2006年07月27日

福島県の不祥事

本サイトhttp://www.musubu.jp/

福島県の不祥事(水谷建設関係にパリポッタ−の翻訳家−松岡さんの脱税)
http://www.musubu.jp/jijimondai33.html#fuku

本サイトと連携して書きましたので
こちらを読んでください
posted by 老鶯 at 03:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2006年08月01日

崩れる本の権威(図書館の本のきりぬき、書き込みはなぜ−クロ−ズアップ現代)

NHKのクロ−ズアップ現代で日本人のモラルの崩壊を具体的な例を出して説明していた。図書館の本の一部を切り抜いたりその本の中味に感想や反論や文句まで書いていたのも驚きである。これは確かにひどいのだがこれは明らかにインタ−ネットの普及と関係していた。なぜならインタ−ネットでは自分もしているが常に他人の文章をコピ−して利用しているし必ず反論であり批評であり単なる難癖、罵倒でもしやすいのである。そういうことをインタ−ネットで日常的にしているから本の世界まで波及したのである。本というのは何か神聖不可侵のような特別なものとしての存在感があったのだ。本というのは一般の人は出せない、選ばれた人しか出せない、本を出すにはコストがかかるから経済的にも権力的に大きなバックがないと出せない仕組みになっている。

本というのは本というだけで権威をもって書店であれ図書館にあるものだった。だから今でも成功した人などが自費出版であれ本を出すことができたと自慢する。本にはそれほど重みがあったのだ。そこには本は容易に出せるものではないからこそ本を出せたということが何か特別なこととして今でも年配の人などには新聞社や出版社が金とりのために自費出版をすすめるのである。確かに図書館の本に対する一部の切り取りとかはひどいことだと思うがこれは一面明らかに本がもっていた権威に対する抵抗として出てきた面があるのだ。本を余りに権威あるものとすることへの反発なのである。

そもそも個々人が本を出すとなるととんでもない負荷を課せられし不可能なことが身をもってわかった。印刷屋から書店から無名の人が本を出そうとしたら大変なことであり誰も相手にしない、私の本を置いてくださいと書店にもっていったら邪魔になるというだけであり全然相手にされない、大手の出版社ならくだらないものでも書店では置くのである。つまり本を出す自由、本で発言する言論の自由はないのである。それは大きな出版社とか組織のバックがあればできることなのだ。そして書店とかはどうしても売れるものハリ−ポッタ−のようなものだけを目立つところに置こうとする。売れないものは置きたくない、書店などはしょせん本にしろ他の物となんら変わらない、売れなきゃ価値がないのである。商売だからしょうがいなといえばそれまでだが本というものはこれまで教養を作るものとして別格だからこそ再販制度などができていた。それが今や流通とかインタ−ネットで変わったのである。誰もが写真であれ文であれ無料で出せる、自費出版だったら百万以上かかるのだからこの違いは余りに大きいのだ。本がもっていた神聖な権威は崩れさったのである。

これも結局キケルゴ−ルの言う、水平化である。大衆はあらゆる権威を否定する。それもやはり進歩だというから本の権威も否定されるのだ。だからこそ本にまで書き込みして文句言ったり侮辱する文を書いているのだ。インタ−ネットでは当たり前のことが本にまで実行したのだから明らかにインタ−ネットの影響である。私も本が誰が殺すのかというとき、これは出版社であれ規制の本でもって権威を権力を持ち得た人々が言うことであり本などだしようもない人々には書店がなくなろうが本がなくなろうがかまわないのだ。その代わりになるもの情報であれ文であれ作品であれ読めればいいのだから。

本には本のメリットがあることは確かである。電子文字が読みにくいとか記憶しにくいとかある。だからインタ−ネットの文でも印刷すると記憶に定着しやすいことがある。そういう点で本というのはなくならないかもしれないが出版社とか書店とかはなくなるかもしれないのだ。なぜならインタ−ネットなら誰でも出版社にも放送局にもなれるからだ。インタ−ネット時代はあらゆるメデア、NHKすら常に大衆の批判の的になる。マスメデアは権威だったがそのマスメデアも絶えず批判的にみられる。2ちゃんねるは低劣だというがこれも規制のメデアへの反発から生まれたのである。なぜなら普通の人は発言すらできない仕組みになっていたからだ。本の権威もインタ−ネット時代で崩れたのである。
posted by 老鶯 at 21:41| Comment(1) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2006年08月14日

マスコミに作られる英雄(漂流で話題になった漁師が網を盗む)

何日間も海を漂流して助かった人が漁師さんの網を
盗んで逮捕されました


地元でこの人の評判は良くなかった。漂流しても携帯をもっていたので連絡することができたのにしなかった。その理由も何か訳ありかと今では言っている。一時は講演以来で金が入ってきたが数カ月でなくなったという、本にもテレビにもでて有名になった。そもそもこの人は漁師として地道に仕事している人ではなかったのだ。マスコミは英雄を作り上げる、ヤラセが常にあるのだ。注目する人間を作りあげて商売にするのである。これは視聴率がとれるな、売れるなとな面白いぞ、売れるなとなると飛びつくのである。出版社も必ずこうした話題のものには飛びつき本を出し売り物にする。出版社も売れるということが最大の目的だからだ。その内容はさほど問題ではない、文学賞も70パ−セントは大手出版社の宣伝力によって決まるのである。書店にしてもそうした売れるものを中心にして品揃えを考える。ハリ−ポッタ−がそうであった。これは同じ高校の人だったがあとでスイスに別荘暮らしして税金泥棒だったことがわかった。書店というのも絶えず売れるもの、売り物になるものを要求しているし出版社もそうである。商売だからしかたがないとなるが報道とか教養の問題は売れるだけという観点だけからではやれないものがあるのだ。

売れるものというとエキセントリックなもの変わったものがともかく売れるものなのだ。それが度をこすとインドのように子供の足を切って乞食にして食わせてやるとかまでになる。現実私がインドで見た乞食は修行者のように骨と皮になっていた。それが健康なのにわざとそうしていたのだ。そんなふうにしないと誰もあわれむことはなく恵んでくれる人もないからだ。出版などでもかわいそうな人、特に変わったかわいそうな人は売り物になるのである。だからそこをねらい同情をかい出版社は金儲けのために宣伝して本を出すのである。かわいそうな人はこの世に無数にいる、でも変わった稀少なかわいそうな人でないと売れないからそういう人を売り出すわけである。もちろんかわいそうな人は協力されるべきである。でもそれが大々的に宣伝され売り物にされるのは商売だとなる。認知症、アルツハイマ−関係でもこれを売り物にする人がいる。特別かわいそうだいうことでアルツハイマ−の人を講演にひき出して見せ物にまでしている。重度の人はそういうところにひき出すのは見ていてそれこそかわいそうだとなる。そんな人はやはり大勢の人の目に触れさせないのがその人のためである。

つまり現代とはなんでも見せ物、売り物になる時代なのである。ただそれは特別変わっていないと注目をあびない、地道に生活している人はマスコミや出版などでは取り上げないのだ。マスコミの宣伝力は余りに大きすぎるのだ。幼児の心臓病の移植で一億円も集まったが他の病気で困っている人は宣伝されないのである。特殊なものだけが宣伝され注目をあびて売り物にされるのだ。2ちゃんねるは低劣だけどそうしたことに対してマスコミに対しての批判が常にあるから反マスコミとして意味ある場を提供したのである。

まあ、家族が認知症になってからプログだけが発表の場として書き込んできた。プログはホ−ムペ−ジよりわかりにくかった。短く書きやすいことがあるからタイトルばかりふえるということがある。プログは記事ごとにリンクが張られることが特徴である。ただプログも調べるのが大変である。でも時系列でも認知症に関してはかなりの情報がある。これを丁寧に調べれば認知症の実体が研究対象となる。認知症についてはわからないことがある、個々によって家庭によってもみんな症状とか対処が違っているからどう対処したらいいかなどのヒントが得られる。私が書いたのもヒントになる。病気に関しての情報の共有化にはインタ−ネットの方が役にたつのだ。マスコミや出版には情報の共有化による無償の協力はない、一発あててもうけるコマ−シャリズムが主だからだ。


宣伝にたぶらかされた時代(NHKは宣伝するな)
http://www.musubu.jp/jijimondai30.htm#nhk

 

追加文 


なぜこの記事だけが継続して読まれているのか?ニュ-スサイトにリンクされているのか?他にも継続して読まれている記事がある。するとこれはまだ読まれているなと思い前にも追加して書いたものがあった。プログでも小記事が読まれているか読まれていないかは大事である。すべて調べるのは無理でもだいたい5人以上読まれるとアクセス解析でわかる。これはまだ読まれているのか今日も10人以上読んでいるとなるとこの記事は活きているとなり追加して書いた。プログは記事単位で読まれているしどこか有力なサイトにリンクされると読まれつづけることなるのかもしれない、ただこれはどこにリンクされているか不明である。やはりリンク先がわからないと困る場合がある。他の記事はわかっているのがありここからリンクされていて自分の記事も活きているのかと明確にわかる。つまりこれは共同で書いていると同じになるのだ。だからリンクというのも共同で記事を書いて探求していることになる。自分もリンクしたときは自分の文脈のなかでリンクしているから共同で編集して書いていることになっているのだ。

 

テレビ番組の圧倒的多数は現実の社会的葛藤の複雑なニュアンスを意図的にさけている。物事を手際よくこぎれいに解決する。テレビ番組はあちらがわで要約してまとめてくれる。テレビ番組はどんな問題を提示してもその回答をすくに与えてくれる。
(本が死ぬところ暴力が生れる-バリ-サンダ-ス)

 

小説を読むとかなると相当な想像力を働かせないと読めないし自分で考えることにもなる。そして何回も読まないと理解できない、むずかしい小説は特にそうである。テレビにはそうした見る方での想像力が働かせないように作られている。短い時間でより印象的に作り作った方で答えを出してしまうのだ。これはこうこうでこうだよと映像で答えを出してしまうから見る方でじっくり考える余裕、想像力を働かせることかできないのだ。だからおそらく単調でも同じテ−マで延々と何かについて議論したり関連した映像を流したりと今までのテレビの作り方と違ったものにすれば同じテレビでも違ってくる。ただそうなるとそんなに長い冗漫なテレビは誰もみないしスポンサ−もつかないとなるからそういうことはしない、視聴率を上げるのにはそういうことはできないからだ。テレビは常に短い時間でより劇的にしなければならない、だから次々に新しい事件を放送するのだ。事件は娯楽でありその意味とか解決方法とかを真剣に問うことではない、一過性の刺激であり興奮であり娯楽として事件を放送しているのだ。真面目に社会問題を追求することはない、そのための時間が短すぎるからだ。あることをこれは何なのだろうと消化するのに何分かとかではその背景とかを考えると理解しようがないのだ。だから一過性に次々と刺激的事件の映像が流れては一過性に消えてしまうのである。一つのテ-マで持続して番組を作ればそこに連続したものとして認識されるものがでてくる。見る人に考えさせられるものもでてくる。メデアはテレビでもその作り方によって伝えるものが相当違ってくるのだ。テレビの作り方はどうしても視聴率優先だから常に刺激的な短時間で見る人を虜にするような作り方になるのである。

posted by 老鶯 at 11:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2006年08月15日

英霊をカミとすることに納得できない(靖国分祀問題)

英霊をカミとすることに納得できない(靖国分祀問題)
http://www.musubu.jp/jijimondai33.html#ee

これは本サイトの時事問題の深層に書きました
本サイトも手直しする必要があります、やはり更新したりアクセスを解析したりしないとホ−ムペ−ジもプログも死んでしまいますから
でも両方やるとなると時間がないのでかなり苦しい

posted by 老鶯 at 01:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2006年08月22日

南相馬市原町区にできるショピングセンタ-の是非 (老人からの視点)


本サイトの時事問題の深層へhttp://www.musubu.jp/jijimondai33.html#hara

これは本サイトの時事問題の深層に書いた、プログは短いメモ的な文章にはいいが長くなると向いていない、字の見映えもしない、自分なりに編集することもむずかしい、プログはともかく日付順になっているから日付が一番大事だというのは確かである。日付を短いメモで満たせばいいとなる。長い文章や一貫したものを追求するとき、論文的なものを発表するのは向いていない、その時々で簡単に流し読みしてすぐに忘れられることになってしまう、その時々に読まれてもあとは忘れられてしまう、しかしあとあとまで読まれるのは人間の普遍的テ−マを扱ったものなのである。普遍的テ−マが不可欠でありその時々変化にも普遍的なものから視点が必要なのだ。人間そのものが技術が変わっても変わらないからである。

ホ−ムペ−ジとプログの掛け持ちは大変である。ホ−ムペ−ジは今ほとんど見ていない、キ-ワ-ドも見ていないから放置状態である。これからまた再構築せねばならんが時間的に苦しいのだ。まあ、さらに余裕ができればできるかもしれんがなかなか大変である
posted by 老鶯 at 01:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2006年09月01日

2006年09月07日

天皇がなぜ男系じゃないとだめなのか?

天皇がなぜ男系じゃないとだめなのか
これは女性の差別だよ
女系でも天皇になれることが男女平等の社会の実現だ
天皇も女性になれるんだから女系でいいんだから
これこそ究極の男女平等社会の実現だ

女性というのは男性社会から常に差別されてきた
宗教でも汚れた物として不浄のものとして登山さえできなかった
無断で聖なる修行の山に登ったものは罰せられた

でも変なんだよ、日本の天皇の始まりは天照大御神であり女性なんだよ
女性が神になっているんだよ、まあ、これは母権性の名残であり
万葉集でも女性が子育てして男は妻問い婚で女のもとに通った
許可がないと女のもとに入れなかったし姓も女が生まれるというように
女性が名付け親だった、男性はただ種を与えるだけのものだった
今でも母屋というのが母中心、女性中心の社会の名残りとして残っている
母権制は世界中で最初あった、豊穣の神とかとして偶像化されたんだよ

ではなぜ男性中心の世界になったのか?
男中心の世界になったのか?
男は権力を持つようになったからか

聖書ではそもそもアダムとエバが作られたがアダムのあばら骨から作られたのがエバであり女性はであった、女性は男性から生まれたのだ、男性が優位になる根拠はここにある、聖書では男性しか王にはなれない、旧約聖書では天皇の系譜を大事にするように神を信じた一族、祖先の系譜を大事にしてきた、ユダヤ民族とはこの系譜に連なるものだから尊いとなる、天皇の系譜に一族が神に託された大和民族の系譜を持つから尊いとなる

そして必ずこの祖先の中から神の子が現れるという約束があった、アブラハム-イサク-・・・ユダヤ人こうした系譜の中から神の子は現れるという約束を信じていた・・・・そして現実に現れたのだ

そこで重んじられたのは長子である、長子は特別な者であり長子が家を国を受け継ぐべきものとして重んじられた、長子は必ず男子であり女性ではない、長子は家を統べるものであり長子をないがしろにすると家も国も乱れるとなる

だからさ、戦後の男女平等とか兄弟等しく財産分与するとかは家も国も乱れさせる原因になったんだよ、一見合理的に思えるがかえって理不尽な面も多々生まれた、なぜなら本家がないと親の世話とかいろいろな家の責任が分担されて困る、長男相続なら長男が責任を持つということがあった、だからこそ財産も長男が受け継ぐことになった、祖先の祭祀も長男が責任をもってしたということがある

ここで天皇の是非は別にして考えると長い伝統は何か深い根拠があってできたものだということなのだ、だから存続する意義があるというのも確かである、むずかしい意味はわからないにしろ長くつづいたものには意味があり価値があるからなんだよ、民主主義とか国民主権とかいろいろな新思想は日本ではここ百年のものでありその意味も理解していない人が多いんだよ

天皇など何のためにあるんだ、そんなもの必要か、天皇もオレとどこか違うんだ、なんで様で呼ばなきゃならんのだとなる、これが現代である、あらゆるものが水平化される、すべては大衆化される、何か自分はみなと違うとなれば差別だとなる、人間は平等だとなる、こうなることはまた進歩だった

しかし伝統をないがしろにすると家は乱れ国は乱れついには終始がつかなくなる、家が乱れたのは核家族とか家族が分裂したことにも要因がある、国が乱れるのもやはり中心がしっかりとしないとそうなる、天皇は国を安定させる重しのようなものだった、戦争の時のようにマイナスに働いたこともあったが日本の歴史では天皇は国をまとめ役として常に伝統を維持するものとしてあったんだよ

天皇などいらん、主権は国民でありつまりオレが一番個々人が主権者であり一番偉いんだというのが現代である。こうしてすべて伝統も高貴なものも破壊される、その果てにでてくるのは何か、オレが平凡人が王になる、神になることを要求するようになる、いかなる権威も認めないのが現代人なのだ、

これまた進歩だったとするとどうにもならない、あらゆるものの水平化か現代なんだよ、でも権威は以前として求められている科学とか政治権力とか経済の権力、技術の権力などが権威者になりそれを神のように崇めることにもなる、これらは実際の社会で具体的な力をもっているからだ、天皇などの宗教などの聖なる権威と誰も重宝しない、右翼の暴力で怖いから逆らえないとかで畏れるだけだよ、宗教団体でも数だからな、それだけの数がいるいうことが権力の誇示なんだよ、具体的に一票として権力を持つことにもなるんだよ

結局人間が信じるのは頼りにするのは力であり実際に社会で力を行使できるものなんだよ、だから科学が技術が政治権力が法律が神と化してゆく、宗教は今やそうした現実の力をもつものの付属品だよ、宗教団体に有名な医者や科学者や実際に政治権力をもっている政治家がいるとなる宗教など関係なく医者も科学者も政治家もいるということで入信者を増やすこともできるわけだ

つまり宗教的権威とか天皇の権威とは何かわからなくなっているんだよ、天皇はどんな権威で力をもったのか?それも今ではわかりにくい、天皇を錦の御旗をかかげたものは必ず勝つとかなるが世界戦争では通用しなかったからその権威も地に落ちたんだよ

ともかく日本人は天皇の是非は別にして日本人がもっていた伝統と美徳を考え直す時が来ているんだよ、それは長い歴史で培われてきたものだから大事なんだよ、それを否定して別な価値を作るのもいいがこれも簡単にできないんだよ、だから日本的伝統の価値を見直す、再興させるルネサンスが必要な時代となったんだよ

伝統的価値観からすれば女系天皇はまずいし女性天皇も極力避けるべきだとなるのが結論なんだよ
posted by 老鶯 at 01:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2006年09月08日

前田建設のかかわり(福島県の根の深いゼネコン談合疑惑)

時事問題の深層33へ
http://musubu.jp/jijimondai33.html#mae


前田建設のことはちょっとわかりにくかったが大林組という大きな会社をしりぞけて木戸ダムを受注したのは福島県の知事を頂点とした談合のシステムの中に入っていたのである。この問題は余りに身近であった。同級生の建設会社の人が前にやはり同じように逮捕されたりとこの問題は根が深い、地方では建設会社はいい働き口であり関係している人が多いから批判できないとかあった。つくづく民主主義社会でも常に権力の腐敗があるのだから検察の役目が大きいことを身近に知ったのである。マスコミの報道はあてにならない、一私営の利益追求の会社にすぎないからだ。今回の事件でも福島民報などあまり追求していないのはそのためだとプログに書いていた人がいた。
posted by 老鶯 at 22:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2006年09月12日

原発利権で前田建設から出版社へのリベ−ト3億円

時事問題33へ
http://www.musubu.jp/jijimondai33.html#mae2

今までのメデアを出版社でも新聞でもテレビでも疑ってみる必要がある、権威を作っているのはメデアに認められたものなんだよ、メデアを通さなければ公表することもできない、一見発言している者が権威あるように見えるが実はメデアに認められた者が権威を得ていることがある、メデアの力があまりに大きすぎたんだよ、本当はメデアとは媒介という意味とだから媒介にすぎないんだが、お前はオレのところを通さないとなんの力もない、オレにメデア(媒介者)に認められない者はなんの価値も認められないことを知れよ
・・・・
メデアは媒介者にすぎないんだがその媒介者が言論をにぎってしまったことが言論の公正をゆがめてしまったんだよ
posted by 老鶯 at 13:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2006年09月17日

オウムの松本智津夫被告は正常なのか異常なのか?

時事問題の深層−宗教の部へ

http://www.musubu.jp/jijibunruishukyou1.htm#oomu

認知症のことを書き続けてきたけどこれも正常な部分と異常な部分が混じり合っていてわかりにくい奇妙な病気である。この精神の疾患はカルトと深く関係している。集団的妄想は大勢の人の賛同を得るのだからこれはとめることができない恐怖があるのだ。カルトはまさに異常が狂気が公認されて社会に居すわってしまった。現代文明はカルトや異常や狂気が集団化して席巻しやすいのである。だから精神の疾患が個々人ではない集団にも適用されるが集団化したものは正常となるからかえってしまつが悪いのである。
posted by 老鶯 at 20:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2006年09月28日

終わり悪ければすべて悪し(福島県の佐藤知事辞任)

時事問題の深層33へ

http://musubu.jp/jijimondai33.html#end

佐藤知事もついに辞任したな、やっぱりここまでくるとどうにもならなかった、それにしても18年間不正が放置されていたのはなぜだろう?
誰も追求していなかった、陰では知っていた人もいたのに・・・・
マスコミは全く機能していなかった、これも宣伝などで金もらう方だから
なあなあの関係を維持していただけである。マスコミも利権構造談合構造おなかにどっぷりと入っているんだからどうにもならないんだよ
posted by 老鶯 at 21:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2006年10月10日

地方の国際化(なぜポ−ランドに娘がいると・・)

時事問題33へ
http://musubu.jp/jijimondai33.html#po

偶然乗り合わせた70の女性はまさに現代を象徴するような話をしたので聞き入っていた。南相馬市の原町区の女性だった。都会の人は地方は国際化とは関係ない田舎だと思っているが今は庶民レベルで国際化−グロ−バル化しているのだ。隣から中国人の嫁が突然でてきたりするかもしれない時代である。中国人が一番どこでも多いのは地方でも同じである
posted by 老鶯 at 20:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2006年10月11日

新米の時期に過去をふりかえる−東北の川の重要性(鉄道がない前の交通)

九月七日、野蒜築港工事の一部、野蒜運河の入口を見、野蒜の土木局出張所へ行き黒沢政徳局員から築港に関する詳細な説明をきき、原敬は左の如くかなり長い感想をのべている。

思うに往時奥州と称せし今の磐城、岩代および三陸の地は、その大形を挙げれば阿武隈川と北上川の流域に沿いたる国なりというも可なり

こんな空気の中で、たまたま東北および九州地方に凶作が起り、北陸地方には比較的低廉な米穀があったにもかかわらず、輸送機関がないため、かかる急迫した事態になっても、みすみす救済することができなかった


http://www.kurikomanosato.jp/00x-50om-kaihatu-14.htm

本サイトのホ−ムペ−ジで川について考察した。旅が仕事だったから交通に興味をもった。鉄道に興味をもったのもそのためである。ここで注目したのが阿武隈川と北上川の流域に沿いたる国なり・・・という川の重要性である。今川をこのように認識する人はない、川はただ水が流れている水の通路にすぎない、川はしかしこの頃交通路として認識されていた。交通は生死にもかかわるものだった。交通の発達がないから今では簡単な米の輸送さえできなかったのだ。

今日新米を買ったけど

新米の坂田は早し最上川 蕪村

馬渡す舟にこぼるゝや今年米 几菫


米は東北でも江戸時代は商品作物になっていた。米は江戸に運ばれたのだ。米だけ作って米が凶作になり飢饉になって餓死した。これが交通が発達していたらならなかった。地域的に得意な作物を作ればいいし運ぶのも簡単になったからだ。だから米でもただの普通の米では売れないうまい米でないと売れないとなった。

交通は歴史を見るのに大事な視点である。鉄道がないと世界がどう見えるのか?海や川が大きな交通路として見えたのである。川が文明を作ったというとき、川が確かにナイルのように水を供給する面もあったが交通路であったことも大きかったのだ。中国はまさに川の文明だった。その川は余りにもスケ−ルが大きすぎるのだ。

川は結ぶ

はるかな地平線の果て
長大な川が運河が結ぶ
国境はどこにあるのか
いちめんの菜の花
川を行き来する荷を積んだ舟
川が人と人を結ぶ
川自体に国境はない
海に国境がないように
ヨ−ロッパでは川沿いに
商人のハンザ同盟ができた
父なる川、母なる川
ナイル川にユ−フラテス川
川沿いに文明は発達した


シベリアのアム−ル川となるとこれまた川が生活の主役である。川にそってロシア人の冒険家、ハバロフスクがやってきた。シベリアの民話に大支流のじいさんとかを読んだら川の流域に部族が住んでいてその部族同士が争っている話である。ということは川の流域沿いに部族が統一されるようになる。川が地政学的にいかに大きな役割があったかである。シ−ザ−がルビコン川を越えたということは世界的歴史の瞬間だった。地理を知らないと歴史はわからないのだ。ただこの地理も中国にしても余りにも壮大で一個人の理解をこえているから世界の歴史を理解することはむずかしいのだ。

参考

失われた川の文明

http://musubu.jp/jijimondai14.htm#river
posted by 老鶯 at 23:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2006年10月12日

江戸時代は本当に貧しかったのか(現代との比較)


時事問題の深層33へ

http://musubu.jp/jijimondai33.html#kawa2

連続的な文として時事問題の深層33へ移動した

人間個人でも時代でも幸せなど計り得ようがない、何が幸せか不幸かはわからない、不幸の中に幸せを見いだす人もいるしある時代が不幸だったとかはいえない、一時代に何千万人が生きていたのでありそれぞれの人生があるとするとき幸不幸など計れないのだ。貧乏で助け合い生きたとしたら幸福だったとなるし豊かでいがみあい生きていれば不幸だったとかそもそも幸不幸は数字では計りえないものなのだ。
posted by 老鶯 at 13:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2006年10月23日

小泉首相がなぜ大衆に支持されたか?


時事問題の深層33へ
http://musubu.jp/jijimondai33.html#koizumi

認知症の研究ではこれは社会問題とも通じるものがあった。認知症も狂気だが正常の世界にも同じような人間の深層心理としての現象が起きている。これは常に世界を支配するものなのだ。過去のナチスの悲劇なども認知症のメカニズムとにていたのだ。だから認知症という病気は極めて現代の世界を反映するものであり個人だけの問題ではない社会事象に通じている病気なのである。
posted by 老鶯 at 00:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2006年11月11日

冬の雨8人落ちる選挙かな(南相馬市議会選挙)


冬の雨8人落ちる選挙かな

南相馬市になってはじめての議会選挙である。鹿島区では18人から定員が6人になった。今回立候補したのは14人だから8人は落ちるから厳しい。よくこれだけ立ったものである。前の選挙18人でも一人しか落ちていないから楽だ。鹿島町内の部落の代表みたいになっていたのだ。今回は鹿島区内のさらに一地域の代表とはならない、鹿島区全体の代表となる。だから政策が大事になる。タラソ(温泉療法施設)は地元でも反対されて御破算になっている。これもいろいろ利権がからんでいるからむずかしいのだ。野球場は無用の長物となって利用されていない、あんなもの作って誰のためだとなると業者のためだとなる。業者は選挙に役立つから利権を分配するとなる。利権だけで民主主義が動くとこうなってしまう。佐藤福島県知事も利権だけで県政を牛耳ったから逮捕された。やはり地元住民のためになるために予算は使ってもらいたい、役に立たないものを作ってあとで借金になったらそれを払うのは住民だとなると住民が損するからだ。ここは火力発電所が金を出すからその利権に左右されやすいのだ。

鹿島区の有権者数が9000人くらいだとするとこれを14人で割ると650人くらいになる。平均するとこうなるがかなりの死に票がでるのだ。6人しか当選しないと8人分は死に票になってしまう。だから立候補した人が今回は多すぎたのだ。8人くらいだったら二人落選するだけで死に票は少なくてすんだ。でも今までのように小さな部落とか地区単位の票が入るとすると落ちる8人もそれなりの票をとるから死に票がふえるのである。有権者も今までの地区とか縁戚とか関係で票を入れないで政策を重視する票の入れ方をした方がいい、政策をタラソを反対と訴えているのは共産党だけだった。他は何を言っているのかわからない、名前だけ連呼している。ここを明確にする必要があったのだ。私は誰に入れるのか共産党でもかまわない、公明党には入れないが共産党は政策を訴えているからいい、今回のような選挙になると組織票もっていると当選しやすくなる。共産党は前は町で二人いたのだからその分が入るから当選するだろう。その他は予想つかないのだ。知事選挙もあるがこれも民主党に入れるか?自民党はこの前の大勝ち選挙で傲慢になった。公明と一体になりすぎたのも気にくわない、民主党も問題なのだが自分は何のしがらみもないから浮動票だからその時々で変わる、きまぐれとなるがやはり今回は政策が大事なのだ。政策をはっきりしないものは
浮動票では入れにくいのだ。

冬の雨が降った中で8人は落ちるのもあわれとなるか、6人くらいが適当な人数だった。次は南相馬市全域での選挙となるとまた違ったものになる。どうしても組織票もった公明、共産は有利になる。個々人の選挙から政党的組織的選挙となりやすい、地方の問題もいろいろあるが福祉関係の充実は急務である。福祉関係は大都会より自然がある地方が療養とかに適しているからそうした街作りも必要かもしれない、高齢化社会は大都会では住みにくい、地方への移住がはじまるかもしれない、ただ高齢者や障害者だけを地方がかかえるのも問題になる。でも自然の中でのスロ−ライフとか高齢者や病気の人にとっては田舎の方が向いているのだ。ただ田舎でも山の中はだめである。一万でも5万でも街近くにあるのがいいのだ。現実介護となったら車がないと医者にも行けないのである。施設でも街から離れた自然を売り物にするところは良くないとある。孤立した隔離した施設となりやすいとある。姥捨山、収容所みたいなるからとある。本当は街があって街の空気にふれることが病気人にも必要なのである。
posted by 老鶯 at 15:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2006年11月13日

福島県知事、南相馬市議会選挙の結果でる


今回の選挙は情報不足だった。福島県知事でも逮捕されてすぐの選挙だったので立候補した人もどういう人かほとんどわからなかった。わかったのは自民党公明党推薦と民主社民の推薦だけだった。それさえも明確ではなく一瞬どっちかも自分でわからなくなった。南相馬市議会選挙もそうだった。何が争点かさえもわからないうちに決めなければならなかった。これも合併してはじめての選挙だからとまどうことが多かった。知事選挙など行ったこともなかったが南相馬市議会選挙は合併してはじめての選挙なので行ってきた。私は浮動票だからそのときの情勢と雰囲気で決まる。今回のような自民党の不祥事などがあると批判票として入れるから投票しやすいとなる。

やっぱり共産党は1000票とったからだんとつだった。あとはかなりの接戦だった。3人くらいは300票以下だから次は立候補しないだろう。次の選挙は南相馬市全域になるとこれも変わる。合併するとこういうところがかなり変わってしまうことがわかった。やはり広くなると組織票もった人とか政策が問題になる。地縁、血縁だけでは票の上積みできないからだ。だから共産、公明は一定数必ず入るのだ。知事選挙で公明党だけが民主社民推薦の佐藤ゆうへい氏に入れる割合が一番低かった。今回は自民党すら3割くらい佐藤ゆうへいとかに票が流れたのだ。公明だけは命令通りに自民推薦に入れた。公明の創価の会員は自主的判断ができない、上の命令で誰に入れると命令されればそのままに動く、これは自民党にとって今になると頼りになる、いい相手だとなった。ただわかったことは公明はもはや政権党にしかつけないことである。自民党に政教分離で追求されたとき池田大作会長が国会喚問されそうになったときふるいあがってこりたのだ。だから政権側につき勢力拡大を計ることが得策と判断したし野党にはなりえない政党となったのだ。だから今度民主が勢力拡大して政権をとったりしたら大変なことになると必死で自民党を応援することになる。

知事選挙はあまりにもやりかたが露骨だった。談合は必要なんだというのも一理ある、地元の業者に利権を回すべきだというのはわかる。しかし弟を介して自分の会社のために利権を還元していた、私利私欲だったのである。そして知事のことをマスコミも回りも悪いことを書いたものはほとんどいないから品行方正な知事と県民は思っていたのである。政治家は最低限私利私欲になるのはやめるべきだろう。党派のためや会社のためとか団体のためとかより悪い、自分の家族のためとか自分の会社の経営のためとかに利権を利用するのは最低だった。

知事とか政治家、公共の行政にかかわるものは私利私欲がないことが要請されるのだ。選挙に金がかかるとしても逮捕された知事の場合、自分の会社のために使っていたのだからそのいい訳も通らなかった。全く私利私欲だったのである。それにししても聖人のようなイメ−ジから極悪人にされた極端なイメ−ジの変化は何なのだろう。結局権力に追随するものがそうさせていたのである。マスコミも回りの人も誰も批判しないからそうなってしまった。わかっていても誰も言うこともできなかった。地方の新聞なども市町村の宣伝をしているから利権が入るから時の政権をあまり批判しない、新聞は宣伝が半分なのである。宣伝しているものは個人でも実際は信用できないのだ。宣伝で収入が入るとしたら宣伝して会社を批判できなくなる。現実そうなっているのだ。インタ−ネットは放送するのが無料だから宣伝する必要ないから公正を追求できる。



posted by 老鶯 at 09:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2006年11月15日

福島県知事選挙と南相馬市議会選挙で考えたこと


時事問題の深層33へhttp://musubu.jp/jijimondai33.html#vote

プログに断片的にかいたことをまとめて書きました。
長くなると本サイトのホ−ムペ−ジになる。
南相馬市なるとやはりいろいろ変わるんだなと実感した選挙だった
posted by 老鶯 at 11:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2006年11月16日

介護福祉士という新しい職業

時事問題の深層33へ
http://musubu.jp/jijimondai33.html#kaigo

これは時事問題の深層33へ書きました


認知症関係で介護福祉士関係のプログを読み興味をもった、介護福祉士は発展途上の職業でありそれで社会的認知もまだだしやはりここでも専門家がでてきたりそれなりに才能ある人は優遇されてゆくのではないか?
やはりこれもパ-トタイム的に誰でもできる仕事ではない側面がある。特に認知症の介護で自ら経験したので結構いろいろな知識や経験が必要なものだと思ったからだ。つまり全人間的な対応が迫られるのが認知症の介護なのである。

時事問題では現代から過去と様々な問題を扱っています。
この問題も極めて現代的問題だった。
posted by 老鶯 at 23:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2006年11月29日

格差社会の歴史的考察(グロ−バル化が原因)


時事問題の深層34へ

http://musubu.jp/jijimondai34.html#kakusa

格差社会が問題になっているけど外国では大陸の歴史では奴隷が存在するように歴史的に格差社会だった、今でも階級社会だからグロ−バル化することは世界標準になることは必然的に格差社会になるのだ。

日本は平等社会の均質社会だったから調和が保たれたがグロ−バル化することは日本的調和社会が破壊されることでありいい悪いにしても歴史を考察しないと事の深層はみえてこない・・・・だから時事問題の深層は何かが自分のテ−マとなっている。人間は歴史的動物だということが根本的にあることを知るべきなのだ。
posted by 老鶯 at 01:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2006年11月30日

夕張市のおばあさんの訴えに同情した

北海道夕張市の財政破たんの大きな要因となった第3セクター「石炭の歴史村観光」
 (社長・後藤健二夕張市長)が29日、札幌地裁に自己破産を申請し、地裁は即日、  手続き開始を決定した。負債総額は約75億円。
 1980年、石炭博物館や遊園地の運営母体として設立。炭鉱から観光へ産業政策の 転換を図る中心的役割を期待されたが、利益を確保できない状態が続いていた。
 近年は市による赤字補てんが続き、財政破たんを招いた。
 従業員38人は全員解雇する方針。
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1164771486/l50

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
テレビに出ていたおばあさんが働いていた石炭博物館つぶれたのか
夏場の働き場失ったらどうするの?
屯田兵の子孫で炭鉱一すじの家族だった
石炭が日本を支えた時もあった、自分たちは日本のために働いた
戦争に行った人も命懸けで日本のために働いたというのはわかるな

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

石炭から石油へのエネルギー転換後の政策が観光しか無かったというのが全てだと思う過去を遡ると国にも重大な責任があるのではないかな。
今残って住んでるほとんどの年寄り達は炭坑時代からの人々も多いからね、今がどん底だね
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


石炭博物館だけは入場料安くして存続して欲しい
でも遊園地は常に閑古鳥状態で無駄でしかない
夕張なんだから石炭を中心に細く長く伝える博物館だけで十分
手を広げすぎて墓穴を掘ったんだな

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

テレビに出たおばあさんが74でも金がないということで石炭博物館で働いていた。それで年金7万に水増してなんとか暮らしていたんだよ、あのおばあさんの屯田兵の子孫だったんだよ、屯田兵とは何か調べたら

琴似神社に仙台藩亘理の藩祖伊達成実公と会津藩の藩祖保科正之公が神霊として祭られてるのは屯田兵と無関係ではありません。この神社こそ、故郷を離れ、見知らぬ寒冷地で厳しい訓練や開拓にとりくんだ琴似屯田兵達の心のよりどころであったのです
さて、琴似屯田兵を出身地別にみると、一番多いのが仙台藩亘理の人々です

http://www.bekkoame.ne.jp/~hera/kotoni/tondenhei6.html

これは近くだったんだよ、最近なぜ戊辰戦争に興味もったかというと浪江辺りで相馬藩士が死んでいた。それが福岡出身の人が自分の故郷の人が死んで葬られた墓をたずねていたのだ。それを読んでええ、・・の人が浜通りで戦い死んでいたのかとはじめて知ったのだ。歴史は誰かが関心をもち掘り起こせば連鎖して誰かが興味をもつということがある。はるばるみちのくまできて死んだ薩摩長州の人もいたのだ。この戦いにはいろいろあったがここでは詳しくは書かない、でも浜通りまで戦いがあり双方に死んだ人までいたことを知らなかったのだ。歴史は知らないことが無数にある。有名な人だけ関心をもちこうして無名に死んだ人は誰も関心をもたず忘れられて路傍に埋もれているんだよ

私がここで言いたいのは人間は歴史的動物であり歴史的にものを考える、歴史的に自分のアイディンティテイを求める。だからこのおばあさんが祖先が屯田兵でありその出身者が近くの会津とか仙台の亘理藩であり西南戦争に参加して薩摩藩への恨みに燃えて戦ったというのも納得した。自分も東北人だから歴史的に共感するところがあった。だからあのおばあさんには同情したよ、人間誰だって自分の生きた価値を認めてもらいたいんだよ、戦争だって命懸けで御国のために働いたと言うの人間として当たり前なんだよ、その是非は別として人間はそういうもんだよ、老人になったら、認知症になっても自分は過去にこういうことしたとかしきりにいう、自分の人生の価値を認めてもらいたいんだよ、それを認めてやると満足するんだな、石炭は日本を一時支えていたんだからおばあさんの言うことは一理あるよ、だから同情したんだよ・・・
posted by 老鶯 at 00:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2006年12月06日

新幹線で訪ねた平泉(繁栄は交通にあった)


時事問題の深層34へ
http://musubu.jp/jijimondai34.html#hira

最新の文化的情報を取り入れて平泉についての文化的探求を書いた
時事問題でも私のは文化的探求がテ-マとなっている。
インタ−ネットはモザイクのように情報を組み合わせ編集すると
別なものとして新たな光を放つようにできるツ-ルなのだ

雪の平泉を俳句短歌で書いたがこれはその第一弾である。次に第二弾を書く予定なのでご期待を!!
posted by 老鶯 at 14:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2006年12月08日

共同体で消化されない事件の連続(目立たぬ石)


石一つ重しのごとく室(へや)にあり飾り気なきに冬の日暮れぬ

この石を買って室に置いてから一カ月くらいたっている。そのうちに石の存在感がでてくる。存在感がでてくるには時間が必要なのだ。なぜ現代の人間や物に存在感がないのか?それは時間に耐える重みがないからだ。その時々に物でも人でも情報でも消費されるだけであり時間のなかで重みをもつものがないのだ。人でも物でも時間のなかで存在感をもつのである。だから人でも自然でもその存在感が意味がわかるのには時間がかかる。現代の最大の欠陥は長い時間のなかで育成するものが作れないことなのだ。すべてが場当たり的に消費される。それは事件ですらそうなのだ。毎日事件が報道されてもその事件が共同体のなかで意識化され何かしら教訓とかとなり消化されていない、昔だったら伝説とかとなり共同体のなかで重要なものとして言い伝えられたのである。それは事件の一つの消化方法であり現代の事件の報道よりは事件に意味を持たせたのだ。その事件は長い時間のなかで語られその意味を共同体のなかで途切れずに追求されたともいえる。

私の本サイトの時事問題でも例えばキ-ワ-ドを毎日探っているが台湾人の女性が日本人に乱暴されて殺されたがその渡辺とか言う人を未だに探っている人がいる。地元ではその人のことを事件から時間がたっても考えているのだ。事件はtake place であり場所と深く関係している。事件の起きた場所が因縁となるのだ。だからそこに供養の地蔵でも建てればいいとなる。それも事件の消化方法であり供養の方法なのである。現代の事件の報道は楽しみとか刺激のために娯楽になってしまった。真剣にその事件を受け止める共同体の機能をなくしてしまった。マスコミはただ刺激的なものを娯楽としてニュ−スを事件を報道している。そういう点でも報道は変わるべきである。マスコミからインタ−ネットへと報道が変わることは別な視点から時事問題や報道を探求することになるからだ。

石には飾り気がない、石は素朴でありまた目立たないが石のようなものが実は家庭でも社会でも支えている、表に目立つものはそうではない、そこが社会をおかしくしている。みんな目立つものになりたがる、ハデな世界に憧れる、それはかえって一生をふりかえるとき存在感のないものと逆になってしまうだろう。だからマスコミやテレビばかりみるとそうなるから今や極力テレビ、新聞やマスコミからは遠ざかるべきである。しかしインタ−ネットの個々のプログはかえってその人なりの独自の発言がある。テレビでは聞けない発言がある発見がある。多様な物の見方がある。出版された本にもないものがインタ−ネットでは出せるのだ。本の世界もかなり制約されたものなのだ。インタ−ネットの問題はあまりの分散化だから編集とか集約する必要がある。集合知というのはわかるがこれを編集するとき一つの別なのとして光を放つことになる。編集は明らかに創造することなのだ。だから編集者は創造的なことをしていたのである。ただ編集は本来創造する本人、クリエタ−、作家がするものである。それがインタ−ネットではやりやすいのだ。コピ−してモザイクのように構成するとそれなりの別な創造作品となっているからだ。

残菊と石
http://blog.sakura.ne.jp/pages/my/blog/article/edit/input?id=1893233

posted by 老鶯 at 02:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2006年12月16日

マスコミとインタ−ネットの報道の相違 (事件の消化方法−キ-ワ-ド−渡辺高裕)

時事問題の深層34へ

マスコミとインタ−ネットの報道の相違
(事件の消化方法−キ-ワ-ド−渡辺高裕)

http://musubu.jp/jijimondai34.html#taiwan
posted by 老鶯 at 01:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2006年12月25日

文化は地方からしか生まれない(東京一極集中は文化の破壊)


時事問題の深層34http://musubu.jp/jijimondai34.html#art

これは時事問題の深層で私が追求してきたテ−マでもあった
前との関連とかプログで書いたことなどをまとめて書いた
今年の終わりとしての文でもある。
来年も同じ文化を耕す追求は続くだろう
posted by 老鶯 at 03:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2007年01月10日

明日香風の意味(文化は地方からしか興らない)


時事問題の深層34へ
http://musubu.jp/jijimondai34.html#asuka

明日香−奈良−京都の旅の短歌を基にここで文化の意味の再確認をした
これは私が時事問題の深層で追求してきたテ−マでもあった。
新年に際してまた書いた。
posted by 老鶯 at 00:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2007年01月16日

テレビドラマの白虎隊を見て(明治維新は庶民には歓迎された)

時事問題の深層34へ

http://musubu.jp/jijimondai34.html#aizubb

明治維新は複雑でありいろいろな見方がある。そもそも歴史には一つの見方はないのだ。
太平洋戦争にしてもそうである。ただ負ける戦をあいてしたのは悲壮観を際立たせたのは太平洋戦争の特攻隊とかとだぶってくる。それで無駄死にだという人もいる。その見方はいろいろある。これは封建時代の時代的背景から必然的に生まれた悲劇だったのだ。
太平洋戦争は日本が世界に進出することで起こったのだから意味合いがまた違っているのだがダブって見えたのである。
posted by 老鶯 at 01:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2007年01月17日

あらたまの年の緒長く・・・・(正月の歌と意味)



時事問題の深層34へhttp://www.musubu.jp/jijimondai34.html#arata

正月の意味は農耕の行事が経済優先となったとき、その神聖な意味が失われた。農耕の神聖な行事は宮中に受け継がれてきた。工業化、文明化のなかで自然のサイクルにあわせる悠長なリズムが喪失した。そのことは人間の魂まで影響したから人間は魂まで喪失したとまでなる。健全な魂とは自然と直結したところにあったのだ。なぜ現代の魂の荒廃があるのか、それは過去にあった自然の悠長なサイクルを喪失したからである。現代文明は宗教団体はカルトであり文明は混沌のなかに自爆しつつあるのだ。
posted by 老鶯 at 23:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2007年01月20日

認知症 病識 治療できない−カルト、ファシズム−自覚できない病気?

時事問題の深層−宗教問題の部へ
http://musubu.jp/jijibunruishukyou1.htm#ninchijikaku




認知症 病識 治療できない


認知症関係でのキ-ワ-ドだが認知症とか精神の病の問題と自分が追求してきたカルトとかファシズムも同じものがあった。ただ集団化、組織化、社会化して権力の一部となっているから病気だとは自覚しえない、しかしナチスがそうだったようにこれも自覚できない社会的病理ではないか?この病理現象は誰も自覚できないから個人の精神的病より怖いとなる。病識を自覚させ強制することが不可能であり社会自体をまきこんでしまうから怖いのである。

個人にも肉体の病気があり精神の病気があるように社会自体も病気になる。
ただこれ精神的な場合、病識として自覚できないのが共通していたのだ。
posted by 老鶯 at 01:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2007年01月27日

グロ−バリゼ−ションは文化の破壊−企業中心主義も文化の破壊

時事問題の深層34へ
http://www.musubu.jp/jijimondai34.html#bunka

日本文明と世界が認められるものがある時それはトヨタとか一企業が日本文明ではない、日本という風土のなかで歴史的に培われてきたものが日本文明として誇れるものである。世界が分業化するときその国独自の長い年月をかけて育んだ文化が破壊される。文化が言葉のように血肉であるとき文化の破壊は致命的なのである。
posted by 老鶯 at 16:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2007年01月31日

情報環境の変化(テレビのやらせ、捏造の深層)

時事問題の深層34へ(インタ−ネット情報学)
http://musubu.jp/jijimondai34.html#tel
posted by 老鶯 at 02:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2007年02月02日

クロ−ズアップ現代(要求する親−問われる教師)を見て・・ (権利ばかりを主張する社会の恐怖)

学校も変わったのか?あんなに学校にずけずけと自殺に追い込むまで要求しつづけるというのは驚きだ。昔だったら学校は子供人質にとっているからといって学校の方が権力をもっているから学校に抗議したりするのは少なかった。これが戦前だと学校の先生には絶対服従だった。平気で生徒には体罰が加えられていた。それがあんなに親が学校を相手に要求しているのは驚きである。買い物でもレストランでもクレ−ムの問題がありそれでクレ−ムをした人を店長が殺した事件もあった。民主主義社会は自分の権利を主張する制度であるがこれが度をこすと社会を歪めてしまう。給食費を払わないというのも義務を果たさないで権利ばかり要求する風潮のためである。権利を主張するには義務も果たさねばならない、それが権利ばかり主張するになるのが民主主義の悪しき利用なのである。

この世にはともかく何か執拗に他者を追求する人間がいる。もともとそういう人たちはいたのだが民主主義ではそういう人が急増したとなる。江戸時代だったら理不尽な裁判とか濡れ衣をきせられて無実でも死んだ人は無数にいたろう。この世は理不尽な世だからそういうことがいくらでもある。その不正との戦いが人類の歴史だったともいえる。だから自分の権利を主張することは悪いことではない、いいことだとなる。でもそれが度をこすとどうなるのか、アメリカのように訴訟社会となる。弁護士だらけの社会となる。先日、「地獄への道」という西部へ鉄道が敷かれるのに牧場が安く買いたたかれて鉄道会社に抗議した青年が最後は鉄道の汽車に強盗に入りやがて銀行強盗となり本物の悪人となってしまった。抗議することで英雄になったのだが銃をもって暴力でもって鉄道会社と戦っているうち本物の強盗団の首領となってしまった。裁判も鉄道会社のいいなりであり明らかに不正であったのだがその抗議する手段が銃であり徹底した暴力となり最後は本当に強盗を生業とする悪人になってしまった。つまり不正を追及することは同調してもその手段が悪いと結果的には不正の追及どころではない、自らが本当の悪人になってしまう。義賊などというのもその例かもしれない、悪い奴なら不法な手段でもいいという発想である。こういう点無暴力で目的を達成したガンジ−は偉いとなる。

医療ミスでも最近盛んに病院が訴えられて産婦人科が街からなくなるという問題が起きている。医者にすれば訴えられるからリスクが大きいからやっていけないとなる。腹腔鏡(ふくくうきょう)手術で人体実験にされたということでその病院の前で焼身自殺をした人がいたことには驚いた。命は助かったのだか後遺症で悩んでいた。医療ミスだと認めなかったのが許せなかったから金での示談を求めたことへの反発からも大病院に抗議のために自殺したという。それほどするんだから相当な恨みがあったことは言える。これを他者がどうのこうの言えない、その苦しみがわからないからだ。でも命は助かったんだからそこまでやるのはどうかなと思ってしまう。医療ミスが多すぎるのは確かだし自分も子供のころの注射の失敗で大きな傷を残されたのだ。信じられない医療ミスが日常的に起こっていて医者はその責任を認めないのは憤りを感じる。でもこれが度をこすとどうなるのか、社会は訴える人ばかりになり何もできなくなる。何もできないとなってしまうかもしれない、教育でも訴えられたら怖いとか常にクレ−ムにおびえるようになってしまうのだ。

ソクラテスは悪法でも法は法だと悪法に従って死んだのはなぜだろうか?この世に完全な正義の法などないからである。それは実現することが不可能だからだ。この世には理不尽さがつきまとうしそれを完全に解消することは不可能である。そんな社会は天国にしかないだろう。だから余りにも度をこした要求、クレ−ム社会になると何もできなくなる社会になる。リスクが怖いからできないとなる。そしたら社会の発展も停滞してしまい、グロ−バル化の競争にも勝てないとなってしまい貧乏国になってしまうかもしれない、なぜならいろいろ実験するのも社会にとっては必要だからである。腹腔鏡(ふくくうきょう)手術で最初実験にされたことは問題だがそれでも医学の進歩に貢献したという見方もでてくる。ただこれは当事者にすれば許せないものとなるからやはり医療ミスは認めないというのは問題である。

ただ現代は余りにも要求することが多すぎるのだ。夫をバラバラにした事件も妻はやったことはやりかえすとか夫への要求が高すぎたのである。自分のことを認めてくれなかったとか謝らなかったとか自分の要求を認めないから認めさせてやるとなりあんな殺人になったのだから現代は個々人レベルで他者に自分の要求を認めさせる、過剰なほどに認めさせる社会にもなっている。女性でも男に従うものだとか忍従するものだとかいうとものすごい抗議がくる。女性の要求も度をこして高くなっているからまた選挙権をもち権利を要求できるから女性差別となるからちょっとした発言でも大問題になる。女性が子供を生む機械というのはひどすぎるがそれが社会的大問題として国政を揺るがすような問題かとなるとまた疑問なのである。

今日の一句一首を毎日出すのはむずかしくなった。やはり時事問題は書きやすいし時事問題にすると読む人がふえる、作家の時事問題は一日6000くらいきていたのには驚いた。これはマスコミには匹敵しなくてもインタ−ネット上では最高レベルであり影響も大きくなる。有料でもやっていけるアクセス数となる。要点をとらえて読みやすいから読む人もふえる。私の時事問題の深層は哲学的な面があるから毎日過去の時事問題の深層が読まれている。論文のようになっているから読まれる。時事問題はその時その時新聞のように読んで終わりになる。過去のものは読まれないのが普通であろう。時事問題中心なら何か書くことあるからプログでもつづけられる。アクセス数も伸ばすことができる。そういうわけで今回はプログに時事問題をのせた。

福祉介護は現代社会のアンチテ−ゼ(福祉の問題点)-時事36へ
http://musubu.jp/jijimondai36.html#welfere1

 
福祉でも権利ばかり要求するから嫌われる。徒党を組み団体化組織化して権利ばかり要求するとき
本来の人をあわれむという心は福祉からなくなる。ただそうした宗教団体でも組合でも恐怖の対象でしかなくなる。あわれむのではない脅されすごまれる何百万人ににらまれるから福祉を強制されるからだとなる。
福祉にもあまりに露に宣伝して権利ばかりを要求する現代の問題があったのだ。



 

posted by 老鶯 at 00:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2007年02月03日

テレビは人間を考えなくさせるメデアだ!



テレビは人間を考えなくさせるメデアだ!

●テレビは見るのを制限しろ

テレビは感情的感覚的五感的メデアである。テレビは司会者が大写しで中心的存在となる。その顔や体型や身振りや感覚的なもの感情的なものに訴える、笑ったり大げさにあることを誇張したり俳優のゲストが泣いたりすると特に効果的である。見ている人も感情的に同調するからだ。だからテレビは女性に影響しやすい、直感的なもとして訴えるからだ。テレビの最大の特徴は思考が奪われることなのだ。思考は疑問から起こる。納豆でやせる・・・・そんなこと本当にあるのか?と疑問をながかけることでテレビの洗脳からまねがれるのだ。インタ−ネットでは例えば2ちゃんねるでは常にテレビを批判している、そんなことあるのか!それはそうではない!馬鹿げている・・・絶えず否定的にテレビをマスコミを見ている。テレビは一方的洗脳のメデアなのだ。見ている人に疑問をさしはさむ余地がない、一方的に作られてそれを一方的に信じる他ないらうに作られているのだ。何らかの反証するにもそれもできない、あなたは私の言う通りにしなさいというのがテレビである。テレビは感情に感覚的に訴える故にわかりやすいから直感的だから子供や女性、老人向きのメデアである。一日テレビを見ているのは老人と主婦だろう。テレビは考える必要がないから楽だから見るのだ。

うちのばあちゃんは医者から
「あんたはみのもんたのことを知ってるかもしれないけど向こうはあんたの事知らないんだよ」 と言われてようやく納得してくれた。
野菜スープが癌に効くってのにもだまされてたし・


ミノモンタを神のように老人になっているのもこれでわかる。その老人のことを知っているのは日々接するホ−ムドクタ−なのである。また家族でもある。でもミノモンタが医者異常の権威を持つようになっているのだ。明らかに洗脳のメデアなのがテレビなのだ。テレビには催眠術的効果があり暗示にかかりやすいのだ。人を考えなくさせるメデアである。宗教団体が集団的催眠術を行うのとにている。宗教団体も人間から考えることを奪い支配するからだ。

●認知症になりたくなかったら文章を読み書け!

インタ−ネットは例えば2ちゃんねるなど低劣だからと批判するけどあれを読みこなすのはかなり頭使うから中高年はついていけないのだ。確かに深い議論はないにしても多様な立場の人の意見を情報を読みこなすこと自体頭を使うからできない、一方新聞はこれはただ与えられたものを読むだけだから楽なのだ。新聞もあまり物事を考えさせないのである。ただテレビを見るより活字を文章を読む方が認知症の予防になる。漢字や文章を読むことは高度な脳の作業が必要なのだ。認知症になると数字の意味とか漢字が書けない、文章が読めない、書類はまるっきり外国語を読むような状態になり抽象的なことが皆目わからなくなる。毎日書類を見ても見ているだけで何が書いてあるのかその意味が全くわからなくなる。では何もわからない人かというそうではない、感覚的なこと感情的なことなどはわかるし残っている。

リンゴがあるとしたらリンゴの形を見て色を見て判断できる。感覚的にはリンゴを判断できるがそれを抽象化したことは理解できなくなる。リンゴを単なる一個という数字に抽象化することはできないのである。だから数字に置き換えたものは意味不明となるのだ。動物でも感覚的なものはわかるのだ。リンゴとかバナナとかは感覚的に見分けがつく、しかしこれをただの数として一個二個として認識することはできないのである。だから文章を読めない、書けない、数を計算できないし銀行のこともわからなくなる。具体的なリンゴというものを感覚的にわかっても銀行のような数字や書類だけの抽象的な存在は意味不明となってしまうのだ。だから新聞を声をあげて読んだり計算の練習していることはそれなりに前頭葉を働かせて感覚ではない、知覚を鍛えるから認知症の予防につながることは言える。認知症は知覚が破壊されてしまうからだ。

●自律的思考が身につくインタ−ネット

インタ−ネットというメデアは今までになかったメデアでありこれが何なのかわかる人はいないのだ。これは人類にとって未知なメデアとして現れたのである。その大きな部分が映像もあるが文が主流であり知覚、知的なものを刺激するものなのだ。そしてこれは今まで世の中に現れなかった多様な知的な知覚的なものが出るようになったメデアである。ここに決して出版もされない異端的なものが多数でているのだ。異端的なものが出やすいメデアなのだ。その異端的なものはカルト宗教団体的なテレビのメデアとは違い、個々人の体験とか独自の個性から出発しているから今までのメデアとは違うのである。絶えず知覚が刺激されるメデアであり考えさせられるメデアなのである。情報的にも裏情報、内部情報のリ−クがインタ−ネット的であり情報的にもええ、こんなことあったのかとか驚きがあるメデアなのだ。

デアには人間が語るということが最初だった。語って伝える他ないから何かを伝えるのには語り伝える人がいたしそれは芸能でも地方を回って見せることであった。テレビは芸能でも茶の間に何百万人に一気に放送できる、見せることができる故に甚大な影響をもたらしたのだ。しかしテレビは衰退してゆくメデアになりつつある。深くものを見るという点で欠けている、一億総白痴化の洗脳メデアなのだ。むしろ娯楽でもレンタルビデオに移りゲ-ムに移りカラオケに移っている。娯楽としても魅力がなくなってきたのである。レンタルビデオは自分の好きなものを選ぶことができる。それぞれの好みでみるから見方も深くなる場合があるのだ。最近古い映画をDVD化したのを五〇〇円で売っているところができて見たのは新しい経験だった。近くにレンタルビデオ店がないのと自転車が足なので隣の市まで借りるとなるとめんどうだから五〇〇円で買えたのでこれなら余裕をもって楽しめたからである。

哲学絵日記
http://www.h3.dion.ne.jp/~jituzai/tetunikki_index.html

精神病にかかった人が書いたものだが相当頭がいい人だからここまで書けた。インタ−ネットでは精神病とか病気については非常に詳しいものがいるし情報が豊富なのである。これは認知症について調べるようになってわかったのである。こうした異端的なものも堂々とインタ−ネットにはでている。偶然に見つかるだけなのだがインタ−ネットの知の世界を今や知り尽くすことはできなくなっているのだ。

shikakusanka.jpg

人と違った変わったことを言う人はものごとを考えさせる
みんな同じこと考え言うと人は考えないのだ
みんな同じ四角だったら誰も考えない
その中に○があるとなぜかと考えるのだ
異質なものが考えさせるのだ
posted by 老鶯 at 01:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2007年02月16日

働くことはwork(作品化)すること−ニ−ト、フリ−タ−は豊かになったための結果


時事問題の深層34http://musubu.jp/jijimondai34.html#work

なぜ働くという問題の一つの解答はない、それぞれ働き続けることによってしか解答がないのだ。ニ−トであれ勝ち組であれ何であれ老年になってその結果としての解答がいやおうなく出てしまう怖さを知るべきである。
時間は元にもどらないから今の時間を大切に模索するほかないのである。
posted by 老鶯 at 12:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2007年02月20日

ゲ−ム通貨の不思議(クローズアップ現代 −過熱!ゲーム通貨売買錬金術)

時事問題の深層35へ
http://musubu.jp/jijimondai35.html#game

インタ−ネットは今までにない不思議な世界をつくりだしている。ゲ−ムで強くなるために現実に金がやりとりされそれが国際的になり現実の金が流れる、150億円もゲ−ムのためにだけ流れている。賭博ではない単にゲ−ムに勝ちたいというだけでそんなに金が流れるのも不思議である。
ゲ−ムは株の取引もゲ−ムでありマネ−ゲ−ムも実際バ−チャル的なものだったから不思議でないなればそうである。
でもそこで見落とされる人間の価値があったのだ。それを石の貨幣を例にして書いた。
posted by 老鶯 at 22:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2007年02月22日

介護士の給料はなぜ安い


時事問題の深層35へhttp://musubu.jp/jijimondai35.html#kaigo

医者>看護師>・・・・>介護士と給料の差は大きい。そもそも医者という職業は人類始まってからあるのだから古い。看護婦とかの職業は明確ではない、介護というのはかぞくがやっていたものだから職業化したのは極最近のことなのだ。だからその価値が明確ではないし、その仕事の評価も明確なものはない、医者の価値は病気を直すことで決まる。腎臓移植でも直すという現実的効果の前には何か反対しても無力なのである。

社会ではいい製品を作らねば市場の競争で負ける。価値の優劣ははっきりしているのだ。医療面でもそうした明確な価値判断が必要なる。ただ老人の病気は直らないのだから精神的ケアの部分が大きくなるのだ。病気を治すのではなく介護する、見守るとか精神的ケアが大事になる。それでも認知症でもなんらか介護の成果がないとすると評価されないのは仕方ないことである。
成果を出せば給料も高いものとなってゆくのが市場原理でそうなる。
posted by 老鶯 at 23:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2007年03月03日

遺稿詩集 「わたしの墓は」を読んで−日塔貞子(にっとうさだこ) (インタ−ネットで変わるべき著作権問題)


遺稿詩集 「わたしの墓は」を読んで−日塔貞子(にっとうさだこ)
(インタ−ネットで変わるべき著作権問題)

http://musubu.jp/jijimondai35.html#haka

今朝NHKでこの人のことを紹介していた。墓のことについて興味があったのでなるほどこれはいい詩だと今まで書いた情報と連結した。インタ−ネットではキ-ワ-ドで探すとそれにふさわしい詩がでてくることに驚くことがある。一つくらいは誰でもいい詩を書いていることがわかった。そういう詩や俳句短歌でも今までは埋もれていたのだ。それがキ-ワ-ドで探し連結すると生きてくるのがインタ−ネットの世界なのだ。musubu(結ぶ)作用で生きてくるのである。だからこれまでメデアによって支配されていた情報の世界は変わるべきなのである。著作権問題もそうなのだ。

posted by 老鶯 at 10:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2007年03月05日

有明、諫早開拓は近代化日本の問題の縮図(漁民 自殺)

時事問題の深層35へ
http://musubu.jp/jijimondai35.html#ariake

本サイトのキ-ワ-ドで「漁民 自殺」と来ていたので逆探知して検索したら有明干拓で漁民の自殺者が10人もでていたのには驚いた。
ここは複雑なものであり現代の日本の縮図でもあった。
これは歴史をさかのぼると満州への開拓へと導かれた農民の困窮がありそれが満州事変となり戦争に結びついていたのだ。
一つの問題、事件には必ず歴史があるからその長い歴史の背景を考えないとわからないのである。

卑近な家族の事件でもそうなのだ。個々に家族の歴史がありその歴史から必然的に事件が起きてきたりする。認知症の介護などでも家族の歴史を成り立ちを見ないと介護事件もわからないのである。事件の背後にはそれなりの短いにしろ長いにしろ歴史があるのだ。
posted by 老鶯 at 21:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2007年03月22日

歴史から長い眼で物事を見ないと人間は存在意義が消失する


時事問題の深層35へ
http://www.musubu.jp/jijimondai35.html#his

歴史の重要性をプログでも家族とか卑近なところから述べてきた。これはそれらをまとめてまた書いた。インタ−ネットでは何度も確認するようにいくらでも書けるからいいのだ。同じことではない、それに何かしらまた別な視点が入ってくるし新たなことも書いているのだ。いかに人間にとって歴史が大事なことなのかこれは常に再確認するべきだからだ。
posted by 老鶯 at 02:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2007年03月29日

歴史的継続の中で活きる価値(実存にかかわる大問題



歴史的継続の中で活きる価値(実存にかかわる大問題)

時事問題の深層35へ
http://musubu.jp/jijimondai35.html#his2

歴史的継続のなかで人間の価値は問われる。その最もわかりやすいのが靖国問題である。歴史的にその意義と価値が継続されないからこそ最大の問題となっているのだ。死者も歴史的継続の価値の中で生きるのである。団塊の世代の大量退職問題も会社から継続された価値の追求が切断されるから大問題となる。役割喪失からボケ安くなるというのもそのためである。価値というのは長い時間をかけて作られるのが真に価値あるものなのだ。泡沫のように消える文学賞は一時の消閑の雑文にすぎないから虚しいとなるのだ。

そしてこの長い時間の中で追求される歴史的価値あるものを知ることがむずかしい。それがわかるのは世界史というのがわかりにくいことに象徴されている。空間を旅するのは今や簡単だが歴史を旅することは本当に骨がおれるしわからない、歴史を旅するには本当に経過した時間、千年を経過したら千年生きなければわからないくらい歴史は知ることはむずかしいことが人間の弱点でありそれで同じ過ちをくりかえすことになる。
posted by 老鶯 at 00:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層