2018年11月09日

pocketalk(ポケトーク)は結構使える (日本語の音声認識が優れている)


pocketalk(ポケトーク)は結構使える
(日本語の音声認識が優れている
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外国でも通信で使える


これの優れている点は本当に日本語の音声認識である
何かたいがいの日本語が正確に変換されている
英語はかなり正確である
ただ英語でしゃべったら正確ではない、それより私自身の発音が間違っていて正確に変換できない、そもそももう英語でしゃべることがないので発音もうまくできない
そもそも日本人は外人としゃべる機会がほとんどなかった
でも外国人の旅行者は膨大に増えた結果庶民レベルで外国人に接するようになったのである
それで庶民でも飲食店のような所でも英語が必要になった
その英語ができるかできないかで収入まで差が生まれ
タクシーなどがそうである、それがタクシー運転手まで英語研修している
たまたま海外暮らししていた人は英語ができて収入が良くなった
ほかでもは英語で接待できる人は収入が良くなる

こうなるとなんとか英語を覚えようとする、会話を必要となる
やはり世界では英語をしゃべる人が多い
でも世界でも飲食店レベルでは英語が通じるわけではない
知識階級が英語で話ししている
海外旅行ではやはり英語で通じる所もあったが庶民レベルだと飲食店などでは通じない
でもたいした英語ができなくても海外旅行はできた
それより全然英語も知らない人が旅行できている人もいる
それは若い人に多いのである、つまり若い人は適応力があってそなっている
だから海外に行くのは若い時が向いているのだ

ともかく言葉というのは音からはじまっている、この音が本当にわかりにくい、英語はなんとか聞きなれているからわかる、でもは中国語とか全く音ではわからなかった
だだ筆談で通じた、つまり漢字とかアルファベットはかえって読める、それはなれているからである、音はみんな違っていてむずかしい、だから日本語の音をこれだけ認識したというのは驚きである
グーグルの翻訳でも英語の先生になっている、AIが先生になっている、ここに私は一番
AI化したこと実感する、英語は何か言葉でも簡単に出てこない
私がしていたことはただ文章を読むとかであり発音とかしていないから会話ができない
日本人は読み書きが中心だからである、その読み書きでも機械翻訳が優れている
ただ何か間違っている所があるが90パーセントは間違っていない
だから実用として利用できるのである

言葉の壁は音にある、聞きなれない音が皆目わからない、要するに幼児から言葉は音から覚えているからである、音に幼児から聞きなれているから覚える
でもそうなると外国語は音として覚えられない、だからアルファベットの方がわかりやすいとなる
でもその文字でも漢字ではないなにかインドとか東南アジアの文字やアラビア語の文字はなにがなんだかわからない、韓国に行って一番苦労したのはハングルが全く読めないことだった、漢字は読めたから良かったのである
ところが外国人にすると漢字がむずかしいというのがわかる、それは同じことだったのである

アルファベットが普及したのは音としてではない、文字としてである、貿易するために記号としてフェニキア人が地中海貿易で普及させた、それはスペインとかでもそのフェニキア文字が残っている、それは貿易のために必要だから発明されたのである
だから文字の方が外国人とやりとりするには向いていたのである
それは記録として残るから証拠にもなるからだ、今でも口伝いでは証拠が残らないから約束しても無駄になる、何でも証拠になるものが裁判では必要になるからだ
そして文字がエジプトでも神聖化されたヒエログリフとなったことがわかる
しゃべる言葉は残らないが文字はヒエログリフでも三千年すぎても残っているからだ
文字が残らないと歴史もわからなくなる、口伝いに伝えられるものは変わるし消えやすいからである

いづれにしろAIとかで言葉の壁がとりはらわれればもっと世界が一体感をもつ
世界の人が理解しにくいのは言葉の壁があるからである
もしどこの国に言っても自由に話しできたらもっと深くコミットできるからである
言葉の壁でもどうしても理解し合えないのである、ちょとした行き違いが言葉の壁でそうなる、これだけ外国人が入ってくると物が入ってくるだけではない、外国人が入ってくると言葉の面でもグルーバル化が迫られる
それが庶民のレベルまで強いられるともなってきたのである
ただ正直私は今や京都とか観光地には行きたくない、これだけ外国人が多いと日本の情緒とか風情までに影響してくる、もう京都は外国人を見に行く所なのかとなってしまうだろう、古都の風情もなくなってしまうということである

2018年11月08日

ボランティアはなぜするのか? (公共精神とか奉仕の精神とか養うため)


ボランティアはなぜするのか?

(公共精神とか奉仕の精神とか養うため)

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そもそもボランティアとは人のためにするのではなく自分のためにするのです。
(結果それが人のためになる)
ここを勘違いしてはいけません。

最近駅ですることがない、時々案内したりしている、ゴミを拾ったりしているだけであるでも別にゴミ駅構内に捨てる場があるし定期的にJRに頼まれた商工会の人が捨てている
それはJRら金をもらい委託してしている
だからゴミは別にほとんど落ちていない
ただ時々飲んだカンとかペットボトルをかたづけているだけである
だから実際は駅に来てもなにもしない、何もしなくてもいいとなる
何か遅れたときなど案内することがある

そもそも私は駅でボランティアする気とかなかった、またボランティアとも思っていない介護が終わり駅に寄ったりする時間がでたので見にきていただけである
それで何か用があったので案内したりした
それは自分がしようとしたのではない、そういう意志もなかった
成り行きでそうなった、それはなぜか?

無人駅化したためだった

無人駅になった結果、そこに自ずと駅員の代わりのような人が必要になったともなる
実際はいなくても別にそれほど困ることもない、一番の動機がそこがたまたま無人駅化したから補うということになっただけである
だから何かしているとか何かのためとか大仰なものではなかった

第一誰も自分が何かしているということを認めていない、だから警察の人があやしいと職務質問されたことでもわかる、あいつは一体駅で何しているのだとなって誰かが通報したのである
実際に原町の駅長が来るけどそこで良く原町行と仙台行のホームが外から来た人がわからないからと言ったら案内板を作ってくれたりした
ただその駅長はこいつは何しているんだと嫌がっているのである
他でも勝手にホームに入ってくるなとJRの関係者が仕事していて言われた
つまりこいつ何しているんだと嫌がられているのである
へたするとここでうろうろしているなと注意されるかもしれない
それは警官があやしいと誰かが言って職務質問しにきたことでもわかる

でも人間は不思議だなと本当に思った
ゴミを拾っていたのだが別にゴミだってほとんどないからそんなことしなくてもいい
でもゴミを拾うことで駅というのが公共空間であり公共の建物であり
ここはマイステーションでありアワステーションだと自覚した
なぜそう思ったのか?それは家なら掃除するがでは道にゴミが落ちていたらそのままにしていることがある、でも汚いからと拾ったら街をきれいにしようという気持ちが働くことになる、街はmy townでありour townとなるのだ

その時不思議なのはそうしてここがみんなのものでありまた私のものであるという感覚である、それは別に拾う必要もないがゴミを拾ったことでそう思ったのである
駅は意外と公共的空間でありJRのものだけではなかった
町の人でも外部の人でもかかわる公共的な場所だったのである
だから公共精神が養われるともなった
それは本当にゴミを拾うなどつまらないことだがそういう心が養われたいうのも不思議である、ある宗教団体が他人の家のトイレを掃除したとかあるがそれとにている
ただ家は公共的建物ではない私的な所有物だから違っている
誰も他人の家をみんなのものだとか思わないからだ
だから他人の家のトイレを掃除していいですかとなると断る人もいる
それはおせっかいだとなるからだ

駅は公共的空間でありみんなものであると同時に私のものだともなる、そこが違っていたのである
ただこんなことをしていても誰も評価しない、でも評価しなくても不思議なのは公共的精神が養われる、みんなの場になっているからゴミを拾いきれいにするということである
それは本当につまらないことだった、そんなことしなくてもしてもいいとなる
でもはボランティアとは自分のためにしているんだというとき確かにそうだともなる

ただボランティアでも過重な力仕事とかになったらボランティアしたくない
いろいろ災害がありそこで重労働させられたらもうボランティアしたくない
その代価を欲しいとなるからだ、こんなに苦労しているのにとなるからだ
実際に広島とか暑くて倒れた人までいたからである
そこまでするとなると何かしら代価をなければできない
それは恨みにすらなる、無理やり何か無償でやることはできないしするべきではない
それがとがめられることはない、金をもらうべきなのであり社会はそうして成り立っている、外で建築関係でも重労働するなら当然なのである

だからボランティアは過重なことはすべきではない、またできない
人から認められたい人もするべきではない、ボランティアで名前を売る人もいるからだ
この辺ではそういう人が多すぎたのである、文学者でも自分の名前を売るためだったとか医者すら功名心から援助していたのである、論文とか書けるとなる名前が売れるとかになっていたのである
その他のボランティアも宗教団体なら宣伝のためとかいろいろな人が来たが動機が不純なものもいたのである、だから必ずしもそういう人たちは評価できないのである
むしろ金を与えて正当にその労働に報えることで良かったのである  

ボランティアと普通の仕事の相違は何か?それは責任ありなしかもしれない、責任をとれとなるとボランティアになるとやりにくいだろう
責任をとるということはやはりプロの仕事している人なのである
それはあらゆる仕事している人がそうである、医者でも看護師でも建築関係でも商人でも銀行員でもプロとして金をもらうとなると必ず責任が問われる、家を修理してもらった人が実際は直っていなかった、ただ金をとられただけだとなる

何か医者でも直らなかったら金をとるべきではないというのも一理あると思った
そうなると医者が貧乏になる、でも10兆円くらい節約できるという、つまり直らないのに医者は金をとりすぎているのだ
それが国民の負担になっている、銀行員でも投資信託をすすめて損したがそもそも銀行は株でも投資信託でも素人並みであり知らない

ではなぜ知らないことをすすめているのか?プロだとして知っているといったからまかせたのである
全然素人並みに知らない人が株とか投資信託をすすめるのは詐欺と同じである
つまりとても責任を銀行はとれない、でも手数料だけは確実にいただくという商売である
だから常にプロと責任が問われる、家の修理でも直らなかったらなぜ直ったとして金をとったのかとなる

ボランティアはそんな責任をとらせられない、だから基本的に金にはならない、無料だからかえって責任はないのである
そんな仕事としてボランティアが向いているということである
何か消極的にかかわる仕事である
だから別に認められなくてもいいし何かを相手に要求もしない仕事である、その代わり責任も問われない仕事である

何か仕事は必ず責任が問われるからいろいろそのためにルールを作ったり契約を細かく規定しているのである
保険もかけたりしている、何か事故などあったとき怖いとなるからだ、責任を問われるからだ
ボランティアでもそういうことはありうる、だから責任があることにはかかわらない方がいいとなる
せいぜいゴミ拾いのようなものでもいいとなる
それでも何か市町村のためとかみんなのためになっている
ボランティアは本当は自分のためにしているのである
だから宗教団体で家々のトイレ掃除して心の修養をしているのとにている

実は、多くの新宗教団体にとって掃除は定番の「行」であり、大半の教団が実践している。教団にとって掃除の意義とは、信者の精神を向上させること。すなわち、己の魂を磨くことにある。掃除を通して、自分の心を清めるのだ。

これは確かに言えるのだけど宗教団体はなぜこうしたことをするのか?それは会員獲得するためでありそのパフォ−マンスなのである、宗教団体の目的は精神を修養することではない、目的は会員を増やして社会に勢力を誇示して社会を動かそうとする団体である、会員の数が百万でもその人たちが社会に要求することができる、もうそれだけの数がいれば一勢力として社会が認める
権力と化した団体となるのである、だから批判できなくなるのである、少人数だったら誰も怖がらないからである
だから宗教団体にはそもそも宗教の修養とか愛と善の実践はない
ただどこでも会員を増やし勢力を拡大化することが目的なのである、そのことで利益を得られるからである

あなたは、憐れみの施しをする際、あなたの右の手がしていることを左の手に知らせてはなりません。あなたの憐れみの施しがひそかになされるためです。そうすれば、ひそかに見ておられるあなたの父が報いてくださるでしょう 

キリストの言葉だけどこれがボランティア精神かもしれない、ただボランティア精神と公共精神は違う
ただにていることは確かである、何か愛とかいうけどそれが押しつけが多すぎるのである
そういう人は俺はお前に尽くしているからその倍も今度は尽くされたお前は俺に尽くすべきだとなる
そういう愛が実際は多いのである、援助でも国同士でも何か裏に魂胆があってた援助する
無償の援助は国同士でもほとんどないのである

ともかく神が報えてくださるというとき何か神が与えてくれるのではない、その行為自体が報いなのである
なぜならそれによって心がすがしくなるとかあるからだ
つまりそのささいな行為によって心が影響して清められるということがあるのだ、それは経験で感じたのである
その行為自体が心に影響して清められたことが報いだったのである

だから俺はボランティアだとか何かおしつけていかにも善行しているような人がほとんどである
それによってでは心が清めれたかとなるとならない、今度は俺は善行した、だからみんなが俺を称賛すべきだとなっているのである
要するに善とか愛とかは謙虚なものだということである
そこに謙虚さがないと心の修養にはならない、だから政治家などはただいいことばかり言って目立つことばかりしようとする
実際は何もしていない、票をとるためにすべての行動があるためだとなりそれはただ政治家自身のためにしているだけなのである

2018年11月07日

駅は世代を越えて多様な人が交わる公共的な場所


駅は世代を越えて多様な人が交わる公共的な場所

アイネット

今日駅に来たのは会津に会社があるアイネットである
緊急連絡システムのサービスである
65歳以上だと市の方に相談すると設置できるという
一人暮らし?の老人が増えるからいいとなるのか?
ただ一人暮らしだと何かあった場合、かえって孤独死した方がいいともみた
身寄りがないとか頼る人がないとなるとそのまま死んだ方がいいのである
なぜなら介護状態になったら世話する人がいないのだからかえって苦しむことになるからだ
なんらかもう死ぬ覚悟をしていないとだめだなとはそういう人たちを病院で見てきたから思った、ともかく脳梗塞でも他でも悲惨なのである
一層一挙に死んだ方がいいと思ったからだ


次に来たのは役所の移住推進をする課の若い女性だった
一人は男性はカメラをもって駅舎を写していた
何かここで集まり案内するらしい
鹿島駅は良く鉄道マニアでも写真をとりにくる
明治30年に開業したときと建物自体は変わっていないからである
農家民宿を手伝う女性とかも来ていた、それも若い女性である

移住推進というといつも原町の道の駅にいる
でも何か仕事しているようには見えない、ただいるという感じである
どれだけ移住する人がいるのかわからない
小高では農業する人に13万円を市から支払われている
それでそこで働く人が20人くらいいるとか聞いた
ただその人たちがどういう人なのかはわからない、人数もはっきりしない

いづれにしろ駅は意外といろいろな人がくる、情報が集まる、外部から来る人もいるからだ、広場の役割がある、鹿島では道の駅がないから車で駅に来る人が結構あるのだ
あとはトイレを利用するのである、駅のトイレは市で障害者団体に委託して毎日掃除してもらっているのである

ともかく駅とは公共的な場所だなとつくづく思った
そこはJRの人たち所有するいうものではなく街の人でも外部の人でもみんながかかわる場所だったのである,そして世代的にも子供でも来ることがあるし子守りをするばあちゃんもくるしいろいろな人が来るところだった

今の時代はこうしてあらゆる世代とか男女とか集まる場がない
子供は子供とか子供でも幼稚園とか小学校とか中学校と高校とか世代ごとであり世代を越えて集まる交わることがないのである
老人は老人で隔離されるように施設に入る
それで幼稚園だったとか一緒にしたという施設もあった

かえって昔の村だったら子供老人も若い人も交わる一緒に生活する場だったとなる
現代では人間は世代ごとにとか何か分類されて隔離される感じなのである
多様な人が交わる場所がないのである
駅には確かに広場の役割がある、公共的な場所だったのである

タグ:駅の役割

南相馬市の鹿島区の隠町(かくれまち)の地名 (隠田が地名としてなぜ多いのか?)


南相馬市の鹿島区の隠町(かくれまち)の地名

(隠田が地名としてなぜ多いのか?)


隠町その名の残り隠されてため池ありぬ秋のくれかな

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小山田の隠町

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溜池が田んぼの上にあった、SAの向かい側である、隠されるようにあった

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隠田百姓村ともいう。中世末から近世初頭にかけて戦乱の落ち武者や貧農によって山野の奥深くに開かれた集落。貧しい農民が年貢を免れるため,開拓する場合もあった。九州山地の五家荘,米良荘 (めらのしょう) や椎葉 (しいば) ,四国山地の祖谷 (いや) ,中央高地の白川郷や五箇山 (ごかやま) 郷などの山林はその好例。長く他地域の村と隔絶した生活を続けたので,昔からの風習や伝承,あるいは年中行事などを残しているところが多い。平家の落人伝説があるのは,多くはこうした集落である。


領主の側からすると、隠田の摘発というのはなかなか難しいという側面があります。そもそも土地をくまなく調査して正確な面積を割り出したり、隠田を見つけて課税するというのは、人手や時間、そして手間の問題もあって難しかったと考えられます。現在でも税務申告はルールにのっとった自己申告によるものになっており、それを一からすべて税務職員が調べるわけにはいかないのと同じです。

おんな城主 直虎

ここでNHKの大河ドラマを解説している、これも歴史の勉強になる、やはりドラマだと面白いものとして娯楽として見る面が大きい、それで学問的裏付けが必要になる
ここのサイトではそれをしている
最近私は宮廷歴史ドラマ「オスマン帝国外伝〜愛と欲望のハレム〜」オスマントルコの後宮をテーマにした連続テレビを見ている
トルコにも行ったしイスタンブールにもいた、だから興味をもった、そしてこのドラマを見て歴史を知った、これは事実だったのである
歴史ドラマはやはり事実を知り学問的にその裏付けがないとドラマが本当の歴史だと錯覚してしまうのである、それが司馬遼太郎の過剰に持ち上げられた明治維新の小説だったのである


隠里の霊(二本松)−民話


隠田(おんでん)とか隠里とかは地名としても多い、そもそもなぜこんなに多いのか?
隠田は検地から逃れるための税金逃れのためだという、それより役所でもそういうふうにすべての田を調べることができなかった、それで放置されていた

隠里とかなると神秘的である、それは外との交流がない村が多いからそうなったのであるこの辺の民話で隣村から来た麦つきにきた若者が蛇だったというのもそうである
隣村さえ交流がまれだからそうなる、見知らぬ外の人となり神秘的になったのである
つまり交通が発達していなければそういう村は無数にあった、秘境がいくらでもあった
時代をさかのぼればのぼるほどそうなる、交流がもていないからそうなったのである
江戸時代だってみんな自給自足であり外との交流なくして基本的には生活していたのである

それで明治になって合併したが飯館の大倉村と佐須村では民情が違うから合併しなかったとなる、隣村同士でもそうなっていたのである
つまり隣村でも交流が少ない閉ざされた世界で生活していたのである
だから役所でも全部の田を検地できなかった、日本の地形が複雑なこともある
山に入ると本当にこんなところに田があり畑があるのかとなる所が多いのである
本当にそれは隠田にふさわしい、山の中に隠れたように田があるのが多いのだ

そういう話を相馬市の新田でも聞いた、あそこの杉のあるところが隠田だったとか言っていた
でもあそこは平坦な地でありそんなところが隠田になるのかと見た
ただこの隠田が日本全国に多いから地名も多いのである

鹿島区の隠町は隠田とはなっていない、だから必ずしも田ではない、町とは一区画のことだからである
小山田は寺内や小池より新しい地である、新しく開墾された、なぜなら寺内、小池には古墳が多いからである
村の新旧をまず見るのが大事である、海老村はエヒであり蝦夷に由来する古い村である
そこで弥生時代の住居跡が発見されたことでもわかる
右田村は江戸時代にあったとしても新しいのである、その新旧を見ることが大事である

鹿島区の隠町は偶然に常磐高速道のSAの向こう側が紅葉していたのでそこに行ってみようかと行ったら溜池があった
そこに隠町とあった、確かに隠されているようにあったともなる
ただそういう土地は日本には多い、山が多いからそうなる
相馬地域の特徴としてはそうして不便な所には越中からなどの移民が開墾して住んだ、なにしろ飢饉の時三分の一に人口が減った、その穴埋めをしたのが越中からなどの移民だった、その数が多いのである、三分の一も穴埋めしたとしたら本当に多い
だから相馬地域の墓地を見ると必ず南無阿弥陀仏の墓がある、それで見分けがつくのである

そういう移民はまず草分けの古い農家に草鞋をぬぐ、そして辺鄙な悪い土地を与えられて開墾したのである
だから確かに小山田でも塩アでもそういう隠くされるようないい土地ではない、小山田だったら平地の方がいい土地である
だからそういう人の住にくい場所を与えられて開墾して住んだとなる



タグ:隠里 隠田 隠町
posted by 老鶯 at 09:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2018年11月06日

国際ロマンス詐欺が増える−40歳の女性が被害 (人間の生きる時間が短すぎることが最大の問題だった)


国際ロマンス詐欺が増える−40歳の女性が被害

(人間の生きる時間が短すぎることが最大の問題だった)

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工藤恵子 婚活KOKO 結婚カウンセラー

人生は時間との勝負だ!

このyoutubeは面白いと見た、それはなぜなのか?
それは何かただ結婚のことだけではない、人生を語っていることなのである
それは女性から見た人生とか女性の視点で語っている
なかなか女性のことはわかりにくいがここでは何かわかりやすい、具体的例で説明するからわかりやすいのである

今日のニュースで国際ロマンス詐欺があったが被害者は40歳の女性だった
この婚活のyoutubeではそういう年の人がなぜ結婚できないか語っていた
それはいろいろ実際の相談に乗った人の例で語っていた
そしてもう女性は40歳になると結婚はすごく厳しいものになるというのもわかる
それであせってこんな詐欺にひっかかる
それはインタ−ネット時代で起きたことである
外国人と簡単にやりとりできる時代になったからである
でも英語で話せたのかというのは良くわからない
グーグルの翻訳など使えば意外と話せるのかもしれない

結局人生の最大の問題は何なのか?
生きる時間が限られている、たちまち時間がなくなり老いる
今やそういう人たちをテレビで華やかに活躍した俳優でも病気になった、ええ、あの人が死んだのかと驚く、同年代の人が病気になり死んでゆく
そういうふうに華やかな時代は本当に短いのである
女性も20代が華だけでどその花の盛りもたちまち過ぎるのである
だからあれこれ高望みしている人は婚期を逃すのである
結婚は生活だと割り切る人は結婚できるとしている
あれこれ望みが高すぎる人は結婚できないというのもわかる
それは時間の無駄ということである、時間がいくらでもあるならいいが結婚するにも時間が問題になる

今は誰かが来て無理やり見合いさせたり家同士の結婚でもないから何かいろいろ高望みして結婚が遅れる傾向にある、何か時代的条件で結婚が遅れる
それは自由な社会であり高望みするからそうなる、自由な社会になるといろいろ選択する範囲も広くなるから男性でもいい男性を選ぶとなればそんな男性はいないとなる

結局人生とはなぜ失敗が多いのか、みんな人生を後悔するのか?
それは時間が短いということである、限られていることなのだ
それは結婚だけのことではない、勉強だってそうだしその他技術を習得するにしても
例えばここ十年介護とかで家事をしてきたけど家事を覚えるには時間がかかるなとつくづく思った、そして料理は未だに何もできないのである、まず料理上手になるには相当な時間が必要だと思った、そして向き不向きもある

結局人間は才能や資質があっても時間をどれくらいかけるかで決まる
それも時間をどれだけ有効に効率的に使うかでも決まる
いくら天才でも費やす時間が限られている
楽器でも一つ覚えるだけで時間がかかる、だから二つも三つも覚えられないのである
それはあらゆることに言える、語学だってそうである
何するにも覚えるにも時間がかかるのである
結局みんな時間切れで終わる
結婚でもそうである、選り好みしているうちに結婚も逃す

とにかくなんでもたちまち時間が過ぎてゆくのである
それは男性でも女性でもつくづく同じである
時間は限られている、例えば最も重要なこと求道するにも信仰するにも実は若い時しかない、時間があるから老人になってから求道しよう信仰しようとしてもできなくなっているもっとも血気盛んな時に神を覚えよと聖書にある
その時期を逃すとできない
それは信仰だけではない、スポーツでも例えば武道などは高校生から大学くらいにしないと基礎ができないからその後になると覚えるのがむずかしくなる
それは体で覚えるものだからである
それで空手の師範までなった人は遅くはじめたから苦労したというのもわかる
それは人生は30くらいで何でも決まるという時そこで方向とか決まり基礎ができるからである

だから放蕩などで青春を浪費した人は最も後悔する

時間はそれだけ貴重であり最も貴重な時間は青春時代なのである、30までなのである
でもこのことが若い時はわからないのである
時間が無限にあるような気がする、時間がありすぎて暇で困るとなっていた
暇潰すのに困っていた、でもそれもたちまちすぎて老人になると生きる時間がもうないとなっているのだ、何かするにも病気になったり体力が落ちてできないのである
だからこのyoutubeを見て結婚も同じである、婚期を逃すと男女とも結婚はできない
そしてチャンスは何度もない、この人はだめだからもっといい別ないい人を見つけようとしていたらいくら時間があってもたりないのである
だからあるところであきらめてというか早めに選んだ方がいいともなる

結局私自身が結婚しないということが婚期を逃したということなのである
それは婚期だけでない、何かのチャンスでも人は逃してもう取り戻せないのである
もっと勉強していれば良かったとか逆にもっと旅行していればよかったとか
もっと家庭サービスをしていれ良かったとか後悔だけが人生となっているのが多すぎるのである
それは何か時間が無限にあるように見えるからである、もう非正規とかフリーターなどでも40歳過ぎたらそのままであり収入も低いままでありスキルも身につかない、結婚もしていないとなると老人になったときどうなるのか?
それは相当に悲惨なことになることは眼に見えている、でもそれを考えないのである
それは時間がまだまだあるとみるからである
でもさすがに40になると自覚せざるを得なくなる

そして最も大事なものが金だと思っている、でも老人になると時間なのである
そして時間は金で買えないのである、青春をとりもどしたいとして百億払っても元の青春時代は返ってこない、女性でも20代の美貌に帰れない、いくら化粧してもだめなのである、無常だというとき常に人生は変化だからである
そして最後はただ白髪の老人となり茫然としているだけになる
それは浦島太郎なのである、玉手箱をあけてたら一瞬にして老人になっていた
竜宮城の快楽は夢だったとなる              

人間はそういう繰り返しなのである、これはいくら科学技術が発達しても変わらない
確かに長生きになったとしても十年とか寿命が延びてもそうである
いづれには死ぬ、人生の時間は限られている、その限られている時間をいかに有効に過ごしたかで人生は決まるとなる
そして最後は雑学でも何か知識として活かせる、ただ放蕩しているより雑学でも本を読んでいた方がいいともなる、実際に山ほど本を買ったが読んでいなかったが積読だったが
その本を買っていたことが宝だったとまでなる
今になると理解できるからである、買ったときは読んでも理解できなかったのである
今はたいがい読んですぐ理解できる、そして自分なりに解釈できる
だから老人になると評論に向いているなと思った
それはその内容が即座に理解できるからである

「光陰矢のごとし」「少年学成り難し」とか人生の短いことはいろいろ言われたがどうしても若い時は実感できない、老人になりそれが現実になると否が応でもそれをつきつけられるのである、その時はすでにまさに時遅しとなっているのが人間なのである

2018年11月05日

150年過ぎて見直される明治維新 (国家神道化などその弊害も大きかった)


150年過ぎて見直される明治維新

(国家神道化などその弊害も大きかった)

過度な中央主権

過度な国家神道

過激な薩摩長州の倒幕

過激なアジア侵略思想


明治維新が150年過ぎて見直されている、歴史は現代を今生きている人から見る
すると時代によって見方が変わる
150年の間に日本は大きく変化した、70年前に太平洋戦争があり日本人が3百万人死んだ、そのことが明治維新の見方を変えてしまう
なぜそんな犠牲を出してまで戦争しなければならなかったのか?
それを問うとき明治維新にまでさかのぼり見直すことになる

ここにあげた四つは一つになっている、それは対外的に外国の対応から過激思想が生まれた、外国勢力に対抗するためにはどうしても中央集権国家を作らねばならなかった
それで吉田松陰とか西郷隆盛にも朝鮮征服の思想があった
明治維新からすでにアジアへの進出思想があった
それは太平洋戦争まで継続していたのである、歴史は継続である、江戸時代の継続があって明治維新があり突然全く違ったものとして外来のものを全面的に受け入れることはできない、日本には変革できる土壌があってできた
だから明治維新でも実際は幕臣が官僚となり支えたとされる
幕臣とかが今もちあげられるのもそのためである

薩摩長州は明治維新のビジョンをもっていなかった、幕府を倒す倒幕を先決したのであるだから実際は薩摩長州の倒幕が先であり何か革命思想があったわけではない
四民平等という思想もない、それは後で生まれた思想であり薩摩長州が幕府に代わって権力を握ることだった、だからクーデーターだったという見方が生まれる
そしてテロが盛んにあったからまさに吉田松陰はテロリストにすぎなかったとなる

そして過度の国家神道化して過度の中央集権になった、それは外国勢力に対抗するためになった、ナショナリズムというものではなかった、なぜならナショナリズムとなるとナショナルは国民でありその時国民は存在しないからだ
士農工商の農工商は全く政治に関与していない、なんの発言もできない
国民という意識もない、ただ藩に所属して命令に従うというだけである

だから薩摩長州のクーデータ−だというときまさに武士同士の政権争いが戦争に発展したとなる、庶民はかかわりないものだったのである
会津のヤーヤー一揆では農民の日ごろからの不満が爆発した
ヨ−ロッパだったら城は城壁で囲まれてその中に市民がいて一体である
だから他国のものが攻めてきたら城壁の中の人も一緒に戦う
でなければ殺されるとなるから戦うのである
でも日本だったら会津のことでわかるように城が燃えようがそこで侍が戦おうがどっちが勝とうが関係ないのである、ただ税を軽くしてほしいということだけである
そこで会津藩が薩摩長州に代わっても同じだから税が安くなればいいと思うだけだったのである
ヨ−ロッパとは歴史が違うからこんなことが起きたのである
そこでブルジュアとか生まれたがそれはブルクから城から生まれた言葉である
それは裕福な人だとなるがもともと城と城壁で囲まれた市民は一体だったからである

いづれにしろ日本はヨ−ロッパのような市民の都市とかがない、封建制はにていても市民というものがいなかったのである、そこに市民の自治もなかった
村がは市民という大きな共同体ではないからである
その相違があり明治維新は武士同士の下級武士の革命だというときまた薩摩長州のクーデーターだったというとき歴史の相違でもそうなる
フランス革命とかなると庶民も参加した革命だから違っている
明治維新は武士同士の争いであり政権をとる戦国時代のような権力争いだったともなる

そこに日本的なものとして天皇がもちあげられ国家神道が上から強力な圧力でおしつけられ廃藩置県も天皇というものがあってできたと大久保が言うのはそのためである
日本の歴史は天皇でまとまる社会だったからである
それで天皇が二人出たとき南北朝の争いが60年とかつづいたのである
ただそのことのマイナス面としてあまりにも国家神道が協力に権力によっておしつけられた、そのことで弊害が大きかった
廃仏毀釈とかあったり思想統一が国家神道で成された
その国家の権力によってもともとのその土地土地の社なども格付けされたり国家神道化されたのである、それが地名にも影響していたのである
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伊東ひとみ. 地名の謎を解く―隠された「日本の古層」―(新潮選書) 

地名でもそもそもその土地から生まれたものだから国家権力によって好字二字にせよというのはその文化の破壊だったのである
地名とは文化でもある、土地を耕すというcultureである、そうした地域の文化を破壊することはすでに古代でも権力によって行われていたのである。
国家とかはそもそも地域地域にあった国(くに)とは違う、権力的なものがかかわる体制である
だから国家と民族が違うというとき国家は権力によって構成されたものであり民族は地域地域のクニから形成されたのである
だから国の手形が訛りだというときそうである、明治以降に協力な中央集権があり言葉も標準語にされたのである   

国家権力となると日本の戦争でもナショナリズムだとして民族の伝統を鼓舞するもののように見えるが中央主権国家は地域の文化を破壊するのである
それで正一位稲荷とかでもはおかしいと思う、正一位というのはまるで神様によってそれも日本の貴族によって位を神様に授けるとなるから変なのである、地域地域の神とか社はそういうものとは違っていたからである、それは国家権力とはかかわらない地域の神である、ただ神にも権力がかかわることである、権力によって神が歪められたのが人類の歴史でもあった

国家神道とか中央集権の弊害は大きかった、なぜならその強力な富国強兵が国家神道の名のもとに行われたからである
それが太平洋戦争に継続されたからである、だから明治維新の見方はその戦争を経験した結果変わることになった
また太平洋戦争自体が日本では総括されていていのも問題である
それは明治維新からはじまっていたのである

戦争に負けた結果として明治維新の薩摩長州閥が断罪される

こうなったのは戦争に負けたからである、負けたからそんな戦争をなぜしたのか?
それを問うようになった、そして薩摩長州のクーデーターとか否定的見解が普通に出るようになった
戦前だったらそういうことはなかったからである、明治維新は常に肯定的に見られていたらである
また天皇批判は許されなかったからである
明治維新から日清戦争からロシアの戦争で勝ったことで日本は奢りになった、それは日本は神の国だとかなり太平洋戦争で敗北して3百万人が死んで70年過ぎてその戦争は何だったのかと歴史を見直すようになったのである
戦死者は神社に慰霊の碑や忠魂の碑としてある、それは国家神道とかかわったものであり神社本来のありかたとは違っている
なぜなら日本にある無数の神社とか社はその成り立ちが国家神道とはかかわっていないからである

なぜ東北列藩が同盟して薩摩長州軍と戦わねばならなかったのか?
それは東北列藩が会津に薩摩長州に謝罪をしろと願いを出したが断れたという
でももともと東北列藩では戦うことを最初から決めていた藩もある
東北列藩は数が多くても武器の差で敗北した、また戦争になれていないということでも敗北した
また急なことでまとまりもなくて敗北した、その勢いがあまりにも違っていたのである
ただではなぜもう江戸が無血開城されたのに東北を攻める必要があったのか?
それは徳川幕府の幕臣が実際明治維新後に政府を支えたということでもまた実は明治維新がなくても徳川幕府は開国して対応できたということとも通じる

薩摩長州は権力を争奪するクーデーターだからそうなった、最初から革命の思想などない、倒幕が目的であり権力をにぎり政治の実権をとることである
そういうことは政治では民主党がそうだったようにまずは政権奪取だとあり何かをすること政策もなくてもそうなることが多い
それで民主党でも政権をとったが何もできずに終わったのである
それは公明とか創価とかもそうであり共産党でも実はそうなのである
一見そういう人たちには権力欲がないように見えてもそうではない、それはどこの革命でも権力を奪取したとき中国のように幹部が莫大な富をもつようになると同じなのである
だから何か革命思想があって明治維新があったわけではない、ただその後思わぬ方向に展開したのである

だから今になると西郷とか明治維新の立役者がそんなに評価できるのか?
そういう疑問が150年過ぎて表にでてきた、そして司馬遼太郎の小説に左右されすぎたのである
小説であまりにも明治維新がもちあげられすぎたのである、本当は薩摩長州のクーデーターでありテロリストにすぎなかったともなるテロリストには思想はない、相手が金持ちなら殺して金をとる、また命令された人から金をもらうというだけで殺す
つまり権力をとるために殺すというのがテロリストなのである
だから一時共産党でもテロリストとなりオウムもテロリスト集団になったし創価でも仏教平和主義など言っていたが実は民主主義社会でなければテロリストになる、ファシズム団体になる

なぜならそういう人たちは権力をとれば金になるとか地位にありつくとかしかないからである
官僚が天下りして得している、俺たちもあのようになりたいということしかないのである
薩摩長州は実はそういう侍の組織団体だったともなる
長州の奇兵隊などもそうして成りあがりたい人たちだった、下級武士や庶民もいて実際に伊藤博文は庶民の出でも首相になったからである
ただあまりにも持ち上げられていたのはなぜなのか?
それはふはり歴史は勝者の歴史であり薩摩長州の政治勢力が阿部首相のように継続して政治の中枢にあったためだともなる

ただでは徳川幕府がそれほどほめられるものなのか?
実は廃藩置県でも地方の藩の財政は困窮していて廃藩置県で借金を中央政府が肩代わりしてくれるということで賛成していたのである
つまり徳川幕府もその体制の維持が限界にきていたのである
第一大奥などあるのはいかに徳川幕府が遅れているかを証明していた
それはオスマントルコの後宮政治とにていたのである
そういうところから政治に女性がかかわり腐敗してくる
だから徳川幕府はもう自壊しつつあったのである、だからあんな簡単に薩摩長州のクーデーターでもろくも崩壊したのである

会津だけが最後の徳川の幕臣としして悲壮に戦い犠牲になったのである
徳川幕府はもう維持できない状態になっていたのである
だからといって薩摩長州が別に革命思想とかあるわけでもない、クーデーターであったが成り行きでいろいろな改革が成されたとなる
いづれにしろ薩摩長州を異常に評価する時代は終わった、それは大平洋戦争を起こし日本が大敗北して3百万人もの犠牲者を出したからこそ今になり見直されるようになったのであるか。

posted by 老鶯 at 20:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

東京の駅でも無人化する鉄道 (店も駅も人がいなくなる?)


東京の駅でも無人化する鉄道

(店も駅も人がいなくなる?)

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週刊東洋経済%202018年11月10日号 

今日は仙台に住んでいる人が親が鹿島に住んでいたということで戸籍をとりにきていた
私も家族が死んだとき東京の戸籍をとるのにめんどうだった
血縁のある人の戸籍が相続に必要だからである
それはただ血縁というだけで必要なのである、付き合いがなくてもそうである
そこでめんどうになるのである
                  
駅で待っている時間が長いと言っていた、何か休む場所がないとか言っていた
それで何か買い物をしたいとかも言っていた
でも今日は大岩菓子店は休みだった、このことは良く聞かれる
やはり待つ時間が鉄道では長くなる、特にローカル線だと長くなる
ここは一時間おきでも長くなる
駅前には食堂はあるが近いにしてももっと近い方がいい
常磐高速のSAとはあまりにも違っている
ただともかく人が少ないのだから需要がないから店も休む場もできないのである

次に来たのが浜吉田の盲目の人でありマッサージにきている、その人を電車に乗せる導きをしている、ただドアの開閉のボタンを押すくらいである
あとは一人でできる

東洋経済の記事では東京の駅でも無人化するというのには驚いた
何十万も乗り降りする駅で無人化するのは驚きである
ローカル線ならわかるがそこでも無人化する
それだけ人件費を省きたいとなるのか?

JRでも高齢化しているというのもわかる、国鉄時代に採用した人たちが退職する
この高齢化のも問題はどこでも起きている
ただこの記事で指摘した盲人とか聴覚障害者は困るとかわかる
一人盲人が通っているからだ
ただその人でもなんとか助けがなくても乗れる
だからどうしてもますます駅は無人化する

それより社会そのものが無人化してゆく、ロボットとかAIとかに代わり店も無人化してゆく、あらゆるところが人件費を省くために無人化する、店も無人化して人がいないなくなる
それは越すとがかかるからそうなるのである
でもそういう無人化する社会はどうなるのか?
どこにいってばせ人がいない、無人化している、ロボット化して機械化して人間がいないというのがいいのかとなる
多少非効率でも人間がいた方がいいともなる、ただコストを追求するとそうなってしまうのである、それが矛盾なのであ

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2018年11月04日

常磐高速の鹿島のSAで丸森の人の手作り展 (丸森の猫神のお守りなど売る)


常磐高速の鹿島のSAで丸森の人の手作り展

(丸森の猫神のお守りなど売る)

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養蚕が盛んだったころ、養蚕の大敵のネズミを駆除してくれる「猫」を大切にし「猫神」として祀ってきたようです。
 猫神の全国的な分布を見ると東北地方や長野県など養蚕地帯が多く、その中でも宮城県、さらには丸森町に数多くの猫神が祀られています。
なぜ、丸森町に多いのかまでは分かっていません

猫神巡礼−猫神の碑(30個)


鹿島のSAでいろいろな手作り展が開かれていた、猫の手招きのおもちゃとかあった
あれも面白い、手が動くからだ
それにしてもなぜ丸森町に猫の碑が多いのか?
時代的に天保と弘化とあるからその頃に増えたのかせしれない、50もあるとしたらなんなのだろうか?
養蚕が盛んにしてもそれだけ猫を碑にするのは金もかかるし手間もかかる
その労力をかけてこれだけ猫を石に彫ったからである

その女性は丸森町の金山の人だった、金山には城があり石垣が残っている

築城年代は定かではないが永禄年間(1558年〜1570年)頃に相馬氏の家臣井戸川将監によって築かれたと云われる。
丸森・金山・小斎一帯は相馬氏と伊達氏による争いが行われ、永禄9年(1566年)相馬氏がこの辺り一帯を支配し、家臣井戸川将監が金山城を築いて籠もった。

そこの人で相馬市の総合病院に入院していた人と一緒になった
その人がんだちゃといっていた
仙台の人は語尾がだっちゃになり相馬だとんだとなる
それが一緒になってんだちゃになった
その女性もんだちゃと使うという、やはり相馬弁と仙台弁が一緒になってそうなった
方言はやはり一つの文化なのである、訛りは国の手形なことは変わらない
ここには原発事故以後いろいろな人が全国から来た
やはり訛りが違っていたのである
おそらく他でもこうしてなまりがいろいろあるのは人が混じり合うからそうなる
それがまさに文化なのである、ただ東北弁は何か馬鹿にされるので嫌なのだけど
やはり方言は地域性があり面白い、みんな標準語になったら面白くないのである
これから何でも地域的なものをまた発見してゆくようになる
明治以降の中央集権時代は終わったからである

丸森については書いたが魅力ある場所である、森が深いしその森の中に深く踏み入れ出れなくなった恐怖を書いた、実際に今でも森が深いのである
阿武隈川も流れているし蔵王も見えるし景観的にもいいのである
飯館村は森に包まれているにしても川とか高い山がないから今一つ景観的には変化がない丸森は景観的に変化がある
何度も新地の坂を越えて自転車で行ったのである

鶯の夕べ鳴きにきゆるやかに川の流れて丸森暮れぬ

丸森はいろいろ歴史的にも興味ある場所である、相馬藩との歴史もあり興味深い場所なのである
タグ:丸森の猫神

ホンジュラスの移民騒動 (格差貧困化は日本でも深刻化して暴動も起きる)

ホンジュラスの移民騒動

(格差貧困化は日本でも深刻化して暴動も起きる)


米には麻薬組織ともつながった「マラス」と呼ばれるギャング集団が横行していて治安がひどく悪化していることと、貧困問題が主な理由です。働きたくても仕事がない若者がギャングに勧誘されることも多く、断ると命に危険が及ぶこともあるようです。

成人男女の平均労働時間は、14時間だ。機械が常時、動きつづけられるようにするため、労働者は、一日に14時間、週に、三日から四日働き、休日には、他のチームが入れ代わる。生産割当は極めて高く、病気の労働者ですら、限られた休み時間と食事時間しか与えられない。シフトにつき一時間半だ。注文が、増減するのにつれ、工場の雇用も増減する。労働法は、日常的に、無視され、労働組合の結成は弾圧される  

300,000人以上の子供がホンジュラスでは働いている。彼らの一日の就業時間は、成人のそれより、ほんのわずかばかり短いだけだ。国連児童基金(UNICEF)によると、マキラドーラでは、15歳という若さの子供が、一日、10から13時間も、一時間わずか40セントで働くよう強いられている

ホンジュラスは、アメリカ軍によって、1907、1911、1912、1919、1924、1925、そして1931年と、繰り返し、侵略されてきた。こうした侵略において、目標は、アメリカ企業の権益を保護と、専制的傀儡政権の安定性だった。



この国はアメリカの企業によってバナナだけを生産される、単一商品化栽培させられる
そのことでバナナの値段に国が左右される、それからアメリカの企業の支配になりそれと結託した地主とか指導層が金持ちになる、それで極端な格差社会になる
そのことはアフリカでもコーヒーだけを栽培させられてコーヒーの値段に左右されて飢餓にまでなった国がある
それが現代の資本主義化多国籍企業化した問題である
一千万人くらいの人口なのだからもうアメリカの属国のようになっていた
でも何かこういう構図は世界中にあった、日本だって戦争に負けたらアメリカの支配になったからである

それはグローバル化経済で多国籍企業支配で起きたことである
それは江戸時代の日本でも起きていたのだ、伊達藩から大量の米が石巻から江戸へ送られていた、その米は商品と化していたから米を売るために米がバナナとかコーヒーと同じように単一商品化して飢饉になった時、他に食べるもきるを生産していないから飢饉になったという、コーヒーばかり作っていたアフリカの国でもそうなった
もともとはいろいろなものを畑で野菜を作っていたからである
同じような問題が江戸時代にもあったのである

ではなぜホンジュラスで大量の移民がアメリカにおしかけるのか?
それはアメリカにも責任がある、アメリカの支配でそうなった
そして麻薬を扱うギャングが横行して国を支配してしまう、ギャング国家になる
メキシコでもそういうことがあり映画を見た、若者はギャングになるほかなく鉄道を利用してアメリカに脱出するほか救いがない、その心は荒れ果てている

ただなぜ中南米とかがそうした貧困にあえでいるのか?
あの辺は弱小の国が多い、またそういう国は工業化できない、するとバナナだけを生産するようにアメリカに強いられる、そういう仕組みがあり今度は移民となって大挙脱出することになる、それはメキシコでも同じだったのである
ギャング団に支配された国から脱出したいとなる
メキシコでもそうしてギャング団に残酷無惨に殺された映画を見たがそれは現実を反映していたのである

いづれにしろグローバル経済の格差問題は深刻である
こうして必死の移民が増えるのは恐怖である
それは日本国内でも貧困格差問題はこれから深刻化する
まず治安が悪くなる、もう金持ちは私兵を雇ってでも防衛するほかなくなる
小金持ちでも飢えたような人が増えれば襲われる
実際日本でもそうなりつつある、貧困は深刻化しているのである
そのことで自分自身が家が介護などでガタガタになり弱者化したとき起きた

家に入れたものに大金を盗まれたとか今度は事業に失敗した人が借金を要求するとか地銀は苦しくなり投資信託を売りつけるとかさんざんな目にあった
今でも困窮者が来て金を要求してくる、その人はぎりぎりの生活だからである
現代はなかなか貧困者が見えないのである、着るものでもわからないからである
でも日本全体が貧困化している、格差社会になっている
それで自分のようなたいして金持ちでもないものも狙われ襲われるのである

日本では本当に暴動寸前になっているのかもしれない、暴動が起きないというけどそれもわからない、消費税10パーセントなどふざけるなと自分でさえ思う
別に日本政府には金があるとみんな言っている
財務省の支持でそうなっているから財務省を批判する人もいる
つまりもしかかしたら日本の官僚は財務省はホンジュラスのようにアメリカの言いなりである、その支持で経済政策も決められるとなる
そこでそれをとめるにはホンジュラスのように暴動とか国を脱出して移民化する
日本に絶望して若い世代が外国で働こうとしているのもわかる
経済的危機になるとグロ−バル化社会では外国に脱出する人が増えるのである
貧乏人もそうだが金持ちでさえ税金を収めたくないとかなる
そうして国時代は崩壊しかねないのである

まだ日本ではそうした深刻な自覚がないが否応なく格差社会では自覚させられる
何より治安が悪くなり金持ちでも小金持ちでも襲われる
そうなると金持ち自衛しなくてはならなくなる、太宰治の生家のように高い塀で囲み警察を常駐させるようにもなる、地主であり極端な経済格差のためにそうなったからである
要するにホンジュラスはアメリカの属国でありその属国が移民化しておしよせる
そしてアメリカはそういう国を捨てる、移民を撃ち殺すとまでなる
アメリカ自体が経済的余裕がないからそうなった、アメリカ本土でも格差が極端であり
多数が貧困化しているからである、何パーセントの大金持ちがいてあとは貧困化しているのである
そこで暴動でも起きてくる、アメリカという国自体が危機であり格差社会で分断化して崩壊の危機に晒される、それは日本にも波及しているのである
貧困化社会になり暴動が起きる、すでに自分が経験したようにその時モラルは崩壊する
銀行でももうけるためにはなんでもする、だましてでも投資信託などをうりつける
そうしなければ会社を維持できないからである

日本でもそうした貧困者が増えているからことを自覚していない、それは暴動とかならないと自覚しない、だから米騒動のような打ちこわしとか起きる
すでに自分が経験しているように起きている、個々人で起きて全体と波及するのである
その対処方法があるのか?それを深刻に考えないと日本は治安が悪くなり危険な状態になる、だから消費税など上げるべきではない、なにかにやと政府では理屈を言うがそれは嘘なのである
財源はあるが隠している、日本の官僚は財務省でもアメリカの支持に従うというときホンジュラスとにている、でも貧困層はもう我慢ができないから暴動ともなり移民化する
命がけで国を脱出するとなるのだ
人間追い詰められとモラルもなにもなくなる、会社でもそうである、もうけるためには地銀でも投資信託を売りつける
それは社会全般にそうなる、日本は貧困国家にすでになっているのである
ホンジュラスのようにはならないにしてもそれと似たことがこれかたら起きるのである、実際起きているし自分がその被害者だったのである
posted by 老鶯 at 10:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2018年11月03日

変わり果てた南相馬市萱浜の風景(秋の短歌) (津波から7年半でも癒えない傷跡)

                                                  
変わり果てた南相馬市萱浜の風景

(津波から7年半でも癒えない傷跡)

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萱浜には墓地だけが残って向こうにロボット工場の建っているのが見える
大規模な工場なのである

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一葉松はやがて枯れる

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この墓地は前からかあったのか?
新しい墓が多い、津波で流されたのを再建したのか?





秋の海沖に船行く二艘かな  
                                                    
                                                      
駅前に木の葉一枚散りにけり今日も我があり暮れにけるかな
                                                          
秋日さす桜井古墳に今日も寄り遠き祖(おや)なれここに眠りぬ

新田川の河口にあわれ立ち枯れの木幽鬼のごとく秋の日没りぬ

一葉松枯れゆくならむ津波来てなお傷痕の癒えざりしかな

新田川芒の白くあわれかな白髪のごとし人も世も変わる

鴨あまたわたり来たりぬ新田川冬に入るかな墓は残りぬ

津波にも残れる木にそ烏かな萱浜の墓地秋にたずねぬ


萱浜に行ったけど工場地帯のようになった、ソーラーパネルにロボットの工場は意外と大きい、ビルも建った、あそこで雇用がかなりうまれるのか?
見た感じでは大きいからそう思う、一大ロボット工場になるのだろうか?

萱浜には墓地だけが残っていた、でもそこから見る風景はまるで違ったものになった
萱浜の面影は全くなくなった、ただ萱浜は前にも行っていたけど何か特徴ある場ではなかった、松原だって右田の松原のようなものはなかった
だから何か印象としていいものではなかった
そこで女高生が死んだのも印象を悪くしたのである、それは殺されたからである
それは津波起きたすぐ前だったのである
その死体は津波に流されて不明になったのである

なぜ萱浜があまり津波の前でもいい印象をもたなかったのか、それは真野漁港のような港もない、何か生業(なりわい)がない、するとただ家があるだけだとなる
松原もない、見栄えしなかったのである、そうはいっても農家があり営みはあったのである
人間の生活はやはり土地に根付いた生業があるとき活きてくる、それがないと活きてこないのである、それで原発事故で生業を返せということで訴訟を起こした
でもそもそもが海側では港がない、漁業がない所は生業もなかったのである
つまり港でも船が出入りしたりまがりなりにも魚をとったりしていると活きているのである、だからそういう場所はなくなると惜しいとなる
ただそういうことが今はできないから船主などは多額の補償金をもらって生活には困らなかったのである、萱浜は田んぼであり越中なのどの移民が多い場所だった
漁業はしていない場所だからあまり印象がない場所だったのである

生業(なりわい)を返せというときその生業とはなになのか?
それが良くわからない、農民とか漁業していればある、でも工場で働いていたりすると生業(なりわい)という感覚がなくなる
ただ山でも炭焼きなどしているのは生業でありその時山も活きていたのである

新田川の河口には今も幽鬼のことく立ち枯れの木が立っている
あれはまさに津波で死んだ人の幽鬼だと思った
まだ倒れないのが不思議だとなる、怨念のようにここに立っている
津波で死んだ人の霊がここにとどまっているという感じである

ともかく津波の被害の傷跡はまだ消えない、それだけ大きな被害だったのである
ただあそこにソーラーパネルとかロボット工場ができるとそうした過去もやがては忘れられてゆく、ただ7年半過ぎてもまだ傷跡は消えない
それが一葉松でもある、一部枯れたしやがて枯れてしまう
あの松はいい松だったから枯れると南相馬市では相当な損失である
でも右田の一本松も枯れたように枯れる

あそこに墓地が残っているのはなぜか?
津波で流されたの再建したのだろうか?
津波にも流されなかった枯木に烏がとまっていた、墓守りのようしてとまっていた
あそこは確実に津波が来ていたし家が結構あったが流されたのである
その写真をとったことがあり流された家の人が指摘したことがあった
それも今は全くわからない変わり果ててしまったのである


ロボットのまち、南相馬を目指して−

ドイツ製のBD1は優れものだった (十年過ぎても変わらずいいものだった)


ドイツ製のBD1は優れものだった

(十年過ぎても変わらずいいものだった)

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ヤフオクで1100円で売っているのは安い
15万で私は買ったからだ、別にこれは変わっていないのである
ただいろいろてものが出ているからこんな値段になったのか?


十年間介護でこのBD1に乗っていなかった、だから乗れなくなったのかとも思ったが普通に乗れた、壊れてもいない、別に乗らないからいたまなかったともなる
これを買う時苦労した、何か折り畳み自転車でいいもを買おうとしていた
それを探していたらドイツ製のBD!がいいとインタ−ネットとに出ていた
それで買うことに決めた、でも買うのに苦労した          

自転車は通販だと後の修理とか保証がないことが不安になる
それで困って仙台の自転車屋で買った
わからないところがあり教えてもらった
自転車が意外と危険な面がありそれを知らないと事故になる

このBD1十年ぶりに乗ってみたら軽くて乗りやすい、これは構造が安定している
それと軽いのと車輪が小さいから意外と坂が上りやすかった
車輪が小さいと小回りできて坂を上りやすくなる
坂では苦労しているので電動自転車にした

でも電動自転車は重く感じる、軽快に走る快感を得られない,これはその軽快に走る
だから電動になると不自然になるのだと思った
自転車は軽いのがいいのである、ただ本当に一台一台乗った感じが違うのである
それは不思議である、それはどうしてそうなるのか?
作りとか構造とかなにか関係がある

ともかく私の一生は自転車旅行とかずいぶんしているから自転車人生だったともなる
だから自転車に愛着が生まれた、もう一つは鉄道旅行が長いから鉄道に愛着が生まれた
それで無人駅でボランティアしているのである
今の時代は何に愛着が生まれるかとなるとこうした道具とか機械類と切り離せなく暮らしているからそうなる

ただ老人にはロードは向いていなかった、電動のヤマハの軽いロードを30万くらいで買ったが意外と使いにくかった、確かに早いのだが車の多い所では危険である
そして何か体が疲れやすくなる、力が入りすぎるからかもしれない
スピードを楽しむにはいいが何かなじめなかった
だから高価なものでも使いないものには価値がない
金を無駄に使ったとなる
つまり自分の体とか年にあったものを買いとなる
それは高いものがその人に合ったものになるとはならない

特に老人は気を付けるべきである

使いこなせるもの、その人にあったものを買い!

それは高価なものでも買っても使いないからである
老人は買うことがむずかしくなった
いろいろ新しいものが出ても使いこなせなくなった
すると老人はそうして使いないものは買うなとなる
何か老人は何か多く買ったりしないで何かすることでもあきらめるというのがいいとなる断捨離は老人に向いている
もう新しいものを買うことがむずかしい、使いこなせないのである

ただこのBD!は買う時苦労した、でもその時は十年以上前のことでありそれより前だから
なんとか外国製でも選び買うことができた
とにかく自転車の種類は電動自転車も加わり膨大に増えた
それで選ぶのに困る、でも自転車の構造は本質的に変わっていないから十年たってもいいものはいいということがわかった
15万したからその値打ちがあった
ただ電動自転車になると相当に電気系統などで進歩したから古いものは使いない
新しいものでないかぎり使いない
このBD1は十年前と同じく使っていいものであり古くなってもその良さは変わらないことに感動した

それで長い距離は行けないがこれだとおりたためるから鉄道などを利用して近間ならまた旅できるなと思った、ただ問題は体力である
腰をいためたりしたからどうかなと思うがなんとか行ってみようと思ったのである
いづれにしろもう数年しか自転車で遠くには行けないだろう
最後はこのBD1に乗って終わりになる、自転車人生の終わりである
ロードなどはもう乗りこなせなかった、ただ白髪の人でもバイクに乗る気持ちがわかる
老人は今までしてきたことをつづけたいのである
だから車でも80歳になって返納して失敗したというのもわかるのである




タグ:自転車 BD1

青森の青からイメージされるもの (青森は姥捨て山ではないとコメントがあったが・・・)


青森の青からイメージされるもの

(青森は姥捨て山ではないとコメントがあったが・・・)

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東京都港区にある「青山霊園」の「青山」とは、美濃国郡上藩主の青山家の下屋敷に由来するもので、霊園はその屋敷跡に造営されたものだ。偶然ではあるが、「青山」はまさに墓地にふさわしい地名であった。福島県会津坂下町の青津には、亀ヶ森古墳と鎮守森古墳があり、隣接して青木もあり、墓地の意味の「青」だ。

ところで「青」の地名が日本海側に集中していることは早くから注目されてきた。谷川氏は、「青」地名は埋葬場所との関連とともに、古代海人族の居住地でもあることを示唆し、日本海側に集中しているのは、彼らが対馬海流に乗って移動した結果だという。

青というのは墓を意味している、そして日本海側に青とつく地名が多いという時青森は日本海を通じて交流がありその影響があったとなる
恐山とかの霊場とかイタコもいるのもそうかもしれない
何か青森とは神秘的にもなる、福島県というとき名前が良くなかった
なぜ福島県なのか皆目その由来もわからない、だから地域性がない
人間は地名が問題になるのは地名から人間はイメージする、言葉からその場でもイメージするからである、青森県は何なのだろうとなるとまず青森に注目する
岩手県だと岩手という言葉に注目してイメージする
言葉の喚起力が意外と印象を決めることがあるからなのだ
それで名は体を表すともなる

青旗(あをはた)の木幡(こはた)の上をかよふとは目には見れども直(ただ)に逢はぬかも

天智天皇が崩御の前後に倭大后(やまとのおほきさき)が詠んだ三首の歌のうちのひとつ

人魂の さ青《を》なる君が ただひとり 逢へりし雨夜の 葉非左(???)し思ほゆ

  〜作者未詳 『万葉集』 巻16-3889 雑歌
 
 
 青は森をイメージもしているが人魂のさ青・・・となるとこれは死者をイメージしている、青には何かそうしたし死をイメージするものがある
つまり青森からイメージするのはこうしたものであり神秘的になるのだ

青森は日本海と縄文時代から関係している、丸山三内遺跡でもヒスイが発見された
それは約600km離れた新潟県糸魚川周辺から運ばれた。
青森はもともと日本海沿岸と交流があり青という地名がついたのはそうした由来があってだとなる

いづれにしろ青森は最果ての地にふさわしい名である、だから姥捨て山なのかとなるとき恐山とか霊場としてあるのもわかる
日本は実際は東北でも多様な地域性がある、日本の列島の端となると長崎とかなるが青森とは全く正反対の地域である、そこは出島があったごとく江戸時代に外国との貿易があり先進地域だったからである
人間は何か最果ての地にひかれる、それが青森なのである
でも北海道の函館となると全く明治以降のいち早く近代化された港であり都市だから違っている、アイヌがいたとして全く違った都市なのである

駅の自転車置き場が狭くなった原因 (車は空間の占有率が高い)


駅の自転車置き場が狭くなった原因

(車は空間の占有率が高い)

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ここはJRの土地であり長く車はとめられない
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この標識はタクシー乗り場としてある
でもここにタクシーがとまることは一年に一二回である
でもこれは案内板があるから美観的に良くない

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車が八台とまれる場をとったため自転車置き場が狭くなった

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ここに駐車場があっても気づかない
ここの駐車場は狭すぎる
ここは長くとめられる



なぜ駅の自転車置き場が狭くなったのか?

それはどうしても5台くらいの車を置く場を確保しなければならなかったからである
ここにも車優先社会が反映されていたのである
そんなこと関係ないとうけどやはり駐車場が車社会では不可欠になる
あそこは一台一台置く場所が決まっていて使用料金も払っている
他の人はとめられない,それから駅前はJRの土地であり長くはとめられない、長くとめることを禁止している、それで駅から離れたところに狭いが長くとめる駐車場があるが
外から遠くから来た人にはわからないし狭い
つまり駅前に駐車場が確保できていないのである

それはなぜか?

鉄道ができたとき鉄道が足だったときは車社会ではない、そのために駐車場を確保していないかった、駅からバスだったりした時代があった、バスが縦横に走っていた時代があった、自家用車の時代になったとき社会自体が車社会になったのである
車社会の問題は車が意外と空間の占有率が高いのである
その視点が意外ともてない、例にすると電車だと百人運ぶことが狭い空間でできる
ところが車だと百台道路を走るとなると空間占有率が高くなる
それは駐車場でもそうなのである、だから実際は大勢の人間を運ぶには向いていないのである                                  

そのことで津波の時道路が渋滞して逃げられなくなった、それは車は空間の占有率が高いからである、車にのっていて渋滞になったら身動きできなくなったのである
だから車にも弱点がありそれに気づかなかった、災害の時は車で逃げられない
東京辺りでも地震があったら道路が走れなくなる
それで自転車か歩いて脱出する他なくなる
車というのは災いをもたらすものでもある 

日常的にも車が駐車場でも場所をとる、すると自転車置き場でも狭くさせられる
道路でも自転車道路がない、それで自転車は車にとって邪魔者になる
車にとっては歩行者も邪魔になる、車からすると自転車でも飛び出したりするから危険なのである、だから嫌がられているのである
それは結局車社会だからそうなる、車中心にすべて考えられているからだ
なぜ郊外にイオンとかができたかとなるとそこには広い駐車場がとれるからである
街の通りの店がそこでシャッター通りになったのである
車がとめられないからである
もし電車で駅におりて通りを歩けば街中の店も必要になる
車は街中を通りすぎてゆくだけなのである

いづれにしろこれから車社会を見直すようになるかもしれない、高齢化社会でこの前も駅で80歳の人が免許を返納して失敗したとか言ったいた
23万人が返納した,すると足がなくなり困る、では何にするかとなると鉄道とかバスを利用する人が増えるかもしれない、つまり高齢化社会には車は向いていないのである
そうはいっても車社会自体が簡単に変わることはないだろう
ただ車の免許を返納した老人がふえれば足を確保したいからなんとかしてくれとんいう要望がふえることは確かである

駅でも新地駅とか最初から新しい街作りとして駅があり駅前広場に駐車場もとった
駅前からアクセスしやすいようにした
それは山下駅でも駅前にスーパーができたから駅中心の町作りをした
要するに駅前開発は土地の利用の問題になる、駐車場を広くとり車でも利用しやすくして駅と一体化して人を集めるとならないとさびれたままになる
ただ車社会は見直すということも必要になる
歩行者とか自転車とかは車社会では邪魔もの扱いになっていることがおかしいのである
あまりにも車優先社会となっているからそうなる
街作りにしても車優先社会になればいい街作りにならない
実際に車社会によって街自体がシャッター通りになったことがそのことを証明している


2018年11月02日

駅前の自転車置き場の通路が狭すぎた (通りにくいので案内板の前に置くのはまずい)


駅前の自転車置き場の通路が狭すぎた

(通りにくいので案内板の前に置くのはまずい)

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ここに自転車を置かれるとまずい

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この通路は狭すぎる、混雑する通りにくい
高校生が通学の時混むから困るのである


駅前の新しい自転車置き場が作られ、でもその通路が狭すぎたのである
同時に駐車場を作ったがそれで自転車置き場が狭くなった
結果として通路が狭いから案内板の前に自転車を置いている
そこには花壇もあり案内板を見る人もいるから困る
そこは自転車の置く場所ではないのだ

これは失敗だったがもう直すこともできない、でもあそこに自転車を置かれると困る
外から来た人も案内板を見れないからだ
このことは工事する前からわかっていた、でもなぜそれを考慮しなかったのか?
それは南相馬市の役所で作ったものである
それは工事する前からわかっていたことである

私が工事を見ていたときも前がの駐車場が自転車置き場になると思っていた
でも工事が始まると自転車置き場は別だったのである
でも一旦あのように作ってしまったら直すことはできない
それでも狭すぎるから利用しにくい、その問題はずっと継続されるのである
だから工事は慎重にしないと後に直せないから困ると思った

では設計の段階からかかわることはできない、でも利用するのは市民なのである
しかしまた市民がそこで見ていても口をはさむことはできない
ただ問題は利用者が市民でありずっと困ることになる
でもそういうことは市民が何か言えるのか?
ただ後で利用する人たちが困るからなんとかしてくれとなるかもしれない
それなら作る前から利用する市民にその設計を知らせるべきだった
それは素人でも見ればわかったのである
工事始まって駐車場になる場所がわかったとき狭いなと感じていたからである
それは誰が見てもわかったのである

JRだと何も言えない、そこは南相馬市で作ったから市民としてかかわることがありえた
JRだと土地もJRのものであり市民がとやかく言えなくなる
ただ鉄道とかもみんな利用するものだから公共性がある
するとみんなの使い勝手のいいようにしてもらいたいとなる
鉄道は誰のものか?また会社は誰のものか?とか言う人がいる時
公共性のあるものはみんなのものにもなる、みんなが利用するものだからそうなる
ただ駅の中も新しいドアにしたり新しい自転車置き場になったり改善はしたが
今回の自転車置き場は利用しにくいから失敗があった
それをどうするのか?改善できるのか?場所がないからむずかしいとなる
駐車場はどうしても必要になるからだ
一応市の方に言うことができるが今になるとそれを直すことがむずかしくなった
ともかく土地の利用に失敗したとは言える

只野−小林姓をたどると・・・・ (姓から探る相馬地方の郷土史)


只野−小林姓をたどると・・・・

(姓から探る相馬地方の郷土史)


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これだけ地域に限定して多い只野の姓


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奥州二本松領の多田野村において、御霊を祀ったのも長尾氏だった。
只野油井などの苗字に分かれて今も栄えている

ここに只野油井がでてくる。油井という地名は鎌倉にあり油井を姓にする人もでてくる。不思議なのは岩代国安達郡油井村がある、これはどういう経過で名前となったのか?
只野油井という姓は多田野村からでている、名前はなぜ油井なのか?それは鎌倉の地からでていることは間違いない

『一薪之儀者村之内百姓持山分ニ而取申候 不足之時分ハ二本松領多田野村と申所江
  毎年野手銭百文宛相済取来申候』 について、
 四里以上も隔たった所まで薪を採りに行った。もっと近くで都合できなかったのだろうか?
 按ずるに、更に百年余前の蒲生時代に、
横川、安原、阿久津、南小泉、北小泉の各村と多田野村は共に蒲生家客将細野藤敦の給地であった。
軍需物資として輸送された名残りかと考える。

(二本松領の検地−元禄)

前に只野氏のことを考察した、とにかく南相馬市に只野氏−但野氏が多いのである
だからこの出自は明らかである、間違いやすいが多田の姓と多田野の姓は別である
多田野−只野は明確に南相馬市鹿島に一番多いのである
多田野村から只野の姓が生まれた、日本では必ず地名から姓が生まれている
ただ地名と姓が一体化してわかりにくくなる、相馬市でも南相馬市でも相馬氏一族が移住して土地の名前になった、ただ全国的には姓が土地の名となることはまれである
必ず…村がありそこが姓の発祥の地なのである
日本人のコミニュティは村にあり村が一族化している、村の紐帯が強いのである

多田野村の位置がわかりにくかった、郡山市から実は会津藩と白河藩とかの境にあった
今の湖南地域は会津藩であり白河藩が重なる地域でこれもわかりにくいが地図を見るとわかりやすくなる、地歴を知ることが大事である
会津は感覚的に湖南地域とかではなく遠い地域だとイメージするからだ
この湖南地域は私も自転車で行ったが魅力ある場所である
ただあの辺が多田野村があるということがイメージしにくい、でもその辺を通ったことがある
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葛西富夫著『続 会津の歴史』に収録されいている会津藩領地の地図(概略図)を眺めながら、その理由を考えていました。

白河藩と会津藩は隣同士だった、会津藩の領域は広い、それで一時白河地域を治めていたのは会津は支配した蒲生氏郷だったことでもわかる

いづれにしろ地名から歴史を探ったりまた姓が歴史を郷土史を探ることは基本である
どうして相馬氏に荒姓が多いのかとたずねる人がいた
それはこの辺は古代から渡来人が来ていたためである、製鉄の技術集団のツノガノアラシトが大和王権が成立する前に来ていた、そのツノガノアラシトのアラが荒姓になったからである、ここまで姓をさかのぼることができる
相馬藩で姓から探る歴史としては南相馬市の鹿島区だと岩松氏が有名である
鎌倉から来た岩松氏一族は家臣によって惨殺されてその子孫は残らなかった
それで相馬藩内に岩松という姓がないことがまさに歴史の証拠なのである
それから相馬藩の飢饉のとき移住してきた越中からの移民の子孫が相馬藩内に三分の一もいる、だから本当に越中からの移民が多い、古賀とかがそうである、他にもいろいろある
それも歴史の姓として分類できる
その辺はわかりやすいのである、墓を見れば真宗系統であり題目が記されているからわかりやすいのである
この移住した姓として葛尾村(かつろう)の松本氏は有名である
ここも三分の一が松本氏であり信州から今の長野県から移住した人たちが多いということである、こういうふうにある村には一つの姓が多いということはそれだけその村がその一族関係の親戚なのである、だから驚いたのは常磐線の末続駅があるがそこは新妻氏一族の村だったのである、なぜなら墓地をみたら9割が新妻氏だったからである

今回自分のルーツを探ると小林という姓がどうしてついたのか?
葛尾村から私の父親が双葉の新山の酒屋の丁稚奉公して働いたことは書いた
でも小林という姓にどうしてなったのか?
それはまず武家の出ではないから先祖をたどると曾祖父は浪江の津島の近くの柏原であり名前しか記されていない、姓はなかった、その当時江戸時代は農民などでも職人でも姓がないのが普通だった,ただ江戸時代末期に農民でも名字帯刀とか許されて姓をもつ人が増えた、それで近くでも墓地をみると姓を記した墓を見ることができる、それは明らかに農民の墓なのである、明治になったとき庶民も姓をもつことができるようになった
それで姓が膨大に増えた、でも適当に姓を名乗ったのか?
何か謂れがあって名乗ったのか不明になる
只野氏はその歴史をたどることかできるが小林となるとわからない
第一小林という姓は全国的に多いからである
地名でも小林というのは多い、それで不思議なのはこの地名なのである

福島県郡山市逢瀬町多田野小林(字)

多田野村にも小林という地名がある、会津にもある、小林という地名は多い、だから小林が多いのもわかる、でもなぜここに小林なのか?
多田野村−只野氏と関係あるのか?
だから同級生の只野氏と良く土手の道で話して奇妙になる
自分も只野氏の一族の子孫なのとか冗談でもなる
その同級生は日吉神社のお浜下りの祭りでおつづら馬という重要な役をになう
それは南北朝の争いで逃れた時に由来する祭りである
つづらに荷物入れて馬で運ぶ役である
その只野氏は南北朝からの姓であり古い由緒ある家だとなる
だから何か頼母子講で親になっていた資料があったとか大学の人が調査に来たというのはそのためである

上野国緑野郡小林村(群馬県藤岡市小林)発祥とする一族
鎌倉御家人として多く登場し、元歴2年の元旦には源頼朝が鶴岡八幡宮に奉納する神馬を引いた従者に、小林次郎重弘が見える

ここが小林の発祥の地らしい、そこはここから遠くはないから移住してきたともなる
この頃は馬が大事であり馬にかかわる故事が多いからこうなった
馬というのは歴史では欠かせないものだが車時代になり忘れられたのである

posted by 老鶯 at 11:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2018年11月01日

なぜ名所観光はつまらないのか? (交通の便がよすぎてとぎれとぎれにしか旅ができないそして記憶されない)


なぜ名所観光はつまらないのか?

(交通の便がよすぎてとぎれとぎれにしか旅ができないそして記憶されない)

まず現代の旅はどうしも便利だから乗り物に頼る、例えば歩く旅している人はみかける
でも必ず帰りは電車を利用したり途中で乗ったりバスを利用したりとかなる
本当に歩き通す旅はできない、そして実際は現代では旅人は消えた
観光している人は旅人ではない、旅人はたいだい一人だと旅人のように見える
そういう人は若い人だと全国一周の自転車旅行などがある
ただそれは体力のある若い人だからできる
何か体力あるときしかできないものが人生にはある、まず登山はきついから普通は年とったらできない、でも今は70くらいでも登山している人はいる
山は老人に占拠されている、それはなぜなのか?
やはり登山でも旅でも本当は時間がかかるからである
勤めていると登山になると相当に時間もかかるし疲れる
すると勤めに出ることもできなくなる、現実に登山の後に疲れて帰りの電車で死んでいたとかいう人もいたようだ、私も体力がないから登山したときそうなったことがあった
登山とか海外旅行とかはきついことは若い内にしておかないとあとはできなくなる

そしてなぜ観光でも旅でも今は印象深いものとならないのか?
そしてみんな名所がつまらないというのはなぜなのか?
それはあまりにも便利すぎて旅がなくなったからである
平泉に行くか、新幹線で二時間ちょっとだなとなるとその間の行程がない
するとその印象も本当に記憶にさえ残らない浅薄な経験しかできないのである
芭蕉の奥の細道ができたのは今とは全然違った未知の世界の旅だったからである
それで平泉にようやく到着したとき感懐深いものになった

五月雨やふりのこしてや光堂 芭蕉

このような句を残したのはその距離と時代の相違だった、はるばる日本の果てのような所にきて五月雨にもふりこめられて栄華の平泉の名残として光堂が残っているということでこの句ができた
ではどうして平泉まで行ったのか?それは仙台までは今と同じである
でもそこから石巻をまわり北上川をさかのぼり柳津に行き登米を通って平泉に行ったのである、この行程を行くことは電車がないから自分の場合は行っていない
北上川は登米から米を船で運ぶ道となっていた、その米は石巻から江戸に船で運ばれたのである

その歴史を知るには北上川を知らねばならない、でも今北上川を知ること一本の道として知ることはむずかしい、川を知るという時それはとぎれとぎれに知るのではなく一本につながったものとして知る必要がある
何かそうして現代の旅はとぎれとぎれになる、新幹線でだ北上川がときどきちらっと見えてすぎてゆく、そういうふうに旅でもその土地のことを断片的にしか見ていないのである名所がつまらないというときそのアプローチに問題がある
旅はある目的地があってもその行程とアプローチによって相当印象が違ったものになるのだつまり福島県だったら浜通りから阿武隈高原を越えて行くのと逆に会津からとか阿武隈高原を越えて海側に出る感覚はまるで違ったものになる
それは飯館村の八木沢峠を越えたとき太平洋が見えるからである

何か東北に住んでいても本当にその土地のことを知らない、それはあまりに便利になりすぎた結果なのである、それで自分もこれだけ旅してもそうだった
俳句を作っているのだから芭蕉の奥の細道に興味がある
でもその芭蕉がどうして平泉まで行ったのか?その道のりをたどっていなかったのである電車とかで行っただけでありそれで失敗したとなる
石巻からは北上川をさかのぼり登米の方向へ行かねばならない、その道が芭蕉がたどった道だったからである
福島県は自転車で旅したが東北となるとしていないのである
そのように電車だけに頼る旅もその土地を理解することにはならない、電車が通らない所は行かないからである
つまり電車が行かないと所は抜け落ちることになる、車の旅は便利だがこれも早く通り過ぎるということで問題があるが車で旅した経験がないので語れない

いづれにしろ人間の土地を知るとういことで皮肉もあまりにも便利すぎてただ通り過ぎる旅になったのである、歩く旅なら印象に残りやすい、でもバイクでも早いなと思った
それはただスピードの快感を味わっているのであり旅しているのとは違う
車でもバイクでも早すぎるのである
ただ旅という時それはなにか?旅をつきつめれば旅が人生になると芭蕉が言った
人生は旅であるというとき旅が人生になった西行とか芭蕉とか山頭火がいる
私自身もそれに近いものになっていた

それで川に鴎が一羽飛んできて橋にとまっていた、そして去って行った
その時その鴎に旅人をイメージしたのである

秋鴎一羽去りゆく旅の人

これをイメージした、秋鴎が旅人に見えたのである、それは結局自分がまさに秋鴎であり旅人だったからだともなる
そこに旅人がいたわけではない,自分のことだったのである

いづれにしろ北上川を知るにはやはり北上川に沿って平泉まで行く必要がある
それが歴史をたどることでもある、北上川でも最上川でもとぎれとぎれにしか見ていない本当は船で行けば一番いいのである、最上川は一部できるにしても最上川にしてもきれぎれにしか見えないしわからないのである
ライン川でも長いから一部しかわからない、それでも船で運行しているから今もドイツの父なる川として理解できる、なぜならドイツを知るにはライン河を知らないと理解できない、その歴史も文化も理解できないのである
インドならガンジス河を知らなけれ理解できない、ガンジス河がインドの歴史と文化の源になっているからである、日本ではそうした長い広い川がないから川について理解できないのである、それはナイル川でも揚子江でも黄河でも同じなのである

だから北上川をさかのぼり登米から平泉まで行きたくなったのである
そうするには折り畳み自転車で電車で行く、途中柳津でおりて一部でもその川を知ることが必要になると思った、ただ正直体力的に苦しいとなった、腰が痛むとかある
介護十年して精神が消耗したのと体力的にも限界が来たのである
だからつくづく海外旅行とか登山は体力あるうちにすべきであり後はできなくなる
結局いつまでも人間は若くはない、たちまち時間がすぎて何もできなるなるのである
後は回想するだけだとなる、その回想するにもそうした記憶に残る印象深い旅をしていなと記憶にすら残らないから忘れるから何の成果もなくなるとなる
それが現代の旅でも観光でも多すぎるから名所はつまらないとなるのだ
みんなきれぎれの旅しかしていないからである

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食事がうまいかどうかは雰囲気に左右される (ビジネスホテル高見の食堂は雰囲気がいい)


食事がうまいかどうかは雰囲気に左右される

(ビジネスホテル高見の食堂は雰囲気がいい)  

家庭料理を劇的に美味しくする秘訣!武田邦彦 

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外で食事する時、武田邦彦氏が言うのは面白い視点である
なぜ家で食事してもうまくないのか?そもそも普通は料理が下手だからとなる
料理の作り方に原因していると思うのが普通である
でも実際は違っている、五感が関係している
視覚が意外と大事となる、外食だと見た感じに気を配っている、つまり外食では中味もあるがうまそうに見えるようにしているのだ
それから音が大きいと何か聴覚に影響して気がとられ食べることに集中できないから
料理を深く味わいないとはいうことがあるとか五感に影響しているというのある

その指摘で家で食べるとごちゃごちゃとして何かそれが影響してうまくならない
雰囲気が関係している、家の食事は便宜的に食べるというだけ腹を満たすだけだというのもわかる、まず自分は本当にそれしかない、まず料理そのものがめんどうすぎるのである根本的に料理ができていないことが自分の場合はあるからうまいと思えない

主菜と副菜二つ。このごはんと主菜以外を付け合わせと考えてみてください。え〜副菜を二品も作るの?大変!いいえ、

意外と料理にはちょっとしたものでもつけあわせとか副菜とかが大事なことに気づいた
一人で料理をするそれができないのだ、小皿に盛ることがめんどうになる
料理は本当に手間がかかりすぎる、だから一人暮らしとかではただ腹を満たすというだけになる、そして何か日常的な雑多な所で食事するからうまいと感じることがない
つまりレストランとかは晴れの場でありそういう場を演出しているのだ   
ビジネスホテル高見の食堂は何が付け合わせいいものを出しているから料理もうまくかんじるのかもしれない、料理には実はこのようにいろいろな要素がある、一つではないのである

そうはいってもではそういう場がレストランとなるとこの辺では少ない
チェーン店では何か安く食べればいいという感じであり雰囲気もそうである
要するに庶民食堂なのである、実際はほとんどそうである
それはそもそも値段からしてそうである、そうした雰囲気で高級感があるとなると1500円以上ないと普通はないだろ、都会だと2000円以上にもなる
つまり雰囲気とか兼ね備えたレストランは本当は日本では少ないなとなる
外国だとレストランは特別な場所なのである、だから正装して入る
それで外国旅行では気軽に安く食べる所がないので貧乏旅行者は苦労するのである
逆に日本に来た外国人は食事するのは安く気軽にどこでもできるのでいいとなる

何かそれもヨ−ロッパと日本の文化の相違なのだろう
レストランとかそもそも貴族階級のものであり庶民は別だった、庶民は利用しなかったともなる、そこは貴族が利用するものであり貴族は召使とか料理人を雇っていてそれがレストランと変化したのかもしれない、だからチップをやったりする
第一チップの習慣は貴族がいたヨ−ロッパで生まれたことでもわかる
そして韓国で中国でも料理は宮廷料理からはじまっている
宮廷で貴族のために料理は工夫されたのである
ヨ−ロッパは階級社会なのである、日本はもともと平等社会なのである
だから外食するにしてもそうした雰囲気の場はない、ただ安くてまずくなければいいとかになる

1789年のフランス革命後に、お城のお抱え料理人たちがパリの街に散り、飲食店を開業します。これが「レストラン」の始まりです。「Rest」は休息、安心の意で、レストランと呼ぶ体をいやすブイヨンスープを売った事からこの名が付いたと言います

レストランの起源は食事するということもあるが癒しの場としてはじまったのである、だから雰囲気が大事になる

とにかく自分は食べることに関心がなかった、特別うまいものを食べたいとも思わない
旅をしても費用がかかるから食事で節約していた、最低レベルのものしか食べていない
そもそも自分は貧乏性なのである、金があったときがないからそうなった
だからこれが習慣になっているから大きな金を使えないのである
それで貧乏だった秀吉があんなに贅沢するらうになったのか不思議だとなる
貧乏性は簡単にぬけないからである

ともかく田舎では何かゆったりとして食べれるレストランは本当に少ない
それは日本は狭い場所に生活しているからである
だから空間的な余裕がないのだ、東京だってそうである、本当に広い空間で食事するとなると一流ホテルのようにな空間が必要になる
それが日本ではできない、何か日本人は食べるにしてもせかせかしている、早食いとかなる、日本には何が落ち着いた広い空間がないのである
みんなせほしくたちまわり落ち着かないのである、食べる時もそうである
外国のようにゆっくり時間をかけないのである
アジアでは一般的にそうだろう、やはり貴族階級と金持ち階級からレストランが生まれたからかもしれない、こういうところにも文化の差が生まれる

それで原町の高見食堂は内部が広いのである、四人座る場所に一人で食事もできる
でも十人とか座るテーブルがあるがそれは大勢の時になる
それと4人座る場は広々とした感じになる、だから座る場所でも何か食事する味も左右するとまでなる、あそこは高級とまではいかない、1000円あれば食べられる
でも雰囲気は広々としている、他にはそういう場が少ない
何か狭い所に押し込められて食べるとなっているのが日本なのである
つまり日本では庶民的であり食べればいい腹をみたせばいいというのが基本にあるしそうならざるをえなかったのである

とにかく私の場合は本当に一番食事には困った、介護してからも今でもそうである
まともな食事ができない、ただ飯をかきこむという感じなのである
料理自体が手間で作れない、そんなにいろいろなことをできないからである
他の家事もあり全部自分一人でしているから他に労力を使えないのである

ただ人間は雰囲気左右される生き物である、だから景観のことをうるさく言ってきたのはそのためである、ソーラーパネルでも景観を悪くするから嫌なのである
だからなぜ東京とかの景観の悪い所に人がそもそも集中するのかわからないとなる
食事でもレストランでも中庭がありそこで食事すればくつろげるとなる
料理もうまいとなる、それは日本では最高の贅沢だともなる
日本では空間が狭いからそもそもそうした演出ができないのである

家でも実際は広い方がいい、最近は八畳間にずっと寝ている、すると天井も高いし広いからそこは寝室としていいと気づいた、今までは六畳と天井が低い部屋に寝ていたからである、日本では家でも狭苦しいのである、それがレストランとかでも広く場がとれないことが根本的な問題なのである
そして広い家だと場を変えて本を読んだり何か考えことするとアイデアがでたり雰囲気が変わり脳が活発化するというのは本当である
脳は常に外界に出てもそうだが刺激を受ける必要があるのだ
人間は頭を働かせるのでもそうした雰囲気とかに左右されるのである
だから原町と相馬市に行ったとき他から来た人は相違がわからないがいつも住んでいると違ったものに感じる、それは新地でもそうである、飯館でもそうである
その雰囲気が景観でも変わることによって心も変わるのである
ただ自転車だと相馬市とか飯館村は遠すぎるのである
原町はしょちゅう行ける場にある、それでそこで食事を楽しむ場があればいいとなる高見食堂はその場として適しているなと思った
posted by 老鶯 at 00:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年10月31日

(秋から冬へ−初時雨)桜井古墳による

  
(秋から冬へ−初時雨)桜井古墳による
                                                  

森の中常行く道や残る虫

我が齢一年老いぬ初時雨

新築の庭の石濡らし初時雨

墓守りや烏とまりて木守神


新築の家建ち並び幾年や秋の日のさしてここになじみぬ

無人駅待つ人あれや秋の薔薇我が見につつくれにけるかな

ゆるやかに雲の流れて我がよりぬ桜井古墳に秋の蝶とぶ  

みちのくの桜井古墳大なりきここを登りて秋となるかな

みちのくの大なる古墳いくつかな海を望みて秋となるかも

耳澄まし桜井古墳に残る虫その音を聞きつ我が帰るかな


季節の変化がおかしい、秋となったがすぐに冬になった、なぜなら今日ははっきりと時雨になった、時雨らしい時雨だったからだ、初時雨になる、時雨は冬の季語である
明日は11月なのだから冬に入ったのである
ただこれまで結構あたたかいから秋という感じになっていた

家でも新しい家が多いけどなじむには時間がかるとなる、農家などはそうして江戸時代から定着しているとかあるから土地になじんでいる
この辺で他の土地から浪江とか小高とか他から移り住んでいる人が増えた
ただ誰が住んでいるかはわからない、もともとここに住んでいた人もいても何か他から来た人たちである、立派な家を建てたのは船主だとういことは原町でもそうだしここでもそうだというのはわかった
その他はわからない、ただこの土地の者でないものかなり住むようになったことは確かである
それで双葉か大熊なのかコンビニ強盗に入ったとか聞いたがそれが本当だとするとやはりそうして原発避難区域から入ってきている人がかなりいる
その人のニュースがあっても後はわからない

無人駅では駅では人が待っている、鉄道だと待つという時間が何か人間的なのである
高速だと待つという感覚がないからである、だから鉄道は車とは相当に違ったものとしてありつづけたのである、そこで出会い別れを演出した歴史ともなっているのだ
だから利便性だけで廃線にしたくないという地元の気持ちはわかる
でもどうにもならない、そんなことでとても残せないからだ

桜井古墳は大きい、こんな大きいものをこの辺で原町で作ったということはこの辺の経済力というか力を示している、桜井古墳は海側にあり海を望んで川も望んでいたとなる
海を望む古墳はあってもみちのくではない、ただ亘理の雷神塚古墳とかでも実際は古墳が作られたときかなり海が入り込んでいたから海側にあった古墳となる
でも今でも海が近く感じられるのはみちのくでは桜井古墳くらいかもしれない、
あそこは散歩の場所としてもいいからたちよる

ともかく初時雨だったけど最近腰をういためた、神経がぴりぴりして痛みがとれなかった一層白髪にもなった、それで体が弱ることが恐怖なのである
自転車に乗れなくなったらもう死んだようになる、それで車の免許を返納した80歳の人が失敗したというときまさに足がなくなることは極端に生活に支障をきたすからである
まず原町まで買い物に自転車で行けなくなったら不便になる
原町は8キロもない所にあるからそれで助かっているのだ

秋から冬なのだけどどうしてまだ秋であり冬という感覚にならなかった
でも明らかに時雨であり冬に入っているのである
ただ秋時雨とはかもあるから季節的には変だなと思うが今日は北風も吹いたし寒かった
やはり冬になっているのである
今家に帰ったら北風が吹いて唸っている、やはり冬になっている

2018年10月30日

我が父の残せしもの (家や土地には歴史が必ずある−老人は語り部になる)


我が父の残せしもの
(家や土地には歴史が必ずある−老人は語り部になる)

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昭和35年となるけどこれを書いてすぐに死んだのである
何か残したいから書いたとなる

我が父の残せしもの

我が父の葛尾村から出て
双葉の新山の酒屋に
丁稚奉公する
その後暖簾分けしてここに住む
良く縁側で煙管を吸いくつろぐ
楽しみは味噌を焼いたもので
酒の肴にして飲む
高度成長時代の贅沢を知らずして死ぬ
最後に言いしことは
サシミを食えるようになったのに食いたくねえ
病気になりで伏してそういい死ぬ
姉のバナナを仙台に行き買うも
物なき時にあえなく死にぬ
我が跡を継ぎてその苦労を偲ぶ
この土地は街にて悪しき土地なりしも
父の苦労して買いしもの
そこに我は住みえしなり
父死して半世紀ははや過ぎぬ
しかし今になりて父を思いぬ
我がここに住めるは父ありし故なりと・・・・

人間の一生をふりかえればどんな一庶民でも何かを残している
それは自分のことだけではない、必ず親がいるから親の一生も受け継いでいるのである
父のことはあまりにも前のことだから思うことがなかった
ただ自分の家族が全部死んだとき意識するようになったのも不思議である
何か人間はかならず老人になると死ぬ頃になるとこうして自分のことならず家のことでも昔をふりかえるものだと思った
もし家族がもっと早く死んで後継いでいたらもっと早く思っていたかもしれない

自分の家の歴史をふりかえると父が買った土地は低い場所にあり悪い土地だった
低いから洪水が二回あり浸水した、それも床上浸水であり小学校の時の台風では屋根の下まで水につかり家が流されたと思った
その後も堤防の決壊があり床上浸水があった
その後河川改修して川が広くなって水害はなくなったのである
その土地にも歴史がありそこがどういう場所か知るべきだとなる

どうもふりかえると父がなぜ字を覚えたのか?
それは酒屋の丁稚奉公して覚えたのかもしれない、丁稚で帳簿など扱うから教えられたとなる、そういう教育機関としても丁稚があったからだ
どうしても葛尾村のような山で明治になってから教える所があったとは思えないからだ
明治生まれとなると字が書けない人がまだいたのである
母は尋常小学校をでて字は書けていた、つまり大正生まれになるとたいがい尋常小学校をでているから字を読めたし書けた、明治生まれだと字を読めないとか書けないとかの人がいた、大正生まれでもまともに学校に行かない人もいた
子守りして小説を読んで覚えたとうか言う人もいる
日本では江戸時代になると寺小屋でみんな字を習ったり覚えたと限らない、そういう人は恵まれていた人なのである

こうして二代くらいでも家には歴史がある、するとその歴史を偲ぶことにより今生きることがどういうことなのかその意味を知る
この辺でも原発事故で避難した人が多いし若い世代は流出して帰らない
それはまだ家でも歴史がありそれがどういうものか認識しないからかもしれない
第一何代も江戸時代からつづく家系がこの辺には普通にある
先祖の土地は売らないというのはその土地の価値を知っているからである
私自身も今住んでいる土地がどうして得られたのか?
そのことをふりかえって父が苦労して買って手に入れたものだということを今になって意識したのである
それは結局家族が全部死んだからそう意識するようになったのである

先祖代々の田を売るなととなり田分け(たわけ)という言葉が生まれた、それは農業が主なときは土地が一番大事だからである、だから田を売るものは田分け(たわけ)となったのである、ともかくこうして歴史は個々人の家にもありそれを知ることでも歴史の重みを知ることになる、人間は歴史的存在なのである
人間はとても何でも一代では作れないようになっている
代々作られてきたものが歴史なのである
先祖を無視して歴史を無視して今の人間もあり得ないという自覚をもつべきなのである
でもこの辺ではそういうことが土地でも放射能に汚染されて捨てられたのである
そのことの意味は後でふりかえり失敗したとかなるかもしれない、その価値あるものを捨てたことを後悔するかもしれない、歴史がそこでは断たれたということが実は大きな損失だったとか自覚させられるかもしれない、何か歴史というのは時間がかなりたたないと認識できない、50年以上とか過ぎて父のことを回顧しているのもそうである
人間は何が大事なのものかその時々懸命に生きていてもわからないのである
ただふりかえると明瞭に見えてくるものがあるのだ、それは時間がたつことによって見えやすくなるのである、一生でもふりかえればあの時はこうだったのかとかわかりやすくなる、あんなことをしなければよかったとかあうすれば良かったとかみんな後悔しているはそのためなのであ

ともかく現実に今は私の家族で残っているのは自分一人なのである
だから自分一人が墓守りになっているのである
あとは誰も守る者がいないのである
そして過去を語り歴史を語るのが自分の勤めでありみんな老人になると語り部になるのである、つまり郷土史とは一人一人の家でもそうだが先祖や自分の一生を語ることなのである
歴史的価値というとき金で計れないものがある、自分の家はもう金銭的には何の価値もない、他でも空き家が膨大に増える
するとそれも金銭的には価値がない、でもそこに思い出とか歴史がありその価値は子供が受け継げば活きてくる
それを自覚するのはその家の子孫だとなるからだ、子孫がいなくなればその歴史の価値をなくなる
だから歴史的価値は必ずしも金銭的なものに換算されたりできない、でも価値あるものだとなる
つまり精神的価値あるものとしての歴史がある、ただ金銭的に換算されるものだけを見るが精神的価値を受け継ぐことも歴史である
だから遺産相続でもめるのはただ金銭的価値だけを見るからである
でも本当の継承者は精神的価値を受け継ぐ人だともなる、それが見逃されているのである
先祖でもその精神的価値が伝えられるなら喜ぶとなるが金銭的なものだけに換算されると生きている時から嫌だとなる
一方でもし残したものが金銭的なものとして換算されるものだけだったらまたそれは金銭に換算されて終わりだとなる
子孫に美田を残さずというとき精神的価値なら残してもいいとはなる
でもそれが半世紀以上過ぎて私が自覚したようになかなか自覚しにくいのである
そこに歴史の価値を知るむずかしさがあったのである

とにかく人が死ぬとどうなるのか?
これにはいろいろ言うけど死んだら灰になるし骨も残らない、すると人間が死ぬと何なるのか何が残るのか?
それは骨でも灰でもない、その人の物語だとなってしまう、だからこそhistory-storyなのである
人間は死ねば個々人であれ家であれ国でも物語として残されるのが歴史である
死んでも歴史の中で人は生きてゆく、だから歴史上の人物になれば死んでも歴史の中で生きてゆく
大方はただ孫くらいまでは語られるがもうわからなくなる
名前くらいは何とか系譜の中に残ったりするがその人となりも不明となる
ただ郷土史というとき明らかに個々人でもそうだが一軒一軒が歴史である
何かかにその家に伝えるものがある、それが郷土史の基本にある
だから一つの家の歴史が失われることは損失ともなる、それが原発事故の避難区域で起きたのである
歴史の継続が断たれる、限界集落などでも廃墟と化した村がある
そこにはお参りもしない社が残されているのである

墓守りや烏とまりて木守神

墓という物体に本当は故人があるわけではない、実際は故人は物語として残る
なぜなら墓だって永遠ではない、もう跡継ぎがいないとか維持できない
そしたらその物体を守り維持できないのである、残るのはその人の物語であり歴史として残るとなる
posted by 老鶯 at 20:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)