廷の天皇だとしているがその前に物部王朝があり出雲王朝がありそれをひきづっているしその跡も残って継続されているからである
だから一体綿津見神社と山津見神社はいつの時代になるのか?
古事記にまで記されている海洋民は安曇系などはいつこの地に来てこれだけの神社を残したのかとなる
ツノガノアラシトになると浪江の
苕野(くさの)神社
は715年だとしている

起源・創立年代は不明だが、社伝によれば第12代天皇である景行天皇の御世に勧請され、元正天皇(715年)の御代には社殿を創建したという。桓武天皇の時代、坂上田村麻呂が東夷征伐の勅命をうけて進軍してきた際、苕野神社にて戦勝を祈願し、無事近隣の山を支配下に置く賊徒を平定した後に、神恩への報賽として神殿を建てたという。

その頃にツノガノアラシト系の鉄生産の技術者が韓半島の伽耶から来た、ツノガノアラシトとは伽耶の王子のことだからである
それが津(つの)神社として跡を残した
700年に来たとするとどうしても綿津見神社が古いとなる
なぜなら鉄生産ではその後大和朝廷の官人とかがかかわってきたからである
それは近江の粟田郡にその鉄生産の基地があり直接行き来していたからである
そういうふうに行き来していたことで真野の草原の歌が残ったとなるからだ
それは石巻でもやはり真野氏系統の鉄生産技術者がかかわっていたから同じである

ヤマトタケルの伝説があるとしてもその前に物部氏がこの地に来て支配した
どこでも物部王朝と出雲王朝の跡を残しているからだ
不思議なのは原町区の多珂神社の脇に綿津見神社がある、その近くにスダシイ神社があるすると綿津見神社と多珂神社はどちらが古いのかとなる
多珂神社は大きく格式が高い立派な神社である
綿津見神社は小さいのである、スダシイ神社はこの辺が照葉樹林帯にあることを示している、安曇系の海洋民が中国の江南だとされるがそういう一帯が照葉樹林文化であり焼畑なども行われていたのである
山津見神社があるとき山で焼畑が行われていたからそれもセットになっていたのである

縄文時代→綿津見神社(山津見神社)→物部氏(物部王朝+出雲王朝)→大和王朝

こういう順序になるのだが何か綿津見神社とか山津見神社が新しいと見る人がいるだろう私自身がそうだった、それだけ時系列で歴史を観るのが難しいのである

確かなことは桜井古墳は鹿島区の寺内小池の古墳群より古い、だからすでに原町区一帯は物部氏とかの支配権として確立していた
鹿島区の寺内とか小池とかはその後に支配されようになった
つまり物部氏が原町区一帯を支配して巨大な桜井古墳を作った
次に鹿島区に進出したのである、そこで争いがあり建御雷(タケミカズチ)の神が鹿島に祭られた、この神は物部氏系だともされているからである
ヤマトタケルがエゾを征服するという前に物部氏が支配していた
その前に安曇氏系の綿津見神社を奉じる人たちがすでにこの地に入って漁業や焼畑などをしていたとなる
ただこの時系列の私の見解は間違っていることがある
自分自身が綿津見神社のことが全部わかっていないからである
最近なぜこんなに綿津見神社がこの辺に多いのかということが疑問になったからである

mapaamutu1.jpg
山野河海の列島(森浩一)

この図をみるとこれも海岸線に海洋民が綿津見神社を残した安曇系が入ってきた領域と重なる、いわきの方にも猪苗代の岸の方にも入ってきていたからである
そこにも綿津見神社があるとなるからだ
これは大和王朝になってからのものだがこの辺は海洋民が入ってきた場所と重なるのである
道嶋氏とは石巻でありそこに真野とかの地名が残っていて真野の萱原という地名が残っているからここが江戸時代までは真野の
草原だとしていた、この地図の意味するのはわからないにしても綿津見神社系統が入った所と重なるのである


参考にした年表(福岡中心)

BC320 水稲耕作、北部九州に確立 弥生時代の始まり。江南起源倭人多数渡来
 BC221 (中国)秦始皇帝、中国を統一
 BC209 始皇帝、徐福に命じ、東方に不死の薬を求めさす。
 徐福、有明海から筑紫平野に上陸(三千人)、一団が吉野ヶ里・奴国・葛
 城邑・早良邑などを作る。
この頃日本全体の人口はわずか60万人で九州は特に希薄。
 BC202 (中国)劉邦、帝位につき漢王朝始まる。
 BC200 北部九州で小国の成立、末露国など
 BC100-0 玄界灘に面した九州北岸に古代朝鮮より多数のツングース系渡来人、その
中に天孫族も含まれ物部族を引き連れ上陸
BC100-0 「奴国」がいち早く頭角を現し、北九州の覇を唱える。(須玖遺跡)
 この頃、倭国は既に「百余国」に分かれていた。
BC37 朝鮮半島では高句麗建国
紀元前後 百余国のうち,一部は前漢の楽浪郡に朝貢していた。
  25 (中国)光武帝即位、後漢王朝始まる
57 中元二年春正月、東夷の倭奴国王、使いを遣わして奉献す。(奴国)
 (光武帝紀・後漢書)光武賜に印綬を以てす。(東夷列伝)
 「漢委奴国王」印(志賀島出土)
210 卑弥呼を倭国女王に共立し、「倭国乱」終わる。物部族が主導権を握る
 夜須「邪馬台国」の成立
215 出雲の国譲り神話(遠賀川物部が大国主と国譲りを交渉)
216 (中国)曹操魏王となる。
 葛城氏などの徐福集団は、邪馬台国連合のー員とはなるが、主導権は奪われ
 る。葛城氏は邪馬台国の先遣隊として奈良へ移動させられる。秦氏はその移
 動に豊前まで同行し、そこに前線基地を設ける(中津・宇佐)。
 234 (中国)公孫淵、魏より楽浪公に封じられる。崇神誕生、台与もこの頃。
238 (中国)魏、公孫淵を殺し公孫氏滅亡、楽浪帯方の二郡接収
239 邪馬台国の女王卑弥呼,魏へ朝貢し,明帝より親魏倭王の金印下賜さる
 245 九州邪馬台国、魏から軍旗を授かる。孝霊帝(葛城氏)大和中央に都を遷す
247 魏の軍使一行の来朝
248 女王卑弥呼の死





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2019年09月26日

専門家集団社会が起こした原発事故 (住民が何も知らされないし参加できない秘密に閉ざされていた)


専門家集団社会が起こした原発事故

(住民が何も知らされないし参加できない秘密に閉ざされていた)

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専門家による人間の不能化は、幻想の権力を通じて完成される
宗教は結局のところ、国家によってあるいは信仰の衰退によってその地位を追われたのではなく、専門家エスタブリッシュメントにと、それを信じる顧客によって追われたのである
専門家の本拠となっているビル群は、これられの保険、健康、教育、福祉の新たな大寺院となった建物へ巡礼するために右往左往つづける群衆を見下ろしている
イリイチー専門家の時代)

原発事故でもそうだけど原発そのものが専門家集団の大寺院だったのである
そこの住民は何の力もない、その大寺院にお参りして御利益を得るだけである
ただ原発は秘密のベールにつつまれていてそこに住んでいる住民すら入れない
その内部は固く閉ざされていた
そして現代の専門家集団によってその原発の大寺院は作られていた
それは専門家集団である
政治家が権力をもっていても原子力のことがわからない、すると専門家集団にまかすほかない、それが東電であり東電の御用学者とか科学者とか技術者になる

その東電は絶対的な権力を持っていた
そこに下請けの人たちが1000人とかいても東電の命令に逆らうことはできない
逆らうと仕事がもらえないからだ、東電の権力は電気であり電気文明になっているからこそ電気なしで何もできなくる、だかち千葉で停電したとき麻痺状態になる
つまり電気に頼るが故にそうして東電とか専門家集団に牛耳られる
もし炭をエネルギーとしていればそういうことはなかったのである
でもそれはもうできないことである

そもそも一番肝心な生死にかかわる原発周辺の住民も原発内に入れないしそこで何が行われているのかわからないのである

そして結局、政府+官僚+原発専門家(科学者、技術者)+自治体+マスコミとか一体化してその大寺院を形成していたのである
2000億円もの金がマスコミにも流れていたからである

報道でも報道できるのはマスコミが報道の専門家しかできなかったのである
新聞であれテレビであれ雑誌でも報道の専門家なのである
それには金がかかるから東電から出る莫大な金が宣伝費としてもらえるから何も危険なことも知らされなかったのである

例えば東電という専門家集団が優秀でなかったのではない、優秀だったのである

10数メートルの津波が来ると警告していた

そのことで東電に過失があるとされたのである

でもそのことを地元に住んでいて知っている人がいただろうか?

住民側は注意していないということもある、自分自身にもある
でもそういうことを自分は聞いていないし関心がなかった
ただやたらプルサーマルのことは前の佐藤 栄佐久知事のとき言っていたのである

でももし住民が一番関心があるべきであり住民が今回のように住めなくなるような被害にあうのだから住民もそうした内部のことを知るべきなのである
でもマスコミが知らせないなら知らないとなる
そして何か知りたい聞きたいとしても東電では政府でも教えてくれない

お前らは原子力のことがわかるのか?

この一言で何も言えないし参加できない
そこに住む住民ですら参加できない

でも原子力のことがわからないにしても

十数メートルの津波が来る

それは本当ですか?、そうしたしらこの辺はどうなるのですか?
この辺ではチリ地震津波しか知らないです、だから津波は来ない地域だと確信している人がほとんどです、実際400年間相馬地域には津波は来ていなかった
だからこのことを言った科学者に驚いたろう
それは伝説でもなんでもない、科学者は専門家の言うことは信じるからである
科学的根拠があることは今の時代は信じるからである
つまり原子力の安全性に関していろいろあるにしてもそんな高い津波が来るということに驚く

するとどうなるのか?

みんな科学者の言うことだから信じる→それで津波が来るというときこのことを思い出す→そしていち早く逃げる→命が助かった

こうなったかもしれないのである、あまりにも津波に対しての警戒感ない、ほとんどゼロだったからである
もしそうなっていたら原発事故は悲惨だったけど東電の科学者が津波を警告したことで

警戒していたから命が助かった→東電はありがたい

ここまでなっていたのである、そうなると津波で命を助かった人は今回いろいろ被害を訴えたが逆に感謝するということまで起きていたかもしれないのである

だから情報を公開することがすべて政府とか東電に不利になるとはなっていないのであるそれが民主主義だとなる、住民が主人公であり政府とか東電ではない
なぜなら住民が死んだりするしその被害を受けるのは住民だからである
いくら原子力のことを知らないとしてもその肝心の住民をないがしにろして原発はありえないものだったのである

そして素人住民は専門家集団から排除されるだけだった、ただ御利益だけを与えられた
また逆に住民はその後利益に目がくらんでいたから住民にも責任がある
ただ住民は否応なしに責任をとらされたのである
その責任をとらされる住民が知ることさえできないのが専門家集団が牛耳る社会なのである

それは病院でも学校でも専門家集団によって人間は無力化される、それはイリイチが指摘したことである

お前は病気のことがわかるのか?お前は法律のことがわかるのか?
お前は金融のことがわかるのか?

こうして高血圧のいらない薬を飲まされたりする、法律家に相談したら相談するだけで百万とられた、これも詐欺だったのである
法律を知らなかったら裁判も何もできないよとなっているからだ
相談するだけだったら数万ですむはずである
これは明らかな詐欺だったのである
それかち地銀で投資信託を売りつけたのもそうだし郵貯でも保険を売りつけたのもそうである

あなたは株や投資について何かわからないでしょう、だからプロにまかせてください

こういったからまかせた、でもこれは地銀がただ手数料をもらうだけのものであり地銀は確実に手数料をとれるからすすめているだけである
実際に支店長が株のことはかりませんと言っていたからである
素人と同じだったのである
リーマンショックの時半分になった株が上がって来たもうかるというといそれを投資信託にまわして損したのである
つまり専門家といってもすべてを知っているわけではないのである
まず株式のことなど投資信託のことがなとその仕組みなどわかりえようがないからこそだまされるのである

それは原発でも同じだったのである、本当に原発のことを専門家集団が知っていたかというと今になると穴だらけであり何の安全対策もしていないずさんなものだったのである
そして地震ですでに内部の配管などが壊れていて津の前に炉心がやられていた
それを内部の人が東電をやめて報告していたのである
震度4くらいでも内部の配管は壊れると言っている
それほど脆弱なものだったのである、それで「安全神話」作っていたのだからこれも詐欺と同じだった

お前らは素人だから何も知らない
専門家集団にまかせろ
金はくれてやるから何も言うな
言う権利もないことを知れ!

これがイリイチの言う専門家集団社会の現実なのである
確かに素人には原子力のこと核のことはわからない
でもそれだけではない、津波ことなど他にもいろいろなことがかかわっていた
今になると理解できるのだから全部理解できないとはならないのである
津浪を警戒してたのか高台に原発を作っていたのにわざわざ削って低くして地下に電源を置いたことで水で冷やすことができず爆発した
そういうことは素人でも説明される今ではわかる
でも原子力の核のことなどはわからなから煙にまかれる
私は文系だから法律のことだったら何とか対処できたかもしれない
正直文系は理系的なことに弱いから余計に追求できないのである

いづれにしろ原発事故もやはり現代の社会とも関係してなった、複合的要因で事故が起きた、とすると科学だけではない、社会も関係してくるから総合的なものとして見るべきものだったのである、そこには郷土史も関係していた
なぜなら相馬藩政期で700人生波(津波)で溺死と記録されていたからである
それが二行にしろ貴重な記録だったか忘れられていたのである

人間は今トータルに考えること観察することができない、郷土史はトータルな学問なのである、理系的な地質学などでも自分にはできないにしろ関係している
そういうふうに総合的な学問がなくなっていることが現代の危険になる
自然災害でもそれは総合的に対処が迫られているからである



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many abstract flowers and stars


many abstract flowers  and stars


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Sakura

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New star flower

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the Imperial chrysanthemum crest



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 a faint star flower in the deep space


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my secret star

2019年09月25日

桜井古墳(秋)―街道の松 秋の蝉(俳句十句)


桜井古墳(秋)―街道の松 秋の蝉(俳句十句)

 
ふるさとや旧友と会い秋の蝉

ふるさとや同じ場所に秋の蝉

ふるさとにともに老いゆく秋の蝉

塵つかず石の黙して秋薔薇

蠅も来ず宝石ともなる秋薔薇 



過ぎ行きぬコスモスゆらし朝の風

街道や秋風に松坂越えぬ

街道の松や古りにき秋の風

街道に秋風吹くや碑の古りぬ


秋日さし桜井古墳に我が寄りぬ

山鳩や桜井古墳に実りかな

みちのくの実りここや大古墳

新田川鮭の上るや大古墳

千歳経ぬ桜井古墳や秋の雲

秋の蝶紋鮮やかに大古墳

秋の海桜井古墳や千歳経る

秋の蝉一つひびきて隣の市



いつもの土手で休む場がありそこに休む、そこで会ったのは同級生だった、その人も脳出血で死ぬところだった
その人と時々自転車であって話する、郷土史のことで話ができる
他では直接そうした話はできないししていない
だからただ一人プログに書いているだけだとなる
つくづく今や同じ場所に行き同じ場所で休む、そういう繰り返しである
老人になると同じ場所にいてあまり新しい場を求めないともなる
だから家とか周りの環境が大事になる
そこに秋の蝉が鳴いてひびくのが似合っている

今日は原町に行ってきた、街道はやはりいい、人間的になる、高松辺りの松は太くいい松である
松は街道にふさわしい、だから今でも陸前浜街道を行くと昔を偲び旅人になれる、六号線は旅人になりにくい
原町ででも旅人の気分が味わえるのである
とにかく松は一番人間に近い木なのである

次に桜井古墳によった、この古墳は本当に大きい、なぜあそこにあるのか?
その場所がやはり新田川の側であり海に近いということで原町では最適の場所だったのである
古墳はどこにあるのか、場所が大事である
仁徳天皇の大古墳は海に近かった、そこに意味がある、ただ奈良の盆地の古墳も大きい
それが山の辺の道の山側に沿ってあるからその場所に意味がある

新田川にも鮭が上ることで有名だったし鮭料理をだす食堂があった
でも今年は真野川でも鮭が数匹しか上ったのを見ていない
去年は相当数上っていた、もしかしたら震災から8年過ぎて何か影響したのか
鮎は一匹もいなくなった、鮎は全国的にいなくなっている
その理由が何なのか?これも何か影響している
鮎が見かけないのは淋しいとなる、それは食べないにしろ川に鮎がいて川もは活きるからである

街道を行くといんう旅は今はしにくい、この辺だと街道を旅することは浪江まではできる
でも六号線は双葉には自転車ではいまだに入れないのである
そこで通行止めになるから行けないのである、山の方を行くと遠回りになる

ただ自転車でゆっくりと街道を行くのはいい、秋は季節的にもいい、それでまた行きたくなったとなる

人間は出会う人が大事(出会いが決める運命と損得)


人間は出会う人が大事(出会いが決める運命と損得)

人間はつくづく出会いが決める、大学でカルト教団に自分が入ったのもたまたまゼミにいた人がその教団に入っていたからだった
それが最大の理由だったのである
その人と出会わなければ入ることもなかった、ただそれがすべて悪いとはなっていない
なぜなら大学は遊びの場所でありそこでただ遊ぶだけで終っていたかもしれないからだ

最近の自分の苦難を書いてきた、それも出会いが悪かったからだ
前から付き合っていた人が悪かった、事業に失敗して借金していたとかで余裕がなく借金に追われていた、そういう人は自分のことで精一杯であり他者を助ける余裕がない
自分から金をとることしか考えないようになっていた

後に家の手伝いに一時来ていた人は泥棒だった、そこで大金を失った
これもそもそもそういう人と出会ったことでそうなったのである

他に地銀の人が来たがこれもリーマンショックのとき半額になった株が元にもどり上がり調子のとき別な投資信託に株を売ってまわした
結果的に損した、その地銀の人は全く株のことを知らないのに知っている言っていた
私もプロだと思いまかせた
そして自分には株でも何でもそういう投資のことがわからないし時間もないからまかせたのである
地銀の営業の人の頭にあるのはノルマを果たすことだけであり地銀自体が今や余裕がないから客をもうけさせることなどできない、今は客から金をいかにして巻き上げるしかないのである、それはゆうちょでも同じだったのである
時代が変わってそうなっていたのである

なぜ人間はこうして出会いが運命まで決めてしまうのか?
そもそも犯罪に逢うということはそうした犯罪者と出会うからそうなる
犯罪者がそんなに多い訳ではない、でもそこでたまたま出会うことが最悪だったなるのである

大工さんに修理を頼んだが実際は直っていなかった、でも金ばかりとられたというのもそうである、出会いが悪いとなんでも悪い結果になる
病気でもいい医者と悪い医者がいる、いい医者に出会いは病気も直るが下手な医者にかかると病気は悪くなり早く死ぬこにもなるからどういう医者と出会うかが問題になる
でも田舎では医者は限られているから選ぶことはなかなかできないから損になる
それは教育でもそうである、いい先生に出会えばいいが悪い先生に出会いえば影響が大きいのである 

そもそも人間の運命はどんな母親から生まれてどういう家族で育つのか決められている
それも出会いであり出会いは運命だともなる
結婚だって出会う人によって決まる、どういう人と出会い結婚するかで運命が決まる
そして人間は出会うという時、意外と出会う人は限られている
そしてその限られた人の出会いで運命も決まる

良かったのは仙台から来た優創建というユニットバスの会社だった
百万で作ってくれた、地元だとガス会社では200百万かかると言われたからだ
知っている人に頼むとその人はプロではないから300万かかったのである
その会社は良心的であり仙台から来たとしてもそれだけ安くできたのである

人間の運命を決めるのはいろいろある、でも出会う人に左右されるというのも確かである住んでいる場所でもそうである、どうしてもこの辺だと医者自体が少ないのだから都会のように医者を選ぶことができないからいい医者と会えないのである
そういうハンディキャップが田舎にはある
金融機関でも都会のようにいろいろないか相談もできないのである

とにかく人間はどういう人と出会うかが大事になる
出会う人によって運命が決まってしまうことがある
人間の運命を決める要素はいろいろある

●住んでいる場所(故郷)

●生きる時代

●出会う人

この三つが運命を決める、住んでいる生まれた場所の影響が本当に大きい、田舎と東京に生れ育つ人では環境が違い過ぎる、そこにはいい面と悪い面がある
ただ自分は田舎向きであり老人になったら今では人ごみが嫌になり仙台にすら一年に一回とかしか行っていない、老人になるとどうしても田舎がいいとなる、それはその人の性向にもよる

また出会いというというときどんな本に出会い読むかということも大事である
本も人との出会いとにているからである
でも田舎だと本自体が売っていなかった、この差が大きかったのである
仙台まで行かないと専門書も売っていない、売っているのは売れる本だった
「冠婚葬祭」とかの本が百万部売れていた時代である
ベストセラーになった時代である、それはそういう本しか田舎には置いていなかったのである、でも本というのは莫大な量があったのである
それが読めなかったことは相当なハンディキャップを背負わされていたのである
今は古本が安いので集めている、すると知見が拡大してゆくのである
インタ−ネットでも論文が読めるとかなり知識が田舎でも得られるのである

なぜ出会いが大事かというとどこでもそうだろう、会社でもいい上司に逢うのとそうでないとなると苦痛になりやめたりする、でもいい上司に逢えば仕事もはかどるとなる
つまり秀吉でも信長に出会わなければ出世はできなかった
信長が優秀だったから秀吉も才能を活かせたとなる
才能だってそうなのである、それを認める人がいないと伸びないのである

今になっても自分がこんなに俳句とか短歌を作っているけど30過ぎてもいいものが作れなかったし才能がないとされていたからだ
だから才能でもそれを認め伸ばしてくれる人がないなと活かされないのである
それも人の出会いによることが多いともなる

第一出会いが大事だという時そもそも親と出会うということが運命を決めているのである親が悪いとどうしても初めから相当なハンディキャップ負うことになるからだ
私の場合は親が良かったからこうして自由に生きられたとなるからだ
才能も伸ばせたとなるからだ

だから出会いというとき良縁と悪縁がある、それは結婚でもそうである、その縁がいかに影響するか、良縁になればいいが悪縁になると悲惨になる
そして人間の不思議は良縁があっても悪縁を選ぶことが普通にある
良縁があってもそれを切るのが人間なのである

例えば天国があるとする、悪人はそこにはいられなくなり自ら進んで地獄に行くのであるそういう天国にはいられないのである、悪のある場所が住みやすいからそうなっている
だからこの世は悪人にとっては住みやすい場所なのである
天国となるととても住めない、自らこの世に帰りたいとかなる
良縁を切ると悪縁が入ってくるというのもそうである
むしろ悪縁をその人自ら選んでいるのである

結局最後は結果論でありもういろいろ言っても過去は返ってこない、こうすればよかったとかあうすれば良かったとかいってもどうにもならない、すべて結果は老人になれば出てしまったからである、後は死ぬだけだとなってしまったからである
ただこれからの人はこうして生きた人のことを参考すにすべきだとなる
40才になったら何もできない、人生も終わりだと嘆く人もいる
それだけ時間は過ぎるのが早いし出会う人も極限られている、後は「さよならだけが人生だ」となってしまうのである

「若き日に神を覚えよ」というとき若い時を神を知らなければ出会わなければ後は出会うことができないともなる、これも厳粛なことだと思った
若い時はいろいろなことに目を奪われるがそうしているとたちまち青春は過ぎるのであるそして浦島太郎のように白髪の老人になって時は戻ってこないのである
後は死があるだけだとなってしまうのである
玉手箱を開けたら夢のように煙となってすべては消えたとなる
そしてただ茫然としているだけになる、人間はみんなそういう繰り返しだったのである
そういう人間の本質は技術がいかに変わっても変わらないのである
だから諺を今でも活きている、「金の切れ目は縁の切れ目」というのも過去にもあり今はこれが極端になっていることでもわかる
そういうことは時代が変わっても変わらないのである
それは人間の欲とかがなくなるわけではない、いかに人工頭脳が優秀になっても変わらないのである、人間の欲がなくなることはないからである
それで諺が依然として通用していることでもわかるのである




2019年09月24日

南相馬市の古代の歴史ー鹿島区の新旧 (新旧と場所を知ることが歴史を知る基本)


南相馬市の古代の歴史ー鹿島区の新旧

(新旧と場所を知ることが歴史を知る基本)

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歴史をみるとき大事なのは新旧をみることである、村でも新しいのか古いのかが問題になる、だから村でもこの家は古いのか新しいのか問題になる
田舎でも飯館村とかでも古い家と新しい家がある
戦後は開墾に入った人たちが多い、20パーセントくらいいたとかなり相馬地方では特に多かったという、小池にまで開墾に入った人がいた
戦後の引揚者だったのである、あんなところに土地があったのかとなる
その人はかなりの貧乏だったのである

飯館村の大倉から坂を越えた木戸木となると閉鎖された土地である
草野に行くのにも七曲の坂を上らねばならない、あんな不便な土地だから開墾に入った
でも一見するとここは古い部落なのかとも思うのである
つまり村でも新旧を見ることが大事なのである

例えば鹿島区だと烏ア村とか海老村は古い、でも右田村は江戸時代にあったとしても海老村とか烏崎村からすれば新しいのである
そこは後から開拓された土地だったからである
海老村は最近その突端に古墳が発見されたから古いことがわかる
それだけ古い時代から人が住んでいたのである
そうなるとそこで大きな津波を経験していたかもしれない、でもそれはわからない
弥生時代の住居跡も発見されている

古墳があるということはそこが古い場所である目印になる
それで韓半島に前方後円墳が発見されている、それが最近の研究では日本より古いから韓国から日本に前方後円墳が伝わったという、何でも韓国起源にするのが韓国である
でもその古墳が日本より新しいものだったのである
ここでもいかに新旧が大事になるか証明している
それが古いのか新しいのかが決め手になっているからだ

それで鹿島区だと塩崎の船着近くに前方後円墳があった、鹿島区で前方後円墳があるのは金銅双魚佩の発見された寺内と二つだけである
それで問題になるのがどっち古いのか新しいのかなのである
なぜならそれが鹿島区の歴史をみるとき重要になるからだ

塩崎には船着と市庭という地名があり古い、船が通っていたことは書いた
それも今の火力発電所があるところから鉄などを運んでいた
そして大内には800年に奉納された薬師堂が残っていた、それは坂上田村麻呂が奉納したものとされる、大内村はそれだけ古いということである
でも古墳時代になるとさらに古いのである
でもいつそこに前方後円墳が作られたのか?
それが問題になる、なぜならそれがわからないと鹿島区の歴史を解き明かせないからである

私の見解では塩崎の前方後円墳が古いのだろと思う
それは鹿島区の歴史の形成がどうして行われたか?
古代になるとまず東北電力の火力発電所がある場所で大規模に鉄の生産が行われた
その時この地が奈良の朝廷に知られるようになった
鉄の生産のために韓(から)から特に伽耶から技術者が入ってきた
それが津神社でありツノガノアラシトである、、浪江の苕野(くさの)神社もそうである
津神社とはツノ神社でありまぎらわしい、ツ神社とはいわない
ツノ神社である、松川浦の津浪をまねがれたツノミツ神社もそうである
感じは当て字であるから注意する必要がある
ツノガノアラシトのツノがつく神社や地名があるから注意すべきである

ではこの辺にある神社でも新旧が大事になる、綿津見神社は相馬地域とか浜通りでは多いツノガノアラシト系は点であり韓半島の技術者が入ってきた
綿津見神社は安曇系の海洋民が大勢移民として入ってきた
それを物語っているのは飯館村まで綿津見神社と山祇(山津見)神社が多い
それも面としての広がりがある、飯館村の山津見神社を終点としてその前に栃窪村にも山津見神社がある、他に相馬の松川浦にも海岸に山津見と和田という地名があり和田は綿津見のことである
そこから川をさかのぼってゆくと途中に隠されたように山津見神社がある
このことは綿津見神社と山津見神社を神として奉じる人たちが移動した跡なのである
ではこの人たちはいつここに来たのか?
これが大きな問題になるのである
古墳にしてもそれが一体古いのか新しいのか問題になる

ツノガノアラシト系とかの鉄の生産技術者は点としてその後神社とか地名に残した
綿津見神社系はこの地に大勢来て面として移民として住んだのである
ではこの人たちはその鉄の生産の技術者より古いのか新しいのか?
これが大きな問題になるのである

これがツノガノアラシト系より古いとなると最初にこの地に来た人たちは綿津見(山津見)系だとなるからである
その後に鉄の生産技術者が韓半島から来た、そこに大和王権系が指導権をにぎってゆくことになる
真野の草原はそういう事情で大和王権系がかかわり奈良に知られたとなる
そしてでは原町の桜井古墳が鹿島区の古墳と比べて古いのか新しいのかが問題になる
あれだけ大きいのだから古いとみる
そこにすでに統一された大きな勢力がある集団が存在したとなる
それは物部氏系とされる

位置関係を見ればたどれば鹿島区の歴史はわかりやすい
蝦夷が存在したという時、それは物部系とかツノガノアラシトとかが関係していた
そこに大和王権系がかかわり真野郷として中央の大和王権から認定されたとなる
それで小池の前方後円墳が作られ金銅双魚佩とともに埋葬された地元の有力者がいたとなる、それは中央政権の大和王権からもたらされたものだとなる

そして桜田山に古代の城がありそこの丘を越える所で先住民と争いがあった
そこから石の武器が数多く発見されたとあるからだ
そこで先住民と大和王権側が衝突して桜田山下の大六天の祠のあるところで争いがあったそこからは縄文人が生活していた跡が発見されている
魚とか鹿の骨が発見されている、つまりそこで蝦夷と戦った人たちがいた
そこで蝦夷は大和王権側に殺されたともみる
そこから大和王権側が進撃して鹿島神社に至ったのである
そこに鹿島神社が今でもある、その祭神はタケミカヅチの神である
これは武の神であり出雲でもこの神が現れて征服している

つまり神社は場所が大事なのである、なぜその場所にあるかが歴史を語っているのであるそれから右田の御刀神社がありなせそこにあるのかが問題になる
それは海老というのはエヒであり蝦夷のことだったのである
そこはもともと古墳が発見されたように古い場所だったのである
右田に御刀神社があるのは刀はまさにこれも武の神であることがわかる
刀を使って蝦夷を切ったり殺したり征服した場所になるからだ
古代では御刀神社の前は海だった、それは津波で証明された

歴史で大事なのはこうして新旧を知ることと場所を知ることなのである
この二つから歴史をみることが大事になる、つまり何でも空間軸と時間軸で見ることなのである、空間軸はその場が今でも残っているからわかりやすいが時間軸はわかりにくいのである、江戸時代でも年号があったとしてもその新旧がわからないのである
時代をみるときどうして見るのか?
例えば戦前だと戦争があったとか、戦後だと高度成長時代があったとかなる
そして戦後十年くらいは街中の生活でも水道がないし燃料は炭だったということを知ることが大事である、それは江戸時代の続きだったからである

基本的にそういう生活を知らないければ過去を知り得ないのである
それは石器時代から鉄器時代へ移行したときそれが歴史の大きな転換点だったということでも同じである、戦後の電気の生活変革もそうである
その延長として原発事故があったからである




posted by 老鶯 at 09:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2019年09月23日

東電の幹部の無罪判決の理不尽 (原発マネーでマスコミも政治家も地元も暴力団まで操作された)


東電の幹部の無罪判決の理不尽

(原発マネーでマスコミも政治家も地元も暴力団まで操作された)



朝日「腑に落ちない」産経「冷静な判断」 東電旧経営陣「無罪」各紙はこう論じた

 読売は、これまでの経緯や判決内容に触れつつ、6段落目で「刑事裁判の基本に沿った司法判断と言えよう」と評した。


 会見で、石田省三郎弁護士は「国の原子力行政をそんたくした判決だといわざるをえない。原子力発電所というもし事故が起きれば取り返しがつかない施設を管理・運営している会社の最高経営者層の義務とはこの程度でいいのか。原発には絶対的な安全性までは求められていないという今回の裁判所の判断はありえないと思う」と述べました。

 福島第一原子力発電所事故が発生した2011年、東京電力から連合会宛に年会費として18億円が支払われていた事が判明した(同時期には公的資金での財政支援が行なわれている)が、納入された会費の具体的使途を連合会は開示していない


 「これまでメディアを通じて原子力発電は安全だとPRするCMや広告を目にしたことがあると思います。電力会社の名前でなく、電気事業連合会(以下、電事連)というクレジットを目にした人も多いでしょう。

原子力ロビー「電気事業連合会」の力と実態

 この電事連こそ、露骨に原発推進を訴えにくい電力会社に成り代わって、豊富な資金量と政界へのパイプを駆使し、原発はなくてはならない≠ニいう世論を形成して 

 「文化人をはじめ各界に影響のある人物を広告に起用するなどして、原子力政策に理解あるサイドに立ってほしいという意味です。その人物がはっきりと原発賛成を叫ばなくても構わないんです。原発推進の立場の電事連のCMに名のある人が登場する。

福島が地元の渡部恒三(民主党最高顧問)が『農業の時代じゃない。これからは環境だ』と言い出したのは、まさにこの頃で、同じ田中派の小沢の動きを見て、CO2排出の少ない原発推進で電力業界との距離を縮めようとしたのだ」



 別冊宝島の最近刊『誰も書けなかった日本のタブー』の巻頭、川端幹人「金と権力で隠される東電の闇/マスコミ支配の実態と御用メディア&文化人の大罪」がまとめているところでは、東京電力の年間の広告費は約244億円、販売促進費は約239億円、その他に普及啓発費200億円弱で、計約680億円の多くがメディアに流れている

 関西電力の広告費は199億円、販促費は59億円、九州電力は同じく80億円、112億円など。他にも、電力10社が構成する電気事業連合会(電事連)も独自の広報予算を持っていて(非公開ながら)年間300億円以上と言われているし、さらには経済産業省・資源エネルギー庁や文部科学省の原子力関連の広報費もあって、それらすべてを合算すると「原子力界・電力業界がメディアに流している金は年間2000億円に迫る。現在、広告出稿量第1位のパナソニックが771億円、強大な広告圧力でメデイアから恐れられているトヨタが507億円だから、この金額がいかに大きいものであるかがよくわかるだろう」(川端)。

 マスコミだけではない。政治家には政治献金、官僚には天下り先、学者には研究費、地元代議士や地方政治家や暴力団には利権配分、自治体と周辺住民には電源3法に基づく手厚い交付金......と、あらゆる関係者に莫大なカネをバラ撒いて「原発は安全」という虚構を塗り固めてきたのである。



なぜ東電の幹部が無罪になったのか?
それは私のプログで追求してきた
原子力村というけどそれはもう村などというものではない、一つの別な強力な国家と同じだったのである、その利権が金が支配した結果そうなったのである
それでわかるのはなぜ東電の幹部に責任をとれとか右が右翼が街宣車とか出さないのか?このサイトでは暴力団にも金が流れていた、暴力団とかは右翼と関係して街宣車を出す
原発事故ではそういうこともない、なぜなら右翼はもともと原発の推進派だからである
それは核武装是認派だからである
ただ昭和天皇をあれほど批判していて最近死んだ都築詠一氏も原発推進派であり核武装派であった、右翼にもいろいろいるが全部原発には反対していない
また空手道場の師範でありそこには東電の人たちも来ていた、となると批判しにくいとなる、ただ文学の批評家としては私は評価していた

ただ原発に関しては左でも朝日新聞にも金が回っていた、ほとんどあらゆる報道関係に金が回っていた、その額が大きいのである
要するに金によってマスコミも操作されていたから原発の危険を言う人はいなかったのである、言えなかったのである、それは地元でも同じである
みんな原発から金が欲しいとなり現実もらっていた
漁業組合でも事故前にも補償金がもらって原発御殿が建っていたとか聞いた
それで漁業権を東電に売り渡したとなる
それは別に漁業組合だけではない、莫大な金が地元に与えられていたのである
そのことが実感したのは事故後に何兆円という補償金が出たり7兆円で除染だとかその金の額は天文学的なものであり驚いた
そんな金があるということ自体驚きだった、国家規模になるとその金をもう計算できないのである 

そして創価の聖教新聞でも潮でも原発推進をしていたのである、それは第三文明とかでしていた聖教新聞とか第三文明とかで最初に仕事するのは宣伝費を稼ぐことである
それは他でも同じである宣伝費を稼ぐことが第一の仕事なのである
新聞だってテレビでも放送すること自体に莫大な金がかかる、そしたらその金はどこから出るのか?テレビだったら視聴者からはでない、NHKは視聴者から強制的に徴収しているから特別なのである
福島県の民報でも半分出資しているのが県なのである、だから県の広報機関と同じであるまた聖教新聞も刷っている、そこが収入源になっている
創価は権力をとる総体革命を目指しているからその手法は同じなのである
どうして権力を抑えるか常に画策している団体だからである
それは東電にも通じていたのである、マスコミは宣伝費で金で抑える
つまり今の世の中金で操作されるということである

結局金が毒饅頭だったのである、みんな金が欲しいというのには変わりないからである
金になると目の色が変わる、でも金の怖さは具体的に金でもってカルマをつむということである、金というのはわかりやすいのである
それでドラマでヤクザが金をもらったからと義理を果たすために殺人までしたのである
金というのにはそれだけ具体的なカルマとなる
そのカルマを返さざるをえなくなるのである
そこに金の怖さがある、金をつかませられてマスコミでも何にも言えなくなったことでもわかる
それを象徴していたのが朝日新聞までは事故が起きたとき中国に呼ばれて歓待されていたのである、その時マスコミ全員がそこに参加していたのである

読売は、これまでの経緯や判決内容に触れつつ、6段落目で「刑事裁判の基本に沿った司法判断と言えよう」と評した

読売新聞がこういうのはなぜなのか?
そもそも読売新聞は正力松太郎がアメリカから原発を誘致させた最初の人だったのであるアメリカのスパイになりその代りに原発を誘致して日本テレビ局を作った創始者だったのである、だからこんなことを言っているのである
つまりマスコミはこうして権力側につくものであり民衆の味方ではないのである
それはマスコミは報道するにも金がかかりすぎるからそうなるのである
テレビで放送するにしても新聞でも雑誌だってそうである
それは視聴者とか購読者が払ってくれればいいがそれができない、だからスポンサーに頼るほかないのである、そして東電はとかはもう国家並みの権力をもっているから金も湯水のように出すとなるともう何も言えない
そしてたいがい文化人と言われた人たちが東電側につき原発を擁護していたのである

なぜ今回も東電の幹部は無罪になったのか?

それは検察自体が原子力村の一員だったからだともなる
検察でも官僚でも東電に天下りしているからである
最近交通事故を起こした元官僚の人を上級国民で批判できないとか騒いだ
検察でもそうして上級国民には忖度するとなる
そして結局誰も責任をとらないのである

本当は事故を起こしたら切腹するとか死刑にする

こういう責任を課せば誰も原発などにかかわらないのである
なんだ無罪かとなれば責任などないとなりまた原発を軽くみることになる
そうはいっても必ず誰かかが責任をとらされる
今回は住めなくなった住民が責任をとらされたのである

でも責任をカルマを逃れることはできない、東電の幹部にもいつかそのカルマが現れる
それはいつになるのか?必ずカルマとなって苦しみとなって現れる
それは国家的犯罪だから検察でも罰せられないけどそのままでなにもなく終わるとはありえないのである
一人でも死刑になるとかなり犠牲者になればその人に過失を押し付けることができたかもしれない、堂々と幹部は無罪だとして社会にのさばることが許されないのである
もう被害者でもがっかりする、善も悪もないと絶望してしまうからだ
国自体が信頼できないとまでなる

こういうときもうテロが起きてもおかしくない、でも右翼が東電の幹部にテロにならないのは暴力団にも東電の金が回っていたからだとなる
それでヤクザでも義理がありカルマをもつから殺しを請け負ったように何もできないのである
それは地元でもそうだが金の力がいかに強力なものか、カルマとなるか示しているのである、地元でも東電で金になっているから反対しずらいと言っている人がいたからである
金に社会がいかに曲げられているかわかる、金から犯罪を見えてくる
借金している人は犯罪者になりやすいからである
ただ金でもそれが悪い方に働くとカルマとなりそのカルマが苦しみとなって現れるのである、やはり不正な金で会社がつぶれたりもする
そこに金の怖さがあったのである 

要するに原発は国家的犯罪だった、でもこれも戦争と同じように裁くことができない
国家の犯罪となれば誰が裁くのか?そんな権力をもっているものはいないからだ
アメリカが悪いとしてもそれも裁くことはできない、そんなことができるのは神だけだとなる、原発事故もこうして国家的犯罪だから裁くことができないのである
ただ歴史の中で百年後とかにその犯罪が明らかにされるかもしれない、国家的犯罪になると戦争でもそれだけ時間がかかるとなる
今になって読売新聞の正力松太郎が悪人にようにされいたりするからである
その時は優れた実業者だと見られていたからである

福島が地元の渡部恒三(民主党最高顧問)が『農業の時代じゃない。これからは環境だ』と言い出したのは

これにしてもそうである、いかに農業とか漁業でも金にならないと後継ぎもいないとかなり政治家がこういえばとびついたのである、実際は農業はやるなと親に言われて殴られた息子がいたのである
(農業の時代じゃない)というときそこに福島県とか地方の見方に問題があった
今になると農業が成長産業だとしている、なぜなら日本では輸出産業が衰退しているからである
日本の農業は技術的にハイレベルだとかそういっている、だから時代により価値は変わる
農業を軽視することは危険だったのである
原発の推進派の理由として原発は石炭のようにCO2を出さないかから環境にいいということがあった
これからは環境だと言ってももその環境が放射能で汚染されて住めなくなったのである
第一この人も利権で動いていたのである、息子はアメリカのGEにつとめていたのもそうである

今報道はインタ−ネットでyoutubeとかで百家争鳴になっている
それはyoutubeなどでも手間がかっても金がかからない、ほとんど個人でできるからそうなったのである、そういうものがあれば原発の危険性を指摘されたかもしれないのであるだから民主主義には報道の自由がないと真実は隠されて今回のようにもう取り返しのつかないものになる
そして報道は反権力でないとだめなのである、権力側は金がありまた数の多さも民主主義では力となる、だからカルト教団ではとにかく頭数を集めて票に結びつける
数が多いことが権力に結びつくからである

つまり権力とは危険なものなのである、権力をもつものはナチスのように暴走したり危険なものでも危険でないとしたりできる
だからこの権力をどうして抑制するのか?それが課題なのである
それに報道の自由が必要なのだけどそれが権力によって操作されたから原発事故が起きたのである、だから反権力が報道の基本的な姿勢としてなければならない
福島民報のように出資が県の50パーセントだったら何も言えない
そういう報道機関は必要もない、だからインタ−ネットがそれを打ち破るものとはなる
ただ問題は百家争鳴で混乱する、何が正しいのか真実なのか見極めるのがむずかしくなってくる、でもそれが民主主義の有り方なのである

posted by 老鶯 at 14:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2019年09月22日

観光と旅の相違 (今は旅人も旅も喪失した観光の時代−地元の観光をどうする)


観光と旅の相違

(今は旅人も旅も喪失した観光の時代−地元の観光をどうする)

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観光資源の活用は、既存のものの掘り起こしと新しいものの創造によって、観光のあり方を激変させる可能性がある

現代は観光の時代である、世界的にそうである、交通の発達で旅もグロ−バル化した
観光が一大産業にもなる、ギリシャなどでは観光が主な収入源でありヨ−ロッパの保養地となっていた、だからのんびりと暮らしていたがギリシャ危機でそうもいかなくなった
観光だけに頼ることも危険である、なぜなら観光も浮き沈みがあるからだ
ある時はある場所が人気になりある時は別な場所になる
今は日本が人気になっているのは日本は旅しにくい場所だったからである
物価が高いとかでしにくくかった、でも今になると中国をはじめ豊かになるとやはり外国を知りたいとなり日本が貧しくなったので観光立国とかまでなった
京都辺りでは観光公害にまでなっている
日本人が日本をゆっくり旅できないというのも異常である

観光という時、旅とは違う、現代では旧来の旅とか旅人はいない、江戸時代辺りなら普通の人でも街道を歩くほかないのだから旅人になり旅をしていたのである
今は交通機関が発達したから旅はなくなった
旅と旅人だと宿場があり必ずそこによる、今は別に途中の宿場による必要はないのである新幹線で一気に目的地に来る、その目的地で温泉とかにひたるとか御馳走を食べるとかが目的となる、途中がないから旅ではないのである
つまり歩いて感じる感覚とはかけ離れたものとなる

街道を行く人あれや秋薊

日立木から松並木があり相馬市の城跡までは昔の街道である
でもそこは細い道だから車が行き来する、そこで情緒がなくなる
自転車だとなんとか歩いたものに近くなる、でも車だと道の辺の花など見ないのである
車はひたすらスピードを出して目的地に向かう乗り物なのである
それは電車にも言える、途中がないのである
それで旅の情緒がなくなったのである
だから旅人はもういない、西行ー芭蕉ー山頭火まで旅人であったが今はいない
旅人になりかない環境になったのである
六号線とか国道を歩いていてもそこは車の通り道であり歩く道とはならないのである
草臥れて宿かるころや藤の花 芭蕉」こういう感覚はないのである 
自転車で亘理から相馬市の方へ来たときそこは街道であったから旅になっていた
そのことをプログで俳句にしたりして書いた
そこには古い歴史があった、歴史の道としてあったがどうしても六号線を通るから昔の街道がどこかもわからなかったのである

東海道五十三の浮世絵を見るとそこは歩く人しか描かれていない、みんな歩いていたのである、一日30キロとか歩いていたのである、それだけ歩く時代だったのである
それで朝早く旅立ったというのもわかる、朝早くなければそれだけ歩けないからである

私も自転車で旅したが自転車は歩くよりやはりかなり早くなる、それでも一日私の場合体力がないから50キロから60キロくらいしか行けない、疲れて行かなかった
だから30キロ歩いたら相当に疲れる旅だとなる
いづれにしろこれだけ交通が発達すると旅自体ができないのである
歩いている人がいても必ず電車を利用したりしているからである
ずっと歩きとおすことはできないのである

現代は観光の時代である、観光というときそれは一つの目的地まで電車なり車なり飛行機なりを利用して目的地に早く着きそこでその場を観光するということになる
でもこの観光というのは初めての場所を知るということは意外とむずかしい
それは老人になっても地元のことがわからないとういことがあるからだ
それだけある土地について知るには時間がかかるのである
とすると一日来てその土地のことを知るのはほとんど不可能である
ただ何回も来ているうちにその土地のことを知るということがある

観光資源の活用は、既存のものの掘り起こしと新しいものの創造によって、観光のあり方を激変させる可能性がある。

そしてその土地に住んでいる人が地元のことがわからないのである
この辺だと日立木から相馬市の城跡までは旧街道であり歴史の道である
そこはわかり安くても他はわかりにくいのである
松川浦もわかりやすい、でも実は田舎の魅力は地元の人が当たり前と思っている何気ない場所にあった、そういう場所は土地の人もわからないのである

●歴史の道(相馬市の城跡までの旧街道)
●田舎の小径
●田舎の秘境

この辺だと城跡までの街道はわかりやすい、でも故郷の小径となるとわかりにくい
なぜなそらその小径を最近私が発見したからである、そこは隠されたようにあったからわからなかったのである、自転車で毎日行っていて発見したのである
それはすぐ近くだったのである、つまりありふれた場所が実は魅力ある場所として発見されていないのである
そういう場所があるのだが発見されていないのである
田舎の秘境というのもそうである、それは橲原の奥の水無河川の上流だった
そこには道もない、道を整備しようとしたができていない
だからそこに行くことは難儀する、でもそこは秘境となっていたのである
田舎自体そうした秘境を知らないのである

飯館村の木戸木には森におおわれた清流があったが道ができて失われた
あそこは本当に秘境だった、ただそういう場所は田舎だと必ずある
でも地元の人すらわからない、注目していないのである
でも観光の問題は観光だと秘境が秘境でなくなる
人が入らない所だから秘境になっている、それががやがや観光客が入ってくると秘境でなくなるのである
ダムができる前の大倉の集落も秘境だったのである

相馬地域でも野馬追いだけではない、自然でも観光資源はある、身近な所にある
ただそこが地元の人すらわからないということである
観光はだからその地域をしるというときどうしても案内人が必要になる
それが金がなくてできないから外国のことがわからなかったのである
ただ外国に行けばいいというだけであったから自分の場合はせっかく外国まで行ったのにわからずしまいになったともなる
それは日本国内でも言えるのである、誰か案内人がいなと始めてくる場所のことはわからないのである

ただある地域を知ることはこのように地元に老人になってもわからないというときはじめて来る人は余計にわからない、少なくても三日くらい滞在しないとわからない
その時間が日本にはない、移動するにも便利でも時間がかかる、金もかかる
ではまた滞在するのでも三日となれば時間がとれないとか観光でも時間がかかる
旅だったらそれ以上に時間がかかる
そして地域の魅力は四季にある、四季の変化で魅力が変わる
だからある地域を知るには四季に行くといいとなる、でもその時間がないのである
それでヨ−ロッパではバカンスがあり一か月くらい自由に旅する保養するというのが文化になったのである

人間は何するにも時間がかかる、そしてその時間がないのである
まず勤め人になればもう一か月とか旅はできない、一か月も旅できる人間は異常なアウトサイダーだとなってしまうのである
正規のルートからはずれた人間になってしまうのである
結局旅の問題は金もあるにしても時間の問題が大きいのである
私は別に金があったわけではないか十分に時間だけがあったので旅できたのである
一番困ったのは泊まる宿だったのである、日本の宿は高いのである
ヨ−ロッパでは安宿が多いから旅しやすいのである

観光をどうするかというとき日立木の松並木から相馬市までの旧街道を歩行者天国にするそこは歩くから自転車にする、あそこは曲がりくねって細い道であり歩くと昔の道になるからだ、後は自転車とかで小径の散策である
秘境となるとそこは道を整備しなければならない、でもこれだけ観光するだけで相当に疲れる、三日は十分にかかるのである
そういう案内が自分はできるがその労力も相当なものになる
自分一人ではできない、私は他にやることがありできない
毎日こうしてプログを書いているだけでまた家事にも追われているからできないのであるただ観光のヒントを与えることはできるとなる



posted by 老鶯 at 10:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅の記録

2019年09月21日

浜通りの秋(詩) (阿武隈高地は古い)


浜通りの秋(詩)

(阿武隈高地は古い)

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中村城跡から見る阿武隈山脈


浜通りの秋

黄金の稲穂の実り
鶏頭の真紅の映え
常盤木の松の翠や
阿武隈の山脈にそ
棚引きぬ白銀の雲
紺碧の海に浜通り

白銀(しろがね)



福島県は、地震や台風による水害などの災害が少ないことで知られており、企業のリスクマネジメント上において国内屈指の環境と高い評価を受けています。

今後30年以内に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率は極めて低いとされ、特に阿武隈高地の地盤は堅固で活断層も少なく、地震に対する安全性が極めて高いと言われています。

阿武隈山脈は大陸から分離した、もともと大陸が元になっているから大陸は古いから古いとなる、不思議なのは朝鮮半島には地震がまれである、ニュースでも地震のことが報道されない、台風の通り道にはなっているから台風はある
でも地震の報道がない、それでけ地震がないから地盤が安定しているとなる

阿武隈山脈が浸食されてなだらなかだというのもそれだけ長い年月の間に形成された結果だとなる
とすると逆に吾妻山と磐梯山とか中通りとか会津になると高い山がある
それも2000メートル級の高い山がある
それは新しい造山運動のためだったとなる
つまり新しい山は高く険しくなるということなのか?

ともかく阿武隈高地が地盤的に安定していることは間違いない
それが今回私が作った漢詩もどき詩となになか関係あるのか?
詩も科学と関係している、阿武隈高地は山脈は安定しているというとき
詩にも反映される、浜通りの特徴が反映される

浜通りは海と山の景観があるからだ、それてアンモナイトとかの化石も発見された
海側だから津浪の被害も大きかった、私の家から海は近いから身近である
海をいつも見ているからだ

それで青が海であり鶏頭は赤であり黄色は実りであり緑は松なのである
右田の松原は古いしいい松だったが津波で消失したのがショックだった
浜通りでは相馬市の城跡に行く街道の松並木が有名だからである
歴史は六号線を行くとわからないのである
昔の道の街道が歴史の道なのである
だから日立木から相馬市の城跡までは歩いた方がいいのである

ともかく意外と地元のことがわからない、でも阿武隈山脈が古いというときそこに白銀(しらがね)の雲が棚引く、それがあっているとなる
宮沢賢治のように地質学から化学からあれだけ万能だったと人はめずらしい
現実にそういう天才は今の時代にも出ていないことでもわかる
これだけ科学的にも情報的に進歩してもあれだけ博学な人は出てこないのである

福島県は広いからその土地土地のことを知ることは容易ではない
全体として知ることはなかなかできない
浜通りというとき今回津浪に襲われた地域を一つのつながりとして地域を見るということにもなった
会津とかは山国であり別な地域となる、それで文化の形成でも違ったものとなる

2019年09月20日

秋風、実り、秋の蝉(相馬の城まで俳句十句)


秋風、実り、秋の蝉(相馬の城まで俳句十句)

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八沢浦はほとんど荒地のままである

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五本松の二本は枯れたが三本は枯れていない
一時枯れたのがあったが枯れていない




白壁の蔵に芙蓉や庭の畑

虫の音に耳傾けむ謙虚かな

蝉の声昔遊びし神社かな

(八沢浦)

朝の風八沢浦にも実りかな

八沢浦蔵王望み実りかな

山鳩や八沢浦に実りかな

朝日さし鶏頭に実り松による

(五本松)

五本松三本松残り秋の風

なお残る三本松や実りかな

新築の家に落ち着く秋の雲


(相馬市)

ひさびさや街道の松秋の蝉

街道をゆく人あれや秋薊

大手門入りて松かな秋の風

黒橋を上り城跡秋の蝉

城跡や松にひびける秋の蝉 

相馬藩歴代の殿実りかな

有田焼の茶碗を買うや秋なりき

石にさす秋日やここに店構ゆ      


近くの神社では子供の時遊んだ、その時は子供が多いからにぎやかだった
今は一人も遊んでいない、何か神社自体が廃墟のように見える
子供が遊んでいたとき神社は生きていたのである

今日は涼しいので相馬に行った、一か月より以上相馬に行かなかった
暑いのと日ざしに弱くなっているからだ、現実に家にいても熱中症のような症状がでる
最近も暑くぐったりとしていたからだ

今日は八沢浦の方を回ったら蔵王が見えて実りがあった、でもそれは極一部だった
全体的には草ぼうぼうである、ただ実りがあることで生活があり活きる
右田浜でも松原があり実りがあった、あの光景はいいものだったが二度帰ってこないし見ることはできないのである
松原は自然のように感じていた、でも人工林だったから消失したのである

昔の街道は細いしまがりくねっている、そこに情緒がある、でもそこを人が歩いていないから人間的にならない
車だともう人間は邪魔になるし道端の花など見ていないからである
道路でも本当は街道だったら人間が歩いていて活きていたのである
六号線だと車になるのもしかたがない、街道なら歩いている人がいる、歩く道路だったらかえって人間的なものが生き返る
秋となるとやはり旅にはいいとなる、ただ旅でも車では旅にはならないのである
現代の道はただの通り道になる、運搬道路になっている
何か秋になりまた旅したくなった

松並木の街道を行き相馬六万石の城跡につく、大手門があるけど小さいのである
門を入ると松がある、何か城には松があっている、松は人間に見える
一番人間に親しい木なのである、松は忠臣のように城の中に立っている
黒橋を上る、あそこは急である
相馬藩が国替えがなくつづいた、それで歴史に一貫性があるとかなる
それが明治以降も今でも殿様が活きている唯一の藩かもしれない
それは野馬追いがつづいているからそうなる
野馬追いは歴史の継承であり侍が現実に活きる場になるからである
だから相馬地方では侍に出る人は依然として侍であり格が上になるということがある
それは京都辺りでも僧侶が依然として力をもっているのとにている 

イオンでは有田焼の焼き物を売っていた、何か秋らしい、でも安いのを買っただけである陶芸とか骨董とかにこるときりがないのである
何か趣味でも金がかかりきりがなくなる、だからやめたのである
ただ安物は安物の価値しかないのである
私は窯元をずいぶん訪ねた、浪江の大堀焼の窯元がなくなったことは痛手ある
なぜならあそこは高瀬川があり水墨画のような風景があったからである
そういう観光の場所を失ったことは痛手である
窯元はやはりある程度まとまっていないと価値がないのである

秋風や模様のちがふ皿二つ    原 石鼎

秋はそういう感じになる、芸術の秋である

相馬市ではパン屋が六号線沿いにあり焼きたてのパンを買った
パン屋は原町にもあるし普通はある、第一新地にもあったからだ
だから鹿島にはないというのがわからないのである
原町までたと近い相馬市になるとちょっと遠くなる
とにかく暑いということで行けなかった
日ざひは夕方になっても暑くなっていた
何か夏が一か月くらい伸びている
店の前に石がありやはり店を持つという店を持つことはステータスになる

今日帰りは暗い道で転んだ、今度のライトは電池が切れやすいのである
自転車も危険である、慣れた道でも暗くなると危険なのである
それほどの怪我でないから助かった





2019年09月19日

里に隠る月(秋風吹き貧困化する日本)


里に隠る月(秋風吹き貧困化する日本) 

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今日は来ぬ女や雲に隠る月

里の月今日は隠れて人逢わず

盗るなかれ月は見ている畑かな

里の秋病に留守や三か月

昔なれ里の実りや松による

書のあまた灯火親しむ家古りぬ

蛙鳴く家や秋なれ家親し

月隠る家を離れじや母の霊

姉死して8年過ぎぬ秋彼岸

今年また遠くに行かじ秋燕

秋風や街の淋しく蝶一つ

明日食べる米なき女(ひと)や虫の声

秋風や貧になりゆく日本かな




月は最近雲に入ったり出たりして輝いている、昨日は満月だった
その女性は毎日来ていた、だいいち年金が4万とかであり最低なのである
10パーセントが5万以下であり10万以下が半分以上なのである
まず貯金がない人多いのに本当に驚く、老後に2000万用意しろというけど
それでもたりない、金の価値が下がったからである
高度成長時代はみんな貯金していた、それは利子が高かったからだ
今は銀行にあづけると利子をとられる、投資信託などをすすめられて大損だった

それだけ日本経済は低迷していてぬけだせない
というよりもうポルトガルとかスペインのように400年日本は衰退の道を歩んでいるという学者もいる
日本はもともとみんな貧乏だった、高度成長時代というのは短い期間でありそこは特別な時代だったことをふりかえる
日本は資源もない土地も狭いしとても豊かになれる国ではなかった

つまり高度成長時代というのは特別幸運がそうしたのである
日本の技術が優れているとかなかったのである、なぜなら今は韓国でも中国でも日本と同じ技術レベルになり中国だと日本より進んでいる時代となったからである
日本の高度成長時代は幸運だっただけなのである

老後は近くが大事になる、雲に隠れて見えなくなってもまた月が現れる
何か三か月も入院して留守にしている人がいると気がかりになる
親しいというわげてもないが近くだからそうなる
なぜそう思ったのか?
その人は妻を亡くしてもう10年くらい大きな家で一人暮らししていたからである
妻がいればその人を思わない、一人だから家に誰もいないから思ったというのも不思議である

何か独り身とか独り身を思うようになる、夫婦でいれば別である
老後は近くが大事になる、病気になっても近くにもし親しいかかりつけの医者がいれば安心だとか何でも近くが大事になる
遠くの親戚はあてにならないのである

とにかく一身上でもここ十年は変化しすぎた
家族みんな死んで姉が死んでから8年も過ぎた、それもあわただしいからあっというまだったのである
右田の松原も津波でなくなりそこに実りがあった、松と実りがあっていた
それもなくなった、凄まじい変化があった
まず人生では必ずこうした大きな変化にみまわれる
70年くらいで大きな変化が来る

今日は西風なのか秋風が吹いた、ようやく秋らしいとなる
youtubeで老後で失敗した人のことを言っていた
その人が住んだのは辺鄙な田舎だった、そこで新参者を受け付けない所だったのである
それで妻が鬱病になったとか病院に通うにも遠いとか畑で野菜を作ってもハクビシンとかなんかに食べられたかと言っていた
田舎は人間関係が本当にめんどうなのである
特に小さな村ではそうなる、でも田舎が住みにくいかと言えばそうして仲間がいれば何か安心するのである、住みやすいのである
それがないと住みにくくなり問題が起きる

なぜ老後に誤算が多いのか、失敗するのか?
それは時代が変わるからである、貯金して利子はつかない、何か事業してもうまくいかない、田舎に住んでもうまくいかない、要するに老人は適応力がないからそうなる 海外旅行でも若いうちにしていないと苦しむ
それも適応力がないからだったのである