2013年05月12日

「心に青雲」で紹介された『トゥルーマン・ショー』を見る (権力、マスコミによって操作されている人間-原発も同じだった)


「心に青雲」で紹介された『トゥルーマン・ショー』を見る

(権力、マスコミによって操作されている人間-原発も同じだった)

 なぜ見る気になったかというと、911事件の映像がことごとくCGでつくられたもので、現実には貿易センタービルに飛行機は激突していなかったことを知ったからである。
 以前にも書いたが、私は2001年9月11日の深夜にテレビの中継(?)を見ながら、これはアメリカの自作自演だと見抜いた。だがそのとき流されていた飛行機がビルに激突する映像までが、あらかじめ用意されていたCG作品だったとは気がつかなかった。


 つまりわれわれが現場で起きていると思っていたものが、実は作り物だったのである。それで、昔観た映画『トゥルーマン・ショー』を思い出
した次第である。これはまさに『トゥルーマン・ショー』の世界ではないか、と。


私たちの世界は、もしかしてトゥルーマンのように巨大な書き割りセットの中にいて、ユダヤ金融マフィアあたりから与えられた生活を送っているのであり、それを〈彼ら〉が面白そうにどこかで眺めているかのような気がしてくる。


 ボストンマラソンの爆発事件にしても、徐々にわかってきたのはニュースに出ていた負傷者たちの多くが偽物であったことだった。
http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/359849294.html

ここで無料で見られる
http://freemovielib.blog47.fc2.com/blog-entry-436.html



インタ-ネットでは絶えず本でも過去の映画もDVDで紹介される。こんな映画あったのと面白そうだなとアマゾンで結構買った。でも映画は中味が見れないので面白いものが少なかった。本ではだいたい検討がつくが映画は検討がつかない。でも映画の種類もこんなに多いのかと驚く。
この映画は現代の文明の問題を鋭く映像化したので高く評価できる。

この映画は一人の人間が生まれてから成長して死ぬまでも監視カメラで追われ続けスタ-にされていた。そのすべてがセットであり俳優だった。妻もその仕組みの中に入ってだましていた。妻も映画として見せるために与えられた俳優だったし友人もそうだった。すべてが回りの家も風景も映画のセットだったのである。そのセットを操るのが一番トップにたつ監督であった。その命令は絶対だったのである。だから3.11のニュ-ヨ-クに飛行機が突入したのも実はCGだったとかにもなる。明かにボストンマラソンはFBIによって仕組まれたものらしい。それはプログで分析しているからわかりやすい。
ニュ-スの映像でもそれが作られていることがあるのだ。テレビ局のやらせが問題になった。
マスコミはトル-マンショ-のようにスタ-を作り上げる。マスコミに出る人はマスコミの報道する側で操作されて作られるのである。マスコミで有名になる人もそうである。誰もかってにテレビに出ることはできないのである。たいがいは芸能プロダクションに所属している人だという。それは事前に決められた人である。


これを見ればテレビからは我々はもはや真実が何なのかわからなくなるだろう。NHKで報道されることだってすべてが報道されるわけではない、必ずタブ-がありそのことは報道されない、NHKも大衆を国民を操作するメデアなのである。トル-マンショ-のようにすべてが操作されているのをみている。情報は権力をもつものによって操作されているのだ。巨大な権力というとき背後にいろいろある。カルト宗教団体もそうである。オウムだってオウム王国をめざして権力奪取をめざしていた。日本国をのっとろうとしていた。その一つの武器としてサリン製造があった。創価なども創価王国建設のために権力を我が物にしようと地方新聞社に聖教新聞をすらせている。莫大な財力があるからできることである。幸福の科学でも政治に進出したから同じである。だから創価では維新は幸福の科学が入り込んでいると対抗意識をもつ。自分たちの権力が脅かされているからだ。どっちにしろ権力を目指していることでは同じである。創価ではだから教員とか公務員とか司法関係とか権力をもつものに入り込ませる。創価大学はそういう日本の権力中枢を掌握されために作られたのである。東大が法学部で司法を支配するのとにている。


別にこういうことは創価だけではない、権力をもつものに情報は操作されているのだ。マスコミはその巨大な権力にとりこまれたものにすぎない、それが明確化したのは今度の原発事故だった。東電の権力は国家並だったのである。何兆円もの資産をもっていた。賠償金も天文学であってもそれができていることに驚いた。市町村をいくつも買えるほどの資産をもっていたのである。それだけの巨大な権力だからマスコミなど簡単にとりこむことができた。政治家もその走狗となってしまった。天下りで警察官僚までとりこみ、原発に反対させなかった。フクシマ原発でも何らか検察までかかわっていた。その背後にはアメリカの意図がありユダヤがかかわっていたか心の青雲ではなる。
ユダヤはわからないにしても何か大きな権力が背後にありその意図通りに操作されていることは確かなのである。遂にトル-マンショ-では嵐まで天候まで人工的に作り上げるセットのなかにあったのだ。これはしきりに心の青雲などの主催者が言う、人工地震だったのである。地震まで操作できるという世界にいるのかとなる。地震を起こせる力があれば世界を支配できることにもなるからだ。


ユダ金とか「心の青雲」ではしきりに批判しているけどそれほどの支配力がユダヤ人にあるのか疑問である。まさに世界を支配するほどの力がユダヤ人にあるとしたユダヤ人は聖書の時代から以前として世界を支配する中心民族だともなるからだ。ユダヤ人だけは今まで国土ももたないのに滅びていない、エジプト文明を作った民族やマヤやインカ文明を作った人種は滅びている。残っていてもその文明を作った人たちの力は完全に喪失している。ギリシャ人もあれだけの天才をだしたのに今は菜の花のとロバの国になりヨ-ロッパの保養地にすぎない、なんら生産的なものがないのである。もちろんノ-ベル賞の学者など一人もでないのである。ユダヤ人は以前として優秀な人材を出している。
それは何なのだろうとなる。ユダヤ人といっても本当にユダヤ人の子孫なのかというのもわからない。キリストはユダヤ教を否定した人である。それはヒンズ-教を否定して仏教を起こした釈迦とにている。そして別にキリスト教側でもユダヤ人が本来のユダヤ人に立ち返れば世界が変わるという人もいる。だからあれほどユダヤを憎みまたキリスト教を憎むまでなっているのはなぜなのか?
キリスト教団体を憎むのはわかるがキリストそのものを憎むのがわかりにくい。
一体この世を支配しているものはそもそも何なのかというときそれは闇の主なるサタンでありユダヤ人ではありえない、ユダヤ人だけにそんな力がありえないのである。


いづれにしろトル-マンショ-というのは一区画が映画のためにセット化されていた、人間もすべてそうである。でもそもそもこの文明社会はトル-マンショ-とにているのではないか?全く自分で生きていると思ってもそれは誰かに操作されたものでありニュ-スでも情報でも自ら見たものでもないからテレビの映像をCGの方が真実のように見させられるのである。人間の一生はすでに死ぬまで決められている。そこに冒険も意外性もなにもない、トル-マンショ-と同じではないか?そういう疑問をもった人が上野霄里氏とかニ-チェとか天才的アウトサイダ-になった。文明そのものがトル-マンショ-なのである。文明によって計算され仕組まれた人生を生きることに対抗するには文明から脱出してトル-マンショ-のようにその囲まれた壁を破らねばならない、それは遂に天才的狂気的なエネルギ-が必要になるのだ。

ただ原発事故ではそうしたアウトサイダ-でなくても情報は権力に操作されていたことが地震と津浪で明確になった。安全神話は東電と政府が一体となり国民を操作していたのである。それに逆らうことはトル-マンショ-のようにできなかったのである。例えば言論の自由があるから反対する本も出ていたのである。その本すら実は原発の安全神話のために権力側に許可されてでていたという。ロスチャイルドから情報の提供がありそのくらいの批判は許されていた。だから結局原発に反対する情報はすべて権力側によって操作されたものだったのである。心の青雲では歴史の見直しをしている。あういう見方があるのかと新鮮なものがあった。歴史でも一人の天才的な人が出れば見方が変わるということがある。結局こういう人が出たのはインタ-ネット時代になったからである。
こういうことは公にはされないものだったのである。自分もそうでありアウトサイダ-になればそうなる。出版でもなんでも情報は巨大な権力に操作されている。インタ-ネットすらアメリカが作ったものとすると操作されるということがある。膨大な世界の情報がアメリカに分析され操作されることもある。だから中国ではグ-グルに批判的なのである。

2014年10月22日

心に青雲のユダヤ、キリスト教批判の疑問 (宗教団体自体がユダヤと同じではないか?)



心に青雲のユダヤ、キリスト教批判の疑問


(宗教団体自体がユダヤと同じではないか?)


バウハウストの創設した秘密結社イルミナティは、18世紀のことではあるが、それ以前にもユダヤは黒い貴族だとか悪魔主義だとかの秘密結社活動を行なってきた。それらがユダヤ教やキリスト教をつくりだしたものと思う。
http://kokoroniseiun.seesaa.net/(黒死病の闇)

プログの主催者の言っていることは共感することが多い。ただそれがすべてユダヤやキリスト教批判になり悪の根源はユダヤとなっている。
確かにアメリカを動かしているのはユダヤだとかなり今の資本主義はユダヤ人が作り出したのだという説もいろいろ調べればそういうことはありうる。
ユダヤ人とは何かとなれば純粋の旧約聖書のユダヤ人ではないだろう。
ローマ帝国に敗れて離散してからはその末裔だとかではない、ユダヤ教を信仰する一団だとなる。
最近読んだ本で「一万年の進化爆発」で今の金融を担うユダヤ人はアシュケナージユダヤ人だという。これはドイツのユダヤ人という意味である。ドイツから東欧やロシアに移り住んだ人たちである。
その人たちはホワイトカラーになった。


ボーランド人のユダヤ人も金貸し業であり通行料取り立て人請負人、不動産管理人、工場や居酒屋の経営者になるものがでてきた。
14世紀の中頃、賃金や給料や報酬によって生計をたてたのは約15パーセントであり残りは独立した事業者であり彼らはポーランド、リトアニア共和国の管理階級だった。
読み書き能力に加え専門職であるにはビジネスマンと同じく複雑な取引の技能を必要とした。


つまりブルカラーではなくビジネスマン、ホワイトカラーであり頭脳労働者になっていたのである。それは官僚と同じように国の中枢を占めるようになるから移民でもその国に重きをなすようになる。ところがイスラム系のユダヤ人はそういう頭脳労働者ではなくブルカラーの肉体労働の下層民になっていたという。だからユダヤ人がどうのこうのというとこのアシュケナージユダヤ人のことなのである。
アメリカに移住した人たちもそうである。その人たちはそういう頭脳労働集団を形成していった結果、ノーベル賞をとる科学者を輩出してきたという、その原因が歴史的にたずさわった頭脳労働集団として形成された結果そうなったという分析も興味深い。
農業とか職人集団だったらそうはならなかったのかとなる。


天才がなぜ生まれるのか?とか問われるけど一人の天才が生まれるにはその背景にその天才を生み出す文化的パックグランドがあって生まれる。ヨーロッパに音楽の天才が生まれるのはそれだけの生まれる素地があったからである。そういう天才を生み出す集団が形成されているかだという。だからアシュケナージユダヤ人はそういう頭脳集団を形成しやすかったのかとなる。知能指数が他と比べて明確に高いとかそれは歴史的後天的に獲得されたものであったとなる。イスラム系ユダヤ人は全くそうなっていない、下層階級にしかならなかったのである。つまりユダヤ人だから頭脳的に優秀になるということではなかったのである。
これを日本で考えるとノーベル賞をとっているのは西がほとんどだというとき、大阪京都とかはもともと日本の文化の中心でありそういう頭脳集団を形成しやすかったからそうなっているともなる。大阪は商人の街であり京都は文化の中心だからである。
アシューケナーユダヤ人のように一つの歴史的文化的集団が形成されてそれが受け継がれてノーヘル賞級の科学者も生まれたのかともなる。なぜなら同じユダヤ人でもイスラム系は全くそうはならなかったからである。


イスラム教も一神教だからアブラハムから別れて生まれた宗教だからユダヤ教の基の旧約聖書から生まれたのである。だから同系統の宗教である。結局イスラム系でも分派したように宗教は分派してまた争うことになった。カトリックとプロテスタントでもそうである。仏教でもそうである。ともかく宗教は集団化したとき負として作用したことが大きくなりすぎたのである。それはキリスト教だけではない、仏教だってそうであり結局政治化して世俗化して権力とかかわることで問題が起きてきた。だから政教分離の法律がヨーロッパから生まれたのは必然だったのである。
日本の神道だって神社本庁が戦前の天皇制の復帰を唱えている。それも天皇教は宗教でありカルトでありそのために300万人も死んだともなる。そうした恐るべき災いが宗教から生まれたとなるから政教分離が生まれたのである。
宗教の悪しき利用は国を滅ぼすと日蓮が言っていたけどまさに今も創価をはじめカルト宗教は国を滅ぼすものであることは変わりないのである。


内村鑑三は明治にキリスト教が解禁されたとき日本はヨーロッパのキリスト教文明を根幹にすえないと日本は崩壊すると言っていた。つまり西欧文明を明治にどう解釈したのか?
日本では便利なものとして科学技術として取り入れた。キリスト教は取り入れなかった。西欧文明の基がキリスト教であるということを否定したのである。西欧文明を取り入れるにしてキリスト教を取り入れなかったら成り立たないと言っていた。
それはなせイスラムであれだけ宗教にこだわっているのかともにている。イスラム教がなければ国も成り立たないからあれだけ主張している。
ただキリスト教でもカトリックやプロテスタントがあるように一つではないのである。
内村鑑三は武士道的キリスト教を唱えたり手島郁朗氏は神道的キリスト教を唱えたのもわかりにくいのである。


ユダヤ人が世界を支配している、金融で支配しているというのは資本主義を牛耳っているというのはやはり金融業に従事する人が多いからだろう。マスコミ関係もそうである。
何か現代の中枢にかかわるからそういわれるのだろう。
それは創価でも裏で金で支配しているというのとにている。実際ほとんどの地方新聞が聖教新聞をすっているからユダヤの支配とされるのとにているのである。
でも創価だって結局自民党に使われているということもありとても世界を支配てきるような力をもつことはありえないのである。
宗教が一つの政治的集団と化したとき世俗化したのでありそれは何の宗教でも間違いの元ととなる。イスラム教でもそうである。政治は権力を行使できる。宗教がカトリックのように政治化したとき堕落した。宗教が権力をもてば権力として工作して日本も支配するようになる。それはカルト宗教団体はそこに莫大な金を集まることでその金を利用して国を支配できるとなるからである。
そういうことが目に見えているから宗教が嫌悪され危険視されるのは当然なのである。
だから内村鑑三が無教会を唱えたのはそううい集団宗教を拒否したからである。


どんな宗教にしてももともと人を殺すことは否定している。そしたら戦争などできないはずである。でも宗教の名のもとに神の名のもとに戦争でも人を殺してきたのだからそれは宗教のせいではない、人間のせいなのである。神もそんなことを命じてはいない、だから宗教が悪いのではなく人間が争いの元を作り出している。その原因はあくなきこの世に対する欲望だったり不満だったりであり宗教そのものがそうしているのではない、悪人が宗教に触れると最悪になるともいわれる。
なぜなら自分の欲望を達成するためであり怨念であり不満であり神や仏の名によって断罪して殺すこともできるからである。
正義の名のもとに膨大な人間が戦争で死んだのと同じである。
だから人間の悪意から発したものでも神の名のもとにカトリックでも死刑にしてきた歴史がある。カルト宗教はほとんどそうなのである。
「あいつは地獄に落ちる」とか絶えず言っているけどその本人がどんな人間が見ればわかる。それは普通の俗人となんらかわりない、どろどろした欲望の持ち主でありその本人が地獄に落ちるような人柄なのである。ただ宗教はそうして恐怖を与えるだけだとなるから拒絶反応だけがでるようになる。悪人が宗教をもつとき最悪になるというのはそのことである。サタンが宗教を巧みに利用するというのもそのことである。
カルト宗教団体もこの世からなくならないのは必ず不満分子がいてそれに頼る人がいるからである。それを利用して政治化して権力を左右しようとする野心家が常にいるからそうなる。またそこには大衆の大きな無知も作用しているからなくならないのである。


 
タグ:ユダヤ人

2015年06月18日

「心に青雲」では自然循環論を言っても東京の暮らしは全く反している (文明人はみな自然と相反して生活している)


「心に青雲」では自然循環論を言っても東京の暮らしは全く反している

(文明人はみな自然と相反して生活している)

だいたいシャケの体の6割は森に棄てられる。一頭の熊が1年で平均700匹のシャケを森に棄てる。
 そういう時期に森に入ると、すごい腐臭がただよっている。
 森中に白いコメがまいてあるようになっているが、それは腐ったシャケの死骸にウジがうごめいているのだ。
 それをさらに鳥が来て食う。鮭の死骸は10日間で白骨化し、翌年にはそれも消えてなくなる。ネズミが食べ、鹿がかじり、昆虫がたかり、微生物が分解する。
 熊がいて鮭が登ってくる川がある森はとても元気だそうだ。
 鮭が海の栄養素を運んで来て、その死骸は山に還元されていくからだ。
 http://kokoroniseiun.seesaa.net/
 
 
C・W・ニコル氏のことを「心の青雲」でとりあげている。これは自然には無駄なものは何もないということを無駄にしないということを具体的な例でとりあげたからわかりやすい森と川と海は別々なものではなく一つの生命体として連続して連環してあるというのはわかる。
でもそこで問題になるのは文明人の矛盾しているのは自分もそうだが東京という大都会で暮らしているとその生活がそうした自然の連環的な生命のリサイクルの中にあるのとは全く違ったものとして生活している。
東京でそういう森も川も海もないのである。だからそういうところでそうした自然を認識するのかとなる。
東京だと最も自然とかけはなれた生活をしているのである。
そういうことに感心するのはわかるけど現実の生活は全く正反対の生活をしている。
田舎だと山を神としたのは山から田んぼに水が流れて稲を実らすからである。
それで春になると山から神がおりてくるというのは水が流れて田んぼをうるおし稲を実らすからそうなる
そして死ぬと山に還るというのはそうした稲作と深く関係した生命の循環的思想はその生活から生まれたのである。
田舎では田んぼがあるから農民でなくても何かそういうものを意識する。

ところが東京のような大都会になるとそもそも田んぼもないのだから意識しようがないのである。
でも江戸時代では江戸の回りは自然豊かであり農民が住んでいて糞尿を農民が肥料にするために取りにきていたのである。
農業は肥料がともかく一番大事だからそうなった。
つまり江戸だったら都会で生命の循環的生活をしていたからそれは具体的なものとして
実感としてわかる。
でも今の東京でそうした自然のことは理屈としてわかっても実感としてはわからない
遠くの世界として感心しているだけであり現実の生活は正反対なのである。
毎日膨大なゴミが捨てられているしそれが家事では一仕事なのである。
それは東京でなくてもどこでも同じである。
文明人としてみんな生きているのでありそのシステムの中で生きている。
人間はつくづく自分もそうだが言っていることとしていることが必ず矛盾してくる

「心の青雲」の著者は東京に住んでいる。すると東京電力の電気を利用しているしそれを供給した場所がフクシマでありそのためにフクシマは住めなくなるまでになった。
循環的生命論を言うなら東京はそれと全く反した所に生きている。
東京を維持するには膨大な電気が必要である。文明を維持するにも必要である。
そのために石油が必要になり原子力が必要になる。
もちろん田舎でもそうした文明の中に生活しているのだから電気は必要である。
ただ東京にはどれだけの電気が必要なのか?
それだけのエネルギーを消費することはすでに循環的生命の世界とは正反対の社会なのである。
そして放射能はたいしたことはないと最初から言っていた。
それはわからないにしてもそれも無責任だろう。
東京に電気を供給するためにフクシマで事故が起きた、そして放射能はたいしたことがない、普通に生活すればいいとか言うのは無責任になる。
だから何かそうした自然循環論の生命論を説いても矛盾している
それは自分にもあるし何か矛盾していることは必ずある。
自分も資本主義を批判しても資本主義でもうけているから得しているから資本主義が実際はいいとなる方なのである。

だから人間は口で言うのと理論とは必ず矛盾してくる
要するに東京のような所に住んでいる人は自然とは切り離されているからもともと自然とは関係ないのである。
でもフクシマでは田畑があり海があり漁業があり林業がありと自然と関係しているから放射能汚染で致命的打撃を受けたのである。
東京の人もまたフクシマの事故には関係していたし現に東京の水源も汚染されたとかあるそして東京は東京で都会は都会で田舎は田舎で地方は地方で暮らせとかはならない、
フクシマなら東京から離れているから汚染しても東京までは及ばないという感覚でフクシマに原発を作ったことがそもそも疑問だった。
東京の電力は東京で作ればいい、原発も東京に作ればいいというのも正論だったのであるそうすればかえって今回のような津波のような事故にはならなかったのである。
もちろんフクシマにはフクシマの問題がありそれはこれまでも書いてきた。
それより原発は広範囲に影響するから日本全体の問題でもあった。
いづれにしろ生命循環論を語るなら東京に住んでいて語っても説得力がないことは確かである。

体内に「生命の歴史の水」を保持するということである

歴史の水というのも何か新鮮な表現である。水にも歴史性があるとか原子も古くなっているとかいうのも何か理系的なものを文系的に解いているから自分は文系だから納得する。そういう点では新しい視点をもたらしたことは確かである。
人間の特徴は歴史的存在であり日本人は人種のことではなく日本の歴史の中で作られたのである。
歴史というのは例えば原発事故で三野混沌の極貧の生活を見直されたように常に歴史をふりかえり対比して現代を見るのである。
自然にも歴史があり津波にも歴史をみればこの辺でも大きな津波に襲われて四〇〇年前に七〇〇人溺死の記録があった。
そういうことが全く忘れられていたから歴史をふりかえることが忘れていたからこれだけの被害があったともなる
「生命の歴史の水」というとき「人間の歴史の血」というものを歴史的民族はもっている。
それは血統というのではなく長い歴史で培われたものが時代を経てももちつづけるということである。
血とは地のことでありその土地から受け継ぐものだからそうなる。

人間は一時代を一世代を生きただけではわからない、長い歴史を連続したものとして人間をみるとき人間がどういうものか理解する。
動物は歴史をもたないから進歩も発展もないとなる、いつも同じなのである。
歴史は必ずそれが教訓でありその教訓からいかに学ぶかが人間なのである。
だから最近七年間いろいろと苦労して諺というのがいかに今でも通用しているかわかったそれは庶民が伝えたにしろ人間とは今も昔も変わらないものがあるから通用している。
「遠くの親戚より近くの他人」というときその遠くは隣の村でも車もないのだから遠かった。
これは別に交通が便利になっても変わらなかった。
遠くの親戚というより東京でも何か大地震などが起きた時、即座に助けられるのはやはり近くであり遠くではできないし外国が助けるとは限らない、つまり東京でも何かそうした大災害にあわないと田舎などどうでもいいとかなる。
でも今回の東北の災害でわかったように想定外のことが必ず起きるということである。
だから災害の観点から社会を見直すことも必要になったのである。

諺は庶民は残したものでも深い真理があった。
それが今でも通用するということは人間自体が文明化しても変わっていないということなのだ。
だから諺は真理であり馬鹿にできないと思った。
学問もむずかしくすると理解できなくなる。「相互浸透」とかは朱に交われば赤くなるとかのことであり弁証法は何かとなるとそれももっとわかりやすくすれば理解できる。
ただ科学にも詳しいとなるとそこで浸透というのは化学反応のようにイメージしているのだろう。「朱に交われば赤くなる」というのは化学反応でもあるからだ。
学問はどうしてもむずかしい言葉を使うから庶民に敬遠される。
真理でもそれは単純なものとして表現できるのである。だから弁証法となると別に庶民でなくてもとっつきにくいのである。



タグ:心に青雲

2015年10月30日

「心の青雲」の著者が求めるものは何なのか (鞍馬山に上り義経と一体化する)


「心の青雲」の著者が求めるものは何なのか

(鞍馬山に上り義経と一体化する)

山道も険しいが、山そのものが上から下を見ると絶壁といった感じで、道はつづら折りになっている。鞍馬山は岩盤で固く、杉の木が地下深くに根をはれないので、ぼこぼこと地上に根が出てくねっている。ために歩きにくいことおびただしい。


鞍馬山上りて思ふ義経のその心かな秋のふけゆく

義経の心を求め鞍馬山険しさ足に痛みて知りぬ


彼は何を求めているのか?アレキサンダーであり義経でありジンギスハーンであり戦争で勝った英雄である。
何か今はそういう戦争自体を否定している、戦争は悪いものだということが戦後の憲法までになった。だからこんなに戦争を肯定して英雄を求めているのに違和感を感じるだろうあなたは人を殺して英雄になりたいのかとなる
こういうことを堂々と書けるのもネットならではだろう。
戦争を経験した人は戦争を賛美していない、戦争だけはするなと言っているのである。
だからあんなに戦争を肯定して美化していることに誰でも抵抗を感じるのである。
まず現代の戦争だったらとても英雄化できない、機械の戦争になっているからである。
この次の戦争は明らかにロボット同士の戦争になる。そこにもはや人間はいないのであるでも実際はそのロボットという機械に殺される人が膨大になる。
現実にアメリカはすでにロボットで人を多数爆撃して殺しているのである。
それは鉄腕アトムのような架空のことではなく現実となっている。


ただアレキサンダーとか義経とかなるとまた別である。そもそも義経の伝説はなぜこれほどいたるところにあるのだろうかとなる。
それほど義経は日本全国に知られて伝説に残された、北海道までありそこから逃れて大陸にわたりジンギスハーンになったというのも伝説が残っているからそう見る人もでてくる心に青雲の著者は実地に義経という人物に迫りその人物と一体化しようとしているのである。その手法が単に小説を書くのとは違っている。
武道をしてきた体験からも語っている、だから一面迫真力がある
つまり義経を英雄視するのではなく自分自身もその英雄の跡をたどり英雄となろうとしいる、それが何か司馬遼太郎などと違っている。
司馬遼太郎は小説家であり歴史家でもない、物書きであり実践者ではない
心の青雲の著者は武道の実践家だということが違っている


だから鞍馬山を登るにしても義経に自分自身がなっているのである。
ある人物を語る時何かその人物になりきり語る
第一光厳天皇のことを知っている人すらまれだろう。そんな天皇をのことをなぜほめているのか?
その天皇が過ちを認めた、でも昭和天皇は戦争の過ちを認めないで責任もとらなかったと延々と批判している。
天皇自体が反省するとなるとし過ち認めることは異例のことだろう、ましてや戦争中現人神になっていた人が謝るとなるとそれはありえないことであった。
私は神ではない、人間だと言ったことに三島由紀夫は認めずに自死したのである。
結局情けないものを感じたのだろう。神からただの人間になったことが許せなかったのである。そのギャップも大きすぎたのである。
巨人が突然小人になる、巨獣が突然に踏みつぶされるような蛙のようになってしまう。
それはまるで魔法をかけられたようになる。そういうことは人間には常にある。
自分の家族でも認知症になった結果優秀な人が馬鹿になったということは信じられないことだった。

志高くもありて果てにけれ正しく清く秋の星光る

人間の最後はその志の高みに上ってゆき遂には死んでゆくことは確かである。
人間は死んでただの躯とか骨とか灰になるのではない、明らかに星になるのである。
彼はそれを義経とか英雄に求めている、自分は自然を求めてその志を一体化する。
その相違があってもやはり同じ志向があるので共感する
それは宗教とはまた違って共感するのである。


いつれにしろ歴史を知ろうとするときまずはその地理を知ることが基本にある。地理を知らないと何もしることができない、だから磐城の豊間で津波の被害のことを聞いたがあそこを自転車て通ったことがあるからすぐに話を合わせることができた。
何か淋しい場所であり海に接しているから被害も大きかったろうなと思った。
あそこに銀行がないからタンス預金していたということはやはり街から離れた淋し場所だったのである。
鞍馬山には上ったことがないけど何かイメージはできる。ただそれほどに深い険しい山の中だったということはそこに行かないと実感できないのである。
この実感することはやはりその地を踏まない限りわからないし歴史もまたわからないのである。
詩はまずイメージするにしてもそこに一度行っている人と行かない人の差は大きい
イメージするにもやはり一度そこに行くのと行かないのでは差が大きいのである。
京都もいろいろあり広いからかえっていろいろなものがありすぎてわからなかった。
でも義経の跡をたどるということで焦点をしぼれば何か得るものがあることは確かである大原に一回行ったがあそこも一度行ってみればそこで暮らした感じがイメージできるのである。

タグ:義経

2016年04月28日

心に青雲のフログの趣旨は何なのか? (キーワードは「相互浸透」「像で認識しろ」など)



心に青雲のフログの趣旨は何なのか?


(キーワードは「相互浸透」「像で認識しろ」など)


ここも毎日読んでいる。批評家として優れていると思う、相反するところもあるが共感している
フログでは毎日読むのが少ない、それだけ書き続けることが大変なのである。
言っていることが首尾一貫している、内容も濃いものがあるから軽々に批判できなくなる俳句とか短歌を自分は作っているからそのことを批判しているから興味をもった

著者は人間の認識がどうして作られるのかを追及していることは確かである。
自分は相当旅したからそのことからいうといつも書いてきたけど最初は鉄道の旅が主だった、だから今でも鉄道が好きなのである。
でも鉄道の旅は人間が認識を作るのにはいいとはならない、鉄道の旅で認識したのが鉄道の駅名でありそこから何か地名に興味をもつようになった。
鉄道の旅は自分は暇だから普通車にのる、すると景色も見るのだが駅にとまると駅名が気になる、そこがどういう場所なのかということを駅名で記憶しているのである。
人間は自然でも旅するのにも何か手がかりというかとっかかりが必要になるのだろう。
それで歌枕ができた、その場所を象徴的に示す場所としてそこは寄るべき場所としてできた。人間はそうした目印になるものがないと不安になるからである。


人間が認識するというとき一番むずかしいのが地理とか地形とかを理解するときである。これだけは地図をみてもテレビを見てもわからないのである。
その場に立たない限りわからない、高さとか風と光でその場で感じるものはとてもテレビとかでも伝えられないからである。山でも遠くから見るだけでもいいが実際は上ってみれば一番いいのである。ただ登山となると体力がない自分には重圧であった、でもシナイ山まで上ったことがある。そこは草木一本もない荒寥とした山々である。岩山である。
外国の山は一般的に岩山である。中国でもそうでありだから荒寥としている
そこかに本当にモーゼが上り十戒を授かったのかとなる、それは本当に厳しい自然であるさらにヒマラヤも一回上ったけどこれも日本では想像を絶する世界である。
なぜなら富士山の高さまで上ってさらに8000メートルの山を見るからである。
そういうものを認識すること自体実際に体験しなければできない、実際は6000メートルくらいまで上らないと実感できないのである。そうなると体力的に厳しいから上れないとなる

この自然を認識するとなると本当は超人的体力がないとできないともなる
山という巨大なものに接するとき人間も山を認識するとなると山と心も体も同化するということか必要になるからである。
だから正岡子規が病人で俳句でもろくなものができなかったというのはそのためである。それは啄木にも言えることである。でもあの若さであれだけのものを作れたということに自分は凡才だから感心する、どうして自然に対する感性がそんな若くしてもてたのかとなる

自分は子規の「写生俳句」を基に作ってきた。その写生俳句というのが心の青雲の著者が言うように感情をぬきにしたものだったのである。
俳句は短いから悲しいとか淋しいとかうれしいとか感情的な言葉を入れると表現できないから写生に徹しろとして子規が唱えたのである。そこに功績があったのである。
だからいま写俳という分野がデジタル化ハソコンに生れたことでもわかる
写生俳句は写真と相性がいいのである。写真は見たままを写すから写生俳句になるのとか共通しているからである。
ただ写生俳句は深く鑑賞できないものにはつまらないとなるかもしれない、これのどこがか芸術なのとなってしまう。「鶏頭の一四五本もありぬべし」というのがそうである。
これが俳句なの芸術なのとなってしまう。
要するに一本あるのと三本あるのと五本あるのと花でも感覚的に違ってみる、だから数にこだわるのである。ただこれを鑑賞するとなるとこれのどにか個性があり芸術なのかともなる

八重桜風雨の中に赤く咲く

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今自転車で買い物に行き雨にぬれた、まさにこの時八重桜は咲いていた、赤いというとき風雨の中でも赤いということである。
これは写生なのだが自分が風雨の中にあったからその赤さを感じたのである。
赤いというとき何かあたたかいとかにも通じている、写生俳句は背景を読まないとイメージしないと平凡なものになるのである。鑑賞するものによって左右されるのが写生俳句なのである。

ともかく人間は病気になれば病的な見方しかできない、これはどうにもならないのである自然は病的なものではない、健やかであり生命力にあふれた存在でありそんな病的な人が見るのとはまるで違った強力な存在である。
自分は体力的に劣っているからなんとか体力をつけようと努力してきた、でも天才ならすでにそういうものがエネルギーが過剰に与えられているから努力しなくてもできる
そういう点で自分と心の青雲の著者は共通したところがあるので共感している
自分が師とした上野霄里氏は天才であったから偶像化される
天才と凡人の差があるからそこに偶像化する危険性があったのである。
心の青雲の著者の言っていることは理解しやすいのである。天才的なものは凡人にはついていけないのである。

彼のキーワードも理解しやすい、「相互浸透」なども最初わかりにくかったが最近はわかってきた。相互浸透とはレクサスとか高級車に乗ればその車と相互浸透して心も影響するというのは具体的でわかりやすい、自分は車に乗らないからそのことがイマイチ理解できないが例としては面白い
例えばホテルでもビジネスホテルとか安ホテルにとまると相互浸透するということはあるだろう。自分は貧乏旅行者だからまずそんなホテルとは縁がなかった
それは人間でも言える、くだらない奴とつきあっているとどうしても相互浸透してゆく、だからつきあう人には気をつけろとなる、それは会社でもそうである。
その会社で日々仕事していればそこにいる人と相互浸透してゆくことはさけられないのである。


例えば介護施設で働く人を知っているがその人は変な人しかいないというときその本人が一番変な人だったのである。まともでないのである。
介護関係とか施設には最低辺の人しか集まらないというときいろいろな問題が起きても当然なのである。
そういう最低辺の人が相互浸透している場所が介護施設だからである。
だからそういう場所に施設に入るのは怖いことだと思った、介護とか人が一番大事なのだがその肝心の人が最低辺の人しかいない、常識すらない人もいるだろう。
そこは誰もやりたくないからそういう人たちが集まってくる
またそういう相互浸透するという場はカルト宗教団体にもある、そこにはどんな人でも受け入れる、性悪だろうが何だろうが関係ないのである。一票になればとんな人でもいいのである。そういう人たちが相互浸透してゆくとどうなるのかということである。
どろどろとしたものが地獄の釜のようになっているかもしれない、なぜ出家したかとなると俗世間にいれば必ず相互浸透せざるをえないからである。この世の汚れに染まらざるを得ないからである。
夫婦でも相互浸透してゆるのがさけらさない、日々接しているのから当然だとなる、それで歴史でも王様とか殿様でもその妻妾口だして政治をまげるということがあったのもそのためである。


人間は基本的にみんな頭脳で認識を作っていると思っている、認識は体でも作っているのである。風を感じるのは体の神経であり熱でも寒さでもそうである。
だから自然を外界を認識するというとき車だと認識ができなくなる
まず風を感じないということが致命的なのである。風土というとき風と土であり風を感じないことは風土も感じないのである。
太平洋沿岸は春になると(東風-コチ)が吹く、それは三月のはじめころから吹く、それでこの辺では原発事故があったとき三月十一日が東風が海から山に吹いて飯館村から福島市とかまで影響したのである
これはまただ別であるが風を感じないと風土を感じないということがある
今年の桜は絶えず咲いてから風が吹き荒れていた、その風を感じて桜を見るのである。

ともかくこの世界を自然でも認識することは容易ではない、頭脳だけでは認識できないからである。
便利になるとかえって認識の領域は広がっても中味の濃い認識はできない
新幹線で東京から青森まで三時間でに行って何を認識したかとなると何もないとなってしまうだろう。
一方で船で名古屋まで行き名張を通り奈良まで自転車で行ったときはその行程を制覇したという満足感があり日本の一部を認識したとなる
だから江戸時代の人の認識と今の時代の人の認識したものは違っている
歩いて認識したものと歩いて旅して認識したものは違っているのである。
だから意外と今の人は近くのものを認識していないのである。自分もすぐ近くにある六号線の山にあれだけ山桜が咲いていたのを発見したのははじめてだったというのもそうである。他の人も車で通るからほとんど認識していないのである。
そういうことが現代では非常に多いのである。

いづれにしろ介護十年もして旅もしなかったから自分の認識能力は衰えた。記憶する旅をしてきたがこれもいかに認識として記憶されるかにあった。
どうしても電車の旅だと記憶に残りにくい、認識として記憶されないのである。
歩いて旅人か自転車くらいまでは体で認識して記憶に残されるが車などだとそうはならない、認識は五感で感じることでありそれに体でも感じることなのである、だから地理とか地形とか頭で知っていても知ったことにはならないのである。
峠を苦労して上ったり距離感を感じるとかないとできない、だから像として認識するというときもやはりその像というのが常に身近にあって心に刻まれることが必要になる
つまり富士山がきれいに見えるところに住んでいれば富士山の像が心に刻まれて。ゆくのである、毎日高層ビルとか鉄塔とかそんなものばとかり見ているとどうなるのか?
そこには自然の像などは関係しない、人工的頭脳が作られてゆく、それがまさに著者が都会に住んでいて矛盾している点なのである。
都会では人工頭脳が作られてゆく、日々接するものに相互浸透して人工頭脳化してゆくのである。
タグ:心に青雲

2017年01月18日

「心に青雲」の日本語と英語の解釈について (文化の基に言葉がある)


「心に青雲」の日本語と英語の解釈について

(文化の基に言葉がある)


例えば、として日下氏は日本語の「潔い」は英語にない(ならない)と言う。Nobleでもgracefulでもなく、強いていえばManly という古い言葉が近いのだと渡部昇一氏が教えてくれたそうだ。

「潔い」にしても、これは対象たる社会のありようが、曖昧にも関わらず、どうしても白黒つけないとうまく人間関係、社会関係が立ち行かないと見てとって

言葉は文化の基底である。だからどこの言葉でもそこに歴史があり思想があり文化があるそれで訳せないのである。そこからして外国に対して誤解が生れる
「心の青雲」では反発するもものがあるが日本文化を尊ぶという点では共感している。

「潔い」という言葉が訳せないというときもそうである。勇む、清しが合体していさぎよいとなったらしい。このいさぎよいは英語でもある、良くフェアという言葉が使われる
スポーツでもフェアプレーが重んじられるから外国にもそうした概念がないということではない、ただ深く読むことがその言葉のもっている一語一語の感覚がそもそも違っているのである。


基本的に英語はイエスかノーになる、あるかないかでありあるでもないないでもないというあいまいな表現はない、白、黒をはっきりする、勝負になれば勝つか負けるかでありその過程ばとうであれ結果がすべてだとなる、それは何を意味しているのか?
でも勝負の過程でフェアプレーしないとラクビーなどでもサッカーでも反則になる。
フェアでないものはすでにルールで決められているのである。
日本では何がフェアでないかフェアなのか明確に決められていない
でもそこに日本の文化があり日本は何でもルール化はしないのである。
それは日本人は異民族と交わることがなかったからである。
大陸では絶えず異民族が攻めてくるし交わる歴史だった。
異民族とは容赦のない戦いとなる、勝つか負けるかであり負けたら奴隷にされるのであるそういう歴史が反映して言葉も文化もある

日本は和をもって尊しとすべしというときそういう国柄だった。勝負でも徹底的に完膚無きまで負かすということはしない、この完膚無きまでとは中国から来た諺だから中国も大陸だからそうして相手を完全に打ちのめすという文化になっていたのである。
要するに異民族同士の戦いは熾烈になるのである。
日本の戦争はこうした熾烈さはなかった。それで敵味方塚とかもある、敵でさえ墓を建てた、明治維新でも薩摩長州が東北に攻めてきても死んだ人の墓が福島県にはある
将棋でも駒をとってそれをまた活かす、中国の将棋でも外国のチェスでも敵をとればもう活かすことはできないのである。
日本は一つの民族であり相手を徹底的にうちのめすという文化はないのである。

ただ聖書には選民思想がありそれはユダヤ人のなかに今も生きている、神から選ばれた民は絶対なのである。神が選んだから絶対なのである。それは別にその民族が優秀なのかどうかも関係ないようにも見える、神が選んだということで優秀だとなる
ではなぜそうなのか?その解答は神が選んだからだとなってしまう、そういう思想や宗教は他にないのである。神が絶対的なものだから逆らうことはできない、神があるのかないのかというあいまいさは許されないのである。
要するにあるかないかしかない、あるでもないないでもないとかならないのである。
厳然たるものして神はあるとなる


言葉はその国の自然とか歴史からも作られてきたのである。
それでクエーンズイングリッシュとアメリカ英語が違っているときその区別は日本人にはつかない、でも英語にも古語がありシェークスピアの英語と米語は違っているのである。そこには歴史の相違が同じ英語でも違うのである。
言葉が文化だというときどうしてもコンピューターが生れたのは英語の発想から生れている。基本的にイエス、ノーで世界を見ることにより生れたのである。
だからアジアの文化から生れなかったともなる
技術でもやはり国の文化があり生れている
日本人は英語を明治維新語でも習ってきたがどうしても感じのように自分の国の文化として融合できない、漢字はもう日本の文化として融合した。そしてかえって明治維新語に漢字でもって西欧文明の言葉を概念を訳したのである。
漢字に新しい意味を与えたのである。英語はそうなっていないのである。
そこに文化の障壁の大きさがある。

自分も単語だけでも自分の詩に合わせようとしたができない、つまり一語一語の意味が感覚がどうしても日本語に訳すとあわないからである。
例えば

stateとは

状態、ありさま、様子、興奮状態、威厳、威儀、荘厳、公式、国家、国

(立っている)状態
個人の(立っている)「状態」を表すほか,自治権のある(独立している)「国家」「州」も表す

謳う, 述べる, 宣べる, 陳べる, 鳴らす, 申し述べる, 申述べる, 言い立てる, 言立てる, 仰せられる, 申し上げる, 申上げる, 申しあげる


この言葉でもなぜ状態とか威厳とか国家まで現しているのかとなる
日本語だったら国とか国家くらいしか表現できないからだ。
クニとはあなたのオクニはどこですかというとき地方のクニのことである。
それは小さな村がクニにもなっていたのである。
でもヨーロッパの成り立ちでは国とは全く違った成り立ちがある。
ローマ帝国のようなものがありstateとはこれにあっている。
だからそもそも歴史がわからないと言葉も歴史から生れているから理解できないとなる

stately

屹屹たる;不昧;弘遠だ;堅手;荘厳;巌巌たる;厳かだ;厳峻だ;屹々たる;清高;いかつい;険相だ;厳粛だ;気高さ;厳威;尊厳だ;巌々たる;厳たる;厳い;重し;儼乎たる;厳威だ;儼たる

stately mountain
stately rock

こういう詩的な表現にも応用される、でもそれがなぜ国家と結びつくのか?
国家とはそれだけ重々しいものとして自覚されていたからなのかとなる

ともかく武道などでも文化である。日本人はそもそも勝ち負けより型とか姿勢を重んじる剣道でも空手でも武道はまず型があり姿勢を見る、その後に勝負がある
外国はまず勝負ありきなのである。勝ち負けしかないのである。フェアなルールのもとに勝ち負けしかない、日本の武道はむしろ型とか姿勢とかが先にある、それで格好いいとかなる、必ずしも買ったから格好いいとかならないのである。

「形」が「力」を越える真理があります。古流で言う「カタチはチカラ也。」

これが日本の武道の基底にある。
でも「柔能く剛を制す」という言葉は中国から来た諺だから中国由来であり老子などの思想の影響がある。欧米だとスポーツでも剛しか見えない、だからこの言葉は思想はアジア的だとなる、アジアの思想と欧米のアングロサクソンとかの思想は大きく違っているのである。
誤解しているのは聖書が生れたイスラエルはアジアなのである。その地中海の向こうがヨーロッパなのである。
だから宗教とかはすべてアジア発祥でオリエントあり深いのである。
だからヨーロッパ的キリスト教とアジア的キリスト教が違ったものになる
アジアの方が本当は深くキリストを理解するともなる
そもそも文化とか文明はアジアが発祥なのである。科学はイスラムが発祥のが多い、ヨーロッパは後進国だったのである。





2017年02月01日

心に青雲の著者の心情-戦争とは何であったのか? (レールモントフの詩より考察)


心に青雲の著者の心情-戦争とは何であったのか?


(レールモントフの詩より考察)



詩人

レールモントフ

我が短剣の金の飾りは光りかがやき
刃は頼もしく傷跡もない
剣は神秘な焼きの跡を
戦国なる東方の秘伝の跡をとどめる

この短剣は奉仕の報いを受けることなく
長年山国の騎手に仕えてきた
胸に恐ろしい傷跡を残されたものも一人どころではなく
貫かれた鎖かたびらも一つどころではない

しもべより従順に持ち主と苦楽を分かち
侮辱の言葉に答えて探検は響きをたてた
その頃の剣のゆたかな彫り物は
縁なき恥ずべき装いだった

これはテーレク河の向こうで勇ましいコサックが
持ち主の冷たくなった死骸から奪い
その後行商のアルメニア人の店先に
長らく投げ出されていたもの

この勇士の哀れな道連れも今では
鞘は戦いに打ち砕かれてなくなり
金のおもちゃのように 壁にかかって光っている
なお 誉れにも害にならずに

誰一人慣れた入念な手つきで
手入れしてくれるものも、愛撫してくれる者もなく
誰一人夜明けに祈りながら
真心こめて短剣の銘を唱えるものもいない

惰弱に成り果てた現代では詩人のお前も同様
おのれの使命を見失っていないか
世人が黙然と敬虔に耳を傾けた
あの権威を黄金に見変えてしまっていないか

昔 お前の言葉は朗々たるひびきは
武士(もののふ)の戦意を燃え立たせた
その民にとってはなくてはならぬもの
酒宴の盃、祈りの香のように

お前の詩句は 神の御霊のように、民の頭上を駆けり
式典や民の災厄の日々には
気高き思想の反響が
民会の鐘のようにとどろきわたったものだった

それが今や、お前の月並みで傲慢な言葉は退屈で
金箔と欺瞞がわれらを楽しませてくれるだけだ
老いぼれた今の世は 老いさらばえた美女のように
脂の陰に皺を隠す癖が身についている

あざ笑われている予言者よ お前は再び目覚めるか
それとも復讐の声を耳にしても
一面に侮蔑の錆びに覆われた刃を
二度と鞘からぬくことはないのか?


A.N オドーエフスキーの思い出

わたしは彼を知っていた
東方の山の旅をともにし
配流のわびしい思いも
親しく分かち合った仲 だがわたしは
故郷に帰り 試練の時代は
当座の成り行きで速やかに過ぎ
彼はついに甘美な時にめぐりあわず
遠征軍のみじめな天幕の中で
病に倒れ、己が身とともに
天翔る まだ熟さぬ
漠然たる霊感や 裏切られた期待や
勇ましい無念の思いを墓へ運び去った

それら そういう期待や幸福のために
生を受けながら 彼は無分別にも
はやくも子供の衣ぬぎすてて
荒れ騒ぐ人生の海に投げこんだ
だが世間は容赦せず-神の救いもなかった
とはいえ、苦しい激動の中
人群れのなか 無人の荒野にあっても
内なる感情の静かな炎は消えず
保ち続けていた、瑠璃色の目の輝きも
良く透る 子どもぽい笑い声も
活気ある話ぶりも
誇らかな人間信頼も 人とコトナク生き方も

だが 彼は友達のから遠く隔てた所で相果てた
我が愛しのサーシャよ、心に安らぎあれ
異国の土におおわれて
静かに眠れ 我が記憶の
黙せる墓に眠る二人の交わりのように
きみはみんなのように 音もなく死んでいった
ただし毅然として 神秘な思いが
まだ君の額をさまよううちに
目は閉じられ、永遠の眠りについた
いまはのきわにもらした言葉は
聞いていた者のだれにもわからなかった

それは故国への別れの挨拶か
残してゆく友の名前か
青春を惜しむ気持ちか
それとも単なる最後の病の叫びか
だれも教えてくれない、・・・君の臨終の言葉の
深い意味は失せ・・・君の仕事も見解も
思索も すべて跡形なく消えさった
あたかも夕雲の軽やかな蒸気のように
それはきらりと輝く間ももなく また風に運び去られ
どこへ、なぜぁどこから などとたずねる者もいない、


レールモントフの詩をはじめて読んだけど27歳で死んでこれだけの詩を書いた。
早熟の天才だったというのはそうだろう。
これは啄木ともにている。なぜあのような短歌が作れたかとなるとこの二人には共通したものがある。
啄木は肺病で死と直面していた。レールモントフは戦争で死に直面していた。
若いときに死を現実に身近に感じて実際に死んだからこれだけの詩を作れたのである。
ただ若いが故に未完成で終わったのである。その思いが詩に痛切に現されている。

病に倒れ、己が身とともに
天翔る まだ熟さぬ
漠然たる霊感や 裏切られた期待や
勇ましい無念の思いを墓へ運び去った

それは故国への別れの挨拶か
残してゆく友の名前か
青春を惜しむ気持ちか
それとも単なる最後の病の叫びか
だれも教えてくれない、・・・君の臨終の言葉の
深い意味は失せ・・・君の仕事も見解も
思索も すべて跡形なく消えさった


こういうことが痛切なものとして詩で現されている。この感覚は自分などは天才でもないからこの年になりわかる、もう死が近い年齢になって実感することなのである。

「天翔る まだ熟さぬ」とか「勇ましい無念の思い」とかもそうである。
これは若くして死んだ人に共通なのである。
人間はつくづく成長するに時間がかかりすぎる、やっと死ぬときになって人生はこうだったのかとか自分などは悟っている、そういうふうに人間は人生を社会でも歴史でも深くみれないのである。その意味を知り得ないのである。
それは芸術でも同じである。芸術は鑑賞すること自体がむずかしいのである。
だから鑑賞できる人は芸術家でもあるともなる

この人は若くして死んだが故にそうした心残りを痛切に啄木と同じように残したのであるそれはまた戦争を経験したためでもある、すると戦争というとき戦争では日本でも300百万人も死んだ、そこにこれとは同じ思いをもって死んだ若い兵士がいるとなる。
でももう一つそうした戦死者の思いとか意味とかが語られていない、否定的に語られるのが多い、

この詩のように

それは故国への別れの挨拶か
残してゆく友の名前か
青春を惜しむ気持ちか

故国となれば日本でも戦争で死んだ人はそういう思いがあり死んでいった、今でも戦友のことを忘れることができないのである。
自分の姉はシンガポールで今のマレーシアのジョホールバルで従軍看護婦として4年間勤めた。そこはイギリスの赤十字病院だった。
そのことを死ぬまで語りつづけて最後はそのことを叫んで遂に死んだ
だから自分はそのことを忘れがたいのである。
重い認知症になっていたけどその青春の時が姉は忘れることができなかった。
それは戦争に行った人はみんなそうだった。90歳でも生きているが今でも戦争のことは生々しい記憶なのである。青春時代はなかなか忘れられないものを残す、それが戦争となると特に経験できないことだからそうなる
ただ日本の戦争については語られることが少ない、それは戦争自体を何か封印したいということがある、生き残った人も語らない、そこであの戦争とは何であったのか伝えられていないのである。

「心の青雲」の著者の気持ちはこの日本の戦争と深く結びついている、そして日本を守るためには徴兵制が必要でありあの戦争を賛美している、日本を守るためにはかつての日本兵のように強くならねばならないととして徴兵制を復活すべきだとしている。
空手をしていたからそういう強い意志を感じるのである。
ジャングルで生き残った小野田少尉のようなものを感じる、小野田少尉は本当に精悍な顔つきをしていてジャングルでまだ日本兵として戦っていたことに驚いたのである。
日本兵の亡霊のように出てきたから驚いたのである。
日本刀を下げていたしこの詩のうよにそれは短剣と同じである。
日本の侍だったとなる。だからそれから見ると

この勇士の哀れな道連れも今では
鞘は戦いに打ち砕かれてなくなり
金のおもちゃのように 壁にかかって光っている
なお 誉れにも害にならずに


現代に対してこうした感情をいだいているのが心の青雲のプログの著者である。

惰弱に成り果てた現代では詩人のお前も同様
おのれの使命を見失っていないか

惰弱になった現代の若者に失望して叱咤する、それが徴兵制復活なのである。
その是非はともかく戦後は国を否定してきた、そしてただ企業戦士となり利益のみを経済のみを追求してきたのが日本人だったのである。
その最たるものが同じ年代の団塊の世代だったのである。高度成長時代を生きたのが団塊の世代だからである。

ただ戦争とは何だったのかと問うときそのおびだたしい犠牲は何だったのかということになる、何かそれに対して意味を見いだされていない、だから戦死者を讃える詩なども作られていない、もし詩人だったら叙事詩として詩を作ることになるからだ。

だれも教えてくれない、・・・君の臨終の言葉の
深い意味は失せ・・・君の仕事も見解も
思索も すべて跡形なく消えさった

これと同じである。無数の死者の臨終の言葉は何であったのか?深い意味は失われて
ただ3百万人の犠牲がある、それだけの人間の死は虚しくされるとなる
そこでは若い人も数多く死んだし有能な未来を嘱望されたが死んだ
石巻の彫刻家の高橋英吉も戦死したし他にも若い有望な人たちが死んだのである。
それは若くして死んだからこの詩と同じものとして理解される

当座の成り行きで速やかに過ぎ
彼はついに甘美な時にめぐりあわず
遠征軍のみじめな天幕の中で
病に倒れ、己が身とともに
天翔る まだ熟さぬ

時代の浪に翻弄されるだけで自らの道を歩み大成できなかった。では戦争そのものに意義があればそうはならない、それがないから戦争が虚しいものとして否定される
ただ意味ある戦いとしている人もいる、それももう一つ訴えないのである。
ただあの戦争の意味はまだ歴史的に価値づけられていないこともある。
それはアジア史とか世界史とかアメリカとかもかかわって価値ずけられる世界歴史になっているからである。
その時何が起きたのか?その世界史の解明が必要になるからである。

この詩にはただ若くして死んだということでその悔しさがにじみでている。
人間はやはり戦争が自己実現の道なのかとなると国家のために自己を犠牲にするのが戦争である。
何か一人の人間として平凡なものでも職業でも道を追求して大成するとかにはならない
国家なければ個人もないというのもわかるが国家は個人のためにあるとも言える
個人の大成のために国家がありともいえる、

人間とはどんな平凡な人でも大きくなりたい、偉大になりたいという願望がある。
それが「心の青雲」の著者は戦争に見いだしているのである。
戦争で英雄になることが偉大になることだとしている、ただそれだけではないにしろそういうふうに見られ安い。
彼自身が戦争を指揮して英雄になりたい、若者は徴兵制で鍛え自ら将軍となり指揮したいとなる。そういう危機意識をもっている、だから今の時代はただ自己の利益追求しかない国でも会社でも家族でも個々人でも金、金、金しかないのである。
第一愛国心などでも本当にもっている人がいるのかとなる
会社でもうけることでは過労死になるくらい必死になっているけど愛国心のためではない会社がもうけるためにそうしているだけなのである。だから企業戦士なのである。

でも強力な軍隊をもっていれば国を守れるのか?核武装すれば守れるのか?
武器によって守れるのか?武器が第一なければ戦いにもなれないとなるのか?
あれだけの核兵器があったソビエト連邦が崩壊したのか?
いくら武器を揃えてもそれだけで国が守れるのか、必要にしてもそれだけで国が守れるのか?今やロボットが戦争するというとき一体戦争とは何なのかともなる

徴兵制は別に戦争するわけではない、それに備えよというのだからまた違っている
そのことに意義があることも確かである。そのために備えることは悪いことではない
その時具体的に国を守るという共同意識が培われることも確かである。
現代は会社の共同意識かないからである。
徴兵制自体が即戦争になるわけでもない、でも本当に戦争になったらこの詩のようなことが起きる

戦争では若い人が死ぬ

その意義を見いだせるのか?

それが300百万人の死が現代に問うているのだ。特攻隊を賛美してもその人たちも苦渋の内にやむをえず死んだということになる、国家の犠牲になったともなる
戦争とは人が死ぬ、それも若い人が死ぬということで問題になる
戦争にもしそれだけの若くても死ぬ意義があればいいとなる
この詩ではそれが見いだせない苦渋を詩にしている
要するに別に日本だけではない、敵国でも戦争になると若い人が死ぬのである。
若い人の未来を奪うということにもなる、それが戦争だったとなる

それもやむをえない時代だったということもあるしそれだけ意義があったという見解も歴史の評価もある、戦争が残したものは何なのか
それは味方であれ敵であれみんな問われているのである。
アメリカが勝ったとしてもやはり問われている、原爆を落としたことでも問われている
だからといって徴兵制がすべて悪いとはならない、国を守る意識は作られるからである。ただ準備だけではない、戦争があるからこそ武道には意義があるともしている
短剣の詩でもそれが敵を殺したことで意味がありただ今はその用がなくなっているのと同じとしている。

武道を追求してゆくと真剣勝負が本当の勝負だとなる
それで本当に人を切ってみたいと侍が江戸時代の平和な時に辻斬りになった。
戦国時代のように人を簡単に殺せないからそうなったともなる
平和な時代もそういうふうになる、エネルギーのある人はそうなる。
自衛隊でも戦争して死んでみないと用がないともなる
自衛隊は戦争では役に立たないということも言われる
アメリカは戦争しているから自衛隊とは違う、そこに国民の不満さえある
税金はらっているんだから自衛隊は戦争して死んで意味があるとなる
そうでないとただ税金を無駄使いしているとみられる職業なのである。
でも災害の時はこの辺で津波などで一番働いたのは自衛隊であり感謝しているのである。
いづれにしろ徴兵制が言われるようになることは戦後70年で時代の変わり目になったのである。
それはあらゆる面で世界でもなってゆく、アメリカからは日本は日本で守れとなるしそういうことで日本はアメリカに守られている時代が終わったからである。


ネットウヨの徴兵には賛成である
口で勇ましいこと言っても訴えない
徴兵制で鍛えられてから言えば違ってくる
その言葉に重みがでてくる

戦争を経験したものが言うのと口だけで言っているのは全く重みが違うのである。
タグ:戦争の詩

2017年08月30日

「心の青雲」都築氏の死亡について 大成せずに死んだ無念が残る?


「心の青雲」都築氏の死亡について

大成せずに死んだ無念が残る?

「少年老いやすく学なりがたし」というのを年取れば誰でも感じる,先がいくらでもあり時間がいくらでもあると若いときは思っているが時間はたちまち消散する
先がなくなってくるのだ,都築氏は弁証学の師匠のことについてほめていた。
それを継承するものとしてあった,でもそれは何かわかりにくいものとして理解されないものだったろう。
そもそもねの師匠のことも知られていない,そしてその師匠を継承するものとしても自らの学を打ち立てることはできなかった

そして死んだとなる,それもプログでだけ発表して死んだというのも現代的である。
今やプログでもインターネットでも高齢者が書いている場合がある。
すると死ぬということがある。だからインターネットでもプログでももう若い人だけのものではない,まるで遺言のようにして書いている人もいる
そうなるとインターネットでもプログでも重いものとなる
インターネットとかプログは出しやすいから一般の人でも書ける
その中にはこうして遺言のようにして書く人もでてくる
これからますますそうなってくる,若い人でも老いてくるからである。

とにかく「心の青雲」のログは消えているのも問題である。死んだ時点でインターネットは消えるのかとなる,そうなるとリンクもたどれない,そのことは指摘されていた
本だったら長く残ることがある,でも本はなかなかだせない人もいる
公表しにくいのである。本屋では売れない本など置かないし危険な思想のものも置かないインターネットではそういうのが自由だから出しやすいのである。

人間は師匠が必要であり尊ぶとしても10年違っても時代が違うと考え方も変わる,世代間のコミニケーションもしずらくなる,普遍的な価値は変わらないにしてもそういうことがあるし師匠でも弟子でも個々人の個性が違っている,だから師があったとしても師の学があったとしもただ継承するだけでは後世に残せるものは成せない
常に師を乗り越えることで新たな知の世界が開ける
それが都築氏にはできなかった,その前に死んだとうことが無念であり残念だっとなる

「心に青雲」の文は読みやすいし受けた,時の人物批評も良かった,なかなか批判できない有名人もしていた,歯に衣を着せぬ言い方である。
空手をしていたので芯が強い,それが文体にも現れていた
そして一カ月前まで発言して体の調子が悪いとしてプログの発言がなくなった
そしたら死んでいたのには驚いた,まだまだ死ぬとは思えなかったからだ
なぜなら一カ月前まで同じような強きの発言をしていたらからである。

コメントしてきた人が

都築さんは裕福で上品で、でも虚弱で、そのことにひどく劣等意識を持っていました。そのことが、「弱い人ほどほど強くなる」という思想の南郷空手に強烈に心酔していった理由です

そういうことがあったのか,それは三島由紀夫ともにていた,文学するような人が文弱と言われるように身体が弱い人がいる
その反動としてあれだけ肉体を鍛えてみせたのは涙ぐましいとさえなっていた
普通に強い人はそんなことをしないからである。
それは自分ともにていた,自分も虚弱でありなんとか強くなりたいと一時は大学の体育系に入ったがつづかなかった
都築氏も何か常にそういう面が確かにあった,懸命に体を鍛えていた,鍛練していた
強くなりたくてそうしていた,そういう一面があり強い人に憧れていたとなる
それは自分ともにている,だからこそ日本兵の強さとかアレキサンダーのような人になりたいとなっていた
それは文章だけからではわからないものだった,あんなに強きだったというのは自分が弱いからこそそうしていたというのも
今になると意外だったとなる

いづれにしろ弁証学も未完に終わったしその他も未完に終わった
そし死んだらリンクも消えることが問題なのである。
過激な思想でありそういうものでもインターネットならだせたのである。
人間はその人が右だと左だとかで判断すべきではない
何か一貫したものがあれば筋が通ったものとなる
実際は右の団体に属している組織に属している人でも左の組織団体に属している人でも転向は普通にある。日本自体が戦争に負けて転向したからそれに納得いかないというのも当然なのである。その転向したことが次の世代にも影響しているからである。
だから自分は右の団体でも左でもカルト宗教団体でも団体組織は信用できないのである。そこに一貫したものはない,時代によっても変わるしそして政党が変わるように変わるのである。社会党が消えたように時代によって消えるのである。

都築氏は極端な右寄りのようでも天皇を批判していた,特に昭和天皇を批判していたのである。たから右でも天皇を批判するのかとなる,そこが他の右よりの人とは違う
ただ日本軍の兵士の強さを称賛していた,その強さが日本人として誇りとしていた
それも左からするとそうはならない,戦争犯罪者になってしまう
その辺は右よりなのである。
ともかく歴史の見方は人によって違う,そして太平洋戦争についての総括はまだ成されないないのである。

それにしてもログが消えたのだから再検討とするのには困る,それは大きなインターネットの問題である。なぜなら遺言のように残したものが消されたとなると書いた人も無念に思うからである。
ただ自分は数年はずーと欠かさず読んでいた,だからそれが頭に残っている
ただまた再検討するにはログを読み返さないといけない,それがないということは再検討できないということにもなる,だからやはり本にして残すということが必要になる
それで自分もその作業をしているのだが書いたものが膨大になるので苦労なのである。


2017年09月05日

「心に青雲」の都築詠一氏の文体 (歩くことの効用から抜粋)


「心に青雲」の都築詠一氏の文体

(歩くことの効用から抜粋)


文章診断

これだと読みやすいとか適切だとかやや硬いとかあるから合っているのだろう。

刑事たちが歩くということにはどんな効用があるか。それは歩くことで刑事のカンが発達することである。
 犯人が辿ったあとを歩くことで、犯人の像ができてくる。犯人の感情がわかってくる。そうやって認識が創られるとともに、足を使うことによって頭が良くなるという二重構造があるのだ。
つまりカンとは実体的ありかた(歩く)で創ったもので、それは二重構造になっている。

松尾芭蕉も歩きに歩いたから、俳句の認識が創られるとともに、足を使ったころで頭が良くなり、前人未到の俳句を芸術の域にまで高めたのだった。
カントもヘーゲルも歩いたことがプラスになったはずである。

「心の青雲」旧プログ

こういうことを常に言っていた,頭ではなく身体で考える,推理ドラマを犯罪にあってから良く見ていた,確かに現場に行けというとき歩いてその状況を体で知るとなる
歩くというとき今は車だから歩かない時代である。
その歩かないということは現代人に相当に影響している
ものの見方から認識のしかたに相当影響している

街でも歩いていると街の認識の仕方が違う,通りを歩けば一軒一軒の家を店でも見る
車で自転車だって通りすぎることが多いので歩くことは原始時代にもどり認識を高めたり深めたりする,そのことを自分はこれまで書いてきた,自転車で旅するのと車で旅することも相当に違う,特に峠を越えるとなると全く違った認識が生れる
それは歩いていると同じになる。自分は坂を上る力がないから歩いて自転車をひいて上っていたからである。
旅は歩いてするのと自転車でするのと電車でするのとバスでするのでもみんな違ったものになるのである。

文章でもパソコンで書くのと墨で筆で書くのとまたペンで書いたり鉛筆で書いたりボールペンで書いたりといろいろあるが違ったものとなる
最近は全くペンなどで書いていない,パソコンばかりである。
だから文章を書くにしてもそれが影響しているし横文字になるのも影響している
だからどちかというと話し言葉になりやすいのである。
現実に文でもって話し合っているのがバソコンのインターネットのメデアである。
それで短い文が多いのである。

プログになると長い文が書ける,自分にとっては合っていた,長く書けるので深いものを追及できるからである。
「心の青雲」都築氏の不思議の一つに明らかに文体があったのではないか?
それが現代のインターネットの電子空間にもマッチしたものとしてあった
話し言葉と硬質な旧来の文章の混成がありそれがわかりやすいものとなり読みやすいものとなっていた,でも硬質であり深いものがあり独特の表現となっていた

日本語自体が第一大和言葉がありこれは何か女性的なものを感じている,そして漢語とかなの混成語になったのが日本の文章だから日本語は相当に複雑である。
話し言葉だと柔らかくなり漢語だと硬い表現になる,それがミックスした文章になるのが日本語である。
もともとそういう性質があったのだけどそういうものが「心の青雲」の著者にはあり
それがプログで表現されたこともあり今までにない文体が作られたのかもしれない

自分の文体を診断したら読み安さとか適切さとかはない,だから読みやすい文ではないとなる,何か話し言葉だけだとたるんだものになるが本来の文章を書くとひきしまり重厚なものにもなる
そういうものが「心の青雲」都築氏の文体にはあった
そもそもこれだけの内容と文を書ける人はあまり見当たらないのである。
ただそういう硬質なものだからまたそれに答えることはむずかしかった
絶えず有名人でも批判していたから普通の人は批判するのがむずかしかった

そういうことで死んだということログが消えていることが残念である。
何かこうして書いているとあの世から電子空間で読んでいるのかとなる
自分は別に交流もないし自分のことは注目してもいなかった
自分はずっと読んで注目していたのである。

ただなぜ都築氏は自分がせっかく書いたものを消そうとしたのか?
また残そうとしてかっのか?それも謎である。
何か自分の記念になるものを人間は残したい,それが普通である。
なぜ消そうとしたのか,それも謎である。
もしたいした文でもない雑文ならそういうのが山ほどあるから消されてもどうでもいいとなる
しかしこれだけの内容あるものを書き独特の文体で表現したものをなぜ自ら消そうとしたのか?自ら書いたものをどう思っていたかのかも不思議である。

いづれにしろ都築氏の死は何を意味しているのか?
それはやはりインターネットの中の電子空間で死んだということが何なのか問うている
そもそも人間が死んだというとき知らなければその死が本当に確認できるのか?
例えば死んだ俳優が今でもテレビにいくらでも出ている不思議がある
すると死んだように思えないのである。
死んだというニュースを知らないとしたらまだ生きて演技しているだけだとなる
死は感じられないのである。それと電子空間の死はにている

死は看取りから焼き場で灰になるという残酷な過程の中で認識する
そういう認識が別にインターネットの電子空間だけではない,知らない人の死など認識できないのである。近くでも死ぬ人などいくらでもいる
昨日あってしゃっべていたなと思った人すら死んでいる
でもすぐに忘れてしまうのである。

ただその人の残したものが意味あるものだとするとその記録から死者を思うのである。
家族とかなると死んでも何も残さなくても不思議なのは自分は声を出して死者と語っている,そしたら本当に死者が生きているように感じたのも奇妙だった
だから家族のような場合,死者は家族として生きつづけているのである。
他の人は何か特別意味あるものを残さないとすぐに忘れ去られるのである。



「心に青雲」の都築氏のプログの記事はログは残っていました


「心に青雲」の都築氏のプログの記事はログは残っていました


ここに「心の青雲」のURLを入れると2011年からでてきます
カレンダーの日付の一つ押すとその月の分が全部出ます
あとはそこから月ごとにログが読めます

「心に青雲」


自分のプログも試してみましたがここに記録されています
これは便利です,意外とインターネットに出すと記録はログは消えない
消えるようで消えないのもインターネットである。
ただかえって個人のパソコンは管理できないし技術がない人は消してしまうことがある。ハードデスクが故障すると一瞬で消える
だからかえってインターネットに出していた方がいいともなる

これでインターネットの再検討ができるようです

みなさんもここから読んでください

2017年09月06日

談論サロン天寿道(掲示板より) (立ち歩くことによって人間になったー「心の青雲」の認識論)


談論サロン天寿道(掲示板より)

(立ち歩くことによって人間になったー「心の青雲」の認識論)

gakudouuu111.jpg
木を降りることになりますが、サルは本来の足も手になってしまっているので、歩くのは得意ではありませんので極めて危険です。そこで木からあまり離れたところには行けませんが、この木に登ったり下りたりの繰り返しの中で、認識的には木の上にあやふやに認識と降りてのしっかりとした認識の繰り返しの中で、天空のあやふやの像と地上のはっきりとした像との交互的相互転化の繰り返しによって、その中で、空間的な像が時間的な像へと量質転化していくという発展があって、

この人間の見方も面白いと思った,前に歩くことの効用を書いた
人間は猿のように木に留まっていたら人間にはならなかった

人間は大地に立ち歩くことによって人間になった

立つこと歩けることが人間の認識と精神を作ったとなる
動物を見れば四つ足であり立つことはない,ただ歩いてはいる,しかし立って歩くのとは違う。動物は常に下を見て餌を探すために歩いている

人間は立ち歩くのは上を見るためである。上には実際は天であり銀河であり餌となるものがないのである。でも人間は天を仰ぐのである。天なる所にいる神を仰ぐのである。

そして立つということは人間を人間たらしめたというとき木をみればわかる
木は立っているのである,すると人間は立つことによって木と同化する
木の上にぶら下がっていたらそういう認識は生れない
大地の上に木のように人間は立つのである。木は最も人間に親しいものとなるのはそのためである。

英語でもstandからunderstandとかは理解する,認識するとなっているからだ
そして立つことから人間の自然への認識がはじまった,まず木の上にぶらさがったり四つんばいの状態では認識は生れない,ただ日々餌を探すということに終始しているだけになる,立つことは天を仰ぎ星を見ることにも通じている
そして立つことによって木への認識が生れた結果神殿も生れたとなる

そもそも神殿の柱は木を模したものだからである。木が実際に人間になっているのもあるからだ。立つことにより木の認識が生れ神殿が生れたともなる
列柱というときそれは森の木が列を成していることだからである。

心に青雲の都築氏の弁証論などはわかりにくい,ただこうした立つこと歩くことから認識論を展開するとわかりやすいのである。
自分は常に田舎で木とか石とか森とか山とかと同化することで詩を書いたりしてきた
だから自分の思考は自然の像と常に結びついているのである。

ところが東京とか横浜であれだけの大都会になるとそうした自然の像がないのである。
像で考えろというときその像たるものがないのである。
そこに「心の青雲の都築氏の認識論が深まらなかった結果なのだろう。

哲学があるとする宗教でも詩が必要なのである。そうして総合的なものとして学問でも芸術でも何でも結ばれるときルネサンスが生れたのである。
そういうことで都築氏は何か理解しにくかったのだが社会性とか歴史の中での芸術を見ていた,芸術でも社会と切り離せずあるというのは本当である。

例えば絵画は建築の一部としてあり荘厳なカテドラルは一つの総合的なものとして結実である。ヨーロッパの社会歴史と不可分なものとして生れた,だから絵は絵とか音楽は音楽とか単体では存在し得ないものだった,そこに荘厳な文化が形成されたのである。
文化とは俳句とか短歌という一部分のことではない,全体のことだからである。
その全体が興隆するものが現代にはない,社会が無数のパーツ化していることでそうした荘厳な文化が形成されないのである。

いづれにしろどうしても東京であれ横浜であれ認識論を深めてもそこに自然というバックグランドがないとき人間はいくら努力しても偉大にはなれないのである。
つまり巨大な都会の中で混沌の中で一機械の部品となり歯車としてしか生きることができないのである。高層ビルを見ても認識が深まることがないからである。

でも人工的なものでもヨーロッパには日本と違って建築が人間に威厳を与えていたのである。駅まで立派なローマ風のアーチの建築になっていてそれでラファエロの「アティネィの学堂」の絵のように威厳が与えられていた,だからそういう感覚は日本ではもてないのである。そこにはヨーロッパの社会と歴史が一体化して結実したものとして荘厳なものが華開いたのである。
「心の青雲」都築氏はそういうことが語りたかったのだろう。
ただそれを展開するには不十分であったのはバッググランドとしての自然の中に生きていなかったからだともなる
ただ批評家として優れたものがあったとしても文芸批評でも十分な展開はできないなかった

ここでわからないのは

空間的な像が時間的な像へと量質転化していくという発展があって

空間的なものが時間的なものへ質量転化するとは何なのか?

動物には時間がないという,歴史もないのである。
ところが人間と木と同化するときアイディンティティ化するとき木に年輪があり時間とともに成長する,大地に根を張り時間軸としてその土地に根を下ろすのである。
大地に根を下ろすことによってその土地は一体化して認識を深化させるのである。
それが都会だとしにくい,だから文化は田舎から生れる
都会化したとしても神殿の柱は木でありゴシック建築はゲルマンの森を象ったものとして造られたということでもそうである。

ただピラミッドとかアーチの建築には精神性が何かしら備わっている,それは技術的なものとしてだけ見るのではない,機能的なのもから建築が発展したとしても精神性が備わるだからラファエロのアテネの学堂は建築と人間が一体化した荘厳なものを表現したのである。



この引用もまた問題あるかもしれない,これの著作者は誰なのか?
ニックネームだとわからないからまた著作権の問題がでてくる
掲示板だとまたわかりにくくなる
ただ「心の青雲」は死んだので引用しやすくなった
生きていたら攻撃されるし許可も必要だしできないのである。
天寿堂さんからはコメントがあったし都築氏と親しいということで
この発言は都築氏なのかとも思う

「心に青雲」都築詠一氏の部をはじめました

ここにまとめることにしました

2017年09月07日

死後にひびく言葉 (「心の青雲ー都築詠一氏へ献げる詩)


死後にひびく言葉

(「心の青雲ー都築詠一氏へ献げる詩)

(君のからだ,日常振る舞いは極上のものか,死んだら君は極上のものとなる)
ホイットマン(草の葉)
  

死後にその人の
重い言葉がひびきわたる
崇高なる峯のように
荒々しい山嶽のように
そそり立つ巌のように
不浄を拒否して
そは天に聳え立つ
風雪を帯びて厳しく
烈風はその高峰に唸る
氷河にも閉ざされて
銀河をちりばめる
崇高なるもの目指せしもの
そはその途上に倒れぬ
高潔な死者の霊はそこに宿る
しかし死後その言葉は
荘重にひびきわたる
硬質な鋼鉄のような文体
その言葉を受けるものは誰か
その厳しさには人は耐えかねる
それは天上よりの声となりしや
死後にその言葉は重くひびきわたる

死んだら極上のものになるといってもみんなそうとは限らない,その人が生きたものが極上だったら極上になるん,生と死は切り離せないのである。
ただ死ぬとその人を客観的に見れる,生きている内はその人の欠陥などの方を指摘する
でも死ぬと人間は美化され祭り上げられたりもする
過去が江戸時代でもみんないいものではないが過去を理想化し美化しやすいのである。

「心に青雲」の都築氏はプログでしかしらない,ただずいぶん長く読んでいた
旧プログ時代からも読んでいたとする長い
するとそれだけ毎日読んでいたらその人の思想とか何かに染まる
何か文章に独特の張りがあった,やはりプログで表現するものと本とかで表現するものが違っていたためだろう。その文体が過去の伝統的なものと現代的なものがミックスされたということもあるだろう。
インターネットだと生放送のようにもなり話し言葉になりやすい面があるからだ

何か近寄りがたい厳しさが文から感じた,人間も簡単に近寄れるような人,語れる人だとたいしたことがないともなる,彼はマスコミでも何かバーに出入りする文人仲間でも
そういう人と相互浸透するから交わらないと言っていた
A型で潔癖症だったともなるがそもそもマスコミでも何か商業主義の場だから汚れる
そこでは出版社でもそうだがもうけるために適当な大衆受けする人を作り上げるのである芥川賞なんかそうである。そういう世界を相互浸透するからと嫌っていた
結局そういう世界を拒否するとき孤高となり社会から隔絶してしまう
でもまた逆にしきりに社会性を言っていたのはアウトサイダーとは違っていた
その辺が良くわからないことがあった

いづれにしろ死んだということでその人のことを語り安くなることは確かである。
生きていたらとても語れないからだ,現代では70才の死は早いとなる
ただすでにその年で死んでいる人は結構近くにもいる
自分もすでにそうして死は真近なのである。
タグ:都築詠一

2017年09月12日

都築詠一氏の芸術論などの再検討 (習うから技を創りだす・・・)


都築詠一氏の芸術論などの再検討

(習うから技を創りだす・・・)


人類はこのスポーツでも藝術でもなんでも技の創出は「創る」と「使う」が意識されずに要するに習えばよし、努力すればよし、繰り返せばよし、としてなされてきた。
//kokoroniseiun.seesaa.net:80/article/435441083.html

都築氏は天才ではない,普通の人である。人間が模範にできるのは天才ではない,天才は異常なエネルギーが生来与えられた人である。
天才は努力なしで会得する,武道でもそうである。宮本武蔵などももともと天才だったのである。武道家になるために生まれついていたのである。
そういう人はスポーツ界でも芸術分野でも仕事の分野でも医療界でもいるだろう。
何か仕事をさせるとできる人とできない人がいる,それは大工などでもそうである。
でも最初からその人ができる人とは限らない,仕事をしているうちに内なる才能が目覚めることもある,だから学問だけでは人間はものにはならない

手術がうまい人はもともと手先が器用でないとできないとされている
だからいくら一流の大学を出てもものになる人ならない人がいるのである。
それはどの分野でもそうであり農業だってそうなのである。
農業で成功するのも相当にむずかしいから成功する人と失敗する人がある。
料理の分野でもそうである。個々人でも料理を創り出すことはむずかしい
介護してから長い間料理しても一つも自分の料理を創りだすことができないのである。
そういう人はまさに天職としてその仕事についたとなる

ともかく天才的な人はいる,そういう人は模範にできない,そういう人は努力なしでなれるからである。普通の人は努力するほかないのである。
都築氏は武道にしても空手でも努力して会得していった人である。
もともと虚弱だったというのもそうである。すると虚弱でも強いものになれるという南郷派の教えに共感したというのもわかる
そして毎日裸足で歩いていたとか絶えず鍛練していたのである。
強くなるために涙ぐましい努力をしていたとなる

ただ技を創出するとなるとよほどの人でないとできない,なぜなら武道でも型を覚えることでありその型を覚えるだけで精一杯なのである。
そこから型を一歩踏み出して新しい技を形を作り出すことは至難なのである。
だから良く古い武道を伝える家で模範演技の形を演じるけどそれは代々伝えられたものであり新しい型を作り出していないのである。
それはあらゆる分野でも伝統芸でもいえる,華道でも今はフラワーアレンジメントとなったように今までもの華道と違ったものとなっている
新しいものを取り入れるようになる,和洋折衷になるのである。

でも基本的に習えばよし,努力すればらし,繰り返せばよしというのがある
技を「創る」となると実際はその形を習うだけで精一杯でありそれを越えてまた新たな技を作り出すことは並大抵のことではないのである。
自分のパソコンのソフトを使っての抽象画は技を創りだしたものかとなる
それは自分でも不思議だったのである。その評価はやはりアメリカの人が定期的に見ていることである程度は評価されているとなる
ただ著作権違反になるかもしれないこともありわからない面がある

都築氏で興味をもったのは陰謀論などではなくこうした芸術とか人生とかを語る時であるただどうしてもプログは時事問題が日々のことを書くから入ってくるのである。
だから時事問題について書いたものも多いのである
ただ時事問題について書いたものは後世に残らないかもしれない
なぜなら次々に事件は起きるし時事問題は限りなくある
そして事実は無数にあるというときその事実をとても検証などできないのである。
歴史が事実だというときでも事実は無数にあるからそれをいちいち知ることも取り上げることもできないのである。

ただ彼の芸術論と人生論とかはそれは人間の普遍的な問題だから後々まで残るということがある。それを残されたログから再検討してゆく価値はある
都築氏の全貌はまだわかりにくい,ただ死んだことで検討しやすくはなったのである
タグ:芸術論

2017年09月16日

病気とブログと私 (心に青雲の都築氏の病気との戦いそして死)


病気とブログと私

(心に青雲の都築氏の病気との戦いそして死)

//kokoroniseiun.seesaa.net:80/archives/201112-1.html

ここに都築氏の病気の姿勢が書いてあった。


私は平成14(2002)年11月に腎不全で入院し、人工透析を受けなければ死ぬと言われて、とうとう障害者の仲間入りをしてしまった。

なにも社会に恩返しもせず、ただボケ老人となって週3回、病院のベッドに寝そべってカネをかけてもらうというのはみっともない。なかには完全にボケ、植物化しているのに、家族の「生きているだけでも…」というわがまま、もしくは生きていさえすれば年金をもらえることを狙いに、意味のない透析をさせられている者もいる。

返す刀でというか、私はブログでしきりに弱者の甘えを叱った。不妊症の女性が人工授精に走ることや、鬱病、ボケ老人、被災地の避難所で昼寝している怠け者などを叱った。
 それに対して、お前は健常者だから他人の痛みがわからないのだと、猛烈な罵倒を浴びることとなった。

 私だって障害者なんだ、弱者なんだとは言わなかった。



この姿勢には感心する,人間はどんな人でも病気には弱いのである。
自分も自分の病気と介護で苦しんだことをプログに書いた
都築氏からはそうした苦しみが伝わってこない,プログを読む限りそういう弱さを感じない,吐露していない,だから何か病気なのかと読んでいた
ただプログからだけではその人のことはわかりにくい

そもそも人工透析でそんなに生きられるのかということが理解できない
2002年からはじまり2017で死んだとかなる
30年も透析していた人もいるから驚きである。
要するに他人の病気というのも理解しにくいのである。
自分の病気なども何の理解もされなかった,ただその病気をいいことに責められたたげなのである。
人間は他人の苦しみを理解することはむずかしい

都築氏の感心するのは死ぬ直前までそういう病気の苦しさをプログではみせなかった
そして体の調子が悪いと書き込みがなくなって一カ月くらいで死んだのである。
寝たきりになり介護状態にもなっていない,死ぬ直前までプログに書くことに情熱を注いでいたのである。
それは意味あることだった,透析で金を使わせてもらい生かしてもらっているからという負い目がありそれで何か社会に役立つことをしてたいとそうしていたのである。

だから他人の介護と老いとか病気に厳しいから批判があった
自分が病気になのにそういう人達に同情しなかったからである。
現実に最後まで強気だったしそういう同情も要求していない,俺はこうして病気で苦しみながらプログを書いているんだよとか同情をかうようなことをしていないのである。
自分などは延々と書いていたのである。別にそれで同情されたこともないけどそうだった

死んでから思うのはそういうふうに苦しいものとして読んでいなかった
今思うと必死になって書いていたのかとなりそのことで書いたことの重みが残った
もっと日本文化面でも展開することがあった,それだけの多様なことに造詣が深かった
日本文化を追及しているのでそのことに共感していた

なぜこういうことがプログで起きたのか?
それはインターネットはプログは生放送なのである。
本とはできあっがものであり性質が違っているのである。
刻々自分の生きている,感じていることを書いているのである。
だからそうして日々書いていることは日々生きていることを伝えていたのである。
それが突然中止となったとき死んでいたのである。
本だったら有名な人でも日々は出していない,一年に一回とかだろう。
本は一冊で完成されたものとして書いてあるし死んでもそのように読んでいる

プログは毎日書いている,それは本とは違って日々の生きているその人の鼓動が伝わるようなものになっている
ただそうして他人のプログを毎日読んでいるのはわずかである。
自分は三人しか毎日読んでいない,第一それだけのものを書ける人はプログを書く人ではまれである。
だから熱心にアジ演説をしていた人が急に倒れて死んだという感じになったのである。
だから今でも死んだように思えないのである

ただインターネットは今までとは違いそういう人もでてくる。軽いメデアとも違い命をかけて書いている人もいるということに気づいた
それは日々の生放送なのである。
ただ都築氏の場合,他だったら癌のことをプログに書いているがそれは苦しみを書く,そういう病気のことはほとんど書いていない,文章からそういうものが全然感じられなかったのである。
だから死んでみてそこが一番不思議だった,自分は直接つきあいがないからわからないこともあった
でもプログを読んでいた人がみんなつきあいがあるわけではない,ただプログからしかその人のことはわからないのである。

だから都築氏のインターネット上でのプログで書き続けた死というのは今までにはありえない死だったともなる
今までインターネットは架空のことだとか重いものと感じていない人が多かった
今や命をかけて書いている人もいるという時代にもなったのかとなる
日々の生放送として伝えることができるということが今までのメデアと違っている
ただインターネット上でプログを書きつづけて死んだということが今でも何かその意味がのみこめないのである。

2017年09月17日

死から偲ぶ俳句と短歌 (心に青雲の都築詠一氏を偲びて・・・) 死から偲ぶ俳句と短歌 (心に青雲の都築詠一氏を偲びて・・・)


死から偲ぶ俳句と短歌

(心に青雲の都築詠一氏を偲びて・・・)



空に伸ぶ竹や秋風にそよぎゆる

ふるさとや夕日のさして実りかな

虫の音の今日は聞こえず夜のふけぬ



「 空蝉の すがれる庵の はしらかな 」 川端茅舎


壮年のわがうつしみは若やぎつついつよりそ死を育みいしは

刻(とき)はいま黄金(きん)の重みよ惜しむべきかな妻に子にしたたりて

上田三四二


「心に青雲」のプログの著者の都築詠一氏の死は衝撃だった,直接かかわったわけでもないし相手自分に関心は全然なかった,ただもしかしたら一〇年くらいも毎日読んでいたのかとなる,とするとその影響はやはり知らず受けていたことになる
相当に人間としても文学関係でも造詣が深くハイレベルの人だった
だから近づきがたいとなる,陰謀論になると特にそうだった

インターネットは何かレベルが低いということがあるし言葉の遊びとか匿名でいい加減なものが多いとか無責任でその場限りの発言で終わるとかある
だから言葉の重みが伝わらないし発言する責任も薄い
誰でも発言できるのだがそれだけ大衆化して低レベルにもなっている

ただではマスコミとかその他が高レベルかとなるとそうでもなくなっている
芥川賞などは出版社が売るために企画されているから低レベルになった
ただ本になるとやはりレベルが一定の高さにあるとみる
都築詠一が死んでも空手関係では暴言を今も吐いている
その人たちは空手には通じていても文学関係など何も知らないとなるからだ

ともかく何か文学関係などは俳句とか短歌でも低レベルなのである。
ただ歴史関係,古代史などは密度が相当に濃いから参考になった
その他で参考にするものが少ない感じがする

俳句とか短歌は短いから鑑賞する方が相当によみこまないと鑑賞できない
その人の鑑賞の仕方によって価値が生れる文学だと思う
読みを深くするというとき死というのは人間にとって最大の変化である。
その死からみるとき物事でも俳句や短歌でも平凡なものでも平凡なものでなくなるのだ。

都築詠一氏が死んでそのことを感じたのである。

空に伸ぶ竹や秋風にそよぎゆる

これは今までなら単なるそれだけの俳句とかなる,でもこれを都築氏の死から読むと「心に青雲」はそうしてまっすぐな竹が空に伸びるという感覚になる
そういうものが文章から感じられた

ふるさとや夕日のさして実りかな

都築氏は人工透析をはじめてからプログをかきはじめた,二〇〇二年でありそして二〇一七年に死んだ,それも長いなと感じた,透析もやはり闘病だったのだろう。
ただ闘病しているという感覚はプログにはなかった
それはすでに晩年のことであり遅かったとなる,現代は長生きだから実りとなるのはそうして遅くなる傾向がある
実りに夕日がさしているというのも自分と重ねて見ているのである。

虫の音の今日は聞こえず夜のふけぬ

虫が今は盛んに鳴いているけど今日は聞こえなかったなというときプログをあんなに盛んに書いていたのに中断してしまい死んでしまったとなる
それはやはり一人の人間の死から感じたものである。

「 空蝉の すがれる庵の はしらかな 」 川端茅舎

この俳句はたまたまインターネットで発見したが深い俳句だなと思った

空蝉(うつせみ)は蝉の殻でありそれが柱にすがっている,それがなんとも不思議である。それは一つの命を象徴して人間と重ね合わせる

例えば柱というとき一家の柱とかいう,空蝉はその柱にすがり死んでいたのである。
柱は残っているのである。
俳句は短いから相当に読みを深くしないと鑑賞できないのである。
死から人間でも事物でもなんでも見ると深いものになる

壮年のわがうつしみは若やぎつついつよりそ死を育みいしは

上田三四二

この人は四〇代で死んだからしきりに死と病気のことを語っていた

壮年になってわかやぐ老人になって若やぐということもある
都築氏のプログの発言にはそうした若やぎがあった,ただ死はその時育まれていたとなる透析が長いからそういう死を身近に感じていたかもしれない,ただ死は急激だったと外からは見る,とても病人が発言しているようには見えなかったからである。
病気だと延々とその苦しみを書くプログが多いだろう。
そういうのがないから死ぬとは思えなかったのである。

死を意識するとき時間は貴重になる,その時やはり重い言葉となり深いものができる
啄木などでも死が迫ったときあれだけのものを書いたということでもわかる
死がなかったら人間の生は何か緩慢なものとなってしまうだろう。
死が人間に緊張をもたらしているのである。

刻(とき)はいま黄金(きん)の重みよ惜しむべきかな妻に子にしたたりて

刻(とき)はいま黄金(きん)の重みよ惜しむべきかなプログにしたたりて

こんなふうになっていたのかもしれない,ただ読んでいる人はそんな重いものとして意識していない,でも死んでみてそれを意識したのである。
死というのは人間に重さを与えるのである。

都築氏は文学にも通じていた,ただ「風雅和歌集」などを評価して写生をリアリティあるとしていたので写生についてもっと書いてもらえばよかった
ただ写生俳句の元祖の正岡子規などを評価しなかった
それだけの時間がなかったともなる,それが惜しいなと思った
十分な評論の展開ができなかったのが惜しいとなる

いづれにしろインターネットではまだレベルが低いし大衆化している,マスコミも大衆化して視聴率をかせぐ,それをまねたのがyoutubeだとなる
テレビも大衆向きに作るし硬いものは視聴率がとれないから出さない
結局なんでもこの世の中低レベル化して俗化する,カルト宗教団体でも大衆化して低レベル化して俗化する,それがこの世だからどうにもならないともなる

ただ今回の「心に青雲」の都築氏の死は高邁なものを追及して死んだので違っていた
インターネット上でもこういうことが起きたということで衝撃を受けたのである。

2017年09月19日

看護のための「命の歴史」の物語を読む (都築氏の相互浸透などの思想の基となった本)


看護のための「命の歴史」の物語を読む

(都築氏の相互浸透などの思想の基となった本)


はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。

神は「光あれ」と言われた。すると光があった。 神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。 神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。

神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」。
そのようになった。神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。

「天の下の水は一つ所に集まり、かわいた地が現れよ」。そのようになった。
神はそのかわいた地を陸と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた

地は青草と、種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ果樹とを地の上にはえさせよ」。そのようになった。 1:12地は青草と、種類にしたがって種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ木とをはえさせた。



「心に青雲」の都築詠一氏の評論のバックボーンになったものは「看護のための命の歴史」の物語という本にあった,それで早速アマゾンで注文して読んだ
アマゾンの便利なのは自分の関心ある本を読めることである。
だから今になって読む本がまた増えて困っているのである。
安いなら買う,古本だと買いやすい,なかなか全文を読むとなると苦労になる

都築氏が言ってこと相互作用相互浸透とかの言葉はこの本を参考にして生れている
ただなぜこの本が看護と関係あるのかというとわかりにくいだろう
相当に難解になるだろう。
わかりやすいのは母乳が必要だというとき牛乳ではなぜだめなのか?
それは命の歴史にかかわっていたからである。
人間が母乳を飲むということ母乳には人間が生れた地球の歴史とかかわっていた
人間から出る乳と牛から出る乳は違っていたのである。
そういうことは確かに看護と関係していることは確かだかその他のことはわかりにくい

ただ聖書の天地創造と一致していたのは水の重要性だった,聖書でも最初に水があり
地球とは水の惑星だったのである。水はまた生命の源だから水の重要性を聖書で記していることは一致しているのである。
そこにも聖書の不思議があるのだ,なぜ科学が発達しない時代に水の重要性を指摘したかも不思議だとなる
何か水の中で生命が育まれたことをこの本でも書いてあるからだ
水の作用の中で相互作用して相互浸透して生まれのが命だとなる
水の中でこそ命はまずありえたのである。陸地で命が存在することはできなかった
地球創生時代の陸地は非常に危険な場所であり生物がまともに棲めない,まともに光を受けるし暑いし火山の爆発もあり危険な場所だった,水の中は安全だったのである。
放射性物質も水の中にあるとき冷やされ放射線がさえぎられるというとき何かそうして防護の役割を果たしていたのである。

太陽の光に直接さらされることは生命にとって危険だったのである。
それで両生類が水の中でも生きられる陸地でも生きられる,でも陸地で生きるためには危険だから厚い甲羅で皮膚で覆われることになったのである。
紫外線とか光を直接受けることは生物にとって危険だった,今年は自分も熱中症になった恐竜がなぜ陸地で生き延びられなかったのか?
陸地は危険な場所であり水生動物のように水では保護されない,するとまともに光でも何でもその体に受ける,すると陸地では耐えられずに滅びたとなる
だから何か急激な変化,小惑星の衝突とか火山の爆発とかで滅びたというのもそのためだろう。

その時ものすごい熱になりその熱に耐えられないのである。
水生動物だったらそうした熱から守られるからである。
哺乳類が生き延びたというときネズミなどは激しく動き回る,その動き回ることによって生き延びたというのも面白い説だとなる
そして多産であり常に若い新鮮な命が送り出される,その命は激変する陸地でも生き延びたとなる,ネズミが生命連鎖では餌になるからネズミが生き延びることは他の動物も生きることになる
相互作用相互浸透するというとき水がその最たるものなのである。
水の中で命が作れたということは聖書とも一致している

聖書では段階的に水が作られ光が生れ陸が生れ草が生れ動物が生れるとかなる
ここでは混沌から水の作用で生命が誕生して適応してゆく
段階的に考えるのは西欧的科学技術の思考である。
荘子の混沌から生れというのは東洋的思想になるかもしれない。
生命を地球でも分離して分けるというのは分子を分けてまた結合させるというのににているのだ。
この本ではそうではなく相互作用相互浸透の中で生命が生れたとなる

確かに猿と木の関係というのも面白い見方である。木と猿は同時に生れた,木と猿は相互浸透して生れたというのも興味深いとなる
猿と木は一体のものだというとき世界もそうみている
それは東洋的思考なのかもしれない,部分に分解しないからである。
では猿が人間に進化したとか動物が進化したとかの説はありえないのである。
様々なものは神が別な種として創造したのである。
猿から人間が進化したのではない,人間という種は別個のものとして神が創造したのである。
なぜなら神は自分の姿ににせて人間を創った,人間は猿とは全く別物なのである。
そして人間として創造されたのはアダムからでありその前の北京原人とかジャワ原人とかピテカントロプスとかなんとかは人間の亜種であり人間ではないのである。人間を塵から創造してそこに霊を吹き込んだとき人間になったのである。

だから魚から両生類になり動物になり猿になり人間になったという進化論はありえないのである。確かにそういう過程が人間の中にふくまれたとしても人間は猿とは別個の種であり進化して作られたものではないのである。
人間とはみんなアダムの子孫であり進化した猿の子孫ではないのである。
だから魚から両生類へ進化して両生類が鳥になったとか動物になったとかないのである。神がその適した場所に創造したのである。
人間の中にそうした進化の過程がふくまれていたとしても人間は別個の種であり進化してできたものではないのである。

これは別に異論はあるが進化論はまた唯物論とも通じているのである。
都築氏は神を信じていない唯物論者だった,ただそれは宗教があまりもに歴史でもゆがめられたものとなっていたからとういことはある。
今でもイスラム教徒のロヒンギャを仏教徒が惨殺しているというのも信じられないとなる仏教もそんな残酷なことをするのかともなる,他にも虐殺の原因があるにしても仏教徒がそんなことをするのかということにもるな,そういうことが宗教を毛嫌いする原因になっているのだ。

人間は魚から猿に進化したとなると人間は魚の子孫なのかともなる,猿の子孫なのかともなる,そういうことはないのである。
人間は神がアダムを作ったその子孫なのである。神の系統に入るものであり進化した猿の子孫ではないのである。
進化論と唯物論が通じているのかというと要するに生命も生物も物質であり人間も物質であり原子でありやがては消滅するという思想になる
ところが人間は肉体は仮のものであり神が霊を吹きこんだものでありそこが根本的に違っているのだ。
そこに結局進化論とか唯物論とかの限界があり都築氏の限界もあったとなる

ただ批評する価値はある,大きな存在だったとはなる。批評するというときまず対等かそれより上にたつと批評はできない,一段上にたたないと批評はできない,そこに批評のむずかしさがある。だから若いときは批評はできない,ただまねるだけなのである。
それで師でも偶像化したりいろいろな論があるときただそれをまねるだけになるのであるともかく批評精神をつちかわないと結局カルト宗教団体とか権力集団組織にとりこまれて自主的に考えることもなにもできなくなるのである。
だから右で左でも何かの団体に所属している人は信じられないのである。
それらは集団で組織で圧力をかけるからである。

その点,都築氏にはなかったから好感をもって読んでいた。相いれない所があってもそういう組織団体に属していないことで自分は評価していたのである。
別に敵でも高邁な敵だったら剣の世界でもおのしやるなとなりかえってそういう手ごわい相手との勝負を望むのである。それは学問とかでもそうなのである。
論敵がありかえってそれで説が磨かれるということもある
世界を見ることは様々な視点があり一つではないからである。
死んでしまったけど都築氏はそういう手ごわい相手であり評論に値する人物だったとなるのである。



ただこの本などは知らない人が多いのではないか?
つくづく本というのはその数に種類に今になり驚くのである。
こんなに本があったというのが驚きなのである。
それがボタン一つで配達されるとなると知の世界が飛躍的に拡大した
自分は本を買うために仙台に行かなければならなかったし本は高いから買いにくいこともあった
でも仙台の本屋でも今になると本当にわずかの本だけだったのである。
それでベストセラーになって百万部売れた本などがあった
冠婚葬祭の本とかである。なぜそんなに売れたのか?

地方の小さな本屋でしか本が買えないとういことがあったからだ
だからそうした本屋ではベストセラーだよと置けば商売になったのである。
あと専門的な本など小さな地方の本屋にはなかった
このハンディキャップは大きかったなと今では思う
古本も膨大であり安く買える,これも知的な世界を追及するには有利である。
何か興味がありそれと関連したものが読めるということがいいのである
だから田舎でも今までのような知識のギャップを感じることがなくなっているのだ
こうなると別に文系などなら東京の大学などに行かなくても学問はできなるとなる

2017年09月20日

「心に青雲」の都築詠一の遺したもの (その死は何を語っているのか?)


「心に青雲」の都築詠一の遺したもの

(その死は何を語っているのか?)

死者のほとんどはもっと生きていたいと願いつつ、この世を去ったのであろうし、災害や戦争の死者はさらに非業の死を遂げたので、その無念の思いは強かろうと想像する。
人間は必ず死ぬけれど、死に甲斐というものはあったほうがよい。この世に生まれて証を遺すことが、後世の人間への贈り物である。

 震災の慰霊はほどほどに

こういった残された文章を読むと不思議である。

この世に生まれて証を遺すことが、後世の人間への贈り物である。

それは「心に青雲」の都築氏の場合はプログしかない,でもそれも消してくれとか言っていたのがわからない,ここでは証を遺すことだと言っているからだ

人間はつくづく自分のプログでもそうだが自分の書いたものが読み返してみてこんなことが書いていたのとなる,忘れるのである。
都築氏のプログだって読んでいても忘れていた,だから記録すること何かに文章でも人間は遺さない限り何も残らない,忘れるからだ。

今読み直してこんなこと書いていたのと再認識する,その時読んでいても忘れるのである都築氏はいろいろなことを言っていた,その言い方が卑近な例から語りわかりやすいのである。学者のような言い方をしないからである。

でも自分の書いた唯一の生きた証であるプログまで消してくれとういかのがわからなかった
人間の不思議は死んだらその人をどう評価するかは生きているときわからない,だから死んでみて本当に不思議になる
とても死んだとは思えないのはなぜなのかとなる
何か今でも継続して熱く語っている感じになる,死というのが意識されない不思議がある第一インターネットの中で書いて死んだというのはあまり経験しないだろう
癌を告白して死んだ人などそういう人は増えているかもしれない
ただ病気が苦しいとか病気のことばかり書いていたら読むの嫌になることがあるだろう

都築氏は一切病気のことを語らなかった,透析のことはたまたま語っているがそのことは語らず様々なことに評論をしていたのである。
その見識の深さは瞠目するものがあった,だから毎日読んでいたのだけどやはり読みかえすと忘れていたことが多いなとつくづく思う
人間は忘れやすいのである。それが人間の大きな弱点なのである。
あれだけ悲惨な戦争のことだって忘れる,時間がたつにつれて人間はあらゆることを忘れてゆく,忘れるからこそ嫌なことを忘れるからこそ生きていられるともなる

無念の死のことを語っているけど自分自身もそうだったのではないか?
70くらいまで生きたとしても今の時代なら早いとなってしまう。
何かもっと書きたいこと言いたいことがあったと思う
それが途中で中断して死んだのである。
現代は長生きだから成果を示すのは遅くなる
人生50年とかなると早い内に示さないと死ぬから違っていた
斎藤茂吉は長生きだったと言われるが70才で死んでいたのである。
あとは40代50代で死んだ人が実に多いのである。
今の時代は普通に80才まで生きるから成果を示すのは遅くなる傾向があるのだ

都築氏の評論はいろんな分野にわたっていたのである。
空手をしていたからスポーツ評論があり文芸評論が人物評論があり科学評論まであった。これだけ多岐にわたる評論をできる人は今の時代でもそんなにいないだろう。
ただ死ぬとは思っていなかった,だからそんなに真剣に読んでいない,突然死んだので
驚いた,そしてプログの記録が貴重なものとなったのである。
インターネットにはグーグルでは全部は記録されていない,省かれているが要旨になるような所は残っているみたいだ
だから再検討できるのである。

プログはなにか本とは違う,生放送のようにリアルに今が伝わってくるメデアである。
だから死んだように思えないのである。有名な俳優でも死んでテレビの画面でドラマに写っていると死んだように思えないのである。
プログでしか知らなければやはりこれと同じように死んだように思えないのである。
ただ死んだ結果,こうして自由に語れるとなる,生きていればこきおろされるからできないとなっていたのである。
だから人間は生きているときは評価しにくいのである。

いづれにしろこうしてまたインターネットで自分が都築氏のことを語っているのをあの世でどう思っているのだろうと不思議になる
インターネットだけで語り死んだということが不思議である。
たいがい今までは本で遺していたからである。ただ本は限られた人しか出せないのである過激なものは出せないのである。
それでインターネットだけで語り記録して死んだということは今までにないことかもしれないと思った。
もちろんプログは無数にあるがこれだけのものを語れる人はいない,病気をのことを延々と語っても後世には残らないと思う,なぜならみんな病気になり死ぬからである。

ともかく都築氏の遺したことの再検討は必要である。ただ死んでもやはり著作権があり
そっくり転載することはできないだろう。
だからインターネットだけで語り文章として遺して死んだ場合そういうものがどうなるのか?それもまたわからなくなる,インターネットというのはそういうルールが確立していないからである。

自分がインターネットにある写真や絵から抽象画をソフトで変化させているのもこれも何なのだろうとなる,そこには何かしら著作権が関係している
そんなことしてそれが創作品になるのかとなる,そんなこと今までありえなかったのであてる。
ただアメリカの人たちが定期的に見ているのである。
だからなんらか評価されているとなる
でもなんらか著作権の問題が生じているかもしれないのである。
それもやはりインターネットという空間が何なのかわからないからそうなっているのだ。いづれにしろ都築氏の死はそういう点でも考えさせられるものだったのである。

「心に青雲」の都築詠一氏の死亡で生じた著作権の問題 (確立していないインターネットのルール)


「心に青雲」の都築詠一氏の死亡で生じた著作権の問題

(確立していないインターネットのルール)

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著作権は、通常の財産と同様に相続の対象となります。遺言によって誰かに譲り渡すこと(遺贈)も可能です。本コラム執筆時点までの報道によれば、やなせさんには法定相続人はいないようですが、遺言により受取人を指定していれば、指定された法人や個人が著作権を引き継ぐことになります。

著作権について複数の相続人がいる場合は、著作権は共有されることになります。著作権が共有されている場合、共有著作権者全員の同意がなければ著作権を行使することができません(法65条2項)。対象となる著作物の著作者(=著作権者)の死後、著作権保護期間中に著作物の利用を希望する人は、原則として全相続人から許諾を得る必要があることになります

著作権者が死亡し、通常の財産であれば国庫に帰属することになる場合、著作権はなんと消滅してしまうのです(法62条1項)。「著作権が消滅する」ということは、誰もその作品が使えなくなるという意味ではありません。著作権の保護期間が満了した状態と同様に、誰もがその作品を自由に使えるようになるのです

著作者の名誉・声望を害するような方法での利用は著作権法で禁じられているということは、心に留めておいてほしいと思います

「目的上正当な範囲内」の引用であることが求められている(32条)。ここから派生して、「人の作品を借りて来るだけのある程度の必然性・関連性が問われる」と説明されることもある。


本は出版社が仲介として大きな役割を果たしていた,出版社を通じてしか本は出せない仕組みになっていた,その前に取り次ぎを通さないとまた出版できない仕組みになっていたインターネットはそうした仲介者が省かれているのだ

そこで何が起きてくるのか?今回のようなプログだけに書き続けた都築詠一の死亡がなげかけた問題である。
グーグルですべてではないがログは保管されていたのである。
これも不思議なのだけど普通は本だったら図書館とか出版社で保管されている
でも本を出すことはむずかしいのでどこにも保管されていない場合だってあるのだ
ところがインターネットでは誰でも一庶民でも何でもくだらないものでもとるにたらないものまで出せるし記録されているのである。
なぜならインターネットでは記録するということは簡単だからである。
そしていくらでもその記録を残すことができる,本のようにもう国会図書館で収蔵しきれなくなるということはない,物理的に場所を全くとらないから無制限に貯蔵できるのである。
ではそれがどれくらいの期間記録されているかとなるとわからない,本なら50年くらいはもつかもしれないがその頃からぼろぼろになってくるのである。
電子空間では50年ももつのかとなるとわからない,電子空間は消えやすい弱点ももっているからである。

ともかくインターネット上にだけ公表されて本としては出版されないものがこれからは増えてくる,出版というのはハードルが高いからである。
インターネットだと気楽にいくらでも書ける,一人の人間が出版社ともなれるテレビ局ともなれるのである。youtubeがそうである。
かえって例えば武田邦彦氏はそうした放送局となっている,科学者として専門性があるから参考になる,テレビだと専門家を呼んでテレビ局の意向によって編集しているからかたよっているのである。テレビはその局の意向を報道しているのであり専門家はただテレビ局の意向のために使われているだけなのである。
だから最近はなるべくテレビは見ないようにしている
テレビを見ていると知らずに洗脳されていることが多いからである。

いづれにしろインターネットでは例えは都築詠一氏が死んでも著作権はあり全文転載はできない,心に青雲の旧フログが一部ログを他のサイトで保存されていたが許可があってできていた,なぜ全文転載ができないかというと宣伝に使われたりするからである。
引用は可能である。それも引用する方が主になり引用される方がその主文に従属するような文でないとできないのである。
なぜなら引用とはあくまでも主なる引用する人の創作の中で利用されるものとして許されているからである。

ただ都築詠一氏のプログの文を本に出すとなると著作権を受け継いだ家族の人とかの許可が必要になるだろう。
でも不思議なのは別に本にならなくてもグーグル内にログは全部ではないが保存されているのである。それは一種の図書館に本として貯蔵されていると同じなのである。
ただそれがいつまで保存されているかとなるとわからないのである。
グーグルというのはこうして何か実際は大きな権利を得ているともなる
まず国会図書館にいくちら貴重な資料があったとしても利用できないものが多い
図書館でも資料があってもそれを調べるのが容易でないから今は行っていない
自宅で調べて書けるようにならないと知的作業はできない
だからある程度の私設図書館が必要になってくるのである。

ともかくインターネットもすでに20年以上とか利用するようになっているしこれからも利用されるようになる,それは世界ともかかわりそのルールが確立されていない
そこに今回のような都築詠一氏の死亡などで問題が浮き彫りにされたのである。
死んだら死んだ人は何も言えないのである。
すると何かそこで問題が起きてくる,ただ何か今も死んだように思えない不思議があるのだ。

2017年09月21日

「心に青雲」の都築詠一氏の早期英語教育の弊害について


「心に青雲」の都築詠一氏の早期英語教育の弊害について


早期英語教育の弊害
//kokoroniseiun.seesaa.net:80/article/373220605.html


認識の働きとは対象をわれわれの感覚器官に反映して、それが像として描かれる。この像を認識というのだ。認識は像である。
 像が五感器官を通して反映し、形成される。すなわち実体があって反映されるのが正常だ。

 母親が実際に手で触れさせたりしてイヌやネコを、「かわいいね」と教えながら分からせた言葉は本物になるが、英語はそうではない。

 一次方程式なんてものは、われわれが学校で教わるときに、何か現実の、実体の、像があるか? あるわけがない。


都築詠一氏の思想には常に像をもって認識しろ,像を描け想像しろとある,想像とはまさに像を想う像を創出することである。
犬という言葉の前に犬という実体がありその実体を通じて犬を認識する
現代の教育はこの実体から像から乖離している,言葉だけがあり数字の羅列だけがある
数学でも今ふりかえると小学生なら図形を学ぶとしたら常に図形を像として認識する
分数だったら具体的にボール上を二分の一なら半分にきるとか4分の一なら四つにきるとか具体的なものとして数字を認識する
そういう作業として数字を認識してゆく
教育とは実は教えるものの創造性が関係しているのである

要するに現代はあまりにも世界が像として見るのではなく記号化した数値化したものとして見る社会である。それは教育のせいではない,社会そのものがそうなっているのである第一都会だったら田んぼがない,そしたらどうして田んぼを像として認識できるのか?
そういうことが非常に多いのである。
もっと人間は図形化とか絵画化とかすることが教育でも像として認識することに通じる

言葉を日本語でもそうだけど外国語になるとさらに像として認識することがむずかしくなる,ただそれが記号化したものだけになる
ある言葉の感覚というのが実際は像からイメージされる
映画で見たけど馬が暴れている興奮して落ち着かないとき「steady」という言葉を使ったなるほど「落ち着け」とか訳すが堅実とかの意味とかいろいろある
その言葉の感覚はそうした日常の行為とか具体的な像から認識され身についてくる
だから外国語の習得はむずかしいのである。
結局現代は数式とか化学式とかあらゆるものが数字化しているのである。

膨大なそうした記号の氾濫の中で教育もあり像をとした認識できなくなっている
毎日教室にとじこめられているのもそうである。
そこではひたすら像と結びつかない記号の学習なのである。
だからみんな学校嫌いになる,自分もそうだった
都築詠一氏も言っているように秀才を批判するときそうして受験勉強のみで記号の習得のみで官僚とか学者とかなった人は何か欠けた欠陥人間になっている
そういう人が指導者になることは国自体をゆがめると言っているのもわかる
明治維新で官僚が指導者になったときそういうことは起きていた
侍が指導者だったときは文武両道であり何か生活全体で習得したモラルであり身についていた,それがなくなり文官となったときただ法律とか記号の習得だけが優先されるようになったのである。

例えば山を像として認識するとなると容易ではない,まず高い山に上ってみる,すると山を立体的に感覚として認識する,山を知るには山を実際に上らなければ認識できない
そしてまた山は遠くからみるだけでも様々な様相を示しているのだ。
山の像は無限にあるのだ,それをハソコンで抽象画化したりした,こんなに山の姿があることに驚いたのである。一つ一つの山の姿も違っているしその環境でも違っているから山の像は無限である。だから山の絵は無限にあることになる

いづれにしろ現代社会そのものが文明が言葉が死んだとかいうとき具体的な像と結びつかないからである。イメージする力が貧弱なのである。そして記号だけが言葉だけがつめこまれているから外界を反映できないのである。
それはあらゆる面でそうであり社会というのも記号だけで数字だけで認識しているのである。
だから外界を反映するというとき原始人の方が外界をリアルに像として認識していたという逆説にもなる,言葉は密接に自然でも外界と不可分なものとして生れたのだし言葉と像は外界の事象は結びついていた,だから言葉と事物が乖離することはなかったのである。万葉集時代とかそうなっていた,古今集時代になると言葉の遊びになったというとき万葉集のように密接に自然と結びついた生活をせず貴族化して宮廷で暮らすようになったからである。

ともかく現代は外界を自然でもじかに認識できない社会になっている,電車でも風は入ってこないし坂を上るにしても電車に乗っていればその苦しさを感じない
峠があることもわからないのである。車だと風を遮断しているし閉鎖された密閉された空間となり旅は道連れとかにもならない,ただ通りすぎてゆくだけである。
だから江戸時代の歩いて旅していた時より外界の認識力が落ちているのである。
感性とかではむしろ後退しているのである。
一見なんでも進んでいるように見えてかえって後退してしまったいることもある
原始人の方が機械も何もない時代の方が認識力や感性にすぐれていたともなるのだ。

「心に青雲」の都築詠一氏のプログはいろいろ参考になった
ただ弁証法はわかりにくい,陰謀論もうけいれがたい,陰謀は陰謀を生み何がなんだか最後はわからなくなる,だからすべてを受け入れることはできない
人間はあくまでも他者の思想でも何でも批評してみる必要がある
ただ鵜呑みにしているだけでは本も何も読んだことにならないのである。

stonedface.jpg

a face of underground

自然界の多様な姿も実は人間の顔になる,アイディンティティ化されるのである。

2017年09月22日

心の青雲の都築詠一氏の映画批評は面白かった (敬愛なるベートベンを見て)


心の青雲の都築詠一氏の映画批評は面白かった

(敬愛するベートベンを見て)

記録は、どれだけ時間が経過しようとも変化することはありません。記録を残すことによって、当時の自分を主観的ではなく、「客観的に」振り返ることができるようになるのです。

心に青雲の映画批評をしていたが面白かったしそんな映画があったのかとアマゾンで注文して買った,過去に作られた映画も膨大にあった,しかしそれを見るのはほんの一部だけどインターネットで注文できるようになった
映画は現代の代表する文化である。映像の時代になったのが現代だからである。
都築詠一氏の批評は様々な分野に及んでいた。
だから批評家として十分に一流になれた人だった
でもなんか中途で死んで終わったなという感じになる

ログがみんな残されていればいいのだがグーグルで確かに残っているが全部は残っていないみたいだ
そしてなぜ消したのか?死んだらすぐにプログとかインターネットは消されるのか?
全部保存してあとでみんながまた読まれるようにしておくべきだった
貴重なものが消失したとなると後世のためにもならない
ただどこかで記録しているところがあるのかもしれない。
ただ全部は記録されていないのである。

「敬愛するべートベン」でも批判している,芸術家でもそんなふしだらな生活をしてはいけない,まともな社会人であれということである。
確かに天才的芸術家となると社会人としての常識すらなくなる,だからこそ天才であり後世に作品を残したとなる。それでなければただ平凡な人として終わっているだけである。

一方では聴衆の質の低下を招く。こうなると繊細さや知的な面白さではなく、すごいといわせる一種のハッタリが有効になる。これが大音量と高度な演奏技術を発達させる。ストラディヴァリウスなどのバロック時代の名器も、音量増大のための改造がなされる。19世紀になると、音楽は途方も無い技術をもったプロがステージでするもの、になり、プロとアマが分離し、スター演奏家が誕生する。

信仰年のためのベートーベンの交響曲第 9 番のコンサートでの、教皇フランシスコの突然の欠席は、解読困難な彼の教皇職のスタートを象徴する出来事であった

ベートベンの時代は音楽も変わり目になっていた。社会が変わってきた。
教会一辺倒の世界から脱出する時代だった
ただなぜ教皇が第9の演奏に欠席したのか?映画では特等席に座っていた

自分は音楽には詳しくない,この映画で注目したのが家政婦が金を盗んだのかとか疑っていたことである。家政婦はまずやはりここでも危険な存在なのである。
インドネシアでも老夫婦が殺されたように金をもっていると危険になる
でもインドネシアとかでも家政婦を一人雇うことは決められている。
その家について詳しくなれるからだ,すると貧富の差が大きいと犯罪になるのである。
家政婦とかちょっと手伝う女性でも家に入れるとなると危険になる
そしてそういう人をかかえこむほどやっかいなことはないのである。
絶えず金を要求されるのである。それがないなら盗まれるということである。

一方でベードベンの音楽にひかれてきた音楽を習う女学生は別だった
譜面を書写する役だがまさにベードベンをその音楽を敬愛していたからである。
まず家政婦とかなるとただ掃除とか料理をだすだけでありか音楽とは関係ないのである。だから働く動機は金しかないのである。だから危険になるのだ

ベードベンも金に困っていたのか?アパートのような所で作曲できたのかとなる
第一ピアノの音がもれたらうるさい,そこで下の階にもれるから騒音問題になる
そんなことをベードベンは気にしない,今なら大邸宅で作曲していたろう。
ただ隣の部屋の老婆はベートベンの音楽が聞けるので不満があっても我慢していたのである
へたなピアノを聞かされたら嫌になる
あんな部屋で作曲すること自体,環境的には最悪だったような気がする
やはり芸術でも学問でもそれなりの環境が調わないとできないことはある
だから貴族の師弟しか昔は学問でも芸術でも習うことはできなかったとなる

映画は暇つぶしにいい,最近見ているのが「座頭市」である。
風景が江戸時代を想わせるように作られている,土橋を歩いているところなどうである。あんな橋がこの辺にかかっていたのである。
昨日見たのは親分が役人に追われて子分と二人で逃げていた
親分には百両の賞金がかかっていてねらわれていた
そしてつてを頼り前に世話した親分をたよる
でも子分はその逃避行に疲れていた,嫌になっていた
それで親分を殺すことにしたのである。それをつてを頼った親分と一緒になってしたのである。それで役人からもほめられたり得になるから共同でした

この裏切りも恐ろしいけど人間は利がなくなれば離れるのが普通である。
そんなに苦しい目にあってまで義理を果たすことはないのが普通である。
これは介護で疲れて親を殺すのともにている
あまりに苦しくなると人間は肉親でもそうなる
だからこれは特別なことではない
親分はもっと子分のことを考慮しないといけなかった
俺一人で逃げるからお前は別に生きろとか言うことも必要だったとなる
なぜならその子分は疲れ果てていたからである。

ベートベンでも家政婦は盗むことしか考えないがベートベンの音楽を敬愛していた女学生は違っていたのである。
そういうふうに動機があるなしで人間は違ってくる
女学生もベートベンを嫌ったけど音楽の絆で結ばれていたとなる
まず人間はあまり小さいことを言われると大物にはなれないかもしれない,日常のささいなことに使われていたらとても大芸術家などにも何か他でも大物にはなれない
社会をはずれたようにならなければ大物にはなれない
そういう環境にないと大物になれない
教育でもそういう教育をしないと大物になれない,平均的なことをして平均的なことを教えていたら個性的な人は生まれないのである。
人間は生まれつきですべては決まらない,平凡な人間でもあることをきっかけに変身するダビデは石コロをなげてゴリアテに勝ち一躍英雄になる
人間は人生の中で鍛えられ変化するのである。

天才も資質も大事だが環境も大事である。
もう毎日肉体労働に費やされたら知的な探求もできない,本すら読むことができないのである。
ただベートベンと普通の人と比べることはできない,同等に扱うことはできない
でも才能があったとしてもそれを開花させる環境がなかったらどうにもならないのである自分の場合は20代で書斎をもっていた,でも本を買うのでも少なかった
なぜなら本は地方では買えなかった,専門書は仙台まで行かないと買えないし今のようにインターネットもないから知識的には地方は不利だったのである。
今わかることは本は相当な量を読まないと知識の世界では狭いものとなってしまうことがわかった,あるものは深く読むにしても学問の探求とかなると相当な量を読まないと独創的にもなれないのである。
ただ自分は本は買ったけど読んでなかった,こういうことが結構多いと思う
不思議に今読みかえしてみると理解できるのである。
それで自分なりに引用して文を書いている

現代はそういう環境が調ってはいないか?若い者でも働かないものが膨大にいる
そうしていられるのはやはり豊かだからである。するとその中から独創的な人が出てくるかもしれない,社会性に欠けていても何か別な方で才能を伸ばすかもしれない
ただ天才と狂人は紙一重とういとき結局ニートなどは狂人に終わるのが大半だとなるかもしれない,アウトサイダーになったのはもともと資質的にも優れている故にそうなったのである。自分の場合は資質的には平凡でも社会に適応できなくても環境に恵まれて芸術とか学問を追及できたとなっているだけなのである。
それでもやはり環境に恵まれていると平凡な人でも何か才能が開花することはある
ただベートベンのような天才と比べることはできないのである。

2017年09月24日

「心の青雲」の陰謀論はうけいれがたかった (でも都築詠一氏は日本の英霊となった?)


「心の青雲」の陰謀論はうけいれがたかった

(でも都築詠一氏は日本の英霊となった?)

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もともと陰謀論とは、ある出来事について、公式の発表や一般に信じられている説明を否定して、隠された別の目的、つまり陰謀があるとする主張

「世界は謎である。世界は秘密と陰謀に満ちている。そのような世界を解読したい、はっきり見たいと思う時、陰謀論という〈アプリ〉が必要となる」

陰謀論を唱える者は基本的に政府、権威、現状などに対する強い不満を持ち、「今の世界は間違っている」と考える。同時に自らの価値観や考えを無条件に「正しい」と信じ、その正しい考えが世に受け入れられないのは、世界を操る邪悪で強大な「何者か」が妨害するからだと主張する。

陰謀論者は、自らを「愚かな人びとに石を投げられながら正義と真実のために闘う孤独なヒーロー」と思いこんでいると指摘しています。これはつまり、"誰も知らない真実を知っているのは、自分だけだ"という優越感や"愚かな大衆に真実を知らしめねば"という使命感に駆られている心理状態と言えます


陰謀論はインターネットでは本当に盛んである,プログでも異常に多い,それからインターネットでは左翼を在日を批判するのが多い,それはマスコミが左翼であり在日に支配しているからだとなる,そういう一面はありその不満がインターネットに噴出している
マスコミを支配しているのは在日だというのはインターネットから見ればそうなる
NHKでも在日が支配しているか韓国の悪口は言わない,批判しないとかあり不満になる

「心に青雲」の都築氏も必ず悪いのはユダ金だとかユダヤ人のせいにしている
イルミナティとかも関係しているとかなる
ユダヤ人が金融関係にかかわるのが多いしマスコミがアメリカでもユダヤ人が主導しているということでそれは一面の事実である。
でもあらゆること世界史的なことでもすべてユダ金が操作していたとなると疑問になる
なぜ彼がこうした陰謀論に強固に信じるようになったのか?

一つは宗教の不信からである。宗教の歴史をみると宗教というのに不信感をいだくのはわかる,マイナスの暗黒の歴史が多すぎるからだ,するとそこに嫌悪感をもつのは当然だとなる,今でも宗教はかえって世界に平和をもたらしているのではなく災いをもたらしているだけではないかとなる,するとそこに陰謀論が生まれる
都築氏は無神論者であり進化論者である。だから神を信じないで死んだ

陰謀論者も無神論者もまた奇妙だがカルト的になってゆく,無信論者は無信論という信仰にもなってゆく,マルキシズムが左翼の宗教のようになったのもそうである。
それが金科玉条となり信仰のようになっていたのである。世界はそれで解決するとなって信仰のようになり世界に普及したのである。
そしてそれがせかいに災いをもたらしたのである。

ただ都築詠一氏は柔軟な思想の持ち主であり他の陰謀論者とは違っていた
社会のことをいろいろわかっていた,それで公務員のことを官僚のことを良く批判していた,官僚は勝手に無駄な仕事を作りそれでもうけているとか天下りしてもうけているとか官僚を役人を常に批判していたのである。
それは実際にそうである。役人は役得があり得するのである。
それは自分の身内が地方の公務員だからそういうことを知っているし自分の家でも得していたのである。公務員は身内であり身内で得する仕組みがある
これは本当である。その得を自分を受けていたのである。
それは天下り役人とかの大きな得とは違っていても確かに得する立場にあった

底辺層などからするとそういう支配的立場にある人はうらやましくなる,あいつらたいして仕事もしないのに優遇されすぎている,公務員の仕事など簡単であり誰でもできるのに優遇されすぎているという不満が常にネットではあふれている
こういうことも陰謀論を生む素地になっている
この世はいつの世でも不平等であり得する人は得するが損な立場にあれば損するだけだとなる,そしていくら努力しても上には上がれないとかなり不満が社会に鬱積するのである
確かに金融などはそういう側面が大きい,それで都築氏はギャンブルのことを盛んに言っていた,もうかるのは胴元であり一般の人はギャンブルではもうからないようになっている,株などそうだという,それは言えると思う
日本の株式市場は外資が多く入っている,外資に左右されるとなると日本の株は外資に操作されているとなりそれはユダ金だとかなるのである。
グローバル市場になると天文学的な金が動いているのだからもう誰もわからない,するとそこに陰謀論が生まれてくるのである。

陰謀論は現代にだけあったのではない,時代劇では必ず黒幕がいて表にでてこない,それが陰謀論になり黒幕がイルミナティとかフリーメーソンとかユダヤとかなっている
結局この世の中を動かしているのは誰なのか?それがわからないから陰謀論が生まれる
でも例えばマスコミを動かしているのは誰なのか?
それは別に在日とか左翼だけではない,創価などもマスコミを支配して動かしている
だから創価の批判はマスコミではしない,そしたら左翼だけではないし自民党だって操作している,権力をもつものはマスコミを支配できるとなる
背後の権力をもつものがマスコミでも支配できる
例えば東電だけではない原発にかかわる電事連合は原発を推進することを望んでいる
マスコミへの800億とかの宣伝費は東電だけではない電事連合から出ていたのである。電気関係で働く人が多いしそうなれば原発も推進派になる
都築氏は原発推進派であり右翼は核武装派だからそうなる
東電関係の人も空手を通じて友達となっていたから原発推進派になっていた
その辺が同調できないところだった

そうして同調できないところが自分にあったとしても彼の言い分は納得することが多かった,つまりわかりやすい表現になっているのがそうした大きな原因だったと思う
表現がうまい,文章がわかりやすく,心にひびきやすいものとなっていたのだ
だからネットに無数にいる陰謀論者とは違っていた
もしそうだったら自分も評価しない,都築氏は広い分野に深い識見をもっていたのである文芸にも芸術にも深い理解力があった,評論できることは芸術家と同じである。
自分はそこに一番ひかれたのである。日本文化に造詣が深かったのである。
そこから日本人はとうあるべきかを説いていたのである。
日本語でも敬語は日本語として相手を思いやるもので評価していた
これは上下関係があり批判するものもいる,でもこれも日本文化として評価していたのである。
だからそういう見方もあるのだと感心していたのである。
彼の独特な見方がありそれに自分も日本文化を追及していたから感心したのである。

いづれにしろ彼の多岐にわたる評論はその筆法がさえていた,これだけのものを書ける人は日本では今いないとも思っていた,ただ陰謀論が結論になるとき同調できなかった
ただ人格的には孤高にもなり悪を嫌うことで同調した
マスコミとかの人と相互浸透して堕落するから交わらないとか文学仲間ともバーに行かないとか潔癖な人だったのである。
そういうところに好感をもっていた
彼の時事問題の評論もわかりやすいし人物評論でも有名人も批判していた
いつもあいつの顔が良くないとかで批判していた
どうしても顔は偽ることができないからそこから人間を見ていたとなる

都築詠一氏については良くまだわからないことがあった,ただ日本を支える大きな一人だったことは間違いない,日本を支えるというとき集団だけではない,個人が支える,人格的にでも立派な人がいれば日本を支える,日蓮ではないが日本の柱となる人だったともなる,死んだとしてもその霊は日本を支えるのである。
何か変だけど戦争で死んだわけでもないが日本の英霊となる
英霊とは優れた霊のことだからである。戦争で死んだ人達とはまた違って平和の中でもそういう人はいる,戦後70年であり都築詠一氏とは同世代である。
団塊の世代はあまり評判が良くない,自分でもインターネットにこんな人がいたということは驚きだったのである。
ただインターネット意外では知らないのである。無視されているのである。
それはやはりユダ金とか言うと受け入れられないからである。

2017年09月26日

人間は死ぬと美化されやすいのはなぜか? (都築詠一氏が死んで語るもの)


 人間は死ぬと美化されやすいのはなぜか?

 (都築詠一氏が死んで語るもの)


人間が死ぬということは何なのか?死ぬという現実を人は簡単に受け入れられない
骨となり灰となり消える,その変化を受け入れられない
無神論者とか普通にいるし都築詠一氏は無神論者だから死んだらただ消える無になると思って死んだのかとなる
でも一旦死んだとなると都築詠一氏は何なのだろうとなる
今までプログに熱心に書いていたのに急に死んで途絶えた
そして永遠に語らぬ人となったのである。

では都築詠一氏は死んだから全く何もなくなったのか?
肉体は消えた,でも彼が残したものは以前として消えない
その消えないものとは何なのか?それは彼の生きざまでありまたその崇高なものを「心に青雲」を目指した精神である。
彼が現代の英霊になったというときそれは戦争で人を殺したわけでもない
だから戦争で死んだ人達の英霊とは相当に違った英霊である。
それは優れた人が英霊になるのであり戦争に参加しただけではなれない
戦争に参加した人で死んだ人は膨大である,それらが全部英霊になるというのも疑問なのである。

無神論者でも英霊になる人はいる,ただ人間は生きている時はそうした英霊にもなりえないし,祭られることはない,生きていれば何かとケチつける人はいるしおとしめる人はいる,でも何か普通の人でも一旦死ぬと美化されやすいのである。
自分がすでに都築詠一氏を美化しこた詩を書いたのもそうである。
死はともかく人間の見方を変える,生きていれば自分も都築氏を美化したりしないのである。

美化するというとき明治維新で活躍した吉田松陰とか長州の志士たちはテロリストにすぎなかったということが最近言われる,都築氏も言っていたのである。
そもそも吉田松陰のまわりに集まった人達はテロリストでありそこには何の教育も行われなかった,松下村塾などで何か講義されたこともなかった,ただテロリストが集まる場所にすぎてかったとしている
それもそうかもしれない,それは何か死んでから美化されたのである。
吉田松陰は権力をとった長州のテロリスト達によって祭りあげられた
それは司馬遼太郎の小説の影響がありそれで評価が定着した
坂本竜馬もそうである。現実はどうであったのかは歴史的に不明になっているのだ。

ただ何か人間は死ぬと一般的に美化されやすい,それだけ死というのは人間にとって
生きていたときとは全く別なものとして見るようもなる
人間の宗教がたいがいどこでも先祖崇拝から起きているのは死ぬと神となるとか美化されるからである。それはどんなぐうたらな人間でも死んだら崇拝の対象になっていたとういことでもわかる
それだけ人間は死ぬともう現実にいないのだからその人の欠点とか汚いものは見えなくなるから美化されやすいのである。

ただでは自分でも家族が二人死んだけどその人となりは熟知している
だから冷静にいい面でも悪い面でも見ているし死んだから特別な人にはならない
一人は認知症で死んだから無惨だったし一人は死ぬまで花でも庭もいらないとか金がかかるからいらないとか狂気のように主張していたのである。
そういうことを知っているから死んでもそのことに関して今でも自分は頭に残っているから美化しないのである。

でも吉田松陰とかなると現実はどうだったのかとなるとそれを調べるのも容易ではなくなる,だから明治政府になって元勲となったテロリスト達が祭り上げた人にすぎなかったという説もでてくる
元勲となった人達は権力をもったしそれができたからである。
そういうふうに勝者によって歴史は作られてきた
だから吉田松陰は後の権力をもった人達によってち山県有朋となどによって祭り上げられた虚像だとしている

そもそも明治維新というとき一体どういう日本の未来像を描いていたのか?
それも定かではない,ただ幕府を倒して政権をとるという野望だけだったのか?
まずその時どういう新しい社会を作るかという像は描かれていなかった
だからただ尊皇攘夷とか佐幕とかでありそこに日本の新しい像はビジョンは描かれなかった,そこで無益な争いが殺傷が行われたことは確かである。
そういう変革の時期にはテロリストが暗躍する
思想もなにもない暴力だけが全面に出てきてしまう

西郷隆盛によって作られた赤報隊がそうだった,ただ暴力だけで攪乱したのである。
それはシリアのISみたいものだったかもしれない。
その動乱でいろいろな勢力が入り乱れて争いになる
吉田松陰もその思想はアジア侵略思想でありそれが大東亜戦争にまで影響したことは確かなのである。明治維新と大東亜戦争は連続していてその種は明治維新の吉田松陰などによってテロリストによってまかれたとなる

「心に青雲」の都築氏も自分でも死んだとき生きているときとは違った見方になった
10年間くらいフログを書き続けて自分はずっと読んでいたのである。
その歯に衣着せぬ評論は心にひびくものがあった
では都築氏を評価するとき死んでからどうなるのか?
都築氏とはどういう人なのかどういう思想の持ち主なのかとなるとプロクでしかわからない,だからその記録したログが消えることは致命的になるのだ
つまり彼自身が書き残したものから現実を判断する,それしか方法がないということがある。それは間違いなく彼自身が書いたものだから彼自身を知る唯一の手がかりとなるからだ

だから自分はそのプログに書かれたことを手がかりにして批判もしている
原発に関しては疑問だった,原発事故の被害にあった地域は犠牲になってもらわなければならないとか全体の戦力を維持するためには犠牲になってもらうほかないと言っていた
これもおかしいと思わないかか?
そもそも東京で原発事故が起きては困るからフクシマに原発を作ったのである。
そして事故が起きたら犠牲になってもらおうとか言うの東京都民の勝手ではないか
犠牲になるべきは東京都民でもあるのだ,東京に原発を作るべきだったというのは今では正論だからである。
人口に比べたら経済力から比べたら福島はとるにたらないとなり都築氏は犠牲になってもらわねばならないと発言していたのである。
経済的価値からすれば東京がダントツに価値がある,でも飯館村などは森につつまれた貴重な村だった,だからその価値はわからない,ただ田舎にしても昔のように自給自足だったら都会の人に言えた,今は東京の人でも税金を地方に払うから不満になっているのである。

それから都築氏は空手で東電の人とも仲間となっていたりしていた,全日空の人も空手の仲間だったから批判はしない,それはすでに都築氏も利害関係がある人のことは批判しないとなり不公平になっていたのである。
福島は犠牲になってもらおうというときなぜ東電の事故を起こした幹部は罰せられないのか?これこそ犠牲になってもらうべき人間だったのである。

ただこういう矛盾は人間なら必ずあり完全な人間はいない,自分だってそうである。
どこかで矛盾が生まれる,だから都築氏についてもそうである。
ただ都築氏にひかれたのは汚いものと交わらない潔癖性がありそれで常に有名な人物でも批判していたのである。マスコミの人間でも交わると相互浸透するからしないとかなり
そういう人は孤高になる,そういうところに自分はひかれていたのである。
それがフログのみで最後の十年間を主張したということが貴重だったのである。
そして遂に力尽きて死んだのである。透析を17年間して遂に死んだのである。

そして弱みを自分が病気だということをプログではほとんど言わなかった
ただ強気の発言をつづけて死んだ,そのことが何か英雄的に思えたのである。
何も戦場で死ぬだけが英雄とはならない,普通に生活しても英雄的なことは目立たなくてもあるかかもしれない,病気に負けないことが都築氏の場合,英雄的だったとふりかえればなるかもしれない,常に介護される人とか認知症の人とか震災で津浪にあった人でも甘えるなと厳しいことを言っていたが本人が病気でありその弱みを言わないのだから
そういうことを言うことができた,だから非情だとは言えないのである。

ともかく人間は死ぬと見方が変わる,また死ぬとその人の貴重さもわかる
生きていればそんなに関心がなくても死ぬとその人の貴重さをまたその人のことを見直すでも本人は死んだのだから答えはない,生きている人のみが語り都築詠一氏を知るともなる,ただ全部は良しとはてきない,現実に語ったものはプログにまだ残されているからである。

「心に青雲」の都築詠一氏が誉めていた光厳天皇の跡をたどる

「心に青雲」の都築詠一氏が誉めていた光厳天皇の跡をたどる

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光厳天皇の御歌

夕日さす落葉がうへに時雨過ぎて庭にみだるる浮雲のかげ(風雅730)

冬歌の中に

さむからし民のわらやを思ふにはふすまの中の我もはづかし(風雅880)

ただしきをうけつたふべき跡にしもうたてもまよふ敷島の道(御集)

地図を見ると常照皇寺と鞍馬寺と大原が山中にある,都築氏は鞍馬寺と常照皇寺を訪れている,その時自分はそのフログを読んで感想を書いた
インターネットで調べたら常照皇寺のことはでている,写真もでている,それでイメージして自分も短歌を作った。
都築氏は風雅和歌集を評価していた,写生の歌でありリアリティがあると評価していた
ただ写生俳句の創始者の正岡子規は評価していない,というよりそこまで手がまわらなかったともなる,自分は写生俳句から写生の短歌を基にして創作してきた
だからそこを見ていたとは相当に深い見方をしていたなと感心していたのである。
インターネット上には文芸分野では深いものが見られないからそこに注目していたのである。ただ評論としては未完成に終わってしまったのが残念だった
「光厳天皇論」は圧巻だったしそのログは残っている

夕日さす落葉がうへに時雨過ぎて庭にみだるる浮雲のかげ(風雅730)

晩年に常照皇寺で作ったものだろう,これはまさに光厳天皇の心境そのものだった
南北朝争乱に翻弄された一生だったからである。
南北朝は全国に深い傷痕を残した,この辺でも自分の住んでいる場所が霊山城が南朝の城であり炎上して逃れてきた落ち武者が先祖になっている,南相馬市には鹿島区には只野という姓が本当に多い,その只野は郡山の多田野村から発していたのだ
それが南朝に加わり霊山城が炎上してきたとき逃れてきた,それは今も祭りとなって残っているのである。

ただ光厳天皇は北朝であり都築氏は北朝に義があるとして醍醐天皇を批判していた。
日本を争乱に導いたものとして糾弾していた。
そして光厳天皇を高く評価していた,それは昭和天皇と比べて高く評価していた。
昭和天皇はいろいろと蓄財していたとか辛辣にこきおろしていた
右なのに天皇をそんなに批判するのかということで驚いていた
光厳天皇は自ら反省して僧になり乞食までしたと評価していた
昭和天皇は何の責任もとらない,日本国を利用した国賊のような扱い方になっていた
それもやはり現人神(あらひとかみ)から人間宣言などとアメリカ軍に占領されて
全国を行脚して国民に迎えられたがそれも何か責任をとらないしずるいと見ていたのである。それで光厳天皇が反省した態度にひかれた
最後は常照皇寺にこもり果てた,その寺実に質素なのである。それもまた評価している

ただしきをうけつたふべき跡にしもうたてもまよふ敷島の道(御集)

最後まで正しき道を求めたのが南北朝の戦乱で最後まで迷っていたとなる
南北朝とは何の争いだったのかわかる人はいるのかとなる

さむからし民のわらやを思ふにはふすまの中の我もはづかし(風雅880)

この歌も評価していたのは昭和天皇などと雲泥の相違がある。
昭和天皇でも今の天皇でも民を思う心などない,震災で慰めにきて帰れば贅沢な暮らしがあるだけだと言って批判していた。
だからこそ光厳天皇は天皇の中でまれな存在として評価していたのである。

天皇の寺の石段雪ふりて誰かたずねむ山深きかな(自作)

写真がここに

常照皇寺


2017年09月27日

「心に青雲」都築詠一氏の人となりをふりかえる (自分とにたものがあり世代も同じだった)


「心に青雲」都築詠一氏の人となりをふりかえる

(自分とにたものがあり世代も同じだった)


文明の発達が人間を弱い方向へと引きずりこみました。あらゆる便利さが弱くても生きていかれそうな錯覚を与えました。
 (中略)
 存在意義があるとすれば、それはひたすら強く生きることにあるのでしょう。

ここで人生の土台とは、まともに生活する、すなわち健康的に生活できることがそうであり、それなしには生きることの理想をいくら掲げても健康的な生活を保てずに、病人や、半病人になったりして、ゆがんだ生活で生きることになってしまったのでは、どうしようもないのです。

すなわち、人は信念や情熱などの精神的生活のみでは現実の世界でまともに生きていけないのです。 (引用終わり)

彼は病弱だとか一人っ子だとか金持ちの家に生まれたとか知った
成蹊大学などはそういうお坊ちゃん大学なのだろう。
なかなか地方の人は入りにくい大学になる,そこに都会と田舎の差があったかもしれない文系だったらどこの大学かなど関係ないだろう。
文学部だったというとき彼はめずらしく短歌でも俳句でも他にいろいろな作家を批判していた,こきおろしていた。
そういう鑑賞力があった人である。これはだからインターネット上ではめずらしいことだった,空手関係の人は武道には詳しくても他の教養がゼロの人が多いみたいだ
ただ武道の面ではそれなりのものをもっているから批判している
実際に文武両道の人はこの世にまれだろう。
どうしても文弱になったりするし文学にかかわる人は病弱のが多いのである。

ともかく都築詠一氏は確かに金持ちの家に生まれ恵まれた環境で育った,それは自分ともにている,ただ相違がその時東京と地方という差があった
あの頃はやはり東京と地方の差が大きかった
東京に憧れ人が多かった,でも地方だと田舎ではクラスの三分の一くらいが金の卵として集団就職したまだ貧しい時代だったのである。中卒が普通にいたのである。
団塊の世代として共通であり親近感も都築氏には覚えていた
ただ別に会ったこともないしプログだけの出会いだった

その後の就職先は編集とか文学関係とかにたずさわっていた,それも恵まれたことなのだろう。そんなところに簡単には就職できない,なぜ朝日新聞社に就職したのかもわからない,右なのだから何か辻褄が合わないがそういうことは人生にはある

ただ彼の強さへの志向は強かった,それも自分とにている,弱いものはなんとか強くなりたいのである。自分も体が弱かった,体が弱いということは実際は精神に相当影響するのだ,頭脳にも影響する,勉強するにも社会で働くにも頭脳だけでだめである。
心身共に健康でないとだめなのである。
自分は強くなりたいので大学の合気道部に席を置いていたが一年でやめた
その時良くやれたなと今でも我ながら感心する
そこで基礎を築いたから今日あるともなる
それまでは高校では落第するような状態だったし人間としても全くわがままだったし集団に適応できない人間でいいところがなかったのである。

人間とは若いとき30頃まですでに人間ができあがる,なぜなら若いときは自分のような体力がなくても無理ができたからである。若いときはやはり一番誰でも力があふれているからである。
そして地方だと家族がいないから栄養とかその他苦しいものとなるからだ
何か自分は体が弱いのに20代とかは苦しい目にあって体力が消耗してすでに老成していたのである。
だからその頃と今の顔つきなどが同じなのである。
なぜ自分がその後まだ生きているのか?
それは30代頃からは家で楽した結果のなのである。家族がなんてもやってくれたから自分は本当に楽だったのである。そのことで体力も回復してここまで生きたとなる
そうでないと早死にしていたと思う
都築氏の場合はかなり空手に励み無理したことが早死になったのかもしれない
過酷な訓練を強いていたからである。

人間はみんな個々にどういう人生をたどるかわからない,生まれもあるから都築氏も自分も幸運だったとなる,彼は平凡な普通の人間であることも共通している
天才という人を知っているけどそういう人は生まれつきなんでも備わっているのである。普通の人は努力しなければできない,武道なんかでも生まれつきがいい人は楽にこなせるスポーツでも天才的な人は常にいるからである。
ただ文武両道の人は本当にまれだと思う
彼が文学に通じていたことは武道家ではまれだろう。ただその評論が十分に展開されなかったのが残念である。

すなわち、人は信念や情熱などの精神的生活のみでは現実の世界でまともに生きていけないのです。

人間は体が弱れば精神も弱るのが普通である。なんか自分はちょっとでも体が弱ると心も弱る,だから都築氏も体がもともと弱かった,それで健康志向が強くなったとなる
もともと強い人は健康に無頓着なのである。
そういう人は無理もできるし強がる必要もないのである。もともと力にあふれていて別に武道などしなくても強いのである。そういう人が身近にいたからうらやましいといつも思っていたのである。ただ最後は弱く無惨に死んだのである。
いかに強き人もまた最後は老人になり病気になり弱くなり死ぬものだと驚いたのである。

存在意義があるとすれば、それはひたすら強く生きることにあるのでしょう。

都築氏はこのことを貫いた,透析のことは語っていたけど17年も透析していたとは思わなかった,でもそのことはあまり言わず弱さをフログでは出さなかった
それが何か英雄的にも今になると思える
介護される人も批判していたが自分はそういうことにもならずプログに調子が悪いといって書き込まなくなったら死んでいたとなる
それだけ強さを言ったのは言葉だけではない,実際の生活で実践していたのである。
震災の被災者にも同情しなかったなどと批判がある
それもわかるが体育館に入っていたときなどは苦しいからそんなことは言えないのが普通である。
でもその後仮設に入ってからはみんなパチンコ通いとか遊んでいただけなのである。
だから自分もそこは地元でも批判していたのである。

空手関係者とかは彼の文学的理解の深さとかはわからない,武道に関しては何か言うことはある。でも武だけの人間となるとかたよった人間になる
ただこの両方を備えるとなると至難だとなる
彼の人となりなかなか理解されなかった,それは文学関係などで理解できない人が多かったからかもしれない,自分は日本文化について理解が深いなと感心していたのである。

天から気合がひびく
そして活を入れる
日本人の心を正さむと
天から気合を入れる
秋のみ空に清らかに
きらめきあう星なれや
天にその気合はなお木霊する

この引用は誰かが引用したのもである。彼の文を引用していたものは残っているが全部は残っていない,それが残念だったとなる
ふりかえるにしてもふりかえることができなくなった
ただ断片的に引用されたのは残っているが少ないのである。
ただ彼がどういう人間だったかはある程度は理解している

いづれにしろ空手関係者は都築氏のことをこきおろしいるが恥ずかしいからやめた方がいい,文については学についてはそういう人は何もわかっていないからだ
いくら武にたけてもいても人間として低劣だとなる,武と精神性は一体化しなければならない,武だけだったらそれは獣と同じようになってしまうだろう。
江戸時代とかもののふは侍はそうではなかった,そこが何か今のスポーツ関係者とは違っていた。

真夜中をすぎてもなおも虫の鳴く命短くせつなきものかもか

2017年09月28日

常照寺を訪ねた「心に青雲」の都築詠一氏 (常照寺を訪ねた「心に青雲」の都築詠一氏 (常照寺(光厳天皇),鞍馬山(義経),大原の幽居)


常照寺を訪ねた「心に青雲」の都築詠一氏

(常照寺(光厳天皇),鞍馬山(義経),大原の幽居)


「心の青雲」の著者が求めるものは何なのか (鞍馬山に上り義経と一体化する)

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遠きかな都を離れわびずまい庭の桜に夕日さしあわれ

戦乱を逃れて住みぬ山の寺花そここに散りしあわれも

天皇の悔いてここにそ死ににけりその跡あわれ夕桜かな

(大原)

大原の闇の深きに花そ散るここに逃れてはかなき夢かな

都より遠く離れて春の星きらめき清し流れひびきぬ


志高くもありて果てにけれ正しく清く秋の星光る



なぜあれほど都築氏は光厳天皇にひかれたのか?
南北朝の争いでは北朝に義があるとしていた
後醍醐天皇を批判していた,ただ南北朝は本当にわかりにくい。
ここで考察するのはそのことではない

京都の地理的位置なのである。自分は大原には行っているけど鞍馬山とか常照寺には行っていないけど大原に行った経験からすると京都の街からずいぶん遠かったなという記憶がある。京都でも街を離れて山の方に入ると奥深い,バスで二時間くらいかかったような気がする,それだけ離れているということである。

地理的感覚は何度も言っているが実際にその場に行かないと身につかない,遠いという感覚でも一回でもその場を踏めばわかる,自分は全国を隈なく旅しているからでは常照寺がどういう場所なのか?大原を想像してわかるとなる
常照寺はやはり大原のように京都の街から相当に離れた山奥である
そこに光厳天皇が隠棲した
ただ自分が行ったのは30年前とかそれより前であり記憶がおぼろになる
ただ一回行ったということで地理感覚が残っているのだ。
京都にはもうそれだけの間行っていないのである。
ただ歴史はやはり地理でありその場を踏むことで実感することがある
それで実際に都築氏は鞍馬山と常照寺に行って光厳天皇と義経を語ったのである。

京都の魅力は様々な歴史的なことがありそれが魅力になるがいろいろありすぎてわかりにくいのである。京都から離れたそうした山奥も歴史的人物が関係している
そういうことは地方ではあまりない,そういう歴史的人物を彼は語ることができる人物だった,自らもその時義経やアレキサンダーとか一体化していたのである。
もともと体力的に弱かったからその憧れが強かったともなる

まず京都を知ることは容易ではない,これだけもう京都に行っていないのだからイメージもできなくなる,最近は外人が多いから行きたくないこともある
自分が行ったときも修学旅行生が騒いで情緒を壊された,今はもっとひどい,日本は貧乏になり観光でもうけるというとき一方で必ずマイナスの面もでてくる
京都は古都らしくしんみりと歴史の場などを散策したいとかある
そういうこともうかなわない,だから自分は人のいない阿武隈高原の道を自転車で行った方がいいとなる

いづれにしろ京都にはいろいろな古跡がある,その魅力は歴史で作られたものであり
他では作れないのである。まさに千年の都だからである。
ただ光厳天皇に都築氏があれほど注目していた,そして昭和天皇のふがいなさ,節制のなさを辛辣に批判していたのである。
そういうふうな見方もあるのか教えられたのである。
やはり人間はそれぞれが独自の見方をするとき教えられる,刺激を受ける
何かパターン化した見方では真実は見えない
天皇が被災地にきてありがたいなとかテレビに写されてみる,でも帰ったら贅沢な暮らしにもどるだけだと批判していた
一方で光厳天皇は乞食までして己をふりかえり反省していたとほめていたのである。
ともかくいろいろな分野に独自の見解をもっていたのである。

それにしても介護で十年間ほとんど旅行をしていない,でも一回でも行ったところは記憶に残っているからこうしてふりかえりイメージできるのである。
問題はいかに旅の場合に五感で感じて記憶に残すかが大事になる
ただ大原は何かバスで行って遠いなというのが実感としてあった
やはりそうした実感が記憶として残される,ただあいまいでぼんやりな記憶になっているのである。
インターネットの便利なのはインターネット上で旅をたどることができることである。
常照寺の写真もでていてイメージできた,質素な寺だったのである。
なるほど光厳天皇にふさわしい寺だとインターネットからイメージできる
ただ地理的感覚は一回その場を踏むのと踏まないのでは相当に違う
大原に二時間くらいバスで行った記憶が残っているから常照寺もそういう奥深い場所だなとイメージしたのである。
でも本当に実感したいならそこまで行く必要があるのだ。
何かもう最近そうして旅する気がしないのである。

龍安寺石庭,鎌倉五山を語る (心に青雲の都築氏の見方から詩を作る)


龍安寺石庭,鎌倉五山を語る

(心に青雲の都築氏の見方から詩を作る)

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白砂の庭を美しく見せようとしたのではなくて、その欲を棄てきったところに現れる「美」を、私たちは500年の時を経て、発見しているのである。だから最初に述べたように、創建者の禅僧が、今に生き返って庭を見たら、驚嘆するはずなのである。

だが石庭の白砂を掃除してならして何になる? 今なら観光客に見せて拝観料がもらえるとかだろうが、昔はまさに愚にもつかぬ作業である。誰が見て褒めてくれるわけではなかった。
 その場合に、嫌々やるとか、適当でいいやと思いながらやると、その感情で自分を創ってしまうことになる。

 ここがおそらくは修行の根幹である。愚にもつかぬ行動だからこそ、立派な感情を創るにふさわしいのだ。これは否定の否定である。
 弁証法を知らなくても、龍安寺の往時の僧らはこれを見抜いたのだから、すごいことだった。
 自分の感情でものごとを為そうとしてはダメで、禅の感情なり、その寺の開山の感情にならないといけない。

 五山文学を読んでみると、禅僧たちが「個人」になっていることが見てとれる。それ以前の平安時代の宗教は鎮護国家としての宗教である。天台宗、真言宗などはその典型である。

龍安寺石庭の謎を解く


枯山水の庭

白砂に石
方丈の庭
単純明快な配置
清純と質素
静粛な美
石は黙して
石は喝!
誠の石
ひびきあう
雑音なき楽のように・・・



三門譜

建長寺訪
三門威風
落葉踏想
五山禅僧



都築氏の見方は日本文化に対しても深い,なかなかこれほど語れる人はいなかった
その時代と社会から個々の文化をみるべきだと主張していた
その時代と社会の全体の像を見ないと個々の文化も理解できない。
鎌倉時代は平安時代と違い宮中の貴族文化から武士の文化,質実剛健な文化に移行したのだ,鎌倉時代は日本の武士の時代を築いたのである。
何か鎌倉時代というとき今は鎌倉という狭い領域でみる
でも鎌倉時代は東北まで広がった時代なのである。

平泉政権が滅びたとき鎌倉の武士,関東の武士が東北に移住した
相馬氏などせそうであり野馬追いの旗は鎌倉時代の武士に由来してはじまっている
宗教でも鎌倉時代に平安仏教とか国家鎮護の仏教から日蓮宗や念仏宗や禅宗と変化した大きな変革の時代だった
その大きな変革の原動力は何であったのか?
それは馬を駆使した関東武者の台頭だったのである。その流れとして相馬氏があり相馬野馬追いが生まれた,これは平将門からはじまってるのである。

他で平泉政権が滅ぼされたとき関東武者が東北に移住して先祖になっているのである。
そういう大きな広域的な変革の時代だった,その時代と社会の中で個々の文化が興隆したのである。
個々の文化でもそうした大きな時代と社会を見ないと理解できないというのがわかる
だから都築氏の視野は広いし深いのである。
そのログが消えたことは詳しく検討できないから残念になる
誰かが残しているのもあるが普通だったら全文でも検索することができたからである。

自分は都築氏が生きている時は自分はこのように答えて書いていない
都築氏は独断で書いて終わった

そもそもインターネットはパソコン通信からはじまっていた
その時から自分はワープロでしていた,それか何なのかわからなかった
それは若い人たちがパソコンの技術開発,ソフト的開発に貢献していたのである。
なぜならその時まずパソコンは高価なものであり誰も使えるものでも買えるものでもなかったからである。30万とか何か非常に高いものだったのである。
自分は理系ではないしそういう技術的なことは知らなかった
でも富士通のワープロで通信ができたのでたまたましていたのである。
それは訓練に終わったのである。

そしてインターネット時代になったときようやく社会に普及した
でもこのインターネットというメデアをどう利用するかはまだわからない人がいる
プログになると独断で延々と書くようになった,そこには対話がなくなった
パソコン通信の時代は必ず誰かが書いたらレス(レスポンス)が必要でありそれがないものは有効にならない,なぜなのか?
それは技術的にまだ未熟であり書いたものが通信されて到達したがどうかもわからない
だから確かめるために必ずレスが必要だったのである。
そういう形式で発達してやがて今のようにインターネットで一般化したのである。

ネットではレスすることが不可欠だった,そういうメデアだったのである。
テレビなどでも新聞でも今までのメデアはマスコミが発言していたのであり一般の人は埒外だったのである。
ただその内容は稚拙なものが多かったし今でも稚拙なものが多い
文学関係とかなると他でも膨大なゴミになっている
俳句でも短歌でも詩でもそうした高等なものより世間話が中心だったし今でもそういうことがある。

だから都築氏はそういうレベルとはまるで違っていたから驚いたのである。
でも都築氏はネットがどういうメデアなのかわからなかった
だから延々と独断でネットにプログに書き続けたのである。
第一とても彼の評論に答えられる人はいなかったと思う
空手関係では武の世界ではスポーツ関係ではいたが文学とかなるといない
そして自分は今こうして答えている,レスを残した文につけている
こういうことが本当はネットの醍醐味だったのである。
それができずに都築氏は死んだのである。
彼は何かそういうレスポンスするメデアの特徴を無視して独断で書き続けたのである。
それは自分もそうだがやはり高等になるとレスするにしてもできない
自分はだから短歌とか俳句とか詩で答える
そこに対話が成り立っているのだ

2017年10月09日

「青雲の心」の詩-高みへ 都築詠一を思いて・・・


「青雲の心」の詩-高みへ

都築詠一を思いて・・・


高みを目指して
一段一段登る
重き荷をもち
一段一段登る
刻苦勉励
その身を責めて
高みを目指す
青雲の心よ
汝は遂に倒れるとも
その心は高みを目指す
若者よ
志は高く
高みを目指せ
しかし一歩一歩
その石段を登る
明日の一歩にあらず
今日の一歩一歩
それが汝を作る
彼は登っている
死んでも
一歩一歩なおも
険しい山頂を目指して
一歩一歩登る
たゆまず励め
遂に倒れしも
彼はなお登っている
そして天に召される
彼が欲したのは
強い体と強い心
真直なる大和心
あわれみを望まず
病にも弱気にならず
一歩一歩上りつめる
その高みへ
青雲の心よ
高みを目指す
汝は遂に倒れしも
汝の心は生きむ

「心に青雲」の都築詠一氏が死んだことは不思議だった,それはなぜなのか?
フログに書きつづけていてそれを自分が長い間,7年間くらい毎日の読んでいたことにあった,それは本を読むのとは違っていたのである。
こういう経験は今までしていないように思う

本を読むことはある,でもプログを読むのとは違っている,プログは毎日書くものであり読むものだからである。その内容も濃いものがありそれで感じるものがあった
何か空手でも刻苦して自らの身を責めるようにして励んでいた
なぜそうしていたのか?それは都築氏は天才でもないからである。
そんなに努力しなければならなかったというのは天才ではないからである。
だからかえってそういう普通の人に普通の人は共感する,天才だとそんなに努力しなくても簡単にでいるのである。スポーツの世界でもそうである。

都築氏の場合は生来弱かったとかあり家庭に恵まれたとかあり何か自分とにていた
自分も強くなりたいという気持ちが強かった,自分も家庭には恵まれていたからだ
成蹊大学となると今の阿部首相の出た大学であり富裕な坊ちゃん大学だったのだろう。
自分は地方の田舎から三流大学に出て大学の合気道部に一年くらいいた
だから自分はその後もまともに就職もできず底辺をさまよっていた
若いとき相当に苦しんだとなる,集団就職した人と比べると学生生活など楽じゃないかというが自分にとっては結構楽というものでもなかった
カルト教団に入ったりしたのもそうだった,ともかく親元を地方を離れたということが一人前になるのには良かったのである。それまではわがままだったからである。

都築氏については実際は合ってもいないので良くわからない,その著作だってないしプログがだけがその人を知るものだったのである。
ただ死んだというときその人が命をかけて書いていたのかとも思うようになった
17年間透析であり苦しいが弱さを見せず最後まで強気で書き続けていたことを知ったのである。そんなふうにして懸命に書いているとは思わなかったのである。
だいたいネットに書いているのは軽く見られていたからである。
匿名とかも多いし軽く見れることが多い,でもこんなふうにして書いている人もでてきたということである。
プログは毎日書いているからその人の生活の息づかいようなものが感じることがある。
本とは違う,日々の生きる体感のようなものを感じる

この人は空手でこんなに努力しているのだとは感じていた,ただ17年間透析でそんな気力が出せるものなのかと死んだことによって思うようになった。
ともかく彼が最後にプログで自分の人生を命の限り語ったともなる
となるとそれは貴重なものとなった,でも残ったプログの記録は一部である。
ただ毎日読んでいたから何かそうした生きる息づかいのようなものを感じていたのである

同世代でありそれで共感したとういこともあった,同世代で死んでいる人は確かに身近にいる,病気の人もいる,でも都築氏の場合死ぬとは思ってもいなかったのである。
突然死んだとなる,そして永遠に帰らざる人となったのである。
自分は別に深い関係でもなんでもない,ただやはり7年間くらいプログを読み続けていたことが影響していたのである。
プログは毎日読めるものを書ける人はまれである。時々読んだりするが毎日は読まない
それで毎日読んでいたことはやはり知らず影響していたのである。
文芸とかに深い鑑賞力があったのは実際に編集の仕事をしていたことでもわかった
有名な作家でも編集するとなるとそれそうおうの理解力が必要になる
それは相当なハイレベルのものをもっていないとできないからだ

つまり編集というのは鑑賞というのは客観的に見ることでありかえってその本人より作家より深い見方をする場合があるのだ,そして評論は一段上か対等の力量がないとできないのである。だから若い人はまず評論はできないのである。
ただ都築氏の場合その資料となるのものがプログしかないから残念だったとなるのである

高みを目指すというときそれは超人を目指したニーチェが有名である。

生そのものが柱を建ててゆこうとする,生ははるかな遠方に目をそそぎ至福の美を望み見ようとする,そのために生は高みを必要とするのだ
生は登ろうとする,登りながらおのれを乗り越えようとする

われわれはもうあまりに疲れて,死ぬことさえできない,それでわれわれは目覚めたまま生きつづける,---墓穴のなかで
(ツアラストラ-ニーチェ)

彼はやはり一つの超人を目指していたのかもしれない,ただニーチェとかの天才とは違う普通の人であるからそれで普通の自分も共感しているとなる
ただ本当に人間の醜悪さがツアストラによって断罪されたのである。
都築氏もそういうことで有名人でも容赦なく批判していた,でも死んでしまったのである
彼がニーチェとかとは違う,絶えず社会性とかを言っていた,ニーチェとかなると社会から完全に逸脱した人間である。だから狂気にもなったのは当然だとなる
天才だからこそ超人を目指す,しかし超人にはなれず狂気にいたり死んだのである。

ただ人間というものが一体何者なのか?人間を生きるというはどういうことなのか?
それはツアストラの世界となるとそれに合った人間など今は皆無である。
でも詩人がこの地球を歌うとき,詩にするとき雄大なものだからその心も雄大にならないと詩にできないのである。とても弱いものではこの地球を歌いなのである。
そうなるとどうしても社会的なものから逸脱してくるのである。
都築氏にはそういうものはなかった,普通の社会人として生きてきたし生きることを望んだのである。それは天才ではないからである。
天才はやはり巨大なエネルギーがあり社会から逸脱してしまうからである。

2017年11月10日

なぜ心の青雲の都築詠一氏は昭和天皇を批判したのか? (明治維新にその根があり光厳天皇を賛美することになった)


なぜ心の青雲の都築詠一氏は昭和天皇を批判したのか?

(明治維新にその根があり光厳天皇を賛美することになった)

「心に青雲」の著者の都築詠一氏は右である。でも昭和天皇を常にこきおろしていた。
それはなぜなのか?昭和天皇には何か蓄財だとか民を思う心がなっかた
ただ一身上の保身のみがあり戦争についても責任があるのに責任逃れした
それで光厳天皇を賛美していた,ただ光厳天皇という人は知らなかった
南北朝の争いで自ら反省して最後は乞食までして隠棲して死んだ
だから昭和天皇もそうあるべきだとして常に批判していたのである。
天皇は自分の保身しかなく蓄財にのみ関心があり民のことは思っていなかった
何かそれが極端だからこれも右にしてはどういうことなのか?
それは左の人が言うならわかるが右の人がそれほどまでに言うことが理解できなかった

その根はどこにあったのか?
それは明治維新にあったのだ,明治維新が過度に賛美されたことは天皇賛美と天皇礼拝に通じる,天皇が現人神(あらひとしみ)になることに通じていたのである。
それで最近明治維新が見直されるというとき天皇も見直されるのである。
それは中国の文化革命のようなことも起きていた
神道派が力を得て廃仏毀釈になった,これは中国の文化革命とにている,イデオロギー闘争であり思想闘争である,これもまた宗教の争いのように見えて権力闘争にもなっている江戸時代は寺が優遇され神社はないがしろにされたとかその不満が宗教の争いとして噴出したとなる

天皇とは何かというとき常に政権争いの神輿としてもちあげられることがあった
天皇は本当は中立であらねばならない地位にあった,それで姓がなかったのである。
姓があるというこは平家なら平家に属することになる,源氏なら源氏に属することになるからだ。
宗教は権力争いにからんでいた,そもそも宗教は本願寺であれ比叡山であれそこが僧兵もいて城と同じだったのである。
だから信長は宗教なら中立を保て浅井氏とか一方につくなと警告していた
でもそれを破ったから比叡山は焼き討ちされ信長の容赦のない殺りくになったのである。それで寺院というのは権力に敵対するものだからそうなった

寺院には信長の前は職人でも仕えているしそこは一つの国を形成していたのである。
治外法権のような領土をもっていたのである。それはカトリックでもあったし宗教が権力を持ち集団化するとそうなる,今でもカルト教団はそういうことがある
宗教の名のもとに団結して権力をもち世俗社会を支配するのである
だから信長がそれを許せなかったのである。

天皇というのも明治維新で近代化にはそぐわない存在だったけど尊皇攘夷派によって薩摩長州によってもちあげられすぎたのである。
それは神がかりになりその後太平洋戦争に結びついたのである。
つまり明治維新から太平洋戦争は一連のものとしてあった
明治維新に太平洋戦争の種はまかれていたのである。
それで明治維新の明治の元勲とが呼ばれた人が批判されるようにもなった

そして「心の青雲」の著者の都築詠一氏は幕臣だった,だから薩摩長州の勢力に不満だったのである。天皇でも薩摩長州にもちあげられたから不満だった
幕臣は薩摩長州に恨みをもっていたのである。武士の出だった内村鑑三も幕臣だったから終始薩摩長州が権力をにぎったことで腐敗したことを常に批判していたのである。
何かこういうところに歴史の継続がある
権力争いで必ず恨みが残るのである。

天皇というのは何なのか?それがなぜ明治維新の時持ち上げられたのか?
それは水戸学派の天狗党など過激な思想となりイデオロギー闘争となり廃仏毀釈となり天皇絶対制を作り出した,それは近代化すること民主主義とは相反したものであったが無理やりそうさせられたのである。
都築詠一氏が昭和天皇をあれほど批判したのは明治維新も評価しないことに通じていた
そして光厳天皇に光を当てた,だから光厳天皇論は都築詠一の思想の骨格にある。
歴代の天皇で自らの過ちを認めた天皇はいないだろう,なぜなら昭和天皇でも現人神とされたのだから神が過ちを犯すことがないしまた敗れることもないからである。
だから昭和天皇は謝罪はしていない,ただ神ではない人間天皇を宣言しただけなのである

この考えは会津とかに共通したものだし東北でも薩摩長州に踏みにじられたから不満が今でも残っている,いづれにしろ光厳天皇が一人間に立ち返りその過ちを認めて隠棲して死んだということそれは日本ではまれなことだったのである。
ありえないことでもあったから都築詠一氏は共感したのである。

日本ではこれから天皇自体が問われ天皇制は維持できなくなるかもしれない,天皇に対する崇拝とかはなくなっているだろう。天皇をyoutubeで悪人だとこきおろしているから驚く,明治だったら戦争中だったら不敬罪になり警察に逮捕されて刑務所にぶちこまれる
警察権力が天皇を警護するものとしてもあるだ,菊の紋が警察の紋であることでもわかる警察権力と天皇は密接に結びついているのである。
天皇は常に権力と関係して存在したのである,だから南北朝の争いでは天皇が二人になり日本が二つに分裂してしまったのである。
天皇がお墨付きを与えて薩摩長州が官軍になった,それで靖国神社は薩摩長州の神社となったが西南戦争で長州の神社にもなった,そして山口県から首相が出るし今も出ているのはそういう支配構造が明治維新にできたからだとも言う人がいる

いづれにしろ都築詠一氏の遺したものは何なのか?それは死によって永遠に中断してしまった,ただ昭和天皇批判とか明治維新の見直しはなされるようになった
つまり天皇の宗教的権威がそがれてただの象徴となったときそうなった
日本に天皇が必要なのか?そういう議論までになるのはやはりそれだけ天皇というものの権威が落ちた現れなのである。

2017年12月27日

死亡した都築詠一氏の評論を芭蕉の俳句から検討 (時代性社会性の理解なしで芸術は理解できないことについて)


死亡した都築詠一氏の評論を芭蕉の俳句から検討

(時代性社会性の理解なしで芸術は理解できないことについて)

芭蕉も、俳句だけから俳句を鑑賞しても、芭蕉の俳句の芸術性は理解できない、ことになる。
 文学を文学のみから見ては(読んでは)ならないのである。(都築詠一)

  芭蕉と一茶とでは生きていた時代も作風もまったく違います。いや「生きていた時代が違うから作風も違う」といったほうが正確でしょうか。

都築詠一氏は芸術についてこういうことをしきりに言っていた,芸術の時代性と社会性である,芭蕉の俳句を理解するのにはその時代と社会を理解しないとできない
ある人の個性はその時代の社会から作られるとなる
西欧の歴史はキリスト教の教会中心に社会が構成されていたから芸術と言ってもその社会の一部として存在したのであり個人の芸術家などありえないのである。
絵画でも建築の一部の装飾のようにあって絵画とか画家という芸術家は存在しないのである。画家が絵画が独立的分野として生まれたのはルネサンス辺りからだろう
レオナルドダビンチとか生まれたからである。

つまりこれまでは建築も音楽も絵画も一体のものとしてあった,ゴシック大聖堂と一体化してバッハのカノンがパイプオルガンとともに荘厳にひびきわたった,建築と音楽は一体化していたのである。
建築にしても音楽や絵でも教会というキリスト教という制約の中でありえた,そこから独立してありえなかったのである。
そういう時代と社会でありその時代と社会を理解できなければ芸術を単体として見ても鑑賞すらできないとなる

でもその時代と社会を理解するのは本当にむずかしい,元禄時代とはどういう時代だったの?まず自分は相馬地方で古い碑とか墓を見てあるっているが元禄とあればこの辺では相当に古いのである。だから元禄の碑は貴重である
ただこれも葛尾村とかに発見したのは意外だった,それから相馬市の松川浦に近い新田村でも元禄と刻まれた碑があった
では相馬地方の相馬藩の元禄時代はどういう時代だったのか?それもわからないが葛尾村にあったというとき新田村にあったとき開拓が開墾が全国的に進んで人口が増大した活気ある時代になっていたことは確かなようだ

それまでは戦国時代がありそうした開墾開拓はされなかったが戦国時代が終わったとき
平和な時代になり日本全国で開墾開拓が進んだ時代であり豊かな層が生まれた時代となり俳句でも商人とかが参加して普及した時代だとなる
それで芭蕉は「奥の細道」で頼ったのはそうした俳諧をしている富裕層,商人の家を頼って旅したのである。
芭蕉のような人はすでに有名になっていて迎えられて俳句の連句の座がもうけられたのである。そういう連句とかの座が行われたのはそういう文化が生まれていたことである。
それは音楽でも貴族のサロンが生まれてそこで室内楽が発達してモーツアルトのような天才の才能が開花したのとにているのである。

涼しさをわが宿にしてねまるなり 芭蕉

清風:鈴木道祐。尾花沢(この時代には「おばねざわ」と呼称していた)の豪商。紅花の流通業や貸し金業で財を成した。島田屋八右衛門とも称する。芭蕉とは旧知の間柄。しばしば江戸と出羽とを往復していて世間の事情に精通していた。芭蕉の評価の高かった門人の一人。 この時39歳。

みちのくの旅でもそうした富裕な門人がいたから旅ができたともなる、第一江戸時代とかでは何かツテがないと旅もしにくいからだ,知人を頼って旅をしていたのである。

時代性というとき平泉の「五月雨に降りのこしてや光堂」という芭蕉が句を作った時代をふりかえると1189年に平泉が頼朝に鎌倉幕府に滅ぼされてから500年も過ぎている 

1185源頼朝が全国に守護、地頭(じとう)を置く(名目は源義経を捕縛)
この頃には鎌倉幕府が成立する
1189奥州合戦で奥州藤原氏、源義経、武蔵坊弁慶が滅亡
1318後醍醐天皇が即位する(初代南朝天皇)
1331-09光厳天皇が即位する(初代北朝天皇)
1333鎌倉幕府の滅亡
1333-05-22新田義貞が鎌倉幕府(14代執権北条高時、北条一族)へ攻め込み滅亡させる。

建武の新政 1333–1336
南朝(大覚寺統)初代:後醍醐天皇、奈良の吉野、新田義貞・楠正成・北畠顕家。
北朝(持明院統)初代:光厳天皇、京都、足利尊氏・足利直義・高師直。

南北朝時代 1336–1392

1701元禄赤穂事件 - 忠臣蔵
1702松尾芭蕉の俳諧・紀行文「奥の細道」ができる

鎌倉時代からすでに光厳天皇が即位する(初代北朝天皇)しているからすでに南北朝の時代にさしかかっていた
では時代性をみるとどうして500年もすぎて平泉の栄華をかえりみることができたのかともなる,それは距離の感覚が今と違っていたこともある
果てなる地がみちのくであり平泉だったからだともなる、その前に西行が来て平泉で歌を残している

ゆきふり、あらしはげしく、ことのほかにあれたりけり。いつしか衣川みまほしくてまかり向ひてみけり。河の岸につきて、衣河の城しまはしたることがらようかはりて物を見る心ちしけり。汀凍りてとりわきさえければ

とりわきて 心もしみて 冴えぞわたる 衣河みにきたるけふしも (西行)

平泉堂塔伽藍炎上すその後雪に凍りつくかも(自作)

芭蕉の句は五月雨に残っていた金色堂のことを俳句にしたけど500年すぎたら実感が湧かなくなるだろう。
西行が生きていたときは平泉は栄えていた,でも凍りついた衣川が歌われた
むしろ自分は近いから冬に平泉に行ったけどまさに雪に凍りついていたのである。
みちのくの都の跡と言ってもほとんど何も残っていない,金色堂だけだとなる
そしてさらに元禄の500年前からまた300年以上も過ぎているのである。

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凍りつきただ一つ映ゆ金色堂

平泉礎石残りて雪の降る

こんなふうになる,礎石などは残っているから栄えた跡を残していることはいる
ただみちのくとなるとき栄華は炎上してたちまち消えて今も雪に凍りついているとなる

俳句でも当時の時代性,社会を理解して鑑賞することはむずかしい
当時は時代性もあるが地域性もある,地域地域は閉鎖されて別個にあり交流も少ない
元禄時代といっても江戸とみちのくではその差も大きいのである
つまり八百八町の繁華な江戸から平泉に来たからその落差から芭蕉の俳句は生まれた

ききもせず たばしねやまのさくら花 よしののほかに かかるべしとは

とりわきて 心もしみて 冴えぞわたる 衣河みにきたるけふしも 西行

この二つの短歌は対象的だけど平泉を如実に物語っている
そしてその栄華を桜に見たがあとは衣川が凍りついていたのである

ともかく時代性というときその時の社会というときどう見るのかそれには相当なイマジネーションを働かせないとできないのである。

今日は特別寒いし雪もちらちら降ったし今も北風が唸っている

平泉栄華の跡や北風の唸り雪ふり凍りつくかも

こんな感じになる天候だった

都築詠一氏の評論はいろいろ示唆するものがあったが深く検討できなかった

ただ同世代の人でありそれで共感するものがあったことは確かである。
同世代というときすでにバブルの世代とか氷河期世代とか団塊の世代とかあり世代感覚でも十年違うと感覚的に違ってくるのである。
5年違っても時代の変化が激しいときは感覚的に違ってくる
ギブミチョコレートの世代は5年くらいの差があってそうなった
進駐軍が日本にきたとき5才だったらその言葉を覚えていたとなる
自分は子供のとき遊びで兵隊の帽子をかぶって戦争ごっこをしていた
その頃戦争終わったばかりだから戦争ごっこがはやっていたとなる
すでに5年の差で時代性が生まれそれが理解しにくいとなるから百年とかでも歴史はめまぐるしく変わるから時代性とかその社会を理解することは至難なのである。

例えばなぜ雪の中で女性が裸足で雪だるまを作っていたのか、また裸足で真冬の家にいたのか?それもなかなか理解できなくなる,でもネパールの山岳では裸足で歩いているのである。そういうふうにその時代を理解することは至難なのである。

足袋を履かない事が流行っていたのですから、遊女はもちろん、深川芸者や町人のオシャレさん達も足袋を履かなかったそうです。

おしゃれで素足というのも江戸時代が今より寒いというときできるものなのかと今の時代からすれば考えられなくなるからだ

例えば人物でも現代の知性とか代表するような人物が出てくることは確かである。
それがインターネットから出てくるというの時代である。
団塊の世代だと武田邦彦氏などがそういう現代という時代を象徴する人物かもしれない
なぜなら科学者であり文系の知識の洞察も深いからである。
現代は科学なしでありえない,科学の時代というとき科学を知らないものは現代の時代を知り得ないとなるからだ
その象徴として福島の原発事故が起きたからである。これこそ時代を象徴したものだったのである。
そしてその場に生きていたのが自分であったともなる

都築詠一氏が今年死んだがこれも自分にとっては大きなことだった
ただその評論などがまだ深く検討されずに終わった
評論も一つの大きな文学の分野である
評論がむずかしいのはその人より上から見ないと深く理解しないと書けないからである。それで人物の評価とか文学作品でも評価がむずかしくなるのである。

参考にした都築詠一氏の文です

そのままここに文を全部のせたのはどこに書いたのかわからなくなっているからです
リンクできなくなっているからです
それでインターネット上で書いたものが著者が死ぬとどうなるのか?
それも大きな問題として浮上したのが都築詠一氏の死だったのである。

都築詠一氏の全文を参考

刑事たちが歩くということにはどんな効用があるか。それは歩くことで刑事のカンが発達することである。
 犯人が辿ったあとを歩くことで、犯人の像ができてくる。犯人の感情がわかってくる。
 そうやって認識が創られるとともに、足を使うことによって頭が良くなるという二重構造があるのだ。
 つまりカンとは実体的ありかた(歩く)で創ったもので、それは二重構造になっている。

 松尾芭蕉も歩きに歩いたから、俳句の認識が創られるとともに、足を使ったころで頭が良くなり、前人未到の俳句を芸術の域にまで高めたのだった。
 カントもヘーゲルも歩いたことがプラスになったはずである。


  中学生の子が芭蕉を勉強しているという。
 私に、どんな句が好きかと尋ねるので、いくつか有名な句を暗唱してみせた。
 例えば、

 むざんやな 兜の下の キリギリス
 夏草や つわものどもが 夢のあと
 あかあかと 日はつれなくも 秋の風

 とか、いろいろ。そしてなぜこれらが名句なのかも少し解説してやった。
 さらに、俳句とは何か、どう発生したかも中学生向けにミニ講義をすることとなった。
 そのミニ講義を簡単にここに書いてみる。

 そもそも俳句は、王朝貴族のすなる短歌(連歌)を短縮した庶民の文芸である。江戸初期に始まった。俳句も、連歌と同じく、端的には「座の文芸」と呼ばれる。一人で個室に閉じこもって、ひねりだすものではなかった。
 座、つまりサロンのような場所で、何人かが集まって歌を詠みあうのである。
 ところが最近は、短歌にしろ俳句にしろ、たいていは一人で考えて一人で創って、一人で発表するといった形になっている。座の文芸ではなくなっている。
 稀に連歌、連句を試みるグループもあるけれど、それはむしろ珍しい部類に入る。

 だからどうだと言えば、社会性が希薄になりがちになる。
 座で詠まれるから、それだけで個人で呻吟して創るのではなくて、互いの認識の交流、すなわち社会性を帯びることができてくる。

 これは小説家もそうだし、作曲家や絵描きも同じようなことになっている。
 絵画の巨匠とされるレオナルド・ダ・ヴィンチを例にすれば、彼は単なる画家が絵を描いたと思っている人がいると思うが、そうではないのだ。

 ダ・ヴィンチは周知のように、ルネッサンスを代表する画家であるが、単に芸術家だけだったわけではない。
 彼はイタリア・トスカーナ地方から14から16歳の間にフィレンツェへ移り、画家見習いとしヴェロッキョの工房に弟子入りし、ボッティチェッリらと共に修行したとある。
 つまり単独で絵の技法を学んだのではなく、多数の人間がいる工房で学んだのである。
 ここが現在の美術大学みたいなあり方と違うところである。現在の美大は集団で学んでいても、結局は極私的状態で絵を勝手気ままに(それを個性としょうして)描いているだけだ。

 何が違うかといえば、まず認識の形成が社会性を帯びるかどうかである。
 ダ・ヴィンチの場合でも、あるいは他の昔の画家でもそうだが、単なる画家が単なる絵を描いたのではない。工房、とあるように原基形態は絵画ではなく、後にダ・ヴィンチの絵画に発展したのであった。
 当時の上質の社会性といえば、貴族階級や僧侶らが社会をリードしていたのであり、その彼ら上質な認識を受け取り、あるいは育てられて、芸術家は見事になっていった。

 だからダ・ヴィンチの絵、「モナ・リザ」でもそうだけれども、絵画から絵画を見てはいけないのである。ダ・ヴィンチの認識とともに、どんな社会が「モナ・リザ」を描かせたか、ということも見てとらねばならない。


 同様に音楽でいえば、ベートーヴェンやモーツアルトの音楽の才だけに酔っていたのでは、彼らの音楽はわかったとは言いがたい。

 話を芭蕉に戻せば、だから芭蕉も、俳句だけから俳句を鑑賞しても、芭蕉の俳句の芸術性は理解できない、ことになる。
 文学を文学のみから見ては(読んでは)ならないのである。

 だから時代性のない芸術はあり得ず、時代性を捉えぬ鑑賞もあり得ない。創造者も鑑賞者も、どれほど時代性、社会性を掴んでいるか、作品から掴めるかで、芸術の質が決まる。
 よって、時代性、社会性をいまだ掴めていない小学生や中学生には芭蕉の俳句の良さなどは理解できないものだ。

 さはさりながら、冒頭の俳句などは小学生でも理解はできるのであり、そこを社会性とからめて学校の先生が説けるかどうかである。
 個性任せでは、とうてい子どもには(大人も)俳句の芸術性は将来の教養の礎にはならない。

 冒頭に紹介した俳句などは、有名ではあるが、どれほどの芭蕉の「歴史性」への認識が込められているかを、小学生にには小学生なりに、中学生には中学生なりに説けてこそ、教師という称号を与えてもよかろう。

 ここで

 刑事たちが歩くということにはどんな効用があるか。それは歩くことで刑事のカンが発達することである。

 現場に行って考えろというのは推理ドラマでは良く言っている,現場で感じることとただ頭でイメージするのは違ったものとなる
 子規の写生もまさにイメージではない現場をリアルに見たものをそのまま俳句にするということがそうだった,つまり百聞は一見にしかずということがそうなのである。
自分は外国に行ったのは50代だから遅かったのである。
それで外国について書いているとき理論だけであり実感がともなわないからおかしなものとなっていた,はずかいしものとなっていたのである。
要するに実感の世界を時代が違うと得られない,そこにいくらその時代の社会を理解しようとしてもできなくなるのである。 

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