2022年11月13日

日々勤めよ、報いを得らずとも・・・死後に報いがある?


日々勤めよ、報いを得らずとも・・・死後に報いがある?


日々勤めるべし

日々勤め尽くしたること
それは無益とはならじ
日々体験して蓄積されたもの
妻は夫に尽くし母は子に尽くし
それは無益と徒労とならじ
死す者もその成したることが実りとなりぬ
人の働き無益とならじ
故に日々労苦のあれど勤むべし
そしてそれぞれに身につくもののあるべし
ただ即興にインスタントに身につくものはあらじ
日々の修行と鍛錬のあるべし
たゆまず勤めればそれぞれの実りあるべし
今親は死すとも我は深く感謝しぬ
我が心に死者はなお生き続ける
死者はなお我を生前と同じく励ましつづける
日々勤めよ、さすればいつか死後にも実りあるべし
日々尽くせよ、いつか報いあるべし
その生は働きは徒労にあらじ
神はそれぞれの分の報いを与える
その生は無益にあらざるべし
確かな実りとして与え残さるべし
その報酬は金のみにあらじ
その誇るべきは身につきし技なり知識なり知恵なり
老人は価値なしやその身につきしものに価値あり
そしてその技を知恵を伝えることに価値あり
それがなければ価値無き者となる
故に日々勤めよ、日々尽くせ、例え認められじも
いつかそは報いられるべし
この世に報いられざれば神の国にて報いられるべし
真の実りは神の国にて実現されるべし

人間はいろいろ不満がある、その一番の不満が一般的には働いても報酬が余りないということである、具体的には給料とか少ないとなる、金の問題になる
こんなに働いているのに金がもらえないということで不満になる
何か働いても意味がないとかではない、具体的には金の多寡ですべては計られる
金を多くもらえればその働くことがこいして意味ないものでも不満はないとなる
こんなに自分は働いているのになぜ報いが収入が少ないのか、金に生らないのか、このことで不満なのである

でも人間は何のために働いているのか?

その目的は金だけなのか、金も必要だしそれを否定するのではない、でも母親が子に尽くす時別に金がもらえなくてもする、それは子供がかわいいとか母性愛とかあり無償で尽くす愛である、もし金のために育てるとしたらそれは他人になる、他人に金を払って育ててもらえばいいとなるからである

でも夫婦がいるとして妻はなぜ夫のために尽くすのかとか問題になる
そもそもふしだらな夫に尽くすことはできないだろう、嫌になるだろう
子供の場合は誰であれ未来がありそれで育てる、それは無償の愛があり育てられる
でも大人になればただ無償で尽くすということがむずかしくなる
何か尽くすにしても見返りが報酬が得られることを望む

ただその報いの問題は必ずしも生きている時与えられるとは限らないのである
もちろん子供に介護されて親孝行されて報いを得たということはある
それで親は子供を育てて良かった助かった報いを得たと思う
でもそれだけではない、なぜ子供を育てるのか、それは本能的に動物的にでも母親は子に愛情をそそぐ、それは本能である

ただ人間と動物の相違は何かというと人間は常に何かしらの意味とか価値を求める
生きる意義を求める、働く尽くす意義を求める、確かに親は無償の愛で育てる
それは本能的でもあるがやがてやはり成長すれば親は何かしらの報いを求める
その子供が立派に成長する、社会的にも有用な人となる、例えば医者になるとかしたら
社会的地位もあり収入もあるから報われたとなる
その母親の子供は普通の店屋をしていて子供が医者になったのである
だからそんな金がどこにあったのかと不思議である、だから今はお医者様の母親になっているから報われたとなる

でもまた一方で全然報われない母親もいる、その母親は本当に情ある正直な女性だった
それで私も介護の時多少助けられたのである、でもその子供はふしだらな息子であり
報われることはなかった、そしてその家は絶えた、その父親も正直な人に働いた人だったのである、だからなぜそんなふしだらな息子が生まれたのか育ったのか謎である
だからいくら親が良くても子どもがまともに育つということもないし報われことも必ずしもないのである

また障害者をもった親はその子供ばかりを心にかけて愛している、50歳になってもその子供のことばかり愛して目をかけていた、他の兄弟二人いてもその人達にはあまり目をかけてなかったのかもしれない、だからその母親は病気になって介護されるようになっても連絡するなとまで言っている、でも障害者の息子はまともに世話できないのである
だから障害者の子供をいくら世話した愛したところで報いはないのである
そもそも人間は必ずしもこの世で報いを得ることなどないとなる
どんなに努力しても認められないとか必ずある
この世とはそもそも不公で理不尽なのである、何か不可解なのである
数学の公式のようにはならないのである

ただ人間の報いはこの世では得られなくても来世では得られるともなる
死んでから何か報いがあるのかとなるが死んでからその人がいたまれ賞讃されることがある、死んでからこそその人の価値が認められることもある
私は特に姉と母とには尽くされたから死んでからかえって思うようになり感謝しているからである
だから子供であれ親が尽くすことは必ずしも生きている時に報いがあるとは限らない
死後に特別感謝されたりすることがある
そして死者は長く忘られないとなれば死者は生者の中に生き続けるのである

とにかく人間は最後になるとその人生の意味とか価値が自ずと明らかにされる
ただ人間は集団的に生きる価値があり個々人に生きる価値がある
だから集団的に生きる価値となるとカルト教団などがあるがそれらの価値は教団が団体が組織があるとき価値があるがなくなれば価値はなくなる、会社で働く人が多数というときそもそも会社は何のためにあるのか、そこで働く意義は何なのかとなる
ただ利益をあげればいいのかとなる、でも実際は会社して利益をあげることが常に優先される
何のためとか会社自体が考えないだろう、だからこそ社畜となっているのである、何のためというより金がもらえるから働く奴隷なのである、何か意味あることに使役されるのならいいがそうではない、まずは利益を上げることしかないのである

そして人間の求める価値とか意味は

権力を栄誉栄華を金を求める価値

意味を求める価値

人間はともかくまず金になることを求める、それが何のためだとか何の意味あるのかなど見ない、欲望を実現するために働くとなる、だから金が一番の問題となりすべては金で計られる、何か意味があるとかめんどうなことではない、金をできるだけ稼ぎ後は贅沢するということである、まず一般的にはそんな意味とかを求めない、金を稼いで立派な家を建建てるとかいい車を買うとか何か贅沢することである
そのために働いているとなる、だから働く意義はすべて金で決まるとなる
金を多く稼いだ者が価値あるとなる、それがわかりやすいからである

でも一方で人間は何か意味あるもの本当に価値あるものを求める
だから別に女性でも必ず私は何々をしたとか何を成したとか最後に語りつづける
つまり人生で何かを成した価値あることを成したと語るのである
人生の意味を語るのである、私は本当に姉と母とには60歳まで尽くされてきたのである私に特別何かを求める訳でもない、ただ尽くすことだけだったのである
それは何のためというわげでもなかったのである
ただ私はたいして才能なくても大学出てから就職もせずニートのようになっていた
でも興味があることに時間を費やしていたのである、それは主に旅だったとなる
その成果を今私はプログで出しているのである

私はむしろ姉と母が死んだ後に感謝している、死んでしまったから死者はそのことはわからないにしろ生きている時は感謝していなかった
ただ60年かも私のために食事を用意したり二人は尽くしてくれたのである
それを死んでから特に思うようになった
でも実際母でもこの息子が何か社会にとって有用なものとして自慢できるものとしてあったわけではない、だからそういう息子に尽くすことを生前はどう思っていたか
報いがないと思っていたとなる、でも最後は介護したから喜んではいたのである
私は親に本当に無条件で良くされたから介護でも必死でしたし死んでからも感謝しつづけるようになった
死者とはこうして死んですぐに何もかも消えるわけではない、やはり生き続けているのだと思った、でもそれは人によって違う、家族でも違っている
家族でも複雑であり理解できないことがあるからだ

ただ生きている人でも親でも実は心がけなけれはならないのはもし死後まで感謝されるようになるにはどうするかとなる
子供を親の道具のようにする親もいる、何か自慢するために子供がいるとか普通にある
8人兄弟とか11人兄弟とかで父親に文句を言うと殴られるだけだったとか普通にある時代があった、とてもそういう親に感謝するとは思えない、ましてや死後まで感謝することはありえないだろう
だから問題があるにしろ一人っ子は親を想う度合いが強いのである
兄弟は何か必ず兄弟間で親の愛でも奪い合うとか争っているからである
一身に親の愛を受けることがないからである
意外と死者をどう思っているかとなると死後まで思っているかとが判断基準になる
本当に死者を想っている人は簡単に死者を忘れないからである
つまりますます生者の中で存在感を増して生き続けることがあるからだ
だから人間は死んですべてが終わるとはならない、愛は依然として生き続けているし
思いというのは残り続けるとういことである

ともかく何であれ日々勤めることである、そうすればいつか実りとなる、今世では認められずとも来世で神の国で認められ
神の国では無益な労働などありえないからである、無益に終わることはないのである
この世には膨大な無益な労働があるが神の国にはないのである、無駄なものは一つもないのである
石ころまでが黄金のように輝いているとなる
人間の最大のショックは人生そのものが無益化することである、それは戦争とかナチスとかカルト教団とかてもそうである
虚しく膨大な労力が無益に費やされることである、それは個々人の人生でもそうである
だからありふれた普通の人間でも女性でも老人になり最後に必ず自分のしてききたことを価値ある有意義なものとして認めさせるために語るのである、つまり誰しも無意味なものとしてはありたくないし死にたくもないのである
でも結局この世では膨大なことが無益に費やされているのである

2022年11月12日

弁護士は見た!うっかりでも現行犯逮捕の可能性も…… セルフレジ通し忘れの意図せぬ万引きで気を付けたいこと


弁護士は見た!うっかりでも現行犯逮捕の可能性も……

セルフレジ通し忘れの意図せぬ万引きで気を付けたいこと

(MSNニュース)
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●セルフレジで盗みを疑われた

セルフレジの設置率が増えるに伴って万引きは増えていると言われています。自分でバーコードを読み込んで会計をするわけですから、中にはバーコードを読み取らずに会計をしたかのようにしてレジを通ってしまう人もいるわけです。

では、うっかりレジを通さずに商品を持って帰ってしまったらどうなるのでしょうか、現役弁護士の幸谷泰造さんが解説します。

セルフレジを通さないまま意図して商品を持ち帰ってしまった場合は窃盗罪になります。いったん窃盗罪になると、後で商品を返した場合でも窃盗罪になってしまいます。

万引きと疑われないためには、セルフレジの通し忘れがないか、その場で確認するようにしましょう。

私はキクチスーパーで最初の内わからないでこうなった
それで後で店長がきて問い正された、これは警察に通報されると犯罪になる
でもキクチスーパーではセルフレジは最近導入したのもであり使い方がわからない人が多いのである、だからこうしたミスもある
でもスーパー側からみると犯罪に見えるのである
だから今は必ず見守る人のところで領収書をだして脇の箱があり捨てている
何か結局必ず便利なものでも犯罪は防げない、つまり新しい便利なものが出るとその便利なものによる新種の犯罪が増える、パソコンが生れインタ−ネットが生まれた新たな犯罪が生まれたように生まれる
これが人間社会なのである、でも機械化するのは経営側からすれば人件費を減らすためにしている

そもそも犯罪とは何なの?

私の場合は犯罪ではなかった、ただミスしただけであり盗むとかを意図していなかったからである
これは前にもコンビニで経験している、私は親の介護とか自分の病気で苦しんでいた
それでコンビニで週刊誌なのか立ち読みしていて自分が気づかないのにパン二個をボケっとに入れていたのである
それは無意識にそうしていた、でも監視カメラがありそれで犯罪人扱いにされた
店長がしきりに言うのには私たちは十円二十円のもうけの商売なんだとか犯罪人扱いして責めてきたのである
それは他のコンビニでもそうである、盗みが多いとかで手を無理やりこじあけて調べたのである
これもやはり十円二十円でも万引きされて経営に困るからそうなる事情がある
つまり盗みが多いからそうなる、コンビニとかは通りすがりの人達が利用するから犯罪が多いかもしれない、車で遠くに行ってしまうからわかりにくいのである
第一店長自体が地元の人ではない、雇われ店長なのである

●犯罪とは何なのか (故意とそうでない見分けがつかない)

ともかく犯罪とは何なのか?

奇妙なのだけど盗む意志がないのに盗んでいたこともある、無意識にそうなっている場合だってある、私の場合は自分で気づかずにパン二個をボケットに入れていたのである
そして現代では地元の人が経営したり地元の人が買い物するのではない
コンビニとかなればみんな外部の人を相手にしている、でも私はそのコンビニに十年間くらい行っていたのである、だからいつも来ている人と店の人も認識はしていたけど
今はそんなことは関係ない、お得意様とかもない、みんな誰かわからない人達であり
だからみんな疑うとなる

「故意」とは「わざとすること、またはその気持ち」、故意の対義語である「過失」は、「不注意などによって生じたしくじり、過ち」を意味します。日常生活の中で使われる場合、故意は「わざと」「意図的に」、過失は「うっかり」といった意味をもつ

刑事事件における故意と過失の違いとは? 判断基準について解説
https://keiji.vbest.jp/columns/g_other/4919/

法律ではこの故意かどうかを問題にする、とういのは私の場合のように盗む意図もなにもないのに盗むとういこがある、無意識に盗むことがある
私はいろいろ悩み苦しみ知らないうちにボケっとにパン二個を入れて支払うのを忘れていた、それでコンビニにそのまま出たのである
でもそれを見ていたらあの人は盗んだとしか見えないのである

だから人間とは複雑でありそのパン二個のために犯罪人にされてひどく責められたのである
一方で大金を盗まれてもその人は何も責められない、回りの人でも自分を責めてきたのである、一方はパン二個でこっぴどく責められ何百万とか盗まれても警察では証拠がないからと相手にもしないのである、盗まれた方が悪いとされたのである
こうしてこの世と理不尽なのである、別にそれは自分だけのことではない、何もしないのに天下りとか地位ある者は金が入ってくる、下々ではいくら働いても金にならないこととか普通にある、でも決して上のものは責められないましてや犯罪人などにされないのである、百円千円盗んで刑務所に入れる人がいるが何億もたいして働かなくても地位があり
金が入る上級国民もいるのである、東電に天下りした検察関係者がいた、その人こそ厳しい罰を与えられるべきだができない、検察だとなる裁く方になるからである
裁く方が犯罪人になっているのである
だから神は裁くなというとき裁く能力が人間にないからである、こうして人間は複雑であり裁くことができないからである

●人間で一番難しいのは信用すること

つくづく人間で一番むずかしいのは信用だった!

どうして相手を信用するのか!

これが人間の最大の問題だったのである、だから契約というときそれは相手を信用するからするのではない、損しないようにするために細かく法律を作っておく
また責任をとらないためにあらかじめ法律決めておくのである
それはそもそも相手を信用しないから契約が生まれたのである、見知らぬ人と商売したら必ずそこでだまされることが普通にあるからである
日本で契約とか発達しなかったのはもともと村社会が基本であり顔見知りであり信用しあっていたからである
でも今や広域グロ−バル化社会になればそういうことはなくなった
でも人間は信用が基本にある、そうしないと社会自体が成り立たないのである

その信用が一番問題になるのは家に入って働く人である、家の中がわかってしまうから本当は信用がないと家の中には入れるべきではない
それで私は大金を失い大損した、私自身も犯罪にあっている
まず信用を得るにはこれは簡単にできない、私自身が人を雇ったりすることをしていないでもほんのささいなことでも家で働いてもらうことで一番重要なのは信用だったのであるなぜなら何か物がなくなると盗まれたと思うからである
家の中のことがわかるとそうなゃやすい、それでアメリカでは金持ちの家で雇われる人を手伝いさんを裸にして働かせたという、必ず盗まれるからそうなったのである
家の中には入り働く人は特に信用が大事になる、だから手伝いさんを雇う場合、他で十年働いて信用されたとかなれば安心だとして雇うとなっていた
そのことが私にもわかった、やはり五年間くらい一緒に暮せばその中で何かいざこざあり疑うこともあるがやがて互いに信用関係が築かれる
人間はとにかく何でも時間がかかるのである
そして人間の生きる時間が短い、だから熟年離婚は相当に損だと思う
60以降離婚してまた結婚したとしても信用関係が築かれるのか、ただ金目当てで結婚するとかあり信用できないとなる

いづれにしろ現代は広域グロ−バル化社会であり信用することがむずかしい社会である
田舎だって隣の人が何の仕事をしている人かわからなくなっている
子供の時から大人になるまですぐ近くに家をもって住んでいた人がいなくなった
その家の人とは何も話すこともなかった、第一夫をその家で見かけたことがないのである遠くで働いていたためである、おそらくだから仕事関係で遠くにまた移住したのだと思うただ家をもっていたのだから移り住むとういのもわからない、その家のことはだから不思議であり都会と同じである
また市営住宅の隣に住んでいた人が死んでいて二カ月間も隣の人が知らなかった
これも不可解であった、別に近くに兄弟が住んでいたのである
でも付き合いがなかったのだろう、電気がついていたので死んだのを二か月間も知らなかったのである、だから今は田舎でも都会化しているのである
仕事を地元でしているとは限らない、建築土木関係だと遠くで仕事をする
その人は九州の佐世保に足場組みの仕事に行ったというのも驚きである
青森に行った人もいる、これだけ全国で仕事しているのである

●広域化グロ−バル化社会の信用問題

とにかく現代の問題は様々ある、やはりこの広域化社会というのもグロ−バル化も大きな問題である、もちろんそのいい面がある、でもまたマイナス面もある
その大きなものが信用できない社会になっていることである
コンビニでもなぜそんなにしてまで人を疑い犯罪人とみているかとなるといつも盗まれているからそうなる、そうなるとどうなるのか疑心暗鬼になる
どうしても損するから人は常に見知らぬ通りがかりの人だから疑うとなる
だから必ずしも店の人とかばかりを責められないのである
要するに互いに信用しえない社会になっているからである
なぜなら村社会のようにいつも同じ場で共同で仕事している人とは違うからである
だから村社会では容易に商売人は入れなかったのである
取引でも神社で無縁な人達が商売できたのである、神社は縁結びにもなるがそういう自由な市場にもなっていたのである、無縁な人を受け入れる場所としてあった
それはそもそも外から来る人を信用できないからである
関所があるのも外から来る人を信用しないからである、これが人間としては当然だったとなる、

でももはやいかなる関所もない、見知らぬ人が入ってくるが常態化したのが現代社会である、車であればどこにでも行ける、かえって遠くが近くなり近くが遠くなった社会である、でも信用となるとそうして外から来る人は簡単に信用できないとなる
ただ近くでも今は信用できない、それで私は犯罪にあっているからだ
そして近くにそういう犯罪する人がいると困るのは内部の人に裏切る者がいるということは安心できない社会になる
外からの犯罪者は一時的であり通りがかりでありいつもいるわけではない、でも近くだとまた狙われるのか盗まれるのかと警戒して疑心暗鬼になり安心して住めなくなるのであるだから近くで犯罪が起きるのは怖いのである
でも今や近くでも村社会とは違ってつながりが希薄になり金だの社会となると犯罪も起きやすい、互いに信用していないからである、またつながりがないからである
それで皮肉なのは東日本震災の時、しきりに「絆」を言われた
でもその絆とは内部のものではなく外部との絆だったのである、なぜなら外部から来た人達が復興のために働いていた、ボランティアでもそうだった
でも被災者は何もしない、パチンコだとかで遊んでいたとして怒っていたのである
つまりこれも広域化グロ−バル化社会で起きたことなのである

広域化グロ−バル化社会で通信が発達してインタ−ネット社会になったときでも相手のことを信用することはむずかしい、そこでも新種の犯罪が起きてだまされるとかなる
常に技術が発達してまた新しい犯罪が生まれのが人間社会である
ただ別にインタ−ネットだから信用できないとういことはない、でも信用するとなるとむずかしくなる、信用には互いに協同するとかの体験と時間が必要なのである
そういうことがないと信用は築けないのである、一朝一夕に信用は得られないのである

●信用を得るには時間がかかる

例えばなぜ侍社会で信用が生まれたのか、それは戦国時代なら共に命をかけるから強い絆が生まれた、殿様がいて忠誠を誓う、まるで家族のようになったいた、だから御家に尽くすとなる一つの堅固な共同体が形成された
そこに忠臣も忠義も生れたとなる、それも一代ではない、代々受け継がれて扶持を得て暮らしていたからその絆も強いものだったのである
それもやはり時間があってできたことなのである、一朝一夕に信用関係はできるものではないからである
つまり人間で大事なのは信用なのである、だから信用されれば例え金持ちの家に手伝いとして勤めるにしてもその主人に信用されればその勤める人も信用されてやがて金持ちになることもありうる、重要なことをまかせられるようになるからである
それは会社でもある、ともかく互いに信用して共同して働くことが簡単にできないからである、それで会社でも常に横領とかあったり裏切りがあるのが常だとなるからである

ともかく今は田舎でも実際は都会化している、それは広域化グロ−バル化した社会であり仕事でもそうである、狭い村社会で生活している人はいないからである
常に車が行き来している、働く場所は車で通うからである
でも外から来る人は信用できないということはある、でも全部がそうかとなると違う
ユニットバスを作った優・創建(仙台市)とかは百万で作った、それはいいものであった
でも地元で作る二百万と以上になっていたのである
こういうことはやはり広域的グロ−バル的に競争を強いられている社会だとなる
こういう会社が入ってくれば地元で仕事を奪われるとういことがある

でも金だけから見ると安いからいいとなる、でも後で故障したりしたら修理とかが簡単に頼めないとかあり問題はある、だから何でも外部から来たものが安いといってもいいとは限らない、でもそもそも現代はそういう広域化社会グロ−バル化社会に生きているのだからそういう社会に適合する他ないとなる
ただそこで問題なのが信用なのである、グロ−バル化でも中国でも大きく巨大化して日本が攻められ乗っ取られるとか問題になる、巨大な市場があるから日本で売ればいいしもうければいいとなるが逆に国と国が対立すれば争いとなり貿易もできなくなる、肝心の物すら入ってことなくなるのである、特に食料はそうである、これは自国優先になるからである、人間と人間でもそうだが国と国でも信用があってこそ貿易でも成り立つ、それが外国になると信用できないとなる、つまり人間は個々人でもそうだが信用しえないということである
インタ−ネットでも信用が問題になる、それでわからないにしろブロックチェーンで信用を築くシステムを作るとかなる、インタ−ネット社会でも信用が一番の問題になるからである

posted by 老鶯 at 11:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年11月11日

晩菊、柿、蝗..冬薊 秋薔薇...(近辺の秋から冬の俳句) 晩菊、残る菊、柿、蝗..冬薊 秋薔薇...(近辺の秋から冬の俳句)


晩菊、残る菊、柿、蝗..冬薊 秋薔薇...(近辺の秋から冬の俳句)

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地震で壊れてまだ直してない家がある
私の家もまだかたづけていない、本とか散乱したままなのである

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蔵二つたわわに柿のなりにけり

晩菊や田舎の墓を守る人

柿成りて田舎の墓を守る人

畦道に薊のあまた残る菊

畦道に蝗めずらし里に死なむ

二片(ふたひら)の花びら残る秋薔薇


我が庭に散り残る秋の薔薇二ひらやあわれ日もはや暮れぬ


冬になったとしてもまだ秋であり晩秋である、季節的には冬でも秋なのである
だから季語が合わなくなっている

田舎で目立つの墓地である、村ごとに墓地がある、その墓地を見る、そこで江戸時代の年号を見ると古いとなり価値あると見る
人間は親が死に自分自身でも老いると墓守りにもなる、墓を守ることが勤めともなる
ただ今は墓すら受け継がれない、その子供が東京とかここなら仙台市とかに出る
だから仙台市から墓参りに来る人も結構いる
駅では墓参りに遠くから来た人と合っているからである

めずらしく蝗を見た、弱っているから死ぬのだろう、何か蝗というのも見かけくなった
子供の時は学校でも蝗とりしていて蝗を食料にしていた、それは売れたから学校でも生徒に蝗とりさせていたのである、蝗でも里というときやはり人間とともに生きているという感じになる、ただ蝗は害虫にもなるから食べていたとなる

どうしても今の感覚だと里という感じがしないのである
村というのもそうである、里というときすでに過去のなつかしいものとしての里なのかもしれない、

なつになれば わらしこおよぎ
どじょっこだの ふなっこだの
おにっこきたなと おもうべな

「夕やけ小やけの 赤とんぼ
負われてみたのは いつの日か
山の畑の くわの実を
小篭に摘んだわ まぼろしか

どじょうは実際に味噌汁にして食べていた、鮒釣りもしていて鮒も食べていたのである
そこには子供が遊んでいたからである、ゆうやけこやけの赤とんぼでもそうである
赤とんぼもあまり見かけない、でも浪江の荒地には赤とんぼが一杯飛んでいた
人間がいなくなると赤とんぼとか増えたのかとなる
クワの実とか結構あってこれはうまいものである、養蚕していたとき桑畑がありクワの実を食べていた、これは山にもなっていたのである

要するに時代によって風景も作られている、江戸時代の浮世絵の風景でも今写真のようにみてもその時代の雰囲気がなかなか実感できない
それほど時代が変わり何でも変わってしまったということである
何か奇妙なのは道を歩いて旅していると歩いている人間がいたとういことが不思議にもなる、なぜなら今は車の時代であり歩く人はいないからである
たまたま歩いて旅する人はいる、そういう人はめずらしいとなる
歩く旅を自分も経験していないから歩くこと自体新鮮な経験になってしまったのである

俳句はやはり写生である、「百輪ほど畦の草踏み冬薊」そこにはずいぶん薊が咲いていたこんなに多く咲いていたのを見ていなかった
薊は冬にふさわしいのかもしれない、薊はその土地に根付いている土着している感じだからである
秋薔薇が咲いて花びらが二ひら残っていた、庭になると人間とより一体化して見る
庭に咲いている花は自然に咲いている花とも違う、石でもそうだが花もより人間化するのである、だからこそ人が住まなくなった庭はより淋しく感じるのである
今日は朝は寒かったがその後は確かにあたたかくなった、だからどうしても冬というより晩秋なのだろう、季節感が狂うから俳句を作る時困るのである

小高の大悲山の石仏から浪江町の大堀からー 紅葉の高瀬川渓谷へ(俳句と短歌)


小高の大悲山の石仏から浪江町の大堀からー

紅葉の高瀬川渓谷へ(俳句と短歌)


(小高へ)

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木の蔵はめったにない、だからこの家は古い

ここは小高の城のある手前であり空家なのである
空家でも立派な家がある、庭でもいい庭がある、だから誰も住まないことが
もったいないのである
ただ11年も過ぎてすまないことは住むことがなくなるのか?
結局震災以後でわかったことはいくら一軒一軒の家が立派でも
全体が荒廃してしまえば価値がなくなる
荒地の中に一軒の豪邸があったとしても価値がない
その市町村全体が荒廃するば価値がくなるのである

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小高城

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ここも家があり庭があったのか、または石が集められたのか

大悲山の石仏

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浪江の空家の庭

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高瀬川の紅葉

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猿の腰かけ石

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この三角の山がいい


小高城据えにし石や秋の暮

あわれかな小高浪江に残る虫

大岩の庭に動かじ残る菊


小高なる城跡だずね色濃くも紅葉映えにき石段下る

(大悲山の石仏)

黄金色(きん)の銀杏のの木の葉を散りしきて紅葉映えにき石段上る

千歳古る巨杉の幹や三体の平安仏や紅葉赤しも

平安の磨崖仏かな何を聞くここに黙して冬に入るかな

三体の平安仏の不動なり幽かに残る虫の音を聞く

(人住まぬ家)

誰か住む岩の一つの大きなるその岩により残る菊咲く

松一本見事なるかなここに住む人は誰なれ冬となりしも

(大堀の里)

陶工の家々寄り合う大堀や落葉に埋もれ荒れ果てにけり

大堀に菩提寺あれや人住むは江戸時代より秋深まりぬ

大堀の神社に残る大きなる木の根ふたつや秋深まりぬ

ここにしも山津見神社や高きかな我が上りたずね秋深まりぬ

(高瀬川溪谷)

渓谷に清らかな流れそそる岩紅葉に映えてひびきけるかな

渓谷の流れの奥に秀麗な山の映えにつ秋の陽没りぬ



夕暮高瀬川紅葉の詩

高瀬川流れ清らか
そそる巌に色濃くも紅葉映え
その巌の間にひびく流れや
秀麗な山そ映えにき
秋の陽は輝き没りぬ
岩と岩は厳かに向き合い
ここに千歳の経にけるや
その流れは汚れじも
その麓大堀の相馬焼き
技を磨くも捨てられあわれ
夕べ静かに流れの音聞きつ
落葉を踏みて帰りぬ
その逸品の一つ我が家にあり


動かざる石仏に巨杉

石仏は千年ここに動かない
ここに三体の石仏
もの言わず動かない
この石仏のありしときより
この杉は成長しつづけぬ
かくしていつしか巨杉となりぬ
この木はここに千年生きぬ
その重々しさよ、内なる力よ
充実したる内からみなぎる力よ
この木はもうテコでもここを動かない
ここに黄金の銀杏の葉の散りしき
眩しく日はさして輝く
紅葉も色濃く映えぬ
平安の仏はここに動かぬ
何をその耳は聴くのか
千年黙している石の仏よ
幽かに残る虫の音を聞く
人もここに動かずあれ
この地に根を張り千年動かざれ
この地に根を張り千年生きよ
ここの大地に深く食い入る根よ
ああ 人の生ははかなし
百年生きるも短し
たちまち時間は過ぎてゆく
あわただしく過行く生よ
千年動かざるこの石の仏を
千年ここに根付く巨杉を思へ
かくあれば命の重みは自ずから備わる
人はたやすくその土地を離れ
何も残さず消えゆくものなれ
その生は浮薄にして束の間に消ゆ
木の根はなおもここの地を離れずあり
そはこの地を離れて何を残せしや
そが血脈は絶え根となる土地のなし
代々重ねる生の重みなし
その命は虚しく消えてなし
人よ、根になる土地を持て
そこに根を張り有意義な生を成就すべし


小高城によりそこにやはり紅葉が映えていた、そして何か庭の石だったのか集められていた、そこに家があり立派な庭がありその石だったのか
小高城というとき相馬氏が最初に築いた城だから歴史が古いのである
その後原町の牛越城から相馬市の前の中村に城を築いたのである
その歴史を知る時小高は意味ある場所だとなる
相馬野馬追には中村神社(宇多郷)と太田神社(中郷)と小高神社が行列に出る、それは小高が古いからそうなる

私は石や岩に興味がある、自分自身が内向的であり黙している石が似合っているとなるからである、石にはなんらか岩でも表情がある、だからそこにあった石に感じるものがあった、それで俳句を作った、ただ冬になったのに秋の暮となっているのはまだ秋の感じだからである、昨日はあたたかったからである、何か季節感がはっきりしなくなったのである秋の暮とか秋深むとかになるが冬になっている、でも実際は今は紅葉で晩秋なのである

他にも浪江に入ったらやはりいい家がありそこに大きな岩があった
残る菊がありふさわしかったとなる、庭に石を据えるとことは人間も石のように動かいな定着することなのである、でもそれが原発避難区域では失われたのである
立派な家があり庭があっても誰も住んでいないのである
これは本当にもったいないと思う、そして空家のままにしておくと町全体にしても活きてこないのである、人が住んでこそなんでも活きてくるからである
そうして空家を放置しておくとこはその持ち主でも権利を失うことかもしれない
そもそも住まないとしたら空家としておくことは困るとなる
たまに見に来て掃除などしている人は近くでいる、でも20年とか空家とかなっているのもある、そしていつ誰かが住むのだろうとなる

大悲山の石仏は平安仏であり千年過ぎているという、その時植えられた杉があのように大きく育ったのである
その杉は見事である、その杉と同じく石仏も古いのである
そこで思ったのはこのように人もまたここに根付いてあれということである
それは原発事故で原発避難区域が人が住めなくなり離散してしまったからである
そのために何か拠り所が必要になったのである
この石仏も古いからまた杉ても千年も過ぎているとなるとかくも長くここに根付いていたということで人もそれを拠り所にするのがいいとなる

大堀は荒れ果てていた、でも細い道があり陶工の家々が20軒くらいあったのか、めれは江戸時代からつづいていたのである
それで神社に大きな杉の根っこが二つほど残っていた
その根っこがまさにここに根付いて暮らした人たちを象徴している
神社とはこの土地に根付くものだとなるからだ
ここも山津見神社があるからその起りは古代に遡るのである
海人族の安曇族がここにもにも入ってきていたのである

ともかく石が定着のシンボルである、だから大悲山の石仏にしても平安時代からあり
またその巨杉が千年とかしてあのように貫禄あるものとなった
石仏にしても千年そこに座して動かなかった、それは大地に根付くように動かなかった
また古碑がありそこに大きな木の根っこがある、他の神社にもある
それはやはり木がなくなったわけではない依然としてその根っこ存在して存在を主張しているのである

現代の問題は余りにも変わりすぎるのである、10年一昔と言うけどそういうことはあっても変わらないものがある、千年も変わらないものがある
それが千年の巨杉であり平安時代の石仏だとなる
その変わらないことで動かないことで重みがあり存在力がある
それは余りにも現代は移動する動くということにある、そのアンチテーゼとして動かないものとして木でも石でも石仏でもある
原発避難区域は一挙に捨てれてみんな移動して帰ってこないからである
そうして縄文時代から弥生時代から住み続けてきた場に人がいなくなる
跡を継ぐ者もいない、そのことが今や全国的日本の縮小化で起きているのである

人間はアイディンティティ化する場が必要なのである、それが本来の国である
大都会ではとてもそうしたアイディンティティ化する場とはなりえない
だからそれぞれの国に生きることでアイディンティティ化して生の充実がある
小国とは小さな国であった、でも国でありその小さな範囲で人間の生は自然でも一体化したのである
ただ現代はそうした国が喪失した、広域化とか商業は必要でも余りにもその生活圏でも拡大して人々のつながりは金でしか得られなくなったのである
今や農民すら金であり共同体というのは喪失している
みんな広範囲な所で働いているからである、建築土木関係だと本当に遠くに行く
仕事が地元にないとき遠くに行くのである、だから近くでも何しているのか仕事しているのかわからないのである、それは田舎でもそうなのである
車時代になると近くが遠くなり遠くが近くなっているのである
そういう社会だとやはり何かあると簡単に解体してしまうのかとなる
グロ−バル化とかでも広域化経済でも何か土地に土着するとかがない
それは自由を求めるからそうなるとしても人間の充実した生を大地に根付いたものを作れないとういことである、そこに精神の充実が得られないのである


相馬焼の歴史
http://www.musubu.jp/somayakimono1.html

むかしから そのむかしから 学校の
やねも お空も つんぬいて
大きくのびた かきの木は
みんなの そだつ 目じるしだ

大堀小学校の校歌に柿の木が歌われている、柿がふさわしいとなる
ただ柿の木は高くは伸びないか合わないともなる
ただ柿のなる陶芸の里としてふさわしかったとはなる

大悲山の巨杉
http://www.hitozato-kyoboku.com/daihizan-sugi.htm

2022年11月09日

浪江町の大堀へ行くー10年過ぎても悲惨 (街中の食堂が増えホテルはにぎわっている―外部から若い人も入っている)


浪江町の大堀へ行くー10年過ぎても悲惨

(街中の食堂が増えホテルはにぎわっている―外部から若い人も入っている)



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大堀村の寺や神社

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大堀村の寺−陶家とかあるから大堀らしい


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金毘羅とかめずらしい―愛宕神社

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根っこが残りそこに古い碑があった墓がある

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山津見神社があったーその脇に大塚東照宮があった
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この清水が飲みたいと思ったが汚染されていると飲めなかった
でもこれは湧き水だとしら汚染されていないかもしれない
こういうところにまだ原発事故の影響がある
ただそもそも清水とか山の水は意外と動物とかにも汚染されているのである



震災時、浪江町には約2万1千人が暮らしていた。今年2月末現在、町内居住者は1596人町に住民票がある人は1万6650人。今も多くの人は避難生活を続けている。

(2021)

 東電の賠償金は原発からの距離などに応じ、有無や額が異なり、原発周辺の住民が「賠償金をもらっているだろう」と妬まれるケースも珍しくない。「家を建てても避難民という気持ちが消えない」。津島の美しい星空や家族同然の地域の絆は、賠償金でも取り戻せない。同じ津島の避難者宅を訪ねるのが楽しみだが、10年を経て連絡がとれなくなってきたという
 https://mainichi.jp/articles/20210310/k00/00m/040/190000c


 震災前、浪江町には6つの小学校と3つの中学校に約1,700人の生徒が通っていたが、今は、2018年に完成した「なみえ創成小学校・中学校」に通う約20名だけだ。児童・生徒が戻らないことから、昨年、7校を2021年4月に一斉に廃校し校舎を解体することが決まった。





浪江町に入ったら立派な家がある、庭に大きな石がある
でも人は住んでいない、原発避難区域では結構立派な家がある
でも人は住んでいない、それがもったいないのである
ここの家でも立派な岩があると見て帰った
小高でも紅葉がきれない庭があり家があった
庭に興味があるが人が住んでいないのでもったないと見る

浪江町の大堀から高瀬川に行って来た、大堀は陶工の家が空家化して廃墟化していた
陶工の家が30軒くらいあったのか、細い道を分け入るとこんなに陶工の家があったのかと見た、ある所で相馬焼きの焼き物が散乱していた、あれはなぜかたづけないのか?
結構高いものがあるが放置したままなのである
一時緊急避難しても帰ってきて相馬焼きの焼き物を整理して持って行けばいいとも見た
おそらく帰ってこないし焼き物もしないので放置したのだろう
入り組んだ道に陶工の家がありもう誰も住んでいない
ただ来年はここも避難解除になる、でも入ることができた
ここは震災前のままであり放置されたままである、ただ除染の人達がいた

あんなふうに荒れ果ててしまうのもショックである、陶工はみんな福島県であれ各地に分散した、だから相馬焼きをまとまって窯元で伝統を支えることはできなくなった
窯元が集まり技を伝いまた新しいものを作りだす場が窯元だった
そこが高瀬川の岸辺になり立地に恵まれていたのである
そしてそこは江戸時代からの歴史があった、相馬焼きは青ひびとかの技は各地に伝えられたのである

 むかしから そのむかしから 学校の
やねも お空も つんぬいて
大きくのびた かきの木は
みんなの そだつ 目じるしだ
2. 遠い道 夕やけ雲の お山から
海までつづく たかせ川
あゆも かじかも かにさんも
みんな なかよい おともだち
3. おじいさん おとうさんも かあさんも
べんきょうしたのは この学校
わたしも あなたも あとついで
みんなで ぐんぐん のびるのだ

大堀小学校の校歌であるがここに柿の木がでている、それで私は震災前にたずねて柿の俳句などを作った、柿がふさわしかったのかもしれない、それにしてもその荒廃は悲惨である、震災の時そのままであり捨てられた感じである

わたしも あなたも あとついで
みんなで ぐんぐん のびるのだ

このあとつぐ人が子供が消えたのである堀小学校の跡は荒地になり鳩を手にもった少年像が残っていた、なんともわびしいとなる

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大堀小学校の跡地
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中に陶器がまだある店がある
陶器が散乱して放置されている所もあった
おそらく放置したままで帰らなくなったのかもしれない

●大堀には古い歴史があった―神社をたずねる

大堀は江戸時代からの歴史かあるから神社もある
そして山津見神社が高い所にあった、これは発見だった、こんなところまであるのかと驚いた
とにかく相馬藩の地域には綿津見神社と山津見神社が多いのである
これは一対としてあり飯館村には綿津見神社と山津見神社がある
それは安曇族の海人族が入ってきた証拠なのである
だから小高の海岸にも綿津見神社があり浪江町の大堀にも山津見神社があった
それだけこの辺は安曇族が古代に最初に開拓に入った場所なのである
本当にこれだけ綿津見神社と山津見神社があることは驚きである
後は愛宕神社とか天神社とか他にもあった
江戸時代からのものであるが山津見神社は古代に由来するから注意すべきである

この耳塚に埋められているのは、八面大王の耳であると言われている。八面大王はこの安曇野地方の伝説では鬼とされ、悪逆の限りを尽くした後に坂上田村麻呂によって攻め滅ぼされたとされている。しかし蘇ることを恐れた田村麻呂は、八面大王の遺骸を切り刻んで各地に埋めたのである。耳塚はその耳を埋めた場所であるとされているのである。
https://japanmystery.com/nagano/otuka.html

大塚神社が城県とかにもあり他にもある、全国的にもある、九州にもある、この大塚は何なのか?津浪の被害にあった磯部の近くにも大塚神社があった
これは全国的に多いがその由来がはっきりしないのである
大塚とは塚だから墓であり古墳に由来するのか、謎である
ただここで安曇地方に関係していたことがうかがわせるものがある
安曇はまこ海人族であり何か土着の人々が大和王権に逆らったから伝説として残されている、ただそれが大塚とどういう関係になるのかわからない
つまり塚というから大とは王の意味だともしている、つまり王の塚⇒王塚⇒大塚となったこれは天皇と関係しているのか?なぜ全国にあるのか?地域の王であり天皇とは違ったものなのか、何らか古代は安曇族でも全国的に大和王権に天皇が全国の唯一の王とはなっていない、そういう時代に地域の王を埋めた所が古墳が大塚がありそれが大塚となったのか
ただ安曇族の山津見神社の脇に大塚東照宮とあるのは大塚と王のことであり東照宮とは家康のことである、つまり王なる家康となるがもともと大塚と安曇族が関係していてそうなったのかとなる、家康が王となったので大塚とはもともと王から由来すると王なる家康となるのである
他に愛宕神社とか天神社があった、この由来も何なのか、神社には由来が不明なものが多いのである
ただ地域でも地域の地域でも古い神社がありそこには人がもともと住んでいて継続していたのである、その継続が原発事故で断たれたのである
でもまた全国的に人口が減って過疎化して限界集落となり村自体の歴史が失われてゆくのが日本だとなる

●高瀬川溪谷へ行き帰る

高瀬川の渓谷へは交通止めがあったが入ることができた
紅葉の渓谷で水墨画のような風景になっていた
11年ぶりに来たがやはりここの風景は特別である
車が一台葛尾村の方から来た、車も通れないことがないのかもしれない
でも車は二台くらい通ったがやはり交通止めになっているからだろう
ここにトンネルが二つくらいありそこを目指して走って来た
でもなかなかトンネルが見えないのでここではないのかと疑った
でもまもなくトンネルが見えたので良かった
10年も行かないとわからなくなる

街の中は新しい食堂が増えた、道の駅にもあるが他に食堂が多いと見た
あとはホテルがにぎわっているみたいだ
つまり原発の仕事や浪江でも除染の仕事がつづいている
そうした原発事故関係の仕事をする人達がまだ多いのである
夜道を原町から金沢を経て鹿島に出る道にプレハブがあるがそこが思った以上電気がついていてここにも未だ原発関係で働く人がいるのかと見た
昼ではわからなかった、原町でも双葉で車で労働者が送られることがあるだろう
原町から浪江までは18キロだったから車だったら近いのである

まず小高であれ浪江であれ田畑は荒地化している、でも耕運機が道を行くから農家でも農業をはじめた人もいるのかとなる
ただ見たかぎりでは田畑があり人の手が入ったいるのが見えなかった
農業が回復することはむずかしいだろう、何か街中に横浜から来た若い人が案内していたがなかなか農業を回復させることはむずかしいとなる

ただ外部から若い人が入ってきている、駅前の新しくできた案内所でも横浜から来た若者だった、でも目的は何かとなるとなかった、だからもしかしたらこういう人は定着しないかもしれない、今は外部から来る人が歓迎される、そもそも住む人がいないからだ
でも何か目的がないと定住しないかもしれない、コンビニで働いていた人も若者である
だから地理がわからなかった、その道は川俣に通じる道だった
何かあの道は歩道でも広いから新しくできた通りらしい、新しい食堂もあったからだ
それでコンビニもできていたのである

次は小高の大悲山の石仏から高瀬川溪谷への短歌です
posted by 老鶯 at 10:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2022年11月08日

常なる道の花ー隣の庭の紅葉(晩菊、紅葉、冬たんぽぽ、冬薊)


常なる道の花ー隣の庭の紅葉(晩菊、紅葉、冬たんぽぽ、冬薊)

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ここに大きな平な石があった、庭としては広い

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(隣の庭)

庭広く紅葉に松や大き石

朝日さし隣の庭に紅葉映ゆ

街中の路地裏の道冬たんぽぽ

三色の晩菊に日さしあたたか

墓地近く晩菊三色映えにけり

常なりき今日もこの道冬薊


隣の庭の紅葉がきれいである、空家になりその庭は広いし木が五六本ありそれは映える
庭が自然になっているというとき日本では家庭というように庭が自然であり一体となる
庭の石でも木でも花でも人間化するのである
何か広い庭がありもったいない、誰か住むようになるのかわからない
でも他人の家と庭だから勝手にはできない、その家とはいざこざもあったからだ
でも都会でもそこに大きな庭があり木などがあればそこには自然があるとなるから貴重である、都会は自然が少ないから貴重なのである

路地を歩いたら冬たんぽぽが咲いていた、何か冬でもまだあたたい、浜通りは冬でもあたたかい方である、会津だったら雪に埋もれる一日中どんよりとして雪になる
この天候の相違も大きいのである
晩菊に陽射しがあたたかい、三色の晩菊が心地よく咲いているとなる
この晩菊は老人なのである、それは墓地の近くに咲いていた

これは別にしてここに移した、今日は陽射しがあたたかだった
今年はやはり暑かった、太陽が関係もしている
だから秋が短く冬にもなったがまだ冬という感じはしないのである

いつも行く道でも季節の変化がある、晩菊というという時老人なのである
それぞさに色が違うということはそれぞれの人生を生きてきたからそうなる
それで老人は語ることに意義がある、浜通りは冬でもあたたかいときがあるから冬たんぽぽが路地裏の道にも咲いていた、いかにもそこに似合っていた
花でもやはり人間とともに活きているからである
ただ路地裏だと飲み屋とかあるから何か花にはふさわしくないともなる
だからだから都会のネオン街などにはふさわしくない
どうしてもそういう場所に花が映えないとなる
花が映える場所というのはネオン街とかにはない、花を飾っても酒の匂いがしてまた女性でもそこでは本当の美はない、虚飾の世界なのである
やはり花は野に映えるとなる、でもフラワーアレンジメントとかわび、さびの世界の茶室には野の花も映える、また別に外国の花でも花は映える
その場が問題なのである
私は親の遺影にいつも花を献げている、花は死者にささげるのにはふさわしいとなる
死者はもう汚されることはないからである、また自らも他者を汚すことがないからである
ともかく庭でいいのは身近に自然を感じることである、日常的に感じることである
だから隣の庭も自然と感じる、都会では大きな庭があればそこに自然を感じるとなる
それはその家だけのものではなく全体に影響するのである
いづれにしろまだこうして空家になっても回りに人が住んでいればその自然は活きている不思議がある、それはまだ回りに人が住んでいるからである
でも原発避難区域になったところでは回りにも人が住んでいないのである
だからその空家の庭でも誰もみないとなる、特に農家などは街から離れて孤立しているから余計に見ないのである、そこは死んだ家にもなってしまうのである
空家をどう活かすかは全国の問題である、もったいないからである

2022年11月07日

相馬市の中村喫茶店が閉店した、他にもイオンが閉店した相馬市の衰退 (純喫茶は全国的にも消えてゆく)


相馬市の中村喫茶店が閉店した、他にもイオンが閉店した相馬市の衰退

(純喫茶は全国的にも消えてゆく)

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ここに五本松があり次に枯れて三本松になり遂には松は全部消えたのである
何かこれも淋しい、喫茶店も消滅してゆく、限界集落とかも消滅してゆく
温泉街も廃墟化したのには驚いたからである



喫茶店数は30年で半減! 「純喫茶」はこのまま絶滅してしまうのか

全日本コーヒー協会によれば、喫茶店数は1981年の15万4630がピークで10年後の91年には12万6260、そして2016年には6万7198まで減少している。つまり、なんとこの30年間でほぼ半分にまで減っているのだ。

 これを受けて近年叫ばれているのが、「純喫茶の絶滅危機」である。

 『絶滅危機?昭和レトロな純喫茶 「文化残す」受け継ぐ若者の思い』(毎日新聞 21年10月4日)というニュースも近年増えてきている。

 明治に西洋から「カフェー」という文化が入った当初、ここは文化人や上流階級の人々のサロン的な役割だった。

 「喫茶バー」や、画廊だったが珈琲を出すようになった「画廊喫茶」もあれば、音楽を延々と流す「ジャズ喫茶」、漫画をたくさん置く「漫画喫茶」もできた。その中でも1960年代に爆発的に増えたのが、若くて美しいウエイトレスがウリの「美人喫茶」である。

 創業60年を超えるある老舗純喫茶は、Wi-Fiや電源を新設して「リモートワークできます」と掲げてコロナ禍でも売り上げを伸ばしている。
 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/902102?page=6
 
道の駅の近くの六号線にあった喫茶店も閉店した、道の駅は新しく開業したが魚は売っていない、でも食堂はあるし休める、ところがコーヒーを飲んだりしして休む場所がない
食事するところはあるがくつろぐ場所がない、何かコンビニでも休む場所があるのはまれである、これも困るのである、ただそれは商売になると無駄だとなりそうなる
コンビニだと狭いからである

喫茶店は1980年代が最盛期だった、だからずいぶん昔になったのである
その頃まだ若者が多かったからかもしれない、喫茶店に若者が集まっていたからである
私は喫茶店というときどうしても旅行して休む場所としてくつろぐ場所としてあった
そこで詩作したりもしていたからである
ただ喫茶店はその頃青春時代を過ごす場だったのかかもしれない、恋人との出合いの場所とかなっていたのかもしれない、だから若者の熱気であふれていた
とにかく団塊の世代とかは若者が多くそれがムーブメントになっていた
学生喫茶とかあり歌声喫茶とかありそこでみんなで歌って青春を謳歌したとなる

1955年(昭和30年)、東京・新宿に「カチューシャ」、「灯」がオープン。これをきっかけとして東京に歌声喫茶が続々と誕生する。労働運動、学生運動の高まりとともに人々の連帯感を生む歌声喫茶の人気は上昇し
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E5%A3%B0%E5%96%AB%E8%8C%B6

これは政治とも関係していて左翼の集会の場所となっていた、私は歌が苦手なので東京の大学で学生運動があっても喫茶店というのにはあまり行った記憶がない
ただ50年前となると忘れるのである
確かなことは喫茶店は若者が集まる場所だったのである
でも今高齢化社会になったとき中村喫茶店ではビートルズの曲を流していてバンドもそこでしていた、その人たちは昔をなつかしんで集まっていたのである
ビートルズは団塊の世代とかが熱狂したからである
そうなると老人が昔をなつかしんで集まる「老人喫茶」にもなってしまう
喫茶店は結構金がかかるから今の若者は金がないから入らないし若者の人口も少ないからはやらないとなる、今どこでも喫茶店に集まるのは意外と老人になっているかもしれないこれだけ老人の数が多いとそうなる、老人が集まれば昔の話に花が咲くとなる
だからこそ中村喫茶店もビートルズの曲を流していたのである
ただこういうことは時代に合わないともなる、なぜなら老人も今は金に余裕ある人は少ないからである、特に地方ではそうである、また喫茶店より飲み屋の方が肉体労働者だったら集まり安いからである、でもそこでも金がないと行けないとなる

とにかく何でも時代の影響がある、流行がある、その流行を若者が作っていたのである
若者が新しいものを作っていた、流行を作っていた、今はその若者が減少しているから
若者文化は生まれないともなる、地方ではしきりに嫁になる若い女性が都会へ東京とかへ流出して若い男が結婚できないとしている、今同世代の老人でも娘が結婚して東京に行っている人がかなりいる、地方に田舎に残った人は少ないのである
それはまた若者の働く場所がないことで男でも結婚相手が見つからないのかとなる
地方の仕事はどうしても建築土木とかであり知的な仕事は限られている
だから公務員とか教師とか郵便局とか銀行員とか農協に勤めれば田舎ではエリートだとなっていたのである、今になると郵便局でもゆうちょでも銀行でも農協でも経営が苦しいから変わったのである、それは全国的なことである
地方には活気がなくなっている、ただ地方には田舎には田舎の良さがある
私が一番常に気にしているのは景観なのである

喫茶店でも前に紹介したが

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ここは景観がいいのである、一番景観がいいのは鹿狼山の花木山の喫茶店である、太平洋を一望できるからである、ただ自転車で行くのに遠いから三回くらいしか行っていない
そこは喫茶店というより休息所である

洒落た建物であり前は畑で見晴しがいい、バラの園にもなっているからいい
でもここでも数回しか行っていないのである、だから常連客にはなっていない
でも景観がいい場所にあるのは気持いいのである、だから原町だと喫茶店が景色のいい場所にない、海の見える場所にあればいいと思う、六号線でもそういう場所にあればいい
また花が好きだから花屋兼用の喫茶店などでもあればいいと思う
ただやはり時代に合わせないと商売はうまくいかないのだろう
高齢化社会の客は老人になってしまうからである、若者の数が少なすぎるから客になりえないのである

また老人にしても年金暮らしであり金に余裕がある人は少ないから老人相手の商売は成り立ちにくいのである
ただ商品でも老人向きのものがでていないというのは確かである
なんでも若者向きだというのも矛盾なのである、だから金がある老人でも買うものがないと言う人がいる、スマホでも操作がめんどうなのである
老人に向いているのはスローなものであり何か昔を語り合うとかである
だから車などは向いていないかもしれない、そのスピードが速すぎるからである
老人はとにかく過去を思い出して語り合うことに向いている
過去でも昔でもやはりその経験したことが違っているからである
だから私は老人からそうして昔の話を聞いて郷土史を知る、そこに老人の存在意義があるからである

とにかく相馬市で中村喫茶店は城下町の雰囲気に合っていた、レンガの喫茶店なのもレトロで合っていたし市内にあるからそれなりに人が集まると思っていた
隣が庭になっていて藤の花がきれいだった、それが売りでもあった
それが閉店したのは残念だった、それも一二年くらいで閉店したのはなぜなのか?
老舗の喫茶店ではないのである、つまり現代社会に喫茶店が合わなくなったとういことである、喫茶店は地方で維持するのは相当にむずかしくなっている
ただ原町に確かに通信してテレワークできるような場所ができていた、また新しい店もできていた、だから原町には新しいものができる
でも相馬市は城下町であり城下町の雰囲気を壊す街作りは合わない、だから原町と相馬市の雰囲気は相当違うのである

でもイオンとかなくなるとこれも影響が大きいと思った、何か寂れた感じになる
あそこでいつも休んでいたからである
そしてそこでは相当数の人が働いていたのである、するとその人たちが失業することも影響が大きい、でも別に地元で暮らす人スーパーが他にもあり困ることはないだろう
イオンの危険は地元に根ざすより東京の会社だから撤退することがある
するとそこが空洞化して影響が大きいのである、それを私も感じた
だからイオンとういのは土着的ではない、チェーン店はこういうことがあるから困ることがある、でも現代は小さな店は商売にならないのである
そうはいっても結局商売も時代によって常に変化して変わらざるを得ないのである
それに適応しないか改革しないと取り残されて衰退するのである
それがグロ−バル化した経済でも日本が世界に遅れたのと同じである
IT化に遅れて貧困化したとかあるからだ、ただなんでも新しいものがいいとは限らない
伝統的なものにも価値があるか、昔ながらの良さが必ずありそれも見直されるのである

中村喫茶店の庭とかレンガの建物や花屋とかしていたけどそれをどうするのだろうか
何かもったいないと思った、隣の家は壊されていた、あそこはやはり藤の花がきれいだから何か活用すればいい、庭は五百万円かけて作り直すことができると言っていた
それもできずに終わった、ただ城下町に合ったものをここで継続すればいいと思う
問題は資金である、それはやはり金を集めることが必要になる、市民の協力が必要になるでも喫茶店だけではもう経営できない時代だからどうするのかとなる
相馬市には他にも喫茶店はある、でもかなり少ないし喫茶店は消えつつあるのが現状である、書店も消えてゆくのもそうである、どうしても時代の影響がありそうなる

結局私が寄って休んだのはドライブインの店だった、結局これも車社会だからこういうものができて成り立つ、時代の影響を商売でもまねがれないのである

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 藤の花と相馬の城下町 (中村喫茶店の藤の花)
 http://musubu.sblo.jp/article/188664973.html
 
 喫茶店は場所がいいと価値がある
 http://musubu.sblo.jp/article/189432870.html
 
posted by 老鶯 at 10:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年11月06日

冬に入る相馬市までの俳句(柿 晩菊、黄菊、冬の鴨、冬の月)


冬に入る相馬市までの俳句(柿、晩菊、黄菊、冬の日、落葉、冬の鴨)

降居神社

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大国主は出雲系の神である

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湯殿碑は本当に多い
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この根っこが凄い、太い根っこが張っていて力強いのである
大地からどんなしても離れないというもの感じる
これは相当に大きな木だったことは確かである



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ここの前は広い畑なのである、前畑になっている、こういう所に住んで仕事することは
何か充実感があることは確かである、前の畑で野菜でもとれれば食べ物があるから安心だとなる

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中村喫茶店が閉店したのは驚いた
庭もあったし藤の花がきれいだった
これをどう利用するのだろうか
誰かがまた何か利用してはじめるのか
喫茶店はやはり贅沢できない時代になり成りたたなかったのか?

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イオンも閉店して喫茶店がないので近くのハンバーガー店に入って
休んだ、喫茶店は休むのにいいがやはり料理がでないと成り立たない
でも休む場所が必要なのである




(降居神社)鹿島区岡和田

誰が守る社ひとつや冬菜かな

晩菊や神社の由来尋ぬかな

冬日さす白壁の蔵に古木の影

門古りて蔵に農家や柿なりぬ

農家なる前畑広く黄菊映ゆ

冬の鴨三羽寄り合う城の堀

閉店や中村喫茶店冬に入る


木の根っここの地に根付き離れざる冬の日たずぬ降居神社を

石段の古りて上るや社かな落葉を踏みて謂れをたずぬ


隣の庭の紅葉がきれいである、空家になりその庭は広いし木が五六本ありそれは映える
庭が自然になっているというとき日本では家庭というように庭が自然であり一体となる
庭の石でも木でも花でも人間化するのである
何か広い庭がありもったいない、誰か住むようになるのかわからない
でも他人の家と庭だから勝手にはできない、その家とはいざこざもあったからだ
でも都会でもそこに大きな庭があり木などがあればそこには自然があるとなるから貴重である、都会は自然が少ないから貴重なのである

路地を歩いたら冬たんぽぽが咲いていた、何か冬でもまだあたたい、浜通りは冬でもあたたかい方である、会津だったら雪に埋もれる一日中どんよりとして雪になる
この天候の相違も大きいのである
晩菊に陽射しがあたたかい、三色の晩菊が心地よく咲いているとなる
この晩菊は老人なのである、それは墓地の近くに咲いていた

今回は降居神社をたずねた、ここはなぜか訪ねたことがなかった、神社の数も多いからである、ここの神社の由来はわからないという

856年の平安時代に、現在の茨城県である常陸国大洗磯前にオオナムチ(オオクニヌシノミコトの別名)とスクナヒコナノミコト(少彦名命)が降臨され、この地の民を救うために降臨したとして、この地に神社が創建されました。

また、スクナヒコナノミコト(少彦名命)がオオクニヌシノミコトの前に現れた伝承の地である出雲(現在の島根県)には、オオクニヌシノミコトと共に、スクナヒコナノミコト(少彦名命)を祀る神社は多数あります。
https://onl.la/HJjD66P

事代主神(ことしろぬしのかみ)は、日本神話に登場する神。

記紀の記述
別名は八重言代主神、八重事代主神とも表記し、『古事記』において大国主神と神屋楯比売命との間に生まれたとされる。

葦原中国平定において、建御雷神らが大国主神に対し国譲りを迫ると、大国主は美保ヶ崎で漁をしている息子の事代主神が答えると言った
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8B%E4%BB%A3%E4%B8%BB#%E4%BC%9D%E8%AA%AC

この降居神社の由来は出雲系なのである、国譲り神話があり東北に逃れて来たのが出雲系である、諏訪神社などもそうである、それで東北のズーズー弁と島根鳥取とかの方言が似ているというのももともと蝦夷がいる東北に逃れた人達である同族だったとなる
八重言代主神とあり山元町に八重垣神社がある

八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を

この八重垣である

ともかく神社の謂われは古いのである、湯殿の碑など江戸時代に作られた碑があるがその前にこうして伝説があり古代にさかのぼるのである










宮城県山元町の地名ーかすべ田ー犬塚古墳の由来


宮城県山元町の地名ーかすべ田ー犬塚古墳の由来

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かすべ田の由来

磯の西、雷神山の山裾に窪地に五坪くらいの田んぼ数枚あった
ここをかすべ田と呼んでいた
昔荒地を拓いて小さな田んぼにして耕していた
田んぼが小さいので魚のかずべくらいということから、誰言うともなくかすべ田の名がついた
(山元町ーふるさと地名考)

「かすべ」の語源は「安くて不味(まず)い魚の滓(カス)」という意味から名付けられたという説も述べている。「かすべの干物は関西地方では肥料として使われていた」とも。すると、前説は「ジョーク」だろう・・・だが、「酒粕・酒糟」の「かす=粕・糟」ならば「魚の粕(糟)漬け」である・・・

かすべとはカスの魚のことか、カスにするような魚のことか、カスべはこの辺でもとれていて食べていた、93歳のレンガ職人だった人はそのカスべを良く食べていたという
それほどいい魚ではないからカスの魚となったのか?

かすべの干物は関西地方では肥料として使われていた

意外と魚が肥料として使われていた、それは日本が海に囲まれていて魚がとれるからそうなった、ニシンでも大量にとれたが肥料として使われていたのである
それで相馬藩からでも船でその肥料となるニシンを買いに行った、米を積んで米を売ってニシンを買ったのである

土地に海の魚の名前つけたのは魚をとっていた人達、漁師かもしれない、確かなことは
その魚は日常的に獲ったり食べたりしていた人達である
第一そんな名前を普通はつけないからである、日本では土地が少ないから少しでも土地があれば田んぼにした、そこで米をとれば食料になるからである
漁師が魚をとるにしても米はとれないと米が食べれないからである
でも魚を売って米を買うことはできる、だから魚は売って金になったとなる

そのレンガ職人がカスべを子供の時でも食べていたという時、私にはカスべという名前すら知らないのである、知っているのは塩引きの鮭とかサンマとか年越しの魚の石鰈である石鰈は一番ぜいたくな魚だった、だから年に何度かしか食べられない、それで年越しに食ものとしてあった、それは烏浜に漁師がいて売りに来たとなる
その石鰈は震災前でも高いものだったのである
でも子供時代の記憶としてこのカスべという名を知らないのである
それを食べた記憶もその味もわからないのである
でも確かにこの辺ではカスべを食べていたということである
山元町にも漁港があり漁師がいて魚をとっていたからカスべを食べていた
身近な魚だったのである、山元町の津浪の被害は大きかった
根こそぎ海岸近くの家が失われたとなる
山元町は相馬藩と隣り合わせで伊達藩と争ったこともある
でも近いから太平洋岸として繋がりがある


犬塚古墳の由来

主人公サンを乗せた犬神が、たたらばを襲撃するというシーンがありました。ある研究によれば、製鉄の集団は砂鉄を探すのに犬を使っていたと考えられているのですが、もしかしたら、そのような研究を踏まえているのかもしれません。

伊藤:砂鉄と犬ですか?

奈良:はい、意外な組み合わせかもしれませんが、身近なところでいくとお伽噺の「桃太郎」を例に考えると、わかりやすいかもしれません。この研究について読んだとき、「桃太郎」が鬼退治に行くときに犬を連れていたことを思い出しました。


鉄づくりは日本の文化 0たたら製鉄の「たたら」って何?

義犬塚古墳と捕鳥部萬(ととりべのよろず)

捕鳥部萬と忠犬の白い犬の事が、「泊瀬部天皇 崇峻天皇」(『日本書紀』)に書かれている。

犬は製鉄と関係していた、桃太郎が犬を連れて鬼退治した、それも製鉄と関係していた
だから犬塚古墳は山元町だけではないほかにもあるとなる
とにかく福島県から宮城県の浜通りは砂鉄を求めて渡来人が来た跡が明確に残っている
そして地名化もしている、そのことは前も書いた、南相馬市の真野地域は産鉄族が拓いた土地だともなる、それで境界にもなり真野の草原の万葉の歌が残された
産鉄族の真野氏一族は石巻から北上川に入り上り登米までその跡を残した、そこに真野と記された木簡が発見されているからである
また石巻には濃厚に真野氏関係の和邇氏がかかわり和邇(わに)山もある、また萱原という地名もありそこが真野の草原だという説もある
それはやはり濃厚にその跡が想像ではなく証拠品もでているからである


2022年11月05日

万年風呂‐レンガの風呂を作った職人の話 (室蘭とかまで行ってレンガの風呂を作ってもうけた)


万年風呂‐レンガの風呂を作った職人の話

(室蘭とかまで行ってレンガの風呂を作ってもうけた)

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大原の空家にあるレンガに風呂


スーパーの前で座っている人がいたので話かけてみた
その人はいろいろ話す人であり昔のことを話しした
93歳でも真っすぐ立てるし話しもうまい
地元の人だから地元の話もした、戦争中疎開人の子供のことも話した
この辺にもそういう人がいたのかとなる
何でも食べ物がなくて盗んだとか言っていた、また弁当でも盗まれたとか腰にくっつけて運動もしていた
野菜でも盗まれたとかいうのは今でも同じである、畑とかのものが盗みやすいのである
梨とかでも一つくらいとって食べてもいいのかなともなるからだ

おそらく疎開の子供が食べ物を盗んだというのは食べ物が満足に与えられなかったからだろう、疎開のことではいろいろ語られている、相当に辛いことだった
何よりも戦争中疎開したというとき食べるものが問題だったのである
食べ物がないから盗むということがあった、子供でも腹をすかしていればそうなる
だから必ずしも今と違って責められないことがあったかもしれない
時代時代によって事情が違うからである

その人の話で一番印象に残ったのはレンガの風呂を作っていたということである
戦後まもなくはそんなレンガの風呂を作ることは贅沢だったろう
私の家では父親が木の風呂、鉄砲風呂を自前で作った、その風呂たきが自分の仕事だった燃やすのは木材を切り落とした端切れであった、それは無料でもらえたのである
その頃電気も水道もない時代であり燃料は炭だった、その暮らしは原始的だったともなる洗濯は裏の堀でしていたのである

だから風呂でも銭湯に行っていた人もいるし五右衛門風呂とかの家もあった、隣はそうだった、だからレンガの風呂はしゃれたものでありその当時はモダンなものだったとなる
そのレンガの風呂を大原の廃屋で見た、その廃屋は本当に幽霊が住んでいる感じなのである、でも外風呂で小屋の中がレンガの風呂になっていたのである
だから原町の大原でもそこは結構豊かな時があったとなる

そのレンガの風呂を作ることができる人はそんなにいなかった、その人は壁塗りとか仕事にしていたがレンガの風呂の造り方を自力で覚えたという、そのことで北海道の室蘭とかまで行きレンガの風呂作りを請け負いしていた、その時そこでもレンガの風呂を作れる人がいなかかったためだったという
だからそんな遠くまで需要があり行ったとなる、北海道となると遠い、でも飯館村の木戸木でも東京の方に呼ばれて仕事していた大工さんがいたのである
だから職人となると意外と遠くまで働きに行く、飯館村の塩の道に地蔵がありそれも長野県の石工が来て作った悲恋の物語がある
つまり土地の女性と恋に陥った物語である、職人とはこうして遠くに出稼ぎに行くことがあった、それは技術をもっていてそうなったのである
接着剤として海藻が使われていたことも言っていたが意外だった

春の塩の道をたどる(二本松までの絵巻物の詩)

恋の悩みを背負わされて肩をそがれた地蔵尊
http://musubu2.sblo.jp/article/17459236.html

旅の若い石屋が真福寺に頼まれ地蔵を作ることになった。峠の麓の宿に泊まり頂上近くの仕事場で石を彫った。峠の茶屋に美しい娘がいて恋におちいった。彫り終えたら別れねばならぬと石屋は不安になりはんばできあがった地蔵の肩をそぎおとした。これは「きっつぉこね地蔵」と呼ばれた。「きりそこね」という意味である

「海藻のりの役割」
https://shikkui.denden-kyokai.com/2013/12/blog-post_26.html

これも意外だがやはり化学薬品がないときこういうものまで接着剤として利用したとなる

漆喰壁が呼吸をすることで、冬場の「乾燥」や夏場の「湿気」を防ぐ効果が期待できるのも魅力です。調湿機能に優れた漆喰壁は、年間通じてお部屋の湿度を快適に調整してくれます。
https://onl.la/7B8xD4R

これは昔から伝えられた日本の技だった、ヨ−ロッパとか外国では壁塗りとかないという壁塗りの技術は日本だけのものらしい、私の家は土壁でありそれ以後は職人がいなくなったのである、土壁の中は竹で組んでいるし泥土を踏む作業があり楽な仕事ではなかった
こうして何か家というものでも苦労して作られたことを知る時価値あるものとなる
今はハウス会社で組み立てて作る昔の職人は相当に減ったのである
でもハウス会社の建売住宅だと後で増築とか修理することがむずかしくなる
だから近くで地震で壊れた家は新しいが壊したのかもしれない、修理することがむずかしいからである

戦後まもなくとかレンガの風呂はなかなか作れなかったから高度成長になるとき仕事がいくらでもあったという、それで助かったと言っている
そしてレンガの風呂は作れる人が少ないから希少価値があったので遠くまで行って稼げたとなる、ただ今でも建築土木関係は遠くに働きに行くので変わっていない
その人は木戸木(ことぎ)でもレンガの風呂を作ったという、それは大工さんだったという、すると最近あって話を聞いた木戸木の大工さんの家のことかともなる
その人は83歳であったからそんなに年齢も離れていないからである

その人はもともと栃窪生れであり町の方に暮らすようになった
子供も何人か育てた、娘が三人とかいる、それで家族と一緒に暮らしているから国民年金は五万しかもらっていないという、だから小遣いは一万だと言っていた
国民年金だとこのくらいになってしまうのである、ただ妻と合わせると10万だと言っていた、ただ娘の家族と一緒に暮らしているから暮していけるとなっている

その人がしきりに言うのは子供もいないが若い女性がいなくて田舎では男が結婚できないと言っていた、みんな東京とかに出て行って若い女性がいない、若い男性は結婚することができないと言っていた
それも今の問題である、どうしても田舎では仕事がないから都会に東京とかに出る
そして若い女性も都会に東京とかに出て行き田舎には結婚できない男性が取り残される
戦後まもなくから高度成長時代の時は若い女性でも地方にいたから結婚できた
何でも戦後まもなく農家の嫁になれとか言われた人がいた、その人は農家に嫁いだ
その頃農家が女性の結婚先としてあった、でも農家は嫌がる女性がいた、仕事もきついし嫁姑問題があったりと嫌われて嫁ぎ先として拒否されていたのである
でも仕事として農業は六割とかの時代があったからそういうことが起きていた

地方の問題は戦後まもなくからはとにかく仕事がない、大量の引揚者が帰ってきても仕事がないからわずかの土地を求めて農業したのである、ここから近くの小池にもそういう人がいたしそれはどこでもいたのである、ただ木戸木(ことぎ)は戦前から人家があり二三軒住んでいたのである
ただまぎらわしいのは戦後開墾に入った人たちである、その人達も戦前から住んでいる人と勘違いするからである
ともかく地方に田舎に戦争が終わって引揚者が帰ってきても働く場所がなかったのであるだから不便な所に入り開墾して農業したとなる
でも半分くらいは苦しいのでやめたとなる

そのレンガ職人がしきりに仕事があって良かった、仕事がいくらでもあったというとき
仕事がなければ住めないということである、飯館村でも一万人くらい人口があったときがある、それが半分くらいになった、それは他でもそうである
室蘭でも今では人口が半分以下になっている、工場とかがなくなって来たからである
それは全国的にそうである、そして若い女性もいなくなり仕事がないというとき地方は衰退する

ともかく郷土史もテーマにしているがこれは直接人から特に老人から話を聞くと実感するものがある、木戸木の大工さんとはこの人がレンガの風呂を作った人なのかとも思った
木戸木(ことぎ)のような辺鄙な場所でもそんな当時では風呂を作ったことはそれなりに収入があった人がいたことを証明しているからだ
大倉でもおそらく木材が売れて相馬女学校を出たことを自慢していた人がいた
ここでもやはり山の木材を売って金持ちになった人がいたのである
山でも金持ちになった人はいたのである、ただ必ず時代によって金持ちになる人も変わるし様々な変化がある、だから昔を知り今を知ることが大事なのである
老人の勤めは昔を語ることである、それは生きた歴史だからである、大きな歴史でなくてもそうなのである、別にその人でも学問などしていないのである
でもやはり一人の老人が語ることは歴史になっているのである
HISTORY-HI-STORY−物語なのである、だから人間は最後に自分の生きた物語を語る、そこに老人の価値がある。でも価値は金には換算できない。貧乏に生きたとしてもその物語に価値があるとなる


万年風呂とは万年使えるからと名ずけられた



posted by 老鶯 at 16:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

精神障害者とは何なのか (そもそも人間とは何なのかー知情意の問題)


精神障害者とは何なのか

(そもそも人間とは何なのかー知情意の問題)

精神障害者といっても千差万別なのかもしれない、直接接してみないとわからない
そもそも精神障害というとき何が精神障害なのかもわからない、例えばその人は100×100を計算できないという、では何もできないかというとそうでもない
知人の家で納屋にいろいろなものがありそこに米が入っていて取り出せなかった
自分も取りだせなかった、でもその人はとりだせたのである
するとそのことを見れば自分より優秀だとも見たのである

では何が精神障害なのか?

これがわからないのである、計算できないということは知的障害者なのか?
何か精神障害者とか発達障害とかは小学生くらいで発達が止まっているという
要するに子供だとしている、では子供と大人の相違は何なのか
例えば子供は親に世話されものだと思っている、何でも与えてくれるものだと思っているその障害者は何かそういうことがある、親がその人に対しては他に兄弟がいてもどれだけ尽くしたか理解していない、いつも心配していたのである
ても50歳になってもそのことがわかっていないから依然として子供なのかとも見る
だから母親が脳出血で倒れて介護状態になっても世話することができない
それだけの能力もないとなる、負担がかかるからできないとなる
でも軽いことならできるのである、父親の時でも何か足りないもなのを持っていたりしたからである
ただそれはあくまでも軽い作業であり負担にならないことである
だからとても自宅で介護するということは負担になってできないようにも見えた

ともかく人間は何かということが実はわからないのである、この人は人間ではない!
こういう時その人は非情な人であり残酷でありとても人間ではないとみる
でもその人は別に精神障害者にならない、かえって社会で重要な役割をもっていたり金持ちでもあったりする、社会的地位も高いということがある
何かわからないにしてもサイコパスとかもいる
非情でもそれが人間ではないなど言っても別にそういう人は普通に社会で暮らしているのである

その人が何が精神障害なのかよくわからない、ただ確かなことは50歳まで母親に世話になったか、その苦労を見たら母親に対して依然として小学生のようだというときただ世話になることしか頭にない、また介護でもできないとなるとそれが精神障害者であり普通の人間ではないとなるのか、それは言えるかもしれない、だから母親にしてみれば世話をしても何の報いもないとなる、でも何もできないことはない、病院に行って頼まれたことをしているのである、でも自宅で介護することは無理だと見たのであく

不思議なのはこの人は人間ではないというときもう残酷な非情な人をさしていう、そういう人は現実にいる、かえって戦争とかなるとそういう人の方が適任であり優れた人ともされるのである、人を殺すことが仕事にもなるからである
そこで相手をかわいそうだとか言っていたら戦争などできないからである
そこで非情な人間が英雄ともなる、プーチンとかでもそうなのかもしれない、ヒットラーでもそうだった、戦争ではジェノサイドとかありむしろ残酷なことが平然と行われるのである、そしたらその人たちは人間なのかともってしまうのである

例えば認知症とかでもそうである、これも精神障害だからである、ただ認知症で違っているのは病気になる前までは社会的地位もあり優秀な人でもなるのである
だからこれは何なのだろうと衝撃だったのである、もう人間でなくなったのかと疑った
でも物忘れとかは誰でもする、でも何かとわからないことがでてくる
計算もできない、漢字も読めない書けないとか銀行から金を下ろせないとかもある
知的障害がある、でもこれまた人間でなくなったのかとなるとわからない
なぜならこれまで生きた人生の中で培ったものがあり何もわからなくなったわけではないだから親切にすれば喜ぶし何か対話でもできる、人間としてわかることはある
良く世話してくれた人に感謝しているのである
そういう感情はありこれは生まれつき小学生から発達が止まった人とは違うのであく
またこれまで苦労して生きたというプライドもあるから違っている
だから馬鹿にすると怒るのである

それでこの人は人間ではないとして20人以上精神障害者を殺した原因は何だったのか
何か精神障害だったのかその辺がわからない、ただ小学生で発達が止まったというとき
いつもまでも母親は世話してくれる、では母親が病気になり世話する方になったときそれができないとなる、となると精神障害者は一人前の大人として扱えないとなる
50歳になっても子供だとなってしまう、でも何もできないことはない、でも普通の人ができることでも負担になるからできないとなる
だから親は一番世話した人に世話になれないとなり悲劇だとなる
何か親が世話される状態になったことを良く理解できていないからである

とにかくこの人は人間ではないというとき知的なことではなく、非情であり冷酷であり残酷な人を言っている、それは人間ではないというとき獣だともなる
ところが獣でも人間より優れていることがあるのだ、10年以上とか世話していた動物、ライオンでも虎でもその飼い主を忘れずに本当に再会を全身で喜んでいたのである
それは感動的である、猛獣でも恩とか忘れない、情は持っているとなる
でも人間は恩でも忘れるしあんなに体全体で世話になった人に喜びを表現することもないのである、恩を仇で返すこともある
すると人間とは何なのかとなる、動物より劣っているのかともなる
人間の知的能力は動物より格段に優れている、でも情的な面では恩を忘れるとか動物より劣っているともなるのである
精神障害者も千差万別であるが何か小学生で子供の状態のままで大人になっていないのかとなる、親にいつまでも甘えている、だから親が病気になり苦しんでいても軽いことはできても負担になることはできないとなる、世話する方になったことがわかっていないのである
だから精神障害者は親でも世話できなくなったらかなり厳しいことになる
親のように思う人も世話する人もいないからである、これは引きこもりとかでもそうである、介護のようになると厳しくなる、急激に関係が変わり世話する尽くす方になるからである、親はもう何もできない、ただ頼るだけの存在になってしまうからである

精神障害者の問題はいろいろある、そもそも精神障害者のことが理解できないのである
だからどう対処していいかもわからないのである

皿を1枚割っただけですぐ警察が入って逮捕する。一方で障害者が被害を受けた時は、殴られても被害者になれない。こういった障害者への不均等な差別は実際にあります。

精神障害者は罪を犯しても罪にならない、ということは罪の意識がないからだとなる
でも人間は罪を犯しても罪の意識などない人はなどいくらでもいる
刑務所に入って殺人を犯した人もそうだった、たまたま運が悪くて捕まっただけであると言っていた、つまり人を殺しても罪の意識がないのである
でもそもそもこうして罪の意識を持たない人は犯罪者でも相当いる
でも何も罪を具体的に犯していないのに罪の意識をもっている宗教家もいる
俺は悪人だとしているのである、だからそもそも罪の意識を持てる人は相当に優れた人だとなる

人間にはいろいろな面を持っている、例えば全然は何に興味を持たない人がいる
私の母親はただ働くばかりでそうだった、花などいらないとして庭に豆を植えろと言っていたのである、これも異常だったがびんぼうて苦労してきたからそうなっていたのであるまたそうした教育もされていないからそうなったのである
でも花を美しいと思わないとしたらその人は人間なのかとなる
でもそういう人は女性でも別にいる、その女性は花に興味がない、美人なのだけど花に興味もがない、性格的には陽気であり悪いことはない、でも花に興味がないのである
するとその女性は人間なのかとなる、美的なものに興味がない、美しいものを美しいものと見ないとなるからだ、それは動物なのかとなる
でもそういう人もいる、別に花に興味をもたない、美しいと見ない人は結構いるからだ
それぞれの趣味とか関心は違っているからである、でもそこに人間として大きく欠けたものがあるとなる

精神障害者でも画家がいたようにあることに能力がある人はいた、だから何か精神障害なのかわからない、むしろ最も残酷非情な人が英雄のようになる場合もある
政治家とかはそうなりやすい、プーチンとか習近平とか前はヒットラーなどがそうだったからである、政治の世界ではマキャベリズムになる、官前首相の愛読書がマキャベリの君主論であったとでもわかる、政治の世界は非情になりやすいことがあるからだ
だから精神障害者だけではない、普通に生きる人にも何かそれは人間ではない障害者なのかとなってしまうのである
ただ根本的に人間として生き物として情が通じないことが人間ではないとなっているのか?精神障害者と意思疎通できないというとき知的な面もあるが情的な面もある
認知症の場合は知的な面で通じなくなっているが別に情的な面では通じ合うことができるのである、親切にしてくれる人のことはわかるのである、またこれまでの人間関係がありそこで培ったものが継続するのである、つまり愛というものは通じるのである
ただ愛は動物にも通じるということである、植物にも通じるという人もいる
愛情をもって植物でも育てれば育つとなる、心が作用してそうなる
宗教だと知的なことより情的なもの愛情が大事だと説いたのである

だから人間ではないというとき情的な面から人間ではないとなる、でもそういう情がない人も実際この世に普通にいるのである、としたらどうなるのか、この世そのものが人間の住む所ではないとなってしまうのである、地獄とはそのことにもなる
確かに知的な面では人間は優れている、でも情的な面では愛情では動物より劣っているともなるからである、だから人間とは何なのかわからないのである
要するに知、情、意のバランスがとれた人間がいない、科学技術とか理系で機械とか物の分析している人は頭が冷たくなるという、それは人間相手ではとないからである
でも家畜でも動物を相手にしていると情が育まれるのである
そのために馬でも牛でも人間のように見て一つ屋根の下で暮らすと家族のようになっていたのである、今は動物と接する機会が少ない、でもペットを飼うのはやはり動物でも情が通じるからだとなる、現代文明社会といっても情の面ではかえって昔より後退しているのである、だから人間の進歩とは何かというのもわからないのである
人間が非情化する社会がいいものなのかとなるからである

2022年11月04日

冬に入る故郷(秋薔薇、時雨、短日、冬日没る、冬薊、冬籠り)

冬に入る故郷(秋薔薇、時雨、短日、冬日没る、冬薊、冬籠り)

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庭に石長くもあれや秋薔薇

頬濡らす一滴の時雨老い深む

短日や老人生きる日数かな

故郷の小径を行くや冬に入る

故郷の病院に入り冬日没る

この道に今年も咲きぬ冬薊

老一人木戸木に残り冬籠る


我が庭に一輪秋の薔薇咲きてしみじみと今日も一人見ゆかな

姉と母遺影に花を我が献げ訪ぬ人もなし冬に入るかな

知る人の病院に入り逢わざりき治れと祈り冬に入るかな

野は枯れて陽の没り早し夕雲に月の光りて老いし我かな

空家なる庭の紅葉の赤く映ゆ人住まずば誰に映ゆらむ


文化の日すぎて今日は明らかに冬だった、冬日が山脈に没するのが早かった
短日にもなった、一昨日なのか確かに時雨もあった、時雨というと山頭火である
後姿も時雨れてゆくか・・・となる

老人になると短日が似合っている、時間がすぐ過ぎてゆくからである、老人は冬に合っている、ただ今老人といっても70以上になる、60代は初老であっても老人とも言えなくなったのである、高齢化で老人という感覚が相当に変わったのである
長生きでないとき老人は何か貴重に見えたかもしれない、それは長生きする老人が少なかったから希少価値があった、それで姥捨て山伝説とかあるがこれでも本当のところはわからない、子捨てとか間引きとかは食い扶持を減らすために現実にあった
でも老人は長生きしないから江戸時代辺りだとあまり迷惑をかけずに早めに死んでいたともなる

知っている人は近くの病院に入院した、逢ってもいない、病院はウィルスが怖いのであるうようよしている場合がある、それで私自身が風ひいて40度の熱が出たのである
病院というときやはり地元の病院だと何か安らぐとなるかもしれない、近いと看病にも行きやすいとなる
ただ病院でも人による、医者でも看護師でも人がよければ場所は関係ないともなる
そもそも昔だったら村で病気になったりしたら薬師堂で祈るくらいしか方法がない

でもスリランカの村のように村人全員で祈っていたりしたかもしれない
高度な治療などできないから祈るほかなかったからである
でもそういうことでやはり精神的影響はある、そういう思いが伝わるからである
私が入院したときは相馬総合病院では看護師に虐待のようなことをされたからいいものではなかった
ただ今は看護師でも老人とか病人を嫌っている、それは数が多いからである
病院でも老人病院になっているからである、だから病院でも番号で呼ばれるとか無機質な空間なのである、そしてかえって病気を悪化した人がいたのであ
確かなことは老人の病気の対処は違ったものになる、老人医療を言う医者がいるがそうなく

私が毎日語りかけているのは姉と母の遺影である、私は姉と母のことを一番今でも大事にしている、それだけ良くされたのでそうなったのである
ただ本当に死者を愛すということはなかなか継続しにくい、全く返事がないからである
だから日々に去る者は疎しとなりやすいのである
ともかく今日は本当に冬になった、秋は終わった、ただ秋は短すぎた
紅葉はこれからであり晩秋が冬になった

奇妙なのは隣の空家に紅葉が赤く映える、でも見る人はいない
私がその紅葉を見て私に映えていることの不思議である
時々に庭に入っているからである、つまり空家の庭になったのだが半分自分の庭のようになっているのである
その家とは自分の家でいさかいがあった、でもその人達はみんな死んだのである
隣同士では何かもめることがある、でも今はみんなそうした人達も死んだのである
つくづく人間はこうして何か争うものであり醜いずるい人がいる
でもいづれはみんないなくなるのである、でも何か後味が悪いものを残すとなる
ただその家にもともと住んだ人はずっと前から住んでいない、別な所に住んでいたから
それも変わってしまったのである
そこに二十年以上住んでいた人は借りて住んでいたのである

飯館村の木戸木(ことぎ)に一人80以上の人が住んでいる、そのことを書いた
あそこに一人住んで冬ごもりとなるのかと思う、あそこは大倉でもあり意外と近いと思った、草野の方に行くと遠い感覚になる、もともと大倉は近かったのである
ただ坂があるので苦しいのである、車だったら近いとなる
自転車だとどうしても近くでも遠くなるのである
ただ一つの空間を共有する地域だと思った、川俣になると飯館村から十キロとなるから遠い、別な世界にもなる、飯館村まではもともと相馬藩内だから地理的にもそういう範囲にあった、でも葛尾村となると三春に近く遠く感じるのである




日本の貧困化格差社会化の危険 (世界でも信用できず信頼できず社会は分断される) (信用できず信頼できず社会は分断される)


日本の貧困化格差社会化の危険

世界でも信用できず信頼できず社会は分断される)


●階級社会の欧米

日本はあまりヨ−ロッパとかアメリカのように極端な格差社会、貴族社会とか階級社会はなかった、それは日本はもともと貧乏であり侍だからといって食べ物でもたいして庶民と変わりなかった、殿様くらいはいいものを食べていたとしても後はたいして変わりないのである
だから士農工商がそれは職業の分類であり階級の分類ではない
外国ではヨ−ロッパとかでその差が激しい、貴族の下で働く召使いたちは貴族の食べた余りものを食べてそれが庶民の料理として発展した
人間は食べ物に一番シビアなのである
そこに差が一番現れて貧乏を感じるのである、だから今私は果物が高くて買えないというときそうである、やはり貧困化して格差社会になると食べ物に影響する
それで栄養がとれないとかなる、それで病気になったのかもしれない

ヨ−ロッパとかに奴隷がいたのは民族と民族の争いが陸つづきでありまた多様な民族が混交しているから激しい争いがあり負けた民族が全部奴隷になることもある
それでスラブ民族はスレーブであり奴隷から来ているとなる
その民族の争そいが熾烈であり民族絶滅(ジェノサイド)も起きて来る
日本だと争ったとしてもそこまで熾烈にならない、歯止がある
それは同じ民族だということがある、日本は早い時期に一つの民族に島国の中で成った
からである
だから敵味方塚とかがある、ぼっしん戦争で東北で戦った九州とかの人でも戦死した人たちが手厚く葬られているのである、日本では戦争でも歯止がありジェノサイドにはならない、また奴隷化もしないのである

大陸だとその争いに容赦がない、異民族同士の争そいになり容赦がなくなる
そもそも階級社会はそこから生まれてきた、貴族がいて奴隷がいるというときその奴隷とは戦争で敗れた民族である、戦争に負けたら奴隷になるからだ
この奴隷にすることはアメリカに受け継がれて黒人は奴隷としてアフリカから連れてこられたのである
そしてなぜアメリカがまとまらないかというと人種差別があるのかとなると黒人はもともと奴隷とかありそういう歴史をひきづっているからである
それはヨ−ロッパの歴史から継続しているのである

ヨ−ロッパでも中国でも中東でも豪華な宮殿がある、中国でも始皇帝なら地下まで宮殿を作っていた、その富が支配者に集積されるのである、それが国が巨大だからそれだけの富みを持つことができる、今でも共産党の幹部が兆の金を持つとか妾を何十人持つとか継続されているのである、つまり支配者になると莫大な富が集中する
でもあれだけ中国が発展成長しても農民は依然として貧しいのである、とても14億の人間が豊になれないのである

●格差社会は国でも分断させる

どうして格差社会が問題になるのか、それは国がまとまらない、一体感を持てなくなる
そのことが具体的にわかるのは金持ちの家で働く召使とかに現れる
その生活の差が具体的に現れて感じるからである、それは食べ物に一番現れる
日本が貧困化するとき果物が高いから食べられないというときそうである
でも別にその人が働けば稼げればいいのだが高齢化して働けないということもある
そして必ず家に入って働く人は金持ちの家にきてその暮らしぶりを見てその格差を具体的に感じる、それは食べ物の差なのである、つまり貴族の余り物を食べるということに現れている、ただそれすらましな方だという時代でもあった
まともな食事にありつけない時代があったからである

そういう格差社会の何が問題かというと互いに信頼しあえない、共同できないことにもなる、それは金持ちにしても手伝ってもらうにしても必ず盗むことが起きる
とても信用できないのである、盗みはどこでも起きるが金持ちの家に働く人に起きやすいそれで雇う人を裸にして雇ったとかアメリカである、それだけ盗みが多いということである
つまりそうしたところで金持ちが働かせようとしても働く気になれない不満がある
すると盗んだ方がいいとなる、そういう格差があると互いに信用できないとなる
この信用があらゆるところで問題になる、別に手伝いさんでも十年とか働いていると
格差があるとしてもそれなりに納得して勤めるようになる、でも時間が必要になる
私もそれを実感した、別にその人は何もしないけどやはり最初は盗みがあった
でも五年間くらい家に来て互いに何か理解しあうものがありその人は盗むことはなくなった、つまり信用できる人となったのである
でもその期間は最低でも五年くらいかかるのである、人間が信用するということは最低でも五年くらいかかる、それでお手伝いさんを雇う時、ある家で十年勤めて問題なく信用されていれば信用できるとしているのもわかる
でも十年間の時間を見なければならないとなる

●どうして人間は信頼信用するのか

人間はそもそもこの信用が人間関係で一番問題なのである
第一初対面の人をまず信用できないだろう、それでこれまでは農家だったら三代同じ場所で働いていないと信用できないとなっていた、農家として認められないとかあった
つまりそれだけもう三代でも同じ地域で共に働くということで信頼を培ったのである
だから昔の農家とかなると簡単に新入りは仲間になれないとなる
それは時代遅れとなっている、だから農業はかえって会社組織にしてそこで信頼してやると楽だとなる、昔の村社会のような所で農家になることはむずかしいとなる
ただここで言えるのはいかに人が信頼して信用して共同することがむずかしいかということである
それには時間がかかる、昔なら三代同じ地域に生きて信頼ができるとなっていた
江戸時代はこうして村社会を基本としていたから強固な信頼関係があり共に生活していたとなる、江戸時代は農民社会であり変化があまりないからできたとなる

ともかく人間がどうして信用しあうか、信頼しあうかが大きな問題である
それが格差社会とか広域社会とかグロ−バル社会になると村社会とかとはまるで違った世界に生きるようになった、その時どうして信頼し合うのかとなる
だから契約が生まれたのは大陸だと異民族同士が信頼しあうことは非常にむずかしい
それで契約をしてその損失をまねがれるために細かいところまで契約書に書いて保証したとなる、それは遊牧民社会から生まれた、遊牧民は移動するから商業民にもなるからである、するとどうして信頼するかとなると商売してどうして損しないようにするかとなり契約したとなる、ただその契約でも破られることがある、それを守るのは軍事力だとなる
今なら警察力だとなる、強制する力がないと守れないとなるからだ
つまり商業でもどうしたら信用しあえるのかということがまずある
だからこの信用というのはどこでも問題になるのである

そして格差社会が悪いのは上と下で格差が激しいと金持ちの家に来て働く人が盗むように信頼し合えないのである、それを国単位になると国自体がまとまらない、離反して暮らすようになる、金持ちは盗まれるからと鉄条網を作り家を囲む、また外国の金持ちは私兵を雇うともなる、財産を守るためにそうなる
そうなると国自体がまとまらない、共同できなくなる、それがアメリカでも起きている
極端な格差社会であり数パーセントの人達がアメリカの富の半分をもっているとかなっているからである
そういう国はもう国自体がまとまらない、そこで対立も激しくなり内戦状態になっているというのもわかる、そこに格差社会の恐ろしさがある
金持でも安閑としていられないのである、絶えず盗まれるとか襲われるとか恐怖の中で生きていかねばならないのである、それが格差社会の問題であり世界的にもグロ−バル化するとアメリカのほんの一部の人達に世界の富が収奪される、金融とかでももうける人達がそうである、それは公平な市場ではない、操作された市場である
そこに信じられない格差が生まれている、そういうシステムが資本主義でもやはり破綻してゆくだろう、それは金持ちの家で働いて具体的に感じることができないから維持できるのかもしれない、外国のこととなると見えないしわかりにくいからである
でもこうした極端な格差社会はやがて信頼しえない信用しえないとなり破綻する
公平な富の分配がなく搾取されだけだとなるからである

つまり格差社会は互いに信頼信用しえない

このことが致命的になり破綻する、それは金持ちの家で働く人が常に盗むということでもわかる、食べ物でも差がありそこで互いに信用できないのである
つまりその格差でも大きくなければいいが大きくなると社会自体が分裂する
そういうことが世界で起きて来る、アメリカが内戦状態だというときそれが原因にもなっている,ヒスパニックなど移民が増えてその人達は英語もしりべられないとかなり意思疎通が難しくなっているからである、そして貧富の差も大きいからである
とにかく人間が互いにどうしたら信頼して信用するかが大きな問題なのである
広域化グロ−バル化するとそのどうして信用するのかとなる
村社会とはまるで違った社会になっているからである
大勢の見知らぬ人達が交わる社会でどうして信用する信頼することができるのかとなる
グロ−バル社会ではそれができないから破綻するとなる
株でも誰かがうまいこと操作して楽して大儲けしているとかなる
つまり株でも実際は信頼していない、それは八百長の博打と同じのようにも見ているのである、公平だと見ていない、だからもう株など信用できないともなる
そうして資本主義でも社会主義でも国自体が破綻してゆく、それが格差社会の深刻な問題なのである
posted by 老鶯 at 09:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

財布を入れたジャンパーがなくなった謎 (盗難とは思えない?カードは銀行で止めた)


財布を入れたジャンパーがなくなった謎

(盗難とは思えない?カードは銀行で止めた)

ジャンパーを探したらいつものあるところにない、財布を入れていたのとそこにカードを入れていた、金はそれほど入っていない、これは盗まれたとは思えない
また忘れたとも思えない、なぜならジャンパーだったらどこかに忘れるとかないからである
そして毎日買い物に行ってそのジャンバーの置いた場所が決まっていた
だからどうしても盗まれたとか思えない
でもいくら探してもないのである、でも何か小さなものだったらひょいと後から出て来るこれは大きなものだしなくしにくいものである
いつも同じ場所にぬいで置いていたからである
ただ盗まれたものでなくても一瞬盗まれたと思い込むことがある
でもこれはどうしてなくなったのか見つからないのかわからない
ただその額は小さいからたいしたことがない、カードは銀行に連絡してとめてもらえばいいからである

何か自分は災難つづきであり終わっていない、震災津浪がありそれから泥棒も入って来たし大金も近くの人に盗まれたとかある
でも今回は被害はたいしたことかないからとても盗まれたと思えないのである
でもどうしてもジャンパーだけがなくなっている、そこに財布が入っていたということがあり不可解だとなる
盗まれたとしたら近くの人かもしれない、なぜならジャンパーから財布を取りだして買い物していたからである、それを見ていた人かもしれない
ただそれもわからない、後は荒らされたものはないからだ
前は金庫を開けられた、でも中には金は入っていなかったし家には金を置いていない

ともかくどうしてこうして災難がつづくなのか?

私自身に関してもまた自然災害でも起きる、今年起きた地震の片付けもしていない
また地震で被害が大きかったところは家そのものを壊したりしていた
家の屋根などをまだ直している人がいる
そして今年は円安になり物価高になりウクライナ戦争になりと災いの歳だった
寅年はやはり大きな災いの歳だったとなる

ただ確かなことは経済的に困窮してくると犯罪が増える、だからいろいろなことがあり
追い詰められた人達の犯罪が増えることはありうる
すでにそういう傾向が出てきているのかもしれない、別に田舎でも今は都会と変わりないのである、隣が何をしているかわからないとかある
田舎の人が素朴だとかない、むしろ今は田舎の人の方の何か非情だともなる
つまりどこでも今も金だけの世界であり金に困窮すれば犯罪が増える
だから今の日本は危険になってゆく

ただ正直どうしてもそのジャンパーが盗まれたとは思えない、でもそんなもの盗んでもしょうがいなとなる、財布が入っていたから盗んだのか、でも中味はカードくらいだったのである、それにしてもわからないのはジャンパーがなくなることはありえないとなる
その前の日に買い物に行って帰りいつもの場所に置いたからである
どこかにまぎれることもないともみる、置く場所を決めていたしそれは目立つ場所だったからである

しかしこれは謎であり本当のところはわからない
でも田舎でも都会と同じようになっているし金だけの世界となると金がねらわれやすいとなる、少額の金でも殺された人がいるからだ
つまり田舎でも今や安心できない、そして格差社会というのは危険なのである
人間余裕がなければ他者を省みたりすることはできない
つまり経済的困窮から犯罪が増えるのである
でもとても盗まれたとは思えないのである、だからこれは不明のままに終わる
たいして被害もないからである

ただなぜこうして一身上でも災いが起きて来るのか?

これがわからないのである、災いが多すぎるのである、今回は別にたいした被害ではないからいい、でも不安になる
確かなことは日本全体でも田舎であれこうして何か災いが増えてくる
日本全体が貧困化して盗難でも増えてくる、そして来年に関してもいいことを言う人はいないのである
今年も二カ月で終わりだが今年も災いの歳だった、そして来年にも期待できないのである
それは日本全体でそうだから都会でも田舎でも変わりないのである

とにかく現代は信用するというとき対面的ではない、システムとかを信用するとなる
グロ−バル化すれば外国からも買い物するから村社会のように対面的にはならない
するとそこにいろいろな問題が生まれてくる
何を信用するかとなる、カードは支払われないようにした
でもまた他に手続きがありめんどうになる、今の社会はネット社会になると手続きとかでもめんどうなのである、デジタル社会というのは何かめんどうなのである
老人にとっては特にそうである、デジタル社会の一番の問題は信用なのかもしれない
どうして逢ったこともない人を信用するのかとなる
そもそもグロ−バル化社会というのは何に基づいて信用するのかとなる
だからこそ株でも何でも何かそこで知らないうちに騙されていることがある
簡単に数字を変えたりすればわからないから巨額の金がいつのまにか銀行とかでも不正に引き出されたとか常にある、それはわかりにくいからである


今回のことは不可解である、でもカードを使われるとまずいから銀行に連絡して止めた
だから被害はない、でも後の手続きがめんどうなのである
デジタル社会というのは何か現実感がない、仮想空間のようになっている
そこで問題になるのが信用なのである
近くのスーパーでカードを無くした、一万ほど入っていたがカードが見つからず損したとなる、それは他人が使っても止めることができないからである
だからカードを使って一年に何千円かもらったとしても損だとなる
保険もないから損だとなる、それは結局安全の問題なのである
安全と信用が確保しにくいのである、そしてデジタル社会は操作されてだまされやすいことがある、それがわかりにくいからである
ただ今回のことは何かわからないから盗難だったと決めつけられない
二回の盗難ははっきりわかったが今回は実際は不明である

ネット社会だと相手を信用するのだろうか?そのことでネットでやりとりしてだまされたとか犯罪でも起きる、それは相手のことがわからないからである
でも田舎だからといって今や本当に隣でも何をしているかわからない
みんな村社会のようにつながりがわるわけでもない、匿名的社会にもなる
孤独死になるのも田舎であった、だから田舎で都会化しているのである
不特定のものが交わる社会でありそこに問題が起きて来る
でもそれが社会になっているのだから適応するしかないとなる
ネットで何か対話するにしても相手のことがわからないし対面もしていないからまず相手を信用できないことがある、何を求めているのかもわからない、それでプログでも今は対話していない、何かただケチをつけて面白がるとかありいちいち対応できないのである
ただ相手を貶めようとか真面目に話し合いできない、それはネット空間だとどんな人がいるかわからないし責任もないからである

それでも対話しているのはニュース記事とか読んで対話している、他のプログでも関連したものを探して対話している、そこではやはりその人なり意見がそれなりの文で出しているから対話できなるとなる、一行二行とかで対話しにくいのである
そこでは深い対話はできないのである
でもネットだからといって全部信用できないことはないし外部から来る人でも信用できないとはならない
むしろ内部の人達が信用できないこともある、そこで実際に犯罪があるからだ
仙台市から来た創優建というリホーム会社は百万でユニットバスを作ったがいいものだった、別にここに不正はなかった
安くていいものだったからである、だから人間が内部外部にかかちわず信用できるかできないかわからないのである

ただ広く人が交わる社会だから信用が問題になることは確かである、でもそれは別に内部でも田舎だからと今は信用ならない
江戸時代の村社会とは違うからである、江戸時代だと隣の村から来た人さえ信用しない、麦つきに若い人が蛇だったという伝説が残っているのもそのためである、それだけ隣の村の人とも交わらないからそうなった
でも今はその何千倍とか何万倍とか何億なのかグロ−バル化して人と交わる社会なのである
そうなると何を信用するのかということが問題になるのである、契約ということは見知らぬ人がするものであり村社会では日本でしていなかった、それは安全を計るものでありだから細かく損失があったとき賠償させるようにしたのである
そうしないと見知らぬ人を信用して取引できないからだからでア

今年も災難の年だった、もう災難はいつまでつづくのだろうか?

来年もいい年は期待できない、何か鬱になってくる、つくづくなぜこんなに災いが起きて来るのか、それがわからない、ただもともとこの世は火宅の世であり災いの世であり変わりなかったのである、人生70年とかあれば必ずこうして大災害でも小災害でも災難が必ずある、これを逃れることがてきなのが人間社会なのである

カードで一番怖かったのはレンタルサーバーの支払いができず消されるところだった
入院していて手続きをしていなかったからだ
電話が通じて助かった、余裕は一日もなかったからだ、危機一髪だった
もし電話が通じなかったら消されていた、その日は日曜日でも通じた、今はさくらでは電話予約であり一週間待たないとできない、チャットはしているがめんどうである
デジタル社会は何かこうして手続きとかめんどうであり何か不具合でも一瞬にして記録したものが消えることがある、それが一番怖いのである
ただ今回のことは謎である、でも小さいものだったら後で出て来ることがあるが今回はないとみる、ただ私はどうしても何かと不注意であるからわからない、何度も失敗しているからである




2022年11月02日

愛は死んでも消えない (家には愛が残り通っている−心は見えないが通い合う)


愛は死んでも消えない

 (家には愛が残り通っている−心は見えないが通い合う)

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遺影にそ花を献げて姉と母なお家にそ生きつづけなむ

地震にも落ちずにあれや達磨かな姉なお家を支えてそあれ

愛はなお我が家に通い姉と母我を見守り心安らぐ


不思議なのは今年の地震でダルマが落ちなかったことである
あれだけの揺れだから落ちてもいいが落ちなかった
姉はダルマと似ているところがあった、それで家を守ったのかと見た
父親が死んでから姉がこの家を支えたともなるからだ



 
人間には謎が多い、科学的に解明できないことがある、愛というのでも何が愛なのか良くわからないのである、母の愛もあるし父の愛もあるし兄弟愛もある
また祖父母の愛もある、これらはそれぞれ違ったものなのである
家族でもそれぞれ違ったものでありなかなか理解しにくい、でも母の愛といっても必ずしもその愛が良く働くとは限らない、何か母に反発する人が多いのは母のエゴの愛だからだろう、純粋に子供を思う愛ではない、母のエゴの愛がありそれで反発する
何か条件付きの母のために子供を利用する愛ともなる
そこに母のエゴがあり肯定できないものがあり反発して母を良く思わない人も多いのである、なぜ祖母がばあちゃんがいいかというと孫にはいろいろなことを要求しないからである、ただかわいいとなりかわいがるというだけだからである
母の場合はいろいろ子供に要求することが多いから反発される

人間は常に愛が大事だと言われるけど母と子供でも本当の愛がないのである
また兄弟が多いとどうしてもみんな平等に愛せない、かたよるのである
だから介護になったとき一番良くされた者が介護しろとなるのである
兄弟を平等に愛さなかったからそうなる、それもむずかしいからである
だから必ずしも親を子が良く思わないことがある、ただいろいろ家族のことはあり外からわかりにくいのである

ただ愛の不思議はそれが意外死んでからわかることがある
私の家族はすでにみんな死んだ、姉の場合は十年も過ぎた、だから人間は日々去る者は疎しとなり忘れられてゆく、でも人間は肉体は消えても愛は消えない
これは合理的には説明できない、人間には何か目に見えないものが働く
愛といっても目に見えないものだからである
では目に見えてないから何もないのかとなると違っている
私は家族が死んでも依然として家にいると感じることがある

何か今姉の寝ていた部屋に寝ている、するとぽかぽかとそこに愛のぬくもりを感じた
姉は特に自分に良くしたからである、それは自分に全く要求するものがなかった
肯定することしかなかったのである、だからいつも肯定することしかなくとがめることもなかった、それはまた特殊な家族環境でそうなった
でも本当の愛は相手に何かと要求したりしないのである、ただ肯定することなのである
こうして肯定されず愛されない人は心も歪んでくるのである
実の母親でもどうしても子供に要求することがありまたあからさまに否定されることもありそれで歪められる
8人兄弟とかで父親は何か言うと怒り黙っていろとかなり反抗的態度をとると殴られたという、それが明治から戦前の戦後十数年の父親像だった

だからその女性は常に厳しく育てた方がいいと言っていた、学校では体罰でもあった方がいい、厳しく育てた方がいいと言っていた
でも結果的にはそうして育てられた子は親を良く思っていないのである
それで学校で体罰を受けた人は今でも近くの先生を恨んでいたのである、その人は死んだにしろそういうことがある、でもそういう時代だったのである
子供は厳しく育ててしつけた方がいいとなっていたのである
兄弟が8人とか11人いたとかなるとどうしてもそうなる
でもそこに問題があった、そこには本当の愛がなかったともなる
だからこそ大人になっても親を良く思っていないのである

そしてこうしたことは長く尾を引くのである、一方で本当に愛された人はその親でも兄弟でも死んだ後まで親のことを想っている、そのことを自分はわからなかった
それは親が死んでからわかったことである
複雑でも二人の親がいて特に姉は私を良くしたから親でもあったからその愛が不思議に家に通っている、それは姉の寝ていた部屋で自分が今寝ているかそこに愛を感じた
愛につつまれていることを感じた不思議がある
ぽかぽかと愛につつまれた感じになった、ただ死んでから十年も過ぎたのだから忘れるがそうではなく愛はやはり消えずに通っていたのである
だから家は単なる箱ものではなく精神的なものとしてもある、つまり愛が通い合う場所なのである、それで家にいると安らぐのである

その人は病院に半年くらい入院していたがかえって悪くなった、でも家に帰ったら回復した、その人は死んだ妻のことを死んでからも思っていたのである
余程妻を愛していたのかもしれない、それで親しい女性が手伝いに行っていたがその女性は死んだ妻のことを良く思っていなかった、妬んでいたともなる
死者を妬んでもしょうがいないが死んだ妻のことをそれだけ思って愛していたからそうなったともみる
人間は死んでも肉体は消失してもすべてが消えるわけではない
やはり愛が消えずに残っているのである

自分の場あいは特にそうだった、生まれた時から60年間一緒に生活していた
そのことの影響も大きかった、もし結婚したりして別々に暮らしていたらそうはならなかった、だから外孫には愛情が通わないということは離れるとそうなってしまうのが人間だからである、そもそも人間は一緒に暮らさないと愛を持てないからである
それで例え憎しみ合っても一緒に暮らしていると実際は愛していたともなる
いくら争っていても60年とか一緒に暮らしていると実は愛していたともなるのである

ともかく家に自分はこだわっている、家を否定する人もいるが何か家とか家族は人間の根源的な場所だからどうしてもこだわる、家にはやはり愛がある愛が通っているということで違っている、他の場所では愛は感じない、建物にしても愛は感じない
病院でも公共的な場所でも愛を感じない、家では例え家族が死んでも愛が通い合っているだからそれは説明できない不思議なものなのである

愛は人の肉体は消えても残っている

愛は消えないということなのである、目に見えないけど愛は残っている、家には残っているとなる
ただその愛にしても私の家族でも他者には冷たかったしまた兄には事情があり冷たかったこれも兄弟がみんな愛されるとはないと同じであり差別があった
それが心の痛みとして残ったのである

愛とういとき目に見えないが常に働いている、だから愛がない人がそばにいることはその影響が大きいのである、なぜなら私が病気になって手術したときその女性はそこにいることすら嫌がっていた、つまり愛が全くないからそうなっていた
それも怖いことである、何もしなくてただいることで見守ることでも愛がないということは恐ろしいことなのである、ただ病院では体は診ているが愛をもって接する医者か看護師は家族でないからできないとしているのもわかる
愛といってもそれが何か大きな負担になることをするということではない、ただ見守ることすらできないのである
また荷物の箱一つを持つのも嫌がっていたのである

要するになにもしたくなかった⇒金だけが欲しかった

私の来た人達そういう何ら愛をもたない人だったのである、それも余りにも恵まれた自分だからこそ起きたカルマだったともなる
ただ確かなことは愛は死んでも肉体が消失しても残り続ける、これは重要なことではないか?
なぜなら肉体が消えて灰になって見えなくなったら何もなくなるのかとなるとならないとなるからだ
人間は死んでその人の肉体は消える、でも愛は残りつづける、これは救いでもある
人間死んだら何もなくなる終わりだよとはならないということである
死者はせ依然として生者の中に愛があれば生き続けるのである
だから愛が一番大事なものとしてシャカでもキリストでも説いたのである
ただその愛とか慈悲は家族の愛というものでもない、高度な愛である
そうでなくても愛が大事だというときそれは肉体を越えて働くものだからである

人間は死ねばすべて終わりだと思っている、確かに肉体は消えるのだからその人は完全に消失してないとなる、でも愛が消えずに残っている
このことは重大なのことである、人間など死ねば終わりだと思っている
肉体は灰となり塵となり消える、要するに何も残らないと思っている
それで絶望して虚無的になる、でも愛は消えない残るとしたらそこに希望がある
この世にいくら宝を積んでも無駄というのも確かである
でも愛は消えないとすれば人間の最大の宝は愛だともなる

その他のものは消えてしまうからである、そもそも肉体自体消えてしまうからである
でも死んでも愛が消えずに通っているとなればその愛こそ最も大事なものだとなる
それは生きている時はわからない、でも死んでも肉体は消えても愛は消えずに残りその人が生きているとも感じるのである
これは理屈ではないから説明しようがないということである
ただそういうことを感じている人も多いことは確かだからやはり人間は眼に見えるものだけを価値あるものとすることはできない、天に宝を積めということは目に見える物ではない、愛とかを持てということにもなる
そうすれば愛は消えずに残り活きつづけるとなるからである
ただ愛というとき血のつながった親子すら愛がもてない、なにやかやと要求する愛なのである、愛は無条件に肯定することであり何やかにやと要求するものではないからである
私の場合は60歳までそうされてきたのである、これは例外的なことでもあった
だからこそ愛というのはなかなかありえないとなる、何か常に要求する愛はある
でも純粋な何も要求しない相手を肯定する愛というのはなかなか持ちえないのである

ただこの世の生ははかない、もうあっという間に人生は終わるとなる、そういうとき何か永続的なものなのか、それを見る必要がある、その重要なものが愛だとなる
肉体は消失しても愛が消えず残るというときそれを重要なものとして価値として生きればはかない人生も死後でも活き続けることができるとなる
でもこの世では欲がありエゴがあり様々なものに魅惑されて肝心なものが見失うのである愛より金だとなるのが普通である、他人ならそうだし家族でも本当の愛を持つ人は親でもなかなけかないとなる、自分の場合、特殊な家族のためにそうなったのである
愛というとき何か人に特別尽くすということでもない、ただ病人を見守るというだけでもそこに愛がないと怖いことになる、それを自分は病気になって経験したからである
愛がなければただ座っていて見守ることすらできないのである
その心が病人に通じて来るからである、すると病気でも悪化することになる
だから何か愛というとき苦しいことをするということではないのである
心の中で愛を持つことでありただそれだけのことでも人間はできないのである




2022年11月01日

時間はもともと存在しない (変化によって時間を意識する―時間の見方の多様性)


時間はもともと存在しない

(変化によって時間を意識する―時間の見方の多様性)


時間がなぜ謎でありわかりにくいのか、だからそもそも時間はないという人もいる
私も時間はないと思う、時間ではなくて変化があるだけである
だからこそこの世は無常ということになる、常無きものとは常にこの世が変化するからそうなる
人間関係でも今日いた人が明日は死んでいないとなる、60年も一緒にいた家族ですらみんな死んでいなくなったとかなる

この世で同じ状態がつづくことはない
鳥海山が噴火してそこに埋もれた木があり埋もれ木が発見されて噴火が起きた年代がわかったという、それは2000年前とかなる
その埋もれ木の年輪を見てわかったのである
木は成長しているから年輪も増えてくる、つまり成長することは変化なのである
もし木でももし変化しなかったら成長しなかったら時間がないとなる

君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
いわおとなりて
苔のむすまで

君が代でもさざれ石が小さな石が成長して大きな岩となり苔むしてゆく、それは変化なのである、その変化によって時間を意識するのである
だから木でも成長しない、変化しなければ時間を感じないのである
石とかも苔むすこともなく変化しなければそこに万年あっても時間は意識できないのである

今年この辺で大きな地震があった、これは怖かった、それで私の家は今だにかたづけていないのである、他の家でも依然として修理つづけている
その大地震で大きな石が転げ落ちて来た、それは二三個見ている、結構大きな石である
その変化も大きいものだった、そこに石がないのに石があるようになったのも変化であるでも時間がたてば百年でも過ぎればその石が崖から落ちた石だということもわからないとしたらその石はいつもそこにあり地震で落ちてきた石だと認識できない

それで令和石とか名付ければ令和の年に落ちたものだとなる、でもさらに令和4年石となづければその年に地震で落ちた石として認識できる
でもそれを知らなければ時間というのは意識できないのである
つまり時間とは変化することによって意識する、太陽が朝昇り夕方に沈む
これも変化でありその変化で時間を意識しているのである
もし太陽が一点にとどまっていたら時間を意識できないのである

空間は常に認識する、でも時間は変化しないかぎり認識できないのである
ただA地点からB地点に移動するとき時間がかかるというときそれは変化ではない、空間の移動による変化であり時間とは違う、そもそも空間でも時間を感じるのは変化することで意識する
エベレストの山の上にアンモナイ化石がある、なぜそこにあるのだとなるともともと海だったからだとなる、その変化のスケールが大きすぎるから時間も億年単位になる
時間とはこうして短いものでも人間の一生でも変化して意識する
子供が成長して大きくなるのもそうだし老人になり白髪になるのも変化である
人間も40才になると白髪がでてきて歳だなと意識するからである
いつまでも若いとはならない、女性でも劣化してゆくからである

そもそも時間とは物事の様々な変化のことであり時間そのものはない、なぜなら変化しなければ時間が意識できない、ここに何もなかったが地震で石が転がり落ちてきた
ここに石があったがなくなったとかなれば時間を意識するのである
それは変化したから意識できる、だから変化しなければ時間を意識できないのである
それで天国では神の国では人はみな若くて年取らないというとき変化しないから時間もなくなるとなる、時間を感じるのは変化することによって感じるからである
共にいた人が死んだ時永遠に逢わないとなるのも変化である
つまり時間とは変化によって意識する、それで仏教でそのことを無常としたのである
常にこの世は変化するからである、今日逢っても明日はなく永遠に逢わないとなる
それが老人になれば実感する、あの時逢った人とも永遠に逢わないとなるからである

2022年の福島県沖地震(ふくしまけんおきじしん)は、2022年3月16日23時36分に、福島県沖で発生したマグニチュード(Mj)7.4の地震である。宮城県と福島県で震度6強の揺れを観測した

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この石はその時落ちた石である、だから令和4年石ともなる
手も時間が過ぎるといつ落ちたものかわからなくなる
自然でも変化するからその変化することで時間が生まれる、時間を認識する
もし石でも動かないとしたら時間を認識できないのである
でももう千年とか万年億年でも動かない岩でも石でもある
そこには時間を感じない、でも風化して岩でも石でも変化するからそこに時間を感じる
つまり全く変化しなければ時間は感じないのである

江戸時代の年号を見ているけど元禄とあれば相当に古いかこの辺では貴重である
でも幕末のころになるとその時代順序がわからなくなる、年号でも順序を逆にして見る
そしてその時代がどういうものだったかもわからなくなる
江戸時代は変化が少ないからその時代がどういうものかわからない
ただ天明とかあると飢饉の歳だったとか記録されているのである
でも明治以降は順序を間違えない、明治時代があり大正時代があり戦前の昭和時代がある戦後の昭和時代がある、次に平成があり令和になった
でも戦後でも平成の30年間とかはあまり変化がないから時代を意識しにくい
つまり時代を意識するのはその時代に何か大きな出来事が変化があるときである
日本だったらまず明治維新とかは時代の大きな区切りだから必ず意識する
でも明治後半と大正時代は意識しにくい、昭和でも戦争前と戦争後に時代は大きく変わったら戦争前と戦争後として区別する、つまり何か大きな出来事変化があったとき時代を認識する、時間を認識するのである
自然の変化でも津浪は巨大な変化をもたらしたから時代の区切りになるのである
江戸時代は余りそうした大きな区切りがないから時間を意識しにくいのである

ともかく自然も万年とか億単位なると変化する、陸だった所が海になったり海だったところが干拓して陸になったりする、人工的変化もあるが自然の大きな作用の変化もある
それで驚いたのは津波だったのである、津波が八沢浦だったら本当に江戸時代の入江に戻ったことほど驚いたことはない、美しい入江が再現したのである
そこで死んだ人もいたが元の入江にもどったことは信じられないことだった
時間はそもそもないというとき自然にも時間はない、ただ変化のみがある
その変化によって時間を意識するのである
鳥海山の噴火はその時埋もれた木の年輪からわかった、それも2000年前とか古いものだった、年輪を刻んだ木は時間を記録していたのである

時間があるのではなく変化することがありそれが時間として意識される
全く変わらないとしら時間を意識できないのである
宇宙の中に惑星があるとしてその惑星に行って時間を感じるにはどうしたらいいのか?
それもやはり地球が変化するように変化することを見ると時間を意識する
もしその変化がわからないと時間を意識できないのである
同じままで変化しないとしたらどうして時間を認識できるのかとなるからである
鉄の玉があるとしてそれが変化しなければ時間を感じない、鉄の玉でも錆びたり摩耗したりしていれば時間を感じるのである
でも風もない雨も降らないとか変化しない惑星だったら時間を認識できないのである

2022年10月31日

専門家でなくても病気でも知識を持つことは可能 (オンライン診療は普及させるべき―田舎では特に必要)


専門家でなくても病気でも知識を持つことは可能

(オンライン診療は普及させるべき―田舎では特に必要)



公立・公的病院の経営は厳しく、そのうちの約60%が赤字です。ここでいう公立病院とは自治体が母体となる病院であり、公的病院とは公的機関(例えば、日本赤十字社)が母体となる病院です。

現状では、高度急性期と急性期病床が約70%と過剰です。今後、住民の高齢化に伴って必要数が増える回復期、慢性期病床への転換が遅れています。高齢者が望んでいるリハビリテーション向けの病床は、約20.4万床不足しています。これは、高度急性期、急性期のほうが診療報酬が高く、公立・公的病院の経営上の問題もあるからで、それが回復期、慢性期への転換を難しくしています。

公立・公的病院の問題点は、財政難(資金的困難)と医師不足(人的困難)です。この2つが相まって公立・公的病院では次のような負の連鎖が生じています。

オンライン診療

国の規制改革推進会議がまとめた報告書では、オンライン診療の普及・拡大に向けて、対面より低い診療報酬の見直しや、診療上の優位性を厚生労働省の指針に明記するように求めました。

一方で日本医師会は、顔色や匂いを含め、対面診療でなければ得られない情報があると主張するなど、オンライン診療の拡大に慎重で、医療のオンライン化を巡る応酬が続いています。

日本医師会は、オンラインでは十分な診療が行えず、正しい判断ができないと主張していますが、米国や中国ではすでに実現しています。特に中国では、携帯電話やスマートフォンで医師に24時間アクセスでき、緊急事態なら専門家を紹介するという優れた仕組みが機能しています。これは、忙しい人や遠方から通院している人に有用です




なぜ脳卒中の前兆がでていたのに医者で見抜けなかったのか、わからなかったのか?
このことで医療のことを考えた
その原因はわからないにしろ片方の手がしびれるとか物を持てないとかの症状がでていたそれから片方の目が悪いと仙台市の眼科にも行った、めまいがするとも言っていた
実際私の家の前で自転車で転んだ、いつも疲れるとも言っていた
これらは明らかに脳卒中の症状が出ていたのである
それで遠くの病院にも行きMRIの写真もとったし原町でも撮った
でも脳卒中と判断できなかった

これで疑問に思ったのは素人でもインタ−ネットでちょっと調べたか脳梗塞の症状として7つあるとして5つくらいがあてはまっていた
だから総合的に見ていれば医者だったら専門家だったら気づくはずだと見た
でもMRIで写真をとれということは脳梗塞かもしれないとしてそうしたのかもしれない
でも全体的に症状をみれば脳梗塞の前兆だということがわかったはずである

ともかく医者とか病院にもいろいろ問題がある
糖尿病の人は半年くらい入院していて病状が悪くなった、栄養がかえってたりなくなって悪くなったとかある、そしてその人は病院には二度と入院したくないと言っていた
そして家に帰って療養していたらかえって回復したのである
その原因は多分に精神的なものもある、やはり家には何か精神的に安定して心安らぎそれが体にも影響するとなるからだ

だから老人は総合的にみ総合診療が必要だというのもわかる
在宅で死にたいという気持ちもわかる、家はやはり体だけではない心にも影響する安らぐ効果があるからである、病院ではただ病人となっているが家にいれば違っている
その人は特に若い時苦労して家を建てて庭も立派な庭を造ったのである、それも20代だったから驚く、高度成長時代でそれだけ収入があったからだとなる
そういう家にいればやはり自分の存在価値が家とともにある
また家には例え家族が祖父母でも両親でも死んでも遺影を飾り家になお生き続けて支えているという感覚になる、病院はただ病人となっているだけであり死んでも物のの用地始末する感覚になるから嫌なのである、病院とは無機質な空間なのである
愛もなく何か心が通わない空間である、もちろん医者でも看護師でも懸命に尽くしているでもどうしても家族のようにはいかないのである

そして田舎の問題は医者自体が優秀とはいかない、また田舎だととにかく閉鎖的なのである、常に田舎であることは医者だったら他の医者に行くことをすごく嫌うのである
それで私が家族が倒れて頼んだらあなたは日ごろ来ていないから助けないとあからさまに言われた、そういうことは他でもある
自転車の修理でも隣の市の自転車屋だと受け付けないのである、つまりいつも来ている客でないと受け付けないのである
それも自分の利益にならないなら親切にしてもしょうがいなとなるから当然だともなる
緊急の場合でもそうだった、そこに田舎の問題があった
まず医者をそもそも選べない、医者が少ないからである、特に優秀な医者を選べないのである

こうなるとオンライン診療がある程度役に立つかもしれない、youtubeの医者の説明を聞いているとわかりやすいからである、そしてyoutubeだと優秀な医者が説明している場合がある、なぜなら全国放送だからである、全国の中で優秀な医者が説明しているかもしれないからだ、教育でもyoutubeだと一流の人が講義しているとなるからだ
オンラインになると狭い範囲ではない全国的規模になるからそこに優秀な人がいて教えるとなる、だからオンライン診療も普及すべきだとなる
ただそれで全面的にはできない、どうしても対面的でないとわからないことがある
でも今回の脳卒中の前兆がみぬけなかったことはその症状を医者がオンラインでも診ればわかったかもしれない、ただその後をどうするかとなるとどうしても地元の病院と医者とかとても連携しなければならない、その辺のむずかしさはある
でも素人でも別に症状を訴えてこれは脳梗塞なのかとでも察知すれだけでも違うとなる

ただオンライン治療となると老人は通信が苦手だから問題がある、ただこれからの人達はみんなスマホを使っているから使いやすくなるからそうなるかもしれない
対面治療は必要でもやはりオンラインでも病気を知り治療する方法が生まれるとなる
どうしても田舎は病気でも医者の数がたりないし優秀な医者がいるとは限らない
だからむずかしい病気はこの辺では仙台市に行っているのである
医者も専門外が診れないとか必ず連携が必要になる
でもお前はいつも私の所に来ていないから診ないとかなっているのは田舎の閉鎖性なのである、ただやはり自転車屋でも自分の収入にならなければ修理もしないというのはしかたないとなる、そもそも自分の利益にならないとしたら自分の生活があるのだからどうにもならないとなる、それが悪いとはならないのである

ともかく田舎ではたりないものが多い、私の町には百円ショプがない、これも困るのである、隣の市までは自転車で行くほかないからである、通販だと百円ショップのような買い物はしにくい、でも通販で助かるものがある
飯館村の辺鄙な所でも通販で配達していたともなる
また本などは古本でも何でも買える、だから知識的には都会と田舎の差はなくなったとなる、まず文系なら本を読むことだから本を読めないとしたら学べないからである
田舎でも今ならインタ−ネットでもyoutubeでも本でもどんなものでも買えるとなれば差がなくなったのである、つまり独学する環境が備わったのである

こういうことで病気に関してもネット化する、オンライン診療することも助かる
それで全部が充たされないが田舎だとこうして閉鎖的なことがありそれで困るのである
でも当人にとっては福祉事業でもないのだから利益をあげなければならないのだから
それが冷たいようでもそうならざるをえない事情があるとはなる
だから田舎ではオンライン診療も普及して利用する方法を知るべきだとなる
ただオンラインでは全部はできない、補助役になるがそれでも役立つとはなる

病気でもちょっとした知識があると素人でも役立つ場合がある
特に認知症の介護では誰も教える人がいなかった、医者すらわからないものだったのである、でも介護するうちにわかることがあった、それはちょっとだけでもインタ−ネットで即座に調べてそれを実行したのである
認知症の人は物忘れで異常な興奮状態になる、その時お茶でも飲ませて落ち着かせろと書いてあった、それを実行して効果があった、だからちょっとしたことでも素人でもしれば役立つことがある、だから医療に関しても専門的なことがわからなくても対処できることがある
専門家の時代であり何もわからない何もできないということはない
だから原発でも専門的にわからないにしても素人でもわかりうることはあった
わかりやすく説明すればわかることはあった、でも専門家は知らせなかったのである
そこはアンタチャブルの世界で素人は立ち入れない何も知らされないものとなっていたのである、そこに危険があった、やはり素人でも専門家でなくてもわかることはある
だから素人でも知ろうとすることが大事だとなる、専門的でなくても知りうることはあるからだ
そういう点ではインタ−ネットは役立つ、医者自身がyoutubeで説明しているからである
これも時代だと思った、閉鎖的な田舎だけではない世界が開ける、それがインタ−ネットのいい点だとはなる

2022年10月30日

なぜ脳卒中の前兆があったのに医者がわからなかったのか? (高齢化社会は健康な人と病気の人の差が大きい)


なぜ脳卒中の前兆があったのに医者がわからなかったのか?

(高齢化社会は健康な人と病気の人の差が大きい)


片手がしきりに麻痺していたので料理するのがむずかしくなっていた
物を持つのがむずかしくなっていた、でも手を手術すると治ると言っていた
眼が悪くなった、仙台の眼科に行った
また脳のMRIを遠くででも近くの原町でも撮った
それでも脳卒中と判断されなかったのはなぜなのか?
何か全体としてその人を見ていないで部分的に見ていたためだろうか?
その人は良く近くの医者には通っていたのである
毎日のように薬も飲んで欠かすことがなかった
肥満体であったが10キロも痩せたのである
ただ問題は煙草を毎日かなり吸っていた、それはストレスが多いからそうなった
この煙草は脳卒中の原因になるとされている
ただ癌との因果関係はわからないしないと最近わかってきた
でも煙草はいいものではない、脳卒中の原因になるからだ
でもなぜこれだけの症状があって脳卒中の前兆なのかをわからなかったのか

一人はすぐ南相馬市で診てもらい血管にカーテルを入れて助かった
早く治療したので助かった、南相馬市には脳卒中センターが最近できていた
そこには優秀な医者がいて若い医者が学びに来ているという
だからもし脳卒中の疑いがあれば南相馬市立病院でみてもらうようにすれば良かったとなる、優秀な脳卒中専門の医者がここにはいたからである
この辺のことはどうなっているのかわからない
何か病気の前兆はある、症状がある、MRIで診ればわかるようなことをyoutubeで医者が放送していた

病気では早めに症状を見て病名を知り治療する

これが必要なのである、でもこれがむずかしいとなる、病気にはいろいろあるからだ
認知症でも症状が出ていた、ただ最初見抜けなかったのである
同じ物を買っていて買物して計算ができないとか近くの店屋の人が気づいていた
ただ明確なものとしてわからなかったのである
自分自身が冷蔵庫にあるものを同じ物を買ってきたりするから正常でもそういうことがある、だから初期には認知症はわかりにくいのである

ともかく病人が多い、高齢化社会ではどうしても病人が多くなる
近くで癌の人がいるし糖尿病の人がいるし脳卒中になった人が三人とか合っている
心臓病の人もいるしそれから必ず前立腺肥大の病気になったり老人特有の病気がある
白内障とか緑内症とか眼が悪い人が必ずいる

50くらいで精神障害の人がいる、その人がどういう精神障害なのかわからない
100×100の計算ができないという、何か負担をかけられない、だからとても親の介護などできないのかとみる
でもその人しか介護する人がいない、すると福祉の方で施設にいれるほかないのかとなるでも症状が軽いらしいから介護度3以上になっているのか、またなかなか施設に入りにくいのが現状である
病気にはいろいろあるから理解しにくいのである
ただ高齢化社会はとにかく病気になる人が多い、だからこの病気の知識をある程度常識的にももっている必要がある

私は家族が認知症になったので認知症には詳しくなった
意外と認知症は医者でもわからないのである、私は介護したから症状がわかるのである
これも精神障害なのだが別に人間でなくなるわけではない
何かこれまで生きた人生がありその人生に誇りをもっていたりプライドがありそのプライドを傷つけられると怒ったりする、つまり馬鹿になった人として扱いなのである
また精神障害の人もいろいろいる、でも人間として付き合いとも言う
これも症状にいろいろあり軽度から重度とあるから理解しにくいのである

私の母はなぜ百才まで細身で体力もないのに生きたのか、それは血管は丈夫だったみたいだ、血管に障害がないと百才近くまで医者が言っていたからである
脳卒中は血管の障害が出る病気だとなる
親戚で白血病になった人もいる、これ血管の病気なのだろう
ともかく病気の種類も多い、だから理解するのもむずかしい、ただ早めに病気を知ることで早期発見で癌でも何でも治療しやすいとはなる、悪化してから治療しにくいとなる

高齢化社会は悪いものではないけど健康であれば百才でもいい、でもみんな何らかの病気になる、これが問題なのである、百才まで健康な人はまれなのである
高齢化社会はいくら金があっても病気になったら何もならない、金で病気は直せないからである,金が必要ではないのではなく根本的に金だけで病気は直せないのである
特に老人の病気は直しにくい、体全体の老化と関係しているからである

とにかく突然人間関係でも変化がある、家族でも変化がある、その原因が病気になることが多い、特に老人はそうである、病気になりやすいからである
夫婦でもどちらかが介護状態になったりするから安心はできない
つまりどんな人でも必ずリスクを持っているのである
そのリスクから逃れようがないのである、病気のリスクは別に金持ちでも持っているから平等だとはなる、いくら金があっても病気になったら確かにいい治療ができるとしても限界がある、体全体が老化したりしたら直しようがないのである
美人でも醜い婆となっている、肌の手入れをしても元にもどらないのである
だから老人になると美人でも不美人もない、みんな婆になってしまうのである
ただ健康であるかないかの差が非常に大きいのである
脳卒中でも半身不随とかなったら悲惨である、車椅子とかにもなり身体障害者ともなり
誰かの助けがないと生きていけなくなるからである