2017年03月16日

今日の鹿島駅(ドイツ人のエンジニア来る) 田舎の駅でもいろいろな人が出入りする場



今日の鹿島駅(ドイツ人のエンジニア来る)


田舎の駅でもいろいろな人が出入りする場


今日きたのは二人連れのドイツ人と日本人である。電気関係の人であり東北電力に来た
東北電力は鹿島からも近いから前にも来た人がいた、タクシーで行った
東北電力の火発は2000人くらい働いているとか雇用がある。

日本人はそのドイツ人を案内しているから英語がしゃべれる、まず英語がしゃべれないと案内はできない、理系とか技術者は英語を覚えやすいと思う
仕事でどうしても国際的になっているからだ、これは別に文系の仕事でもそうである。
今や庶民レベルでも国際化している
フィリピン人の母親を頼ってきた若者が英語をしゃべっているから別に英語がしゃべれるから偉いとはならない、その人はエンジニアだから違っている
ネパール人だって英語を話している、ネパールは世界の最貧国だけど英語は話しているのである。

そのドイツ人を案内した日本人がいたから通訳になったからこの辺の事情を話した。
ベトナム人とかネパール人が多いと話したら通訳したので理解した
会話と英語の文章読むのとは違う、会話は慣れが関係している
日本人は外人に特に欧米人にものおじするからしゃべれないというのもわかる
また相手がエンジニアとかなるとまたしゃべりにくいとなる
何か引け目を感じるからである。

今回来た人はステータスが一番高い人だった、だからかえってめずらしいとなる
そしてつくづく感じたことはこんな田舎町が国際化していることである。
これは十年間介護していて気づかないことだった
もちろん津浪とか原発事故で全国からも海外からも関心が集まり来たためである。

それにしてもこんなに一田舎駅が国際的になっていることには我ながら驚くし知らない人もいるだろう。
そんなに外国人が来ていたのかとなる、中国人ならめずらしくはない。
でも多様な人が来ている、ただエンジニアとか知識人とはなかなか合わない
そういう人とはなかなか話もできない、外人が俳句を作っているとしてもほとんどいいのがない、やはりこうした文化の理解となるとレベルが高すぎるのである。

でも国際交流はほんのちょっとした会話でもありうる、だから白馬村のおばさんが外人のスキー客を迎えるようになったのはそのためである。
日本が貧乏になるとき外人が観光客で迎えるというときどうしても国際化せざるをえな、それは庶民のレベルではじまっていたのである。

自動化した電光掲示板がジャパニーズオンリィというとき東京辺りでは英語ででてくるからかもしれない、いづれにしろ東京だって十数年行ったことがないから変わっているだろう、外人だらけだというとき前も隣にいた人が日本人だと思ったら中国人だということがあった。今はさらに多様な外人が来ていることはまちがいない
モノだけではない、ヒトが入ってくるとどうしても庶民レベルで国際化する
ただそれは前からあったことだが観光客が増えたとういことで誰でも外人と接する
すると英語も必要になる、ただこの英語でも会話力はやはり慣れだからあのように日常的に外人と接している人でないとすらすら英語がでてこないのである。
ドイツだと英語の元はドイツ語なんだから知識人は英語をしゃべれる

とにかく鹿島駅のような所が全国の人が集まり外人もいろいろ来る場となっていることには驚いた。
前から外人の労働者が来ていたことは来ていた。でも今は無人駅とはなっている田舎駅にこんなに外国人が出入りしていることには驚いた
だから何か毎日駅に行って案内することがある
外人ではないが今日は「右田の一本松」を見に行くという人が若者がいた
その人は歩いて見に行った、若者は3キロくらいは歩く、海の方まで歩く
そういう津浪とか原発事故関係で結構前よりは来ている
ここ何日かは風が吹かないので電車は遅れない

東北電力が大きい、その会社の人が住んでいる社宅、団地もある。
この辺では東北電力は大きな存在なのである。それは原発が東電がこれほど大きな会社だとういことを事故後に自分が自覚したのと同じである。
東北電力はこの辺の大きな仕事の場となっている
それは東電の原発とにていたのである。

ただその人はこの辺の事情を全然知らない人だった、はじめてきた人である。
原町がここよりずっと大きいということも知らなかった。
南相馬市として合併したことも知らなかった。
ここには何もない原町には何でもあると言った
ホテルもあると言ったが何にも知らないのである。
労働者として来た人はこの辺のことに詳しくなっている
その人は全然知らない人だったのである。

今思ったことは野馬追いのことをちょっと説明すれば面白かった。
写真も駅に飾ってあったからである。「サムライ」と言えば通じたかもしれない
つまり観光案内として駅にも人が必要なのである。
ただ待ち合わせ時間でも短いから観光案内とまではいかない
日本人だったら観光に来ている人がいるから案内できる
外国人で仕事に来た人には説明するのは時間がかかるしめんどうだとなる
「サムライ」が通じれば通じたかもしれない、しかしその「サムライ」さえ知らない人がいる、フィリピン人の若者は相撲は知っていてもサムライは知らなかったからだ。

今日とまっていたのは原町の平和タクシーである。
その運転手が言うのには鹿島から原町へのせることはできるが
鹿島内はできないという、権利がないからできないという
タクシー会社も権利が制限されている、今は鹿島では北郷タクシーしかないのである。
鹿島の駅前はともかちこうしていろいろな人が出入りする場だったのである

ともかく国際化しているということはあらゆる面でそうだが最近は観光面で国際化している、別に欧米人だけではない、中国人は普通になったが東南アジア方面からも来ている
だからそうなるとみんな英語が通じるわけではない、そうなるとコミニケーションに困るかえって中国語はわからない、発音がわからない、だからこの辺にいつも中国人がいても話すことはできないのである。


2017年03月22日

駅の活性化を考える (付加価値とコラボーレーションの時代)


駅の活性化を考える


(付加価値とコラボーレーションの時代)

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チューリヒ中央駅

欧米では改札口もないからホームまでもが街の雰囲気に渾然一体と
なっている。
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余暇的付加価値:

小規模な住宅地に接するように立地することで、非日常的な空間をもたらし、
「休憩」「おしゃべり」という余暇活動を促す。

 集客的付加価値:

国道との距離が近いことで、
道の駅のような役割を担い、「草花見学・育成」「駅
舎見学」という集客性の高い活動を促す。

 行楽的付加価値

駅舎とホームが直結することで、ホームへの出入りが容易になり、
ホームまで「駅舎見学」「飲食」という行楽地的活動を促す



社会は同じようなことを考えている人が必ずいる、インターネットではそれがわかるので共通項が即座にキーワードで出てくるのでそこから議論を深めることができる

駅の用途というとき普通は電車をのりおりする場としか考えない、人がそこで出会って分かれるという場でもある
だから別に電車を利用しない人でも駅前には仕事でも待ち合わせとか多様な人が訪れる
道の駅にもそういう機能があるが駅にもそういう機能があり道の駅のない町でも駅が一番目立つしわかりやすいから駅に行く
自転車旅行でも知らない町に行ったとき駅に行くのが便利である。
そこで情報を仕入れるのである
駅は街全体の中で機能する役立つ場としてある。

だから電車を利用しなくても駅前にもっと店やその他施設があれば集まる
それで南相馬市では駅前に図書館を作ったがあれは外から来た人は利用しない
まず自分も調べ物するとき旅行で立ち寄ったがとても時間も余裕もないのでできない
外から来た人はそうした時間の余裕がないのである。
図書館は相当に暇な人でないと利用できない、いちいち本を調べるのがめんどうなのである。
インターネットだとこのようにキーワードでそれなりのものが出てくる
これを図書館で調べるとなるともうできないのである。
だから図書館にはここ10年もほとんど行っていないのである。
家事でも時間がとられるからそうなった。原町で遠いためにもそうなる

駅では意外と多様な人々が来て分かれる場であることがわかった
高校生とかばかりが目だつけどそうではない、遠くから来る人が意外といる
今日あった人は千倉の住宅に中学と高校の時住んでいた人である。
その人は東京に夫がいて大阪に住んでいるというからそれも遠いと思った。
結構昔とか前にここに住んでいて来る人がいる

やはり一番多いのは仙台から来る人である。この前も墓参りに来たとかある。
この辺の墓地は仙台から来る人が多い、それだけ仙台との交流がこの辺は深いのである。車で来る人も嫁の実家がここだとかありそういう縁の人が来る
墓地を見ると意外と今は外から来る人が多い、仙台のナンバーは良くみかけるからだ。
仙台に移り住んで墓参りだけに来るといひ人もいるだろう。
現代は移動しやすい時代だから何代も墓がつづくということがむずかしくなり
墓が捨てられるというのもそうしてみんな広い地域に住むようになったからである。

「草花見学・育成」「駅舎見学」という集客性の高い活動を促す

要するに駅を公園とか花壇とか何か街の中で憩いの場所として活用する
電車が来る鉄道のみに利用を限定するのではなく街の中での駅舎の活用を考える
一つのものに限定して利用するというより街という中に鉄道の駅もあり活用される
そこは待ち合わせの場だったり人と人が出会う場であったり憩う場所だったりする公園とか広場の機能をもたせる
公園はあってもそこは地元の人しか利用しないし子供が少ないから子供もあまり利用していないのが淋しい

鹿島駅前には春の日がさしてクロッカスが咲いていた、そこは花壇になり憩いの場となるただ八重桜の木は切られたのでその影に休み電車を待つことはなくなった
駅は公園とか広場とかの機能がありそこに花壇があれば四季の花が楽しむ場ともなる
そして外からの人が来ても第一印象としていいものになる
原ノ町駅は大きくても前に広場もないし憩う空間がないのである。


なぜ自分が駅に行くようになったのかというと駅はすぐ近くであり一人になってからそこで人と交われるということを発見したからである。
ちょうど無人駅となっていたのでそれで何かしらの役に立つから行くようになった。
そしてホームに出入り自由だから見送りしているのである。
待合室で待っている人は誰かと話したい、今日あった人もそうである。
知り合いもいなくなっているとか言っていた。
そこに人がいて少しでも人と話したりすると駅でも活きた場所となる
何か今はそういう場所が少ない、コンビニでもスーパーでも買物する場であっても人と人が出会う場でもない、買物をすることで時間がとられる

欧米では改札口もないからホームまでもが街の雰囲気に渾然一体となっている

確かに欧米では駅のホームへ出入り自由なのである。無人駅で駅員がいないから出入り自由になり自分は見送りしている、ホームに出入り自由になるとそうでないのとではかなり違ったものになる、ホームに出入り自由になるとそれは広場とか街と直結して出入り自由な空間となるのである。もし駅員がいて切符をみるとかするとホームには出入り自由になれないのである。そこに無人駅となり自由に人が行き来する空間が生れたとなるのも不思議である。
うらやましいのは自転車も自由にホームへ出入りできてそのまま電車にのせられるようになっている
自転車専用の車両があるからだ、だから街とホームとは道として直結しているのだ
日本のように輪行するとかなるとめんどうなのである。自転車をこのように利用できれば電車の利用も増えるはずである。

「駅舎見学」というときヨーロッパの駅は立派なのが多い、アーチ型のローマ風の威風堂々したもの大きな教会のような神殿のようなものがあるから駅舎が見学の対象にもなるしまたヨーロッパでは建物が人間に威厳を与える、それはアテネィの学堂というラファエロの絵にも現れている、そういう駅におりると何か人間にも威厳あるものに見える
ヨーロッパの文明は建築と不可分にあり建築が威厳を与えている文明である。
だから駅もそうした建築として威厳あるものとして作られたともなる

そして駅だと待つ時間がある、それが見ていると30分くらいある人が多い、それは外から来た人なのである。待ち合わせの時間がローカル線で生れる
都会の路線だと新幹線とかなるとそうした待ち合わせの時間はもてないのである。
その待ち合わせの時間があることでそれが人間な時間が生れるのである
ただそこで待っているだけではつまらないから多少でも話したりするといいとなる

新地駅とか山下駅は駅前が広く駐車場になり山下駅はスーパーができたので駅に人が集まるようになった。
新地駅でもまだ施設ができていないが温泉が出たとかで施設が作られると人が電車を利用しなくても駅前に人が集まる、鉄道だけの駅ではない、町全体の中に駅が活用するものとして新しく作られたのである。
海が見えるようになり見晴らしが良くなったことでもそこが外から来る人にとってもいい場所になった。
いづれにしろ駅を鉄道だけの駅として利用するだけになるとやはり現代の生活には合わなくなり廃れてゆく、市や町全体の中に駅も活用されるようにする
それはこの辺でも小高でも浪江でもそういう街作りを志向する、ヒントになる
駅が活性化する場として蘇るとういことがある。
ただ鉄道だけを利用するということになると廃れるのである。

現代は食事するにもただ腹をみたすだけでいいとはならない、その空間を楽しむとか何か付加価値が要求されている、ただうまいもの食べるというだけでは今の生活にはあわないだからいい景色があり内装もきれいだとかなると食べるものもおいしいとなる
要するに一つだけの価値ではない、付加価値が要求されて何かとのコラボーレーションが要求されるのが現代だとなる

2017年03月24日

春の日の駅(広域化社会が人を分散させる)


春の日の駅(広域化社会が人を分散させる)

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蝋梅や塀静かに猫歩む


この町に住みしと遠く去りにけり我が見送りて春の日さしぬ


駅であったのはカナダのトロントから母をたずねて来たというのも意外だった、昨日は鹿島区の住宅に住んでいたと、中学と高校のとき住んでいたという女性が来た
その人は東京に夫がいて大阪に住んでいるというからどういうことなのか?
母が住んでいると沖縄から来た若者もいた、何かキャンプでする格好をしていたから沖縄で自由に暮らしている若者かもしれない、沖縄にはそういう人が結構いるからである

仙台から来る人が一番多いが他にもいろな地域から来ている、これは別に原発事故で避難したためではない、それとは関係ない人たちなのである。
現代社会は前にも書いてきたが広域化グローバル化社会である。
その影響をどんな小さな田舎町でも受けざるをえないのである。

なぜ原発事故が起きて避難区域に人がもどらないというときこういうふうに広域化グローバル化した社会が影響している
どこにでも住んでいい、昔のように故郷とかにこだわりそこに縛られる社会ではない
そういう社会のいい面もあるが悪い面もある、結局地域の結束力がなくなり金さえあればどこに住んでいようがかまわないとなる、だから補償金一億円でももらって外に暮らした方がいいともなる
広域化社会とかグローバル化した社会は金の力は大きくなる。
田舎でも同じなのである。
大東建託がまだアパートを建てている、もう10以上建てている、それだけの需要があるのだろう。

家でも新しく建った家はみんな外から来た建築会社であり地元ではない、これも広域化社会なのである。自分のユニットバスをつくってもらったのは仙台の会社だった
それで地元の人が怒っていた、仕事をまわせと怒っていた
でも地元だと二倍になっていた。仙台からこうした会社が仕事を求めてくることはそれだけ地元でも競争にさらされているのである。

地元の会社でも地元の人が経営しているのではない、東北サッシが神奈川に社長がいてそこが本工場なのである。たいがい地方の会社や工場はそうなっている
それも広域化社会だからそうなっている、すると地元の材料で家を建て地元の食料でまかなっていた時代とはあまりにも違うのである。
そのことは地元にこだわらない、どこに住んでも金さえあればいいとなってしまう

ただ故郷というときいくら広域化してもグローバル化してもこだわるものがある
アイディンティティを求めるものがある、それは先祖の地だとか代々受け継がれてきたものがありそこにアイディンティティを見いだしてゆく
祭りなどがそうである。何か他にも家があるというときそこには単なる人が住む箱ではない、思い出がつまっている場である。

だからおそらく中学と高校時代にここに住んでいたというときなつかしいとなり訪れる
それがここに育った人なら先祖代々の家なら余計にそうなる
ともかくここに住んでいたとか言う人も結構来る、それだけ人は今や分散化して広域社会に住むようになったのである。

タグ:広域化社会

2017年04月01日

浪江町の春の詩 (浪江駅開通を祝して)


浪江町の春の詩

(浪江駅開通を祝して)

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春の渓流轟き鳴りぬれ
巌重なり塔なして
景勝の地、高瀬川にあれ
奥をたずねて心洗われむ

清流の岸辺、根を張る木
古の技を伝え育む
大堀の相馬焼きの窯元
畑耕す人もありしも

広々と海を望みぬ請戸港
漁に出る船や勇ましかも
鴎群れ飛び波のひびけり
大漁の時もありて港にぎわふ

浪江にそ二つの川の流れけり
鮭の上りて幸もあれ
川岸の桜並木を歩むもなつかし
いつの日か往時の栄いもどらむ

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棚塩の海岸

浪江はやはり高瀬川である、あの川はこの辺ではめずらしい、激流であり上流にダムはない、水墨画のような巌がある、あれが名勝の地である。
景観的にも二つの川があり恵まれている、海も望み請戸港もあり魚もとれたしあそこには岩手県の宮古から鉄の材料が運ばれて葛尾村で製鉄されて葛尾大臣の伝説が生れた

それから相馬焼きの窯元が大堀にあり高瀬川の上流の岸辺にあり立地的に恵まれていた。浪江町はこうして実際は景観的には恵まれていたから観光でも人を呼べる環境にあった
ただそれも請戸港から原発の煙突が見える、そんなに近いのに実は請戸港の放射線量は0、5とか低いのである。海に放射線量が流れたから海側は低いのである

それにしても請戸港は津浪で壊滅した、それがあまりにも酷い風景である。
ただすぐ近くに原発の煙突が見えたのだから危機感を感じる人がいたかもしれない、
でも実際は漁業権を東電に売り渡していい暮らしをしていたのである。
それが今になって露になり批判されている

ただ浪江とかなると実際は原発で働く人があれだかけ近いのだから三分の一はいた、原発は賃金が他により危険だから二倍三倍になるからだ
それで家を建てたという人がいたり金持ちになった人がいたのである。
とにかく経済的には原発周辺はうるおっていた。
だから誰も今でも東電を批判できないんだよなとなっているのである。

でも原発事故はあまりにもこれもひどいものだった、村とか町とか消滅させるほどの被害になるとは誰も思っていなかった、もう大堀の相馬焼きは回復しない、放射線量があそこは高く以前として避難が解除されないからである。
もうすでに相馬焼きの窯元は白河だとか二本松だとかではじめている、大堀で相馬焼きが作られることはないのである。

浪江町には二つの川があり風光明媚な土地だったのである。海はあり川あり山ありといい所だったのである。それが回復不可能になったというのはなぜだろうとなる
それほど原発事故の被害は大きかった
結局、原発でも公害になるとみんなだめになるというのは本当だった

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結局細々としてもそこには自然が汚されずあった、そこで町でも村でも継続されたのである。
まず公害になると市町村自体が継続されない消滅の危機にさらされるのである。
この辺ではつくづくこれと同じ反省を強いられているのである。


写真絵はがき-ここに激流の高瀬川


参考となる詩

浜街道春の浪江町

高瀬川轟き流れ春の日や
広々と浪江の大地開けたり
大堀に陶工の業は受け継がれ
相馬焼きの一品を買いぬ


高瀬川春の光にきらめきて
山鳩の嬉々と飛びつつ
春の日に二つの川落合いて
太平洋と流れゆくかな


その昔言祝ぐ橋の一つかな
村と村とは結ばれ栄いぬ
浪江の大地を耕すものや
新たなる力を注がむ


流れ入る川や広々と
かなたに望む行く船や
春の日に鴎群れ飛び
請戸の湊に漁船いでゆく


知られたる高瀬の清水や
西行もここに喉を潤しぬ
浪江の宿や相馬の殿も休み
磐城の境大熊に向かわむ


夜ノ森は余の森なりき
森深く小暗き道なり
その森に境を成しぬ
小良が浜もここより近しも


高瀬川轟きその奥そ深しも
葛尾村は山中郷の相馬藩
三春藩との境を成して
野馬追いの旗を伝えぬ


浪江は標葉郷にて相馬藩
野馬追いにその旗連らぬ
その日のまた来たらむや
相馬の武士の心騒ぐかも

タグ:浪江町の詩

2017年04月02日

再開した浪江駅に行く (鉄道マニアが多かった)


再開した浪江駅に行く

(鉄道マニアが多かった)

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この愛知御津駅がなくなるとか言っていた

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学校の時計は3時30分でとまっている、震災以来とまったままである

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立派な眼科だけど震災前につぶれていたというのは意外
それだけの患者がいなかったのか? 
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飲み屋

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子供部屋がありベッドがある生活があった

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引っ越しの車


浪江まで開通するや草萌ゆる


原町から乗った老人は5万の放射線量を計る機械をもっていた、それはわかりやすいいいものだった、あれだと放射線量は計りやすい、それを見ていたが浪江に来ても0・3にしかならなかった、浪江は市街は意外と低いのである。
浪江におりて歩いたら通りの店はどこも開いていていない、町の役所まで歩いた。
浪江は広い街であり様々な店や医院もあった、でも眼科があったのでめずらしいと思ったが後で聞いたらあの眼科は震災前からつぶれていたというのも意外だった

大きな病院もあったがむずかしい病気は南相馬市立病院に来ていた、実際に浪江の人が入院していて同じ部屋だった、その人は農業で賞をもらうほど優秀な人だった
それだ大学に娘を三人出したのである。昔の平に野菜などを売っていた。
車で毎日来ていて30分かかると行っていた、その人は重体でありしゃべることもなにすることもできない、わずかに妻が来ると手をにぎるだけであり反応がない
植物人間の一歩手前だったのである。だから見ているだけで悲惨だった
でもそれだけした人だから妻と娘は来ていたのである。

浪江で今仕事はじめたのは警察署と消防署であり消防では訓練していてその声だけがひびいていた。あとは仮設の商店が二軒ほど開いていた、カフェが一軒開いていた、後はなにもない、人はまだ住んでいない、引っ越しの車が見えたりしたからこれから移ってくる人がいるのだろう。

何か6年も人が住んでいないとそこは死の街になっていた、小高もそうだったが浪江は小高より広いから余計にそうなる
小学校なのか中学校なのか時計が3時30分で止まったままになっていた
浪江はこの時計がとまっていらい時間がとまってしまったのである。

浪江駅に来ていたのは仙台からの鉄道マニアが多かった、仙台とかなるとそれだけマニアも増える、しきりに車両の写真をとっていた。
切符を集めている人がいてこの駅はなくなるんだよとか言っていた。
鉄道マニアにはいろいろな人がいる、そういう人と話すると確かに面白い
自分もマニアの一人だからである。それは年齢とは関係ないのである。
仙台に直通の電車が日に三本くらいでる、自分が乗ったのも帰りは直通で仙台に行く二両の電車だった、電車の中で近くの鉄道マニアなのか

「磐城太田は昔は高駅と言っていたんですよ」
「磐城太田はずっと磐城太田だよ、それはいつのことなんだよ」

そんなことを言う若い人がいたので調べてみたら確かに高駅として開業した、当時は立派な駅があり駅員もいて繁盛していたらしい。
高という地名があり字地名でありそれが駅名となった
双葉駅の前は長塚駅でありそれは長塚村が江戸時代の宿場町としてあり長塚駅になった
この長塚駅時代に自分の家が酒屋に父が勤めていて関係していてその話を聞いているから何か親しいのである。

高駅の高は古代の郷名に由来するものらしい、そうなると相当に古い地名でありこの辺は古くから人が住んでいたとなる、このように駅名にも歴史がある

それから原町に下りて原町の通りを歩いた、そして鹿島に帰って今度はシシドスーパーの隣の復興住宅の人がいたので話を聞いた、その人があの眼科は震災前につぶれたのだと言って教えてくれたのである。
その人は車を入念に手入れしていた、車庫がないので車が傷むと言っていた。そしてここに駐車しているだけで1500円とられると言っていた。
その人は室原の人でその親は豚を飼っていた、それは品種のいい豚でありキクチスーパーとかで売っていたのである。
伊藤忠商事とも関係して売っていたという、高速ができたので豚を運ぶのにいいとか言っていたがだめになったといっていた。た
でも伊藤忠商事とかと関係していることはそれなりに大規模にしていた
なぜではその人は原発でも働いていたのかとなる
何かこの辺ではそうして原発で働いたとしても農業していたり二つの職についている人も多かった。手間賃稼ぎに原発で働いていたともなる

その人は室原に帰るために拠点を作るのでそのために室原に時々帰っている、他の原町の人も浪江に一町の畑があると時々見に行っている、ここからだと近いからできる
それも確かに復興になっているのだ。すぐに帰って復興するのではなく時々見に行っては復興してゆく、拠点を作るのは帰ることを前提にしているからである。
5年後辺りには全部避難解除になるというからである。

ともかく浪江の前途は厳しい、まず人が住んでいない、人が帰らないのは小高と同じだが小高は住んでいる人がみかけたが浪江ではいない,これから帰るというがそれも一割程度とかなるととても街を復興することはむずかしい。
ここは原町とも離れているから買物でも不便になる、買物バスとかが出るというけど遠いから不便になる、だからここで帰って来る人は少ないし小高と同じく老人が多いのである
ただ浪江の人との軋轢は南相馬市ではまだ生れていない、鹿島と小高は犬猿の仲になったのは補償金のためだった
ただ浪江の人でも工場を経営している人が仕事をくれと原町の仲間に言ったらお前らは補償金たんまりもらっているからと断れた、だから浪江の人でも南相馬市の人とももめたとなる、現実に浪江の人が南相馬市に住んでいればそうなるのである。
シシドスーパーの隣の復興住宅に には浪江の人だけではない、他から来た人も住んでいるという、どこから来たかはわからない。

それでも県で建てた復興住宅で前の駐車場まで金をとっているというのもやはりもうそれだけ県でも国でも補償できないということなのか?
いつまでも補償できないということはあるだろう、県とか国では早く帰って復興してもらいたいのである。南相馬市でも小高の人に帰って復興してもらいたい
それがなかなかすすまないのである。小高は小高工業が300人とか通うようになるから電車でも駅でもにぎわうようになる、浪江はそういうものがないから復興となるなにか起爆剤が必要なのである。
それが何になるのかこれから模索することになる
観光だったらどうしても高瀬川に行けないのは致命的だとなる
あそこが避難解除されれば外から観光だけにでも来る人はいる、あそこは本当にこの辺ではめずらしい名勝の地だからでる



行方郡は陸奥国だけではなく、同名の行方郡が常陸国にあり、後述の『和名類聚抄』中の多珂郷は常陸国の多珂郡(多賀郡)と同じ名である。在地の国造ではなく、常陸国から来た移民を中心にして郡が建てられたのであろう。
古代の郡衙の場所は新田川の河口付近、現在の南相馬市原町区泉にある泉官衙遺跡と推定されている[3]。位置は不明だが行方団という軍団も置かれていた。『和名類聚抄』による読みは「なめかた[4]」で、吉名・大江・多珂・子鶴・真野の5郷があった。

2017年04月03日

春時雨(原町の駅前通りを歩む)


春時雨(原町の駅前通りを歩む)

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原町の通り歩みて春時雨

春日さす通りに鳩や歩むかな

原町の通りを歩み柳かな店を見につつ帰りけるかな


昨日は浪江を歩き原町により食事をした、それは原町の駅前通りだった、ただその食事はエブフライとかだったが味は良くなかった、チェーン店で作るのとは違うプロが作るのとは違う味だった、それは家庭料理の域をでていない平凡なものだった
やはり揚げ方がうまくできない、料理は自分もしたがむずかしいしめんどうなのである。だから自分は未だにまともな料理ができない、これも結局才能だった、向き不向きだったどんな人でも何でもできるわけではないのである。
人間は何かができる得意だとしたらその他のものはできないともなっているのだ

原町の駅前通りはめったに歩かない、自転車で六号線の道の駅にある方に行くからであるそこで用をたしてしまうからである。
でも街に来る楽しみは通りを歩き季節を感じたり買物することである。
通りを歩むのとイオンとかで品物だけに囲まれるのとは違う
通りを歩むとやはりそこに自然を感じるのである。

昨日は晴れていて本当に春時雨だった、春時雨は結構経験している、なんか雨すら甘い感じがするのである。通りを鳩が歩いているのも平和である。
歩いて経験する、歩いて見えるのものが違ってくる
そして現代はこの歩くことが極端に喪失した時代なのである。
ただ通りでも車は通りすぎて行くだけだからである
歩くことは人間回復になる、本来の五感をとりもどすことにもなる

だから通りが廃れたけどこれからまた見直されるかもしれない、高齢化社会になると車を利用しにくくなるからだ
ただ原町の通りは狭いし歩きにくいのである。相馬市は歩き安いし新しい通りを作った
だから歩く楽しみが他よりはあるとなる
城下町の雰囲気がそれなりにあるともなる

本当は通りでも街でも改革しなかぎり人を寄せつけることはできないだろう
旧来の通りはもう時代にあわないからである。
でもそれには相当な改革が必要になりできない、だからかえって津浪で街全体が喪失したような所では新しい街が作りやすいということもある
新地駅周辺とかはそうなった
通りの復活は旧来のままではできないからである。

靴屋で買物した、いい安いぴったりの靴があったのは意外だった、品揃いもいいものだった、いつもイオンとかの靴屋で買っていたがあそこにはいいものが置いてあった
要するに買うつもりではなかったが通りを歩いているとのぞいたりするから買ったりもする、つまり街には人の流れが必要なのである。
そして歩く楽しみがある通りがあればいいとなる
図書館などが駅前にあるのはあっているかどうかわからない
図書館はかえって閑静な郊外とか森の中にあるような所がいいかもしれないからだ
第一じっくり勉強するには本を読むのでもそういう雰囲気が必要だからである。
ただ自分は図書館に10年くらいほとんど行っていない、その時間が今でも家事は追われなくなったからである。

それにしても朝日公園の通りの店の裏が廃屋化していたのはまずい
あんな街の中心があのようだと荒廃している感覚になる
正直駅前と通りは魅力がないのである。ただ春時雨とか自然を感じるというのは違っている、若い女性だったら街をさっそうと歩きたいとかあるだろう
イオンだとかただ買物ということしかないからである。
通りとは街とは商品だけではない、人を見せる場所でもあるのかもしれない
そういう機能が街にはある通りにはある、だからこれから見直されるかもしれない
人間は買物だけではつまらないとなるからだ。




タグ:春時雨

2017年04月05日

とある田舎駅の人間模様 (春の日に盲人を導くー短編小説)


とある田舎駅の人間模様

(春の日に盲人を導くー短編小説)


つくづく駅にはいろんな人が来るものだと思った。今日来たのは盲人だった、その人はヘルパーなのか若い男が助けて駅まで来た
それで聞いてみた

「どこへ行くんですか」
「浜吉田です」
「あそこも津波の被害がありましたので驚きです」
「駅も津波をかぶりましたよ」
「そうですか、早く復旧はしたようですが」
「2年目でした」
「浜吉田はやはり浜が近かったんですね」

そこで目について失礼とは思ったが聞いて見た、何か駅というところは見知らぬ人でも話やすいことに気づいたのだ

「目が見えないのは一番辛いでしょう」
「30才になって見えなくなったんです」
「そうですか、30才までは見えていたんですね、じゃ社会のことがわかってから見えなくなった」
「ぼんやりとは見えることは見えるんですけど」
「全然見えないのとは違う」
「目が見えないと音には敏感になりますよ」
「そうでしょうね、でも目が見えないのは一番辛いと感じる」
「まあ、外にも辛いことはあるでしょう」
「電車にのるのは怖いでしょう」
「まあ、なれていますから」

まず盲人などと話したことがない、ただどこでもがある視覚障害者誘導用ブロックはあるのでここを盲人が歩くということは知っている、でもそんなに盲人が歩いているのを見たことがない

2種類あって誘導用のものが線状ブロック、一時停止、注意を促すものが点状ブロックです。

そういえば確かにそうなっている、ここまで普通の人は注意していない、良く見るとその誘導用ブロックはホームのトイレまで導いている、つまりいたるところにあるのだ
普通だと電車に乗るのは危険だし怖いと感じる、ヘルパーが必要にも見える
それで自分が電車が来て誘導したのだがその時杖でたたいて乗るのだが結構危険だった
ただ車掌が見ていたから安全ということはあったのかもしれない
なぜか自分に車掌が挨拶して去って電車は去って行った。
駅員なら車掌も安全確認とかするのかもしれない、なぜ無人駅のボランティアの自分にしたのか、それは盲人を導いていたのでそうしたのかもしれない。

ともかく意外と田舎駅でもいろいろな人が乗り降りするものだと思った。
一番多いのは仙台へ行く人と来る人である。

「この駅には花がさしてあっていいじゃない」
「あれは自分がさしたんですよ、金盞花とか万寿菊という花でしょう」
「気がきいてるんじゃない」
「この花は長く咲いているんで好きなんですよ」
「花があるのはいいことよ」
「無人駅なんたけどやはり人がいないと困ることあるんですね、それで近いもので駅を見に来ているんですよ」
「常磐線も仙台まで開通して良かった、電車のありがたみがわかったね」
「そうですね、バスは不便だったから」

駅では良くホームで見送りするけどここは無人駅なので出入り自由になっている、それで見送りすることが自由にできるのもいい、駅で見送りすることが人間的な光景なのである今日は春の陽気であたたかった、それでまた一句作る

春日さし盲人導く田舎駅

万寿菊駅に明るくまたおいで

自分でもこの駅で毎日人と会って話しているのも奇妙である。なぜそうなったかというと家族がみんな死んでから家にいるのが淋しくなったからである。
だから今までは家族がいるときは介護していても淋しいことがなかったのである。
家族がいなくなると家ががらんとして淋しくなるのである。
妻をなくした一人暮らしの人がそのことをしきりに言うのもわかった。
そして一人暮らしの人が人ごみのなかにデハートなのかスーパーなのか行って淋しさをまぎらわしているという気持がわかった

駅前にはいつもタクシー会社の人がいる

「タクシーも歩合制ですか」
「まあ、おいしい商売ではないよ」
「歩合制でもある額を越えないともらえないよ」
「近くだと600円くらいだからな、数をこなすのも大変だ」
「基本給はもらいるけどいい商売ではないよ」

このおいしいというとき暴力団風の人が国から受注する仕事はおいしいと言ったのでタクシーの運転手がおいしくないというときそういうことがある。
おいしいというとき株とかなにか労せずにもうけることである。
でも何か一般的には仕事は地道であり目だたないし大きな収入にはならない
でも駅で見ていたら9人乗りのタクシーがありそれで小中学生を送迎している
すると一見タクシーは人を運ぶだけのものであり何の役にたっているのかと思うが実は
そのことは教育という仕事にもなっていたのである。
教育は先生だけが知識を教えるものばかりと思っているが違っていた
つまり裏方としてタクシーの運転手でも給食を作る人でも協力しているのである。
要するに仕事とはみんな部分をになっているからそれでタクシー運転手ならただ一区間を運ぶだけの仕事だとなり仕事の生きがいが感じられないともなる
何かこれだけ複雑な社会では人間の仕事はどうつながりあるのか見えないのである。

だから駅に来てみてそれが見えたということがあった、いろんな人が出入りしているのが駅なのである。いろんな人と接するのが駅なのである。
遠くの人とも接するからそれは外部とのつながりのある場でもある。現実に外国人も来ていたからである。
もともと鉄道の旅が長いから鉄道好きである。でも駅で別に話したりしなかった。駅はただ一時よる過ぎ去る場所にすぎないのである。
でも駅にはいろいろな人が出入りするものだと思った。高校生などは毎日通学しているし通勤している人もいる、でもこうして盲人なども来るということが違っていたのである。

2017年04月10日

今日の鹿島駅(九州から来たボランティアが去る)



今日の鹿島駅(九州から来たボランティアが去る)


今日駅であったのは九州の福岡から来た人だった、ボランティアはまだ来ている、この前の人は新潟から来た人だった、名取の空港から帰る
九州となると新幹線でも遠すぎる、その人は前にも19時間かけて来たとういう。
小高の方でボランティアしている、ではなぜそんな遠くから来たのか?
鹿島駅の前のホンダの販売店がありその人もホンダで働いていた、その社長と友達だから来たという、何でも小学校に米を寄付して喜ばれたとか言っていた。
それにしても交通費だけで費用がかかると思うわからないがその交通費とか日当とかはボランティアでもでるという人がいるからそうなるのかもしれない、そんなに費用をかけてくることは容易ではないからだ

そもそもボランティアは何かあまり負担になることは向いていない
自分が無人駅の駅員としてボランティアしていると言ったら笑っていたけど
こんなボランティアはまず金の負担も何も負担を感じないからやれる
別に感謝されなくてもいい、そんな軽いものだからやれる

第一ボランティアで交通費でもかかるとしたらやりにくいだろう、最初の津浪の被害のときは自腹で来た人がいた、そのあとは国なのかわからないが交通費を出しているとかいう交通費くらいだしてもらわなければボランティアでも負担になるからできないと思う
そしてボランティを受け入れる側でもボランティアは継続的に来ないから役にたたないとか言っていた
今継続的に来て役に立っているのは花栽培を援助してくれる一つの大学だけだと言っていた。
ボランティアでもその場かぎりで去るようでは役に立たない、継続的に支援してくれないと支援される側もこまるのである。
だから海外の援助でもそうである。一時的に災害があったからと応援するより何か一つの目的のために継続的に支援してくれる人を望んでいるのである。

ともかくこの辺ではこの前は長崎の人が原発で働いていると来ていた。だから遠くから来る人はめずらしくない。
昨日は京都から来た人が大内にタクシーで行った、あそこにはプレハブの宿舎がありそこで働くのだろう。その人も大阪の伊丹空港から来たという、やはり今は関西とか九州になれば飛行機を利用する。

駅でこうして遠くから来た人を見送りしている、迎えるというのも駅の役割である。
駅というのが無人駅でも何か淋しいとはなる、別にいなくても困ることもないが他の遠くから来た人も言っていた
何か無人駅だとこの辺は淋しい町であり活気がない町だと見るというのも本当である。
この辺で無人駅となると日立木とか駒ヶ峰があるがそこは本当に淋しい町にもならない、村という感覚になるからだ
一人くらいしかのりおりがない無人駅である
ローカル線にはそういう一人くらいしかのりおりしない駅がある
だから北海道ではもうローカル線は維持できない

なぜ東JRがローカル線を維持できるのかというと新幹線の収入があり駅の中での店とかホテルとかも経営しているからその収入がありローカル線も維持している
常磐線の津浪の被害にあった区間を400億かけて直すことができたのも全体でそれだけの収入があるからだ、ローカル線は新幹線とつなぐために今はあるともなる

今は車の社会であり第一電車の乗り方さえ知らない人が多い、どうして電車にのるのかと知らない人がいるのに驚く、要するにそれほど電車は乗っていない、車だけの生活になっているからそうなる
電車の不便さは駅から用たすにしてもタクシーとか利用しないとできない、そうなると費用がかかる、高校生は自転車を利用しているが一般人はできない
駅からの交通の便がないのである。そこが一番の問題なのである。
そして駅から離れたところに病院がありスーパーがあったりと駅前通りはシャッター通りになって買物もできないのである。
ただ原町の駅前通りの靴屋にはいいものがおいてあった、あそこの店は見直した。
駅前通りを歩まないから何があるかもわからなくなっている

街の活性化というとき駅を見直すことも必要になる、駅は確かに街の玄関なのである。
外から来る人もまず駅におりたち駅からその市町村に入ってゆくから駅が印象的な場所になる、何か家でも玄関をきれいにしておくと運が良くなるとかいうのとにている。
その家の印象は玄関で決まるということをいうときにている
玄関は福を呼ぶ場になるのは人が出入りしてその家の印象が玄関で決まるとなるからだ。とはいえ自分は玄関も掃除しないとかあり自分の家は北向きで暗いからいい玄関ではない人間は何か明るい所をどうしても求める、店でも暗い所に入りにくい
原町なども駅前通りは狭苦しく暗いのである。どうしても日本の通りは暗い、狭いこともあり路地裏が多いのが特徴である。
沖縄の店が海に面してあったのはいい場所にあって気持ちいいとなる、いつも海が見える場所にあったからである。
景観というのは人間の気持ちにかなり影響する、それで古来から風水の思想が生れたのである。
どうしても人間は毎日住んでいる場所に影響されるからである。大都会だとどうしても狭苦しい所に住んでいるのが多いから心に余裕がないとなる


開発が前から検討されていた鹿島駅 (国鉄から民営化した弊害があった)


開発が前から検討されていた鹿島駅

(国鉄から民営化した弊害があった)


今日駅前の花壇にチューリップを植えている人がいた、これは自腹でしている、ここは地区の人が管理しているという。
駅というのはその人に聞いてみると所有権が複雑なのである。
国鉄から民営化したとき東JRになったとき東JRのものになり市町村とかの共有が失われた街の中にあってもそれが市町村では勝手にできないものになった
だからホーム沿いにある花壇の中の八重桜は切られてしまった、それを切るなとは街の人は言えない、なぜなら東JRの所有するものだからである。法律的に所有権があり街の人は何も言えない、前は鹿島町の所有するものであり次に合併して南相馬市が所有する区域に分けられた、東JRが所有するものと南相馬市が所有するものは明確に分けられたのであるでも駅の立派な新しいトイレは南相馬市で頼み掃除してもらっているのである。
南相馬市でその費用を払っているのである。

鹿島駅の開発は農協のスーパーができたときすでに提案されていたのである。
その時駅も開発してホテルを建てるとか駅そのものを新しくする案がでていた
その人はその区長とかでありそういうことにかかわっていたのである。
でもそれができなかったのである。その時が大きなチャンスだったができなかった
その人はそのことを熟知していて指導的な立場にあった人だから言えた

駐車場の問題も原町は無料のがありここは商工会で決められた場所は金をとっているから原町を利用しているとか言っていた、鹿島駅前の最大の問題は駐車場を広くとれないことなのである。車の時代だからそれが最大のアキレス腱になっている
ただ農協のスーパーができるとき駅前開発は地区で検討されていたし具体策もでていた
それは実行できなかっただけだった、そういうふうに考える人は農協スーパーができるときから回りにいたし具体的に検討されていたのである。

ただ駅の問題はそこはいくら民営化したからといって公共的な要素があり街の中にあるのだから余計にそうである。
現実に鹿島駅が無人化したとき誰が管理するのか、みるのかとなるといなくなった
確かに自動化しているからいいとなるがやはり人が見ていないと困ることもある。
そして無人化することはやはり東JRで管理しきれない、その費用が出せないからそうなる鹿島駅は常磐線が開通して小高に駅員が移動してそうなった事情があるがやはりそれでも無人化する駅ではない、それなりの人が出入りしているからである。

最初に駅前通りはもっと広くする予定だったというのもあり駅前開発が農協スーパーがでたとき実行されるべきものだった、それが商工会でもしなかったし今も商工会はしない、原町の駅前通りも歩道が狭いなども共通した問題だったのかもしれない、相馬市の駅前通りはプラタナスなどの木も植えたし歩道が広いから違っていた
駅前通りはやはり鉄道が盛んに利用されたとき開発されるべきものだった
それが今度は車社会になったとき鉄道をどう利用するのか問題になった
どうしても駐車場を広くすることが一番の課題になっていたのである。
それは今農協の葬祭場になっている所とか鹿島町の所有になっていてそういうことができたからである。
そして国鉄時代だと国のものだから民営でないから町としてそうした開発をやりやすかったとなる、予算も町とか国からも陳情すればできたこともあったからである。

ただ外部の人が言ったように今回原発事故で除染とかに莫大な金を使った、その金がゼネコンとかに流れて南相馬市の全体の復興に使われなかった
それは県とか市町村の自治体が関与しないことにより国と東電と原発事故の被害者が補償金を交渉するだけになったことも大きく影響した。
県とか南相馬市でも何ら指導権がなく国と東電と市民で直接交渉するだけになったからである。そして市は補償金のことで分断されたのである
つまり南相馬市が除染でも指導権をにぎりその金で南相馬市全体の街作りに使うべきだったという外部の人の意見があり納得する
小高でもそうだが鹿島でもそうであり原町でもそうだったのである。
その補償金は結局個々人に配布され個々人が外に家建てたりしたが肝心の街の復興費用としては使われなかったのである。

小高でも実は駅前でも何か開発すれば若い人も帰ってきたかもしれない、国とか東電からの金は個々の補償金として使われただけであり街自体の復興には使われなかったのであるだから余計に小高でも若い人はもう帰らないとなってしまった
街自体の復興に使われていれば前よりも良くなるのかと見たから帰ってくるからである。そういう街の復興として国や東電からの補償金などは使われなかったのである。
つまり今回も街を開発するチャンスだったのが商工会でも活かせなかったのである。
それは商工会の長がだめだったとかなり市長もだめだったとかなる

ただ鹿島駅のことはこうして前々から検討されていた、今回の地区の長の人はそのことを熟知していてはっきり言っていた、近くの人も見ていてそのことを知っていた
なぜなら駅前はその地区の人が管理していたからである。
いづれにしろ鹿島区の開発はどこか中心が必要でありそれが駅が駅前がふさわしいとなるそこに人が集まり安いからである。他に鹿島区ではないからである。
駅に外部からの人も入ってくるし街の玄関になるからである。そこは外部の人も内部の人も集まる広場にもなるからである。
ただ今は鹿島区といっても南相馬市の行政の中で行うものだから事情が違っている
南相馬市の中で鹿島もありその指示のもとに行うことになる
それは小高でもそうであり南相馬市の指示がないとできないという事情はある。
その土地の一部は南相馬市のものとなっているからである。

この問題も東JRとは駅でもそれがみんな東JRのものなのか?現実に無人駅になったとき管理されないものともなっているからだ
その駅前の花壇でも今回チューリップを植えていたものはその地区のものだった
東JR内の花壇は東JRだけで管理できるのかきれいにできるのかというとそこまで手が回らないから荒れているともなる
それはその地区の人とか町の人とか商工会がかかわってきれいにするのも必要である。
でも民営化した結果、町の人が立ち入ることもなにもできないとなると町の人にとっては美観もそこなわれるから困るのである。
つまりこういうことはいろんな場面で起きている問題である。

東電の事故だってそんな巨大な企業が何でも勝手にしていいのかとなっていた
地元に住んでいればわからないなりにわかろうと努力する、それがすぐ近くにあればいくら原子力のことがわからないにしても危機感をもつからである。
そこもその地元の人すら立ち入り禁止でありもう何もできない場所になっていた
だから東JRでなんでもしてくれればいいが事情があるにしろ無人駅にしたり花壇を荒れたままにしていたりしたら街の美観がそこなわれると困るのである。
そういうことは個々の家でも言える、空家になり荒れた家を放置しておくと街にとっては困る、それで空家をなるべく撤去する法律を作るとかなる

結局ここは俺の所有だからといって何でも勝手にできないのが人間なのである。
なんらかその土地に住めば公共的なものとして住むことになるからである。
土地でも自分の土地だからといって何でも勝手にできないことは確かなのである。
そういう問題は常にここだけではない各地で起きている
だから国鉄が民営化したということにも問題があった、自分たちの所有だけを主張するようになり街の人たちはかかわるなとなったからである。

原発でも同じである。その地元の人は原発には立ち入り禁止であり何らかかわることができないものだった
国と東電が管理して地元のものは立ち入り禁止だったのである。だから内部で何をしているのかなど全然わからないのである。
そうして避難するときも国と東電は一番放射線量が高い津島に避難したのである。
原発は地元の住民でも全くかかわることができないものだったのである。
だから国であれ大企業であれそういう権力によって一方的にされるとき危険なものとなる現実に自治体が消滅する危機に直面しているからである。

ともかく東JRの力も大きいと思った、なぜなら津浪の被害か復興するのに400億円かかった、その金は東JRで出したのである。それだけの大きな会社だからできたことである。
だから東JRの力は大きいしそれによって助かっているということはある
復興できたということもある。でも民営化した結果としてかえって公共性が失われたというマイナスの面もあったのかと思う
駅であれ鉄道であれそれは公共性が高いものだからである。
街の中にあり街の中で活きるであり分離して働くものではないからである。

自分が無人駅のボランティアしているとういときもそうである。
それは別にしなくてもいいものでもやはり街の人がかかわるのが駅であり鉄道なのであるそれが民営化で失われたことが問題なのである。
駅の待合室もなくなり駅構内が東JRの店だけになるというのもそうである。
金儲けのためには仕方がないとしても駅に休む場所がないというのも利用する側になると困るのである。それもやはり民営化するとそうなりやすいのである。
だから民営化にはマイナス面があったことを認識したのである。


追加


鹿島区の仮払い百億円→街自体の開発に使う

小高区の補償金→小高の街の復興に使う


鹿島区には仮払い金百億円が支払われた、これを全部個々人に配った
果たしてそれが良かったのか?

鹿島の駅前の開発に使うべきだったということもある
ただここは誰も議論もしていない、そういう提案も聞いていない
何かその時自治体で市の方でも鹿島区でもどう使うべきか議論するべきだった
ただ鹿島区にはそもそも原町の人が補償金は払うなと強固に主張する人がいた
だからそういう街自体の復興、開発のために使うということは誰も提案していない
ただ個々人でできるだけ多く補償金をもらうことしか頭になかったのである。

そういうことは上に立つ人が提案するべきだった
それが市町村でも県でもしなかったのである。
指導しなかった、そしてただ個々人が補償金をもらうことしか関心がなくなったのである
つまりこの金をみんなで使い街の開発に復興に使うことにしようとか提案さえなかったのである。それが今になって小高だったら避難区域になった所では若い人も帰らないとかなったのである。
街が荒廃してしまいそれを見たら復興はないとして若い人は帰らなくなった
もしこれからこんなふうに街を復興するとか示せばまた違っていたのかもしれない
そういうことは女川町とかではある程度示した、それでも流出が多いからどうとも言えないがやはり街自体の復興がおろそかになった無視されたことが帰らない要因になった



2017年04月14日

今日の鹿島駅(人が集まり、様々な人が来る駅)



今日の鹿島駅(人が集まり、様々な人が来る駅)


昨日は「関東鳶」と来ているものに記されている人が来た。その人は蒲庭(かばにわ)に泊まっていて仕事している、六号線まで買物に行って駅前の自転車屋でバイクを買ったのである。
蒲庭だと買物でも不便であり隔離されているようになっている、そのことを言っていた。それでバイクを買ったともなる、田舎では車がないと生活できないんだよとかも自分は言った
その人は大工もできるし鳶もできる、高いところ恐くないかと言ったらかえって自分はそういう場所、細い鉄骨のような所を歩くのが向いているというから驚く
そういう人は鳶に向いている、あの人はやせているがおそらく機敏なのだろう。
まだ若いこともある、ここでバイクを買うということは収入はいい方だろう
東京の方が一万くらい高くなると言っていた。それだけの差があるのもわかる

駅には別に鉄道を利用する人だけではない、いろいろな人がくる、鹿島区には一軒しか自転車屋がないというのも不便である。だからいづれそこもなくなると一軒もなくなるのである。そこではバイクの修理などもしているから不便になる
この辺で震災、原発事故で悪い面が多かったが多少いい面としては補償金が入ったことと外部から入ってくる人が多くそれで活気が出たことである。
駅にいるとやはりそうした外部から来る人と接することが多いのである。

この辺では来る人は決まっているだろう。昨日はイスズに仕事に来た人がタクシーで金沢に行った、食事する場所を聞いていた、あの人は食事する値段を気にしていた、イスズの向かい側に1500円くらいで食事できるよと言ったら高いと言っていた
あそこはこの辺では一番高給なレストランである。
あそこだと牡蠣のフライの大きなものが食べられる、それはうまいが高い
やはり料理は材料なのである。材料が良くないとどんなに料理を工夫してもだめである。でも出張だとしたらそのくらいの金が出るのかと思った
東京だとレストランも高いからそんなことを言っていたのか?それとも会社員も節約するようになった貧乏になったのかとも思う

わかったことはたまごやは菅野漬け物屋でありタニコウの人とかも見送りにきている、東北サッシのことも書いたが鹿島では目立った会社である。
九州からホンダの友達を頼ってボランティアに来た人も自動車関係である。
どうしても今は自動車関係の人は多くなる
東北電力の火発があるからあそこにもタクシーで行く人がくる
昨日はかえるという介護タクシーが来て車椅子で老人を下ろしていた。
駅にいると何か社会の動きがわかり面白いと思った
小さな町だとすぐ関係もわかるからまずいこともあるが社会を知りやすいとはなる

何か街には中心が必要なのだろう。外部の人も内部の人も交流する集まる場が必要なのだろう、駅はその玄関口なのである。なぜなら別に鉄道を利用しない人も来ているからである。そこに店があれば利用することになる
鹿島の駅前には一軒食堂があり食事したいという人は結構いる、だから利用することがある、でも駅前に店を集中して作れば活気が出るというのも本当だろう。
そういうことを30年前に計画したができなかった
今回も鹿島区に100億円も補償金がおりたのだからその半分を資金にして開発ができたかもしれない、それは小高とか原町とか浪江とかでも言えるだろう。
再開発が望まれているからである。原町だってスーパーが駅から離れてばらけてしまっている、道の駅はあるがあそこが街の中心とはなっていないみたいだ

図書館を建てたがあれが駅前にあり街の中心にふさわしいかとなると疑問である。
図書館は街の中心から離れた閑静な森とかある場所がいいように思える
本を読むとしたらそうなる、街の中心にはやはり店とか別なものが向いていると自分は思う。そして今の情報社会はスマホだとインターネットになり本はあまり読まないからである。自分は電子書籍で今は読んだりしているからである。
だからあそこに図書館を作ったのは失敗だったかもしれない、ただ賛否両論はある。

ともかくこの辺は本当は津浪や原発事故で急激に大変化したから新しい街作りを模索するべきだった、それが六年過ぎてもできなかった
人間の最大の弱点は急激な変化に弱い、対応できないのである。
それで自分の一身上でもいかに苦しんだかを書いてきた、認知症でもどう対応していいかわからなかったからである。
それが暴力になったときショックであった、でも認知症という病気がどういう病気を知っていれば対応がそれなりにできたのである。
インターネットに冷静にさせるこさとが大事だというときそうだった
相手の目を見て落ち着かせろというのもそうだった
自分はそれをインターネットで読んだ、家族の一人は急激な変化に対応できなかった
目を見ないでそらしたからかえって攻撃されたのである。
認知症は記憶障害であり忘れると興奮状態になるから危険になるからだ
認知症に対応するにはともかく興奮したら落ち着かせることが大事なのである。
それは精神病の対応ともにているかもしれない、ただ認知症は精神病とも違っていたのである。

まず今回のような大災害になると対処方法もわからなくなるから混乱するから何もできなかったともなる、まず補償金がもらえるとなると個々の安全を計るために補償金をできるだけ多くもらい安全を計るとなったのである。
第一自分は病気であり介護であり回りのことをなど考える余裕もなかったのである。
自分は津浪と原発事故が起きたとき身体障害者だったのである。
それでも介護せねばならないし震災前に一回は入院して震災後も入院して手術したのである。そういう状態ではとても回りのことなど考えることもできなかったのである。
今になると介護もないし余裕ができたから毎日駅に行ってボランティアしているのである



2017年04月20日

小さな駅から見えるもの (車社会を批判した本を読む-「日本文明最強の秘密」増田悦佐)


小さな駅から見えるもの


(車社会を批判した本を読む-「日本文明最強の秘密」増田悦佐)


「日本文明最強の秘密」増田悦佐)
は示唆に富んでいる、車と電車の対比で車社会の非人間性を説いている、それは常日頃自分も感じていた。
ただそれをこういうふうに明確に理論化することはできなかった。
車は人と人の交流を拒絶する閉鎖された空間なのである。
だから歩く旅なら必ず道行があり歩きながら旅すると親しくなったのである。
そういう人間的なものを排除したのが車である。
ある所で自転車でテントを張っていたら車から出てきた人がいた
その車に泊まっていることがわからなかった、車で寝泊まりしている人はわからないのである。だから交流もないのである。
たた車は閉鎖された空間だから自由がある、プライバシーが維持できるとなる
一方電車は区切られた部屋がない、ヨーロッパだとコンパートメントがあるがそこでも何人か一緒になる。何か車の人とは話ができない、そこに乗り合わせた人しか話はできない電車ではみんな一つの車両にのるだからそうした閉鎖的空間は作れないのである。

車社会は人を分散させ居住地差別を作り出し本質的に貧乏人、高齢者、ハンディキャッフをもった人間を排除する社会だ、車社会は車に乗れない人の身分を半人前にして彼らを社会の「一人前のメンバー」から排除した。

車をもつものともたないものの差は大きい、就職するにも車が運転できないとできない、それはなぜかというと当然車社会になっているからそうなっている
車で一軒一軒回るとか車なしでは何もできない社会になっているから車をもたない、運転できないのは一人前にならないそれは障害者と同じになってしまうのである。

それで駅でボランティアしていて不思議に思ったのは盲人が通っている、それで何回か電車にのせてやる、それは車掌も気にしている、やはり結構電車にのるのは危険なのであるハードルが高いのであり危険がともなっていたのである。
車社会では盲人でもそうした配慮がない社会である。車社会にとっては歩行者とか自転車は邪魔者になる、目障りなのである。そういう社会が車社会なのである。
車が必要であるとしても車が貨物だけの輸送になればかなり減るし違ったものになる
田舎では一人一台ももっている家がある、だから車が多すぎるのである。

つまり車をもたない人間はハンディキャップをもった人とにているのである。
でも車でも今は高齢者も80くらいでも普通に運転している
知っている人は80くらいの人にのせてもらっている、そのことによって頼りにされているでももしもっと年をとり運転ができなくる,危険になるときどうなるのか?
もう運転できなくなることは頼りにもされないとなる、第一夫婦がいて夫が運転できないというのは男としての能力もない頼りにならないとされるのが車社会なのである。
でも高齢化社会になると運転は危険になるし相手もいるから運転免許をとたあげるまでになる。でも車社会ではそうすると高齢者は無能化されるのである。

この本で指摘していることには自分は共感した。車をもっていないし生活は自転車が足となっているからである。でもさらに年をとると自転車も近くはいいとして遠くなると無理になる。その時電車を利用するようになるかもしれないのである。
高齢化社会には車が向いていないということがあるのだ
そして車社会はエネルギーの効率か悪いというのもそであり貨物輸送に向いているというのもそうである。遠い距離を運ぶには鉄道が向いていても荷物をおろして点から点の移動は向いていないからである。

そしてこの本で面白かったのは

高齢化するほど、新しい環境への適応能力が鈍くなるので、なるべく早く移住してしまったほうがいい、どうせ移住するなら一家離村、集落離村をして都市生活に適応した方がいい

こんなことを言っているが何かこの辺では原発事故で避難区域になった所ではもう一割くらいしか帰らないとなると町や村を維持できなくなる
それもほとんど老人だからそこでこれから生活を維持できなくなる
介護するにしても訪問するにも老人はまとまっていた方が効率的になるからだ。
だから老人は親しい人たちとかえって移住した方がいいのかとなる
ここには自分が書いたように町や村でも歴史的アイディンティティとか自然とのアイディンティティとかいろいろあり簡単にはいかない問題である。
ただ小高とか浪江を見ているとこれはもう前のようにはもどれないとみるからこれもありなのかと思った。これに異論があるし自分は賛成ではなかった。
でも現実的問題として老人だけ帰って復興できないしその老人を誰がめんどうみるのかとなるからこれもありなのかと思った。

ともかく駅が意外と自分にとって社会の眼を開かせた場所になったことの不思議である。なぜそうなったのかというと家族がみんな死んで一人になったことがあり淋しいから駅に行き話すようになったからである。
そして駅は意外と人間的な場だと発見したのである。多様な人々が交わる場所であることを発見したのである。
もともと自分は鉄道の旅が長いし旅ばかりしていたので鉄道が好きだったこともある
それが影響してボランティアの駅員になったとき鉄道を運営する側に立つことの不思議を経験したのである。

ただ鉄道の現状は過酷である。下の図でもわかるようにかろうじて常磐線は仙台まで残る線だったのである。それでもいわき市から原ノ町までは二両しかでなかったし過疎の線でもあった。しかし仙台まで通じることで常磐線は活きていたのである。
だから常磐線にかんしては過疎の線とは廃線にはならない線だったのである。

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地図を良く見なかったがいわき市まで常磐線は東京までの通勤列車がいわき市からもでている
複線でありいわき市から仙台間は単線なのである。
いわき市から原ノ町までは時間も別であり一時間に一本も通らない、いわき市から原町の間には市になっている区間がない
いつも二両の電車であり乗る人が少ないし駅も無人駅が多い
ここは過疎化している、今度は原発事故でさらにもう人が住まないとなるここの常磐線を維持するのは苦しい
双葉などはこの区間が開通してもとめれない、放射線量が高くて止めれない
でもいわき市と常磐線が通じないと鉄道も活きてこないのである。
たから3年後くらいに通じるがその沿線には人口が10分の一とかに減っているとしたらどうなるのか?
その影響はあまりにも大きいとなる
タグ:車社会批判

2017年04月21日

今日の鹿島駅(春の雷が鳴り虹がかかった)


今日の鹿島駅(春の雷が鳴り虹がかかった)

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屋形の方に虹が見えた、でも駅からも見えたのである。
はっきりした写真をとるために近くでとったのである。



つばめ来る糞を残して田舎駅

春の雷人交わるや田舎駅

春の虹待つ女(ヒト) あれや田舎駅


今日は別に何もない駅だったが時刻表が汚れていた、それは昨日つばめが駅の中に入り巣を作ろうとしていたからである。
それでこれは掃除しなければならないと思った。駅でも汚れることがあり掃除も必要である。

それから突然春の雷が鳴った、かなり大きな音だった、次ぎにもう一回鳴って終わった
この時自分はなんとなく虹がかかると思った
そしたらうっすらと虹が出ていた、それで見えやすいところで写真をとった
虹は消えやすいので写真がとりにくい、そして写真でもそれがいつの季節の虹かわかりにくい、虹だけとってもわからないからである。
だから写真ですべてがわかるとはならないのである。

なんか今年は調子いいかもしれない、結局介護十年間というのは長かったのである。
十年一昔となる、それにしても時間はたちまちすぎると思った。
何かが苦しいことがあるとそのことに追われて時間がたちまちすぎる
そして次々に人が変わるのである。

80くらいになるとみんな浦島太郎になる、若い人は年寄りを知らなくなる、今の時代は特にそうなる、退職したりすると会社人間だった人は役目がなくなり会社の人とも交流がなくなり忘れられるのだ
とにかく人間は忘れられやすいのである。だから社会的役割を退職しても老後でも持つ必要がある
それでシニアのボランティアが増えているのもわかる、何か役割を求めてしているのである。

ただボランティアもむずかしい、それが利益を求めるとボランティアではなくなるし何かそれで報酬を求めてそうである。そういう人はシルバーセンターで金をもらった方がいいとなる、それもまた社会の役に立っているからだ
ボランティアは報酬を求めないことが基本にあると思った
もちろん自分のしていることはそんなもの何の役にたっているのともなる

ただ何か駅のボランティアが自分に向いていた、別に一日中いるわけでもないし時々来て駅をみているだけである。それでも何か用があったりするからいいのである。
今日は掃除しておくとかなる、するとなんらか役目があるとなるからだ
退職でも老後でも役目がなくなることが意外と大きな問題になってくる
生きがいもなくなるからだ、でもまた介護とかの仕事は負担が大きすぎてやれない、苦しくなるものはボランティアしにくいのである。
正直十年間介護してエネルギーを消耗したからである。

今日は春の虹を見たので縁起がいいとなる、それより天候は経験でこの空模様は虹がかかるなと察する、実際に今日はそうだった、この辺は海側に虹がかかりやすい、それも夕方に陽が沈むときにかかりやすいことは経験で知っていたからである。
だからこれは偶然ではない、確率的に虹が出やすい状態だったのである。
天候もだから偶然というより縁起がいいというよりは確率的に判断できるのである。

ともかくこのプログは刻々変わる変化を報告するのに向いている、天候は刻々変わっているからである。すると読む人も臨場感があって読むとなる
二日遅れとかなると何か臨場感がうすれてくる、だから今日この虹を見た人は共感するとなる、見ない人はあの天気だと虹がかかったのかとみる
ただ相馬市と原町では天候は違っている、鹿島だけで雷がなり虹がかかったようである。

2017年04月28日

街は相乗効果で栄える 駅前から発展した街をふりかえる


街は相乗効果で栄える

駅前から発展した街をふりかえる

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街というとき鹿島区を参考にするとまずどこでもその当時そうだったが一軒一軒の店があった、駄菓子屋とか隣は魚屋とか豆腐屋とか酒屋とか呉服屋とか電気屋とか様々な店が並んでいてそういう狭い地域で生活していた、第一遠くには行って買物はしていない
車もないし歩いて生活するのが基本だったからである。
こういう生活も今になると便利だったとなる、スーパーでも買い忘れがある、豆腐買ってなかったとか納豆買ってなかったとかあるからだ
近くだったらすぐに買いに行けたからである。
この時から街は常に相乗効果があって成り立つ
魚屋とか豆腐屋でもなんでもばらばらに離れていると生活しにくいからである。

次に街の発展は駅ができて駅前通りが作られ発展した。その頃まだ車をもつ人は少ない、ダットサンとか三輪車風の荷物をのせる車は先に使われていた
最初は人をのせるというより品物を運ぶためにそういう車が使われた
鉄道でも最初は石炭とか地方から木材とか石とかを運ぶために発展した
網の目のように森林鉄道がめぐらされたのもそのためである。
この時は鉄道の時代だったのである。

鹿島区を例にするとなぜ駅前に農協のスーパーができたのかというとまだ駅が街の中心ということがあったからである。
その時スーパーができたときすでに街の通りの店は衰退していたのである。
スーパーの時代になるとそのそろえる品数が違いすぎたからである。
駅前に自転車屋があるのは引き込み線で貨物車両が入り運ばれたからである。
映画館というのも駅前の今のではない細い路次が通りでありあった
つまり娯楽施設もありそこが街となり相乗効果でにぎわっていたのである。
駅前だと運びやすいということがあったし駅前旅館とかできたのも鉄道が盛んな時代のことである。
この辺でも鉄道は働き場所であり線路工夫をしていた人や国鉄職員も多かったのである。それは今は鹿島駅前にホンダの販売店があると同じである。
今は車にとって変わられたのである。

街の発展をみると相乗効果なくしてありえない、第一東京があんなに巨大化したのは東京にあらゆるものが集まり生産消費しているからである。
そこに巨大な相乗効果が生れてそなっている、仕事するにも便利だからそうなっている
官庁でもなんでも集まっている方が仕事しやすいからである。
それでなかなか移転などできないのである。

原町区で元の原町市でも旧街道から駅前通りとして発展した
それで自分の母親が原町紡績で働いていたのだがその工場まで引き込み線があった
鉄道で運ぶためにあった、鉄道しか遠くへ輸送する手段がなかったのである。
まだトラックなとは普及していなかっ、第一戦前なら戦後十年でも舗装はされていないからである。だから埃がだったり雨がふると水たまりができたりと道は汚れていたのである今の南相馬市の鹿島支所の真野橋は木の橋だったのである。
子供の頃、その橋を渡ったが木と土の橋でありゆれたりして危険な橋だったのである。
そもそもが江戸時代の橋とさほど変わらない橋だったのである。
それで橋は良く洪水で流されていたのだ

相馬野馬追いでも新田川で橋が流されて行列がとめられている絵が残っているからだ
その当時洪水が多かったのである。
自分の家は街では一番低い所であり二回も洪水の被害にあった
だから全国的に日本は洪水の被害が多いから橋がどこでも流されることが多かったのである

相乗効果というとき最近コモドインというランチをはじめたホテルに行っている
あそこは料理人がいて洗練した味の料理を出している、そもそもあのような山側にホテルができたのはこの辺で津浪や原発事故で外部から除染とか工事関係者が入ってきたからである。まだ溜池の除染が近くではじまったとか工事もあるから人が入ってきている
それであんな山側にホテルができた事情がある
何かあのホテルに行ってランチを食べるのが不思議な感覚になる
あんなところホテルができると思わなかったからである。
それは宮沢賢治の「注文の多い料理店」とうい童話が現実化したような錯覚になった
花巻とかいの町も当時は小さいが何かそうした都会風なものが入ってきていたのである。
それとにたような状況が最近ここで起きているのである。

何か都会化したなと感じる
距離的には通える範囲であり自転車でも遠さを感じない距離である。
そのホテルでランチすると今度は近くのコンビニがありそこによることになる
何か食後のデザートのようなものをほしくなる
そのホテルのランチでもそうしたものを添えているがたりないのでコンビニによる
そうするとそこが一つの街になるのかと感じたのである。
つまり相乗効果がホテルとコンビニで生れたとなる

鹿島駅前を何か開発すればいいとか書いたがこの前は山崎パン屋でサンドイッチを買って食べていた人がいた、山崎パン屋はそういう買物ができたとしても駅から近いとは言えない、そこが一番の問題だった、前は鹿島駅内に売店があったからそのときは人の出入りが多かったのだろう。
だからこそ農協スーパーが駅前に出店したのである。
その時駅前開発が議案となったが何もできずに今日いたっている、その内車社会になり
駅前の農協もなくなった、鉄道は衰退したのである。
原町だったら六号線に道の駅ができたりと六号線沿いが発展することになった

街が栄えるにはやはり相乗効果がないと栄えないことは確かである。
何か今のようにてんでんばらばらになっては便利でないからだ
仮設商店街というのも新しいを相乗効果を産むものとして作られ一時は成功した。
ただ外部から入る人が多かったからこの辺ではその繁盛も一時的だったともなる

駅にいると食堂が一軒ありそこで食事する人が結構いるなと見た
昼間にきた人は食事する場所を探しているからである。
でもそれも良くわからないようで教えたりする
鹿島駅前は何もないように見える、それが不便なものとなっているのだ
やはりそれでは相乗効果を生まないのである。
店はやはりいろいろなものが集まった方がいいのである。
結局車社会が街作りを変えてしまったのである。
六号線沿いに店が点々とあるのは車社会だからそうなる
街の通りがシャッター通りになるのもそのためである。
大きな駐車場が必要になってくるからである。

スーパーは一軒でもそこでなんでもあり相乗効果を出している
でもスーパーだけでは本当は街の形成はできないのである。
街というときそれは総合的なものであり必ずしも買物だけではない
ぶらぶら街を歩いてみたいとかあるからだ
イオンのように離れて巨大なものが一つあるというのは不自然なのである。
そこにツタヤとかあるのも相乗効果ではある、パチンコ屋もできたのもいいとはいえなくてもそうである。そこに人が集まることが相乗効果なのである。

いづれにしろ小池のコモドインでのランチは自分にとって新鮮な経験だったのである。
小池など通りすぎるだけであり何かそこを街のようには意識しない所だったからである。だから一つでもホテルができてそこでランチなどできるとなると感覚的に違ったものとなることを感じた、そして相乗効果が生れるのである。
その辺りは自然も豊富だから「注文の多い料理店」のような錯覚を産む場になったのである。



2017年04月30日

駅で飯館村の蕨平の人に会い話を聞く (菅野村長の不満を言っていた)


駅で飯館村の蕨平の人に会い話を聞く


(菅野村長の不満を言っていた)


飯館村の人が駅にいた、原町に住んでいる、浪江の人とは良くあうが飯館村の人とは合わない、はじめてあった。
競輪場の券の売り場にきていた、あそこに来る人は原町からも来る
その人の格好はとても飯館村で牛飼っているようには見えない
サングラスかけて白髪だけどそっち系統のものかのように見えた
でも確かに蕨平に住んでいる、避難困難区域に指定された長泥の隣であるから放射線量は高い、何でも40町の山を所有して賠償金はもらったというがそれほどでもていのか?
何か菅野村長はだめだとしきり言っていた

まず蕨平では40軒あっても一軒しか帰らない、その人はやはり牛を飼って暮らす、飯館村は広いからまず草野中心に中核の街を作りそこから離れた人はもう生活できない状態のようだ、草野から20キロ離れているとか言っていた、蕨平とか何度か通った
でも長泥というと通ったことがあるのか一回くらいある。
飯館を全部回ることは近くてもできない、それだけ広いのである。
この前も佐須でも山津見神社にしてもあそこの道は通っていなかった

あの人は別に椎茸でもキノコでも山菜でも事故後も食べていたという、それは危険だと思うが年取っているから気にしない人はしない、あの人の不満は何なのか?
飯館村では残って暮らす人と補償金をもらって外に暮らす人とで分かれている
NHKでその対立を放送していたがどっちにかたよることはなかった
外に出たいという人は放射線量が高いということがあり住めないと判断しているからだ。それなら補償金もらって外で再出発したほうがいいとしている

菅野町長派は残って生活再建するを望んでいる、草野の中心部にはメガソーラーを作り
住宅地を作り何か大きな施設なのか作っている
そこに菊地製作所もありそこが働き場となる、他にも製作所がありそこで人が働いていた農業は土が削られてできない、そして荒地になり木が伸びたとかイノシシにやられたとかネズミがでたからネズミのよりつかない薬をまいているとか言っていた
イノシシの害は浪江でもある、浪江の人も復興住宅に移り住んでいるからだ。

浪江の人は28年に補償金が打ち切られるとか言っていた、あの人も昼間から酒飲んでいた前にもそういう人をみかけた、昼間から酒を飲みギャンブルしていのは小高でもそうだが他も同じなのである。何もすることがないからそうなる
それもこの辺の問題だった、飯館村の人がギャンブラーになったというときもそうである今は飯館村の人でもみんな素朴な人とは限らないのである。
前から馬券売り場などはあったしそういうことはしていたからである。
金が入って暇になりギャンブルする人が増えたのである。それは田舎でも普通にどこでもあることでもあった。

ともかく飯館村の人は少ないから合わなかった、鹿島でも会っていない、浪江の人にはあっていた。浪江は2万人だから多いからそうなる
ただ最近遠くの仮設から南相馬市とかに復興住宅などに移住していることは確かである。その人は前にもみかけたけど競輪場の券の売り場に来ていたのである。
だからその人とはまた会う、飯館村の人にあわないから事情がわかりにい、ただ一人一人でもいろいろな考え方があるからその人の言うことだけをうみのみにはできない

結局飯館村でも草野中心にコンパクトビィレッジになり浪江もコンパクトタウンになるのだろう。
農業とか畜産になるとそれはむずかしくなる、その人は牛を五頭くらいしか飼っていないみたいだ
最近できた放射性物質のふくんだ廃棄物の処理場で働いているみたいだ
故障してなんだとか言っていたが良く言うことがのみこめなかった。
その人も白髪だから相当な年なのだろう。ただその見た感じがとても牛を飼っている人とかそんな人には見えない、そっち系の人なのかと見えた
次男であって料理が好きとかでそういう仕事をしたかったとかも言っていた

飯館村の問題は土地が広いのである。ただ原町より広いとしても平地が少ないし森が多いのだから山が多いのだからその土地を活かすにしても牛を飼うのには向いていてもそれもしにくいとなるとどうするのか?
除染しても結局無駄だったとかその人も言っていた。
土地をもっていてもそれが何にもならない、荒地になるだけだとなるとそれを誰かに何でもいいから売りたいともなる、貸したいともなるときどうしてもソーラパネルになりやすいのである。そうなると飯館村の良さは失われる
前とはまるで違った世界となる、別に飯館村だからといって素朴な人たちが住んでいるわけではない、ただそこが隠されている場所でありそれで人も隠されていたからいいとなっていたのだ、飯館村でもあのような人がいるということは何かそぐわないとも感じたからである。ただ自分の見方だからそういう感じでも違った人でもあるかもしれない。

ただ飯館村の良さはあれだけ広い所に牛を飼って暮らしている所にあった、それが草野中心に菊地製作所とか工場で働くとかになると飯館村の特徴は失われる
多々あの人は別に放射能のことなど全く気にしていない、それも意外だった
キノコとかシイタケは一番放射線量が高いから食べるなと警告されていたからである。
それを食べていてなんか鼻血をだしたという、その鼻血では騒いだことが一時あったから本当にあったことなのだろうか?
第一その人は事故後もいてキノコなど普通に食べていたのである。
そういう人が飯館村にはいた,知らないからそうなる

軽度の被曝によって鼻血がでたのは事実であり、小学校でも記録されている---。原発事故直後、子供も大人も鼻血で悩まされた。
50歳の男性が今まで人生で一度-も-鼻-血を出さなかったのが、大量の鼻血が突然出たのでびっくりした人など、枚挙に-いと-まが-ない

この真偽はわからない、枚挙にいとまがないというほど出たのだろうか?
何かこういうとき噂が噂を呼びありもしないことフェクニュースとなって拡散しやすいからである。この事実を確かめることはできないだろう。
ただ飯館村の蕨平といったら長泥の隣であり相当に放射線量が高かったからありえないことではない。そこで前と同じような生活をしていればキノコなどを普通に食べていれば内部被爆したりする、あそこだったら本当だったのかともなる

自分も爆発したとき外を出てあるっていたのである。ただ助かったのはこの辺では20マイクロシーベルトになったの二回くらいであとは低くなっていたのである。
ところが飯館村では一カ月くらい避難しなかった。それでかなりその時被爆したと言われる、つまりキノコを食べていれば内部被爆したことは確かである。
それで鼻血になったのか?それはわからない。
菅野村長は避難するなとは言わなかったが全員に避難命令を出さなかったから残った人が多いのである。
葛尾村では即座に村長の命令で避難したことで評価された

その人が菅野村長の不満を言っていたが何か不満なのか良くわからなかった、話してもわからないとかは言っていた、ここに来るのは下っぱばかりで話にならない、何もしてくれないとかは言っていた。
何かどこでも官庁でも役所でも会社でも良く伝えておきますとは言うが何もしてくれないことが普通にある、そのことで不満だったのかもしれない。
ただ具体的にどういうことが不満なのかわからなかったのである。




2017年05月02日

矢車草(駅から見える社会) (駅は街全体の中に機能する)



矢車草(駅から見える社会)


(駅は街全体の中に機能する)

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つばめが飛び込む、巣を作る所を探している

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矢車草をさした

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駅前の花壇のチューリップ





矢車草駅にさしにき遠くより来たれる人を駅に待つかな

駅舎にそつばめ飛び入りさえづりぬ真昼明るく電車来たりぬ

駅の窓つつじの赤く出入りする人さまざまや通りを行きぬ

駅前のチューリップの色様々に人交わりつばめ飛び交う



駅に矢車草をさした、駅ににあっていたかもしれない、駅で感じることは人の生活の活気を感じることである。
それと同時に花なども映える、生活と自然が一体となる場というものがある
森とか山とかはまたそうした人間の日々の生活とは違った神聖な場所としてあるともなる
やはり人間の生活が活きていないと街も人も活きないということがある。
それと呼応して自然も活きるというのを感じる
電車と駅には何かそうしたものが交差する場所であることに気づいた

そこには様々な人が行き来しているのだ、山梨の人は事業に失敗したから延々と人に裏切られたことを語る、それは自分も経験したから同調する、人も使っていたので人の使い方を知っている、そしてしきりに駅前開発のことを具体的に言うのも経営者としての経験があるからである。

鹿島駅の問題は空家が二軒とかやめた理髪店とか何かさびれている、一軒の食堂と自転車屋はまだ活きている、でも不思議なのは街の人々があそこで交差している交わるのであるなぜなら中学生でも高校生でも利用するし小学生があの駅前に集まる、下校の道となっているからだ。

今の社会は何か人でも何でも別々になりこういうふうにいろいろな人が集まる場がないのである。働くにしてもどこで働いているか見えないしわからないことが多いのである。
奇妙なのはローソンで働いている女性がいるけどあの女性は街の中に住んでいる
でも自分がローソンに行ったときコーヒーをたのむ、するとそのコーヒー入れてくれてわたしてくれる、あそこは人の手でしていて自動化していない、人の手でわたしているのである。
でもそれだけをしてくれるロボットとして働いているように見える
部品化したようにして働いているのが今の人間であり労働なのである。

何かおかしいのは学校でもそうである。学校では今は大人とは隔離されている、学年でも別々にされ交わらない、いろいろな人と年齢が違っても交わることがないのである。
江戸時代辺りだと村だったらそういうことはなかったろう。
常に大人も若い人も年寄りも子供も交わり一緒に暮らしていたことは間違いない
だからこそ他人の子供でも村の子供はみんなの子供のようになっていた
それで名付け親とかにもなるし子供同士が兄弟姉妹のようにもなる風習があった

現代社会の江戸時代と比べると明確に見えてくるものがあるのた。もちろん江戸時代がすべていいとかになはならない、今の社会は変だなというとき江戸時代にはこうだったとなりそれが明確に見えてくるのである。
人間は部品化分類化されて区別され区分けされて多様な人と交わり暮らしていないのである。

そして現代の仕事が面白くないのはそうしてどんな職業でも部品化部分化しているからである。教育だって先生だって英語だったら英語だけを数学だったら数学だけを教えているそうなるとつまらないということもある、教える方も部品化されるからつまらないとなるのだ、小学生の先生などはいろいろな教科を教えるから全体的な感覚になるからもしれない、中学になったら専門化するから部品化されるのである。


この前イスズの自動車会社の人が東京から来た、今イスズの車が売れているというときトラックなどが売れているのだろう。、イスズだけのトラックが並んでいるのを見たからだするとなるほどイスズの人が東京から来て今トラックなどが売れているとういことでこの辺ではつながりを理解するのである。

現代はまず全人間として生きることは不可能になっている、その人はアウトサイダーとなり社会の異端となる、上野勝利氏のように無職だと全人間になるというのは逆説なのである。なぜなら何か職業についたならそれは巨大な複雑な社会の部品、歯車となることだからである。それはどんな高度な職業でもそうである。医者でもそうである。
体全部を見る医者いないからだ、体の部分をみる医者はいるが体全体をみる医者はいないのである。
医者以上にに社会は部品化しているから職業をもつことは一つの歯車部品化されることである。

だからコンビニでコーヒーを渡す仕事もそうである。それだけの部分化した仕事をしているだけだとなる、それはロボットでも自動化してもしているからだ
将来的にコンビニでも人間の仕事が自動化されるというとき機械と同じような仕事はそうなる、ただそこに若い美人がいるとかると価値が生れてくることはありえる
受け付けでそういうことがあるがAI化されると仕事がなくなる
実際にロボットに見える仕事が日常的にあるからだ。

無人駅化したのが鹿島駅ではあるがこれも無人化できたということである。
駅も別に無人化できる、でもそこで何か人間的なものが必要であり自分がそれを補っているとなるがそれも別に必要でもいなともなる
ただそこに人間的な役割がありそれで駅も活きてくるということはある
なんらかどうんなところでも自動化しても人間の仕事はありなくならないとういことはある。

駅はともかく駅だげではないその駅前は広場の役割があり車の人も利用する
そして様々な人が交わる場所としてある。そこに燕も飛んできて花も映える
これはかえって小さい駅だと人間的になるということがある。
大きな駅ではただ人は通りすぎてゆくだけになるからだ。
駅をただ鉄道の駅としてみる、利用するというとなると車社会では活きてこないことは確かなのである。

写真とると駅は鉄道と一体としてある、その駅前もそうである。
だから駅を写真に撮る人が結構いる、鹿島駅も結構写真撮っている
ただ撮り鉄などは無口でしゃべられない、そういうネクラな人が多いともなる
ただ写真を撮ることだけであり人は相手にしていないのが変なのである。

今回これだけ駅を見て写真をとれたのは地元だからである。
毎日行っていて変化しているし全体を見れるからとれた
旅だとどうしてもこのように見れない、何か目立ったものしか見ないのである。
そして必ず見逃しているものが多すぎるからもったいないとなる
だから本当は駅でも長くいればいろいろなものが見えるかもしれない
すぐに去ってゆくから記憶に残らないともなる

2017年05月03日

鹿島駅でJRの職員と話する 駅と地域の関わり(八重桜を切らせたのは住民だった)


鹿島駅でJRの職員と話する


駅と地域の関わり(八重桜を切らせたのは住民だった)

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ここは鉄塔が立って切られたとばかり思っていた
鉄塔が建ったことで風致的には悪くはなっていた

何本かあり他は切られている
この一本だけが切り株だけ残したようだ
駅の方の近くに咲いていた記憶があるからだ



今日駅に行ったら原町から来た駅員が階段を掃除していた、酒飲んで反吐をはいた人がいた、それで連絡があって掃除していた、
これは電車にのる人も嫌だから早めに掃除しないとまずいからである。

そこで八重桜を切ったのはもったいなかったと言ったらあれはこの辺の住民が虫がくるからと毛虫がその木から来る切ってくれと要望があり切ったんですと言っていた
それが本当なのと一瞬疑った、あの八重桜から虫が来るから住民がJRに抗議して切らせたそんなことができたのか、あの八重桜がある場所はJRの敷地内でありてっきり無線塔のようなものを建てたので邪魔で切らせたと思っていた
だから意外だった、でもそんなことできるのか?

確かにあそこの駅は市とか区とかで管理している、民営化になってJRは国鉄ではないのだからJRと市町村とで分けて考えるようになった
国鉄時代は国の管理だから市町村との関わりも密になる
JRは一つの私企業になったのだから自分たちの権限が強く主張できるとなる

でも駅となるとどうしても公共性が要求される、JRの勝手にはできない、それが住民が虫が来るからと八重桜を切らせたのは住民の要望に従ったとなる
それは悪い意味でそうさせられたとなる

そもそもなぜ駅前の住民がそんなことを要望して切らせたのかとなる
八重桜があり駅で電車を待っているときそれが自分の一つの思い出となって詩を書いたりした、それを駅前の住民が切らせたのは虫の被害からだったというのは意外だった
そしてそんなことができるのか、権限があるのかとも思った

駅はその駅前の人たちだけではない、鹿島区全員が利用するし原町から来る人も遠くから来る人も利用するのである。そしたら八重桜があった方が美観としてはいいのである。
そういう美観の観点から意見を言ったりして実行されることはなかなかない
何か景観とか美観は金にならないからだ、古い街並み保存でもそうである。
だから景観とかは一番破壊されやすいのである。

人間は例えば自然豊かな田舎でも美観とかに無頓着な人はいる、そもそも個々人でも女性でも生け花に興味がない人もいたし自分の母親は庭とか花に興味がなく働き金を稼ぐことしか興味がなかった、そういう時代の人だといえばそれまでだが最期は庭に木を植えたらそんなものに金使うなと言っていた、ただ後は反省した。

近くでも広い庭があるのに何もない荒れ放題にしている人がいる、小石くらいでもまけばきれいになるし川の感じもでてくる、それが何もない方がいいのだという
そういう人もいるし別に田舎に住んで農業していも美観のためにしている人はいない
米をいくら作っても金にはならないとかそういう実利的なものとして農業をしている
だから美観とか景観を問題にすることは普通はないからである。
男性で生け花しているのはめずらしい奇特な人だともなることは確かだからである。

ではあそこの地区の人たちが美観を問題にしていないかというとそうでもない
チューリップを花壇に植えていたからである。それが咲いている
ただ虫が来るかとそれがそれほどの被害だったのだろうか?
その前にそれを要求する前に議論も何もなかった
それでもその人たちの住民の要望であの八重桜は切られたのである。

法律的にはJRのものでありJRはその駅前の住民の要望だけで切る必要もなかった
なぜなら明らかにその土地の所有者だからである。
隣の庭の木から虫が来るからと切れとは簡単に言えないだろう。
だとしたらJRではもっと広く意見を聞くべきだったとなる
そこを利用する人はその駅前の人たちだけではないからだ
それは公共的なものであり公共的とは広くみんなのものだともなるからだ

こういうことは原発でもあった、原発は東電という私企業が土地の所有者との県の許可だけで建てた、そんなことができるのかとなる
議論もなにもなく建てられたとなるとそんな危険なものがどうしてそんなことができたのかとなる、でも法律的にはできたともなる
ただ回りの住民が反対すれば市町村でも反対すれば作れなかった
それを新潟県の巻町ではできたからである。

いづれにしろ国とか私企業でも会社でも公共的要素が必ずあり勝手になんでもできるとはならない、そのせめぎ合いがあって当然なのである。
そして住民といってもその範囲が広い場合がある、駅を使うのはそこに住んでいる人たちだけでもないのである。
だから公共性が高いから駅前の人たちだけで決められるのかともなる
その要望にすぐ従って切ったというのも納得がいかない面がある

「この八重桜は駅前の住民が虫が来て嫌だから切ってくれと要望がありました」
「ええ、そんな要望ならもっと広い住民の意見も聞くべきではないか」
「そうはいいましてもこの八重桜に関心ある人はそんなにいないでしょう」
「いや、そうでもないかも、それはいつも春になると咲いていたしなごみを与えるものでしたから」
「でも駅前の住民がうるさいし答えるほかなかったのです」

こんなふうになって切られたのだろうか?別にその八重桜が切られたの惜しんでいるのは自分くらいだとなるとそうかもしれない、そうなるとその八重桜を大事にしている人がそもそもいないとなれば切っても文句を言う人もいないから問題ないとなる

現実はあの八重桜が切られて残念だったなと言う人はいないしそんなこと気づいてもいないとなるとそうなる。
何か具体的に物を売ってもうけたいとかは常にある、そういうことは賛成しやすいわかりやすい、でも美観が景観がどうのとなると一般的にはおろそかにされる
でもいい庭を作りたいとかなる人はやはり普通は関心があるはずなのである。
駅前をきれいにする花でも飾りきれいにするという感覚があるはずである。
だから地区の人がチューリップを植えたのである。

ただ八重桜には関心がなかったとなる、人間は何かバランスが欠けている、実利の面では強調しすいしまた反対しやすい、でも美観が景観がどうのこうのというと同調する人は少ないし無関心になる、だから田舎の人が別に自然を大事にしているということではない
美観とか景観を維持するために農業しているのではない、米でも野菜でも食べ物を得るためにしているのである。またそれを売りたいためにしているのである。
ただ農業は自然と密接に関係しているから景観とか美観が自ずと守られてきたとなる
白砂青松の景観は松原は塩害を防ぐためであり美観のためではかったからである
ただ景観と美観というとき馬鹿高い防潮堤を作ったとき住民が反対した
海が全く見えず閉ざされてしまったからである。それでも実利的には津浪を防ぐということでやむをえないともなった、意見は二つに分かれたのである。

ただ八重桜の木はそれほどの論議にもならないのはその木に日頃から関心ある人が少なかったとういことだろう。でも駅前にそうした桜の木でも何か木があることで庭があり自然があるいうことでなごむことはある
今の時代は貧乏な時代とは違う、そうした景観でも美観でも考慮する時代になる
花より団子の時代ではないのである。団子より花の時代になってきている
だからあの八重桜が切られたことは残念だった
ここにも自治とか民主主義の問題があった
なぜなら市町村でも住民でもJRという企業でもかかわる問題だったからである。
そういう三者が協議することも必要だったからである。
ただJRでは市の方とも協議はしているという。

小高では駅にいろいろ住民がかかわっているという、そうなると小高の方が住民としては駅に対して関心をもち熱心なのかとなる
前は鹿島より小高の方がずっと良かったというとき小高の人はそれだけ街作りに住民が関心があったからかもしれない、今は原発事故の結果として小高はあのように悲惨な状態になったのである。鹿島はかえって事故前より良くなった面がある
人口も減らないしスーパーも二つできたとか他に暮らしやすくなった面があるからだ
だから小高はそれだけの被害を受けたから補償金も他より高くもらってもいいとなった
ただ浪江でもそうだがパチンコとかギャンブルばかりしいると批判されるのは当然なのである。それで怒るのはおかしいのである。

ともかく確かに八重桜は一本残ったけどあれは八重桜としても前のように大きなものでないから見栄えがしないのである。
そして大きな八重桜は切っても切り株が残っているからまた成長してくる
でもそれは30年先なのか50年先なのかもう大きくなるのを見ることは自分はできないのである。この辺では多くの松などが津浪で流され多くの木も切られた、そこにも貴重な木があったかもしれない、除染でも切られたからである。
やはりそれも景観の破壊だったのである。

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遠くからも目立つ土がとられた屋形の場所



2017年05月04日

駅員の仕事 人は勤める場所に愛着をもつ


駅員の仕事

人は勤める場所に愛着をもつ


昨日は原町から来た駅員が反吐をはいたのを掃除していた。
ということはこの人は迷惑をかけたのである。
しかし謝ってもいないだろう。
迷惑かけたということを意識しないだろう。
それは掃除している人を見ないからである。
ゴミを駅になげていた人もいた、自分はそれをかたづけた
ゴミをなげる人はそのことを知らない
世の中はそういうことが多いかもしれない
誰かがその後始末をしている

駅はいろいろと機械類とかも整備しているしこの前は盲人用の歩くブロックを直していたいろいろみるべきもきがある。雪かきも冬にはしていた
駅を整備することにはそれだけまた労力がそそがれているということでもある
自分はつばめが糞をしたので窓を掃除した
掃除というのが仕事として家と同じようにある

昨日は連休で遠くから来た人がいた、一人は車できて見送りしたのか、鉄道は利用しなかった。それでも駅前は車でも利用されている
何でも駅員が言うには仙台まで乗車客が3倍に増えたという
それはいつも駅で行く先を聞くと仙台を行き来している人が必ずいるのである。
この辺では外部から来る人がまだいる、それで仙台まで行く人が増えている

駅は鉄道だけではない、駅前とか街とも密接に関係している
駅が街の玄関口だというとき駅からその街に入るから玄関の印象は大事だとなる
だから美観も大事になる、花とか木でも植えてあると憩いの場所になる
だから八重桜を虫が来るとか駅前の住民がJRの職員に切らせたことは納得できないのである

無人駅になる小説

駅への愛着をライトノーベルにしている、掃除することはその駅に愛着ができる。
人間はその勤め先には愛着を持つ、ただ不思議なのは自動化して無人駅になるとそこには人がいないから愛着をもつ人がいなとかなる
そういう駅は人間的なものが消失して無味乾燥になってしまうだろう。
確かに人がいなくても困らないかもしれない、でもそこには人間的なものが人間臭さがなくなる、そういう駅に来た人も何か淋しとかなるかもしれない、無人駅だとこの街は寂れていると感じるというのもそうかもしれない

駅は何か人間的な場所だった、その一つの原因として駅は待つことにあった
待っているからこそ短い時間でも自然な会話が生まれる、話したくない人もいる
撮り鉄とかはそうである。写真とることだけを目的にしているから話しかけても会話はない、そういうネクラな人が多いということである。
もちろん自分もそうだったから人のことは言えない
何か自分は家族がなくなって一人になったとき淋しいから常に会話を求めるようになった家族がいないということは心境ががらりと変わる
妻が死んでがらんとした大きな家に一人いる人は二階には行かないというとき淋しくなるからだろう。こういう気持も一人になってみないとわからないのだ
なんか一人ということは人間にとって異常なことなのかもしれない、特に大きな家に住む人はそうなる

人間の生活は仕事はいろいろあるが駅員とか鉄道員という仕事もただ乗客になるのと鉄道員として働く勤めるのは全然違ったものである。
人間は仕事のことは実際に仕事してみないと理解できない、農民のことでも何でもそうである。仕事とは何なのか?それはただ月給ももらうことだけではない、仕事をもつことで得るものがある、だから豊になり働かなくてもいいとなっても人間は働くことを求める
生きがいを求めて働きたいとなる、それでシニアの大きな問題が生まれる
退職してから先が長いとなると暇になるからだ
今シニアで相当に暇に困っている人がいる、それでパークゴルフ場が繁盛しているのである。

何か高等な趣味はもちにくい、それは巣てに若いときからしていないと趣味でもてきない自分はこれまで鉄道の旅をずいぶんしたからJRには世話になったともなる
その時そんなことを考えもしなかった、何かしてもらっても感謝の気持もなかった
金やればいいじゃないかとしか思わなかったのである。
でも社会はそういうものじゃない、そこに勤める人がいて世話になっていたのである。

ともかく人間は農民でも何でもそうだけどその仕事をしてみないとその仕事から実感する見えるものがわからないのである。
もし本当に自然がなにか知りたかったら農業をしてみないとわからない。
それをしたのが山尾三省だったがパンも食べられない過酷なもので妻も自分も早死にしたのである。そこまではやりたくないのが自分であった。
体力がなくても長生きしているのは楽をしたからである。

駅の面白さはそこが外部と内部の接点になっているということもある。
内部の人ばかりとつきあっていると監視状態になる、四六時中見張られていると嘆く人が近くにいる、飯館村でもそういう監視状態が嫌で都会に出てそっちの方がいいと帰ってこない若い人がいるというのもわかるのだ。
駅だと外部への出口でもあることである。何かそこから自由になるという感覚になる
旅立つときはそうである。でもまた帰る場所でもある
東京辺りに出て故郷に帰ってくる人も多い、それはなつかしい家族との再会になる
ただ家族がなくなるとき待つ人がいないから淋しいとなるのだ。
だから今自分が旅しても帰ってきても誰も待つものがいないから嫌だなとなる
待つ人がいて自由に旅立つことができていたのである。
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2017年05月09日

今日の鹿島駅 「鉄道詩紀行ーきむらけん」から読む駅の不思議


今日の鹿島駅


「鉄道詩紀行ーきむらけん」から読む駅の不思議


鉄道の保守管理の人が定期的に回って見ている、前も盲人の歩む黄色のブロックを見て直した、盲人というとき一人が定期的に通っている、でも向かい側には行かない
だから危険というものでもないが電車に乗る時は多少危険になる
ただ車掌が見ていて確認している
駅で盲人を見るのは定期的に通っている人だけである。
でも一人でもいれば整備する義務がある、法律でも決まっているのだ
でもいつも思うことは盲人が利用するのは田舎ではほとんど見ないのである。
そのために黄色のブロックを作るのは贅沢なようでもそれだけ障害者のために金を使う労力を使うことは弱者に配慮した社会だとなる
ただ現代は盲人でも車だとか電車でも危険が多すぎる、人とぶつかるくらいならいいが
車とか電車は危険になる、だから盲人にとっては危険が多い社会である

今日きた人は相馬の天の粒という品種の米作りに関係している人だった、その人は話しなかった、話する人としない人がいる、ただパンフレットのようなものを見た
そこに天の粒とあったからである。それをインターネットで調べたらずいぶん出てきた
天の粒は外国まで売り出して相当に宣伝している
相馬の米として売り出しているのである。これは品種改良したもので相馬のブランド米として売り出しているのである。ただその人は何もしゃべらなかった。

それからまた四人くらい保守点検に来ていた、定期的に来ている、それから原町の駅員がきてホームのトイレに何か置いた、そして燕が巣を作っていたのを壊してそこに巣を作れないように網をかぶせた
自分が燕の糞を掃除したから汚れるから撤去したのである。
定期的に原町の駅員が回ってみている、何かこうして仕事がある
無人駅でも定期的に見回ることが必要になる

無人駅でも困らないにしても何かそこに人間の手が必要になる、そして何か話したりすると人間的になる、ただ普通は駅で話したりしないので話さない人もいる
ただ駅には必ず待つ時間がありそこで何かしら話するということがある
その待つ時間が人間的なものを駅に作り出しているのである。

今日は岩沼から来た老夫婦がいた、その人は電車に乗ったことがないで乗り方がわからなくなっていた、本当に電車の乗り方すらわからなくなっている人が意外と多い
それだけ電車というのは乗らないものになったということである。
車社会になったということである。電車の乗り方がわからないなどありえいことだったからである。その人は町中でまた会った、自分の家の近くに来ていたのである。

ともかくいろんな人が行き来している、駅の面白さはそこにある。
もちろん話せる人とできない人がいる、だからなぜ来ているのかわからない人もいる
でもこの街に駅に来たということは縁であり何かが記憶されるのかもしれない。
ただ自分も鉄をとでずいぶん旅したけど駅でも待っていたけどそこで土地の人となど話したことがないから普通は話などしない
でも駅はただ通過する場所ではないことに気づいた、駅で待つ時間も何か旅していたら印象として残すべきものである。それで撮り鉄は駅舎の写真をとるのである。
ただ写真ばかりでも記憶に残るとはならない、写真で残して思い出すこともあるが人間はともかく忘れやすいのである。

駅というのはほんの一時でも何かを人が残してゆく場でもある。そういう人々が交差して電車を待っていることは駅に人生も交差している、そういう場所は今はなかなかない
そういう世代を問わず職業問わず貧富も問わず地域も問わず近くでも遠方のものでも交わるという場は意外とない、子供と子供が交わる場は学校である。病人と病人が交わる場は病院である。仕事として交わる場が会社である。
ではそういうものを越えて交わる場というものが現代にはないのである

だから駅というのはみんな気づいていないが不思議な場所なのだ
それに気づいたのは駅員のボランティアしてみてわかった
旅しても駅はやはり通りすぎるだけであるが駅にいて案内したり見送ったりしていると何か駅が人間的交流の場であることに気づいたのである

人が出会い、そして別れる場である、ときめきがあり、悲しみがある
その駅には様々な人が混ざりあっている、裕福な人もいればホームレスもいる、健康な人もいれば病んでいる人もいる、
いわば停車場は人の博物館だ
(日本鉄道詩紀行ーきむらけん)

待合室の長椅子の
ビロードの
毛の中に
魂のかけらを
みんな忘れてゆく停車場である。(小熊秀雄)

この本は鉄道好きな人には相当に奥深いものを読み込んでいる、停車場は人の博物館だーまさにこれを感じた、ただ停車場というときそれは昔の感覚である。
その時はさらに駅は人間臭いものがあったからだ、そしてその時代は鉄道が最盛期であり人が駅に集まっていた時である。だから駅が最も熱気があったし駅前通りができたのもそのためである。
だからその時代なら余計にそうなる、薄荷(はっか)の匂いがするというときそのことなのだろう。小熊秀雄は北海道の出身だから薄荷の博物館が北見にあるからなじみのものだった

魂のかけらを
みんな忘れてゆく停車場である

ここが駅の不思議だったのである。一時であれ何かしらその人のたましいのかけらを駅に残してゆく、地元の人も利用するから遠方の人が駅にいるのとはまた違っている
でも駅には様々な人が行き来している、地元の人でもそうである。そういう場所が今は意外とないのである。病院だったら病人と老人がほとんどでありいろいろな世代の人とは会わないのである。学校だったら子供だけとかそういうことが多いのが現代である。
だから田舎駅ですらいろんな人が行き来していることが違っている
そこに駅の魅力を作り出している、一時でもそれぞれ多様な人々が魂のかけらを残してゆくのである。

駅にさす花を入れ換え様々な人出入りして今日もすぎゆく

ともかく駅にかかわることはそこが無人駅であっても人間的なものを付与される、そこに人間がいなければそうはならない、ただ機械がロボットがいるだけになる
機械やロボットはその人間的なものを嗅ぎ取ることはできないのである。
そこに人間がいてはじめて嗅ぎ取ることができる

実際に駅にはどこでも今や監視カメラがあり犯罪者がつかまえられたというから驚きである。田舎の駅でも監視カメラがどこにあるかわからない、監視社会なのである。駅には犯罪者もいるし変な人もいる、がらの悪い人もいるしそっち系の人もいる
つまり本当に人間の博物館になっているのが駅なのである。
でも監視カメラであれ機械がいくら精巧になっても人間的なものは人間しか感じることができないし作り出すことができないのである。

参考にした本(日本鉄道詩紀行ーきむらけん)




2017年05月11日

今日の鹿島駅 飯館村の人と小高の人と話する


今日の鹿島駅

飯館村の人と小高の人と話する


実家が鹿島にある女性が来ていた。そういう人は多い、町の変わりようなどを説明する
飯館の蕨平の人がまた来ていた、鹿島にある競輪の券の売り場にゆく、あそこには定期的に来る人がいる、タクシーで行くからそれなりに収入にはなる
あそこができるとき反対する人たちもいたがおしきられた、自分も反対の方だった
それでも仕事ができるとか人が集まるとかで賛成した
底辺で働く人はあそこで掃除の仕事ができるからいいとか言っていた
底辺だとそういう発想になるのだろう。だがらの悪い人も来る
でもこのギャンブルだけは人類からなくすことはできないだろう。
なぜ寺が博打場になったのか?寺銭が払われたのか?
これも何か人間の業みたいなものなのかもしれない、酒とかもそうでありやめることができない、貧乏なときは酒は栄養補給だったのだろう。
タバコもやめることができない、でも阿武隈山地は葉たばこで生活できていたのである。

飯館の人は今回は釣り竿を三本くらいもってきていた、釣りもしていたのである。
海の方だと満潮のときでないとだめだという、満潮の時期を新聞など調べて行くという。なんでも最近、ホッキガイとか牡蠣などもとれたという、松川浦の人は85歳で牡蠣を震災後も食べていた
その人も飯館村の放射線量が高いことを知っていても平気で飲んでいるという。
全然気にしていない、老人は関係ないんだよとなっているからだ
今回の放射能汚染で老人は影響を受けないのである。
だから避難しても帰るというとき故郷への住み慣れた所へ帰るということもあるが放射能をこのように全く気にしないことも原因しているのである。
確かに85歳なら放射能など関係なくなるからだ

飯館村では大きな川がないけど岩魚がとれるの?と聞いたらとれると言った
かえって細い川がいいんだよ、岩魚はそういう所を好む、岩魚を釣れる人は上級者だよと言っていた。
飯館村には大きな川がないのである。細流はある、自分がいつも行っていたのは大倉から峠を越えて飯館村に入る場所だった、そこには家が二三軒あったが一軒が廃屋になり
一軒が残っていた、その時そこは森につつまれていて人が通れる道があってもめったに通らない神秘的な場所だった、そこにはきれいな水が流れていて岩魚がひそんでいたというでもその岩魚を見ることはできない、今は舗装した道ができてその神秘的な森につつまれた細流はなくなった、でもその細流は今も流れている
ヤマメは橲原(じさばら)の水無川の上流の八木沢峠の麓の川に行くと深い淵があり泳いでいるのを見たことがある。
あそこは今は放射線量が高く避難区域になって空家になっている家がある

大石の裏にできたたるみや、岩の下にあるえぐれ、倒木などの障害物の周囲にできる緩流帯はイワナの好む緩い流れと隠れ場所を兼ね備えた高ポイントとなっている場合が多いのです。

水が少ない場所でも生きていけるように、歩くことができます。歩くと言っても、前びれを上手に使い、身体をくねくね動かして、水のない場所も移動します。

飯館村に住んでいる人に直接話を聞くことはなかなかできない、ただそこに住んでいる人は確実にその土地のことを知っているから聞いてみる必要がある。
山には山の暮らしがある。岩魚でもとれれば食料にもなるからだ
自分はそうして釣りとか農業に実際にたずさわらない、そこに自然をみるとき欠けたものになる、実際に釣りとか農業をすれば自然に直接接するから自然により深く知ることになる、それで釣りをしながら山村を歩く哲学者がいたということもうなづける
釣りは自然と接するものとして有効なのである。
ただ自分に釣りは向いていない、自然が好きとしてもじっとして待っているのが嫌なのである。何かすぐに動くのがいいのである。だから自転車で次々に回ってゆくとなる
でもそれも自然と接することなのだが釣りは明らかに自然と融合するものになる
ギャンブルよりは趣味としてはいいのである。

今日は小高の人にもあった、小高の人はやはり金をもっているのだろう。
その人は車がないので原町に良くタクシーで行っていたという、原町までタクシーで入ったら4000円くらいとられた、だからやはり小高の人は補償金で金が今はあるようだ
ただこれからは金が入ってこないのだからどうなるのかとなる
その人も老人だから働くつもりはない、そういう環境で働く気もなくなったのである。
でも働ける人は働いた方がいいよとか言っていたのも矛盾である。

そのうち小高に帰って住んでいる人が駅に来た、仮設の仲間だった人である。
その人は原町とか鹿島のスーパーでも買物に来ている
小高にはスーパーがないのだから買物に来る、鹿島でもキクチスーパーが新しくなりシシドスーパーもできたから買物はできる、シシドスーパは原町にはないからである。
シシドスーパーはもともと卸屋だから新鮮なものを売るから評判が良かったのである。
小高の人は今仮設に残っているのは一割くらいである。
いつまでいられるのか?まだまだいられるみたいだ
でもその人が言うには仲間が減るとやはり小高に帰る人も増えてくるという、仲間が残っているとまだ残る人がいるという、それも六年間もいて親しくなり仲間となったからである。

ともかく駅にいろいろな人が行き来して集まるのである。
山梨の人は弁護士の事務所で助手みたいなことをしているみたいだ
その人も定期的に通っている、事業をしていた人だから事業のことなど人を使っていたからそうした人事にも詳しいのである。
そして言っていることがまともなのである。補償金でもちゃっと使い道を決めさせて与えないとただ浪費するだけになるとか人にはそれぞれの生活があれその分を越えた金をもらうとどうなるか、金銭感覚が狂いその人の生活を乱してしまうというのもそうである。
思わぬ大金が入ってきていいようでもそれで贅沢して浪費して終わりになるしもう金があるからと働かなくなるというのもそうである
この辺は実際にそうなってしまったからである。
あの人は経営者として失敗してもそういう人事の経験を積んでいるからまともなことが言えるのだろう。
大阪の人は何でもあからさまに言うけど本当に相手を助けるときは本気で助けるという。そういうことはやはり様々な人を使っていたから人に詳しくなる
ただその人は裏切られてそのことがショックで人を信用できなくなったのである。
自分もそうなったから同じ経験をしたからその人のことを理解できるのである。

ともかく駅は様々な人が行き来して集まる場所なのである。
今日は南相馬市のリサイクルセンターの近くの会社の人も来ていた。
東京からは清水建設の人が三人くらい来た。
清水建設の事務所はまだ鹿島区にあるからだ
まだ外からの人も来ているのである。それで前より仙台を行き来する乗客が三倍に増えたというのもそのためである。

いづれにし老人が多く集まるというときこの辺は他より10パーセント65歳以上が多いのである。それと仮設に住んでいる人も老人が多かった、だから老人は暇だから川子のパークゴルフ場に百人もいたように暇な老人が集まるからそうなるのである。
ボランティアを求める人も退職した人が多い、この辺に小高でもまだボランティアが来ているからだ。それはどういうことかというとむしろその要望があるというよりボランティアをしたいという人の要望の方が大きいのである。
道路公団に勤めていた人は道の脇を何か探していたのもそうである。
道路公団に勤めていたからそういうことをしていたのである。
自分も介護が終わり余裕ができると関心がいろいろな方向に向く

この辺は実際は自然でも豊かであった。釣りをすれば魚の生態系とかに興味をもちひいては自然を深く理解することになるのである。
つまり旅をしなくてもこの辺はもともと自然が豊かだから発見がある
だからわからないことも多いのである。飯館村は広いからそうだった
隠された知らない細流が他にもあったとなるのである。










2017年05月19日

今日の鹿島駅 (原町の人と石巻の娘ところに行く人の話)


今日の鹿島駅


(原町の人と石巻の娘 のところに行く人の話)

三〇キロ圏内で区切ったのは補償金をその他に払いたくない政府の都合だった

今日は結構人の出入りがあった、ちょうど電車が来た時、小池の人が来た、電車は走り出していた、電車は走ったら止まらない、その後は一時間後になった
例の盲目の人が来て案内した、飯館村の蕨平の人も親戚の人が死んで来ていた
その石巻の娘の所に行く女性は石巻に嫁にやった人だった
石巻の娘は困っているので良く行くという,その人も電車のことがわからなくなっている人だった、時間をまちがえて遅れた
娘の夫は一番被害のあた日和山の前の工場で働いたとういう、何でも自転車で逃げて助かったとか言っていた、あの時車だったら渋滞してかえって危険だったとなる
日和山の前は家が本当に多いから被害が大きくなった

そして新しく建てた家が被害にあったという、何かこの新しく家を建てたのに津浪の被害にあったということは良く聞く
他人の家でもあそこでは新しい家を建てたのに被害にあったという
知っている小高の人もそうだった、塚原の人で新しく建てた家であり借金があった
それが津浪で被害にあい帰らないという、ただ小高の人はまだ補償金がもらえたから救われているともなる
海老の人が意気消沈していたのは原発補償金をもらったとしても少ない、宮城県などでも石巻などでも一億円とかもらったのは
極一部の人だろう、ただ何らかの補償が国から出た、一軒五〇〇万円は支給されたみたいだ
津浪の土地は海老でも国で買い上げたが安いと海老の人は言っていた。

それと川がありその川をさかのぼったら被害が大きくなったという
あの川は大きいから確かに津浪だと川をまずさかのぼるから被害になる
この辺でも真野川でも自分のすぐ近くまで川から津浪がおしよせて上ってきていたのである。その時みんな騒いでいたがあとかたづつに追われてわからなかった
物が落ちて散乱していたからだ
石巻は一番被害が大きく死者も多く一年前とか行ったが店も閉まっているのが多いし流出した人口も多いから復興するのも容易ではない
ともかくつくづく津浪の被害は広範囲なのである。何かしら東北では影響を受けているとなる

次に来たの原町の人だった、一人は若く中通りに住んでいるという、小高でも鹿島でも様子を見にきた、その人は津浪や原発事故の時は原町に住んでいた

「小池などは放射線量が高いから補償金高くもらってもいいはずだ」
「でもさ、国で三〇キロ圏で区切ったのはなぜかわかるか」
「理由があるの」
「福島市でも郡山で放射線量はこの辺より高いんだよ、放射線量を基準にしたら福島市や郡山市にも払わなければならなくなる、するととても払いきれなくなる」
「確かにそうだな、三〇キロで区切る必要などなかった、距離と関係なく風の流れて放射線量は影響された、小高でも浪江ですら海側は低いんだよ、相馬市だってこの辺と変わりないよ」
「小池とか山側が放射線量が高い、でもそういうことで補償金払っていたら郡山市とか福島市るで国では払うことになる」
「そういうことだったのか」

そういう理由で30キロ圏で区切ってその内は補償するとうことに決めたのか?
何がしかの科学的根拠もあると思ったがないとすると小高はそもそも避難区域にする必要などなかった、ただ国の政策で三〇キロ圏内にしたとなる
小高が避難区域にされたのは科学的根拠もなにもない、ただ政府の都合で補償金を福島市とか郡山市に払いたくないからそうしたのかとなる
確かに三〇キロで区切ればと政府にとってそれがわかりやすいからであり都合がいいからだとなる、それは住民とはなんら関係なかったことなのである。

南相馬市内でも良く放射線量のことをいう、小池の人も高いというし実際に田んぼを作らないのが多い。放射線量たと南相馬市内でも山側は大原とかは高いから避難区域になって仮設に住んだ人たちがいる
そういう人たちは補償金も高くもらっていた

「俺が住んでいる所は放射線量が高いんだよ、だからもらって当然だよ」
「そうなるとさ、福島市や郡山市はこの辺の海側より高いんだぜ、そうなると国では払いきれなくなる、だから三〇キロ圏内を基準にして払ったんだよ」
「それもそうだな、海側だと0.3以下だから放射線量を基準にしたらもらえない地域だよ
そうしたらまた不満がそこに起きる」
「もしさ、そこに住んでいる家で放射線量を正確に計って補償金を支払っていたらどうなるのか、それで公平になるのか」
「これもならんだろう」
「なぜならこの辺では真野ダムがあったらその水を飲んでもいるし利用するからその影響があるからだ、自分もペットボトルの水を未だに利用しているからな」
「やはり補償金はそうしたスポットスポットの点で放射線量を計ってそれで補償することになじまないんだよ、大地でも川でも山でも空でもみんなつながっているから放射線の影響を受けるからな」

飯館村は高いから例外として後は払わないことにしたというのもわかりやすい
原町でいくらもらったかと聞いても答えない、何かそれがわからないのである。
避難した人はもらったというけど鹿島でも半分は避難したからである。
ただ明らかに三〇キロで区切ったのだからその圏内は確実に補償金を高くもらったのである。
それから二本松とか福島市で耳にしたことではやはり避難した仮設の人がぜいたくして補償金で遊んでいることに不満な人がいるという、やはりそのことはここでも同じだからあった


こうして直接話してみると何か情報はいろいろありわかってくるものがある。
原町の人とあんまり補償金のことは話しない、ただ合併したけど原町中心に予算が組まれて使われたということは確かである。
合併してももともと原町が人口が鹿島と小高を合わせたより多かったのだから当然そうなる、原町が予算を一人じめするということにもなったのである。
そのことは前から言われていた、鹿島では原町に金をくれてやったんだとかとられたんだとか言う人がいた、実際そうだったのである。
だから飯館村は合併しなくて村独自で交渉したから今回は得したとなるのだ

ともかく駅にはいろいろな人が実際交わる場だった、あの人は車で来たが駅に立ち寄って様子を見に来たのである。小高の駅も見に来たがトイレが良くないとかいっていた
鹿島の駅にいると良くトイレを車で来た人も使っている、トイレのために立ち寄っているのである。、鹿島にはそういう場がないからかもしれない、駅はこうして電車を利用する人だけが来る場所でもないのである。
だから駐車場が狭いから広くすれば活性化されることは確かなのである。




●小池の母親が津浪の被害にあった嫁いだ娘のいる石巻に行く

●原町の人が鹿島を見に来る

●中国人が三人駅より帰る


これもニュースである。中国人が三人駅から帰ったのはこの辺では外国人労働者がいる
ベトナム人がいたしネパール人もいた、中国人はやはり一番多いだろう
ただ今は中国人よりベトナムやネパール人が統計では増えている
駅は全国的であり国際的であり地元でもある
これは震災以後にこうなった、だから仙台を行き来する人が三倍増えたのである。

中国人でもやはりありがとうとか言葉を覚えて切符代わりの証明書のことを教えるとそういう、それが印象を良くする、やはりこうして言葉を覚えることは効果がある
ありがという、この言葉外国で一言覚えるだけでかなり効果がある
自分はそういう点だめだった、ただこの中国人は旅行者ではない、日本人に混じって長い間働いた結果覚えたのである。
なにか英語ではない、外国語となると一言でも覚えるのが容易ではない
特に中国語は発音がわからないのでしゃべっているのが皆目わからない
それで漢字を書いたり英語でコミニケーションを計るのである。
英語だと単語を一言でも知っているからいいのである。






















2017年05月24日

今日の鹿島駅 (川崎市から来たボランティアと駅で会う)


今日の鹿島駅


川崎市から来たボランティアと駅で会う


今日駅で会ったのは地元の人だった、時々自分の家族のことを知っている人とあう。みんな死んだよという、あの人は顔は知っている、近くに住んでいた人である。
だから母親のことも知っている、何か駅はつくづく人が出会う場所である。
それは地元の人だった今はなかなか会う場所がない、すると今あの人はどうしているんだろうとなる、そしたら死んでいたよとかなる
もう誰なのかわからなくなっている人もいる、人も常に変わっているのである。
死ぬ人も増えてくるから余計にそうなる

今日もう一人あった人は川崎から来たボランティアの人だった
その人は自分のプログを読んで駅に来ていたのである。
プログを読んでいる人とじかに会うことはほとんどない
ただ最近駅のことを書いてここにいることを知って会いに来たのである。
原町の橋本町の墓地の近くに事務所がある、その橋本町には自分の母親の実家の墓があるだからあそこに入る所だろう。

川崎市というとき小田急線沿線で百合ヶ丘という所に下宿していた、S大学に通っていた
自分は大学でも問題起こしていたからあまり思い出したくないということもある
ただ自分は確かに川崎市にいたのである。
S大学(生田キャンパス)まで電車5分 新百合ヶ丘→これだった
向ヶ丘遊園地は有名である。百合ヶ丘という所の下宿だった、そこは結構田舎だったのである。回りに田んぼとか畑があったからだ、その様子も相当に変わっているだろう。
川崎市というときそういう因縁があったとなる
それにしてもあまりにも昔であり記憶が遠のいてしまった

ボランティアの人は川崎市の人である。年は自分より4,5歳年上だった
でも小高の人よりは若く見えた、その人は引っ越しの手伝いなどしているから力仕事をしている、でも結構その年では楽ではないとも思う
高速を使ってきている、ここまで来るのに費用がかかるといっていた。
自腹だとなると川崎からここまで往復するとなるとそれなりの費用がかかる
年金暮らしだからそんなに使えないというのもわかる

何でも南相馬市で飯館などで切った材木を燃やしているという、それも何なのだろう。
浪江で森林が燃えて放射性物質が拡散すると騒いだ、飯館村の木材は最初は3マイクロシーベルとあった。だから木材でも高いのである。その後は減った
樹皮に放射性物質が付着しているという、だからそういうものを燃やしていいのかという疑問はある、ただそうしたものでも処理しないと困るから燃やすのである。

それにしても74才くらいなると力仕事は結構きついように思う、ただまだそのくらいの年で農作業もしている人がいるからいろいろである。
そういう年でもやはりここまで来てボランティアしているのは熱意があるというか驚くということもある、この前の人は福岡県から来ていた、駅の前のホンダの車販売店に友達がいるということでここまできた、その後は熊本に移動してボランティアしているという
やはり何か役に立ちたいといいう気持ちがあり行っている
その人はフェスブックもしている、だから年はとっても時代の利器を利用している
自分もそうだがこの年だと簡単にできないと思うからだ
自分はたまたまワープロから通信して覚えたのである。それは偶然だったのである。
それは富士通のワープロに通信するものがついていためにできたのである。
自分でしようとしたのではなくそういうワープロを買ったからできた

何かボランティアの時代ということもある、それだけ老人が多く生きがいを求めているのである。ただ費用がかかるとなると結構楽ではない、自分がしているボランティアは簡単だし金がかからないからそういう負担がないからいい、交通費だけでもそれなりにかかるとなるとボランティアも楽ではないとなるからだ
ただ74歳とかなるとそういう人も来ているのかとなる,だから高齢化社会なのである。
ボランティアというときその土地の人とつながりができる、すると移住しやすくなることは確かである。
ただ働いている人が多いからボランティアは暇がなければできない金も必要になる
それで60代から退職した人たちが多くなっている、でもその人たちが移住するとなるとむずかしい
今はボランティアで助ける方でもだんだん助けられる方になるからそうなる
ただこの浜通りでいいのは気候なのである。これだけはすすめられる
暑くもなく寒くもないから老人が住むにはいいのである。

SHIMIZU様?、ボランティアごくろうさまです

これからも相馬地方の情報発信しますのでよろしくお願いします

今日の鹿島駅をまとめてカテゴリーに追加


今日の鹿島駅をまとめてカテゴリーに追加


これまで書いた今日の鹿島駅を新しいカテゴリーにまとめた
一月から5月まで書きつづけた
定点観測になった、これは日々変化することだからプログに向いていた
プログとはその日のことを報告することになる
すると日々変わる場で定点観測することに向いているのだ
だから地域地域で放送局になれるのがプログなのである。
それも南相馬市だって広いから鹿島駅を中心にした定点観測になる
他の人はまた別な定点観測の報告する
小高の人がしているが情報量が少ないのである。

駅というのは実際ボランティアしてみたら不思議な所だった
これは駅を利用する一乗客だったらわからないことだった
駅にいると今日も地元の知っている人が話しした、自分の母親のことを知っていた
そしてそのことを聞いてあの人は自分の母親のことを語ってくれたとなり親しみを覚えた
何か故郷とは親とか祖父母とも関係している場なのである。
誰か知っていて語ってくれるとうれしいとなる
誰も知らなくなったら淋しとなる、死者もそうして知る人がいて語ってくれるとここが故郷で母でも父でも生きた場所なんだなとなる
だから避難地域になったところでは墓参りするにしても知己もいなくなったりすると何か淋しいとなる
ただ墓だけが物のように残されているのが淋しいのである。
やはり人間は物だけではない、そこに物語ることがあると死んだ人も生きてくるのである。
だから歴史はHI-STORYなのである。

駅は意外と実際は活気がある場所だった、あそこは駅だけではない、車の駐車場として利用されている
トイレもきれいだし良く車で来る人が利用している
自分の母親を知っている人は孫の迎えるためにきていた、小学生が駅前に集まってくるのである。
だからいろいろな人が来るから活気がある場所なのである。

今日は自分のプログを読んでいた川崎の人が来たのもそうである。
自分はいつもいるわけではない、主に昼間に一時間とかいる
他の時間もいるがいつもいないのである。
その人は会って良かったと言っていた
そういう外部からの人も来て混じり合う場所なのである。

なんかあそこにいるとさびれた町にしても活気があるなと思う
一番人が集まるのは今はどこでもスーパーだけどあそこであまり人と話したりはしない
何か駅の不思議は人を迎えたり送ったり待ったりすることにある
それが人間的な場所を演出しているのである。
駅は駅前は広場になっているのだ、そういう場はなかなかない、そこで町に生きるものの活気を感じたのである。
淋しさをまぎらわすにはいいとなる、そこは何か人間臭い場所だったからである。

今は買物にしても何にしてもほとんど人と話もしないからである。
駅の特徴はまた多様な人が世代でも交わっているのである。
あそこは小学生が集まる、駅前で遊んだりもしている、だから子供から老人から外部の人も来てまじわる場所だったのてある。
そういう場所はなかなかない、確かにスーバーには町の人全員がきている感じにはなる
でもそこで何か多様な人がいるという感覚になれないのである。
大勢人が来ているなと感じるだけである。
おそらく駅は迎えたり見送りしたりするから違っているのだ
それが人間臭い情をかもしだす場にもなっているのだ、別れとか出会いを演出する場だから人間的なのである。
「元気でな」とか「また帰るのを待っているよ」とか親と子の出会いと別れがある
そういう場所は駅にしかない、道の駅ではそんな光景はあまりないだろう。
そういうふうにして人が集まるから違っているのだ




2017年05月30日

豪華列車「四季島」に乗りたいか? (旅がなくなった現代-何でも金では買えない)


豪華列車「四季島」に乗りたいか?


(旅がなくなった現代-何でも金では買えない)


人間は何か常に金で計られるのが資本主義社会である。金がすべての価値基準になる
例えば最近「四季島」という豪華な列車で旅する、三日間くらいで百万くらいする
それが人気だという、たいがい金持ちで老人が多い。
自分はそれに乗りたいともうらやましいとも思わない
普通はやっぱり金持ちだからあんなぜいたくできるからうらやましとなる

そもそも旅というものを今の人はわからなくなった、今旅するとしたら移動と保養なのである。旅するというとき金がなくてもできる
旅は時間と体力があればできる、こっちの方が大事なのである。
自分が旅の俳句とか短歌を今になって思い出して書くとき鉄道の旅はなかなか思い出せない、景色でも早く過ぎ去ってしまうからだろう。
人間が記憶に残すには時間が大きく関係している
そこに長くいれば記憶に残る、だから敷島で三日間くらい旅して記憶に残るだろうかとなる、そんな豪華な旅をしても旅したことになるだろうかとなる

旅は楽する旅はこれも車のことで批判しているがいい旅とはならない、例えば峠を越えるときそこを苦労して歩いて越えればその峠を越えて新しい世界へ入る、視界が開けるという感動を得られる、でもあまりにも楽に簡単に峠を越えると感動が得られない
だからあまりにも便利になったとき旅はなくなりただ目的地にどれだけ早く着くかが旅になってしまった。そしてうまいものを食べるとかが目的になる
それは旅ではない、ただ早く早くと移動しているだけなのである。

結局人間は今の世の中金からのみみる、金さえあれば何でもできるとなる
でも旅に関してはむしろ金より時間と体力なのである。
ただ金が全くなくていいということではない、金はそんなになくても旅はできる、時間と体力があればできる、そっちの方が大事だということである。
本当に旅するとなると時間がかかるしかけないと本当の旅はできない
旅をしても今や何か感動しないというとき決められた観光コースを行く、でも旅とは本来何か未知の世界へ行き発見することである。道は未知なのである。

だから近くでも旅はある、気ままに近くでも自転車でも歩いて行くとする道が別れているするとこの道はどこに行くのだろうとなる、春の日にそうした気ままな散歩でもいい
それが旅にもなる、ただ車だと早すぎてそういう感覚がなくなる
バイクでも早すぎるのである。ただスピードを出す快感だけになる
だから車とかバイクは旅にならない、ただ目的地に早く着くということだけである。

日永きや道の分かれていづこへと

こんなふうになる、鉄道の旅とかではこういうことはありえない、決まったレールを走るだけだからである。
現代の人間の経験は何か機械を道具を通して媒介として経験することが多い、そのことがまた老子の言うように本来の人間の持っているものを奪っているのである。
自分も鉄道は好きだけど鉄道の旅も記憶に残りにくかった
鉄道の旅も早すぎることが問題なのである。
各駅停車でゆっくり走っていれば記憶に残るかもしれない、人間が記憶に残るのは不思議に閑散とした所である。だから混雑した都会は記憶に残らない、どこに何があったかもわからなくなる、でもそれは別に旅をしなくても人間が記憶に残るのはそうした閑散とした場所なのである。

するとビジネスと旅や観光は違ったものである。ビジネスは早く目的地に着くことだから新幹線のようなものがいい、でも観光とか旅となるとむしろ普通列車でゆっくり行った方がいいとなる、でも実用から考えると鉄道も観光のためにだけあるのではない
もともと貨物列車で石炭を運ぶために鉄道が作られたというのが多い、それは世界的にそうなのである。観光とか旅はそのあとに生れてくる
まず観光用にだけ作られる輸送機関はないからである

でも旅とか観光面からすると実用とビジネスとその目的が根本的に違ってくる、実用とかビジネスになれば早く目的地につくことがいいのである。
だから何か観光もビジネス的に考えるとそれが思い出とはならない
つまり観光と旅は実際は別ものだということである。
旅にはだから金より時間と体力だとなる、峠を越える体力と時間である。
それが老人になると体力がなくなるからできなくなる、時間があっても楽な方を選ぶ、
それで豪華列車の旅になったりクルーズになるのである

人間が贅沢というとき金があるだけではできない、そこに時間や体力があってできる
なんかここ十年が介護で遠くに旅もできなかったし今は体力がなくなり遠くに行く気力もなくなる、そんなふうにして金があっても人間は何でもできるわけでもないしうらやましいともならないのである。
老人になってみんな後悔している、そうして体力があるとき自転車でも歩いてでも旅していたらなとかふりかえる後悔する、その穴埋めが豪華な列車でしてもできないのである。そんな豪華なものに乗るなら豪華なホテルに泊まっていい景色を眺めていた方が記憶にも残るからそっちの方が老人にはいいと思う。
自分は一万以上のホテルに泊まったことがないからそういう贅沢はしてみたいとはなる


札幌から新幹線で来た年配の女性 新幹線ができて遠くから来る人が増えた


札幌から新幹線で来た年配の女性

新幹線ができて遠くから来る人が増えた

老いてきぬ鹿島駅かな恩あるとはるばる遠く暑き日なりしも


最初あったのは40代くらいの女性だったか、何か買いたいということで大岩菓子店によった、ちょうど留守でお菓子が買えなかった、何でも十三年前はそば屋もあり弁当も売っていたという、ええ、13年前はそうだったのか?
もっと前ならわかるけどそんなときまだソバ屋があり弁当売っていた?
そのソバはうまかったという、13年前というとそんなに昔のことではない
その頃まだ駅前に今と違って店があったとなるのか?
駅前ではコンビニとか何か軽いもの買う店がないことが問題なのである。
大岩菓子店だけであるが前にもその女性は買っていたのである。

もう一人の女性は杖ついて歩いていた、タクシーできた、墓参りに来たという
鹿島の親戚の人に戦時中なのか戦後なのか食料をもらって助かった
そのお礼にきて墓参りしにきたという、魚をとっている漁業関係者で魚ももらったのかもしれない、今頃世話になったときているのはよほど苦しいときで食料が貴重な時だったからだろう
自分の家の人にも戦後仙台に買い出しに行ったということは聞いている
その女性はこの辺に住んでいたのか、あとで北海道に移ったのか?
話す時間は短かった、すぐに電車が来たからである

ただつくづく駅にちょっとの間いてもいろいろな人が来ると思った
そこに駅の魅力がある、例えは会社でも学校であれ公務員であれみんな決まりきった人とつきあっている、農家でも農家の人とか他の人と接する機会がないのが現代である。
駅にはいろいろな人が一時でも交わるのである。
そういう場所は今はなかなかないだろう

その女性が札幌から足が悪くても来れたのは新幹線ができたからだとなる
それと常磐線が開通したので乗ってみたいと来る人も多い
だから仙台を往来する人が3倍に増えたのである。
新幹線効果が大きい、足が悪くてもここまで来れる
ただ函館まではいいにしてもそれから札幌まで遠い
自分も乗ったことがあるから遠いなという記憶がある。
函館までなら相当に近くなっていることは確かだがそれから札幌までとなるとやはり遠い
前も函館から来た人はいた、やはり新幹線にのって来てみたいという人がくる
新幹線効果というのは確かにローカル線でもある
新幹線とつながってローカル線も生きてくるからだ
新幹線の収入と他の駅の売店とかホテル経営で95パーセントの収入があり今回の常磐線の復興は400億円かかったがそれでまかなえたのである。
まずここのローカル線でそんな金が出せないからである。

駅からいろいろわかることがある、今日見たら燕が入ってきて糞をして壁とか汚れていたそれで巣を作れないように網をしたりした、あの被害は結構大きいかもしれない
ガラスだとふきとれるが壁だとふきとれないからだ
小さな駅でもなにかかにかある、自分が行っているのは一日の内一時間かくらいである。でも何かあるし用があることが不思議なのである。
全く用がないとつまらないともなるからだ。


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2017年05月31日

さまよえるボランティア老人 (祭りを見るために来ているだけの老女)


さまよえるボランティア老人


祭りを見るために来ているだけの老女

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今日駅に来ていたのは猫背になりいかにも老人という女性だった、何しに来たのかと思ったらボランティアだという、何のボランティアだと思った
猫背であり歩き方もよろよろなのなのである。
ただ話してみると知的な女性なのかもしれない、祭りに興味をもっている、
石巻の雄勝では全く知られていない祭りがあるという、男だけの祭りで女性は入れないという、何でもフランス人がそれで見れなかったと怒っていたかという、それは別の場所でだろう。日本の祭りは女性だけが集まる祭りがあるし男だけの祭りもある
日本を知りたいなら祭りを見ることである。
それでフランスの人が何カ月もかけて民宿に泊まり歩き祭りを見る旅をしていたとのを知っている

その老女はボランティアとして来ているのではなくただ祭りを見たいためにボランティアを名乗っているだけなのである。
第一格好から見てももう力仕事もなにもできない、やっと歩いているのである。
ただ頭はまだボケてはいない、知的なところがあり祭りとか歴史に興味をもっている
歴女なんかが話題になったがそういう人にも前にあった。

その老女は年は71歳とか言っているけどもう80歳にしか見えない、ただ顔はきれいな顔している、その女性はもうボランティアなどできないのだ、実際は70だと若い人がいる、人によって十歳とかの差がでるのも老人である
この人はただ祭りを見にきてただ泊めてもらうだけである。
ボランティアの宿が前は用意されていたからである
ボランティアでは自転車の旅の途中によった若者もいる、それは無料で泊まる場所が提供されたからだとその人は言う
右田の方にそういう津浪の被害にあった家が一時ボランティアの宿になっていた
だから自転車旅行の途中による人もいたのである。

その人はだから祭りだけを見る人はいらないとボランティアを断られたのも当然である。祭りを見るために来てそして宿を無料で泊めてもらうのだからボランティアではない
その人は何もできないのである。
川崎から来た人は男性で74歳だけで若い、だから引っ越しの手伝いなどができるからボランティアとして役立つのである。

何かこれも高齢化社会で見られるようになった変な人なのかもしれない
東京の人で何もすることがなくボランティアにこじつけてふらふら全国を回っている
何か彷徨っている感じなのである。つまり老人にはそういう人が増えているのだ
ボランティアで生きがいを求めるのもそうだが何か暇をもてあましふらふら祭りでも見て歩く人もいる、いろいろな老人がでてくる
ボランティアにこじつけて全国の祭りを見るために彷徨っている老女なのである。

駅には変な人もくる、昨日来た人も杖ついて新幹線できた、その人には世話になった人の墓参りに来たということで目的があった。
この老女は別にボランティアするというのではなくそれにこじつけて祭りを見るために全国をふらふら回っているのである。
だから断られたというのもわかる、祭りを見るために来ているだけだからである。

なんかおかしな老人が増えてくるきも高齢化社会なのである。それは老人が邪魔な社会であり活かされない、老人のいる場がないからである。家族のなかでも孤立している老人もいる、独居老人も増える、そして暇をもてあましている
するとふらふらとボランティアにこじつけて祭りを見るために全国を歩く
ただその老女はそういうものに興味を持っているのだろう。
歴女なのかもしれない、ただなんか変な老人も増えているなとなる

一応この辺の歴史を説明したが何かその老女は変だった、その人は今度は浪江に行った
浪江にも前にも行っている、飯館村から鹿島に来て今度は浪江に行くのである。
でもそんな人が来てもボランティアなどできない、かえって接待させられるだけだとなるだからボランティアにもおかしな人がいるのである。
そしてボランティアには老人が多い、暇だからそうなる、勤めている人は土日くらいしかボランティアはできないからである。そして老人は居場所がなとか相手にされないとかある。それは家族と同居してもそういう人はいる。何かそういうことで放浪するような老人もでてきているかもしれない。
ともかくこの人にも高齢化社会の一端を見たのである。

駅は監視カメラの上に燕が巣を作っていた、そこにも網が張ってあった
駅の中にも監視カメラがあった外にも二台あり中にあるのは知らなかったのである。
今やどこかで必ず監視カメラで見られていることは間違いない
だからここで振り込め詐欺の人が一人つかまったというのもわかる
監視カメラはどこかで見ている、それが意外とわからないのである。


生きがいが無いと悩むシニア

ここのプログは面白い、いろいろ老人のことを書いているから参考になる
自分も介護なくなりこういう状態になったからわかる
自分はやることはあるが一人でいることが今までと相当に違ったものとなったからだ

2017年06月01日

駅は街の玄関であり関所の役割もあった


駅は街の玄関であり関所の役割もあった


昔は関所がいたるところにあった、白河関はみちのくに入る関所として有名だった
関はもともとは防御のためにありやがて通行人を検めるものとしてできた
そして通行税を寺社がとるためにも関所がもうけられた、それで淀川には300の関所があったとか港でも税金をとっていた
それはライン川でも城が多くそこで通行税を払わなければならなかったとかにている
つまり商業するにも旅をするにも難儀していたのである。

だから鉄道ができて切符一枚で全国を旅することかできることは画期的なことだったのである。アメリカの鉄道もそうである。

東部と西部の間を数ヶ月かかって移動していたのが、3日強で済むようになったのですから、とても有用なものであったのは確かです。

関所にはまた犯罪者を入れないようにもうけられた、「入鉄炮出女」入り鉄砲というとき今でもグローバル社会となったときテロリストが入ってくるから困る、どこの国で世界で行き来できるというときまた犯罪もグローバル化するからである。
それで鹿島駅で監視カメラに振り込め詐欺の人が写っていてつかまったということでもわかる、全国手配の犯罪者の写真もはられているのもそうである。

そして同じ車両に見知らぬ人が同席していることに違和感を感じたというのもわかる
江戸時代ではまず見知らぬ人は常に警戒されていた
それで箱根では関所守り村というのが各地にあり監視していたのである。
与那国島で自分が木陰にいるだけで警察に通報されたようにあのような島では誰か見知らぬ人がくると目立つのである。
江戸時代はほとんど狭い村の世界で同じ人と暮らしていたのである。
見知らぬ人と交わることはまれだった、その時今のように世界のことを知らなくてもすんでいた、狭い村のことを知っていれば良かったのである。

関所があるというとき関所を通ることは別な世界に入ることである。相馬藩でも三春藩とは家の作りが違っていたとか藩が違うと生活も違ってくる
だから江戸時代の旅は今より刺激的だった、食べ物でも言葉でも何でも違ってくるからである。今はどこでも同じになっているからつまらないのである。
どこでもハンバーグを食べている、世界でも同じである。
郷土料理は別に金をかけた贅沢なものではなく貧しいなかで工夫したものが多い。
江戸時代はみんな貧乏だからそうなっている、今は郷土料理はその土地に行ってなかなか食べられないし馬鹿高くなる場合がある

なぜ現代の旅がつまらないのかとなるとそうした土地土地の特徴が一様化されたためである、関所は不便でも今になると関所があることは旅をするなら一つの刺激的な場所になるヨーロッパだったらユーローがない時代はそこで貨幣が変わり両替するからその国を意識する、ヨーロッパの面白さはいろいろな国があり文化が多様なことにある
その多様性の故にヨーロッパにはルネサンスが生れたのである。

自分が駅でボランティアして感じたことは駅は関所の役目もあるのかと思った
なぜなら鉄道は切符を買い改札しないと入れない、自動化して駅員がいないとしても監視カメラがあり見ているとなる、そこはやはり関所のように区切られた場所なのである。
車だったらそういうことはない、どこでも自由に入れる、ただ高速だと料金を払うために関門がありそこで監視カメラがあり誰が入ったか記録されている

いづれにしろ関所ではどこから来た人なのかまたどこへ行くのかなど調べられる、職業まで調べられる、だから関所は人間臭い場所になる
自分も駅でどこから来てどこへ行くのかと聞いたがそれともにている
ただ嫌がれば答えないし今は一般的にそうしたことを聞かれのを嫌がある
それで道案内でも何でもスマホを見てすまそうとしているのである。
それでも見知らぬ土地に来ると簡単なことがわからないのだ
タクシーの番号を書いてあるのだがそれがわかりにくいのだ
それで駅前の店屋に聞いたりしている、食堂もすぐ近くにあるからわかないのである。

駅はその街への入り口、玄関であり関所の役割もあった、そこでいろいろな人が出入りしていたのである。だから駅は不思議な人間臭い場所だったのである。
ただこれも大きな駅になるとどういう人が出入りしているからわからない
仙台駅などでもそうである。いちいち聞くわけにもいかないからである。
ともかく駅は一つの関門なのである。その関門が人間臭い場所になっていた。

ただこう感じたのは自分が旅したときは駅で感じなかったのである。
ただ通過してゆくだけとしか感じていなかったのである。
だから人間は立場が違えば感じ方が変わる、旅として客となるのと旅人を客として迎えるのとはまるで違ったものとなるようにである。
それは医者でもそうである。医者と患者がもし立場が逆になる経験したら違ったものとなる、ただ医者にはなれないから医者のことが理解できないのである。
それはあらゆるところにいえる、農民になって作物を提供するのとただ買うものとはまるで違う。農民が作物を作る苦労などわからないからである。

鈴が音(ね)の 早馬駅家(はゆまうまや)の 堤井の 水を給へな 妹が直手(ただて)よ(巻14)

駅備え付けの駅馬によって早馬を走らせて手紙や荷物を運ぶ役割を果たした。大化の改新の際の詔や大宝律令で重要事項として駅や駅に置く馬などの規定に触れており、実際に『延喜式』では各駅に配置する馬の頭数が事細かに記されている

万葉集の時代からすでに駅があり水を直手で与えてくれというときそこに器で与えるより情がこもるからそう言った、今は何でも機械でしているから情がはぶかれるのである。
スマホを見て人とかかわらないというときもそうである。そこで一言でもしゃべれば情が生まれるのが人間なのである。情報というのは情がかかわり活きてくることもあるからだ

福山市のJR福塩線に「駅家(えきや)駅」がある。これはこの駅周辺に山陽道の駅家(うまや)があったからではなく、福山市駅家(えきや)町にある駅だからである

この駅は面白い、ここに駅家があったのではなく駅家町があったからこの名になった
それは古代に万葉集時代に由来したものだったのである。

秋風や薮も畠も不破の関 芭蕉

この句なども関所であったところが特別であったためにできた、なんでも関所に見えたということである。それほど関所の影響が旅人にあったからである。

かの人のいづこよた来ていづこ行く我が見守りつ今日も駅にいる

関所の俳句十句 (旅には関所も記憶する目印となっていた)

2017年06月03日

駅の燕の巣の問題 (駅の自動化無人化でも問題が起きる)


駅の燕の巣の問題


駅の自動化無人化でも問題が起きる



駅前ツバメの巣駆除、ヒナ落下死…利用者の前で 

 相模原市緑区のJR相模湖駅前で先月27日、バス・タクシー乗り場の屋根にあったツバメの巣を、駅職員が利用者の目の前で棒を使って壊し、落ちたヒナ1羽が死んでいたことが2日、わかった。 

 鳥獣保護管理法違反の可能性もあり、JR東日本は「配慮が足りなかった」と認めている。 

 同社などによると、巣は高さ約3メートルの屋根の下にあり、「フンが汚い」という苦情を受け、職員2人が周辺の蛍光灯や壁の汚れを清掃した際、ツバメを追い払うために巣を壊した。 
 巣は半分ほど残り、今もツバメがやって来るという。 
 
増える無人駅、障害者不安 後絶たぬ転落事故  

2017/2/16 1:11日本経済新聞 電子版

 目の不自由な人が駅のホームから転落する事故が相次ぐなか、各地で進む「駅の無人化」の見直しを求める声が広がっている。鉄道会社はコスト削減のため有人駅の絞り込みを急いでいるが、障害者団体などは「安全性への不安が高まり、移動範囲が制限される」と反発。鉄道会社に改善を求める要望書を提出する動きも出始めた。


 
 完成する前に壊せば別の所に行く 
それは誰からも攻められない

JRは鳥の巣に関しては一番よく知ってる会社 
メンテ関係の仕事してる友人いるがJRから巣をみつけたら 
卵と雛を確認していたら絶対に触るなと周知されてる 
運行に危険な場所の場合は専門の駆除業者に頼みそれ以外は 
巣立つまで待つがスタンス 


うちにもつばめの巣つくってほしいけど 
民家じゃなく商家に作るんだよな 
人の出入りが多いから 
賢いな、つばめ


今駅で困っているのが燕が駅舎の中に巣を作り汚れることである。すでに三つ巣を作り壊した、今日も駅員が来て壊した、それを自分が連絡したのである。
乗客は連絡していない、ただ駅員が見回りにきて壊した時もあった
そこで巣を作れないように網などをかぶせたが監視カメラの上に作ったり今度は壁にまで作った、それを今日壊したらまたその壊した壁の所に作ろうとしていた

駅舎の中は安全である。人が出入りするし建物の中のだから安全なのである。
壊して掃除した駅員はしきりにかわいそうなんですよと言っていたのと燕の巣は害になるからといって壊せない場合があると言っていた。
「鳥獣保護法」で燕は守られているからだ。

燕は巣を作る場所に苦心していることは確かである。あそこに三回巣を作りそれでも巣を作ろうとしていたからである。
この解決方法は戸を閉めることである。でもそれができないと駅員は言っていた。
乗客は開けたままにしておく、駅員がいないので無人駅になると誰も管理する人がいないから困る、だから無人駅とか無人化を何でも目指しているが必ず何か困ることが起きる
だから自動化しても機械化しても人間の労働がなくならないと思えないのである。
労働の質が変わるだけなのである。

こういうニュースはインターネットで読めるからいい、同じことで困っている人が必ずいるから探せる、これはただ偶然に見つけたのである。

ともかく駅というのは公共的な場でもある、人々が集う場であることもわかった。
それが実は子供から老人から男女関係なく集う、行き交う場所である。
障害者も交じる場でもある、現実に盲目の人が通っていて案内したからである。
それから外からくる人とも交わる場でありそのことを書いてきた

今日来たのは新潟の人であり新潟は低い土地が多いから津波が来たら被害が大きいと言っていた。新潟の潟は湿地帯であったところである。そういう地名がついているから低い土地であ。新潟の人はこの辺からも避難した人が世話になり待遇が良かったとみんな言っていた。それは新潟で地震があり被害があったとき助けられたからだと言っていた
そういう経験するとそうなる、この辺もそういうことがあるから経験を積んだから外で災害があったりすると助けるという意識が生まれようになったかもしれない。
でも新潟はそもそも情がある場なのかもしれない、新潟に避難した人が多かったこともある。

現代に欠けているのはこうしてあらゆる世代の人とか外部の人とか障害者でも集まる場がない、子供が年代で学校に隔離されるし老人も老人ホームに隔離される、障害者は障害者で隔離される、何かみんな別々に分類されてあらゆる人が集まる行き交う場所がないのである。何かそれが現代的非人間的ものを産み出している。
駅では燕であれ動物まで関係していたということである。

無人駅でも自動ドア化すれば燕が入れないようにできるかもしれない、今は夏であり開けたままにすることが多いからである。それで半開きくらいにしておいた。
でもまた開けるから同じである。
無人駅でもこうして何かかにかやることがあり問題が起きる、だからこれは何でも自動化できないことなのである。そこに人間の手が加わり人間の愛が加わり活きてくる
だからAI化で仕事を失うことはありえないと思う、人間の仕事の質が変わってくる
それはより人間的な仕事になる

野村総合研究所によると、「芸術、歴史学・考古学、哲学・神学など抽象的な概念を整理創出するための知識が要求される職業」や「他者との協調や、他者の理解、説得、ネゴシエーション、サービス志向性が求められる職業」は、人工知能やロボットで置き換えるのが難しい職業になる

この辺はどうしても人間でしかできないのである。自分のやっていることはとても機械ではコンピューターではできない、ただ抽象画はコンピューターがしているから芸術の分野でもAI化は影響するのである。

「他者との協調や、他者の理解、説得、ネゴシエーション、サービス志向性が求められる職業」

この部分は人間の仕事として残る、例えば医者でもコンーピューが診断すにしても患者とのコミニケーションとか大事になるし看護師にしてもいたわる心が必要とされるからその仕事の質が変わっても残る、別にAI化は悪いことだけとはならないのである。
情報はこうした卑近なものでも拡大している、このニュースに関心をもった人が多かったということである。

盲人の人が通っていて自分が乗車するのを助けた、自分で案内してみて電車にのことは盲人にとって危険なことを知った、だから盲人団体から無人駅の見直しを求めるというのもわかる、ただ盲人はこの辺では本当に少ない、自分が目にしたのは一人だけである。
人一人駅員として置くだけでもコストがかかる、だからJRでもコスト削減するから無人駅が増えるのである。
でもこれでわかるように人間は何でも自動化無人化できないのである。



2017年06月04日

スリランカ人二人と北海道の帯広から一人 (駅は情報が集まる場でもある)


スリランカ人二人と北海道の帯広から一人

駅は情報が集まる場でもある


色が黒いなと見ていた、二人の外国人の若者である。どこかと聞いたらスリランだった
スリランカ人とは前にもあった、その人はあんなに色が黒くない、インド人は黒い系統は原住民のドラビダ族系統なのだろう
あとから入ってきたのはイスラム系で中央アジア系統で白人系統である。
それらの混血もいる、インドは多様だからわかりにくい、一人は中国人の顔である。
その人がどういう人かわからなかった、三人ここで働いている
日曜日で遊びに行くみたいだ

スリランカ人は英語がしゃべれる、すると二言三言しゃべってもそれで会話のきっかけになる
今日は風が吹いて遅れた、5分くらいだったからたいしたことがなかった
それで英語で遅れたことを伝えた、何かもう簡単な英語は今は必須である。
そしてスリランカとかネパールは貧乏でも英語がしゃべることが有利なのである。
何か英語がしゃべれるとインド人でもそうだが共通語となり何か文化人のような感覚を日本でもつから得である。

中国人は実際は今では日本人より豊かな人がいくらでもいる、でも中国語は全くわからないから話しようがないのである。漢字を書いて伝えあうのもめんどうになる。
世界の共通語が英語であるというときそれは英語が必要ないとか必要だとか言う前にそうした現実がある。だからこれだけ外国人が来るとなると片言でも英語をしゃべる訓練はしていた方がいいとなる、それを十年間外国旅行で自分はしてきて良かった
ただ自分の海外旅行は失敗の連続でありもう二度としたくないとまでなった。
その後今度は10年間介護になり何もできなくなった

もう一人は帯広から来た人だった、北海道の人は良くくる、北海道はほとんど回った、
ただ帯広は回っていない、それでも美瑛から十勝岳が見えてその向こうが帯広だということは知っていた、富良野-美瑛-旭川線にのって美瑛におりた
根室本線は一部しか乗っていない、帯広までは行っていないのである。
北海道はそれだけ広いということである。

どういうわけか自転車で十勝川が流れる平野がありそこは一面のジャガイモ畑でありちょうど雨がふっていて休んだところが小さな神社だった、こんなところに小さな神社があることはそぐわなかった、北海道には神社がにあわないのである。
その広さがそぐわないのである。風土にあうものとあわないものがある。
美瑛から十勝岳が望む風景はすばらしい、富良野はラベンダーでありラベンダーメモリーとかなると詩的になる
ただ人間はとうしても30年前とかなると記憶が薄れてしまうのである。
北海道だって20年くらい行っていないからだ
だからまた旅したら新鮮なものとなる


寺内の人がいてスーパーキクチの近くに社がある所に養護施設ができるという、それは相馬市の関係らしい、その養護施設がどういうものかはわからない。
あそこを古墳が多いから発掘していたのはあそこに養護施設が建つからだった
他にも消防所も作っているし鹿島には次々に新しい家も建ったしスーパーも新しくなったり二つできたし都会化しているのである。


2017年06月11日

無人駅の問題 (空家と同じで人がいなと荒れる)

無人駅の問題

空家と同じで人がいなと荒れる



阿武隈急行 全 24駅中 16無人駅

無人駅といえども、冬季における除雪対策や列車ダイヤ混乱時の通報・連絡体制、駅構内における事故発生時対策について、有人駅と遜色のない対応が求められる

地域住民から除雪時の雪かきが不十分で通行の安全が確保されていない


無人駅には実際はいろいろな問題がある。人がいないと落書きされたとかある。空家と同じで荒れてくる
小海線の佐久広瀬駅がそうだった、そこが駅なのかという感覚になる
ただ落書きする場ではないかとさえ思った。落書きだけが目立った駅だったのである
鹿島駅はそういう駅ではない、常磐線には桃内-磐城太田-日立木-駒ヶ峰駅などが無人駅である。一人か二人しか乗り降りがない、全く乗る人もない時もある、これらの駅は常磐線でも感覚的に本当に淋しい駅である。なぜここに駅があるんだろうとも思える駅なのである。
鹿島駅は特殊な事情で無人化しただけであり無人駅ではもともとない。

無人駅になった結果、確かに雪かきをしていた。ここは雪が降らないからまだいい、雪かきは雪の降る場所では仕事になる、会津の方だとそうだろう。
それをするのはやはりJRの職員なのである。
この前は燕の巣で駅舎内が汚されたので三回も巣をとりのぞいて掃除したとかあった。
鉄道というのは鉄道自体の整備とか駅舎の掃除とか仕事がある。

だからしょちゅうレールとか建物とか点検に来ているのである。
安全も確保しなければならないからその手間と整備に費用と労力もかかる
鉄道は何かとバスなどより維持費がかかるのである。
レールでも点検をいつもしているのである。
電気類もありそれも点検するから鉄道の維持には手間と金がかかる

鉄道の無人化に盲人団体が反対したというのもわかる、一人通勤している人がいる
その人は電車に乗るとき危険なことがわかった、安全に乗れないのである。
だから盲人団体から反対があったのもわかる。そこで駅員が導いてやれば安全である
自分はそれをしてわかったのである。

JRにしてみれば人員を削減するというとき無人駅にするのもコストの面でそうなる
駅員一人雇ってそれだけの収入が見込めないからである。
鉄道が足の時代は終わっているからだ。だから電車にのっていないなと言う人が多いのである。乗り方さえわからなくなっているし路線図を見てもわからない
自分ならたいがいどういけばいいのかすぐわかるが乗っていない人はわからなくなるのだ要するに車時代になったとき「電車に乗っていない」ということが実感なのである。
それほど鉄道があっても鉄道にうとくなっているのである。

無人駅などは時々鉄道マニアがおりて写真撮ったりするくらいである。
無人駅というだけで実際は相当なコストの無駄になる、一人二人くらい乗り降りするにさくコストが無駄なのである。
乗る人でもそうした無人駅はとばして早く目的地に着きたいとなるだろう。
その方が効率的にもなる、無人駅は本当に山の奥で駅の前に二三軒家がありそんなところに電車が泊まるのも不思議だとなる
小海線の佐久広瀬駅などはそうである。山間深く一日聞こえたのは郭公の声だけだった
そういう駅がかえってマニアには面白いとなるのもわかる
こんなところに駅があるのか?それが不思議になる
そしてそういう駅は記憶に残っているのである。

いつ来るや次の電車は郭公の声のみひびき山間暮れぬ

そういう駅におりるといつ次の電車が来るのか時間がありすぎるとなる
でもその時間がいいのである。田舎の駅は待つ時間がある。
その待つ時間が人間的になる、そこで会話したりしたのが自分だった
普通の駅ではただ通りすぎるだけの場になっているからだ。

小海線 佐久広瀬駅

この駅は新しくした駅である。前はもっと長い駅舎で古くなっていた。

現代はみんな急いでいるから旅情がなくなっている、新幹線には旅情が感じられないのである。旅情が感じられるのは船なら遅いから感じる、スローになると人間的になり旅情を感じる、バイクとか車は早いから旅情を感じない、ただキレルという感覚なのである。
別れを惜しむというより人間と人間の関係がキレルのである。
そこに情が働く時間とゆとりがないのである。
現代でキレルというとき老人がキレルとか話題になったけどみんなキレルようになっているのが現代なのである。

いづれにしろ何か自分は鉄道には愛着があるのだ。今日の鹿島駅は横浜から来たとか10人くらい乗って仙台方面に去った、日曜日は乗る人がいつも多いのである。
阿武隈急行の存続が危ぶまれるのもわかる
あそこの車窓の風景で心に残ったのが枯野だった、枯芒だった

車窓見ゆ枯野の記憶消える線

阿武隈急行は常磐線より維持するのが厳しいだろう。阿武隈急行 全 24駅中 16無人駅
であり半分以上無人駅だからである。
途中に大きな都市がない、この辺では原町とか相馬市とか都市であるが阿武隈急行にはない、町しかないからだ。
ただ旅するだけなら情緒ある線だともなる
どういうわけか記憶として枯野の記憶なのである。鉄道はバスよりコストがかかりすぎるのだ。無人駅にしてもやはり問題があるし駅が死んでいるという感覚にもなる
だから何らかの車とコラボするとかで駅自体を活性化する必要があるのだろう。

今になると旅は思い出としてある、するとどこが記憶に残っているかが問題になる
きまぐれに降り立った淋しい駅が記憶に残ったりする、大きな駅は記憶に残りにくいのである。
要するに記憶に残らなかった駅は存在しなかったともなる、駅だけではない最後は記憶が薄れて消えてゆくのである。道でも何か明確にたどれないのである。
まず車とかなると道をたどることはほとんどできないだろう。ただ通りすぎただけとなるのだ。それは旅にすれば実りあるものとなっていなかったのである。


2017年06月12日

駅で柏餅を中学生におごる (与えるにはタイミングが大事)


駅で柏餅を中学生におごる

(与えるにはタイミングが大事)


今日はなぜか受験のために仙台の中学生が来ていた、三年生の二人だった
途中鹿島駅によったらしい、そこで一時間仙台ゆきが待つことになったのである。
何か一時間くらいローカル線だと待つことがある
その待つ時間が人間的なものを産み出す契機となる

その女子中学生は前にお菓子屋があったが腹減っていたが金がなくて買えなかった
金をたまたまもってきていなかったみたいなのだ
だから駅前の菓子屋を見て食べたいと言っていたのを聞いた

それで自分は柏餅を買ってきて食べさせてやった、一個百円だった
それはもらった人は意外だったろう
自分も今までそんなことをあまりしていない
何か自分がもらう方であり与えることがなかった
常に与えられ方だったのである
自分はだからもらったり与えたりするのが苦手なのである。

子供をもてば与えることは義務になるしそれは喜びである。
そういう経験もないというとき自分は与えられの常だったのである。
でも親の介護になったときはじめて与える側に立ったのである。

人間は与えるのももらうのも与えられることもむずかしいのである。
与えられる時は遠慮なくもらうべきである。
その人はその時与えたいし余裕があるからだ
金銭的余裕がある人は与えたくなるのである。
自分は遺産を受け継ぐまでそうした金銭的余裕がまるでなかった
だから常に与えられる側にあったのである。

与えられる、もらうことの上手な人はいる、でもそれが全く遂に遠慮もなくただ与えられることが当たり前となりそれより子供のように何でももらえるとねだるようになる
借金でもいくらでも要求してくるから与えるのも実際は金とかなるとむずかしくなる
金のやりとりほどめんどうなことはないからそこで金の切れ目縁の切れ目になるのがあまりにも多すぎるのである。

つくづく人間は与えるにしてももらうにしても何かめんどうなのである。
与えるにしても相手が嫌がることだってあるし別に金があるから買うからいいともなる
なぜ今回は与えられたのか?それは相手が中学生であり昼間ちょうど金がなく腹をすかしていたからである。そういうタイミングが大事なのである。
人間はつくづくタイミングである、旅とかなると一回しか機会がないことが多いからその時しかタイミングがなかったことに今になると気づいた
でも自分は何かそうした出会いのタイミングを逃したのは失敗だった

人間は変化するものであり状況も常に変わっていると書いた、そのことはタイミングを活かすことがいかに大事かとなる、そのタイミングを逃しているのが多いのである。
与えるにしても与えられにしてもタイミングがあるのだ
それを逃すとどっちもできない、その機会を逃してしまうのである。
人を助けるにしてもタイミングがある、その機会を逃したら後は二度とないのである。
自分が苦しんでいるとき誰も助けてくれなかった
それも自業自得、自分のカルマだったのだけどもしその時助けられていたら恩人となり
終生恩義を感じることになったのである。

意外とそういう機会を逃しているのが人間である。その時来た人は借金とか金がなくて苦しんでいるからできなかった、相手が苦しんでいるときチャンスになったがそれは助けることでなく相手の弱みにつけこむだけだったのである。
相手が困ったとき助けるというとき必ずしも金だけではないだろう
何か金でなくてもできることはある、津浪で苦しんでいたとき泥かきなどをして助けた人は恩義を感じている、恩人だとかなる
恩人になる機会は実際は人生の中でなかなかない、そういうタイミングがあったとしても逃しているのが多い、自分とは関係ないとなりちょとしたことで助けないのである。
そのことは自分が病院に入院するときその人はともかく金が欲しい欲しいしかない金をもらわなければなにもしたくない人だった
だから軽い荷物でももつことを嫌がっていたのである。
そんなことすら人間は他人のためにしないのである。
それも金の余裕とか心の余裕がないからできなかったのである。

もしかしたらこうしたちょっとした親切でも思い出となり鹿島駅のことが記憶されるかもしれない、これはどうでもいいことだが何か小さな駅は人情の駅になることがある
大きな駅はただ通りすぎるだけだからである。
確かなことは今は自分は金銭的にも与える方になっている
その金は無理したものではないからだ、ただ有効にタイミングが良く与えることがむずかしいのである。
だから与えるというとき大きなものでもなくてもささいなものでも効果的な場合がある
それはタイミングが良かった時なのである。
今回はたまたまそういうタイミングがあって与えることができたとなる
自分は与えるにしても与えられるにしても何か苦手である。
社交性がないというか何かうまくない、でも今回はタイミングが良かったからできたとなる、こういう時は与えても恩着せがましくなるとまた相手も嫌になるだろう。
それが中学生とかでありうまくいった、子供なら与えても当然だとなるからだ。

タイミングとは運なのである。株でもタイミング良く買えばもうかる、そのタイミングを逃せばもうけも逃げる、男女の出会いもタイミングである
そのタイミングを逃すとあとは二度とないとかなる、そして一生は短いからタイミングもねんなにない、だからこそタイミングを活かした人が運が強いとなる
運はタイミングなのである。タイミングを活かせないものは運もないのである。
あの人は運が強いというきタイミングを活かした人なのである。
商売でもそうであり何か幸運になるのはタイミングが良かったからだとなる

2017年06月13日

鹿島駅のトタン屋根がいたんで直す (鹿島駅の駅舎もレールが使われていた)


鹿島駅のトタン屋根がいたんで直す


(鹿島駅の駅舎もレールが使われていた)

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網は安全のため

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ここのトタン屋根も直すーレールの梁
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レールの柱-ここは気づきにく

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ここのトタン屋根も直す

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明治29年に製造とある


レールの製造は国産化が難しく、しばらく輸入の時代が続いたが、1900年(明治33年)に官営の八幡製鉄所が設立され、翌年11月からレールの生産が開始された」

多摩川(六郷川)の六郷川橋梁も、当初はイギリスから鉄と石材を輸入して架けることにしていたが、予算削減のため木橋に変更された


東京の駅もレールを使っている

お茶の水駅(レールがふんだんに使われている!)
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トタン屋根がいたんで直す作業がはじまった。その範囲も広い、鹿島駅の駅舎は明治29年に建てられたから古い、今日良く見たら駅舎は鉄道のレールを使って作られていた。
それは原町駅がそうだったがここもレールを使っていた
これは東京の駅でもレールを使っている、お茶の水駅はレールの駅だった

「お茶の水」の語源は「お茶に使われる水」。現在お茶の水と呼ばれている場所には、高林寺というお寺があったんだ。そこにはきれいな水がわいていて、それを当時の将軍徳川家康に献上したところ、家康がとても気に入り、その水をお茶をたてるときに使うようになったんだって。

お茶の水というのにもこういう謂れがあった、インターネットでは調べやすいから知識が増える

「こちとら江戸っ子でぇ、水道の水で産湯を使ったお兄いさんよ♪」
という啖呵はこの水道の水だったんだそうな。

水道がすでに通じていたのが江戸だった、ローマ帝国の水道が石ではりぷくらされていたように水道は文明の基本にあるとすると江戸は文明都市だったともなる

何でも昔を偲ぶことは歴史を知ることである。それはささいなことからはじまる、むずかしいことだけが歴史ではない、身近なものにも常に歴史がありそれを発見する作業が必要になる。東京は歴史がわかりにくがこういう所に歴史があり興味が湧いた
別にお茶の水駅とかには何回も学生時代おりたがこんなことに興味をもたなかった

鉄道マニアなどコミ障の人が多いとか批判される、ただ人間はつくづく身近なものを見ていない、灯台下暗しなのである。だからこの鹿島駅でもここにも鉄道のレールを使われていたのかとはじめてわかった。他から来た人も必ずしも見ていないだろう。
何かわかりにくいからだ。

そもそもなぜレールの柱を使ったのか?明治30年にはまだ日本で鉄のレールが作ることができなかったのである。輸入品だったのである。それは主にイギリスから輸入したとなるイギリスで鉄道が作られたからである。だからイギリスの鉄道は明治以前からあり古いのである。
このレールの柱から感じたことは日本はその時貧乏であり鉄のレールが作れていないということだった、だから貴重だから柱にも使ったのである。鉄の柱も作れない時代だった。そこに歴史があったのだ。
人間は今だけに生きるのが多い、しかその今が実は歴史の積み重ねがあり今があることを忘れている、ただこうして鉄のレールが柱などに作られていることで昔をしのぶことができるのだ。

いづれにしろ鉄道はその保守管理に駅でも駅舎がありホームがあり高架の通路があり待合室がありとか金がかかるのである。
鉄道はレールだけのものではない、駅舎もホームでも鉄道の一部なのである。
だから絶えず人が来て保守管理が必要になるのだ。それで鉄道が維持できなくなるというときそうしたことに金が人手がいるからそうなる
阿武隈急行が維持できなくなるというのもわかるのである。
鉄道のインフラの維持は金がかかりすぎる、その割には乗る人が車の時代になり少なくなりすぎたのである。

橋にしても鉄か石で作ろうとしてもできなかった。木の橋にしたのは安上がりだからだった、そういう時代があったということも歴史をふりかえる意味がある。

2017年06月16日

鉄道や駅を維持するのは容易ではない (鉄道は公共性が高く自治体もかかわり維持すべき)


鉄道や駅を維持するのは容易ではない

(鉄道は公共性が高く自治体もかかわり維持すべき)


車両だけでも数億円単位(費用の回収に1年数万円落とす定期利用客が1万人必要という計算にすらなってしまう)、しかもそれは導入費用だけであって、車両の整備にもお金がかかります。当然、電気設備にも費用がかかるし、安全対策なんかはなおさらお金が必要

地方鉄道の復活のためのシナリオ

(国、地方の適切な関与)

これなどに簡潔に問題点をまとめてある。
自分が駅のボランティアして感じたことである。
鉄道はその設備でも駅舎でも老朽化している
鹿島駅のトタンをとりかえるだけでも相当な費用がかかる
そして毎日誰かがJRの職員か委託会社の人が来ている
線路を点検したり建物を見ていたりする
ホームでも長いし広いから整備が必要になる
雪が降るところでは雪かきが仕事になる

そして駅は鉄道会社だけのものではないし運営もできない
公共的なものとして鉄道と駅はある
JRで作ったトイレは最新式のものであるがそれを利用しているのは
農協の葬祭事業をしている人たちであり他にもトイレだけを利用する人が車で来ている
ところがそのトイレの掃除は障害者団体のあさがおがこの辺では担当している
それはJRで費用を負担しているのである。
ここに障害者がかかわっているというのは福祉でもあるとなる
なぜなら盲人が一人通勤している、その手助けもしたがそれも福祉である。

昨日は小学生が駅を先生に連れられて見にきた、野外学習である。子供たちにしても駅はなじみがなくなっている、
親と車に乗るのが多いからである。
でも鹿島駅では必ず孫を迎えに駅に来る祖父母がいる
駅前広場は小学生とか中学生でも高校生でも通学があり世代を越えてまた外部の人も行き来する場なのである。
駅は外部から来る者にとっては街の玄関になるのだ
駅にかかわって思ったことはそこは今の社会は老人は老人しか集まらない
パークゴルフ場でもそうである。子供は子供で学校という場で子供と先生としか交わらない、そういう社会にずっとなっている
でも駅はいろいろな人が世代を越えて交わる、外部とも交わる場だいうことを認識した
これは一つの発見だった

鉄道は鉄道だけとして切り離せないインフラである。公共性が高いのである。
だから近くの区の人が掃除したり花を植えたりしているのである。
ただ鉄道はもともと国鉄であり国が管理していたから地方自治体ではかかわっていなかったという、財政的にも優遇したりもしない、となると公共的なものとして維持できないから地方自治体もかかわり維持しようとしないと維持できなくなる
それは駅の区の人がかかわっていることでもわかる
鉄道は鉄道会社でJRだけで運営するものではないその土地の人もかかわり運営しなければ維持できないものである。そうししないと廃止に追い込まれる

それがわかるのはトイレのことである。そのトイレは農協の人も利用しているし外部の人も利用しているし車で来る人も利用している、それはたいしたことではないようでも実際は公園のように市で運営にかかわるものになっている、それを肩代わりしているのがJRだとなるからだ。それを全部JRに負担させるのはやがては採算がとれないと廃止に追い込まれることにもなる
駅に対して市町村でもそうした自覚をもっている人は少ないだろう
なぜなら電車の乗り方さえわからなくなっている人が多いからである。
何でも結局利用されないものは廃れる、ただ鉄道や駅が公共的な役割があるときあらしめるときもっと駅や鉄道について関心をもち利用することを考えねばならない

そういう自分も鉄道は利用しない、なぜか?駅からのアクセスが悪いからなのだ
駅から目的地に行くとなると足がないからだ
それで高校生でも他の人も家から車で迎えに来るのである。
車の便利さは目的地から目的地まで直通できるこなのである。
電車はそれができない、駅まで駅についてまたそこから目的地に行くまで時間と労力がかかるのである。それが最大の問題なのである。

この辺は仙台との行き来がもともとありまた常磐線が開通してからは3倍に増えたというときそれだけ外部の人がまだ来たりものめずらしがあり来る人もあり増えた
ただ以前として鉄道が現代にそぐわないものとなっているから経営的に苦しい
でも駅にいると駅は鉄道は街と一体化したインフラだから駅を中心に街作りをすることが望まれるというのは実感である。
常磐線はいわき市まで通じないと復興にはならない、それは後2年くらいかかる
常磐線は廃止にはならないだろう。阿武隈急行などはもう維持できない状態になっている鉄道の旅が長いから鉄道には関心がある、バスの旅には旅情がない、バスは鉄道は根本的に違った乗り物なのである。

鉄道はすでに歴史が長く文化なのである。ただ移動する手段ではない、バスは移動する手段である。鉄道は地域の文化でもあり国の文化ともなっていたのが大きな相違なのである
文化というとき田んぼがただ米を作る食料として見ているが原発事故で荒地になり蛙が鳴かなくなったとき生態系にも影響したように田んぼは長い歴史の中で文化になっていて心に影響していたのである。
景観も長い歴史の中で文化として形成されてきたのである。だから田んぼがない田舎が田舎なのかという疑問になったのである。
文化になるときただ腹を満たすだけの食料ではないしただ移動する乗り物でもない
文化は心に深くかかわるものとして人間的独自のものとして形成された
茶の湯だってもともとはただ茶を飲む、喉をうるおす、水分をとるというものだったが文化に発展させたのが人間だったのである。
だから文化というとき鉄道がなくなることは単に移動する手段だけがなくなったというだけにとどまらない影響がある。
何か大きな喪失感が残るのはそのためである。

2017年06月19日

隣の原町駅の駅員が盲人の補佐に呼び出されていた (障害者も特権化することの反発がある)


隣の原町駅の駅員が盲人の補佐に呼び出されていた

(障害者も特権化することの反発がある)


JRや私鉄の各駅に障害者用のエレベータが設置されるようになったのはここ数年です。
公共の場では道を開けてもらって当たり前。
エレベーターなどではボタンを押してもらって当たり前。
どこでも優先されて当たり前。

最後に彼らは自分たちが苦情を言うと何でも通るとわかっています。なぜならどの企業も障害者団体から訴訟を起こされると企業イメージを損なうため、障害者の苦情は1秒でも早く解決するからです。


駅で今日は原町の駅員がきていた、盲人が一人通勤している
その人を自分は電車まで導いた、でも時間がずれてしなくなった
2時半の電車で帰っているみたいだ

駅員はこの盲人に呼び出されてきたのである。すぐにまた電車で原町に帰った
あの一人の盲人のために誰か補佐する人がいないと盲人にとっては困る
それで原町の駅員を呼び出しとなる

盲人の団体では無人駅化に反対している、電車に乗るのは見ていると確かに危険なのである。だから補助が必要になる、電車の問題は長く止まっていないとういことがある
早く乗らねばないなとあせることになるからそれも問題なのである。
では一人の盲人のために電車を長くとめたりできないのである。
盲人にとってはスローな社会が生活しやすいのである。

ただ電車を利用しているのは一人だけである。その人のためにだけ補佐が必要になる
駅員がいれば別に補佐しても苦にはならない、一つの全体の仕事のなかでこなせる
でも駅員がいなくなると原町駅からわざわざ電車できて補佐してまた帰ってゆくとるなると時間がかかるのである。その一人の盲人のために時間をさくことになるからだ。
これも問題だなと思った。
自分は主に昼間よるけど駅にいつもいるわけではない、ただその盲人は2時半頃の電車に乗ることはわかったのである。だからその時間に行けば自分が導くことができる
でも定期的にその一人ために時間をさくとなると大変だなということもある

そこで問題になるのが障害者が優遇されているとかで普通の人からかえって健常者が逆に差別されるという問題が起きている、障害者でも何かそういう特権を得た者は今の社会では弱者ではない、強者になる
その不満も大きくなる、そういうことはこの辺の原発事故でも起きていたのである。
原発避難者は特別扱いになった、南相馬市では小高が仮設に住みいたりつくせりに手厚い補償がされたのである。
それに鹿島の人たちは不満だった、補償金も少ないし福祉関係でもいち早く打ち切られたのである。それで原町の人が鹿島に同情したというのもそれがあまりにも鹿島の人たちが差別されたからだとなる
福祉関係くらい平等にすれば良かったとなる
そしてボランティアが仮設には小高にはおしかけてきた、でも鹿島の人には何の援助もなかったのである。
その時自分は自分の病気と介護で四苦八苦していたから余計に不満になったのである。

ただこういうことを言うと小高の人であれ避難した人は集団化しているから怒る
お前は情もなにもないのか、そんな奴が今の社会で許されるのか、断罪すべきだとなる
何か現代社会はそうして弱者が特権化すると強者になるのである。
そういう人たちに対して何もいうこともできなくる
マスメデアもNHKでも原発避難者側にたちかわいそうだとして放送するから余計に特権者になるのである。

一方で格差社会になり派遣とか底辺層が増える、そういう弱者に対しては社会は冷たい
健常者である弱者に対しては自己責任だとかなんとか厳しいのである。
現実自分は弱者化したとき徹底して自分が病気で身体障害者になっていても一切同情はされなかった、ただその弱者化したことで責められるだけだったのである。
つまり現代は健常者に対しては弱肉強食の世界である。
でも一端障害者になると特権化するのである。
だからこういう社会になると障害者がうらやましいまでとなる
アメリカでも黒人などマイノリティがあまりに優遇されているから底辺化した白人層が逆に差別されているとかでトランプを支持したのである。

いづれにしろ一人の盲人のために駅員がいちいち隣の駅が来るというのもそれだけ障害者に労力を使っている、障害者用のエレベーターを作るのも金がかかる
もし障害者が多いならそれほど感じないが割合にしても鹿島では一人だけである。
その一人のために払う労力が大きいのである。

ただ江戸時代でも盲人は幕府から保護されていたから特権階級にもなっていたという。
それは今だけの問題ではない、ただ江戸時代にそんな特権を与えていたというのは意外だった、江戸時代はともかく盲人が全人口の八パーセントくらいいたとか多いこともあったそれだけ数が多いと社会問題になる、それで特権を与えたということはあるだろう。
栄養不良で盲人になる人が多かったのである。

ただ言えることはそうして一人の障害者のためにこれだけ労力を払うということは社会に余裕があるからである、一方で盲人団体恐れて企業イメージを悪くするということでそうするともある
やはり盲人団体とか今は背後に必ず団体がありそうした団体に所属していると保護されるとなる、それは圧力団体となるからである。

駅というとき鉄道でもこのうよに毎日のように何かあり来ている、維持するだけでも手間がかかり労力がかかる、その割には収入は少ないのである。
この盲人の一人のために何かするというとき駅前の暇な老人でも手助けすればいいともなる、そういう人がいるからだ、それはすぐ駅前なのである。
この障害者の問題も複雑なのである。
その障害者は何か仕事のために来ているらしい、だから社会にとって無駄な人は言えないあの人は30頃から目が見えなくなったので社会のことはわかっている人である。それでもその一人のためにさく手間と労力が問題になる
JRでは収入が少ないから人員を極力減らす、そのために無人駅を増やしているからである

障害者というとき老人も障害者になってゆくのである。そのことは前にも書いた
老人は病気でなくても杖ついて歩いたりと障害者とにてくるのである。
認知症の身内を介護したけどそれも精神障害者なのである。
その認知症が(2025)年には約700万人、65歳以上の5人に1人になると見込まれている
この数は空恐ろしい数ではないか?
高齢化社会とは障害者社会にもなるのである。
人間は最終的にみんな障害者になってゆく、だからつくづく介護していて障害者の問題は健常者のものだけではない、なぜなら健常者も老人になると精神的にも肉体的に障害者となってゆく、だから障害者と高齢化の問題は現代の縮図でもあるのだ

駅にエレベーターが必要だというときそれは障害者のためだけではない、老人は階段を上がりまた高架の廊下をわたってまた階段をおりて電車に乗ることが結構辛くなる
実際に老人は誤って階段から落ちて大けがしたのを知っているからである。
つまり障害者にやさしい余裕ある社会は高齢化社会になっても老人には住みやすいとなるのだ
ただ健常者からするとその高齢者の手厚い保護に反発するのは障害者特権に反発するのとにているのである。
障害者とうとき高齢化社会ではみんな最終的に障害者になる可能性が強い社会なのであるだから今や障害者の問題は極一部の人の問題ではない、国民全員の問題になるのである。
こうした障害者の反発と高齢化で老人に反発するのは同根なのである。老人だけがなんで死ぬしかない役立たずになんでこなんに税金を使うのかという反発は似ているのである。
だから高齢化社会の問題と障害者の問題は共通なものとして自分は認識したのである。

2017年06月22日

入国管理局に携帯で連絡 (外国人労働者が入ってきている)


入国管理局に携帯で連絡

(外国人労働者が入ってきている)

携帯でしきりに入管と言っていた人がいたので聞いてみた
入国管理局のことであり外人を労働者として斡旋している人だった
この辺には外国人がかなり入ってきているという、それはわかっていた。

ネバール人とベトナム人とスリランカ人とはこの辺であった。
スリランカ人は色が黒い、イスラム教徒らしい。
スリランカにはヒンドー教徒とイスラム教とキリスト教徒がいる
外国に行くと宗教で色分けすることになる
だから無宗教とは書けないのである。
宗教がアイディンティティになるからそうなる

スリランカは相当にすでに発展している、十数年前とは違っている
現代は十年たつとめまぐるしく変わる
中国でもそうだし遅れいてると思っているが中国では富裕層が日本より多いのである。
日本が貧困化しているのである。スリランカでは内戦が終わりGDPはタイの次になっている観光業も伸びている、英語が通じるので行き安いからである。

スリランカの人は外国人でもみんなスマホをもっているのが違っている
なぜスマホをもっているのか?それはアジアでは最初に携帯が普及してスマホになったのである。
こうして発展しているとなるとなぜ日本に来ているきかとなる
日本がそんなに稼げる場所にならなくなっているからだ
ベトナムとかネバールはまだ所得が低いから来るのはわかるが発展した国から日本に来て稼げるのかとなると今は疑問である。

つくづくこの世の中は変化している、「三日見ぬ間の桜かな」である
介護十年していたら一昔になった。その間に変化したのである。
介護しているとき介護している人に注意が向くので外に関心がもてなくっていたのだ。
インドには行ったがスリランカには行っていない
英語をしゃべれると外国人でもコミニケーションが多少とれるから楽になる
中国語は全く発音がわからないからしゃべることができないのである。
中学英語のレベルでも英語が通じると通じない差が大きいのである。
ただ英語の勉強するのには留学したからといってすぐに上達はしないというのもわかる
その前に英語の実力をつけていると相当に上達していただろう。

自分は暑いところが苦手だったから今になると行きたくない、何か暑い所にいると体が弱る、胃が必ず悪くなるのである。それでタイではひどい目にあった
だから暑い所には行きたくないのである。
なんか旅行もしたくなくなった、人ごみの中にいるのが嫌になった
介護十年して急に老けたとなる

最近駅ではあまり仕事がない、乗車証明書というのをとるのをわからない人がいたので案内していたがそれも地元の人は覚えた
盲人を導く仕事があったがその盲人とも会わない、昨日二時ころ行ったが来てなかった。毎日来るというわてではないらしい。
ただ盲人が東京辺りでホームに転倒して何人か死んでいる
東京だったら混んでいるから余計に危険になる

電車に乗るのに急ぐため危険になるのだ。もし五分くらいとまればゆっくり行ける
すると安全だとなる、早く乗らねばならないとなると盲人には危険になるのだ。
日本は時刻に正確だけど一分一秒も遅れないけどそれが盲人にとってはいいものではなかった。外国では時間にルーズだからである。
高齢化社会になるとスロー社会がいいというけどまさに日本の社会はスピード社会になっているから高齢者には住みずらいのである。

また認知症の人にも日本では本当に住みにくい、機械類が全く操作できないとか近くで迷うとかになり空間認識でとないというとき慣れ親しんだ世界にいるのがいいからだ
いつも見慣れた人とか見慣れた場だとわかるし迷わないからである。
認知症の人にとって変わることが一番苦手になるからだ
認知症になっても江戸時代だったらいつも見慣れた狭い世界で生きているから楽だったろう。盲人も都会では苦しくなる、棒をついて点として認識しているらしい
そういう世界に生きていることは健常者にはイメージできないのである。
試しに目隠して歩くとなると本当に恐怖になるだろう。頼りになるのがブロックを杖でついて点として認識してゆく、それを想像したら本当に怖いとなる

ともかくなんらか駅に行っても仕事がないとつまらないとなる、なぜボランティアが仕事も求めてもないのかとなると仕事をするとなるとやはり社員のように常時勤めていなければならない、時たまきまぐれに来るようでは仕事する仲間とならないからである。
ボランティアを受け入れる方でもめんどうだとなるからだ
それでただ祭りを見に歩いている猫背になて歩いている女性はボランティアを断れたというのもわかる、そもそもその人は何もできない女性だったのである

2017年06月29日

野馬追いの旗が飾られた


野馬追いの旗が飾られた

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これだけ場所をとっていると狭くなる



紫の色を深めて駅前の花壇の花や電車待つかな

駅前のタクシーと書いてある場所は駐車できない感じになる
でも花壇の方はほとんど駐車していない
今日聞いてみたらタクシー会社でJRからその場を買っていたのである。
金を払って駐車場を買っていた、そこはJRの土地だったからである。
そこの権利はタクシー会社にあった

でも他の車がタクシーと白線で囲ってあるからそこに駐車するの
を遠慮する、でもそこにはほとんどタクシー会社の車は止まらない
せいぜい一台とまればいい、客がないからだ。
でもタクシーと白線で囲っていれば知らない人はとめないのである。
別にあそこはとめてもいい場所だったのである。

なぜそのことを言うかとみんなあそこは駐車するには狭いからである。
あそこだけでも自由に利用されるようにしていればそれなりにスペースが広くなるからだでもあの線を消さないことには外から来た人は遠慮する、すると駐車場として狭い

野馬追いの旗が駅に飾られた、通りにも飾られた
駅に飾られたのは6年半くらいぶりである
それまで駅は開いていても相馬市までしか行けなかった、常磐線が開通したのは去年の12月だったからである。
野馬追いには駅に来る人もいる、だからにぎわうことがある。
その時は確かにタクシーも利用される
でもその他はほとんど花壇の前の駐車スペースは利用されないのである。

駅は何か待つ空間としてもある、その待つ空間が人間的なものを産み出す
それが時間軸のことを書いたが時間をもつということでただ移動するだけの時間ではない人間的時間を産み出しているのである。

2017年07月05日

夏の雲(駅の風景写真)


夏の雲(駅の風景写真)

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一人待つ駅舎にあれや夏の雲

高校生夕べあまたや夏の雲


今日は結構乗り降りがあったが何か語るべきものはない、夏の雲が夕方に湧いていた、
駅というのは駅にただより見に来る人がいる、車でくる
野馬追いの写真を見ている人があった。何か様子をさぐりにくる人がいる
駅は広場的機能がある、ここでは道の駅がないから街の中心として外からの人もよる
一番利用しているのはトイレである、ここのトイレはきれいである。
JRが障害者施設の人に委託して掃除させているからだ
新しいこともある。これも実際は市でも関与せねばならないものである。

だからJRだけに金を払わさせるというのは良くない
鉄道は駅と一体としてある、その駅は街と一体としてあった
だから駅前通りになっていたのである。
それが車社会になったとき街と分離してしまったのである。

今日は夜に9時ころ10人くらん原町に行く人がいて乗った、めずらしいと思った。
何かここで会合なのかわからない若い人が集まったらしい。
夏だから人が夜も乗り降りすると活気がある
夏の月が輝いていた

三日くらい熱中症になり駅によらなかった、駅も日立木のような駅だったら淋しい
一人くらいしか乗り降りしない、それこそ無人駅なのである。
やはりある程度人が乗り降りして交わると活気がでてくるのである。
鹿島駅はそれなりに乗り降りがある、仙台に行く人がかならずいる
一番多いのはどこでもそうだが高校生である。
小高には高校生が300人とか中学生なども加えると500人とかいるといっていたから
駅もにぎわっているだろう。それだけが活気があるとなる
鹿島駅より高校生を見れば活気があるだろう。
その他は乗り降りする人はまれだから淋しいとなる

夏の雲がでていたけど写真では実際見た感じがでていない、何か平凡である。
そういう時がある。写真も万能ではない、ただもし入道雲のようにもくもくと湧く雲だったら目立つ、そういう写真をとることはむずかしい。
その時々の様子をリアルタイムで報告するのがプログの醍醐味である。
ただたいして報告することもなくなっている



タグ:夏の雲

2017年07月06日

80歳の労務者(駅で寝ていた人) (高齢化社会の影響が大きくなる)


80歳の労務者(駅で寝ていた人)


(高齢化社会の影響が大きくなる)

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野馬追いの旗にはいろいろある、これは茶壺である




その人は駅で寝ていた、そろそろ電車来るよと言ったら自分はバス行くんだと言った
福島市までバスで行ってそれから夜行のバスで横浜に帰るという
その人はいろいろなことを話した、妹が精神病院に入って出れなくなった
医者はわざわざ薬で症状を悪くさせる、なぜかというと家ではとても置けないからまた病院に入れるためだという、精神病院は実際はそうして人をさらに廃人にさせる恐怖がある病院自体が何か怖いものをもっている、医者でも怖いものをもっている
それはなぜかとうと権力をもっているからである。
医者と警察の権力は一番大きいから怖いのである。
医者だと自殺していても自殺ではないようにできる
それも医者の裁量でできてしまうのである。

それから横浜で戦争を経験した、銃弾が飛んできて逃げたとかそういう戦争経験をしている、昭和11年生まれだと子供でも経験が生々しいだろう。都会は爆撃されると火事になると怖い、逃げ場がなくなるからだ
都会だと65歳以上はバスは無料だという、その定期パスを見せた、こういうところは都会のサービスはいい、そしてヨコハマとかなると車がなくても暮らせる、交通の便がいいからだ、福祉の面では田舎より都会がサービスがいいということはある


その老人は鹿島から飯館回りで福島市に行き横浜へ夜行バスで帰る人だった、新幹線は高いからは言っていた。それにしても荷物をもっているし移動するのも80となると楽ではないだろ。そして仕事までするのか?そういう人を受け入れたのか?
それは人手不足からきているのか?普通だったら断るだろ。
外人も受け入れているから受け入れる側の事情でそうなっている
この前は74歳の川崎から来たボランティアがいて驚いたがその人はボランティアである。この人は働いて金をもらっているのである。
その人は自分は丈夫だというとき体つきが80には見えない、体が筋肉質で強く見えた
そういう仕事をしてきたからかもしれない、まだ仕事をできる体と見たのだろう。

それにしてもつくづく今は高齢化社会である。80歳の作業員がこんなところまで来て働いている、その人は必ずしも金が欲しいから働きに来たのではない、体を動かさないと弱るとかも言っていたから働くことで体を弱らせないようにしている
車に乗っている奴は体が弱くなっている、死んだのも多いとか言っていた
その人は体が丈夫なのである。でも80歳で肉体労働しているというのも驚く
建築現場でも老人が多いというとき人手不足でありまたそれだけ老人が多く金も欲しいとなるそうなる、そして若い人はそういう建築現場を嫌うから余計に人が来ないからでもある、だから建築現場のような所でも老人が多くなっている
この人は現代の高齢化社会を象徴していた人である。
こうしてはきはきもの言う人は話を合わせやすい、相手がどういう人物なのか察しがつくからだ

ただなぜ前科者といって役所と交渉しろとかその人は言っていた、役所の人も言うことをきくとか言っていた、怖いからそうなのか、その人が前科者なのか?そうではないみたいだ、暴力団だどうのうこうのと言っていたから脅しとしてそういうことを覚えたみたいだなんかそういう方面の人かとも思ったが普通に盆栽しているとかもあり何か良くわからない人だった
高齢化社会では都会の老人が多いからそういう人たちが田舎に来る、田舎から都会への移動は少ないが都会から田舎への移動は増えてくる、ただ80歳で働きにくる人がいるとは思わなかった。

ともかく無人駅は寝ていて電車を待つのにふさわしいともなる、自分も旅してそういう駅で寝ていたことがあった、それは北海道でありなつかしく思い出す。
ふらふらとどこに行くとなく旅していた時が長かったからだ、それがここ十年は全くそういうことはない、介護していたから近くに自由に出れない身になった
そしてもう年になり外を出歩くのが億劫にもなった
でも80歳で仕事に遠くまで来る人がいることには驚いた

高齢化社会でイメージしているのは寝たきり老人とか認知になった老人とかである。
でも逆に80歳でも働く元気な老人がいるのも高齢化社会なのである。
だからそういう元気な老人がいるという面からも見る必要がある
その人は働いているのだから労働者としてなお現役であるとなるからだ
人手不足を補っているということでもあるからだ。

バス停には休む場所がないと言って駅で寝ていたのである。バス停には休む場所かあったとして狭い、駅は広いしホームにも休む場所がある。
そして駅は駅前も駐車スペースもあり一つの人が集まり休息する場にもなっている
だからあの人も駅に来たのもそのためである、ここには道の駅がないからそうなっている街の中心として駅が機能していたのである。

平均年齢72歳!高齢化が進む工事現場の「高齢者用ルール」とは?




私の会社は建設業ですが、高齢化が進んでいます。
20代の社員はおらず、60代の社員は2人います。整備工場には、80歳の人がいます

2017年07月10日

駅で感じた全国との連帯感 (必ず外から来た人がいて話して感じた)


駅で感じた全国との連帯感

(必ず外から来た人がいて話して感じた)


今回の津浪や震災でいろいろあったがプラスの効果としては全国の人が仕事であれボランティアであれ集まったことであった
昨日も駅で横浜から来た人と話した、野馬追いのことを聞いたので答えた
その人は野馬追いの期間にいるから見る
野馬追いはみんなに知られて見ているわけでもない
でもここに来たらそれを意識する、宣伝にはなる

こういうことは今までなかなかなかった、全国の人が集まるということはなかった
一旦これだけの災害とかなると全国から人が集まる
その時感じるのは人間が全国的につながっているという感覚である。
駅にいると必ず外部の人がいてそのことを感じる
それはどう影響するかというと全国的につながっている、日本を意識する
外国人も来れば外国も意識する

とにかく日本人といっても何をもって日本人と感じるのか?
それを感じるのは戦争やこうした大災害のとき感じる
それは国難であり国をあげて全国から人が集まりとりくむからそうなる
ここに日本人というか日本国というかそういう大きなものを意識する

これは別に知識人だけではない、現場で働いている人も全国から来ているのだからそういうものを感じる、もともとそういうふうに広域化社会にグローバル化社会に生きていても物が入っているだけでは感じない、人間が入ってくると違ったものになる
外国人でも一人の人間がくるとその国を意識する、それが物が入るのと人が入るのとは違うものとなる

小高辺りとか他でもいろいろな人が全国から来てかかわりかえって外部の人と話して面白いと感じた書いている人がいたがそれも今までは閉鎖的な内部だけで生活していたからである。ただ外部のもの拒否する傾向が田舎には強い
でもこういう状態になるとそういう意識が変えられたとこともある
全国の人が来るし南相馬市の桜井市長が世界的に有名になったように世界的にも影響したのである
全国的にも世界的にも交流が活発化したのである。
するとこの辺の閉鎖的なマインドが心が解放して全国に目をむけるという効果はあった

自分の場合は駅でそれを経験したのである
もともと駅はそうした外部との接点の場所であり交流の場でもあった
それまではあまり意識しなかった、第一外部の人がそれほど入って来なかったからである今もまだ外部の人が来ている

そして自分が外部へ興味をもつというとき全国を隈なく旅してある地域のことをイメージできる、どこから来たかを知るとその場所がイメージできる
外国でも全部ではないにしろある程度イメージできる
やはり一回外国に行ってその地を踏むのと踏まないとの差は大きい
ネバールでも一回行ったからどういう所か実感しているからだ

いづれにし全国意識、日本意識、グローバル意識でもこの辺は大災害によって養われた
それはプラスの効果だった、マイナスとして作用することもあったがプラスの効果もあった、これだけ外部からの人が流入するということはこの辺では経験していないからであるそれで精神的に開かれた地域になったということもある
まず物だけが入ってきても世界でも日本でも目を向けることはあまりないだろう。
人間が入ってくると別なのである。

これはまた観光ではない、仕事を通じて入ってきていたから違っていた
外国の人でもそうである。観光だとただ表面だけを見て通りすぎる傾向がある
仕事となるとその土地と深くかかわることにもなる
ともかく災害が日本は本当に多い、その時必ずボランティアとか来たり自衛隊が活躍したり外部からの援助が必要になる、その時日本全国との一体感を感じるのである。
それは不幸でもプラスの面として働くのである
原発事故は別にして日本は災害が多いからそういう助け合う意識が全国的に必要な国なのである。

2017年07月15日

市役所の人が防犯のために駅に来る


市役所の人が防犯のために駅に来る

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今日の夏の雲 雷鳴が一回くらい鳴った
でも雨がふらないのはなぜか?
何かこの辺は雨がふらない、干ばつ気味なのか?
水不足が心配される

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クリック拡大-合歓の花が川に咲いている




合歓の花かぜにそよゆれ駅に待つ

鹿狼山遠くに夏の日電車来る


昨日は電気系統のJRの下請け関係の人が二人来ていた、それから市役所で防犯ということでアンケートをとっていた、無人化しても鹿島駅に三つの防犯カメラがある
無人化した駅が落書きで荒らされたとういことがある
でも鹿島駅は人の出入りが結構多いからそういうことはありえない
高校生などが夏休みに入ることなどで市から防犯のために来ていた

駅は鉄道は自治体もかかわらないと維持できないと言われる
まず駅舎関係でも古くなりトタン屋根を新しくする、トイレも新装してきれいになり掃除を障害者施設に頼んでいる、それも金がかかる
でも鹿島には道の駅がないから車の人たちも利用している
駅には街の中心と思い車の人もくる
街の広場的機能がある

ともかく駅は駅として鉄道として電車を利用するだけではない機能がある
だから自治体でかかわらないと維持できないともいわれる
予算的にもそうである。いろいろ手間と金がかかるからJRでは無人駅化をすすめている
人件費を節約したいからである。
無人駅化しても困らないということもあるが何か街がさびれた感じにもなる
無人駅化に反対しているのは盲人団体である
一人盲人が電車にのる、その人を助けてのせたが電車は止まる時間が短いし危険である。それで実際に東京とかで盲人が死んでいる、東京のような大都会だと盲人は暮らしにくいだろう。あれだけの電車が来るなかでは危険がますからだ

今日は写真をとった、合歓の花は終わっていたのが残念、今年は合歓の花を見ないで散った、鉄道のような動く物体をとることはむずかしい
位置をきめてシャッターチャンスを逃さないことが大事だからである。
地元だとそういう場所を選べるが他にゆくとなかなか選べない
だから写真というのも地元だといい写真がとれる
いろんな角度から見れるしいつも見ているからだ。

タグ:駅にくる人

2017年07月16日

鉄道の明治の時刻表の考察 (そのスピードで時間の感覚が鉄道で変わる)


鉄道の明治の時刻表の考察

(そのスピードで時間の感覚が鉄道で変わる)

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人力車で引っ張るもの
乗合場所が橋をわたる
帆掛け舟が上ってくる
筏流しがいる
昔の宿場が残り茶屋がある
岸はコンクリートの岸壁になっていない
自然のままである。

railwaymeiji122.jpg

富士山を背景に六郷川橋梁を渡る車両を下流側から描いたもの。手前を横切るのは六郷渡船で多摩川を上り下りする筏や船舶との間で
河川交通事故などのトラブルもあったという。左側の町並みが川崎宿で、新田屋・萬年屋会津屋など旅籠の屋号が書き込まれている。

鉄橋が先にできて汽車が通る、でも川は渡し舟だった、鉄橋が先に作られていた


日本最初の鉄道時刻表の中で、発着時刻に「○字×分」のように「字」を使用していたのはこのためです。


品川〜川崎間には新しい駅「大森」が追加されている。この駅は鉄道開業の4年後、1876(明治9)年に開業した。この翌年、1877(明治10)年に、エドワード・S・モースが新橋行の列車の窓から、崖の途中に貝殻の地層らしき様子を見つける。これが後の大発見、大森貝塚である。大森駅を発車した直後、列車の速度が遅かったから見つけられたかも!?

もはや速すぎて途中駅での奉迎ができなくなりました。新幹線が行幸を大きく変えたと言えます。さらに東京近郊の場合、車を使うようになります。

不定時法の下では、鉄道はまず運行できない。鉄道開通にあたり工部省鉄道寮では、「芝増上寺の大鐘を愛宕山に移して、定時法で鐘を鳴らしてはどうか」などと提案している。



なぜ大森駅ができて大森貝塚が発見された、それはスピードが遅かったからゆっくり見ていたからだとなる、これも面白いと思う。
急行と普通車でもスピードが違うから外の景色も印象に残りにくい
そして新幹線になると天皇の行幸もできなくなった、一瞬にして過ぎ去るとなると天皇の顔を拝める時間もないとなるからだ
時間の感覚は社会を変える、時間は時代によって作られ技術によって作られているのだ。時間は文明の産物である。マヤ文明があれほど時間に執着したのもそのためである。

空間感覚でも時間感覚でも時代により文明により違うのである。
電車の旅は駅がポイントになり駅の名前だけ覚えたりしている、外の風景が思い出せないのである。黒松内とかは函館から札幌の間にあり黒松が多いからその地名が生まれた
そして黒松内のペットボトルを買ったときその黒松内の駅に一時とまったことを思い出してその水を飲んでいるのも不思議である。
電車の旅は駅名しか記憶されないことが多い、その電車の旅から地名に興味をもったとなる、地名というのは駅名だけではない何か呪術のようにその土地の地霊のごとく働いていることがあるのだ、それは単なるその地の目印ではない、その土地自体を象徴するものとしてある、ただ方角地名が多いがそういうものにはない、南相馬市などがそうである。
相馬市の南だとしか意識しないからである。

いづれにしろ駅でも待っている時間があるとそこに人間的な時間が生まれる
鹿島駅とか浜通りの駅は夏でも海からの東風がそよぐから涼しいとういことはある
今は合歓の花が咲いていた
そこで昼寝したりゆっくりと休んで電車を待つのが人間的なのである。

涼しさや海より風や駅に待つ

合歓花そよふく風にゆれにつつ駅に電車を待つ人ありぬ

とある駅木蔭に休み電車待つ北海道の夏旅の思い出

そんなことがあったなとか電車の旅が長いから記憶に残ってる
ただ電車の旅だった早いから何か心に残りにくいのである。外の景色でも印象に残らないのである。
新幹線だと余計にそうなる、それで不思議だったのは仙台から盛岡に行ったとき
岩手山がすぐ近くにあると錯覚したとであり青森の弘前から津軽鉄道で終点の中里に行ったときも近くに感じたのである。これも空間が狭くなった不思議なの感覚である
ただ途中が省かれてしまうから途中は見ていないとなる

まず江戸時代から明治時代の変化は今より大きかった、今良く三〇年前のドラマとかみるが今とさほど変わらない、テレビが見ると小さく旧式だなというくらいなのである。
車も古い型だなと見るくらいなのである。変化がほとんど感じられないのである。
江戸時代から明治時代を経験した人は本当に驚きだったとなる
その変化についていけないもなっていたろう。だから学校に反対したり鉄道にも馬車の人たちが反対したのもわかる

時ということを時刻表で表現できずに字を使ってたというのも発見である
何時というとき字になっていたのだから感覚的には当て字としては変である。
それは万葉集でも漢字にしたとき日本語の大和言葉の意味が失われたとかある
明治には三〇〇〇くらいの造語が漢字で作られた
だからこの変化も大きかったのである。

ともかく鉄道にはすでに百年以上の歴史がありそれをふりかえること時代は歴史である。自分も鉄道の旅が長いから興味がある、鉄道に技術系とかで興味がある人もいるしいろいろである。鉄道はそれだけ文化ともなっていたのである。
だから鉄道が廃止されることは足がなくなったというだけではない
文化も喪失したという感覚になるかもしれない、それだけの影響をもったものなのであるだから鉄道は簡単に廃止していいのかという議論にもなる
鉄道を探求することは様々なことがあるからきりがないとなる