2017年12月27日

旅の思い出(短歌,俳句,詩など)


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2018年03月17日

北海道夏の旅短歌十首と詩(宗谷本線の咲来(サックル)


北海道夏の旅短歌十首と詩(宗谷本線の咲来(サックル)

北海道の大地にリフレッシュせよ(詩)

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テレビで放送したものだけど開拓村の感じである。
煙突があるからやはり冬は厳しいものがあり北海道を感じる

宗谷本線・咲来駅に行ってきました。

ここに咲来(サックル)のことが写真付きででている



なかなかに電車の来ぬやその鉄路雨ぬれつづき夏草茂る

咲来(さっくる)に夏の日一人おりたぬ何をか見むや数軒の家あり

一軒のライダーハウスありにしと咲来(さっくる)あわれ夏の夕暮

人気なく流れに泳ぐ鮎なりき勢いよしはそれのみなりしも

人来たり驚きぬかなひそむ魚流れに群れの素早く泳ぐ

電車来ず鉄路に眠るでで虫や木立の影の鉄路をおおふ

砂浜に流木の山夏の日や荒き波音人一人来ぬ

海岸の果てなくつづく砂浜や何かとどめむアイヌの地名

波荒くうちよせ荒れぬ利尻かな鴎飛びつつ旅人行きぬ

礼文島遠き島かな夕暮れにレブンウスユキソウ咲きみちにけり

霧かかり磐(いわ)一枚ここに眠りて遠き島や夏の日暮れぬ

飛び交いぬ燕やかなたの宿遠し旅人交わり夏の日去りぬ

我が走る北海道や燕飛びまたはるかにもかなたへと去る

はるかなる大地つづきて雲雀鳴きいづこへ行かむ旅の空かな

今思い出すと不思議である。咲来(さっくる)という駅で一両の電車を来るのを待っていたそれはなかなか来ない,ふりかえるとなぜあの線が残っているのかと思う
採算は全くとれないし本当に乗る人もわずかである。
ただ観光路線として残しているのか?
鉄路があり雨にぬれて夏草にうもれる,テレビで見ていてその辺のことを行ったことがあるのでなつかしいとなる

自分は咲来(サックル)駅を下りて辺りを歩いていた,川がありその川でも辺りに家がわずかであり電車にしても一両でありなかなか来ない,ただ稚内まで急行は走っているが
あの辺りは本当に人家もまれな地帯である。
あういうところで自由に気ままにぶらついていたのが自分だったのである。
それは恵まれた時だった,北海道には十回も行っているから第二の故郷である

北海道は東北とあっても他に大きな区分けがあるが一つとはならない
北海道は一つの国のようになっている、そこで気候も相当に本州とは違ってくる
海に囲まれた島にもなっているから一つの別な国として意識させられる
沖縄ともにている,沖縄もまた別個の島であり国になっているからである。
福島県でも広いがそれが一つの県としての意識がもてない
北海道はあれだけ広くても一つの県として国としての意識がもてる
そこで北海道全体を一つのテーマとして詩でも作れるのである。
そこに多様性があっても一つの国として世界として構成できる
]だからこそ蝦夷共和国の発想が明治維新の時生まれていたのである。

北海道は日本では外国である、北欧とかににているのだろう。
だから宗教でもプロテスタントとかゲルマンのゴシック建築とかにあうとなる
樹だと針葉樹の世界でありトドマツでも太いからである。
それが北の風土ににあっているのである。

北海道は詩にしても一つの国として意識して作る,他にも一つの国として機能する世界を作りやすいのである。本州になるとそうした感覚はなくなる
山が多いせいで統一感を感じないこともある
山にはばまれて統一感を感じない,福島県でもそうである。
阿武隈高原によってさえぎられ福島市とか中通りは地理的一体感を感じにくいのである
平原があればそれはかえって一つの統一国家になりやすいことはあった
山にさえぎられればそこで地理的一体感は断たれるからである。
山は障壁となり壁となり人の出入りも防ぐ天然の要塞となるからである。
おそらく北海道には平原的な風景がある唯一の場所だから本州と違って統一感をもつのである。

それにしても何でも人間は最後は過去を回想する,どんな人生であれ語る,会社に勤めていたらやはり会社が人生だったからそのことを語る
それはつまらないものでもそうである。その人にとってはつまらないとしてもそれが人生だったのである。そこに人生の重みが生まれる
だって人生は一回限りであり一回しか経験できないからだ
誰でもその一生が意義あるものとしてあることを願うだろう
とにかく自分はこう生きたのだと語る,自分は旅を生きたから旅を今語るのである。
そんなの遊びじゃないかとなればそうである。
でもそれもやはり自分の人生だったとなる
つまり今も心は北海道にあるともなる


北海道の大地にリフレッシュせよ

北海道心身ともに健やかにす
北海道の大気を吸いこみ
その心は澄み大地から
力が沸き上がる
黒々と大地は耕され
原始の巌がそそりたつ
雲雀が一日とがめられることなく鳴いていた
その声はどこまでも広がる大地にひびきわたる
つばめは縦横に飛び交い
旅人もその果てし無き大地をめぐる
悠々として大地は実りをはぐくむ
夏の日、若き日よ、旅人は交わり去りぬ
ああ、その日よ,我が身も心も放たれぬ
その広々とした大地に空に
その森厳なる針葉樹よトドマツよ
風雪を帯び北の聖堂の列柱のようにたつ
しかし過酷なる北の大地よ
そこに成らず敗れし者も多し
摩周湖の水は底まで澄み神秘をたたえる
その透明の水に映るのは神の顔
北海道を囲む海よ,そそる岩壁に波はうちひびく
海岸に流木の延々と積まれて
広々として湿原に花々は咲き満ちる
池塘には花がうっとり我が身を写している
激しく鳥が全身で鳴く声が日がなひびきわたる
利尻島は厳しく極のように聳え立つ
群青の海の色は深く北の清冽な自然に打たれよ
ポプラは風にそよぎゆれその大空よ大地よ
深々と北海道の大気を吸い生気にふれよ
そこになお原始の日が息づいている
人はその厳しい自然に鍛えられ人格を形成する
北欧のような北の文化を形成する

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posted by 天華 at 14:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅の記録

2025年05月17日

だまされたカネを取り戻せるはずが…弁護士着手金トラブル急増 【30年前私の家で関わった兄の交通事故死の悲惨な顛末−弁護士も不正な着手金をとった】


だまされたカネを取り戻せるはずが…弁護士着手金トラブル急増
【30年前私の家で関わった兄の交通事故死の悲惨な顛末−弁護士も不正な着手金をとった】

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「だまされたカネを取り戻せる」などとうたう弁護士事務所に着手金を支払ったものの、適切に対応してもらえず被害金も戻らないというトラブルが急増していることが分かりました。全国の消費生活センターに寄せられた相談は昨年度までの3年間で5倍に増えていて、弁護士会などが注意を呼びかけています。

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着手金では私の兄の交通事故で似たような経験した。静岡の方で事故で兄が死んだ。その時何が起きたのか理解できなかった
兄の死にかかわったのは雇った運送会社の社長であり私の母であり兄の離婚した妻であり中学生の一人娘だった
なぜ母が兄の遺骨を持っていこうとしたとき運送会社の社長が骨は置いておけ墓をつくってやるからと言ったのか
そのことがわからなかった。盛んに言ったのは乞食のように雇ってくれと来たので雇ってやったと恩着せがまがしに言った
その時母であれ兄には良くしなかったので何かそのことでも責められていた感じがした
雇い主の社長はそこをついて来た。私はめんどうだしわからないから三日くらいで帰ってきた。
私は車を持っていないので自賠責と任意責とか知らなかったのである
何かめんどうになったから関わりたくなくて帰った、その後に残されたのが親戚の人と母二人だった
親戚の人は車を持っていたから自賠責とにんいのことはわかっていた
とにかくもめたが母は骨を家にもってきた。そして実家の墓に葬った。

結果的に交通事故の賠償金は母が法律的に受け取ることになった。そしてその金で娘は妻の実家の兄の所に引き取られた
でも何かうまくいかず高校を出て東京に一人出た、それでその後も遺産の金を娘に送り続けた
そのあと妻は事故の一か月前くらいに離婚していたから実際は相続できない、もし離婚していなかったら賠償金はほとんど妻のものになった。妻は別な不倫した男と逃げた。妻と娘は兄の事故死のあとも関係していたらしい、その妻も病気になり金が無くて苦しんでいた、その遺産が欲しくて兄の死後一回私の家に来たことがある。
何かその後不倫した男は自殺したとか聞いた。何かその辺は詳しくわからなかった。そのわからない一番の原因は静岡であり離れすぎていわからなくなったのである。

ただ兄は交通事故になる前に一回仲間の運転士と家に来た、その時は確かに悪いということはなく仲間でも社長でもうまくいっていたみたいだ
ただなぜ社長が豹変したのか?それは兄には身寄りがないと思っていた。それで賠償金をもらう後見人になりたかったみたいだ。でも法律的には実の母がいて後見人になった。それで不満だったのである
つまり賠償金が入るとなり骨を置いておけ墓を作ってやるとなった。

その後何か賠償金を基礎収入日額 × 休業日数 = 休業損害の書類を運送会社の社長が保険会社の人が要求しても出さなかった
何かそこでもめて私の家では弁護士を頼むことにした
それを親戚の人が知っている弁護士がいるというので頼んだ
ところがその親戚の人も何か社会のことがわからない人だった

なぜなら相談しただけで百万とられた!

別に裁判になったわけでもない、要するに着手金として要求されたのである
普通ならそんな金を払わないのである、せいぜい数万だろう。そして現実に運送会社の社長と交渉して休業補償の書類をとれたのは保険会社の人であり弁護士は何も関わっていなかったのだ

つまり着手金詐欺だった!

何か弁護士も危険である、簡単に信用できない、弁護士が意外と推理ドラマでも遺産とかでも大きな金にかかわるから問題が起きる、つまりそういう遺産でもめる、親族でももめる、そのために弁護士も一役買いその弁護士が遺産をせしめるとなる
大きな金になるとそこで欲がでてきてもめることになる。

ただ私の家では連れ子の兄を良くしていないからそこに後ろめたいものがあり強く主張できなかったのである
その時すべてがみんな兄のことを思った人はいない、社長もやっと時は兄にとって悪い人ではなかったみたいだ
でも事故で賠償金が入るということで豹変してその金を得ようとしたのだと思う

いずれにしろこの問題にかかわった親戚の人も死んだ。母も死んだ。すでに事故から30年以上過ぎた
それで私は実家の兄の骨を埋めた墓から骨を取り出そうとしたが土になって兄の骨はわからなくなった
それで私の墓の隣に小さな墓を作り供養している、それで死んだ一人娘に墓参りしてくれと連絡したが電車賃もないから行けない金を送ってくれというので10万送った、でも墓参りには来なかった
その娘も父の兄には苦しめられたので兄を思う心がなくなったただ金だけが欲しいとなっていたのである

だから兄は本当に不幸だったとなる。それは良くされた自分とは雲泥の差があった。だから私は兄は常に悪いと思っていたのである。ただ兄についてすべてが私の家で責任があるとはならない、集団就職でもその当時別に結構な人がそうなっていたからである。また離婚したりとかも私の家の責任ではない、だからすべて責められるとはならない
でもあまりにも兄は不幸だった。離婚であれそれは本人の責任であり私の家の責任とはならない

それにしてもすべてが金、金、金でありその後の姉と母の介護でもそうだった。それはプログで書いてきた
何かこうした事件とは何がなんだかわからなくなる。でも30年以上過ぎるとそういうことかと自ずとわかることがある
つまり歴史でもその時起きたことが何なのかわからないのである、それでかなり時間が過ぎてからわかることがある
そういうことだったのかとわかることがある。

だから毎日のように事件があったとしてもそれを理解することは簡単にできないのである
ただ常に歴史でもそうだがこうした事件が常にありそこに教訓を残す、弁護士のも悪い人がいるし必ずしも信用できないということである。弁護士でも仕事がないと苦しくなり金のため人をだますことがある
弁護士は信用がありまた難しい法律を利用してだますから質が悪いのである

いずれにしろ地獄の沙汰も金次第であり金、金、金、、、であるのは現実である
ともかく兄も悲惨だったし継母に育てられた母も悲惨だったのである。何か人間は悲惨である
姉にしても最後は認知症になり結構ためていた金を銀行から下ろせなくなった。それも悲惨であり最後は【俺は優秀だった】と言って死んだのである、つまり馬鹿になったと見られたからである、それが悔しくて最後にそう言って死んだ
ここでみんな求めたのは金、金、金、、、であった。誰も兄でも思う人はいなかったのである

私の家族は姉と母のことは今でも思い続けていて供養している、でも兄は娘にお死んで捨てられたとなる
やはり事故であれその前に兄自身にも問題がありそうなったのかとなる、ただ何らかで金を使い市営住宅を追い出されたようである。それで娘を車に乗せて暮らしていたが自動相談所で引き取った。
その連絡が母に来ても何か遠くて事情が呑み込めなかった。
結局遠くなると何をしているのかもわからなくなり事情が呑み込めなくなる
近くても何十年と付き合わないと何か会っても通じなくなる。だから日頃交際していないと近くでも事情がわからなくなる

何か今こうした私的なことがプログで書きやすい、こんなことは記事にはならない、でも個々人で体験したことが無数にありそれは語られなかった。それがプログで公に語られることになった
そこに常に何らかの社会の問題があり教訓を残す、ただこうしたことは複雑だから他者にわかりにくいことは確かである
30年とか過ぎて冷静にふりかえりそうっだったのかとわかることがある。それでまた書いてみたのである

ただそうしてだまして不正の得た金はその人を幸福にするだろうか?

何かその金が呪いともならないか、一人の人間が死んでその金にハエイナのように死肉に群がる、そこに人間のおぞましさがある。それは今度は私自身の姉と母との介護でも経験した。人間の醜さ恐ろしさを経験した

基本的にいくら科学技術が発展してもこうして人間の醜さは罪でも消えることはない、だからこそ宗教でも諺でも現代でも通用している。その宗教もカルト宗教団体になると求めているの金だけだとなる。釈迦であれキリストのような人間などいないのである。あらゆる欲望を満たすためにさらに神仏に祈っているのである。結局のところそこも金、金、金しかないのである
宗教でもって人を騙す詐欺なのである、それが余りにも巨大化しているから余計だまされるとなる。
政治家でもいいことばかり言うが自分たちの利益のために国民をだますことがある。ただそれも巨大化するとわかりにくいのである。


人間も金の対象でしかない
死肉をあさる動物
この人から何を得られる
この人と何の関係がある
この人が死んで何を得られる
死者は何を与える
死者に何の価値もない
目ぼしいものを奪い取れ
死者には用はない
何の利益にもならない
残した財産金を奪い
死者は反抗できない
死者には用はない・・・

それが芥川龍之介の羅生門になるのが現実社会である、おぞましいとなるがそれが普通だという現実なのである。





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