2008年11月02日

NHK−トビウオ海道を往く〜赤道直下から日本5000キロ〜を見て(裸は自然だった)

 
 裸の楽園の島?

はるかな南の島、そこに楽園がありや

若々しい体に乳房がゆれて風がそよぐ

椰子の葉影のゆれて日がな休む島人

悪徳はまだ外から露骨に入って来ない

商人はめったにここに来ないのだろう

一網打尽に魚を取りつくす機械もない

長老は延々と神話と伝説を今も語っている

その言い伝えを守ることが島の法律である

貧しいが熱帯の島は裸でも過ごせる

鮮やかな蝶が長々と大きな原色の花の蜜を吸う

そしてまた紋様の異なる蝶が舞ってくる

極楽鳥がさながら憂いを知らず恋のダンスをする

日々の食はここに欠けることはないのだろう

タロイモは容易に育ち人の手を患わせない

人はそれほど労苦して働く必要がない

ここでは機械に使われたり公害もない

女性の裸を特別な好奇の目で見る男もない

文明人のように性の欲望が過度に作られることはない

それは自然なことであり肌を隠す必要はない

かえって暑苦しく不自然なことになる

ここは本当に楽園なのだろうか?

この世にまだ楽園があるのだろうか

おそらくただ外から見ていると楽園があり

その小さな島に住めば不満があり争いもある

なぜならそんな小さな島ですべてが満ち足りことがない

人は外からのものを要求するから

 

NHKの「飛び魚街道を往く」という番組ニュ−ギニアの島で裸で暮らす人を写していた。そこには若い女性もいた。それがういういしく新鮮な裸だった。極自然な裸だった。文明人はあまりに性にたいして技巧をこらしすぎた。性欲の欲望は過剰に作られてしまったのだ。文明人はあらゆるものに欲望を拡大化するのだ。資本主義そのものが欲望を作るのである。バブルになるのも欲望の過剰化の結果として起こる。欲望が自然の摂理から離れて過剰化する。裸は別に南国では自然なのである。暑いのだから自然とそうなるし裸でいると涼しいからそうなる。女性が裸でも自然であり裸も見慣れていれば特別なのもでなくなる。かえって隠すこと異常に性欲を刺激する。そして女性は衣装をまとい男をまどわす・・・これこそ欲望を過度に刺激することなのだ。ゴ−ギャンの絵にはそうした文明人の性を刺激するものがない、極めて健康的な裸の女性が描かれている。ところがアフリカの原住民に飛び込んだ女性の裸は別物だった。それは性を刺激する白い肌のものとなっている。これは性を売る映像化だったから余計にそうだった。不思議なの同じ裸でも文明人の裸と原住民の裸は違っている。文明人の裸は衣服をまといその衣服から裸になること自体、性の欲望をそそるものとなる。女性は技巧的に常に性を欲望をそそるものとして作られてしまっているのが文明人なのである。
 
文明人が裸になる時、それはすでに不自然であり性の欲望をそそるものとなる。一方原住民が裸になっているのは性をそそるものとしてあるときはある。それは自然の動物にも性の営みはあるのだかいつもあるわけではない、一時期、発情期になると同じである。だからいつも性欲の対象として見るわけではない、日常的には裸でいても自然であり見慣れているから特別なものではないのだ。つまり文明人はすでに衣服をまとう歴史が長いから衣服をぬぐという行為自体が性欲をそそるものとなる。もともと裸だったらそういうことが常にあるわけではない、文明人の裸と原住民の裸は同じ裸でもすでに違ったものである。日本も南方系の文化として腰巻きとか高床式の家があったから南方系の文化も色濃く残されているし日本でも海女は裸であったり日本でもあったことなのである。ともかく純粋に裸になれなくなっているのが文明人なのである。ゴ−ギャンの絵には文明人の裸を感じないことでもわかる。直観的に描いた結果としてそうなったのである。そこには原生人間としての裸があった。上野霄里氏もそうした原生人間を自らを裸にし示したのである。

 
西アフリカのボンゴ族の男たちは裸の女性には興味をもちません。
彼らは、服を着た女性の姿に性的刺激を受けるのです。だからボンゴ族の女性は
男性を刺激しないように普段は裸で生活。彼女達は性的な儀式や踊りのような
特別の場合だけ、男性を性的に興奮させるため、服を着ます。
 
これが本当だとすると文明人と逆になっている。かえって裸は性欲を刺激しないのだ。服を着たとき性欲を刺激する。服を脱がせたいとか妄想が起きてくるのである。文明人の方がきれいな衣服をまとっても実際は
不自然になっている。文明人で当たり前なことが倒錯した異常なことになっている。裸こそが健康的であり
普通であり衣服をまとうことは不自然なことだから欲望を刺激することになるという不思議がある。
 

ただ本当に南の島が楽園なのかというとこれは外から見ているからそう見えるのであり現実の島は全く違っている場合がある。沖縄でそうだった。小さな島はまるで監獄だったのである。ほとんど自由はない、常に監視されているしすべてが知り尽くされる。何も隠すことはできない、自由がない閉鎖された世界である。人間はどこであれ旅人として訪ねればそこは楽園になるがそこに住んでみて楽園になる所はない、それがそうしたものがテレビだけ見ただけでは見えないからである。
この番組は再放送だったからもう一回やるのか、録画しないのが失敗だった。
トビウオ海道を往く〜赤道直下から日本5000キロ〜

2008年11月03日

南田洋子さんの認知症は重症だ、体も相当弱っている


南田洋子さんは相当重症だ、体も相当弱っている


南田洋子さんは相当症状がすすんでいる。顔も変わっているし体もやっと歩いている。。トイレに行くのもやっとだ。体が悪くなれば頭も働かなくなる。体も頭も相関関係にあるから。姉も頭がぼ−とするから散歩すると脳卒中で倒れるまで外を散歩していたのだ。医者の助言で自分でやれることは自分でさせた方がいいというのは本当である。自分で洗濯(手で洗っていた)、食器洗い、掃除、庭いじりなどはしていた。それが自分の役目だと思いしていた。体は丈夫だったのでできたのである。それまでしていなかった。認知症になるのはなぜかわからないにしても自分でやれることは自分でさせた方がいい、簡単なことでも何もやれないより自信がつくし自分も役に立っているんだと張り合いもでてくる。介護も世話になる一方で精神的にも肉体的にも良くないのである。病院で世話になっている老人はトイレも食事も自分でできるんだけどポ−タブルトイレを洗ったりしてもらうので毎日十回くらい「すまねえ、すまねえ、ありがとう」と申し訳なく言うのがあわれにもなってくる。自分で何もやれないことは本人も相当な負担になってくるのだ。認知症でもそのことは同じなのだ。ただ南田洋子を見ていて体も悪いから何か自分でできなくなっているからこれは重症だなと思った。顔つきも変わっている。認知症になると顔つき変わる。だから普通一目見てわかる。でも姉の場合は顔つき一時変わったこともあったが変わらなかったから最後まで外から見てわからない人が結構いたのである。
 
長門裕之が明確に今の困った状態をこうこうすればいいんだよと言ってくれる人がいれば助かるというのはアルツハイマ−とか老年期の認知症の介護している人はみんな思っているのだ。自分の場合は認知症に関して何の指導も受けられなかった。むしろ認知症家族の会とかに最初に行くべきであり医者に行ったからといってほとんどそんないい指導は受けられないのである。でも認知症は共通した症状があってもみんな違っているみたいだ。「アカイヨ、アカイヨ・・・」というときトイレに行きたい合図だとかその人特有のもの言いがある。それは親密な人でないとわからないだろう。アカイ・・ということに何かこだわりがあるんだろう。認知症は一人一人見たらみんな症状は違っている。その人の生前の人生やら性格も反映する。病院で見た認知症の女性は今思うと扱い安い女性だった。そこにあまり悲壮なものがない、何か滑稽で喜劇的になっている。そんなに迷惑もかけないのだ。「看護婦さん、助けてください、ありがとう、・・・・」毎日言っているから何もわからないことはない、認知症でも扱い安い人と扱いにくい人がいるのだ。暴力ふるう人などは一番扱いにくいだろう。南田洋子さんは体が弱っていることと日常的に何か自分でできることがないし介護される一方だから重症である。

 
 

南田洋子さんが意識障害で入院 


ベッドから落ちたというのもよくある。病院では手袋してベットに手をしばっているのが普通である。認知症の人は落ちやすいからだ。意識障害というのは脳出血とは違うのか、意識が混濁してくることは他の病期でもよくある。姉の場合は尿毒症になり意識障害になり無意識となり二カ月反応がなくなり死んだ。その前に脳出血で半年くらい生きていたが二回くらい生死の間をさまよった。
南田洋子さんはどのくらいの意識障害なのかやはり前から重症に見えた。体が相当弱っているように見えたからだ。
 

アカイヨ  いうのはキムチかとか長門が食事のとき言っていたから赤い色した食べ物のことだったらしい、認知症の人は必ずしも辻褄のあわないことを言わない、よくよく聞いているとそういうことかと納得する、ただこれは極身近に接する人でないとわかりにくいのだ。アカイ食べ物をさしてアカイヨと言っていたのだ。
 

それにしても南田洋子さんには関心が相当ある。このペ-ジにアクセスがまたふえたし継続的にアクセスがある。全国的に相当な関心をもたらしたことは確かである。
 


南田洋子さんは尿毒症


南田洋子さんは尿毒症だとすると死期が早いかもしれない、姉も尿毒症で意識不明になり死んだ。二カ月間は全くの意識不明であり反応がなくなった。体がむくんだりしてただ呼吸しているだけだった。尿毒症は意識混濁になりやすい、認知症そのものでは死なない、認知症から他の余病で死ぬのが多い、脳梗塞になったというのもそうである。姉も脳出血になった。認知症から別な病気になりやすいのだ。不思議なのは脳梗塞になって入院が長い人もべつにみんな認知症にはならない、認知症になると誰だか親しい人でも判別できなくなる。介護では夜眠れないと辛くなる。認知症の人は眠れない人が多い、だから不安で呼びだすことが多くなる。


南田洋子さんは寝たきりになってしまうのではないか、尿毒症から意識不明になりやすい、意識不明になることは死の状態に入ってゆくことである。死ぬときすでに意識不明だから死んだと変わりないのだ。意識不明の二カ月間は死んだと同じだった。救急車で病院に入ったら普通はそのまま入院だけど在宅にこだわるのはそれだけ余裕がある。介護する人を雇えるからだ。普通はできない、それだけの重症者をみるには家に看護婦を雇うほかない、それには金がかかるから本を出したりテレビにだして見せ物にして稼ぐというのも本人にとってはいいものではないだろう。

 
●見せ物にするのは問題 


そんな悲惨な状態を見せたくない、前のような美しい女優としてのイメ-ジをもたせたままそっと死なせたいということもある。姉は二年半で死んだから認知症になったことを知らない人が結構いた。かえってその方がいいと思った。悲惨な状態を知らない、前のままの姉しか知らない、普通はその方がいいのかもしれない、身近に世話になる人には知られてもしょうがないが別に第三者や知人には知らせる必要もない、そっとしていればわからずじまいに死んでしまいば馬鹿になって死んだんだとは思われない、何でも見せ物にして稼ぐというのは嫌である。不倫したから本を出して今度は認知症になったからまた本を出して稼ぐ、人間何でも露にしてショ-にするのは嫌である。これはショ-ではない現実なのだから、演技ではない現実なのだから、でも奇妙なのは認知症には明らかに演技の能力が必要なのだ。施設に入った人がそこが会社だと思い介護する人を部下だと思っている。その時部長さんお食事もってきましたとか演技すると上機嫌になるのだ。認知症の介護には真面目な人は向いてないかもしれない、演技する必要があるからだ。ただこの演技とは別であり何でも見せ物にして稼ぐというのは嫌である。


 テレビを見た人の反応の様々・・・・ 

悲惨な姿を晒すべきでなかった −同情をかうためだった・・


華やかな女優のイメ−ジがだいなしにされた。長門裕之は最後まで南田洋子さんを晒してまで利用した。テレビは視聴率稼ぎで長門は金稼ぎだった。魚心あれば水心で一致した。こういう意見もでていた。確かにあんな無惨な姿晒すべきではないと思うのも一理あるな、でも長門さんを送る南田洋子さんが笑っていたシ−ンは良かったな、あどけない笑いだった。確かに認知症は悲劇であり自分でも介護して思い出してたくないんだよ、正常だった時の姉であってほしいし遺影を見ていると元気だった頃の顔で笑っているんだよ、いつも笑っているから遺影を見ると無惨な認知症になった姿を思い出すことないんだよ、だから無惨な姿を晒さずに隠してファンだった人に幻滅を与えない方がいいというのも一理あった。同情をかうために演じるなるというのもわかる。人前に晒すべきものではない、そっと最後を看取り南田洋子の思い出は銀幕にあった元気な南田洋子であってほしいというのもわかる。認知症の介護で苦しんでいる人でもこれを見て参考になることはほとんどなかった。同情している人がかなりいたから同情をかうということでは成功したとなる。


 

これについてここが的を得ている
http://pub.ne.jp/bonnjinn/?entry_id=1755765


 
認知症ほど人間の無常を示すものはない
 http://musubu.sblo.jp/article/22415335.html 


 

認知症は前頭葉の機能が極端に低下した病気
(南田洋子さんで認知症関係のアクセスふえる)
http://musubu.sblo.jp/article/22509094.html

 

 人間は集団でも個々人でも奢(おご)る時危険-神の罰が下る(認知症の衝撃)
http://www.musubu.jp/jijimondai39.html#risk

 

南田洋子さん 死亡  

南田洋子さんと姉の経過がにていた。認知症の軽い症状が出てから4年くらいで死んだ。
南田洋子さんも5年くらいで死んだ。くも膜下出血になったのもにていた。姉は普通の脳出血だったから軽かった。8カ月くらい病院にいて最後は尿毒症になり死んだ。認知症そのもので死ぬひとはいない、認知症から波及した病気で死ぬ。脳出血になる人が多いのかな゛、でも脳出血になっても認知症にならない人も多い。認知症と脳出血の結びつきが不明だ。

 
危篤になったとき夫の長門が「その最後の形を面影を心に刻んでおきたい・・・」これは実感こもっていたな、というのは自分も同じだった。姉は太って陽気な人だった、そして不思議に最後まで顔がやせずに太っていたから顔があまり変わらなかったのだ。認知症になると一見してわかる人がいる。顔がゆがんだりして悲惨な状態の人がいる。顔が大事なものである。顔にはその人のその人らしさが最後まで残る。だからハンセンシ病は悲惨な病気だった。最後に最愛の女性の顔を心に刻んでおきたいというのは自分も経験したから長門は間違いなく南田洋子さんを愛していたことがわかる。ただ見せ物にしたのはまずかった。これだけ意外と早く死んだならほとんど外部の人には知れず死んだことになる。あの悲惨な姿を思い浮かべる人はいない、姉は極親しい人には知られたがその他の人は気づかなかった。顔の表情が変わらなかったからである。それで意外と早く死んでしまったから生前の陽気なほがらかな姉のことしか知らないままに死んだことを知った人も多い、結局その方が良かったのである。あんな悲惨な姿を知らせる必要はない、認知症は本当にどうしたって痴呆になったということであり人間としての尊厳は失われた。それはどんな優秀な人でもそうである。それが余りの衝撃なことなのである。だから極親しい人には知られても他の知らない無責任な人には知られない方が良かった。

人生の最後に悲惨であったがその姿は知られずに隠した方が良かった。どうせ大勢の人は野次馬であり面白がる人だからそんな人にそんな悲惨な姿を見せる必要はなかったのである。
晒し者笑いものにしたということは残る。何もそうしなくても別なドラマに出て金はかせげたからである。そんな姿を全国民に知らせる必要はなかったのである。

 
NEW! 

認知症に寛容になることのむずかしさ(敵味方塚のコメントから)
http://musubu.sblo.jp/article/33191304.html

 
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2009年01月22日

ホ-ムレスが売るビッグイッシュ-ってなに? (テレビで見てインタ-ネットで調べる)


●ビッグイッシュ-のインタ-ネットの情報

 
この雑誌は胡散臭いどころか、結構否かなり「お堅い」高度の読み物がほとんどだ。大手出版社の版権切れの既出原稿や、著名人のボランティア記事が並ぶ。記事も”世界的”に網羅されている。ちょっとやそっとの週刊誌や月刊誌には勝るとも劣らない。エロ情報やオチャラケ記事が無い分よっぽど”上品”である。出版流通を経由させないため書店には並ばない。その分、低価格にし、販売者(ホームレス)にもマージンを多く渡せる。どうかご愛読をお願いいたすところでございます。
 

でもこのTHE BIG ISSUEを通して販売員の方とおしゃべりして顔見知りになったりとか
する人もいるようですし、中にはそのコネクションから仕事につく販売員もいるようです。

僕は偽善行為は嫌いなので1円も出す気は無いが、
BigIssueは返品もできないようなので、もっと必死にやらな。
どう見ても、体のいいピンハネ行為に見えるなぁ。
ホームレス間の貧富の差をさらに広げているという指摘もあるし、
幹部の私服を肥やしているようにしか見えない。
上でやる気がないと書いたが、
何時間も表で立ちつくして月収数万円ってのは正直キツイと思う。
http://blog.livedoor.jp/sabakan7390/archives/50822293.html

 

仙台、青森でも販売開始!
広島、名古屋でも好調な滑り出し。 

 

ホ-ムレスとのかかわり
http://www.asahi-net.or.jp/~kg8h-stu/topics6/top.html

 

生々しく人間の労働が見えたので関心を持った
  
今日テレビでビッグイシュ-という本を路上でホ-ムレスが売っているドキュメンタリ-を放送していた。一日たって声かけて売っている。まず一日立ってこの本売るものも大変だなと感じた。今人間が労働する姿がなかなか見えにくい、これは一日立っているからそれを見ていただけで大変だなと素直に感じる。労働の姿がまざまざと見えたのだ。こんなふうにして一冊の本売るのも大変だなと感じる。本でも別に書店で売られればそんなこと感じない、今や自動販売機で売られるようなも気が多い、売るという苦労が見えてこない、売るというとき大がかりな宣伝が必要になる。それがテレビの宣伝だった。これは一時に一千万人にも知られとしたらその効果は絶大であった。でもそこに人間がそれを売るためにどれだけ努力しているかは見えない、コマ-シャル作りのビデオを作るスタッフは相当努力している。でもそれが苦労しているなと見ている人はいない、ここでは人間が一人いかに本を売ろうとしているか涙ぐましいほど見えたことが違っていたのだ。昔だったら人間の労働は生々しく見えたいたのが多かった。天秤棒で重い荷物をかついで売り歩くとしたら重いだろうなと一見して感情移入ができる。これが工場とかビルの中で仕事していると見えないのである。トラックとかで荷を運ぶにしても大変なのだがこれが歩いて荷物を背負って通りすぎてゆくのとは違う、トラックの運搬がどれだけ大変でも毎日道路を通っていても大変な仕事していると感じないのである。だから今人間は他人の労働に無関心になっている。労働だけではない、なんでも無関心になっている人が多いのだ。それは人間が機械や巨大な建物などでさえぎられ隠され見えなくなっている。
 
情報にしてもメデアを通じて知るのでありテレビから知るのと新聞や雑誌から知るのとそれからインタ-ネットから知るのは違っている。このことは最初はテレビで知った。テレビの効果は相当大きいだろう。次にキ-ワ-ドでインタ-ネットで調べた。そしたらこれくらいのことが追加してわかった。テレビだけでは足りない情報がかなりあるのだ。あれだけ相当詳しい情報だと思ってもさらに詳しい情報はどんなニュ-スでもドキュメンタリ-でもある。情報は常に一部分しか伝えていない、全部を知らせることは不可能だからだ。そしてインタ-ネットは新しいメデアだがこれの利用は一番むずかしいのだ。キ-ワ-ドから情報をたぐってゆくから手間がかかるし相当よみこまないとわからないとか匿名で信用できないものが多いとかインタ-ネットから情報を摂取することは疲れるのだ。今までのメデアなら一方的に情報与えられるだけだがインタ-ネットならさらに多方面の情報が得られると言ってもどこに何があるのか皆目わからない面が多い。ただインタ-ネットは強力な発進媒体になりうる。そこが違っている。ただそれを見ている人はテレビとかに比べると極端に少ないから影響力が持てない、知らせる力があまりにも違いすぎるからインタ-ネットに出しても知る人は極端に少ないから宣伝効果はほとんどない、ただテレビで報道したとしてももっと知りたければこのようにインタ-ネットでさらに調べてみるということが習慣になりインタ-ネットも生きてくる。相互のメデアで補うことができる。テレビもインタ-ネットも実は協力できるメデアなのである。テレビがインタ-ネットを敵視する必要はない、むしろテレビもインタ-ネット化してテレビにとりこまれるのを恐れている。でも今回のようにテレビで報道すると関心がもたれる。ただ今やテレビだけでは終らない、情報の連続した連鎖した反応がインタ-ネットにあるのだ。それでもビッグイシュ-で出てくるサイトが割と少ない、もっと何か書いているかと思ったが少ない、それほど関心ないのか?地方ではこういう人に出会いないしホ-ムレスもいない、仙台でも売っているとわかったがそんな人と出会ったことがない、というよりたまにしか行かなければわからないのである。地方ではホ-ムレスのことは良くわからないのである。都会だと常にホ-ムレスは身近にいるからビッグイッシュ-(大きな関心)なのだ。こういう人たちがでてくるとインタ-ネットではすぐに裏で団体が利用しているとか書かれるのも普通である。それがどうなっているかわからないがともかく一人ではできないからどうしようもないだろう、ともかくこの本を売ることにこれだけ苦労している、ということは実はこの本はそれだけの価値あるものだということを主張していることにもなる。もちろん週刊誌などを売っているホ-ムレスもいるからそれだけではないがこの本自体の内容はそうではないと書かれていたのだから三百円では安いから買ってもいいとなるかもしれない、本は出版社や書店を通さないとこんなに安くなるもなのか、書店に並べるだけで金とられるからそうなる。この報道にいろい考えさせられるものがあった。

2009年02月07日

仕事はwork(作品)することを継続すること(NHKの派遣問題の討論を見て)


 

●継続、積み重ねが価値を生む
 
仕事はwork(作品)とあり作品作りは一生つづく、これは別に芸術家だけではない、作品とは製造業でも同じだった。いい作品は商品-モノ-道具-部品などでありこの品質を保つためには人材が必要であり人材を確保していかねばならない、今不況で注文がないからかと切り捨ていたらまた注文がふえたら対応できない、会社も派遣を景気が悪いからと切り捨てたら会社の継続性がなくなる、グロ-バル化だから雇用は外国に求めればいいと言ったときA国からB国からC国へ移動してゆくならまた日本の国内と同じである。ただ世界へ派遣の切り捨てなのである。
どこの国でもやはりwork(作品)を追求している。ただ一時的なものとして使役されるのが労働ではない、つまりworkには継続性が必要なのである。一時的なものはただ手間仕事であり一時的JOBでありこれで急場をしのぐ、食うだけは確保するにしかならない、そしたら長期的な展望がないから生活設計を建てられない、終身雇用は理想的なものだった。その場稼ぎその場しのぎならそれはWORKにはならない、そこからいいモノ作りはできない、いい作品を作るには継続性、積み重ねが必要なのである。会社でも技能継承ができなくなるというのもそのためである。
 
●work(作品)は代々継続されもの(継続は力なり)
 
大きな視点視野から見れば長期的展望視野がないものは継続しないものは価値がないものである。それは一時的価値の追求になる。つまりwork(作品)する、いい作品作ることを目的としたらそれは一時的なものではない、継続が必要である、積み重ねが必要である。会社でも百年とかで作品、製品作りが追求されてゆくのが理想なのである。そんなことはこのめまぐるしいグロ-バル化の競争社会では理想論であり夢にすぎない、そんなことは通用しない、現実は厳しいとなる。現実に対応するにはその都度社員でも派遣でも切り捨て対応しなければならない、技術の分野では変化が激しいからそうなるのかもしれない、明治から欧米化した日本はあまりにも技術的なものでも変化が激しすぎたのだ。戦争でも戦艦大和が優れたもの、日本人の技術力を総結集したものでも何ら役立たず海に沈んだ。戦争でも役たたなければ技術も応用力がなければ巨艦もただむなしく海に沈んだだけである。ただそれでも技術の継承は応用は日本の戦後の発展のなかであった。技術はなんらか継承されてゆく、宮田は鉄砲鍛冶だったが明治になり自転車を作る技術に応用された。どこにか技術、技能の継承はある。
 
本来仕事がworkだとしたらそれは一代とかで終らない、ヨ-ロッパの石の大聖堂が何世代にもわたって作られてきた。何百年もかけて作られてきた。まだ未完成のものがあるとかそういうふうに継続されるものがwork(作品)なのである。大聖堂というwork(作品)を作るために職人の継続した仕事が行われてきたのである。そういうものが本来のworkであり仕事なのだ。価値あるものを追求するにはそうならざるをえない、一時的なものなら文学でもコマ-シャリズムにのってライトノ-ベルとか携帯小説とかその場稼ぎのものを作り大衆の暇つぶしに消耗されるものを作ればいい、それはまさにwork(作品)ではない、一時的消耗品である。いい作品を作るには時間がかかる、積み重ね、継続が必要である。つくづく最近この年になってわかったことは文学も哲学の作品などもこれは例えば2千年前のものを十分に今に通じて生きている。宗教ももちろんそうである。そういう息の長いものであり今に対話は継続して今の時代にも生きるのだ。そういうものが本当の作品であり仕事(work)したとなる。
 
●グロ-バルな価値の追求も継続が要求される
 
 時代を代表するような作品はその時代だけでは理解されないものが多い、しかしその作品との対話は次代にも継続され理解されるようになる。百年二百年と継続され読まれ検討されるものでなければ作品とは言えないのである。何の分野でも仕事で一番大事なのは継続であり積み重ねなのである。偉大な師に学ぶとしてもそれは生涯にわたる継続した対話でありそこから新たな作品が生れてくる。人間を部品としてとりつけ継ぎ足したりするところにworkはない、生涯workしつづけるのが仕事なのである。社会自体も長期的展望でworkを目指す社会であることが理想である。それが大聖堂の建設でありインフラの整備とかでもあった。明治から日本は余りにも変わりすぎた、めぐまるしい変化の中で何をworkすべきか見失いただ仕事を増大させるだけだということもあったのだ。それでも明治には国家百年の計とかあったが今は二三年後とか十年先を見ても長い、すべての問題は今に集中して過去千年の歴史からの継続的検討などない、未来もせいぜい二三年後が検討されるだけである。それがめまぐるしく変わった政党、政治の世界で顕著に現れたのである。グロ-バル化にしても何かそこで価値あるものを追求するとなると継続が要求される。つまり継続は力なりなのだ。確かに次々に労働力の安い所に企業が移転するのはその国のために長期的にはなっていない、派遣の使い捨てと同じである。グロ-バル化でもグロ-バルに価値あるものを追求しようとしたら継続と積み重ねと長期的展望が必要であり特に環境問題ではそれが要求されるのである。

NHKの討論を見ていて意外と派遣とか雇用問題が哲学的問題なんだなと思いその討論から書いた。
人間にとって仕事することが生涯にわたることだから大事なのである。仕事には様々な要素があり
人間を価値を決定してしまうような大きな問題だからそうなる。単なるその場稼ぎの派遣そのもので
仕事はいいのかとなる。現実はその日の食(職)にありつけばいいとなるがそういう一生は虚しい。
一方で企業価値、会社の価値とは何なのと意外と哲学的な問題がビジネスの問題にも提起されたので興味深いものとなった。派遣でも仕事の価値を追求すれば介護にはそれがあるかもしれない、ただ分野が違うし
経験がないから敬遠する、いづれにしろ派遣にしろ会社にしろ継続性が必要だったことは間違いない、

継続的価値の追求が仕事であり会社の目的だったのだ。
 

2009年02月11日

人生は長距離走である (NHK-双子の不思議に学べを見て)


●短距離は遺伝の作用が大きく長距離はそうではない

 
一卵性の双子で短距離と長距離を比べると短距離は遺伝しているから成績にばらつきがない、ところが長距離になるとばらつく、長距離は遺伝があまり作用しない、その本人の意欲とかが作用する、これはわかった、スポ-ツでも遺伝が強く左右するのとしないのがある。長距離は鍛えようによって成績をあげることができるスポ-ツなのである。短距離は脚力とかすでに決まっているから遺伝で決まる、黒人が短距離などでは抜群の成績をあげるのはそのためである。病気にしてもライフスタイルとかで変わるとか健康や寿命は遺伝ですべてが決まるわけではない、暴飲暴食したらいくら健康な人でも長生きできないし病気になりやすい、喫煙の習慣ある一卵性の双子の一方は早く肌などが老化していた。体力的能力であれ知的能力であれ後天的なものも大きく作用するのだ。動物は本能で生きるが人間は後天的なもの環境の影響力が大きいのである。一卵性の双子でも一方が日本で一方が外国で暮らしたら全然違った人になってしまうのと同じである。知的能力で数学の能力は遺伝が作用しないと言っていたがこれは嘘である。なぜなら文系と理系は全く違った人間のようにさえ思うからである。理系の脳の人は何事理系的に思考しているのだ。文系の脳と根本的に違っている。こっちのほうは明らかに遺伝しているのだ。
 
●人間は後天的環境の影響が大きい
 
短距離などは遺伝であり天才は短距離型である。凡才でも長距離ならそれなりに才能を開発できて能力を発揮できるのだ。知的な能力でも環境の影響が大きいのである。家庭で知的環境があるものはどうしても知的能力が発達しやすいだろう。学校より家庭の方が影響している場合もある。ヨ-ロッパに天才が多いのは貴族の家に育ち家庭教師に一対一で教えられたような人が能力を発揮している。学校は個性にあった個性的な教育はできない、だから学校教育では個性的な才能は発見されないし埋もれてしまう。人間は何事生まれつきの能力ですべて決まるわけではない、たとえばいくら能力があっても道徳に堕落した生活を青春時代にしているとほとんど良きものに向かうエネルギ-が喪失する。青春の浪費はだから恐ろしいのである。人間の能力は外部からも付け加えられる。なんらかその人の能力ではないものが外部から霊的に注入されることだってありうるのだ。そういう不思議が現実にあるのだ。そもそも遺伝子にないものが外部から加味されることがあるのだ。そして人生とは長距離だからその人の意欲、向上心とかが長い間に作用してくる。忍耐して勤勉に積み重ねてゆく人はやはり何らかの成績を出すことができる。天才的でないにしろやはり天才的な業績にも追いつくようなものがなし遂げることもありうる。この世のものはすでに生まれつきで決まり天才的なものも生まれつきだから凡人にできないことだとか言うのは間違っている。それは人生は短距離ではない、長距離走だからそうなる。確かに遺伝子の働きも大きいにしろそれだけですべてが決まることはない、結局多くの才能は歴史上埋もれさせられた。なぜならその一番の原因が貧困なのである。貧困のために頭を使う労働ではない肉体的労働が強いられ知的能力を発達させることができなくなったためである。それが一番の原因であり結局環境の影響が大きいのである。飢餓状態にあるアフリカから何か知的能力がある人がでてくることはむずかしいのもそのためである。腹を満たすことだけで精一杯だからだ。
 
●人生は長距離走だから積み重ねが成果をあげる
 
いづれにしろ人生は長距離走であり高齢化社会になったらさらにそうである。だから長距離を走りぬくことが大事になる。その人の意欲とか勤勉とかが大事になる。学問自体これは全く長距離ならば何か成果を出すことができる分野なのである。なぜなら膨大な知識は積み重ねの中でしか会得できない、短かったら知識の幅も狭いからそうなる。日本を知るにも外国の文化と相対的に見るとわかりやすい、でもそのためには相当外国を実地に踏んで理解せねばならぬとなるとまた時間がかかるのだ。「少年老いやすく、学成りがたし・・」これはまさに学問の分野があまりに広すぎる、知識が膨大なためにそうなっているのだ。いくら天才でもその一部しか極めていないのである。人生は短距離ではない、長距離だから逆転もありうる、相当前と差があっても縮められる場合がある。学校で劣等生でも社会に出て通用する、それなりのものになっている人はいくらでもいる。学校ですべてが決まるわけではないのだ。自分は学校で最下位でもそのあといろいろ学問に興味をもったから積み重ねたことがある。学校ではどうしても興味をもち得ない、自分の好きなことが見いだし得ないからそうなる。郷土史などは誰でもできる、積み重ねの学問である。人間は不可解であり生まれつきのものですべて決まらない、神の力が働き、新たな能力が加えられることもありうるのだ。 さらにこれだけ高齢化になると最後にどんな優秀な人も認知症になったら最悪であり人間脱落者になる。つまり人間はつくづく最後までどういう結果になるかわからないのだ。最後は認知症にならないだけで頭よくなくても普通の人でも何か認知症になった人よりは優れた人だなとつくづく見えたから不思議なのだ。つまりゴ-ル手前で倒れたらビリにさえなってしまうのである。それが認知症の恐怖だったのである。高齢化で長距離走になったからそういうことも起きてくる時代なのである。
 
 

2009年02月16日

沸騰都市-東京の未来の恐怖


沸騰都市というNHKの番組今見たけど地下に大都市が広がりマンションの50階に住んでいるとかなると人間は地下人間となり空中人間となり海底人間となりそういう人とは意志疎通できなくなると上野霄里氏が言っていたけど本当なのだろう。東京の地霊の作用で停電したとか物語を作っていたけど地霊が怒り地震が起きたらどうなるのだろうかと恐怖した。そんなに高層化したり地下を掘り起こしたら災害が起きたら壊滅的な被害を受ける恐怖である。東京大地震の恐怖である。地霊が怒り都市を滅亡させる、そんな恐怖を感じるのもそれはもうすでに人間的には把握しえない大都会となっているからだ。そしてそこに集まるのはビジネスだけが目的の無国籍人間たちである。ビジネスを通じて無国籍化してゆくのも現代である。国籍とはその国の文化をになった人であることに意味がある。その文化とはその土地からcultivate-cultureを作ってきた人たちなのである。


つまり今やその国の国土からも遊離してただビジネスのためにだけ集る無国籍都市は国際社会でもない、人間が無国化した会社の一員となり土地から遊離してただビジネスだけをアイディンティティとする。そこには文化が消失した経済人間しかいない、国際化すると新しい文化が生まれる場合があるがここでは生まれない、そこにはビジネスのやりとり経済至上主義しかない、経済に機能するだけ自然やその国の大地に機能する人間でなくなる。そして経済的優位から田舎は生産性がないとか効率が悪いとかそんなことばかり言われる、おとしめられる。だからそうした異常な沸騰都市に地霊が作用して都会を壊滅的に崩壊させるということがありうる。そういう恐怖がそこに住んでいる人も感じてしまうだろう。やさしいモンスタ-に育ってほしいとか言っているのもそのためだろう。怖いモンスタ-に育つことが見えるからそうなる。グロ-バル経済でも沸騰都市でもモンスタ-化している。さらなるモンスタ-化が進行してゆくとき一体人間はどうなってゆくのだろうという漠然とした不安をもつのは当然である。まあ、あと十年後20十年後になるがそのときはこの世にはいないだろう。そんなモンスタ-は別に見たくはない、でも東京と大阪がリニアで一時間で結ばれたどうなるのだろう。一時間だと日帰りになるからもう飛行機と同じである。ただ途中は何もみることできないだろう。ただ移動するというだけである。だから飛行機と同じなのである。仙台から大坂まで午前中についてしまう。そのとき移動はあるが旅はなくなっている。
 
日本では都は遷都したけどやはり一カ所に留まると腐敗するという地が汚れるという感覚があった。だから新しい時代には新しい都を新しい土地ではじめる必要があった。なぜなら長く同じ場所にいると人間も腐敗するのだ。人間にはフロンティアが常に必要なのである。そのフロンティがなくなり空中や地下や海底に広がってゆく、東京を遷都するという話も消えた。結局遷都するには東京は大きすぎる。だからもはや移動もできない、地下や空中や海底に伸びる他なくなっている。それがいづれ致命的な災害で崩壊してしまう恐怖を感じさせるのである。今でも限界を超えているのにこれ以上限界を越えたとき地霊の祟りが起きて大災害で崩壊してしまう恐怖を感じるのだ。


 


補足-2月20


沸騰都市についてちょっと書いたけど次の反応は私と同じようなものであった。シンガポ-ルは見ていないがシンガポ-ルはそもそも国ではない、一つの都市が遊離して隔離して浮いてしまった極めて人工的な島なのだ。頭脳だけを集める頭脳都市とかなるけど国は国土がなければ国とはならない、国土は身体なのである。頭脳だけで身体がない国は奇形国家であり国家ではない、国土は身体で感じるものである。頭脳だけでは国土を感じることはできない、日本も神から与えられた日本列島があって国が成り立っている。でもある意味で日本もその国土の力を無視して東京に頭脳を集め無国籍化して経済だけの価値がすべてとなり禿鷹ファンドとか金融でかせぐ株取引だけを生業とする者だけが巨額の富を得る、東京がシンガポ-ル化しているからシンガポ-ルを批判するとき東京も批判せねばならない、国家とは長い歴史とその国土から形成されるものでありシンガポ-ルは国ではない、奇形都市国家なのである。国とは総合的なものとして成り立つものであり経済だけに価値をおき一部分が突出して集中するのはバランスをかく、その見本がトヨタだった。トヨタに頼りすぎた結果不況で自治体が崩壊の危機にさらされる。自動車だけを作る国家はない、トヨタはそうなっていたからシンガポ-ルとにていた。国家とは農林水産から工業から商業から総合的なものとして成り立っている。もともとシンガポ-ルは商業的だけだからその国家の基盤は脆弱でありシンガポ-ルに見習う国造りなどありえないのである。このことは文化文明論になりこれまで相当量-時事問題の深層で書いてきたしこれからも書いてゆく自分のテ-マである。


参考になるプログ
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/222005/189455/56566863#top
http://geisyu.blog24.fc2.com/blog-entry-48.html
 
インタ-ネットはリンクで読まれる。ここに意外とアクセスあったからまた書き足した。インタ-ネットはいろいろあっても編集しないと読みにくいのだ。ばらばらになりすぎているのだ。部分的にしか読めない、つまみぐいであり総合的なものとして読めない、シンガポ-ルがいいとこどりのつまみぐい国家と同じである。部分は全体があって意味をもつ、その全体が総合性がシンガポ-ルにはないと同じようにインタ-ネットは無数の断片化だから意味ももちにくい、誰かが全体を考慮して編集するとわかりやすくなるのだ。
 

岩手県の自然のバックグランドから人物も生れる(東洋、国風文化の回帰)
秘境岩手県に育まれたもの(原生人間-山人-賢治)-詩
http://www.musubu.jp/hyoronmorioka.htm#back

2009年02月27日

「おくりびと」「納棺師」が脚光をあびるのはなぜ


 

 
映画みていないし納棺師という職業があったことも知らないから語ることはできない、でもおくりびとになったのは葬儀したのは半年にもなっていないからまだ生々しい。まだ死者は身近にある。そのことをいろいろ書いてきた。死者とは何か、死んでも死者との交流はある。死人と接することは実際は気持ち悪いことである。一晩だけ一緒にいたけど気持ちいいものじゃない、ただわたしの家族はもともと太った人で陽気な女性だった。顔がやせこけていない、病院でも死ぬ前も死んでからもふっくらしていたのだ。でも死ぬと手をしばったところがぺこっとひっこんでいたのが気持ち悪かった。死者と接することは気持ちいいものではない、確かにあんまりなりたくない職業である。こういう仕事をしていた人は差別されたというのは確かだろう。特殊な仕事である。例えば豚の屠殺場のあとに老人の介護関係の施設ができる。だけどその場所が嫌なのである。そこでは大量の豚が殺されたし大量の豚の血が流れた。そこに豚の怨念がたまでいるのではないか?何かそうしたものを理屈ではなく感じてしまうのである。別な倉庫のようなものならいいが老人の施設にするのがあっていない、まだ屠殺場で使ったものがおいてある。なんとなく嫌なのだ。自殺したり殺人したりした部屋に入りたくないというのもそこになんとなく死者の怨念みたいなものを感じるからだろう。これは理屈ではない、人間なら誰でも感じることだからそれを否定することはできない。
 
でも死者をおくることは重要な仕事である。最後を見送ることは貴重な時である。なぜならすぐに骨になり形もなにもなくなって二度とあえなくなった。死人のときとまた灰となってしまったのとは違う。人間の死はあまりにも落差が激しいからとまどうのだ。死んだら灰となったら何も残らないからだ。その突然の落差がショックなのである。目に見えるものが突然二度と見ることのできないものとなる。その断絶があまりに大きすぎるのであとあとまで尾を引くのである。なぜこのような映画が話題になったりするが、これは極めて現代的テ-マとなってしまったからだろう。死者をおくる儀式とか文化の喪失である。共同体の喪失である。現代は何でも専門家に分業して頼むようになった。死は葬儀はこれまでは村全体のものとして死者を葬った。それは単なる儀礼ではない、村で心から死者をいたむことがあった。だから死者は死んで山の神となり村を守るとかの信仰になった。何かそこに今にはない死者を意味づける文化があったのだ。ただ正直そうした葬儀は手間暇と金がかかりすぎた。そして実際は儀礼的なものになっていた。おくりびととは本当に死者をいたむ人であるべきなのだ。私の家族は認知症になったときこれまで長年親しく人もよりつかなくなった。特殊な病気で嫌われるのはしょうがない、だから死んだときも関心をもっている人はなくなっていた。生きているときから捨てられていたのである。そういう人がおくりびとになれるだろうか、死者をいたむだろうか、生きているうちにすでに交流がたえた人が死んだからいたむことはない、ただ葬式でも義理で来るだけである。お悔やみをあげてあとは終わりである。
 
だから死んで丁寧に専門の人が納棺したり手厚く葬むってくれたのは感謝する、でもそれは仕事でしていることだし心からその人を葬るとはならない、第一全く死んだ人がどういう人か知らないから何かその人に対して親しみがないからだ。だから機械的に処理する、病院でも死んだら早く死者をかたづけてもらいたいしかなかった。手を合わせるようなしぐさもない、また一人死にましたよ、早くかたづけてくださいくらいなのである。病院でも葬儀社でも死は日常的だから特別なことではない、日常の一こまにすぎない、ただ家族は一生に一回のできごとであることの差がまた大きいのである。死者は死者とかかわることだけ死のときだけかかわることはありえない、生前からの延長として死もある。生前親しみを覚えない人にどうして死者をいたむ心が生まれるのか、ただ死者には畏れがあり粗末にはあつかえないことは当然だから手厚く納棺して葬るのは当然である。でも葬儀屋では機械的事務的に死者を処理する。そうしてもそれはしかたない、それでも死者を手厚く葬ってくれるから感謝するとなる。いづれにしろ今葬儀から墓の問題と社会が変化してそれに対応できなくなっているからいろいろな問題がでてくる。おそらく今回の「おくりびと」「納棺師」というのが脚光をあびたのは極めて現代的問題となっているからだろう。
 
映画も納棺師も読んでいないので正直批評はできません、ただ死者とかかわったのでその経験から書いただけです。
 

ここに批判が書いてある
 http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/e/6bda58396361d97dbe36a85985909634

 
 

 近くにNPOの福祉(介護?)施設屠殺場跡に建つことの問題(差別はなぜ起こる)
http://musubu2.sblo.jp/article/27256139.html

 
郷土史とも差別の問題は深くかかわっている。それで別に差別の問題を調べて書いた。
 

2009年03月02日

ネットの無料モデルに“マスメディア”の未来はない

        
 ネットの無料モデルに“マスメディア”の未来はない

       http://diamond.jp/series/kishi/10029/?page=3                                                       
 

危機の打開へ若い活力を  池田大作-毎日新聞
http://cgi.2chan.net/n/src/1235954405573.jpg


テレビでも新聞でも今や報道自体がやらせだとかつまらないとか芸人ばかり集めて勝手に騒いでいるから若者は見ないとか毎日新聞は外国にありもしない日本人の性的なことで卑しめることを書いてそれを外国人がネ-ムバリュ-で信じたから大ひんしゅくをかった。変態新聞としてネットでは毎日こきおろされている。今度は池田大作がコラムに書いたのでこれもひんしゅくをかっている。毎日新聞は聖教新聞を刷っているからそれが収入源となっている。他でも聖教新聞を刷って収入源となっている新聞社がかなりある。福島民報もそうである。だから池田大作の文を今回と同じようにのせたことがある。また有名な西沢潤一氏とかも池田大作たたえる記事をのせているし創価をたたえる記事をのせている。それも収入の大きな部分が創価に頼っているからそうなる。テレビですら宣伝がカルト宗教に堂々と不況で採用される。マスコミでもテレビの影響はこれまで甚大だった。何百万人に報道できることはすでに大きな権力でありマスコミが実際は第二の権力になっていた。テレビにでただけで名前が知られ有名になれ社会的認知度があがるのだ。だから政治家はテレビに出たいしテレビで顔売りたい、テレビにこびることになる。大衆も現代の政治は劇場政治だというとき前の小泉首相のような俳優のような人が人気がでて政策など関係ない、劇として面白いから票を入れるのだ。郵政民営化の意味を知って投票した人など一握りでありあとでみんな煽動されたことに後悔している。その時の劇をうまく演じた人に人気がでて政治を左右する。大衆はまたそのように操作されるしテレビが一番大衆を操作するのに適したメデアだったからテレビが力をもっていたのだ。そのテレビが力をなくなってくる。するとどうなるのか新聞でもテレビでもその収入源が半分は宣伝費である。だからトヨタなどは巨額の宣伝費を出していたからトヨタの悪口は書かないとなっていたのだ。つまりメデアは金で操作されるのである。
 
しかしでは大衆は視聴者は本当に報道が何によって支えられているのか考えたことがあるのか、本当に公正な報道を望んだことがあるのか?新聞は一応購読料を払うから宣伝が半分の新聞など読みたくないから新聞をとらないとかなってゆくかもしれない、テレビもつまらないから見ないとなってゆく、でもでは大衆は本当に公正な真実の報道を望んでいるのか?金を払いたくない、報道は情報は無料で入ると思っているのか?それを真剣に考えている人がどれくらいいるのか?2ちゃんねるでまにあうのか?個々のプログで十分なのか?それが今インタ-ネット時代で問題になっているのだ。田中宇氏なども宣伝だけでは公正が保たれない、収入が得られないと個人で購読料をとるようになった。一年で1万円くらいになると高いかもしれない、それでやめる人もいるかもしれない、個人になると高くつくのである。でもインタ-ネットは個人のメデアだから個人に金を払うようになるのだ。それでなければ良質の情報は出すことができないのだ。海外に取材するのも金もかかるし報道の中立性とか公正を求めるならそうした援助がない、宣伝にたよっていたらできない、今までの報道はたいがい組織がバックにいて成り立つ、出版だってそうである。一個人など出版に参入することはできない、もちろん放送になど参入できないからマスコミの一方的報道の洗脳に甘んじていたのだ。 でもインタ-ネット時代本当に公正な報道が可能になってもそれを支えるのは誰なのかとなる。すべて情報が無料で手に入ると思っているのか、もちろん報道することは無料になっている。でもその手間や調査や取材となるとそれなりの負担がかかる。これは個人では負いきれないからどうしても負担をしてもらうものがでてくる。宣伝費をかせげばいいというがそれならマスコミは同じになるではないか、報道が自由でも公正な報道を望むとしてもそれを大衆は視聴者は真剣に考えているだろうか?そこが疑問なのである。
 
いづれにしろグ-グルのブック検索がはじまったりメデアは変わらざるをえない、出版界もこれもどうしても組織、権力あるものが牛耳る世界である。本当にこの世にある本がグ-グルで検索され少額の資金で読まれるとしたらどうなるのか?家にいながら大図書館に常時いることと同じになる。マルクスはその一生の大半を大英国図書館で過ごした。それだけの資料や本を読む必要があったからだ。もしインタ-ネットでそうなったら貧乏人でも大学者が出てくるかもしれない、現実郷土史関係では全国的に資料が豊富でありそうなりつつある。マスコミは衰退して報道はインタ-ネットに移ることは見えてきている。でも本当に公正な自由な報道を支えるものは誰なのか、それが今問われているのだ。金は出したくない、別に2ちゃんねるで十分だとなっていいのか、事件でも真実を追求するにはやはりプロが必要だしいたるところで医療関係でも技術関係でもプロが必要になってくる。それはこれまでマスコミとか組織でできた、ではその支えがなくなったとき誰が代わってやるのだろう。そんなこと真剣にインタ-ネットの視聴者は考えているだろか、そうならやはり報道は変わらないのではないか、つまりインタ-ネットの時代は個々人が報道する主体となりうる。だからこそこうして私も報道を考えるようになったのである。今までは一言も発言する場などなかったからである。
 


補足 
 
ネットの無料モデルに問題があることは同じ意見だった。ちょうどこの記事が2ちゃんねるで見たのだ。
それで題名を変えた。なぜなら自分と同じことを考えていたからだ。
インタ-ネットにいくらプロが出しても金にならないからインタ-ネットではプロは養成されない
2ちゃんねるだと軽薄になるし何らかのプロが導く、編集することがどうしても必要になる。
インタ-ネットはまたいいものがあってもばらばらでありどこに何があるのかもわからない
するとその時点で何が重要なのか見極めることもむずかしくなる。
例え重大なことを書いても目に留まらない、見られない、つまり書いても書いてあることすらわからない、
インタ-ネット時代の報道をどうするのかそもそもインタ-ネットの視聴者自体真剣に考えていない
そこに大きな問題があるのだ。 
 

 

本は消えるのか?
(インタ-ネット時代でも編集は重要になる)
http://musubu.sblo.jp/article/27434969.html

2009年03月07日

本は消えるのか? (インタ-ネット時代でも編集は重要になる)


●出版の過程で消えるもの

 

出版は、製紙業−印刷業−製本業−出版社−取次−書店というパイプラインが正常に稼動して生まれてくる。出版社は創造する編集部門と販売部門とで構成されている。

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インタ-ネット時代になったとき、製紙業とか印刷、製本、取次ぎ、書店は必要なくなる。出版はこの過程をみるだけでいかにコストのかかるものかわかる。この時点で出版は特別なものであり組織のバックなくして出版できないものとなっていた。ロ-マ時代でも紙の値段が高すぎて紙を提供する方が価値があった。作家の価値は低かったのである。出版は一見作家の価値が著者の価値が高いように見えているが実際は違う。販売部門が大きな力を持っていた。宣伝するにしてもおおがかりになると金がかかる。だから文学賞などは販売部門が大きくかかわり大々的に宣伝して売りこむ。中味はさして問題ではない、こんなのがはやっていますよ、流行なんですよと価値のわからない大衆に宣伝して売り込むことが大事なのだ。要するに大勢の人に売ろうとすればあまりむずかしいのは売れないから大衆に読まれるようなものにする必要がある。だからそういう人が商売のために出版社のもうけのために選ばれ作家はただ利用されてあとは売れなくなってもかまわない、また粗製乱造して売り出すだけであり販売部門によって本が売れるか売れないか決まるからそうなる。ところがインタ-ネット時代には×印のところはすべて消える。これらのものは価値がなくなる。本をモノとして運んだり並べたりするだけの作業は必要なくなるのだ。そもそも書店は本の中味はほとんど関係ない、本のことなど知らなくても出版社から送られる本を並べるだけでありあと売れなければ返品するだけである。つまりなんら創造的価値あることなどしていない、野菜とか果物とか食料品を売るより簡単なスキルのいらない職業だった。それでも街の文化事業しているような感覚になっていたのはやはり書店がこれまではあらゆる情報の窓口の役目を果たしていたからである。
 

●残る編集部門
出版では残るのは編集部門である。編集は相当に創造的なことであり相当に優秀な人しかなれない、なぜなら一冊の本を編集することはその作家なり資料なり情報なり書く対象について詳しく専門的知識ももっていないと編集できないのである。編集者の役目は腕のいい料理人とにているのだ。食材に通じて独創的な料理を作り出す、美的感覚も必要である、料理人も明らかに芸術家であるからだ。食材とは様々な情報であり知識である。それを見極めて料理してお客さんに出すのである。他の仕事はただ本をモノとして運んだり並べたりする仕事であり誰にでもできるのだ。でも本の説明して売る人はやはりその本に通じているのだから売りやすいとなるが書店ではそういう人はまれである。本を売る人は中味は関係ない、ただ売るだけである。レジの仕事と同じである。その中味は関係ないのである。つくづくインタ-ネットで8年間ひたすら書き続けてわかったことは書くということも訓練であり書くこと自体が創造性を育むものだと思った。書きながら新しいアイデアが自然と生まれてくるときがあるのだ。インタ-ネットではまた必ず他のサイトやキ-ワ-ドで参考にして書く、編集作業が自然と書くことのなかに行われているのだ。インタ-ネットには料理するための食材が豊富だからそうなるし書きながら利用しやすいのである。でもその情報は本の世界に比べたら微々たるものである。郷土史関係は別にして微々たるものである。それでもその微々たるものでも利用しやすいから相当な効果を発しているのだ。プロの作家になるには膨大な本が必要になったのは書くためには食材が必要であり豊富な食材がないと美味の料理を提供できないからである。

インタ-ネット時代になっても編集はさらに貴重な重要な仕事となっている。インタ-ネット自体編集作業なくして読めない、様々な情報や意見や知識があふれていても何が重要で何がどうなっているのか編集作業が必要だからだ。それをテレビなどではしていた。情報を加工して料理して提供していた。それは偏向になってもわかりやすいから大衆は見ていて一方的に洗脳されることにもなったのである。今回の小沢氏の西松建設の献金問題でも写真と図でテレビ並に説明していた人がいた。そこにはいろいろ参考にするものがあった。でもかなり手間暇かかるからそれだけ暇ある人がいないからどうしても編集したものを提供する場が必要になっているのだ。編集の仕事はますます重要性をましているのだ。だから出版でも編集できる人はやはりインタ-ネット時代でも生き残るしそういう新しい仕事が生まれる。今は過渡期で仕事になっていないだけである。どうしても大きな組織の一員としてしか働く場がなかったからである。
 

●インタ-ネットに対応した仕事はまだできていない
インタ-ネットはまだ十年くらいであり、ずっと過渡的なものとして実験としてあった。その前哨戦としてニフティがあった。その延長上に発言している人はパソ通からの経験でインタ-ネットに則した情報発信をしている。それで個人として有料にしている、田中宇氏も有料にすることになった。宣伝とかでは自立性が得られないとかやはりインタ-ネットになると個人が主体だから個人に金払うことになる。個人でもメデアとして発信できるからだ。これからは作家や著作者、個人のジャ-ナリストがインタ-ネットで仕事ができる。個人のプロが価値が高まる。出版でも新聞でもテレビ放送でも実際仕切っているのは組織でありその中に作家、出演者が組み込まれて報道が成り立つ、そのコストも高いから大きな組織に金で買収されて個々人などは発信できなかったのである。そのコストが極端に低くなったとき個々人の作家やジャ-ナリストの価値は百倍にも高まる。そういう時代なのだけどまだそれが認識されていない、インタ-ネットは無料であり価値もそれだけのものであるとしかなっていないのだ。
今までも出版なら大手や大きな組織がバックにないと出版は無理である。まず書店にすら本は置けない、書店は大手出版社から本の中味など関係なくモノとして流れてくるものを処理するだけの場である。そういう場が今までは必要だった。雑誌を売るにしても街の書店がその窓口になるのだから出先の店として必要であった。読者も書店からしか情報が手に入らないとなれば書店は重要となる。でも今やインタ-ネットで窓口がふえたのである。本というのはなくならない、紙で読む活字と電子モニタ-で読む世界は何か違っている。読むだけではない書く方も違っている。パソコンで書くことの一番の相違は書きながら創造してゆくことなのだ。書くことにより創造がうながされてゆくのだ。情報の食材がキ-ワ-ドからいいがでてくるときは特にそうなる。その時編集作業が自ずと行われていい料理ができるのだ。かといってインタ-ネットとかパソコンとかは万能ではない、例えば皮肉なことはニフティでやっていたとき、これは百科事典なのかと思っていた。本当はレスポンスが主要となる対話形式として電子通信ははじまっていた。今こそインタ-ネットは世界的百科事典の役目もになっているし自分がやっていることはただ百科事典の項目を書いて無料で引用させているだけだとなり虚しいともなる。例えば上野霄里氏のうよな人なり思想なりはその全著作をしり人格をしらなければ理解できない、百科事典のように引用するものではないしできない、百科事典のように引用するのも必要である。郷土史などはそうなりやすい、学問的にもそういうものがあるがその人なり思想を知る場合はそんなこと不可能なのである。

田中宇氏が有料配信開始
http://www.mynewsjapan.com/reports/1007

2009年03月11日

クロ-ズアップ現代-貧困が教育を奪うを見て


格差社会、不況が教育にしわよせがきている。NHKの高校中退が多くなっているのは貧困のためである。授業料が払うことができないなど教育費に金をかけられない親がいる。このテレビ見て一〇年前くらいだったか二〇年前だったか不登校のことをしきりに放送していた。その不登校とは学校不適応者でありつまり勉強したくないから学校に行かない生徒のことだった。その生徒をどうして学校に行かせるかが課題だったのだ。今は貧乏で行けないというのもずいぶん時代は変わったものだと思う。格差社会が最近の不況で本当に深刻になり様々なところで影響が大きくなっているのだ。

 
鉛筆・消しゴムだけでも、たくさんある子・全くない子と差があるのが実情だ。
 
あるところではノ-トをもらても書き込みを節約するとか、そんなことまでしているのかというとこれは戦前の貧乏時代に逆戻りなのかと驚いてしまう。戦前は鉛筆自体貴重だから親指より短くなるまでつかむことができないくらいまで使っていたしノ-トもこまかくびっしりと書いていた。ノ-ト自体が貴重だったからである。そういう親戚の人いたからその話を聞いた。インタ-ネットでは鉛筆の歴史を調べればいくらでもそういうことが書いてある。こんなに豊かな使い捨ての時代を経験してきたのにそんなにまでなっているのかというのがピンとこないのである。
 
教育を考えると日本人は教育熱心である。江戸時代にすでに読み書きできた人が多い、寺子屋で学習していた。明治になってもさらに教育が立身出世を決めるということで実利的な面から日本人は拍車をかけて教育熱心になった。末は博士か大臣かである。これは今でも受け継がれている。教育の目的は立身出世である。今でも東大に入れば立身出世は約束されている。東大派閥が官僚を牛耳り天下りで巨額の退職金も労せずして入ってくるとかある。学歴社会になったのもそのためである。
 
でも戦前の教育は貧弱だった。義務教育もままならないものだった。子守りで学校にすら行けないとか学校に行くこと自体むずかしい時代でありこれは学校すらない後進国とにている。今日のテレビをみてそんな時代に逆戻りしているのかという驚きだった。教育を考えるとき日本人は向学心が旺盛であり明治には新しいもの欧米から取り入れるために特に熱心になった。今日の日本人の繁栄を作り出したのは日本人の向学心だったのである。戦後まもなくも貧乏であり向学心はあった。その向学心も物欲の向学心、アメリカのような贅沢な生活をしたいということで勉強していた。日本人の教育は常に立身出世の向学心でありこれは明治時代から加速されて行った。
 
団塊の世代から異常なほどの学歴社会となり有名大学を目指す受験競争が熾烈となった。本来学問はそういうものとまるで違ったものからはじまった。真理の探求であり悟りをえるとか宗教的なものが哲学的なものが学問のはじまりであった。それがすべて実業としての学問に変わったのだ。だから私の場合はどうしても学校で懸命に学ぼうとうすることができなかった。だから高校もかろうじて卒業して大学では遊ぶだけで学問の基本すら身につけず終わったのである。意外と向学心は社会に出てから起きる場合がある。低学歴なものは社会の底辺の仕事しかできない、私が経験したのも流れ作業とか全くロボットにされることだった。それでそうした職業だけは嫌だと思ったが何か生きがいのある仕事につくことはできず結局無職のまま今日にいたったのである。これは団塊の世代は一方で金の卵とか集団就職の時代であり大学に行けるのは地方では何人かしかいなかったのである。高校にすら行けない、中卒も普通にいる時代だったのだ。
 
現代の急激な格差社会はまだよく社会で認知されないし理解されていない、だから対応も遅れているのだ。ノ-トも節約して鉛筆も買いないのかとなるとどうしても理解できない、これほど使いすてにしてきた時代なのにと思ってしまう。向学心があっても貧乏で学べないのが戦前まであり戦後まもなくつづいた。次に貧乏でなくなり教育できる環境になっても学習意欲が起こらず中退する人とかの時代になった。大学に50パ-セント以上行く時代はすでに学習に向いていない人も多数行っているのだ。そういう時代に格差社会になり鉛筆とノ-トすら十分に用意できないという格差不況社会を今まで経験した時代からすぐには理解できないのである。格差社会はやはり不況もあり深刻になっていることは確かである。


slamuuu123.jpg

この団地はスラム化したような団地にみえる。相当老朽化しているけど建て直せないしなんか危険にさえ見える。貧乏が目に見えてわかる写真である。

2009年03月15日

映画-「殯(もがり)の森」を見て


 

 「殯(もがり)」とは、敬う人の死を惜しみ、しのぶ時間や場所を意味する言葉
 
亡き妻の思い出の詰まったリュックサックを、そうとは知らず何気なく手にとった真千子を、しげきは突き飛ばしてしまう。
 
認知症がどういう病気なのか理解しないとこの映画もわかりにくいだろう。認知症の人は何かを思い出になるものを特別大事にする。姉もそうだった。戦友からもらったパッグを肌身話さず持ち歩いていた。それは従軍看護婦をして4年間シンガポ-ルで過ごしたことは死ぬまで忘れなかった。そこで一番親しい人からもらったパッグを大事にしていた。戦友とは認知症になる前までつきあいがあった。認知症になってからは年賀状をもらっても返事が書けないので音信が絶えた。バッグには貯金通帳やら保険証やら大事なものが入っていたのでそのパッグをなくしたと毎日のように騒いでいた。親しい人の家に行ってもここでなくしたと責めて迷惑をかけた。この映画で認知症のシゲキもリュックサックを大事にしていた。その中には思い出の大事なものが入っていた。それを手にとって捨てようとしたときシゲキは怒ってつきとばした。そのことは認知症の人と接していれば理解できる。
 
認知症の人は今の記憶が失われ過去に生きる度合いの方が大きくなる。過去に執着して語り行動する。病院の認知症の人もそうだった。二〇年前の死んだ夫のことを死んだと思っていない、毎日「とうちゃん、とうちゃん」と呼んでいた。何度死んだと言ってもわからなかった。他にも認知症気味の女性が看護婦を孫と思って名前を呼んでいた。この映画でも真千子は妻になっていたのかもしれない、この映画では死別もテ-マとなっている。死んだ人とは永遠にあえない、永遠に会えない人を求めて森に入り込みそこで最後に穴をほり死んだ人をいとおしむ。それがもし現実としたらあまりに悲しいとなる。死んだ妻を求める、永遠に死んだ人は帰ってこない、その死者への想いは人によって違う、やはり若くして死別すればなかなか忘れられないだろう。人間は六〇以上とかなると新しい人間関係を結ぶのがむずかしくなる。だからこれまで親しかった人がよりどころとなる。認知症の人は今が記憶できないのだから余計にそうなる。ただこの映画のテ-マで森の中で死者をいたみ死別の悲しみが癒されるとは思えない、森の上のう方を見ている真千子は作りすぎている。その他そんなに作りすぎた不自然でもなかった。そもそも自然は無情ではないか、自然は人間の死に無頓着であり、もちろん生物や動物の死にも無頓着であり非情なのである。森に入って死別の悲しみがいやされたりそこで何か死別の解決方法はないだろう。
 
「殯(もがり)」とは、敬う人の死を惜しみ、しのぶ時間や場所を意味する言葉
 
この言葉は意味深である。しのぶ時間、場所が大事である。それを美的に構成した。でも人間を偲ぶことと自然を偲ぶことが一致するのかというと死んだ人を思うときどうしてもその人の面影や格好や人格的なものに想いをはせる。そして認知症になると自分が一番存在し執着した場にこだわる。男は会社に行くとかグル-プホ-ムが会社であり介護士は部下だと思っているのはそのためである。会社が人生だったのである。人間は言葉が通じなくても心を通じさせる方法はある。スキンシップであり体で通じ合わせる、それが認知症の人にとっては介護となっている。心も安らぎ落ち着かせる方法だからである。今でも姉と病院に入ってからリハビリなどでスキンシップしたことが思い出に残っている。あまり家族でも体をふれあうことがないが介護になると体をふれあうことが自然と多くなるからだ。 過去にはしのぶ時間を十分にとっていたし場所も自然が豊だからそういう場所で偲ぶことができた。今はそうした時間も場所もないから死者はいたむ文化が喪失している。死者はいむものとして早くモノのように廃棄されかたずけられる。生きているときあれだけ介護しているのに一旦死ぬと早くかたずけてくれ、不浄なものとしてこの世から早く消すことが望まれる。この映画はやはり認知症のことがよくわからないと理解しにくいだろう。死別もテ-マになっていたが死別がどうして癒されるのか、美しい森の中でいやされるのか?そうはなっていないし死別の悲しみはいやされるのは何かまた別なものであろう。ただ死者は美化されやすい、本当にそんなに死者は理想的な人だったのか、死んだからこそ美化されやすい、いい面ばかり見えて悪い面は消えてしまうから自然と一体となり美化されたものとしてイメ-ジされてくる。それで祖先は山の神となり村に恵みを与えるとかなった。そういう日本的死者の文化もこの映画のテ-マとなっていたのだろう。


 

2009年04月16日

南田洋子さんを見せ物にするのは問題だ

 

南田洋子さんは重症だ
http://musubu.sblo.jp/article/22366755.html


南田洋子さんのことを今日も朝のテレビでやっていた。二〇日も放映する。その宣伝だった。あんな悲惨な姿をさらしものにすること本人にとってかわいそうである。本人は全くわからない、夫の長門は不倫のときも本を出したり今度も本を出したりと何でもショ-にしてしまう、俳優はそういうことショ-にすることが商売だから当然かもしれない、それで金をかせぎ介護の専門の人も雇えるのだから、でも今回はそんなものではない、これは演技しているのではない、悲惨な生々しい現実であり劇ではないのだ。本人はわからないから見せ物にしている。それは本人にとってかわいそうである。人間は不幸に興味があり見ているのも野次馬なのだからそういう人たちに見せて視聴率を稼ぐというのは問題である。確かに認知症の悲惨さを世間に示すのには意義あるにしても本人にとってはかわいそうである。なぜなら見ている人はまさにショ-として見ている野次馬にすぎないのだから、やはり見せ物にすることはかわいそうである。知らないまま死んだとしたら南田洋子さん死んだのきれいな優れた女優だったねで終わっていて悲惨な姿をさらした姿を思い浮かべないからである。知らないうちに死んでいるからわからないから本人にとっては無様な姿を残さないで死ぬからいいのである。どうしてもあれだけ悲惨な姿を映すと印象としてし見る人に残ってしまうから問題だった。
この記事にはアクセスがあるので書き足した。

 
間違ってリンクをだしていました、訂正しました

2009年06月11日

NHKスペシャル-通商国家の挫折(石油のための戦争だった?)


NHKスペシャル-通商国家の挫折(石油のための戦争だった?)


●明治維新から欧米列強との競争へ
 
日本が明治維新を成功させていなかったら近代化できなかったら中国のように欧米列強に分割支配された。国際的視野から明治維新、日本の近代化は画期的であり欧米列強の植民地になることからまねがれたから高く評価できる。その他は中国の大国からして植民地にされ辛酸をなめた。世界史から見れば明治維新の価値は高い、唯一欧米列強に植民地化されないで独立国として欧米列強に対抗できた。だから国内的に混乱があったとしても武士階級から平民へ国の主導権を移行したことは画期的である。明治維新とは何故なら薩摩の西郷が最後武士階級を維持するために西南戦争を起こしたように最終的に武士階級をなくして平民の国にすることだったからだ。会津が薩摩長州に踏みにじられたということの私怨から明治維新を否定的なものにすることは日本の歴史の評価を間違う、会津という国を滅ぼすことではない、そもそも薩摩長州と会津の対立という封建制の藩の戦国時代ではない、明治維新の目的は武士階級をなくして平民主導の国造り、近代化することだった。それで会津では庶民階級は白虎隊などの悲劇はあったにしろ会津の武士階級がなくなり庶民が自由に商業活動ができるようになりかえって会津の北-喜多方が商業で栄えるようになったのだ。薩摩の藩士も会津に攻め入ったが逆に西南戦争では会津の元藩士が薩摩の抜刀隊と戦い勝利に導いた。明治維新とは武士階級をなくすことを目的としていた。それは薩摩だろうが会津だろうが同じだったのだ。会津だけを狙い撃ちにしたのではなかった。武士階級を維持しようとするものは排除されたのである。
 
●日本は欧米との国力の差が大きすぎた
 
しかしこの欧米列強と伍すために日本は富国強兵に猛烈に邁進した。これは資源もない小国日本は背伸びした。つまり逆に明治維新の成功は日本国民に欧米と対抗できる、伍することができる、強いては中国をはじめとするアジアを日本が支配できるという奢りを生んだのである。アジアに対する同胞意識はなかった。欧米列強と対抗する意識はあったがそれがアジアの植民地を解放したことがあっても日本自体はそういうことは意図していなかったのだ。まず欧米列強と対抗することでありそれにロシアも背後から迫っていたから日本は資源のない国で過大な圧力のもとで孤立していたのである。それで石油を求め南方にインドネシアなどに進出したが石油を確保できなかった。そしてアメリカの石油禁輸が経済制裁でおいつめられ真珠湾攻撃へと日本はおいこまれた。日本は欧米列強と対抗して最後は経済制裁でおいつめられた。


日本の明治維新は画期的なものだったがその後は富国強兵で背伸びして無理があった。日露戦争だってこれも勝ったといっても相当な無理があり日本を実際は疲弊させた。現実戦争に勝ったという戦いでもなかったのだ。明治維新で欧米に対抗できる唯一のアジアの国となったが欧米に対抗できる国力はなかった。背伸びしすぎたのである。最後に神がかりになったのもそのためである。神風が吹くというが蒙古の時は日本人はアジアに攻めていかない、だからこそ神風は吹いた。その時とは事情が違っているから神の助けはなかったのである。日本という国への過信と奢りが悲惨な結果となったのだ。日本は神国だから絶対に勝つ、努力しなくても勝つとなると宗教になる。神の助けがあるときとないときがある。そこにはやはり神の介入がある。ベトナムにアメリカに勝てなかったのはやはり神の介入があった。時代によって戦争の意味は変わっている。戦国時代の戦争と二〇世紀の戦争は余りにも違っているからだ。日本は回りを海に囲まれているから海が自然の障壁となっているから島国誇大幻想が生まれやすい、となりの国と陸つづきでないから肌で隣の国の強大さを認識できないのだ。一つの小宇宙と化していて陸続きの隣の国が仮想的になりリアリティあるものとして認識できない島国の偏見さがあった。

 
●石油のための戦争だった
 
歴史は連続したものとしてある。明治維新から日本は世界史のなかに否応なく参入させられた。そして過大なものを背負わされまた過大なものを望んだ結果、悲惨な歴史を刻んだのである。日本は小国なんだけど何か常に大国になる幻想を生む国なのである。それが神国幻想を生むことにもなる。また中国が弱体化したとき欧米列強と伍して植民地化してゆく競争に加わった。それが満州でありその満州の権益で欧米やロシアと対立して追い詰められていった。戦争というのもアジアの大義だとか義の戦争だったとかではありえない、石油をめぐる貿易戦争だったとか考えるのが現実的である。そうなると石油のための戦争でありそれは石油文明のための戦争ともなる。つまり文明が必然的に戦争に導くということになるのだ。文明こそが戦争の原因だったとなる。石油なくして現代の文明はない、石油が死命を制するとき人は石油のために戦争して死ぬことになる。日本の国を守るためとは言えない、石油文明のための戦争であった。それは日本だけではない、欧米もそうだったのだ。だから靖国神社に戦死者を英霊として祀るのは疑問なのである。石油文明を守るために死んだのであり日本を守るためではない、石油文明がなければそもそも日本もないし他の国もないからだ。石油文明のために世界戦争が起こるのでありそのために戦い死んだものは英霊とかにならない、それは極めて物質的問題である。極論すれば石油があり文明を享受したい、楽な暮らしをしたいために死んだともなる。石油に頼らなければ戦争にはならなかった。人間の命より石油の方が大事なのである。石油の一滴は血の一滴と言っていたように今もそうである。別に石油だけではない車が人間の命より大事だともなる。車なしでは日本人はやっていけない、車が売れないと日本はやっていけない、失業者があふれ日本は食べていけないとかトヨタは日本の命だとかなる。人間より車の方が大事なのである。車文明であり車は人間の命より価値あるのだ。現実に交通事故があっても車なしでは暮らしていけないとなっているからだ。また石油の代わりに原子力になれば原子力が核エネルギ-がなければ文明は終わりだともなるのだ。
 

あとがき
 
石油のための戦争だった、石油のために命を落とした、献げたとかなるとこれに反対する人はいる。つまりこれはあくまでも一つの意見でありこれに反対するものもある。そこでデベ-トすることは有益である。何が問題点か明確になり白黒がはっきりするからだ。植民地解放戦争だったでもいい、どっちが説得力があるかが問題になる。

2009年12月03日

NHK歴史秘話ヒストリ- 正岡子規を見て


NHK歴史秘話ヒストリ- 正岡子規を見て


●人間は弱いからあわれみの文学が生まれた


正岡子規は自分でも写生俳句を作ってきたからなじみ深い人である。そもそもあの若さであれだけの文学的業績を残したことはやはり天才だったのだろう。俳句でも若いときなどいいのはできないのではないか?40代でもいいのができていない、60代でいいのができたかなというのが自分だった。若いときは普通は血気盛んであり文学に向いている人は少ない、強い人は短歌や俳句や文学に向いていないというとき、体が丈夫だと強い人は自らの弱さを知って謙虚になることがない、俺は病気になったことがないとか何かで自らの弱さを知ることがないと文学に向いていない、文学では体が丈夫で病気をしたことがないという人は山頭火などがいるが比較的少ない、あれだけの旅行したのだから体が丈夫でなくてはあの過酷な旅はできない、でもそれは例外的存在でもある。啄木でも結核になった結果、自らの天才としての傲慢を砕かれて自らの弱さを自覚する短歌を後世に残すことができたのである。三島由紀夫も弱い人間だったが涙ぐましい努力をして強い人間となろうとして不自然な自決となったのである。公的な要素より私的な自決の要素が大きいのである。老醜の恐怖もありそれを公的なもの愛国心と転化されたからその自決は演技的でもあり批判されることになった。

誰でもス-パ-マンになりたい、でもなれない、ス-パ-マンとは異常な人間である。人間には弱さが与えられていることが他の動物とも違っている。弱肉強食の動物とは違う。人間に弱さがなかったら神など信じない、ニ-チェのようになってしまうだろう。ス-パ-マンは自ら神となってしまうのである。それを神が許すはずがないのである。若いときは体も丈夫であり行動に向いているが文学には向いていない、何か表現することに向いていないのである。正岡子規もあれだけ行動的社交的人間だったから文学に精を出すことはなかった。皮肉なことに子規も啄木も病気の結果あの若さで後世に残す業績を残したのである。 病気になると不思議に自然とか人間の共感が起きてくる。病気になるともののあわれが自然と生じてくる。それは自分自身のことではなくても他者の病気でも特に家族が病気になったりするとあわれだとなり同情するから文学が生まれる。姉も体が丈夫であり病気などしたことがない女性だった。それが頭から体から無惨な結果になり最後は病院でうめくようにして泣いて死んでいったとき本当にあわれだったとなる。それまではあわれみを覚えるような女性ではなかった。そういう人はこの世に結構いる。それでも老人になるとどうしても病気になる人が多くなりあわれだなる。そこにあわれみの文学が生まれることになる。
 

●柿の俳句について

子規が柿が好きだったというとき特別なことではない、その頃の果物は柿が一番多い、今のように外国からいろいろな果物は入ってこない、大正生まれの母も柿が好きである。干し柿も好きである。果物でも柿は食べられたからである。子規が柿が好きだったというのではなくその頃みんな柿は好物だったのである。
 
東大寺裏の旅館に泊まっていた子規が夕食の後に柿を食べて居た時、
近くの東大寺の鐘がなったのだそうで
この鐘は「初夜」と呼ばれるその日最初の鐘のことで、

翌日法隆寺を訪ね、
この風景と結びつけ句を読んだと言われています

 
柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺


 

俳句は短いから背景を知らないと深く味わえない、「初夜の鐘」というのもやはり鐘として心にひびくものがあった。これは茶店のようなところで外で柿を食って作ったかと思った。東大寺の近くの宿だった。そのあと法隆寺にしたのである。これはまた漱石の句の「鐘つけば銀杏散るなり建長寺」からヒントを受けたという。こっちは何か明るい感じがする。この句もいい句なのだろう。
 

子規泊まる昔の宿や柿の味(自作)


柿の味は日本の変わらない昔の味なのである。現実に柿はKAKIとして世界で通用しているからだ。 ビジネスホテルで柿を食っても情緒がなくなる。昔風の旅館も当時の風景とマッチしていてこうした句ができたのであり今の時代ではできなくなる。なぜか車の騒音とか様々な騒音の世界であり鐘の音のひびきも今とは違っているからだ。これが江戸時代になるとさらにそうなのである。文学もそれができた背景がありその背景が失われるともうそうした俳句もできないのである 。子規は果物好きだったからこんな句もあった。
 

林檎くふて牡丹の前に死なん哉


これなんかも簡単な何でもない句のようでも死なんかな・・というところが普通の健康な人とは違っている。常に死を意識して作っていたから何でもないようで切実なものとなっていたのである。果物でも林檎でも梨でも食っていた。林檎はその頃みんな食っていたのか?都会だと食えたのか、結構高かったように思う。それなりの収入があったから他の人よりは贅沢していたのだろう。
子規を支えたのは友人でもあったが妹も目立たないが大きな役割を果たした。庭を子規の見やすいように作っていた。庭の花などが慰めだったからである。
 

薪を割る妹一人冬籠もり


この妹は子規の庵を死んだ後も守っていたという、俳句が写生だというとき自分も写生俳句を基本にしてきたから子規の業績が大きいとなる。他に子規がいい句を残しえたのは死を常にまじかにしていたからである。死は常に目の前にあった。だから事物を末期の目で常に見ていたのである。

柿の話
http://www.musubu.jp/hyoronkaki1.htm

 
インタ-ネットにこの柿の話はいろいろでていた。それをNHKで説明しただけである。ただNHKでは映像として話を展開するからわかりやすいのである。

2010年03月23日

インタ-ネットは編集で活きる(インタ-ネットの有効活用法)


インタ-ネットは編集で活きる(インタ-ネットの有効活用法)


インタ-ネットの世界は10年間くらい経過したけどやはり未知の部分が多いしどう対処していいかわからない面が以前として多い、ホ-ムペ-ジ制作して10年すぎている。その間に対話というのをしていなかった。発言されにくいのはわかるがただ一方的発言に終始して10年が過ぎた。なぜ反応もないのにこれほど書き続けたかというと自由に書ける発表できるという魅力が大きかった。ともかく自分の書いたものを創作したものを反応はないにしろ一応社会に発表できることは報道できることは報酬がないにしろ誰でも生きがいをやる気にさせるものである。本を出して発表するとなるとすでに社会的に有力な人でしかできないようになっている。本自体を作るのは今や電子化してそんなに金はかからない、ただではそれを流通させるとなるともはや普通の人にはできない仕組みになっている。だからそうした発表や報道の機会を失われたものはインタ-ネットでやるほかないのである。それが反応があるないにしろそこしかないから書き続けてきたのである。一応アクセス解析などをみるとこの記事が読まれているとかわかるから全く反応がないのとは違う。
 
それからインタ-ネットは必ず他のサイトとかの文を参考にすることが多い、インタ-ネットは必ず編集しつつ創作してゆくのである。ただ膨大な情報に接しても自分なりに編集しなければ活きてこない、インタ-ネットに欠けているのは編集作業である。膨大な情報と発言があっても編集がないからその場限りであり価値を帯びてこない、掲示板でも2ちゃんねるとかだと相手のことはほとんどわからない、どういう立場で発言しているのかもわからない、そしてその人の発言はその場限りで一回限りで終わりであり消えてゆくのである。そこに個人としての存在はない、断片化した部品化したものがあるだけである。つまり情報があっても人間個人は存在しないのである。ほかの掲示板では常駐している人がいて匿名ではこの人はこんな人だとわかってしまう場合がある。でも2ちゃんねるは大衆的発言の場であり個々人は全くその場限りで消えてしまうはかないものとなる。そういうものだとして発言している場でもはあるから批判もできない、実際にインタ-ネットはいろいろな利用方法があるからツイッタ-とかいろいろなものが次々に出てきて追いきれないのである。
 
そもそも見知らぬ人と文章で対話すること自体今までありえないことだった。そこからしてインタ-ネットは理解しにくい、でも明らかなことは編集作業がないと活きてこない、編集する人がいないと活きてこない、それは医療分野だったら医療に特別詳しい人が編集する必要があるのだ。俳句とか短歌とかでもやはりその分野に通じた人が編集しない限り活きてこない、この句はここが良くてここが悪いとか批評が編集が必要である。そうしたものでもなく日常的瑣末な会話でも編集するとそこに発見するものがある。誰かがその会話の価値の重要性を認めることがあるからだ。その価値を認めることが編集なのである。そうでないと価値が認識されないままにただ消えてゆくだけだとなる。こういうことはやはり今までのマスメデアでも出版社でも行われて来た。だからそうして出されたものは読まれるべき見るべきものとされていたのだ。でも一方でそれがかえって一方的に作られた偏向したものとされて批判されるようになった。マスメデアから出版界でも認められないものは全く価値がないとされたからである。だからマスメデアで報道されないものはなぜなのか?報道されないものに重要なものがあった。それは読者が視聴者が判断するものでありマスメデアが判断するものではない、それで誰でも発信できるようになってマスメデアの一方的偏向報道が批判されるようになったのである。しかしまたインタ-ネットでは玉石混淆でありやはりそこでは誰かが編集しないと情報の混沌の中にほうりこまれてしまった感覚になる。それは掲示板とかでもそうなのである。編集すると活きてくるものがある。

  

個人化(Personalization) 個人に最適化されていること
解釈(Interpretation) コピーの価値を上げるための付加価値を持つ情報
具体化(Embodiment) 情報に実体を持たせること
後援(Patronage) 作者との関係性

http://www.heartlogic.jp/archives/2008/03/8_2.html
 

  この文も偶然に見つけた。なるほどと思った。個人化(Personalization) 個人に最適化されていることとはやはりその人が編集してその人にとって何が価値あるか提示することである。それは個々人によって価値あるものは違うのである。解釈(Interpretation) コピーの価値を上げるための付加価値を持つ情報・・・これもコピ-しただけではだめである。それにその人なりの価値づけが必要なのである。
後援(Patronage) 作者との関係性なども大事である。どういう人と人が会話しているのかわからないと他者もわからない、インタ-ネットでは老人と小学生か知らないで話してしいたとか女だったのに男と話していたとか現実にあるのだ。そういう異常なコミニケ-ションすら成り立つのインタ-ネットなのである。たいがい水平化して平行化するのもインタ-ネットである。誰かが特別優れたものとして認めないのインタ-ネットである。でも編集できるのはやはりそれなりに経験を積んだその道を究めた人でないとできない、その人が編集すれば専門家でなくても普通の人の発言も価値帯びることがあるのだ。

自宅に一人でいたのですがパニックに陥り、母に連絡する前に、近所で可愛がってくれていた独居のお婆ちゃんのところに駆け込みました。相手が認知症だという事も忘れて膝元でワンワン泣き崩れてしまいました。 (そのお婆ちゃんは、私が認知症だと分かり御家族に介護サービスの利用を勧め、今は機嫌よくサービスを利用しています。)やはり弱者に立たれた方は、人の痛みを自分の痛みのように感じて下さって、御自分の御主人や御子息が亡くなった時の痛みを何度も話ながら、私の背中をさすって一緒に泣いてくれました。

 
これは玉本様の発言にあった。助けてくれたのは個人でありカルトとかの宗教団体とも違う。自分の場合も一人の近くの老人がかわいそうだなと同情してくれたのである。徳とは愛とは個人的なものである。集団や組織には徳とか愛はない、集団や組織は権力組織であり個人は権力組織に利用されるだけとなる。個人的な徳とか愛はそこにはない、一見つまらないような何でもないようなことに愛があり徳があることを発見する。それは全くオレはオマエを助けてやるんだというとかの押しつけがないのである。このことに注目したことが具体化(Embodiment) 情報に実体を持たせること・・なのである。こういうことはやはり長い文章で相手のことを理解しないとできない、対話からはずいぶん遠ざかっていたが確かにインタ-ネットでも見知らぬ人でも対話が成り立つ、相手のことを知ることもできるし信頼関係も作ることができることを発見したのである。そのために断片的会話ではできないのである。

2010年03月27日

ドラマ-定年ゴジラを見て(老人になることの不思議)


ドラマ-定年ゴジラを見て(老人になることの不思議)

 
●団塊の世代の悲哀
 

みんなゴジラなんですよ、あの頃欲しくて欲しくてたまらなかったのもが色あせてみえる
壊れてしまってもいいものに見える

 
ここでビ-トルズのミッシェルが流れている。団塊はビ-トルズの世代である。でもなんだか役者は団塊より十年はふけているように見える。まあ、六〇代になると一〇年くらいの見た目の年齢差がある。でも六五才前まではまだ働いている人が結構いるからあんなに老けてはいないだろう。ただ同級生で背中がエビのように曲がっていた人がいたのには驚いたがあういう人はほとんどみかけない、ニュ-タウンとか団地はすでに高齢化して歴史になりつつある。すでに団塊の世代は老人の悲哀を味わう世代になったことに深い感慨を覚える。
この言葉は何も団塊の世代だけに言えるのではない、老人になればみんな経験してきたことではないか?美しく若かった青春ははかなく消えてあとは老残の姿だけが残ることはくりかえされてきたことだからである。ただやはり団塊の世代が一つの時代を残し高齢化しているのだ。
そこにいろいろな人がいて人生を刻んできた。戦争を知らない世代の高度成長時代を経験した団塊が過去のものとなりつつある。これもくりかえされてきたことである。しかし現実に自分自身が老人になってみることは老人になってみないとわからないのである。老人になることは老人になってみないとわからない不思議な経験なのである。ジジババをひっこんでいれとかなっているがそういって若者もまもなく同じ立場になるのである。でも会社勤めをして会社に価値のすべておいた人生が今になると虚しいものとなる。でもどんな時代でも老人になればただ無常、儚さを覚えるのが常である。ただニュ-タウンとか団地とか団塊の世代の特徴がありそれが今や過去のものとなりつつあることが同世代として共感する、だからこうした過去を回想するドラマとか音楽とかそうしたものはノスタルジアとなり老人に受けるものとなる。今や団塊は過去をなつかしむ時代になったのだなとつくづく思う。ただ自分はそうした家族とか会社とか全く無縁のアウトサイダ-だから今老人になったときそういう会社人間や家族人間が何であったのか理解できない、つまり世間の垢にまみれることがない人生だったのである。それは全くそうした人たちとは違っている。一般的には老人はあのようになっているのが普通なのだろう。ほとんどの人が会社人間で一生終わり家族人間でマイホ-ムで終わっているからである。その意味はあるないにしろ共通しているのだ。
 
●青春時代の過ちの怖さ
 
でもせっかく築いてきたものをゴジラのように壊したい、壊してまた一からやり直したいというのはわかる。それは切実なものである。もはや時を取り戻せないからである。これが人生の厳粛さであることを知らない、若い人も知らない、人生の浪費が老人になり恐ろしい悔恨となる。そして意外と青春であれ一生は鮮やかに記録されているのだ。忘れると思ったらそうではない、老人になるとかえって生々しく青春の放埒さ無謀さなどが蘇ってくるのだ。青春時代のことはなかなか忘れない、だから青春時代を節制しないで放埒に過ごした人は相当後悔する、もはやとりもどすことができないということが老人になることの残酷さなのである。顔にしてもその人の人生が刻印されていてもはや変えることができなくなる。人生は何か必ず記憶されるし記憶は消えない、過去のことでも記憶されている。老人になるとかえってその記憶が蘇るのだ。自分の一生は何だったのだろう。?こういうことがかえって強く意識されるのだ。罪も例え法から逃れても記憶されている。カインの顔に刻印されたように記憶されているのだ。そして老人になったらもはや刻印されたものを消す術がなくなる。こういうことが老人になる残酷さなのである。
 
青春時代とか若いときは罪とか不埒なこととかいろんなことをやり放題だけどあとでそういうものが記憶として蘇るのだ。その時後悔しても取り戻すことはできない、人間は非常に人生を罪などを軽くみているのだ。そもそも無我夢中で生きているのだからそんなことを老人になってから意識される、記憶が蘇ることなと考えない、でも不品行などは実際悔恨となって蘇ってくる。法に触れなくても自ずから罰せられるのだ。老人はなんであれ人生の結果として現れるのである。若いときなら偽ることもできたが老人になるとできないのである。青春時代の過ちというのは相当にあとあとまで尾をひくのである。カルト宗教団体などから早く手をひかないと結局人生そのものを悔恨に終わらせることになる。もはや手遅れになってしまう。でも現実は多くの人がカルト宗教団体に入って一生を終わる。その人たちの人生は過ちの人生だったとしてももはやとりもどすことができないのである。老人になると人生の総決算が起きてくるのだ。総決算して死に向かってゆくのである。死の前に人生の総決算が起きてくるのだ。あなたの罪はあばかれ隠すことはできない、あなたを苦しめるのである。「悔い改めなさい」というが老人になってはできないように思う。すでに時遅しとなっている。カインに刻印された殺人者の罪は消えることがない恐怖なのである。人間の体さえ先天的なものではなく後天的に作られる度合いも大きいのだ。顔に責任をもてというが体にも責任をもてとなる。病気は生活習慣病が基でなっているのが多いし認知症も明らかに生活習慣病の側面がある。退職後なまけているとなりやすいことは確かだからである。こうしてあとで迷惑をかける老人になることは若い世代の負担になることはまた罪なことなのである。

2011年01月19日

推理小説のドラマを毎日見ていて(犯罪に時効はない-死後までつづく)


推理小説のドラマを毎日見ていて
(犯罪に時効はない-死後までつづく)

最近推理小説のドラマを毎日見ている。BSで毎日放送している。推理小説など読んだことないが今一番面白いのは推理小説のドラマである。なぜなら一番現代の現実を反映しているのが推理小説のドラマだった。複雑な社会ではあるけどその複雑ななかで巧妙に犯罪は起きている。今日もドラマである人が殺人の現場を目撃されてその目撃した何の関係もない高校生も殺してしまった。それで高校生の親が復讐のために殺した。その殺人犯は悪いと思っていたから殺した現場に命日に花を捧げていた。そして時効がくるとき高校生を殺された親は殺した人を花をささげにきたとき殺害した。その言い分は自分は供養してきた、自分は時効になる。これで解放される。自分は苦しんできたとか言い訳を言っていた。それに怒って親は殺した。この犯罪者は良心で苦しんでいたから花を捧げにきていた。でも実際はそんなことで軽いことで罪も許される逃れられると思っていたのだ。それに怒って親は殺したのである。犯罪者は自分の身を守ろうとする、自己保身に走る。やはりどんな犯罪を犯しても人間は一番自分がかわいいのである。自分に対しては一番甘いのである。


自分もそれとにたことを経験したので推理小説が生々しく身近に感じられたのだ。犯罪者を許すと書いたが犯罪者は反省するにしても自分を甘くしか反省していない、本当に反省するなら花をささげるくらいですまないことはわかっている。自らの気休めにくらいしかなっていない、その被害が余りにも大きすぎるからだ。盗難にしても盗難された金はほとんど返ってこない、それはたいがい使ってしまうし返したくないからである。反省する心より自己保身が第一になるからだ。だから犯罪者を許すというとき一方で納得いかないものを感じた。犯罪でも重大な犯罪になればなるほど反省することはむずかしくなる。人を殺したとなればその人は返ってこないのだから被害者にすればその怨念は晴れない、その犯人を殺してやっと心も晴れるがしかし殺された人はもう返ってこないのだから深刻である。犯罪を犯すというのはその罪の大きさに比例して反省したり悔いる事は困難を極める。犯罪はとりかえしのつかない面があるのだ。なぜなら犯罪を犯して素直に謝っている人などいないからである。 それだけ一旦犯罪を犯すともうそれを修復することすらできなくなる。なぜなら殺した人の命は返ってこないからである。金なら返ってくるということもあるが実際ほとんど返ってこない、自分が欲しくて欲しくて盗った金だから返したりしない、自分のために使って返したりはしない、人間はやはりどこまでも自分がかわいいし自己保身なのである。


では犯罪者にどう対処したらいいのか?犯罪が明るみに出されて罰せられているのはごくわずかである。あとは明るみに出されないしそういう人でも平然と何食わぬ顔で社会生活をしている。善人を装っている人もいる。結局証拠がなくて罰せられなければそうなる。誰もわからないからである。おそらくこの世ではそうして何食わぬ顔で罰せられずわからずに普通に社会生活が送れる。もう時効になるんだから証拠もないんだから自分は罪から解放されるんだと勝手に自己の都合いいように解釈する。犯罪人は簡単に罪を認めたり悔いたりしない、第一に自己保身と自分の利益を考えるからである。犯罪となればそれ償うとなると大変な労力が要求される。殺人だったら償っても償っても償いきれないものだからその重荷は背負いきれない。だから償いをしようとしても花をささげたくらいで良心の呵責から逃れようとしている。それはそれで多少とも反省があるのだからいい。でもただそこには自己保身の安易さしかないのである。自分の罪の重大さを感じていない、自己保身が自己利益が先であり償いは簡単なものとして終わらせる。
つまり罪を償うにしてもあまりにもその負担が大きすぎてできない、そこに犯罪にほとんど償いがない原因なのである。


だから犯罪者について相手にそうした反省がないとき自分で許すといったのは変だと気付いた。ただ自分では憎しみとか恨みの感情をもちたくなかった。許すと言ったときその罪自体は許していない、実際は反省していないのだからこの推理小説のドラマと同じように償いはせいぜい花をささげるくらいだからである。それですむはずがなくても犯罪者はそんなことですむように思う。それも自己保身、自己利益から逃れられないからだ。でも犯罪者でも罰せられない人は本当に多い、警察沙汰になり表に出てこない犯罪は多い、それも大きな犯罪でもそうなっている。行方不明者が毎年一万にくらいいるとしたらその中で殺人になっている人もかなりいるからだ。表にててくる犯罪は一部である。多くの犯罪は隠されたままになっている。それは今だけではない昔からそうなっていたのだ。


東京都23区、大阪市をはじめとした五つの都市を除いて、日本には「監察医制度」が無い。だから変死体が見つかっても、多くの場合は適当な検死で事故や自殺と判断され、多くの殺人事件が見逃されてしまっている可能性がある。つまり、罪は必ず暴かれるというのはウソであり、我々が思っている以上にこの世の中には完全犯罪が多いということだ。

一億総犯罪者予備軍
http://d.hatena.ne.jp/dog-planet/20080625/p1


そもそもこの世の犯罪など昔から裁ききれなかった。裁かれない犯罪の数は過去から数えれば膨大である。つまりもうすでに犯罪は人間の力では裁ききれないのである。罰せられるのはごく一部だとすると犯罪を罰しうるのは神しかない、もしそれがないならこの世は無法地帯になる。


では犯罪というのは罰せられないのか?それで実際に不満が大きくなっている人いる。そういう人はどうしても自分で恨みを晴らしたくなるのだ。警察だけではどうにもならないからそうなるのだ。警察でも証拠が明確でないと動かない、すると証拠がないですべてがかたづけられていたら被害者でもやりきれなくなるから私的復讐になってしまうのである。仇討ちという私的復讐を公認性にしたのもそのためである。いづれにしろ犯罪に時効などありえない、被害者はそれではたまらないからだ。でも結局誰がそうした罰せられない犯罪者を罰するのか?それは最後はその人の良心と神しかない、「死後裁きにあう」とはまさに犯罪には時効がないことを言っているのだ。この世ではまねがれても死後はそうはいかない、死後に裁きにあうということは実際は恐怖である。なぜなら生前なら犯罪を改める、悔いて反省できても死後はもうできないからである。それを深刻に考えないから簡単に犯罪を犯してあとは自己保身利益で逃れ平然として暮らしている。犯罪は死後までつきまとう、もちろん裁きにあうというとき犯罪者だけではない、その裁きは神のみが行える裁きである。だから間違うことはない、人間は裁けない、その人の罪はわかっていても裁けない、その軽重もわからないし裁くことは神の権限であり人間にはないからである。裁きというときどんな善人もやはり罪があるのだから裁かれることになる。犯罪者のように明確な罪でなくても隠された罪も露にされ裁かれる。人間が裁けないというとき人間は一人も罪がないという人はいないからである。罪なき人が打て・・・とキリストが言ったとき誰も打てなかったからである。「死後裁きにあう」ということがなけれは人間の世界は本当に不公平なものとなる。裁きというとき必ず自分にも向かってくるものである。だから神が裁くのであり人間にはできない、裁判官も自分が今度は裁かれるのだと言ったそうだが裁けないのに裁いたからそう言ったのだろう。

2011年07月07日

BS歴史館 発見!戊辰戦争「幻の東北列藩・プロイセン連合」を見て


BS歴史館 発見!戊辰戦争「幻の東北列藩・プロイセン連合」を見て

今回のNHKの番組は興味深かった。明治維新や戊辰戦争のことは良くわかっていない。会津では落城のさい資料を全部燃やしたというのも確かな証拠が消失した。その証拠の一つとしてドイツ-ビスマルク時代のプロイセンの資料が残っていた。プロイセンに北海道を植民地として会津と庄内藩が売り渡そうとしていた。目的は武器を手に入れるためであり薩摩長州軍に対抗するためだった。スネルは武器商人であり会津藩と接近した。それは日本が幕末に欧米列強に分割統治されるような危機にあった。それで攘夷運動が起こり外国人排撃が起こった。佐幕派も起こり勤皇派も起こりと混乱する。ここから日本の歴史は世界の歴史の中に参入した。そのことが後の大東亜戦争に通じていた。なぜなら高杉晋作は上海に言って中国の惨状を実際に見聞した。中国は欧米列強に食い物にされていた。分割統治されていた。日本も中国と同じにされると危機感をもったのである。阿片戦争もそうだった。中国はその後も欧米列強やあとで日本も参入することになった。世界の権益争いが中国で起こったのである。明治維新からの富国強兵とか欧米列強に対抗するという国造りは大東亜戦争までつづいたのである。そのはじまりが明治維新の時の戊辰戦争にあった。日本が中国のように欧米列強に食い物にされるという危機感が出発点でありそれは大東亜戦争までその根底に流れていた。だから今でも大東亜戦争を肯定する右派は欧米の植民地からアジアを解放する戦争だと理由づけている。


プロイセン人武器商人シュネルという武器商人が会津藩と接近したのも欧米列強との特にフランスとの対抗意識だった。実際にヨ-ロッパではフランスと争っていた。それは韓国の百済派と新羅派が日本で争ったという説が古代にあるようににている。明かに明治維新の時もそういうことが起きた。先進文化が欧米にあり特に武器は進んでいた。それで長岡藩の河井継之助が・ガットリング銃を買って薩長軍に抵抗できた。そして会津藩は山国の閉鎖された国際性のない藩だとされていたが実際は国際的視野をもっていた。プロイセンと外交交渉して薩長軍に抵抗しようとしていた。本当にこれは意外である。確かにロ-カリズムであり会津藩は遅れをとったということが言われてきた。今回の番組では会津藩は国際的視野をもって薩長軍に対抗していた。それがプロイセンと組んで薩長軍に対抗することだった。その説明が興味深いものだった。


ドイツ人のという人が北海道開拓に最初に入った人だったことも知らなかった。北海道の産物はドイツの食卓と同じだった。ジャガイモを主食としたものや麦はパンとビ-ルでありとかその食生活は酷似していた。北海道は日本では米作りできないから不毛の地と見ていたがドイツ人だった
アイルランドは牧畜やジャガイモ栽培では適地と見ていた。北海道産のジャガイモは男爵とかうまいものがある。ジャガイモは寒冷地に適していた。イギリスでもドイツでも寒い地域なのである。だからこそアイルランドではジャガイモ飢饉が起きた。ジャガイモばかり作って飢饉になったのだ。北海道の良さを見出したのは最初は外国人だった。アメリカのクラ-クはそのあとに入ってきた。その後も会津藩の人がアメリカに開拓のために移住していたことは驚きである。

ゲルトナ-ががワカマツコロニ-を作っていたが風土にあわずもっていった種が水不足で実らないなど失敗した。 湿潤の地の日本とは風土が違っていた。満州でも米を作ろうとしたように日本人はどこまでも米を作ろうとする発想になる。米にこだわるが欧米は米は念頭に全くない牧畜が主流だから発想が根本的に違っていたのだ。北海道にも田はあるけど異質な感じになる。北海道の風土には田はあっていないのだ。一面に咲いているジャガイモ畑の花がにあっているのだ。


蝦夷(北海道)を旅した「イザベラ・バード」は、「日本はどこもかしこも誰かの土地で、焚き火も自由にできない。しかし、北海道なら、どこでも焚き火ができる」と書き残しているくらいである。

これは面白い指摘である。日本を旅してキャンプして野宿することはめんどうである。誰かの土地に田か畑でも誰でもない土地はないのだ。北海道を旅して便利なのはキャンプする場がある。今は誰でもない土地ではないにしろそういう場所が比較的見つかりやすい、キャンプ場以外でもそうい場所がまだある。


明治維新と大東亜戦争は底流でつながっていた。欧米列強に対する対抗心が日本ではつづいていた。それが中国の権益争いとなり戦争に突入した。だから今でもアジアの植民地解放戦争だったとしている。それは明治維新の攘夷の思想がつづいていたためである。明治維新を見れば大東亜戦争も予測できたかもしれない、そういう大きな歴史の流れがつづいていたからである。欧米列強に対抗しようとしたとき背伸びをしなければならない、それが大東亜戦争の敗北に通じていた。今はヨ-ロッパは衰退して中国が大国化するときアメリカと連合を計る。でも中国が巨大化するとその圧力に日本は苦しむ。そういう大国との狭間で苦しむのは世界の歴史ではある。小国は分断され苦しめられるのだ。日本もまたそういう歴史の苦しみを経験したのである。これからもやはりそういう立場にあり今度は中国やロシアやアメリカの圧力に苦しむ。


会津藩・庄内藩による日本国ポーランド化計画
http://nakamura-syounika.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-9b41.html


これを読むと会津藩と庄内藩は藩意識が強すぎた。自分たちの藩ばかりを死守しようとしていた。それは明治維新の時は藩が国だったのだから藩という意識からぬけだせなかった。日本という大きな国の視野にたつことができなかった。北海道は会津藩とか庄内藩があづかったものでその藩のものではない、日本のものだったけどそういう意識がなかった。
明治維新を規定すれば藩なくすこと、侍の身分をなくすこと、この二代改革のための革命だった。だからこそ藩と侍身分を残そうとした西郷隆盛が率いる西南戦争が起きたのである。その時国民軍として加担したのが会津藩士だったということでもわかる。会津藩士も結局は侍身分を会津藩ということを捨てて日本国民軍として戦った。薩摩長州に対抗するという意識はその時なくなっていた。薩長に踏みにじられた会津藩士だから復讐の念があったというより国民軍として戦ったのである。

会津藩のヒロイズムは会津藩だけにとどまるもので日本全体を視野に入れたものではなかった。会津はただ薩長にふみにじられたとういい怨念だけでは歴史は語れない、何故なら西郷の西南戦争もやはり侍や藩を維持しようとするものと侍や藩をなくそうとするものの戦いになったからである。つまりロ-カルヒロイズムでありナショナルヒロイズムとはならない、そういう問題は国と地方の政治とかでも常に起きているし東北の復興問題でも起きているのだ。
 
 
 武器にまつわる話(京都から遠かった長岡-会津藩の悲劇)
 http://www.musubu.jp/jijimondai21.htm#weapon

2011年12月21日

年の暮(整理しきれない本-文章を書くコツ)


年の暮(整理しきれない本-文章を書くコツ)



冬の暮電車通りぬ一区間


町中の墓所のそば冬椿


年の暮整理しきれぬ本の山

今日は電車が原町-相馬市間で開通した。八カ月ぶりだった。でも相馬市から仙台までと磐城までが開通するのはいつになるのか?磐城は原発事故で開通できない、津浪の被害は線路にはないから原発事故の放射能問題が解決すれば開通できる。それも先が長くなるのだろう。放射能問題は先が長いのである。三十年で廃炉とかなんとかその長さが問題になった。相馬市から先は津浪で駅も流されずたずたになったから別に線路を作るとなると五年はかかると言われている。これも先が長い、バスは相馬市から三十分おきにでているから電車で行けるから改善した。電車が通じないとやはり遠くには行きにくくなる。そもそも自分もの場合は遠くに行くことができない、誰も代わって介護などしてくれない,介護などでも人に頼むとなるとどれだけ大変なものか身をもってわかった。あとでいろいろ大変なことになる。だから簡単には頼めない、だからどうしても自宅で楽しむためにテレビを大容量で記憶するレコ-ダ-を今日買った。テレビもその時間でみるよりは記録したものを選択してみるようになった。ちょっとパソコン化している。テレビでもそうだが情報の整理に追われている。

テレビですら実は自分なりに編集するとそれが一つの意味をもってくる。編集というのは映像ですら必要だった。テレビの番組をただ一方的に見ていると洗脳されるのである。そしてテレビだけではもはや情報がたりない、もっと専門的に詳しく見ようとしたらインタ-ネットで調べたり解説が必要になる。自分の得意分野でテレビの解説ができる。テレビは大衆にわかりやすいようなものしか放送しない、もっと詳しく専門的になるとどうしてもインタ-ネットでも本でも解説をさらに加えないと深く知ることはできない、その作業がめんどうなのである。BSもテレビでは多少専門的になっているがやはり視聴率をとるということから逃れられないからどうしても大衆向きから逃れられないのである。


読書のコツは何かというと自分の経験では奇妙だが本を読むことではない、自分のテ-マとか自分の研究をすすめるためにはそれに関した本を集めることであった。一定数の本を集めない限り自分なりのものは書けない、たいがい本を出している人は小説家でも学者でも一定数の蔵書をもっている。有名な小説家だったら一軒の家を書庫にするくらいもっていた。司馬遼太郎みたいなるとしたらそうなっていた。図書館があるからいいではないかというと図書館でも自分の関心のあるものがあるわけではないのだ。そして思考しながら読むというなると自分の家が小さくても図書館になっていないと自分なりのものは書けない、本というのは一冊だけ読んでは自分なりのものは書けない、それに関してのかなりのボリュ-ムの知識の集積が必要になってくるのだ。

そして今近江商人というのに興味をもって知識を集積しようとしたら自分の集めた本の中にあった。それらを編集すれば自分なりのものが書ける。それを次にプログで紹介しよう。本というのは厚い一冊を全部読むのではなくその中の一部が自分なりに表現しようとするとき必要になってくるのだ。それを自分はインタ-ネットで引用して編集して発表してきたのである。ただインタ-ネットにはまだ専門的なものがそれほどでていない。

本には膨大な知識の集積があるのだ。ただどこにあるのか意外とわからない、だからそうしたそれぞれの分野でのテ-マをもって調べるときそれなりの本が必要なってくるのである。本の問題はキ-ワ-ドでは調べられないことなのだ。インタ-ネットだったらキ-ワ-ドで調べられる。でも近江商人を調べるならキ-ワ-ドで本を検索して集め読む必要があるのだ。何か研究する場合、本一冊をまるごと読む必要はないのだ。部分が編集のために必要なのである。だから本をぱらぱらとめくりこれは自分の文章に必要だというときマ-クしておくのでただのべつとなく本を読むことは効果的ではないのだ。


ともかくいろんな整理があり整理しきれない、家のことも全部自分一人でやっている。家事も一人でやるとなると大変である。家計から食事の用意から洗濯から掃除から全部自分一人でやることは大変である。だから整理がつかないのだ。そして知識は何かで活かさない限り活きてこない、原発とか津浪とかのテ-マで知識を活かそうとするとき知識が活きてくる。そういうことを津浪や原発事故で書いてきた。すでに原発事故のことだけで大変な知識が必要であった。とても一人では手に負えないものだった。でも現実問題として自分にもふりかかった問題だからなんとか知ろうとした。知識は何か切実なものとして知る必要ができたとき活きたものとなるのだ。病気だってわからないなりに自分の問題になればみんな真剣に知ろうとする。その時むずかしい医学でも科学でも法律でも知ろうとするのである。原子力発電は最初から科学者でも危険だと警告していた人はそれなりにいた。三十年前とかからいたのである。そういう本は残っている。でも大きな声とはならなかった。そこが一番の問題だったのである。

なぜ大きな声とならなかったのか?危険を警告しても大きな声にならなければそれは意味をもたなかった。本を出して警告しても大きな声とはならず見逃されていた。一般の人はむずかしいから関心がなかった。自分なども近くても30キロ圏外であり遠いと思っていたのである。それは事故になってはじめてこれだけ広範囲に影響することを身をもってしった。ともかく大きな声にならなかったのは結局情報は権力によって操作されたものしかでてこない、原発が危険だという声は大きくさせられなかったのである。それはすべてのマスコミも加担していた。福島県の新聞であれ雑誌であれ全く警告もしていない、だから前の福島県知事の佐藤栄佐久氏が原発村に逆らったのは重大なことだった今になって知ったのである。あとは原子力村によって情報は操作されていたのである。


ともかく今年も終わろうとしている。なにかやと疲れた一年だった。すでに五年間ふりまわされた。まあ、自分が病気にならない限りこんなことはなかった。健康ほど大事なものはない、健康でありさえすれば困難もなんとか乗り越えられるのだ。健康がなくなったときすべてが崩れてしまうのである。だからすでに健康ではないのだけどなんと健康でやっていけることを祈るほかないのである。

2012年01月06日

本の読み方 (本は読むとは著作者の心を読み自分なりに解釈すること)


本の読み方

(本は読むとは著作者の心を読み自分なりに解釈すること)


●引用は極力すべきではない


繰り返すが、「自分の言葉」を使って、自分の疑問とその答えを中心にして要約文を書かねばならない。やってはいけないのは、本文の文章をそのまま使うこと。これは、やってはいけないよ。
http://www.osaka-kyoiku.ac.jp/~shakai/seiyosi/howtoread.htm


本は読むより読まれているということが多い。本を読んでもびっしり大事な所に線をつけたりしていたがそれも無駄だった。本は相手ののみこまれ読まれてしまうのが多い。若いときは結局、経験もないのだから相手の言いなりになる。知識の量も経験もある人にただ読まされることになる。それは別にすべて悪いことではない、いいことを言っていれば記憶に留めるのは悪いことではない。でも読書はカルト宗教団体に入るとにている。一方的になりやすいのである。引用することは相手の言っていることをそのまますることであり自分なりに解釈したものではない、自分の文脈で解釈していないのだ。引用は確かに効果的になることはある。自分も引用したが自分なりの解釈をしていない引用もあって失敗だった。インタ-ネットでは何でも軽く書いていいから書いたがもっと要約したこれこそ自分が言いたい核心だいうものを書くべきだった。それは今からでも手直してインタ-ネットでは書ける。読書も相手の書いたものを自分なり読むということが大事なのだ。相手のペ-スのままにすべてただ自分が読むのではなく読まれてしまうのが読書には多い。


●他者の基準が基準になり安いこと


古典でも絶対化してはいけない、古典にはどうしても読まれてしまい自分の解釈ができにくい。それだけ中味があるのだから自分のようなものには自分なりの解釈はできないと思ってしまう。人間は結局、すべてのものは自分なりの価値づけするほかない、どんなにベストセラ-で売れていようが知的分野や芸術とかの分野では自分が価値の基準になってしまうのである。そんな能力は自分にはないといっても現実的にはそうされてしまうのである。だから絵画でも詳しくない人は他人の基準に従うのである。ベストセラ-を読むのは他人の基準に従う人が多いからである。みんな買って読んでいるからいい本なんだよとなる。これはカルト宗教と同じである。みんな入っているあれだけの数の人が入っているのだからそれだけの価値があるとなる。数で判断されているのだ。それに疑問を抱いても考えたり調べるのがめんどうになるからそうなる。第一カルトなどは権力をもっているから批判した本が極めて少ない。批判した本を本屋に置かさせないのだ。それだけの力をもっている。

原発事故でも原発に反対する本はあっても隅に追いやられていた。反対の学者もマスコミに呼ばれて声高に主張できなかった。もっと創価でも真光でも幸福の科学でもこれはカルト団体で権力を操作することを目指しているとかそういう批判の本は出ない、出せないようにしているのだ。書店はまた売れない本は置かない、カルト宗教団体では金があるからその会員が買ってくれるからお得意さんだとなる。ある時大きな書店は「幸福の科学」の本が入り口に山積みになっていた。一番目立つところに置かれていた。一般人はなかなか買わないにしても会員が大量に買えば売れるものとして置かれている。


●時代が変わって理解しにくくなる理由


ともかく古典でもそれがどういう価値があるのか、解釈すればいいのかは自分で価値づけるほかないのだ。そういう作業がないかぎり古典も活きてこない、権威ある本となっていてもそうである。古典というときそれはなぜ古典になるかというと時代の影響がある。どうし現代では芭蕉のような深みのある俳句ができないのかと不思議であった。それは現代の環境と江戸時代の環境が余りにも違っていたからだ。第一車もない、電気もない世界だ、高層ビルもない、鉄道もない、音もほとんどしない世界だ。そういう世界で今とはまるで違った感受性が磨かれた。現代は感受性は自然に対しても歴史に対しても乱れ悪くなっている。「須磨寺や 吹かぬ笛聞く 木下闇-芭蕉」どうしてこの笛の音が聞こえてくるのだろうか?芭蕉は自分の生きていたさらに過去の人に同情して深い俳句を作っている。現代は過去から聞こえるものも騒音とかで打ち消されているのである。古典は明治時代のもの古典になっているけどやはり明治時代は江戸時代の延長であり江戸時代の感受性がまだ残っていたから古典として残った。その時侍のことを具体的にリアルに理解していた時代だった。だから武士道なども書けたのである。武士が何であったのかまだ父とかが侍だったとかなればわかるのだ。

それが現代になると理解しにくい。司馬遼太郎は明治維新のことを書いているけどやはりまだ明治を知っている世代だから書けた。一時代あとの人は客観的にその前の時代を評価しやすいということがある。祖父母や両親の時代は具体的に理解しやすいからだ。時代が変わると団塊の世代すら理解しにくいものとなるだろう。あれだけの戦争のことをなかなか理解しにくいのもそのためである。時代に流されない人間の真実を書いたのが古典である。だから人間の不変のものとして残った。戦争が理解しにくいのは太平洋戦争などは参加した人ものちの人も否定的にとらえている面がどうしても大きいからだろう。明治維新については盛んに語られるのに語られないのは肯定的ではないからだろう。現実に80代でまだ戦争に参加していた人はかなりいてもなかなか語られないのは参加した人も否定的になっている面があるからだろう。人間は年取っても過去を語りたくない人はいくらでもいる。過去はみんないいものではないからだ。過ちと罪の悔恨だったのが普通だからである。ただ75才以上の人には日本人的な心情で共通したものがあり貧乏でも何かまだ誠実で素朴な人が多いようだ。70以下辺りになるともう日本人的心情の素朴さは喪失した。ギブミ-チョコレ-トの時代になり進駐軍からアメリカから物、金だけを要求して自らも追求する時代になったから団塊の世代と変わりない、金しか価値を認めない世代になったのである。


●本は読むより眼を通すという読み方が最善


本はじっくり確かに読む必要があるものもある。でも長い本は結局読めなかった。なぜなのだろうか、おそらく長い本はそれだけ労力がかかるからだろう。長い本は相手を読むことがむずかしく読まれることが多くなるのだ。相手のペ-スにのまれてしまう。あなたはこちらの言い分を全部読んでから何回も読んでから著者のことを語れよとなる。そういう本と人とつきあうことは骨折れるから全集などいろいろ買ったが積んどくで終わった。どんな本でもその本の全部を理解することはできない。部分的には理解できることがある。自分の今の本の読み方は読むというよりはさ-と眼を通して自分にとって必要なものをピックアップして利用するという感覚になっている。だから長い本はなかなかそうしにくいから読んでいない、でも一部が利用できなるなと思うとそこだけを記憶して利用する読み方である。だから一時にあるテ-マに関したことを十冊くらい手にとり眼を通している。それは読んでいるのとは違う。自分なりに新たに再構成するために読んでいるのだ。


ただあるテ-マで書くときどうしてもそれに関して深く知りたければある程度の多くの本を参考にせねばならない、なぜなら人それぞれに必ず詳しい分野があり専門家がいるからそうなる。とても自分だけでは解釈しきれないからそうなるのだ。でもいくら専門家が語っても自分なりに解釈しない限り本も宝の持ち腐れだった。家が傾くくらい本をもっていてもそうだった。本を買うだけで知識がふえた感覚になっていたのだ。本はもう装丁とかにこだわるより中味が大事である。装丁とか表紙の部分で重くなっているのだ。
本は重くなりすぎているのだ。本は写本のように秘密めいて情報を独占するようなものとしてあった。本はあくまでも知識を伝えるものであり紙に書いた活字で伝えるのと電子本でもインタ-ネットでも伝えることは変わらない、すると効率的に読書するには電子本でも電子化してもかまわないということである。それで内容には変わりない、内容の有る無しは決められない、その価値づけは読書する方がすることには変わりないのである。


最近ニ-チェとかマキャベリでも要点を書いて解釈している本がでているけどあういうのが受けるのは結局全部読めないからである。それでもある程度はその本の趣旨を説明しているので読書になる。でもそういう古典的なものは人によっていろいろ解釈できるのである。ある人がある部分をとりあげある人がある部分をとりあげる。自分でもニ-チェとかマキャベリでもそうした要点をとりあげて解説できる。10人いたら10人の解釈があるのだ。本になるとそれが何でも権威化して特権化するから偏るのである。ある人の解釈は参考になっても自分なりの解釈をしないかぎり本を創造的に読んだことにはならない。ただコピ-しているだけでは読書にはならないのだ。

指標は我にあり汝にあり、集団にはなし

2012年02月26日

家のもっている(家霊)の力 (NHK-家で死ぬということ-を見て)


家のもっている(家霊)の力

(NHK-家で死ぬということ-を見て)

今日のドラマでも家に執着して家で看取られ死んでゆきたいということをテ-マにしたドラマを見た。今どこで死ぬのか死にたいのかということが問題になっている。たいがいは今は病院で死ぬ。
このドラマでは病院で死ぬのがいやで自宅で死ぬことを望み自宅に帰り死んだ。その場所は白川郷でありドラマとして設定した。あそこの家は合掌作りで有名だから選ばれた。代々人は家で看取られ死んだ。だから家への思いが強い。家がそれだけ重みをもっていたのは養蚕などで家が生産の場になっていたからである。白川郷の合掌作りは二階、三階が蚕を置いた。そういう作りは今でも阿武隈山地でも残っている。家の重みは社会の変化と共にあったのであり家族関係も社会の変化によって変えられたのである。農家だったら江戸時代だったら前田とか門田が中心となり生活があった。だからこそ前田という地名が多くそこが家の中心であり村の中心であった。そうして代々生活してきたから家に重みがあった。今は働く場所がみんな家の外になったとき家の重みがなくなったのである。みんなサラリ-マンになってしまったのである。家の重みは家族だけでも作られなかった。村では屋号がついた家が多いのはそこが一つの会社のようになっていたからである。商人でなくても農家でも屋号が名前代わりになっている。ドラマでもそうだった。ただ白川郷は観光地として栄えているのだからその様子は今や現代社会を反映したものとなっているから現実は違っている。外からの人を大量に受け入れて成り立っているのだから変わらざるをえないのである。



家霊は、
住む人の思いで力が強まっていきます。

つまり、自分の家に感謝したり、
自分の家を誇りに思ったりすることで、
力が増していくのです。


住む場所の持っている運気と合わないときは心がソワソワして精神が不安定になる体がに不調を感じる・一人でいると誰かに見つめられているような感じがする・家の中に誰かがいるような人の気配を感じる・家に帰ると気持ちが沈む・極端な場合、家の中に誰かがいて姿が観えるような現象を訴える人もいます。これらの現象は前に住んでいた人の念の作用によることが多いものです


建てた家の階段を上り降りするとき人が横を通り抜けるような気配を感じると相談に来た人がいす。大工さんの両親が亡くなり家を建てているとき悲観的な念を家に込めてしまったのが原因でした。家を建てる大工さんと人間関係は良好にしておくと良いでしょう。
http://www4.ocn.ne.jp/~sti5mti5/toti/toti.htm

 


家というのには本当にその家に長く住んでいた人が以前としている。病院で死んだりしても病院にその人はいない、でも家には確かに死んだ人が以前として霊としてでも住み着いている感じがするのだ。自分の家は築40年以上すぎている。事情は複雑だけでこの家は姉が重に建てたものでありその思いがこもっている。柱は橲原の同級生のキコリの人が太い柱として材料を提供してくれたことを何度も言っていた。白川郷でもユイという組織があり家は村の人が全員で茅葺きの家を作っていた。とすると村人全員の思いが一つ一つの家にこもっている。村人全員の心がこもっていることになる。今日ニュ-スで二本松油井字中田とかあるがこの油井は結いであろう、鎌倉の海岸の由比もそうだろう。
千恵子の家も由比地域にあった。日本全国で村にはユイがあった。 ここで大工さんのことが出てきたが大工さんの念が影響したというのも確かに家作りにしても人間がするのだから大工さんの心の状態が影響するということがある。でも今は家はプレバブのように組み立てる家が多くなったからあまり大工さんのことは考えない、ただ人間のかかわりは単に物を買い売るという貨幣関係だけでいなものが必ず生じる。そこに心の問題が生じてくる。


自分の家に感謝したり、
自分の家を誇りに思ったりすることで、
力が増していくのです。


自分の家を誇りにもつとか感謝するとかそういうことが現代ではあらゆる所に欠けている。現代とは今しか生きていない、今がすべてなのである。だから白川郷のような家の物語はない、団地やマンションのうよな所に住んだりただ住むだけの家にはそれも40年とか住んで建て替えるとかなると家の重みがなくなる。それでも40年くらいでも家の重みはでてくる。ヨ-ロッパの家は200年とか300年とか継続して住んでいるから家の重みがあり歴史の重みを伝えることができる。日本では最近は特に家の重みがなくなった。昔だったら江戸時代だったら庄屋とかがあり村の中心がありそこから歴史がたどりやすかった。今はそうした村の中心となるべきものが希薄化した。農民すら全国民の一割しかいないとかなり農業が国の基でなくなった。それでこの辺では実際は原発が町村の中心になっていたのである。こういう生活の変化が家の重みを喪失させたのである。


だから死でも重みのない死となる。田舎の冠婚葬祭がわずらわしいしいいとはいえない、ただ代々伝えられる家の重みがあって人間も作られてゆく。漬け物のことを言っていたが家ごとに漬け物のつけ方や味が違っていた。そういうものも代々伝えられてきたのである。そういうものも喪失してゆく、文化が喪失してゆく、ではすべて新しいものとなったとき何かそこに重みのある意味あるものを作れたかとなるとそうはならなかった。代々伝えるべきものはなく病院の無機質的環境でモノのように死んでゆく、それは重みのある死ではないから不幸でもあったとなる。家からのパワ-ももらえないとなる。家なんか古いんだ、何でも古いんだというときでは新しいものに何か重みのある意味あるものが作り出されたかとなるただ破壊して喪失させただけだったともなる。

ただ人間社会は変わるのだから人間の生産の場は別なところ移っているのだからそこに思いが移る。それは一生働く会社になったとか別な場所に移った。それでも人間の基本は家に生きて家とともにありたいというのが本能的なものとしてあった。だから家の価値を見いだすドラマが作られたし看取りでも家で死にたいその思いをかなえたいという人がふえてきた。しかし現実的に国でもう金をだせないから在宅介護にシフトさせているのであり家で死ぬということ看取るということは家族自体少ないのだからそれを補う今回のドラマのような村人もいないのだからその重荷を背負わされた人は大変なことになる。ともかく社会の変化で家族も変わったのであり家族も社会によって構成されるということからまねがれないのである。


言えることは家の中には確かに死んだ人がまだいる感じがする。だから古い家などを借りた場合、そこにはそこで生活した人が死んでもいるという感じになる。その家と関係ない人でもそう感じるのはそれだけ家に執着しているのだ。もちろんそこに一緒に住んだ人は死んでもその家の中にいる感じが最も強く感じる。家には家霊が住んでいるというときそういうことなのだろう。家でもそうだが人間社会というのはあらゆるものがモノでもそこから何らかの気が発している。その気に影響を受ける。だから悪い気がでている家、家霊もありそういうところに出入りすると何らか影響を受けるということはさけられないかもしれない、そんなものは迷信だというけど誰も自殺したアパ-トとか古い家に
住めるかとなるとなりにくいというのはやはりそうした所から悪い気が発生するから本能的に嫌だとなる。そういうことを普通にあるとき人はむしろそうした気に左右されているのである。

近くの家は不幸な家族で絶えたがそのあとに若い女性が一人住んでいる。いつもいるという感じではない、でも家も住む人によって雰囲気が変わる。別にそこから悪い気が発しているとは今は感じない、やはり住む人によっても家の感じが変わるのである。
暗い陰気な不運な人が住むと家も暗い感じになり辺りにその悪い気をだすのである。ただそういう家はどこにでもあるからそういう場所をさけて住むことはできない、確かに家はモノでありそのモノも人間と関係しているから人間がモノとかかわりそのモノに影響しているのである。

2012年07月05日

なぜ今本が問われるのか? (電子化、インタ-ネット化の社会の急速な変化に対応できない)


なぜ今本が問われるのか?

(電子化、インタ-ネット化の社会の急速な変化に対応できない)


●本の歴史は文字の発明と共にはじまっていた


今本について盛んに書かれるのはなぜか?それは本に変わって電子書籍がというときパソコンとインタ-ネットによって本とは何かと問われたからである。本が何かなど今まで問われることはなかった。本の歴史は実際は文字の発明からはじまったとすると何千年にもなる長さである。楔形文字を粘土版に印されたときからはじまっている。文字の発明は商業と密接に関係していた。なぜならアルファベットはフェニキア人から発明されたというときまさにそのことを物語っていたのである。貿易のために簡易な共通の文字を必要としたから生まれた。その前に楔形文字があるけどそれも砂漠地帯では商業が古くから起こっていたためである。エジプトのヒエログリフは多少違っていた。それは広く共通あものとして発展しなかった。エジプト国内でしか使われなかった。それは王の年代記のようなもので商業のために異民族との貿易のために使われることはなかった。文字はフェニキア人のように異民族との商業のために共通化したものとして広まったのである。商業が世界のル-ルを作ったというとき基本的に異民族で共有する文字が必要だった。それがアルプァベットであり世界的共通の法律を作ったのである。世界的ル-ルが商業が作ったと前に書いたように文字もそういう面があったのだ。
アジアがなぜヨ-ロッパのような広範囲な共同体を作り得なかったというとやはりアルファベットのような共通な文字が作られなかったことにもある。


外国旅行するとアルプァベットの国は字を読むのにわかりやすいからいい。なぜなら音からは聞き取りにくいからであく。アルプァベットだと一応読めるということがある。中国で漢字を書いてなんとか意思疎通できるのもそのためだった。発音からは全くわからないのである。漢字はむずかしいのだけで中国というと一つの世界だから漢字を通じてアルプァベットの役割を果たしたということがある。それは日本でも文字がないとき漢字をとり入れたのと同じである。漢字を通じて世界化したのである。ただ漢字はむずかしいので世界化しなかった。英語が世界化したのはアルプァベットだったからである。日本がアジアの中でいち早く欧米化したときやはり日本語だけでは訳せない、漢字でもって約したというときやはり漢字にはそれだけの文化があったということである。例えばアイデインティティというのはどう訳していいかわからないものである。これは合一とか訳せばわかりやすくなる。合一というとコミュ-ンともなるがアイデインティティも自然にアイデインティティを見いだして同一化して合一することにある。合一という言葉は大和言葉では現せない、そういう言葉の応用ができたのが漢字だった。それで欧米化したものの翻訳を漢字でしてその漢字を中国では利用している。革命というとき中国ではもっとも頻繁に使われるが日本人が漢字から発明した言葉だったのである。


世界的には商人が世界のル-ルを作った
http://musubu.sblo.jp/article/56454399.html

●本が問われるのは車社会になり歩くことが見直されるのとにている


今なぜ本が問われるかというときそれは文字の電子化という発明が今までにないものだったからである。ワ-プロからパソコンで書くことがあたりまえになっているけどこのこと自体相当な革命だった。つまり活版印刷が発明されたと同じほどのそれ以上の革命だったのである。そのことがまだ良く理解されていないのである。インタ-ネットとかで文章を出しているけどそこでは素人でも別に大作家だけではない、簡単にいくらでも文章を出せる、それがゴミとしても別にゴミにならないというのも不思議なことなのである。無尽蔵のことがインタ-ネットでは蓄積できるし誰でも書けて発表できる世界なのである。何か書いて発表すること自体、紙を利用している時は選ばれたもののすることだった。今でも本とか雑誌とか新聞とかそういう媒体を利用できるのはほんの一部の特権者なのである。ロ-マ時代は紙はあまりにも貴重なものだったから作家がいても紙を所有している人が紙を提供している人が実権をもっていた。作家はただ紙を提供してくれるものに書かせてもらうというだけであった。何ら収入はそこにはない、これは現代でも出版できるのは出版社や新聞社の許可を得たものしかできないということと同じなのである。それだけコストがかかりすぎるからそうなっているのだ。


そして本と電子化された世界とはいろろいな面で相当な相違がありそれが本とは何かと問うようになったのである。奇妙な話だけど人間が車社会になり道路を歩かなくなったとき歩く世界がわからなくなったということを何度も書いてきた。歩くことから生まれた情緒性が失われた。江戸時代の浮世絵などは歩くということなしに鑑賞できない、自ら歩かない時代にはその情緒や文学も絵画も鑑賞できないのである。歩く時代は橋一つとっても人間と一体化していたのである。今でも歩いて見えるものがあり歩くことにより実際は五感が働き見えるものがある。歩くことと自転車では違っていても歩くことに近いから自転車だと見えるものがある。そしてどういうわけか自転車を乗っている人とは親しくなりやすい、車に乗っている人とはあまり話しもできないということがある。車が人間社会を根本的に変えてしまったのである。そもそも歩くことは人類が生まれて以来歩くことなしでありえない世界だった。その歩くことをふりかえり問うなどということも考えられなかったのである。

それと同じことが電子化されたインタ-ネットの世界で起こっているのである。車社会になって失われたものは余りにも多い、それは情緒的な面として人間の根幹にかかわる面で変わってしまった。例えばかえって過去をふりかえるとき牛とか馬を利用していた時代をふりかえるときいかに牛や馬というものに人間が影響を受けていたかということである。馬とか牛は人間と同じである。一つ家の中に住んでいて名前もあり家族と同じである。そういう感覚から情緒がはぐくまれていた。牛と一緒に暮らす働くということと機械を利用して働くことは根本的に違っている。牛は生き物だから牛の性質のようなものが人間に自然と伝わり牛とアイデインティティ化してくる。牛との合一化、アイデインティティ化してくるのである。だからこそ高村光太郎の牛の詩ができた。牛が心の中でも生きていた時代だから作れたのかもしれない、まだ車時代ではないからできた。戦前までは牛馬の社会だったからである。


●過去の牛と馬の役割とにている本の世界


昔の話で前に書いたけど上萱まで荷を積んで運んだ馬は暴れ馬だったけど力があるからあの坂を上ることができたという、馬にも暴れ馬がいて性質の荒いものがいる。野馬追いのときも実際はいろいろな馬がいる。御しやすい馬とそうでない馬がいる。馬には性格がある。牛はどうなのかというと牛は荷を運ぶには馬より便利である。なぜなら牛は道の草を食べるから馬のように飼料が必要でないから良かったという。それで塩の道で塩を運んだのは信州でも牛だった。牛はまた坂道にも強いから牛が荷を運ぶには便利だったのである。馬には注目しているけど牛はわからなくなっている。今では牛は牛肉であり乳牛の牛であり運搬している牛を知らない、牛肉の牛と運搬する牛は根本的に違っている。それでも飯館村辺りでは十頭もの牛に名前をつけて仮設住宅に住んでいる人がなつかしがっていたのは生き物だからそうなる。ペットが人間化すると同じである。牛との別れを家族のように惜しんでいるというのも相手が生き物だから情が移るからそうなる。機械だとそういうことはないから情緒的な面で人間は薄情になるともいえる。

こういうところに実は現代の人間が薄情化している原因もある。人間が切れるというとき車社会だとそうした牛馬と接することのない社会となっているという面もあるのだ。江戸時代との根本的相違はそうした環境にあったのである。江戸時代のモラルというのはそういう環境から農業基本の世界から作られていたのである。だからモラル的には安定していたのである。二宮尊徳のモラルもそこから作られた。今の時代にこの辺で二宮尊徳のことを言っても余りにも変わりすぎたので通用しない、現実に原発事故にどう対処すればいいのかなどわからないのである。人間は牛から学んできた。牛とアイデインティティ化してきて精神世界も作ってきた。老子が牛にのっている姿や牛は人間の精神のシンボルでもあった。そういうものが喪失したとき人間は根本的な所が変わってしまったのである。石のことを大分詩にしたけど牛と石は共通したものがある。忍耐性とか寡黙だとかでそうである。石で作られた建物と木で作られた建物はそもそも文明の相違にもなる。ヨ-ロッパと日本の相違はまさにそこにある、文明の相違となっているのだ。


本が何か問われているとき電子化によるインタ-ネット化によって問われているのは牛や馬がいなくなった社会とにているのだ。本は牛や馬とにた面があったのだ。電子化やインタ-ネットの意味していることは何か未だわからない、新しい技術は最初ただ便利というだけで受け入れる。でもその意味がわかるのはあとのことである。原子力にしてもこれが何なのか良くわからないけど便利だから効率的だからとはじめる、その安全性も確立していないのにはじめる、今回のように事故を起こして原発は危険だとかこんなことはやめるべきだとかなる。技術は便利だからそういう側面をみんなもっているのだ。ともかく本が何かと問われているのは何か過去の牛や馬の役割は何だったのだろうかと問うこととにている。何かそういう側面があったのである。

 


次回は本についての文学的考察をしてゆきます


プログはシリ-ズものがいい、次にどういうことが書かれるのか興味をもち読もうとするからである。これも本の世界とは違う。三国志をテレビでシリ-ズの番組を放送しているがあれは面白い。次がどう展開するかということで興味をもつのである。それにしても人を信用できないか、いかに相手もだますかということで絶えず疑心暗鬼になっている世界だった。だまされて殺されることが日常茶判事の世界で生きていたから過酷である。なぜならだまされることは即死につながっているからだ。
中国人はあういう過酷な世界に生きてきたということである。陰謀術数にたけてくるからとても日本はその点ではかなわない、平和だったということである。そして今の時代は金だけが頼りの疑心暗鬼の人を信用できない社会になってしまったとういことである。日本人のいい面は失われたから同じなのである。ある人は経済の基礎は道徳だといって日本人はその道徳が備わっているというけど今や違っている。金しか価値観がない道徳もない社会が現代の日本社会であり世界共通化しているのだ。
なぜそういう楽天的な見方になるかというとその人は犯罪にあっていないからである。犯罪にあった人は社会の見方が変わる、強盗や身内の殺人などにあった人は全く社会を違ったものとしてみるのである。日本人はかつての日本人ではない、全く金だけにしか価値を置かない日本人になっていることを体験しないからわからないのである。あらゆるところに金しか求めていない社会なのである。

2012年07月06日

今なぜ本が問われるのか(2) (インタ-ネットにはない本の特徴)


今なぜ本が問われるのか(2)

(インタ-ネットにはない本の特徴)

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冬日さしペ-ジをめくる厚き本


●本をテ-マにした短歌や詩


瓶にさす藤の花ぶさ一ふさは重ねし書の上に垂れたり 子規


売り売りて手垢きたなきドイツ語の辞書のみ残る夏の末かな 啄木


本を読むならいまだ
新しいをきりはなつとき
紙の花粉は匂いよく立つ
外の賑やかな新緑まで
ペエジにとじこめられているようだ
本が美しい信愛をもって私を囲んでいる
室生犀星


タイフーンの吹いている朝
近所の店へ行って
あの黄色い外国製の鉛筆を買った
扇のように軽い鉛筆だ
あのやわらかい木
けずった木屑を燃やすと
バラモンのにおいがする
門をとじて思うのだ 明日はもう秋だ

ー西脇順三郎「秋」
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本に埋もれる老いの至福

寝ころびながら本をぱらぱらとめくる
自分が引用できそうな文をマ-クする
その詩に洞察に感嘆する
寝て座って立って所を変えて読む
時には廊下に冬の日がさして
分厚い本のペ-ジめくる
そのペ-ジに冬の日がさしている
随分この本も古くなったと
我が古い友のような本もある
我も古くなった本のよう老いる
何度も読んだ本は古酒のようになっている
夏の夕ぐれ日はまだ明るい
本は人類の知恵の宝庫
私は居並ぶ賢者と芸術家とともにいる
私は今やそうした歴史上の人物と対等
なぜなら即座に深く読める
その一文を自分の文のようにとりこめる
丁度オ-ケストラの指揮者のように
それぞれの楽器を深く理解できる
鑑賞力が増せば深まれば
その味わいはまるで違うものとなる
一なるものが十にもなる
くめど尽くせ知恵と美が本にあり
私の時間は至福に満たされる

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●物としての本と電子空間の本の相違


詩でとりあげたように本というのは電子本との相違はまだ良くわかっていない、本が何であったのかなどと問うこと自体それが電子の世界になったとき問われるようになる。本が最初は文字が作られたときからはじまったというときただ文字を印すものが煉瓦だったり粘土だったり竹だったりとしていただけであり紙に印されたとき今の本ににた形になってきた。本の前に文字が作られたことであり文字があって本がありえた。文字でも何か印されることによって残ることができる。すると木に印されるよりは石に記された方が後世に残りやすい、石に記されると何か文字に重みがでてくるというとき石の重みがそうさせているのだ。文字は別に何に記されても同じなはずだが石に記された文字は重みがでてくる。それは文字に重みがあるというより記された石に重みがあるからである。本でも装丁が美しく重い本だと中味もあるように思えるのと同じである。


鉛筆にバラモンのにおいがする・・・という詩でもこれは本にもあてはまる。紙の材質によっては紙の手触りから本を読むことはバラモンのような特権階級のように思えてくる。本は高いものがそういう感覚にもなる。文房具にこるのもわかる。筆がいろぽす発達したのはそのためである。本の世界はそれだけ特権階級的なところがあった。だから普通の人でも一生に一冊本を出したい、成功した人が大金を出して自費出版するというのが成功の証でもあった。それほど本というのは普通の人には高根の花だったのである。それを商売にしようとする出版社がふえた。今でも流通面では本は普通の人には書店に並べられない、でも本を作るのは今や素人でもパソコン上でもできる安上がりなものとなっている。本にもいろいろあり本の大きな価値は流通面にあった。本を作ることができても普通は流通はできない、大手出版社とかの許可がなければ近くの本屋でも置けない、そういう仕組みになっているのだ。だから情報が操作されるということがあった。原発の危険を指摘した本が隅に追いやられて何か特殊な奇人の空想的なものとして真面目にとりあげられていなかったのである。情報は権力あるものによって操作されている。それは本の世界でもそうである。

何故なら取次ぎなどは戦後アメリカが情報を検閲するために作られたのである。本と流通の問題は別なのである。グ-テンベルグ時代に本は簡易に作られ普及して流通したからこそ革命になったのである。その時代に流通した本は少ないにしても仏教寺院で修道院でしか仏典でも聖典でも読めない時代とはあまりにも違う社会となったのである。現代では逆に本は中世の写本のようにして残る。
装丁にこり一冊しかないような芸術品として残る。ただ中味は電子本で流通することになる。本とは普通の人には流通できないし本自体流通にはむかないので出版社も書店もなくなる。すると最後に残るのは本の芸術性を追求したものとなる。それは図書館に絵のように保存されたりする中味は電子本で読むのである。


●本と電子本との相違にまだ気づいていない


本とは何なのか?そう問うこと自体が電子の世界化、インタ-ネットで改めて問うようになった。だから本とは何かとなるとなかなかわかりにくいのだ。本は文字だけでなく物としてありだから材質にこだわったりする。物としてのフィテシズム、愛書家も生まれる。物だからそうなる。自分も本を読むというより本の蒐集家でもあった。20代から書斎をもっていたから恵まれていた。ただ若いときは本は集めても読んでも深く読めない理解できないのであるがでも相当集めた。郷土史関係の研究でもまず本を集めないとできないということがあったのだ。だからある程度手元に本がないと研究もできないし文章を書くこともできない。ものを書く人はどうしても書斎が必要だし思索の空間も必要である。それがわかったのは今まで狭い所で書き物して読書していたことでわかった。今は広い部屋で読書している。それで気づいたのが本というのは自然の外界の反映がある。インタ-ネットの空間にはそうした外界の自然の反映はない、分厚い本を開いたらそれで風がそよぎペ-ジがめくれたとか、冬の日がさしてきたとかない、ただ電子文字と写真やビデオの空間なのである。

このことは意外と大事だった。夏なので外がいつまでも明るいなと思って読書しているときその明るさは昔だったらその明るさが部屋の中に作り出されて書院作りができて障子ができて本も読めるようになった、書き物もできるようになった。襖とかでしきられていたら中は暗いからできなかったのである。電気がないのだから明るさは自然の光で自然の中でこそそうした本を読むとか書きものとかをすることができたのである。東雲(しののめ)はしのは竹であり昔の家は竹でできていてその篠の朝に上ってくる日がはじめにさすから東雲となったというのも家というのがやはり人間の中心にあった。知的作業にはこうして書斎とか家が必要なのである。そういうことは田舎ではしやすい。あとは庭があればいい、息抜きするためである。


平安中期から以降になるとさかんに書物を読むようになる。読むばかりではなくて昔のことですからそれを筆写しなければならない。そうするとこれはかなりの明るさをもたないとそれができません
しかも風が吹き込むような家では困ります。
そういう中から襖を薄い紙でもってはる、いわゆる明かり障子とういものが作られようになった
(宮本常一)


このように本というのは電子本とは相当に違ったものであり本とは何かというときそれが良く答えられないのはそのためなのである。その大きな特徴が本が物としてあるということなのだ。物としてあるから流通するには不便なのである。自分の家が本で傾いたというのはそのためである。本の不便さはいろいろある。本は手元に奥には限られたものである。すると知識も極限られたものとなってしまうのである。それは物だから置くには限度があるからだ。ところ電子空間では物ではないから無尽蔵に置ける、ゴミになっても一瞬にして消し去ることができる、それがかえって電子本は文字に重みを与えないものとなっている。電子の世界では書くということも違っている。書きながらキ-ワ-ドで書くことを追加したり書きながらアイデアが自然と生まれてくることがあるのだ。そういうふうに書き方も違ってきている。ともかくいくら書いても重さもないから誰の負担にもならない、誰の負担もかけていないということが不思議なのである。本一冊を流通させるには相当な負担がかかる、だからそれを商売にだけしにらうとするものは売れないものは扱いたくないとなる。こんな売れないものは置いてどうするんだとなる。でも知的なものの価値は誰かに何かを伝えるということでもあるから別な価値観を本の世界には知的情報の世界にはあるべきだったのである。それがインタ-ネットで開けたのである。


売り売りて手垢きたなきドイツ語の辞書のみ残る夏の末かな 啄木


本はこうして誰かが読んでいるものをまた読む、この本は誰かが使ったのだなと思ってよむ。しかし電子空間にはインタ-ネットには物ではないからそうしたものがない、電子本の世界には古本になることはない、物ではないから古くならないのである。本だったら必ず40年くらいすると表紙がはがれたり紙が汚れてきたりする。いんづれは読めなくなったりする。電子本にはそういうことがない、劣化することがない、でもソフトで読み出せないという恐怖がつきまとっている。一瞬にして消えるということがある。現実にレンタルサ-パ-でそういう経験をしている。復旧したから良かったが他では消えたらしい,そういう怖さが電子のインタ-ネットの世界には常にあるのだ。

本のことを語ったらきりがないだろう。それだけの歴史が本にはあるからだ。インタ-ネットの世界はここ十年とかしかないのである。だからインタ-ネット自体何なのかということもわからないのだ。ただ本は一か月で書店から消えるけど次々に別なものが置かれるけどインタ-ネットの世界では発見されないにしろそのまま残っている。一見消えやすいのだが記録として残りやすいのも電子空間だという不思議がある。いくら貯蔵しても検索で邪魔になるにしても電子空間では無尽蔵の蓄積が可能なのである。ゴミになるといっても週刊誌、新聞などはずいぶん紙の無駄だなとインタ-ネットとと比べるとみてしまう。過去の検索ができないのも効率的情報処理ではない、過去の記録を知ることも大事だからである。そういうことが紙の情報分野ではしにくいのである。どこかの書庫に図書館に貯蔵されていても見れないのである。福島市に巨大な図書館があってもそこを利用できないのだからないのと同じなのである。

2012年10月26日

語る文化が見直される (人間回復のために江戸時代への回帰が求められる時代へ)


語る文化が見直される

(人間回復のために江戸時代への回帰が求められる時代へ)

●語ることは何なのか?


語ることは何なのかなど問う人はいない、毎日語っている、しゃべっているではないか?今さら語ることがなんなのだとなる。ところがメデアがこれだけ多様になり急速に発達した結果、江戸時代にあった語る文化が喪失していたのである。江戸時代までの伝承は小さな村でも語ることであり語り伝えることである。身近な家のことでも語ることでしか伝えられない、それで膨大な民話が残された。
しかし今や家であれ村であれ語るということができない状態になっている。語る場所もないし語る時間もないのである。メデアの発達で膨大な情報が日々入ってくる。その情報にも追われるのが現代である。本も書いためたが膨大で家が傾くほどの本が集積していた。そしてなお本を買い続けている。今度は書店はほとんどいかない、アマゾンで配送料無料になったから買う本がまた増えたのである。例えば鎌倉を知りたいというときどうしても手元の本だけではたりなくなるからもっと詳しく知り多たいとなり鎌倉について文章を書いていると必ず参考になるものが必要であり本を注文する。そしてまた本を減らしてもふえてゆく。ただもう年だから読めない必要ない本は捨てているから半分くらいにはへる。人間が情報を処理する、読める本はつくづく限られている。今は自分の文章を書くために引用するために今まで読んだ本を参考にしている。もう本を読むのは限界なのである。でも自分で文章を書くときどうしても参考にせねばならぬものがあり本には濃密なプロの書いたものだから引用する文が発見されずある。何回か読んでも忘れていたのである。


江戸時代まで語りの文化だったというときその原因は文字を読み書きできない人が多数だったからである。これはヨ-ロッパでも同じである。聖書を印刷してみんなが読めるようになったのはルタ-の宗教改革以降である。一六世紀以降だからそれまでは聖書は聞かされても庶民は読んでいない、教会に行って聖書やキリストの事跡を絵で教えられたりしていたのである。文盲が多いというときどこでも語りとか絵や建築など具体的なもので教えを伝える。仏教でも仏像は偶像になるけど仏像を通して仏の教えを伝えることが普及させた。仏像はただ大きいものだったら意味がない、そこに精神的なものの象徴として具現化されているから心ひかれる。鎌倉の大仏が忍性菩薩だというときひたすら耐えている姿が仏像から浮かびそれに習うということがある。相馬市の日立木の仏像は明治以降作られたもので大きいのだが何か精神性が感じられないから文化財とも言えないのである。だから仏像は拝むべきものではない、その精神性をくみとり習うものであり神のように拝むべきではないのだ。日本人はあらゆるものに拝みすぎるのである。それは偶像崇拝につながっているから危険なのである。


昔の文字の教育はほとんど京ばかりで僧でも田舎にいる者は暗誦が仕事であった。はるばる九州から豆を背負って学問しにきたとうい話しもあり地方にはその機会が至って少なかった。聴衆は物語の愛好者であったけれどもやはり上下を通じて皆一種の盲であって写本の必要なかった点は語る座頭も同じだった。(柳田国男-雪国の春)


語るということを最近自分自身が再発見したのは自分の墓のある墓地で天保時代の碑を発見したことである。それは同じ故郷の八九才の人とともに偶然発見した。自分の墓のすぐ近くだったが気づかなかった。なぜならそれが誰かの墓だと思っていたからだ。しかしそれは違っていた。ここがもともとは隣が鹿島神社になっているごと神宮が神宮寺となったのである。天保時代はここは寺だったのである。そして不詩朗謡と四文字が記されてあった。これは墓ではないここがもともと寺でありそれで寺子屋の役目を果たしていて戒めとして記されていたらしい。朗謡は朗詠であり暗唱のことであり詩文とせず暗唱せよという戒めを記していた。でもなぜそんなことをいちいちここに碑にしてまで記していたかということになる。それはやはり仏の教えであれともかく暗唱することが第一とされた。そもそも文字を書けない読めない人が多いというとき暗唱することが学ぶことの第一になるからだ。

江戸時代の文化は伝えることはほとんど語ることである。それは江戸でも落語があり村では民話が残っている。それらは書かれたものではない、語られたものなのである。膨大な民話は今は書かれたものとして読んでいるが実際は身近な人によって語られたものである。もちろん本で読んだりしない、本そのものが村にはないからだ。語り伝えられたことが代々伝えられて残ったものである。
江戸時代の情報環境は田舎だったら本もない、語られたものからしか知ることができない、だから語り伝える人が遊行して語り伝える人が生まれた。この辺の宝財(ほうさい)踊りなどに浄瑠璃があるのはこれも大阪などから語り伝える人が来たから伝わって祭りとして残っている。事件でも物語でも遠くのことは語り伝えることがなければ知り得ようがない時代だったのである。
田舎にいる者は暗誦が仕事であった・・やはりこの碑の意味は暗誦しろということであった。それが学ぶことであり知ることだったのである。


南相馬市鹿島区の町内の墓地の碑の謎
http://musubu2.sblo.jp/article/59292470.html


●盲人の琵琶法師から始まった各地への語りの伝播

 


盲僧が琵琶を弾くようになるのは、任明天皇の子人康親王が盲目となり、ほかの盲僧にも琵琶を教えるようになって以来といわれている。鎌倉時代初期には、そのような琵琶法師が多数存在していた。
江戸時代の日本には眼病が多く、盲人の出現率も高かった。

 痘瘡や栄養失調で失明する者が多かった。鎖国直前に来日した宣教師フロイトは「日本人の多くのものが痘瘡で失明する」(『日欧文化比較』)と語り、幕末に来日したポンペも「世界のどこの国をとっても、日本ほど盲目の人の多いところはない」(『日本滞在見聞記』)と語っている。
 盲人が多かったこともあり、彼らは当道(検校・勾当・座頭)といわれる集団をつくり、盲人同士の相互扶助と生活保護の連帯社会を形成していた。按摩業はこの組織によって支配され保護されていた。
 それにたいし貧しい盲目の女性たちが生きるためにつくっていた集団が瞽女はうら悲しい女旅芸人というイメージがある。「瞽女」とはむつかしい字であるが、瞽は盲目のこと、御前に仕えるという意から「御前」という字も当てられている。広重と豊国はこの「雙筆五十三次」の「舞坂」
で、瞽女の一行を描いている。


立川昭二『生と死の美術館』岩波書店2003年
・¥世界大百科事典内の目星の言及

・【目‖眼】より

…これは劣悪な栄養と過酷な労働に起因して発生した。このほか病目(やみめ),はやり目といわれる急性・慢性結膜炎,ただれ目といわれる眼瞼縁炎,星目,目星といわれるフリクテン,打目(うちめ),突目(つきめ)などの外傷,あるいはものもらい,目いぼといわれる麦粒腫,それにトラコーマ,虹彩炎,翼状片,緑内障,弱視など,江戸時代の眼病は多彩をきわめていた。また江戸時代にはおよそ7万5000人以上の盲人がいたといわれ,疫病や栄養失調のために失明し,彼らは当道(とうどう)や瞽女(ごぜ)などの集団を形成していた。…
・※「目星」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

・医学者のツルンベルクは『日本紀行』の中で日本人に眼病(赤眼、爛眼)が多発している原因を炭の煙(;囲炉裏の薪炭の燻煙)と便所(トイレ)の臭気・悪ガスにあるとしています。

また幕末の安政4年(1857年)から文久2年(1862年)まで在日したお雇外国人医師のポンペも日本人に眼病がきわめて多いことを指摘、『日本滞在見聞記』で長崎においては住民の大体8%が眼病に患っているとし、日本人に盲人が多いのは治療法の誤りにもとづくものであるとしています。
http://www.tpa-kitatama.jp/museum/museum_46.html

 


一〇人に一人くらい盲人がいたということが琵琶法師など語り伝える遊行の人が増えたのである。これは最初は仏教の無常を教える布教者ともなっていたがあとはただ語るものとなっていった。 この琵琶法師で相馬市の病院で新地の人がしきり琵琶転がしという地名があるということを言っていた。山の方にありやはり険しい道だからそんな名がついた。牛転がしとか道の険しい場所は危険だからそうなる。たしかに転げ落ちるということは道が狭いから目撃する人も多くいてその名がついた。ただこの辺にもそんな伝説が伝えられていたことに驚いた。岩松氏一族惨殺も鎌倉時代だからこの辺に琵琶法師が来ても不思議ではない、これは別に地名にのっていないから話しとして伝えない限りわからなくなる。その人は自分で土地のことを調べていた。ただなかなかそういうことを話す相手がいないということがあった。そういうことに興味を持つ人が近くにいるとは限らないからである。ただこの辺でも八〇才以上の人はそうした語り部としての素養をもった人がかなりいることに気づいた。自分があった八九才の人もそうであり病院であった老人はたいがい何かを語り興味深いものだった。病院という場が何か語り安い場所だったのである。とにかくホメロスも盲人だったらしいというとき外国で目の病気が多かったのかもしれない、栄養不足なことは同じだからそういうことがありうる。医療は極めて劣悪なものだったことは同じだからである。


●語り伝えることが郷土史の基本


郷土研究というとき、むずかしい本ばかりを学者のように読むことではない、その土地に語り伝えられたことを知ることである。柳田国男の功績は本から学問を作ったのではない、語り伝えられる口碑を重んじて新しい民俗学の学問を作り出したのである。遠野物語でも一人の土地の人から聞いてそれを筆記して本にしたのである。現代はメデアも多様だがそもそも語る文化とは根本的に違っている。語るということは一人のことではない、本は一人で読めるから個人主義を発達させたというのもわかる。本を読むこと書くことは孤独な作業なのである。ところが語ることは相手がいて聞き語ることだから共同作業なのである。そのことを病院や八九才の人としてきて語ることが語り合うことが長い間の人間の根源的な営為としてあったことに気づいた。それは江戸時代では当然のこととして当たり前のこととして行われていたのである。まず囲炉裏などで聞かされるのは身近なものが多い。それは現代のような地球の裏側までのことを貪欲に知ることではない、その語られることは極めて具体的な回りの世界と密接に結びついていた世界である。小さな村では事物と物と事件でも語ることは言葉は具体的に結びついている。言葉が先にある世界ではない、具体的なものがある世界である。そのものは直接ものがつくとかなり心を影響する世界だった。そこではものと言葉の分離はないのである。

現代は言葉とものが分離している。特に都会となると自然の事物と切り離されて語られる。回りの事物と言葉が密接に結びつかないのである。だから言葉が死んだというときそういう自然から離れた極めて人工的空間で生活しているからそうなる。だから本来の沈黙から語る言葉の重みはまるでない、商業用語となり本来言葉がもっていた詩的な言葉は喪失したのである。言葉すでに数字のようなものとなっているのだ。語ることはやはり一つの密接な共同体の交わりがあり自然をアイデインティティとするところでないと機能しないのだ。それは新聞とかマスコミとか本でも成されない世界である。語ることは人間の根源的な精神的営みでありそれは本来は小さな共同体があって成されたものである。古事記などもそうして語り部が語られたものであり書かれたものではない、現代に語りが喪失したというときマスメデアによって人間の本来のそうした語ることが代替わりされてしまった。ただマスメデアの伝えられたものを消費するだけのものとなった。だからこそマスメデアに情報操作されるようになった。マスメデアが余りにも巨大な力をもつようになったのである。マスメデアを通じてしか知り得ないことが多々あり全国規模世界規模になった情報世界は小さな村や共同体で語る文化を喪失させたのである。


つまり現代の複雑巨大化した文明は主体的に存在がかかわることができない、巨大なものにただ操作されるだけでありお互いに語るものとしてはありえない世界である。津波のことでも原発のことでもあらゆることが政治でもマスコミを通してしか伝えられないときただ操作されるだけのものとなってしまう。だからマスコミがあたかも人を差配して操り人形にさせられるのである。そしてマスコミを通して人を演出される。マスコミを通して有名になった人はマスコミによってでありその人が古代のような神話の英雄ではない、マスコミによって作り出された演出された虚像を巨大化しているのである。テレビにでただけどあたかも何でもない人でも重要な人物に演出される。政治家でもテレビに出ないと重要ではない忘れられた人物にされる。テレビに何回もでているとその人はアナウンサ-でも重要な人物に見えるのである。でもテレビからタレントでも消えるとその人は存在すらしなくなる。あとで死にましたなどと一回だけ写りその人は消えてしまうのである。別にテレビに移らなくてもタレントでも生きていたけど遠いと知り得ようがないのだからテレビに写らないと死んだと同じなのである。インタ-ネットのメデアは個々がメデアとなり結びつくということがある。でもマスコミはある個人が巨大化され演出され虚像が形成される。そこに錯覚が作り出される。政治家でも小泉劇場とかテレビをマスコミを利用して演出して虚像が作り上げられたのである。橋下氏も石原慎太郎などもそういうマスコミを通じて巨大化される。実際にもともとはテレビに頻繁にでたタレント出身であることでもわかる。だから堅実性はないがそういうことは今の時代ではどうでもいいのである。大勢の人にともかく話題になり知られることが先決でありあとの政策やその他は二の次ちなるのだ。テレビに写っただけで大勢に知られる力をもつことになるのが大衆社会でありその大衆を導くのがマスメデアになっていたのである。


江戸時代で誤解しているのは江戸の長屋ですら生涯同じ場所に住んでいた。ドラマだと浪人がどこからからやってきてどこかへと消えてゆくような感覚になるが一般の人は生涯同じ長屋に住んでいた。だから親密な交わりが田舎の村と同じように作られていたのだ。都会だったら絶え間なく人は移動して移住している。そういうところでは語る文化などありえない、語るにしても一代だけではない、代々語り伝えるには何代も同じ場所に住んでいる必要があるのだ。江戸時代は職人すら十代以上つづいていたりと長い時間の中で密接な関係が築かれていたのである。そういう社会は精神的に安定していたのである。もちろん今のような鬱病なども非常に少ない社会だった。裁判にしても人情裁判でありいい人と悪い人は評判で判決を下す奉行もわかっていて人情裁判になった。現代の裁判は法律で複雑怪奇になる。なぜならその人がどういう評判の人とか何が悪人なのかもわかりにくい社会だからである。悪というのが見えにくい社会なのである。江戸時代は悪は判別しやすく見えやすかったのである。同じ場所に生涯住んでいればその人となりがわかりやすいたからそうなった。今は外国人も交じり移動しやすいからわかりにくいのである。そんな社会窮屈だといえばそうだけどそれが犯罪を少ない社会にしていたのである。犯罪を犯しにくい社会だったのである。


最近、インドのある村にユネスコの実験として水道が設置された。しかしまもなく村人はその水道のパイプをとりのぞくことを要求したのである。彼らの立場からすれば共同井戸にみんなゆくことがなくなれば村の全社会生活が衰えてしまうと思ったからである。(マクルハ-ン-人間拡張の原理)


これに象徴されているのが現代の便利な生活なのである。村という密接なコミニケ-ションの場は水道で個々の家庭に分断されそこで村人が集ることもないから互いに語り合うこと意志を疎通させることもなくなる。そうすると互いに孤立して今度はテレビを見るようになると世界のことが気になり村のことより遠くが現実的問題のように切実なものとして見えるのである。村人は地球の裏側に関心をもち近くには関心をもたなくなるのである。水道は一例であり車でもそうだしあらゆるものがそうなっているからもう昔のような村の共同体などありえようがないというのが現実である。それも回復できないというのも現実である。それでもやはりそういう文明の便利な生活が何かおかしいと気づきはじめて来た人たちがふえてきている。原発事故も実際は文明のそうした複合的要因で大事故になったのである。もちろんじゃお前は江戸時代に帰り電気もないところで暮らせと言われるがそういう極論ではない、今人々は失われたものを求めている。それが語りあうことであり語りの文化の復活なのである。それはマスメデアを通じてはな成されない、インタ-ネットはそういう時代の求めるものがあり技術として発明された。でもそれ以上に直接語り合う、語り伝えるということが求められ時代になる。それはやはり精神的には江戸時代への回帰なのである。


●時事問題の深層に書いたものです-参考にしてください

現代の妖怪(メデアが育む妖怪)
http://www.musubu.jp/internetmedia.htm#youkai

2013年02月22日

キンドルを買った (電子書籍は本とは違う-情報処理能力の飛躍的拡大)


キンドルを買った

(電子書籍は本とは違う-情報処理能力の飛躍的拡大)

●キンドルは文章を読むのに優れている

キンドルの説明
http://www.youtube.com/watch?v=NPTpTEVchY8


Kindle Paperwhite3Gは電子書籍を読むのに優れている。文字が読んで疲れない、外の光の中でも読める、軽いから文庫本のように持ち運びができて寝ころんでも読める。非常に読みやすいことである。眼はパソコンのように疲れない、電池は長持ちする。電子書籍に特化すればこれは優れている。
ソロ-の森の生活をダウンロ-ドしてみて読んだら読みやすい、本というのはそもそもこんなに手軽に読めないようになっている。書棚にあっけ取り出してペ-ジをめくり読むのだが何か本は一冊でもじっくり読むようにできている。本はまた厚いのも多く手にとると重く電子書籍のように簡単に読めない、書斎がありそこで瞑想にふけりつつじっくりと読むというのが本であった。だから一冊の本には重みがあった。本のル-ツをたどれば


修道院には専門的な工房があり、そこで制作された聖書を初めとする手写本は、修道院や教会の宝物庫にいつまでも保存されるべき宝でもあった。
やがて写本は、次第に装飾や彩色画を備えるようになる。この装飾や彩色画を託されたのは、修道士たちであった。
装飾手写本は当時の市民には高価きわまりない贅沢品で、6册分の価格で家屋が購入できるほどであった。

http://www.geocities.jp/petitpixy/page503.html


本はこのように気軽に読めるものではなかった。そういう延長のなかに本というのはあった。だから本は出せる人は特別の人だったのである。ロ-マ時代でも作者より本にする紙の方が高くついて紙を提供する人が作者よりずっと力をもっていた。これは現代でもメデアとか出版社とか取次ぎとか本を書くものではなくそれを作り流通するものが力をもっているのと同じだった。だから出版社では編集者とか印刷業とか本を出すにはいろんな人がかかわっていた。それだけ一冊の本を出すのは普通の人はできないし商業ル-トにのらないと本は出せない、それで権力あるものが出版で牛耳ることになった。原発を批判した本が出されてもまるでSF小説のように扱われていた。原発事故など起こることがありえないというように情報で操作されていたのである。

安全神話が出版でも巧妙に作られていたのだ。情報は今でも常に権力をもつものにより操作されているのだ。新聞でも本や雑誌でも出版するには相当な金がかかる。。すると権力側で資金を提供してその権力側にとりこまれるのである。だから巨大組織である創価であれ幸福の科学であれ何であれオウムさえ自ら出版する印刷機まであった。
そういう巨大組織でしか出版はできない、だから本を信用する人がまた多く癌が直るとか本に出してだまされた人が結構いる。株でも民主党の海江田党首すらもうかると本をだして今は訴えられている。本はインタ-ネットなどより信用される。もちろんマスコミでもテレビでもインタ-ネットよりは信用される傾向はまだつづいている。ただインタ-ネットというのは思った以上、普及している。


●パソコンやインタ-ネットは高齢者まで普及している


プララから二〇〇〇円安くするとかOCNから電話で連絡があった。簡単な操作で移れるというので申し込んだがそこで問題だったのはインタ-ネットをする高齢者が増えたので操作がわからなくなりその相談で会社でも悩んだらしい。ということはそれだけ高齢者でもインタ-ネットする人が増えたのである。でも六五才以上はできないと規約になっている。それは操作がめんどうだから高齢者の相談が多いからである。操作ができないとそういう乗り換えもめんどうになるからだ。初心者も多いからである。パソコンとかインタ-ネットはもう必需品になっている。インタ-ネットなしではもう社会参加するらできなくなる。参議院選挙からインタ-ネットで政治家が宣伝するのも許可される。インタ-ネットは日常生活のツ-ルとなっているのだ。ただ高齢者とかには操作がめんどうでアクセスできないのでそれだけ相談が増えたのである。

バソコンがこれだけ普及したのは人間の欲求が頭脳に知的なものに移ったからである。人間は建築であれ道路であれ水道であれ重厚なインフラ整備が終わると次はやはり知的な分野に精力を傾ける。

パソコンは明きらかに人間の頭脳の代わりであり補充するものであり人間の頭脳と密接にかかわっている。人間の記憶力は映像にして文章にしても極めて容量が少ないがパソコンやインタ-ネットは無限大なのである。だから最近家事など忙しく時間がなく新聞をとるのをやめた。読まないのに新聞紙は紙としてたまってくるから困るのである。バソコンとかインタ-ネットは無尽蔵に貯蔵しても困ることがないのだ。インタ-ネット化で一番早めに消えるのは新聞でありすでに電子化されていることでもわかる。次に本も消えてゆく、本は芸術作品のように豪華本として残される。流通するのは電子本になる。電子本とかインタ-ネットの弱みは一瞬にしてすべてのデ-タ-が消える恐怖がある。
そういう恐怖を何度も味わった。これが一番恐いのである。だから紙にも残す必要がある。それもオンデマンド出版で一冊から今は機械的に作れるのである。自分は書きためたものを今度は整理して本にして出そうと思う。出版社からではない、アマゾンのキンドルで誰でも出版できる。出版社を通さなくてもできるのだ。今や本など誰でも簡単に作れる時代なのである。ただそれが広く読まれかどうかはわからないし無理な面はある。出版できたらすでに出版社で評価されて世にでるからである。
出版社を遠さなければ出版はできない。すると出版社が力を持つことになる。本はやはりそういう権力をもったものしか出版できないということがあった。そこで情報が操作されて原発事故も起きたともなる。


●情報化社会は莫大な情報を処理する社会


現代が情報化社会というとき江戸時代などからした何万倍か億倍なのか凄まじい情報処理しなければならない、グロ-バルすれば世界の情報も日々入ってくるからもう処理しきれないくらいである。
そのためには新聞とか本とかの媒介では追いつかない、情報を早く処理する、膨大な情報を手早く処理することが必要になってくる。それで電子本であれインタ-ネットであれそっちの方が便利になる。ここにも問題はあるのだけどともかく本にしても自分の家が本で傾いたようにそれだけ本に頼るのが知識の世界だったのである。でも本は自分の文脈で利用するとき活きてくる。自分が主体にならない限り本を読んだことにはならないのだ。本を読むということは極めて創造的作業なのである。だから若い内はは本に読まれても読むことはできないのだ。自分でも最近本を読んでこれは何を意味しているのか即座にわかるしそれを自分なりの文にとり入れることができる。だから読書も楽しいものとなる。そしてイプットよりアウトプットの方が多くなるし面白いのである。


情報化社会はやはりそれぞれが普通の人でもアウトプットする量が膨大になるのだ。自分もすでに全集が作れるくらい書いている。詩集でも十冊くらい出せる量を書いている。それだけ書く量が増えたのも現代なのである。
作家でなくても普通の人でも今はアウトプットできる時代になった。それがすべてとるにたらないものとなるということでもない,なぜなら人間の体験は例え百年生きても極めて限られたものなのである。すると他人のどんな体験でもこんな体験していたのか、それでこんな考えもあるのかと参考になるのだ。人間はともかく話す相手でも主婦だったら夫と子供と隣近所くらいしかないというのが今でも普通である。インタ-ネットは問題があるにしろ広範囲の人の情報に接することができるのだ。
電子本も文庫本百冊持ち歩くことができるようになるのは便利である。通信だったらすでに無尽蔵なのである。IPADなどが普及したのもわかる。情報は本一冊でも持ち歩くとしたらできない、情報は電子化すると持ち歩く必要ないのである。


あとがき

Kindle Paperwhite3Gではテキストフアイルをパソコンで感嘆にドロップして本のように入れることができる
ただWI-EI通信はめんどうで簡単にできない、ル-タ-などヴ必要になる。
それでも通信料無料で本は読めるから便利である。ただ本の蓄積は極めて少ないのが問題である。
それでもソロ-などの本を手軽に読めるのは便利だった。
自分のテキストファイルは持ち運びびきるのも便利である。
電子書籍が何か知りたいならキンドルのKindle Paperwhite3Gからはじめるのがいいかもしれない・・・

2013年05月03日

新聞からテレビからインタ-ネット時代に (マスメデアを通じないで主張する民主主義-個人が記録する写真の時代)


新聞からテレビからインタ-ネット時代に

(マスメデアを通じないで主張する民主主義-個人が記録する写真の時代)

現代の変化は何かというとやはり交通手段の発達とメデアの発達であった。江戸時代は遠距離は船の交通が多かった。明治になって鉄道網が全国にしかれた。その交通の発達が江戸時代の閉鎖的封建時代の環境を変えてしまったともいえる。封建時代は移動の自由がなかったからだ。
街作りにても駅前通りが中心になったことである。原町だともともと昔の街道沿いに商店街などがあった。宿場町から発展した。そういう街が日本には多い。鉄道網がしかれて駅中心の街作りになった。ただ相馬市は城下町であり駅中心の街作りにはならなかった。古い城下町の形が残ったままだった。だからかえって原町が新興地域として無線塔などができていち早く近代化した街になったのである。原ノ町機関区になっこたとも鉄道を利用する拠点の街となった。相馬市は近代化に遅れをとった。会津でも明治以降発展したのは会津の北の喜多方だった。ここは商人の街として発展して多くの蔵が建った。会津の城下町は新しいものを受け入れることがむずかしかった。それは相馬市が城下町であったことともにている。


交通の変化とともにメデアの変化も大きかった。グ-テンベルグの活版印刷が社会を変えたようにルタ-の宗教革命を起こしたようにメデアも社会を変えた。明治以降は新聞の力が大きかった。それは
大政翼賛会となり政府の大本営発表の機関化してしまった。だから新聞では戦争に勝っているという報道しかしなかった。新聞の影響は戦争後も長くつづいた。正力松太郎が読売新聞社を経営して原発を自分の野望のため利用できたのは新聞社をもっていたからである。一人の権力者によって新聞社が操作されていたのである。新聞社からテレビに変化して50年くらいたつかもしれない、東京オリッピック辺りからテレビの影響が大きくなった。テレビ局が新聞社経営になっているのもまだ新聞社の影響が大きかったのである。


今またメデアの大きな変革期に突入した。新聞社はすたれテレビ全盛時代も翳りが見えてきてその主役がインタ-ネット時代に移りつつある。若い人はもうテレビすら見ない、インタ-ネットから情報を摂取しているのだ。新聞は団塊の世代で終わりになるという。インタ-ネットはパソコンから生まれたのでありこのメデアの変化も大きいものだった。これはまだ発展途上のものであるがすでに社会化ししてのが違っている。パソコンの情報の流通が個人レベルで可能にしたことである。この変化は大きい。メデアを個人がもつなどありえようがなかった。個人で写真でも動画でも自由に出せるしデジタルカメラで簡単になったことである。現代は写真とか動画の時代なのである。写真のインパクトが活字よりに大きい。アメリカのイラクの戦争で石油まみれの鵜が写されたけどあれはやらせだった。でもその一枚の写真が衝撃を世界に与えたのである。写真も動画も操作できるからだ。



saikuruuuu111.jpg

写真の時代というとき自分が前にとっていた六号線を走るサイクリストの一団の写真は迫力があった。むんむんとした熱気があふれだして六号線を走っていたのである。これを言葉で表現してもその迫力を伝えられない、一枚の写真が過去を蘇らせたのだ。これは津浪にも言える。これほど映像で津浪が記録して伝えられることが今までなかった。動画では全くなかった。その印象派あまりにも鮮烈なものとなったのである。自分も津浪の記録を写真でだしたら全国の人が相当見たのである。
津浪に対するリアルな情報はこの辺ではなかった。400年前に700人溺死と記録はされていたがそれ意外の記憶は何もない、せめて図とか何か拙い絵でもいいから残されていたらまたかなり違ったものとなっていた。400年前の津浪をリアルなものとして認識して記録されないから危機感もなかったのである。今回ほど津浪の恐ろしさを映像で記録された時はなかったのである。



美しい八沢浦がよみがえったとしてプログに写真と共にだしたとき、地元の人がお前はここで無惨に死んだ人のことをどう思うのだ、子供まで死んだだそと批判された。それは確かにそうだった。ただ比較的そこは人家が少なく被害が少なかった。海になったところにはほとんど家もなかった。被害はあったにひろ村とか街が壊滅するのとは違っていた。
まずマスコミだったかこういう表現もしない、ただ無惨だ無惨だと悲惨な津浪の光景しか写さないのだ。でも明かに八沢浦が奇跡のように浦としてよみがえったことは事実なのである。それは美しいものであることも事実だった。こういう報道ができたのもインタ-ネットで個人で写真でも方とをすることができるようになったからなのである。マスコミと地元の人と個人の見方はちがってくる。そこに多様な情報の真実が追求できるのである。

情報はすべてインタ-ネット化してゆく方向にあるのかもしれない、選挙にも活用されることでもわかる。インタ-ネットは仮想空間でなく現実空間となりつつある。インタ-ネットで写真と実名で主張している人も増えた。そのことは今までのメデアを通して新聞や雑誌やテレビで主張するのとは違う。これまではマスコミというメデアを通して主張してきたがそれはマスコミによって操作されたものとして情報は出されていたのである。マスコミに出る人は限られている。そしてマスコミは宣伝費が経営を支えているのだから金を出す大会社の方を大事にする。また巨大な権力集団の圧力に抗すことはできない。そこから金が入ってくるからだ。だから今回の東電の原発事故にしてもマスコミはすべて安全神話を戦争のときのような大本営発表になっていたのである。なぜなら政府と東電が一体化して莫大な金がマスコミに流れていたからである。情報は常にこれまでも権力によって操作されたものしかででこないのである。出版の本ですらそうだった。確かに原発を批判する本をほんの一部出ていたにしてもそれは何か空想的SFの小説のようなものとして見ていたというよりそういうふうに情報によって操作されていたのである。原発は絶対に安全だとまで操作されていたのである。


インタ-ネットではマスコミのメデアを通じないで直接訴える人がでてきた。


テレビも新聞も取材に来るけど、表面しか捉えていない。NHKにも抗議したんです。
 「表面の話はもういいから。裏で苦しんでいる人がたくさんいるんですよ」って。そしたら、「貴重なご意見、ありがとうございました」で終わり。
 裏を取材して下さい。住民の心の中を。「飯舘村はきれいで、だけどそこに住めなくなって、涙を流していました・・・」。こういう話はもういいの。


帰りたい、帰れない 飯館村の苦悩
http://fukushima20110311.blog.fc2.com/blog-entry-66.html


この人は飯館村の住人として本根で語っていた。村長が国の管理化に入って放射線量が高いのに避難させなかったとか除染は無駄だから金をくれ、金が大事だとか主張している。現実問題としてはもう住めないのだからそれが当然の主張だとも言っている。こういうことの是非はともかくなかなかマスコミではストレ-トには言えないだろう。補償金で避難民はパチンコで遊んでいるとかもマスコミを通じては言えない、きれいごとに終始しているから実体が外からわからないのである。


ともかくこの辺では原発問題で民主主義に目覚めたということもある。実際に深刻な被害を受けたのだから東北特有の無口なお上に従うという慣習だけではだめだとなる。そういうことを強いられた場にもなったからである。自分たちが主張しなければまた国や東電やマスコミや大きな団体のいいなりになり苦しめられるだけだと現実的になっているからだ。

写真の影響というとき自分のプログの奥松島を旅して写真にだしていたのがここのところずっとかなりの数が読まれている。毎日20人近くのアクセスがある。これもどうしてだかわからないがそれは

津浪以前に訪れた写真の影響だと思う。自分が写真に撮ったところは津浪で被害を受けて喪失したのだろう。そこで写真が貴重になったのである。それは六号線のサイクリストの一団の写真と同じだったのである。写真の影響、迫力は言葉より大きいのである。それが一番力を発揮したのはまさに今回の津浪原発事故でその風景が失われたときだったのである。


奥松島⇒野蒜海岸⇒鳴瀬町⇒石巻(自転車の旅-夏)
http://musubu2.sblo.jp/article/29414836.html


ここに行っていないのだけどこの風景が津浪で喪失した。被害状況はみていないにしろここに当時の風景が残っているからアクセスが絶えずある。他でも写真は残っていると思うけどどうしてかアクセスがつづいているのだ。これも明かに文章より写真の影響なのである。失われたものを回想するには写真の方がインパクトが大きいのである。


 

2013年09月13日

windows 8は使いやすい (あらゆる整理が自分の仕事になった)

 

windows 8は使いやすい

(あらゆる整理が自分の仕事になった)

windows 8は使いやすい、今回も富士通のパソコンだった。ブルーレイもできるしテレビ機能も優れている。これはまさにマクチメディアに対応した。
ニュースも横にスクロールできるので便利である。ワイドだから一覧しやすい。
ビスタだったがこれもさほど変わらないものだった。
バソコンは今や脳と直結しているからバソコンを通じて脳を働かせるから使い安いことが大事である。

自分の場合はワープロの時代から親指シフトを使っていたことがバソコンに親しむ結果となった。
まず文章がすらすら打てないと嫌になるからだ。やはりパソコンでも文章が基本なのである。

もう一つがどうしてもたまりすぎた情報を自分を含め本なども整理することが仕事になっている。まず整理というのはあらゆるものの整理がここ3年間くらいそうだった。
津波や原発事故以後の二年間くらいは家のかたづけもできなかった。
今失敗したのは貯金を定期預金にしておけば一年間でそさなりの利子がついていた。
これもただ忙しくて考える暇もなく放置していた。
家事でも介護から何からやると一人だと時間に追われている。

その中でプログを毎日書けたのはこれだけ便利だから3時間ほどあればアップできるからである。実際は書く内容があるから5時間くらいはかかるだろう。


整理というとき人間関係の親戚関係の整理も一仕事になった。還暦すぎると一生の整理が仕事になるのだ。これまでしたことのいろいろなものの整理なのである。
まず本の整理は一番むずかしい、自炊して本を捨てるにもこれもめんどうである。
本は何か整理しにくいのである。長い文章だからそうなる。
でも本というのは一部分を記憶して利用することが多々ある
ただその一部分は本全体と関連しているから捨てるわけにもいかず残される。
何でも着るものでも捨てることはむずかしい、また利用するのじゃないかと思うからである。

知的作業は本と密接にかかわっていた。知識人は本を持っている人だった。本に蓄積している知識は天文学的でありインタ-ネットはここ十年の歴史しかないのだからまだまだ本の知識を頼る。本はすでに2000年とかの歴史があるからだ。


脳というのは整理されていないとうまく働かない、自分が知識だけに集中していたときは良かった。今度は台所仕事もするとなるとこれも冷蔵庫などが整理されていないとうまくいかない、台所仕事は意外と整理が問題になるのだ。自分なりに整理しておくと使いやすい。だから他人が台所に入ると整理したものがまた別な所に置かれたり使いにくくなるのだ。

結局自分のやることが一人であり多くなりすぎたのである。知識も整理でありwindows8は知識が整理しやすいみたいだ。これが親指シフトを使えたから助かった。
クラウドなどもあるからさらに整理しやすいのかもしれない、パソコン上の記録は一瞬にして消えるがレンタルサ-バ-とかに記録しておくとかえって消えにくいのである。
専門の人が管理しているからだ。安全策もとっているからだ。

ただレンタルサーバーのさくらが一回プログの記録が消えたときはショックだったが回復したのである。バックアップしているから回復できたのである。プロの方が安全なのである。さくらは月額百円とか安い、メールは設定しにくいからレンタルサーバーのメールボックスを利用すると安全でありわかりやすい、ここなら確実に送受信できるのである。

バソコンが不具合になるとメールも使いなくなる。メールが意外とめんどうだった。
バソコンは今や自分のバソコンだけではうまく使えない、だからレンタルサ-バ-とかクラウドとか外部と連結することが必要になった。でもクラウドって何なのだということもわかりにくい、勝手に自分の顔の写真がクラウドにのっていた。これも設定していないのにわからないことだった。パソコンについているカメラでとったものがクラウドに自動で送信されていたのだろう。バソコンはいろいろな不思議がある。
遠隔操作でプロバイダーを移ったのも不思議だった。
バソコンはなかなか秘密を保つことがむずかしい、もう自分の情報がつつぬけになってしまう。どこかにつながり一括収拾されてアメリカのグ-グルなどが分析している。
メールだって一旦メールボックスに入るのだから他人にも見られるのである。
どうしても秘密がたもてないのがインタ-ネットなのである。


今度は整理のためにこれも富士通のSV600という最新式のスキャナーを買おうかと思っている。これはただ置くだけで上からスキャンしてくれる。これも整理には役立つと思った。ただ厚い本はできないので困った。結構厚い本があるからだ。ただ厚い本になると全部は読めないしただ飾ってあるのが多い、古典全集などがそうだった。それで全集とかは捨てた。どうせ読まないからだ。本にはただ飾ってあるものが多いが捨てられないのである。時々読み返してみると新たに発見するものが本にはあるのだ。

ともかく新しいバソコンも慣れるのに時間がかかる。ただwindows 8は二三日でも使って使いやすい、整理しやすいようだ。文章でも写真でも整理しやすいようになっているので買って良かったと思う。アプリを簡単に消せるのもいい、バソコンはいろんなものがたまりすぎるのである。


自分はこれまでしたことを整理することが大仕事である。旅したことも思い出して創作して整理しているのだ。旅でもどこまで記憶を蘇らせることができるからである。
なぜなら旅しても記憶がよみがえらないとものは書けないからである。
鉄道でも外国でも日本でもテレビで報道しても何かつまらない、必ず料理がでてくるがこれも面白くない。おそらく細部が放送されず専門的になっていないからだろう。

旅はやはり内面化して自分なりに消化したものになれば一つの創作となる。
芭蕉は見事に消化した。内面化して奥の細道が後世に残ったのである。
誰だって旅ができる時代だけど何かテレビでも何でもその報告が平凡なのはそれぞれの個性で内面化していないからである。内面化は深くコンタクトしないと印象深い旅をしないとできない。芭蕉は歩いた旅だったからあとから思い出すことができたのである。

 

2013年10月19日

インターネット時代の買い物 (これも試行錯誤だったー失敗も多い)

 

インターネット時代の買い物

(これも試行錯誤だったー失敗も多い)


インターネットで二日おきくらいに買い物していた。本が主なものだか2万くらいだと買いやすい、デジカメは六万だったけどこれは買っても使うのがなれているから失敗しないと思った。でもすでに一回落として傷つけた。持ち運びすると自分は必ず落としたりするから高いもの買いない、今何かを買う時、電気店とかに行って聞いてもわからないことが多い。まず買うものを選ぶ時点でインターネットで調べる。知識がないのだから少しでも知識があった方がいい。それは店で聞くよりいいのだ。店の人に聞くと何か買わないと悪いなという気分になる。だからいろいろ詳しくたずねられないのである。

店員にしてもこの人はうるさく聞くけど買わないみたいだからもう説明したくない、説明するのも手間なんだよとなる。確かにいちいち丁寧に対応するのも本当は費用がかかっている。この点はインターネットは気楽であり買い物も気楽である。
人がいないからそうなる。ある意味で機械化して自動販売機のようにして買っているのかもしれない、人間力を極力省いて運営している。セルフサービスの体制でそうしている。だから人件費をかなりおさえられるのだろう。ただ配達するコストが一番かかっているのだ。それも無料が多いから買う方では便利になる。


電気の量販店で失敗したのは印刷機だった。文字だけを高速に印刷する手軽なものを14000円くらいで買ったがあまりいいものではなかった。カラーは印刷できないからだ。
これは何を選ぶかの時点で知識もなく間違っていた。店員の説明ではそこにある展示してあるものから選ぶと今は種類が多いから一部しか置いていないから失敗するのである。
エプソンだったけど失敗だった。

それでインターネットで印刷機とか調べていると8000円くらいでカラー印刷できるレーザープリンターがNESから売っていたのだ。
それはMULTIWRITER5600Cが簡易なものとして紹介されていたのだ。
ただこれでも印刷機に対して知識がほとんどなかった。これよりいいものがたいして変わらない値段で売っていたみたいだ。だから最初の段階でエプソンの白黒のレーザープリンターを買ったのは失敗であり電器店の店員も詳しく商品に対しては案内もしないし助言もしない、選ぶ時点で買う方がそれなりの知識がないと買えない時代なのである。
ただ大きさとか重さはネットの画面だけからわからないから失敗したことがある。
パッグが重かったのである。これは使えなかった。6000円くらいしたが丸損だった。
インターネットの通販にそうした失敗が必ずある。だからあまり高い買い物はしたくないのである。ただ通販でしか買いないものが今は増えている。
こんなにいろいろなものがあるのかと通販の品物の多さには驚いてしまう。
だからこれも欲しいあれもほしいとなってくる。
それでいろいろな買い物をしたのである。


今回買ったのは-強力1000Wヒーター搭載のスーパー風呂バンス-というものである。
電気温水器が40年くらい使って壊れた。地震の時配管を直してもらった使えたがとうとう寿命がきた。こんなに長く使えたら本望だろう。
これを買うと30万以上もかかる。自分の家では二人で一週間に一二回しか入らない、だから新しく買うのはやめた。風呂が入れない時高見のビジネスホテルのドートルの湯に入った。500円だけど昔の銭湯と同じである。風呂も自宅ですると金がかかる。
一週間に二回入って2000円だったら自宅で風呂をたてるよりいいとなる。

一人暮らしだったらそうして手間のかかることはしたくない、朝だったら牛丼屋で300円くらいの朝食ですましていれば時間も手間もかからないのである。
何しろ運んだり食器を洗ったりするのが手間なのである。

最近テレビで宣伝していた
H2OウルトラスチームマスターX5 スーパープレミアムキット ...
これも失敗だったみたいだ。


当方、エレクトララックスの掃除機型のスチームクリーナーを持っていますが、本当に、期待はずれでした。
油汚れも落ちないし、壁紙もキレイにならないし、お風呂もダメ。

大型品でもこの程度の実力なので、ハンディ型では、到底、汚れは落ちないでしょう。
毎週のくらいに掃除をしているのであれば、キレイになるのかもしれませんが、TVのCMのような
「まぁキレイ」
とはなりません。


それほど役に立つものではない、これで失敗したのはアマゾンなら旧式でも1万で売っている。宣伝で今買うと安いとなっていたので買ったが失敗だった。
そして部品がなくなってモップがつなげなくなった。ただ蒸気を出すだけになった。
これもあとで買うこともできなくなった。ただ全く使えないというのではなくなくトイレの掃除とかには向いていた。台所の床の掃除にも向いていた。
ただ25000千のは買う必要がなかった。アマゾンで買えば一万でもたいして変わらない。
これは宣伝にのせられたのである。
テレビで宣伝するものはみんなアマゾンで売っているのだ。


スーパー風呂バンス-も会社から買うより一万安く同じものがアマゾンで売っていて即買った。情弱というとき情報社会は買い物でも情報不足だとかなり損する。
テレビでの買い物は今は要注意である。一方的にのせられるからである。
テレビだけで買い物することは本当に一方的にのせられるから危険である。
これは何もニュースとかでもテレビだけの解説とかに頼っているのと同じだった。
一方的に説明されるから知らずに洗脳されているのだ。
青汁とかあれだけ宣伝しているけどそんなもの効かないと思うべきである。

情報社会とは新聞やテレビやマスコミからのみの情報に頼らないことに意義がある。
ただインターネットはまだ利用の仕方がわかりにくい、買い物でもそうである。
アマゾンはわかりやすいからみんな利用しているのだ。
とにかくテレビで宣伝してもすぐに買わないでアマゾンで値段などを調べてみるのが買い物のコツである。

インターネットの問題は調べることに時間と手間がかかりすぎることなのだ。
玉石混淆の情報から調べるとなると時間と手間がかかりすぎるのである。
まあ、2万円くらいまでならそれほど損した感じにならないだろう。
これも経験を積み重ねないといい買い物はできないのである。

ともかく本では買ってほとんど失敗していない、なぜなら自分の文脈でちょうどインターネットで調べるように引用するように本を買っているからだ。
品物はそうはいかない、まずその事前の知識を得るだけで手間がかかりすぎるのである。それだけ現代は買い物でも広範囲な知識が必要なのである。

家事をしていれば料理でも料理するのではない、いかに買うかであり買ったほとんどまかなうからそうなる。オカズもそうだしほとんどそうである。だから何とか時間があいて自分は文章を書き創作もできている。そうでなければ買い物だけでも追われてしまうだろう。時間を節約するには買った方がいいのである。めんどうな料理などしていられないのだ。それより食堂ですました方がずっと時間を節約できる。
今は介護しているからそれができないだけなのである。


これはインターネット時代にどう対処していいかわからないことから起きている問題である。
ただ今まではテレビとか新聞とかマスメデアを通じて買い物すらしていただろう。
量販店でもやはりそこのみが買い物の窓口となっていた。
だから店員の説明で買っていた人が多いのである。
買い物も情報化すると自分で情報を仕入れて自分で分析判断して買うようになる
それだけの情報がインターネットにあるからだ。
でもこれは老人にはめんどうだし買い物自体がかえって骨の折れるものにもなる
ただ売る方の一方的おしつけはできないということは普通の情報でも同じだったのである

5600C.jpg
MULTIWRITER5600C

これはいいものだった
ただドライバーをインストールするのがめんどうだった
NECでは丁寧に対処してくれた
furobance1000.jpg
これも2万では安いし使えるみたいだ
今日はこれで沸かしたもので入る

osuimono!.jpg
これはお得である。チャーハンなどについてくのと同じだった
味噌汁はやはり味噌を買って作った方がいいがめんどうだし塩分が多すぎるのだ
steamcc.jpg

H2OウルトラスチームマスターX5 スーパープレミアムキット

これは使えないことはないがアマゾンの一万くらいのでよかった
部品をたして25000円は高いものだった
これはテレビの宣伝にのせられてすぐ買ってしまったのが失敗
あとでゆっくり調べていればこうはならなかった。
今はキャンペーンで安いというので買ってしまった
これもテレビだから一方的にのせられたのである。

shilingloght!.jpg
 LEDシーリングライト

これももアマゾンで買ったけど大失敗だった。天井が高くて一人でとりつけられなかった。とりつけるるきもこれは相当にむずかしいものだった。
使えないと思ったがたまたま便利屋にかたづけ頼んでいたのでついでにやってもらった。でもとりつけるだけで一万くらいとられたかもしれない、それだけコストがかかる場合がある
自分で電気製品でもとたつけたりできないものがある。これは通販では買うべきではなかった。
あまり使うのにむずかしいものは買うべきではない
それから安くてもモノが手にとって見れないので損する場合もある。
だからこれなら間違いないと買って知っているものならいい。
全然知らないものを買うとなると失敗もある。
結局通販でモノを買うということは店で買うよりめんどうである。
ただそれだけに買えないものも変えるし車がないから何でも家に運んでくれるからいいのである。
量販店では運送費とか結構高くなる。3000円とかとられるとか高いのである。

インターネットのメリットが高くなると量販店でも苦しくなる。
通販なら無料で運んでくれるのだから無料で運んでくれと量販店に言ったらそうしてくれた。やはり通販が量販店の一番の競争相手になっているのだ。



 

2014年10月03日

パソコンを初期化してすぐウィルスに感染したのはショック (パソコンの記録は紙に印刷して残すことも必要)


パソコンを初期化してすぐウィルスに感染したのはショック

(パソコンの記録は紙に印刷して残すことも必要)


pppppvvvv123.jpg
ウィルスに感染して初期化した、でもwindows8を一年間使ってそうなった。
今回は初期化して一週間くらいだろう。
それもプログを書き込むところが宣伝がはいったり
ビデオで外人が笑ってい動画がでてくる。
どこかをクリックするとでてくるから相当に今回は悪質である。
それでインターネットにはつないでいない
もう一台のxpのパソコンでプログにアップしている
今回のショックは外部への記憶媒体も感染しているから使うなと言われたことである。
usbからも外部へ感染してそれを使うとまた他のパソコンが感染する
そんなことしたらせっかく記録したものがゼロになるから全部消えるからショックである。
一応インターネットにつながないで記録したものの整理をしている

結局印刷しておかない限り記録したものが消える、一瞬にして全部消えるのがパソコンの恐怖なのである。
ただcdに記録されたものが呼びだすことができた。
新しいパソコンでは記録した古いものがソフトの関係で読み込めないことがある。
これもパソコンが記録するには危険がともなっている。
電子メディアは意外と記録するのには脆弱であり危険である。
なんらかの調子で全部一瞬にして消えることがある。
そうすると紙に記録させることが一番保存にはいいとなる。
紙に保存すれば本だったら50年くらいはもつ、パソコンはせいぜい10年くらいになる。
本では何百年とか前のも残っているし羊皮紙だったら中世から教会で記録されて今に残っている。
紙はどうしても劣化するからである。


記録がなぜ大事かというと例えばCDに記録されたとしても消えてしまいば何が記録されたかわからない。
これには何が記録されたのだろうともう探りえようがないのだ。
人間も同じであり記録が残らないとしたら過去の人間が何であったか探りえようがない
結局過去のことでも歴史でも名前だけ残っていればいい方だとなる。
エジプトがヒエログリフで記録を残すのに執念をもやしたのは記録の大事さを知っていたからである。
記録がなければ三千年のエジプトの歴史は不明になる。
何か探るときやはり記録が大事になる。そのことを知っていたから記録を残した。

相馬藩では400年前の慶長津波のことが700人溺死と一行しか記されなかったので津波のことが皆目わからないし探りえようがないのである。
400年前でも被害の状況が何かしら語られて伝えられていればこの辺にも大きな津波がきて被害があったことを意識できたのである。それがないからこの辺は津波が来ないのだということで危機感が全くなかったのである。
ともかく印刷してこれまで書いたものを記録する、詩が多いがこれでも千枚は軽くあるしどのくらいになるかわからない、印刷すると量が増えるのも困るのである。
本は何か固定されたものでる。一人の人間の記録や創造物でも固定化している。

しかしこの世の中のことは常に変化している。次から次と事件も事故も災害も起きてくる。
あらゆるものは流転をまねがれないし本でも解釈がいろいろにされて変わってくる。
要するにこの世に固定したものはないし固定した見方などないのである。
でも御嶽山噴火で若い男女抱き合って火山灰の中で死んでいたとかなるとポンペイでもそうした泥化して固まった同じような人間が発見されたからつくづく災害でも歴史は繰り返すとなる。
インターネットではこういうふうに今起きていることを話題にしやすいのである。
それはすぐにその事件をでも事故でも災害でも見て自らが発進する能力を得たからである。
だから今起きていることが何を意味しているのかいろいろ解釈する。
過去の歴史から深く考察もできる。それで時事問題の深層を最初はホームページで書いてきたのである。
プログは特に毎日のことだから今起きていることはその土地や個々によって発信しやすいということである。

自分はここ六年とか介護とかで家のことやら何やら毎日整理に追われている。
震災以後もさらに整理が増えた、家の整理というのがこれが大仕事だった。
毎日掃除するだけでも大変である。だから未だ震災以後でも整理できていない。
実家をたたむということなどが話題になったがその整理することは何年もかかる。
何を捨てて何を残すかとなるとすぐには判断できない、捨てて失敗したなというのもでてくるからだ。
何年かおいてやっともういらないとなるからである。
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捨てるこつは整理するこつは必要なものと必要なものでないものに分けてゆく。
本でも着るものでももうこれは着ないとなったら分類して捨てる
ともかく年取ったら身軽にして必要なものだけを選んで残すことである。
結局道具類でも今や買っても使えないものがかなりありそれですでに損したものがかなりある。
ものがそんなに必要でないし道具類でも使えなくなっているのだ。
自転車にビデオカメラをとりつけようとしたがこれもできていないとかいろいろなことができないのである。
そこで4万損したとかいろいろある。前だったらそんなこと自転車で一時していたがビデオは面倒なのでできなかった。手間のかかることは年取るとできないことがわかった。
つまり買っても利用できない、金があってもその金を有効に使えないということが起きているのだ。
その時間がないということが致命的だったのである。

パソコンは前から機械との格闘だったということがあった。最初は何かおかしくなると必ず初期化して使っていたのである。バイオス設定を一から個人でしていたのである。すぐに不具合になるからそうなった。
今パソコンの最大の敵はウィルスであることがわかった。
この恐怖は大きく安心してパソコンを使えないとまでなる。一瞬にして破壊される恐怖である。
完全に防御することもできない、ウィルスを防ぐソフトも完全ではないからだ。
第一初期化して一週間くらいで最も悪質なウィルスに感染していることが解せないからだ。
パソコンはどうしても三つくらい安全のために必要である。
その他記録するにも安全策を二重三重にしておく必要がある。
紙に印刷することも必要だからさらにめんどうになるのがパソコンだった。
タグ:ウィルス

2014年10月28日

インターネットで成り立つ中古市場 (パソコンを中古で二台買った)


インターネットで成り立つ中古市場


(パソコンを中古で二台買った)


14万で買った富士通のパソコンが一年たってウィルスで使えなくなった。これも急になったのでショックだった。パソコンの突然のクラッシュほど怖いものはない、一瞬にして
記録したものが消えるからだ。長年の努力も一瞬で水の泡となる。
ウィルスは本当にパソコンでは一番怖いものである。
その対策も完全なものはない、今はフリーソフトをダウンロードすることが怖くてできない。ウィルススキャンすればいいようだがそれもよくわからない。
ウィルスソフトはどこまで有効なのかわかりにくいし操作できない。
失敗したのはビィスタは長く使っていた。でもウィルスに感染したわけでもなかったようだ。それからwin7になったとき買い換えるべきだった。
まずパソコン二年が使うのに限度である。
とにかくwin8を初期化してすぐにまた最も悪質なウィルスに感染したのはショックだったパソコンはそんなに初期化して同時に感染するとは思っていなかった。
だからパソコン自体ウィルスが怖くて使えないとまで思った。

それで今度中古のパソコンを通販で二台買った。どちらもwin7であり3万であり安いなと思った。パソコンはもう中古品でもかなりいいものである。だから中古市場が成り立つ
これはインターネットが生まれ通販が日常になったとき中古市場も成り立つようになった中古のパソコンを東京ならいくらでも集まるからである。
そして中古でも今は最新式のよりかえって安定しているようにすら思う。
前のソフトも使えるし前のソフトでないと使えなくなったファイルもあるから古いパソコンも必要なのである。
パソコンの使い方でも買い方でも知らないと損するしパソコンを駆使できない。
パソコンは新しい知能を得る開発するための道具なのである。
だからこれをどう使いこなすかが問題になる。
買うこともそうである。何を買いどういうふうに使いこなすかが問題になる。
自分の場合はオワシスキーボードを使っていたことがパソコンに親しむものとなった。
これでないとまず文章がスムーズに打てないのである。
文章か考える速度で打てないとはパソコンは使えこなせない
やはりパソコンでも文章が中心になるからである。
ここでパソコンはつまづく人か多いと思う
ブライドタッチができれば別だがこれもできない
つまりこういうのってできる人とできない人が必ずいるのだ
自分はいつまでもできない方である。
パソコンの普及はここが一番ネックになる。

中古市場というとき今までは車はそうなっていた。それでこの辺の島紹介がロシアに松川浦の原釜の港から中古車を輸出しているのである。
あそこの近くまで津波がきていた。あそこは相当に高いのにギリギリにきていたから驚きである。
それから英語を駆使できる人を雇ったというときやはり貿易だと必要になるからである。ただビジネスでそこまで英語を使うとなると大学で相当に勉強しないとやれない。
いづれにしろ日本車の中古品は世界中で売れるしかえって憧れになっている。
日本製品はなかなか壊れ憎いということで人気がある。
パソコンは今までは中古市場は成り立ちにくかった。
今は普及したし今でも使い安いから成り立つ、一日で送られてきたのには驚いた。
六号線か通れるようになったからなんかわからない、こんなに早くつくのかと驚いた。
まず品物が豊富だから通販がいい、中古を買うとしたらこの辺では仙台までいかねばならないしそれも品ぞろいが極めてすくないのである。
仙台まで今年は一回しか行っていない、何か家事やら介護で追われているので本当に近辺しかそれも街中心にしか行っていないのである。
だから自分にとっては通販は便利だなとつくづく思う。
消費の面では田舎でも何か差がそれほど感じないのが現代なのである。

中古市場では古本でもそうだし本でも今や全国が市場化しているからないものがない。
今までは買えないものも見つからないものもある。
これも何か欲しいというときすぐに買えるからいい。
自分は忙しいから図書館にすら5年間くらい行っていない
何か調べる時間すらないのだ。図書館はいちいち調べるのがめんどうで時間がかかるからである。
ただ郷土史関係の資料はある。ただ調べるの時間かかかりすぎるのである。
何か書いて出すとなると家の中に資料でも本でもないとできない。
図書館で調べている余裕がなくなった。
家事から介護は相当に時間が食われるのである。
ともかくウィルスが恐怖だから一台がだめになったら二台目で補いさらに安全のために三台にした。費用は安いものである。
パソコンほどいかに使いこなすかが問題になるものはない。
だからこれは相当な労力がかかるものなのである。
ただ知的作業としてはこんなに書いて即座に発表できるのものはない。
それが記録となってあとでふりかえることもできるから便利なのである。

すでに書店はなくなっても困らないだろう。電器店だって通販に押されている。
品数が少なすぎるのである。配達料までとられるのも損である。
ただ通販で失敗するものがある。
大きさとか形とか実際のところわからない場合があり怖いのである。
だから10万とかなると買うのが失敗したら終わりだから買いたくない
5万くらいまでが限度だろう。
すでに何万かは通販で失敗している。
重さが違っていたとかありこれはどうにもならない
ただパソコンの中古はほぼ今は買い損がないみたいだ
それだけパソコンは前よりずっといいものがでているから中古でも車と同じくいいものにてっているのだ。ただパソコンはハードディスクが古くなると壊れやすいからこれも問題ではある。
ただ予備にするなら安いし使いやすさでは同じであり得だと思った。


 

2014年11月12日

パナソニックとヤマハの電動自転車は乗り心地が全く違っていた (機械は使ってみないとわからない)



パナソニックとヤマハの電動自転車は乗り心地が全く違っていた


(機械は使ってみないとわからない)


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パナソニックビビ

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PAS Brace XL



最初買ったのはパナソニックだった。なぜ買ったかというと長距離用に買った。
それが最新式で17アンペアのパッテリーであったから長持ちすると思った。
写真は26型ではなく27型だからさらに車輪が大きい。
これはスポーツタイプではないから実際は買い物には向いていた。
ただ買い物でも荷物には弱い、馬力がないから坂も強いとは言えない
平地では走りやすいしスピードも出るし軽い感じになる。

これはヤマハのスボーツタイプを買って乗ってわかったことは長距離用ではない
近くに買い物するには便利である。
これは自転車屋の進めで買った。最新式だから進められた。
そこでは会社に関係なくどこのメーカーのでも売っている。
実際に自分で試し乗りして買ってきているというから詳しい
今の時代何を買っていいかわからないのが多くなった。
自転車だって種類が多すぎるからだ。
電器店で買い物して失敗したのは店員に聞いてもわからない
よく説明もしてくれない、結局使えないもの買った
印刷機だったがこれもわかりにくいものだった
むしろネット下調べして電器店に行ったほうがいい
電器店ではその人にあったものなどすすめないからだ
だから最近は二三万のものは通販で買っている。

ヤマハの電動自転車は前も使っていた。
最新式かなり改善されていた。
これの乗り心地はパナソニックのとはずいぶん違うなと思った。
これは何か見た感じも重厚な感じになる。
実際はこれはマウテンバイクだから悪路に強い
もともと坂も強かったし馬力があるから荷物にも強い
乗った感じがまるで違うのである。
これはスボーツタイプだからち長距離向きだった。
12Aと17Aと差があるようだが実際はほとんど同じでありヤマハのバッテリーの方が長持ちする。坂で電池が消耗していないのである。
パナソニックでもスボーツタイプだったからたいして変わらなかっただろう。
スポーツタイプと普通の自転車でも作るコンセプトがそもそも違っていたのである。
それは電動自転車でも同じであった。
ただ乗った感じではヤマハのは何か高級感と重厚感がある。
悪路に強いから近くでも乗りやすい
パナソニックのくはサスペンションがないから買い物でも道が悪いとのりにくいのである自転車や歩道は段差があるから困るのである。
ただスポーツタイプは買い物用ではない
だから買い物ではパナソニックを利用している。

ともかく機械でも道具でも使ってみないとわからない
こんなに種類によって違うものかと思う
自転車は種類は本当に増えている
その一台一台が乗り心地が違うのである。
自転車の不思議はなぜこんな乗りここちか違ってくるのかということである。
だからその乗り心地が違うから車種が違うと違った楽しみがでてくる。
これはバイクでも自動車でも同じである。
カメラだってそうである。
みんな違った感覚で使うようになるのである。

例えば一つの景色がある、これは角度が違ってとると別なように見えるし
またカメラによっても違ったように写る、さらに加工すると別なものになる。
道具とか機械によって変化させられるのである。
こういうことは昔からあったが現代は何でも種類が膨大に増えてそうなった。

歩いて見える感覚、馬に乗って見える感覚、自転車に乗って見える感覚、
バイクで見える感覚、車で見える感覚、電車で見える感覚、これはみんな違って見えるのである。
今は徒歩で見える感覚か消失している。たいがい乗り物に乗っているから歩いて見える感覚がわからなくなっているのだ。
自分は自転車でものりはじめたのは40代と遅いからスポーツタイプは乗っていない
一台買ったけお乗らなかった。
つまり乗る時間すらなくなっていたのである。

人間は遊ぶだけでもすぐに時間も尽きるものだと思った。
なぜ中高年ライダーが増えたかがわかる。
金もある時間もある、一旦若いとき知った快感が忘れられないのである。
この際最高級品でも乗りたいとなる、その快感を味わって死んでゆきたとまでなるのだ。この快感にはいろろいある。
週刊誌でとりあげている男女の本能的快感もそうである。
人間はつくづく快感をあくなく追求するものだと思った。
苦しいことなどしたくないである。
だから原発事故で避難した人たちが楽な方を選ぶのである。
たいがい苦しいことを選んでいるのはそういう環境であり強いられたからである。

タグ:電動自転車

2015年02月24日

インターネットで変わった買い物や本を買わないこと (現代的情報環境に適応できない)


インターネットで変わった買い物や本を買わないこと


(現代的情報環境に適応できない)


インターネットの買い物で一番便利なのは買った本人が使ってみてどうだったか書いてあることである。
そして何人もこれがいいと書いてあるとそれは確かにいいと判断する。
これはほとんど間違いない評価である
ところが電器店の量販店に行ってみても使った人が評価するのではないから
量販店ではどうぞどれでも買ってみてくださいとなる
その中には古いものや店がすすめるものでもその人に合わないものもある
品物の数も少ないから自分で選んで失敗した買い物がある
オカユを作るのを8000円ですすめられて買ったが使いなかった。
ところがアマゾンで4000円のオカユ製造機は良くできているなと感心した。
8000円のすすめられて買って失敗した。
量販店は本当に不親切なのである。

今は物がやたら増えているから何を買っていいか迷うのである。
オカユ製造機でも十もあったりすると何を選んでいいかわからない
店ではどれでもいいから買ってくださいとしか言わない
使った人の評価を聞くことができないのである
こういう点で量販店が通販と比べてかえって不親切だと思った。
ただバッグなどは重さと大きさがわからないので買って失敗したのがいくつかある。
だから店がすへてだめだとはならない
ただ通販とどうしても比べられるようになったのである。

本や雑誌が買わなくなったというとき、特に雑誌は売れなくなったというとき、ネットの影響が大きい。
メデアが変わると表現の仕方も変わることも影響していた。
雑誌とネットの表現の仕方は根本的に違っていた。
ネットでは前は応答が主だったとき長い文章は嫌われていたのである。
短い文で応答するのがネットのメデアの特徴なのである。
それは今でも2chなどでそうである
そういう情報環境になれると人間の頭もそういう環境に適応する
雑誌的情報の出し方が現代に合わないとなってしまった。
新潮などで雑誌を出しているが他にも文藝春秋とかあるがそれには中味があっても
とても全部読む気力もなくなった。
これは老化のためであるが若い人でも雑誌を読まないというとき長いの十人くらいが別々に書いているから全体として理解するのが相当にむずかしい
一人の文を理解するだけで相当に頭を使うから疲れる
それで自分は読もうとしたがギブアップした。
十人もの長い文章を読んで理解することができなくなったのである。
それは別に年取ったからではなく若い人もそうなのである。

一方でプログでもやはり今では長い文を書く人もいるがどっちかというと短い文を毎日出すのが読みやすいとなる。
でもそれなりに長くないとそれは中味がないのでプログで毎日読んでいるのはまれであるプログで毎日それなりの長い文で読めるのを出すのはむずかしいのである。
ただ毎日プログ読んでいると首尾一貫してその人の言いたいことを理解するようになる。だから「心の青雲」などは全部納得できなくても何を言いたいのか理解するようになったただあれだけの内容あるものを書き続けることが普通はできない
だから毎日読めるようなものをプログがまれなのである。
ただプログが長いと言っても雑誌からすると短いから読みやすいのである。
毎日読むにしても苦痛のない量なのである。
もし一カ月分くらいをまとめて読むとしたら雑誌と同じでありとても読めなくなるのである。
毎日少しづづ同じ人の文を読むから理解できるのである。

本が読まれない買わないというときネットのこうした情報環境になれたことも原因である本はたいがい薄くても厚いし情報量が多いのである。
だから本一冊を読むことは苦労なのである。
実際本を千冊買ったとしても理解できるのは百冊が限度である。
それくらいしか生涯で本は読めない
本はそれだけ情報量が多いのである。
そして年取るとますます読めなくなるのである。
実際は若いとき苦労してでも古典などを読んでおくべきなのである。
なぜならあとで読めなくなるからである。

ただ以前として本の種類は膨大である。
だから本を選ぶということも何を買っていいかも迷う
なぜなら本は厚いから買っても全部読むことが苦労だからである。
金もかかるからなかなか買いにくいとなる
それでもネットだけではデープな情報は内容あるものにはふれがたいということはある。本が売れないというときこうした情報環境がちがってきたことに対応できない
買い物でもネット環境に対応できないということがあった。
やたら本の評価を書いている人がふえた。
そしてその本自体を買うのではなくネットでの評価を読んで終わりという人もふえた。
なぜなら本を買うことは金がかかるし読むとなると厚いから苦労するからそうなる。
インターネットは今になると様々に現実社会に影響が大きくなってしまったのである。


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おかゆを作る

4200円では安い優れもの

タグ:通販

2015年02月25日

インターネットで変わった商品の買い方(2) (個別に対応することが何でもむずかしい)



インターネットで変わった商品の買い方(2)


(個別に対応することが何でもむずかしい)


または銀行の、個人の客に対しての営業のやり方なんです。自分たちが売りたい、今売らなくてはならない商品在庫を捌く。それしか頭にありません。本当にお客さんのことを考えてアドバイスができるところはないのではないかと思います
http://president.jp/articles/-/10732?page=4

これは銀行だけではない、電気量販店でもそうである。
前にオカユを作る機械を買いたいと思って商品をみせてもらったがとれを選んでいいのかわからなかった
まず買う方の問題としてオカユを作ることに関しての知識がない、商品知識がない
そうなると量販店に聞けばいいとなるが量販店でもこれが今一番売れているものですよとか説明してくれない、またそういう商品もおいてない場合がある。
だから商品に対する予備知識が必要なのである。
それでインターネットでアマゾンで調べて
今人気なのがどれなのかということを知る
レビューはだから役に立つ、出版社で本にケチつけられたと訴えた人もいることでわかるレビューの影響は何も知らないものにとって影響が大きい、判断材料になるのである。
本になるといろいろあり物の商品とは違っている。
中味は知識だからその判断がすべて正しいとはならない。

でもやはりこの本はつまらないとか書いてあるだけでも影響する
そのつまらないにしてもこういうところがつまらないと書いてあればいいが
一方的につまらないとだけ書いてあるのは誤解されやすい
その本を出している出版社にとってはそういう批評は困るとなるだろう。
ともかくインターネットではあらゆる人が批評者になったことも影響している
こうしてし二三行でもとりあげて文をつづるということなど今までできなかった。
本など出ても読者が何かを言うことはできなかったのである。
本というのは一方的メデアだしテレビでも新聞でも雑誌でも一方的メデアである。
だからたいがい宣伝費で経営するとなると宣伝する会社の言いなりになる
それでメデアの自立性が得られなかったのである。

ただこうして誰でもプログなどでソーシャルメデアで批評できる時代はものを考える人が増えるということがあるかもしれない、なぜなら自分なり書くとなるとその批評でも書いたことが誰かに読まれるとなるといいかげんなことを書けないとういこともあるからだ。批評できてもその批評を批評される時代になもなる
だから何か書くにしてもそれなりに知識や独自の考えないと相手にされないということもある。
こういうことは民主主義の促進につながることもある。
今までは商品を買うにしても売る方が主役であり買う方はただ従うだけだという面が大きかった。
商品についての知識がなかなか得られなかったからである。
それでも今は商品がふえたから本当に選ぶのがむずかしい
印刷機は4台買ったがいいものではなかった。
安いこともあったし選び方がまずかった。
最新の印刷機でも紙送りがうまくいかないとか欠陥があったみたいだ
かえって古いのがしっかりしていたがスキャン速度が遅すぎたりして使えなくなっていた印刷機はそれなりに高いからいいのを買うのが一番むずかしかった。

それからパソコンもwin8の買ってウィルスに二回やられのはショックだった。
それで中古品のwin7を二台安全のために買ったがこれの方が使い安いというのも今の時代である。
ソフトもwin7用のがありかえって中古品の方が良かったと思い失敗だった
中古品は3万くらいでいいのが今は通販でいくらでも買えていたのである。
中古品は古本でもそうだが全国規模になるからいいのが手に入るのである。
それとパソコンはすでにできあがったものだからwin7の方がかえって使い安いということあった。
そのことに気づかなかったのが失敗だった。
新しいパソコンはウィルスに弱い場合がかえってある、それも怖いなと思った。

今と物を売るにしても買うにしてもめんどうな時代になったのである。
その人の求めるものが多様化したのである。
だから売る方にしてもオカユを作る機械に関心がない人もいる
若い人など介護したりしなければ関心がないから売る方で商品について知らないことも多いのである
ましてや金融商品など銀行にまかせているがその若い人は本当に知らないのだろう。
ただ適当にいいことを言っているだけである。
そもそも金融について詳しい人は少ないのである。
銀行では金融が株が商売でないのだから余計にそうなる

ともかく人間は相手のことを知ることが大事だけどそれができない
まず人間は自分自身のことしか考えない
家に来た人もただ金をくれとかなり本当に家捜していたのだから驚く
他の人も借金かかえているから頭にそれしかなかった。
だから病気になり介護で苦しんでいるときも借金の要求だけになる
だからこの人死ねば金になるなとなっているから怖かった
ただ自分のことしか考えていないのである。
そういう人がふえたのが現代でもある。
だから相手のことを相手が求めていることに対応できないだろう。
あの人は相手のことを全く考えない人だったのである。
そういう人が経営者になれると思えない
もちろん人を雇ってもその人のことなど何にも考えないだろう。
そういう人が経営者として成功するとは思えないから失敗したのだろう。
経営者は技術だけではやっていけないのである。

相馬市公立病院の看護婦長はそういう気配りができていた。
書類見ただけで「お母さんの介護で大変ですね」と言ってくれた。
これは簡単にできない、書類だけで簡単にその人のことがわからないからだ
そこまで相手のことを知ること自体むずかしいからである。
ただ看護婦には虐待みたいなことをされたから全部がいいとはならなかった。
看護師などは本当はどういう患者なのか良く相手をみる必要がある
でも何人も相手にする、次々に変わるときそういうこともむずかしいだろう。
それはどこでも起こりうる。大勢を相手にすれば機械的になる
メカニカルな対応になりそっけないものとなる

現代ではやはりそういうことがどうしても多くなるのだ。
そもそも勤めるにしても今は時給いくらだとなるとその分しか働かないとなる
愛想など良くしろといってもそういう動機が働かないだろう。
時給いくらでありそれ意外のことに気を使うのも馬鹿らしいとなる。
オーナーだったら別だが時給で雇われている人にはそういう動機が働かない
だから今は個々の対応がぞんざいになりやすいのである。
大勢を相手にするところはみなそうなりやすい
カルト宗教団体などでもそうである。そこで問題になるのは数だけなのである。
あれだけ数が多ければ個々人などどうでもいいとなる
現代はそういう数が中心の世界である。
数で判断されるところには個々人などをとでもいいいのである。
単に統計的数字として処理されるだけだとなる


インターネットというメデアまだ熟成していないだろう
だからこれをどう利用するかはまだ未知である。
家事やっていると物を買っても料理する材料を買ってもそのノウハウの方が大事なのである、家事は本当に多岐にわたるからノウハウがわからないとできない
それで一人の女性に教えられることがあり助かった
やはり家事は女性がノウハウを積み重ねている
介護は料理など出すから女性向きであり男性向きではないのである。
それで男性が介護で苦労する時代になったのである。
だから男性も家事とか料理を習う時代になっている。
それでも一人で家事から介護からすると大変になる
それで毎日時間に追われる生活になったのである。


2015年03月28日

NHKスペシャル「プラントハンター 世界を行くを見て (グローバル化している花や植物の世界)



NHKスペシャル「プラントハンター 世界を行くを見て


(グローバル化している花や植物の世界)


プラントハンター(Plant hunter)とは、主に17世紀から20世紀中期にかえてヨーロッパで活躍した職業で、食料、香料、繊維等に利用される有用植物や、観賞植物の新種を求め世界を探検、冒険する人のことで、現在も存在する。

オレンジやレモンは北西ヨーロッパの貴族にとってあこがれの樹木だった。イタリアやスペインからアルプスを越えて運ばれ、夏の間だけ北西ヨーロッパの貴族の庭を彩った。イギリス人が、ヨーロッパ大陸に派遣され、サクランボやオレンジ、アネモネ、チューリップなどを購入したのが、プラントハンティングの起源だといわれている。
http://www.13hw.com/jobcontent/01_01_01.html

西畠清順さんは、数々のお金持ちの方からの依頼を受けていて、その1回の依頼料が、なななんと3000万円からだそうです。



プラントハンターはヨーロッパでは昔からあった。これはやはり金持ち国でないとできないだろう。
そもそも花を観賞する、生け花でも余裕がないとできないし鑑賞すらできない。
ヨーロッパでいろいろなもの芸術でも科学でも発達したのは生活に余裕ができたからだろう。
イギリスは寒い国だから南への憧れが強いし植物でも花でも南国のものを取り入れた。
花の種類はどうしても南国が多様だからである。

最近自分は家事とか介護に追われゆっくり花も観賞できないことに気づいた。
花見るにさえそれだけの時間的なゆとりが必要なのである。
だから時間の節約するにも金持ちだとできることがある。
家政婦を雇えば家事をしてもらうことができる。
でもこれは一日20万とか払う必要がでてくるし現代はできない
その代わり機械がその代わりをしてくれている。
オカユを作る機械は良くできているなと感心したのである。

金持ちが今何に金を使っているのか?
それは庭作りとかがあるだろう、世界の植物で飾る、花でもグローバル化しているから今は多様である。
ただ金があっても時間的余裕が無いと文化的なことがしにくいのてある。
あの人の出自が生け花の素材になるものを松の枝などを自然の中からとってくるなどが仕事だった。
つまり京都のそうした生け花などが盛んな所で文化的に鍛えられたのがグローバル化したのである。
前にも花を自由に活ける人がテレビに出た。
そういう人も京都などの文化があるところから出やすいのである。
田舎の花屋でも花の種類がふえたからグローバル化している。
それだけの知識も新しい技術も取り入れることが必要になる。

それにしてもあれだけ大がかりなことをしていることに驚いた。
樹齢千年とかのオリーブの樹とか酔っぱらいの樹とか飛行機で運んで日本で育てるのだから苦労である。
そんなことまでできる時代だともなる。
ただ残念なのは大阪とかであれ大都会で森の無いところで展示する
何本か植えるにしてもそもそもか都会には森がないのである。
一本のめずらしい樹があってもそれで森になるわけではない
森という全体があって一本の樹も生きるのである。
せめて公園きような所に小さな森でもあれば活きるのである
その点この辺は森がある、その森が深い、その森で樹も自然も野生の動物も野鳥も活きているのである。もちろんそこには岩もあり活きている。
都会のビルだらけの所ではそもそも樹も花も活きないのである
つまり森が無いということが致命的なのである。
森は作れないからである。

この辺では近くに深い森があるということは常に森を感じて生きていることにもなる。
森は瞑想的であり心を静める場所としてある。
放射能に汚染されても森は以前としてある。
飯館村は原始の森にかえるとしたら森にさらにおおわれた世界となってしまう。
双葉町でも大熊町でももともとあそこは明治まで深い森だったのである。
それが浪江町まで森にかえってしまうのか?
そうなると江戸時代にもどり広大な森におおわれることになってしまう。
森の国にになってしまうということてある。


つくづく人間の豊かさとは何なのだろうと思う
都会では森が無いのだから外国からでも一本の樹をもってきても活きない
そもそも森が無い自然が無いことがどんなにしても都会が貧しいことにもなる
都会にはそもそも森でも自然でもそんなもの作れないからである。
そういう人工的空間にめずらしい樹を外国からもってきても活きないのである。
ただ都会には金持ちがいるからやはりヨーロッパのように昔と同じくそうした職業が生れている。
金持ちに対して需要があるからそういう職業も生れている。
田舎では別に森があるのだからそんな職業は必要ないともなる。
ただ街路樹などはやはり都会でも自然を感じさせる。
仙台には欅並木がありやはりそれは自然を取り入れたもので気持いいとなる。
自分がしてみたいことは庭作りだった。ただこれも大変な労力が必要でありもうできない水やるだけでも手間であり家事から介護からやっていたらそれも手間になる。
だから金持ちでも時間に追われて仕事している人は時間がなくて旅もできない、自由にならないといっていることもわかる。
本当の金持ちは自由な時間がもてる人なのだからそういう金持ちは金持ちとも言えない
仕事の奴隷ともなっている。
日本人は豊かになっても何かそうした本当の金持ちがいないから文化も育たない
ヨーロッパのような貴族が生れないということである。

 

2015年05月24日

インターネットの情報空間の特徴 (マスメデアから個の関心のメデアへ)


インターネットの情報空間の特徴

(マスメデアから個の関心のメデアへ)

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これは小島田から見たもの、鹿狼山(がろう)が見える
これは午後の写真である。


 
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人間の情報伝達は時代によって相当変わってきた。江戸時代までは直接人を通して口伝いなのが多かった。だから何か習う時、師を直接たずねて歩いた。
何かを知るのには教えてもらうのには直接人を通して知るほかないのである。
本とかあってもそれはわずかしか流通していない
だから知識とか情報の点では極限られたものしか得られなかった。
それで江戸時代に御伊勢参りが流行したが会津の農民がそこで農業の知識を直接旅して得た、種も買ってきたとか記録がある。
農業の知識でもそうして直接その場に行かなければ得られない時代だった。

それが急速に江戸時代になると変わってしまった。
新聞が生まれ新聞が権威あるものとなったり本も流通するようになった。
戦前から戦後十年はラジオの時代だった。
ラジオは過去のものになったけどラジオの影響は大きかったのである。
子供の頃ラジオを聞いていて・・・宝島で足音から恐怖をいだくイメージをした
ラジオというメデアは音に敏感になるのである。音から想像するから想像力は映像より醸成されることがあった。
映像として見えないから想像力が働くのである。
そしてラジオができた結果宣伝力が全国的に報道されることで拡大した。
それがナチスを産んだという分析も生まれた。
つまりその頃からラジオはテレビの役割を果たしていたのである。
ラジオさえそれだけの力をもつのだからテレビがどれだけ影響力をもったかわかる。

情報というとその場所がどういう場所かを伝えるだけで相当な情報量になる。
でもテレビ番組とか新聞でも何でもある場所についての情報は一部しか伝えられない
例えば地方については興味がなければ誰も関心ももたないし知らないのである。
一番関心をもっているのはそこに日々生活している人なのである。
そして地元のことでも地元のことを知らないということが普通にある。
最近近くの神社で「天明」の碑を発見したように知らないのである。
情報というのは今はデジタルカメラやスマホで映像中心になっている
これも大きな変化である。普通のカメラの時代は現像しなければならないから金もかかるしそんなにとれないからだ。
いくらとってもいいとなると今やデジダルカメラでもスマホでも写真で記録することになる。写真の日記が生まれた。
実際に人間は忘れやすいからデジタルカメラでとったものをふりかえると効果的である。こんな場面があったのかとか忘れていたのを思い出すのである。
それは一日の行動でもデジタルカメラで記録すると人間は忘れている
だから人間は記録することではパソコンや機械の方がはるかに優れている。
ただその記録したものち意味を与えるのは人間の方が優れている。
機械は記録してもそれが何を意味しているかなど関係なく記録しているだけである。

テレビとかで旅の記録を移す場合、編集しているからいい場面しか写さない
実際は百倍もの記録を映像としてとっている。その中に写されないものが多いから旅でも情報は省かれているから本当に知りたいことなどわからないのである。
例えば「夏の六号線」というのを先日プログに出した。

ここで小島田の所から「鹿狼山」が見える、これは新地にあるこの辺では一番高い山である。
でも地元の人もあそこから鹿狼山が見えるということに注目している人は少ない
まずあそこから「鹿狼山」が見えるというのが情報として伝えられることである。
それから山の陰に歩道に藤の花が咲いていたのである。
何か車が頻繁に往き来するから静かに垂れ咲く藤の花にはにわない感じだった
でも日影になり藤の花が歩道に咲いていたということで俳句にした。

6号線日影の歩道藤垂れぬ

藤の花が咲き6号線を車が走り鹿狼山が見えてそしてあそこまで津波が来ていたのである
一つの地点には空間にはそれだけの情報がある。
でもテレビとかで報道するときは時間も制限されているし面白くするために視聴率とるためにそうした何気ないものありふれた情報は省かれるのである。
だから営利的な情報発信には問題が生まれる、金になることはやるが注目されない金にならないことは伝えないとなるのである。
インターネットの場合は確かに読んでもらう人が多ければやりがいがある。
でも本質的には自分自身の関心から書いているのである。
そこがインターネット情報空間の今までのマスメデアとの相違である。
マスメデアは文字通りマス(大衆、集団)を相手にしたものであり個人的な関心とはまるで違ったものなのである。

personal innner issues
personal dairy issuse
personal interested issues

とかなる。第一あそこの地点に興味をもつ人は地元の人しかいない、自分は自転車でいつも通るからあそこに興味をもった。地元の人でも車の人はまたあそこからの景色に興味をもたないのである。
地元の人でも住む場所が違うと興味をもたないことがあるのだ。
ともかく情報というのはテレビだと一時間放映したとしてもその十倍の量の情報から取捨選択するのだから情報が不足するから必ず誤解が生まれているのだ。
細部が報道されないということがある。
真実の情報はその場を踏まないとわからないとなる。
それは写真でも動画でもそうである。その時の風とか気温とかそこで感じるのは五感でありそこに立たないと感じないものがあるからだ。
日影を感じるということもできないし距離感も感じられないだろう。

soler123.jpg


これも一つの例として写真をみてもらうと
ソーラーパネルがあり今年はこの辺では田んぼが増えた。
それから隣は以前として原野であり草原となっている。
この辺の状態がこの写真で象徴している。
でも外から伝えるときソーラーパネルを写すが回りのことは写さないとソーラーバネルだけが目立つことになる。
だから伝えるべき情報はなかなか外からは伝えられない、現場に立たないと真実が見えないのである。
そこに情報伝達に関しては誤解が常に生まれている、だからやらせが常にありそれで情報捜査される。
イラク戦争でも鳥が油まみれになっていたのを写していたがあれも嘘だったとか
もう情報は実際見ることができないものだから写真からも動画からも本当なのかどうかわからない、それでも一瞬映像を見て判断されるから誤解が多すぎるのである。
つまり映像の時代でも情報捜査されやすいのである。
だからマスメデアから報道されるものでも本当なのか疑う必要も出てくる。
その映像にしてもNHKでも編集されたものでありやらせがあったとかなるからである。

情報というのは五感では感じられないのが多くなった。
動物は言葉がないが何かを伝えあっている能力はある。
愛の表現でも猫があんなに愛し合うとは思わなかった。
顔から体から雄と雌がなめあっているのである。
その猫は同じ親から生まれた子供同士だった
猫は表情がありその表情で伝えている
餌をねだるときは足にまとわりついたり何かを伝える
動物は表情で伝えている、表情が豊かなのである。
一方人間は直接合わないと表情がよみとれないから言葉だけ映像だけでは誤解が生じる
でも反面人間は直接あっても誤解が生まれる
「人はみかけによらぬもの」と言うのも真実である。
あんな顔の人が意外と花に興味をもっていて美人だった人が花に興味をもたないのはなぜだろうとなるとか表情だけから人間はわからない
直接あってもそこで必ず人間に対しては誤解が生まれる
だから人間は常にだまされことがある
動物は正直でありありのままだから表情からわかる
人間はまた表情から見ただけではわかりにくいということもあるから複雑である。

いづれにしろインターネットで明らかに情報空間は変化した。
でもまだまだインターネット情報空間は活用されていない
活用するのが手間なこともある。テレビならただ一方的に見ているだけであるが
インターネットだと探すこと自体手間になるからである。
だからインターネットから情報を得ることは相当な知力も必要になる。
それでもマスメデアからインターネットぃの情報空間へ移ってゆく
マスメデアの情報だけではたりないからである。
マスメデアによって支配されることは操作されることは危険でもあるからだ。
タグ:メデア

2015年06月16日

情報過多時代にどう対処する? (NHKクローズアップ現代ー買い物は“おまかせ”スタイルで!? )


情報過多時代にどう対処する?

(NHKクローズアップ現代ー買い物は“おまかせ”スタイルで!? )



今やインターネットとかで買い物も情報化している。そして情報過多に悩んでいる。
情報が多すぎて自分でも選びきれないというのが問題になる。
それはインターネットでは常に起きている。
種類が多くて何でもあるとしても何を買っていいのかわからなくなる。
そもそも買い物だったら昔だったら隣近所の店であり次にスーバーとかイオンとか
買い物の種類が増えたきた。
だから自分も買い物が仕事になっている。様々なものがりそれを選びきれないしわからないものがまだまだある。
意外といいものを買うのはむずかしい。特に野菜とかは生ものはむずかしい。
それから調味料とか料理に使う細かいものもわかりにくいのである。

自分はもうインターネットでプログで発信するために情報にアツセスしたり本を読んだりするからもうそんなにいろいろなことを一人でできないのである。
もうスーパーマンになるほかない状態である。
家事だけでも実際に書類とかいろいろあるからそれだけでも頭に入れることが手間になるそれは自分だけではない他の人も情報が多すぎて仕事するにもどうしていいかパニックになっている人が多いだろう。
人間が情報を処理できるのは限界がある。つまりもう情報はとても消化しきれなくなっているのだ。
情報の性質として情報は天文学的無限大であり常に膨張しているしグローバル化するグローバルに膨張しているから一人の人間の頭では処理しきれないのである。
情報の性質としては

●一つの物事一つの場所の深化する情報
●広域化グローバル化する情報
●視覚化する情報

一つの物事とか一つの場所で深化してゆく情報は江戸時代とかがそうであった。
一つの藩内からほとんど出ることがないからその中での情報を知ればいいのであり外部の情報はそれほど知るなくても困ることがなかった。
人間もそうした狭い範囲で親密に暮らしていたのである。

今の情報は単に情報でなくても物でもグローバルに流通しているときその情報を広げれば無限大になる。とてもそんな能力は人間にはない。
そして現代の特徴はデジタルカメラなどで動画になり写真の情報も膨大になっている。
その視覚化された情報でもそこには写真からよみとるものが様々にありまたふえてくる
そして原始的な情報の取得は対面的なものである。そこには活字だけではない、声や身振りや表情という情報を伝えるからそれは一番心に残りやすい。
でもこの対面的なものはわずかに限られた人にしかできない
外国になるといくら交通が便利なになっても直接合うことはむずかしい。
直接合うことわずかであり限られているからどうしもその他のことで知ろうとする
医者でも直接みてもらうとなると病院で半日待っているとか手間がかかりすぎるのであるそれで医者が説明するのは二三分なのである。
それだけで何かわかるかというと一方的に聞いているだけで詳しく聞くこともできないのである。
でも直接医者に聞かないで自分で判断するとまた命取りになることを経験した。
ある人は癌になり医者にも行かずインターネットとかで情報を調べて漢方薬の医療とか民間医療のようなことをして悪化して死んだとかもある。
これも様々な情報にまどわされてそうなった。
要するに癌の情報も膨大になると情報の迷路に入ってしまっておかしなことになる。

学問でも例えば本を読む場合でも今や古本から無数の本を知るしアマゾンでボタン一つ手に入る。だから何か調べて書こうとするときやはり情報が多い方が詳しくなるから毎月古本とかなるべく安いものを十冊は買っている。
でもその本を一冊一冊詳しくは読まない、要点だけをさーっとよんで利用しているだけである。
何回も今でも読んでいるのは古典的なものである。
そういうものは何回読んでも新たな発見がありなるほどいいことを言っているなと感心するものが何度読んでもある。
一種の古酒のような味わいになるのかもしれない。
ただそうして何度も読む本と何か学術的に調べる本は違っている。
それはあることについて様々な視点で書かれたものを知る事がいいからその方面の本を集める。
しかし本は中味はなかなかわかりにくいので古本だと立ち読みのようなことはネット上でもできないのでこまる。

そして電子本は読みにくいことがわかった。自分のように要点だけを読もうとするパラパラとめくり全体の要旨を知ることができないのである。
どうしても一ページづつ読むから手間になるからできない
そして活字を本で読むのと電子文字で読むのも相当に違っている。
何か本の方が記憶に残りやすいのがなぜかわからない。
だから本というメデアは出版社とか書店がなくなってもなちならないのかもしれない
要するに本で読みたい人は残る。でも出版社とか書店で本を買うということはなくなる
アマゾンのような販売になるだろう。

いづれにしろこの情報過多の時代でまた時間が奪われるのも問題だろう。
ただ本にしても今ふりかえると情報がずいぶん少ない江戸時代のようだったともなる。
なぜなら本自体が田舎だ専門的なものはほとんどなくベストセラーのようなもの売れるものしか置いていなかった。
それで仙台の方に度々自分が行っていたのは本を買うためだった。
その仙台の大書店でも本の種類は膨大だったのである。
それがわかったのはアマゾンで本を買うようになってからである。
地方では本は極端に少ないし古本は神田の書店のようなところでしか買えない時代があった。
そういうことでも田舎にいても今でも情報格差はないのである。
何か調べる気だったら田舎でもできる。

今は金に糸目つけず買っているからかなり専門的な貴重な本も手に入るのである。
そうはいっても本も買い切れないし読みきれない
だから若い人は今までもそうだったが情報過多になりつまらないものを読んで時間を奪われることである。
何が必要な本でももはや自力では選ぶこともできないかもしれない
本の内容を若いときは簡単に読めこめないからである。
要するに本を読むということは自分の文脈で読むとういことである。
その文脈の中でインターネットの検索があり本がある。
本には確かに詳しい専門的な情報があってもそれは自分の文脈で利用する
それではじめて本を読んだとなるのである。
あとはただ受け身だと頭にも残らないしただ読まされているというだけになってしまう。そういうものはたいがい忘れて何も残らないである。
つまり本を読むことは自分なりに解釈することである。
そして本を読んだことを自分の文脈で解説すれば取り入れればそれが他人にも有益となるのである。
タグ:情報過多

2015年08月04日

インターネットはindividualなメデア (成熟には時間がかかるが真の民主主義の発展になる?)


インターネットはindividualなメデア


(成熟には時間がかかるが真の民主主義の発展になる?)


インターネットメデアはまだ成熟していない、それはあまりにもマスメデアと違っているためである。だから成熟するためには相当な時間がかかる。
おそらく民主主義の発展にとってインターネットのメデアは発展させる
マスメデアは一方的洗脳メデアでありテレビ局の意向によって操作されるメデアである。テレビに出させて自由に発言させてくれといってもできない
本来メデアとは媒介するものの意味だからその媒介するものが力をもってはならないものである。
だからそもそもインターネットはレンタルサーバーなどやプログにしてもその発言するものにノータッチなのも関わらないのも不思議なのである。
そういうことを今まで人間は経験したことがないからである。
何か発言するにしても一個人が自由には発言はできない、それは本だってそうである。
本の出版はハードルが相当に高い、ただ今や本自体は簡単に作れる。
ただ流通することがむずかしい、それは組織とか団体に所属していないとなかなかできない
一見テレビなどでも自由に個人が発言しているようでもたいがいは後ろに組織が団体があり発言している。そういう後ろ楯をもたないものは発言できない
マスメデアはそうした組織や団体の圧力がありるから真実は報道できない
インターネットだと発言することがあまりにも容易なのである。
手間はかかるが費用は全くかからない、でもマスメデアのように百万人とかに見られることはない、ということはマスメデアというのは放送で権力をもったということがわかる
それだけの人が見ていることはなんであれ影響が大きいということである。


それはテレビが一方的洗脳メデアなのと違っているから 今までのメデアと違うのであるテレビに出て意見を言える人は極限られている、それはあくまでもメデアでテレビ局で選びテレビ局の主張にそったものとして人選しているのである。
だから過激なことや大きな組織を批判できないようになっている
そしてインターネットの面白い点はその個人がどういう人でその人自身の意見を言っていることである。
特にプログ時代になるとその傾向が強くなったのである。
テレビ局でクローズアップするのではなく個人が意見を言うからそのその個人の背景などをみる。
テレビだったらその背景にはテレビ局しかないのである。
それでもインターネットで目立つことは相当な努力が必要だしむずかしい
重要なことを書いても目立たないし広まらないということがある
インターネットというメデアはまだ成熟していない
成熟すれば真の民主主義の発展につながるメデアである。
要するにテレビとか新聞とかマスメデアとインターネットのメデアの差が大きすぎる
つまり個人ではパーソナルメデアとマス(大衆)メデアでは差がありすぎるのである。
欧米では英語ではその考え方の基本に良く


individual

【形容詞】
1(φ比較)[限定][しばしば each ?] 個々の, 個別的な;単一[単独]の;個物[個体]の(⇔ general);(模様などの)それぞれ異なった;別々の(【略】 indiv., individ.).
2(φ比較)[通例限定] 個人の, 個人的な;1人用[だけ]の.
3[通例限定]〈好みなどが〉独特の, 特有の, 個性的な.
4(φ比較)〔心理〕個人の[に属する].
5(φ比較)〔哲学・論理〕個体の.
6((廃))分離できない, 不可分の.
【名詞】
1(集団・社会に対する)個人;(独立した)個体;構成員;〔生物〕個体;〔哲学・論理〕個体(particular)《他の事物とは比較できない唯一性をもつもの》.
2変った人[動物];((英略式))[形容詞を伴って] …の人《◆もったいぶった古くさい表現》.


Such matters can be best judged by the subjective view of the individual, namely sense of taste.

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ABCDEFとあるとき、BCDEFは他のものにもあるとしたらそれを分けて取り去って固有なものとしてのAが残る、それがindividualなもの分かれことができないものとなる
人間の文章でも作品でも他と同じものがある
これはただまねたものではないか?そのまねたものを取り去ってその人の固有なものは何かとなる。
それは科学的な発明でも言えるだろう。同じような研究成果があるからだ
その固有のものを発見すれば価値がある
どこがその人の固有なものなのか見分けるのかむずかしいのである。



このindividualとうい言葉は日本語にはない、その概念もないからだ。
インターネットはきわめてindividualなものである。
人間がindividualな存在とすることが極めて欧米的な概念であり在り方なのである。

日本では集団主義であり個人のアイでィンティティというのは希薄である。
だから日本とアメリカの働き方とか雇用の仕方が違ってる。
日本だとどこの会社に属しているとかが重要なステータスになる。
でも欧米では「あなたのプロフェショナルはなんですか」となる
その専門の職業のことであり何の会社に属しているかではないのである。
それはそもそも日本が村に所属していることがアイディンティティであったことも歴史的にあったからである。
思うに分かたるざるもの、分けることができないものという概念が理解できない
原子というのも分けることができないものとしてとらえられた。それ以上分けられない固有のものとして理解された。


日本でも分けるは分かるというのがあり我は割れるであり共通したものがあるが分けられないものとしてindividualがあるという概念はない
分けるとういう作業は日常的に行われていた。いろいろなものを分けて管理することは日常生活で常にしていることである。
ただ遊牧民だと分けるというとき羊とか動物を飼うとなると羊でも一頭一頭違っているしそこで個々の特徴を見つけて分ける作業をする
動物は猫でもそうだがみんな顔でも違っていることに気づく、それでその名前をつける
性格も違っているから人間とにているのだ。
飯館村の人が20頭もの牛に名前をつけていたのである。
避難先でその名前をまだ言って覚えていたのは驚きである。それは羊でも数が多くてそういうことがある。
農業だとそうした動物を見分けるということはあまりないだろう。
そういう文化の相違からそういう概念が発達した。


インターネットのメデアはindividualなメデアである。個々人を明確にするメデアであ
マスメデアには個々人はないその局や新聞社とかの意向が優先される、それはその背後の組織とか団体の意向を優先させることになる。
だからそこには独自なものがないとさえいえる。組織や集団を代表した発言しかないように思う。
インターネットのメデアは個々人を明確にする、だから何か個性的でないとかえってインターネットのメデアには向かない、他の人と同じことを言っているなとなると注目されない、独自の個性を出さないとインターネットでは通用しないともなる
ただそういう独自のものを出しているのはまだまだ非常に少ない
それでも何かこの人はこんなことを考えているのかとその人の独自な見解に注目するのである。


ともかく人間個々人は育った家族も違うし土地も違うし性格も違うからみんな違ったものなのである。その多様性があるからこそ文化が生まれる
日本ではindividualなものを育むのはむずかしい風土であり歴史だった。
だからインターネットメデアは何かめんどうでありとっつきにくいともなる。
でも通信としてのハードは整備されてきたからあとはそのハードの上に個々人がindividualなものを発信することになる。
individualなものを育む環境は整えられたとなる
ハードが整えられてもソフトととして文化として発達するには時間がかかる。
でも一人の学者が常時、音声で発言しているのも不思議である。
そうなると大学という場にいなくても家にいてその講義を聞くこともできる
インターネットがあれば広範囲な勉強も可能なのかとなる
発信することはあまりに簡単だからそうなったのである。

タグ:メデア論

2015年08月24日

インターネットの一番の恐怖 (記録したものが一瞬にして消える)



インターネットの一番の恐怖


(記録したものが一瞬にして消える)


インターネットの一番の恐怖の恐怖はパソコンでもウィルスで一瞬にして記録したものが消える恐怖である。それは何回か経験している。復元できないものせあった。
せっかく俳句とか短歌を作ったのに復元できなくなった。
これまでの苦労が一瞬にして水の泡になく恐怖である。

これはパソコンだけではない、レンタルサーバーとかプログを使用する場でも起きている突然報告もなくプロクが消されたとインターネットで報告しているのを見た。
何か違反があっても報告もなくプログが消されるのかとなると恐怖である。
一回さくらのレンタルサーバーで故障で記録が消えたと連絡されたときはショックだったでも予備に記録してあるので復元されたのである。
さくらのレンタルサーバーは保守はしっかりしているという
他のプログでは全部プログをもっているものが消えたこともあった
一方でいつまでキャッシュとかで犯罪を犯した人が記録が消されないので困ったという人もいた。
意外とインターネットは通信記録が残るから人物が特定できる

自分の経験で恐怖だったのは突然自分が病気で入院したときだった。
帰ってみてレンタルサーバーに支払う期限があと一日で切れるところだった。
それはカードの期限が切れていたからである。
その月で期限が切れていたからメールで連絡があったのだが入院していた時期に見ていなかった。
インターネットは必ずもメールを見ていないことがある。
自分はメールはあまり見ていない、見ているのは毎日書いているプログである。
だからプロク中心だからプログのコメントとか連絡されると見る
なにしろ忙しいのでいちいち対応できなくなっていた
そししてあわてて電話でレンタルサーバーに連絡した
カードの期限を伸ばすので消さないようにとお願いした。
それもなかなか聞き入れてもらえなかった
プログだけではない、ホームページも運営していた
ただこのて七年間は介護などでホームページはほとんど更新していなかった
だからプログ中心でありそのプログが消されると膨大な記録が失われので
自分の努力も水の泡となる

インターネットは新しいメデアだから様々な問題がある。
でも今回の大阪の中学生の男女が二人殺害された事件の犯人は45才でフェスブックとかしていて記録が残っていた。
そんな人もインターネットししているのが現代である。
労務者ならしていないようでこの前あった人もインターネットしていて詳しかった。
この辺には他の県の人が大勢除染などて入ってきている。
その犯人も除染で福島県に来ていたのである。
なんだからがらの悪い人がきて治安が悪くなったとか心配しているのもこの辺だった
犯罪は大阪で起きたからここてなくて良かったとなる
でも何かフクシマで起きたかもしれないとなると怖いことは確かである。
外部からの人は素性が知らないから困るとなる
この辺はとにかくいたるところプレハブの宿泊所が建っている

さくらのプログはおまけでやっているから力を入れていないというのは本当である。
何か他のメジャーなプログと違ってプログの情報を会社側で何も操作しない
他のプログではそメンバーで共有する機能があった。
だから会員になるとそこの内部で情報を共有しやすい
でもそうなると会社側で操作されるので嫌だという人もでてくる。
自分は何か嫌である。
さくらのプログは全くそういうことがない、何の操作もしないのである。
プログランキングとか何にも操作していないのである。
だからアクセスを増やすには良くないかもしれない
それでもセオ対策しているとか書いてあった。

今悩んでいたのがアクセス解析とか保存整理とかの問題である。
なぜリンク元がなしが9割もなのだろうということがわからなかった。
ブックマークが主だからだとなるとリピーターが多いのか?
でも読まれているページは500とかなる
ページビューは二つのプロクで2000以上になっているから最近また増えてきた。
しかしほとんどリファラーなしリンク元なしだからどういう人が来ているのかわからない外国から写真がすばらしいとか連絡があった。
これも返事はしていない、常時見ている人は写真だから外国でもいるとなる
外国だとどう使われているかわからない
だから良くオリンピンクのロゴがパクリだとわかったのか不思議である。


ともかく自分の課題はこれまで書いてきたものをどう整理するかなのである。
今度はそれで本にしてみようかとgoプログにも試しに作った。
アクセス解析が充実しているのがいいと思ったからだ。
そこは写真を出すのに便利である。livedoorもそうである。
でもlivedoorはアクセス解析では充実していないのでやめた
本を出すのにも対応していない
何かインターネット内にはいろいろな便利なものがある
ただそれを理解して使いこなすのがむずかしい
自分は十年以上インターネットしていてもそういうことがわからないのである
そういう技術的なものを理解することがむずかしかった

とにかく親の介護になったり自分の病気になったりしてから自分はなにかそうしたインターネットのめんどうなことにかかわることができなくなった
だからコメントでもいちいち答えられない
ただ暇をみてやっとプログに一日分出すのが精一杯だった
前は三食付きだし何も家のことなどする必要がなっ交野である。
介護になってから毎日家と格闘し続けてきたのである。
だから第一家のことが七年たっても整理できない
姉のことが写真でも残したものを整理されていない
着るものからなにから自分のものでも整理されない
母のものでも着るものなど整理できないのである。
整理という掃除もあるしこれもなかなかできない
だからゴミ屋敷になるというのもわかる

つまりみんな簡単に捨てられないからそうなる
7年間も家にかかりきりでも整理できないのである。
ともかく記録したものを整理しようとしているのだがこれもいろいろありすぎて自分でもわからなくなった。
まず何でも一人でやることは大変なことである。
例えば家事をするにも料理となるといろいろ食材を点検すること自体手間なのである。
そんなに人間はいろいろなことができない
だか以前として買い物だ食事の提供だ、掃除だ.......
休む暇なく追われているのである。
ただこうしてプログだと簡単に出せるからつづいたのである。
今年の夏は暑くてまた整理もしたくなかった
涼しくなったからともかく家のことでもインターネットでも整理しなければならない

本の整理もまた一苦労である。家が傾くほどの本があったが半分が古本屋にださずにゴミとして捨てた
ところが今度は新しい本をアマゾンで調べるために買うのでまた増えたのである。
本というのも整理するのに苦労なのである。
これも役にたつものがあると捨てられないから困るのである。
確かに読んでいても利用していなから読んだともなっていないのが多かった。
今は自分の文脈で利用しているから本は理解しているし利用できる
深く理解できる、本というのもインターネットより深い情報があるから今も必要なのである。
アマゾンでない本はない、安いものでまにあわせてもいくらでもあるというのは便利である。
だから今は仙台にも行かなくても情報弱者にはならないのである。
仙台の大きな本屋よりも情報は本は瞬時に買いるからである。

最近多少余裕ができたようだがまだまだ追われる生活だから苦しい
第一そんなにいろいろなことに人間は頭が回らないのである。

livedoorはやめてgooプログにも試しに作った

困ったのはプログは簡単に移動できない、ドメインを簡単に変えることができない、
変えると一旦アクセスしたものが切れてしまうことが問題である。
そういう人は自分だけではない、簡単に変えられないということがこれも大きなインターネットのサーバーを借りる問題だったのである。
インターネットは以前として様々な問題があり解決されない問題がある。
ただこうした事情でも一日一回書き続けられたのはプログがあったからである。




 

2015年09月21日

インターネットで変わった本の読み方 (私設の図書館くらいの本が知的作業には必要)


インターネットで変わった本の読み方


(すぐに注文して買える本ー全部読むのではなく一部を読む)


本は高いものだから前は買いなかったしまずインターネットでわかったことはこんなにいろいろな本があるのかということである。
古本も全国だとあるしもうあらゆる本がある。それが全国的になると安く買える
このことで知識が増大して知の効率が飛躍的に増した。
田舎だとまず本自体がないし買うこともできなかった。
仙台まず行っていたのは仙台でないと本が買えないし専門書は買えない
これは今になるとかなり不便なことだった。
だから知的に相当田舎では不利であった。
それがインターネットで田舎でも発信できるし本はいくらでも買える
それでまた本は半分捨てたがまたその半分の量をインターネットで重にアマゾンで買っているのである。

本をどう利用するかは本というのはある一定の蔵書が必要なのである。
それが読まないにしろ必ず必要なものなのである。
本はいわば自宅で図書館のように備えて置くことが必ず必要である。
だから作家とか学者でも自宅が小さな図書館となっていない限り研究もなにもできないのである。
それは小説などを書くにしても膨大な資料が必要になってくるからである。
つまり何か書くとき必ず本は必要になる、今ではインターネットがその一部の役割を果たしている。
でも内容が濃いものとなると本になる。だから今は自分で文章とか書くとき必ずそれと関連する本を買っているからまた本が増えてきた。
そして本の読み方は今はまずさーと全体を見渡して自分にとって必要な部分を引用して使う。
厚い本でも全部は読まない、二三行でもそこを自分の文脈の中で使うのである。
その二三行が文章に重みを加えるのである。

だから何か今はいろいろなものを組み合わせるとそれが一つの創作的文章にもなる。
抽象画で変化させたようになる、例えば一つのテーマで今「人間の顔」ということで文章を書こうとするときそれに関するものを本を集める。
でもなかなかどこにそうした文があるかは見つけにくい、でもいろいろな今まで集めた本をぱらぱらとなんとなく読んでいると見つかったりする。
このなんとなく本を読んでいる、拾い読みしているのが意外と大事なのである。
つれづれなるままに......というのが何か知的作業だったのは昔から変わらなかった。
つれづれなるままに読んでいたらそれが心に残り自分なりの文章に文脈に取り入れられるのである。
こういうことができたのは有名な作家とか研究者とかであり普通はできない
なぜなら本は前は高価でありまた買うこともできなかったからだ。
本は膨大な数があってもどういう本があるのかどうかもわからなかったのである。
それでいつもベストセラーなどが話題になり何百万も売れていたというのはそれだけ本は流通しにくいからでてある。
本はその人なりに読む本が無数にあった。でも本は流通しにくいからそうした目立ったものが地方の小さな書店に置いて売れることによって商売が成り立っていたのである。
そんな本は実際は何の価値もない紙屑になる本だったのである。
それでも売れたから地方の書店では商売が成り立っていたとなる

ともかく人間の生きる時間は限られている。だからとてもあらゆる本は読めない
もう年取ると余計に読む気力もなくなる。今読むのはそういう読み方ではない
全体に目を通して自分に役立つものを素早く抜粋して利用する読み方である。
本というのは全体に目を通すのに優れている
インターネットでは全体がわからない、部分に細分化されすぎているのである。
一ページを読むというのが多いのである。
本は厚い本でも全体に目を通して要約して読むということもできる
電子本でもそういうことはできないから本の効用は今でもあった。
だから本はなくならないが書店はなくなる、特に地方の書店はなくなる。
それでも本はインターネットでいくらでも買えるのだから困らないのである。

その人の知識というのもその人が人生の時間で蓄積したものである。
知識でもそうだがそれはその人の体験とかそれぞれの地域に住んでいて知識化している。それは長い時間の中で知識化しているのである。
だからマヤ文明というときもそれは長い時間のなかで一つの知的コスモスを総合的に作りだしたのである。一つの芸術ではない、総合的共同体の知的体系なのである。
そういう作業を地域地域で人間はしている、だから地域地域に世界でも日本でも文化が生まれた。
知的体系の構築というとき芸術はその中に組み入れられたものである。
自分でも一つの詩ではなくそれは知的体系として構築されたものの中にある
その時一つの詩とか一つの絵ではなく全体の一部としてそれは構築されている。
そもそも絵のはじまりが建築物に飾るものとして生まれた。
建築に映えるように絵が生まれたのであり絵として独立していなかったのである。
そういう総合的なものとして芸術はあった。


地域とはそうした総合的な場としてある、一つの物を車だけを車の部品工場のようになるものとは違う。それは地域の風土から生まれる。
どうしても会津だったらあれだけの高い山があるのだから山の文化が生まれる。
太平洋に面した海側は海の文化が生まれのは当然だとなる。
これまではマスメデア中心の情報や知によって支配されてきた。
本でもベストセラーとか何か中央で宣伝されるものによって知識が支配されてきたのである。
地方から発信しにくいシステムだった。
今はインターネットだと発信することは本当に簡単である。誰でも内容は別にしてプログだったら簡単にできる。
簡単すぎるからなにか軽薄なものも多いし情報過多になっている。
現代はともかち知的にも何か孤立しないようにシステム化されてきた
だから一方でその地域の風土というのは地域の個性を産むものだから新しい知の創造は地方から生まれる。
限界集落とか今回の原発事故とかそういう地域の消失と破壊は文化を衰退させた
多様性が失われ東京のような中央集権の文化もない索漠として世界になる

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この本は共同体の美というテーマであった。
美の形式が共同体では確立していた
エジプト文明でもそうでありマヤ文明でもそうである
中世のキリスト教文明でもそうであり
国々によって様式がありそれは総合的知的体系化したの文明である
現代のグローバリズムはそういう文化を創造しない
グローバリズムは文化を破壊する、その土地の風土とかを無視するからである。
一つの貨幣、ドルによって統一される、そうなるとアメリカの価値観が普遍化するのである。
科学技術もまた巨大化して地方の文化を根こそぎ破壊する
それがこの辺では原発事故で現実化した見本だったのである。

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2016年01月10日

『百年の計、我にあり〜知られざる明治産業維新リーダー伝〜』 (別子銅山の改革に邁進した明治の偉人がいま蘇る! を見て)


『百年の計、我にあり〜知られざる明治産業維新リーダー伝〜』

(別子銅山の改革に邁進した明治の偉人がいま蘇る! を見て)

広瀬宰平と伊庭貞剛。2人は一企業のみならず、国家百年の計を見据えた改革を次々と実現、それは明治日本の産業維新とも言えるものであった--。


このドラマで広瀬が主張したのは一企業のためではない、国家のためにということがモチベーションとなっていた。
それは明治はみんなそうだった。異常なほどに国家を意識せざるをえない時代だった。
政治のみならずあらゆのる分野で国家を意識して国家をになって生きていた。
エリートは特にそういう責任感をもっていた。だから留学した人たちもそうであり英語ができなくて自殺した人もいたというときそれは国家によって派遣されていて国家意識が強いからそうなった。
明治はなににしろ国家を意識せざるをえない時代だったのである。
内村鑑三が二つのJのためにというときJAPAMが入っていたのである。この時も愛国心が大きなモチベーションになっていた。
国家が意識されるから愛国心ももっている。それは一企業でも国をになっているという意識がありみんなそうだった。まず国家の一員でありそのあとに付属していろいろなものがあった。国家が最優先であり結果として天皇が重きを成したともなる
それは明治だけではない日本は大正から太平洋戦争の敗北まで国家が最優先である社会だったのである。


産業でも絹織物が輸出産業となり全国で生糸の生産が農家で行われていた。
養蚕は農業でもあるから日本の主要産業となった。今でもいたるところに兜屋根とか二階で養蚕をした家が残っているのはそのためである。
そして戦争に負けた結果、今ではその絹織物産業で働かせられたのは国家のためでありそれは戦争のために武器を輸入するためだったとか批判されている。
絹織物産業も国家の指導のもとに行われていたのである。
その是非はともかく企業でもそもそも明治から国家なくしてはありえなかったのである。自分の母親も原町紡績で十年間働いていた。原紡としてこの辺では有名だった。その工場の門に引き込み線の写真があり鉄道で運ばれていた、原町駅は平駅と同じく機関区になっていて木材とか石とか物資が東京に運ばれていて栄えた。それは全国でそうなっていたのである。

そこで興味深かったのはフランスの技術者を呼んでいたのだがその人には設計図だけを作らせて広瀬宰平は日本で自力で作るべきだとフランスの技術を呼ばずになしとげる。そして鉱山技術を学ばせるために塩野門之助(浅利陽介)を留学生として派遣した
あとで外国の石炭を輸入すべきだというときも日本の自力で行うべきだと反対してさせなかった。それで塩野はやめたのである。
これも当時は国家を意識して日本人だけでやりとげるのだという自立心は結局明治維新を成し遂げた独立心に通じていたのである。
日本人はそれだけ西欧列強に対しても軍事面だけではない独立心をもっていた
だから明治は常に偉大な時代であり偉人の時代だったと言われるのである。
今になると敗戦の結果、国家意識は常に否定されてきた。国家という言葉さえタブーになってしまった。国家というだけで嫌悪を感じる人が多いのである。
そこに左翼系がさらに国家を忌むものとして国旗まで否定するようになった。


その変化があまりにも敗戦の結果極端なものとしてあり日本には国家はない、国家がないというときとても大きな責任感も生れない、百年の計というのも生れようがない
国家の歴史は二千年とか長いのだから百年の計がありうる、でも戦後は国家がアメリカによって否定され従属国家、植民地国家になったとき日本人は国家意識もなくなりただ目前の利を追うだけの民主主義ー民利主義になった。
国家百年の計に犠牲になるようなことは否定される
教育でも個々人の立身出世主義しかない、受験戦争は上の階級につき官僚になればただ得して楽な生活をするということしか教育にもない、他者を蹴落としてでもそうなれというのが戦後の教育だったのである。
要するに戦後は戦前からの歴史継続が断絶してしまったのである。
だから今や日本人とはなにかとなると日本人はいないアメリカ人になったともさえなる
日本人であるならやはり日本には長い歴史がありその歴史に育まれたものがあり文化がありそれに基づいて形成されるのが日本人だとなるからである。
だから盛んに無国籍人だとかが恰好いいとかなる、ハロウィンなども明らかに日本から祭りすら消失しているから新しい祭りを求めて若者が大騒ぎしているのである。
あらゆる面で国家を意識していた時代からあらゆる面で国家が否定されてきたのが戦後なのである。
ナショナリズムはファシズムと同義にもなっていたのである。


奇妙なのだけど国家意識がなくなり愛郷心もなくなった、その一つの原因が愛郷心も田舎で独立していた生活をしていたとき愛郷心もあった。
自給自足の生活していたとき、炭焼きをして都会の人に頼らずに生活していたとき田舎の人にもと独立心があり俺たちは別に都会の人に頼らずに自分達だけで生活できるという独立心と自負があった。
今は限界集落とかなるとインフラのために180倍の金がかかるとかそれは税金の無駄だと都会の人に言われる、もし炭が燃料だったらそんなことは言われないのである。
自分の家が故郷の木材を利用して建てたというとき故郷に土着するということで愛郷心が生れる、愛国心と愛郷心は何か共通したものがある。
広瀬宰平が盛んに日本は日本にあるもので外国に頼らないで資源でも技術でもなしとげるという自負が愛国心に通じていた。そしてそれあ成し遂げたのである。
そこには公害問題が生じたから今と同じ状況が生れたがこれも煙害を防ぎ補償金だけですまそうとしなかったのである。


これを今の原発と比べるとその相違が明確になる。原発も実は国家の事業であり一企業の東電の事業ではない、これは住友ではない一企業ではない国家の事業としてはじまったのである。国家の事業となれば百年の計のもとに成せねばならないものだった。
でももし百年の計となれば原発というのは放射性物質の処理を考えねばならないがそれも考えないから百年の計だったら原発を日本に作ることは危険だった。
そもそも日本の原発はアメリカ主導で成されたものであり別子銅山のように国家が自力で独立心が愛国心があって成したものでもない
アメリカの主導で成されたのが別子銅山とは根本的に違っていた。
別子銅山には国の援助はなかった。原発は国が予算をだして作ったのだから国家事業でありそうだったらこれこそ百年の計がなければ作れないものだったのである。
だから明治人と戦前の日本人はそもそも人間そのものがあらゆる分野で別人になっていたのである。
企業でもそうである。まずグローバル社会になれば国家を意識する、国家がない方がいいのである。それはアメリカでもそうなっている。だから世界を支配しているのはアメリカという国家ではなくロックフェラーやロスチャイルドとか武器を作る軍需産業会社だとか言われる、グローバル社会では大企業が国家であり大企業が世界を支配する
国家は大企業に従属したものとなる、会社の利益がすべてだとなる。
そしてその会社の利益にあづかるのがその幹部達でありその人たちこそ世界の富をにぎり世界を支配する人たちだとなる。
東電でも実質の富を産み出すのは東電でありそこに政治家や検察や警察の官僚が天下りしていたのだから東電を批判できなかったし今でもそうである。


ともかく戦後70年そして明治維新からすでに140年とかなるとあらゆるものを見直す時代になった。根本となる国家というのもそうである。国家というのがあちらゆる面で戦後否定されてきたのである。それは左翼により過剰に否定されてきたのである。
そのことからすでに日本にはモラルもなにもない、ただ個々人の利益の追及しかない、
自分が得する自分がもうけるためには他者を蹴落としてもいいしかない弱肉強食の社会になった。そこに日本人の義理人情もなにもなくなってしまった。
自分が弱者になったときのことを書いてきたが何の同情もない
ただ弱者になったことをいいことに攻められるだけだったから地獄だった
相手もまた金で追い詰められていた弱者だからそうなった。
日本人のモラルもなく世界が金を求めるだけしかなくなったのである。
それを否定しようにもそういう資本主義であれシステムの中に組み入れられているから否定できないのである。
別子銅山の一企業でも国家を意識して経営していた。そのためには日本の資源で日本の技術で独立心で成し遂げるという意気込みがあったからこそできた。
経済的自立、技術的自立の精神があって愛国心もあり愛郷心もあったがグローバル経済はそれを破壊したのだからそれは日本だけの問題ではないとなる。
その結果としてなぜこの辺で原発事故で住民が離散して帰らないのかという問題とも通じている。


そもそも自給自足の生活からはあまりにも離れてしまった。あらゆるものが家でも建て売りでは材料でも大工さんも地元の人でない、会社の社員が組み立てるのてあり地元の人が地元の材料で建てているのではない、それは食料でも今ではそうである。
あらゆるものが全国から外国から常時は入ってくる、だから金さえあればどこに住もうが困らないとなる。自給自足の生活だったら地元のもので何でもまかなわなけれはならないから愛郷心を自ずともつようにな。
それがないからみんな散り散りばらばらになった、故郷と言っても愛郷心が育まれような社会になっていなかった。それは国家でも同じであり愛国心はかえって戦争を奨励するものとして否定されてきたのである。
いづれにし国家百年の計などありえないというときそもそも国家意識が喪失しているのだからそうなる
国家とは地域のエゴとか個々人のエゴとかを越えた大きなものとしてあるそれが公共の概念である。それが喪失したとき社会自体がばらばらに分離離散して崩壊する
ただ弱肉強食の社会でありそれはまさにモラルもなにもない動物的社会に堕落してしまうそれはまさに地獄ではなかろうか?
確かに国家が戦争で何百万人が犠牲になった地獄を作り出したがまた逆に国家無き社会も地獄を作り出す、つまり国家を愛国心が愛郷心がない社会はまさにそうなってしまうことを原発事故でも今の社会がそれを示しているのである。



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