2014年10月16日

抽象画(朝焼け)


抽象画(朝焼け)


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活力ある命の流れ


これも原画がある。世界的なfacebookで絵を見せ合い評価するアプリがあった。
その原画を変化させることもできる。
そこにはプロ級の絵もあった。抽象画が多いのはやはりパソコンだからである。
あういうのはインターネット的なものだろう
世界中で競うことができるし絵だから理解できるからである。


抽象画は見分けるのがむずかしいけどともかくこのように変化加工するのが容易なのである。
これは別に絵の才能がなくても楽しめるのだ。
たた化学実験のように何十回もソフトで加工するから結構疲れる。
メカニカルプロセスを経てできあがるからである。
それは何か絵を筆で描くのとは違う。メカニカルな要素が大きいのである。
いづれにしろインターネットには無数の抽象画があえ絵があり写真がある
それがグローバルになっているから計り知れないものとなっているのだ。
インターネットが世界的展覧会になっているのである。
タグ:朝焼け

2014年10月25日

海と陸の抽象画



海と陸の抽象画

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海から生まれた陸


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海と陸の紋章


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海のドーム

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二つの太陽系




抽象画でも2,000円のペイントグラフィックでも使いこなせていない
これ使っていなかったなということが未だにある。
まるで脳機能と同じである。
脳の機能でも2割しか使われていないというのはそのことなのである。
つまり脳にはまだ無限のかのうせいか秘められているのだ。
ただそれぞれが使われいないだけである。
例えばブルーカラーになると肉体的に酷使されて脳が使われないことがある。
もちろんそれでも何かを体で学ぶのだが脳は使われていない
脳というのは使い方によって活かされるのである。これは才能の問題ではない。
開発力が能力になるのだ。そういう時間をもてない人は開発されないだけかもしれないのだ。


自分は文学でも何でも何ら才能があったとは思えないのだ。
体力も非力だし人間的にもあらゆる点で劣っていた。
だけど自由な時間が与えられたということがそれなりの才能が開発されたとなる。
何かにどれだけ時間を費やすかで人生が決まるというとき生まれつきの才能より
あることにどれだけ時間をかけるかが問題になっているのだ。


旅にこれだけ時間をかければやはり何か教科書だけで本だけでは学べないもの実地で学んだ。実地の訓練が時間をかけることが何物かにしているのである。
あらゆることに時間をかけられる人はいないからである。
一つのことに時間をかければ他のものには時間をかけられないからである。


とにかくパソコンは人間の頭脳ににている。一つの脳の代理機能のようになっている。
だからソフトがその脳の機能を拡大しているのである。
パソコンの抽象画はまさにパソコンのソフトによって拡大化された引き出された開発されたものから生まれたのである。そんなもの芸術ではないともなるがやはり何らかの創造なのである。
タグ:海と陸

2014年11月04日

パソコンの操作で理解した抽象画論 モネは光の分析、セザンヌは立体性の追求、ピカソに発展


パソコンの操作で理解した抽象画論

モネは光の分析、セザンヌは立体性の追求、ピカソに発展

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雪舟

この絵の抽象化
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ボスポラス海峡

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これはモネ的になる


対象の再現性を離脱しようとするタッチを対象の明確な構成要素、「円錐、球、円柱」に向わせました。セザンヌによって、絵画は強固な形態を自ら創り出そうとするあらたな方向性を与えられました

ここのサイトでモネとセザンヌを対称的にとらえているから興味深い。モネはソフトな色合いで特徴づけられる。プリズムのように光をとらえて色とした。
絵画は色と構築する立体性がある。構築する立体性は建築に通じている。
絵画には多様な色と建築性から成り立つ、西洋絵画はレオナルドダビンチから立体性を遠近法で現した。もともと西洋ではローマ時代から建築に優れていた。
だから立体感覚に富んでいた。そもそもそれはエジプトのピラミッドからはじまっていた山を抽象化して立体化するとピラミッドになるからである。
ピラミッドは人工的山なのである。砂漠には山がないからピラミッドを山として精神の安定を計り宗教的礼拝物ともなったのである。

自然を鑑賞すればそれは多様であるが骨格として岩があり岩は土台であり建築的である。岩から土が生まれたというのも地球はもともと岩で造られていて岩が砕けて土となったり砂となったのである。
地球はさらに岩盤の奥に中核は最も固い鉄できているのである。
セザンヌの絵は重厚であり岩的であり建築的なのである。
モネやゴッホの印象派は色に分析したのである。
何か肖像画もセザンヌは岩的顔貌になっている。
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セザンヌ


それから抽象画はピカソによって開花した。自然でも世界でもこれは具象としてあっても抽象画ともなる。具象→抽象ということがあって文明を作りだした。
なぜなら文字はまさに万物の抽象化であるからだ。
漢字は象形文字でありエジプトのヒエログリフもそうである。
つまりそれは万物を抽象化したものなのである。

ピカソにいたって抽象画は一つの時代をきづいた。それは時代を反映していたのである。現代文明は物質文明となり具象的人間の存在感が失われた時代である。
大衆化現象は人間は人間ではなく抽象的数としてしか表現できない世界となっていた。
キュービズム運動もそうした時代が生んだものなのである。
モネの絵からは確かに何が重い存在感が感じられないのは立体的建築性がないからであるセザンヌの肖像画は額が岩のようにも見えるのである。
それぞれの個性がフランスで開花したとなる。

ふりかえって日本の絵画史を見ると何か尾形光琳でも絵画でも一つの形式にのっとって描いている。だから狩野派だとか一つの派が形成される。それは一つの様式美を作り出したから弟子もそれに従ったのでありその様式からなかなかぬけだせなくなる。
そして何か日本の絵画も抽象的な要素が大きいことに気づいた。
それは写生ではなく木を描くにしても時代の様式がありそれにのっとって描いているから何か幾何学的に見えたのである。
写生の絵は円山応挙にはじまって蕪村が絵画的俳句を作りそれを継承したのが正岡子規の写生俳句だったのである。
この雪舟の絵も何か抽象的であり本物の岩を写生しているわけではない、水墨画でもそうである。写生ではなく心が意図して作り出したものである。
円山応挙が虫などを図鑑のように写生したのとは違っていたのである。
だから岩が幾何学的に見えたから抽象画になるなと思いパソコンで加工してみた。

自分には何ら絵の才能がないのだけど抽象画はパソコンのソフトの作用でできるから絵が描けなくても作れる不思議をずっと体験して出してきたのである。
絵画は色と幾何学的なものに分解できる。太陽だったら円ではあり山だったら三角でありとかになる。雪舟の絵を幾何学的に分解したのが自分の抽象画である。
ただこれが岩に見えるのかとなる。抽象画はやはりこれが岩だというとき岩として見ないと何か鑑賞できない、何かわからないのが多いからである。
岩には石には充溢する充実した安定がある。岩石は燃えていると上野上野霄里(しょうり)氏は表現した。それはやはり個性によって岩の見方も違ってくるのである。
絵画をどうみるかはその人の感性によるし自然でもそうである。多様な見方があって自然の見方も教えられるのである。
パソコンは抽象画には一番向いている道具だった。
自分もパソコンで遊びで抽象画を作っていたら美術の理解が絵の理解が深まったのであるまず自分で絵を描けるなど思っても見なかったからである。
パソコンの色は独特でありこれは絵の具では現せないもであり電気の光で映えるものなのである。

これが芸術てのかという疑問もまたでてくる。芸術はアート(技術)のことだから技術の発展によって新しい芸術が生まれたのである。
それは電気と深く関係していたのである。
モネの色は絵の具の色でありハソコンの色は電気の色なのである。
美がわかるのはフランスと日本しかないというときそうなのかもしれない。
日本は建築的には劣るが美術的には優れたものを残していたのかもしれない。
本当は日本は山が多いから建築的でもある。たたそういう建築的文化は劣っていた。
エジプトのように平面と何もない砂漠の方がピラミッドを生み出したように建築が発達した。それはとギリシャに受け継がれたのである。




タグ:抽象画論

2014年11月09日

抽象画(熱帯魚生まれる)


抽象画(熱帯魚生まれる)

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熱帯の花



これも全くでたらめな線で遊んでいたらこうなった。全く予想できないのがパソコンの抽象画である。ソフトが違うと必ず別なものができる。
これもペイントというwin7についていたものである。
これも何か色合いが違って出ているのだ。
それはソフトによって違った色がでているのである。
このいろは絵の具では出せないのである。
これは熱帯魚と見えるからわかりやすい、こういうのは見ている人も一目でわかるからいい。
抽象画のどこがいいとかなかなか指摘できないからだ。
その人の見る目に左右される。
芸術は俳句だってその日と見る目に大きく左右される。
かえっていい俳句が見逃されくだらない月並みのがもてはやされるは
それだけ芸術を見極めること自体むずかしいからである。
タグ:熱帯魚

2014年11月17日

抽象画(岩の造形)


抽象画(岩の造形)


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岩の紋章


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岩を分解するといか抽象化するとこんなふうにも見えるかもしれない。
つまりもしこれだけだったら岩とイメージできない
これが岩なんだよといえば岩なのかと見える
だから抽象画はその人の想像力がないと見えないのである。
これなんだろうとなり鑑賞もできない
つまり岩だったら岩という具象画でないからそうなる
言葉ともにている。石とあればどういう石なのか実際はわからない
抽象的な石であり石にもいろいろあるからわからなくなる。

だから分解するということでは何抽象画はハソコンと相性がいいのである。
それはピカソの絵でもわかるように何か具象画を分解しているからである。
抽象画が具象画でいなからまた無限に変化する
これが山だとか石だとかとしてイメージ固定させないから変化させられる。
だからパソコンのソフトによって無限に変化させやすいのである。
タグ:

2014年12月01日

抽象画(冬紅葉の紋様)


抽象画(冬紅葉の紋様)

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冬紅葉の造形

冬紅葉という画像検索するといろいろ優れた写真は一杯でている。
それを基にして加工してゆくと冬紅葉の抽象画ができてくる。
だから抽象画の素材は今ではいくらでもあるのだ。
もちろんこれが絵画となるのかどうかわからないが
そもそもピカソが絵ではない、キュービズムは醜悪で美がないという批判もある
ただ絵というのを写真でも単純化して紋様化するという手法がパソコンから生まれた。
ピカソの時代はパソコンがなかった。
だからピカソはパソコンの手法を先取りしたのである。
技術が生まれていないとき先取りした手法だった。

今はパソコンから抽象画が無限に作れるのである。
だから「冬紅葉」という写真がインターネット上にあときその加工もまた無数に生まれる可能性が出ているのである。
紋様はいくらでもパソコンで作れるからである。
ただ冬紅葉ということをイメージするのは極めて四季があり季語がある日本的な抽象画になる
外国ではまず冬紅葉かどういうものかイメージしにくいからである。
紅葉すら日本のような紅葉がないから文化は風土から生まれるから理解しにくいのである。
タグ:紅葉の紋様

抽象画(冬紅葉2)


抽象画(冬紅葉2)

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抽象画はいくらでもできる。これが冬紅葉なのかといえばそうなのかともなる。
他にも変化はいくらでもできるからそこが具象画とは違っている。
ただこれが冬紅葉だとして鑑賞するとやはりそうなのかと鑑賞できるかもしれない。
何も題がないとどうみていいのかわからない、そういうのが抽象画には多いからだ。
他の写真でも抽象画にすると別な見方ができる。
それは別に著作権違反にならない、なぜなら元の絵がわからなくなっているからである
具象画として類似性があるとそれは著作権違反になってしまうが抽象化するとわからなくなる。
紅葉だと何か普通になるが冬紅葉には味わい深いものがある。
その季語を想い抽象画を鑑賞すると違って見えるのである。
タグ:冬紅葉変化

2014年12月12日

抽象画(南の海など)


抽象画(南の海など)


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南の海の底

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地震の巣

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海の紋章



南の海のそこというのもその変化させた原画はインターネットの抽象画にあった。
これもいろいろ変えてみたらこんなになった。
青い秘密の洞窟がうまく偶然にできた

地震の巣はある。三陸沖にあったし東海地震の巣もある。
だからそこから常に地震の驚異にさちされていたのである。

海の紋章は津波をイメージする
地震とか津波はこの辺ではなんでもテーマになりやすくなったのである。

タグ:海底の神秘

2014年12月13日

抽象画(氷河)



抽象画(氷河)

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エーデルワイス(薄雪草)


これも偶然である。外国関係になると抽象画とか絵画が膨大にでている。
それをソフトで操作しているとそれらしいものができる。
これが一連のものとして連作としてできると一つの作品となる。
俳句でも短歌でも連作にすると厚みがててくる。
一つでは鑑賞するには孤立しているから単一になるから見応えがなくなる
エーデルワイス(薄雪草)も本当に偶然でできたのである。
何かそれらしい、白に変えたことはあったが何か薄雪草らしいので気にいった。
抽象画は何がでてくるかわからないということに魅力があるのだ。
開けてびっくり玉手箱なのである。
その素材はほとんど無限にインターネット上にある。
タグ:氷河

2014年12月27日

熱帯の花(2) (これは著作権違反かも)


熱帯の花(2)


(これは著作権違反かも)


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川と街

これは著作権に違反している。
ただ実験として出した
絵が抽象画に変化しやすいものがある
この絵はそうだった
抽象画は抽象画に変化して無限に楽しめることがある
具象画と違い抽象画が一定の形がないからそうなる
変化させたときまた一つの創作となるのである。

でも元の絵がわかるようだと著作権違反になるだろう。
それでもインターネットで著作権違反を指摘されたことが抽象画ではない
これは俺の模造品だとか言われない
それよりインターネットでは利用されていることがわからないのである
田から著作権違反が指摘しにくいのである。
外国のものだと余計にそうなる。
要するに私的な範囲で変化させるのはいいが
このように自分の作品のように出すのは著作権違反となるかもしれない
ただ元の絵がわからなくななればそうはいえない

これはかなり著作違反と指摘されてもしかたがないかもしれない
実験として出してみたのである。
タグ:熱帯の花

2014年12月28日

抽象画の不思議(深い水槽) (パソコンとインターネットから生まれた不思議現象)



抽象画の不思議(深い水槽)


(パソコンとインターネットから生まれた不思議現象)


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抽象画は何なのか?これは特にパソコンとインターネットで起きている新たな現象である
その色は電気の光だから絵の具でないから今までにない色を出しているから不思議な現象となる
そしてパソコンのソフトでいくらでも変化できるから絵が描けない人も作れる不思議がある。
これは本当に不思議だと思った。元になる抽象画も色鮮やかだからこんなものができたのだろう。ただ元の絵と変化させた絵は相当に違っているから原画とは別なものなのかもしれない

ただ自分でもこの変化が何なのかわからない
つまり原画からいくつも変化させてみれるのが抽象画である。
ただそしたらこれは創作ではないのかとなるとそうでもないかもしれない
なぜなら原画とはまるで別なものになって変化しているからである
二つ並べても全く別なものとなっている場合がある
すると著作権違反ともならないともなる

いづれにしろこれはパソコンとインターネットから生まれた不思議現象なのである。
そしていくらでも変化させることができるから固定しないから今までのものとは違っているのだ
タグ:abstruct

2015年01月01日

2015抽象画


2015抽象画

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歪んでいる宇宙に銀河

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夕焼け

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宇宙の花



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波紋

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湖の道

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鏡の眼


抽象画の強みはいくらでもできることである。
変化が容易にできるからである。
まず具象画でなければ一流の画家と認められない
それでも抽象画を一流の画家が描いている
するとこれは素人レベルなのかとなってしまう
つまり抽象画は誰でも描けるからである
特にパソコンとインターネット時代はそうなった
それで著作権違反になるのかという問題が起きた

今年は抽象画は暇つぶしにやるだろう
やはり波なら波とか抽象画も具象画を基本にしているのである
タグ:2015

2015年02月08日

抽象画(北海道の雪の紋章) (西村計雄の絵は抽象画的だから抽象画に加工しやすい)



北海道の雪の紋章

西村計雄の絵は抽象画的だから抽象画に加工しやすい

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地球創世記の地球



北海道共和町にある西村計雄記念美術館とあるけどこの人の絵は抽象画的なのである。
だから加工すると抽象画になる。
その当時はパソコンがないから人間がパソコン的な線とか光の感じとかだしていた
この人の作品は線を活かしたものだからである。
何か幾何学的なものと線のアートなのである。
だからこういうのは抽象画的だから加工しやすいとなる

要するに第二次第三次の作品としてパソコンとして加工しやすいいうことである。
それは創作というより新しいアートの楽しみ方なのである。
ただそれが著作違反とかになるのかどうかはわからない
でも何か北海道の共和町というとき何か北海道的な抽象画になっているのも不思議であるまずパソコンで加工するのはまさにart(技術)そのものである。
オリジナルなものがあり加工すると別なものになってゆく
抽象画になりやすいのがこの人の絵が抽象画的だからである。
タグ:雪の紋章

北海道の抽象画(続き)


北海道の抽象画(続き)

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北の十字架
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冬の山脈

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残雪の峰



北海道的なものはまた本州とは違っている。手つかずの処女地として開墾された地であるつくづく日本は島国で狭いけど多様な風土から形成されている。
北海道から沖縄まで北国と南国がある。
だから日本を知ることだけで容易ではない
北海道には近いから十回くらい行っているから親しい地である。
九州とかは二回くらいしか行ってないから地理的にもわかりにくい
北海道の魅力も大きい
要するに北海道の自然というとき未開の原始林の風景がある
北海道の冬は厳しい、ここも冬を知らないと本当はわからない
ただ住むのは寒いから嫌だとなる

とにかく自分は日本はほとんど行っている、だからそこがどういうところかイメージできる。世界は無理でもやはり実際に旅しているから常に旅しなくても心があちらこちらと以前としてたそこに旅している、心がその土地に飛んでゆくというか浮遊しゆくというか
なんかそんな感じになっているのも不思議なのである。
旅はテレビとか本を読んだりしてもできない
実際にその場にゆくことである、それもあまり乗り物に頼らなければあとでイメージされてくる。
車だと電車でも記憶に残りにくいのである。
苦労して峠を自転車で上ればそれが体で記憶されるからあとでイメージが浮かんでくる

この抽象画も前のつづきである。西村計雄の絵は抽象画的だから抽象画に変化しやすいのである。
自分のしていることは創作とも違う、オリジナルなものがあってパソコンのソフトで変化させているだけである。
だから最近そのオリジナルなものが見つけられなかったから抽象画を描けなかったのである。
たまたまテレビで見た時、これは抽象画だと思いインターネットで見たらそうであり抽象画に加工したらできたのである。
タグ:北海道

2015年02月09日

抽象画(青い教会)



抽象画(青い教会)


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夏の山々


西村計雄の絵は抽象画になりやすい、抽象画的だからである。
抽象画として多少加工して成功しているのは
もともとその絵が抽象画的であり抽象画に変化しやすい素材だからである。
だから抽象画は一定していないく加工変化されやすいのである。

西村計雄の絵は明らかにパソコンを使ったらもっといい絵ができた。
なぜならパソコンの方が線とかを手より描きやすいからである
手術でもパソコンで操作した方がうまくできるとかいうとそれだけパソコンが進歩したからである。
色をパソコンで分解するというのも今までならでてきない
今はそんなこと2000円のソフトでできるのである。
ソフトは高い安いではない使い安いのとなれたのがいいとなる
ソフトは使いこなすこと自体相当な労力が必要だからである。

加工したということで著作権違反かもしれない
一つの実験として出したのである。
抽象画とはこういうものだいう見本である



タグ:抽象画

2015年02月17日

抽象画(電脳ーelectric brain )



抽象画(電脳ーelectric brain )


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電脳細胞

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脳に電気が流れているとか、細胞にも電気が流れニューロンが結合して記憶が働くとか
人間の脳は誰もわからない、電波を脳から出しているというのも科学的に証明されている
ベーター波とかアルファ波とかである。電気が流れ電波が出ている
人間の脳も神秘的であり誰もわからない
だから脳という物質があったとしてもそれは霊の作用だとなるのである。
科学的には説明できないものはそうなる
そもそもこの世のことをすべて科学では説明できない
それは永遠にできない、すべてを知るのは神だけだとなるからである
神が創り主だから当然だとなる
要するに人間か作られたのは奇跡だとなる

そして人間を誤解しているのは人間はどんな親から生まれようと
人間はその後の環境や努力やそのほかの要素で作られてゆく要素が大きいのである。
天才は別にして普通の人はそうである
人間とは後天的な作用の方が大きい
だから人間は後天的なもので環境であれ何であれ作られてゆくものである
脳は先天的なものではない、後天的に作られてゆくものである。
だから感性までも日々の蓄積で作られてゆく
脳が感性を日々蓄積して脳を作ってゆくのである
だから人間の脳は一生で二割しか使われていないというとき
脳を十分に使いこなししている人がいないてのである。
本能とか酒を飲んで脳を麻痺するとか何か様々な欲望などで真善美が見えなくなっているのである。
タグ:電脳

抽象画(電脳ーelectric brain)


抽象画(電脳ーelctric brain)


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電脳細胞

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脳に電気が流れているとか、細胞にも電気が流れニューロンが結合して記憶が働くとか
人間の脳は誰もわからない、電波を脳から出しているというのも科学的に証明されている
ベーター波とかアルファ波とかである。電気が流れ電波が出ている
人間の脳も神秘的であり誰もわからない
だから脳という物質があったとしてもそれは霊の作用だとなるのである。
科学的には説明できないものはそうなる
そもそもこの世のことをすべて科学では説明できない
それは永遠にできない、すべてを知るのは神だけだとなるからである
神が創り主だから当然だとなる
要するに人間か作られたのは奇跡だとなる

そして人間を誤解しているのは人間はどんな親から生まれようと
人間はその後の環境や努力やそのほかの要素で作られてゆく要素が大きいのである。
天才は別にして普通の人はそうである
人間とは後天的な作用の方が大きい
だから人間は後天的なもので環境であれ何であれ作られてゆくものである
脳は先天的なものではない、後天的に作られてゆくものである。
だから感性までも日々の蓄積で作られてゆく
脳が感性を日々蓄積して脳を作ってゆくのである
だから人間の脳は一生で二割しか使われていないというとき
脳を十分に使いこなししている人がいないてのである。
本能とか酒を飲んで脳を麻痺するとか何か様々な欲望などで真善美が見えなくなっているのである。
タグ:電脳

2015年03月06日

木の幹 (具象画から具象画をイメージて作り上げる)


木の幹


抽象画から具象画をイメージて作り上げる

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ゼンマイ

これもインターネットにあったものを変化させた。だからまた見つかれば著作権違反かもしれない、外国のアメリカのものだからまずインターネットではわからないということがある
これが著作違反だと指摘されたことがないからだ
そもそもこの抽象画はインターネットから生まれたart(技術)なのである。
創作というより技術なのである。
要するにソフトを使って変化させることでありそれは元の絵があってできる
その元となる絵がインターネットには無数にある。
だからこれ面白いから変化させてみようとなり変化させる
するとそれらしいものができる

ただ抽象画でも具象画をイメージして作為的に表現しようとしている
これは変化させたらゼンマイに見えるし極めてゼンマイのように生き生きとしたものになった。
つまり具象画をイメージしないと抽象画でも鑑賞できないということがある
これはゼンマイだなと思うとき生き生きとしたものに見える
他でもこの抽象画は何を現しているのかと見ていて苦慮する
すると何か生き生きと見えないのである。

もう一つはこれは変化させているから元の絵からは推測できない
ただここでも幹を作るために故意に作り上げたのである。
最初は抽象画だがその一部を切り取りこれは幹だな見えたので幹を作り上げる努力をしたのである
それをまたフォトスケッチャーで変化させると違ったものに見えてくるのである。
つまりパソコンだといくらでも変化させることができるのである。
タグ:木の幹

2015年03月07日

抽象画ー樹齢千年の樹(幹の変化)


抽象画ー樹齢千年の樹(幹の変化)


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樹齢千年の樹

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ゼンマイ

抽象画が変化の芸術である。だからここでもさらに変化させると違ってきた。
幹を太くした方が貫祿が出る。
それから樹齢千年の樹というのもこんな感じの樹を実際に見たことがある
ゼンマイは元の絵をもっと取り入れた方が良かった。
ただこさを見ると元の絵がわかることが問題なのである。
その元の絵はインターネットはわからない
そこがインターネットでは抽象画にしやすいということがある

文章でもインターネットではコピーしないまでも似たようなものを自分のもののようにして作り上げることができるからだ
編集してつなぎあわせるというなにかそれが元の文とオリジナルなものと区別できなくなるのである。
それが極めてインターネット的なのである。
インターネットが集合知だなどということを言う人がいた。
確かに様々な知識が集合して一つの独創性ももつことがありうる
この世に膨大な知識があってもそれを利用することはもう不可能である。
知らない知識は宇宙の星のように多すぎるのである。
インターネットで人工知能を作ろうとしているのはそうした集合知を作ろうとしている
本を買うにしても前と違って文章を書くのに自分の文脈を作るために
キーワードとかで関連したものを買ったりする
つまり関連したものを買うのには便利だということである。
ただ本のように長いもの中味が濃いものは出ていないのである。

ただインターネットでは自分で本を読んでそれを独創的に解釈するということがやりやすい、本は読んだままでは読んだことにならない
自分なりに読むということが読んだことになるのである。
他人が発見したことを自分なりに解釈して評価するのである。
それを発表できることはやはり創造的になる。
ともかく他人の本でもこうした抽象画も他人の創作のオリジナルの二次利用なのである。

タグ:樹の抽象画

2015年03月10日

抽象画(夏の色)


抽象画(夏の色)


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十字路

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夏の夕焼け

これは夏の夕焼けとして見れば見れるのである。
題がないとなにこれとなる

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夏の色
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夏の山

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変化する地盤

クリック拡大

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夏の山から変化したもの



抽象画は化学変化なのだろう。名前をつけるがそもそもつけにくいのが抽象画である。
これが何なのとなる。
でも不思議なのは十字路と名付ければ確かにそうしか見えないとなる。
夕焼けと名付けてはじめてこれは夏の夕焼けだと見る
名前がないとどう見ていいかわからないのがあるからだ
このなかの一つは変化させた元の絵が判明されやすいから問題がある。
色がきれいなのでだした。
パソコンの色は絵の具にはない色なのである。
電気の色でありそれが新しいart(技術)なのである。
タグ:夏の色

2015年03月25日

abstract(earth)


abstract(earth)

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光あれ

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月と地球

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蟹座

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火口

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津波


これも変化させたものである。
要するにオリジナルを変化させて別なものにする。
だから著作権違反になるかもしれない
ただこれが極めてインターネット的なのである。
文章でつなぎあわせて創作のようにもできるからである
パソコンの抽象画は変化しやすいようにできているのである
タグ:地球

2015年04月08日

抽象画(花と蝶)abstract(flowers and butterflys) (抽象画は加工に加工を重ねてできる)


抽象画(花と蝶)abstract(flowers and butterflys)


(抽象画は加工に加工を重ねてできる)


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抽象画は加工に加工を重ねるとそれがオリジナルなものになる不思議がある。
だから絵の才能が全くなくても絵らしいものになる。
まず自分は幼児のような絵しか描けない、絵については全く才能がない
ところがなんかこれが花だな、蝶かもしれないと加工してくると出てくる
それを合成させてまた加工してゆくと一つのオリジナルなものが絵らしいものになってゆく
ただ花は花らしいものにして蝶も蝶らしいなとして合わせるのである。

今回もただ描いていたらこんなふうにはならない
抽象画風にすると絵らしくなるのである。
チューリップが丸みを帯びたのは加工した結果なのである。
花のキッスは偶然にまた現れたものである。
これは面白いなとその部分だけを切り取ったのである。
抽象画が自分で意図したものを描いていない
偶然に現れたものをピックアップして絵にしあげるのである。
だから一種の合成術としての新しい芸術だともなる。


 アメリカの花のサイト

抽象画は外国のサイトが優れているし多様である。
ここのサイトは花の抽象画を集めているし芸術的に優れている
販売もしているのだからプロ的なのである。
抽象画に関してはプロも素人もないのかもしれない
自分も全く絵の才能なくても作っているからである。
ただ花がどういうものかもともと知らないと抽象画も鑑賞できないだろう。
具象画として自然を知らないと抽象画も鑑賞できない
花でもチューリップならチューリップきとして見るからである。
ともかくインターネットの世界は広い
でも何があるのか知ることが容易でないのだ
いいものでも埋もれてしまっているのである。
タグ:花と蝶

2015年04月17日

抽象画は無限の変化だ! 抽象画は固定しない、無限の変化の作用で価値が生まれる芸術


 抽象画は無限の変化だ!

 
 抽象画は固定しない、無限の変化の作用で価値が生まれる芸術
 
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京都の色合い

クリック拡大

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ここまでクリック拡大

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これらは京都の色合いから変化したもの
あとはきりとったりしたものである。

抽象画→抽象画→具象画の変化である




 パソコンにはインターネットには無数の絵や抽象画がある。
 インターネットの世界は広いけどなかなか見つけられないのが多い
 今回中国の抽象画を見たらこれも国柄があって面白いと思った。
 それを変化させたらまた抽象画になった。
 
 抽象画の作用は
 
 抽象画→具象画 具象画→抽象画という双方向で創作される。

 抽象画から具象画ができることもある、最初から抽象画になるとは限らない
 抽象画を抽出すると具象画になることがある
 今回の山はそうである。
 
 京都の色合いというのはこれはインターネットにあった抽象画を変化させたものである
抽象画は固定しない、変化することに意味があった
だからいつも同じ抽象画がインターネットに出ているとそれが陳腐化している
何で変わらないのだ、新しいものにならないのだとなる
これが具象画の名画だったら変わらないことに価値がある

抽象画は変化することで価値がある
だから抽象画から抽象画と無限に変化する
誰かが変化させてもそれはオリジナルなものとなる
まず最初のオリジナルを変化させてもわからないから著作権違反にならないのだ
コピーとは違うのである。
だからいつまでも同じ抽象画になっていること自体変化がないから陳腐化するというのも抽象画なのである。 
 
タグ:京都の色

2015年04月30日

抽象画(夏のイメージ)


抽象画(夏のイメージ)


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水と緑の地球

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新緑に風

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結局抽象画も具象画を知らずして鑑賞できないだろう。
なぜなら自分の抽象画が具象画をパソコンで抽象画にしているからだ
新緑となればいくらでも写真がでている
それを加工しているというとき変化させているのは具象画の新緑を抽象画しようとしている
だから新緑という具象画があって抽象画ありうる


ただ色の配合だけでも何かを現せるというのが抽象画である。
パソコンの色は電気の色だから今までの絵の具では現せない
だからアートは技術なのである
新しい技術で見方が変わるのである


だからなんか抽象画は創作しているという感覚が薄い
機械的作業である。でも変化して何か別なものになっているから創作だともなる
要するにその種がパソコン上にインターネットにいくらでもあるから尽きないとなる
インターネットが影響している芸術でもある
タグ:新緑

2015年05月02日

抽象画(水と緑)


抽象画(水と緑)


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入り江
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ピンクは街の色

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日本の複雑な地形


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地球の芽生え


これは一つのものから変化した。その原画はインターネットにある。
でも何かそれなりに変化させているから元の原画はわからなくなる
名前をつけるとなにかそれらしいものに見える。
「地球の芽生え」などとつけるとそんなふうに見えるから不思議である。
ただそれを変えて加工するのも手間なのである。

これは二つのソフトを使っている。
一つは2000円のペイントグラフィクでありG=TRIMである
ソフトは別に安いものでも今はできるが使いこなすのがめんどうなのである。
何十回と操作するから化学の実験ともにている
根気も必要になってくる。
それでもそれが一つの創作品になるからやっているとなる

奇妙なのはあとからピンク色にしたのは街である
三陸の入り江の街として桃色にしたのである。
だかち具象画が抽象画からも読み取る必要がある。
タグ:水と緑

2015年05月04日

抽象画(火と土と水) (抽象画は変化することによって意味が見いだされる)


抽象画(火と土と水)

(抽象画は変化することによって意味が見いだされる)

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春の大地

大地としてもふさわしいかどうかわからない
自分自身も何なのかわからない
春になると土があたたまるから種をまくのにいいという
土も寒いときとあたたかになると変化している
いづれにしろこれを大地と見えるかとなる
自分も見えないともいえる
俳句だって普通は自分が理解している
抽象画は自分さえ何かわからないのである。
でもなんか意味がありそうだとなるのが抽象画である

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地球の栄養分

心の青雲で人間の体は地球の成分から成っているという
それで他の惑星でも水だけは存在することはないという
人間の体も謎であり地球の成分がつまっている
だから地球が解明できないように人間の体もいまだに解明できない

この抽象画でも何か海の栄養分とか何か栄養のように見える
ただ見ているだけで栄養があるように見えるのである



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具象画にしてもこんな見方もできる
パソコンだからできたけど今までは絵画の鑑賞はこんなふうにできなかった



抽象画とは何か?
それが常に問題になるのはなぜなのか
それは結局未だに謎だからそうなる
具象画には謎がない、何を現しているから明確だからである。
抽象画は一体これは何なのだろうととなる
だから抽象画は評価されないというのもわかる
これか絵画なのかということになる

でも抽象画は具象画と切り離せない
赤ければ火をイメージしているとか青なら水とか土なら茶色とか
緑なら葉だとかイメージしているのである。
色からイメージしているのである。
色の配合でまた抽象画ができる
色というものの神秘の追及なのである。

一方で立体的なものの追及としての絵画もある
建築関係は立体の追及であり山は立体的なものとして追及の
典型的なものである。
抽象画は立体的なものがあるにしても色の追及になるだろう。
色の配合とか色を追及するとパソコンでは電気の色だからまた今までの色とは違っている
抽象画はまた無限の変容をしてゆく、形がないから無限に変化することになる
リンゴの絵だったらリンゴを変えることができないからである
抽象画にも変化させやすいものとないものがある
変化させてまた別なものになるときそれはまた一つの創作となるのだろうか?

苔というのはこれは明らかに著作権違反になるかもしれない
その原画を見せればすぐにわかくからである
やはり画家が描く抽象画は違っている、



私の実際の感覚から言うならば、抽象ばかり描いていると神経の一部が妙に疲れてきて制作意欲が減退してしまうのです。いらいらしてきますし空虚感にも悩まされるようになります

市民美術入門ー抽象絵画のすすめ
http://dantuku.blog59.fc2.com/blog-date-200607.html

抽象画をパソコンでしてみて画家が抽象画を描く気持がわかる
この人の言っていることを自分も感じたからである。
抽象画に上手下手もないのである。
それはパソコンの抽象画は機械的科学変化であるからだ。
だから自分で才能があって創作しているとも違うから何か虚しいとなる
そしてこの人の描いたものがこのページの最後にあったがこれを変えたら苔のように見えたのである。
これは原画を指摘すれば著作権違反になるのかもしれないが

もともとの絵から苔をイメージできない、変化した結果苔をイメージしたのである。
すると変化させて抽象画の意味を見いだすということもある。
変化させることに抽象画が意味がでてくる
抽象画はそれが一つの固定した作品として完結していないのである。
それが具象画との大きな相違である。
他者が素人でもかかわりやすい芸術だとなる
抽象画が何を意味しているかわからないというときそれを変容させることによって何か意味が見いだされるという不思議があるのだ
それで変わらない抽象画は優れていてもあきてしまうのである。
いつまでも同じなのだとなる。
具象画だったら変えようがないのだからそんなこと思わないのである。

変化しない抽象画は抽象画たりえない
こんなふうになるのである。
タグ:火と水と緑

2015年05月16日

抽象画から具象画へ(春の川) (抽象画から抽象画へ)


抽象画から具象画へ(春の川)


(抽象画から抽象画へ)


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クリック拡大

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水と緑

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海溝

これは原画と比べるとわかる、でもこれの方が原画より抽象画的になっているのも
不思議である。




一つ目は川のように見えたから岸を新緑や芽吹きをイメージした。
そして岩山のようになったから山をイメージして加工した。
これはオリジナルの絵とはもうほとんど関係なくなっている。
ただ川の所が多少これと同じだなと原画を見ればわかる
これはだから著作権に関しては指摘されないだろう。

海溝はこれは明らかに加工したものとわかるから著作権が指摘される
これは参考のために出しただけである。
抽象画でも具象画とは切り離せないのである。
川とか山とかのイメージを抽象画で何を現しているのかわからないものを
具象画に変えたのである。
抽象画はインターネットから生まれた新しい芸術ともいえる。
普通の絵画からはこんなことできないからである。
タグ:春の川

2015年05月20日

抽象画(複雑な地形)


抽象画(複雑な地形)


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なんかわからないけど何かこれは抽象画的である

何に見えるから言ったらどうにでも見えるとなる

これを変化させたのが下の「複雑な地形」になる


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複雑な地形

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地形が作られる



自分のテーマは一つは地形だった、なぜなら旅したとき一番地形に興味をもったからである。
まず日本の地形ほど複雑で変化に富んでいる所はない
中国とか大陸になるとどこまでも平野がつづくようだと飽きてしまうだろう。
日本は狭くても地形が変化に富んでいることが特徴なのである。
地形をテーマにすると抽象画ではいろいろ表現しやすいものかもしれない
抽象画は何かどこまでも平野がつづくような大陸の景色とは違う
常に変化しているから抽象画に日本はあっているのかもしれない
四季でも抽象画に現せば日本的抽象画になる
ただ果たして抽象画が芸術なのかどうかはわからない
自分は画家でもないからわからない
実際自分の場合はインターネットにある原画を変化させているだけだからである。
タグ:地形

2015年05月28日

抽象画(風の流れ)-streams of winds


抽象画(風の流れ)-streams of winds


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山を越える風

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風紋

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地球の色



抽象画も題を風としたとき、これは風なのかとみる、
でも風でもないし別なものに見る人は見る
でもどうしても現実にあるものに抽象画をあてはめるのが人間である。
ただ抽象画はどうにでも見えるとなる
@その人によって見え方が違ってくる
最初は俳句の「青嵐」というものからイメージして抽象画にした
漢字も抽象画でありそれぞれが絵なのが特徴である。
だから絵に変化しやすいのである。
一つの絵として認識しているのだ。
音として認識しているのとはまるで違っているのである。


抽象画は無限の変化だというとき形が決まっていないからである。
だから変幻自在になる。それはパソコンのソフトの作用でそうなっている。
他にも別なソフトを使えば別なものに変容する。
ただそうした機械的作業であり何か創作しているという気分になれないということもあるそれで画家自体が抽象画を非生産的なものとしてあつかっている
何かを創作したという感じがないのである
何かを変化させたというのが特に自分はそうである。
創作した気分には慣れないのである。

 
タグ:

2015年06月09日

抽象画(岩と地底) (抽象画は原画を変化させて意味与えて鑑賞する)


抽象画(岩と地底)

(抽象画は原画を変化させて意味与えて鑑賞する)

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奇岩

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死火山の火口

これは原画とかなりにているからまずい

ただ一連のものとして理解させるために出した


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地底の紋章


これも著作権に違反しているかもしれない
でも抽象画が変化させてまた意味あるものとなる
つまり抽象画が見てもなにかわからない
それが変化させて岩になったなとしてまた鑑賞している
火口のように見えるとしてまた鑑賞している
これは原画みると変化させたものだからわかる
別に著作権は指摘されていない
結局わからないのだろう。

インターネットでは著作権違反は相当にある
なぜならインターネット自体が一つの巨大な本になっている
一冊一冊として作者があるのとも違っているからだ
共同制作みたくなっている
これも問題なのだけどそうなりやすいのである。
普通は絵画などは写真集でみているけどこんな変化させたりできないからである。
タグ:岩山

2015年06月10日

抽象画(光あれ、色のあれ)


抽象画(光あれ、色のあれ)

抽象画に適したレーザーグラフィックス


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光あれ、色のあれ

be lights  be colours

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山の色

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水がおおっていた




抽象画はこうした新しい電気の色に向いている。
電気の色は変化しやすいのである。
だからart(技術)とともに生まれた新しい芸術なのである。
タグ:

2015年06月21日

立葵の抽象画化したもの (抽象画には演繹法と帰納法が適用されている)


立葵の抽象画化したもの

(演繹法と帰納法が抽象画に適用されていた)


 
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演繹法は抽象化された事柄を具体例にあてはめること

帰納法は具体例からそれぞれに共通する性質をぬきだして抽象化すること

抽象画を見てこれなんなのだろう

「花ににているよな、特に立葵にているんじゃないか?」
「そういえばそうも見えるな」
「これは立葵だ」よ
「見ればわかるよ」
「でもこれは抽象化すると円にもなるし炎のようにもなる」
「それは言えるな」
「それから色は赤とかピンクだね」
「白もあるけど」
「立葵は色が鮮やかなのいい、夏らしくて・・・」
抽象画を解析する、理論化するというこいうことになる
花だったら円という形になりやすい、性質としてはそうなる
他にも円になるものはあるけど
基本的に性質は四角とか丸とか三角になる
色はまた別な要素である。

その性質を基にして抽象化すれば帰納法になる
抽象化されたもの、抽象画を具体例にあてはめるのが演繹法である


タグ:立葵

2015年06月23日

abstract(black mountain)


abstract(black mountain)

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人間の脳


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火口

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黒い山


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水に写る黒い山



これは外国の写真を加工したものである。こんなふうに変化することが常に意外なのである。
その手順はたいがい決まっている、それはと企業秘密とかなるが別にすぐわかる
もっといいソフトもあるだろう。
ただ十回くらい試してみるから結構手間なのである。
黒い山が水に映ったようなのに変わったのが意外だったし黒い山になったのも意外だったつまり抽象画は具象画と違い常に意外なものとして現れる
予想がつかないのである。そしてまた変化するのである。

最初の原画とか写真からは水に映った山に変化するのはまるで違っているから著作権を指摘もできないだろう。
私の原画を変化させたものだと言ってもオリジナルだという言えばそうなってしまうだろう。
そういう証明ができるのか?
抽象画の不思議はその元となるのものがインターネットに無数にあることなのだ。
別なソフトがあればまた別な変化が楽しめるのである。
ただ手間がかかる、そして創作とも違っている、化学変化を楽しむのとにているのである。

 
タグ:黒い山

2015年07月02日

抽象画(地形など)


抽象画(地形など)

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春の入江


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chikeiii56.jpg

複雑な地形


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マンボウ



フォトショップの試験版で変化させてみた
ソフトが違うとまた別なものができる
ソフトはなれるのが大変だから買っても使えないのが多かった
だから一万となるとソフトは高かった
使えなく終わると丸損になるからだ
まあ、これせ投資でありあまりケチるといいものはできない
何か新しいものができればそれて得したとかなる
タグ:地形

2015年07月03日

相馬市をイメージした抽象画 (ソフトで新たな創作ができる抽象画)



相馬市をイメージした抽象画


(ソフトで新たな創作ができる抽象画)

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フォトショプの試験版で作ってみた。
やはり今までできないことができる
相馬市の雰囲気は静かな城下町なのである。
六万石で城跡しか残っていないけど城下町である。
土臭い城下町である。
名古屋城とか大坂城とか姫路城とかとはあまりにも違っている。
でも城下町ということがその街の色となる

何回も言っていたきたけど原町はいち早く近代化した街であり駅前通りから発展した。
原町機関区があり物資を東京に運んだ。
東洋一の無線塔も大正時代に建った。
相馬市の城下町より原町は発展した。
それは会津の城下町より喜多方市が商業都市として発展したとにている。
古い城下町は新しいものをとりいれにくかったのである。
だから南相馬市でも相馬市でも新地でもそれぞれのカラーがあると思った。
もちろん飯館村もそうである。
つまり一地域でもそれぞれ歴史も違っていて個性がある。
だからこそそれぞれの個性を一地域で活かすことが地域にとっては良かった。

それが原発事故でだいしなしになった。
相馬藩内の地域的個性が失われたのである。
それを復興させることはかなりむずかしくなった。
どうししても現代は辺鄙な地域は切り捨てられやすいからである。
辛うじて維持していた辺鄙な過疎地域も一気に原発事故で崩壊したのである。
それは前々からそういう状態にあり原発事故が加速させたともいえる。
抽象画もやはり芸術なのである。
それで相馬藩内を小高、原町、鹿島,日立木、相馬市、新地、飯館とかそれぞれ色分けしたものとしてみる、それがパソコンのソフトでできる

花に例えると相馬市は藤の花なのである。
日立木は街道の細道があり菖蒲である
鹿島は草深く咲く月見草である
原町は近代化した街の機関区としてひまわりである
小高は小高城があったところであり一番相馬藩では古いから紅梅である。
小高城跡には紅梅が咲いて海が見えたのである。
新地は海の色であり泰山木の花がにあっていた。
飯館村はキクザキイチゲなど山草がにあわっている
つまり一地域でも個性があることによって芸術化されやすい
だから都会はそうした地域の特性がないからかえってつまらないともなる
ただ狭い地域の個性を知るのは外から来てはわかりにくい
城とか目立ったものがないとわかりにくいのである。

タグ:相馬市

2015年07月05日

抽象画(ギリシャの遺跡)



抽象画(ギリシャの遺跡)

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これは何か?
抽象画ではまず何が出てくるかわからない
それてこれは何なのだろうととなる
これはギリシャの遺跡だと思ったのは
海があり遺跡に見えたからである。
ギリシャは海と切り離せない、島々に遺跡があるからだ

あとはそれに類似したものである。
ギリシャには教会も多い、ギリシャ正教会をイメージする
この一連の抽象画には何かギリシャ的なものがある
それはただ偶然にフォトショプを操作していたらできたのである。

これが何だろうなと思うとき抽象画でも具象画をイメージできると
何かわけわからなものではなく鑑賞できるともなる
それぞれにイメージされるのは違っていても抽象画はいいのである。

ただギリシャの遺跡だとイメージするとなるとやはり一回くらいはギリシャに行ってみないとイメージできないということはある。
ともかくギリシャはいたるところ遺跡の国だからである。
タグ:ギリシャ

2015年07月14日

立葵(抽象画)


立葵(抽象画)


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これも一つの抽象画になる、自分は花をテーマにしてきた
立葵としての花の変化したものに確かに見えるのである
タグ:立葵

2015年07月18日

paintshopで変化させた樹齢千年の古木


 
paintshopで変化させた樹齢千年の古木

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老木



paintshopは変化させるに向いていた、普通に絵を描くのは絵の才能がないから使いこなせない
これも前に何か相当苦労して作り出していた
操作する回数が多い、目的をもって操作しているのではない、偶然の結果なのだが
何か意味ありそうなものが抽象画にしている
それがいくら操作しても意味ありそうにならないものもある
だから偶然なのである。
これはもともと抽象画になりやすいものだったから変化しても意味あるものとなった
だからソフトによって新たな抽象画ができるのがこの世界である。
タグ:古木 老木

2015年07月31日

抽象画(夏の山ーsummer mountains )


 抽象画(夏の山ーsummer mountains )

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これが原画

下のように変化するとは自分でも想像できないのがパソコンの抽象画


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夕暮れの夏の山

全部クリック拡大
 
 

 これもフォトショプで変化させてみた、なかなか手のこんだ変化ができる
 抽象画はともかく変化なのである。だから無限の変化でありこの絵でもまた変化してゆく、
 抽象画でもこれが山だとして見ないと鑑賞できないだろう
 これが山なんだといえばそうかとなる
 もちろん一見してこれは山だとして鑑賞することもできる
 ただなんかわからないと抽象画も鑑賞できないのである。
 自分がこれを山に見えたから山として抽象画を変化させたのである。
 それも偶然の結果なのがパソコンの抽象画なのである。
 
 
タグ:夏の山

2015年08月01日

抽象画(古い街ーold towns)


抽象画(古い街ーold towns)

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これは題は夏草だった



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これは城の写真を変化させた



前に抽象画などにしたものをまたフォトショプで変化させた。
フォトショプは自分に向いて抽象画作るのにいいソフトである。
絵を描けないものにとっては変化するパターンが豊富なのがいいのである。

ともかく抽象画は他人の抽象画が変化させて新しくできるし、写真からもできる。
自分の前に作ったものもさらに変化させて別なものになる
となると抽象画の数は自作ですら無限となることに気づいた。

暇なときに抽象画作りをしている。
ただ結構手間なのとソフトを使いこなすことなれることがめんどうである。
ある手順で抽象画できることが多いが新しいものになるとむずかしくなる
抽象画は過去の抽象画が活きてくる
それは常に変化させることができるからである。
そして抽象画一つのテーマでまとまったものとして見ると見応えがある
だから新作をアップするとき一つのテーマで3つ4つとかアップするのである。
それらは連作として一つのものとして鑑賞するのである。
それは俳句短歌でもしていた、これも短いから10区10首として一連のものを
一つのものとして鑑賞するのである。
すると短いものでも読みごたえがあるとなる
タグ:古い街