2010年02月06日

家族は不幸でも逃れられない宿命を背負っている


家族は不幸でも逃れられない宿命を背負っている

●ゆがんだなりの美しい実
 
家庭  室生犀星


 家庭をまもれ

悲しいが楽しんでゆけ
それなりで凝固ってゆがんだら
ゆがんだなりの美しい実になろう
家庭をまもれ
百年の後もみんな同じ諦めきれないことだらけだ
悲しんでいながらまもれ
家庭を脱けるな
ひからびた家庭にも返り花の時があろう
どうぞこれだけはまもれ
この苦しみを守ってしまったら
笑いごとだらけになろう  

 
室生犀星は妻をなくした旧武士の小畑弥左衛門吉種が六十四歳の時、身の廻りの世話をしていた女中のハルにうませた子である。女中の子ということが生涯ついてまわる。そして吉種の死と共に、吉種の長男たちによって泥棒呼ばわりされ追い払われた女中であった自分の生母への思慕と悩みを持ち続けた。女中なるが故の不幸であり、悲運であり、

生まれてすぐに生家の体面上、他家にやられた作者にはほとんど母親の記憶がない。わずかな記憶は、「殆醜い顔に近い母親だった」ことくらいだ(『紙碑』)。

室生犀星は、複雑な家庭の中で私生児として育てられた。兄(後に金沢裁判所書記の職に就く)と姉(後に娼婦として売られる)がいたが、二人とももらい子であった。実母も、はっきりとはわからず、終生彼の詩の中にも母に対するあこがれが歌われているように思える。

 普通の家庭は両親がいて兄弟姉妹がいる。そういう普通の家庭でもインタ-ネットだけなのだろうか、匿名になるから親の文句を言う人がかなりいる。その憎しみも強い。家族自体がおそらくみんな違ったものとしてあるのかもしれない、トルストイが「幸福な家庭はみなおたがいにかよっており、不幸な家庭はそれぞれその家なりに不幸である。」と言ったとき家族というのがやはり千差万別だからかもしれない、家族とは例え外から幸福に見えても不幸を内在しているかもしれない、なかなか家族はわかりにくい、自分の家族も外から理解できるとは思えない、こんな家族もあったのだということを自分自身でつくづく矛盾してもふりかえるだけである。姉が死んでわかったことは自分には正常な家族がどういうものか知らなかったことである。そういう人はやはりいるのだ。家族の愛を受けて育たない人もいる。親がいない人は家族とは何か知らない、親の愛とは何か知ることはできない、兄弟姉妹のない人は兄弟愛とかも知り得ない、両親がいても絶えず喧嘩ばかりしているとそこにも愛と調和の家族はない、そういう所で育った人は喧嘩が普通であり家族は喧嘩する場所として育つのである。でもそれが嫌でも異常ということに気付かない、それが当たり前になってしまう。両親が愛し合いいつくしみあうことがあるの?とかなる。もちろん具体的に継母とか昔から問題が置きやすいからその不幸が語り伝えられてきた。


そういうのは外からみてわかりやすいから理解しやすいのである。ところが家族の問題は外からはどうしても理解しにくいものがある。その一つが自分の家族だったのである。でも自分自身にとっては全部が悪い家族とは言えない、ただ正常な家族がどういうものか自分は知らなかったのである。だからその不正常さが最後に悲劇を生んだともなる。人間は異常でも矛盾でもそれが長くつづくとその異常さが普通になってしまう。戦争すら余りに長くつづくと戦争が普通であり人がバタバタ死ぬことすら驚くこともなくなるかもしれない、もはや平和と何かも理解できなくなっているのだ。人間の社会は本質的に平和はない、家族にすらないから平和がないのだ。だから天国に行ったら驚くだろう。ええ、こんな人が愛し合う平和な世界があったのかとそれは全く地上では経験しえない世界である。はじめて経験するものであり地上の経験をそこであらためてひどいものだったとわかるのである。

ゆがんだなりの美しい実になろう
家庭をまもれ
百年の後もみんな同じ諦めきれないことだらけだ
悲しんでいながらまもれ
家庭を脱けるな
ひからびた家庭にも返り花の時があろう

犀星は家族の愛を知らないで育った。自分は家族の愛を複雑でも受けすぎて育った。矛盾の愛の中で育った。その期間があまりにも長すぎた。つくづくだから「ゆがんだなりの美しい実になろう」というのも実感としてわかる。ゆがんだ矛盾した家族でもそれが与えられた家族であり逃れたくても逃れられないのである。悲しいことでも逃れられない、家庭を脱することができないというのが真実なのである。家庭とはそういう宿命的な場所なのである。それが自分一人の力では変えることはできない、それでも調和させようと努力する他ないのだ。そうした家族にもゆがんだ家族でもゆがんだなりの実がなる。それは生前ではなく死んだあとに経験することもありうる。ゆがんだ家族であり矛盾していたけどやはり家族は家族であり全うした家族だったとかなる。
 

●知的障害者をかかえた立派な家族

兄が知的障害てんかん持ちです。
子どもの頃は兄に暴力振るわれたり、近所や学校でも兄の事で苛められたり、
家の中は滅茶苦茶で、親はいつも謝って回っていましたし。
普通の子どもの生活ではなかったな〜と今思います。
今でも皆さん同様、両親は大変な思いをしています。
でも、私は不思議な事に一度も兄を疎ましく思った事もなくて、
むしろ、人の痛みを分かる様になったのは兄のお陰だ、とすら思っています。
それもこれも、両親が偉かったな、と今自分が子どもを持って改めて感じます。
もちろん、両親も歳をとって来て、これからは悠長ではいられないかもしれません。
夫も夫の両親兄弟も、事情をよくわかってくれていて、
「みんなで力を合わせれば、苦労も減るよ」と言ってくれます。
そんな言葉に甘えるつもりはありませんが、私は幸せだなと思います。
今後、どうなるかは不安ですが、あまり先の事は考え過ぎない様にしています。
母が「先の事を考えると、今日生きていられないくらい不安になるから、
せいぜい一ヶ月先の事しか考えない様にしてるのよ。」とよく言っていました。
兄も今は私が一番好きな様で、遠方ですがたまに会うととても喜び、
私の子ども達の事もとてもかわいがります。

子どもの頃から、人がしないで良かった苦労をして来たここの皆さんが、
少しでも、哀しい思いや苦労をしないで生きて行けるといいなと心から願っています。

こうした知的障害者をかかる苦労は並大抵のものではないことを自ら実感した。認知症もやはり幼い時から知的障害者とは違うが症状は同じなのである。そうして普通知的障害者をもっている家族のことなど外からわかりにくい、その苦労もわかりにくい、そういう人はでも近くにいる。すでにその障害者は65才とかなり親は90才でなお世話しているのだ。その苦労は並大抵のものではない、これも近くにいてもその苦労を察することはできない、それぞれの家族の不幸がありそれは外部からは察しにくいのである。自分の家族もそうだったのである。障害者をもっていてもこうして親がしっかりしていればいい家族になっている。一般的にはみんなこの反対になっているのが普通だからだ。この文章を読むだけで感動的なものではないか?泣けてこないか?

夫も夫の両親兄弟も、事情をよくわかってくれていて、
「みんなで力を合わせれば、苦労も減るよ」と言ってくれます。

こんなふうに言ってくれる兄弟がいるということ自体他の家庭とは違っている。

身寄りがなくなれば一生施設にいるだけよ
障害者も高齢になれば兄弟すら面倒みないよ
私は姪の立場だが、障害者の兄である父が死んだあとに
縁切りということで。
母には姻族関係終了届けを出させました
すごーーく嫌なことです
親族にそういうのがいることって
いない人にはわからないだろうがね
結婚にも足かせになると思う
いとこも嫌がっていたからさ

こうなるのが普通であり例外的なのだろうか?知的障害者の問題はふつう家族にそういう人をかかえないと無関心である。むしろ知らず差別などししているのが普通である。自分もそうだったけど家族にアルツハイマ-の患者をかかえたので関心を持つようになった。認知症は生まれつきの知的障害者とは違うがやはり症状は同じである。違うのはこれまで優秀な人でもなる。それも単に学問ができるとかではない、しっかりした人でもなる。特別優れた人でもなることが違っている。社会的に家庭的にも頭脳的に優れた人がなる。それでなぜ知的障害者になったのか、ジキルとハイドのように一人の人間に起きてくるからただ茫然として唖然するだけだった。実際にレ-ガン大統領でもサッチャ-首相でもなった。両方とも特別強く優れた人だった。それでもアルツハイマ-になり知的障害者になったのである。ということは認知症とかは老化が原因だからどんな優秀な人でもなりやすいという恐怖があるのだ。知的障害はだから今やすべての人にとって身近な問題になったのである。人間とはそれほど完全なものではない、弱いものであり知的障害者となるリスクもかかえている。それが高齢化社会で数がふえるから人間の無惨さを目の当たりにすることが多くなるのだ。

愛し合い調和する家族
http://musubu.sblo.jp/article/35142957.html

2010年03月06日

玉本様へコメント(認知症の暴力の原因)


認知症の暴力の原因(プライドを失わない)
http://musubu.sblo.jp/article/6623991.html

 
>認知症の高齢者は、皆さんプライドをお持ちです。それをポキ〜ンと折り曲げようとする言動は、
>余計に神経を逆なでてしまい、二次的・三次的被害が発生します
 
認知症の人に接して一番不思議だったのは自分が銀行からも金をおろせないとか記憶もできないとかいろいろ障害、できないことが多くなっているのに人に頼らざるをえなくなっているのにプライドは変わらずあるということ、これが認知症の一番の特徴だと思った。子供のときから知的障害の人にはプライドがない、認知症にはこれまで生きてきたことへのプライドは変わらない、痴呆になっても変わらないのです、だから今までと同じ様に接してもらいたい、尊敬されていた人はやはり演技でも尊敬されることを望む、これはみんななかなかできないことです、家族ですといろいろ家族に尽くしてくれた人だからとがまんして相手を馬鹿になってもたてることができるけど他人はそんなこと関係ないからたてることはむずかしい、単なる馬鹿になった人として扱いやすいでしょう、だからその人がどのうよに生きてきたか、家族がどういう家族なのとかは認知症になってからの介護に深く関係してきますね、介護する家族に恵まれていたら症状も緩和するでしょう。そうでないと認知症はかなり悪化してしまうみたいです。でも理想的に介護できる家族はまれでしょう。自分も代わりに介護する人がいない、一人だけだったから困りました。誰か代わりになる人がいれば楽でした。介護は一人だけだと重荷になり事件が起きたりしています、認知症は特にそうですね、認知症の介護は本当にむずかしいです
とにかく認知症の人にはこれまでしてきたことを思い出させてほめれば喜び症状が改善する。
でもなかなか馬鹿になった人をほめることはできない、家族だったら嫌でもいろいろしてくれた人だからやれるけど他の人はなかなかできない、それより馬鹿になったと今まで親しかった人も離れてゆくのが普通でしょう。特別世話になった人が演技してほめたりしていたけどその他はよりつかないし回りは偏見、差別ですから認知症についてはまだ回りでも理解がないです、病気がわかりにくいですから
 

反映されない自分のコメントについて 
 
マウテンバイクについての返答はつづいてできたが「認知症の暴力の原因(プライドを失わない)」は反映されない、即座にメ-ルで連絡がくるからコメントされればわかるのだ、自分のコメントもメ-ルで即座にくる、でも記事が多いし前の記事はかなりコメントがつづけて反映されない、最初のコメントは反映されても自分のコメントはつづけては反映されない、それでまた別の新しい記事としてアップするほかない、プログでもコメントとはほとんどないので気にしていなかったがコメントで応答するのにはさくらのプログではめんどうになる。できないことはないがつづけてコメントは反映されない、まだ一人ならなんとか応答できるがその他はむずかしくなるかもしれない、掲示板の問題は人が多いと互いに何を言いいたいのかとか混乱してわからなくなる。もし一人の発言を深く考察すればわかりやすい場合があるのだ。それとインタ-ネットは掲示板でも何でも自分なりに編集しないと見えないものがかなりあるのだ。いろいろな情報を編集すると活きてくるのだ。編集がないからインタ-ネットは情報のカオス、混乱になってしまいもったいないのである。

2010年03月09日

玉本様へのコメント二つ(連続してコメントできないので)


玉本様の発言

相馬のお掘りの菖蒲
http://musubu.sblo.jp/article/29286725.html#comment

人って、良い時はチヤホヤして、悪い時は離れてしまう、とっても身勝手な生き物だ思います。私の父は自営業で成功していた時は親戚にも他人にも大盤振る舞いをしていました。父も母も、御馳走はみんなで分けて食べる様な人でした。父が蒸発して母が邸宅を売却した時は、親戚や赤の他人達は高価な品物を欲しがり持ち帰りました。当時、私の両親をチヤホヤしておきながら、父がいなくなり亡くなってから、彼らは180度態度を変えてしまい、利用価値が無くなった時点で離れて行きました。父の通夜には父が自分で作った梅酒まで持って帰ったり、高価な品物も持ち帰っていきました。母もお人好しでしたから。その後は、何の音沙汰もなく手のひらを返されました。私も、昔は「社長の娘」でチヤホヤされました。だからと言って、高慢な態度をとった事はありませんが、やはり掌を返されました。だから、差別や偏見や良い時しか集まってこない人が嫌いなんです。ましてや、知的障害者や認知症など御本人や御家族の責任ではありませんから。私は、偏見や差別と闘います。
小林様の貴重な経験も宝物に、相手が例え同業者だろうが、世俗と闘います。小林様やお姉様が味わった屈辱を味わう人が減少する様に、私は「認知症の人と家族の会」や組織と一緒に闘います!見守っていて下さい!


プログ主(小林)の発言
人間は弱者に本当に同情することはできない、自ら弱い立場に経済的なことでも病気でも何か弱い立場にならないと経験しないと弱いということがいかに辛いか実感しません、姉自体がそもそも弱さを知らない女性でした。自らも優秀だといいつづけ最後に認知症になりぼろぼろになった。自らもできなくなり銀行のことなどがわからなくなり悔しがっていました。わからなくなる、できなくなることに自ら憤りを感じていた。その不満が他者への暴力へとなりやすいのが認知症だった。何度もいろいろ書いてきたようにどんな優秀な人も強い人も弱者になることがあるのだとショックでした。認知症はレ-ガン大統領でもサッチャ-首相でも相当な優秀な人もなっていますから人間は誰でも弱者になる、弱いものだと実感しました。姉はそもそも人に差別されたりいじめられたりするような女性ではない、強い人でしたからありえなかった。だが一転して弱者になり差別されみじめなものとなった。あれだけ優秀な強い人が知的障害者になることなど今でも信じられません、認知症の人の不思議は知的障害者になっても人から馬鹿にされたくないというプライドを持ちつづけることでした。それが生まれつきの知的障害者と違っていた。だから正常の時のように接しないと怒ったりするからめんどうであった。
玉本様もいろいろと辛い経験なされたようでですね、「社長の娘」として扱われていたのが一転して変わってしまった。私も弱者になったものをかかえこんだとき、人間はそうなった時、助ける同情する人より弱みにつけこむという人が結構いることです。笑っている人もいました。人の不幸は蜜の味とかいいますがそういうこと経験しました。弱者になったから平身低頭することが多かったです。姉もいろいろ正常の時は援助したり助けたことがありましたが認知症になってから逆によりつかなくなった。確かに人間いい時だけ見ていたら人間のことはわかりません、一旦窮地に陥り弱者になったときどういう態度に出るのかそれで人の真価がわかるということあります、弱者になることがどれだけ辛いかこれはそういう体験をしないとわからないです、弱みにつけこむということは本当に人間はひどいと思います、でも人間は必ず弱い立場になる、一生のなかで強い立場で生き続けられる人はまれでしょう。最後は結局死ぬのですから人間は弱いものです。どんなに強い人でも最後は弱いことを自覚させられる。体験に裏付けられた同情は本物だしそこから行動されることは心強く思います。そういう人が現実にいたということも心強いことですし認知症や弱者になったことも励まされることでしょう。

玉本様の発言

冬障子より
http://musubu.sblo.jp/article/35186163.html#comment

私は、まだ41年しか生きていない未熟者です。でも、41年の間に、同級生よりも倍の苦労を味わいました。幸せは歩いてこない…だから、歩いていくんだね♪という水前寺清子さんの歌にもありますが、歩いても歩いてもなかなか見つかりません。小林様や、他のコメンテーターの方がおっしゃっておられる様に、きっと、幸せは雪が溶けて寒い季節を乗り越えた後に、忘れた頃に訪れるものなのかもしれませんね。幸せの価値観は各々違いがあるでしょうが、我先にと、悪質な手段を使ってでも目先のメリットを狙い人の幸せさえ奪う悲しい世の中です。
私が望む私生活での幸せとは、好きな学問に没頭し感受性を育てる為に、普通の穏やかな静寂な生活を守りたいだけです。元々高齢者さんが好きなのですが認知症の方の前では、心からとびっきりの笑顔になれます。私自身の自然な笑顔を守っていきたいです。贅沢な望みだとは思いません。雪解けを待ちます。人生の酸いも甘いも御存知な小林様の表現は、難しい事もありますが、素敵です。



プログ主(小林)の発言
>人生の酸いも甘いも御存知な小林様の表現は、難しい事もありますが、素敵です

私も確かに長く生きてしまった老人だけど実際は他の方と比べてそれほど苦労したとはいえません。もっと苦労している人を見ていますから、苦労人とは言えないです。その証拠に本当に
弱者としての経験をしたのは姉の認知症の介護をした時でありそれまでは本当に弱者としての痛切な体験をしていません、弱者になることはこういうことか本当に実感しました。そして姉は優秀であり強い女性でしたから人間はこんなに弱くなるのかということを身近でまざまざと見てショックでした。人間は弱者となる体験を心底していないと人間のことはわかりません、それが老人になって誰でも自覚させられる。でもその時はすでに遅かった。人間の弱さは老人になるまえに、80過ぎてからでは遅い、その前に自覚させられれば人間として酸いも甘いも御存知な人となる。こういう人は他に結構います、それは学問なんかない人です、現実近くに知的障害者を90才になってまでめんどうみている女性いますからこういう人は人生の酸いも甘いも御存知な人でしょう。学問あっても人生のそうした経験がない人はいくらでもいます、40才ということですが40才でもそういう体験を積んだ人はいますから必ずしも年齢だけで決められないです。
年取ったからといってみんなが成熟した酸いも甘いも御存知とはならないでしょう。自分の場合は20代では辛い経験を結構していますがその後はしていませんから他の人の方が苦労している。人間は苦労しすぎて性格が曲がったりしますから余り苦労を背負わされるのもその人によるでしょう。自分は老人でも正直人生の酸いも甘いも御存知な・・・とはなっていません。


その他哀月様とウィナー21小八木店様の発言がありました。ありがとうございます

コメント欄につづけて反映されないのでこちらに別にまた書きました

2010年03月14日

"玉本様へのコメント二つ(連続してコメントできないので)"へのコメント(弱者について)

 
 
この記事のつづきです 
http://musubu.sblo.jp/article/36170587.html#comment

人間は弱者となる体験を心底していないと人間のことはわかりません、それが老人になって誰でも自覚させられる。」

玉本様の発言
兄の訃報を聞いた時、自宅に一人でいたのですがパニックに陥り、母に連絡する前に、近所で可愛がってくれていた独居のお婆ちゃんのところに駆け込みました。相手が認知症だという事も忘れて膝元でワンワン泣き崩れてしまいました。
(そのお婆ちゃんは、私が認知症だと分かり御家族に介護サービスの利用を勧め、今は機嫌よくサービスを利用しています。)やはり弱者に立たれた方は、人の痛みを自分の痛みのように感じて下さって、御自分の御主人や御子息が亡くなった時の痛みを何度も話ながら、私の背中をさすって一緒に泣いてくれました。
私は、認知症の方でも一人の人として接しています。そのお婆ちゃんの魂と私の魂が調和した安心感を得たせいもあって、人前では泣かない私が涙腺が壊れてしまったように大声で泣き続けました。

>やはり弱者に立たれた方は、人の痛みを自分の痛みのように感じて下さって、御自分の御主人や>御子息が亡くなった時の痛みを何度も話ながら、私の背中をさすって一緒に泣いてくれました。

人間はみんな弱者だということを知らないのです。一生強者で終える人もいないでしょう。でも強者であるときは弱者になるということを自覚できない。それが突然病気で倒れたり老人になると体が弱り弱者だと自覚させられる。しかし弱者に本当に同情することはむずかしいです。
いろいろな団体があっても党派があってもそういうところでは勢力拡大が目的で会員にしたくて同情したふりしますが本当の同情はそうした弱い立場にあった人の個人的なものでしょう。
私も近くの人が「かわいそうだ」と姉に同情してくれ辻褄の合わない話にもつきあってくれた。姉はそれで機嫌がよかった。結局今まで親しい人でも相手にされなくなった。でもその人は相手にしてくれたし話をあわせてくれた。それで最期に近くの病院に入ったときその人とあってなぜか笑ったというのも不思議である。

鬱病とか認知症の人は普通は微笑んでも大きな声で笑ったりしない、最後に大声で笑いあとは意識不明になり二カ月後に死んでしまった。ともかくその老人はよほど気の許す人になっていた。あとは相手にされなくなった。その人は今思うと特別な人であり一般的には認知症になったり知的障害者は普通のようには相手にされないのはやむをえないとあきらめた面はあります。唯一同情してくれた老女も今は脳卒中で病院で一年寝たきりであり不思議なのは今もボケていない、認知症になっていない、脳卒中になっても認知症にならない人はならない、平凡な人であれ意識がはっいりしている。過去のことをはっきり覚えている。一方で意識が混濁して何言っているかわからない人も脳卒中だと出でくる。
ともかく人間は病気だけではなく弱い立場の人を理解するには自らも弱い立場にならないとわからないでしょう。後進国でも先進国は弱い立場の人を経済的差で売春とかいろいろ支配できますから、一時日本が強いから中国でも韓国でも日本に虐待されたと恨みをもていますし今度は日本より強くなるから日本が虐待されるようになる。つまり世界史でも強いものも必ず弱いものになるし弱いものもいつまでも弱いものでありえない、強いものなってくる。そういうことは人生の中で常に起きてきますからやはり人間は謙虚であるべきなんですが謙虚であることが一番むずかしいんです、有能な人は奢りがどうしてもでてくるしもちろん権力がある人は当然奢りがでる。
貧しき人が幸いである・・とキリストが言った時、経済的に貧しいのではない、精神的に心の中で自分には何もないということ、才能もない、何か自分でもっているものがない、空虚なことが貧しい意味だたった。だから貧乏でも奢りをもっている人はいますし、精神的なものとして心の貧しいことなんです、自分が何もない何ももっていないという人に神から良きものが与えられるのです。
正直弱者にどう対処するかは非常にむずかしいです。知的障害者など認知症など迷惑だから抹殺ししてしまいとか極論もあります。弱者に光をあてたのはやはり宗教である。人間は一生強者ではありえない、必ず弱者になる運命にある。だかこそ強者の時奢ることは危険なんです。でも実際は自分が弱者になるということは弱者になってみないと自覚できない、自分自身もそうでした。認知症とか知的障害者をかかえることはこんなひどいことなんだと自覚させられましたから、ということは知的障害者がなぜこの世にいるのか?知的障害者などこの世にいないにこしたことがない、病人もそうですよね、ではなぜいるのか?それは結局人間は認知症のように知的障害者にもなりうる、レ-ガン大統領でもサッチャ-首相でも優秀な人でもなりうるんだということ、それはもはや一部の特殊な人ではない、万人の問題として認知症によってつきつけられたのではないか?人間はいつまでも強者でありえない、どんな人でも認知症のような無惨な敗者になるということを神から示されたのかもしれない、人間の知能も体もあてにならないということです。そして結局、NHKでももう新薬が作れない、たいがいの新薬は作ってしまってもう作れないとか人間の病気に対する科学も限界にきているのかなとも思いました。人間の力だけではどうにもならないのか、努力は必要にしても人間にはやはり限界があるのだ。神が創造した人間を唯一知っているのは神しかありませんからそこに限界が生まれる。

金がもっているひとは金があてにならない
からだの丈夫なひとはごろっとやられる
あたまのいいものはあたまがよわい
あてにするものはみんなあてにならない

宮沢賢治となると能力に恵まれ金にも恵まれ様々なものに恵まれた人だった。しかしこういうことを書いているのだからやはり普通の人とは違っていた。からだの丈夫なひとはごろっとやられる。本当に突然に倒れる、
ごろっとやられるから病気は怖いのだ。

あたまのいいものはあたまがよわい
あてにするものはみんなあてにならない

これが認知症だったのです。あれだけ頭のいい人がこういうことを言うんだからやはり並の人ではない、普通頭がいい人はこういうふうに謙虚になれませんから・・・・
時事問題の深層
http://musubu.jp/jijimondai39.html#risk

「人間は苦労しすぎて性格が曲がったりしますから余り苦労を背負わされるのもその人によるでしょう。自分は老人でも正直人生の酸いも甘いも御存知な・・・とはなっていません」

玉本様の発言


性格が曲がった人も知っています。
自分が作った苦労なのに甘えが出過ぎて歪んでしまった人も。
生まれた時から親も兄弟もいない可哀想な人もいます。今にも飢え死にしそうな子供もいます。私には筋ジストロフィという先天性の病気で生まれた時から、普通に過ごす事が出来なかった友人もいます。
ですから、私の苦労も苦労の内には入らないと思っています。嫌な目に合わされて、少々、人に対して臆病になった事もあります。弱肉強食の時代ですから、確かに苦労をした人は性格が歪んでしまって、悪事を働いても強い立場に立とうとします。政治家にも似た事が言えるでしょうね。私にも自分に負けて歪みたくなった事は多多ありました。でも、いつも際で引き返すんです。歪めないのは、弱者の立場が分かるからなんです。目先のメリットに目がくらんで、神様の言い付けを守らずにリンゴをもぎ取ったエバにはなれないんです。いやしい人間は最終的には信用を無くしてしまい裁きを受けて、本当の孤独を一生味わう事になると思えるからです。ライブドアの堀江氏や音楽家の氷室氏のように頂点から坂を転がり落ちるような生きかたを見て思いました。損して得を得るといいますが、私は今の世の中を生きて行く上で必要な、温かい心をもった信用出来る人を見つける事が出来るだけで得を得たと喜んでいます。小さな幸せで良いんです。小さくて平凡な普通の幸せを築いて守れるだけで。


やはり、人の痛みが分かる方の口から出る言葉は、温かくて説得力や共感出来る事が多いです。占い師でも外れる事もあります。ノストラダムスの大予言も外れました。人は自分で計画していたことでも外れてしまう事もありますし、未来の事は確約できないのかもしれません。私も、若年性認知症にはなるまい!と予防していても絶対的な確約はしてもらえません。そして、初めての経験は誰でも戸惑い困惑してしまうと思います。小林様も、精一杯出来る事をされたのですから。ブログで文字に残すという事だけでも、お姉様や人を大事にされておられるお人柄が伺えます。そういう温かい御気持ちが持てるという事は、年齢的にも余裕がなければできない事だと思います。年をとっても、いつまでも自分の事しか考えられずに弱い者を食い潰し天国には行けないような生きかたをいている人もいます。

私は、私の事も気にかけてくださりながら、御自分の心も正直に語り謙遜されておられる小林様の存在にも感謝しております。世の中、捨てたものではありませんね。人を思いやりながら共存共栄できれば平和で穏やかな世界になるのに…自分の事しか考えられない横暴な人が減って、お互いを大切に出来る思いやりのある人達が増える事を願って止みません。
温かいお返事、有難うございました。感謝。

Posted by 玉本あゆみ at 2010年03月12日 20:54
(訂正)音楽家の氷室氏ではなくて、「小室氏」の間違いでした。すみません。

プログ主(小林)の発言 

>性格が曲がった人も知っています。
>自分が作った苦労なのに甘えが出過ぎて歪んでしまった人
>生まれた時から親も兄弟もいない可哀想な人もいます。今にも飢え死にしそうな子供もいます

>私には筋ジストロフィという先天性の病気で生まれた時から、普通に過ごす事が出来なかった
>友人もいます。
商売柄というのはなんですけどいろいろな人と接していられんですね、実際にそういう悲惨な人と接するのは辛いです、脳出血になった老人で泣くことと笑うことしかできなくなった女性がいました。本当にかわいそうでした。でも泣くことができて笑うことができることが人間であるということも認識しました。泣くことも笑うこともできなくなったら人間じゃないのかなとも思いますから、しゃべれなくても泣き微笑むということは人間が人間であることの最後の条件だったのかとも思います。 筋ジストロフィというのもテレビで見ていますからわかります、いろいろ悲惨な人がでてきます。そういう人と接することは本当にむずかしいです。生半可な同情でできないですから・・・看護婦(師)さんには頭が下がります、過労死になる看護婦さんもいたとか実感しました。病院にまかせきりにする人が今多いですから、最後は病院で死ぬのがほとんですからこれからは看護婦さんは最後の看取りの現場にいることで重要な役目をますます担うようになります。だから人手がたりないとか余裕がないと本当に大変だと思います。

>性格が曲がった人も知っています。
>自分が作った苦労なのに甘えが出過ぎて歪んでしまった人

人間やはりあまりにも過酷だと耐えられなくなる。その人によりますけど介護とかで若年性認知症の夫なり妻なりを介護したりするのは経験したから本当に大変です。まだ若いのに親の介護をさせられるのも大変です。十年とかしている人も今ではいますから、そしたら自分の人生が犠牲にさせられますから・・・本当にそれでいいのかどうか疑問にもちます。いくらかわいそうだとと言っても若ければ若いほど自分の人生がありますから、まあ、介護は60以上になると世話になったしいろいろなこともしたからしょうがないかなともなるが親のためでも30代とかなるときついですね・・・
性格が曲がった人というと若いとき夫が大病になりその夫がそれで性格が歪んでしまった、自分が障害者となり妻に頼るようになりプライドがそこなわれた、それで妻に背中を蹴飛ばしたりと何かと妻にあたるようになり妻の性格も歪んでしまった、一生その人は障害をもっていましたから・・テレビドラマでもやっていました。鬱病になった若い夫を若い妻が働いてめんどうみなければならなくなった、夫はうじうじオレはだめなんだとか妻に文句いい、暴れるだけであり妻も若いし耐えられない、これも悲惨です。これもどちらも性格が歪んでしまうんです。なぜなら夫婦でも家族でも一時的にも離れることができなくなる、そういう閉ざされた環境でいることは本当に良くない、必ず介護する人も鬱病になるんですね、自分もなっていましたから・・・これはどうにもならないです、これが長くなると本当に辛いです。
これは身をもって体験しないとわからないです。自分は2年くらいで限界になっていましたから・・・他の人はもっと大変な人はいくらでもいます。本当にとを慰めていいかとまどうでしょう。でもそういう時外部の人のちょっとした支えでも励みになる。それはささいなことでもそうなんです。一言元気かいとか認知症の人にでも声をかけてくれれば本当に支えとなります。でもそれがないんです、かえって偏見、差別になるんです。人間ってそういうものなんだということが身にしみてわかりました。弱者のことは自ら弱者にならないとわからないんです。だから弱者で心が歪んでいないとしたらそういう人を見たら救いでしょう。かえってそういう人に励まされることあるでしょう。これほどの障害をもっていても必死で生きているとなると健康な人は恵まれているとか・・・・・障害者にも教えられることがある。
そういう報告もインタ-ネットとかであります、看護婦さんだと日常的に接しておられるから障害者をいろいろ見ていられるからそこにもいろいろな人間がいることで何かかえって健常者のためになることもあるでしょう。障害者が全く社会にとって人間として役にたたない、邪魔者だということにはならない何かがやはり人間だからある。ただこれは口で言うのと実際に介護する人とでは温度差がかなりありますから軽々には言えませんが・・・・・

インタ-ネットは編集で活きてくる 
変則的になるが自分がつづけてコメントできない、どうしようもないからまこ新しい記事としてアップするほかない、今のところ二人の対話だからいいかもしれない、でもこの対話を読んでいる人もいる
こうして一対一で長い対話することはインタ-ネットではないが二人の対話だとできる
こういう長い対話も必要なのである。その対話の中で明らかになるものがある。
ただあまり議論みたいなものはしない方が良い、たがいに納得し合えることがいい。
掲示板を作ればいいが今はできない、だから会話がつづくならこんなふうにするほかない・・・・
読んでいる方はめんどうになるだろう。
インタ-ネットは常に思っているんだけど常に会話でも編集するとわかりやすくなる、別な意味をもてくることがあるのだ。編集がないからただばらばらにまとまりがないものになってしまうのである。
インタ-ネットの中の医療プログでも何でもそうである。いろいろあってもどこにあにがあり何が注目すべきなのかわからないのだ。誰かが編集すると意味を帯びてわかりやすくなるのである

2010年03月19日

玉本様の発言のプログ主(小林)のコメンントは新しい掲示板で読んでください。


小林様へ


「初音」へのコメント
今迄、仏教の行事には無頓着でした。
私は聖書を拝読していますが、兄も代々受け継いでいる浄土真宗で祀っています。
兄の喪主を務めたので供養には神経質になりました。初めての彼岸を迎えましたが、時の立つのは早いものです。

しかし、兄が仏様なってしまったという感覚がもてません。
兄は運送会社に務めていましたので、長距離で配送の仕事に出かけていて、長い間留守をしているような感覚です。お釈迦さまが乗っている蓮の花に乗って。

彼岸とは、迷いの世界である此(こ)の岸から悟りの世界である彼(か)の岸へ到るという到彼岸(とうひがん)から名づけられた行事と知りましたが、実際は到達出来たのか分かりませんので、やはり行事的な習慣と思います。
でも、お彼岸に関係なく、兄が大好きだったコーヒーやお菓子や、家族が食べる食事は毎日、お供えしないと落ち着きません。

自然が醸し出す自然の音楽は、とても癒されます。
車やバイクなどの騒音だらけの都会では、その音も濁ってしまいます。
私の自宅から自転車で5分程、離れた所に汚染されたワースト3に入る大和川が流れています。工場から流れてくる有害物質のせいで川も破壊されて痩せ細って見えます。音も空気も。
近場でお気に入りの京都の加茂川の水の流れの音は目をつぶって思い出しただけでもストレスが解消されます。

赤目四十八滝の滝の音も聞いてみたいです。
初音、聞きに行きたくなりました。

玉本様の発言のプログ主(小林)のコメンントは新しい掲示板で読んでください。
http://www.21styles.com/mybbs/soma/index.html(掲示板へ)

2010年05月02日

看護介護教育には平等の原理が必要


看護介護教育には平等の原理が必要

本当に困った人を助ける仕事がしたい
今の仕事(顧客は主に富裕層です)に嫌気がさしてきました。
http://questionbox.jp.msn.com/qa2407226.html

金持ちだと大金を払っているのから人から何かをしてもらうのが当然だとなる。その金に見合うサ-ビスをしてくれとなる。これが別に高価なモノを食品でも高いもの買うには問題ないのである。これが直接人と人が向き合う介護とか看護とかなると違ってくる。サ-ビスしてくれるのはモノではない人なのである。それも自分が弱い立場になったとき、すべてが金で解決すると錯覚するのだ。健康な時は金で解決した。でも介護とかなると病人になるとそうはならない、介護や看護してくれる人は機械ではない、人なのである。弱者になったとき金があるからといってそういう態度をとれなくなる。一方で貧しくても介護や看護されると申し訳ない、ありがとう、ありがとうと看護師さんに礼を言っていた老人はあわれだった。便の始末などしてくれたからいつも恐縮していた。その老人は意外とあっけなく死んでしまった。介護や看護にたづさわる人は金があるから大事にするとは限らない、介護する人や看護する人に好かれる人になれというのは本当だろう。金持ちは金さえ出せばサ-ビスを受けられると思っている。しかし介護の現場ではそうならない、もちろん誰でも金は欲しいにしてもでは金ですべてが得られるかとなると得られない、それが介護とか看護の現場である。相手がモノや機械ではなく人間だからそうなっているのだ。人間と人間が直接向き合う現場だからそうなっているのだ。どっちにしろ介護とか看護とかでも直接人間と人間が向き合う場所では相手はモノを買ったり機械を買ったりするのとは違う、つまり人間をモノや機械のようには買えないのである。もちろん金の力は大きい、でもそれにも限度があるのだ。金で全部まかなえるとはならないのだ。


金持ちはどうしても傲慢になりやすいのだ。だから福祉の世界は介護でも看護でも平等の原理が働くことが理想である。金持ちを優遇するということは介護とか看護とか医療とかにかかわる場合はモラルに反することになる。医は仁術とはそのことでありナイチンゲ-ルが敵の傷兵をも看護したことはそのことなのだろう。医療の世界でも内臓移植とかは特別でありそれは金がある人がやるべきものであり金のない人はあきらめるほかないだろう。何故ならそれは特別な高度な医療だからである。そういうことは別にして平均的な治療はやはり金持ちだけが優遇されることはモラルに反することになる。だから介護とか看護には宗教的なものがモラルとして必要になってくる。カルトのような悪質な団体に利用されるというのではなく万人を愛するとか慈悲の心とかそうしたものがどうしても必要になってくるのだ。そこが医療とか介護とかの世界が競争原理とは違った世界だった。


医療の現場でも介護でも報酬は給料は大きな問題であり関心の第一にある。それを否定することはできない、それ相応の報酬は必要である。でもここに生きるか死ぬかという人が救急車で運ばれるときこの人には金を払えないとかで拒否できないのが医療の現場なのである。ともかく命を助けねばならないとなるからだ。その時この人は貧乏で治療費を払えないとか言っていられないからだ。医療というと確かに今は技術的な問題が最優先される。モラルと関係なくまず病人を直せるのかというのが最優先となる。その医者の人格がどうのこうのは関係ない、技術的に神の手をもつ人こそ最も優れた医者である。みんな医者の人格がどうのうこうのよりどれだけの直せるか手術だったら技量をもっているかで医者の価値は判断されるのである。では技術的なことだけで医療や介護の現場が解決するのかとなるとならない、医者も看護師も人間であるし患者や看護介護される人も人間だからこうした問題が起きてくるのである。金持ちには特別良くして貧乏人には良くしないとしたら看護の精神に反するからそうなる。だからアメリカでも日本のような保険制度を導入するようになった。すべてが平等である必要はないのだ。金持ちには金持ちの役割がある場合がある。金持ちがいなかったら貴族がいなかったら学術とか芸術や天才などは生まれなかった。そういうものは貴族の子弟から家庭教育から生まれたからである。すべてが平等な世界からは共産主義のように労働者の蟻しか生まれないからだ。貴族にはモラルが要求された。アメリカの金融業でもうけるような人たちにはモラルがないから世界から批判されたのである。

とにかく医療とか介護の分野ではまた教育とか分野では平等の原理が必要になる。貧乏人の子供は高度な教育は受けられないとかなると差別になる。だから高校無償化などはいい政策なのである。奨学金制度などもそうである。病院とか施設とか教育でも相手が人間であるということ、そこがモノを作ること機械を操作することと違っているのだ。そういう所ではどうしても医者であれ看護師であれ介護士であれ教育者も人間性が問われることになる。医者の人格が変だというときやはり人間と人間が向き合う現場だから指摘されたのである。「医は仁術」というとき医者自体がそういうことを感じていたからこの言葉が生まれたのである。人間をとして扱うからこの言葉が生まれた。一方で医療の現場でも人間をモノとして扱う、処理するということがある。
病院で死んだら一刻も早くかたずけてくれ、病室に置いておくなとか何か人間を死んでもモノのように扱われたのは医は仁術から離れたものとなっている。一見科学が急速な進歩をしても江戸時代の方が人間を人間扱いした面もあったから進歩とは何なのか疑う、もちろん江戸時代など医者すらかかれないという現実があるから一概には言えない、モノ扱いでも医者にかかれるだけで幸せなんだよそんな贅沢を言ったらきりがないといわれればそうかとなる。 でも医療とか介護は人間と人間が向き合う現場だからどうしても技術的な問題だけでは解決しない、モラルが問われることは変わりないだろう。

2010年05月26日

キ-ワ-ド 認知症の家事療法(しゃもじ渡しの意味)


キ-ワ-ド 認知症の家事療法(しゃもじ渡しの意味)

 
古くは「おしゃもじ渡し」といって主婦の座の交替を表し、おしゃもじで大鍋の煮物をかきまぜないと焦げついてしまうという古い教えを意味しています。

これは集団活動のコツであり、当時、おしゃもじでゆたかな食糧をよそることは、主婦の願いでもありました。
また、「戦いとる」意の「めし取る」心もふくめています

http://shufuren.net/modules/tinyd2/

 
プログのキ-ワ-ドを調べていたら「認知症の家事療法」というので自分のプログに来ていた人がいた。
それで一文を書いてみた。 
しゃもじ渡しは姑が嫁にするものだというがこれは人生が60年くらいの時代なら良かった。隠居の風習があったのもそもそも人生が短いからであった。だから40代でも隠居になっている人がいた。60くらいで死ねばあとは20年くらいは好きなことをしていればいいとなる。60で退職して80頃で死ぬのと同じ感覚なのである。そういう時代の感覚からそうした昔の風習や伝統を考えることはできない、つまり現代の高齢化社会は人類史上はじめて経験することなのである。85とか90とかを普通に生きる時代など人類は経験していないのだ。だから今までの考え方は通用しないのである。もちろん老人は嫌いだ、いなくなった方がいいとかの意見も出てくるのは当然なのである。老人が増えることは社会全般的にいい影響はないからである。若い人が多い方が活力があっていいというのが普通である。老人が多く老人が金とか権力をもっている社会は新陳代謝が起こらない、革新的なことができないこともある。明治維新など革命を行ったのは20代とか30代だったことでもわかる。それほど過激だからとても老人などにはできることではなかったからだ。
 
ともかく高齢化社会は今までの風習とか伝統が通じない、価値観が根本的に通じないということを前提にしないと議論がかみあわないのだ。これまでの伝統はすでに近代化で壊されてきた。長子相続とかも壊されたり嫁が姑に従うということも壊された。大家族制も壊された。地域も壊された。さまざまな伝統的なものが壊されたときそれに代わるものは何なのかとなるときそれが社会の反対の会社になった。今度はその会社も不景気でグロ-バル化で拠り所にならないとなった。社会の中で伝統的なものが継続されず壊されてもそれに代わるものは簡単に作れないのである。伝統的なものが壊されることは価値観が変わるからその価値観に適合できなくなる。例えば嫁は姑に従うものだという習慣が価値観が支配していたときは姑は家の要としてありえた。でもそれがなくなったとき姑は嫁に従うものとなったとき姑は家にいづらくなり別に夫婦で暮らすのが一般的になる。これは一見嫁にとっては姑に従う、いじめられなくてもすむとかなりいいとなるのだが反面、自分もまた同じ運命になる。姑の立場になったら同じように別居することが多くなるのだ。
 
しゃもじを渡すということは女性にとって一大事であり台所をまかせられることは女性にとってはその家を取り仕切ることにもなる。だから80、90まで生きる時代に嫁が来たからとしゃもじを渡してしまいば姑はあと何十年と家の中で無用の人となりかねないのである。それがボケに認知症になることに通じているのだ。一番ボケになりやすい人は「おばあちゃんは無理しないでください、楽してください、テレビで見ていてください、私が家のことをみんなやりますから」こう嫁に言われた人なのである。実際に自分の家では複雑な家庭事情があり他からは理解されにくいけど90ますぎても未だに家事をしている女性はボケていない、公務員をやめてから家事も何もしない女性はボケて認知症になった。年は7年しか違っていない、明らかになまけものになってしまったのである。家事もやることがない、趣味もたいした趣味ではない、もともと向いていたのは看護婦とか保健婦だったから人の世話だったのである。それでハイチで83才で女医の人が未だに地震の国で肺結核の看護をしてハイチのマザ-テレサと呼ばれているというのを見てあの人はボケないなと思った。家庭内でも障害者や病人や介護する人をかかえていればなんとかその人の世話をしなければならないと責任感を持つからボケないというのは本当である。
 
現実に90になっても60すぎた知的障害者の息子をめんどうみている母親はボケていない、しっかりしている。やはり責任感があるからなんとか迷惑かけないよにう世話せねばならないという責任感があるからそうなっている。また男でも会社をやめたり自営業でも親父も息子に仕事をまかせるときボケやすいというのは女性のしゃもじ渡しとにているのだ。これも結局高齢化のために起こったことなのである。なぜならしゃもじ渡ししても早めに死ねばそれで良かった。男でもそうである会社をやめて息子に仕事をまかせても85から90までなど生きていないからである。だから高齢化社会では今までの考え方を変えねばならないから対処がむずかしいのである。
 
認知症の家事療法は効果が確かにあった。洗濯でも洗濯機が使えなくても手で洗っていたし食器洗いはできたし掃除なんとかできた。認知症でもできることはありそのできることをしていると気分が良くなり自分は役に立っているという自信をもったので効果的だったのである。何もせずにただ与えられるだけだったらますますだめになる。何かできることをすることはいいことなのである。だから嫁に私がやりますからおばあちゃんは何もしないでテレビでも見ていてくださいというのが一番悪いことになるのだ。それはやっぱり高齢化社会はしゃもじ渡してから先が長いということにあったのだ。だから今までの価値観が通じなくなったのである。

2010年05月31日

キ-ワ-ド 認知症の人は自殺できるか?


キ-ワ-ド 認知症の人は自殺できるか?

今回のキ-ワ-ドは認知症の人は自殺できるのか?できていた。
鬱病は自殺することが一番怖い、認知症の人は自殺するのか?またした人がいるのか?最初の内・・・生きたくないとか家から出るとか、いろいろな不満があり混乱していた。認知症の人で自殺した人はいないのではないか?認知症で死んだ人は徘徊してどこに行ったかわからず死んでいるのが一番多いように思う。自ら死ぬということはできない、自殺するということは自ら理性的に相当な強い意志をもたないかぎりできない、やはりそれなりに正常な意識をもっていないとできないのではないか?認知症の人は正常な意識を失われている。病識もない、自分が馬鹿だと思わない・・・ということは自分に悲観しないということである。自殺する人は悲観するから自殺するのである。認知症の人が暴力になるのは自分へ不満をぶつけるのではない、他人に不満をぶつけるために起こる。自分に不満を内向させる鬱病は自殺する。認知症の人は不満を外部に他者に向けるから自殺にならない、徘徊は一種の逃避であり自殺とも違う、一番身近な人を困らせるためにしているとも思える。

認知症は一番身近に接している人を困らせる病気である。自分のせいにすることはない、みんな他者のせいにしたら自殺はしない、自分が病気だという意識もない、だから身近に日常的に接する人が認知症のわがままを聞いてくれるなら機嫌がいいのである。自分が馬鹿になったことがわからない、だから悲観しないのも不思議である。実際は外から見れば悲惨なことなのだが本人はわからない、自分が何になったのか意識できない、ただ回りの人の対応が変わるのでなぜだろうと思う。自分が馬鹿になったせいだとは思っていない、それで身近な人に不満ぶつけ暴力となる。その暴力で殺人事件になったということはないみたいだ。精神病では殺人事件は起こるが認知症では起こってないようだ。
暴力をふるってもその暴力には歯止めがある。相手を極端な妄想で殺すということはないみたいだ。激しい暴力で確かにそういう一歩手前までにはなったりする。

でも妄想からの暴力ではない、不満からの暴力だからそういうことはないのかもしれない、いづれにしろ認知症の人は自殺はしないし殺人もしていないからその点は他の精神病とは違っている。あるところで正常を保っているのも不思議である。ただ自分が何者で他者が何者なのかの認識ができなくなっている。認知症の人は知らない人は怖いとなるがでも自殺とか他者への殺人にはならないからそこは安全といえる。最初の内確かに陽気な人が陰気になった。鬱病的になった。それで自殺をほのめかしたがあとはそういうことはなくただ自分のわがままを通すことになった。そして自分が病気だとわからない、馬鹿になったことがわからない、正常を失ったことがわからない、知的障害者は自殺しないと同じように認知症も自殺はしない、認知症とは知的障害者とにているのであり統合失調症とかとはまた違っている。知能の障害が起こっているのでありこういう人は自殺はしない、自殺には自分の理性的な意志が必要なのでは?正常な意識を持った人は自ら死ぬ、正常な意識をもたない人は死なない、鬱病が自殺するのは鬱病は知能の障害ではない、知能的には変化はない、高度な知能を保持している。認知症は金の管理とか簡単な計算すらできないのだから極端な知能低下が起こるのだ。知能障害が顕著な病気なのである。こういう人は自殺しないし他者殺すということもできない、自殺する人は何か借金でも何でも理由があるのが多く責任を感じて自殺したりする。認知症の人は責任など感じない、悪いのは他者だとなるから自ら馬鹿になっても責任は感じないのである。だからこういう人は自殺しないのである。ただ不満があるから他者への暴力になるのだ。

2010年11月10日

認知症(ボケ症状)の多様性-(金に無頓着になった人)

認知症(ボケ症状)の多様性-(金に無頓着になった人)

自分の母は明らかに半分はぼけた。軽い認知症になっている。でも認知症とかボケといっても一つの範疇にまとめられない多様なのかもしれない、認知症自体実際は何かわかっていないのだ。姉の認知症についてはいろいろ書いてきた。やはり典型的な認知症の症状だったのだろう。重い認知症だった。でもすべての人があのような認知症になるとは限らない、盗ったと騒ぎ暴れたりするとは限らないのかもしれない、姉は金のことがわからなくなり最後までこだわっていた。一方母もともと金にこだわって金をためるのが生きがいのうよな人だった。何も使わないのし趣味もない、店をやっていたときは一円でも無駄にしないような性格だった。ところが不思議なのは軽い認知症になったのか全く金にこだわらない、何回も大金がなくなったと言ってもそんな金があったのかとか金のことを言ってもわからないのだ。二三年前は百円でも利子の高いところあると金を自分で移しているような性格だった。それが金に無頓着になり自分の金のことについてわからなくなった。でも自分の金がどうしたとか騒がないのも不思議である。もともと性格がおとなしい内向きの人であった。だから暴力をふるような人ではない、姉はその正反対だった。


認知症はその人の性格が影響して様々な症状になるのでありすべてが姉のようにはならない、おとなしい認知症もいるのかもしれない、半分ボケているのだが性格がおとなしい人だったから穏やかなのである。認知症とかボケたとか言っても共通点はあるにしろ百人百様なのかもしれない、それはその人の性格が反映して様々な症状になるのかもしれない、とにかく
金にあれだけこだわった人が金に無頓着になっていることが不思議なのである。だから扱いやすいことは扱いやすい、だましやすいこともだましやすい、なぜならどんな人でも親切にすれば信用しているのだ。姉は信用しなかった。誰でも信用してしまうというのももともとそういう性格だったのかもしれない、人をあまり疑うことのない性格だったからそうなっているのか?お人好しだったからそうなっているのか?ともかく認知症はその人の性格がでてくるのかもしれない、だから扱いやすいボケと扱いにくいボケの人がでてくるのだ。ともかく母はあまりにもおとなしい静かな人であり友達なども作れない内向きの人であった。それは全く自分の性格でもあったのだ。
ただあんなに金にこだわることもないし趣味もないのとは違っていた。金をためることしか興味ない人が金に無頓着になっていることは解せないのある。

タグ:認知症

2010年11月11日

恐るべき高齢化社会の現実(孤立化する老人の暴走)

恐るべき高齢化社会(孤立化する老人の暴走)

●家族でも老人が居場所なくなる


老人問題を書いてきた。最初は自分の家族が重い認知症にかかった恐怖を延々と書いてきた。高齢化老人問題はそれだけではない、元気な老人も問題なのである。特に社会的問題として孤立化する老人がふえてくるのだ。経済的事情もあり二所帯で住めない老人もでてくる。
回りを見回してみたまい、娘夫婦や息子夫婦と一緒に住んでいる老人は少ない、所帯が別々となり孤立化しているのだ。老人に敬意ない社会とか軽く言っているがこれは非常に深刻な問題なのである。老人の居場所がないのである。その居場所は家族であり家族から分離される老人がふえている。家族の中でおじいちゃん、おばあちゃんとして居場所があるならいい、それがなくなるとそれは大きな問題に発展する。そういう孤立化した老人がふえることは実際は恐ろしいことである。このことを恐怖をもって自覚させられたのが自分そのものだった。その個人の資質もあるから全部にあてはまらないが老人の居場所がない、老人として価値を認められないというのは老人にとって大きな問題である。

昔だったら江戸時代とかになると老人は少ないし老人の価値は認められていた。居場所も家族の中にあった。それは代々職業が農民でも職人でも受け継がれてきたから老人の知恵が必要とされたから老人の価値は認められていたのである。ところが代々家の職業をつがない時代となると老人の知恵は無用となる、かえって時代が急速に変化して追いつけない、老人の技術や知恵も用なしとなる。その具体的例として病院で知り合った農家の老人だった。それなりの土地を所有して古い家に一人で住んでいる。街でも車ならそう遠くない、でも職場が街にあるから息子夫婦は街に移り住んでしまった。ここは街と言っても4,5万の都市であり小さな都市である。でもそういう小規模な都市でもその郊外の農家は跡継ぎがいないとかで老人が古い家に一人取り残されて遂には廃屋になってしまうのがふえているのだ。その老人の話を同じ病室で聞いていたとき面白かった。農民は実際に具体的に自然を知っている。竹が土手に植えているのは竹に根をはらせて堤防を強化するためだとかいろいろ自然のことを実地の経験から知っている。そういう知恵が活かされるのはやはり跡継ぎがいてこそなのである。その跡継ぎがいなくなれば活かしようがない、自分にとっては郷土史研究もしているから本当に興味深いものだった。こうした農家に住んでいる人も孤立化した老人なのだ。自分の経験したものが伝えられないことはその経験も活かされない、老人は価値のないものだとされてしまう。会社で長年勤めた人も一旦会社を退職するとその経験も活かされることがない、そして社会では老人は無用なものだ、早くくたばれなどとしか言われない、税金ばかりくう若い者にとっては無用なものだから特に団塊はくたばれと毎日罵倒している若者がいる。そういうのもわかるけど社会にとって居場所のない老人、価値の認められない老人の問題は実際は恐怖となる。バチンコ屋が今や白髪の老人ばかりだとか病院が老人の社交場になっているとか異様な風景が生まれたのもそのためである。高尚な老人は少ない、社会が低級なるものを根底にするとき当然高齢化も低級なものに支配されてゆくのだ。

●金だけが価値となる老人


現代の老人の特徴は物質的豊かさの中で高度成長の中で育ったから極めて即物的であり精神的価値、宗教心などをもっていない、老人になると淡白になるとかあきらめの境地になるとかそういう人はほんの一部なのだろう。むしろ最後の欲望をかきたててがむしゃらにその欲望を達成しようとする。愛欲もあるし金銭欲もある。老人になって様々な欲望がむしろむきだしになる。そして我慢できないというとき先がないというあせりがある。こつこつ働くの馬鹿らしいとかにもなる。今大金が欲しい犯罪をしてもほしいとかこの世の欲望を果たすため短絡になる。じっくり耐えてゆくということかない、その原因は孤立化し家族での居場所もない、個となった時、そういう欲望がむきだしになるのだ。それは野獣のようにさえなる。そこで恐ろしい犯罪も田舎のようなところでも他人の眼さえ気にしなくなる、歯止めがないのが現代なのである。家族の中でおじいちゃん、おばあちゃんとして価値を認められていれば精神的に安定しているが分離して孤立化すると精神が不安定になるのだ。特に夫婦などいればいいが単身の個の孤立化した老人は実際は相当に危険な存在になっているのだ。そういう独居老人がふえているのだ。ゴミ屋敷老人もそうである。必然的に社会に迷惑をかける老人がふえてくるしそれが少数だと思って害がないと簡単に考えるがそれは社会を破壊するほどの恐ろしをもっていることに気づいていないのだ。つまりモラルが破壊することはこういうことだったのである。

モラル(道徳)というときこれまでは嫁-姑の問題はあった。でも一般的に姑の地位が高く嫁は姑に従うというのが筋でありそれが社会道徳であったから嫁はしかたなく我慢していた。そのモラルも全く破壊されて姑は家から出され孤立化してゆくときどうなるのか?まだ60代では若いし欲望のある人はその欲望が自制されずむきだしになり社会にでてくる。それが暴走老人となる。

老人は金をもっている、老人は金を使わない、若者には金がない、老人は無駄に金をためこんでいる。そういうことは本当である。なぜなら老人の価値は金にしかないからだ。金をとったら老人の価値がなにもないとしたら当然金をためるしかない、例えば息子、娘夫婦に対して家を建てる資金を出す金があれば老人の価値がでてくる。金のない老人は息子、娘夫婦に対して価値のないものとされる。老人の価値は若者に伝えるべき技や知恵がないとするとき金しか価値がない、金のない老人の何の価値もないとなる。その時老人の不満は社会に向かって牙を向き爆発させる。それが恐るべき犯罪となってゆくのだ。社会を破壊する犯罪となってゆくのだ。
犯罪は個々人の資質があるにしろ社会的問題として常に犯罪は生まれてくるのである。


高齢化問題は介護とかだけではない、居場所なくなった、価値を認められない老人は社会に向かって反逆するという恐怖がありそれは社会を根底から破壊する。旧来のモラルが破壊されるということはこのように恐ろしいことなのだ。無用な税金ばかり浪費する老人は早く死んだ方がいいとか若者が言うとき老人は馬鹿野郎、俺たち簡単にまだ死なないぞ、犯罪をしてやりたいことをやるこの社会も破壊する、若者に喧嘩を売って若者を苦しめて死んでやる、俺たちは先がないからもう死ぬだけだから刑罰もなにも怖くないんだよ、死刑になってもいづれまもなく死ぬんだから同じことじゃないかとかはもなるのだ。この心境は老人にならないとわからない、この先人生は長い、がまんしても耐えていればいつかいいことがある、努力が報いられる。そんな流暢なことは言っていられない、今欲望をはたさなければまもなく死ぬんだぜ、今大金が欲しいんだ、そして欲望を果たすんだとなり淡白な諦観の来世を目指す宗教心のある世界とはまるで違う、それだけ即物的に金に価値を置いた社会だからこそそうなったのである。それが恐るべきもだということを実感している人はまだ少ない、社会が根底からモラルの面から破壊されるのである。そして国そのものも滅びる。中国に責められて国は滅びない、内部からモラルが崩壊して滅びてゆくのだ。

困った老人と上手につきあう方法
http://www.honzuki.jp/book/book/no10474/index.html

狂暴化する老人
http://promotion.yahoo.co.jp/charger/200909/contents03/vol35.php

タグ:暴走老人

2010年11月19日

憎しみあっても家族は家族だった


憎しみあっても家族は家族だった

●家族は長い時間で作られる


テレビのドラマで父親にただ反発する息子がいた。憎しみあう親子も常にいる。憎しみ合う家族もいる。でも憎しみ合う親子でも家族でも家族は家族なのである。他人とは違う、憎しみあうなかで結ばれているということもある。愛することの反面は憎みあうことだけど憎みあっていた家族が全く愛がなかったかというとそうではない、家族の他人との大きな違いはともかく長く一緒に暮らしたという歴史があることである。他人にはない、他から突然ヘルパ-でもお手伝いさんでも入ってきても一緒に過ごしたという共有された時間がない、例え憎しみあってもともに過ごす時間が長ければ愛し合っていたということもあるのだ。それは本人にしかわからないことである。突然他から家族に入ってくる人にはそうした歴史がない、生活を共有した時間がない、だから金だけが欲しいとなりそこに家族にはなりえない、ただお手伝いさんでも長くその家とかかわっているとやはり生活を共有した時間があるから別なものとなる。家族のような愛情が生まれるかもしれない、家族は別に血のつながりだけで構成されるものではない、実の子でもその子を育ててないなら何ら関係をもてないのである。実の子でなくてももらい子でも長い間家族として暮らしていればやはり家族なのであり憎しみあうことがあっても愛し合う家族となっているのだ。

人間はつくづく最後にならないと事の真意がわからないことがある。あんなに憎しみ合った人が憎む当人が死んだとき悲しいとかともなるのだ。実際に60年とか一緒にいれば例え憎しみあっても実は愛し合っていたのだなと死んでから思うこともある。でも一年くらい他人とかかわってもそういうことがないのだ。60年も一緒にいれば互いに例え憎しみあっても実は愛していたとかなる。そこが家族と他人の違いだったのである。他人が家に入ってきてもなかなかその家のことはわからないしただ金が欲しいという動機だけになり介護でも簡単な手伝いでも愛情がそもそももてないから家族の一員とはなれないから結局問題が起きる。外から来た人にとっては金だけが目的であり一見親切にしても目的は金だったとなる。もちろんその報酬は当然あるべきだがそれ以上の法外な報酬を望むとき犯罪にまでなる。


●家族がいない老後の悲惨


とにかく人間は簡単に家族というのは作れないというのを実感した。もう自分には家族はないのだ、作れないのだ。家族がないということは独り身は気楽だというがやはり老後とか晩年になると悲惨なことになる。金でしか頼る人がないということはどれだけ悲惨なことか実際に体験してわかったからだ。病院に入院しても誰も助ける人はいない、頼む人もいない、金で頼んだ人は信頼できない人だったからさらに悲惨の結果となった。家族がいないということはこういうことなのかと身をもって知ったのである。そして家族のような関係はもう簡単には作れない、それには長い時間がかかるからだ。あとは金の関係でしかなくなる。もちろん家族でも家族でなくなっているような人もいる。でも一般的に家族のような関係を作ることは簡単にはできない、老後にもそうした関係を作ることは不可能であることを知った。なぜなら老後から長い時間をかけてそうした深い関係を作ることは無理である。おそらく中高年で再婚してもうまくいかない人が多いのではないか?若いときから一緒に子育てして生活をともにして関係を作ってゆくのとは違う、すでにそうした時間をもてないことが致命的なのである。とても仲のいい老夫婦のようにはなりえない、なぜなら老夫婦には長い時間を共にしたということがあるからだ。そういう時間を60過ぎたらまず作れないのである。


●人生を死の時点から考える


まあ、達観すれば人間が憎み合い愛し合うというのも本当に死んでみればほんの一時のことである。なぜそんなに憎み合ったのか、死ぬとき悟る。人生はほんの一時期のことであり憎みあうのも実はその人と深い関係があり縁があるからこそ憎んだとなる。もちろんその憎しみもいろいろ事情があるから一がいには言えない、家族内の憎しみあいは愛の裏返しだったということがおうおうにしてあるということである。それは人生の最終章にならないとわからない、人間はどんな人であれどんなに憎しみどんなに愛し合ってもいづれは死別して遂に永遠に会えなくなる。最後はみんなどんな人も別れてしまうのである。ずいぶん憎しみあったけど死んで何年かたちその憎んだ人がなつかしいとかなったりする。人間は遂に永遠に別れ会えなくなるということがリアルにイメ-ジできないのだ。憎む相手がいなくなって生きがいなくなったなどという人もいるかもしれない、人間は死ぬということ永遠に会えなくなるということから考えるとすべての人が愛しいものとなるかもしれない、死んでしまうとその人のことがなつかしくなる、人生の最後から考えると人間の喜怒哀楽も一時的なことであり結局最後は死であり永遠の別れだけになるのだ。いづれにしろ人間は生きている間は達観できない、60過ぎてもこの欲が消えない、さらに増大している人が多い。女性の欲も尽きないのだ。その欲ゆえに煩悩故に争いも絶えないのである。60過ぎても今は枯れているとはならない、男女が交わればどうしてもそこに不協和音がでてくる。若いときのようではないにしろやはり男女が複数で共同して暮らせば問題が起きるのだ。60代でも今は個人差も大きいが元気な人が一杯いる。そうした人たちは枯れていない、だから男女のもつれやいろいろな問題が起きてくるのだ。



--愛情、信頼は金で得られない---

そもそもおそらく愛情とか信頼は金で得られないものである。お前に一億円やるからオレを愛して信頼してくれとか言ってもそうならないのでは?すべて金の世の中でも愛情と信頼は別物ではないか?そこに介護とかその他愛情を要する時に問題が起きる。愛情とか信頼は長い生活の中ではぐくまれるものであり簡単に金では買えない性質のものであった。その辺がやはり自分でも錯覚していた。こちらが愛情、信頼で接して求めていても相手は金だけが目的だった。
相手にとって必要なのは金であり愛情とか信頼ではない、こちらが相手にそれを求めても相手はそもそもそんなものを求めていない、愛情と信頼は長い時間の中ではぐくまれるのであり簡単に作れないのだ。だから一億円やるからと即席的に金では得られない性質のものだったのである。

タグ:家族

2010年12月16日

ギブミ-チョコレ-ト(70才)の世代から日本人は劣悪化した



ギブミ-チョコレ-ト(70才)の世代から日本人は劣悪化した

1936(昭和11)年〜1937(昭和12)年生まれ・・・この年回りの人間は小学校前半まで
「一億総火の玉」「米英撃滅」といった極端な戦時体制下で育った世代。
特に九州は、沖縄の次に米軍が上陸すると当時みられていたため、幼稚園児の年齢でも
小型爆弾に見立てた石を背負ったり抱えたりして敵陣に突っ込む訓練を受けている。
ところが、「僕もお国のために米兵と刺し違えて死ぬ」と決意を固めた途端、日本は敗戦。
学校では180度転換した教育が始まり、「戦争は悪いこと」「みんな平和に仲良く」と教師が言い始め 鬼畜と教わってきた米兵が普通の人間で、ガムやチョコレートをくれる姿に混乱し、
もう何を信じていいのか分からなくなった者を多く抱えている。
団塊の世代と並ぶクズ世代で、凶悪犯罪に走ったり、年金をパチンコに費やして生活に困り
スーパーで万引きをしたりする老人を排出している日本の癌といえる。
(彼らと異なり大正後半生まれや昭和一桁生まれは比較的冷静に敗戦を受け止め、戦後の復興に尽力した)



●ギブミ-チョコレ-トから戦後がはじまった


世代の差が人間に現れる。団塊の世代は戦争に負けて生まれた。でも米兵に占領されて一時期支配されたことを知らない、「ギブミ-チョコレ-ト」だったのはその前の世代である。小学生のころ、進駐軍がやってきてチョコレ-トをくれたからそうなった。この時モノがない飢餓状態だったからこそギブミ-チョコレ-トでありここから日本人はアメリカの豊かさに憧れ物欲、金万能の世界へと変質してゆく。飢餓状態に育つのだからモノに対する欲望は強くなる。そもそも日本人は大正生まれが90才とかなっているけどみんな極端な貧乏だった。女工哀史とかの世代でありその後も貧乏はつづいていた。でも80代以上の世代は貧乏なんだけど義理人情に厚いとか貧乏でも悪いことはしないとか盗まないとか何か日本人が継続したモラル、道徳を守っていた。また他人を思いやるという心もあったし正直な人が多かった。本当に極端に貧乏でも最低限の社会の道徳は守られていた。ところがアメリカに負けたとき、日本人は変質してしまった。
子供のとき、戦争一色からアメリカ一辺倒になった変化が極端だっため日本人としてのモラル、道徳を全く否定された世代だからこうなったのかもしれない、アメリカに習い物欲一辺倒になってしまったのである。そのはじまりがギブミ-チョコレ-トだったのである。この年代の人は70才くらいの人である。でもさらにここから75才とか上の人になると人間がまた違っている。素朴な日本人の道徳をもった人々がまだ生きていた。世代間によって5年違っていても類型化されたものがある。おそらく70才辺りの人が人間の質が落ちているのは確かなのだろう。それ以下の団塊の世代も完全にアメリカ一辺倒の価値観を身につけるようになったのである。


http://showa.mainichi.jp/news/1945/09/post-da0a.html
(写真あり)


●戦争に負けて日本人のモラルは消失した


次に団塊の世代が生まれた。この世代も日本人としての道徳は何も教えられていない世代である。物欲一辺倒のただ経済的な豊かさを追求した世代である。自由とは自己の利を追求するだけであり公共的なモラルの追求はなかった。だから受験戦争が団塊の世代からはじまり他者を蹴落としてまでも利を求めていい暮らしをしたいために競争した。この世代に義理人情は死語になった。アメリカ的な価値観が完全に日本を支配したのである。戦争に負けたということその影響はあまりにも大きかった。戦争が負けたことにより日本的道徳、価値観が全く否定されたことでもあったのだ。戦争の善し悪しとかは別にして日本的価値観が否定されたことの影響が甚大だったのである。人間そのものを変えてしまった。もはや江戸時代からつづいた日本人はいなくなった。明治時代なら武士のモラルが以前として活きていた。「武士道」のモラルが継続されていたのである。それは実業であれ政治であれ教育であれ宗教であれ活かされていたのである。もちろん常に人間社会には腐敗があり堕落がある。でも日本人としての道徳、モラル、倫理はその底にあった。だからやはり全般的にみると人間の類型として違っていたのである。

モラルとか道徳とかいうとき何か特別な高等なものだと思っているけど庶民でも貧乏でも正直に生きる、他者を思いやるとか悪いことはしないとかのことでありそういう基本的なモラルをもっていることである。それが全く崩れてしまったとき社会はどうなるのか?互いに信用もできない、協力しない、個々に利を求めただ自分の欲望だけをもとめ他者を蹴落としてまで自分だけはいい目を見ようとする弱肉強食の世界になる。人は人にとって狼だとなってしまう。そして犯罪がふえてくる。90才くらいの老人が言っていたけどとにかく何でも盗まれて困る。みんなささいなものまでもっていかれる。実際田舎でも今ほど盗難が多い時代はない、もちろん過去にも犯罪はあった。でも本当に人間の類型として正直な人情に厚いという人はいなくなった。みんな利を求め金を求め血走っている。これだけ豊になっても逆に物欲はグロ-バル市場化して拡大化しているから充たされることはないのだ。他者をみるときこの人は自分にどんな利益をもたらすのか?それしか眼中にない人が多い。そういう目でみていると保険金殺人にすすむのも自然なのである。この人とつきあうメリットはどこにあるのか、どれくらいの利をうむのか、何も生まない、では何の関係もない、保険でもかけて金をまきあげるしか価値がないとまで極端化するとそうなる。そういう人とばかりあっていると嫌になるだろう。嫌というだけでなく恐ろしくもなる。でも今やそういう人としかあわないのではないか?殺伐としているとはそのことではないか?豊になっても人間の心は貧しくなってはいないか?


●人間のモラルは貧富と関係ない?


一方で今からすると極貧の社会でもそんなに人間が利を求めて血走っていたのだろうか?
そんなことを言うとこの世の中はそんなもんじゃない、食うか食われるか、生きるか死ぬかだよ、現実の厳しさを知らないからそんな浮世離れしたことを言っているのだと怒る人もでてくるだろう。でも明らかに今より貧しい時代に日本人の道徳が生きていて正直な義理人情に厚い人は類型としていたのである。それが80才以上の人になおみられる。その人たちは今のようないい暮らしをみんなしていない、働く一方であり遊ぶこともしらない、そのことに不満はあってもそういうものであり日本人としての道徳は保持していたのである。日本人は道徳的には進歩していない、退化してしまったのである。それは人間が劣悪になったということである。確かに物質的豊かさは享受しているが人間そのものは道徳的面からみると劣化してしまったのである。人間そのものが変質してしまったのである。不思議なのは貧乏だからモラルの面からみれば悪いとはならない、むしろ豊になってもモラルは低下するということである。ただでは80才以上の人の価値観がすべていいとはいえない、全く消費を認めないということはいかなる良きものにも金は払わないということでもある。そのためこんだ金はどうするのか、ただ自分の身の安全、病気になったとき介護のためにだけしか使う価値を認めないとなるからだ。そういう金の使い方は若者に反発されるのは当然だろう。

それにしても人間は基本的な道徳が失われたら社会そのものがもはや維持できない、互いに信用できない、疑心暗鬼になっていたら心休まるときがなくなってしまうのである。それが実際に監視カメラとかコンビニでの店長の仕事が万引きを防止するために監視カメラを見ていることだとなっているのだ。実際に客が来てもいつとられるのか、心休まるときがないのだ。こういうことは売る方でも楽ではないとなる。それは社会全般にそうなっていて人を信用できなくなってしまったのである。だから人間の友は今やペットだということも当然だなる。人間は信用できない、欲が深く親子でも子は親に財産だけを求める。だから遂にはペットに財産を残すとまでなるのも奇妙ではない、まさに現代の状態がその極端化した中に現れている現象なのである。

ロ-マ帝国が繁栄して頽廃したのも豊かな富を得た結果、道徳的には堕落した。その結果として野蛮人だったゲルマン人に蹂躙され支配された。日本もそういうふうに頽廃して滅びてゆくのかもしれない、その軸となるモラルが消失したら骨がないような人間、社会になってしまうだろう。アメリカのように富にすべての価値を置けば必然的にそうなってしまうことは予測されていたのである。

引用した文はどこからかの本などからの引用なのか?2ちゃんではそういうのがある。
前も読んだことがあるような気がするからだ

2010年12月23日

福祉関係の仕事は移動型社会より定住型社会に向いている


福祉関係の仕事は移動型社会より定住型社会に向いている

移動と定住を考えると江戸時代は定住型であり安定していた。人々の信頼度も高い。そこではすべてが金ではない、金の力がすべてではない社会である。


みんな貧乏だった時代の話は、逆に豊かな時代を表している
http://tsunoken.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-26f5.html


今日のように金が万能となった時代には金だけがすべてではない社会を想像しにくい、金を通じなくても協力する何かがあった。金で雇わなくても無償の労働があった。あなたに助けてもらったから助けてやるとか相互互助関係があった。特に農家では今のように機械力ではないから人力で仕事していたから田植えであれ互いに協力して農作業をすることがあったからそういう互助関係があった。結いとかの労働も金で雇う労働ではない、金抜きで協力し合う労働である。それは代々一カ所に定住して生活しているからこそそれが慣習となって行われる。人間が協力するというとき定住していないと本質的にできない、都会のように隣が何をする人ぞとかなるとなかなかできないだろう。絶えず人が変わるときも協力はしにくいだろう。信頼関係も築きにくいのである。江戸時代あたりだと何代も家がつづき継続している。そういう関係の中で協力や信頼関係が築かれてきた。農家は三代つづかなければ認められないというのは本当だろう。
農業や林業はそうした息の長い仕事の性質があったからである。


現代は移動する遊牧民的志向になっていると書いたが移動が激しく流通が激しい文明である。だから小さな町の経済活動は極端に縮小化する。車で外へ外へと大きなス-パ-に出てしまうからである。一カ所に留まる必要はない、生活の範囲が拡大化してゆく、村のような小さな閉ざされた世界で活きる必要はない。それはそれで自由であり活動範囲が広がりいいということもある。いちがいにそうした移動する社会を批判はできない、でもこれが福祉などの面から考えるとマイナスなものとして働く、狭い範囲であれ移動しないで協力して暮らしていたなら福祉関係ならうまくいく、そもそも福祉には賃金労働だけではない、何か無償の動機が行為が必要とされているのだ。認知症になっても回りが理解があれば見ていてくれるから安心だとかある。でもそうしたことは日頃から何か協力関係ないならスム-ズにはできないのである。


そのことをつくづく感じたのは今は外から家で働いてもらうときである。ヘルパ-であれ手伝いであれ何か家の中で働いてもらうとき病人の世話であれ高齢者の世話であれこれは福祉的労働だから金だけではうまくいかない労働である。やはりずっと長く移動しないで住んでいてあのおばあちゃんは子供のころから知っているよとかなるといい、村が大家族のようになっているとやりやすいのである。手伝いさんなども家の中で働いてもらうには昔の金持ちのように長く働いているならいいが今は信用できない、田舎でも信用できない、デイサ-ビスでも何でも盗まれとか信用できない、信用関係がないのである。日本で働くというとき端を楽にすることからきているからこれは狭い範囲での労働を見ていて少しでも労働の苦労を楽にしたいと思うからそうなった。それは狭い世界でのことでありこれが賃金労働になるとその動機自体が全く違ってくる。とにかく金が欲しい、もっと金が欲しいしか動機に頭になくなった。働く動機は金しかないのだ。これは明らかに福祉関係では向いていない働き方なのである。


今はこうした江戸時代のような地域社会が崩壊した。田舎でもそうである。金万能な時代が極限まで拡大化して世界中を席巻した。金意外で何か協力し合うことが非常に困難になった。田舎でも今は金の力が大きいから人間の関係は金を通してしか作れない社会になった。老人の施設で働く人も動機は金しかない、老人をあわれみ愛をもって接しなさいといってもそれは普通はなかなかできない、普通にそうした協力関係ないからできないのである。福祉関係ではどうしても動機が大事になる。その時みんなに宗教的高い動機を要求するのは無理である。結果的にはここもやはり金だとなる。つまり福祉関係は江戸時代のような金だけではない日頃から協力関係があるときうまくいく仕事なのである。現実に端を楽にするとして大家族で人手があまった人が病人の介護のようなこともしていたのかもしれない、そういうことがしやすい社会だからである。現代は移動社会でありそういう関係が築きにくい、農民的定住社会ではない、金さえあればあらゆる用はたせる、福祉も介護も病気になっても金だと思っている。


でも福祉関係はそもそも互いの協力とか人情がある社会だと機能しやすかったのである。金だけでやってもらうとすると問題が起きてくる。実際に他人の家に来て何か目ぼしいものがないかと盗むために探しながら働いている人には安心できない、でも現実は田舎でも本当にそういう人が多くなった。目的は金しかなくなったのである。日頃からそもそも協力関係がないのだから金しか働く目的はなくなったのである。だから全く油断できない信頼できない、安心できないとなってしまった。かえって金だけ働く人はもう信用できない、動機がそれしかないからだ。人間はモノをやるにしても単にモノを与えるのではないそこに心がこもっているときモノも生きてくる。でもモノを与えるときただ義理で返すだけだとか何か心がこもらなければモノも活きてこない、そういう心のこもらない贈答が多くなった。母親が手編みで子供の着るものを作っているときそれは粗末でも心がこもっているから温かいとなる。そういう労働自体がない、金で買えばいい、金があれば何でも買える、金がないから子供にも何も与えられないとかなっているのが現代なのである。すべてが金の原因にしているしなっているのだ。

金だけがすべてとなるときそこは殺伐とした社会である。江戸時代は貧乏でもそれを補うものがあった。過去を理想化するのは危険だけど人間は便利になり豊になってもモラルとか後退するしすべてが良くなるとはならなかった。江戸時代が見直されるとき現代が失ったものが逆にそこにあったからである。いづれにしろ人間は本人が困らなければこうしたことに気付かない、自分も別に他人と協力しなくてもここ何十年は困らないからそんなこと真剣に考えなかったのである。しかし一旦困ったとき深刻に考えるようになった。誰も助けがない、助けられようとしたらその人は金だけで雇う人だからひどい目にあった。

金だけでは人は協力しあない、協力しえないものだとつくづく思った。雇う人も雇われる人も金だけは協力しえないのだ。金意外の動機がないとき福祉関係は特にうまくいかないのである。

安心だとか信頼だとかは本当に金だけで得られるものだろうか?現代は得られると思っている。金があれば豪華な施設にも入れる。金のない人は入れないとかすべてが金で得られる。ある大金持ちが田舎に大邸宅を建てて住んでもでも都会ならいいが田舎だといろいろ寄付したり田舎のためにすることをしないと協力はされないだろう。また金だけばらまいても信頼と尊敬が生まれるとはかぎらない、信頼ある、安心な社会とは江戸時代のような相互互助社会であったかもしれない、あくまでもそれは想像にすぎないがそういう社会の方が安心はあった。何かあったら助けてもらえるとかなるからだ。金さえあれば何かあったらすべてまかなえるという社会が果たして安心なのだろうか?
それでアメリカでは女性を裸にして家で働かせるというまでになっているのだ。そんなふうにしてまで働かせるとなると働かせる方も心が休まらないのである。安心できないからそんな社会がいいとは思えないのだ。ただ現実的問題としてどうすればいいのかとなると具体的にはわからないというのが現状である。それほどに金の力が大きくなりすぎたからもはやそれ意外の社会自体考えられなくなっているからだ。


 

2010年12月30日

人生の最後に残るのは思い出だけだ


人生の最後に残るのは思い出だけだ


人生の最後に来るものは何なのか?「さみならだけが人生だ」というのも真実である。みんな結局は別れてしまう。死ねば永遠に別れてしまう。その中で最後に残るものは「思い出」なのである。そして一番思い出に残るのは互いに愛した思い出なのである。だからこそ愛する人が死んだときいつまでもその人のことが浮かんできて忘れられないものとなるのだ。

人生とは最後にならないと老人にならないとわからないものがかなりある。ええ、こんなことが大事な価値あることだったのかと老人になって気付く人が結構多いのである。自分もそうだし人間は本当に価値あるものが何かわかって生きていないのである。金がこの世で一番大事なものとして生きるのが普通だがでも金で買えないものに老人になると気付くのである。

例えば「時間」「愛」「信頼」・・・・何かそうしたものは金では買えない、愛とか信頼も実際は長い時間の中で育まれているのだ。最近介護とかで困りヘルパ-とか手伝いとか普通の家で働いてもそれは昔のように金持ちの家で長く働いている人と違うからまるで信用できない、一時アルバイトのように雇う人は本来信用できない、信頼は長い時間のなかで作られてくるし愛も一朝一夕に愛を得られるわけでもない、つまりこういうものは即席でいくら金を出しても買えるものではない、そこに老後の誤算があった。確かに金があれば設備のいい老人ホ-ムに入れる、でも介護の問題は人間のサ-ビスを受けることでありこの人間のサ-ビスに愛が必要なときそれが簡単にできない、全然知らない人に愛をもちうることはなかなかできないからだ。家族のように料理するにも愛が加わっているのといないのとは差が大きいのである。つまり家族の愛のようなものは金では本質的には買えないのである。その中で愛をもって働いていている人はいる。でもそれは極限られた少数の人である。あとは金をもらうから働いているだけである。そもそも介護とか福祉関係の労働は他のモノを作り売るとかの仕事と性質が違っている。直接人間に対面的にふれるということなのだ。モノを単に売るとかと違っているためである。

いづれにしろ老後の誤算をこうした愛が必要なものを金で買えると思ったことである。老後に必要なものは意外と金で買えるものではない、老人が望むものはもはやモノを買うことではない、

親切な一言とか愛とかである。そういうものは意外と金で買えない、金でも何でもやってもらえるとはならない、元気な内は金があればいいやと思っていたが現実に老人になって病気になったり体が弱ってくると違ってくるのだ。確かに以前として金の力は大きいが金で買えないものが老人になるとわかるのである。老人になれば友情とか愛とか信頼とか作ることがむずかしい、なぜならそれを育む時間がなくなってしまうからである。夫婦だって長い時間かけて夫婦になるのだろうし家族もそうである。そういう時間がないことが致命的だった。家族のような愛とか信頼あるものは老後から作るのはむずかしいのである。


今年も終わりだけど今年は自分にとって人生最大の災難の年だった、でもここ五年間は災難つづきだったし今もつづいている。自分も病気になったことが痛かった。結局一番恩恵を受けたものに一番の災いを受けたことになった。家ががたがたになり維持できなくなった。家の崩壊だったのである。これもまた自分の家の運命だったのだろう。それぞれの家には運命があるのかもしれない、お前の家は祟っているとかカルト宗教団体で言うけどそのカルト団体でも同じなのである。自分よりもっと不幸な人がいたり祟れたとしか言えないような人が集まっている。そして改善もされないのである。だから他者の不幸を言うよりは身内の不幸をなんとかするようにすればいいのであり他者のことをとやかく言う資格もないのである。


老いては思い出が宝 
http://musubu.sblo.jp/article/42310202.html

老いては思い出が宝(詩)


老いては思い出が宝

人は老い人は別れ人は逝き

あとに残るは思い出のみ

深く心に残る思い出は何や

互いに愛しあいしこと

損得ぬきで愛しあいしこと

心より愛しあわざるものは

心に残ることもなし

人生ははかなく過ぎさりやすし

最後に残るは思い出のみ

それは黄金のように宝石のように

貴重なる思い出のみ

その思い出に人は涙を流す

もはや会えざる人のために涙を流す

思い出は金では買えない

思い出は長い時間のなかで作られるから

モノは買えても時間は買えない

人生の中でいかなる思い出を作るか

それがまた人生の意義にあれ

人はやがてみな墓に納まる

残りしものは思い出のみ

何が思い出に残るのか

人生の中で精錬されて純金のように

浄化され残される思い出が各自にある

それは苦しみのなかにも

悲しみの中にも作られる

ただ愛せざるものに思い出は残らない

それは一時のものとして消える

しかし愛しあうものの思い出は消えることがない

その愛は打算や金銭を通じたものではない

純粋な愛としてありしもの

人間の最後に残るのは思い出のみ

ヒュ-ヒュ-と冷たい北風が吹き

その中でも愛の思い出は心をあたたかくする

あなたはいかなる思い出を作るのか

美しく心温まる思い出が残せるのか

老いの幸せはいい思い出をもつこと

それがなきものは荒寥たるものになろう

人を苦しめ人を悲しませしものなど

そこには苦い思い出しか残らないだろう

罪の思い出は最も苦いものとなろう

人はそれぞれの思い出をもって死んでゆく

死んでもその思い出は残り

死者も生きた日々を思い出しているかもしれない

そして深い後悔の念が起きる

なぜもっと愛して良くしてやらなかったのだろう

しかしもう墓の中に納まり何も成すことはできない

人生の最後は思い出のみ残る

人よ、美しい愛ある思い出の残るように生きよ

その思い出は人生の最後の慰めとなる

愛する人はいつまでもあなたの側にいて

思い出と共に生き続ける

 
 

2010年12月31日

醜い老婆に情をもてないのなぜ? (一人の老人を知ることは歴史を知ることに通じている)


醜い老婆に情をもてないのなぜ?
(一人の老人を知ることは歴史を知ることに通じている)

人知らぬ母の悲しさ我知りぬ病院に通い年も暮れにき


母はは確かにボケている。金のことを何度言ってもわからない、だまされたこともわからない、老人を見るとき今の無惨な姿だけを見てはわからない、そこには長い人生があった。その長い人生を知ったとき同情が生まれる。それぞれ歩んだ人生は違っているし外からはわからない苦労を背負って生きてきた。そうした苦労が顔に刻まれている。しかしよくよくその話を聞かないとわからない、一人の人間のその人生を理解することはむずかしい。人はなぜ老人に辛く情がなくなったのか?ただ金目当てでありその子すらそうである。老人側にも問題がある。それほどに長生きしてボケてめんどうをかけることにうんざりするからだ。自分はすでにそうして二人もめんどうみている。老人に同情が生まれるのはやはりその人とともに人生を歩み知る人しかいない、その人がどういう苦労をしたのか家族でどう生きて来たのかはわかりにくい、ちょっと話し聞いたくらいではわからない、そこでこの醜い老婆を見も知らぬものがなぜ世話しなければならぬかとなるのだ。金さえもらいばいい、できればたんまりためこんでいるならその金をだましてとってやろうとなる。そういうふうにしか老人を見れないのである。もちろん寝たきりとかなるとその世話は大変だからそんなに老人のめんどうをみなければならないのかと怒りにもなる。


ここで自分が言っているのはそういう重い負担をかける老人ではない、老人をどうみるかどう接するかということである。別に健康な老人でも嫌って死んだ方がいいとか言う人は特に若い人には多いからだ。それがなぜなのか、それはその一人の老人を今の時点の醜い姿しか見ないからである。そうした老人もそれぞれ長い人生を歩んできたのである。そしてそれぞれの老人には必ずそれぞれの事情がある。家族でどういう人生を送ったか違っている。家族なら長い目でみる。60年間一緒だったから子供なら生まれた時からそしてその親の育った時から見ることになるのだ。そういうふうに長い時間で見ることが物事を見るには必要なのである。歴史とは長い時間でも物事を見ることなのである。90才とか百才とかなると一世紀を生きたのだからそういう人は本当に生きた歴史を語ることになるのだ。今の時点からだけ物事を見ていると浅薄になる。郷土史研究などもやはり長い目で見る目を養うことなのである。人間は生きることはやはり歴史を生きることであり継続することを生きることである。日本人なら日本人の歴史を生きるのだから歴史を知らなくては日本人として失格だとなる。それは一人の自分の祖父母であれ親であれ知ることと共通しているのだ。だから郷土史は祖父母や親の話を聞くことからはじまると何度も書いてきたのである。


だからやはり郷土史でも何代も家が継続しているところは価値があるとなる。松江の石谷家は石工の職人だったけどそれが江戸時代からつづいていた。職人でもそれだけ家がつづいているとその家に価値がでてくる。農家は三代つづかないと農家ではないというときやはり自然に土地に根ざしているものは長い時間をかけて作られるからそうなる。木が育つのに50年とかかかるから今のような余りにもめまぐるしい社会とは違う。50年たたなければもうけがでないとなると相当に気を長くしないとできない仕事だからである。そういう社会は急速に変化しないから落ち着いて安定していた。相互の信頼も作られた。明治以降は余りにも変化が激しすぎたのである。日本人は結局その激しい変化に翻弄されて自らを失った。それは世界の影響が余りにも大きすぎたこともある。江戸時代の鎖国から世界へ開いた結果でもあった。さらに戦後は経済のグロ-バル化でますます激しい変化にさらされて自らを見失ったのである。次の時代は逆に平安時代や江戸時代などの国風文化に向かう。日本人の伝統に還る志向になる。いづれにしろ歴史は実際は忘れられている。この世には無数の歴史がある。別に偉人だけが歴史ではない、無名の人の歴史がありそれが無数に埋もれているのである。それは老人の一人一人の人生を知らないと同じなのである。

 

2011年11月11日

医者の傲慢の危険 (人間の傲慢に神の恐ろしい罰が与えられる)


医者の傲慢の危険

人間の傲慢に神の恐ろしい罰が与えられる

> つまり金持ちが優遇、優先されるということか
> 外国での臓器移植も割り込むために大金がいるみたいだしな


日本だって、謝礼さえ出さないような無礼な患者は
練習のための稽古台に過ぎん。モルモット扱いが当たり前。

コネがないなら、金を出せ。



こういう医者が現実にいることが怖い。自分もモルモットにされた。研修医に治療してもらってそれがミスしたことはまちがいない。管の交換だったけど小便でなくて三回も死に目にあった。タクシ-で行ったり一回は真夜中で救急車を呼んだ。小便でないと人間死ぬことある。研修医の明かにミスだった。一回は開業医が偶然まだやっていたので管を交換してもらい助かった。原町ではその時週に何回かしかやっていないかった。もしそこでやってもらわないと大変なことになった。その頃この辺は原発事故で医療崩壊していたからだ。福島市の方まで搬送された人もいた。明かな研修医のミスだったけど文句も言えないのが病院だった。病院には医者には本当に文句も言えない、あとあと怖いということがある。この辺はそもそも医者を選ぶことができない、病院はもう限られている。そしたら何か文句言って断られたら死んでしまう。現実救急医療を断られたのだからそうなる。研修医でもそういうとき患者にわびてもいいような気がする。そういうことをしないと医者の卵の時代から人間に対して傲慢になる。患者は単なるモルモットにすぎないとなってしまう怖さがある。この人は確かにそういう医者だった。そういうふうに育てられた医者は患者にとって怖い。もちろん医者にもミスはある。そのミスをとりたてて患者が追求するとは限らない、問題はこうした傲慢な態度で患者に治療する医者がいたら患者もなんなんだ、この医者はと思う。それは技術以前の問題だろう。医者には人格的におかしな人間がいるというとき謙虚さがたりない、傲慢な人が多いということである。


医者だけではない、人間はその職業によって傲慢になってしまうものがある。地位でもそうである。医者などはそうなりやすい職業である。お医者様でありいつも礼を言われている。それは命に直結しているからそうなる。だから手術でも良くしてもらいたいから謝礼に金を払うということもある。この世の中弱い人間は自分をふくめつくづくお礼ばかりしていなければならいなことがわかった。
ちょっとした手違いだ致命的な傷を受けることもあるし死ぬことだってある。そういう職業だとするとき研修医の失敗でもそれが死につながることだってあるんだよと指導すべきなのである。ともかく病院の問題でもあるから研修医には謝らせない、それが医者は多少ミスしてもいいという安易な考えになってしまうかもしれない、必ず病院がミスしても守ってくれるという考えになる。人間は医者でも科学者でも官僚でも会社の社長でも上に立つ地位があると権力をもつと傲慢になる。医者は病院は大きな権力をもっているのだ。患者は弱い立場である。すると医者に謙虚さがなくなってしまうのである。科学者もまた傲慢になる。原発事故でわかったように謙虚さがない、東電では莫大な金で官僚だろうがマスコミだろうがおさえることができる、思いのままにできると思い上がったことが大きなミスした原因でもあった。人間はまたかえって優秀な人が謙虚さをなくしてしまう。有能なできる人間はどうしても有能でない人間を馬鹿にする傾向がある。才能に奢り美貌に奢りとか男女でもいろいろ奢りがあり謙虚さを失う時、そこに危険が生じる。

神は人間の傲慢さを許さない、人間の奢りを神は厳しく罰してきた。人間は英雄的な有能な人間を神の使いとして選ばなかったのは人間は傲慢になるからだ。何も自分はもっていない、有能さもないという人を選んだのである。

何も誇ることがないという人を選んだのである。つくづく人間は何に誇っても無力をしらされる。あれだけ健康で優秀だった人間が認知症になりすべてが崩壊したことに驚いた。そのことをまじかに見たので書いてきた。人間がいかに体が強いとか言ってもそれも必ず最期は崩れてしまう。必ず病気になってしまう。いかに頭がいいと言っても認知症になったりしてこれも全く頭脳が崩壊して痴呆になるというほど驚いたことがない、レ-ガン大統領でもサッチャ-首相でも認知症になったからでてある。人間はそれだけ優れた人でも最期は弱い人になってしまう。だから聖書では自分でやったということを言わせない、神が成したものとして神をたたえていた。自分がやったとか言うときそれは非常に怖いことになるか。激しい神の怒りをかったのである。原発事故も人間の科学者などはじめあらゆる上に立つ人の奢りの結果として事故が起きたともいえる。ともかく医者とか上に立ち権力をもつと人は奢り高ぶる。その奢り高ぶることが必ず神の怒りをかうのである。


ただ奢(おご)るにも奢れない人はいる。そういう人はそもそも謙虚になるというよりおごりうるものがないのである。自分なんかも全く体力もないし才能もないからそうであった。だから天才はキリスト信者になれないというとき天才は余りに天分にめぐまれすぎているのだ。だからニ-チェのように自分が神だとなってゆく。キリストに従うことができない、そういう人が天才でなくても一番医者はなりやすい、医者には謙虚な人が少ないというのはそのためだろう。そういうふうに回りからされていることもある。医者が全能の神のように何でも直せるならいい、実際は直せない、そういう点やはり謙虚になるべきなのである。原発事故の原因も奢りがあった。謙虚さを失っていった。学者が千年前の津波のことを忠告したときも東電では聞かなかった。いろいろな面で忠告しても聞かなかった。事故など起こらないと思っていたし危険を隠していたのである。また隠す権力ももっていたのである。そういうことは医療の分野でも常に起きている。ミスは人間につきものであるのは人間が万能ではないからである。そういうことで謙虚にならなければなちないのだが人間は必ず傲慢になるのだ。そして大きなミスを犯す。それが原発事故でもあったのだ。人間の奢りに対して神は恐ろしい罰を与える放射能などの問題もそうである。ミスしたら住めなくなったり遺伝子が破壊されたりと本当に放射能の恐ろしさを知った。それは核を破壊したりするなんても科学で操作することへの人間に対する恐ろしい罰だったのである。


 

2012年09月03日

天使にも悪魔にもなる看護婦(師)のことなど (人間は最後までプライドをもつ)




天使にも悪魔にもなる看護婦(師)のことなど
(人間は最後までプライドをもつ)


脈をとる看護婦の手の

あたたかき日あり
つめたく堅き日もあり。啄木


病院とか病気は非日常的なものを作り出す。特殊な感受性を作り出す。啄木は天才的な感受性をもっていたから病気になりあれだけの短歌を最後に残した。正岡子規の俳句も病気から生まれたのである。また死を常に意識していたから平凡なものでも違って見えた。今は看護師だけどこんなふうになかなかここまでは感じない。自分は病気が病気だけにオムツとか必要とした。そのとき看護婦にひどくしかられた。手術の後に汚してしまったからだ。頭がまだ朦朧としているときだった。そのときなぜそれほどそのことが気になったのか、頭に来たのか、それは相手が孫のような女性だからであった。プライドがひどく傷つけられたのである。そもそもオムツ自体がプライドを傷つけるものである。
一時的ならいいが長くなると悲惨なことになるのはそのためである。


つくづく人間はプライドに最後まで生きる。それは認知症でもそうだった。認知症の最大の特徴は最後までプライド失わない、馬鹿になってもプライドを失わないのである。馬鹿になっても馬鹿にされると怒りそれが暴力の原因にもなっているのだ。人間は馬鹿になってもプライドだけは失わない、プライドを傷つけられた時、命をかけて相手を殺すことも普通に起こる。韓国と中国があれほど日本を憎むのは民族のプライドが傷つけられたからである。それは消えることがないのである。犯罪も人間としてのプライドが傷つけられるから起こる。金がないということもあるがそれより人間としてのプライドが金がないということで傷つけられることが原因なのである。


今回もプライドを傷つけられたから看護婦に対して不快感をもった。看護師にはやさしさが必要というときこのやさしさもつことはいかにむずかしいものかわかっていない、看護師も最初は天使だけどあとで悪魔になるというのもそのためである。やさしくしようとしても現場で常時そうはいかなくなる。看護師でないにしても老人に嫌悪感をもっている若者も多数である。あとはただ機械的に仕事して月給もらえばいいとかなる人もいる。ただ看護師とか医者の問題は医療的技量もあるが人間的やさしさが必要だというとき今回のようにプライドを傷つけられるとコミニケーションができなくなることが深刻なのである。何か症状を訴えることもしにくくなる。その人が怖いとなるからだ。つまり病人は弱者である。その弱者をいたぶることはあまりにも容易なのである。認知症の看護とかそのほかこの五年間は弱者のみじめさを味わってきた。この世で弱者をいたわることはない。
弱肉強食の世界である。だから火事場泥棒なども経験した。


相手の弱みにつけこむことは日常的に起こっている。最近の日本でも経済が弱くなった日本は怖くないと回りから責められていることでもわかる。医者がなぜ一般的に傲慢になるのか、相手が弱者だからそうなる。病気になり弱ったときにしか接しないからそうなる。相手が弱者だから自分の命令に従わねばならないとなり上下関係ができてしまう、医者でも看護師でも不満があっても逆らえないとなる。そして病院は外にはでれない刑務所であり管理される。だから物体のように管理されて死ぬということがある。体はみるが人間のプライドは病院や看護師や医者は重んじないのである。だから重症になるとその人の意志すら伝えられなくなり尊厳死などは病院ではありえないのである。病院では体はみても人間の精神はみないのである。こういう問題は高齢化や死をどう迎えるかで起きている。家で死ぬというときそこが尊厳を与えられているからだろう。病院ではありえない、特に身寄りがない人などは病院では悲惨である。
誰もみてないからさらに弱者となりそのとき実験台にされたりと医者や看護師はそのとき悪魔に変身してしまうのである。

 
 


 

2012年09月06日

相馬総合病院退院しました

 
相馬総合病院を退院しました
ただ退院後は自転車にのれないと言われてびっくりした。二か月以上はかかる。どうしても前立腺がふれると手術したところだからさわり悪い。あぐらをかくことも悪いというから困ったものである。幸いス-パ-は歩いて行ける距離だから助かった。

つくづくこの辺は津浪から原発事故と問題が山積みでありそれがどこでも話題となる。
この辺は極めて政治的、経済的、自然環境問題かち最先端の科学の問題からあらゆる現代の問題が噴出した場になってしまった。だから宗教もそれに関係してくる。文学も哲学もこういう所から想像でない、現実の場として実感として新しい学問すら起こりうる場になっているのだ。

自分はこれまでそういうことを追求して書いてきた。それは今までのように想像して他人事ではない、現実に生活する場で起きているから真剣にもなる。いろいろな問題が切実なのである。


今回の二週間の入院でもそうだった。津浪の被害にあった人に四人もあった。原発の避難者もそうだった。そこで生の声を聞いたからさらに実感したのである。だからまた結構書くことが増えたのである。

看護師と患者の問題 (相馬総合病院は患者への気配りがある)


看護師と患者の問題

(相馬総合病院は患者への気配りがある)

●看護師も患者が嫌になる


看護師の言い分


私も、看護師としてではなく、一人の人間として心の底から嫌いになりました。
だいたいのことなら「まあ、患者だからしゃ〜ないか」と、腹を立てながらも、自分の給料の源である患者だからってことで気を落ち着かせています。

心底、死ねばいいのにと思ったときは、きっと他のスタッフならもっと大人な考えをするのかな、自分は看護師として失格だ、自分が精神的に未熟なんだ、と、思いました。仕事なんだし、こんな患者を相手して本気で腹を立ててる自分が幼稚だと。しかし、月日がたった今思い返してもむかっ腹が立ってきます。

本当は明日、目茶苦茶仕事行きたくないです。その嫌な患者と顔合わせたくないから。とりあえず避けることも可能なので明日は側に行かず、避けることを選択します。本当なら、患者様々だから私が「先日はすみませんでした」と謝罪したほうが丸くおさまるような気がするけど、なんかそうすることで相手は調子にのりそうだし。


患者に様なんて付けだしてから
勘違い患者が増えた気がする。
医療はサービス業じゃないと私は思う。


「採血が下手」「注射が痛い」などのクレームが寄せられるようになった。何度か注意して指導したが、当の看護師は頑固な性格で改善が見られないため、辞めてもらった方がいいだろうという結論になった。採用から2カ月後の話である。


佐用共立病院(兵庫県佐用町)で女性入院患者=当時(85)=が肋骨(ろっこつ)を折られた事件で、傷害容疑で逮捕された同病院の看護師羽室沙百理(はむろ さおり)容疑者(26)が、動機について「患者が感謝の気持ちを示してくれなかった」などという趣旨の供述をしていることが12日、捜査関係者への取材で分かった。看護師として自信がなかった、とも漏らしているといい、仕事への不満と不安の矛先が、一方的に寝たきり患者に向けられた可能性がある。

 


なぜ看護師と患者がトラブルになりやすいか?医者と患者も同じである。それは結局、人間と人間が直接向き合う現場だからである。物を売ればいいとかではない常に直接人間と向き合うから問題が起きないことなどありえない、人間と人間が向き合う場には必ずトラブルが起きる。だから看護師にも患者にも双方に自戒が必要なのである。患者側から見る看護師と看護師から見る患者の言い分がある。ここに引用したのは看護師の言い分だった。自分も今回の入院で看護師に嫌な思いをした。
泌尿器科だから下のことがあり汚すこともある。その時ひどくしかられたのである。でも患者の言い分としては手術後でありもうろうとしていたし実際に要領をえなかった。でも知っている人に聞いたら汚してもこういう科ですからしかたないですよと看護師が言ったという。その人は妻が見ていたから看護師もひどいことを言わなかったのである。自分の言い分としてもう少し配慮があってもいいと思った。どうしてしもその看護師を嫌になったし口も聞きたくなくなったのである。ただこの辺の病院の事情は違っている。看護師が原発事故などで流出している状態では看護師がいるだけでいいとかなってしまう。現実に南相馬市病院では看護師などの流出で二病棟しか使っていないからだ。そういう状態では患者は看護師や医者でもいるだけで恵まれているとかなる。そうなると文句を言えないということも頭にあった。それで黙っていたがなんかトラウマになったことは確かである。
自分は看護師に感謝しないなどない、掃除婦までに感謝して退院した。看護師に虐待されるような患者ではない、ただ事の成り行きでそうなったのである。


●相馬総合病院は患者への気配りに優れている


看護師長母をきづかい声かけぬうれしきことかな隣も知らじに

相馬総合病院は全体的には患者に気づかっている好感がもたれる病院である。回診が一日二回があるのも普通はないだろう。患者に対するサ-ビスは他よりいい、南相馬市病院は若い医者が一人だけでありその一人が「おい、どうだ、水を飲んでおけよ・・」とかで終わりである。看護師もついてこない簡単な挨拶程度の回診なのである。なぜそうなっているのか?そもそも若い医者一人しかいないし医者がいないからまかせてしまった。泌尿器の専門の看護師も少ないこともあるのだろう。それに比べたらここがいかに手厚いサ-ビスをしているかわかる。そして泌尿器科の専属がそもそも院長先生でありその他中堅と若い医師と三人もいる。南相馬市病院の泌尿器科の医師はここの中堅の医師のように弟子としてついて技量を磨く立場にあったけど誰もいないからまかされたのだろう。そもそも浜通りは特に相馬地方は医師不足の地帯だったのである。それが原発事故とかでさらに医者も看護師も減ってしまったのである。看護婦長も一人で必ず回って様子をうかがいにくるのも好感がもてる。
それで自分に対して「お母さんの介護大変ですね」とか気づかってくれた。こんなことはなかなかしない、患者の心のケアまでしいてる。ただ一人だけ悪い印象をもってしまった。その一人によって悪い印象をもつということはある。ただすべての評価は主観的なものである。誰にでも好き嫌いはあるからである。

結局看護師という職業は宗教的修行じゃないが忍耐心が特に必要な場所になる。自分のいいような患者などいないからだ。まだ看護師側からすればいつも聖人のように対応などできない、また望むのも無理である。患者側にも確実に問題がある。ただ患者は病人であり弱者だとういことで患者側につくことが多いのである。看護師と医者と患者は強者と弱者の関係になりやすいのである。ただ最近は患者様とかなりあまりにも患者側につきすぎる傾向がありその不満がかえって看護師側からでてきているのである。結局こういう問題が生じるのは病院とか医療とかが単なる体をみるだけではない、心にも深くかかわるからそうなるのだ。特に老人は人生の兵(つわもの)がいる。経験も豊かな人でありそううい人が若い看護師が対応するのにむずかしい面がある。相手の心にかかわるとなるとやはりそれなりの経験をつまないとできないからだ。看護師は総じて若いから年よりの心によりそうことはむずかしいのである。


いづれにしろ病院という場は看護師が多く看護師にとりかこまれる世界である。すると看護師の質も問題になる。医者の質もそうだが看護師の質もそうだしそれが全体の雰囲気を作っていく、そういう場にふさわしくない人はいるし注射でもうまくならない人もいる。そういうことでそういう人がやめさせられたりやめてゆくのはどこにでもある。ただこの辺では看護師がいるだけでもありがたいとかなっているから文句は言いにくいのである。相馬総合病院は全体の雰囲気は全体的にいい、上の指導でそうなっているという人もいる。南相馬市病院は建物は立派でもそうした指導がたりなかった。でも特別看護は劣っているということではない、それより医者がたりないとかで回診もできていなかったのである。病院は建物から医者から看護師から掃除婦までが全体の雰囲気を作っているのである。患者のためにつくすようになっているのだ。

病院でさらに病気が悪化する (病院は刑務所とにている)


病院でさらに病気が悪化する

(病院は刑務所とにている)


実は病院に行けば行くほど病気になります。
これは間違いなく正しいことで真実です。
 
実際に病院に行けば行くほど病気になるんです。
それとは逆に病院に行かなくなれば病気にならなくなります。
なぜなら病院は治療院でなく病の院
つまり病の建物なのです。
 
弱った人を薬の毒性でさらに弱らせて
また来てもらうための処置をする所です。
なぜなら病院も金儲けのためにやっている所なので
健康な人は一切必要なく邪魔なだけなんです。
なので健康な人でも病気にする、それが病院なのです
http://blogs.yahoo.co.jp/willpow_thresh_trant/27338940.html



病院がどういう場所か二回経験している。南相馬市病院で一か月入院していた。本当は二週間で退院できた。ところが感染病になり三日間40度の熱がでた。隣の人も高熱をだしていた。バイ菌に感染していてそうなり自分もなった。ばい菌が移りやすいのも病院である。一面病院は危険な場所でもある。今回は二週間で退院できたからいい、それでも長びくことはありえた。病院は退院を遅らせて病気を悪くさせることもある。別に金のためではない、病院という場がそうさせるのである。病院は丁度刑務所ににている。南相馬市病院では点滴を一か月はずすことができなかった。その点滴がまるで手錠のように思えた。それは確かに必要だったにしても病院で病院を悪くすることもある。もちろん医者とか看護師は病院を直そうとして懸命に働いている。それでも病院は病気を悪化させる場ともなりうる。病院にいると何か健康でも苦しいものを感じないか?一時的に見舞いにきても何か苦しいものを感じるだろう。それが入院するものはさらに病院で何か苦しいものを感じるのだ。病院は何か死臭も感じる。現実に病院では死ぬ人が必ずいるのが普通だから不思議ではない、そこに健康的なものを感じることはタブ-とさえなる。お前は病気になって入院したのだから病人らしくしていろとなる。

今回救われたのは同室の人はほとんど病人ではなかった。病気を感じない人たちだった。みんな二週間で退院できる健康な人たちだったのである。ここが病室かと入って最初から思った。20代くらいの若い人もいた。つまり病気を感じさせない部屋だった。泌尿器科はそういう人たちが多い、たいがい治るのが多いのである。変なことだけで病室には笑いに満ちていたのである。こんな病室は普通はないだろう。だからもっと病人らしくしていろとなる。だからそこでは暇なし話ししていたのである。
女性の看護師をからかっていた人もいる。

これはおかしいなと思って病人らしい病人を探し廊下を歩いた。すると病人らしい人がいた。青ざめてやっと歩いている。三か月もいるけどまだ治らないんです、家は近くても家に帰れないんですという。それもそうだとその顔を見れば一目瞭然である。死相さえ顔に現れていた。そういう人がいるのが病院である。それは丁度朝方に残っている残月だったのである。病院から見える景色がまた違っている。閉ざされた空間から外の明るい自然の空間をながめているのだ。自分は絶えず病院を歩いて外の景色を見ていた。運動して尿を出せと言われていたからだ。相馬総合病院もいい景色をみる場があった。それをまた俳句とか短歌にした。ただ病院からみる景色と外でみる景色は違っている。病院には自然そのものの風は入りこまないのである。だから特殊な状態に置かれる。健康的に自然を歌うのとは違っている。そこには別な感受性がはぐくまれるのだ。それは健康な感受性ではない、でも文学的には啄木のように特殊なものとして作られるのである。

窓にとまっている枯れたカマキリ、俳句では枯蟷螂というがそれがふさわしいのが病院だった。
窓にはりついて死んでゆく蟷螂である。そこには蜘蛛もぶらさがりさらに不気味さをましていた。
何かそういう世界が病院にはふさわしいのである。ただ自分は直ぐに健康になったから健康的なものも作った。でも病院は独特の雰囲気があり空気が流れている。それは病人からでてくる空気でありまた死人からでてくる死臭かもしれない、何か陰気な空気が流れているのが普通である。するとたとえ回復していてもさらにそうした陰気な想念がたまっていて病気を悪化させるということもある。病院は病人によってさらに淀んだような空気を作り出す。特に重傷者が多いとそうなる。あんなに笑って話ししているのは病院ではない、もっと病人らしくしろとなる。病院ではどうしてもそうなりやすい、別に看護師とか医者のせいでもない、病院とはそういう場所なのである。


陰気なものが流れていてそれに影響されるのである。病院はだから長居するところではない、そうはいってもそうならざるをえない人がいるがまだよくならないという三か月いた人も近くの家に一旦帰ったりしたら帰って回復するかもしれないと思う。病院では外のように健康な気をもらえないからかえってまた病気になるというのは別に誇張ではない、そうなる人が多いことは確かなのだ。医者や看護師がまるで囚人を監視するように見えるのもそのためである。そしてどうしても医者や看護師が患者を一方的に縛りやすいのである。つまり罪人のようにされてしまうのである。病院はそういう場だから本当は病院で死ぬことはあまりいい場所ではない、何か必ず病院では死んだ夢を見る、それは自分だけではないだろう。なんだか極楽に向かって魂が飛んでゆく夢をみた。これなどもすでに病院にいると死がかえって近くなるということもある。病院は監獄であり死に向かう場所でもある。棺桶のようにさえ思うこともあるだろう。だから病院で死ぬことは人間にとって自然ではない、でも今はほとんど病院で死ぬ。それが問題なのである。


窓の外くもぶら下がり枯蟷螂

 

2012年09月17日

病院の恐怖(実験台にされる弱者)


病院の恐怖(実験台にされる弱者)


あたしは、身よりが無いから、もし、あたしが死んだら、どうなるか、根ほり葉ほり聞いてきましたまず、病院と葬儀屋が、供養してくれるらしい。
その後、どっかの大学病院に送られ、研修生たちの実験台になるらしい。

それで…
やっと、人の役に立てるかな…


大学病院ではないけれど大きな総合病院は研修生がいっぱいですね。
長男が怪我をしたとき近くの外科を知らなかったので大きな病院へ行きました。
診療時間外だったこともあり研修医の実験台に・・・
一針縫ったところで担当医師と交代して縫い直されました。
その病院に手術入院した近所の人の話では歩くとき医師の並ぶ順番が決まっていたそうです。
手術室へ向かう廊下で若い医師が部長先生を追い越して激怒されたとか・・・


「手術やらんと死ぬ」 奈良・山本病院理事長

奈良県大和郡山市の医療法人雄山会「山本病院」が生活保護受給者の診療報酬を不正に受給していたとされる事件で、
医師でもある病院理事長(51)が来院した生活保護受給者の症状を十分確認せず「これやらんと死ぬで」と
心臓カテーテル手術を熱心に勧めていたことが23日、病院関係者への取材で分かった。


架空の手術による診療報酬の詐取容疑のほか、不要な手術をして診療報酬を得ていた可能性もあり、県警捜査2課は経緯を詳しく調べる。

病院側は取材に「対応できる者がいないので分からない」としている。
むかしもてはやされた術式がどれだけあわれな後遺症を持つ患者を生み出してきたか。
手術が上手なだけの医者はいない。その影に泣かせたあまたの患者あり。


実際、私自身が市立病院に入院中に焼身自殺未遂で緊急入院したホームレスが治療途中で追い出されたパターンを直に見ていますよ。


 



病院には実際いろいろな恐怖がある。手術にしても不安がある。自分の場合、手術中に笑って手術していた。これはたいした手術ではないから笑う余裕があるのかと思っていた。でも何か不謹慎に思えた。結構出血が多くあとで輸血した。手術が長びいたのは前立腺肥大が大きくなっていたからである。手術はどんな手術でもリスクがともなう。前立腺肥大でも手術で死んだ人はいた。ともかく医療というのは医療ミスが交通事故と同じ様にある。親戚の人は一年くらいたってから手術で残したガ-ゼが膀胱からでてきた。これもありえないことだがこういうことは他でも普通に起こっている。何らか医療ミスにあわない人はいないのである。それほど医療ミスは日常的に起こっている。自分も幼児の時注射されたところが股の所に広く残って火傷したようになっている。これも注射の医療ミスだった。医療ミスの怖さはあとあとまで傷や後遺症を残してしまうことである。医療ミスがあったとしてもそれで責任を問われる医者は極わずかである。必ず隠蔽される仕組みになっている。そうでもしなければもはや医療はできないとまで医療ミスは日常的に起こっているのだ。手術ミスで病院の前で焼身自殺した人もいた。それほど医療ミスは深刻であるからそうなった。命さえ奪われるからそうなる。

医療は常に実験の上に成り立っている。花岡清州が麻酔の実験で親族が失明したりしたのもそのためである。麻酔は今でも危険だという。何らかの副作用かある。薬も人間でどう効くのか実際に飲んでもらわなければわからないからそれの副作用で苦しむ人もでてくる。研修生はまず手術するのは生きた人間であり誰かが実験台にならなければ一人前の医者とはなれない、その研修生の実験台にされるのは弱者である。これはアメリカのことなのか自己負担で払う人は研修医ではない、担当医にみてもらい手術もしてしもらえるが自己負担をしていないと研修医になるという。自己負担している人は70歳以下では三割負担の人である。そういう負担をしない人がいると研修医の実験台にされる。保険もちゃんと払っていないと怖いとなる。


 手術が上手なだけの医者はいない。その影に泣かせたあまたの患者あり。


手術は失敗が多いということである。研修医の実験台にされればよけいそうなる。自分も手術後二週間もたっても血がとまらないので不安になった。手術が失敗したのかと不安になった。血止めの注射と薬を飲んだらぴたりととまった。今のところはほぼ普通の状態に回復している。病院では医者には何かと聞きにくいのだが手術する人は誰なのかくらいは聞いてもいいだろう。ただ医者は忙しいから聞くことがしにくいのだ。何か聞くにも診察は二三分で終わりだからゆっくり聞くことができないのである。特に相馬総合病院の泌尿器科はこみすぎる。8時に外来に行ってもすでに30番以降である。5時ころすでに病院に診察券をだしているという。ゆっくり聞く余裕がないし答える余裕もないのである。


あたしは、身よりが無いから、もし、あたしが死んだら、どうなるか、根ほり葉ほり聞いてきましたまず、病院と葬儀屋が、供養してくれるらしい。
その後、どっかの大学病院に送られ、研修生たちの実験台になるらしい


身寄りない人は本当に悲惨である。特に病気になると実際にわかる。誰もみるものがないから病院でも医者でも看護師でもそんざいにあつかわれやすい。手術するにしても一応保証人が必要であり書類に記される。その保証人がいない場合もある。自分はやっと遠い親戚だけどなってもらった。ただ名前を借りただけであり何かあっても責任はとらない。身寄りのない人は病院ではさらに危険になる。病院や医者のいいようにされてしまう。重篤な病気になったら自分の意志を表明することはできなくなくなるのも恐怖である。自分は二回入院しても全く健常者と変わりないからのりきれた。それでも今回手術となると厳しいものがあった。身寄りがないということは本当にこの世の非情を一身に受けることになるのだ。自分もこういうことは予想していなかった。余りにもめぐままれた結果そうなっしまった。今若い人で結婚していな人がふえている。すると自分のような身寄りのない人が膨大にふえてくる。その人たち60代以降病気になりやすい、その時大量の研修医の実験台になる。それは笑い事ではない、そういう未来がリアルに見えないからのんきなのである。両親は必ず死ぬし身寄りがないということは誰も助けないということなのである。その将来を深刻に考えている人はない、せめて兄弟がいる人は助けてもらえるかもしれない、そうでないと悲惨なことになる。


自分の親戚で養老院、昔の老人ホ-ムで長い間暮らしていた人がいた。その人のわがままでもあったが最後眼が見えなくなり異常になったのかと思った。その人の遺言は「解剖を献体を志願していた」。
施設に世話になったから医学の用にたててもらいたいとそう遺言していた。そして解剖されて大学から遺骨が自分の家に来て墓に葬った。墓はあったからほうむることができた。その人は乱暴な人でもあったけど最後はあわれだった。その人の墓参りは今でもしている。その人は全然身寄りがないというのではなかった。ただその人自身のわがままもありそうなってしまった。血のつながらなくても子供がいたしその子供に愛情をそそいでいたりしていればそうはならなかった。ただこれも複雑だからいちがいには言えない、最後は本当にあわれであり悲惨だった。医学のために献体したのでありこの意志は医者も重んじなければならないだろう。医者はやはり尊い命を犠牲にして成り立つということがある。施設に世話になっていたから何かに役立ちたい、何もないけど自分の体を役立ててくださいとなったのである。もちろんすでに90近いし十分に生きたからもう自分の体などどうでもいいともなるがやはり献体するということは何かみんなできない面もあるだろう。病院とか医者とか看護師でもこうして人間の命と直接かかわるからそこは常に深刻な問題の場所となるのである。

いづれにしろこの辺では病院に行ける、医者がいるだけでいいとかなっている。だから放射能の実験台にされたり病院でも医者でも選ぶこともできない、医者でも看護師でもいなくなっているのだからどんな医者でも看護師でもいるだけでいいとなっているのだ。何か文句を言ったりすることはここではできなくなっているのも損である。それが嫌なら他に移るほかないのである。本当に他の病院で医者でみてもらったら直るかもしれないとなれば移住する人はいる。それだけ病気とは深刻だからそうなってしまうのである。

 

2012年11月01日

病気は生活習慣病が多い (認知症も生活習慣が作用している) 認知症になりやすい3つの条件-サンデ-毎日より



病気は生活習慣病が多い(認知症も生活習慣が作用している)


認知症になりやすい3つの条件-週間新潮より

shichiooo111.jpg

rennkannnou.jpg

連関、連環する脳の方が脳を有効に使うにはいい


●生活習慣が病気の原因

病気の原因は遺伝的なものもあるがその人の生活習慣が病気の元を作っている。だから60代以降どうしてもその生活習慣の堆積が病気を引き起こす。病気にも原因があり突然に病気にはならない、病気になる要因が体に堆積して病気になってくる。一見突然病気になり死んだりする人がいるがそれもやはり日頃の生活の中で病気が実は進行していたけど表に現れなかっただけである。これはあらゆることに言える。人間の事件でも突然起こったりしない、よく事件を起こす人を観察していれば見えないにしろこの人を見ていればあんな事件を起こすこともありうるなと納得がいくことが多いのである。自然現象でもそうである。今回の地震でも津波でも突然にこんな巨大な津波が起こるということは良く観察していればなかったかもしれない、何か予兆があったが科学者が気づかなかったのである。
なぜなら頻繁に今回の地震が起こった場所で地震が起きていたからである。ただそれがこんな巨大な津波に結びつくと判断できないだけだったのである。


病気が生活習慣病だというとき例えば食生活が明治以降さらに戦後は欧米化して極端に肉食が多くなり変化した。欧米では肉食に向いている体になっている。肉を消化しやすい体になっている。狩猟、牧畜民族がそうなっている。日本人は胃が弱い人が多い、胃ガンも欧米人よりも十倍多いという。
欧米人とは体の作りがそもそも違っている。だから肉を消化できないから欧米人のように太らないという。消化酵素が日本人より多く出るから肉を消化できる。日本人の腸が長いのも穀物を消化するために牛が反芻するように長くなった。生物はその環境に風土に適したように長い間に作られてきたのである。日本人は縄文人からそうして体が日本の風土に適するように作られてきた。海産物主体の食生活が日本人の体に適するようになっていたのである。日本には牛、馬、羊がいないということが
魏志倭人伝に記されているように日本の特徴を外国人から見たとき記されているのだ。海産物が主体だというとき今回の原発事故でヨウソが海苔などからとっているから不足しないから甲状腺ガンになりにくいというのもそのためだった。外国ではヨウソが不足する食生活だったのである。ただ日本では眼病とか脚気とかの病気が多かったということはやはり何らか栄養が不足してそうなっていた。
それは欧米化してなくなったのである。戦後十年くらいまで卵すら食べられなかったのだから日本人は総じて栄養不足だったのである。戦後は栄養過多になり糖尿病がふえてきたのである。これも生活習慣病なのである。前立腺ガンが増えたのも欧米の食生活、肉食などが関係していると言われる。もともと欧米には前立腺ガンが多かったからである。


生活習慣病というとき喫煙や酒の飲み過ぎが体を無理させることを長年つづけていれば60代以降その結果が必ず体に現れる。体の丈夫な人は無理ができるからそんなことを考えないが60代以降にはその無理が蓄積されて体に現れるのである。だからといって体にあまりにも気遣いやりたいことをやらないというのも問題である。体力のない人は無理ができないから冒険ができないからつまらない人生ともなる。やっぱりきつい登山などができる体あることにこしたことはないのである。ただ会社員でも何でも体を無理させるとそれが蓄積して60代以降病気になりやすいことは確かである。自分を例にとれば自分は勤めていないのだから無理したことがない、疲れたらいつでも寝ていた。多少自転車旅行とか登山で無理したけどそれもぐったり疲れてあとは何日も寝ていた。そういう恵まれた生活だったのである。だから無理しないから今日まで体力がないのに今病気になったにしろここまでやれたなと我ながら思う。これが会社勤めとかなると自分は全く集団生活にも向いていないからストレスがたまるし疲れたからと休むわけにもいかないから疲労が蓄積されてもともと体が弱いから病気になりやすかったことは確かである。


●認知症も生活習慣病が原因の側面もあった


認知症にもいろいろありいちがいに言えない,若年性のアルツハイマ-と老年のアルツハイマ-は症状はにていても違ったものらしい。老年のアルツハイマ-は生活習慣病の側面があるようだ。認知症になる人が統計的に割り出されている。公務員とか先生とか裁判官などに多いというのはやはりこういう職業が型にはまっていて創造性がない職業になっているためである。先生でも歴史とか国語関係の人が多く理系の実験をする科目の人には少ないとかあるのはやはり型にはまって同じことを教えているかもしれない、美術とか科学とかは日進月歩であるけど歴史とか国語は型にはまってしまった教え方しかしないのかもしれない、ただ数学の先生が認知症になったりとその実体は多様であり複雑である。認知症というのはその人の個性がかなり反映されるから症状が人によって違っているのだ。
激情的な人は激情的になるから扱いにくいし大人しい人は大人しい認知症、ボケになるから扱いやすいのである。認知症は千差万別なのかもしれない、同じ型にはまった症状があるにしろその人の家族関係とか個性で変わってくるのである。

週間新潮の記事で指摘されたことは面白いので読んだ。なぜレ-ガン大統領、サッチャ-首相やシラク大統領など特別優秀な人が認知症にアルツハイマ-になったのか?この人たちは一番脳を使って優秀な人ではないか?なぜそういう特別優秀な人がなったのかという疑問に答えている。身内で自分もこのことを経験している。学校を一番で卒業して活発な性格であり体は太っていても運動能力があり人間的にもただ頭がいいというだけではない、性格がしっかりしていた。それで日赤の看護婦となり従軍看護婦となってシンガポ-ルに四年も過ごした。その頃は日赤に入る人は優れた人だった。看護婦になることもなかなかできなかった。この辺では看護学校もないし東京で資格をとった。一緒に60年生活して人間的にもしっかりして頭もいい人がどうして認知症になったのか不思議だった。

その原因は生活習慣にもあったことは言える。公務員だったということがあり看護婦や保健婦の時はそれなりに張りがあって働いていたがあとは事務の方に回り怠惰になり早めに退職してそのあとは30年くらい働いていない、何もしたくないと家事すらしない、家事をする人がいるから趣味のようなものをやっていたがそれは向いていなかった。何かもともと体が丈夫なのだから自分にあったことをしていれば良かったが何もしなかった。ただ怠け者になってしまっていたのである。そういう生活習慣が影響したことは確かである。なぜなら死ぬまでの二年間は家事をした。洗い物や手で選択したり掃除もした。そしたら自分は役に立っていると元気になり症状が改善したのだからこれは明かに認知症の改善に効果があったのである。一番ボケ安いのが「ばあちゃんは何もしないでいいですよ、テレビでも見ていてください、全部自分がやりますから・・・」こういうふうに嫁に言われた人だ言うのがわかる。何もしなくていいということは役割も何もない、生きがいもないということである。家事は結構頭を使うし体も使うし家族のために働くということで生きがいにもなるのだ。それを自分でやってみてわかった。自分が家を家族を支えているんだという生きがいをもつことができるからだ。


●優れた人がなるにはそれなりの訳が・・・


ただそれではレ-ガン大統領やサッチャ-首相のような仕事一筋の人がどうしなったのかという疑問がある。サンデ-毎日の解説では「仕事中毒」「達成感」とかあった。二人とも政治脳に特化して脳が偏ったためだという。人間は今はどこでも専門家して仕事してしいる。すると脳が法律脳とか数学脳とか国語脳とか英語脳とか医学でも分化して心臓のことばりとか胃腸のことばかりとかそこだけに注意を払う人が増えてくる。全体をみない、一部分だけに人間の脳が集中する特化しやすい、江戸時代ころまでは全体的視野をもつ全体に機能する能力が発達した。バランスのとれた総合人間になれる環境があった。今はみな専門家してある部分に特化して能力を駆使すると脳が偏るということありえる。

だいたい脳は生涯で二割くらいしか使われていないとか言われるように人間はいくら能力がなくても開発しない限り自ら引き出さない限り能力は発揮できないのである。芸術だって視覚的絵画から音楽から彫刻から文章からその分野が多岐にわたる。でもその一部分しか能力を発揮できない、俳句だけやっている人は俳句脳にっなしまうかもしれない、だから俳句の専門家で私は俳人だなどという人は偏った人間になってしまう。俳人などは今の時代には存在し得ないのである。

人間の脳がなぜ二割くらいしか使われないかというと人間が生きている時間が短いということもある。生きている時間が短い十分に活用できないということもある。高齢化になるとその使われない脳が使われるということもありうる。ただ人間はどうしても一芸に秀でてもあらゆることをこなすことはできない、そこが人間の弱点なのである。一部分の脳の能力が特化するより連関、連環的に作用するのが理想だがそれがむずかしいのである。社会がこれだけ複雑化すると専門分野を究めるだけで時間をとられるしそうしなければその方面で一流になることは無理だからである。

認知症の謎はどうしてあれほど優秀な人がなったのかということである。その謎は実際は相当に深く簡単には解明できないだろう。そしてそういう特別優秀な人がなると本当に悲惨なものとなる。認知症は馬鹿になった,痴呆になったというのだから信じられないとなってしまう。そのことを身内でまざまざと見たとき人間に与えられた神からの罰かもしれないとも思った。そのことは前に書いた。

この世に優秀な人はいる。体力もあり頭もいい人がいる。人間的にしっかりしている人がいる。学校の同級生でも運動ができて頭もいいという人がいることはみないるだろう。自分はあらゆる点で劣っていた。勉強も体力もなにかもだめだった。だから体力があり運動能力にたけて勉強もできるという人がいる。そういう人がきること自体理解できないことがあった。でもそういう人は常に存在した。天才的な人はいる。しかしこういう人の盲点は「俺はできるんだ、特別なんだ」という奢りになり他者を馬鹿にするのである。レ-ガン大統領にもサッチャ-首相にもそういことがあったに違いない、こういうふうにできる人はまた悪人にもなる。悪人にしてもやはりそれなりの能力がなければなれないのである。そういう人は悪人になれば大きな悪人になるということである。


正力松太郎とかは原発を誘致した読売新聞社の社長になった。この人も体力的にも能力的にも優秀な人だったからこそ政界でも財界でも重きを成すものとなった。そういう社会で重きをなす人はまた何かをできる人だからそうなる。そういう優れた人はいい面に働けばいいが悪い面に働くとまたその影響は大きいのである。
科学者にしても実際は原子力を発見した人は核兵器を作ることにもなったのだかち怖いということにもなったのである。能力がなければ優れていなければそんな危険なものを人類が扱うようにならなかったからである。そういう優れた人間への罰が認知症となったのかもしれない側面はあった。ただこれも本当のところはわからない、体自体の病気であり脳の細胞の病気だからやがて直すことができるという人もいるからわからない、ただ自分が身近に介護したりして見た限りはそういう人間への罰的側面があったと感じたのである。ただこれは千差万別だとするとその原因は特定できないのである。

2012年11月02日

相馬総合病院から見えた看護専門学校への道


相馬総合病院から見えた看護専門学校への道

kanngogggg.jpg


病院に看護学校へ行く道の今日も見えつつ蝉の鳴くかな
ひまわりに夏菊映えて相馬市の看護学校の道を知りにき
今日も見ゆ看護学校へ行く道にカボチャの花と露草の咲く
病院に看護学校の生徒かなその瞳にそ励まさるるなれ
我が姉の看護婦なりき病院に面影偲び看護師を見ゆ
病院に看護学校への道見えて実習に励む生徒すがしも
我が姉の従軍看護婦忘れじも死の間際まで戦争語りぬ

 

相馬看護専門学校(そうまかんごせんもんがっこう)

  校長 金田寛之(公立相馬総合病院 副院長)


相馬市・南相馬市・新地町・飯舘村の2市1町1村で構成される相馬地方広域市町村圏組合が21世紀における医療技術の高度化・高齢化社会の到来を踏まえ、地域保健医療の担い手となる看護師の養成機関として開設し、住民の保健・医療・福祉の充実を図るとともに、相馬地方の振興発展に寄与していくことを目指して平成13年4月に開校いたしました。





相馬の看護学校は病院から見えた。相馬総合病院は迷路だった。方角がわからなくなる。相馬は山の方に近い所だった。海も見えるから山が遠いと思っていたが山が近いのである。新地も山が近い、人間は意外と住んでいても近くのことが地理でもわかりにくい、相馬総合病院でも入院したりしないとどういうところなのかわかりにくい、海の方が近いように見えたがかなり遠くでもある。ただ火力発電所が見えるからさぼど遠いとも見えないが原釜が見えても遠かった。看護師学校は山際にありこんなところにあったのかと不思議だった。隠されるような場所にあった。老人養護施設もあった。相馬市というとわかったようでもまたわかりにくいのである。ここの看護学校は地元で看護師を養成して地元で役立ってもらいたいと設立して養成する。だから地元の人は授業料も安い、外からくる人は高くなる。ただその差はそんなに大きくはない、入院したとき実習中であり何回もそこの学生がきた。その中に男の看護師がいた。その人は浪江から鹿島区に空家を借りて避難している人だった。今は必ず男の看護師がいる。珍しいからいろいろ同室の人が聞いていた。もともと男の看護師から看護がはじまっているから看護が女性ばかりやるものとは限らない、男性でももともとできるし必要なものだったのである。女性は看護士のような慰めの役にはいいが男性は向いていないとしても男性には男性の仕事が看護師でもある。それなりの役割が与えられている。今や病院内仕事も多様になっているのだ。


理学療法士:リハビリの指導を行う技士さんです。歩行訓練など身体を動かす訓練をして社会復帰をたすけます。[理学療法士免許]
作業療法士:理学療法士とよく似た仕事をしているようにみえますが、日常の作業をとおして社会復帰の訓練を指導する技士さんです。[作業療法士免許]
視能訓練士:視力を回復するための訓練をする技士さんです。よほど大きな病院か眼科の専門病院でないと勤務していないと思います。[視能訓練士免許]
言語聴覚士:脳卒中の後遺症などの言語障害の機能訓練、嚥下障害のリハビリテーション、人工内耳手術を受けた患者さんなど聴覚障害者のリハビリテーション、各種の聴覚および音声検査などを助ける技士さんです。[言語聴覚士免許]


こういう人と南相馬市立総合病院に一か月入院していたときあった。脳出血でしゃべれなくなった人が訓練してしゃべれるようになってゆくのも見た。看護師の仕事も分化して専門化しているのである。これらはもともと看護師がやっていたのである。


今回のように相馬総合病院に入院して地元の看護学校の生徒の実習などを見ていると地元に密着している、土着性があるから仕事が見えてくるということがある。そういう人たちを指導するにもこの人たちは地元の病院で働き将来年取ったら助けてくれるとか具体的に見える仕事なのだ。すべての仕事が土着的であるべきだと書いたときまさにこれは明かにそういうふうに見える仕事なのである。地元に貢献するということが目に見えてわかるのである。昔は狭い範囲で生きていたから仕事が何を意味しているかわかっていた。理屈で言わなくても肌で感じていたのである。大地があり農民が収穫して食料が地元に供給されていた。そういう仕事が自分を支えているのだと見えていたのだ。実習している生徒を見ると何か頼もしいと感じた。ただ全部が地元で看護師になるわけではない、原発事故で現役の看護師も流出している現状では余計にそうなる。でも本来は地元のために貢献する看護師を養成する場所なのである。現代はグロ-バル化社会であり仕事が世界的に拡大化して仕事のかかわりがどうなっているのか見えにくいのである。中古車の島商会などはロシアと関係して原釜の港から輸出している。それだけでなくグロ-バル化は田舎でもどこでも同じである。前にも書いてきたけど人間というのはいろいろな仕事の関連が見えると一つの世界として自己を把握しやすいのである。そこに一つのアイデインティティを見いだして連帯を感じるのである。それは理屈の世界ではない、みんなで平和を追求しようとか連帯しようとかデモしたりしても現実は理屈であり格好だけでありむしろ平和がない、連帯がないから声高に集まり騒ぐ、平和や連帯は生活の中で自ずと騒ぐなくてもあった。


看護学校の道には森がありあそこには蝉がかなり鳴いていた。夏菊が映えカボチャの花が咲き露草も咲いていていかにも田舎らしいのである。ただあそこが山の方に近いとはわからなかった。近くでもわからない場所はまだまだある。死角のような場所がある。日本の地形はそれだけ複雑なのである。看護学校というとき自分の姉は看護婦であった。日赤の看護婦でありその頃かなり優秀でないとなれなかったし看護学校もこの辺になかったので東京の方で視覚をとったのである。その後、日赤で優秀だから従軍看護婦になりシンガポ-ルに4年間いて辛酸をなめた。戦争に負けてジャングルに逃げた時が一番苦しかった。あとは船で命からがら逃げてきたのである。地元でも二十代の看護婦が死んでいる。そういうこともなかなか忘れられてゆく。ただその四年間は忘れられないので死ぬ直前まで語りつづけていた。戦争のことは強烈な体験だから忘れられないのである。ちょうど青春の真っ盛りだから余計にそうなったのである。姉は特別優秀だったから相馬の女学校に行きたかったと何度も行っていた。優秀だから金さえあれば入れたからである。大倉から親戚を頼り住み込み通った人の話しも書いた。看護師でも地元であれそういう歴史も学ぶべきだろう。そういう歴史も郷土史として記録されるべきなのである。相馬市はやはり城あるところで原町より学校でも歴史が古く城下町として学ぶにふさわしい場所ともいえる。女高生でも行き交うとそれなりに情緒が生まれるのである。原町はまた雰囲気が違っていたのである。


ともかく旅ばかりしていた自分が土着的なものを志向するのも変だがやはり現代はアイデインティティを見いだすのが容易ではない、それでカルト宗教団体とか様々な団体組織にアイデインティティを見いだそうとしている時代でもある。それはそもそも根源となるアイデインティティを喪失しているから誤った異常なものでもそこに何かに所属したいという願望がそういう異常なものを作り上げているのだ。本来のアイデインティティはそこになく土着的なものに人間の本来のアイデインティティがある。それを郷土に求めることがあった。万葉集などはまさに日本人の土着的アイデインティティの根源の集成であった。人間は今はそうした存在の根を求めているのだ。これだけ巨大な文明のなかで自分を見失うなかで狭い郷土の中で価値や意味づけする。やはり人間は東京のようなものになるともはや巨大な迷路に入り込んで自分が誰かも何が価値があるのか何がどう連関しあっているのかもわからないのである。だからこの辺では原発事故で故郷を喪失することは深刻なのである。アイディンティティの根が失われるからである。

南相馬市総合病院ではながめが抜群だったが相馬総合病院は迷路であり眺めは良くなく何か牢獄に閉ざされたような感覚になっていた。でも二週間の入院はやはり大きな体験となった。病院は何か地元の連帯の要のうよになっていた。今は田舎でも何かそうして連帯を感じる所が少ない、祭りとか参加していないと連帯を感じないのである。それだけ仕事がグロ-バル化で分化しているからである。
病院は人と人が直接接するところだから人間が見える場所だったし話し安い場所だからそうなっていたのである。


土着なくして職業も学問も芸術も報道もない
(故郷とは有機的に結合されたミクロコスモス)

http://musubu2.sblo.jp/article/55759722.html

2012年12月04日

「エホバの証人輸血拒否事件」 (他人の血でも命が助かることは感謝すべきだ)


「エホバの証人輸血拒否事件」

(他人の血でも命が助かることは感謝すべきだ)

人の血を我が血に入れぬ人はみな血族のみにて生きることなし


 日本でインフォームド・コンセントが注目されるきっかけになった事件に「エホバの証人輸血拒否事件」があります。1992年に東大付属病院で起きた事件で、患者の了解を得ないまま、担当医が手術の際に一方的に輸血をおこなった行為をめぐって、民事訴訟で最高裁まで争われました。今回はこの「エホバの証人輸血拒否事件」を考えたいと思います。
http://www.ne.jp/asahi/box/kuro/report/yhwh.htm

宗教というのは霊的なもので、「人の魂に与える影響」を語るものです。
体内に摂取するものの是非を問うたり賛否を唱えたりすることは、医者や栄養士の仕事であって、本来、宗教が携わる仕事ではないものと考えます。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1547428.html


エホバとかもカルトなのである。アメリカに本部があったり韓国に本部があったりするは独自性がそがれる。内村鑑三とか手島郁郎はアメリカを拝金主義だとかいろいろ嫌っていた純粋国産で培養するキリスト教を教えた。韓国とかアメリカが本部があり団体だということは政治的に影響されるのである。たいがい政治化した経済化した宗教はカルトになる。愛国心をあまりに鼓舞するのもカルトになりやすい。政治とか経済は一番わかりやすい,腹のたしになること欲望を限りなく満たすことをでありそれはすべて容認されるし奨励さえされている。創価などはその典型である。だからこそあれだけの数が集り権力団体、圧力団体と化して世の中を権力を我が物にしようとしているのだ。そして仏の神の権威を楯にして罰あたるとかなんとか脅してくる。もし権力がないのならかまわない、一人が言うならそれもいい、しかし実際に一千万人の人間が集団化して罰あたると叫んで権力をもったら、警察でも動かせたら恐怖である。実際にそうなっているから未だに恐怖なのである。


やはりこの世では常識をもっていればカルト団体にはひっかからない、なぜ常識が逸脱してくるのか?信仰のためには集団を組織を守るためには他者を殺してもいいということが正当化される。でも宗教で他者を殺すことを容認する教義はないだろう。どうして人を殺していいのか?そう疑問に思ったら考え込んだら簡単に人は殺せないけど集団催眠にかかっているとそういうことが見えなくなる。
そこに集団の恐ろしさがある。エホバにしてもそうした集団でありそういう教義が常識的におかしいと思っても集団の力でそうではないとされるときそれを実行するから怖いのである。宗教は常識を逸脱する。内村鑑三なとが説いた信仰は実に理性的であり常識的であることがわかる。その上に信仰を説いているのだ。集団的になるとき常識を逸脱してもそれが正しいとなるし他者の意見を聞かなくなるのだ。


自分は手術中ではなくても手術の後に輸血した。輸血したのははじめてでありなんとなく嫌な面はあった。でも自分の常識的な考えでは他人の血で助けられたという意識をもった。他人の血が入って良くなったと常識的にそう思ったのである。自分の血液型は変わっていてそんなに同じ血液型がないと言われた。だから血液が貴重だったのである。自分は自ら輸血したことはない、体が弱いこともあり親戚の人が手術するとき輸血してほしいといってもしなかった。若いときでも何か自分が体一時かなり無理して衰弱していたのである。その後今まで生きられたのは無理をしなかった一語につきる。楽な生活がつづいたからである。無理して栄養不足になったりした人はみな早く死んでいる。戦前までは長生きしていないのはそのためである。栄養をとり無理しなければ病気にならなければ長生きするのである。


自分は輸血されて単純に思ったことは他人の血で元気になり生きられるということであった。だからその血を提供した人に感謝せねばならぬと思った。病気ではだから他人の臓器でもそれでその人が生きられるとしたら他人に感謝する。自分は他人のおかげでいきられるとなる。そもそも人間は様々なことで他人の犠牲やら奉仕やら何やらでじかに感じなくても生かされているのだ。そして人間だけではない、様々なもの肉食をしているから動物の犠牲の上に命がある。だから本当はニワトリでも自らしめて殺して食べればこれは動物の犠牲の上に生きているのだと実感する。そういう過程が文明では省かれたから命の尊さのようなものがわからなくなった。人間は他者であれ動物であれ犠牲があって生かされているのだ。だから他人の血でもそれで生き延びたとなれば感謝することが当然でありそれを医者に訴えるのはカルトだからである。

カルト宗教団体は常識が通じないのである。輸血されるのが嫌ならば医者にかからなければいいのである。医者側にとってただやっかいなお荷物になるだけなのである。人間は血族とか一族とか血筋とかにこだわるけどそういうものがすべてではないし宗教は逆に血縁と肉なるものから生まれたことを否定している。つまり結婚も否定しているのは肉からではなく霊から生まれることが肉より大事とするからである。兄弟となるのは肉とは血縁とは関係ない、愛し合うものが兄弟なのである。だから誰彼の血だとか他人の血だとかこだわるのはまさにそうした血にこだわっている。別に助けてくれるならどんな人の血でもいいのである。その血にこだわるこことは肉にこだわっている証拠である。いづれにしろカルトには何を言っても通じない、盲目の国である。集団で鎧のように身を固めていて異物を入るのを拒むのである。客観的な評価を拒みすぐに宗教の批判は許されないとかなり一千万人が同調して罰当たるの大合掌になり排除されるのでてある。


カルト宗教団体でも宗教を信じる人は信じられない非常識な人もいるし冷酷な人も普通にいるのだ。だからどの宗教を信じていようとその人間をみなければならない、宗教ではわからない、どんな宗教を信じようが悪人はどこにでもいる。悪人が宗教を利用することも普通なのである。それがたいがいのカルトなのである。あの人は宗教信じているからいい人だなどと思わないし信じることもできないのである。むしろ常識を逸脱する人が多いからつきあうこともむずかしいとなるのだ。自分のいたらなさ愚かさから災いをもたらしてもそれが神仏のせいだとか信仰がたりないとかなったり変なのが多いのである。普通に嘘つきも性格の悪い人もいろんな人がいる。おとなしい人もいるからみんなが悪い人とはかぎらないがカルト宗教団体に入ったらすでにその人はその色にそまり常識を逸脱するのである。教祖様に従うというのも異常であり常識を逸脱する。その教祖様自体が欲の塊りのような俗悪なのが多すぎるのだ。だからこそ多くの人が集められるということである。精錬潔白な人はこの世では一番煙たがられ嫌がられるのが普通である。だから団体化した組織化した宗教はすでにこの世の汚れどっぷりとつかったものなのである。

2012年12月19日

相馬総合病院に入院、短歌まとめ (津浪、原発の被害の大きさを実感)


相馬総合病院に入院、短歌まとめ

(津浪、原発の被害の大きさを実感)

病院の外に夾竹桃の花赤しその花見つつ今日もすぎゆく
病院の窓に夾竹桃の赤き花風にゆれにきいでられじかも
津浪にて家を流さるその人と病室ともに秋となるかな
朝焼けの雲を写して病院の窓や相馬は海近しかも
丸森の人は去りにきそのあとにしばし思いぬ秋となるかな
菜花という名字の人の一時を同じ病室にはや去りにけり
草むらに月見草咲き病院の窓より見えて相馬市にあり
散り散りに町民なりぬ帰れざる人の悲しき虫の鳴くかな
病院に見守る人もなきにしにかすかに聞こゆ虫の声かな
病院に隣り合いつつ一時や相馬市にあり虫の鳴くかな
日に二度の回診ありぬ病院の心やさしも励まされるしかな
掃除する人にも感謝し退院の病院なべて患者に尽くす
病院の食事にも我感謝する独り身なれば買うこと多く
身よりなき人の悲しみ人知らじ看護師も知らじ虫のなくかな
弱きもの知るは弱きもの剛き者心知らじも虫の鳴くかな
人はみな今病院の死に場なりそのこと深く思うべきかな
請戸の人飯坂に住み雪ふりていやになりしと相馬市に来る
津浪のこと語りつくせぬ一年をはやすぎてまた秋の来る
相馬市の屋並を見つつあわれかな朝にひびける秋の蝉の声
頼るべき人とてなきに病院の朝より聞きぬ虫の声かな


二週間の入院は意外と短かった。入院すると長く感じるのだ。今回の入院は病人のようにみんな思えなかった。たいがい二週間以内でありある人は入院ではなかった。検査入院の人もいて二日くらいで去る人もいた。毎日話ししているのも笑いがあるのも病院らしくなかった。ただ病気は病気なのである。それが必ずしも軽いともいえないのである。前立腺癌の手術はそれなりに重い。現実に将棋の
米長氏が69才で死んだことは死ぬということもありうるのだ。ガンになったらやはり相当に重傷だろう。今回の病院は本当に津浪の影響を受けた人が意外と多かった。原発の被害者もいた。浪江の人はそうだった。相馬市には浪江の人がかたまって仮設に住んでいる場所がある。特別室に入っていた請戸の人は一時は飯坂にいたが雪がふるのが嫌で相馬市に来た。山元町の磯浜の人も津浪の被害にあっていたし、新地の人も家が流され仮設に住んでいるし松川浦の和田の人も津浪の被害にあった。
小高の人もいた。津浪原発の被害者が相当数入院していたのである。丸森の人がいたのも相馬市である。菜花というイワキの人は二日くらいで去った。苗字がめずらしいので覚えていた。

ともかく病院であんなに話すことはない、病人だから静かなのが普通である。ただここでは病気は一応みんな直って退院している。その期間が短いからあわただしいということがあった。

自分は身寄りがないから今回も辛かった。南相馬市病院に入院したときもそうだった。そこで酷い仕打ちにもあった。今回も一回あった。身寄りがないということはいかに怖いことか?それは病気になったときわかる。そうでないとこれも実感としてわからない、自分だって病気になっていなかったら犯罪にもあわないしそれなりにのりきれたのである。つまり病人が病人を世話するとか介護するほど過酷なことはないのである。でも実際そういうことが老々介護で起きているのだ。夫婦だって一方が病気になればどっちかが介護になる。今は子供が田舎から離れていたり遠くに嫁いだりとなかなか田舎にいるとは限らない時代である。だから田舎でもそうした老々介護のようなことが起きてくる。


病院は今や実際は社会にとって大事な場所になっている。それは今は家庭より病院でほとんど死ぬからである。そこが看取りの場所となる。でも病院は死ぬ場所としてふさわしくないのだ。何か無機質であり医者でも看護師でもやはり看取りするとしても数が多いんだしまた一人死んだくらいの感想しかもてないのである。人間がモノののように順送りに処理される場になる。死んだら早くかたづけてしまう。次が待っていますよとなる。そして死んだ人を覚えている医者も看護師もそんなにいないだろう。そこは家族とは違っている。家族は死んでも長く死んだあともかかわるのである。
自分は今や身寄りもないからもう病院には入りたくない、病院は身寄りがないとしたら恐怖の場所になる。別に病院でなくてもそうだが病院はやはり刑務所とにているのだ。家で介護されて死ぬのが理想であるがそれが確かにむずかしくなっている。理想的死に方は例え病院に入院しても長居しないで二週間くらいで死ぬことである。そういう人を身近で二人くらい知っている。そういう人は別に身寄りがなくてもそんなに苦しむ必要はない、これは別に身寄りがなかろうが長く介護されることはかなりの苦痛である。無理に生かされることが生き地獄になっているのが現代なのである。


南相馬市立病院には一か月いたし相馬市の病院にも二週間いた。どちらも秋になるころだった。南相馬市立病院は10月であり今回は9月だっ
たから違っていた。まだ本当は暑く夏だったのである。ただ
冷房しているから涼しいから病院内は秋になっていたのである。外は夏の盛りだったのである。
ただ確かに蝉は秋の蝉であり虫も鳴き始めたから秋ではあった。ただ外にいたら真夏だったのである。10月ころになればしみじと秋になっていた。するとより感傷的になっていた。今回はあまりそういうことはなかった。でも相馬市は秋の蝉がにあっている感じでもあった。相馬市は原町とはずいぶん違った感じを何度来ても感じていた。病院でも同じだった。


いろいろ医者や看護師や患者や病院を話せば尽きないものになるだろう。それぞれの体験も違っている。相馬市の病院の最大の特徴はそこが迷路のようになっていた。本当に古いし建て増しして迷路なのである。相馬市の病院は新地に新しい病院ができたら患者がへるから問題にしている。新しい立派な病院に行きたいともなる。入院だったらそうなりやすい、ただ建物があっても今や南相馬市立病院は機能していない、医者も看護師もいないのだからそれだけの人員を確保できるかどうか問題になる。建物だけ立派にしてもまたそれだけいい病院とはならないのである。


病者を非病者の社会から隔てる
高い城壁の一隅に
小さな目立たぬ城門があり
そこから細長い塹壕が伸び出て
病者のまじかくまで届いている
そして病者の友人や縁者が
時折この壕をたどって病者を見舞う
・・・・・
(細川宏 遺稿詩集)


この人は人間的にも相当優秀だった。自ら医者でもあり東大に入っている。柔道もインタ-ハイとかに出るような人だった。その人があえなく病気になり44才で死んだのである。自分にはスポ-ツができてさらにこれだけ頭いいという人を理解できない、普通は体育系の人は頭は良くない、勉強できない人が多いからだ。それなのにこれだけ体力もあり頭がいいということが理解できないのである。
なぜなら自分は常に自分を標準として他人を考えるからである。凡庸な人はだから天才や偉人を理解しにくいのである。自分は体力もだめだし頭もだめだった。高校も理数が苦手で勉強が嫌いだったから本当は卒業すらできない状態だった。それでも大学に入ったといっても三流であり優秀な所は一つもなかったのである。性格的にも甘やかされたところがありだめだった。だからそういう優秀な人がいることが理解できないのである。
こういうのは生まれつきの天才型なのだろう。そういう優秀な人でもこういうふうに病気になったらすべて台無しになってしまうのである。ただ最後は病院で呻吟して終わった。こういう運命も不思議だなと思う。体力があっても病気はそれぞれの人に備わっているのだろうか?病気もまたわかりにくいのである。


ともかく相馬総合病院はこの詩のように迷路そのものだった。あそこで迷わない人はいない、迷路の中に閉ざされてしまうのである。


 

2012年12月24日

老人の欲は消えない-権力+欲望が悪を産む (女性への欲望も消えることはない)


老人の欲は消えない-権力+欲望が悪を産む

(女性への欲望も消えることはない)

kennryoku11111.jpg


●老人の長生きの問題はすでに古くからあった問題


人を食った話

 14世紀に編纂された書物である「神道集」にはこのような話が収められています。第二代・綏靖天皇は毎日朝夕に人間を七人ずつ食らったため、臣下は自らが生き残れるか恐れおののくと共に天皇が長生きする事によって多くの人民が滅んでしまうのではないかと心配しました。何しろ、天皇の祖父・鵜茅葺不合命は八十三万六千四十二年、神武天皇は百二十年にわたり国を統治したとされていますからこの天皇もどれだけ生きるのか、と考えると苦悩に余りあったでしょう。そこで、ある臣下が天皇を饗応し、その席で「近いうちに火の雨が降る」と奏上しました。諸国にも同様の触れを出して人々を岩屋に避難させた上で、頑丈な柱で出られないようにした岩屋に天皇を入れて幽閉。天皇の姿が見えないのを確認したうえで代理の人物が国を統治しようやく国は平和になったということです。
http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/cannibal.html


高齢化社会というとき人類はじまってこれだけ大勢の人間が高齢化することは歴史上なかった。ただ今起きていることでも歴史上にはそれとにたことが必ずあったのである。これは天皇が権力者があまりにも長生きしてその配下のものが国を治められなくなった。これは今の時代にもあてはまる。
若い人が高齢者をまた寝たきりの金だけかかる老人を批判しつづけているのとにている。
実際に一つの家でも今は90才くらいまで生きるとするとまだその家の実験を財産をもっている場合が多い。財産が次の世代に譲られない、60代でやっと親が死に財産が自由になり自分のしたいことをできるようになったという人も多くなっている。そのことはすでに60代では遅いのである。
親が長生きしすぎた結果、家を継ぎ次の世代の時代を作ることができないのである。


これは自分も経験している。自分の親に当たる人が死んだのは86才でありそれまで財産をゆずりうけていなかった。だから自分で庭作りで2百万くらい使ったのははじめてだった。自分は百万という金を自由に使ったことがない、金が自由にできないことは跡を継いでも何も自分でできないということなのである。ともかく何も文句も言われないで自分のしたいことをできるには財産を譲り受けねばならない、それが親の長生きでできずにやりたいこともできなくなっていたのである。
もちろん自分の場合はやりたいことをやらせてもらった。ただ家のことでやらせてもらっていない、
親が長生きすることはやはり古い時代がいつまでもつづき新し世代の時代を作れないことなのだ。
これは一つの家の問題だけではない、社会全体の問題になっているのが高齢化社会なのである。
それは会社であれ政治の世界であれ学問の世界であれ芸術の世界であれどこにでもあてはまるだろう。高齢化とは新人が出にくい社会である。特に政治や企業などでは権力を譲渡されないと何もできない、ただ肩書だけ与えられても実権を与えられなかったら何もできないのである。実験は以前としてその高齢者がもっている場合がある。橋下氏か石原氏と組んで失敗したのはまさにこの例のように
高齢者が下のものの足かせとなり真の革新出来なかった事にあった。こういうことは高齢化社会全体の問題としていたるところで起きているのだ。


●女性の欲望は死ぬまで尽きない


テレビの時代劇のテ-マは決まっている。権力をもっている役人や商人でも若い美人の女性をものにしようとして権力に金にものいわせて従わせようとしている。それは露骨なものとして権力と欲望が結びつき悪が誰にでもわかるように演じられる。これはしかし昔から人間である限り起きていたことである。若くても女性にしても金持ちの家に嫁ぎたいとかなると女性の方も権力を望む。自ら権力に従う権力を利用するのも女性である。ただこういうパタ-ンは人間の悪として見慣れたものである。
これは欲望としてわかりやすいから悪が見えやすいから庶民的なドラマとして受ける。ところが現代になると権力+欲望が見えなくなっている。人間の欲望は女性とか性だけではない、様々なものがあり全部の欲望を否定はできない、ただ一番わかりやすいのが性の欲望だから昔からそうした事件はあった。


悪魔のメフィストーフェレス(以下メフィストと省略します)が、ファウストを堕落させて地獄に落とすことができるという自負心から、ファウストと契約を結び、ファウストを若返らせて、官能の享楽に溺れさせようとするが、純真な娘グレートヘン(グレーチヒェン;マルガレーテと訳し方は様々)に一目惚れをし、愛し合うが、以後、グレートヘンは悲劇の一途を辿り、ファウストはメフィストの力で助けようとするが、彼女は神の審判に身をゆだねる。
その後、美を追求することにより生の意義を把握しようとするファウストは、ギリシアのヘーレナ(ヘレナとも)を地下の冥界まで追い求め結婚するが、

魂まで売り若さを求める、地下の冥界まで追い求め結婚する・・・まさに女性に対する欲望ははてしない、老人になると枯れるというのは昔もなかったのだろう。老人になると若さの価値が宝石のように高いものとなる。なぜなら若さはもはやどんなに金を積んでも手に入れられないものとなっていたのである。女性など20代とその後30代40代さらに60代になるととても同一人物のように見えないほど変わってしまう。20代の輝きはあまりにも眩しかったことにその時気づくだろう。もうその若さは絶対に手に入れられないものとなっていたのだ。だからそれを手にいれようと躍起になるのも自然なのである。そのことで人間は最後の妄念が激しさをます。これは女性でも灰まで女性は女だということで人間の男女の欲望は消えないのである。70才の女性のストカ-がいたというのも驚きだがこれも高齢化社会の事件である。そういう事件はこれからますます増えてくる。老人の暴走はますます増えてくる。10倍にも犯罪はすでに増えている。老人になると性の欲望が消えないしかえって最後にその欲望が妄執のようになる。枯れるというのはほんの少数のものである。老人になるとかえって若さの価値がどれだけ高いものかしるのである。若いときはそんなもの当たり前だと思っていた。しかし老人になるとその若さの価値は黄金にも何よりもまさるから魂まで売って手に入れたいともなるのだ。

久米仙人も女性の脚を見て落下したとかダビデも晩年、女性に魅惑されて罪を犯した。若い女性と一緒にねて若返りを計ったとかやはりそういことはいくら優れた人でも起きてくる。つまり女性の魅力がいかに大きいものか、特に若さの魅力は本当に老人から見るとあまりにも眩しい輝きなのである。そこから権力をもっているとその権力で若い女性をものにしようとするのである。それは悪の典型的なパタ-ンなのだ。


●権力+欲望が悪を産む


権力+欲望というときそれは女性への欲望だけではない、権力そのものが人間の欲望である。権力をもつものがこの世で得して威張ることができる。権力なきものは虫けらのように扱われるのがこの世である。警察でも権力あるものには手加減するし権力をもっていないとまともに扱ってくれない、検察も警察も権力機構であってもさらに政治や政党などの権力がありその権力に屈する。だからこの世の権力集団は権力でもって権力を操作するように躍起になる。創価でも絶えず権力を操作するために検察や警察や政治でも圧力をかける。すでに集団化している団体は権力集団であり権力+欲望の集団である。中国の共産党でもそうなように革命は銃口から生まれるというときまさに権力は力で倒さない限り得られないということを露骨に言ったのである。戦国時代なら露骨に殺し合い戦争で権力の奪いあいをしていた。民主主義社会になると権力というのは別に武力だけではない、様々なものがありそれらがわかりにくくなったのである。なかなか目に見えないものとなってしまった。法律だって権力であり法律を知るのは容易でないから権力が東大出の官僚の派閥で支配されるようになったというのもそのためである。法律もすべて善用されるわけではなつ悪用もされるのである。それは人間の欲望がからむからそうなるのだ。

今度の原発事故でもわかったように権力+欲望が事故を起こすことに通じていた。すべての人が欲望をもっているのだから当然そうなる。東電ではもうけたい利益をあげたいから安全神話を作り安全のコストはカットする。コストカッタ-と言われた清水社長がのしあがる。さらに政治家検察官僚もマスコミも天下り先や金でその欲望をみたしてやる。地元の人も金でその欲望を満たしてやる。
人間は権力と欲望が一体になると危険なのである。欲望があってもその欲望を満たすことができないならば欲望も前面にでてこない、おさえられるのである。でも権力をもったらその欲望が前面にでてきて露骨に悪代官や悪徳商人などが若い女性を権力でものにするということがある。人間はみんな欲望をもっているゆえ、権力をもつと悪が増大するのだ。共産党も革命の後、権力を手に入れたときもともと権力を望んでいた。革命といっても自らが犠牲になることではない、権力でおさえられていた欲望がありそれを満たしたいという本心があるから権力を得るとその権力で欲望を満たすようになる。またその権力を簡単には手放したりしないのである。老人が権力をもっているというとき老人の力はもはや若さにはない、ただ権力のみが老人の力になる。家でも金がないと相手にされないとか今は老人を敬ったりしない、数も多いし敬いきれないいうこともある。老人に希少価値など全然ないのである。すると若者に対抗するには権力しかない、金しかないということにもなるのだ。だから金をもっていても手放さない、次代のものにゆずらない、長生きするから余計にゆずられなくなっているのだ。


ただ若さがすべていいかとなると若さは未熟であり知恵も備わらない、若いときはいろいろなものを理解できないのである。いくら本を読んでも自分は平凡な人間だから理解できなかったのである。
芸術でも深く鑑賞できないのである。老人になると若さを失うが深く理解力、鑑賞力が深まるということがある。だから若さがすべてではないにしろやはり若さというのは老人から消えたものだからもう手に入れられないものだからそれが特別なものに見えるのだ。恋というのは実は一生に一度しか経験されないというときそういうものなのだろう。それも20代前半でしか経験さないというとき人間はあらゆることを経験できない、経験できることは限られているのだ。ともかく人間のあくなき欲望、権力欲が尽きることがない。まず宗教が権力化していることこそ全く宗教から離れていることはない、そうではないか、シャカでもキリストでも乞食で住む場所もない生活をしていたのに宗教を説く人が今は誰一人としてそんな生活をしていない、巨大な権力集団化政治化して圧力団体となり逆らうと罰が当たるとか脅したりしているのは異常である。それは暴力団とたいして変わらないのである。


それがこの世にまかり通っていること自体何なのだろうと思う。つまり権力+宗教というのが人間として最悪なのである。それがカルト宗教団体である。ヨ-ロッパではカトリックでそういう歴史を経験しているから政教分離の法律ができた。宗教が権力で強制されることが最悪なのである。宗教は良心に訴えている。それを巨大な政治団体として個々人に圧力をかける。宗教心もないのに権力でもって強制する。むしろ人間は権力をもった時すでに清い心をもつことができなくなる。欲望が権力で達成されるとなるとおさえられないからである。宗教は集団的なものでありえないのだ。経済を良くしろとか景気を良くしろとかそういう経済的欲望はあってもいい、ただ宗教は別なものである。
カルト宗教団体はほとんど権力+欲望の集団であるからそこに宗教心の欠片もないだろう。
ただ集団でもって圧力をかけるためにある。確かにうまいものを食いたいというのを否定はできない、でもそれが宗教と結びつくはずがない、でも実際はうまいものを食べたいために祈っている。
うまいものを食べられなくても満足しようといかのが宗教心である。山尾三省のうような生活が宗教心だったのである。

 

2013年01月19日

高齢化社会の恐怖-老人虐待が日常化する (弱者はカルト宗教団体だけではない、個人も同じ手法で脅すことが普通にある)


高齢化社会の恐怖-老人虐待が日常化する

(弱者はカルト宗教団体だけではない、個人も同じ手法で脅すことが普通にある)


●高齢者虐待の時代


「死ね」「海に飛び込め」「生活保護費を切る」などの入所者への暴言があったとの指摘も出たという。
http://jgsdf74tk.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-b9ff.html


高齢者虐待は看護不足や介護放棄といった行為から、乱暴な対応、殴る、揺さぶるといった身体的な攻撃にまで及ぶ。また、怒鳴る、いじめる、脅すといった心理的な虐待を受けることもあり、時には金銭をせびられたり、奪われたりするケースもある。
http://www.swissinfo.ch/jpn/detail/content.html?cid=30995594


自分は体も満足に動かせない状況で他人様のお世話になるのは忍びない。出来れば家族である息子夫婦と一緒に暮らしていきたいと考えていたので、数々の暴言を甘んじて受けていたのですが、息子夫婦の態度はどんどんエスカレートしていき、最近ではAさんに対して暴力を振るうようになました。1ヶ月前にはとうとう、骨折や打撲で緊急入院しなければならない事態になってしまいました。
退院後ケアマネージャーの勧めで施設に入り、今はリハビリを受け徐々に平静を取り戻しつつあるのですが、息子夫婦との関係は修復不可能な状態となりました。Aさんには、事業家で既に他界した夫が残した3000万円の預貯金があります。自分に何かあったときに、この財産をあの息子夫婦だけには残したくないという気持ちが芽生えてきました。
http://yuigon-souzoku.jp/case/case_j.html


高齢者とか病人とか障害者とか児童とか女性は弱者になりやすいから虐待が起こり安い。これから高齢者虐待が日常的に起きてくる。毎日のように若い人が老人は死ねとか言っている時代である。金のない老人は死ねとかも平気で言っている。もうかつての老人とは全然違う。なぜそんなに長生きして金かけてめいわくかけているんだという意識しかなくなった時代である。だからもう日常的に老人への虐待は増大してくる。特養での虐待も実際は表に現れない、つまり常に弱いものは訴えることすらできないのである。だから病院では医者や看護師には逆らえない、そこは刑務所ともにているのだ。そういうところで虐待があっても医療ミスがあっても表に出にくい、医者というのは今一番権力をもっているのだ。病気になったらもう医者には逆らえない、絶対服従みたいになるから医者が傲慢だと批判される。人間は誰でも病気になるとき一番弱者になるのだ。高齢化社会では老人は病人ともにているから虐待される標的になりやすい。体も弱くなるし頭も働かなくなるからだ。


老人とか子供は一番虐待しやすいのである。だから何らかストレスがあると八つ当たりされるのである。特養とかの老人ホ-ムでも虐待は日常的に起こっているかもしれない、そこは閉鎖的空間だからである。病院も閉鎖的空間でありそういうことが起きる。自分が一か月入院した病院でも90才の老人が看護師におもちゃのように扱われていた。痰がつまって苦しんでいた。その苦しみが隣にいたので息がつまるようで眠れなかった。その痰をとりだすのに悶絶するような苦しみがあり大きな声を出していたのである。でも看護師は笑ってそれをしていた。あれをみていたら今の時代は長生きすることはかえって地獄を生きることだとつくづく思って恐怖した。その人は特養の人でつきそいもないからそうなった。誰も見ていないからやり放題となる。それはプログで虐待を録音したのとにていた。その人はしきりにおくさんとか家族を呼べとか言っていたから家族がないわけではない、でも老人ホ-ムではやはり閉鎖的空間であり強者と弱者が病院のようにはっきりしている刑務所ともにているのだ。今や別に老人ホ-ムだけではない、家族内でも老人が虐待されて息子娘でも財産をゆずりたくないとなるから高齢化とはそういう時代なのである。そうした老人虐待、弱者虐待は表にでにくいからその数は膨大なものとなっているに違いない。


●人間は誰でも弱者化するから虐待は他人事ではない


まず家族が認知症とか障害者をもったら家族自体が弱者化して虐待される。認知症などでも必ず回りの差別がある。そもそも人間は絶対的強者はいない、必ず弱者に転落する。なぜなら老人になることは弱者化することなのである。自分の身内は本当に認知症になりあんな弱者になったということが今でも信じられない、常に強者だったからであり家族も弱者となったことがないからだ。その後自分も病気になったりして弱者化して辛い目にあった。弱者化するというときいろいろな事情でそうなる。金のないとかも弱者になることである。借金したりしたら弱者になり借金の型に人間が売られる。
遊女にもされたのが昔である。今でもやはりそうされた女性がいる。それは自業自得だからしょうがないと思った。その人もやはり自分のように長い弱者となっていなかった。ただ人間はいつ弱者に転落するかわからないのだ。誰でも病気になるしその時弱者に転落するのだ。今若くて力があっても老人になればいくら金をもっていても弱者化するのである。若い人は金がなくてもまだ病気にならないし社会に適応できるから弱者ではない、老人になると社会そのものに適応できなくなる人も増えてくる。だからどんなことをしても老人はやがて若い者には勝てなくなるのだ。そこで弱者になったとき虐待されるのである。

自分も家族が認知症になってから家族自体が弱者化して虐待されるようになっていった。一番ひどかったのは姪子だったけど「おばちゃんは金あるんだから金で介護させればいい」と狂気のように怒鳴りつけて去っていった。これは日頃交流のなかった人だからしょうがないという面もあったがこれも強烈な虐待だった。福島市に住んでいるけどこいつのことは絶対に許せない、こいつは世話になった育ての親も虐待していたのだ。親が虐待していると思っていたら逆だったのである。そして恨みを残して死んでいったのである。その恨みは必ず虐待した女性にふりかかるだろう。もちろん虐待される女性にも問題があったが自分の家族は何らそんな虐待をされる謂われがなかったのである。こういう狂気の世界が自分の家族が認知症になってから延々とつづいたのである。それは40代の父親が認知症になり20代の息子が親戚に頼りひどいめるあったことをプログに書いていた人がいた。これも並大抵の苦労ではなかった。それで父親も恨んだし介入した親戚も延々と恨みプログにかいた。そういうことは訴える場が今までなかったがインタ-ネットでできたのでしている人が増えたのである。


●個人的に弱者を脅すことはカルト教団と同じ手法だ


弱者というとき自分自身が病気になり弱者化した。二年間は身体障害者であり入院したときは火事場泥棒にあったのも家族がいなかったせいでもあった。家族がいない、身寄りがないということも最大の弱者なのである。頼るものがいないからだ。それで今回手術で入院したとき親の代からつきあいのあった人に延々と言葉の虐待を受けた。「お前は家族がいない、親戚がいない、頼るものがいない、俺たちしか頼るものがいない、俺たちに世話になるしかない・・・」脅迫するように手術してからも言われた。この人はもちろん何の愛情もなかったし金目あてだった。最初はわからなかったがあとでわかった。口だけでなんやかんや甘いことを言っているが何の愛情もないし同情もなかった。
だから人の弱みにつけこんで脅迫するようなことを平気で言ってきたのである。この人も弱者として信じられない体験があるからそれがトラウマになって相手が弱者になると虐待するようになるということがある。いじめられたり虐待された人はまた弱者を虐待する負の連鎖があるかもしれない、姑と嫁の関係もそうだった。姑にいじめられた嫁は姑になったらまた嫁をいじめる。今では姑は嫁にいじめられている。


本当に弱者になったとき虐待されることは最高に恐いことである。なぜなら抵抗できない、服従しかできないからである。何言われても抵抗できない、だんだんカルト教団のように「お前は俺に俺たちに頼るしかないんだ」と脅迫的になるから悪質化する。だけで弱者は抵抗できないからそうなると奴隷のようにされるかもしれない、借金の型にとられ遊女とされて働かせられとにているのだ。カルト教団の手もこうした弱者を食い物にする。だから障害者とか一旦弱者になるといろんなカルト教団が入りこんできて蹂躙されるのである。それも弱者になっているから抵抗できないのである。カルト教団というとき別に団体だけではなく個人的に虐待する人も実はカルト的になることがわかった。「お前は俺たちしか頼るものがいない・・」こういうふうに脅されると現実そうなっていたら恐いことである。その人は弱者に対して本音がエスカレ-トしたのである。今は借金の型にとられて働かせられているがそれも当然だと思う。相手は何も感じていないかもしれないが弱者にとってそうした最大の弱点をつかれて脅されるようなことをされたら恐怖である。それは集団ではなく人間一人一人弱者に対してカルト宗教団体化していたのだ。カルトも先祖の霊が不幸にしているとか脅すがそれとにているのだ。弱者というのはそういうことが信じなくても信じやすくなるのである。
その人も弱者の経験があるからそんな人ではないと思っていた。しかしつきあっているうちに本性があからさまに弱者に対して現れたのである。

 

2013年01月21日

寒烏(介護でわかる人の心、弱者として責められつづけた六年間)


寒烏

(介護でわかる人の心、弱者として責められつづけた六年間)


今日も見る寒烏一羽介護かな


寒烏が一羽電線にとまってじっと今日も見ていた。いつまで介護はつづくのだろうか?人間は今や寝たきりになってもなかなか死なない、なぜかわからないが寒くても一日エアコンしているとかそれなりの手当てをするから簡単に死なないのだろう。また死ねないということもあるのかもしれない、延命治療しても死なない、介護になると誰かがつききりになり離れられない、ここずっと6年間そうだった。家事には休みがないのだ。食べないわけにはいかないからだ。ただ介護していなければ外で食事するとか休むことができるのだ。そして別に旅行でも前のように自由にできる。介護は全く自由がなくなるのが辛い。誰かが代わってくれることは余程めぐまれないとない、介護は誰かにまかせられおしつけられるのである。遠い親戚の人は口でなにやかにやいってもほとんど何もしなかった。


それなのにお前は頼るものがないとかそんなことで弱者となったとき脅迫するように責めてきたのである。あの人たちはずいぶん虫のいい人たちであり弱者を脅迫までするのだから質の悪い人だった。あんたの財産は親戚がいないから俺たちが全部もらうけど何もしない・・・実際に借金の型にとられて働かせられているけどここでは金をやっても何ら助けることがほとんどなかった。ただうるさく口で言うだけだったのである。これは一般的に親戚はそうであり他でも言っているから介護となるとだから介護している本人はそこで怒っている人が多いのである。兄弟でもそうであり介護したくないけど親の財産はもらいたいと口だけはだしてくるのである。ともかく弱者をいためつけ脅迫するということは相当に悪質なことだろう。弱者になると何も言えなくなる、二年間は身体障害者であり大きな不安がつきまとっていた。それだけで苦しかったから何も言えなかった。手術してその不安がとれたことが自分にとっては大きかった。これで頼る必要がないということが大きかった。


人間はやはり人の弱点とか弱みにつけこむのは最低のように思うがそういうことか自分とつきあった人にはあった。一人は本当に刑務所に何年か入らねばならない大きな犯罪者であるけど平気で同じ町に住んでいるから腹ただしくなる。別に襲う気なら簡単に襲える、その恐怖もないらしいから太々しい、そのくらいだからそれだけの犯罪もできたのである。一人はたいしたことをしていないと思っているが自分は大きく傷ついた。やはり弱者だと思い何も言えない状態で入院したときも脅迫してきたのだからひどい。その人は口だけでありその口で責めてきたのである。言葉も実際は恐ろしい、言葉は心から発する、その心が言葉となって現れるのである。弱者に対して陰険な言葉の暴力がつづいたのである。相手は何も感じなくても弱者になった本人にとっては恐怖だったのである。


言葉はいくら美辞麗句で飾ってもその人の心を隠すことはできない、心から発する言葉は子供でもみぬくし愛なき同情なき言葉をいくら言ってもわかるのである。だから病人とか弱者にそういう言葉だけの人が近づくことは危険になる。一方何もしなくても心が同情心にあふれているとか穏やかな愛をもっている人はいるだけで影響する。言葉は心からででくるからわかるのである。何も言わなくても心は回りに影響するのだ。だから弱者をいじめて喜ぶような心の人がいたら病院とか施設ではすでにその人がいるだけで悪い深刻な影響がある。でも実際はそういう人が平気でそうした弱者の場にいるのも現実なのである。そもそも同情心とか愛とかをもっている人はまれである。医者にしたって技術は優れていても愛は別なものだからである。愛がなくても医者でも看護師でも介護士でも何でもなれるのである。そんなこと試験で試されたりしないし必要ないからである。この人が何かを信じている宗教を信じているから愛とか慈悲があるとか全くない、カルト宗教教団は相手の弱みを見つけて脅すような人たちだからそういう人がいるだけで恐ろしいことなのだ。


人間は弱者に対しての態度でその人間性がわかる。弱者に対して虐待するまでとなるとその人は相当に人間的に問題がある人であり近づくべきではない、ただそういう人が結構この世には多いようだ。もう一つは人間は権力をもつとその人間性がわかる。露骨に欲望が前面にでてきて実行するからだ。だから革命が起きても権力をもったら欲望を実現できるから悪いことも平気でする。ロシアでも中国でも巨額の富を権力を手に入れたものはそうなっている。結局人間の悪質な面を嫌というほど介護でみてきた。いづれにしろこれからの老いてゆく、弱者になってゆくことは現代では恐怖である。
弱者をいたわる気持ちがない社会である。また老人が多すぎるからそういうモラルも醸成できないだろう。ただ邪魔な金だけ浪費するととられてしまうのだ。現実に自分がこれまで介護しても本心ではそう思うことがあるからだ。ただ家族の場合は個々に事情があり違ってくる。子供が親に対してどういう感情をもつかは違っているのだ。自分の場合は好きなことをさせてくれたとか思っているから介護している。何かしら家族には動機がある。これが施設なるとなんでこの赤の他人の老いぼれを世話しなければならないのだとなり動機がないから虐待までになる。みんなに聖人のようなことは要求できないからである。


寒烏が一羽じっと見ている。その一羽に存在感があるのが田舎である。それはやはり都会の烏とは違っている。その烏はいつでもそこにいる。誰かが同じ場所にいつでもいるというのが田舎なのである。都会だとめまぐるしく変わりやすいのである。介護しているということは介護する人をそうして見ていることなのである。だから介護する人から離れられないのである。

2013年03月26日

見過ごしていたコメント (高齢化社会の恐怖-弱者を虐待する人間の悪魔性)


見過ごしていたコメント

(高齢化社会の恐怖-弱者を虐待する人間の悪魔性)


高齢化社会の恐怖-老人虐待が日常化する
(弱者はカルト宗教団体だけではない、個人も同じ手法で脅すことが普通にある)
http://musubu2.sblo.jp/article/61582877.html


ここにコメントされたものです



病院は刑務所と同じ。患者は研究対象のモルモットがストレス発散の為の玩具。90才の老人が痰吸引で苦しむ姿を見て笑う看護師…自分が指摘した母の臀部に出来た褥そうになる手間の水疱を水疱ではないと看護師に否定されました。しかし、水疱は破け褥そうが広がり、褥そうの処置に大声で痛みを訴え泣き叫ぶ母を見て笑ったり、「凝らしめたる」だとか、痰吸引で苦しむ姿を見ても何とも思わない看護師の恐ろしさ、母の泣き叫ぶ姿や自分は看護師や医者に裏切られ弄られても抵抗出来ない姿を思い出し、辛くなりました。医者は研究対象から外れたら、もうベッドを開けて欲しいから死期を早めることも自由自在。私が怒り苦情を言えば、私がいない間に母を弄り、今思えば、母が私に「もう、何も言わんといて」って言った意味が分かりました。こんな恐ろしい医療従事者がいるなんて信じられませんでしたが、自分の大切な人が被害にあい、恐ろしさを目の当たりにしました。事実は形に残して正解です。医療従事者の言いなりになり、物以下の扱いをされ過去形にするつもりはありません。


ストレスが原因とはいえ、目の前の癌患者を虐待した裏には、悪質な医者、カルト教団、見栄をはり消費者金融で借金して外見を飾り、会社経営して、しっかりしていると思わせたかった葛集団、母に借金の肩代わりさせた事実を隠蔽したかった元兄嫁や妹が繋がっていました。
高齢者や女子供や障害者が虐待の対象にされるケースが多いですが、虐待する側にも、同じ対象者が当てはまります。障害者にも色々で、精神薄弱者が加害者になる場合も多々あります。だいたい、カルト教団に入る様な人間やカルト教団と取引し悪事を重ねる事が出来る人間は自立出来ていませんし、攻撃機制があります。



90才の老人が痰吸引で苦しむ姿を見て笑う看護師・・・・


自分も入院した隣の90才以上の老人がそうでした、その人は特養の人で身寄りがなかった
だから看護師がおもちゃのように扱っていた、痰がつまるのは本当に苦しい、
その苦しむ声が毎日隣から聞こえてくるので眠れなかった
看護師はそれを笑ってやっていた。
看護師は天使にもなれば悪魔にもなるというとき悪魔になっていたのでしょう

病院は実際は恐ろしい所です、看護師にも一人だけど虐待的なことをされた
結局それも身寄りがないからそうなった、家族などみているものがないとしたいほうだいになる
だから身寄りがないものにとっては病院は恐怖です


痰吸引で苦しむ姿を見ても何とも思わない看護師の恐ろしさ・・・・端からみても地獄の苦しみでしたよ、あんななる前に死んだ方がいいと思った、つまり長生きするとは恐ろしいリスクが待っているというのも現実です、長生きさせられて生きながら地獄の苦しみを受ける恐怖です
病院で死ぬことは本当は相当に恐いことです


安楽死させろというとき安楽死の方があれをみていて人情的だなと思った
一層殺してくれと患者も言葉にも言えないが端からみてそうだった
安楽死の方があんな苦しみを受けるよりよほどいいと思ったし否定できない

長生きするということは苦しみも増えるということです
自分の姉は本当は脳出血で倒れて入院したけどそのまま死んだ方が楽だった
半年以上入院して地獄の苦しみを味わった
結局最後は老人は直らない病気になり死にいたるのだから
何でも病院にまかせるとただ苦しませられるだけになるし病院の方でもその治療や介護で膨大な労力を費やすことになるだけです

自分も親戚に言葉の虐待を受けました、これにカルト教団が加わったら最悪です、自分の場合は身寄りがないことですべてそうなった、病気のときまでいじめられると思わなかった

人間は全く残酷です、この六年間は介護や自らの病気や犯罪にもあい苦しみの連続でした
最近こんな非情な社会になったから津浪が起きたんじゃないかと思います
人間社会の終末が来ているのじゃないかと思いました
最後の審判のときが近づいているのだと思いました

自分はなんとか借金している親戚と切れましたし今は病気も一応回復したし身体障害者でなくなりましたから楽になりました、なんだかやっと楽になったなとほっとしています
自分の場合はなんとかあきらがつきます
だからただ忘れることを願うだけです

 


●身寄りのないものは入院すると最悪になる
このコメントを書いた人は裁判にするまで恨んだ。自分もこれと同じ様な経験をした。つまり人間は弱者になったときそれをいたわるどころではない、弱者になったことをいいことに脅迫するしてくる。もちろん火事場泥棒のような犯罪にもあった。それも自分が病気になり弱者になったからである。弱者を攻撃することは実に容易である。でも弱者になると何も言えない、お前には頼るものがいないから俺たちの言うことを聞くほかないと言われる。弱者になったことをいいことに責められるのだ。看護師も一人だけであるが入院して虐待された。それも恐怖だった。その看護師が怖くなってトラウマになり何も相談することもできなくなる。何か悪いところがあっても言えなくなる恐怖があった。弱者だからどうしてもみてもらいたいことがあっても言えなくなるのだ。医者とか看護師の前では患者は一方的に従うだけのものとなる恐怖である。何も言えない、もし寝たきりとかになると余計にそうである。もちろん認知症とか精神障害者はもう何も言えないから虐待されるままになる。


そういうときなぜかいろいろなカルト宗教団体が入り込んでくる。それは創価でも一票獲得のチャンスとなりまた他のカルトでも会員を増やすチャンスとみて入り込んでくる。同情などは全然ない、自分たちの勢力拡大のために入ってくる。またそういうものに頼らざるをえないことも恐怖なのである。自分が頼った親戚もそうだった。親戚でも金が欲しいだけでありいやいやながらやっていた。
だから何かするにもいちいち恩を着せるのである。手術するときも身寄りがないから保証人の欄に一応書いてもらった。たいした手術ではないにしろそういうことをしてもらうと多大な恩をきせられる。身寄りがないということはなってみないとわからない、もう誰にも頼れないという恐怖である。


人間は家族などがいなければ誰も同情などしないのである。病院でも医者も看護師も同情はしない、ただ物体のよう地扱うだけになる。そもそも医者や看護師側から見れば赤の他人であり次々に運ばれてくるしもう嫌だという感情がでてくる,同情しきれないという感覚になってゆくのかもしれない、人間的同情感覚正常な感覚が麻痺してくるのかもしれない、もうこんなに死にかける大量の老人を世話するのは嫌だという感覚になるのかもしれない、そういう感覚になることはイメ-ジできる。
それだけまた看護の現場が過酷だからまたいちいち同情していたら身がもたないということもあるだろう。だから看護師はやめる人が多いというのも納得がいく、あまりにも理想とはかけ離れた過酷な非情な現場だともなる。


●安楽死もある場合は肯定されるべきだろう


高齢化社会の大きな負の面が過度な介護とか延命治療にある。だから安楽死させろというのも一面わかる。入院した隣の人は安楽死させたた方がどれほど情があるのかとさえ思った。看護師のおもちゃにさせられて苦しめられるためにある。特養だからその人に金はなくても国で出すから生かしておく、生かされることがもはや地獄の刑罰のうよになっていたのだ。それは延命治療でもあるし自分の姉も地獄の苦しみを味わった。泣き方が異常だったのである。それほど苦しかったということである。これは他の人も病院でそうした苦しみを受けているのだ。だからあるところからはただ苦しませるために生かしておくとまでなっているのが今の医療なのである。人命は生きる限り尊いものだというのではない、それほど苦しんで人はもう生きたくないのだ。

結局人間は最後に自分の死を選べない、意識不明とかなり病院に入れられてそこで眼が醒めたら地獄の苦しみを味わう場になっていて逃れられなくなるそこが拷問の場とさえなっていた。延命治療は直るならいいが直らない患者を苦しませるために長生きさせるだけのものとなる恐怖である。特に特養の老人がそうだったように何も抵抗できないしただ弄ばれるだけだという恐怖があるのだ。
それも身寄りがないということはそういう身寄りを作らないことが悪いのだともなるだろう。

自業自得としてその罰を受けろとまでなるのかもしれない、人間の最後をよほど真剣に考えていないと今の時代は恐怖である。孤独死が言われるが別にこれが悲惨ということではない、瀕死の状態で病院に運ばれて延命治療されて苦しみが長びくことこそ恐怖なのである。助かるにしても高齢になるともう死だけになり苦しんで死ぬだけになるからだ。姉も半年長生きしたとしても異常な苦しみを経験しただけだった。でも今は必ず救急車を呼ぶから呼ばざるを得ないからどうしても苦しむ期間が長くさせられるのである。


●弱者には親戚やカルト教団がからみ食い物にされる


ストレスが原因とはいえ、目の前の癌患者を虐待した裏には、悪質な医者、カルト教団、見栄をはり消費者金融で借金して外見を飾り、会社経営して、しっかりしていると思わせたかった葛集団、母に借金の肩代わりさせた事実を隠蔽したかった元兄嫁や妹が繋がっていました。


これも自分と多少にていた。その人は会社を経営していて成功したように装っていたのだ。
それもただ見栄のためだった。借金をしているからどうしても金にこだわり自分が病気になったときそれをいいことに暗黙の内に金を要求するようになる。まあ、別にそれなりに同情して助けてくれるならいいが実際は同情は全然ないし恐喝まがいのことをしてきたのである。こんな人に頼ること自体最悪だったのだ。こういうことは20代で若くして父親がアルツハイマ-になった人がインタ-ネットに書いていた。親戚にいいようにされ金をとられてだまされたとか書いてあった。その恨みを延々と書いていたことが自分にもあてはまる。人を見るとき弱者にどういう態度をとるのか?それをみているとわかる。弱者に横柄な態度になり虐待までする。そこに人間性が見えてくる。それは男女関係でもある。女性が齢から虐待されるのだ。虐待することに喜びを感じるのも悪魔的性格が人間は誰にでももっているのだ。


人間はまさにショ-ペンハウエルのように悪魔的なのである。それは自分もないと思ったがある。人間は誰しもジキルとハイドなのである。そういう悪魔的側面が隠されていてそれが自分のように病気とか弱者になるとそれ幸いとつけこんできて虐待されるのだ。人間は一面恐ろしいものなのだ。愛とか慈悲を説く宗教とはあまりにもかけ離れている人間の本性は悪魔だともなる。
カルト教団は悪魔的なものである。宗教看板にして弱者救済するように見せかけて勢力拡大を計るだけである。そもそも弱者に同情する人がこの世にいるのかとなる。

もちろんそういう側面は自分にもあるからただ他者を責めるということもできないのだ。弱者を虐待して快感を覚えることは男女の関係でもあるし常に人間に備わっているものなのである。だから人間が弱者になったとき本当に同情する人は希有な人である。一人だけ馬鹿正直な女性が同情したのである。その女性は本当に同情したから今になると今の世の中ではありえないとさえ思った希有の女性だったのである。


 

2013年03月28日

アマゾンで安易に注文したホルモン剤の危険 (TPP、グロ-バル化は安全が無視されやすい)


アマゾンで安易に注文したホルモン剤の危険

(TPP、グロ-バル化は安全が無視されやすい)

●薬には必ず副作用がある


手術後にホルモン剤を飲むなとかどこかで書いてあったことを思い出した。筋肉を強化する薬はアメリカ製でありアマゾンで直輸入できる。でも飲んだ人は体の調子がおかしくなったと書いた人が一人いた。あとはやる気がでてきたとか効果があった。ただ自分が失敗したのは手術後でありその影響を考慮しなかったことだった。健康だったら副作用もたいしたことがないかもしれない、手術後はこれはまたわからないし危険度が増していたのである。薬は安易に飲みすぎる。病院にゆくとやたら大量の薬を飲まされる。十種類の薬を飲んでいるとか言う人もいる。それは明かに過剰な薬の投与なのだけど病気になるとやはり藁をつかむ思いで薬に頼るのだ。精神病系統の薬はたいがい副作用があり悪いと言うのは本当だろう。精神系統はまだ良くわかっていないからだろう。薬で常に頭に入れて置かねばならなかったのが副作用があるということであった。効く薬はまた副作用が強い。抗ガン剤でも副作用がありかえって悪くする人もいる。薬の使い方はやはり慎重であらねばならなかった。


ただ医者が飲めという薬は飲まないとは言いにくいから困る。つまり薬の利用はむずかしいのである。筋肉系の薬でも一人は副作用があったとしても他の人は別にそういうことはなく良かったとかなる。それは体質とも関係しているし他にも何か個々人で関係しているものがあり全部に効いたりしないしまた副作用があるわげはない。ただ薬は慎重にしないと副作用が必ずあるということなのだ。
それから医者は手術をしたがるという批判もある。日本の外科医は特にその傾向があるという。

切りたい切ってみたい、切って腕をあげたい、切って優秀なところ見せたいとかの気持ちがあるのかもしれない、手術も成功すると効果が大きいからそうなる。失敗すると逆に薬の副作用のようにその影響が大きすぎるのだ。手術には必ずミスがつきものなのである。人間の体を傷つけるのだらいくら慎重にしてもそうなりやすいのである。ともかく患者も薬に頼りすぎるし手術にも頼りすぎることがある。手術が万能のような感覚に陥っている面がある。手術で致命的障害を負った人はいくらでもいる。ただすべて手術を否定することはできない、手術でしか治療をほどこせないものも多いからだ。

●安全は保証できない

 


 Q 混合診療を解禁すると、米国にどんな利益があるの。
 A 米国の巨大な製薬会社や保険会社は日本でシェア拡大を狙っている。解禁で保険適用が認められれば、自由診療を利用する人が増えて、高い薬も売れる。高い診療費をカバーするため、民間保険に入る人も増える。


ドラッグラグ・未承認薬が発生する直接的な原因は、次の2つに集約される。

日本の制度では効能・効果毎の承認を受けないと保険適用されないため、保険診療では承認されていない効能・効果には使えない(効能拡大問題に限る)。
未承認医薬品は、何時まで経っても、製薬会社が申請しようとしない。

 


自分がアマゾンからアメリカ制の薬を買おうとしたがこれは未承認の薬なのだろう。そういうものも販売されている。安全性が保証できないものも販売されている。インタ-ネットでそういうものが買える時代でもある。そこにまた落とし穴がある。グロ-バル化は安全性の面ではかなりマイナスな面があった。ウィルスが世界中に蔓延する危険や家畜の伝染病など世界中にたちまち蔓延してしまう。グロ-バル化のデメリットはかなり看過されていた。アメリカ人にヨ-ロッパ人でも食生活が根本的に違っているからその体質から特定の病気になりやすいものがある。アメリカ人は肉食に適したように酵素がでるという、日本人は穀物などを消化するので牛のように腸が長くなった。その土地の風土によって体まで作られてきた。だから風土にあった生活していると体にはいいのである。人間は世界中の食べものを輸入して食べる必要はないのである。牛肉などは本当は食べなくても他でタンパク質はとれていた。むしろ日本食が健康食として見直されたのは肉食民族と違った郷土料理があるためなのだ。

食生活は世界史にも大きく影響した。肉食民族のヨ-ロッパでは胡椒が不可欠になりアジアとの貿易を必要としてアジアに進出した。ヨ-ロッパはアジアより食生活で貧しかったのである。

ヨ-ロッパにはもともと資源や富はなかった。それでなぜ豊になったかというと知識や技術力だったのである。産業革命がそれを成し遂げたからこそイギリスが世界を七つの海を制覇した。工業化の結果として世界を制覇した。資源はない食生活も貧しかったけれどヨ-ロッパには知識と技術の集積ができあがった。ヨ-ロッパには天才が多いのも特徴である。天才もただ個人が傑出しても生まれない、やはりそれなりの全体の環境があって天才も生まれてくる。アフリカから天才は生まれないのはそうした知識技術の集積がなかったからである。日本が明治維新に西欧化に成功したのは江戸時代までの知識技術文化の集積がそれなりにあったから成功した。中国やインドもあったが遅れたのは日本のようにコンパクトな国でなかったからかもしれない、でも今や追いつきつつある。大きな国を改革するのは時間がかかるということもあった。


●原子力発電も安易に日本にとり入れたための失敗


ともかく現代の病気は栄養のとりすぎで糖尿病になったり体質にあわないのに欧米化の料理になったり肉食過剰になったり薬の飲み過ぎとかそういう贅沢から病気になる。一方で江戸時代辺りは脚気など栄養不足と薬のないことかなっている。一方で糖尿病のようなものはなかった。江戸時代に一割近く眼病があったというのも栄養不足だったのである。今は栄養過多から病気が起こりやすいのである。TPPの問題はアメリカのものが安易に入りやすい、薬でも危険な物が入りやすい、食糧でもそうである。遺伝子操作された食糧でもそうである。中国の食品は危険だから食べないという人も多くなった。日本の売りは安全だったのである。日本は外国と比べて治安も良かった。バッグを忘れてもどってくる国はほとんどないだろう。日本では警察に届けられることがある。田舎では忘れ物はほとんど届けられている。これは外国人も驚くだろう。ただ大きな犯罪は田舎でもありそれはまた別な所にあった。人と人が向き合うところに大きな犯罪が起きてくる。これは田舎でも同じである。

ただ原発事故のことでずいぶん書いてきたけどなぜ日本で事故が起きたのか?技術力があり安全の国ということで外国の評価が高かった日本でなぜ起きたのか?それはやはり日本の独自の風土と文化が根底に関係していた。原子力というのを何かわからずに明確に検討されずに安易に導入したのである。コストが安いからとか安全の面を考慮されていなかった。外国料理でも日本人にあう料理になる。技術もやはりその風土にあったものとしてとり入れることが必要だった。日本人は外国文化を入れるとき取捨選択して入れていたのである。それがグロ-バル化でなくなった。ただ便利だからいいということで無防備に入れてしまったのである。グロ-バル化でもTPPでも安全がないがしろにされることが一番恐い、でも安全は保証できない、すると原発事故のようにとりかえしがつかなくなる。
国さえ滅びかねないともなる。グロ-バル化は安全に対しては無感覚にしてしまった。あまりにも自由にヒトもモノも出入りすることを許してしまった。それが致命的なものとして事故が起きる。
原発をとり入れたことは日本では致命的だった。地震国であり津浪がある国ではどれほど危険だったか?また事故が起きたら国土が狭いのだから逃れる場所もない、原発は日本国土にあっていなかった。TPPさらなるグロ-バル化であり安全性は保証できない、原発のような落とし穴がある。薬のように副作用が大きくそれが致命傷になるということがあるから恐いのである。

2013年05月21日

弱者を相手にする職業は権力を持つものは人格がゆがむ (医者、看護師、介護士、福祉関係の仕事)


弱者を相手にする職業は権力を持つものは人格がゆがむ

(医者、看護師、介護士、福祉関係の仕事)
 
家族が看護師から虐待、虐めを受けています。
詳しくは書けないのですが、当分の間、他へ移る事は難しく、
看護師の虐めを公的機関(役所、保健所、法ム省)に相談しても
何の対応もしてくれません。
弁護士に相談しても証拠がないから他へ移るようにと言われ、
困っています。すぐには移れないので。


このままだと家族が看護師から何をされるのか?と思うと恐怖で
なりません。家族にまで電話をしてきて意味不明な暴言を吐き
まくり、家族に対しては健康や医療行為を妨げる行為を
平気でしている看護師に対して厳しい処罰を施したいのですが、
何か良い方法ないでしょうか?
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/hosp/1293579580/l50


医者と看護師を比べたとき医者の権力は看護師よりだんとつに大きい。それでも看護師が力がないかというと医者に対してそれなりに力をもっている。看護師に医者も協力してもらわないと仕事ができないからだ。病院では看護師の数が多いし看護師も結構力をもっているのだ。看護師の評判が悪い医者は仕事がスム-ズにできなくなる。


ではなぜこれほど医者とか看護師の悪口が多いのか?ここに明かに何らかの根本的な問題がある。
それは弱者を相手にすいる職業はどうしても人格がゆがんでくるということでてある。
医者とか看護師とか福祉関係は常に病人であり身体障害者であり精神的障害であれ弱者なのである。その弱者を相手にすることが人格を自ずとゆがめさせるのである。
医者と患者の関係は看護師でも普通の関係ではない、絶対的強者と弱者の関係になり強者に絶対服従の奴隷的関係になるのだ。そこに医者や看護師や福祉関係でもまた権力をもっているものは警察でも人格がゆがんだ人が多いのは相手を奴隷のように服従させることができるからなのだ。


普通の社会の人間関係は別に強者と弱者に明確に別れていないのである。ただ一般的に商売しているような人は常に客には低姿勢になっている。コンビニであれ小さな商店であれビジネスにたずさわる人でも客との関係で低姿勢になっている。ところが医者とか看護師や福祉関係は相手は病人だったり老人だったり身体障害者だったりと常に弱者を相手にしているから高姿勢になり謙虚さがなくなるのだ。ほかの職業は社会ではどうしても低姿勢にならざるをえないから謙虚さが自ずと身につくというより威張ることもできないのである。だから弱者を相手にするものは何らか人格に必然的にゆがみが生まれる。


自分が身内が病気になったりして自分も病気になり二回も入院してそのことを嫌というほど体験した。弱者になったとたんに人の態度はまるで変わってしまうのである。普通に差別があるしその弱みにつけこまれて火事場泥棒にあったり精神的にも虐待されつづけたのである。弱者に対して人間は同情するということもあるが逆に優越感にひたり虐待することもあるのだ。田舎でわかったことは「他人の不幸は蜜の味」ということがあからさまに現れるのである。都会では無関心だが田舎では狭い人間関係の中で露骨に人間の悪い性格が現れやすいのである。田舎では他人の不幸が楽しみになりやすいのである。


自分の親戚というものでもなかったが最初はわからなかったがだんだん虐待になってきたのである。二年間は身体障害者になっていたし相手がどんなことを言ってきても逆らうことができなかった。
自分が弱者になって相手が強者になったのである。それは医者や看護師と患者の関係とにていたのである。「お前は俺たちの言うことを聞かないならめんどうみない・・」とかなんとか入院しているときも恐喝してきた。もちろん相手も借金などで困っていたからそうなっていた。でも自分は病気であり身体障害者になっていたのだから相手のことを気づかう余裕がなかったのである。でも相手はそんなことをかまわないのである。一旦弱者になると人間の悪い性根が露骨に出やすいのである。
強者だったら低姿勢になっているが一旦弱者になると責めてくるそれが人間社会には常にあった。
まさに弱肉強食が人間の世の中でもあった。


いつも低姿勢の中で生きているのが大多数かもしれない、ただ医者とか看護師とか福祉関係や警察などは違う゛公務員などもそうかもしれない、常に上にたち権力をもつものとして威張れる。そこで性格がゆがんでくる。「俺は偉いんだ・・俺の言うことは聞け・・」とか一方的な強圧的な性格になりやすい、謙虚さがなくなる。一方いつも低姿勢で生きざるえない人も実は一旦権力をもつと高姿勢に変わる。いつも虐げられていた弱者として扱われていたから今度は逆に強者になったとき相手を虐待することがありうる。いつもいじめられていた人はまた強者になったとき弱者をいじめやすいのである。親戚の人はそういう人だった。いじめられていたから強者になったときいじめるということがあった。


そもそもそれは誰彼というのではなく人間性の悪質性がありそうなっていることがわかった。人間とはそういう悪質なものなのである。それが相手が弱者になったとき隠された本性が一番現れやすいのである。医者や看護師や福祉関係や警察官などは日常的にそうなっているから人格がゆがんでくるのだ。相手を奴隷のように扱いやすいのである。それが当たり前の世界になっているから当然その職業によって悪しき人格が形成されるのである。だから職業が人格を作るというときまさにその職業につけばそうなりやすいということである。


結局人間の歴史自体弱肉強食の世界だった。国と国同士も食うか食われるかの世界だった。今でこそヨ-ロッパが優位にたっていたけどヨ-ロッパ人の女性がイスラム社会に5ドルで買われていたという時代があった。まさにイスラム社会が優位にヨ-ロッパは辺境人だったという社会があったのである。それが逆転したのである。歴史でもそうだが強者がいつまでも強者ではない弱者に転落する。

アメリカがいつまでも強者ではない、必ず弱者にいつか転落する。個人でもいつまでも強者でありえない、そういうことをまじかでまざまざと見たら驚きだった。体も健康優良児で頭もいい人が認知症になってしまった。完全な弱者となってしまった驚きである。それはもう年とればみんな弱者に転落する。いくら大金持ちでも地位があろうが権力があっても体も頭もだめになって弱者に転落するのである。どんな人も弱者になるということである。例え金があっても高額な施設に入っても優遇はされない、福祉では施設では金持ちだからといって威張ることはできない、家族とは違うのだから金持ちも施設では虐待されたりするのである。悲しい末路だとか週刊誌にも書いてあった。金持ちはどうしても家族でめんどうみる人は少ない、金で高額の老人ホ-ムに預けられ弱者に転落するのである。


具体的に病院に入院した経験では南相馬市立病院と相馬総合病院しかないが相馬総合病院では一人の看護師に虐待された。泌尿器系統はどうしても汚すことがある。それをものすごい剣幕でしかられたのである。この点では南相馬市立病院の方が看護師は優しかったのかと思う。ただそこは医者が一人若いのしかいず患者を診る体制がなかったのである。相馬総合病院は三人もいたし回診も二回だから全然違っていたのである。ともかく一人でもそうした印象悪くする医者でも看護師でもいるとそのことが全体に影響する。だから南相馬市立病院の看護師はそういうことを一か月入院して経験していないから意外と親切だったなとふりかえるのである。それはあくまでも二つの病院しか知らないからそうなっている。一人でも印象が悪いと私的なものだが印象が悪くなるのも事実である。だからといって南相馬市立病院の看護師がすべていいとはならない,隣では特養の身寄りのない老人をオモチャのように扱っていたからである。ただ病院の評価は個々人で違ってくる。
一般的にはどうしても強者と弱者の関係でありそこからゆがみが生まれてくるのである。
その関係は正常な関係ではない、健康なものの同士のつきあいでもないから異常な関係になっているのだ。

2013年06月21日

認知症の誤解 (認知症は人様々であり誤解が多い)


認知症の誤解

(認知症は人様々であり誤解が多い)


さて、私の祖母も認知症です。
現在84歳。81歳のころに本格的に認知症になりました。逆に祖父は90歳で亡くなるまで、認知症にはならず、すごい記憶力をたもったまま周りをおどろかせました。

この二人を比べておもったこと、そして「認知症になりやすい人」の条件について考えてみると祖母はやっぱり「認知症になりやすい人」にあてはまっていました。

具体的には、


・毎日同じことの繰り返し 

 特に趣味もなく家にとじこもってばかり。毎日朝おきて⇒昼食の用意⇒買い物⇒夕飯用意⇒寝る の繰り返しばかりだったそうです。

・近所づきあい、友達がいなかった
祖母は自宅にいることがおおかったので、両隣ふくめ、近所に親しいお友達や茶のみ友達がいませんでした。(道ですれちがうと挨拶する程度)


・趣味がない

若いころは通信講座をならったりしたこともあったそうですが、認知症になる20〜10年くらいのあいだは、趣味らしい趣味もなかったようです。
http://sai15.net/ninchi-syou.html



自分の母親は98にもなっていて認知症に確かになっている。でも症状は別に人にやっかいをかけるものでもない、物が盗られたか騒ぎもしない、もともと大人しい静かな人とつきあわない性格だった。それは自分と良くにている。自分も人とつきあえない、友達ももてない、静かにじっとしているのが好きであり自然観賞しているのが向いている。もともと世間から離れているような性格だった。
だから大正生まれで働くことしか知らない、趣味は何にもない、働くことしかない、特に尋常小学校でも一回も休まずに賞をもらったことを自慢していた。


そして80才まで店屋をやっていたりその後も家事を93才ころまでやっていて今も寝ているのだけどときたま起きて洗い物などしているから驚く、耳はほとんど聞こえないから話ができない、金のこともわからないからボケているけど金がなくなったなど騒がないのも不思議である。だから極端な認知症の症状がでていないのだ。もともと性格的に大人しく激情的な性格でなかった。だいたいこの年になれば90パ-セントは認知症になっているしならなくても何か通じなくなりボケているのだ。
だから認知症というのは人様々であり性格もみんな違っているし育った環境も違っているし家庭環境もあるしそうした様々なものが影響している。もちろん遺伝的なものもある。だからこういうふうに一つの型に決めつけることは危険である。


もう一人は複雑なのだけど年はさほど変わらないが典型的な認知症になった。家事もやらなかった。家事をすることは相当に自分でやってみても頭を使うのである。特に今では機械を使うことが多いから昔の人はできない、認知症になるとテレビのリモコン一つも押すことができなくなった。機械が最も苦手になる。今は台所でも機械を使うものがあるからこれは使えなくなる。洗濯機が使えないので昔のように手で洗っていた。魚などは前から料理していたからできた掃除も簡単なことはできた。でも家事は片づけたり意外と工夫も必要でありそういうことはできない。でもそういうことをしていたら症状が改善した。自分の姉はこの正反対だった。人つきあいはいいし、外向的な陽気な性格であり頭も良くてしっかりしていて何でもできる人だった。事情があり複雑だけど母とはあまり年は違っていなかった。だから認知症は老人特有の病気であり姉は典型的なアルツハイマ-だった。激情的であり物盗られ妄想から幻覚から暴力からアルツハイマ-の症状が露骨に現れたのである。それは性格が多分に影響していた。怒りっぽくなったのももともと気性が荒く激情的だっかからである。

だから認知症はその人のもっている性格とかが顕著に現れる病気である。パタ-ン化することはできないのだ。

だから趣味がないとか人づきあいがないとか友達がいないとか社交的でないとかもそれが認知症になる要素でもない、なぜなら人間は社交的な人もいるし社交嫌いな人も母や自分のようなものもいるからだ。社交嫌いでも芸術や内面の追求には向いている。自分は自然の中にひたり自然観賞することは向いている。それはかなり創造的な精神の性向でもある。だ2から人づきあいがないから社交的でないから認知症になるとは限らないのだ。それは人それぞれの性格がありそれに応じて人は生活するのが向いているのだ。母は全く無味乾燥な働く機械と同じであっても認知症にはならなかった。もちろん遺伝的なものがあるのかもしれない、ただ認知症になったときはその性格によってかなり症状が違うしまた家庭環境などによっても出方が違ってくる。そういう総合作用として認知症の症状がひどくなったり軽くおさまったりする。


でもテレビで見たけど夫婦で認知症になりやすいというのは不思議である。そこにいかなる因果関係があるのか?これはやはり夫婦して遺伝作用とはないから何かそこにあるのかもしれない、夫婦関係はわかりにくいが何か夫婦とか家族は一体であり一方が良くて一方が悪いとかない、夫婦は同じ様に妻が変だなと思うとき夫も変なことがある。だから認知症でもどっちもなってしまうのかもしれない、相互作用があって認知症になるのかもしれない、何かそこに因果関係がある。何か双方向にマイナスに働くものがあるかもしれない、プラスに働けばプラスになる。それか夫婦なのだろう。


結局人間の脳を問題にするとき人間と死ぬまで創造性を追求するものとして神が作ったことがわかった。最近自分自身絵の才能がまるでないのにパソコンのソフトで抽象画を相当作ったことでもわかる。これは才能というのではなくパソコンのソフトを通じて偶然に開発されたものだったのである。
これによって脳も活性化したという不思議がある。脳は生涯で二割くらいしか使われないというとき開発されないからそうなる。脳は自ら引きだす-educateしないと退化してしまうのである。
人間の感覚はすべてそうである。感覚を磨かなければそれも退化してしまう。自然への感受性も日々の訓練だったのである。毎日の季節の変化を知り敏感になり積み重ねてゆくことによって感受性が作られてゆくのだ。だから俳句でも退職して簡単にできるものではないのだ。日頃の積み重ねが何でも作り出すからである。


人間の脳は一生かかって作り出してゆくものであることがわかった。天才は別にして普通の人はそうである。だから自分は60すぎてから詩も膨大に書いた。ただまだ発表していない、すらすらと書ける不思議があった。例えはその土地に長く住んでいるとそこから自然の霊感を受ける。でもそれには相当な時間が必要だったのである。認知症は本当は何が原因かわからない、でもなにかそうした日頃の生活の積み重ねが影響しているかもしれない、だから脳を使うこと家事でも継続的にすること、脳の開発を怠らないこと、継続的にすることが大事である。今も一日中寝ても習慣となって機械のようにときたま忘れず洗い物をしているのは習慣化していたからだ。怠けることが習慣になると認知症になる恐怖があるのだ。一人は退職後なまけて何もせず認知症になった。これも不思議なことである。
二年間は洗い物も手でしたり魚をさばいたり簡単な掃除をして自分は役に立っていると何か生きる意欲もでてきた。それも不思議なことである。だから嫁に「おばあちゃんは何もしなくていいですよ、テレビ見ていて下さい」といわれると認知症になりやすいというのは本当なのである。


ともかく認知症は多様でありパタ-ン化することは危険である。認知症はそれだけ複雑な病気でありその介護も人それぞれによって違うし家庭環境も相当影響するから外部からなかなかいいアドバイスを得られない病気なのである。型にはまってみれないからそうなるのだ。それほどやっかいな病気だったのである。

2013年06月25日

死者とかかわるめんどくさとむずかしさの自覚 (墓の跡継ぎがないとか死者の扱いのむずかしさ)


死者とかかわるめんどくさとむずかしさの自覚

(墓の跡継ぎがないとか死者の扱いのむずかしさ)



松山市御幸の浄土宗「弘願(ぐがん)寺」境内に、宗教・宗派を問わない永代供養の共同墓地が造られた。創建800年の古刹(こさつ)だが、少子化や非正規雇用の増加などを背景に、「墓が維持できない」との相談が相次いでいるといい、同寺は「現代社会で、求められる寺のあり方を考えた末の形」としている。(原典子)

 同寺によると、境内の墓地には墓が約250基あるが、親族・親類から「墓を処分したい」という相談が増加。リーマンショック後の2008年秋以降は、「子どもが就職できず、将来の墓の維持に不安がある」「リストラに遭い、墓のことにまで手が回らない」といった電話が月に最低1件入るようになった。「骨を処分して」と電話で依頼したまま連絡がつかなくなるケースもあるという。
 
墓の処分後に遺骨の引き取りを拒まれ、墓地内に無縁塚を造った1999年以降、75人分の遺骨を移した。村中信章・同寺住職は「骨を骨つぼから出す『ガラガラ』という音を聞く度、やりきれない思いになる」といい、安価で生前申し込みもできる共同墓地を造ることを計画。また、「宗教・宗派にこだわっていては、行き場がない無縁のお骨が増えるばかり」と垣根を取り払うことにしたという。
http://b3.spline.tv/inochi1/?thread=1878&command=REPLY&id=1878



兄のことを書いたけど交交通事故で42才の若さで死んだ。すでに20年とかたち忘れられつつあった。しかしまた今になって問題になっているのか?それは別に遺産はないのだけど母の残した金がありその金を半分はもらえると常々言っていた。すると本人は死んだからそんなことにこだわる必要などないのだがどうしても自分はそのことについてこだわる。死んだ人にも兄とは他の人とは違った事情がありその娘がいて孫もいるのでそっちが困っているので金をだけが全部もらうとうしろめたいというか何か死者が見ているようで恐いのである。「なんだ、お前より苦労したのにまた俺の半分の金を使うのか」と死者に言われる気分になる。死者はそういうことでも死んでいないのかもしれない、生者を見ているのかもしれない恐さがあった。かえって死者になっているから恐い、死者には偽ることができない恐さを感じてしまった。ここまで義理堅くするのはあまりないだろう。たいだいもう忘れて金のことなど考えないだろう。その方が良かったかもしれない、そういう昔の因縁をぶりかえすと何かめんどうになるのだ。特にその娘はまともな人でないから余計にそうなる。常識もないし普通ではない、ええ、またこんな人とかかわるのかとなると嫌になった。ただ孫がいるので中学生になったが娘とは違っている。


なぜこんなことがぶりかえしたのか?それはそもそも交通事故で死んだときそこの運送会社から兄が事情あって雇われた経緯があった。だから凄く恩に着せて死んだとき代理人になってやるからと保険金のことでそう言ったのだろう。でも静岡とか遠くて何が起きたかわからなかった。本当にこれも何がなんだかわからなくなっていた。その時夫婦は離婚したり一騒動があったからだ。そんなところに巻き込まれたら大変だった。子供をどうするとかなんとかもめにもめたのである。その時娘は中学生だったからだ。それでともかく娘は大変な苦労をした。ただもともと遠いから向こうの親戚でやってくれるばかりだと思ってかかわっていなかった。兄もそういうつもりだった。ところが離婚したりして兄が一人になり運送会社に勤めた。そこで交通事故になったのだ。その後始末が思った以上大変だったのだ。墓を運送会社で作ってやると骨を母親によこさず延々と責めてきた。代理人になりたくて責めてきたのだ。そんなとき弁護士に頼んだが弁護士は裁判になるわけではないから実際はたいして役にたっていない、ただ百万とか払った。保険会社の人がなんとか運送会社と交渉して書類を書いてもらった。書類を書かないとかこちらでも弁護士をたてるとか大騒ぎしていたからだ。それがどうしてなのかのみこめなかった。そのときもやはり保険金が欲しくて騒いでいたのである。でも運送会社には金はおりない、だからそうそうに骨をひきとってくださいで簡単に終わるはずだったのである。


そうしてやっと実家の墓にうめた。実家といっても今度はその家もないのだから困った。一応まだ実家の系統の人が残っていたので許可を得て実家の墓にうめた。でも今になると骨とか死者とかかわることも大変だなと今になって気づいた。
実家の墓に埋まっているのは兄だけではない、実家の一族が埋まっている。その長男が「墓を守ってくれ」という遺言を残して姪にあたる人に3百万残して死んだ。その実家の長男だったのでそういう家を残したいという思いがあったからだろう。それで自分は地元にいたので墓を直して作った。
でも姪は福島市にいたので墓作りにはかかわらなかった。今になると簡単に墓のことを考えすぎていたのだ。そのあとの維持が墓はあまりにもめんをとだったのである。でも何でもあれ個人の遺志が尊いと思って墓を直したのである。墓参りをしたり墓が問題になる。墓が簡単に捨てられない壊されないというときなぜなのか?そこには死者が一つの墓という物になって定着して動かないものとなっているからだ。死者といっても普通は骨になり灰になったらもうどこに行ったかもわからない、それならかえって楽だろう。一つの墓という石の物体に納まったときこれを簡単に動かしたり取り除いたりできないから困るのだ。それは跡継ぎのない墓が今相当に増えてくるのも問題なのである。
墓の跡継ぎがないことは無縁化するのだがそれにしてもそれを簡単に取り除くことができないから管理する市町村でも困るのだ。自分には身内が死んで自分だけが後始末をさせられるようになった。

兄のこともそうである。近くにその娘でも住んでいれば別だが東京に住んでいてこっちのことは何ら関心がない人である。もちろん自分のことなどばしちゃんでも赤の他人と同じなのである。一緒に育っていないから親しみもないのだ。だけど兄の墓はあり自分が墓参りしなければならないしその後始末をまかせられる結果になった。それは自分の家のことでも墓でもそうである。跡継ぎがいなかったら無縁化するとか心配する人が増えた。いろいろな所で跡継ぎ問題があった。


自分はやはり兄だから骨をもってきて墓に治めるのは別に大変なこととも思っていなかった。それは当然のように思っていた。しかし墓というのは実際は相当にやっかいなものである。墓という石化した物体は死者が宿るのだから簡単にとりのぞくことはできないし墓参りを欠かすこともできない、それは別にいいとしても実際は跡継ぎがいなければその重い石化した物体が死者と共にその霊と共にありつづけるとしたら他人ですら簡単に無縁化して捨てるわけにはいかない、無縁化してもその無縁仏を祀っていることでもわかる。人間は焼かれれば灰になるあとに何も残らない、しかし墓になれば物体として死者は残りつづけるのである。墓のない死者も多いがそれらの人は架空のものとなり具体的なものとしてはない、有名人をのぞいては何もなくなる。墓がある限り死者は物体化した墓と共にこの世にありづづけることになる。これも一面結局やっかいなことだなと思った。そんなに後の人が供養し続けることが少子化ではむずかしくなるしめんどうになる。一代くらいだったらできるけど次の代はもうつづかないのである。


死者の問題は別に個々人だけではない、例えばいつも問題になる靖国問題に象徴されているのだ。3百万人以上の人が戦死した。その死者についてどうすればいいのか、そんなものなかったとかもう忘れようとかならない、それだけ死者の問題が重いものとしてのしかかっているのだ。なんらか供養しなければならないから天皇中心にして国民が供養しつづける行事を行っている。それをやめるわけにもいかないのである。他国から犯罪人を神と祀ってどうするのだと批判されても日本国民からしたらそんなことにはならない、やはり日本のために死んだ人たちとなるからだ。個々人でもそうだが死者とは一見簡単に死ねば忘却され消えたように思うけど実際は違っていた。死者は簡単に消えない、今度は逆に死者が生者を凝視しつづけるという恐さがある。

死者はもう愚かな時の生者とは違う、何か恐ろしいものに感じる。死者の祟りだとか畏れのはわかる。怨霊となっているとか恐れのもわかる。確かに死者はそうしてみんな簡単に灰になって消えた訳ではない、死者は現実のこの世になおかかわりつづけているのだ。それを象徴的にしたのが墓だった。墓は簡単にとりのぞくことができない、また供養を欠かすことができないのだ。墓としてある限りそうなるのだ。そこに墓の重みがあったのだ。だからそもそもみんな簡単に墓を作りすぎるということもある。墓を作るとしたらあとあとの問題が重い責任としてのしかかっているのだ。なんか立派な墓があるけどそんな墓を作ったら後々の供養も維持も手間がかかるものとなる。だから墓は本当はそうした記念碑のようなものであり特別なものでり誰でも建てていいものだったか疑問になる。その維持と継承が大変なものになってることがわかったのである。

残される記憶、記憶される物(詩)

http://musubu.sblo.jp/article/25679315.html

確かに墓はこれとにている。簡単に捨てられなくなる。ただ今になるとみんなそれほどの生の重みをもっていたのかともなる。
みんながそんな生の重みをもったとしてらこの世の中墓で身動きできなくなる。
墓はだからそんなにみだりに作るものでもなかった。後の始末がやっかいなのである。

2013年06月26日

金は思った以上に公平に分配されるものなのかも (金の総決算も還暦をすぎるとやってくる) 金は思った以上に公平に分配されるものなのかも (金の総決算も還暦をすぎるとやってくる)

 

金は思った以上に公平に分配されるものなのかも

(金の総決算も還暦をすぎるとやってくる)


●金の貸借表も偽ることができない


死んだ人はもう死んでいて何の力もないと思われる。でもそうでもなかった。前にも書いたけど兄が死んだのは20年も前になるしいろいろ事情があっても今頃金についてまた兄のこと思い出した。
「母の金の半分は自分がもらえる」と言っていた。それは確かにそうだった。ただ20年もたって忘れていた。でも最近母の金を自分で手にしたときまたそのことを思い出した。そしたら意外とその言葉も重いものだったとことに気づいた。別に死んだのだから自分のものにしてもいいしそれをとがめる人も今はいない、でも何か兄がそう言ったので自分だけ使うのに心がとがめたのである。おそらくもう別に自分が全部もらっても誰もそれをとがめる人はいない、いろいろ事情があってもそれを知る人もいないしとがめる人もいないからだ。ただ娘がここ何年かつきあいができてそのことを考えた。
音信不通だから関係ないと思っていたが6年前から家にも来たので考えるようになった。
その娘には孫もいるし高校に入るので金がかかると言っていたのでそのことで兄からの金だといえば兄もうれしいし娘も孫も喜ぶかと思った。しかしまたそこにはいろいろ問題がある。


ともかく金でもめるのが人生であり金にはじまり金に終わるというのが今では人生となっているような時代である。あと何年生きるのか金次第だとかなるか医療費もかかるから病気になったら金がないと治療費がないと生きられないと早く死んだ人もいた。これも金で助かる命も助からなかったとなる。老後でも長生きになれば金が必要になる。それで年金でもめることになる。最低で10万もなければ生きていけない、それだって今の時世ではむずかしい。何か還暦をすぎると金でも貸借表が明確にされ決算が迫られる。金の面でも決算が迫られる。借金を隠して事業の成功者を装っていた人も嘘つけなくなってくる。不摂生した人は病気になりやすいとか健康の面で現れてくる。それでそんな不健康な生活をして60代くらいで病気になるのはその人が悪いしそんな人に保険料を払わされるのはごめんだという政治家もいた。


事業で借金した人も見栄を張り無理をしすぎためである。別に質素にやっていればそうはならなかった。病気になったから借金したとかではない、成功を装い見栄を張り借金をしていたのである。そういうツケが最後に逃れようなく払わされる。最後はそうした借金でも人生のツケが支払わされる。それは誰にでも起きてくる。自分も全くそのツケを支払わされた。
ここ6年の苦しみはそうだった。別に悪いことを特別したからでもなかった。成り行き上そうなってもやはりツケを支払わされた。苦が楽の元というとき苦しい人生はあとで楽な人生になる。

だから今苦しいなと思ってもがまんしていれば後で楽になる。今楽をしているとあとで苦しくなる。だから苦しいから嫌だと苦しいことをさけていると後で苦しみをさけられなくなる。いろいろ事情があるにしてもニ-トなんか今はいいにしてもあとで苦しくなるのだ。ただ人生は目先のことに追われ
長い目で見れないのである。今ここで我慢して何がいいことがあるんだとはならないのである。今がすべてになるからである。

ともかく楽ばかりの人生はほとんどない、一見恵まれているようでもその恵まれたことが楽なことが仇となり最後に苦しむことにもなる。人生の貸借票が還暦をすぎるときっちり具体的に現れる。金もそうである。借金しか残っていないというときはやはりその人生の総決算が現れたともなる。最後に人生の総決算となりいいことも悪いことも現れる。


●金の分配も公平な面がある、その管理は神がしているのかも


金は運だと前に書いた。fortune(運、財産)だったと書いた。しかし意外と金は公平に分配されているかもしれない、金なんか不公平だよ、濡れ手で粟でもうけるものもいるじゃないか、株などでもそうだよ、公務員はもらいすぎだよ,手厚い社会保障あるじゃないかと不公平ばかり言われる。
でも何か金というのはごまかせない正直なものでもある。濡れ手で粟と言うのは別にして一億円とか以下の金については公平化もしれん、大金持ちはこれは普通の人には計れない金でありイメ-ジすらできないのだ。なぜそんなに金があるのだとその生活すらどういうものなのか知り得ないのである。だからそのことについてはいろいろあっても書けないのである。例えば一千万くらいの金だと何か公平に分配されているように見える。母の残した金はそもそもどういう金かと言うと国民年金保険だった。これは2万5千円だけど一銭もかけていないのだから無料でもらっていた金だったのである。
35年前頃もらったのは一銭もかけなくてもらっていたのである。それで35年も積んでいたら一千万とかなったのである。だからそれは国民の税金をためた金だともなる。だからこの一千万は誰のものかとなるとその財産をもらう親族のものとは限らない、国民のものだったともなるからだ。
その金が全部親族にわたるというものも不公平にもなる。法律では遺産が親族にわたるのは公平でなくても法律上の規則として平均的に過ちがないものとして決めたのである。だからそこにも不公平がある。

自分が経験したことでは何か奇妙なんだけと公平だったのかもしれないと今は感じている。一部は不正であり刑務所行きの犯罪者が盗ったとしてもそれまた変な話だけどうにもならなかったのかとさえ思う。ただこれは犯罪だから責められずにはいられない。他にも金は消えたがそれは公正なものではなかった。だからどこかのプログで書いてあったがそういう不正に金をもらっものや得たものは必ず返還を要求される。その本人が知らなくてもそのツケは払わされる。他者の取り立てが過酷なものになり請求されるとか書いてあった。金は意外と人間が管理しているようで神が管理しているような所もあるから公平な面も明かにあるのだ。不正な金で本当に金持ちになるのは無理だろうし良心の呵責を感じるだろう。何らか分配すべき金だから分配しないと何か悪いことが起きてくるともなる。
金は欲しくてもみだりにそんなに大金をもてるようには思えないのだ。確かに遺産などがあるがそれももめるし災いの元となり独り占めにはならないのだ。


●民主主義の平等原理がかえって不公平にした


金は遺産でも親族に法律で割り当てられるのは不公平である。まず兄弟で平等にしたのはかえって平等でなくしたのである。なぜなら実家をになう人はそれなりに家を維持するために財産も必要であり農家では田を分割したらやっていけなくなる。実家はまた墓の管理などもするし兄弟でも違った役割が昔からあった。だからそれを否定したことはかえっていろいろな問題を引き起こす元となったのである。つまり長い歴史で受け継がれたものを否定すると必ず何か問題が起きてくる。長子が重んじられたのはこれはどこの国でも同じであり何か意味があったのである。民主主義がそういうものを古いものとして否定したとき一見平等に見えても不平等にしたのである。戦後の民主主義は何かそうした古いものあらゆる面で否定してしすぎたのである。


例えば介護でも実際に介護している人が多くもらえないというのは変なのである。兄弟で何もしない人が平等にもらえると言うのはかえって不公平なのである。介護してくれる世話してくれる人がいれば他人でもその人の財産を得る権利がでてくるのだ。それを自覚しない人が多すぎるのだ。自分の経験では全く何もしないのに遠く離れたところから金だけを要求してくる。近くの人でもそういう人が多い。そこで親戚関係でももめる。遠く離れて介護でもなにもしない兄弟はそんなにもらう権利がないのである。介護は結構大変だし何もしない人が財産を得るのは不公平なのだ。例え打算でも介護している人はもらって当然なのだ。まず水一杯も運ばない人が財産の権利を主張すること自体おかしなことなのである。自分が経験したことは何もしない人がただ金の要求、権利だけを主張してくる。

戦後民主主義の弊害も大きかった。権利だけを主張してやることをやらない人が増えすぎたのである。それはあらゆる面でそうだった。だから犠牲的精神とかはなくなった。相手を犠牲にしても自分は絶対に得をするということしかないのである。金にならないこと絶対にやらない、人だけ助けもしない、自分の場合、得することであり金になることでもやってくれなかった。そんな人がどうして商売でも成功するのだろうか?人からしぼりとることしか考えて考えていないとしたら成功するはずがない。やはり戦後の民主主義がこうした人間を作ったのである。それはまちがった民主主義教育だったのである。

2013年06月29日

墓の跡継ぎは簡単になれない (怨霊となることもあり責任が重すぎる)


墓の跡継ぎは簡単になれない

(怨霊となることもあり責任が重すぎる)

●墓は簡単に捨てられない

跡継ぎがいない
親戚の墓を将来面倒を見てくれ
と言われましたが
かなり遠方です
遺産を貰う訳でもありません
安易に引き受けないほうが…
友人にはと言われました
何か アドバイスをお願い致します。


とんでもない事です。

単なる善意とか思いやりで解決するものではありません。

これからは子供のいない人も多くなるし、いたとしても子供に負担のかからない永代供養墓を選ぶ人さえいます。
質問者様が善行のつもりで是非やりたいのなら仕方ないですけど、関わらない方が身の為だと思います。
遺産もくれないのによくもこんな事を頼めるものですね。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1317218823


還暦すぎるといろんな問題か人生の総決算のようにでてくる。墓の跡継ぎ問題もそうである。人が死んだら普通はかわいそうだからとその人がどんな人であれ思い供養する。墓も立派にすれば供養になると思っている。自分もそう思っていた。でも墓は相当にめんどうなものである。前にも書いたけど墓は簡単にモノのように片づけられない、一旦墓に納めるとそうなる。そこに何もないわけではない、骨壺にまだ骨が残っているかもしれない、すると簡単に捨てるわけにはいかない、墓があるかぎり誰かかが供養し続けねばならない、現実に墓地には必ず無縁仏がありそれらが集められて供養されているのだ。その墓地に来た人がその人と関係なくても供養したりしている。墓は簡単に捨てることができないからそうなっているのだ。墓の跡継ぎになってくれというのはモノの跡継ぎではない、建物の跡継ぎでもない、死んだ人の何なのか?骨を守ってくれということでもない、骨はやがて土になってしまう。すると墓とは何なのか?それは死んだ人がなお生き続けている証だともなる。霊魂がそこに宿っているともなる。モノだったら簡単にかたづけられるが霊魂か宿っているとしたら簡単に他人だって片づけられないから無縁仏になっても捨てられず墓地にあり供養することになる。

つまりそれだけ墓というのは他のものとは性格が違ったものであった。それを意外と自覚している人が少ないというよりある年にならないと自覚できないのである。人間の問題は自分のことになると自覚できるが実際にそういう責任をもってみないといろいろなことがわからないのだ。つまり墓の意味が何なのかわからなかったのである。

墓が簡単に捨てられないというとき、それは必ずその家の問題がそこにある。それが他からはわかりにくいのである。その家の事情は他からはわかりにくいから困るのだ。自分の家も複雑だから他からはわかりえよがない、兄といっても父親が違っている。その父親が事故で死んだ。その子供もなぜか42才で交通事故で死んだ。父親が死んだときやはり金でもめた。今度も交通事故でその息子が死んだときも金でもめた。そこに因果関係があるかどうかはわからない、でも父親とは全く関係しなくなり供養もしなかった。それだ不気味なのである。供養しないということがその息子に事故を起こさせたのかともなる。良くいう先祖の祟りとかになる。自分の息子に祟ることがあるのかとなればそんなことはないとも思うが不気味なのでる。だから自分は今墓があり兄の骨を納めているので墓参りして供養している。でも自分も死ぬのだからあとは供養できない、それで東京に住んでいる娘に骨をばせっていって東京で供養してくれとその金をわたすことにした。


東京だと別に墓がなくても格安で納めることができる便利なものがある。そこでともかく供養すればいい、それでも供養しているのだから罰はあたらない。つまり墓の問題は墓というモノの問題ではなく供養するということにある。それは死者への畏れなのである。死者が祟るというときそれはわからないにしろ不気味になる。死者というのは何かわからないからだ。死んだら何もないとされないのが人間の死なのである。だからこそ戦死者を供養しているのはそのためである。国のために戦った、それが間違いにしろ死んだ人たちは命をかけたのだからそう思っている。それを無視できない、もし無視すれば怨霊ともなることが恐いのである。だから本当に死者とか墓の問題は実際は相当にやっかいなものだった。それを自覚していなかったのである。


●怨霊となり祟りとるな死者の恐さを考えるべき


死者の問題が墓の問題がやっかいだというときそれは生前とも通じている。例えば生前に親族でも恨みを残して死んだ人がいる。介護でも冷たく扱われとかなるとそれを恨みに思い死んでゆく人もいる。それは親子の間でも起こる。だから介護の問題もめんどうなのである。親が恨まずに子供に感謝して死んでくれればそのあとの供養も楽になるのだ。そうでないと恨みを残されると死んでからまた墓参りするのだからスム-ズに墓参りして供養できなくなるのだ。そういう人を実際に親戚で知っている。その人は親にひどい仕打ちをした。自分はあまり関係していないからわからなかった。だか最後になってわかったのである。その人は本当にひどい人だったのである。あまり関係していないからその親の方がひどい人だと思っていたのだ。実際はその子の方がひどい人だった。何らか病気になったときもひどい仕打ちをした。「だからひどい人だ」と言って死んだ。それが死ぬ時ようやくわかったのである。明かに子供に恨みを残して死んでいったのである。それは他の人にはわからない、長く患わないで死んだので他からはわからない、たまたま自分の家では最後の一本の電話でわかった。
「ひどい娘だわ」と言ってきてすぐに死んだのである。そして自分の家にも信じられないひどいことをしたからそれに納得したのである。それでも母親だし父親も埋まっている墓に墓参りする。


そうなると墓参りする供養するのも苦しくなるだろう。墓に埋まっている人が恨んで死んだからである。それが墓として残っているから墓がめんどうなのである。具体的なものとして残っているからだ。恨みが墓として残ったさえなるからだ。でも墓を捨てるわけにもいかないし供養しないわけにはいかない、それで墓の側に「怨霊供養」という立て札をみかける。それは家族内で恨みを残した人の怨霊を鎮めるためのものだろうか?一般的に歴史的に怨念を残した人は無数にいるから今でもそれを祀り供養している。家族内でもそういうことがありそうしている。不慮の事故とか怨念を残した人は成仏していないからこの世に恨みと怨念を残しているから祟りになる。そういう人はおそらく「なぜ自分が死んだのだ」ということもわからないかもしれない、なぜなら突然の死だから自覚されない死だからそうなっている。それでこの世に執着してさまよい祟りになるということもある。こんなこと迷信だといえばそれまでだが何か不気味なものを理屈なしで感じるからおろそかにできないのである。


●墓の跡継ぎには簡単になるべきではなかった


そしてその人は家がなくなった実家の墓をひきついだ。それは300万で実家の長男だった人に頼まれたのだ。「墓を守ってくれ」というのが遺言でありそれを頼まれたのである。子供もいるから頼まれたのだ。その人は300百万でももらえるからいいと軽く思ったに違いない、自分は頼まれなくて今は良かったと思う。墓参りはするにしてもその後まで延々と供養することは大変なことになる。その後の霊と化した墓の責任を持つことは容易なことではない、何故ならそれはモノではないからだ。墓を粗末に扱いば祟りがあるとかなってしまう。「墓を守ってくれ」という声がのしかかってくる。これは本当に冗談でなくてあまり責任が重いものだったのである。だから3百万で引き受けるようなものでもなかった。これはいくら金がもらえると引き受けることができるようなものでもなかった。でも金がもらえるならと安易に引き受ける人もいる。でもそれを安易に今度は捨てたり供養しないと恐いとなる。祟りがあるとなれば簡単にモノのように始末できないのである。


だから今回自分は兄の墓は供養は娘に責任があるということで金を払いまかせることに決めた。
まともな娘ではないのでそれもしないことはわかっている。でも死んだ父親の父親も事故で死んでいる。二代にわたり事故で死んでいるのだ。それが不気味なのである。だから供養の責任は一応娘に言って自分に責任はないことにしてもらう。地元に住んでいれば別だが東京でありもともと交流もなかったのだがらどうにもならないのである。その娘はそんなことをしない人とわかっていても自分には責任はないということだけは言っておく、自分に墓の霊魂の責任をもたされることはできないのである。祟りまで引き受けることはできないのである。ともかく墓の跡継ぎ問題などは本当にめんどうでありそれを自覚している人が少ないのである。

jikoshiii111.jpg

2013年07月23日

墓とは何かは死者とは何かである (骨なのか、名前なのか、物語なのか、何なのか?)

 

墓とは何かは死者とは何かである

 (骨なのか、名前なのか、物語なのか、何なのか?)


hakaname111.jpg


自分には親戚というものはなかった。ただそれでも遠い親戚でもあり東京にいてそれでまだ切れていなかった。その人はいろいろ問題かかえている人だからかかわりたくないしかかわるのをやめた。
ただ墓の問題で変なのは死んだときかかわり実家の墓に骨壺を入れた人はもうみんな死んでしまった。そして骨壺にしても一つだけではない三つあるかもしれない、そしたらどれがもってゆく骨壺かもわからないかもしれない、これも困ったものだと思った。

前にも書いたけど墓に名前がない人がいても骨が埋まっている人がいて困った。その人は世話になった人だから自分の墓の脇に石を置いて名前を刻み供養している。なぜその世話になった人の墓に名前がないかというと墓に名前を刻むだけで六万とかかかる。その金がないからしないのである。
自分の場合もいつも家に来てもらうには親の代からこちらで交通費を払っていた。子供の代になってもそうである。それで骨をもってゆくといっても業者に頼まなければできない、すると金がかかる。だから自分の金でもっていってくれと言った。


ここで問題なのは骨が死者なのかということである。骨をもっていけば墓にはもう死者はいないのか?ただ名前と戒名が刻まれている。死者とは名前なのか骨なのか一体何なのかとなる。屍(かばね)は姓のことだとすると屍(骨)から先祖が決まり一族としてのル-ツが決まる。でも骨がでは死者なのかとなるとそれもわからないのだ。ただ戦争で死んだ人の骨を拾いにゆくというとき骨が死者として最後にこだわるものになっているからそうなる。そして変なのは骨をもってゆくというとき墓にはまた死者はいないという感じになる。骨は東京にもっていったら東京に死者はいることになるのかともなる。

確かに骨はもう墓から出されもっていったのだから骨はないのだから死者もいないと思うのも不思議である。ただ名前は以前として墓に刻まれているのだ。だから死者自体本当に不可解なものである。ただ地元に墓があって墓参りしていれば死者はそこにいるとなる。骨がなくなったのだから死者がいなくなり墓参りもしないとなると死者ももういないとなる。それでも死者とはすでに目に見えないのだからどこにいるかなどわからないのだ。千の風になってというとき自然葬にすると死者は風になったのかとなりその人特有の歴史は消失するだろう。個々の歴史を語っているのが墓でもあるだ。


死者は土地と一体化してあるという思想もある。死んだ人は山の神になるというとき田んぼと深く関係していた。先祖は山に眠り神となり田んぼを見守り子孫を見守るという思想は信仰は土地は密着して生まれたのだ。つまり墓は土地と深く関係してある。でも都会のようなロッカ-型の墓もありもう都会では墓自体作ることは金がかかりすぎるからそうなる。そうなると土地とのつながりもないのである。もともと都会は東京のような所では土地とのつながりはない、だから墓も土地とのつながりはないのである。


墓でも原町の橋本町の墓地は広く実家の墓も直したので広いから墓参りして気持ちいいとなる。墓は一般的に狭いのが多いからだ。だから都会のロッカ-型の墓に墓参りするというのは何か窮屈に感じてしまうだろう。でも供養は大事だというときそれでも墓として機能している。
とにかく人間の結びつきは血縁だけではない、意外と土地との結びつきは深い。日本人の姓がそもそも土地の地名に由来していたのはそのためである。そして土地は一代で終わることなどない、延々とつつぎ土地は消えない、人間は次々に消えてゆくのだから土地の方が永続性があり土地と一体となり人間の歴史は伝えられてゆく、古墳にしても墓でありそれが今も意味あるものとして伝えられている。土地と一体だから消えなかったのである。


ともかく墓とは何かというとき答えがないのは死者が何かということがわからないからだ。死者は生者の都合によっても決められる。戦死者でも今でももめていることがわかる。それも両極端になっている。死者についてはその評価も別れる。ただ生前のことが死者にも影響している。まともに生きなかったものはまともに死んでから扱われない、死んでもかえって迷惑にすらなる。だから夫婦でも同じ墓に入りたくないとかもめている。家族墓というのも問題なのである。家族としてまともであり一体感があるのはいいがみんなそうとは限らない、最近は家族でも昔とは違っている。核家族化して細分化しているのからだ。また家族墓は小子化で維持できなくなっているのだ。跡継ぎがいないということが多くなってくる。家族が細分化るというときまた墓を作ると墓ばかりふえてくるのだ。


いづれにしろ生前に人間関係も分裂していると死んでからもそうなる。生前のことが確実に死者になっても影響する。でたらめな人生を送った人はやはりあとあとまで影響するし死者になっても大事にされない、死んだからといってその人が特別なものになるとは思えないのだ。ろくでもない人間が死んで突然立派な人になることなどないのだ。そして確実にまたそういう悪い人やろくでもない人生を送った人は子孫に影響しているから恐いのである。自分だけのことではない、あとあとまで死んでもその悪いことが影響して与えているのだ。逆に立派な人生を送った人は後々の人に影響して良きものを与えてくれるのである。だから突然死者になったから偉くなったとはならないのだ。そういう人は供養さえしたくないだろうし家族だってそうなのである。死者はいいにしろ悪いにしろ必ず一つの物語を残す、それもまた死者である。だから歴史がストリ-であり物語でもある。最後には骨も名前も残らなくても物語が残る。それが無数の民話として残されている。それは偉人ばかりを語るのではなく庶民が語り教訓を伝えているのだ。


ただどうしても死者が普通の人でも生前に言った言葉とか遺言でもそれはかなりの重みがある。死んだら何もできないというがその生前に言っていたことが死んで重いものとなる。だからそれを無視すると祟りがあるとか死者を恐れるのはやはり死者がなお生きて存在しているから恐れるのである。
それは不思議には人間の良心を死者が見ているともなるかもしれない、だから死者に対しては偽りはできないと言われる。生者に対してはいろいろ偽りがあっても死者にはできないとなる。
だから死者を供養するにしても偽りの心ではできないとなる。

 

2013年07月24日

人間の最後とは何か (認知症になっても覚えている人が来世でもまた会うかもしれない・・)

 

人間の最後とは何か

(認知症になっても覚えている人が来世でもまた会うかもしれない・・)


90才を越えてゆくと認知症気味になりやがてどんどん忘れ方が激しくなる。今母が覚えている人間は自分と60年間一緒にいた姉だけである。三人は60年間変わった家族でも一緒にいた。だから姉のことを死んで忘れたかと思ったら名前も覚えていたし忘れていなかった。もう最後はその名前を覚えている人は数人になる。顔もわからなくなる。例え子供でもそうである。子供でもいつも一緒な人は覚えている。孫でもそうである。遠く離れてたまにしか会わない人は全く忘れてしまう。
その人はもう認知症の人にとって存在しないと同じなのである。例え子供でもそうである。
一方子供でなくても施設で認知症の介護している人は覚えている。それも親切にしてくれた人は覚えているのだ。親切にした介護の人が移動してしまって悲しんでいたという。


これは何を意味しているのか?もう子供でも血縁でもそうしたものがすべてではない、人間は愛情をもって接してくれた人を最後に覚えているのだ。それは子供でないことも多々ある。施設の人でも虐待する人もいるがまた愛情をもって接する人もいる。そういう人はまれなのかもしれないがそういう人がいたら認知症の人でも覚えているのだ。そのことは何を意味しているのか?
それは人間は血縁ではない、愛情ある人を認知症になってもわかる。そういうことにかえって敏感になっているかもしれない、だから嫌いな人はよせつけないし嫌いな人の言うことはきかないから扱いにくくなる。一面子供に帰ってしまうのかもしれない、子供は敏感に愛情があるかないかわかる。


自分としてはいろいろいがみあいがあっても最後は悲劇でも姉のことを名前も覚えていてくれたことにがうれしかった。もう死に際になるとほとんどのことは忘れる。ただその時忘れない人こそ最後まで覚えていた人でありその人は来世でもあっているかもしれない、そういう人は最後に数人しか残らない、もう二人しか覚えていないからだ。そして三人は家族だったことを確認した。遠いたまにあった孫など全く忘れている。それも悲しいのだが60年間いがみあいつつも憎しみあっても一緒にいたということは離れて暮らした人とは余りにも違っていたのである。だから憎しみ合っても家族は家族だということもあるのだ。


ただ人間は忘れるということは結局これも無常なのである。家族さえ死んでしまうとたちまち忘れられて何か思い出せないものとなる。嫌なことを忘れるということは一面いいことである。しかし忘れるということはすでに生きていたということすら忘れるのだからもう死んでいるのかもしれない、何を経験したかもわからないからである。そして結局無常というとき、血縁家族ですら無常でありその関係もはかないのである。人間の縁も最後は金の切れ目が縁の切れ目だということをつくづく経験した。金の縁が切れれば本当にもうつながりは全くなくなる。最後はそうなりやすいのだ。兄弟すらそうなっている場合もあるだろう。この世の縁もまたはかないものであり永遠ではない、切れてしまうのである。そういうことを実際に還暦すぎると否応なく現実として処理を強いられるのである。

あらゆるもののこの世の縁の清算みたいなことを強いられるのである。墓というのもまた一つのこの世の縁の場としてあったがこれもまた実家がない無縁化してゆく墓なのかとも思いそのことを書いた。「墓を守ってくれ」という切実な遺言があってもそれも守られないだろう。
この世はまた新しい生があり次々に世代も変わってゆき人も変わり世も変わり無常化しているのだ。特に津波原発地域の変わりよう無常は未だに信じられないのだ。


自分の家族ももう終焉を迎えようとしている。はかないといえばはかないがそれも無常の世だった。家族でも結局は別れてしまうのがこの世である。終われば一時のことだったともなる。栄華もまた一時だった。立派な御殿に住んでもそれも一時の栄華だったのである。たちまち夢のように消えてなくなっているのだ。ねこにいられたのは一時だったとなる。その御殿も夢でありまるでこの辺が草原化したように津波で土台しか残らなくなったように茫然自失してたたずむ他なかったように夢のように消えてしまった。


認知症はそうした人間の最後に無常として現れる。もう記憶するものはない、みんな忘れてしまいわずかに数人のみが家族の記憶として残りその記憶とともに死んでゆくのである。誰かがわからなければその人は死んだと同じなのである。認知症は生きながら死ぬことなのである。母の場合は別に忘れても暴れたりしない、ただ大人しく寝ているだけなのである。それはもともと異常なほどおとなしい性格であったからかもしれない、それは自分の性格とにている。岩のようにじっとしているのがあっている。人とつきあうことが苦手なのである。激情的な性格ではない、大人しい性格だから認知症になって忘れても別に騒がないのである。認知症でもみんなが手がかかるとはならない、性格によってそうなるのかもしれない、暴力とか徘徊するのはやはり病気であり母のように大人しい認知症は病気でもないみたいだ。ただ人間の最後は記憶を失うということである。そしてあの世にゆく,嫌なことを忘れるということではいい面はある。おそらく母の場合は安らかに死んでゆくように思える。

これは性格の相違だったのである。激情的な人はなかなか安らかに死ねないかもしれない、あまり死にざまが良くないかもしれない、姉は死にざまが良くなかった。何かそういう業をもっていてそうなったのかもしれない、性格が一番影響してそうなったことは確かである。


「私のこと誰か覚えていますか」
「あなた誰、知りません」
「私のことを忘れたのですか,息子の一郎ですよ」
「知らないな、見たこともないよ・・」
「馬鹿な、息子の一郎ですよ」
「・・・・・・・・」

「おばあちゃん、私のこと誰かわかりますか」
「ああ、いつも親切にしてくれる人ですね、わかりますよ
いつもありがとうね、あなたのことは覚えていますよ」

「お母さん、息子の一郎のことは忘れたんですか」
「・・・・・・・」


こうして母親は息子のことは忘れ最後まで親切にしてくれた介護してくれた人のことは忘れなかった。そしてあの世に旅たったのである。

人間の最後はこんなふうになり息子でも忘れられ記録されずあの世に逝ってしまうことがある。生きていてももう息子でもなくなっていたのである。あの世に行っても覚えていたのは息子ではなく最後に親切にしてくれた介護してくれた人だともなる。つまり人間にとって血縁ではなく愛情こそ大事なものでありそれが人間をつなぐものだったともなる。この愛情は猫でも犬でもわかるのである。
だからペットの動物は人間化したペットであり野生の動物とは違っているのだ。人間の愛情を知って死んでゆくのである。人間化した動物であり家族でもあったとなる。

2013年08月01日

ディオバンのデーターを製薬会社の社員が捏造 (原発事故と同じ構造、科学者と会社の責任問題)


 ディオバンのデーターを製薬会社の社員が捏造

 (原発事故と同じ構造、科学者と会社の責任問題)


●科学が実用技術一辺倒と結びつく危険

 東京慈恵医大と京都府立医大の研究は、数ある降圧剤の中で、ディオバンと既存薬のどちらが患者に有益かを調べた。いずれもディオバンを使えば、血圧値の抑制のほか、脳卒中や狭心症も減らせるとメリットを強調する結果だった。


病院と医者が崩壊寸前だ。全国の病院の半数以上が赤字になるなかで、崖っぷちに追い込まれた病院で、信じがたいことが起きている。
暴力団(=在日)と手を組み、ホームレスに生活保護を需給させ、青天井の診療報酬を吸い上げる病院。
過剰な治療や診療を施し、不正に診療報酬を得ようとする病院。「患者はカネの成る木。悪くいえば餌食ですね」。



腎臓とか前立腺とかいろいろ病気になってここ三年くらいディオパンというのを飲み続けていた。これは必ず飲まされる。血圧を下げるから他の病気でも必ず飲まされる度合いが高い薬だった。その理由が他の薬より臨床実験で効果があったというデーターが論文で出ていたからである。その論文のデーターが会社員が研究者として入り込み捏造されていたのだ。医療も今は金になる一大産業でもある。薬は昔から丸儲けというくらいもうかる。病気になれば祈るようにして薬をみんな飲んでいる。
人間の一番の弱点は病気だった。自分もここ四年くらい病気だったから苦しかった。病気でも介護しなければならなかったから苦しかった。誰も助けるものがいないで一人だったから苦しかった。
プログに書いたように南相馬市立病院に一か月入院して公立相馬総合病院に二週間入院した。
その苦労を書いてきた。そして一番なじみの薬がディオパンだった。これは他の人も一番飲んでいる薬なのである。何しろ老人は血圧が高いからこの薬を飲むのである。だから薬の会社としてはこの薬だけで相当な収入となる。データーの捏造でも効果がマスコミを通じて宣伝されていたから余計に売れたのである。


ここで問題になったことは会社と大学の研究所との連携で利益供与がなされていた。研究には今では多額の金がかかるから会社がかかわりそのために大学でもその金が欲しくて会社のデータ-捏造にかかわることがある。産学協同というのは今は普通にある。今は大学と会社は一体化しやすいのである。もともと科学は哲学からはじまり技術と実用とにはかかわらない理念の追求があり科学者というとき今の科学者とは違っていた。ニュ-トンでもキリストを信仰して神の摂理を科学を通じて解きあかそうとしたのである。実用とは何の関係もなかった。ただその理念の追求が重力の原理などとして宇宙開発に利用されたのである。科学と技術は実用とは別なものだったのである。

一般的には鉛から金への物質変成など「利殖」が目的とされるイメージが強い錬金術ではあるが、生命の根元たる「生命のエリクシール」を得ること、つまりは不老不死の達成こそが錬金術の究極の目的であった。


金を生むという意味から転じて、安い元手から高額の利益(この時点では金の意味はgoldからmoneyに転じている)を生むようなビジネスモデル・投資や、資金洗浄に利権を指して「錬金術」と称する場合がある
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8C%AC%E9%87%91%E8%A1%93


一方でprofessionとは


ある宗教または信仰を受け入れる確言
(affirmation of acceptance of some religion or faith)


a profession of Christianity キリスト教信仰の告白
ある信念または意見の公然の(真または偽の)言明


神との約束を受け入れ実行する誓約する」の意味だったという。ヨ-ロッパでは常にキリスト信仰の上に職業も科学もあった。だから神との誓約が何でも第一に置かれた。科学者もそうであり神の前に誓い不正を行わない、神の御意(みこころ)を実行するために職業があった。そこに極めてモラルが高いものとして職業もあった。資本主義もそうしたキリスト教のモラルから生まれたのであった。

そのモラルが欠如したとき実益第一主義になり社会は会社となり会社の利益第一主義がグロ-バル化したのである。神の前に誓うということが利益第一主義に暴走しないものとして社会を誓約していたのである。会社には利益第一主義しかなくモラルが欠けるから問題を起こす、でもそれを制御するもの、思想であれ哲学であれ宗教であれないのである。鉛から金に変える錬金術はあまりにも魅力的であり悪魔の誘惑でもあったから悪魔の言うなりになり世界はサタンのものになってしまったともなる。

●原発事故と同じ構造があった

interest1111.jpg


錬金術はなぜいかがわしいとされたのか?それは科学者ではないもちろん哲学者でもない、鉛を金に変えること利益を生み出す魔法とも考えられていた。科学が哲学から発しているように科学者は錬金術師でもないし技術者でもない、技術者は職人であり職人ギルドの中で培われた。現代の科学はかえってみんな錬金術になっている。そうされているともいえる。それはもともと病気は深刻だから信仰が仏教でもキリスト教でも病気を直すことからはじまったようにその切なる願いが要請されて錬金術師が生まれた。誰でも病気になればなんとか直したいとなりそれか切実なるが故にただ理念だけを追求する哲学科学では満足しないのが人間である。だから実用の技術と錬金術化するのは必然の流だったともなる。それが過度な要求となり大学も利益追求を第一とする会社と一体化して不正を働くようになった。現代は会社社会であり会社が社会になっているのだ。社会の一員より会社の一員として生きているのが現実である。となると会社員は会社組織に従属して会社の利益追求を第一とした戦士としてあり会社には逆らえないのである。それで大学にも研究員として送り込まれデーターの捏造が行われたのである。これがマスコミで宣伝されて病院でも当然信用されるから過剰に売れたとなる。
ここでもやはりその不正を審査するものはなかった。公的機関もないし誰もその研究データーを疑うものもなかったのである。マスコミなどただ金がもらえればいいというだけでありここも利益供与、宣伝費で成り立っているのだから会社から金が入らなければ成り立たないのである。

この構造は原発事故が起きた原因と一致している。東大を中心とした核の研究所も東電に買収されていたし科学者は御用学者となっていた。国も東電に買収されて保安院は原発の安全性など関知しなかった。ただ東電の命令のままに見過ごしていたのである。また原発の安全性を計る能力もなかったのである。現代の科学実用技術崇拝社会の危険性は常に会社の利益第一主義から起こりそれに歯止めをかけるものがいないことなのだ。東電のような何百億もマスコミに金を使ったり大学の研究所にもふんだんに金が使える、もちろん天下り先として検察までもとりこむことができる。そうした巨大な国家並の権力をもっていたのである。これはもう国家の中の国家となっていたからその権力を制御するものはいなくなっていたのである。だから安全神話までになっていた。コストカッタ-として清水社長がのしあがったのもそのためである。利益第一主義でありそれが社会を席巻して歯止めがきかなくなる。もう利益第一主義のために科学の危険な暴走もあえて行なっても見逃される。それをとめることができない、だからこそ安全神話は形成された。それはこの巨大な東電の権力によって形成されたのである。核技術も錬金術であり核を研究していた科学者が会社と国の権力と一体化したとき作られた。アメリカで戦争目的で科学者に核開発要請した。それでアイシュタインも核開発にたづさわり責任者だったとして批判されるようになった。科学が技術実用一辺倒になったときそれにはどめがかけられず長崎広島の原爆の惨事となった。それは過度に会社の利益第一主義と科学が結びついた結果だったのである。


●会社がグロ-バル化して国家も制御できない


現代の問題はあらゆるものがすべて利益第一主義になりかつての哲学や科学のもつ意味が失われた。科学者は国家の会社の巨大権力の一歯車と化して利益第一主義となり科学は技術は暴走してもとめることはできなかった。つまり利益を生むということは鉛を金に変えることでありその魅力があまりにも大きすぎたからその虜(とりこ)になってしまう。そこに大きな危険がひそんでいたことが見逃されるのだ。現代は利益だけが金だけが社会を動かす原理となっている。だからこそ会社が社会となり利益優先主義がグロ-バルにすすめられて環境破壊も起こる。会社がすでに国家より巨大化したのである。それを抑えるものは国家にもないグロ-バル企業として世界を支配するまでになっている。常にアメリカを支配しているのはロックフェラーだとロスチャイルドだとか言われるのはそのためである。会社のためにアメリカが動かされ世界は巨大な会社のために利益第一主義のためにある。そうなると環境破壊などとめられないのである。国家も会社の利益を推進させるためにもあるのだから国家でもとめられないからもうとめるものはいないのである。原発事故もそういう構造の中で起きてきた現代の文明の問題立ったのである。

医療にも過度の実用技術信仰が起きていて巨利を生むから原発と同じような問題が起きる。また病院でも利益第一主義にならざるをえない状況も生んでいる。すると会社の利益のために過剰に薬を供与したりすることが普通に行われている。これは公共事業でも同じ構造がある。ゼネコンのために会社のためにいらない道路が作られて税金が無駄使いされる。それもゼネコンから自民党に献金がありそのためにゼネコンに仕事を提供して票も獲得する。そうした利益見返りの政治が復活した。民主党のコンクリートから人と言う理念は悪いものではなかったのである。ではなぜ崩壊したのか?それは理念と現実の乖離だったのである。理念を実行しようとしても民主党には現実対応能力がなかったのである。政治力、行政能力がなかったのである。そのことは小沢一郎氏も指摘していた。政権を運営する能力が民主党にはないと言っていたことでもわかる。長年政治にたづさわっていたからそのことを経験から知っていたから言っていたのである。民主党は共産党だったのである。反対を言っていればいいだけの政党だったのである。現実に対応できる政党となっていなかったのである。
 

2013年08月12日

墓とは死者とは何なのか(続編)

 
墓とは死者とは何なのか(続編)
墓のことで考察してきたけど墓がなにのかは死者が何なのかになるからわからないのである。


〇骨(屍-姓(かばね)が死者である

〇名前が死者である(戒名をふくめ)
〇死者はその土地の土と化す(土地のものとなる)
〇物語が死者の存在を示す
〇生者が死者があるとすれば死者もある


●骨は屍は姓となり特権利益財産と結びついていた


お盆だけど墓か何かがわかりにくいのは死者が何かなのかわからないからである。死者は骨だというときそれも昔から言われてきた。骨が屍-姓(かばねね)の起源であり意外といかなる姓に属するかが重要になる。苗字が違うと一族の関係にならないということもある。この骨が屍が姓が重要視されるのはその姓を引き継ぐことは武士だったら家名を引き継ぐことでありそれには俸祿が与えられ特権が付与されていた。骨を大事にして一つの姓に属することは古代から何かしらの利権、特権が付与されていたためである。だから骨から生じた姓でももし何かしらの特権が付与されたものでないのなら引き継いでも何も利益が得られないということで引き継ぐこともしないだろう。平家源氏を名乗るのは平家一門であり源氏一門であるという身分を得ることだったのである。


それは自分の家で実の兄ではないが20数年前に交通事故で死んだ。その墓が実家にあり名前も刻まれている。でも兄には娘がいるからその娘が骨をもってゆくという、それが筋だからというのもわかる。でもその娘は自活していないし問題があり金もない、交通事故のとき保険金がおりたがそれももうない、20数年すぎて何もなくなっていたのである。残ったのは骨と実家もない墓だけだったのである。そこから得るものは骨しかなくなっていた。でも交通費もいつも自分の家で払っていたし業者に頼んで墓の中をみてもらう金すらないのだ。そこには何ら財産権も特権もない、骨と消失した実家の墓だけがある。そういうものを引き継いでも何ら得がない、特権も利益もない、そしてその骨を東京にもってゆくにしてもその金すらないのである。となるとそういう骨が父親の骨でも何の利益もないならかえって金がかかりかかわらないという人もでてくる。息子でも娘でも同じである。みんながそうでないにしろ故人が財産と結びつくときなお故人も重要視されることがありそれは財産のためである。その人自身を供養するのとはまた違っている。


現実に兄が交通事故で死んだとき大きな保険金がおりることでもめた。それは死者を思うということよりその金のためにもめたのである。死者もまた金のために利用されるだけだとなる。心から供養するということとは違ったものとなるのだ。財産が関与するともう死者の供養とかどうでもよくなる。それが欲で争うこの世の実体でもある。


●死者の問題は実は生者の問題だった


名前が死者であるというとき最後に残るのは墓石と名前だけだとなる。墓石が消失しても名前だけが残っているのはいくらでもある。それは歴史的な人物だから残っている。そして墓に骨が入っていても名前がないものがあった。それは名前を刻むのに六万とかかかるからその金がないので刻まない、ただそれ以上に名前を刻み供養する心もないともいえる。

今回の津波でまだ行方不明の人が2000人以上いる。死体が見つからない、骨がない、それで骨がない墓がある。まだ死んだと確定されないから墓があっても虚しいとか言っていた。骨が入らない墓が墓なのかとなる。でももう死体は見つからないのだから死んだものとして骨は入らなくても名前だけ刻んで死んだものとして供養することになるだろう。


結局墓とは何のなのか死者とは何なのかなのである。骨に死者があるのか?名前に死者があるのか?
田舎だと死者は土に帰り故郷の土となる。死者は祖霊となり山に葬られ山に眠り村の守り神になる。そういうのも死者とは何かを伝える日本独特の文化である。死んだら千の風となるというのも死者が一体何なのかわからないからそうなっているのだ。骨に本当に死者が宿りつづけるのかというのも疑問である。骨だっていつかは消えてしまう、灰となり土となり消える運命にある。


結局死者とは何かというときそれは死者の問題ではない生者の問題である。死者は何かできるのか?何もできない、確かに祟りがあるということが言われるけど現実としてそれもわからない。死者は永遠に沈黙しているのだ。死者は何も主張できない、主張するのは生きている人間である。死者をめぐっても争うとき生者が争っているのであり死者はどちらの味方でもない、味方につけないのである。例えば靖国参拝でもめるのは死者に対しての生者の態度が別れているからである。戦争で死んだ人は国の御霊になるということで祀られている。一方で左翼は戦争で死んだ人でもあたかも犯罪者のようるな扱いになると両極端でもめることになる。生者の都合でも死者の行方も決まるのである。死者は何も主張できないし権力もないからである。


●死者は生者がそこにいると思えばいる


そして奇妙なのは死者がそこにいると思えば死者がそこにいる。生者がそこにいると思えば死者はいる。実際なぜ墓参りするのか?そこに死者がいると思っているから墓参りしている。当たり前の事実だけど墓にすでに骨はなく土になっているのも多い。だから本当に墓に死者がいるのかとなるとわかないのである。ただ死者がいると思っているから墓参りしている。生者でも死者がいると思えばそこにいることになるのだ。だから津波の被害で死んだ人でも骨がなくても名前を刻み死者いるとして墓参りすれば死者はいることになるのだ。現実に骨をもってゆくからと言われたとき骨をもってったら死者も墓からいなくなるのかというとそれもわからないのである。骨に死者がいると思っているからそうなるのであり別に生者がまだ死者はそこにいると思えば死者はいるのである。


生者の思いによって死者がいるかどうか決められているのだ。いつまでも死者を忘れない人がいるとすれば死者は常にその人ともにいることになるのだ。でも実の親でも迷惑ばかりかけたとか問題があれば親でも供養しない人だっている。だからいつまでも死者でも思われる人は生きているのである。
現実に死者がみんないて欲しいと思うわけではない、肉親でもそうでさんざん迷惑をかけた親ならいてもらえたくないとなる。その人は死んでもいてもらいたくないとなるから実質は死者はいなくなる。夫婦でもすでに一緒の墓に入りたくないとなればそうである。どちらかが死んでもいてもらいたくないとなるし供養もしないとなれば死者はいないのである。


だから死者は物体化したものではない、墓でもない、骨でもない、名前でもない、生きている人がそこにいると思うとき死者はいるのだ。靖国でも死者がいると思えばいるしいないと思えばいない、ただ無数の名前だげがあるのであり骨とかそうしたものはすでにない、ただ国の御霊として国民かあるとすればあるないとすればないのである。国民の心が二つに分かれているからあるともないともいえないのである。そのことを誰が決めるのかというと生きている今の国民なのである。死者がいくら靖国で会おう靖国で祀られようと言って死んでも生者がそうみなければそうはならない、死者にはすでに主張できない、権力もないからである。