2025年11月11日

自然の効用と人間の効用の対立−無用の用の老荘思想から見る 【人間は文明化して自然のことがわからなくなった―熊とは何なのか】


自然の効用と人間の効用の対立−無用の用の老荘思想から見る
【人間は文明化して自然のことがわからなくなった-熊とはなになのか】

kumatown.jpg

熊の害を問題になる時熊を駆除すればいいとなる。それは人間側から見た対処方法である。害になるものは排除しろとなる。
この問題でも大きな自然の作用とか効用を無視する人間側の論理で解釈するから問題になる。ブナの木を橅としたのはこれも人間側からみれば木材として使用しにくいから無用の木となった。
自然からすればブナの木は必要なものである。何でも人間側の都合で効用で見るとその反作用が生まれる
熊問題もそういう面があるだろう。害獣でしかないとなる。だから駆除すればいいとなる。それは人間側からだけの論理でありそれが自然全体か見た時生態系のバランスを崩すものともなる。

養老孟司氏は、サルやイノシシが畑を荒らす理由は、野犬の不在に起因していると考えています

野犬狩りである。野犬がいなくなったから、役所は野犬狩りをしない。同様にして、野犬がいなくなったから、サルだのイノシシだのの天下になった。まさに納得。

野犬というのは、里の近所をウロウロしているもので、そんなものがいたら、私がサルなら人里近くには出ない。なにしろ犬猿の仲、私がかつて飼っていたサルはイヌに尻尾を噛み切られたことがあった。

野犬など邪魔で有害と見たがそれもそうでもなかった。これも何が有用なのか無用なのかがわからないからそうなった。
野犬は今でもインドとかネパールとかに多い、それで怖かった。その野犬が役に立っているということも意外だとなる。

なぜ熊は犬に負けるのか?


狼が熊の天敵であり犬がそれを受け継ぎ天敵となった。つまり自然界では天敵が必要でありそうしないとバランスがとれない、狼でもいなくなったことが熊が増えた理由にもなるのはそのためである。
人間は人間側の論理で都合で自然を計るけで計り得ないのが自然である
むしろ神であれ自然に計られる方が人間なのである
だから何か人間が自然を征服して自然を計る操作するという時自然からの反作用があり災いが生まれる
人間の業(わざ―技)が災いを産む、それは科学技術文明でもその科学技術が災いを産む、それが原発事故でもあった

それで無用の用の老荘思想が生まれたのも東洋が自然を深く見ていた。
なぜなら西欧には用の思想しかない。無用の用などありえない、そういう発想が生まれないのである。
とにかく熊の問題でも大きな自然全体が関係しているから簡単に熊を排除すればいいとはならない、それはあくまでも人間側の論理である
そうして人間側の論理や都合で自然に対処するとき必ず災いが生まれる
熊でも狼とか天敵がいなくなり増えた。自然のバランスが崩れて天敵がいなくなり増えた。

ともかく人間側の論理で都合だけで自然に対処するとそこに自然からの反作用があり危険になる。つまり人間の知恵は神の自然の知恵には及ばないからである。人間は自然を操作することはできない、操作される方だからである。人間が作った文明でもか科学技術でもそれがバベルの塔のように崩壊するというときそうである。自然は依然として未知であり
熊問題でもそうである。第一熊など見たこともないし熊のことがわからない、熊は何なのだろうとなる。ただ熊でも自然の一部だから熊を意識するようになった。それは津波でもそうである

津波でも何百年に一度くらいに起きないとそれを常に意識することがむずかしいのである。その時間のスケールが幅が人間の寿命が百年でも短いからである。自然の時間のスケールも人間の時間感覚と余りにも違うからそこで自然を見誤る。400年前にこの辺でも津波の被害があっても全く忘れられていたこでもわかる。

どうしても人間は自然のスケールと違いすぎるか対処できない、熊問題にしてもそうなのである。熊がいたの熊は何なのとなる。
今根掘り葉掘りいろいろな人が言うのもやはり人間が自然から離れて生活していう結果だとなる。自然のことがわからなくなっているからだとなる。ただ驚くのは東京の都心部まで熊が出ていることである
その熊はやはり自然の何らかの異変を伝えるものでありそれが東京でも意識されたとなる。東京でも自然の一部だからそうなったともなる。



posted by 天華 at 15:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2025年11月10日

今年の冬は早く寒い【冬タンポポ。寒菊、冬薔薇。残る虫。木の葉散る、柿】

今年の冬は早く寒い【冬タンポポ。寒菊、冬薔薇。残る虫。木の葉散る、柿】

kikumurasaki.jpg


浜通り冬タンポポや癒されむ
寒菊のかたまり咲きて日のさしぬ
冬薔薇今日も見につつ家籠る
今日も来ぬ路地裏散りぬ木の葉かな
路地裏に営みあれや残る虫
何残す空家に岩や柿なりぬ
狭き庭朝の時雨や薔薇あわれ
寒菊の赤紫の色沁みぬ
寒菊の塊り咲くや日のさしぬ

人なれば命を惜しむ誰にしもなおこの世にそ見知るものあれ
我が家に北風唸るこの家と共に過ごせし歳月思ふ


11月にしては寒いのか、今日は風が強く木枯らしだったもだろう。
何か外に出ると時雨でもあった。その時雨に薔薇の花が濡れた
今の時期まだ寒菊ではなく冬の菊になる。
何か赤紫の冬の菊が温かみを感じる、この辺は冬でも暖かいから冬タンポポが咲く。でも今日は風も吹き寒く本格的な冬である
私の家は昔風の家で大きいが寒いのが問題である。老人とか病人は良くない、ともかくこうなると外には出にくい、冬籠りにもなる。
いずれにしろ11月にしては寒い、秋は早く過ぎて急に冬になった。

家というのは単なる物ではない、そこに生きた人がいて思い出が刻まれている
大きくなれば家に歴史が刻まれている。そこに苦しみ悲しむまた喜びの生が刻まれている
だから家は単なる物ではない、でも空家が多くなるとわびしいとなる
一つの家の歴史でも失われるとなるからである

2025年11月09日

津軽の雪−弘前城の古風な門【信濃の雪、会津の雪、冬の暮】

津軽の雪−弘前城の古風な門【信濃の雪、会津の雪、冬の暮】

snowhouse.jpg

古風なる城の門入り冬の暮

古風なる城の門入り冬の暮岩木山見て威を正すかな


津軽の雪

雪は降りぬ
やむことなく降りぬ
白い雪は浄めとふりぬ
その新雪の積もり我が踏み
遠く辺境の青森の心知りぬ
雪は霏霏とふりぬ
その雪に浄められる心かな
弘前城の古風なる門かな
ここに江戸より遠く華美の無く
質実なる心養うものなれ
寒々として雪はおやみなく降りぬ
しんしんと新雪は積もりぬ
その雪は心の中に降り
心の中に積もりぬ


弘前城の門

ここの門は古い形式の古風な門でありそれが特徴になる

津軽弁も日本の古語が残存しているという時かえって古いものがそうした辺境に残される、沖縄でもそうである。

心から信濃の雪に降られけり 一茶

雪は土地によって違っている。信濃の雪というとわかりにくいがやはり特徴がある。津軽の雪は何か明るく感じたのも不思議である
それは新雪だからだったかもしれない。
会津の雪もまた違っている。何かどんよりとした空から降ってくる

会津の雪踏み深し家古りぬ 自作

奥会津墓地も雪埋もれ閉ざされぬ

会津とかでも雪を知らないとその土地のことはわからない、この辺では浜通リでは雪が降らないので雪のことがわからないのである
雪もその土地土地で違っていてわからないのである
いづれにしろこれから寒く雪の季節になる。何か今年は秋が短く急に冬になった感じである。











2025年11月08日

盛岡城の秋と冬の俳句【秋薔薇、紅葉、凍る池、冬の月、冬の暮、冬柳】

盛岡城の秋と冬の俳句【秋薔薇、紅葉、凍る池、冬の月、冬の暮、冬柳】

cathlemomiji.jpg


【春】

街中に若草匂う盛岡城

【秋】

プラタナスの通りに散りぬ街歩む

盛岡の街中に咲く秋薔薇

色違う街中に咲く秋薔薇

石垣に松に紅葉や盛岡城

石垣に沿いて歩むや紅葉映ゆ

黄金色銀杏に紅葉映え盛岡城

【冬】

岩手山迫り見ゆかな冬の城

池凍り石垣硬く盛岡城

石垣の間を歩み冬の暮

登城する侍寒し盛岡城

厳然と残る石垣冬の月

冬の暮北上川や盛岡城

川二つ街中流れ冬の暮

盛岡の街の古りにき冬柳

盛岡や街灯ともり池凍てる




AIの城と紅葉の詩


城影を抱くもみじ葉(は) 
風に舞いて錦織りなす 
石垣の冷え、白壁の静けさ 
紅(くれない)の襲(かさ)ね 時を語る

天守を仰げば 秋陽(あきび)に映えて
千年の声 木霊(こだま)せり 
一葉落ちて 城下に波紋を広げ
旅人の心も ひそやかに揺る

夕暮れに灯る灯(あか)りの中 
門をくぐる音 遠く 
紅(あか)き並木のトンネルを抜け
歴史と風が 肩寄せるひととき

城は今も待つ 紅葉の宴を 
訪(おとず)れる者に ひらかれた詩を 
石の静寂に 葉の囁(ささや)きとともに 
秋の訪れを 刻み込みて。



盛岡城は石垣を見る、石垣が立派なのである。そこに城をイメージできない、外国人にも人気があり集まることもわかる
岩手山が聳え街中を二つの川が流れていることで清涼感が出る
歴史があり自然があることで魅力がある。

でも物語は感じられない、会津になれば必ずその悲劇が語られるからである。仙台の青葉城は伊達政宗が常に語られる
盛岡城は石垣だけが印象として残る。

街中にある城でありそこが中心として意識しやすい、それから岩手山が迫って見えるから心も引き締まる
春夏もいいが秋冬が東北の城下町として趣が深くなる






2025年11月07日

考えない日本人 【理を追求しない日本人を批判した林秀彦】

考えない日本人
【理を追求しない日本人を批判した林秀彦】

end japan.jpg

考える」の語原は、古い表現「かむがふ」に由来しています。この表現は、二つの物事を対比して思いめぐらすことから来ていると考えられています。具体的には、「か」は「すみか(住処)」や「かなた(彼方)」を示し、「むがふ」は「むかう(向かう・対)」という意味を持ちます。このように、考えることは二つの物事や概念を向き合わせ、その相互関係を深く探求するプロセスであることが示されています

林秀彦が日本人は考えない民族である。思うことはあっても考えることがない、相手を思うこと何かを思うことは考えるとは違う
思うことは恋にもなり日本人は思うことはあっても考えることをしないとしている。

考えることは二つの物事や概念を向き合わせ、その相互関係を深く探求するプロセスであることが示されています

人間が考えるというとき違った意見を言う時考える、なぜそんなことを言うのかとなり考えさせられるからである
ただ同調するだけなら考えないからである。
それで欧米でデベートが発達した。議論して勝負を決める
その公開の議論の中で納得させられれば勝ちになる。
議論して気づかなかったことに気づかさせられることがある
だから議論自体が効果がありそれが民主主義の基となった

それはギリシャのソクラテスから始まった。その伝統が欧米に受け継がれたのである。日本は考えることが拒否する民族である
理を極めるのではなく情緒的美的になる。そこに理は欠落する
理屈を言う人は嫌われる。そのことが日本人は世界的に終わっていると林秀彦は言う。海外の生活が長いからその対比で日本を深く考えるようになったからである。つまり外国と比べて些細なことでも考えさせられるからそうなった。日本の中で日本人とだけ付き合っていれば考えるということがない。日本人が考えない民族だという時島国で異質なものと交わらない歴史が長いからだとなる。

民主主義でもそのベースになるものがありすべて多数決の原理で決められるわけではない。そこに正当な理がが必要になる
rightを権利と訳したがもともとは権理だった。権は権力の権であり利は利益の追求だとなる。すると利を追求することが第一になりそれに権なのだから権力で利を得ることが正当化される。現実社会はそうなってもいる。権理となればそこに理がリーズンが必要になる
それが法律でもある。法律ができたのは人が争う時暴力ではなく理で法律で決めるためである。平和的に公正に判断して決めるためである
それは理を優先する。理でもって互いに納得するということである
それは暴力ではなく理でもって互いに納得するのである。ただその理も法律となると複雑になり問題になる。日本人は情緒的民族であり理を嫌うからである。

いづれにしろ日本で民主主義が機能しないのは理を嫌い追求しないからだとなる、腹でわかるとか理を拒否する民族である
それを林秀彦は再三指摘している。日本人は確かに西欧文明を取り入れてもそのベースとなるものを理解して取り入れてなかった。
だから民主主義でも実際は機能していない、rightとでも権利となり利が強調された。だから権利ではなく権理と訳した方がよかったとなる

常に利だけが追求されることになったからっである。利は誰でも即座に理解する、それで利になればいいとなり金になればいいとなり社会になった。それはアメリカ的価値観でもあった。戦後はアメリカに従属したのだから当然そうなったことは理解できる。でもアメリカでも理は重んじる。日本は返って理を重んじない。そのことが日本が終わりだととして批判したのが林英彦だった。






2025年11月06日

最後に持っているものが家でも負担になる 【家でも何でも持っているものが重荷と化す―無常が現実になる】


最後に持っているものが家でも負担になる
【家でも何でも持っているものが重荷と化す―無常が現実になる】

houseoldman.jpg

わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ

家というのはみんな最も欲しいものでもあった。それが重荷となり負担になる。家などない方がいいとまでなる。これは何なのだろうとなる
要するに人間は何かをこの世で所有しようとする
土地でも家でもそうである。そのために働く、でもその家を持ったのはいいとして最後に老いると負担であり重荷になる

広い家がいいとなっていたが子供も育った時そんな広い家は必要なくなる掃除するだけで負担になる。何かと家を維持することが負担になる
そしてつくづく人間はそもそも何かを所有することができないものだと悟る。土地でも家でも所有しても実際は負担になる
今は家など売れないからである。古い家は冷暖房に不利である
古い大きな家は隙間風が入るしかえって住みにくいのである
また古い家は段差があったりと老人には危険にもなる

何かみんな家が負担になるとか思わなかったろう。でも今や家は跡継ぐ人もなく空家が増える。その数も余りにも多い。それで空家をどうするのかと全国で問題になる。壊すにも何百万かかるとかなり簡単にできない、とにかくこれはな何なのだろうとなる
人間は実際は何もこの世で所有できない、なぜならこの世のものは神が創り神のものだからである。
人間は神から一時的に土地であれ借りて住んでいるに過ぎない、所有できないのである。住まいでも仮の住まいであり一時的に滞在するにすぎない、それは遊牧民だと移動してテントを張り暮らす、一か所にとどまらない、そこに定着することがない。
そういう生活は一か所に留まり生活するのとは根本的に違ったものになる

要するにこうして老人になると無常が現実化する。死もまじかであり無常を切実に感じる。

人間は何かを所有できない、ただ借りるだけである

この世のものは神のものであり神から一時的に借りて利用しているのである。土地でもそうである。人間はそもそも所有できないのである
所有しようとするが所有できない、それが現実だった。
つまり一時的に神から借りているだけであり所有はできない。
だから住まいでも家でも仮の住まいになる。旅人でもあり一夜の宿とかにもなる。そして異邦人だというとき一時的に滞在するに過ぎないからである。故郷にしてもそうなのである。
何かそれが実感できなかったが老人になると否が応でもそれが現実として突きつけられる。この世に一時旅人のように滞在するに過ぎないとなる。

この世が無常だということはなかなか実感できないが老人になるとそれが家が負担になるとか何か持つことが生きがいでもあったが何か持つことはかえって負担になり重荷となる。それで裸で生まれ裸で死んでゆくとなる、何かを持つこともできないのである
赤子は何かを握るしめようとする、でも死者は手を開き何かを得ようとはしない。人間はこの世で何かを得ようして所有しようとするがそれができないのである。

若い時にそいうことを宗教でも学ぶがそれを実感できない、でも老人になると現実の問題として突きつけられる。苦労して手に入れた家が重荷になりいろいろなものを買ったがそれも捨てるだけだとかなる
(無常)が現実として突きつけられる。




2025年11月05日

原発に何故反対できないのか? 【地元でも国民でも原発推進になっているから】

原発に何故反対できないのか?
【地元でも国民でも原発推進になっているから】

原発事故の議論で誤解しやすいのが電気なしでやっていけるのかという極端な主張である。電気自体を否定はしなくても原発に反対するとそう見られる。電気でも石炭石油で発電できる。水力発電もあり今ならソーラーパネルも風力発電もある
でも電気という時原発が拒否されるのは福島の事故のように危険だからである。別に電気を必要ないとは誰も言わないのである
でも原発に反対する人は電気はいらないのかお前は電気なしで暮らせとかなる

そしてなぜ原発が反対できないのか?

それはそれを支持する勢力がありそれが圧倒的に多いのである
事故を起こした地元ですら事故前でも事故後原発反対にならない
むしろあからさまに原発はいいものだという人達もいる
故郷にすめなくなった被害でもそうなのである
その理由は補償金が手厚いから東電でも政府でもあまり批判しない
地元でもその事故のことより補償金を追加してもらうことが最優先課題である。
だから小高の人でもこれだけの被害があり本人も小高に住めなくなっても家族がばらばらになっても東電とか政府を恨んだりしない、ただ補償金をもっとくれとなっていた。
浪江の人も周りの田んぼが草茫々でも補償金をもらって老後の足しになるから喜んでいるともいう。あれだけ街が荒廃してもそうなのである

それは国民でも原発反対かというとそうではない、むしろ原発の再開どころではない、原発の増設しろとなっている
それは野党でも同じである。なぜなら電気組合の電事連は強力な団体であり選挙では野党も頼る。だから参政党でも原発推進派なのである。
選挙の票田になるからそうなる。
つまり国民でも9割くらいは原発推進派であり反対は一割くらいだろう
それは事故を起こした地元でもそうである。
そうなるととても原発に反対できない、故郷に住めなくなった地元の人すら原発に賛成だとしたら誰が反対するのかとなる
だから原発事故で人がばたばた死ぬようなことにならないと国民も深刻にならないからたいしたことないとして原発を容認するだけではない推進派にもなる。

ともかく原発の利権は余りにも大きなものだった。何兆円という国の予算がつぎ込まれた。その金に群がる人達も多かった。
地元でもその金に目がくらんだ。危険は無視され金になればいいとなった。それで地元でも原発反対はなかった。むしろ原発に反対すると周りが賛成なのだからこの土地に住めなくなったかもしれない。それほど原発は金になるからそうなったのである。
別に地元でもこれだけ被害があっても原発に反対しないのである
そうなれば国民でも大した被害でないとして原発を増設しろとなることに抵抗がないのである。民主主義は多数決で決まる。9割が賛成なら一割の反対は無視できる。それは地元でもそうなのである。

この辺では原発事故で大被害を受けたとか言わない、ただ補償金をもっとくれと言うだけである。原発自体に反対しない。だからこそ国民でも同じであり野党が参政党でも原発増設しろとなっている。
つまり原発は止めようがないのである。一割が反対しても全く無視されるのが民主主義である。そこに民主主義の大きな問題がある
肝心な被害にあった地元でも原発賛成となれば反対しにくい、原発事故になっても困りませんよと言えるからである。

ただ誤解しやすいのが原発に反対すると電気無しでいいのかと言われることである。その議論が間違っているのである。電気をいらないとは言っていないのである。なにか議論になると感情的になる
だから暴力にもなり議論することもできないとなる
荒っぽい人がいてそういう人は正論でも言論を無視する。理屈を言うなとかなり力づくで暴力で解決しようとする。それで民主主義は破壊されるのである。
ともかく発言は自由である。でも自分だけに言うのではなく地元であれ国民に向かって言いそれで判断させるのが民主主義である
目の敵のように自分にだけ言われるのが納得できないのである






posted by 天華 at 11:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2025年11月04日

冬になる【残る虫、冬薔薇、刈田、冬満月、日短き】

冬になる【残る虫、冬薔薇、刈田、冬満月、日短き】

rosemonn.jpg


誰か知る月影さして冬薔薇
隣り合う家々暮れぬ残る虫
家数軒刈田に月や烏かな
この道や日短きも我が知りぬ
短日や老いの身あわれ一人かな
今日も窓に月の見えしも雲隠る
田舎町冬満月やなごむかな
我が家の二階の広く冬満月
窓に月雲に隠れてすぐ消える

朝明けて真青の空を白鳥の翔けりゆくかな海も広しも


日がかなり短くなった。満月が出ていた。満月は心にも体にも影響するかもしれない、自然のリズムがありそれが人間にも影響する

「tide」の語源は古英語の「tīd」に遡り、元々は「時間」や「季節」を意味していました。この言葉はゲルマン祖語の「*tīdiz」から派生しており、時間の経過や区切りを表す概念でした。中世になると、特に海の満ち引きという時間的に規則的な現象を指すようになり、現代の「潮」の意味が確立されました。面白いことに、「tide」は「time」と同じ語源を持っており、両方とも時間の概念から発展した言葉なのです。

月は満ち欠けして変化する、それで太陰歴が最初にあった。月の満ち欠けの方が月は身近でり変化するから歴になったことは理解できる
潮の満ち引きとなると海側に住む人は注意するが海が見えない所ではわからない、でも月ならどこでも見れるから歴になった
自分は蟹座生まれであり何か潮の満ち引きとか月と関係しているかもしれない、

癌はどうして英語でCancer (カニ)なの?
癌が英語で「cancer」と呼ばれる理由は、古代ギリシアの医師ヒポクラテスが癌の形状をカニに例えたことに由来しています。癌の進行がカニの足を広げていく様子に似ているとされ、

私が蟹座でありガンになったことも関係しているのか謎である、星座で人間を見る占星術がありそれも不思議だとなる
確かなことは潮の満ち引きと月は関係して起きる。だから蟹座は月と関係する。蟹は敏感に潮の満ち引きを感じる場に生きているからである

月となれば秋の季語である。今年は窓から月が見えるのだがすぐに雲に隠れて消える。これも不思議な感じになる。

残る虫が鳴いている、その声が田舎だとひびく、静かだから響く、都会だと騒音の世界になりひびきにくい、今日は寒かったから冬であった。
朝に白鳥の飛ぶのを見るのは気持ちいい、ただ数羽だからものたりない
ともかく冬になった。何か時間が過ぎるのが早い、あっという間に一日が終わる。

2025年11月03日

今の医者はパソコンの画面ばかり見て判断する 【メデアを通して知る社会の問題―そこに誤解が生まれる】


今の医者はパソコンの画面ばかり見て判断する
【メデアを通して知る社会の問題―そこに誤解が生まれる】

いまどきの医者はパソコンの画面ばかり見ている、この根本的な問題は、医者が診療に必要な情報は我々が見たり聞いたり触ったりできる患者本体ではなく、パソコンの中の画像や数字にあると考えていることである

ガンでもパソコンの画像で判断する。医者は常にパソコンを見て説明する
でもそれで本当にわかるのかという疑問がある
患者本体が目の前にいるのにパソコンを通して診断して説明する
それは役所でもどこでもその本人を確認するのに必ず車の免許証とか身分を証明するものを提示せる。それで本人がいるよりそうした書類であり見ないと本人と認定されないのも変だというのもわかる

ともかく現代はあらゆることでメデアを通じて認識する
情報でもテレビであれインターネットであれ直接知ることはできない
人間にしても直接面と向かって会って知るのではなくメデアを通して知る。するとそこに必ず誤解が生まれる
テレビで見るのと写真で見るのでは印象が違うとなる。
メデアを通して見るとき錯覚が生じる。
何かテレビであれ映像時代になると本物に接するよりメデアの映像から接する、でもテレビであれ写真であれ人間であれその場のことを伝えることはむずかしい。

それでイラク戦争で油まみれの海鳥がテレビを通じて放映されてイラクはひどいことすると全世界の人達がイラクに対する印象を悪くしたのである。その効果は余りにも大きかったのである。
でもその映像は一部分でありその回りは油に汚染されていなかったのである。だからテレビの映像でも全体を知る。その場のことを知りえないのである。本当に知るにはその場に立ち人間の五感を働かせないと知ることができない。現代はメデアによって現実が歪められる時代である
本人が目の前にいても写真であれ書類で本人確認をする

だから医療でも医者が患者が目の前にいてもパソコンの映像を見て説明して判断する。そうなると膨大な映像を分析するAIの方現物の医者より優れているとなる。医者がAIに教えられて患者に伝えるとまでなる
それは現代社会に全般的に起きている
メデアを通じて何でも知るのであり人間でもメデアを通じて知る。
不思議なのはテレビだとまず顔を見る。顔の印象が第一になる
それでラジオの人気のアナンサーが見栄えが良くないとしてテレビでは採用されなくなった。でもラジオの声だけでの時代は人気だったのである。

いずれにしろ映像だけから知ることはできない。その土地土地でもその場に立たないと実感できない、人間の体で五感で知る時本当に知ったとなる。だから確かに世界の映像があふれていてもそれで知ったとはならないのである。
目の前に患者本人がいるのに医者でもパソコンの映像の方が本人より実体のように見ているのも変だとなる
その目の前にいる本人から得る情報の方が本物だとなる
ただそいうことがあらゆる分野で多い時代である。そこでどうしてもフェクニュースとかを真実と見る。最近ではAIが進歩して動画まで作れる。それで問題になる。AIの画像を本物と見る。そしてそうした偽物の情報により操作されることが危険になる
だから医者でもパソコンの映像だけに頼ることでいいのか信用できるのかとなる。それで生検で実物を検査する。映像だけではわからないからそうなる。

ともかく現代社会はメデアを介して知る時代である。銀行もメデアだというとき金融もむずかしいから銀行であれ証券会社に頼らないとできない、人と人が直接やり取りする社会ではない、またデジタル社会でも対面的にやり取りしない、だから人間そのものメデアを通してしか認識できない、そして人間は抽象化されて数値化される
人間の体は個々に違っているからその対処する治療も違うという
ガンの場合特にそうであり複雑になる。そのために伝染病のワクチンのようなものを作れない、個々に対応する治療が必要になる
そのためにガンの治療は難しいとなる


posted by 天華 at 17:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2025年11月02日

老化した細胞がガン細胞を抑える不思議 【人間が死ななくなるのも社会的に問題ー医療の理系文系の対処方法】

老化した細胞がガン細胞を抑える不思議
【人間が死ななくなるのも社会的に問題ー医療の理系文系の対処方法】

老化細胞は、異常な増殖を繰り返すがん細胞を、その周囲の細胞とともに老化させて、増殖を抑え込むという役割も果たしているからです。繰り返しになりますが、老化細胞はもう細胞分裂しません。増殖しない細胞です。がん細胞を老化させることによって、その異常増殖を防ぐ、つまりがんを防ぐことが老化細胞のプログラムのひとつであると考えられるのです。

老化とがんは関係しているのか」東大教授の最新研究で分かってきた"老いの正体

素人的には成長するこどもや若い人は細胞分裂が盛んになることは理解できる。どんどん成長するのだからそうなる。

老化細胞はもう細胞分裂しません。増殖しない細胞です。がん細胞を老化させることによって、その異常増殖を防ぐ、つまりがんを防ぐことが老化細胞のプログラムのひとつであると考えられるのです。

癌細胞を老化させることで異常増殖を防ぐというのも老人は若い人より細胞分裂もしなくなりそれで進行が遅くなるのか?
それも不思議である。何故なら素人的には老化が原因で癌になると見ていたからである。実際に60過ぎると癌になる人が激増するからである

だからこれは一体何なのだろうとなる。ともかく癌を理解することはむずかしすぎる。どう対処していいかわからなくなる
それで気の持ちようが影響すると医者でもいう。それは精神論であり理系ではなく文系的対処になる。また祈ることも効果があるというのもそうである。つまり理系でも研究中であり解決できないからそうなる
何かいろいろな分野で理系と文系が問題になる
それは原発事故でもそうなり追求してきた

医学でも今や科学であり理系が実際に主導する。でもまた精神論とか言う時文系にもなる。理系で主導しても現実に対処できない。
理系だと医学だと将来的に老化も直せるという。そのときどうなるのか?人間が死ななくなると社会的にどうなるのか?人間が死なない社会がどうなるのかという問題が生まれる
もし老人が若返るならいいが老人が死なないで増え続ける社会がどうなるのだろうとなる。それは現実に少子高齢化で起きている今の問題である

いづれにしろ人間が死ななくなることはありえない、そして老人になり病気になり歩くもままならないような体で長生きしたくない
神の国では永遠の命が与えられみんな病気もなく若いというならいい
誰もよぼよぼの老人として生きたくないのである。
だから癌は人間を死なせるために生まれ新陳代謝を世代交代を推進させるための自然の摂理だとも見る。それに逆らうことはできないともなる




2025年10月31日

病院の科が多くてわかりにくい 【老人には総合的に見る医者が必要−部分化専門化した文明は迷路化する】

病院の科が多くてわかりにくい
【老人には総合的に見る医者が必要−部分化専門化した文明は迷路化する】

fkusuunobyouk.jpg

agedwill.jpg

病院内を三つの科でみてもらう、泌尿器科、腎臓高血圧科、第一内科、第二内科・・・
病院内で迷ってしまう、とにかく何度も検査する
検査漬けになる。またそれで理解できなくなる。腎臓と血圧とどう関係するのかとかその関係が理解できない
それぞれの科に専門家がいて検査する。

これは現代社会ではいろいろな分野で起きている現象である
人間の体でも臓器ごとに専門家がいて判断する
でも体を総合的に診れる医者はいない
【その分野は私の専門ではないのでわかりません・・・】となる
それはどこでも起きている
福島の原発でも吉田所長は私は材料が専門なのでわかりませんと言っていた。復水器のことがわからないと言っていた。でも復水器が大事な機能があった。だから事故の時それを知らないことは致命的にもなった

とにかく現代はこうして何でも専門化して細分化してゆく
そして全体を知る人はいないとなる。老人の医療では必ずいくつかの疾患を抱えている。一つだけではないから総合診療が必要だとなる
その75才の老女でも糖尿病で脳梗塞になり脚が悪くなり立つことも歩くのも苦しい。目も悪いとかなっている

この世界でも自然でも有機的に関連して生態系を維持する
それを様々な部分に専門化すると理解できなくなる
人間の体は機械のように部品を集めたものではない
有機的に自然のように関連している
だから一つの部分、パーツをみてもわからない
その部分は全体があって機能する、自然でも細分化して見れない
だから地球という惑星でも宇宙全体と関係しているとなる

ただこれ以上分化できないものとして原子を発見した。
それが西洋科学であり医学でも臓器ごとに見るとか人間の体を一つの体というより部品化して診る。それは西洋的手法だとなる
臓器移植でも人間を機械のように見て部品化して見るからできるとなる
でも人間の体は個々人によって違うという時簡単に人間を機械のようにはできない。
いづれにしろ老人はいくつかの疾患を抱えている、一つではない
それは総合的に体が老化して弱っているとなる
人間が死ぬときは一つの疾患ではなく合併症で死ぬ
一つの臓器が他の臓器にも影響する。だから一つの臓器だけを診ていても直せないとなる。

学問でも地名一つを知るにも地質学から地形から歴史から多様なアプローチが必要になる。つまり何でも一部分でも必ず全体と関係してくる
ともかく現代の問題は無数に部分化細分化して専門化して全体がわからない迷路化する。その迷路から抜け出せなくなる

病院でもいろいろな科を回らせられて患者でもどう理解していいのかわからなくなる、それはどこでも起きている
私はその部門の専門家ではありません、他の専門家に診てもらってくださいとなる。そういえば責任から逃れられる。私はその部門の専門家ではありませんから責任は持てませんとなる
学問でも学校でも様々な教科に分かれて専門の先生がいる
それで総合的に全体を見て教えられる先生はいないとなる
宗教が宗が旨なるものとして統合するものとしてあった
それは古代でも人間は早い時期から様々に分化部品化専門化していたから宗なるもの旨なるものを求めた

自然でも海があり大地があり山があり宇宙がある、それらは別々のものではない一体のものとして働いている
文明人はあまりにも部分化して専門化して迷路化する
A−B−C−Dと回りまたB−A−D−Cと回り訳わからなくなる
それは文明社会でどの分野でも起きている
そもそもあらゆる分野に通じる人などいない。大都会が迷路だというとき誰もその全体を知る人はいないからである。
こうして互いに意思疎通できないのが現代文明なのである

















posted by 天華 at 20:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2025年10月29日

癌になる原因【私の場合は遺伝と老化が有力―紫外線も影響】

癌になる原因【私の場合は遺伝と老化が有力―紫外線も影響】

canserill1.jpg


canser2.jpg

癌になる原因は今でもわからない、肺結核もわからなかったが伝染病とわかり予防できるようになった。だから癌がなぜ防げず直せないのかとみんな言うのもわかる。

紫外線を浴びると、皮膚細胞のDNAは傷をつけられます。
細胞にはつけられた傷を修復する機能がありますから、すぐに問題が起こるわけではありません。
ですが、長いあいだ紫外線を浴び続けていると、くり返し傷をつけられるうちに間違いが起こり、突然変異につながることがあります。
そしてその突然変異が、がんの発生に関わる遺伝子に起こった場合、次々とがん細胞が増殖し、がんになる可能性が高くなってしまうのです。

共同推計によると、2019年に 16 億人の労働年齢人口 ( 15 歳以上 ) が屋外で作業中に太陽紫外線にさらされ、これは全労働年齢人口の 28 % に相当します。 2019年だけでも、183 カ国で 19,000 人近くが、屋外で太陽の下で働いたことが原因で、非黒色腫皮膚がんで死亡しています

過度な日焼けに要注意。紫外線とがんの関係

紫外線: 紫外線は皮膚がんの一種である悪性黒色腫の発症リスクを高めます。オーストラリアのように紫外線が強い地域では、皮膚がんの発生率が高くなります

癌になる原因は一つではない、複合的な原因で起きる。病気でも体全体が関係して起きる。わかりやすいは皮膚がんかもしれない、肌に直にし紫外線を受けるからだ。肌が黒くなることはそれだけ紫外線の影響が大きいとなる
私自身を振り返るとが外国旅行して顔などがかなり黒くなり驚いた
外国は大陸はカラッと晴れる日が続く、じめじめしてない。
それで紫外線でも受けやすいとなり皮膚がんも多いのか?
また私は自転車旅行してかなり紫外線を受けた
推測として私の場合は遺伝と老化が原因とみる
父親が肺癌で死んだからである。それと老化も確実に原因になっている
60以上になると癌になる人が急に増大するからである

とにかく癌になる原因はわかりにくい、一つの老化現象となれば直しようがないともなる。
原発事故の放射性物質とか大気汚染は関係している。
事故後の10年後20年後に症状が現れるとしているからである
中国では大気汚染が工業化経済成長でひどくなり癌が増えた
大気汚染は確実に影響している。ただ危機感を感じないのが問題である
特に原発事故の放射性物質の被害は表面化しにくい
それで見逃されやすいのである、因果関係を知るのが難しい、十年二十年後となると余計にわかりにくくなる。事件なら時効にもなるからだ
でもまたそのことが原発の危険を隠蔽しやすいものとする

癌は将来的には解明されるのだろうか?
科学者は研究している。認知症も治るのだろうか、これも難題である
ともかく病気との戦いは終わらない、新しい病気も出てくるから終わらない、そもそも老化による病気は直せない。人間は老化して死ぬ。
それでその老化の過程で癌になるとしたら直せない、人間を死なせるために癌にする、そうしたことは自然なことであり止めることはできない
でもいつか癌でも直せるという期待を持つ、科学が医学が進歩して直せると見る。でも人間が死ななくなるの問題になる
世代交代もなくなり社会が進歩しなくなる





続きを読む
posted by 天華 at 18:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

秋から冬へ【枯蟷螂、柿、朝顔、白鳥、秋時雨、残る虫】

秋から冬へ【枯蟷螂、柿、朝顔、白鳥、秋時雨、残る虫

ishikurakaki.jpg

asagaowife.jpg



家の前枯蟷螂のあわれかな
石倉に松に柿なる農家かな
朝翔けぬ白鳥清しなお生きむ
遠山に日当たりあわれ秋時雨
北風やしきりに鳴きぬ残る虫
しきり鳴く余命数年残る虫

目覚むれば朝顔を見ゆ我が家に常にありにし母を想いぬ


俳句は基本は写生である。写生だから何か説明しない、俳句は短いから説明できない、母は目立たない女性でありいつも食事の用意をしてくれた。
でも今は一人でするほかない、朝顔は母であれ妻とかに似合う

死が近いとなると見るものでも違って見える
白鳥が朝飛んでゆくのを見た時私もまだ生きていると見る生きるんだと見る、朝は必ず自転車に乗り外に出る、足は脳出血でも麻痺しなかったのが
幸いだった、もう外は風が冷たく冬になっている。

遠山に日の当たりたる枯野かな 高浜虚子

枯野ではなく秋時雨だった。それは昨日の天候だった
今年は季節感が変調である。晩秋とか秋深むとかの感じがない
朝北風が吹きしきりに残る虫が鳴いていた。それは自分と重なる
余命いくらとかなり残る虫が鳴く・・・

2025年10月28日

癌が増えている原因の謎−大気汚染は確実に影響している 【福島原発事故の大気汚染も影響している?】

癌が増えている原因の謎−大気汚染は確実に影響している
【福島原発事故の大気汚染も影響している?】

gantoukei.jpg

肺癌だけがそもそも増え続けている

ganntoukei2.jpg

ganndeath.jpg

gennpatudeath.jpg

中国でも癌が相当に増えて死者が増加している
その原因が喫煙であり大気汚染であり公衆衛生が悪いためだと推察する
何かそういう国であり納得する。
大気汚染は急激な工業化経済成長で起きた
黄沙なども飛んでくるので中国は汚れやすい、汚れることに関心がない
ただ大気汚染という時、日本でもあり日本だと東京と神奈川県に癌が増えているのが関係している。特に肺がんは汚染した空気を吸うのだから影響しやすい、また福島原発事故の影響も考えられる
ただこの因果関係を見極めるのはむずかしい
そもそも何故癌になるのか医学でも明確ではないからである

●遺伝
●老化
●環境(大気汚染)−原発事故の放射線の影響

子の原因があるとすると私の父親は肺癌で死んだから遺伝の要素がある
でもまた老化の影響もある。老人は老化して癌になりやすい
だから死んだ人を解剖すると必ず癌が見つかる、何らかで人間は癌になる。それは老化と関係している。
次に大気汚染も関係する。問題は福島原発事故の放射線被曝が関係しているのか?それはわかりいくい、なぜなら原発関係は常に真実が隠蔽されてきたからである。

ただ私は福島原発が爆発した時外を歩いていた。家から出るなというのに外を歩いていた。もしかしたらその時被曝したかもしれない
そしてその症状は10年後に出るとか言われた。するとすでに14年も過ぎて影響が出ているかもしれない、甲状腺が出やすいと言われたこれは若い人でもなる。でもこれは因果関係があるのかどうかむずかしい
問題は原発関係は常に隠蔽されてきたことである

確かなことは大気汚染は関係している、肺に空気を吸うから肺癌になりやすいというのは何か素人でも納得がいく。つまり大気が原発事故で放射性物質で汚染されてそれを毎日吸っているのだから体に放射性物質が蓄積されたとなる。十年以上汚染された空気を吸っていたからである
それで十年後と20年後だともう生きていないと見ていたからあまり注意しなかった。そんな後のことを考えられなかった
それより女性の場合子供産むと遺伝子の異常で奇形児が生まれるのかと騒いだ。つまり10年後20年後でもさらに子孫にも影響するということで恐怖した。でも時間がたつと忘れる。

ともかく癌が中国でも増えているという時大気汚染は確実に影響している。それは世界的な問題でる。

核燃料が核分裂を起こす。つまり、1日約3kgの核分裂生成物、いわゆる死の灰が生まれるので、
1 年365日では約1000kgの核分裂生成物が蓄積される。一方、広島・長崎の原爆で生じた核分裂は約1kgである

約1000kgの核分裂生成物となると広島の原爆の比ではない。だからその影響は甚大である。でも目に見えて可視化されないので恐怖にならないのが問題なのである。バタバタ人が死んだりしないからである
10年後に10年後に影響があるとしても忘れるからである。

水にも熱にも酸にも溶けないガラス化した不溶性セシウムは(食べた場合には排泄されるが)肺胞に入った場合には半永久的に出て行かず、極めて有害なベータ線を出し続けるのである。

セシウムは水に溶ける溶けないの問題 (飲料水は安全なのか?)


posted by 天華 at 11:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2025年10月27日

会津の詩【会津の花、鬼百合、会津嶺の国、】

会津の詩【会津の花、鬼百合、会津嶺の国、】

会津嶺の高く厳しく迫るかな
激流は巌を打ちて轟き
鬼百合のここに咲く
囲む会津嶺育む武士道
山を仰ぎ水は清く流れ
その心も澄みぬ
千年の古木の根を張り
代々受け継がれしものよ
ソバの花咲き曲がり家や
社は古り暮らしは続きぬ
静かに積もる落葉を踏みて
会津の地と一体となりぬれ
会津の山々は重なり暮れぬ

会津嶺(あひづね)の 国をさ遠(どほ)み 逢(あ)はなはば 偲(しの)ひにせもと 紐(ひも)結ばさね


この会津嶺は複数である。会津は2000メートル級の山が重なり合っているからである。
会津を象徴する花は鬼百合になるのか、また桐の花も似合ている
桐箪笥でも有名であり桐の産地でもある
あとはソバの花が咲きソバの産地でもある
桧枝岐は秘境であり米が食べられず蕎麦が主食だった。ヤモリの燻製なども食べていた。そもそも街から相当に離れているからそんなところでどうして暮らしたのかとなる。今は尾瀬の観光があるから現金収入があるので違っている。それでもそんな場所で暮らすとなると容易ではない
でも日本ではそういう場所が山が多いからかなりあった。
そこは隔絶して相当に不便である。平家落人の里となるのもわかる。
そんなところだから隠れ棲んだと見える。

いずれにしろ会津は古代から一つの国を形成していた。会津は風土と一体となるのが魅力である。ただ浜通りから見ると山が多くそれも高いからその地理がわかりにくいのである
出も風土と歴史が地歴が一体となるから魅力があるとなる
ただその山が多くてわかりにくいのである
ともかく旅でもその地を自ら踏むときその土地のことをじかに感じる
それは映像をいくら見ても感じない。会津には自転車で三回くらい行った。会津は雪の時も行った。雪国を感じるには冬も行くべきだとなる
そうしないとその土地のことはわからないのである
現代は何度でも行けることでその土地の事の理解を深めることができる
四季を通じてその土地を知る。でも会津は山が多くわかりにくいのである

会津の心(詩)ー【風土と地理から見る会津−会津は古代から一つの国だった】








2025年10月26日

人間は死を克服できないー医学も科学も限界 【希望が無くなることが最大の問題】


人間は死を克服できないー医学も科学も限界
【希望が無くなることが最大の問題】

人間の最大の問題は死である。死によってすべてが失われ何か積み重ねてきたものでも失われる。無に帰する恐怖である。そして未来もなく希望もなくなる。生きるとは常に未来に希望があり生きてきた。
でも死ぬことは未来への希望もなくなる
そして死は余りにも無惨である。
寝たきりで死ぬかでなく天に昇る正に現実に昇天するような死があってもいい、それは聖書のなかで預言者にあった。イノクのように死体も残さず天に召された人もいた。そういう死だとみじめに見えない。
無惨に死んでゆく姿を見ればそこに救いはない。

人間は希望無くして生きられない、今は悪くても将来は良くなる
病気でも治るとかないと絶望になってしまう。
人間はそうした死に耐えらえない。
だから病気でも治るとして希望を持たせることが大事になる
また死んだら極楽に行くとかなれば安心する
キリスト教なら神の国へ行くのだからむしろ死ぬことは悪いことにはならない、神の国へ入る希望があるからである
この世の地獄を脱して天国に行くのだから死は悪いことではない
つまり科学であれ医学であれ限界がある。死を克服できないからである。


最後に天地と調和して大いなる詩を謳い死んでゆく
その魂は天に昇り神の国で再び復活する
そこは花々に覆われ真の美が映える
死は一つの門出である
神の国へ入る門出である
だから悲しむべきものにあらず
死はこの世からの解放である
肉体に呪縛された魂の解放である
苦からの解放である
神の国では老いも病もない
みな若く健やかである
すべてが光輝に充ち溢れている
一つとして無益なものはない
すべてが所を得て価値がある
そこにただ全能の神への賛美があるのみ


いづれにしろあなたの病気は治りません、余命何年です。こう医者に言われて納得する人はいない、だから医者は死を宣告する死神だともなる
人間から希望がなくなることが最大の問題である。何らか希望が無くなれば生きること自体絶望になる。
ともかく科学にも医学でも限界がある。死を克服はできないからである







2025年10月25日

白鳥来る(詩)

白鳥来る(詩)

swansfliight.jpg

太平洋の波轟き鳴り
白鳥の美しく飛び来る
朝日は輝き大空に広げしその翼よ
喜々として連帯飛行
川は清らかに大地を流れて
そして川面を静かに優雅に泳ぐ
白鳥に衣服のなしも
天然の純白の衣を着せられて穢れなく
神の鳥のごとくその美の映えぬ
夜空に星々はきらめきあい
豊かに黄金の実りは刈り取られぬ
木々は大地に深く根づき
大輪の花は大らかに咲き
明日また大空に大海に向かい咲き開かむ
とりどりの菊の花々美しく
我が目に映りなごみぬ

タグ:白鳥来る

2025年10月24日

原町の秋の花【分去、秋の蝶、公園のベンチ、秋深む、秋の蝶、コスモス、ひまわり、野菊,あざみ、秋薔薇】

原町の秋の花【秋の蝶、公園のベンチ、秋深む、秋の蝶、コスモス、ひまわり、野菊,あざみ、秋薔薇】

streetocosumosu.jpg

himawariall.jpg

haramachirose.jpg


parkuageddman.jpg



千輪のひまわりにそ癒されぬ
秋の蝶舞いつつ分かれ去りにけり
分去(わかれさり)分かれし人や秋の暮
原町の通りにコスモス野菊かな
三色の秋の薔薇咲く原町に
十数輪秋あざみに草の花
公園に残る根っこや秋深む

公園のベンチに秋の陽ざしかな生きれる時を我が惜しみ座りぬ
はや散りぬ秋の薔薇かなその後に山茶花咲くや冬となるらむ
我なおもここに生きなむや千輪のひまわり咲くや癒されるかな


原町へ行ってきた。原町は8キロくらいだから近い。相馬市はその倍あるからなかなか行けない。買い物のためにも行く、原町には新しい店ができる。六号線にトライアルとかのスーパーができた。開店していないが場所的に入りやすい。
今の時代どうしても5万以上の都市がないと不便である
そこに住まなくとも近ければいいのである。みんな車をもっているから
距離は気にならないのである。

都市と言ってもコスモスが咲くのがあっているがそこに野菊も咲いていた。だから田舎が都市の中にももあるとなる
原町は新興都市であり城下町の相馬市とは雰囲気が違う
ただ外からくる人にはわかりにくい
でも何か原町という名が合っている。それはただ雲雀が原あり野馬追が行われた広大な原っぱだった。それでも地名としてなじみ合っている
南相馬市というのは新しいからなじまない、ただ相馬市の南というだけで相馬市に付属した感じになった。だから地名的に良かったかどうか疑問である。

余命一年とか二年とか言われて毎日死を意識する
秋の蝶が出会い舞いさる。それを見た時なんでもないことだがそうして出会い分かれる合わなくなることは死ねば永遠に会わないとなることに通じる。分去(わかれさり)という地名は道が分かれて去って行く所に名付けられた。

いずれにしろ道の駅の公園のベンチに休んでいても死ぬとなれば何か貴重な時間に思えた、おそらく余命一年とかなれば何でも感じることが違ってくる。ありふれたものが何か貴重になる。
別に自分一年後に死ぬとはならない、でも毎日死を意識するようになった。だから平凡な人でもこうして余命一年とか宣告されたら何か物の見方が違ってくるし人に対する見方も違ってくる
何かつまらないものでも愛しく感じるようになる。




白い花は死をイメージする【白菊、山茶花、白鳥・・・】

白い花は死をイメージする【白菊、山茶花、白鳥・・・】

kikuroad.jpg


白菊や母は安らかに死ににけり

山茶花の朝に白しや死の近し

朝に飛ぶ白鳥美し波ひびく

とりどりに菊の花咲く朝日さし我が目に映りなごみけるか



右田浜に行く道路の脇の二軒が空家となり一軒は壊された
ともかく空家が増える、でも地域の人がは花を植えたのが良かった
どうしてもも空家となると荒廃した感じになるから問題なのである



何か白は死をイメージする、白装束とは

死者に着せる衣装でもある。この場合には死(に)装束、経帷子(キョウカタビラ)と呼ばれる

死者には白があっている、白は穢れがない純潔である
何か余命何年とかなると死を現実と意識する
ただ別に普通に生活できるから深刻にならない、他者が見てもそうである。人間の寿命はいくら病気になってもわからない、人間の未来はわからない、でも確かに死を宣告された影響は大きい
医者が死神だというのもわかる、余りにも軽々しく余命いくらだとか言うのは問題である、医者でも今後どうなるかわからないからである
余りにも平気で言うとなる。それがもし医者でも自分自身に言われたらどう思うかその心配りがない。何か嘘でもい余命一年でも5年とか言ってももらった方がいいともなる。嘘も方便だとなる





2025年10月23日

七つの海を支配するシーパワーのイギリスとヨーロッパの歴史 【ランドパワーからシーパワーへの変化】

七つの海を支配するシーパワーのイギリスとヨーロッパの歴史
【ランドパワーからシーパワーへの変化】

イギリスの地理はヨーロッパは海に開かれ、陸から脅かされる構造を持つ「大きな半島」という時、陸から脅かされることが島国でしにくい
でも海に隔てられていても孤立はしていない,ヨーロッパとつかず離れずである。なぜEUから離脱したのかそれも地理的歴史的背景があってのことである。そもそも英語がドイツ語を基本にしていることでもいかに密接かわかる。

ライン川がありオランダがありイギリスがある
それでドイツのケルンの塔に登るとイギリスまでもが望まれともなる
ヨーロッパがEUで一つになる時歴史的にもそれを可能にする背景があった。ヨーロッパの国々は王国の時代国王でも婚姻関係を結ぶ
親戚関係になる。それは日本の戦国時代と似ている政略結婚である
何か争っていても家族内のもめごとのようにも見える
文化的にもキリスト教で結ばれている。

日本では隣に巨大な中国が存在するから日本はその付属物のようにもなる。ただイギリスのように海で囲まれているから侵略をまぬがれる。
どうしても陸続きだと侵略される。海が防壁となるのは日本と似ている
でもまた日本と立ち位置が違っている。

ヨーロッパというとその形成は地中海があり形成された面がある
地中海は交流の海であったからである。それは中東とも結ばれている

ヨーロッパの由来は、ギリシア神話に登場するフェニキアの王女・エウローペー(ラテン語:Europa)にあるという説が最も有力です。

フェニキア人は、エジプトやバビロニアなどの古代国家の狭間にあたる地域に居住していたことから、次第にその影響を受けて文明化し、紀元前15世紀頃から都市国家を形成し始めた。紀元前12世紀頃から盛んな海上交易を行って北アフリカからイベリア半島まで進出、地中海全域を舞台に活躍する。また、その交易活動にともなってアルファベットなどの古代オリエントで生まれた優れた文明を地中海世界全域に伝えた。

地中海は交易の海でありアルファベットを発明した。それが文字の起源となった。その普及が地中海沿岸の国々を結び付けた
でもイギリスは地中海から離れている。後進国だった。それでもヨーロッパの歴史に組み入れられたのか、それはローマ帝国の支配下になったことでアイデンティティ化した。ヨーロッパの文化の一体感はローマ帝国にありまたローマ帝国の国教になったキリスト教にある
EUはそうした地理的歴史的背景があり成立した。

ともかくイギリスはヨーロッパ大陸から離れた島国である。でも密接に歴史的文化的に結びついている特異な立場にある
そしてなぜ七つの海を支配する大英帝国になったのか、それは島国でも海に閉ざされてもまた開かれた国でありシーパワーの国である。ポルトガルでも大西洋に面して大航海時代の先兵になった。スペインでもそうである。ただ大英帝国になりえたのは自国で産業革命が起きたからである。蒸気機関車が発明されたりと技術革新があったからである
その燃料となる石炭も自国で取れたからである。
ポルトガルとスパインにはなかった。だからインカ帝国であれ侵略した略奪国家だったので世界帝国にはなり得なかった
時代はランドパワーからシーパワーの世界になった
最初のシーパワーがイギリスだった。ランドパワーでしのぎを削る時代からシーパワーの時代になったのである

ただランドパワーというとき今でもロシアはランドパワーの国であり
ヨーロッパのEUの脅威となる。ウクライナ戦争はランドパワーの争いだからである。でもシーパワーの国とならないと世界帝国にはならない
中国も典型的なランドパワーの大国であるが世界帝国になれないからシーパワーの国へとなるために海軍を増強して台湾であれ日本へとシーパワーの国へとなるために侵略を企てる、それでシーパワーのアメリカと衝突する

ヨーロッパはポルトガル―スペインーオランダーイギリスとシーパワーの国がしのぎを削り世界の覇権を握った、最後にイギリスが七つの海を支配する大英帝国になった。
第二次世界大戦はドイツ―フランスーロシアとかランドパワーの戦いとイギリスのシーパワーの戦いがあった
日本は中国のランドパワーの戦いがあったがシンガポールでイギリスと戦い勝ったことでシーパワーの国でもあった。
ただ最後はシーパワーのアメリカに敗れたのである
いずれにしろシーパワーの国が覇権を握る時代となった。でも依然としてロシアがウクライナを攻めるようにランドパワーの戦いは続いている
でも世界の覇権国になるにはシーパワーの国にならないと達成されない
だから中国が台湾進攻するときシーパワーの国になり覇権国になるためである。そこでシーパワーの最強国のアメリカと衝突する。そして日本も巻き込まれる。太平洋戦争という時日本もシーパワーの国として世界に現れたのである。でもシーパワーの国のアメリカに敗れたのである