2023年03月04日

紅梅が香り気持ちがいい (無垢な幼児や犬猫に癒されるのはなぜか)

紅梅が香り気持ちがいい

(無垢な幼児や犬猫に癒されるのはなぜか)

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月光り紅梅匂い夜の更けぬ

紅梅の匂うや何か若返る

平安や紅梅匂い月光る

広き家紅梅の匂い充ちにけり

新築の家や紅梅匂けり

紅梅の匂い今宵も我が来る月も光りて美しきかな

近くに紅梅と白梅が咲いて匂っている、そこを毎日通ると気持ちがいい、特に紅梅の匂いは特に気持ちがいい。新築の家がまた建った、その人はこの辺の人ではない、原発事故の避難区域から移り住んだ人だろう。
この辺はまだこうして人が増えている。でも避難区域は空き家だらけなのである。その差が大きいのである。そこには春がこないともなる。活気が戻らないとなる。

夜になると紅梅匂いが充ちて夜が更けてくるそこに月が輝いている
いかにも春らしいその紅梅の枝を折って広い家の間に挿す
その匂いがいっぱいに満ちてゆく。それが何とも言えず気持ちがいい
何が梅は近くでその香りを楽しむ。でも桜となると何か遠くで見るのがいいともなる。
そのために桜前線がある。その桜前線は実は韓国まで咲いていた。韓国の古都の慶州にも咲いていた
その桜を東北から韓国まで旅したことがあった。日本の場合日本は電車で行き韓国までは船で行った。こういう旅も面白い。連続して日本列島と韓国まで見たからである。
そういう旅ができたのも私は特別恵まれていたからである。その介護で10年とか震災でもありもう十何年も旅はしていないただ旅の回想をしているのである

また春になって近くの公園に行ったら幼児が笑っていた。
それで心が和んだ。なぜ人はペットとかに惹かれるのか
それは無垢だからである。
そしてなぜかその無垢な表情は飽きないのである。それが不思議である。なぜ大人は生活に疲れるのか。それはみんな無垢というものを失っているからである。日々利益を求めてガツガツして心が休まることもない。

そういう中で無垢な幼児の笑顔でも動物の無垢な表情でも見ていると和むのであるそれが飽きないのである
今ネコに私が餌をやっているのはそのためである。
別に飼っているわけではないが何か心が和むのである。それは花を見てもそうだし自然に触れるとそこに向くがあるために自然は飽きないしなおものである和むのである
そこにこの世のこの世が汚れていても人間が汚れていても無垢なるものに接するとき和むのである。
ただそうした無垢も何か接する機会が少なくなっている。近くで子供が遊んでいるのを見ない,一人いても一人遊んでいるだけだとなるから淋しいとなる。

人間には常に争いがある、そもそもなぜ離婚している人が多いのか、何かそういう人と接する、それだけではない、自分の家族も常に争っていた。でも最後まで家族として維持できたのは私が要として家が守れたとなる。子はカスガイとなったのである。
そうでなければとても維持できなかったのである。
徳川家も維持できたのは長男を後継ぎとして継承して維持できたのである。侍の家が御家大事で維持したのも同じである。
長男ができが悪くても家臣が支えて維持できたのである。
人間はとにかく争いが多すぎるのである。そのために苦しむ人が膨大なのである。この世が地獄になってるのはそのためである。

ともかく春が来た。でも今日は寒かった。でも今年の春は桜の咲く時期が早い。
やはり暖冬気味なのかもしれない。白鳥は見かけないからシベリアに帰ったのかもしれない。そういう時期になったのである

桜前線を旅する短歌

2023年03月03日

大川隆法死亡の謎ー2000億の財産争いに (権力を持つ宗教は教祖が死ぬと権力争いになる)


大川隆法死亡の謎ー2000億の財産争いに

(権力を持つ宗教は教祖が死ぬと権力争いになる)


私の知る限りでは、直ぐに死んだ人は一人もいません。
心筋梗塞は脳梗塞と違い、一瞬で意識を失う場合が多いです。
死亡率も高いですが、助かれば脳梗塞のような大きな後遺症に
苦しむ事はありません。

私も脳梗塞を起こしましたが、その部位により後の障害や死亡も変わるようです。
検索したところ、脳梗塞での死亡は10万人当たり57.1人とあります。



脳梗塞で死んだと明らかにされた、でも脳梗塞で死ぬ確立は相当に低い、体が麻痺しても長く生きている、それで妻で十年も介護したという人を二人くらい身近で知っている
だからもし生きていたら体も脳も麻痺して生き続けなければならいなとしたらそういう姿を見ているとしたら地獄になる、池田大作は生きているのか死んでいるのかわからない
とても表に出せないということで出さないともされる。
死んでも武田信玄のように秘密にして教団の維持を計っているとかなる

大川隆法氏が死んで問題になるのは何かとなるとどうも子供が五人いて後妻になった女性には子供がいない、そして跡目争いが前からありそのことを語っていた
この跡目争いというとき教祖の教えを受けづくとか発展させるとかではない、権力がありその巨額の金でも遺産争いになることである。
つまり宗教は権力を持つと必ずその権力に目をつける、もともと権力を求めていることがあり権力を得るためのものが多いから当然そうなる。
だから宗教というのは権力を持つと危険になる、なぜならみんなその教祖の教えより金になるとか権力を得られるとかで入る人が多いからである
大多数は宗教の教えなど関心がない、会員が増えてそこで一定の勢力を権力を持つ、するとそこに入って利益を権力を得ようとする人達が入ってくるのである

幸福の科学の場合はもともと子供たちで跡目争いがあり権力争いがすでにあったようである、だからその死が不自然だとしている、ただ突然死はあるからわからない
でも66歳では早いともなる、もともと病気があってそうなったらわかるがそれが不明なので理解しにくいとはなる
ただ巨額の遺産があり必ず権力争いになる、だから宗教というのは権力自体を持つとこうして歪められる、でもそもそもが政治にかかわり権力を持つことを目的にもしている
現実社会で権力を持つことを目的にしている、そして教祖が死んでまた権力争いになるのは必然だとなる

創価などももう権力しか御利益しか眼中にない人達が集まっている、そのために日々祈り選挙に勝ち権力を得ることが日々の活動である、だからここでもすでに池田大作は死んだのかわからないが何らか権力争いがあり分裂するかもしれない、そして全国にある会館なども会員が減っているから維持できなくなる、だからそうした巨大宗教団体が崩壊するとき権力争いになる、遺産相続で血で血を争うことにもなる、幸福の科学ではそうなっていたしそのために生きている宗祖の大川隆法が殺されたのかとまで疑う人がいるのもわかる

大川隆法でも池田大作でも世俗で宗教を教え大成功した人なのである。そして偶像化されたのである。何百万人の会員に崇められて莫大な金を集めた、大川隆法氏の家が宮殿のようになっていたことに驚いた。池田大作だと庶民を相手だから普通の家にそれもかえって貧しさを感じる家に住んでいるとか言われた、それは庶民向けにそういう演出をしたということである
貧しい会員が多いければ豪邸に住んで贅沢の限りを尽くしているとか言えないからである

そもも宗教が権力を持った時から堕落して世俗化したのである
それはカトリックが政治化して権力を持ったことから始まっていた、カトリックとは土地を持っていたり権力を持っていて庶民を支配していたのである
それで免罪符などを売りつけてもうけていた。それに反発したのがルターでありプロテスタントになったのである。

宗教が権力を持つことは危険である、その動機が不純なものになる、宮殿のようにな豪邸に住んでいれば誰でも信仰すればそうなれるという見本を示すからである
それは本来の宗教の教えとは正反対のものでも世俗的には欲を充たせることを説くことで人が集まる、つまりカルト教団の人達は欲を実現するものとして入ってくる
その中に貧困とか様々な悩みや問題をかかえて解決したくて入る者もいる

そういう人達を集めて会員を増やす、だから創価と共産党は本当に似ている、いろいろ苦しみ困っている、貧困な家庭も多い、他にもいろいろ悩みがあり解決したくて入る
そして共通しているのは社会に対して根強い恨みを持っていることである
自分が不遇なのは苦しいのは社会のせいであり今の上に立つ人達のせいだとしている
そういう点で共通しているのである。
社会に対して深い恨みを持っているのである。でも全部が社会のせいなのか政治のせいなかなのかというとそうでもないのである

生まれつき障害者を持ったのは社会のせいなのかまた政治のせいなのかというとそうでもない、美人に生まれなかったなど恨んでもそれは社会のせいではないのである
それは親を恨めともなる、ただ根強い憎しみを持っている人達だとなる
そういう人達を組織化して政治化して権力を持ちその権力を持った時不満が解消できるとなる、つまり権力も持ったらその権力で得られたものを配分することになる
その分け前は主に幹部が得るのでありその他に富は必ずしも回ってくるとはならないのである

そもそもカルト宗教はこの世で権力を持ち栄誉栄華の生活を送りたいという人達が集まるいろいろいてもその目的はこの世で権力を得て欲望を実現することである
それは幸福の科学でもオウムでも同じだった、創価は最もこの世で権力を持ち支配者になるところだった、そこで権力しか関心がない、その権力を得るとういことは選挙で勝つことでありいかに票を集めるかが日々の活動なのである
そのことが池田大作教祖のためにそうするのである、座談会では選挙の時こうして集まり祈り権力奪取のために日々奔走しているだけである

人間はみんな血眼になって日々金を稼ぎ金を得る為に生活している、だからカルト宗教も血眼になって権力を得る為に金を得るために祈り運動しているのである
だからオウムでもオウム王国を実現すると堂々と主張していたし幸福の科学でもそうである、幸福の科学の王国を目指しているのである。
それは神の国でも仏の国でもない、ただひたすらこの世で欲望を実現するものとしてあるこの世の王となりこの世を支配することなのである。そしてその王が教祖になる

それは偶像なのである、サタンにもなる、でもそのサタンを作りだすのは人間の欲がなくならないからこそこうしてその欲を実現させるとして偶像がサタンが支配することになる幼児のようにみどり子のようであればもともと欲がないのだから欲望を実現するなどと説かないのである、そもそも欲がないのだから説く必要もないのである
だからこそみどり子に治めさせよと言ったのである
でも現実は権力を求めて権力を得ることに世俗社会がありそれを否定はできない、もし欲を抑制して否定しろとなるとついてくる人は極ずかになる、そして世俗の誰にでも欲を肯定してもっと欲望をもてとなっているのがカルト教団なのだからそれがこの世にまかり通っていること自体信じられないとなる

もしあばら家とか粗末な家に貧しくして住んでいたら誰もそんなふうになりたくないとなる、でもキリストは家もなく枕する所なしだったのである。シャカでも王宮に住んでいても出家して洞窟で家もなく修行して悟りを開いたのである
もし宗祖がただ残したのがあばら家とかだったらそこに権力争いなど起きようがないのである、そこに会員でもわずかだったりしたら権力争いは起きない
莫大な富があり権力を持つとその富と権力を目当てに争いが起きる
遺産相続争いが起きる、それがすでに大川隆法の死で家族でも起きているし教団でも起きている、そこに人間の醜さが露骨に現れるのである
だから本来の宗教はせいぜいあばら家でも残すだけとなれば誰も振り返らない、遺産を残さないとしたら血で血を争う兄弟姉妹い争いも起きないのである
だから宗祖でありそうして死んでから会員の争そいの種を残すことが罪なこととなもなるそのために欲が刺激されて争いになるからである

いづれにしろカルト教団が崩壊してゆく、それは幸福の科学だけではない、創価でももう会員が増えないから全国にある会館でも維持できなくなる
金が入ってこないから財政的に維持できなくなる、そもそもそんな会館などなくても良かったのである、そんな所に金をつぎ込む必要もなかった、宗教とはそもそも金をかけるものではない、金を集めれば金だけが目的となる、そして莫大な金が集まりその金を残して遺産争いになり組織自体が分裂してゆく、醜い遺産争いが兄弟で起きるのと同じであるもともと世俗の権力を求めた宗教なのだからそれも当然の結果だとなる
ただ宗教も利益だというときその宗教でも利益になれば利用するものがある
創価の会館を請け負ったのが大成建設とか言われる、富士山の正本堂を建てたのは大成建設だった、大成建設とは密接な関係がある、それが巨大な利権となっているから結びついているとされる、本来の宗教とは関係なく利権があり結びついているとなる
なぜならあばら家に住むだけだとしたらそこに何の利権も生れないからである
宗教が巨大な利権を産むとういことで問題なのである

ただ大川隆法が急激に死んだということは何なのか脳梗塞にしても普通急激に死んだりするのはまれである。そして必ず脳梗塞には前兆が出てくる知ってる人でもそうだった大川隆法だったら家族でもみんなが注目しているのだから何か分かったに違いない
そもそも大川隆法自身がそのことに気づかないということが盲点だった
なぜなら常に会員の心配をし会員のために生きているそういう人が自分自身を顧みないそのために病気に気づかなかったとなる知っている人も他人の心配をしていたが自分自身が病気になって脳梗塞になってかえって迷惑をかけたのであるだから自分自身のことをないがしろにするのも問題なのである

でも大川隆法の死は何か不自然であり不可解である
脳梗塞となればそんなに急激に死ぬとも思えないからである
結局いろいろ預言の言葉を言ったが自分自身についての死については本人も予言できなかったということであるただ突然の死に驚いたのである
人間はつくづく自分の死がいつ来るのかわからない近くの自転車屋にしても3日前まで普通に仕事していたのであるいつまで続くのかということをいっていた
それはすでに10年間くらいガンであり仕事を続けてきたのであるだからいつか死ぬということは予想されていたでもそれは突然だったのである大川隆法については何か前兆があったのかどうかわからないそれで殺されたとかいうことまで言われたのである
ともかく何かこの年になると死ぬ人が増えてくるあっあの人も死んだのかこの人も死んだのかとなってしまうそれより自分自身の死もそんなに遠くないのである



posted by 天華 at 21:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2023年03月02日

リホームは難易度が高い、簡単に大工でもできない (老人は安住する場が家になる―成長するにも家の影響は大きい)


リホームは難易度が高い、簡単に大工でもできない

(老人は安住する場が家になる―成長するにも家の影響は大きい)


キッチンが50年くらいすぎてぼろぼろになっていた。それを取り替えるにしたが簡単にできないものだった。
まず寸法を合わせるのがむずかしい、私の家のキッチンは何か高さを調節するために
直して造った、それで新しいものをとりつけるのに高さを調節するのがむずかしいものだった、ここに合ったものを作ると結構手のこんだことをしなければないので大工さんいろいろ思案していた、それから排水の管が複雑になっていたのである
前もつまって私がブラシを入れて直していた、それはもともと複雑な管の配置になっていたためである、それを見てまた大工さんどうしていいのか苦労していた
だからリホームするには相当な腕がないとできないと見た
窓も高さの調節で直さなければならないとかなり複雑化したのである

でもここでわかることは最初からハウス会社が作る家は楽にも見える
今でもこの辺では大東建築がアパートを建てつづけている、それは最初から規格化されてその部品を組み立てるだけなのである、だから楽にも見える、他の家でもそうして組み立てるだけだから早くできる、50年前の家とかなると私の家でも三カ月くらいかかった。
普請は大事業だったのである。その苦労があって親は常に家を建てたことを自慢していたのである
今のように簡単に家が作れないということでそうなっていたのである。
その家にしても地元の大工さんが作ったのでありハウス会社はその頃家作りしていなかったのである、地方では地元の大工さんが家を作っていた、三カ月もかかるとなるとやはり
家を作ることは大事業であり地元の人とのかかわりも深くなるのである

茅葺屋根の家に住んだ人を知っているがそういう家は村の人総出で作ったとういことで
また価値が違っていた、つまり村の人たちの協力があっ作れたとなっていたからである
ハウス会社になると地元の大工さんはかかわらないからである
そのために地元の人とのつながりも希薄化したとはなる
また家も様々なものから成り立っている、それで震災以後は瓦はいわき市の会社の人が来て直した、ユニットバスは創優建という仙台市の会社が百万で作った
それは常磐高速道路ができたために仕事を求めて来たからである

またトイレの配管が去年の地震で壊れた、それでトイレも古くなり直した
つまり仕事が広域化している、この辺だといわき市とか郡山市とか仙台市でも交通的に便利だから仕事を求めて来るようになったので
建築土木関係の仕事している人は青森に行ったとか郡山市に行くのに三時に起きて行ったとか佐世保に足場を作る人が行ったとかなる
もともとも建築土木関係は遠くに仕事があれば行っていた、飯館村の木戸木(ことぎ)の大工さんも東京に仕事があり働いて稼いだと言っていた
またレンガの風呂を作る人は室蘭まで行ったと聞いた
だから職人は遠くに仕事があれば行くということがあった。

ただそういうことで何かハウス会社で簡単に部品を組み立てて作る家は重みがないとも感じる、昔は家を作ることが大事業だったから家に重みがあった、茅葺の家とかなるとその手間も労力も大きくなったから重みがあったとなる
ただ家というのは建物だけではない、そこに営まれたものがありそれで家も活きてくる
だから代々つづいた家は歴史的にも重みがあるとなる

いづれにしろ家にこだわるのはやはり人間は家で暮らすということが基本にある
遊牧民のようにテントを持って移動する生活とは違いて一定の場所に根付くということがありそれが家を持った時そうなる、マンションとかアパートとかなると借りの住まいともなり重みが感じられないのである
どうしてもこの辺だと市営住宅などに住んでいる人はそうなる、何か借りの宿という感じになる、家の重みがないのである。
近くの人は20代で一軒の家を建て立派な石組の庭を造った、それは人一倍働いて20代で作ったのである。そういう時代があった、働けば働くほど収入を得れる時代だったのである、今20代で家を建てることをできる人はまれだろう、親の遺産でもなければできない、その人は別にローンもなしで二十代で家を作り立派な庭を造ったのである

今は何かそうしたみんなが働けば豊かになれるということがない、だから若い人は苦しいとなる、なんとか日々生活すればいいとかしかない、それでこの辺でなぜ東京辺りから学生なのに強盗に来たのかとなる、若い人達が何か昇り調子の時代を経験できない、30年間賃金が上がらないとか日本は停滞したままなのである
そして今度こうして高度成長時代に建てた家が空家化しているのである、また後継者もいなくなっているのである。
近くに本当に立派な庭がある家でも空家になっていた、その庭の価値は相当にある
でも誰も住んでいないのである、それは原発事故で避難区域になったところでも立派な家があり庭があっても住んでいないからもったいないとなる
でも少子高齢化で全国的にそうなっているのである、日本は縮小してゆくのである

ともかく私の家でも家には金をかけた、部屋でも四っつくらい新しく継ぎたしたのであるでも私自身は狭い部屋で寝起きしていた、でも八畳の広間がありそこに寝ていると何か安らぐ、そこで寝起きしていた親が死んで自分が寝起きするようになった
その空間がなんとも安らぐのである、そこで夜に寝るとき本を読んだりイメージすることがある、イメージが不思議と湧きやすいのである、だからそこで必ず詩作しているのである
だから家というのは知的な仕事をするには相当関係している
50年前まで子供の時は子供部屋などなかった、本も一冊も置いていなかった
漫画本すら貸本屋で借りて読んでいたのである。これでは知的に刺激されることもない

家に蔵書があることが大事である、子供でも子供の興味をひきつける本を並べているだけで相当に効果がある、それも子供部屋があれ自主的勉強することもある
それが全くなかったことがやはり環境的に恵まれていなかったのである
何か店をしていたから子供の時は配達などばかりさせられていたのである
だから自分で知的探求というものをしたことがない、勉強は学校でしかできなかったのである、それも暗記の勉強でありまたソロバンとかを習ったが得意だったが何の役にもたたなかったのである

とにかく家は知的空間であることがわかった、蔵書があり寝る時でも広い部屋で本を読み想像力を働かせて思索する詩作する、それは広い家があると効果的なとを知った
狭い部屋だと何か圧迫されるてそうはなりにくいことを発見した
おそらく知的探求には家というのが相当深く関係している、日本の家は狭すぎる
だからそこで何か余裕ある人を育てにくいのかともみる
そもそも茶室が生まれたのは日本の家は狭いから自ずとそういう文化になったのである
でも実際は広い家の方がいい、八畳間で寝ていると気分がいいとなる
でも大きな家に住んでいても自分の部屋は狭い部屋だったのである
それは親が死んでわかったことなのである

そして老人になると家が大事になる、なぜならその生活が家中心にもなる、余りに遠くにも出なくなるからである、実際これだけ旅しても親の介護とかなり十数年旅していないのからである、ほとんど近辺を回り家にいる生活になったからである
すると家が何か安住する場所にならないと豊かな老後の生活ができないとなる
それで数カ月なのか糖尿病で入院していた人がかえって病状が悪くなったが家に帰って療養したら回復した、それもやはり家の効果である、その人は若い時人一倍働いて造った家にいてこそ何か存在感がある、妻は早く死んでもやはりそこに妻がいるという感じにもなる
そうして家で死にたいという人か多いのは誰も病院のような無機質な空間で死にたくないということである、人間は家とも一体化してゆく、だから人は死んでも家に憑りついているとまでなる、確かに家には死んでも人はいるという感覚になる
でも病院で死んでも何か幽霊となって現れるとしても病院では成仏しないのである
何か物体のように邪魔なものが片づけられるという感覚になる
だから病院で死にたくないという気持ちがわかるのである


天皇の御製歌(おほみうた)一首

あをによし奈良の山なる黒木もち造れる室(やど)は座(ま)せども飽かぬかも

橲原(じさばら)のキコリの人が同級生が切り出した木を柱にしたと親がいつも自慢していた
それはこの歌のように地元の材料で地元の人たちが作ったということで価値があったとなる
ただこういう家に住む人はまれだった
でも農家のかやぶきの家はそれなりに大きいし意外とあたたかいとなっていた。
土間でも土でありあたたかだった。実際に住んだ人も悪いことはいわないのである。
だからそれなりに住まいとしてわるいものではなかったのである。
むしろ子供の時の家は隙間風が入り寒いしトタン屋根で雨漏りして洗面器を並べてしのいでいたのである。戦後まもなくは農家では食料も自給していたからかえって街のせいかつよりゆたかだったのである













































2023年02月28日

飯館村の樅の木(詩)(原発事故で失われたものー定着文化の時代に)

飯館村の樅の木(詩)(原発事故で失われたものー定着文化の時代に)

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飯館村の樅の木

山の奥へ分け入る道
二本の樅の木の厳かに
古りた神殿の柱のように
またゴシックの大聖堂の
石の柱のように重厚に立つ
そはここに離れざるかな!
その長き歳月をここに
静かに重々しく厳粛に
清らかな流れは谷間にひびき
その二柱は隠され立ちぬ
落葉を踏み我はここに来ぬ
ああ 人の世はただ別れなり
人は逢うもたちまち別れぬ
人の関係は永続しない
烏合離散して消失する
故に離れずここに二本の樅の木
ここにありしを深く思いぬ
離散して荒れ果てし村の悲し
人は故郷に帰らざるかな

飯館村は七〇パーセントが森である、また丸森もそうである、そのために丸森では木材資源を米沢藩と伊達藩と相馬藩で熾烈な資源を得るための争そいがあった
それだけ森が広くあり木材資源が豊かだったからである。
それで外材が入らない時はその木材は森林鉄道があり東京に運ばれたのである
全国に森林鉄道が多いのは国内で木材をまかなっていたからである。
高瀬川の上流でも岩をくりぬいて森林鉄道が通じていたのである
それは葛尾村の方まで通じていた

森という時杉林になるが杉林は人工林であり木材に加工するから植えられた。もともとは?(ぶな)などが森を覆っていた、でも?無用のものとされた、加工するのにいいものではなかったからである。それは人間の都合でそうなった。だからこの辺でも鹿島区の小山田の奥の森にぶな坂というのがありブナがかなりあった
日本は鎮守の森とあるように森で覆われていた森の国だった
これだけ山が多いのだからそうなる、縄文時代になるとほとど森であり森の中の暗い所に住んでいたのである。そこで木の実とか採集したり狩猟して暮らしていたのである
それで丸森で道に迷って森から出れなくなった恐怖を体験した
それだけ森が広くあったためである、森は見通しがきかないから迷い森から出れなくなることがある

飯館村で坂を上り山を分け入れると二本の樅の木があった、それが何とも重厚であり力強いものを感じた、そこは隠されていてわからなかった、飯館村は広いからわからない所がまだある。そこで見た二本の樅の木が印象に残った。
それはもの寂びた神殿の柱のようでもありまたゴシックの大聖堂の石の柱のようにも見えた。
ドイツは樅の木の森だ覆っていた、樅の木の国である。だからその森がありあのゴシックの大聖堂が作られた。その石の柱は高い、あれだけのものを作ったことに感心する
それは樅の木を象ったものだとなる
ギリシャの神殿にはそういうものは感じない、低いし高くないからである

飯館村の現状は村自体が維持できないように見える、村人は福島市とか他でも移り住むようになったからである。学校にしても何人なのか小学校に通っているにしても村内に親は住んでいないのである。建物は立派にしても肝心の人が住んでいないのである。
多額の補償金をもらったから村から出て福島市であれ南相馬市であれ移り住んでいる
それは原発事故の避難区域になったところの住人はこうして移り住んだ人が多いのである現代は移動する時代であり長年住んでいたとしても金があれば移り住むことが容易であるだからいわき市とかでは大量の人が避難して新しい家を建てたので回りの人がうらやんでもめたのである。

ただそこで失ったものは何なのか?先祖代々からつづく歴史であり共同してきた村であり人の絆だったともなる。ただ現代は村であれ車社会であた移動する社会である。
だから移動するとか移住するとかでもさほど抵抗ない社会だともなる
一見回りが田畑だから農業が中心のように見えてもそうではない、会社員とかが多くまた建築土木関係だと知っている人は青森に行ったり九州の佐世保に行ったりまた地元で暮らしていても三時に五時に起きて郡山の方に車で現場に行っているとか遠くに働く人が多いのである、だから近くでも何をして働いて暮しているのかわからないのである
また広域化グロ−バル化した社会というのはそもそも地元だけの経済ではない
そのことも地元のつながりを希薄化している、家を建てるにしてもハウス会社がプラモデルのように二週間くらいで組み立てて建てるのである
地元の大工がかかわることもそんなになくなったのである。すると地元の人間のつながりも希薄化するのである

私の家も震災以後は瓦はいわき市の人が来てユニットバスは仙台市の人が百万で作った
それはイワタニとかでも地元でもできたがそうなる二倍三倍になったのである
常磐高速道路ができたことも広域化して仕事することになったのである
トイレも去年の地震で配管とかが壊れた、それを直したのは郡山の会社である
こうして仕事自体が広域化している
そういう社会が影響して移住も金があれば別に家を建てて住めばいいということになる
でも農業していたら土地がないとできない、それでも実際は農業が主要産業ではないのである、だから移住しても困らないとなる、ただ飯館村の場あいは農業している割合が多かったかもしれない、でも車があって川俣とか福島市とかに通って働いている人もいたからそうともならないのである。菊池製作所があるからそこで働いている人も多かったのである

こうして広域化グロ−バル化する社会は移動する輸送する社会である。
アマゾンで電熱ベストを注文したら中国から輸送されたものであり途中関税をとられ処がありそれを知ることができる、そのために三週間くらかかかったのである
アマゾンだと中国でもアメリカでも品物が入ってくるのである。
そういう社会は近隣とかで用を足す社会とは違っている、ただここでの問題は物は入ってきてもそれで人間同士が連帯するとか協力するとかにはならない
だから中国とうまくいかなくなったりするのは物をやりとりするだけで人間は協力関係を築けないのである、物と心は一体であり物が憑くというとき物にも心が憑いていて物になるからである、いくら物のやりとりしてもグロ−バル化しても人間と人間が協力するということでないのである

そして一見広域化グロ−バル化はいいようにも思える、でもそこで失われたものもある。地域でも人間のつながりが希薄した、一万の田舎町でも隣でも何をしているかわからないということがある、特に原発事故以後そういう人たちのことがわからない、前の自転車屋でも知らない人が多いというのもそうだった。
そして今は地の時代から風の時代だというとき風とは地に根ざさない移動する時代を生きることである、でも逆にこれからは地に根ざすことが要求される
風の時代から逆に地に根ざす時代に変わるともなる、そんなに人間が風のように生きられるのかとなる、もちろん旅ばかりした自分の風のように生きたとはなる
でも人間はやはり定着して木のように根付いてこそそこで充実感がありアイディンティティ化する、そもそも文明自体定着してできたものである、農業が生まれて定着したからエジプト文明でありメソポタミア文明であれ生まれたのである。
マヤ文明でも何でも定着して生まれたのである。
風の時代は終わり地の時代にも移行する、コロナウィルスでもそうである、引きこもり状態にもなったからである。グロ−バル化といっても米中対立とかウクライナ戦争とかかえって軋轢がました、共存共栄というのがグロ−バル化でもむずかしいからである

精神的にもグロ−バル化というとき文化は育まれない、文化は地域に根ざした狭い範囲で生まれているからである。、ルネサンスにしても5万くらいのフィレンツとかで生まれたでも一千万の大都会とかから生まれないのである、これからは風の時代ではない、地の時代になってゆく、文化の時代になってゆく、cultureとはcultivateでありその土地土地を耕して生まれるからである、育まれるからである
土地土地に合ったもの、食糧でもワインでもその土地の名がついている、そして人間の生きる時間は短い、ただもう人間が逢うにしてもただ行きあたりばったりでありそこに永続的なものがないからはかないとなる、人と人の絆が作れないのである
何か老人が愛人と暮らしたが病気になり妻が介護してその妻との暮らしが長いから思い出があるから愛人はそうした思い出がないから深いつながりがもてずに愛人がその世話した男を嫉妬して殺した、つまり人間の関係はそうして長い時間がないと信頼でも愛情でも生まれないのである、でも時間は限れらているからそういう関係を作ること自体簡単にできない、それでただ金の関係だけになり破綻するとなる

石の柱のように重厚に立つ
そはここに離れざるかな!

こういう関係を切実に望むようにもなっている。飯館村とかでも原発事故ではは家族でも離れ離れになりそういうことを感じた人が多いのである
そもそも現代社会自体が人間の繋がりがなくなった金だけが物いう社会になったときそうなった、孤独死が増えるのもそうである。この辺では原発事故で特にそうなったのである今生活が広域化している、すると親と子も離れて暮らしていると互いの事情もわからなくなり介護とかでも困ることになる、やはりいつも一緒に暮していないと親のことでもわからなくなる、生活を共にしないことは情すら薄れてゆくのである
もちろんいつも同じ人だけど接していると何か新しいことを知り得ないとういこともあるでも現代は生活でも広域化してかつての村落社会ともかけ離れている
そういうことで原発事故で町や村が簡単に解体してしまったのかともみる
放射線被害があったとしても江戸時代から続いた村や町が簡単に解体することに驚いたからである、いくら移動しやすい移住しやすいとしてもそういう社会は人間にとっていいものかどうか問題になる

そんな閉塞した社会に村とか田舎に住みたくないというのもわかる、自分自身もそうである、でも人間はアイディンティティを人との紐帯を育み作る場所が必要だとはなる
風のように移動して生活してもそれは若いうちはいいにしてもだんだんやはり人間は大地に根を張るように落ち着く生活をしたいのである、だから過去の文明でも文化でも一つの定着した場がありそこで時間をかけて作られたのである
移動する民の遊牧民は文明を作らなかったからである、農業になり一定の場所に定着した時文明が生まれたのである。今は風の時代ではない、地の時代になり定着する時代に変化しつつある、グロ−バル化も限界になっているしコロナウィルスでも人々が密にグロ−バルに交わることが必ずしもいいものとならない危険なものと認識したからである
だからかえって国内回帰とか地方回帰現象が起きてくる、現実に起きている

そしてSDGs(持続可能な社会)を目指すということはむしろグロ−バル化とか広域社会でも縮小化に向かうのである。物の自由な広域的グロ−バル化の流通があったとしても心の方を重視する方向に変わる。物がいくら流通しても人間の心は通わない、そこにグロ−バル化の問題があった。そこで必ず覇権争いがあり様々な軋轢が生れ戦争にもまたなる
物だけの流通では人間の心は通じ合わないのである

そはここに離れざるかな!
その長き歳月をここに

一つの場所に離れないであること生きること育てることがアイディンティティを作る
それは空間を自由に往き来するより時間軸で生きる、一つの場所でも長い時間で育まれるものを作る時代になる。常に転々として渡り歩くことをしていたらそれができないからである、旅としてそれはあるとしてもやはり人間は最後は定着して落ち着きたいとなるのである、そして人の出合いでもめまぐるしく変わることより小数でも信頼する人達と住みたいとなるのである、それは老人の心境にもなるがそういう時代になったということもある














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2023年02月26日

人間を作るの体験、老人の価値は何を経験したかで決まる (旅も体験であり貧乏旅行も金持ちの旅より価値があった)


人間を作るの体験、老人の価値は何を経験したかで決まる

(旅も体験であり貧乏旅行も金持ちの旅より価値があった)

●旅の経験は金がない旅も金持の旅も価値は変わらない

人間とは生きるとはそもそも様々なことを体験することである。
知識はその後についてくる、何かを体験して疑問をもったり体験することから学問も始まる、この世には無数のわからないことがあり必ず疑問になる、だからまず体験があり経験があるのが人間が生きることである
だから旅になるとこれも体験なのである。私が地名に興味を持ったのは旅をして鉄道の駅などの駅名に興味をもったり地名に興味をもったのはそのためである
また地形と風土に興味をもったのもそうである。それは旅した結果なのである

そして誤解しているのは旅する時、今は便利過ぎて旅が消失したのである。
本当の旅を経験していないのである。車だと途中を省いて通りすぎるだけになる
だから旅というものではなくなる、移動なのである。それで旅館でありホテルに泊まることが目的にもなる。そこで何をするのかとなると食事を楽しむとなり料理を楽しむのが目的だとなる、それでホテルをテーマにしたコンサルタントがホテルを再生事業にかかわるとき必ず料理を問題にしているのである。
もともと旅は歩いているからこそ旅だった。まず今は歩くことがなくなった。
近くでも歩かないのである。私も買い物にするのに近くで歩かない、自転車になる。
他の人は車になる。だから商店街は廃れたのである。
車が通っても素通りするだけだとなる。

草臥れて宿借る頃や藤の花 芭蕉

これは歩いた感覚から生まれたのであり車に乗っていたらこういう句はできない。
現代は旅というのか消失したのである。だから旅人もいない、いるのは車とかで移動する人であり旅人ではないのである。だから旅は道連れとかはない、車だと会話などしないし瞬間的に通り過ぎるだけだとなる。旅は道連れ世は情けなどもない。人間的出合いもなくなったのである。
そしてなぜ最近温泉街が廃墟化した映像がyoutubeででている。会津の東山温泉でもそうだし飯坂温泉でもそうである。それは高度成長時代のバブルの夢の跡のようになってしまった、その時景気が良く団体旅行でにぎわっていたからである
そのために大きなホテルができて歓楽街のようにもなっていたのである
それが会社の団体旅行もなくなり寂れて廃墟化したのである。
その頃から旅の宿ではない、会社の団体のために用意された歓楽街となっていたからである。だから本当にそれは夢の跡となってしまったのである

今本当の旅を体験することは至難である。まず一か月くらいの自由な時間が必要となると会社員には簡単にできない、だからバイクとか自転車とかだと旅する感覚になる
ただバイクも車と同じように早いから途中が省かれる、旅の感覚にはならないのである
だから不思議なのはこれほど移動する社会でも旅というのは喪失したのである
新幹線で一気に平泉であれ青森までであれ行ったとしてもそれはあくまでも移動なのである、旅ではない、だから芭蕉のような体験はできない、便利になりすぎて結果的に深く自然でも歴史でも感じなくなったのである

旅で不思議なのは旅の経験は必ずしも金をかけなくても体験できるし金をかけてもかえって体験できない、テレビで京都の外国人を泊める一泊10万なのかホテルを紹介していたがそこで体験するものが果たして貴重なものとなるかどうかはわからない
まだ豪華な船でクルーズしてそれが後で貴重な経験となっているかどうかもわからない
豪華列車の旅でもそうである、だから何でも金をかけたからといって体験をできるとは限らない、そういうものは金持ちの老人には向いている。
でも若い時に体力がある時に金がなくても自転車で日本一周したとかが大きな体験であり後でその体験が貴重なものだったということをふりかえる。
だから体験の価値は金で計れない、金がなくても旅の体験はできる、私は自転車旅行でテントを積んで寝泊まりしたから金はかからなかった、でもその方が体験として記憶に残ったのである。


蚤虱(のみしらみ)馬の尿(ばり)する枕もと〉芭蕉

これも体験であり貴重なのである。金をいくらかけて便利な旅をしても旅の体験として貴重なものとなるとは限らない、それも一つの体験だから否定はしない、でも金をかけなくても旅はできる、金がないから旅ができないということはない、むしろ金より時間と体力があれば本当の旅を体験できたとなる。人間はすべて金では得られない、確かに豪華客船の旅も一つの体験である。特に外国だと旅もむずかしいからそれも体験である
でも余りにも便利で恵まれているとそれも何か贅沢すぎてかえってその体験が浅薄なものにもなる。

●人生とは何を経験体験したかである

結局人生とはどういう体験をしたかということでその人生の意義が見える
もしコロンブスのようなまた船で未知の国に行く体験をしたとしたらそれこそ人生を生きたとなる。そんな体験は今はできないからである。安全であり船が沈没することないからである。でも人生が生きたという醍醐味をがあるとしたらそういう危険を乗り切ったという冒険にあったとなる。

例えば聖書でも理解しようとする、でもいくら隅から隅まで読んでもわからない
なぜなら苦しむ悲しむ経験をしなければわからないからである。また奇跡があったとしてそれは事実であり体験したことを記したのである。それは空想ではなかったのである。
だからこそ価値がありその体験の価値があって聖書が読まれ続けているのである
まず体験しないと神も知り得ないのである。何か危機的な体験をしたりするとわかることがあるからである。
結局人間が生きることは体験することである。知識でも体験するからこそ身に着く、それでいくら勉強しても受験の暗記の勉強をしても現実に直面して挫折する
現実の問題を解決できない、現実の問題をどう解決するのかがわからないとなる

人間はやはりいろいろ体験することが人間を作る、大学とか無駄なようでもそれも一つの体験である。文系だと遊びの場だったとなってもそれも体験である。
だから高卒の人は大学のことを体験していないから理解できないのである
そこに人間の幅がないということがある、人生の一時期そうした自由な遊びの空間で過ごすということも経験なのである。ただそれでギャンブルにはまってしまったというマイナスの面もある、でも会社に入るとそういう体験はできなくなる。
だから留学体験とか外国で生活した体験がある人とない人の差が大きいのである
そういう人達は実感として外国を知っているからである。本を読んで知るのとは違っているのである。

農業などでも体験である。実地に農業している人の方が学者や学生より知っている
実地に農業を経験しないと農業のことはわからない、いくら本を読んでもわからないのである。別に学校で農業を学ばなくても家が農家なら実地に学ぶ機会があるから有利になる学校だけで本からだけで学べないからである。
人間を作るのは体験であり知識だけでは作れない、明治維新は侍が成したものでありでも官僚化して学問できるものが指導するようになったときおかしくなった
余りにも知識に重点を置きすぎたからである。そこに人格とか人間の資質などがないがしろにされた。そしてモラルも消失した。それは現代にもつづいている。
受験戦争の暗記だけの教育が人間をだめにしたとなる。
やはりそれは現実社会での体験をしない、頭だけで処理しようとすることで問題になったまた高度に専門化した結果頭でっかちとなり指導できなくなったともなる
それは個々の人間の問題ではなく文明全体の問題ともなる

現代は体験が希薄化している、頭だけで知識が優先されて体験が不足している
頭でっかちになりすぎたのである。膨大な知識でも消化できないのである
その知識でも体験がない活かせないのである。
ともかく旅も体験でもその旅の体験自体ができなくなったのが現代なのである。
なぜもてなしがあったかとなればまず旅人が宿に着いた時足を洗うのは歩いて来て埃りに汚れているからである。もてなしというときそういうふうに疲れているからもてなしがあった、車で来た人にはそういうことはない、するともてなしというのもなくなる
疲れたでしょうということもないからである。車でも疲れることはあっても歩いて来るのとは相当に違っているからである。
第一自転車旅行なぢしている人はまともでないとなる胡散臭いものとしていやがる。
ネクタイして背広をぴちっと来ている人が歓迎されるのである
でも今になると旅も一期一会であった,泊ったのも一夜だけであり後は泊まることもない、そこで親切にされたらうれしいとなる。でも今こうして旅する人自体いなくなったのである。
宿でもそんな人は相手にしないのである。だからテントが必ず必要なのである。

●体験が人間を作る

結局人間を作るのは体験である。それは必ずしも金をかけたからできるものではない
山に登るにしても体力が必要であり今になると年取るとできなくなったからである
だから激しい運動は若いうち体験していないと後でできなくなるのである
何でもできるように思えてもたちまち時間は過ぎてしまうのである。
体験というとき職業でも体験である。医者になるにしてもいくら学校で学んでも現実患者を診るとなると体験なのである。だから手術となると場数を踏んだ人がうまいとなるのはそれだけ体験を積み重ねて会得したとなるからである。そのために失敗したこともあるとなる

ただ正直人間はあるゆることを経験できない、先生に成ろうとしても免許が必要だなにかにとできない、要するに経験ができないのである。
それで自分は引きこもりになった、でもまたこの引きこもりも経験なのである。
そんなこと経験なのかとみてもやはりそれも特殊な経験だとなる
みんなが必ずしもなるわけでもないし高度成長時代に引きこもりなどほとんどいなかったからである。今や引きこもりは一つの時代の兆候だとなっている。
そこに問題があるにしろそれも一つの生き方だとまでされる時代にもなる
でもそこには是非があり大きな問題がひそんでいることも確かである

いづれにしろこれからは物でも飽和状態になっている、観光でもいかに体験するかである豪華客船の旅の体験だから否定はできない、でも旅の体験となるといろいろあり本当に旅を体験することは喪失しているのである。
目的についてうまいものを料理が目的だとするとなれば旅ではないのである。
それは付随したものであり本来の旅の価値とはならないのである。その体験でもうまいものをあそこで食べたなしかならない、旅の体験は抜け落ちしいるのである。
だからかえって時間と金を無駄にしたと後で後悔することにもなる
ただ登山とかは厳しいけど記憶に残る、でもそれは若いうちしかできないともなる
ただ70らいでも登山している人は今はいる、それも体験であり山を知るということはただ遠くから眺めるということもあるが山自体を体験するには登山が必要だとなる
人生は体験でありそれも様々なのである。
でも職業にしても簡単に体験できない、私が無人駅で駅員のまねごとしたのも体験だったそれでただ乗客となるだけではない体験をして駅のことがわかったのである
それを報告もしたのである。だからそこで問題のなのは

体験自体が貴重だった!

そこで金にならなくてもほめられなくても体験することが貴重なことだったのである。
なぜなら職業でも何でも簡単に体験できないからである。
結局自分が体験した職業となると流れ作業とか肉体労働とかしかなかったからである。
先生のまねごともしたがその経験も短く先生になることがどういうものかわからずじまいに終わった、つまりそれも体験できないからそうなったのである。
そして人生はたちまち時間がすぎてしまうのである

老人になるとどうしても自分の経験したことを語り自慢する、それを嫌がる人がいてもそれが人生だったからそうなる。それで認知症になったら親でも千回も同じことを語る
それを聞いている方がうんざりしたがそれがその人の人生だったから熱心に語りつづけたのである。私はこう生きたんだよという切実な訴えだったのである。
一人は従軍看護婦だったからシンガポールの向かいのジョホールバルで四年間地獄のような所で働いたからそれが死ぬまで忘れなかったのである。
だから生きたというとき一番印象に残ったことを語るのである
またこの家を建てたということでいつも自慢していたのもそうである
それも自分が建てたとして自慢したのは当然だったとなる。それはやはり苦労して建てたということがあるからそうなる。それは必ずどこの家でも親が語るのは当然だとなる
それを自慢するのはそれが生きた証ともなっているからである。
ただ病院とに入ると家とは切り離されるからそこで家を誇ることもできなくなるから
存在的にはただの病人になるやっかいものとなってしまうのである。

そして面白い老人とは価値ある老人とは金がある老人とは限らない、いろいろな人生体験をしてその体験が特別なものだったから価値がある、津波とかで九死に一生の経験などは誰でもできるものではないから自慢になる。
でも平々凡々な人生は余り自慢にもならない価値にもならないかもしれない。
波乱万丈を生きた人の話はかえって面白く価値あるとなる。
つまりその語ることでも経験を語るから経験が特別なものでないと訴えないのである。
ただそれぞれの経験があり違っている、それで石の貨幣があるがその価値は石が海に沈んでそれを取りだす苦労がありその苦労を語ることで価値が生まれるという
つまり貨幣そのものではなくいかにその石の貨幣を海からとりだしたという苦労話しに価値があるとなる、それが人間にも言えるのである。
いくら金を残したかではない、どういう経験をしたかでその老人の価値が決まるとなる
はっきりいって規格品のように生きた人は価値がない、カルト教団に生きた人の語ることは価値がないというよりもうその組織集団でも消失すれば個人の価値もなくなる
老人になると価値がまた変わってくる、金があるだけで価値があるとはならなくなる。
だからすべてを金に価値を置くことは失敗するとなる
金がなくてはいいというのではない、そういう極端なことを言ったら議論にもならない
金意外の価値が老人にはありその体験を語ることは別に金にならなくても価値があるとなる

船は荒波にもまれゆれ
それを乗り切り港につく
その時何かかえって達成感がある
そしてその荒波を乗り切ったことを
漁師は何度も語る
そこに価値があったから
静かな海を無事に帰ってきても
そこに価値は生まれない
激しい荒波にもまれた船は
そのこと故に港で安らいでいる

つまり荒波にもまれる経験があってその漁師の話でも価値あるものとなり漁師自体にも価値をあるものとされるのである。

2023年02月25日

世界を見る基本は地理(地政学)―覇権争いが世界史の現実 (ウクライナの戦争をどうみるかも同じ)


世界を見る基本は地理(地政学)―覇権争いが世界史の現実

(ウクライナの戦争をどうみるかも同じ)

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世界の地政学から世界史を見るとウクライナの戦争をどう見るのかとなる
それは遠大なものになるから簡単にはできない、でも確かに現代はアジアではない、西側がヨ−ロッパが中心になって作られた世界である
世界の西欧文明化であった、大航海時代からそれは始まったのだからその期間は長い
ヨ−ロッパの延長としてアメリカがあった、大英帝国が七つの海を支配して次にアメリカが覇権国となりドルが支配することになった
それから米ソ対立の冷戦があり冷戦ではアメリカが勝利したとなる
しかし次に覇権国としてのしあがってきたのが中国である、それで米中対立の時代になった、今や中国がロシアの兄貴分になった、実際ウクライナの鍵は中国が握っているからだともなる、それだけ中国の力が強くなったのである

アメリカ自体が中国と同じく国土が広く巨大な国である、アメリカとヨ−ロッパとは大西洋をはさんで離れているようで一体でも、つまりアメリカ側からみれば確かに大西洋で離れているようでもヨ−ロッパは大平洋で離れているより身近なのである
つまりアメリカから見ればヨ−ロッパはつながり強く結ばれているともなる
歴史的にもそうである、ヨ−ロッパの延長としてアメリカがあったとなるからである
ただロシアはアジアなのかとなるとそうともいえない、アジアでもありヨ−ロッパでもある、なぜなら顔だちでもモンゴル風でありアジア人の容姿の人もいる
ロシアはアジアの混血でありまたヨ−ロッパとの混血民族だとなる
それは民族というだけでなく文化的にもそうなのである
ギリシャ正教会からルーシーとはロシア正教会になった、それはアジア的なものにキリスト教が変質したとなる。
ロシアはまたスラブ民族はイスラム教と一体化しているから宗教的に複雑である

ともかく東西文明の交流が500年周期であるという説、それは余りにスケールが大きいから理解しにくい、ただ現代は西欧文明の挑戦を世界で受けた時代だった
アジアでは西欧文明の挑戦を受けて日本が最初に世界史の舞台に出てきたのである
中国はヨ−ロッパの植民地化されたからである、だから第二次世界大戦で覇権国になろうとしたのである、世界史は正義とか関係ないのである、アメリカが正義の戦争として日本を攻撃して支配したというのは別に正義を実現するわけではなかった
世界の覇権国がアメリカに移る戦争だったのである、その前の覇権国はイギリスだったのである、七つの海を支配したイギリスでありポンドが基軸通貨となっていたのである
だから日本は悪でありその悪をころしめるためにアメリカが戦い勝ったとかいうのはアメリカの勝手な見方であり世界史は覇権争いでありその延長としての戦いだったとなる
そこに正義など関係していないのである
むしろヨ−ロッパはアジアを蹂躙した侵略者だから悪だともなる
要するに正義で争っているのではなく覇権争い覇道の争いが世界史なのである

ウクライナ戦争でもヨ−ロッパがありアメリカがありロシアがあり中国がありその狭間で起きたことである。もし中国がロシアについて一体化すればヨ−ロッパとアメリカとロシアと中国の二つの陣営に分かれて大三次世界大戦ともなる危険がある
その狭間に日本が置かれて日本は苦慮してウクライナのようになりかねないのである
実際に太平洋戦争では日本はソビエト連邦とアメリカによって分割支配されることにもなっていたからである、その時中国は共産主義革命となり力を持たなかったのである
では冷戦の時は共産主義と民主主義の対立でありそのための戦争だったとしているが実際は覇権争いだったのである。民主主義でもそれが世界の普遍的なもはのとはなりえない
今民主主義自体が危機に瀕しているのはそのためである。民主主義は大衆民主主義になりポピュリズムになりナチスとなった歴史をみればわかる
全体主義と一番近いのが民主主義でもあった、また共産主義とは全体主義であり独裁でもあった。だからどっちにしろその政治体制で世界は決まらない、覇権争いでありそれがウクライナの戦争となったのも歴史は繰り返すとなる

いづれにしろ地政学というとき世界を見るのには欠かせない、でも世界は巨大だから地政学で見るとしてもその視界が狭いから簡単にできないのである
一番簡単なのは聖徳太子が聖徳太子「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す…」である

この解釈はいろいろあっても地理的な単純な事実を言ったともなる
なぜなら太陽が昇り沈むということは一番心に残ることだからである
日本でも太平洋から太陽が昇る、山に沈む、でも日本海になると山から太陽が昇り海に沈む、それは大平洋とは全く逆なのである、だから太陽がどこから昇り沈むとういことは地理で一番印象に残るのである、韓国に行くと海から太陽が昇るその方向が日本になる
日本から見れば日本海に太陽が沈むのである、アメリカでも西海岸に太陽が沈むのであるだからこれは別に中国の隋の皇帝を侮辱するものでもなかった、ただ地理をそのまま指摘したに過ぎないのである
太陽が昇るというとき近江では琵琶湖に西が高島とかでありそこから東があづまであり
そこから太陽が昇るのを見た時もなるほどと思った。西は陽の沈む所であり琵琶湖の湖西線があり比良の山に太陽が沈むのである、ただその光景は見ていない、それで旅した時はどこから太陽が昇り沈むのか見ると地理としてわかりやすいのである

世界史はいろいろあっても空間軸と時間軸で見る、でもそれがスケールが大きいから理解しにくくなる、でもまず世界を見る時地政学で見る、地理から見るのが基本にある
なぜなら時間軸でみるときさらにわかりにくくなる、でも地理は地球が形成されて以来
基本的に変わっていないのである、海が陸地になったり陸地が海になったりしないのである、人間の歴史感覚でみればそうなる。とすると変わらない地理から見れば基本的なものは理解するとなるからである
ウクライナでも地理からみればヨ−ロッパとアメリカとロシアと背後の中国のせめぎ合いなのか覇権争いなのかともみる、それが今度は日本に波及してくる怖さなのである
米中の狭間で日本がウクライナのようになりかねないのである
ただ日本が明治の時に東西の橋渡し役だと指摘されたように本来はどっちにも組みしないのがいいのである。でも現実的にはどちらかにつかざるをえない、そこで日本もウクライナのように引き裂かれる危険がある。またそういう地理にある
だから地政学を知ることが基本になる、日本は一方に偏ると危険になる
でも中立を保てないとしたらどうするのかとなる、それでインドとかオーストラリアとか第三の勢力を構築するということにもなる、それは三国志と同じだとなる



posted by 天華 at 17:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2023年02月24日

トルコ大地震と原発事故の相似 (安全はコストがかかるので無視されやすい)


トルコ大地震と原発事故の相似

(安全はコストがかかるので無視されやすい)

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市営住宅は中でも被害がなかった
60年も過ぎれば木の住宅はぼろぼろになり壊されている

1999年のイズミット地震(別名「トルコ北西部地震」「トルコ・コジャエリ地震」等[注釈 1])は、1999年8月17日3時02分(EET、現地時間)に、トルコ北西部で発生したマグニチュード7.6の地震である。37秒もの間ゆれ続け[2]、1万7000人あまりが死亡し[3]、およそ60万人が家を喪うなど震源のコジャエリ県イズミット市を中心に甚大な損害をもたらした。



トルコはもともと地震が多い地帯である、だから地震対策が必要だった。
1999年にも地震で大被害があった、だから当然地震対策が必要だった
でも今回エルドワン大統領が責められたのはビルの建築に地震対策をさせなかった
それはコストを削減して業者をもうけされる、そして利権を与えて票を得るという構図があった、また建築でも技術的に進んでいないということもあったのかもしれない
日本だったらこれだけ地震があれば耐震設計でないと許可されないからである
ただ常に安全というのはコストがかかるので二の次になる
そういうことはグロ−バル社会でも同じだったのである

自然災害はどこでもありその安全対策が望まれる、トルコでも地震頻発地帯なのだから当然だったとなる、でも必ず安全対策はコストの面でおさえられる、民間の事業はどうしても利益優先になりコストが問題にされるからである
それは原発事故でも同じだったのである、当時の社長はコストカッターとして手腕を発揮して社長になったと言われる、それで安全はないがしろにした
もともと高い所に作っていたのに電源を地下に作ったからわざわざ高くしたものを低くするために削った、それで津波に襲われて電源喪失したとなる

コストがかかることは民間の会社だと無駄とみる、利益優先でありコストをかけたくないのである、でも一旦事故になるとその被害も甚大になるのである
今回もその恐ろしさを見せつけられたのである、安全というとき何か近くのキクチスーパーのカードをなくした、一万入れていたチャージしていたでもなくなくなったので丸損になった、すると一年でどれくらいもらえていたのか計算すると割りに合わない
二三か月に一回くらい3百円もらったとしてもカードを落とした結果一万損失だから割に合わないとしてやめた、他のクレジットカードなどは無くしたらとめて再発行できるからそんな損失にはならないのである、だからこれも安全が意外とかえって得になることを知ったのである、またナナコとかのカードをなくして5万入れていて損したという話も聞いた、このようにカードがそもそも小さいのでなくしやすいのである
その安全対策がキクチスーパーにはなかったのである

だから安全には金がかかるとしても事故になった場合かえって大損になる
でも民間の会社で安全に金をかけると利益にならない、安全は利益にならない、だから目先の利益を優先するのである、いつ地震が来るのか津波が来るのかなどわからないからである、でもトルコは1999年にも大地震が起きているのだから危機感があってもいいはずだったが建物でもそのままにしていたのはこれまたコストの問題があったのだろう
古い建物でも壊して新しいものにできないいう事情もあったのだろう
これもコストの問題だったのである、安全とコストは必ず関係しているのである
だから安全を民間会社だけで担うのは負担が大きい、そこで政府が介入する役割がある
でも福島原発では政府の保安院は不安員と揶揄されたように何の役割も果たしていなかった、ただ東電から金をもらうというだけだったのである、監視などしていなかったのである

そして東電には官僚も天下りしていた、それが海上自衛隊とか警察関係も多いのである
ここは大きな権力であり原発は国家的事業でありこれに逆らえば警察もかかわってくるというものだったのである、そこで甘い汁を吸っていたのがこうした上級官僚だったとなるだから事故の責任を負って天下りした役人はその金を返却すべきだとなるがそんなことを責任を問う人もいない、ただ最近裁判に勝訴したので地元では補償金がまたもらえるとはなった、ただ地元にしても安全のことなど真剣に検討しない、原発は金の生る木だったのである、国家的事業であり莫大な金が惜しみなくつぎ込まれていたのである
除染にしても6兆円とか途方もない金が使われたのには驚いた、そのために相双リテックとかは幹部で何億の金を山分けしたとかなる、だからその責任は国家だけにあるとはならない、地元にしても金になるから誘致した事情があるからである
安全はないがしろにされまず金だとなっていたからである

常に人間には危険がある、自然災害がある、知床の観光船でもやはり安全がないがしろにされていた、それもコストの問題があり安全は二の次になり事故になったのである
それと地元の人が経営していたのでないからその土地の自然のことがわからなかったのである、潮流とか風が関係していたからである
それも問題であった、風土というのは自然というのは必ず関係してくる
ソーラーパネルでも相馬市の宇多川の上流の丸森などの山まで山ごと木を切ってはげ山にしてソーラーパネルにした、それも危険だと見た、なぜなら雨がふったら木がないから貯水ができなくなり川に急激に水が流れて氾濫もする
数年前に宇多川で相馬市街まで氾濫した、だからソーラーパネルも危険なのである

ただ常に安全はないがしろにされる、それは利益優先になりコストがかかるからそうなるでも一旦事故になると莫大な被害がでる、もし今回のトルコ地震でも耐震設計だったらあんな被害は出なかったかもしれない、それが致命的だったともなる
不思議なのはこの辺の古い1950年代のものなのか、コンクリートの二階建ての市営住宅は古いのに被害がなかった、外から壁を見てもひび割れもしていない
それは去年の大地震でも被害が見えないのである
未だにまだ去年の地震で家を直していない所がある、でもなぜそんなに古い建物なのに被害がなっかたのか、コンクリートは地震に強いからだとなる
でもビルは崩壊したのである、やはり大きくなればその被害も大きくなるのである

いづれにしろ自然災害との戦いが人間の歴史でもあった、だからそれはかなり解決したようでもしなかった、津波だとそうした予想を超えるものとして現実化したからである
トルコの地震は予想外とはならない、そういう地震がすでに20年前に経験しているからである、ただその安全対策ができていなかったということである
だからこそエルドワン大統領が建築業者の安全対策を厳しく指導していなかったとして責められているのである、つまりそれは政府も国家にも責任があったとされるのである
こういう事例が社会には多いのである
posted by 天華 at 10:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2023年02月23日

桃源境の抽象画 The chinese utopia


桃源境の抽象画

The chinese utopia

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creater at night


これは中国の現代絵画がである、それを変化させたのである、だから著作権違反ともなるただ世界のことだからわからないともなる、これで利益を得たら問題になる
世界となるとそういうこともわからなくなる、chat GTBとかでもそういう問題が起きて来る、インタ−ネットだと権利とかわかりにくくなるからである

この原画は現代的な桃源郷を示しているのかもしれない、偶然に巌に仏陀の顔が見えたのである、他の抽象画もここうから変化させたのである
でも不思議なのは変化させた方が原画より見映えがすることがある
だからパソコンのソフトで変えたものはそれなりの創作なのかとなる
まず原画とすでに何の関係ないものとなっているのは見分けがつかないものは著作権を
犯しているとはならない、でも見分けがつくと問題になる

こういうことが起きているのはやはりパソコンは原画あるとしてそれを変化させて別なものにするというのが得意だからだろう
ただ原画は人間が作っているのでありパソコンではないのである
まずこのような原画は人間にしか作れないだろう
その原画からまた変化するものが作り安いのである
おそらくchat GTBなどもそれと似ている、原画を元の情報がありそれを変化させたりする結合したりすると別なものになるからである
それが膨大なインタ−ネットの情報世界が生まれてできるようになったのである

This is a contemporary Chinese painting, which was changed, so it could be considered a copyright violation, but it's not clear because it's the world, and if you profit from it, it becomes a problem.
If you profit from it, you will have a problem.

This original painting may show a modern paradise, and I happened to see Buddha's face on the rock, and I changed other abstract paintings from here.
But the strange thing is that sometimes the altered version looks better than the original.
So, one wonders if the changes made with computer software are creative in their own way.
First of all, if it is indistinguishable from the original, which already has nothing to do with the original, it is not a copyright violation.
But if you can tell the difference, it becomes a problem.

The reason this is happening is because computers are very good at taking an original and changing it to make it something else.
However, the original image is created by a human being, not a computer.
First of all, only a human being could create such an original image.
It is easy to create something that changes from the original image.
Perhaps the chat GTB is similar to this, because the original information is in the original image, and if it is changed or combined, it becomes something else.
This has become possible with the creation of the vast information world of the Internet.

Translated with www.DeepL.com/Translator (free version)

2023年02月22日

星淳一氏(死亡した星自転車屋の写真がシシドスーパーに出ていた)


星淳一氏(死亡した星自転車屋の写真がシシドスーパーに出ていた)


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この写真がシシドスーパーの入り口に貼ってあった
おそらく商工会で出したのだろう
でもあまり注目して視ている人もいないようだった
自転車に乗らない人はかかわらないからそうなる
でもかかわった人は星自転車屋の人が死んだのかとなる

それがなぜそうなったのかというと鹿島区には一軒しかなくなったのと私の場合ヤマハの電動自転車を買っていたから世話になったということで関心があった
無人駅化したとき駅のことでも語りあったりした
何か駅前だから駅のことが一番知っていて気にかけていたのである
駅の活性化とかを語ったのである

今になると一軒しか自転車屋がないから貴重だったのである
原町とか相馬市とかなると何軒か自転車屋があるから他の自転車に行けばいいとなる
でも原町のイオン内に自転車を売っていても張り紙で十項目くらいは直せる
だからそれくらいだったら直せる、でもむずかしいものになると直せない
一回は心臓部分のドライブユニットが故障したので新しいのに取り替えたのである
そういうことはできない、それはヤマハ本店とつながらないとできないのである
またチェーンはずれたとき特殊なものだから特殊な道具が必要になった
それでその道具をとりよせてはずれたチェーンを直すことができたのである
それは特殊な高い自転車だったからそうなったのである

それで通販で外国製でもいろいろいいのがあっても修理などできないから買いにくいのである
電動自転車でなければそれほど困らないと思う、電動自転車はめんどうなのである
イオンに行くにしても自転車屋を持ってこいと言われたからそこまで歩いて持ってゆくのも苦労になる
ともかく自分にとって自転車は欠かせないからこまるのである。

それにしても人間は死ぬと不思議である、それは60年間一緒に暮した家族でも死んでしまってそう思った、何かいつまでも死んでもその死に納得がいかない、完全にこの世から消えることがいつまでたってもそれを受けいれられないとういことがある
それもまだ死んだばかりなのだから余計にそうなる、先日あそこにいたのにいないとうことが不思議なのである
今でも駅を見て仕事をしている感覚になる、鹿島町の行く末を見ているのかともなる
それは小さな街であり一軒しかないということでそうなったのである
つまり都会だったらこうはならなかった、他にも自転車屋はあるから他に行けばいいとなるからである

ここでは他にないから余計に価値あるものとなったのである
だから価値というのは様々な条件で変わってくるのである
田舎には田舎の価値があり田舎に価値を作ることができる
だから田舎に移住したいということが話題になるのが何も持っていない何もできない人は来ても歓迎されないいうことがある
無医村だったら医者は大歓迎になる、他でも大工などでもいないから修理することがあるから必要になる、何もできない人は田舎だって歓迎されない
でも若い人は歓迎される、何もできなくても田舎に来て学び身につければいいとなるからである、そこに時間があるからできるのである

鹿島にそ生きにし人や今はなき淋しきものや春となりしも

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2023年02月21日

精神障害者の虐待 (遂に母親も自分が病気になり施設に入れると言うようになった- 家族が崩壊する介護問題)

精神障害者の虐待

(遂に母親も自分が病気になり施設に入れると言うようになった-

家族が崩壊する介護問題)

【精神科病棟】暴行や虐待は日常的に?身体拘束は?入院を望む家族の思いとは?ひろゆきと考える|アベプラ

https://onl.la/FpzGBJi

発達障害の子供もった女性は施設に入れないと強く言ったいたが自分自身が脳梗塞になり気持ちが変わった

なぜなら弟に世話になるうよになって変わったのである

自分自身が元気ならそういうことはなかった、でも72歳にもなり病気になり自分自身のことで精一杯になった

子供と言っても50歳にもなっている、それでもうめんをとみれないとなったのかもしれない、やはり人間は子供より大事なのは自分自身だともなる。でも今までは強く子供を守るとしていたから意外だった。

人間の気持ちというのは常に変化している、何かこの世ではいろいろあり変わる、年齢でも変わってくる。

状況によっても変わってくる、やはり病気になって弟に世話になるようになって変わった、自分の世話をしてくれるのは弟と思うようになったからなのかもしれない、ただその弟は発達障害の兄には厳しいから施設に入れろとしきりに言っていたが母親は反対していたのである

アベマテレビ精神障害者が拘束されたことを問題にしている

虐待もされたとか病院が訴えられた、これは認知症にでもあったから意外とそれは今や高齢化社会で身近な問題になったのである

なぜなら認知症になる人が6人に1人とかなるとその数も多いのである、ではそれにどう対処するのか?

それは特殊な人ではない誰でもその問題をかかえる割合が増えたのである

ただ生まれつき精神障害者になっているのと親がなることは相当に違っている、親の場合いろいろあっても私の家の場合は家を支えて私に自由に何でもさせてくれた、だから功績が大きいものだった、それで実の母親がいたとしてももう一人の母親となった姉のことを大事にせざるえななかったのである

そういう家庭の事情はみんな違っているから対処も違ってくるのである。ただそうして精神障害者をかかえると家族も崩壊するということがある、だから施設に入れることにもなる

そこで虐待や身体拘束が起きる、虐待は病院でも起きる、特に今の若い人は看護師でも老人を嫌っている、大量の老人のめんどうを診るのが高齢化社会だからである

もし子供とか若い人だったら対処も血かったものになっているかもしれない、高齢化社会は老人が多すぎて病人でも老人がほとんどだからである、そこで老人に嫌悪感も持っている人が多いのである、だから老人は集団自殺しろとまで堂々と言わせるのはそういう社会風潮になっているからである


ただ発達障害というのは暴力になったりはしないようだ

その人は体はプロレスラーのようであり暴れたりしたら怖いとみる、私の家の場あいは一人の親は気丈夫であり男優りだから認知症になって暴力になったりしたら怖かった、だからもう一人の実の親は一藷に住めなくなったのである

でも私は家の事情があり死ぬまで良くしたのである、最後は病院で死んだ、そこで身体拘束などもあったから当人は辛かった

でも結果的には認知症になってから二年くらいで死んだのである

それで比較的終わってみれば楽だったのかとなる

このアベマのテレビでどうして家族でも施設に入れるのか?


これを問うたがその答えは家族で見きれないからだと言うのもわかる、家族だけで診るのは限界があり家族自体が崩壊してゆくともなるからである、これはニートとか引きこもりでもそうなっている、自分の家も家族崩壊になったからである

ただ私は二人の親に特別良くされたことでしょうがいなとあきらめていた、苦しかったけどしょうがいなとなっていたのである

それだけ特別良くされたのが自分だからそうなっていたのである

他の人はそうではない、知っている女性でも弟がいたとしても別にそんなに良くされていない、発達障害の息子にはいつも心配して愛情をかけていたとなる、そこで弟は母親に余り良い感情をいだいていないともなる、でも世話するのは今その弟だけなのである、そこで気持ちが変わったとなる

発達障害の人も母親を心配していても何かたいしたことができないからである、そこで自分自身が弟にめんどうみてもらうようになると発達障害の兄より弟を頼る他なくなったとなる

それで母親が非情とはならない、それだけ精神障害者をかかえることは負担が重すぎるのである、別に普通の人でも介護の負担が重すぎるのである

だからこういう問題は頻発する、特に認知症も精神障害だから同じことが起きるのである

そこで家族は引き裂かれ分断されて崩壊するともなるのである

ただ私の場合はなんとか一つの家族として継続させて守ったとなる、それは結局その功績が大きかったからである

他の人はそうならないからできないともなる

いづれにし精神障害者でもいろいろある、一くくりでは語れない、発達障害というのはどこかが異常なのかわかりにくいのである、でもそれだけ母親に世話になったのにそれを余り感じないとか何もしやれなんとかあり母親も見切りをつてけたのかともなる

ただこの問題の深刻さはもう一部の精神障害だけではない、認知症になる数が膨大になるのだからそれは他人事ですまされない

身体拘束でも虐待でも親が受けることになるからそれを放置できるのかという問題なのである

自分の親もそうされる確率が高いから問題なのである






2023年02月20日

win11のパソコンで苦労ーわかりにくく使いずらい (原町のケーズ電気に詳しい人がいてわかった)


win11のパソコンで苦労ーわかりにくく使いずらい

(原町のケーズ電気に詳しい人がいてわかった)

一番の問題はインタ−ネットとかの検索窓に字が書き込めなかったことである
これは基本中の基本でありこれができないことにはどうにもならない
それでいろいろ操作して最後は再インストールしたがそれでも字がでてこないのである
仙台のパソコン工房とかの専門店に行くことを決めた、でも遠いので近くの量販店に一応だめもとでも聞くことにした、デルのノートパソコンでありデルの案内に聞いてもここはただ聞くだけであり何か解決することがない
それは余りにもパソコンが複雑すぎて答えようもないものだからである
それは前からわかっていた、私はwin95からパソコンを始めている
その頃は何か不具合があると再インストールして始めていた

そうしなければ使えないものだったのである
だから今回も再インストールしたがそれでもできなかった
山田電機の人はパソコンに詳しい人ではなかったらしい、しきりに字が出ないとういことは見たことがないといい基盤が故障しいる率が高いと言っていた
それも何かそんなに使っていないのにおかしいと思った
でもその言い分もそうなのかとも思った

そう言われても納得がいないのでケーズ電機によってパソコンの詳しい人に見せたら
一発でわかった、最初の画面でパスワードを入れるところで文字を入れられないが
その画面でオフとオンにするものがありそれを操作したら簡単にできたのに驚いた
パソコンの問題はこうして意外と簡単に解決することがある
でもそれがわかりにくいのである、説明とかになるとその手順にしてもむずかしいから
わかりずらいからかえってわからなくなもなる
そのうちに迷路に迷い込んで出れないようにもなる

だからケーズ電機のパソコンに詳しい人が一発でわかり文字が出にくくなったのには驚いた。その人はかなり優秀だと見た、そういう人がいることは買った後でもわからない時聞けるからいい、でも電器店でも必ずしもパソコンに詳しい人がいるとは限らない
仙台市だと専門店があるからわかるだろう、でも遠いことが問題なのである
らかくてないと困ることがある、自転車でも鹿島区では死んだので一軒もなくなった
これ電動自転車とかなると本店とつながっていないと直せないことがある
簡単なパンクなどは直せても電気関係とかなると直せない、それで一回買ったばかりなのにエンジンになる心臓ともなる主要なものをそっくり交換したのである
こういうことがあるから通信販売で買えても後は何もしてくれないから買えないのであるそれで電動の折り畳み自転車を買いたくても買えないとういことがある

どうしてもこの電動自転車となると折り畳みとかなると外国製も多いから東京でしか直接販売していない、仙台市でも販売していないのである
ここに東京と田舎の差があった、でも現代では他はそれほど差は感じないのである
ただパソコンでも直接もっていて見てもらうとわかることがある、電話応対ではわからないのである、特にパソコンは複雑すぎてわからなくなる
だからキーボードの基盤がおかしいということ自体素人なりに変だとも思ったのである
ハードがそんなにもう一か月くらいしか使っていないのに故障する訳がないと思ったからである、やはりそれが正しかったのである
ではなぜ基盤がハードが悪いと言ったのか?それは新しい物を買わせるためだったのかとかんぐる、基盤が悪いとしたら新しいものを買う他ないからである

いづれにしろパソコンは操作するのに苦労する、win95からやっていてもそうなのである
そのために相当な時間もかかる、問題は時間のあるうちはいろいろ試行錯誤できた
でも今になると時間がない、だから操作にばかり時間とられるのが嫌なのである
そうなるとパソコンの機械マニアになってしまうからである
私がパソコンを使うのは私自身の表現のためでありパソコンの機械のマニアになることではないからである
ただどうしてもパソコンに通じないとできなのでしかたなくしているのである

それでプログでもsslにしなかったのもまずかった、アクセスされにくいからである。
それからワードプレスをしようとしたがこれもめんどうでしていない
時間がかなりかかる、結局人間は何か機械の操作でも習得するのに時間がかかる
特にパソコンは操作に時間がかかる、それが他の機械と根本的に違っているのである
ワードプレスとなるとプログラムの知識も必要になるとかなりめんをとになるのである
でも人間はそれがむずかしいものでも早い時期にしていれば意外と身につく
必ずしも才能ではない、地道な積み重ねでプログラムでも覚えられるということである
こういう時代になるとしたらソロバンなどしていても何の役ににもたたなかった
今の子供はすでにプログラムの勉強を始めているからそれが将来役にたつのである

ともかくwin11は使いにくい、これも慣れなのだがこの年になると慣れる時間がなくなったのである、だから今までできることは継続できるが新しいことに慣れるのが老人はできなくなる、慣れたものを継続するのはいいのである
ここに老人の問題がありIT化できないことにもなる、老人は慣れればできるとしても時間がかかる、その時間がなくなっているのである
実際win11はwin10とたいして変わらないというし普及が遅い、変わり映えしないのものである、でも安全性が高くなったとかサービスが受けられないとかなり変える他ないとなるただパソコンでosが変えられることは大きな問題なのである

人間は必ずしも才能とかではなく、パソコンでも日ごろかち訓練していればできるようになる、それでOSを変えられると一番困惑する、とういうのは慣れるにも時間がかかるからである、操作ばかりに追われたら肝心のものを追及できなくなる
老人の問題は何するにも時間がなくなったということである
スマホでも買ったがこれも操作が簡単でない、すると操作ばかりに追われて時間がとられて肝心なものが追及できないとなる
もともと老人は新しいもの技術でもなじめないのである、それは必ずしもできないということではない、これまでしていたことの継続だとわかりやすいのである
慣れないことをするには時間がかかるだけなのである
能力が劣ってできないということではないのである
人間にはすることがいろいろありパソコンの操作ばかりに追われていたら時間をとられたらそれぞれが追及していることができなくなるのである
そこにパソコンの問題があったのである




2023年02月19日

晩秋霊山ー漢詩もどきー(相馬藩の姓の系統)


晩秋霊山ー漢詩もどきー(相馬藩の姓の系統)

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晩秋霊山

晩秋古跡訪
南朝滅霊山
木葉風吹舞
巌黒々根露
只野一族住
落武者末裔
歴程語共老




相馬氏藩では主に三つの姓の系統がある、めれは鎌倉時代から始まっている
古いのは義経に従った佐藤氏であり福島市の医王寺にその墓がある
塩手山に二軒隣り合ってある、それは明らかに佐藤氏系統でありその一族が中村に勢力を持った。それで相馬氏はその佐藤氏と争うことになった。
磯部に佐藤館があり後に今ある道の駅の所に鬼越館がありそこに住んだのである

佐藤氏系統と次にやはり鎌倉から来た岩松氏は鹿島区を中心にして治めた
でも四天王という一緒に鎌倉から来た臣下の侍に無惨に殺されたのである
稚児まで殺されたのでそのことは語りつづけられることになったのである
実際にその殺した臣下の末裔は生きているからである
岩松という姓は相馬藩にはないのである、それが歴史の事実を示している
伝説には架空のこともあるが事実に基づいている、

その後相馬氏が進出して支配した、その姓は多様だからなかなかわかりにくいのである
ただ野馬追いに出る武者の家は相馬氏の系統が大半である
姓と言う時昔は一族意識が強い、だからある村の姓が同じだということがある
葛尾村は松本姓が大半でありこれは信州から移って来た人達であり葛尾村の名自体がそこにもある
また常磐線の末続駅を下りたら墓地は8割が新妻姓だったのである
だから新妻一族が住んだ場所だと明確にわかるのである

ともかく南相馬氏鹿島区となると只野の姓が50軒くらいある、それは郡山の多田野村から出た姓であり霊山で南朝が北朝と争い落ち延びた侍が先祖なのである
どういう訳か郡山市は福島県の経済の中心である、東京にも近く会津にも通じているからである。だからトイレを直したのは郡山市の会社だったとかなる
今は仕事も広域化している、いわき市の人が瓦を直してユニットバスは仙台市の会社だったのである、常磐高速道や福島中央道もできたので遠くから仕事で来るとなったのである
桧枝岐だと秘境になっていた、そこの姓は三つくらいしかない、そこに星がある
橘などもあり後から一族を受けいれた、ということは個々人が移動しているのではない
一族が住む場所を求めて移住してきたのである
ただ相馬氏の場合は一族といっても大きな氏族だから相馬藩自体を支配するようになったのである







2023年02月18日

春の横峯堤-二宮尊徳の社−梅香る里


春の横峯堤-二宮尊徳の社−梅香る里


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横峯の堤の広く春の山尊徳讃ゆ社かな

春横峯堤

処々梅香里
横峯堤広大
春山映水豊
尊徳讃社哉

今日は暖かったので近くを回った。鹿島区の横峯堤は広い
これは二宮尊徳がかかわった堤であるそれでそばに二宮尊徳の社がある相馬藩は二宮尊徳のことは常に語られる
それは江戸時代のことであり農業社会の時二尊徳の教えが伝わった尊徳自身は相馬藩には来ていない
その弟子が習って伝いたのである。
でも今になると農村社会ではなくなったからその功績のことがよくわからないのである。つまり江戸時代の農村社会であって尊徳の教えは通じていたのである。

確かにこの辺に堤は多い、それは農村社会だったら必要なものであり二宮尊徳はありがたいと思うのである。
これだけ社会が複雑化すると二宮尊徳のこともそれほど偉いのかどういうことが分からなくなっている。
今は農村社会ではない。田舎でも農民は一割にも満たないのである。だから二宮尊徳がどういう功績があったのか理解しにくくなっている。

今日はとにかく暖かく春だった。でも雲が広がり雨模様になった。これもやはり春になってきたからである。
ただ二宮尊徳の思想は自然と一体であり一体化することでありそれは農業は自然と一体にならないとできないものだったからである。そのことは理解できる。
原発は自然から遊離したものでありそれで空気や土に森の木まで放射性物質で汚染したのである。
科学技術の工業社会になったとき自然と一体化する農業は主なものでわなくなりそのために二宮尊徳の思想も実感できなくなったのである。だからその点では二の宮尊徳学ぶことが必要なのである。

2023年02月17日

枯野の海老の浜 津浪で消失した村ー (蠟梅が咲き歩いて病気になった老人が来た)


枯野の海老の浜 津浪で消失した村ー

(蠟梅が咲き歩いて病気になった老人が来た)

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みちのくや枯野の果てに船一艘

蠟梅に静かに日さし我が一人百歳の間に仕事するかな

我を頼り来れる老女や蠟梅に日さし静かに迎えけるかな


枯野海老浜

寥々と津波の後の海老の浜
枯野となりてはや日は没す
沖に船一艘北風吹き海暮る
家々消えて植えし松伸びる
ここに在りし日も遠くなり
我も老ゆるもすぐる時早し
残るは何そ墓のみなりしも



  海老村は消失した、30軒くらいあったのか、それなりの人口は  あった、ここには古墳時代から人が住んでいた、なぜなら最近くでも海に接した崖の所で古墳が発見されたからである
  ここは場所が良かったのである。右田となるともともと海になっていた
  そこを干拓したのである、だから右田村は江戸時代から始まってとしても新しいとなる郷土史でも新旧を見るのが第一である。
 でもここが高台にあるということが今回の津浪で裏目に出たのである。
 なぜなら避難場所になっていたからである。高いから津波は来ないと思っていたのである。でも崖があっても海に接していたのだから危険だったのである
 そのためにそこで三十人とか死んだという悲劇になったのである
 右田村の人は三人とか津浪でこの避難場所に逃げてきたが津波に流されるところを何かにつかまって助かったと言っていた

 ここは高いから津浪が来ないとして逃げて来た、しかし百メートルもない50メートルでも海から遠ざかれば助かったのである。なぜこういうことが起きるのかというとこの辺では全く津波の話など聞いたことがないのである
だから相馬藩政記があってもそんな津波の記録がなかったのである
津波の後に生波(いくなみ)で700人溺死と記録を発見したのである
それもたった二行だったのである。これは郷土史の学者でも知らなかったのである
こういうことがあり何か郷土史でも実際はまだ知らないことがありそれを知る必要があったとなる
郷土史は余り重んじられていない、でもこのように生死にかかわることもあったと驚いたのである

いづれにしろ海老村は枯野となり村は消失した、ハウス栽培はしているが津波に残った二軒くらいしか残っていない、後は墓地だけが高台にあり残ったのである
どういうわけか墓地だけは残っていたりする
烏崎村も消失したが裏山に墓だけは残っているのである
沖に一層船が行くのが見える、せいぜい二艘くらいしか見えないのである

脳梗塞になった女性が歩いて自分の家まできた、それには驚いた、車に乗せられて来ていたがそれだけ歩いたということは回復したとなる。
歩くと私自身も歩かない、自転車だから歩くとなると近くでも遠く感じるのである
まず歩いて買い物はできない、品物でも重くなるからである
買物もできないということは苦しい、相当に老けていたが病気でさらに老けた、その人は苦労ばかりの人生でそうなった
でも軽くすんだので助かったとなる、何か老人になると意外と近くが大事になる
でももう昔のように隣近所に店すらない時代だからこういう時困る
介護とかなると近くに住んでいる人がいいのである、歩いても行けるような近くだといいとなる、8キロでも離れていると車で来てもめんどうになるのである
だから本当は隣近所で助け合えばいいのだが今の社会は仕事でも遠くへ行くので近くが疎遠になっている、近くでも距離が近くても精神的には遠くなっているとなる

みちのくは枯野に果てて海となる景色が多い、そして船は一二艘しか通らないのである
湊があっても少ないから瀬戸内海などとは違った風景なのである
瀬戸内海だと船の航行する数が多いし島も多いからこの辺の海とは違っている
ただ潮の流れは早いのであるみちのくは海でも荒寥としているのである 

百才母が生きて介護した部屋で仕事している、今は蠟梅の季節である、これは長く咲く梅も咲いていた、でも朝は寒かった、昼間からちょっとあたたかくなった、もう少しであたたかくなる、そうすると楽になる


2023年02月16日

常にあらゆる人でも物でも価値判断しているのが人間 (価値と意味を与えるのが人間の仕事)


常にあらゆる人でも物でも価値判断しているのが人間

(価値と意味を与えるのが人間の仕事)

●生まれた時から価値判断されている

人間とは何かとなれば絶えず価値を追及する存在だということである。
それは生まれ時から始まっている。何かかわいい子だとそうでないとか子供の時価値判断されてかわいがられる子供とそうでない子供に分けられる
親でも子供に対して平等に愛すわけでもない、例えば障害をもって生まれてきても母親は愛す他の子供より特別手をかけて愛するとういうことがある
だからその価値判断は一定しないのである

価値と言う時余りにも多様なのである。何が価値があるかとなると百人百様でも違ってくる、ある人に価値あることでも他の人には無価値になる
確かに子供の時など野球をみていたが今は見ていない、興味がないから見ない
相撲もみない、だから私にとって見るスポーツは価値がないのである
でもプロになれば活躍すれば莫大な金が入る、この世の中なんでもあれ金になれば価値があるとなる、毎日その人にとって価値あるものを買うことは常に価値があるから買うのである、金がなくても安い物でも買う、安くてもいいものを買おうとする
果物でもこれはうまいとかうまくないとかで価値を常に感じて買っているのである
金を払う時何かそこに価値があるから金を払うのである

ただある人にとって価値あることが他の人には全く価値がないこともこの世には多い
第一絵があるとしてその絵の価値がわかる人はなかなかない、でも絵の価値を知る人は価値あるものとなりそれが何億でも売れるとなるのである
でもその評価は必ずしもその絵の真価を知って買っているとは限らない、ただ高く売れるという投機の対象として買う場合も多い
わからないのはなぜアンテークコインなど大きな価値があるのか理解できない
それは歴史的価値あるものにしても現実に何億とかなると理解できなくなる
でも何億でも買う人がいるから価値があるとなる

要する一番価値を理解する時わかりやすいのは金で計る金になるものは何でも価値があるとなる。それはめんどうな理屈なしでわかるのである。そこで抜け落ちるのが金にならないものは価値がないとなる。でも金にならないものでも本当は価値がある、だから金で計れない価値もいくらでもある。
価値と言う時ある人が一人でも価値を認めればその一人が認めることで価値があるともなる。美人でなくてもその女性に何か価値あるものを認めて結婚する人もいるからだ
だから価値は余りにも多様であり何が価値あるのかとなると数字のように判断できないのである

多様な色がありその色でもみんな違っていることに価値がある
花などはそうである、みんな形も色も違っていることで価値が生まれているからである
そして花は必ず様々な色がありそれを一つの壺に活けると調和して互いにその美が映えるそれぞれの色があって調和して美を形成するのである
何か花はこうして調和するから見ているとなごむしほのぼのとする
人間でも本当は何人かでも集まればそれぞれの個性がありその個性が活かされて調和するとなればなごむのである、つまり赤い花と黄色の花でも青い花でも白い花でも争うことはないのである、人間はすでに二人でも男女ですら争いが絶えず調和しないのである
本当は人間でもそれぞれの価値がありそれが調和すればいいのである

いづれにしろ人間は常に価値を追及している、価値を見定める、これがうまいうまくないこれがいいとかこれが悪いとかこの人は何に優れているとか何もできないとか.....
価値を定める、それは常に日々行われているのである
これが価値がありこれは価値がないと常に価値判断しているのが人間の特性である。

●金を払う時価値を必ず見る

毎日ただただ飯くらうだけだであなたには何の価値があるのかと問われる
それが障害者とかに老人に問われる、老人だと数が多くなったから国家の負担も大きくなりすぎたからである
本当に奇妙だけど発達障害者がいる。あなたに何の価値があるのですかと問うとその価値がわからなくなる。でも母親にとってはやはり子供であり価値あるもの愛すべきものとして価値がある。でも他者にとってはただのやっかいものでありなぜ養わなければならないのかとなる
現実に私はなぜその障害者に金を払わなければならないのかわからないのである
そこに母親のように価値を認められないのである
そのために障害者を二十人と殺した人がいた、それはその人間たちはただ負担なだけで価値を認められなかったからだとなる、価値無いものとしてかみれなかったからそうなったのである

自分にとって大都会は価値がないとみる、自然に価値がありその自然と調和している生きる存在する田舎の方が価値あるとみている、でも東京でもなぜ一千万人が集中して住んでいるのかそんな場所に生きて何の価値があるかともみる
でも現実はそこに価値があるからそれだけの人が住んでいる、また価値がないにしても生きるために稼げるから住んでいるともなる、その大都会で生きるために注がれるエネルギーは莫大なものである、だからエネルギーの観点からすると東京などの人口は減らした方が節電になりいいとなる
もちろん別な見方があり価値観があるから一概には言えない
でも美的な観点から見ると大都会に価値を見出せないのである

とにかく二人の人間がいるとするとそこで常に価値が定めることが品定めが日常的におこなわれているのである

あなたは何の価値があるのですか

あなたは何ができるのですか

あなたは何が提供できるのですか

・・・・・・・

ただここでも金が価値基準になり金を稼げる人が価値あるとされる。それはなんでもいいとなる、法律に違反しなければ株でもうけようが何でもいいとなる
人間は価値あるものに金を払うからである、そして金になるものは価値があるとなる
その他のことは余り考えないのである
でも芸術とかなるとその価値を認めること自体容易でなくなる、だからゴッホの絵が百億とかなっていて生きている時は一つも売れなかったのである
そういう価値もある、芸術となると価値を認められること自体がむずかしいからである
食べ物と違って誰でも理解して鑑賞できるものではないからそうなる

●多様な価値の探求―最高の価値は神が与える価値

価値は余りにも多様でありある人に価値があってもある人には無価値になる
ただ価値をわかりやすくしたのが金で価値を計ることである、他の人が無価値でも金になれば価値があるとなるからである
金を払う時その人にとって価値があるから払うのである、だから奇妙なのは障害者がいて個人的に金を払うという時この人に何の価値があって金を払うのかとなる

国で援助するのは個人で家族でその負担を負わせないためでありみんなで負担を負うためにそうしたのである、だから個人的に金を直接払う時どうして払うのか何の価値があって払うのかともなる、ただ母親にしてみれば障害者でも愛すべき者であり価値かあるものなのである
だから家族内でもの価値がありどんな人でも家族内で価値あるものとされる

老人でも祖父母でも家族内で価値あるものとなる、社会的価値がないとしても家族内で価値があればその人は価値ある人なのである
でも家族内でも今老人が価値ないものとされるのが多くなっている
家族遺棄社会ともなっているから老人問題の深刻さがある。社会的には価値ないものとされているからである
私の家族のことを語ってきたが家を支えてきた価値があり家自体を作った価値があり私自身に尽くしてくれた価値があると家族の価値は自分にとって大きいものだった
ただ他の家族は違っている、こういうふうに家族の価値を感じない人も多いのである
粗末に扱われて虐待されたとかまである、だから家族も多様であり私自身は特別恵まれていたとなる、他の人は母親に対しても冷たいなと見る、それは私のように母親に良くされていたともならないからである、この家族関係でも親子関係でもみんなそれぞれ違っているからわかりにくいのである

人間は価値と意味の探求でありそれが人間の特徴である
その価値でも意味でも多様だから一様にならないから見分けるのがむずかしいとなる

もろもろの価値の根源は人間である、人間がおのれを維持するために、それらの価値を諸事物に付与したのである、人間が先でそれが諸事物に、意義、人間的意義を創り与えたのだ、それ故に彼みずからを「人間」すなわち「評価する者」と呼ぶのである
ニーチェーツアラストラ

神はこの世を創った、でもその価値を意味を与えるのは人間に与えられた仕事なのである例えばエデンの園で果実であれ花であれ名前をつけることは人間的な価値を与えることである、価値と意味を与えることは人間の仕事なのである
それは人間自身についても価値づけする、人間とはそういう存在だということである

現実にここに猫がいる、毎日餌をやっている、その猫自体なんで生きているのか何の価値があって生きているのかなど動物は考えない、でも餌をやる人間はその猫でも犬でも価値を見出しているから餌をやっているのである。
また植物でも花でも木でもそのもの自体が何か価値があるかなど自ら問わないのである
その価値を認める意味を認めるのは人間なのである
要するに動物であれ植物であれ花であれ森羅万象に価値と意味を与えているのは人間なのである、神はその素材を与えて人間にその価値と意味を見出されるようにしたのである
人間自体の価値もそうであり森羅万象でもそうなのである

●価値は国や地域でも変わってくる

価値はまた同じ価値でも場が違えば価値が違ってくる、無医村になれば医者の価値は格段に高くなる、この辺では自転車屋は一軒しかなかったので価値が高かったことに気づいた地域地域の価値があり国家と民族の大きな価値があり世界的なグロ−バルな価値もあり価値は多様なのである。
物の価値にしても自転車でも車でもその種類が多い、そして自転車だとデザインもそれぞれ違うし乗り心地も違うのである、だから同じではないからその同じ無いことに価値がある、電動自転車も増えて多様になりそれぞれに価値があるとなる
物の価値にしてもグロ−バル化して多様化したのである、多様化することは豊かになることである、食でもハンバーガーを世界で食ことには価値はない、日本食でも食べることで食も多様化して豊かになるのである、many culturl valuesになる
現代は量の追求でなくて質の追求であり多様性の価値の追求の時代になっているのである地域地域の国々の価値は量ではなく質として文化としての価値にある

そして宇宙を考える時銀河の価値があるとして宇宙のことなど知り得ないから未知になるからその価値は計りえないのである、ただこれからいろいろ知らないことが発見されれば人間的に価値づけられる、まだ見えない星の価値はゼロだからである
それは地球でも見えないものがあり発見されないものがあり価値づけられないものがまだ無数にある、地域でもそうでありその価値を発見されていないのである
その価値を芸術家が発見したりするのである、人間とはこうして価値の追求であり新しい価値の発見であり価値を創造することが人間に与えられた仕事なのである

そして最高に価値あるものは何かとなるとそれは神が与える価値である、人間が与える価値ではないのである。神のみが人間を神の子として聖霊をそそぎ最高の価値を与えたのである。それは神にしかできない、牧師とかでもできないのである
そこに人間の最大の意義があったとなる、ただ人間は堕落したのですべてには与えないのである、選ばれた人が神に価値が与えられて来世で神の国に永遠に生きるのである
そこに価値なきものはありえない、あらゆるものが価値あるものとしてあり花々のように様々な色があり調和するのである、神の国では老いることはないのである
病気もないのである、常に若々しく命は衰えることはないのである
そこではすべてに石コロ一つでも価値があり価値無いものとされることはないのである


2023年02月15日

高齢化社会では老人の価値が問われる (多様な価値を追及する時代-組織集団的価値から個々人の価値へ)


高齢化社会では老人の価値が問われる

(多様な価値を追及する時代-組織集団的価値から個々人の価値へ)


老人が尊敬されないとか老人が邪魔者しかならない社会、それはどうしても老人の数が多すぎることなのである
つまり老人の数が今の十分の一とかなるとその老人が別に特別の能力がなくても社会で貴重なものになる
確かに老人の語ることは人生経験から語る、そこが若い人と違っていて価値がある。でもその経験に価値があっても社会にとって価値があるかとなるとわかりにくい、単なる自慢話しにもなり聞きたくないともなる
ただ老人は必ず語り部になる、過去に経験したことを語る、そこに価値がある、だから郷土史の基本が親でも祖父母でも聞いた話が基本にあると書いてきた

結局人間は誰でも自分が価値あるものだとみとめてもらいたいのである。別にそれは科学者とか学者とか特別の人ではない、あらゆる分野で庶民でもそうなのである
知っている大工さんだと自分の技を誇る、庭作りでも壁塗りでもできたからそれは他の人にはできないから誇り私の価値を認めてもらいたいと切実に要望しているのである

私の家でもそうだった、親が橲原の同級生のキコリが柱となる木を与えてくれて大黒柱のようにしたとか認知症にもなり本当に百回でも語りつづけたのである、だから聞く方も閉口したのである
また戦争のことでも延々と語りつづけた、なぜならシンガポールの向かい側のジョホールバルで従軍看護婦として四年間も勤めたからである。その苦しみは忘れられないから語りつづけた。
遂に入院して死ぬ直前までそのことを語っていたのである
それだけその戦場での経験が忘れられないから語りつづけた。
その戦いは日本のために戦ったのでありだから命がけで国のために戦ったのだからその価値を認めてもらいたいというのは理屈なしでわかる。戦争の是非はともかくとしてそれだけ苦しんで戦ったのだからそれは無視できないのである

老人の価値はこうして過去に何をしてきたのかで決められる。
戦争を経験した人は戦争のことは忘れることができない、だからそんなこと無駄だったということはなかなかできないのである
それはただの人殺しした犯罪に過ぎないと言えないのである
そう言われることはもう人生そのものを否定してその人間自体も価値なきものともされてしうまうからである
そして三百万人も死んでいるのだから余計にそれらが無駄死にだったなど言えないのである

老人の価値は今生きている価値ではない、過去に生きた価値なのである。歴史だと長い時間の中で色あせない価値がある
ただ戦争とかなるとその価値は国民的価値であり個々人の価値ではない、国家の価値だとなる、組織や集団でもその価値は個人の価値ではない、カルト教団でもそれは組織集団の価値であり個々人の価値ではない、でもその組織集団の価値も喪失することがある。カルト教団などはいくら数が多くても数だけで権力を誇示するものだから数が減ると価値も喪失する。でももともと宗教は創始者がいてその創始者の価値は持続するのである

要するに常に人間は価値が問われる、あなたにどんな価値があるのかと個々人でも問われる。もちろん会社でも何でもどういう価値があるのか問われる、障害者でも何の価値があって生きているのかとなる。何か世話ばかりされてごくつぶしであり生きる価値があるのかとして大量殺人にもなったのである
それは重度の精神障害者だからそうなったのである
軽かったら価値以前にしかたないとして生かされていたのである
それは自分でそうなりたくてなったわけでもない、生まれつきだともなるからである、その責任は誰にあるのかとしたら親にあるとしても全部は親でも負えないからみんなで負うとなったのである

今老人に何の価値があるのかということで問われている
老人にこんなに金を使って何になるのかともなる、それは無駄だとなる。でも人間社会には無駄が多いのである
ギャンブルでもそんなの無駄だとなりスポーツでも見るスポーツは無駄だともなるし価値がないともされる
そしたらなぜそんなものに金を使っているのだともなる
こうして価値を問えばある人からみれば膨大な価値無きものに金を使い費やされているのである

そもそも老人に価値がないという時、何に価値がないかである
働かないで金を稼げないから価値がないのか、ただ病気にもなり老いて人の世話になるばかりだら価値がないのか、それは障害者が価値がないのと似ている
そこに費やされるエネルギーも膨大だからである、だから障害者も始末しろとなる、障害者と老人は似ている、優生学だとどちらも社会の負担であり抹殺しろともなる

ただ老人の場あいはいろいろな人がいるから一緒くたにはてきない、老人でも価値がある人はいるからである
別に若者より価値がある人はそれなりにいる。みんな価値がないものではないのである。若者だからすべて価値あるものとは言えない、でも若者は価値ある人間になれる、それが違っているだけである、老人になれば価値を作りだした人でありその価値が評価されるのである、若者はまだ価値を作りだしていない、未完の大器としても見られるから価値があるとなる
今は価値を作りだせなくても未来に価値を作りだすものとして価値があるとなる
そのことで一番感じたことが原発事故の復興である。60代の人が来てもすぐ70とかなる。すると未来が望めない
若人が来れば長い時間で達成できることがある、ただその時間があることで未来があるとなる
老人になると何か花の木を植えても花が咲くまで時間が十年とかかかるとなるとその前に死んでいるともなり長期的に見れない
今花が咲くの見たいとなるからだ。だから投資に向いていない、投資は長い先を見ればもうかる。
投資とは株だけではな長い先を見て投資すると成功することがあるからである。
60代の人が来てもやがて介護になったら誰が世話するのかとなりただ重荷になるだけにもなるからである。
でもそういう年の人が移住しているのが多いのである

確かなことは老人が少なければこうはならなかった、数が多いということは価値が減退するのである
長生きした人は昔ならそれだけでも価値があった、みんな長く生きないから長く生きているだけで価値があったとなる
だから価値ある老人になるためにはどうすべきかが高齢化社会では問題になる、必ずしも金を残した人が価値があるともならない
ただ金があればその金に人は寄ってくる、それはあくまでも金が目的であり金の価値でありその人自身の価値ではない
その人自身の価値とはその人が人生の中で作りだしたものである
芸術家だったら作品があり作品によって評価されるとなる

とにかく今老人の価値が問われている、国家予算でも老人に費やされる割合が多くなりすぎたからそうなる
なぜ老人福祉に金をそんなに使うのか若者に子どもにも使うべきだとなる、全部ではないにしろ無用な価値無い老人に国家の金を使っても無駄となる、そんな余裕はないともなる

老人に金を使っても無駄というとき結局将来性がないからだとなる。若者だったら例えどんな若者でも未来を嘱望されるからである
老人の価値はこれまで生きて作りだしたものに価値がある
だから意外と老人の価値は明らかになり安い、子供とか青年はこれから何になるかわからない、大物になるかもしれないし泡沫のように消えてゆくかもしれない、それは未知なものとして価値があるとなる、成長するものとして価値があるとなる

でも若者でもみんな価値ある人間になるとは限らないのである
だから老人が尊ばれるとかなるとやはり老人になってからでは遅いのである、その前に価値あるものを作り出して価値ある人間となっていなければならない、老人になっただけでは馬齢を重ねるだけであり価値ある人間にはならないのである
それで高齢化社会ではいかに価値ある人間となり老人となるかが問題になる、会社とか組織とか団体は集団しての価値でありそれはその価値は全体にある、会社員だったら全体の会社の価値を高めるために働いていた、でも退職すると大企業の社長でも一介の庶民にもなる

退職すると個々人の価値が示さないと価値ないものともなる
個々人の価値となると芸術家などはそういうことを追及してきたから老人になって継続してその価値を示せる
でも会社であれ組織であれ集団的に価値を追求してきた人は一旦退職したら価値なきものともなる
それで価値ある老人になるには若い時から準備していいかねばならないとなる。あることに詳しいとなれば素人でも学者になるとかある、集団的組織的価値ばかり追求しているとその老人は価値がないとされる

発達障害の人がスマホとかタブレットはできる、でもそれを自慢はできない、それができたからといって価値ある人間にはならないのである、もし私のようにパソコンでいろいろ創作したものを発表すれば価値あるとなる
スマホを操作できても価値ある人間にはなれない、プログラムでもできれば違うが別にスマホを操作できるから価値ある人間とは認められないのである
ただ価値が多様化するから何か価値あるものを発見したり創りだすことが要求されていることは確かなのである
ある一分野でもマイナーなものでもそこを追及して第一人者になれば価値ある人間ともされる。ただそれで金になるとはならない
趣味の世界ではそうである、老人の趣味で花に興味を持ちクリスマスローズに詳しい人がいた、その花だけでも栽培して詳しくなれば価値があると花の分野で地域でも認められるとなる価値あるものとされることはある
人間の価値と金は等しくならない、莫大な金になっても価値がないもみられるし金にならなくても価値があるとされるものもある





2023年02月14日

感銘した漢詩ー天華が入っていた (人間は死んだ後からこの世を見ると見えるものがある)


感銘した漢詩ー天華が入っていた

(人間は死んだ後からこの世を見ると見えるものがある)

辞謝する人間情交の親しみ 荼毘の煙散じて余燼なし
羽衣飛錫両ながら悶々 袖を払う清風万里長に香る
劫灰は燃え尽くして天真に入る 身後一点の塵を残さず
月明に乗得て故山に還る 天華徐に翻え彩雲の間

我が肉体は荼毘にふされ煙となって消え去った
ただ霊魂のみ月明に乗じて彩雲の輝く故山に還った

藤原相之助の漢詩である、秋田出身で仙台で死んだジャーナリストだった。
これが私の意とするところを表していたので感銘した
俳号でも天華としたからである、花をテーマにして詩を書いていることもある

人間の一生をふりかえるとこの詩は味わい深いものとなる。
なぜなかなか詩とかいろいろ鑑賞できないのかというとやはり人生がこういうものだったということを実感できるのが老人になってからになるからそうなる
とても若い時は理解できないのである
人間が死ぬということはわかっていても実感として身近になることは老人にならないとわからない、でも今なら老人というとき70過ぎてからになる、60代はまだまだ老人の境遇になりにくいかもしれない、人間が死ぬということがイメージしていても実感できないのである

辞謝するとは辞退するということである。人間の情交はいいようでそうでもない
人間の交わりは俗人の交わりは危険でもある、常に利が関係しているからである
一般的に金の切れ目が縁の切れ目になる、本当の友とかこの世にいるのかとなる
人間とはそれだけ利を求め利しかないのである。
だから宗教とはもともとこの世から脱するために出家したりしたのである
出世とは世から出ることだったのだがそれが俗化してまさにこの世で栄誉栄華を得る出世になったのである
カルト教団などはすべて俗人であり大衆化したのもであり宗教など一切ない
ただ利を求めて御利益を求めて権力栄華を求めているだけである
だから利を得られなくなれば雲霧消散する、一見あれだけの人間が集まっているのだからと人は何なのだろうと見る、でももうまもなく雲霧消散して一時的なものとして消えるのである、つまり金の切れ目が縁の切れ目なのである。利を求めて集まった者は利がなくなれば離散してしまうのである。

むしろ俗なるものの交わりは危険である。相手が利しか求めていないとしたらその真実が現れる時がくる、利にならないとして離れてしまうのである
この世の人の交わりははかない、そこに真実の交わりはない、現代だと大衆の交わりでありそこにもう一個の人間はいないのである。そしてみんな雲霧消散してゆくのである
良く義兄弟の契りだとかなんだとかいうけどそれも嘘なのである
なんかわからなかったけど盛んにそのことを交通事故で死んだ兄を雇った雇い主が盛んに言っていた、でも死んで保険金が入るとなりその保険金に目をつけた
身よりがないとなり保険金の受取人になろうとしたのである
つまり大きな金が入るとなると人間は豹変する。人間の交わり自体がこうして危険なものなのである、真義による交わりなどほとんどないのである、この辺では原発事故の後補償金を得ることが目的になり分断したからである
ただ利をもって合い利をもって別れるだけなのである
会社だって利をもって合いそして去るというだけにもなる、人間は利から離れることはできない
そして死ぬと荼毘にふされて煙となりて消失する

羽衣飛錫とは羽衣とは飛ぶ鳥のことであり飛錫とは行脚するとき使う錫である
天を飛び地を旅することになぞらえている。
そして煙となり灰となって消える

身後一点の塵を残さず

これだ意外と人間にはできない、死んだ何も残らないのだから同じではないかとなるが
そうでもない、何か私の土地がわずかであるがとられた、そのことが頭に残っている
それにかかわった人達はみんな死んだ。でもそのことが嫌なものとして浮かんでくる
ただ人間は生きている時みんなこの世に執着する、その一つが土地なのである
そもそも人間の争そいでは多いのは土地争いである
なぜそんなわずかの土地にこだわっていたのか?それが良くわからない、その家は地元で評判が悪い家だったのである。
つまり死んでもそういう人が浮かんできて不快になるのである
人間は死んで終わらないのである、死んでみればなぜそんなわずかの土地にこだわっていたのかとか金にこだわっていたのかとなる

どうせみんな死ぬのだから死んだらもうこの世の土地など関係なくなる
現実にその人の家は空家になって広い庭も今や利用する人もいないのである
これだけでない人間は生きている時はみんなわずかの利でもこだわる。
それから離脱できないのである、死んで初めて離脱できるのである
墓を残してもそこが俺の土地だとか俺の墓だとかなども言えなくなるからである
死んだら何も所有できないのである
要するに身後一点の塵を残さず・・・こうして死ぬのもむずかしいとなる
生きている限り人間の欲はつづくし消えないからである
私の家族でも金にはこだわっていた、そして大金を残してもそれが盗まれたりした
まだ一人は認知症になり銀行から金を下ろすことができなくなったことには驚いた
もし一億円あったとしても認知症になったら自分の金でなくなるのである
これも驚きだった、金でも自分で自由に使えなくなったのである

不思議なのは死んでからこの世のことを見たらどうなるのか、あんなに金にこだわっていたけど死んでしまえばそんなものいらなかったとなる
死者はもう金も土地でも何もいらないからである、でも生きていたときでもしきりに何にもいらないと言っていた。何か消費する力もなくなっていたとなる
でも金にはやはり死ぬまでこだわる、なぜそんなに金があったのに有効に使わなっかったのかとなる、死んでからそんな金があったのに驚いたのである
私は節約して旅をしていた、だから安宿を探すのに苦労していた
もしもっと金をもらえばそういうことはしなくて良かったとなる
ただ親は私に十分以上のことをしてくれたからそういうことで恨んだりはしない
でも死んだら金も使えなくなるから有効なことに使っておけとはなる

いづれにしろ死んでもそこに何か嫌なことが浮かばない人はいい、

身後一点の塵を残さず

こうなる人はいい、でも死んでも何かあんな人がかえって消えた方が良かったとかなるのも多いのである。死んで何もかも消える訳ではないのである
死んで残したものは何なのかとなる、金を残してもそれが生きている時に活かさなければ虚しいとなる。宝の持ち腐れで終わる。
この世で本当に真義であれ愛であり利を関係しない交わりはほとんどないのである
だから人との交わりで問題が起きるし危険にもなる
友情などでも利が関係してくるからそれもほとんどないのである
恋愛でも男女の関係でもそうである。そこに欲が関係していて結局はかなく終わる
そして離婚が三分の一もあることでも男女の交わりもはかないとなる
つまりこの世では永続的な人の交わりなどないのである
それは神の国天の国にありこの世にはありえないのである
だから絶えず裏切りだとかありそれが日常化している。それがこの世を生きることだともなる、それは変わりない人間の実相なのである

この漢詩は地の記録を歩くー盛岡。山陽道編(松本健一)にでていた

故山に還ったというとき日本では万葉集時代から死者は山に葬り眠るとされていたのである。


2023年02月13日

橲原村の雪景色-黄金虫、紅梅、冬の灯 (村が生活の基本だった時代)


橲原村の雪景色-黄金虫、紅梅、冬の灯

(村が生活の基本だった時代)

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この馬は人が寄ると近ずいてくる、人に慣れている

黄金虫指にとまりて縁起良し
雪埋もれ村に数軒灯のともる
ホウジロの十数羽来て賑わいぬ
紅梅に馬より来るや牧のあり
雪覆う牧に紅梅咲かんとす

立目石ここに久しく動かずに村の要とありつづけるかな
我が街に生きにし人の何語るなお共にありて街を見守る

ここ二日は雪であり次はあたたかい春になっていた。だから自転車で原町の方に行ったら黄金虫が眼鏡について指にとまった
黄金虫は縁起がいいとなる。
昨日は雪の後橲原に行った、そこで目立つのは立目石である。
それは小池村との境の石らしい、江戸時代だと村が基本になりたっていた。だから境が重要だったのである。
村と村でも争いがあり水争いなどがあり入会権でもありそれが戦国時代にい発展したとされる。
不思議なのは原町はもともと野馬追いの馬を訓練する場所であり
また宿場町であり原っぱが広がっていた。

それが鉄道ができて駅通りになった。そこは原町村であり野馬追に一騎しか参加していないのである。
つまり鉄道の開通とともに発展した街なのである
今そういう村が失われつつある。実際農業で生活している人は一割にも満たないのである。確かに田畑があってもそうなのである
そこが都会の人でも誤解しているのである。
私の家は橲原村のキコリが木材を提供した。だから姉はそのこと常に自慢していたのである。
まだその頃は外材を利用していなかったのである

ともかく雪にうもれしみんりとして数軒の灯がともる光景はそれをただ見ているとしたらいいのだが生活するるのは不便だとなる。
でも今や村は農業で成り立っていない、たいがい会社に勤めている。車があれば通うことができるからである。だから田舎では一人一台車を持っているのである。
だから外国から働きに来ている人が見ると豊かな暮らしをしているとみられる。ベトナムでもみんなバイクはもっている。
それで都会はバイクの洪水となっていたのである。
それもホンダとか日本製だったのである。

近くに牧があり馬がいるのは野馬追があるためである。人に慣れているのか近寄ってきた。でもふれなかった。そこに紅梅が咲いていた。何か動物でも牛とか馬がいるのは心が和むのである
村でもそうである。大都会になると今や見るだけでもいるだけでも疲れる。だから老人はどうしても田舎に住みたいとなる

田舎移住が話題になっているけど一万の町で一軒あった自転車屋がなくなった。それで困っている。だからもし自転車屋ができる人だったら歓迎されるとなる。何もできない人は移住したいとしても簡単にできない、でも若い人は比較的歓迎される。
なぜなら若いから未来がありそこでなじみ暮らせる。老人になると田舎に住みたいとしてもむずかしくなる、かえって介護になったら地元の人に世話になるだけだとなるからである。
若いというだけでそれだけ価値がある、老人となるとその人が何をしてきて成果を出したのかが問われる。
田舎では何もできない何をしてきたのかわからない人は歓迎されない、ただのんびり余生を過ごしたいとなると迷惑にもなる
ただ今の田舎は昔と違っている、この辺だと近くに5万とか4万の都市があるから閉ざされた村とかとは違っている
いずれれにしろ東京などは住みたくない、老後は田舎の方に住みたいというのはわかるのである。