2010年04月23日

内面の道(抽象画)

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INSIGHT WAY(内面の道)

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海光虫

抽象画の不思議は偶然であり予期せぬものができる、これってなんだろうと何かに見える、これは道であり人間の脳に見える、これは海の光る虫だとかなる。偶然にできたものをアレンジして何かににせる。
絵が全く描けないのに絵にしている不思議である。
これは本当に化学変化を楽しんでいるア-トなのである。これは極めてパソコンからできたア-トなのだ。ここに無限の変化があることに自らも驚いているのだ。驚きの発見がソフトの操作からできてくる不思議である。

これがどれだけの芸術なのか、これは自分で創作したとは限らない、ソフトの操作で偶然にできたものなのである。でもこれは何かに見えるなと意味を与えるのが人間である。
多少手を加えることでできるのだ。これはコツを覚えれば誰でもできる。
2千円のソフトでこれだけできるのも不思議なのである。

2010年05月20日

白藤の抽象画

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抽象画にすると絵が全く描けない人もなんとなく絵になっている。パソコンはそもそも紋様を自動的に作ってしまうのである。そのパタ-ンは無限にある。この白藤のバリエ-ションも簡単に三つできた。使っているソフトは二千円のものである。ソフトは今や安いのでもそれなりのものがそろっている。今はソフトを運用する人の方がソフトを活かすのでありパソコンとかソフトとかではない、二千円のソフトでもこれだけできるからだ。他でも無料でもできるようになっている。
今やソフトが価値あるのではない、そのソフトを利用して創造する人間が価値あるのだ。
ソフトはあくまでも道具であり価値は創造するのは人間なのである。

幽玄の美(抽象画)

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幽玄の美
 
 
 
 

2011年02月10日

色の波紋(抽象画)

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フリ-ソフトでピクシアとか三つくらい入れて合成すると抽象画や別な作品ができる。
これは化学反応とにている。ソフトの開発で違ったものの組み合わせができてくる。
基本は文字が入れるのには便利なのでペイントグラフィックである。
フォントも新しいものをインスト-ルした。
パソコンはビスタになったらかえってわかりにくくなった面があり操作ばかりしていると時間がとられるからしていなかった。操作をソフトを覚えるのがめんどうになった。
でもパソコンはソフトを使いこなすと新しい創造の世界が開けるので操作を覚えないとやはり活かされないのである。
最近3Dのテレビを買った、これも前よりずっと使いやすいから情報をとりやすくなった。まさに現代は情報化社会である。ハ-ド的なインフラは整備された。残された分野は知的な頭脳の面になるからだ。ここは無限の世界である。ハ-ドは道などでももはやもういらない、そうした公共事業は無駄になっている。知的な分野はモノとか土地とか何か物理的に制限がないから無限の創造がありうる世界なのである。

2011年02月27日

2011年02月28日

春の交差点(抽象画)

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春の交差点(crossing roads in spring)


抽象画が本当に偶然の産物である。でも化学実験のようにな何十回と試してみないとできない、それで結構手間なんだよ,ただこれも第二、三芸術でも創造の部類に入ると思うから面白いからやっている、絵なんか全然描けなくても絵を描けた気分になれるのが抽象画なんだよ
ただこれがどこまで芸術性があるのかわからん、ちゃんと普通の絵を描いている人も抽象画が描いている、抽象画だと良さがわかりにくいからこんなののどこが絵なんだとなる。
つまり絵が全然描けな人と同レベルになってしまわないだろう。


俳句なんかもこんなもの誰でも作れる、簡単だということで第二芸術論が言われたのと同じである。実際に俳句は誰でも作れる、内容はともかく誰でも作れる、でも絵なんか人物画でも描いたらうまいかへたかすぐわかる。抽象画にはそういうところがない、へたなのがうまいとかなると価値判断できない、ただこの抽象画あくまでもパソコンの技術から生まれたART(技術)そのものだった。パソコンなしでは作り得ないものだった。ソフトによって創造の範囲も広がる。
二種類しか使っていないがもっといろいろな変化ができるのがあれば創造の範囲が広まるのである。

2011年10月26日

painter12で作った抽象画



painter12で作った抽象画

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春の流れ



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高さを競う山々

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春の色



painter12の体験版で作った抽象画である。これは絵を描くソフトでは一番いいものだろう。
4万だからソフトも高い。ずっと前にやっていたけどその時は一万くらいだった。
ソフトは意外と高くても使いづらいのがある。一つのソフトで何でもできるわけではない、
無料のソフトでも機能的にそれでないとできないものがある。この辺がソフトの不思議である。
絵は全然描けない、ただパソコンをはじめてソフトを使用していて抽象画は誰でもできるのだと思った。一面抽象画は不思議だと思った。これはパソコンのソフトでできるものであり普通に絵を描いていたらできないものだった。新しいパソコンから生まれたア-トだった。
パソコンは紋様などを作るのに向いているのだ。
やはり抽象画は川や山や何かそういうもの抽象化したものである。ただ何を抽象化したのかわからないのがあり何を意味しているのかわからないのがある。その時理解できないのである。それが芸術なのかどうか理解できないのがある。自分の場合は山とか川とか何か具体的なものをイメ-ジしている。というよりはこれは本当に偶然の結果なのである。ただソフトをいじっていてあれこれは何だ川のようだとか山のようだとかなるので面白いと思い作りつづけてきた。そもそも漢字は抽象画だから日本人には抽象画が向いているのかもしれない、painter12はプロ使用でもあるからかなりこっている。絵の具に近いし絵の具では現せない機能がある。まあ、このソフトを買っても絵が描けないのだからそれほど利用できないともなるがやはり多少でも楽しめるということで買うようになるだろう。

2011年11月06日

夏の色(抽象画)


夏の色(抽象画)


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夏の色

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美しい血管



子供も抽象画を描いている。それがみんな抽象画として評価はできないだろう。
抽象画の評価はむずかしい、何でも抽象画になってしまうからだ。
だから子供がただ絵の具で遊んだものも抽象画だとなる。
ただやはりまずそこに何か美しいというものを感じないと作品にはならない
色がきれいだというだけでその色にまずひかれる。色だけの魅力がある。
それがパソコンでは自分で作りやすい。

でも抽象画も一つの美の表現だとするときただやたらにすべてが抽象画として評価できない
この二つの作品も一つの意味があり美を感じたから作品になっているのだろう

ただ美しい血管というのは偶然でありこれが色がきれいだとか思ったからだした。
抽象画を作品とするにも結構努力している。才能なくてもできるのだが
やはりいろいろ試してみてやっとできたとなる。

たいしたことはないにしろ一つの創造作品にするにはそれなりの努力か必要なのである。
だから次から次と作れない、たまたま作れるというのはそのためだろう。
これはソフトがいいからできた。このソフトは高いから買うとなるとそれほど利用できないから
迷う。抽象画だけではもったいないからである。

2011年12月26日

抽象画(冬紅葉の紋章-城下町)


抽象画(冬紅葉の紋章-城下町)

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城下町

パソコンは紋章など作るのに向いている。
パタ-ン化しやすいからだ。

2012年01月20日

囲炉裏(抽象画)


囲炉裏

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冬は黒のイメ-ジになる。黒い大黒柱、梁、そこに囲炉裏が
鎮座する。


2012年02月02日

デジカメの写真がそのまま抽象画になっていた (タ-ナ-の絵は最後に抽象画になった)

 

デジカメの写真がそのまま抽象画になっていた

(タ-ナ-の絵は最後に抽象画になった)


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上の写真がなんかの加減で下の抽象画になった

 


前のぼけた夕べの太陽が川面に写った写真がどういうわけかおそらく抽象画になった。
白いのは太陽の光である。抽象画にあえて意味を見いだせば白いのは光でありまた雪でもいいだろう。それに枯葦であれ冬の大地であれ土色になる。


タ-ナ-の絵が最後に抽象画になってしまった、タ-ナ-は抽象画の先駆だった。最近絵が描けなくても絵に興味持つようになった。多少自分でもパソコンで抽象画を描いているかもしれないしやはりデジカメの影響が大きい。写真は明かに一つの絵となりうる。絵を描けなくても写真で絵を楽しめるということがある。絵を身近なものにしたのがデジカメだった。写真は前からそうだったがデジカメだとやはり無作為にとったもので発見したものがかなりある。ええ、こんなふうにとれていたのかとあらためて感心するのがある。この景色がいいとか構図を作って準備してとるのではない、偶然にとれているのがデジカメの写真なのである。


白い線と土色はやはり何かの精神的なものの抽象化である。ただ抽象画を鑑賞するのはむずかしい、どこに価値があるかわかりにくい、自分でも白い線と土色というので自分でこれは何か芸術的でないかと再確認して出してみたのである。


枯葦(老いて故郷を想う)
http://musubu.sblo.jp/article/53415256.html

2012年02月22日

春の星(spring star)-抽象画


春の星(springstar)-抽象画


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2012年02月23日

star variation(抽象画)



    star variation(抽象画)


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海溝

2012年05月22日

緑の領域(抽象画)-green abstract

 

緑の領域(抽象画)-green abstract

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原画

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緑の波紋


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三重の葉に包まれて咲く花


パソコンの抽象画は最初に一枚の原画を作る。それを加工してゆくのが順序である。
それがどういうふうになるのか作者にもわからないというのがこの世界である。
こんな変化したのかとか作者自体が驚いている世界なのである。
ア-ト(技術)が先にありそれについで創作の世界があるのだ。
芸術はそもそもそうした絵の具とかが発明されなかったら生まれなかった。
絵の具をいじっているとき芸術が生まれたのである。
絵の具をこねまわしていてもそれで芸術が発見されたのであり
まずア-トとなる技術がなければ生まれなかったのである。
だからパソコンの抽象画そうした加工によって無限の変化を与えるものである。
ただどうしても第二芸術第三芸術であることは確かである。
これは能力がなくともできる、これは何となくいいんじゃないかとその人の感性で判断するからだ

緑の領域というと飯館村などがそうだった。あそこは本当に緑が美しい、緑に囲まれた世界だった
それが放射能の森になったことが考えられない、別に森が枯れたわけではないから
緑の森であることはあるが前のようにはいかないのが残念である。

2012年06月09日

抽象画の不思議 (この抽象画にどんな名前をつけますか?)


抽象画の不思議

(この抽象画にどんな名前をつけますか?)

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抽象画は何なのか?自分も抽象画をパソコンのソフトで描けたから考えるようになった。
自分にも絵が描けるのという不思議があった。

例えばこの二つの抽象画にタイトルをつけるとしたらどんな題をつけるのか?
これは他でも題がついているけどその題と関係がよくわからないんだよな
他人の抽象画ってわかりにくいんだよ

ということは自分の抽象画も他人からみればこれはなんだと思っているかもしれない
でも全然認められていないわけではない、芸術として認めている人もいた
抽象画って他人が認めること自体、あんまりないように思う
どこが優れているのかわかりにくいから

 


上のは題をつけるとしたらサファイアとエメラルドしかない
ちなみにこれは「抽象画ってどう」というの中の抽象画が原画になっている
でももう元がわからないからこれは著作権違反にならないよ
まるで違ってものになってしまっている

下はこれ何?となるけどどういうタイトルをつけるんだとなる
これは牡丹を万華鏡で加工したら偶然こうなったんだよ
必ず万華鏡にしている、それが抽象画を作る基礎である
でも最初からこれが牡丹を加工したものには見えない


抽象画ってどう
http://yamaguchimomori.cocolog-nifty.com/blog/2005/06/index.html

2012年06月19日

海底の電球(抽象画)


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糸車ー衣摺

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海底の迷宮都市

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海底の電球



衣摺からはじまったけど抽象画はどう変化するかわからない
こういうものにしたいと思って作っていない
偶然の変化からこれ面白いなと出しているだけである

電球の形になったのは偶然だったのである

抽象画はやはり名前をつけることが鑑賞する目安になる
一目見てわかるものもあるがわかりにくいものもあるからだ

2012年06月29日

海中花-海中蝶(抽象画)


海中花-海中蝶(抽象画)

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海中花

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海中蝶

これも偶然だった、蝶になっていた不思議である。万華鏡にしてみると抽象画が作りやすい
これは化学反応と同じであり何がでてくるかわからないのだ
こんなものができたのかと驚く、これだけ蝶の形が現れることはあまりないだろう
やはり抽象的なものになりやすいからだ


2012年07月18日

虹-夏の彩り(抽象画) 具象画あって抽象画がある

 

虹-夏の彩り(抽象画)

具象画あって抽象画がある

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summer waves

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抽象画には一つの原画からいろいろ発展する。それが普通の絵と違っている不思議がある。
これは明かにそうである。最初、これは虹だなと思った。感覚的に虹ではないにしろ光には見える。次にこれは太陽からの木漏れ日か散光のように見えた。次は押し寄せる波に見えた。・・・こういうふうに変化が楽しめる。
思うにやはり抽象画は全く具象画と違っているかとというとそうでもない、なぜなら抽象画から具象画をイメ-ジするからだ。全く具象画と切り離されることはないのだ。
ただ決して具象画から抽象画をイメ-ジはできない

抽象画⇒具象画のイメ-ジはできる、しかしこの逆のことはできない、
結局、自分で抽象画をパソコンのソフトで偶然作ることができてこれは何なのだろうとなった
でも自分でもわからない、ただこれは虹だなと即座にイメ-ジしてはっとした。
虹という具象画があって抽象画がある。抽象画があって具象画はありえないのである。

女性の体ーwoman body(抽象画)


女性の体ーwoman body(抽象画)

 

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女性の体

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胎児

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食虫植物

女性も食虫植物がいるから怖い、犠牲になったのが自分だった
気おつけることだ、いまさらおそかったが。。。。




一つの原画から七つの抽象画を作った。
原画が抽象画向きだとそれなりに変化が楽しめる
ただ何なるかわかないのがかえって面白いのが抽象画である  

2012年08月04日

CONFUSION(抽象画)


CONFUSION(抽象画)


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confusion

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energy of the earth


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one direction


この辺ほど混乱している異様な状態はない、津浪から原発から異常状態はつづいている。その方向も見えないのである。

抽象画は何かそうした心の状態の反映も現している。
ピカソの絵はまさに現代の混沌した状態を絵にしたのである。
抽象画はだからピカソとにてくるのだ。

2012年10月14日

抽象画(海の紋章-続編)


抽象画(海の紋章-続編)

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海の都市


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海のミステリ-

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漂う生物?

これは脳の中心の維持とかにもなる。


抽象画は名前はどうでもつけられる。抽象画から抽象画が作られるのも抽象画だとなる。
それが具象画との相違である。だから著作権違反にもなりやすい。加工しないでくださいと
注意するのもそのためである。でも二次加工が証明できるのかどうかもわからない。
今回の明かに二次加工だから著作権としては危ないかもしれない
ただ抽象画から二次加工すると別な抽象画になりやすいのである。
海をテ-マにしたものと花をテ-マにした抽象画を作ったのでついでに出した。

2012年10月16日

秋の色(抽象画)

 


秋の色(抽象画)

 
 

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日本人の色の感覚は外国とは違っている、原色ではない、陰影あるものを好む
、白黒をはっきりさせないもの、あいまいなものを好むのだ、イエスかノーではない、それが日本の文化になっている。南部鉄器がヨーロッパで人気になっているというが原色の色ずけして欲しいと注文があったという、それでピンクとか緑色にした、でも南部鉄器は茶色の鉄の光沢がいいのである、地味な色がいいのである、でも外国では原色を好むのはやはり文化の相違なのである。

抽象画の見方はいろいろある、これは都会のビルのようにも見える、人によっても違う、それが抽象画の特徴である、見る人に想像させるのである。

2012年12月06日

美の結晶 (パソコンの抽象画は化学実験ににている?)


美の結晶

(パソコンの抽象画は化学実験ににている?)

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美の結晶

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女性の接近

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脳の内部(女性的なもの男性的なもの)




パソコンのソフトの抽象画作りは化学実験とにている。つまりどういうものを描こうとしているのではない、偶然の作用でなったものに意味を与えているのだ。具象画だったらこんなことはない、描く対象がありどういうものを描くかを事前に見ていて描いている。
抽象画はただ化学実験のようにパソコンのソフトで加工しているだけである。機械的にしているのであり何か創造的なものをしている感じがしない、ただ偶然に変化したものがこれは何かににているとなって題をつける。


美の結晶というときまさに火山の中でダイヤモンドが生成して結晶する感じになる。
人間は必ず芸術を追求していれば晩年にはその追求したものが何でも結晶してくる。
若くても死ぬとなると芸術はやはり結晶した表現になる。啄木などがそうである。
一般的には晩年まで待つほかない、そこで今まで貯えていたものがダイヤモンドのように結晶してくる。


つまりダイヤモンドのように結晶するにはいろいろな経験をししていろいろな要素が混成して化学実験のように新しい物質が生み出されるのとにている。ただそこに不純なものが交じると結晶するのはむずかしい。やはり芸術として結晶しないのは何か追求する過程で不純なものが交じったためである。それは商業主義と名利とか何か芸術そのものより別なものを求めたためだろう。
そういう人が多いのである。


ともかく晩年になるとつまらない知識すら活かされてゆく、無駄なものが何一つなくなる。それが文章で絵でも何でも結晶してくる。旅でも経験したものが全部ダイヤモンドなどになる結晶作用してくる。脳というもの明かに生まれつきものではない、体さえ習慣として作られてゆくように脳も作られてゆくのだ。能力は開発しない限り発揮できない、天才は別にして能力も脳も一生の間に作られてゆくのだ。だから不純物が入ると脳は乱れ結晶できなくなるのだ。それは能力あるなしにそうなのである。人間は確かに素質はあっても習慣によって作られてゆくものなのである。

若いときからの積み重ねで晩年の脳も作られてゆくのだ。学者だってそうした知識の積み重ねの結果として論文も書ける。それはあらゆる分野でそうである。どんな人間でも一分野を追求していれば詳しくなれるということである。


 

2012年12月08日

抽象画の不思議(冬の行灯-地下の柱) (インタ-ネットの画像が元となる抽象画の創造)

 


抽象画の不思議(冬の行灯-地下の柱)

(インタ-ネットの画像が元となる抽象画の創造)

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冬の行灯

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マンションの灯

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都会の灯


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地下の柱

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神殿の柱


抽象画は本当に我ながら不思議である。この抽象画の元になったのは独特の明かりを作っている所であった。インタ-ネットにはそうした抽象画の元になる写真やら絵やらいろいろなものをでている。
抽象画の元は自分で作る必要がないんインタ-ネットで探せるのである。これ面白いからと加工してみるとこれはなんなのだとかなりそれに題名をつける。意味を与えるのだ。


冬の行灯というとき確かに江戸時代の暗さは今とはまるで違っていた。行灯に向かっているだけでそこから感じるものは相当に違ったものになる。何かそこには想像力が刺激される。何かそこには人の顔まで浮かんでくる。暗いが故に想像力が刺激される。あまりに明るい空間は想像力が刺激されないのだ。



清水清太郎 元治元年12・25 賜死 享年22 
長州藩家老
家老として急進派志士たちと国事に奔走。
幽閉中の詩


「世のことは絶えてをぐらき山里にこころつくしの夜半のともし火」


塀の町-萩の不思議
http://www.musubu.jp/jijimandai8.htm



このう歌はまさに行灯であった。世の中から遠い山里に灯がともっていることが何とも心にしみるのだ。その頃どれだけ暗い世界だったか、それも山里ならなおさらである。全く真っ暗闇の中にともる灯である。これは冬にふさわしいのだ。これは志士の短歌とは思えない、22才でこれだけのものを作れたことに驚く。22才で死んだのも惜しい。長く生きていれば相当な秀作の短歌を作っていた。
この人の記憶されるのはこの一首だけかもしれない、志士でも数が多い相当数混乱の中で死んでいるから記憶される人は少ないのである。 ともかく今回の抽象画は予想外のものだった。柱もそうだった。それは全くの偶然そのものであり予期しないものだった。

2012年12月23日

明確な色のコントラスト(clear coloured contrast)ー抽象画


明確な色のコントラスト(clear coloured contrast)ー抽象画

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エロス

オリジナルはインターネットにあった 抽象画はやはり色の多様性が作り出す美である
具象画としてみれば海であり森であり土地であり街とかになるが人によってはまた別な見方がある具象画のように一定しないのが抽象画なのである。

最後のエロスはどうしてオリジナルから変化したかわからない
地球の生物でもオリジナルがわからなくなったのにている
抽象画の特徴はオリジナルから無数に変化していることなのである
バリエーションが延々と続くーそれはコピーではないー創造的変化なのである

2013年02月05日

抽象画(spring colours)



抽象画(spring colours)

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spring city

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spring flower

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抽象画はきまぐれであり計画的にはできない
ただパソコンで無邪気に子供のように遊ぶときできる
ただ大人だからそれらしい名前を与えるのである
これはソフトの遊びなのである


2013年02月06日

抽象画(春の地球の色合い)




抽象画(春の地球の色合い)

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spring colours

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street colours

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spring palace

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地球の多様な色合い

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大地の褶曲

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地震の巣


それらしい名前をつけたけど抽象画は謎である
これって何だろうとなる
やはり芸術の一つだろう
パソコンから生まれた新しい芸術の一つだろう
作っている方もわからないのである

2013年03月01日

認知症の脳内地図(抽象画)



認知症の脳内地図(抽象画)


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認知症の脳内地図

認知症は字も書けなくなる、道には迷う、都会だと余計に複雑だから認識できなくなる。
頭の中がこんな感じなのか?字が認識できない、計算もできない、人間の複雑な頭の中も
認知症になったらもう悲劇である。最後は自分の生まれた場所も住んだ場所もなにもかもわからなくなった。

抽象画は認知症的でもあるんだよ、何か世界が抽象化して迷路のうようになっている。
正常な人でも都会なんか入り組んでどうなっているのかわかりにくい
必ず迷うんだよ、迷路に迷いこんだようになる、だから認知症的になる
都会では精神の安定性が保てないんだよ
何か中心になるものがないんだよ

抽象画が極めて現代を象徴したものかもしれない、世界が具象化して見えない
抽象化して見えてしまう、ピカソの絵のように見えてしまうんだよ
そこにはたしかな古代のような人間の像などイメ-ジできないんだよ・・・
エジプトのように神々の像で埋め尽くされた世界とは余りにも違っているんだよ

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春色多彩

ソフトが変わると別な抽象画できる。ソフトに影響されるのもパソコンの世界である。
ソフトを使いこなすのがめんどうだけど一つのソフトでは限界がある。

2013年03月17日

抽象画(春の風)



抽象画(春の風)

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春の風(東風)


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spring stream

全部クリック拡大!

春の風は東風でありこの東風は海から吹いてくる。
だから青い海がまずイメ-ジされる。
ただ抽象画はまずタイトルと関係なく感じるものがある
ただ春の風としたときこれが春の風の感じかとなる

2013年03月21日

抽象画とは何か? (日本の地形と水の波紋(タイトル)から考える)


抽象画とは何か?

(日本の地形と水の波紋(タイトル)から考える)

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これもスケッチブックというソフトで遊んでいて偶然にできた。
抽象画も偶然の要素が大きくてもそこに何かしら人間の意図が入ってできている。
つまりこの抽象画が何ですかというときあなた自身のイメ-ジでみればいいともなるが
また作者の意図も見るべきである。

これを日本の地形としたのは日本の地形ほど複雑なものはない、体力のように平坦な地がどこまでもつづくということはない、狭いのだけど複雑に入り組んでいるのである。
それで今回の大津波でいかにちょっとした地形で津浪の影響が大きく違っていたかを書いた。
地形の相違で生死が別れたのである。一様な被害ではなかった。
地形を良くみれば津浪から逃れるヒントがでるということもあった。

ともかく前に小高い丘があるだけで津浪の被害は最小限に抑えられたとかあったのだ。
日本の地形は複雑だから狭い地域でも住んでいてもわからないし飽きないのである。

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これも偶然だがでもこの絵から何も感じないものもいるだろう。
これを見て自分は水の波紋を感じた。小さな石を落としても微妙に水はふるえて反応する。
これはまた別な見方もある。
ただ抽象画もやはり自然とか人間社会の反映である。抽象画もやはりそうした自然と社会をくみとることが必要なのである。

水というとき女性は水である。女性は神秘であり自分にはわからない、深く接したことがない、
ただ女性の体自体感受性に富んでいる。女性が体にふれられるだけで感じやすいのはそのためらしい。女性のことを最近インタ-ネットで調べて理論として知識をつけている。
ただこれは結婚したり深く女性に接しないと実感としてわかりにく。
ただ女性的なものは男性にも必要である。自分はどっちかというと女性的なのである。
女性的だということは感受性が豊であり芸術家向きだということもある。

抽象画も何か人間的に意味づけしてさらに意味をくみ取るべきなのである。

これは明かに新しい芸術であり自分自身パソコンから新発見したものである。
パソコンで新しい芸術分野が生まれたのである。抽象画なんか芸術ではないという人もいる。
でも芸術そのものが何なのかもわかりにくいのだ。
ピカソの絵だって最初は理解されなかったのである。
時代は常に変わっているから時代と共に生み出されるものがある。
そういう新しいものはなかなか価値づけられないのだ。

ただ抽象画もやはり人間の脳の創作活動の一端を示すもので創作活動だからこれだけ作りつづけているのだ。
もし自分でこれに創作的価値がないとしたらつづけられないだろう。
価値はまず自分が見いだすのである。それは知的なもの全般に言えるのだ。

2013年04月02日

花の内部(抽象画)


花の内部(抽象画)

花の器

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花の内部
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重なる色

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花の内部にしてもどうしてこれができたかは全くの偶然である。
この過程はいつものように主に万華鏡で加工しているうちにできた。
その元の絵はインタ-ネットのなかにあるけど絶対にわからない
まるで違ったものであり元の絵とはなんのつながりもなくなっている

自分のテ-マの一つが花になっているのでこれはいいと思った。

あとは色がただきれいだなと思ってそれに名をつける
人間はどうしても明るい方にひかれる、明るい方に導かれる
女性はまず美人というより明るい人がいいのだ
女性でしかもてない明るさがあるのだ

2013年05月01日

抽象画(京都(夏)-秋の紋様-躍動する地球 (ソフト-painter4 エッセンシャル)


抽象画(京都(夏)-秋の紋様-躍動する地球

(ソフト-painter4 エッセンシャル)


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京都-夏

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眩しい夏の光


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京の紋様
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秋の紋様
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躍動する地球

抽象画はソフトによって変化できる。今回はpainter4 エッセンシャルを買ったのでそれを基にしてまた増やせる。抽象画は定型化してしいるかもしれない、決まった手順がある。
万華鏡は必ず使っている。それからしあの変化も良く使う。それからテクスチャ-も良く使う。
今のところ三つ使った。それぞれにない機能がありそれらを組み合わせる必要がある。
エッセンシャルは機能が多いからかなり役立つだろう。これも早く買っておいてなれていれば良かった。

抽象画はまず色を楽しむことなのである。色の変化を楽しむことが基本にある。色の美しさだけでも楽しめる。色は花でもそうだけど美の基本にある。もちろん形もあるがそれは絵の才能がないと描けない、色はパソコンのソフトでいろいろできるのだ。
エッセンシャルでは写真の加工でもいろいろできるから役立つだろう。
結局抽象画自分の才能より技術として習得するとできるものだった。

化学反応の実験ににているのだ。ソフトがいいものがあるとそれでまた無限の変化を楽しめるということがある。

もちろんこれはどうしても第3芸術とかになるがそれでも素人として色を楽しめる、創作できるということはパソコンとソフトの技術でできたことなのである。

2013年05月13日

抽象画(原初の花-光る花)


抽象画(原初の花-光る花)

原初の花

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ラフレシア


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光る細胞-細胞分裂


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結合する光


抽象画は題名はどうにでもつけられる。
これは光っているから光ることがテ-マになる。

ラフレシアににているから名前をつけたが
やはり光ることはパソコンでしか表現できないア-トだった
結合する光はまさにまばゆい

人も光として結合すればこうなるだろう
一方で闇ともなるのが人間である。

2013年05月14日

HARAMACHI-鹿島-相馬市(抽象画論-見る眼が必要)

 

HARAMACHI-鹿島-相馬市(抽象画論-見る眼が必要)

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抽象画は見る人によってどうにでも見える。具象画だったら山を描いたら山にしか見えない、家だったら家にしか見えない、人間を描いたら人間にしかみえない、でも抽象画どんなふうにも見えるしどう名前をつけてもいいのだ。ここではそれぞれの住んでいる市町村でも違った感じになるのだ。
南相馬市の原町は一早く近代化した都市だから赤のイメ-ジになる。
相馬市は城下町だから紫のイメ-ジになる。他は小高でも鹿島でも土の色とか緑になる。
そういえばそういうふうに見えるなともなる。

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秋深む


抽象画は第三芸術くらいにしても意外と奥深いものがあるかもしれない、単純化したなかに奥深いものがあるかもしれない、それはやはりその人の見る眼によるのだ。
秋の紋様というのがあまりにも単純なものでありこれがどこがいいのかとわからないだろう。
でも自分でも秋の色を単純化したものでこれは深いものがあるかと思ったのである。
自分で作って自分で評価するのも変だが抽象画はそれだけ自分で作ったものでも解釈も必要になる。秋の紋様としてことでこれが秋なのかということを理解するだろう。
この題は 秋深む だった。やっぱり抽象画はタイトルもかなり大事である。なになのかを示さないと見る人が見当もつかないことがあるからだ。


結局パソコンの抽象画ソフトによって量が増えてくる。無限に増えてくる。エッセシュル4かなり使える、だいたい三つのソフトを組み合わせると抽象画できる。その過程はある意味で決まってしまってもいる。ソフトの中で使いない機能もある。使う機能は必ず使っている。
これは抽象画を作る一つの技術化している。

写真でも加工すると違ったように変化できる。ただそれが元の写真でも絵でもわからなければいいのだが一目見てわかるのは著作権違反になる。でも抽象画からまた抽象画できるのも不思議である。
化学変化とにているのだ。一つの写真でも絵でも変化させると違ったものとして見えるから豊かなものになる。いづれにしろパソコンの抽象画新しい分野なのである。
だからなかなか評価されないということがあるだろう。

今までも抽象画を画家は描いていたがパソコンで作るのとは違っていた。

パソコンでしかできない抽象画かなりあるし絵が描けなくてもパソコンだと抽象画が素人でも作れるようになったのである。
自分のように全く具象画ができなくても抽象画は作れるのである。
ただ見る眼の方が抽象画では大事である。

春の感じとか秋の感じを深く知らなければ感じないだろう。それは日本の俳句など季語の見方に通じているから抽象画もやはり日本的なものが風土が反映されるのである。

2013年06月06日

抽象画(夏の花-つばめ)


抽象画(夏の花-つばめ)


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夏の花


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夏の宮殿

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つばめ

これも不思議である。つばめを抽象化するというか
別な形にするとこうも見える

これもただ偶然だったのである。
あれこんなふうになったな、つばめに見えるなとなった

パソコンの抽象画は何になるか予想つかないのである
だからこれは何だろうとわからないものがでてくる

でもこれは明らかにつばめに見えるから不思議なのである

2013年06月08日

抽象画(縄文人の宇宙)


抽象画(縄文人の宇宙)


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蟹座宮

これは蟹に見える



縄文人の紋様の不思議があるけどここからわかるように実際はパタ-ン化されている。
縄文人の世界観が紋様に現れていたのである。
その時代にパタ-ン化する様式が生まれたのはその時代を象徴していたのである。
縄文人の生活や精神構造はパタ-ン化しやすいものだった
現代のように混沌としていないから同じ様式となり同じ感覚を共有して精神も安定していたのである。
万華鏡でその紋様かパタ-ン化されているのを発見した。

パソコンではエッセンシャル4で印象派様式の絵に転換できるのもパタ-ン化したのをコンピュ-タ-で解析したからできた。
新しい様式でもパタ-ン化すると一般的に利用できるようになる。

この絵の原画はいろいろに変えられた。縄文風の紋様の抽象画になっていたからだ。
だからこれはその原画を加工したものだから著作権に違反するかもしれない
その絵の一部分も万華鏡で加工したからである。

こういうふうにもなるんだよという一例である。

パソコンでし抽象画はいくらでも変化させられるのである。

2013年06月20日

古代都市(抽象画)



古代都市(抽象画)


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これはj-trimdで主に加工した、その原画がなにかはじぶんでもわからなくなった。
抽象画が変化の過程で偶然に生まれものでありソフトに左右されるのである。
そのソフトでしかない変化が加工があるのだ。
だからソフトによって無限の変化があるともなる。

写真でもエッセンシャル4で変化させると別なものよ見えてくるのだ。
これは別に絵の才能は必要なくものを見る目の方が大事になる

この抽象画が秋深しとなっていても見える人は見えるのであって見えない人は見えないとなるからだ

この古代都市は比較的わかりやすいだろう。

春の色 (抽象画は無限の色の変化だ)

 

春の色


(抽象画は無限の色の変化だ)

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ここまでクリック拡大

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抽象画は形にこだわらないから無限にできることがわかった。
ただ機械的な変化をソフトでするだけなのだ。
つまり色の化学変化だった。

だからソフトが変われば抽象画もまたふえてゆくのだ。

これも四つくらいのソフトを組み合わせて作った
ほとんど機械的作用である

でも春の感じをイメ-ジできないとわからない

これが春の色だというのはその人の感性になるからだ




2013年07月08日

抽象画(四季の街)

 
 
抽象画(四季の街)


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春の街


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夏の街



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秋の街

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冬の街


抽象画はバソコンで簡単に同じ原画を変化させられることである。
だからいくらでもできるということがある。
まあ、こんなものがどこが絵画なのだとわからない人も多いだろう。
ただやはり色が美しいなと思うことは確かである。

これが街といえば街になる。他にも何か題がつけられるだろう。
ここに四季を感じる、秋は秋らしい色である。その他は春みたいだが夏だとなるとわかりにくい、冬の街はなかったのか?