2011年11月12日

相馬六万石の城下町(フランスの詩と自分の詩の比較)

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相馬六万石の城下町

相馬六万石の城下町
城も見えずに残る濁る堀
狭き門一ついづこが城や
その名残も知れじ


街中に菊畑映えて
塀の内に柿のなる
昔の武士の屋敷にあらじ
通りをゆく人あわれ秋の暮


街のはし橋一つものさび古りて
塩地蔵常にしありしも
我がここを行き来して
病院に枯木三本堅く立ちしも


田町は昔栄えし所
柳長々と垂れしかも
相馬駒焼き代々の主
無愛想にいぶせく棲みぬ


城下町曲がれる路次の多しも
残る虫の音なお聞こゆ
晩菊の静かに日のあたり
古本屋により書を読みぬ


誰が眠る街中の墓所の静けく
相馬藩代々つづきぬ菩提かな
野馬追いに受け継ぐ
武士の勲し誉れ蘇りぬれ


相馬六万石の城下町
日頃知られぬ街なりき
この街訪ねる人もまれなりき
駅前に落葉してひそまりぬ


街を離れて昔の街道行けば
松並木に昔を偲びぬ
刈田の道も静かに農家かな
昔郷士や伝来の旗を蔵しぬ


城下町誰か棲みぬれ
畳屋の灯ともり仕事かな
野馬追いの今もつづけば
鎧師のなお技伝えぬ


月曇り六万石の城下町
鈍き銀色の雲の棚引き
華やかな栄のなしも
月影のもれし屋並かな


墨絵の色の地味な街
質素なる暮らしの昔かな
四方に田野の広がりて
城はつつましく暮れにけり

 



仏蘭西の小都会
            アンリイ・ド・レニエェ


起き出て我朝に街を出ずれば
道の敷石に足音高くひびきて
太陽の若き光は古びたる甍を暖め
Lirasの花は家々の狭き庭に咲く


人の歩みに先(さきだ)ちて足音の反響は
梢にそびるゆる苔の土塀の長きに伝わり
磨り減りし敷石は白き砂道に連なり
場末の町より野辺に走れり

やがて険しく上る山道より
日に照らされて丘のふもとに
悄然として狭く貧しく静かなる我が生まれし街の
見慣たる懐かしき屋根の見ゆるかな

長々と彼処に我が街は横たわる。流るる河ありて
その水は二度居眠りて二つの橋の下を過ぎ
散歩の道に茂りし木立は街にそびゆる
鐘撞堂の石と共に古びたり


うららうに澄み渡りて狭霧なき空気に
我が街は太き響きを我に送りくる
洗濯屋の杵と鍛冶屋の槌の音
打ち騒ぐ幼子の甲高くやさしき声


変わりなきわが街の浮世に思い出もあらず
繁華光栄の美麗もなくて
わが街はいつの世までも
今見るごとく小さき都にあらむ


我が街は耕せし野辺,高原、荒れし野に
又は牧場の間に立つ数ある街の一つなれば
何れとわかぬ小さきフランスの街の名に
旅する人はわが街の名さへ知らで過ぎぬべし


しかれども朝より夕べに移る徒然歩きの
長き思ひの一日は過ぎて
麦の畠のかなたに日はかくれ
林に通う細道暮れそめて


物のあいろもわかぬ夜
歩む足音険しき道にとどろきて
堰越す水音はるかに聞こえ
吹く風運河の木立に騒ぐ時


つかれて我は帰りくる街近く
ふと仰ぐ辺りの家の窓
帳さへなきガラス越し、ランプの壺に
石油の黄金色なす燈火の燃ゆるを見れば


杖にて探る夜の道、自ずと足も急がれて
われ思ひしる、我が墳墓の国土
懐かしき眼に闇の内よりいとも優しく
我が手をとりて引くがごとしと



外国は日本と全く違ったものと思う人もいる。でも外国を旅していると人間の住んでいる所は必ず共通性がある。ギリシャでもあそこは特に風土が地形が日本とにていたから親しみがあった。菜の花が一面に咲いていたのを見たとき、これは日本と同じじゃないかとつくづく思った。ギリシャは日本の地形と本当ににていたのである。ヨ-ロッパはフランスやドイツは山がほとんどないから地形的にはにていない、でも歴史的にはにていたのである。特に封建時代があり中世は城の時代でありにている。各地に領主がいて支配していたし騎士は日本の侍とにている。封建時代があるのはヨ-ロッパと日本だけである。中国にはない、巨大な帝国はあっても地方に領主がいて城で支配していたという歴史がない。今でも廃墟になった小さい城の跡が多いから日本とにているのだ。そして中世の時代は長かった。日本の城下町と中世の街もにているところがある。いかに古い石畳の路次がありそこを踏み歩むと歴史を感じるのである。そこはまさに日本の城下町でもあった。ただ石造りということが違っていた。石畳の道は中世からつづいている道である。その路次には聖人の像などが祭られていたりするが日本では地蔵になったりする。


磨り減りし敷石・・・というのはまさにそうである。流るる河ありてその水は二度居眠りて二つの橋の下を過ぎ・・・ここは日本とは違っている。河が大陸では運河のうよになっている。流れているか流れていないのかわからない、自然の河のようには見えないのである。だからその水は二度居眠りて二つの橋の下を過ぎ・・・というのはうまい表現である。日本の河は絶えず流れて滝だと外国人が言ったが外国の河はまさに眠っているという表現がぴったりである。そして橋はいかにも古い石の橋でありそれは街と連結していて街の一部のうようになっている。この辺は違っていてもこの詩は全体的に自分の作った詩とにていると思った。ランプの壺に石油の黄金色なす燈火の燃ゆるを見れば・・・これは日本では江戸時代なら行灯だった。江戸時代の風情は城下町に多少残っている。相馬市がなぜいつも行くとしんみりするのかというと高い建物が街の中にほとんどないからである。それは昔の江戸時代の街並みと同じである。江戸時代に高いビルはない、だからこそ「月天心貧しき街を通りけり-蕪村」これが現代のように高層ビルだったら月も映えないのである。江戸時代の江戸でも高いビルはないのだから自然が太陽でも月でも映えるのである。そこが昔を錯覚する。高いビルは情緒を壊すのである。外国でも旧市街と新市街は分かれている。旧市街は歴史地区であり歴史を偲べるのである。

いづれにしろ相馬市をたずねても何もないと旅人は感じる。それはこの詩と同じである。しかし城下町だからそれなりに歴史がある。相馬市はまだ野馬追いがあるから他よりはいい、ここが野馬追い発祥の地として自覚するからだ。ただ城もないしここが一体どこが城下町なのかとなる、武家屋敷もない、最近堀の跡が発見されたとか残っているのはあの濁った堀くらいなのである。そうすると他からここにきて昔を偲ぶということはなかなかむずかしい。一般的に昔を偲ぶということはむずかしいのである。現代のものだけが目に入りやすいからだ。でも相馬六万石でも城下町の歴史はあったのだから他とは違っている。原町とは違っている。細い路次が多いのもそのためである。田町は昔繁栄して馬屋などが並び漢詩にも残された。そういう残されたものからも昔を偲ぶことはできる。風景は変わっても回りは田んぼだからそんなに変わってもいないからだ。ともかく自分の作った詩とこの詩はにている。やはり人間はどこに住んでも人間である限り共通性が必ずでてくるものだと思った。エジプトなんかはなかなか現代からすでに理解しにくい、でもギリシャなどは理解しやすいのである。


江戸時代は墨絵の世界だった。着ているもの地味だったというし侍でも質素であり派手な暮らしをしてしいない、今ほど派手な暮らしをしている時はないのだ。現代は余りにも社会が変わりすぎてしまった。車社会というのも情緒を破壊した。TPPにしても車社会と関係している。車社会になったとき街の商店街は消失したし様々な古いものが破壊されたのである。そして財界がTPPを押し進めるのは自動車を売りたいとかのためでありその圧力が大きいのである。農家の人でも名古屋辺りでは車の生産に関係しているのだ。下請けになっていたりする。車の方が売りたいから農業は二の次にされる。車を売らなければ豊かな生活はできない、農業ではできないということでそうなっているのであり
車社会がそうしていることが根底にあることを見ないと事の深層はわからないのである。車社会が必然的に街の通りと商店街を破壊して農業も破壊してゆくということがあるのだ。車を売ってその税金で国が農家に補償しているということもある。そういうジレンマが常に現代にはあるのだ。


ともかくヨ-ロッパは日本と意外とにている。中国辺りだと大きすぎてとらえどころがない、封建社会もなかったから歴史的にもにていないのである。確かに漢字は共通でも社会自体はにていないのである。スケ-ルが大きすぎるとわかりにくくなるのだ。距離の感覚でも何でも日本とはかなり違っているのだ。ヨ-ロッパの中世は感覚的にわかりやすいのである。教会もカトリックだと日本の寺とにている。役所の一部でもあった。日本でも戸籍係のような役目を寺が果たしていたのである。寺の権力も結構大きかった。ヨ-ロッパの方が大きかったにしろにている。ただ外国でも昔を知ることはむずかしい。外国人でも日本に来たら東京辺りだとほとんど昔を偲べない、偲ぶものがない、皇居だって城がないのだから偲べないのである。やはり何か遺跡として残っていないと外国は特に昔を偲ぶことはむずかしいのである。

 
           

2012年01月18日

新年のあらたまの歌の再考 (失われた悠長な時間感覚)


新年のあらたまの歌の再考
(失われた悠長な時間感覚)

あらたまの、年は(き)来ゆきて、玉梓(たまづさ)の、使(つかひ)の来(こ)ねば、霞立つ、長き春日を、天地(あめつち)に、思ひ足(た)らはし、たらちねの、母が飼(か)ふ蚕(こ)の、繭(まよ)隠(こも)り、息(いき)づきわたり 我(あ)が恋(こ)ふる、心のうちを、人に言ふ、ものにしあらねば、松が根(ね)の 待つこと遠(とほ)み、天(あま)伝(つた)ふ、日の暮(く)れぬれば、白栲(しろたへ)の、我(わ)が衣手(ころもで)も、通(とほ)りて濡(ぬ)れぬ


正月も終わりだけどこの歌はなにか昔の生活が如実に歌われている。玉梓(たまづさ)の、使(つかひ)の来(こ)ねば・・・というとき現代は使ひが多すぎる。たまに来るから使ひも貴重になるけど今は情報過多であり絶えず暇なく使いがニュ-スが耳に入ってくる。考えてみると殺人事件にしても全国レベルとか世界レベルになればめずらしものではない。人間社会では常に起きてきたことである。

万葉時代辺りはそうしたニュ-スが聞こえない、聞きようがないのだ。使(つかひ)はめったに来ないから玉づさのとして貴重なものとして枕詞になった。使ひにしてしも歩いて来たりして伝えるとなると貴重だとなる。万葉人の満足は天地(あめつち)に、思ひ足(た)らはし・・であり常に天地に思いはせて天地の中にあった。繭(まよ)隠(こも)りというのも養蚕は万葉時代から戦後10年くらいまでも養蚕は盛んだった。養蚕のために二階で繭を飼うための作りの家が今でも残っている。随分古い歴史があったけど養蚕もすたれてしまった。どこの山の中でも養蚕があった。だからこの歌は時代的に別にかけ離れたものではないし最近まで日本人がつづけていた生活だった。確かにそういう二階が養蚕をするために作られた家々はまだ阿武隈高原辺りに今でも残っている。


心のうちを、人に言ふ、ものにしあらねば、松が根(ね)の 待つこと遠(とほ)み・・・ここにも何か悠長な時の流を感じる。性急に思いを果たすというようなものはない、松が根というのは待つにかけている。ここに時間の悠長さがあった。繭(まよ)隠(こも)りというとき外界との交渉があまりない生活だった。霞立つ長き春日を・・・これも山深く隠されているような感覚になる。万葉時代は時間の感覚が今とは違いすぎる。江戸時代でもそうだからそれ以前の万葉時代の時間感覚はそれ以上に悠長である。明治維新以後生活のリズムがあまりに変わりすぎた。天地を思うようなことはほとんどない、時計に追われ車に追われ情報に追われ金に追われ何かに追われつづけている。こうした天地のリズムにあわせた時間感覚からあまりにも離れすぎた生活になった。古代文明でもエジプト文明でもマヤ文明でも常に思っていたのは天地のことだった。そのためのピラミッドであり神殿であった。

現代では天地より石油であり原発とか科学や機械が天地より大事になった。そして天地すら操ることができるとして原発が作られた。天地より人間が作ったものが機械の方が技の方に関心がある。毎日株に一喜一哀している。そういう生活はやはり何か人間を天地から離れさせて人工的な世界がすべてのようになってしまった。そこに落とし穴があった。津波なども天地の成せる業でありそれは人間の思いを越えていた。
 

岡崎の月見に来ませ都人かどの畑芋煮てまつらなむ  大田垣蓮月


【通釈】岡崎に月を見にいらっしゃい。都の人よ、門の畑で採れた芋を煮てご馳走しましょう。

【語釈】◇岡崎 京都市左京区岡崎。◇かどの畑芋(はたいも) 門のそばの畑で収穫した芋。◇まつらなむ 御馳走しましょう。「名月へのお供え物として捧げましょう」の意にもなる。


京都市でも広いからこういう場所がまだあった。江戸時代から明治でもあった。こういうもてなしが本当のもてなしになる。前の畑でとれた新鮮なものを出される。それこそなんともいえぬ安らぎを与える。現代生活はいろいろ便利なんだけど失われたものも多い。人間が営々と変わらない天地との生活が喪失した。


鶉ふす門田(かどだ)のなるこ引きなれてかへりうきにや秋の山里(建礼門院右京太夫集)


かへりうきにや・・・都へ帰るのも憂(う)し・・ということなのか、大原の生活も慣れたからなのか?大原は一回行ったけど本当にここは京都からはかなり遠い、当時だったら都ははるかに遠い雲の彼方になる。バスで行っても二時間とかかかるから遠いのだ。門田とは家の前の田で重要な田であった。前田もそうである。家を中心にして生活があったからだ。都の暮らしを思いつつ大原の生活も慣れたということがあったのか?人間はどんなものでも慣れるというのは本当である。不便な生活でも不便なりになれるということもある。ただ一旦便利な生活をしたら不便な生活にもどれないことも人間の性(さが)である。昔がいいというとき現実としてはわからない、昔の現実を今も生きている人がアフリカや後進国に現実にいるからだ。その人達の仕事は薪を集めることや水をくむことが仕事でありインドでの嫁の仕事は遠くから水をくんでくることだったりする。それが重労働で長生きできないとなると労働に追われて体力を消耗している悲惨な生活だったとなる。もちろんまともに医者などにもかかれない生活である。ただこれだけ便利になっても天地から離れて失ったものがある。だから現代からは過剰に過去への郷愁が募ってくる。飯館村でもそうだがこの辺はまだ素朴な田舎でもあった。変わったにしろそれなりに素朴な田園風景が残っていたところである。それが原発事故で失われたから余計にそう思う。


母が飼(か)ふ蚕(こ)の、繭(まよ)隠(こも)り・・というとき母が中心としての家があった。母の重みが家と共にあった。それは家で仕事していたからである。会社に勤めているのではないからそうなった。いづれにしろこの万葉の歌は心なごむ歌である。何かそうした当たり前の人間的なものをうしなったから余計に現代からなつかしいものとなっているのだ。心のうちを、人に言ふ、ものにしあらねば・・・というとき今はあまりにも言いすぎる。語りすぎるということがある。すべてを人は他者に語りようがない、いくら思いがあってもただ黙って待つほかないというのがいいのである。

2012年05月24日

読めない読まれない詩の問題 (生きている樹の詩-自作から)


読めない読まれない詩の問題

(生きている樹の詩-自作から)


生きている樹の詩



樹のように偽りなき真を生きる
その芯は固く梢は鋭く天をさす
枝々はしなやかに伸びて鳥がとまる
新緑の若葉が風にそよぎ鳴り
かなたに残雪の嶺が高々と光る
誇らしく堂々と迫ってくる
峠を越え木蔭の道に休む
この荒木の幹の太さ、枝振りの良さ
真実に生きよ、自然は汝に呼応する
信頼の熱い血が脈々と樹に流れている
樹はものではない、生きている命
樹は根から幹から枝と血が通っている
鳥は甲高く鳴き樹々を喜々と移り飛ぶ
樹には初夏の眩しい光がさす
赤々とツツジはそちこちに燃え咲き
黒々とした岩に清水が轟き落ちる
樹は大地に深く根を張り生きている
樹は信頼と真に生きる
その樹に触れよ、その樹と握手せよ
その樹と触れて大きな力が湧いてくる
この世の人はみな偽りに生きる
それ故にその目は濁り体まで歪んでいる
汝は樹を友として天地に通ぜよ
樹は自然の中の一つの弦なり
天来の楽が汝にひびきわたるだろう
今風はそうそうと吹きわたりなお樹は伸びている
子供のように若人のように希望に燃えて伸びている
樹は若々しく四方に枝をのばす
ぴんと張りしなやかに枝を伸ばす
そこに鳥はとまりゆれ飛びうつる
樹は鳥とともに生きている
若葉は風にそよぎ初夏の光がふりそそぐ
かなたに残雪の嶺が光り迫る
汝は樹とともに生きよ
樹の力を五体に感じよ
汝もまた樹とならむ

 


仁徳天皇の時代に、大きな木がありました。その木がどこにあったか、正確な位置はわかっていませんが、朝日があたれば淡路島に影をおとし、夕日があたれば大阪に影を落とすほど大きな木だったということです。

 この木を切りたおして船をつくることになりました。その船は枯野という名前で、帝がお飲みになる水を淡路島の泉から運ぶのにつかわれていました。


 その船が古くなりつかえなくなると、浜辺で焼いて塩をとることにしました。船に火をかけると、炎が天たかく立ちのぼり、ごうごうと音をたてて船は塩をふくんだ灰になっていきました。


 ところが、どうしても焼けずにのこってしまった部分がありました。その部分をよくみがいてみると、小さな舟のかたちをしていました。そこで、その舟に弦をはって琴にしてみたところ、七つの里をこえて音がひびく、すばらしい楽器になったということです。

 


大阪辺りでももともとこうした鬱蒼とした森があった。仁徳天皇陵などもあんなに街の中にない、広々とした野か森の中にあったのだろう。レバノン杉の森がなくなったと同じである。今や文明は滅亡して新たな自然が復活する必要がある。そのために今回のように巨大な災害が来て文明を一掃してしまう。かもしれない、そして新たな自然が回復するのである。人間はあまりにも天地からかけ離れてしまったのである。それが原発事故を生んだ原因でもあった。森とか山の影ではない、巨大な文明という人工物におおわれている。そこでは自然を感じるということがなくなっている。自然に感応する心がなくなるとき人間は未来を見失う。原子力を神と崇め原子力とともに滅んでゆく、それがこの辺では現実となっているのだ。ただ放射能でも美は失われていない不思議がある。緑も花々も同じ様にきれいである。ただ樹で家をたてると放射能汚染される。樹そのものは森にあっても枯れたりしないしそのままなのである。ただそこに住む生物がこれからどうなってゆくのかはわからない、鳥が住めなくなったりしたらやはり絶望的である。人が住まなくなったらそこが自然の原初の状態に帰ってしまう。それも不思議な光景である。この神話の樹は屋久島の縄文杉を見ればイメ-ジできるかもしれない、千年二千年も樹は生きるから驚異である。


詩を書くものにとって詩が読めないということがつくづくある。詩集など書店にも置いていない、だから他の詩を参考にして書くことがむずかしいのだ。過去の詩も読めない、詩は実際は数が多いしその中にはいいのがある。無名の人にもいいのがあったりする。詩は読む人は少ないからいい詩でも読めない、この前、アマゾンで3000円で詩集を買った。その一篇の詩だけが良かった。木蓮の詩である。木蓮は漢詩にもでていた。高原にあっているというのは本当である。高原からふきわたってくる風にそよぐときあっているのだ。それもたまたまインタ-ネットで読んだ漢詩でわかった。


詩は読めないというときインタ-ネットにもほとんど出ていない、書店でも買えない、古本屋で買えるが馬鹿高かったりするからなかなか買えない、井上康文という人のこの詩集は名古屋辺りで旅でよった古書店で何十年も前に買った。そんなふうにしてしかこの本には接することができない、そういう詩集が日本でも外国でも多い、アマゾンでも古本の詩集となると高い、だから読めない詩というのが実に多い、例えいい詩があっても読めないのである。書店は売れる本を置かないと商売にならない、しょせん書店は今や文化をになうにはあまりにも弱小になってしまった。書店はもはやほとんど知的なものとしての役割から遠くなった。仙台辺りの大書店ならまだ違っているけど小さな書店はもはや役に立たない、そもそも知的なものは本は情報は多様であり詩となると読む人も本当に少ない、でも明かにそれは文化であり一般大衆が読む本は文化を作っていない、文化とコマ-シャリズムとかはまるであわないのである。だから売れるとか売れないを基準にしている文化事業そのものが文化を育むことはない、書店は誰でもできる、何の努力も才もいらない、職人などよりも苦労もいらないのである。ただ本を置くというだけの倉庫にすぎないしその番をしているのが書店主だとなる。

出版している人は編集者はそれなりにその本を読むから違っている。というのは作家の書いたものを理解しなければ編集はできない、するとかなりの努力が必要になってくるのだ。書店で置いてある本を理解している人はまれである。それは物を売っている人より劣っている。商品に通じていないなら売ることもできないことがあるからだ。だからいづれ書店は消失する。本という媒体はなくならない。どうしても本の方が読みやすいということがあるからだ。


自分が必要としているのは例えば樹ということで詩を書いたら他の人の樹について書いたものを知りたいとなる。そこから知の探索がはじまっている。それを小さな書店で探しようがない、インタ-ネットで探してもめったにない、ただ漢詩でいいものを紹介していた。それははじめて接する漢詩だった。こんな漢詩もあったのかときうものが紹介されている。その他は見つけられなかった。
知の探索はなにも詩だけではない、科学的なことでも他の学問でも個々にさえ違っている。
そういう知の探索に答えられるものがないのだ。インタ-ネットでほんのわずかそれに答えるものが出るようになった。ただ膨大な詩は見つけられない、雑誌に出ていたものや無名の詩はいくらでもありそのなかにいいのがあった。しかしそれらを見いだすことはむずかしい。

井上康文とういとあまり知られていない、でもその詩集をたまたま買っていたから読んだら自分と同じ様な発想の詩を書いていた。樹について書いていたのである。


樫の樹


樫の木は燃える炎天に葉を光らせ

ぐっと太い根を張って黙っていた

新しい力を烈しく枝々に波うたせながら

大きく高く生きてゆくことを考えていた

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ここのところが自分の「生きている樹」と連関して読める所だったのである。そういう連関したものを探そうとしているのがインタ-ネットなのである。ただ詩については過去の詩でもいい詩がないから連関して探せない利用できないのである。だから詩のデ-タ-ベ-スをインタ-ネット上に作れば役に立つ、著作権の問題があるにしろ著作権が切れたのでも膨大にあるからそこから選んだものを評価してゆく、ただそのためにはまず埋もれたものを集めねばならない、その詩集は今も高い、探しきれないこともある。それでも最近結構そうした日本でも外国のでも集めている。アマゾンで意外なものが買えるから多少読めるようになったのである。
 

初夏の若い女性の姿


胸を張り颯爽として歩む
大きな胸に初夏の風を受けて
前を向いて颯爽と歩む
悪びれるところは何もない
未来に向かって若い女性は歩いている
背はぴんと張り水々しくにこやかにほほえむ
まだ人生の悪に染まっていない
もう年取ると体が歪んでいるだけではない
心も歪んでいて体まで曲がっている
体だけではない心も曲がっている
笑いはシニカルになりうちひしがれている
話すことにいちいち毒があり
人生に対するマイナスの言葉しかでてこない
悪にそまり悪をいとわず汚れきっている
見えない悪臭を放っている
その人が通るだけでしゅべるだけで
辺りの空気も汚れてしまう
あまりにもその違いに唖然とする
若い女性は希望に燃えて歩いている
そこから発せられる気は清々しい
溌剌としてすらりとして胸を張って歩いている
やがて健やかな赤子を産むのだろう
腰も大きくその体は若さがあふれている
何か媚びるものもない
爽やかな初夏の風を全身に受けて歩いている
若葉が風にそよぎ夏の青空のように
若い女性は希望に燃えて歩いている

つくづく老人と若い人とはこれほど違うものかと思った。何も語らなくてもその姿はすべてを表現していた。そこにはエロッチックというのではない、健康的な一人の若い女性の姿に感嘆したのである。女性そのものが体が芸術品だった。それが健康的なすがすがしい姿だったのである。彫刻にしたいような体つきだった。何かのスポ-ツでもしていたのか均整のとれた体である。それがエロチックというのではなく、健康的なのである。自然な姿の美がそこにあった。あまりにも老人はすべてではないにしろゆがんでいる。体がゆがむだけならいいが心がゆがみすぎている。犯罪者でもあったからそうなのだがその違いは天と地とも違っている。この肉体の若さはとりもどせない、でも老人でも心は若く
清らかにありえるのだ。だから樹とも感応できるのである。

柳宗元詩―その永州の花木詩について―
http://chinese.art.coocan.jp/liuhuamu.html


漢詩についてはかなり豊富にインタ-ネットにでている。これは明かに茶の世界だった。茶道にしても元は中国にあったともなる。木を植えたり竹を植えたりと明かに日本の庭作りににている。
より深山幽谷の世界になっているのが中国だった。中国の自然は広すぎてわからなかった。あまりにも人口が多くなり自然が見えなくなっているからだろう。中国は本当はアメリカよりわからない世界である。江戸時代は文献で接していただけであり最近直接知るようになったからである。広すぎるからわかりにくいのである。

2012年06月01日

樹への思索 (長い時間で育まれたものを失った現代)


樹への思索

(長い時間で育まれたものを失った現代)

根をどこに持つのか?
日々生活する場が根である
それぞれに住む場が根である
それが故郷でありまた他の場もそうである
その根になる基に大地がある
樹を育てるのは大地の養分である
大地の力はなかなか意識されない
でも大地の実りの成果が
樹となり果実となって形となり実となる
大地は親であり樹は子である
樹は成長するのに時間がかかる
深く根を張るのに時間がかかる
縄文杉は一千年の寿命があるとすると
それは大地の主のようになっている
息が長いものでないと大木には育たない
人よ、大木になることを目指すべし
一本の樹は樹のみを語るものではない
大地を森を語り万物の命を語る
百年で消えるものに真実はない
千年語るものに真実がある
千歳の重みある石に真実がある
真実や愛は時間で育まれる
短い時間ではどんな人も本物になれない
長い時間で知らず成長するものがある
樹は深い木蔭をなして人を憩わす
樹は哲学者であり瞑想している
実存の深さと重みを備えている
だから何物にもたじろがない
大地と血脈を通じ一体化している
樹は大地の霊であり霊樹となる
それは神秘的な命の精なのである

 


 成長を欲するものはまず根を確かにおろさなくてはならぬ。
 上にのびる事をのみ欲するな。まず下に食い入ることを努めよ。


 早年にして成長のとまる人がある。根をおろそかにしたからである。
 四十に近づいて急に美しい花を開き豊かな果実を結ぶ人がある。下に食い入る事に没頭していたからである。


 私の知人にも理解のいい頭と、感激の強い心臓と、よく立つ筆とを持ちながら、まるで労作を発表しようとしない人がある。彼は今生きることの苦しさに圧倒せられて自分のようなものは生きる値打ちもないとさえ思っている。しかしそれは彼の根が一つの地殻に突き当たってそれを突破する努力に悩んでいるからである。やがてその突破が実現せられた時に、どのような飛躍が彼の上に起こるか。――私は彼の前途を信じている。根の確かな人から貧弱な果実が生まれるはずはない。


樹の根(和辻哲郎)
http://www.aozora.gr.jp/cards/001395/files/49886_42648.html



和辻哲郎というと「風土」で有名でありこれは最初から読んだ。だから風土とか地理に興味をもち旅行して地名に興味をもち地形に興味をもった。風土から文明を論じるのはわかりやすいのである。
風土の影響で顕著なのはドイツとフランスである。やはりドイツにはゲルマンの深い森があったからその文化も違うものとなっていた。今はその森がないが寒い所なのである。北方の深い森がゴシックの大聖堂を作ったというのがわかる。文化と風土は一体なのである。 明治維新以後変わりすぎたのが日本だった。江戸時代まで育まれた長い時間で育まれたものを根こそぎ変えてしまったのである。一見それこそが革命であり日本を救ったと思っている。しかし日本の長い時間で育まれたものが根こそぎ失われた影響は余りにも大きかったのである。戦後も敗戦でアメリカ化したのもそうである。つまり日本人はすでに日本人たる根っこをもたないのである。何が日本人の根っこなのかもわからない、日本的モラルでも義理人情でも江戸時代にはあった。そういうもの最低限のモラルさえなくなった。そしてむきだしの欲望民主主義であり金になるものだけが価値あるものとしてがむしゃらに追求してきた。つくづく一旦モラルなど伝統的なものを失うと回復できないのが深刻なのである。何が義理人情だよ、馬鹿げている、金だよ、金だよと言ってはばからない、伝統的なものを失うとそうなってしまう。そうしてもはや取り返せないのである。かといって新しいモラルが生まれるわけでもないし作られるわけでもなかった。だから金だけを頼りにしたモラルなき社会に今はみんな生きているのである。それはとりもなおさず弱肉強食である。金さえもらえばいい、あとは関係ない、遂に相手をだまして盗んでもいいんだとなる。モラルがなくなればみんなそうなるのだ。ただ法律にふれると罰せられるから露骨に言わないだけで心の中でそう思うようになっているのだ。


明治維新後の教育なども根本的に間違ったものだった。教育に関しては江戸時代の方が良かった。
藩の教育などの方が良かった。寺子屋の教育すら今より良かった。人間と人間の信頼関係の上に成り立っていた。シンプルな世界だからそうなったともいえる。人を蹴落としてまで立身出世主義だとか欲望を充たせるとかなるのは教育ではない、人間を野獣化する教育であった。でも現実はそうなってしまっていたのである。そして土地から切り離されて都会化した人間となっていた。みんな土着的な生活をしていたから土地と結びついて生活していたからそうなった。一つの藩が狭いとしてもそこが基本となり世界観になっても全体的になっていたのだ。今はグロ-バルになったとしてもその基本の所で全体的思考が身につかないのである。都会だったら自然と遊離しているから自然と人間が一体のものとして考えられない、つまりミクロコスモスがないとマクロコスモスもないのである。自然の上に思想が形成される。
ところが都会では自然が大地ぬきの世界観になってしまう。そこではユダヤ人の金融だけが頼りの世界観とか批判されるものになる。紙幣に価値があるのではない、その紙幣として価値づけられるものに価値がある。いくら紙幣をためてもそれは紙でしかないからある時紙屑になる恐怖が常にあるのだ。江戸時代にはそれほど金が価値をもっていなかった。グロ-バル化とはそういう江戸時代のミクロコスモスの破壊の上に成り立っていたのである。


和辻哲郎でも七十歳しか生きていない、今だと平均寿命にもなっていないが長生きした方となるのだろう。今だと十年、二十年、寿命が伸びているから四十歳より五十才とか六十才以上でその人の貯えたものが花開くことがある。どんな平凡人でも何をかを貯えているのだ。知識でも経験でもそうである。それが花開くのが五十以上になっている。四十では若すぎるだろう。ただ自分を例にとれば才能があるからではなく凡才でも年になるとわかるものがあったということである。詩などもいいものが書けなかったし理解もできなかった。詩など書けなくても他者の書いたものも理解もできないのである。特に中味のある古典的なものはなかなか理解できないのである。この文章からなるほどなと思い付け足しのように書いてみた。インタ-ネットだと古典の引用がしやすくなるのだ。こんな文章があったのかと本では読んでいてもこれは読んでいなかった。ただたまたまにしか発見できないのも困るのである。樹のことを書いていたので調べていてたまたま出てきたのである。


要するに樹を知るだけで樹自体どれだけ語り尽くせない奥深いものをもっているか理解するだけで時間がかかるのだ。時間をかけないと真実はわからない、人間関係でも今は江戸時代のような長い時間で育むものになっていない、相馬藩は三百年つづいたとすると代々勤めているのでありそういう長い時間で培われたものがある。信頼とか愛情なども一年とかで育まれることはない、手伝いさんやヘルパ-などが今の時代、即製に一時間とか家に入ってくる人は本当に危険である。昔の金持ちのように十年間とか勤めていれば信頼できるが全く信用できないからだ。今はまず金だけを求める信じられない人が普通になっているからだ。人間関係自体金しかなくなっているからだ。江戸時代だったら長い時間で人間関係が築かれていた。もちろんそれがかえって縛られるとかでそこから脱したいということも働いた。でも現代は何事、長い時間で考えられない、ただ今を享楽して今を贅沢して今さえ良ければいいとなる。刹那的快楽主義になっている。だから原発でも日本のような地震国にどれだけ危険なことか百年後のことなど考えなかったのである。原発は百年後に事故が起きたら日本が滅亡するという危険なものだった。そういう時間の長さで考えることがなくなっていたのである。

今この辺で故郷を失ったらどうなるのか?つまり根っこが失ったらどうなるのか?そいうことが問題になっている。故郷がなくなるなどとういことを想像もしなかった。それが現実となっている。根本的に根っことなる場所を剥奪されたのである。根無し草にされてしまった悲劇がある。他で根をはるにしても時間がかかる、老人はもう根を張ることができない、すると絶望して自殺する人がでてきているのだ。故郷そのものがなくなるなどとは想像もしなかった。それは存在の全基盤を失ったことではないか?もちろん金さえあればいいとなるが金で埋められないものがある。それは金に代えられないものであった。そのことをしみじみ故郷を離れた人は思っているかもしれない、原発事故はだから戦争よりひどいと言っていた人もいた。それもわかるのである。

2013年06月14日

「古池や蛙飛び込む水の音」の意味するもの(続編)


「古池や蛙飛び込む水の音」の意味するもの(続編)

 An old quiet pond‥
      A frog junps into the pond, Splash! Silence again.


この英訳は雰囲気を現すのに成功している。俳句を英語化してももつまらないものになる。
これが何が詩になっているのかもわからなくなる。あまりにも短いせいもある。
ただA frog ではない、one frogだということが実感としてわかった。


 今日例の溜池を通ると睡蓮の葉にのっていた蛙が逃げて飛び込んだ。その時その音だけが辺りにして静まり返った。この音は「古池や蛙飛び込む水の音-芭蕉」なのかと思った。これは一匹の蛙だった。蛙は睡蓮の葉にのり誰も見ていない、ただ睡蓮の花の開くのをみていた。

ともかく今日聞いた蛙が飛び込む音は一匹の蛙だった。何匹かの蛙という人もいるが一匹の蛙の音が飛び込んだあとも余韻として残ったから一匹なのがふさわしいだろう。そこにいる生き物の気配はなかったが蛙が飛び込んだことにより蛙がいることを知ったのである。あとは森閑として何も聞こえない池だった。その池は実際はあまりいい池ではない、自然のものではない、ただそこを毎日のように通るからよるのである。人間は関心をもつのはやはり日常的にかかわるところなのだ。遠くの世界はいいとしても忘れやすいのである。古池をdark old pondと訳しているのもあった。やはり古いとあり何か暗く淀んだ感じの池にもにあっていた。透き通ったきれいな水ではない、ただ池は濁ったのが多いからそうなる。
その池には藤の花がさわに咲きその影を写していた。今は睡蓮が咲いている。


藤の花影を写して古池に睡蓮開く季(とき)は移りぬ

古池に睡蓮の影写りつつ葉にのる蛙動かざるかな

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睡蓮と蛙と菖蒲(梅雨の俳句)
http://musubu.sblo.jp/article/69078752.html


つまり芭蕉は耳の詩人ともいわれ音にこだわった。なぜこれほど音にこだわったのか?それはとりもなおさず江戸時代の沈黙の世界だったからこそ音が深い意味をもっていたのである。「静けさや岩にしみいる蝉の声」こういう俳句もなかなか今では作れないだろう。何か常に騒がしい気分になっているのが現代である。なんらか音をシャットアウトする空間を作り出さないとそうした深い沈黙に反響する音は聞こえなくなったのである。


落葉してとおくなりけり臼の音(蕪村)


これは芭蕉ではないが江戸時代は物音することでそこに生活するもののを感じた。そういう微妙な音だけで生活を感じた。それはとりもなおさず辺りが沈黙の世界だったからである。現代のような絶えざる車の騒音洪水にさらされたらこうした感覚は消失する。現代はどこかで工事していて騒音がたえない世界である。どうしても機械は音がでるし機械の時代は騒音の世界になる。
それでも戦前でも山頭火が

音はしぐれか


などで音にこだわっていた時代がまだあった。日本人の感覚は虫の声に聞き入るように音に敏感だった。

元々、去来が作った俳句は、
『 山吹(やまぶき)や 蛙飛び込む 水の音 』 というものです。

山吹を古池に変えたのが芭蕉だった。俳句にはこうして連句となる、座の文化でもあった。 山吹と古池ではあまりにも変わりすぎていた。


古池や蛙飛びこむ水の音

蛙消え余韻深まる水の音


とか自作でもできる。蛙消えて音だけが残っていることが余韻を深めているのだ。それは人が死んだということにも通じる。人が死んではじめてその人のことがわかり余韻を深めるともなる。俳句はその人の観賞しだいで価値が決まるというのも本当である。作る人よりどれだけ読みを深くするか観賞できるかで俳句の価値は決まる。その作った本人にもわからない価値を見いだすこともある。
それだけ短いからそうなっているのだ。


この句がなぜこれほど関心があるのか?自分の観賞の文がこれほど読まれるのか?それはこの句が俳句を象徴した句であるからだ。この短い句に天地の静寂をよみとったのである。天地の静寂に蛙という一つの命の音の波紋が深い余韻となって心に残される。そういう深い沖の余韻は江戸時代には普通にあったからこそ読まれた句でもあった。


鐘の音や千年の都春の暮

京を去り鐘の音残る春深し


鐘の音で千年の都を象徴することもある。そもそも京都は寺が多いし歴史的にも僧侶の勢力によって支配されていた。それで信長が僧侶を敵と見なし殺したのはやはりそれだけ権力化していたからである。僧侶はすでに権力集団だったからである。権力集団であることはあらゆる権力が僧侶に寺に集中していたとなる。職人でも寺に雇われて繁栄していた。だから信長の安土城の瓦を作るのに観音寺を滅ぼしてその瓦を使った。観音寺は寺であっても立派な城だったのである。その城をまねて安土城を建てたという。 だからこそ京都を集約すると鐘の音にもなる。京都の鐘の音には千年の都の歴史の音になるから他で聴くのとは違ったものとなる。音にも歴史的にもそうだし自然的にも何か深い意味がこめられている。ただ蛙とびこむ水の音は極めて俳句的であり斬新であり新しい音の意味の発見だったのである。


 

2013年07月10日

浪江の皺石(詩) (一つの石の存在感についての考察)

 

浪江の皺石(詩)

(一つの石の存在感についての考察)

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その石は存在し続けようとしている
その場その空間に定められて深く
その石は風を感じる
春の日に山の奥へ遠くへ道は通じている
春の風、夏に影なし涼しい風、秋の風、冬の風
あたたかな春の光、秋の光、冬の光を感じる
その風の色合いはそれぞれ違う
雨も雪もその石にふり動かざる
その石は苔むし皺が刻まれている
その深い皺は老人のようにも見える
その石はそこに存在しようとする意志
その場、その空間に歳月を経て深化させる
石はそこに重しのように意味をもつものとなる


この石を見たのは春の日であり一回しかない、浪江辺りは実際は良く見ていない、相馬藩内でも地形が複雑であり海あり山ありで見れないのである。だからこの道を通ったのは一回だけであった。今は警戒区域になり通れなくなった。この石に注目している人も名前をつけている人もいない。でもすでにこの石はここにあったのは長い。この石はまだ人間によってアイデインティティ化されていない、人間化されていない石だった。歴史が長いにしろまだまだ人間化されていない自然がある。
それだけ自然は長い時間の中でしか意識されないのである。石はある場所と空間で長い時間の中で存在感をもつ。その石の存在感はその石を抽出した石だけで存在感はもてない、その場と空間があって存在感をもち人に記憶されるのである。石の個性はアイデインティティはその場所と空間があってこそ成り立つ、それは歴史的なものでもそうであり博物館に納めて陳列したときそのもともとあった場所と空間から切り離されるから存在感を失うのである。

人間はなぜ今抽象化されて数字のようになり存在感を失っているのか?それは場所と空間をもたないからである。場所と空間をもたないからまた記憶もされない、次々に変化して今日あったことは明日は全く忘れられてゆく、すべてが一過性であり持続しない、そこにただ消失感だけが残る。
この「皺石」のように持続して存続することができない、他の石でもそこに動かないことによって存在感をもっている。現代ほど変わりやすい社会はない、人間も常に変わり記録されない、人間はただ群集となって流れさる流砂のようになっている。人間はこの石一つのような存在感をもてない。

記憶はある場所と空間をもっていると記憶しやすい、それで奇妙なのは認知症でも狭い一部屋だとものをなくしてもすぐ見つけられるから安心だとなる。部屋がいくつもあるともう記憶しにくい、記憶しやすいのは一定の変わらない場所と空間をもっていると記憶しやすいのである。現代は千とか万とか部屋がありすぎるから記憶しにくいのである。必ず迷路となってそうした無数に分化された迷路化した部屋を巡り回っている。記憶はその空間と場所の作用で持続されやすい。現代は都会化してその生活範囲が無限大に広がったというとき一定の固定した場所と空間をもたないから記憶も消失されやすいのである。墓というのは問題が多いにしても一つの記憶の固定化なのである。エジブト文明もピラミッドも記憶するということに執念を燃やしていた。記憶が消えれば人間の存在も失われるからだ。歴史そのものが基本的には記録である。記録がなければ過去も探り得ようがないからだ。


ベルグソンの『哲学的直観』のなかの時間論を好む。少し抽出してみよう。


時間とは、区切られた一定の空間に群らがるありとあらゆる事物と事象を交通整理して、その空間に収まる分だけの事物を、少しずつ小出しにその空間へ流してゆく力に外ならない。


これはあるプログで紹介されていた一文である。これは自分の詩を哲学化して言ったものである。
一定の区切られた空間がありその中に置かれた事物が時間の中で存在感をもつ、人間によるアイデインティティ化(自己同一化)が計られる。


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つまり人間の記憶は図で示すと次のようになる。一つの区切られ空間の中で時間を経て記憶が定着してゆくのである。そのわかりやすい例が石なのである。だから石を知るにはアイデインティティ化するにはその石の置かれた空間があり時間を経てできることである。現代のめまぐるしく変わる世界はあらゆることが記憶されなないことにあるのだ。そこに存在感もないしただ消失感だけが残る。

現代の情報空間は膨大なもの無限大になっても記憶されものが極めて少ないのである。テレビでも次から次へと現れては消えてゆくだけの情報空間である。一回切りしかテレビに出ない人がいる。でもその人がこの世から消えているわけではない、やはり存在し続けているがテレビ空間から消えるときそれは存在しないと同じであり死なのである。テレビというのは記憶するメデアではなくただ次から次と現れては消えてゆく情報空間である。生きているものはそんな簡単に一回限りで消えるものではないのだ。そこには区切られた空間と場所がないからそうなっている。故郷とはそうした区切られた場所と空間で記憶されたものがありその継続として生きる場なのである。なぜならこの辺では原発事故で警戒区域は故郷から離れるときその記憶も失われてゆく、新たに移り生活するにしても一からまたはじめなければならないとしたら容易ではないからだ。だから老人は過去の記憶に生きるというとき故郷を離れにくいのである。


there is the fixed stone
on the solid place
deeply rooted one


現代は継続されるもの、記憶が保存される場所と空間が欠如しているのだ。それで存在感ももてないしただ消失感だけが大きくなっているのだ。皺石であれ一つの石はそこの区切られた空間で時間とともに存在感をまして成長さえしているのかもしれない、そこに動かないことで充足感をましている。そこで感じるものを凝縮している。風でも光でもその回りの自然と同調して存在している。
その場所と空間に存在しようとしている意志をもってきいるというとき実はまだその場所と空間に存在しているのは存在が発見されたのは最近だともなる。そういう石も自然の事物も多いのである。
自分がこの石を見たのは最近であり一回だけでありその後は見れなくなったからである。

2013年09月16日

月光に照らされた鴨(写生が俳句の基本は変わらない)




月光に照らされた鴨

(写生が俳句の基本は変わらない)]

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月光に照らされ浮きぬ鴨三羽


月光や闇にも泳ぐ鴨三羽


これはいかにも写生俳句らしい。季語としては月は秋であり鴨は冬だけど秋の鴨とした。深い田舎の闇の中に川の水面に鴨が月光に照らされて明らかに三羽見えた。
三羽にこだわるのはまさに「鶏頭の一四五本もありぬべし 子規」の写生俳句の問題となった俳句があるからだ。月光に照らされて鴨が明らかに見える。それは電気の光ではない、月光という月の光に鴨が明らかに浮かんでいる。電気の光がてくても鴨はまた月の光に照らされてスイスイ泳いでいる。夜も意外と動くものだと思った。
しかしこの夜の鴨を注意して見ているものもいない、月だけが光をさして明らかに見ていたともなる。


現代は電気の光が氾濫している。だから闇の世界のことがわからなくなった。都会では一日中そうであり電気の光は消えることがない、江戸時代は蝋燭とか行灯き光だから全く違っていた。真っ暗闇の世界である。ぬばたま・・は闇にかかる枕詞だがぬばとはなちなのか?ねばねばしたとか何かそうした語感があるのか?深い闇の世界を感覚的に現した言葉なのだろう。


ぬばたまのその夜の月夜今日までに我れは忘れず間なくし思へば

ぬばたまの夜渡る月のさやけくはよく見てましを君が姿を
ぬばたまの夜渡る月にあらませば家なる妹に逢ひて来ましを
ぬばたまの夜は更けぬらし玉櫛笥二上山に月かたぶきぬ


万葉集の世界は江戸時代よりさらに闇が深い、それは想像し得ない闇の世界である。だから鴨が月光に照らされていると同じく人間も月光に照らされて見える。その姿が印象に残るのである。現代の電気の光が氾濫した世界とはあまりにも違うのである。
現代はだから月の光でもそうだが自然のものに無感覚になっている。五感が衰退している。セミの声でも芭蕉のように聞いていない、音も車の騒音などが氾濫しているからだ。

そういう騒音の世界で人間の感覚は衰退して感じなくなっているのだ。メデアでもそうである。激動的な刺激的な映像が音とともに氾濫するとき耳の感覚も目の感覚も鈍感になってしまうのである。だから現代は自然きものを良く見ていないのだ。感じてもいないのだ。

あらゆるものが機械化するとき機械を通して感じるというきも感覚を一面衰退させている。ただ何度もデジカメは新しい感覚を人間に作り出したことは確かである。でも一方で自然の中で感じるものを衰退させたのである。それは芸術的な面だけではない、人間生活全般がそうてっている。機械が感覚になったとき機械でとらえられないものは見逃される。今回の地震の感覚でも人間の方がこれは大きな地震だと直感した。機械の方ばかり見ていると機械にばかり頼っているとあやまることもある。あらゆるものが機械に取り囲まれているとき機械なしでありえないとき人間は危機に弱くなっている。機械は緊急の場合壊れたり使えなくなったりする。するとどうなるのか?万事休すにもなってしまうのである。

沈黙、闇の深さなどは自然を感じるためにはなくてはならないものだった。万葉集はそうした人間が原自然で感じていたものが残されていたから貴重なのである。

季語でも春の闇とか夏の闇とかあるがやはり闇の世界が元からあったから季語になった。現代に作られた季語もあるが季語はもともと江戸時代に作られた。万葉集も基になっている。闇が深ければ光もまた映える。特に月光は闇が深いと映える。だから月の光に導かれて万葉時代は女性のももとに通った。そして日本人の女性に対する感覚はその闇に浮かぶ白い肌だったというのもわかる。白い肌のみうが浮かび顔などは定かでなかったというきも本当なのだろう。一方西洋では女性でも彫刻的であり形や姿勢を見ていた。そういう感覚的相違は世界的にある。日本人き感覚も独特なのである。たとえば肌ざわりとかあるがこれも触って感じる感覚がある。これも和紙などはそうである。肌触りの感覚である。

まず肌触りという言葉自体日本的なものなのだろう。

大都会ではこうした自然の中での感覚はもてなくなっている。機械に頼る生活もそうである。車に乗っていれば風を感じなくなる。すると旅にはならない、それでは歩いて旅するとかなるとその労力は今では背負い切れない重圧を感じる。自転車でもそうである。自転車は風とか坂に弱いのである。だから自転車旅行は遊びとも違う、旅を演出して自然ととけこむ労働なのである。旅は見たこともない景色に出会うのだからかなりの集中力が必要になる。気が散るとそうした新しい景色に接しても記憶できない、感動もしない。
あの女性が美人だななどと見ほれていると雄大な山に感動することもできなくなる。
だから旅は禅僧のように禁欲でするものなのである。温泉でどんちゃん騒ぎするのは旅ではない、憂さ晴らしなのである。現代は旅行に泊まるにしても保養であり旅ではない、現代で旅することは容易ではない、だから旅することは余計に価値あることになっている。一見旅があまりにも容易になったけど旅は喪失した。ただの機械による移動になってしまったからだ。


「小主観のムードよりも物の実体を把握しなければいけないと思っているうちに俳句のいさぎよい直截さに魅力を感じるようになった。


「昨今の俳句界では写生を古くさい、忌むべきものとする傾向が一般的なようだが、とんでもない話で、今ほど写生が見直されなければならない時期はない」

http://72463743.at.webry.info/201001/article_19.html


写生はやはり絵画である。絵画の基本は写生だからである。それで子規は蕪村を見習ったのである。ただ絵画でもどうしても主観が入るから絵画でも純粋な写生とは違う。
写真がまさに写生そのものなのである。写真は主観が入らないからだ。写真も実際は主観的なものが入る。構図とかがあるが一番大事なのは自然の多様な瞬間をとらえることである。絵画のように一つの場面をじっくりと見て描いているのとも違う。特に生き物とかをとらえる場合にはそうなる。そもそも自然は生々発展しているのもであり瞬間瞬間命の変化があり美がある。それをとらえるのが写真なのである。生け花でもフラワーアレンジメントでも花が一輪二輪と咲いてゆく変化がある。造花をさしているのとは違う。
そして自然界の生き物は二度と同じ表情を見せない場合がある。自然界の生き物は植物でも刻々変化しているのである。だから写生といっても死んだものを写生しているのではない、生きた物を写生しているのだから写真でもその一枚限りの生き物の姿を写し取る。
それはまさに写生なのである。ただ写真ですべてがとらえられるわけではない、闇といってもそれが春夏秋冬があるからいつの闇かわからない場合がある。風も匂いも感じられないのも写真である。写真にも瞬時を全部とらえることはできないのである。




あとがき


月光となるとやはり秋の季語なのか?月はそうにしても月光は春でもあるし季語もわかりにくい。ただ秋だとすると秋の鴨としたが月光が秋の季語だとする秋を入れる必要はない、鴨は冬の季語である。雁は秋の季語である。冬の雁となるのもそのためである。
あとから直した「鴨浮きぬ」としたのが良かった。あたかも月光に浮かぶ感じがでた。
ただこの写真は闇が深いのでとれなかった。こうした瞬時を写真でとらえるのはむずかしい。毎日買い物で橋を通るので鴨を見るから前にも鴨のことを俳句にした。
俳句も鴨だったら鴨の連作になると一つの作品として読みごたえがあるようになる。
一句だけだと俳句は短いから何か言い表せないものがある。

俳句はその人の読み方によって価値が決まるものだというのも本当だろう。
読みを深くすればいい俳句だとされるだろう。そうでないと何が価値あるかわからないのが俳句なのである。だから無数の膨大な駄句のオンパレードが俳句芸術の現実なのである。結局何が価値ある俳句なのか決めにくいからそうなるのだ。

2014年05月18日

八月の石にすがりて  伊東静雄の詩を読む (夏の日の蝶と石ー自作の詩をここから作った)


八月の石にすがりて  伊東静雄の詩を読む

(夏の日の蝶と石ー自作の詩をここから作った)

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有料のものを加工したからまずいがだした

八月の石にすがりて

さち多き蝶ぞ、いま、息たゆる。
わが運命(さだめ)を知りしのち、
たれかよくこの烈しき
夏の陽光のなかに生きむ。


運命? さなり、
あゝわれら自ら孤寂(こせき)なる発光体なり!
白き外部世界なり。


見よや、太陽はかしこに
わづかにおのれがためにこそ
深く、美しき木蔭をつくれ。

われも亦、

雪原に倒れふし、飢ゑにかげりて
青みし狼の目を、
しばし夢みむ。


詩を解説することはできない、この詩も不思議な詩である。
石と蝶に興味をもって自分も詩にしてきた。
石にとまっているアゲハチョウを見たことがある
これは石をテーマにはしていない

さち多き蝶ぞ、いま、息たゆる

この意味はわかる。蝶は夏の明るい日ざしのなかで花々を求めて飛んで死んだ
よく蝶が道端で死んでいるのを見ている。
蝶は美しい羽だけを見せて残して死んでゆく、まず蝶ほど不思議なものはないだろう
なぜあのように優雅に飛んでいるのか?




夏の日の蝶と石


夏の明るい日ざしを一杯に身に受けて
蝶は花々を求めて優雅に舞い飛んだ
そして蝶は道端にその美しい羽を残して死んだ
その羽を旅人は見つけて拾った
旅人もまた旅していた
夏の日に道は別れて遠く誘う道よ
蝶は常に舞うことを宿命づけられている
鳥は翼を与えられ飛ぶことを宿命づけられている
蝶も鳥もとどまってはいけないのだ
風を受け光を受けて飛び舞わねばならない
留まった時に死が訪れる
旅人は旅しつづけねばならない
例え旅しなくても心の中で旅はつづいている
回想の旅はつづいている・・・・
ただ働くばかりの蟻の死は無残だ
ああ 百の千の万の花を見て飛んだ
その彩りは尽きることがない
美しき地球の花園を飛んだ
そこに悔いはなく充たされる
ああ 汝はそのような時を与えられた
まばゆく朝の光を一杯に浴びて散った牡丹のように
汝の生も夏の光の中になおある
汝は醜いもの残してはならぬ
詩人は蝶のように美しい羽を残して死ぬ
舞い飛び歌い笑いつつ神の庭園を逍遙する
石にも夏のまぶしい光がさして
その自然の中で石は夏を感じている
その石は夏の日ざしを受けて光沢をます
石にも夏があり冬の厳しさに生きている
春のあたたかい陽光も受けてなごむ
石は今木陰に影なして涼しく休む
石も雨に打たれ風に吹かれ生きている
ああ 悲しきかなすでに春に生れし蝶の
野辺の道に死にてありしを・・・
かくして夏も来ずに死ぬものもありしを
・・・・・・・・・・・・



これにヒントを受けてこの詩を今作った。
それができたのもインターネットのおかげである。
この詩を知らなかったからである。詩というのは読む人が本当に少ないから知らない詩というのが無数にあるのだ。
それは詩集としても出ない、なぜなら売れないからなのだ。
そこに詩の問題があったのである。
現代ではインターネットなどでいくらでも詩でも何でもだせる、ただ評価はされない。
くだらない詩でも無数にインターネットにだせるものも現代なのである。
ええ、こんな詩があったのかというのが本当に多いのである。
これまで出版された詩集も無数にあるが読まれていないし知られないのである。

この詩には相当深いものがある。


雪原に倒れふし、飢ゑにかげりて
青みし狼の目を、
しばし夢みむ。


これも一転して真冬になっているのも不思議である。
ただ飢えているというとき、飢えながら雪原という自然の美の中で死ぬ狼をイメージしている。
それも詩人の死にふさわしいのだろう。
詩人とかは社会では排斥されて認められないのである。
社会とは無残な蟻の集団という側面が常にあった。
働くことがすべて肯定されるものではないのだ
俺は働いてきた、働いているというのは何かと主張する人がいる
それは蟻としで働かされた働くことを強いられたという側面もあったのだ
確かに毎日ダンプで請け負い一台分いくらともらって収入を増やして家を建てたというのもわかる
でもそれは一面蟻のように働かされたという面もあったのだ。
ただそ人は別に遊びもしていたから全く楽しみもなっか人とは違う。

ともかく蟻とキリギリスの話しは今では逆転しているだろう。
キリギリスの面がない人はこれからは豊かな時代は嫌われるだろう。
その点団塊の世代は遊び上手であり苦労しかない働くことしかない戦前の人とは違っているのだ。

いづれにしろ自分も結局蟻とキリギリスでありキリギリスだったから今になると
ただプログに書いてきたようにこの七年間は悲惨な状態になった。
それまでは自分ほど恵まれていた人はいなかったのである。
30年間は旅をしつづけ働くこともなかったのである。
それゆえにこの七年間の苦しみを受けねばならなかった。

でも今になると自分は会社勤めもできない性格だったし人と交際もできな性格だった
だからそういうわずらしいことからまねがれて自然の陽光の中に風に吹かれ
自由に飛んでいたということになる。
学校とか自分にはあわない場所だった
ただ今になると学問とか芸術分野も好きだし理系的な分野でも興味をもって学びたいということがあった
だからこそ自分は工場とか会社で事務などすることもなく野外に常にあったのである。
その期間が長いからそのことが体にも心にも影響している


自分の母親などは若いとき十年間紡績工場で働いていた
そういう環境はいいものではない、それでも百才も生きようとしているがまさに蟻そのものだった。
だから巨大な蟻となって迫ってくる恐怖もあった。
花にも何にも興味がない、ただ働くだけの人間はそれは異常な存在と化していたのだ
巨大な蟻の化け物になっていたのである。
それもそう強いられたのだから批判はできない。これも無残である。
だからたまたま自分が家庭環境でそういう人生になっていたのである。
一カ月とかぶらりとどこへとなく旅ししていてとがめられることもない
食事はいつも用意してあるし何もすることもなかった
これは今になるとよほど恵まれたものだった。
今や食事を用意して自分だけではない介護しなければならないし
近くでも自由に行けなくなったことでわかったのである。
今や自分は蟻にされていることがわかったのである。


ただ自分の人生はそのように恵まれたものだから今は蟻でも全然違っている。
人間とはその一生の時間を何に費やしたかで決まるというときまさそそうだった。
いくら働いていても毎日工場で流れ作業していたり自然とかけ離れたデスクワークをしていたりとしていると
姿勢すら猫背のようになったりしないか?
心の中にも長い間でそうした自然から離れた生活が鬱積されてこないか?
そうしたものは実は知らない間に人間をゆがめていることが還暦すぎるとわかるのである
それは樹とか石とか自然のものとは違ったものとなっている。
自然を感じない人工物になっているかもしれないのである。

もちろん普通に社会人としして働いてそうでない人もいる。
だからいちがいには言えないがそうなりやすいことは言えるのである。
上野霄里(しょうり)氏やニーチェの超人になれる人はいないだろう
世間の価値観にとらわれて本来の原生人間は失われる
社会というのがそんなに大事であり価値あるものかという根本的疑問がある
いづれにしろ最後に人は馬鹿でもわかる
何を失ったかわかる、本当に生きる時間を失ったことが最大の後悔となるのだ。

2015年10月29日

秋の日(石二つの俳句を英語にして鑑賞)


秋の日(石二つの俳句を英語にして鑑賞)


石二つここに動かず秋の暮


the two stones

the silenced ones

an autumn day close

、、、、、、、

in the TOCHIKUBO villiage


なぜ今言葉が死んだとか言われるのは現実にある事物と結びつかないためである。
言葉より前に自然の事物があった。それを言葉でもって結びつかせた。
だから言葉というのは事物なしではありえないのである。
万葉集などは明らかに奈良という場所でその自然と密着して生活していたから言葉はその環境と結びついていた。
枕詞が今になると理解できないがそれも奈良という場と結びついていた。
そして人間がその土地に山でも川でも名前をつけるとき人間化したのである。


言葉というとき日本語だけではない、様々な言葉がある、でも言葉の共通性として最初に事物がありその事物と結びついて言葉が生まれる
だからaではなくtheになる、その石でありその石のある場所やその石の形状とかまでイメージする、像としてイメージする。抽象的なaではないのである。
それで俳句を英語にしてみるとやはり言葉には共通性がありそれなりに石を表現できる。ただ英語力がないからこれは俳句を英語化したものではない、なんか俳句の英語でもルール化したものがすでにあるからだ。

an autumn dayというのは季節は毎年違ったものとして感じるからそうなる
英語とか外国語の特徴は中国語ですら韻を踏みやすい、中国語を習うために留学した人が中国語の音がいいから中国語にひかれたというのもそうである。
中国語は音がいいというとき日本では漢詩は漢字に注目しているが音にはあまり注目しないのである。
そして最近面白いと思ったのは日本語は何かアクセントがない、どこか強調するということがない、ただ日本語でも強調する語を強くいうと意味が変わる
やはり人間の言葉何か強調するとき強く言うことになる。それがアクセントである。
英語などはアクセントが多いというのは異民族と交わるとき何か強い調子で言わないと通じないということがあった、日本語のようなめりはりのない一本調子では通じない
言葉が最初音だというときどこの国でも字がなくても音としての話し言葉はあった。
日本語もそうである。漢字が入っても文字化して平安時代にひらがなができたのである。
人間がその土地と一体化する、アイディンティティ化するときやはりあまりにも広いとしにくい。
丁度相馬藩くらいの規模がアイディンティティ化しやすいのである。


現代の言葉は自然から離れて自然の事物から離れて自然と結び合う言葉ではない
そこに言葉の重みがなくなっている、沈黙もない世界だから余計に言葉に重みがなくなっている
ビジネス、政治、科学技術用語である。純自然と結びついた言葉ではない
それで詩語の衰退というのがある。ただ詩語というのは漢詩に多いから漢詩を学ばないと詩語は豊にならないだろう。自分の詩も詩語が貧弱だというのは確かである。
ただ大和言葉には詩語としてはもう一つ豊ではない、そもそも俳句という芸術が日本に生まれたのは極めて日本的風土に適して生まれたものである。
その短さが日本の風土に適していたのである。
グランドキャニオンとかで俳句とか茶道などしたら全く違和感があり通じない、ここは宇宙の別な惑星にでも来た感じだったからである。
こういう場所では言葉で現せないものを感じたのである。

いづれにしろ座禅とかは禅宗では沈黙を静寂の世界を追及した。それは日蓮宗とか念仏宗とはあまりにも違うのである。日蓮宗でも念仏宗でも一日唱え続ける、それは麻薬のように唱え続ける、何かあったら題目を唱えて解決しようとする、だから何か騒々しいのである。
自分にあっているのは禅宗でありその沈黙である。禅宗には何かそうした沈黙とか清楚があり枯山水も生まれた。
そもそも日蓮宗とか念仏宗は大衆化されやすいものだったのである、題目を唱えていればいいとなれば誰でもわかるからである。禅宗はその点大衆化しにくいものだったのである

結局自分の性格もあり石を追及したのが自分でもあった。人間の幸せはその人の性格に適した活動ができことにもある。自分の性格にあわないことを職業に選んだりしたら不幸になる。
自分は人と接するのが苦手である何か疲れるのである。
この十年間くらいは介護とか自分の病気とか俗世のことにかかわり苦労してきた。
これも経験だったけど今は何か前の静かな生活にもどっているから幸せだともなる
人がいない、人と極力かかわらない世界にいるとき安定して安らぐのである。
介護や自分の病気でかかわった人に毎日のように責められたから苦しかったのである。

タグ:英語の俳句

2015年12月29日

呉歴 「秋景山水図巻」の鑑賞ー自作の詩を添える


呉歴 「秋景山水図巻」の鑑賞ー自作の詩を添える



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呉歴 「秋景山水図巻」 (部分) 清・康熙32年(1693) 重要美術品


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これは秋ではない、あくまでも絵は参考であり自分の作ったのは
また別であり、冬をテーマにしている




冬日奇岩

深山幽谷
奇岩一徹
冬日陰濃
隠棲茅屋


絶えず清涼の水の尽きず
不動の岩間を流れ響きて
奇岩反りて茅屋一軒在り
誰か今日尋ねや隠さる径
今日亦岩に対し冬日暮る


この絵をインターネットで発見した。岩を追及している自分だからこの絵は鑑賞できた。芸術は写生でもこれは構図として作られたものである。
自然の写生ではなく石の配置でも構図的に作られている。重厚な岩がありそそり立つ岩があり岩を見事に現している
並ぶ岩は相黙す岩でありその間に人がいる。そういう風景が自分の好みだったのである
岩とか石を見るときそれは深く沈黙する石や岩として見なければならない

中国となると政治的なことが話題になるが何か文化的なことは表面にでてこない
漢詩はやはり中国と日本の歴史的な文化交流の精華として残された
そして明治維新後中国は政治の面のみが取り上げられ文化的なことはないがしろにされてきた。
中国には山水画とか漢詩とか奥深い文化があるが何かそういう文化的交流はなく政治的な対立ばかりが取り上げられた不幸がある
そういうことは江戸時代まではなかったのである。
日本と中国は確かに古代に韓国で争ってもその後は争っていないのである。

ただ明治に一番漢詩が興隆したのは江戸時代までそういう蓄積があったためである。
欧米化した結果、日本は漢詩とか中国文化は遅れたものとみなして断絶してしまったのである。
日本人が漢字を使っているかぎりやはり中国文化の下にある、韓国はハングル語にしたときそういう文化を失ったのである。
漢字には漢字の奥深さがあり漢字一字でもそうであり中国と日本では違って解釈されているのである。


中国とは政治経済科学技術分野では交流したが文化面では何か見逃され、それは現代が科学技術の世界、グローバル化経済の世界だからそうなった。
政治経済だと争うが文化面だったら争うことはなかった。
東洋というときアジアというときイスラエルまでアジアであった。
そのアジアが欧米化に席巻されたのが二〇世紀だったのである。
今度はアジアが興隆する、その先達が日本文明がになったのである。
アジアとは何か今はわからないがアジアの新しい文明が起こる時が来た
欧米文明は行き詰まっている、それがアジア的文明に変わる過渡期が現在である。
欧米文明は暴力的であり強欲であり征服的であった。
これほど世界大戦の犠牲者が出たというのもやはり欧米文明、アーリア人とかの暴力的な侵略文明が世界を席巻して日本もアジアも巻き込まれたためだった。
アジア文明だったらこんなに戦争にならずにすんだかもしれない、だから欧米文明は今見直される時期に入っているし崩壊する危機にさらされているともなる



2016年04月08日

インターネットの検索で共通項目を探す (詩にもその手法が通じるー燃える樹という詩と自分の詩の共通性)


インターネットの検索で共通項目を探す


(詩にもその手法が通じるー燃える樹という詩と自分の詩の共通性)



― 燃える樹 ―


どっしりと
根をおろしたまま
もうどこへも
行けない
樹は樹であることを生きている

ふかく足をふんばり
たかく胸をふくらませ
ひろく腕をのばしながら
百年も千年も
いのちを
あたらしく
いのちを
ふかめてきた

樹も人もおもう心は同じ
春には若葉でわらい
夏は茂ることですずしい
秋はもみじした葉が
美しく舞うし
冬には
すっぱりはだかになって
自分をみつめる

寒風にふるえながらも
地底のあしうらから
天をさすほそい指さきへ
いくすじにもわかれて
たちのぼる
いのちのぬくみをだいている

くらやみに
しんといてついて
立つ樹
無心な樹よ
芯で燃える

みずかみかずよ/『こえがする』より



生きている樹の詩


樹のように偽りなき真を生きる
その芯は固く梢は鋭く天をさす
枝々はしなやかに伸びて鳥がとまる
新緑の若葉が風にそよぎ鳴り
かなたに残雪の嶺が高々と光る
誇らしく堂々と迫ってくる
峠を越え木蔭の道に休む
この荒木の幹の太さ、枝振りの良さ
真実に生きよ、自然は汝に呼応する
信頼の熱い血が脈々と樹に流れている
樹はものではない、生きている命
樹は根から幹から枝と血が通っている
鳥は甲高く鳴き樹々を喜々と移り飛ぶ
樹には初夏の眩しい光がさす
赤々とツツジはそちこちに燃え咲き
黒々とした岩に清水が轟き落ちる
樹は大地に深く根を張り生きている
樹は信頼と真に生きる
その樹に触れよ、その樹と握手せよ
その樹と触れて大きな力が湧いてくる
この世の人はみな偽りに生きる
それ故にその目は濁り体まで歪んでいる
汝は樹を友として天地に通ぜよ
樹は自然の中の一つの弦なり
天来の楽が汝にひびきわたるだろう
今風はそうそうと吹きわたりなお樹は伸びている
子供のように若人のように希望に燃えて伸びている
樹は若々しく四方に枝をのばす
ぴんと張りしなやかに枝を伸ばす
そこに鳥はとまりゆれ飛びうつる
樹は鳥とともに生きている
若葉は風にそよぎ初夏の光がふりそそぐ
かなたに残雪の嶺が光り迫る
樹は生きる歓喜にふるえている
樹の力は大地からわき上がる
大地と血脈を通じているゆえ喜びが深い
大地を離れると人の命は弱る
大都会はいくら繁栄しても不毛である
汝は樹とともに生きよ
樹の力を五体に感じよ
汝もまた樹とならむ



燃える樹というキーワードで検索したとき自分のこの詩が読まれた。
インターネットの検索はともかく共通なものを探すのに向いている
不思議なのはどういうわけかリンク元をたどってゆくとどういうキーワードで読まれたかわかる
グーグルで自分の「読まれない詩」というのが初めに出てきてそのあとに「燃える樹」という詩がフログに出ている
ただこの人の詩はその燃える樹しか出ていない、あとは詩集を買う他ない、それも3500円もする、何か詩というのはこうして詩集自体が高いのである。
そもそも詩は売れないものだからそうなる。小説のように売れれば安くなる。
売れないから詩集自体が高いのである。
出版社から出せばそうなる、インターネットとか電子本だったら安くなる


ともかく詩というと別に有名なものでなくても読まれないというより読む方法がないのである。
最近ヘルダーリンの詩を読んだ、普通だったらこれは前から読んでもいいはずである。
なぜ自分が読んでいなかったのかというとそういう詩集があることを知らなかったともなる、そもそも有名な人の詩でも読めない、買うことができないのである。
ただ最近アマゾンで詩集を集めている、その詩集は未だに文庫本でも高いのである。
つまり詩を知るとか詩を書くものにとって詩が読めないということが詩をより深くた探求できないものにしているのだ。

詩を創作しているとやはりこの詩人は自分と同じものを追及していることが理解できる
それはいろいろな外国の詩でも自分と同じものを追及していることで共感できる
芸術は世界で共感できるものである。ただ音楽とか絵画と違って言葉が障壁になって理解しにくいのである。
だからグローバルに詩を追及するのがむずかしいのである。
でもヘルダーリンを読んでいてこれは自分と同じものを追及していたと共感してそれが自分の作品と一つになっていることを知ったのである。
そういうことはインターネットの検索で起きていて利用している
そもそも本からだけの知的探求はインターネットととは違ったものである。
まずキーワードから共通項を探すということはできない、一冊の本はそこで完結しているからである。

でも創作する方になるとその部分的なものでも共通項をとりだして並べるとそれが一つの作品と化すのである、それを自分はこれからそうした創作したものをためして発表する
詩はそれぞれ違っているようで一つのものとして詩の世界ができあがる
個々のものが一つになってシンホニーをかなでる、そのために本当は詩が過去の偉大な詩人でもインターネット上に出ている必要があるのだ。
そうすれば共通項を検索できるからである。ただ詩でも芸術は内容を読むのは相当に芸術に通達しないとできない、共通項といってもその内容の共通項まで鑑賞して理解できるかとなるとなかなかできない
最近自分はそれができるようになった。それは自分も自然の中で詩を追及してきたからわかる
ここでは樹だか樹をテーマにしたそれぞれの表現があり自分のテーマは石である。
樹でも石でも人によって表現が違ってくるのである。
それが一つの石の世界を表現することになる、インターネット的手法が詩でも通用することはある、ただ詩はむずかしいから内容を読めないと何が共通しているのかわかりにくいことは確かである。

ともかく「燃える樹」と自分の詩がいかに共通しているかわかるだろう。
この人はすでに死んだ人だった、でもこの人を知っている詩を知っている人は本当に少ないのである。詩も知られないし詩人も知られないのが多いのである。
そこが詩を探求する大きな問題だったのである。


天をさすほそい指さきへ
いくすじにもわかれて
たちのぼる
いのちのぬくみをだいている

この表現は女性的でありまさに女性だから表現できたのだろう。
天をさす細い指さきとかはまさに女性の表現だからである。
この人の他の詩はどうかとなるとみんながいいわけではない、詩も自分でもそうだが駄作が多いということもある
だから詩集を買ってみてつまらないと損したとなるのである。
でも知的なものにはなにか無駄が多い、それでも詩集を集めていないと詩を探求できないのである。

タグ:樹の詩

2016年06月03日

啄木の文と自作の詩 (漢文とか漢詩の素養が詩語を豊にしていた)


啄木の文と自作の詩


(漢文とか漢詩の素養が詩語を豊にしていた) 



黄牛の草に眠るが如し。又春光野に流れて鳥初めて歌ひ、暮風清蔭に湧いて蜩ひぐらしの声を作なすが如し。未だ許さず、生きんが為めにのみ生き、行かんがためにのみ行くが如き人の、この悠々の世界に入るを。啄木、永く都塵に埋もれて、旦暮身世の怱忙追はれ、意ならずして故郷の風色にそむくうちに、身は塵臭に染み、吟心また労つかれをおぼえぬ。乃すなはち茲ここに暫しばらく閑天地を求めて、心頭に雲を放ち、胸底に清風を蔵し、高眠安臥、興を暮天の鐘にさぐり、思を緑蔭の流光に托し、風鈴に和して吟じ、雨声を友として語り、この夏中百日を暢心静居の界に遊ばんとす。我がなつかしき故山の読者よ、卿等若もし胸に一点の閑境地ありて、忙中なほ且つ花を花と見、鳥を鳥と聴くの心あらば、来つてこの埒らちもなき閑天地に我みちのくの流人と語るの風流をいなむ勿なかれ。記してこの漫録百題のはしがきとす。

閑天地 石川啄木



石川啄木の不思議は二七才くらいですでに老境の境地にあるということである。
それが天才だからそうなったのか?まず二〇代でこんな文章など書けない、そしてここに相当な漢文の素養がある。この文章が流暢で美文にしているのは漢詩的な漢字が以前として使われていることにある。
最近は何か漢字の意味が深くたずねられない、本居宣長が大和言葉の意味をたずねたように今は漢字の意味をたずねることが必要になんている。
これだけの文が二十代で書けるのは天才であったからだけど明治時代には漱石でも同じだが漢詩とかの素養があり詩語を豊にしていたのである
大和言葉だけでは詩語は枯渇する。だから詩を作るとき漢詩の素養が必要となる。
今は外国語も必要となる、でも英語が大和言葉とは一体化しない、漢字とは一体化しているのである。
それは漢字は使う日本人の歴史が長いからである。
明治時代に西欧文化の挑戦を受けてかえって日本の古来からの文化も対象的なものとして認識させられたのである。
明治時代に漢詩が一番興隆したというのもそのためである。


明治時代の人々は、陸続として入ってくる西洋の文化を大和言葉ではなく、漢語に置き代えて理解したことが多い。表意文字である漢語は、意味の伝達にも便利であり、江戸末に生を享け、各藩校で漢学を学んだ当時の知識人の共通語であった。西洋の文化を理解するにあたって、明治人は漢語を利用することによってより効率的に西洋文明を理解した。西洋の音楽に歌詞をつけるにあたっても、和歌的表現を
利用することも多かったが、漢詩文の表現を利用して唱歌の歌詞を作り、西洋の曲に合わせて歌うということも大和田建樹等の唱歌にはよく見られる傾向である。

明治唱歌による和洋中文化の融合

 明治が終わると、漢籍の素養を有する人が少なくなっていきます。その結果として漢詩は衰退の道をたどり、大正半ばには新聞からも漢詩欄が消滅。それでも無論、日本から漢詩人がいなくなったわけではなくなお、大正天皇も漢詩を好み生涯で千を越える作品を残した事が知られています。

明治は江戸時代の継続でありその継続の歴史が良く理解されていないのだ。明治維新というのは全く西欧化したのではない、江戸時代の継続として明治維新があったのである。
だからこそ「各藩校で漢学を学んだ当時の知識人の共通語であった」ということでもわかる。江戸時代から各藩でその素養が作られていたからできたことである。
漢詩をやりとりしてその意志を伝えたということもある。
それはヨーロッパではラテン語が知識人の共通語となっていたのとにていたのである。
ともかく明治が江戸時代の継続であったということを再検討すべきなのである。
明治にヨーロッパから入って来た概念や科学技術を日本が漢字を造語してとりいれた。
その数は多い、それを今度は中国で活用しているのである。日本がいち早く西欧化して中国にも貢献している。戦争のことだけを中国は言うがそれだけではないのである。
ともかく江戸時代の継続として明治があるということをみないと日本の歴史が歪められるのである。
それは奇妙だけど大正天皇によって受け継がれていたのである。
明治時代は日本のルネサンスだったのである。
啄木のようにな人間がみちのくのような辺鄙な所から生れたのも不思議である。

啄木、永く都塵に埋もれて、旦暮身世の怱忙追はれ、意ならずして故郷の風色にそむくうちに、身は塵臭に染み、吟心また労つかれをおぼえぬ

この文を二十代にして書ける不思議である。ここに都塵とかあり塵臭とかもあり漢詩的表現があってその意味を深くしているのである。
それで自分の詩にもそれをとりいれた、漢詩は韻を踏むなどめんどうなので自分は作れない、次の詩は自分の作である。こういう磐をテーマとしてすでに百編を作っている
その磐を中心として自分の世界観が形成されているのである。
故郷の風色というとき自分は確かに故郷を嫌って東京に出たのだがそのあとは隠者となりまた旅に明け暮れて終わった。
故郷の風色を嫌うというとき自分は故郷にものたりなさを感じていたのである。
あまりにも平凡すぎるからである。その自然にしてすらそうである。
だから自分は万里を旅したのである。そして遂には老いて故郷の磐ともなる
啄木の心境は青春があり老境があるという不思議なものなのである。
人間はさすがに凡人も老境になると哲学者になり平凡な人でも何か諦観を言いその言葉に重みを感じるのである。
ただ自分も二〇代で六〇代のように老成していた、外見もそうだったのである。
二十代でなんらかエネルギーを消耗したことは確かである。もともと体力がないからそうなったと言える。それからまだ生きていたのは恵まれた環境にあったからである。
まず過酷な労働を強いられたら自分は早死にしていたのである。



千歳の磐に人の影

草葎の道を閉ざして
千歳の磐苔むして
誰かここに影を落とさむ
影は深く谷間よりの涼風
微かに花のかたへに
その望みしは何そ
その生も尽きなむとす
万里を巡り故郷に還りぬ
我世事もとよりうとし
我が親は死し一人残りぬ
なべては一場の夢なれ
誰かこの千歳の磐に影を落とさむ
そもまた誠にあるものなれ
人は束の間の影なり
ただ虚しく消えゆくものなれ
そは何を成さむとして
もがき苦しむものなれ
たちまち人の消えゆくを
百歳を生きるも影なり
繁栄も幻にして消失す
都塵に消える人数限りなし
人は煙と消えて跡もなしも


この千歳の磐の写真は出した。そこから常に自分はイメージしている。
それは常にthe stone the rockなのである。a stone a rock ではないのである。

ともかくこういう心境は六〇代以降にならないと普通は生れない
啄木の場合はすでに二〇代でそうなっていたのである。
天才は早熟なのことは確かである。今になると東京の人ごみ中に交じるのも嫌になった。旅行もしたくない、人が多い所に行きたくなくなった。
何か十年介護していた結果エネルギーが消耗したのかもしれない、介護はかなりエネルギーが吸い取られるのかもしれない、だから若い人は介護などやるべきではないとなる。
人生で十年の時間の損失は大きいのである。時間がふりかえればいかに貴重なものかわかるからである。時間はたちまち消失する、若さも体力も消失する。
まず旅すらできない、旅は本当の旅人となると今はほとんどいないと思う。
ただ移動しているだけなのである。旅人となると芭蕉のように人生まで旅となる人であるそんな人は今はいない、旅するには風物に集中する必要がある。気が散ると記憶にも残らないのである。現代は都会でもそうだがそうして風物に集中しにくいのである。
車やビルや人ごみとかが多すぎるからである。自然もそこでは映えないのである。
だから風流とか詩の世界も現代では衰退した。
像でもって考えよといってもその像なる自然が具体的にイメージできないのである。
要するに日々生きる場に自然の像をもたないのが現代なのである。




進んでいる機械翻訳

关闭草〓的道
千岁的磐长苔
谁这里遗漏和samu影子
影子深深地山涧捻的凉风
微弱地像到花的人
那个期望做几so
那个纯粹也竭尽作为mu
围绕万里返回故乡nu
我世事本来疏远
我父母死一人残余nu
是一切一场的梦
谁这个千岁的磐遗漏和samu影子
so也再实在有
人就一一刹那的影子
只有空虚地消失去
so把什么作为成samu
挣扎感到痛苦
转瞬间人消失去的wo
百岁即使活一影子
繁荣也要虚幻消失
在都市的喧嚣上(里)消失的人数无限度
人与烟消失没有痕迹也也

中国語に翻訳して果たしてそのだいたいの意味がわかるものなのか?


The shadow where I'm a person in iwa in Chitose

Please shut the way to kusaritsu.
After iwa in Chitose is mossy.
Someone, here, the shadow, raku and SAMU
The shadow is deep, from a valley, cool breeze
For a floral person to pass faintly.
The, I wish, how many SO is SHI?
The draft beer also runs out and makes it NAMU.
I return to home concerning Bari, NU.
Willful worldly affairs, I'm more ignorant.
A corpse is left for my parent one person, NU.
NABE, since, dream accustoming in Ichiba
In iwa where someone is this Chitose, the shadow, raku and SAMU
There is also SO truly, experienced.
A person is the shadow of the brief moment.
I'm disappearing in vain, experienced.
SO, what, as sei SAMU.
I struggle and suffer, experienced.
I'll be a person immediately, I disappear and it's YUKU.
One hundred years old, I live, it's the shadow.
I prosper in illusion and disappear.
The number of people which disappears into the dirt and noise is boundless.
A person goes up in smoke, and, a mark and pear.

英語の翻訳の方が相当に改良している、中国語はまだそういう開発が遅れている
詩すら機械翻訳が可能な時代が来るのか?
でもこれは最高にむずかしい分野である。でも参考にはなる。
英語は普通の文章だとすでに80パーセンとくらい通じているようにも思える
相当に改良されたしこれからも改良されるから言葉の障壁が解消されてゆくかもしれないコンピュ-ターはこうした文科系までかなり影響している
要するにある点では人間の頭脳よりコンピュ-ターが優れいてることはまちがいないのである。
たから普通の文章は機械翻訳されやすいのである。多少間違っていても訂正すればいいともなるからだ。
詩となるとまず千歳の磐となると翻訳できない、これは日本語の詩語だからそうなる
詩語は翻訳できないのである。






タグ:石川啄木

2017年02月02日

戦友は特別なものだったー三陸会の記録より) (戦争しないものにはわからないことが多い)


戦友は特別なものだったー三陸会の記録より)


(戦争しないものにはわからないことが多い)


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それは故国への別れの挨拶か
残してゆく友の名前か
青春を惜しむ気持ちか

レールモントフ

戦争は何なのかというのがわからないのは体験しようがないからである。
敵でも殺してみれば戦争とはこういうことなのかとわかる、戦争とは人を殺すことを正当化されることだからである。
でも実際に戦場で人を殺してみたらどうなるのか?それでトラウマになりアメリカの兵士は病んだという報告は常にある

自分の姉は傷ついた兵士を看護していたのだから敵でも殺していない、だから戦争の本当の恐ろしさを知らない、経験していない、ただ戦友とは何かとなると姉は思いつづけていた。認知症になっても変わらなかった。
島根の人であり他にも一緒に働いた人とは交際があり自分の家にもきたことがあった。

そしてその島根の特別親しい戦友からもらった粗末な手作りの バッグを肌身離さず持ち歩いていたのである。認知症になると忘れるのだけどそれだけを肌身離さず持ち歩いていたのであるそれは戦友が作ってくれたものだから特別大事にしていたのである。
認知症をテーマにした「もがりの森」でも大事なものを袋に入れてあった、それを奪われたとき怒った、つまりその袋は人生の記憶がつまっていた。
その記憶が人生を生きたことになっていたのである。
だから認知症になると一番記憶に残ることを延々と話すのである。
今のことは忘れても昔のことは忘れないからである。

悲しかな戦友よりし贈られしバッグ忘れず持ち歩きしを

その女性は文学少女であり短歌を残している、多くの手紙を姉に書いている。
ただ姉は体育系であり気丈夫な人がそういう文学的なものは何もない

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 (小林カツ)

このバッグをいつも持ちあるいていた姉

せききりてこみあぐる思いあふれ来ぬ中央病棟の洗い場辺り

マレー旅行によせて(中島淑子)

ここで洗いものしていたからこのように感じた、まず青春の四年間は長いのである。
それも尋常ならざる体験をしたからこういうふうにこみあげるものがあった。

ここで悲惨だったのは日本が負けたとき一時ジャングルに逃げたのである。
その時食べ物もなく辛酸をなめたのである。
病院でも傷を負って耐えられず自殺したとか何かあった、姉も赤痢にかかったとか過酷すぎたのである。そこは地獄だったのである。
この洗い場もアメリカのB29に爆撃されて現地の女性が死んだ。

戦争というとき記憶は別に膨大に残っているから戦争を何かを探るものはいくらでもあるまだ戦争を体験した人も生きている、おそらく姉の戦友ももしかしたら死んでいるかもしれない、最後は姉は認知症になり年賀状を書けなくなったから消息が絶えたから生きているかどうかわからない。
戦争の記録でも「三陸会」の記録を読むだけで結構な量になっている。これも戦争を語るものであり戦争が何であったのか知る具体的な資料である。

つわものの 看護(みとり)はげみし その乙女らは

今語りあり 三十年のちぢの思ひを 若き日の熱き心を

その乙女らはというときみんな20代の若さであり十代の女性もいたし死んだ人もいる。
今は看護師だと年配の人もいるがその戦争では20代の女性しかいなかったのである。
その当時看護師は優秀な人しかなれない、試験でもむずかしい、姉の場合は県の赤十字社に行き試験は東京で受けた、学校でも一番だったと自慢していた。
その当時看護師になれた女性は心身ともに優秀な人だったのである。
だから短歌を残した戦友も優秀な女性だった、今の看護師とは違った女性のエリートだったのである。
心身ともに強い心をもっていないとそんな戦場で耐えられないだろう。たから文学少女というものでもなかった。
姉はともかく強い女性だったのである。男も怖がっていたのである。
それも最後は認知症になり無惨に死んだのである。


戦争の事でレールモントフの詩で短剣のことを詩にしていたが日本兵でもやはり日本刀を大事にしていたことが「三陸会」にのっていた。


我が軍刀が生き残っているはず

新潟市 石田 啓

新潟医科大学を卒業したとき、親父が「日本刀は男の魂だ、これを見て家伝を思へ」
と家宝の肥前国忠吉の一刀をくれた

ところで招集以来肌身離さずもっていた軍刀、武器は任意に供出したようだが私は耳をかさずひそかにレンガムまでもちつづけ土葬した墓の横に一メートルの墓を堀り鍔とか目貫とか取り去り埋めた
この軍刀を戦後探そうとマレーシアに旅したが見つからなかったと書いている。

短剣の詩もそうだが軍刀はやはり侍の魂として日本軍兵士はもっていたのである。
それは侍としての矜持があってそうなった。

もののふの心と伝ゆ刀かなその跡知らず異国に埋もれぬ

戦後は日本軍が日本刀をぶらさげているのを何か嫌悪する風潮もあり否定的に見られていた。日本兵というのは肯定的に見られていない、ただ刀はただ武器ではなく魂だったいうとき侍だという自負があったとなる
このもののふの心は武道をしている人には伝わっている

結局戦争は肯定的には語れなくなった。その刀も異国に埋もれて見いだされなかったという事はその心も埋もれてしまったのである。
ただシンガポール陥落は日本にとって大勝利だったのである。欧米をアメリカ人すら捕虜にしたからである。だから白人連合軍に勝ったということは世界史ではじめだとかなりその歴史的意義を認める人はいる、そこは最も華々しい戦績を残した場所だったのである。アジアは欧米に蹂躙されつづけたのだからこれは快挙だったとなる。
今でもこの時捕虜になったイギリス人などが抗議しているのも変だとなる
アジアを侵略したのは欧米列強だったからである。
イギリスはインドを支配してビルマまでネハールも支配していたから英語が通じる人がいる。そこに七つの海を支配した大英帝国の名残りがまだある
それを敗ったのが日本がはじめてだったのである。
つまりシンガポールとかマレーシアのジョホールバルはその中心地域だった。
要衝の地だったのである。そこに四年間いたということは長かったとなる

この日本刀についてもこれを親からもらった人は医者であり代々つづく家柄であり優秀な人たちだったとなる、「三陸会」は医者と看護婦が主な人たちでありすると医者だから兵士として前線で戦い敵を殺したということはあまりなかったかもしれない、日本刀を大事にした人も医者でありそれで人を切ったということはなかった。
その辺がやはり戦争の生々しさを伝えていないとういことはあるかもしれない、実際は他の記録を見れば悲惨極まりないとかあるからである。

いづれにしろ戦争のことはまさにその心も異国に埋もれ忘れられるとなる
ただ自分の場合は姉が死ぬまでその戦争のことを叫ぶようにして死んだのでそれが戦争の記憶として自分に伝えられたのである。

戦争のことは忘れず我が姉の死して八年過ぎしもはやし

2017年02月09日

戦争とは何であったのか? (レールモントフの詩より考察ー続編)


戦争とは何であったのか?

(レールモントフの詩より考察ー続編)

情熱とは観念の最初に発達したものにほかならない
それは心の青春のものだ、だから生涯それに興奮を感じようなどと思うものは愚者である多くの静かなる河は轟々たる滝ではじまるが海に注ぐまでとびはね、あわだちつづける河は一つもない、しかもこの平静さはしばしば隠れているが偉大な力のしるしなので、感情も思想も豊かに深くなれば過激な衝動は許されない
(レールモントフー「現代の英雄」)

この小説はレールモントフに興味をもったのでアマゾンで即座に古本で注文した。こういうふうに興味をあるものすぐ手に入り読めるのが便利なのである。
まず今までだったらこういう本は簡単に手に入られないからである。

こういうふうに二七歳で死んだのに透徹した心をもっていたということはやはり天才なのだろう。啄木とにている。啄木も二七歳で死んだからである。
ただこの人は病気ではない急激に決闘で殺されたのである。
だから病的な思想家でも詩人でもなかったのである。


当座の成り行きで速やかに過ぎ
彼はついに甘美な時にめぐりあわず
遠征軍のみじめな天幕の中で
病に倒れ、己が身とともに
天翔る まだ熟さぬ
漠然たる霊感や 裏切られた期待や
勇ましい無念の思いを墓へ運び去った

若いときはありあまる情熱とか欲望がわきあがる、そして行動に闇雲にかりたてられる
要するにその行動に深い思想はない、ただ行動したいというだけである。
その行動に意味が深い意味など問わないのである
それが自分たちの世代だったら全学連とかゲバ学生の革命ごっこであり自分はカルト教団での行動だったとなる、それは何の思想もないただ行動したいというだけだったのである理想に向かって猪突猛進する、その理想は何かもない、ただ理想という幻想に向かって行動していただけなのである。

戦争というときはまた違っていた、それは国家から強いられたものであり若者は何かやはり深い思想をもって行動したわけではない、それは国家自体も今ではその戦争の理由を言うがそれも一理あっても植民地解放のための戦争ということを目的にしたかどうかわからない、結果的にそうなったということはいえる。
ただ白人優越主義が強固にあり人種差別があったから日本人のみが欧米に対抗してシンガポールを陥落させてアメリカ人まで捕虜にしていたのは快挙だったとなる
そんなことありえないことだったからである。すべて欧米の植民地化して白人優位としてアジアは支配されていたからである。

「我々にとって異人種(非白人種)が真の敵ではない。真の敵はアメリカ連邦政府であり、ワンワールド主義者だ。ここがKKKと違うところだ。私の運動の目指すものは『アメリカの分離』であり、異なった人種がそれぞれ侵しあわないように棲み分けることだ。」
「ナチスがドイツの政権を握ったのは、彼らが一部の過激な政治集団だったからではない。ドイツでは、昔からドイツ民族(アーリア人)を最高のものとする『ドイツ主義』という考え方が支配的だった。一方、ナチスの思想もミュンヘンの財閥を中心とするドイツ保守勢力の考え方である『ドイツ主義』とその根本を共有していた。ナチスは決してドイツの一部の過激集団ではなかったのである。彼らはドイツそのものだったのである。

アーリア人が優秀で世界を支配すべきだという優生思想がもともとありその系譜に根強い白人至上主義がある。そのために日本人の学者とか日本人女性も殺されている。
トランプ大統領のような人がでてくるのもやはりそうした白人至上主義がアメリカにあるからだ。
だから白人至上主義からすると日本人に白人が捕虜になることは耐えられないことだったのである。だから戦場の橋のモデルの
泰緬鉄道でもイギリス人が優秀で橋を造れるのはイギリス人のみであり人種差別が以前として捕虜になってもあった
こうして根強い白人至上主義は外国に深くかかわればそれをありありと感じるから世界を回っていた理系の学者だった武田邦彦氏がそれを強く説いていることは理屈ではなしに感情的なものにもなるのだ。なんで白人がそんなに優秀で他の人種は劣等なのかとなると誰も納得できないからである。
日本には原爆を落としてもいいがドイツは同じ白人だから落とさなかったというのもそうである。その白人至上主義に唯一抵抗したのが日本でありそのための戦争だったというのも一理あるのである。
ただ日本人がそういう思想をもって戦ったかというとそれはわからない、ただ強いられたのであり若者が多くそれで特攻隊とかでも二〇歳で死ぬことはとても思想的に納得いかないものとして短歌などに残された。

いづれにしろ若いときは行動が先である、ありあまる情熱があるのだが成熟しない、レールモントフは天才だからそういうものを感じとっていた。
当座のなりゆきでとかで強いられて戦場に赤紙一枚で送られた、その時この戦争は何かと問うことすらできなかった。そんな時間もなかったのである。

彼はついに甘美な時にめぐりあわず
遠征軍のみじめな天幕の中で
病に倒れ、己が身とともに
天翔る まだ熟さぬ

甘美な時とは平和の時に培われる、それも普通は天才でないと長い時間がかかる
自分はようやくこれだけ生きて死に近くなり悟るように人間は成熟するのに時間がかかるのである。
自分は三〇年くらい甘美な時を過ごしたのである。これも平和な時代だからといって普通はありえないことである。今だったらみんな俺たちは奴隷なんだよとか社蓄なんだよとか働かせられるだけだとかなっているかららだ。
自ら働いてその労働に意味を見いだして働いている人はわずかなのである。
資本主義社会では結局金がどうのこうのといっても金があるものが自由でも何でも得る
金があれば別に働かなくてもいいし自分のしたいことをしていいとなるからだ。
金の奴隷になる必要がないからだ。

ただそのことが自分のカルマとなり十年間の介護とか自分の病気とか社会性のないことで辛酸をなめたのである。もし社会で苦労していればこうはならなかったのである。
でもそうなると甘美な時はなく強いられた労働に費やされていたことは確かである。
それはそれで全部が悪いとはならない、結局人間は生きる時間が短いからどんな人生でも満足な人生などないのである。たちまち時間は何するにしてもしないにしても消失して煙のように消えてゆくだけだとなる

レールモントフも決闘で死ぬなど馬鹿けだことだともなる、戦争で死ぬもやりきれないとなる、そうでなくても事故で死ぬ人もいるしこの世は危険に満ちているからである。
戦争は最大の災いである。そんなものを作り出してそれで死ぬというのは耐えられないとなる、戦争がなくても人生そのものが戦争だともなる、その上に最大の災いの戦争があったらそんな人生に耐えられないとなる、平和な時代でも人生そのものが戦争なのである。ただレールモントフでも短命で終わった人は人生を凝縮して生きたともなる
二〇代で六〇代を生きたともなる、それは啄木でも同じである。
でも二〇代では深い思想はもつことはできない、芸術も完成はしない、それでもふりかえると甘美なときとはあまりにも自分でも長いと思ったが短かったとなる
甘美な時間は誰でも実際は青春があるのだからもつがそれもあまりにも短い夢のような時間だったとなる、それもただ煙と消えてゆくだけだったとなるのが人生である。



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2017年02月21日

自然から離れた現代人は記憶が消失する (万葉集の石の橋からなど考察)


自然から離れた現代人は記憶が消失する
  

(万葉集の石の橋からなど考察)

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梯立(はしたての) 倉橋川の 石の橋はも  男盛りに 我が渡してし 石の橋はも

旋頭歌(せどうか)は、奈良時代における和歌の一形式。『古事記』『日本書紀』『万葉集』などに作品が見られる。
五七七を2回繰り返した6句からなり、上三句と下三句とで詠み手の立場がことなる歌が多い。頭句(第一句)を再び旋(めぐ)らすことから、旋頭歌と呼ばれる。五七七の片歌を2人で唱和または問答したことから発生したと考えられている[1]。

石の橋とは飛び石のことであった、石の橋というとき奈良時代には作られていない、それはずっとあとのことである。倉橋川でも飛鳥川でも細い川だから飛び石を渡り横切ることができた。この飛び石の一つ一つを渡り歩くことが記憶に残っているのである。
男盛りにというとき若いときである。人間は青春時代が記憶に残りやすい。
ただ石の橋が記憶に残っていたというのは恋愛だとしても自然の中での生活があり記憶に残ったのである。

この歌は調べもよいし石の橋ということで記憶に残る、石というときヨーロッパだとローマ時代の石の建造物が残っている、ギリシャ時代でも石の神殿があり古いものが石柱の一部とかが残っている、石は残るから過去の歴史が記憶として印され残る
それでヨーロッパには歴史の継続が理屈ではなく物からイメージされる社会である。
石に記した文字でもそれは2000年とか残っている、石の恒久性があり残る、木簡とかなると残りにくい、紙でもそうである。記憶はして記録としても残すとなると石である。
エジプトの記録もヒエログリフで石の神殿に記されて残されたからである。

この歌の石の橋はそうした人工的なものではないからまた別である。でも余りに大きな石となると現代のように大きな鉄橋とかなると人間的なものから離れてしまう。
たいがい現代はあらゆるものがヒュ-マンサイズではない、人間はわたるとしても車でも鉄道でもわたるから橋が記憶となりにくい、それは現代生活は何か記憶になりにくいのである、この歌だったらさらさらと流れる水の音も記憶となって蘇る、一つ一つの石をわたるということで記憶されている、自然と密着して生活していれば記憶されるのである。
そうして故郷とは自然と密着した生活の中で自ずと記憶された場所なのである。

現代はあらゆるものが心の奥深くに記憶されない、膨大に記録はされても記憶されない、記憶と記録は違う、人間すら現代は記憶にならない、だから人と人との深い交わりもない人間は砂粒のようになり群衆となり大衆となり消えてゆくだけである。
どこでも人間の存在は希薄になっている、人間は経済的単位にすぎない、一票として数えられるだけだとかすべてそうなっている、カルト宗教団体などは宗教なのに数として数えられるだけである。人間は自然と大地とかとも切り離されるようになったからその存在感も希薄になったのである。東京のような所でどうして人間の存在感をもてるのか?
ただ蟻のように高層ビルの下で日々うごめいている大衆は一人一人の人間なのかと普通に見る、一人一人の顔があるのかとなるともうキリコの絵のようにないのである。
だから常に言っているけど田舎の方が人間の存在感はある、田舎の農家などでも都会の豪邸があったとしても存在感が自然の中である。それは例え貧乏であったとしてもそうである。万葉集ではそうした人間の自然の中で密着した生活から自ずと生れていたのである。だからその感覚が今ではなかなか理解しにくくなった。
風流として自然を見ているのではなく日々の生活の中で自然と密着して生活していたところから生れたものだからである。

高村光太郎の牛の詩を例にすると


牛はのろのろと歩く
牛は野でも山でも道でも川でも
自分の行きたいところへは まっすぐに行く
牛はただでは飛ばない 
ただでは躍らない 
がちりがちりと
牛は砂を掘り土を掘り石をはねとばし 
やっぱり牛はのろのろと歩く
牛は急ぐことをしない 
牛は力いっぱい地面を頼って行く 
自分を載せている自然の力を信じきって行く 
ひと足ひと足牛は自分の力を味わって行く
ふみ出す足は必然だ
うわの空のことではない 
是が非でも出さないではたまらない足を出す牛だ 
出したが最後 牛は後へはかえらない 
そして やっぱり牛はのろのろと歩く

のろのろと歩くということで大地と自然と一体化してゆく、車のように大地をとばしてゆくとなると記憶は消える、どこを通ったかも記憶されないのである。
橋があったとしてもそれはもう橋でもない、道路の延長でしかない。川があることさえ記憶されないだろう。

つまり一歩一歩あると、step by stepでありそこに記憶されるのである。

夕日逐ふ乗合馬車の寒さかな 漱石

乗合馬車だとまだ自然のリズムと調和している、車だったらもう夕日も追いかけられないそれだけ早すぎるのである、だから車を詩にしたり俳句にしたりすることができないのである。
車でもこれも自然と融和するものではない、電車は撮り鉄がいるから自然と融和することがあり自分も写真をとっているから電車はまだ自然的な人間的なところがあり好きになったのである。

牛は辺りの自然と一体化する、大地にふさわしいイデアとして神が創造したともなる
その牛のイデアを見事に詩にしたものがこの牛の詩だった  
神がイデアとして創造したというとき何でも孤立しては創造していない、大地と回りのものと一体のものとして創造している、海には魚であり陸には獣であり空には鳥を作ったのである大地には牛を創造したともなる。
詩とか絵でも芸術は神の創造したイデアを見いだすことである。
そして記憶が最後に人生だともなるとき記憶されないことは生の充実にはつながらない、だから大都会の生活をふりかえると何も残らない、人間すら膨大にいても大衆であり群衆でありそこには個はない、だから砂粒のように消えてゆくだけである

常に古代からエジプトの神像からはじまりギリシャの彫刻でもイースター島のモアイ像とかでも仏像でもやはり人間の像を作られてきたのは人間の存在感を示そうとしたためである。それは偶像崇拝の危険があったけど現代は数であり人間の像など個々の顔でもみんなロボットの顔になっている、機械人間にされているのである。
例えばコンビニとかでも会社でも公務員でも銀行員でも何でもそこに個性としての顔ある人間がいるのか?みんな同じような顔としてしか見ていないだろう
そこにいるのはその人でしかありえないかとかはない、誰がいても同じなのである。

古代とか原始時代になると人間は地域地域で違った顔をしていたというときそれは濃密な自然と密着した生活の中で自ずとそれぞれの顔が作られてきた。
像で考えろといっても現代はその像がないのである。
人間は何か記憶されないというとき生が充実していない、消失されている、消費というとき消すであり費やすということでもそうである。消費生活なのが現代人なのである。
だかちいくら消費しても生の充実感が得られないのである。
時代をさかのぼればのぼるほど像に満ちているのはなぜなのか?
人間としての存在感があるからこそ像が作られた、現代の人間の像はロボット化しているのである。要するに顔はみんな同じである、数字にすぎないとなる
それに耐えられない天才などはアウトサイダー化するのが現代である。
人間でありたいというとき数字にはなりたくないという反発である。数として数えられるだけの人間ではありたくないのである。

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 現代人の顔?

2017年06月07日

メールで質問がありました (高村光太郎の詩について)


メールで質問がありました

(高村光太郎の詩について)


高村光太郎の牛の詩について

批評の中の水牛の歩みというのは自分の作品です
これを高村光太郎の詩か他の人の詩と間違えたようです
確かにそういう誤解がある文でした

何かインターネットは誰が書いたのか明確にならない
だから誰の作品かわからず引用したりする
引用は許されていても創作物は著作者を明記しないといけいない

ただリンクというのは著作者が誰かよりその文でも詩でもリンクするとその作品のみに注目して作者は注目されないのである。
インターネットにはそういう傾向がある、本だったら作者に注目しているからだ

著作権でもニュースとかその他創作物でいないものには著作権はない
それはその人の独自のものではないからでありそれは公共的に知られるべきものなのである。そういうものはリンクしても引用しても著作権があるとは限らないのである。

ともかくインターネットは何か他者のものが引用しやすいのである。
だからその他者の書いたものはまた個々人が解釈して書くことが多くなる
それで本や映画やテレビでも他を批評するものが莫大に増えたのである。
それは気軽に書けるからでてある。今までのメデアは書けなかったからである。
だから個人でも膨大なもの書くことができる、それは別に電子空間に記録されたものであり負担にならないのである。
本だったら膨大な数となり保管するだけでももう保管しきれなくなるが電子空間では無限に保管できる、でも負担にならないのである。
ただ一瞬にして消えるということが電子空間での記録の怖さなのである。
それでも何カ所かに記録されていればアイカーブされれば残るとはいえる

詩のプログも開設したがそこには手が回らず更新していない
詩は実際は毎日のように書いている、それを日々の感想とかその他の文に出している
詩とかなるとあまり読まれない、評論するものがありそっちに力を入れている
詩は詩でまとめねばならない、それがまたたまっているから苦労になる
「評論と鑑賞」でも無数に書くことがある
今まで書いたものをまた読んで追加することもある
そういう作業をしているときりなくなるのである。

インターネットは他者のでも一部を読むことが多くなる、するとその一部の断片を読むだけであり作者のことも注目しないのである。
断片化された情報になってしまうのである。
要するにインターネット上では誰のものというより全体が一つのものとして機能しているのである。種々雑多なものでもくだらないものもありとあらゆるものが混在しているのである。本だったらそれが一つの世界となり提供されているがインターネットは部分の膨大な集積なのである。
そこに誰のものかわからなくなってしまう危険がある。

ともかくこの高村光太郎の詩はかなり読まれているようです
アクセス解析できていないのでわからないですがまちがいないでしょう


2000ルネサンスというのがホームベージの目次となっているのでここも読んでください
ここに詩が分類されています





2017年12月13日

死者は面影となり生きる(古典の短歌を読む) 死者は面影となり生きる(古典の短歌を読む)


死者は面影となり生きる(古典の短歌を読む)


●万葉集の恋は死者を思い面影に見ること


陸奥の真野の草原遠けども面影にして見ゆといふものを

夕されば物思ひまさる見し人の言とふ姿面影にして

たち変り月重なりて逢はねどもさね忘らえず面影にして

里遠み恋わびにけりまそ鏡面影去らず夢に見えこそ

遠くあれば姿は見えず常のごと妹が笑まひは面影にして

年も経ず帰り来なむと朝影に待つらむ妹し面影に見ゆ


右大将道房の死後、手習いをしていた扇を見付け詠む 土御門右大臣

てすさびのはかなきあととみしかども ながき形見と成りにけるかな

(手慰みの筆の跡と思って見ていたけれど、永久の形見と成ってしまった)


面(かお)とは顔のことである。不思議と顔が浮かんでくる,死者だと余計にそうなる
それで折口信夫は

折口信夫は、「恋」とは昔相手の「霊魂を迎え招く」ことだったと言っている(「恋及び恋歌)。「恋」とはもと「魂()ごひ」だったというのである


万葉集の恋は今の恋愛ではない,死者を乞う(こう)儀式ですらあった
だから実際は死者に関するのだから深刻なものであり恋愛とは違ったものとして恋があった,死者はなんらかでそうした面影として残されたものに映る
それは遠い所に人がされば面影に見る,それは死者を思うのとにている
ただ死者は絶対にもう会うことができないのだから深刻なものとして恋がある

真野の草原の歌は真野の草原(かやはら)という遠い地に恋する人が行ったとしても面影に見えますよということである。草原(かやはら)のことではなかった
真野の草原は遠い地として奈良の人に知られていたのである。

たち変り月重なりて逢はねどもさね忘らえず面影にして

これは死者のことかもしれない,死者は存在しなけど面影として存在し続ける
そう読めばただの恋愛ではない,深いものとして鑑賞できる

てすさびのはかなきあととみしかども ながき形見と成りにけるかな

こういうことは家族で死んでみるとわかる,こんなものが形見となって死んでしまったなということを感じる人が多い
何かありふれたつまらない日常だったことが貴重な思い出として蘇るのである。
面影として現れるのである。人間が死んで残るのはその人の思い出であり面影なのであるそれはなかなか消えないものなのである。


湯たんぽにストーブにあたたむ湯を入れぬその時姉ありあたたかきかな

我が家になお姉母ありて支えなむ今年は特に寒くなりしも

死してなお我によりくるもののけは姉母にしもありと思いぬ

ものしずか母なりし今日も寒しきも庭の石にし面影残る


常に湯たんぽにストーブであたためた湯を入れるとき太った姉が常にそこにいたのであるそれがなんでないが寒いとき姉は太っていたから湯たんぽでも温かく感じていたことを思い出したのである。
そんなときそのことに特別な思いはなかった,でも死んでみたらいつも姉がそこに笑って湯たんぽに湯を入れるのを見守ってくれたとかなる,湯も入れてくれていたのかもしれない。ともかく姉が湯たんぽの湯を入れるときそこにいつもいたことを思い出したのである何か今年は特に寒いからそんなことを思い出すのである。

もののけというとき物につく霊とかなる,この物の怪は悪いものとして憑依するものとしての霊とある,でもそれだけではなく良い霊として死者が自然物に憑くということもある石についたりもする,死者が石と一体化して伝説の石となる
それはもう単なる石ではない,完全に死者と一体となった石だとなる
死者がもののけとなり悪い霊としてつくとは限らないと思う
何か家には死者の霊がもののけとして憑いている感じになるのだ
それは悪い霊ではない,長く住んだ家から離れられずついているともなるのだ
死者はだから骨になり灰になっても消えたとはならない
何かむしろ物の怪となって長年あった場所に憑いているともなる

ものしずか母なりし今日も寒しきも庭の石にし面影残る

ものしずかな母だったというとき自分もそうだった,だから外交的な人には好かれない
外交的な人は好かれやすい,表に現れるからである。
内向的な人は表に現さない,隠忍自重している,だから石にふさわしいとなる
ただ死んでみるとそうして目立たないものが何かいつまでも残る,存在し続けるということも感じた,外交的な人には人のいい面はあるがそれがすべて表にでてでしゃばりになるのが欠点にもなる,ただ外交的とか内向的とかあってもどっちにもいい面と悪い面だしそれは悪い面もいい面となる,その両方を兼ね備えればいいのだが人間はそうなっていないのである。
正直内向的な性格は社会では損する,外交的な人が好まれているからだ
実際母はとても一人で家を切り盛りできない女性だった,何か社会のことがわからないからだ,自分もその血を受け継いでいるのである。
人間はつくづくなにもかも兼ね備えることがないから補い合うようにできているのである社会自体がそうして支えあっているのである。

●埋火の俳句より死者を思う

埋火や壁には客の影ぼうし 芭蕉

埋火やありとは見えて母の側(そば)蕪村

歳時記によっては初めが「埋火の」となっていますが、「埋火があるように感じられたが、母親のそばのぬくもりだった」という意味で・・・

この句も炭の時代だからこそできた句である。今はこういうことはない,エアコンとか部屋をあたたかくしてんるから何か寒々として感覚はなくなった
寒いということがないことは風流もないとなる,ただ寒いを風流と感じるのは体に自信があればそうなる,寒いとしても余裕として感じられるとなるからだ

江戸時代は裸足だったということが驚きである,女性も裸足であり靴下を冬でもはいていないのである。そんな寒い所で良く裸足でいられたと思うのも時代である。

芭蕉の句は埋火(うづび)ではそうした人の余韻を残す,それが絵画的に示されている
それは死者ではないがやはり人が去ったあとで死者ともにている
蕪村の句は本当に死者なのである。母がいつもそこにある,ぽかぽかとあたためるように母があるという感覚になる
自分には複雑な家庭でそういうことはないが母が死んでから何か母がいつも近くにいるという感覚になったのは不思議である。母のことは生きているときそんなに自分は思っていなかったからである。
つまり母が死んでからそうなった,死んでしまうと人間の見方は生前と変わってくることは確かなのである。つまり生きているときでも喧嘩していても長くあっていないと喧嘩した相手でもなつかしくなるのとにているのである。


埋火と死者

死者はなかなか消えない
埋火のように
とろとろと燃えて
消えるようで消えない
消えたと思うとまた現れる
死者はいつも身近にいるのかもしれぬ
とろとろと燃える埋火のように
あたたかく母のようにいるかもしれぬ
それは母だけではない
何かそうして愛すべき
親しい人は死んでもいるのかもしれぬ
死者はもう己を強く主張しない
でも埋火のようにいつまでも燃えている
長い歳月を共に暮らしたゆえに
死んでもやはり何かありつづけるのが死者
死者はただ残された人の心に
面影のみとして写る
その面影はなかなか消えない
埋火のようにいつまでもとろとろと燃えている
今年は特に寒い
だから火が恋しいくてまた死者の面影を偲ぶ

埋火


死者を思う時こういう感覚なのかもしれない,死者自体が埋火のような感覚になる
死者は生きている時のように騒がしいものではなく現れるかもしれない
死者は何か激しく怒ったりはしないだろう。とろとろ消えないで燃えている埋火とにているのだ。埋火のようになかなかその火は強くはないが消えないのである。
炭の時代を子供のときに経験している,それは貴重な経験だったのである。
炭のことを知っている世代はもう団塊の世代のあとはいなくなったからである。

埋火の文は老人問題に書いたがこちらにも移して一つの文にした
またここに文を加えることにもなるかもしれない
こういうことは電子空間では簡単にできる,常に加筆したり変えたりするのが手間にならないのである。だから絶えず更新してゆくのがインターネットの電子空間なのである。こ


2018年08月09日

芭蕉と蕪村の五月雨の俳句の鑑賞

芭蕉と蕪村の五月雨の俳句の鑑賞

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五月雨のふりのこしてや光堂 芭蕉

五月雨や大河前に家二軒 蕪村

この二つの俳句は対象的である、芭蕉の俳句は歴史的時間性の中で金色堂を俳句にしている、

文治元年(1189年)奥州藤原氏滅亡
松尾 芭蕉 寛永21年(1644年) - 元禄7年10月12日(1694年11月28日

芭蕉が平泉を訪ねたとき500年も過ぎていたのである、それだけの時間の流れがありこの句ができた、現代のように変化が激しくないから時間の感覚は江戸時代前は違う、時間の感覚は鉄道とか自動車社会になると変化する
電車とかでも車でも早く過ぎる,すると時間も早く過ぎるように思うのである
だから車のない所に行くと原発事故で避難区域になった所では時間が止まったように感じた、そこには芙蓉でも車が通らないからゆったりと咲いていたのである
車がひっきりなしに通っていればそう感じないのである
江戸時代までは自然の時間であり文明的人工的空間の時間とは違う中に生きていた
時の鐘でもおおざっぱであり一秒一分刻みではない、それで現代人は常に時間に追われている

江戸時代まで自然の猛威を感じる世界である、芭蕉の五月雨の句も自然の猛威の中で朽ちているはずの金色堂が一つだけ輝き残っていたことに感嘆した
後は堂塔伽藍も焼失したからである、そういう歴史を時間を感じる俳句である
五月雨に自然の猛威に押し流されてもいいはずだが残っていたという感懐である

一方蕪村の五月雨の句は

心細い二軒に住む人間を撮り始めると、次々にカット数がふえて行く。家族全員の表情を描写するだけでも、かなり面白いものになる句の表面には人の気配など全くない。それでいて、人間はどうなっているのだと考えないではいられない。それは蕪村の句にドラマがあるからだ。

この句は芭蕉のように自然に融合するのではなく懸命に大河があふれて流される危険の中で二軒の家が耐えている
自然の猛威に対して抗って存在しようとする二軒の家である
そこの二軒の家の存在の重さを示している、懸命に生き残ろうとする庶民の農民の姿なのである。
二つ谷とかの姓は二つの谷]や)は家のことである。四谷もそうかもしれない、四軒屋とかも地名にあるから
その家の存在は大きなものだったのである。自然の猛威の中で消される流されることに対抗して耐えている存在する二軒なのである。

蕪村の俳句は常に生活感覚がある、市井の人の声がある、だから様々な職業の人を俳句にしているのである、それはもともと農民であった、でも農民でも大阪に近い所で生活していたし京都にも近く文化的な生活も知っていたのである
それが事情があって家が破産して江戸に単身出てきたのである
蕪村の俳句は美的で絵画的なのだけどそこに市井の人々へとかかわるのである
芭蕉の不思議は市井の人々があまり眼中になく天然を優先した天然と禅のように一体化する、何か生活感覚にともしいのである
かといって干し鮭をかみえたりとか貧乏そのものの暮らしをしていたのである
芭蕉は禅の悟道を求めた人のように見える、俗を離れて自然と一体化するのである
蕪村は俗があってもそこに美がある世界を追求したのである。
そこには暗黙のうちに市井の人や農民への深い同感がある、だから様々な職業の人を俳句にしているのである
「しずけさや岩にしみいる蝉の声」などでもそうである
ここには生活感覚はない、ただ蝉の声と岩があるだけだからである
例えば今雨がふっていたので作った小生の俳句がこれである

雨しとと勤めの人や蝉の鳴く

蝉の鳴く定時に来る電車かな

たいした句ではないがここには勤め人とか鉄道で働く人への思いがあり作られた
なぜなら自分はここに二年くらい無人駅でボランティアをしていたからである
それで鉄道をただ乗るだけではなくそこに働く人への思いが生まれたのである。
何か駅員になったような気分になっていたからである
蕪村の俳句もそういうものが多いのである。

五月雨をあつめて早し最上川 芭蕉

毛見の衆の 舟さし下せ最上川 蕪村
―――――――――――――――――
秋の季語である「毛見」は「閲・検見」で、
「けみのしゅう」は米の収穫前に出来高を検分する役人たちのこと。
当時は今のような自己申告ではなくて、
お役人が査定して年貢の額を決めていました。
蕪村は農民の側から見ていたようですね。
―――――――――――――――――
○新米の 坂田は早しもがみ河
―――――――――――――――――
「坂田」は最上川河口の町、酒田。
江戸初期から庄内米の積み出し港として発展していました。
芭蕉が『おくのほそ道』に書いたように、
稲船(いなぶね)が最上川を下って酒田港に稲を運んだのです 

この句も対象的である、芭蕉は天然だけを見ている、五月雨を集めて流れる川だけを見ている
毛見の衆となると税金とる役人でありいいものではない、そういうことに同情している
何か常に市井の人々ふ農民に同情しているのが蕪村なのである。
芭蕉にはそういうものがないのも不思議だとなる、芭蕉は武家の出だったからなのか?
天然に没入することを第一としていたのである
別に豊かな時代になればそういうことが普通である、でも貧乏な時代はどうしてもそうした生活が目に留まり同情するようになる
新米に注目しているのもそうである、新米がとれこととかは農民にとってうれしいことなのである
それを食べる人も今でも待ち望んでいる、それが最上川の早い流れにのって酒田まで運ばれる
それは天下の台所の大阪まで運ばれることも見ているのである。

正岡子規がなぜ蕪村を模範にしたのか?それは写生というとき生活実感を重んじた、また写生というとき絵画的になるから蕪村を模範としたとなる、ただ芭蕉の句を否定したのは深く間違っていた、どちらにも良さがあり個性があったからである
要するに何でも対象的に見ると興味深いものとなる、そこで個性が際立って鑑賞を深められるのである。

2018年08月10日

河の俳句から歴史をたどる (淀川から外国の河など)

河の俳句から歴史をたどる

(淀川から外国の河など)

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朧月大河をのぼる御舟かな 蕪村

夏の月御舟のぼるや塔の影


商人の河下り来る秋の暮(ドイツのハイデルベルグ)

河曲がり落葉の公園古き都市

石橋の古りし市の門秋深む


交通手段として旅客専用の三十石船が登場しました。米を三十石積めることから三十石船と呼ばれたこの船は、全長約17m、乗客定員約28人で、曳き船が必要な上りは約12時間、川の流れに乗れる下りは約6時間で大阪と京都・伏見を結びました。


淀川というとき昔の状態がまるでわからない、それは東京でももう江戸をイメージできないと同じである、東北だと平泉などは近いから風土的にも一体感がある
それでイメージしやすいが大阪とかは繁華な都会になっているからほとんどイメージできない、特に離れているからイメージできない、大阪でも江戸でも水の都だったということがイメージできない、だから現代の旅は意外とつまらない、ただ高いビルとか密集した人家を見るだけだとなる

淀川に大きな船が通っていて荷を運んでいたとか人を運んでいたかともイメージできない第一淀川がどう流れているのかもわからない、大阪だと外から来てわかるのは大阪城だけだとなる,生駒山があって高いなとは感じたが大阪の地理は都会化してわからない
だからイメージすらできないのである

だから「朧月大河をのぼる御舟かな」の蕪村の句はいい句だなと思うときそういう実景があって作られたのである。この御舟は荷物を運ぶのとは違う、何か貴族の人が裕福な人が乗っている舟なのだろうか?淀川の昔を彷彿とさせる光景である
淀川は当時運河のようになっていたのである
京都とも通じていたから淀川は交通路としてあった

洗ひ衣(ぎぬ) 取替川(とりかひかは)の 川淀の 淀まむ心 思ひかねつも
  〜作者未詳 『万葉集』 巻12-3019
  
 川で洗濯していた、取替える川にかけてこの歌を作った、この頃すでに淀む川がありそれで淀川になった

日本では何か川というとき船が行き来するのが少ない、外国だと中国でもヨ−ロッパでもどこでも大きな河があり河は運河のようになり交通路となっている
第一ナイル川でもそうだがガンジス河でもドイツの父なる河のラインでもそうだが四大文明が河から生まれていることでもわかる、河を知らないと文明がなぜ起こったかもわからないのである、そこで日本では大きな河がないから外国のことを理解しにくいのである

菜の花や運河に豚を運ぶ舟

これは中国の運河に一夜乗って見た風景である

千里菜花
運河行舟
豚運農民
大陸結河

中国の河は雄大だから想像を絶するものなのである、それは日本にいてとてもイメージできないからだ、ガンジス河でもライン河でもそうである
日本に大きな河が欠落していることが外国を理解できないとなるのだ
地理的に理解できないことが致命的なのである

ただそれでも江戸時代辺りは船運が盛んであり淀川でも利根川でも船運があった
最上川は一番有名である

川上とこの川下や月の友 芭蕉

これは川で結ばれていたことを如実に物語っている、それは経済的にも荷が運ばれて結ばれていたからである。
ヨ−ロッパだと川が運河となり交通路になりその川沿いに都市が生まれた、そしてハンザ同盟とかの商人の連合体が生まれたのも河が運河のようになっていたためである
ハイデルベルグもそうしたネッカー河の河畔に発達した都市である
そこに公園があり落ち葉ししてゲーテがここで瞑想にふけったとかあり納得した

夏の月御舟のぼるや塔の影

これはイメージしてし作ったから良くないがそもそももうそういう景色がないのだからイメージするほかないのである
何かテレビで淀川の岸に百済の五重塔が建っていたというの見たことがある
そこには塔が建っていた跡が残っているが塔はなくなっている
ただ百済寺は現実にありそこは広い場所である   

百済王 敬福(くだらのこにきし きょうふく)
当時、聖武天皇は東大寺大仏の建立を進めており鋳造まで終えていたが、巨大な仏像に鍍金するための黄金が不足し、遣唐使を派遣して調達することも検討されていた。全国にも黄金探索の指令が出されていたが、これまで日本では黄金を産出したことがなかった。天平18年(746年)4月に敬福は陸奥守を石川年足と交替して上総守に転任するが、9月には従五位上へと加叙を受けて陸奥守に再任されている

すめろぎの 御世栄えんと 東なる みちのく山に 黄金花咲く 大伴家持

玉縁のある粘土紐巻の丸瓦に、ヘラ書で「天平」と文字を刻んでいます。これにより「天平」と年号のつく年代(729〜766)に建物が建てられたと考えられます。
宮城県の涌谷が金がとれた場所であり時代が記されているから貴重である

塔の影というとき百済の五重塔だが今はないがその影が見えるということになる
百済をイメージすることは韓国をイメージすることに通じている
百済が滅びた扶余に行ったことがある
百済が滅亡したとき政治的難民として日本に逃れてきたのである。
ただその前に伽耶がありそことの興亡があり伽耶大和は一体であり伽耶は大和の日本の出城的な役目を果たしていたという説もある、伽耶は特殊な立場にあった
つまりこの伽耶であり百済でもいかに日本に影響したかを物語っている

陸奥(みちのく)の真野(まの)の草原(かやはら)遠けども面影(おもかげ)にして見ゆといふものを

この短歌が自分の住んでいる真野だとなり草原(かやはら)は伽耶に由来しているのではないかという説を自分がたてたとき大きな韓半島の歴史を合わせてみると見えるものがある、ただ伽耶(かや)とか百済とか渡来人の歴史は隠されたので不明になったのである。ただこの歴史は一方的に伽耶とか百済が日本を指導したというのではない、何か逆に日本が任那があったように日本府があり伽耶は日本の出張所のようになっていた
伽耶に関しては相互的なものであり一方ではないのである。
そして謎は伽耶はやがて蝦夷と一体化して大和王権と対立するようになったことである

東北は日本の歴史で大阪とか関係ないように見えても深く関係していたのである。
ただ河から見る歴史が日本ではイメージしにくいのである
外国はまず河から見る歴史が現実であり河の役割が大きかった、それはその河がいつも流れているから身近なのである。
河を知らなければ文学でも詩でも絵画でも外国を理解不可能なのである
外国の文明は文化でも川とアイディンティティ化して生まれているからである
この詩でもいかに河と魂が一体化しているかわかる、こういうことが多いのである
ヘルダーリンの詩もライン河なくしてありえないのである。
中国でも河なくして語ることはできないからである。  
  
朧月大河をのぼる御舟かな 蕪村

淀川の舟運は 「日本書紀」にも見 られるように、仁徳天皇30年 の秋 、皇后磐之姫が船 を曳
いて淀川 ・木津川(山 脊川)を へて山城国筒城(綴喜)へ 向か ったことを記 しているように古
くか ら舟運があ ったことがうかがえる 

淀川三十石船は京都と大阪間(約44.8`)を繋ぐ快速船で「早上り三十石」「早舟三十石」と呼ばれ、現代の新幹線のようなもので、多いときには162隻が就航し、一昼夜で上り下りをしたので合計320便、一日9000人が往来したことになります

この句が夜に作られている、淀川を夜に運行していた、それも良くわからない、淀川はまだ自然の河であり危険でもあった
帆掛け船なども運行していた、古代から運行していたので想像上の船かもしれない、蕪村には実景を見たとは限らないからである
ただこの俳句は河と舟と月が一体化してなんともいえぬ情緒をかもしだしている
それは淀川がただ流れている河ではない人間がかかわる河であったからだ、運河のように利用した河だから外国の川と似ているのである。
それで川下に堤が作られたのも早い時期に人工化した河だともなる
春風や堤長(なご)うして家遠し」これは自然の川ではない、人工化した運河のような河になっていたからできた句である
実際にこうした大きな河は氾濫して被害を与えているからだ、堤ができたとき安心して河に向かえる、運行もできるとなるからだ
旅というとき今つまらないのはこうして河の船旅などができないことである
大阪などでも行っても大阪城しかわからない、琵琶湖は残っているからわかる
もう想像するほか見ることはできないのである。



2018年09月27日

現代の旅では風景も記憶に残らない (浮世絵から見た江戸時代の風景を俳句にする)


現代の旅では風景も記憶に残らない

(浮世絵から見た江戸時代の風景を俳句にする)

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松の間に残雪の富士野の広し

程ヶ谷から戸塚にかけての松並木はその美しさで有名だったそうです

時間は謎である、時間はないという人もいる、空間はあっても時間はないという、空間があって時間がある、なぜなら空間は宇宙は消滅するということが言う人がいるからだ
だから時間はもともと人間が作り出したものである
時間を感じるのは朝になったり夜になったり太陽の変化で時間を感じる、何か時間を量でも計ることができる
砂時計なら時間を砂の量で計ったりする
水時計なら水の量で計る、時間は空間があって時間がありうる
距離があるとしたその距離を行くのに時間がかかるとなる
だからまず空間がなければ時間はありえないのである

人間の一生でもそれは時間が限られているというとき時間は無限大にはない、生きられる時間は決まっている
ただ空間は地質時代でも原始時代でも同じ空間を生きているのである、その空間は消えたりしていないからである
でも人間が生きる時間の感覚は違っている
時間が早く過ぎたり遅く過ぎたりする
江戸時代は時間が遅く過ぎていたと感じる
その時間の感覚も今のように一分刻みではない
時の鐘があってもそれはおおざっぱであり時間の感覚は今とは相当に違う、一日の感覚も一生の感覚も違う
短命であったからその体験したものが今の人より希薄だったとかならない、時間の密度が違っていたのである
長く生きてもそれではその人はどれだけの体験をしたのか?
それをどうして計るのか?それは一概にできない
いくら長い時間を生きても長生きでもそこで何を体験したのか?
そしてその体験をどう消化したのかとかで違ってくる

旅したことでこれまでプログで書いてきた
今交通手段が発達して新幹線で日本縦断だって一日でできるとする、ではそこで旅をした体験として何が残るのか?
ほとんど何も残らない、景色もまた人との出会いもほとんどない
それは早すぎるためである
もし歩いた旅なら旅も道連れとなりその人でも景色でも記憶される、現代の旅は記憶されないことが多い
車が次々に流れてゆく、でもその車の人と対話はない、誰が乗っているかもわからない、ただ機械が猛スピードで過ぎ去ったという記憶しかない、何も脳裏に記憶されないのである
それは自ら旅する時でもそうである、早く過ぎ去るために記憶に残らないのである

街道の松一本一本や秋陽没る

この時自転車から歩いたから一本一本の松を見て歩いたから記憶する、でももし自転車ですら通り過ぎると記憶に残るのは一本一本の松ではない、自転車でも電車でも見る風景が変わって見えるのである、何かだからこの浮世絵の街道の風景でもそうである
橋の欄干にもたれて川を見ている人がいる
川を帆かけ船が上ってくる、その橋を荷物を背負って行く人もあり侍もわたる、その橋は人を記憶している
何か現代では欄干があるとしても大きな橋であり絶えず車が行き来するからそういう風景をすら失っている
江戸時代なら戦前でも車社会ではないから歩く人と風景は一体となっていたのである
車は何か風景を引き裂くようにして暴走するのである
車と風景は一体となりにくい、電車はその点撮り鉄がいるように風景と一体化することがある、だから鉄道は人間的だから好きだとなる

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欄干にもたれる人や春の暮

こういう橋だともたれたくなる、そういう感覚にさせられる、今はゆっくり橋にとどまり欄干にもたれるという余裕すらもてない、橋はただ車を優先にして通り過ぎる渡るだけのものだとなるからだ

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江の島遊行寺橋

欄干に雪の積もりて下駄に行く

人去りて橋に行き積み夜となる

人去りて雪に消えにし下駄の跡


歌川広重 名所江戸百景


京橋竹河岸

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満月や棹さし行きぬ舟一つ

満月や竹運ぶ舟と知られけり

竹運び今夜は休まむ江戸の月

橋高く満月見ゆや京橋に

それぞれに行く人あれや秋の橋



京橋というとき竹河岸であり竹の集積場になっていた
職人の町でもあった、日本橋の前に京橋があった


竹の多くは、千葉県から高瀬舟に載せて京橋川に入って来たものや、群馬県から筏に組んで送ったものであったという。青竹が連ねられている竹河岸の様子は、歌川広重の「名所江戸百景」にも描かれており、

林と見えたのは竹だった、竹を高くしているのは見た眼とは違って絵にしているからである、竹を強調しているのである
これは提灯をともしているから夕方の風景だろう
ただ満月となると月明りでも明るいとはなる

江戸時代の橋は人間と風景が一体となったものである
橋の役割は今とは違い大きい、江戸だからこそこれだけの大きな高い橋があったが地方では橋は貧弱だったろう
欄干さえないのも多いのである

この風景を見る時でもそこに記憶されたものがある
当時の風景が人間と一体となり浮世絵に記録された、記憶されたのである、写真がない時代だから浮世絵から当時を見るとなる
川を舟がゆっくりと棹さし行く、その時何を積んでいるのかわかる、竹なことは月明りではっきりする
どこから来たのかはわからないが千葉県の下総とか群馬県上州とから竹を積んで江戸に来たとなる
この風景は当時の生活を偲ぶものとなる
江戸は川を利用して物資が運ばれていたのである。

今は日本橋も京橋ももう当時を偲ぶものはないし東京では江戸時代を偲ぶものはほとんど消えた
だから東京はつまらないのである、何か過去を歴史を感じるものがない、特に江戸時代はほとんどないからわからないのである
だからもう江戸時代はイメージの世界であり浮世絵とかからイメージしなければなにもないとなる
ただイメージするとリアルな感覚が消失するから見当違いのことが起きてくるのである

ここで言いたいのは時間の密度は空間と一体となり記憶されていたということである
橋は今ではただ遠すぎる渡るという機能だけである
そこに人間的なものが省かれる、ただ車が通りすぎるわたるといってもその時間が歩くのとは違うから一瞬にして過ぎ去るというだけなのである
風景とも記憶されるのはそこでの時間感覚とか空間感覚があり
それは江戸時代とは今では違うのである

雪のふるなかを笠さして橋を着物姿の女性が下駄をはいて静々とわたる
欄干に雪が積もり女性は去ってゆく、その後にも雪はしんしんと降っている、そこに橋と人間と風景が一体となって記憶されるのである
そういう空間とか密度ある時間が消失した
人間の体験は希薄化しているのである、だから旅してもただそれは空間の移動でありそこで濃密な記憶に残る体験がしにくいのである、それで旅してもどこに行ったのかさえわからないことにもなる、団体旅行だと女性ならおしゃべりで終わりその風景の記憶が残らないのである








2018年12月10日

アメリカの国の成り立ちをホイットマンから読む(短歌十首) (日本は時間軸に生き外国は空間に生きる)


アメリカの国の成り立ちをホイットマンから読む(短歌十首)

(日本は時間軸に生き外国は空間に生きる)


アメリカの空広々と大なり冬の夕焼け赤々と染む
アメリカの建国いかにリンカーンの丸太小屋や冬の日暮れぬ
大いなる太古の巌層をなし大森林や凍てつきにけり
アメリカの国土広しも長々と冬夕焼けの赤々と染む
アメリカの国土の広しも冬夕焼け赤々と消えず心に残りぬ
アメリカの大陸走る凍てつくや貨物列車の長々と行く
西部なり原始の磐のそそりたち冬の月いで明るさ増しぬ
アメリカの大地に根付きインディアン住みしもあわれ昔を語る
アメリカを希望の地として渡り来ぬ夢のふくらむ大陸なるかな
アメリカの冬の夜ふけぬアムトラック誰か一人おりプリンス駅かな



とても書ききれない
詩にも言葉にもできない
新大陸の万物が人々の営みが
一人の詩人、ホイトッマンにおしよせる
その万物に人々に意味を与えようとした
多くの死者にも、名もなき人々にも
アメリカに国王はいない、貴族はいない
アメリカは血筋ではない、自力で這いあがる国
一人一人その土地を拓いて主となった
その自ら開いた土地を守るのは銃であった
その荒野に警官はいない
荒々しい原始の巌が屹立する
彼らは何を頼りとしてたのか
聖書一巻たずさえ信仰なのか
彼らに古いヨ−ロッパの教会は大聖堂はない
その歴史もない、粗末な教会を建てる
リンカーンは粗末な丸太小屋からはじまる
黒人は奴隷として連れて来られる
白人の下で働かされる
しかしその黒人も建国とともに古い
アメリカに様々な国の人が人種が押し寄せる
アメリカ合衆国はいかにして成りしか
それは壮大な実験場なり
今も移民が押し寄せる
アメリカの産みの苦しみは今も続いている
アメリカの土地はその広い土地
その資源、石油、そして機械工場産業
巨大技術が大陸に適応する
莫大な富を産み出すも
アメリカの歴史はまだ古層とならぬ
原始の山塊が岩山が砂漠に横たわる
なお国は新しく産みの苦しみにある
人種や言葉が混交して分断の危機にある
アメリカの国土はまだアイデンティティ化されていない
広大な原始の大地がまだ広がっている


まず国を理解するとなると容易ではない、地理の理解に始まるがそれ自体が中国でもアメリカでもあまりにも広大すぎるのである
日本の感覚では理解できない広さである、空まで広いと感じる
それで日本は時間軸に生き他の国は空間に生きるというときなるほどと思った
日本は狭いからその狭い中で工夫して生きる、時間軸というとき狭い中で何か時間的に集積してゆく狭い土地で生きる術を身につけてゆく、それは土地が制限されているからである

だから日本には空間を生きるより時間を活きるとなるのかもしれない。狭い中で歴史の積み重ねがあり工夫して生きるとなる
茶の湯などの文化も狭い国に生きることから生まれた芸術である
俳句とか短歌でもそうである、俳句などこれほど短い詩は世界で存在しないからである、それは日本の風土にあったものだから生まれたのである
それでグランドキャニオンを前にして俳句とか短歌など作れるのかとなる、その差に愕然とした、そこは地球なのかと火星なのか別な惑星に来た感じになったからである
その時言葉を失う、とても一句詠むかという気分にもなれない、それほどスケールが大きすぎたのである

外国が大陸国家になると空間を生きるというのはその広さを知ればわかる、無限に広がる大地が空がある
すると遊牧民などは無限の大地とか草原とか砂漠がありそこを移動してゆく、移動する生活である
特定の場所にこだわり生きる訳ではないからこれまた理解しにくいのである、一つの場所に日本の村のような所に生きるのではない
それで日本では一つの狭い場所からぬけられないから村八部が制裁になる、それは重いものとなる、そこで暮らすことが辛くなるからだ、そしていじめが日本ではどこでも普通にある
北海道には広いからいじめがないというときそうなのかともなる

日本の感覚は狭すぎるのである、大陸国家だと空間を生きるというときその住んでいる場所が暮らしにくいとしたら移動すればいいのである、するとその広大な土地に新しい世界が開けるとなる
空間を征服することが生きることになる、世界史をみてもそうである、空間が拡大してゆくことが新しい世界を見ることであり開けることなのである
日本でも明治維新で北海道がフロンティアになったことでもわかる
まだ開かれていない土地があったからそうなる、アイヌが住んでいたとしてもそれはアメリカのインディアンとにていてやはり広大な開かれていない土地があったから移住できたのである

遊牧民の空間感覚は農民のように土地に定着するものと根本的に違っているのだ、その世界観も違ってくる、都市は遊牧民が作ったというとき遊牧民は自ずと移動するから商業民族になる
するとオワシス都市があるようにその中継点として都市が生まれる
空間を結ぶものとして都市が生まれる、オワシス都市を結ぶものとして都市が生まれたとなる
農業からは都市は生まれにくいともなる、農業は移動しないからである、都市は商業都市であり物資の流通や人が行き交う場所に発展して作られるからである
そして空間を生きるという時大陸国家では河が重要な役割を担う
それは道路と同じであり遠くを結ぶものとしてある
広い空間の離れた地点と地点を結ぶものとしてある
河は運河ともなり現実に道路と同じなのである

資本主義というときcapitlismでありcapitalとは頭のことである
それは羊の頭だともなる、羊とともに移動して生活するのが遊牧民である、そこから資本主義が生まれたという説もある

(英語: capital)の語源は、ラテン語で「頭」の意味を持つ「caput」で、12世紀から13世紀にかけて動産を意味するようになり、更に「資本家」や「資本主義」との言葉が派生した「資本家」(英語: capitalist)との用語は、17世紀に「資本の所有者」との意味で使用されるようになった


ここで説明されているように頭には資本という意味もある、日本の株もかぶら(頭)からきているから共通しているのかとなる

大陸国家から資本主義とかグローバル社会が生まれたことは確かである
イスラム世界は遊牧民から生まれた、一神教は遊牧民から生まれた
それは農民から生まれたのではない、一定した土地をもたない遊牧民の宗教なのである
だから空間を生きる遊牧民がやがて地中海に進出するフェニキア人の祖先だったとかとも言われる、アーリア人というのも遊牧民でありヨ−ロッパは遊牧民を祖先とするともなる
ただローマとのなると先祖は農民であり農業国家として発展したのである

大航海時代というときも空間を生きる遊牧民の末裔が開いたとなる
航海は未知の世界でありその知られざる世界を発見することだからである、それは大きな冒険であり死ぬ人もそのために普通にいた
アメリカに船で渡った人たちも死んでいる
今は移民でもやはり命がけで死んでいる、ただ今の移民はそこが豊かだからそこに住みたいと移動する
それもやはり過去にもありローマ帝国があったところにいろいろな蛮族が押し寄せたという時ヨ−ロッパの歴史にもそういうことがあった、文明国を目指して蛮族が移動したのである
つまり大陸では空間の移動が大規模に起きる、それで歴史が変わる
日本ではそういうことがなかった、海に囲まれていてなかった
ただ秀吉が朝鮮半島を遠征したことはあったくらいである
それ以上広がらないのはやはり海に囲まれていて大規模な移動ができないからである、そのことでモンゴルも大挙押し寄せたが海にはばまれて日本は征服できなかったのである

いづれにしろホイットマンの詩が理解しにくいのはその広大なアメリカを詩っているからなのだ

押韻も、古典も、外国の宮廷に漂う香料も、屋内の書庫もわたしは歌わず
私の歌う香気とは、例えばメインの松林、それともイリノイ大草原の息づかい、それにバージニア、ジョージア、テネシーの、それともテキサスの台地、フロリダの湿地帯から
それともサギネイ河の黒い流れ、ヒューロン湖の広く青い湖面から
漂いよせるさわやかな空気、
そしてイエローストーンの風景やヨセミテの描写
それに底流を成す低いつぶやき、すべてにくまなくゆきわたる
不変の調べ、世界の二つの大海から終わりなくひびきつづける
あの波立ち騒ぐ海鳴りも歌うつもりだ

これだけの広大なのアメリカが開けたしそれを詩にするとなるとあまりにもスケールが大きすぎるからそれを日本では理解しにくくなる、日本ではこうした詩が生まれようがない
それはそうした背景の風土がないからである
日本は最果ての土地にひかれるというけど島国だからすぐに最果てになってしまうのである

そして大陸国家が遊牧民から始まって空間を生きるというときなぜかアメリカ人が西へ西へと進出する拡大してゆくというときそういうふうにそもそもが空間の拡大征服を生きるのが遊牧民だったからだとなる、そういう性質というか文化をもつ人たちだったからだとなる

アムトラックでアメリカを旅した、それでもロサンゼルスとかからシカゴまでとか行ったのはアメリカの一部なのである
とてもその広大さを理解することはできない
テキサスとなればさらに広くメキシコに接する土地となる
砂漠もあるからその広さに空間に生きているというのはわかる
その広大な土地の感覚から世界を見るからアメリカを理解するのがむずかしい、日本はその土地に制約されたものとなる
だからこうして遊牧民とか空間を生きる世界から生まれたという資本主義というのは日本にはあっていないのである
グローバル経済もあっていないのである
そういう世界に適合できないのである、そこに文化や歴史の相違があり溝があり適合できないのである

大陸国家では常に空間を生きるから摩擦が戦争が生まれる
ともかく激しく対立してそれでそのあとに調和を産みだす、理解し合うとなりルールが法律が生まれる
それで外国では自分の主張をいい喧嘩もいとわないとなる
そこで互いの合意点を探るとなる
日本だと争うことをそもそも嫌う、それは狭い土地で村とかで生活して離れられないからである
だからなるべく穏便にすませる、事をあらだてないとなる
いい点としては敵味方塚のように敵まで手厚く葬る

東北では明治維新の戦争でも薩摩長州軍でも官軍でも敵味方塚として葬っているのである、それを中国人が見たらありえないとしている、中国では墓まで暴いて敵を罰するからである
それだけ大陸は空間を生きる、その争奪戦が過酷になる
民族同士が熾烈な戦いになる、負けたものは奴隷にされる
そういう過酷な世界なのが大陸国家だったともなる
日本は歴史でも異民族との争いがないから敵味方塚がありえたのである、同じ日本人じゃないかとなり通じ合うからそうなる
腹でわかるとかなる、でも外国ではそうはいかない、わかるように説明しなければならないのである、そこでルールが大事になり法律が生まれたのである




2019年01月20日

冬の詩と漢詩の鑑賞 (現代文明は自然と調和しないから醜い)


冬の詩と漢詩の鑑賞

(現代文明は自然と調和しないから醜い)

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冬の林の小鳥

かそけくも疎林の中を
枝移り軽やかに飛ぶ
美しき羽根を見せつつ
その声の冬の林にひびき
汚点も残さず消える
無駄なきシンプルな自然の姿
優雅に現れて林に消える
後に残された寂寥とした枯木林
そはまたゆくりなく現れて消える
後腐れなく冬の簡素な林の中に

simple gentle elegance

そは一物も身につけず自然に融和する  

疎林幽鳥 
簡素無心
森閑美声
玄冬深々

古松(こしょう)般若(はんにゃを)談じ、幽鳥真如を弄ろうす。

古松 … 生えてから長い年月を経た松。
般若 … 真理を見抜く智慧。悟りの智慧。
古松談般若 … 大正蔵所収『人天眼目』では「古松搖般若」に作る。
幽鳥 … 山奥の深い所にすむ鳥。
真如 … 絶対不変の真理。仏性

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 冬樹一本

一本の木が立っている
何も身につけず
寒風にさらされて
その姿にうたれる
人間はいろいろ飾りすぎた
余計なものを作りすぎた
何も身につけず
一本芯の通った姿
その率直なるもの
その強さその堅さ
緊縮されたもの
無駄なく引き締まった姿
一本筋を通して天に伸びる
大地に強く根を張り
天に真っすぐに伸びる
そこに不純なものはない
自然に不純なものはない


the simplist tree 

straight up in the clear sky

the keen one 

the consistent stand point

the beauty with no waste

strength and strict    

the extreme purified form

the strongly rooted earth  



この漢詩と私の詩は共通している、 「門開孤樹直」とは冬樹一本に通じる、ただ漢詩ではその樹の内面性を追求していない
漢詩にたらないものが自然の事物の内面性の追求である、それはヨ−ロッパの詩ではリルケなど事物の内面性を追求した
ただ詩には世界でも共通したものがあるから理解できる、言葉の相違があってもやはり詩でも科学でも共通したものとして人間に理解できる

現代はグロ−バル化しているから芸術でも学問でも科学でも技術でもグロ−バル化する、それは別に悪いことではない
芸術などは学問でもグロ−バル化しても世界に被害を与えないのである
被害を与えるのは経済のグロ−バル化なのである、世界で極端な貧富の差があり為替の差がありそれが歪みをもたらしているのだ

自然をどうとらえるのか?前回にも書いた庭の石でもそうである、ここには無駄がない、その無駄のなさが心打つのである
その反面として人間はあまりにも飾りすぎ無駄が多すぎるのである、その証拠が膨大なゴミを出すことなのである
ゴミの山になる、自然には無駄なものが一切ないのである
自然に完全に融合して無駄がないのである

冬日さし組まれる石に無駄のなし

simple building stones no waste
with wintry sunny light

この石の庭作りは禅に通じている、石と砂しかない庭はシンプルであり清浄の極みになっている、そして禅僧の務めはただ日々庭を清めることなのである、つまり無駄なことをしないことが禅宗の極意なのである
そして仏像などの偶像を拝まない、装飾を華美にしない、単純にして明快にする
それはイスラム教の一神教ににているのだ、キリスト教装飾性があるからだ、黄金にでも飾られるからである
そこに仏教にもいろいろあるが禅宗にひかれるのである、雲水とかでもそうである

つまり文明はあまりにも装飾が過多になり無駄が多すぎるのである、膨大な無駄なものに浪費されているのである
だから労働すら膨大な過剰になり無駄が多いのである、労働過剰になりかえって自然は破壊されたのである
それは老子が2000年前に警告していたことでありもう頂点に達して限界になっている
ものがありすぎるともう人間はそれを物でも道具でも情報でも何でも処理できなくなる
それで断捨離が流行になるのもわかる、私自身も毎日買い物に追われる、何でこんなに買うものがあるのかと思う
毎日が買う生活なのである、料理もほとんど買うものでまかなっている
するとやはり金はかかる、でも手間が省かれれるから他のことをなんとかしている、プログでも書いているのである
家事は全部自分一人でしているからである

人間は今生活そのものを見直す時代になった、高度成長時代からバブル崩壊と物質の追求だった、これからは精神の追及なのである
原発事故もそうした現代のあくなく欲、物質追求の警告となったのである
これまで何度も書いてきたようにこの辺の人を見ても金、金、金しかない、金にとりつかれている
借金して家を建てる人も普通に多い、そして高価なマイカーに乗りたいとなる、さらに事業した人は自分を成功者と認めさせるために事業に失敗しても借金して自分は成功しているみせて借金を要求してくるのも怖い、それだけ欲望がむきだしになり制御がなくなっているのである、そういうふうに限りなく欲望追及てしてゆくと他人から奪ってでも欲望をみたそうとするし殺ししてまでも欲望をみたそうとする、そういう被害にあったからもう現代文明の人間は野獣と化しているのだ

日本人は礼節あって どうだこうだ礼賛してももうそれはない、ただ金を求めて他者を蹴落としてでもとにかく自分の欲望をみたすことしかない、ブラックになるともう他者はその欲望を満たす道具でしかない、人間とは見ていないのである
それは大会社でも銀行でもそうなっているのだ、医者でも患者はいらない薬でも飲ませるとかどこでもそうなのである
金のためにはそうして過剰になり無駄が多すぎるのである
そういうお前も金は欲しいだろうと言われればそうである、でも金を何に使うか問題なのである
私の場合今は自分だけに使っていない、金を与えている、別にそれほど金がなくても与えているのである

とにかくマイホーム、マイカーしかない、マイビレッジ、マイタウン、マイシティはない
ただ自分のマイホームとマイカーしかないのである
だから原発避難区域でマイカーで故郷を出てマイホームをいち早く外に補償金で建てたのである
つまりマイカーは外に出る道具でありマイホームは仮の住まいにすぎないものともなっていたのである、だからマイビレッジでありマイタウンであれマイシティなどの復興とか関係なくなっていた、なぜなら実際に復興に尽力したのは外部の人たちだったからである
これも現代文明の矛盾がここには極端に露骨に現れたのである
このことを批判したらきりがなくなる

だからとにかく現代の文明を見直す作業しなければもうもたない限界にきているのだ
それはあらゆるところでそうなっている、パンが贅沢だなどとは言わない
ただ欲望が限度を越えて増大してゆく、それはもう限界なのである
そして文明人は醜いのは装飾過剰となり無駄なものが多すぎるからなのだ
自然のものは鳥でもなんでもシンプルであり無駄なものがないからなのである
そこに美があり自然と融合したとき調和したときこそこの世に美はある
都会には自然がないから醜いものがそこにむきだしになっているのだ
それでヘシオドスの人間の暮らしを隠すことが自然と調和することだったのである






2019年02月08日

代悲白頭翁(5)劉希夷を読む(その激しい変化の無常に共感)


代悲白頭翁(5)劉希夷を読む(その激しい変化の無常に共感)



代悲白頭翁ー劉希夷

(白頭を悲しむ翁に代って)

洛陽城東桃李花洛陽城東 桃李の花、 
飛來飛去落誰家  飛び来たり飛び去って誰が家にか落つ。 
洛陽女兒惜顏色洛陽の女児 顔色を惜しみ、 
行逢落花長歎息  行々落花に逢うて長歎息す。 
今年花落顏色改今年 花落ちて顔色改まり、 
明年花開復誰在  明年 花開いて復(ま)た誰か在る。 
已見松柏摧爲薪已(すで)に見る 松柏の摧(くだ)かれて薪と為るを、 
更聞桑田變成海更に聞く 桑田の変じて海と成るを。 
古人無復洛城東  古人 洛城の東に復(かえ)る無く、 
今人還對落花風今人 還(ま)た落花の風に対す。 
年年歳歳花相似  年年歳歳 花相似たり、 
歳歳年年人不同  歳歳年年 人同じからず。 
寄言全盛紅顏子言を寄す 全盛の紅顔の子(こ)、 
應憐半死白頭翁  応(まさ)に憐れむべし 半死の白頭翁

(口語訳)
洛陽の城東に咲き乱れる桃や李(すもも)の花は、風の吹くままに飛び散って、どこの家に落ちてゆくのか。
洛陽の乙女たちは、わが容色のうつろいやすさを思い、みちみち落花を眺めて深いため息をつく。
今年、花が散って春が逝くとともに、人の容色もしだいに衰える。来年花開く頃には誰がなお生きていることか。
常緑を謳われる松や柏も切り倒されて薪となるのを現に見たし、青々とした桑畑もいつしか海に変わってしまうことも話に聞いている。
昔、この洛陽の東で花の散るのを嘆じた人ももう二度と帰っては来ないし、今の人もまた花を吹き散らす風に向かって嘆いているのだ。
年ごとに咲く花は変わらぬが、年ごとに花見る人は変わってゆく。
今を盛りの紅顔の若者たちよ、どうかこの半ば死にかけた白髪の老人を憐れと思っておくれ。   

此翁白頭眞可憐此の翁 白頭 真に憐れむ可し、
伊昔紅顏美少年  伊(こ)れ昔は紅顔の美少年。
公子王孫芳樹下  公子王孫 芳樹の下、
清歌妙舞落花前清歌妙舞す 落花の前。
光祿池臺開錦繍  光禄の池台 錦繍を開き、
將軍樓閣畫神仙将軍の楼閣 神仙を画く。
一朝臥病無相識 一朝病に臥して相識(そうしき)無く、
三春行樂在誰邊三春の行楽 誰が辺りにか在る。
宛転蛾眉能幾時  宛転(えんてん)たる蛾眉(がび) 能(よ)く幾時ぞ、
須臾鶴髪亂如絲須臾(しゅゆ)にして鶴髪(かくはつ) 乱れて糸の如し。
但看古來歌舞地  但(た)だ看る 古来歌舞の地、
惟有黄昏鳥雀悲惟(た)だ黄昏 鳥雀の悲しむ有るのみ。

(口語訳)
なるほどこの老いぼれの白髪頭はまことに憐れむべきものだが、これでも昔は紅顔の美少年だったのだ。
貴公子たちとともに花かおる樹のもとにうちつどい、散る花の前で清やかに歌い、品よく舞って遊んだものだ。
音にきく漢の光禄勳王根の、錦をくりひろげたような池殿や、大将軍梁冀の館の、神仙を画いた楼閣のそれもかくやと思うばかりの、贅を尽くした宴席にも列なったものだ。
しかしいったん病の床に臥してからは、もはやひとりの友もなく、あの春の日の行楽はどこへ行ってしまったことやら。
思えば眉うるわしい時期がどれほど続くというのか。たちまちにして乱れた糸のような白髪頭になってしまうのだ。
見よ、かつて歌舞を楽しんだ場所も、今はただ夕暮れ時に小鳥たちが悲しくさえずっているばかりではないか。

本当にこの漢詩のようなことをここ十年で経験した
それはまわりでもそうだった、一身上でも家族でもそうだった、家族はみんな死んだ
その突然の変化に驚愕した、体も機敏に動き活発であり頭がいいと自慢していた姉も認知症になり無惨に死んだ、銀行から金もおろせなくなった
そんなことがあるのか?それが現実だった、最後は悔しかったのか「俺は優秀だった」と言って死んだ、実際は馬鹿になって死んだともなる
この変化はあまりにも極端だったのである

一朝臥病無相識 一朝病に臥して相識(そうしき)無く

姉は外交的な女性であり友達も多くいたが認知症になり話すこともままならず誰も訪ねることがなくなった、それもあまりにも悲しいことだった
人間は病気になったりすると人はよりつかない、何か困窮している家にはよりつかない
私の場合はただ弱者化したことで責められるだけだった
そして自分自身も病気になっていたのである
人間は非情であり無常であり無情である

それが家族だけではない、この回りで起きたこともそうだった、津波であれ原発事故であれこんなことがありえるのか?村や町までなくなる、一瞬にしてゴーストタウンになる
そんなことがありうるのか?
津波では村ごと何もなくなった、それは恐るべきことだった
津波の恐ろしさは一切何もなくなることだった、家も村自体もなくなった

更聞桑田變成海更に聞く 桑田の変じて海と成るを

まさにこれだったのである、これほどの変化があることに驚愕した
本当に桑田が田畑が海になったのである、これも信じられない光景だった

歳歳年年人不同  歳歳年年 人同じからず。 
寄言全盛紅顏子言を寄す 全盛の紅顔の子(こ)、 
應憐半死白頭翁  応(まさ)に憐れむべし 半死の白頭翁

人も同じではない、親戚関係も全部切れた、もともとなかったからそうなったのだが親戚関係でも一時的であり家族関係すら無常だった、家族でも一旦死ぬと去る者は日々に疎しとなってしまう、これはどうにもならない、そして新しい人がそこにいる
若い人でも次々に出て代が変わる、そうんう変化が人生でありそれは世界共通なのである
人間の普遍的真理なのである

そしてたちまち人間は老いる、すでに青春は遠いことであり女性も男性も老いている
爺婆になる、老いは急激にやってくるというのも本当である
そこでただ愕然とするだけである
これほど人間は変化するものなのか?それは今だけではない人の世とはこういうものだったからこういう漢詩が生まれた、それが人間の無常の世界だったのである
ここで起きたこと自分自身に起きたことにはただ茫然とするほかなかったのである
この世が無常だということを身をもって経験したのである

最近漢詩を作ろうとしたができない、これもやはり何か手ほどきが必要なのだろう
漢詩はやはり詩語の意味を汲み取ることが大事になる、これも簡単にはできない
古意となるときなるほどなと思った、何か歴史ある所には古意があるからだ、意味があるからだ
そうして詩語を深く読み取れば漢詩の理解に通じる、ただ日本語化した漢字と中国の漢字の意味は違っている、それで漢詩を作ることが難しいのである

劉希夷という名に

「原則として名は与えられるもので、字は自分で選ぶ。 では、何故、字をつけるのかと言えば、同姓同名が日本より多いからである 中国人の姓は五百か六百くらいしかない。同姓同名の人が多くなるのは当然だろう。」
と書いている。
東夷・西戎・南蛮・北狄という言葉があることからも分かるように、「夷」(えびす、えみし)という文字は、 差別用語だ。それに、「希」という字を被せて「希夷」。 これは、名前に適さない字、例えば、病、死、苦、醜などあるが、その中から使った例として、 漢代の将軍「去病」(病を去る)があるが、それと同じように、「希夷」(薄いえびす)としたのだろうか。

日本がでも蝦夷がいて蘇我蝦夷(えみし)の名の人がいた、だからそういう感覚で名付けたものとなる
それから三春というとき三春という町があるがこれも中国に由来する漢詩からとった名なのである 
 春季の3か月。初春・仲春・晩春とあり確かにその間に三春は枝垂桜から他の桜でも町が桜色に染まるからである
つまり日本は中国文化の影響が強く漢字を今も使っているのだからもっと漢字について知るべきだとなる
日本が今江戸時代とか国風文化に還る時代でありそれと同時にまた中国文化を漢字でも理解を再度深める時代にもなる
欧米一辺倒の時代は終わりつつある、中国が何なのか日本人はわからなくなっているのである
何かそこにはマイナスのイメージしかない、経済的に発展した中国を見てもいい評価をしていないのである
それは共産主義国家ということでなじめないからである
また戦争がありそれで相互の理解が深まらないのである

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2019年02月11日

場所の現象学を読む(場を無視した工業化情報化グローバル社会) (キップリングの詩の訳の解説)


場所の現象学を読む(場を無視した工業化情報化グローバル社会)

(キップリングの詩の訳の解説)

kippling1.jpg

I am the land of their fathers
In me the virture stays
I will bring back my children
after certain days


我は彼らが父祖の国
我が内に力ぞ宿る
我が子らを連れて帰らむ
月日充ちなば

彼らが頭上、新たに買いし
古き立木の枝の間に
我は秘呪を織りなして
彼らが膝に惹きよせむ

夕暮れの煙の香り
夜の間の雨の匂い
時と日と春秋と
彼らの霊を整へ

すべて我が八千歳の
意味をば説き明かし
彼らが胸を知恵もて満たし
彼らが眼をば涙に満たさむ

キプリング

この本は古くなって焼けたようになり半分がはがれて本にならなくなった
これはどこで買ったのか、おそらく神田とか水道橋かもしれない、その頃古本を手に入れることはむずかしかった
でもそんなに東京には行けなかった、旅の帰りに寄って買ったのかもしれない
本は30年でもたつとはがれたりしてくる
この本はもう本というのではない、読むことがむずかしくなっている
本もこうしして保存できなくなる
50年が限度でありそれ以上になると再販するとかしないと読めなくなる
何かそういう本も多いのである
まず本を出して50年後に貴重だとなるものは少ないだろう
ただ時流的なものは読まれなくなるがこうして深いものは特に詩などは後世の人にも読まれる
それは極少数でも読む人がいるのである
その価値を認める人がいるのである
だからこういう価値あるものは本はデジタル化して残すといいかもしれない
デジタル化すると劣化しないからである

この本を読んで内容もそうだが感心したのは翻訳である
この英詩を訳した人は相当に詩を理解する素養をもっていた
まずこんなふうに翻訳できることは詩を深く理解しないとできない
この日本語訳自体何か詩を創作した感じになる
英語が深く知らなくても何かこの日本語訳で深い意味をくみとることができる
今何か日本人自体が日本語に通じない、そういう能力が劣化している
詩となるとやはり相当な日本語とか漢語とか詩語とかに通じないと鑑賞も創作もできないその能力がかえって明治時代とかから比べると劣ってきている
英語に親しむ度合いが増えても肝心の日本語とか漢語とかの表現力が衰えているからだ

この詩は相当に深い意味が背景にある
これは前に書いた


この文の続きである、それでこの詩に興味をもった

矛盾しているのはこの人はイギリスの貴族であり大きな館に住んでいた
そしてアジアでも前のビルマとかにも軍人として遠征しているのである
そこで

我は彼らが父祖の国 
我が内に力ぞ宿る 

父祖というとき家の力とか土地の力とか歴史の力に呼応するものがある
でも矛盾しているのは外国に行ったら外国には外国の土地があり先祖がいる
そうしたら父祖の国であるイギリスとはまた別な世界になるからその先祖をもちこんでも受け入れられないとなるのだ
それはグロ−バル化しにくいものなのである
その育った国でしか成り立たないものなのである

でも日本の戦争でも天皇をもちだしたときそうなっていたのである
天皇が日本人の大先祖であり連綿としてつづいてきた
それを韓国とか中国とかアジア全般に持ち込んでも通用しないのである
その土地土地には先祖がいるからである
イギリスの王様の先祖はアジア諸国の先祖ではないからである
ただその国内でアイディンティティ化するなら問題ないし共感するのである

古き立木の枝の間に
我は秘呪を織りなして

この表現も何か詩的に深いものがある、イギリスというと古い国だからそうなる
秘呪とは秘術となるのだろう、何かその土地にある霊的なものを地霊とかの表現かもしれない

夕暮れの煙の香り
夜の間の雨の匂い
時と日と春秋と
彼らの霊を整へ 

日々暮らしいる場にはそれぞれの何か特有の雰囲気があり風土がある
それはなかなかわかりにくいのである、ちょっと旅しただけではわかりにくい
それで(会津の雪)という詩で会津独特の風土から生まれたものを表現したのである
そういう風土の影響を必ず人間は受けるからである
そこで一つのアイディンティティが形成される、その場独特のアイディンティティが形成される、それを霊を心を精神を整えるとなる
その場その場にはか必ずその場から発するものエネルギーでも感じる
神社は場所と深く関係して建てられているからそこでパワースポットとして訪ねる人がいるのもわかる

人間生活の刻印によって明確にされた一つの「場所」は生き物のように有機的思えるに違いない、一軒の家が地表上に占めている場所、つまり現実の空間におけるその位置は
その家がとりこわされて取り払われても同じ場所のままである
しかし建築家によって創造された場所は幻影なのである‐ランガーの建築学的場所の議論より

ここまで場所の重要性を説いている、つまり土地こそその場こそ人間の根源的な意味をもたらすものであり建築は家は幻想だとまでしているからだ
「場所の現象学」エドワ―ド・レルフでは場所の意味を深く追及しているから一読すべきである

場所の永続性あるいは場所の外見と精神における連続性というものが存在する
ある特定の場所のアイディンティティは多くの外的変化を受けても持続することができるなぜならそこには内的な潜在力のようなもの、すなわち「内なる神」があるからだ

しかし場所も人間のかかわりコミットメントでその場所も活きてくる

多くの儀式や慣習や神話はその新制で不変の意義によってたけでなく人ひとと彼らの場所と関係の持続性を再確認することによっても場所の愛着を強化する意図となる
儀式や神話がその意義を失い人々が深くかかわることをふめるときその場所自体が変化しやすくうつろいやすいものになる
(場所の現象学)

グロ−バル社会とか広域社会は経済一辺倒の価値しか認めないからすべて金で計られるのである、そうした場所との不可分のつながり絆とかも金の方が価値あるとなりこの辺では原発事故で避難者が一億円補償金もらったら即座に外に出てしまって家を建てたとかなるしかしその時その土地であれ先祖であれアイディンティティは奪われたのである
そして一からまたアイディンティティを築くほかていから金銭的には物質的にはいいが精神的には相当に負担になるのである

根付くことに飢え、根付くことを求め、所属感や、私のもの、あなたのもの、我々のものとして認める場所のために闘争することは、全く私たちの人間性の一部である
それは政治的なものではない、人間の根源的欲求なのである

ある場所に根付くことはそこから世界を見る安全地帯を確保して、また物事の秩序の中に自分自身の立場をしっかり把握し、どこか特定の深い精神的心理的な愛着をもつことである
(場所の現象学)

こういうことを私は詩で書いたように求めてきたことである、人間には確かに遊牧民的なまた風のように鳥のように自由に移動したい、何もにも縛られたくない、土地にも縛られたくないという欲求も強い、それとと同時に植物的な大地にしっかり根をはって定着して安心したいということがあるのだ

現代の問題はマスメデアでも情報社会だけど場所と関連して理解できないのである
マスメデアはその受け手が直接に経験できない場所に単純化され選択されたアイディンティティを都合よく与えて、偽りの場所の偽りの世界を作り上げようとしている
(場所の現象学)

ともかくこの本は深く読む必要がある、事件でも実は場所と深く関係している
だからこそtake placeなのである
そして良く私が郷土史研究で地域のある場で人と話すときそこで少しでもそこに住む人と語ると語ることが活きてくると思った、話がはずむのである
それはなぜなのか?それはその場の力だったのである
抽象的言語空間ではない、そこに具体的なものとして森があり土地があり日ざしがあり影ありそこにそこだけの土地のたたずまいがある、それはその土地に立たない限り感じないのである
だから家でもその家のことを知るにはその家の中に入り庭を見て辺りをみて話を聞けば家のこともわかる
でもそれはなかなかできないことである、でも家は場所と関係していることは確かなのである

原町区の大谷(おおがい)村で語った人は杉の葉を集めていたしその家を見ると薪にするのか切られた木材があった、そしてここは日影で嫌だとかいうとき本当にそういう場所だった、前は森であり日が当たらないのである
実際はその人は街に移り住んでそこには住んでいなかったのである
大谷(おおがい)という場で人の話を聞く語る時それが活きるのはやはり場の影響だったのである
テレビを見ても旅の番組を見ても場の力をとか影響は受けないのである
それはあくまでも四角の狭い箱からしか見えないものだからである
その場の雰囲気を感じることはできないのである、そこにテレビでも映像でも写真でも視覚的なものから錯覚を受けるのである
それでイラク戦争の時油だらけの海鳥が写されたがそれはほんの一部のことであり実際はそうではなかったのである、やらせの映像だったのである
やらせではなくても映像は動画でも何か錯覚を作り出しやすいのである

いづれにしろこの詩は場の神秘性を表現した詩なのである、芸術は場と深く関係したものである、音楽すらベ―トベンの音楽を理解するにはドイツの地を踏まないと鑑賞できないというのもそうである、その場と密接に結びついて芸術は成っているからだ
フランス絵画から印象派が生まれたのはフランスの明るい光がある風景からである
ドイツの雨とか霧が多い風土から生まれ得ようがないからだ
ドイツから音楽とか哲学が生まれる土壌だったのである

現代に衰退したものがこの場の力なのである、東京になればもう場の力はない
都会だとどこにいてもビルがあり家が密集して場の力は感じない
田舎だと隣でも場が違うとその場の影響を受ける、違った雰囲気になるのだ
だからいつも同じようでもそれぞれの場は違ったものでありその場の影響を受けるのである、だからまた土地の表面だけをただ早く早く通りすぎる車だと場の力を影響を受けないただそこは高速道路のようにベルトコンベアーのように機械が流れてゆく感じになる
場の影響を受けない、感じないことはただ物体が機械が空間を移動しているだけなのである、そこでは浅薄な体験しかできない、一番旅してもその土地の独自性を感じるには歩くことだとなる、だから江戸時代の人は歩いていたからその場所場所を肌で五感で感じてその場所から受けるもの神秘的なものを感じたのである
芭蕉が今のように車で旅したら何も感じなかったろう、あれほど感じたのは場所を感じたのはやはり歩いたからだとなる

場所とのコミトメントを喪失した人間はアイディンティティをもつ場がない
それで何事浅薄になる、自分の立つ場所がないからunderstandできないとなっている
マスコミとか映像とか動画とか文字情報でもあふれても何か深くアイディンティティ化して理解できないのである
いくらグロ−バル化しても世界のことを理解できるかとなると表面的でありかえって偽りの情報にまどわされ翻弄されるのはやはりその場のことを体で知ることができないからである
工業化すると車の部品をどこで生産しても同じである、世界中でどこでも同じである、となると工場は安い賃金を求めて移動する
人はただそこで機械のように働かされる、でも農業だと漁業とか林業でも一次産業だと必ずその場と密接な関係があって生まれた生業だからそうはいかない、工業化がグロ−バル化を推進したのである
いくら情報化社会といってもそこに人間の限界がありグロ−バル化には限度がありそれで世界を理解するというよりむしろ誤解が多くなりそこでまた衝突して戦争にもなるのである
人間を理解するときそもそもその場所のことを住んでいる場所のことを理解しないとできないからである

駅で遠くから来た人と話すときやはり最初にどこに住んでいるからをみる
するとその地理的位置のことを地図上ではなち自分の経験から推察する
私の場合は全国を隈なく旅したし外国もある程度したからそこで推察するのである
とても地図を見ただけではその場所のことはわからないからである




2019年02月12日

小さな畑に何のために投資するのか? (場所を作るため場所のための投資だった―死者も場所に生きる―場所を喪失した現代人)


小さな畑に何のために投資するのか?

(場所を作るため場所のための投資だった―死者も場所に生きる―場所を喪失した現代人)

一体何のために小さな畑のために金を使い労力を使っているのか?
それがわからなかった、ただ単純にこの辺は荒地が多くなったからそれよりはいいとして投資した、援助した
景観的にも何か他でも嫌だからである
でもその畑を維持することは容易ではない、それはこれまで書いてきた
肥料代も本当に高い、土を中和するために酸性化をふせぐために貝殻をつぶしたものとか他に化学肥料をまいたり鶏糞は角田まで行って買ったとかそれだけ投資してもとれるのものはわずかである
鳥に食われたとか盗まれたとか他にも天候に左右されて収穫がない
そういう愚痴を延々と聞かされるだけだったとなる

でも何か無駄だったとは言えない
畑にカンナが咲いたときは大きい花だから映えた、それは景観を作り出したのである
ただ畑でも田んぼでもその景観は人々がその土地とかかわり生業となっていて維持されていたのである
それがなくなると今でも避難区域となったところは草茫々であり荒れ放題になっているからだんそして放射線に汚染された処理場になっているのが目立つだけだとなる
その景観を見たときがっかりするからだ

要するに農業とか漁業とか林業でも第一次産業主体の経済だったら景観は自ずと維持されたのである、第一田畑でも人がかかわらないかぎり荒地と化すからである
だから避難区域になった所や放射線の高い山側ではもう田畑をあきらめたから荒地化している、それも前から子供は後継がない、農業は金にならないとなっていたからそれが原発事故の放射線で汚染されて多額の補償金もらったときこれ幸いと田畑を捨てたからである何かだから補償金で家を建てた人がこの辺では多いのである

農業とかはもともとものすごく苦労が多くて実りが少ないものだったのである
ただ人々はそうする他生きる方法がないからそうしていたのである
それを部外者から外部の人が見ている時景観がいいとかなっていたのである
それは自分自身も農業にたずさわっていないがそうした人たちがいて苦労する人たちがいてその景観もありえたのである
田舎でも別に今はみんな会社員なのである、農業だけで生活している人は一割にもみたないのであ
そういう変化があっても一応田畑は維持されていたのである

ただ農業は過酷でありだからこそ工業化のために日本がは努力して高度成長時代を築いたのである、それは中国でもどこでもそうである、工業化しないと豊かにはなれなかったからである
ただそのために失われたものがある、それが人間の根源的なものに根ざして生活していた農業などが軽く見られそのためにまた景観も失われたのである
都会になるともう場所はない、人間の存在は希薄化してロボットのようになる
それを象徴的に描いたのがキリコのである
そこでは場所を喪失した人間の不安とその存在感の消失を描いている
ただ建物だけの影がその人間に及んでいるだけなのである
高層ビルとかビルの林立する中で人間の存在は消えいりそうになっているのだ
一つの影として根付く場もなく消失してゆく人間の不安を描いている

人間は今物質的欲求のみの追及しかない、それが金の追求となっているが精神的なものとして心としてはもうその存在価値もくなっている
心とはこころはここのことであり場所があって心(こころ)があったからである
場所と不可分に心があったからである
その場所が喪失したとき人間は不安定な根無し草となりただ無機的な物質の建物のみが存在感をまして人間は矮小化されて影となり点となり消失してゆく

逆に場をもって生きた人間は貧しくてもその場から何か世界が拡大してゆく、イメージが広がってゆくのである、それは死んだ人でもその場に生きつづけるのである
死んだ人にも場が必要なのである、だから場も喪失すると死んだ人も先祖もいる場がなくなり幽霊と化して彷徨うことになる  

死者もいる場を必要としているのだ!

農業は場を生きる根源的な人間の営みだった、工業化すると自然と切り離されたものとなり人工的空間に生きることになる
すると人間自体も機械化されたロボットのようになる、流れ作業していたときは自分は本当にロボットだったのである
それでその仕事が嫌になり仕事自体に嫌悪感をもちその後仕事をしなくなった、そういう環境が与えられて旅ばかりするようになったのである

そいつはおかしいじゃねえか、人間は小さな土地をもっていりゃ、その土地はその人間のもの、その人間みていなもんだ
人間が本当にその土地をもっていりゃ、その上を歩くこともできる、それがうまくいかねぇときにゃ悲しむし、雨でもふりゃうれしくなるってわけだ
そしてその土地はその人間と同じものになってそれをもっているとうだけでその人間を実際より大きなものになるのだ
よしんばそれがうまくいかねぇにしても、その土地をもっていることで大きな人間になれるんだ
と土地っていうものはそういうもんだよ
スタインベックー(怒りの葡萄)

人間を偉大にするものはその個人だけでは偉大になれない、その背景となる大きな自然がなければ大きくなりえないのである
人間は木となり山にもなるがその大きな山がなければ人間は卑小なままてのである
この辺では高い大きな山がないということで大きな人間になれないともなっているのだ
山があまりにも貧弱だからである

その場に生きたものはその場に生き続けるのである、それは物語となり絶えず語られたり祭りとなったりして先祖もその場に生きつづけるのである
これは非常に重要な人間の根源的な営みだったのである
そのことを家族がみんな死んで自覚するようになった
家族は家に依然として生きつづけそこで生活した場に継続して生きつづけるのである
だからエジプト文明であの世とはこの世の延長そのものだったのである
生前していたこと麦を栽培したり日常の仕事をそのまま同じようにあの世でもしていたのである

墓も生前の生活の延長なのである、そこは生前の家の復元なのである
召使も葬られていたし動物も葬られていた、家畜でもそうだが古代には動物と密接に交わり生活していたからである、動物が人間の精神化されたものとして見ていたのである
それはまさに場があってこそありえたことなのである
そこで死は断絶されずに継続されていて死者と生者も断続分離されないのである

このことは重要なことである、現代人はあまりにもそうした人間の根源的な精神を心を無視ししてきた、何かそうしたものは不合理であり利益にならないものは金にならないものは無視してきた、そこでどうなったのか?
人間存在の精神的拠り所すら喪失してキリコの絵のような根無し草になってしまったのである
そこに生の意義もなくただがしゃらに物質的欲望の追及しかない、金の追及しかないのである
それを象徴していたのが原発事故で避難した人たちである
それは確かに放射線が高いのだから住めない避難させられたということがある
でもそれだけではない、何か場所にこだわらないもの、金があればどこでも住める
そういう経済合理性だけで生活していたからではなかったかとも思うのである

とにかく腹を満たせばいいや、金があれば一億円あれば困ることがない、何かあれば金がなくては生活できない、そんな何かわからない場所がどうだなど言っても現実は厳しいとなる、そんなことを考慮しているのは極一部のインテリなのだとかもなる
それも言えるにしても何かそこから現代人の喪失感が生まれていることは確かなのである
現実にその小さな畑は金食い虫である、何かと金がかかる、その金がないから要求される
そして最近冷蔵庫が壊れたから十何万のものを買ってさらに金がないと困窮しているからである
それはとりも直さず電気が必要であり電気なしでは生活できない現代を象徴しているのである
場所が必要だと言う前に電気が必要だという現実生活をつきつけられているのである
ただ人間はどんな人にしろどんな時代でも矛盾した生活になりやすい、それが人間の現実だともなる


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キリコの絵

何か建物があっても場所が喪失していて建物が大地に根付いていていない
建物の重厚感がない、一時的に建っているという不安定なものである
建物自体が影のようになっている、建物の意味も喪失しているようである
彫像も何か存在感がない、ただ置物のようにある
人と人が出会ってもそれが深いつながり出会いではない、はかない影と影の出会いのようになっている、このように現代は存在感が建物でもなんでも希薄化している  
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エジプトの墓は家そのものの生活を再現したものである、召使も同じ墓に葬られているし動物も葬られていたからである
日本がでも召使とかでなくても雇い人が一緒に一つの墓地に葬られている
それは墓標だけで名前だけとか粗末なものなのである、ただその家で働いていた人だった
それぞれの家で墓をもてない時代があった、別にそれは江戸時代ではない、戦前でもそういうことがあった
大家族のようにして雇い人も生活していたからそうなった





2019年02月13日

キリコの絵と万葉集の比較 (場所の喪失が空虚さを生んだ、場所と密接に結びついていた万葉集の歌)


キリコの絵と万葉集の比較

(場所の喪失が空虚さを生んだ、場所と密接に結びついていた万葉集の歌)

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キリコの絵

人がいても人がいない
建物だけが残された
彫像だけが残された
あれほどいた人がどこに行ったのか
建物だけがしょうぜんとして残されている
何か魂の抜け殻のように
人々は消えた、どこへ
二人の男女が愛を確かめる
しかしそれもはかない
もともと人と人の出会いはなくなっていた
群衆となりあれほど人がいたのに
人と人の出会いはない
また出会う場がない
魂の抜けた何か無機的な建物
彫像も魂がぬけて置物のように置かれる
それは場所の喪失であり
場所に根付いた継続された歴史の消失
そこには過去も歴史も意味をなさない
そこには空虚のみがある

キリコの絵は現代の精神状況を現したものである、何か建物でも本来の重厚な意味をもたない、それはローマの建築から中世の大聖堂のゴシック建築とかとも違う
そこには精神があった、建築にも精神があった、時代の精神があった
それがないから空虚なのである
また本来あるべき場所がない、その建物が建っている大地もまた何か都会であり大地という感覚がないのである
人はその上ではかない影となっているのである
これはまさに現代文明の建物でも自然でも人間でも象徴している

そこには人間はいなかった!

あれだけの群衆が人間がいたのにその人間はある時いなくなっていた
というよりもともと人間はいなかったからそうなったのである
それはそこに人間が生きる場がなかったからである

万葉集だとなぜそれが貴重なものになっているのか?
それはやはり密接に人間が自然と結びついて生きていたからである
だからどうしても今の感覚では解き明かせないものがあるのはそのためなのである
原始的感性とかがありそれが理解できなくなっているのだ

奥山の磐本菅(いはもとすげ)を根深めて結びし心忘れかねつも 笠女郎(万3-397)

こういう感覚は現代では生まれようがない、恋の歌にしても何かそこに自然と結びついた原始性がある
万葉集は必ず地名が大きな働きをしているのもそのためである
場所から離れてありえないのである、この磐本というのも地名だと解釈している人もいる
  

地名に関して,国」の言葉があてられることがある。吉野の国(巻 1~36) ,隠口の泊瀬の国(巻13~3310) ,隠口の泊瀬小国(巻13~3311) ,押し照る難波の国(巻 6~928) である。住吉については,摂津国風土記逸文に「真住み吉し住吉の国Jとある。春日,巻向,明日香については,国と記す史料はないが,日本書紀綬靖 2年条に「春日県」がみえ,県は固と同じ意味内容の用字と考えられる。
これらの国は,律令国家の地方行政組織である令制国とは違っており,
前述の吉野の国の歌の前段に「天の下に国はしも多にあれどもとある国である。 

玉藻よし讃岐の国は国柄か見れども飽かぬ神柄かここだ貴き天地日月とともに満りゆかむ神の御面と 継ぎて来る柿本人麻呂
(巻 2~220) 

万葉集の地名
金坂清則報告によせて一一 服部昌之

これは行政的なものとして定められた国ではない、自然発生的に生まれた国の感覚でありこれは無数にあったとなる
廃藩置県ではその自然発生的に生まれ形成された国が消失した
福島県ならまったくなぜ福島なのか?これさえわからないのである
会津が古代から国だったから万葉集に会津嶺の国をさ遠み・・・・という防人に出る人の歌が残っている
会津は明らかに古代から自然発生した国(くに)だったのである
そして万葉集ではいかにその土地土地に根付いて暮らしていたか?  

玉藻よし讃岐の国は国柄か見れども飽かぬ神柄かここだ貴き天地日月とともに満りゆかむ神の御面と 継ぎて来る(巻 2~220) 

この歌に象徴されている、国柄とは自然発生的に形成されたものであり神柄とまでなる、その土地が神聖なものとまでなる
天地日月とともに満りゆかむ神の御面と 継ぎて来る・・・というとき神の御面とまでしているときそれが如実にうかがわれる  
神の御面とはまさに土地土地の地形とか地勢とかでありそれは神が形成した御面としているのである
その土地を代々継ぐのが人間なのである   

万葉集を理解する日本がその土地に根付いて暮らした原始的な感覚を知ることである
それは今になると知り得ようがなくなっているからだ、それは世界的にも起きていることである
近代化工業化は生来あった場所と深く結びついた精神を喪失させたからである
こころとはここの意味であり場所から発生していたからである
ところとはとまるでありとまるとどまる場所がありところとなっていたからである

つまり場所とのアイディンティティなくして人間の存在ありえない、それがなくなったときキリコの絵のように人間存在そのものの消失になったのである



2019年02月15日

死者は生きた地に場にいる (死者とともに生きると生も豊かになる)



死者は生きた地に場にいる (死者とともに生きると生も豊かになる)

死者はいづこにありや
死者はその生きた家に地に山にいる
死者の霊はその地を離れず
地とともにある          
その地にその影は大きくなる
死者はその地に持続して生きる
神話となり伝説となり生きる
死者は今貶められず
汚されることなく
威厳もて生者をみつめる
その前に偽ることはできない
死者の前で人は威を正す
その霊は重く軽きにあらず
厳かにその声はひびく
死者がその地に生きて父祖の地となる
その地を受け継ぐものは誰か
正当の跡継ぎは誰か
そは父祖の地を受け継ぎぬ
神の国を御国を受け継ぐのは誰か
それは国と地にかかわらず
天なる父が決める
その契約を破ることはできぬ
天なる父はましまして決める
そのまばゆい神の国は壊すことはできない
人は地を知り天を知る
神はなきにしあらず汝の心を見
死者もまた汝の心を見る
その前に厳粛に偽ることはできない
地から神の国へと生は連続する
そは地で学び神の国へと導かれる

死者はどこにいるのか?これも謎だけど父祖の地というとき父祖が生きた土地のことである、土地と結びついて父祖もいる
土地から離れて父祖もいないとなる、、
その地とは the landでありthe mountainとかなる
日本では死者は山に葬られて死者の霊は山にいて田植えの時期に山からおりてくるというときある村の中での生活の中に死者が生きつづけいるのである

死者はその生きた土地の中に生き続ける、墓とか家でもなくなるがその土地が山でもなくならないからそこで生き続ける
だからその土地から離れて先祖もないとしたらその土地から人々が離れたときどうなるのか?
過疎地域とかでは現実に村が捨てられて社も残っていたが誰もお参りしないのである
それも不気味な光景だった、そこには先祖が捨てられて幽鬼と化しているのである
そこではもう生活が受け継がれないということでそうなった
農業でも跡継ぎがいないというときそこは捨てられる

現実に南相馬市の原町区の大原では街から離れていてそこに住んでいた人は死んで空家が残されている、その人は病院で知り合った人の家だった
隣の大谷(おおがい)村でもそうである
家があったがそこには人は住んでいないかった、街の方に家を建てて住んでいた
この辺で原発事故以後補償金をもらったことで新しく家を建てた人が多い

死者が土に還るというとき農耕民的発想になる、遊牧民はその土地にこだわらない、一時的寄留者なのである、だから一神教は遊牧民から生まれた
この地が終の住処ではない、この世は一時的に寄留する場であり本当のホームは天にある一種の旅人の思想になる、一か所に永遠にとどまることはないのである

ただなんか農耕民とか日本人は先祖に異常にこだわるのはなぜなのか?
死んだら死んだ家族の元に行くという観念が強い
そういう心情があるのが日本人だとなり先祖供養を手厚くするのである
それは先祖が死んでからだんだん日にちがたつと実在から離れて聖化されるということがある、それでいつしか先祖がカミとなるのが世界的共通にある
死ぬと何か日にちがたつと実態から離れたものになるからである
そして神話化され伝説化されてゆく

ただ死んでもその土地の中で生きているという感覚はもつ
だから土地と切り離して先祖がいるという感覚にならないのである
それで日本人の神は日本人の先祖は日本の国土にあるのであり日本という国土から離れて日本人の神は存在しないとなる
でもユダヤ教とかキリスト教とかアラーの神の一神教は国土と一体化していないからその土地の神ではないから世界共通のものとして広がったのである
天に神が存在するとなれば土地に固執することはないからである

ただ死者というのは土地と結びつけて存在を確認する
だから具体的に生きていた家とか土地とかが死者が依然としている場となり盆の死者を迎えるものとしてある、家に死者が還ってくるというのはそういう日本人の心情があって生まれた祭りである
一見仏教のように見えてそれが日本人の土俗的信仰と行事とつながっているのである
仏(ホトケ)自体ホトキであり日本語なのである


本来はほときという器に食物を入れて祀る霊ということで中世の盆の行事から始まったのではないかと思う。

人は亡くなってある年限を過ぎると、後は先祖様またはみたま様となって一つの霊体に融合してしまうものであるという。薩摩の奄美大島諸島では、七島正月の習がある。旧正月の1か月前(新暦の正月前後)に大きな祭りを行うのである。明らかにこれは先祖祭である。「親玉祭」と呼んでいた。

第26節 「親神の社」: 親とは、目上の人を親と呼び、自分の親だけとは限らない。「オヤオヤの魂祭」である。佐渡島の内海地方では正月六日をその親神さんの年夜と称する。奄美大島の七島正月は、家々の先祖祭だけを、表向きから引き離して、温かい土地柄1か月前に繰り上げたのかもしれない。大分県鶴見崎半島では先祖祭を2月1日に行う村がある。正月を外して1か月ずらせたものであろう。 

第27節 「ほとけの正月」: 近畿地方では正月6日を神年越しと呼ぶ人が多かった。この神年越しの神は年神の事で、また家々の先祖であろうと思われる。正月15日を神様の正月、16日をほとけの正月ともいう。おのおの前の日の宵を年越しと呼ぶ。正月16日をもって、先祖を拝む日としている例は極めて多い。南の徳の島でも先祖正月はこの16日である越後東蒲原では16日を「後生はじめ」といっている。子お16日に仏正月の墓参りをする。個人の霊を「ホトケ」と呼んでいたのがまずかった。人は、故人はこの地と縁を切らず、日を決めて子孫の家と往来し家の発展を見たいと思っているという心情をもっている。 

日本人は先祖を大事にしてきた、死者を大事にしてきた、それがこのように土俗的信仰として残された、それは仏教徒は別物である
仏教は個々人がいかに悟るかであり先祖信仰とは関係ないからである
それが近年失われたのは人間の生活が土地に根差す農業でなくなったからである
自然と深く結びついた暮らしがなくなったからそうした民間の土俗習慣を失われたのである、祭りも失われたのである
要するにに日本人は村単位で濃密に密接に暮らしていた歴史がありそこから土地と不可分の生活からいろいろな土俗信仰が生まれたとなる
それは理屈ではない、日本人の心情が村で作られたからである

この地と縁を切らず、日を決めて子孫の家と往来し家の発展を見たいと思っているという心情をもっている。 

ここに如実にその心情が表現されている
逆にその世界観は狭いとなる、遊牧民の世界観は広い空間での営みだから一か所に執着してとどまるということではないから広い世界観に生きていた
その差が大きかったのである、神といっても世界が宇宙がありとなると何か神なのかそういう広い世界観の中で神があるとしたの
はやはり一神教なのである
ただ本当に家族が死ぬとそのことは深刻でありそれで家族から死後も離れたくない家族とまた会いたいというのはこれは別に村があるとかではない、世界的共通した人間の心情なのである
ただ死者がどこにいるかとなるとその思い出の中にいるとなるときどうしても土地と切り離せない、土地の中に死者は生き続けるとなる
記憶される場所があってまた死者も活きてくるとなるからだ
死者の影もその土地の中でかえって大きく映し出される、そういう場がないと死者も活きないのである 

だから都会ではそういう土地がないから死者かイメージしにくい
都会のビルの谷間だとか雑踏だとか工場地帯に死者がいるのかとなるとイメージしにくいのである
そこに現代が近代人が死者に関する祭とか信仰を失った原因があ
それは精神的に貧しい社会にしたのである
死者とのつながりがあり過去があって歴史があって現在の生活がある
そういう連続性がなくなると世界認識も浅薄になる、今だけだということは人間の生活でありえないからである、次々に人が死ぬしその死ぬ人も忘れられて今しかないとなればその世界観も浅薄なものになるからである
そういうことで何か古いものが深く人間の心情に根ざして変わらないから訴えるものが依然として現代でもある
死者をどうするのかということがわからなくなった現代では特にそうなのである

 歌もおわりに近づけば
                                                                         
「死」の意味を目指し,生の次に同様に「死」も受け入れ
「死」を迎え小躍りしつつ
人間の入場となる次第を歌わねばならない
君らをしっかりと結び、君ら離れ離れの多様な生たちよ
山々と岩と流れを
それから北風、それにカシとマツの木立もいっしょに
君と一つの絆に結びわあせねばならない、おお魂よ
ホイットマン(草の葉)

死を喜ぶとまではいかなくてもここでも同じような思想が歌われている
つまり死者も自然と一体化して新しく生まれ次の世代に受け継がれる思想である
人間はやはり死とはなになのか?それは家族の死とか他者の死とかありまた自らの死がある
死の意味を深く探る必要があるのだ
そうするとよりこの世界は意味あるものとなるのである
今の世界は今にすべてが奪われている、死者と結びつかいな、そこで浅薄な世界観とかもの見方になるのである   


家の力、土地の力、歴史の力 (グローバル化に対立するもの、ナショナルな力)

場所の現象学を読む(場を無視した工業化情報化グローバル社会) (キップリングの詩の訳の解説)

キリコの絵と万葉集の比較 (場所の喪失が空虚さを生んだ、場所と密接に結びついていた万葉集の歌)

2019年06月30日

先人の知的遺産を活かす (古典になるものは熟読すべし)


先人の知的遺産を活かす

(古典になるものは熟読すべし)

この世に膨大な知的遺産がある、それをどう活かすのか?
第一林秀彦について知らなかった、林秀彦とプログで発言して死んだ都筑詠一の発言は似ていた、ということは林秀彦から学んでいたとなる
つまりなんらか知的なものでも必ず先人がいて学んでいる
その人の独創的なものとなると意外と少ないということもある
だから類似なものが生まれる、でもそうした先人の膨大なもの活かすことはむずかしい
つまり引用が数行で従になることがむずかしいのである
自分自身が主にならなければ引用できないからだ
ただ引用しているだけではその人のものがないということになるからだ

ただつくづく内容あるものは理解するのに時間がかかると思った
この年になってやっと理解したとか自分自身のものとして理解したとかなる
なんか私は何でも本を読んでも理解するのが遅すぎたのである
でも人間は死ぬ間際になると誰でも必ず見えてくるものがある
もう死ぬのかとなる時、見えてくるもの、今まで漠然として見ていたものが明らかに見えるようになる、そういうふうに末期の目で自然でも社会でも人間でも見ていれば良かったとなる
何か俗謡なものでも諺でもそれがなぜ深い意味をもっているのか?
それは人間が長い間に生きてきた結果として生まれた言葉だからである
それは個人の一生でも長く生きて人生をふりかえると理解できるのである

さよならだけが人生だ

これも本当に人生の終わりに感じる、一体この世で出会うということは何なのか?
みんな家族でも死んだとか、あれほど争っていたものも死んでいなくなったとかなる
みんな結局この世で出会っても分かれるだけだとなるのは別に悟ったわけでもない、ただ現実として示されてわかるのである
人生は本当にliveとはlieve(去る)なのである、去って行く場所でありいつまでもいられる場所ではない、そうなるとき何か気楽になる
ただ一時的にいる場所にすぎないからである

この世で永遠に生きろとなったら地獄だからである、地獄に永遠に生きるとなったらこれほどの罰はない、もしこの世がまともならいい、犯罪は毎日あるし回りの人間だって油断できないとかまたいつ何か災いが自然でもなんでもあるとするとこの世に生きつづけるほど恐怖なことはないからだ
そういう恐怖を自ら受けて書いてきた、弱肉強食の世界なのがこの世だからである
食うか食われるかの世界に生きることは地獄だからである

とにかく先人の残した物を自分の物としてどう活かすのかそれが知的な分野では大事になる、ただまねるだけではない、自らの物として自分の文脈をもち活かすのである
だかから評論は結構むずかしい、その作品でも人物でも知りぬいていないとできないからである
そして今の人は相手にしない方がいい、過去の古典となっているのも熟読していた方がいい、それは汲めど尽くせぬ泉なのである
ニーチェのツアストラなどがそうである、超人は否定しても何か自分の追求した自然との一体感があるからだ、彼も世間を避けて自然の中に身をおいて社会を人間を見たからだ
つまり社会に適合できずにそうなったからである

文明否定になったアウトサイダーなのである、それは60まで引きこもっていた自分と同じだったとなる、ただ彼は天才であり自分は普通の人間だったという違いがあった
でも共通したものがあった
彼の思想は社会を文明を拒否した自然の中で形成されて自然をアイディンティティとしたことで共通していたのである
ただ彼には社会性がなく逸脱してしまった人間である、何か社会の中で働いたこともないし社会で苦労したとか家族で苦労したとかもないように見えるからだ
ただ実際にニーチェを理解することは至難である、そこに凡人の及ばぬものがあるとなるからだ    

「森と岩とは、君と一緒に高い品位を保って沈黙することを心得ている
君は君の愛する木と、あの大枝を広げる木と一体となれ」

孤独がなくなる所、そこに市場がはじまる、そこに大俳優たちの喧騒と毒ある蠅どものうなりがはじまる」

まさに木とか岩とか石と一体化する、アイディンティティしてきたのが自分である
そして「大俳優たちの喧騒と毒ある蠅どものうなりがはじまる」これが林秀彦のいうテレビの害毒なのである
そして大衆はこの害毒にそまり大俳優とは歴史ではヒットラーとかになる
でもそれは空恐ろしいものだったのである、今でもカルト教団が社会を席巻しているのを見ればわかる、その教祖が大俳優なのである
社会が大衆がその大俳優にひきずられてゆく、それが現代の文明なのである
何か政治家はそうした大俳優である、虚構でもいいから大げさに演じるものなのである
それを象徴しているのがトランプ大統領である、本当に俳優なのである

ともかくニーチェとか世界でも数えるほどのアウトサイダーになると昇華することがむずかしくなる、でもそれには文明を糾弾してやまない劇薬がある
ただそれに触れる時凡人は吹き飛ばされる恐怖がある
大芸術家が狂気になるのが多い、ヘルダーリンでもそうだった、いくら文明を批判しても社会性を無くすと危険だったということもふりかえるからである
それを自分自身が家族の介護とか自分自身の病気で嫌というほど味わったからである

立っているいる、立っている、社の大杉
稲妻ひらめく嵐の中でも 大雨しのつく真闇の夜でも
たゆまず、挫けず千年 万年

立っている 立っている 朝日の御旗は
大砲小銃はためく中でも 地の波さかまく屍の中でも
ひるまず 騒がず 光にあふれて
立ってろ 立ってろ 日本子供よ
貧しく生きる父母亡くとも ひもじく悲しい涙のときにも
弱る菜、負けるな 希望を抱いて 西条八十


社会性というとき私自身が一本の木というのを詩にしたけどここにあげた詩は何か違っている、子供に与えた詩でもあるからまた違っている
ここには社会性がある、社会に生きるための教訓としてある
自分自身の一本の木は社会から孤立している木なのである
ただどうしても戦争と大杉が結びつかないのである 
福島県の岩代に杉沢の大杉というのがある、これは社の大杉なのである、それは別に今では戦争と結びつかない、戦争中は何でも戦争と結びついていたのである、だから社会性というとき戦争が社会と密接に結びついていた、何かそこに違和感があるが林秀彦は戦争を否定していない、讃歌している、そういう時代の人だったとなる
今ならとてもその杉を見て戦争とは結びつかいない、平和な暮らしの中で社の中にある大杉は村の要として村に定着して生きる望みともなり戦争とは結びつかないのである

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杉沢の大杉

そこが現代的である、社会の中で昇華されないものとしての一本の木となる
ニーチェの場合もそうなる、社会から離脱した自然の中の園を創造して作り出したのである、だからそこに真面目に働く人などいない働くことは否定されているからである
そこで普通の人はついていけないともなる
真面目な木というとき社会的には真面目に働くということにも通じているからである
社会との一体感もそこに追求している詩として私は書いたからである
ただ自分自身も20代で底辺労働者だったけどその後は働かず旅ばかりしていた
だから社会性が欠如して小人閑居して不善を成すとなった
どうしても普通の人がひきこもりとかなるとそうなるのである
非常に危険なことになる、それだけの力量がないからである
あなたは何をしてもいいです、自由に生きてくださいと言うとき、実際はとまどうのうが普通の人間だからである、社会というのはやはり人間を磨く場所でもあるからだ
それでささいなことだけど駅でボランティアの案内をしたことでも社会性が多少身についたとなるのである

2019年09月08日

老人は記憶に生きる(記憶の宮殿)


老人は記憶に生きる(記憶の宮殿)

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頭脳の中でこの宮殿の中を自在に歩き回り、その小部屋の一つ一つを訪問するだけで過去のどんな記憶も呼び起こすことができるばかりでなく、過去の記憶の中で生きることさえもできるのです。その描写はとても荘厳で、こんな記憶力をもっていたらどんなに良いだろうとあこがれをかき立てるものでした。

老人は記憶に生きる、自分自身が今やそうである、老人の強みは人生で経験したことを見聞したことを本を読んだ知識などを記憶したことを活かせることである
こうして文章を延々と書けるのもそうである
つまり人生は老人になっていろいろなことを深く理解できるようになる
だからつくづく評論に向くようになる、評論とはただ他者のもの読むだけではない
その人なりの見解を他者のものを通じて示すことなのである
だからその人独自のものが評論を通じて示すことができる
でもそれだけ深く読み自分なりの独自の見解を示すことはかなり高度なものになるから若い人に無理なのである
それで自分自身が本を大量に買っていたけど読んでいなかったのである
文の重要な所に線をひいていても実際はその中身を理解していなかったのである
でも買った本はアマゾンもないから高いものだったのである
それで今読み直して評論文を書く

ここで大事なのが記憶なのである、人生は最後につくづく記憶になってしまう
それで私の姉がシンガポールの向かい側のジョホールバルの赤十字病院で4年間従軍看護婦として働いたことを認知症になっても語りつづけた
それは死ぬ直前まで語っていたのである、それだけその経験が忘れられないものだったのである
ただこれも他者に語る時何かもう一つ語り伝えられていなかった、千回も聞かされても同じことを語るから嫌になっていた
姉には文学的才能がなかったこととその記憶していることを明確に伝えることができなかったのである、例えば文章とかでも伝えることができないから聞く方にしても何かわからないものとなっていた

戦傷者を看護したのだからそれがいかに悲惨だったかそれも良く語られていない
ただ窓から自殺する人がいたとかと聞くとおそらく余りにも苦しいからそういうことになった、かなりの日本兵は自殺したのである
そうして敗戦の後にジャングルに逃げて食料がなくなりその時最も苦しい状態に追い込まれた、そのことはフィッリンピンでもありNHKのテレビで見た
タイプライターをしていた若い女性が戦地に送られて看護婦ではなかったが看護をさせられた、そして敗戦になりジャングルに逃げて悲惨なことになったのである
何か語るにしても語ることがうまいとか文章で書くのがうまいということがあり語る人によって違ってくる、姉は語ることはうまい、しゃべることはうまいが文章では伝えられなかった、やはり文章で伝えられると違っていたとなる
そういう記録が三陸会の雑誌として残されてはいる
大量に実際の戦争の記録は残されているのである、それでそうした記録があり番組が作られている

最後に人生は記憶になる、また記録とか記憶は違っている、例えば記録していてもその記録したことを忘れている、私は相当な詩を書いている、プログでもその詩を書いた
でも忘れているのである、ええ、こんな詩を書いていたのかと改めて読んでいるのが不思議なのである、それだけ数が多くなると自分の書いたものを他でも俳句でも短歌でも文章でも忘れているのである

人間は忘れる、だから何でも記録しておけ

こうなる、記録しておけばそれをまたよみがえらせることができる、何も記録していないともう蘇らせることはできない、おそらく姉の場合日記とかメモをしていればその時のことを思い出してより詳しく語り伝えられたかもしれないのである
ただ正直そういう戦争の悲惨なことはあまり語りにくいことがあったことは確かである
18歳の志願兵はどうも人を殺すことを命じられて殺したらしいが言わなかった
何か人間には思い出してたくないことがある、だからそれは語られないのである
姉の場合は従軍看護婦であり別に人を殺めたりしない、戦地でも殺し合いなどしていなかった、だから語ったのである

ともかく老人は記憶に生きる、でもその記憶をどう活かすかとなるとむずかしい
それで記憶の宮殿を作るということは面白い発想である、それはインタ−ネットに出ていたのである
インタ−ネット自体が一つの巨大な記憶の宮殿なのである  
様々な人生の経験がそこで語られているからである
老後を豊かに生きることは記憶の宮殿に生きることでもある

記憶の宮殿というとき家自体がそうなのである、家には死んだ人でも記憶された具体的な場所なのである、そのことを書いてきたのは死んだら記憶にしかその人はいなくなるからである
でも不思議なのは死んだ人の面影が家に浮かぶことがある
何かこちらをじっと見ているという感じになるのも不思議である
つまり私の場合家族と子供の時から60年とかいればその歳月が長いからそうして死んでもまだ家にいるという感覚になるのだろう
そして自分は特別家族に良くされたから愛されたから余計に家族のことが忘れられないのである                                          

老人の生は新しく何かをする経験することではもうない、経験したことを積み重ねたことを表現することである、でも表現するにしても記憶されていないとできないのである
これが最大の問題だった、それで記憶の宮殿をもっていないと表現できない
記憶の宮殿があってその宮殿の様々な部屋から記憶を呼び出して表現するようになるからだ
記憶の宮殿というとき旅したことでもその住んでいる場所でも故郷でも記憶の場なのである、故郷とは一番記憶された場所のことである
なぜなら子供の時から住んでいて熟知しているからである
そして記憶は旅しても一旦そこから離れてその場を踏まないと記憶が消えてゆくのである私は京都でも四回くらい行ったが今になるともう何十年も行っていないから記憶が消えている、それも記憶が人生の中で何か急激な変化とか苦難とかに見舞われる
するとそのことに身も心も奪われて過去を忘れてゆく、人生では次々に変化に見舞われるから過去が忘れられてゆく、津波とか原発事故とか介護とか自分自身の病気とか災難でもうここ十年追われて月日がたち過去の記憶も消失したとまでなる
それだけの激しい変化が過去のことを余計に記憶されたものを消失させたともなる

なぜ故郷が故郷なのか?

それは故郷とは最も記憶された場所だからである、常にその場を行き来しているから記憶から消えない、記憶が積み重ねられる、また新たにされる
でも旅したところの記憶はそさを新たにしないと消えてゆく、でもまたその場を踏めば記憶が甦るのである、北海道など十回も行ったからまた行けば記憶が甦る
でも今になるとなかなか行けない、それは外国とかなると余計にそうである
記憶から消えやすいのである、それは日本とはまた大きく変わっているからそうなりやすいのである
それだけ記憶とは大事なものだったのである、人生はだから最後に記憶になる
記憶したものが人生だとなるのである

いづれにしろ老人は記憶の宮殿を各自持つべきである
また構築すべきだとなる、そうすると豊かな老後がありうる、それには別に金はかからない、具体的な建物ではなく心の中に記憶の宮殿をもつことだからである
ただ家とかは具体的な記憶となったものであり家はだからそこに死者も依然として記憶の中に生きる場となる

記憶の宮殿

記憶の宮殿は黄金に輝いている
様々な記憶の部屋があり日々めぐる
その時記憶は再び蘇えり
その時生きていたことが甦る
それがとてもなつかしく思う
そして記憶は無数にあり
時に記憶の迷宮に入ってゆく
それだけすでに記憶は不可解なものともなる
ただそうして記憶したものは宝である
記憶の宮殿には宝が詰まっている
そして黄金に輝ている 
あなたの豊かな人生が記憶の宮殿を形成していた
ただそこにも暗い部屋もある
それは入りたくない記憶の部屋である
でも全体的には黄金に輝いている

記憶というとき思い出したくない記憶がある、青春時代は自分にとってはいいものはあまりなかった、何か悪いことをしたりした思い出は実際は消えないのである
青春の問題は何かそういうことがまた多い、必ず若気のいたりがある
それが実は記憶を暗くするのである、他に何か自分には学校とかは嫌だったしいい思い出がない、だから学校とかのことを思い出したくないのである
だからこそいい思い出を作ることが大事なのである
高校野球とか甲子園とかに出れるだけでそれは最高の思い出となっている
私は学校とかにいい思い出がないから思い出したくないのである
そして性の快感とかも実際は記憶になる、そうした快感は脳に記録されているのでは肉体ではない、快感の記憶は脳に記憶されている、それでその快感を再び味わいたいとなる
その快感を記憶しているのは脳だからそうなるのである

いづれにしろ思い出とか記憶とか最後にいかに大事かわかる、そのこと自体が人生だったとなるからである、要するに人間は二度と人生を経験できなくなるからそうなる
今では旅もしていないし何かする気力もなくなっているからだ

かりそめに通りすぎて
十分に愛さなかった かずかずの場所への郷愁よ
それらの場所へ 遠方から 何と私は与えたいことか
しわすれていた身振りを つぐないの行いをもう一度ー今度は独りでーあの旅を
静かにやり直したい
あの泉のところにもっと永くとどまっていたい
あの樹にさわりたい あのベンチを愛撫したい
(リルケ) 

何に時間を費やしたかが人生である (旅の時間も今行けなくなると貴重だった)

これも書いたの忘れている、そしてプログ内検索で呼び出した、自分で書いたものでも忘れている、それでプログとかで書いたものは一つの記憶の宮殿となっている
その記憶の小部屋からかいた記録を呼びたして記憶を蘇らすのである
甦るとなるとまさに生の更新なのである、常に記憶はまた更新されるて新たにもなる
それは歴史でも絶えず過去が固定しないでいろいろと解釈されるのと似ているのだ

60年、70年来もうこの世にはいない人々の姿と人々の顔が渡したの心に生きつづけ、私たちのものとなり、私たちの相手をし、生きた眼で私たちを見つめるのである
いつのまになくなってしまった、あるいはすっかり変わってしまった家や、庭や、町を
私たちは昔のままに完全な姿で見る
そして私たちが何十年前に旅の途上でみたはるかな山やまや海岸を、私たちは鮮やかに
色彩豊かに私たちの記憶の絵本の中に発見する
見ること観察すること瞑想することがしだいに習慣となり訓練となって気付かなうちに
観察者の気分と態度が私たちの行動全体に浸透してくる
(老齢について―ヘルマンヘッセ)

ただ旅したところは時間がたつと消えやすい、おぼろになり思い出せなくなる
つまり記憶するには絶えず記憶されるようにしていないと人間は忘れるのである
つくづく人間ほど忘れやすいものはない、だから歴史になると記録が大事になる
津波でもこの辺で400年前に700人溺死と記されていた史書があった
でも誰もそれに注目していなかったのである
結局記録していてもその記録すら忘れられていたのである
それは個々人でもそうである、私でも相当に詩とか書いて記録しているけど自分の書いたものを忘れているからだ、それでそうした書いたものをもう一度読むと何か新鮮なのである、こんなことを書いていたのかと改めて感心しているのも不思議なのである
それだけ人間は刻々時間がたち回りも変化忘れ安いのが人間の弱点だったのである

2019年09月09日

平家伝説殺人事件ー故郷とは何かを問う (人の話を直接聞くのと本とかで読んだり間接的に知ることの相違)


平家伝説殺人事件ー故郷とは何かを問う

(人の話を直接聞くのと本とかで読んだり間接的に知ることの相違)

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昨日の平家殺人事件のテレビドラマで故郷を離れた人がその恋人に延々と故郷のことを聞かされた、その人は訳あって故郷を捨てて帰らなくなった
平家落人の里でありそこで旧弊な村で閉ざされた環境にあり14歳とかで東京に憧れて出て来た、それは無理にしろそういう人がいることは確かである
何か故郷というのは閉ざされた世界でありそこから脱出したいという願望が大人になると芽生える、その人はよほど故郷を嫌っていたが後で故郷の思いが強くなり金を寄付したいとまでなった、その金は悪さをした保険金の金だったのである
ただそれほど故郷を嫌った人が逆に故郷を異常に思うようになった
そういうことが普通にある

啄木がそうだった、啄木は故郷を追われたという恨みがあった、それで故郷を脱出した
でも最後死ぬときに故郷への思いが異常につのったのである
啄木の不思議はなぜあのように若いのに自然への感性が豊かで表現できたのかとなる
何か小説家タイプだったように思える、小説も書いていた
小説というとどうしても普通の人でも興味をもつゴシップとかスキャンダルとか下世話なものにもなる、啄木の謎はなぜ芸者とか遊んでいても自然を歌っていたという不思議である
自然にふれるには心がやはり清くないとできないのである
天才であったから凡人には理解できないことがある
ただあれほどの故郷への思慕が起きたというのも簡単に移動できない時代だったからかもしれない、新幹線で二時間くらいで帰れない

1908年(明治41年)5月 1等・2等・食堂車・寝台車を連結した上野 - 青森間東北本線経由急行201・202列車を新設。

201列車:上野7時25分→浦和8時→宇都宮10時5分→福島14時50分→仙台17時15分→盛岡21時54分→青森翌3時40分

1886年(明治19年)2月20日 - 1912年(明治45年)

啄木の生きた時代である、上野から盛岡まで15時間くらいかかっている、一日かかりである、朝に出て盛岡で夜中になっている、盛岡からでも東京につくのは夜中なのである
この距離感が今とは全然違っている、その心に影響するものも相当に違っている
その汽車の様子も人々もみんな違っている、それをイメージすることはむずかしくなる
東京には簡単には行けない、一旦行ったら帰れないという感覚になっていた
今でも仙台までは近い、距離的には相当に近い感覚である
東京はやはり新幹線で早いとしても遠くなる

そういう距離感覚が時代が違うと感覚的に違ったものになる、その感覚はその時代を生きたものしかわからないのである
芭蕉でも奥の細道は世界の果てに行くような感覚だったからである
その遠さの感覚が「五月雨のふりのこしてや光堂」になった
つまりこの句はその当時の距離感覚を体験しないと鑑賞できないのである
みちのくの果てに残されていた唯一の形見の金色堂でありそれがふりしきる五月雨に朽ちもしないで残っていたということなのである
江戸から平泉の距離感覚は今とは違っていた、そして二度と平泉には来ることが芭蕉はできなかった、そして奥の細道を旅して近江でまもなく死んだとなる
今なら東京から平泉には新幹線で何度でも行ける、今の時代一期一会の出会いはなくなったのである、連絡する気ならいつでもできるからである
啄木の望郷の短歌はこうした明治という時代が生んだものなのである
遂に帰ることのない故郷だからこそ泣けとごとくになったのである

ただこの推理小説でも故郷の思いが平家落人の里の思いがその人にあった
その人は狭い故郷のシキタリとかいろいろ嫌っていたが都会に出でそういうものも必要だったのだと回顧するようになったのである
結局故郷に住んでいて嫌なものが消えていいものだけが見えるようになったのである

私自身も故郷ではないが直接語り聞かされることとただ文書を本を読むとかのと語られることが違っていると思った
その経験は南相馬市立病院に一か月入院していたことで起きたのである
その時同じ病室に大原の人がいた、そして大原のことを直接何度も聞かされた
窓から大原の方がいつも見えた、そうして閉ざされた空間で暇だったし大原のことを延々と聞かされた、すると不思議なのは何かそこの場所に引き込まれるようになった
別に大原はそれほど親しい場所というものでもないが閉ざされた空間で大原のことを直接語り聞かされることでそこに自分がいるような感覚になったのである
だから何か人間に影響するのはそうした病院でもその場所であり位置である
大原の方を病院から望まれたからである

平家落人伝説殺人のドラマでもその恋人に故郷をのことを延々と語りきかされた結果、その女性がその恋人が殺されてその故郷をたずねる、そしてその故郷で殺されて死んだのである、これも何か故郷にあれほど帰りたいと言っていた恋人の代わりに死んだとなる
何かこれはそういうこともありうると経験から思った
また私は姉が千回も従軍看護婦としてシンガポールの向かい側のジョホールバルの赤十字病院での苦難を語った、それで何か自分もそこに引き込まれる、そこを訪ねてみたいと思った、ただタイのバンコクに行って行こうとしたが行けなかった、今になると海外旅行する気力もないとなってしまった

ただここで私が言いたいのは語ることと文章とかで読むのと何か違ってる
それは語るでも場の作用がある、病院という閉鎖されたところで語られたことが違っていたのである、どうしてもそのことに集中するようになったからである
その閉ざされた空間から出れずに延々と大原のことを語り聞かされていたからである
それもそこは知っているし病院の窓からいつも見えたからである

病室に大原語り死ににけるその思い深く我に残さる

大原に跡継ぎなしも淋しかな留守に気遣う猫一匹あわれ

その家は今は空家になっている、その家を継ぐ人はいないし農地も継がれない
そういうのが全国的に多い、空家も膨大になる、その大原の人はまもなく死んだ
墓は太原にある、最後に自分に大原のことを語って死んだのである

何か語ることと文章を読むとかとは違っている、語ることは感情がこもるからだともなる文章を読んでもそこに感情が出てこない、泣いたということを書いてあっても泣くとういことはしない、ただ映像だとか泣いているのを見るとこちらも悲しくなったりドラマでも涙を流す人はいるのである、そこでは感情移入しているからそうなる
文章だと感情移入しないから泣いたりしないとなるし怒ったりもしない何か冷静になっている

柳田国男が全国を旅行して実地にその場に立って土地のヒトと直接話を聞いて民俗学を起こした、それは直接語られること話されることから何か独特のものとして文章に書くことになった、だからあのように語れる人は書ける人はいないのである
それは本を読んで書いているのではない、その場に立ってその場で直接口から語られる言葉を口碑として重んじたことによってそうなったのである


故郷とは何かとなると一概には言えない、ただ故郷は記憶が一番集積したところだということは間違いない、その場とか家族でもいてアイディンティティ化したところだから説明できないものとして故郷がある、何か場のもっている磁力みたいなものがある
旅をしてもそこに一時いるだけだからその場の磁場を感じなくなるのである
つまり場の力とは磁石のように強く吸いつけるものがある場だとなる
それは家族でも死んだりしてもその死んだ場所にいるという感覚がつづく
それは具体的に残った家に以前としている感覚とにている
故郷にはやはり先祖がいて死者も依然としているんだという感覚になりそれがお盆とかいろいろな行事に祭りになったともなる 

ただアイディンティティ化するといとき故郷でも自然と一体化することは時間がかかる、老人になるまでかかるとなる
自然の中で木や石のようになることは時間がかかる、深くその土地に根を張ることは時間がかる
だから若い時だけ故郷にいたとしてもそこで故郷と一体化したアイディンティティ化したとはならないのである
啄木はそうして故郷に根付いたものとはならなかったのである

ただ故郷は遠きにありて思うものというとき故郷を離れたときその存在が強烈にクローズアップされる、磁石の力を感じる、故郷に吸いつけられるのである
だから故郷から離れられない老人の気持ちがわかる、原発避難者が東京の高層ビルに住んでも心の安らぎがないのである、ただ現代は故郷喪失の時代である
みんな都会人になり移動することが容易でありどこにでも移住することもできる 
そこで故郷の思いも薄れて若い世代は故郷を出て行ったともなる
大規模に故郷を喪失者が生まれた場所だともなる


山口連続殺人事件は“平家落人伝説の地”で起こった!

一夜にして5人の命が奪われた山口連続殺人・放火事件から間もなく1か月。逮捕された保見光成容疑者(63)は周囲との軋轢があったことをほのめかしながらも、いまだ多くを語っていない

他にもこういうことが限界集落のような所であった、そういう場所は逃げ場がない
追い詰められるとこうした悲惨な事件になるものも田舎なのである

2019年11月21日

心(こころ)の詩 (心はここのことー故郷喪失者となった現代人)


心(こころ)の詩

(心はここのことー故郷喪失者となった現代人)

こころはここのこと
ここに生きたから
ここにこころがある
ここに生きたから
ここにこころがある
ここにあなたと生きたから
ここに心がある
ここを離れてこころはない
こころはここに結ばれる
ここに心と心は通いあふ
いつか人はここからいなくなる
でもその人のこころはここにある
いつまでもいつまでもここにある
ここがあるかぎりその人はここに生きている
人の心はここがありて通じ合う
ここを離れて心はない
ここはいとおしい場所
いつかはみな人はここを離れる
そしてここがあるかぎりここを思い出す
それが故郷かもしれない
そういう場をもつこと
ここに心は永遠に生きつづける
ここがあるかぎり・・・・・

心はここだったとういうことは人の心はここにありその生きる場にある
そういう場があって心があるとなる
人は消える、でも場は残っけいる
するとその場からその人の生がありうる
その場に継続している、死んでもその生がありうる
でも場を離れたらもう生は消失する
場とは記憶の場所である、不思議なのは一万年前でもその場はあったのである
その場に人は生まれ生きて消えてゆく、でも場は消えないのである
国のまほろばというとき場のことなのである
それは奈良であるにしろ他にでもそういう場をみんなもっている
ただ東京とか大都会になるとそういう場は消失している
高層ビルが都会のビルの谷間が場と成りうるたろうか?
まず人ごみの雑踏には出会いがない、そもそも出会う場が欠けているのである

だから原発事故で故郷を離れてしまったときその場を失い心を失ったのである
それは金で補いないものだったのである
でも別にそこに生きて入る人はそれを感じて生きてはいなかったのである
だから石川啄木の望郷はまさに故郷をそういうかけがいのない場として心の中に浮かんで来て泣いたのである
つまり二度と故郷の場を踏めなくなったからである
それほど場とは影響している、ただ現実は場より金だとなっている
老人はどうしても場に愛着があり帰りたいとなるが若い人はそう思わないのである

やはらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けとごとくに 石川啄木

これは彼の中に場の記憶が浮かんできたのである、ただ啄木は本当に早熟の天才だったからこうなった、普通の人はこんなふうにならない、むしろ窮屈な田舎から解放されていいとも思っている
ただ場所には魂が宿る、だから万葉集はそういう場の原始的感情が歌われたともなる
なぜなら必ず場所と深く結びついているからである
ただそれは現代人は故郷喪失者となって理解できなくなっている

みちのくの真野の草原遠けれど面影にして見ゆというものを 笠女郎

草原というのは場なのである、地名なのである、この歌は本当に不思議なのである
想う人がたとえみちのくの真野の草原という遠い場所に行っても私はあなたのことは忘れませんよとなる
でも笠女郎が真野の草原の地を踏んだわけでもない、ただ遠い場所として知られていたのである
ただ万葉集には地名がよまれるのはその場を意識することが多かったためである 

やまとはくにの まほろば たたなづく 青がき 山ごもれる 大和しうるはし. 

これは日本は盆地が多いからそうなる、でも海に面しているから必ずしも国のまほろばとはならないのである、みんな盆地に住んでいるわけではない
海に面して住んでいる人も多いのである
だから国というとき実は意外と狭い範囲である、小国という範囲とかになる
啄木は北上川の岸辺を思って泣いたというときそこは盆地ではなく川だったとなる

外国だとドイツだったらライン川なのである、ラインは父なる川でありそれを詩に歌っている、日本ならまず父なる川とはなりえないからである
いづれにしろ文化でも芸術でも人間は土地の産物なのである
その土地をもたない人は文化も芸術もあり得ないのである
だから東京に文化は生まれない、経済とか科学技術とかあっても文化は生まれない
文化を育む土地がないからである cultureはcultivate(耕す)だからである
ヨ−ロッパでも地方の小都市から文化が生まれた、ルネサンスが生まれた、フィレンツなどがそうである、大都会から生まれようがないのである

現代人は故郷喪失になったというときそれは生きる場の消失だったのである
何かグロ−バル社会であり広域社会でも輸送社会である
絶えず輸送している、遠くと結びつき近くがおろそかになる、近くがかえって意識しないその心はここにあるのではない、常に情報でも外国へ向いているのである
そのことから何が起きてくるのか、take place(起きる)のplaceがない
rooted placeがない、ただ場と遊離した情報を絶えずテレビであれあらゆるもので流される、でも場から離れているから実際に理解したとはならないのである   

He has a place in the country. 彼はいなかに別荘を持っている.

look for a place 職を探す. 

displace(解雇する)

別荘を家をもつことを場をもつと表現している、家ではなく家は場でもあったとなる、またplaceは職業になっている
だからdisplaceは場所を持たない人になることである
look for a place 職を探すは場所を持つ人になることである

とにかく現代人は心を失ったのはその場を失ったためである、場というのはただ金があるからは消費者になっていては場の力が働かないのかもしれない
本来は場に根付く生活になると農業とかになる、ただ農業以外でも場に根付くことはあり得る、でも商業となると遠くとの交流となるからなかなか場に根付かないということはある
ただ商業社会輸送社会になりすぎたのである、結局いくら物がいくらでも入ってきても
その物を作る人と売る人と心は通わないのである、地球裏側から果物でもなんでも入ってきてもその人と心を通うことはないのであるここがあって場があって心が形成されているからそうなる

ふるさとに老いて語るや秋となり夕日輝き山に没るかな

何か同級生がいて語っている時そうだった、故郷という場を共有して語っていたのである今や現代人が何か数字のようにロボットのように機械のようになっている、ならされている、それは場が消失したためである
場はとても地図化しても計れない神秘的なものを依然としてもっているからである
本当にその場のことは自ら踏まない限り会得しえないのである
それもその土地とか地勢とかを理解するには鉄道でも車てもできない
土地の高低などわからないからだ、峠のことなども車だと簡単に上れるからわからない
自転車だとそうした土地の高低で苦しむ、峠を越えるとなる本当に苦しくなるから体で土地のことを地勢を理解するのである
だからその土地のことを地理を一回くらい行っても理解できないのである

場所の現象学―没場所性を越えて エドワード レルフ 

これは何回も読んでその意味を深める本である