2006年08月12日
私は花々の中を逍遙している(人生は短い)
人生は短い
あなたはその短い人生をふりかえる
その時何が浮かんでくるのか?
私は花々の中を旅して逍遙した
その後に花々が延々と咲いている
今私は思い出の花々を絨毯のうよに織る
人生は短い
あなたは何を追い求めるのか
その美貌も力もやがて色あせる
あなたの中に何が残るのか?
金か地位か権力か
それも虚しくされる
今私の中の心を彩るのは花々だ
花々の中を蝶のように舞い逍遙している
人生は短い
その与えられた歳月を何に費やすのか
輝ける青春の日は短い
たちまち白髪と病が襲ってくる
あなたが短い人生に貯えたものは何か?
それは老年になって明らかになる
私は明るい真昼間花々の中逍遙している
夢のように至福のなかに逍遙している
天国でも花々の中を逍遙している
尽きることのない花々が私を迎える
あなたはこの世で何を求めたのか
それは老年になり明らかになる
金を使い切れぬほどためて権力をえても
ただ人生の苦さのみを残すものもいる
人生は短い
たちまち美貌と力は色あせる
私は花々の中を微笑み逍遙している
私はさらに遠く旅をして花々を逍遙している
・・・・・・・・・・・・・・・・・
人は何かに魅了される、この世の魅力は余りにも大きい、女性の美貌の虜になるのも普通である。地位や権力の魅力も大きい、しかし老年になるとそれらはたちまち色あせる、老年には本当の求めた価値が現れる、あなたの求めたものが何なのか?本当の愛なのか?本当の義や美や善なのか?あなたの求めたものはそうではなかった、この世の偽りのまやかしの義や美や善だった。あなたをそそのかしあなたをたぶらかしあなたを誘惑したものはこの世の大きな力、サタンの力だった。人はそれに翻弄されて一生を費やし老年になり後悔するのだ。あなたを若くして有名にして売り出されのも大きな誘惑の力が働くのだ。あなたはその大きな力により消費されるのだ。あなたは売り物にされ消費されるのである。
この世のつづきがあの世までつづく、花々を求めたものはあの世でも花々を求め旅し逍遙している。この世の欲を求めたものはやはりあの世までその欲の実現を計る、清純な花はそうした汚れた住人にはいくら外見が立派でも花は本当に本来の美をもって咲くことはないのだ。花の本来の美はしぼんでしまう。花の美は女性の美貌ともまた違う美である。無垢の美なのだ。世俗的に汚れた場にはふさわしくない、深山幽谷か素朴な生活の中で咲くのににあっているのだ。
2006年08月29日
夏の蝶の詩
陽はまだ沈まず
光のなかを
風にのり
軽やかに舞ふ
夏の蝶
美しい羽根を与えられ
その眼に映りしは
色彩りどりの花々
いづこの花へと
喜びに満ちて
そは今舞っている
明るい光の中を
風に乗り
軽やかに舞ふ
そは舞いつづける
花々を求めてやむことなく
そには見えざる
この世の汚れを
ただ美しきものを見む
陽はまだ沈まず
与えられた今この時
その日は短い
夏の蝶
そは美しき羽根を残し
その羽根の痛みしや
一夏はまた終わらむ
2006年11月22日
花の安らかな眠り(認知症にはやさしい声を)
花はかすかな虫の羽音を聞いている
花にやさしくそよぐ風
花は穏やかに眠るだろう
蝶の舞い来し夢を見て・・・・
そが心は何故に荒れ狂いしや
そはやさしくささやく声に眠るがよい
そして朝日さし大らかに大輪の花と開かむ
私はまたその大輪の花につつまれ眠りたい
安らかな日よ、花の眠りよ
荒れ狂う嵐は一時に去るべし
暗雲は去り明るい陽の光とそよぐ風
神の祝福のそこにあるべし
そを狂わせしは何か
一時の悪魔の悪戯か?
サタンは人を弄びしや不可解なり?
神はそれを許して良しとせしや?
そを慰めるはやさしくささやく声
荒々し強き声にあらず
その声を聞いてそが心は静まるだろう
花のごと安らかな眠りにつかむ
認知症とか精神の疾患ほどわかりにくいものはない。心と関係しているからわからないのだ。特にアルツハイマ−、認知症は何なのかわけわからない、他の精神の疾患とはまた違っている。間違いなく老齢化が原因していることは共通している。それでもその症状の不可解なことは他の精神の疾患とも明確に区別できるのだ。物盗られ妄想などがそうでありこんな不可解な病気があること自体何なのか?悪魔の悪戯としか思いないような病気なのだ。
この病気の対症方法は怒っても説得しても無駄でありただやさしくささやくように導くほかないのである。そういう声には従うのかもしれない、この病気は怒って説得しても理屈を言っても従わないからそうするほかないとなる。
瞑想の領域
深い森の緑につつまれ
深海の群青につつまれ
瞑想の領域の守られぬ
一条の光がさしこみ
隠された花のひそかに咲きぬ
そこに妙なる花は微笑みぬ
外殻は狂乱の世界
何故に脳は破壊されしや
そが心は狂乱の妄想に陥りしや
そが心は休まざりしや
深い森の緑につつまれ
深海の群青につつまれ
やさしい小鳥の歌を聞き
騒擾なき深海を泳ぎて
そが心は休み眠るべし
瞑想の領域は乱れざるべし
そこに安住はあるべし
2007年03月15日
大地に刻まれた歴史
春の陽ざしのなかを
ゆっくりと歩いてくるもの
遠い道のりを一歩一歩
籠を背負い、馬車に荷をひき、・・・
大地の道を踏みしめてゆく
ゆっくりゆっくり進むほかない道
そこに知らず労働の重みが刻まれていた
坂を越え峠を越え村と村を結ぶ
春の陽ざしのなかを
早められぬ時の神が見守る
一歩一歩歩むことが時を刻む
実りは早めることはできない
一歩一歩歩む堆積のみが実りを生む
大地に結ばれる道
大地に刻まれる労働の重み
あわただしく過ぎる現代の時間
その昔の人の跡をたどるが良い
春の陽ざしのなかを・・・・
忍耐の石が山の道の辺に
春の日を浴びて黙している
その石の重みを知るがよい
あなたが知るべきは
大地に刻まれた歴史なのだ
大地の血肉となりし歴史なのだ
旅の部の詩の文が赤になっていた。このさくらのプログでおかしくなったのはこの文字色の変化だった。黒に指定していたのに赤になっていた。
プログはなかなか自分なりに編集できない、日毎に変わるものだから全体をふりかえってみにくいしあとで見て直すのもやりにくい。
一応赤の文を黒にはしたがどこかで他も文字の色が変わっているのか
旅の部と一般の詩の部を分けた
2007年03月18日
孤高なる美(上野霄里氏の部)
http://musubu.jp/jijimondaiueno.htm#kokou
上野霄里氏という人間がなぜ現代で理解しにくいのか、文明が本来の人間を見えにくくしてしまった。巨大な科学組織文明が本来の人間を消失させたからである。だから本来の人間の巨大さを追求するニ−チェであれキケルゴ−ルであれミラ−であれアウトサイダ−化して文明の価値観にどっぷり浸っているものは見えないし理解できなくなっている。人間の偉大な個の消失の危機感から上野霄里氏などが反文明人間として佇立することになった。ここには確かに偶像化する危険性があったが組織を偶像化するよりは神に近づく一つのテコとはなっていた。つまり神といっても人間からイメ−ジれる神しかないのだ。
上野霄里氏は知識にしても学者が語る知識とは違う、強烈な個性と人格力から語られているのだ。司馬遼太郎などは豊富な知識で語りかけてくるが人格力は感じられない、人格力で語れる人はまれであり天才だけがなしうると言う人もいる。その骨太な人格力がパ−ソナリティが一貫して彼の語るもの書くものにある。それはやはり天才として備わっている大きな人間としての人格力である。自然の美は人間の資質の反映としてもある。崇高なる美があり崇高なる人間もあって自然と人間は調和する。ただいくら天才でも全能なる神の表現である自然を示すものにはなりえないのだ。そこに人間の限界があるから全能の神を崇めるべきなのである。
2007年03月30日
春の町の墓所(墓に思う−続編)
誰が眠るや
町中の墓所
春の日影に
我が家の墓も
そのとなりに
名もなき石くれの墓
かすかに縁つなぐや
供え物ありぬ
手押し車を押して
墓掃除が勤めや
90過ぎし母もゆく
ここを今日も通りて
ああ 人の世の悲しさあわれ
我も身にしむるかな
人は生まれ死して忘れられる
遂には家からも世からも
切り離されるが定め
最後に世に留めしは墓のみ
今日も町の墓所の前を通い
春の日は暮れぬ
キ-ワ-ドで墓 詩ででてきたのがこの漢詩だった。
訪子陽先生墓
良寛
古墓何處是,
春日草せんせん。
伊昔狭河側,
慕子苦往還。
舊友漸零落,
市朝幾變遷。
一世眞如夢,
囘首三十年。
墓がどこにあるかわからなくなった。こういうことはかなりあるだろう。江戸時代は墓はそんなに建てられない、庶民の墓は粗末な石くれがほとんどであり名前も定かでない、個々の墓はなくホトケッポとか村の集団墓だった。武士の墓は立派なのが多いし今でも残っている。家の墓でもこれだけ墓が建てられたのは明治以降なのだ。ほとんどの墓は明治以降である。名字をもてたのも明治以降だから墓もそれに比例して増大したのである。
舊友漸零落
市朝幾變遷
これはつくづく感じた。私の親戚すじも破産して工場がなくなった。市も余りにも変わってしまった。自分の住んでいる場所は昔を思い浮かべるものは何もない、全く変わってしまったのだ。これほどまでに変わるものかとなるがこれは60年生きればほとんどこうしたことは古来から経験していたのだ。人も死んだり移動したり変わってしまう、無常の世界である。これは老人になれば誰でも馬鹿でもそう強いられるのだ。
だからうまいこと言う人がいるもんである。なぜインタ−ネットでは普通の庶民が別に文学青年でなくても気のきいたことを言うのを発見するのか?
それは実体験しているからなのだ。認知症であれそういう人に日頃接している人はその方面の専門家に自ずからなっているのだ。私も今や認知症素人評論家みたくなってしまったことでもわかるのだ。インタ−ネットは庶民にはじめて表現の場を与えたのである。
利用者が帰りたがっているところって
そうだね。かつてあった生活、もはや今はない、帰りたくても帰れない
あの頃の生活、あの頃の家庭、あの頃の家族・・・
そして、それがまだ外にあると感じている。
自分を待っている場所があると思っている。
家族さえ家さえなくなっている。これは多くの老人が実感することである。施設に入ったりするともはや家から切り離されるからである。認知症の症状は老人に一般的に現れるものでそれが極端化したのが認知症なのだ。大きな生の喪失感では共通しているからだ。
2007年05月15日
2007年06月10日
千歳の岩
千歳の岩
千歳の岩
乱れを知らず
騒音を聞かず
清き流れのひびき
小鳥のさえづり
蝉の声、虫の声
その内にひびきぬ
千歳の岩
残雪のように
キクザキイチゲ
埃りのたたぬ
隠されし道
人行くまれに
その行く人を知る
その静謐なる
影なす山陰
千歳の岩
森深き道を歩め
花はつつみ隠され
秘めて咲くべし
千歳の岩
神なる岩
そは乱れず
刻める時を知らず
誰かより座りぬ
汝を待ちて久し
そが座るべしかな
浪費されし日よ
使役されし日よ
何故に生きしや
浪費されし日よ
そも遠き日なれ
我はもはや去るべし
ここに神の妙なる
調和の声を聞ききつ
そは癒さるべし
冬の日にワ−ズワ−スを読む(霊感された場所)
http://www.musubu.jp/hyouronkannshou4.htm
2007年07月15日
白鷺の飛翔(詩全般)
白鷺の飛翔
なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、
注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。 (マタイ6:28)
真澄の空に白鷺の眩い純白の飛翔!
確実に餌を捕らえるその鋭い嘴
そのしなやかな脚は水を乱さず歩む
神の技にそは一糸もまとわず形優美に
均整とれた過不足なく完璧な姿
そは優雅に舞い下りて地を乱すことはなし
真澄の空に白鷺の眩い純白の飛翔!
真昼熱く燃える花がじかに映える
汝は何をも労すことはなしも
完璧に神の技に造られしもの故
そはただ神の御意のままに従順に
神の園にその天然の美を尽くして飛翔する
そは神により造られしものゆえに真の美あり
人により造られしものは真の美を損なう
無益な労苦や装飾をもたらし疲弊させる
真澄の空に白鷺の眩い純白の飛翔!
神により造られしものはなべて奇跡の技
神の御意にかない健やかなる日々を生きている
そはただ神の御業を讃えるが仕事なり
人の前に奇跡の神の技なる美が優雅に舞い下りる
清々しく風はそよぎ緑の野が広がる
2007年11月22日
二本の木
二本の樹
柿の木に柿の実のなり
無花果に無花果の実のなり
ここに久しく変わらざるもの
風の日も雨の日も雪の日も
ただ黙しつ耐えし強き命よ
冬の日さして今休らいぬ
そは大地に根を張り変わらざるべし
昔を偲び末永き命なるべし
柿の木に柿の実のなり
無花果に無花果の実のなり
何事のなけれど争うことなく
互いに傷つけることもなく
大地に根を張り変わらずに
静かなる強き命にあるべし
そは天にてもつづきあるべし
神の園に植えられし樹よ
その実はさらに甘美なるべし
忍耐は平和の基、来世の実り
神の国はそこに作られるべし
2007年12月07日
老子石

この道を幾度通りしや
我が気づかざるかな
枯木を通して大石一つ
冬日さし静謐に鎮まりぬ
誠に我が気づかざるかな
自然の静寂のいかに深しや
騒擾に過ぎゆく世の日々
そは千年知らずここにありぬ
我が老いゆくにこの石知りぬ
この石の悪しき夢見ず
徒に無益に使役されることなく
太古のときより変わることなく
神の御旨のままに騒ぐことなく
ここに鎮めと動かざるかな
木の葉かそかに一二枚散り
静けさはさらにここに深まりぬ
汝、この世に何を成せしや
成さざるものこそ成しぬ
故にこの知られざる大石の尊き
そこに癒しと鎮めのありぬ
※「原生岩」と名づけた方はこれはいつも流れがひびき目立つ岩だった。だからこの岩ばかりに注目していたのだ。でも今回別な岩があったのだ。この大石には気づかなかった。千回ここを通っても気づかなかった。このように人間は身近にあっても気づかないものがあるのだ。この大石は神秘的であった。石には小さな石でも大きな石でも実際はみんな違った個性をもっているのだ。その形もそうだがどこかに配置されるかでその石の個性が発揮されるのである。この石の名前をなんと名づけようかと困った。「大鎮石」とかもいいと思ったがまさに老子の教えにぴったりの石なので老子石にした。
2007年12月16日
桧扇菖蒲(尾瀬−至仏山)
桧扇菖蒲
至仏山の山頂
蛇紋岩その古さ
霧にしっとりとぬれ
そこにあらしめるもの
桧扇菖蒲
埃ももたたずに
神の顕せしもの
その大きな花びらの
静謐の中にたれ
触れえぬ神秘をたたえ
至仏山の山頂
日影のしんとして
過ぎ去りかすめるもの
雲の影のみや寥々として
2008年03月20日
微睡(まどろ)む石

a dreaming stone
in spring haze
in a unknown villiage
over many mountains
in the distance
微睡む石
春日さし大きな石は微睡(まどろ)み
いづこの村か霞み隠される
春風に誘われ訪ね来しもの
その大石に寄りて休みぬ
鶯の鳴く声のうららかに
大きな石は微睡み重し
その石の回りに蟻のい出くる
ああ、また労苦のはじまりかと
大石はその蟻を知らじ
自由なる旅人は霞む日に
桃源郷を求め次なる村へ
峠を越えてはるか去り行く
大いなる神は霞みて微睡み
その中より蝶の舞いい出る
病院に苦しむものに春はなく
微罰の日々を生きていしや
その声の哀しく切なし
その苦痛の声は我も苦しめる
石のごとく微睡み眠ることなしや
石は他に害を与えず苦痛もなく
春の日は微睡み眠る
2008年04月29日
神座の磐
神座の磐
その磐の静粛なり
その千歳の磐にし
誰が座するべしや
春の朝日さして
神し座して静かに
心乱れざるべし
真向かいに磐あり
峻厳にして寡黙に
見つめあう面なり
清流激ちひびきつ
山吹咲き乱れつつ
鳥は激しく鳴きぬ
しばし人よ休まむ
何故に追わるるや
何故に使わるるや
虚しく費やされ時
定めと動かざりし
その千歳の磐にし
神は座するべし
ただ座して正覚す
無益を語らずして
その思いは整いて
その他何もなしや
ただ他は虚しきや
そこな人にして神
神にして人なりや
永久の安らぎにし
虚しき幻影を見ず
座して動かざるや
神の声ここに聞き
雑音ここに消えて
衆の騒ぎはなしも
ここに悟るべしや
神座して動かざる
千歳の磐の尊しも
人に忘れられしも
人に知られざるや
神なるものありて

2008年05月15日
夕べの白鷺
夕べの白鷺
静々と歩み乱れなく清楚なる白
夕べ田の面に写る静謐なる白一点
神の精巧なる業に成りしもの
ありとしもなく白い影を写し
いつしか去りて跡をとどめず
空に消えしや優雅なる歩みその姿
桐の花ひそかつつましく咲きぬ
美は精緻にして乱れざるもの
神の御園に白鷺の映えて鎮まる
生き物も神の一つのイデアなり
神の聖なる思念の具現なり
そは神の奇跡にして成りしもの
そは神の御園のそちこちに現れ
聖なるや白い衣につつまれて
他に何物ももたざりしかな
ただ白い衣ぬぎ天に召されるや
ただ美しき追憶の日を残して
白鷺の飛翔
http://www.musubu.sblo.jp/article/4710434.html
2008年05月16日
桐の花の章
人目もふるるもはばかる
ありとしもなくうすむらさきに
静謐なる桐の花の咲くかな
夏の青い空にし消えるや
誰かささやくやひそけし
昼の月のそこにありしを
誰か気づくやかそけしを
あまたし咲けどひそけしや
村一つここに鎮まる
夕風にかすかそよぎふるえぬ
神のその繊き指にふれ
そは自らを知りしも
いつしか地に落ちしあり
そはありしともなく咲き
真昼の桐の花(詩)
http://musubu.sblo.jp/article/29184618.html
2008年05月27日
朴の花(詩)

朴の花
朴の花の広葉の風にそよぎけり
朴の花の地を知らじかも
白き大輪の花の天に向き咲く
磐にひびけはじける水音さやか
ただ清しく風のわたるや
山間深きも涼しく影なす谷間より
黒揚羽のいでて舞いわたり消ゆ
山鳩の番いの鳴いて森の深しも
風はそよぎて深き緑に鳥は眠りぬ
朴の花夕べ静けく隠さる村や
牛の啼く声の聞こえて暮れぬ
人よ、何をし求むもむなしきや
ただ地を知らず咲きにし花こそよけれ
炭焼きの煙に素朴なる暮らしの昔
市の暮らしの徒なる浪費の時よ
塵埃にまみれて過ぎ去りし時よ
そはただ世に使われしのみなり
千歳の磐のごとくにそこにあるべし
そは何も成せず成さざるべし
朴の花は地に咲くにあらじ天に向き
その純白の大輪の花を咲かしむ
神の御旨はそこにあるべし
2008年07月20日
千里疾走する天馬
千里疾走する天馬
全身に血潮みなぎり健やかなる時
草原の果てしなく悍馬は千里を疾走する
疲れを知らずどこまでもどこまでも疾走する
北斗七星、妙見菩薩や馬は天をも駆ける
神の巧みに天性の足と筋肉は疾走すべく作られる
草原は果てしなく悍馬は走りたらざれ
アレキサンダ−大王を乗せし名馬よ
そも世界制覇は成らず途上に果てぬ
鳥は休むときも飛んでいる
馬は休むときも走っている
魚は眠るときも泳いでいる
思いがけぬ遠くに駆け抜ける馬よ
草原ははてしなく留めるものはなしも
悍馬は思いのままに疾走する
草原にしばし休めば何の花や雲は流れぬ
全身に血潮みなぎり健やかなる時
馬は疲れを知らず疾走しつづける
糧は草原にありて荷はいらじも
精悍なる血潮みなぎる肢体をはずませ
赤々と血潮のごとく夕陽は草原に映えて沈む
草原にも海にも北辰は変わらぬ座標
妙見信仰の星にして一際輝く
悍馬よ、そはなお走りたらじも
2008年08月15日
夏の大空
夏の大空
鳥は大空と一体
魚は大海と一体
馬は草原と一体
・・・・・・・
そこに国境はなし
広々とした空間
神から与えられた
自由の領域が広がる
縦横に飛び高く高く
天空への飛翔
夏の日よ、広がる空よ
夕陽に燃え上がる空よ
その自由の空間を
思う存分に飛べ駆けよ!
洋々とした海原よ
果てしない草原よ
草原を流れる眩い雲よ
時に湖ありて鏡のごとし
神の顔のそこに写すも
そこにも国境はなし
神の造りし天地に国境はなし
神の国に国境はなし
自由の翼、脚、鰭
神が造り与えたもの
そを駆使して飛べ、駆けよ、泳げ
夏の日躍動する生命よ
嚇々たる轟く火山よ
溶岩流跡に地球の熱さを感じよ
百輪の鬼百合が咲き
夏の日の生命の饗宴よ
鳥は鳥を馬は馬を魚は魚を
神の御意のままに生きしを
過不足なくマッチして生きしを
大空に草原に海原に森林に・・・
白鷺は風そよぐ森に群れて眠る
鳥は森が家にて安らぎ眠る
2008年09月18日
常なる道(詩−秋)

常なる道
我が行くこの道親し
一本の松変わらずに
影なす所我がよりぬ
古池に大鯉の波紋や
心静かに秋づくなれ
なおいくつ蝉鳴くや
静心我が聞き入りぬ
我が行くこの道親し
薊に虫一匹うなりぬ
秋の日さして石三つ
ともに安らう里も秋
祖は静かに眠るべし
懇ろに墓に参らむや
菊挿して静粛にあれ
常なる道に心休まり
我が行くこの道親し
2009年01月05日
万里の長城延々たり(訓読漢詩風短詩)
万里の長城
万里の長城延々たり
赤貧の老爺、寒村に生き
青史に英傑名を残すも
羊を追い乏しき糧や
名もなく果てて土となる
その墓知るや遠来の客
中華遠大にして人民多寡
夷狄の襲来やまず長城を成す
営々と人民の労苦やまず
夏の日遥か重畳の山々望み
万里の長城延々たり
まず漢詩を日本人が作るのは至難である。韻を踏むこと自体できない、そこでヒントになったのが訓読漢詩風のインタ-ネットにあった詩集である。ここでは漢詩の詩語を訓読して作る。これなら漢詩ではないにしろ漢詩風になる。中国を旅して詩にしようとしたがうまくいかない、漢詩にもできない、とするとこの訓読漢詩風というのが日本人には適しているかもしれない、漢詩風になり作りやすいかもしれない、一つの試みとしてここにあげてみた。インタ-ネットにはつくづくいろいろ参考になるものがあるのだ。
2009年01月06日
みちのくは癒しの地

みちのくは癒しの地
みちのくの大地の眠り深きかな
病める者よ疲れしものや
今は冬安らかに眠るがよし
みちのくの山の眠りの深きかな
死者よそも今は騒ぐべからじ
ただ安らかに眠るべし
深き大地の眠りに癒されるべし
文明もただ過酷な労働を増やして
ただ大地の重荷となりぬ
冬は大地も休む人も休むべし
人を苦しめるは人なり
無益なる事に費やされて
人を苦しめることあるを知れ
なべて有益なるものとはならじ
大地(ガイア)は眠る、機械は眠らない
機械は生命のリズムに反する
大地は急がない、千年が一日
億年で神の造形は成る
みちのくの大地の眠り深きかな
ここは癒しの地にして神の休息の場

2009年01月08日
冬の鳥(ジョウビタキ)-詩

冬の鳥( ジョウビタキ)
軽やかに一羽
枯枝から枯芒へ
刈田のなかに
神から与えられた
その衣装の紋
それのみ映えて
粗末な食にたりる
質素にして簡素
田舎に目立つもの
軽やかに一羽
ジョウビタキは背中から見るの多い、白い斑点があるからわかりやすい、これはオスでありメスはわかりにくいし見たことがない、メスはよほど注意しないと見えない、写真はインタ-ネットにあったのを拝借したがまずいかもしれん、もっとぼかせばいいのかもしれん、ここに入れないと映えない、写真はいいのがあるから利用したいしにたものもある。自分でとったといえばわからないものもある。そのへんがむずかしい。
2009年01月17日
フェニックスの翼(新年の詩)
フェニックスの翼(新年の詩)
澄み渡る大空に高く高くかなたへかなたへ
大鳥の翼よ、疲れをしらぬ翼よ
火の鳥となりフェニックスとなる翼よ
洋々たる大海の上を翔けゆく翼よ
汝を妨げるものありや世界はそがものなり
汝は偏狭なる郷土を脱して
自由に大空と大海と大陸を翔けゆく翼よ
澄み渡る大空に高く高くかなたへかなたへ
汝はさらなる崇高なる高峰を望むだろう
汝は新しい島を発見するだろう
汝はまたそこに新しい花を発見するだろう
汝の探検と探求はやむことはなし
汝の齢は今や百歳なりしを
五十才は人生の前哨戦なるを知れ
勉学の日も遊びの日も長しを
汝の見るべきものは多く知るべきものは多し
やむことなく探求はつづき発見はつづく
汝はすでに千の国を訪れたり
さらに千の国を訪れだろう
澄み渡る大空に高く高くかなたへかなたへ
太陽は黄金の光を放ち未知の国へ沈む
汝は今いずこにありや知らず
そは知られざる国の深い神秘の森に眠らむ
一時その翼を休めまた旅立つにあらむ
大鳥の翼よ、疲れをしらぬ翼よ
火の鳥となりフェニックスとなる翼よ
汝はまたこの地球をはるかにめぐり飛ぶ
洋々たる大海に陽は昇り新しき年は明けぬ
忌まわしき過去は葬れそは未来に向かい飛べ
神の世界に向かって高く高く飛翔せよ
汝は蟻にあらず、獅子なり龍なり大鳥なり
汝は蟻のごとく地に這いつくばるものにあらじ
汝は大鳥なり、千里翔けゆく大鳥なり
2009年01月20日
残される記憶、記憶される物(詩)
残される記憶、記憶される物
そこに大きな花が馥郁と咲いていた
その花が散ったとき花は本当に消えたのか
その余韻は深くいつまでも残る
その花の思い出は消えない
その道に一本の古木が立っていた
その古木が枯れて倒れてなくなったとき
その木のことは誰も記憶しないのだろうか
何かがそこに木の霊のようなものが残っていないか
木はやはりその道の辺に立っている
何百年もあったとしたら簡単に消えるものだろうか
この世あったものは消えてゆく無常である
しかしそう簡単にすべてが跡形なく記憶から消えるのか
何かが残され記憶され語られてゆく
もしみな消えてしまうとするなら生は余りにも無常
無常の世にも無常ならざるもの
それがあってほしいと人は生きる
記憶から消されてならないものがある
60年もとにかくも一緒にいた人の記憶
それは簡単には消えないだろう
また消えてもならないものだろう
すべて良きものとしてあらじも
記憶に存在しつづけるものがある
消しがたく存在しつづけるものがある
それがやはり人間の一生の重みだろう
はかない生にも一生は重みがある
どんな老人もその重みを持っている
それは若者にはないもの
それが老人の言うに言われぬ重み
若者よそもおごるなかれ
やがてはみな老人となるものなれば
それは例えば村の入り口るある石
その石は何百年とそこにあり
謂われある石でありそこを動かない
その石を簡単に邪魔になったからととりのぞけるか
役に立たない石だからととりのぞけるか
その石は村の中で何かを語りつづける石
姥石とか名づけられ村と一体となってあった石
または要石とか名づけられ重しのようにあるもの
石は神としても祀られる
それはやはり長い時間のなかで存在しつづけた
時間の中でその存在感を培った
だから簡単にとりのぞくことはできない
単なるモノではなく村と一体化した石
空間の中に配置された単なる石ではない
時間の中で重みをました石だから・・・・・
2009年01月23日
神の花園
神の花園
神の広い庭に様々な花が咲いている
その花の中を日々歩み花を摘む
様々な花はそれぞれの個性に咲き
花と花が争うことなどありえない
「私の方が美しいのよ、ええ、私の方が美しいのよ」
そうは花は言わない
「あなたも美しい花ですね、ええ、あなたも美しい花です」
花は常にこう言って神の花園は至福に満たされている
花は神の手に摘まれて部屋に飾られる
壺に様々な花が一つとなり調和する
花と花は決して争うことはない
それぞれの個性を尽くして一つの壺に咲く
天国でも人は人と争わない
それぞれの個性を際立たせるだけであり
相手を否定する言葉をはかない
だから花々はさらに美しく神の庭に咲いている
神は日々花園を逍遥してあきることはない
そこに穏やかなまなざしに静かな光がさし満ちる
神の手から魔法のように花は生み出される
その花の一つ一つはミステリ-の美
神はその花々の一つ一つ愛でいつくしむ
そこに充実した時間があり時間は浪費されない
神のイデアは奇跡でありその美は計り知れない
神は静かな足どりでまた歩みこられるだろう
花々もまたそのひそかな足音を聞き喜びにふるえ咲く
2009年02月05日
スロ-タイムアゲイン(多様な時間への回帰-詩) slow time again
スロ-タイムアゲイン
slow time again
分割され計られ迫られ追い立てられる時間
文明によって時間も奪われた
大地に根付く樹の時間
のろのろ歩む牛の時間
千年黙す石の時間
種蒔く季(とき)を教える桜の時間
太陽が昇り沈む時間
日の影が移る日時計の時間
水がしたたり落ちる水時計の時間
江戸時代の一刻は二時間
一時間が二時間でもいい
二時が三時になってもいい
一時間のずれは自然では見過ごされる
時間はそもそも分割できない
文明によって時間も消耗される
大地のリズムから離れた機械の時間
人間はロボットに機械にされる
ああ 一万年の時間がほしい
そうすればあせる必要がない
百年は寝て暮らせる
百年は国内を放浪して
百年で百カ国回り
百年は読書して
百年は瞑想する
さらにタイムマシンでエジプトに百年
ロ-マ帝国に百年、中世ヨ-ロッパに百年
江戸時代に百年
そのくらいの時間を過ごせば
ようやく確かな知識をものにできる
誰でも知恵者になっいる
人間が生きるの蜉蝣の時間
すでに持ち分の時間は残り少ない
命の灯は消えかかっている
人生は無常゛変転極まりない
ここにありしモノも人も今はない
何一つとて無常ならざるものない
昨日いた人は億光年のかなたへ旅立ち
もはや永遠に帰ってこない
60年一緒にいても短かった
千年ともに大地に立っている樹からしたら
人間の時間はあまりに短い
人間の時間は蜉蝣の時間
明日はもうこの世にいないのかもしれない
さよならだけが人生だ
老人に大切なのは健康と時間
残り少ない時間に何をしよう
今まで当たり前に見ていたものが価値をおびる
そのうち時間は最も価値あるもの
毎日同じ道を歩いても違う
なぜならこの世の時間は限られているから
道端の石に腰かけて梅の匂いをかぐ
私はもう千年生きて仙人でもなったのか?
この世の中のことが現実味帯びない
文明は幻だったのか
いつの世も人生は一時の夢
うららかな春の日私はどこに行くのか?
私は桃源郷に行くのかもしれない
そこで私はこの世とおさらばして深い眠りにつく
文明こそ夢であり桃源郷こそ故郷だった
だから元きた所に帰ってゆく
「オラ-見て来たんだよ、空中までそびえてる建物を
百万の人でごったがえししているとんでもない大きな街を
どこもかこも走る車が突っ走っていて
夜はこうこうと灯がともり昼間と同じだった
暗闇はなく夜も眠ることのないとてつもない街だ・・・・・」
「そんな街なんかありえよがない、何ねぼけたこと語っているんだ
とんでもない夢見たな、夢だよ、夢だよ・・・ここの家を見てみろ
これがオメエの家だよ、そんなものはどこにもねえ、夢だよ」
「夢だった、そんなはずがねえ、・・・そんな不思議なことがあんのか」
「オメエは狐にでもだまされたんだよ、馬鹿にされたんだよ」
「これがそこで使った金だけどな」
「なんじゃそれは、」
「これで食うものも何でも買うことできるんだよ」
「それは紙切れじゃねえか・・・そんなものここでは通用せんよ
「オマエはやっぱり狐にでもだまされたんだな・・・・」
百ドル紙幣を出したが通用しなかった
ここでは金は無用のもの
あくせく働くことはない
食うには困らない
自分の行った大きな街はやはり夢だったのか
そうかもしれん、一場の夢だったな・・・・・
ここがオレの故郷だったんだ
馥郁と村の古木の梅が香っている
真昼の村は今も変わりがない
なつかしい人の顔がある
あれ、死んで別れたはずの人の顔ににている
あれ、ここにいたのかい
そしたらいつもいたようににこにこ笑っていた
ここはやっぱりオレの家で村だったんだ
ここでオレは死んで行く、安らかに死んでゆくんだ
ここに小さな墓が残るかもしれん
誰が訪ねてくるのかな、オレが語った夢を求めて
物好きな奴が一人くらい来るかもしれんな
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2009年02月08日
白鳥の詩
白鳥の詩
白鳥はどうして作られたのだろう
白鳥はすでに犯しがたい高貴が備わっている
生来の貴族にして高貴と優雅と美質が備わっている
まわりの鴨も侍従のように従い群れる
その数は多く白鳥をひきたたせるだけ
庶民は鴨であり雀でありその差は大きい
水に浮かび白鳥のその純白の静謐さ
その高貴さは生来のものにして神の与えしもの
神聖不可侵のごとく白い衣につつまれている
互いによりそい映えて妬みの心がない
水晶のように透き通る美に浸されている
まるで主・キリストのように至純な心を宿している
内面と外面の美が完全に一致している!
その単純な真理に驚嘆せよ
すでにその頭上には銀河がきらめき宿り
労せずして星座になることが定められている
北極星がその座にすえて軸となす
誠の哲人も北を目指して星となる
その翼は冬の銀河にははだき星になるにふさわしい
北の果ての湖は凍て吹雪くなかに白鳥は鳴き
一層その白さを増して長き冬を耐える
白鳥はやがてまた北の酷寒の地、シベリアへ帰る
そこが故郷にして人跡まれにして広大な地
そこで白鳥を脅かすものはなし
白鳥は我が領土と大空に羽ばたき舞う
白鳥は他の鳥と違いかく格別魅了するのか
それは天才とにているのだろうか
天才には天凛の質が備わっている
我等庶民には天才のことを知りえぬ
神が与えしもの、贈り物、それが天才なのか
モ-ツアルトのように天才の美しい楽が鳴りひびく
白鳥のその純白の静謐さは神の衣
近寄りがたく犯しがたく聖者の後背が光る
後光がさして神秘のオ-ラが光る
白鳥はまもなくシベリアに渡ってゆくだろう
そこでさらに美しく天来の質が映える
2009年02月21日
巨人なる人間−(詩の部)
大いなる過ちをなし
大いなる愚かさをなし
大いなる罪を犯し
なお人は人であり
大いなる時間があり
大いなる神の許しがある
人はささいなことで
一回の失敗で死にもいたる
電車の一分の遅れも許されぬ
人は今精密機械のように生きねばならぬ
時間のゆとりがない
無用の用をもつ余裕がない
何より時間の余裕がない
人間が機械のように生きねばならない
ささいな失敗は致命傷となる
ああ 神話の巨人のように大地に寝ころびたい
文明人よ、目を覚ますなかれ
我は千年眠りやがて起きるだろう
起き上がったとき己が大地を
どっしんどっしんと歩むだろう
誰はばかることなく境界もない大地を
誰もとがめるごとなき己が大地を
オ-イと巨人が大きな声で呼ぶと
向こうの山からもオ-イと声がかかってくる
ハッハッハッと笑ったら向こうでも
ハッハッハッと笑った
そこにも巨人が住んでいて頭をもたげる
この国にはまだ小人は住んでいない
そこに不平不満の声はなかった
自由な大鳥は天空をはばたき
野に花は一面に咲き満ちている
その巨人の足跡は大地に印される
2009年02月24日
死者は冬の水のように透き通ってゆく・・
死者は冬の水のように透き通ってゆく・・・・・
死者はだんだん冬の水のように澄んでゆく
死者は日々浄められて
底まで透き通るように澄んでゆく
死者にはもはや触れることはならず
死者はもはや愚かなることは成さず語らず
死者は人に災いを与えず安らかに
死者の心は冬の水のように透き通ってゆく
死者はその澄みし底に落ちるものを知るだろう
だから死者をその透き通る水を乱してはいけいない
死者はやがて美しき汚れなき花と咲くだろう
妙なる美しい楽の音を聞くだろう
死するは悪しきことにあらじ
死者は日々浄められて
2009年02月25日
死者の影
冬なお長くぬばたまの
闇の深きに誰ならむ
この道行きしは
ものみなしずまり
家のともしきに
星影照らし
月影照らし
死者は語らず
死者眠りぬ
静謐なる刻
死者の眠りの深きかな
2009年03月20日
水仙の詩
水仙一輪
ひっそりと
一つの種は植えられた
神の御心に
その種のいかなれや
今しりぬ
石の陰
水仙の花
一輪
そっと開かむとす
そはへりくだり
神の御心に
石の陰
浄らかに
ひそか咲きにき
へりくだる心こそよし
人よ、低きにあるべし
高きにあるは災いまねき
神の怒りをかうべし
水仙の花一輪
そは災いなくも
2009年04月26日
静謐の座
静謐の座
宇宙は静謐である
星と星は静寂のなかに輝きあう
静謐のなかに信頼しあっている
その信頼は深く大きい
人と人は相反して争う
自然は調和して整合する
神の則にのっとり安定している
自然は静謐のなかに実る
限りなく忍耐の中に実る
自然は騒擾を嫌う
神のイデ-なる花はひそかに開く
千古の磐の陰に神秘の花は咲き開く
静謐こそ神の力である
静謐に実るものこそ真である
2009年05月11日
雀が持っているもの

雀が持っているもの
雀はちょこちょこ塀を歩み顔を出す
そこに白椿が咲いている
そのあどけない顔がなごみとなる
雀はなにもまとわないし何ももってこない
すずめはただあどけなさをもってくる
雀は光の金の衣をまとい
あとは何も身につけない
野原にはタンポポが一面にまばゆい
その野の絨毯の上でまろび遊ぶ
寒さをしのぎ春がやってきたから
雀は寒いときも何も身につけない
ひゅ-ひゅ-と風が吹きつけても雪がふっても
雀は毎日少しの食べ物で満足
それは神の御意により与えられるのだろう
雀は謙虚であり威張らない
いつもペコンとお辞儀する
雀は庶民であり貴族ではない
雀同士で仲がいい庶民である
人間はあまりに多くのものをもちすぎた
死んであの世に持ってゆくこともできなかった
雀はあれもこれも欲しいとやってこない
ただ今日一日の少しの食べ物がほしいだけ
雀は道端で死んでいた
誰もふりかえるものなく死んでいた
でも雀は神の掌(てのひら)で安らかに眠っている
雀は人間のように様々な欲にふりまわされることがなかった
だから今は神の掌で幼子のように安らかに眠っている
2009年05月16日
真昼の桐の花(詩)
真昼の桐の花
屋敷林の影が濃く
長い木陰の道
蔵があり前畑が広い
農家が点々とあり
家はひっそりとして
誰も顔を出さない
農夫が黙って畑を耕している
桐の木が一本
真昼に花が咲く
年老いて今は思う
こういう所に安らぎがある
人は隠れているがよし
こうしてただよそ者として
通りすぎるとき平和がある
藪をつつけば蛇がでる
土を掘ればまた虫が出る
人の世は欲の世
人と交われば欲が出る
血縁とて交わればもめる
人と人とに平和なし
この世に災いは尽きることなし
この道を行く人まれに
桐の花はただ天上を向き
わずかにそよ吹く風にゆれ
静謐さ保ち咲いている
この道をさらに行けば
墓所ありて眠る人は幸い
人に世話にならず
人知れず眠るは幸い
そこに永久の安らぎがある
2009年05月25日
千歳の磐と磐
千歳の磐と磐
磐と磐真実に動かざれ
磐と磐誠を尽くし偽らざれ
その粗金の硬さに契り
磐と磐千歳友誼を深めぬ
信義は常にその中にあり
人と人今乱れはげしくも
相和せず絆は断たれぬ
磐と磐そは変わらざるかも
日々重厚なるものにして
内に篤く信を宿しぬ
磐は神の手に練られて固く
その場に動かざるかな
夢にだに相反することなく
磐と磐千歳友誼を深めぬ
磐は強くも内より光るもの
物は結びてより力を出しぬ
野鳥の声は磐にひびき
水の流れの音もひびき
清しく風は吹きそよぎつ
充実の時はここに流れぬ
何故に今人は徒に疲るや
その目論むこと成すこと
神の御意に反すればなり
信実はそこになく
ただ偽りのみあれば
人は疲れ消耗する
汝、磐のごとくあれ
千歳信実を培い神の社と成せ
磐のごと斎き祀りて
2009年05月31日
神の花園
神の花園
そは天国の花の園にあり
大輪の花々は惜しみなく開き
その花を日がな愛でて飽きることなし
健やかなる心と体はもどり花々は
そのふくよかなる顔に映えぬ
屈託なき笑いはそこに満ちぬ
花に花はそえられて神の祝福は満ちぬ
悲しみ苦しみの日は終わり
神の祝福ここのみにあらじ
宏大なる神の国を満たしている
真澄の空は果てしなく青く
光をさえぎる影もなしかも
翼もてさらに新たな国へ希望もて
2009年08月12日
庭の石は流れを作る(詩と絵)

庭の石は流れを作る
石は水を感じている
小さな石をしきつめた流れ
そこにはさらさらと浅い流れの音
水がないのだが水が流れている
流れる水の音が聞こえる
澄んだ清らかな水の音が聞こえる
大きめの石をしきつめれば
深い激しい流れを感じる
地球がはじまったとき
石だけも土だけも木だけも存在しない
その前に常に水があった
水なくして命はない
だから石も水なくても水を感じている
巨きな岩があれば
その岩に激流の音がひびく
岩と水とは一体であり
庭作りで不思議だったのは石をしきつめるだけで流れを感じたことである。ここの写真のように小さい石を浅くしくと浅い流れでありさらさらと清らかに流れる日本的な風景が竹垣とともにイメ-ジされる。庭は単に石をしきつめただけで水の流れを感じる不思議があった。なぜそうなるのか?詩のように石と水ももともと一体としてあり地球の生命はそもそも石だけとか孤立して存在しない、有機的に相互に連関しているからそうなる。自然の中の一つをとりだしてみてその一つを知ることはできない、おそらく隕石が地球に降ってきたらそれは宇宙を物語るものでありその宇宙を知らなければその隕石のことも知ることはできないのである。
2009年09月12日
初秋飯館村(詩)
初秋飯館村
農家が木立の中に点々と隠され
道の辺の古木に秋の夕日がさす
森深く淋しく一羽鳥が鳴き暮れる
森の中に大岩が沈黙を深める
山陰に一すじ清い流れがひびく
牛の歩みのように急がずして
ここに実りは静かにもたらされる
爽やかな風がわたる高原の村
秋の星々がさえてきらめく
農家が木立の中に点々と隠され
緑の森に深くつつまれる村
風がそよぎわたり樹々の葉にさやぐ
静寂の中に美しい楽が自ずから生まれよう
あせらずその声に耳を傾けよう
あざみが大地に根を張り
悠々と大岩は動かざるかな

2009年10月27日
誠の愛とは (詩)
誠の愛とは
秘められたる愛
現されない愛
そこに深い愛がある
見えざるところで尽くす
隠れたるところで尽くす
そこに深い愛がある
秘められたる悲しみ
現せない悲しみ
そこに深い悲しみがある
その涙は真珠となり
海底深く落ちる
それを神は拾うだろう
慰めは神からきて
人からは来ない
涙をぬぐってくれるのは神
死者はあなたを見ている
神はあなたを見ている
その心を見ている
偽りの愛は見破られる
死者に偽ることはできない
神に偽ることはできない
人を騙すことはできる
社会も騙すこともできる
しかし神を騙すことはできない
厳格な裁きがその前に成される
あなたの愛は本物か?
それが正される