2017年12月15日

水戸管理局と原町の駅長が来る (無人駅の掃除する人を探していることは確かだった)


水戸管理局と原町の駅長が来る

(無人駅の掃除する人を探していることは確かだった)


水戸管理局の人が原町駅の駅長を待っていた,駅舎ないに入り電源かなにか点検するものがあるという,そこは鍵がかかっていて入れないからだ
水戸管理局の人は良く来ている,何かしら点検作業が常にある

まもなく原町の駅長が来た,そこで今まで聞いていた鹿島駅が無人駅になっこたことで、商工会の人に掃除を頼んでいたのだがそれを断られたことで新たに掃除してくれる人を頼んでいるのか?誰かNPO法人が申請しているのか?
そのことを聞いたらそれは水戸管理局でしかわからないという
契約は水戸管理局でしいるからわからないという

そこで駅前の自転車屋と話し合った

誰かが申請したことは原町駅ではわからない,水戸管理局の人が決めているからわからない」
「原町の駅長ではないのか?」
「でも誰かが申請したことは市役所ではわかるのではないか?市役所を通してしか申請はできない,直接水戸管理局に申請することはできないし聞くこともできない」
「まあ,掃除だけだから近くの障害者の施設の人が市で作ったトイレを掃除しているのだからついでにやればいいというものだよな」
「ゴミは落ちている,吸殻とか多い,自分は拾っている」

そんな話をした,でもこのトイレさえ外から来る人にはわからないのだ
それで郵便ボスとのところに小便した人がいたという
自転車屋の人はいつも見ているから知っているのである。
旅行するとすぐ近くでもわからないことが多いのである。
駅員がいればトイレどこですかと聞けるからいいのである。

そしたらスマホをもった人が来て,時刻表を見に来たと言って写真にとっていた
自分は時刻表を作っていたがしばらく置いていなかった,置くと必ずなくなっている
相当数刷って置いていた,やはり時刻表を見に来る人が多いことがわかった
原町と相馬市では時刻表を作って配っているのだろう。
浪江と小高行きの時間も出ていたから便利である。
鹿島の商工会では時刻表を作っていないのである。
時刻表の需要は確実にあることはわかった

今年一年は駅でのボランティアをしてきた,そこから見えものがあった
それはいい経験だった,やはり何でも経験である。
最近はゴミを拾うくらいで何もしていない,ただ掃除が一番の問題だからJRでは本当に掃除してもらう人を探していたのである。それは本当だったのである。
ただ水戸管理局でするもので契約もそうだから誰が申請したのかそれもわからない
市役所ではわかるはずだがそれもわかならいということでどうにもならない。
タグ:無人駅

2017年12月26日

鹿島駅のイルミネーション


鹿島駅のイルミネーション

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青色が幻想的である

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鹿島駅のイルミネーションはそれなりにきれいだった,青色が幻想的である
海の色のような感じがして海が近いからあっていた

8時頃だったが外人がいた,英語で話しかけたら「日本語でしゃべってください」と言われた,日本語は本当に上手であり日本語で日本人と普通に話できるレベルの人だったのである。どこの人かわからないが前にドイツ人が3人来ていたからドイツ人かもしれない
すぐ近くに風力発電の事務所がありそこに来ていたからだ
あの時のドイツ人は日本語はしゃべれなかった

あの時間でも他に仕事に来ていた人が仙台行きにのった,まだこの辺は外から来る人がそれなりにいるのである。
二日前だったか橲原(じさばら)に18才まで住んでいたという人が東京へ帰る所だった
右田の松原が津浪で流されて残念だったというとその人はトラックにのせられて海水浴に右田まで来ていたという,橲原(じさばら)から東京へ住んだのもまた大きな変化である
今は小高でも浪江でもイルミネーションをしている,ただ駅だと電車が来て余計にファンタジックになる,これはいいものだった

駅は寒いと言ったので駅の中にで待っていろと言った,電車が来てからでもここは無人駅で乗れるからである。
ストーブがあればいいと思ったがそこまではできない,駅員がいないと管理できないしそこまでJRではサービスできない、ただ今日は寒い,新地駅はエアコンになっているからこの辺では特別であり津浪の結果、かえって良くなった駅だったのである。
原町駅でもエアコンをしていないし相馬市の駅にもエレベーターもていからである。

とにかく駅は自分にとって今年はいろいろと関係した場であり面白かった
やはり秘境を求めてきた自分だが人の出入りもないと淋しいとなる
特に家族が死んでから自分は人と話しかけるようになったのはそのためなのである。
家族がいないことの影響は本当に大きいものだったのである。

2018年01月01日

JRはサービス業ではない (国鉄からの習慣ー武田邦彦氏の論)


JRはサービス業ではない

(国鉄からの習慣ー武田邦彦氏の論)

コンビニにぶちぎれ

車掌は検札するだけで座席をきれいにしない,乗客が座席をきれいしろとしている,
車内の清掃は下請けと乗客にさせる魂胆

下請けにさせないから乗客が座席をきれいにしろとなる

車掌→下請け→乗客

国鉄時代からJRに変わっても客は乗せてやっているという感覚

だから乗客が掃除しろとなる,それは国鉄時代からの習慣なのである。

このことを指摘していたけど面白いと思った
それはなぜか?自分が無人駅でボランティアのようなことをはじめて知ったのである。
駅に関心ある人も駅のことで何かしてもJRの人はありがとうとか言わない
自分も言われたことがない,そんなことするのは当然だよとなっているのだ
それは国鉄時代からの慣習なのである。

俺たちは乗客を乗せてやっている,だから掃除くらい自分でしろ

そういう感覚なのである。無人駅でもそこの掃除は乗客が地域の人が乗客になるのだから掃除しろとまでなっているのだ,それが当然だともなっている
つまりサービス業だという感覚はないのである。

国鉄はまさに今の公務員とにている,公務員だとサービス業とは違うが市民にサービスするのだからサービス業の側面があるが実際は威張っているだけだとなる
国鉄もまさに公務員だから線路を補修するとか点検するとか車両を作ると安全を守るとかには意識が高いがサービス業をしているという感覚がないのである。
だから接客でも上からの目線であり民間のサービス業とは違っていたのである。

ただここでは前から地区の人に商工会を通じて掃除を頼んでいて下請けしていて金も出していたのである。最近それが断られたとかで掃除してくれる人を探していると問題になり自分も書いたのである。
それは水戸管理局で決めることでありかかわることはできなかった
でも自分は無人駅のゴミを拾ったり掃除もしている
ただ原町駅の駅員が掃除には来ているしそれほど汚れないからいいとはなる

ただなぜJRでも駅をこれだけかかわってしているのに一言もありがとうとは言わないのである。それは国鉄時代からJRでも乗客は乗せてやっているのだという感覚だからである。そしたら乗客は座席でも駅の掃除でもするのは当然だとなる
それに例を言う必要はないとなる,サービス業というと日本のおもてなしが有名だけど
外国などは売るのにそっけない,売っている方が偉いとかまでなる
日本はそれに比べると消費者王様だとなりそれも外国から見れば異常に見えるかもしれない,そんなにコンビニでも丁寧に礼を言われたりするのは過剰なサービスになる
自分でもコンビニなんかそっけなくていいのである。

でも買う人は日本人はうるさいのである。そういうクレームを言う女性が身近にいるからわかる,底辺層にかえって多いかもしれない,底辺でこき使われた人だからこそそういうふうにクレームをつけてその時優位に立つとなる
自分などサービス業などしたことがない,頭を下げて物を売ったりしたこともほとんどない,だから本当は自分は人のことでとやかく言えないともなる
鉄道の人にも旅したから世話になったから恩返しであり礼など言われなくてもするとはなる

ただ一般的にはそうはならない,JRにはサービス業の側面もあるがその感覚はない
自分たちは職人であり電車を動かすプロだという職人気質はある
でも客と接する場もあるからそこはサービス業なのである。
駅の面白いのは何かそこで社会と実際にかかわる社会が見えるということで面白かったのである。別に自分は怪しいと通報されたり警官が来て職務質問とかされなければ何も文句は言わないし要求もしない
ただ何か社会の一般常識とJRがはずれているところがあったのかと思ったのである。
だって道を聞いただけでいちいちありがとうと言う人がいたし自分はありがとうと言われる立場にあったことは確かである。
それでも自分はそれよりJRの職員にありがとうと言う立場にあった
鉄道で旅できたのもそこで働く人たちがいたからである。
ただ社会でまともに働き地位が高いとかなると不満があるのはJRにはサービス業の側面があることを意識されていないからである。

タグ:JR 国鉄

2018年01月04日

駅前の公衆電話が金を入れても落ちてくる (NTTに連絡した)


駅前の公衆電話が金を入れても落ちてくる

(NTTに連絡した)


今日まずタクシー呼ぶ人がいてわからなかった,ここに電話番号書いてあるよと教えた
そういうことは前にもあった,駅からタクシーで行く人がいるがその番号がわからない人がいる
張り紙していても気づかないのである。
その人は競輪のサテライトに行く人でありそういう人は前もきていた
そういう人はあまりいい感じはしないが一応駅の案内人なので教えた
そして公衆電話でタクシーに連絡しようとしたが十円入れても落ちてくる
それで連絡できなかった
普通は携帯とかスマホで今は連絡する
その人も実は携帯はもっていたが忘れたのである。
今はまず公衆電話を利用する人はまれである。

それで今度はNTTに連絡したらすぐにくるという,何かインターネットだとそういう連絡先が見つかるので便利である

なんか今は駅に行っても仕事がない,ただ今日は正月帰りの人で混んでいた
でも別に何か教えることもなかった,ゴミを拾ったりした
ここで人が集まるところが駅なので行っている

でも不思議なのはこうして何か用事があるということもある
だから無人駅では困るということもある,誰かが人が見て管理していないと駅が正常に利用できないということはある
公衆電話がそうだったが別にそれでその人が特別困るということではない
競輪場に行くだけだからそういうのは別に遅れてもいいだろう

仕事ならまずいと思うがそういう人は仕事ではないのだからどうでもいいと思っていた
実はその競輪場はいらないと反対運動もあったがおしきられた
底辺の人が掃除する場など仕事ができるからいいんだよなとか言っていた
底辺層になるとそんなことを考えるのである
経済的効果はあるが風紀的にはいいものではない
そういうとパチンコだってそうなる,ではまた東電のような原発だって実は金になってもいいものではなかった
ただ金になるということだけで経済効果を求めると後で失敗してとりかえしがつかなくなる

ただ駅で案内するときでもそれは何らか役にたつということはある,意外とわからないのは駅前に一軒食堂があるがそれがわからないのである。
駅前といっても少し離れているから看板がわかりにくいのである。
まず普通旅すると駅に来てもいろいろ案内があってもとっさにわかりにくいものだと思った,それは自分が旅してもそうだからである。
やはり駅員がいて案内してくれればわかりやすいとなる
だから駅員がいて案内役が必要なものとしてある
でもボランティアでそこで一日そんなことする人はいない
自分はちょっと通りがかりかかわっているに過ぎないからだ

ともかく街を案内するということはやはり一つの仕事なのである。
何か仕事があれば必要とされているとなるからいいが何もないとしたら用はないとなってしまう。
ただ駅は街の広場の役割がありそこに外部の人と内部の人とが交わる場所なのである。
道の駅などだとここより外の人が頻繁に出入りするからそうなっている
今は道の駅の方が鉄道の駅よにぎわっているのである。

タグ:公衆電話

2018年01月09日

風で運休でこれから困る電車利用


風で運休でこれから困る電車利用

今日は昼間風で遅れたと表示がでていたら時間が伸びて赤字になりやがて運休になった
鉄道の問題はこの風による運休である
なぜなら毎日のように風が吹く季節になったからだ,去年もそうだった
新地から高架橋になったから風を受けるためになる

一人は足をひきづって歩いて来た人がいた、30分遅れるよと向かい側のホームに行って連絡した,スピーカーで連絡するのをJRで忘れていたのだ
それをインターホンで言ったらスピーカーから遅れをアナウンスした

でも足ひきづって歩いていた人はそのまま向かい側の待合室にいた
その人は歩くのがひどいから階段を上り渡るのが苦労なのである。
だからその人はそのままいたのだろう。
でも3時間くらいすぎて行ったらいなくなっていた
いくらなんでもそんなに待っていられないだろう。


それから仙台方面に行く人が駅に来て困った,バスで行くということで原町駅にインターネットから連絡した,原町駅から仙台のバスがまだ出ていた,もう鹿島には止まらない
それで行くことにした

何か案内することは駅にある,無人駅でもある,ここは結構まだ人の出入りがある
東京方面に行く人も多いからだ
この風による電車の遅れはこれから必ずあり毎日のようにある
去年もそうだったし今年も同じである。

あの足をひきづって来た人のようにこういうとき駅員がいないと困ることはあるなと思った,つまり無人駅では困ることは必ずある
こうした緊急事態がつづくこと余計にそうなるのである。

今日は知っている人が原町駅に行って帰ってきた
図書館に行ったという,他の人も一緒だった
何か暇な人が高齢者が図書館に行っているみたいだ
あそこは休めるようになっているし駅前だから便利なのである。
他でも図書館が高齢者が集まる場所になっているというのもわかる
高齢者のたまり場になっている
あとはゲートボール場に高齢者が集まる
ただあそこは車をもっていないと行きづらい
車のない人は電車で図書館で暇つぶしとなっているのかもしれない

自分は本当に図書館に行っていない
家事で忙しいし図書館に行く余裕がないのである。
そして調べ物はインターネットでしている
自分が疑問に思うことがインターネットに出ているのでそこから議論を深められる
図書館ではなかなかそういうことができない
だから図書館というのはただ本を読む場所ではなく高齢者とか学生とかのたまり場になっているのかもしれない,今はあまり本を読む人が少なくなっているからだ
ただそれにしても往復400円かかるからそんなに毎日は行けないだろう。

駅が不便なのは買い物ができないことである。
六号線の道の駅にスーパーがありイオンも離れているからだ
自分は買い物ののために自転車でいつも行っている
駅は利用しない,でもこれから高齢化が進んでくると電車を利用する人が増える
車は危険になるからだ,ただ駅の不便なのは駅からの足がないことである。
だからある都市では駅とか通りとかに老人を住まわせた,そこから食事でも買い物でもできる,車を利用しないコンパクトシティを作ったのである。
それは高松市であった,そんなことも高齢化社会では必要になる
ただあそこまでするとなると容易ではないし簡単にまねできないと見た

2018年01月10日

公衆電話を直していた (浪江の人が働いていた)


公衆電話を直していた

(浪江の人が働いていた)


今日はnttの下請け会社が来て公衆電話を直していた
その下請け会社は原町にあった
そこに勤めていたのが浪江の人だったのである。

ちょうどばあちゃんがきてタクシーに乗りたいと電話したいと言った
ところが公衆電話は修理中でありできなかった
そのばあちゃんは携帯ももっていなかった
それでnttの人が携帯で連絡してくれた

今日はその他に車が二台保守点検の人が来ていた
結局三台も車が来ていたのである。
駅とは何かこうしてそうした保守点検の人が絶えず出入りしている場なのである。

公衆電話でも誰かが連絡しないと来てくれない,駅員がいれば連絡するからいいが無人駅だといないから困るのである。
つまり無人駅だけではやっていけないことがあることがわかった
公衆電話は使う人がまれでもやはり使う人もいる
だから廃止するわけにはいかない

浪江の人は原町に仕事を持ち会社に勤めたからいい,家も建てたという,そうして帰らない人が多いのである。その人も年だから何か仕事につくことがむずかしかったという
その人は幸運だったとなる

今日は風吹いたけど遅れていなかった,これから遅れることが問題である
これも人かいないととまどうことがある
インターホンで原町に連絡できてもそれがどこにあるかわからず連絡できないこともある慣れた人はできるが外から来た人はそういう装置があっても簡単に利用できないのである。

タグ:公衆電話

2018年01月15日

駅前の公衆電話故障の原因 (十円玉がすりへって合わない,昭和の十円玉は使えない)


駅前の公衆電話故障の原因

(十円玉がすりへって合わない,昭和の十円玉は使えない)

公衆電話にも歴史がある,大正時代からはじまってるとすると古い

新潟県中越地震(04年)の発生の際には、公衆電話が減少していたため被災住民に不便となったことや、岩手・宮城内陸地震(08年)の際に公衆電話が最も通じやすかったことが、過去には報道されていた。

公衆電話が災害時に強いのは、NTTが設置する公衆電話が「優先電話」と同様の扱いとなっているため(総務省HPより)。

東日本大震災で帰宅難民があふれた首都圏で、公衆電話の前に長蛇の列ができたことはまだ記憶に新しいところです。停電や規制で携帯電話がつながらない中、優先的に通話ができた公衆電話はその価値を見直されました。

経済状況などによって硬貨の重さや大きさが変わると、公衆電話も対応する必要が出てきます。

新しい5銭硬貨が公衆電話で使えないことを伝える記事=1920(大正9)年12月17日付東京朝日朝刊5面
拡大新しい5銭硬貨が公衆電話で使えないことを伝える記事=1920(大正9)年12月17日付東京朝日朝刊5面
 1920(大正9)年、新しい5銭白銅貨がつくられました。当時の公衆電話ではこの硬貨が使えなかったため、逓信省と大蔵省で対応策が話し合われます。「旧5銭白銅貨と同じ形の金属をつくって、切手のように売る」などの案も出たようですが、最終的には電話機自体をつくりかえることで決着しました。

このうよな歴史がある

今回の故障の原因は十円玉が古くなりすり減ってあわなくなったためだという
そんなことがあるのか?硬貨自体が変わるとそれに合わせられなくて機械自体を変えることになったことはここに書いてある
でも十円玉がすりへって使えなくなり故障になったというのは驚きである。
十円玉がそんなにすりへるのか?それが機械に影響して使えなくなった

それはスーパーのお釣りがでてくる自動機械でもそうである。古い硬貨を入れて不具合になったことがある,何か使い古したものがそうなりやすい。
ただ十円玉がすりへって使えない,故障の原因になっているのとは思わなかった
昭和の十円玉は使えないという,それだけ硬貨でも使っているとすりへってくるのだ

そのNTTの警備員とかになっている人は浪江の人なのでいろいろ話した
その人も原発で働いていたのである,浪江だと三分の一なんらか原発に関係していたのである。
ともかく駅に関していろいろあるものだと思った
それはただ駅を利用して乗りおりするというのではなく駅員のようになり駅を管理するようになったからである。
奇妙なのはそのNTTの職員にごくろうさまとか言うのは駅員がすることである。
駅の管理者がすることである。JRの人がすることである。
この公衆電話も駅の一部なのである。

つくづく機械には弱点がある,昭和の硬貨はまだ使っていたはみたが平成のがほとんどになっているのかもしれない

29歳平成元年1989年
30歳昭和63年1988年

昭和から天皇が代わり平成になった,それは30年前だった,昭和から30年すぎたのか?
これも早かったなと思う,昭和は長かった,平成は天皇退位で来年は年号が変わる
これも時代だと思う,日本の年号は何なのか?
江戸時代などはめまぐるしち数年でも変わっている,でもその年号が郷土史とかでは貴重である。その年号から時代をみるからである。

ただ昭和の時代は平成の時代と比べるとどういう特徴があるのかとなるとわからない
昭和は戦前もあり戦後も長いからそれも長すぎて時代の特徴を出すことができなかった
時代区分では戦前と戦後になるからである。昭和というのがつづいたのは違和感がある
それは天皇の在位期間によって左右されていたのである。

いづれにしろ何か今回の駅前の公衆電話も一つの歴史だと思った
公衆電話は緊急時に役に立ったということはやはり必要なものなのだろう。
でもカードの時代になった,でもテレホンカードなど使っていない
みんなスマホを見ている,携帯を使っている
ただ携帯を忘れたとか,年寄りとかとかまだ使っている人はいる
でも三分の一に減ったとなるとこれも時代だなと思う

今回の公衆電話の故障では機械は万能ではない,十円玉がすり減ったら使えなくなったとかある,これもやっかいである,何か機械ではすべて対応できないものが出てくる
だからAI化とか自動化が盛んに言われるがそれが万能にはなりえないのである。
必ず不具合が生まれ故障したり事故になったりするのである。
それで駅員が必要だとなるがそれがコストの関係でできない,でも自動化してもたりないものがありそれを補うのが人間なのである。

タグ:公衆電話

2018年01月16日

駅にものものしく警官が来た (高校生に何かあった?)


駅にものものしく警官が来た

(高校生に何かあった?)

今日はばあちゃんが一人きていた,何でも鹿島の仮設に住んでいたから来てみたと言っていた,今は新地に住んでいる,息子が住んでいるのでそこで暮らしているという。
そのばあちゃんは電車に乗っていなかったので電車のことがわからないと言っていた
車の免許をもっていたけど今は乗らないという
80過ぎているからだ,そういう人が増えているのである。
その人は小高の井田川に住んでいたのである。
仮設の食堂には良く行っていたという,仮設は壊されている,残るのはわずかとなる

今日はものものしく警官が五六人駅に出入りした,知っている警官もいた
一人に聞いてみたらなんか丸坊主の高校生とかに何かあったらしい
それで通学しているから電車を待っていたのかとなる
何かものものしいから確実に高校生が問題を起こしたのかもしれない

まず駅にはいろいろあるものだと思った,駅がこんなにいろいろなことにかかわるとは思っていなかった
駅は広場の役割があり人々が交わる場でもある,だから生の情報が得られる
インターネットとかではない直接交わる情報が得られる場である。
外部からも来るから外の人と内の人が交わる場所でもある

小高駅はやはり高校に通う人が五〇〇人とかいるからそこで駅員が必要となり鹿島駅から移ったのか?
何か今日の警官のものものしい出入りではそういうものを感じた
詳しく警官に聞こうおうとしたが後はしゃべれないといった
何か推理ドラマでも警官と記者がやりとりするのとにている
自分はボランティアの記者にもなっているからだ

ともかく駅はいろいろなことが起きる場であるこを知った
それは社会といろいろかかわる場だからそうなっている
外部の人でも多様な人々が出入りして交わる広場の役割をしている
それで振込詐欺の犯人が監視カメラに移り鹿島駅でつかまったというのも驚く
駅は外部の人の出入り口にもなっているからだ
ただ今は車であり道の駅がそうなっている,車だと何かわかりにくいのである。
自転車で旅行していると目立つから職務質問などを受けやすい
車はわかりにくいのである。だから車の犯罪だと警官も追跡しにくくなる



タグ:警官

2018年01月25日

最初は車両点検で30分遅れその後は風で運休?


最初は車両点検で30分遅れその後は風で運休?

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12 時45分で運休になる

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今日はまた改札口のスマホ用の自動改札機を直す人がいた,この前も直していたのである乗車証明書のも直していた。
何か駅というのはこうした点検が本当に多い,結構故障するものだと思った
これはソフトの不具合が起きたためである。

今日は電車が遅れた,そこで一時間以上駅にいた,5人くらい乗る人がいて案内した
遅れるときがわからなちなり困る,どれくらい遅れるのか?
それが問題になる,でも原町駅にインターホンで問い合わせて良くわからないとなる
時間は正確にはわからない
最初は車両点検のために遅れると電光板にテロップが流れた
だから風のためではなかった,30分遅れで電車がきて車両に雪ついていたから雪のために車両点検になったのだろう。

その次運行停止になったのは運休になったのは風のためだろう
車両点検では運行停止にならないからだ
車両の点検が終われば正常どおりになる
でも風の場合は一日吹いているので運休になる
風がやむまで運休になると長くなるから困るのである。
急いでいる人は原町からバスで行ったりした
まだ仙台までのバスは出ているからだ

いづれにしろこの遅れのために長く駅にいた,今日は寒いから暖房もないから待っているのは辛い
新地駅はエアコンがあるからこういうときは恵まれているとなる

以前として仙台行きと原町行きがわかりにくく聞く人がいる,それからタクシーの案内がドアをあけた所にあるのでほとんどの人がわからない,そのことをタクシーの運転手には言った,それが一番聞かれるからである。
この前は小池のコモドインに泊まる人に聞かれた,コモドインに泊まる人はそれなりにいる

その後は運休になっていた,やはり風の影響だろう。この運休は風が吹くとあるから困るのである。

2018年01月27日

今日も電車遅れて混乱 (ベトナム人を案内)


今日も電車遅れて混乱

(ベトナム人を案内)

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窓ガラス破損したというのはどういうことなのか?


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ゲームのような表示はアナログであり数字の表示はデジタルになる
数字だとわかりにくい,電車が動いている方がわかりやすいのである。


今日も電車が遅れた,風のためではなかった、ガラスの窓が破損したという,一時運休と出たが消えた,風のためではないから次々とは運休にならなかった
一人は浪江の方からいわきへ行くとかの人がいた,その人は急いでいるのかタクシーを呼んで原町まで行った
中国人も一人いわき市へ行くと言っていた
これも困った,原町駅から高速バスがいわき市まで出るようになった
それは一日四本くらいであるから時間をみないと乗れない
要するにいわき市まで通じないことで不便になっているのだ
この影響はかなり大きい,後二年いわき市まで通じるにかかる
その間はバスを利用するのがいい,原町から高速だと90分で行く

今日はベトナム人の若い人が二人きていた,小山に行くという,それも普通列車で行くというのでその説明にてこづった,一年はいるので多少は日本語は話せて通じる
でもまず小山まで普通列車で行くとしたら乗り換えが三回くらいあり簡単には行けないし時間がかかりすぎる、でもなんとか行こうとしていた
金がないのでなんとか行こうとしていた,でもあきらめて新幹線で仙台から小山に行くことにした
それでその行き方を説明した,乗車証明書のとり方を教え新幹線の乗り方を教えた
小山には止まらない新幹線もあるからだ
そこで間違うと通りすぎてしまう,その確認が必要だった
ただその人は通信のタブレットをもっていてそこに地図が出てくるのでそれで説明できたベトナム人でも今はスマホでもタブレットをもっているのは時代である。
何か連絡するのに必要になったからである。それは携帯とは違うのである。
その人は今日行くのではなく後日だった

外国人だと無人駅になると説明がむずかしくなる,でもあの人はなんとか日本語が通じていた,英語はできない,英語ができればもっと通じたとなる
一年いれば感である程度わかるようになる,若い人は順応性が高いからである。
自分は50代で海外旅行してひどいめにあった
ベトナムにもホーチミンからハノイまで電車で行った,あそこは高低差がかなりあったみたいだ
ベトナムは人間は親しみ安く面白い所だと思った,だから親近感があった

最近増えているのは中国人はフクソウとかで前から若い女性がいた,今もいる,中国人はめずらしくない,仮設の食堂にも中国人の女性が働いている,ただ中国は日本より都市部では豊かな所がでてきているから事情が違ってきた,ITでは日本より進んでいる
紙幣を使わずにスマホでしているから進んでいる
10年一昔というけど世界もこんなに変わるとは思わなかった
自分が行った十数年前はひどい貧乏国だったのである。電車でも家畜のように人間が積み込まれていたのである。命懸けで電車に乗っていたのである。
この辺にきているのは旧満州地域の人である

ベトナム人が増えたのは中国人は日本に来てもそんなにメリットがない
ベトナムはまだ貧乏だから日本に憧れて来る,でも問題はそうした貧乏国の移民はその生活の落差に気づいて犯罪を犯す,かえってその差を具体的に感じてそうなる
だからその人はなんとか新幹線が高いから普通列車で行こうとしていたのである。
それは日本人でも同じだった,知っている人は金がないから普通列車で帰ってくるという旅行なら普通列車でもいいが用事で行くとなるとめんどうである。
まず普通列車で小山まではあのベトナム人は行けない,それでしかたなく新幹線で行くとなった

もう一人地元の青年であり親が大工だけど最近仕事がないという,全般的に震災からの仕事が減っている,仙台の業者が100百万でユニットバスを作ってくれた,高速で来ることができたから進出してきた,イワタニガスでは二百万かかると言っていた
そこの会社は良心的でありいい仕事をしている
だから地元では競争できないということもある
ただ建て売り住宅のようなのは安いからそれなりのものだというのもわかる
土地こみで2000万くらいでも売っていたからである。

今日は混乱した一日だった,国際化した田舎駅でもあった,あういう時は案内がないと困る,これからは風で遅れやすくなるので案内が必要になる
駅員がいないと困るのである。ただ自分は一日のうち一時間いれば長い方である。
今日は混乱したので二時間くらいいた

電光掲示板の案内はゲームのように電車が動くのがアナログでありかえってこっちがわかりやすい,新地駅を出て次は相馬市にきた,日立木に来たとなりわかりやすい,これは時計の針のよう地アナログなのである。
一方数字はデジタルである,このデジタルの方がわかりにくい,なぜなら何分遅れたとかあっても電車がどの辺まで来ているかわからないからである。
アナログ表示だと電車が動くからわかりやすいのである。
数字だと遅れた時間も変わりわかりにくいのである。
つまりアナログ表示も必ず必要であり人間はデジタル表示だけでは頭に入らないのであるだから自動化した無人駅からはいろいろ考えることがあった


タグ:ベトナム人

2018年01月28日

鹿島駅からの交通案内


鹿島駅からの交通案内

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この辺は交通が複雑になっている,そして変わりやすい
鹿島駅からいわき方面に行くのが双葉とか大熊が電車は通れないので不便になる
でも常磐高速道路で原町駅からハイアンズまで行くバスの便が最近出た
4便くらいでているから便利である。
ハアイアンズまで行きそこから湯本駅に送迎バスが出るが
帰りもやはりバスが便利である。

鹿島駅からは直接飯館村に出るバスが出るようになった
4便とか出ている,原町駅までも200円で行けるから電車と同じ料金である。
乗り場みっつくらいあるが駅通りの商工会館から十字路にでて右側にある
ここはわかりにくいつかもしれない

ともかく鹿島駅からは不便である。原町駅に一旦行くと便利になる
仙台行きの直通のバスがまだでている,ただ鹿島には止まらなくなった
続きを読む

2018年02月02日

人手不足は深刻


人手不足は深刻


昨日駅で会ったのは沖縄の人だった,岩手県の陸前高田市のことを言っていたから岩手県の人かと思った,なまりがあるので変だなと思ったら沖縄の人だった
その人が言うには人が沖縄で募集しても集まらないという
70以上の老人とかが多いと言っていた,確か東京から80の人が来ていたから人手がたりないので老人でも集めていることがわかる
ベトナム人が来たのもそうである。

建設現場では人手がたりない,でも知っている非正規雇用の人は東京に職探しに行った
この人はいわきの建設会社に雇われているのだが6月まで仕事がないから東京に行った
これはなぜかわからない,近くで人手がたりないと言っているのにどういうわけなのか
前はここで除染の仕事もしていたからだ
ベトナム人もいたが時間にルーズで働かないという
それは実は沖縄人でもそう言われる,南国の人はルーズなのである。
のんびりしているのである。気候でそうなるのである。

沖縄の人は夏に風をひくという,それはバイ菌が飛んでくるからだという,確かに暑いと山原とかの森林がありバイ菌が生まれやすい,それで風をひくというのも南国なのか?
東南アジアとか暑い国では男は働かない,それでもやっていけるのはバナナなどは働かずにとれるからだともなる,食うには困らないからだとなる
日本人はそういう国からすると異常に働く,外国でもそんなに働かない
バカンスとかも長くとる,日本人はなぜこんなに働くのかそこに日本人特有の文化があるという,でも江戸時代は二時で仕事が終わりのんびりしていたというのは何故だろうとなる

無人駅だと仙台行きと原町行きのホームがわからない,初めての人はわからない,それで今度は改札口にその表示をするといいと原町の駅員に提案した
何か欠けているものがある,それはその駅で働いてみないとわからないのである。
ともかく無人駅では困ることがある,それをここで書いてきた
地元の人もそのことを言っていた,老人がふえて電車を利用する人が増えてくる
すると駅からの足が交通も必要になる,バスなども必要になってくる
そういう対策も必要である。

タグ:人手不足

2018年02月05日

駅に張ってあった広告と働き手の募集 (人手不足は介護に多い)


駅に張ってあった広告と働き手の募集

(人手不足は介護に多い)

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これらは関係あるのかもしれない,街作りというのもこの辺の課題としてあるし駅からの街作りを駅にかかわり考えたりした
ただそれが大がかりになるととても手が負えないものとなる
駅でこの前電車が行ったばかりでまにあわず喫茶店とかで休みたいと言ったがそれがなかった,何か駅前にはそういうものが必要である。
近くに食堂がありもう一つあったみたいだが案内できなかった
今は喫茶店だけしているところはほとんどない,スナックみたいな酒飲む所とカラオケが併用になっている所である。

介護はもう小高でいい施設が建物があっても人が集まらない,介護する人が集まらないから再開できないと放送された
介護は給料が安いししたくないのはわかる,そして重労働の場合もあるから誰もしたくないとなる
でも仕事を考えるとコンビニであれその労働にやり甲斐があるのか疑問だし銀行員と接したがその仕事も今は株とか投資信託とかすすめるだけで何か職業としていいものとはならなくなった、前は郵便局でも銀行でも信用組合でも何か地方ではいい就職先だったのである。
だから孫は銀行に就職したと喜んでいる人がいるのもわかる

信用がないと就職できない所だった,今は変わってしまった,株とか投資信託をすすめる証券会社の支店なのかと思う
部長という人が来たけどその人も真面目そうな律儀な人に見えたのである。
その人は銀行員として真面目な仕事をしてきた
その人は退職した,退職して良かったなと思った,今の銀行はそういう律儀な固い地域に信頼できるものとなっていない,変わってしまったのである。
銀行そのものが存続できるかどうかの瀬戸際になっていたのだ
そういう時代なことも知らなかったのが自分の失敗だった,何か津浪原発事故以来時代が急速に変化して対応できなくなったのである。

職業の問題が重要なのは職業によって人格が形成されるからである。
銀行員であれば人間も律儀な真面目な人になっていた,証券会社化すればそうならない
それに比べると介護などはどうなのか?これもいろいろ問題あるにしろ介護に要求されているのは何なのか?
それは優しさなのである。常にやさしさが要求される職場というのも他にないだろう
銀行員だったら優しさなど関係ない,金をいかにして集めるがノルマになっている
そこでいかに手数料をとるしかなくなる
だから介護職がそういう職業と比べて悪いものでもないと外から見ればそうなる
ただ介護でかえって人格がゆがめられることもある
例えば障害者を相手にしてばかりいた人が遂には大量殺人になったのでもわかる
こんなやつら生きていて何の価値があるんだ,そういうことは老人の介護でもありうる、あまりにも増えたからそうなったのである。
そして介護する動機がもていないのである。

自分はひどい認知症の介護で最後は鬱病になたっけどももう一人も介護したけど自分には強い動機があった,特別自分は60になるまでも良くされていたのからである。
そういう特別な事情があったから懸命に介護したとなる
そういう動機が老人ホームではもていないからできないとなる

ともかく人手不足は深刻であり特に介護関係では深刻なことがこの募集広告でもわかる
駅はこの広告でもそうだが現実に人が出入りすることでも生の情報に触れる場所であることを書いてきた,そういう機能がある場だったのである。

2018年02月07日

踏み切り事故で遅れ一部運休 (監視カメラを駅前通り向きに設置)


踏み切り事故で遅れ一部運休

(監視カメラを駅前通り向きに設置)

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今日も踏み切り事故があり遅れた,一部運休になった

監視カメラを駅前の通りに向け設置した,駅長が来て業者と設置していた
その時見回りの駐在所の警察官が来た,その警察官は知っている人である。
何か警察に支持されて監視カメラを設置していのかと聞いたらJR独自でしている

すでに駅には三つ監視カメラがあるのを知っている,これで四つである。
今はどこでも監視カメラがありわからくても見ている
どこから監視されている社会である。

あれは駅前通りだから車などを写すことになる,車も写されるている
鹿島駅で振り込め詐欺の人が逮捕されたということではなかった
監視カメラに犯人が写っていたということなのだろう。

とにかく駅というのは何かかにかあり業者が来ているなと思った
人の出入りもある,それだけ駅というのは鉄道というのは手間がかかるものであった
保守点検にも手間がかかりしょちょうきているからだ

駅長に入り口に仙台行きと原町行きへの案内を表示してもらいたいといった
原町行きへの階段には設置してもらったがそれでもわかりにくい
外から来た人には意外と仙台行きと原町行きのホームがわかりにくいのだ
地元だったらわかるのだがはじめての人にはわかりにくいのである。

それにしても風意外でも故障とか事故で遅れる,こんなに電車が遅れるのか?
自分が乗っていたときはそんなに遅れがなかったように思う
風でも遅れていないしそんなに事故とか故障があるのかとも思う
ただ電車を乗るだけなのと駅員として常に駅を見ているのとは違う
だからそれなりに故障とか事故があったのかもしれない
毎日乗っているわけではないからたまたまそのとき事故がなければわからないからである。

タグ:監視カメラ

2018年02月09日

除草剤を線路や.ホームや線路沿いにまいていた


除草剤を線路や.ホームや線路沿いにまいていた

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ホースのようなもので水を出していた,何をしているのか向こう側のホームに行って聞いてみた
そしたら勝手ホームに入ってきては困ると言われた

でもなぜそうなっているのか?
ここが無人駅だからである。
普通にホームに自由に出入りしている
駅員がいないからそうなっているのである
それで見送りとか出迎いには便利なっている
ヨーロッパなどでは自由にホームに出入りできる
自転車もそのまま乗せることができるから便利である

二人来ていたが除草剤をまいていたのである。除草しているのをはじめて見た
結構雑草で鉄道は迷惑になっていた
そのことはインターネットで調べられたから便利である
雑草は鉄道にとってはいろいろな障害になっていたのである。
乗る方にするとそういうことは考えられなかった
乗るだけだとサービスを受けるだけだとサービスしてくれる人達の苦労がわからないのである。
駅でボランティアをしてつくづくそれを感じた
何かしら毎日駅に来て仕事がある,こんなに駅が手間がかかるものだと思わなかったからだ

今日は右田の一本松を見に東京から来た人がいた,駅前の自転車屋があってレンタルできると言ったが原町にも行くのでタクシーで行くと言った
あの一本松は切られた、前から枯れることはわかっていた
とても維持できるものではなかったのだ

一本松切られてここに松原のありしは遠く昔となりぬ

こんなふうになってしまうだろう。
今は風車とソーラーパネルと高い土手の風景であり全く昔の面影はなくなった
あそこに植樹しても自然の森にはもうならない
風車とかソーラーパネルと火力発電所の煙が出ているから工場地帯のようになってしまったからだ

ともかく駅とか鉄道を維持するのは手間であり金もかかる,だからとてもローカル線で廃止になるような線は維持できない,それを誰が負担するのだとなる
もっと乗ってくれといっても乗らないし維持しようがないのだ
観光といっても限度があるしJRだけではどうにもならないのである。
バスだと市とかで援助して一部運行している
鉄道はこのように費用がかかるからできないのである。
維持したいならそれだけの金をJRに払ってくれとなるからだ
それが自治体でも財政が苦しければできないのである。
タグ:鉄道の除草

2018年02月11日

電車は風で遅れ鹿島駅前通りで交通事故発生!


電車は風で遅れ鹿島駅前通りで交通事故発生!

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原町から鹿島まで電車の赤い矢印が動かない
原町駅の人にインターホンで聞いてみたら徐行運転していたのである。
止まっていたわげではない,徐行運転して遅れていた



電車は風で遅れ運休になる,原町から仙台行きの電車が原町を出てもなかなか来ない
原町駅にインターホンで聞いたら徐行運転しているという
風になると風がやまないかぎり運転が再開できないから困る
あと仙台行きだと新地駅でとまり待つことにもなるから遅れるのである。

駅前通りで4時ころ交通事故があった
歩道に車がのりあげた
救急車が来たからなんなのかと思った
けが人が出たとのかと思ったがたいした事故ではなかったらしい
でも車は一部破壊された

交通事故は相馬地方で毎日のように起きている
この前は夜中の3時ころ女性が二人死んだ
20才前だった
その原因は雪が積もってアイスバーンになっていて
歩道を行かなかったからである。

車道の端を歩いていてもそこもアイズバーンになり雪が積もって避けていた
すると車道に入りそこを歩いていたのでトラックがきてはねられた
自分は自転車でそういう道路を歩いているからわかる
アイスバーンになると自転車はすべる,でも車道を行くと危険だとなる
だから歩きながらそういう道を来るほかないのである。

雪のせいで死んだとなる,そうでなくてもどこかで毎日こうした交通事故は起きているのだ
そのことを自転車屋の人と話した
いつもの人と近くの人が来ていた
あそこは人が集まる場でもある
駅を見ているのでそのことも話し合う

いづれにしろどこで事故にあうはわからない
あれが家の中につっこんでいたら大変だった
つまり家にいても危険だとなるのが交通事故である
家の中に入ることをさけてハンドルを切り塀にぶくかったのかもしれない
あんなところで事故が起きる,どこで起きるかわからないのが交通事故である

2018年02月21日

掃除は商工会の女性がしていた


掃除は商工会の女性がしていた

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商工会で掃除とかJRに頼まれたのを断ったというが今日はホームのゴミをかたづけたらしい
自分はゴミがはみ出したのでゴミ袋に入れてかたづけた
そのーとに制服を来たような女性が二人あと二人とか来て掃除したらしい
あそこは別に掃除といってもホームのゴミ箱にたまるのをかたづけるくらいである。
でも商工会に頼むとJRでは金を払っている

最近は駅であまりすることがない,ただなぜ自分が時刻表とか無料で配ったりしたのか?
それもカルマだったのである。自分は鉄道旅行が長いから相当にJRに世話になったとなるするとそこにカルマが生まれていたのである。
人間の一生をふりかえると必ずカルマが蓄積される
カルマをもたない人はいないのである。

それで介護とかもカルマなのである、親に世話になったから介護がカルマとしてのしかかる,カルマというのはなかなか気づかないのである。
でもどこかでカルマを返すことを要求されるのである。
それが強制される場合があるときは相当に重いカルマなのである

駅ではなにかある,今度は駅舎内にスーピカーをつけた,ホームにはあったが駅舎内にはなかった
何かこうして駅は仕事がある,ただ今はさほど仕事がなくなったことは言える











2018年03月01日

駅の保守点検は毎日のようにしている (駅前の活性化をどうするかが課題)


駅の保守点検は毎日のようにしている

(駅前の活性化をどうするかが課題)
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人のいるところに車がとまっているのを見たことがない


駅では何かしている,電気系統の保守点検も常にしている,掃除はJRの委託会社の人が駅舎の中を掃除するようになった
商工会はホームのゴミとトイレを掃除する,周に一二回である
だから掃除の問題はかたづいた

タクシーの乗り場と白線の字を消していたのは電気系統の小屋のようなものを建てるので車の置き場を確保するためである。
あそこにタクシーと白線で書いてあるから利用できない
ここは駐車場が駅前だけであり狭いから問題なのである
あの白線をさけてとめている
するととまる場所が限られるようになる
でも北郷タクシーではそこを確保するために金も払っているのかもしれない
でも実際にあそこにとめているタクシーを見たことがないのである。

自転車屋の人が一番駅を見ている,だからあそこが切符売り場とか駅を利用する人の便宜を計るのに向いているのである。
しきりになにかしたいと言っていた,ただおおがかりなことになると無理である。
鹿島区にも資金が援助されていたがそれも使ってあとつづきしなかったという
そのことをしきりに山梨から来た事業に失敗した人が言っていたのである。
あの人は経営のセンスがある人だったのだろう。
失敗しても事業のことを知っているのである
だから外部からそういう人を招きしてもらうこともいいとなる

地銀とか信用組合とかはそもそも地元に根ざした金融だとすると地域を良くするために活性化するために資金を投入することが本来の役割だったのだろう。
でもグローバル経済へ投資させて自分は損したのである。
自分で選んだことでもあるがグローバル経済には疑問が前からあった
地銀が生き残るにはグローバル経済とか投資信託を売るとなると
地域には必要ないものになるかもしれない
まず地域を良くしようとか銀行では考えないのである。
まず自分たちが損しないで利益をあげることを目的にしている
そしてたら地域の金融なのかとなる,証券会社なのである。
地銀としての役割はなくなったとなる

別に何か休息する飲み物を出す食べ物を出すような所はある
前にしていたところもあり空いている,使われていないか喫茶室とか休み場として利用できる,でもそうなると賃料を払わなくてはならない
人の流れが少ないからあそこで利益を出すのはむずかしいだろう
ただ休む待つ時間が電車の場合あり長くなる時があるからそういう場所が必要になる
小高辺りで事情があってお茶のみ場とか無料で提供している
小高の場合はいろいろ援助があってできたのである。

いづれにしろまず大きな事業となるともうできない
ただ小さなことはできる,自転車屋だって一部を休息所にできるかもしれない
そこでお茶やコーヒーやおにぎりくらい用意しておくのである。
そこでまず利益をあげようとすると失敗する
それほどの人の流れがないからである。
常磐高速のセデッティは人の流れがあれだけあれば商売になる

あそこで果物のジュースをミキサーで出していた,それを自分もまねして作ってみた
2500円のミキサーで簡単に作れた,リンゴだと材料がリンゴ半分でできた
あそこでは350円くらいで出していた,するともうかっているのかと思った
そのジュースをミキサーで出すのもいいかもしれない
なぜなら駅にある自動販売機は一番売れているからだ
必ず待ち合わせがありコーヒーとか飲んでいるからだ

今日は雨はあがったが後から強風になり運休になっていた
今日は風が吹かない前に磯部で始まったパン屋にパンを買いにいった
あそこだと鹿島からも近いのである。相馬市まで行くと遠いのである。
鹿島区ではパン屋がないので焼きたてのパンは食べられない
誰かやればいいとも思う,なぜか新地にはパン屋がある
焼きたてのパンを売っているのである。
磯部のパン屋は民家を改造してしている
まだパンの種類が少ない,だから期待したものとは違っていた
ただあそこから海が見えて眺めがいい所だった
復興住宅もありあそこの民家はもともとあそこにあった
磯部でも広いからあそこには行ったことがなかった

2018年03月05日

JRが駅に置いた自分が作った時刻表やパンフレットを撤去した (JRの許可なしで置いてはいけないルールだから)


JRが駅に置いた自分が作った時刻表やパンフレットを撤去した

(JRの許可なしで置いてはいけないルールだから)
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自分が作った時刻表を置いたトイレとか観光パンフレットを全部撤去した
JRの許可なしで置いてはいけないという

なんでなのか?

いろいろ苦情が来るからだという,パンフレットについても何か聞かれると困るという
これも何なのだろうと思う
時刻表でも自分は10円でコピーして置いておいた,それをみんなもっていった
なぜなら必ず時刻を見に来る人がいるからだ

それをこんなものJRの許可なしでなぜ置いたのか?
みんな撤去しろとなった

ただJRにも言い分がある,何か駅に置くには申請しないとだめだという
それがルールとなっているから守らないとJRでは困るし許可できないのである。
なぜならJRの責任にもなるからだ
それはそうなのかと理解した
申請は個人でも簡単にできるという

JRはまず自分が結構いろいろ無人駅なのでかかわって知っているのに礼一つない
結局お前はここで何しているんだ,何もする必要ない,ここは無人化して自動化しているからだ,こういうことなのである。
そして警察からはお前はここで何しているんだと誰かが通報して職務質問されたのであるそれもみんなの前でである
俺たちがすべて管理する,自動化したら人はいらない,ここで何かするな!
勝手に何もするなとしている,俺たちがすべて鉄道や駅のことはする
他の人はかかわるなということなのか?
ただ勝手なボランティアだから認められないことはある

でもこれは何なのか?

JRはJRだけですべてする,他の人はかかわるな!

こういう管理のしかたなのだろうか?俺たちの仕事の領域に他の人は立ち入るな
無人化して自動化したのだから人はかかわるな!
だから構内に勝手に入ったときJRの人が入るなと言ったのである。
それもやはり鉄道のことはJRでするから他人はかかわるなということである。
でも無人駅だからこそかかわっているのである。
無人駅だとやはり困ることがあるからかかわっているのである。

こういうことなのだろうか?
この経営態度は何なのだろうか?全く地元とか人間を無視した態度なのである
だから無人化自動化をすすめいる,人間とはかかわるな,
パンフレットを置いたのは自分では自転車屋の人である。
そのパンフレットは観光案内なのだから別に許可なくても置ける
何かの宣伝でもないからである。

ともかく市の地域振興課に聞いてみたらJRにはルールがありそれを守らねばならない
勝手に置いてはいけない,そのことはわかった
でもルールでも何か人間味がない,ルールが全能ではないからだ
何か現代の社会はこうしておかしなものになっている

鉄道はみんなJRのものであり他の人は立ち入れるな,鉄道はみんな自分たちでやる
これがJRの上から目線の態度なのである。
人間に関してのサービス精神が全くないのである。
JRではのせてやっている,ありがたく思いという意識しかないのである。
人間がサービスする人間がかかわることを拒否しているのだ
ただもう電車でも駅も無人化自動化して自動運転のようにしたいのである。


何かこれは無人化自動化する社会への警告ではないか?
そういう社会はもう人間味もなにもなくなる,ただロボットがいてすべてまかなえる
人間は必要ないということにする社会である。
そこにAI化とかいいように見えるが人間そのものが排斥されていらないとなる
冷酷な社会になることも暗示している
つまりAI化とか自動化とかはすべてバラ色ではない,人間の暗黒を作り出すものにもなる仕事の場でも人間は効率的でないから邪魔だからいらないとなるからだ
そういう社会はも情もにもなくなってくる
現実になっている,そういう社会にはいくら便利でも生きたくないとなる
結局原発でもそうだが便利だということはすべていい方には働かないのが人間社会だったのである。

時刻表は商工会なり自治体なりで配布すべきなのである。
それもJRの許可が必要でもそうすればこの問題は起きなかった
原町駅の時刻表は作られているし相馬市でも作られている
前は一軒一軒配れていた記憶がある
そうすればこの問題は解決しているのである。
要望として時刻表が欲しいという人が多いからだ
その要望に答えるのが自治体でもあり商工会でもJRでもある
それをするものがいないから問題になったのである。
別に自分は時刻表を置かなくてもいい,置くと金がかかるからだ
だから別に乗客が不便でもいいともなる
何か感謝するわけでもないからだ,ただそこで不便になるのは乗客だとなる
それもやはり乗客がそういう要望を出さないからである。
もし十人でも百人でも要望がありまとまれば圧力になり対策されるからである。
ただそれほどの要望でもないから個々人で不便でも時刻表を見にくるほかないともなる

自分としては申請してまでまた金をはらってまで時刻表を置く気はない
それをするべきなのは乗客なのである。
乗客がそれを要求しない限り不便でもそのままになる
民主主義社会はまとまって何か要求しないかぎりそのままになる
改善されない,ただみんなが困っているのだからそれをまとめる人も必要になる
それが代表となるということである。
つまり政治の問題となる,そういうことで民主主義が発達するということはある

鹿島駅の問題は無人駅になったということにある,普通だったらまず勝手に構内には入れないし
確かに勝手に駅内に何でも置けないからである。駅員がいるから許可が必要になる
その駅員がいないから問題なのである。
無人化して自動化してもそこに人間がないことで生じる問題が必ずあることがわかる
だからAI化で無人化自動化してもそこに問題が生まれるのである。

普通の社会人だったら絶対にあり得ない!!JR駅員の高慢な接客態度

やはり自分だけが感じたことではない,自分は別に乗客としてかかわったのではない
そもそもJRとかには普通の社会人としての常識が通用しないのである。
そうしなくてもいいという感覚であり乗せてやっているという気持ちだからそうなる
いろいすめんどうなことは言うなよ,乗せてやっているのだからありがたく思へ
そういう感覚だから普通の人の感覚がない
人に道を教えただけでありがとうと言うとするとそういうこともないのがJRなのである。
人のことは言えないが国鉄からの殿様商売だとなる
ただ職人として時間どおりに安全に電車を走らせることには勤めているのである。
人へのサービスはぬけているのである。

タグ:JRのルール

2018年03月10日

駅に表示された上り下りの番線はわかりやすい (民主主義はみんなの要望を代表者が伝えること)


駅に表示された上り下りの番線はわかりやすい

(民主主義はみんなの要望を代表者が伝えること)


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駅で常に聞かれたのが仙台行きのホームと原町行きのホームである。
地元の人はそんなことわかりきったことである。
でもはじめての人などはわからなかった
それで最初に向こう側に渡る階段に表示してもらった
それでもわかりにくいと改札口に表示してもらいたいと
駅長に言ったら今回表示してもらった
その表示はわかりやすいものだった

何か要望がありそれを言わないと何もしてくれないのである。
その要望がわかったのは自分がいつもそこにいて案内していたからである。

それから一番要望が多かったのは時刻表なのである。
小さい時刻表は置いてあるがその字が小さいから見にくいのである。
それで自分で大きな時刻表を作って置いた
これは勝手に置くなということで撤去された
何かそれで聞かれると嫌だからという
駅を管理しているのはJRだからである。
それも一理あるが自分がしていることは常に無視されている
邪魔扱いなのである。

なぜそれが必要だと自分が思ったのか?
それは必ず毎日のように時刻表を見にくる人がいる
それは電車を利用してくる人いたり時間がわかる必要があるだ
ただJRでは小さな持ち歩きの時刻表は置いておく
でもそれが字が小さいので家に張っておくには大きな時刻表が必要なのである。

その要望はあるのだがではそれを自分だけでコピーして置くことはできない
一枚コピーすると十円かかるからである
それはJRに要求してもしない,すでに小さな持ち歩きの時刻表は出しているからそれでまにあわせろとなるからだ
ただ必ず駅に時刻表を見にくる人がいる
その人の数は本当に多いのである。
すでに自分が作った時刻表でも何百枚とかなっていたろう
でも置くことを拒否されたのでこれからは置かない
というより自分でも金がかかるから置きたくないとなっていた

ここで考えたのはこれだけ大きな時刻表が欲しいという要望がある
でもそれは個々人としてあっても全体として要望しないのである。
それを自分は駅にかかわり知っているからみんな欲しいとなれば
みんなで要望すればいいのである。
それが民主主義だなと思った
みんなの要望を聞きそれをしてくれる人に訴えることは民主主義の基本だなと思った
そういうことは別に駅だけではないあらゆるところにある
でもその要望をまとめて訴える人が代表者がいないと実現しない
その代表者となるのが議員とかなる
そういう仕組みが民主主義だなと思った

いづれにしろ仙台行きと原町行きが何番線かはわかりやすくなった
駅長にここに表示してもらいたいと自分が言ったとき
時刻表があり一番下に何番線とかでている
でもそんな小さなものを見る人はいないのである。
だから駅というのもその場にいないと何が必要なのかもわからないのである。
確かに自動化しているから地元の人はわかる
でも駅は外部からはじめて来る人も多いのである。
だからはじめてくる人は自動化してもわからなかったのである。
そこが自動化の盲点だったとなる
でも交通とかなるとはじめて来る人がいるからそのことに対して自動化しても対処できなかったとはなる,自動化は万能ではないのである。

そして駅はJRだけのものではない,広場とか待ち合わせとか交流するとか何か街とかかわり活かされる,その意識がJRに欠けている
ただ自動化して通りすぎるだけのものと考えているのだ
人へのサービスが抜け落ちているのがJRだったのである。
だから人のサービスなど考えないからこそ自動化をすすめているのである。

タグ:時刻表

2018年03月11日

動労は常磐線の浪江から富岡の開通に反対している (放射能汚染の中で働かせられるし人がいない所に通しても無駄)


動労は常磐線の浪江から富岡の開通に反対している

(放射能汚染の中で働かせられるし人がいない所に通しても無駄)

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動労水戸ブログ
12・10常磐線開通反対闘争に際して訴えます!


被曝か貧困かを迫る避難指示解除

安倍政権は、17年3月までに帰還困難区域を除くすべての避難指示を解除しようとしています。対象となっているのは、全村避難となっている飯館村、川俣町山木屋地区、富岡町や浪江町の一部です。富岡町については、地元の意向をまったく無視して、1月に前倒しをして避難指示を解除しようとしています。さらに、年間50ミリシーベルトをこえる帰還困難区域についても「すべての避難指示を解除する


いわき運輸区の運転士や車掌、保線区や電力区の労働者が被曝労働を強制されます。労働組合として当然反対すべきです。しかし、東労組も国労も富岡延伸には一言も言っていません。
 今後、車両の検修問題が大焦点になってきます。いわきから北を走る車両のメンテナンスをするのは勝田車両センターです。車両に付いたたくさんの粉塵を労働者が吸い込む。動労水戸の組合員が被曝するリスクが高まってきます

 動労水戸・會澤憲一君は「私はライフサイクルで水戸駅にいるが、徹夜勤務が一つで4人いればすむのに、5人がライフサイクルで行ったために日勤が発生している。日勤で、毎日除草とペンキ塗りだ。

 すべての業務の外注化―水平分業とローカル線を切り捨てて要員を合理化する、第3の分割・民営化ともいうべき体制を作ろうとしている。


このことは知らなかった,今日テレビで鉄道の復興のことを放送していたとき浪江駅開通の時,そこで反対する人達が騒いでいたのである。
その人たちは動労の人達だった,みんな浪江であれ双葉や大熊や富岡まで開通することは賛成していると思ったのである。
なぜなら駅にいるといわき市まで通じないことで不便を感じている人が多いからである。
それでなぜ労働組合では反対しているのかとなる,それは被爆するのとそもそも避難解除をする必要などなかったということがある
なぜなら人が住んでいない所に電車を通しても無駄とと言っている
それから被爆するから避難解除すべきではないということも言っている
でもそうしたらいわき市まで常磐線が通じなかったら復興はないのである。

労働組合とすると被爆してまで働きたくない,避難解除はするべきでなかった
被爆の危険がまだあるしもう帰らない所に常磐線を開通しても無駄とと言っている
それから外注とかありそれにも反対している,それでは安全が守れないとか正規の社員が言っている
自分が駅で毎日見ていたが本当に安全のためとか除草とか点検保守が大変なのである。
それで外注して下請けにさせているのである。
JRの正社員がしているわではない,外注して極力正社員を使わないで費用を削減しようとしている,その一貫として無人化自動化をすすめているのである。
労働組合としてはそれに反対している

でも鉄道の問題はコスト的に厳しいのである。第一三陸鉄道でももう維持することが前らかコストとしてはむずかしかった,鉄道の維持は保守管理の手間と金がかかりすぎる
鉄道の保守管理は大変なのだから当然それだけの費用がまかなえればいいがまず電車に乗る人が少なすぎる
だから切符を買って乗ったこともない人が多い,みんな車を利用しているからである。
常磐高速のSAのセディティ鹿島に行ってみるとわかる
その数は鉄道と比べると比べようがない,その数は多い,百倍にもなるかもしれない
そのように鉄道がりようされていれば問題は起きなかったのである。
当然コストがかかるからそれでは維持する費用をどうするんだとなるからである。
鉄道を維持したいという町の人が運動していても肝心の町の人すら鉄道をめったに利用しないのである。その費用をJRに負担させるのは無理だとなる
JRからすれば勝手だなとなってしまう。

只見線とかでも観光鉄道として維持するのも無理がある,日常の生活路線があって観光がある,日々の暮らしがあって芸術もありうる
観光だけの路線ではそもそも基本的に成り立たないと思う
ただ将来を見据えたとき一旦鉄道は廃止されたら元にもどらないというのは深刻である。現実に北海道ではそうなっている,もう電車は走らないのである。
そうなると観光としては影響が大きいとなる
地方の活性化にも大きな影響があるのは確かである。

ともかく常磐線開通に反対しているのは意外だった
そうしたら街の復興はない,では街を見捨てて廃止するのか?
そして避難解除しないとなると国では補償金を払い続けなければならない
それが嫌だから避難解除を無理やりにしたということもある
でもそんなに避難し続けているのも矛盾なのである。
なぜなら近くで浪江の人がすることもなく昼間から酒飲んでぶらぶらしているからである補償金をそうして出し続けたらそんな生活が延々とつづく
そしたら避難先でも迷惑だともなる,そのことは小高の人達が仮設で暮らしていたとき毎日パチンコ屋通いでありギャンブルで遊んでいたのである。
それと同じように原発避難者には厳しい視線が向けられる

だから何か動労の主張も全部是認はできない,復興をどうするのか?
では住むことをあきらめるとして鉄道も通さないとしてどうなるのか?
途中で切れると鉄道は活きてこないのである。
バスにもできるししているがそれでは鉄道が活きてこないのである。
だから動労の主張も復興についてどう考えるのか疑問である
では浪江とか富岡間とか住めないとするなら街全体を取り壊してそこに住まないようにするのか?
どうせ帰らない人が多いんだからということで街を捨てるのかとなる
現実を見たときそういうことも決断するのかとなる

鉄道の旅は長いからもともと関心があった,ただ自分は乗せてもらう方であり乗せてくれ人達が働いていて旅できたがそういう人達を考えたこともなかったのである。
だから世話になったと思い今になって無人駅でボランティアのまねごとをしたとなる
鉄道の運営をどうするのかとなるとこれは相当な難題であり自分にはわからない
でも無人駅で鉄道の運営のようなものにかかわったので関心をもったのである。

2018年03月20日

鹿島地区協議会で駅の活性化を考えていた (駅を視察もして予算が市より出ていた)


鹿島地区協議会で駅の活性化を考えていた

(駅を視察もして予算が市より出ていた)

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これも知らなかった,駅の活性化を図る駅を視察していたのである。その予算は市からでていた,ここの協議会では10人くらい人が集まり鹿島区の活性化を推進する
その一貫として駅が入っていたのである。

しかしこの会で駅のことを無人化した鹿島駅のことをどさだけ知っているのか?
何かしたのか,要望を聞いたのか?
一番駅に関係していたのは駅前の自転車屋とか商工会で掃除した人とか地区で花壇の手入れをした人とがである。
ではこの協議会で何をしていたのか?
それが知らなかったのではっきりしない

無人化した駅で今何が要望されているのか?
それはいちいち時刻表を見に来る人がいるから大きな時刻表である
それを自分は無料で駅に置き配った
でもそれはJRの許可がないと置けない,パンフレットも置けない
だからそういう要望があるということをまず知らない
それはなぜか?
駅に直接かかわっていないからである。
自分は駅で案内しているからそれがわかったのである。

何か案内のパンフレットなど置けばいい,それは団体になるとしやすいのである。
なぜ駅に置けないかというと責任が生じるからである。
時刻表でももしまちがっていると駅に置くとJRに文句がいくばあいがあるからだ
ただパンフレットに関しては連絡先があるし関係ないと思う
でもルールだからとして食堂の案内をしたものも撤去された
これもルールにしばられた温情もない地域のサービスとか人のサービスを考えないJRだからこそである。

確かにここの協議会ではアンケートとかとり要望を調べている
でも駅に関しては直接関係していないとわからない
それで自分がJRにはじめてくる人が仙台行きと原町行きの番線がわからないので良く聞かれると言ったら表示板を作ったのである。
だから何か要望があれば別に個人でもしてくれたのである。
ただ要望しないとしてくれないのである。
時刻表についてもそれを必要な人がかなりの数いても要望としてまとまらないと作ってくれないのである。

でも自分はそのことを地域振興課に何回か言った,でも関係ないと何も教えてくれなかったのである,ではなぜ他の駅の視察に協議会で行ってそこに市の予算が使われているのか?
十人分の視察費用ならそれなりにかかるのである。
それなら時刻表とか案内とかのパンフレット置くようにJRと交渉すべきだとなる

つまり金をもらうことは責任が生まれているのである。
それは市から出たものとなると南相馬市民から出たものだからである。
勝手にそれを使うということはできない
ただ駅だけではないからそこにも金を使うことはありうる
でも駅の視察まで行っているのだから駅の活性化を計るとしたらやはり駅前の自転車屋と直接駅にかかわる人の意見を聞くべきだとなる

では市はどう関係しているのか?
その人たちの活動を認めて予算をだしている,ではなぜ時刻表が欲しいという要望があるその要望を知るべきだとなる,それはなかなか直接駅にかかわらないとわからないのである。
第一駅長すら鹿島駅に来るけど仙台行きとか原町行きがはじめての人にはわからないということを知らないのである。
なぜなら無人化しているからである。それを伝える人もいないのである。
それは外部からの要望でもあり内部の人もわからない
その駅にいた自分だけが知ったということにもなるのだ
つまりJRでは無人化をすすめている,その数も多い,でも無人化しても困ることがあってもその要望が何かわからないのである。
鹿島駅からの交通案内とういうのも置いたが撤去された
それもやはりはじめてくる人でも地元の人でもわからないことがある

ただボランティアでもなんてもしいいとはならない,何か責任が生まれている
無料でしても責任が問われるからJRでは駅に許可しないと置かせないのである。
ただパンフレットなどは何の責任もとる必要がないのである。
だからこれも置けいなというのはおかしいとなる
杓子定規に考えすぎるとなる
JRはまず人のサービスを全く考慮しない会社だからうそなっているのである。

ともかくこういう団体があるということすら知らない,でも広報誌に入っていたので知った
まず活動を知らせるということも市の予算からもらっているのだから必要となる
ただ報告はだしている,これも印刷などすると金がかかるし知らせるのに金がかかるとなる
インターネットはともかく無料なのである。だからやりやすいのである。
でもみんながしているわけではない,特に年配の人はしていない
そしてその地域活性化協議会でも老人が多いのである。
そこが少子高齢化の問題である。
小高でも浪江でも帰るのは老人であり駅で浪江の人にあうが杖ついて病院に来る人とか良くあう,そうした老人社会だから復興ができないのである。
若い人は外部に流出した
そして原町とか鹿島で相馬市でも新地でも周辺に移住したがそれも老人が多いのである。でも補償金で金があるから二人とも原町に家を建てたという
でもその子供は外部に流出しているのである。
つまり南相馬市とか相馬市とかでもそういう避難している老人をかかえてますます福祉にかねがかかるとなっているのだ

まず地域活性化というとき若い人がいないとむずかしいだろう。
ただ老人でも経験があるし何か教えることはある
ただ地域といっても意外と身近なことを知らないのである。
だから駅でも実際無人化してどうなったかを知らない
知っていたのは駅前の自転車屋と直接かかわった自分だったともなる
その他地区の人とか商工会とかになる
市の職員も知らない,でもそういう協議会に金をだしている
どうしてその金がてるのかというのも政治なのかもしれない
つまりそれも民主主義なのである。
市民が自発的に市政に参加するということである。

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これだけ無人化しているのである。
JR西日本でも東海でもそうなのである。これは多すぎると思う

タグ:駅の活性化

2018年03月23日

駅は誰のものか? (JRだけのものではない,みんなが利用するから)


駅は誰のものか?

(JRだけのものではない,みんなが利用するから)

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JRで張ったバス停の表示-時間などはでていない


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自分の作ったもの

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北郷タクシー 電話番号 0244-48-4135

これがわかりにくい,スマホでもわかりにくくすぐ呼び出せない,駅舎を出た所でわかりにくい,
このことをタクシー会社に言ったが変えていないのである。



二カ所駅からバス停の案内を駅にはってあった
自分がはったのは撤去した
ルールだからと他のパンフレットも撤去した
そしてバス停の案内をだしていたがこれは時刻などは書いていない
自分のには「鹿島駅の交通案内」として詳しく表示していた

でも想像するには自分の鹿島駅交通案内を参考にして
バス停を表示したのかもしれない
何かJRは駅を管理するのはJRであり他の人をかかわらせたくないのである。
自分の表示の方がみんなにとってわかりやすいことは確かだからである
ただ別に申請して許可されれば張ることはできる

でも何かJRではJRの縄張り意識がある,それはどこでもある
自転車屋でも医院でも他の医院にかかるなとか占有したいとなる
でも個人経営ならわかるがJRとなると相当に公共性が高い
みんなが利用するからである。
駅という空間は公共性が高いのである。
ただホームとかに入ると危険なこともあり勝手に入るのは問題かもしれない
ヨーロッパでは出入りは自由である

ともかく何かJRは駅はJRで管理するから他のものをかかわらせたくないのである。
それは間違いないと思う
でもなんかJRでも例えば警察でも大きな会社になると公共性が高くなる
それで東電なんかは本当に公共性が高いものであり一旦事故を起こしたら
とりかえしつかないものだから東電とか政府とかだけにまかせておけないものだった
そこは東電のものしか立ち入りできないとなると危険も指摘できないのである。

では外部のものが立ち入るというときマスコミとか記者とかがたちいる
なにかその内部を知らせる人が必要なのである。
それができなかったら内部で何をしているのか?
東電のように外部のものが立ち入ることもできないとき今回の大事故になりとりかえしのつかないようになる
だから誰かが監視する必要があったのだができなかった
できないようにされていたのである。

まず外部から監視するといっても一個人がそんなところに入ることもできない
つまりなんらかの権力をもたされないとできないのである。
それは警察でもそうだしどこでも権力をもつ組織に一個人など入り込めないのである。
ただ記者とかの役目はそうした大きな権力をもつ内部のことを知らせる役目があった
そうしなければ権力の成すがままになり暴走する
原発事故では実際にそうして原発内部のことはしりえようがないからそうなった
原子力のことがわからないから教えても無駄だとか危険だとか立ち入れることはできないマスコミも原発については宣伝費をもらうから追及しなかったのである。
そうして大事故になったのである。

JRはまた別だが駅はJRで管理するから他の人はかかわるなというのがポリシーである
でも駅は公共性が高い,みんなのものなのである。
ただもしJRだけで管理するとなる駅を二分化することが必要になる
駅の待合室は市で管理するとかそこから切符とか鉄道にかかわることは別にするとかなる管理するものを市とJRに分けるのである。
実際はトイレは市で作り毎日掃除を金を払って頼んでいるからである。
そしてホームの内部のトイレはJRで頼んで掃除してもらっているのである
そういうことが可能でもある
ただめんどうになることは確かである。

いづれにしろ自分のしていることは一プライベートな記者なのだろう。
だからなんの力もない,ただプログで報告はできるからしているだけである。
今はそれほどすることはない
ただ良く聞かれるのはわからないのはタクシーの北郷の電話番号である
駅舎を出た所に表示してあるからわかりにくいのである。
そのことを何回も自分はタクシー会社に言ったが変えていない
スマホとかでタクシー会社を調べてもわからない人がいる
スマホだとインターネットでもそうだが検索がめんどうになる,時間がかかる
それで急いでいるとき役に立たないということがある
それは津浪とか緊急時に検索している時間がないということがあり役に立たなかったともなる
一方で緊急時にインターネットが役に立つこともあるからすべてはそうではない
緊急にわからないことがあるとき検索で即座に出てくることもあるからだ

ともかくJRとなると公共性が高いからJRだけで管理することはできない
駅前の広場でもそこはJRの土地だがではみんなが車で利用する場でもある
公共性が高いということは自治体がかかわることになる
その地区の人もかかわる,だから公共性が高いものはみんなが利用するものは
外からの意見とか要望とか監視が必要になる
それがJRではJRで管理するから他の人は立ち入るなという縄張り意識になっている
危険があれば別だがそもそも無人化しているのだから
監視カメラを四台あるとしてもそれで立ち入るなといっても自由に出入りしているのである。
もしJRだけで管理するとなると駅員を置いた方がいいとなる
その人は四六時中監視しているからJRで全部管理できるとなるからである。
タグ:JR

2018年03月26日

鉄道員(ぽっぽや)の映画と無人駅


鉄道員(ぽっぽや)の映画と無人駅

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この映画は国鉄時代のものであり国鉄時代を知らないと理解できないだろう。
駅が人情の駅になっていた,それはそこに人間がいたからである。
国鉄時代という一時代があった
国鉄で働く人が地方でも多かった,国鉄で働く人も地方では実際は恵まれた人達だった
近くにも鉄道工夫をしていた人を知っているし国鉄職員だった人も近くでいた
それは国鉄時代はどこでもそうだったのである。
小学生の時親が鉄道に勤めていた人が鹿島駅でも今の駐車場になっている所が官舎になっていたのである。

鉄道はそのように働く人も多いしそれで社会党があってそれは国鉄の組合をバックにしていたことでもわかる,それだけ国政を左右するものですらあったのだ
だから中曽根首相の時民営化するとき反対したが実はその時は高度成長時代であり
民営化するにあたり退職した人達は労働組合で運動して退職しても困らない金をもらったのである。それは高度成長時代の恵まれた時だったからである。
それだけの資金を出す余裕があったのである。
そして社会党自体もなくなったのである。

つくづく国鉄は一時代を築いたのでありその時の物語だったとなる
自分は蒸気機関車で原町の高校に通っていたがその時あまり鉄道に興味がなかった
だから記憶があまりない,トホネルをぬけるとすすけたとうことはあった
鉄道は今の感覚とは違う交通の要であり大動脈として日本全国に活きたものとして縦横につながっていた,それは血管のような働きをしていたのである。
鉄道の時代は明治時代からであり長いのである。

ただ国鉄時代のことがわらないとこの映画もわかりにくいだろう。
今の人には理解しがたいものともなる

しかし、民間では大手企業でもたくさんの募集があるのに、国鉄職員採用の就職情報が高校に入ってこない。当時は「国鉄一家」と呼ばれていて、いわゆる「コネ」がないと就職できないと言われていた。実際は「局報」と呼ばれる国鉄内の新聞に職員採用の募集が載っていることが多く、一般には知らせることがあまりなかった

まさに「国鉄一家」であり強いつながりをもっていたのである。
鉄道病院が仙台にあり全国にあったことでもわかる
鉄道一家として病院ももっていて支えていたのである。

国鉄というとき最初は炭鉱があり石炭を運ぶものとして鉄道があった,貨物輸送が主だったのである。北海道などはほとんどそうである。石炭を運ぶ貨物輸送のために鉄道が作られたのである。
つまり乗客を運ぶというよりは石炭などの貨物輸送のためだったのである。
それだけ車がない時代は輸送は鉄道に頼っていたのである。
子供のとき貨物の車両を数えていた,それだけ長い貨物列車がいつも通っていたのである何かその辺が今の鉄道とは違う,今のロジステックであり社会の縁の下の力持ちのような役割を果たしていた

ともかく鉄道の歴史は長いのである。明治からだからすでに150年とかなる
だから鉄道に愛着が生まれのも当然だとなる
鉄道には鉄道員だけではない代々働いた人達がいてその人たちの汗と涙もしみついているともなる
それが鉄道員の映画にもうまく表現されていた
最後はホームに雪にうもれて死んで一両の車両で棺が運ばれた
駅には何か伝説にもなるような幽霊が出るような古い歴史がある

結局この映画を見て無人駅と比べると駅長がいてその駅長が主人公なのである。
そこには人情味がありストーブでみんながあたたまんていたり人情がある
人の情が伝わる空間だった,人の情がしみこんだ空間だった
それで駅前の食堂でも今とは違っている,駅前がにぎわっていたのである。
駅の延長として駅前の食堂もあった

無人駅で自分が経験したことはそこに無機質な空間と化している,すべてが機械化自動化している,すると主人公は誰なのか?ロボットなのかともなる
そして将来的には駅には人がいなくなる
ロボットが送り迎えするのである。果たして人はそういう世界でいいのかともなる
その差があまりにも大きい,小さな駅に駅長がいてその駅長が物語の主人公になる
今やその駅長も駅員もいない,主人公は機械になりロボットになる
そんな世界に人間は耐えられるのか?それはどこでもそうなりやすいのである。

別に鉄道員だけではないのである。人間の一生は働くことにするとそこで費やされた時間が人生になる,だからそこに仲間がいてそこで働いた思い出が人生になる
それは鉄道だけではない,倉庫係としてフォークリフトを使い働いていた人が癌になり死ぬというときもう一度仲間と倉庫で働きたいというのもわかる
それは鉄道員と同じ心境なのである。
なぜならそれが人生だったからである。人生の愛着がそこにあり遂にそこで死ねば本望だったともなる

駅とか鉄道は何か伝説にもなるような場になっているのか?それはそこが出会いと別れの場であり人間的なもの情が通う場であり人間的なものがしみついているからである。
それが機械化自動化されるときそういう人間的なもの極力省いてしまう
人間はいらないんだとなる,それがコスト的にもそうした方がいいとなる

この映画の鉄道員は妻をなくした,子供もいなかった,何か淋しい,そこで誰かが幽霊が死んだ子供が成長して女高生になり鍋物の食事を作ってくれる
何かそれが自分も家族がみんな死んでそういうことをしてもらいたいなとなり共感する
それは妻をなくした人がいて今でも妻を思っていることを知っている
その人も一人で暮らしているからである。
この映画にはこうして共感することが多い,その気持ちがわかる
ただあまりにも感傷的に作られているとも思った
そんな鉄道員が現実にいるのかと思う,それほど鉄道一筋の人がいるのかとなる
自分が鉄道で旅しても駅員のことをこんなふうに見ていない
ただ通りすぎるだけだともなる

実際に自分は鉄道の旅が長いから鉄道に愛着がある,それはただ乗せられたものとして鉄道を経験していた,でも乗せる方として鉄道は経験していない
この映画では電車に乗せているのは機械ではない人間なのである
だから人間が人間を運んでやっているということで感謝していると言う人がいた
でも電車に乗せられる人が感謝などしないだろう
自分も全然していなかった,それはなぜか?
人間ではなく機械が運んでいるという感覚になるからである。
こんなに人間が主人公になっていることはないからだ,それは今の社会はそうである。
人間がこれほど主人公になることはない,人間味のない情のない社会である。
金だけが頼りともなり人間は非情化している,人間の心は情は通わない社会になっている便利でいいのだが反比例して人間の情は失われるというのも人間を幸福にするのだろうか?

そうはいっても人間は技術が進歩することがいいことだし追及してゆく
ますます鉄道でも新幹線になり早くなりゆっくり見送ることもできなくなっている
新幹線だとそこには人間の情をはぐくむものがないのである。
ただ一地点から一地点に早く移動する機械でしかないのである。
それは人間が運んでいるのではない,機械が自動化して運んでいると同じなのである。
そこでは人間的なものが余計なものとして排除されているのである。
ただ技術とかは人間の幸福など考えないない,人間の幸福は技術とか科学の進歩と比例することはないのである。
でもそういう情もない世界に人間は生きたいだろうか?
そういう疑問が無人駅で案内して感じたのである。


消えた鉄路

北の果て一本の線路が通じている
それは人と人を結ぶ道路
それははるか遠くまで通じている
駅には駅長が待っている
そして一両の車両を見送る
風の日も雨の日も雪の日も
一両の電車は客を乗せ走り
人と人をつなぎ運ぶ
駅には雪にうもれても
あたたかい灯がともっている
それは人間のあたたかい心の灯
しかし遂にその鉄路も消えた
その鉄路は荒野に帰り雪に埋もれる
その駅も駅長のいたことも忘れられてゆく
それが人の世である
でも聞こえてこないか?
ぽっぽっと笛の音が
辺りにひびきわたる
それは幻覚なのか
一両の電車が走ってくる
何か人間のように懸命に走ってくる
そしてそこに人間の駅長が待っている
手動で操作して電車を迎える
そこには人間がいる
機械ではないロボットが待つのではない
人間が待っている,人間が見送る
人が人を待ち見送る駅
そして鉄路が消えても
そこにいた人間を思い出す
機械やロボットは道具である
主役は人間なのだ
主人公は人間なのだ
その人間がいなくなるとき
機械や道具は必要なのか
人間いてこそそこは活きる
いつまでもそこにいた人間を思い出す
またそこに人間はいつまでもいたい
人間が仕事していたのだ
機械やロボットではない
人間の一生がそこにあり
人間の喜びや悲しみとともに
鉄道はあったのだ
鉄路は消えても人間の記憶はとどまる
無人駅には人間がいない
だから人間が主人公ではない
だから記憶にもとどまらない
もともと人間がいなかったから


二両の電車

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駅淋し二両の電車や眠る山

冬の山二両の電車や暮れてゆく

冬の山二両の電車浪江まで

しぐるるや二両の電車あわれかな

山に没る冬陽や二両の電車かな

.................

なにかこうして二両の電車が一時津浪で途切れたとき相馬市と原町を行き来していた
それも不思議な光景だった,なぜか二両と四両と六両とかで感じが違ってくる
二両となると人間的になり一両だったらそれは本当に人間に見えるのである。
それでこの映画では一両の電車であり哀愁がにじみでていたのである。
急行とか新幹線になるともう人間的なものを越えて哀愁などなくなるのである。
機械化は何か人間の情を抹殺してゆく,それは老子の時代から言われてきたことである。文明は人間的なもの人間の情を抹殺してゆく,文明は何でも便利でも効率的でも人間の情はそこで失われてゆくのである。
自分は車には鉄道とは違って人間的なものを感じないのである。
なぜ鉄道にはこうして人間的なもの感じるのか?
鉄道の歴史は古く人間の情的なものが結びついているからだろう。
ただの便利な物でも人間でも運ぶ道具ではないものとなっていたのである。
鉄道というのはそれだけ人間の歴史とともにあったからだともなる
150年もあればそうなる,ただの機械とか道具ではないものになっていたのである。

枯野(人間的な二両の電車)



2018年04月03日

駅前に開業120年の花文字を作る (地区の人と駅長などが共同で作る)

駅前に開業120年の花文字を作る

(地区の人と駅長などが共同で作る)

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駅前の花壇に黄色のパンジーや紫も見て電車待つかな


今日は駅長もきて駅前に新しい花壇を作っていた
地区の人と一緒に花壇作りをした
駅は鉄道だけのものではない地域が深くかかわっているのである。
あのように共同作業しているのを見ているとそうである。

鹿島駅が開業して120年とあり120と花で花文字を作った
120年となると長い,時々この駅舎を写真に撮りにくる人がいる
それも鉄道で来るのではなく車で来て写真だけを撮ってゆくのである。
この前は神戸から来た人であり遠い所からも来るのである。
でも鉄道で来なくては何か様にならないとなる

もう一つの前からある花壇には黄色のパンジーと紫のバンジーが咲いている
それでその花を見て電車を待つというのが鉄道の旅の楽しさなのである。
なぜなら必ず鉄道の旅は駅で待つ時間があるからだ
その待つ時間が人間的なものを作り出しているのである。

待つということが今はなかなかない,新幹線だともう待つ時間なく来る
その感覚に人間的時間がないのである。
旅すらならやはりこうして待つ時間を楽しむことである。
すると駅前とかに花壇があり花があればそれを見るからである

ただ残念なのは八重桜は一本も残らなかった,切られてしまったのである。
前は何本も咲いていたのである。それが残念である。
何か虫がついて飛んでくるとかで切ってしまったのである。
その八重桜もすでに思い出の中にあったものとなったのである。

何かこの辺ではそうして右田の松原も津浪でみんな消えたし一本松も枯れて切られた
思い出となるものが消えてゆく,ただそういう記憶は残っている
でもそこに木がなくなればこれからの人はその八重桜でも松でもなかったものとして生きるのである。

駅というのは120年もあればそこに実際はいろいろなことがあった
自分が無人駅で一年ほどボランティアのまねごとをしてもいろいろあったのだから120年の間にどれほどのことがここであったのか?
出会いがあり別れがありといろいろあった,集団就職列車もここから出た
第一その前にもいろいろあった,姉から聞いた話では仙台に買い出しに行ったということも聞いた,物不足でそうなっていたのかもしれない,原町駅は空襲された話を聞いた,そうした人間の営みが鉄道とともに駅と共にあった,ただ車時代になりそれが忘れられていったのである。

1893(明治30年)

4月3日:磐城線 原ノ町 - 中村間開業。原ノ町駅、鹿島駅開業。

故郷の駅の八重桜(詩) 思い出のある場所が故郷

2018年04月06日

発行元がわからない南相馬市時刻表(交通案内)


発行元がわからない南相馬市時刻表(交通案内)

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クリック拡大-鹿島の時刻も出ている
(鹿島の時刻も出ている)



この時刻表は新聞折り込みで配られていたという,だからこれを張っている店が原町にはある
でも不思議なのはこれを発行したのがどこなのかわからない
原町の商工会にも聞いた,市の方にも聞いた,JRにも聞いた
JRでは自分が鹿島の簡単な時刻表を作って置いたが駅舎内にはJRの許可ないと置けない
それは他のパンフレット類もそうであり撤去された
理由は文句とか聞かれると嫌だしJRの責任になるからだという
でもこの時刻表にくいてはJRは関知しないという
つまり勝手に配っても問題ないのである。
でも時刻が間違っていたりしたら苦情が来るかもしれないがその発行元がわからないからそれもしようがないのである。

この時刻表には鹿島の時刻表も付随して記してある,だから便利なものだから鹿島区にも配ってもいいものである。
でも鹿島区でこの時刻表を配っていない,見ていないからだ
そもそも新聞の折り込みでも配ると金がかかる
その金をどうして得たかというと回りに宣伝がありその宣伝した店とからもらって誰かが作ったのである。無料で誰かが配ったのではない
ただではそういうことを誰がしたのか?それが全くわからないから奇妙だとなる

こういうのは商工会とかがするのかと思っていたが違っていた,原町の商工会では全く関知していないしこの時刻表について知らないのである。
ともかくこういうものが鹿島区にも必要である。
これは別に鹿島区でも役に立つ,でも無料では配られない
原町区だけに配られたとなる
それは一般の人も新聞の折り込みで配られてもっているというからだ

時刻表ではいろいろ自分も作っていたから関心があった
今でも駅に時刻を見に来る人が必ずいるのである。
すると時刻表を欲しいという人は鹿島区に相当数いるのである。
だからこうして作ればいいと思う誰もしていない
それは原町のように金をだして宣伝に使うという人もいないからだともなる
会社とか店で金を出し合い作ったとものなるからだ
こういうのはやはり人口が多いとできるとなる
小規模だと店でも会社でも少ないからできないともなる










2018年04月08日

駅前の花壇の詩


駅前の花壇の詩

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駅前の花壇に二色のパンジー
黄色は外来者の来て
紫は内にいてその色濃くも待つ
出会い見送りて
120年の歴史を刻む駅舎かな
八重桜のなきしは淋しも

鹿島駅の歌壇は二つ整備された,黄色のパンジーは外部から遠くから来る人を象徴している,明るい花である。
一方で紫の花は内部にいて待つ花なのである。
それが対象的であり駅というのが外部のものと内部の者が交わる場になっているのである
こういうことは駅だからありえる,でも案内したのはセディティであり鹿島で一番にぎわっている常磐高速のSAである
そこにおみやげを一杯売っていると案内したのである。
その女性は車に乗せられてそこに行ったのである。
駅前ではおみやげは買いないからである。

鹿島駅の花壇は大きいしそれなりに映える,二カ所花壇ができたのもいい
それだけで何か駅でも明るくなる
ただ八重桜がみんな切られてないこきとは淋しいとなる
駅は何かわかったことは人が交われる場所なのである。
一時でもそうである。そういう場所は今はあまりないのである。
第一大きい駅になると人が交わる場所ではない,ただ通りすぎて行く場所だからである。だから小さい駅が人間的になる,つまり小さいということは何でも人間的なものにするのである。

現代の社会が何でもあまりにも大きすぎるのである。大きくなれば人間は群集と化して
数だけになる,でも田舎駅だと一人一人の人間になるということもある
ともかく自分は毎日一時であれ駅に寄っているのである。

タグ:駅前の花壇

2018年04月26日

駅で会う暇な老人 (人生百年時代をとう過ごすのかも問題)


駅で会う暇な老人

(人生百年時代をとう過ごすのかも問題)


今日案内した人は鹿島の寺に墓参りに来た人だった,そこは桜で有名な所でありでも桜は散っていた帰って行った
年配の女性二人であり何か観光にも来ていた,それで多少鹿島を案内した
その人もタクシーの番号のある場がわからなかったので教えた,タクシーの番号を聞かれるのは駅内に表示していないからである。
駅から出た所ではわかりにくいからである。
それで前の自転車屋に聞きに行ったのである。
その人はいろいろバスの交通とかを聞いていた,鹿島からも原町回り飯館により福島市に行くバスがあると教えた

それを駅内に勝手にはっていたが駅に許可なしでは置けないとして撤去された
その案内があれば説明しやすいことはあった
だからそんなにルールにこだわることもわからないことだったのである。
ただなんらかのクレームがJRに来るのを嫌がっていたのである。
その年配の女性も暇な人達であり何かいろいろ聞いた
何かを鹿島町とかこの辺のことを知りたいからである。
年配の女性が60以上だからこの人たちも暇な人が多いのである
それだ白河の城でもそういう歴女にあったことがある
その女性は大阪の人だったのである。

駅で良く会うのが暇な老人である。その人は大崎市の温泉に行っているという
前も見かけた人である。ただ大崎市はどこというときわからなくなっていた
鳴子のことであったが大崎市は古川市でも合併しているからわからなくなったのである。このことからやはり原町市が合併したとき南相馬市というのは良かったともなる
なぜなら相馬というのは知られているから相馬といえば場所がわかるからである。
ただ相馬市と南相馬市は同じに見られてしまうのが問題になった
やはり大崎市はどこなのとなる,鳴子とか古川だったらなじみがあるから場所がわかるからいいのである。

今日は前にも会った老人と話した,この人たちも実は暇なのである。どうも毎日相馬市とか山下の方に通っているみたいだ,ある人は原町の図書館に電車で通っている
そこで暇つぶししているのである。だから図書館に老人が集まっていることは確かである一番集まっているのは川子のパークゴルフ場である。
そこでは昼間は食事もできるようになったからである。

ともかく日本全国でどれだけ暇な老人が増えたのか?それはもはや全国的な老人の問題である。高齢化の問題はいろいろあるが暇をもてあます老人もまた問題なのである。
なにもするたことがなく妻の後についてゆくというのもなんか淋しい
その人はプロ野球のことを延々と話した,ある人は相撲のことを延々と話した
それは若いときから子供の時からテレビで見ているから今も見ている
まず60すぎても若いときしたことをしたいのである。
だからバイクもするしスキーもするし登山もしている
そういう快感が忘れられないからするのである。

人間は継続的に生きているのであり若いときと断絶するわけではないのである。
若いときしたことをまた80すぎてもしたいしするのである。
人生はそうして老人になったからといって変わるわけでないのである。
今は盆栽いじりなど老人でする人はかえってまれである。
若いとしたことをまたしたいのである。
自分の場合は自転車旅行をまたしたいとなるのである。

ともかく趣味でも若いときからしていないものは老人になってもできない
若いときから継続していたものができる
ただ自分がしているパソコンでの抽象画は最近しているものである。
だから60の手習いというのはある,でもパソコンを継続しているからその延長として抽象画もあったとなる

つまり人生百年時代は金銭面もあるがいかに残りの人生を有益に過ごすかというのも大きな課題なのである。これも若いときからそうした趣味でも遊びでもしていなとできないのである。
とにかく人生百年時代はライフワークが必要になる
何かを素人でも学者のように探求することが必要である。一つのテーマをもってすることが必要になる,そうでないと退職してから暇をもてあますようになる
人生の時間が百歳となればもう一回人生があるともなる
これも経験していないことなのである。
自分の場合は作品の完成をライフワークがある
それは若いときからしてきたことである。会社に勤めていなくてもそういう仕事はある
ただ金にはならない,でも作品化する集大成する仕事がある

でもそういう仕事がもてない人は相当に暇になる,どうしたら暇つぶししたらいいのかとなる,そういう人はただ普通に会社員とかで働いた人だからである。
そうして趣味もない人が多いのである。
すると暇をもてあまし生きがいもない老後になってしまうのである。
老人は何か家にいても一人暮らしが多くなっている,そこで家に一人いるのも嫌だとなる何かそこに一人暮らしの問題がある
ただ集団生活となるとまた簡単にはできない,何かしら人間関係でも問題が起きるからである。
駅でちょっと話すくらいはいいとして駅に行って案内したり話したりしているのである。

タグ:暇な老人

2018年04月30日

鹿島駅の六号線側の空地を手入れしていた人 (復興のために援助された金は使われなかった)


鹿島駅の六号線側の空地を手入れしていた人

(復興のために援助された金は使われなかった)

kkkstation1232.JPG
ここは細長い土地であり何かに利用できる



駅の向かい側で何しているのか?あそこはどこの土地かと思った
それで向こう側に行き聞いてみた
そこはJRの土地ではない,エネオスとかのガソンリスタンドの土地だった
細長くありそれなりの土地である。

そこで草など刈っていた人は相馬市の駅のことをしきり言っていた
東側を駐車場にすればいいと思うけどしていないとか言っていた
東側は開発されていない,原町駅では東側は駐車場になっている
街が開発されている,エレベーターもある
相馬市のと駅にエレベーターがないのである。

でも相馬市では市で開発に金をかけてやったとか言っている
南相馬市では前にも書いたが鹿島区では百億円とか補償金をもらったが個々人に配られて何か形としては残っていない
それで山梨から来た事業に失敗した人はしきりに駅前の開発をすすめていた
その人が事業した人だけにいろいろ知っていたのである。

鹿島駅の六号線側に駐車場ができるといいとも思った
今鹿島駅の一番の問題が駐車場がないことだからである。
六号線側だと車の行き来もあり入りやすいとなる

何か南相馬市では本当に30キロ内の人達は多額の補償金をもらったがそれは何か街全体として形として復興するものを残さなかった,ただ個々人に配られて消えたのである。
除染費用なども莫大だったがその金はゼネコンに流れて街の復興にはならなかった
だから山梨の人の言うことはなるほどなと思った

相馬市が市政にそれなり補償金などがおりことき使った,街作りに使った
南相馬市は個々人に補償金をばらまいて消えた
かえってその金で若い世代は小高などから流出して帰らないのである。
街の復興のために使われなかったのである。
ただ個々人に配られて消えた,そして街には老人だけが取り残されたのである。

もしもっと街の復興に役立つように金を使えば街も復興しているから帰るかとなったかもしれない,それが個々人に配られたし多額な人もいるから街から人が流出することになっ補償金はかえって有効に街の復興のためには使われなかったのである。
個々人の復興にはなったかもしれないが街全体の復興には使われなかったのである。
それは市政が悪かったのか?市長が悪かったのか?市民が悪かったのか?
誰に責任があるのかわからない
ただみんな補償金ばかりに目が向いてそれを街の復興のために使うということがなかったのである。

ともかくあそこが空地でありそのことに気づいていなかった
こうして不思議なのは毎日駅に来ていたのに気づかなかった
あそこが空地であり利用できるということである。
花を植えてもいい,つつじなどにあうかもしれない,土地としては狭いがまた細長く広くも感じたのである。
ただ六号線とつながらない,前が窪地となっている
でも開発すれば平坦な土地となりつながり利用できるのである

人間はつくつぐ身近なところを良くみていないのだ,ただ自分は駅でボランティアのまねごとして毎日見ていたから気づいた,他の人もあそこの土地について無関心だったろう
ただ向こう側に柿の木があったり合歓の花が咲いていたことは見ていた
それはなごむ風景でもあった
ただあそこが空地で隣のガソリンスタンドの土地だとは気づかなかったのである。
こうして身近でも知らないことがあるものだと思った
駅でも常磐高速のセディティのようにあれだけ人の出入りがあれば何か開発を考える人はでてくる,その差があまりにも大すぎるのである。
ただ駅には人を集める工夫があり開発の余地があることは確かである。


タグ:駅前の空地

2018年05月01日

駅から相馬市まで歩く人


駅から相馬市まで歩く人


今日は駅から相馬市まで歩くという人がいた,前にもいた,年配の人であり今日は暑いから楽でないと見た
旅行すると今は便利になりすぎている,だからかえって旅しても何か後で思い出してし記憶に残ることがなくなる
六号線を行くと早いが歴史のことがわからなくなる

日立木から松並木を通って相馬市に入れば相馬に来たなと思うだろう
六号線だとそういう感覚がなくなる,旅はそれだけ便利になりすぎて通りすぎるだけになったのである。

七ヶ宿街道を自転車で行ったときの思い出は残っている
芒の原の道を行き鏡清水で夕暮れになっていた,上山に暗いなかを走っていた
その時旅情を感じたのである。あそこに電車で行っては旅情はあまり感じないのである。鉄道と街道はまるで違ったものだからである。
鏡清水に来るともう上山の城は近いなと感じる,だからここで姫が化粧するために顔を写したというのがリアルなのである。
七ヶ宿となると今は鉄道も通らないし辺鄙であるからかえって当時を偲ぶことができる

七ヶ宿の旅(俳句、短歌-自作)


七ヶ宿街道
鏡清水

今日相馬市まで歩いた人はインターネットでプリントしたものをもっていた
おそらくそれが出ていたのはこのサイトだろう
ここは良くできているからだ,ここまで詳細に見るのは地元でもしていないからだ
旅の問題としてそこがどういうところかわかりにくいのである。
本は二冊ももったりしたら厚いとしたらもてない
第一その場に詳しい情報はないし調べられない,今はスマホをもっているから調べやすいが
それでもその場の情報を得るのはむずかしいと思う
検索すること自体めんどうになるからだ,旅は急いでいるしゆっくり検索できないのである。

百街道一歩の道中記

ともかく歴史を偲ぶなら昔の街道を行くことだがそれが今はなかなかできないのである。車で来た人などただ通りすぎるだけになってしまう

後は福島市から来た夫婦である,福島市から来る人も仙台についで多い,その人は松川浦を見に行った
連休だから観光目的の人が増える,駅では無人駅でもあり案内することがありそこで全とした会話が成り立つのが面白いとなる

それからゴミが落ちていたので拾ったりしてホーム内のごみ箱に投げた
あそこにごみ箱があるのを知らない人がいる,気づかないのである。
喫煙所になっている所には今回はボール箱のようなものを置いていった人がいた
それはかなりゴミであったからごみ箱に投げた
仕事といってもそんなところである。
でも自分は毎日一回は駅によって見て回り案内したりしている

ともかく駅の役割には外来の客を旅人を迎えることがある
駅(うまや)は厩(うまや)ともあり馬が休む場所であり旅人も休む場所だった
旅人を迎え見送る場なのである。
鉄道の駅も迎え見送る場である
ただ常磐高速でもそういう場になっていない,ただ車が休息によるというだけでありそこで迎えたり見送ったりすることはないのである。

駅を出て街道歩む旅人を我が見送りぬ夏の夕ぐれ

駅から鉄道で見送るのと駅から歩いて行く人を見送るのは感覚的に違う
あの人は街道を歩いて行くのだなとイメージする,相馬市までは15キロであり遠いのである。
だから常に街道では迎えたり見送ったりする人がいたのである。
そこに出会いもあったし分かれもあった,それが街道を行くことだった
駅にはその感覚がまだ残っているが歩いて旅する人を迎えたり見送ったりするのは違うのである。

2018年05月02日

鹿島駅とセディティの記録 (セディティでナンを食べる)


鹿島駅とセディティの記録

(セディティでナンを食べる)

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東京から来て浜でキャンプした人

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除草している人

駅では重い荷物をもった人がいて弁当を食べていた,右田の浜か海老浜でキャンプした
津浪の前は右田浜にキャンプ場が実際にあったが今となにもない
あの荷物をもって浜まで行ったから体力がある,40代なのか50代なのかわからない
体が大きいのである。東京から来た人だった
それ意外はは何者かわからない,話を聞きたいができなかった

駅ではあと除草剤をまいていた,前にもしていた,今回はコンクリートの割れ目に除草剤をまいていた,聞いたらこれはJRでしている
商工会に委託してはいないのである。商工会で草むしりとか除草はしていないのである。商工会の観光会の人がしているのでありその人たちはJRから委託されているから金をもらってしている
ただごみ箱のゴミをなげるくらしかしていないのである。

次に行ったのが常磐高速のセディティである。
出店がでていてナンとカレーの店だった
ナンは良くインドでも外国旅行でも食べた,このパンは好きである。
アジアではご飯と同じである。
カレーと一緒で500円だった,福島市と仙台市ではナンを出すレストランがある
仙台市では食べたことがある,福島市ではない
でも仙台市にはすでに一年も行っていない,自分は遠くに外出しなくなった
介護十念して旅もしていないのである。それでも二三回はその間に行った
その店をしていたのはインド人だった
カレーはインドのものであり日本のカレーとは違っている,本場のカレーである。
今はいろいろなものを食べるのが楽しみである

なにかこんなことを書いているのは何の意味があるのだろうか?
それは記録することに意味があるかもしれない
新地のガス会社の人と駅で話したのは三年前かと思ったら2017年のはじめのほうだった
それを読んであれ三年前頃だったと思ったがそうではなかった
プログは日にちが記されているから記録するのにいいのである。
プログの大きな価値は記録することにもある
まず自分の書いたことを何でも忘れているのである。
つくづく人間ほど忘れやすいものない
もう一年前でも忘れているのである。

記録が価値あるものとなるのはやはり日付が明確なものなのである。
郷土史研究で良く古い碑とか墓の年号を調べる,江戸時代の年号であれば価値があるのだがそれが例えば


1805年文化2年乙丑  
1818年文政1年戊寅4月22日改元 
1830年天保1年庚寅12月10日改元 
1847年弘化4年丁未  
1848年嘉永1

こんなふうに短い間に元号が変わる,すると文政が先で文化が後の時代だとみているときが普通にあるのだ,これは大正を明治より先にしない,それが江戸時代では時代の後先がわからなくなるのである。
明治大正昭和は時代的に区分されるが平成となると何か今一つ時代区分が明確でなくなるそこに何か特徴がないからかもしれない,天明というと飢饉があった時代だからイメージしやすいのである。

個人的な記録でも人生でもどういう時代を生きてきたのか?それがわからなくなるのである。

記録となると江戸時代の記録なら何でもただ記録しただけで貴重になる
記録は年月がたつと貴重になる場合がある

この駅の記録でももし今日重い荷物をもって駅で弁当を食べていた人がこの写真をみると自分がここにいたということを確認できて驚くかもしれない
なぜなら本人自体忘れるからである。
自分もどこの駅にいたのか覚えていないのである。これだけ旅しても駅のことを覚えていないのである。

ただこういう記録を読んでも他の人は興味を覚えないかもしれない,でも歴史の記録となるかもしれない,なにかつまらないことでもそれが後で意味を帯びてくるかこがあるかもしれない,親は大正生まれだったけど記録したのはわずかでありそれで死んだからわからなくなった,それがもったいなかったなとなる
自分の生きたことをもっと記録でも残していれば親のことをふりかえることができたからである。
今はプログとかで膨大な記録をしている,写真でもしている
でも今の時点ではそれが重要なものとして見ない
ありすぎてもいるし見ないのである。

セディティのナンとカレーの店

kareeenann1.JPG

セディティは駅とは全然違う

警備員が10人いた!

これには驚いた,車を誘導する人がいたり他にもこれだけいたことには驚いた
給料はどこで払っているのか?高速の収入で払っているとなるのか?
この差は大きい,駅は無人駅だからである。
それだけ人の出入りが本当に多いのである
一日数千人単位になるのか?まずひっきりなしに人が来ているのである。

2018年05月03日

トイレの燕の巣を掃除した人 (駅はみんながかかわる場)


トイレの燕の巣を掃除した人

(駅はみんながかかわる場)


近くの人がトイレの燕の巣を掃除していた,あそこは市で建てたものであり障害者団体の人達が毎日掃除しているのである。
でも今回は近くの人が掃除していた、去年は駅舎の中に巣を作って汚れた
その時原町から来た駅員が苦労していたのである。
やはり今頃になると必ず燕の巣の問題が起きるのだと思った

駅は地区の人も相当かかわっている,花壇の手入れなどしているし前の自転車屋ではプラタンの花に水やりをしている,駅内の掃除はJRに頼まれた商工会の観光部の婦人がしている,このようにすでにいろいろな人達がかかわっているのである
駅は公共的空間であり人が交わる場所だからそうなっている

駅の特徴は外部の人がくるから外部の人とも交わる場所なのである。
それが駅の特徴である。外部の人を招く場ともなっている
つまりはじめてくる人だと駅に第一印象をもつ場だとなる
ただ外部でも意外と鹿島出身の人達もくる
外に出た人達である。だから親戚がいて来るのである。
そういう人達はまた違っている

今日駅であったのは自転車で知り合った変な人である,知的障害者なのかしらんがニートであり仕事をしていない,そういう人も今はどこにでもいる
ただあれはこの辺では目立つ人である。
その一人は兄であり後から弟が来た
その兄もなにか弟とにた感じである。
なんでも鮎川まで牡蠣の仕事で行った,それで交通費をとられて金にならないと騒いでいた
電車で仙台まで行きそれから石巻で行きそこから鮎川までバスで行くという
三時間以上かかってしまう距離である。鮎川までも遠いのである。

なぜそんなところまで働きに行っているのか
この辺には仕事ないんだよなという
でもそんなところまで仕事に行くだろうか?
その人はやはりまずコンビニなどで働けない人である。人と接してはとても働けないのである。そういう人は東京に出て建築の仕事をしている人もそうである。
あの人も仕事がないと東京に行ったのである。
何か仕事がこの辺ではなくなってきているのだろうか?そうなっているのだろう
もともといい仕事はなかった所である

一番いいのは東電の仕事だったのである。
あれはほとんど仕事しなくても金になる
まず現場に行ったら放射能が危険なので5分も仕事できない,すぐに交代であり休む時間の方が多いのである。それで休んで寝てばかりいたとか言う人がいた
意外ときついようで楽なのである,それで金は二倍とか三倍になる
だからこの辺では東電で働いた経験のある人が実に多いのである
それだけ金になる仕事だったのである。
そうして東電の影響が大きかったのである。
田舎の問題はまともな仕事が少ないということである。
農業とか漁業では金にならないということで漁業者は漁業権を売り渡して補償金で暮らしていたことが事故後にわかったのである。
それも結局金になる仕事がなければそうなってしまうのである。
そこに危険でも原発が建てられた事情があったのである。
いくら農業がどうだと言っても現実問題としては金が欲しいからそうなったのである。
原発はそれだけ金になる場だったのである。

あの人たちは参考にできない,スマホを弟が使っているし知的障害者とも違う,ただ知的障害者でも器用にゲームをしたりスマホを使いこなしている人がいる
だからどうなっているのかわからない,あの人達はなんらか問題があり福祉の対象になっていて金はもらっているのだろう。
ただそんなところまで仕事に行ったのは父親が死んだとかなり行かされたのである。

とえく駅はみんながかかわる場所だから意外とその街のことも情報も集まる場である。
みんながかかわるということはみんなの駅となりみんなが良くしようとすることで街も良くなる,何かそうした場が今は街でもない
やはりみんなが街を良くしようとすると街は良くなる
そういう意識が大事なのである。そういう意識がまずないと街は良くならない
ただ何かするにも人間は動機が大事である。
自分は鉄道の旅が長いから鉄道がマニアではないにしろ好きなのである。
それで鉄道会社に世話になってるから恩返しだともなる
そういう動機があってしているのである。
まずボランティアになると金もらえないのだから何か動機がないとできないとなる

ただ正直高速のセディティは警備員が十人もいる,この差は本当に大きい
それだけあそこは人の出入りがあるということなのだ
だから商売にもなる,駅はそれで無人駅になる
でも何か駅は人間的な場所でありかえって人が少ないから案内したり何か人間的交流できる場だなと思った
駅でも大きな駅だとできない,すでに原町のような駅は専門に掃除する人もいる
だからあういう場所ではなかなか人間的交流はできない
ただ人が通りすぎるとういだけになりやすいのである。

タグ:駅の役割

2018年05月05日

特別列車が止まる (セディティは連休で最高のにぎわい)


 特別列車が止まる

(セディティは連休で最高のにぎわい)

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 団体用の特別列車が止まった,ただ二両だった
記念に写真をとった, これも連休で出たのである。

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それにしても今日も夕暮れに常磐高速のサービスエリアは連休最後になるし天気もいいから本当に混んでいた
あそこだけはにぎわい都会並になっている,あんなに人が出入りしているのが不思議になる,そういう光景はこの辺で見ないからである。
たこ焼きを売っている人を知っているけどあれだけ人が来れば売れる
人の流れがあるからだ,それは人の流れというより車の流れなのである。
車時代だから車の流れが人の流れを作っている

警備員が十人もいることに驚く,それだけ人の流れがある
駅と比べるとあまりにも違いすぎるのである。
百倍とか千倍も人の流れが違うようにも思える,現代は車を離れてありえていことをここで実感する,あれだけ人の出入りがあれば商売になる
でも難点はまずサービスエリアから鹿島の街の方へ来る車はほとんど見かけないのであるつまりここで休息して去って行く人が多いのである。
だから街とは関係なくここだけが休息所としてにぎわっているだけだとなる
ここにくるとここだけが都会なのである。 

2018年05月10日

無人化した駅の問題 (市役所の人,JRの下請,地区の人・・が来る)


無人化した駅の問題

(市役所の人,JRの下請,地区の人・・が来る)


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つばめの巣のことでアサガオの人が文句言う

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自転車置き場の拡張工事のための調査

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JRの下請の人がホームの長さを計る



障害者のアサガオで毎日トイレ掃除している,そのトイレは市で作り運営している
だから市で金をだして掃除させている
駅舎内でホームの掃除はJRに頼んだ業者と商工会の観光部の婦人がしている
それはJRが頼んで金を払っている

今日は自転車置き場を広げる工事のために市の人が来ていた
それからJRの下請の人がホームの長さを計っていた

市で運営するトイレは燕の巣で汚れた,それを掃除するのを嫌がっていた
掃除しにくいからである。
去年は駅舎の中に燕の巣を作られてそれをJRの人が掃除していた
燕は何度もいい場所を見つけると巣を作ろうとする
それでネットをと張ったりして防いだ
トイレでも何回も燕は巣を作るため入ってくるのである。

とにかく駅にはこうして業者の出入りがある
今は駐車場の隅に電気関係なのかJRの鉄道運行のための小さい施設をつくっている
要するに駅はこれだけ手がかかっているのである。
それはJRだけではない,市でも商工会でも地区の人もかかわっている

駅は無人化したがそれでもこれだけの人がかかわっている
そして無人化することは何か管理するものがいなくなるからそこが無法地帯にもなる
なぜなら自由にホームにも出入りできるからである。
JRの人が除草していたがホームに入って何しているのか聞いたらここに入るなと言った
これもまた無人化しているから勝手に出入り自由になっているからそうなる

つまり施設でも人がいない施設は誰が管理するのか守るのかということもある
空家が増えているがそこを所有している人はいても出入り自由になり犯罪者の住処にもなるし何かそこで問題が起きることもある
それは管理する人がいないからである。
原発事故の避難地域ではそうなった,街に人がいなくなり無法地帯になったのである。

だから無人化することは経費の節約だがそこに問題がある
確かにJRで人を置かなくても管理はしている,でも無人化していることは勝手にされるということもある、駅に何かを勝手に置くなというが人がいないからそうなる
それが駅にとって地域にとっていいことでもそうである。
だから無人化した駅はJRだけでは管理できないのだから勝手にされてもしかたがないということもある
確かにJRで権利があるのだが一部なくなるということもある

要するにもうJRだけは管理できないから市でも地区でも管理してくれとなっているのだ
だからJRだけが何か権利があるのではない,市とか地区とかも権利があるともなる
無人化するとはこうして権利を失うことにもなる
人がいないということはそういうことである。
それは原発事故の避難区域で人がいなくなったことともにているのである。
タグ:駅の運営

2018年05月18日

震災後常磐線乗客数が相馬駅原町駅で半分に減る (鹿島駅は378人から318人へ)


震災後常磐線乗客数が相馬駅原町駅で半分に減る

(鹿島駅は378人から318人へ)
     
        相馬駅                    鹿島駅               原町駅

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相馬駅より原町駅が減り方が激しい
やはり原発事故で小高とか浪江からの人の流れが鉄道利用が減ったためだろう
ただ2016年になると多少回復しているから2018年ではもっと回復しているだろう


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山下駅                    新地駅

山下駅の減り方は激しかった,新地駅はそれほどでもない
駅自体が津浪で流されたし山下は仙台の通勤圏だった
その人たちが利用しなくなったのだろう
震災前は山下駅は851人で多かったからである。
ただ2016年では増えているから今後も増えるのだろう

新地駅と山下駅が逆になっていましたので訂正しました(6時31分)



なぜ原町駅と相馬駅で半分にも減ったのか?原町駅はもっと減っている
この理由は何なのだろう。
これは小高とか浪江とか双葉とか大熊とかから仙台方面を利用する人がいなくなったためだろう,それしか考えられない

それが裏付けているのが鹿島駅である。
それほど減っていない,鹿島では相馬とか原町方面へ行く人が多いからである。
ところが今回原発事故で避難区域になったところは原町とか相馬でも来る人が多かった
それが全く途絶えてしまった結果こんなに減ったのである。

一時震災で工事関係者が流入して三倍に増えたと聞いたから増えたかと思っていた
実際は減っていたのである。
常磐線はいわきまで通じない限りこの乗降客の数は増えない
いわきまで通じるのは後2年かかるのである。
これでも大きな痛手だったことがわかる
ただいわきまでは二両の電車とかなり余りのる人は前から少なかった
でもやはりいわきまで通じないことの影響が大きかったのである。

これでわかることは鉄道は途中で途切れると乗降客もへる
常磐線は廃線になるような線ではないがやはりいわきまで通じてこそ乗降客も増える
だから鉄道でも復興していないのである。
ただ只見線とか三陸鉄道と違って意外と早く復旧できたのは新幹線でJRがもうけて400億円出して復興したためである。
只見線とか他の線はも復旧できない,それだけの金を出して継続することができない
それだけ乗降客が減っても廃線ぎりぎりで運営していたからである。

JR東日本は27日、一部区間が不通となっている只見線の復旧費用について、工法などの見直しにより81億円に圧縮できるとする新試算を公表した。直近の試算よりも27億円少ない。復旧費の3分の1をJR側が負担する新提案も明らかにした

これだけの金がかかるから復旧できない,まず二三時間置きとかになると電車はほとんど利用できなくなる,常磐線はまだ一時間置きであり仙台に通じているからこの辺はいいのである。まず簡単に廃止路線にはならないだろう。
名取までの空港への足とも最近はなっているからだ
仙台への通勤列車ともなっているからだ

2018年05月22日

駅前の家一軒が壊される (老人が一人住んでいた)


駅前の家一軒が壊される

(老人が一人住んでいた)

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四角に囲んだ家が壊される

この小さな家に時々介護のため福祉の車が来てばあちちゃんが出てきていた
今日あった人は鹿島の小島田に5歳まで住んでいた人でありこのばあちゃんの甥子にあたる
一人なので引き取るほかない言っていた
その人は水戸に住んでいる,だから鹿島には良く来ているから鹿島のことを知っている
駅前に農業のスーパーあっこことを知っている人は相当に年をすでにとっている
40年前くらいにあったがその後自動車時代になり消えたのである。
水戸まで常磐高速で二時間で来れるからまた便利になった

あそこは小さな家だけど駅前通りを広くするために小さくなったらしい
土地は地主がいて借りていた,街ではそういうのが多い
だから家の中をかたづけていたが壊すだけである
小さいから壊すのが楽だと思った

駅前はさびれている,理容店も廃屋になっていて汚れているから何か印象が悪くなる
そして無人駅になっているとさらにここはさびれた街だという印象を外から来た人はもつようになる
駅で意外と良くあうのは鹿島町にもともと住んでいた人である。
この前は白河だと白石に嫁いだ人とあっている
でも街には昔の面影がなくなっている

鉄道を利用する人が多いときはもしこうして空き地ができれば何か商売をはじめる人が出てきた
人の流れがあったからだ、今は常磐高速のSAのセディティと比べるとあまりにも違いすぎるのである。
だからとても商売になりにくい,だからさびれる

水戸だと近いから鉄道で仕事している人はこの辺は水戸管理局内なので良く来ている
駅は外部の人との接点でもある
駅で会うのは意外と内部の人,前から住んでいた人ではない,震災以後移り住んだ人と良く会うのである。最近では浪江の人である
その人は浪江に通っている,土地と家があるから見に行っているのである。
ただ鉄道だと浪江は不便になるから困る
その人は車をもっていないからである。

いづれにしろ全国的にもそうだがこうして老人が住んでいてもやがて住めなくなる
後継ぎがいないのである。
だから空家が800万軒とかさらに増えてくる,それが縮小社会日本なのである。
隣の自転車屋でも娘はいても跡継ぎはいないからそこでやめると一軒も自転車屋が鹿島にはなくなる
東京に息子娘がいて跡継ぎがいないという人が多いのである。
ここのばあちゃんは甥子でもめんどうみてくれるからいいなと感心してうらやましかったともなる
甥子姪子になると離れていると疎遠になる
水戸はまた東京と違って行き来できる範囲にあったから良かったのである。

タグ:駅前の家

2018年05月23日

鹿島駅前に駐車場があった (近くのことが意外とわからない)


鹿島駅前に駐車場があった

(近くのことが意外とわからない)

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鹿島駅のすぐ近くに駐車場があった,駐車場のことを良く聞かれていたがあそこにとめる人がいたので今日見てみた
そしたら看板があった
ここは正式の駐車場ではないが長くとめておくことができる
駅前は一時的にしかできない

駅の案内をつづけているけどわからないことがまだある
灯台下暗しだなとつくづく思う
自分の弱点は車に乗らないから車のことがわからないのである。
それで原町の車でのりつけてハンバーグなどを買うモスバーガーのことを20年間くらい知らなかったことである。
いつも休む所を探していたがすぐ近くにあっても知らなかったのである。
まず車に乗らない人は現代社会で取り残されるというのは確かである。
それはインターネットとかスマホを使わないと同じなのである。
ただ別に仕事をしていないからやってこられとつくづく思う

駅でもこれだけ案内することがあった,改良することもあった
案内するには最低限知っていないと案内できないのである。
一年以上案内していてもそうだった
人間は情報というけどこうして身近なことがわからないのである。
それは郷土史研究してもそうである
すぐ近くのことがわからないのである。
すぐ近くの神社に「天明の碑」があったのもそうである。

世界の情報を知ってもすぐ近くのことを知らないというのが現代なのである。
世界を旅行して世界のことをやたら詳しい人がいるが日本のことを知らない人も多い時代なのである。
ただ近くでも知るということは限りなくある,細部にこだわればそうなる
近くの人でもこの人どこで働いているのかわからないのである。
その人だって20年とかいてもわからないのである。
だから今の社会は意外と近くが疎遠になっているのである。
物を買うにしても通販になったりしているから余計に近くが疎遠になりわからないということもある

ただ案内することはいろいす聞かれる,それでその聞かれたことで関心をもつ
地元の人なら原町行きのホームと仙台行きのホームを間違えることはないが外から来た人はわからないのである。
それを良く聞かれたので原町の駅に表示するようにしたらしてくれたのである。
何かこれは駅だけのことではない,意外と近くのことを知らない
その知らないことで日々生活することに支障をきたすことがある
原町になると広いから余計わかりにくくなる
原町の細部を知ることは広いからできない,そして利用しないと具体的にわからない
鉄道を利用しない人は切符の買い方すらわからないし乗り方もわからないとしきりに言うからである。
人間はある土地に長く住んでいても肝心なことすらわからないことがあるのだ

2018年06月02日

駅前に電気系統の小屋完成 (駐車場の舗装工事始まる)


駅前に電気系統の小屋完成

(駐車場の舗装工事始まる)

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新しく出来た小屋

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駅前の駐車場の工事


あの小屋は電気系統の信号などを操作するものだろう。
ホームの埋められた電線も工事することになった
水戸から来た人がその電線を通っているのを見ていた
鉄道の保守管理は意外とこの電気系統がめんどうなのである。
車だとかバスにはこういうことがない
だから鉄道を維持することはコストもかかり手間がかかるのである。
電気はまた危険な面があるから保守点検が大事になるからだ

駅前のはずれたところにある駐車場は舗装するらしい,あそこもわかりにくい,
長時間はとめられないが一応駅前よりは長くとめられる
でも知らない人が多いのである。
知っている人は利用しているが遠くから来た人はほとんど知らないのである。
それでキクチスーパーにとめたという人もいた
車をもっている人にとって駐車場は常に問題になる
それで駐車場がない街の通りは不利になったのである。

あとは駐輪場を市の建設課の人が来て調べていた
JRの土地になっているところで問題があり調べていた
新しく駐輪場を広くするらしい
ここでも市がかかわっている
外のトイレは市で運営していて障害者の施設に毎日掃除をしてもらっている
それでぴかぴかなのである。
あのトイレは遠くから来る人や鉄道を利用しない人も車で来て利用している
やはり道の駅がないからそうなる

ホームにあるトイレはJRが他の会社に頼んで掃除してもらっている
あとは商工会の女子部がゴミのかたずけをしている
これも金を払っているのである
このように駅を維持することは金がかかるのである。
だから乗降客が少ないのに減っているのに駅を維持するということは
なんらかJRだけでは維持できない
それでローカル線が廃止となりコスト削減として無人駅にする

ただ常磐線で原町駅と相馬駅は半分くらい減ったのはいわきまでつながらないからだろういわきまでつながれば回復するだろう
乗客が三倍に増えたというのは工事関係者などがきて仙台に行く人が増えたのだろう
また名取から空港を利用する人で増えたのだろう
仙台までの乗客が増えれば収入増にはなる,近くではならないからだ

2018年06月04日

岩沼-仙台間で車両事故で約一時間ほど遅れる


岩沼-仙台間で車両事故で約一時間ほど遅れる

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12時半から一時半頃まで車両事故があり遅れた、それで一時間ばかり駅にいたが今日は忙しかたっ,最近はあまり駅ですることがなかったが今日は忙しかった
東北電力に仕事で来ていた人がいた,なんでも原町駅に行くのが時間をみて鹿島駅に来たという,その人は仙台から新幹線で帰る
そこでなかなか電車が来ないので困っていた

48遅れと出ていたがそれ以上遅れないのかインターホンで原町の駅員に聞いた
そして電車が鹿島駅に来る時間を教えた,だいたい48分遅れで正確だった
12字20分で来ると連絡してきたので乗る人に教えた
四五人乗る人がいたからだ

それで上りの原町行きは48分遅れと出ていたが下りの仙台行きも遅れる時間が伸びていたそれは原町行きの上りの電車が原町駅に来てから折り返しで来るから遅れた
すでに遅れた原町行きの電車は鹿島駅を出発して原町に行ったが
次の電車がまた鹿島駅に来てとまった,それがなかなか発車しなかった
それはここで原町駅の電車が来るのを待って発車するためだったのである。
その時電子の自動掲示板を見たがゲームのように動く車両マークが原町駅に出なかった動くこともなかった
つまり全自動化していてもすべてコンピュターで対応できず表示できなかったのである。
何でも今はAI化機械化自動化しようとしているがこうして緊急の時に困る
ただ便利なのはスマホには随時リアルタイムで遅れの連絡が出てくるのである。
だからすでに遅れることを知っていた人がいたのである。
あれは便利だと思う,でもスマホをもっていない人もいる
スイカとももっていない人がいるから困る、まだまだ切符を使っているからだ
それで急いでいた人が乗車証明書をとらないで乗った
その時自分はインターホンで原町駅の人にそのことを連絡したのである。

最近あまり駅では仕事がないがこうしたとき仕事がある
前は良く風で遅れていてその時いろいろ案内があった
急いでいる人は原町までタクシーで行ったりした
仕事の人がいてそういう人は時間で間にわなくなると困るからだ
つまり何でも自動化機械してもすべてに対応は不可能である。
そこに人間がいないと対応できないことがある

今日はその他農協に行く人を案内した,その人は車で来ていたのである。
鹿島には道の駅がないので車で駅に良く来るのである。
だから駅は駅だけのことではない鹿島区の全体にかかわっているのだ
今日は結構乗り下りする人がいた
一昨日は乗車証明書を知らない人がまだ二人もいた
たいだいもう地元だと知っているはずだがその二人は知らなかったのである。

故障というときこの前は信号の故障があった、今回は車両の故障と出ていた
鉄道はそうした故障も意外と多いのかとなる
それだけ車とバスとかより鉄道の安全走行維持はめんどうなのである。
電気系統がめんどうなのである。
だから信号の管理とか何か新しい小屋が建てられた
ホームの電線が入っている所を工事するとも言っていた

今日はめずらしく忙しい一時間だった
自分はせいぜい一時間くらいしかいない,でも毎日買い物とかの帰りとか必ず寄っていることは寄っているのである。
タグ:車両の故障

2018年06月06日

駅の入り口のドアを軽くするために業者が来ていた (駅を維持するには金がかかる)


駅の入り口のドアを軽くするために業者が来ていた

(駅を維持するには金がかかる)

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野馬追い列車が走っている,これは宣伝になるが常磐線だけだろうから目立たないだろう仙台辺りでとまると目立つ

駅のドアをまた直す,軽いものにする
錆び付いて重くなり開けるのに難儀していた
それで原町駅に連絡したら開けやすくはしたのだが
もともと重いしレールが錆び付いている古いものだから開けるのが不便だった
それで今度は軽くするというから開けやすく閉じやすくなる
ここはしょっちゅう開けたり閉めたりするから軽いのがいいのである。

ともかく鉄道というのはこうしていろいろ保守とか管理とかある
信号機のための小屋を建ててももそれなりに金がかっている
鉄道を維持するだけで金がかかることをつくづくわかった
そうなるとやはり乗客が少なければとても維持できないのである。

それで無人化することになる,それはどうにもならないとなる
つまり街の人も協力しないかぎり鉄道を維持するのはむずかしいのである。
今度市の方で駐輪場を拡大するから市もかかわっている
市でも金は出しているのである。
トイレでも市で作り掃除は障害者団体に頼んでいる
市でも金をだして鉄道を維持している
ということは市民の税金も出して維持しているともなる
車の人も来てトイレや道を聞きに来たりする
駅はそうした便宜も計っている

だから鉄道をもっと利用しないとJRでも負担が増える
でも常磐線で三倍増えたというのは仙台行きとか名取行きが工事関係者で増えたのだろうそれで収入は増えたとるなのか?
でも乗客は半分とか減っている,でも仙台まで行く人が増えると運賃が高いから収入的には変わりないとか増えることもある
新幹線では距離がみんな遠いから運賃が高くなり利益が出るとなるからだ

未だに時刻を見に来る人がいる
それで今度は時刻表を用意していたので配った
駅にはJRの許可がないと時刻表でも無料で配っても置けないと断られた
でも実は誰かが時刻表を見に来たとき自分が用意していれば配ることができるのである。もし駅員がいたりしたらできない
誰もいないから誰も管理するものもいないから何かそこでしていもJRでは確かに監視カメラで見ているとしても管理はできないのである。
だから無人駅は誰のものなのか?
利用する乗客のものでありJRだけのものではない
世の中考えてみると利用したり消費する者がいなくなるとどうなるのか?
それは不必要なものとなる,金銭的なこと金にならないかなるかもあるが
そもそも誰も利用しないということはいらないということなのだ

つまりこの世のものにあるものは利用者がいて消費するものがいて成り立つ
需要があって供給するものがいる
公共的なものは別に金にならない利益にならなくても利用者がいないと必要ないとしてやめるかもしれない,図書館とかその他の施設でも利用者がないとやめるようになる
なぜなら市で運営しているものでも実は市民が必要だから税金で運営している
もし市民が利用しないとなると税金の無駄だとなってしまうからである
ともかく駐輪場であれトイレであれ市で金を払っている
みんなの税金が使われているのである。