2013年11月04日

中心市宣言書(平成21) ー原町区の中心が衰退 「ともにつくる 活力に満ちた 安心で潤いのある南相馬」


中心市宣言書(平成21) ー原町区の中心が衰退   

「ともにつくる 活力に満ちた 安心で潤いのある南相馬」

http://www.city.minamisoma.lg.jp/index.cfm/
8,3260,c,html/3260/sengen.pdf

 
minami32323.jpg

相馬市から5500人もが南相馬市立病院の診療を受けていた。原発事故前は南相馬市立病院は中核病院だったのである。
飯館村からも4400人で多い。浪江町も11000人で多い。浪江とか双葉、大熊には大きな病院がないから南相馬市立病院が
中核になっていた。実際に大熊から入院した人が同じ病室であった。病院に関しては大熊双葉浪江は不便な場所だった。
おそらく泌尿器科というのはないだろう。ただ南相馬市立病院でも泌尿器科は貧弱だった。専門医が一人いても若いし良くみてもらえいないものだっ。たそれを知らないでそこに長くかかっていて病気を長引かせた。相馬総合病院は泌尿器科は三人体制であり
全国でも優れているとかいわれるのもわかる。院長が泌尿器科の医者であることでもわかる。
現代では病院は本当に大事である。病院を知らないと確実に寿命を縮める。
現代で不便なところは明らかに病院とか医療体制がないところなのである。
限界集落などは医者もいないし何もない、飯館村には歯医者もいないのである。

toukeiminami.jpg

これも意外である、相馬市から17000千人も南相馬市地域に特に原町区に通っているのかとなる。
南相馬市が特に原町市が中心地域とっなっていることがこの数字から一目瞭然である。
原町区には丸三製紙とか大きな工場があるとすると相馬市からも通っている人がいるということである。

kaimonodddd.jpg

買い物動向でも小高区と鹿島区では70パーセントくらいが原町区で買い物している。
ただ食料品は20パーセントだから地元のスーバーなどで買い物していたのである。
電気製品は浪江町と双葉町で50バーセント以上である。
電気製品は原町区に集中しやすいのである。
飯館村は全般的に20パーセントくらい原町区に負っている。
ただ20パーセントなのは川俣の方が近いからそっちの方にも行っているからである。

いづれにしろ相馬地域は浪江とか双葉とか大熊でも旧相馬藩内が一つの経済圏でもあり文化圏でもある。
だから浪江とか双葉や大熊がなくなるということは経済的にも相当な痛手なのである。
それだけの買い物客も喪失するしいろんな面で失うものが多い。
病院にしても南相馬市立病院が旧相馬藩内の中核病院になっていたのである。

ともかく相馬藩の石高から飢饉のことを研究した学者がいたように何か経済の面でも社会の面でも
相馬藩というのは六万石で小藩なのだけど小藩ゆえにかえって見えてくるものがある。
社会が見えやすいということがある。伊達藩などになると大きすぎて社会全体をみることがむずかしくなる。
もちろん東京のように巨大化するともう社会を手にとるようにみることは不可能であり
自分がどんな役割を果たしているかも検討もつかなくなる。

今回の原発事故で相馬地方は様々な課題を持つ地域として全国から注目されたし今もされている。
何か自分でもこうして公務員になったように相馬地域をいろいろな角度から研究すればみえてくるものがある。
そして社会が見えるということが政策にも通じる。
有効な政策は何かということがおのずと出てくるのである。
社会が見えなければ出しようもないのである。

こういう狭い地域だと無益な人間も目立ちやすい、なぜあいつは遊んでいるのかみんな苦労しているのにとかなり安いのだ。
それで仮説に入って補償金でパチンコばかりしているとか昼間から酒飲んでいるとか批判されるようになる。
大都会だったらそうはならない、狭い地域だからこそみんなが協力しないと生きていけないという面があるからそうなる。

それでNHKで青森の4000人くらいの藤里町でニートが百人ほどいるとかその人たちを介護などで働かせる事に成功した放送をしていた。
あれも狭い地域だからそれだけのニートを見つけ働かせるようにできたしそうしてもらわないと働き手が少ないから村自体が町自体が成り立たなくなるから公務員がそういう努力をしたのである。

人数が少ないから何とかしてともかくニートであれなんであれ人を活かす工夫をせざるをえなくなったのである。
ともかく何か有効な策をうちだすにしてもその街自体を知らないとできないのである。

相馬市より南相馬市が今回の原発事故でいかに痛手を負ったか数字からわかる。
相馬地域は原町区が中心区となっていた。それが原発事故でその中心がゆらいだのである。
中心を保てないような状態になっているのだ。
posted by 老鶯 at 20:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2013年11月06日

近くに烏崎の人が家を建てた (補償金のことで漁業組合の人たちは地元からも批判される)


近くに烏崎の人が家を建てた

(補償金のことで漁業組合の人たちは地元からも批判される)

烏崎の人が近くに家を建てるというので菓子折りをもってきた。直接会わなかったがあとで近所の人に聞いたら若い人たちだという。若いというとこの辺ではめずらしいとも思った。なんかみなん老人のように思えるからだ。
でも老人だと家を建てるのは長く住まないのだから新しく建てるのに金を使う気になれないだろう。家というのは他の買い物とは違っている。
長い期間使うものだし大金を使うから他の買い物とは根本的に違っている。
長期的なものとしての買い物でありそういう買い物は家くらいだろう。
車でも十年とかもつものがあるがたいがいは短期的なものである。
最近ではすぐに新しいものに家電などは買い換えてしまう。
家とは何か長期的ものとして建てる、最近の住宅は30年ももたないとしても30年でも長いのである。だから家をもつことはその土地に根付いて生活するということになる。
家をもつことはその土地に土着することになる。
賃貸住宅だとなにか一時的に住んでいる仮の宿という感じからぬけられないだろう。


南相馬市では一時土地の需要が増えて値段があがったが低下して上がらない。そのた理由が老人が金をもっていても新しく家を建てることに躊躇する。先が短いから大金を家に使いたくないということがある。若い人なら先が長いからローンでも家を建てるということがある。老人は年金暮らしだから先が長い買い物は躊躇する。ここにも高齢化社会の影響がでている。小さな一軒家でも土地代を入れると3000万くらいになるから家は高くつく。
ただこの辺で常に話題になるのは補償金の問題なのである。烏の人だと金もっているだろうなとなる。前は火力発電所ができてその補償金で大金が入り近くの呉服屋では高い着物が売れて豊かになったとかある。今度は漁業組合に入っていればまた金が入っただろうなとなる。浜通りは火力発電所もあるし原発もあったしエネルギーの供給基地だった。
それで金か会津などより入っていたということがある。
金は運だというとき公共事業などの影響で大金が入り得することが多い。
まず自分の近所がそうだった。区画整理でじけ住宅地になったとき長屋のような家に住んでいた人たちが広い土地が与えられて住宅費用も何千万とか与えられて立派な家を建てられたのだ。それは運が良かったということである。


最近聞いた話では常磐高速道路のために土地を売り大金を手に入れた人が今度は大熊で牛を飼う牧場をはじめたという。そしたら原発事故になった。ただその補償金も牧場を経営しているとなると楽か大きくなる。何億ともらったとかの噂もある。これも公共事業がいいにしろ悪いにしろ巨額の金をもたらすということである。

烏とか右田は船主になっている人が多いだろう。それで右田の人が街内に立派な家を建てたときやはり漁業組合に入っていて金があるのだろうとかなる。実際に相馬総合病院に入院していたとき請戸の人がいて特等室に入っていた。そして家を建てるのだと言っていた。でも今になると漁業組合に入っていた人たちは批判される。天罰だとも言われる。それは地元の人たちが言っているのであり自分が言っているのではない、それは漁業組合の人は東電に漁業権を売り渡して巨額の補償金をもらっていたからである。事故が起きたあとも同じように巨額の補償金をもらっている。つまり漁業組合が一番金をもらっているから批判これるようになった。漁業組合が原発に反対すれば原発は建てられなかった。

それだけの権力を与えられていたのである。ヨーロッパには漁業権はないという、漁業権は大きな権利だったのである。でも海の資源を守るならいいが原発事故では海は汚されて漁師自体が海でとれたものを食べられず買って食べているという不満がある。それは田畑で自家生産しない農家の人も同じである。日頃から買って食べている人はその悔しさがわからない。

いづれにしろ漁業権をもっている人たちに対する反発は地元でもあるだろう。それも多額の補償金をもらっているからそうなった。現代は金の多寡で金を持つことに比例して責任が問われているのだ。だから原発事故地域は常に補償金とかか話題の中心になる。
補償金のために心が分断されている。あいつはあんなにもらっているのにこっちはもらえないとかが常に言われるようになる。だからかえって一致協力して復興しようとするようにならない、心がそういうふうに分断されているからだ。


それにしても南相馬市では復興住宅の数がどれほどになるのか?鹿島区だけでも100戸くらいは建つみたいだ。それで300人くらいになるのか?その人数はわからないにしてもやはり新しく家を建てる人は少ないだろう。100軒くらい新しく建っているようでも全体では少ないかもしれない、老人所帯が多いと新しい家を建てるのをためらうのはわかる。
そのことも高齢化が津浪被害地域では復興になってゆかない足かせなのである。

宮城県にしても零細な漁業をしている港などがそうである。高齢化で跡継ぎもないところだったのにあれだけの津浪の被害にあったらもう村自体住めない、若い人も流出して村自体が消失してゆく記紀なのである。
この辺でも時給1200円でも働く若い人がいないのである。金だけでは解決しないのがこの辺の問題なのである。

復興という時長い時間がかかる。でも老人の先は短い、すると若い人は復興に向いているが老人はなるべく自分でもそうだが先が短いのだから苦労はしたくないとなるのだ。

若い人の時間感覚と老人の時間感覚は相当に違っているのだ。
だから老人は新しいことをはじめるより今まであったものを大事にする。そして新しく何かをはじめるというより過去の思い出に生きるのも老人なのである。
それは長い目で復興をしてゆくという感覚ではない、今の時間が貴重であり残りの時間を楽しむというか深く味わうという感覚になるから未来への投資などもてきなくなるのだ。だから過去の思い出に生きるという時故郷に住めなくなった老人が多いのだから辛いと思う。いくら多額の補償金をもらったとしても住み慣れた土地から離れるのは辛いのである。若ければ20代30代ならなんとか新しい場所で再出発できる気持なるのが年になるほどできなくなるのだ。


原発自己周辺であれ宮城県などの零細な漁業している港などでもこの高齢化社会の問題が深刻なのである。現代はいたるところに高齢化の問題が深刻なのである。介護時代というのもそうであり介護離職者がいて自分も同じだから同情した。介護の負担もこれからますます大きくなってくる。だから小さな湊の村は消滅してしまう危機である。

posted by 老鶯 at 10:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2013年11月09日

原発建設地域は建てる前からも金にふりまわされる (山口県の上関原発でもめる漁業権問題)


原発建設地域は建てる前からも金にふりまわされる

(山口県の上関原発でもめる漁業権問題)

大島海域のゴチ網漁師は、3000万円かけてつくった船を150万円で売った。1250万円したローラーをつけても、その値段にしかならなかった。一本釣りをしている父親は1000万円かけた船を75万円で売った
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/gyogyoukenseidokowasukiseikanwa.htm


山口県の上関原発建設問題で漁業組合とか地元の漁師とかがもめている。山口漁業組合は賛成しているが地元の漁師は反対している。今回のフクシマ原発事故が影響して中止になるみたいだ。
ただ漁業はじり貧になっていた。外国の安い魚に追われ漁業だけではやっていけないというのは別に福島県でも宮城県でも津浪にあった地域では同じ悩みをかかえてい。
とくに零細な湊はそうだった。だから津浪で壊滅的な打撃を受けた。


漁業権は組合員の三分の二の賛成があって譲渡できる。それでもめている。でもこれも変なのだ。漁業権をもっているのがそうした組合員だけでいいのかということがこの辺の原発事故で問われたからである。「俺たちが漁業権をもっている、これを電力会社に売ろうと売るまいと自分たちの権利なのだ、他のものは何も言うな」こんな権利がどうしてありうるのか?漁業と関係もない、海と関係もない中通りまで放射能汚染の被害で福島県は苦しんだ。だからこそ漁業権というのを組合員だけの権利で売り渡し原発を建てさせて補償金をもらって豊かな暮らしをしている。原発御殿が建ったとか批判されているし天罰だったとも言われるのは多額の補償金をもらった漁師たち漁業組合の人たちだった。


そういわれるのは漁師は海の幸だけで魚介類だけをとって暮らしている人たちではなかった。漁業はもう農業と同じく成り立っていなかったのである。だから実際は電力会社の補償金で暮らしていたのである。漁業権がいかにおいしいものか事故前もそうであり事故後もそうであった。宮城県などでは電力会社から補償金がもらえいないから損だった。
福島県では事故後を船主だといくらだとかやはり多額の補償金をもらいつづけられるのである。これも何か変ではないか?

原発を建てさせ責任は漁業組合の人たちに地元では一番あった。でもその責任は何ら問われることがない、かえってまた同じように多額な補償金が支払いつづけられている。
もちろん魚がとることもできないという被害も大きいことはわかる。

しかし原発の被害が福島県でも広範囲だったのである。今になると漁業組合の人だけではなく双葉や大熊とか富岡とか避難地域になった人だけではない、南相馬市でも福島市に入ったらたまたま南相馬市とわかるものがあったので傷つけられたという。その真意はわからないにしても南相馬市でも反感をもつ人が福島市にいるということである。


それはなぜなのか?福島市は補償金を全然もらっていない、中通りはもらっていないからだ。そこに反発があったのだろうか?これは浜通り地域でも相馬市は全然もらっていないから避難した人たち仮設に住んでいて相当な不満がある。津浪の被害だけの人ももらえないから例えば相馬市でも仮設には避難しても補償金をもらえる人と津浪の被害でもらえない人が混在しているのだ。それで飯館村の人がトマト農家で働こうとしたら断られたというが相馬市では津浪の被害の人たちに職を優先的に斡旋するということにするのはかえって土地の事情にあっていて非難されるものでもなかったのである。


つまり福島県であれ山口県であれ原発では必ずすでに建てられる前から補償金でもめているのだ。補償金が巨額なためにその金につられてしまう。山口県の漁業組合が補償金目当てになったのはそのためである。原発は建てる前であれ建てた後であれ必ず巨額の補償金のことで地域も分断される。すでに漁業というのがもう成り立たないというとき、そこに多額の補償金が与えられるとなると心動かされない人はいない、ただそのことで地域は分断されるのである。


ただ現代が何を言おうが金をもっているものが強いのだとなると確かにそうは言える。
漁業組合に入っている人たちは金があるから立派な家を建てているなとかみる。自分の近くにも烏崎の人が家を建てた。金を持っていないものは家も建てられず復興住宅に住むほかないとなるかもしれない、ただ土地が手に入らなくて建てられない人もいるからわからない。ただ地元の人でも漁業組合の人たちには反感をもっている。それは補償金を他よりもらいすぎるからである。
請戸の人が相馬総合病院の特等室に入っていたのもなるほど漁師の人たちは金があるのだなと思っているだろう。その金も億とか大きいことは確かである。


人間はこうして何でも差があるとき協力しない、かえって貧乏人同士は協力し合うが金持ちと貧乏人は協力しない、ただうらやむだけである。豊かになると人間は協力しない、わずかのものでも分かち合うのがかえって貧乏な時代だったのである。皮肉なことにものあありすぎればそれを分かち合うという心もなくなる。ものが少なければ少ないものを活かし分かち合うという心が生まれのも不思議である。だから今は原発事故で補償金をもらっている人たちは外部から同情されていない、内部でも漁業組合の人たちには反感をもっている。それも補償金のためだったのである。


山口県は経済的には大阪からも遠いし今では辺境地域だったのか?何か貧乏な話が多い。
下関の貧乏なタクシー運転手のことがのっている。医者にもかかれず早死にしたとかある。それは全国的なことであり老人間の格差も大きいのである。60以上で4分の1は貯金をもっていないというし恵まれた老人はわずかである。みんな老人が金をもっているわけではないのだ。だからもう年金だけでは暮らしていけないという人たちが膨大にふえてゆく。そして生活保護をもらった方がいいとなりふえてくる。生活保護だったら病院は無料だから医者に行けるからだ。ただその生活保護費もあとは食べるだけくらいしかもけらえない、しかし老人に関しては一律10万とか支給するほかなくなるかもしれない、国民年金だけでは生活できないのである。


いづれにしろ人間は別に金を持っていてもそれが正当なものなら批判されないだろう。
金持ちでも批判されない金持ちはいる。その人たちは正当に働いて金持ちになったからだろう。パソコンとか発明したりした人はそうである。大金が入るのはまずコツコツ働いてはなれない、何か新しいものを発明したり富になる元を作り出した人だろう。
だから宝くじであれ地主が金が入ったとか株でもうけたとかそういうものには反発がある。遺産などでもそうなる。正当にもうけたり正当に金を使えば誰も非難しないのである。漁業組合の補償金は必要でも正当ではないから批判されることになった。

posted by 老鶯 at 16:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2013年11月10日

事故が起きるのは奢りのため (交通事故も原発事故も共通なものが)

 

事故が起きるのは奢りのため

(交通事故も原発事故も共通なものが)

車運転している人が言うには運転がうまいとおごっている人は事故にあうという。車のことはわからないけどそういうものなのか?。このことはあらゆることに共通性があるかもしれない。何でも人間は奢るとそれが事故にもなるし悪いことにつながってゆく。
例えば日本の技術が優秀だと何かいろいろなことで刷り込まれている。だから日本の技術は優れているというふうに思い込まされていたのだ。そして日本の技術は優秀だから原発は事故が起きないというふうに思い込まされていた。ところが技術というと多岐にわたっている。確かに日本の技術が優秀だという時、全部が優秀なのではない、ある技術に対して優秀なのである。技術が優秀だという時あらゆる技術が優秀だと錯覚させられるのである。


日本はカメラの技術に対しては優秀だとか何か限定して優秀だと言うべきだったのである。原発の技術に関してはアメリカやフランスが優秀だったのである。確かに日本は原子力発電でもある部分については原子炉などを作る技術は優れていたみたいである。でも安全を計る技術はどうかとなると優れていたとはならない。鉄道は安全を計る技術も優れていたのである。

技術にしてもABCDEFGE・・・・・・とかあるときその全部に優秀な技術はもっていない、グローバル化するときある技術にはA国がある技術にはB国が優秀だとかなりそれらの技術を組み合わせて新しいものを開発して作っているのが現代である。
日本の技術が優秀だという時、原発全体についての技術が優秀だということはなかったのである。


ただ日本の技術は優秀だと奢っていたことが事故につながっていたのである。技術が優秀だから事故が起きないとか安全神話まで作りすりこまれてしまった。だから情報の伝え方というのにも問題があった。日本の技術が優秀だという時あらゆる分野について優秀だと錯覚しやすいのである。こうしてし情報を錯覚してすりこまれることが多い。

結局人間は車の運転でも俺は運転がうまいんだ、だから事故にはならないという時、事故が起きる。それは結局人間の奢りが滅びに通じているからだ。つまり人間は何であれ奢った時、非常に危険なものとなっているのだ。原発にかかわった人たちにはそうした奢りがあった。それを見ている人たちにも日本の技術は優秀なんだという思い込みがありすりこまれていて安全神話が成立した。


例えばカメラなどは一部分の技術については日本は明らかに優れている。カメラは一部分の技術である。原発は総合的な技術力が試される。そして危険なものであることはわかっていた。だかちこそ謙虚になるべきだったが無理にあとおしされて安全を計れなかった。「奢れるもの久しからず」奢ることは歴史でも滅びに通じている。
科学は万能ではない、人間も万能ではない、だから不測の事故も必ず起きるということを前提に対処すべきだった。事故が起きたら回復できないようなものは使うべきではなかったとなる。


人間の奢りほど怖いものはない、どんな技術でも完全なものはない、機械も必ず壊れるのである。機械が完全でないのは機械を作るのは操作するのは人間だからである。人間が完全でないから機械も完全ではないのだ。だから安全神話などこの世にありえないのである。それを最も危険な原発に安全神話を権力で作りすりこまされたのが大事故につながったのである。


自分は優秀だといってもついには認知症になり馬鹿になり死んでしまったことは今でも信じられないのだ。あれだけ優秀な人間が馬鹿になるということそれもやはり奢りがあったためである。人間はそれだけもろいものなのである。人間はどんなことしてもこれからもいくら科学が発達しても万能にはなりえない、かえって科学の発達で人類滅亡に瀕するのはまさに人間が神のように万能になりえないものだからである。

だからあらゆることに奢ることは自体が危険なことなのである。個々人でもその才能や美貌におごったりするものそうなのである。よく優秀な人は優秀でない人を馬鹿にするけどそれも危険なのである。人間は本当に何が優秀なのかわからないからである。そこには必ず神の罰が加えられているのだ。
神から罰せられるということは実際にあるし今回の事故もそうだったとも言える。

posted by 老鶯 at 17:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2013年11月29日

原発避難者の帰還をはばむものは? (川内村や都路村は辺鄙な村で帰りたくなくなった)

 

原発避難者の帰還をはばむものは?

(川内村や都路村は辺鄙な村で帰りたくなくなった)

citykaso11.jpg

NHKのクローズアップ現代で都路村が避難解除になるけど住民は帰らないという、その理由は何なのか?川内村でもそうだけどあの辺は相当に辺鄙な場所なのである。
川内村には行ったことないけど都路村はその地名の由来について書いたけど四方から道が通じて小さな盆地になっているような場所である。そこに350軒とか住んでいた。

都路村というと何か都というのをイメージするけど全然違ったものだった。
ただ名前だけ都路村であり華やかなのだけど実際の村は辺鄙な村であり家が集中してある場所は古道となっていた。あそこには何回か行ったけど大熊の方からかなり上ってゆく場であり郡山市からもかなり遠い場所である。買い物でも病院でも相当に不便な場所になる。なぜか都路村ということで浪江の高瀬川渓谷にゆくとこの山の向こう側が都路村だと意識したのである。でも都路村とはただ名前だけだったのである。


都路は山のかなたや久しくも訪ねゆかじも冬に入るかな


都路にはもう20年くらい行っていない、自転車でゆくとなると結構坂を上るから辛い場所である。あそこはただ名前故に覚えられる。人間は名前をまず意識する不思議があるのだ。電車の旅行でも駅名だけが記憶に残り地名に興味をもったのが自分だった。
最近読んだ中央公論の「壊死する地方都市」というなかに北海道の秘境だった雄冬のことが書いてあった。この名前も何か寒そうな感じて名前がいいのである。

ここはまず道路が通らず閉ざされた地域だった。だから海を舟で行き来していた。
日本には確かに山が多いから道を作ることは大変である。トンネルを作っても崩れてしまったとかトンネルを作る技術が日本で発達したというのもわかる。
日本という国は山か多いし坂や峠が多すぎるのだ。だから自転車旅行して歴史の紀行文を書いた人の本を読んでも日本は道を作るのが大変だった、だから海上交通の方が発達した。古代にはすでに日本海の秋田の方まで船で大和から進出している記録があるのもそのためである。その後も江戸時代にも北前船が活躍した。
また急な坂や峠が多いから車輪が発達しなかったというのもわかる。自転車の最大の難関は坂であり峠である。80キロもつづくような会津から栃木にぬける坂だってある。
だから自分は体力がないから坂では歩いていた。今は電動自転車でなんとか坂を越している。


雄冬では「小さい赤ん坊さ、熱出して、背中さおぶって山道越えて行って、赤ん坊がなかなくなったと思ったっけ背中で死んでたって、・・・

こんな話がのっている。辺鄙な所ではまずこうして死んだ人も多いだろう。それが道路ができて車社会になって助かるようになった。反面余計に過疎化したのは今度は車で遠くに行けるからそんな辺鄙な所を離れてゆく、便利なところに車で直結するから村はさびれてゆく、だからもう現代社会に日本には秘境はないというのは本当である。
この辺でも大原とか大葦などは秘境だったと書いたが今は幹線道路が福島市まで通っているからひっきりなしに車が通るからにぎやかな場所だとかえって思うのである。

結局原発事故や津浪で何か起こったのか?それはこうした辺鄙な限界集落のような所が壊滅的打撃を受けた。もともとこうした場所は生活自体が限界に達していた。便利なもきを求める現代では医者もいないし買い物も不便だとか不満が大きかったのである。
だから郡山市で買い物している女性がいたけど着るものを選んで楽しそうにしていた。
川内村でも郡山市に住んだら便利だから川内村に帰りたくなったというのもわかる。
そこに住んでいる外部の人もみん多額の補償金で働きもしない遊んで暮らしているからこんなところに棲むのは嫌になったと出て行った。

実際に大家族の人がいた。孫が三人とか7人くらいいたとしたら一人十万もらうと70万も一カ月もらう、都路村でそんな収入などありえようがないのだ。補償金をもらって便利の所で暮らしたいとなってしまう。生活するにももともと医者もいないような辺鄙な限界集落に近いのである。椎茸も作れないとかなると余計にそうである。売っても現金収入にもならない、そういうことはこの辺でも事情は違うが起きている。
南相馬市の小高区の八人家族の人が一人十万以上補償金をもらっている。その老人は毎日マグロのサシミを食べいると言っていた。金銭的にはほくほくだし便利な郡山で生活も楽だとなると帰りたくない、帰る理由もなくなる。

こういうことはここだけではない、津浪被害にあった辺鄙な零細な漁村にも起きていた。もうそこは跡継ぎもいない老人しかない漁村でありそれで特に岩手県の津浪の被害地で
官僚がそんなジジババしかいない所に金をつぎこんでもむだだという本音を言って批判された。このように津浪や原発事故はこうした限界集落的な所を壊滅させたのはその前からそういう状態にもあったのである。津浪や原発事故が致命傷にしたともなる。


南相馬市の原町区の大原のことを何回か書いたけどここもなぜか廃屋が目立つ、三軒は見たが最近また増えた。知り合った人は息子は市街で働いていて家には住んでいないでその人は猫と一緒に住んで猫のことを心配していたのである。息子は農業を継がない、大原は原町市街から一番離れた地域でも市街に車で行けるから都路村や大内村よりもいい、でも市街の方に住居を移す人はふえる。今は放射線量がそこは高いので老人しか住んでいない、鹿島にも大原の人が仮設に住んでいる。

津浪や原発事故はもともと過疎化した地域に最後の一撃を与えた。だから今回はもうそうした村々を人々は去り村は消失してしまう危機になっている。ここでは小高などは別にそうした過疎地域ではない、でも南相馬市でも山側の大原などはそういう地域だったのである。それは川内村や都路村とにていたのである。
posted by 老鶯 at 20:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2013年12月05日

震災死者数の関連死の数字 (原発事故避難地域はやはり多かった)

 

震災死者数の関連死の数字

(原発事故避難地域はやはり多かった)

KANNRENNSHI1.jpg

現代は数字社会である。あらゆるものが数字で現され数字で物事も決められる。数字で統計でも株価が予測されたりする。現代は常に数字に追われる時代なのである。
民主主義でも選挙で左右されるから一票としての数が問題になる。
あらゆるものが数字として判断される。
アメリカの失業率とかもそうであり実際は表に現れない数字があるから本当に失業率が判定できないと言う人もいる。
統計には必ず表に現れないものがありそこに数字の詐欺が起きてくる。

放射能なんか数字でしかわからないからこれも数字に追われている。
放射能は本当に数字でしかわからないから数字で感じるほかないのだから嫌になる。
極端な数学の世界なのである。数字とか数学が苦手だから何かなじめない、
でも毎日数字を見比べているのがこの辺の現実なのである。


今日の福島民報にでていたのが震災関連のことでありこれも数字だった。最近は新聞をとるのをやめたので見ていなかったが特集していたので買った。
この表で注目したのが震災の関連死だった。



南相馬市で525人が津浪で死に437人が関連死している。111人が死亡届けだしているがこれは行方不明なのだろう。
名前が届けていても死体がでてこない、南相馬市か一番多いのはどうしてなのかとも思う。
こんなに関連死が多く行方不明者がいたのか?
地域的には鹿島区の海老村とか烏崎村とか原町区の萱浜でも死者が多かった。
しかし不思議なのは相馬市は関連死が25人で死亡届が19人で少ない。
これはやはり原発事故の避難に際して死んだものなのだろうか?
相馬市と新地とかは避難命令は出ていないからだ。

知人に聞いた話では親戚で関連死した人があった。
関連死は病人や介護されている高齢者などが多かった。
自分も母親を介護しているから避難したら確実に死んでいた。
もう動けないし気力もなくなっていた。
家にいたことで死なずにすんだのである。
介護している人は大熊辺りでも最後まで残っていたことでもわかる。
ここで死にたいんだといっていたのである。



このことは数字を見れば歴然としている。楢葉町で震災で津浪で死んだ人は11人でも90人が関連死であり
富岡町でも11人しか津浪の被害はなく203人が関連死だった。
浪江でも149人死んでも306人が関連死だった。
いわき市はなぜ関連死が多いのかわからない、ここは避難区域ではなかったからだ。

ただ仮設などに入って高齢者が弱り死んだことも考えられる。
この数字ではっきりしていることは原発避難区域は関連死が多いのである。




双葉町か大熊では病院に置き去りにされたとか問題になった。実際はそうではなかった。東京電力福島第1原発事故からの避難中に双葉病院(福島県大熊町)の患者ら50人が死亡した問題で、同病院の入所者ら4人の遺族が10日、東京電力を相手取り、計約1億3千万円の損害賠償を求める訴えを東京地裁に起こした。


 東京電力福島第一原発事故に伴う避難で体調を崩して亡くなったとして、大熊町の双葉病院の男性患者=当時(62)=の遺族が東電を相手取り損害賠償を求めた訴訟の弁論準備手続きは22日、東京地裁で行われた。原告側は、男性患者が避難後に入院した病院の診断書などを提出した。

 次回は1月24日午前11時45分から開かれる。
 訴状によると、男性患者は平成23年3月16日に自衛隊に救助された。その後、避難先を転々として、翌月18日に福島市内の病院で死亡したとしている。
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2013/11/post_8655.html
(2013/11/23 11:26カテゴリー:原発事故関連死)


原発事故関連死 いわきの震災関連死 認定訴訟 市側、争う姿勢 「避難と自殺 関連性ない」 福島地裁

女性と夫は震災後の一昨年3月15日、いわき市から郡山市に避難した。しかし、夫は断水や余震などで精神的に不安定になり、うつ病が悪化し、昨年5月に自殺した。女性はいわき市に震災関連死の認定申請をしたが、同年9月に不認定とされた。
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2013/09/post_8175.html




関連死はいろいろあり原発事故のための避難でストレスで病気を進行させたということはある。そういう話を二人ほど避難者から聞いたから結構この数字はオーバーではないだろう。死期を早めたことは確かである。ただ双葉病院の場合、問題は複雑であり病院にすべて落ち度があるとはならない。


避難指示がだされた地域は関連死が多かった。それは南相馬市でも30キロ内の原町区、小高区がそうだった。小高区は避難命令でありいち早く避難して鹿島の体育館にも避難した人がいた。浪江から相馬市にも避難する人もいた。まず近くに避難したのである。
だから線量の高い津島や飯館村に避難してかかって被爆したのである。

この時国からの指示は東電からの指示は何もなく浪江では町で独自に判断して津島の線量の高いところに避難したのである。
一応スピーディで放射線の分布は計られていたしそれは正確だった。でもそれが知らされることもなかった。
政府と東電は全く事故が起きない「安全神話」を作っていたのだから事故対策はしていなかったのである。


おそらく政府も東電も戦争の時と同じように皇国神話、日本は神の国だから負けないという宗教のような信念におちいっていた。それはオームであれ創価であれカルト宗教が拝んでいればすべてがかなうという神話になっていた。オームを批判するが国も東電もオームになっていたことの驚きである。宗教なら科学的でないと批判されたりするが科学者も何か安全神話を作る大きな力となっていた。御用学者がそうである。
安全だ安全だと外に向かって宗教のように唱えている時安全になると思っていたのかもしれない、それは題目を毎日必死に唱えていると同じだった。
それは戦争に勝つ勝つ絶対に負けないと叫んでいたのと同じだった。
そこに疑問をさしはさむことはマスコミも誰も許されなかった。
だから原発に疑問を安全でないと言うことはタブー化していたのである。
そのタブー化が大きな事故に災厄につながった。


地元の人もまた安全神話の先兵と化していた。なぜならその利益によって町の財政が成り立つとなると反対派は口を封じられる。今でこそ反対しているが本当に地元ではこの辺では原発に反対すると危険な状態に陥っていたかもしれない、みんな金になる、利益になるというとき、それに反対すれば村八分にされて住んでいられなくなったろう。
それほどの圧力がこの辺にはあったのである。
今でもなぜ東電や政府にもっと抗議しないのかというとき東電には世話になったとかそういう人が多いからそうなる。現実にそうだったのである。
人間なんであれ飯を食わせてもらうところが一番大事でありそこに命さえかけるだろう。だから今は会社がそういう場所だから会社のために命もささげる。企業戦士という言葉が生れたのもそのためである。


ともかく避難の過程でどういうふうに死んで行ったかは個々に違っているからわからない、ただ数字が如実に語るということはある。
この辺の火力発電所で事故後に5000人働いていたということには驚いた。
5000人かとなるとその数は凄いものだと思った。
その五〇〇〇人かがいなくなったらやはり影響が大きいから仮設の食堂にも人が来なくなったというのもわかる。瓦礫の処理でもその数は膨大なものだったことがわかる。


いつれにしろ人間個々人が接する数は少ないからこうして大きな数が出てくると驚く、でも実際に関連死でもその場にたちあった人は少ない、だからただ数だけから判断する。
そこにリアル性が現実感が欠けてくるのである。
戦争で三百万人死んだと言ってもそれが何なのだとなる。実際にそれをリアルに感じるには写真ででていたニューギアで掘り出された日本人兵士の骸骨の山でもふれれば怖いように感じるだろう。数字だけからは怖さを感じない、無機的なものとなる。
文明は数字によって何か人間的なものか剥奪されている。それがナチスのガス室の大量殺戮だったと言われる。誇張にしても数字だけからは何か人間の真実は把握できないのである。だから現代は常に数字に追われ数字にだまされるということが日常的に起きているのだ。人間社会は数字ですべて把握できないものがある。血の通った人間は数字では現せないのである。数字化すると人間は無機質になり非人間化する。


そして数字は今や必ず権力と数字の圧力で社会が動く、創価が八〇〇万票だとか幸福の科学がいくらの会員だとかすべ数字で判断される。実際活動している人はもしかしたら一〇万人にもみたない、でも数で判断されるのである。
ただ関連死はこの地に大きな怨念として残る。故郷を失ったものたちの嘆きが残る。
その中には人間だけでない無残な動物の家畜の餓死死とか豚の共食いとか地獄が本当にあったのだ。それもまた政府や東電の罪だったから罪深いとなるが幹部も一向に責任をとらない、誰一人として責任をとるものはいない、ただ怨念かがこの地に残ってしまったのである。

posted by 老鶯 at 21:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2013年12月07日

信長の桶狭間の勝利の原因は-戦争の勝利には共通のものがある (地の利、天の時、人の和が作用した-原発事故にも作用した)


信長の桶狭間の勝利の原因は-戦争の勝利には共通のものがある


(地の利、天の時、人の和が作用した-原発事故にも作用した)

nobunagagunnn111.jpg


●勝利の主な要因(地の利が働いた)


信長は隅々まで知り得ている地の利を生かして合理的に決戦場を選択し、
機動力を生かして攪乱戦闘に持ちもむという
これまた合理的な戦いを推し進めたが故の勝利だったようです。

事前の情報収集には万全を期していた。「武功夜話」によれば、信長は細作飛人、すなわちスパイというか情報工作要員を五十人も沓掛城周辺にばらまいていたということだ。蜂須賀小六や前野将右衛門といった川並衆たちがこれである
http://homepage1.nifty.com/rekisi-iv/nobunaga/okahazamasuiri.htm

川並衆が歴史の表舞台に登場してくるのは、木下藤吉郎が信長の命で、東美濃調略に着手した頃からである 。永禄七年(1564)藤吉郎は川並衆に対して信長に従属することを説き、東美濃調略に協力してくれることを依頼した。こうして、蜂須賀小六は秀吉の手に属し、かれは美濃の郷士に知り合いも多く、藤吉郎の活動を大いに援けた
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/tubouti.html

豪雨が織田方から今川方に向かって吹きつけたことは、「信長公記」の記載のとおりである。織田の兵士たちは、皆、”熱田神宮の神戦(かみいくさ)か”と言って非常に勇気付けられたという。
、急な集中暴風雨さえなければ、駿河勢は信長の突撃などは軽く一蹴することができたとも思われます。

ここが詳しい
http://kagiya.rakurakuhp.net/i_206033.htm

『孫子・地形篇』には「隘なる形には、我まずこれに居らば必ずこれを盈(み)たしてもって敵を待つ。もし敵まずこれに居り、盈つればすなわち従うことなかれ、盈たざればすなわちこれに従え」


信長が桶狭間で勝利したのはいろいろ分析されている。自分は詳しく調べていない、でも歴史は地理だということを書いてきた。地理がわかれば日本史でも世界史でもわかると書いてきた。だから勝利の一つの大きな要因が地の利だった。
ただ桶狭間ではその地の利を利用したのが敵側だったとも言われる。それは単純な構図ではなかった。今川軍は見晴らしのいい山の上に布陣していた。だから信長が地の利を知って奇襲して勝ったというものでもない。ただ明かに戦いの帰趨は地の利が優位に働いた方に味方した。それから雨がふったというのも事実でもあり雷雨でありこれまでの常識ではそうした雷雨には戦いをしないとなっていた。だから今川軍は油断していた。

地の利と天の時、天候が左右して信長軍に有利に働いたことは確かである。
それと人の和もそうである。信長軍はすでに兵農分離して専門の軍隊を編成した小部隊でも機動力があった。国人組織の今までの戦国大名とは違っていた。つまり人の和の新しい軍隊組織になっていた。
この軍隊組織は明治維新の時にもあった。近代的軍隊組織がこれまでの徳川政権の旧態なものと違って機動力があり徳川軍にはなかった。戦国時代も明治維新という大変革時代とにていた。侍組織か西南戦争で国民軍に負けたことでもわかる。
明治維新はそもそも藩主体の人の和から国民の和に変換したのだから大変換だったのである。
人の和というのは人がどういうふうに結合するかということにもあった。
たから常に地の利、天の時、人の和は変わらない原理なのである。

●技術もその国の地の利が関係していた


技術というのも国の地理とか風土とかか関係ないもの、科学技術はそう見える。例えば数学などは科学でも1+1=2であり世界中どこでもその原理は変わらない、化学式でもそうである。だから科学は普遍的なものになりやすい、それでも科学技術はその国の地理と風土に関係していた。風車が発明されたのは中東である。それは砂漠のようなところでは風が吹きやすいからそうなる。山などにさえきられないからそうなる。
日本ではトンネルの技術が発達したのもわかる。いたるところ山だからである。その必要性から発明が必要の母だから技術も生れる。
前にも買ったヤマハの電動自転車は急な坂でも上ることに驚いた。これは世界ではなかなかないものかもしれない、それも日本では坂が多いから坂に強いものが望まれるからその技術も発達する。自転車は平坦な土地が多いヨーロパで発達したというのもわかる。
オランダなどは坂がないのである。

その国と風土が作られるのはその地勢とか地理とか風土が密接に関係している。だからその国にあったその国でとれるものを食べていた方が体にはいいわけである。
日本は魚介類中心だからその方がなるべく良かった。欧米人の不思議は肉を消化する酵素が特別に出るということ自体不思議である。日本人は腸が長いという時、穀物類の消化には牛のようにはいいとなっている。体もその土地と密接に関係して作られてきたのである。だからその土地や風土と地理と離れて人もありえないのである。
だから歴史をみるとモンゴルが船で攻めてきて勝ったのも海が防衛線となり台風が来てモンゴルの船が沈んだとかが原因で勝った。それは日本が神の国だからではない、そういう地理的条件と天候に左右されるものだったのである。

東北が辺境として長くありつづけたのも地の利である。伊達政宗が活躍したのは地の利にあったし宮城県の仙台が東北の中心になっているのもそうである。会津が中心になりえないのはそれは戦国時代からそうでありどうしても地の利が悪いからである。常に地の利に影響されるのが人間社会なのである。

●原発事故も地の利、天の時、人の和が影響した
http://musubu2.sblo.jp/article/54567694.html

ここに書いたけど信長の勝利も地の利が天の時も働いた。なぜなら雨がふり天候が信長に味方したからだ。ただ周到に計画して合理的計算で勝ったと言ってももやはり地の利とか天候はどう左右するか決戦の場でしかわからない、ただそこには勝利の方程式のようなものがあった。


●地の利
●油断
●指導者の優劣


これらが影響するのは戦争ではどこでも同じようになる。地の利がないと勝算がなかなかたてられない゛今川軍はいくら大軍でも後方支援として食料とか運ぶために多大の労力が必要となる。今川軍が大軍になったのはそのためである。戦争にはいろいろな要素が働いている。だからどうして勝ち負けたのかということはなかなか簡単には判別しにくい。
だから運であり神が味方したとかまでなる。

今川義元は別に愚将でもなかった。ただ旧弊な時代の子であり信長軍は明治維新のように近代化した軍隊組織だったとか進んでいた。それはただ運というだけではない、運があったにしても運を呼び込むものがないと勝てない、だから雨が降ったから勝った、すべてが偶然だったとはならない、奇跡でも何もしないと起こらない、棚からぼた餅みたいには起こらない、信長軍は周到に準備して備えていたからこそ地の利と天候も味方して勝ったとなる。何か奇跡のうよなことが起こるのは日頃血のにじみでるような努力を重ねていれば起こる。何もしないでいたら何も起こらない、最初から何もしなければ何も起こらないのである。

指導者の優劣でも評定をと桶狭間の前で家来が騒いでも評定をいくらしても勝てない、なぜならそんな危急の場合、多数決で大事を決められるのか?つまり誰かに決断をゆだねる方が勝つことがある。もちろん負けることがある。でも評定を議論をいくらしたって埒があかないのである。そういうことが津浪や原発事故の処理で市長町に起きた。

いろいろなことを議論しても何もできない、南相馬市町は義援金など金があってもいまだに分配もされないし使っていないとか批判される。無能な市長だから代えるべきだと騒いでいる。それは相馬市町でもそうである。誰かが決断してやらない限り何もできない、進まないのである。でもその決断して実行するのを決めるのも選挙だからまた同じ結果になるかせしれない、選挙とは桶狭間の評定であり誰を大将にするかともめていたらいつまでたっても決断できず滅亡してしまうのである。

東北電視力は地の利があった。津浪の恐ろしさを考慮していた。それも指揮官の副社長が10メートルではたりないと15メートルにして辛うじて助かったのである。
原発は戦争と同じだと言っていた人がいた。確かに地の利を理解して天の時もしる。
天の時とは天候や自然現象であり津浪もその中に入っていた。人の和とはやはり一致結束される力が必要だった。ただ原発を戦争に値するなどと考えた人はいないだろう。
原発の技術をになう人は細分化されているからそんなことを考えない、ここのボルトをしめればいい、ここの部品を作ればいいという考えしかない、地の利とか総合的戦略的に考える人はいなかった。

アメリカはやはり戦争を常時している国だからこうした巨大技術の管理には向いていた。なぜならアメリカの方が地震とかを警戒していた。だからほとんどの原発は地震の少ない東側に作っていたのである。それから原発内の安全管理も日本より厳重だった。
原発事故は日本の第二の敗戦だというときまさに一部分のことではなく原発が総合的様々な要因で事故が起きたからである。
アメリカの戦争に負けたのもアメリカをあまく見たとか油断があり指揮系統の乱れがあり人の和が乱れ地の利も不利に働いた。海を制せられて逆に窮地に陥った。それは信長の桶狭間と同じである。かえってアメリカの方が海を味方にしたのである。
指揮も実際はアメリカの方が高く日本は上官と下士官が分裂していたとか実際は人の和も強くなかったのである。だから戦争とかそれに類する総合的な戦いでは技術だけでは勝てない、総合的戦略が必要になる。それが日本では苦手だったのである。

 
 
posted by 老鶯 at 21:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2013年12月13日

アメリカのGEの設計でフクシマ原発は津波対策をしなかった (土盛りを一旦高くしたのを削り低くしたのはアメリカの指示だった)


アメリカのGEの設計でフクシマ原発は津波対策をしなかった


(土盛りを一旦高くしたのを削り低くしたのはアメリカの指示だった)

atomicbomb1111.jpg


小沢も自民党の原発推進者でありそれが民主党にもちこまれた。
渡辺恒三もそうだった。つまり自民党から原発推進者が民主党に入り
同じ政策になったのである。


当時第五福竜丸の被爆などで高まりつつあった反米、反原子力の世論の懐柔に奔走した。こうして正力は初代の原子力委員会委員長、同じく初代の科学技術庁長官の座を手にし、権力の階段を着実に登り始めたかに見えた。
爆心から160キロメートル付近を航行していたマグロ漁船「第五福竜丸」に、水爆がまき散らした“死の灰”が降り注ぎます。乗組員23人全員が被ばく。無線長の久保山愛吉さんは半年後の9月23日に死亡しました。
初代原子力委員長に就任した正力松太郎氏は56年1月4日、「5年後に原発建設、米国と動力協定の締結」構想を発表しました。14日には米原子力委員会のストローズ委員長が「正力構想」に対する異例の「歓迎」声明を出しました。56年末には原子力協定見直し作業が始まります。
 これに抗議して原子力委員を辞任したのが、日本人初のノーベル賞受賞者の物理学者・湯川秀樹氏でした。湯川氏は辞任直前、こう訴えました。「動力協定や動力炉導入に関して何等かの決断をするということは、わが国の原子力開発の将来に対して長期に亘って重大な影響を及ぼすに違いないのであるから、慎重な上にも慎重でなければならない」(『原子力委員会月報』57年1月号)
米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版=3月15日付)によれば、福島第1原発など日本に9基ある「マーク1」型について、米原子力委員会は72年、原子炉の格納容器が小さいことを問題視。水素がたまって爆発した場合、格納容器が損傷しやすいとして「使用を停止すべきだ」と指摘していたのです。

 この警告どおり、福島第1で1号機の格納容器が損傷しました。
http://www.jcp.or.jp/akahata/html/senden/2011_genpatsu/index.html



ビキニの核実験は当時ではビッグニュースであり原子力の恐怖を植えつけた事件だった。それで共産党員だった親戚の人がそのことをよく言っていた。自分は共産党ととはかかわらなかった。富岡に住んでそこで死んだから富岡というと原発事故の警戒区域になったからあの世でどう思っているのか?
共産党は別に原発に反対ではなかった。ただ安全を計ることを要求していた。
それに政府と東電は答えなかった。

やはり政治家の発言ではない、湯川秀樹博士の発言は今になると重いものとなっていた。原子力について原子核の研究の専門家なのだから一家言をもつのは当然だった。
政治家は原子力については自分と同じレベルの素人でありその危険性を知らなかったのである。何でもそうだけど人間にとって知らないということがいかに致命的になるか?

それは津波でも思いしらされた。あんな危険な海岸に接して住んでいたのかということが問われた。400年津波が来なかったのだから何の危機感もなくなっていた。
スマトラであれだけの大きな津波が起きた時、日本では津波の被害あった地域でも津波を知らないからだ、避難誘導しなかったからだとか盛んに言われた。
その津波の国、日本でも津波に対する危機感が不足していたのである。

湯川秀樹博士は原子力の核の危険性を知っているからもっと慎重であるべきだというのは科学者の良心がそう言わせたのである。それだけ知っているからこそそう言うことができた。正力であれ中曽根であれ田中であれ小沢であれ政治家は自分もそうだけど原発の危険性を知らないのである。放射能のことだって知らない、人間は何か知っているものと知らないものの差が大きいのである。無知であることが重大な事故にもつながる。
病気でも病気について知らないことが手遅れになったり死につながる。
原発については素人には知り得ないものだからこそ科学者も重要な責任が生れていたのである。湯川秀樹博士はまだまだ原子力については知らないと知っているからこそまたわかっていないもの、危険なものと警告していた。


結局何が過ちの原因かというと政治的圧力で急ぎすぎたということがある。そして一番の自分の疑問は



なぜ一度高くして土盛りして原発を建てたのにわざわざけずりとって低くしたのか?


これはアメリカが設計したからその設計図を基にして低くした方が経費の節約になると
指示されて低くした



ここにアメリカがかかわりその設計して指示していた。するとアメリカの責任も大きいとなる。マーク1というのは危険なものだということもアメリカの技術者によって指摘されていた。それをあえて使用した結果、事故が起きた。
これも日本がアメリカの敗戦国となった結果、アメリカの指導に従うということになり逆らえない国になっていたためである。アメリカの圧力の下に日本の政治も誘導されていた。ただ日本が敗戦国でもすべてがアメリカの言う通りになることが政治とはならない。
それなりに拒否はできたが積極的にアメリカの下に原発推進になった。


アメリカとの因縁は江戸時代の開国の時の黒船に始まっていた。その時クジラの油をとるために港を使わせることを要求していた。


19世紀前半、アメリカは世界最大の捕鯨国でした。当時、灯油として使用するための鯨油の人気が高く、鯨の需要が増加しました。その他にも鯨油は用途が広く、石鹸、ローソク、潤滑油などにも使われるほか、当時流行った女性のフープスカートを膨らます輪(フープ)に鯨のひげが向いているとされ、大量の捕鯨が続いていました。大西洋では乱獲のため鯨の数が激減したため、アメリカは北太平洋に進出してきました。そして、日本近海で操業するアメリカの捕鯨船乗組員の安全確保、食料や燃料の補給地を日本に求めたのです。


これもエネルギー問題でもあった。アメリカの圧力で日本は鎖国から開国に向かって行った。ただこの時やはり無理をした。その弊害は太平洋戦争まで継続していた。富国強兵一辺倒となり日清戦争や日露戦争がありこれは勝ったようでも日本にそんなに利はなかった。日本はロシアとかアメリカとかヨーロパに伍するために相当無理をしたのである。
身の程知らずということがあった。日本というのは今でも中国とかロシアとかアメリカとか大国に囲まれてそういう地政的位置にあるのば変わりないのである。


今回の原発事故もそうしたアメリカの圧力の延長上に起きた事故ともいえる。だから第二の敗戦とも言われる。日本独自の道を進まずアメリカに踊らされているということがある。それが原発の設計図がアメリカが作っていた。その設計図、シナリオはアメリカが描いていた。日本ではその通りに原発を作った。
だからわざわざ土盛りして高くしたのに低くしろと命じたのはアメリカだったともなる。アメリカでは津波のことなど想定していない、コストの面でそう指示したのである。
そしたらアメリカの責任も大きいとなる。ただそうしたアメリカの責任は問われない、
日本は以前として敗戦国でありこれは第二の敗戦というとき、第二のヒロシマ、ナガサキともにている。


それからなぜ地元では原発推進になったのか、なぜ反対されないのかとか聞かれた。
それは非常に狭い範囲で決められていたのが原発だった。
小高に東北電力の原発はすでに建てられることが決まっていて工事も始められるところだった。でも合併前だから原町市はかかわることができない、もし投票で決めるとかなれば原町市は人口が5万だからその影響は大きい。合併していれば南相馬市として決めるからそうなっていたのである。そうなるとなかなか原発に反対する人もでてくるから簡単には決められなかっただろう。

原発は漁業権者とか地権者とかそんな狭い範囲で決められるものではなかった。

ただ狭い範囲だとどうしても利権になるから反対することができなくなる。
この辺では原発で働く人も多かった。親戚の人もそうだった。そして安全だと常に圧力をかけられるから反対はできない、今でこそ反対しているかが狭い町だったら村八分にされるだろう。今でなかなか漁業権のことなどで表立って批判していない、身近に漁師でもいるからである。

でも原発は原発周辺の狭い地域だけではない、福島県全体の問題でもありさらに広域的なグローバルな問題としてもあった。核戦争で人類は滅びるとか言われたが原発でも滅びるという怖いものだったのである。だからグローバルな問題として日本がヒロシマ、ナガサキで平和訴えたようにフクシマは原発事故の被害者だからそういう使命を党派を越えて担ったということはいえる。だから嫌な面もあったが今回のインタビューにそういう義務感から答えた。
自分が思っていた趣旨と通じるものが福島大学の調査にはあったからである。

fukushimaaauniii122.jpg

fukuuni1.jpg

posted by 老鶯 at 22:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2013年12月16日

人生でも必ずツケを払わされる (原発事故も過去のツケを払わされている)

 

人生でも必ずツケを払わされる

(原発事故も過去のツケを払わされている)

つくづく人間はいつかは必ずツケを払わされる。そのツケとは個々に違うがツケとはむずかしく言えば人間の豪(カルマ)とか因果応報のことである。因果はめぐるとかなる。
親の因果が子に報いということもある。
生活保護などは一見楽でいいものだと現代では見られている。生活保護者は恵まれているとか批判される。それだけ現代が新しい貧乏の時代だからそうなった。
でも生活保護は実際はいろんな権利を失う。
例えば何らかで遺産がおりてもそれが一億とかならないとなかなか相続しにくいだろう。なぜなら生活保護は一生受ければ一億くらいになる。
だから一千万でもおりたとしても生活するのには5年くらいでたりなくなる。
だからかえって計算すると損になる。

そしてもしそれをわからないようにもらうとしても見つかったらそれまでもらった分を返還させられるしまた必ずそういうことは届けなければならないし遺産相続の裁判になったらその額がたとえ少なくても百万でも一時的に生活保護は停止になるのである。
だからすでに遺産相続の権利を失うとういこともある。
一億くらいもらえば別だけど計算すると損になる。
まあ、そんな遺産の目当てがないかち生活保護になっているのだけどそういう権利も失っているということに気付かない人もいる。
すでに10年以上も生活保護になっているのだからそういうことを知っていると思ったら知らないのである。だからなんらかあとで必ずツケが払わされる。


見栄から多額の借金した人も今になるとそのツケが払わされる。借金は具体的だからわかりふすい、借金は必ず返すことが要求されるという。例え借りた人に返さなくても他から厳しく取り立てられるというのも現実であった。借金した人はツケがますますふくらむことがある。借金に借金を重ねて首か回らなくなる。そして最後は破綻してしまうことになる。
これは健康でもそうなのだ。必ず酒であれタバコであれ何か健康に悪いことを重ねると60代以降必ず病気になる。60代で病気になるのはたいがい生活習慣病である。すべてではないにしろ確率的にはそうなる人が多い。何か健康に悪い習慣が積もり積もって体に蓄積されて病気になる。酒を多く飲み続ければ必ず肝臓など臓器が弱ってくるのである。
だから60代以降にそのツケが払わされるのである。


そういうツケがカルマが払わされるのが人生である。一見これは楽だなと思って生活しているとそれが後年に辛い人生が回ってくる。今は苦しいと思っていても耐えていると後で楽になったりする。だから今か苦しいからと絶望するのはまた性急なものとなる。
苦しみもそんなに長くはつづかない、ただ5年くらいつづくことはある。
そういう凶運は誰でも経験する。自分もちょうどプログをはじめてから家族が認知症になりその介護で苦しんだ。どうしてそんな病気になったのか?
これもその人の性格もあるがやはり何らかその人の業(カルマ)があってそのツケを払わされたかのかもしれない、公務員だったことと性格的に奢りがあった。ただ功罪がありいちがいにはいえない。公務員は今はうらやましがられているが認知症になる率が高いとするとそれも生活習慣病が原因になっているからである。公務員か恵まれている楽だというときそれがかえって後年悪いものとなっているともなる。


そして原発事故などもそうだった。原発かできるまでの経過をふりかかえればまずよく原子力のことを知らないで調べないで急いで導入したことである。そのことを湯川秀樹博士はその危険性を知っていたからもっと体制を整えて安全を計るようにしてやるべきだと忠告していたのである。でも政治家は急いでマーク1とかの古い原子炉を導入した。
そしてアメリカのいいなりになり一旦高くしていた土盛りを低くして原発を作った。
それは日本主導ではなくアメリカ主導になったのは結果的には急いだためなのである。
その後の原発はフクシマの第二原発は日本の技術も加えられてアメリカ一辺倒ではなかった。東北電力の女川原発も津波に備えて高くして助かった。

一番最初の原発が津波で破壊された。その原因は急ぎすぎたということである。

人間が急ぎすぎる、余裕がないということから常に事故や何か災いをまねくのが多すぎるのだ。待てないということから災いが起きてくるのである。
そしてそのツケが払わされる。必ずツケは払わされるのだ。
初期不良というのが必ずあり半年くちいすぎて新製品を買った方がいいというのは実際に使ってみたら不具合があったとか改良されるからである。
技術が熟成されないままに原発が導入されたことが事故の原因になっていたのである。
ただそうなるのは競争社会では新製品は一カ月手も早く出した方が売れるし他者に勝つということはある。でも原発は安全性が第一でありリスクが大きいのだから同じレベルでは考えるべきものではなかった。国家的事業であり失敗すれば国家がつぶれるというくらいの覚悟が必要だったのである。


「あかわてる乞食はもらいが少ない」とか最近いろいろ諺になるものがいかに人間の真理であるから思い知らされた。この諺というのは庶民が残したにしろ長い人間の歴史のなかで普遍的なものをもっているから現代でも生きているのだ。
「あわてると大損する」というのは真理である。

 急いては事を仕損じる

Haste makes waste.(慌てる無駄ができる)
The more haste the less speed.(急げば急ぐほど速度は落ちる)

英語でも同じだから人間に関してはどこでも共通なものが真理として残されている。それは長年の経験の積み重ねで生まれた言葉だから
重みをもっている。

自分に借金してきた人もそんなにあわてる必要はなかったのだかどうしても金が欲しいということもありこちらが弱っているときそこをついて多額の借金を要求してきた。
それ以来その人を信じられなくなった。なぜこんなに多額の金をやったのかとあとで反省した。そしてその人には何かもう頼めないと思うようになった。
なぜならそんなに多額の金を百万と要求されて断れないとななると何も頼めない、十万くらいならいいが百万を軽く要求されることは怖いことである。
これもあわてる乞食はもらいが少ないとういことなのだ。
もっとあわてないて金も要求しなければもっともらいたいかもしれないからだ。
ただ金に追われている人間はたいがいあわてる。一気に返そうとしたり何か一気に解決したくなるかちらかえってそういう人は借金を返せないというのもわかる。
しかし人間は余裕がないとしわてるし急ぐからかえって失敗する。


確かに技術競争は激しいから一刻一秒を争う社会でもある。でもそこに大きな落とし穴が待っていたのである。江戸時代のような農業中心の社会だと林業でもそうだが木か育つまで50年かかるとするとこれは相当に気が長い生活をしないとやっていけない。
一代てはすてに成り立たない職業になる。今は時間感覚が十倍速くらいになっている。
そういう時間感覚からどうしても大きな事故が起き安くなる。
それが致命的にな事故になったのが原発事故だったのである。
原発にはあまりコスト意識をもつべきではなかった。
ただそれがアメリカの指示だったとするとアメリカの責任も重いが追求されないなのだ。ただツケはカルマはアメリカにもいつか回ってくる。それは百年後か二百年後かはわからない、ヒロシマやナガサキはすでに大きなツケであり今回のフクシマの原発事故もそうだった。アメリカによって蹂躙された二度目の敗戦だったというのもそのためである。

posted by 老鶯 at 06:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

南相馬市市長選挙候補-渡辺一成の政策の分析 (シルバータウン特区になることはいいこなのか?)


南相馬市市長選挙候補-渡辺一成の政策の分析

(シルバータウン特区になることはいいことなのか?)


citypolicy1.jpg

人口が減っているということか最大の問題だからそれを全面に出した。
7000人減って子供と若い人が主に減っているから痛手である。

その中で注目したものをとりあげた。

特区制度とは土地を自由に利用して制限を解いて新しいものを作り出してゆく、
それ以外にも特区制度は必要である。その特区が何になるのか
この辺はすでに今までの延長としてあるのではなく新たな志向が必要になっている

特区という時、「シルバータウン特区」も一つの現代的特区になる。
高齢化社会のモデルタウンを目指す、介護付き老人ホームの開設で首都圏の高齢者を呼ぶシルバータウン作りを推進する

そして一番自分が注目したのは


独居老人、高齢者所帯が共同で生活する仕組み作り


これだった。なぜなら自分が高齢化に向かっていて家族もなく身寄りもないから一番関心をもったのである。
現実に近くでも妻に死なれたとかいろいろな事情で一人暮らしが増えている。
今は大家族で住めない時代である。
家の中におじいちゃん、おばあちゃんとして住める人は少ない、そういう住環境ももてない人もいる。そして嫁と姑は一緒に暮らさないのが普通の感覚になっている。

この辺で原発事故やら津波で仮設に住んで家族がばらはらになったとき
かえって姑と離れて住めるからいいという人がいたことでもわかる。
すでに家族がばらばらになっているからそうなったのである。

妻をなくした人は大きな家に一人で住んでいる。そこにやはり一人暮らしの女性が出入りして家事など教えている。小さな畑で野菜も作っている。その人たちは夫婦でばないけど共同生活をしている。助け合って生活している。
一人暮らし独居老人が増えてくるとそうした友達的につきあい助け合うということもありうる。それを制度化するというのはいいことである。

ただこの政策を実行するにはいろいろなむずかしい問題が生れる。
施設という箱ものだけを作ってもうまくいかない、すでに老人だからきいってみんなうまく友達で協同するということはない。
あいつとだけは嫌だという人は自分にもある。そういう嫌なやつが老人にも多いとなると人間の問題はそんな簡単なものではない。


すでにそれはいろいろと予測される。決してバラ色ではなく幻滅の都市、高齢者だけの活気なのない都市ともなりうる。ただ高齢化社会のモデルとして特区構想はそれなりに時代にあっている。
ただシルバータウンを嫌う人もいるだろう。街全体が老人ばかりになると老人自体も嫌になるということもあるだろう。実際は子供や若い人が増えた方が社会にとってはいいのである。活気もでてくるし子供自体が未来なのだから未来は自ずとそういう所から生れやすい。高齢化社会の未来というと介護ばかりになったらそれは未来とは言えない。

ただ政策にはシルバータウンの構想を全面に出しているし現実この辺は若い人が流出して高齢化が他の都市より早く進む、だから当然そうした対策が早急に望まれる。
それが日本全体の問題だという時、すでに東京などでは施設がたりなくなり地方に介護してくれる施設を探して地方に金を落とすことをしている。

都会の高齢化はまたその数が多いからまかないきれなくなる。土地を確保するだけでも大変になるからだ。
それでもまた東京から老人ばかり送り込まれくるのはいいかとなると必ずしもならないだろう。他から呼ばなくても地元の老人だけでも増える、さらに老人ばかり増やしてどうなるんだとなる。その世話をする人は誰なんだとなる。
若い人が流出しているのだからここに若い人が介護のために来るのかとなるとそうはならないだろう。果たして老人ばかりの都市に若い人が来るだろうかとなる。


火力発電所を誘致することはいいことだろう。雇用する数が千人単位であり波及効果もある。今でも相馬地方には二つの火力発電所かある。それが雇用を支えている。

ここでもう一つ政策として高齢者を東京から呼ぶとかシルバータウンの構想もいいとして問題が若い人が流出しているのだから若い人は流入するような街作りも必要である。
かつて災害があったとき、必ずしも都市が衰退するとは限らなかったという。
日本も戦争に負けて破壊尽くされてもなぜ戦後急速に復興したのか?
あれだけ破壊されても明治維新以来まだ日本には発展する余力があったからだ。
まだまだ経済成長する力があった。だから高度成長は戦後に本格的に起こりみんな豊かになったのである。

現代は少子高齢化とか産業も衰退しているとかいろいろな下降トレンドでありだからこのうようて大災害でも打撃が大きく立ち直れないということも言われる。
ただ宮城県はもともと経済が上昇していたから回復すると予測されている。
福島県の打撃は原発事故で大きいから困難になる。


こうした変革期にはやはり新しい発想とか新しいものを作り出すにはかえっていいしやりやすいのである。そのためには内部だけではできない、外部からの若い人たちの流入が必要になる。災害のあとはそういう人たちが入り安いといこともある。
それで復興したという例もある。相馬藩の場合は飢饉の時越中などの移民が流入したことで立ち直ったことでもわかる。

とにかく今回のように災害地域は存亡の危機になっている。その時、どうでもいいやとか何もできないと補償金で遊んでいればいいや明日のことはわからないというのでは困る。そういう人こそ街から出て行ってほしいとなってしまうだろう。
何らかに復興であれ再建であれ寄与するよう努力する。
そうしないものはここではもう生きていけない、必要ないとして外に出て行ってくれとなるかもしれない、それから補償金で生きるからそんな努力をする必要もないと衰退した精神的に荒れた地域となってゆくかもしれない、そういう所は大阪などにある。
もうほとんどが生活保護とかなっている。
そういうところでは人心も荒廃してまともな人は住まなくなる。外に出て行ってしまうだろう。


ではお前は何ができるんだとなるとき、自分でもともかく南相馬市であれ相馬藩であれ復興のために参画する、未来のビジョンを描くだけでも参画ししてみる。
市長になったつもりで全体の街の構想をねる。
「相馬郷土史研究」ではそうした下地を基礎となる歴史を研究した。
その上にまた新しい構想もありうる。
ただそれが何なのか?自分としてはこれから参画してそのビジョンを示す、未来はやはり
まだ自然があり自然を活かすことである。それは食料だけではない、自分が詩とかにしたように自然は放射能に汚染されても美的景観は失われていないのだ。
だから以前として俳句とか短歌にしたように詩にしたようにそういう自然はある。
その自然の美とともに生きることに喜びを感じ励まされるのである。
だから八沢浦が美しい入江にもどった書いた時、ひんしゅくをかったがやはり美しいものがこんな悲惨ななかにも生れたとということを否定できなかったのである。


津波の跡地などもどう利用するかも問題になるだろう。ただここでは人が多く死んでいるのだから供養の場になっているから遺族の気持もあり簡単にはできない。
時間がもっとすぎればまた別だがまだまだ遺族の気持は津波の跡にありそこに娯楽施設などは作りにくいのである。

とにかく実行できないにしろ何か新しい街の構想を描くということはできる。それができればやはりそれだけでも参画したことになりそれが現実化してゆくための基盤ともなりうるのである。ただ現実問題として例えは双葉の人などを心地よく受け入れる体制を整えるといっても若い人ならいいか高齢化で老人ばかり働かない人ばかり流入すとただ重荷になるだけだということもある。いわき市ではそういうことで問題が起きた。
政策では要点をまとめたもきでもこれらの実行には相当な困難がある。
具体的にも必ずしも見えていない、一つの案の段階にすぎないのである。

posted by 老鶯 at 20:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2013年12月19日

食べ物を得る過程が見えない時代 (鶏を殺す場面を見たら食べられなくなるー電気も同じだった)


食べ物を得る過程が見えない時代

(鶏を殺す場面を見たら食べられなくなるー電気も同じだった)


●牛を殺すために飼っている矛盾

「牛も私たちの家族のようなものです」とか言って
どうせ死ぬんだし何で今から泣いてんのって思いました


だから余計不思議に思います。
農家だって嫌でも牛を売らないと食べていけないわけですが、
嫌なら最初からそんな仕事しなければいいと思います


外から見るとこういう感情を誰でももつだろうな、飯館村でも飯館牛で売り出していたけど10頭もの牛に名前をつけて家族なんだよ、だから避難しても仮設でその牛の名前を記憶していて呼んでいた、でもそんな家族のようになる牛を結局肉牛にするのだから何か矛盾している。ここでもそんなに牛に愛情をもったりするのなら牛など飼わない方がいいと言っていた。自分もそれを感じていた。

農家の人の暮らしは田舎に住んでいてもわからない、鶏をしめて殺すというけど首を切って血抜きするというものもそれを見ていたというからそういう場面を見たら鶏の肉など食べれなくなるだろう。現代はそうしてどうして豚肉であれ牛の肉であれ鶏の肉であれどうしてもたらされるのか実感できない、肉片としてあり実際は動物が血を流して苦しんでもたらされたものだとは実感できない、そこに現代の消費生活の落とし穴があるのだろう。汚いもの醜いもの残酷なものが隠されていて何でもきれいなものとして提供されている。

農家の暮らしなどに通じていればそういうことはない、農家は昔なら一つの自給自足の家であり何でも自家生産していた。味噌でも作っていた。そういう場所で育つと人間は明らかに生産するものと消費するものが一体化するから理屈ではなく具体的に実感として生きることとは何なのか、何をどうして食べて生きているのか理屈ではなく日々の生活で会得する。その人は農家の出だから農家的なものが身についているのだろう。ただ農家に嫁いだのではなくその後は農業などしていない、ただ鶏を殺し血抜きするのは今でも行われているのだ。


自分は最近はほとんど肉類を食べていない、牛肉はほとんど食べていない、肉類もほとんど食べていない、たまにレストランで食べるものがない時ハンパーグなと食べる、肉類もたまに食べる。何カ月も食べないことが多い、不安として運動すると年のせいもあるが筋肉の疲れがひどくなる。だから最近あまり激しい運動はしていない、筋肉を強化するのにはどうしてもタンパク質であり肉類を食べる必要もある。ただ一般的に年取ると肉類は減る。野菜が不足するのて野菜を食べたいと思う。ただ野菜料理はめんどうなのでこれもへっている。野菜は新鮮なものを食べるのがいい、やはりコンビニの弁当などは新鮮でないから食べない,新鮮であれば確かに体にいいのだ。魚でも野菜でもとれたてのがいいのだ。それで漁師でも農家の人は新鮮なものを食べられるからいいのである。


●仏教は動物を殺すことの禁止から始まった


いづれにしす肉食には動物を残酷に殺すということで抵抗を誰でも感じるものである。だからそこから宗教が生れたのである。インドでは牛を食べない、牛を今でも崇めている。牛が堂々と道を歩いている。猿も神の使いとして大事にされたりする。こういう国だから仏教が生れたのである。仏教はもともと動物でも殺傷を禁じることから生れたのである。草木も成仏するというとき明らかに万物に仏性かあるというとき、殺して食べるということが罪深いものとなってしまう。インドにベジタリアンが生れたのもわかる。
仏教の思想も実際はヒンズー教に由来しているから根は一つである。動物を殺すことに抵抗を感じていて殺すことに罪意識をもったのである。これは人間にとって自然な感情である。

法華経でも飢えた虎が子供の虎を食おうとしたとき自らの身を与えたことから発している。これは普通はそんなことまでするのかとなる。ただそれほどまでに動物を見ていて感じるものがあった。こういう思想が生れ実践されたのもインドだったのである。イントと中国はその国民性が違っている。中国は三国志など権力に執着する権謀術数の社会である。インドの成り立ちはヒンズー教でありこれは仏教の基になったのだからインド人と中国人は違うということでインド人に親近感を覚える日本人も多い。ただ現代は仏教という思想は廃れ現実社会は欲望と利己(エゴ)の追求するグローバル化社会となった。


仏教とは何なのだろうとなるときそれはすでに失われたものなである。檀家宗教で戒名商売しているようなものは仏教ではない、カルト宗教団体も本来の仏教とは何ら関係ない。仏教ももともと崇高なものであり経済的欲望を満たすようなものではなかった。
宗教はただ現世の欲望を満たすためのものだけになっているのはすでに死んでいるということである。現代の宗教はあらゆる人間の欲望を満たす科学なのである。
科学に誰も敬服してやまないのは人間の欲望を否定しないからでてある。あらゆる欲望がかなえられるものとして科学があるからである。現代の宗教は科学と経済しかない、宗教はそれに仕えるものにすぎなくなったのである。それは人間の欲望の無限の拡大でしかないのである。


●電気ももたらされる過程が見えない故に原発事故が起きた


現代が失ったものは農家の暮らしのように何か自然のなかでの実感する生活である。
現代は大量のモノにしてもどうして作られどうしてもたらされるのか実感できない、ただ金を払えば何でも手に入るという感覚になりただ金が欲しい金さえあればすべての欲望をかなえさせてくれるとなる。鶏肉にしてもそれがもたらせされる過程を見ていないのである。あらゆるモノにしてもそうでありただ金を払えば買えるという感覚しかないのである。昔の農家だと実感としてどうして食べ物が得られるのかそれが生産と消費が一体化して理屈ではなく実家として知らず身についていたのである。

電気にしてもどうしてもたらされるのかその過程がまるでわからない、ボタン一つ押せば電気は得られるとなっている。ただ金を払えば得られとなっている。でも原発事故でわかったようにその電気を得ることは住んでいた場所に住めなくなる、そして実際はその電気を起こすことは石油であれ石炭であれ膨大な資源を得る必要がありそれはコストがかり危険なものでもあった。石油を中東から得るために戦争にまきこまれたりすることもそうである。これが昔のように薪だったり炭だったりしたらそれほど危険なものにならなかった。ただその過程が理解されていなかったのである。

それは一見肉を食べるということと関係していないようで関係していた。なぜなら肉を食べるまでの過程が見えないからである。肉になる過程を見ていれば残酷だなと実感する。電気にしても電気をできる過程をよくみていれば原発は危険なものであることを知る。
電気は魔法のように得られるものてはなかったのである。ただそういうふうに錯覚させられていたということである。

車にしても便利なものでも車はガソリンがないと走らない、そのガソリンが原発事故で入ってこなかったときいかに苦労したか?それは車なしで電気なしで生活が成り立たない、
でも車もなくて電気もなくて生活していた時代は50年前とかで普通にあったのである。

実際はここ50年間での凄まじい変化だったのである。歴史が2000年としてもこの50年の変化はあまりにも大きすぎたのである。だからまた石炭であれ石油であれふんだんにあるということはつづかない、それで原発ができたのだけどこれも安全ではないからそこに文明の限界が生れ崩壊に向かってゆく予兆が今回の事故だったともなるのだ。

この凄まじい変化は文明の破滅に向かうことになる。そういう前兆がこの辺で起きた原発事故のようにも思えるのだ。これは単なる事故とは違う、全人類に深刻なダメージを与える事故だったのである。人類の生存が危うくなる事故だったのである。
最近地球に起きてくる自然災害であり何か地球が限界に達して起きているような不安を感じてしまうのである。地震にしても規模が大きすぎるし台風にしてもそうだった。津浪も想定を越えたものであり想定が越えて災害が地球に次々に起きてくる恐怖を感じてしまうのである。


●昔の生活をふりかえり将来を考える


橡媼嘆(橡媼(しょうおうな)の嘆き)  皮日休(ひじつきゅう) 

          

         五言古詩   

    

            橡の実を取る老婆女の嘆き

  

    はや秋も深まり橡(とち)の実は熟し雑木林に散らばり落ちる

  腰折れし白髪(しらが)の老婆がこれ拾ひ朝まだ早く霜踏み歩く
  時間かけ漸く手のひら一杯の実をとり一日(ひとひ)で籠に満つ
  幾度(たび)かさらし幾度かまた蒸して冬三か月の食糧とする

漢詩の原文
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Renge/8328/cha/hijitsukyu.htm


栃の実を集めて会津の方で栃餅にするけどこれもまたあく抜きしたり手間がかかる。
どうして食料を得るのか?これだけの労苦を得て食料を得てきた。
わずかなのでも貴重でありその苦労して得たものでなんとか冬を越せる。
そういう生活を延々と人間はしてきた。燃料は近くの森でとれる木であり薪にして冬ごもりして冬を越す、そういう生活はわかりやすい、身近に日々生活することか具体的に見えるからだ。そういう自給自足の生活は外部から入ってくるものに頼らない、ほとんどのものを村内くらいでまかなっていた。
そういう生活が戦後十年の子供時代に経験した。燃料は炭であり炭は山でとれた木を材料にしてるから枯渇するということはない、原発なとの危険なものに頼ることのない生活である。


現代のグローバル経済はもうこうした生活とはかけ離れたものであり地球の裏側から食料が入ってくる。
結局家事をすると何を買うのかという消費生活になる。何かその土地のもので自前でまかなうことが極めて少ないし見えないのである。
もちろん原発などは近くにあってもかかわることができないものでありその土地に住んでいる人でも魔法のように電気が生まれとしかならない。
ただこの漢詩のように人間の労苦は省かれ見えなくなった。
要するにこれまでは人類の歴史はモノを自ら生産して自ら消費する自給自足の正割か戦後10年くらいまでつづいていたのである。それが戦後十年過ぎ急速に高度成長になり変わってしまったのである。


そこに何か原発を生み出した科学が万能となり科学がすべての人間の欲望をかなえられるという信仰のようなものにもなった。
そういうあまりにも便利な豊かな生活には落とし穴があった。
電気は相当贅沢なものでもそれがどうして作られのか意識できない、こんなふうにして老婆が栃の実を拾っていてそれをもらったりしたても一つの実でもおそろかにできないだろう。だからもったないとなり戦前生まれや同年代でもそういう人がいた。普通は確かに団塊の世代は子供時代は江戸時代だった。その江戸時代から急速に豊かな時代を経験する世体になったのである。ただその中でも貧乏な人は同年代でもまれだがいたのである。そんな貧乏なの人がいるということ自体、老人でも格差社会になっていた。

いづれにしろこうした豊かな社会はやはり終わりを告げるのかもしれない、そんて豊かさが維持できるのか疑問なのである。

ただそれが日常になったとき、人はそれが当たり前だと思うようになる。だからもうこのうよな貧乏には耐えられなくなる消費生活には金が第一だとなり人間のモラルは消失して荒廃してしまったのである。どういうわけか希少動物のように貧乏な人がいて紙一枚も無駄をしない、一粒の米をていねいに残さす食べるのは昔の人である。米あまりの時代にはそういう感覚は消えてしまった。それが何らか罰として自然からの災いが起きることがあったのかもしれない、その罰を受けたのが原発事故の被害地域でありそれがここだけではない地球規模でもそういう大きな事故があり被害になる。環境破壊になることが予測される。これ以上の経済成長などは本当はグローバル的に無理だということが見えている。でも実際はあくことなく経済成長を求め止めることができない、欲望は止めることができないのである。
そしてこんなに食料やモノを消費して捨てているというのも何か空恐ろしいということせある。
そのツケがいつか自然から払わされる、そんなに無駄にした人間は許せいないと何か大きな災害が文明の自壊現象が起きてくる不安があるのも当然なのである。モノがありすぎるから人間は自然にたいして感謝しない、ただ足りない足りないと不満だけがある。
そして権利ばかりを主張してくる。そして遺産争いで兄弟も子供も敵対してしまう悲しさがある。
モラルの荒廃はやはりこうした人間の基本的生活の大きな変化が影響していたのである。

 
 
posted by 老鶯 at 21:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2013年12月24日

原発事故の原因の探求 (みんな欲に目がくらんだためー原発事故はやはり神の罰だった)


原発事故の原因の探求

(みんな欲に目がくらんだためー原発事故はやはり神の罰だった)


●アメリカに押しつけられた粗悪品のマーク1の原子炉

原発事故の原因をいろいろ究明してゆくと何だったのか?
まず日本では原発についての技術がない、ということはアメリカに技術を委託するほかない、そこにまず大きなリスクがあった。アメリカでは日本は外国でありリスクを負わない原爆まで日本に落としても反省もしていない技術でも外国にゆだねると危険である。
だからマーク1という危険な原子炉を買った。アメリカに粗悪品のようなものが与えられた。後進国にはそうしたことがき良くある
武器でも古いものか売られる。
戦後は日本はアメリカの植民地であり属国である。

アメリカは一旦高くして作った土盛を低くしろと命じた
コストカットのためにわざわざ一旦高くしたのを低くした
この責任がアメリカにあるとしたら大きい
でもほとんどこうしたアメリカの責任は報じられないのか日本である
つまりフクシマ第一原発はアメリカによって設計されて作られた
日本人の技術者はただそれに従うだけだった
技術力がないのだから当然そうならざるをえなかった

機械には必ず初期不良があり問題になる。
技術が成熟していないから改良していないから故障する
だんだん欠点を直して故障もなくなる

ところが原発は一旦事故を起こしたらとりかえしがつかないものだった
だから慎重に慎重を重ねることが必要なものだった
他の機械を作る態度ではできないものだった
湯川秀樹博士が早期の原発建設をためらったのは
まだまだ日本では原発は無理だと思っていたからである。
フクシマの第二原発は今度は日本の技術が導入されていた
だから技術的には進歩していたのである


●欲に目をくらんで原発を早期に建設した


原発は何なのか日本人の技術者も良く知らないのに導入した。それは最初の原子力委員長の読売新聞の正力松太郎の野心と欲からはじまっていたのだ。それは原発より別なもの
メデアを大きくして支配したという野望があった。原発を通じてアメリカのスパイのようなものになりアメリカからメデア支配の技術も手に入れようとしていた。
原発にはそうした大きな欲がからんでいた。
その欲は別に政治家だけではない、現代では科学や技術はすべて人間の欲望がからんで生れている。欲望の科学なのである。サイエンスとテクノロジーは別物であった。

現代は科学は必ず利益をもたらすものとしてある。でなければ科学は発展しない、技術も発展しない、だから科学にあらゆる人間の欲望が集中して科学者には万能であることさえ要求される。神であることが要求されてもいるのだ。

IPS細胞が実用化の段階に入ったなりノーベル賞などをもらえば人間の病気は何でも直せるとか希望を抱くようになる。そこにも人間の限りない欲望が科学者によせられているからそうなる。でもips細胞にしても実用化するには簡単にはできない、そのハードルは以前として高いし臨床実験するにしてもそんなに簡単に実用化できないしその道のりは長く険しい、でも一旦ニュースになると何かすぐに実現するように思わせる。
そういうものをみんな期待するから余計にそうなる。

新薬一つでも作り出すには大変な時間と労力が必要なのである。だからコストを考えると会社ではやっていけないとまでなっている。

医者自体が病気を治すのその人のもっている自然治癒力だと言っている。
手術しても薬を飲んでも結局その人のもっている力があれば直る。
医者は病気を治せないと言っている。
医者自体が無力感をもっている。医学は科学は万能ではないことを医者だからこそ限界を感じている。一方で患者は万能なことを望んでいるから困るのである。

つまりどこかで人間は死ぬしあきらめるほかないということである。

そうした技術のハードルが高いにしてもみんなの欲望がかなえられると熱望するから急がされて失敗することもある。原発には確かに急ぎすぎて失敗したことがあった。
もっとじっくりやれば今回のような大事故にならなかったかもしれない、日本には原発を運営する技術も自然的条件社会的条件もまだよく検討されていなかった。
地震国であり津波もあるということか考慮されていなかったのである。

●欲にくらんだのは地元も同じ


地元でも原発のことはわからなかった。だから安易に信じてしまった。それよりも原発は人間の欲望を刺激するものだった。巨額の金がおりる、そこから人間の感覚が狂ってくる。人間は欲に動かされる。これは昔も今も変わりない、それだけの金がおりるとなると目の色を変える。原発の危険性など二の次になる。
それて漁業組合が原発の利権団体になってたのである。これは川でも漁業権がありダムができると利権団体になる。その金が大きいからそうなる。
今は漁業でも農業でも金にならない、跡継ぎもいないとか衰退産業である
そこに原発マネーか支配することになった。

人間は現代の日常でも欲に動かされている。欲に目がくらむ。欲が抑えられない。
人間の犯罪は欲からほとんど起きてくる。

最近起きた東京都知事の猪瀬知事の5000万を徳州会からもらって追求されて辞任したこともやはり欲があったからである。高い地位につけば必ず利権を得る
それで中国ではワイロが幅をきかすのは今も同じである。
そもそもそういう権力を持つ地位に就けば誰でもその権力による利権に動かされる
人間は欲に目がくらむとき過ちを犯す、失敗するのだ。
それは人間には金に目がくらむのはそこにはいろいろな欲が金に詰まっているからだ。
色欲だって金の中にありあらゆる欲か金にある。金であらゆるものが買えるという幻想をもつ。だから権力をもつ地位を得たいとなる。

議員でも市町村議員ですら戦前などは金持ちがなっていた。ボランティアで金持ちがしていた。これは悪いものではなかった。なぜなら金持ちだから金にそれほどこだわらなくていい、今の議員は議員かみんな生業だからどうしても利権に弱いのである。
生活の糧か議員になるとまず生活する金を確保するために利権に目を奪われる。
金持ちだったら十分に余裕があるのだからそんなに金にこだわらなくてすむ
つまりそうした利権の場所は地位はやはりある程度そうした利権に頓着しない人がいいとなる

例えば公務員は嘘をつかないという、民間は営業でも何でも成績をあげなければならないから嘘でもノルマを果たすことが仕事になる。そうしなければ認められない、それでTOPPAとかのプロバイダーは嘘をついても会員う増やそうとする。
プロバイダーにもランクづけがあった。みんな同じだと思っていたが違っていた。
TOPPAは最低ランクてあり動画などがスムーズに見れないのである。
だからそうしたプロバイダーには入るなと書いてあったが調べないのが失敗だった。
これは民間では常に行われていることてある。
インターネットは10年やっていてもわからないことがある。
新しい技術がててくるとまたわからなくなるのである。

でも大きな会社はあまりそうした強引な勧誘はしない。
それも余裕かあるからだ。

公務員の仕事は楽だとか言われてそのことを書いたが一方で何か民間のように嘘をついてまで会員を増やさねばならないようなものだけでは社会は乱れる。
そういう分野は福祉とか医療とか教育とか他にもある。

結局諺にも
恒産なくして恒心なし


これが社会には必要なのである。恒産がないから欲に目がくらみ正道を逸脱する。
特に社会の指導者になるにはそうした恒心が必要であり欲に絶えず目をくらませるようでは勤まらない,いづれにしろ原発はあらゆるところで欲に目をくらむほど巨利を生むものだったのであくる。何兆円という莫大な補償金が支払われことでもわかった。
その補償金で欲がふくらみ原発事故周辺は分担されているのである。


この犬どもは強欲で、飽くことを知らない。彼らはまた悟ることのできない牧者で、皆おのが道にむかいゆき、おのおのみな、おのれの利を求める。 (イザヤ56)


わたしはわらべを立てて彼らの君とし、みどりごに彼らを治めさせる。

わらべは欲がないから欲にまどわされないからかえって治められるとなる。イザヤ書 -  3:4

結局原発事故は神の罰だったから聖書と関係ないとは言えない、科学でもそこには傲慢なものがあり神からの罰を受けたのである。つまり原発事故周辺はまさに受難の地域になり神の審判の場になったのである。
posted by 老鶯 at 20:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2013年12月27日

幻影の時代 (現代は現実を認識しにくく幻影を生きやすいー津波も原発事故も現実に思えないということが未だにある)


幻影の時代

(現代は現実を認識しにくく幻影を生きやすいー津波も原発事故も現実に思えないということが未だにある)


●現実と空想の見分けがつかない時代


アメリカ人が現在住んでいる世界では空想の方が現実そのものより現実的である。
イメージの方がその原物よりも大きな威厳をもっている。
我々はこの困惑に正面から立ち向かう勇気をもちあわせていない、なぜなら我々のあいまいな経験は気持の良い色彩に富んでをり、またこしらえあげられた現実に対するわれわれの信頼は完全に現実的だからである。
我々は自ら進んで現代の大詐欺の共犯者となったのである。
我々は我々自身をあざむいているのである。
(幻影の時代-D.Jアースティン)


俳句で写生が基本といった時、それは現実人生にもあてはまる。人間の生活そのものが現代はイリージョンのようになっている。何か幻想化している。バーチャル化している。
インターネットでも現実ではないと思い事件を起こす人がいる。インターネットも現実の人間がかかわっているのだから現実の反映である。だから悪い人も入ってきて犯罪も行われている。こういう様々なメデアが発達すると現実が空想家幻想化しやすいのである。
現実と空想が一緒になっている。空想が現実で現実が空想家するのは普通になっている。例えば一千万の都市、東京とういうとそれがすでに現実のものと思えなくなる。
東京自体が一つの巨大な幻想都市のように見えてしまう。そもそも一千万の人間が飲み食いして生活していることが可能なのか?確かに江戸も百万都市であったが回りは農業していて糞尿を肥料として回収しにきていたのだから農業的社会だった。

だからそれほど地から離れた空間ではない、農業とと密接に結びついていたから大地から離れた生活でもなかった。東京のようなメガロポリスになるとどうしてそれだけの人間を養えるのだろうか?それだけの食料は膨大なものだからである。だから人間は実際は本当に食料を食べているのかとさえ思う。何か食料を食べなくても別なもので生きているような錯覚になる。まさにイメージの食料でも食べて生きているのかとも思う。
田舎で暮らしていると東京はすでに現実のように思えないのだ。
だからどうして東京のような所でアイディンティティをもてるのだろうかとなる。
自己同一性とはまさに自己と何を一体化するのだろうかとなる。
田舎だったらまだ自然があり山であり樹であれ石であれそうした自然の事物と一体化、自己同一化(アイディンティティ)しようとするだろう。
高層ビルの林立した世界では何とアイディンティティしていいかわからないだろう。
だからそこは狂気的世界になってしまう。そういう所で正常を保つこと自体異常なこととさえ思ってしまう。

現代の人間は現実を直視することができなくなっているのかもしれない、人生でも実際は厳しいものである。でも何かその現実を現実として生きられない、こんなはずがない、こんな現実こそありえない、これは幻想なのだとさえ思う。
あまりにも劇的に変わったことが起こるとそれが最初は信じられない、身内が認知症になったときもこんな病気があること自体信じられなかった。何がなんだかわからなかった。津波起きた時もそれも信じられないことだったしその後放射能騒ぎから街に人がいなくなることも信じられないことだったのである。
これらはあまりにも変わっているから日常的でないから信じられないものだった。
まさに現実が幻想のようにしか思えないという現象が起きている。
それは今も継続しているのだ。

津波にのまれて死んだ家族があり家がなくなり狭い仮設に住んでいる、そういう現実があまりにも変化が大きいから現実として受け入れられない、これは夢じゃないかと以前として思っている人がいるだろう。

第一津波自体が夢のように思えたのである。また原発で避難して仮設に住んでいる人も以前としてこれが現実なのかとその現実が受けいられない人がいるだろう。
その現実が受け入れられないとまず復興というのもありえないだろう。
なぜならこれは夢であり現実ではないとなれば現実を凝視できなければ復興もない。
なぜならその厳しい現実を認めたとき復興も再出発もありうる。
だから警戒区域で住めなくなった人たちはすでに帰るのあきらめて他で住むことを決断した人たちがいる。補償金もその人たち払うことを政府では決定したのである。
その現実を認めざるをえなくなったのである。


こうした大災害なくても人生には常に厳しい側面がいつでもあった。それでもその現実を認めたくない、これは一時期の夢であり何かいいことがある。努力しなくても何かいいことがある。幸運が天からふってくるように思う人も多いのである。だから宝クジが売れているのである。自分が最近つきあった人たちは厳しい現実を見ていない、でもいくら現実を否定しようとしても現実は嫌おうなく迫り現実を知らしめられる。


●シンデレラ幻想に陥りやすい現代


今のこの辛さ、悲しさ、惨めさは本来の姿ではない
今の私は真実の私ではない
これは現実ではない
本当はもっと楽しくて、嬉しくて、幸せなはずだ
そのために今のこの苦しみがあるんだ
耐えれば耐えるほど、後の喜びは倍増する
だから
今がどんなに辛くても、苦しくても、悲しくても我慢する
これは本当の私の姿ではないのだから!!
 
「きっといつか、あのシンデレラのように魔法使いのおばあさんが現れて、魔法をかけ、舞踏会へ行き、
王子様が私を捜し出してくれるに違いない。自分から助けてと叫ばなくても、助け出してくれるに違いない」
 
このように今の辛い、苦しい現実を否認し、ひたすら耐え忍ぶ
これを私は「シンデレラ幻想」と名づけた


白馬の王子様がやってくるとか幻想する。現実を肯定できずその現実から脱出しようともしないし何かしらの努力もしない、ただ来もしない白馬の王子を待っているだけである。
若い時から生活保護でありそれでも金がたりないとせびるだけである。生活保護内で生活することもできない、そして生活保護もやめようともしない、生活保護をもらってさらに金をもらい楽しようとする。そして現実を見ない、楽なことばかり思っている。
借金して借金の形にとられたようにパチンコ屋とかブラックな会社で水商売で働く、それが現実なのである。これは江戸時代でもそうである。遊女は借金の形にとられていた。

江戸時代は江戸で借金の訴訟が今より多いくらいあったということは江戸では特に貨幣経済が支配的になっていたからである。遊女になるということも厳しい現実なのである。

回りを見ればそうした厳しい現実に直面している人はいくらでもいる。田舎の安い市営住宅に入るのにも保証人が要求されいじめのようなことが行われている。弱者は保証人で結構苦労する。弱者というとき金がないだけではない、金があっても身寄りがないとか病人になったとなると途端に弱者になるのだ。常に人間には厳しい現実がありそれが嫌でも知らしめられる。その現実から逃れることができないのである。
誰かが助けてくれるというのもまたシンデレラ幻想になる。

特に借金している人はそういう人が多い。誰かが貸してくれると思い誰かに頼りやすい人が頼る。他人の金は自分の金だと思っている人が実際に結構いるのだ。

借金する人は現実をごまかし直視できない、借金してまでいい格好したい、俺は成功者だということを世間に見せる。でもそんな偽りの生活がつづくわけがない、それが大きなツケとなって現実化する。借金で首が回らなくなりもうごまかすことができない、一家離散にもなり最低の生活になる。それが現実となる。現実は容赦がない過酷さがあるのだ。
甘い夢は打ち砕かれてしまう。
俺は貧乏だ、お前は金持ちだからお前の金を俺に分けるのが当然だ、できなければ盗む、それは悪いことではないと思っている人が結構いる。ただ怖くてできない、度胸のある人はそうして犯罪者になる。それで警察につかまらない人も相当数いるのだ。
まず警察につかまるのはごく一部である。それも軽犯罪はつかまりやすい、大きな犯罪はかえってつかまりにくいのだ。千円二千円盗むとつかまりやすい、でも一千万と一億とかでも経理をごまかしたり盗むとかえって警察は証拠がないとかつかまらないのである。


●昔の自給自足生活は現実認識がしやすい


とにかく現代は複雑であり現実が認識しきしにくいのだ。例えば戦後十年くらいまでは江戸時代の生活のつづきだった書いた。基本的にさほど変わらない生活だったのである。
自給自足ということは生活する糧がほとんど身の回りにあったから現実を認識しやすかった。燃料は近くでとれた薪でありそれは近くの山にありその薪で炭を作っていてご飯を炊くのにも炭を使った釜だった。米だってほとんど地元のものであり野菜もそうであり食料は基本的には自給自足である。特に農家であれば味噌まで作っていたとか家そのもので買わなくてもまにわす生活であった。そういう生活は現実を認識しやすいのである。
その土地に密着して生活するのが現実なのである。
ただそこに厳しい現実があった。医療が発達しないから長生きできないし簡単な病気でも死ぬということがある。戦前は肺病などで死ぬ人が多かったから特にそうである。
江戸時代になると余計にそうである。一割近くが栄養失調で盲人だった厳しさがある。
常にいつの時代でも生きる厳しさが現実があった。

現代の生活はグローバル化したり交通が発達すると情報が膨大に行き交うと本当の現実が認識できなくなる。東京に暮らしていれば田んぼも畑もない、そしたら米がどうしてとれるのだろうということが田舎のように子供の時代から認識できないのである。
米がどうしてとれるのかを認識することは大事である。水の管理が大事であり水は山から流れてくるから山が大事になる。そして山が農民にとって神ともなる信仰が生れる。
米をとるということを通じて自然と結びつくことを具体的に理解するのである。

それが現代では食料でも地球の裏側からも入ってくるとするとどうしてその食料が果物でもとれているのか認識できないのである。スーパーに行けば果物がある。食料がいくらでもある。食料を手に入れるのは金である。だから金さえあれば何でも手に入るという認識しきか生れないのである。食料そのものより金の方が大事になってしまっているのが現実なのである。金がなければ飢え死にするし現実にこの豊かな社会で餓死している人もいる。

でも自給自足の生活だったら金がなくても生きていた。身近にとれるものがあり金がなくても買わなくても生きられる仕組みがあったからである。金の代わりに米を蓄えていた。だから農家にはどこでも蔵がある。蔵が富の象徴となったのはそのためである。
喜多方では競って立派な蔵を建てたのも蔵が豊かなものの象徴としてあったからである。貨幣ではなく蔵の方が富の象徴だったのである。
貨幣が普及しうていないときは村では飢饉の備えのために郷倉を建てて米を蓄えていたのである。それでそういう地名が各地に残っている。

この辺では津波や原発被害があり二週間くらい食料を買うことができなかった。
その時自分はたまたまあった米をたいてノリくらいの食事で過ごした。たまたま米があったから良かった。その米を尽きた。その時町で古米を配給したのである。それでまた助かった。米は農家などに蓄えられていたのである。それは郷倉と同じ役割を果たした。

その時金は何の役にも立たなかった。ガソリンが入って来ず車があっても役に立たなかった。一カ月以上それはつづいた。今は外から入るもので暮らしているのだから交通が断たれると致命的になるのだ。それで牡鹿半島とか三陸とかの津波の被害地域では水は裏山から歩いて運びを薪をとって燃料としたり原始的生活にもどったのである。それはまだそういう資源を活かす所に生きていたからである。
だから東京のような大都会になると大災害が起きたら一時的食料や水や燃料がなくなったら大パニックになる。何とか電気が通じていて米をたけたけど電気が通じなかったら米をたけないしテレビも見ることができないから何が起こったのかも理解もできなかったろう。現代は便利でも災害に脆弱な所がある。便利なものに頼りすぎるから一旦そういうインフラが崩壊すると生きる術もなくなる恐怖があるのだ。


●絵に描いた餅が現実と思っている時代


いづれにしろ原発にしても地元の人でもそれを理解できない、薪をとって燃やして暖をとったり米を炊いたりするわけではない、電気そのものがあまりにも便利であり生活実感として理解しにくい、ただボタンを押せば電気はえられるという感覚しかない、電気がどうして作られるのと問えばボタンを押せば電気が来るよとしか子供なみの答えしかないのである。電気は原発で作られる、どうして電気が作られるのとなると原発だったら説明すらできない、現実感覚がもてないのである。これだけ科学が普及すると科学が万能になり科学で何でもできるという幻想を抱くのも現代である。そして情報だけ膨大なものとなってあふれ情報にもふりまわされる。天文学的な情報を処理できなるものではない、するとそこで専門家のいうことにふりまわされ、マスメデアにふりまわされ、現実を認識できないことが起きてくる。金だって数字だというとき数字は突然ゼロになる恐怖が現実にある。モノは簡単にゼロにはならないが数字ならゼロになりやすい。だから金をいくら蓄えていても安心がないのである。

現代はみんなシンデレラ幻想に陥りやすいのである。こんなに豊かでも貧乏な人が増えている。でも貧乏とういうのも現実的に認識できない、ボロを着て物乞いしている人もいない、だから貧乏な人がいるということ自体現実に認識されにくい、それで隣でオニギリを食いたいと言って餓死した人もいる。昔だったら乞食して何とか食いつないだがそういうこともできない時代だったからである。何かそうした嫌なものが忌避され現実として認識されないのである。
俳句が写生だというとき「我がもとに冬の蠅よる見守りぬ」いうとき蠅というものは嫌だけど冬だと一匹くらいが弱々しくあるから見守れる、嫌なものでもそこにあることを許すとなる。この世には嫌のものでも避けられずある。それが現代では隠蔽されやすいのである。現実が認識できず空想に陥りやすい、

絵に描いた餅(もち)が現実化しているのだ。 
 
《どんなに巧みに描いてあっても食べられないところから》何の役にも立たないもの。また、実物・本物でなければ何の値打ちもないこと。画餅(がべい)。


この絵に描いてた餅が本当に食べられると錯覚されているのが日常的なのである。膨大な情報化社会もそれを促進させる。現実にありえないものがありえるとさせられる。実際に手にふれてじかに確かめることができないことが多すぎるからだ。だから情報は無限に増えても実感としてますます現実感がもてなくなる。テレビで戦争を見てもゲームのように見ている人もいる。それはテレビで見ると自分に害がないのだから面白いとなるのである。テレビでの事件も自分に害なければ興味本位になる。だから同情心も育たないということもある。他人の不孝を楽しむのがテレビや報道にもなる。


ともかく津波であれ今でもこれは夢ではないのか?頬をつねってみる、原発事故でも避難して各地の仮設に住んでいることも何か現実としてまだ認識できないことがあるだろう。なぜこうなっているのだということが現実として認識できない、でも狭い場所にすむことや故郷に住めなくなったことは現実なのである。家族を失ったことも家がなくなったことも故郷に住めなくなったことも現実なのである。その現実の厳しさを生きなければならないということである。そういう自分もここ六年間は厳しい現実をつきつけられ生きねばならなかった。何か詩人というと空想的になりやすい、そういうことも許されていたがここ6年間は厳しい現実をつきつけられて必死だった。人は簡単に助けない非情もしった。
みんな人はいい人だと思っていたが他人は人の弱さにつけこんで平気で人間の心を踏みにじる火事場泥棒でも何でも金のためにするとかその非情さ残酷さを知った。これも厳しい世の中の現実だった。だから宗教で愛を口で言うの簡単である。それを実行しているのはほとんどいないこともわかる。偽善になっているのもわかる。現実社会は弱肉強食の世界であり自然界と同じである。人は簡単に人を見殺しにするの非情社会である。
甘い幻想は打ち砕かれたのである。

 
 
posted by 老鶯 at 02:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2014年01月09日

生活保護者とにていた原発避難民 (働くとその分ひかれれは働く意欲がなくなる)


生活保護者とにていた原発避難民

(働くとその分ひかれれは働く意欲がなくなる)

うちは自営業で、生活保護世帯の人を雇っています
その場合、ちょうど半分減らされることになります。
働いている人の手元には50パーセントしか残りません。
残りは福祉に取られることになります。

どうしても減らされるのが嫌なのでしたら。
知り合いの人のところに働きに行って、それを黙っていてもらうしかないです。
(つまり福祉事務所に内緒で働く)
ですが、それがばれた場合
質問者様の稼いだお給料の5倍を「罰金」として取り立てられることとなってしまいます


生活保護者とかかわってこれもめんどうなものだと思った。生活保護がいいとか貧乏な格差社会では言われている。でも生活保護者にはいろいろな制限があるのだ。
生活保護以外に収入を得ることがむずかしいから生活保護内の金で生活しなければならない、働いても半分ひかれるとかなると働くのが馬鹿らしいとなる。8割もひかれるとかもありこれも変だなと思った。
その女性は生活保護者にしては性格がいい、話していても面白い。学はないのだけどもう女性としては見れなくても何か話をしていて面白いのだ。
ただなぜあんなに他人に平気でものを頼むのかわからない、頼むことになれているのか、頼み方がうまいのか自分もかなり使われた。自分も困っているから助けたから別に助けたとも思わない。でもあんなに身も知らない人にずけずけものを頼むというのもわからない。
自分はものを頼むということをほとんどしたことがない、する必要がなかったのである。今になり全部自分で家事からなにからするようになって頼む必要が出てきたのである。

あの女性の人生は実際はわからない、二回離婚しているし一時は金はあったというからどういう生活していたかわからない。
離婚している女性はたいがい貧乏になっている。まず女性だけで稼げる職業は看護師とか限られているだろう。
自分の家に来た人はそうした離婚した女性とか生活保護とか借金かかえているとか困った女性しかこなかった。そういう人には頼むより頼まれる方だったのである。


その女性は食堂で働いていて給料がもらえないことに怒りをぶちまけていた。食堂の仕事は惣菜なども作り客が多い時は忙しいからかなりの労働になる。自分も家事をしてみてこれもけ結構な労働だと思った。介護もしているから余計にそうなのだ。何でも労働自体はみんな楽ではない、労働することは実際は高くつくものであり時給などで計れるものではない、人間にとって一番貴重なものは時間だとするとその時間を奪われるからである。

働くということは働かせるとなると受動的であり奴隷的労働になる。ほとんどが今は働かせられている奴隷的労働である。時間給はみんなそうてある。一方で自ら働くという能動的な働くのはそれはその人の人生を作ってゆく。そういう働き方も少ないにしろある。
それぞれの才能を活かす働き方てある。江戸時代の職人のような働き方である。
その人がその個性に基づいて自主的に働いている。だから働くにしてもいろいろあり働くことは多様なのである。


その女性は憤っていたのは食堂の経営者が賃金を払わない、その理由が生活保護者であり払うと法律違反にるからという理由だった。でも労働自体は結構楽ではない、生活もぎりぎりであり困っている。この辺では支給額自体極めてすくないのである。それは本当にぎりぎりである。生活保護費だけではまともな生活は送れないだろう。
だからこれまで働いた分をもらいたいとしきりにいう。でも法律上は確かにもらえないかもしれない、だから半分くらいでももらえればいいとなるがそれでも不満である。
その女性は働くのが馬鹿らしいと言っていた。これは本当だろう。
いくら生活保護者でもそれだたけ働いて成果が金が得られないなら働く気がなくなってしまう。生活保護にそんなにこの辺では余裕がないからだ。
得しているのは生活保護者をただ働きさせている経営者になってしまう。
無料で働かせているのだからこれほとど得なことはない。ただそういうところでは働く人もルーズであり真剣には働かないのである。


このことは原発避難民と同じだった。避難民も働くとその分が補償金をもらえなくなる。失業給付金ももらえない、仮設からでて自宅にもどると補償金が得られないとか働くと損になる仕組みになっているからみんな働かないのである。これも生活保護者と同じ仕組みになっていて働いたり自宅に帰って復興しようとかの意欲をそいでいるのだ。
川内村辺りでも村民が補償金で郡山市のような便利なところで住んでいたら帰りたくなくなった。帰ると補償金がもらえないとなり帰らないのである。人間は一面こうして生活を保証するとかえって不都合が起きてくる。補償しすぎた結果として金の問題でもめていて避難民同士がいがみあっている。だから補償金が必要でもそれがすべていいものとはなっていない。それは生活保護者と同じである。保護されることになれるとそれが当たり前になりそこから脱する気持もなくなる。真剣に生きるということもなくなる。

何かこの辺の状態はだからみんな特に仮設の人はそういう状態になっている。
つまり補償金をいくら出してもそれだけで今の状態を改善することはできない。
未来もありえないということである。ただ安易な道を選び人心も堕落してゆくだけである。
そもそも働くということにはいろいろな要素がありただ金をもらうとういことだけではない、生きがいであり協同であり共同意識を醸成するとかハタを楽にするとか、work(作品)化するとか人間の存在意義は働くことにあるのだ。ただ働くことはすへてが価値あるものとはならない、膨大な無益なことに労働が費やされていることも現実なのである。
エステで生活保護者が東京で働いているとしきりいうがそんな労働に価値があるのか?
金持ちに使われている奴隷労働でないかとも思う。介護などならいい仕事でないにしろ人に尽くす仕事である。エステなどは金持ちのために働かせられているというふうに見える。その女性はただ金を得ればというだけの人だからまたそんなところで働いているのがふさわしいとなる。


ともかく現代は働くことがすべていいものとして肯定できないから働かない人が膨大になったのである。また働くことが強制されないから働かないのである。働かされている人が多く自ら働いている人は少ないからそうなる。いづれにしろ今の世の中格差社会である。その女性はテレビで電車の番組を見るのが楽しみだという。でもその女性は電車に乗って旅したことがあるのだろうかと思う。でも自分の母親よりはずっとましである。いろいろな楽しみをそれなりに追求してきているから同世代なのである。

自分の母親は一切の楽しみを否定している。花も庭も何でもそうだった。金になるものは一切否定している。たた食べる贅沢は否定しないだけである。これは異常であり狂気だった。今は寝ているから何も言わないだけである。その女性は自分の贅沢をみてそのことはいいものだと思っている。自分もそうしたいと思っている。楽しみを肯定しているのである。だからその女性が何も人生で苦労ばかりだったとは思えない。

それが大正生まれと団塊の世代の差かもしれない、団塊の世代は働くことばかりではない、苦労ばかりではない、楽しみを追求してきた世代だった。だから白い髭の老人ライダーも普通にいる。バイクでもそれに乗ってきた人は老人になったからとやめられない、その快感を覚えているからやめられないのである。
人間は年取っても快感は脳に記憶されて消えない、ビールでも一回その味を覚えるとまた飲みたくなる。ノンアルコールは全くビールの味でありそれでサシミで飲むときは本物のビールと同じようにうまかったのである。


いづれにしろ三年目となり原発避難民も津波避難民も補償金でだらだらくらしている時期は終わっていると思う。ただ高齢化社会で老人はまた働くこともできない現実がある。
南相馬市では若い人が流出して30パーセントとか65歳以上の人口が他より多いのである。他より高齢化社会化して負担が増大しているのだ。そして60以上で貧乏老人になっている人は生活保護になりやすい、そういう人が増えている。生活保護者の老人の比率が増えているのだ。犯罪の比率も増えている。南相馬市でシルバータウン構想などがでてきたのもそのためである。

 
 
posted by 老鶯 at 23:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2014年01月13日

森林資源(入会権)をめぐる争いと原発事故は重なる (エネルギーが文明の基だったことは変わりなかった)


森林資源(入会権)をめぐる争いと原発事故は重なる

(エネルギーが文明の基だったことは変わりなかった)

●歴史でもカルマは繰り返される


人間の今を考える時、必ず過去をふりかえる必要がある。なぜなら今は過去の延長として今があるからだ。今の状態が突然生れたのではない。過去の積み重ねで生れたのが今である。その今を知ろうとした時、歴史をふりかえらなければわからない、歴史は千年とかの長さが単位となる。人間がカルマを繰り返すという時、カルマとは業でありこれは個々人の人生でもカルマを繰り返している。親の人生と子の人生が同じになっている人が丹念に調べれば統計をとれば良く聞いてみればそうなっていることが多いということがある。
それはだから特殊な一個人の問題でないからカルマは個々人の人生にとって大きな課題となる。カルマ解消しないとカルマは何代もつづき災いは消えないともはなる。

その人間の業を考える時、それは人類の発生当時からはじまっていた。原発事故でもプロメテウスが火を盗んで過酷な最大の罰を受けた。これも原発事故とにていた。原子力とは核戦争で人類が滅びると盛んに言われた。ただ平和利用はいいから推進されてきた。
実際はそうではなかった。鉄の利用も危険だとローマ時代に制限された。鉄になるとやはり武器でも殺傷能力が格段に高くなるからその危険を感じたからそうなった。
鉄でさえそうであり原発ならさらにそうだった。ただそうした危険なものを感知すく能力が衰えてきた。科学というのは原子力だろううが何だろうが人類に貢献するものとしていいものとして肯定されてきたのである。


●森林資源の争いで境界が生れた


人間の業という時、カルマという時、すでに同じようなことが歴史であった。
なぜ丸森の森をめぐって相馬藩の玉野でも大規模な森林資源をめぐっての争いがあったのか?そこには米沢藩と伊達藩と相馬藩が三つ巴の争いとなった。それから飯館の飯樋でもあった。そのことはプログでも書いた。そこはちょうど相馬藩と伊達藩の境だった。
飯樋ではもともと小規模な村と村の入会権の争いのようなものであった。なぜならその有力者同士が親族でありその親族の一方に相馬藩が合力したからである。そして伊達藩と相馬藩の境が形成された。この入会権は近江の方でやはり森林資源をめぐって村同士が互いに合力して大きな戦争に発展した。戦争の原因が大名同士ではなく村の森林資源の入会権からはじまっていたのだ。

このことは今と関係ないようだが深い関係があった。なぜなら森林資源は今の石油や原子力にも相当していたのだ。木は燃料として不可欠であり器も木で作っていたし家も木で作っていたから木なくして生活は成り立たない時代だったのである。その後も木は炭を作るものだから木なくしてそもそも生活が成り立たない、鉄を作るのにも大量の木を必要としていた。なぜなら炭を利用していたからそうなった。そしてこの辺でも森がかなり破壊されて自然が破壊された。だから原発事故で自然が破壊されたというとき、すでに古代にさえ同じことが起きていたともいえる。それだけ木は大事なものだったのである。

例えは燃料がなければ薪がなければ食料があっても食べることができない、煮炊きしなければ米でも何でも食べることができない、冬の寒さもしのぐことができない、それは震災で津波で一時電気もストップしたとき、裏山の水をくみ薪を燃料にして米を炊いていた三陸の人々がいた。それは昔の生活にもどらざるをえなかったのである。つまり木はそれほど昔は大事なものだった。
それが今は忘れ去られていたのである。日本の森が多く木がふんだんにあっても外国から輸入して利用もしないからそうなった。だから森や木の価値がわからなくなっていたのである。


●プロメテウスの神話は原発事故を予言していた


この森林資源の争いは石油の争いともにている。石油がなければ現代の生活は成り立たない、石油が電気を作りあらゆる日用品も作っている。それは木の資源と同じなのである。だからこそ石油をめぐって戦争までに世界でなることは同じことなのである。
つまり一地域の歴史でも世界的なものグローバルなものとしてとらえることができる。
紛争の根は一地域だろうが世界的だろうが同じだという人間の普遍的真理にまでいたる。つまり人間の業は世界的にも同じカルマ(業)をもっているからそうなる。つまり石油がなければ現代文明は崩壊する。電気が作られなければ現代の文明は崩壊する。エネルギーというのがそれだけ人間にとって命よりも大事なものとなっている。車でさえガソリンがなければ動かない、それで一時ガソリンがこの辺では入らなくなり長蛇の列ができた。車があってもガソリンがなければ文明は機能しなくなる。
石油を得るのは中東であり危険地帯だから原発にも頼るようになった。それは今も昔もエネルギーが人間の生活の基であり命になっていたからである。

電気がどうして作られるか、基本的には石炭であれ石油であれ燃やすことである。だから木を燃やすこととさほど変わらないともなる。ただ原発は違っていた。それは非常に危険なものだった。そのことは実際科学者は知っていたが目をつぶっていたのである。
結局人間の業としてカルマとして原発事故も起こった。一旦電気という便利なものを手に入れたら手放せない、薪の時代に炭の時代にもどることはできない、電気はあまりにも便利なものでありこれなしではもう生活できなくなっている。
でも子供時代は炭の炬燵であり裸電球で風が入ってくるトタン屋根の家で寒い寒いと寝ていた記憶がある。その頃、電気製品はないのだから湯たんぽなどは使っていてもその他の暖房はしていない、農家では一日中囲炉裏で薪をくべていたという。その囲炉裏の側で暖をとって寝ていたのである。これほど電気が普及したのは50年くらいであり人類史にすれば短い、でもこの50年で人類史では何万倍ものエネルギーを消費しているのだ。

マヤ文明は太陽の光が弱まるという恐怖のために人身御供して祈った。太陽がエネルギーの基だと信じていたからである。そしてその恐怖のために神殿を森に残して滅びた。
何か原発はその神殿とにていて回りに人が住めなくなり元の自然にもどる、森林におおわれて神殿が放置される。それも原発はにている。だから人間の歴史はカルマの繰り返しだとなる。それは個々人の人生でもそうであり延々とカルマの繰り返しになる。
プロメテウスの神話はすでにそういうことを予言していたのである。
神話なんか現代の生活に関係ないものだと思っていたがプロメテウスが火を盗んで過酷な罰を受けたのと同じ結果でにてないか?ストロンチウムの毒が一万年たたないと消えないという空恐ろしいことがこの辺で起きたのである。
だから原発事故周辺は神話が現実になった黙示録的なものも現実化している。
フクシマの惨状が人類の未来を暗示しているともなるのである。

 
posted by 老鶯 at 23:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2014年01月18日

一致して抗議できない小高区は合併して損した (分断された南相馬市は国や東電の策略にはまっている)

 

一致して抗議できない小高区は合併して損した

(分断された南相馬市は国や東電の策略にはまっている)
odaka111111222.jpg

古代ローマ帝国は、支配下に治めた都市相互の連帯を禁じ、都市毎に応じて処遇に格差をつける分割統治によって、征服した都市からの反乱を抑えることに成功した。

19世紀以降の欧米の植民地経営は、この原理をよく応用した。イギリスはインドで、人種、宗教、地域の差異で分割した集団を互いに反目させることで長期の統治に成功した。ベルギーやドイツは、ルワンダ・ブルンジにおいてフツとツチに格差をもうけ、少数派のツチを中間的な支配層とした。これがルワンダ虐殺の遠因となったともいわれる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%86%E5%89%B2%E7%B5%B1%E6%B2%BB


まず暴動に関与していない囚人のグループを”良い”監房へ収容して彼等を丁重に扱い、そして関与した囚人のグループを”悪い”監房へと送り、過酷な扱いを行うことにしたのである
http://ronri2.web.fc2.com/game05.html


今回の原発事故では被害地域で放射能汚染の度合いにより区分けされて分断された。
そもそもなぜこんなに区分けしているのか理解しにくいところがあった。
浪江でもどこでも帰還困難区域だとかもう帰れない地域とか帰れる地域とかいろいろ別れている。それによって補償金も違っている。隣がもらって隣がもらえないというのも変なのである。隣同士でそんなに放射能汚染が違うと思えないからである。確かにわずかには違っている。でもその差が大きければわかるがたいして違わないのに補償金がもらえる家ともらえない家に分断された。それで部落全体に亀裂が入り相互不信になり協力できないようになった。原町区の大原でも道路を境に区分けされている。確かに放射線量は違う。でも本当にそんなにそれが問題なのだろうか?回りは山で森だとするとそこから放射性物質は拡散するから森全体を山全体の放射線量を減らさないと本当は減らない。
このことが最初から何か変だとは思っていた。

それでこれは放射線量によって市町村民の心を分断させている政府や東電の計略ではないかとも思った。確かに高い所は高いことはまちがいない。でもそれによって市町村が分断されることの影響の方が格段に大きいものとなっていたのである。

南相馬市は補償金問題でずたずたに分裂してしまったとか市長が言ったときそうだったのである。分断して困るのは住民だが政府や東電にとっては都合がいいのである。
被害者同士がいがみあい争いあい肝心の矛先である政府や東電に抗議が一致してなされないからである。だからこういういことは権力者側で計略的に行われてきた。
分割して統治せよ」ということである。

そして面白かったのが刑務所の暴動を抑えるために一部の囚人を優遇してあとは過酷な扱いをして分けた。その結果囚人同士がいがみあい暴動の力はそかれてしまった。

このことはこの辺でも同じであった。賠償金が高い人は本当に高い、でももらえない人はわずかしかもらえないし全くもらえない人たちも多い。それで人心は分断されてその抗議力は弱まってしまった。
その象徴が南相馬市だった。合併したばかりでそうなってしまった。特に被害が大きいのは小高区だったのである。小高区が主張するにも南相馬市全体として主張できない、浪江町がうらやましいというときまさに小高町はないのだからそうなってしまった。
小高区が一番深刻な問題をかかえているからそうなったのである。

一方で原町区でも鹿島区でもまた別な問題をかかえている。だから小高区きことばかりに関心を集中できないのである。南相馬市の一部としての小高区の問題になってしまっている。つまり小高区は浪江町なとのように小高町として主張するのが今は良かった。
小高町の問題は浪江町のように避難区域と同じように深刻だからである。
一方で原町区と鹿島区は小高区ほどは深刻ではない、だから小高区の人の気持にはなれない、そして小高の人に補償金でうらやむだけだとなる。そういう具体的な地域の分断もあるが補償金でも人心が分断されているのだ。

だから行政側にしてもその分断された地域をまとめることでめんどうになる。小高区の主張がわかるにしてもそれを全面的に市の政策として訴えることができないのである。
だから何かこれは政府や東電の計略じゃないかという疑問を最初から感じた。

だから一つの市町村である地域が住めないとかある地域はもどって住めるとかいうのも不自然である。なぜなら土地はつづいているしある地域にしろ自然は一体なものとして存在している。だから山や森から放射性物質は区分けしても飛んでくる。
水だって飯館村を核の廃棄場にしたら南相馬市にもその汚染された水は流れてくるのである。自然はもともと広域的につながっているのだ。だから一部が帰れて一部帰れないという線引きは科学的なようでもそれによって人心も様々なものが分断される。その影響の方が大きいのである。そういうことを考慮しないでただ科学的だからたと線引きしていることに問題がある。それは延命治療とかともにている。最後の時はそんなことより科学的なことよりその人の人生の価値を優先してしたいことさせるというのも考慮すべきである。それて寿命を縮めてもいいと思う人は多いのである。
だから市町村を分断したり帰りたいものを帰さないのも酷なのである。チェルノブエリでは老人は帰り野菜すら栽培して前のように住んでいたのである。
それで寿命が縮まっても前住んでいたところに住んでいたいはいう人は住ませるべきなである。すべて放射線量で区分けしてそれを絶対化するのが疑問なのである。


いつれにしろ今回の選挙は誰に投票していいかわからない、小高区の人は小高の要望に答える人にと思うし鹿島区の人も同じである。原町区の人もそうである。原町区の人は鹿島区に30キロ圏外で補償金を払われないというとき市の財政の調整資金から一時的に出したことに不満だった。その不満はかてりときなものだったのである。そんな無駄な金を使うなということがあったのだ。でも鹿島区の人にしてみればなんだとてり喧嘩にもなるだろう。そういうふうに南相馬市は心も補償金などで分断されてしまったのである。
そういう点で鹿島区の要望を受け入れた桜井市長は鹿島区の票は入るかもしれない、一方で大票田の原町区が不満だから票が入らないとなると苦しいとなる。
それは上からの権力者側からの分断政策でもあった。肝心の抗議すべき対象が政府や東電ではなく仲間同士になっているからだ。だからこれは囚人の暴動を弱めて心理的策略と通じるものがあったのである。

 
posted by 老鶯 at 16:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2014年01月22日

郷倉と現代社会 (緊急時の備蓄機能として維持されるべき農林漁業の見直し)


郷倉と現代社会

(緊急時の備蓄機能として維持されるべき農林漁業の見直し)

goukura123.jpg



延暦一四年(七九五)九月、貢納上の不便解消と倉の延焼防止を目的として設けられた「郷倉」(郷ごとに設けられたのでその名がある)の設置理由(延焼防止はともかく)とほとんどかわるところがない。郡を割いて国を立てるか、郡郷の境界に倉を設けるかは、じつは紙一重の違いであったことを知る。「国」は、こうした手直しを繰り返えしながら行政区画として練り上げられて行ったのである
http://www.japanknowledge.com/contents/journal/howtoread/howto_01.html
年貢米が村単位ではなく、郷蔵組という地区単位で納入される事もあった様です。千々石村には6棟があったとのこと。もしかしたら名単位で納入されたという事はなかったのでしょうか。貴重な年貢米の貯蔵のため瓦葺きで作られていました。周囲が藁葺きの中に6棟の瓦葺き屋根はさぞ目立った事でしょう。

 年貢米の保管中は、村役人が管理し、村の住民等が交代で夜間は畳敷の小部屋に2人1組で泊まりこみ、夜番をしました。
http://chijiwa.ne.jp/yaboo/siseki/19_gokura.html


郷倉は、原則的に村(郷)ごとに設置され、収穫期になると前年までの分を詰め替え、その年の貯穀分を加えた。その年の貯穀分は、普通1戸に付き、稗3升程とされた。これを、飢饉・災害の際に放出し、困窮した農民を救済することにした。

「上泉の郷倉」の古文書には、「此の籾、〆82石、天保7年の困窮之節、右籾不残、困窮人貸付」

その反面、村内の干俣村では、郷倉を設置していながら、天保7年の飢饉の際、困窮した農民が、夜逃げ同様に離村し、天保6年の家数百軒余り、人数580余人が、天保9年には家数61軒、人数346人と激減したとする事実がある。
http://kazeno.info/matushima/21-bunka/021.htm

 


南相馬市の深野(ふこうの)の豪倉は郷倉でありこの郷倉は郷ごとに置かれたとなると数の多いものであった。それは年貢を治める場所だから保管する場所だから村で自立的に備えたものとも違っていた。相馬藩などでも天明とかの飢饉で大被害がありその後に藩でその飢饉の備えのために作った。

この郷倉がすでに795年とかに由来するものだとするとこれもずいぶん古いものだと思った。倉は確かに街では延焼防止の役割を果たしていた。国の境界に倉を建てるというのも一つの関所の感覚があったのか?
倉、蔵とつく地名は多い、地形的なものが多いが相馬市の山上の物倉という地名は何なのだろうか?蔵にはもともといろいろな役割が昔はあったのである。

今なぜこの郷倉に注目したのかというとこの辺の津浪や原発事故でこの辺が様々な苦難を強いられたためである。それはここだけではない、津浪の被害は東北の海岸線に大被害をもたらした。一時は外から物資が入らず困窮した。停電して水道も断たれた所も多々あった。その時、裏山の水を利用して薪を利用して煮炊きをして難を逃れた人たちがいた。
水も老人が歩いて運んでいたのである。車もガソリンがないと動かなくなるからだ。

南相馬市では市長がyutubeで外から物資が入らないと訴えて世界中で有名になったのは知られている。原発事故で放射能を一時恐れられて車で入って来なくなったのだ。
車社会でも災害時は役に立たなくなることが証明された。ガソリン不足はその後も一カ月くらいつづいたからだ。その時貯えてあるもので生活する他なかった。

自分の家では二週間分くらいの米が偶然にあったので電気も通っていたので煮炊きできた。ガスもあったから料理もできた。ただノリがあったのでオカズはそれくらいだった。
でも米さえあれば二週間くらいはしのげるものだと思った。
それでも電気とか水道が断たれればどうしていいかわからなくなったろう。
その後米はなくなったがその時鹿島区では古米が配られたのである。
その時助かったなと思った。米も切れていたし買うこともできなくなっていたからだ。
その後相馬市の方はスーバーもはじまり自転車で買いに行き楽になった。
その時はまだ車はガソリン不足で苦労していた。


現代のような便利な社会はかえって災害には弱い、電気や水道がたたればお手上げになる。でも災害時にはそうなるのが見えている。だから燃料の備蓄用として電気やガソリンや石油は使えないから危険なのである。むしろ薪とか炭とかを用意していなければならないかもしれない、そのことから一体農業とかでも減反政策とかでやる気がなくなり衰退産業になった。でも農林漁業のもっている意味はそれだけでなかった。
現代社会でもそれは郷倉の意味があったのである。
緊急時に災害に備えるものとしての意味があった。
国全体でも緊急時のために戦争でもあれば食料は入ってこないから備える必要がある。
そういうものとして農業などを保護してきたのである。
つまり現代では農林漁業などのもっている意味は価値は別なものとなっていたのである。

例えばこういう津浪や原発事故になったとき、外部からすべて頼るようになったときこの辺ではどうなってしまったのか?もう農家でも漁師でも一切の食料を自給できないのである。ただ外部から入ってくるものがすべてである。広域社会だから金さえあれば一応食料は入ってくるから騒乱にはならずにすんでいる。でも農家でも漁師でも自分で食料がまかなえないから悔しいというのもわかる。その時頼りになるのは補償金だけになった。
外部に頼ることが多ければ金の力も大きくなるのである。
でも金だけではまかなえないものもあった。この辺では時給を高くしても働く人がいないのである。他でも人手不足で工事関係ができないということも起きている。
若い人が流出してそうなった。みんな外部のものが頼りとなってしまったのである。


郷倉というのが古代からあったのには驚いた。ただ役目が変わっていったように何でも同じ名でも社会が変わるからその役割も変わってくるのが社会である。
郷倉は今では市町村単位で県単位で国単位のものとなっている。備蓄は必ず必要だからである。でも郷倉だけでは大飢饉になったときはその役割も果たせなかった。
郷倉がどれだけ役に立ったかはわからない、それは一部のわずかのものであったかもしれない、それでもこれだけ全国に地名として残っているのだからその役割はあった。


ともかく農業は金にならないから跡継ぎがないとか衰退した。でも農業の役割は別な所にもあった。それは自然を活かす自然を維持するということにも景観維持とかにもあり何より郷倉的役割に変化していたのである。外国からいくらでも食料が入ってくるといっても何かあれば入って来ない、その時食料を自前で供給できなければ国自体も他国に支配されることになるのだ。ベトナム戦争でベトコンが抵抗できたのはタロイモとかを常に供給できるか環境にあったからなのだ。南国ではイモが主食になり成長が早いから地下でこもっていても食料があったから抵抗できたのである。食料がなければ簡単にアメリカ軍に支配されていたのである。

いづれにしろこの辺では原発事故で放射能汚染で農業も漁業も林業すらだめにされた。
するともう何も自給できない、ただ補償金だけが頼りになる。そういう状態がいかに危険なものか?現実に金があっても金が役に立たない状態が一カ月くらいつづいたのである。

その時金より郷倉に貯えてある古米でも命をつなぐことができた。金を貯えていても何の役にもたたない状態だったのである。それは東京辺りでもそうなる。金がいくらあっても緊急時には役たたない、現物の方が価値がでてくる。だからそういうときは米があれば金がある人は金をいくらだしても買うとかなる。でなければ飢え死にしてしまうからである。それは短期的にそうなったが長期的になると今度は外国から入らないから国の食料が頼りになるのだ。それがなくなったら国自体が滅亡するのである。
そういう役割としての農業の維持も見直されるべきなのである。

だからTPPは危険な要素がある。食料の自由競争化だから自国の農業が壊滅するかもしれないからだ。

この辺では農地が放射能汚染で使えない、これは一体何なのだろうとその場にいるから考えざるをえない。農地が使えない、魚もとれない、木材も使えないというのは実際は恐ろしいことではないか?原発事故周辺でそう感じたことは国レベルのことでも同じである。
農地が使えない使わないということはそういう危機感をひしひしと感じるのである。
つまり原発事故の恐ろしさはそうした農業漁業林業とかの基本産業を壊滅させたことだったのである。水さえ汚染されたのだからもう生活すらできず避難する他なくなったのである。

posted by 老鶯 at 10:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2014年02月05日

原発事故周辺でも全国で人手不足の時代 (優先順位を決めて人手不足を補うほかない)


原発事故周辺でも全国で人手不足の時代

(優先順位を決めて人手不足を補うほかない)

shiniaaaaa1111.jpg


shiniaaaa22222.jpg


●原発事故周辺でも建築ラッシュで人手不足



例えば電気工1人1日2万円と考えていたのが、人手不足で3万5000円にしなきゃならなくなった。
そうしないと、だれも来ない。資材価格の高騰と併せ、工事の見積もりを見直すと、建築費が上がってどうしようもない」

建設業の担い手も少子高齢化で減少し、総務省によると、とび職や鉄筋工、左官などの技能労働者は2012年時点で335万人と、
ピークの97年に比べ25%も減ったという。それも60歳以上が2割近く占めるが、職人さんも60を過ぎたら、もう怖くて電信柱には上らなくなるだろう。

被災地では人件費が大幅に上昇し、資材費の高騰もあって、公共事業の応札者が決まらない「入札不調」が相次いでいるという。
東京五輪に向けた工事が本格化すれば、さらに深刻化するはず。「バブル」ウンヌン以前の話ではないか

http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20140205/dms1402050722003-n1.htm


これは東北と福島第一の作業コストがまた跳ね上がるな。
東京オリンピックって一体誰トクなんだ?

電気工で、マンション建設の工事は最低のカスの仕事。
今まで、建築監督、鉄筋屋、仮枠屋、造作大工、軽天屋に苛められてるから
相当金額を積まれてもど素人の様なニワカ職人しか行かないだろな。


建築業界の怖いとこ、景気のいいときほど手抜きが凄い

しかも、高度経済成長期にいっきに作ったもんだから、
当時、砂が足りなくなって、海から持ってきた砂をそのまま使ってるんだよ・・・

塩分を含んだままコンクリートにまぜて使ってるから鉄筋が腐食してかなり危険な状況になってるんだよ・・・
日本中のトンネルや高速道路でいつまた崩落事故が起きてもおかしくない

電気工にかぎらず、不足しているのは熟練工。見習いレベルは言うほど不足していない。でも、いまからこの業界に入らない方が良い。どうせ、熟練工になった頃には仕事減って二束三文で働かされるのがオチだから。



建築現場でも電工は地位が低いのか?鳶は一番危険だし頭も使うし建築現場では重宝であり地位も高い。近くに電工していた人がいた。高い道具を使っていた。
今は何でも道具が先行するし道具を使いこなすことが仕事の条件になる。
機械でやるのが多くなったからだ。
パソコンだって機械だしこの機械を使いこなせないと事務系とか設計とか他でも現代では仕事ができなくなっている。芸術系だってパソコンが必要になっている。

原発事故周辺でも建築ラッシュであり人手不足であり資材不足でありなかなか復興住宅が早く必要で数が多いからすすまない、津波の被害地域もそうである。人手が集められないのだ。近くに家が建ったが一応できあがったみたいだけどまだ住んでいない、半年とかたっているのか?細部ができていないので入れこないのか、電設関係とかが人手不足で入れないのかわからない、前に電気工事頼んだら若い人が流出して行けないと言われた。
家は今や様々な業種でできあがる。だから電工がいないとなるとそこで工事もストップする。そういうことでなかなか外観は完成しても入れないのかもしれない。


人手不足というとき前から原発事故周辺や津波被害地ではそうだった。それは建築関係だけではないあらゆる分野で人手不足なりレストランのチェーン店では自給200円でも来ないとかテレビでも移されていた。シニアにも働いてもらいたいとか宣伝のビラを出していた。看護師助士になりたい人を募集していた。
でもこの辺は補償金をもらっているのだから誰も働かない、毎日酒飲んでパチンコだ競馬だと遊んでいるだけである。第一建築現場などで前から誰も働きたくないところだったのである。


●現代は責任問題が厳しいから簡単に人は雇えない


ただ現代が高度成長期と同じくオリッピックなども重なり人手不足の時代になっている。でも人手が簡単にえられるかというとできない。肉体労働など簡単だ誰でもできるというものでもない、そこでそれなりに経験を積んだ人でないとアルバイト感覚ではできない。仕事はみんなそれなりに専門性があり簡単にアルバイト感覚ではできない。

この前知り合った人からテレビのアンテナをはずすことを頼まれて屋根に上って線を切った時、危なかった。アンテナが倒れたのが反対側だったから良かったが自分のところに倒れたら大怪我するところだった。つまり建築現場には思いがけないことが起こり事故が起きやすいのである。経験あればいいがアルバイト感覚でやると大怪我をする。

実際にアンテナ工事したアルバイトの60歳くらいの人が屋根から落ちたというニュースがあった。自分が見たアンテナ工事の若い人はすいすい屋根をわたっていたからなれていた。アンテナでも誰か支えて線を切れば安全だけど素人がやると怖いことになるのだ。

安全策がとれていないいからそうなる。だからどこの現場でも簡単に働くことはできない。そして今は責任問題が何かとうるさいから余計にそうなる。クレームがうるさいしまたちょっとしたことで責任問題になるから人を雇うにしても雇われるにしてもめんどうな社会なのである。前の中国人のようには使えない、中国人の命の値段は本当に安かったのである。竹の足場で建築していて崩れたというニュースもあった。そういう無理なことでも中国人はしていた、今はまた変わっているし世界で人権問題がうるさくなりそんな簡単に奴隷のように人は使えなくなっているのだ。
そうすると働かない人が多くてもそれだけ人を雇うにはむずかしい時代だかさ余計に人手不足になる。


介護関係でも簡単にやれると思ってもそこには必ず責任問題がありちょっとでも失敗したら家族から責任を追及されて賠償金を払わされる恐怖があるから介護関係だって誰でもいいとかならないのだ。そして人を雇うことは信用問題がありどんな人か知るのも大事になる。そういう手続きをするだけで人を雇うことが大変である。

だから保証人なくて就職すらできないというのが激増している。
何でも保証人が必要であり就職でもそうであり病院に入るのにも施設に入るのにもあらゆるところで保証人が必要になる。それで困らせるのはいいが社会全体が人手不足になる。それでサービスを受ける側がサービスを受けられないともなる。
だからあまりにも人手不足なになると極端な責任を課すともう誰も働かなくなる。
働きたくても働けなくなる。それも人手不足の原因なのである。


●優先順位を決めて重要な場に人を使いあとは切り捨てるほかない


南相馬市の鹿島区に100人収容の老人ホームできた。でもその百人を世話する人が介護関係の人が確保できないから建物を建てても機能しない、他でも石神の方にもあるけど人手不足だとかなっている。もちろん病院も医師看護師がたりないのだから困っている。
だからやたら忙しくて余裕のある仕事もできなくなっているしあまり文句も言えないのがこの辺なのである。看護師の仕事をへらすのに看護師助士を募集しているけどこれだって資格とるのもんどうである。特にシニアはなんでもちょっとしたことでもめんどうになるからやらない。補償金や生活保護の方がいいとなってしまうのである。


だから人手不足なのだからもう何を優先順位にするか決めねばならないだろう。これは自由社会では何が価値あるかなど決められないのだからむずかしいけど迫られているのだ。別にレストランに行かなくてもいい、もちろんハチンコ屋などなくなってもいい、労働力は貴重なのだからそんなことに費やされている余裕などないのである。
昔の自給自足社会のように生活の基本となるものさえあればいいともなる。


現代の生活の基本は電気、ガス,水道、通信・・とかでありそれがなければまず現代の生活は成り立たない。電気がなくなれば煮炊きもできないから食事もできなくなるからだ。通信だって現代では途絶えれば何が起きているかも皺からなくなるし伝えることもできなくなるから必要である。その他、病院とかも維持されねばならない、ただ介護となると賛否両論がでてくるだろう。本当にこんなに老人が増えてそこに人員を費やしていいのかというのは常に言われている。ただ命にかかわっていることは病気と同じであり簡単に死なすことはできないのも事実である。だからそれなりに優先順位はあがる。

もちろんスーパーは必要である。買い物できなくなったら食事もできない、ではコンビニが必要かというとコンビニはあった方がよくてもなくてもなんとかやれる。つまりなくてもなんとかやれるのは優先順位が低くなるのである。また車がなければ現代の生活はできない、車がぜいたくというより今も車なしで日々の生活は成り立たない、だからガソリンも必需品である。

そういうことは原発事故で外から物資が入らなくなり車があってもガソリンがなくて車が使い物にならなくなっていたのである。
だから毎日一カ月以上ガソリンを得るために長蛇の列ができたのである。車とガソリンは一体のものであった。
だから車社会になるとガソリガンがなくなると社会が機能しなくなるのである。
民主党で「コンクリートから人へ」という政策で無駄な公共事業を減らそうとした。
その政策は実際は時代にあっていた。今建築ブームになっているからというがむしろ立派な建物を建ててもその中で働く人手が得られないから同じなのである。

AGEHOMES.jpg
鹿島厚生病院に連結してできた老人ホーム

HOMENOMAN1.jpg

同厚生連によると原発事故後、仮設住宅が設けられた同市鹿島区では人口が高齢者を中心に約2000人増加。一方、市内では介護施設が8施設から一時半減し、厚寿苑の入所希望者数も震災前の80人から震災後は200人以上に増加した。


福島民友新聞

posted by 老鶯 at 15:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

原発は東京に作るべきだったのであり今もそうである (都知事選の脱原発は通用しない)

 

原発は東京に作るべきだったのであり今もそうである

(都知事選の脱原発は通用しない)

東京湾に原発を作るべき10の理由
http://ameblo.jp/ap-o-mp/entry-11443168955.html


東京都知事選挙で原発を全部なくすということで細川や小泉があおっているがこれはナンセンスである。

原発は東京に作るべきなんだ

東京に作ることが一番合理的でありコストカットだったのである。コストカッターとしてのしあがった
東電の清水社長の意向にもそっていた。つまり福島でコストカットしようとして安全策を怠ったから失敗したのである。
津波だって東京湾は深いからあんな高い津波は押し寄せない、
いろいろ考えると東京が一番ふさわしい場所だったのである。それは専門家でも議論してみればわかる。
だから脱原発が選挙の争点ではない、それは国策の問題である。


それより東京に作ることが一番ふさわしいんだよ


なぜっって、考えてみろ、一千万の大都会をどうして動かせるんだ、
それは電気があってだし原発も欠かせないんだよ、他の自然エネルギーでは補ないない、
そんな巨大な都市をどうして動かせるのか?
だから原発が東京に必要なんだよ
原発があって東京が栄えるんだよ

原発事故になったら東京も終わり日本も終わりだ

それも文明の運命だし覚悟してやるほかない、つまり原発と心中することもやむえないんだよ、

だから原発は信仰対象にもなる。安全神話にもなった。
原発は安上がりなんだよ、東京が栄えるには原発が必須なんだよ
東京が一番電気を使うだからしょうがないだろう
事故になれば東京が終わり日本も終わる

それもいいじゃないか、そもそももう東京自体が電気をまかなうには原発が不可欠なんだよ
事故があったら原発と心中する覚悟が必要なんだよ
東京人だけが助かり福島に作ったということ自体まちがっていた
コストの点でも東京が一番あっていたんだよ
脱原発などきれいごといったってみんなクーラを使っているな
原発があるにしろないにしろ電気など減らせないんだよ
電気をへらしたら文明そのものが終わるんだよ


それじゃフクシマのよう田舎はどうするばいいのか?
それは昔の自給自足の生活を見直すことだよ
電気は必要にしても最小限にとどめ
炭とか薪とか何かそうした自給体制を作っておくことだ
だから原発にたかる金権体質を見直すことなんだよ

借金してぜいたくしているとかいろいろ欲望が深く贅沢していたんだよ

そんなにしてまでぜいたくしたいのか
田舎の人もまた見直すべきなんだよ
東京には東京の栄がある
原発とともに栄があるんだよ
危険にしても覚悟ししてやればいいことなんだ
生半可な気持でどっちもいいように考えるなよ


東京には東京の栄がある
福島にはウツクシマ福島の栄えがあった
これから福島は田舎は田舎の栄えを目指すべきだ
今までのように両方を目指すことはできないだよ
だから田舎も東京と同じく覚悟も必要なんだよ
一挙両得を目指すから変なことになったのだ


東京が終わったら日本も終わる
でも人間は終わらないだろう
自給自足の生活にもどり生きているだろ
東京はなくなっても田舎は残るだろう


政府と東電の最大の間違いはフクシマに原発を作ったことだったんだよ


首都が滅びるなら原発とともに滅びる覚悟が必要だった
東京だけが生き残り田舎は放射能汚染で住めなくなるなどずるすぎる
東京が首都だからすべてが許されれるのか
天皇様が住んでいるから首都を守らねばならない
では美しい田舎が滅んでもいいのか
土や水が汚染されて米もとれなくなっていいのか

そしたら東京も食べていけなくなる
外国があるっていってもそうしたら奴隷になるぞ


原発はフクシマに作ったことが最大の過ちだった


東京には作れないというならどこにでも作るべきではないんだよ
それはわかりきったことじゃないか
東京に作ることは政府も責任をもつということだったんだよ
そしたら命懸けで原発を見張っていればよかったんだよ

政府もそしたらさ本気になって安全をみているから良かったんだ
フクシマにあるから離れているから安全だ
東京は守らねばならないというのがまちがっていた
たから安全も怠っていたんだよ
離れているから事故になっても東京は安全だとな
被害はフクシマだけがかぶればいいとな・・・

 
posted by 老鶯 at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2014年02月06日

南相馬市の桜井市長は北海道に本当に逃げたのか? (様々な混乱状態と補償金問題で分断された南相馬市)

 

南相馬市の桜井市長は北海道に本当に逃げたのか?

(様々な混乱状態と補償金問題で分断された南相馬市)

今日は病院で原町の人にいろいろ聞いた。その人は何か詳しい、
直接役所に聞いたりいろいろ積極的に問題を追求して具体的に行動している。
だから一番信憑性があった。説得力があった。
三人に聞いて二人が逃げないということは逃げなかった。
そして桜井市長は独身であり北海道に娘がいないという。


では何がデマの原因になったのか?
それは横山市議会議長が北海道に逃げたのは確からしい
それが混同して桜井市長も逃げたというのが真相なのだろう

桜井市長が北海道に娘も縁故もないとしたら逃げるはずがないのである。
その人は桜井市長は嫌いだけどまともなことを言っているのは彼しかいないという。
桜井市長については悪い評判しか聞けなかった

でもこういう混乱状態だとやはり批判が大きくなるからやむをえないという。

やはりデマというのは数を当たればおのずと見えてくるものがある
10人聞いて7人くらいが桜井市長は逃げなかったとなれば信憑性が強くなる
もちろん誰がしゃべり何を根拠に言っているのかも問題になる

その人は何でも直接役所に聞きにいっている。
文句ばかり言っていてはだめなんだと直接役所に行って交渉もしている

この辺の人はプライドが高くて馬鹿にされるんじゃないかと訴えないという
内輪でなーなーで解決して議論もしないし訴えもしない

しかし今は緊急事態であり平和な状態ではないからそんな今までの態度は通用しない
役所にも聞いて訴えて解決を計らねばならない
この辺は平和がつづいて守りの姿勢が身についてしまっている
積極的に県なり国なりに抗議して具体的に補償金でも獲得しなければならない


国は30キロで賠償など線引きしていない、鹿島区は原町と同等の権利がある


30キロ圏内圏外という線引きは南相馬市ではされていない
イワキでされたのであり南相馬市ではされていないという
ええ、そうだったのか?

最初から30キロ圏内とかうるさく言っていたから国で線引きしたものとばかり思っていた

だからその人は桜井市長が鹿島区を原町区と同じく差別しないで賠償金も支払うべきだと盛んに言っていた。
原町区なので原町区は鹿島区に賠償金を桜井市長が市の財政から
一時的に払ったのは良かったと言っていたのも原町区の人が言うのでそんな人もいるのかと思った。
中にプログでも執拗に鹿島区に払うべきではなかったと主張している人がいる。
これも南相馬市が分断される大きな要因だった。


つまり鹿島区が南相馬市であり原町区と被害も同じなのである。
避難するにしても半分はしているし屋内退避でいいとされても被害は今でも変わらない
田畑は耕されていないしいろいろな面で変わりないのである。

その後の賠償で東電かは鹿島区は一人一カ月10万であり7か月分しかもらえない、
原町区は2年分くらいもらっているのである。その差別がどうして生れたのか?
それは原町区の人が理不尽だといっている

確かに原町区と鹿島区は放射能汚染でも避難にしても田畑が耕されないことなど被害は同じなのである。
どうして30キロで線引きされて原町区と鹿島区が差別されたのか?

だから桜井市長の判断は正しかったとなる。なぜなら緊急事態であり現金などもっていない
貧乏な人にとっては当面の生活費が必要になっていたからである。

ただ二週間から一カ月は金があっても物資は入って来なかったから金がその時は役に立たなかった。
そのあとの生活費では必要だった。

南相馬市がこうしして補償金で分断されるたとが復興ができない大きな理由になっている。
みんなあれはいくらもらったとかが問題になる。
だから小高の人はもらいすぎだと常に批判があり仮設に入っていても実は歓迎されていないのである。

相馬市でも原発避難民は補償金もらっていると歓迎されていない、
だから飯館村の人を地元の農家の人が雇わないで津波の被害の人を雇うことにした。
それで不満を言っていたけどそれも当然だともなる。


相馬市の原釜の人が仮設の食堂で妻をなくしたとか酒を一人飲んでいた。
その人が言うには船主は例えば一カ月200万補償金をもらうが
船主でないものは船をもたずに雇われるものはその200万から船主が配るという。
だからそれは船主にまかせられている。
つまり船主には大きな金がまかされるし入ってくる。
だから漁業関係者でもそこに差別がある。
それで船主だったりすると億の金とかをもっていることがありうる
それで立派な家を建てたということもある


その人は別に漁業関係者でもないから津波の被害にあっても何ももらっていないのである。
だから松川浦だと人口も多いからみんな漁業関係者で補償金をもらえない、そこでまた同じ地域でも不満がでてくる。
この辺ではこうして補償金問題で分断されている。
それが何か一つになれずギスギスしたものとなり反目しあっているのだから
こういうところでは一致して復興に地元の人が努力しようとならないのである。

 

 
posted by 老鶯 at 23:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2014年02月10日

なぜ事故が起きるのだろうか? (事故もカルマが関係していたーツケは必ず払わされる)

 

なぜ事故が起きるのだろうか?

(事故もカルマが関係していたーツケは必ず払わされる)


事故がなぜ起きてくるのか?それは不注意とかが一番言われる。
でも注意しても事故は思いがけなく起こる。
だから事故は運不運だともなってくる。
なぜ今回水道管などか壊れて大量の水漏れをしたのか?
それも自分が留守の時に起きたのか

これは何なんだろうとなる

その原因はたまたま遠くに外出したことにあった
それも仙台に行ったのは約一年ぶりであり出かけていない
だから母が入院している間に行きたいと思っていた
自分はこれまで自由にどこでもふらっと遠くに旅もできた
そういう自由があることはよほど恵まれていたのである
なぜなら他の人は勤めていれば時間に出勤して
休暇をとること自体簡単にできないからである


それが家族が病気になり自分も病気になりここ7年間は介護でできなくなった
介護になると代わりがいないと外出すら余裕をもってできなくなる
それが一番自分には辛かった
全く自由が奪われてしまったのである
それも結局はあまりにも恵まれた結果なのである
「お前には十分自由を味わったからもうあなたの自由はない」
そう宣告されたと同じである


今回の大きな事故も何かそういう宣告を破ったことが原因している
お前は勝手には外出できない、遠出はできない
今までは家族がいて留守していたのだからこんなことは起こりえようがないのだ
要するに「お前にはもう自由がないのだ」ということを宣告されているのだ
その宣告を破ったがゆえに大きな事故が起きてしまった
それも自分がいないときに起きた
自分がいればその事故もたいしたものとはならなかった
水はすぐとめられたからである

てもこんなことは40年に一度くらいしか起こらないのである
だからその事故の時、家にいないということはよほど不運だったのである

事故に運不運があるとき、それは単に不注意とかではない運命的に事故が起きる
だから事故の原因が何なのか、それは運命だったということにもなる
そして事故がカルマだったということも指摘される
カルマというときその人が事故を起こすカルマをもったから起こす
自分の兄弟の一人は自分の父は同じではないが工場で事故で死んだ
その息子であったが40歳で交通事故で死んだ
だから二代して事故で死んでいるのはなぜなのだろうとなる
これもカルマなのかとなってしまう


ただこの世で事故はいつでも起きている、最近聞いた話では電柱に上る電気の仕事をしている人が
感電して死んだという、あそこには6000ボルトの電気が流れているという、
だから危険であり死ぬ人がいても不思議ではない
すると電気はボタン押せば使えるがその電気を作り保つことは危険があるということも認識する
命がそこて犠牲にされているということも認識して電気はありがたいものだとなる
原発でも事故が起きなければそうなっていたのである

だから事故はいつの世でもあり一つの犠牲だったともなる

なぜなら事故は交通事故でもそうだが車社会ではどんなに注意しても起きる
だから車社会の犠牲として事故が起きるからやむをえないとして保険金がでる
電気も同じなのだ
電気を維持するためにはやはりそれを保守点検する人がいてそういう事故が起きた
それは電気社会を維持するための尊い犠牲だったとなる
一種の電気を維持するための殉職だったとなる

原発事故でも電気社会を維持するために不可欠であり
犠牲者がでてもしかたがない、それより電気がなくなったら今の社会は維持できない
だから原発なしでは社会は文明は維持できないからつづけるべきだということになる
だから原発は簡単にやめるわけには行かないのである


いづれにしろ事故は何か運命的に起こらないか?
今回の事故にしても自分にとっては何か運命的だった
自分が今出かけなければあとはまた出かけられなくなる
そう思ってでかけたとき事故が起きたのだから運命的である

だから事故でも運命論的にとらえる人もでてくる
事故にあうべくしてあったのだ、死ぬべきして死んだとかさえされる
原発事故も起こるべくして起きた

巨大地震津波が起きたのも運命的であり事故も起きた
事故は運命的起きたということである
運命的とはどんなことをしてもさけられずに起きるということである
そこには神の意志さえ働いて起きるともなってしまう
だから人間の力ではさけられないものとして起きるのだともなってしまう

事故でも今回の原発事故でも予測しえないものが起きて起きるからそうなる

交通事故だってどんなに注意してもたまたま車を運転している人が暴走したりすれば
さけられない、自分が悪くなくても死んだりする。
だからそれもよほど不運だったとなる
それは相手の過失でそうなっても不運だったとなる

事故でも犯罪にあうのも運命的で運不運があったとなる
自分が突然病気になり入院して火事場泥棒にあったのも
大不運だったがそれも運命的でありさけられなかった
つまりそういう犯罪にあうべくしてあったとまでなる
犯罪というはそういう側面があるかもしれないのだ
なぜその人だけが犯罪の被害者になるのが不可解なことがあるからだ


ともかくこの7年間に自分に起きたことは何らかのカルマの結果でもあり
起こるべくして起きた運命的なものがあったということである
カルマとはなんらかのツケである。それを人生で積んでいるのが人間である
一番わかりやすいのは借金である
借金は具体的なカルマでありツケだからいづれは隠すことができず払わされる
それが過酷なものとなっている場合がある
その清算もいつかは要求される

だから自分に起きたこともカルマでありツケを払わされているとなる
原発事故でもそういうことがいろいろ起きている。
原発避難者は原発では金銭的に恩恵を受けていたとか言われる
それか今はカルマとなりツケとなって過酷なものとして支払いを要求されている
いづれはカルマはツケは個々人でも団体でも支払わされるということである

posted by 老鶯 at 11:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2014年02月11日

南相馬市自分の組の最近の状態 (空家、一人暮らし、介護、新築の家、・・・)

 

南相馬市自分の組の最近の状態

(空家、一人暮らし、介護、新築の家、・・・)

震災津波以後どういう変化があったのか?
今の状態は自分の組を見ると何か象徴的である。
組にしても12軒くらいしかない。


空家が三軒もある。
一軒は医者をやっていた、震災以後やめた。
もともと母の介護で故郷にもどったのだがその母も施設にあづけて死んだ
今は庭も広く屋敷も残っているが空家である
もう一軒は老夫婦だったが夫が死んで妻は子供にひきとられて
二人で住んだ家が空家となっている
隣も一人でなんとか暮らしていたが自立できなくなり子供が引き取った
だから空家になった


病院に介護されている人が自分の母と組の人が一人いた。
自分の組で一人暮らしの人が三人いる


空家三軒
一人暮らし三人
二人は介護状態になり子供がひきとる
介護家族二組(病院に入院中)
子供のいる家族は一家族


なんともわびしい構成である。こんな状態が何か現代を象徴しているのかもしれない、
この一区域がまるで限界集落のようになっている。

ただ新しく入って来た人が近くに三軒くらいある。
一軒は津波で壊滅した烏崎の人である
この家は大家族だけど外観はできていても何か半年すぎても住んでいない
ということは何かまだわからないが水道なのか電気なのか
そうした設備ができない、人手不足なのか資材不足なのかわからない
でも普通ならできていいはずである


この状態はやはり現代の社会の状態を象徴しているみたいだ。
活気もなく少子高齢化社会の縮図となっているのかもしれない。
この辺では仮設に人が増えてもそれは普通の状態ではない
まさに仮の宿でありいつれは消えてゆく
ただ一方で街の方に家が人が集まってきたことも確かである。
コンパクトシティ化してきたのである

復興住宅にはすでに人が住み始めているという。
でもこの数も多いから復興住宅そのものをそろえるのは相当時間がかかる。
人手不足と資材不足と土地不足とかいろいろな条件で遅れる

この津波や原発被害からの復興は相当に時間がかかり元にもどらない
神戸では十年くらいかかったというがここではまだ時間かかるだろう
それだけ被害が大きかったのである
10年もかかるとすると老人にとってはさらに苦しくなる
もう故郷に帰って過ごす時間がなくなる
帰っても75くらいになると病気や体が弱り苦しくなる
つまり復興した故郷に元のように暮らせないということになるのだ


現実に二組の老人はやはり一人は75くらいで弱り子供にひきとられた
そういう人もふえてくるとすると故郷に帰り住むこともむずかしいのである
結局子供のところにひきとられるとすると子供と一緒に住むほかないとなる
子供が故郷に帰らないとすると親も帰れないとなる


ともかく様々な負担が強いられていてその復興にしても先が長すぎるのである
原発避難区域は町自体が崩壊したようになっているが
その回りも何かそういう崩壊状態になる不安があるのだ
だからなんらかの思い切った対策が必要なのだがそれが見えないのである。

こんなとき競輪のサテライトが再開するとかパチンコ屋でにぎわうとか
そこに人手がたりなくて困っているとかでいいのかとなる
どこも病院も介護施設も建築現場もあらゆるところで人手不足なのである
そしたらなんとかそこを補おうという力が働くのが普通である
それができないのは何か現代の社会構造の問題がある

働くことが保証人だとか資格だとかなにかにやめんどうすぎるのである。
それも相手を信用できない広域社会になっていたとかがありできない
ただ責任ばかり問われるから看護師でも介護士でも他もやりたくなとなる
でも介護などは家でもやっているのだから誰でも実際はできるのである
何かしたくてもできないという人も多いの現代社会なのである
だから何かそういう既存の考え方を変えないと現在の状態は改善しないのである
それは市政だけではできないのである
個々人の意識を変えることや自発的な意志が必要になってくる。
それがないと今の状態は改善できない
みんな他人まかせにしてできないのだ

結局看護師も介護士だって集まらない、いくら募集しても集まらない
建物が箱物を作っても集まらないから宝のもちくされになる。
奇妙なことだけど建物がなくても人手があれば介護などは助けられるのである
そういうところでも既存の考え方を変える必要が出てきているのである。

posted by 老鶯 at 23:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2014年02月13日

貧乏はモラルを養成して過度な富はモラルを荒廃させる (原発事故周辺地域はやはりその罰を受けたーそれは世界的にもそうである)

 

 貧乏はモラルを養成して過度な富はモラルを荒廃させる

(原発事故周辺地域はやはりその罰を受けたーそれは世界的にもそうである)

箴言

少しの物を所有して主を恐れるのは、
多くの宝をもって苦労するのにまさる。
(15:16)

野菜を食べて互に愛するのは、
肥えた牛を食べて互に憎むのにまさる
(15:17)

貧乏などいいことはない、あなたは貧乏の苦しみを知らないとかいうのも本当である。
貧乏がモラルを荒廃させるというのも普通にある。
一方で確かに過度な富がモラルを荒廃させるというのもある。
そき富の度合いも問題になる。
現代は個々人で見るのではなく全体で見れば過度な富がモラルを荒廃させて堕落させている状態に見える
格差社会で貧乏時代にもなっいるというのもある。
ただ歴史的に見れば今ほど全体で贅沢している時代はないだろう。
実際生活保護であろうが貧乏を絵にかいたような人でも現代の富を享受している
食べるものでも何でも現代の平均的な富を享受しているのである。


過度な富というとき、「もったいない」ということが現代ではなくなり膨大なゴミを生み捨てている。
そういう社会はどんなことてたってもったいないという思想は生れない
江戸時代はどんなものも捨てない、あらゆるものを資源として活かしていたからもったいないということで日々生きていた。
モノを大事にしていた。
限りある資源で生きていかねばならないからモノを大事にしたしモノに感謝していたし
自然から与えられるものに感謝していたのである。
戦前の生まれの人はもったいないということが生活の中で身についていた
だから極力無駄をするのをさけた。


現代は消費社会となり新しいものを次々に買い古いものは捨てるという生活になった。
そこにはもったいないという思想は育まれない、モノを粗末にするし与えられるものに感謝もしない、
過度な富の時代になるともったいないというモラルは喪失する
ロウソクがどれだけ江戸時代でも貴重だったか溶けた蠟を集めて再生したりと徹底して
資源を無駄にしないのである。


江戸のリサイクル職業
http://www.gakken.co.jp/kagakusouken/spread/oedo/02/kaisetsu3.html


そもそも江戸時代のモラルはどうして形成されたのか?
それは基本的にはベースとなったのは小さな自給自足体制の村だったのである。
農家自体が一つの自給自足体制の根城だった。
だから納豆まで自家生産であり自給自足ができていたのである。
戦後十年は江戸時代のつづきであり炭が燃料だったり暖房に使っていたから農家の方が豊かだった。
卵なども農家では鶏を飼っているのだから食べられたが街では病人しか食べられない贅沢なものだったのである。


例えば産地直送で村おこし町起こしをしている農家がある。アスバラガスが転向の異変でとれなくなる。
そのとき消費者に天候の異変があり雹などふり提供できないとなった。
一週間ほど遅れると直接生産者から消費者にその旨を連絡した。
(一週間遅れますががまんしてください)ということになる。
でも現代では日本全国から世界から食料が入ってきているとき一週間がまんする必要などない、
いくらでもモノはあふれている、世界中から入ってくるとなると金さえあれば一週間待つ必要などないのである。

実際にアスバラガスはメキシコ産になると200円だったのが100円になっていてそれも太いから買い得になる。
だから地元で日本で生産しても対抗できなくなる。
しかしそのことがモラルを荒廃させる。

自給自足の体制だったら村のものは外からモノが簡単に入ってこないから
みんなで辛抱するほかないし少ないものでも分かち合い助け合う他ないのである。
そこには忍耐心という徳が養成されるのである。
確かに作る人も消費する人も一週間待つことで忍耐心の養成を共有する。
いつもそんなにモノは手に入らないものだ、農家の人は天候の異変に弱い、
それを食べる人も考慮すべきだとなり農家の人と心情的に共有する心を養成されるのである。


グローバル化した経済ではそういうことはない、モノは世界中から入ってくるから金さえあれば手に入るとなっている。
そのモノがどうして作られて世界から提供されているかもわからないのである。
後進国の人が過酷な労働で提供していることもわからないのである。
だから徳をモラルを心を共有することができない、グローバル化の問題がそこにあったのである。

ともしさに耐え
少なきを分かち合い
同じ場所に
生をともにして
人はともに眠りぬ
・・・・・
より多くを求め
多くを分かち合い様々な場所に
生を別にして
人は別々に眠りめ
人の心は通わず
人はただモノと金のみを求める

結局原発事故がなぜ起きたのか?
それを深く問うてゆくと過度な富を求めた結果であった。
過度な富を求めた結果として危険な原発に手を出して今日の状態をもたらしている。
双相(双葉相馬)地域は福島県で一人辺りの収入か一番多かったのである。
それでもみんな過度な富を求めていたのである。
みんなたりないたりないということしかなかった。


その結果として何がもたらされたのか?
同じ場所に住めず人はばらばらになり心も通わないものとなった。
その後も補償金問題で以前として金を求め心は通わずバラバラになっている。
それは結局過度な富を求めた結果なのである。
これは原発事故周辺だけではない、日本全体に言えることである。

今や富は本当は十分ではないのか?
ただ配分とかその他の格差問題がありそれが貧乏だと自覚させられる。
でも全体的な富の配分を有効に行いば今は十分な富がある時代である。
過度な富を求めた結果としてモラルの荒廃が起こりその罰を受けたのが原発事故周辺地域だったのである。
それはここだけではなく世界的な問題としてある。
実際にみんなばらばらに住まざるをえなくなり心も通わなくなっているのも原発事故周辺なのである。

 
posted by 老鶯 at 23:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2014年02月14日

アスパラガスから考えるグローバル化経済 (原発事故も各人の過度な富を求めることにありその根も深い)


アスパラガスから考えるグローバル化経済

(原発事故も各人の過度な富を求めることにありその根も深い)

WANTSSSS.jpg


産地直送で村おこし町起こしをしている農家がある。アスバラガスが転向の異変でとれなくなる。
そのとき消費者に天候の異変があり雹などふり提供できないとなった。
一週間ほど遅れると直接生産者から消費者にその旨を連絡した。
(一週間遅れますががまんしてください)ということになる。
(グローバル化の終わり、ローカルからのはじまりー吉澤保幸)

このつづきだけど


「アスパラガスなんかスーパーでいつでも売っているよ、最近100円でメキシコ産の太いアスパラガス売っていたよ、それを買えばいいんじゃない」
「そういったって、アスパラガスを作っている人から直接買っていたのだからそんなことができないよ、その人のことを考えてみろ、天候の異変でとれなくなり苦しんでいるんだよ、その人の身になってみろよ、その人のことを考えたら一週間でも待つのが人間としての心をもっていたらそうなる」
「そんなこと言うけどアスパラガスが食べたいなら安くていいのが食べたいなら食べればいいんだよ、どこのものでもいいんだよ、安くてうまければいいんだよ、今はそういう時代だよ」
「でもさ、もしメキシコ産のものでも何かがあり入らないことがあるだろう、そしたらどうするんだよ、外国でも何が起きるかわからない、いつまでも安いとも限らないからな」「なーに、世界は広いからどこからでも入ってくるんだよ、そんな心配はいらないよ
世界が市場になった時代たからな」
「そういったって、自分が買うと決めた農家の人との人間関係を壊すことはできないよ、モノがどこから入ってこようとどこで買おうとそのモノを作る人間のことを考えている人は今はいないからな、そのモノをどうして作られているかもわからないからな」
「そんなことよりさ、今は人間関係などめんどうなものは関係ないんだよ、金さえあれば何でも買える時代だよ、アスパラガスだってなんだって金さえあればいつでもどこでも買える、それが世界市場化したからそうなる、世界市場で競争しなければ何でも売れなくなる、食料だってそうなる、日本の食料も今や和食などと世界に売れているじゃないか
それはアスパラガスと同じなんだよ、日本のリンゴも高級品として高値で売れているだろう」
「でも人間と人間の関係は大事だよ、モノより人間の関係を第一にすべきなんだよ、
地球の裏側からモノが入ってきてもそれを作っている人のことなどわからない、だからいつそのモノが入らなくなってしまうかわからないリスクがあるんだよ」
「そんな人間の関係よりさ、金の方が今は大事なんだよ、金さえあればモノはいつでも手に入る、だから金をかせぐ必要があるんだよ、金の方が人間関係より大事なんだよ」

グローバル化の市場原理が働くと人間関係より金だとなる。そこに人間との関係はなくなり金が神のごとくなるというマルクスの理論もわかる。メキシコ産のアスパラガスを買ってもモノを買っているのでありそれを作っている人間とは何の関係もないのである。

物々交換とか江戸時代の村のような狭い自給自足の体制だったら人間関係の方が重視される。昔の経済はそういうことの方が多かった。

人間の動機を「物質的」なものなのか、またと「観念的」なものとして描きうるという見解、また日常的生活を組織する誘因は必ず物質的動機から発するという見解を受け入れさせたのである。

諸事情の真の状態というのは市場にかてったものから非常にかけはなれているもので簡単な言葉で描写するのは容易ではない、・・・

(人間の経済・・Kーボランニィ
)

食堂に入るにしてもその動機はいろいろある。ただ料理がうまいだけとは限らない、そこのマスターが気に入ったとか食事はイマイチだから雰囲気がいいとかなごみがあるとかいろいろある。すべて料理だけで決められるわけではない、そこにも様々な個人的価値観が入ってくるのである。だから同じ物を売るのでも売る人間によっても売れたりう売れなかったりするのである。
例えば村で草鞋を作っているとき、それが必ずしも必要だから買うのではなくその草鞋を作っている人のために必要でなくても買うということがあった。その草鞋より人が大事だからそうなる。今でも経済合理性よりここの村は貧しいからつまらないものでも買ってやろうとかなることはある。経済合理性だけで市場原理だけで割り切れないのが人間だからである。それが人間の経済であった。そういう世界では人間同士のモラルが養成されたのである。

原発事故をその原因は何なのかといろいろ考えてきたけどモラルが喪失したということが大きな要因だったということが自分の書いたものをふりかえり再認識した。

だから原発事故は単なる技術的な問題として起こったものとは思えない、根深く文明そのものに問題があったともなる。

過度な富を求めて起きたというのも見えてくる。原発は金になるからあらゆる人がそこに群がった。政治家から官僚から検察からマスコミからカルト宗教団体から地元の漁業権者から議員から市町村民から全部その巨大な利権、金を生み出すものに群がったということがある。それが巨大な富を金を生み出すものだったからである。
そこにはかなりの無理をしても原発を作り出すものがありそういう根があって原発は推進されて事故が起きた。
文明自体が過度な富をもたらすものとして限界があり原発事故が起きた。
それは個々人でも過度な富を求めているということもあった。

いかに人間が今は過度な欲望をもつか、それは個々人をみてもわかる。
借金して贅沢していた人もあったしブラックなことをしても贅沢しているし様々な欲望が過度に追求されている。そういう欲望がありそれが根となり原発を生み出す原動力となっていた。

ではお前は江戸時代にもどり電気のない世界で暮らせというのはまた違っている。
電気は必要でありその他のものも必要である。山尾三省のようなパンも食べられないような生活は過度な欲望とは言えないのである。
どのくらいが過度になるかは問題になるが明らかに全体的には過度な富の追求になっていたことは確かである。
田舎の暮らしでも今は都会より贅沢である。車だって一家に4台とかあるのも普通である。一人一台も普通である。そして借金していてもそうしている人もいた。

そういう生活は原発が危険でも金になるからと誰も反対しなかった。
回りが全部そうなら反対してもできないということもあったのだ。

漁業組合であれ農協であれ労働組合であれ宗教団体であれそれらが利権化してもそういう団体にそんな利権だけを求めるななどと言えない、権力化しているからそんなことは言えないし怖いからそうなる。労働組合だって電事連合は原発推進だったし原水協すら原発には賛成していたのである。現代の団体化組織化したものはみんな利権追求団体である。
一見そうでないようでもそうなっている。だからマスコミはそうした組織化した団体化したものの宣伝費で成り立つから利権団体を責めたりはしない、同調して利益を得ればいいとだけなるのだ。それで安全神話は作られたのである。


では以前として過度な欲望の追求をやめておさえる生活をしようとなると誰も賛成しないだろう。それだけ一旦豊かな生活をするとその生活レベルを落とすことがむずかしくなる。電気を減らすということもなかなかできないのである。
だから個々人の意識を変えることだとなるがそういうふうに原発事故をとらえて実行している人もいなしできないのである。つまり原発事故の原因の根はそれだけ深い所にあり単に技術的問題だとか脱原発とかを全部なくせとか簡単に言うまえに個々人の生活に過度な富を求める、欲望の問題がありそれを抑えるということがむずかしいということを自覚すべきなのである。



細川とか小泉とか都知事選で脱原発を訴えたけど
一体彼らはそもそも家でどんな生活をしていているのか?
ふんだんに電気を使い贅沢しているだろう。
そして政治的利権で得して贅沢している
脱原発のデモした人たちも同じじゃないか?
デモして暑くてたまらなかった
どんどんクーラで冷やしてくれとなる
山尾三省のような生活をしろとは言わないけど
各人の生活でも何か「脱原発」ただ唱えるのは楽だよな
では一旦自分の生活で電気を減らすとなると容易でなくなる
「脱原発」と叫ぶことは誰でもできることなんだよ
 
 
posted by 老鶯 at 16:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2014年02月16日

なぜ被災者は働かないのか (原発避難者の風当たりが強くなってくる)

 


なぜ被災者は働かないのか

(原発避難者の風当たりが強くなってくる)

つぶやきかさこ
http://kasakoblog.exblog.jp/17228759/

このサイトに要点がわかりやすく書いてある。やることないから東京でキャバクラに行った、
あとは毎日パチンコだ、汚い仕事はボランティアがやればいい、こっちはかわいそうな被災者なのだ、
補償金や義援金ももらえるし働くと失業保険の金がもらえねえしな、馬鹿らしいんだよ・・・・

こういうことも一時期はしかたなかったろう。どうしていいかもわからなかった。

でも三年目になるとそうはいかない、回りの目も相当に違ってくる。
このプログでは一年目でそう書いていたのである。
一年目ではまだまだ被災者を責めることはできなかったのである。
回りではおかしいなと見ていても見逃していた。
でも三年目になったら回りの目は厳しくなる

原発被災地でも南相馬市でも補償金で小高区と原町区と鹿島区はそれぞれ額が違っている。
一番多いのは警戒区域になった小高区である。ここは一人十万でありその他にもいろいろもらっている。
だから一家で百万もらっているというのもいる。
それでボランティアが働かないと喧嘩になった。
そのことは一年目とか二年目であった。今ではボランティアの数は相当減っている。
事情は常に時間とともに変化している
地域ごとにも変化している。

福島県内でも中通りは郡山市でも二本松市でも福島市でも放射線量が南相馬市とかより高い地域がある。
でも何ら補償金はもらっていない不満がある。
それで南相馬市の人の車が福島市で傷つけられたというのはそういう不満があるからだろうか?
その真偽はわからないにしても福島県内でも対立があるのだ。
こういうことは宮城県や岩手県ではそんなにないと思う。
そもそも原発の補償金など関係ないからである。


ただ日頃でもスーバーで何を買っているかなど主婦でも女性は見ている。
自分も今回小高の知っている人がニートでありその人がエチゴを買っていた。
こいついいもの食べているなと思った。
前には電動自転車のいいのを買っていたのもそうである。
ニートだからもともとはぎりぎりの生活でそれは贅沢の部類に入っていたことは確かである。
そんなもの贅沢ではないというのも今は言えるがその人にとって明らかに贅沢になっていたのである。
東京で遊び歩いている老人もそうだった。日頃の生活だったらんなことできなかっただろう。
だから原発事故で得したという人も結構いるのである。


ただ今までも相馬市の人はスーパーで避難者が高い買い物をしていることを何回も言っていた。
そして批判していた。働いてほしいほしいと何回も言っていたのである。
だから相馬市でも飯館村とかはあまり責められないにしても補償金がかなりもらえから
そこで回りの人はぎりぎりで生活している人もいるから嫌われる。
それで飯館村の人をトマト農家では雇わず津波の被害者を雇ったというのは別に冷たいことでも何でもなかったのである。十分に補償金で暮らせるからである。

相馬市と原発避難者の対立は南相馬市よりひどいかもしれない、
南相馬市でも鹿島区に住んでいる小高区との対立は深くなっている。
あいつらはたんまり補償金をもらっている。こっちはもらっていない、
そしてなんであの人たちは遊び暮らしているのか、そういう不満が大きくなっている。
ただ鹿島区の人も今は働いていない人が多いが小高区の人より働いている人も多いだろう。


そもそも復興というとき外部から来た人たちの力に頼っているのが現状である。
復興住宅やその他の復興事業もほとんど外部の力に頼っていたのである。
だから復興というとき、何か地元の人がみんなで協力して一つの建築物でも建てたとき
何か復興したという満足感が得られる。そういうことが今回の被災地にばないのである。
そんなことできとないということもあるがやはりみんなで何かしら
復興に尽くしたということがないのなら復興の業績はただ外部のものだけにあったとなる。
そうなると復興したのは外部の人たちであり地元の人はその時遊んでいたんだよとなり
子孫にそのことを語ることもできないだろう。
津波原発被害では地元の人はただ遊んでいただけだよ、何の苦労もしていない、
感謝するのは外部から来た人たちでありおじぃちゃんやおばあちゃんでもなかったんだよ
そんなことを子孫に言われることになるかもしれない・・・・


相馬藩の飢饉の時は越中などの人が移民して救われた。
それは歴史的に評価されているし語り継がれている。
それも外部の人たちだったとなるがでも地元に根付いて地元の人となったのだからまた違っている。
その時は残った地元の人たちも苦労したのである。

いづれにしろ原発避難者はこれからはさらに外部であれ内部であれ風当たりが強くなる。
今までのようなかわいそうな人たちとも見られるなくなるかもしれない、
何で遊んでばかりいるんだとか批判が強くなる。

それは今までは表だってはあまり言えなかったが抑えられていた感情が露にでてくるかもしれない、
そうなりつつあるからやはり今までのようなかわいそうな人たちという感覚ではこれからやっていけなくなるかもしれない、
それは南相馬市でも相馬市でも内部でもそうなってゆく。


原発避難地域の現状の矛盾

(補償金で働かない地元の人と外部の人が喧嘩!)
http://musubu2.sblo.jp/article/61677034.html

これを書いたのは2013年1月だった。それから一年またすぎた。
そしてまた状況が変わってゆく、あのころあそこの仮設の食堂は客でこんでいた。
今はめっきり減っている。それが一年前だとは思わなかった。
あのころはまだ外部から入ってくる人が多かったのだろう。
3年目になり外部からくる人は激減しているかもしれない
ただ復興住宅など10年もかかる仕事かもしれない
それだけ復興は長くかかる。
だから外部の力は以前として必要である。
しかしそれもどんどん減ってゆくことは確かなのである。

posted by 老鶯 at 19:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

なぜ被災者は働かないのか (原発避難者の風当たりが強くなってくる)



なぜ被災者は働かないのか

(原発避難者の風当たりが強くなってくる)

つぶやきかさこ
http://kasakoblog.exblog.jp/17228759/

このサイトに要点がわかりやすく書いてある。やることないから東京でキャバクラに行った、
あとは毎日パチンコだ、汚い仕事はボランティアがやればいい、こっちはかわいそうな被災者なのだ、
補償金や義援金ももらえるし働くと失業保険の金がもらえねえしな、馬鹿らしいんだよ・・・・

こういうことも一時期はしかたなかったろう。どうしていいかもわからなかった。

でも三年目になるとそうはいかない、回りの目も相当に違ってくる。
このプログでは一年目でそう書いていたのである。
一年目ではまだまだ被災者を責めることはできなかったのである。
回りではおかしいなと見ていても見逃していた。
でも三年目になったら回りの目は厳しくなる

原発被災地でも南相馬市でも補償金で小高区と原町区と鹿島区はそれぞれ額が違っている。
一番多いのは警戒区域になった小高区である。ここは一人十万でありその他にもいろいろもらっている。
だから一家で百万もらっているというのもいる。
それでボランティアが働かないと喧嘩になった。
そのことは一年目とか二年目であった。今ではボランティアの数は相当減っている。
事情は常に時間とともに変化している
地域ごとにも変化している。

福島県内でも中通りは郡山市でも二本松市でも福島市でも放射線量が南相馬市とかより高い地域がある。
でも何ら補償金はもらっていない不満がある。
それで南相馬市の人の車が福島市で傷つけられたというのはそういう不満があるからだろうか?
その真偽はわからないにしても福島県内でも対立があるのだ。
こういうことは宮城県や岩手県ではそんなにないと思う。
そもそも原発の補償金など関係ないからである。


ただ日頃でもスーバーで何を買っているかなど主婦でも女性は見ている。
自分も今回小高の知っている人がニートでありその人がエチゴを買っていた。
こいついいもの食べているなと思った。
前には電動自転車のいいのを買っていたのもそうである。
ニートだからもともとはぎりぎりの生活でそれは贅沢の部類に入っていたことは確かである。
そんなもの贅沢ではないというのも今は言えるがその人にとって明らかに贅沢になっていたのである。
東京で遊び歩いている老人もそうだった。日頃の生活だったらんなことできなかっただろう。
だから原発事故で得したという人も結構いるのである。


ただ今までも相馬市の人はスーパーで避難者が高い買い物をしていることを何回も言っていた。
そして批判していた。働いてほしいほしいと何回も言っていたのである。
だから相馬市でも飯館村とかはあまり責められないにしても補償金がかなりもらえから
そこで回りの人はぎりぎりで生活している人もいるから嫌われる。
それで飯館村の人をトマト農家では雇わず津波の被害者を雇ったというのは別に冷たいことでも何でもなかったのである。十分に補償金で暮らせるからである。

相馬市と原発避難者の対立は南相馬市よりひどいかもしれない、
南相馬市でも鹿島区に住んでいる小高区との対立は深くなっている。
あいつらはたんまり補償金をもらっている。こっちはもらっていない、
そしてなんであの人たちは遊び暮らしているのか、そういう不満が大きくなっている。
ただ鹿島区の人も今は働いていない人が多いが小高区の人より働いている人も多いだろう。


そもそも復興というとき外部から来た人たちの力に頼っているのが現状である。
復興住宅やその他の復興事業もほとんど外部の力に頼っていたのである。
だから復興というとき、何か地元の人がみんなで協力して一つの建築物でも建てたとき
何か復興したという満足感が得られる。そういうことが今回の被災地にばないのである。
そんなことできとないということもあるがやはりみんなで何かしら
復興に尽くしたということがないのなら復興の業績はただ外部のものだけにあったとなる。
そうなると復興したのは外部の人たちであり地元の人はその時遊んでいたんだよとなり
子孫にそのことを語ることもできないだろう。
津波原発被害では地元の人はただ遊んでいただけだよ、何の苦労もしていない、
感謝するのは外部から来た人たちでありおじぃちゃんやおばあちゃんでもなかったんだよ
そんなことを子孫に言われることになるかもしれない・・・・


相馬藩の飢饉の時は越中などの人が移民して救われた。
それは歴史的に評価されているし語り継がれている。
それも外部の人たちだったとなるがでも地元に根付いて地元の人となったのだからまた違っている。
その時は残った地元の人たちも苦労したのである。

いづれにしろ原発避難者はこれからはさらに外部であれ内部であれ風当たりが強くなる。
今までのようなかわいそうな人たちとも見られるなくなるかもしれない、
何で遊んでばかりいるんだとか批判が強くなる。

それは今までは表だってはあまり言えなかったが抑えられていた感情が露にでてくるかもしれない、
そうなりつつあるからやはり今までのようなかわいそうな人たちという感覚ではこれからやっていけなくなるかもしれない、
それは南相馬市でも相馬市でも内部でもそうなってゆく。


原発避難地域の現状の矛盾

(補償金で働かない地元の人と外部の人が喧嘩!)
http://musubu2.sblo.jp/article/61677034.html

これを書いたのは2013年1月だった。それから一年またすぎた。
そしてまた状況が変わってゆく、あのころあそこの仮設の食堂は客でこんでいた。
今はめっきり減っている。それが一年前だとは思わなかった。
あのころはまだ外部から入ってくる人が多かったのだろう。
3年目になり外部からくる人は激減しているかもしれない
ただ復興住宅など10年もかかる仕事かもしれない
それだけ復興は長くかかる。
だから外部の力は以前として必要である。
しかしそれもどんどん減ってゆくことは確かなのである。

posted by 老鶯 at 19:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2014年02月21日

津波原発事故での混乱状態は三年目でも変わっていない (それは現代社会を問うもので機能不全化している)

 

津波原発事故での混乱状態は三年目でも変わっていない


(それは現代社会を問うもので機能不全化している)


●まるで映画のような混乱状態が未だにつづいている

津波原発事故から三年目になってもこの辺の混乱状態は何も変わっていない、小高区の仮設なども以前として変化はない、復興住宅がその土地だけでも900区画必要でありそんな土地があるのかとなるから六号線の金沢の坂を上る狭い土地が住宅地にもなる。
津波で失われた土地の面積も広い、そこが使えないということも痛い
もちろん小高区全体が未だに人が住むように回復していないことは一番痛い。
なぜなら復興住宅を建てるとしたら小高区に土地があるのだからそこにも建てれば
土地を利用すればかなりの土地不足が回復する。
一部建てるにしても小高には住みたくないという人が多いからその土地は有効利用されない。

有効利用されないという時、何かこの辺ではあらゆるものが有効利用されない混乱状態が以前として継続されている。
未だに未来の姿など見えないし何をどうするのかも見えていない,それほど被害が大きすぎたから有効な手を打てない
この状態は何なのだろうというとき、まるで以前として映画のようにも思うだろう。
映画のセットのようになっている。
実際あの住宅地になる六号線の金沢の辺りにイノシシが二匹夕方に出てきたのをみた。
あそこは工事しているからあんなところに出てくるとは思わなかった。
ただ前には野うさぎが出てきたのは見ている。
野うさぎでもイノシシでも行動範囲は広いから街近くまででてくる。
ただイノシシをあんなところに見かけたのははじめてである。
イノシシは街内に住んでいるとなかなか見れないだろう。


この辺の状態は何か猿の惑星の映画のようだというとき現実がそれとにかよっているからそうなる。
浪江から南は警戒区域で人は住んでいない、住民がいなくなったこと自体
まるで映画のうよであり現実とも思えない、飯館村でもそうである。
そして避難した人は各地で仮設に住んでいる。そのことも変わっていない
それでどこでも避難した人たち地元の人たちに批判されている。
働かないで昼間から酒を飲みパチンコ屋などに行き遊んでいるだけだ。

それがイワキでは具体的に嫌がらせがあったのは現実にイワキに住んでいた人たちが
アパートでも病院でも何でも原発避難者が優先にされたことでから起きた。
病院も混んで避難者は無料であり地元に住んでいる人はあとまわしにされる。
何かそうした具体的に原発避難者のたに損したとかがありそれで避難者を攻撃するようになった。
あまりにも原発避難者は国からでもいろいろと優遇されたからそうなった。
鹿島でも小高区の人たちは仮設に住んで補償金もらって遊んでいるだけだとかなる。
イワキと似たような状態が作り出された。


●原発避難者だけが優遇される不満がここでも起きている


南相馬市でも原発避難者津波被害者は仮設に住んでいるから介護できないとなり
病院でも施設でも優先的に入れてその他の人たちはもともと少ないから入れないとなり
具体的にそうしたことでも不満がでてくる。自分も何か理由はわかるにしても迷惑だと思った。
ただもし小高区の人たちもただ毎日酒飲んでパチンコして遊んでいることで批判される。
何か懸命に南相馬市のために働こうとか何かそうした意識でもあればそうはならない、
ナーニ、補償金で暮らせばいいしあとは生活保護で暮らせばいい、
こんなことにされた俺たちは被害者でありかわいそうな人たちでありそれを主張できる。

でもそうした意識でいると回りからの目がこれからはさらに厳しくなってくる。

どこも人手がたりないのに病院でも老人ホームでもスーパーでもレストランでも建築現場でもどこも人手がたりない、
そんなことかまわないで金があるから誰も働こうとしない、働いているのは主に外部の人でありまだボランティアも来ている。
おそらく原発避難者でも地元の人のために何かなろうとか意識でもあればそうはなっていない。
俺たちは金があるのだからそんなことする必要はない、毎日マグロのサシミで晩酌だとなる。
そういう人たちを見ていて回りの人のこれからは厳しくなる。


なぜ原発避難者だけが優遇されるのだ・・・


これがイワキの人たちの怒りになったことは自分もわかった。
それはもともと住んでいた人たちが被害にあったからそうなったのである。
それはイワキだけではないどこでも原発避難者を受け入れているところでは起きている。
なぜ避難者は毎日遊んで暮らしているのか

なぜ自分たちはあの人たちのために働かねばならないのか尽くさねばならないのかということがある。
ただ南相馬市の場合はさにに複雑であり小高、原町、鹿島で補償金で内部対立がある。

それで一眼となって復興する意欲がそがれている。心がばらばらにされているからである。
実際考えてみると小高区の人たちが鹿島区に仮設を建てた時、一時的に市の調整金から支出して一所帯百万もらった。
それを原町の人でかなり批判した人がいた。
でも原町の人たちは二年分くらい一人一カ月七万の補償金をもらっているとかなっていた。
その差も大きいから鹿島区の人たちは不満が未だに大きい。
だから小高区の人たちが補償金の一部を鹿島区の人たちに分けるべきだったという人もいる。
こういうことは自分だけが特別思っていることではない、鹿島区の人たちの世論なのである。
表立って口に出さなくてもそういう気持が共通しているのである。


●金だけでは解決しない問題


いづれにしろこの辺の状態を住んでいても理解することが未だにむずかしい。
これは一体なんなのだろう?これからどうすればいいのだろう。
意外と補償金で金には恵まれている。ただ変なのは銀行には金がたまっても借りる人がいなくて困っているという、
銀行は借りてくれる人がいないと成り立たないのである。
金があってもうまくいかない、金だけでは解決しない問題が生れている。
自給1200円でも人手は集まらない、この人手集まらないということが実際はこの辺では致命的になりうる。
新しい百人収容の施設も建てたが10人募集しても介護士など来ない、他にも施設は建てたが介護士などこない、
下の世話をする介護士など誰もやりたくないしみんなやめてゆくと行っていた。
看護師不足も深刻である。それは金では解決しない。

何かこの辺では金だけでは解決しえない問題がかなり生れている。

みんな土地をほしがっているが土地を買うことができず家を建てられない人たちも多い。金でなんても買えてまかなえるということができなくなっている。
それは何なのか、社会を見直すきっかけにもなる。
金をもっていたからとすべていいとはならない社会である。
金が今までのように機能しなくなっている社会である。


それから人手不足というのはなぜそうなるのかというと看護師でも介護士でも
あらゆるものが専門化していて資格が必要だとか簡単になれないからである。
また相手を信用できないから保証人が必ず必要でありそれでみんな困っている。
つまり人手を補うにしても働くが端を楽にするという狭い範囲での労働とは違っているから人を使えないし補えない、
それも現代社会の仕組みそのものが機能不全に陥っているためかもしれない、
村のような大家族のような狭い社会だったら人手は金ではなくても補えたろう。

介護などはみんな在宅でしているのだから施設を作って専門家の介護士だけしかできないというこはできない、
手の余っているの者がきてやればいいとなる。
でもそんなことはいろいろな条件が国から課せられていて金も国から出るとなるとできない、
そこで専門家でなければ資格がなければやれない、
また保証人がなければ信用できないとかいろいろな障壁がない社会だったろう。
その見方がいろいろあるにしても何かこの辺の状態はそうした社会の機能不全状態に陥っている。
だからこそ何でも有効な手段がとれない、ただ映画のような混乱状態がつづいているのだ。

金によって人の心も分断されているのも現代を象徴している。あいつは多くもらっている。
格差社会ではそうなる。
なんか未だにこの辺は何なのか?
要するに現代社会の矛盾が極端化して現れている場所なのである。
現代社会が機能不全に陥るとこんな状態になり解決の道が見いだせなくなる
だから簡単に復興な外からでも叫んでもできない
それは何か現代社会の崩壊現象がこの辺で起きているからきようにも見えるのである。

 
posted by 老鶯 at 20:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2014年02月25日

放射線量が各地で雪で上昇 (南相馬市の浜側でも2倍に上昇)


放射線量が各地で雪で上昇

(南相馬市の浜側でも2倍に上昇)

snowradiationw.jpg

前は0.1・・・レベルだった

toishita1.jpg
2014-2-25の樋の下

toinoshita22222.jpg
三年前の樋の下

2月15日頃から福島県を中心に、東日本各地で放射線量が上昇しています。政府の放射能モニタリングポストによると、福島県の南相馬市や富岡町、大熊町などで平時の平均よりも1.2倍ほど高い値を観測したとのことです。また、茨城県や栃木県でも、少しだけ線量が上昇しました。
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-1822.html


雪でも雨でもやはり放射性物質は付着して地上におりてくる。
不運だったのは原発が爆発した時に東風がふり飯館へ行く谷間で雪がふったのである。
それで異常に放射線量が高くなった。
雪がかなり影響したのである。

今回の大雪でも放射線量が各地で上昇した。
自分の家の回りでも倍に上昇した。

前は道路でも0・1・・・だったが0・28は結構高い、倍になっていた。
雪の上では0・22とかであった。
雪が一番ほ放射性物質が付着しやすい

ただ空気中にまだまだ放射性物質がふくんでいてそれが雪に付着しておりてくる。
空気中から消えない放射性物質がある。放射性物質はなかなか空気中でも消えないのである。
ただ見た限りでは空気は別に冬でも澄んでいる、見た目はわからないのである。


それでも放射性物質は相当に減った。半分にどこでも減っている。
樋の下は一番高く9マイクロシーベルトあったが今日計ったら4くらいだった
約半分に減っている。とこでも半分に減っている
でもストロンチウムとかの核種は計られていない、セシウムが主に計られている
セシウムは確実に減る、30年たたなくても半分に減っている
でも科学的判断は素人にはなかなかできない

政府でも放射線量が本当はどれくらい減っているのか?
そうした正確なことはやはり事故の後も伝えていない
帰還させることを奨励しているから放射線量を高く設定していない


計った限りでは0・1くらいから0・3とかになると高いと感じる
室内でも0・2あったのかとなる。
雪の関係でどこでも放射線量があがったのである
だかちら空中に放射性物質は相当にふくんでいて消えないから雪がふってそれを証明したのである。


この放射線量がどのくらい人体に影響するものなのか?
自然にも放射線がでている。それには人工的な核種はふくまれていないから安全だという
だから少量の放射線量はかえって健康にいいということをなぜ科学者が言ったのだろうか
人工のものは核種が違っているからそうはならないのである。
そんなこと科学者だったら簡単なことに思えるけどそれもわからないことだった。

 
posted by 老鶯 at 14:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2014年02月27日

浪江町の廃炉事業のためのコンパクトシティ化構想 (小高もにた状況があるー津波でも中心部に人が集まる)


浪江町の廃炉事業のためのコンパクトシティ化構想

(小高もにた状況があるー津波でも中心部に人が集まる)


                     H24.8       H25.9
戻る・戻りたい  :  43%       29.3%  - 13.7%
 戻らない      :  21%       26.1%  + 5.1%
 判断つかず    :  34%       44.0% +10.0%



NHKのクローズアップ現代で浪江町が役所のある所を中心に廃炉事業のためのに
コンパクトシティ化構想を出してきた。放射線量の低い場所を中心に
狭い範囲で街を作りそこだけに人を集めて住む構想である。
広野町ではすでに廃炉や除染のための労働者を宿泊するホテルができてているという。
この辺で原発事故後に一番増えたのがホテルなのである。
南相馬市の鹿島区の山側の小池に最新式の通信設備をもったホテルかできた。
なんであんな離れた所に作ったのか?
駅前にでも作ればいいと思うが土地が手に入れやすいのであんな山側に作った。
ホテルは街から離れた不便な所に結構新しく建っている。


南相馬市でも津波の被害で人々が仮設に住むから人口が中心部に集まった。
復興住宅も中心部から作られている。
ただ街内には土地がないので作りにくい
でも自分の墓地の脇に三階建てくらいの復興団地が建設されているのは目立つ
明らかに街の中心部がコンパクトシティ化してきた
新しい家も中心部に多く建っている

烏崎村とか海老村か壊滅したのだから相当数の人が移動した。
中心部から4キロくらい離れていた。
その人たちもそうだが他に原町区の海岸側からの人も移動している。
小高区でも津波に襲われた地域からも移動して仮設に住んでいる。
そういう人たちここで復興住宅に入るのかどうかわからない
津波の被害者は家がないのだからなかなか小高区へは帰りたくないだろう。
かといって土地を今求めることはむずかしい。


前々から少子高齢化で限界集落などは税金の無駄使いだと言われてきた。
実際にそうした市の中心部から離れたむらが現代的生活をするための
インフラを整備するには180倍のコストがかかるというから驚く。
それだけ現代は便利な社会を維持しようとすると金がかかる
その税金はべつに全部が自治体でまかなうわけではなく国でまかなうから批判される
自治体が自ら治めると言っても地方交付税で半分が成り立っているというのが
現代である生活保護にしても4分の一は自治体だかあとは国で払っている。
それで釧路市は生活保護者は市民として不可欠だとしている。
それは生活保護者にはそれだけ金が入ってくるから財源になっているからである。

北海道は過疎化か多く生活保護者も多い
ただ釧路市は大きいからそうてはないと思っていた。
北海道は一番生活保護が多いのは基幹産業の衰退だった。
北海道はまた本州より広いからインフラ整備でも金がかかる。
高速道路を作りそこを通っていたのは熊だけだったという批判もあった

つまり北海道はコンパクトシティ化しにくい広さがあり
それが魅力なのだが現代的便利な生活をするには向いていなくなった

コンパクトシティにするとまず様々なコストが少なくてすむ。
人がまとまって住むから都市機能が中心部にあり機能しやすい
介護でも街内を回ると手間がかなりはぶける。
田舎は街内だけではない広い範囲になると車で一軒一軒回るのが手間になる
そういう福祉サービスを受けるのにも人がまとまって住むといいのである
だから従来の分散型の人口分布は便利な生活には向いていない

それは昔から田んぼを畑を作るのには土地が必要だから土地を求めて分散化した
土地が生活の基盤だからそうなった

しかし単に廃炉事業だけの街となると農業はしていのだから
コンパクトシティ化するのは楽だし効果的なのである。
街から離れた村まで下水道の設備を整えるとするとコストが何倍もかかる
ところが街内に人口が家が集中するとコストがかからない
団地がいくつも建つが団地だけで水道とかその他の設備を
共同で管理するとコストがかからないと同じである。
テレビを見るにしてもアンテナは一つ建てればいいから効率的なのである。


つくづく自分の家の問題は一人暮らしの問題は一人でも二人でもコストが同じようにかかることなだ。
大きな家をもつことはその保全に金がかかる。
だから資産がないとできないのである。
それは昔も同じであり茅葺きの大きな家の萱の葺き替えとかは大仕事だった
だから自分でも大きな家を維持して一人暮らしをするのが嫌である
たた共同生活は人間関係なとこれも問題が多すぎる
たた共同生活の方が安心であり金も節約できるし楽になる

それとコンパクトシティもにていたのである。

コンパクトシティの最大の障害が田畑を持つ農業にあった
土地がなくては農業はできないのだからそうなる。
でも工場なら工業団地があるように人を集中できるのである。
たからこそ東京でも他でも巨大都市に人が集まるようになった
そこでいろいろな現代的サービスが提供されるのである。

浪江町のコンパクトシティ化構想はまさに農業が壊滅したからかえって人だけを
中心部に集め廃炉事業に特化した街作りがしやすくなったのである。

そもそも田舎全体の市町村の政策は土地を中心になされてきた。
それは農業中心の生活形態が必然的に土地を必要としたからである。
なぜ海岸側に人が密集して住んで津波の甚大な被害にあったかというと
田畑が生活の糧だからその田畑の中には家を建てず
海岸側の狭い土地に家が集中した。
田畑の中に離れて家があるということもあるが少ない
アメリカのような広大な土地のしるところでは一軒一軒が分離して土地を所有するように農家が建っている。
日本ては特に海側は田畑の中に家が建つことが少ない
そこは米をとるところであり家を建てる所ではないようになっていた。
日本は狭い土地に制約されて村や町が作られたのである
農業が主要産業でなくなってもそうなっていたのである。


何か変なのだけど今回の津波は人工地震で起こされたものでありそのねらいは
日本の農業を衰退させてアメリカなどが農産物を日本に売りつけるために
TPPを受け入れさせるためにしたという言う人もいた。
それと不思議に符号しているのが原発事故周辺なのである。
農業が津波や放射能汚染が壊滅してコンパクトシティ化してそこでは
土地と切り離された農業ではないもので生活する他なくなっているのだ。
農産物は農家でも作らずに外から買う他ないしTPPをアメリカが通すために人工地震起こしてそうさせたとまでなる。


小高区でも帰りたくない人が増えている、それは小高区でも農業の担い手が
高齢化していて跡継ぎがいないとか問題になっていた。
これは三陸などの津波で壊滅した港もそんなところは
老人しか住んでいず金をつぎこむのは無駄だという官僚の発言もあった。
金をつぎこむとしたらバイオ関係で再生医療分野の研究に注いだ方がいいとなる

いつれにしろ小高区も浪江町と同じく中心部たけに人を集めてコンパクトシティ化する方向にもってゆくのか
帰らない人が多くなるとそういう政策もとらざるをえないだろう。

自分は前にも書いたけど田舎は田んぼがなくなったら田舎なのかということである。
山から水が流れ田んぼう潤し米ができる。
それで山は神となり平地と結びついていたというのは日本人の原風景なのでてある。
だから田んぼがない田舎が考えられないのである。
廃炉事業だけにある街というのはすでに田舎とは言えないのかもしれない
何か映画のようであり特殊な街となりそこは何なのかとなる

 
 
posted by 老鶯 at 22:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2014年03月08日

原発避難者は3年目でどうするのか (仮設はすべて仮にすぎないから終わるべき)


原発避難者は3年目でどうするのか

(仮設はすべて仮にすぎないから終わるべき)


NHKで原発事故で13万人が避難しているという,その中に自主避難も5万人いるという。
でもなんかNHKでは本音のところは放送しない、
都路村の孫も何人かいる大家族がいたけどそういうふうに家族が多いと子供でも一人
10万の補償がでる。だから家族が多いと一カ月百万とかりてってしまう。
小高区の家族にはそういう人がいた。毎日マグロのサシミだよ言っていた。
田舎では都路村でも飯館村でもまだまだ大家族がいる。
農家にはまだ多いのである。

まず都路村でシイタケなど栽培してもそれほど金にはならない。
そして放射能汚染の風評被害でそもそも売れなくなっている。
そうしたら帰ってどうして生活するのだとなる。
補償金の額が大きいから帰りたくなくなった人がかなりいるのだ。
こんなにもらえるなら川内村でも郡山市の方がいいとなって帰らないのである。

もしそんなに補償金もらえないならもう放射能など気にしないで生活した方がいいとなるだから
何かタマネギを無料で配布したとき、我先に困窮しているようにもらってゆく
着るものまだ支援されている。
そんなのはたりている。何か私たちはんなに困窮していますよというのを社会に見せつけるためにNHKが放送しているのだ。
もちろんそうるなと住民もどういう放送するのか気になるから取材を許すことになる

デアはだから真実は伝えない、NHKは特にこの人たちはかわいそうな人たちですよということが
テーマになり視聴率をかせぐのが手法である。
それで耳が聞こえない佐村河内守氏にだまされたのかなんなのかわからないが
NHKにとっては格好の視聴率をとれるものだったのである。

なぜこういうことを言うかというとそんなことをあえてそんなこきとを言う必要がないというかもしれないが
何か誤解されて全国民に知らされることが危険なのである。

こんなことを報道していたらいつまでも補償が必要であり国はそうするべきだということを暗黙の内に奨励することになる。
確かに補償金を打ち切られたらこれからの生活は厳しくなる。
でも一方でだらだらと補償金頼りの仮設の生活も許されるものではない

仮設の奇妙なのはすべてが仮りなのである。仮の宿であり仮の生活でありすべてに
仮りがつき人間そのものが仮りの人じゃないかとさえ思った。
なぜなら東京の方で競馬だ風俗だと遊んでいる人がいてその人の仮設の生活は
まさに仮設で暮らすような生活が良かったのである。
不思議なのはその人生が仮りの人生だったのかともなる

そういうすべてが仮りになってしまうとき地元の人と何か復興に向けて働くということもない、
地元の人と交流できない、なぜならすべてが仮になっていて仮では根を下ろすことはできない。
それは強いられたから仕方がないという面があっても3年たっていつまでも仮では回りも困ってしまうだろう。

別にイワキであれ他に移って看護師であれ介護士であれスーパーのレジであれ何であれ
その地元で働いて貢献していれば地元の人たちに批判はされない
あの人たちは働いてくれるのだなとなる。実際に一部の人は働いている。
でも大方は補償金で働いていないから批判されるのである。

そして補償金でも手厚い、新しく土地の購入にかかる金を補償金として支払うとかもあった。
イワキなどの地価は三倍くらいするからそれだけ費用がかさむ。
でもその地元の人たちにとってはそういう土地を買えない家も建てられない人も相当いる。
それなのに原発避難者は家まで建てられるとうらやましがられる。

要するに人間は別に金持ちでもいい、それは回りが容認する金持ちだったら誰も批判はしない。
その土地に貢献した人であり社会に貢献しているから言わないのである。
おそらく江戸時代の庄屋などは役所みたいなもので豊かでも飢饉のときは食料をめぐんでくれるとかのために
金持ちであることを回りで守ってくれたというのもあるとか
すべての金持ちが昔から否定はされていないのである。

原発成り金はそういうものと違うからいろいろと批判される。
なんであの人たちがあんなに何でも地元の人より優遇されるのだろうとなる。

現実に事業するにも南相馬市の鹿島区だけは支援がないのである。
30キロの外ということで除外されているのも南相馬市なのに解せない人はかなりいる。
そうなると小高区の人とまた軋轢をうむ。

いづれにしろ仮設にいる限り復興はない、それはいつまでたっても仮りのものでしかないからである。
だから人まであなたは仮りの人間ですかとまでなる。
根を下ろした実体ある人ではないとまでなる。
そういう人が社会のアウトサイダーとして少数者としてわずかにいるのは
別にかまわないただこんなに大勢の人が仮りの人になっていることは社会的に異常になってしまう。
だから仮設から早くでて仮の生活ではない本当の生活に移る時期なのである。
仮設からみんなが出たとき復興への次の大きな段階に入ってゆくことは確かである。
そういう時期になっているということである。

結局明治時代でも亘理の伊達氏の氏族が新天地の北海道に移住したのは苦しかったが成功だった。
そこは伊達市になっている。それから奈良の十津川部落も水害で一村がみんなで北海道に移住した。
そこではそこに住んでいる人たちとそれほど軋轢がなくてすんだ
もちろんアイヌが先住民としていたが同調していった。
今回はそういうわけにはいかない、補償金をもらったとしても地元の人から受け入れられない事情が生まれた
だから金だけもらっても何でも解決するというものでもない
それは今の社会は金で何でも解決するようでもやはりしない
飯館村の農家の人が食料は自給していた。
それで補償金生活になったら買いだめするとか金だけの生活に不安になっているという。
飯館辺りでも食料はなんとか自給するということがあったかもしれない
でも補償金は金だけの生活となると考え方まで変わってしまう。

ともかくイワキでも双葉や大熊の町を作ろうとしてもそこに地元の人と軋轢が生まれる。
二本松でも浪江町を作ろうとしてもそうである。
そこは北海道とは違う、すでにその土地の作られた生活がありそこに金だけをもってきて入ってくるのは暴力的にもなる。
だから金だけでは人間の生活はすべてを解決できないことを知ったのである。

posted by 老鶯 at 22:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2014年03月09日

当たり前の幸せが失われた原発事故周辺 (春の日の石(詩)で過去を回想する)


当たり前の幸せが失われた原発事故周辺

(春の日の石(詩)で過去を回想する)

春の日の石


わずらいなく
いくつかの石
そこにありにし
争うこともなく
信頼しつつ
長き日を
千歳の日も
そこにありにし
何事のなけれど
そこにありにし
春の日のさしして
ぽかかと
石はゆったりとありぬ
今は村人は離ればなれ
散り散りとなりぬ
何事のなけれど
そこにありにし時の
その幸いの日々よ
春の日のさして
ぽかぽかと
自ずと満ち足りた石よ
幸いはそこにありしを
村人の畑を耕して
ぽっかりと春の雲浮きぬ
鶯はのどかにその美声を放ち
梅の香り流れ石はなごみぬ
旅人のその石に腰をおろし
また去りゆく山の道よ
蝶はここに生まれて舞いぬれ
嬉々としてまた花を求めて
いづこかへと舞い去りぬ

津波原発事故で変わったことは当たり前のことが幸せだったことである。
そういう当たり前のことは意識しにくい、それがあまりにも当たり前だったから
それが幸せだなとと意識した人はいない

でも実際にそれが津波や原発事故で破壊された時、それを意識するようになった。
家はなくなり家族はばらばらになり故郷すら失った。
こんなことがありうるのかという連続だった

だから自分も詩を作っていたけどその詩を作るイメージするのは実際にあった
ふれたものからイメージして作っている。
それは故郷の自然であり生活があって作られていたのである。

だから平和な時はそれはただ当たり前のものとしてあり意識していない

今になるとあそこはもうなかなか行けないとかなっているのが理不尽なのである
この石があったのは原町からトンネル、原浪トンネルという新しくできた
トンネルを通って出たところに家がありその前に川がありそこにいくつかの石があり
そこでいつでも休んでいたのである。
そこに前には茶屋があってモチなどを売っていた。
それはなくなった。
あそこは浪江の領域でありそれで原町浪江で原浪トンネルとなっていた。
浪江だと警戒区域になっているから入れないのも理不尽なのである
春になるとまた自転車で行きたくなるのである


ともかく津波原発事故から3年目でもこの辺で経験していることは常にありえないことだったのである。
もちろん津波で家を失い家族を失った人は自分以上にありえないことを経験している。
仮設に住んでいる人もそうである。
そういう人の心境はなかなか計りにくいのである。
だから外からあれこれ言われると反発することもあるだろう。

ともかく本当に当たり前のことが幸せだったとは思いもよらなかったのがこの辺でみんなが意識されたことである。

もちろん事故前でも人間はいろいろもめているし事件もあったし酷いことも常に起きている
それは事故前に自分がどれほど酷い目にあったかを書いた
たたその前の30年間は自分にとっても回りも何の問題もなかったのである
自分の場合は姉が認知症になってからすべてが崩れてしまった。
その間の30年間は何ら問題なく楽な平和な日々だった
その30年間は近くでも遠くでも自由に旅していた幸せかあった
それが全くなくなった。

ここ7年間は介護であり自由に出歩けないからなんか今は温泉てにでも入って
食事の用意をされて楽したいなと思う
毎日食事の用意しているとその事から一時でも解放されたいと思う
それが7年間できなかったのである。


ともかく自分の詩のテーマは石があった。だから石に対する思いがあり
原浪トンネルを通ったところに石がいくつかあり休んでいたなと思い出したのである。
そういうことは故郷から離れた人も別に詩にしなくても思い出しているだろう
あそこでどうしたとか畑を耕していた田植えをしていたとか何をしていたとか
農家の人でも他の人でも思い出しているだろう。
実はそういう思い出も貴重なものとなっているのだ。

思い出は明らかにその生活した場と密接に結びついている
その場から思い出しているのだ。
だからその生活した場から切り離されると思い出せなくなる
歴史でも近くの古い碑などを紹介したか
密接にその場と一体となり記憶される
だから場から離れると思い出せなくなる

確かに世は変わっても自然そのものは変わらない
たた津波では松原は消失したのだから変わった
それは元の自然にもどったということでもあった

ともかく浪江の高瀬川渓谷などは景勝の地でありその麓の大堀は相馬焼の窯場だった
あそこは場所がいい、窯元は何か場所がいいところにあると窯元らしくなる
高瀬川の清流の岸辺であり気持いい場所だった
そういう所から離れて住めないということか大堀の人も残念に思っているだろう。
あの辺は線量が高いだろう。


ただ放射能汚染でも自然そのものが失ったわけではない、自然の美しさは今でも変わりないのである。
高瀬川でもそうである。それが放射能の不思議だったのである。
水は澄んでいるし緑も同じだしどこが変わったのかという不思議がある
それでも放射性物質は雪ふってわかったように空気中にただよっている
それを毎日吸っているから何らか影響がある
たたそれを直接的には感じないのである

昨日は寒かったが今日は春らしい日である
それでこんな詩が生まれたのである

posted by 老鶯 at 11:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2014年03月11日

原発作業関係ですでに8人が死んでいる (人柱伝説は事実から生まれた)


 原発作業関係ですでに8人が死んでいる

(人柱伝説は事実から生まれた)


●ニュースにならない原発作業員の死


2012/1/17 福島県広野町周辺で日本原子力研究開発機構が実施している除染モデル事業で働いていた男性(59)が作業中に死亡。

2012/1/9、福島第一原発の放射性廃棄物を貯蔵する施設で生コンクリートの流し込み作業をしていた60代の男性作業員が、急に体調不良を訴え、午後5時過ぎに亡くなった。死因は急性心筋梗塞。
2011/12/12 伊達市で日本原子力研究開発機構が実施中の除染モデル事業に従事していた建設会社の男性作業員(60)が 死亡。
2011/10/6 福島第一原発で働いていた50代の男性作業員が死亡。

2011/8/10 原発近接エリアから車の運び出し業務に従事していた本宮市内の1名が死亡。
2011/8/9 原発近接エリアから車の運び出し業務に従事していた田村市内の2名が死亡。
2011/8上旬 福島第一原発で復旧作業にあたっていた40代男性が8月上旬に急性白血病で死亡。

2011/5/4 福島第一原発の現場で復旧作業に当たっていた60歳の男性が死亡。死因は心筋梗塞。


こうした死はニュースにもならならずに忘れられる。そしてメデアで報道されないそれなりに報道されるべき死は無数にある。ではなぜマスメデアではとりあげないのか?
それはこうした死は社会的にとりあげるべきものでも視聴者にとっては興味をひかないからである。

マスメデアは劇場社会では事件を本当のドラマとして報道したて視聴率を稼ぐのである。
]マスとは大勢の人の意味だから大勢の人が興味をひくのはドラマ性があるものと変わったものである。
だから犯罪は一番興味をひく、推理小説のようにいつも興味をひくから
必ず報道する。そしていろいろな死があってもそれは報道しても注目されない。
こうして原発作業で死んだ人も重要なものとして報道されない。
ただマスメデアに対して少人数を相手とする無数のミクロメデアがインターネットに生まれたので
その人たちか取り上げるニュースが生まれた。
それは地方からでも発信できるから様々なニュースがとりあげられるようになったのである。
これらの死の死因が心筋梗塞とか白血病なのか気にかかる。
これはセシウムとか放射能汚染と関係していると言われるからである。
そうしたことがあっても隠されるだろう。
報道することができるものは時の権力者である。
だから相馬藩でも400年前に津波で700溺死とは記録されたが他の記録は一切ない
権力者の都合でそれしか記録されなかったのだろう。


●人柱伝説は事実を基にして現在もある



僕の近所の溜池には人柱の伝説があって、
犠牲になった乙女をマツっている神社まであります。
これってほんとなんでしょうか?
人柱なんてほんとにあったのか疑問です。
溜池にはそういったなんらかの伝説がくっついてる場合が
よくあると聞いたこともありますが。


古天皇の時代(飛鳥時代)、古代の長柄橋の架橋は難工事で、人柱を捧げなければならないという状況になった

人柱の伝説、習俗は世界中にあるそうです。ボルネオのミラナウ族は柱穴を
堀り奴隷娘を落として殺しました。

常紋トンネルは、囚人労働が廃止された大正元年から三年がかりで建設
されたトンネルだから「人柱」の噂になっているのは、タコと呼ばれる
労務者のことだよ。
常紋トンネル付近には、苛酷な労働によって死亡したタコの死体が埋められている
らしく、その数は百数十人と言われている。
「常紋トンネル」という本の中に、トンネルの補修中、壁面から人骨が発見され

「日本の諸侯が城壁を築くとき、多少の臣民が礎として
壁下に敷かれんと願い出ることがある。
自ら志願して敷き殺された人の上に建てた壁は
壊れないと信じられているからである。
http://matome.naver.jp/odai/2135088492256507001

塩田平では、農業用水を確保するために中世から数多くのため池が作られてきた。

手塚地区にある舌食い池には
「堤を何度築いても崩れてしまうために人柱をたてるということになり、村はずれに住む一人住まいの娘に白羽の矢が立ったが、その娘は人柱になる前夜に舌を噛んで自死した。」という伝説が残っている。

すなわち「稲作は、はげしく自然と対立するものであったがために、自然(神)をどのように和め、どのようにして自然の力を人間の側に引き入れるかということが問題となり、神のもっとも喜ぶ捧げ物としてイケニエは準備されたのである。」@といわれている。
http://www3.karuizawa.ne.jp/~nishiiri/hitobasira.htm



伝説が起きるのは何もないところには起こらない、噂だって全くなにもないなら起こらない、火のないところに煙はたたない、
伝説はそれにまつわる何かがあって起きて伝えられる。その意味してるものが何なのか探る必要がある。
人柱伝説は現代にも実際に通じいるからわかりやすい、今でも大工事では事故は起こりやすいし人も事故で死ぬ。
何でも工事とか建築関係は危険な仕事だから3kの仕事、汚い、危険、きつい・・から誰もやりたくない、
でも誰かがやらざるをえない仕事がある。
工事とか建築関係では事故で死ぬ人が結構ある。それは現代でも同じである。

自分もアルバイトで建築関係の仕事をして死ぬところだった。
ビルの高いところで足場を組む仕事をさせられた。
それで落ちる寸前になったことがあった。
あそこでは確実に死ぬところだった。人間はやはり今は交通事故でも人は死ぬ危険性が高い。
別に運転しなくても突然暴走する車にもはねられる。
ただ建築関係は仕事自体が危険である。
そういうことをふりかえるとこんな平和な時代でも良く生き残ったなとかなる。
それは結局運が良かったともなる。

●人間が生きることも文明も犠牲によってあがなわれてきた


ここで指摘していると稲作が自然と対立するものだったということは普通は考えない、稲作は自然と調和するものだと思っている。
でも稲作は相当な人工的な一大文明だった。
巨大な土木事業だった。溜め池を造るにしてもそれも人力が主なときは容易ではない、
それで人柱伝説が生まれる。人柱伝説はそうした文明を作るための犠牲だったのである。
その後も建築家関係や道路でもトンネルでも橋でも作るのには必ず事故で死ぬ人がいる。
つまりいくら機械が発達しても人柱が必要になり死ぬ人がでてくる。


どのようにして自然の力を人間の側に引き入れるかということが問題となり、神のもっとも喜ぶ捧げ物としてイケニエは準備された


この考え方も人間が発祥してからあった古いものである。常に神へ対して犠牲がささげられてきた。
人間が犠牲にされてきたがあとは羊とか牛とかか実際に殺されて犠牲としてささげられた。
犠牲というときこの漢字自体が牛であり牛を犠牲にしたからこの漢字が生まれた。
そもそもこの世を生きることは常に犠牲が要求される。動物の命を奪うことは動物を犠牲にして人間が生きているということである。
たから今でもそのことは同じである。

そういうことから動物を殺して犠牲にしていることからそういうことをしなければならない
人間の業がありそのことを追求して生まれたのがヒンズー教であり仏教であったのだ。
だから今でもインドでは牛や猿を大事にする。牛を殺さないし街中も歩いている。
人間の命も他の生物の命によってありうる。牛でも豚でも殺される時は苦しいしそうして食べるものはありがたいともなる。
一方でそんなことが残酷だから動物は食べないという宗教が生まれたのである。

稲作文明にしても一見自然と調和しているようにみえても自然を壊すということもあったし
溜め池を作るにも大事業だから犠牲がでてくる。そういうことが伝説として残されたのである。

そういうことはマヤ文明でも絶えず残酷に人の命が犠牲にされた。
なぜそんな残酷なことをする必要があったのかというと現代ではわかりにくい。
太陽が衰えて死んでゆく、そしたら生きていけないと人間の命が犠牲にささげられた。
心臓までささげられたから異常なほど太陽が衰えることを恐れていたのだ。
太陽がエネルギーの基となっていたからだ。


このことが原発とも関係していた。
原子力のことは放射線でも実際は科学者でもわかっていなかった。
それは稲作文明も自然を変えることであり原子力も同じだったのである。
つまり原発でも生贄が必要になっていたのだ。
そんなことが非科学的だとなるが原子力にしても人間が全部わかっていないからそうなる。
自然を変えることは自然の力を人間の側に引き入れるということは危険なものがあったからである
。つまり科学であり技術というものは人間にとってすべていいものではなく常に危険があった。
だからこそ業、技(わざ)は災いに通じていたのである。

原発も同じでありそれは恐るべき災いをもたらすものだった。
その犠牲となる人が故郷まで奪われる多数の人が生まれたのも犠牲である。
原発の故に犠牲にされる。これは石油のためにも犠牲にされるということもある。
犠牲という時、戦争だって膨大な人間の血が国家のために犠牲にされたともなる。
だから靖国問題がある。

歴史も犠牲の上に築かれるているし文明もそうである。

人間の命が犠牲にされるからこそ文明はみんないいものではなく呪いが隠されている。
神に呪われてるのだ。だからその神をなだめるために人間の命の犠牲が必要だったのである。それは原発でも同じだった。
そういうことを科学者でも原発にかかわった人達は考えない、科学技術が信仰のようになっている時代である。
科学技術にも神の呪いがふりかかることをわきまえることがない。科学技術も偶像化して万能化して神をないがしろにして
神のごとく人間がなれると奢りになる。その一つがSTAPー万能細胞騒ぎだったのである。
科学技術が万能だというのはまさに信仰に近いものとなっているからそういうものを期待する。
万能に人間はなりえない、そして遺伝子操作した猿が逃げていたとか
そんなことから生態系が破壊されて人間に及び大きな災いをもたらす、
だから科学技術は万能ではなく常に危険をともなっていてそれが人類滅亡にもつながるものだということを知るべきなのである。

posted by 老鶯 at 14:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2014年03月13日

なぜ復興がすすまないのか (原発警戒区域ではもう60パーセントも帰らないから町の崩壊)

 
なぜ復興がすすまないのか

(原発警戒区域ではもう60パーセントも帰らないから町の崩壊)

全体の復興のために心が一つになれない

今回の津波原発被害でなぜ復興がすすまないのか?
神戸と比べるとその復興度合いがあまりにも差がある。
その原因の一つが小さなコミニュティが分散していて破壊されたことなのだ
神戸は大都会だから狭い地域に人が密集したことで被害があったのだけど
復興する時はその狭い一区域を復興すれば良いから早く進んだ

ところが津波原発の被害は広範囲だからその狭い範囲で集中的に復興ができない
これだけ被害地域が広いと分散していると政府でも集中しててきない
そしてその狭い分散した地域でも現代のインフラを用意しないと住みたくないとなる
だから石巻で近くにスーパーがないから住みたくないというのは意外だった
石巻は大都会だから他にも大きなスーパーがあるからだ
でも年寄りにとっては近くにないと不便になるからだ
石巻でも高齢化社会の問題がでてきている
市役所ではそうした街作りで家を建てる計画しても住まないという人が増えている
そうなると家が建てても肝心の人が住まないのだから復興はありえないのである。


そして浪江町なども60パーセントが帰らないという、全国に避難者は散らばっていて
岡山県辺りにもいてその人たちが集まったが3年たってここは田舎的な風景もあっていいと帰らないという。
浪江町の役所の人が説得しても帰らないという。
こうなると町民がいなくなれば役所の公務員も職を失う危機になっている。
町村が崩壊してなくなるという危機にさらされているのだ。
ただコンパクトシティとして廃炉事業の宿泊所、支援所として小規模で町を残そうという計画をしている。
最低で5000人単位で残そうとしている。
それは将来に30年後でも浪江町に帰ってくる人がいるかもしれないということを予想しているからだという。

それはありうる。浪江町の人でなくても田舎に住みたいと言う人は今でもいるからである。
だから土地が少ない日本ではやはり住環境が改善されれば住む人はででくる。
ただ現代では5000人規模の町では医者もいないとか住みにくいだろう。
だから余計住みたくないという人が増えてくる

それから移住先がかえって住みよいということも現代ではありうる。
岡山県などもし大阪に近ければ交通の便はいいし海もあるし山もあるし
それなりに自然があるから東京とは違うから住みたいともなる
あの辺は歴史もあるから住みたいと自分も思った。
東京は住みたくないが関西は琵琶湖だって近くなるから自然と歴史があるから住みたいとなる

ただ南相馬市でも浪江町が無人の町になっては困る。
コンパクトシティでも廃炉事業の支援の町でも残ってほしいとなる。
なぜなら浪江町は高瀬川渓谷とかの山水画のような自然景観がいいところがあり
そこに行きたいとなるから小規模でもそこに町がないとあるのでは大違いになるのだ。それは飯館村でも同じである。
そこで飲み食いする場所も欲しいのである。
小規模でも町があればそうしたところにも行きやすくなるからだ。


いづれにしろ今回の災害の復興の進まない理由はなになかのかとなると見えてきたのは
それぞれの個々の家とか個人の事情とかそういうものをいちいち考慮していると復興はできない
街全体をコミニュティ全体を復興させるのだという強い意志がないと復興はできない、
いちいち個々の事情をとりあげてそれを考慮していたら全体を計画しても計画倒れになり復興はすすまない。
強制的にここに住んでくれとか配置しない限りできないという状態になっている。
でもそんなこと民主主義社会ではできないからもう町の復興できないとあきらめるようになる。

現代は江戸時代とは違う、どこにでも住める、補償金一億円もらったら他に住んだ方がいいともなるだろう。
無理して条件の悪いところに住む理由がないのである。
それでも人によって価値観が違うからどこまでも町を離れず住みたいという人はいる
それぞれの価値観に基づいて自由に住めるのが現代だからそうなる。
そのことがかえってもう帰らないという人が増えた原因なのである。


結局こういう大災害になった結果、何が起きたのか、建物も崩壊したがコミニュティも崩壊したのである。
コミニュティとは建物だけではない、その土地とか人間のつながりとか先祖代々の歴史的つながりとかいろいろある。
そういうものが破壊された。
だから全体を復興させようとしてもできない、それは全員の意志が一つにならねばできないからだ。
するとそこでは犠牲になる人もでてくる。嫌だけれど我慢することもできてくる。
そんな我慢するより暮らしいい方に移った方がいいとなった。
誰も好んで苦労する人はいないのである。
楽をしたいというのが人情なのである。それをとがめることはできない。


明治時代るち侍が職を失って北海道に伊達藩の亘理の人が北海道に移住したりしたのは
全員が一つとなって苦しくてもそこに住む場所を求めて住んで伊達市になった。
それは他に行く場所もないから荒地も目指して進んで行った。
その時はみんな心も一眼となっていたからできたことなのである。
今はどこにでも移れるし楽なところで住みたいとなりバラバラになってしまうのである。
もし補償金ももらえずもう町を離れられないとか強制されれば住む人もいるが
一億円もらえるなら他で住もうというのが人情でありそれは責められないのである。


だから今回は個々人が復興しようとしても全体で一つの意志にならないと復興できない、
でもそれがかえって神戸のような狭い地域に密集して住んでいたら集中できた。
それが分散してコミニュティが物心両面で破壊されたから復興がすすまない。
補償金はたくさんもらっても復興できないのは全体を回復して復興しようとするとき
そういう全体を復興させようとする心が一つになれないからいくら金を注ぎ込んでもできないのである。
それは金銭の問題より精神的な問題でありそういう一つになる意志がもてない
町でも全体を医者でも商店でも農業でも一つになり町があるんだという意識がもてない、
町民といっても市民といっても心が一つになれないから復興できないということもある。
それはいくら金を注ぎ込んで計画を立てて住んで復興してくださいといっても住民には
そういう全体を復興させるという意志がなかったらできない
その中で自分だけは犠牲になりたくない、嫌なことを引き受けたくないとなると復興はできない、
そんな所より楽な所に移った方がいいとなったのである。
楽なところ住むに条件のいいところへ移ってゆく。
だから仙台市周辺は人口が増大したことでもわかる。
東北では仙台が一番の都会だからそうなる。長町にも仮設住宅があった。

そもそも震災前でも不便な所には住みたくない便利な所に住みたいということがあった。
だからこの際便利なところに住みたいとなる。それで大内村でも帰らなくなった。
要するに震災前でもそうした問題がありそれが津波や原発事故で露になったのである。

金だけが頼りだというのも田舎でも同じであり金さえあればいいということは
補償金一億円もらえるなら他で暮らした方がいいとなる
もちろん老人などは金より故郷で暮らした思い出が価値があるというのがある
でも若い人はそうとはならない、むしろ便利な都会の方がいいと考える人が多かった
だから金によって前々からも田舎でも金さえあればどこに住んでもいいということが現実化したとなる
そのことが津波原発事故で現実の問題となり故郷に固執する人は少なく他に移る原因でもあった。
現代はだから故郷に執着する人は農業主体の社会じゃないからそもそもなっかたから
故郷でも離れることに固執しないということもあった
ただそうしたことも個々人の価値観の相違があり影響する

posted by 老鶯 at 19:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2014年03月17日

最近南相馬市で見かけた新しいもの (トレイラーハウスにペリコプターをもつ家)


最近南相馬市で見かけた新しいもの

(トレイラーハウスにペリコプターをもつ家)

traior.jpg


これは運ぶには楽でなかった。でも運ぶようにできているものでもあった。
前に運転する車両が接続していあった。
これは車両であり土地は駐車場のように借りたのだろう
これに電気を接続すればそれなりに簡易宿泊所として使える
別荘として使っている人もいる。
ただトイレとかいろいろ設備を入れると高くなる。
でも家を建てるよりはかなり安くなる
ただこれは移動するのはむずかしい
だから別荘用としてはいい
この辺で増えたのはホテルであり
今も外部の人が泊まる場所が必要だから近くに建った

ナンバーをつけていれば、陸運事務所管轄で。
ナンバーを外して、固定すると、市から固定資産税が少し掛かります


loghouseeee11.jpg


これは何なのか、趣味なのか、ラジコンで動かすのか、仕事用なのか
人が乗れるように大きい、撮影するためのもきなのか、何かわからない
でもこれだけ大きいもの二つあると仕事用なのかもしれない
薪を燃料にしているのか山の方にログハウスを建てていた
この辺では東京とか外部から入って住むようになった人もいる
そういう人かもしれない、
原発事故以後は何かそうした新しいものもがこの辺では入ってくる

こういうのは許可なく写真とるとまずいかもしれない
プログでも公表するから問題になる

場所は特定しないからいいかもしれない
文句が来なければいいのかもしれない
嫌がる人はいるから勝手に人の家の写真はとれない

posted by 老鶯 at 10:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2014年03月18日

原発事故の賠償金は原町区と鹿島区で大きな差 (南相馬市は賠償金で三つに分断)


原発事故の賠償金は原町区と鹿島区で大きな差

(南相馬市は賠償金で三つに分断)

hhhhhhh1.jpg


避難区域(小高区)

緊急避難準備区域(原町区) 平成23年3月11日から平成24年8月31日
屋内退避区域(鹿島区) 平成23年3月11日から9月31日


今回の賠償金はまず30キロ圏内と圏外で相当な差があった。
30キロ圏外は避難指示がでた30キロ内は屋内退避でありでていない、でも半分は避難した
30キロというのがどういう科学的根拠なのかわからない
実際は中通り郡山市とか二本松市とか福島市が線量が高くなっていたからである。


南相馬市でも鹿島区は最初賠償されない地域になっていたが同じ南相馬市ということで
一所帯100万を市の調整資金から出して原町区の人から批判があった。
それは名せか?原町区の賠償金が思った以上多かったのである。


一人10万もらえる期間か鹿島区は7カ月間しかない

原町区は18ケ月間もある
これを計算すすると
18×10 = 180万円
一人分でこれだけの金がもらえる
二人だと360万になるし3人だと548万とかなる
家族か多いと一千万くらいもらった人がいたのかとなる

こんなに原町区の人がもらっていたのか?

一人7万と計算していたのが大失敗だった

確かに鹿島区も一人十万だったから7か月分で70万で二人分で140万だった
その分は確かにもらった。でも原町区は多すぎることがわかった。
でもそんなに原町区の人たちがもらったのか?
いくらもらった聞いても原町区の人は教えない
だからやはりこういう計算だともらっているのだろう。


小高区は一人十万であるが意外と原町区はもらっていたとなる。

小高区に対して批判がおおきいか原町区に対しては鹿島区ではあまり批判しない
それは賠償金のことが良くわからなかったということがあるかもしれない

だから鹿島区の不満が大きいことがこれで一目瞭然である。

hoskouu33.jpg

hoshouuu1.jpg

原町区と鹿島区では賠償期間で大きな差がある

介護関係でも追加の賠償金が出たがこれも期間が短い鹿島区は7カ月分であり
期間が長い原町区は18ケ月分になるから額に相当な差がでる
この賠償期間が一番の問題だったのである。
せめて原町区が18カ月分ならせめて半分くらいの10カ月分くらいにすればそれほど文句がないかもしれなかった
なぜ被害はそんなに変わらないにこれだけの差があるのか解せないからである。

自分は南相馬市の屋内退避地域だから賠償金には不満がある。
ただこの30キロ圏外という位置が外部にプログでも発信するには適地だった
これが小高区とか避難区域とか原町区でも賠償金が多くもらっていると
お前はそんなにもらっているのじゃないかと外部から批判される
微妙な位置だったがある意味で客観的に見れる場所だったのである。
相馬市となると賠償金がもらえないから埒外になる。

いづれにしろ原町区でもかなりもらっているからそんなに原発事故に文句言うなよとかも
外部から国民から言われる立場になりやすい,30キロ圏外は賠償金がもらっているのは
もらっていてもそれほど多くないから客観的な立場になり外部に伝えられる

だから正直自分の家では最初に一所帯百万もらってもそれはあとでさしひかれたから
結果的に140万でありプラス介護にしても一人一万で二人分でも7カ月分だから20万にもならない
、だからこれもさほどでないとなる

でも相馬市や他でもらえない人はさらに不満になっている。
だから福島県内でも賠償金もらっている人に対する不満がある。
それで原町区の人が福島市で車をきずつけられたのはそういう不満があるからかもしれない
なぜなら福島市の方が線量は高いからである


いづれにしろ南相馬市の小高区と原町区は賠償金で不満がない
不満なのは仮設住宅を建てさせた鹿島区の人達なのである。
だから小高区の人とうまくいかないのである。
原町区のように賠償金をもらっていれば不満はなかった
現実に原町区の人たちか仮設が一杯建って小高区の人たちがいてもそんなに批判はしない
それは賠償金が原町と鹿島ではこれだけ差があったからだったのである


訂正

原町区は平成24年8月までが賠償期間です
だから一人10万円で18カ月分の支給です

さらに訂正

鹿島区でも一人一カ月10万もらっていた
だから原町区も一人一カ月10万であり18ケ月とすると額が大きい
その差は大きすぎたのである
それで鹿島区は不満なのである

ただ外部からはそれほど批判される額にはなっていなかった

いづれにしろもし原町区がこれだけもらっていれば
鹿島区の不満は大きいし消えない
そこに大きな溝が生まれる

結局 小高区、原町区、鹿島区が合併して南相馬市になったけど
それぞれが賠償金などで分断されてしてしまった皮肉がある
南相馬市は賠償金問題で心が一つになれないのである

その大きな原因が原町区はさほど被害がないのに鹿島区とほぼ同じなのに
賠償金が意外と多くもらっていたとなる

ただ原町区の人はそれぞれどれだけこもらったかは言わない
それは意外と多くもらっているから言わないのである

原町区 一人180万

鹿島区 一人70万

この差は倍以上というのは納得いかない
なぜ原町区がこれほどもらえるのか?
それは同じ南相馬市なのに
つまり原町区は南相馬市の中心であるからか?
ここに支払えば不満を言わないからか?

そして鹿島区は除外された地域になった

?????????1

posted by 老鶯 at 17:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2014年03月20日

放射性物質はセシウムは流れてホットスポットを作る (樋の下を計ったらわかった)

 

放射性物質はセシウムは流れてホットスポットを作る

(樋の下を計ったらわかった)

toishitaaaa1.jpg
seciumtoiii1.jpg

放射性物質は屋根にたまり水で流れ樋にでてきてたまった。
この写真では樋の出口のところが水路になって流れて砂利の所にたまった。
だから水路の所は半分くらいの放射線量であり砂利になった所は倍以上になっていた
ということはセシウムは水とともに流れる
そして流れない砂利の所でたまっている。


ただここの水路はコンクリートであり流れやすい場所だった
盛んに泥とともに放射性物質はセシウムは流れると言われた。
現実に泥とともに阿武隈河口に大量の放射性物質がたまっていたことでもわかる
セシウムはやはり泥とともに流れてどこかにたまりやすい。
だからホットスポットが各地にできる。

飯館村でも道の脇の泥を計ったら20マイクロシーベルくらいあったのには驚いた。
これも泥とともに流れてたまったところが高くなったのである。

長い間にセシウムは泥や水とともに流れてゆくのかもしれない
山や森にたまったセシウムも泥とともに流れてゆく
そして30年たつと半減する
その時は普通に人も住める状態になるのだろうか?


それでも真野ダムの水を鹿島区と相馬市では飲んでいる
これが気にかかるのである。
真野ダムの底の泥には大量の放射性物質がセシウムがたまっているからだ。
泥に付着して水にはまざらない、また水道局で除去するならいい
水道局では放射性物質の心配はないと言っている
実際にどうしても飲み水としても利用する
それで不安になっている人はいる


放射性セシウムが検出された試料を濾過して、懸濁物 質濃度と濾過後の放射性セシウム濃度を調べました。そ の結果、懸濁物質濃度が高い試料ほど放射性セシウム濃 度が高く(図2)、また、大部分の試料(43試料中41試料) では濾過後には放射性セシウムは検出されませんでした。
www.ffpri.affrc.go.jp/pubs/seikasenshu/2013/...


飛散した放射性セシウムは、今は土壌中の粘土粒子 にしっかりと吸着しており、容易には移動しません。けれども台風や大雨、融雪に伴って、それらの 土壌中の粒子とともに動く可能性があります。現に住民の方々からは、除染した場所に、周囲から 放射性セシウムが移動してきて、再汚染されることを心配する声も聞かれます。
www.ier.fukushima-u.ac.jp/documents/130116...


これはPDFでよめる、「セシウムは水で流れる」というキーワードで調べられる

つまり水ともには流れにくい、


飛散した放射性セシウムは、今は土壌中の粘土粒子 にしっかりと吸着しており、容易には移動しません。


セシウムは水の粒子に付着して流れやすい、でも純粋の水とともには流れない
だから真野ダムの底の泥にはセシウムは付着しても濾過した水道水とともには流れない
だから水道水は安全だとなる

そして樋の下の砂利にたまったセシウムは半分に減っていたけどまた下の方に流れて分散されたのかもしれない、
その辺の計測は必要である。

科学は苦手だけどこの辺では放射能をさけてとおるわけにはいかないから
子供でも興味をもつから科学に興味をもつ人もでてくるかもしれない、
しかしこの放射能問題は長い時間をかけないとどれくらい影響するかわからない、
森にたまった放射性物質はどうなるのか?それが減るのには30年とかかかるから困るのである。


今日は雨でやはり道路でも0・3マイクロシーベルとか放射線量が高くなっている。
やはり雪でもそうだが雨でも空中から雨滴について放射性物質がふってくる。
ヒロシマの原爆では黒い雨と言われた。

ともかく放射線量は明らかにホットスボットがありそこにたまっている。
だからそこを除染する必要があるのだ。

やはり屋根を除染したり樋の下などを除染するのは効果的なのだろう
ただ空中にある放射性物質がまた雪や雨とともにふって屋根にたまり
また樋の下に流れて砂利にたまるからどれだけ効果があるのかわからない
ただ放射線量は前の半分には減っている

posted by 老鶯 at 13:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

何を復興させるのか? (少子高齢化高齢化などで第一次産業は復興できない)


何を復興させるのか?

(少子高齢化などで第一次産業は復興できない)

現代農業は老人でも可能なので、三ちゃん農業へ移行した⇒老人が多い
林業は輸入品が単価を押し下げたので産業自体が壊滅した⇒老人が多い
漁業は「3k+危険」なのでなり手が少ない⇒老人が多い
農林水産業は地方中心⇒過疎化で若者が少ない⇒老人が多い
日本は高学歴化したので第一次産業のなり手がいない⇒老人が多い


日本は一次産業じゃ食っていけないからな
農業・漁業・畜産業・林業
どれも貧乏老人ばかり
 どれも費用ばかり掛かって実際年収だとクソ

漁師って海に良い事を、何一つやっていないよな。
 俺の海だとかわめいていながら
遭難すれば、全部国が丸抱えだろ、しかも。


 福島の汚染水が、あれだけ増えたのも、
 地下水バイパスに漁師が反対したからだ。
そのうちデカイ余震が来て、汚染水タンクは全壊し、海に流出だ。



今回の津波原発事故で復興がすすまないというときその原因は何かと問われた。
極端なのはジジババしか住んでいない三陸沿岸に金を注ぎ込むのは無駄だと
官僚が言ったことでもわかる。

もともと跡継ぎもいない老人だけでやっていた地帯が多い。

南相馬市原町区の大原でも病院で同室だった農家の人も跡継ぎがいないと嘆いていた。
息子は市街に住んで一緒に住んでいなかった。
大原には三軒くらい廃屋があり放射能汚染で避難区域に半分くらい指定された。
それで仮設に住んでいる人がいる。
だから放射能汚染で農地でも賠償金もらった方がいいともなっていた。


漁業についてはわからなかったがこれもそもそも原発の補償金がなくては成り立たなくなっていた。
地元でもそういうことがわからないから苦労して魚をとって売っているのだと思っていた。
実際は漁業権を原発に売り原発成り金になっていた人がかなりいたのである。
つまり第一次産業主体の地方はそのしめる割合は全生産の一割にも満たない
この辺では三割は火力や原発の発電関係でしめられていた。
三分の一は東電の社員化していたのである。
だから浪江町では廃炉のための作業員が宿泊できる、受け入れる5000人くらいの規模の
コンパクトシティにしようという計画がある。
まさにそれは具体的に東電の社員化であり東電に所属して食べてゆく計画なのである。


なぜ復興がすすまないのかというとき、そもそも津波原発事故前でもこういう衰退した状態であり
それはもう復興できない状態にあった。跡継ぎもいない、老人だけであとはどうしたらいいのという状態であった。
そこに津波原発事故になったのだから致命的になったのである。

復興がすすまないというときそうした第一次産業の復興が進まないとなるが
それは津波原発事故前から老人だけの未来のない産業になっていたのである。
だから第一次産業の復興というのは何なのだろうとなる。
そんなところにジジババだけが住む所に金をかけても未来はない、金を浪費するだけだとなる


これが戦前だとかなると違っていた。農業主体であり第一次産業主体だから今とは考え方が違っていた。
相馬藩で400年前の慶長津波で700人が溺死したし今の宮城県の伊達藩でも今回と同じような大被害があった。
でも相馬藩ではその津波の被害地域に侍が開拓に入ったのである。
例え津波の被害地域でも米がとれるからあえて移住した。
稲作には土地が必要であり土地が不足するから海岸の湿地帯を埋め立てて開拓してきたのが日本である。
そういう時代は津波の被害にあったからと広大な土地をほうっておく荒地にしておくことはできない、
津波の後でも塩害があっても米はとれたというから別に田んぼにまたなるのである。
ただ米あまりであり他に産業があるからやらなくてもいい、どうせジジババ農業だとなっていたから余計にそうなった。


ただ故郷から田んぼとか畑のない世界は想像すらできなかった。
水というのは山から流れてきて平地を潤して田んぼに流れて米ができる。
田んぼがあって水が山から平地へと循環して生きていたのである。
だから春には山から神となった先祖が平地におりてくるというのは
田んぼを活かす水が山から流れてくるからである。
それがなくなったときどうなるのか?
そういう風景は千年以上もつづいていたのである。
それがなくなることが想像もできないことだった。


ただ現代は別に都会化して都会に膨大な人口が集中しいてるから都会ではそんなことを見ていない、
米を食べていても米がどうして作られるのかさえ見ていない人もいる。
野菜にしても果物でも同じである。それが普通の景色ともなっているのが現代である。

だから不思議なのは神戸という大都会で地震災害があってもそこは田舎とは違う、
第一次産業は関係ないからそういうことは考える必要はなかった。
ただ靴工場があって火事で焼失したとかが問題になった。
神戸の地震災害と今回の津波原発災害は根本的に違っていたのである。
神戸は苦しかったが復興も早かったのである。

今回の津波原発事故の災害の復興が進まないのは広範囲に第一次産業が壊滅状態に陥ったことにあったのである。
それはもともと老人が担い手であり衰退していた。

この辺では原発事故も重なり一体どう復興するのだろうとなる。
いろいろ模索はしている、クリーンエネルギーで再生するとかいろいろ計画はある
それにしてもこれだけ破壊されると田んぼも畑もない荒地の前にたつと
一体ここはどうするべきなのかとまどってしまうだろう。
何もないとなるとそこに新しいものは建てやすい、でもその新しいものは何なのだろうとなる


製造業と商業とかもそれも積み重ねが必要であり簡単にできるものではない
第一次産業は衰退していても千年とかの歴史があってできていたからまた復興しようとする、
でもその農業すら今までとは違う新しいものを模索するようになる。
要するに新しいものが作りやすいといってもそれが簡単には作れないということである。
それも結局外部の力に頼るとかなってしまうだろう。
とても地元でそれだけの発想と構想をして具体化することはできない
実際は東電に頼って生活していたような地帯だからそうなる


それで南相馬市長選挙で敗北した渡辺氏の構想がシルバータウン構想とかになってしまったのである。
老人が多くなって若者が流出している所に老人を呼んで老人の街にしたらどうなるのか?
それはやがて死んだ街になってしまうのではないか?


結局復興がすすまないというとき、神戸だったら苦しくても元の状態にもどせばいいのであった。
ところが津波原発事故は元の状態にもどせない、第一次産業主体の社会だったら元の状態にもどせばよかった。
それは江戸時代でも戦前でも同じだった。
しかし現代では老人だけの跡継ぎもいない第一次産業に戻してもあとでまた衰退するだけだとなってしまう。
だからいくら金をかけてもそこに未来がないということで無駄だというのも本音を言えばそうなる。

 


「農業も漁業も金にならない、俺は跡継ぎたくない」
「もう 俺の代で終わりか、まあ、補助金は国から出るから形だけでもつづけなきゃなんねえべえ、それはわかるな」
「んだな、田んぼは請け負わせて俺はやらねえ、それで金にはなる、農業は手間のわりには金になんねえからやらねえ」

そんなところに津波原発事故が襲った
「もう農業は終わりだ、もともと跡継がないつもりだった
この際、原発賠償金をもらってやめたらいいよ」
「まあ、漁業でも原発では東電からはあんなに金をもらっていたんだな
あそこはこれからも賠償金がさらに加えられるからいい」
「農家はずっとは補償されないからやめるほかないよ」
「でもここで何してくらしてゆくんだ」
「んだな、何も目立った産業もなくなったしな、東電で働いていた人もこの辺には結構いたけどな」
「農家は土地を手放すことは最後の最後だった、だから形だけでも田んぼにしていれば良かったんだよ」
「跡継ぎしないとしても誰かに土地を貸して作らせれば良かったからやっぱり損だった」
「もう、俺らの代は終わった、あとのことはもうわかんねえ」
「こっちも何をしていいのか、わかんねえ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これほど破壊されると未来を描くことは本当にむずかしい
戦後の焼け野原とはまた違った状態にある
少子高齢化であり高度成長の余地はない
老人が都会でも増え空家が増え高度成長から衰退へ向かう国で起こった災害だった
第一次産業主体の社会でないからそれを復興させるとしてもそれで復興にはならない
だから何を復興させるのか?
未来のために何を復興させて何を新しくしてゆくのかそれがわからないのである。
国で計画を立ててもその通りにはいかない、計画した新しい街に住んでもらいたいと言っても
住まないで人口が津波の被害地域でもでている

三陸などでも漁業も零細だったから見切りをつける人もでてくる
それで人口流出して街の復興より崩壊の危機にさらされているのである。
この際過疎地域から脱出して便利な都会にでようとする若い人も多い
だから復興しようにもその人材もないとなる
慶長津波の時のように相馬藩から津波の被害地域に開拓に入るような人はいない
ボチンティアは確かにいたけどそこで骨を埋めるまでの覚悟ができるのか?
ボランティアにはそんな過酷なところに追われるものがない
地元の人すら楽な方に向いているのだからそれも頼りにならない
様々な悪条件が重なっているから今回の復興はむずかしいのである
だから防潮堤でもそんなものに莫大な費用をかけるのが無駄だというのも一理ある
それはゼネコンが利するだけだとか除染にしても一兆円でも無駄だとされる
何か有効な手が打てないのが現実なのである。

 
 
posted by 老鶯 at 16:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2014年03月23日

被災地に不足しているもの(土地と宿泊所)


被災地に不足しているもの(土地と宿泊所)

原町の道の駅で九州から来た人と話した。

「三陸の方を回ってきて松島から仙台に来てここに来た
三陸の方は土地がなく狭く暗く寒かった、ここは明るく空も広くあたたかい」
「三陸辺りは土地がないよ、ここはまだ土地はある」
「ともかく泊まる所がなくて困った、近くのワンルームの部屋をやっと借りたよ
この道の駅で車をとめて泊まっていた人もいたよ、ここはトイレもあるし水もあるからいいんだ」
「車で泊まって旅している人がいたからそういう人もいたのか」
「あと一年くらいはいるようになる」
「この辺はまだまだ復興していないよ、工事も長くつづくよ、九州のどこから来たの」
「佐賀県だよ」
「佐賀県のどこ」
「唐津だよ」
「ああ、あそこか、いい所だ、虹の松原に入江が深く入っている、もう一度行きたいな」「唐津は佐賀県と福岡がまじっているところだよ」
「そうか、佐賀県はなじみかないから、福岡県だと思っていた」


こんな話をした。自分は全国を旅しているからたいがいその人の住んでいる場所がどういうところか一応わかる。唐津にも行ったし虹の松原にも行った。
だからどこの出身だと聞きそこがどんな所か地理的にわかる。
三陸で空が狭いとなりここは空が広いと感じたというのはわかる。
山と狭い土地しかないからだ。それは日本自体が空が狭く感じるのだ。
外国のいいのは山もないから空が広く感じられるのである。
だから日本には空とか天の感覚がないのである。
広大な天に思いめぐらすことがないのだ。

唐津は風光明媚であり歴史ある場所である。湾が深く入り込んでいて虹の松原があり
唐津とあるのは唐は韓(から)であり韓国と歴史的に古代から深い関係があった。
ただ九州は二回くらいしか行っていないので地理的にはわからない所がある。


いづれにしろこの辺でたりないのはホテルであり宿泊所である。それも長く泊まれる場所になる。
まだそれだけ工事関係者が入ってきている。九州からもきていることでもわかる全国からまだきているのだ。
だから鹿島区の山の方までホテルができたのである。
こういう状態はまだ何年かつづくだろう。
復興住宅にしてもまだ数パーセントしかできていないのだ。
だからどこでも家が新しい家が建っているのである。


この辺で土地の価格があがったのは津波で家を失って住めなくなった人が多いのと原発避難者が多くなったからである。
だから土地の価格とか家の価値もあがったのである。
特に土地を求める人が多いのである。それは津波の被害地ではどこでもそうである。
それだけの土地を津波で失ったからである。
特に三陸辺りは土地がそもそもないのだから平地は津波の被害にあったところだから
住めないとすると高台になるがそれも土地が狭いから住む場所がなくなってくるのだ。


いづれにしろこういう混乱状態は三年たっても変わっていない、何か人の出入りが激しい。
まだ外部の人が相当数入ってきているから宿泊所がたりないのである。
レイプなども噂になるのも外部の人が入ってきて治安が悪くなっていることもあるかもしれない。
入れ墨の人がホテルの湯に入って来たりするからそうである。
建築関係はどうしてもそうした人や身元を明かせない人も入ってくる。
それはそれで役に立っているのだから犯罪をしなければいいのである。
第一この辺ではそうして汚い所で働く人がいないのだから働く人は貴重だとなる。

相双緑化でやはり簡易宿泊所のプレハブを増やしていた。
こうして簡易に泊まる所がかなり必要なのである。
トレイラーハウスもその一つだった。
何かそうしたものを増やさないと道の駅で車に泊まることになる
そこが今も問題なのである。


ただ一方で仮設の食堂などでは客はめっきり減っているうということもある。
その時もっとホテルは不足していた。
おそらく相馬地域でも泊まれないから遠くから通っていたのかもしれない
ホテルの問題でも旅人ではないから一日二日泊まるのではない
長期滞在となると部屋が簡単に空かないから部屋不足になる
その人も一年くらいいるとか言っていたからである。

hotellll1.jpg

相双緑化に増えた仮設のプレハブ

posted by 老鶯 at 11:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2014年04月06日

南相馬市の・・湯は外部の人の利用者が多い (・・・関係のものも入ってきていて治安が心配なのもわかるが・・)


南相馬市の・・湯は外部の人の利用者が多い

(・・・関係のものも入ってきていて治安が心配なのもわかるが・・)

どこの湯とは言わないが最近温水器が壊れ入れなくなり外の湯を利用している
今日も入ったがちょっとした失敗で中に入っていた人にどつかれた。
こっちに非があったのだからやむえないがそういう関係の人も工事で入ってきている。
入れ墨した人も実際この前は入ってきたのである。
お断りの張り紙があっても入ってきている。

地元の人も入っていたが何か入りづらくなったかもしれない
その人は一見みてそういう人だとわかる。
顔つき自体が何か映画にでてくる悪役なのである。
そういう関係の人でも顔だけ見てもわからない人がいる
今回ははっきりとわかる顔つきだったのである
だから現実にどなられた時は殺気も感じた。

あういう人は建築現場には必ずいるしあっち関係の人も入ってきている。
13時間働かされて労働基準局なんだとか言っていた。
そういう人を見て嫌だとしても地元の人は働かずそういう人でも働くのだから
嫌な思いしても風呂にでもゆっくり入って休むをとがめることはできないだろう。
あういう人達の居場所も必要なのである。

殺人犯がまぎれこんでいてもわからないということがあった。
それはそれなたりに社会にとって役立っている
だからとやかく言うものではないともいえる。
あの人達は別に遊んでいるわけではないからである

ただ治安の悪化とか風紀が乱れるとか平和な田舎の感じか乱されるということは多少しるかもしれない、
普通地元でもかかわらなければわからないのである。
たまたま自分の失敗からそういう人なのか知ったのである。
自分としてはいい感じはしなかった
別にその人に非があるわけでもなんでもなかった

ともかく人は簡単に判断できない

それでも原発事故周辺とかはいろいろなことが前と違って起きている
まず荒地化してネズミが増えたことなのだ
カヤネズミという小さなネズミが増えた
それをとって食べるノスリも増えた
建築ラッシュは以前としてつづいている
治安が悪化するというとき、外部のものは悪化させやすい
それで南相馬市 レイプとかキーワードで探している
これは本当はどうかわからないし調べようがないだろう
ただ建築関係の外部の労務者には必ずそういう人がいるのは否定できない
だからといってそういう人達が犯罪を犯すとは限らない


考えてみるとすでに


死亡の作業員、偽装請負か 福島第一の4次下請け所属(8月25日 朝日新聞デジタル)
作業員の死亡や事故が続く福島第一原発の実情
http://newslogjp.tumblr.com/post/30527550273


東京電力福島第一原発で二十八日、掘削作業をしていた福島県広野町、下請け会社の安藤堅(かたし)さん(55)が土砂の下敷きになり、病院に運ばれたが間もなく死亡した。事故収束作業中の死亡事故は初めて。放射能汚染のため近隣には消防署も病院もないのに、東電が双葉消防本部に救急車を要請したのは事故発生から約五十分後だった。
http://blogos.com/article/83343/


実際は原発工事関係で8人はすでに死んでいる。そさも犠牲者なのである。
その犠牲者になった人がどういう人かはわからない。
そういう人にかかわり知ることはむずかしいからである。
何か事情がある人なのかどうかもわからない、そういう人はそういう場所で働かされる傾向がある
借金している人などもそういうことがあるかもしれない
そこが金になるというとそれぞれに仕事がうまくいかない人達なども入ってくる。
もともと原発はこの辺でも金になるからと働きに出ていた人かかなりいたのである。
危険だけど金になるから働き場所として行っていたのがこの辺なのである。


今日はただ正直、原町の桜を見に行ったこともあり興ざめした。
自分としてはあまりそういう人達とかかわりたくない、君子危うきに近寄らずである
ただ女性なのにそういう人に抗議しつづけているから驚く
その人はそういう人を怖がらないとか刑務所に入っていた人とつきあっていたとか
なんか普通のかよわい女性とは違う。
女性でも鉄火場で入れ墨見せてチョウだハンだなどと映画に出てくるが
そいなものが架空のことだと思っていたが今もそういう女性も現実にいる


普通に暮らしている人は底辺でギリギリで生活している人のことか実際に触れないのでわからないのである。
一時ホームレスのようになっていたことが若い時あった。
それで日払いで金がもらえないことがあった
その時は苦しくてもせっかく働いたのに金がもらえなかったので自分も憤った
賃金未払いは底辺層にはかなりあるのだ
もちろんブラック企業もこれとにているのである


いづれにしろあういう人達が湯でも入ってくると地元の人は入りにくいかもしれない
ただ今回は別に自分の失敗からそうなったのであり普通はそんなことはない
別にかかわることはないからである。自分としては一回そういうことを経験すると嫌だとなる。
入れ墨お断りというのはやはり地元の人にとってはそうしてもらいたいとなるのが普通だろう。
ただこの辺はそういう人でも仕事しているのだから風呂くらいは入って
ゆっくりして疲れをとって下さいとなるからきやかくは言えないだろう。
他にも湯はあるからそっちを探して入るほかないだろう。

こうした混乱状態は後何年つづくのだろうか?
やはり田舎の平穏な生活にもどりたいということはある
でも今度は外部から人か入らないと今度は衰退した市となってゆく
それを言う人は建築関係でいる
それもまた困ったものなのである。



刺青=その筋の人で、その筋の人が良く出入りしていると評判が立てば
銭湯に来るお客さんが減ってしまうからでしょう


これも問題になっているがこの原発事故周辺は事情が違っている
地元の人達が働かないでパチンコで遊んでいるだけだとか
東京まで行ってギャンブルざんまいとか・・・に行ったとか堂々と言っていた
その人こそヤクザじゃないかとも思った。


つまりその人は13時間働かされて労働基準局どうのこうのと言っているとき,
やはりブラックな人がブラックな所で働かせられているともなる
でもその人たちが働いているのだから復興のために努力しているとなる
地元の人達は補償金で遊んでいるとなるからこれまたどっちが責められるのかわからない
結局、外部の利用者が多いのだからそれは拒否できない
そこではゆっくり休んで疲れを癒して下さいともなる


地元の人は別に家にも風呂はありまた他にあるからそこで満足しろとなる
そこは外部の人の専用のような湯になってしまうかもしれないが
それもこの辺の特殊な事情でしょうがないとなる
ただ何か嫌な雰囲気だなとなるから自然とさせるようにはなるかもしれない・・・


posted by 老鶯 at 16:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2014年04月07日

人間は実際に現実に直面しない限り実感しない (廃炉作業や外部から働く人達と地元の人の問題)

 

人間は実際に現実に直面しない限り実感しない

(廃炉作業や外部から働く人達と地元の人の問題)

前に書いたことあった。仮設の食堂でボランティアが地元の人がなぜ働かないんだと
喧嘩になったとそのことが現場にいないからよくわからなかった
前よりは外部の工事関係者は減っている、でも実際はその仕事にかかわらないとわからない、
そこで外部から来て働いている人はどう思っているのかわからない

湯であった人は別に入れ墨もしていないけどちょっとした失敗でその人が大きな声でどやすのでわかった。
親分肌の人だったみたいだ。
ただその人のことはほとんどわからない、年は結構とっている、50はすぎているだろう。
歳の人も結構きている。あの人は現場で肉体労働だろう。
13時間働いているいうことは底辺の労働者であり断れないのだろう

この辺は何かあっち系統の人たちが目立つということがあるかもしれない
地元でもそういう人がいたけどその人にはそういうものは感じなかった
あの人とは一瞬目があって殺気を感じた
そこにいた時間はこくわずかだったがその人が13時間働いているということは何だったのか、
それ以上のことは全くわからない。
話しもほとんど聞いていないからだ


ただ南相馬市でも現場ではそうして誰であれ過酷に働いている人たちがいる。
それが自分でもそうだが補償金で働かない人はわからない
ただボランティアの人達と地元の人達が喧嘩になったのはそういう背景があったのだろう
それはずっと自分も書いてきたけどそれも自分の身にふりからないから自分も同じであった。
お前も廃炉作業で働けよと言われたらできない

でも実際に廃炉作業で死んでいる人は9人とかすでにいる
そのことはかなり重い事実なのである。
もっと死んでいるかもしれない
その死に対して地元の人達も無関心だろう
現実に毎日パチンコとかで遊んでいることも確かにある
別に補償金でそんな危険な作業をしてくてもいいからだ

ただ考えてみると今回の原発事故の原因は地元の人達にもあった。
だから責任の一端はある
もちろん故郷に住めないとか責任をとらされたから被害者だという意識が強い
でも加害者だったという面も原発周辺にはあった

だから聞いた話では建築関係の仕事をしている人は
車に仙台のナンバーをつけているという
南相馬市に住んでそんなことできるのかと思ったができるらしい
というのは税金は福島県に払うからである

つまり外部の人はあんなに補償金をもらっている人達に反感を抱いているからそうなる
だから南相馬市で原町に住んでいるということがわかり
福島市で車を傷つけられたというのは本当のことかもしれない
福島市は放射線量が南相馬市などより高いのにもらえないからうらやましがっている
相馬市も同じであり補償金で贅沢して働かない人達を非難していた

この辺は何かそうした内部の人たちと外部の人たちとの軋轢がある
イワキではそれでいだずらされたり被害もでていた

南相馬市内部でも複雑に補償金が配布されていて対立しあう。
鹿島区でももらっている人はもらっているという
18カ月分もらっている人はいるらしい
寺内では一軒はもらっているとかまた塩崎とか烏崎でももらっている人と
もらっていない人がいるとか本当のことは誰も言わないのでわからない

原町でも全部がもらっているわけではなく六号線沿いなどはそんなにもらっていないらしい
石神辺りでも隣がもらっているのにもらえないともめたりしている
都路では人家が多い方がもらって人家が少ない方がもらっていない
これは放射線量と何の関係もない
東電では人が多く住んでいるとその人たちに抗議されると困るから補償金をはらった


補償金で福島県内でももめているし南相馬市とかの内部でも分断されてもめている。
外部から働きくる人たちはまた内部の人に不満があるのかもしれない
俺たちは誰のために働いているんだとかあるかもしれない
もちろんそういう底辺層で働く人たちはただ金になればどこでも働く他ないという事情がある
そういう事情をなぜかかえたかはわからない

ただ自分でも8人が廃炉作業で死んだとプログに書いたとしても何か深刻さが全然ないのである。
ちょうと自分とは無関係のニュースの事件やドラマを見ているのと同じである
何か当事者という感覚がないなのである。
補償金で暮らしている人も仮設は窮屈でも廃炉作業して死んでいる人かそれだけいるということを深刻に思わないだろう。

もちろん自分は津波で家族を失っていないからそういう人たちのことも深刻に考えない
ただ近くで知り合った人があの辺は被害もないと思っていたが意外と深刻な被害があったんだと知った

近くでも災害でも当事者にならないと実感しないのが人間である
八沢浦が美しく蘇ったとというとき、ここて子供まで死んで泥から探し出したのに
何なのだというと言われたときもそうだった
その当事者にすれば生きるか死ぬかの経験だったのである。

人の出会いでもインターネットだけではわからないだろう
湯であった人から何か殺気のようなものを感じた
人間は何かの気を発している、それか文字だけだとわからないのだ
人間の出会いはちょっとしたことだけでも火花を散らすことがある
だから道ですれちがって当たっただけで因縁つけられて殺人事件まで起きる
だからちょっとした人の出会いでも危険が人間にはつきまとっているのだ


なぜ当事者としての感覚をもてないかというとやはり現場にいないということがある
もし一緒に働いていて死んだ現場に立ちあいば衝撃を受ける
でもその現場にいなければそういう衝撃はないのである。
だから気楽にニュースでも娯楽のように見ているのだ
津波のあれだけ悲惨なニュースでもそうなる場合がある

自分も近くでもそうだった
家族が死んだ人がいるのに感じなかったのである
自分が感じたのは津波とか原発のことより自分自身の一身上のことだった
だから人間はそうした現場で苦労していないと危険を感じないと実感しない

ただあういう人と一緒にいるのは正直嫌である
建築現場は別に原発の廃炉作業でなくても過酷である
歳とったらそんな肉体労働はしたくないだろう
だから怖いと見えたその人も死にたいという言っているのは嫌になっているのだろう
その人のことは実際は二三言話したの聞いただけであり全くわからない


いづれにしろ原発事故周辺でも廃炉作業とかしているのはほとんど外部の人たちである
内部の人たちはそれなりに責任あったのに働かないことに対して
外部の人たちはどう思うのか
そういうことは何かかかわらないからわからないのだ

ただ正直今の時期は桜が咲くから桜を見ていたいとなる
そんな過酷な現場では強制されない限り働きたくないとなる

でもこの辺では復興というとき、やはり地元の人たちが働かないで外部まかせではまずい
「なんか、外部の人たちが入ってきて治安が悪くなって困るな」
「なにを、お前たちかそんなことが言えるのか遊んでいるくせに」
「俺は毎日13時間働かせられいるんだよ、その苦労がわかるか」
そんなふうに大声でどつかれたら多少はこの辺どういう状態にあるのか実感するだろう
わずかの時間でありほとんど話を聞かなかったけど自分のちょっとしたミスから感じた

貧乏でギリギリの生活をしている女性もそうだがまた過酷な労働を強いられている人も現実にいる。

外部から来た人たちのなかには強制されたように奴隷のうよに働かせられている人たちもいるかもしれない、その事情はわからない。
建築工事関係の人たちが除染もそうなのか何か雰囲気が荒っぽくなってしまうだろう
ただかかわらなければ別に感じないのである

除染というと相馬市の今田でもしているという、相馬市でもしているのかと意外だった。
山の方だから放射線量が高くしているのだろう。
この辺はこうしてまだまだいろいろな問題の地域でありいつまでつづくのかと思う
だから避難区域の人たちは何かいろいろ問題がありすぎて帰りたくないという気持もわかるのでてある。
でも実際小高の人たちも原町でも鹿島でも留まるということはまたむずかしいのである


ともかく今は桜の時期だから桜を楽しみたいというのが偽らぬ自分なのである

 
 
posted by 老鶯 at 01:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連