2006年07月18日
認知症研究日記をカテゴリ−に分化−アルツハイマ−はやはり介護する人が医者より大事
介護とかアルツハイマ−について興味があるのでテレビを見ていく。今日の番組の一組目の若年性アルツハイマ−は女性だったが最初から病識をもっていた。そのあとも悪化したのだが笑っているとか穏やかなアルツハイマ−だった。それでも徘徊とかしていたが主人がやさしくついて歩っていた。病院でみてもらったとき、ARIでは単なる疲れだと写真をみて診断されていた。次は確実なアルツハイマ−で4年で普通は寝たきりになると医者に言われた。でも介護がいいのでそれから9年も生きているし歩くこともできていたのである。主人の介護はいないよりはいたほうがいいとか笑っているからいいとかすべてを受け入れて介護しているから介護される方も精神的に安定しているから落ち着いているのだ。
若年性アルツハイマ−は防ぎようがなく進行するだけだとか言うがこれまた個々に違っていることがわかる。この病気は医者はなんら手助けにならない病気である。私の場合も脳梗塞が起きてなったとか脳血管性アルツハイマ−だとか言うがアルツハイマ−と脳梗塞の因果関係は証明されていないのだ。アルツハイマ−は介護する人により良くもなり悪くもなることはいえる。医者より介護する人の方が大事であり治療効果があるのだ。薬や手術で直るならいいがそれもほとんど効果ないとしたら介護することの方が大事だとなる。
ではなぜ若年性アルツハイマ−でも老年性アルツハイマ-でも病気が進行してし悲惨な結果になってゆくのか?介護する人に左右されるとしたら介護する人がいないのか悪いのかとなる。これは確かに統計的にも証明されるものだろう。ただ精神の病気は個々に違ってかなりの差があるからパタ-ン化できないのである。
この病気で医者はあてにならない、医者自体この病気についてわからない人が多いのだ。この病気を個々に知っている人は介護する人なのである。ともかく介護はそれぞれの家庭環境とか個性とか地域とか様々なものに影響される。いい介護環境があればアルツハイマ−でも良くならないにして病気の進行を止められるとか介護者によって病状は安定したり悪化したりする。薬とか病院とか施設とかでもそこに入ってもあまり効果ないのがこの病気の特徴である。だから例えばスリランカの村では医者がいないから祈祷師を頼み村人全員で集まり回復を願う、こうした原始的な治療方法がかえって効果があるのだ。つまりみんながそんなふうにして親身になってその人を思うということは本人にとって精神的にいい影響を及ぼすから治療効果がある。また今のところこの病気にはそういう方法しかないのだ。そもそも何故なるのかが原因がわからないから手の施し用がないのだ。
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保健所、病院あらゆるところに相談に行きました、多くの医師や看護士や
精神衛生の専門家が家を訪ねてきてくれましたが全て妻に追い返されました。
どんなにこの病気になったら信じてあげても、優しくいたわっても効き目が
ありません。
あらゆる手を使い、2度目の強制入院です。
2度目の独房は1ヶ月に及びました、私は妻からみると「呪われた悪魔」なの
です。それでも妻が自分は病気なのだと言う事を知らせる為に、毎日医師との
格闘がはじまりました。
どの医師も妻が病気であると言う事を教えることが出来ないのです。
3ヵ月後心静かになってきた妻にようやく話が出来るようになりました。
最終的に妻に病気であることを納得させたのは医師でなく、一緒にいる入院患者と私の共同作業でした。
半年後病識のもった妻はどんどんよくなりついに退院しました。
退院してからもう1年半以上立ちます。
夫婦の絆は今は病気になる前以上に良くなりました、24時間妻と一緒にいます。
家事その他一切私の仕事ですが、いまは協力して家事が出来るようになりました。時々病気の時の話をしたりする事が笑って出来るようになりました。
もう病気は過去の事のようです。
http://human.sakura.ne.jp/bbs/mibbs.cgi?mo=p&fo=kzk&tn=0008&rn=100
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こうした精神の病気は医者があまりあてにならない病気だことがわかる。これも夫の介護が良くて回復した、治療効果は医者になく介護する夫にあったとなる。ただいちがいに介護する人で決まるとしたら介護する人が悪いから病気が悪化したとされるのも問題である。テレビとかにでてくるのは一握りの成功した例だし作られている部分も大きいから鵜呑みにできないのである。ただ一般的にはこの病気は介護しかいやす方法がないのが現実である。介護が主で薬とか医者は補助作用になってしまうのだ。だから介護者にそれも関係の良かった介護者に負担が全部かかってしまうことがありそれが重荷になる。みんな模範的な介護者にはなれないからだ。特に若いと介護はしたくない、犠牲にされたくないというのがわかる。若い人はもっと別なことをやりたいことをやらせるのがいい、介護が人生になるというのは異常なことである。この人は前にも述べたが病識をもったからこれほど回復したからやは病識を持つことは回復につながっていたのだ。
2006年07月25日
私のプログへのキ-ワ-ドからの認知症問題
飯館村にこんな施設あったのか?わからなかったな、そもそも近くでも施設の情報がわからない、施設というのがどういうものなのかもわからない、施設をその施設が宣伝しているのはいいことしか書いていない、内部事情がわからない、施設を利用するにはまず介護認定をしてもらわないと利用できないなどめんどうなのだ。詳しい情報を入手できないのが問題なのだ。なんらかこれは問題をかかえた人には詳しい真実の情報がほしいのであるがしりえようがないのが問題なのだ。
まだらボケ
まだらボケとは何なのか?最初親戚の人がまだらボケということを本人に言ったということを聞きつけて本人がそれを気にして怒っていた。つまりまだらボケということが何なのかわからないけどそれで馬鹿にされたので怒ったのである。認知症の人は感情は正常に働いている。銀行に行って金をおろそうとしておろせなかった。その時銀行の人に笑われたとかして軽蔑されたことを覚えている。本当の痴呆とかの人は軽蔑されたとかもわからないが認知症の人はわかるのだ。何を軽蔑されたのかわからないけど回りの雰囲気でわかりそれで軽蔑されるとそのことをいつまでも根にもつのである。
精神病、扶養義務放棄
これは精神病で苦しんでいる人が扶養義務を放棄したいからこのキ-ワ-ドで探しているのか?最近認知症の殺人がふえている。父親の若年性認知症で苦しんだ若者がなにかわざと罪を犯して警察につかまればいい、すると扶養義務を放棄するのだが放置しても犯罪を犯したのだから本人を問うことはできない、本人は本人の犯罪を問われているからだ。するとその扶養義務は誰になるのか、これは市町村とか公のものになり認知症の人を一人放置しておけば危険ということで施設に強制収容されるのである。現実一人暮らしで身寄りがないと施設に収容されている。ここまで考えるのは余りにも悲惨な経験をした結果なのである。ここまで普通は考えつかないが人間は異常な体験をするとこんなことまで考えつくようになる。この病気はそれだけ信じられない家族に負担をかける、でも他の人にはその苦労がわかってもらえないし援助が得られないことが多いのだ。
認知症の対処 回想法
特定高齢者 認知症対策 プログラム 脳リハビリ
認知症にどう対処していいのかわからない、我が家の認知症は一二年前から実際は物忘れとしてはじまっていた。それが今年の一月に妄想の狂気として暴力となり私自身に介護がおしつけられたのだ。一時は錯乱状態だったからひどかった。これはなんなんだととまどった。それで認知症のことをいろいろ勉強したのである。回想法というのは昔から関係のあった親戚,知人に昔の話をしてもらった。昔のことは今でも何回も言っているからだ。ただ最近はしていない、自分もあきたからだ。あいづちうつ程度である。今やっていることは毎日の散歩である。足腰が丈夫な女性だから歩くことは得意なのである。だから毎日二回歩いている。歩くと血行も良くなるから頭にもいいのだ。その他家事では料理はできないが食器を洗うことはしている、あとは掃除、洗濯はしている。これだけでもなにかやっているのでそれなりに自信がついている。前はやたら探し物ばかりしていた。
今も忘れることはひどい、金をやっても金をもらってないとか毎日年金が入ったハガキの通知書が見て銀行にそのハガキをもっておろせるのかとかきく、何かこの病気は知能が低下するのでわからなくなることがある。現金を置かないと金があるということがわからないらしい、金を現金でもっていると安心するのかもしれない、自分で金もおろせないから一文もない盗られたとか妄想に陥って騒いでいた。それで身近な人に暴力ともなった。今では暴力をふるう相手がいないので落ち着いたのである。
認知症の対処方法はその人なりに環境によっても経歴によっても個性によっても様々な条件で違ってくるからパタ−ン化することができないからむずかしいのだ。ただその人にとって安心できるその人の望む環境を整えると病気は悪化しないことはいえるのか?
認知症の基本的な対応は「変化をできるだけ少なくする!」です。
入院や転居で「せん妄」となりレベル低下が起き、元のレベルに戻れなくなる人は多いのです。
たとえ同一施設内であっても、関わるスタッフは違う、
居室の雰囲気、トイレの場所、周りのご入居者なども全く異なります。
認知症のレベルによっては「せん妄」が強く発症したり、認知障害や見当識が著しく落ちる場合があります。
これは施設につとめる人が言っているし自分でもそうだと思う。できればもともと住んだ家とか地域とか親戚とか友達とかなれ親しんだところで生活を継続できればいいのだがそれも認知症になると相手にされなくなるからむずかしいのだ。親戚も回りの知人にも相手にされなくなる。それで今相手にしているのはどういうわけか過去に精神病で苦しんだ人、現実精神病で苦しんでいる人だけになった。つまり普通の人は相手にしたくなるのだ。相手する人は病気だとしって寛容につきあってくれているのである。
いろいろ療法があってもその人が興味をもたなければ効果がないしそもそもやる気がでてこないからだめなのだ。
認知症の基本的な対応は「変化をできるだけ少なくする!」です。
入院や転居で「せん妄」となりレベル低下が起き、元のレベルに戻れなくなる人は多いのです。
元のレベルに戻れなくなる人は多いのです。→このことが認知症では一番怖いのではないか?
一旦重度になるともとにもどれなくなる。そうしないためにはどうするのか?それはその人にとって一番いい環境を与えてやる、環境を変えないことになるがそのためには家族が犠牲になるしそんなことみんなできるのかとなる。ではなぜ重度になってしまうのか?環境に関係なく重度になってしまう病気なのか、それとも進行をとめることができるのか、今のところは我が家では本人にとっていい環境を与えているので進行はとまっている、でも物忘れのひどさは何にも変わっていないしここから感情的に悪化することがありうる。
2006年07月27日
高齢化社会の悲惨(役割喪失がボケに通じている)
人間の価値観は時代によって変わってくる。労働が尊ばれ老人も尊ばれてきた。21世紀にはそうした今までの価値観では考えられない時代なのだ。20世紀までは老人は少ないし尊ばれるのが当然だった。老人は数が少ないから尊ばれてきたのである。姥捨山伝説は親孝行を奨励するために作られた伝説であり悲惨な現実はなかった。現代こそいたるところに姥捨山が存在しているのだ。特養とかにはそうした老人が無数にいる。一見衣食住が保証されて楽だから姥捨山とは違うと思いがちだが実際は生きながら死んだような状態にされている老人が多いのだ。衣食住が保証されても必ずしも人間は幸福ではない、それは動物化される、家畜化されることである。餌だけを与えられても人間は幸せにはなり得ないのだ。
認知症、ボケの問題も実は超高齢化社会とともに起きてきた問題である。この問題が単に体だけの病気の問題ではない、社会のひずみと関係して生じた問題でもある。まず未だ経験したことのない超高齢化社会になり認知症、ボケになるリスクが増大したのだ。老化とともに体や脳が弱体化して認知症にかかりやすくなったのである。実際85才以上になると4人に一人がぼける。90才では三人に一人である。高齢化とともにそのリスクは増大するのだ。高齢化特有の問題であることは明らかである。なぜぼけるのか、認知症になるのかの原因は高齢化による老化が原因であることは誰も疑うことはできないのだ。だから高齢化とともにそのリスクは誰にでもある病気なのである。
つまり超高齢化社会とは人類の歴史で経験したことのない世界なのである。だから今までの老人は敬われるべきだとかが成り立たなくなることもありうる。衣食住が保証されてもそれは人間として敬われているわけではない、餌を与えられるだけの人間ならざるものとして生かされている悲惨な現実がある。何の反応もなく言葉も交わすことなくただ毎日餌だけは与えられ何を喜びに生きているかもわからないような老人は果たして人間として生きているかどうかもわからない、生きながら死んでいるのかもしれない、そうして生かされていることは一見ありがたい、豊かな現代だからできたとなるが反面人間としては死んでいる悲惨だともなる。特に認知症になるとその悲惨さが際立って余りにも酷いとなる。
認知症とかぼけるのはなぜなのか?この原因はわからないが認知症になっても老人性の認知症なら回りの人が脳リハビリをしたりいろいろ人間的な接触をすると回復したり進行がとまったりするというのは老人が現実生活で人間らしく生きられない、人間としての役割を与えられていないからなのだ。昔の大家族の中でもっていた老人の役割とかが家庭でも社会でも失われた結果、老人はただ生物学的に植物的に科学の発達で生命をのばすだけの肉体的存在だけになってしまっている。精神的存在としての役割がない、それが最大の問題である。人間は肉体だけを維持する機械ではない、精神的役割が失われるとき人間は生きながら死ぬ。だから施設ではいろいろあるとしても家庭でもっていた社会でもっていた役割が喪失するから生きながら姥捨山になりやすい、施設ではさらに認知症になりやすい環境になっていて一般社会で暮らす人より認知症になる割合が高いのである。
女性でも嫁に家の仕事が奪われて無用化され役割がなくなりそれがボケに通じていたり退職して会社での役割を喪失してボケ安くなったりとこれも役割喪失からボケになりやすくなる。団塊の世代の大量退職でそうしたボケになる人がふえてくるのは役割がどこにもないということに起因している。ただ寿命を伸ばすだけの生物学的存在になってしまう。認知症になっても家事とかをやらせたりその人に役割をもたせる。また家庭でその人が尊重され必要とされ役割が与えられれば進行がとまったり回復したりするのはやはりこれは老人の役割の喪失によることがボケの原因になっていることは確かなのだ。
2006年08月06日
石二つ(認知症の介護には寄り添う人が大事)
寄り添いて昨日も今日も苔むせる庭に石二つ西日さし暮る
認知症には常に側にいてよりそう人が大事になる。よりそう人はもともと関係がいい人でないとだめなのである。兄弟関係でも特別思い入れのある、愛した人だとうまくいくがそれほどでないとうまくいかないのが普通だろう。ただテレビに出て来た人で一人娘が父親を介護しても重度になり施設にあづけるようになったからこの公式があてはまらない場合もある。介護する人に恵まれても若年性のアルツハイマ−はうまくいかない場合がある。でも一般的に介護する人が良ければ4年で死ぬのが10年に伸びたとか穏やかになったとか効果があるのが普通だろう。介護する人とうまくいかないと感情的に怒りっぽくなったりするから良くないのだ。この病気は感情的平静を保つことが大事である。するとあまり問題もなく水が流れるように従順に時が過ぎてゆく、今の私のK子はそういう状態になっているから楽である。つまり情緒的に安定しているからである。何か失敗しても指摘したりもしないしやれることはやらせている。家事をしているからそれなりに自信がついたりと自分自身が満足している。
こんなふうにして介護している人の日記がインタ−ネットで発見した。これは本当に細かいところまで母親をやさしく見守っているから重度になっても人間として敬われているから家族の一員としてその役割をもたせようと努力しているから人間的状態を保つことができるのだ。認知症は物忘れではにている。最近物忘れがひどくなった。卵を毎日食っているのに卵食わないから卵買ってこようとか言っているし食べたこと自体忘れているときもあるらしい。この忘れ方には驚く。どんどん忘れ方がひどくなるとどうなるのかという不安がある。やはり身近な人が誰かもわからなくなるほど忘れてしまう病気なのだろうか?
なぜよりそう人が大事かというと精神的にそれで安定するからだ。子供が常に母親の側にいないと不安なように常に側に安心させる人がいると認知症の人の情緒も安定するのだ。それとなじみの環境も見慣れた人と接しつづけることも情緒を安定させる。情緒が安定すると忘れ方がひどいにしろ介護する人は楽なのである。ただ困ったのは24時間離れなくなることなのだ。夕方食事の容易に買い物に行き遅くなると不安になるらしく玄関で待っていたり親戚の人に帰ってこないとか電話までしていたのだ。昼間はいいにしても暗くなると不安になる病気であり子供のようになってしまう病気である。自分自身もなんとか一日でも離れて気分転換したいのだがその手だてが見つからない、朝早く出て4時ころまでに帰る他ないのである。まるで森の魔女に捕らわれの身になり逃げられなくなったような気もするのだ。石に苔むすほど互いに長い時間を過ごした関係だから一緒にいることは今は苦痛ではないし家族として暮らしていた時とさほど変わらない生活でもある。
認知症の問題は個々の家庭によって解決方法も違っているから公式化一般化しにくいのだ。自分の家族はあまりにも特殊であった。だから認知症本人のいいようにしたらいたって気分よくなり情緒的に安定して扱い安くなったのである。自分自身が今の状態に満足しているからそうなった。では他の認知症患者が暴れたりするのはなぜか?家庭で施設で今の環境に人にしろ回りの環境にしろ不満だから暴れたりしているのだろうか?その人の満足するような環境を備えてやればそんなひどい人間を逸脱したような悪鬼のような存在にならずにすむのだろうか?そのへんがこの病気のよくわからないことだし自分自身もそうなってしまうことを一番恐れているからいろいろ今のうち手を尽くしているのだ。
参考−母の介護−随想集
http://blog.goo.ne.jp/chindonsyan_001/
認知症の衝撃(半年間の記録を記事ごとにまとめる)
認知症の衝撃から半年間の記事をまとめました
(季語はあまり関係ありません−俳句と一緒になってしまったのでそのまま題にしました)
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高齢化社会の悲惨(役割喪失がボケに通じている)7月27日
http://www.musubu.sblo.jp/article/1035796.html
私のプログへのキ-ワ-ドからの認知症問題 7月25日
http://www.musubu.sblo.jp/article/1027162.html
銀行 金おろせない(数字、漢字がわからない認知症−抽象化思考できない)7月16日
http://www.musubu.sblo.jp/article/972881.html
NHKの福祉番組を見て(男性は介護に向いていない)7月15日
http://www.musubu.sblo.jp/article/969280.html
私のプログのキ-ワ-ド分析7月11日
http://www.musubu.sblo.jp/article/958632.html
老人の狂気と認知症−病気にもいい面がある 7月11日
http://www.musubu.sblo.jp/article/957340.html
梅雨の晴れ間の月(正常と異常の見極め?) 7月4日
http://www.musubu.sblo.jp/article/933725.html
姥柳(認知症と家の関係)6月29日
http://www.musubu.sblo.jp/article/917033.html
刑務所の認知症問題−病識をもった認知症6月28日
http://www.musubu.sblo.jp/article/912928.html
宣伝媒体となるものは信用できない(病気の原因の謎)6月16日
http://www.musubu.sblo.jp/article/852094.html
高齢化社会の疑問(長生きはすべて意義あるものなか?)6月14日
http://www.musubu.sblo.jp/article/847915.html
見当識障害 6月12日
http://www.musubu.sblo.jp/article/835699.html
認知症の責任能力の不思議 6月11日
http://www.musubu.sblo.jp/article/831976.html
夏雲雀(人間の皮肉−楽園ではボケになる?)6月7日
http://www.musubu.sblo.jp/article/818090.html
不具者の思想(優生思想の危険) 6月6日
http://www.musubu.sblo.jp/article/814389.html
芍薬(ボケないためには仕事の継続が必要)6月6日
http://www.musubu.sblo.jp/article/812914.html
小話(ボケたばあさんと村の辻の石) 6月4日
http://www.musubu.sblo.jp/article/806930.html
老鶯(認知症の対処方法は環境を変えないこと)6月3日
http://www.musubu.sblo.jp/article/802590.html
夏雲雀(右脳を使わないとボケやすいのか−認知症になる原因は?)
5月31日
http://www.musubu.sblo.jp/article/793206.html
芍薬(日本の認知症の施設には期待できない?)5月28日
http://www.musubu.sblo.jp/article/724800.html
NHK教育ETVワイドともに生きる (認知症の人が語る番組)を見て 5月27日
http://www.musubu.sblo.jp/article/723703.html
鈴蘭(認知症、ボケはダンテの地獄編か?)5月27日
http://www.musubu.sblo.jp/article/722849.html
夏つばめ(認知症への差別、偏見) 5月26日
http://www.musubu.sblo.jp/article/720541.html
夏菊(認知症は関係障害?−母性本能は強烈なエゴか?) 5月20日
http://www.musubu.sblo.jp/article/702572.html
藤の花(ボケの予防には運動が一番)5月19日
http://www.musubu.sblo.jp/article/698372.html
延齢草(ボケにならないだけで善幸)5月18日
http://www.musubu.sblo.jp/article/695966.html
白藤(文学はカルタシス?)5月17日
http://www.musubu.sblo.jp/article/692950.html
老鶯の句のまとめ(楽隠居は現代ではボケに通じる)5月14日
http://www.musubu.sblo.jp/article/684235.html
老鶯(福祉関係の給料はなぜ安い)5月13日
http://www.musubu.sblo.jp/article/680494.html
老鶯(遊びで堕落した人間−高齢化社会はボケの大量生産?)5月12日
http://www.musubu.sblo.jp/article/676226.html
延齢草(記憶力は強く意識しないとつかない)5月7日
http://www.musubu.sblo.jp/article/654844.html
老鶯(認知症の原因は環境の変化−役割喪失か?)
http://www.musubu.sblo.jp/article/650147.html
春の夕(末期の眼−終末期をともに生きる)5月4日
http://www.musubu.sblo.jp/article/641123.html
春逝く(認知症、ボケになる人ならない人?)4月29日
http://www.musubu.sblo.jp/article/623679.html
春の日暮れる(老人に学ぶ−大正生まれは忍耐の時代)4月26日
http://www.musubu.sblo.jp/article/614661.html
蛙鳴く(不定愁訴?) 4月25日
http://www.musubu.sblo.jp/article/609319.html
春の嵐(神の万能 人間の力の限界)4月21日
http://www.musubu.sblo.jp/article/598055.html
春の庭(病気の暗さへの対抗) 4月20日
http://www.musubu.sblo.jp/article/595669.html
老いの悲しき結末(認知症は社会的環境の病気でもある)4月16日
http://www.musubu.sblo.jp/article/567153.html
あどけない花(おごりたかぶる人間の末路)4月14日
http://www.musubu.sblo.jp/article/559941.html
紫のクロッカス(認知症の人の何に敬意をはらうのか?)4月10日
http://www.musubu.sblo.jp/article/548995.html
つばめ来る(認知症の人に敬意をはらうことはできない)4月9日
http://www.musubu.sblo.jp/article/546259.html
春の月(「門閉じても家にいても災いは天から降ってくる」)4月8日
http://www.musubu.sblo.jp/article/541076.html
燕来る(高齢化社会の明暗) 4月7日
http://www.musubu.sblo.jp/article/535039.html
マ−ガレット(無能人間にされる認知症の衝撃) 4月6日
http://www.musubu.sblo.jp/article/532291.html
春寒し(遠い記憶−認知症の語り)3月31日
http://www.musubu.sblo.jp/article/516149.html
2006年08月07日
認知症の衝撃から半年過ぎて(認知症の誤解)
●無知ではすまされない現代の常識
認知症の衝撃から半年間たった。二年ほど前から軽い症状はでていたが私は気づかなかった。毎日接していた人は気づいていたのだ。医者も気づいていて精神病の薬を与えていた。なぜ医者が気づいていたかというとここの医者では今も母親が認知症で施設にあづけているし父親も家で認知症にかかっていたらしい。だから良く認知症のことがわかっていたのだ。でも私には認知症がボケがいかなるものかわからないし説明も受けていないから対処していなかった。突然妄想とかで暴れるようになったから驚いたのである。認知症とはどういうものでどう対処したらいいのかとか知っていれば教えるべきだろう。それが医者の勤めである。ただ医者自体がお手上げで施設にあづけているのだからどうにもならない病気だともなる。ともかく認知症に対する理解は単なる老人のボケくらいにみている人がまだ多いのではないか?私は全く認知症という病気について無知だったのだ。社会性がともしいと社会と広く接していないとこういうこともわからない、兄の交通事故の時も自賠責すら知らなかった。車に乗らないからわからなかったのだ。基本的現代の社会的常識すらわからなかったのだ。
人間の無知は実に恐ろしい、これからは認知症に対する基本的知識は誰でも知っておくべきである。つまりパソコンを知らない人はパソコンについては無知である。では全く無知でいられるのかというと全体がインタ−ネットととかパソコン時代になったときその世界が知らないですまされなくなっている。これは自賠責を知らなかったですまされないように認知症も知らないですまされないように現代の常識だから知っておく必要があるのだ。宗教カルトもこれも現代では知っておく常識であり知らないからしかたなかったではすまされないのだ。
●認知症の誤解
認知症については直接家族がなってその介護をしない人には今でもわかりにくいものである。最初金やいろいろなものを盗られると思って隠すと思っていたが隠すのではなく置くべき場所に置けなくなる。整理ができなくなるのがこの病気の特徴でもある。なぜそんなに隠すんだというとどうしても変な所に置いてしまうんだよなと自分でも言っているのだ。タンスがあり引き出しがあったとする、小物入れがあったとする、ABCとあればAにはAPPLE,APRON,ARROW・・・・とか単語があればAを接頭語とするのをAの引き出しに入れたり出したりする、Bを接頭語とするものはBの引き出しに入れるのだ。これは野菜を入れる場所とか果物を入れる場所でも同じである。認知症になるとAの引き出しにBを入れたりする、野菜の引き出しに果物を入れたりと混乱してくる。それがわざとやっているのかと思ったら整理できないからそうしているのでありわざとではないのだ。自分でもなぜそうするのか困惑していたのである。金にしても金が数字となって存在することがわからないから現金で持てばわかるとなる。現金を見せろとか現金で家に置くとかすればわかりやすいのである。つまり抽象化思考ができなくなるのがこの病気の特徴でもあったのだ。一方で世間話はできるし大人としてわかっていることはわかっている。ただ知能が低下してわかってよさそうなことがわからないのだ。では認知症は完全な痴呆なのか何もわからない人なのかとなるとそうではない、それなりにわかることもありわからないこともあるという不可解なものになる。
●人格は変わらない(陽気なボケになった?)
K子の人格は外向的社交的で楽天的だった。その性格は一時的錯乱状態の時は人格まで変貌したと思った。情緒的に安定すると性格は変わっていない、今では忘れても開き直って笑い飛ばしたりしてもいる。誰もそのことを責めないし居心地いいから前のように楽天的に陽気になっているのだ。一時期自分の病気で暗くなっていたし今でも怒ると泣いたりする。ただわかんなくなったんだよ・・と自分の病気を嘆き泣いている。病識をもって嘆いているのだから病識をもたないで暴れていた錯乱状態の時とは違っている。なんか自分自身がおかしいということを気づいてきたからそういうのである。人格まで変わってしまうとそれが長年つきあっていた肉親なら母なり父なりなのかという深刻な問題になる。人格が変わらないとやっぱり前の母であり父なんだとかなり安心する。なんかしらないけどK子の場合、もともと陽気だったから陽気なボケになってしまった感じなのだ。ボケになるのもその人なりにぼけるとかいう。暴力的な人はより暴力的になり内向的に陰気な人はさらに無口になり陰気になボケになるとか性格がボケには反映する。
錯乱状態の暴力から比べるとかなり回復したとなるのか?今は接するのが楽である。一時期見放されるとか何か非常な不安を抱いた、それが妄想とか暴力になったのかもしれない、今では今まで通り家の中で暮らしていけることがわかったので安心したのかもしれない、不満がないから怒ったりもしない、怒る相手もいない、だから情緒的には安定しているから前の陽気な性格にもどっている。ただ物忘れはひどくなっていてこれからどうなるのかわからない、やはり老年の認知症は若年性とは違い対処の仕方で多少は回復したり進行がとまるのかもしれない、今はそうした状態になっているからだ。
2006年08月10日
「特養の職員が利用者に性的暴言」について思うこと
http://u-chan-ghc.at.webry.info/200608/article_1.html
●介護は体験しないとわからない
介護というのは現場で経験した人しかわからない、介護は言葉で愛が大事だとか言うのとは違う、即行為としての愛の行動が求められる。下の世話であり認知症の世話になると暴言とか暴力にすらひたすら聖人のよう耐えて介護しろとなる。人を愛しなさい、神は仏は愛だ、慈悲だ、それを実践しなさいというのは誰でもできるのだ。実際に牧師であれあらゆる宗教家が言っているのだ。ところが介護の現場では愛とは糞を処理する重労働であり暴言暴力に耐えることであり何のために薄給でこんなことやっているのかという疑問につきあたる。それが家族なら家族には長い歴史があるしそれぞれに育んできた愛ある生活の延長として病気になってもやはり愛の生活の継続しようとする必然がある。しかし施設になるとそうしたものが家族で育んできた愛の世界ではない、賃金で雇われた人でありその人たちはただ当座の糊口をしのぐための仕事としてやっていく人が多いとある。介護職は誰でもできる最低の職とかされて仕事のきつさに比べると給料が安すぎるのだ。介護の仕事は何か資本主義的労働観と合わないのだ。介護するということは今どこも仕事ないし金がなくてはこまる、介護職は人手不足だからひとまずその辺で働いて世間体を保ち食っていこうとかの動機では介護はうまくいかない、崇高なものを介護に求めるのも酷だが余りにも職業意識が使命感が低いのが一因なのだろう。
●介護は動機が大事になる
働く(はたらく)−端(はた)を楽にすることが働く動機となっている。家族が働くのを見て楽にさせたいというのが働く動機なのだ。今でも貧乏な国では親が苦労して働いて食わせているので親を楽にさせたいというのが子供の働く動機なのである。介護というのは家族で重度の人をみていればこんなにひどいなら楽をさせたいと自然となる。介護の働く動機になる。介護には単なる賃金労働とは違う、別な動機が必要なのである。介護とか福祉とか働く動機が大事になるのではないか?他の仕事はいい物を作り高く売りもうけて利益を増大させて給料を高くもらうというのでなんらかまわないしそのために働いている。しかし介護の仕事は直接個々の人間を相手にしている。物作りは直接人間を相手にしていない、介護は弱い、障害者や認知症になると正常な人間のコミニケ−ションができない人まで対象になっている。そういう人たちを介護するということは賃金労働とは違ったものとなる。賃金労働だったらヘルパ−でも介護の手助けするにしても掃除や食事の世話はしますがあとは金はもらいませんのでしませんとかなるのとは違う。そういうふうにできないのが介護なのである。でも介護も賃金労働の中に組み入れられる。家族が介護するような動機に欠ける人がするようになる。
介護するということは、もちろん被介護者と戦いのようなものですが
一番の苦しみは自分自身、自分の気持ちとの戦いの日々です。
介護の現場で働いている人でないと介護についてどうだこうだと言えないほど介護がむずかしい問題だからなのだ。愛だとか慈悲だとか口で言うのは楽である。では糞の処理をしてみろ、愛をもってしてみろと言われてそれを実行できればいい、なぜこんな汚いことを赤の他人の糞の処理をしなければならないのか、給料も安いのに・・・こんなボケ老人がこの世に生きている意味があるのか?本当は死んだ方が世の中のためなんだよ、まあ、金のために働いているんだからしかたなくやっているんだから目をつむるけど・・・・こうした自問自答があっても不思議ではない、家族の介護すら重度になればそうなる・・・なぜこんなに犠牲になるのか、若年アルツハイマ−を親にもった若者はその恨みを延々と書いている。余りの介護の重圧でただ親への恨みしか残らなくなってしまったのだ。
●介護は限りない謙虚さが要求される
そして介護には要求されるものは精神的にも犠牲的なものになる。介護されるものは弱者なのである。認知症であれ知的精神的障害者になるとどんな人でも軽蔑的な感情を持つ、こんな馬鹿に尽くして何の意味があるんだとか普通になる。こんな馬鹿がこの世に生きている意味があるのかとか自問自答することは確かである。こういう人を介護する世話することは限りない謙虚さが要求されている。こんな馬鹿を相手にしてどうなるんだとなる。こういう人にへりくだって使えることは簡単にはできない、それも赤の他人であり何の世話を受けたものでもないとしたら余計にそうなのだ。だから施設では虐待が日常化している、親戚の特養に勤めている人も自分の家族が認知症になったらそんなとことつきあうなと縁が切れてしまった。特養に勤めている人自体、認知症の重度の人を世話して嫌悪感で一杯になっているからそう言ったのだろう。そしてそういう介護職の人はかえって非情になってしまった人が居残るとかの発言もあるからいかに現場が体験しなければそのひどさをわからない世界だということが問題なのである。介護には明らかに宗教心が要求される。
また、最後の晩餐の前に、イエスがペテロや弟子たちの足を洗う
その時、「あながたがうち偉くなりたいものは、仕えるものになりなさい」
とおっしゃっています。
つまり弟子の足を洗うより以上のことが介護には望まれているのだ。痴呆化した無能化した人なのか人でないのかわからない人にひざまづき足を洗うというほど謙虚にならないとできない仕事なのである。それができないから実際は施設では虐待になっている。それを社会に要求しても無理だとなるのだ。参考にした介護職のプログのように施設と家庭を分離するのではなく施設と家族とを結びつけるような計らいが必要なのだ。施設にあずけぱっなしになれば虐待されてもしょうがないとなる、介護は施設だけではない、家庭とか地域とか社会全体で対処すべきものであるのが理想である。でもそこでも大事なのは動機なのである。
お互いが謙虚に、「面倒を見ていただいてありがとうございます」という気持ちと、「入所していただいて、ありがとうございます。おかげで我々お給料いただけます」という気持ちがあったとしたら・・・・ 今回のような事は起こらなかったかもしれません。
こういう意志疎通がないことが問題であり施設にあづけぱなしの家庭にも問題があった。介護は施設にあづけるだけでは解決しないむずかしい問題だという認識が必要なのである。
2006年08月15日
ボケ老人の墓参り(お盆の小話)
ボケ老人の墓参り
お盆で千賀子は花を買って墓参りに行った。次の日も墓参りに行ったきたという。
「昨日墓参りに行ったべ」
「行かねえよ」
「昨日確かに行ったけどな」
「行かねえから今日行ったんだよ」
「・・・・・・・・・」
息子の勝男はまた忘れてしまったと黙ってしまった。
看護婦をしていたとき世話した人がいろいろ助けてくれる。その人が家にきて掃除や料理などしてくれて帰ったのだがその人が来たことも忘れていたのだ。「夏子さんが来てくれて助かるよ、おれえの家では親戚ないからな」
「夏子、いつ来たの、オレは会ってねえよ」
「この前来てくれたし何度も家に来て手伝ってくれているんだよ」
「そう言ったって会ってないから通じないんだよ」
「・・・・・・・・ 」
これには勝男も困った。世話になった人のことも忘れてしまっては世話する人もがっかりするだろと思ったからだ。この病気はまるっきり忘れるから忘れたことを言うと怒るから困る。夏子さんと会っていないと言ったときそんなこと言ったって会っていると言うとオレは絶対に会っていないと怒る場合があるのだ。まるっきり忘れているからこれは問いつめると悪いのである。
墓ではかわいがった千賀子の父親が墓の中でささやいていた。
「千賀子、オメエ、昨日墓参りに来てまた今日も来たな」
「私は昨日はきてねえよ、だから今日来たんだよ」
「昨日確かに来たよ」
「私は昨日は来てねえよ」
「まあ、二回も墓参りに来てくれたからありがたいな、オメエは親思いだったからな・・・」
墓の中で千賀子の父親はいぶかっていた。
「どうも千賀子も年取って変な病気にかかってしまったらしい、まるっきり自分のしたことを忘れる病気らしい、年取ると忘れやすくなるんだがこの忘れ方は普通じゃない、・・・かわいそうだ、困ったことだ・・・まあ、いづれ死んだらこの墓に入る、そんときは忘れた病気のことも忘れるだろう」
息子の勝男はいつもその墓の前を通って買い物に行っていた。
「勝男がめんどうみてくれるからいいだろう、勝男が頼りだからよろしく頼むよ」
この墓は町の中にありお盆で線香の煙がたえなかった。勝男はいつもこの道を通って自分の家の墓の前を通るからそのささやき声も墓から聞こえたのだ。
ともかく5分前のことも忘れる病気なので困っていた。これを直す方法がなかったのだ。墓の近くには木槿が咲き蝉の声がひびいていた。死んだ人も生きていて何かを語りかけてくる。それが人間の営みであり墓もまた過去と現在と未来をつなぐものとしてあるのだろう。勝男は今日もその墓の前の道を通り買い物に行っている。でも千賀子は夕方になると不安になるのか家の前で待っていたりこの前は帰って来ないとか何にもないからパンを買ってくるとパン屋まで歩いて途中で自転車で帰って来た勝男にあったのだ。5時半で明るいのに道にでて勝男が帰るのを待っていることもあった。この病気は夕方になると不安になるらしい、勝男は千賀子から離れられないので困っていた。その他はそれほど今は困ることはなかった。
2006年08月16日
動物と人間の相違(麻薬犬の訓練)−遊びの必要
テレビで見た麻薬犬の訓練は意外だった。犬が麻薬を探すのは遊びでありゲ−ムだからその遊びが面白くないと麻薬も探さないから遊ばせるように訓練する。麻薬が見つからない場合はわざわざ頼んで麻薬をしかけそれを探し出させて満足感を与える。つまり動物と人間の相違は人間の仕事は遊びではない、そこには様々な意図があり動物のように簡単なものではないのだ。遊びとは無償の行為であり子供が遊びなしで一時もありえないように遊びは動物にも必要不可欠でありその遊びには何か目的があってはだめなのだ。純粋な無償の遊びが目的であり麻薬の発見も犬にとっては遊びなのである。
チンパジ−の実験で彼らにパズルを与えると大喜びしてそれを得ることを待ち、要求する。彼らにとってバズルを解くこと自体が楽しみなのである。しかしある時パズルを解くと食べ物を与えるようにするとチンパンジ−はしだいにパズルそれ自体を楽しむより食べ物を得るためにパズルするようになる。やがてパズルだけを与えて食べ物を与えなくなるとチンパンジ−はパズルへの興味をなくしてしまう。(あなたの隣の狂気−町沢静夫)
人間が犬に有益な仕事させるには遊ばせないとだめだというのも皮肉、逆説である。動物の方が遊ぶということに関してその意図にかなっている。人間は遊ぶでも何か不純な動機が入ってくる。ギャンブルも遊びではない、一攫千金を目的にするとき遊びではない、もうからなければギャンブルに魅力がなくなる。遊びとしてはしないのである。人間は何事その動機が大事になる。学問でも試験の成績のために強要されるといやになる。でもなかなか勉強しないから試験の点数でやらせようとする。学問も遊びが必要なのである。ただ遊びだとすると嫌われる。遊びというときどうしても負のイメ−ジがつきまとう。実業家でもなんでもこの世では金をかせぐ人間がもちあげられ重要人物とされる。
認知症でも公務員とか先生とか事務員とかがなりやすい、右脳を使わない人間はなりやすいという一般的な見方がある。ただこの例外はあり真面目一方の遊びを知らない人間でも90になってもならない人間はならないのだ。認知症は公式として定理のようにありえない、個々によって違っているからむずかしいのだ。つまり誰がなって誰がならないということはわからないのだ。原因そのものがわからないからだ。ただ退職すると環境が変わる、今までの仕事人間としての役割が失う、そして時間は金をかせぐとか何か社会的有用なものではなく遊びとしての時間が与えられることになる。でもこの遊びも簡単にはできないからとまどうのである。犬のように無償の遊びができないからだ。何か有益な餌、金をやらないと遊ばないというのは遊びでないからだ。
例えば趣味として絵を描いたり文章を書いたりすることとプロとして収入を目当てに書くのとは違う、習い事でもそれをプロとして教えると趣味として楽しむのとは違うという、プロとして金をもらうとなるとそれは決まりきったル−ルがあり型がありそういうことを教えるが純粋に楽しむ遊ぶことは別なのだ。スク−ルが余暇からきていることはギリシャ人は良く遊ぶことを知った故に学問芸術が発達したともなる。日本字は生真面目で勤勉が取り柄なのだがそれで世界から嫌われていることもある。一般的に日本人は眼鏡をかけて生真面目で勤勉で遊びをしらない、余裕のない人間にみられるのかもしれない、日本人が自殺が多いのはそのためなのかもしれないのだ。
参考
遊びで堕落した人間−高齢化社会はボケの大量生産?
http://www.musubu.sblo.jp/article/676226.html
介護の(老人)問題は何よりもト−タル(全体的)な問題だ
医療でも体が悪いのは一部分が悪いのだからその一つのパ−トを手術して取り除けばいいとなる。西洋思想では世界はパ−ツの組み合わせでありそのパ−ツの元は何かとなり原子まで行き着いたのである。現代の日々の仕事はパ−ツ化したなかで機能している、ある市営の観光案内所でその人の担当以外の地域は何も答えない、私の担当以外だから知りませんとつっぱねる。これはどこの仕事場でも日常的に起こっている。このパ−ツ化された世界からナチスが生まれたという思想家もいる。人殺すことでも事務処理するようにその仕事に忠実だった。これは先の日本の戦争でも役場の職員が何の疑問もなく赤紙を配り戦場に送ったということともにている。一人の命がかかっているのだがそれは単なる数字を処理すると同じになっていたのだ。
介護の問題は何よりもト−タル(全体)な問題だ
介護は一人の人間全体にかかわるからト−タルなものとしてみないいけないから現代的なパ−ツ化した労働とそぐわないのだ。妻が夫が認知症になったりすると特に若年性アルツハイマ−になったりする日記をよむと感心する介護をしている人がいる。認知症などはきく薬などもないしある部分が悪いからそこを取り除いたり部分を直せば直るというものではない、水頭症などは脳の手術で直るようだがほとんどの認知症はその人に対するト−タルなかかわりが要求される。そしてパ−ツ化した社会ではこのト−タルにかかわるということが一番むずかしいことなのだ。
常に部分的な仕事とか生活も細分化されていてト−タルにみるということができない社会で生きているからだ。家庭はト−タルな場として生活することに意味がある。家事はト−タルなものとして家庭を支える。料理するのもそこには妻や母親の愛のこめられた料理であり家庭は愛の場であり部分化して金をもらう場所ではない、ヘルパ−に頼めば料理すること洗濯すること、掃除することと仕事が分けられ金が請求される。極端になれば会話した場合はいくらとかもなる。あらゆる行為がパ−ツ化され金で計算されることになる。これは介護の仕事には向いていないのだ。ト−タルなものとしてかかわることが介護には要求されているからだ。
そしてなぜ介護がめんどうなのか、例えば介護は今は施設とか制度とか組織化される。しかしこうしたことにも介護はなじみにくい面があるのだ。その例としそもそも介護を受けられることが知らされていないとか知識がなくて介護サ−ビスが受けられないとかあるのもそのためである。また介護認定も不公平なのはその人のことについてト−タルにみれないし日頃みていないからわからないためである。書類審査だけでもわからないし一回の訪問だけでもその人となりをト−タルにみることがむずかしいから不公平な判定になるからだ。生活保護が受けられず殺人までになったのもその例であった。
施設とか制度とか組織化しても肝心の人間が介護には大事になる。特養での虐待とかが日常的なように安い賃金でその場稼ぎのアルバイトにやらせるような仕事が介護ではないからむずかしいのだ。介護は施設化とか制度化だけでは解決しにくいところがある。ハタラクは端(はた)を楽にさせるという時、それは身近な家族とかで端を楽にさせたいということが働く動機だった。そういう動機付けがかなり大事である。今働く場がないから介護で人手不足だから働こうという動機ではうまくいかない、愛のためだとかそういう高邁なものはなくてもいいとして全くそこには介護にはそぐわない動機なのである。やはり家庭ではそこで長い間暮らしてきたのだから介護する動機をもつ、親を自分のためにいろいろしてくれてとか普通にもっている。
今我が家で手伝ってくれている人は親戚というのではなく病気のとき大変な世話したからである。これも介護にはいい動機である。介護は賃金労働だけではできない、動機が大事であり人間全体をト−タルにかかわるものだから施設化、制度化、組織化してもほんの一部をのぞいてはうまくいっていないのはそのためである。施設だと建物を提供するだけではない、家庭のようにト−タルな人間生活の場として人間をみなければならないから建物を用意しただけでは介護にならない、そこにはそこにふさわしい動機をもった介助する人も必要になる。
それは賃金労働だけではむずかしいから問題が起きる、虐待も起きるとなる。高齢化社会は介護とかはト−タルにかかわることが必要となると社会もパ−ツ化部分化した社会を変える必要もでてくる。一方介護社会そのものへの疑問もでてくる。介護社会になること自体が異常なことかもしれないからだ。不具者の思想、優生思想の危険は少数者だったら成り立つが不具者が多数になったらとをなるのか、変な話が病気でない人間は社会で差別されるという奇妙な結果になってしまうからだ。ともかくト−タルなことを目指すのは芸術であり宗教であり介護もそうだったのである。
2006年08月20日
「認知症 隔離」(キ-ワ-ドから)
「認知症 隔離」で探しに来た人は認知症の人を隔離したい人なのか?施設に働く人なのか?あまりに手のかかる人は暴力をふるう人など隔離したくなるのはわかる。昔は座敷牢に入れていたのだろう。でもこれは病気を悪化させることは間違いないし人権の問題にも虐待の問題にもなる。自分の家族を母や父を座敷牢に入れたりすること自体耐えきれないだろう。それはもはや家族ともいえなくなってしまう。これは悲惨すぎる。
近くの認知症なのかどうかわからない90才の老婆は時々家にきてなんか訳わからないことを話して帰ってゆく、会話がなりたたないのだ。その人は家族の者とは一緒に食事していない、一人部屋が用意され隔離されている。食事は嫁が運んでくる。一つの家に夫婦が所帯を別にもち生活するのとは違う、いろいろ問題を起こしたので隔離されたのだ。それでも前は騒いだらしいが今は大人しくしている。最近自分の家に勝手にあがりこんできて部屋まで入ってきたらしい、その時自分は二階にいたからわからなかった。この人が認知症なのか精神状態がとうなっているのかよくわからないがこういう状態はやはり一つの隔離なのだろうか?
いづれにしろこのような状態は一つの家族とは言えないかもしれない、一緒に食事しないとなると家族とは言えない、認知症に対処する仕方は家族によってみんな違っている。家族環境やら生い立ちやら様々に違っているからだ。認知症の人は正常な人からうとまれ差別されやすい、それは家族でもやっかいものになるからそうなる。しかし認知症の人はそうされることを一番嫌っているだろう。私を差別しないでください、みんなの仲間に入れて下さいとか認知症自身の訴えもある。これはなかなかむずかしい問題だが認知症の人も正常な人の仲間に入りたいという希望がある。なぜ笑っているのか、私も一緒に笑いたいとか訴えている。認知症の人は軽ければある程度普通の人と話も通じるのだ。認知症の人も普通につきあうことを望んでいる。ただこれは正常な人の親切な対応が必要になってくるからむずかしいことがある。
ともかく認知症の人を隔離することはよくない、病気も悪化してしまう。隔離すると楽になる面があるからだろうがやはりダメ−ジは介護する人にも介護される人にも大きいだろう。重度になるとそうしたくなることはわかる。一時期暴れてどうにもならなかったから隔離するほかないとかも思ったからだ。でも人間的接触をつづけてきたら半年でかなり回復した、忘れる病気そのものは直らないにしても情緒的安定して物盗られ幻覚も消えたしおとなしくなったからだ。
そもそも精神疾患者については危険だから手に負えないから隔離するほかないとなった。でもその見直しは計られている。認知症の場合は特にこれから地域で多くなるし地域で生活する人もふえてくる。となると隔離するという思想では対処できなくなる。施設も入りきれなくなるから自宅介護しろといっても回りの人の理解を得なければできないからだ。認知症に対して理解を深め鷹揚に対応してゆくことが望まれているのだ。
2006年08月26日
認知症の暴力の原因(感情と理性(前頭葉))
●認知症には頼る場所がない人がいない
認知症ほど謎めいた病気はないと何度も書いてきた。結局それは人間の脳とか心が関係している最もわかりにくい分野だからである。脳をどんなにわかったように言う人がいてもそれはまやかしだとなってしまう。認知症の原因そのものがわからないからいろいろ言う人がいる。癌の原因もわからないから素人でもいろいろ言ってみたり癌にきく薬があるとかだまされる。結核とかはすでにわかっているから誰もだまされないがわからないものはいろいろとなんでも言えるのである。これはそもそも医者すらわからないと言っているのだから一体誰に頼ればいいのかとなる。神に頼り仏に頼ることもとめることはできない、認知症は医者の役割は極めて低いのである。「物忘れ外科」自体極めて少ない、大都市にしかない、5万くらいの都市にはないのだ。心療内科では認知症については治療できない、きく薬などもないのが現状なのだ。
●妄想は消える
盗ったとかの妄想はなくすことができる。せん妄なども一時的で消えることは確かである。その障害物をとりさったりその人にとって安心感のある空間とかヒュ−マンな対処によって妄想は消える。しかし物忘れのひどさは直らない、ただそこから派生する様々な問題は抑えることができる。ヒュ−マンな対処、人間的な対処の方がきくのである。認知症になったとき本人に自覚があり自分が見捨てられるのではないか、今までの人との交際もたたられ社会からも捨てられるのではないか・・・・様々な不安から一時的に暴れたのかもしれない、でも今はそうした障害物になるもの人でも取り去ったら精神的に安定してきた。嫁姑が対立するとき二人を引き離して介護すればいいとなるが家族が分断されたりするのでなかなかできない、認知症になったら極力姑をたてるほかない、そうすれば精神的に安定して自信をとりもどすことがある。ただこれは家庭の状況で個々に違ってくるからむずかしいのだ。妄想は一般的に一時的なものだというのは本当なのだろう。認知症の根本病理である記憶障害は消えなくても妄想は消える。物を今でもなくす、サイフもなくすが誰かが盗ったとはいわない、馬鹿になったなと笑って探しているから情緒的に安定している。この点は改善される。
●認知症は何もわからない人なのか
認知症の人は何もわからない馬鹿なのか?これも軽い内はわかりにくいのだ。感情部分は正常だというとき感情的なもの原始的なものは心の中核にあるからだろう。悲しい、うれしい、嫌いだ、好きだ、・・・・とかの感情は残る。ただ嫌なものは好きなものは好きとかはっきりとさせて自分本意のわがままになってしまう。嫌なものは受け入れない、ヘルパ−でも嫌いな人は受けいれない、正常な人でもそうしたえり好みはあるが認知症の人は極端である。だからいつも身近にいる人しか世話できないとか負担がかかるのだ。そして軽蔑されたとか馬鹿にされたとかはわかりそれを根にもつことがある。銀行で金をおろせず笑われたということが頭に残り馬鹿にされた思い銀行には行かなくなった。なぜ馬鹿にされたか笑われたかはわからない、金のおろし方がわからなくなったからである。そして自分でしたことを忘れているから失敗したのだ。自分の責任でそうなったのだが軽蔑されたということは覚えていてその不愉快な気分が感情がいつまでも残っているのだ。だから感情的いい気分になっていると情緒的に安定しているから問題行動は起こさないのである。
●認知症は感情が突出する
前頭葉が働かないというとき理性が働かない、抽象的思考ができない、これは文章が読めなくなる。文章は漢字などが読めなくなるのは漢字は抽象化した絵であるからだ。太陽とあれば太陽をイメ−ジしなければならないし山や川とあっても常にイメ−ジする働きが必要なのだがそれが脳の弱体化でむずかしくなる。つまり人間を人間たらしめたのは理性の前頭葉であり感情ではないのだ。感情で行動したら好き嫌いとかで行動したら常に喧嘩ばかりするようになるし人間は戦争で滅びてしまっただろう。嫌いでも付き合いしなければならないときもあるし自分の感情のおもむくままに行動はできない、頭に来てなぐりたいけどここはなんとか頭を冷し抑えておこうとなる。それで社会生活も成り立つのである。認知症になると感情は爆発して暴力になる。前頭葉−理性で抑えることができなくなるのだ。図では回りの前頭葉で感情が抑えられず前頭葉が正常に働かないので感情部分が突出して肥大化して抑えがきかなくなるのだ。
子供も感情の動物である。意にかなわぬことがあると欲望を達成するのには泣き叫んだり駄々をこねるとにているのだ。
●認知症には大人の知恵がまだある
では認知症の人とは会話がなりたたないのか、それが不思議なのは大人の会話も成り立つのだ。大人の知恵もある。社会現象にしても理解しているし大人見解を言うこともできる。例えば外に出るとゴミ処理で困る、なげる場所がなくなってゴミを持ち帰ることになるが自転車などではゴミをバッグに入れるとぐちゃぐちゃになったりして困る。それでゴミを入れる袋をもって歩く必要あるというのも本当である。そうした袋も売っている。それなら水がこぼれたりしないからである。大人として話が通じないわけではない、でも知能が低下するからなにかちぐはぐなものとなっている。全部が全部、正常な人のように話が通じる訳ではないのだ。これまでの大人として生活して理解したことがありそこからまともなことを言ったり知恵も出したりするからどこまで馬鹿で馬鹿でないのかわからないのだ。だから認知症になったということを気づかない知人もまだいる。ちょっと話したくらいではわからないからだ。このように認知症は人によってもいろいろ違っていて対処方法も違うからむずかしい病気なのである。
認知症の暴力の原因(プライドを失わない)
http://musubu.sblo.jp/article/6623991.html
2006年09月02日
認知症、ボケは神による人類への刑罰か?
http://musubu.jp/jijimondai33.html#nin
本サイトの方にもこれまでの認知症についての経過などを書く必要があると思いプログではなく本サイトに今回は書いた、やはり長くなるとプログに書くのは向いていない、時事問題の深層はず−と書いてきたので一応報告として書いておく・・・本サイトは半年休んでいたからアクセスもへっているから問題だ・・・・でも本文は本サイトにあるから書いた
2006年09月04日
認知症キ-ワ-ドの私の答え(続)
認知症の根本的病理である記憶障害は直らない、整理できなくなることや銀行のことなど抽象的思考、計算などができなくなることも直らない、前頭葉が働かず理性が働かなくなる。でも感情領域は正常に残っているから喜怒哀楽が残り侮蔑されたりすると怒る。自尊心ももっているから自尊心をもたせると気分よくして自信を持ち症状が改善する。
●認知症 作業療法 役割
作業療法は効果的である。洗い物や洗濯、掃除など簡単なことをさせると何かの機能を取り戻して症状が改善する。料理はむずかしいからできないが簡単なことはやらせることである。
●認知症になる原因
認知症になる原因は個々によって違っているから特定できない、体の異常から心臓病とか高血圧とか糖尿病とかも関係しているのかはっきりしない、脳血管性認知症といっても脳梗塞で機能が麻痺するのと認知症は根本的に違う、認知症の根本病理は記憶障害なのである。忘れ方が普通ではない、5分前したことをまるっきり忘れる。食事したことをすっかり忘れる。この忘れ方が異常なのだ。どうしてこんなに忘れるのか記憶する能力が喪失するからだ。でも全部忘れるのではなく大事なことを記憶していることもある。忘れてはならないと注意しているから忘れないのかもしれない、でも普通は忘れる。今も記憶できないのだ。
●認知症のレベル
今日話を聞いたのでは先生の夫婦で妻がひどい認知症になった。一方80近くで妻は72才とか言っていた。その妻はヘルパ−の人がきてもなんでくるのだとか怒ったり食事を用意してもみんないらないとか並べたものをひっくりかえしたり暴言をはく、重度の認知症で介護度も最高級らしい。認知症の重度になったら手がつけられない、一時私の家族でも経験したが暴力に向かう人を引き離して生活するようにしたら穏やかになった。身近な人になぜか攻撃的になる。その相手は夫や嫁や息子だったりになる。この原因はなぜなのかわからない、もともと関係よかったらそうはならないはずだから、夫婦として何十年も暮らしている人がなぜそうなるのかわからない、妻が夫に信じられない暴力をふるってくるのだ。ただこれには原因がわかる場合もある。女遊びしていたとか何か妻にとって怒らせるものがあったとき夫に辛くあたるのだ。それは原因がはっきりしている。
ただ夫婦円満なものがなるとしたらわからない、認知症のレベルはただ忘れるということ知能が低下するだけならそれほど困らない、これが暴言、暴力となるとレベルが高くなり手に負えなくなる。認知症にはなぜ暴れるのか個々に調査してみる必要があるのではないか?単に脳機能の損傷でなるだけではなく人間関係とか環境因子が原因になっているのではないか?つまり脳の中を科学的に機械で見ただけではわからない、だからその家庭の人間関係とかを良く知らないとその原因はわかりにくい、どうしてそんなに暴れるようになったのか、それは必然的に脳の機能が低下してなるのか?それとも人間関係とか環境因子が関係しているのか?その見極めが必要でありこれは個々の家庭環境だからなかなか外からは複雑でわかりにくいから困る。でも脳の写真をいくらとってもわからないのではないか?それだけでは解決しないものがあるから未だに医者すら科学者でも有効な治療方法がないのである。
●認知症の問題に患者、家族、医者、施設職員の協力が必要
いづれにしろ認知症については困った人が大勢いるのだから医者でも患者でもその家族でも施設の職員でも共同研究の協力をするべきなのだ。インタ−ネットはかなり参考になっているが医者とか病院は適格な情報をだしていない、商売だから企業秘密なのかインタ−ネットには触りしか出していない、これは商売になるとどこでもそうである。情報だって商売の種だからいい情報はなかなかでてこないのだ。しかし病気に関しては患者とかもその症状とかを調べて互いに病気について詳しくなれるのだ。とにかく認知症については共同研究が必要であり患者の家族は大きな役割を果たすことができる。その原因は何なのか、いい治療方法、対処方法があるのか、こうしたらかまくいったとかの報告を知る必要があるのだ。これは医者とか病院だと正直の報告がなくいい面だけが強調されるが悪い面も知る必要がある。その辺がなかなかわかりにくいのでインタ−ネットで知るのにも限界があるとなる。
●インタ−ネットの協力には限界が
インタ−ネットはまた分散しすぎてわかりにくい、誰かがまとめ役となり個々の認知症の症状や改善した報告などをまとめる、分類することなどが必要なっているのだ。これは個々の日記を詳細に読めば多少はわかるのだがなかなかむずかしい、誰かがこうした情報のまとめ役、分類役、案内役が必要になっているのだ。しかしこれも実際はなかなかむずかしい、相手を知ることがインタ−ネットでは限界があるからだ。家庭状況にしてもインタ−ネットだけから深くしることはできない、ところが認知症は相手のこと個人でも家庭環境でもかなり詳しく知らないとわからない、対処しようがないのだ。それをするとなるとインタ−ネットだけからではわからないのだ。そこにインタ−ネットの限界を感じる。でもそれなりに情報の収集には役立つからなお試みているのだ。
2006年09月08日
惜しまれず死ぬ人多し高齢化
惜しまれず死ぬ人多し高齢化
急性白血病で親類にあたる人がまた一人死んだ。この女性も親子関係がこじれて娘ではあったがよせつけなかった。育ての親だったことで娘に猜疑心が強く娘を自分の思い通りにしないと気がすまなかった。気が強いのでそうなった。どうしてもそうしたかつての不快なことの方を思い出してしまうから死んでもあまり感慨がなくなる。この前に死んだ親戚の人も生活保護だったとすると一年くらい入院していたから税金を使った額も半端ではない、だからただ税金を食い尽くすのが老人かとまで思う、自分のことは将来わからないし自分も税金を食い物にするかもしれないので強くは言えないが高齢化社会はまず惜しまれて死ぬような人はまれだと思う。寿命が60才くらいで現役だと惜しまれる死になるが80才くらいになるとすでに社会でも家庭でも用済みになる人が多くなるからだ。惜しまれて死ぬような人はよほどの人である。認知症でも80才以上になるとこれから200万とか大変な数になる。認知症になったらほとんど家族ですら惜しむ人はまれだろう。
高齢化は人間のおそろしいまでの醜い面がでてくる方が多いのではないか?早めに死んでいればそうした醜い面も表さず死んでしまうから目立たないとなる。しかし高齢化社会は認知症に象徴されるように惜しまて死ぬ人がまれだし負の部分が大きいのである。税金もかかるし社会の負担も大きすぎるのだ。高齢化でもその人なりの生を全うすればいいがそれより人間の醜い面が露骨に現れ死んだ方がいいとか思われる老人の大量生産になる。人間はそもそも若くても欲望の追求でありそれらが延長して老齢化してくるのだから人間は年取っても一般的に醜くなるのが普通である。老人になったら欲も消えて仏とか菩薩のようになるとかはないのだ。醜く生きた者は老人になったらさらに醜くなるのが普通ではないか?高齢化社会は負の部分が大きくなる社会である。長生きする老人は認知症にならない、人に迷惑をかけない、税金の無駄使いをしない、家族に大事にされる、・・・とかいろいろ条件を満たす人だといいとなる。それが少ないから高齢化社会は暗黒の面が多い、負荷の部分が多い問題社会だとなる。ただ高齢化でも自分のことはわからないから他者をあまり批判はできない、自分も迷惑をかける老人になることもあるからだ。
そして介護の問題でわかったことは3カ月くらいで簡単に病院で死ぬのなら楽だが介護は先が見えなくて長いことなのだ。認知症でもそうだし脳卒中とかでも他の介護でも長くなること、10年も介護がつづいたとかあり先が長いからまいってしまうことがわかった。親の介護のために結婚できなくなったとかの犠牲も書かれている。なかなか死ねない、医療の発達が死ねなくさせている問題もある。長いということは非常に辛いことなのだ。最初は懸命に介護しても老齢化が原因だからなかなか直らないことがありそれで疲れてしまうのである。人間の生命の尊厳とかいかめしいことを言うけど人間とは老人になってから人生の意味とか尊厳があるわけではない、その前にそういう価値を追求しているはずなのだ。そしたらその延長として生命の尊厳の意義もでてくる。ただ人間の生物として肉体の物質としての命の延長には尊厳も意味もない。ただ最低限の人間的でありたいということはある。認知症にしても施設で人間扱いされないことあった。それは人間の尊厳とかいうものではなく人間としてではなく物ののように扱われることである。そういうことは家族にとってしのびないという情は働くのだ。家族のなかではそういうことは防げるし人間として扱うことはできる。実際動物のように扱われている人も施設でかなりある。
彼は権勢を賜ったことにより、諸民、諸族、諸国語の者がみな、彼の前におののき恐れました。彼は自分のものを欲するものを生かし、自分の欲するものをあげ、自分の欲するものを下しました。しかし彼は心に高ぶり、かたくなになり、傲慢にふるまったので王位から退けられ、その光栄は奪われ、追われて世の人と離れ、その思いは獣のようになりその住まいはロバとともにあり牛のように草を食い、・・・・・・ダニエル5-18
その光栄は奪われ、追われて世の人と離れ、その思いは獣のようになりその住まいはロバとともにあり牛のように草を食い、・・・・・・
動物と同じのような扱いをされている施設がかなりあるのだ。人間扱いされない、別にこの王のような高ぶったものでなくても人間扱いされないという悲惨が現実に今の社会にもあるのだ。私の家族でもそれから精神の病では一時的にこれが人間なのか?獣じゃないかと思ったことがある。それも一番身近で何十年も暮らした人だからショックだし家族でこういう人をかかえるあまりにも悲惨で殺人まで起きている。人間が現実に認知症の重度だと獣ののようになるというのは本当にあるし施設でも家族でもかなり書かれているから王だけではない一般の人にも今起こっていることなのである。
2006年09月11日
お骨となっても己を主張する(人生は死んでも生前の継続に生きる)
葬式は立派だったという、でも隣近所でもあまり良く言う人はいなかった。潔癖症で家の中がきれいすぎて入ることもできなかったとか言っている。結局骨になってしまったのだがそのお骨は長年住んだ家にあり墓も近くにあるので47日後に墓に納められるらしい、娘はそのお骨を自分の住んでる家にもっていかずその一人住んだ空家に置いておくそうだ。すると今その長年一人で住んだ実家にはお骨しかない、誰もそこにはいないのだ。これもちょっと不気味かもしれない、お骨が留守番しているというのもなんか侘しいではないか?これもまたその人の運命だったのか、骨になってもなお一人自分の家にいる。しかし見守る人はいない、葬式は形としては立派でも冷たいものとなることもありうる。金持ちや地位ある人であれば葬式は豪華にはなるがでもそれが愛情のこめられた葬式となるとは限らない、形式だけでその内実はわからない、そのあとは財産相続だけが目的で親族が争うともなる。
人間は死んだからその人がカミになるとか特別なものになるわけではないのだ。死んだらカミになるから靖国で会おうというのも納得できないのである。生前と死後は完全に断絶するわけではない、生前と死後はつづいているのだ。生前の人生が良いものでないものが死後も良いものとはならない、その人の生前の人生がお骨をそういう状態にさせたのではないか?これは便宜上そうなったのかもしれないが空家に一人お骨だけあるというのは淋しい感じがするからだ。いづれにしろ人間の最後もその人生の延長としてあり死後も生前の人生と断絶するとは思えないのだ。死んだら終わりだ、何もなくなるというが以前としてその人が思っていることこだわったことなどが活きている。
娘には世話にならないとか娘を拒絶して一人生きてきた母親は最後も実家で一人骨になってもいる。死んでも人と人の関係もつづいている。生前仲よかった人は死後も仲がいいのである。だから夫婦でも仲が悪くなると一緒の墓に入りたくないとか実際に請求して実行している人もいるのだ。人間は死んだからといってすべて終わるわけではない、責任もなくなるわけではないのだ。そうだったら死んだら終わりなんだからやりたいことをやればいい、人生なんかどう生きても死んだら結局みんな灰になって同じよとなり誰も人生を真面目に生きようとしなくなるだろう。全く無責任な人生だけになってしまう。骨を灰にして海にまいても生前の人生は何かしら残り簡単には消えないのが人間なのだ。
また戦争で死んだからといって死んだものをとやかくいうべきではない、死んだら日本ではカミになるとかならないのだ。とやかく言われるのは人間は死んでもそれでその人の人生が消えるわけでもないし終わらないからいいにしろ悪いにしろとやかく議論が絶えないことになっているのだ。
2006年09月12日
もののあわれについて(人間は老齢化してみんな敗者になる)
●もののあわれは万物への慈悲、愛である
もののあわれというとき、このものはもののけとかものは何か霊的な力をもったものとしてのものがある。ものがつくなどもそうである。日本人はものと人とを区別していなかった。ものも人も同じものとしてしとらえていた。欧米では人は特別な者である。神に特別作られたものが人である。人だけに神の似姿として神が神自身をイメ−ジして作られたのが人なのである。だから人だけは他の創造物とは根本的に違っている。ところが東洋的には仏教ではすべてに仏性があるというとき、草木にも仏性があるとなりこれもものと人との区別がないのだ。東洋にはもともとそういう思想があったから日本だけの思想ではない。西洋では科学が発達したのは外界を自然を人間とは明確に区別して分析する物は物として無機物的な対象として追求してものの本質は原子にあるとなった。自然のものを物とみるから無情に接して物の原理を探求できる。動物も人間とは違うものとして見るから実験も可能だとなる。東洋的には生けとし生けるものを慈しむ、仏性があるとかなるとするとそうした生きものを切り刻むような実験をすることには抵抗があるのだ。
●強い人にはもののあわれを覚えない
もののあわれとはライオンとか鷲とか強いものには感じない、でもライオンが弱り死ぬようなときにあわれを感じる。あわれとは強さではない、弱さなのである。どんな強い人でも弱くなることがある。それが老齢化で必ず起きてくる。つまり強く優秀な人でも今や認知症になると料理も整理もできない、金のこともわからない、弱者に転落してしまったのだ。前は強い人だからあわれは感じなかった。今になると軽蔑するわけではなくつくづくこんなにあわれに人間はなるんだなと実感したのである。人間はどんなに強くてもこのようにあわれなる存在となる。これが人間の真実の姿でありあわれまれる存在になってもそのときこそ人間の情が通じることもある。強い人には弱い人の心がわからないのだ。
もののあわれを恋愛だったらかえって失恋した人がもののあわれを感じるようになるし事業に成功した人より失敗した人が感じるし、裕福な人より貧乏な人がより地位ある人より地位のない人がもののあわれを感じやすくなるのだ。世間で勝利したような人は変えてもののあわれを感じない人になる。成功した人ももののあわれを感じない、自分の強さとか才能を誇るようになる、自分が成功したのは自分の能力の結果だと思ってしまうのである。戦争でも勝った組はものきあわれを感じない、負けた組がもののあわれを感じる。また負けた方にもののあわれを感じる、判官びいきは義経に同情したのはそのためである。強者にはあわれみを感じないのである。そこにあわれという日本人独特の心のもち方の奥深さがある。あわれに重点を置くことは西洋的弱肉強食の世界ではない、物も人も万物をあわれむという深い日本的心性、宗教観があったのだ。だから敵味方塚など負けた敵を供養するということがあったのだ。天皇は絶対的勝利のシンボルだったが戦争で負けたので天皇もあわれむべき存在となったのである。靖国神社は勝利のシンボルではない、負けたのだからあわれむべきものとなったのである。
●人間はすべて最後は敗者だ
ともかく強いものにあわれは感じない、イラクのフセイン大統領でも生前はあわれは全く感じなかったが一旦アメリカ地にとらえられるとあわれだとなった。アメリカは常に強いし勝っているからアメリカにふみにじられる人の気持ちがわからないのだ。だからアメリカも弱い立場になったとき弱い立場の国を理解するのである。強さではなく弱さに人間的なものが現れるのだ。強い人は短歌とか俳句に向かないというのはそのためだろう。しかし弱いということを特権のようにしてしまうことも問題である。現代では弱いということが強いことになってしまっているからだ。弱い者が徒党を組み宗教団体であれ組合に入れば弱い人間でなくなるのだ。
あわれむというとき個々をあわれむのであって集団をあわれむということはありえないのだ。集団に対処するとき人はそこに強さとか恐怖とかしか感じない、集団がまた個々をあわれむということもないのだ。集団に強さを加えるために個々をとりこむということがあってもあわれみのためではないのである。集団はなんであれ強さを追求しているのだ。ただ強さは最後に老化して誰もが崩れてしまうことは確かである。その時でもその強い人間は弱さを知り本当に人間を知り人間らしくなるということがある。ただ認知症になるとその自覚も失われてしまうかもしれない、認知症になると自らの弱さが病気により極端化するからその弱さを隠す否定するために暴力が起きるのだ。余りにも弱さへの転落が極端すぎるからそうなってしまうのである。
いづれにしろもののあわれは強いときは感じない、病気になったり老齢化で体も精神も弱るとその人自体あわれみの対象となる。あわれまれるのがいやでも現実体がいうことをきかないしどうにもならないのだ。つまり人間はどんなに優秀な強い人でも結局すべて老齢化で敗者になるべく運命づけられているのだ。強者でありうるのは一時的であり最後は金持ちでも優秀な人でも敗者のあわれまれる運命が待っているのだ。事実優秀な人も認知症に多数なっていることでわかる。
「すべての人の心といふものは、実情はいかなる人にても愚かに未練なるものなり」
(紫文要領・本居宣長)
人の心が愚かであり未練がましいとかいうのは聖書にも通じている。人間は愚かなものであるからこそ神に頼らざるを得ないのである。万能なるは神であり人間は神の助けなくしては愚かにならざるをえない、自分が愚かであり無能であると思うことこそ人間として正常な感覚なのである。
自分の目に自らを知恵ある者とする人をあなたは見るか
彼よりもかえって愚かな人に望みがある。箴言(しんげん)26−12
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この文章のつづきはここに書きました
老いも病気も弱さも人間に必要なものとして与えられた(介護−俳句−詩)
http://musubu.sblo.jp/article/1634568.html
生はなべてあわれなるものと知るべし
http://www.musubu.sblo.jp/article/1726653.html
福祉介護は現代社会のアンチテ−ゼ(福祉の問題点)-時事36へ
http://musubu.jp/jijimondai36.html#welfere1
あわれむというとき福祉の問題ではかえってあわれまれる方に福祉を受ける側に問題があった。
2006年09月25日
認知症の暴力の原因
親戚の人は認知症なのかどうかわからないが小さな工場の社長をしていたので何でも命令して亭主関白で威張っていた。大正生まれとかはみな亭主関白であり妻に何でも命令する方である。それが一旦ボケると手のつけられないようになる。自分ができなくなる、落ち度があってもそれを素直に認められない、自分のプライドが許さないのだ。認知症の人はプライドは持っている。だから自分のふがいなさとか自分の落ち度でもそれを認めたくない、それを指摘するだけで怒り暴力ともなる。社長とか家庭でも亭主関白とか威張っていた人は特に認知症になるとプライドを傷つけられるのでそれが暴力につながるのだ。そもそも盗ったということ自体、自分が忘れたことを他者へ責任をなすりつけ暴力になる。「私は忘れていないよ、あんたが盗ったんだ」となると自分の責任がなくなるからだ。もちろん忘れて一瞬精神に不安感を覚え妄想ともなってそうなるのも原因である。病的な妄想、不安感と自分の落ち度を認めたくないから他者へ責任なすりつけることが同時に起こってくるのが認知症である。
認知症は単純なこと銀行から自分の金をおろせないとか計算とかわからなくなるのだが大人として話しが通じることもありこれがややこしくしているのだ。わかっていると思いなんとか説き伏せようとすることにもなるがまた通じなくなっている。暴力の原因が自分のプライドがもていなことにあるとするとプライドをもたせることは認知症にはいいとなる。おだてたり昔の話をさせると気分よくなる。実際に家事をやらせたりすると自信がついてプライドをとりもどし症状が改善される。自分の家ではそうなっている。でもそこには家族の犠牲がでてくる。実際はいろいろできなくなっているからまかせられない、留守番もできない、いろいろ失敗も大目にみるとかその分家族に大きな負担がかかってくるのだ。それでもプライドが回復すると実際にはできないのだが自分は自分でやれるんだと思い込み症状が改善されるのだ。それがそうでないにしても本人は自分一人でやれるんだ、自分は馬鹿になっていないとか自分のことは自分でやれると言うことをきかなくなったりする。ヘルパ−など来なくてもいいとかなるのだ。実際はヘルパ−なしではやっていけないのである。
弱れどもカマキリ歯向かう秋になる
カマキリであれライオンであれ鷲であれ猛獣は自然の生物は最後まで歯向かってくる。人間のプライドも最後まで存在する。プライドだけは消えないのだ。認知症でも低能化してもプライドはありそのプライドが脳の弱体化でそこなわれる。簡単なこと銀行のことなどわからなくてもプライドは強くもっている。特に老人でも一時家長であり社会的な地位もあった人はそのプライドが消えるわけではないのだ。そのプライドが認知症になり著しくそこなわれるから暴力にもなる。「俺は夫だ、家長だ、親だ、社長だ、校長だ、・・・・」こうした社会で暮らしてきたことが認知症になっても継続している。その態度はかえって強くなってしまうから暴力にもなるのだ。「自分を誰だと思っているんだ・・・俺を馬鹿にするのか」となる。人間のプライドは最後まで消えない、そもそも文明は人間のプライドこそ発展させたという人もいる。イスラム圏のアメリカに対する怒りはプライドが傷つけられているからなのだ。それで怒りが治まらないのである。
リア王は嵐の中で叫ぶ
「俺は王だ、王だ、俺を尊べ
俺は王だ、王だ、・・・・」
その叫びは嵐の中に木霊してなかなか消えない
人間のプライドは最後まで消えない
プライドを踏みにじれば暴力となる
俺はライオンだ、ライオンだ
死の間際までライオンはその威厳を維持しようとする
人間もまた同じなのだ、プライドは消えない・・・
認知症は暴力で悩んでいる人が多いから「認知症 暴力」のキ-ワ-ドでくる人が多いことはわかる。
2006年10月01日
認知症は感情は残るの意味(理性と感情の考察−認知症の暴力の原因)
認知症の人は感情は残るというのはどういうことなのだろうか?一方理性的なものは喪失する。その原因は記憶できないことからでてくる。昨日あったことをまるっきり忘れたら理性は働かない、例えば昨日何かを買うということを契約しても契約したこと自体忘れるのだから契約自体成り立たない、私は契約していないよとなる。契約した方はここにちゃんと契約したでしょうとなるが私は知らないとなりもめることになる。私はだまされて契約したんでしょうかとかなってしまう。現実認知症だったら契約能力がないから契約した方が罰せられる場合がでてくる。認知症の人はまた理性的に理屈で相手を追求できなくなる。たとえば金を盗まれたとしても金を盗まれたと追求できない、金を昨日いくら使ったか忘れているしいくら払ったかも忘れているからだ。私は昨日これだけの金をもっていてこれだけ使ったとかわからないのだから盗まれてもそれを追求できなくなる。
人間のもめごととか事件はまず理屈でせめる、土地争いでもここは自分の土地だと証明書や理屈で証明しなければならない、また法律で定められたもので相手を責めることになる。認知症の人はこうしたことはできない、ただそこは自分の土地だった、親から受け継いだ土地だったとかわかっている。でもそれを理屈で証明はできないのだ。20年前とかに殺人を犯した人が時効になり刑罰を受けずにすんでいる。時効をたてにして法律をたてにして刑罰をまねがれる。これは全くおかしいのだが理屈として法律を武器として自分を守っているのだ。人間が自分の正当性を主張するとき理屈が必要なのである。その理屈を集大成したのが法律である。人間の争いは理屈ではじまる。その理屈が正当性があれば自分の権利を主張できるのだ。
認知症の人はその理性、理屈がわからないからどうなるのか、感情は正常に働いているというとき理屈で責めることはもはやできないから自分の主張を通すためには暴力になるのだ。まさに理不尽な暴力になる。暴力になったときその人は危険人物となり精神病院に収容されてもしかたないとなるのだ。つまり暴力はどんな理屈であれ殴るにしろ打つにしろ暴力を最初にふるったものが悪いとなるのだ。つまり理屈に合わない理不尽なことでも頭に血が上りかっとなって暴力をふるったらその人が悪いとなる。平和な社会ではそうなっているのだ。認知症の人は感情が正常だというとき理屈で責められないからカッとなると怒りを抑えることができず暴力になる。自分の主張を通らないから暴力になるのだ。結果的にその暴力で自らを不利な立場に追い込むのである。
認知症の人が理屈でせめられないのは理性的に行動できない、まるっきり忘れてしまうことと、抽象的なこと、銀行に金があづけてあることなど数字として見てもわからない、そうしたわからないことが不満となり暴力となることがある。感情が普通に働くというときわからなくなった不満やそれを指摘されると感情的に興奮して怒り自分はわかっているとかいい日頃敵対していた人だと暴力になる。日頃関係がいいとならないことが多い、感情的に好意をもっているからあまり責めないのである。日頃関係がいいとその人が良く思っている、愛している、好意をもっている家族だと感情的にいいから暴力になることはまれになるはずだ。
ただ認知症は個々に症状がいろいろであり一般化できないむずかしがある。感情が正常に働くというとき理屈では理性は欠落しても好意をいだくとか軽蔑されると怒るとかそうした感情は露骨に現れやすいとなる。一般的に精神疾患者は理屈に合わないことをする、極端になると暴力になるから危険だとなるのだ。中国の反日のデモにしても全く理屈的には合わないのだが煽情化して暴動になる。理性は喪失して感情が爆発する。感情が突出すると暴力になりやすい、それが集団的になると戦争になるともいえる。日本の戦争もどうして戦争したか理屈が未だにはっきりしない、ただ感情的なものが強く作用して戦争になったのかもしれない、感情はわかりやすいから一体感を作りだす、ブッシュ大統領がテロと戦うと訴えたとき感情的に一体感を作り出したからであり理屈ではなかった。感情的一体感は暴力にもなりやすいとなるのだ。
ネットで議論して頭に血がのぼりカッとして
暴言をはきおまえは馬鹿だとかいったりあるよな
これが面と向き合って議論になったら暴力にもなる
つまり理性的に議論することはむずかしいんだよ
馬鹿と言われただけでカッとなるし
人間は理性より感情の動物だな
だから暴力、戦争が絶えないんだよ
参考
認知症の謎(感情と理性(前頭葉)http://musubu.sblo.jp/article/1190123.html
2006年10月10日
福祉 給料なぜ安い
福祉というのは今までの企業のような考えでやるとうまくいかない、利益をあげるのが悪だというのではなく福祉の仕事自体が性質が違うために起こっているのだ。「福祉 なぜ給料が安い」というキ-ワ-ドで私のプログに来る人が多い。福祉で働くにしても給料第一主義になるのはやむをえない、でもそれが何か福祉にはあっていない、地域通貨の趣旨も目的も福祉とは一致する。賃金、金銭だけには換算できない経済の仕組みを作ろうとしている。建物や道路や電気製品や様々なもの作りはハ-ドウェアと福祉とか教育とか医療の分野は利益第一主義ではうまくいかない、利益をあげるのは悪だとかいうのではなく仕事の性質が違っているからそうなる。医療でもハ-ドとしての設備を充実させるのと医者とか看護婦とか人が大事なのだという。医療は手術の上手下手とかハ-ド的側面も強いのだが看護とか介護とかになるとソフトの側面が重要視される。医者も、看護婦も家族の愛情にはかなわない、家族の愛情が奇跡を起こした例はある。愛の呼びかけで意識を取り戻した例はそれなりにある。機械でも腕のいい医者でもなしえないことが家族の愛が成したとなる。これは認知症の介護などでもそういうことがあるに違いない、精神病も医者に頼っても直らず家族の介護で直ったという例もある。
団塊の世代が起業しして成功している人にあなたのやっていることは会社でやっていたこと同じではないか、それでは退職してからの仕事としては意味がないという人がいたのは不思議だった。金をもうけて悪いという人はいないからだ。団塊の世代が退職したとき別な価値観で働く者がでてくるとすると福祉のような世界で活かされる、現実活かしている人もいた。いづれにしろ福祉というのは建物を立派にしても人が大事でありその人をどう確保するのかが問題なのだ。給料をあげなければいい人材は集まらないというのも確かである。でもそれだけでも解決しないむずかしい問題があるのだ。看護婦が家族の代わりはできないというのもそのためである。医者も体はみても介護は家族の仕事になる。ではこれをどうするかということは大きな課題でありこれからの仕事である。地域支援センタ-とか在宅に介護がシフトしてもそういう体制も人材もない、そういう地域とかを大家族とか壊してきたし重度の介護は最後の頼みが施設になっているからだ。具体的なものとして施設は何かにや言っても頼りになる具体的なものとして存在しているからそうなる。地域といっても隣同士が助け合うとかも実際はむずかしい、いがみあっている隣が多いではないか?日本の高齢化社会は急速でありその備えが作られていないのだ。
2006年10月13日
守護霊とは何か(介護する人が守護霊になる?)
http://musubu.jp/jijibunruishukyou1.htm#shugo
守護霊などというと不気味になるが、悪い先祖の霊がついているなどとなるがそうした問題も実際は現実生活から波及したものでありそこから解釈するとわかりやすいし、一般の人でも理解しやすいのだ。介護している人は介護する人の守護霊化しているのかもしれない、なぜならたえず付き添っているからそうなってしまう。
2006年10月14日
認知症の悲しさ(金のことがわからない謎)
認知症の姉の悲しさ今日も言う金あんのか虫の鳴くごと
認知症の病気は全く謎めいてわからない、銀行にいつも金はあるし金に困ることはない、でも金がないと思っているのか毎日「金あんのか」と言う、金のことがわからなくなる不思議である。毎日金はあると言ってもだめである。「金あんのか」と聞いてくる。これがなんとも悲しいのである。この不思議は例えば一億円銀行にあっても認知症になるとわからなくなるのか?他の人はどうなっているのか、嫁に金が盗まれると銀行まで言って聞いたというのはこれは共通している。金のことがわからなくなり不安になり金が盗まれるとなる、一億円あっても金があるといっても金あんのかとなるのか?おそらく一億円もっていても金はもはや自分のものとして管理できない、誰かに管理してもらうほかなくなる。財産も管理できない、ここがなんとも不思議というほかないしなんともあわれだし側にいる人まで悲しくなるしあわれになる。なんでこうなふうになるのか?大人としての話は通じていることもあるのに金のことがわからないのだ。銀行のことがわからなくなる不思議である。
認知症にもいろいろあるけど認知症になったら人間は悲しくあわれなものだとつくづく思った。なぜこんなふうになるのか、かといって馬鹿になったのとも違う、人間の情が確実に通じているし人間としての大人として話が通じないわけではない、今は暴力はないからそうしたこの病気の悲しさあわれさをつくづく感じるしこっちまで悲しくやるせなくなってしまうのだ。認知症の人は病気になる前に好意をもっている人、息子でも娘でも妻でも夫でも友達でも好意を持ちつづける。好意をもっていなかった人はあからさまに拒絶するようになる。嫌な人とはつきあわないのだ。息子でも娘でも親だったことは忘れず施設に入っても訪ねると「弁当作ってやれないですまないな」とか相手を病気になる前と同じように思いやるのである。だから家族と一緒に暮らせるようにしたいとか言うのだ。人間的情緒はなくならない、確かに金の計算とか金のことはわからないにしても愛していた人や好意ある人にはいつまでも好意をもち続けている。これは誰かわからなくなっても親切にしてくれる人だと思って好意をもち続けるのだ。
認知症は本当にわかりにくい病気である。でも今のところ人間が人間でなくなるようなものにはなっていない、あわれで悲しいのだけど情が通じ合っているから余計に自分も悲しくなる。好意をもっている人にはいつまでも好意をもちつづけているのだ。嫁と姑の関係はそもそもその最初から好意を持つ関係でなかったから認知症になると致命的に関係が破綻してしまうのだ。お互いに最初から好意をもっていないし嫌なものだという関係からはじまっているから認知症になると致命的な破綻になってしまう。認知症にならなければがまんできることもできなくなるのだ。憎悪とかがむき出しになって現れ暴力にまでなるのだ。なぜこんなふうに人間がなるのかこれは何か深い理由があるのだろうか?これは心とかかわっているから謎めいているし不可解で解明できないとなるのだ。
2006年10月19日
深刻な高齢化社会の弊害−老人駆除(竹本善次)を読んで
http://musubu.jp/jijimondai33.html#roujin
もののあわれについて(人間は老齢化してみんな敗者になる)・・・この記事が今まででは一番読まれている。
この続きを最近読んだ「老人駆除」という本と合わせて批評したのを本サイトのホ−ムペ−ジに連続したものとして書きました。
2006年10月22日
認知症の感情の働き(物忘れから→狂気→暴力へ)

●極端な物忘れから狂気の暴力へ
認知症は極端な物忘れがベ−スとなって様々な症状が現れる。二階にタンスがありそれを出したりして整理するのだがちょっとの間、下に下りてしまうと自分が出したタンスの衣服などが散らかっていると大騒ぎするのだ。「一体こんなに散らかしたの誰なんだ、誰なんだ!!!!」自分自身がまるっきり忘れてそういうのである。これが実は非常に怖いものであり狂気と結びついて行く、自分が衣服を出して整理していたのだがそれが自分がしたということを自覚しない、すると誰がこんなに勝手に散らかしたのだとなりそれが誰かに対する怒りとなる。その怒りの向けられる者は誰になるのか?それは日頃から最も身近にいて感情的に対立している人になりやすいのだ。姑が認知症になったらその側に常にいる嫁などに怒りが向けられる。「私の着るもの勝手に出して散らかしたのはあなたでしょう・・・・」となる。これが一種の狂気となるのだ。なぜならどうしても自分がしたという自覚がないから誰がやったのかを知りたい、それが極端になると妄想化して暴力になる、現実は「あんた勝手になんで私のもの出してちらかしたのよ・・・」と血相変えて攻撃して家にいられなくなった人もいる。つまりここが認知症の狂気なのだ。認知症は物忘れから一種の狂気になる病気である。
●政治でも悪感情から暴力へ
こうした感情の作用は現実の世界にも起こっている。例えば中国で反日の運動があった時、感情的に嫌悪感をもっている日本人にその鬱憤が向けられたのだ。日本人は隣であり身近であり一番、感情的に鬱憤を怒りを向ける対象として向いていたのである。認知症のようにそもそも自分がしたことなのだが自分はなんの落度もないと思っているから日本人が悪い、犯人だとなり感情の爆発が集団的に起こった。あの戦争は中国人にも非があった面がありその後の中国人の行動もチベットで見られるように民族の暴力的弾圧をししているのだ。こうして憎悪の対象を感情的に操作するとナチスのようにユダヤ人がすべて悪いとなった。認知症とナチスとか集団行動(ファシズム、カルト)の行動化は類似性があったのだ。フランス革命でも極端な殺戮になったのは煽情的感情的になったからである。人間を指導するのは冷静な合理的な判断ではない、感情に訴えることなのだ。これが低俗な大衆を導くには一番いいから今でも政治に有効に働くのだ。感情的なものは宗教でありカルトにもなる。これは別にカルトでもなくアメリカの反テロでも中国でも政治家はみんな感情に訴えることで大衆を導くことは変わりなかったのである。
●認知症の対処方法は感情的にいい関係をもつこと
認知症の暴力では悩んでいる人が多い。この原因は様々であり家庭環境でも違うから対処方法も違うととなる。日頃から感情的に悪い人が一緒にいるとその関係は極端に悪化して破綻してしまうのだ。感情的にいい人だと息子であれ娘であれやはり親として労りの心や愛情をもっているからいろいろ気づかうことは変わりないのである。だから一時的には責められてもいろいろ親身なって世話するともともと感情的にいい人は責めないのである。今でも忘れることは直らないし誰が散らかしたんだとは言っているが前のように狂気のようには追求しないのである。認知症の対症方法は常にその側に感情的にいい人がいて世話することだとなる。すると極端な物忘れは直らないにしてもその人を余り責めないし感情的に穏やかになってくるのだ。暴力になることはないのである。感情的にいい人が世話してくれることをありがたいとか思っていて感謝もしているから責めないのである。感情的に互いに愛情が通じ合うから極端な物忘れからくる狂気もおさえられることになる。
人間の結びつき絆は感情にあって合理的な道理とかにない、人間は家族なら協力しなければならないとか人間は助け合わなければならないとか言っても感情的にいい関係にないと成り立たないのだ。もし世界が理性的になれば戦争もないはずである。理性的になれば戦争すること自体全く馬鹿げた損失しかないからである。互いに協力した方が得なのである。それができないのは感情的なものとして憎悪などがむき出しになるから殺戮も個々にも集団にも民族同士でも起きてくるのだ。感情は怒りは普通の人でもおさえられない、爆発して殺人とかになってしまうことでもわかる。殺人したら何の得もないのだが感情がおさえられずそうなるのだ。認知症の場合もだから説得しても自覚できない、病識がもてないから感情的爆発→激怒→暴力となるのだ。これを抑えるには感情的にいい関係の人が常時接触して世話する他ない、これが家庭でも施設でも同じなのだが施設ではなかなか対処がむずかしいから暴力が治まらないのかもしれない、その人を家族のように接することがむずかしいしそれを要求することもむずかしいからとなる。虐待が起こるのも逆に感情的に耐えられなくなり爆発してしまうからである。頭に来たとなりおさえられなくなり虐待の暴力になることでもわかる。
小泉首相がなぜ大衆に支持されたか?(時事問題の深層へ)
http://musubu.jp/jijimondai33.html#koizumi
2006年10月25日
老人の淋しさ(廃駅の写真)

この写真はどこからコピ−したかわからなくなった。どうしてもこの写真が必要なのでのせた。著作権問題があるがこの写真がないと文も生きて来ないからのせた。他にも廃駅の写真はあるから参考になるのが多い。この写真の主の抗議がきたらとりのぞくのでよろしく。
人間はつとめて記憶させないと記憶ができなくなる。人間は忘れやすいのだ。旅でも忘れることが多い、特に車とか団体の旅は旅の記憶が残りにくい、団体だと集団行動になるから景色を記憶に留めることもむずかしくなる。車は途中をぬかしてしまうので旅の記憶が残りにくい、電車も途中を飛ばしてしまうので残りにくい、やはり自転車とかで苦労して坂を上り下りしたり長い距離を行くと記憶に残ることになる。体で無意識の内に記憶に残すのだ。人間はやはり記憶が大事だ。認知症は記憶できないから深刻である。
今度のパソコンは一つのフォルダがスライド−ショ−になる。何も操作しないときスライドショ−になり写真が次々に写し出される。その中に廃駅となった写真が出てきたのを何度も見ている。フラットホ−ムは残り駅舎も残っているのだが線路はなくなっている。駅舎が残っているのだからまだ廃線になってからそんなにたってはいない。この写真を見るたびに電車が来ていた当時が思い出されるし電車が来ない淋しさをまざまざと感じる。俳句にすれば
線路なく駅舎残りて秋の暮
とかなるがこれも写生ではないからいい句とはいえない、その場に立てばいろいろな思いがそこから生まれてくる。虫の声、風、落葉・・・こうした中にそこから昔がイメ−ジされてくる。現代はデジカメで写真の時代になった。膨大な写真がインタ−ネットにはある。それぞれの写真が何かを語っている。写俳などという分野もでてくるのもわかる。人間は今だけではない、昔を思い出すことがつとめとして必要なのだ。歴史を学ぶとは昔を再現することである。江戸時代でもそうだし昔を思い出すことによって今だけではない長い時間の中で生きることになるのだ。
ともかく駅舎だけの写真は何度見ても心に残る。それは駅や電車などありふれた光景なのだがそのありふれた光景が一瞬喪失して過去のものとなり時が止まってしまった。そこに無情感を覚えたのだ。認知症の人や老人の淋しさもこの廃駅に通じていたのだ。電車が来ない、乗り降りする人々がやってこない駅舎なのだ。ただわずかに昔の友や血縁につながる人がやってきて昔の華やかなにぎやかな日を語り帰ってゆくのだ。
事実は老人になると交遊が絶えてしまう。親戚関係すら絶えてしまう、仲間で死んでゆく人も多いからただそこにはこの廃駅のような喪失感だけが残される。認知症になったら手紙も書けないから遠くの人との交遊も絶えてしまうのだ。考えて見れば淋しさ限りないとなる。ただその廃駅にはにぎやかなときの思い出だけが残されている。実際は一人の老婆が昔の友や息子や娘や知己を待っている、認知症の人は特にそうなっているのだ。老いるとはかくも淋しいものだということがこの廃駅の写真を見るたびに思う。このスライドショ−は何度も見るから記憶されやすいし記憶を呼び起こすから記憶するにはいい方法である。人間はともかく忘れやすいからこうしたことでつとめて記憶するよう心がける必要があるのだ。
廃駅で待っているおばあさん(小話)

廃駅で待っているおばあさん
あの廃駅で一人のばあさんが誰か待っている。何か茫然として悄然として待っている。そこにはもう線路もない、ただ駅舎が残りプラットホ−ムが残っている。誰を待っているのだろう。やはり息子とか娘かもしれないしよく戦友のことを語っていたからその生死を共にした仲間かもしれない、従軍看護婦として4年間も南方で苦労したからそのことを忘れずに語っているからである。このばあさんは実は認知症になっていたのだ。家では手紙も書けなくなっていた。ただ電話に出ることはできた。それで電話がきたときうれしそうに話していた。
「ああ、今日も待っていたけど来ないな、どうしたんだろう、昔は一杯人がきたのに、誰もここには来ないのか、汽車が来ないな淋しい・・・・・・」
「ええ、汽車ですか、汽車じゃないでしょう、今は電車ですよ」
「汽車ですよ、煙を吐いて蒸気機関車が来ますよ」
「そういう時代の人でしたか・・・・」
そのばしさんに誰かが若い者が言ったみたいだ。でも老婆は今日も誰かが来るのをここで幽霊のように待っているのだ。
ある老婆はまだ戦地に行って帰らない息子を待っている。本当にロシアに生きていた人もいたからまだまだ戦争は記憶から消えないのだ。様々な思いが駅にはあったのである。
秋風がぷ−と吹き取り残された駅舎に吹きつける。がたがたと音がして駅舎には駅員も誰もいない、まるで骸骨のようになってしまった。わびしい限りの駅舎である。それでもなんとか昔のままにまだ残っている。でもやがて他の駅舎のようにこれも取り壊されるだろう。するとここに駅があったということも忘れられる。ここに立っていつも待っていた老婆の姿も見れなくなる。その時ばあさんは墓場に入ってしまっているだろう。
その線路のない駅舎にはやがて木枯らしが吹き落葉がたまる。虫の音もかすかにただ昔を語るのみだ。つくづく人間とは淋しいものだ。その終末はみんな淋しいものだ。どんな金持ちでも地位があってもたいしてその終末は変わりない、人間の最後はみんなにている。華やかな青春とか盛りの時代はたちまちすぎて残されたのはこの廃駅のわびしい姿、美も色あせたしわくちゃの老婆の姿だ。それが人間の最後の真実の隠すことのできない姿だ。認知症になったら特にあわれだ。過去の脱け殻のように過去を幽霊のように本当に徘徊してさまようことになる。死んだ人から電話がきて話ししたり過去を生きるようになるのだ。現在より過去が現実となる。
そして目印しになるのは昔からあった近くのの枯木一本である。新しくなった街並みは何か別世界でありなじめない、人もまるっきり変わり見慣れぬ人ばかり現在の記憶は煙のように消えてゆくだけなのだ。人の顔も何も覚えることができない、金の計算もできない、金があっても銀行から金がおろせない、銀行に行って現物を小判のように見ないと金があるということがわからないのだろう。
人間その最後は淋しいものだ。人間にはみな同じような淋しい最後が待っている。華やかなときはたちまちすぎて人生の黄昏がやってくる。老人の淋しい心を知るのも必要だ。それは誰にでも来る淋しい最後の日々なのだから今はそれを感じなくても最後にはみんなそうなる。それが人生の真実の姿なのだ。
2006年10月27日
なぜ女性が認知症になる率が高いのか?
病気は原因を知ることが大事である。原因が何かわかると対処方法もわかる。大腰筋という腰の痛みはインタ−ネットで調べてわかった。原因がわかったからその対処方法もわかる。すぐに医者に行けというがやはり病気に対しても医者任せではだめで自助努力が必要になる。素人療法では病気を悪くしてしまうとかいろいろ言われる。だから早く専門の医者にみせるべきだというのもわかる。ただなかなか医者にすら行けなくなったのでインタ−ネットでまず調べたのである。太股のところが痛くなっていたからこれは大腰筋だとわかったのだ。図説もあってわかった。
もう一つの今の病気は冷えからきている。体質的にも知っていた。すると体をあたためる食事とか療法が必要になってくる。ところが逆に体を冷えるものを食べていたり大量に冷たい飲み物を飲んで体を冷やしていたのだ。原因がわからないから反対のことをやっていることが多いのだ。病気は原因がわかれば対処方法もわかり直る方向にもっていける。少なくとも悪化しない方向にもっていける。医者は見立てのいい、病名をはっきりといい診断をしてくれる医者がいいというとき病名がわかれば対処方法もわかるからだ。
やはりなんでも人間は自助努力が必要なのだ。宗教だってただご利益があるからとその団体のことを全く調べずに盲信してゆく、いろいろな薬を試すように神社だ、寺だと巡り歩いて創価もその一つとして入っている。結局その中には毒の薬もある。副作用で大変な被害を受けることもあるのだ。ただただ頼るだけだからそうなる。苦しいとき頼るのはわかるけど盲信するのはよくないのだ。原因のわからない病気も不治の病もあるからこれはいろいろな怪しいものにも頼ることになる。原因がわからないからこれが効くよ言われれば藁をつかむ思いで頼るのである。宗教に頼るにしてもまず科学的な方法での治癒を探すのが現代であり奇跡はすぐに起こらない、人間の自助努力が何事大事でありそれを怠りただ祈ればいいとかなるとかえって直るものも直らなくなるのだ。
●女性がなぜ認知症になる率が高いのか

脳の扁桃体という場所である。
ここは「好き・嫌い」「安心・不安」「うれしい・悲しい」「つらい」「怖い」といった 情動を判断するところで、特にマイナス面の考えをふくらませやすい。女性はこの部分の感受性が男性の2倍あるといわれている。
したがって些細なことでも不安を覚えて自信をなくしてしまう傾向にある。
http://www.president.co.jp/pre/20060703/003.html
なぜ認知症になるのか?いろいろ言われても謎でありわからない、原因がわからないからいろいろ言うこともできる。素人でも言うことができる。自分自身も一家言を書いているのもそのためである。女性は感情的動物でありその感情をつかさどる扁桃体と記憶する海馬が一体不二になっていることに原因があるかもしれない、扁桃体の感情の働きがストレスなどで極端になり記憶する海馬に即影響して海馬が損傷して記憶できなくなる、記憶が喪失する、記憶喪失という病気もストレスから起きてくるからだ。ベトナム戦争で若い兵士も記憶喪失症状が出た、記憶する海馬が損傷したためとされる。
自分の家族のK子も鬱病になっていたし情動が激しい性格だった。情動の振幅が大きいのだ。それが影響して海馬が損傷したのかもしれない、高血圧で心臓病という体の疾患もあったからその影響もあった。体と心が相乗的に影響して海馬が損傷したのかもしれない、女性ホルモンが影響しているという説もあり、女性が認知症にかかりやすいのはやはり脳の構造にあるのではないか?これが老齢化すると弱体化して特にそうなりやすいのだ。
●認知症と精神病の違い
このキ-ワ-ドでくる人もいた。精神病には鬱病でも知能の低下はみられない、車の免許をとったり知能は全然低下していなのだ。認知症は明らかに知能が一部完全に低下する。銀行のことなど全くわからなくなる不思議である。書類などを見てもわからないのだ。他にも知能が低下してわからなくなることがある。痴呆症と前言っていたのはそのためである。では全く馬鹿になるのかというとそうでもないのだ。世間的経験知というべきものが残っていて大人の世間話ができるのだ。大人の意見を言うし人を諭すようなことも言うが的外れではない、看護婦やっていたから病気については詳しいしその指摘は間違っていないし参考になるのだ。
これはなんとも不思議な不可解な病気だとなる。重度になっても時々我に帰ったように全うな正気なことを言うので驚いたというのもわかる。だから全くの痴呆、馬鹿になったとは言えないのだ。だから自尊心をもっているから馬鹿だと軽蔑すると怒る。今までと同じように役割をもたせ家事でもまかせると自信をもってきて気分良くなり陽気になってくる。だから長生きするとか言うようになった。ひどいときは鬱病であり死にたいとか言っていたからだ。感情的に穏やかで気分よくなると低能化していても扱いやすいとなる。自分自身でその病気に極端に悲観することもなくそれなり満足しているのだ。そういう環境を与えられたからである。失敗しても叱責しないし家事もしているしその人にとっていい環境になっているから満足している。だから問題行動も起こさないとなる。ただそのために回りの家族は犠牲を強いられることになったのだ。
参考(海馬− 扁桃体)
http://www.musubu.sblo.jp/article/541076.html
2006年10月31日
介護の俳句(黄落、晩菊)
白と黄の晩菊静か老夫婦
黄落や車椅子押す婦人かな
道端に猫うづくまり落葉かな
落葉の公園を行くといつも車椅子を押している女性がいる。車椅子の男性は夫なのだろう。押しているのは妻である。それなりの年である。そんな風景が高齢化社会には多くなるのではないか、いたるところにそういう人をみかけるようになる。自分もその一人になってしまった、他の人はもっとひどい、現代はまさに介護の時代となってしまう。確かに過去にも介護はあったが今日のように医療が発達し栄養がいい時代はやはり病人でも長生きするから介護する時間も長くなる。いろいろな好条件が重なって介護の時代という今までにない社会を経験するようになったのかもしれない、介護は究極の家事だから男性はむいていないというのは本当である。料理とかいろいろな世話は女性が本領としてきたし経験もあるから男性には向いていないのだ。だから男性が女性の介護で殺人にいたるのが多いのだ。
介護になるともろに家族の状況が露呈するというのは本当である。家族でもいいかげんに家族に貢献もしない人は介護もしたくないのは人情だからどうにもならない、これは家族によってみんな違うからむずかしいのだ。単に個々人の愛情というのではなくその人が家族の中でどういう地位をしめていたかなどが大事になる。家族の歴史とか人間関係とか総合的なものでその人の価値が決められてゆくのだ。それが個々の家庭で違うから認知症なんかになっても一様にどうしたらいいかなど対処方法は語れないのだ。認知症は体だけの病気ではないから家庭のことやら人間関係は深く影響する。
晩菊というとき歳月の重みとして人生の終わりとしての晩菊というイメ−ジがありこれはやはり長く生きてこそ人生を感じる、老年にこそ本当の人生の意味がわかり人生をしみじみふりかえるということがある。晩菊といっても老人が見る晩菊と中年が見る晩菊とか立場とか年齢により違っているのだ。自然もその人の置かれた立場でみんな違ってくるのだ。介護していれば介護者の目で他人とか社会も見てしまうだろう。差別されたりすると余計世の中の人の無情を感じたりする。介護にしても少しでも介護した人でないとその気持ちがわからないのである。同情というのはその人が苦しんでみるとその苦しんだ人のことが多少なりともわかるから同情するとなる。全然そうした苦しい経験した人がない人は外見は寄付などしても心から同情することはないだろう。インドで貧乏人の方が乞食にめぐむというのもそのためである。貧乏しているから貧乏人の気持ちがわかるからだ。貧乏したことがない人は貧乏がどういうことかもわからないのである。
道端にうづくまっている猫、これもなんか老人をイメ−ジしないか?無用のものとして道端にうづくまっているような老人も家庭のなかでも他にもいるだろう。猫と老人はあっている。猫だけをかわいがって遺産まで猫に残した金持ちもいたことでもわかるのだ。
2006年11月01日
介護 俳句(老いも病気も弱さも人間には必要なものとして与えられた)
高齢化晩年長し秋の薔薇
薄日さし弱れる一つあきつかな
誰しも老いゆく日が・・・
輝く青春の日は短い
真夏の薔薇のように
若葉のように輝いていた
入道雲のようにぐんぐん伸びた
恐れを知らぬその熱と力よ
その日は長くつづかない
乗り降り少ない田舎の駅
秋の薔薇が色あせ美を保つ
高齢化社会晩年は長い
薄日さし弱るあきつ一つ
我が前に見つつあわれ
黄落の公園の樹々
いつも車椅子を押す妻
二本の落木を今日も見る
若かりし時の過ぎ去り安し
知らざりしかな若き日の時
いかに貴重なるかを・・・
時はそを待たずそも老いぬれ
そして昔を思うのみかも
あきつ一匹に薄日さしている。その少なくなったあきつ、やがて死んでゆくあきつ、それを見つめる自分、これは病人や弱ってゆく老人じゃないか?ふとそう思った。今までこんなふうに見ていない、老いとか病人をみてるからそうなった。弱りやがて死んでゆくあきつ、それは病人であり老人であり見ているのは介護する人となる。人間はみんなやがてはそうなる。老いたことを意識するのはどうしても体力がなくなったとか病気になったときなのだ。老いても元気な人は体が丈夫であれば老いは感じない、病気になった人は若くても弱気になる。つまり人間は貧乏でも体が元気であればそんなに弱さというのは感じないのだ。弱さを意識するのは病気になったり老いて体が不自由になったりするときである。
ではこの老いとか病気をただマイナスなものとして拒否すべきものとしてだけみるのか?いつまでも若くありたいと言ってもできないのだ。とすると老いにも何か人間としての意味がある。老いることは一生のなかにプログラムの中に神が組み入れてあるのだ。若さだけを病気しない体だけをくださいといっても神様はそうししてくれない、老いも病気も人間にある程度必要なものとして与えたというのは不思議だがそういう面はあるのだ。なぜなら強いだけの病気もしない人間がス−パ−マンがいたとしたらそれも異常かもしれないからだ。その人は人の弱さをしらないから弱い人に同情することがない、自分は弱くならないからだ。それはロボットのような存在になってしまわないか?老いがあり病気があり弱さを知るということはト−タルな人間として必要なことなのだ。青年は弱さをしらないから横暴であり弱いものを簡単に踏みにじる。老人をふみにじることもできる。弱さをしらないものはそうなってしまう。
ともかく晩年は長くなった。晩年をどう生きるかが高齢化社会の課題ともなる。高齢化はすべてが元気な人と限らないし老々介護とか弱さをみることが仕事になる、介護が仕事になることも多くなるのだ。自らが弱くなりまた老い病気になる弱さをみる人が多くなる社会である。50とか60で死んでいればそうならない、それは人の弱さをみるというより突然死んでしまうような感じになる。老いとか弱さはいやであるが人間にとってト−タルな人生の中で神が与えた必要なものとして与えられたのだからそれを受けいれざるをえない、いやでもどうしようないのだ。若さがあったら老いもあるしそれを受けいれざるを得ない若さだけを強さだけを与えられることはできない、弱さ、老いも与えられてはじめて強さの意味も知る、若さの何たるかもしるとなる。しかしそれを知るときはすでに時遅しとなっている。若さも人生の中の一つの過程であり老いもまた人生の中の最終章としてある。一つの本とするときは物語とするときはじめと終わりがある。その終わりが老いだったり病気なのである。老いとか病気のなかで人生を深く見つめ直すこともある。何であれ人間に与えられたものそれは何かを人間に知らしめるために神が与えたのだ。確かにむごい病気がありなぜこんな病気にならねばならないのか?ヨブのように悩むことがあるがヨブはそれを受けいれた。神が与えたものはむごい病気でも様々な苦難でも何かしら意味あるものとして受けいれたのである。
人間強いばかりの人とか何か苦労を知らない人、余りにも幸福な人、そういう人は何か欠けているし強いだけの人は異常なものとなってしまう。人間には必ず弱さがありその弱さの故に人間なのである。人間はだから初めに若さという強さのみ与えられのちに老いの弱さをしることは反対なのである。初めに人間の弱さを知り青春の強さを知れば本当の強さが何かわかるのだ。弱さ知らない強さは異常になる。認知症になると人間の弱さが体の病気ではなく脳に心にもろにでてきて驚く、その驚きは尋常のものではない、銀行に金があってもおろせない、金があることすらわからなくなるという恐るべき弱者になってしまう。それが何でもできた強い人がなるのだから驚きを通り越して恐怖までなる。こんなふうに人間をしてしまうのはなぜなのか?そういう疑問がやはりつきまとうのだ。自分もそんなふうになったらどうしようとその恐怖は尋常なものでなくなる。神はこれほどまでに人間にむごい仕打ちをするのはなぜかとなる。結局人間にいくら地位があり金があり権力があっても人間は最後は弱い者であり弱さを知らしめるためにそうしたとしかいいようがないのだ。
2006年11月07日
認知症の施設での虐待はなぜ(NHK−クロ−ズアップ現代)
認知症の介護は本当にむずかしい、ここでも集団的機械的介護では認知症には良くないということでユニットケア、個別ケアにしたが今度は人手がかかるとか介護する認知症の人と密室化して虐待が起こった。認知症の人が暴言とか暴力を受けてそれで虐待になった。家族的ケアをしようとしたがそれが虐待の原因になったというのもいかに認知症相手の介護がむずかしいかわかる。認知症はわがまま病なのかとも思う。自分の気に入らないことは受けつけない、言うことを聞かせようとすると暴力になるとしたらこういう人にとを対処していいかわからなくなるのは当然であり虐待したくもなる。言うことを聞かせる方法がないとなる。
認知症の介護で一対一でうまくいくのは家族でもない、家族のなかでも特に人間関係がいい人しかなれないのだ。それを施設のような他人の介護で要求するのはむずかしい。個別対応は相性とかさらにコミニケ−ションの負担がかかってきてかえってうまくいかなくなったというのもわかる。機械的にこなせる方が楽だとなる。
それで外部からボランティアとして年代が上の人を施設に入れて助けてもらうようにしたというのもいい方法である。60以上だと話しがあうということがあるからだ。個別的対応としてはその当人あての手紙であれ人も来なくなる、それが認知症の人にとっては淋しいとなる。しかし認知症になったら回りの人も嫌がるし普通の付き合いできないから付き合いは極限られたものになる。実際幼なじみで認知症になる前まで頻繁につきあっていたすぐ近くの人が全く顔も見たことがない、もちろん付き合うのが断られてそれが一時回復してもその後また付き合うことは全くなくなった。それから特養に勤めていた親戚の嫁がもそんなところに行くなと言われ姑との付き合いは絶えた。特養に勤めている人さえ認知症の人を嫌っているからそうなったのだ。
特養でも虐待は実際は日常的に起こっている。すぐ近くの施設でも起こっていたことが地元の雑誌で報告されていた。ほとんどの施設で大小の虐待は日常的に起こっている。ただ表に出ないだけなのだ。認知症の場合は特にそうであり虐待した人をいちがいに責められないのが認知症の介護なのだ。ただ自分がもし認知症になったりしたら他の人でも親戚の嫁のような人がいたらそんな所に入りたくない、なんか怖いとなる。そして怖いことはそうした認知症の人と接していると介護する人が異常化してゆくのではないか?
かえって愛がさめて非情化してゆく、また非情でないとやっていけないとかなるのでは?
意地の座った人しか残らないという施設職員からの発言もあるからいかに現場が過酷な所かわかる。
認知症ほどわけのわからない病気はない、馬鹿なのかと思うと馬鹿ではない、馬鹿でないと思っても馬鹿だとか介護する人自体わからなくなる。自分の場合はまだ軽いので本当のこの病気のむずかしさはまだわかっていない、一時期の狂乱のときはショックだったがそれは今はないので精神的には楽である。そして自分の家の場合、家での役割は前のように変わらない。確かに自分ではできないにしろ私が補佐してそうなっている。だからフライドがなくなるということもない、まだ家族の中で役割をもって存在感をもって生活できるから時々できないことでいらいらして怒るのだがあとは治まっているのだ。
認知症の人を家族で地域で見守ろうといってもその逆の対応が起きてくる。認知症の施設がたつだけで回りから反対されたり認知症の人を不気味に思い付き合いされなくなったり現実特養に勤めている人が偏見と差別の持ち主であり虐待が日常的に起こっているように認知症に対処することはいかにやっかいなものであるかわかる。これはかえって兄弟でも介護を押し付けあいがあったりめんどうなのでかかわらなくなることは普通にある問題なのだ。
そして施設をいちがいに批判はできない、他は何かしてくれるかといったらなにもしてくれないしかえって差別、偏見しかないとしたら逃げ場もないとなるからだ。
2006年11月15日
生はなべてあわれなるものと知るべし
生はなべてあわれなるものと知るべし
彼女は強い人だった
人を押しのけるような勝気な強い人だった
人にあわれまれるような人ではなかった
しかし今はなんとか洗い物掃除をしている
何するにもおぼつかない
それでもなんとか自らできることをする
冬の日がさして静かな日
日常の営みがなおつづいている
日常の当たり前のことができること
それが今や何か尊いことのように思える
彼女は今は人にあわれまれるものとなった
人の助けがなければ生きられない人になった
それがふがいなく不満を爆発することがある
でもその弱さを認めるほかないだろう
認知症の人はそこが素直になれない
人にあわれまれ頼ることを良しとしない
人は誰しも老いれば弱くなるし衰える
強い人もそれで弱くなりあわれむものとなる
強い人もそうして人間とは弱いはかないものとしる
人間は誰しもあわれな存在なのだ
強がってもどうにもならい
老いと病気には勝てない
だから弱さを認め素直にあわれまれ助けられるのがいい
強きときあなたは人を助けた
今は弱くなったのだから助けられるがよい
生けるものはなべてあわれなるものと知るべし
認知症の人は身体障害者と違い、自らの障害、弱さを自覚しない、目が見えない、耳が聞こえない、足が悪いとか心が正常な人は人に頼らねば生きて行けないことを知っているから素直に人の援助を受ける。認知症の人は人の助けを素直に受けいれることができなくなる。ヘルパ−でも誰でもいいとはならないし極限られた親しい人しか受け付けなくなる。何か説得しても怒っても言うことをきかない、強情になる。もともと強情な人だったからそうなったのか?そこがどうにもならないのだ。懸命に自らのことをなおやろうとすることはいいことなのだが忘れるということから盗ったとか妄想が起きてきたり物忘れが精神障害になるから普通の身体障害者とは違い扱いにくいとなる。
障害者と接するということはどういうことかこの世には弱者が存在して人の助けがなければ生きていけない人がいることを知ることなのだ。そして老いれば病気になれば誰も弱者になる。だから弱者をあわれみ助けるということを学ばせることが必要なことがわかった。高齢化社会は介護の時代となりそういうこと家族でも自らも弱者となることを多数の人が経験する時代になったのだ。弱者は切り捨てるべきだという社会は一面ナチスのような危険な社会だった。大量に弱者が経済的負担として健常者にのしかかってくることは問題にしても個々の場合はやはり弱者に優しい社会は住みよい社会なのである。
なぜなら弱者を助けるということは競争するのではなく助け合うという徳が育まれる。人をおしのけてまで金をもうけ高い地位につこうとするのとは違いへりくだり謙虚にならねばできないことなのだ。介護福祉士となるとそうした弱者に対してかなりへりくだり具体的な行為が即要求されるから精神的にはかなりきつい仕事だからやめていく若者が多いこともわかった。他の仕事とは根本的に違っている。人を直接いたわるとかなぐさめるとか補佐するというのは競争社会ではないからだ。それが仕事にできるということは一面何か人間として競争社会にはない別なものを体験し身につけることになる。これは家族の介護でも個々に経験しているから家族の介護からヘルパ−になる人が結構いるのもそのためなのだ。
晩菊や老をいたわり今日も暮る
もののあわれについて(老いれば人はみんな敗者になる
http://musubu.sblo.jp/article/1257380.html
2006年12月08日
私のプログに来たキ-ワ-ドの答え(認知症関係)(3)
数がわからない 認知障害
認知症の対処方法
なりやすい 性格 認知症
行方不明 認知症
意味 介護 探求
原因 超高齢化社会
盗られる 妄想 老人
福祉関係の時事問題
老人駆除
家族関係 認知症
●銀行に金があることが理解できないのが最大の不思議
今年一年は認知症にはじまり認知症に明け暮れた。一年間である程度この病気について考え理解できたものもあるがわからないことが多いし謎が多すぎる。一番の謎は「数がわからない 認知障害」とか銀行のことがわからなくなることである。銀行に金があることをいくら説明しても金がないと言って金あるのかと毎日聞いてくる。金が数字でいくらあるといってもその数字が金であることが理解できないのである。現物がないと札束がないと理解できない、でも金をもたせるとなくしてしまうからもたせられないのだ。ここが認知症の一番の不思議であり理解できない面だった。なぜならは他のことは世間のことでも理解している。全部ではないにしろそれなりに理解しているしだから外部の人にその異常性がわからないことがある。銀行に金があるということ金を下ろせないということを知ったら他の人も驚くだろう。そんなことわからないのかとあきれてしまうに違いない、子供でもでもわかるじゃないかとなるからだ。抽象化思考ができない、だから漢字が読めない、書けない、数字の意味がわからなくなるのだ。ただ世間話はできるから不思議だ。特に電話では相手の様子など見えないのでほとんどわからない、質問もされてとまどったりすることもないし長い対話でないからわからないのだ。ボロがでないのである。
●人間は働くだけでは連帯感が生まれない
私のプログにきているキ-ワ-ドは毎日こうしたものがきている。それは認知症にかかわる人が日々悩んでいることであり解決したいからそうなる。でもいい解決方法があるのか?特効薬があるのか?そんなものがないのが認知症である。「家族関係 認知症」のキ-ワ-ドで来た人もそうだが家族関係も何か認知症の発症と深く関係しているかもしれない、自分の家族はあまりにも特殊だから参考にはならないかもしれない、言えることは家族全員で一度も 旅行とか遊びに行ったことがないのだ。一緒に協力してし働いていても何十年と一緒に働き生活していても人間は連帯感が生まれるとは限らないことにもなる。
人間は多様な存在であり働くということだけに生きているわけではない、遊ぶというのも人間を形成する大きな要素であり子供時代が遊びであるとき遊び仲間が連帯を生んでいる。大人になると遊びは無駄なものとなりただ働くこと金儲けだけが生きる目的となる。しかしそこに連帯感が生まれとは限らないのだ。なぜ何十年も一緒に暮らした夫婦が熟年離婚とかなるのも趣味が合わないとか性格が合わないとかがありいくら助け合い協働して暮らしても連帯感が生まれない、人は働くだけでは連帯感が生まれない、遊びの要素が欠けると退職したり仕事から引退すると生きがいなくなり頭の働きが鈍化して認知症になるとかいうのもそのためである。仕事一筋の人も認知症になるのだ。仕事一筋の人が仕事をやめたら生きがいがなくなるからだ。そういう人は仕事を遊びとしてやっていない、大工でも家建てるだけではない、賃金収入としての大工をやめても遊ぶ仕事はつづけることができる。子供に工作を教えたりすることである。でもそういうことは無駄としてきたから仕事がなくなるのだ。回りの人も仕事が収入になるとき仕事として認めるが金にならない遊びは無駄とされるから一旦仕事をやめると会社を退職すると無用の人になり認知症になる度合いが強くなるのかもしれないのだ。では遊ばない人が認知症になりやすいかというそうでもない、要するに遊ばなくても事務をして計算しているだけでも頭が働くから仕事をつづけることがボケない予防になっているのだ。
●意味 介護 探求
これも一年間介護とまでもいかない世話をしてみてわかったことは介護は一面不毛な世界となりやすい、介護とは無駄な犠牲のような重いものを感じる。若い人にとっては特にそうである。いろいろ若いときやりたいこと海外旅行でも学問でもスポ−ツでも介護のために犠牲にされたら自分の人生を奪われとして拒否するだろう。だから若い人は介護には向かないのではないか?ただ体力が必要だから若い人は介護に必要なのである。介護には意味は確実にある。弱った人を障害者を助けることは人生にとって意味あることなのだ。介護とは具体的な愛の実践なのである。介護となると具体的にオムツをとりかえるとか嫌なことをやっている人がいる。具体的な行動としてそういう嫌なことを要求される。自分はまだそういうことをしていないから別に今のところは世話がそんなに嫌だとはなっていない、私の介護は世話は家族関係としては特別自由にやりたいことをやらせてくれたしいろいろ背景があって家族愛でやっている。今や自分は尽くされるだけだったが尽くす方にされてしまった。でもそれはすべて悪いことではない、それは皮肉だが生きがいにもなる。弱った人、障害者を助けることは意味あることなのだ。それは愛の実践なのである。ボケた人を介護する人、障害者や家族で不良の人などをもつ人世話する人はボケないというのも奇妙だが一面本当なのだ。そういう人をかかえると苦しいのだがなんとかしなければならないと懸命になるから頭も体も働かせるからボケないとなる。つまり介護も生きがいになりうるからだ。
そもそも人が生きるのは活かされ活かすためであり自分のエゴだけに生きることではない、活かし活かされることが介護とかにでてくる。認知症の人でもよくしてやれば介護してやればありがたいと思って感謝する心をもっているしそういうふうに親身になる人は最後まで重症になってもわかるというのは感情部分は正常であり愛がわかるからだ。また逆に軽蔑されたりすると怒る、認知症のやっかいなのはプライドはもちつづける、その人の生前もっている立場のプライドはもちつつげる。家族関係なら姑なら姑としての立場はもちつづけるからそのプライドは傷つけられると怒り暴力となることがあるのだ。自分で忘れてなくしたというとき自分で忘れたなくしたということを認めたくなくてそう言うふしもあるのだ。他者のせいにすればプライドが傷つかないからだ。
まあ、認知症の対処方法は各人各様であり家族関係でも様々でありパタ−ン化できないのだ
認知療法は患者自身の認識レベルを、患者自身の自律的な努力によって向上させる療法である。
家庭で何もさせないのではなくやれることはやらせ何もできないものとしてなんでも代わりにやってあげるのではなく自律的にその人が行動していくようにしたら多少は持ち直した、回復した。何もできないから代わりになんでもしてやるのはよくない、その人の力とエネルギ−を奪ってしまうからなのだ。
2006年12月14日
冬の蠅(≒認知症)
認知症の時に不気味や冬の蠅
冬の蠅(はえ)とは何か?
よぼよぼと歩いている蠅。指を近づけても逃げない蠅。そして飛べないのかと思っているとやはり飛ぶ蠅。彼らはいったいどこで夏頃の不逞(ふてい)さや憎々しいほどのすばしこさを失って来るのだろう。色は不鮮明に黝(くろず)んで、翅体(したい)は萎縮(いしゅく)している。汚い臓物で張り切っていた腹は紙撚(こより)のように痩(や)せ細っている。そんな彼らがわれわれの気もつかないような夜具の上などを、いじけ衰えた姿で匍(は)っているのである-(冬の蠅)梶井基次郎
冬の蠅が一匹入ってきた。最初は動きが鈍かったがスト−ブの暖であたたかくなり動きが活発になった。でも私がハエタタキで殺してしまった。これで感じたことは冬の蠅は動きの鈍くなった老人をイメ−ジした。老人というと今は70以上になる。そして施設とかで虐待されている認知症の老人がイメ−ジされる。テレビで見たのはひどかった、赤く腫れ上がってあざだらけだった。おそらくかなりの虐待である。施設は怖い所があるし虐待は日常的に起こっている。特に認知症の人は虐待されやすい、そしてそこに勤めている人もいろいろだが意地の座った人が残っていくというのはやさしさでは対応できなくなり強きの人、虐待するような強い人が残っていくというのも怖い。認知症の対応はそれだけむずかしいからだ。
私の場合は認知症がそんなに怖いとは思わなくなった。多少回復したことと妄想とか暴力とか暴言がなければ普通の人とさほど変わりない、沖縄では重度の人でも砂糖黍とる仕事しているとか社会のなかで特別認知症だからとみられていないで普通に生活しているという。ちょっとおかしいなというくらいで回りが容認している。そういう社会が環境が認知症を受けいれて周辺症状の徘徊とか暴力をなくさせているとなる。ただ一般の人はやはり不気味なものを感じるしつきあいずらなくなるから今は幼なじみでつきあっていた人ともつきあわない、同じことを言ったり普通のつきあいができなくなるからだ。
認知症とかなるとどうしてもうとまれる冬の蠅になる。また動きが鈍いので老人は事故などにあいやすい、昨日6時半で近くで老人が道を横断して車にはねられこ死んだ。そこは車が頻繁に通るわけではないがスピ−ドを出す所だった。老人は歩きが遅いから車は早いから事故にあう、特に今は夜は若い者でも危ないから気をつけるべきだ。死角は見通しのいい場所でも二回も事故でわが町で死者があったことなのだ。見通しがいいとスピ−ドを出すから出合いかしらに事故にあいやすいのである。
2006年12月16日
定めと耐ゆる石一つ(幸不幸は最後までわからない)
冬日さし定めと耐ゆる石一つ古木の下に動かざるかな
冬の日に負わさるる苦やひそかにも耐えて生き抜く人のありしも
人間の幸不幸ほど不可解なものはない、何が幸せになるのか不幸になるのか誰も予測もできないしわからないからだ。何が幸せの原因となり何が不幸の原因になるかわからない、才能があれば金があれば美貌があれば幸せだとかいろいろ幸せのことを言うが果たしてそれが本当に人生にとって幸せの原因になっていたのか?幸せの原因と思っていたものが不幸にもなるのが人生なのだ。家康は幼少時から人質にされ不運な忍従の生活を強いられた。それは明らかに不幸だったがこれが幸せの原因を作ったというのも確かなのだ。つまり忍耐力がついていたから不幸なことに耐えることができた。石のような忍耐力がついていたから信長や秀吉の派手さがない、天才でなくても忍耐力があり忍耐しているうち自然と天下が家康のものとなってしまったのだ。信長が殺され秀吉も死んで生き残ったのは家康だったからである。それでも家康は75で死んでいるのだ。これと意外である。現代の長寿社会は90が普通だとするとさらに15年間長いのだ。これが何を意味しているのか?人生はとてつもない長い目で生きることが要求されているのだ。50、60で死ぬとするとそれは夢中で生きているうち過去をふりかえるまもなく死んでいる。退職して60からさらに20年、30年を生きるとしたらそれは今まで経験したことのない長さを生きることになる。これだけの長寿社会は今まで経験したことがないのである。ただ人生は90、100まで生きても短いと言えば短いのであるが人生は長いスパンで考えざるをえなくなっている。60でもう終わりだというわけにいかなくなっている。
この長寿社会、超高齢化社会は一方で様々な問題を引き起こす。長寿に耐えられないものは認知症になり大変な迷惑人間となり社会の大負担となり脳梗塞になると10年の介護はめずらしくないのだ。医療の発達で脳梗塞でも10年くらい生き続けられるが介護する方にしてみればぞっとする長さなのだ。現実そうして介護した人がいて退職して10年間介護に費やされこれでいいのかとか疑問に思っているのもわかるのだ。一面それだけ介護に費やされる人生が不毛のように思えてしまうのも当然なのだ。介護には確かに生きがいとなるもの意味あるものなのだがその犠牲があまりに負担になると本当にそれが意味あるのかどうか疑問になる。介護10年となるとその時間の苦痛の重みは経験した人しかわからないだろう。石のようなものを抱いて暮らしてきた感じにならないか?死んではじめてかかえてきた石の重みから解放されるような気分にならないか?プログでそういう人がかなりいて読んでいるだけで気が重くなるのだ。私の介護は世話はまだ序の口であるから愛が大事だとか言っていられる。介護10年となると愛というのではない、ただ仕方がない定めとして見放すわけにもいかないから介護しているとなってしまう。こうした介護という問題も超高齢化社会の結果起きてきているのだ。
ともかく人間の幸不幸は誰も予測がつかないし定めることができない、しかし人間にはどうしたって運命と定めがある。まず生まれた場所が運命の定めの場所となるし生まれた家族もそうである。その場所がどんな所であれまた家族がどんな家族であれそれは定められたものとなる。家康もそうした家に生まれたからそれに従わざるをえなかった。そして江戸時代であれ明治大正時代は女性は忍従を強いられた。まず離婚などできなかった。一旦結婚したらほとんど離婚はできないのが普通だった。結婚することはほとんど宿命的なことになった。
それが現代では離婚することが当たり前であり三人に一人は離婚している。ではこうした自由が幸福をもたらしているかというとそうでもない、子供は確実に不幸になっている。自由はいいのだが子供には不幸をもたらして子供の幸福を犠牲にしているのだ。戦前までは子供は親のために働き結婚したら夫に忍従するというのが普通でありめったに離婚はしないから犠牲になったのは親の方である。これもでは不幸かというと人生の最後までわからないのだ。嫌だからとすぐに離婚して結果的には不幸になっている人も多いし忍従しても最後に幸福だと感じている人もいる。会社を合わないからすぐやめる若者が多いがではやめてみて幸福だったかというと転職して失敗したという人も多い。もっとがまんして勤めていればよかったとかなる。結局その結果は最後までわからないのだ。その家に嫁いだのは宿命として勤めて幸福になる女性もいるし嫌だと離婚できても不幸になる女性もいる。むしろ現代は簡単に離婚して自由になれるが故に不幸を生んでいるともなる。現代の若者は一時の激情で切れる人間が多い、これも恐ろしい犯罪となりあとで後悔してもしきれないという不幸の原因を作っている。
いづれにしろ人間にはどうしても運命が定めがある。その定めを破らねばならないときもあるが従い忍従せねばならないときがある。運命にただ従うのもいいとは限らないがまた忍従しなければならないことも多々ある。でも人生は忍耐を強いられることが全般的に多い、忍耐しないと結果的に幸より不幸になっているのが多いのだ。だから弟に生まれて損だとか金持ちの家に生まれないで損だったとかいろいろな不満を言っても境遇の不満を言ってもそれが幸福にはつながらない、それは定めであり運命でありどうしようもないからだ。では境遇に恵まれた人間が幸福になるかというとそうでもない、幸不幸は最後までわからない、介護される身になると金持ちの親であっても冷たいとか貧乏な親であってもその子供たちはやさしいとかなっている。そもそも人生は幸福を求める所ではない、幸福はこの世にはない、忍耐する場所がこの世なのだから幸福を求めること自体間違っていたとなる。快楽を求めては苦さを知るし幸福感というのはその人によっても違うし幸福は計りがたいものである。明らかなことは幸福を求めること自体が過ちであり幸福を求めたらそれは不幸の原因だったとなるのが人生では普通に起こっていることだったのだ。自分の家の状態は確かに確実にあまりに不幸なのだが一面それなりに落ち着いたから多少は良くなったともいえる。これも予測しえない運命の結果だったともなるのだ。
古木とは家系とか運命的なものでありその下に耐える石、そういうことが人生には多いのである。誰でもこの家系とか運命的なものの下に生まれているのだ。
2006年12月18日
NHK−認知症−その時あなたは・・・を見て
認知症の人にとって何が最も大事なのか?それは今まで暮らしていたなじみの場所なのだ。なぜなら長年暮らしていたなじみの場所すらわからなくなるからだ。今の人は現在のことは覚えられないが過去から生活が継続した人や知識は貯えられていて覚えているからだ。ところが認知症になるとそのなじみの人とか環境からも断絶されてしまうのが一般的である。社交的であった人も認知症になると普通の付き合いができなくなるから誰でも敬遠するし幼なじみの人でも避けるようになってしまう。普通の付き合いができないのだからそれは付き合いではない、ボランティアとして認知症の人の話し相手になるような人を写していたがそういう人でないと付き合いなくなる。そうしてくれるのはまさに多少めんどうでもボランティアでやってくれる人なのだ。そういう人は極めてまれである。認知症に対する偏見、差別もでてくる。気味悪いとか思う人もいるし普通のレベルでの付き合いはできなくなるのだ。
私の場合一二軒確かにつきあってくれているがこれは特別である。一般的にはつきあいも断たれてしまう。また家族にしても普通のつきあいをされるとめんどうになるのだ。いろいろと世間のことがわからなくなっているのに普通のつきあいを継続しようとするから迷惑になってしまうのだ。金のことやいろいろわからないのだから今まで通りにはいかないんだからそれを知ってつきあってくれる人でないとだめなのだ。そういうふうにつきあってくれる人は回りでもいなくなるから困るのだ。ただ買い物くらいはできる、それは付き合いでないからだ。世間的普通の付き合いは認知症でない人でもむずかしい、礼をかくとか物をくれたのにお返ししないとかいろいろある。でも認知症になったらもらったことやまるっきり忘れたり世間の常識的なこともわからなくなる。だから普通の付き合いを継続することは無理なのだ。だとすると回りの人もいやがるしめんどうだとなるからボランティアのような人がいいがそれは極めてまれだから困るのだ。
●認知症の適切な援助の困難
認知症の人が今の記憶が喪失するとすると大事なのは過去だとなる。その人の生きていた過去が今生きることのよりどころとなる。だから絶えず過去の話をする。その過去の話を聞いてくれのは誰かとなると家族だとなる。夫婦でも40年とか暮らしていれば一番知っているのは自分だというのは本当である。過去のことを話したときその過去の話を聞いて認めてやるほかないのだ。私はこういうことをした、あういうことをしたとか百回も千回も語りつづけるがそれは自分という存在を認めてもらいたい、意味あるものとして伝えたいのである。自分は家族にとって価値あるものだったということを認めてもらいたいのだ。それを聞いてそうだ、そうだと認めてやると自尊心が満足して気分がよくなるからいいとなる。
施設では食事をしない人がいたがその人の好きなものを出したら食べたというのもその人を個人的に知らないとわからない、それを知っているのは一緒に何十年も暮らした人なのである。施設ではこうして個々に適切な対応をすることはむずかしいし地域でもそうである。むしろ施設の方がこの人は病気の人として接してくれるのだからいろぽす配慮するから地域で全くそうした配慮のない人とつきあうよりはいいとなる。まず一方的にべらべらしゃべったりこの人が認知症と認識しないで話しされると本人も当惑し疲れるとなっている。相手は認知症として知っていても対応はいろいろであり全く考慮しない人はボランティアでも向いていないだろうし迷惑になる。
認知症であれ介護する家族を援助することはこうした個々の適切な対応が望まれるのでむずかしい。金がないなら金をやるとか簡単にはいかない、普通の援助、ボランティアも実際は相手にとって必要のないものを贈ったり無駄が多すぎるから援助を受ける側も感謝していないのだ。本当に感謝されるような援助自体がその国その村の実情を良く知った人なのである。だから認知症について良く知らない人はなかなか適切な援助もできないのだ。
そこの老人ホームはかなり大きなところで、たくさんのお年よりの方々が職員さんや他の老人の方々と共同で穏やかに生活を送っている、なかなか良い雰囲気のグループホームでした。が、週に一回、その穏やかな生活が打ち砕かれる日があります、大学生などのボランティアグループなるものがやってくる日です。もう聞き飽きた昔話やら面白くもない人形劇、脂っこくてお年寄りの口には合わない豚汁の炊き出し、交流会と賞した車椅子による引きずり回しなど、それはもう、地獄のようなスケジュールが目白押しです。
でも善意善意で目がきらきらした若者が折角イベントを開いてくれてるんだからと、老人達は心の内を隠し、ただにこやかに微笑み、時に涙でもくれてやって、彼らが嵐のように去っていくのを我慢するわけです。
で、ボランティアラーたちが帰った後、職員の方にそっと言うのです、「ある意味、こっちがボランティアしてやってるんだねえ。彼等を歓ばせるボランティア」。
福祉とかボランティアとか援助にはこういうことが多いのだ。その人にぴったりあった援助はかなりむずかしいことなのだ。認知症の介護は特にむずかしいものとなる。だから家族だけで孤立しやすいのである。デイサ−ビスでも施設でもなかなか適切な介護ができないのは個々に対応ができない、機械的事務的になってしまう。家族のようなきめこまかいコミニケ−ションがとれないからなのだ。認知症のやっかいなのは他の病気と違って他者の援助を受けるのがもっともむずかしい、なじみの場や人が大事だとなると家族になるしその家族が付き切りで介護を強いられる、他に援助してもらうにもむずかしいから困るのだ。

この図のように部品のようにぴったりと適合した援助がむずかしいのだ。
的はずれとか無駄が介護とか援助には多くなるのだ。
2006年12月27日
リア王の狂気−老人の最後のあがき
時事問題の深層34へ
http://musubu.jp/jijimondai34.html#king
認知症の関係で書き続けてきたものを時事問題の深層へ書いた
ホ−ムペ−ジ、プログのいいことは何度も前に書いたものを参照して
さらに加筆できることなのだ、制限なくできることなのだ
リア王の狂気であれ認知症の狂気であれこれは過去にもにたものがあった
なぜなら人間の業は変わらないし人間そのものは変わっていないから
老人の問題も変わらない、現代の高齢化は数の多さで問題になった
老人の問題が数が多いから社会的問題として大きなものとなったのだ。
2007年01月02日
年賀も書けない認知症の老人
大正生まれ手押し車や冬菜かな
悲しさや年賀もかけぬ認知症
はかなさや縁の切れゆく認知症
大正生まれについて書いてきたけどこの世代はしぶとい、忍耐強い、質素、とかいろいろな徳を体で身につけている。人間も時代の子でありその時代によって身につけるものがある。これはすべて良しとはしないが老人も時代によって違ったものになる。だんかいの世代の老人がこれからどうなるか?実は老人になるとその世代の評価が歴史的評価と同じく客観的に成されることになりやすい。団塊の世代はこんな世代だったんだと若い人が福祉施設などで接してわかってゆく、今は大正生まれとか戦争体験世代と接しているから戦争がああだこうだとなる。ともかく老人になると過去を語るからその過去から学ぶことが若者にとってもいいのだ。実体験の世界はどんな人でも何か訴えるものがある。それが失敗談でもそうである。そういうことで失敗したのかと参考になるからだ。
私の認知症のK子は社交的外向的な人だったから年賀も50枚くらいきていた。浅い付き合いの人もあったが去年からは年賀を書いていない、書けないのだ。だから今年は10枚くらいしかこない、それでも返事も書く気しないのだ。それだけ頭が働かないのである。第一つきあいそのものが認知症になると断られる。普通の付き合いできないからそうなる。付き合うにしてもめんどうになるからだ。それにしてもあれだけ付き合いがあって社交的でも今や年賀五六枚とかなっている。それだけ老人になると社会との縁はきれてゆく、特に認知症になったらそうなる。自分の場合はもともとつきあいがないから年賀は来ない、しかしそれだけ年賀があっても認知症になったりするとつきあいもできなくなるからなんか人の付き合いもはかないものだと思った。
第一、実の娘でも息子でも「あんただれ」となるとしたらそのこと自体、親子の縁さえきれてゆくことではないか?そうなってもあの人は親切にしてくれる人だとかいい人だとかは思っているらしい、つまりその人が実の息子とか娘とか関係なく、人の識別はその人にとって親切な人とか好ましい人とかなってゆく、それも考えてみると人間として異常とはいえない、なぜなら実の親子だろうが冷たい人は冷たいしその人はもはや認知症の人にとって嫌な人となってしまう。そこには血のつながりなど関係なくなるのだ。人間は血のつながりよりそういう関係の方が本当の関係なのかもしれない、天国では血のつながりではない、愛し合う人間が天国を作っているからだ。
ともかく家族に認知症の人がかかえるといろいろな問題がでてくる。それは人間としていろいろ考えさせられるものがある。人間を考える契機になる。そもそも普通のつきあいはめんどうであり形式的だったりこの世のしがらみのなかでのつきあいである。上司に良く思われたいから歳暮を送るとか親戚つきあいでもいろいろ儀礼的なことでのつきあいが多い。そうしたつきあいより介護する家族とかをかかえると本当に助けてくれる、援助してくれる人が必要になる。
でも一旦そうした介護とかめんどうになると他の人もめんどうになるし要求もされるからつきあいが断たれる人が多くなるのだ。認知症の人の場合は話しが通じなくなるから余計にそうなる。認知症の人にとっても「頭がいっぱいになる」とか理解できなくなり普通のつきあいはさけるようになるのだ。でもそれでは社交的な人だった人は淋しいとなる。この辺の対処方法がむずかしいのだ。でも全然わからない人ではないから昔のなじみの人やつきあいあった人が来ればなつかしいとなりうれしいとなる。いづれにしろこれは認知症の人だけではない老人におきる共通の問題である。同じ世代の人も死んでいったり消息もわからなくなり縁もきれてゆく、社会の縁もきれてゆく・・・それは死を意味している。人間関係でも死に向かっているからだ。死への過程で誰にでも起きてくる問題なのである。
自分は年賀状はだしていないけどプログに書いていれば消息はわかるんだよな・・・・あの人こんな生活しているのかとか細部までわかってしまうんだよ・・・死ぬまで書き続けていればこの人は病気になったとか書き込みがなくなれば死んでしまったのかとなる・・・・・
ともかく発信つづけることができるメデアなのだ。一方で発信を強いられるメデアでもあった。一カ月一回とか書き込みしているプログはいくらいいこと書いても読まないよ、だから月間雑誌は遅れてしまい読者数がへったのだろう。プログは毎日書くことが要求されているメデアなんだよ・・・・
アクセス少なくてもプログで書いていればその人の消息はわかるんだよ・・・
2007年01月07日
朔風(認知症介護に一年過ぎる)
一本の大木に唸る朔風や認知症の世話一年過ぎぬ
去年の一月からK子の認知症の世話をしてきた。はじめはあまりにショックだった。何になったのかのみこめないしただ狼狽するだけだった。そのときから症状は変わっていない、ただこれはこんな病気なんだなとわかったから今では慣れてそんなに狼狽しない、狂ったような暴力までにはならないから一緒に暮らせる。これがもし一線を越えて暴力として歯止めがなくなれば一緒にいられないだろう。そういうひどい認知症の人を介護している人のプログ読んでいるからそう思うのだ。
だから「年金が盗られた」と言われて実の娘が母親を殺してしまったのはなぜなのかよくわからない、そんなこと毎日言うのが認知症である。金のこと銀行のことがまるでわからなくなるのがこの病気だからだ。ただ毎日執拗に責められると精神的にまいってしまうだろう。
年賀状なくして泣いたり自分が盗ったと怒り責めてくるのも同じ症状なのだ。この症状も実際は狂気になると一線を越えると暴力になったりすると手がつけられなくなるから怖いのである。何かを無くすとパニック状態になり感情的になり激怒して一番身近なものを盗ったとか責めてくるのがやっかいなのである。
いづれにしろ認知症の世話で一年すぎたこと認知症の家族をかかえて一年すぎたことも一つの歴史を刻んだ。歴史を刻むというのも変だがやはり病気というのにも歴史がある。病気と苦闘してきた人間の歴史がある。自分も病気との苦闘を強いられたのだ。たいした苦闘ではないにしてもそれなりにこの病気と苦闘して一年すぎたのである。自分だけが認知症の家族をかかえて苦しんでいるのではない、認知症にどう対処すればいいのかなど認知症を直すためにはどうすればいいのかなどはこれは今や社会的人類的課題にもなってゆく。一人の特殊な老人の問題ではない、老人共通の問題なのである。介護というと一〇年とかししている人がいるからこれは長すぎる。これこそ苦闘の歴史を刻んだとるなる。
今日は異常なほど荒れた、風が強くめずらしく長い停電にもなった。それで去年の朔風からはじまったプログをふりかえった。最初は何がなんだかわからないから恐怖だった。今はこれはこういう病気なんだとある程度割り切っているからそんなに恐怖ではない、一線を越えない、狂気の暴力とはならない、自分にたいしては歯止めがあるから一緒にいても恐怖を覚えないのである。狂気になり殺されるんじゃないかとなるとおちおち寝てもいられなくなる。実際そういう人もいるからだ。
今年の一年もまた認知症とつきあうことになる・・・・・そしていつまでなのか・・・・いつ終わるのか・・・これを考えるとやはり憂鬱にな・・・・
2007年01月22日
記憶力は人間にとって何なのか?(認知症は忘れるのではない、記憶できない病気)
人間にとって記憶とは何なのか?この記憶の大事さがわかるのは老人になると具体的にわかるのだ。老人というのは新しいことを覚えるのが苦手になる。新しい人と接しても名前を忘れたりする。過去のことも忘れやすくなる。人間とはその一生でも一代でも忘れやすいから何代もつづくこと歴史を伝えるためにいろいろと工夫した。伝統的な祭りもその意味がわからなくなってもつづいているのはそのためである。過去の記憶の保存が祭りなのだ。また最初は語り部によって語り継がれてきたが文字を発明して文書にしたのも大事なものを言い伝えることや知識を伝えるためにそうした。エジプト文明が記憶の文明のように神聖文字ヒエログリフで記したのもそのためである。過去の記憶がいたるところに神聖文字ヒエログリフで記されたのも記憶する執念のようなものがそこにあったためである。記憶が人間にとってそれほど大事なものだから必然的にそうなったのだ。
文字だけでなく歴史的記憶になるものはいろいろある。建築もそうだし絵でもそうだし過去を記憶するためのものが歴史の遺産である。過去を記憶したものがなければ人間に歴史はないし知識も伝達されなかったし人間は動物と同じだとなる。動物には本能があっても歴史はないからだ。人間は過去に記された経験されたことから未来を作るからだ。動物には過去はない、歴史がない、現在しかないのだ。人間はいろいろ定義されるが歴史的動物なのである。
●認知症は忘れるのではない、記憶できない病気
ここで認知症の根本病理は忘れるのではない、記憶できない、記名力がなくなることなのだ。忘れるとは一度覚えたものを忘れるとなるが認知症の場合は一度覚えたものを忘れるのではない、脳に記憶することができない、海馬が記憶する場所だとするとそこが損傷して記憶できないのだ。忘れる前に記憶できない病気なのだ。何かを買ってきて冷蔵庫に入れてもそれがすぐ忘れる、記憶できていないから自分が買ってきたものも利用できなくなる。そして冷蔵庫にあるよと言っても一体誰が買ってきたものなのかどうしてそこにあるのかもまるっきり忘れてわからないのである。だから誰かが置いていったとか物がなくなると盗まれたとかすぐなってしまう。まるっきり記憶できない、記憶が脳に保存できないからそうなる。
「あなたが買ってきてここに置いたんですよ」
「私は買ってこない、私には全く覚えがない、絶対にない」
「私を信用しないんですか?」
「・・・・・・・・・」
ここで相手が感情的に嫌っている人とかなると私はここに置いた覚えがない、絶対ないとか怒るのである。それが極端になると暴力にもなる。自分がした覚えがないことを指摘されるから頭にくるのだ。そもそも忘れるのではない、記銘力がない、記憶することができないのだ。メモししていればいいというがメモすること自体忘れる、つまりメモしたということを記憶できない病気なのだ。だからメモすること自体無駄だとなる。
認知症は記憶できない病気だとすると誰かが常につきそっていてその記憶力の援助をしなければならなくなる。金をやってもそれをいくらもらったのかどこに入れたのか記憶できない、とするとその金をどこに入れてどこに置いたのかつきそう人が知っていないとあとで困る。金がないというとき知っていればどこそこにあるとかいくらあるとか指摘できるからだ。そうでないと金がないと騒ぎ誰かが盗ったとなるからやっかいなのである。記憶障害なのだから誰かがつきそって記憶をしてやらなければならない病気なのだ。現在が記憶できないから不安になる。あったものが常にないということは不安にする。だから誰かが入ってきてひゅ−と盗っていたとかの作り話をしたりする。誰かがそばにいてそれはここにあるよとかすぐに言えば安心するのである。そして今日は誰々とあってこんな話をしたとか誰々にこれはもらったものだよとか言っていれば自分のしたことをなんとか知ることができる。でなければ今日したことをみんな記憶できない忘れてしまうのである。
●老人は思い出(記憶したもの)が宝
老人になる思い出だけが宝となる。記憶していることが宝なのだ。それは読書でも旅の思い出でも苦労話でも記憶したものが人生になってしまう。自分自身にしても30年間旅をしたからその記憶が宝でありその記憶を蘇らせて詩とか文章を書いているのだ。その記憶を失いばそこにいたということも忘れたのだからそこに存在しなかったと同じである。こういうことは旅してもいくらでもある。そこに行った記憶さえなくなっていることは他の人でもいくらでもあるのだ。何にも記憶が残らないのである。認知症の人が千回も過去の印象に残ったことを話し続けるのはそれが生きてきた証しのようなものだからである。現在が記憶できないとなれば過去の記憶に生きる他ないとなるからだ。だから本当に過去に戻ってしまうというのもわかる。現在が記憶できないとしたら過去の方が現実であっても不思議ではないのだ。ともかく人間にとって記憶とはその存在の根幹を成すものでありこれが失われることは致命的なことが認知症の人に接してわかったのである。
我が形見見つつしのはせ 荒珠 (あらたま) の年の緒長く我も 思 (しの) はむ 笠女郎
この形見とは歴史的遺産であり年があらたまっても長く過去の歴史的遺産を偲んでくださいという意味なのだ。それは老人が語り伝えるものや残すものでもそうである。老人は何かしら形見を残すのである。そして死んだあとでその形見に思いをはせ死者とつながる。それが人間が一代だけでは終わらない歴史的動物なる所以なのだ。この形見(記憶)が失われることは人間にとって致命的なのである。
2007年02月19日
私の家族のK子の認知症の症状(多少改善した認知症)
毎日目立つ一定の場所にサイフを置けといってもどこか別なところに置いてしまう。なぜ隠すんだというと隠すんじゃない、どうして置いてしまうんだという、下駄箱とか場違いな所に置く、リンゴを飲み物の置く場所に置くとか同じ種類のものを分類して置けないのだ。
●抽象的なことがわからない(銀行は意味不明)
銀行のことが意味不明になる。年金は自動的に銀行に入金して貯金されていることが理解できない、入金通知のハガキで金が期日に入ったからおろしに行くという、前は通帳とハンコをとられたと騒いでいたから通帳とハンコが重要であり金を下ろせると思っていた。
買い物はできるから金が何であるかはわかる、ただ銀行に自分の金が積まれてあることを明確に理解できない、ここが一番不思議であり馬鹿になったと思えるのが認知症だった
●世間的な話しは比較的通じる
自分がどんな人間であったかとかはわかっている。だから誰々を世話したとか自分は家のために働いたとかそういうことを何度も言うのはおかしなことではないし本当である。自分は家のために尽くしたから大事にされるべきだと考えている。自分が建てた家だとか自分のしてきたことを自慢するのも変ではない、それを言うことで自分を確認し自分の過去の力を誇示している。ただこれも執拗になると娘でも息子でもいやがられている。でも今が記憶できない、理解できないとなると過去に執着するのもわかる。過去が唯一自分の拠り所となる。
普通の人の介護でも過去が大事になる。過去の人間関係やこれまでしたことが介護にかなり影響する。嫁としていじめられていたばかりの女性は姑を介護する気にはなれないだろう。どうしたってその気持ちは外にでてくるからだ。つまりこれだけ長生きになると今までしてきたことの責任をいやおうなくとらされる。誰もいいかげんな親だったら介護したくないからだ。
●多少の病識
認知症に接して一番の謎は銀行のことがまるっきりわからなくなることだった。通帳とハンコをもっていけばおろせるのにそれも頭に浮かんで来ない、銀行に金あんのかと毎日聞いている。これはあまりの知能の低下で驚いたのだ。ただでは全く馬鹿になってしまったのかというそうでもないのだ。人格は保たれているし変わっていない、妄想はほとんどないし夜はぐっすり眠っているし暴れることもない、自分の現在の状態に満足している。多少の病識がある。時々わからなくなったと盛んに言う、どこかおかしくないかとかもしきりにいう、うすうす自分が忘れたということも認識するようになった。他者を責めないからである。
●感情的安定
感情的には安定している。極端に怒ったり暴力になったりしない、その相手がいないからだ。特定の相手に険悪になるのが認知症かもしれん、感情的に安定しているから他の分野にも影響していいのである。何かあっても騒がない、前頭葉でわからなくなっていることがあっても感情的に影響しないとなる。だからわからないことがあってもそれも自分のせいであり
苦渋の苦笑いをしている。何かわからなくなった、自分でも困ったとんうの顔をしているのだ。これだと介護する方は楽だとなる。感情的安定は認知症には大事だろう。感情的に安定していると怒りや暴言や暴力にはならないだろう。だから側にいる人が情緒的安定的作用に大事になる。なんか母親とか父親的な人が常にそばにいると安心するのだろう。それが娘や息子になる場合がある。
●感覚五感の持続
豆腐を残っていた賞味期限をきれたものを出して酸っぱくなっていた。自分でも食べて酸っぱいと言ったから味覚はあったのである。食ったことを忘れるからないのかと思った。味覚はあるが食ったことを忘れていることはある。耳はいいから人の言うことはわかる。
認知症は銀行のことなど抽象的なことがわからなくても原始的感覚的なことは残るのだ。抽象的なことというと地図で自分の位置を確認することは認知症の人にはできない、動物だったら自分の匂いをふりまいてマ−キングして縄張りを主張したり犬だったら嗅覚で犯人を探したり獲物を追うことは優れている。そうした原始的感覚は認知症になっても消えないのである。うれしいとか悲しいとか感情的なことも残る。だから人間でなくなるというのではない、人間的なものは残っているから全く人間として通じなくなることはない。自分の息子や娘とわからなくてもこの人は親切にしてくれ人だと本能的にわかる。犬でも猫でも動物でもそういう人は直感でわかるのだ。
そういうことにはかえって敏感になっているのかもしれない、だから施設でもそういう人を見抜くことはかえって鋭くなっているからいやだとなると普通は理性で我慢するんだができないので暴言や暴力になってしまう。でも普通人間はいやなことでもがまんしてがまんして生きているんだから介護する人を責めるわけにはいかないのだ。認知症の人はそうしたストレスをもはやためることができない、だからストレ−トに感情が出てしまいいやがられる、わがままだとなる。現実だから認知症の人を気分よくするには誰かの忍耐とか犠牲とかが強いられる。でもそれができないから問題行動になるのだろう?認知症の介護は相当な忍耐心を要求されるから若い人でも介護すれば忍耐心の養成にはなるだろう。これだけひどい人を相手にしているのだから
普通の人だったらたいがい寛容になれるとかなる?普通の人でも介護は大変な忍耐心が要求されるしそれをしている人には感心する、女性は忍耐心ガあり向いているのだろうか?男性は向いていないししたくないのが本音だしみんなしたくないと言っても非情とはならない、だれもやりたくないというのは仕方ないことなのだ。
●脳血管性認知症なのか?
おそらくK子は脳血管性認知症なのだろうか?症状からするとにている。太っていて心臓病とか高血圧になっていた、それで一時期脳血管に支障がきたし器質的に前頭葉などがやられ認知症になったのかもしれない、ただいろいろとヒュ-マンな人的介護で多少回復したのかもしれない、器質的障害だったらやはり脳の一部が破損してしまったのだから直しようがないのか?原因は脳血管の障害だったとするとその人の性格がどうだとか傲慢なところがあったとか関係ないのだろうか?その人の性格が関係しないのか?結局この病気はあまりにも謎が多すぎるのだ。若年性認知症の人はなぜなるのか?これは老年性とは違い、頭が活発に働いているのになるのだから不思議だ。病気だったら原因がわかれば将来的に直るとか医者が言っているから将来的に原因がわかり直るものなのか?・・・・わからん・・わからん・・