ギリシャの鉄道(詩)
2007年06月21日
ギリシャの鉄道(詩)
2007年07月08日
満州里の灯
満州里の灯
満州里 ともる灯遠き 夏の夕暮
茫々たる 暁の荒野を車窓に見つ
我一度 平和の日、ロシアの国境を越えぬ
満州里 まことに遠き街なれ、鉄道は通じて
ロシアの人の ここに行き交い 買い物をする
満州里 かつて日本の国たりし 悲惨なる歴史
阿鼻叫喚はここに 木霊して 地獄絵図を作りしを
平和なる日 我は訪れて 何事もなしも
ただ街の灯の 心に残り 旅の回想にふけりぬ
満州里というと実際は相当な遠さである。こんなところまで日本人が行ったということは信じられないしまたロシアまで行ったことも信じられない、でも最近会津の酒造りの家にシベリアで死んだ父親の遺骨が帰ってきた。その遺骨をうやうやしく家族が受け取っているのをテレビでみた。40才で戦死したので子供も家業を受け継ぎ生きている。その頃若い人で戦地にゆく人がいなくなり40才くらいでも戦地に招集された。戦争のことはいろいろあるけど戦争自体まだ終わっていないことがこれでもわかるのだ。ウクライナには実際に日本兵の生き残りがいて墓参りに来たことでもわかる。
日本の敗戦が見え始めると満州人の反乱で放火・掠奪・銃殺、燃える家の前で満州人に惨殺された日本人が木に吊るされたり、首が曝されたりで町は騒然となった。
http://www1.odn.ne.jp/~cby36330/sakamoto%20page-1.htm
ここには余りにも悲惨な歴史が記された。それは現代からは想像を絶する世界である。私の家族も従軍看護婦で戦争終わると「日本人バカヤロウ」と地元の人に怒鳴られて恐怖のうちに帰ってきた。トラックにのせられて日本の旗の下をくぐらせられてそう言われたとかこれなどはまだいい方であり満州は悲惨だった。戦争が負けるということはこういうことなのだ。原爆もしょうがないという発言も物議をかもしだしているが敗戦というのは昔から悲惨なものになるのだ。戦争とは人間の一番残酷な面が露骨にでてしまうのである。歴史をふりかえるとき平和なとき国境を何事もなく越えてただ満州里の灯を見て帰ってきたことは幸福だったとなる。国境の街はどこも歴史があるから魅力ある。
2007年07月23日
イタリア−路面電車(写真二枚)


ヨ−ロッパは絵になる風景が多い、街自体が絵画的である。建築が整えられているからだ。
日本のような煩雑ではない、ロ−マのア−チが通りになっていて今も活きている。
駅もア−チで重厚なものであった。建築の伝統ではヨ−ロッパ文明が優れている。
ここはどこで撮ったかもわからなくなった。偶然とったのが残って思い出しているのだ。
写真がなかったら全く忘れている。これを見たことすらわからなくなるのだ。
外国では特にそうだから写真の記録は貴重なのである。
2009年01月31日
アムトラックでアメリカの冬の旅-(俳句)
黒人の婦人の待つや冬の駅
バスの旅黒人交じり冬夕焼
アメリカや聖書を糧に冬夕焼
ロッキ−の冬や樅に黒いリス
ロッキ−の冬牡鹿の角や岩あらわ
冬の月ロッキ−の岩そそり迫るかな
アムトラック大陸進む冬銀河
駅なれや冬の灯かすか一人おる
岩山に砂漠の街や冬の虹
鉄橋やサンフランシスコ冬の虹
ホ−ムレス荷をひき行くや冬夕焼
平原に家点々と冬の暮
人家見ず荒地に山や寒烏
寒烏飛び立つ朝や西部かな
バッファロ−黒々群れて積もる雪
アムトラックにシカゴに来たり湖に雪の寒さや身にしみ帰りぬ
冬の夜やフラッグスタッフの踏切りを汽笛ひびきつ貨物列車行く
西海岸はるかつづきて冬の陽の太平洋に輝き沈みぬ
灯のともしプリンスの名覚えけり冬の夜すぎぬいづこにありし
アメリカの大きさ知れじかなたなる星の輝き冬の夜ふけぬ
荒々し地の暦刻み冬深むグランドキャニオン地底に通ぜむ
アメリカの大きさ知りえぬつちかえぬ日本の文化ここに知りえじ
ビデオカメラで撮っていたのがビデオテ-プなので写せなくなっていた。古いビデオテ-プだと機種によって写らないものがある。アメリカは広すぎて俳句にあわない、そもそもグランドキャニオンなど俳句になりようがないのだ。まるで別な惑星にきた感じになる。黒人というのはすでにアメリカの歴史のはじめからあり差別があっても存在感がある。ヒスパニックより歴史があるから存在感がありオバマ大統領がでてきたのも歴史の必然だったのだ。アムトラックは観光用であり乗客は少ない、車が足になった。アメリカの旅で印象に残ったのは砂漠の中の街を通り冬の虹がかったことである。二週間くらい汽車に乗っていたのだからあきた。でも旅行するのは楽だった。座席が広いのでゆうゆうとして眠れたからだ。アメリカ人は大きいからあのくら座席が大きくないと狭苦しくなる。日本は座席が狭いから窮屈で嫌になるだろう。アメリカの広大な平野に冬夕焼けが美しかった。日本の夕焼けとは違う広大な平野だから空も広いから違っていた。同じ夕焼けでも国によって違ってくる。ロッキ-に黒いリスがいたのもめずらしかった。いろいろあったが写真は出せない、あとで出せるかもしれない、印象に残った都市はフラッグスタッフであった。アメリカの都市は歴史がないからみなにていた。アメリカとかでも一回くらい行ってもわからない、中国でもそうだし広すぎるのだ。広さの感覚が日本人的感覚でつかめないのである。
冬のフラッグスタッフ
http://www.musubu.jp/poemamerica.htm
2010年06月14日
秋澄む-ケルンの塔

秋空にケルンの塔や荷船かな
塔二つ響きあいけり秋澄みぬ
オランダへ荷船下るや秋の空
秋空にケルンの塔の高きかなラインを下る貨物船見ゆ
秋のドイツの大地
秋澄みぬゲルマンの大地広きかも
悠々とラインの流れは古よりの境
ロ-マの遺跡に石の柱の残りて
その後に中世の古城は点々と
秋風の吹き歴史の重みを語る
秋空にケルンの塔の高きかも
貨物船のラインを下り行くかな
荘重なるゴシック大聖堂の鐘鳴るや
鉄路に野菊咲きにつつあわれ
赤き薔薇ももの寂びて咲きにしや
一つの貴族の館の古りにけるかも
晩秋のドイツの大地鎮まりぬ
ここにバッハやベ-トベンの生まれ
ドイツを旅したのは晩秋だった。ドイツは寒いところだから秋とか冬の方がドイツ的になっている。ケルンの塔を電車から見たときは感激だった。中国でもヨ-ロッパでも塔が多い、その塔もツインになっているのが多い、ツインになって調和する。写真を見ると秋の空のように澄んで写っていない、ドイツやフランスは平坦な地だから空も広々としていた。大陸と日本の空も違っている。日本では山が多いから広い空を感じることがないのだ。そうした平坦な土地がつづくところでは塔は風景をひきしめるためにも実際に敵を見守るウオッチングタワ-として見張りの塔としても不可欠だった。海外旅行は印象に残すことがむずかしい。もうかなり印象が薄れたからあの時秋の空が晴れ渡っていたはずだと思って写真を見たがそうでもない、別な所だったのかもしれない、それでも一度その地を踏むとやはりそこからドイツの大地がその足元から伝わり文化や歴史を肌で感じるようになるのだ。バッハやベ-トベンの音楽もドイツの大地を踏まないと理解できないというのも本当だろう。その国から大地から自然から分離してできる芸術はない、一体として芸術も生まれているからである。他国へ文化をとり入れることのむずかしさが常にここにあったのだ。
俳句→短歌→詩として発展する。それなりに違った味わいになるし翻訳すればまた別な感じになるのが詩である。ともかく人間の記憶は時と共にどんどん薄れてあいまいになってしまう。その時の感動も消失してゆく、だから一回くらい外国に行ってもいいものができにくいのだ。やはり一年くらい住んでみないと外国というのはわかりにくいのである。ドイツやヨ-ロッパは鉄道の旅ができるからいい、鉄路に日本と同じ様に野菊が咲いていたので同じ感覚になった。ギリシャでも菜の花が一面に咲いているから日本と同じ光景を感じることはあった。ただラインのような川はない、川の文化もない、いくつもの国を川で行き来することは日本ではありえない、川はどこでも運河のうよに見えるのだ。オランダのロッテルダムまで貨物船は行く、川を通じてドイツとオランダは昔から結ばれていたのである。
2011年03月05日
ケルンの塔(詩)
ケルンの塔
the highly twined towers in the heaven
ケルンの塔対なしいや高く天に聳ゆ
数々の歴史を秘めし古城にそい
悠々たるラインを船は下りぬ
はるか地平にオランダ近しも
船は静かに荷を運びゆくかな
秋風寥々とふきそよぎわたり
ここに祈りの鐘は鳴るかも
ゲルマンのゴシックの大聖堂は古りぬ
かつてのゲルマンの森の黒々とあれ
荘重なるドイツの栄えここにあれ
ベ-トベンのひびきは故国ドイツに永久なれ
その大地と共に調和し奏でられぬ
2011年05月26日
河の港に佇みて・・・(ヨ-ロッパ-詩)
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これはイギリスの城だけどやはり河は同じである。運河のようになっているのだ。
霧がかかっているのはやはりイギリスらしいとなる。
河の港に佇みて・・・(ヨ-ロッパ-詩)
長々とゆるやかに河は流れぬ
長々と川の港に船を待ちぬれ
河により結ばれし街と街、人と人
中世の街や石畳の道の古りぬれ
その路地を静かに我が歩めば
古き教会の鐘は鳴りひびきぬ
厳かに鳴り響きわたりぬ
主への祈りは長くもここに献げられぬ
ラインはロ-マとの境
中世の古城は点々とその岸辺に
フランスのロ-ヌ河やセ-ヌ河や
ヨ-ロッパの歴史は河とともにありぬ
穏やかな河の流れや悠々と
石の古城や教会も古りにし
石の橋もまた人の行き来に古り
秋の日さして旅人は中世の時に戻りぬ
旅をするとき、待つ時間が旅で長ければ長いほど印象的になる。人間は短い時間で何でも消化できない、特に外国のように変わっているとそこが何なのか理解しにくいのだ。ヨ-ロッパでは河が幹線のように流れているから河の文化があことは理解しやすい、ライン河のように国境になっている所もありまたロ-マの境だったこともある。河は国境になりやすいのが大陸でありヨ-ロッパであった。やはり旅して興味深いのヨ-ロッパになるかもしれない、ヨ-ロッパの中世は日本の江戸時代とにている。城がやたら多いのがにている。中世でもそうだが歴史があるということはそれだけその国に文化の厚みがあることなのだ。中国とかには歴史はあっても中世はない、かえって歴史がわかりにくいのも不思議である。大きすぎるからかもしれない、ヨ-ロッパは日本のようにちいさく分割されているから理解しやすいともなる。
2011年11月05日
ギリシャの旅(菜の花とロバの国)
なのはなとロバ
路上でおみやげを売る老人
手に握る重いドラクマ貨幣
水平線から船
島を縁どる美しい野の花々
倒れた神殿の石柱
彩られた神話の数々
オディセィの雄大な遠征と帰還
黒海に通じる狭い海峡
未知なる世界はその通路に
地中海の風が島々にそよぎ
一つ一つの石
それは人工の人の営為の跡
人の徴しの跡はそこかしこ消えじ
人の手に成らざるものなし
ただ過去があり過去を偲ぶ
迷宮のクレタの宮殿は忘れられ
栄光の日はもどらじ
ギリシャのアフリカの植民都市
キュレネは砂に久しく埋もれ忘れられる
薬草のシルフィウムに栄えし都市
そのシルフィウムも絶滅して
コインにのみかつての栄えを語る
石の船のモニュメント残し
残される幾多の物語
語り尽くせぬ物語
人類の夜明けはここにはじまり
その知恵と技芸がここに集中して
哲学と科学の発祥の地
アテネの神殿はその象徴
常に壮健な肉体を競いし者たち
オリンポスはその聖地となりぬ
勝者にはオリ-ブの冠
その栄光は語り継がれぬ
急斜面の荒い岩石を清水が流れ落ちて
オリンポスのゼウスの聖なる白雪の山々
ドルフィの神殿は古りて
荘厳にかの高見に鎮まり暮れぬ
そこに厳かに神託の告げられし所
ギリシャの聖なるセンタ-の場
しかし今何かあれ
なのはなとロバの国
遠い過去のみが語る国
プロボネス半島の奥地かのスバルタの国
古い城壁の反り残雪の未だに寒々しく残り
今なお羊飼いの岩山に羊を追い
自然もなべて人の手になりて古りぬ
持ち帰りし一つのコイン
それはただ遠い昔の栄を語るのみ
ドルフィの神殿
オリンポス山
ドラクマの歴史
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%83%9E
キュレネ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%AC%E3%83%8D
ギリシア人とシルフィウム
http://blog.goo.ne.jp/mosuke-log/e/ee93287add96b1a058d9897c18439eaa
シルフィウム
http://blogs.yahoo.co.jp/tyamada69/1244286.html
2011年11月08日
ギリシャの旅-春(俳句十句と写真)
ギリシャの旅-春(俳句十句と写真)
なんという蝶なのだろうり
龍舌蘭-ドルフィの神殿に咲いていた

菜の花とロバに岩に島暮れる
島々を船の行き交い春の暮
春の花神話をつづる島々に
もの寂びて松に神殿春の花
黒き蝶岩にとまりてたそがれぬ
オリンピア野の花々や春の風
ドルフィの神殿古りて龍舌蘭
残雪の山や角笛の羊飼い
路上に土産売る老人春の暮
ジプシ-にリラを与えぬ春の駅
ギリシャは花がきれいだった。旅をして花がきれいだったという所はあまりない、春だったからきれいだった。一面にいろいろな花が咲いていた、花野だった。ギリシャはもともと自然も変化に富んで美しい場所だった。神話の国でもあった。ただ森は岩山になっているからあういう所はもとは森だった。そういう岩山とかになっているところが世界には多い。自然の森が残っているところは少ない。ギリシャの特徴は島々にもあった。クレタ島とか大きな島がありそこから文明がもたらされた。クレタ島の歴史はそれだけ古い。埋もれた迷宮都市もあった。そこでは様々な神話が語られている。確かに一度行ってみればそういう神話にふさわしい場所だった。フランスやドイツやイギリスなどのように近代化工業化していないことが古代がそのまま残り取り残されたような国になっていた。だから昔を偲ぶには向いていた。古代もこんなだったろうなということが想像つく、余りにも近代化都市化したら東京のようになったらもう過去を偲ぶことはできないからだ。
ギリシャにはあれだけの芸術や思想哲学を生み出したのも変化に富んだ地形が影響した。オリンポス山や海を望み島々がある。だからポリスにしても100もあってそのポリスごとに貨幣があったというのもその多様性を示しているのだ。そういう多様な地域だから多様な文化や天才が生まれたのである。なかなか海の神話とか山の神話がある世界は少ないだろう。日本も海と山の文化があるからにていた。特に瀬戸内海辺りはギリシャの地形とにているのだ。そういう地形的なことでも親近感をもったのがギリシャだった。中国とかアメリカとは大きな国には親近感をあまりもてない、ただ大きいだけでありあまりに大きいからつかみようがないとういことがあった。中国とか大きすぎて理解できないということがあった。ギリシャはその点,地形的に理解しやすかったのである。山があり海があり島があるのは日本とにているし気候もにている。地中海気候で温暖ではあるが瀬戸内海辺りともにている。ドイツとかフランスは北は寒い。あまり暑くもなく寒くもないという所にギリシャ文明が華咲いたのである。
ギリシャの鉄道にのったがあれが駅なのかと思う。一軒の小屋のようだった。利用する人も少なく日本の廃線ぎりぎりのロ-カル線と同じだった。電化していないから余計にそう見える。駅にジプシ-なのだろうか、そういう格好の男女が子供連れでいた。その子供にリラをくれたりした。イタリアから来たのでリラがあった。その時はまだユ-ロはなかった。ヨ-ロッパでは国が変わるたびにりょうがいするからめんどうだった。でもどこにでもりょうがい所があるから困ることはなかった。その度に金をとられていたのだ。めんどうだったがそういう度も地域性があり面白い。ユ-ロだけだったらどこでも貨幣も同じで地域性かないから面白くないとなる。
ギリシャにはいろいろな花が咲き花が映える所だった。海に面しているから花々も美しいとなる。自然は古代と変わっていない、だから神話の国をその土地を踏めば彷彿とする。やはりギリシャは詩の国だった。ロ-マは政治の国だというのはその建造物から直感する。別に歴史を知らなくてもその建物からそう感じる。ギリシャは神話の国であり詩の国であり美の国であった。哲学思想や科学の発祥の地でもあった。ただそれは遠い昔のことであり3000年前にもさかのぼるのだから今のギリシャ人はその末裔とは思えない、ギリシャ語を使っているからその点はそういう伝統の中で暮らしている。でもギリシャ人が残した華やかな文明は遠い過去のものである。今の人達と連続性がないのだ。日本はやはりまだ近代化しても歴史の連続性がある。社でも人々が詣でるから遺跡だけになったギリシャの神殿とは違っているのだ。まだ神々活きているのだ。
外国で俳句を作るのはむずかしかった。あまりにも変わっていたしなかなか何を意味しているものなのかわからないからである。今ふりかえり落ち着いてかえり見ると見えてくるものがあった。やはりギリシャは美の国だった。自然と調和した古代の文明が創造された国だったのである。俳句にしてみたが俳句だと短く一句一句分けて作れるから作りやすい、俳句は外国でもやはり写生である。
菜の花とロバと岩と・・・というときただ事物をもって示している。説明すると詩になってしまう。菜の花とロバと岩が示すものを事物で示して説明しないのである。
ヒュアキントスの神話
アポロンが円盤投げをして楽しんでいた時、ボレアスは意地悪く吹きまくって、円盤をとんでもない方向へと導いてしまいます。
運悪くその円盤は、アポロンの周りを駆け回っていたヒュアキントスの頭に当たり、彼は一瞬のうちに死んでしまいました。。。
(別説では、円盤投げの競技会での出来事とも言われています。)
アポロンは嘆き悲しみ、慈しみ愛したヒュアキントスを【ハデス】(黄泉の国・冥界の王)の国へ引き渡すことを許さず、彼を早春に咲く紫の美しい花『ヒアシンス』に変えたのです。
(その花は、現在のヒアシンスではなくアイリスの一種であったという説もあります。)
これはオリンピアとかにふさわしい神話である。オリンピアも花々が美しく咲いていた。オリンピックというというとき何か競技場とか筋肉競技とか肉体だけを競うようになっている。古代のギリシャでは競技場があってもそこは意外と小さいのである。やはり人間的サイズでありギリシャでは自然の風景にマッチするように神殿が作られた。だから自然を圧倒するようなピラミッドのようなものは作っていない。こじんましたものが多いのだ。日本の祠や社とにているともいえる。だからオリンピアの周辺は丘でも花々に彩られていたのである。自然の美しさと人間の肉体の美が調和して演じられていた。現代のオリンピックは競技場とかが立派でありただ肉体だけを競う何かモデイビルの大会のように感じるのだ。肉体だけを特化して競う筋肉だけを争う動物的なものに見える。これはロ-マの闘技場とにているのかもしれない、オリンピックはロ-マの闘技場,コロッセウムににているのであり
ギリシャのオリンピックは人間的サイズの自然と調和して演じられていたのである。その相違は大きいのである。だからギリシャのオリンピックは美しい神話になったのである。円盤で死んだ若者が花に変えられたというのはギリシャを旅してみれば納得がいく、写真のように美しい花々に今も彩(いろど)られているからだ。神話もその土地を踏まないと実感できない、なぜならその土地の自然から
生まれたものだからである。

和名:風の塔
英名:Tower of the Wind
位置:アテネ。アクロポリスの北側。古代アゴラの東側。
特徴:八角形の風の神の塔。1世紀の天文学者アンゴロニコスが建造した。日時計と水時計と風見の機能があった。8つの面は正確に東西南北に対応している。
アケネではこの六角堂がありロ-マへのア-チ門がつづいている。ア-チはロ-マ文明になって作られた。
この先にロ-マの建築があるからだ。
2011年11月24日
冬の日に古い楽器に偲ぶヨ-ロッパ
冬の日に古い楽器に偲ぶヨ-ロッパ
晩秋や楽器作りや古き街
石畳踏み古き楽ひびく
鐘のなる石畳の路地冬に入る
ハルダンゲル・フィドル(Hardanger fiddle)。英語ではハーディングフェーレ(Hardingfele)。飾りのついた小型のヴァイオリンのように見えます。
http://tokuhain.arukikata.co.jp/oslo/2010/02/post_18.html
音楽は苦手だけど一時期理解しようとして楽器をやったがうまくいいかなかった。ただ暇だからクラシックを聞いて理解しようとした。それで教会のミサ曲の古いチェンバロの音が心に残った。あういう音楽はやはり当時の街の雰囲気とともにあった。それは石畳の古い路次を歩めばその音色はしんみりととけこむのである。音楽もその当時の街と一体化してあった。現代はあらゆるものがごちゃまぜになってしまった。一つの音色はない、あらゆる音色があり統一されない、クラシックとポピュラ-が一緒にひびいてくる。現代は常に調和がない世界なのである。
楽器も偶像とまでは言わないけれど目に見える形あるものという点で偶像と同じと考えられていた)、人間の声による歌だけが重んじられていたのです。
http://poco-a-poco.chu.jp/lothlorien_music/03/post_66.html
ボ-カルしかなかったというのも意外である。ユダヤ教から発した一神教では偶像崇拝ほど怖いものはない、人間は宗教というときほとんど偶像崇拝に陥っている。偶像崇拝しないだけで宗教はわかる。イスラム教を見ればわかるだろう。唯一の戒めは偶像を崇拝しないことである。なぜなら人間は偶像崇拝に一番陥りやすいからである。日本なども神道でも偶像崇拝に陥っているから怖い。何か偶像を拝んでいるようで怖いのである。八百万の神も偶像になる。そもそも日蓮宗でも真宗でも紙に書いた題目を拝んでいるけどそんなものに神があるはずもない、だから当然そんなもの破る人もでてくる。それを破ったからといって何も起きない・・・・それは神ではない、ただの紙にすぎないとなる。それは自分が実証しているし他の人もそういうことはわかっている。偶像はいづれすべて破壊される運命にあるのだ。だから偶像崇拝は最大の戒めだったのである。偶像崇拝はまた強制される。戦時中の天皇もそうだったともいえる。人間が神を求めるとき偶像を神とする傾向が古代からあったのだ。
ヨ-ロッパの魅力はやはり歴史である。その歴史もヨ-ロッパ全体が重層的になっている。だからこそルネサンスが生まれた。ヨ-ロッパを歩けばどこでも歴史を感じるのである。ただその歴史を現場で理解することはむずかしかった。それで今思い出して勉強して歴史をイメ-ジする作業をする。そういうことが冬の静かな日にあっているのだ。

冬の石畳の街
古い石畳の路地
その道を踏み歩む
古いチェンバロの音がひびく
中世の静かな街並み
人々はひっそりと暮らしていた
奥まった部屋に身をつつみ
女性は顔を出さない
教会の晩鐘が鳴り
冬の日は路次深くさし暮れる
石の壁は歳月経て重みを増している
その石にチェンバロの音が厳かにひびく
石の城、石の教会、石の市壁、石の橋
石に刻まれたヨ-ロッパの歴史
遠い昔を石に偲ぶ


ヨ-ロッパの中世はやはり江戸時代である。江戸時代も城がありヨ-ロッパと共通していたのである。日本とヨ-ロッパの歴史は共通していた。もしかしたら明治維新が成功したのもそういう江戸時代の歴史があったからかもしれない、封建制があったのはヨ-ロッパと日本しかなかったからである。
アメリカなどは全く異質の国だった。歴史もなく突然大平原とかに現出した国なのである。その驚嘆を詩にしたのがホイットマンだったのである。何にもない所に都市が現出したのである。
写真はここがいい
http://bellano.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-3107.html
石畳の道を切り取って良く見たら確かに日がさしていた。前画面からきずかなかったのである。
部分を拡大化すると部分詳細に見るということがあった。写真の見方でもいろいろ方法がある。
2012年01月05日
スイスの貴重な写真一枚
スイスの貴重な写真一枚
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雪山に映えて一羽の烏かな
背(そびら)には雪の岩山高々と樹は伸びにけりアルプスの村
赤い屋根白に変わりぬ雪のふりハイデルベルグに塔の映えし塔かも
何か塔に雪がふり寒々としているのがリアルである。一度行ったからリアルに感じるのだ。
外国の写真はやはり思い出すには不可欠である。ただ観光地のはいくらでも写真が見れる。すると同じ様なものになってしまうのが現代である。この写真は観光地でもはずれた所だった。スイスの有名な観光地でもぶらぶらしてとった写真だった。とったことも全く覚えていなかった。でもこの写真は秀作である。全く構図とか一切考えてとってはいない、偶然の産物だった。それでもいい写真をとれるときがある。だから本当はとにかく数をとればその中にいい写真が残る場合がある。デジカメだとそうしやすかったがこの時はデジカメではないのでそれほどとっていなかった。デジカメだったらもっととれたからいいのが残っていたろう。
雪のハイデルベルグ
http://www.youtube.com/watch?v=IyZQ5z2_Pmc&feature=related
あとがき
良く見たら烏が一羽高いところに止まっていた。これなども肉眼では気づかなかった。それを写生して俳句にした。
ただ写真を見ないと俳句だけでは鑑賞できないのがある。写真と一つとなって作品化しているのが現代の写生俳句なのである。
2012年04月16日
美しいギリシャの遺跡(詩)
美しいギリシャの遺跡
ギリシャの遺跡は埋もれている
山々の中にありし日のままに
威厳に満ちて埋もれている
雪におおわれた奥深い峰々
岩山から清水が流れひびき落ちてくる
オリンポスの山々は今も聖域である
雲間からさす光が神々しい
ギリシャの遺跡は春の花々の中に埋もれている
地中海からの風がそよぎわたり
ただ語るのは遠い昔のこと
ヨットが帆をふくらませ島をめぐる
遠大なオデッセの冒険が蘇る
自然と調和した神殿
その神殿も自然に還った
ここに神話はまだ息づいて
古代の人はそこに静かに眠っている
その遺跡は自然の中に埋もれた
遺跡は自然の一風景として溶け込む
ああ 現代の文明は自然を破壊して
その巨怪な姿を露にして埋もれることはない
見よ、無残なる原発のその破壊された跡
凄まじい戦争の殺戮の跡
機械に蹂躙されて一かけらの美もない
醜さが剥き出しになってさらされている
ああ ギリシャの神殿の遺跡は美しく埋もれている
高い塔もなく堅固な城の塀もなく
花々の中に埋もれている
静かに遠い過去を回想しつつ埋もれている
蝶は花々を求めて変わらず飛んでくる
明るい春の陽ざしのなかを嬉々として
遺跡も廃墟も自然と調和すれば美しい
人の労働は労苦は何なのか
自然を汚して破壊して何を建てたのか
工場の煤煙よ、放射能よ、戦禍の凄まじい跡よ
人の成したことは災いの都市を作ったこと
残されたのは巨大な迷路、逃れることのできない迷宮
ああ ソドム、ゴモラのように滅ぼされる市よ
人は自然の中に埋もれて美しい
遺跡となりて廃墟となりても美しい
人は何をせずとも神は花環をめぐらせ
村を彩り美はその中に映える
そして遺跡は埋もれて自然に還る
ギリシャの遺跡よ、美しく眠るがよい
人よ、その眠りを覚ますな
ひそかに訪れ聖地を汚すなかれ
人よ、何も残さなくてもいい
美しい自然を残して地上から消えろ
あどけなき花々は咲き満ちて
ひらひらと蝶は今日も舞っている
2015年01月17日
船旅の思い出(詩) (ロ-マからギリシャのオリンピアへ)
船旅の思い出(詩)
新年に異国の港に寄る船や我が旅せし日を思い出すかな
外国(とつくに)の街は古りにき教会の鐘の鳴りつつ船は去りにき
バスにのるトルコの人のキプロスにヨットを持つと金持ちなるかな
ヨットで世界一周した人のテレビ放送をみた。あんなふうにして世界を旅したらいいなとうらやましく思った。船旅でもヨットの旅は全く違っている。
地中海はヨットの旅に向いている。だからヨットをもって各地の港を回る人がいる
ただヨットは相当な金持ちしか趣味にもできないだろう。
ヨット一艘がどれくらいするのか何千万になってしまう。
だから冒険でも贅沢だなとみる。
それは貿易ではない遊びだからである。ヨットをもつ人は日本でも大金持ちだからである
本当にあそこはアドリア海でも歴史があるから魅力がある
地中海は船旅に一番向いている海なのである。
キプロスは半分はトルコの領土だからそうなっている。
キプロスには船で立ち寄って何時間で去った思いである。
一応よったので記憶にある。ヨーロッパは歴史があるからそれを調べたら尽きないものになるだろう。
地中海とにているのは瀬戸内海だが規模が小さいから大航海時代にはならなかった。
地中海は規模が適当で大西洋に出てゆく内湖のような役割を果たしたのである。
植民都市を各地に作った。
ナポリはネオポリスでありギリシャ語から発している。そういうギリシャに由来するものか多い。だからギリシャのコインが発見される。
それより前はフェニキア人が商業の民として活躍した。
アルハベットと商業するのにどうしても必要だったのである。
つまり共通の言葉をしゃべり文字を書くことで商業が成り立つ
ちょうど英語のような言葉がグローバル化すると必要なのとにている。
地中海は商業の民をはぐぐみ大航海に向かったのである。
それは地中海があったからである。
イタリアのブランデシからギリシャに船で向かったとき、嵐だった。かなり船はゆれたのである。その時思い出したのは難破したギリシャの船が海底から発見されたことである。そこにギリシャの壺が大量にあった。それは貿易のために作られ運ばれたのである。
やはり船の旅は何かいい、なぜなら船は港港に寄ってまた去ってゆく、それは旅でも同じだが船の場合は到着するとき去ってゆくときそこに旅情が生まれるのである。
船の旅は時間がかかるからこれも時間がないとてきない
沖縄までぼろい船で東京から一週間かけて行った。
一週間もかかるということは今はないだろう。
結局自分はそれだけ暇でありそれが旅に費やされたのである。
これだけ旅してもまだ旅していないところは多いから世界を知るということはそれだけ時間がかかるようになった。
外国旅行して日本人に会わないことはなかった。だから一人旅でも日本人にあう、そしてあのころはバックパッカーの時代でありどこかの安宿に長くいることになっていた。
そういう時代も終わった、ただ以前として外国は身近になってゆく
だからこれからも庶民レベルで外国の発見がある。
どっちかというとエジプトとか大陸は広いというだけでなじめない、中国もそうである。その広さが日本とあまりに違っているからなじめないのである。
あれだけ広いところに住んでいれば心も広くなるということは感じる
電車の時間でもルーズなのは大陸的などと言われるのはそのためである。
ローマからギリシャへ海を渡る
船はローマをいでぬ
地中海は荒れ船はゆれしも
かつて地中海をギリシャの船は
美しき壺を運びぬ
船は波浪にもまれ沈み
海底に破船は久しく埋もれ
そこに大量のギリシャの壺
ああ かの時波は荒れしも
かなた望むはギリシャの雪の高峰
清浄にしてゼウスの棲むや
船はギリシャに着きぬ
ドラクマを手にとり
そこよりオリンピアよ
巨木の根のようにゼウス神殿の
石柱の跡のここに残りぬ
競技場に春の野の花の彩り
そこに逞しき男等は力の限り競いぬ
その誉れはここに刻まれしかも
その観覧席の石の座席はいかにも古し
二千年の歳月はここに過ぎにし
熱き応援もここにありしや
その熱情は覚めて石のみ残りぬ
春の風はここに吹きそよぎ
悲しきやヒヤシンスの神話を語らむ
オリンピアはゼウスに捧げる宗教的行事だから今とは違っていた。なぜあんなに石の柱があるのか体育館の跡とか神殿の跡である。石だから二千年とか残っている。
それは本当に古い、石も相当古くなっている。雨風に二千年打たれて残っているのだから当然だともなる
オリンピアで競技が行われるとき戦争も中止されたのはゼウスへの宗教的行事だったからである。神聖な行事ともなっていたからである。
あの時はまたユーロではなくドラクマだった。だからリラとフランとか交換するのがめんどうだった。ユーロになってからは旅していない、ただかえって国が変わればコインも変わるというのが面白いともなる。みんな同じだと面白くないともなる。
ただ不便なことはありユーロだったら便利なことは確かである。
2015年08月21日
丝绸之路の詩(シルクロード) (地球を詩う時代)
丝绸之路の詩
丝绸之路の詩(1)
丝绸之路へ通じ出立す
離別の情、遥か平沙万里の道
長城は沙場に尽きし残滓
風沙に一村埋もれ消失
西域の城誰か守らむ
誰か天幕に祈りを捧げ
日月星辰に導かれて
駱駝に馬に乗り羊を追ふ
隊商に兵の力尽きて
砂塵に埋もれ白骨の無情
宝物も沙に埋もて久しく虚し
地の日は短く天の日は長しも
少女のミイラと眠る楼蘭
湖も沙に埋もれて消えぬ
時に浮かぶオワシスの夢
百花香り木の実の美味にして
木陰に休らふパラダイス
遥か帝都を辞して幾歳や
西域を守りて胡人と交わり
日を重ねて情の深まる
鐘鼓楼 東西南北に通ず
氷河白雪祁連山脈冷涼たり
征人通過す西域の道
中華広大にして茫漠
万里長城の端の砂漠に埋没
その外郭につづく陸土
人跡絶えて平沙に唸る風
草原を疾走する騎馬民族
英傑は生まれ遠望す
遠大なる地球の歴程
大望はここに生じる
彼方欧州に達して
帝都羅馬にも知らる
小なる日本大陸を知らず
大海を知らず大河を知らず
狭隘なる地に呻吟して
雄想は生まれず朽ちぬ
大陸の草原の風、大洋の風
今詩人は地球を詩う
その旅程は尽きざるかな
様々な失敗であり過酷な旅でもあった。それもなんとかやれた。
今どき50才で海外旅行してない人はいない、今は貧乏人でもできる
10年前以上になると円高であり一ドル70円とかのときもあった。
その時海外旅行熱が日本にあり貧乏旅行が流行になり若者は海外の安宿で沈没とかいって一年とか過ごしているのがトレンドだった。
それも円高で物価が十分の一とかだからできたのである。
円安になると海外旅行は高くつくから今は中国すらなかなかできないだろう。
中国は漢字で共通しているから親しみ安いし歴史と文化でも日本と通じる
でも中国を理解するとなるとまた別である。
日本人が大陸を外国を旅して理解できないのはその広大さなのである。
何か空まで広く感じる、日本は山国であり空が何か狭い感じになる。
だから大陸の感覚が実感としてわかりにくいのである。
大河も砂漠も日本にはない、その広大な長大さが実感できない
あれだけ広大になるとちまちましたものがなく大きな人間でも思想でも生まれる
中国から英雄が出るというのはその壮大な国土の故である。
日本は島国でありスケールが何でも小さくなるしその小ささが文化になっている
漢詩は一応誰でも読んでいるから文化的になじみがある
世界史を理解するときいろいろなアプローチがあるが詩から理解するというのも外国の文化を理解する手段になる。
ただ詩とか芸術でも不可分にその風土と結びついて生まれる
それで漢詩を知りたかったら中国本土を旅する必要がある。
実地にその地を踏むと実感できる
今は日本でも外国でも実地に踏んだ地を回想して詩にしている
想像の世界ではなく実地にその地を踏んだということが世界を知るには不可欠なである。ただ中国でもアメリカでもロシアでもその広さを一回くらいの旅行では知り得ようがない日本とのスケールがあまりにも違いすぎるのである。
現代とはすでに庶民でも普通に海外旅行しているから地球を詩うグローバルなものと自ずとなる。
まだそういうグローバルな詩はまだ生まれていないのかもしれない
日本もすでに外国との交流をする時間をかなりもった。
それが蓄積されると世界的な詩を作る人もでてくるだろう。
それにはやはりまた時間がかかる、時間によって熟成されないと文化は生まれないのである。
現代は何でもグローバル化する時代である。地球自体はどこにでも行けるから狭くなっている。実際は歩いてとか馬でとか駱駝で行ったりしないとその広大さは日本すらわからないのである。
広いといえば相馬藩内でも徒歩で自転車で回れば結構広いのである。
まず日本のように狭い国でも変化に富んでいる国はないから旅してあきない国である。
ただ広いというだけだとあきてしまうのである。
いづれにしろ現代は地球を詩う、地球を描くとか何でもグローバルになる
シルトンクロードでも歩けば馬で駱駝で行けばその広大さ唖然としてしまうだろう。
中国では火車、汽車の中で泊まる人が多いし長くなるから車中で生活できるようになっている。三日とか乗る人も多いからである。
10年前以上になると一般の人がのる列車には外国人は乗れない
殺人的混みようであり車掌が客を笞で打っていたというから中国は何でも過酷である。
流民と化した出稼ぎ労働者が大挙して民族移動のようになっていた時代だったからであるそれせ今になると新幹線も走っているのだから中国も十年以上でかなり変わってしまったのである。
地球を詩うというとき今は地球規模で何でも見なければならない時代である。
地球には実際は国境はないのである。こういうふうに自由に往き来できる時代だからこそそうなった。
歴史でも地球史となり壮大な自然から人間の歴史を再考察する時代である。
ただまだそのスケールにあわせるほど日本人は熟成していない
それでもその交流の範囲は広いのである。
この辺ではあまり外国となると交わりがないが関西辺りだと神戸の人で中国語を自由に話すとかアルジェリアに石油関係で仕事していたとかグローバルに仕事をする人がいた。
田舎ではそういう外国と仕事するとは少ない、でも島商会は中古の車をロシアに売っているからグローバルな会社なのである。
何かしら外国と通じ合うのが現代であり田舎でもそうである。
地球を詩うとなるとその詩う人も地球大になることが望まれる
それだけの体力もまた知識も要求される、それだけ空間せかいか広がると人間は長生きしないととても世界を理解できない
50才からやっと海外旅行して60才から世界をみるとか今は長生きしなければ世界を知ることができない
空間が地球規模に広がった時、時間もまた比例して長くないと空間も理解できないのである。
日本の長所と弱点がある。弱点は広さの認識をもてないことである。
日本が外交がへただと言う時、世界規模の認識がもてないためである。
われ泣きぬれて
蟹とたはむる
日本は島国という制約で大きくなれない悲劇がある。
日本が太平洋戦争で負けたのも大陸のように大きくなれないということにあった。
日本は海に囲まれていても海洋民族とも違う、イギリスは七つの海を制覇した海洋国になった。日本は海に囲まれていてもそれが外国に通じる海ではなかったのである。
ともかく人間の一生は短い、自分の場合、旅していたらいつのまにか人生も終わりに近づいていたのである。
今はその旅を回想する、回想して詩を書いているのである。
旅でもその時、旅している時はなかなか理解できないで書けないがあとからその場を理解して書けるということがあった。
ただ実地にその場を踏まないかぎり詩でも書けないと思う
団体旅行でも社交の旅になり回りの自然に注意を払うことができない、また旅というとき当人旅人ならなければならない、現代の観光旅行は旅人ではない
だから今では旅人になることはほとんど不可能になっているのである。
自分は一人で自然と歴史でも見ることに注意していたから思い出してなんかと詩にできるただ忘れるのも多い、忘れない旅をするにはどうするかというのも旅の課題なのである。旅は本当に旅なら行にもなる、観光旅行ではなく保養でもなく行だとなる
自転車などになると体力がない自分にはきつかった。でも達成感があった。
中国も10年前だときつかった。ただなぜ危険な目にあわなかったのか?
それは自分は汚い中国人と同じ格好していたしほとんど中国人に見られていたからだと思う、金持ちの旅人にはとても見られなかったことがかえって安全だったのである。
2015年08月25日
キプロスに寄港した一時(詩) (6時間ほど船で寄港した思い出)
CYPROUS(cyprus)糸杉と銅の国(copper)と
地中海の要衝に位置しその歴史も古りし
糸杉はレバノン杉と同じくエジプトの船の材に
ローマの劇場跡やここにもローマは語りぬ
その山中深くギリシャ正教の教会
古りたる石のごとくにありぬ
イコンを守りて民の祈りはつづく
しかしここに獅子心王と名をはせし
十字軍のイギリスのリチャード王
そのこもりし城の城壁は海を望みて古りぬ
東方に富と知識と技芸豊かなり
そを果敢に奪い取れ
十字軍の要塞は各地に作られぬ
これにイスラムの英雄起こりて駆逐せり
キリスト教とイスラムの熾烈な戦いは今もつづく
マルタにロードスにシリアにイスラエルに・・・・
十字軍の基地は聖地エレサレムを包囲する
その後大英帝国はマルタをキプロスを手中にし
エジプトのスエズ運河の利権を得る
しばし船の寄港地として立ち寄りて
地中海の明るい陽光にアーモンドの花の咲く
手にせしはイギリスのコインなり
エジプトの金はエジプトポンドなり
大英帝国の威光は砂漠に沈むピラミッドまで及ぶ
船に寄港してその一時の思い出、キプロス
船はまた次ぎなる島にたちよりぬ
これは引用が長くなったが情報の集積として興味深い
今はこうして情報の集積をしやすい、そこから見えてくるものがある。
キプロスが印象に残ったのは船で6時間くらい寄港したことである。
その時アーモンドの花が海に向かって咲いていた。これは確かに桜の花とにていたのである。
それはアーモンドの花だった。当地の人は花よりアーモンドの実として意識している。
船旅がいいのはやはりこうして一時寄港したりするときである。
6時間だからほとんど何も見ていないがそれでも一時でも寄ったということで記憶に残る旅はともかく記憶に残ることが大事なのである。
なぜなら外国になると歴史的なものでも何でもわかりにくくなるから余計に何かを意識できず忘れるのである。
骨肉の争いともなっている、それは朝鮮半島と日本ともにている。
この分析が正しかった、自分はそれほどキプロスには詳しくないし6時間寄港しただけだったけど一回でもともかく外国でもその地を踏むことは本で読むより効果がある。
ともかく自分は外国旅行したのは50才すぎてからだから一人旅できたのは自分ながら今になると良くできたなと思う。
海外になれている人は今は抵抗がない、なれない人はやはりハードルが高くなる。
キプロスはギリシャの古代からローマから中世から現代と歴史が地層のようになって残されているから面白い国になる。
トルコであった人はキプロスに別荘をもっていた。キプロスは別荘の多い国であり保養地なのである。今はギリシャとトルコに国が分断されている。
これも朝鮮半島とにているのである。
ともかく世界を理解しようとしたらこれも旅行を欠かせない今の人はそういう点では恵まれている。
海外旅行はその頃はそれほど金はかからない、そこであった若者はイスラエルで仕事としていた。別に普通の労働者だったのでしきりに日本に帰るのが嫌だと言っていた。
戒告では働くに時間がルーズであり働きやすいと言っていた。
日本ほど過酷な労働条件の国はない、過労死があるなど外国ではないだろう。
今はどこでも外国でも日本人と合うから外国旅行はしやすいのである。
まず言葉がわからないからこの遺跡は何なのだろうということがわからなかった。
一人旅だと説明してくれるものがないからである。
それでかなり損したとなるが百聞は一見にしかずでその地を踏んだという経験が大きかった。
http://musubu2.sblo.jp/article/64110080.html
今のイスラムでもシリア辺りでもいろいろな国が交代していた。
トルコもそうであり支配は変わっていた。だからイスラム国を主張するのはそうした歴史があるからである。それがわからないにしてもあの辺の歴史は常にそうして国が代わる代わるになり支配されたり支配したりしていた地域なのである。