冬の知床、斜里岳の短歌十首
(北海道は冬を知って本当にわかる−万葉の時代に帰る場所でもある)
知床の雪にそ脚を踏み入れて蝦夷鹿の鳴く声ひびきけり
知床に蝦夷鹿鳴きてその奥に消えしも足跡雪に残れり
知床に雪深く積もり誰か入る月影さして獣の足跡
流氷の知床によりそそりたつ巌やここは日本の果てかも
夕日さし雪おおいにけり斜里岳の今も穢れず神し思ほゆ
斜里岳の雪の衣をまといつつ聖なるものや国の果てかも
斜里岳に至純の心純白の雪のおおいて汚点(しみ)もなきかも
流氷のよりし斜里の町その宿にクマゲラの木を叩く音かな
あかつきや白鳥の鳴く声ひびき凍りし沼に北の果てかも
オホーツクに流氷閉ざし厳しきやかなたロシアの凍えけるかも
北海道は十回くらい行った、それも一か月とか長いのである。
それだけ旅行していたのは恵まれたからである。
家を留守にしても家族がいて安心だった、今確かに旅に行けるけど家を留守にするので行けないということがある、これもやはり自分のカルマだった
あんたはそれだけ旅したのだからもういいだろうということになる
なぜこれほど北海道に魅かれたのだろう、それは北海道は本州とは違う、自然の状態がそのまま残っている、原生環境が残っているためだったろう
苫小牧に降りるとそこから何か空気まで違っているのである
最初は電車の旅だったがものたりなくなり自転車の旅になった
最初は自転車で旅できると思っていなかったのである。
そう考えたのが失敗だった、人間は何かできることでも自分はできないなと思う
自転車旅行は40代からはじめたができたし海外旅行は50代からはじめたけどできた
ただ海外旅行では悔いが残った、早くからしていればもっとできたしヒマラヤなどにも何回か行けた、自然を見る点では失敗した
また海外留学でもできないことはなかった、それは30代でもすればよかった
ただその時海外旅行は高くついていたので無理だと思っていた
海外旅行は40歳の頃からしやすくなっていたのである。
つくづく人間はやれることをやらないと後で後悔する
特に若い時はそうである、経験を積むことが大事だからである
ただそういうことをすることに恵まれている人は少ない
親でも金持ちだとそういうことができる
留学するとなると相当な金持ちしかあの時はできないと思った
でもしている人はいたのである
ただ旅ばかりに明け暮れて終わった自分は普通の人生ではなかった
今でもそうしている人がいるがそれで後で後悔する
何か人生にとってたりないものが生まれて苦労する
旅だけが人生というのではもう普通の勤め人にはなれない、社会からはずれたアウトサイダーになるからである
これもその時代によるのである、今なら留学するのが普通になっているからだ
この時代の差が大きいのである。まだまだ団塊の世代で留学した人は特別恵まれた人だったからである、北海道に開拓に入ったいわき市の猪狩満直なども詩人だったが力尽きて病気になり若くして死んだからである
それも過酷な時代故だったのである。時代でどうにもならないことがあるのだ
それから比べると自分は時代的にも親でもずっと恵まれていたのである。
なぜ北海道に魅了されるのか?それは本州にはない原生環境があるからだとなる
アイヌが住んでいてそこを常にカムイなるものとして神居として意識していたことでもわかる、その感覚は日本の古代からあったが現代ではあまりにもその環境が失われてしまった、富士山は神なる山だがその前景がもうまるで違っている
大都会であり家が密集しているし富士山が映えないのである。
知床とか斜里岳とかあるところは何もないから自然がそのまま原初のままに映えている
だからそこに神々しいものを感じた、その現実に見たものが心に残っていたのである
北海道は冬を知ってこそその真実を知る,それはほかでも四季があり四季を知ってその土地のことがわかるのである
秋の雑歌(ざふか)
崗本天皇(をかもとのすめらみこと)の御製歌(おほみうた)一首
夕されば小倉(をぐら)の山に鳴く鹿は今夜(こよひ)は鳴かず寝(いね)にけらしも
大和(やまと)へに君が立つ日の近づけば野に立つ鹿(しか)も響(とよ)みてそ鳴く
これは鹿と人間と自然が一体となった歌である
岡本宮がある天皇が住んでいる場所の近くでも広い深い自然が背後に広がっていたのである。
いつも裏山で聞こえる鹿の声が今日は鳴かないというときいつも鹿の声を聴いているからである、すると聞こえないということで自然の奥深さを感じて一体化しているのである
鹿というのは大きな自然の中に生きている、鳴かないことで深い自然の沈黙を感じたのである。
現代ではもうこういう感覚はありえない、都会の騒音とビルの谷間に生きていたら聞こえるのは車の騒音だけでありごちゃごちゃした都会のネオンとか雑踏とかむんむんとした人の熱気しかないのである
まず万葉集時代なら日本全国でも数百万しか住んでいないのである。
ということは自然に覆われていた世界なのである。岡本宮とあったとしてもそこには一軒の宮が建っていただけだとなる
これは妻を呼ぶ声にたとえられるがただそれだけではなく深い自然の中に鳴く鹿がいつも鳴いているのに鳴いていないということでかえって自然の奥深さとか沈黙を表現したのである、この歌は秋の歌だから余計深みを自然の寂寥も感じるのである
人を送る時鹿が鳴いているというのもいかに自然と人間が鹿と人間が一体化していたかわかる
鹿も人間となり見送っていたのである
この時代はまず自然と人間は一体でありだからこそ万葉集ができた
それを深く理解できないのはもう現代ではそういう環境がありえないからである
まず現代では宗教でもなんでも都会から生まれてくる、自然から生まれないのである
だからすべてが政治であり経済であり科学であり工業であり商売しかないのである
宗教が神道でもそういうものではない、現生の自然の中から生まれたのである
そこで万葉集が神道の起源になる、「真直」なるまなおなるものとして自然を見て接した心がある、それが北海道ではなお感じるから北海道は日本にとって最後の神秘的な領域として貴重なのである、そこはまだ本州のように開発されていないからである
ともかく蝦夷鹿がいるということで普通に見れるということで貴重である
知床でも冬に見たのはその鳴き声でも聞いたのは貴重だった
雪に埋もれた知床に踏み入ったのは貴重な経験であり今になると思い出すのである。
斜里岳は荘厳であり神なるものを感じたのである、それは冬に一層そう見えたのである。これはその時その場でしか感じえないものである。
それが心に残っていたということである。オホーツクとか知床は日本の果てだから特別な地域だともなる、そこからロシアに通じている
アムール川に通じている、そこでアムール川を見たのも貴重だった
だがそこでは大変な失敗をしていた、ロシアは一人旅はしにくい場である
今は暑い盛りだけどこれで涼しくなるということもあるのか?冬の北海道は魅力的である
ただ相当に寒い、その時は比較的暖かいから助かったのである。自分は体が弱いから暑さ寒さに弱いから助かったのである