2013年10月27日

病気と貧乏の戦いの歴史 (結核で死んだのパリでも同じだった)


病気と貧乏の戦いの歴史

(結核で死んだのパリでも同じだった)

●昔はパリも日本と同じく貧乏だった

E. シュー『パリの秘密』に登場する人物のなかに,ラ・ロレーヌとジ
ャンヌ・デュポールというふたりの若い娘がいる。ラ・ロレーヌは洗濯婦, フサ
ジャンヌはカーテンの総を造る女工だったが,ともに過労と栄養失調など
が因で肺癆を病み,喀血をくり返し,やせ衰え余命いくばくもない。


先生,番号1は今朝4時半に死にました。
―そんなに遅く?驚いたね。昨日の朝,一日はもつまいと思っていたが。遺体を
誰かひきとると云ってきたかね。
―いいえ,先生。
―そりゃよかった。美しい死体だ,誰か解剖する者はいないかな。そうだ,誰か
を喜ばせてあげよう。(そこで医師は後に続いている学生の一人に向かって)
親愛なるデュノワイエくん,ずっと君は遺体を望んでいたね,君が最初に登
録したのだから,この遺体は君にあげよう。
―あぁ,先生,なんというご厚情でしょう。
―私は君の熱心さに何かご褒美をあげようと,いつも考えていたんだ。遺体にき
ちんとマークをつけて,確保しておきなさい。奪い合いになるとずる賢い輩が
多いからね。(と云って医師は別の場所に移動した)。
学生は,医師に云われたように,遺体を確保するために女優の遺体の腕に,メスで
F と D (François Dunoyer) の文字を精密に刻んだ。[Sue, 1843, p814]


19世紀パリの病院は病気の研究と医師養成の機関であり,病人はその
ための素材であった。ことに無料で入院している各種患者は,さまざまな
治療の実験台であり,また死亡すれば病理解剖の素材として医学の進歩に
貢献させられた

フランスにおける結核流行と公衆衛生(大森弘喜)
http://www.seijo.ac.jp/pdf/faeco/kenkyu/181/181-oomori.pdf

病院のことを入院して書いたけど病院は次々に死ぬ場所だから死がめずらしい場所でないから今も変わりない、病院は死体処理場のようになっている。これだけ豊かになり設備も整っても病院そのものの体質は変わっていなかった。
病院は人間の死にたいしては無関心なのである。病気を直す治療したりする場であり人間の死を看取る場所ではない、だからもののように死んだら早くかたづけてくださいとなるだけである。家族だったら死をいたむということがあるが病院ではないのである。
病院は何か無機質な場所なのである。


その総死亡に対する割合はパリが12−14%,ロンドンが15−16% で,逆にロンドンの方が数%高い


肺病と肺炎で死んだ人が一番多いのだ。だからパリだというと華やかに見えるが実情は日本の戦前とかの貧乏時代と変わりなかったのである。人間の歴史は世界的に共通していることがかなたある。


ラ・ロレーヌは洗濯婦, フサジャンヌはカーテンの総を造る女工だったが,ともに過労と栄養失調などが因で肺癆を病み,喀血をくり返し,やせ衰え余命いくばくもない。


この洗濯婦はインドだけでなくパリにも多かった。なぜならセーヌ川で洗濯している女性の集団の絵は洗濯婦だったのか?洗濯が大きな仕事をしめていた時代があった。
カーテンの総を造る女工だったというときやはり製糸工場で働いていた戦前の女性と同じだった。洗濯が仕事という時、女中が女性の主な仕事となっていたのも同じである。
自分の母親はこの二つを仕事にしていた。今でもたいがいこの辺では女性が福相に勤めていることでもわかる。これは近代化しても着るものの需要があるから女性の働き場となっている。人間の歴史は貧乏と病気と戦争の悲惨な面が常にどこでもあった。
それは日本だけではない世界の歴史でもあったのだ。ただ歴史だと宮廷の華やかな場面とかばかり出てくるから錯覚しているのだ。パリのベルサイユ宮殿など観光に行くとパリは華やかだったな錯覚しているのだ。現実の世界はまるで違っていたのである。
だからこそフランス革命などが起きたということを実感する。貴族と庶民の生活がかけ離れていたから庶民から革命が起きた。日本では武士といっても貧乏だから庶民とたいして変わらないとなるとそうした階級闘争は起きないのである。


●肺病で死んだ文学者が多すぎる

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病人ばかりでは二階暮らしも不便で、啄木一家は小石川久堅町に移り住む。
移るとまず母が死亡。
重症の身を押して母のなきがらを送り出した失意の啄木は、気力をふるいおこし、未刊の歌稿の出版を土岐哀果に頼み、あとを追うように一ヵ月遅れて、明治四五年四月十三日、永眠した。
二七歳の若さだった。

結核はまるで「死に神」のように啄木の家族に取りつき,彼の母も,妻も発病した。まず1912(明治45)年3月母親が痼疾の肺結核で没し,後を追うように,啄木も翌4月に波乱に富んだ生涯を閉じた。27歳という若さだった。妻節子も翌年同じく肺癆で斃
れた。

肺病というと実家の墓に25歳で死亡という一字だけ刻まれた文字がいつも見るので意識する。肺病で死んだのである。別に啄木でなくてもそれは珍しいものではない、多くの人が肺病で死んだ。特に若い人が死んだし文学者がこれほど死んだことも驚きである。
正岡子規は有名だけど肺病と戦うことが人生だった。若い時肺病になり半分肺をとった人も知っている。


悪くなっているところは狭い間でとおっしゃった。それがだんだひろがって一方の肺破壊してしまい、さらに進んで他の一方の肺を破壊してしまわねば死なれないのでしょう。


森鴎外も若い時肺病にかかってこんな言葉を残していたのである。

その人は一生障害者で終わっている。何であれ病気になることは一番悲惨である。だから創価などでもカルトに入る人は病気の人がかなり多いのである。
今でもガンであれ直らない病気があり病気は一番怖いものなのである。
自分の母親は原紡で十年働いていたけど病気にならなかった。肺病にならなかった。体が細いし体力ないから病気にならないのが不思議に思えた。栄養だって味噌汁とタクワンだけでありまともにとっていなかったからだ。そういう人が戦前には多い。
江戸時代は栄養不足で一割近くが盲人になっていた。これも悲惨だったのである。
戦前は肺病の重圧があり戦争中は戦争の重圧がった。これらは相当な重荷であり呻吟したのである。現代は鬱病の時代でありこれも時代を反映している。でも昔と比べるとどうなのか、やはり戦前の方が過酷だったろう。若死にする人は今はまれであるからだ。
平均的には健康で長生きしているのだ。そこにもいろいろ問題があっても恵まれた時代となる。



せいし 0 【製糸】 - goo 辞書

繭を煮て糸を繰り、数本集めて一本の糸にする工程。
「―業」
→ぼうせき ばう― 0 【紡績】 - goo 辞書

1)短い繊維を平行に並べ、引き伸ばして撚(よ)りをかけ、一本の糸にすること。
「鉱山を開掘し綿毛を―する等…/露団々(露伴)」
(2)「紡績糸」の略。


紡績と製糸工場
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20051029/p2



原町紡績工場というのは紡績だったとするとどうだったのか?糸取り仕事だったというがこれは製糸だったのかな、紡績に勤めていた人が圧倒的に肺病になった女性が多い。
すると製糸の方で働いて肺病にならなかったのかよくわからない、ただ体が弱い方だから肺病にならないのが不思議に思ったのである。

実家では25歳で死んだ人がいたが母にもその他の兄弟にも伝染しなかった。啄木の一家は母も妻も伝染してたとなると悲惨だった。自分も病気になり家族も病気になったりしたら悲惨である。実際を自分もにた経験をこの六年間してきたのだ。自分が病気になり介護しなければならなかった。重い病気ではないにしろ病人が障害者が病人の世話するとなるとその重圧は大きい。健康であればなんとかのりきれるが金があっても健康でないとのりきるのは苦しくなる。それだけ悲惨な状態で短歌を残して死んだのである。

だから文学といってもやはりこれらの文学は病的なのである。病人になったら健康的な文学にはならない、病んで文学である。その病んだ文学の方がもてはやされる。健康でも病んだ方がいいとされたこともあった。文学はそういうものだということはこれだけの人が若くして肺病で死んだことが影響ししていたのである。今はそういうことはないから健康的な文学が生まれてもいいが今も病的なものが文学だとかされている。それを上野霄里氏などが激烈に批判した。今は「心の青雲」のプログの著者が批判している。その人も腎臓の病気になっているのに病んではいないのも不思議である。空手の師範だから病弱な文学者とは違っている。


●病気も貧乏も現代も継続している問題


人間の歴史は明らかに貧乏と病気の戦いの歴史でもあった。それは今でも継続している。貧乏の戦いは戦前と比べればないようなものだがやはり格差社会とか新し貧乏時代になっている。貧乏が格差がなくなることはこの世にはないように思う。それはどんなに豊かになってもみんなが金持ちになることはない、貧乏人は必ずいる。その貧乏人でも昔からしたら食べ物でも贅沢しているのだ。卵も食えない時代のことを書いたが今は誰でも卵くらいは食べているからである。現代の問題はまた別な所にある。
人間は今だけではない必ず歴史的経過をたどって今を考える必要が常にあるのだ。
病気の問題でも過去と対比して現代を考えるのである。

これだけ豊かなのに金が欲しい欲しいと心が歪んだ人がいかに多いか?

一人は犯罪者になり一人は自分を脅迫してきた。それなりに国から保護されて金はもらい補償されているのちたりないたりないと金ばかりを要求してくる。身の丈にあった生活をせず大きな借金をしていた人もいた。確かに金がなければ今の時代にあった生活ができないというのも確かなのである。それだけのものをそろえる金がないと貧乏だとなってしまうのが現代である。高齢化で高齢者の貧乏人が増加の一途なのである。
老人はたんまり金をもっている貯金しているというのも事実だけとそれも数パーセントなのである。貧乏な老人の方が圧倒的に増えているしその人たちはたいして年金ももらえないからそうなっている。それで60歳以上の人の生活保護が増えているのだ。これからもそうした人たちが増加の一途なのである。

ただそうした豊かな中の貧乏で心が歪んでモラルもなくなっているのが現代である。
原発事故だってそういう風潮が関係していたのである。豊かになるためには原発を積極的に地元の人が誘致したのである。

ともかく人間にとって病気ほど恐ろしいものはない、それは死に直結しているし病気になるともう自立できなくなる。家族が肺病で次々に倒れて死んだというのはやはり伝染病だった。肺病の人は蔵に隔離されて看病されたとかある。蔵は今でもあるが蔵は隔離する場所としてはいい場所だったのである。


いづれにしろ大正生まれとか戦前生まれとかはこうした極端な貧乏を経験しているし戦争も経験している。その重圧は今とは比較にならないだろう。今は貧乏でも違った貧乏なのである。贅沢な貧乏ともなる。こういう歴史をふりかえると自分などは相当恵まれていた。体が弱くてもこれまで生きられたのは一重無理をしなかったからである。まず自分は学校でもわがままだから適応できなかったし勤め人にはなれなかった。一日机に座っているのか耐えられないのである。だから旅ばかりしていたのとなる。勤め人になっていたらこんなことはできない。体を無理すると必ず60以降に何らかの影響がでてくる。疲れてもゆっくり休めるなら意外と病気になりにくいのである。

こうして自分は啄木と比べたらまるで才能がなかったのだか今になると啄木のように短歌でもすらすらできるのが我ながら不思議である。凡人でも時間をかけると才能が開花するということがあるのだ。ただ大器晩成というのは嘘である。大器が晩成するのではない、凡人でも長く探求しているものは晩年になると実る開花するということである。

それは雑学類でもそうである。一見雑学なんかなになるのだというが雑学でもやはりそこに何かしらの知識がありそれも哲学的なのもとして深いものとして応用できるものとなるのだ。結局学問とはむずかしい本を読むことではない、哲学など別に庶民が残した諺のなかにもふんだんにある。庶民の残した民俗、昔話や伝説などにもいくらでもあるのだ。
ただ発見されていないだけなのである。老人になるといろんな面で見る目が備わってくるのである。だから何か平凡なものでも意味あるものとして深いものとして見るようになるのである。

人間の歴史はなにかというとそれは犠牲の歴史でもあったとなる。結核は今では直っているけど直らない時代があった。様々な病気でも昔も今も直らない病気がある。それで犠牲になる。戦争で300万死んだというのもその是非はともかく犠牲だった。マルスの神に生贄として捧げられたともなる。それは過ちであってもやはり犠牲にされたのである。カルト宗教団体でも同じである。人生を青春をだいなしにさせられたりするのと同じである。過ちの犠牲になる数も莫大なのである。災害でも犠牲になった人が数限りなくいる。津浪などはその犠牲がいかされなかったのである。今回の大島の土砂崩れでもそうである。犠牲になった人たちがいてまたその予防が検討されることになるのだ
人間の歴史はとにかく無数の犠牲の歴史でもある。そういう犠牲の上に成り立っている自覚が必要である。

何か才能が花開くとしてもそういう犠牲の上に才能も開くのである。
つまり才能てもそれだけの環境が整わないと開花しないのだ。
音楽にしてもピアノでも広い家がないと置けないし防音装置も必要だしとそれなりの家がないととても練習もできない、だからピアノは貧しい家では無理だろう。
電子楽器くらいは楽しめるだろうが本格的なピアノは無理である。

旅行でもそれだけの暇が与えられなけさばできない、旅は遊びではない、旅は旅に集中する必要がある。旅で見るべきものを見ることは相当にむずかしいのだ。団体旅行などでは見るよりも料理を楽しむことになっているわかるのだ。
ただ若くして死に直面したことが若くても深い文学を創造できたことがある。現代はそうしうた死と真剣に向かい合うこと長寿社会で遅くなりすぎたのでかえっていい文学が生まれないということがある。何か緩慢として緊張感がないものとなっているのだ。
ただ今回の津浪原発事故はあたえない無常か現実となったから日々驚きの世界となってしまったのである。

 

2013年12月28日

今年の自分の十大ニュース (人間は弱者化したとき虐待したものを絶対に忘れない)

 

今年の自分の十大ニュース

(人間は弱者化したとき虐待したものを絶対に忘れない)

●身体障害者,病気から解放ささた
●近くの親戚の縁を切った
●遠くの親戚の縁を切った
●相馬市の花屋でフォトブックを作った
●新しい人と知り合った
●一回だけしか仙台に行かなかった
●ヤマハの電動自転車を買った
●ウィンドウ8を買った
●株があがり少し利益が出た
●庭の小松を一本切った


今年は去年までと比べるとかなり余裕があった。去年までは苦しみの連続だった。去年は手術もしたし苦しかった。でも身体障害者から解放されたことが最も楽にしたことだった。あのままだったら自分は悲惨な境涯から抜け出れなかった。
何であれ人間最大の不孝が病気であることを知った。
病気になれば金があってもどうにもならない、不孝のどん底になるのだ。
金で直るかといえは直らない、いくら金を積んでも直らないものは直らないのである
だから単身者とか身寄りがないとか頼るものがない人は病気ほど怖いものはない
介護もされないし同情もされない
医者や看護師でも家族をみていないとぞんざいにされるし虐待さえされる
それは老人ホームでも起きている。
病人が虐待されるほど怖いことはないし辛いことはないのだ。

そういう仕打ちを受けたものは絶対忘れない
一方で親切にされたとか恩を受けたとかそういうことは忘れやすいのである
弱者を虐待したものは絶対に忘れない

だから韓国でも中国でも日本人に虐待されたとうらみ続けている
それは過度なものであっても虐待された恨みは人間は忘れない
そう思い込んでいる人たちは必ず復讐してくる
その復讐は実際は怖いものなのである
つまり弱者はいつまでも弱者ではない
逆転して強者になるとき怖いのである。
親でも最初は子供でも絶対服従だけど必ず年取ったりする弱者になる
その時子供だからと親か同情したり介護するとは限らない
その時しかえしをされる恐怖がある。
それは虐待された妻なども夫が弱った時、虐待されるのである

つまり看護師とか介護士でも医者でも弱者ばかり相手にしているひ職業は意外と危険である それは弱者を相手にしているからいつでも強者としてふるまう
だから弱者の気持が意外とわからない人も多い
特に看護師などは若いからそうした弱者の痛みを知らないことが多い
それて平気で弱者をいためつける無神経さがあるのだ
それは無神経でもあるといえるがやはり弱者のことを知らないからそうなる
かえって強者には気をつかう、社会的地位のあるものには気をつかう
でもなにもないものは平気でふみにじるということもある
福祉関係の仕事は相手が弱者だということで何か歪んだ性格の人が多いという
それは弱者を知らず虐待していることもある
だから看護師は天使にも悪魔にもなるという
弱者を扱う職業だからそうなりやすいのである

今年は親戚の縁を二つ切った、こさも結構苦しかった。
なぜ一方的に自分に対して要求することが多いのか
借金をかかえているから入院している時も脅迫まがいのことを言ってくる
全く同情がないのである。
借金に追い込まれているから普通の感覚でなくなっている
借金から犯罪に走る人が実に多いのだ
社内で情報がもれたとき、まず借金している社員を探せとドラマであった
借金している人はともかく追い詰められているから一番犯罪者になりやすいのだ

そして自分が苦しい目にあったことを話したら遠い親戚の人は笑っていたから信じられない、その人は全く相手のことなど考慮しない、何か病気でないかとさえ思う
ただ金をもらう権利だけを主張してくるのだ。
確かにわずかでも権利あったけどその権利すら実際はなくなっていた
そんなことてどかまわない金をもらう権利があるから裁判まで訴えるという
金に困っている人間は追い詰められているから脅迫まがいのことをしてくるのである

いづれにしろ縁を切るということは結構楽じゃない、離婚した女性を世話したけど離婚もなかなかめんどうなものである。若かったらあいてかストカーとかになり殺人までなっている。いかに深い縁を結んだら簡単に切れないかがこのことでわかる。
一方で「捨てる神があれば拾う神あり」というのも本当である。
世の中必ずそうなっていることが不思議なのである。
諺は人間が生きてきたことで繰り返し起こっていることだから諺になっていたのだ。
縁をきってもまた新しい縁はできる。人間はそういう繰り返しなのである。

今年の自分のニュースの最大のものはこのことであり他はたいしたことがなかった。
仙台に一回しか行かないということも今までなかったからニュースである。
何か小さな町を巡り歩いているだけだったともいえる。

後半になって新しいバソコンを買ったこと12月になってヤマハのマウンテンバイクの電動自転車を買ったことなどがありこれは良かった。
買い物はすでにアマゾンで百万以上しているかもしれない
計算はしていないけど家事の電化製品などを買っているからだ
家事をいかにうまくやるかかずっと課題だった
料理のコツを多少わかるようになった。
でも実際はほとんど料理はせずいかに買ったものですませるかが料理である。

今年は11月になり株があがってもとをとってわずかだが利益をあげた。
半分になったものをそのままにしていた。
でも株は下がるものということをあまりにも長い間に習慣化してしまった。
だから来年は株が下がる前に売ることが大事である。
「株は下がる」何かそういうふうにすりこまれてしまっている。
それだけ不況が長くつづきすぎたきである。

まあ、今年は自分にとって余裕がでた年だった、それでも日々追われていた。
来年はもっと余裕がでてほしい、でも介護などで追われ苦しいことが起きてくる予感はある。

6年間は苦しみの連続だったか今年は余裕が出たし来年はもっと余裕がでてほしい。
それが自分の願いである。

牛年(うまどし)だからやはり躍動的に走るということがあるのか?
新しい自転車でまだ走りたいということが自分にはある。
ただ筋肉の疲れがひどくなったので近間になってしまう
介護で行けないとういこともある
ただ自分にとって自転車にのることは最大の喜びなのだ
それを最近年取ってからも自覚するようになった
自転車に乗れなくなったら死にたいとさえ思うようになった
人間は年取ったからといって今までやってきたことをやめるわけにはいかないのだ
それはあらゆることに通じているのだ。
車に乗ってきた人はやはり死ぬまで乗りたいと思っている人もいるだろう。
旅してきた人はどこまでも旅したいと思う
ただついに体力が衰えできなくる。
そうなったら死にたいと思うのが人間なのである。

2014年01月10日

あまされる老人、貧乏老人 犯罪老人、精神を病む老人・・・ (高齢化社会の問題が深刻化する)


あまされる老人、貧乏老人 犯罪老人、精神を病む老人・・・


(高齢化社会の問題が深刻化する)


・1/7 18:14速報!泉修一容疑者(62)を殺人容疑で逮捕

・ストーカー相手から「結婚したい」「一緒に死にたい」などと言われていた
・角好江さんは、1年ほど前から合計9回にわたり警察に相談していた
・角好江さんは警察に「男に付きまとわれている」とストーカー被害の相談をしていた
・角好江さんが何者かにより殺害された後に出火

●居場所がない老人


前にもあったけどスーパーの前にベンチがありそこで酒飲んでいた老人は72歳とか言っていた。ただ若く見える、50代で仕事しているように見える。その人はトラック運転手であった。だから地元で働いたというより東京のちくじ市場に重に通っていた。他に市場があり通っていた。だから東京のことをしきりに言う。朝早く仕事が終わりすることがないからあとは酒飲んでいたという、歌舞伎町辺りでも遊んでいたのかもしれない、三島由紀夫が乗り込んで死んだ自衛隊の防衛省のある所が靖国通りがありそのことを言っていた。
東京に大学の時、4年間住んでいても地理はわかりにくい、特に山手線沿線しか自分にはわからなかった。あとは隅田川はまだ川があり自然があるのでいい所だった。春の日に百羽もの鴎が川に群れていたのも東京らしい。
東京都交通局都営地下鉄・大江戸線築地市場駅とかあるがこの大江戸線から電車が隅田川に出てくる時は何か春らしいものを感じた。東京で自然を感じる場所はあまりない。
浜離宮というのが近くだったことが地図でわかった。東京は長年住んでいてもなかなか地理はわかりにくいし歴史だってよほど興味をもたないとわかりにくいだろう。

その元トラック運転手は両国橋や蔵前通りのことを言っていた。両国橋は知っていても
蔵前通りは通った記憶がない、車で運転していれば記憶されるのだろう。
車では何々通りというのが大事だから頭に記憶されていた。電車の旅だと駅名が記憶されるやすいがまた忘れやすいのである。
そのトラック運転手の人生は東京まで行き来することであり東京が主な生活の場でもあったのだ。だから現代で錯覚しやすいのは田舎に住んでいると田舎でその土地を中心に生活していると思っている。でも実際は今の社会はどこでも広域化しているから地元だけで生活している人は少ないのである。農業が主な産業じゃないかと思っているが農業は一割にも満たない産業になっている。その他はみんな会社員なのである。
だから田舎は地元が中心の生活かと都会の人が思うけどそのトラック運転手は東京が生活の中心だったのである。こういうことは田舎に住んでいる人でも結構多いかもしれない。

●精神を病む老人も増える


こういうふうにその人は実際は農家であっても働いているのは会社である。その家は広く車が四台もあるという、そうなると広い庭がないと置けない、また孫も大人にっていて何人もいる大家族である。でも自分の部屋があり離れ家だってありそれだけの大家族でも部屋に困っているということはない、老人の部屋がないという人もいる。その人は住宅を借りていたから家族が多いから追い出されようなことになった。それで不満が高じて犯罪者になって自分が被害者になったのである。ただ別に同じ田舎で今も暮らしている。
その人は住居の問題であまされた老人だった。元トラック運転手はなぜあまされているのかよくわからない、ただ精神病院に一時いたり何らか精神を病んでいるのだろう。
でも話してみれば普通の人である。ただ何もすることがないと昼間から酒飲んでいる。
家でもあまされている、のけものにされていることは確かである。だから部屋はあり家が広くても家にいたくないという。この辺の詳しい事情はわからない。
相馬市の道の駅にたむろしている老人も家にいるのが嫌であそこでひがな何することもなく部落の人とたむろしているのだ。そういう居場所のない老人も増えている。

なぜ老人があまされたり居場所がなるかというと家が狭いというのも一つの問題ではあるがそれ以上に現代の老人は田舎でも仕事がその土地に根付いた農業などではない、みんな会社員であり広域社会で仕事している。そうなると一旦会社をやめるとその生活の根が農業ではないのだから継続できないくなり何か伝えるものもなく無用化することが多いのである。その老人は金には困っていない、ただ年金をもらったときだけニコニコ孫でもよってくるという。それだけしか金しか用がなくなっているともいえる。
前に書いた生活保護の女性は貧乏老人の問題であった。家からあまされて犯罪老人になってた人もいて自分が被害者になった。現代きの老人問題は老人が増えても社会的な役割をもてない、家での役割ももてないことが大きな社会的問題化する。
老人が少なく昔だったら老人の家でも社会でも役割をもてたのである。


●社会的家庭でも役割がなくなることは老人にとって非常に危険


その役割をもてないことが老人にとって意外と深刻なのである。それが痴呆症、認知症になる要因かもしれないからだ。自分の身内はそうだった。公務員をやめてか30年くらい何もしていない、家事もしていない、趣味にしてもそれはあっていなかった。あっていたのは看護婦や保健婦をしていたから人を世話する仕事だったのである。でもそんなことは全くしないし家事もしていない、そのうちボケてしまったのである。
人間は年取るといつのまにか黙っていても無用人間になりやすいのだ。

社会で無用化するといつのまにその人の存在さえ忘れられる。保健婦であれ看護婦であれ何であれ社会で活躍している時はそういうことはない、会社員でもそうである。でも一旦そういう社会的役割がなくなるとその人は実は社会から消えるのである。

そしてもうその人自体の存在さえ忘れられる。そして認知症になりボケたりして社会に迷惑をかけたとき迷惑かける老人として社会で認知されるというのも変だがそうなってしまう。だから人間はともかく会社をやめても何でも何か社会的役割をもく仕事をつづけねばとならないのだ。それは個々人によって違ってくる。でも高齢化社会ではこれは大事なことである。そうしないとその存在さえ忘れられ認知症とかなり社会の重荷負担になることが怖いのである。その原因はわからないにしても老人になっても何か社会的役割をもたないことは非常に危険なことである。

老人ストカーとかになって殺人までになっているのはよくわからない、72歳の女性に62歳の老人/かそんな激しい恋愛感情をもつものだろうかとも思う。

でも62歳でもまだ現代では若い人はいる。その差はあるにしてもそういう気持はわかる。なぜそういうふうに思いつめるかというと老人には後がないということである。何するにしてもこれは最後だとなるときの心境は若い人にはわからないのだ。これが最後の恋だ、あと生きるのも短い、何とか恋をなし遂げたい、できなければ一緒に死んでもいいとなるから老人は一面怖いわけである。それはドラマでもやっていたから現実にもあったとなる。ただドラマでは若い女性だったから違っていた。


60過ぎるともう何かする時間がない、だから何するにしてもこれが最後だとなり思いつめることはわかる。だから犯罪を犯しても恐れない、どうせまもなく死ぬんだ、やりたいことをやって死んだ方がいいとなるから怖い。この女性がだめだったら別な女性がいいとかの余裕もないのである。この心境は若い人も見習えばいい方に作用する。もう一年しか生きられないとなったら人間はどうなるのかそうなったら人間は何でも真剣になるだろう。
でもまだまだ生きられる時間は無限にあるように思っているからだらだらと時間を浪費する。そしていつのまにかみんな年取って時間がくなったことをしる。
それはもういくら金を積んでも過ぎ去った時間を取り戻せないから深刻なのである。


自分もここ7年間は全く旅行もできなかった。家の近間でも余裕をもって出かけられない状態だった。こんなことになるとは思いもよらなかった。なぜなら一カ月くらいいつでもぶらりと出かけて帰らなかったのが自分だったのである。それが一日たりともできない、6時まで帰らねばならないとかなっているからだ。そして誰も代わってくれるものもいないのである。そして一番思ったことはもう一度富士山を見てみたいと思ったことである。富士山がきれいに見えるところでもう一度見てみたいと心のそこから思った。
やはり日本に生れたら富士山を見て死ぬのがふさわしいとなる。富士山は日本の象徴でありそれは日本人の心ともなっていた山だったからである。
これが最後だとなるとどんな人でも見る目が違ってくる。しかしそういう日はついにみんなに来るのである。

2014年01月14日

茜雲(茜のような田舎の老いた女性のこと)


茜雲(茜のような田舎の老いた女性のこと)

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クリック拡大-七羽のノスリが集まる

陽の没りて夕月光り茜雲
冬の野に七羽集まるノスリかな
枯芒今日もこの道行き帰り


仮設の食堂を2年間働いていた60代の女性がやめた。ほとんど賃金は支払われなかった。ボランティアではないと怒っていた。福祉でも働きに応じた賃金は払わないと違反になる。差し引くのは市役所の方であり働かせている方ではない、あそこの店はもうつづかない、客もめっきり少ない、ただ主人が店に威張っているだけである。主人はなにもしない、ただふんぞりかえっているだけである。あんなのだからただ働きさせていた。
まず小さな店でも一人ではできない、働いていた女性は得難い人材だった。
あういうマスターの場所では働く女性はいないと言っていた。親戚の女性も働いていたが今は働いていない、嫌がってこなくなったというのもわかる。
結局経営は人を大事にしなければ人の協力を得なければ成功しないだろう。
働いていた女性の言い分が最もなのである。
ただ大きな会社で働く人はまた違っている。店のものを盗むとか大きな会社になるとまた違ったものになるだろう。社長は社員を信用してはいけないとか言う人もいる。

とにかくいかに社員でも何でも盗む人が多いかである。

それが一番雇う時問題になる。それで自分は大失敗した。
家ので働く人はよほど信用がないと入れてはいけない、これは会社とは違うからだ。
そういう人材を得ることは簡単にはできない。
小さい店とか会社だと会社は家族のようになる。大きな会社とは違う。

だからあのような暴君のような男性がマスターではとても店ははやらない。
威張ってばかりいたというとき、自分の母方の祖父にあたる男性も警察署長でありその後退職して機織り工場を経営したけど失敗して家族離散になってその子供は塗炭の苦しみを受けることになった。「威張ってばかりいた」というとき警察署長の時もそうであり機織り工場を経営していた時も威張ってばかりいて何もできなかったのだろう。
家族でも社会でもそういう人はいるのだろう。
自分は祖父といっても会ったこともないから客観的に今評価する。


人材ほど人ほど大事なものはなく得難いものはない、それはここ7年間の苦労でみにしみた。家の中を荒らされて大きな財産を失いその後も自分の家の混乱と自分の病気に乗じてとれだけ苦しい目にあったか書いてきた。人間はこんなに非情なものかと思った。
あとで知り合った人は有能な面はあったが非情だった。
今度知り合った女性は違っている。

それは猫が子を生んだ時、かわいそうだけど捨てるからなと親を見て言うと納得したとか言うのが不思議である。猫についてはいろいろ語っている。捨てる時は民宿のようなところに捨てるという。余り物が豊富だからだろう。
最近野良猫が来るので餌をやるが一旦野良猫になるとなれない、餌が欲しくても距離を保ってしか近づいてこない、近づくと襲いかかるように口をあけて警戒する。それは見ていると怖い、結局飼い猫の時はあんな様子は見せなかったろう。野良猫になりうろついては追い出されたりして人間を警戒してなつことがなくなったのだ。
ただもともと飼い猫だから家の中に平気で入ってきて炬燵の中に入って寝ていたりしていたのである。あれも飼い猫のためだったのだろう。

ともかくその女性の語ることを聞いていると情のある女性だということがわかる。
だから一人の男性は親身になっていろいろ相談にのっている。今日も電話をかけたのが宮城県であり市役所の男性だった。いろいろアドバイスしてくれる。

何か人に頼むのがうまいのである。ただそれは言葉ではない、心がいいから男性も親身になってくれる。
その女性は女性とは見えない、若い時も体の体型が何かぶさいくである。顔はそれほどでもなくても体が太っていて体型が不細工なのである。だから若い時だったら男性も魅力を感じたとは思えない、ただ今も十歳老けてていも話すことが面白いのと心がいいということでその女性は男性に協力させる。それは若い時のとは違う。


ともかく人間の孝不孝は本当は金では計れない、その女性は貧乏だけど男性にたすけてもらえる。それは美人では全くない、その女性がもっている別な要素がそうさせている。
すでに10歳老けていて皺が多く女性にも見えない、でも60代以降は実は女性でも男性でも価値観が変わる。外見よりその人のもっている内面の方が大事になる。
だから年取ってから若作りしてもそれがいいとは限らないのだ。
つまり年になると別な方の魅力に価値がでてくるのだ。それは肉体の若さとか外見ではない、その人のもっている心の良さとか話が面白いとか何か別な人間的魅力である。

だからいくら金を得てももっていてもそれだけで価値は生れない、確かに日々の生活は金なきだけど金をもっていただけでは価値は生れない、別に美人でもなく年が十歳老けていても体が不細工でもその女性のもっている価値があるから男性に助けられる、だからそういう女性も金がなくても幸福だとも思った。
一方で金があっても不孝な女性はいる。性格の良くない、話も面白くないとなると年取ってから体とか顔とか外見ではない価値が大事になる。
その辺を女性も勘違いしているのだ。若作りしてももはやそこには価値がなくなっているのだ。若い時と年取ってからの価値観は180度変わることがありうるのだ。
そこにまた人生の誤算が生れるのである。


茜雲というとき寒い中にほんのりとは赤くなる雲であり何かこの女性のような感覚にもなる。寒いんだけどほんのりと赤いものがある。そこ冬の月が光りでている。


ノスリが七羽も集まったのはめずらしい。七羽はこの辺ですみついたのである。何かネズミでもいたのか?畑にはモグラもでているしノネズミもでている。それは畑をもっているとわかるのである。土が掘り返されたからでてきたのかもしれない、だからそこに集まってきたのかもしれない、セキレイまで集まっていた。地中から虫などがでてくるのかせしれない、まだまだ寒さはつづく。


「あかねぐも」(茜雲)とは、朝日や夕日を浴びて茜色に照り映える雲のことです。朝日に限って言うと、東の方が赤くなるので、「東雲」(しののめ)といいますね。「あかね」というと、よく女の子の名前にもつけることがありますが、本来は、アカネ科の蔓性の多年草で、晩夏、多数の淡黄緑色の小花を円錐状につけます。その根は赤い染料に使われたり、薬用に使われたりします。ですから、「あかね」は、赤根からとった言葉です
http://www.caguya.co.jp/blog_hoiku/archives/2006/03/post_206.html


茜は西だから西の雲が赤く染まることでもある。朝日で染まるのはまた違っている感じがする。茜雲は今の時期何度も見た。ほんのりと赤くなる雲である。
自分のあった女性がイメージされる。それは恋愛関係とか全く関係ない、茜は赤根であり何か赤い大根とかでもあり蕪とかもイメージされる、田舎的なものがイメージされる。
「あかね」とは女性の名前としてもいいなと思った。

2014年01月24日

遊興老人(金と暇があっても有効な消費ができない老人・・)


遊興老人(金と暇があっても有効な消費ができない老人・・)


あまされる老人、貧乏老人 犯罪老人、精神を病む老人・・・
http://musubu2.sblo.jp/article/85043583.html


●70歳の遊興老人


パチンコに熱中するお年寄りが急増している。独り暮らしの寂しさを
まぎらわせるためだったり、 定年後の毎日の退屈しのぎだったり。
3年前の規制強化でギャンブル性の高いスロット機が 禁止され、客離
れが深刻になっている業界も、高齢層からの集客に「生き残り」への
期待を寄せる。借金を重ねて大金を浪費する依存症も目立ち始めてお
り、新たな 社会問題になろうとしている


原発事故周辺で仮設で避難生活している人がパチンコで毎日遊んでいるということが問題になった。今日聞いた人は70歳の人だった。あの人とは前に一度話ししたような気がする。その時は20代かと思っていた。小柄であり良く見なかったから勘違いして見ていた。
その人はパチンコはしていない、ただギャンブル老人である。競馬に詳しく一カ月無難なところで20万円を稼いでいるという。相当に競馬歴が長いからそんなことができるのだろう。その競馬でも東京の方まで行ってしている。そのついでに伊豆の伊藤辺りの温泉に行って遊んでいる。あそこは桜が一面に咲いてきれいなんだよなとか盛んに言っていた。

他にも遠くに出かけて楽しんでいる。女遊びもしている。小柄だからそんなことまでしているのかと思う。今の70歳は個人差があってもそういう方面もまだ残っている人もかなりいる。この老人は遊興老人なのである。「俺は金をもらってもためたりしない、今がいいければいい、楽しむのがいい、金は残さない、あとは生活保護になるよ」とか言っていた。ただ補償金にしてもそれほどもらっているわけではない、ただ仮設では暇をもてあますから遠くへ遊びに出歩いている。そして70才では働く気がしないしそれだけの力もない人も多いだろう。ただ昔の老人の感覚と今の老人はかなり違っている。70歳でも男女とも若いということがあるのだ。これは個人差があるからいちがいに言えなくても平均するとそうなる。


老人は金をもっているのに使わないから消費しないから景気が良くならないんだと盛んに若者から言われる。するとこの老人は消費に貢献している人なのだろうかともなる。
金はためずに残さずに今が楽しければいいんだというからである。消費に問題があってもそうなる。ただ使った後は生活保護というのも問題である。ただこの辺は原発事故で住めなくなった所があるから生活保護は受け入れやすい、事情が事情だけにそうなりやすい、だから生活保護が南相馬市などでは相当に増えると思う。これもこの辺の大きな問題になってくる。ただこの老人の問題は別に原発事故とかだけの問題ではない、もともとこういう老人になるようになっていたのである。ギャンブルはすでにベテランだしそういう延長として仮設で暮らすようになり拍車がかかったのである。


●老人は金と暇があっても簡単に有効な消費はできない


人間は金があってもでは一体に何か使うかとなると結構むずかしいのである。その消費でも大金を使う家を建てるとかではないものに使うとすると意外とむずかしい。高級車を買うという人もいるだろうがその他に何か老人が消費するということはむずかしいものがある。趣味でもそれほど金をかけるのはない、20万のデジタルカメラを買う人は買う、でもそこまでしなくてもカメラは今は楽しめる。性能が安くても良くなっているからそうなる。昔だったら何十万のものが何万円になってしまっているのだ。だから趣味でもそれほど消費できないということがある。


消費するにしてもただギャンブルだな女だとか金をばらまくことは江戸時代にもあった。花街で大金を使う旦那様がいた。それもまたこの世である。いいわ類は別として金があればそういう使い方で消費するのも人間の世である。それで潤う人たちもいた。
それも経済効果があったとか言う人たちもいる。
消費という漢字が良くないのである。消は消すであり費やすだから何も残らない無駄なことが消費になる。浪費という観念が消費の漢字には多いのである。
でも本を買うことはむずかしい学問や研究の本を買うことは消費と言えるのか?
それは明らかに投資なのである。若者だったら明らかに本を買うことは投資である。勉強するための投資だから消費とは言えない、一見遊びと思えるものでも投資になる。
旅をすることは投資である。ただギャンブル旅行や女遊び旅行はまた別である。

旅することは意外とむずかしい。旅人になることは現代ではほとんどなれない。旅人は日々旅している人であり芭蕉のようになると人生そのものが旅だとなってしまった。
そういう生涯を送る人はまた旅に生きたとなり人生を消費したとは言えない。

自分でもふりかえっても旅することは登山でもそれは修験者が六根清浄と山に上ったようにこの世の欲から脱して山の空気に触れることなのだ。それは今でも同じである。
山に登るにしても旅行するにしてもいろんな雑念が色欲でもでてくる。
旅で出会って恋愛して結婚したなどという人は旅はしていない、そんな余裕が自分の経験ではない、旅することは次々に変わる景色を見るのにも集中しないといけないからそういう余裕がないのである。そうしてまで集中して旅しても大方は忘れてしまうのである。
旅では自然を感じて記憶に留めるにはその場で集中力を保たねばならないのだ。だから団体旅行は話ししたりして気が散るから覚えていることが少なくなるのだ。
旅で見た景色など忘れているのである。


現代では旅でも登山でもそういうものが全部消費で無駄だとは言えない時代である。
だから山を占領している中高年などは健全な方だろう。そういう場所も老人の場になっているしパチンコ屋にも白髪の老人が多いとか白髪のライダーも見かけるのも時代である。自転車になるときついからまれである。
前にも何度も書いたけど人生は何であれ何に時間を費やしたかで決まる。消費でも何に時間を費やしたかでありすべてが無駄だとはならない、むしろ現代では労働がすべて価値あるものとはならない、無駄な労働も膨大にあるのだ。そこでこき使われる若者も多いから不満になる。ブラックな会社で働かせられるから若者の怒りが生れる。

例えばエステなんかで働く意義がどこにあるのだろうかと自分には疑問である。
その労働だって楽ではない、それはただ金持ちの贅沢に使われているだけではないかという疑問がある。もちろん金持ちだけではないにしろそんなことに時間を費やさせられることがいくら金をもらっても貴重な時間を浪費しているのではないかと思う。
そういうことを批判したのがソーローであり森で一人生活した。
そういう時間を別なものに自然の美にふれるためにも使われるべきだということもあるからだ。世の中金になる金にならないですべてが判断できない、特に現代では無駄な労働が膨大にあるからそうなる。おそらく何らか金に強いられてしいる労働は本来の労働ではないと思う。

不思議なことは老人になると本当に働くことの意義が問われている。ある程度の金と時間の余裕ができると金に強いられて働かせられることがなくなるからだ。それで何か有効なことをしようとするとき消費しようとするときとまどうのである。
金と時間もできた、では有効に社会のために消費しようかと思っても簡単にできないのである。
なぜなら人間は若い時から誰でもなんらか精進してきたのもがありその延長でそれぞれの価値を求めて消費するからである。

その人も買うものにしても本一冊にしても価値を認めるから買うのである。花なんか価値がないという人は花屋などに行かない、茶の湯をやるにしても茶碗などに価値を認めない人はやらない、茶碗の価値を認めるにはそれなりの感性が必要なのである。消費するにもやたら何でも買えばいいとはならないのである。読書にしてもそれまでの積み重ねがあって理解力が生れてまた本を買っているのである。

バソコンなど老人はやらないのはめんどうだからである。老人になると面倒なことがやりたくなくなる。
特になんかバソコンにはそうしためんどうな設定などがありそれがめんどうになるのである。老人になると何かするにも億劫になるのである。特に細かいことが意外と疲れるから嫌になる。だから書類作成とか事務関係などが苦手になる。


●消費も過去の人生の延長でしている


老人が消費したいものは何かなどキーワードでくるがそれは老人がどういうものか理解しないとできないだろう。仮設住宅に住む遊興老人は問題があってもあとの余生はやりたいことはやり楽しむだけ楽しみ金は残さないという考えである。もうあとがないのだからやりたいことをやる、楽しむだけ楽しむ、そのあとのことは考えないというのも老人の考え方の特徴である。先がないということでそういうふうになる人も多いから犯罪でも犯してもやりたいことをやるとなり問題になる。それも老人には先がないということがもう死ぬんだということがあるからである。この気持が若い人にはわからないのである。

老人になるとき消費はその人のこれまでの人生で培った価値観が反映してくるからいくら金と時間があっても簡単にできない、ギャンブルや女遊びをするというのはその人はもともとそういう人生たったのである。それ以外の価値観がないのだからその延長としてそうなっているだけなのである。その人に学問だ芸術だとか言ってもわからない、それでも桜がきれいに咲いているんだよなと言う時、何か全然美を感じないということでもない、でもそれもついでに桜が咲いているから見ているだけかもしれない、目的はギャンブルでありギャンブル人生だったともなる。

そして老人のそうした話を聞いていると人間ってつくづく結局酔生夢死だと感じてしまう。精神を病んだトラック運転手でもそうだった。今やただ夢の中で過去を話す時、トラックが走っている。その過去を話す時生きていたことがよみがえってくる。
その人の人生はトラック人生でありトラックに乗っていたときに生きていたのである。
だから認知症になってもそうした過去のことを話すと生き生きしてくるのである。

小さな畑を耕している女性のことを書いたがあの女性も農家の生まれでありあの小さな畑を耕している手入れしているのは人生の延長としてしているのだろう。何かあの小さな畑に思い入れがある。農家の人にはそういうことがある。農家の人にとっては畑であれ田んぼであれそれが例え野菜でも買うことかできても金があっても自分で作ったものを食べたいということがある。田畑をもち食料を自ら得るということに価値観をもっていることがある。だからそういう時間はすべて苦労とはいえないかもしれない、ただあまりにも強いられた労働となると何でも苦痛になるのだ。

消費だって強いられては消費できないのである。だから変な話だが有効に老人が消費できないなら未来の若い人に消費させるべきだ投資させるべきだとなる。老人は有効に消費できない、だから若い人に金を回すべきだというのはわかるのである。有効な消費が簡単にできないからそうなる。

自分も自転車が好きだったけど実際は40以後からはじめたから詳しくない。
十分に自転車を楽しんだとはいえない。まずロードを知らなかったしそれは50代の後半で一台買ったけどほとんど乗っていない、他にもいい自転車を買ったけど乗らなかった。
そのうち体力がなくなり電動自転車にしか今は乗っていないのである。
つまり時間切れになり自転車もいろいろのりこなしてしいないのである。
自転車のりこなす消費するといってもこれも体力も消耗するしエネルギーがかなり必要である。車で旅行するのとは違っている。40以後はすでに自転車旅行は変人にもるなるからだ。人間の生きる時間は限られているから何でもこうなりやすいのである。
つまり人生は何に時間を使うか消費するかで決まるのである。
そして結局何にするにしても十分に消費できずに終わっているのである。

老人が何がほしいかという時個々人でも違っている。なぜなら多様な人生を反映しているからである。これがいいなどというものはなくなっていくだろう。若いときならいい車だとなっていたかもしれないがそういうふうに一つには決められないだろう。
自分にしても介護老人であり肝心な家事も手伝ってもらう人もいない、金があっても肝心なものに消費できないということがある。
だから金持ちでもなんでもない、介護老人であり下男であり金が多少あっても何ら有効に消費できないのである。

2014年01月30日

母がつまづいて動けなくなりまた入院 (認知症になって白痴化して仏様のようになるというのもありうるのか)


母がつまづいて動けなくなりまた入院

(認知症になって白痴化して仏様のようになるというのもありうるのか)

トイレまで一人で押し車でで行っていたが何らかの調子でつまづいて足をいためて動けなくなった。トイレに一人で行けなくなった時点で本人も介護する人も一段と苦しくなる。トイレに自分で行っていること食事を自分でできることは寝ていても自立できるのである。そこから自立できなくなるから苦しくなるのだ。
老人にとって一番怖いのが転倒でありつまづいたりすることである。
その衝撃が大きいのである。弱っているからそこで寝たきりになる度合いが強いからだ。オシメに変化することも大きな変化でありそれは自立できない状態への変化なのである。ただトイレに行くとポータブルトイレに座るがそこから立てないので夜でも呼ばれるので一人では苦しいと救急車を呼んだ。

近くのかかりつけの病院に入れたので助かった。最初診療してもらうき思ったが介護タクシーが一万だというのには驚いた。介護タクシーがそんなに高くなったのは原町からと

相馬市から来るとするとその時点で普通のタクシーでも原町でも四〇〇〇円近くとか相馬市だと五〇〇〇円だった。だからそのために鹿島区ではこんなに高くなっていたのである。一割払うだけでいいとかではない、この金額がまるごとかかるのである。
だから鹿島区に南相馬市で介護タクシーをおくべきだというのもわかる。


病院は意外とすいていた。空室が多いからすんなりと入れた。双葉の方からも若い医者が入ってきて意外と医者が多いと思ったがそうだった。原発事故で双葉の病院や浪江の病院が閉鎖したからそこから医者が南相馬市の方に移ってきていたからだ。
一時は混乱していたが満員だったが落ち着いたので今はかえって空いているので助かった。ただ病院には長くいられないのが弱点である。長くても三か月であり診断では一カ月くらいだとするとすぐにだされてまた介護である。

ただ母の不思議は認知症になって耳もほとんど聞こえず話が通じないのだが全く通じないというのではない、大きい声で話したり何度も話すと感でわかるときがある。
口を読むなどという人がいたが要するに何か今までのつちかった感が働いているからわかるということもある。
だから全くわからないということではない。

母は性格的に素直でひかえめでおとなしい性格である。何か人に逆らうようなことはしない、従順である。それは自分の性格ともにていた。自分もまず人を指導するような上に立つより何か人に命令されている方である。
そういう性格だからあれだけ金にこだわっていたの「金のことはわかんねえ」と言って笑っている。大金を盗まれたと言ってもそのことが何なのかわからないのである。

一方で認知症でも最後まで金にこだわって盗んだと猜疑心が強くなる人もいる。自分の家族の一人はそうだった。つまり認知症の症状は多様であり一つの療法などないのである。人間の生い立ちや環境や性格は違っているからだ。

母のようだとずっと介護でめいわくかけても楽だなということは自分でも他人でもあるだろう。わめきらさしたり迷惑かけないということがあるからだ。
認知症になって仏様のようになったとか言われる人もいる。
金にこだわらないことにこにこ笑っていることは馬鹿なのだけど何かそういう感じもする。白痴に神的なものがあったなどという小説もあったりするからそういう面が出ているのも不思議である。
金に異常にこだわっているのは欲望が金にあることを知っている。だから認知症になっても欲望が強い人は以前として銀行のことが何かわからないにしても金の大事さを知っていてそこにまだ深い欲望があるから盗ったともなるのだ。


母の場合は自分でためた大金を盗まれても怒っていない、笑っている。
母は金にはシビアだった。やはり金、金、金と言っていたのに不思議である。
認知症になっても金のことを忘れない人はいる。だからもの盗られ妄想が激しくなるのだ。
馬鹿になったからだというのもそうだが認知症になってもかえって
もの盗られ妄想は金の欲望がありこだわるからそれで暴力とかになったりする人もいるから
その相違は大きいとなる。認知症にはその人の性格がでてくる。
感情の起伏の激しい人は認知症になると悪化しやすい。おとなしい人はおとなしいぼけ方になるようだ。


2月4日が99歳の誕生日で市から一万の商品券がもらえる。
それは病院でもらえることになってしまった。


午年もまた波瀾なのか、株は波瀾含みの乱高下している。自分も何か一月からそれなりに波瀾はあった。何かやはり走っているのだ。
ただ今の自分の健康状態は普通であり良くなっているから負担でものりきれるという自身がある。身体障害者だったときその負担が何倍にもなっていたのだ。
自分自身が病気で介護することは楽じゃない、何倍もの負担がのしかかるのである。
人間の最大の負担は病気である。老いというのも機能が衰えるから一種の病気であり
自分自身が負担になるから辛いのである。

ともかく今年も午年で駆けめぐるようにして一年が過ぎるかもしれない、そんな予感もする。
 
 

2014年02月03日

近くの病院で入院してすぐに退院を要求された (それには国の診療報酬の仕組みのためだった)

 

近くの病院で入院してすぐに退院を要求された

(それには国の診療報酬の仕組みのためだった)


理由は個人の入院期間が短期なほど「基本入院量」が高いのです
 そして入院患者全体の「平均在院日数」が短い病院ほど
「基本入院量」が高いのです

平均在院日数を10日以内の病院と30〜40日の病院では
1人1日当たりの入院基本料は大変な差が出ます
入院患者は誰でも出来るだけ早く退院させた方が
高額の入院基本料が稼げる仕組みになっています


入院基本料は看護師の配置人数によって異なり、1人の看護師が受け持つ入院患者が7人だと一番高くなります。
そして、患者が10人、13人、15人と増えるごとに、基本料金は安くなっていきます。
看護師の配置が7対1の施設基準を届け出るには、入院患者の平均在院日数が18日以内で、
入院患者のうち重症患者が15%以上という条件もあります

http://yukan-news.ameba.jp/20131112-115/


治療不要な(=入院の必要性が無い)患者を預かっていても、病院側は利益が殆ど無いどころか
その患者が転倒してケガをする、食事を詰まらせる、無断外出する等々のリスクだけは
しっかり背負わされ、病院側は大変な負担です。
更なる退院の引き延ばしには一切応じない姿勢で臨むのは、必然なのです。

病院でのケアは家庭のようにいかないので、痰にしてもすぐ取ってもらえるわけでもなく、
家にいるときより悪化してしまい、あっという間に終末期になってしまう人もたくさんいます。
連れ帰って、元気になってるかたもたくさんいます。


岩手県議・小泉光男氏が、
 病院で名前ではなく番号で呼ばれたことで
「ここは刑務所か?!」と怒りをブログに掲載して話題になってますね



鹿島の厚生病院はは忙しい、看護師もあわただしく動いている。そして患者を良くみていない。
母はポータブルトイルになんとか自力で行けるからオムツが必要でなかった。
でもオムツとか他にも必要ないものを買わされた。それですぐにそれはいりません、
リハビリパパンツ買ってくださいとなった。それでまた出費がふえた。
おむつば6000円くらいかかった。

そして今日はもう先生が退院を決めたので退院する準備をしてくださいといわれた。
三日しかたっていないのにもう退院しなければならないのかとあせった。
一週間くらい伸ばしてくれと言ったがもう先生が決めたのでだめです
ケアマネジャーと相談してください

それでしかたなくケアマネジャーのところで相談したら自分には何の権限もないです
医者と看護師さんが決めることですと言われた

入ったばかりで出されるのは困るのです、まだふらふらしていますし無理です
はい、わかりました、明日先生に診断してもらい決めます
一週間くらいなら延長可能でしょうと言われた


それにしてもその看護師の態度が性急すぎる、
入院したら退院してくださいと頭の中にすりこまれている
数をこなさなければならない、次々に患者がきて入れ換えしなければならない
そういうことに毎日に追われているから
「入院したら退院して下さい」
という感覚が身についてしまっているのである。
もう相手の状態さえゆっくりみていられないのである。

もちろん病院はどこでもそんなところだということもある。
患者が番号で呼ばれて議員が怒ったというのもわかる
それは病院は次々に患者をいれかえないと収入にならないということがあり
もうそういうことが医者でも看護師でも頭にすりこまれているから
そんな言葉がぽんぽんと遠慮なくでてきていたのである。


病院と死んでもとむらうことなど医者も看護師しもない邪魔になるから早くかたづけてくださいづ、次がひかえていますからとなる。
人の死は見慣れているし何の感懐もないのかもしれない、人間はモノ化しているのかもしれない、番号となれば数字にもなる。
それはここの病院とは限らないだろう。
一丁あがりとかの感覚なのかもしれない、そんなふうに病院では死ぬのも当たり前だからである。

ただこの辺は原発事故などで特殊な事情があり他の病院よりそんな性急な態度になっているのかもしれない、だから医者と看護師がいるだけでいいということであまり不満はいえないのである。
ただ今回はあまりにも性急すぎてこっちも大迷惑したので文句を言ったのである。
文句を言っても謝りもしないしかえってめんどうなやつだとかなくだけである。

今や病院でも施設でも建物は新しく建ってもこの辺では中で働く人を看護師でも介護士でもいないから
百人収容する施設が病院に隣り合ってできても一部しか入れないのである。
この辺は特殊な事情があるにしろこれから高齢化社会ますますこういう状態が極端になってくるかもしれない、
国ではもう老人をめんどうみる予算もないから早く死んでください、
治療はそんなにできません、病院は早くでてください、では施設に入れるかというと入れないのである。
百人入れる施設でもこの辺は特に若い人が流出しているから働き手がないから
立派な施設を作っても宝の持ち腐れになるという危機がある。

これからこの辺はどうなるのか?老人は病気になったら治療も満足に受けられず早く死んでくださいとなるかもしれない、
そういう政策を国では現実にとりはじめているから病院でもこんな対応になっているのである。


つまりもう病気になったら早めに死んでください、元気ならいいです、
介護状態なったら手のかからないうちに早めにしんでください、
・・・・そんな対応になってくるのだろう高齢化社会に国でも対応仕切れなくなっているのだ。

そして最後は中世のように鎌倉時代のように野垂れ死にがふえるかもしれない、
うば捨て山がふえるかもしれない、前にも書いたけどそういう覚悟も高齢化社会では必要になる時代の到来なのか、

一方で102歳の自転車乗りがフランスにいたことには驚きである。
自分もあんなふうにして走り続けられれば最高だなと思った。
あういう人なら別に社会の負担とはならないからである。
ともかく超高齢化社会はすでに否応なく突入しているのだ。
それで様々な問題が現象化しているのである。


痰をつまらせて南相馬市立病院ではそれをとるのに悶絶して大声をあげて苦しんでいる90歳くらいの老人がいた。
隣だったから眠れなかった。
家でした方がいいというのは意外だった。それも家族の負担が大きい。
看護師はその痰をとることで苦しんでいる老人をみて笑っていたから悪魔でもあった。
その人は身寄りのない隣の老人ホームにいる人だったのである。
身寄りのないということはこういうことなど悲惨なことになるのだ。
それは自分も経験しているからわかる。
患者でも家族でもみていないとそうなるのである。
実験材料にもされるし看護師にぞんざいにモノのように扱われるのはどこでもある。
病院でも老人ホームでもある。それが高齢化社会の現実なのである。


もう野垂れ死にを覚悟せよ!


病院の方/か残酷だということもあるからだ。
そういう覚悟をしていればその方が楽だともなるそういう死に方さえ要求されている時代になっている。
延命治療とか介護でも今はぜいたくすぎるのだろう。
昔はみんな悲惨に死んだのである。
オムツがなくて藁だったという話しも聞いた。

病院には病気はみても人間はみないところと知るべき
病院には医者でも看護師でも病気はみているが情はない
だから死ぬなら情のある家族にみとられるのが幸福だとなる
延命治療なんかしない方がいい
ただ苦しめられて情のない医者と看護師が冷たくみているたげだからである


それなら野垂れ死にの方がましだとなる


病院はただ死体をかたづけるだけの場所であるとしたら何ら変わりないからである。
そういうことでこれからはなんらか老人は死を迎えるのに覚悟が要求されている。
もちろんみんながそうではない、102歳まで自転車に乗れる人もいるからだ。
ともかく病院がどういうところかは知っておくべきである。

 

2014年02月16日

介護もカルマだった (親の介護は個々人によって対処が違う)


介護もカルマだった

(親の介護は個々人によって対処が違う)

私ならば、母さんに面倒を見てもらった年数を数えて、その年数お母さんの面倒をみて、「借りは返しました。出て行ってください。」と言います。トピ主さんがまず自分を大切にしないと、他人を大切にする事は不可能です。
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2004/0723/008828.htm?o=0


インターネットには様々な意見や体験が述べられている。
探すのがめんどうだけど確かに参考になる

介護は兄弟がいればかわいがられた方が親の介護しろとかなり
自分はかわいがられなかったからお前しろとかなる
つまり親と子供のかかわり方によって変わってくる
親を嫌っている子供も普通にいるからそうなる
つまり介護はそうした親子の関係が現れやすいともなる
だから義理の母とか父になると介護したくないというのもわかる
何ら世話されたこともないからである

つまり介護になるとそうしたカルマが如実に否応なく現れる
そしていくら介護を強いられてもしたくないという人はしたくない
それはカルマが関係していた

母さんに面倒を見てもらった年数を数えて、その年数お母さんの面倒をみて、「借りは返しました。出て行ってください。」

ここまでカルマを数字でさえ計るのは借金を返すカルマとにている。
カルマはこれほどまでにきちんと計られ受けたらその分と同じものを返すことを要求される。
カルマは借金のとき一番わかりやすいのである。
10万借りたら10万のカルマが生じて百万借りたら百万のカルマが生じ千万借りても同じである。
おそらく10万盗んだら10万のカルマが生じ・・・となっているかもしれない
そういうふうにカルマの掟は厳しいものがある
一方的に過剰に要求したりまた返さないこともカルマをさらに負うことになる

奇妙な話だけどある雇い主が従業員に給料を払わなかった、その分をある家で世話になり何故か無料で援助してくれた。その人は何度も雇い主が払わないことを抗議していたのである。それは正当な抗議であり労働基準局に訴えるとまで言っていたしそういう権利もあった。それは半年以上給料をもらわずに働いていたから怒りがおさまらなかったのである。ただ雇い主は払う気がないし今ではその店は客もめっきり減ったので払えないという状態にある。繁盛していた時は給料は払っていたのである。
ただ払わないという時そこに何かは従業員に対して申し訳ないとかこれは少しだけどもらってくださいとかという心使いがなかったことも怒らせる原因になっていた。

でも不思議なのはその人に対して援助する人があり多少の金は払われたのである。
するとカルマの関係は複雑となる。

三者の中にカルマの因果関係ができていたのである。

karumamamam11.jpg


この図のようにカルマを負ったのは店の雇い主である。
それは客であった第三者が雇い主がはらむなかった給料の一部を払ったのだから
実は客である人に店の雇い主はカルマを負っているのだ。ただ雇い主はこのことに全く気付いていないのである。
またそれを知らないからそうなる。
つまり従業員にもカルマを背負ったし援助した客にもカルマを背負うようにっていたかのである。
こんなことを何も思わないし何も考えないだろう。
今でも別にその援助した客は店を気に入って行っているしその客自体も雇い主にカルマがある、
借りがあるとも思わないしまた雇い主もこの人はただの関係ない客の一人だと思っているのだ。

カルマは実際は複雑な社会で人間関係でどこに発生しているかわからないし気付かないのである。
でも気付かなくてもいつか気付かされきっちりと払わされることが怖いのである。

介護に関しても自分が家族を介護したのは複雑な事情があった。
60近くまで食事でも何でも世話してくれた。
それが当たり前だと思っていたのである。
しかしそのことは他の人より大きなカルマを知らずに背負っていたのである。
つまり介護はそれだけ世話になったとなるとせざるをえないし文句もなかなか言えない
そういうカルマがありそれを今自覚させられたのである。
カルマは本人が気付かないことが多いがいづれ気付かされそのカルマを借りを返すことを要求されるのである。
もちろん返さなくてもいいがするとさらなるカルマを負いいつかまた何倍にもなってカルマの借りの返還を要求させられる



もしカルマを借りを返せないとどうなるのか?


それは来世で返すことを要求される
生まれ代わり返すことが要求される



つまり今の不孝な状態はカルマを返していないとまでなるのだ
こうなったらカルマも何代もつづくとなると怖いことになる。
前世の因果でカルマでお前はそうなったとなることが言われると同じである。

おそらく客がその雇い主の店を気にいってまだ行っているというのはそのカルマと借りと関係しているかもしれない、
カルマを返してもらいたくて行っているのかもしれないということである。


カルマの法則
●この世ではカルマ(借り)を返さない人が実に多い
●カルマは気づきにくいため
●でもカルマは確実に返すことを実際の生活で要求される

●できない場合は来世へまたは次の代へとカルマは(借り)は引き継がれる

家系の因縁とか興味ある人が多いし調べている。それはなぜか?
人間の出会いとか親戚関係とかいろいろなことが謎が多いからそうなるのだ
それを解きあかそうとしても不可解なものが多すぎる
だからどうしてとなるのだ?
その一つに確かにカルマの法則がありうる
すべてではないにしろそういう法則が人間に働いていることは確かである

人間は必ずどこかでカルマを作っているしそれが気付かなくても
実際の生活で自覚させられる
なぜこんな苦労するのだというとき
それはカルマが関係していることがある
ただそれを解きあかすことが数学でないのだから複雑すぎるから気付かないのである



 


2014年02月18日

病院は看護師不足、老人ホームは介護士不足で入れない (南相馬市の病院、介護の危機的状態)

 

 病院は看護師不足、老人ホームは介護士不足で入れない

(南相馬市の病院、介護の危機的状態)

震災前は入院してすぐに退院してくださいとかならない、まだ余裕があったのだろう。
今日入院した近くの知っている同級の人は兄が心不全となり入院したが土曜日に退院しろと言われてそうなる。
自分は25日でありそれでも退院許可が出たのですぐに退院してくださいという時は驚いた。
退院支援援助で一週間伸ばすことができて余裕ができた。
男のベッドは空いていないとか男より女性か優先されているのかもしれない。
近くだから悪くなったらまた入院してもいいとは言っていた。

その同級の人がなぜ老人ホームに入れないのかもわからない、
最初は兄と二人で障害者一級の人と92歳の母を介護していた。
その後一人になり兄が病気になり今や三人も介護している。
これでも老人ホームに入れない、7年前から申し込んでいるとかこんなひどい人が
特養でも入れないとしたら自分などここでは絶対に入れないと思った。
南相馬市では特養など老人ホームに入るのは絶望的だとなる。
老人ホームの問題は空きができるのは死ぬときしかないとしたらなかなか空きが出ない

確かに100人収容の施設が鹿島厚生病院に連結してできた。
それもすでに入っているという、でもそこで働く人がいないのだから収容できない。
看護師不足で看護助士というのが何人か働いていた。
おそらく介護士募集しても来ない、するといつまでたっても施設には入れない
建物ができても何の役にもたたないとなる。
建物がなくても人がいれば介護などはやれのである。

兄二人その一人が障害者一級で92歳の母の三人を介護できるのか?
これだけの人が施設に入れないということは相当な危機的状態にある。
本当に見捨てられて野垂れ死にか共倒れになる。

この辺では津波や原発事故で若い人の流出や看護師不足で介護士不足で危機的状態にある。

こういうとき原発避難者が毎日パチンコでパチンコ屋で働く人がいなてくて困っているなどといっていることが腹ただしくなる。
補償金をたんまりもらっているから遊んでいればいいんだいう時は三年目で終わっている。
もうかわいそうな人たちではない、かわいそうな危機的状態の人は他にいる。
だからもうそういう人たちに同情する必要はもうない。
なんとか自分たちでするべきでありボランティアに頼る時も終わっているのだ。
復興にしても外部の人頼りで自分たちただ補償金をもらって遊んでいればいいとなっているの異常である。
そんな人たちを外部の人でも助けたくなるだろうか?
二年目くらいまではしかたないという面はあり一年目とかでそういうことは酷だった。

三年目からそうはいかない。もうかわいそうだという同情の時は終わったのである。

いづれにしろ介護は全国でも危機的状態になってくる。国で在宅でしろといっても人手がない家族が多い。
そうなるともう野垂れ死にとか共倒れとかそういう悲惨なことが現実になってくる。
それはもう身寄りがないということだけではない、もうそれだけの老人を世話することができなくなっている。
そうなるとめんどうだから早く死んでくださいということが現実化してくる。
安楽死だって容認されるし医者も看護師も見放してしまう。
それが非情でもめんどうみきれなくなっているのだ。

それだけ追われると医者でも看護師もそういう目で見ている。
一人へれば死ねば病院も空いて楽になる。
同情する余裕もないわ、次から次と老人が入ってくるんだから
そういう病院に入院してももう早く死んでくださいとなれば
病院に入る前に死んだ方がいいともなる
そういう時代に突入している
もう増えすぎる老人のめんどうは見切れない時代に現実になっている

2014年02月20日

在宅介護を強いられて共倒れになる (津波、原発避難者優先で施設にはこの辺は入れない)

 

在宅介護を強いられて共倒れになる

(津波、原発避難者優先で施設にはこの辺は入れない)

なぜ原発被災地域で老人ホームなどに入りにくいかとかいとう津波、原発避難者が優先されるからである。
在宅でできないからどうにもらないなと優先される。
そもそも津波被害者は家がなくなっているのだからもう在宅ではできない、
そうすると相当数の人が被害にあって仮設に入っているのだから余計にこの辺では入れない、
これは津波の被害にあった地域では共通している

ただこの辺では原発避難者がそれより多い。

特に南相馬市の問題は小高区の人たちが大勢避難していることである。
原発避難者は優遇されている時、それはイワキの方で良く言われて
双葉や大熊の人たちの車が傷つけられたりした
南相馬市では起きていないがこれから不満が大きくなって同じようなことが起きるかもしれない

一年二年は大目にみていたが三年目になると回りの人の目が一段と厳しくなる

現実に
津波被害者と原発避難者が優先して老人ホームに入れるので入れない人がいる


二人も介護していて施設に入れない人がいるのもそのためである。
それはこうした事情があったからである。
つまり南相馬市では小高区の人たちが優先的に施設に入れるが他は入れない
そのこともやむをえないとしても他では不満になる
そして小高区の人たちは補償金をたんまりもらってパチンコなどだと遊んでいる
南相馬市のために何かするわけでもない
金があるから遊んでいればいいのだとなる
そうなると小高区の人たちへ憎しみさえ生れてくるだろう


そして100人収容の新しい老人ホームでも10人介護士を募集しても来ない
建物ができても中で働く人もいない
だから民主党の「コンクリートから人へ」という政策は実際はまちがっていなかった
コンクリートという建物より働く人の方が大事なのである。
コンクリートの建物がなくても働く人がいれば介護などはできるのである
最初に人を集め次に建物を作れば良かったのである。
それが今やどこでもできないのである


全国的にも在宅介護を強いられて共倒れになる恐怖


ここだけではなく全国的に介護は在宅が強いられて老人ホームには建物が建っても人手がたりないとか入れない、
政府では在宅を奨励しているがこれも在宅でも核家族化などで
人手がない、一人暮らしも多い。つまり在宅で介護できる人は金銭的な面だけでなく人手の面でも余裕ある家なのである。
これはここだけの問題ではないすでに深刻な問題となっている
だから介護殺人も日常的に起きてくる時代になる
いづれにしろ小高区の人たちはもう小高に帰るべきである

放射線量も低いのだから放射能の問題はない
帰って自宅に住むと補償金がもらえないから仮設に住んでいるとか働かないというのは許されなくなっている


要するに南相馬市の負担を減らすには小高区の人たちは小高に帰れ!


つまり原発避難者は特に帰れとなる。復興住宅に入れるのは津波被害者であり原発避難者ではない、
原発避難者は早く小高に帰れとなる。
なぜなら土地を取得するのも大変だし南相馬市で小高区の負担を全部を背負うことはできない、
国で援助するといっても負担は地元にかかってくる。
土地の問題でも小高には土地はあるし家もある人が多いのだから小高に帰るべきである


小高区の人たちはもう小高に帰れ!

帰らないならなんらか自立する方法を考えよ、補償金頼りで遊んでいる人は帰れ!

 

2014年02月22日

東日本大震災から2年 追い詰められる介護現場 ―福島県南相馬市からの報告―

 

東日本大震災から2年 追い詰められる介護現場

―福島県南相馬市からの報告―


南相馬市の北部にある介護老人保健施設「厚寿苑(こうじゅえん)」です。震災直後、一時は休止に追い込まれましたが、
市内でもいち早く活動を再開しました。

現在、およそ20人の介護職員で、50人を超える入所者のケアに当たっています。

この地域は、以前から介護の人手不足に悩まされてきました。震災以降介護を必要とするお年寄りが急増し、
今まで以上に厳しい運営を強いられています。58床あるベッドは、ほぼ満床状態が続き、260人を超える人が空きを待っています


100床ということで、12月に新しい施設が開設予定なのですが、未だ働く人が集まってきていません。先ほども話したように、30分でも、1時間でもいいんです。利用者さんとゆっくりお話していただけるような、ボランティアの方でも良いので、この地域で今困っている人のために、一人でも多く働きに来てくれる仲間を期待して待っております。よろしくお願いします。
http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/summary/2013-03/11.html

今問題となっている療養型病床である。療養型がなくなると「介護難民が出る」という言い方は間違いである。いわゆる老人病院から療養型を整備する時に、収容するための箱をつくりすぎたのである。



震災以後この辺の病院介護は危機的状態になった。介護する人も増えた。避難中に認知症を発病した人もいた。もちろん病気になり介護状態になった人もいた。
そういう状態の時、若い看護師介護士が南相馬市から流出した。
それも大きな痛手となった。その後も看護師と介護士は集まっていない
それで新しく建てた老人の施設も人手不足で100人収容でも機能していない

それはこれまでもここだけの問題ではなかった。老人施設はどこも人手不足に悩んでいた
箱ものは作ってもそこで働く人がいないのである。
病院とか介護では建物より人の方がより大事になる。
人手が多ければ多いほどいいのである。
介護する方も介護される方も楽になる。


在宅で苦しいのは今や家でも人手がない
一人で介護している人も多い
一人で二人を介護している人も多い
この辺では別に人手がないというわけではない
現実に3000人くらいの人が仮設に入っているけど
この人たちはほとんど働いていないからである。
毎日昼間から酒飲んでパチンコして遊んでいるのが多い
東京の方まで遊びにでかけている老人もいる

こういう危機的な状態の時
バチンコ屋で人がたりないとか言っている人がいた
これも馬鹿らしいのだけどそういう現実もあった
自分は介護していてもそんなこと見てみぬふりである
これは個人的でも今は南相馬市全体に起きていることなのだ


ボランティアの方でも良いので、この地域で今困っている人のために、一人でも多く働きに来てくれる仲間を期待して待っております


こういう危機的場があるのに遊び暮らしている。
補償金で遊んでいればいいという意識がある
こういうところに復興などあるのかと思う

遊んでいる人は南相馬市から出ていってくれ

これは自分にも問われているがここはそういう余裕のない場所になっている
遊ぶといっても数が多いのだからどうなっているのかと思う
要するに生活保護特区のようになってしまったということである。

そこではこれからも精神的荒廃がひどくなる
働くことがすべて価値あるものではないにしろ
南相馬市民の半分くらいが働かない人となるとどうなるのかということである

病院では入院したらすぐ退院してくださいというのには驚いた。
近くの人は本当に入院して三日くらいで抗議しないから退院させられた
何か看護師に愛想もなにもない、ぴりぴりして早く出したいというだけなのである。
それだけ他とは違い余裕がなく逼迫していたのである。


川内村に移住した外部の人は補償金で郡山市などで贅沢している村民を見てこんなところでは住めないと出て行った。
そういう生活はいいように見えても精神的に荒廃してくる
だから川内村のいい所があって田舎のいい所があって移住した人も出て行った。
何か前は貧しくてもいいものがあったがそれも失われた。
そういう荒廃が起きて経済的なものだけではなく精神的にもこの辺は荒廃して衰退してゆく


ナーニ、補償金で暮らせばいいんだ、何か努力しようにもできないよ
もう年だからあきらめるたよ

こんな精神状態が子供に影響してくる
そういう雰囲気は街自体にも影響してくる
そしてこういう場所は外部からのものにも嫌われてやがて来る人もいなくなる
震災から三年後の状況はもうかわいそうだだけでは解決しない
そういういつまでもかわいそうだかわいそうだというときそれに甘えてしまい何も解決しない
そういう甘えから脱することが復興へつながる。
でも現実は悪い状態に向かっている

 
 

2014年02月24日

看護、介護がなぜ在宅がいいのか (病院や施設で人間を数として見ている)

 

看護、介護がなぜ在宅がいいのか

(病院や施設で人間を数として見ている)

家で介護している限りはその人は家の価値観の中でその人をみている。
家族でも千差万別だからその人が家族でどういう立場にあったの人なのかわかりにくい、
最近つきあった人も本当にわかりにくい、前の夫とともつきあっているし
障害者の息子ももっているしなんかわけわからなくなる
家族関係は本当はその家族しかわからない人間関係をもっているのかもしれない
だからその人が家族でどういう立場になったのかはその家族でないとわからない

自分の家族も外から見たらどんなことしても理解できない家族だった
そんな家族関係があるのかと不思議に思ってしまうだろう。
でもそういう家族の中で自分は育ったし最後も看取ったのである。

介護の時はその人の価値づけは家族の中で行われるのである。
家族の中でどういう働きをしたか立場にあったか、
家族にどいうふうに尽くしたかとがが問われる。

だから実際の親子関係でも全く親の働きをしなかった人もいるから
介護の時は粗末に扱われることは普通にある。
ただ害を残しただけだとそうなってしまう。
介護で自分が世話になった分しか介護しないというのもそのためである。
だから兄弟でも姉妹でも一番かわいがられたものが介護しないとかなる
親でも価値づけが兄弟姉妹で変わってくるからである。


この家族から一旦外に介護になるとまた違ってくる
ただそこではそうした複雑な家族の関係や価値づけとは違ってくる。
家族という価値づけの世界から社会的公平な価値づけが働く
それは個々の複雑な家族の価値づけではなく平等の原理が働く
その人が家族の中でどういう立場にあったのかなど関係なくなる
一人の介護者でありそれは誰々の家族というものではない
一人の病人であり介護者である

それはただその病人の様態で介護度で決められる
少しでも歩ければ早めに退院してくださいとなり
まだ重傷で歩くこともできなければ長くなる
その人がどういう家族の中で生きて来たかなどは関係ない
だから今では特養でも介護度が優先順位になる
前は身寄りがない人が優先的に入れた
今は介護度で決まりやすい
その他いろいろなことを考えても他人にはわからないからである。


結局病院や老人ホームでもそれは頭数で考える
病院では収入を増やすために一人一人の事情など考慮することはできない
10日入院だと収入が多くなるから少しでも歩けるようになったら出てくださいとなる
そして新しい人を入れることに力をそそぐのである
一人何日入院していくらだと絶えず頭で計算して対処しているだけなのである。
それは老人ホームでも同じである。


例えば経済活動でもレストランでも頭数をふやさないと利益があがらないから
一人は単に定価分を払う数にすぎない、それが経済活動である
同じ金額を払うのだからその人が特別な人とはどこにもならないのである。
数をふやせば利益もあがる。それが日常の経済活動なのである。
これは政治活動でも同じである。
一票は頭数であり数を集めない限り選挙には勝てない、
だからどんなに社会に貢献している人でも生活保護の人でも何でも一人一票なのと同じである。
カルト宗教団体でもこれは同じ考え方で人集めをする
頭数が集まればそれが数として社会へ反映させられる
それも経済活動の一環と同じなのである。
社会活動や経済活動ではその人が特別だということにはならないのである


だからそんなふうにただ頭数として計算され処理されることはわびしいとなる。
病院では死んでもそうなる。すぐにかたづけてください、葬儀屋は呼んでありますとか
ただ金として頭数で計算されて火葬場に送られる
その人をいたむ心はないのである。
でも現実に家族でもないとしたら看護するにしろ介護するにしろ
家族のようなまた何かその人への思い入れをもつことはできない
だから介護度で判定してあとは数で処理するのである。

だから議員ですら番号で呼ばれたとうことがあって怒った。
つまり病院や施設では本当に番号として処理されても不思議ではないのだ。
その個別の人間として扱う余裕もないし患者も介護者も番号として処理される

医者でも看護師でも介護士でもその人に特別思い入れをもつことはなかなかできないだろう。
次々に患者は苦し病人も苦し介護者も来るからである。
だから病院では金の計算が先になる。
早く退院させて回転率を良くしてゆくと金は効率的に入ってくるからである


ただ人間にはそれぞれの人生が個別的人生がありそこに価値がある。
それを病院や施設では考慮できない、病院では病人でありその病気をみる、
施設では介護者としてみるだけである。
家族でみるときは複雑にしろ家族的価値観でみている。

また人間には個別的人生があり価値観がありそれが本来の人間を価値づけている。
そういう方面の価値は誰かみるのかとなる。
自分はその人の話しを聞いてそういう苦労をしたんですねとかあいづちをうったりして聞いたりしているとき
相手の人生に入りその価値を認めているのである。
認知症の人でも最後まで人間としてのプライドをもっている不思議がある。
だからあなたは戦争で苦しみいろいろと辛いことを経験して生きてきたのですねとか
話を聞いてやると満足するのである

こういうことは医者も看護師も介護士もしているのはごくごくまれである
そんな余裕がないのが現場だからである
そこで人間がモノのように処理される
だから病院とかで死ぬのは嫌だとなるが最後は病院で死ぬのが8割になる

かといって在宅介護は家族にとって重荷になりすぎている。
家族が少ないからできないのである。でも国では在宅介護がおしつけているのである。
本来はそうあるべきなのだがそうできない、そこがまた介護の大きな問題なのである。
いづれにしろまた退院したら前より介護は苦しくなる
介護とが増しているからそうなる。
ただ介護される方にとっては家がいいとなるのだろう。

食事の面では病院の方が良かった
食べやすいものが出されたからである。
家だと自分はそうしたものを作れないからである。
介護を家でするのには人手が必要なのである
人手はあまっているけど活用されていない
介護士とか専門の人だけに頼るの無理がある
隣近所で昔はしていたというのもわかる
介護はそんな専門家ばかりに頼っていたらめんどうになるだけだからである。


いづれにしろ現代社会はみんな経済的には頭数として計算され個別的なものとして価値を認める所はない、
江戸時代あたりの方が人間を個別的にそれぞれの立場を尊重してみていたかもしれない、
それは人間同士が濃密に交わる社会だからそうなった。
交わる場所も村とか狭い場所だからそうなった。
ただこれもいろいろ見方がありわからない
ただ江戸時代がすべて貧困などばかりでいいことはなかったなどとはみれない
江戸時代には江戸時代なりの人間の価値観がありそこではかえって現代のように
数としてだけ処理される経済活動だったとは言えないものもあった。
ただそれを言うとまたその見方も否定される
ただ時代をみるには江戸時代でも今を見るのに参考にはなるのである。

2014年02月28日

百才生きる人の謎 (99才で血液の酸素濃度が普通の人と同じだった)


百才生きる人の謎

(99才で血液の酸素濃度が普通の人と同じだった)

 


酸素は血行を良好にする働きがあります。血液中の酸素が増えると血管の内壁に付着した コレステロールなどの不純物を一緒に流し、血液そのものを浄化し、清浄します。


血圧の安定


酸素は血圧を調整する中枢神経に好影響を与え、自律神経が安定するため、血管が自律 神経の働きにより拡張します。またヘモグロビンの活動を高めるため血圧を安定するには 酸素は必要条件の重要な物質となります。
 

心臓は生きている間拍動し続けますが、毎分70回として1日約10万回、80年間に換算すると約30億回も全身に血液を送り続けます。そして、そのエネルギー源は冠動脈から与えられる酸素だけなのです。つまり、血液を送り出す効率は心肺機能にとって死活問題なのです。運動不足や悪食などから生じる血中酸素濃度の低下は、細胞の働きを鈍らせ、やがてさまざまな成人病の原因となります
http://www2.tokai.or.jp/yamatoseitai/yamato/omote/oxas/oxas01.html

 


自分の母親は99才だけどなぜこんなに長生きしたのかわからない。
まず体力はない、細身であり力仕事はできない
胃腸がいいからじゃないかと言われたが胃腸は弱い
実際に胃腸の病気になっていた
細身の人は一般的に胃腸が弱い
自分も母とにているので細身であり胃腸が弱い
たからなぜこんなに長生きしているのかわからない


性格は真面目であり大正生まれで働くことしかしらない
紡績工場で若い時は十年間働いていた
その時環境が悪いから肺病になっても不思議ではない
それもならなかった
ともかく食事している様子を見ると食べることを真面目なのである
こつこつと一つ一つかみ砕き丁寧に食べている
自分は雑でありがつがつと食べるのとはまるで違った食べ方をしている

80まで店で仕事していたし80以降も家事をしていたし
90過ぎてもアパートの一人暮らしができていた
92才でこれだけのことができることは凄いことだろう
93才頃から弱りはじめて介護状態になった

今回入院したのはトイレに行けずホータブルトイレにも行けず
食べることもできなくなったためであった
けれども点滴したりして栄養補給してリハビリまでして
また前とは違うが回復した
トイレまで大便の時は歩いて行っている
距離は短くてもこれだけ歩くことはかなり大変なことである


そもそも何が長生きする要因なのか?
それは人それぞれであり環境も影響しているのか?
様々な因子が作用して百才生きる
母の場合は体の何が長生きする要因を作ったのか?
血液が酸素濃度が平常だということがそうなのか?
酸素がいかに人体にも大事かはわかる

運動して疲れると酸素不足からきている。
だから激しい運動したあとは酸素を注入すると元気になる
だから自転車でも疲れたら酸素水を飲んだらいいとなる
どうしてもこの頃筋肉の疲れがひどくなる
すると酸素水が効果あるのかなともなる


ニコチンが体に悪いのは血管収縮して酸素が十分に運ばれないためである
一酸化炭素も出すから酸素がとりこめなくなる
絶えずプカプカタバコを吸う60才くらいの女性がいる
その人の肌は皺が寄り10才ふけてみえる。
皮膚の色もつやつやしていない、老化が早く進んでいる
それよりその肌の感じはタバコ吸っているとみんななりやすい
タバコを吸っているとあんなふうな肌にみんななっている
その人は人より苦労しすぎてストレスが大きくタバコがやめられないのである
ただその人ととなりは悪い人ではない、性格はいいのである
だからタバコを吸っている女性がみんな性格が悪いとはならないと思った
ただ見た感じは本当に普通より一段と老けているからいい感じを与えないだろう。


ともかく百才まで生きる人はなぜ生きられるのか
その要因も一つではない、何事も原因と一つではない
例えば犯罪でも決して一つの原因ではない
いくつかの要因があってする
単に人を殺してみたいというだけでも人を殺していた人がいた
それも動機になるから人間の心理はあまりにも複雑なのである
別に金がないから盗んでいるということにはならない
病気も一つが原因でなるとは限らない
最後はたいがい合併症で死ぬ
事故だってなんだって一つの原因は起こらない
いくつかの要因が重なって事故も犯罪も起こる


長生きできるのはやはり医療の進歩もあり栄養もいいとか
やはり現代の環境が長生きができるようになっている
誰でも生活保護者でも食べるものはさほど他と変わりないのである
母の場合は性格的に何かこつこつと無駄なく生きるタイプであり
それが性格的な長生きなのか遺伝子なのか
兄弟でも姉は89才とか弟も89才とか生きた
でも一人は60才でガンで死んだ
だから遺伝子が影響しいるのかどうかはわからない
人間はみんな遺伝子では決められないからである。

いづれにしろ母はこの調子だと百才は生きるのだろう。

ただ元気でも次の日死んでいたという人もありこの年になるとわからない
トイレまで歩いたことや多少回復したことを見ているとそう思う
でもほとんど食事は朝はモチを切ったもの一つとか
ご飯にゆで卵一つとかあとはわずかの菓子くらいしか食べない
そんなで栄養がとれるのかとなる
栄養をとらないと弱ってくる
病院では点滴して栄養がとれて回復したことでもわかる


ただ人間は百才まで生きるとどんな感じになるのだろうということはある
自分にしてもこれから30年生きるということが考えられないだろう。
その時頭が正常でいられるのか、どうなふうな考えになるのかとか不思議である
30年は相当に長いからである
ただ百才の人はこれからも相当増えてゆく
一方で団塊の世代は栄養のとりすぎで糖尿病などがふえ早死にだという人もいる
これは結果を見ないとわからない

百才は一世紀だからこれだけ生きれば十分だとは言える
でも母は人生を生きたとは言えない
働きづめで花にも興味あるものが何もない
殺風景な索漠とした風景である
何かに感動することもない
ただ長生きしたということだけなのである

そういう人が人生を生きたとなるのだろうか?
それはその生い立ちが不孝だったからそうなったのである。

まあ、自分の家では百才まで生きたということは家では勝者になった
一人は若くて早く死んで敗者になったとは言える
大正生まれが百才だということはその前に明治が30年くらいあるから
それだけの月日がすぎたということなのだ

ただ津波や原発事故が起きたことを教えても何にもわからない
だから認知症になってからは世間のことはわからないのだから
生きたとはならないかもしれない
何か世間のことでも理解していればまだ生きている
認知症になると世間のこともわからなくなるから
生きているとも言えなくなる
百才まで生きてなお世間のことも自分のこともわかっていれば生きている
そういう人はやはり本当に百才を生きたとなるだろう
そういう人はいるから百才の時代とは言える

2014年03月01日

不便な所から離れてゆく現代の生活 (田舎でも都会と小さな町と村ではまるで違ったものとなるー医療が一番の問題)

 

不便な所から離れてゆく現代の生活

(田舎でも都会と小さな町と村ではまるで違ったものとなるー医療が一番の問題)

●田舎の田舎で困るのは病気の時


現代社会の生活そのものが原発事故などで問われた。
過疎化とか限界集落とかがいつも問題になっていた
それは現代生活が便利になっているから
便利な都会から離れた所は不便であり住みたくないとなった
それで大内村の人が補償金がもらえると郡山市に移り住むと
大内村には帰りたくないとなってしまった

この気持は自分でもわかる。

例えば南相馬市といっても最近小高町と原町市と鹿島区が合併してできた
原町市は5万くらいあって都会だったのである。
5万が都会なのと10万とか30万とか50万とか百万都市に住んでいる人からみたら
そこも田舎だよとなるが住んでみれば全然違う。
原町区と鹿島区がどれだけ違っているのか?
それは病気のときわかる。

また母が小便が出ないと夜に厚生病院に行った
そこは近くタクシーだと600円である。

でも前は歩けないから介護タクシーで行くほかないとなっていた
でもこの介護タクシーは鹿島区にはない
だから原町区とか相馬市から呼ぶことになる
すると一万くらいかかるというからがっかりした
それも理由ははっきりしている
普通のタクシーでも原町に行くと4000円くらい片道でとられるのだから
呼べば当然それだけの金がかかることは普通なのである
タクシーはそもそも長距離になると馬鹿高くなるのだ


そしてここで泌尿器科がないので原町の専門の開業医でみてくださいと言われた
その医者は原発事故以後支援のために入った医者だった
その他に何人か入っているが看護師の支援はないてので看護師不足である
ここでは開業医でも二軒しかないからたりない
原町と相馬市は開業医が多いから病気の時は恵まれている
車があれば楽なのだが車がないとまた通うことも大変になる
田舎では車がないと暮らせないというのは
病気になったらこういうふうに遠くに行かざるをえなくなるからだ


●田舎は広く車がないと不便で危険にもなる


例えば買い物でも海老村から街の方を見たらかなたに見えた。
そこから自転車で行くとしたらかなりの距離になると思った。
街から少し離れているからさらに遠いのである
その離れた距離感が街内に住んでいるとわからないのである
田舎に住んでこの病院や医者の問題が一番困る
健康であればいいが病気になったらへたするとみてもらえず死ぬ
そういう恐怖を何回か自分自身が味わったのである


だからなぜ大内村の人が帰りたくないとなるかというと
まさに高齢者が多いから病気のことで通うに楽だし
先進的な医療も受けられるから郡山市の方がいいとなった
つまり大内村と郡山市の差はあまりにも現代では大いすぎたのである
高齢社会になるとどうしても医療や介護の充実した所に住みたいとなるのがわかる

それがやはり5万の都市や10万の都市や20万の都市では格差が生れる
何かむずかしい病気になったらもお手上げになるのが過疎地域である

その過疎地域というとき南相馬市は市だから都会だと思っているが
その範囲は広いのである。

鹿島区は原町とか相馬市とすると急に田舎の村とすら感じる
その一番の要因が開業医や病院の差だったのである
もちろんその他レストランでもいろいろあり便利なものがある
それらはいいとしても病気だけはどうにもならないから困るのである


●田舎の人間関係は狭く陰湿でも抜け出せない


原町が都会だという時やはりおそらく人間も街内に住んでいれば
都会的になりあまり他人を詮索するようなことはないかもしれない
人の出入りが多いとやはり都会化して他人に無関心になる
それはいい面と悪い面がある

隣の人の関係は良くなくても水道管が破裂して水が流れだしていた時
水道の元栓を閉じてくれたのは助かった。
田舎ではいつも見ないようで見ている人がいるからだ
隣にも迷惑かかるときがあるからそういう面ではいい


でも街内といっても一万くらいの街内とまた少し離れたところは農家が多く
その人はそういう中で暮らしているので親戚も多く見張られていて
年取った女性でも中には入れないという
その人も75才だから相当な年である
それでも見張られていることでだめだとなっている
それだけ回りがうるさすぎるのである
監視カメラが田舎では人間になっているのだ
逐一人間が監視していて報告されるのである


田舎は物凄く陰湿です。

住民間の陰口は頻繁にありますし、親戚が何らかの問題を起こそうものなら、白い目で見られた上に徹底的に誹謗中傷されます。ですので、足を引っ張られないように、身内の恥をとかく隠そうとし、それが田舎の隠蔽体質へと繋がっていくのです。
更に。金持ちなどは、事件の揉み消しや隠蔽を平気でやります。最悪の場合、被害者が悪かったかのような中傷まで流れ、被害者側が住んでいられなくなって土地を出て行くなどという信じられない蛮行が起きたりもします。
こういう田舎では殺人事件だって起きますよ。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q111198476


くだらない噂好きな老人も多いです。毎日暇なのでしょう。私の母親が親戚のおじちゃんと一緒に車に乗ってるだけで不倫の噂が。親戚ですよ?親戚。呆れて怒る気にもなりませんでした。
http://loco.yahoo.co.jp/qa/11110744421/


山口県周南市金峰地区郷集落で起きた連続放火・殺人事件があったがこれは地理的には相当に辺鄙な所だった。
まるで閉塞された山間の少人数の高齢者が多い村だったのである。
こういう場所は地理的にもそうだが狭い人間関係から逃れられない
すると出れないとなると相手を殺すまでなる
そういう怖さを田舎は秘めているのだ。


最近つきあった人はまるで絶えず周りの人に追い回されて窮地にたたされている。
なにかやと噂をたてられ逃げ場がない状態になっていた。
でもここから出て行くことができないから狭い場所で耐えているかほないあわれさである
自分の場合は田舎でも田舎の人間とかかわっていない
ただ家族が一人死に一人は介護になり全部家のことを一人でとりしきるようになって
外部と接触せざるをえなくなり犯罪にもあうしまたそうした田舎の人間関係の窮屈さを知ったのである。


ただこの辺は津波原発事故であらゆるものが急変してしまった。
だから外部からも人が相当数入り田舎の閉塞的な人間関係でないものも生れた
村自体がなくなるような激しい変化で今までの村だけの人間関係も破壊されたのである
そういう大きな変化の中で人間関係も変わった
村のコミニュティすら破壊されてしまったのである
だからこういうときは新しいものが生れやすい
古いものが全部失ってしまったらなくなってしまったら
そこには新しいもの作るほかないからである
ただその変化があまりにも大きすぎて以前としてとまどっているだけなのである

 
 

2014年04月02日

仙台から松島行きは天候不順で中止 (南相馬市鹿島区厚寿苑はホテルのようー福島県内の介護士などが世話)


仙台から松島行きは天候不順で中止

(南相馬市鹿島区厚寿苑はホテルのようー福島県内の介護士などが世話)

福島県厚生農業協同組合連合会鹿島厚生病院併設介護老人保健施設厚寿苑のサービス概要

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個室にはトイレがついているから便利

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今日は天候不順になってきたので仙台方面へ行くのを中止した。
母の二日のショートスティであずけた厚寿苑は新しいのでホテルのうよだった。
個室に入りそこにはトイレもついているから楽だ。
介護では家でもトイレが部屋の中にあると便利なのだ。
介護で難儀するのは意外とトイレなのである。
大便はボータブルトイレだと嫌がる
すぐに流せないのも問題である。


ここは老人保健施設となっているからまた特養とかとも違っている。
もちろん病院とも違っている。
病院機能と老人ホーム機能が一緒になっている。
病気の治療よりは介護中心なのでかえって老人にはいい
顔をふいてくれたり風呂に入れてくれたりいろいろ介護中心なのである
病院だと待遇も病人をみるようになりそっけない
ここでは老人に対応するようにできている
病院より居心地がいいようだ
梅干しが好きなのでもってきたいというといいですよと言われた

病院では拒否されたしもの言いが命令調なのである
病院にはやさしさがないのだ

歳が歳だけに個室になったのだろう。
個室は料金も高くなる
本当は行きたくないと言っていたが
今回無理して連れて行ったのである。
99となるとディサービスなんか無理である。
ただあういう所は前も見たが
みんな死人のようにうなだれていているから嫌である
最後の行き着く場所があういう所になると嫌である


ここはただ老人保健施設であり老人ホームとも違う
だからここでリハビリなどして機能回復させて
自宅に帰すこともを目的にしている
だからリハビリ室は大きくて立派である

施設はすでにかなりの人が働いていた。
福島県内の介護士などであり会津の人とか塙の人とか
福島県内の人の応援を頼んでやっている

やはり今回の原発事故などでは福島県内ということで協力しあうようになった
二本松であり会津であれイワキであれそこに原発事故地域の人たちが避難して
仮設などに住んでその場所で生活するようになったからだ
それは福島県として協力しあうということになった
ただそこでも地元の人と避難者は軋轢を生んでいる
南相馬市内で小高の人達が避難者となり補償金問題とかで軋轢を生んだ
ただ福島県内から南相馬市に来て協力してくれているということで
福島県内はやはり一つの自治体なのだと自覚した。
会津でも関係ないようでもやはり原発があって予算が回っていたからである

普通福島県として何か一体感をもつということを具体的に感じない
今回は軋轢があっても感じたということは確かである。

まあ、あそこでは病院じゃないからボランティアなどはやりやすいかもしれない
そういう人も入っていて欲しいということもある
でもなかなか人間関係がどこでもむずかしいからすんなりとはいかないだろう。
事故が起きた場合は保健に入っているから安心にはなる
そういう体制はできているので働くのにも安心なのである

ただボランティアは何か老人の相手をするものがあるだろう。
ただあんまりあういう所では働きたくないということがあるかもしれない
子供が相手の方がいいとかなるだろう
でも顔をふいてくれたり爪を切ってくれり家族のようなことをして
くれる
だから病院とここは違っていて人間的な温かみを感じた


あそこがホテルのようだとするとき、近くで出入りも自由だとなると
一時的にあづかってとめてもらうのにはいい施設である
とにかく高齢者になると近くが大事になる
買い物だって車がなければ近くでないとだめなのである
近くに助ける人がいると楽になる。
だから知り合いの人は娘が相馬市から一週間に一回来るが
それでは何かあった場合まにあわないという
その人は毎日のように電話をかけているからである


つまり原町市でも相馬市でも遠くなるのが介護の問題なのである。
近くだったらすぐに歩いてでも来れるからいいのである
車でいちいち来るだけでもめんどうになるのだ。
だから今になると近くが大事だなとつくづく思った
その近くに協力する人がいると楽なのである。
遠くの親戚など何も役に立たない
もちろん近くの親戚でも役にたたないこともある
何かそうした新しい協力関係を作ることが高齢者に必要になっているのだ。

ともかくなかなか遠くには行けなくなったのが自分である
この次はなんとか遠くに行ってみたい

 

2014年04月03日

所を得ることが高齢者の価値観になる (高齢者の価値観は変わる)


所を得ることが高齢者の価値観になる

(高齢者の価値観は変わる)



彼はここに来てから所を得たように元気になった
Since he came here he has come to life, like a man who has 「found his niche [come into his element].

家具はどれもこれも所を得ていなかった
None of the furniture was suitable for the room.




ところを得るというときその人にあった場所なのである。
だからそれが一見不自由に思えてもその人にとってところを得れば幸福だとなる
幸福だってその人によって違ってくる
別に食べ物に贅沢しなくてもそれなりでも田舎の静かな所に住みたいという人もいる


found his niche [come into his element


つまりこれからはniche(ニッチ)なものが好まれる。人に好き好きがありその人のもっている性格も感覚も違っている。
だから最近良くニッチなものが売れるというのはそのことである。
みんなが同じようなももの好んだり買ったりすることは物が豊富だとなくなる
ニッチなものを探すことになる。

自分の住んでいる所は一万の町だけど別にここが悪いともならない
病気になったときは困るけどその他は別になくてもいい
老人になると何かあまりいろいろなものがない方がいいということもある

人間の価値観はともかく常に変わっているのだ
物が売れないというとき、価値観が変わってしまったからである。

ラオスではテレビが欲しくて自分の年若い娘を売春させるために都会に出していた
これほどテレビが価値があった時代がある
テレビがでたとき、この辺でもそうだったのだ。
テレビの前に山のように人が群がったのである。
その時のテレビの価値はそれほど高かった
今はテレビなんか見ないよ,新聞も見ない、インターネットでまにあうよとかなる
テレビの価値はそれだけ低くなったのである。

現代は老人が金をもっているというとき老人が何が欲しいかというとこれも物ではない
例えば介護時代になったとき、老人が欲しているのはいい介護環境であり
特に人がやさしくしてくれるもの人の心使いがうれしいとなる
物を与えても老人は何もいらないとなっているからだ。
老人になると食欲もなくなり食べたくなるからである。
すると何がほしいかとなるとやさしく接してくれる人がいいとなる
自分の母親は老人保健施設の個室にショートスティしたらここはいいからもっといたと言っていた。
ここの人はやさしいと言っていた。
病院と老人保健施設でも老人ホームでも対応するのは看護師ではない
介護士でありその人たちは病気をみているのではない
老人の介護をしているのであり世話をするからそうなる
病院とは態度が全然違っていたのである。

個室であるということは物理的な物質的なものがあった
でもやはり老人に接することがなれていてやさしいから全く違っていたのである。

要するにそうしたものは物ではない、目に見えないものでありそういう物にならない、
目に見えないようなものが価値が出でてくる。
高齢化社会の価値観はかなり違ってくるのだ。

どんなに金があっても住んでみてもそこが自分にとって所を得なければ幸福感にはつながらない、
それはおそらく何億とか金を払って老人ホームに入ってもそうである
そして老人になるとそんなにいろんなものがいらなくなる
かえって物が邪魔になってくるのだ
欲望はあるにしてもそれも若いときとは違う。

別に一万の町でも物がなくても満足できる人はできるのである
だからこれからの高齢化の価値観は所を得るということである。
そこがどこかはその人によって違っているのだ。

その所を得る場所はその土地もあり人も大きな要素になり便利なものがあることも要素になるのが
それでも物がなくてもここにはいい人達がいるからと満足する人もいるだろう
何でもあれもこれもと若いときのように欲しないのである。

「50万の地方都市」が老後を過ごすのには適地だというのもわかる。
それにしてもそんな都市は東北にはない、仙台だけである。
それもまた所を得るとはならないこともある。
なぜなら一万とか4万くらいの市でも住んでいる人は大きすぎるともなるからだ
それより不便でもいいから自分の価値観で満足するところに住みたいという人もいる
不便に耐えることにも面白さを感じる人もいるかもしれない
貧乏暮らしもいいとかそんな人もいる

今は高度成長の時代のように一つの価値観に生きる必要はないのである
だからみんな何がなんでも強制的に働かねばならないという時代でもない
これはこの辺では問題にしても全体的にはそうである

会社というのは必要でないものを大量に作って売ろうとしていることもある
過剰な宣伝で買わせるということも豊かな時代には普通にある
資本主義の問題はそこにあった。

その実際は必要でないものを作るために過剰に労働力が浪費されていることもあるのだ
異論があるにしろこんなにいろんなものを人間が食べる時代はない
そんなに何でも食べていいのかという疑問がある
でも何でも食べてください食べて下さいと強制さえされている感じになる

牛肉でもそんなに食べる必要があるのだろうかと思う
でも牛肉が売れないと困る農家は日本でも外国でもあるから言えないのである

ただこの辺は飯館牛などは有名だった。
それも放射能汚染で飼うことができなくなった。
それはマイナスでもまたプラスに転じるものがあるかもしれない

つまり価値観を変えるのである
牛の村ではない、何か別な村とする
花は放射能汚染と関係ないから花の村とかするのもいい
大内村ではそういうことを計画していた
他でも何か価値観を変えることがプラスなものに転化できる
津波の被害でも今は無理にしても将来的にはプラスになるものが生まれている

高齢化社会になると欲しいものが極めて少なくなるし
一番大事なことは所を得る場の確保なのである
だからなれ親しんだ故郷に住めなくなった人達は相当な痛手である
若い人はまた別な土地で住むことができるから別なのである。

いづれにしろ何でも食べることがいいというのではなく
何か無駄な消費をおさえる、何かないことで欲しいということで騒ぐのではなく
そのくらいなくても別にそれほど苦しいこともないとか
あまりにも欲しいものを追求しない社会もいいものかもしれないのだ。
ここでは物はないが金もとれないが人はいいし不足はあってもがまんできる
そんなふうになればそれはそれで所を得る生活になるのである。

2014年05月01日

同情には優越感と蔑視が同時に生れれる人間の複雑な心理 (絶対的強者はいずみんないづれは弱者化する)


同情には優越感と蔑視が同時に生れれる人間の複雑な心理

(絶対的強者はいずみんないづれは弱者化する)

人が他者を哀れんだり同情したりする時、そこには必ずと言っていいほど優越感や蔑視が介在する。


この言葉はプラトンが言ったのかどうか一般的に言われていることだろう。
まず人間の心理ほど複雑なものはない
同情するとかあわれむとかは別に悪い感情ではない
でもそのあわれなやつだというときそれは自分より力が下になったということである
病気になったときそれが明確に現れる
病気になるということは弱者になることなのである。
だから病気になるとかわいそうだと言ってもあんたは俺より弱い人だとみる
強い人にあわれんだり同情したりはしない
強い人には恐怖感があり低姿勢になる


ではなぜ医者とか看護師や介護士とか弱者を相手にするものが
性格が歪んでいるとされるのか?
それは常に弱者を相手にしているからである。
常に優位に立っているのが医者であり看護師である
病気になっているのだからどうしても医者に頼らざるをえないからそうなる
ところが一般社会では強者がいくらでもいる
だから日常的な仕事でもいつも頭を下げて低姿勢で商売している人が多い
医者とか看護師は患者にありがとうなどと言う必要はない
いつもありがとうと言われる方なのである。
それが当たり前の世界であり低姿勢になることはない
すると謙虚な心は養えない、相手は常に弱者だからである。
医者とか看護師が患者に頭を下げることなどありえない
あなたをお世話させていただきありがとうなどと言う人はいないのである。


つまり同情心があっても必要でもそこには必ず優越感と蔑視があるという
人間の複雑な心理がある。
実際正直に言えば同級生で猫こせがひどくなり奇形のようになった人がいた。
あんな格好では外も出歩けないなと見た時、優越感を覚えた
あいつもあわれだなと思うがやはりそこには優越感とか蔑視の感情が生まれる
もちろんそのことは自分が病気になり弱者になった時はそれどころではなかった
あからさまに弱者をいいことに火事場泥棒にあい大金を失った。
もう一人は借金をしていてその弱みにつけこんで請求してきた
これも苦しいことだった、弱者になると逆らえないから恐怖なのである。
簡単に奴隷にもできるしその人が性格が悪いとあからさまにその悪が横暴にでてくる

ただ一方で自分が弱者になった時、この際と責めてきた人も
実は弱者だったということがあった
それは共に金に追われていた。金がないということで弱者だったのである。
借金もしていきた人があり追い詰められていたのである。
だから金が欲しくて自分が病気になったとき責めてきた。
まさにこの世は人間は弱肉強食の世界だった。

人間は金においつめられると犯罪者になる
それは善人とか悪人とか関係ない
そういう状況になると誰でも犯罪者になる
借金した人は別に悪い人ではない
若い時は頭が良くていい人だったという
それが変わったのは事業に失敗して借金してからだった
だからそうした何か人生での失敗から追い詰められて犯罪者にもなる
その人は別にもともと悪い人ではなかったのである。


このことは老人に対しても一番言えるのだ
老人に若者でも肉体的にも劣ってくるからあわれだなとか同情するが
やはり優越感と蔑視の感情があからさまにでてくる
子供で親が老いているのを見た時、今までは怖かったが今やあわれみの対象となる
その時、必ず優越感と蔑視の感情が生まれる
こんな親はもう怖くない、俺はもう親より強い、親は弱者になった
だから親は自分の言うことを聞くべきだとかなる
現実に親子の関係はみんなそうなってゆくのである。


結局人間は弱者に対して謙虚に接する人はいない
なぜなら必ずそこには優越感と蔑視の感情が同時に起きる
だから同情は偽善だとかなる
それで同情自体を否定するニーチェの超人思想が生まれたのである。
ところがニーチェ自体も狂気なにり弱者化したのである
奇妙なことは自分の姉も看護婦であり何度も言っているけど
肉体的にも心身ともに優秀な人だった
だからいつも自分は優秀だと言っていた。
その優秀だということに最後までこだわっていた
認知症になったら明らかに痴呆症になったのがら馬鹿になったのである。
それでも手術した時も、死にそうになったときもかすかな声で「俺は優秀だった」と
言い続けたことも異常だった。
そんなに優秀なことにこだわるものかと自分にはその心理がわからなかったのである。
自分は心身ともにまず優秀な所がないからそんなこと思ったこともない
体力的にもだめだし頭脳もだめである。
文学的才能にしても本当にわずかな芽があっただけであった。
だから子供のように俳句にしても短歌にしても言葉を並べただけだったのである。
だからそんなに優秀だとこだわることが理解できないことだった


ただこれニーチェも「俺は勝者だ、超人だ」と狂気になっても思っていたということは
姉とにていたのである。すでに狂気になり病気になってもそう思っていたのである。
人間は強いとか優秀だとかとどこまでも主張するときそれも狂気になってゆく
別に弱者がいいというのではない、健康であるべきだし弱者の歪んだ思想もまた異常なのである。
だから現代が弱者であることが障害者とか病人とか老人がその弱さを楯にして
社会に保護しろとか税金をもっと弱者のために使いとか強者になるのもおかしいのてある。
弱者であることが特権化しているのである。
「弱者をいたわらないやつは人間じゃねえ、社会的に糾弾してやる」とか恐喝にまでなるだから
障害者をもった母親が弱者に同情しないというのは障害者をもった母親にしかわからない複雑な心境がある。
生活保護も必要にするにしても当然の権利であるとしている。
権利だから当然であり誰かに感謝することなどないのである。
社会にも感謝などしない、だから一般的に生活保護者は何か心が歪んでいる、
でも全部ではない、生活保護がどういものかを知ってわきまえている人もいる。
ただ現代は何でも権利化して権利として主張しているのである。


いづれにしろ強者と弱者の問題は人間にとって常に変わらぬテーマとなる。
歴史もまた強者とならんがための争いの歴史だったともなる。
強者が弱者を征服してゆく歴史である。そのことが戦争に負ければ奴隷にされたということが一番わかりやすい。
その歴史は今も継続しているのだ。
ただ国単位でもいつまでも強者になる国はない、いづれは弱者化してゆく
アメリカだっていつまでも強者ではありえない
貧富の差が極端化して富裕層の市が独立して貧者を排斥して内部分裂して弱体化する
そういうことも現実に起きているのだ。


強者の問題は必ず体力でも才能でも様々な能力があっても奢りになる。
その奢りが神の怒りをかう、だから高いものが必ず卑(ひ)くされる
卑いものが高くされると神が言うのは人間は全能でもないからそうなる。
ある時は強者でもいづれは弱者になる運命にある。
「奢れるもの久しからず」というのが歴史でも同じであり個人でも同じである。
個人的にでも優秀な人は奢りやすいのである。
だから弱者は弱者でいいというものでもない
聖書のテーマが弱いものが強いものに勝つということでもあった。
ゴリアテのように強いものも弱者と見えたダビデの一撃でもろくも崩れ去る。
それはどんなに強い人でも病気になるともろくも崩れさることをみている。
文明も人間が神のように優秀だと奢るとき今回の原発事故のようにもろくも崩れさる
全能の力をもっているのは神しかないからそうなっているのだ。

 
 
 

2014年05月06日

妻なくした淋しい老人の一人暮らし (大きな石の庭のある家)


妻なくした淋しい老人の一人暮らし

(大きな石の庭のある家)

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その家は近くにあった。その家はその人が働いて若い時に土地を買って建てたから愛着があるという。
妻もその時は喜んだろう。その奥さんを7年前に亡くした。
そのショックは相当に大きかった。それ以来その大きな家で一人暮らしになり家事もできずに泣いたという。
特に料理は糖尿病の予防のためにどうしても自分でしなければならないからめんどうになる。
その人は75才だから結構な歳である。だから若い時、苦労して買った土地と家には愛着がある。
200坪あえ100坪の土地をもっている。
電気関係の仕事で請け負いをして稼いだという。
家を建てることは当時でも大事業でもあった。その家の壁は土壁だった。
土壁は自分の家も職人がいなくなり最後になっていた。
その人がなぜその家に愛着があるかというとそうして自分で苦労して建てたからである。
その人の茶箪笥が一時自分の家に不思議なの縁で置かれた。
それもその当時ではしゃれた作りのものだったのである。
だからそこに思い出がある。その人は一代でそれだけの財を築いた。


自分はただ家でも金でも働くこともなく譲り受けただけだから家や土地に関する愛着度が違っている。
何か自分は間借りしている感じだったのである。
土地とか家に愛着をもっているのは人によっても違っているのである。
その人の家の庭も立派である。大きな石で組まれていて池もあった。
その石を見ているとまるで登山道があり高山植物が隠れて咲くような趣になっている。
自分は石に興味があり石の庭が見たいということで見せてもらったのである。
その家は海から3キロ以上も離れているけど床上まで津浪が押し寄せた。
それで一時仙台の親戚の方まで避難した。仙台でも物資が不足して並んでいたというのは意外だった。
それだけ広範囲の被害があったのである。
その時、助けた女性がいて今も親しくつきあっている。
近くの親戚は見ているだけで助けもしなかったという。
ボランティアも泥さらいなどをしてくれて助かったという。
あの辺は家がそっくり残っていたし被害がそれほどでもないと思っていたが結構被害があった。
3キロ4キロとか離れても床上まで津浪が来ていたのである。
つまり津浪は広い範囲で被害がある。低いと思ってもそんなに遠くまで被害があった。
もともとその家の前には家は少なかったが家はぱらぱらでもあったが今は全くなくなり
海の方は原野になっている。夜になるとなんか怖いという。


その人がしきりに言うのはネズミがでてきて困るといってネズミとりを仕掛けたとか言う。
カヤネズミはか小さなネズミが原野化してふえたのである。
それで餌とするノスリも来るようになった。それからなぜ池に水を入れないのかと聞くと蛇が出るからだという。
確かに自分の家もに屋根から子供の蛇が落ちてきたときは驚いた。
屋根に蛇の巣があったのである。回りがまだ畑などがあった時である。
それから区画整理して住宅地になったとき蛇はいなくなったのである。
そこはは回りは田んぼであり農家である。だから街内とはまた違った環境になっている。
特に回りはがうるさくて見張られているという。だから女性は家には入れない。
回りを異常に恐れているのだ。これが田舎の恐ろしい所である。
これは実際はヘビより恐ろしいと思った。
田舎の人間関係は狭隘なものとなり閉鎖的なものとなりそこから逃れられないから
その閉塞感から逃れようとして殺人事件まで起きたことが理解できるのだ。
田舎に移住するなら何か共同するものが仕事でも必要になる。
ただ町内と一キロ離れた田んぼが広がる農家地帯とはこれも相当違っているのだ。

その家の中に入ってみて感じたことは何か確かに淋しいのである。
二階もあるがそこは使ったことがないという。それから前に二階建ての小屋があり広さは200坪だから広い。
町内の家とは違っている。見晴らしも実にいい。ただ一人だから淋しさは感じるだろう。
そのことをしきり言っていたからそれがわかる。
家が広いと余計に感じるのである。奥座敷に仏壇がありそこで妻の供養をしている。
その老人には娘がいて一週間に二回料理をしてくれる。孫も時々来ると言っていたが
もう成人しているのでなかなか来ないというもいう。その子供の時の孫の写真が飾ってあった。
こういう人は別に今の時代、普通にいるだろう。ただ奥さんを早くなくしたということで違っていたのである。


自分がその家で感じたことは何か確かに淋しいということである。
その人には何か趣味らしいものもない、庭は立派でも花がきれいになっていない
ぼつんぼつんと忘れられたように手入れもされず草が繁っている。
何か庭まで淋しい感じになっているのだ。
自分の庭は花を一杯にしているからそんな感じがしないのである。
ただあとで聞いたのではもともとツツジなどが一杯に咲いていたという。
ところが津浪でそうした花などもなくなった。
その後手入れができず今のような淋しい状態になった。
そこには低い杉の木が手入れもされずその葉がだらりと下がって幽霊の木のように見えたのである。
塀も地震で壊れていたから余計にその辺が淋しく見えた。

人間はやはりその家に入ればその家から何らかの気が発してくる。
その家はきれいにかたづけられているけど何か確かに淋しいのである。
その家の雰囲気はその家に住む人がまた作り出しているのだ。
特に奥さんがなくしたり男やもめなるとどうしても家は荒れて淋しいものとなる
それが高じるとゴミ屋敷になってしまうのである。
自分の家も全部家事をしているからもともと雑なのでいつまでたってもかたづかないのである。
ただ自分は花が好きだからフラワーアレンジメントする場を作っている。


一人暮らしの人はこれから増えてくる。近くでも組で三軒も空家がある。
近くで昨日一人また死んだからその人も一人暮らしになるのだろう。
一人の女性は息子にひきとられてイワキの方の老人ホームに入ったという。
近くの人に助けられて一人で暮らしていたができなくなりそうなった。
そこも空家となった。だから空家も東京のような都会でも増えてくるのだ。
空家をどう利用するかも少子高齢化で問題になっている。
この辺では土地を欲しい人は増えた、だから土地ごと家を買いたい人はいるが
空家を貸すようなことは都会のようにはできない、土地の方が価値があるのだ。


いづれにしろこういう老人の一人暮らしの人はめずらしくなく全国的に増えているだろう
自分もにたような状況にあり地震手風呂が使いなくなり近くの福祉の湯に行くようになった。
300円であり近くだから便利だった。一人だと風呂に入るのにも水を使うし
ガスでも電気でも一人分でも同じように費用がかかる。
一人暮らしは経済的にも損だし何か共同的なものにすると節約になる。
野菜でも買っても必ず一人分だと損する。あまして古くなり食べられなくなる。
一人暮らしには一人分でも二人分でも三人分でも同じように費用がかかる場合がある。
だから一人暮らしは何か共同的な暮らしが必要になっている。
そして夫婦でもいづれはこの人のようにどちらかが死ぬと一人暮らしになる。
そういうリスクはかかえているのが老人なのである。
近くの人は夫が死んだから一人暮らしになるかもしれない。
つまりどうしても少子高齢化社会では一人暮らしが増えてくるのである。

ともかく大きな家だと何か淋しさが違う。がらんとして一人でいることは嫌になるだろう。
だから猫でもいる方がいいとなる。その人はしきりにあなたはまだ介護している
母がいるからいいというのもどうかと思った。
母は耳が聞こえず頭も悪くなっているので会話ないしただいるというだけであり
世話しなければならなないので大変である。
でもその人にとっては家にまだ家族がいるからいいと思っているのだ。
それだけその人は淋しいからそう思うようになったのである。
妻を介護せずになくしたから介護の苦労はわかっていないのである。

高齢化社会は老後をどう過ごすかいろいろ問題になるがその明確な解答は
個々人によっても事情が違うから同じように対応はできない、その人が施設などに入りたくない、
この家で暮らしたいという、その人はわがままだと知り合っている女性が言う。
自分も施設には入りたくないけど最後は人の助けなしでは生きられなくなったらどうにもならないのである。
だから健康である限りは一人で自由に暮らしたいというのが本音になる。
老人とつきあって興味深いのはその人の一生が何だったんだろうと考えることである。
それは郷土史にも通じているのだ。一軒一軒の家を知ればそういう人が故郷に
こんなふうにして生きてきたのかと具体的に知ることができるからである。

その人は体が頑丈で堅実に生きてきた。だから孫は銀行員になっている。
それは別に関係ないにしろ堅実な人だったのだろう。石のように硬い人だったのかもしれない。
趣味などはあまりなかった。趣味をもつことは実際は時間がかかるから簡単にはできないのであてる。

とにかくあの石の庭は見物である。家は旧式のもので今の人には利用しにくいだろう。
個室としての利用がむずかしいのだ。襖でさえぎられていてつづきの家になっているからだ。
ただ欄間だとか建具職人がいて凝って作っていたのは自分の家と同じだった。
今は建具職人などいなくなっているだろう。今風の建売住宅は外から見た時みんな違っていて個性的に見える。
それは個室が多いからそうなっているのだろう。
大家族の家というより個室の家になっている。そしてみんな設計が違っていて家の形も違っているのだ。
だからあとから直しにくいということはある。
だから家はそれほど価値がなくても土地には価値がある。
何トンもの石を運んだ庭には価値があるからそれを継続して利用する人がいたらいいとは言っていた。
庭の面白さはみんな個性的で違っている。小さな庭でもその家の個性があるから面白いのである。
ただあれだけの石の庭を造るのはなかなかできない、
やはり石が大きいから迫力がある。本当の山のように見えるのである。


この辺では故郷に住めなくなった人たちが多数出た。故郷自体がなくなることにもなった。その時、
若者がいいが老人が移住するのが辛いというのはそもそも老人はこれまでしてきたことが誇りでありそれが支えてなっている。
だからその人は若い時苦労して土地を買いこの家を建てたんだよと何度も言う時、何にも苦労しないで譲り受けた人とは違う。
自分の家も自分が苦労してた建てたのではないから家や土地にしても愛着度が違う。
だから常に家のものが自分が家を建てたんだよと自慢していたことがわかる
苦労しないで得たものは失いやすいのである。

ただ二代目でもそれを維持するのには今度は苦労するのである。
受け継いでもまた維持して発展すんせさることはまたむずかしいのである。

人は家でも物でも何か物語がつきまとっている。それを知らないとそれはただのモノになってしまうが
もの語りとして見る時、ただの石でも違って見える。
そこには別な価値が付加されているのだ。だから物語がそもそも歴史なのである。
その物語を故郷を失うと失われる。他に移住した人は若ければまた物語が作られる。
自分は原発事故で避難して苦労してここで住むようになったとか語られることになるが
老人はにはすでにしてきたことを誇るのだからそれができなくなるから辛いのである。


大石に北風唸り大男家を支えて老いにけるかも



大きな石の庭に棲む老人

何トンもの石で組まれた庭
その石が重厚に迫ってくる
今回の地震で多少ゆらいだが
崩れることはなかった
妻を亡くした老人が一人で住んでいる家
登山道のように細い道を上ると
そのどっしりとした岩の陰に
スミレがそっと隠されるように咲いているよう
妻をなくした老人はしきりに言う
自分は若い時苦労してこの家を建てた
だからこの家を離れたくないと
ただ淋しいと言うのがわかる
その人の体は岩のようにがっしりしている
でも妻に早く死なれ老いて気弱になっている
そのそそり立つ岩は雨風をここで受けて立っていた
今回の地震にも津浪にも残った石の庭と家
それで愛着がまた深まったのかもしれない
人間はいつまでも岩のようにはいられない
それが人間の弱さと哀しさである

2014年06月27日

南相馬市の介護医療の限界ー待機者500人 (建物を作っても人手が集まらない、もう他の地域やボランティアを頼るのも無理)


 南相馬市の介護医療の限界ー待機者500人

(建物を作っても人手が集まらない、もう他の地域やボランティアを頼るのも無理)

●他の地域に応援を頼んでも限界がある


南相馬福祉会が運営する特別養護老人ホーム福寿園(南相馬市原町区)。待機者数は、同市小高区の同ホーム「梅の香」が再開の見通しが立っていないことなどを背景に、震災前の2倍の約500人にまで膨らんでいる。
  県老人福祉施設協議会が相双地方にある9つの特別養護老人ホームの入所待機者数を調査したところ、今月5日現在、合計2208人に上っている。介護職員の不足で需要に対応しきれていないのが現状だという。

南相馬市原町区の介護老人保健施設ヨッシーランドは、大震災の津波被害で入所者や職員合わせ36人が犠牲になり、1人が行方不明になった。
  施設を運営する慈誠会は、津波による被害で2度と犠牲者を出さないため、新たに8キロほど内陸の山林に施設を造る計画を進めている。だが、開発申請の許可などに時間がかかり、事業再開予定は当初の平成27年度から、28年度にずれ込む見通しとなっている。
  担当者は「28年度再開という目標でさえ、一番肝心な職員の確保に見通しが立てばの話だが」と付け加えた

福島民報社

6月24日 2:07 ・
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=785883351442461&id=187705544593581


南相馬市の鹿島区に三階建ての厚寿園ができたけどそこで働いている介護士は地元の人ではない、福島県内でも会津とか塙とかいろんな地域から来ている。岩手県からも来ているという。立派な建物を建てても中で働く人がいないのである。
この辺は人手不足が深刻である。どこでも人手不足で募集しても人が来ないのである。
だからもう介護とかは特にもう建物や制度や国に頼っても限界に来ている。
介護を国で制度化して介護保険制度をもうけたけどもう高齢化社会で介護者が増えてゆくし限界に来ている。もうそうした立派な建物を作っても中で働く肝心の人がいないのだから致命的である。
ショートスティで利用したが中はホテルのようになっていて個室だっからトイレもあるしこれは病院と違っていいなと思った。

その建物は厚寿園は立派でも働く人がいないのだから建物も活きてこないのである。
介護の人手不足は全国で深刻でありもう介護自体人手不足で成り立たないしまた人手が集まらなくて会社自体が倒産するところもでてくる。
それは建築関係だけではない、どこでも専門的なスキルを要するところは人手が集まらないのである。

介護士は専門的だというが医者や看護師とは違い別に家でもできる。もともとは家族で介護はしていた。介護施設などなかったのである。だから介護士という職業は専門的なものとしてスキルあるものとてし見られないから社会的地位も低く給料も安いのである。
介護は家族労働の延長としてやっていたのでありそんな看護師とかの専門性は必要ないものだった。それが制度化して施設を作りして入れるとなるとコストがかかりすぎる。
だからもう施設でまかなえきれないとなり在宅介護にシフトしてきた。
しかし今の家族は大家族でないし家族で見れないということで施設が頼りになるようになった。しかしそれもできないからまた在宅でしてくれとなった。

その在宅で介護できる余力のある家庭はまれなのである。
介護の負担は認知症でもしてきたし大変な負担になる。もうつききりになり外出すらままにならないことが負担なのである。
楽な方でも完全に束縛状態になるから辛いのである。

それで様々なことが孫まで介護させられて犠牲にされるとか仕事している人がやめて犠牲になるとか介護地獄で家庭が崩壊さえしてゆく。
老人の介護で家庭や社会が負担に耐えきれずそのために衰亡してゆくというのも異常なことである。
老人過剰、病人過剰、介護者過剰で社会自体が衰亡してゆくなどありえなかったろう。
老人や病人や障害者や介護者のためにある社会、福祉社会というのも異常な社会である。もちろん強者だけが生きていける社会も進歩した社会ではなかった。
戦争に負ければみな殺しにされたのが奴隷として生かされることは進歩だった。
ただ弱者のための社会など存在しなかったろう。
そんなことをしていたら国も滅びるし社会自体が成り立たないからである。


●国や行政頼みはもう限界


南相馬市とか津浪や原発事故周辺で変なのはボランティアが働いてボランティアにやらせて地元の人は遊んでいる、パチンコだ競馬とか補償金をもらって遊んでいる。
それで地元の人と外部の人が喧嘩したということもあった。
それも当然だろう、ボランティアにやらせて被災者様は遊んでいるというのも変だった。今でも建築工事関係者で働いているのはほとんど外部の人たちである。
地元でそれだけまかなう人手はないからだ。
最近ボランティアが泊まる所がない、閉鎖されたからもうボランティアは来ないという。それももうそういう時期に入ってきている。
ボランティアはもう必要ない、地元の人が働くべきなのである。
それも小高とか仮設に入っている人は金があるから働かない、それは今もつづいている。でもそういう時期は過ぎている。
ぶらぶらしているのも健康に悪いとか言われるから介護で働かせるようにするのもいいとか意見があった。それもそうである、介護は医者とか看護師とは違うからできる。

そもそももう介護自体が介護者が増えて限界にきている。だから年金制度と同じく介護制度自体が破綻しつつあるのだ。そういうものはもともと無理だったということもあった。


この病人と何のかかわりもない地方公共団体が医療制度というものをこしらえて病人とその家族に幻想をもたせるのはおせっかいである。
この病人と面識あるものは国や地方公共団体にまかせて援助の手を引いてしまう。
これは人間のつきあいを薄れさせる。

介護保険制度はもう限界でしょうね。
 
ばっくれる事業所があったり、途中で投げ出された利用者は大迷惑!
第三者評価とか情報開示なんかで質は計れない。当てにならんわ!
おかげで、この忙しいのにヘルパーで入ることに。
介護保険は廃止してしまえば。


情報開示なんて全くの無意味。
単なる天下りの就職先確保のための制度。
しかも、強制なのに超高額。
しかも、超高額なのに資料はほとんどこちらで揃える。
もうわけがわかりませんね。
われわれは食い扶持をなくすことにはなりますが、本当に一度廃止になったほうが長い目で見たらみんなのためなのかも知れません。


時論公論  「揺らぐ介護保険制度」
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/67283.html


こうした介護の制度化などは国でする、官僚が管理する、そこに膨大な金が蓄積される。年金でもそうであり莫大な金が役所で管理する、その金を管理することで官僚に金が回ってくる。得するのは官僚だけだともなる。
事務処理だけでも膨大な手間であり金がかかるということである。
役所はすべて事務処理のためにありそのための手間賃をもらうのが公務員だとなる。

すべて役所頼り制度に頼っていてあらゆる問題が解決できるのかとなる。
年金問題でも介護でも医療でもすべて役所まかせになったとき、その巨額の金が役人に回り勝手に使われ破綻するということもある。
国で保証するといってもすべて国でできるものではない、だから国ではどう考えるかと言えば税金をあげる、消費税をあげる、何も役人の腹を議員の腹は痛まないのである。
税金の膨大な無駄は直接自分が腹を痛めないからである。
他人の金は人は無関心である。相手が億の金を盗まれようが無関心である。
あそこにはあんなに金があったのかとくらいしかない、しかし人間は自分の金だったら百円でも盗まれたり失うと痛みを感じるのである。
百億円の金でも他人の金だとどこかに消えても無関心になる。


●「金で解決しろ」「福祉に頼め」では解決できない


これは自分も嫌というほど経験した。
自分が苦しんでいる時、今は隣近所は関係ない
必ず「福祉に頼みなさい」というだけである。行政に頼みなさいというだけである。
しかし逆にその人がそういうならその人が困った時もやはり「福祉に頼みなさい」と名だけである。
さらに現代は極端化するとどうなるのか、それを自分は嫌というほど介護や自分が病気になって経験した。
母が倒れた時、遠い親戚だけど
「おばちゃんは金があるんだから金でみてもらいなさい」
血相変えてどなりちらして去って行った。これも異常なことだ自分には何かこの七年間は一身上でも異常なことの連続だったのである。犯罪にもあいこの世の非情を一身に受けた。それは外部的にも津浪やら原発事故と異常だった。異常な世界を地獄の世界を生きてきたのである。

でもこのことは実際は現代を極端化したのもとして自分の身にふりかかってきたのである
ではこれが自分だけのことかというと社会全体がそういう社会になっているということはみんな気づいていたし金しか頼ることができないということはすでに小さい時からそう親からも言われてきたし親もそうして生きてきたのである。
だから結局この辺で原発事故が起きたのも地元の人たちにも責任がある。
金の社会になった時金をもらえれば原発でもなんでも積極的に誘致すべきだとなってしまっていたからである。
それぞさが地元でもいかに欲深いものとなっていたか、ここだけではない、全国でもサラ金などから借りている人が八人に一人もいるということでもわかる。
借金している人が実に多い社会なのである。
ある人は会社経営して成功を装っていたがやはりかなりの金を裏の金融から借りていたのである。
その人に今度は病気なのに金の要求されたからひどかった。
そういう苦しみの連続だったけどそれは今の社会が実はそうでありみんなそうした社会で苦しんでいるのが実情だったのである。


この辺では小高などが補償金をたんまりもらっているからと鹿島の人から非難される。
これも今の社会を象徴している問題である。原発作る時も金であり事故後も金でもめている。絆など実際はなくなっていたのである。
だから浪江でも小高よりもらっているから会社経営している人が仕事をくれと頼んでも
「あんたちはたんまり金もらっているだろう」と言われて相手にされないとかなる。
つまり自分が「おばちゃんは金をもっているんだから金でめんどうみてもらへ」と言われたのと同じである。極端にしろ一身上でも回りでも極端な現象としてこの辺では現代の問題が露骨に現れる場所となっているのだ。

だから小高の人が補償金をたんまりもらっているというとき
「あんたたちは補償金をたんまりもらっているんだから、金にめんどうみてもらい、金で解決しろ」となってしまう。

それが極端にしろ現代の社会がここでは自分の一身上でも起きたのでありそれは自分だけではない、みんなに起きてくる社会的要因があったのである。

つまり「福祉に頼め」「金でめんどうみてもらい」が現代の社会である。
何か頼んでもその本人はそういうだけでありみんなそうなってしまうのである。
だからいくら立派な建物でも制度を作っても仏作って魂入らずのように社会の問題は解決しない、巨大な仏像が救ってくれるわけでもいない、建物が救ってくれるわけでもない、そこにいる人が救わないとしたら助けないとしたら根本的に助けられない。
金でめんどうみてもらへと言っても金があっても人手が集まらないとかなっていることでもわかる。

すべては金では解決できない、こんな社会になったから津浪でも原発事故でも起きたのだと最近は思っている。
こんな社会がつづけば最後は人類の滅亡でありその日は近いのかもしれない
そのことが自分の一身上にも起こり回りにも起こったのである。

つまり社会そのものの転換点にきている。それがこの辺は津浪や原発事故で極端なものとして現れたのである。
それは大きな社会の変革を要求されている。でも部分的には介護が限界にきているということなら現実そうだしわかりやすい例として現実化しているのである。
国とか自治体とかでいくら介護制度や介護士でやろうとしてもできない、限界がきているそれは年金制度もそうだけど破綻しつつある。制度そのものが破綻しているのである。
そうなると個々人で自営手段をとるほかないし助け合えるものは助け合って生きろとなる制度とか自治体ですべてまかなえきれないからである。

 

2014年08月05日

厚寿苑にショートスティして医者にみてもらう (心に青雲の主催者の言う社会性が欠如している 医者とかがどういうことなのか?)



厚寿苑にショートスティして医者にみてもらう


(心に青雲の主催者の言う社会性が欠如している
医者とはどういうことなのか?)


今日はショートスティで母がまた厚寿苑にまた行った。あそこは建物が立派であり眺めもいいのある。働いている人はほとんど外部の人であり30人以上は働いているだろう
あれだけのものを経営するには人手がそれだけ必要であり人手が大事になる。
南相馬市の鹿島区ではもう一つ新しい老人ホームを建てている。
ここでも建物を建てても人手が集まらなければ経営が成り立たない
これからは人手が集まらなくて倒産したり会社が起こせない所が現にでているのだ

厚寿苑のいいところは近いから気楽に行ける、そこで車椅子押したり食事を見ていたり
何か補助的なことも家族が近ければできる。人手たりない分を家族が資格がなくても補うことができる。近くの人が来て手伝うことも看護師の仕事とは違うのだからできるのである。ただみんなしないだけである。
いつまでも外部からの助けはない、どこも人手不足だからである。
すると地元で人手を補うほかなくなる。それができなければもう経営も成り立たなくなる
風をひいて一カ月くらい咳が止まらないので隣の病院でみてもらった。
そこの医者は今まであった医者では一番好感をもった。
前もみてもらったがニコニコしていて気さくな先生である。
「まあ、肺炎ではないですよ、風邪が長引いて咳がつづくことがありますから」
「そうですか、咳が長いので心配していました」
「肺炎ではないですから大丈夫です、百才までは生かさないとね」
「ええ、百才は一つの記録ですからそうですね」
こんなことを話できるのもその先生が気さくであり話しやすいからである。
あういう医者にはであったことがない、たいがい医者は愛想が悪くぶっきらぼうであり
必ず患者を見下している。
「あんたは自分の言うことを聞いているだけでいいのだ」というふうにふんぞりかえっている。
ただ最近は低姿勢な医者は多くはなっている。だから患者様とかなんかかえって不自然な対応もするようになったのである。
大病院では病気をみているのでありその人がどういう人であるかは関係ない
医者の問題は単に病気の問題だけではない人間そのものを直接相手にするから問題になるそれは看護師でも同じである。相手が生身の人間であり直接向き合う仕事だから他の仕事とは違っている。それも相手は弱者であるからお客さん相手の低姿勢になる必要はないのである。それでどうしても傲慢になる人が多いのである。
看護師でももう忙しいからその人などみている暇はない、機械的に治療して処理するという感覚になっている。
だから自分は病院で手術して入院して看護師にも虐待されたしそのこが忘れられないのである。一つのトラウマになってしまったのである。

「心の青雲」の著者もしきりに今の医者や看護師を批判している。自分も病気で医者や看護師と接するからそうなる。そこで医者とか看護師には社会性がないとまともに人と接することができる人がいないと批判している。
それは本当であり医療技術の前に医者は人間そのものとじかに向き合うから人を傷つけやすい立場にもある。ただそんなことを考慮していまく人はいない。
そもそもそのしきりに言う社会性とは何なのかよく分からない、社会性とはどうして身につくのかとなる。会社員だったから実につくということはあるだろう。
自分のようなものは会社にも勤めていないのだから社会性がまるでなく大変な苦労をしたのである。医者はどうしてその社会性がないのだろうか?

それは病院とか医者や看護師の働く場所が心の青雲の著者が言う社会性が養えない場だからだろう。つまり医者とか看護師は常に弱いものを相手にして見下していられる場にいつもいるということである。だから悪くなく容易に患者でも虐待できるしとがめられることもないことも多いのである。
もし強いものが相手だったら相手も黙ってはいないから怖いが福祉の場では弱いものが相手だから相手を見下そうが虐待しようが常にそういうことができてとがめられない場にいるから人間的におかしくなる。
社会性とは常に相手にするのがお客さんであり低姿勢になり人と対処する
それが全く医者とか看護師にはないからそうなる。

ただはっきり言って「心の青雲」の言う社会性とは何なのか自分にはわからない。
なぜなら会社で技術職で優秀な人が会社を企業して失敗していた。
その人は最高級の資格をもった頭のいい人で近くの人を指導してあの人はいい人だったと言っていたからだ。その人はその会社に勤めている時は社会性のある優秀な人だった。
でも起業して会社をはじめてから借金経営になり嘘もつくし人間がでためめになってしまった。ではその人がどうしてそうなったのか?
その人が社会性がなかったのかというと自分などより社会性があったし社会人としても社会から優秀な人として認められていたのである。
だから社会性とは何なのかというときそれまた明確にわからないのである。
ただ自分はあまりにも社会性がないことははっきりしていた。
それはニートとか会社とか勤めない人は本当に社会性が欠如してあとで困る
それをここ7年間くらい介護から自分の病気で苦しんできた。それはまさに自分の自業自得だったのである。

まず医者としての社会性を持ち対人的なことでうまくやれる人はまれだろう。
それは技術的に優秀でもそうである。東大出ようがそれも関係ない
そもそもどうしてそうした社会性が養えるのかわからない、ただ会社に勤めていれば養えるし社会人として仕事している人は養える。社会的常識は今や会社で養う時代だからそうなる。昔だったら村社会がありそこで社会の常識を養っていたからである。
だから会社からはずれたものは社会性が養えなくなるのである。

例えば東電の幹部であれ社員であれその人たちは社会性があり優秀だとみられていたのだでも技術にいくら優秀でも経営はまた違ったものでありその経営に失敗したのが東電だった。それは技術があり会社に勤めていて優秀だった人が会社を起こして経営に失敗したのとにている。つまり何かにオタク的に理系でも優秀な人がいる、そういう人は社会性がない、変わり者になる。でも人類的に優秀な発見発明をしたりする人もいるのである。
パソコンを発明した人はそうだった。機械マニアでありオタクであり社会性がないが人類に貢献したのである。ただあとでマックの社長とか経営者になったらか違っていた。
単なる技術のオタクではないものを身につけるようになったのである。
芸術家なども変人が多く社会性がない人が多い、でもその絵であれ音楽であれそれがよければ社会で評価する、社会性は犯罪をしないかぎり問わないのである。
かえってそういう人が芸術家らしいとかなり社会では容認しているのである。
芸術家が背広来てネクタイをしているのが似合いないのである。
だから盲目の世間だました作曲家もそんな格好をして世間をだましたのである。

いづれにしろ医者であれ看護師であれどんな職業でもすべてに通用する社会性など身につけられない、特に専門家の時代は社会性が身につかない人が多くなっているのだ。
専門にとじこもり他のことがわからない人が多くなっている。他の仕事も多様でありわからないのである。
だから今糞暑いから何もしたくないとか言うと外で働く人を見ろよ、こんな暑い所でも仕事をやめるわけにはいかないだろうとか言う人がいるしそれは本当である。
そう考えるのも一つの社会性なのである。そういう場でアルバイトでも働けばそういう社会性も経験しているから身につくことなにるのだ。
だから現代のような複雑な社会では社会性とは何なのかとなるのである。
これは本当に専門家していたら身につかないものである。
人間が経験することはあまりにも限られているからそうなるのである。

ただ自分には社会人として本当に基本的な現代の社会性すらなかったことは確かである。それはやはり会社勤めしたりして人と交わらないとかのためにそうなってしまった。
ニートなんかは必ずそうなるだろう。また社会性というとき結婚して子をもたない家族をもたない人も社会性に欠如することが確実にある。
それから何ら自ら苦労して働かない人も社会性が身につかない。
この世の中のことは働かないとわからない、介護でも苦労して食事作ってだしているだけでも最近スキヤが忙しく息つく暇もなく働いているのを見て自分も経験したから同情している。それから食事を作ってだしてくれた親にも感謝して食事作りをしているのである。社会に生きる限り人はいろいろなことを直接間接にしてもらっているといんうことを自覚したのである。そんなことが当たり前だいうとき、まさにそれが社会性でありその社会性がない人が多くなっているのも事実なのである。
鳩山首相のような人は大金持ちの家に生れたのだから一時は宇宙人などと言われたがまさにあの人に庶民をわかる社会性はまるでなかったろう。
今の阿部首相でもあまりにも恵まれすぎるとそもそも社会性がないから庶民のことなど苦しい人のことなど理解できないということがあり国のトップに立つ人が社会性がないともなるのだ。
だからそもそも社会性が何かなのかということがわかりにくいのである。

stap細胞の件でも責任者の一人が自殺したけどこれも研究という象牙の塔にとじこもり社会性が欠けたからだとかなる。その社会性とは何なのかとなる。世界的にも研究者として認められていた人なのだから社会性がないなどとは言えないだろう。

NHKスペシャル見たけど、研究者というより、マネージメント能力が高い、
 (お金を持ってこれる)っていうのは褒め言葉だと思うがなぁ。
 研究ばっかりで、社会のことをあまり知らないという人よりも、
こういう人がいてくれるおかげで、組織が回っていたということも
 あると思うが。

これは象牙の塔の専門バカではない学者バカではない、社会性があった人だったともなりその社会性はなにかやはりわかりにくくなる。

本当は嘘をついたりする人はそもそも社会性がないとなる。嘘をつくことから犯罪にも発展するし重大な事故にもなる。東電は権力をもっていたから嘘の報告をしていたし放射能などわからないからいくらでも危険を隠蔽していたのである。
だからこうした大会社でも社会性がないとかなるから社会性とは何かはわかりにくい。
ただ対人的に世話になったらお礼を言ったり何か礼儀的なことも社会性である。
そういうことも今はない人も多いし社会性とはいろいろな方面にある。
敬語を使うにしてもそうした会社とか人と交わる場所にいないと身につかないのである。敬語を使うことも社会性である。だから社会性とは何かとなると多方面になるから余計にわかりにくいのである。
会社勤めできるうよな人はそうした基本的な社会性は身につくがそれがすべての社会性ではとないから人間が生きることはむずかしいのである。


まず社会性は学校では身につかない、だから東大ででも社会性は身につかないしかえって社会性がないと心の青雲の主催者は批判しているのはわかる。
社会的にもまれた人は社会性が身につく、底辺を生きる人も福祉で生きるにしても役人との交渉が上手でないとできないとかそれも社会性かないとできないともなる。
福祉だからと何でも役人からしてくれるとは限らないのである。
交渉力をもたないと何もしてくれないから生活保護を受けられずに死ぬ人もいる。
一方で社会性がありすぎて不正受給も絶えないというのもあるのだ。
たから社会性とは何なのかわかりにくいということである。
結局すべての社会性を充たした人などこの世にいないとなっしまうからだ。


タグ:医者

2014年08月06日

厚寿苑にショートスティで出会った認知症のばあちゃん (はたかれたというが・・・わからない)



厚寿苑にショートスティで出会った認知症のばあちゃん


(はたかれたというが・・・わからない)


母と同じ部屋のばあちゃんは認知症なのだろう。認知症といってもいろいろあるからわかりにくい。どこの人かと聞いたらと大甕でといい、北原に住んでいた。
家の前まで津波がきたけど家は助かったという、その助かった原因が前に竹藪があったからだと言っていた。そのことは相馬市の新田でも聞いて書いたことがあったので
竹は根が強く張り津波に強いことは間違いない、川岸に竹を植えるのは水害を防ぐためだというのも大原の人から聞いた。竹は津波には強いといかことが明らかになったから
津波を防ぐ方策の一つとして竹を植えることが選択される。

そのおばあちゃんは萱浜に姉の一家が住んでいた。ただあまり良くされていなかった。
海で魚をとっていたがその魚を分けてもらったことがない、新鮮な魚はうまいのにといろいろ不満を言っていた。それで今回のその姉の家が全部流された、姉も死んだ、良くしてくれないからそんなことにもなったとか言っていた。
その人の姓はわかりやすいので自分は実際に知っていたのである。
めずらしい名前だと思って記録していた。その姓は萱浜の墓地で発見したのである。
そこは海がすぐ近くの場所だったのである。天保の墓があると書いたプログを読めばわかる。
ここではその人が誰か書けないがそれで驚いたのである。
地元だとそんなふうに身近だから誰のことを言っているのかさえわかることがあると思った。ある人は町の人が全部親戚のようになっているのが田舎では普通にある。
自分はないがそういう場所が田舎なのである。
なんらかの血縁関係でも結婚してもつながりがたどれるのが田舎である。

そのばあちゃんは何歳かわからない、認知症であることは確かなのだろう。
ただこの認知症のわかりにくいのはそれが完全な痴呆とは違う点なのである。
いわば後天的になった老化でなった痴呆でありこれまで生きてきた記憶は保持していて
そのことを語る時は正常なのである。
だから津波のことや姉のことを語る時は正常なのである。
実際にどういう関係の人かも知っている。
だから魚を分けてくれなかったとか自分を馬鹿にしていたとかしきりにいう。
そういうことは親戚関係でも常に普通にあることだから変わったことではない。

そのばあちゃんは巳年(みどし)生まれであり部屋に蛇がいたときも殺さないでとって近くの川に流したとか猫が車に引かれた死体を山に埋めてきたとか言っていた。
だから私にはいいことがあるんだよとかしきりに言っていた。
そういうやさしいおばあちゃんでもあったのだろう。

ただ非常に気が強いばあちゃんである。何か勝気な性格である。だから歌を歌ったりしていた。相馬流山などを歌っていた。私は何でもしてきたんだよとかいろいろ言う。
それで一人でいる時は壁に向かって一人で話している。お客さんを一人で迎えて一人で話ししているのである。だから淋しくないという。それはやはり認知症の症状なのだろう。それで「私は頬を強く何度もたたかれた」と言っていたので驚いた。
そして今度たたかれたらこんちでも黙っていない、私は力があるんだからと手を握ってみろと言ったから握ってみたら本当に体は小さくても力がある。
認知症は馬鹿力を出すことがあるということがあり暴力になると扱いにくいとか聞いている。
自分も気の強い女性を身内の認知症を介護したからそのことはわかっている。

では一体誰に叩かれたのか?ここの施設の人だと言っていた。
男の人でありその真意はわからない、私はそういう人は寄せつけないとか言っていた。
私は一端嫌ったらよせつけないんだよとしきり言っていた。
これも認知症の人は嫌った相手をよせつけないということがあるからそうなのだろう。
ただでは本当に叩かれたのか?こういうばあちゃんだから扱いに困り叩いたのかもしれない、でも強くたたかれたというから嘘でもないみたいであるがわからない。
認知症で気が強い人は扱いにくいから叩かれたりすることがあるかもしれない。
暴力をふるうからそうなることもありうる。
ただこうして叩いたりするともうその人は介護することができなくなるだろう。

ともかくこの辺の問題は介護士でも外部から来た人であり地元の人と話し合うということはむずかしいだろう。どこに住んでいたといっても外部の人だったらその土地のことがわかりにくい。この土地のことも例えば相馬流山のことも知らないだろう。
もし知っていたら一緒に歌ったりしたらかなり喜ぶだろう。
それが認知症の治療につながっているのである。
認知症を相手にするにはその人を知ることが大事になるがこれが外部だと余計に簡単にはできない、認知症は別に地元でなくてもその人がどういう人か理解することがかなり大事である。でないと話しも通じないし介護もしにくくなる。
それはなかなか若い人にはできないだろう。
つまり認知症の介護には精神的な面でのサポートが大きくなる。
ただ身体的介助だけではないからめんどうになる。

いづれにしろ新聞で読んだが外部の労働者が病院でみてもらっても診療費を払わないので病院で困っているとか外部の人が大勢来ることでこの辺はまた問題が起きている。
外部から入ってきてだます人もいるから注意しろとか警察でも言っているとかでもそうである。
つまり外部から人がこのように大勢入ってくるとこのように問題が起きる。
老人の介護問題でも起きるということがある。
厚寿苑では小高の中学生が研修していたのも不思議である。
中学生が介護施設で研修しているのか一人だけしていたのも不思議である。
小高の人は働かないと不満を書いていたから不思議だった。

ともかくこの辺はあらゆるものの問題の場所になっている。だからそれに対応するのが大変になる。老人施設でも建物を建ててもそこで働く人が問題になる。
その人が地元では確保できない、それでもボランティアでもできる仕事が介護施設にはある。なぜ中学生が研修していたのか、つまり中学生すらできることが介護にはあるということなのである。食事を運んだり車椅子を押したりは誰でもできるからである。

介護施設でも外部の人が入ることは大事である。別に厚寿苑は家族が出入りしていているし外部の人が入っている。ただ介護士はほとんど外部の人ということなのである。
そのばあちゃんははたかれても何もいわないよ、わたしは人に何を言われても争ったりしないとかそんなことを言うと問題になるから黙っているのがいいんだとかしきりに言っていた。そのことを言うことで波風がたつことを嫌がってそういっていた。
それも認知症にしてはまともなことなのかとも思う。
ただ現実に老人ホームでは虐待は起きている。病院でも起きている。自分も虐待とまでいかなくてもそれとにたことをされている。
おそらく表に出ない虐待は日常化しているかもしれない、それは老人ホームでは施設では一番起こりやすいからそうなる。認知症の人だと余計に扱いにくいから起こりやすいだろう。だからこの真意はわからないのである。
タグ:認知症

2014年08月07日

厚寿苑でのショートスティ終わる (人間は最後まで自分の意志を伝えることが大事) 厚寿苑でのショートスティ終わる (人間は最後まで自分の意志を伝えることが大事)


厚寿苑でのショートスティ終わる

(人間は最後まで自分の意志を伝えることが大事)


昨日同室のおばあちゃんは明らかに認知症である。今日は自分の母親が99歳だといって百才になると言ったら一千万もらえるよとか言っていた。一万しかもらえないというとそんなことないよ一千万もらえるよ、今はもらえるんだよと言っていたからこの辺は理解していない。
ただ今日もはたかれたと何度も言っていた。大学もでているのにそんなことするかなどとも言っていた。近づくなと言ってもよってくるんだよとか言っていた。
来たくないんだけど一人でいるのもよくないから家族に行ってみなと言うから来るんだよとも言っていた。たいがい施設でもショートスティでも行きたくない帰りたいとみんな言っている。
おそらくその原因が気兼ねすることであり他人だからありがとうとかここで言う人が多いからかもしれない、世話になることが気がひけるのである。
それでも食事ができない、食べられない人に無理やり食べさせている。
「せっかく作ってくれた人がいるんだから食べてね」
こういうふうに言う世話する方の心理はわかる。自分も世話しているからその気持が理解できる。世話する方になるといろいろ大変になるからである。
ただ無理して食べさせられる方は苦しいと思う。
自分の母親も人の言うことを聞かねばならないと思う人だから無理して食べろとか飲めとか言われて吐いてしまったことでもわかる。

kakishurusuuuu111.jpg

自分の99歳の母親がここまで書いていたのかと驚いた。ほとんど耳が聞こえないし書くこともできないと思っていた。自分の意志を伝えることができないと思っていたからだ。
99歳でもここまで自分で書けることは自分の意志を伝えたことなのだ。
ただこのノートに書いたのを介護する人は見ていない、これも問題なのである。
いくら伝えようとしても介護する方で見ていなかったらその意志をも伝えられないのである。

はたかれたというおばあちゃんは本当はどうなのかわからない、男の人に連れられてニコニコして食堂に来ていたからだ。それから女の人にもはたかれたと今日は言っていた。
だからこのおばあちゃんのことを本当だと思う人はいないだろう。
これは全く無視されるだろう。
つまりもう認知症になると自分の意志が伝えられなくなることが最大の弱者となる。
財産をもっていてもわからないから勝手に処理される。
その他でも嫌なことでももうその人の意志とは関係なく処理されるのである。

だから人間とはつくづく何か伝えることがいかに大事かわかる。それは個人的なことでも何かを伝えることは生きることなのである。その伝えることができなくなる時、人は死ぬもう人間として生きることはできなくなる。だから病院でも施設でもロボットのようにされて人間扱いされず処理される。病院とか施設は大きな権力をもっているから正常でも一個人の意志を無視できる。医療ミスでもいくらでも隠蔽できる権力をもっている。
だから正常でも個々人で意志を伝えることはむずかしいのだからもう認知症のようになったらその人のことなど全く無視して勝手にされるのである。そしてもはや何されようが抵抗できないのである。

こういうことは歴史上だって常にあった。最近ずっと相馬藩でなぜ慶長の津波で700人溺死としか記録されなかったかということである。もしその時津波の被害にあった人が生き残り文字を書くことと伝えることができれば後の世に貴重な記録を残したことになった。でもその時自らのことを書き記し残すことができない、庶民にはそれだけの記録を残す力がなかった。文字を書くこともできない,何に残すかと言っても残せない、相馬藩政記には戦争のことや跡継ぎ問題などは詳しく書きし記されて残っても庶民のそうした災害の記録は残らなかった。それが後の災いになったのである。

書くということは一つの力をもつことであった。伝えるということもそうである。
人間は書くことができても伝えることはできない、伝えることは権力をもたないとできない、今までは伝えることはマスメデアを通じてしかできないとなるとマスメデアが力をもったのである。出版もそうである。
だからこそ原発事故などでも内部の真実は伝えられなかった。伝える力をもつことができなかったことが事故につながったのである。
何かを知らせる伝えるにしても権力がないとできないのである。
記者クラブがあってそこからしか情報が得られない、すると記者クラブに入れないものは情報すら得られないから伝えようがない、すると記者クラブは馴れ合いとなり金も宣伝費でもらえたりして真実は伝えられなくなるのである。
だから2ちゃんねるとかユーチューブとかプログとかでも庶民が伝える力をある程度もったことはやはり大きな進歩である。
大きな権力しかもてないものしか伝えられないとしたら原発事故のようなものがまた起きる。

厚寿苑ではたかれたとかはたかれないとかはわからない、でもそういう場所で認知症であれ老人であれ弱者になると書き記してもみてもらえい、伝えようとしても伝えられないということが起きてくる。
最近のニュースで精神病院に隔離されて20代の時から40年をいたという人がいたのには驚いた。まるで岩窟王だった。精神病院が一生だったという悲劇である。
そういうことも弱者になると普通に起きてくるのだ。
それは認知症の人でも老人になるとそうなりやすいのである。
弱者化するから嫌なことで従い何も言うことができなくなる。
それは家族内でもありうるし施設などではさらにありえる。
インターネットはそうして権力がないものが訴える伝える力を持ったことは言える。
それは民主主義には不可欠なものとして生れたともいえる。
ただまだ成熟したものとならないから問題が多い。
でもかなり普及したからそれなりに個人から発信したものでも影響する場合もでてきているのである。

2014年09月13日

金の貸す方の恐怖 (貸すと際限なく借りに来る恐怖)



金の貸す方の恐怖


(貸すと際限なく借りに来る恐怖)


金を貸す方の心理を借りる方は知らない、立場が変わると人間は相手のこと理解できない、患者と医者と看護師でも親と子でも上司と部下でも立場が違うから理解できなくなる。
正直親とならない人は親の気持ちがわからないということがある。
自分がそうだった。今親の介護をして世話する人の気持ちを理解した。
毎日食事の用意をすることが大変なのである。でも親もそうしてくれてきたことを理解したのである。
親は子供を世話してきた。そこには子に対する願いも生まれる。
子供が立派に育ってほしいとなる。その立派とは何か明確ではないにしろそいう気持ちを持つのである。
それは日々子供のために尽くすからそうなる。

人のために他人でも同じである。
特に看護師などや介護士でも人と直接向き合う仕事だから余計に感じるのだ。
「なぜこの人のために働き尽くさねばならないのか?」
金をもらっているから仕方がない、そう割り切れないのである。
だから病院とか介護関係では虐待も起きてくる。それは家族でも起きてくる。
家族も実際は様々な家族があり複雑なのである。
要するに世話する人と世話される人の立場の違いで問題が起きる。

金の貸し借りもそうだった。金を借りる人は金を貸す人の気持ちがわからないのである。
返すから貸してくれとはいうけど返すとは簡単に誰でもいうことができる。
一回貸すと必ずまた借りにくる。返さなくても借りにくる。
金を貸すとそれが延々と続くから怖いのである。要するに切りがないことがこわいのである。
延々と金をせびられのが金を貸す方にとっては怖いのである。
金を貸す方にすると延々とせびられる、たかられるということが恐怖になる。
そういうことは親族間で起こりやすい。
借りに来ても断りにくいからである。

恐喝事件では推理小説では延々と金を請求されるということで殺害するというのも切りがないことが恐怖になってそこまで金を与える方が殺害までにいたる。
金を貸す方もそういう恐怖がある。
なぜなら金を借りるような人は常に金に困っていて借りに来るからである。
金を借りに来ることに終りがないのである。

その金の貸し借りから信頼関係はこわれてゆく、金の借りる方は金にならないならと離れてゆくし金を貸す方は金を延々と要求されるということで恐怖となり縁も切れてゆく。
人間は限度がないことが怖いことになる。欲望にも限度がない、だからかえって一千万の月収があっても生活が苦しというのはそのためである。
収入が増えれば楽になるというのではないという。それ相応の生活ができないことが問題なのだというのは本当だろう。

なぜ金の貸し借りから人間関係が破綻するのか?
金を借りる人には必ず問題がある。そして知人であれ金を借りるとなるとどうして金を借りるようになったのか厳しくとわれる。ギャンブルでおおまけしたからだと言ったら誰も貸さない、貸すのはサラ金である。
金を借りることはその人の人間人格、人生まで問われることになるのだ。
おまえはいいかげんな奴だから借金するのだとみられる。

まず事業している人などと付き合うのは怖い、こっちに弱みがあったりしたらさらに怖い、相手は金しか眼中にない、ちょっとでも何か頼めば百万単位で借金を要求するから頼めなくなった。だからかえって頼むときは法人会社がいいとなる。
要するにもう知人でもなにかしてもらうと際限なく要求されることが怖いのである。
「ただほど怖いものはない」の意味は報酬として決まった金でケリがつくことはわりきれていいのである。
なにかしてもらっていくらだと決まっているとかえって割り切れる。
いくらでもいいですよおいわれると一万から百万までまりうるのである。金持ちだったら百万払うこともあるからである。

いずれにしろこの金の問題も親から受け継いだカルマだった。いつも金を貸すことで返してもらうのに苦労していたからである。そのカルマも引き継いだのである。
カルマは親からのカルマ必ず引き継がされるのである。
そこにはいい面と悪い面がある。いい面だけを引き継ぐことはありえないのである。
いずれにしろ金の問題はやっかいである。自分はそんなことにかかわることがなかったからよかった。今やいろんな世俗的なことに関わらざるをえなくなった。
人間は世俗のカルマから逃れられないのである。
借金をすること自体がすでに具体的にカルマを背負うことになっているのだ。
だから借りた人に借金を返さなくても他の人から取立てがされそれは厳しくなるというのもありうる。そのカルマともかくどこかでまた返さない限り要求されるのである。

タグ:金を貸す

2014年09月16日

火災保険、10年超引き受け停止へ 損保大手 自然災害増加で収支悪化 (国民年金も保険であり支払いきれなくなっている)


火災保険、10年超引き受け停止へ 損保大手 自然災害増加で収支悪化

国民年金も保険であり支払いきれなくなっている)


  損害保険大手が、10年を超える期間の火災保険の新規契約引き受けを来年秋にも停止する方針を固めたことが13日、分かった。異常気象による建物被害が増加傾向にあり、長期契約での収支予測が難しくなったためだ。現在、最長で36年の保険契約は、 ...
MSN産経ニュース

若い世代はまともな職にも就けず、安定収入もなく、結婚もできず、ジリ貧。 
一方、老人世代が雇用延長して会社に居座り、高給を得て、裕福な生活をおくる。 
自分たちだけ良ければ後はしらねえ、って感じがぷんぷんする。 
政治家も自らの懐にカネが転がり込む仕組み作りに腐心しているだけで、表向きは 
キレイ事をいっているだけで、将来の日本がどうなろうと知ったことではない。 
だいたい、余命幾ばくもない70才の老人がまともに将来を考えるかっての。 


年金は保険だから。得する人もいれば損する人もいる。最も公的年金は、政府が出資してるから得する割合が高い。

 自動車保険は事故を起こさないと貰えませんよね。健康保険は病気や怪我をしないと 
貰えませんよね。保険金を貰うような事態にならないほうが幸せなんです。それを、 
「掛け金が無駄になった。私も事故を起こしたかった。病気になりたかった。」と悔やむ 人はいません。 

国民年金「保険」も、厚生年金「保険」も同じこと。貰うような事態にならないほうが幸せ なんです。保険金をもらえなかったら、「無駄に長生きして生活に困らなくてよかった」と
喜ぶべきなんです。 

そういうわけで、年金の支給は90歳からにしますのでよろしくお願いいたします。 



一般にも保険が「危険を分担」し合う契約であることの認識は薄く、自らに保険事故が発生し、経済的保障を受けなければ保険の効用、仕組みについて理解がされないことが
多い。

保険というのがこれもそもそもわかりにくい。親が農協の保険の火災保険い入っていた。それで今回の地震で30万くらいはもらった。
でも津波に被害があった人は500万もらったという。床上浸水で被害が大きかった。
それでもその額が大きいと思った。その人は1200万くらいの保険だった。
自分は600万だったのである。それも積み立てたのが戻ってくる保険だった。
ただ自分は少ないと感じたが保険は何かあった場合のために助け合うことが保険だということを理解した。そういう助け合いだということを自覚している人は少ない。
保険会社に一任してその保険会社から支払われるのであり互いに保険金を納める人が協力してなりったていることがを自覚していないのである。
それが近くで同じ農協だったから自覚したのである。
正直農協は一年に5万であり高いと思った。でもこれは掛けたものが返ってくるから高かったのである。

現代は保険の時代でもあるが保険とは何か理解している人が少ないと思う。

年金は保険だから。得する人もいれば損する人もいる。最も公的年金は、政府が出資してるから得する割合が高い。

 自動車保険は事故を起こさないと貰えませんよね。健康保険は病気や怪我をしないと 
貰えませんよね。保険金を貰うような事態にならないほうが幸せなんです。それを、 
「掛け金が無駄になった。私も事故を起こしたかった。病気になりたかった。」と悔やむ 人はいません。 

年金が保険と理解している人もまれだろう。若い人が年金を払うのが馬鹿らしいというのはわかる。
自分もそう思っていたが払うのは親だったので苦しいとは思わなかった。
年金は保険だとすると老後のために何かあった時にもらうものであり月給のようにもらうものではない。
それは病気とかになった時もらうものだとなる。そうなると定期的に死ぬまでもらうのはないとなる。
国民年金などはこうした保険というよりは国の社会保障になっている。半分は国で保証しているのである。健康保険でもそうである。アメリカでは健康保険が馬鹿高いから貧乏人は入っていないから病気の時はいい医者にみてもらいない、日本では平等にみてもらえるのがいいと評価される
でも国でその負担が増えるとはらいきれなくなり消費税などの増税になるのである。
それはこれも保険でありみんなでなにかあったら負担しあうという思想があり成りたっている。
生活保護でもそういう思想があり成り立っている。ただ税金で納めるから保険だという感覚がないのである。

若い人が年金に不満なのは今の団塊の世代などは少なく払ってももらえるが自分たちが老人になるときはもらえるかどうかわからないという不満である。現実に今の90代は年金をはらわなくても三万くらい国から支給されたのである。年金は国で保証されるから支払われるとしても今払っている年金は今の世代に支払われるから不満なのである。
考えてみれば火災保険などは支払う額はそうした世代間で差はない、みんな同じ額を払って維持している。今の若い人は多く払ってももらえるかどうかわからないというのは当然だとなる。
厚生年金や企業年金も国民年金とは違っている。
公務員はなぜ年金が高いのかと不満がある。その差があまりにも大きすぎるからである。
そもそも国民年金にしてもそれが保険なら病気とかの時支払われるのであり月給のように支払われるのではない、そうしたいなら貯金の年金に入り老後にもらえるようにしひた方がいいとなりそうしている人もいる。

いずれにしろ社会保障費も増大すれば消費税などあげねばならない、少子高齢化でその負担が若い人にかかるから不満が増大する。最近火災地震保険でも払いきれないから募集を保険会社で取りやめたことも同じことなのである。支払う額が大きくなるともう維持できなくなるのだ。
それは社会保障費でもそうだし年金でもそうだし民間でも維持できなくなる。
そういう限界状態が社会全体に生じているのである。

現代社会が理解しにくいのは何でも規模が大きくなっているからである。少人数の頼母子講などなら理解しやすいが巨大化すると人間はなんでも理解しにくくなる。
でも今回のような大災害になると巨大化しているから巨大なシステムを構築した保険会社でないと対処できない、その一番巨大化したのが国の保障なのである。これだって税金で成りたっているのだから
保障しきれない事態になっている。
タグ:保険

2014年09月17日

なぜ老人は金を使わないかモノを買わないのか? (老人は消費すること自体が大きな負担になる)



なぜ老人は金を使わないかモノを買わないのか?

(老人は消費すること自体が大きな負担になる)



なんか通販では大きさとか重さわからなくてかなり買い物に失敗した。今回も背負うリュックサックを買ったが大きかった。前は重くて使えなかった。そのリュックを買ったのは下に弁当など入れられからいいと思った。弁当は一つにすると生ものは汚してしまうからである。
通販でムダが多いのは買いないものが買えるからである。
田舎では売ってないものが無数にあるからである。でも手に取ってみないと使えないものがかなりあった。っだから通販は無駄な買い物が多くなりやすい。

そもそもそいうものを買っても老人になると利用する頻度が少なくなる。
登山でもキャンプでも今簡単にできなくなっていた。介護で離れられなくなっているからだ。 そしてこの辺はバスになった結果仙台に行くのにも面倒になったのである。
バスは何か疲れるのだ。最近既に半年以上も仙台に行っていない。
出不精になってしまったのだ。
自転車でも自分は若い時からツーリングなどしていないから50以上になりスポーツタイプの軽いの買った。でもこれもわずかしか乗りこなせていない、つまりモノを道具を買ってもそれを使いこなす体力や気力や時間がなくなってきたのである。
最近小型のいいビデオカメラがでたので自転車にとりつけようとしたがそれもできなかった。いいものがでても買っても使いこなすことができない、老人は金があってもモノを道具を買っても使いこなすことができなくなる。

人間の生きる時間は本当に短い、高齢化で寿命が長くなったといってもやはり老人は若い人のようになんでも取り入れて使いこなすことができないのである。
趣味だってこれも相当な年季を必要とするから簡単にはできない。
60の手習いだなどというけどその負担は若い時の何倍もの労力になる。
読書だってそうであり厚い本は硬い本は読みにくくなる。
だから読書でも若い時は別に理解しなくても読んでいた方がいいとなる。
その意味を老人になると深いものとして理解できるようになるのだ。
素読とか子供の時暗唱させるのがいいというのはそのためである。その時意味がわからなくてもあとでわかるときがあるからである。

老人になると何かをするということはすでになんでもかなりの負担になる。それは遊びでもそうであり金があるから何でも買えてもそうである。第一パソコンやろうとしたらその労力は若い人の何倍もの負担であり使いこなせない、だから老人はモノを買わなくなる。
もしパソコンを買うなら大金持ちなら教える人を雇うことも必要になってくる。それでもパソコンを覚えることは容易ではないのだ。
その手間と時間が若い人が覚えるより負担になるから買っても使いこなせないとなり買わないとなる。老人になるとそいうことが多くなるのである。

人間は年をとればとるほだモノがいらなくなる。みんないっているだろう。
「もう何もいらない」と死ぬころになるとそうなる。
立派な着物をいれる箪笥があったけど着物を着たのわずかだった。
悲惨なのは認知症になりモノがありすぎると整理できなくなり忘れた忘れたと騒いでパニックになっていたことである。
認知症になると部屋には避けなものがない方が整理しやすいからいいのである。

老人になると何が必要なのか?何が買いたいのかとなるとモノではなくなる。
逆に金で買えないものが価値お帯びてくる。そもそも親切とか優しくしてくれるとかは
金では買えないものだったのである。
特に介護はモノを与えることではない、親切に接してくれるとかの精神的なものであり
モノを買うのとは違っているのである。
老人になるとそうしたモノではないものが価値をましてくる俺はいくらでも金をもっているだから俺に親切にしてつかえろといってもそうはならない、施設では嫌々ながらそんな老人をめんどうみている。でも施設では金だけではどうにもならないから不幸だというのもわかる。モノは買えても心は買えないのである。

認知症の不思議は何が最後に大事になってくるかを象徴している。
『殯の森』(もがり の もり)という映画は認知症のことがよくわかっていて作られたいいからいい映画だった。認知症の人が大事にしていたのは一つのバッグだった。
肌身離さず持ち歩いていたのである。それをとったとき激しく怒った。
なぜか、そこには思い出の品が死んだ妻の遺品や日記が入っていたのである。
自分の姉もみすぼらしいバッグを肌身離さず持ち歩いていたのである。
それはシンガポールで従軍慰安婦を4年間していて辛酸をなめた戦友が作ってくれたものだった。死ぬ間際までその戦争のことが忘れれず語っていた。
戦争の体験はそれほど忘れられないものとなっていたのである。
何が価値あるものとして残ったかというと「思い出」でありそれは形にはならないのである。それも人生を象徴していたのである。

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戦友が作ってくれたこのバッグをいつも肌身離さず持ち歩いていた

タグ:老人

2014年09月19日

老人の価値は誰が決めるのか (本人ではなく個々人の価値観で決めている)



老人の価値は誰が決めるのか


(本人ではなく個々人の価値観で決めている)



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●差別意識は人類か始まって以来あるもの

で誰が価値あるのか何に価値あるのか決めることはむずかしい、身障者から知的障害者から貧乏人から金持ちからさまざまな人間が混在しているからてある。
世界的になればアーリア人が一番優れているとかユダヤ人か神に選ばれたから優れているとか白人と黒人には明確な差別があり黒人は劣等民族とされる。
日本人も戦争き時にはジャップと軽蔑され黄色人種は白人からすれば劣等民族だとされて原子爆弾を落としたとも言われる。
アメリカでは旅行しても博物館で入りにくくされたとかそこで暮らしていれば必ず差別がある国なのである。
中国人はどうだこうだ韓国人はどうだこうだと毎日差別発言をしているきを見ればわかる。
お互いに人種や国で分けて優劣を言っていくのが人間である。
肌が黒いとか黄色とかて人間は差別できない、欧米人が世界を主導してきたから他の人種は国は劣等だとされるているのであり肌て決めているほけではない。
ユダヤ人は神から選ばれた人種だから他は人間ではないということも根強くある。
一方でユダヤ人は常に迫害されたてきた差別されてきた民族てありそれがナチスきホロコーストになった。
宗教的にもイスラムは下位のものとキリスト教圏からは見られる。
宗教によく人間の差別も根強くある。

●悪人もサタンも神に存在をこの世で許可されている

人間とはこうしてし絶えず差別化してきたのである。  インドでカースト制がてきたのもそのためである。そもそも人間き価値を誰か決めるのか?
このこと自体が極めてむずかしいことなのである。「お前は価値のない人間だから死んでしまい」と言う事はむずかしい。 女性でも美人は価値あるがそうでないものは価値がないとかも言えない、なぜなら不美人がいて美人かいるブスか美人きひきたて役になっている。もし美人だけだったら美人は存在しないことになくからだ。
人間はあらゆくことにそれぞれに価値を決めているのである。
パチンコなどやるやつは価値がない、パチンコなどなくせばいいと言ってもそれを必要としていく価値あるとしている人たちかいるから存続している。
「暴力団なんからいらねえ、抹殺しろ」と言っても暴力団にしても社会悪としても必要なものだとも言える。現実に政治家自身が価値を認めている人もいるからだ。
つまり悪人なんかいらないから抹殺しろというけど悪人自体もこの世を構成するものであり聖書自体が神が悪人き存在をサタンき存在を認めているきである。
そもそもこの世から悪などなくなりえようがないのである。

学歴がどうのこうのというきも優劣を決めくも指標としてこだわる。社会に出たら学歴など関係ない、何かてきるか仕事かてきるかできないかで決まる。
ただ東大くらいになるとあらゆることで劣等生て高校も卒業てきないような自分は体力がありそして頭かいいという人は理解できない、天才も理解できない。
要するに学歴は何かかできたきとは違う。芸術家だったらどれたけ芸術分野で成果をあげられかである。それは作品に如実に現れるからわかりやすいのである。
それは偽ることきできないものとして提示されくからである。
中卒でも別にのしあがる人はいる。大工などでも職人ても腕がいいとはみなならない、職人には学歴か必要のないものが多い。設計とかなると学歴か学校で基本を学ぶことか必要でも社会で成功するのはそれだけでは決められない。

 ●老人の価値は家族になるとわかりやすい

老人の価値を決めるときもそうなのである。老人に金を使うきは無駄だだから若者に少子化たから子供にもっと税金を使いというきもは最もなのてある。
若者が老人を公共の場で施設て介護している世話している風景は何か異様なのかもしれない、今までにないことかもしれない。
家族では弱った老人を世話している光景は昔からあったろう。でもこれだけ大勢の人間か若い人か介護している情景は異様なのかもしれない。
ただそういう場で世話している若者は老人をどうみているのか?
ただ金をもらえるからしかたなくやっている。老人には何ら価値を認めていないかもしれない。
その介護する若い人でも老人の見方はそれぞれ違っているのだ。
あのばあちゃんはかわいいくないな、言うことよく聞かない、わがままだとかその性格で価値判断している人もいるだろう。そこには個々人で様々な価値判断かある。

これが家族になるとそき価値判断は施設とは違い家族内ての価値判断になる。
そき人が家族でどういう役割を生きてきたかが問題になる。苦労して家や子供に尽くしてきたということは家族なら言わなくても暗黙の内にわかっているから介護する人もいる。
妻には苦労かけたからと夫か介護している姿も見ている。
そこでの老人き価値観は家族が決めていくのである。病院での価値観になると医者でも看護師でも家族のようにはみない、病院経営を維持するものとしてまた大学病院では実験材料として見ていることが現実にある。手術をすすめるのは実験材料としてするからであるというのも恐怖だけど現実ということもある。

自分の場合はともかく人一倍家族には世話になったから普通の人より介護の動機がある。
60まで世話してもらっていたのである。ただ親でも金持ちでも親を大事にしないことかある。金持ちではたいがい高い料金の施設にあづける。かえって貧乏な親の子供か財産がなくても親を大事にすることもある。自分の親は苦労して育ててくれたから世話するという人もいるからその価値判断はマチマチなのてある。
こんな老人は価値がないというときそれは一般的な見方なのてある。
それは財政的負担が大きいから老人はいらないとなっている。だから延命治療など金のかかることはしない方がいいのである。
老人だって個々人ては違っているからである。一般的になると80以上くらいになくと戦争を体験して苦労した世代たから世話してもいいというのが社会的見方である。
団塊の世代は自分本位の人たちだと日本を劣化させたものとして常に槍玉にあげられているから老人になっても価値か認められない、特に施設てはぞんざいに扱われるだろう。

●ただ食べて寝ていくだけになるとそれは人間なのかともなる

ただ自分の価値観としては毎日食べて寝るだけの人間は人間なのたろうかとも思う。
特に認知症になった人についてはプログて書いてきた。
それだって知的障害の人でも母親は愛情をもっている。だからもしそうであれば社会では価値を認めなくても母親は愛すべきものとして価値あるものとして見ているから違っている。ただ認知症とか知的障害者になくと世話するのが苦しくなるから早く死んでほしいとなるのは批判できないのである。

例えば自分の場合寝たきりになっても頭が正常なら病院でも花をいけて見ていたいとなる。
そして俳句や短歌を作る、するとそういう人に人間の価値を認める人もいるだろう。
ただ病院ではそこつでは配慮しない、その人を知っている人でないとそこまでは配慮しない。なんか世話していてもその人か天井を見つめて寝ているだけで何も関心をもたず食べては寝ているたけなきが人間なのかと見る。
それも生い立ちでそうなったのだから批判てきない、その人が老人でも病人ても人間として価値があるかどうかは個々人の価値観で見ているのである。
そもそも花に無関心な人は別に健康な人でも若い人ちも多くいる。若いときはあまり花に関心をもたないたろう。関心をもつのは女性たとなる。
今になるとただがつがつと働き稼ぐ人間は嫌われる。成り金が嫌われるのは金の使い方かわからないからだろう。宝石などばかり身につけても金があってもそれが価値あるものに投資されないということて批判される。
でもそれはそき人き価値観だからそれは他から無駄だといっても俺のかせいだ金を何に使おうととやかく言われることはないとなる。
人間の価値観は個々人によってみんな違っている。
たから老人を見る価値観もみんな違っているのである。
いちがいに老人は価値ないというとき、そうなら成り金だって健康でも金持ちでも価値がないと見る人はいるのである。何事一様な判断はできないのである。
タグ:老人の価値

2014年09月26日

母が国から百歳になる賞状と記念品もらう



母が国から百歳になる賞状と記念品もらう  

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この賞状は国から贈呈された。百歳になると市と県から10万もらえる。
でも来年2月が誕生日だからそこまで生きたらもらえる。
それまで死ぬということもありうる。
今のところトイレにも行っているしわずかでも自力で食べている。
だからぎりぎりで生きるのかもしれない
つくづく人間の寿命は99歳になってもいつまで生きるかわからない
つまり人間の寿命は神が決めているという感じにもなっているのだ
東大を出て柔道何段とか特別優秀な医者も40代で死んだとか
そういうことになぜなるのかわからない
人の寿命は本当にわからないのである。

時分の母親は細身であり体が弱かった。ただ学校を一日も休まなかったとか
製糸工場で十年働いた。真面目で働きづめの生涯だった。
どうして長生きしたのか?
食べ方を見ていると食べ物をゆっくり良くかんで食べている。
真面目に食べ物もよくかんで食べている。
趣味はなにもない、働くだけだった。
だから庭はいらないとか花にも何にも興味がない
ただ金をかせぐために働いた無味乾燥な一生だった。
そういう人生を歩んだ人が大正生まれとか戦前は多い。

結局母は不運だった。前の夫は事故で死んだのもそうだし嫁いできてもそこでいい待遇はなかった。子供のときは継母に育てられひどいめにあった。
いいときは幼い時は裕福でありその時だけだった。
大正生まれはそういう人が多い
苦労の連続であり楽しみがなかったのである。

ただ人間のわからないのは皮肉なの80までも仕事をしていたし90までも家事をしていたのでそれかボケにならない理由だったと思う。今はボケている。
93さいころまでは銀行のこともいろいろわかっていて普通だったのである。
趣味がなくてもボケないということがある。
仕事をもっていることそれか家事でもしているとボケる割合は少なくなる
そこで自分の家でも役割があり生きがいにもなるからだ。
家族の一人は退職して何もせずにいたらボケたのである。
だから人間はそんなに働かせられて不幸だということもあるがそうして90まで家事でもしていたからボケなかったというのもつくづく人間は何が幸不幸を決めるのかわからないということなのだ。
金が有り余ってもそれで強盗に入られて殺された人もいるし金持ちがみんな幸福ともならない。優秀な人間が幸福ともならない、優秀であっても事業に手を出して失敗した人もいる。

ただ言えることは人間はある程度忍耐を強いられる、犠牲を強いられる人がいる。
それに不満だからみんな今は耐えることがない、すぐに離婚して母子家庭になり貧困家庭になり子供に迷惑をかける。
大正生まれだとか戦前だと嫌でも忍耐したし強いられたのである。
現代はともかく格差社会ではあるが他人をうらやむことが多く平等を求める。
貧困になる原因が離婚にあるのは明確である。
なぜなら10万を二人でかせいでいれば20万になるが一人だと10万になるからやっていけないとなる。
知っている人は離婚してすぐに生活保護になりすでに十数年生活保護でありそれでもいつも文句を言っている。
その人は金がいくらあってもやりくりができない、だからその人に貧困になる原因もあった。
要するに人間の事情は様々であり生活保護でもみんなそうである。
だからすべてを一がいに同情はできない、ただ子供がかわいそうだとは言えるから援助している。

百歳もこれから増える一方である。ただこれがいいのかどうかもわからない
むしろ生まれた人に一人百万くらいやれば少子化対策になる。
だから百歳だったら昔はもうありえないという年齢だから奇跡的だったともなる
今はその価値か下落しているのてある。
ただ百歳を生きる社会というのがどうなるのか?
個々人でももし普通に百歳を生きるボケないで生きることの意味はどうなるのか?
高齢化社会とは今でありえないことを経験する時代でもある。
とにかくこれから百歳もめずらしくならない時代に突入していることは確かなのである。

タグ:百歳

2014年10月13日

人間の苦しみ不幸はみんな違っている (南相馬市立病院の同室の四人の苦しみ)


 
人間の苦しみ不幸はみんな違っている

(南相馬市立病院の同室の四人の苦しみ)

すべての幸福な家庭は、よく似ているものだ。
しかし、不幸な家庭は、それぞれに不幸である。
-   トルストイ

なぜこの世に人間に様々な苦しみと不幸があるのか?一生苦しみを受けないものはいない、だから人間が生まれたら苦しみを誰でも課せられているとなる。それはカルマだとなる
南相馬市立病院で同室の四人はそれぞれの苦しみを背負っていた。悲惨だったのは手をあげることしかできない人だった。しかしその人は農業で優秀であり賞までもらっている人だった。だから4人の娘を大学にあげた。妻はだから毎日浪江からきて懸命に介護していた。妻がきたとき手をにぎりやっと手をあげるだけであとはなにもできない、ただ妻が手をにぎるとき妻が来たことを辛うじて意識してたのかもしれない。
それを見てると悲惨だった。ただそれだげ介護されてるのだからいい面もあった。


隣の人は90すぎていて隣の福寿苑から来た人でありこの人は痰がつまり苦しんでいた。
大声を出して痰がつまるので苦しんでいた。それで自分は眠れなかった。
その痰をとりだすのに看護師がするのだがそれも笑ってしていた。
その苦しみを見て笑っていた。その人は福祉の人だから身寄りが無いからそうなった。
身寄りがない人は病院とか最大の恐怖であることを知った。
身寄りのない人は手術でも実験台にされるし知っている人では献体したがその人も施設に世話になったというのでそうしたのである。
その女性がそうなったのはそうなる事情を自分で作り出したためたともいえる。
何らか人間は最後は自業自得なのである。
身寄りかりていというとき自分もそうだった。だから留守の間に火事場泥棒されて大金を失った。身寄りが無いということは本当に怖いことなのである。
それがわかるのは病気になったときであり入院したりするときわかるのだ。
健康であればい意外とそうしたことに気づかないのである。


もう一人の人は声がでなくてなっていた。喉を切開していたためである。これも悲惨なことだったが突然しゃべりだしたときは驚いた。ただその後なまもなく死んでしまった。
大原の人でありしゃべれるようになってから大原のことをいろいろ聞いた。
ちょうど南相馬市立病院から大原の方が見えたのである。
南相馬市立病院は高いから見晴らしがよかったからである。
その同室の四人にはそれぞれの苦しみ不幸があった。
人間の苦しみはみんな違っていることがこれでもわかる。
人間は誰しもいろんなことで苦労している。それはみんな違っている。みんな違った苦しみをになわされている。自分の母親は父親が事業に失敗して辛酸をなめた。継母にもなりひどいめにあった。その後最初に嫁いだ夫が事故死したとか不幸がつづいた。
他でも信じられてない苦労をしている人がいろいろいる。障害者をかかえて苦労している人は普通にいる。たから延々とそのことを他者に訴える。

もちろん貧乏で苦しんでいる人はいくらでもいる。
自分の姉も健康優良児のような女性だったが従軍看護婦じシンガポールで四年間辛酸をなめたから死ぬ直前までそのことを語りつづけていた。苦しい時のことが忘れられなかったのである。そして認知症となり最悪になって死んだ。
認知症の苦しみは最悪である。本人も馬鹿になったからわほからないかというとそうでもない、自らも苦しむことがあるのだ。苦しみを意識していることもあるのだ。
記憶できないということで苦しんでいることがあるのだ。
認知症は最悪であり人間はなぜこんなに悲惨なのかと自らも介護していても苦しかった。老人になったら女性も悲惨である。皮膚が象皮病のように皺が寄っている女性がいて気持ち悪かった。たいがい女性も皮膚が老化すると見ていられないようになる。
女性にとっては老化することは悲惨である。でも最後にはみんなそうなってしまうのが人間である。


人間は結局楽しい思い出より苦しい思い出の方が忘れられないものとなる。
だから苦しめられたひどいことをされたことも延々と忘れないのである。
意外と良くされたことは人は忘れるのである。だから恩も忘れやすいということがあるのだ。でもひどいことをした人のこと忘れないのである。
いづれにしお釈迦様が言ったように人間は苦るしむために生まれてきたともなる。
それがカルマだったというのは現実にカルマの法則があるからなのである。
苦しまない人はない、一見めぐまれていても病気にならない人がいないからどこかで苦しむのである。人間はいくら文明が発達しても苦しみが消えることはない、かえって文明ゆえに原発事故でもそうであり苦しみを受けるし医療が発達しても延命治療とかで苦しむのである。医療といかのが人間を楽にするだけのものではないのである。
かえって苦しみを与える場合がある。医療にはなにか残酷なものがかえってあるのだ。
だから病院とは恐怖の場所なのである。
だからかえって病院で死ぬより野垂れ死にでもいいともなる。

人間の最後はみんな無残なのであり孤独死だから悲惨だともならない。
人間は死をもってしか苦しみから解放されないということもある。
生きていること自体苦をまねがれないのである。
死か人間の救いということもある。やっと死んで楽になったなと認知症でも苦しみ死ぬ人を見ればそう思うのである。

 
タグ:病院

2014年10月16日

百寿者100万人時代 (nhkー長寿者の心は幸福感に満たされている?)


百寿者100万人時代


(nhkー長寿者の心は幸福感に満たされている?)

百歳を生きている人がどんな気持ちでいるのか不思議である。
身近に確かに百歳になる人を介護している。
自分の母親が幸福かというと今まで家庭では不幸だったから自分が世話しているので喜んでいる。これは自分の家族とその生い立ちでそうなっている。
人間は百歳生きてもみんな違っている。
百歳で幸福だというときそれなりの条件が備えているからかもしれない。
家庭で世話する人がいるとか施設でも親切に見てくれる人がいるとかである。
nhkの放送ではそうだった。やはり家族が受け入れる体制がないと幸福感はいだけない。
そういう家庭環境がみんなこれから得られるかどうかわからないだろう。

精神的な面から老人がどういう心境にあるのか?
それは還暦をすぎると誰でもわかるのだ。
共通していることは時間が特別貴重に思えてくるのである。
今日一日が貴重に思えてくる。
なぜなら百歳まで生きるにしてもやはり死を身近に感じる年代だからである。
明日がないかもしれないということから時間が特別貴重に思えるのである。
見るものでもこれが最後とか思うし会うのもこれが最後とかなる。
実際に老人になると別れることが多くなり永遠に合わなくなることが親なども死別するからそうなる。
人間が会うということは誰であれ不思議な縁があって会っていたとなる。
なぜなら死んだら永遠に会わなくなるからだ。
そういうことを理屈ではなく実際のこととして起きてくるからである。


若いとき一番浪費しているのは時間である。時間は何か具体的に見えないとらえられないからそうなる。金だといくらいくらとか計算できるが時間は計算できないから必ず浪費しているのである。そして老人になるとその時間の貴重さにみんな気づくのである。
過ぎ去った時間が帰ってこないということである。
時間とは体験し出会い学びと何かを費やすことである。
そして前にも書いたけど本当に人間は何に時間を費やしたかが人生なのである。
あらゆることに時間を費やすことはできないのである。
だから江戸時代などをふりかえるとたいがいは親の跡を継いでやっている人が多かった。でも農業でも大工でも職人でも侍でもみんなが向いているとは限らないのだ。
それでもそうして向かいない人も親の跡をついで時間をかけて学んで跡を継いでいたのである。要するにそれだけの時間をかければ人間は与えられた仕事でも適応して覚えてゆくということである。どれだけ時間をかけたかが人間を作るのである。
ただどうしても仕事は若いとき覚えやすいから若いときを逃すと仕事ができないということはある。

奇妙だけど自分は旅ばかりしていたけどそれも今になると貴重な体験であり時間だったなとつくづく思う。なぜなら今やこの7年間近くすら行けなくなっていたからである。
ふらりと自由に行けたのが行けないショックは大きかった。
ただすでに会社人間とは違い自由な旅をしてきたのだから後悔はない。
会社人間はそういう面で会社ばえりに尽くして働いていたのも今になると何だったとかなるだろう。そうはいってもそういう時間は帰ってこないのがショックなのである。
老人になると金があってもその金すら使いこなせなくなる。
いい自転車買ったけど体力がないから長い旅もできないとかパソコン買っても使い方がめんどうでできないとか何か買ってもできないとういことが多くなるのだ。
何でも買えるけど使いこなせないということになるのだ。
だから老人は金を持っていても使わないのである。
ただ病気のために使うのが一番多くなっているのだ。


旅などは別に金はさほどいらないのである。自転車でもバイクでも野宿していたりしたら飲み食いの会だけである。それだって贅沢しなければ金はかからないのである。
電車だと交通費がかかるけど青春18切符だとさほどかからないが時間が必要なのである。つまり金より時間が貴重だったということがわかるのである。
そして人間はみんな不平等だと思っているけど時間だけは平等に与えられているのだ。
だから人生とはそれぞれの時間を何に費やしたかで決まるのである。
若いとき金持ちだから一億円あったとしても結局費やす時間は同じだから金によってすべてが左右されないのである。
老人が幸福感にひたされるのは百歳くらいになるとただ今生きているということが幸福なのである。なぜなら死んでいるのが生きているとなればそうなる。
そういうふうに若いときは絶対に思わない、生きているだけ存在しているだけが幸福などと絶対に思わない。なぜならそんなこと当たり前だかからそうなる。


幸福だというとき金があることとか恋人がいるとか何か得ることでありただ生きているあることが幸福だなどとならないのである。
その感覚がわからないのである。明日はこの世にいないかもしれないというとき今こうしてある時間が貴重になってしまうのである。
「今日も生きていたな、存在していたな」というだけで幸福だとなってしまう。
百歳の幸福感は外見は悲惨なのだが心の中は余計にそうなってしまうのである。
何か見るにしても末期の目でみているからもうこれっきり見れなくなると思ったらあらゆるものが貴重になるだろう。自分は富士山を見たいというときそうだった。
富士山すら見れないのかと思ったときもう一度富士山を見て死んでゆきたいと思った。
ガンになっても冨士登山した人の気持もわかる。自分はただ遠くからその姿をもう一度みたいということである。
いつでもあるとかいつでもできるとかいつでも会えるとかになると貴重に思わない。
この辺では故郷すら住めなくなったから故郷は何だろうとか考えるようになった。
故郷なんか当たり前にあったからである。
当たり前にいつでもあるものは貴重に思わないのである。
そういうものはなくなってみてはじめて貴重さがわかるのである。

百歳まで生きても日本人の健康寿命が男で71とか女で74とかなっているのは本当に長生きとは言えないだろう。虚弱化するとそれも長生きできないし生きた感じもしなくなる。
自分だったら自転車である程度遠くまで乗れるというとき幸福である。
それができなくなると生きている幸福感が減退してしまうだろう。
現実に筋肉痛になってきたのはそういう兆候が現れてきたのである。
そうなると長生きしたくなくなるのである。
だから長寿社会でもその中身が大事である。寝たきりで長生きしてもつまらないとなるし本当に長生きなのかとなる。
人間は確かに生きたように死ぬというのは本当なのだろう。
自分は旅ばかりしていたから旅しながら風に吹かれてどこかへ消えるのがふさわしいとなる。病院のようなところで死ぬのはふさわしくないとなる。
なんか今でも峠を越えようととして歩いている自分がいる。
認知症の農家の認知症の女性が布団じ田植えしていたというのもわかる。
人間は過去にどう生きたかが大きな影響を残しているのである。

旅に病んで夢は枯野をかけ廻る 芭蕉

まさにこうなるのである。最後死ぬときどう生きてきたかが死にざまとなる。
どう死ぬかはどう生きるかにあるのだからどう死ぬかなどと老人になって考えても無駄だとなる。人間はどう生きたかでありそれを今更決められないとなるのだ。
ただ延命治療してくれるなとかそういうことは決められる。
でもどう死ぬかはどう生きたかでありもうその生きた時間ば取り戻せないのだから
自分の思い通りにはもう死ねないということになるから恐怖なのである。
そういうふうに若いときに思わないのである。
ただ老人になるとそうした残酷な現実から逃れなくなるのである。


タグ:百歳

2014年10月21日

生活保護って何なの? (権利ばかり主張するようになった現代)


  生活保護って何なの?
 
 
(権利ばかり主張するようになった現代)
 
 
  生活保護がいろいろ問題になるけどこれまたわかりにくいのだ。第一生活保護者自体が生活保護のこと自体知らなかった。すでに十年以上生活保護だったのに知らなかったのである。生活保護が権利だと法律に規定されているから権利として主張することもできる。現代は特に戦後は民主主義になり権利を主張することになった。団塊の世代は権利意識が非常に強いのである。それが学生運動辺りからそういう傾向が強くなった。
  だから生活保護をもらっている人は権利だと思っている。いろいろ役所に要求するのが普通だと思っている。つまり民主主義はあらゆることが権利になるのである。
戦前はそういう権利意識は希薄だった。お上のいいなりになるということがありそれが一転して権利社会になったのである。権利だったら誰にも感謝しない、国にも感謝しない、権利だから当然であり感謝する必要もないのである。

奇妙だけど江戸時代あたりは貧しいけど自然に神から与えられる糧に感謝していて祭りもあった。農民でも漁師でも山に暮らす人でも自然から糧を得ていたから感謝していた。
それが今ではそれも権利だともなる。神から与えらるのではない、人間の権利として得るものだとまでなる。そんなところまで権利意識が過剰になったのである。
そういうことで津波が天罰だったとも解説した。人権意識でもそれが過剰になると異常になってしまう。障害者でも権利意識が強くなり特権階級にすらなる。
「俺は障害者なんだよ、だから俺には権利がある、俺をあわれみ援助しないやつは民主主義社会では責めていいんだよ、もっと金を出せよ、権利があるんだから」とかまでなっている。あらゆるところで権利意識が過剰になっているのだ。

ところが生活保護にはいろいろな規定があって複雑なのである。年金の足りない分が生活保護になっている人もいるしなかなか理解しにくいのである。だから生活保護を受けている人自体も知らなかった。その人は遺産を要求してきたけどそれはたかが百万くらいにしかならない、ところがその百万でも受け取ると生活保護が停止されるということを知らなかったのである。その人は普通の人でないからとても生活保護が停止されたら生活できなくなる。金の管理もまともにできない人だからである。遺産相続でも一億円くらいだったらいい、別に生活保護者が遺産相続の権利を失ってはいない、ただ百万でも相続すると生活保護が停止されるのである。東京だから月20万くらいもらっているかもしれない、子供も一人いるから東京だと多い場合かある。つまり生活保護はその人にとって大きな権利だったのである。もし生活保護なければ路頭に迷い生活できない、その人はそれを自覚していないし法律も知らなかったのである。

生活保護は一種の公的保険だというとき、何か事故とか病気とか不意の不幸が起きたとき援助するものである。たからアメリカでは5年とかが限度になっている。日本ではいったん生活保護を受けると既得権化して生涯受ける人も多い。生涯になると億の金になってしまうだろう。人権とか生活保護でも主張できるのは豊かな国であり豊かな国に生まれたからこ受けられるからそこに感謝しなければならない、中国辺りでは人権も生活保護もないだろう。それをしていたら国が持たないということがあるからだ。
権利ばかり主張する社会はどうなるのか?モラル的には荒廃する。要するに戦前と戦後のモラルが極端に変化しすぎたのである。戦前は滅私奉公でありそれが天皇に忠誠を誓い戦争の犠牲になったという反省があった。そして民主主義が入り権利意識だけが強くなる極端化したのである。
生活保護は老人になるとまた違っている。老後は生活保護がいいとなり老人が増えているのである。年金より生活保護がいいというときそうなる。特に医療費が保証されるから助かるのである。

生活保護は確かに権利なんだけど何か逆に権利を失っている面もある。遺産をもらうことは額が大きければいいがそうでないと受けるのは損だとなる。生活保護の権利の方が大きいということが自覚させられるのである。生涯でも最低限でも保証されることは大きいとなる。少なくても飢え死にはしないとなる。でも一面権利を得たようでも権利を失っていたのである。
ともかく女性でもフェミニズムが女性の権利を主張して男女平等だとなった。でも女性が実際は仕事もできないのに女性を差別しているとかなる。女性の大臣が辞任したけどやはり政治家として基本的なことすら知らないということがあったのだ。
つまり現代の社会は複雑だから法律を学んだ人も資格ある人も知らない、政治家の家に生まれても政治資金について知らないとか起きてくるのである。
知っていてやっていれば別だが知らないということがありそれが致命的になるのである。現代はあらゆることなど知り得ようがないのである。あまりにも多岐にわたることなどしりえようがないのである。
本当に自分なども社会とかかわっていないから知らないことが多すぎたのである。
今の社会は知らないで失敗することがまた多すぎるのである。
確かに権利があったとしてももし弁護士に頼んだりすることもなかなかできないとういこともある。法律も理解するのが容易ではないからである。
 
 
タグ:生活保護

2015年02月06日

都道府県別百歳以上お高齢者数(2014)は何を意味している (あたたかい辺境の県に多い理由)



都道府県別百歳以上お高齢者数(2014)は何を意味している


(あたたかい辺境の県に多い理由)


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男性の百歳の多い県

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百歳で人口割合で4000人以上は富山県、鳥取県、島根県,山口県、香川県、愛媛県、高知県、佐賀県、長崎県、熊本県、宮崎県、沖縄県、鹿児島県 である


ここで多いのは明らかに暑い地方である。九州が多いことでもわかる
富山県とか鳥取県とか島根県に日本海側でも温暖な方なのだろうか?
富山県は結構寒いかもしれない、島根県は一番割合的には高い。
そしてなぜ四国が多いのか、あそこも冬は結構寒いかもしれない、ただ比較的温暖な地域が百歳の割合が高い。
ここで注目すべきは大都市圏がある東京とか名古屋が低いことである。
人口が多いのだから百歳も数としては多くても割合的には少ないのである。
その原因はなぜなのか?何か理由があるのだろうか?
大都会はやはり便利であり医療も恵まれているにしろ精神的な面でストレスをかかえるからかもしれない、何か百歳の割合が高いのは経済的に恵まれていない辺境地域になる。
ただそうした辺境地域でも東北は少ないのは寒いからだろう。
寒いのは体に答えるのである。
浜通りは比較的福島県ではあたたかいのである。
雪もほとんどふらないから気候的に住みやすい所である。


何か百歳以上の割合の多い県は経済的には活動している地域ではない、それでも何か昔ながらの共同体が生きやすいような所である、そこはあたたかいということが住みやすいとなる。
でもこのごろ暑すぎるので35度とかなるので嫌だなと思った。
自分はともかく暑さにも寒さにも弱いからだ。
今年も一時寒くなりすぎて体調壊したからである。
暑いときも苦手であり体に答える
自分がこれまで生きてこれたのは母も無理しないと言っていたが無理しなかったことなのである。
そもそも無理できる体ではなかった、ただ20代はかなり無理してその時老人のうよになってしまったのである。
それだけ体力がなかったともいえる。
その後は楽な暮らしをしていたら体力が回復したのである。
やはり加重な労働などしたら寿命が縮まることは確かである。
ここ七年間は介護や自分の病気の負担で寿命が縮まった思いをしたことでもわかる

結局東京とか大阪とか名古屋が経済の一大日本の活動地域だがここでは長生きするのはストレスが多くなるからむずかしいのかもしれない。
長生きするのは温暖であり何か昔ながらの共同性があるところであり田舎的な県である。自然環境にも恵まれた県である。
ただ茨城県などは東京にも近くそれなりに田舎だから住みやすく百歳が多いと思ったがそうではない、茨城県はかなりあたたかい地域でもある。
この原因も茨城県も東京圏になり何か昔ながらの共同性が失われた地域からかもしれない東京近辺の県は4000人の百歳が割合的にないことでもわかる。
結局長生きしたかったら大都市圏とか寒い地域はさけるべきである。
福島県でも会津などは冬は雪に埋もれるし寒い。
同じ県でもこれから百歳が増える地域は違ってくる。
おそらく医療に恵まれなくても昔ながらの共同性というかそういう人間関係が落ち着いている所は長生きするとなる
長生きするには人間関係も大事である。
まず夫婦でも妻に早く死なれたら早死にするというのは本当だし一人暮らしなどはとても百歳は生きられない、早死になるのは当然なのである。

まあ、長生きするのも良し悪しがあるからいちがいに百歳生きたからといっていいとはならない。介護する方の負担が長く大きすぎるからだ。金も社会的負担も大きくなるからだただ百歳はこれからうなぎのぼりに増えているしその数はどのくらいになるのか?
それも人間がどれくらい生きられるのかの一つの指標を示すのが高齢化社会である。
平均寿命がすでにへっているというとき将来のことはわからないからである。
実際に百歳生きたからといって人間が充実して生きたともならない
それでも人間というのは何かを究めるというか知るというか身につけることに時間がかかりすぎるのである。
だから健康で長生きすればそれだけあらゆることの理解が深まるのである。
熟達できるようになるのである。
それが長寿社会の利点である。
第一本一冊を書くにしても相当な労力であり一生かかるともなる
人間はそれだけ一つのことを究めるのに時間がかかりすぎるから
「少年老い安く学なりがたし」となるのである。

  
タグ:百歳

2015年05月06日

体育系でないと勤まらない看護師 (病人や介護する人に気力が奪われる仕事)


体育系でないと勤まらない看護師

(病人や介護する人に気力が奪われる仕事)


●医者や看護師への要求が大きすぎるのも問題

看護学校ってなんで体育会系なんですか?女ばっかりなのに。
前から不思議です。
看護学生の行う朝、昼、晩の挨拶は軍隊式だし
教育というよりは調教、制裁的指導といった雰囲気。

じゃあ看護師が
患者が血だらけになり血圧がみるみる下がった時
『無理〜!』と逃げたら?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1450816769

身体拭きのケアは体力勝負
1日に4〜5人もざらだし、
お風呂介助なんかしちゃったら
もう午前中で1日の体力を
使い果たしてヘトヘトになります。


看護師が主に看護婦が白衣の天使などというが実際は医者も看護師でも介護士でもハードな仕事である。
精神的に疲れる仕事なのである。看護師になると精神面から肉体面でもハードである。
看護師は病院を走り回ることがある。それはやはり緊急性がある仕事だからである。
患者の容体が急変したりするからである。
つまりなかなか気がぬけない仕事なのである。
だから看護師は体力も必要なのである。心身共に過重な負担がかかる仕事なのである。
自分の身内か看護婦だった。自分と違って体育系でありものすごく気が強かった。
体力もあったし頭の回転も早かった。男勝りであり力も持ちでもあった。
だから戦争で従軍看護婦としてシンガポールで四年間過ごした。
そこでは戦争で傷つく人を看護するのだから並大抵のことではできない
本人も腸チフスにかかったとか戦争が終わったときジャングルに逃れ食うや食わずのどん底を経験している。
そういう時を生き抜くにはとてもヤハの精神と体では生き残れないのである。
はっきりいって自分は体力もないしそういう強さがないから生き残れない

ただ看護師のことをいろいろ言うのはわかる。看護師に文句言うのもわかる
看護師にいい印象をもっている人は少ないのである。
患者側からすればそうなる、看護師に対してどうしても要求が過多なる。
なぜもっとやさしく接してくれないのかとかもっと気を使ってくれとか要求が患者側から常にあっても看護師は答えられないのである。
自分も入院してひどいめにあった。
ものすごい剣幕でしかりつけられたのである。
病人に対してあれほどまでに強く言う神経がわからない。
痴呆老人でもないしたかだか二週間程度の入院にすぎない手をやく患者でもない
でも患者に対してものすごく厳しい態度だったのである。
それ以来看護師が恐ろしくなった。
患者は弱者だから何も言えないのである。
医者や看護師や介護でも介護士に対してめんどうみられる方は弱者になる。
入院したときそこばまるで刑務所になるのである。

●医者や看護師は容易に人も殺せる仕事

病院に通ってみてもらうのとは違う、閉ざされた空間で絶対的優位な立場として医者や看護師に見張られるとなる。
実際に一カ月間病院から出れなくなっていた。
患者の言い分など聞かれない、一方的弱者の立場になっていた。
だから入院すると簡単にそこでは医者や看護師の言いなりにされ殺されることありうる
しかしそれはわからないとういことも恐怖だった。
医療ミスなど日常茶飯時に起きているけどそのミスは問われない
それも病院が入院で手術するとかなる怖い場所だと思った。
現実にブラジルで医者が三〇〇人殺したとか外でもドイツでも何百人殺したとかあった。そういうことが容易にできる場所なのてある。
そうしても気づきにくいのである。

シップマンは、1975年から98年にかけて250人をモルヒネで殺したとされるが、2002年に警察が
「シップマンによって、少なくとも215人以上の患者が殺された」
と発表する。
ハロルド・シップマン (イギリス)【1946〜2004】
http://syouji.blog.jp/archives/1006921136.html

医者でも看護師でも患者に対して強者になっていることが問題の根にある。
「お前らは逆らえないだからだまっていな、死んでも何もいえないんだよ」となる怖さがある。
患者は弱者とてなり頼る以外ないものとなるからそうなる。
人間は弱者となったとき人間の悪しき面が露骨に現れることがある
自分はこの七年間その人間の悪質性に実際に身をもって苦しめられてきた。
それまではそういうことをされていないから人間はみんないい人だと思っていた
人間は本当に犯罪にあってひどい目にあったりしないと何でも他人事なのである。
他人事になると殺人事件があろうが災害で近くで死んでもそうなのである。
この辺ですぐ近くで津波で死んだ人がたくさんいても自分自身が被害にあっていないと
必ずしも同情するとは限らないのである。
それは何も普通の場合でも人が苦しんでいることはしょせん他人事であり無関心なのである。
そして他人が苦しんでいてもかかわりたくないのである。
なるべく病人とか弱った老人とか障害者とかにはかかわりたくないのが本音なのである。それはなぜなのか?
それはそういう人たちにかかわると自分自身も心身がそこなわれるからである。
身内の人に精神的障害者がいると必ず自分自身も精神を病むようになる。
自分も鬱病になっていた。だからそしいう人たちとかかわりたくないのが本音なのである

●人間が誰かを思うことのエネルギー量は大きい

ところが医者や看護師や介護士はそういう人たちと日常的にかかわることが仕事だから何か病んでくるのだと思う。
家族だったら何年かとか今では介護でも十年とか普通にあるからそれでか家族で苦しむ
でもいつか終わりがくるが仕事にしている人はやめない限りいつまでもそうした弱者とつきあわねばならない、そういう病人とか介護するような老人とか精神障害者と接することは健康な気が奪われるということがある。
自分も認知症の介護してそうなった。何か陰気なものとなり元気が奪われてゆく
いつまで寝たきりの人を介護しているからそこで元気が奪われてしまう
その影響は思った以上大きいのである。
どこの家でもそういう病人であれ介護する人であれ精神障害者をかかえていると何か正常ではなく気が奪われ家が陰気なものとなってゆく
だからそういう家には他の人も近づかなくなるのである。
それを冷たいとなかなか責められないのである。
自分自身だとそう思ったからである。

医者とか看護師とか介護士とかの職業は他のものと根本的に違うのはそうした弱者を相手に肉体的だけではない精神的な面で気を使うから異常に疲れる仕事なのである。
なにしろそうした弱者に気を使うだけで相当な労力なのである。
四六時中その人は家にいるということはさらに気力を奪われる
医者でも看護師でも介護士でも家に帰れば正常な世界で過ごせるというのではないからだ気が奪われるというとき、それが実際は相当に深刻なのである。
誰かに気を使うということは相当なエネルギーを必要としているからだ。
例えば一人の人間が気が使えるのは限られている、何十人もの人に気を使い気を配ることはできない、せいぜい十人くらいが限度だろう。
ためしにあなたが思っている人をどれくらいいるのか?
せいぜい常に思っている人は家族とかあとは数人にしかありえない
ただコンビニとかで物を売ったり機械的に接するのとは違って相手を気づかうということは違う。
それは気力が一方的に奪われることになるのだ。
現実に家に病人がいてヘルパーなどがきてその病人がいて気を使うことだけで単に掃除とか何か家の仕事するより疲れるのである。
だから常にそうした病人や介護する老人と接するのは心身ともに疲れるから体育系のタフな人でないとできないとなる。
優しさが要求されてもそれだけではできないのである。

つまり人が人を思うというときそれは数人が限度であることでもわかる。
人を思うこと何かしら思うことは相当なエネルギーなのである。
だからカルト宗教団体などでは数が多いからそこでは上の人はそんな一人一人を思わないただ一票とし数えるだけである。一人一人を思っていたら身がもたないからである。
政治でも数だからそうである。
そして人間の思いがそれだけのエネルギーが必要とするときある人への思えばそれだけで思いの力が働いてその人を左右できる、いい方面にも悪い方面にもできるというのは本当だろう。それだけ思いのエネルギーが労力を要するからそうなる
だからこそ家にそうした病人とか介護する老人とか精神障害者がいると消耗の度合いが大きいのである。健康な気力が奪われてしまうのである。
どうしても子供や若い人から発する気を受けると元気になる、老人に接すると普通は気が奪われるのである。
自然も何らかの気を出している。花でも色がいろいろであり赤は赤の気を青は青の気を出している。緑は緑の気を出している。
自然が出る気は何でも健康的なのである。だからエネルギーを自然からもらい元気になる山に接すれば山の気をもらい元気になる。岩に発する気があり元気になる。
動物は病気になるが死ぬが自然自体は常に健康体なのである。
天国に病人もいないし年をとらないし若い人しかいないというのもそうだろう。
そこにすべてが気力が充実する世界だからである。


2015年05月07日

なぜ人は老化するとぼけるのか? (認知症の原因は社会での家族での役割喪失?)


なぜ人は老化するとぼけるのか?


(認知症の原因は社会での家族での役割喪失?)


●認知症の症状は千差万別

人間はなぜボケるのか、認知症になるのかというとそれは老化してゆくと誰でもなるもので病気とは認識していなかった。
しかしボケは明らかな病気であり老化とは違っていた。
それは混同しやすいものだったのである。

認知症の一番特徴的なことは海馬の機能が失い直前のことを全く忘れることである。
それで何かなくすことがある、サイフを置いたことを忘れる
するとパニックになり一番身近にいる人に疑う、「お前盗ったんだろう」と激怒して暴力になることもある。
それは実際狂気の現象だから怖いのである。相手が激情的で気が強いと余計に怖いのである。そういう恐怖を嫌というほど自分は受けてきた。
考えてみるとなぜサイフを隠したりいろんなものを変な場所に隠すのかというのも認知症の不思議だった。
サイフは誰かに盗られないように隠すのは普通の人でもするからわかる。
その隠した場所がわからなくなりあとでパニックになる。
それは普通の人にも起こるから推察できる。ただくだらないものを隠す心理はわかりにくい。
たいがい九〇以上になると半分は認知症になる。もう百歳になったらほとんどの人が認知症になっている

ただ不思議なのは自分の母はものすごく金にこだわる人だった。
駄菓子屋で店で働いていたので一円にこだわる人だったのである。
だからボケるまでは金にこだわる人だった
全く金のことがわかなくなった。大金を実際に盗られても笑っていた不思議である。
金のことがわからなくなっていたのである。
これも不思議なの現象である。一方で姉の方は銀行に自分の金をおろすことができなくなっていたが自分の金を盗ったとか金にこだわっていたのである。
ただ自分に金があってもその金をおろすことも何することもできなくなっていたのである金が大事であるということはわかっていたから金にこだわっていた。
一方は金に無頓着になってしまった。これは性格的なものがあったのだろう。
認知症はその人の性格は出やすいのである。
母はもともとおとなしい性格であったから認知症になっても穏やかなかもしれない。
症状としては入れ歯をよく忘れるがパニックにはならない
これはやはり認知症の典型的な症状なのである。
ただそこでパニックになるかはどうかは性格的なものであったのだろう。
だから認知症はその人の症状が違ってくるのである。

●社会的家族での役割喪失が原因

「集団に寄与できなくなると命を終わる」ということの二つです
「自分の健康」より「社会に貢献する」ことに重点を置く「健康法」を編み出すのが良いと思います。
(平成27年4月29日)武田邦彦 (中部大学)

この話は興味深かった。なぜボケるのかとか認知症になるのかということを前に追及してきた。
認知症の原因は何なのか?それは実際は謎である。
ただ記憶の機能が失って症状がでることは確かである。
それは直前のことを忘れるということで海馬の機能が失うためだとなる。
そこから脳全体に波及して痴呆症になる
でも知的障害者と違うのは何かなお人間としてありつづける
またはありつづけようとしていることである。
だから馬鹿にされると異常に怒る
馬鹿にされることがわかるのである。
母親であり父親であり姉であり年上であり会社に勤めていたら部長であり社長であることにこだわるようになる
それでボケても母は母であり親は親であり部長は部長であり社長は社長である。
それで施設で介護士が部下の役割をして機嫌をとっているとボケた人も気分が良くなり症状が落ち着くというのもそのためでてある。
そして認知症の人は時々正気になるという不思議がある。
特に死ぬ前に正気になるというのは本当だった。
姉も死ぬ前に正気になりその後全く無意識となりわからなくなり死んだのである。
これも認知症の不思議な症状だったのである。

なぜ自分の姉が認知症になったのか?
あれほど優秀な人間がなったのか?、それは他でもそういうことがある
優秀な人でも認知症になる。
でも姉は看護婦であり役場で保健婦をしていて最後は事務の方に回った。
そして60前で早めに退職してしまった
その後家でも家事をする人がいたから何もしなくなったのである。
趣味をしていたけどそれはたいしたものではなく姉にはあっていなかった。
ただ付き合いでしていたのである。
その時どういうことが起きていたのか自分にはわからなかった。
家族での役割がなくなっていた
社会で役割がなくなっていた

この二つが同時に起こっていた。そしていつしか社会からも忘れられた存在になっていた趣味でもそれが本物の趣味なら違う。写真などでも今はプロ並の人がいるしそれは相当に訓練を積んでいる、俳句なんかも退職してからはじめられるが早めにしていないとうまくならないだろう。
つまり普通の人は天才でない人は何でも積み重ねなのである。
積み重ねたものが何でも老人になって実るのである。
別にそれは才能でも何でもない、積み重ねなのである。
四季の感覚を磨くというときそれは俳句に不可欠であり年々感じるものがあって日本の季節感を会得するのである。
だから退職してから始めて実るものは趣味でも何でも普通はないのである。
積み重ねたものだからその積み重ねを退職してから一からははじめられいなのである。

結局武田氏が言うように動物ははぐれ猿が集団の役割がなくなり早死にするとかも動物でさえ集団の社会の役割が喪失するとき早死にするというのは社会的種的本能に生きるものだからそうなる。
ただ人間の役割は社会的に有用だというとき、社会的有用というのは何なのかわからない、会社に勤めていれば有用かといえばそれだけで有用ともならない
社会からはみだしたはぐれ猿ならぬ人間でも有用なことはありえるし人間の価値はあまりにも多様だから決められないのである。
例えば戦争のとき一番有用なのは一番非情な残酷な人間が価値あるともなる。
むしろ現実社会で有用で価値あるとされるものが有用で価値あるとは限らないのである。かえって官僚であれ政治かであれ企業であれ社会に様々な害悪をもたらすものともなる。原発などはその例である。社会で有用である人たちが害悪を作りだしたのである。
それで荘子の「無用の用」という思想も生まれたのである。

●認知症は役割がなくなった人、無役となった人?

人間が用がなくなるというとき、社会的に用がなくなるということではない
ただ一般的になんらか社会に用がある、機能しているときボケの予防になるということは言える。
workというとき作品という意味があり作品をしあげること、もう一つは機能する何か機械でも働く作用する、社会でも機能しているというとき人間もボケないとなる。
会社を退職するとそうした社会的機能役割が喪失するworkingしないことがボケに通じることは一般的に言える。
社会的無用化するとき社会的死でありそれは社会から消えてしまうのである。
社会で無用化しても家族で役割があれば別である。
でも嫁に「おばあちゃんはなにもしなくてもいいんですよ、テレビでも見ていてください」とか言われる人はぼけるというのは家族での役割がなくなるからである。
一見いいように見えてそうではなかった。
料理でも家事でもしていれば家族でworkingししているからボケにくいとなる
自分の姉は社会で有能であっても社会で役割がなくなり家族で役割がなくなっていたのである。
そして認知症になり迷惑をかけて死んだのである。
そして最後まで死ぬまで「自分は優秀だった」と言って死んだ。
実際に退職する前は優秀だったが退職してからは社会でも無用となり家族でも役割がなくなっていたのである。
こういうことがホケに通うじている。

不思議なのは例えは家族で介護している人とか知的障害者をかかえて何らか世話している人はボケないという
それはなぜか?心身ともその世話に費やされるからそのために心身がworkingするからボケないというのも皮肉である。
だから退職して何もしたくない、ゲートボールだとかカラオケだとかしている人か趣味でもプロの粋に達していないようなものは危険である。
それは若いときからの積み重ねがないとできないのである。
ともかく役割がないということは社会的死であり社会から生きながら消失することなのである。
だから奇妙なのは悪い政治家でも現役をつづけている人はボケないというのも社会的役割が以前としてもっているから機能してworkingしているからだともなる
悪役という役を演じつづけているからだという奇妙なことになる
ボケという観点から見ればそうなるのも奇妙なのである。

何の役もなくなる人が最悪のボケ、認知症になるというのも不思議なのである。
これは認知症という観点から人生を見た場合そうなるということである。
最後に認知症になることはいくらそれまで社会的に有能でも馬鹿になったということだからその功績すら無になるということがあるから怖いのである。
最後まで正気で生きていたらその人は普通の人でも認知症になった人より優秀だったとなってしまうのである。
そういう人を見ているからこの人は優秀ではなかったけど最後まで正気だったから偉かったなと見たからである。
優秀だと優秀でないとかこうして最後まで見ないとわからないのである。
ある人は優秀出されたが事業をして失敗したから最後は優秀だとは言えなかったとなる。人間は最後までみないとつくづく評価できないしわからないとなる。






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2015年05月11日

同じ年の人が近くで癌で死亡 (癌が増えていることの恐怖)


同じ年の人が近くで癌で死亡


(癌が増えていることの恐怖)


そもそも日本人と欧米人は体質が異なるので、同じ食事を摂っていても、日本人のほうが糖尿病になる確率が高い。糖尿病になると、インスリンというホルモンの血中濃度が高まりますが、これにはがん細胞の増殖を促す作用があり、発がんリスクが2割ほど高まることがわかっています」(前出・中川医師)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/40436?page=3

二年前だったかその人と話した。前の家の人と三人で話した。その時自分が病気で入院してひどいめにあったことを言った。
その人はその時は病気ではなかった。まだ癌に気付いていなかったのだろう。
その人が今日死んだと聞いて驚いた。
癌で医者に通っていたから突然ではなかった。医者嫌いで病院に行かないということも言っていた。
癌で死ぬ人は日本人で明らかに増えている。
高齢化もありそのためにふえたというが50代60代でも相当に増えていると思う。
最近50代の近くの人が癌だと聞いた。
でもその人も普通に仕事しているかとても癌になったとは思えないのである。
ただ癌でもいろいろあるからわからない、体の場所によって悪質なものとないものがある膵臓癌とかは最悪で確実に転移して死にいたると言われている。
自分も癌の検査をしたが癌ではなかった。
でも癌になった人は患部を全部切除している。その人も60代であった。
ただこれは切除すれば直るものらしい、患部によっては悪質であり直らないのが癌である。


癌の恐怖は中学生の時体験している。父親が肺ガンで死んだからである。
それ以来自分は死の恐怖にとりつかれた。
それで宗教を探求するようになった。宗教の道に入ることは病気が原因なことが多い。
病気が深刻だからそうなる。自分が病気でなかったが死というのは最大の恐怖であった。癌はまた苦しんで死ぬのも悲惨である。
癌は患部が増殖したまま焼けないで残っている。
それが癌の恐ろしさを如実に示していた。野辺送りで埋葬していたから自分はその焼けない癌を見たのである。
その頃まだ外で薪を積んで焼いていたのだから今になると驚くがその頃はみんなそうだった。
火葬場で焼くようになったのは戦後十数年たってからだった。
それまで火葬は外で薪を積んでしていた。それは今もインドではしている。
そういうふうにして人間は焼いていたのである。
これほど無情な光景はなかった。
人間には生きるということは驚くべきことである。
その最大の恐怖と驚きが死なのである。
津波でも多くの人が死んだがこれも驚くべき光景だった。
もちろん戦争で死んだ人たちもいたから常に人間が生きていれば死に直面する
ただ一時に多数の人が死ぬということが違っていた。
その時死は日常であり死ぬの当たり前であり生きているのが不思議だとなっていた。
そういう感覚もその時代に生きてみないと実感できないのである。

いづれにしろ癌が増えているというときなぜなのか?
高齢化で増えているというだけではない、それは日本人の食生活が変わったためだというのは本当だろう。
外国人の体質は日本人と違って肉を消化する酵素が出るというのもそうである。
人間にそんな違いあるのかというとき肉食民族は肉を食うための体に作られてきたのである。
日本人が穀物を食べるから腸が長くなったのと同じである。
日本人の体質は肉食に向いていないのである。
肉を消化する酵素が出ないのだから肉を良く消化できないのである。
牛のように穀物類を腸を長くして消化するように長い年月で作られてきたからである。
だからなんでもこうして人間は風土と一体化して作られた文化的存在なのである。
原発でも日本の風土に適さないものだった。地震国であり津波もあったからである
アメリカの指導で最初作られたのでアメリカで竜巻を恐れていて地下に電源を置いたが日本ではそれは通用しなかったのも同じである。
こうした風土とか文化の相違を無視すると何でも災いが生まれてくる。
グローバル化というのはそうした風土とか文化を無視して単一化した価値観をおしつけるから危険なのである。
それはアメリカの一国支配の横暴にもよっているのである。

人間の体も地が血であるようにその土地から植物のように作られているのだろう。
その住む土地から離れて人間もないのである。
だからその風土の制約からいくら科学技術が発達しても離れられない
それは宿命的なものである。それを無視すると災いが起きる
日本人は明治維新後あらゆる面で欧米化を制限なくしてきた
食生活でもそうでありそれが今になって災いになってきた。
日本人は何でも取り入れて豚でも牛でも鶏でも食べすぎるのである
それは欧米人は肉食民族だから体が肉食に適応するようになっていた。
日本人は肉食民族ではないからそうした体になっていなかった
そして癌がふえたのはそういう日本の風土に適した古来からつづいた食生活をしなかったからである。
肉とか乳製品のチーズとかあらゆるものを食べすぎてるのである。
野菜と魚と穀物類を主体にして肉類は極力さけるものだった。
もちろん江戸時代は栄養失調で目が見えない人が一割くらいいたというから
江戸時代の食生活はいいとはならない
外国から入るのものが何でも悪いともならない
ただ日本に適したように取捨選択が必要だったのである。
日本では宦官制度を入れないとか外国文化を入れるときは取捨選択していたのである。

明治維新後はあらゆるものを取捨選択なしで入れてしまった。
結果として日本の文化が破壊されて日本人とは何かさえわからない
日本を建て直すにはやはり日本古来からつづいたものを伝統は見直すことなのである。
だからといってキリスト教が悪いとか外国の文化でも宗教でも何でも否定することではない
いいものは取り入れ悪いものは取り入れないということである。
明治維新とは復古でありもともとあった日本人の精神の復活だったのである。
でも全くあらゆる面で欧米化したものとなり日本の文化は破壊されてしまったのである。
いづれにしろ60代以降は健康が最大の問題である。
あんなにあっけなく死んだら巨万の富があっても何にもならなかったとなる
もちろんその人は金持ちでない普通の人だからそんなことはない
ただ同じ年で癌で死んだということはショックだった。
自分も病気になったからいかに60代以降は健康が大事かということである。
少なくとも自分はあと十年は元気でいたい。
そうすればなんとか仕事が作品が成就するだろう。
同じ病気の人が十年生きているから他の病気にならないなら生きているだろう。
それでも人間はいつ死ぬかは百歳になってもわからないものだと思った。
癌で死んだ人の義理の母親は今も施設で生きている
義理の子供でも今では子供の方が早く死ぬということも超高齢化社会で起きているのである。
なぜなら60代で一割の人間はすでに死んでいるからである。
そういうことが起きても不思議ではないのである。



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2015年06月11日

結婚もしない家族もいない人の末路 (何でも人生の最後は自業自得で覚悟が必要)


結婚もしない家族もいない人の末路


(何でも人生の最後は自業自得で覚悟が必要)


歳喰って入院してみろ
独り身の老いぼれ爺に対する看護師の嫌がらせ虐待は凄まじいぞ
傍で見ていて見ちゃおれんぞ
独り身の男は差額ベッドの個室に入れるようにしないとな
金をたらふく持っていれば女と言うのは見下さないから

違うよ、独身がキツイのは親の死の時期を意識したときと自分が病気になったときだよ
親が死んだらもう一人ぽっちだ、誰も相談にも乗ってくれない、そもそも親の葬式はどうやって出したらいいのか、親の墓は?そして自分の死後は?
 病気になったときも誰も看病してくれないし、入院することになったら誰が入院準備をしてくれる?誰もいない

東京ですが、また数十年続いた店が潰れた。そこいらじゅう。結婚以前に、
 生存出来るかどうかの状況が広がり続けている事を議論した方が良い。
 結婚や幸不幸を語っている内は実に長閑。不幸でも何でも無い。
ちゃんと食べれて、ちゃんと家の中で眠れる。これすら出来ない人達が
 もの凄い勢いで増えてる。結婚したって、出産するだけで50万円。
お金持ちだけの選択肢じゃないでしょうか。貧困層はそのうち消えると
吐き棄てた政治家がいたけど、確かに一理あるかもしれない。自分だけで精一杯。



このことを身をもって経験した。全くその通りだった。自分は別にこんなこと予想もしなかったからのんきだった。何となく不安があったから的中した。
なんとなく不安なことは何か的中する度合いが大きい、本当はそんなこと考えたくないけど的中する、何かになるんじゃないかと不安なことは本当にそうなる確率が多いのかもしれない
原発だって近くにあればあれ危険じゃないのか?とか放射能のことはわからないにしても不安に思う人がいたろう。
人間でもなんかこいつヤバイんじゃないかとなると君子危うきに近寄らずとなる
つまりそういう不安が的中しやすいのである。
だからといってこの世の中そんなこと言ったら暮らしていけないから楽天的にすごした方がいいとなる。
それでもこの世で最悪なことが国レベルでも市町村レベルでも個々人でも必ず起きるということを身をもって津波とか原発事故で経験した。
最悪のこととは戦争で300万人死んだというのも今より最悪だった。
それは今になるともはや想像もできない最悪だった。
あれだけの最悪を歴史的経験するとどうしたら戦争をさけられるのかという国民になってしまうのは当然だ、9条だけの話じゃない、戦争経験した人は戦争だけはするなと言って死んだ人が多い。それだけ悲惨すぎたからである。
それも国民の歴史的経験からそういうことになったのだから悪いとはならない
でも戦争のことを知らない人は戦争を軽く考えてしまう。
人間は何でも実際に経験しないとわからないことが弱点である。

例えば牧師だろうが何だろうが例え本を出したとてもそれは言葉では誰でも言えることがある、人類みんな愛しないとか同情しなさいとかいろいろいいことは言える
でも実社会ではそんなに簡単に言葉だけは言えても現実に対処できない
そういうことを身をもって遅かったが体験した。
人間かいかに非情で自分のことしか自分の家族意外のことしか考えていないかというのも知った。
そんなことが当たり前じゃないかというが経験しないときみんないい人だと思っていたのである。
だから肉親が家族が殺されたり被害にあったとき憎まずに許しなさいということは簡単に言えないのである。
自分も被害にあって許さなかったからである。
キリストの十字架の上での言葉ならそれは嘘ではない、身をもって示したからである。
言葉ならいくらでも人間は言えるのである。
だからいくら本にいいことを書いてもその人がどんな体験をしたのかが問題になる。
戦争のことなどもだから実際は体験した人でしかわからないのである。

将来を予測して結婚している人は若いとしてもしっかりしている
自分にはそういう感覚がなかった。
本当にこの通りになったのが自分だった。
もちろん自分にかかわった奴らも異常だった。
それぞれが大きな問題をかかえていた。
一人は家族から追い出されたとか離婚していたとかあり現代の家族関係を象徴していた。つまり現代では子供は親のめんどうみないし一緒に住むことはむずかしくなっている
たから結婚したら別々に暮らすのが普通なのだがその人はまた金もないなど追い詰められていたのだ。
もうぎりぎりに追い詰められていた。そういう人も老人で今は増えているのだ。
みんなが金持ち老人じゃないのだ。
もう一人はまた借金で首がまわらなくなった人だった。
成功していたというので本当に成功していたと思っていた。
前の代からつきあいがあったから信用もしていたがそんな人ではなかった。
事業を失敗したからこの人も追い詰められていたから自分の家が病気とかなり自分もなったとき借金の請求で攻めてきたのである。
だから自分が病院に入院するとき、保証人になってもらったがそのことで恩をきせるは
弱者化したときいじめてきたのである。
その人が事業に失敗したのも当然だと思った。弱者を虐待するような人だったのである。

ただ南相馬市立病院では別に保証人もいらなかったのが不思議である。
あそこは何かルーズだったので良かった。相馬総合病院はうるさかったのである。
その時手術もしたからその時立会人が必ず必要になる。それも結婚していないととかなる家族がなくなると困ることになる
そして人間は非情であり弱みにつけこまれたのである。
それもあったが相手もぎりぎりに追い詰められていたのである。
相手を思う余裕がなかったから当然そうなったともなる
腹減ったら動物でも獲物となるものを襲い食べなければならない
子供など怪我しているような動物だと獲物にされやすいというときそれはつかまえやすいからそうなる。
飢えているのだからてっとりばやくつかえまるものをねらうのである。
まさにこの弱肉強食の世界を自分は身をもって体験したのである。
弱者に対しては相手も言い分が通りやすくなるのだ。
何ら抵抗できない状態にあるからそうなる、それは病院とかでも起こりやすい

医者とか看護師には抵抗できない、だから身寄りのないものは悲惨なことになる
おもちゃのように看護師にもてあそばれていた90才くらいの施設に入っている老人がいたその老人が苦しくても家族がいなのだから看護師にとってやり放題になる。
現実自分も入院して虐待とにたようなことをされたから病院は怖いと思った。
看護師がやさしい人とか医者でも非情な世界だと思うようになった。
体をみても心はみないし病院で死ぬのは別に家族でもないのだし人間は次から次と死んでゆくのだから死ぬことは一丁上がりとかしかならなくなってしまう。
あとは物のようにかたづけるだけなのである。
だから家族がいないということは人間にとって弱肉強食の世界では恐ろしいことなのである。
そのことを結婚しない人が多くなったが60以降に自分のようになりやすいから恐怖を感じるべきなのである。

いづれにしろ結婚するに結婚しないにしろ離婚するにしろ家族をもっても様々な問題をかかえるのが人間だから別に結婚しなくても地獄を経験している人などいくらでもいる。
別に家族があってもでたらめな親だったら子供は介護したりしない、捨てられるから家族でもいろいろあるから家族が万能でもない、他人でも親切な人は親切である。
同情する人はまれでも同情するのである。
自分を弱者化した時攻めて来た人もぎりぎりに追い詰められていたのである。
結局何度も言ってきたが人間は結婚するにしろしないにしろ自業自得でありカルマの清算を60以降に否応なく強いられる。
これは本当に自覚すべきなのだが若い内はしないし想像できない

若いときの不品行など一時的なもので忘れると思っているが60以降にかえってよみがえりさえなまされるのである。
若いときはなにをしてもそんなに老人になるまで影響するとは思わないのである。
つまり若いとき老人になることが想像できないことが人間の弱点なのである。
若い人が良く俺は60くらいで死ぬのがいいとか言うがそんなこと60になったら誰も言わない、もっと生きたい70でも80でも平均寿命まで生きたいというのが普通である。
その若い人たちも必ずそうなるのである。
結婚しないとどうなるのかというのも想像できないからであり今回のような恐ろしい災害が起きたのも想像できないからこんな大きな被害になったのである。

結局人間はもう最後は結婚するにしろ結婚しないにしろ何になれすべてカルマであり自業自得としあきらめるほかない、つまり現実を受け入れ過酷でも覚悟するほかないと思ったそういう境遇なってしまったのだかからもう結果だからどうにもならないと現実を受け入れることを覚悟するほかない
借金した人も他人に負わされるのではなく自分でかたをつけるほかないのである。
人間はみんな最後は自業自得であり他人に責任転嫁ができないようになっている。
だから必ず何であれ責任がとらされる、最後はカルマの清算が強いられる
それは逃れることはできないと覚悟するべきである。
自分の場合はそういう覚悟を強いられたとなる。他の人も別に結婚しない人でも自分のカルマは借金でも自分で返す他ないのである。
結局他人がそれぞれの人生の責任など負ってくれない
その人自身が最後は負わされてカルマの清算を要求される

これからは日本も今までのような楽なことはない、経済的にもそうだし大きな国民的困難の時代になるだろう。貧乏になってゆくのもそうである
だから日本に関して甘い幻想をいだくのはやめた方がいいとなる
日本の経済成長とか楽な時代は高度成長のような時代はもうないのである。
日本は今回の震災や原発事故で苦難の時代に突入した。
それも国民的カルマとして自覚しておく必要がある。
まともに食べられないというとき、物価があがったから現実に野菜でも果物でもずいぶん上がって食べられないと思った。
だから何をたべればいいのか?バナナは安いからバナナでがまんするとかなるかもしれない、現実に自分の子供の時はバナナは田舎では売っていなかったし父親が病気になったとき仙台から買ってきた。バナナは最高の贅沢品だったのである。
だから昔の生活をふりかえりバナナが食べられることはまだ贅沢なんだとか思う必要もでてくる。
そういう心構えをもたないと今までのような贅沢の時代は終わったとしてひきしめないと生活すらできなくなるからだ。
物価が高いということは物の価値があがることであり賃金が上がることは労働の価値があがることでもある。それは悪いともならないのである。
それは節約とか倹約とか物を大事にするとかになりいい方面に働くこともあるが悪い面としては消費が落ちるから売る方では会社では困るともなる
ただ今までの贅沢な無駄な消費生活は見直される時代になるからいいことでもある

いづれにしろも老人は先がないからあきらめかつく、若者はそうはいかない、そこにまた大きな差がある。この辺で避難者は小高などに帰れというけど老人ばかりであり
そんな人たちがどうして復興するのだろうかと思う
シルバータウンになりうば捨て山になってしまうのじゃいなかと思う。
あと何年生きればいい、あと五年原発補償金もらって暮らしたいなどと言う人ばかりなのである。そんな人たちがどうして帰って復興できるのかとなる
そういう人たちを老人をみるともう復興がどうのこうの問題でなくなっているような気がする。
だからもう何も外からも何も言っても無駄だともなる。第一そこに住む人たちがもう復興などする意欲がないのだから外から何を言っても無駄である。

人間は例えばアメリカが日本を守ってくれるわけではない、日本が領土でも守る気がないとしたら血を流す気がないとしたらどうしてアメリカが血を流して助けるのか
それも日本人は他力依存に戦後アメリカに支配されてなってしまったのである。
戦争はするのはを拒否しても自分の領土を守るという気概が必要になる
なぜらなちら尖閣諸島だけではない日本自体が今度は中国の属国化してしまうからである人間は最後は覚悟と気概が要求される。
それは過酷な体験したことによりそういう覚悟ができる
イスラム国も残酷だがあそこまでしていることはやはり命かけて戦っていることは戦後に楽してきた日本人には理解できないのである。
だからあんな残酷な殺され方を日本人がされたとなる。
それは別に戦時中は普通のことでありめずらしいことでもなかっのである。
ギリギリにおいつめられると人間はどんなことでもする
飢えていると野獣と同じくなるからもはや何を言っても無駄である。
戦争終わってから捕虜になりどんな悲惨な目にあったかそういうことも体験したものでないかぎりわからないのである。


 
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2015年06月29日

東京の老人を地方に移す問題 (放射能汚染とは関係ないから浜通りは老人が住むのには向いている?)



東京の老人を地方に移す問題


(放射能汚染とは関係ないから浜通りは老人が住むのには向いている?)



地方創生の新型交付金、高齢者移住拠点などに重点

2016年度に創設する地方創生の新型交付金を、高齢者の移住拠点や観光戦略の司令塔の整備などに重点的に配分する。地方の自治体に移住者数や観光客数などの目標を設けるよう求め、成果を毎年検証して首都圏からの高齢者の移住や、訪日観光客の増加につながるよう促す。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS25H68_Y5A620C1PE8000/



前にも書いたけど福島県浜通りでいいのは気候なのである。
暑からず寒からずでこれだけは推薦できる。
だからわからないのは会津とか北海道とか雪の多いとか寒い所に老人が移住するというのはあっていないと思う。
それで会津とか福島市の方に避難した人たちもイワキとか浜通りに帰ってきているし帰りたいとなる。

東京の老人を地方でめんどうをみろというのは問題である。地方も人手不足だしそんな老人ばかりめんどうみていいことがあるのかとなる。
それはここだけではない全国でそう言われている。
ただ現実問題としてこの辺は放射能汚染で困っている
今は外部から工事関係者除染とかで人が入ってきている。
それでダンプが多いから危険なのである。
でも後何年かで工事でも除染でも終われば相当にさびれてしまうだろう
今だって子供をもっている人で避難している女性が帰らないとかある
そしてなにか産業になるものがなくなる
何でも放射能であり風評被害もあり観光にも影響する
地元の食を提供できないことも致命的である。
今はいいとしてあと5年後くらいから相当に経済は厳しい状態になる

その点放射能とあまり関係ないのが老人なのである。
すると老人にはこの辺でも気候がいいから施設に入りたいという人がでてくる
それより東京ではもう世話しきれないという深刻なものとなる
それを引き受けて地方でやれというのには相当に問題がある
ただ財政的にはメリットがある
それでも地方だって人手不足なのだから少子高齢化なのだからその人手を確保できるかどうかである。
はっきりいって在宅で介護するというのは負担が大きすぎるのである。
毎日家事と介護に追われているのが自分である。
一人でもそうした介護する人とか病人がいるだけでどれだけ負担になるのかを身をもって知った。
三食出すだけで手間だし介護度が低くても手がかかるのが介護なのである。
だからこれからすでに介護の重圧で自殺したり殺人になったりすることがすでに増えている。それはもう日常的になってめずらしくなくなる
医療でも福祉の介護でも金をかけすぎるのである。
それは無駄なものでありもっと金をかけずにできる方法はある
金がかかることで政府は在宅でして介護にかかる金を減らそうとするのはわかる
だからといって在宅でやれというと家族も少ないのだから自分のようにすべて一人に負担がかかるようなことが現代では多くなる
そこでもう耐えられないとなり事件になる

ともかくこの辺の事情を放射能汚染は大きなマイナスなのだが何か老人にとっては放射能はほとんど関係ないというとき5年後とかには老人の施設で雇用を保つとするのも一つの案になる。
ただ今でも老人がこの辺では他より多くなっているし老人だけの街、シルバータウンになったらどうなるのか、活気もなにもなくなるとかそれもいろいろな反発がある
放射能汚染の問題の解決策として老人にとっては放射能汚染は関係ないから地元の食料でも野菜でも魚でも食べさせることができるということである。
そうすれば地元の農家でも売れるからいいとなる
米を作っても売れないとか常にそういう心配ばかりなのがこの辺だからそういう案もあるのかと書いた。

新地などは海と森と山もあり老人にとってはいい場所だなと思った。
他より森が多いからそれで落ち着く場所になっている。
海も見えるから気持いいし気候的にも浜通りはいいから老人には適していると思った。
保養地としては温泉はないのだが適した場所である。
もちろんこの辺は過疎地とは違っている、交通の便がいいし仙台に近いしだから青森とか北海道のような工場がないというわけではない
原町と相馬市と新地にも火力発電所がありあそこは2000人とか働いているとなり大きな雇用の場となっている。
工場もあるから老人施設を受け入れて何とか経済を維持しようとまではなっていないかもしれない。
ただ放射能汚染とういうことでそういうこともありえるかなと思った。

これには実際はいろいろな障害がある。一体東京の人を何で地元でめんどうみるのかという動機がある。金が払うからいいじゃないかともならない、地元に生活してきた人なら
地元でめんどうみるということはありうる
でも東京で働いて老後は介護は地方でしてもらうというのは何かそぐわない
それは介護する方でも介護される方でも問題なのである。
何でも金で解決できるということではない、これも結局社会が広域化したとかグローバル化したことで起きている問題である。
つまり人間は昔のように農業中心で一カ所で定着して生活していないし一地域だけで生活が成り立たなくなっいる。
それでかえって避難者がこの辺でも小高などの人は金をもらって威張っているというのも地元の人には反発が生まれた。

でも現実問題として何も小高の人が鹿島の人に世話になるとか他でも地元の人に世話になっているという気持がない、起きない理由は食料でもなんでも外部から入ってくるし家でも今は建て売りで地元の大工が建てているわけではない、
すると地元で何をしているのか、何か地元の人にしてもらっているという感覚が起きないのである。
「この食料はみんな九州から北海道から外から入ってきたものだよ、地元のものなんか、放射能汚染で買わないよ、別に買わなくても食料など金を出せばいくらでも入ってくるよ」
「そうだな、見ろ、家だってみんな建て売りで外部のものが建てたんだよ、復興というけど復興で働いていたのはみんな外部の人だよ、地元の人は補償金でパチンコだなんだと遊んでいただけだからな」
こういうふうに広域化グローバル化社会になっていたことが家族まで散り散りばらばらになるということもあったのではないか?
うるさい姑と暮らすより他で補償金もらって新しい生活をした方がいいとか若い人にもなった。そもそも地元にこだわる人は少なくなっていた。
それは農業とか林業でもその土地の資源などに頼って暮らすものではなくなっていたからである。

まず第一次産業のしめる割合は地方でもこの辺でも一割にもみたない状態だったのであるその第一次産業が壊滅的打撃を受けても別に広域化グローバル化社会では金さえあれば困らないから避難者の方が原発貴族だとかなり威張っているとかなったのである。
それでも広域化グローバル化社会の弊害も様々に生まれた。
介護ではやはり住み慣れた所にしてもらいそこで死ぬというのが人間的なのである。
結局人間は物ではないから都合よく物のように移動させることはできないということはある。
物は人間と違って移動しやすいからグローバル経済になった。人間そのものは簡単に移動できないものなのである。
いくら金をもらったからといってどこに住んでもいいよと言われても戸惑うことがあり
それで老人は故郷に帰りたいとなる
だから人間の問題はすべて金では解決できないのである。

2015年07月17日

認知症予防には家事をつづけること (高齢化は人類の課題として与えられた)


 
認知症予防には家事をつづけること

(高齢化は人類の課題として与えられた)


なぜ認知症になるのか?それを実際に認知症を家族として介護した経験からわかったことがある
一人は家事を90以上までつづけていた、一人は退職して何もしない、家事もしなかった。二人の女性を見ていたとき一人は家事をやらされて一人は何もしないのだから働かされている女性は高齢だし辛いとみるんいい役回りだとは見ない
家事もしないて三食用意される人の方が幸せだと見る
ところが人間の幸せというのは何が幸せの原因になるかわからない
人生で不幸が幸せの原因になることは良くあることである。
幸福ばかりの恵まれた人生がかえって仇になり不幸になることもある
土地もちの大地主の女性の姉妹が飢え死にしたというのもそうである。
財産があっても財産を管理できなかったのである。
もちろん金持ちだと常にその金がねらわられて殺されるということも常に起きている。
金があることはいいとしてもまたそれが不幸の原因になる
金がないこともまた不幸の原因になっていることは普通であるが金があることも不幸の原因になっていることもあるから何がいいのかわからなくなる

認知症の予防にはいろいろなことが言われる、そもそも原因が良くわからないからであるただ現実に認知症になった人をみているからその経験を基に書いている
一人は趣味もなにもなかったが家事を90以上までしていたのである
92才頃までしていて認知症になっていなかったのである。
一人は一緒に住んでいても家事をしなかった。
そして自分はいつも頭がいいと言って死ぬまで自慢していた。
それは実際に本当であり頭がいいし体も丈夫だったのである。
ただ退職してからは家事はしていない、怠惰になり何もしなくなったのである。
そのことをあまり重大なものとは見ていなかった
しかし死んでから5年とかすぎるとそれが大きな問題だったのである。

家事をすでに介護とかして7年間もしているが家事はいろいろな仕事がある。
掃除、洗濯、かたづけ、料理とか様々なものがある
金銭の管理もありこれもなかなか一仕事であり頭を使う
家事をすることはそれだけ頭を使うし手も体も使う仕事なのである。
家事はそれだけ全人間的な仕事なのである。
だから自分は家事をしていても料理を未だにできない
それだけの時間を費やすことができないからである。
そして認知症の予防には家事をつづけることだというときなぜか?
例えば冷蔵庫でもどこに何を置くとか分類整理することが一仕事になるし
それが記憶力とかなり関係していたのである。
何をどこに置くか、それをどう利用するというのは記憶力が必要になる。
認知症になと下駄箱に食器など置いたりするからである。
日々記憶の能力を使うから記憶する海馬が鍛えることになるのかもしれない
簡単な計算をするのもいいいうが具体的に体や手や頭を同時に使うのがいいのである。

それが家事にはあり家事をしないとボケやすいというのはありうると思った。
だから嫁さんに「おばあちゃんは何もしないでいいですよ、テレビを見ていて下さい」と言われたおばあちゃんがボケやすいのである。
テレビは何か頭を使わないものなのである。読書なら頭を使うがテレビは一方的洗脳のメデアなのである。
それは無意識的にもそうなっているのである。
それでレナウン、レナウンというコマーシャルがあったことを思い出した。
それは女性と会話してそのことが思い出したのである。
わすれていたがテレビではレナウン娘とか何度もそれ何百回も見ていたかもしれない
それでそのレナウンのコマーシャルのことを思い出してのだある。
とにかくテレビのコマーシャルは見る回数が多いと無意識的に記憶されるのである。
何か考えることなく一方的にコマーシャルでも洗脳されやすいのがテレビなのである。
テレビを見て何か考えるということがない、だからテレビは一方的洗脳メデアになりやすいのである。
テレビばかり見ていると馬鹿になるというのはそういうメデアの特質があるからである。


人間の幸福が何かなど本当にわからない、「おばあちゃんは何もしないでいいですよ、テレビを見ていてください」となればその方か幸せのように見える
一方では苦労して料理をするからである。でも実際は何もしないということが認知症になことに通じていたのである。
家事とはいろいろなものを分類したり管理したり絶えず仕事があるのである。
だから自分は文章を書いたり写真をとったり他にしていると頭が回らなくなるのである
人間一人でてきることは限られているのだ。
家事だけで相当に頭を使う手も体も使う仕事なのである。
だから自分は暇なく何かをしているし余裕がないのである。
つくづく人間は二つのことをこなすことは容易でないことを知った
女性の場合は家事をしないことが認知症なる危険がある
一方で男性でも退職して何もしていないと認知症になる危険があるのは同じだろう。

カルシム不足なにるのはかえって寝ているとそうなるが活動して体を動かすとカルシム不足にならないそうである。
寝てばかりいる兵士は足の骨に負担かからないので体が「カルシウムいらないのだな」と思って尿から体の外にカルシウムを出してしまうのだと考えられます
こに対して一日三時間以上立っている人の場合は足の骨や背骨に負担がかかるので体が「カルシウムが必要だ」と思いカルシウムの流出を防ごうとしているのです
(エコロジー幻想ー武田邦彦)

これも興味深い、

家事もしないと記憶を司る海馬も働かない、働かせる必要がないからだ

家事をしている女性は頭を常に働かせるから海馬が働き強化される

つまり使わないものはいらないとして機能しなくなる、workingしなくなる
それは人間の体でも脳でも社会でもそうである。
社会が活きているということはともかく活用されていることなのである。
道でももし誰も通らないとしたらもう死んだ道となる。
人間がともかく通れば活きた道となる、六号線でもだから車が通って活きていると感じる車さえ通らない道は死んだ道となってしまう。
原発の避難区域は人が住んでいないのだから全体が死んだ街になってしまった。
それでも車が通っているとそこだけは飯館村でも活きた道になっている
双葉や大熊は完全に死んだ街になってしまった
高齢化社会、長生きの時代は認知症を家族で介護したから最高の恐怖だった。
頭がいいとか最後まで言っていても実際は痴呆化していたのだから悲惨である。
だから認知症にならずに死ぬということも高齢化社会では一つの目的となる
高齢化には様々なリスクがある。簡単に死なないことがまたリスクなのである。
長生きするために苦しみが増すということも確かなのである。
ただ認知症にもならず90すぎても自分のことを自分でしている人がいるがそうであれば問題ないのである。
そのためにはどうしたらいいのかとなる。

それで家事をしない女性や退職して生きがいとか仕事がなくなる人には危険がある
原発事故や津波でも何もしないでぶらぶらしていた結果、不活発になりそれが病気にまでなったというのもそのためである。
車椅子で何もできなくなり泣いていた男性がいたがそれも悲惨なのである。
高齢化社会というのはやはり人類にとって必ずしもいいのではなく一つの課題として与えられたものだと思った。
高齢化社会を健康で有益に生きることが課題なのである。
それをみんなができないからこそ課題なのである。
高齢化というのは人類的に起きていることでありそれに対処するまでになっていないのである。
高齢化は体でもそうだが頭でもそれに対処するまでに人類は進化していないともなる
90頃まで一人で自立して健康で生きていれ人の割合が多くなれば高齢化に対応できるようになったとなる。
そういう過渡期として現代があり日本でもそれが試されているのである。

昔の女は家事の他に糸紡ぎや機織り・縫い物繕い物と
手先を動かす作業をしてたからボケにくいんだよ


昔ならいろいろ女性の仕事があったけど今は機械化したりしてなくなったこともある。
何でも機械化してロボットがするようになったら人間はボケになり一体何のための機械化だったのかともなる
だからこそ高齢化は人類的課題として与えられたのである。


タグ:認知症予防

2015年07月31日

南相馬市の高齢化率はすでに30パーセント (全国は25パーセントー人口動態からみる歴史)



南相馬市の高齢化率はすでに30パーセント


(全国は25パーセントー人口動態からみる歴史)



○ 高齢化率が25.1%に上

65歳以上の高齢者人口は過去最高の3,190万人(前年3,079万人)。


全国高齢化率

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やっぱり東北では青森とか秋田とか山形がほぼ30パ-セントにすでになっている
南相馬市と同じ状態になっている。南相馬市は原発事故の影響で高齢化が急速に上がっ
新潟県とか富山県とか長野県とかも30パ-セントに近くなっている
島根県、鳥取県とかもそうである
九州も意外と東北と似ている、30パーセントに近いのである。
こういう県は工業地帯ではない、東京から離れると高齢化率も高まる
北海道も30パーセントなのはそのためである。
北海道の高齢化率も厳しい、農業が主体だと高齢化率が高いと労働ができなくなる
そして跡継ぎも不足する、酪農でも跡を継ぎたくないとなる
農業は後継者不足で悩んでいたからである。

北海道は明治維新後は開墾者が武士などでも大量に入ってきた。
その時は北海道は若い時代だったのである。
工業化社会になると東京中心になると不利になった
そして北海道の人口は札幌に集中している、40パーセントとかあることでもわかる。
北海道は旅行するにはいいが住むとなると厳しい
札幌のような都会だったらいいにしても寒いということが老人にとっては辛いのである。
九州も東京から離れすぎているから地理的に工業化社会では東北と同じような地理にあった。
九州の鹿児島県となれば青森県ともにているのだ。南の最果ての地である。
四国も同じように30パーセントに近い、ここもやはりにている。
やはりこの高齢化率は日本の現在の縮図である。
人口動態というのは縄文時代から稲作のはじまったとき急激に人口が増加した。

それから江戸時代の後半で開拓が進んで人口が3,000万になった。
でもまだ3,000万である
明治から大正までで6,000万になった。
それでも6,000万である。
つまり今の半分の人口しかないのである。
今の半分しかないということは相当に閑散として自然が広がっていた
だから山村暮鳥とかホイットマンのように都会すら賛美していのである。
東京といってもまだ周りに自然がある状態だったのである。
この辺がかなり誤解してみているのである。

世界でも人口から見るとわかりやすい、中東地域は紛争地帯だが人口が多いし若者が多い地域である。
その若者が就職先がないとかでイスラム国に兵士として就職することもあるというのもそのためである。
中東も石油資源があっても工業化していないから成長しないのである。
そこでは若者が多いからイスラム国のような厳しい所にも行くとなる
日本も明治維新から太平洋戦争までは人口が増加し続けて若い国だった
戦後もそうである。団塊の世代が生まれたときも人口爆発した。
それが工業化、高度成長化でその人口の労働力は団塊の世代中心に吸収されたのである。

人口圧力が問題になるのは様々な問題の原因になるからである。
生物学的には人間も動物だとすると天敵がいて人口は調整されねばならない
ある種が増えすぎると生態系のパランスが崩れる
人間増えすぎると生態系のパランスが崩すのである。
明治維新から太平洋戦争と団塊の世代が生まて育った高度成長時代は歴史的には異例の時代だった
日本で一億二千万の人口を養えるなどありえない、異常な世界でもあった。
だから少子高齢化も長い歴史からみれば人口の調節のためだとなる
あと五十年くらいすると高齢化も終わり全体の人口は減ってもバランスのとれたものとなるからである。

いづれにしろこの辺では工事関係者とか除染作業員とかが大量に入ってきているから今は賑わっているように見える。
除染作業員とか六千人が飯館村に出入りしているとなるとコンビニが開店したことは便利になる。
自分も飯館村に一年以上行っていないから行ってみようと思ったが店とかないので行きにくかったがコンピニがあるとなる食事もできるから便利である。
小高でもコンビニが開店すると帰還しやすくなる
ともかく買い物しているけど毎日買い物をしている
買い物が一仕事なのである。それでもたりない、大根下ろししようとしたらなかった。
前だったら近くに店があったから買えたし一本でも買えた
今は街のなかにスーパーあってもちょっと遠いから買いに行けなかった。
ただ飯館村はもともと小さなスーパーが一軒しかなかったから不便な所だったからコンビニでもあればいい方だとなる。
コンビニでもスーバーの役割を果たせるようなものらしい。

いづれにしろこの辺は外部から入ってきているからにぎわっているようにみえる。
でもその外部の人たちが去ったらどうなるのか?
老人が増えて若者の働き口もないとかなる、今は人手不足ではあるがそれは外部から人が大量に入っているからである。
だからみんな行っている、外部の人が去ったとき相当にさびれて夕張のようになるかもしれないと・・・・
ただ火力発電所とかあり東京に近いということは有利ではある。

それから介護する若い人がいないとかこの辺では問題になっている。
それは全国的にも起きている。
もう介護できなくなり介護難民となり老人は放置されるかもしれない
介護は十年とかも長くつづくのが問題なのである。
そういう手厚いこともできなくなる
介護保険でも一日ショートすティでも五千円とられたとしても七倍くらいが介護保険からでるの異常であり医療費でも財政を圧迫して国がつぶれるとまでなる。
特に原発事故周辺は厳しくなり老人は手厚い介護など受けられない覚悟までしなければ住んでいけなくなる
若い人が見切りをつけて去っているからそうなるのである。

タグ:高齢化率

2015年09月01日

欧米型の食生活のために胃ガンが増えた? (病気も生活習慣病)


欧米型の食生活のために胃ガンが増えた?


 
病気も生活習慣病

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近くで癌になった人が二人いた。一人は同級であり一人はまだ50代だろう。
癌が増えているのは統計的にも確かである。
特に日本人で増えている、それが恐怖になっている
人間は病気になればその病気で死ぬ
病気にならなければ人間は老衰のようになって死んでゆく
百歳生きている母は病気になっていない
だから長生きしている、死ぬとしても老衰でありまたは何から体が衰弱して細菌にやられて死ぬとかなる
病気というのはまた老衰とかとは違う、明らかにその病気の故に死ぬ
だから病気にならなければそのまま長生きする
百歳になるまえに死んだりするのは病気が原因なのである。

そしてその病気の原因が何なのかということである。
つまり病気には必ず原因があり結果がある
どうしてそんな病気になるのか?
癌となると解明されていないからいろいろ言う
ただこれも生活習慣病が関係している
日頃の食生活とか日頃どういう生活をしていたかが関係していることは間違いない
酒をそれなりに毎日飲んでいたらやはり肝臓がやがて痛んでくる
それは機械でも長年使っていると痛んでくるのと同じなのである。
だからどうしても50とか60以降は病気が出やすいのである。
60代になると何らか持病をもたない人はいないのである。

生活習慣病というとき癌が増えたのは特に男性の場合は胃ガンとか前立腺ガンが増えたのは欧米型の生活になったことが関係している。
肉食であり日本人本来の魚と野菜とか昆布とか海苔とか風土にあった食生活から離れてしまった。
なぜ日本人がコーヒを飲むようになったかというと欧米型の食生活は食後にコーヒーが飲みたくなるようにできているということを科学的に説明しているサイトがあった。
コーヒーは胃にいいものではなかった。刺激性が強いので胃に悪いのである。
胃液の分泌もさせるので胃酸過多になりやすい、どうも自分が春から遺産過多になったり胃にコーヒーが悪く作用していることが気になるようになった。
それでコーヒーはなるべく飲まないようにすることにした
男女とも胃ガンが増えていることはコーヒーも関係しているように思う

それから肉食が増えたことも関係している
なぜなら日本人は肉食に向いていない、欧米人は肉を食うと消化する酵素がでる
日本人は出ないのだから肉食には向いていない
穀物を消化するために腸が長くなったことでもわかる
つまり日本人は日本の風土にあったように遺伝子でも作られてきたのである。
それは縄文時代からはじまっていた。日本人は肉食はあまりしていないのである。
明治以降は牛でも豚でも肉を食べすぎることも関係している
それからコーヒーも欧米型の食生活で飲むようになったが胃に悪いものだったと思う。
前立腺癌はもともと欧米に多かったからこれも肉食と関係していたのである。
肺ガンについては良くわからないがやはりこれも何らか欧米型の食生活とか何か原因がある。

明らかなのは胃ガンは欧米型の食生活の習慣から増えたことは当たっているだろう。
そして最近の食生活はあらゆるところで化学薬品とか調味料とか純粋に自然のものを食べるということができない、なにかしら化学薬品が入っている
コンビニの食品などはみんなそうである。薬品なしではありえなくなっている。
そういうものも影響して胃ガンが増えたのかもしれない
人間の食はやはり体に一番影響しやすいだろう。
食べるものが体を作るからである。日本は外国のものであれあらゆるものを食べすぎると思う。それらがみんないいようには作用しないのである。
食生活も文化であり文化は風土から作られるからグローバル化は文化を破壊するからそこに一番大きな問題がある。
もちろん外国のものがすべて悪いとはならない、いいものを取捨選択すればいいのであり日本人はそうしてきたのである。
ところが明治以降はあらゆるものを日本人は取捨選択しないで取り入れたのである。
だから人間の生活の基幹を成す食生活まで破壊されたのである。
それが胃ガンなどが増えた原因になっていることは有力である。

もう一つは人間を体質からみてその体質にあった生活をするということも健康のためには大事である。
人間には実の体質と虚の体質があり実の体質は体力があり疲れずに人を引っ張ってゆく人である。現代ではそういう人が先頭に立って引っ張っている
一方で虚の人は疲れやすく現代の生活についていけないというのも自分は虚の体質だからわかる。激しい運動したりすると疲れて何日か動けなくなる
何するにしても疲れるから休むことが多いのである。だから自分にとって学校とか会社とか団体生活は苦手である。体力的に合わせることができないのである。
つまり虚の体質の人は常に休息が必要なのである。
この見方はやは東洋的医学の見方でありこれもやはり否定してしまった
欧米流の医学一辺倒になったことも問題が生まれているのである。

いづれにしろ50代であれ60代であれここからは健康が第一であり勝負でもある。
ここで健康でなくなる、病気になったら金があってもどうにもならない
金もあった方がいいが病気になればとてもあらゆることが乗り切れない
そして破綻してしまう悲劇になる
だから生活習慣病だというときそれは若いときからも気をつけねばならない
若いときのツケは必ず支払わされる、それは健康でもそうだが精神的にもそうなのである自堕落なの生活をしていたら必ず心も体も歪んだろう。
とても人生の実りはそこにはない、それも恐怖なのである。
最後にとにかくその人の積み重ねたものがあらゆる面に結果となって出てくるのである
別に刑罰を逃れても内面的な罪は消えることがないのである。
だからなんらかで青春時代は若気の到りとか必ず過ちがあるがそれがそのままで終わらない消えないから怖いのである。

確かにイギリス人の食糧は牛肉である
と認めなければなるまい
イギリス人は戦争愛していると
それはあらゆる享楽と同じ
彼らの大好きな気晴らしなのだ
クレタ島の人々もそうだった
牛肉と闘争、この二つとも
イギリス人から学んだのだ

バイロン(ドン、ジュアン)

欧米からもたらされたものはみんないいものではない、最近スペインで牛を街に放す祭りで12人死んだとかそうした風習はまねるべきではない、欧米型のものが何でもいいものではなく取捨選択が必要だったのである。


牛肉はそんなに食べる必要があるのか?
http://musubu2.sblo.jp/article/47047234.html

 
タグ:胃ガン

2015年09月11日

厚寿苑であったしっかりした小高のおばあちゃんに感心 (自分が苦しいのに看護師や介護士を思いやっていた)


厚寿苑であったしっかりした小高のおばあちゃんに感心

(自分が苦しいのに看護師や介護士を思いやっていた)


今日、厚寿苑であった90前のおばあちゃんはしっかりしていたし好感もたれるおばあちゃんだった。
小高の塚原の人だった。あそこには120軒とかあり前に自分の庭を作ってくれた大工さんを知っていた。
その女性は脳梗塞になり一時意識不明になった。
それで一年間くらい厚寿苑にいたという、そんなに長くいられるのかと思った。
一カ月六万円というのは安い、それは小高の人は相当に介護でも援助されるから安くなっていたのだろう。
意外と母は三日いて2万2000円とかとられから高いなと思った。三日でそのくらいである
だから一カ月もいたら実際は15万くらいとられると思った
介護は思った以上金がかかる場合がある。施設でも最低でも15万は月に払わないとあづかるところはないだろう。
だから年金がそれなりにないと施設には入れない
貯金より年金の額が左右するのである。自分は年金を70才からもらうことにした。
そうすると結構もらえるからだ。ただそれまで収入がないので貯金を取り崩すので苦しくなる。
投資して定期的に収入が入ると思ったか中国の株価下落で150万とか引かれたのは痛かった。
意外と老後はそれなりに金がかかる、一人でも15万以上もらえないと今では苦しい
そこから介護保険がひかれたり物価も上がるからともかく貯金していようが年金でも一割とか目減りしているのである。

そのおばあちゃんは脳梗塞になってから看護師に世話になったのでなんとか迷惑をかけないように頑張ったという、脳梗塞で一年も厚寿苑にいたということはそれなりにリハビリとかして正常とほとんど変わらないよにう回復したのだろう。
そのおばあちゃんはいちいち看護師を呼んだり助けてもらうのでそれではまずいと自分で思い相当に自分でそうならないように努力したのである。
まだそれまでできる力が残っていたというよりその女性がなんともそういう苦しい状態でも相手を思いやる心があったという不思議である。
何かしてもらうにもいろいろ相手のことを察して言葉をかけているのである。
だから看護師でも介護士でも親切にしてもらえることがありありと見てわかったのである普通病気になり苦しくなれば自分のことだけで精一杯になる。
そういう状態でも自分のことだけでなく助けてくれる人を思いやり言葉をかけていた。

そういうことがうまいというか自然にできる、そういう人柄なのか、あういう女性は助ける方も助けたくなると話してすぐにわかった。
あういう女性は施設にいてもみんなから親切にしてもらえることは確かである。
一方で金持ちでも威張っているような女性はいくら金があっても親切にしてもらえないだろう。
そこが病人とか介護が金だけで解決しない問題なのである。
世話してもらう方になったときうまくいかない人がいる。
その人は世話してもらうことは実にうまいので感心したのである。
世話してもらうに相手のことを思い言葉をかけるからこの人なら親切にしてやりたいという気持にさせるのである。
こういう人であればまず施設に入ってもみんならか親切にしてもらえることはまちがいないと思った。
金だけでは老人は親切にしてもらえないことは確かなのである。

それから若い人なのだが自分が母につきそって立っていると椅子をもってきてくれたのである。
そしたらそのおばあちゃんがあの若い人と気がつくいい人だよといった。
男性でもその人は気がつく、なかなか男性はそういうことがしにくい、でもその男性は介護に向いた人だとなる
まず人間を相手のことを思いやったり気がつくことが意外とむずかしいのである。
だからその若い男性は介護に性格的にも向いている人である。
誰でも介護に向いているわけではない、介護なんかそんなもの最低辺の仕事だとか盛んに言うが給料のことを考えないならやは介護士というのも一つの新しい仕事であり
それに向いた人と向かない人がいるのである。
でもする人がいないから誰でも雇うとなり問題が起きている、老人虐待などが起きている自分が思うにはあらゆる仕事には適性がありどんな仕事でも誰にでもできるものはない
例えばヘルパーはかお手伝いさんでも誰にでもできるものでもないのである。
何か常に適性があり誰でもいいという仕事はないのである。


そして最近人工知能とか機械が代わりに仕事するから人間の仕事が奪われるということを言う人がいるが現実そうなってくると思うし本当になっている
レジの金の出し入れを機械化したのもその一つである。
人手不足になると余計にそうなる、でも機械化できない、コンピュターでもできない仕事がありその一つに介護士があるというのもわかる。
介護士とは思いやりと何か気づく相手を察するということが必要になるから機械的にはできないのである。
第一介護される女性でも介護する人を気ずかっていたのである。
これが一方的に気づかっているばえりになると介護する人も嫌になる。
その女性は別に他人でも親切にしてもらうように相手をうまく誘導している不思議があった。
そういう性格なのか、やはり心根がいいのかとなる
そして脳梗塞で一年も厚寿苑にいたにしては今は話してもどこが悪いのかもわからない、頭はしっかりしているしあらゆることが普通の人よりわかっている
どこかしらおかしくなっているのが普通であるがその女性はなっていなかったのである。
そのおばあちゃんはまた子供にも恵まれていた。何人かいて自分の所に来いと言われている。原町にも立派な家を建てた息子もいた。
あのおばあちゃんなら子供も歓迎するし嫁ともうまくやれるだろう。
なぜなら嫁のことを気づかうと思うからである。
そういう人徳が備わっている感心したのである。
人間はまず相手のことを思いやるとか気づかうということがなかなかできないのである。そんなことが簡単じゃないかと思うがそれができない人が多いのである。
自分も何か雑でありできない、だからほめられていた椅子をもってくれてきた若い男性はまれな男性だったともなる

ともかく介護の時代だというとき、介護士という仕事でもこれから見直されることはありうる。
つまり機械化できない、コンピュター化できない仕事としては直されることはありうる
いづれそういう人は他からも優秀な人材として評価され高給とりになるかもしれない。
介護士でもレベルがありみんな同じではない、向き不向きがあり今は人手不足だから
誰でもいいとなっている。でもこれからはどうなるかわからない、みんな機械化して仕事がない、介護士でもやるかと言ってもあなたには適性がないとしてつけないかくなるかもしれない。
介護は人のことを思いやる気づかう高度な仕事であり誰でもできるものではありません
今は選ばれた人しかなれませんとかなっているかもしれないのである。
つまり仕事というのも時代によって常に変わるしその価値も変わってくるからそうならないとは限らないのである。
タグ:介護士