2013年07月09日

今なぜ抽象画がなのか? (社会と人間が抽象化しているから)

 

今なぜ抽象画がなのか?

(社会と人間が抽象化しているから)


picasooooo111.jpgピカソ泣く女

●時代が芸術を作る


抽象画というのはやはり時代の背景があった。何でもそうだけど芸術も時代が作り出すものである。これから逃れることはできない。ルネンサンスが時代の枠を破ったのは中世の時代を終わりにしたのは瞠目すべきことだった。そのルネンサンスが現代の基を作ってきたともいえる。
自然の見方がまるで変わってしまったからだ。それまでは宗教画であり風景画すらなかったからである。それは写実的な科学の時代のはじまりでもありレオナルドダビィンチに象徴されていたのだ。
ただこの時は人間が主役であり人間がかえってクロ-ズアップされた時代である。人間の肉体にあれほどの美を見いだしたのも中世ではありえない、肉体は否定されていたからである。
それはギリシャの時代にもどったわけである。


抽象画はルネサンスとかとは根本的にに違っている。ルネサンスは人間の復活がテ-マであり極めて人間が前面に出た時代である。それが近代化、工業化、大衆社会になった現代とは余りにも違っているのだ。現代を象徴する絵画がピカソであるいうときまさに象徴的である。人間がもはや人間の原型を保てなくなった時代である。そこに人間の悲痛がアイロニ-とともに表現されている。それは人間が人間足り得ないものとして表現されている。それはとりもなおさず現実社会の反映なのである。


●現代は職業も無数にパ-ツ化される


現代はすべてが抽象化されている。人間はそもそももはや一個の個性ある全人間ではありえない、極端化すれば数字になっている。番号で呼ばれて怒った人がいるが現実は人間は数字であり番号化しているのだ。統計学がもてはやされるのもそうである。人間とは統計的数字でしかない、宗教でもカルト宗教団体になればただ数だけが問題にされる。それが一票になり権力志向となる。数は権力だというとき権力を志向するものは数を志向する。権力とは金と数(票数)だというのもわかりやすい。
権力を目指すみんなそうなってしまう。


人間は現代社会で生きるというとき必然的にパ-ツ化される。職業自体が無数のパ-ツ化したものである。だからとんなに職業についても部分化したものとしてしか意識されない。ただ奇妙なのは福祉関係などは何か人間と直接向き合うから相手を数字として意識できないから人間的な仕事なのだけどあまり社会では重要視されないしやむをえない無駄としての職業とされる。でも職業をみていると人間が自動販売機と同じ様に見えてしまう。高度成長時代の自営業の店屋や町工場でも家族経営だとするとなにか人間的なものがあった。家族で経営していたから人間臭いものがあった。農家でも茅葺きの家などは生活感がどっしりとあった。それがコンビニとかス-パ-になると何かそこで働く人はロボットのように見えるしレジなどでも働く人はロボットのように見えてしまう。現実にス-パ-のレジはお客さんが自動的に金を払うシステムができていることでもわかる。何かあらゆるものが機械化自動化オ-トメ-ション化されるのである。ますますそこに人間的なものは消失してしまう。


●昔は職業に人間臭いものがあった


昔だったら職業でも人間臭いものがあった。江戸時代だったらなおさらその人は何をしている人か一目見てわかる。農民は農民、職人は職人、商人は商人である侍は侍である。それぞれが果たす役割がはっきりしていたわかりやすい社会だったのである。だから人間的だったのである。それは封建的閉鎖社会だとか批判があるけど別に歴史は現代を知るためにはかえって過去を知らなければならない、過去の時代によって現代が相対化されて現代をしりうるのである。現代は現代だけから知り得ようがないのだ。だからお前は電気のない江戸時代に帰れとかいうのはではない、歴史を知るということは現代を知るためでありその社会がいいとか悪いとかを言うためではないのである。そもそも歴史の総体などわかりえようがないからだ。


田舎はまだ社会として人間的なものが自然とともに残されている。でも原発事故でもわかったようにこれもまたやはり現代社会を象徴として起こったものなのである。なぜなら原発という建物があってもその回りの人はかかわることもできない、そこで何がされているのか皆目わからないものだったのである。そこに立ち入ることもできない巨大な非人間的機械としてあるだけだった。確かに東電の人が働いていてもそこに人間が働いているということも意識されにくいのである。そしてその中で働いていた人も外部を意識していない、人がいるということも意識していない、だから事故が起きたとき住民が危険だからと避難させなかった。原子炉だけを心配していたのである。東電の人もそこの住民のことを意識していなかったのである。最近賠償問題で東電の人と直接かかわり東電にも人間がいたとか認識するようになっているのだ。現代はこのようにどこでも人間の存在が希薄化された時代なのである。機械が存在して人間が存在しない時代ともなる。


●生活感覚がない現代の社会


人間がともかく抽象的な存在、数字のようになっているとき芸術もそうなりやすい、だから抽象画が盛んになるのもわかる。パソコンができて余計にそうなった。都会自体が田舎と違って極めて抽象的なのでありそこに一個の人間を意識するということがない。だから四季の街で表現したような一つの抽象画となってしまう。人間はどこでも何か生活感がなくなっいる。ただ農家とか漁師とか地元の職人とかはまだ生活感をもっていた。その話を聞いてフログに書いた。まず会社員とかなると生活感覚がなくなる。一つの細胞みたくなってしまう。農家に嫁いだ女性がいたけどその話を聞いても何らそこに農家の生活感覚がないのも不思議だった。身なりも制服を着ているからそうなるが全く農家だということを思わせるものもない、ほとんど土いじりもしていないみたいだ。とてもその人が農家に嫁いだ人とは思えないサラリ-マン家庭の主婦である。昔だったら農家に嫁いだら農家の嫁というのでその生活感覚がにじみでていたろう。それが全くない不思議なのである。農家もそれだけ変わってしまったのだろう。農家らしい農家すらなくなっているのかもしれない、みんな背広を着たサラリ-マンになったのが現代なのである。


共産党では党員を細胞としているのもわかる。それはカルト宗教団体でもそうだしみんなそうなっているのだ。みんな細胞でありパ-ツ化しているのだ。
そうなちらないとするとアウトサイダ-になってしまう。ニ-トなどが生まれたのもそうした社会の要因があった。時々個人が社会でクロ-ズアップされるのは犯罪のときである。それも無差別殺人とかはとくにそうである。その時のみ個人の経歴がどうだとかこの人はどう育てられたのとか親のことを問題にしたりする。犯罪を犯さないから社会の一労働者ロボットでありその個人のことなどなんら関係しないのである。
職業自体もパ-ツ化している。最近この辺で住宅が建ったとしても地元の大工が建てているのとはちがう。大手の住宅会社が部品を組み立てるようにしてアパ-トでも一個建てでも建てている。プラモデルのように組み立てる作業でありこれも昔の大工の感覚ではないのである。


前にも書いたけど石一つとっても無数の個性ある石がある。しかし現代では抽象化して a stoneになってしまう。the+形容詞+stoneとはならないのである。人間も様々な個性があってもそうである。一つの抽象的数字でしかないのである。だから個性を主張する人は天才などは耐えられないからニ-チェや上野霄里氏のようにアウトサイダ-化するのである。どうしても大自然と調和してリズム化するとなると無数に部分化した社会ではありえないからだ。 

2013年11月17日

海の紋様(続編)(抽象画) (抽象画は抽象画から変化加工されやすい)



海の紋様(続編)(抽象画)

(抽象画は抽象画から変化加工されやすい)

中国ー抽象画
http://www.alibaba.co.jp/product/100440566.htm?inid=ms_dpv_rcmlnk7

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光る海虫

オリジナルからの加工(万華鏡)


海中花

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海に開く窓-海辺の都市


抽象画は最近忙しくてやれなかった。抽象画は自分で作るのではなくインターネットの中にいいオリジナルなものがあるできやすい、ここはまさに海の抽象画だった。
つまり抽象画からは抽象画ができやすいのである。
最初のものは著作権に違反しているだろう。
ただどこから加工したかを知らせるためにアップした。

その次の自分の加工したものは何をオリジナルにしたかもうわからない
とするとこれはもう著作権は問われないだろう。
それは自分の感性によるものだから自分の独創であり著作権が発生する

たださらに自分の抽象画を加工して全くわからなくななればそれも創作である
抽象画は具象画と違ってもう誰の作品かわかりにくくなるのが特徴なのだ。
変化加工されやすいからである。

海の紋様は前もテーマにしてアップしていた。
海の花模様が偶然に見えたのである。

山と蝶(抽象画)

 

山と蝶(抽象画)

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蝶の まぐあい

こういうふうにオスとメスが結合しているのを実際に見ている。
ただこれも偶然になっていたのである。


 

上の絵から万華鏡で蝶の絵ができるというのも信じられない
抽象画が何がでてくるかわからないということである。
これは何だろうという時やはり何か自然や現にあるものをイメージしている
前は海や花だったけど今度と山と蝶だった。
やはり抽象画といっても具象から人間は離れられない
なぜならすべての芸術の源は自然にあるのだから具象から離れられないのである。

2013年11月19日

密林の花(抽象画)

 

密林の花(抽象画)

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これができるまでの過程はどうなっていたか?
結局加工の積み重ねでありそれをしているのは機械のソフトの操作だとなる
人間はそれをただ名付け判定する。
機械は絶対にこの絵を作ってもこれが密林だとは見ないし名付けることもできない
人間だけが結局価値判断ができる
機械は作ったとしても価値判断はできない
人間だけが価値を知るのである。価値を見つけ価値づけできるのだ。
自然でもそうなのである。
自然の美は自然自身が意識していない
人間が自然を価値づけて価値あらしめているのだ
すべての価値を決めるのは人間なのである。
だから抽象画でもこれは価値が決めにくい
こんなものなんなんだくだらないで終わるのか多いだろう
でも見る人があってこれは何に見えるとかすばらしいと思えば価値あるものとなる
抽象画は特にそうなたやすいのである。

2013年12月04日

神秘の沼(抽象画)

 
神秘の沼(抽象画)
 

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最初の一枚が一番上のをエッセンシャル4で写真を絵画にアレンジした。それは金閣寺の氷が張った写真であり一部が氷が解けて青い空がぽっかりと写っていた。
写真も実際は絵に近いものがある。写真をアレンジすると絵になりやすい。

でもあとのものはその写真をもとにしたのとはからなくなる。
主に万華鏡で必ずアレンジする。

絵が描けなくてもパソコンのフソトだんで楽しめるようになった。
なんか色の無限の変化があることがわかった。
これは音楽だったら音の変化なのだろう。

ただちけ抽象画でも現実の具象からイメージしているから現実とまるで離れたものとはならない

神秘の沼を北海道の宗谷へ行く時見た。それは本当にこの沼のよう手つかず自然そのままの沼だった。北海道にはまだきそういう所が残っている。
いかに自然のままの沼であれ何であれそれは神秘的でありカムイというもの神的なものを感じる。おそらく古代の人々もそういう手つかずの自然の中で生きていた。

沼の回りにオオバナエンレイソウが咲いていたのも神秘的だった。
あの沼は本当に神秘的であった。何か本当に上か住んでいるというふうにさえ思えた。
沼に沼の神が沈んでいる隠れている感じだった。

そういう神秘的な純粋な自然は失われた。今目にするのは何か人工的なものが必ず加えられているのだ。

2013年12月24日

熱帯の花(2)(抽象画)

 

熱帯の花(2)(抽象画)

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抽象画が種きれになったとき他人の抽象画を万華鏡で加工するといい、何かに変化する。
自分の場合、花をテーマにしているからこれは花だなという時、加工に成功した

作品になったと思う。
ただ加工を禁止しているところもある。でも加工して新たな価値を見つけたのはやはりその人の創作となるだろう。
いくら加工しても何かその人なりの価値を見いださなければそのままだからである。
著作権がどうなるのか?原画にあるとしてもやはりこれも新たに創作したのだから
単なるコピーとは違うだろう。
ともかく抽象画はまた抽象画になりやすいのである。
ただここでは明確に花が具象として現れている
だから抽象画とも言えないのである。

2014年01月04日

2014-地球の色(抽象画)




2014-地球の色(抽象画)

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2014年02月19日

萌える春(抽象画)


萌える春(抽象画)

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萌える春

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緑のさざなみ

green waves

2014年04月08日

ソフトの加工で変化する抽象画 (フォトショップで変化させた-蝶の抽象画)


ソフトの加工で変化する抽象画

(フォトショップで変化させた-蝶の抽象画)


神秘の森の蝶のまぐわい

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コーラルエッセンシャルズ4がビスタのパソコンが壊れ使えなくなった。
WINDOWS8にそもそも対応していない
エッセンシャル4で面白かったのは画像を絵画風に変化させることだった
あの機能はエッセンシャル4にしかない
印象画風にするなどは他にはない
ソフトを選び使うことがむずかしい
その窓口がない、仙台のヨドバシカメラの人はソフトに詳しい人がいた
ソフト専門の売り場である。
どういう系統のソフトかを知っていた

フォトショプが画像の加工にはいいとしって体験版もあると聞いて試した
確かにこれは意外と使いやすくなっていると感じた
ただ印象画風とかイラスト風とかの変化はないよたいだ

ソフトが変わると別な変化ができる
つまりソフトによってみんな違った加工になるのだ
それがパソコンの面白さである。
一回使っただけだからわからない、絵画風に変えるのにはものたりないようだ

元の絵を変化させて三つ作った、何か違ったなるのがパソコンソフトの面白さである。
無限の変化をバリエーションを楽しむことがてきるのだ

これもなかなか暇がないとできない
自分は介護から家事全般からしていると忙しい
今日も事務手続きを二つしてきたりと何かと忙しいのである
なんかこうした趣味的なものでも時間をかけないとできない
才能ではなく開発能力なのである
それがパソコンのソフトなどでは特に必要である。
自分が全く絵が描けないのに絵を楽しむことができる
バソコンは能力開発させるものがあるのだ。


ただすべて買い物でもパソコンだけでできるかと言ったらできない
店が不用になるかといえば店に店の役割がある
なかなか体面的にどんな分野でもガイドしてくれるものがないとわからないのだ
そういうガイドするプロがこれからは必要になる

例えば観光だってそうである。
ガイドされないとはじめての土地でもわからないのである
外国では特にそうだった、何になのか全くわからずじまいのが多かった
それが今になると行けないからもったいなかったのである

2014年04月19日

抽象画(女性的なるものの反映)



抽象画(女性的なるものの反映)

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この世が男性的なものと女性的な要素の結合した世界観かあった
だからヨーロッパでは男性名詞と女性名詞を分けている
男性的なものと女性的なものを意識して分けたのである

一方で男性的なものと女性的なものか結合すると豊かな世界が生まれる
一人の人間は男女かかわらず必ず男性的なものと女性的なものをもっている。
だから肉体だけではなく精神的に男女は一体化するのである。

2014年05月18日

抽象画は具象画との相違 (抽象画は形が決められていないから無限の変容がある)


抽象画は具象画との相違

(抽象画は形が決められていないから無限の変容がある)

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女性の心

これが原画でありあとは変化させた

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発光する花

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叫ぶ山々

抽象画の不思議はそれが何を意味しているのかわからない
何かにこじつけて名前をつけてみてもそれとは断定できない

具象画だったら名前が明確につけられる
リンゴの具象画だったらリンゴを描いているのだからそれ意外ありえない

だからこの抽象画は何に見えますかとなる
どういう題をつけますかと見る人に問うことになる


抽象画は何か才能があってやっているのではない
ただパソコンで変化を楽しんでいるだけである
だからもともと才能ではないから
これを描きたいという絵心とも違う.
ただあるものが偶然に生れそれをソフトで変化させて楽しんでいる

結局これもなんだかわからなっかた
例のごとくソフトでランダムに変化させただけである


でも何かを感じる、蟹座というのは確かにこんなシンボルかもしれない
自分は蟹座であり内向的であり内に閉じる傾向がある
まず蟹でも蠍でも星座になっているが不思議である。
人間もそれぞれ神秘的な所がある


ともかく抽象画は無限の変化であり変容を楽しむものなのだろう。
具象画だったらそうした変容を楽しむことはできない
具象にとらわれるから形が決められるからそうなるのである。

蟹座は感性的であり芸術に向いていたのかもしれない
何か女性的でもある。
女性的感性があるのが蟹座なのかもしれない
人間の性格もそれぞれ違っていて神秘的なのである。

最近あった女性は不細工無骨なんだけど話が面白い
若いときだったら近づくのも嫌だったろう
でも話してみると面白いのである
だから女性でも外面的なものだけではわからない
それで結婚に失敗する人が多いのかもしれない

ともかく抽象画は適当なものを作って万華鏡で操作することからはじまる
原画からこんなふうに変化することは予想できなかったのである。
常に抽象画がどんなふうになるからわからないものである。
それはソフトによっても違ってくるからである

 

2014年05月21日

抽象画はやはり具象画と切り離せない (具象画⇒抽象化 具象⇒抽象化の作用)


抽象画はやはり具象画と切り離せない

(具象画⇒抽象化 抽象⇒具象化の作用)

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海ー松原ー大地ー実り



密生する葉のイメージ

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green city

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抽象画は具象画と関係していないようにも見えた。
でも実際は抽象画もこの世界の森羅万象と関係している
抽象画からこの世界の森羅万象をイメージする


ここでも偶然に何かがソフトを操作して生れる
するとこれは自分がいつも津波の前に目にしていた光景とにているなと思った
海があり松原があり田んぼがあり黄金の稲の実りがある
そういう光景を長い間見ていたのである。
するとその光景がこの抽象画がに見えたのである。


でもこれは説明されないと他の人はまるでわからないだろう。
「これ何なの?」というのが抽象画に多いからだ
でもこれは海であり松原であり大地があり稲の実りがある
そう説明された時そういうものかと見ると安心するというか
謎が解けるとかにもなる
抽象画の意味づけができたことになる


これは原画だったがここから森の樹の葉を抽象化した
これも全く偶然であった。
抽象画は意図してはできない
とにかく化学の実験と本当ににている
納得のゆく抽象画を生み出すにはソフトの操作をしつこくしないとできない

葉の密生では黄色は光になるとかここは操作する。
この葉の密生は説明しなくてもわかりやすいだろう。
そういう抽象画は他からみてもなるほどと了解するが
了解できないものがかなりあるから困るのである。

ソフトで変化する抽象画の無限 (葉っぱの四季の変容)


ソフトで変化する抽象画の無限

(葉っぱの四季の変容)


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具象化を模索する抽象

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これはまさに具象化したいがまだなれない抽象である

まだ一つの形にならない状態が抽象画でもあった

これができたのはセロファンというソフトの変化を知らなかった

たまたま見つけたのので試してみた

2000円のpaintgraphicでもソフトは使いこなすのが手間なのである

それはちょうど人間の脳を駆使するのとにているのだ

生涯で人間の脳は二割しか使われないという

それはソフトが使いこなせないと同じなのである

コンピュタターはまさに人間の脳ともなりつつあるからだ

2014年05月25日

抽象画(BLUE WATER) (抽象画は単純でも芸術性がありそれを見抜くのはそれぞれの感性である)

 

抽象画(BLUE WATER)

(抽象画は単純でも芸術性がありそれを見抜くのはそれぞれの感性である)


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水の勢い

抽象画の原画になるのはインターネットの中にいくらでもある。
ソフトで変化させればその原画はわからなくなるから著作権違反にならない
それは新たな創造になっているからだ
人間の創作には常に他人の応用がありそれがすべて悪いとはならない
明らかに著作権違反となるものがあるが微妙なものもある
だからあまりに著作権を言うと創作の発展にはならない

ただ本当に著作権違反だなというのはなんか自分でわかるんだよな
特に具象画はすぐにわかる
最近料金をとる画像販売が増えている
そこから借用したのであったが注意もされないので出しているのだ
インターネットは他人がどこで使っているかわかりにくいのだ
応用されていてもわかりにくいのがインターネットなのだ


この抽象画の原画になったのは外国だった
一瞬ただの目立たない興味をひきつけないいものに見えた
ただこれはやはり青の一つの抽象画になっていると見た
そういうふうに見るのは自分の芸術的感性である
パソコンはただ機械的に変化させているけどこれが芸術だとは見ない
人間だけがこれは抽象画でも何かを現していると直感することがある
これは一瞬青できれいだなと思ったのだ
このモザイク画のようなものはたいがいこれがいいと思ったものでできない
今回は瞬間的に感じたのだ

抽象画は感じない人には感じないだろう
やはり色にまず感じる、色の感覚が抽象画になる

でもこれは相当単純だから感じない人は感じないだろう
抽象画はこれが芸術なのというのが多い

でもやはり芸術は感性なのである
ある人が感じれば美として意味あるものとして感じれば芸術になる
芸術性は低いにしても芸術の創造を楽しむことができる
芸術は他に二つとないことを作っていることに意味があるのだ

パソコンで作ったにしてもその価値づけをできるのは人間なのである

とにかく自分にとって抽象画は暇つぶしにいいなと思っている
だかち暇な時、パソコンを操作している
やはり何であれ自分だけのものを創造していることは楽しいのである。

2014年05月26日

抽象画(海の生き物) (これも外国の抽象画の変化だった)


抽象画(海の生き物)


(これも外国の抽象画の変化だった)


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海の生き物

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夜の森

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この二つが何か目があり見ている
抽象画から生まれた妖怪である


これは抽象画らしいものになった。
これもただ変化させていたらなった。
偶然の作用であり意図したものはここにはない
ミロの作品は意図して作っていた
これは全く人間の意図したものではない
ただ化学変化の作用したものを選んでいるだけなのである

2014年06月05日

抽象画(水中人間の影)


抽象画(水中人間の影)

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水中人間

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水中遊泳

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水中花


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水の波紋

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これも全く偶然だった
こんなものが現れると思っていなかった
想像もつかないものがでてくるのがパソコンの抽象画である
ただすべて人間であるというとき水の中に人間がいる
海の中にも人間がいる
その時自然はヒューマンなもの人間化するのである
万物は人間の表象、シンボルだとなるのが芸術でもある

2014年06月06日

抽象画(blue mountains)


抽象画(blue mountains)


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色の立体


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奥の山々

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blue mountains


パソコンの抽象画でまず感じるのがきれいな色だなということである
こんなふうに色を出せるのはパソコンだけである
だから新しい芸術になっている

抽象画の原画になるのはインターネット上にいくらでもある
それを変化させてゆくといくらでもできるとなる
ただもう原画は何かわからないのだから著作権違反にはならない


これは山といえば確かに山である
抽象画もやはり具象なくしてありえない
山がどんなものを知っていなければ抽象画も理解できない
この抽象画も山を感じる必要がある
そのためにはまず具象画としての山を知っている必要があるのだ


具象画⇒抽象画であり抽象画⇒具象画になるとしても具象画が万物のベースになる

山を感じるには立体性がなく重厚さもないがやはり山の感じるがある
山の感覚はやはり会津などに住んでいる身についてくる
この辺の山は低山であり山の感覚が身につかないのである

2014年06月10日

抽象画は色の科学的分解作用なのか (秋日暮という一つの具象画から抽象画への例)


抽象画は色の科学的分解作用なのか

(秋日暮という一つの具象画から抽象画への例)

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岩間に沈む太陽

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 密集する山々

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秋日暮http://www.motokawa.com/kaiga/kaiga-20-2.html


ここから分解すると確かにこれは秋の色になっている
この具象画は抽象画の側面もあったから抽象画に分解されやすかったのである。
パソコンの抽象画とはまだ謎である。

バソコンの抽象画で感じたこと (霊は光源や色彩のような形で存在する)


バソコンの抽象画で感じたこと

(霊は光源や色彩のような形で存在する)

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自分には絵の能力が全くない、何一つ具象画を稚拙なものでも描けない
でも不思議なのはパソコンの抽象画でまず感じたことは今までにない色の美しさである
この色は今までの絵の具では出せない色である。
ただ単に色の配列だけで美を感じる
だからこれは何なのだろうと思った


そもそも人間にとって色彩とは何か?
そのテーマが絵画の中にある
絵画の現す美は主に色なのである。
立体性を追求すればそこに意志が生れそれは建築になる
絵画も立体性を追求しているが主なものは色である
その色は無限なのである。
同じ赤でも千種類くらいの赤があるのだ
だからすでに色は無限だとなる


その色とは何なのか?
それは人間が神に与えた魂の様相なのである
青かか黄色から感じるもの
光を受けてその色は映える
その色の世界は神が作り出した無限の魂の反映なのである
花々の美しさはまさにこの色にある
本質的には色によって個性が作り出されている


霊体といった身体的表現を必要とせず、光源や色彩のような形で存在するようになるのです。
その形態で、さらなる霊的進化の道をたどっていくことになります(シルバーバーチ)


まさにこれは色が霊性の表現としてあることなのだ。
もしこの世に色がなかったら暗黒であり地獄になってしまう。
毎日人間は色を感じている生きている
四季の花は色によって変わる
緑は何か癒しであり青は澄んだ心を反映して白は純白を示している
それは心の純白でもあり清らかさである。

その無数の色を光線が太陽がさらに美しくする

天国の花園というとき、そこは彩り豊かな花園というとき色の世界なのである。
天国とは何かというときすでにこの世にその模造として現存する
人間はそれを心の眼で見ていないだけである。
それは例えあったとしても心の眼で見なければ見えない世界なのである。

人間の心はこの世で様々なものによって曇らされる
様々な欲望が限りなくありそれによって曇らされる
それは実際は老人になっても消えるわけではない
死ぬまでそうした欲は消えないのである


東京に空がないというときそれは本当の色がないということである
北海道のような所だったら広々として色が映える
田舎でも映える、この辺では放射能に汚染されたが
この放射能の不思議は全く自然の色には影響していない
水は澄んでいるし空も澄んでいるし花には影響がなかった
それを何度も書いているけどだからどこが汚れているかもわからないのである。
だから中国のように黄砂とか煤煙だとはっきり目立って汚れを意識するが
放射能はそうした汚れを意識できないのである。
それが怖いと言えば怖いとなる
ただ美の世界は見た限りでは破壊されていないのだ
奇形化した花とか動物が生れたら目に見えて影響があることを知る
まだそこまではわからないから美の世界は破壊されていないと見るのだ


人間は常に肉的存在ではなく霊的存在だと何度も言われるけど
なかなかそれは理解しにくいのだ
霊的存在だというというときこの色の世界を例にするとわかる
この無数の色の世界を作り出したのは神である
その色を見るのは人間の心であり肉体ではない
要するに認識の喜びは色の中に見いだされる
肉体の性の渇望はそれゆえに否定される
人間の本来の認識をゆがめてしまうのが性だからである。


コンピューターから作り出された色の世界は自然の色とは違う
でも自然の色を反映しているものであるから自然から離れては芸術はない
バソコンの抽象画はパソコンから生れた芸術である。
だからインターネットの世界と切り離せない
その原画となるものがインターネット内にあり
それを直接加工することでできるからだ。
これは本の世界ではできないものである。
インターネット内にあればダイレクトに加工しやすく本からはできない
そして抽象画から抽象画に無限に変化しやすいのである
その原画は何かはわからなくなるのが抽象画である


ともかく色とは無限である
最近プリンセスダイアという花を知った
これは鉄線の類だとは思えなかった
最近は新種の改良した花が増えている
その色がなんともいえないものがある
青いガーベラなどもそうだった
プリンセスダイアナというとイギリスの有名なプリンセスを思い出す
確かにその赤はそれはふさわしいので自分の庭に置いた



プリンセス ダイアナ

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プリンセスダイアナよ
その赤よ
そは徒には散らじ
赤き誠を示し散りぬ
その赤さよ
そが心に残らむ
その熾烈なる赤さよ
後の世にも残らむ

dyana111.jpg

写真のとり方で同じ花でも違って見える
これは比べるために引用した。
花の写真はインターネット上に無数にある
ただちょっと角度を変えたりするだけでも違って見える
でも実際はなかなかこのような写真のように見ていない
そこに他人の写真から新しい発見をする
その人の独自の視点から写せば著作権は生まれる



プリンセスダイアナは不埒な女性ともされた。
ただ情熱的な赤の女性だった
その一生は不運に閉じた。
この詩はまたその女性をシンボル化したものとは違う
花はそれぞれ花言葉があるように精神の象徴でもある
赤はやはり情熱であり日本でも赤き心というように
至誠を示しているのである

花はやはり女性にふさわしい、女性にも様々の人がいて
そのふさわしい花がありそういう人がいる
花はやはり女性的なものであり女性的感覚なものである。



花の心は・・・

花は静かに開く
花は内に花びらを重ね赤みを帯びる
少女のような恥じらいを秘めて
花は横暴な手に触れられるのを拒む
そっとやさしく触れられること望む
花は静かに開き静かに閉じる
花はやはり女性の心に通じている
その体も心も微妙にセンセティブであり
花は女性の微笑みのように咲き
花は微妙にして繊細にふるえる

autuflowers.jpg



花も無数の花がありそれを知ることは一生を要する
花の名前だけ覚えるのにそれだけかかる
花は新種の改良した花も増えているから無限なのである。

2014年06月18日

抽象画ー花の内部(inside flowers)


抽象画ー花の内部(inside flowers)

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これもインターネットから加工して変化させたものである。
インターネットの抽象画は特にパソコンのソフトで作ったものは
加工しやすいのである。
それは今までの絵画とは違うパソコン特養の色や光を出すからである。

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花から蝶へ変化するのが良くある
花と蝶は具象でも結びついている

2014年06月27日

抽象画(翁草ー隠された花)


抽象画(翁草ー隠された花)


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地下の鉱脈

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翁草

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隠された山

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これもインターネットのなにかあったのを加工した。

最初のは見れば加工したのがわかる、ただ次のはわからない。
これだって全く予想しないで生まれた抽象画である。

ただ抽象画も結局は具象画を離れてはありえない
抽象画でもこれはなんだろうとなると具象的なものと関係づけるからだ

翁草というのは本当に不思議な花である。
だからその花をイメージしたのである。
これも全く偶然に生まれたのである。
抽象画の常に予想もしないのが生まれることである。


2014年06月30日

紫陽花の抽象画 (抽象画がわかりやすい紫陽花の写真からの加工の変化)


紫陽花の抽象画

(抽象画がわかりやすい紫陽花の写真からの加工の変化)

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クリック拡大

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クリック拡大

これは大きくしないとはっきりしません

紫陽花は七色に変化するから写真を色にパソコンのソフトで分解するとわかりやすい。
淡い色でありパソコンにその色が出やすい、色の特徴が出やすいということである。

ただこれまた自分ながらこんなことに変化するのは常に驚きだった。
新しいものはやはりそこに驚きがある。
紫陽花を見ていれば別に驚かない、いつものように咲いているなと感じるだけである。
でもパソコンで加工変化させたとき抽象画にしたとき、これも紫陽花なのだなという驚きがある。
それがいくつも変化するパリエーションがあるからだ。


だから抽象画はパソコンで新しい分野を作った。
具象画から劣るにしてもやはり新しい芸術をパソコンは作り出したのである。
パソコンと抽象画は相性が一番良かったのである。
俳句をパソコンを作ったりできないがこの抽象画の分野はパソコンが一番得意とするものであことがわかったのである。


ただパソコンで抽象画にしてもそれを見るのは人間の眼であり鑑賞眼である。
だから紫陽花というものの美を見ないものはやはり抽象画ても見えないだろう。
それなんなのとなる。これは芸術一般がそうである。
ただ具象画が一般人でもわかるが抽象画はわかりにくいのである。


人間の世界は常に新しいものの創造である。
紫陽花でも新しい品種が作られているように新しいものを作り出さない限り停滞する
それはあらゆる分野でそうであり農業でも変わらないと思っているが変わっている


絵画でも印象画が生れた時は驚きであった、それも絵の具が新しく作られたことで
新しい画風が生れたのである。だから技術の革新は社会全般に及ぶ
実用の世界にも芸術の世界にもそうだしだからパソコンの発明は最大の発明だったことがわかる。

2014年07月01日

抽象画(紫陽花を分解した色)



抽象画(紫陽花を分解した色)

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紫陽花は七色に変化するから分解しやすいものだった。
抽象画に向いていたのだ。
抽象画まず色に感動する、それはパソコン特有の発する色なのである。
これは絵の具では現せない色である。
だからパソコンの技術と共に生れたアート(技術)なのである。

これはいろいろに変化できる。

まず2000円のペイントグラフィクを使いこなすだけで大変である。
今やパソコンのハードではな]ソフトを使いこなすこと
ソフトをどう利用するかが問題になる。
それでソフトの使い方を教えることが商売になる
なかなかソフトの使い方はわかりにくいのである。
いろいろな機能があっても使いこなせないのである。


抽象画まず全く機械的な作業でありその機械的な作業から創造が生れている
そこが具象画とは違う。だから才能は余り関係ない
ただ紫陽花というものを知らないとやはり抽象画も芸術として見れないだろう
抽象画も具象画と離れてありえないのである。


わかったことは抽象画は具象画の色の分解からはじまっている。
その材料はインターネットにいくらでもある。
具象画として紫陽花を描いているものがいくらでもあるし写真もある
それをソフトで加工するのである。
それは著作権違反にならない
なぜなら全く元の絵のことなどわからなくっているからだ
二次創作とも違っているし新たな創造になっている

具象画に劣るにしてもやはり創作なのである。

これだけはパソコンなくしてはできないものだった。
コンピュターからは様々な新しいものが生れたことは確かなのである。

2014年07月06日

山の抽象画


山の抽象画

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にぎやかな山々

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朝の山々
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夕べの山々

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隠された山

これは抽象画というより具象である。見れば誰でも山とわかる。
パソコン画といえる。
この作り方がソフトのプロセスがわかったのでできた。だいだい三つくらいの過程へて
この山になる順序があった。
だからこれもまた機械的手順がわかったからできたのである。


抽象画でもパソコン画でも具象と結びつかないことはない
必ず抽象画でも具象と結びついている
抽象画はただ量を作っているとその一連のものとして表現すると訴えるものができてくる

山をテーマにしたり海でもそうだし花でも抽象画を作ってゆくとテーマごとに作品になるから見る方もわかりやすくなる

山という時、山は阿武隈山地があってもこの辺には山はない、会津には1000メートル級の山がひしめくらうにしてある。
だから山を知りたいなら福島県では会津に行かないとわからない
そしてあのように無数の山を見ているとどうなるのかということもわからない
この辺では毎日海を見ているから山を見ている感覚がわからないのである。

ただ山というと会津の山々をイメージするのである。
福島県はだから山の文化があり海の文化がありその範囲が広いのである。
本当は会津は風土的にも文化的にも別な世界である。

福島県は浜通りは今回の地震津波でわかったように
宮城県の沿岸地帯の方とつながりが深い、歴史的にも伊達藩とつながりが深かった
だから相馬藩というのは福島県という感覚が風土的にも地理的にも一体感がないのである
ともかく山の文化は会津にあり海の文化は今回の地震津波の被害地帯にあったのである。文化的地理的風土的一体感があることを認識させられたのである。

2014年07月08日

抽象画(山の百態) abstract( the shifting scene of mountains)


抽象画(山の百態)

abstract( the shifting scene of mountains)

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バソコンは一つの絵でも加工して変化させて楽しむことができる。
この山の絵を作るのは一つのパソコンの機械的作業の順序でできる。
それは企業秘密になる。
パソコンはまずソフトを使いこなすことがむずかしい
今やハードの面ではなくソフトの面で使いこなすことがむずかしい。
でもソフトを教える人は最近出てきたそうだが少ない
絵を加工するにしても自分で試して発見するほかない
何回もやっている内にこの山の百態を作る手法を発見した
それは想像ではなくまずソフトの使い方を知ることだった。

ソフトは2000円のでも使いこなすことがむずかしい
必ず使っていない機能がありそれを発見するのも何度もためしているうちわかる
だからこれは科学の実験作業とにているなと思った。

これはだから新しい絵の楽しみ方なのである。
想像というよりは絵の楽しみ方の発見なのである。
これがこんなふうに変化したとか楽しめる
山の絵でも百にも変化して楽しむことができる。

こういう楽しみ方は今までなかったのである。
なんでも楽しみながらやれれば人間はそこにエネルギーを費やす
例え金にならなくても利益にならなくてもやりつづける

それは何かを創造しているという充実感をともなうからである。
それが第三芸術でもそうなるのである。
ただ見ているだけではつまらない
芸術は鑑賞して楽しむということもあるがもう一つやはりそれに自分も参加できる
なにかしら創造作業に加わるということがないとつまらなくなるのだ

2014年07月19日

抽象画abstract(flowers)


抽象画(花)

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これもなんかわからないけど抽象画である。
紋様の芸術なのか
その元になったのはインターネットにいくらでもある
ただその原画は何かはもうわからないのである。

2014年07月31日

花の抽象画(flower abstract)(ラベンダー、ノウゼン、立葵)


 
花の抽象画(flower abstract)(ラベンダー、ノウゼン、立葵)


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ラベンダー


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立葵


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のうぜんかずら


万華鏡は花になりやすい、ソフト的にそうなりやすい
ラベンダーは花の匂いがなんともいい
立葵は柱のように真っ直ぐ伸びる
のうぜんかずらの紋様もできた


タグ:

2014年08月05日

抽象画(津波の衝撃)



抽象画(津波の衝撃)

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津波の衝撃


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 溶岩の山


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海中の人影


偶然またできたのだが題を何にしようかと思った。
それで津波の衝撃にした。
この題によってそう見る人はでてくるし
抽象画の場合は何を現そうとしているのかわかりにくいから
その題からそういうイメージで描いたのかと感じる
たいがい画家の場合は自分のように全く何もイメージしては描いていない
画家は具象画も描けるしパソコンのない時代は
やはり何かをイメージして描いていた
パソコンで化学変化のように抽象画を作ることなどできなかった
自分の場合は全く何かをイメージしたものではない
偶然にパソコンでできたものをだしているだけなのである。

でも抽象画には何かパターン的にできるものがあった。
それはパソコンのソフトがそうさせている
何でも抽象画にはならない
一つのパターンがありその過程で抽象画になる
それは機械的作業である
画家のように何かイメージして創造しているのとは違う
ここにできたのも前のバリエーションであり
ある同じソフトの作用でできたことがわかるのだ
タグ:tunami

2014年08月16日

抽象画(風の色) abstract colours of winds)


抽象画(風の色) abstract colours of winds)

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風の色


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地下の色

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踊る波

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重なる山


これも原画はインターネットにあった。なぜ抽象画がこのように量産できるかとなると
それはソフトの機械的作業から作られているからなのだ。
もし絵のようにイメージしたらこのように量産はできない。
抽象画は科学変化を楽しむようなのもだから量産ができる。

風にも色があり地下にも色があり動きがあるのかもしれない、風を感じるのは自転車である。風には言い表せないものがある。風はみんな一様ではとない、やはり色があるのだ。どちからかというとどうしても風は方向に左右される。
北風、西風、南風い東風とかで風を感じる。
しかしそれだけではない、風にはまだ何かその時々で違ったものを感じる。
風を感じることは車ではできない、車だと風を遮断してしまうからである。

だから機械化した現代は自然の感覚は麻痺している。
でもラジコン飛行機でも主に風にのって飛んでいるのでありプロペラを回して飛んでいるわけではない
それはあの大きな飛行機でも風を利用して飛んでいる。
いくら機械化しても風の力が作用して利用していたのである
風がなかったらものすごいエネルギーが必要になる。

風の働きで意外だったのは原発事故の放射能物質の流れだった。
福島市まで汚染されたことには驚いたのである。
3月11日の原発が爆発した時ちょうど東風が飯館方面から福島市方面に吹いていたのである。その時雨や雪もふり放射性物質が堆積してしまったのである。

地下にも色がありその地球の地下が解明されていない、でも死んだように動かない、色もない世界ではないだろう。地球全体が生き物でありやはり動くから地震も津波もある。

タグ:風の色

2014年08月17日

抽象画の謎(水の力) (パソコンはソフトをいかに使いこなすかに移る)


 
抽象画の謎(水の力)


(パソコンはソフトをいかに使いこなすかに移る)

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無題

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地中海(結ばれた海)


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水の力


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高低のある山


抽象画は何なのか?これも謎である。人間の世界は自然界でも実際謎なのである。
わかったようなことを言っていても科学者でもわからないのが多いのだ。
原子力や核のことでも実際はわからないのである。
芸術もこれを説明することは不可能である。
その基になる色にしても無数にあり色からイメージされるのも無数にある。

最初の抽象画は何と名付けたらいいのかわからない。
適当に名前をつけることができるがそれでもその名前通りでないのが抽象画である。
山なら山、机なら机と明確に現すことができないから抽象画になる。
抽象画見る人によって違ってくるのだ。

だから「無題」としたがこれが何か極めて抽象画的だからアップしたのである。
「水の力」となるとこれは水をイメージして作られているともなる。
ただ一定のソフトの手順が抽象画できることに関係している。
そのソフトは2000円のペイントグラッフィックでも十分である。
このソフトを使いこなすだけで相当な労力が必要になる。
今やパソコンはハードの問題ではない、ソフトをいかに使いこなすかが問題になる。
ソフトの分野とは頭脳とより深く関係しているのである。

これからはハードの分野はもうこれ以上発展しないかもしれない。
もうハードの分野は整備されたからである。
パソコンだって今はハードではない、ソフトの分野に入っている
だからこそソフトをいかに使いこなすかが問題になる。

2014年08月26日

抽象画(夏の光の道)


抽象画(夏の光の道)


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重なる山

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これはずいぶん前の自分の抽象画が原画になった。抽象画は原画がAだとするそれを基にしてAB AC AD AE・・・・と無限に変化しやすいのである。だから化学変化とにているといった。
要するに無限の変化なのである。

それは創作的なものとは違う、ソフトの機械的変化の偶然から起こってくる無数の変化なのである。
題はまぶしい暑い夏だからその中をゆく道もみえるから「夏の光の道」とした。
意外とこの題が抽象画では大事になるかもしれない。
これなどはわかりやすいがわかりにくい抽象画が多いからである。

自分が前にだした抽象画が相当あるけどそれはそこで終わっていない、そこからまた変化してゆく一過程としての一作品に抽象画はなっているのだ。
変化は偶然から生れている、予期せぬものとして変化がソフトの操作で生れてくる。
だからパソコンのソフトに頼っているのであり具象画の画家の才能とはこれは相当違ったものなのである。

ただこれは何だろうという時、やはり自然を反映させたものとして見る時、自然へに対する感覚が磨かれているといい。
夏だというとき、あれは道であり暑いとき、まぶしい光の中を通った道だなと感じる。
今年も自転車でずいぶん暑いときも走ったからである。
そういう思い出がこの抽象画からはよみがえってくるのである。
タグ:

2014年08月28日

抽象画は見る目が必要(秋の色(2))



抽象画は見る目が必要(秋の色(2))

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冬の海

抽象画は一見みて何かわからない、一体これは何を現しているんだろうと必ずなる。
それで必ずやはり何かこの世にある自然界のものをイメージするのである。
花であれ山であれ石であれ海であれ川であれ水であれ土であれイメージする

そもそも抽象画の基本は色なのである。色からイメージされるからそこに具象画の形としてなくてもイメージされる。茶色だと岩だとか土をイメージする。
青だと主に水になり空などにもなる。赤だと太陽だとか火だとかイメージする。
つまり抽象画が形ではなく色からイメージされるのだからただ一つの色だけをぬって
それが抽象画だとしているのもあるのはそのためである。

だから抽象画は見る眼が必要になってくる。その人がどういうふうに見るかが鑑賞力が具象画より必要になるのだ。要するにそそも芸術は見ること自体が評価すること自体むずかしいものだった。それはその人の感性によるからである。
特に抽象画がその人の見る眼が試される、何も感じないものは全く評価できないだろう。これ何なの?ただ絵の具をぬりたくっただけじゃないかとなる。
こんなこと子供にでもできるじゃないかとなる

秋の色と題をつけたとき、ここから秋を感じるセンスがないと何も感じないだろう。
だから抽象画は日本では俳句の季語を感じるのとも通じている。
つまり日本的な抽象画があるのかもしれない、外国の抽象画とはまた違ったものが生れる日本人の感性がやはり抽象画にも反映されるかもしれない。

いづれにしろ抽象画が具象画と違い一つの作品が必ず変化させて延々と作られてゆく、
一つの作品は一つの過程として提示されているのが具象画とは違っている。
それは完成品ではないのだ。抽象画A⇒抽象画B⇒抽象画C⇒・・・・となって無限に変化してゆくのが抽象画である。
でも元の抽象画とはわからなくなるから著作権違反にならないともなる。
ただ変化させたものから原画が推測できるようだと違反になるだろう。
ソフトで変化させたとき元の絵はわからなくなる。
抽象画がそういうアート(技術)、パソコンの技術から生れた芸術だからそうなる。


一つの例として前にだした「無題」を説明するとこれが冬の海とした。
紺青は深い海の色であり冬の海である。
白は雪なのである。なぜなら自分はいつも太平洋を見ていて雪景色になったときの太平洋を見ているからである。
そういう感覚はやはり日頃日常的に自然に接しているとつちかえる。
都会ではいつも高層ビルばかり見ていたらそういう自然の感覚は養えない
だからこの抽象画を見ても何も感じないとなるのだ。


タグ:秋の色

2014年08月31日

抽象画(abustract) (陸と海の地球ー何でも視点を変えると別なのも見える)


抽象画(abustract)

(陸と海の地球ー何でも視点を変えると別なのも見える)


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一億年前の地球

ヨーロッパ大陸のようなものが現れている

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陸と海の地球

海から見ればアジアの中心は日本である

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こういうふに中国大陸とか東南アジアから日本を見ると実は日本が海からみればアジアの中心にも見える。
日本の国の成立がもともとは様々な国からの移民が最初にあった。
それは回りが大陸に囲まれていて海の中にあったからだ。
日本は海からみればアジアの中心だったのである。
だから太平洋戦争は海をめぐる覇権争いでありその争いに日本は敗れた。
海を制したアメリカの支配下に入った。
戦艦大和が沈没したのが象徴的だった。

今また尖閣をめぐり今度は中国が海の覇権争いにでてきた
それは海を支配下に入れれば日本もまた支配下に入るからである。
日本という国の不思議は大陸ではない、海の中にーありそこでかえってアジアの中心にこの地図からは見えたのである。
イギリスが七つの海を支配した結果、大英帝国になったように海を支配しないとアメリカでも大国にはなりえないのである。
だから中国は海軍に力を入れるようになったのである。

この絵の作り方は一定のソフトの過程で作られる。
操作している内に会得した。
パソコンはいかにソフトを使いこなせるかが今や大事である。
いづれにしろ人間はつくづくその土地にしばられ固定した見方しかできない
アジアの大陸方面から日本をみれないのである。
視点を変えるとまるで違ったものとして世界は見えるのである。
世界というのは世界旅行したからと言ってわかるものではなかった。
あまりにも広いから一回くらい行っても何かわかりにくかったのである。

ともかく人間の視点は視界はその住んでる場所にありそこから世界をみている。
だからそこに偏見が生れてくるのである。
場所を変えると全く世界は違ってみえる。
地図でも同じ型にはまったものばかり見ていると固定観念化してしまうのである。
抽象画はそういう点自在に変化させられるからそこが強みである。
具象だったら山は山、家は家、机は机とかその具象化から逃れられないからである。
だから抽象画は自由の度合いが大きいのである。
視点を変えるというときデジカメでもそうであり視点変えると景色でも花でも違った様相を呈するのである。
そういう点で写真は絵と違っていくらでも視点を変えられるから今は写真の時代になったのである。
タグ:地球

2014年09月13日

夏の蝶の抽象画



夏の蝶の抽象画


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これは自分の写真が抽象画になってる。写真は明らかに絵なのである。
だから絵画風にも抽象画風にもできる。
これも加工する途中で変化したもの切り取ったのである。
これに蝶を見れるかというと普通は見れない
ただ写真を見てこれは蝶なんだよと言うとそうみえるのである。
もちろん別なふうに見るものもいる。
でも抽象画も具象画を基にしているから何かイメージできないと鑑賞できないことはある。
黄色が揚羽蝶と見れば鑑賞しやすいのである。
タグ:夏の蝶

2014年09月23日

抽象画(秋の色の変化)


抽象画(秋の色の変化)



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秋薔薇

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実り

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海辺の秋

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抽象画の題材と名のは具象画である。これもみんなインターネットにあったのを色として分解したのである。色の組み合わせで無限の変化がありうるのが抽象画だとなってしまう。
つまりともかく抽象画でも色だけでも何かを人間は感じる
だから自然に接していてこれは草を表しているのかといえばその気分になって抽象画を見る、その人の感覚でどうみてももいいわけである。
ただ自分でもこの抽象画がなんなのだろうと解せないものが非常に多いのである。

まあ、なんとなく秋の色だなと思えてこれを出したのである。
作り方はまず原画を色に分解する、それは無数の変化になる。
ただ著作権違反にはならない、なぜなら全く原画が何かをイメージすること自体不可能だからである。
なんとなく原画とにないるなとなれば危ないが全くイメージすらできないとなると別の作品になっているのてある。

タグ:秋の色

2014年09月28日

抽象画(水に反射する光の波紋)



抽象画(水に反射する光の波紋)


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抽象画は必ず一つではないそこからいくつもに変容する
ソフトの作用で変化して行くのを楽しむ
具象画が固定化してそれを直すこも描き加えることもできない
それはすでに完成品だからである。
抽象画には完成品はない
誰かの抽象画また別な抽象画に変化する
それは著作権違反にならないから新しいパソコンによる芸術の楽しみ方になった。
まず素人だったら自分なりの絵を描くことは無理である。
自分は全く絵の才能がないし絵を創造することなどできると思っていなかった。
それがパソコンでできるようになったのである。

文章がこれだけ書けているのもパソコンとインターネットがあったからである。
ただオワシスキーボードがないと自分はパソコンを自在に使いこなせなかった。
ワープロの時オワシスキーボードを使っていたのがゾバソコンになっても
使えた。文章が主だとするときここでつまづくとバソコンは使えない

最近インターネットの中で weblioの翻訳などかなり進化している。
だんだん翻訳でも進化しつづけて人間とにた能力をもつようになるのだろうか
完全ではないにしろずいぶん翻訳能力も進歩したと思った。

タグ:波紋

抽象画 (水に反射する光の波紋)



抽象画 (水に反射する光の波紋)


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floatingttt1.jpg

summerlight111.jpg

summrtssss234.jpg

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抽象画は必ず一つではないそこからいくつもに変容する
ソフトの作用で変化して行くのを楽しむ
具象画が固定化してそれを直すこも描き加えることもできない
それはすでに完成品だからである。
抽象画には完成品はない
誰かの抽象画また別な抽象画に変化する
それは著作権違反にならないから新しいパソコンによる芸術の楽しみ方になった。
まず素人だったら自分なりの絵を描くことは無理である。
自分は全く絵の才能がないし絵を創造することなどできると思っていなかった。
それがパソコンでできるようになったのである。

文章がこれだけ書けているのもパソコンとインターネットがあったからである。
ただオワシスキーボードがないと自分はパソコンを自在に使いこなせなかった。
ワープロの時オワシスキーボードを使っていたのがゾバソコンになっても
使えた。文章が主だとするときここでつまづくとバソコンは使えない

最近インターネットの中で weblioの翻訳などかなり進化している。
だんだん翻訳でも進化しつづけて人間とにた能力をもつようになるのだろうか
完全ではないにしろずいぶん翻訳能力も進歩したと思った。

2014年10月13日

抽象画(眼鏡をかけた日本人)


抽象画(眼鏡をかけた日本人)

linmix.jpg

 原画
無題.jpg

linmix2345.jpg

linmix23456.jpg

日本人は外国で眼鏡をかけて真面目そうにしているいるからわかるとかいう。
日本人はなにか真面目な職人なのかもしれない、商人には向いていない
中国人やイスラムは歴史的に商人の国である。
日本人は真面目に物を作っている細かい作業をしているふうに見られる。

抽象画は具象画と違うからいくらでもできる。ただ最近パソコンの故障とかでしていなかった。
抽象画は子供で簡単にできる。
加工すると無数に変化するからできる。
これ何だろうとなりそれにそれらしい名前や説明をしてみる、するとそれが抽象画なのである。
蜂みたいなのが生まれたのは全く偶然である。でもこれも不思議なことである。
これも今までにないものを創造しているのだから創作なのである。
これをアニメで動かせば一つの創作となる。
抽象画はパソコンから必然的に生まれた新しい芸術なのである。
これは絵の才能もなにもいらない、これ何だろうかと変化を楽しむ遊びなのである。

2014年10月14日

抽象画(古い道と新しい道)


抽象画(古い道と新しい道)

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roadoldnew1234444555666.jpg
透視ささた古い道


これも最近中古品のwindowe7のペイントを使って作った。抽象画はソフトを変えるといくらでもまた違ったように作れるのである。だからペイントショップなどを使えばいいのだが使いこなす事がずかしくなっているのだ。それと暇がないとまたできない。
ソフトを使いこなす方がハソコンを使いこなす方よりめんどうなのである。
なんかいろいろなことをするの2が億劫になる。時間もない。
抽象画をプログに出すときは余裕ある時なのである。
タグ:古い道

absutract(bright towns)


abstract(bright towns)

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green town

中古品で買ったペイントの色の感じが違っていた。明るいパソコン特有の色になっていただからこのペイントでまたいくらでも抽象画ができる。
抽象画はいくらでも変化させられるからである。
街といったらどうしても具象画にすると街並をイメージするけどただ色から街をイメージするとなるといくらでもパターンがある。
無数にさえあるとなる。これはほんの一部である。
色から茶色だと土をイメージする。緑は森であり赤は花だとかイメージも固定しないのである。だからいくらでも変化できるのである。まさに千変万化となる。


抽象画がともかくソフトの影響が大きいということは技術的要素が高い
ただ観る方でも見方がありいろいろに見ることができるのもいい。
一つの俳句でも短歌でも人によって違ったように解釈している。
それがインターネット的なものとして読める。
一部の識者だけに左右される時代が終わったともなる。
その場合はどうしてもマスコミに左右される
マスコミによって人物が操作されるのである。
それは権力によって操作されることになるのである。
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