2020年06月26日

交通が発達しても距離が人間の心を隔てる (東京と福島県ー広域社会の共有する自治が必要)


交通が発達しても距離が人間の心を隔てる

(東京と福島県ー広域社会の共有する自治が必要)

何か遠いとか近い感覚が相当に違って来た、江戸時代なら芭蕉の奥の細道のように
みちのくと地の果てのような感覚になっていた
だから平泉まで来るのにそういう感覚で旅して来た
はるばるやっとみちのくの都の平泉に来たな、おりしも五月雨の季節、金色堂はその雨に打たれても鞘堂の中に残っていたとなる
そこに深い感懐があった、それまですでに相当な月日を重ねて旅して来たからである
でも今なら平泉まで新幹線で東京から二時間だとなればその感懐もなくなる
その途中の行程が省かれているからだ

だから距離の感覚が交通の発達で変わってしまった
その距離の感覚が何か錯覚して物事でも理解できなくなる
東京は遠いと思っても実際は近いのだがまた遠いとも思う
福島県はみちのくの入り口にしても今なら郡山まで新幹線で一時間もかからず着くとなれば実際は東京圏にもなる
それで福島県の中心は福島市ではなく郡山市がいいともなる
経済の中心地は郡山市である、それと会津も福島県だから郡山から磐越西線がでているから会津と交通でもつながるとなるからだ

そして東北には奥州には山城が多い、三春でもそうであり二本松は最も山城の形を残している古い中世から受け継いだ防御の城である
防御というとき自然を防御に用いる、山城であれば山が攻めにくいとなる、前に川があれば堀となり自然の防御となる
伊達政宗の青葉城は前は広瀬川であり見上げるような高い所に城を作った
これも防御のためである
東北には平城は少ないのかもしれない、盛岡城でも高台にありそれなりに小高い高台にあるのが多い、相馬の城も低いにしろ高台にあった
やはり山城形態が多いとなる、東北ではそういう点で大阪とか西と比べると歴史的発展として停滞していたともなる
商業が盛んにならないのはやはり平地で庶民が活動しないからだともなる
平城ならそこから町が発展してゆくともなるからだ、山城だと庶民と武士は隔離して生活するからである

一方で大阪城とか姫路城とかは城自体が大きく堅固な守りがあり平城である
平城になるのはそうした自然の地勢を守りに利用するのとは違い、平和な時代だと庶民が生活しやすい平地に城を作ったとなる
でも大阪城は徳川家康に攻められたからやはり戦国時代の城なのである

ともかく江戸時代では江戸とみちのくとなると相馬からだと8日とか歩いてかかった
その距離感覚をもう知ることはできない、交通の発達で実際は東京と福島県は近いのである、福島県は東京圏内にでもあるような感覚になる
それでそうした距離感覚から福島の浜通りに東電で原発を作ったとなる
もちろん東京には作れないこともあったが福島県だとさほど遠くないという距離感覚があったかもしれない、また東京から近くないから事故になっても東京は安全だという距離感覚で場所を設定したとなる

この距離感覚が問題になる、なぜなら私の住んでいる地域は原発のある場所から30キロ離れていた、そこで線引きされて補償があまりされなかったからである
そして30キロというとかなり遠い距離だと思い原発に関心がなかった
でも小高に東北電力でもうすでに工事を開始するところだった
事故がなければ小高に原発は作られていた、そしたら小高からここは20キロにもなる
小高となると相当に近い感覚になる

何か人間は地理に地勢にその見方でも左右される、ただこの地理の感覚が交通が発達すると距離で計れないものが生じて来る
それは平泉まで東京から二時間だとか青森でも二時間でつくとなれば距離の感覚が違ったものになる
それが人間の判断でも誤る原因ともなる

距離が離れれば迅速に対応できない、それで広い帝国になると地方で反乱が起きる
それは中央政府の統治が遠くて及ばなくなるからである
通信もない世界で連絡とることさえ簡単にできないからである
つまり何が起きているかも把握できなくなるのである
今でも東京は実際は遠い、そこで離れていると意志疎通がむずかしくなる
誤解ともかも産みやすい、それで何か急に事件とか緊急ことが起きると対処できなくなる静岡で交通事故をおこしたとき連絡があっても遠いので何が起きたかもわからない、
それで運送屋に死体が置かれていたり何がなんだかわからなくなった
そんな遠くに通うこと自体が苦労だったのである
母はそれで前の夫の息子の私の一応兄になる遺体を前にどうにもならない状態になっていた

そういうことは原発でも起きた、東電の幹部と地元の吉田所長が爆発してどうしていいのかわからなくなり電話で映像でも連絡して指示を仰いでも吉田所長は納得せず独断で実行したとかなる、東電の幹部は東京にいて現場のことが理解できなくなっていたからである東京からその現場の状況を把握することができなくてっていたのである
それは電話でもテレビ電話でもできないものとなっていた
いくら通信が発達しても緊急事態に対応できなくなっていたのである

こういうことは戦争でもあった、現場のことを司令部は理解できない、何をしてもらいたいのかも理解できない、そして関東軍が暴走したりする
もう中央の指令すら届かなくなったのである
確かにテレワークはいいとして果たして緊急事態になれば意志疎通ができるのかとなると問題である、じかにあって話しないと事態を把握できないとなる
結局原発事故ではどう対処していいかわからずお手上げになっていたのである

確かに交通が発達すれば距離は縮められる、でも人間はじかに合ったりして現場でともに働いていないとその場のことがわからなくなる
だからテレワークは平時はいいとして緊急事態に対処できるかどうかはわからないのである
ただ広域社会になると距離の感覚として福島県も東京圏内とかなりその中で自治体でも相互の連携を計り今コロナウィルスでも東京から分散するときそうした周辺地域との関係の中で国造りをせざるをえなくなった
別に首都遷都でも三春辺りが郡山があり森に沈む首都とか計画されていたのである
それがいつのまにか立ち消えになっていたのである
コロナウィルスはそうして再び首都遷都とか具体化するようになった

それで東京をこれからどうするのか?
その未来のビジョンを示して新たな国土を作りをすべきだとすべきなのだということもわかる
その新たな東京圏に福島県も組み入れられるとなるとそこが別な世界として考えて江戸時代のように住めないのである
そもそもかそういうふうに東京では原発でも東京は安全圏として福島に作ったということ自体が間違っていたのである
それは東京と福島県が相当に議論したり協議したりするべきものだったのである
でもそういうことは距離感覚から成されていなかったのだ
ただ東京では福島に作れば離れているから安全だとなり地域エゴから福島県に原発を作ったのである
本当に福島県とまた相馬地域でもいわきでも東京と原発について協議しないのである
ただ一方的に東京から東電によって政府によって福島に作られたのである

コロナウィルスでもそうである、東京からどうしても人の出入りを江戸時代のように止められない、すると東京圏とその周辺はコロナウィルスと戦うために協同せねばならない
でも東京は東京は福島県は福島県でありそこに別々にして考える
東京は東京で原発は危険だから福島に作ればいいとかなり地域エゴになる 

それで福島県の人が東京に原発事故で避難した時、放射能うつるとかいじめられた

今度は東京の人はコロナウィルスがうつるから来るなと言われる

これもつくづくカルマだった、必ずこうして自分たちのしたことがカルマとして返ってゆくのが人間なのである、東京が今やコロナウィルスの感染源でありとめることができないからである、こうなると地域の対立が激化して戦争にもなる、それが戦国時代だった

福島県はまた政府と東電が一体となっているから福島県の知事は官僚出身で中央の言いなりだという批判もある
ここに中央と地方の自治体の反発とか乖離とか生じてきている
それは距離の感覚から人間は交通がこれだけ発達しても克服できないということにもあった
第一東京の人はやはり福島県のことは遠いから安全だと考えること自体が依然としてやはり離れているという距離の感覚からそう決めたからである
posted by 老鶯 at 21:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年06月25日

コロナウィルスの感染は交通と密接に結びついている (6月24日の感染者の出た県名)

コロナウィルスの感染は交通と密接に結びついている

(6月24日の感染者の出た県名)

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6月24日20:30時点

会津のコレラの感染が会津若松中心に広がったことを考察した
会津若松に集中してそれから会津田島の方に逆に広がった
今回でも6月24日でも東京が閉鎖されて解除されたがやはり東京中心にして広がっている東京の周辺の人口密集地帯に広まる、群馬でも東京から近いからである

仙台市は危ないと前から私は指摘していた、なぜなら東京は東北の交通の要であり
新幹線でも東京から来る人が多いからである
それで3日前とかに仙台市に行った時は怖かった、必ず東京から来た人交わるからである
今は相馬地域では福島県では感染者がないからマスクをしないでスーパーにも行ったりしている、何か仙台市よりは安全に感じるからである
ただ距離はとっている、スーパーでもこの辺はそんなにこまないから距離がとれる、ソーシャルデスタンスがとれる
都会だとどうしてもこの距離がとりにくいのである

大坂の方だと確かに少ない、でも大阪から兵庫と岡山県に出ている
例え一名でも危険である、なぜなら一名からでもウィルスが相当に広がるからである
一名出たというときそれはアラーとなのである

何か本当にこの伝染病は地理と深く関係している
だから人の出入りが頻繁な所はどうしても危険になる
東京からは継続的に感染者が出て減らないと思う
一千万以上がいるしその首都圏の人口が多すぎるからである
そこを閉鎖することもできないからである

福島県だと中通りが危険である、福島市で増えたことでもわかる
最近でも一人が出たのはそのためだった
浜通りになると新幹線がない、でも東京からスーパーヒタチが通じるようになった
でも本当に乗っている人は少ないのである
だからせっかく東京まで震災から9年で3月に通るようになったのに残念だったとなる

でもまたもし常磐線が原発事故があった双葉とか大熊とかに電車が通らなかったらかえってコロナウィルスには安全だったとか思う
つまり東京から人が来るのもまた東京に行くのも危険である
それですぐ近くで感染した人は東京のライブハウスに行って感染したのである
その家ではガラス窓が壊されたとかでいられなくなり一時的なの仙台に避難しているという、岩手県でも最初一人の感染者にならないように必死だったのである
そういうふうに田舎では村八分になることが本当に怖いからである

とにかく伝染病は本当に地理と深く関係している
また関所のようなものがあるとウィルスをそこでとめることができる
なぜなら空港で外国から来た人を検査したとき陽性の人が見つかる度合いが大きかったからである
空港は関所になっていたからである、だから関所というのも何か人間には必要なものだったと今になると思う

ただ現代では都市封鎖とか交通をとめることはできない、でも首都圏地帯から人が来てもらいたくないとなる、でも観光でも封鎖が解除されたのだから来る
また観光業の人はきてもらわないと生活できないジレンマに陥っている
でも何か急に解除されて人があふれだして観光地でも来るのは危険だと思った
つまりもともと急に都市封鎖のようなことをしたりまた解除して急に人があふれだして来るというやり方に問題があったともなる

そもそもコロナウィルスは簡単に消えない、それでwith コロナの生活をしろというようになった、急激に人の流れをとめたりまた解除して人の交流を自由にして人がどっとくりだしたりすることはいいように見えないのである
そしたらまた元にもどり何の効果もなくなる、だからその辺を見直すことも必要である
コロナウィルスの戦いは長くつづくという認識が必要なのである
だから急激に人の流れをとめてまたそれを解除してどっと人をあふれさせて交流させるというやり方は危険である
かといって全面的に人の流れをとめることはできない、そこに何らかの智慧とか対策が必要になる

何か都市封鎖のようなことをしたのがかえって良くなかった、それは結局一時的効果であり継続しないからである、別にそれでコロナウィルスの感染を止めることはできないからである
だからロックダウンの効果を疑うように外国でなったのである
やはりwith コロナでやって行くしかないともなる
それで一年とか耐えてゆく、それで効果をみてゆくほかないのかとなる
そのうちワクチンが開発されるの期待する、だからこの戦いはすぐには終わらない
都市封鎖のようなことをしても効果がないともなる
継続的な長期戦となればそうなる、ただそれは相当に消耗する戦いになる
今回の解除で人がとっどあふれたことでもわかる、コロナ疲れになり耐えられなくなりそうなった、そこにまた危険がありやっかいだとなる




posted by 老鶯 at 17:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

誰も未来は予測できない (2030年後の日本ー東京から人口が分散)


誰も未来は予測できない

(2030年後の日本ー東京から人口が分散)

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未来は誰も予測できないというときこの予測でも東京に人口がさらに集中する
仕事を求めて若者が東京に集中するというのははずれたようだ
なぜならコロナウィルスでテレワークになりかえって地方へ人口が分散する
それから観光産業もコロナウィルスで大打撃を受けた
観光に頼ることは危険だったとことを知った
ただあとは当たっているからこの予測がはずれたとはならない
でも東京に人口がさらに集中するというのがはずれたとき全体的に影響する
だからこの予測がはずれたことは大きいのである
つまり予測は必ずはずれるのである
未来の予測は人間にはできない、神のみぞ知るとなる 

人間社会は物中心の経済から頭脳労働や知的仕事へシフトする
それは確かである、この頭脳労働は場所を選ばなくなることである
ITの発達で世界中が頭脳が知性が結ばれるともなる
だから東京のような大都会一局集中は必要なくなる
今でもアマゾンなどで通販の発達で地方でボタン一つ押せばなんでも買えるからだ
東京で得られるものは地方でたいがい得られる
一方で地方で得られるものは東京で得られない
自然によって得られるものが東京にはないからだ
それで若い女性が20代の人がここに移り住んだ、それでサイクリングを楽しんでいた
ここは山もあり海もありサイクリングにはいいからだ
都会の車洪水の中よりそういう点ではいいのである

東京への人の移動は実際は明治からつづいていた、なぜなら大正生まれの自分の母方の家族の二人も東京に出ていたからである、私の母は女中として東京に出たのである
大正時代の東京の人口は百万くらいだった、それでも日本では大都会だった
その後継続して地方から東京へ人が移動しつづけてきた
戦後は高度成長時代になり同級生が金の卵として集団就職したのである
この時も東京へ人が移動した
戦前は看護婦になる試験でも東京でないとできなかったとか何でも東京中心になっていたのである
今でもどうしても東京でいなと大学出たりすると就職先がない
東京には多様な仕事があるから東京に集中したのである

でも東京とのハンディキャップは解消しつつある、本当に一番地方で格差があったのは
本すら買えないということだった、仙台まで頻繁に行ったのは本を買うためだった
でも仙台すら本は少なかった、それに気づいたのはAmazonでらゆる本があることだった
古本でもあるゆる本が買える、そうなれば地方で勉強もできる
そもそも本がなかったら研究でもなんでも不可能だからである
文科系なら本で勉強できるからである、それがないとしたらお手上げだとなる
とにかく本の数は膨大であり天文学的数字にもなっていたのである
まず良質な本をそろえないかぎり知的仕事は不可能だからいかに東京との差が大きかったかわかる、そしてインタ−ネットなら学者の論文も読める
それで津波のことなど重要なことを理解した
相馬藩内で津波の前と後で米の収穫高が三分の一に減ったと研究があった
それが何かこの辺では記録がないので証拠なのかとなりそのことを知ることは津波の研究で重要なことだったのである

とにかくテレワークは自宅にいながらどこでも勉強もできる仕事をできる、
報道でもyoutubeとかで様々な情報にふれることができる
また発信もできる、まず自分でもそうだがこのように毎日プログで書いて即座に発信できなかった、雑誌だって一か月に一回くらいだった
それも手間と金がかかりすぎてできない、だから一つのメデアを個々人で持つということは大きな変化であり権力を得ることだった
テレビでも新聞でもそれを発行するだけで莫大な資本と金と手間がかかるからだ
それが一個人でもできるということは大きな変化だった
テレビの六局に情報を独占される時代は終わったのである

いづれにしろ人間は個々人の人生でも予測できない、何か人間はAIで仕事しなくてもよくなる、では人間は何をするのか?みんなアーティストになれとか言うの本当に解せないとなる
高度成長時代は企業戦士で兵士のように会社のために命までささげるように働きそれが普通だった、その時ニートとか引きこもりなどいない
自分はそうだったとしてもそんな人はいないとされていた
今話題にするのはその数が多くなったからである、数十人とか数百人いてもそんな人はいない社会にとっていないとされるからである
何か自分はパソコンは別にしてないかった、最初はワープロだったがその富士通のワープロに通信機能がたまたまついていたので通信の世界に入りパソコンになっても継続していたのである、私は文系でありメカに弱いからパソコンのことなど知らなかった
でも最初のときパソコンのメカを知らないとできないものだったのである
そして一台40万くらいしていて普通の人はやれるものではなかったのである

結局人間は未来を予測できない、未来は常に意外な結果になる

これは間違えない、個々人の人生でもみんな意外に終わったなとなる
こんなはずではなかったとなり終わっている
例えば依然として一流大学に入り大企業に入ることが成功だとなるがそれも変わる
だからそういう規程の路線だけを目指すとかえって失敗したりする
時代が大きく変わるとそうした価値観が変わってしまうからである
みんながアーティストになることだというのもそうである
アーティストとかはもともと食えない仕事であり誰も認めないからである

時代が変わると価値観が変わる

これもそうである、東京一極集中は時代が作ったがこれが逆にコロナウィルスで地方分散時代になる、テレワークの時代になるとかもそうである
テクノロジーでも社会は変わる
それで先に行ったものが後になり後になったものが先になるとかにもなる
大企業とか目指すのは先を行っているうよでも今になるとかえって時代にそぐわなくなるとか変化が起きてくるのだ
人間社会は歴史がはじまって以来絶えざる変化だったのである

明治維新でもそうであり戦後でもそうである、70年くらいのサイクルで大きな変化に見舞われる、そこで価値観もがらりと変わる、今がその時だとなる
津浪や原発事故やコロナウィルスでこの辺では大変化を経験した
これは予測つかないことだったのである
ただその大変化に茫然としているだけだともなった
個人的にも家族がみんな死んだとかもそうである、その急激な変化に突然白髪の老人になったということもある、現実自分自身がすでにそうである

間もなく見事な魚をほとんど船いっぱいに積みましたが、その日はそれまでに一度もなかったほど、たくさんとれたと三人とも話し合いました。

疲労のためにぐったりと弱りはてている、そして(もう危険がなくなったとなると)その恐ろしさの思い出のために口もきけなくなっている私を。船にひきあげてくれた人たちは、古くからの仲間や、毎日顔を合わせている連中でした、――が、ちょうどあの世からやってきた人間のように誰ひとり私を見分けることができませんでした。その前の日までは鴉からすのように真っ黒だった髪の毛は、ご覧のとおりに白くなっていました。みんなは私の顔つきまですっかり変ってしまったといいます。私はみんなにこの話をしました、


大漁として喜んでいたが突然大渦に飲み込まれた結果、突然急激に黒髪が白髪になってしまった、それはこの辺では津波と原発事故で経験したことである
津浪で沖に流されて漂流して助かった人もいるからだ
そして現実に津波は大きな渦を作ったのであく、それはテレビでも放送された
その話をこの辺でも聞いた、水が両側からおしよせて大きな渦を作ったというのであるその近くで30人くらいが死んだのである
だからこの大渦は津波と同じだった、それより津波は空恐ろしいものだったのである

このように人間がこの世に生きるとは想像もつかない恐ろしいことが起きるということである、信じられない変化が起きる、そして突然に老いてしまい人相まで変わり果てて同一人物に見えなかったとなる、現実に人生で人間は老人になると変わり果てる
女性でも華やかにスポットライトをあびても見る影もなく老いて醜くなっているのである
人間は過酷な人生で変身して悪魔のようになる者もいる、人間自体がいつも同じではない、二三年逢わなくても人間は変わる
だから遠くに行ってしまうとその人が何をしているのかもわからなくなる、それで突然連絡がくる
便りがないことは善いことであり便りが来ると悪い事だとなってしまうのである

このように社会で急激に変化する、鬼畜米英として300百万人が満身創痍で戦って死んだのに負けたらアメリカ一辺倒になった、赤から白に突然に変わる
それが社会でも個々人の人生でも起きるのである
そして誰も未来は予測できないのである、コロナウィルスを予測した人はいなかったからである、2020年に大変化が起きるとは言っていたけどコロナウィルスだとは言った人は一人もいなかったからである、そこに人間の限界があったとなる
人間には安心な世界はありえない、常に危険と隣り合わせであり何が起きるかわからないのである、ただその変化は悪いことばかりではない、何か金でも遺産とかで突然入ったりして金持ちになったり何か突然幸運もやってくる
ただ不運がやってくることも確実なのでなのである
そして人間は最後は死ぬだけだとなるのである




posted by 老鶯 at 10:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

abstract painting( train go)


abstract painting( train go)


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2020年06月24日

テレワークの時代へ (そのためには広い家が必要-地方に住むのが有利)


テレワークの時代へ

(そのためには広い家が必要-地方に住むのが有利)

テレワークは実際はすでにyoutubeとかではじまっていた
youtubeはテレワークなのである、インタ−ネット自体が距離とか関係ない世界だからである
youtubeには教育機能があることを見てていて気づいた
教育機能として優れていると見た,テキストだけだとわかりにくいが別にyoutubeで講義していると現実に教室で教えられるのと変わりないとも見たからである
何かそうなると個々人が家でも勉強できるとなる
そこでは超優秀な人が教え方がうまい人が教える、それで他の並みの先生はいらないともなる、なぜなら全国放送できるからである
だから教室で30人でもまとめて教えるというやり方も変わるのかとなる

コロナウィルスは接触することが拒否される、するとインタ−ネットだと接触しないからいいとなる、ただそこにスキンシップとかなくなり人間と人間の連帯が作れないとかなるかもしれない、要するにみんな引きこもりで仕事するのかとなる
自分自身は引きこもりだった
どうしても学校の集団とか会社の集団とかにはなじめなかった
結局底辺化して流れ作業のような仕事しかしなかった
それ以来仕事自体がしたくなくなった、嫌悪するようになり家族に恵まれて旅ばかりしていたとなる
だから人生はまずしたくない仕事を金のためにさせられることほど不幸はないともなる
勉強だって強制させられてやるのと自らすすんでやるのとは相当違っている
興味もってやるのとはその差は大きいのである
強制されてやるのはつづかないが興味があってすすんでやるのは飽きることがないし一生勉強つづけられるのである,ライフワークになる

とにかくインタ−ネットそのものが新しい仕事を生み新しい社会を産んできた
それがコロナウィルスでさらに加速されることになった
何か変だが引きこもりになって仕事するともなった
だからコミニケーションの形も変わる、家が主体となりそこが仕事場になり生活の中心となる
となるとどうしても家が広くないとできない、家の中で仕事するには自分自身がそうである、家は広い、学生時代から書斎まで与えられていた、まず書斎がないと知的な仕事はできないのである、そして家の中で雑音が入ると仕事に集中できない
そして知的な仕事にはそこに余裕ある空間が必要になる
家の中で気分転換が必要になる、私の場合は二階も広いし廊下も広いからそこを歩いたりする、そして創作をする、何かアイデアとかイメージが湧いてくるのである
それで家ばかりにいない喫茶店を利用するというのもわかる
仕事でも知的な仕事になると気分転換が大事になるからだ

いづれにしろテレワークというとき自分自身がインタ−ネット利用すること自体テレワークになっていたのである
そもそもプログでもそうだけどこれもテレワークなのである
もしインタ−ネットがなかったら文章を書いて即座にみんなに読まれるようにならない
旧来だと活字にして雑誌なり本にしてとかその手間が大変なものになる
それは普通の人は全くできないのである
金がかかりすぎるし素人だと受け付けないからである
こうしてパソコンで書いたものが即座にアップして読まれるということがテレワークなのである

だからもし仕事の場所が限定されないなら東京から地方に移住しても仕事はできる
そうすると地方の方がいいとなる、第一家が家賃でも安い、隣の人は一軒屋げ庭が広い、そこにもう一軒家を作ってもまだ余裕がある広さである
そんな家の家賃が4万とかである、それとまた空家が多いからそこを買えば家自体が安くなる、つまり広い家にすめる、そこでテレワークならできる
自分の書斎なり仕事場なりテレワークする場所がもてる
ただ正直それだけで仕事がてきるのかどうかまた勉強できるのかどうかはわからない
なんか引きこもりになり何か人間的な交流までなくなるともなる

もし作家であれ何か芸術家とかであれ創作関係は東京でなくて地方でできる
テレワークでも写真でも絵でも文章でも発信できるからだ
そこで収入になれば別に地方でも生活できる
ただ過疎地域では無理である、最低でも5万くらいの都市の規模に住むべきである
そしてその周辺には自然がある、仙台市でも杜の都とういごとく森につつまれている
ただ5万くらいだとその周辺は自然でも豊かなのである
ある程度都会的な生活ができる、だからテレワークになったら地方の方が生活が充実する
日曜日に若い女性がロードに乗っていた、駅にいたので聞いてみたら私は原町に住んでいるんです、これから飯館村の方に行くんですとはりきっていた
こうしてこの辺だと山から海と変化に富んでいるからサイクリングには向いているのである、若いから飯館村までの坂はきついけど行けるとなる
そういうふうにして自然に親しむこともできる、その女性はどういう仕事をしているかわからないが田舎に移り住んだ女性なのである
20代とするとこれから結婚もして子供を産めば地方の活性化になる
だからテレワークが地方にとってはいいとなる

東京一極集中は限界だった、そして東京はこれから危険である、地震とか災害が起きる
コロナウィルスでも三密から東京では逃れられない、どうしても人が密集してしまうからだ、本当に東京から脱出を真剣に考えるべきである
テレワークによってそれが促進されれば東京の過密と地方の過疎のバランスがとれるとなる
ただ正直飯館村とかになるとまず車がないと生活できない、満足なスーパーもないとかとても環境は良くても生活するとなると別である
だから自分自身がそこに行くときはそこに生活していないから一時的に行くからいいとなっていたのである
自分が住んでいる場所は隣は相馬市は4万くらいの都市であり隣は5万くらいの都市があり普通に生活できる
そして今は買い物に不自由しない、本でも古本でもいくらでもアマゾンで買える
何でも買える、そうなると都会に住むのと地方に住む差がなくなった
わざわさ神田とか水道橋とかの古本屋街に行くようなことはしなくてもいい
居ながらにして勉強はできる、情報格差がなくなったのである
むしろ田舎の方が落ち着いて仕事できるとなるのである




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2020年06月23日

ボランティアは一人ではできない (JRとか会社や地域でも自治体の許可がないとできない)


ボランティアは一人ではできない

(JRとか会社や地域でも自治体の許可がないとできない)


たまたま無人駅で聞かれたことがあり案内があったりして無人駅にかかわった
でもそれで認められたことはない、むしろ嫌がられたりそこで何をしているのかととがめられたりするだけだった
ただ外から来た人はそれなりに認めて案内するとありがとうと言われた
こんなことでありがとうといちいち言うのかと意外だった
それだたけ自分はなにか社会性に欠けていたしそんなことでありがとうなど言ったことないからである

無人駅にいてこれまでも書いてきたが何から用があった、それを指摘して直したことがあった、そのことを書いてきた、実際は何かそんなことあるのかと自分で思ったいた
でも意外とたりないことがありこうすればいいということがそこにいてわかったのであるだから現場にいないとわからないものだと思った
現場にいるということ現場で仕事している人がわかっている
それで原発では2000人もの電気関係者が働いていた、その人たち原発の内部を知っていた配管などが老朽化しているとか見て知っていたのである
でも上の方の幹部はそういうことを知らなかったのである
そして現場の人は上の人に何も言うことができないということが事故にもつながったのである、東電の幹部の権力に逆らうことができなかった、なぜなら下請けであり仕事をもらえなくなるからである、そういう上下関係が明確だったのである

無人駅でボランティアしてそこを管理している人が無人駅でもいる
それはJRであり駅長とかである、他の線路と電気の管理している人もいる
それはJRの管轄下にある、また掃除しにくる人もやはりJRとかの許可を得てしている
それで金をもらっている、今度高校生の見守り役としてNPOの人もJRの許可を得てしている、あとは南相馬市の行政の許可を受けてしている、金をもらっているからだ
つまり何かしらかかわれるのはこうして許可を得た人でありそれには金を払われているのである
商工会でもかかわっているが掃除してもJRで頼んでいるのであり金をもらっている

それでホームにゴミ箱がありそれをかたづけることをしている、そのことでゴミをなげることで良く聞かれたのである、ゴミ箱のある場所がわからないのだ
ホームにあるからだ、そういう案内もしてきた
それは聞かれるからそうしたのである

でも駅長とか高校生の見守り役にそのゴミ箱を見るためにホームに入った時監視カメラに映りホームに入るなと言われたのである
ホームに入るのは高校生の見守り役である

あとは許可がないかぎりホームには入れない!

でも昼間の二三時間は誰もいない、無人駅になっている、だから勝手に入る人がいるかもしれないが監視カメラで見ているから注意した方がいい

いづれにしろ無人駅でも許可なしで勝手に駅にかかわることはできない、商工会ならJRと交渉しているからできる、花壇とかも作ったからである
でも個人的には何もできない、無人駅でも管理しているのがJRであり駅長の権限がある
だからゴミ箱がどこにあるかと聞かれて案内したりしたができない
要するに個人的にはボランティアするのは不可能である
何かボランティアするときは市町村でも受付で許可してボランティアをさせるからである勝手に被害のあった家に手伝いますとかはできないのである

おそらく個人的にボランティアはできるのは市町村内でゴミでも落ちていたら拾いかたづけるくらいである、何かどこでも個人的には勝手にできない
下手すると怪しいとして通報されて警察が来てみんなの前で職務質問されるようになる
そして何より駅を利用する人もなんら認めないから余計にできないとなる
外から来た人を案内してもその人はここに住んでいないから後は関係ないからである
ここに住んでいる人でもお前はなにしているのだしなくていいとかもあからさま言われたからだ、ただいろいろ風で遅れたとか案内することはあったのである

他でも個人的にボランティアは保証もなにもないとか言う人がいた
ボランティアはとにかくNPOになると10人以上必要でありそうなると認められる
個人ではなにもできない、誰も許可しないからである
そこに住む住人すら認めないとしたらただ怪しいとなり警察に通報されるだけになる
つまりそこに住む住民が認めまたJRでも会社の人が認めない限りできないのである
ただ駅で別に外から来た人と話はできるのである
だからそういうことは別にとがめられないがその他何かしようとしてもできない

ただJRとか鉄道の問題はいろいろある、コロナウィルスで急激に乗客減ったことは驚いたスーパーヒタチに乗る人は数人とかなのも残念なことだった
東京と通じること東京の人が来ることはどうしてもうつされるとなるから嫌がる
解除になっても何か依然としてゼロにはならないのだから嫌がるとなる
だから新幹線などは痛手であった、ただ解除されたから増えたとういこともある
もう鉄道自体維持できないというところも北海道など前から廃線寸前の線があった
そういうところは維持できないとなる

ただ観光用として必要だとかはある、鉄道がないと遠くから観光に来ないというのもそうである、でもインパウンド観光はなかなか回復しにくいだろう
それともう鉄道だけでは維持できない、私鉄の収入はホテルとか売店とか多角経営をしてその収入の配分があり成り立っている、JRとかそれがないから鉄道だけに輸送だけに頼る経営は苦しいとなる
でもJRには何かそうした人にサービスするという観点が欠けている
人に対してはただ乗せてやっているだけだとなる、ただ技術的な点では絶えず点検して
安全を計っている

これから鉄道が生き残るという時そうした多角経営が必要だというとき人へのサービス精神はないから問題になる
まずこれは鉄道だけではない、何でも機械化して無人化して人がいなくなる
それで人件費をはぶけるとなる、でもそもそも人件費を考慮する前に人はいらないと思っているのがJRなのである、ただ鉄道の機械だけに運行だけに力を注げばいいとしているからである、そういうことで人へのサービスは欠如しているのである
それは他の人も指摘しているからわかる

これは鉄道だけではない、コンビニでもどこでもみんな機械化する、あとAI化する
すると人間はコストだからいらないとなる
そういう世界がどうなるのか?まず人間の情とかが消えた殺伐とした世界になるかもしれない、人間をただコストとみるのが資本主義社会なのである
そういう社会は今やゆきづまっている、すべてを機械にロボットに代わることはできない人間にしかできないことがありそれがあってこそ人間の社会なのである
人間をただコストとしか見ない社会は殺伐としてくる
そこに人間的なものが排除されてゆく、情もなにもない、愛もなにもない
そこにはただ無味乾燥な情も愛もないロボットしかいなとなるのである

ただ機械化とかロボット化AI化とかをすべて否定することができない、それが極端になるとそればかり追求するとそういう社会がどうなるのか?
それは決していい社会ではないし人間にとってそんな社会に住みたいかともなる
鉄道にもいろいろな問題がありただ無人駅とか鉄道から見える社会があった
鉄道というのはいろいろ社会と広範囲にかかわる
それでもコロナウィルスはショックだった、これは遠隔交通は不利になる
東京の行き来がどうしても敬遠されるからである
でもコロナウィルスで社会全体が見直されるから交通関係の見直しも要求される
現実に常磐線で名取で乗り換えて仙台空港に行く路線があるがそれも急激に減った
飛行機に乗らなくなったからである、つまり鉄道と空港も結びついていた
交通はパスでもタクシーでも何でも結びついているから影響が大きかったのである 




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この決まりで高校生の見守り役をしている
つまり駅の業務をするなかかわるなということである
でも実際は特に切符売り場の所にいれば必ず何かを聞かれる
だから今では聞いている
それをさけることができないのである
だからこの契約は守れないのである

ただなぜこの決まりにしたのか?

それはJR側で切符を売るとか頼むと金がかかるとかあった
また私のボランティアが拒否されたように何か高校生だけの見守りだけということで
駅の業務にかかわらさせたくないということがあった

そこは無人駅でいいのであり何か案内などでもするな、かかわるな!

こういうことがここにはあるのかもしれない、それは自分にもされたことだからである
でも盲目の人が電車に乗るのを助けてくれというときわざわざ連絡すれば原町駅から来ていたし車椅子の人でも原町駅から連絡があれば手伝うために来ていたのである
だから無人駅では何もしないが原町駅の駅員は来るのである
ただそこの無人駅ではJRの許可なしでは何もしていけない、するなということなのである



トンネルの話 (トンネルは国境ともなり闇をぬけることで人生の象徴にもなる)


トンネルの話

(トンネルは国境ともなり闇をぬけることで人生の象徴にもなる)

旅の思い出として残るのが境として意識するのが山国の日本だと峠になりそれは国字である、峠を上るきるとそこに視界が開け別世界になる
もう一つ境とか意識するのは山国ではトンネルなのである
日本は山国だから本当にトンネルが多い、トンネルは電車の旅で意識する

仙台市から山形県へ向かう面白山のトンネルが宮城県と山形県の境界である
それは地理的にも意識しやすい、また季節的にもその境界辺りは寒く雪が春でも残っている、つまり面白山を境に気候も違っているのである
そして福島市に向かう電車が峠駅でとまる、そこは無人駅だけどそこから盆地の福島市に向かう境界なのである、だから峠駅なのである

トンネルの不思議は真っ暗な闇の中をゆく、そして闇をぬけたときほっとする
やはりトンネルをぬけると新しい視界が開ける、別世界に来たような感覚になる
自転車でトンネルをぬけるのは怖い、とても長くなると車道を走れない、それで脇の歩道を行くにしても怖いし長いと早く出たいというだけになる
そしてトンネルをぬけたときほっとするのである

とにかく日本にはいたるところにトンネルがある、それは山が多いからそうなる
それで日本がではトンネル技術が進歩したというのもわかる
技術も風土によってその土地に見合ったものが開発されるからだ
砂漠地帯だと中東から風車が生れたというのは絶えず風が吹く場所だから適していたとなる

トンネルは何か神秘的である、それは暗いからである、その暗い所をぬけると解放された気分になるのである、だからトンネルは国と国の境になる
そして村と村でも道がないときトンネルをほって道を作る、そこで村と村が道で結ばれる何らか日本では山とかでさえぎられどうしてもトンネルをほって道を作ることになりやすいからである
日本ではやまのあなたに幸いありという地形なのである 

人間の一生でも暗いトンネルに入ることがある、それは抜け出せないという恐怖に通じている、でもトンネルには出口がありそこに光りがさして新しい世界に向かっている
ただ苦しい時はどうしてしもその暗いトンネルから抜け出せないような感覚になり重苦しいものになる、病気とかになったりするとそうである
介護ではそういう苦労を自分はしてきた、介護はいつ終わるかわからない暗い長いトンネルだったのである、そういうことをみんな人生で経験する   

不思議なのはトンネルでも電車でぬけるトンネルと歩いたり自転車で行くトンネルは違った感覚になる、自転車を引っ張り歩いたりしてぬけるトンネルは電車とは違う
電車はあくまでもレールの上を走るから必ず抜け出られるという前提があり安心である
歩いたりしてぬけるトンネルはぬけだせるにしても遠く感じるのである
そしてかなたに出口があり一筋の光明がみある、光りがさしてかなた明るくなっているからだ、

その感覚は電車にはない、つまりなんでも機械に頼ると人間的感覚が失われるのである、だから本当に旅したいなら歩くほかないのである
そこに人間の感覚でとらえられるものが生れるからである
でも自分自身がこれほど旅しても歩いた旅はしたことがない
例えば陸前浜街道にしても10キロの道も歩いたことがないのである
それだけ今は歩くということをしない時代なのである
それで車であれバイクであれ自転車でさえ何か人間的感覚を感性を失ったのである

人間はこれだけ電気社会になると暗いという場所がめずらしくなる、暗さを体験しない
時代をさかのぼれのぼるほど人間は暗い世界に住んでいた
それでかえって人間の感覚が鋭敏になり感性が磨かれた、それで谷崎潤一郎の 「陰窮 礼讃」などが生れた
人間は今や本当に暗い世界を体験しない、都会だと不夜城になり暗さを追放している

ぬばたまの夜の更けゆけば久木生ふる清き川原に千鳥しば鳴く 山部赤人

これも闇が深くまた騒音もない古代の景色がありその清涼感がでている
ここには久木とあるがこれは何かわからないにしろ植物としてありその他に人気もない
原子のままの状態をイメージさせる、つまり人間がいない原初の自然の清涼さがある
その河原には人の足跡はなくただ千鳥の足跡だけがある世界である
それは闇が深いとういことでもそういう手つかず自然の中で歌われたのである

トンネルというときこの闇と深く関係している、闇の世界がトンネルである
そこを抜け出すということでトンネルがある
いづれにしろ日本にはトンネルが多い、トンネルで村と村も結ばれたということがある
そのトンネルほるために大変な労力をはらったことが伝説ともなっている
それは中国でもあった、その時機械もないから人力だからトンネルをほることは大事業になったのである

九州の大分県の耶馬渓(やばけい)にある“青の洞門”でしょう。
 今からおよそ250年ばかり前のこと、耶馬渓をおとずれた一人の僧がいました。
 名を禅海(ぜんかい)といい、 耶馬渓は山国川にそう険しい台地で、そそり立つ岩の間を何本も川が流れています。
 昔から交通の難所として知られていましたが、中でも険しい崖をつたう鎖渡しとよばれる桟道は、命がけで渡らなければならない難所でした。
 この難所で多くの命がうばわれることを聞いた禅海は、ここにトンネルを掘ろうと決心しました。
 洞門を切り開くことに手をつけたのは、1720(享保5)年で、禅海は50歳くらいでした。
 ツチとノミを使ってただ一人で、禅海はトンネルを掘り進めました。
  こうして30年、1750(寛延3)年に、トンネルはついに完成しました。

 トンネルの歴史

トンネルを作ることは大事業だった、30年かかって完成した粘り強さには驚く、つまり今は機械でするけど人力の時代になるとこれだけの労力と歳月が必要だったとなる 
ヨ−ロッパだと運河のトンネルがあるのも川が道になっていたからである
だから運河のトンネルというのもやはりトンネルでありそこをぬけると別世界に出るという感覚になる





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2020年06月22日

地理で大事なのは境である (宮城県と福島県内の境)


地理で大事なのは境である

(宮城県と福島県内の境)


境というとき地形的境がある、山でさえぎられ日本に峠が多いという時、この峠は漢字にはなかった、国字だというとき日本では山の国であり峠が多いからである
峠を越えると別世界に入るというのが日本なのである

その峠というとき相馬藩内だったら飯館村は標高400メートルであり高地である
だから夏は高原地帯であり涼しいのである、でも冬は寒いから冷害があり米に被害があった、稲作には適していないともなっていた

飯館村に行くときどうしても峠がありそれが七曲りであり真っすぐな新しい道路ができる前は車でも難所だった、大倉回りではそうなっていた
そこで私が自転車で行くとき坂を上れずに自転車を押して上ったのである
大倉をすぎて坂を越える手前で休んでいた
その時とをしてか秋であり秋の蝉の声をそこで聴いていた
何かそれが心に残っていて不思議だった  

飯館の峠を越えんと常にして休みて聞きぬ秋の蝉の声

この歌は何かそれだけ峠を越えるのに苦しんだものとしてできた歌だとなる
つまり飯館に行くのだがもう秋になってしまったということである
そこに深い感懐がある、ただ今は飯館村は村として成立していないから残念だとなる
やはり人が住まなければそこはまた別なものとなる
人が住んでいてこそ秋の蝉というのも深く感じる
秋の蝉というときたそがれる、何か老いてゆくとかの感覚になるからだ

峠はこうして地理的に地勢的に地形的に山でさえぎられて分ける
そして山とかなくならないから人間はこの地理とか地形に制約されてありつづけるとなるいくら交通が発達しても山自体がなくならないからである
それで福島県というとき阿武隈山脈、高原にさえぎられて福島市の中通りが見えない
いつも山脈で閉ざされて見えないのである
そうなるとそこと地理的一体感をもてないのである
選挙だと福島一区は福島市と相馬地域が一区なのだけど何か違和感を感じてしまうのである、それは山でさえぎられているからなのである

福島県がハマ、ナカ、アイヅとあるとき中通りは見えない、アイヅはもっと見えないのである、だから浜通りは福島県からすると特殊な地域になるかもしれない
むしろ仙台方面に海を通じて地理的にはつながっているという感覚になる
それは津波の被害でも地理的一体感をもったことでわかる、相馬地域には津波は来ないと油断していたが地理からみればそういうことはなかった、現実に仙台に浪分け神社とかあり津浪が来ていた
それで若林区などは仙台の延長として住宅地化していた、それで被害が大きくなった
そうして不動産屋がそこに津波が来ると学者が警告したとき地価が下がるからそんなこと言うなと脅されたという
これも地理と歴史を無視して被害が拡大したのである

地形的にはそうなる、新地が伊達藩と相馬藩の境となっていてもそれは平坦でありただ政治的境界としてあったからむしろ仙台方面と一体感をもつのである
今でも常磐線で通勤圏ともなる、仙台まで1時間10分で行くからである
それで不思議だったのは震災以後原町から竜田まで電車が通らなくなった
でも仙台まで通っていた、そして仙台が下りだということに違和感を感じた
東京行きが上りとなっていたから仙台が下りになったとしても東京に直接通じなくなったから仙台がむしろ上りの感覚になったのである

とにかく人間は地形的に地理的に境を意識してそこで分ける、するとかえって人間はその制約されたことでその中でアイディンティティを作り安いのである
境がないというときそこでは人間の心が安定しないのである
日本でも広いからとても全国を地理的にアイディンティティ化することは不可能なのである、なぜなら北海道だと大陸的であり全く別な地理と地形でありそこでアイディンティティ化されるものは本土とは全く違ってものとなるからだ
それで北海道とかは俳句にしにくいなともなった、俳句のうよな感覚でとらえられない
ものがある、それはアメリカのような大陸でも何か俳句など作れないともなるのと似ている、グランドキャニオンなど見たらまるで異星に来たような感覚になったからである

ただ地理とか文化とかなるとこの境が大事である、なぜならライン川があるとする
それは父なる川でありこの川が地理的境だけではない文化的な境でありローマ帝国がこの川を越えることができなかった、ゲルマンの世界であり深いゲルマンの森がありその進出を阻んだからである
大陸はどこまでも平坦な地がつづく、それを遮るのは大河だとなる
そこを境として国も形成されたとなるからだ、ただスペインなどはピレネー山脈があり
それが境となっている、だから境となるのは山であり川が主なものとなる
海は広すぎるから国境がないのである、陸を行けば必ず国境があり国境によって国も言葉も文化を違ってくるのである

いづれにしろ世界を見る時、地理からみる、それは学問の基礎である
だから学問するならどうしても世界の地理をしる必要がある、それで実地に世界を旅することが不可欠なのである、それが遅くなったが50以後にできたので良かった
国内は隅々まで旅したが外国はしていなかったからである、ただ世界は広いからどうしても全部はできない、一部になったのである
そして今になるともう世界を旅する気力もない、国内すらできないともなったのである

地産地消が一番体にもいい (アフターコロナの生活は人間本来の姿にもどること)


地産地消が一番体にもいい

(アフターコロナの生活は人間本来の姿にもどること)

【武田邦彦】「野菜が体にいい」は嘘!健康になりたければ
「これ」だけを意識しなさい


武田邦彦氏の健康の話をいつもyoutubeで見ている、今回の話は同調するものがあった
人間の体はその土地にあったもを食べて作られている
それは長い間にその土地にあった食料がありそれに適した体に作られる
それで日本人は日本人の風土にあった土地にあったものとして形成される
だから何が体にいいのかというのはその土地でとれたものがいいとなる

今はいろいろなものを世界からでも入ってくるから何を食べろ何を食べるなとそれがyoutubeとかでも言うようになったから混乱する
野菜を多くとることが必ずしもいいとはならない、ブロッコリーがいいからと自分自身も毎日食べていた、でももともと日本にあった野菜がいいという、それはその土地で千年とか食べていたものだからである

日本の特徴として一番いいものは旬なものである、何か旬なものはうまいのである
旬なもので新鮮なものを食べると体にいいことは間違えない、それが日本の文化であり
それで俳句の綺語が生れたのである

目には青葉 山ほととぎす 初鰹

「初物七十五日」(初物を食べると寿命が75日のびる)

「八十八夜に摘んだお茶(新茶)を飲むと無病息災で長生きできる」(新茶を贈る風習もあります)

漁師は何か他にも植物を葉が茂るのを見てそのとき食べる魚があるという、だから鰹だけではないのである、魚は種類が多いからその季節に回流してくるものがありそれが旬の魚だとなる
まず漁師は二三日過ぎた魚を食べないというとき新鮮なものがうまいし体にもいいのである

そしてある一つのものを野菜でもブロッコリーが何々いいとかいうとき疑った方がいいとも言っている、つまり栄養をとるときバランスだからである
ある一つのものがすべてにいいのではなくいろいろなものを食べて体にいいとなるからだ「其地無牛馬虎豹羊鵲」魏志倭人伝にあるごとくこれらの動物がいなかった
そして家畜もいない、家畜を食べていないのである
ただ狩猟時代がありイノシシとかシカでも食べていたのである、家畜はいなかったのである
でも日本人の食生活は魚と米と野菜だった、それが日本人の体を作ったのである

だからもしかしたらなぜ日本でコロナウィルスにかからない原因はこうして食生活とか風土とかから作られた体にあるのかともなる、その説明がつかないからだ
なぜ日本だけがこれだけ感染者数が少ないのか、検査しないからだいっても何か少なすぎるのである
つくづくウィルスが風土病だというときもともとは一地域でしか広まらずに終わっていたその土地特有のものとして終わっていた、それが交通の発達とともに広がりマヤやインカやアステカとかの文明に広まりそれで滅んだとされる
インデアンとかにもアルコールとかが広まりウィルスも広まりそれで一気に人口が減少したともなる
逆にアジアからモンゴルの侵略でペストがもたらされたとなる

常に外国から悪いものも入ってくる、それが世界が交流するとき問題なのである
それで古来からあるせのが体にいいというとき砂糖とかは二百年前から入ってきたものであり新しいものだから体に悪いとされる
暑い所では暑い所に適した食が生れる、インドならカレーとかである
日本なら新鮮なものを生のものをサシミとかスシが生れたのである
その風土と土地にあったものがいいのである
それである狭い地域ですら人によって作った野菜の味が違うというほど野菜はその土地に影響される、土地の養分に影響される、だからその土地の多様性によって野菜も種類は同じでも味が違ってくるのである
そしてその土地の名のついたものがブランド品となるのである
その多様性が文化なのである、だからcultureはcultivateーその土地を耕したものなのである

そして文化というときその土地の風土から作られるのが基本である、アイディンティティはその土地と風土から作られる、だからこそ世界で多様な文化が生まれたし国内でもそうである
だから日本では外国のものを今は何でも食べるが疑問になる、そんなにいろいろなものを食べていいのかともなるからだ
地産地消がやはり人間の基本としてある、それでコロナウィルス騒ぎで一旦外国でも国内でも交通が途絶えたということが不思議だった
インパウンドの観光客もぱったりと消えたことの驚きである、
でも観光公害にもなっていたのだから本来の状態に戻ったというだけだったともなる
それで近くの人が温泉に来てくれとかなったのである
近くの人を接待することに方針を変えたともなる

それは湯治とかそうである、それは近くの人が農作業の疲れをいやすものとしてあった温泉である、交通が発達しなければ江戸時代ともなれば近くが基本的に生活の場となる
それも地産地消になる、コロナウィルスではどうしても遠くが敬遠される
特に東京から来る人が危険視される、それで関所でももうけて検査して簡単には入れないようになった、そういうことがアフターコロナのニューノーマルになる

今までのグロ−バル化とか広域社会というのは何か人間の生活からはずれたものだったのである、ただこれだけ交通が発達したのだから東北ブロックとか関東ブロックとか中部ブロックとか四国ブロックとかで基本的なものをまかなう生活をする
第一世界市場などとなるともうそれは人間的感覚は隔絶した世界であり株式の世界がギャンブルなのである、今どうしてこれだけ経済が落ち込んでいるのに株だけが上がっているのかもそうである、実際の経済と実態経済が乖離しているからこうなっている
だからコロナウィルスのもたらしたものは人間が本来の生活にもどるということで悪いことばかりでもなかったとみる

posted by 老鶯 at 10:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年06月21日

仙台市の青葉の季節の写真の絵画化 (絵画風にした方が見映えがいい)


仙台市の青葉の季節の写真の絵画化




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クリック拡大で鮮明化

フォトスケッチで絵画化、無料で使える


2020年06月20日

コロナウィルスでも専門家時代のイリイチの指摘があてはまる (原発事故との類似性の探求)


コロナウィルスでも専門家時代のイリイチの指摘があてはまる

(原発事故との類似性の探求)

今回のコロナウィルス騒動でも現代文明特有の問題として現れてきた面があった
まずコロナウィルス自体が生態系に無理やり人間側で入ってゆきコロナウィルスに感染したということもそうである
その後はそのコロナウィルスの対策としてまたいろいろな問題が起きた

感染症専門家が前面に出て来た

原子力学者(御用学者)が前面に出て来た

これはにていたのである

つまり科学の専門家が科学社会になると重要になる、一般の人は素人は口出せなくなる
原発の場合は特にそうだった、核のことがわかりますかと言われればわからないとなりそれではあなたは何にも知ることはできません、教えることもできません
私たちにまかせればいいのです、あなたには何も言う権利はないです
これが専門家時代なのである

イリイチが指摘したことはそのことだった

専門家によって無力化される

原発のことを知りたくてもしることすらできない、その前に断られるからである
つまり素人には何も言う権利も知る権利もありませんということになる
でも問題はその近くに住んでいるからこそ知りたいとなるのである
何が危険なのか知りたいとなる、でもそこに入ることすらできないのである
そして事故になってからその原因の究明をすることになる
その前には素人は絶対に入ることもできない、知ることはできない
専門家しか立ち入ることもできないのである

その専門家と政治家とか権力をもつものが一体化する、政治家と専門家がタッグを組み
そこが強力な権力として素人は立ち入ることはできないのである
地元の住民は危険なのだから知りたいとなってもできないのである
その口を閉ざすために金をばらまいたのである
地元の人もそれでいいとしたのである、もともと金が欲しいから原発を誘致したということがあったからだ、だから地元の人たちもそうして金によって黙らされたとなる
金をくれれば何でもいいやという面もあったからである
一般的には金のことが一番は身近だからでありいろいろなめんどうなことはわからなくても金のことならすぐに誰でも簡単に理解するからである

いづれにしろイリイチのいう専門家の時代というのはそうである
つまり専門家以外のものは何もできない、無力化される時代である
それはあらゆる分野でそうである、教育は学校でするものであり勝手に学んだり教えたりしてはいけないとまでなる、それが学校が特権化して権力化するからである
医者だったら医師免許がなければ勝手に治療してはいけないとかなる
弁護士だったら弁護士資格がないものは弁護すらできない
それはいいとしてもそうしてそういう専門家集団が特権化して権力化することなのであるそれは強力な権益団体と化して社会を牛耳るのである
医師会というのは強力な団体であり医者の専門家集団でありそのことで今回のコロナウィルス騒ぎでも力を発揮した
何か利権がからんで検査させないとか、感染した人を診ないで死んだ人もいた
それは利権がからんで勝手に医師会の許可なしで検査したり診ることをしなかったからだとされる
それで保険を払っているのに医者が感染者を診ないというのはおかしいという人がyoutubeでいたのでわかる
ただ一般の人は何かいろいろ言い訳を言うからわからなくなるのである
それは原発でもそうである、いろいろなことを専門家の科学者でも言うから素人には判断等できないのである
原発で強大な原子力村が形成されて利権化権力化したのでしる

ただわかりやすい例だったのはこれまでテレビ局は六局しか認可されていなった
六局だけが独占して放送できたのである、その影響は第三の権力ともされたのは放送する権利がその六局に限定されていたからである
それでyoutubeでテレビ放送するのを見て一個人でもテレビ放送できるのかと何か良くわからなかったがテレビ放送は簡単にできるものだと不思議な思いになった
テレビ放送となるその機材からなにから莫大な金がかかっていたからそんな簡単にテレビ放送できるのかと不思議になった
これも報道の専門化か利権団体化していたのである
それで新聞とかもそうであり消費税が新聞には8パーセントにするとかで政府批判をおさえるとかなったのもそうである
報道が専門化されて報道できるのは専門家集団だけだとなっていた
それがyoutubeで破られたことで何が眼を覚まされたような気分になった
プログなども報道でありこれも出版とかでも金がかるからできないことがあったが故人の放送局でもあり個人でできる、金はほとんどかからないからできるようになったのであるこのことでマスコミだけが報道する権利は失ったのである
ここは専門家集団の特権が崩されたのである

でも他の特権が強力であり崩されていない、今回のコロナウィルスでも感染にかかわる集団がいてそれは医師会でもありその特権がありそれを壊されたくないとして検査とか感染者を診ないとかなった、医師会の許可なくしては個々の医院や医者でもしてはいけないとかなった
それは教育でも学校だけでしろとか報道は許可された六局だけでしろと同じなのである
そこで報道の専門家がいてそれ以外の人たちは素人は報道はしていけないとなっていたのである

でも不思議なのは個々人が素人が報道して解説していることである
それが意外と的を得ているものがある、それで報道は別に旧来のテレビ局を通じなくてもまた新聞のようにも一個人がプログでもは報道できるとなった
自分自身も毎日プログに書いて報道している放送しているともなるからだ
ただそれを見る人の数がテレビだと百万単位異常だからけたはずれに違う
youtubeが内容がないかとなるとそうでもないことに気づいた
いろんな人が参入しているからである、つまり報道は誰でもできる、一個人でもできる
ま教育でも得意な分野を一個人でもできる
それで数学とかでも優秀な人の講義を見るとなる、だからyoutubeは一つの教育機関なのだと見た、今まではマスコミが国民を一方的に洗脳する教育機関になっていたのである
特にNHKはそうである、NHKのいうことは神の言だともなる、NHKのいうことは間違えない
従わねばならなぬともなっていた、NHKを批判はできないとなっていた
でもNHKもやらせ報道していたりとかその暗黒面が暴露されたのである

いづれにしろイリイチのいう専門家の時代というのはなかなか気づきにくいけど専門家に操作されて素人は何も知ることもできない、ただ無能な大衆は従っていればいいのだということになっていた、その対抗手段はなかったのである
でもその専門家集団というのは原発事故を起こしたりもうとりかえしのつかない大事故であり故郷に住めなくなった
そういう過ちを専門家集団も犯すのである、だからこそすべてを専門家集団だけに特権を与えて肝心の一番危険な目にあう生命の危険がある地元の人に知らせることもしないことが大問題だったのである
それは専門家に対抗することができないとなっていたからである

現代社会ではこういうことが専門家集団による支配がありそれが大きな事故にもなる
専門家集団でもそれが完全なものではなく、やはり過ちがあり事故にもなる
専門家がすべて神のように知っているなら全能なら別である
コロナウィルスでもわかったようにそもそもこれも感染学者でも本当はわかっていない
ただ憶測で言っているのだからこれは素人レベルなのかとまで思ってしまった
なぜ日本人が対して対策もしていのにこんなに死者とか感染者が少ないのかとなっているがその理由は実際わからないのである
つまりわからないということは素人レベルなのかとまでなってしまうのである
放射線被害についてある程度わかっていたがコロナウィルスはそもそもわからないからだそれで感染学者のいうこともまちまちであり一定の見解などないのである
それで専門ではない科学者でもこれは単なる風の一種だから騒ぐ必要かないともしているそれもそうなのかと思うのは日本ではせいぜい風くらいの被害しかないからである
ただ言えることはコロナウィルス自体がわからないということであり症状からしたら日本では風邪と同じでありこんなに騒ぐ必要はなかったとしている


ともかくここでも専門家の問題がクローズアップされたのである、それは極めて現代的なのである、科学時代だから起きたことである
ここで考えねばならないのは専門家でも神ではないし全能ではない、だからコロナウィルスについてはわからない、でもウィルス対策はすべきだとしか言えないのである
その対策をどうするかを感染学者の専門家もてきないのである
それで過剰の警戒をしてこのままでは40万人死ぬとか恐怖をあおる、それも無責任なのである、それを統計学的に割り出したということもそれもただ恐怖をあおっただけだともみる、そんなことをなぜ言わせたのかもわからない
要するに科学時代はあまりにも専門家が力ももちすぎて社会を混乱させたり社会を悪い方に導くことにもなる、それは余りにも専門家が力をもつ時代になったからである
科学が信仰のようになった時代だからだともなる

むしろわからないとしたら神に祈るということだって有効だともなる
なぜなら科学の専門家でも解明できないからそうなっても責めることはできない
責任もって科学の専門家が支持することができないからである
ただ有効なワクチンを作りだせば科学の勝利だとはなる、そういうワクチンは確かに作られたからである、でもコロナウィルスは未知でありそれができない
人間社会にはこうしう常に未知なことが起きてくる
そこに人間の限界があるともなる、専門家社会でも専門家の権威は未知なものに対して失墜する、それは原発事故でそうなった
科学者でも技術者でも政府でも検察でも東電でも信じられなくなったからである
それらは専門家と一体となって「安全神話」を作りとりかえしのつかないことになったからである

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posted by 老鶯 at 22:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

青葉繁る仙台の写真十枚


青葉繁る仙台の写真十枚

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錦町公園

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ヒマラヤスギ
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勾当台公園

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この蒸気機関車と木があっている
やはり何かまだ人間的なものを感じるからだろう
新幹線とかなったら木には合わない

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つくづく高い所にあるなと見た
これも本当に見たのは10年ぶりくらいかもしれない
不思議なのは人間は何度見ても違ったように見えるのである
こんなふうに見えていたとは思わなかったからである

べてリック拡大しないと見映えがしないです,

広角レンズでとっているので余計に拡大しないと写真が活きない



夏の朝鴎群れ飛ぶ山下駅

車窓より遠望の景色夏つばめ

そちこちに若き等休むつつじかな

車窓より蔵王を望む夏の暮


喫茶店のテラスに休み風涼し青葉繁りて樹々の高しも                                

我が歩む青葉の影の通りかな若き等と交じり風の涼しも

深々と青葉繁りて石垣の高きにありや正宗の城 
                            

山下駅に鴎が群れて飛んでいた、やはり海が近いからある、それで山元町の津波の被害が意外と大きかったのもわかる、駅まで鴎がむれて飛んでくるということはそれだけ海が近いのである
常磐線沿線には鴎が飛ぶのが見える

仙台市はやはり若い人が多い、学生も多い学園都市でもある
だからそちこちに若い人が歩み休んで読書したりする、今はみんなスマホだったからなんか変だとなる

とにかくこれだけ市街に木が多いというのもめずらしいだろう、この木を維持するのは結構大変らしい、それは車の排気ガスとか汚れた場所にあるからそうなる
第一ヒマラヤスギのある場所はヒマラヤだからである
そこにこそ最もふさわしい木だからである

今回は広角レンズでさっそくとってみた、やはり見栄えするのがとれた感じがする
何か写真はちょっと角度を変えただけで違ったものになる
だからいろんな角度からまた接近してとるといい、でも写真をとるということを目的すると結構疲れる
今は写真を趣味とする人が膨大である、写真をとるために旅をしているとかカメラなしでありえないのである

写真のむずかしさは旅しても何か撮影ポイントがわからないのである
そこに住んでいればここから写真をとったらいいとかわかってくるが他だとなかなかわかりにくい、そして写真は車がないと運ぶのに重いからめんどうになる
自転車だと倒れてカメラを一部損傷したことがあるからだ
それで本格的にカメラはしていなかった
ただ旅もしなくなったのでカメラにこるようになったのである
最低広角レンズは必要なものだった、今回それでいいものがとれた感じはする



2020年06月19日

青葉の季節に仙台散策ー錦町から勾当台公園から定禅寺通りへ (大都会は歴史がわかりにくいー錦町の公園の木はヒマラヤスギ!)


青葉の季節に仙台散策ー錦町から勾当台公園から定禅寺通りへ

(大都会は歴史がわかりにくいー錦町の公園の木はヒマラヤスギ!)

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絵画風に

クリック拡大で迫力がでる

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●錦町公園の回りに何かあるのか?

NHKのビルが大きい、回りにデジタルアート仙台がある、ここでは声優まで教えている
これはパソコンと関係して現代的な専門学校である
意外とこうしたものが現代の最先端である、また国際学科とか地域創成とかも現代的学部である
近くに島川美術館とかある、ここもいろいろ展示されている、入場料1200円は高いがそれだけ見るものが多いから一回は入れるのもいい
その前の軽食喫茶でグリーンカレーを食べた、狭いところだか結構人が入っていた
回りをみればわかるNHKとか学生とかいろいろな人が交差する場所である
勾当台公園も近いしそこにはテラスの喫茶店もできて青葉に風がそよぎ気持ち良かった
仙台で感じることは杜の都の学園都市であり学生なども多いし東北の中心であり
唯一大都会を感じるのだがそれなりに自然が豊かなのである
青葉城は森につつまれているし都会でも森を感じるからだ
ただ正直、花屋にいろいろな種類の花が飾ってあっても本当に花が映えるのは田舎の町でありそれを写真で示した、また花が美しく映えるのは飯館村のような村であり草深い場所なのである、そこに野の花が映える

ただ仙台市はやはり大きくてなかなか相当な歴史があってもわからないと思った
もう前は一週間に一回でも行っていた、それは本を買うためだった
地方で不利だったのは本が買えなかったことなのである
地方の本屋には本がないと同じだったのである、それで冠婚葬祭とかの本が百万部売れたのである、それはなぜなのか?本がないからだったのである
本屋に本を置けば売れた時代があった、小さな田舎の書店ではつまりそんな本でも置けば売れたとなる、他に専門の本なども売っていないからだったのである
ここだけは本当に東京ととも変わりなくなった、古本だったら東京の古本屋街に行くほかなかった、それで旅の帰りにわざわざ本探しに寄ったことがある
今はどんな本でも買える、これで地方との知的環境の差は解消したのである
むしろ田舎の方が環境的には自然があり静かだから知的仕事に向いているのである

仙台の歴史というときこれも大きくてわかりにくい、ただこれも良く調べようとしないことにもあった、昨日は錦町公園の近くに蔵を改造した飲食店があった
それはめずらしいと思った、なぜなら仙台の中心街で蔵など見かけないからである
つまり蔵があるということは古いとういことである、かえって都会ではそうした古いものはビルが建ったりして埋もれてわかりにくくなっているからだ
そして仙台市の経済は江戸時代なら木材で栄えたらしい、木材は当時家でも必ず使うものだから最も大事な資源だった、木材は炭として燃料としても貴重だったからだ
私の子供時代は炭だった、いかにそうなると木材が貴重だったかわかる 

炭というとき奇妙だったのはインドのガンジス河の岸辺のバラナシの細い路地を通ると
そこには牛が道横切るさえぎる、その牛を邪魔なので歩く人がたたいたりするが牛は動じない、また牛の糞を乾かしているのは燃料にするためである
でもその時すでに子供は家で白黒のテレビでゲームしていたのである
それは1数年前年前とかででそうだったのである
木材は丸森に深い森があり木材資源が豊富だった、だからそこで米沢藩と伊達藩と相馬藩で熾烈な争いがあったことで有名である
米沢藩までかかわっていたとうことはここが木材がそれだけ豊かだったからだろう
そうでなければこんな争いが生れるはずがないからである
                                                        
●定禅寺通りー宗教の由来と歴史

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いづれにしろこの仙台の道は散策にいい、定禅寺通りは杜の都にふさわしい場所である
定禅寺という名前がいいのである、これは禅宗の寺があったからそうなった
宮城県は伊達藩では禅宗が多い、伊達政宗が禅宗を重んじたとういうより侍は禅宗に帰依した人が多い、そして宮城県には禅宗の墓が多いのである

鎌倉時代、禅に傾倒した北条時頼(鎌倉幕府執権)は武力で天台派の僧徒を追い、法身性西を住職に据えた。『天台記』で、禅宗への転換は時頼の廻国伝説に付託して劇的に脚色されて伝えられている。それによれば、旅の僧として松島に来た時頼は、祭礼を見物して感動し、大声で祭を褒めた。それが祭を乱したとして、多数の僧徒が時頼を殺そうとした。幾人かの僧のとりなしで時頼は事無きをえて逃れた。時頼は岩窟で修行中の法身に出会い、天台僧を滅ぼして禅宗を広めるという密談を交わした。その後、千人の兵力を差し向けて天台宗徒を追い払い、法身に寺を委ねた。怒った天台宗の僧は福浦島に集まって時頼を呪詛し、死に至らしめたという。

この話しも興味深い、つまり最初に天台宗だった、それは霊山でも千人の僧がいて修行していた山だったとか山寺も天台宗であり古いのである
その後にいろいろな宗派が生れた、鎌倉時代に新しい宗教が勃興した
日蓮宗と真宗の念仏とかが日本を席巻した
禅宗も鎌倉に五山文化を築いたように興隆したのである
でも宗教というのはこうして何か常に権力ともかかわってきたのである
宗教といっても世俗から俗から離れた世界などこの世に生きる限り不可能なのである
そこで必ず世俗的なものとなり宗教でもその争いが起こる、宗派争いとかありそれも利権がからんでいるのである
なぜ明治になると神社が国家神道となり異常に国家の援助を受けて廃仏毀釈が起きたからである、これもこの話しとにているのである     

怒った天台宗の僧は福浦島に集まって時頼を呪詛し、死に至らしめたという。

松島の伊達政宗が建立した瑞巌寺は要塞だったのである、武家作りであり武者隠しとかありそこを最後の砦として死ぬことも覚悟していた
そういう戦国時代の生々しい場としての寺だったのである
寺とは要塞であり武装集団だった、比叡山でもそこは城と同じ要塞だったのである

瑞巌寺 〜政宗の「隠し砦」といわれる伊達家菩提寺

まさにこれがそうである、普通は呪詛などしない、でも集団化すると利権化してそうなるカルト教団などでは普通にそうした団体と化している
必ず罰あたるとか責めてくるからだ、それは今に起こったことではなく、常に人間社会にあったことなのである、だから人間は業をくりかえす、カルマをくりかえすのが宿命なのである、寺から僧兵が生れそれが武士になったというのも納得する
弁慶のような荒法師がいてそれが戦でのしあがり武士になっても不思議ないからである
そういうことは創価とかであり他にも集団化すれば宗教はそうなりやすいのである
それが極端化したのが武装集団のカルトのオウムだったのである
イスラム教でもヨ−ロッパのカトリックでも権力化して宗教が権力化した歴史が長いからである
第一寺町とか城下町に必ずある、寺を集めた一角がある、それは城を守るための防衛の町だったということでもわかる、寺は城を守るために作られていたからである
それはヨ−ロッパでも修道院でも十字軍の騎士団とかいてにたものがあるからだ
つまり人間のしていることは世界で共通したものが必ずあるのである
だから世界の歴史を理解できないということはないのである

とにかく定禅寺通りというとき、寺に由来しているしその歴史をふりかえることになる
ただ何か名が人の心に影響する、定禅寺というときなにか心がその名からでも落ち着くものとなるからだ、不思議なのはもともと仙台でもだべとか東北弁のなまりがあったというだっちゃというのは仙台に他からの人が集まり都会化したとき生まれた比較的新しいものらしい、それをちょっと本屋でそのことを知った
・・・だべというのからだっちゃに変化したのはやはりもともとは東北弁があったがそれがだっちゃとなったのは他からの人が仙台に流入してそうなったともなるのか?

何かを知るというとき必ず歴史的に考察することが必要になる、今だけをみたらわからないか歴史をみると人間のことがわかるのである
人間は確かに技術的も信じられないよう進歩をしているが人間そのものは変わりないのである、特に欲は全体に人間から消えない、欲は死ぬまで消えない、だからその欲故に同じことを繰り返すの人間の業でありカルマであり歴史なのである
宗教でも俗世の欲がかえって強力に現れる場所なのである
そもそも呪詛するということ自体がそうなのである、宗教は何かそうなりやすいのである恨むなら恨むでいいが宗教の名を借りて呪詛するから始末が悪いのである

●錦町公園の木の写真はヒマラヤスギ

ともかく錦公園のヒマラヤスギの貫禄がある、あれだけのものに育つには時間がかかる
でも日本全国で明治以降公園に植えられた経過がある
だから見物である、写真はうまい下手にかからわず量を多くとることである
そしてその中からいいものを選ぶと意外といいものが撮れていることに気づいた
だからデジタルカメラはいくらでも量がとれるからその中からいいものを選ぶことができる
それで今回は広角レンズで撮った、でも近づいて撮るには広角ではだめだった
でもこの二つのレンズは不可欠である、写真をとることは結構疲れる、危険でもある
仙台の通りを通ると人が多い、だから突然後ろから自転車が来るのにびっくりする
歩道を走ってくるから驚き危険だった、田舎では歩道はほとんど人が歩いていないから安全なのである、その辺が都会と田舎の差だった
ただときどき仙台には行く必要があると思った、やはり刺激になるものがあるからだ

仙台には一週間に一回とかでも行っていたが仙台について歴史でも今回のように錦町公園の回りに見るべきものが知るべきものがあったことでもわかる
仙台市についてはこれほど頻繁に行ってもわからないのである
それはどこでも大都会化したところはあまりにも変わりすぎてわからなくなるのだ
そこから過去を歴史をしることがむずかしくなる、具体的に昔を残っているものが本当に少ないからである
それで錦町公園の近くに蔵があってそこを飲食店にしているのはめずらしいと思った
蔵があれば古い家があったということがわかるからだ
田舎だったら蔵などめずらしくもないが仙台辺りだと蔵を見つけることはできない、見たことも私はないからである、だから仙台市についてはわからないのである

この錦町公園で最も注目すべきは写真にとったヒマラヤスギだった、樅の木なのか欅なのか銀杏なのかわからずに仙台市の公園課に聞いてかり驚いた

ヒマラヤスギ(ヒマラヤ杉、学名:Cedrus deodara)は、マツ科ヒマラヤスギ属の常緑針葉樹。ヒマラヤ山脈西部の標高1500 mから3200 mの地域が原産地である。高さは40 m-50 m、時には60 mにまで成長し、幹の直径は3 mに達する。樹冠は円錐形で、地面に水平な枝と垂れ下がった小枝がある[3]。

ヒンドゥー教において、ヒマラヤスギは聖なる樹木として崇拝されてきた。いくつかのヒンドゥーの伝説にはこの木についての言及がある[4][5]。ヒマラヤスギの森は古代インドの賢者が好んで住み、シヴァ神に祈りを捧げ、厳しい精神修行を積んでいたという。
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ヒマラヤスギ/ひまらやすぎ
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ヒマラヤ山脈原産が名の由来

ヒマラヤが原産でありここにその写真がでているので貴重
寒冷地帯の木になるのか、でも杉ではなく松の種類である、幹が松ににているとも思った過ぎだと直立だけど幹が丸みを帯びていたからモミの木とも違ったとみた

これは杉というのではなく松の一種である、なぜなら松ぼっくりと同じものができて落ちるからである,レバノンスギも杉ではなく松の一種だった
松といってもいろいろあり北海道のトドマツがありこれは幹が太いし北の寒冷地にふさわしい木である、松は南から北まで育つ木なのかとなる
木には興味があり詩にもかなりしてきた、木というときこの一列化したのはまさに神殿なのである、またゴシック大聖堂の柱なのである
木からイメージされて神殿でも大聖堂でも作られたのである
エジプトの神殿でもそうである、最初の神殿は木で作られていたからである
それは世界中で共通している、後に石の神殿になったのである
木は残らないが石だと残るからである
木というとき実際は広い深い森があって木も生きる、それは花でも自然があって本来の美を現す、でも都会だと何か違ったものとしてみる
杜の都仙台というときこの木はふさわしいと見た




公園のヒマラヤスギの詩

昼休みのクローバーの公園に鳩が群れる
子供をまじえて子供とくつろぐ
一列に重厚なヒマラヤスギ
その影なすところ若き等が安すむ
学園都市の仙台でもある
その杉は神殿の柱にも見える
まことにその木に重みがある
その力強さ、内よりの充実感  
青葉深く繁れる今の時期に
その木は内より命のひびきを伝える
雪のヒマラヤのその雪解け水の
清流のたもとに生い立つヒマラヤスギ
それはまさに神殿の柱にふさわしい
ビルに囲まれた公園では萎えるともなるが
杜の都にふさわしくその木によりて
心は育まれ充実の時をここに過ごすべしかな



Cedrus deodara

strong and mighty and powerful

firm and solid     

great solemon lined tree   
            
deeply rooted on the earth

Pigeons flock to the clover park during lunch break
Relax with your children
Heavy cedar in a row
Where the shadow is, young people are cheap
It is also the city of Sendai
The cedar also looks like a pillar of the temple
That tree really has weight
Its strength, a sense of fulfillment from within
At this time when green leaves grow deep
That tree conveys the threat of life from within
The snowmelt water of the snow himalaaya
Himalayan Japanese cedar growing under the clear stream
It fits the pillars of the temple
In a park surrounded by buildings
Befitting of the city of forest
I should spend my time here when my heart is nurtured and fulfilled
(グーグル翻訳)

2020年06月18日

仙台市の花屋もコロナウィルスの影響 (一年半ぶりに仙台に行く)


仙台市の花屋もコロナウィルスの影響

(一年半ぶりに仙台に行く)

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仙台や青葉影なし花屋かな

とりどりの花をそろえて飾りけり青葉しげる仙台市かな


「花の流通を止めないためにも、お力添え下されば幸いです」

 店先の張り紙に足を止めると、オレンジのガーベラが1輪100円で売られていた。鈴木啓示さん(40)が経営する花屋の仕事の多くは週に一度、飲食店に花を飾る「生け込み」

 夜の街・仙台市国分町苦境 ひそかに消えていく店

 
仙台市に一年半ぶりにくらい行った、キタムラの通販でレンズを買ったのを受け取るためだった、キタムラは大きい店だと思ったら小さなビルの一部屋を借りてやっているだけである、一応カメラとかレンズが並んでいたが小さい
でも通販だけだと知らない人は不安になる
実際その広角レンズを使い森の都の仙台市を歩き写真を撮ったが途中でレンズの焦点があわなくなった
それでまたキタムラに行ってみてもらったら直っていた、シャッターボタンを半押しないとだめだと言っていた、でも別そうしなくても最初は映っていたし別なレンズでも映る
こうして何か問題が起きたとき店がないと困るのである
だから通販だと高い買い物が怖い、それで前にキタムラの店が相馬市にあったのでそこでカメラをうけとったのである、リアルな店があることは安心に通じている

仙台市に行くのは何か不安だった、遠くから来る人が必ず交わるからだ
それで仙台市がコロナウィルスの影響が大きいというとき東京とか遠くから人が来るのが多いからである、東京は東北の交通の要だからそうなる
仙台市に住んでいる人が秋田に移って感染したとかあるからだ
仙台市は東京とか遠くから来る人でにぎわう、だから飲食店でもそういう人が客になるから遠くから人が来ないと商売にならないと見た
実際は喫茶店などは空いているようだ、ただすべてがそうではない、別に普通に混んでいる所がある、公園の近くの軽食の店は人が入っていた
あそこは公園があり憩う場所があり場所がいい
仙台市は森の都というごとく青葉の季節には森が側にあるような感じになるからいい

ともかく仙台市は東京からの支店が多い、それでどうしても東京から新幹線できて交わるただ常磐線は通勤列車であり仙台市近辺の人たちだから違っている
通勤列車は満員だったけどそこに東京の人はほとんど交わらないから安全だとも思った
新幹線だったら東京とか遠くから来るから交わるので嫌だとなる

仙台市を歩いて店を閉じたところもあり公共のものも閉じているところがあった
まだコロナウィルスの影響があるとも見た、ただ普通にも見えたからその影響がわからないがやはり影響は大きいようだ
ただ花は好きだから見たが花の種類が多い、相馬近辺では花の種類が少ないのである
花の市場は仙台市にあり相馬の花屋では仙台まで買いにゆきそれを店で売っている
だから種類が少ないのである、仙台の市場では外国からも来るから種類が多くなるのだ

「花の流通を止めないためにも、お力添え下されば幸いです」

こういうとき相馬の方とか近辺にも影響している、花の市場が仙台市にあるからだ

とにかく国分町などは影響が大きい、水商売であり濃厚接触するからである
一時は国分町は震災以後、工事関係者の人たちでにぎわったのである
でもそれもなくなり今度はコロナウィルスで店をやめる人が多くなるというのもやはり水商売だからなのかともなる
つまり不要不急のものはコロナウィルスの影響が大きかったのである
普通に仕事しうている人はそういうことはない、現実に通勤列車は満員であり接触するから嫌だった、ここは変わりないからだ
ただスーパーヒタチに乗っている人は十人くらいだったから少ない
それはやはり遠くの行き来が抑えられたからである
とても今も東京には行きたくない、福島市で今日一人感染したのは県を越えた人と交わったためらしいからだ
いくら解除されても何か東京の方から来る人は嫌なのである
福島原発では放射能がうつると東京の人たちに嫌がられていじめもあった
でも放射性物質はコロナウィルスのようにうつらないのである
だからこれもおかしいことだったのである
それで今度は東京の人は来るなとか嫌がられるのはカルマだったとつくづく思う

仙台市にはいつも本を買うために行っていたが今は本などいくらでも通販で買える
それで仙台市に一年半も行かなくても困ることもなかった
ただ仙台市で商品でも現物で見れるから違っている
通販では現物を見ないから失敗したことがあるからだ、店とは見せるだというとき見せることから商売が始まるからである

仙台市は森の都というごとく意外と街中もそうだがその回りも森になっている
青葉城の回りは森になっている、だから東京などよりは自然が身近にまだあるとも感じた

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Japanese shrain

2020年06月17日

夏の日の花の通りー南相馬市鹿島区の花の写真


夏の日の花の通りー南相馬市鹿島区の花の写真   

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ここのシシドスーパーの復興団地の通りの花はきれいである
これだけの花が咲いているのは見ものである

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鹿島駅の花壇

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道広くクローバー一面に匂うかな

白菖蒲咲きしもあわれこの道を行く人なしに我が通りゆく 

日のさして葉陰に咲きぬ夏蝋梅我が家にあり籠り暮らしぬ


鹿島区では一時仮設がそちこちに建った、今は全部なくなった、その後が空地となり道路の脇が一面のクローバーの野になった
これもまた変化である、何かこれも夏らしく気持いいともなる
これは北海道の景色である

それで北海道の札幌の通りが広いということで

しんとして 幅広き街の秋の夜の 玉蜀黍の焼くるにほひよ 啄木

これを思い出した、でも明治でも札幌は都会である、だから一万の町とは違っている
でもそれと似た光景が広がっている
そしてこの通りにはいろいろな花が咲いている、ここは新しくできた通りでありまっすぐである、その通りにそって夏でありいろいろな花が咲いている
まさに花の通である、でもその通りを歩いたのを見たの一人だった
あとは車しか通らないのである
また店もほとんどない、だから新しい通りを作っても店とかがないから淋しいとなる
でもこの場所はいい場所である、真野川が流れて土手があり散歩にはいい場所である

鹿島区というと旧陸前浜街道がある、この道は狭いのである、でも古い道である
だからその道に沿って町ができた
でも何かこの新しい道の方が広々として景色がいいし花も植えてあり気持いいなと見た
でも店はないのである、だからもったいないとも見た
街の通だとしたらそれにふさわしいものがあってもいいと見た
ただ店を出せないのはやはりそれだけの客が来ないからである
それでほとんど人も歩いていないのである
今はただ人は歩かない、みんな車だから歩かない、それで通りでも人が歩かないのであるそれはやはり車社会の弊害なのかもしれない、車だと通りを歩いてちょっと寄るということがない、イオンのような所に遠くても行ってしまう
それで街の通りは廃れたとなる、本当は旧街道の町を一部この新しい通りに移せばいいのだがそれが簡単にできない、それだけの店を維持できないからである

いづれにしろただ花を見て通るだけの通りである、ただ花は映えている、裏の道はさらに人は通らない、歩いていない、歩いているのはめずらしいのである、そこに白菖蒲だけが咲いていた、花だけが静かに咲いて映えていたのである
それで花だけが映えている不思議がある、人で混雑したら花も映えない
ただ矛盾は花だけが映えて人がいないというか店とかないのも淋しいのである、だからその兼ね合いが大事になる
そこに白菖蒲だけが咲いていた、花だけが静かに咲いて映えていたのである

花の写真は光りに影響される、日がささないといい写真がとれない、だから梅雨になると曇っているから写真をとるのには向かなくなる、ただこつは近づいて撮ることだけだった、だからこれは比較的に誰でも撮れるものかもしれない
問題は広い景色がとるのがむずかしいのである
それはレンズとカメラに影響されるから簡単には撮れないのである

2020年06月16日

コロナウィルスの観光業の打撃


コロナウィルスの観光業の打撃

(観光の宿のホテルの原点は何だったのか?)      


観光とか飲食業とかがコロナウィルスで一番影響をうけた、水商売の歌舞伎町なども影響が大きかった
観光というときそれは江戸時代とか戦前でもなかった
ただ旅することは古くからあったしお伊勢参りとかもあった、それは巡礼の旅である
現代の観光ブームは何かこれまであったものと別なのである

なぜそうかとなるとまず人間が移動することは歩くことしかなかった、江戸時代までがそうだった、だから観光ということはない、歩くとなれば苦行なのである

「トラベル(Travel)」の語源を遡ってみると、古いフランス語の「トラバーユ(Travail)」という言葉に行き着きます。この意味はなんと「苦しみ」  

「Hotel」という言葉は中性ロマンス語(フランス語)の「Hostal」から転じたものです。元々はラテン語の「Hospitale(旅人や客人を暖かくもてなす)」という意味の言葉です。つまり、「Hospital(ホスピタル)」とは主人が客を持て成す意味であり、親切に「もてなすというホテル業界の根本理念とも言える言葉なのです。

次に、旅先での人との関わり方から来ている言葉もあります。昔は旅先の民家で食料や寝床の施しを求めることも多々ありました。時代が進むにつれ街道や宿場は整備され、その分苦労も減っていきましたが、古い時代であればあるほど民家を訪ねることも多かったのでしょう。こうしたことから、他の家の火で「他火(たび)」、物を乞う「給べ(たべ)」といった言葉が由来になったのではないかという説があります。

旅は苦しみであったというときいかに今の観光とはかけ離れているかである
だから旅は何か苦しくても行かねばならないという強いられたものだったとなる
旅などしたくないというのが普通である
重い荷物をもって旅などしたら苦しいだけである、旅は苦行だったのである
それでなぜ旅籠とか宿ができたかとなるとそうして苦しい旅をしてきた人をねぎらうものとしてあった
草鞋をぬぐとか宿で足を洗うとかそれを旅籠の人がするときねぎらいがあった
疲れたでしょうご苦労さんとかなり、ゆっくり休んでくださいとなる
それは旅とは苦行でありそれを知っているからおもてなしの心が生れたのである

今こうして旅する人はいない、みんな電車であれ車であれ移動自体が楽なのである
車などは神経を使うから楽ではないというものもあるか平均して40キロも歩くのとは大違いなのである
そして今はこうして旅する人はいない、確かに歩いて旅している人はまれにいる
それはあえて旅したいからそうなった、でも何か歩いて旅していたりすると浮浪者のように見られたりする、実際本当にそういう人がみかけるのも確かなのである
借金から逃れて歩いていた人がいた、その人は金がないのだからどうして食べていたのかとなる、今思うと犯罪者になっていたと思う
そういうふうにすでに歩いて移動している人は何か怪しいとなる
また自転車で旅している人も胡散臭いとみられる
まずホテルでも旅館でもそんな人を歓迎しない、でも江戸時代の旅人のように相当に疲れている、でも疲れたでしょうかとかねぎらいの言葉があったことなど一度もない
なんかいやいやながら金になるから仕方がないとして泊めてやっているというだけである

一方で観光となると立派なホテルに泊まりそこでいいものを食べるとかになる
それは旅とは違う、ホテルで宿でくつろいでおいしいものを食べることに目的があるともなる、旅とは歩いていればそれ自体が旅になる
今は電車とか車で途中を飛ばしてただ目的地に着くことが優先されるのである
観光とはこうして贅沢をすることであり苦しむことではない、そこにもてなしなど必要ないのである、むしろ自分のように倒れるくらい疲れている旅人をもてなすことなのであるそれが全然ないのである、だからホテルとか旅館をいいものに見えないのである
本当の旅人は無視されているのである

観光業とか何かこういうものにかかわる仕事が本来何も目的としているのか?
またどうしてそうした宿が生まれたのかとなる
それは40キロも歩いて旅して来た人をもてなしその疲れをいやすものとしてあったのだ
だから旅人が来たらそういう心をもってもてなしするのが当たり前だった
ホテルもホステルから生まれたのであり巡礼の人とかをもてなす癒すことから始まっていた、ホスピタルが病院でありここから来ていることでもわかる
病院には癒しが必ず必要だからである
今なら電車であれ車であれ別に疲れてもいない、確かに車だと疲れることはある
ただ歩く旅とは余りにも違っている  
温泉にしても必ず伝説で傷ついた鹿が温泉につかり直したとかある
また湯治宿があり農家の人たちが日ごろの農作業の疲れをいやす場としてありまた病気の治療としてもあんた、なぜなら必ず温泉には効能書きがあり何に効くのか書いてあるからだ、つまり温泉宿はやはり一つのホスピタルだったともなる

語られる湯殿にぬらす袂かな 芭蕉

それでこの句が生れたのである、語られぬ苦労があり温泉で癒すということである、東北には湯殿の碑が多い
湯治に行ったからそれが残ったともなる

だから観光というのは何かこうした時代とは相当に違っている、そういう面が残っていたとしても癒すとかもてなすというのがあったとしても切実ではないのである
40キロも歩いて来た人とは余りにも違っている
確かに乗り物は疲れる、だからそういうことはある
でも江戸時代とかなるともうふらふらになっているかもしれないのである
自分自身が自転車ではそうだった、体力がないからふらふらになっていた
でも別にそうであってもそんな人を歓迎しない、ただこの時代に胡散臭い奴だとしかならないのである、またバイクだと北海道だとライダーハウスがあったするからそういう金のない人でももてなす、ただバイクと自転車の差も大きいのである
バイクは楽過ぎるのだ、自転車は本当にトラベルの苦しみなのである

ともかく旅しなくても自転車に乗っているだけで変な奴だと見られることがある
そして今日も警察に職務質問を受けた、何の違反もないのにそうなった
人も通らないのに走り交通違反もしないのにである
ただ駅で自転車が盗まれたとか警戒しているからと言っていた
ところが車だと怪しいという人もわからないのである
車は乗っている人が見えない、それで犯罪にはいいのである
自転車は目立つから警察に目をつけられるのである
それより今時車に乗らない人は変な奴だ底辺だと見られてしまう、それは底辺層を見ていると車を運転しない人が多いことも確かなのである

いづれにしろ観光業の原点は何かをふりかえる時期なのかもしれない、それは旅人が旅すること自体が歩くことであり疲れているから疲れをいやすということから始まっている
そういう心があって宿もあった
今はそういうことはなくなるとただうまいものを提供するとか何か本来の目的とはずれたものにもなる、ただ別に江戸時代でも旅すれば土地の物を食べるという水戸黄門のドラマにあるようにないことはない
でもそんなことより歩いて移動することは苦しいことだったのである

今の宿はホテルでもホスピスとか必要でもない、だからうまいものを提供して贅沢させるのがホテルの役割にもなる、もちろん場所が変われば心も変わるからそれは気分転換になる、でも旅の本来の役割は喪失した
やたら立派なホテルを建てる、そこで金持ちが金を使わせるのが役割になる
星野リゾートなどがそうである、リゾートというときそれは旅人をいやすものではなく
そこに滞在して癒されるという空間の提供なのである

私は旅したいからでありうまいものを食べたいとも思わなかった、だから金がないから
最低の食事しかしていない、それでも今なら栄養はとれるのである
ただ宿はビジネスホテルでも最低5000円とかなり節約できなかったのである
それで外国まで行って安宿を探していた、ところが外国の方が本当に旅しやすい
安いホテルが多いからである、ユースホステルも多く老人も普通に泊まっているからである、ただ高いホテルは豪華であり馬鹿高いとなる
中国だったら100円くらいで泊まれる宿があった、それは20年前とかであり高いホテルもあるが中国でぱ貧乏人は貧乏人用に安いの食事でも宿でもある
だから暮らしやすいとなる、別に雨露がしのげればいいということがあるからだ

観光業はコロナウィルスで廃業するのがおおくなるという時、どうして観光業を維持できるのか?それは原点に帰ることかもしれない、時代が違うともなるが本来は貧しくても疲れた旅人をいもてなす癒すことから始まっている、外国だとホスピスでありホスピタリティになるからだ                                        
だからうまいものだけを提供するとかではない、貧しくても相手が疲れているからもてなし癒すというのが基本になる、そういう心をもたないと成り立たないだろう
でも今は金持ち優先でありホテルにも宿にも格差がある
金持ちは優遇される、江戸時代は殿様は別格として他は同等だった
ただそこには疲れた旅人をもてなすということはなくなる、金持ち優先であり貧乏人はもてなさいなとまでなったのである
それを自転車旅行で感じたのである、つまり自転車旅行など胡散臭い奴で粗末に扱えばいい、どうせ金もないだろうとかなって冷たく扱われるだけだった

でもコロナウィルスで観光業やホテルや飲食業が窮地に立たされている
別に観光とかホテルでも旅館でも社会にとって必要ではないとはならない
ただ不要不急という職業だったのかともなる
観光には多分にそういうことがあった、ただ旅には何か歩いても移動しなければならない用事があり仕事がありそうなったともなる
それは不要不急ともならない、もし宿がなかったらへとへとに疲れてもう動けずに旅もで
他の家の火で「他火(たび)」、物を乞う「給べ(たべ)」といった言葉が由来になった
乞食がいたというとき旅することは物を乞うことをしないとできないこともあった
つまり宿ができる前にはそういうふうに旅する人を無料で農家の人がなどが助けたということがある、そういう人が増えた結果、有料の宿が生れたのである
だからどうしてもともといろいろな仕事が生れたのか、その由来を知る、そこに原点がありそこからまた再興がありうるともなる

ただコロナウィルス以後は遠くへの旅とか海外旅行でも敬遠される、内向きになりステイホームになり狭い範囲での生活が基本になる
それは江戸時代とかヨ−ロッパ―の中世に返るともなる
グロ−バル化というのはやはり極限状態になっていた、観光公害にもなっていた
それで観光業はインパウンドでもばったり来なくなったというのも驚きである
つまりそれはやはり不要不急の要素が大きかったからともなる
だからコロナウィルス以後は何が不要不急でないのか知るべきだとなる
そこに生きる術を見出すべきだとなる変化があった
江戸時代のような時代になるとしてもそこからまた新しいものが生れる
時代は絶対に元にはもどらない、でも江戸時代のようなものが新しい時代に別なのもとして再現されるということである



posted by 老鶯 at 21:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

立葵の咲く場所(花の写真の撮り方)


立葵の咲く場所(花の写真の撮り方)

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日のさして立葵咲く空高く伸びて影なく真昼に映えぬ

これは下からとったからうまくいった

クリック拡大するときれいに見える

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高松の青田酒店は岩と松の写真をとった場所であり
そこからますぐ行くと写真をとった場所がある
ここはわかりやすい場所である



立葵が今咲いている、これは夏にふさわしい、これは光の中に咲くと映える
それで昨日高松の方に行って撮った
その撮り方がわからなかった

花は遠くからとっても小さくなり見栄えしない
クローズアップしないと映えない、それでそれを今回は試してみた
立葵は高く咲くので下から撮ったのも良かった
角度を変えて撮る、接近して花をクローズアップする
そしたらやはり花は映えた、カメラはソニーのα6000でありそれほどいいものではないが高いものではないが映りがいい 

写真もちょっとした工夫で撮り方で見栄えが違ってくる
簡単なのはとにかく接近してクローズアップすることである
小さいと花は映えないのである

プログとかなると映像の時代だから写真が欠かせない、写真と一緒に出せば訴えるものが作れる
それでソニーの広角レンズを買った、今度はキタムラで買った、それを仙台の支店で受け取る、前もキタムラから買ったことがあった
キタムラの支店が相馬市にあったからだ、今はなくなった
やはりカメラ店があるとないでは違ったものになる

とにかくレンズが高いのには驚いた、ただ中古品がある、それにしても高い、カメラとレンズは中古市場があり中古車と同じく高く売れるのである
あとは中古品でもただ同然ともなる、カメラだけは違っていたのだ





2020年06月15日

蛍袋(原町ユッサの裏の大原の道)


蛍袋(原町ユッサの裏の大原の道)

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クリック拡大




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高松の店はコンビニのようになったが品物が少ないから客も来ない
何かこうした店は古くからあったがやっていけない
ただここは旧街道であり車はひっきりなしに通っている
でも寄る人が少ない、それも淋しいとなる
車社会になるとどうしても小さい店がなくなってゆくのである




老鶯やユッサに休む草深し

赤らみぬ蛍袋やユッサの湯

大原の墓地や影なし涼しかな

草深く蛍袋や社かな

草深く夏薊かな黒揚羽


黒揚羽ここに出会いて舞いにけり草深きかな大原の里

草深く埋もれし墓やその名もなにもしりえぬ大原の里 

大原の日影の道にあまた咲く蛍袋や草深しかな 

この道を行けばあわれも大原の知る人眠る木陰深しも
                                              

新田川の原町ユッサは意外と場所がいい所にある、ユッサそのものはそんなに景色がいいとはならない、でも今日行ってわかったことはその裏の道がいいのである
新田川が流れていて大原の里があり木陰の道がつづいている

今日そこを行ったら木陰が涼しい、そこに墓地があって草に埋もれた墓がある
そこも影になり涼しい場所である、そこに小さな社があった
馬頭観音であり新しいものである、馬頭観音は昭和の戦前まで馬を使用していたからいたるところにある、だから新しいのである
古い神社や社は別である、何か新しいものには価値がなく古ければ古いほど価値が生まれる、神社でも古い神社は価値がある、ただ古さがわからないのが多いのである
神社がいつ建てられたのか祀られたのかわからないのが多いのである

テレビを中古店に引き取ってもらうとしたら型番かわかればそのテレビの製作した年代がわかる、だから型番を教えてくれと言われた
年代的にそれがいつ作られらたものかわかりそれで評価するのである
神社でもその由来が古ければ逆に文化的価値が高くなる
電器製品は新しいものが価値があるの逆なのである

大原は街から離れた草深い里だとなる、今の距離感だと街に近い感じになるが車がないときは遠かったのである、それより前田という地名がありそこが大原の中心だった
そこに住んでいた斎藤氏と病院に入院して知り合ったが死んだ
その人の墓がユッサの裏の道を行くと杉林の中に隠れるようにしてある
その人の家は空家になって住んでいないのである
息子は街中に住んでいるからだ、だから廃屋となっている
その近くに長く廃屋として放置された家がありそれは本当に幽霊屋敷のようになっているなぜか壊さないのも不思議である
本当に幽霊が出て来るくるような家なのである

ともかく原発事故以後意外と大原は放射線量が高く避難した
そこで一時荒廃した、今でも荒地が多い、それより放射性廃棄物の貯蔵している所が目立って嫌なのである
それはこの辺ではこうした山里でも塀で囲んで放射性廃棄物の土を貯蔵している
それがいつなくなるのかわからないのである
それが風致を乱しているから嫌なのである

つくづく原発事故は罪深いものだった、なぜならこうした村を破壊したからである
ただその前に村は荒廃していた、跡継ぐものがないとか全国の村が限界集落化している
原発事故はそういう村落を壊したのである
それで補償金をもらって喜んでいる人たちも現実にいる
別にそこに住んでいる人が自分のように異常に景観とかにこだわらないからである
でもこうして村の景観が壊されることは心も荒廃するようにもなる

本当は村とかあることはそこに生活があることは外から見たらいいものである
何かほっとするものを感じる、でもそこに住んでいる人はそうでもないのである
だから原発でも積極的に誘致したとなる
ただその時昔からあった村という全体が壊されたとういことがある
町でも全体が壊されて風致もなにもなくなった
いまでもやはり放射性物質の廃棄物場がそちこちにあり風致を乱しているのである

とにかく原町だと深野とか大原は奥まった所でいい場所であり鹿島だと橲原(じさばら)村なども奥まった山里でいい場所である
でもそこでの暮らしが破壊された、田畑が回復しなくなったからである
そこは今はクローバーの野原になっている、原野化したのである
クローバーが馬肥しというのもわかる、田んぼの前は一面の馬肥しであり馬の餌になっていたからである、放牧された馬の餌になっていたからその名がついたのである
北海道にはクローバーの原野があり馬や牛が放牧されている
そういう風景が原野の風景があった

今日は暑かった、真夏である、でもあの辺涼しいから気持ち良かった
散歩にはいい場所である、この辺は海の方にも行けるし山里もある
それが浜通りのいいところなのである
ただ高い山がないのでものたりないのである





相馬新報の趣旨 (新しい技術、新しい報道、新しい創造が世界を変える)


相馬新報の趣旨

(新しい技術、新しい報道、新しい創造が世界を変える)

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●郷土の歴史の発見

●郷土の文化の醸成 

●新しい芸術の創造

●郷土の新しい報道

●郷土の危険の警告

●権力の対抗、報告

私のプログで何をしてきたのか?何を追及して来たのか?
そのことをふりかえると結局2011年からの震災による津波、原発事故がありこのようなことがはじまった、もともと俳句とか短歌を作ってきたし芸術を追及して来た
それでルネサンスというホームページを作っていた
それはwin が出た時であり私の場合はその前からパソコン通信もしていた
それはワープロでありたまたま通信機能がついていたのでしていた
その時点でパソコンをもっていた人は本当に少ない、特別な知的作業をしている人であり優秀なエリートが多かったのである
私は技術関係ではない、パソコン自体その時はそういう人たちが参加して開発していたのである、だから理系の技術者が多かったのである
そこで富士通のオワシスの親指シフトを覚えてテキスト文を早く打てることでなじんだ
まず文章がいかにして早く打つかがパソコンを利用するには不可欠だったからだ

その時はそれが何なのか理解できなかった、人間最初はそういうものなのだろう
新しいものがでてくるとそれが何か理解できないのである
奇妙なことにこうして新しいものができるとき負の現象として新しい犯罪も生れて来る
今になるとそうした犯罪は普通に起きていることでもわかる
電話が作られたら電話を通して詐欺とかいろいろな凶悪な犯罪が起きる
これが技術の宿命でもある、そもそも技術は必ずその技術を利用した犯罪が起きてきた
第一戦争自体がその技術お応用であり技術の発見は開発は戦争を通じて行われたのだ
ヨ−ロッパでは戦争が絶え間なく行われ技術が開発されてきたのである
それが技術のカルマであり人間のカルマだったのである

ともかく人間の歴史は技術発展の歴史でもあった、その技術が社会を変えて来た
グーテンベルグの印刷技術が本を出版できることが世界を変えた、誰でも聖書を読めるようになり宗教改革があった、新しい技術が世界を変える
だから最初パソコンでも何かわからなかった、パソコンに通信機能がついたことが世界を変えた原因だったのである
それが今のITと世界に普及したのであり今や中国がその最先進国になったとも驚きであるなぜなら私が中国に行った二十年前とかは中国は最貧国だったのである
そこで蒸気機関車も走っていたし出稼ぎ車が車両に鞭で家畜のように詰め込まれて運んでいたのである、そんな所に乗ったら外国人は死ぬとされていた
それがみるみる新幹線まで走って通信世界では世界をリードするようになっているのも信じられないとなる

だからこのIT技術の変化でいろいろな方面に社会全体を世界を変えるしそれは進行中なのである、一番の変化はメデアである、報道関係である
これまではマスメデアでありこれはどれだけ力をもっていたか、それは巨大な第三の権力となっていた、なぜなら六局しかテレビでは報道できない、それがどれほどの力をもったかおしてしるべしである
テレビによって政権自体も変えられるほどの力をもったのである
大衆をテレビで洗脳して操作することができたのである
特にNHKとなるとNHKの言うことは世論でもありそれに逆らうことはできない
地球温暖化と言えば科学的根拠がなくてもそれが通じる
NHKの言うことは正しいのでありそれに逆らうものは非国民とまでなっていた
それだけメデアの力が大きかったのである
大衆はNHKがこう言っているからとなればそれに逆らうことができなかったのである
それで今NHKそのものをこきおろして批判している人が普通にいるというのも時代が変わった

とにかく映像の時代である、映像のインパクトが強い、それでデジタルの時代になりデジタルカメラが出て来た時、映像の時代に拍車をかけた、現像写真をとるのは金もかかるめんどうだったからである、その時写真をとったものがあってもわずかしか残らなかった
右田の松原の写真をとったものはそれで貴重だったがはっきり映っていないし残念だったそれが右田の松原が津波で消失したのだからその記録が貴重なものになったのだ
映像も記録として貴重になるものだと思った
郷土史というとき歴史でも記録が基本にある
それで相馬藩政史に「生波(津波)で700人溺死」という二行の記録が発見されて驚いた、それまでその記録を知らせる人もいなかったのである
だからこの記録がいかに大事なものだったか今になるとわかったのである
なぜならこの辺では津波は来ないと確信までなっていた
それはチリ地震津波のことしか体験していないからである
400年前の津波のことを知っている人はいなかった
第一この記録さえ学者すら知らなかったのである

ただ東電の技術者は科学者は十数メートルの津波がくると予告してその対策をするように進言していた、でもコストがかかるから対策をしなかった
このことは報道もされなかったように思う
それは福島民報でも福島民友でも調べればわかるかもしれない、つまり肝心な重要なことが報道されないことがある
それは全国紙でも同じである、国の運命を決めるようなことでも報道されない
くだらない芸能のゴシップなどを報道する
それはなぜかというとテレビはコマーシャルで会社の宣伝費で成り立っているからである
すると視聴率をとるために大衆向きの放送をするのである
そうして肝心なものが知らされず結果的に原発事故のようになり故郷にも住めなくなったのである、だから大衆側にも問題がある
自分たちの生死にかかわることすら関心がないのである、そうして権力者側のいいなりになるだけだとなる
福島民報は官報と同じである、50パーセントが県で出資して後は聖教新聞を刷っているのである、だから自民公明の言うなりの権力の下僕なのである
何か政府にとって権力側にとって不都合なことは報道すらしないのである
それは県民のためにも郷土のためにもならないのである
ただそうなったのは余りにも新聞というのは金がかかりすぎるからである
第一新聞という紙をするにもそうである、それは一軒一軒配るにてしも莫大な金がかかるのである、だから権力にこびてそこで援助を受けてしか報道できないのである

だからこの報道関係でインタ−ネットは一番影響した
個々人が個人レベルがyoutubeのように放送局をもてる、新聞社にも出版社にもなれるからだ、自分のプログは表現が限られているにしろこんな無料のプログでもそれなりに表現できるからだ、ワードプレスとかにすればもっと表現の幅が広がるがめんどうなのでやめた、何か技術に追いつけなくなった

それにしてもなぜプログで書き続けて報告しつづけて自分のしたことをふりかえる
すると自分のしてきたことが理解する、なぜなら何をしているのかよくわからないでしていた、それは震災以後の急激な変化がありそこからこのプログの読者も増えたからであるこれは読む方でも新しいものは簡単に技術関係でも何なのか理解するのに時間がかかる
新しいものはそれだけすぐには人間社会にとりいれられないしなじめないからである
マスコミとは今までの新聞とかテレビとかと違ったものは簡単に理解できないのである
それはインタ−ネットを利用して発言したりする人でもそうなのである
自分のしていることがわからないのである

それで奇妙なのはインタ−ネットとかに無数に出ている写真を映像をパソコンのソフトで抽象画にすることだった、これも自分でしていて不思議になった
こんなことで絵画のようになるのかと自分自身が不思議だったのである
それは新しいパソコンから生まれた芸術だったのである
技術とはもともとartであり新しい技術が生れれば新しい芸術が生まれる
報道でも新しい技術が生れれば新しい報道が生まれる
人間は常に古いものがあり新しいものを追及して来たのである
新しいものを作れないものは衰退する

日本が衰退した原因はどこにあるのか?

新しいものを技術でもなんでも作れない

ここにあったことは間違えない、電器製品を作ったとしてもそれはまねたものであり発明したものは欧米である、だからそれは一時的なものとして終わった
今でも別にそうした電器製品は中国でも韓国でも同じものが作れているからだ
中国製のテレビが安いと今では買ったりしているからだ
ただ中国でも韓国でもITでも欧米からアメリカのコピーなのである
それでアメリカが盗んだとして怒っているのである、つまり中国の発明品ではないからだだから新しいものを発明する提供することがどれほど価値があるか知るべきである
それは別に高度なものでなくてもそうである
料理だってそうである、同じ料理ばかり出してもあきられる、常になんでも人間は新しいものを求めているからだ、芸術などは特にそうである、それは常に独創的でないかぎり認められないからである、でも最初はなかなか認められないのである

ふりかえると報道自体が刷新する、新しい形態になる、それは旧メデアからは生まれない
新聞とかテレビは巨大な独占企業だったのである、第三の権力として君臨していたからである
それがyoutubeのようなものと同列化してゆくことの驚きだった
youtubeの方が学びとしては優れているのも驚きである
学習機能に優れているのである、そして個々人の個性が反映されるのである
それなりに有名な歴史小説家がyoutubeで発信している、それで興味深かったのがその人の人生そのものだったのである、北海道からでてきてアメリカにわたり仕事をしていたとかその人生が破天荒だったのである、小説よりその人の人生に興味をもったとなる
この人はそれなりに有名でもテレビに出ていないのである
何か思想的過激なものはテレビに出ない、武田邦彦氏は科学者として一流でもテレビに出されないのと同じである
今までのマスメデアはマスコミが人を選ぶのでありマスコミが主導した番組作りをしていた、何か不適切な発言は許されないのである、マスコミは必ず番組を作る前に編集会議をして方針を決めて放送しているのである
勝手に個人の意見など言わせないのである、例えそれが正しいにしろ真実にしろそうである

結果的に重大なことが国民の生死にかかわることも報道されなかった

十数メートルの津波が来る!

こう東電に科学者が報告していたのに対策をせずに原発事故で郷土は深刻な放射性物質の汚染地帯になり住めなくなった

それは報道をマスコミが怠ったからだ!

これも原因だったのである、なぜなら朝日新聞から前マスコミの幹部が原発が爆発した時中国に招待されていたからだ、そうしてマスコミは東電からまた電事連から800億という巨額な金が宣伝費としてもらっていたのである
なんら報道の使命を果たしていなかったのである
マスコミにはもう真実の報道は期待できない、インタ−ネットの興隆ですたれ第三第四のメデアになりまた消滅してゆく、つまりyoutubeと同列化してゆくのである
何か優秀な人でも数人集まれば報道はできる、テレビでも解説もできる
それをしているからだ、アメリカでビジネスしている若い女性でも今回の黒人暴動でも報道している、そこに住んでいるから深く現実に影響を受ける者として報道している
それはそこに住んでいる人からの場からの報道こそ信頼に値するのである
それは国内でも同じである、報道とはそこに住んでいる人が第一に生死にかかわる
それは原発事故で証明された、故郷に住めなくなったという大被害を受けたからである
だからなんでも土着的なものとしてある、離れると真実は曲解されるのである
それで東電は福島で原発が起きたとき幹部が東京にいて吉田所長ともめた
それは吉田所長が現場を指揮していたからわかることがあり離れた東京と意思疎通できなくなっていたからである
いくら通信が発達しても離れていたので意思疎通ができなくなっていたのである

だから現場から報道することの意義は大きいのである、そういうことを私はプログでしてきた、それは弱小にしてもその意義があったことをふりかえる
それが成立ったのは現場からの報告だった、現場に住んでいる人の報告だったからである場所があらゆるものの基なのである、場所こそ共有するアイディンティティであり場所なくして何か存在意義する見いだせないのである
その場所の感覚から離れると必ず曲解されて伝わる、だから確かに世界のことが日々報道されても場所のことが理解できないから誤解されるのである
テレビの一場面は常にフェクニュースである、それでイラク戦争の問油まみれの海鳥は作られた映像でありそれが世界中に影響したのである
そういう危険性が映像の時代の放送にあることは注意すべきである

NHKのスバルで村が海の水がおしよせて水没したとかもそれは全体の一部であり全部のことは放送していない、回りは普通の状態だったのである
一部分をきりとって全体のようにしたのが温暖化をあおるNHKが作りだした映像だったのである、確かに温暖化にはいろいろな見解がある、でもそうして映像で真実を伝えず一部分を切り取ったものが全体のように見せることが嘘でありそれを放送することは犯罪なのである、それでマスコミの報道が常にネットでチェックされ批判される時代になった
また黒人暴動でもスマホでとった黒人の殺人現場が世界中に広まったことでもその影響がいかに大きいかわかる、それはマスコミが報道したのではない
一人の無名の女性がスマホで撮った映像が世界中に広まったのである
youtubeでも広まることがある、そういう時代になったのである

相馬新報というとき狭い範囲でも土着的でありその場に住んでいる者が報告する
それは狭い方がより土着的になる、だからいわき新報とか郡山新報とか福島県になると
会津新報などがあってもいい、会津は特にもともと万葉集時代から会津嶺の国をさ遠く・・と国として唯一認識された地域だからそれがあってもいい
歴史的な面ではあるが今何が起きているかはインタ−ネットで報告されているのか良くからない、インタ−ネットの問題はありすぎて何か報道しても埋没して知られないのである私のプログがある程度知られたのは津波と原発事故があったからである
そこから相馬新報になったともいえる