2013年03月11日

復興はすすんでいるのか? (何が優先順位なのか-高齢化社会が復興をはばむ)

 

復興はすすんでいるのか?

(何が優先順位なのか-高齢化社会が復興をはばむ)


●放送は震災関連一色


今日は一日震災関連の放送だった。いろいろな人がでてきた。南相馬市の産婦人科医の院長で最近死んだ高橋亨平氏のことも放送していた。「南相馬市に生まれてきてくれてありがとう」と生まれた子供に最後のメッセ-ジを残した。これもこういう状態だからこんな言葉が生まれた。そもそも子供をもっている看護師自体流出している。これも放射能にそんなにこの辺で敏感になっていいのかという疑問がある。この辺は放射能が低いからである。飯館村とか浪江とかともちがう。小高だって他と比べると中通りの方が高いのである。もし放射能が危険なら中通りの人口が多いところも若い人の子供をもっている人が流出しても不思議ではない、そんなことになったら福島県が崩壊する。

確かにここで子供を産み育てること自体大変なことになったから他に移るのもしかたないし止めることはできないというのも本当である。相馬藩のような江戸時代とは違うからそうなる。相馬藩が飢饉のときは相当な人の流出があったらしい。それは食えないのだからどうにもならない、その人たちが悪いとはならない、でもこの辺でそんなに放射能が危険なのかという疑問がある。地元出身者が多いとすると親もいるからその親を捨ててでていくのかともなる。それから何を優先して行うべきなのかということも問題になった。それは子供をここで生んでもらいここで育ってこの街に住んでもらいたいということで産婦人科医の院長が癌になっても奮闘して死んだ。優先順位がまずここで子供を生んで育てる、子供がいなければもうその市町村自体が衰退して崩壊するからだ。ただ津浪被害地域でも人の流出は激しく市町村が維持できない、崩壊寸前にあるいう危機的状態である。それに対処するいい方法が見つからないのだ。派遣された公務員も過労で自殺したというのも驚きである。自衛隊も過労で一時三人くらい自殺した。そのくらい厳しい現場になっているということである。


●何を優先順位にするのか?


何かこういう緊急事態になると何か優先順位なのか問題になる。無駄なやっていられない、そんなことに金使っていいのかとかいろいろある。陸前高田市の一本松を記念に残すにも億の金がかかったからそれは別な生活に役立つものに回すべきだという市民の意見もあった。優先順位を決めるのは実際はむずかしいのだ。いろいろな価値観に生きる時代でありそれが無駄だとしても簡単にはできない。この世の中は実際は膨大な無駄な労働からも成り立っているのだ。労働がみんな価値あるものとはならない、一時は公共事業自体がただ金をかけるだけだと言われた。無駄な労働と金が費やされていたのである。だからすべて働いているだけでそれがすべて有益だとはならないのが社会である。

個々人にとって無駄か有益かは違っている。老人に何が売れるのかとか今は高齢化社会だからキ-ワ-ドで探している人がいる。でも老人にはあまりモノは売れない時代である。モノよりそのモノを売りに来る人の方が価値があるともなる。意外とモノを売っている人はそこに気づいていない、モノよりその人が気立ていいの女性で気持ちが優しくていいとかなるとモノも売れるかもしれない、老人はモノよりそうした人と接することを望んでいるのだ。ところがモノを売る人はモノがいいからモノが欲しいのだと錯覚している。モノより人間的サ-ビスを欲している時代なのである。自分もモノより心優しい女性に一杯のお茶でもわかしてもらい飲ませてくれたらそれなりの金を払ってもいいと思った。毎日介護で疲れたからである。優先順位は必ずしもモノではなくなてっいる。モノが売れないというときそういう時代の変化があった。だから介護時代になったということもそれに呼応しているのだ。介護はモノを買うことではない、人のサ-ビスなのである。老人と心地よく優しく接しているくれる人を望んでいるのでありモノではない、そこを勘違いしているのである。

優先順位ではこの辺では異常である。みんな必死になって復興で働き命を削っているときパチンコ通いでパチンコ屋で人手がたりないからとなげている。これほど馬鹿げたことがあるだろうか?

高橋享平医師はは癌でも命を削って南相馬市の将来を思って子供たちに未来をたくした。一方で毎日パチンコ屋通いの人たちも仮設に多い。多額の補償金をもらえるから何もすることなくなったからそうなった。そんなところに優先順位があるわけがないのだけどこれもまた原発事故の被災地域の現実なのである。個々の地域でそれぞれ違った事情をかかえている。自分からすると介護で苦労しているから少しでも手伝ってもらえば助かるなというのが優先順位になる。ただ一方で老人なんか介護しても何にもならない、若い者の負担になるだけだから早く死んでほしいということも常に言われてきた。老人の医療とか介護自体を優先順位にすべきでなはい、もうそんなところに社会で金を税金を使うべきではないというのも今は公然と言われているし政策にもなりつつある。病院でも身内のものが手術するときまだ生かせたいですかとか露骨に言われた。その時も医者は過重な労働で高齢者の世話に疲れていたのである。それだけ高齢化の負担が過重になっているからそうなる。今回の震災でその高齢化の問題が極端化して現れた。もう被災した市町村から若い人が流出して老人だけが残される、姥捨山が現実化する恐怖である。被災地でなくても高齢者の世話するのは嫌だ無駄だと騒いでいる若者が多い。被災地ではその何倍もの負担が若い世代にかかってくるからこんなところに住むのは嫌だとなり流出してゆく、そういうことが深刻な問題として現実化したのが被災地でもあった。


●高齢化が復興をはばむ大きな要因


不思議なのは一方で津浪の被災地で壊滅したところでは年金生活者はどこでも暮らせるからいいがこの市町村に残っても働く場もないしとても生活がなりたたないと若い人が流出してゆく、つまり年金生活者はかえってもう誰も医療でも介護でも若い人がいないからできない状態になったら老人も流出する。年金生活者は困らないからそれができるだろうとなる。でも老人は故郷への愛着が強いから故郷を出たくないのだ。ただそういういろいろな葛藤とか矛盾が二年たっても噴出している。どうしていいかわからないというのも現実である。復興するにはもう高齢化社会ではできない、老人では復興できない、つまり老人は復興の負担にしかならないということもある。だから少数の若い人たちでも残り復興する。そこでは老人がいなくなるから医療や介護の負担もなくなるから最小限でまにあわせるとかなる。医療介護はほとんど高齢者であるからだ。こういうことはあまり考えなかった。

何かいい知恵がないかというときそんな考えもあるのかと思った。でもその社会に地域に老人がいなくなるというのも異常なことだろう。老人もその地域で必要なものとしてあった。ただ数が多いのと高齢すぎるというのが問題だったのである。現代の問題は世界的にも高齢化というのが大問題なのである。高齢化社会というのは人類で経験していない、人生50年とか社会的には世代間の新陳代謝が激しい社会だった。常に社会が子供が大量に生産され若い社会だったのである。高齢化社会というのは人類で経験していない問題だったのである。だからその解決方法がなかなか見つからない、高齢者の増大で一地域でもその圧迫で崩壊するまでになっている。特に震災地域は現実化している。

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2013年03月20日

最近増えてきた浪江の避難者 (南相馬市に原発避難者が移っている)

 

最近増えてきた浪江の避難者

(南相馬市に原発避難者が移っている)


ス-パ-の前で昼間から咲け飲んでいる老人がいた。浪江の人だった。最近二本松辺りから移ってきたらしい。浪江の人たちだけが住んでいる仮設もできた。その隣に浪江の会社も移った。前から確かに浪江の人が鹿島区などにも空家を借りて住んでいた。そういう人に三人あったから前々からいたことはいた。また人が増えているのを感じた。今は彼岸で増えたということもある。その人ももう浪江に帰れないと言っていた。確かに家は五年もほっとくとぼろぼろになる。人が住まなくなると家の傷みが激しくなる。だからその人はすでに帰られないと決めている。そういう人が浪江では多いだろう。二本松とか会津では冷たくあしらわれたという。会津などは質素に暮らしているから補償金などで金使いが荒いから嫌われたとか言っているのは原発避難者はみんなそうなる。会津などもともと浜通りより産業などがないから貧しいだろう。貧しい雪国である。浜通りは火力発電所とか原発で金は入っていたのである。それなりに会社もある。今度は避難者になっても補償金の額が大きいからやはり金使いが荒く問題になっている。


二本松に会社が移って鹿島区から空家を借りて通っているという人はどうしたのだろう。会社社会になれば会社が移れば人も移る。農業でないから地元に執着する必要もない、そういう点で今は移動するのは楽である。江戸時代は簡単に移動できない、命懸けにもなる。金さえあれば広域社会なのだから移動は容易なのである。でも移住して住むとなるとやはりいろいろ問題が生じる。この辺ではまた複雑になる。小高の人は一応南相馬市であるが浪江は浪江町であり別である。すると税金も納めないことにもなる。浪江町民は浪江町という籍をぬけられないのだ。なぜなら補償金を国や東電からもらわなければならないからいつまでも浪江町民としてあらねばならない、これが結構問題を生む。いわき市でも双葉町などが仮の町をいわき市に作ろうとしたのはそのためである。それは現実的でないにしろ双葉町民であれ大熊町民であれ浪江町民であれそのレッテルをとることができないのである。


そうしたら生活すらできなくなる。でも他の市町村に移住したらそれでは困るとなる。それだけではないこういうふうに人が一時に移住すると移住された方でも困るということがある。福祉関係や医療関係でも人が増えても人がたりないということが深刻化する。いわき市ではすでに病院が満員だとか住居も避難民優先で入れないとか不満がでて車を傷つけることなどが起きている。

金をもっているから飲み屋で札びらをきるとかで非難もされる。それで隠れて仙台の方で金を使っているらしい。そこだと金を使ってもわからないからである。浪江町は二万人だからかなり多い、これだけの人が移住するとなると様々な軋轢が生まれる。今でも小高区の人と鹿島区の人が補償金問題でももめているからこれにまた浪江町の人が加わることになる。その人は請戸の人は罰があたったと言っていた。小さい船でも一艘二千万の補償金が入っていたとか船主は一億円もらっていたとか言っていた。だから相馬市の請戸の入院した人が特別室に入り家を建てるというのもそのためである。億の金は軽くあるのだ。事故後も補償金が入るからその額は大きい。でも相馬市でもそれがすんなり受け入れられるかとなるとそうはならない。


ただ空家を借りていた人が親戚を頼っていたとか親戚関係の人が浜通りに多いから二本松とか会津のようには嫌われないだろう。でも小高区の人と軋轢が生じたように生じる。現に鹿島区ではまた農家の人が作付けができないとか補償金の請求をする署名が回ってきた。小高区と浪江町は厚い補償があるが原町区や鹿島区はないとか相馬市は全然ないとかもめるのである。だからいくら相馬藩内でもすんなりと受け入れることにはならない、その人も80才だったけどやはり高齢者の移住がふえる。そういう人を世話するのは地元の人である。その地元でも

南相馬市では医者や看護師が流出している。
だから南相馬市立病院は半分しかやっていない、相馬市の病院もさらに混雑してくる。金を払っても人手がたりないのだからそれを補給してもらはないと困る。ただ老人だけではない、家族ごと移っているから若い人もいる。その人も家族ごと移っていて娘を待っていた。空家に移った人も相馬看護学校の生徒だった。そういう人はまたこの地域で働く。だからすべでがマイナス要因とはならない。
でマイナス要因の方が多いのである。なぜ原発避難者が嫌われるのかというと前にも書いたが金をもっているからその金で世話しろとなる。そこにお世話になりますという謙虚さがない、金さえ払えばいいじゃないかというのが現代の社会だったからである。でも金だけですべてが解決できないのがこの辺でありまた高齢化社会になる。


老人しかいなくなった村で無給でス-パ-を運営せざるをえなくなった。ス-パ-がつぶれて買い物もできなくなった村を放送していた。それで村の老人が無給で運営せざるをえなくなったのである。あれは高齢化する限界集落の行き着く果てかと見た。若い人も子供もいなくなり世話する人もいない、老人だけが取り残される。30分離れた場所で買い物するほかない村になった。すると残った老人でも無給で働かざるをえない、村を支えざるをえない、これはまさに高齢化社会の現実を見たしその解決策も見た。働き手がいなくなり残った老人で村を維持せざるをえなくなる。でもいつか子供もいないのだから村は消失してしまう。そういう限界集落が日本中にある。この辺では高齢者が移住するということは負担のみ増えるということなのだ。例え金があるといっても看護師も介護職も足りない、他に人手がたりないところが増えた。すると金があるからはサ-ビスは受けられないのである。ただ老人だけではない若い人も移住するから労働力は多少は補給される。でも老人が多いの
だからそれではたりないのである。


いづれにしろこの辺の混乱状態はさらにつづいている。家も二十軒以上新しく建った。アパ-トも二棟立つ、山の方に新しいホテルも建った。鹿島区はさらに人口が増えているのだ。だから一見いいように見えるがそこに小高区の人との軋轢が生じたように生じる。ただこうした混乱状態は長くつづくだろう。原発非難者の落ち着く先がどこになるのかということである。まあ、鹿島区などの地価は上がり空家の価値が高くなったろう。すると自分の家の価値も古いが高くなったかもしれない、もう売れないと思ったが前よりは家が古くても売れるということかある。空家を探している人が多い、需要が増えたからそうなる。

posted by 老鶯 at 15:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2013年03月24日

権力を持っている人が責任がある (原発事故は誰の責任なのか?)

 

権力を持っているものが責任がある

(原発事故は誰の責任なのか?)


●権力を行使できる人が責任ある


原発事故とか戦争の責任が誰なのか今やわからないし問われない、政府も東電も何ら責任をとっていない、官僚もとっていない、第一検察も東電の弁護をして原発を推進した方でありマスコミもそうだった。そして誰一人として責任をとらないのも解せないのである。戦争のときも300万人以上死んでも誰も責任をとらない、結局国民にも責任があったとして責任をとらない、原発事故も地元も積極的に誘致したのだから地元にも責任があるとして責任をとらない、みんな責任があるのだから誰も責任をとらないとなる。ただ人間は責任がないとかなんとか言っても必ず責任をとらされるのだ。
責任を逃れられないようにできているのだ。今は責任をとらされなくても百年後か二百年後かしらなけどいつか明るみに出されるし罪の結果は必ず暴かれる。偽りも必ず暴かれる、個人の犯罪でも集団の犯罪でもそうである。つまり必ずいつかは罪もあばかれ責任をとらされる。「死後裁きにあう」というときまさに責任を死んでも逃れられないという厳しさがある。生前は隠し通せても死後は隠せない。


責任というとき誰に責任があるのかということである。これを社会全体で考えるとわかりにくい、でも卑近な例で考えるとわかりやすいのだ。頼りにした因縁あった親戚の人は85才とかなり家に来ることもできなかった。最初は電車できていた。だから60才の娘の車がなければ自分の家に来ることもできなかった。そして年であり助けることもできなかった。何かできたのは娘だった。その娘は自分の家に来て何もしなかった、助けることをしなかった。こういう場合責任は誰にあるのか?何もできない人に責任はない、何かできるのにしない人に責任があるのだ。車にのせてもらわなければ来れないのにその娘がまるで来る気がなかったら母親も来ることさえできない、とすると母親には責任があったとしてもできないのだから責任を問うことはむずかしい。すると娘はできるのにしなかったから責任があるとなる。もちろん個々の事情がありそれはあなたの一方的な見方だということも言える。
ただここでは誰に責任があるかということのあくまでも一例としてあげた。


●単に金をもっているもの公務員も権力がある


何かできる人は何かできる権限がある人は責任が重いとなる。だから金持ちはそれが遺産として入るにしろ何にしろ金もっているだけで責任を課せられているのだ。あの人は土地を売って何十億の金が入ったというときそれは何十億の責任を課せられたのである。その金を放蕩に使えば社会はその責任を問うし責める。金を持っていない人は今の金万能社会で責任は問われない、盗みでもその額によって本当は責任が問われるのかもしれない、江戸時代は十両盗んだら首が飛んだ、盗んだ額によって罪の軽重が決められていた。でも実際は少額盗んでも刑罰は同じだったりする。はっきりいえばこの社会で百億でも盗む人は英雄になる。千人殺せば英雄になるのと同じである。それだけのことをするには相当の権力と地位をもたなければできないからだ。だから戦争はまさに千人を殺せば英雄になることを実現させたのである。普通の時の社会ではそういうことは絶対できないからだ。だから盗んだ額によって来世では裁きがあるかもしれない、なぜなら一万とか盗んでもそれは返せる、一千万とか盗むともう絶対に人は返さない、盗んだものの額が多いから手放せなくなる。盗みであれ財産を獲得することはさらに欲が生まれ返せなくなる。だからその罪は消えなくなる。現代はともかく金、金、金の社会になっているというとき金によって責任の過多があらゆる所で生まれているのだ。

公務員も結構責任あるし権力をもっている。自分の本が創価を批判しているかとこの町の図書館に置けなかった。それができたのは公務員はやはりそうした力をもっているということである。これは他でも共産党でも批判したら図書館に置けなくなったものがいた。こうして団体はみな権力をもっているからその権力で社会を支配しようとする。だから東電でも自治体の上のクラスの町長であれ公務員であれ目をつけてとりこんだという。そこには金が回っていて富岡町長の5億円の金庫が話題になったのである。それも煙がたたないところに噂もたたないから何か今度の原発事故を象徴していたのである。

創価などでも日々の活動はいかに社会の権力を掌握することにかかっている。だから教員とか公務員とか弁護士とか政治家でもすべて権力を掌握するために送られてくる。創価大学も権力の中枢に送るために作られたのである。公務員は公正ではない、必ず権力の働く場所なのである。だから団体の推薦で生活保護が受けられるというのは本当なのだろう。創価か共産党に入ればその権力で優先的に生活保護が受けられるとかなる。そういうことはいろいろな場所で普通に行われているのだろう。権力をもっている子息はマスコミに優先的に入社できるとかいろいろ普通にある。だから何であれそういう権力を行使できる人たちは一番責任がある。
検察でも警察でも一番責任ある部署である。そこでも権力の乱用は常に行われている。権力ですべてが決められるときこの世はただ公正な権力の使用ではなく権力あるものが勝手にすべて決められるとなる。ただその権力の所在がどこにあるのかはわかりにくいのが社会なのである。

原発事故がどうして起きたのか?その責任は誰にあるのか?それは結局人間がすべて権力を求めるだけのためにある、社会も権力を求める競争にある。その権力とは何かというと現代では金になるから金になりさえすればすべてが許される社会だからこそ原発事故が起きたとなる。安全より金だ権力だということではすべて一致する。政治家も官僚も宗教団体も経営者も労働組合も地元もそのことでは一致しているから団結できたのである。科学者もほんの一部の人は原発の危険を警告しても大多数はそうした多数の力に押されてしまったのである。権力機構そのものが善に向かって構成されるのではなく悪に向かって構成されるようになっているのだ。検察は正義の見方じゃないのかというとき原発とか大きな戦争とかなるとただ大きな権力側につくだけなのである。アメリカが検察を動かしているというのは嘘ではない、中国に支配されれば中国のいいなりになるのが検察機構なのである。だから小さいことに関しては公正さがあっても大きな国民的課題になると権力側につくように構成されているのだ。


●巨大な団体の責任は誰も問われないのか?


だからもはや社会自体が自浄能力がないものとなっている。誰も正せないし責任の所在もわからない、ただ権力を行使できる人が責任があることは確かである。でもそもそも様々な団体の責任はどこにあるのかとなる。政治団体であり官僚であれ組合であれ宗教団体であれそれらの責任の所在も明確にはならない、そもそも個人にはないのだからわからなくなる。その団体に問うても「私はただの一会員、社員にすぎません」となる。それはナチスと同じである。「私は上の命令でガス室送りに署名しただけです」それで終わりであり何も責任も感じないのである。大成建設の社員が除染で不正をしていても社員は上の命令でしていましたというだけで責任はとらない、団体は責任をとらない仕組みになっているのだ。大成建設という巨大な会社の責任を問うとなると一個人などできなくなっている。それは東電でも同じである。相手は弁護団をもっているしとても一個人では歯がたたなくなる。


でも自分の本を自分の町の図書室に置くなと断ったのはそこにいた人が責任がありその個人が執行したのである。その理由もはっきりしている創価を批判したから置けないという理由だったのである。こういうことはマスコミでも団体でもいくらでもある。個人は権力がないとしたら無力である。それがいかに正しくてもそうである。ただ団体はどんな悪でも権力があれば公務員でも支配できるということである。もちろん警察も検察も支配できる。そして団体の責任とかを問うことはできない、東電が責任があったとしてもなぜ誰一人として問われないのか?社長でする今では別な派遣先にうつり億の退職金もらったとかなっているのだ。社長や会長の責任も全く問われていない、地元では責任を逃れようとしても一応苦しい目にあったから違っている。政府とか官僚とか検察とかマスコミでも団体でも責任は問われないのである。


人間社会の不思議は百円盗んだら責任が問われる、十億円盗んだら責任を問われない、千人殺したら責任が問われない、巨悪はもはや責任を問うことすらできないということである。もはや人間の力では不可能だということでてある。だからここに神の介在がなければもう人間社会は改めることさえできないとなる。それが大津波だったのかもしれない、だから確かに中国で易姓革命(えきせいかくめい)というのがあるのだと思った。天変地異でこの世が変わってゆくということ改められるとうい巨悪が暴かれるということである。ノアの方舟の洪水もまさに人間の悪故に大自然災害が起きたのである。自然災害は規則的に科学的現象でありそういうものと関係ないとういが何か関係があるのだ。人間の巨悪とか奢りとかを正すために人間社会の想定を越えたことが起こってくる。それが大津波だったのである。


天は己に成り代わって王朝に地上を治めさせるが、徳を失った現在の王朝に天が見切りをつけたとき、革命(天命を革める)が起きるとされた。


人類の罪はアダムの堕落にはじまりカインの殺人がありプロメテウスの火を盗むことの刑罰も重いものだった。核も兵器として恐ろしいものであったが原発としても恐ろしいものだった。その扱いを誤れば人類滅亡になる恐ろしいものだった。つまり核そのものによって恐ろしい罰を受けたのが事故の直接被害を受けた所だったのである。


神々がシシューポスに課した刑罰は、休みなく岩をころがして、ある山の頂まで運び上げるというものであったが、ひとたび山頂まで達すると、岩はそれ自体の重さでいつも転がり落ちてしまうのであった。無益で希望のない労働ほど恐ろしい懲罰はないと神々が考えたのは、たしかにいくらかはもっともなことであった。


シシューポスの罰もこれは別に個々人にもある。普通に有益なことをしないものはこの罰が課せられる。確かに有益なことは何かは個々人で違っている。でもそれぞれに何かをしなければならない時がある。恩受けたり何か一方的に与えられているのにそれを返さないときそういう機会があっても何もしないものはこの罰が課せられる。パチンコで働くものもそこで遊んでいるものもある意味で無益なことをしている。働いて息抜き程度ならいいがそこで働くこともそれが毎日となると無益なことでありそれはあとで罰がくだされる。確かに今のうちはいい、今後そういうことをつづけていればいろいろ困ることが生じてくるし罰が与えられる。人間は生きている限り責任を負わされている。すでに生まれたこと自体が罪のためであり結果としてその罪の責任を負わされる。来世ではなく今世でその責任が負わされるのである。大きな世界でもそうだが個々人でも必ずそうした責任をとらされのだ。自分もまた種々の苦難がつづいたのも罰だったかもしれないのだ。
団体になるととらされなくなるから今回の自然災害とか想定外の自然の神の力が働く、最後は最後の審判で裁かれる。この世の悪が裁かれずに終わるということはないのだ。個々人でもそうだし全体でも団体でも同じなのである。ただ団体が罰せられるには時間がかかるのである。

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2013年04月02日

栄とならなかった原発-何が失敗の原因か (浪江に残された短歌(土井晩翆)から)


栄とならなかった原発-何が失敗の原因か

(浪江に残された短歌(土井晩翆)から)


浪江の地名と土井晩翆の歌
http://musubu2.sblo.jp/article/19103374.html


●浪江に残された二つの短歌の意味


土井晩翆が浪江に残した歌に地名が二つ読み込まれていた。


小野田橋新たに成りてこの郷(さと)の栄と睦(むつみ)いや増すぞよき

田尻原拓きて稲の八束穂のみのりをみるぞうれしき 晩翆


原発は栄とはならなかった。ただ原発は事故の前は栄となっていたのだ。浪江だと原発の恩恵は大きかった。請戸などは船主だったら一億円とかもらえていたのは信憑性がある。それで原発御殿が建っていたという。それが全部津浪で跡形もなく流された。それで地元の人すら罰があたったと言っている。そうはいっんても浪江町や浜通りでも福島県でも原発の恩恵は大きかったのである。
事故になって15万人以上の補償できるのだからその資金には驚いた。東電のことなどあまり考えたこともなかった。原発のこともあまり考えなかった。ただどうしても常磐線でゆくと煙突が見えると意識はするがそれほど意識もしない、30キロの距離は遠いと思っていたのだ。これが誤算だったのである。浜通りは二本松が結構田畑でも放射線量が高い、郡山も福島市も南相馬市より高いのである。
中通りでも遠いから安全だと思っていたろう。その距離の誤算があったのだ。飯館村も距離があると思い誤算していた。もちろん放射能がどういうものか知らないし知らせられないから放射能の被害がどうなるか予測する人はほとんどゼロだったのではないか?もちろんこんな大津波を来ることも予測しなかった。

まず町自体がなくなることなどイメ-ジもできなかった。戦争で焼け野原になっても広島でも東京でも復興している。そうなったときやはり茫然としていても意外と早く復興した。今回は町自体が放棄され住めなくなった。それが何を意味しているのか浪江の人もとまどうだろうし混乱している。
町自体が失うということは何を意味しているのか?その代々築かれた歴史も失う、そこで暮らした記憶も記憶も失う。土井晩翆が残した歌ももう無用のものとなり意味もなくなる。田尻原というところを開拓して実りがあり人々の喜びがあった記憶も失う。そこが古代から標葉郷としてあった記録は残っていても人が住まなくなったら原野になってしまう。双葉町は30年後にもどるということを決めたという。30年後にはやはり帰ってくる人がいて人が住むのか?するとやはり浪江の歴史でもまた受け継がれ回復するのだろうか?それはずいぶん先の長いことである。ただ日本は土地が狭いからやはり放射能が薄れれば住む人がでてくるだろう。30年後50年後は予測つかないのである。日本自体どういう状態になっているかもわからない、でも小子高齢化は予測されているから人口が増えるわけではないからそんな荒れた地に開拓するようなことはなくなっているだろう。人口が多いときは荒地でも開拓に入る人が多くいた。人口が少なくなれば便利な都会に住む方がいいとなる。


●豊かさを求めることは悪るいことではなかったが・・・・


ただ全国で2000高が廃校されるているように過疎化は深刻である。そうすると村自体が全国で喪失してゆく。何か今回の津浪でも原発事故でもそうした過疎地域に最後の一撃を加えられ村自体が消滅させたという衝撃を与えた。むしろ自給自足のような昔の生活だったらやはり第一次産業が生活の糧なのだからその土地に糧があれば残る。三陸では津浪が何度もあり今回と同じ様な被害があってもやはり人が住み続けた。それはそこに海の幸があり糧があるから住みつづけた。他に今のように働く場所もなかったのである。貧しくてもそういう自給自足の生活に甘んじるほかなかったのである。それが今はぜいたくになりできない。電気も石油も車も・・・も必要だとなる。もともと電気もなしで僻地は暮らしていたのだ。葛尾村などでは戦後十数年は電気も来ていなかったし山間部はまだ電気すらなかった。それはネパ-ルなどと同じである。そもそも僻地はそういう不便な中で暮らしてきた。日本全国がそうだったのである。


江戸時代の悲惨は影の部分は貧乏にあった。一割近くが眼病にかかり盲目の人が多かった。その他脚気とかもあり様々な病気に苦しんでいた。病気になっても医者は治せないからただなぐさめるだけだったという。それで病気は地蔵様や薬師堂で祈る他なかった。それが歴史遺産として各地に残っている。それから貧乏で一番悲惨だったのは遊女である。十代くらいで借金のために身を売らねばならなかったし肺病になる率も大きく死ぬと名もなく墓もなく使い捨てにさせられた。借金はやはり今そうだが恐ろしいものなのである。娘を売らねばならないほどの貧乏がその背後にあったのだ。江戸時代の悲惨は貧乏に尽きているしその後も貧乏の悲惨はつづいている。
だから江戸時代がすべていいとかはならない、だから江戸時代にもどれというのは酷だとなる。

戦争で貧しい農村出の青年が白い米が食べられるとか言って志願した人もいたから貧乏は戦争の原因にもなっていた。

そういう歴史からふりかえると豊かさを求めることは悪いことではなかった。では何が悪かったのか?それは豊になることで無理をしすぎた、背伸びしすぎたのである。急ぎすぎたこともある。
新幹線並のスピ-ドで豊になることを急ぎすぎたということもあった。もう少しテンポを遅くすれば原発でも安全を計られたかもしれない、早すぎたことが事故につながる。眼前の利益のみに眼がくらみ安全がおろそかにされたのである。


●経営にはモラルや経営哲学が必要だった



あわてる乞食はもらいが少ない・・・・


せいては事をし損じる



はじめに急いで得た資産はその終わりが幸いではない-箴言-20-21


欲の深い人は急いで富を得ようとする、かえって欠乏が自分のところに来ることをしらない

箴言-28-22



こんな庶民の諺(ことわざ)でもそれは人間が長く生きた中で庶民に伝えられた変わらぬ真理が知恵があったのだ。ともかく利益を早く得よう得ようとするとかえって得られないし「損して得しろ」というのも本当である。「せいては事をしそんじる」これもそうである。会社経営する人ならそういうことを実地の現場で会得する。経営は技術だけでは成功しないようだ。技術がいかに優れていても経営者にはなれないみたいだ。モラルとか哲学が必要になってくる。その人が失敗したのはその人は金にならないことは損することは一円でも損することはやらない、それは日常のつきあいでもそうである。この人に一円でももうかるならつきあうがそれ意外は一切やらないという計算してつきあう。一般的に利益があがらないでどうしてやるのだとなる。それは自分もそうだった。損してどうして事業がやれるのだとなる。人のことは言えない、みんなそうである。でも事業は明かにすぐに利益などでないのである。ある所で損することもあるからその損を見込んで事業を継続するほかないことがある。それであとで大きな成功につながってくる。


でもそういう余裕がもてるのは個人経営ではむずかしい。だから資金力のない人はただ頭にもうけを得ることしか考えなくなる。将来の見通しより今の利益が大事になる。それで東電の社長もコストカッタ-として社長に抜擢されたのである。その時は確かに会社でも利益があがり得したのだが事故後はとりかえしのつかない大損失になってしまったのである。これは技術者の問題より経営者の問題があったのだ。こうした昔から伝えられた格言や知恵をないがしろにしていたのである。東電のような大会社になるとやはりそれだけの資金力もあるのだから一時は損してもあとで得する経営は十分にできたのである。経営者は技術者でなくてもできるというのは経営はモラルとか経営哲学とかが必要になってくるためである。ただ今利益ああげることだと血眼になる経営は失敗する。そんな悠長なことを言っていられるのか?食うか食われるかの競争を生き抜くにはコストカットが第一だよとかなる。でもそこに大きな落とし穴があった。


●経営には全体的思考が不可欠-限界集落不用論の落とし穴


経営というときやはり政治でも限界集落の問題でも日本国土全体から思考することが欠けるとまた日本の経営に失敗することになる。一票の格差問題もそうである。そうした地方や限界集落でも衰退すると日本全土の国土が衰退するということもありそこからまた原発事故のような問題も起きてくる。日本の国土の維持するには限界集落のようなものでもそこに必要であり自然の理としてありうるべきだとなる。効率的でないからとか損だけだとか税金の無駄使いだとか都会的発想だけでは片づけられない全体の日本国土の問題としてとらえることも必要なのである。全体的思考とかではない局所的思考とか時間でも急ぎすぎると何か今回のような原発事故とか問題が起きてくる。それは個々人の人生でもそうだしそれは全体の社会にもあてはまるのだ。


現代はグロ-バル化しているというとき地球すら一つの体のように考える必要が出てくる。地球環境的視点が必要になっている。それは国の歴史をも越えた視点なのである。地震とか津浪というのはなぜ起きるのかいつ起きるのか解明されていない、地球が一つであり地球がつながっているからそれは地球環境的視点が必要になってくる。日本の太平洋岸に東南海と今回の東北沖に大きなプレ-トがあった。東北沖のプレ-トでこれだけの大きな地震があったことは東南海にも影響する。それでここ十年の間に大きな地震か予測される。それは科学的なものである。東南海プレ-トで地震か起きたとき大きな津波か起こりその六年後に東北沖でも大きな津波が起きたからその逆のケ-スで今度はパランスをとるために東南海に地震と津波が起きる予測されるのである。つまり地球は人間の体のように一つなのである。どこかが具合が悪くなれば全体に影響するのである。


 御民吾生ける験あり天地の栄ゆる時に遇へらく念へば
(万葉集6)

みたみわれ いけるしるしあり あめつちの さかゆるときに あへらくおもへば 海犬養岡麻呂


基本的には天地の栄があり人の栄がある。天地の栄が消失すればすべてが消失する。太陽が地球の栄でありマヤ文明のように太陽の光が衰えて世界は終わるとおびえたことは別に変わったことではない、太陽がなければすべての生命の栄はない、光が消失すれば生命は維持できない、ともかく浪江の橋を作ることは栄に通じていた。原発は栄とならなかったのである。故郷という天地があって栄があった。土地は恒産であり毎年実りをもたらす、そこに栄が永続する。それを失ったらもはや栄になる基を失ったのだから終わりである。これからも原発は国の栄とならないし世界的にもそうである。それは地球環境的視点からも原発は拒否されるべきなのである。原発は地球の栄にならないのである。

 
 
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2013年04月03日

2011-3月11日の数日前のプログの記録 (津波原発事故境に戦前と戦後になった)


2011-3月11日の数日前のプログの記録

(津波原発事故境に戦前と戦後になった)

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津浪の数日前のプログの記録

福寿草(余裕なき現代社会の不幸)2011年03月10日
http://musubu.sblo.jp/article/43778288.html


春北風(はるきた)に松風鳴りて右田浜

春光に一艘白し船の行く
陸地には北風なおも吹きにつつ沖行く船の春日に白し


春北風(2011-3-5)
http://musubu.sblo.jp/article/43705488.html

津波が来る前のプログを読むと春北風(はるきた)であり3月11日は東風(こち)が吹いたからこの頃の季節はこういう風であった。今年の11日は東風は吹かなかったから不運だったのである。
そのあと東風が吹いているからやはり風の影響はまねがれなかった。

右田浜の松原を俳句にしたのはこれが最後だった!
漁する船がでていたし春北風に松風が鳴っていたのである。これ以後松原はなくなり松風の音も聞くことができなくなったから信じられないとなる。ここを境にして変わってしまったのである。
 

津浪の前に書いた昔の貧乏と今の貧乏

醤油もまともに使いなかった昔の貧乏と今の貧乏の相違
(島木健作-地方生活を読んで )
http://musubu.sblo.jp/article/43719033.html


今の日本の貧困は中進国の貧困より実はたちが悪い。
一度贅沢な暮らしを経験してしまうと気持ちが抜けられないため、余計に惨めになっている。
周囲の目も違いすぎる。
中進国の貧困は地域や親戚などのコミュニティで物々交換で互いに守り合い、人々は明るい。
戦後の日本もそうだった。

今の日本の貧困はやや金があっても完全に孤独でむしろホームレスに転落しやすい。
福祉の力を借りない真面目でプライドだけ高い人も多い。
ひょんなことで限界に来る。

・・・・・・・・・
貧乏についても書いていた。原発を導入したのは貧しさのためである。でも豊になったにしろその豊さを得るために急ぎすぎたこと、背伸びしすぎたこと、無理したこと、それは個々人にもあったし会社や団体にもあった。自分のプログではそういうことを常に書いてきたし津波の直前にも書いていたのである。元親戚の人にしても二家族が見栄のために金を使い一軒は遂に倒産して家までなくなった。経営が悪化していたのけど見栄があり金も使っていた。一旦それなりの生活をしているとそういう水準を落とせなくなる。金持ちから貧乏になることはかえって辛いのである。そうなると借金してまで外見をとりつくろう。もう一軒もそうだった。成功者のようにしていたからそれを今さら借金経営だったなどと言えないから外見をいいように見せる。でも最後は偽ることができないからどん底に落ちてしまう。人間は偽りつづけることができないのである。原発でもこれはまだ完成した技術でもない、そこに無理があった。背伸びして運営していた。ただ利を得るために無理をしていたのである。急ぐこと無理することはどこかで破綻をきたす危険がある。


結局津波原発事故を境にしてこの辺は激変して価値観まで変わった。それは様々な混乱状態はつづいている。戦争に負けた戦後と同じである。天皇一辺倒の国家主義(ナショナリズム)から民主主義に百八十度変わってしまった。鬼畜米国からアメリカ一辺倒に今度はなってしまって金が第一の社会になった。その変化が大きすぎたからその変化を生きる人はとまどい混乱したのである。この辺もそういう混乱、動乱状態にある。故郷が消失するということはあまりの衝撃だったのである。広島の原爆の跡でも東京空襲でも焼け野原になってもそこに人は住み続けて意外と早く復興したのである。だから奇跡の復興と言われたのである。ところが今回は30年とか帰れないとなっているからかえって今回の事故の方がひどいともなる。


ただ言えることは何か大きな価値観の変革が求められている。今までのやり方、価値観が否定された。その生活の土台となる土や水や森が汚染されたということが深刻なのである。原発事故がもたらしたものはそういう生活の基盤、根底になるものが奪われたことなのである。いくら金になるといってもそういう生活の土台が水すら使いないとなったら誰も原発などいらないとなってしまう。
つまり今回の津波でも原発事故地域でも町自体が消失して算盤で言えば御破算になってしまった。ゼロになってしまった。ゼロからのやり直しになってしまった。当然今までの価値観では成り立たなくさえなった。それは戦後の変化とにているのだ。ではどういう価値観で生きるのかとなると戦後のように天皇、天皇から民主主義、民主主義となったようにわからないということである。
だから貧乏時代の価値観を見直すことについても山尾三省の詩などを参考にして書いた。


では元の貧乏時代にもどるのかというとこれまた違ったものだろう。そういう価値観の変化が具体的に起こり問われているのである。それがどういうものかはまだ定まっていないし混乱状態なのである。他で就職するにしてもできないということもある。つまり宙ぶらりんな状態が10年くらいつづくかもしれないのだ。その間補償で生きる他ないともなる。でも十年のブランクはどうなるのか、三春辺りでは2年間耕作してなかったら荒地化してしまって元のようにいかなくなったとか農業でもブランクが長くなると荒廃してしまうのである。人間でも10年とか仕事せずぶらぶらして遊んでいたらどうにかなってしまうだろう。補償金で生活できても人間そのものがそこなわれてゆく。
いづれにしろ混乱状態はまだまだつづく、その中でいろいろ模索することになる。それは価値観とか思想とかも変革されてゆく、今までの生活の見直しが行われる。

ただ御破算になる、ゼロになるということは新しいことをするには適している皮肉がある。
戦後はまさに焼け野原になり今までのものがすべて否定されたから新しいものへの移り安かったのである。ただ伝統的なものをすべて否定するとそこにまた歪みが生まれた。
ただ宮城県でも津浪で町自体が消失したということはどう再建したらいいのだろうと途方にくれる。補償金で暮らすというわけにもいかないから町から人の流出がとまらず町が消えてゆく危機なのである。

 
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2013年04月06日

飯館村の放射線量はかなり低下 (同じ場所で計ったら平均3マイクロシ-ベルト減っていた)


飯館村の放射線量はかなり低下

(同じ場所で計ったら平均3マイクロシ-ベルト減っていた)

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除染した山

山をみんな除染は無理、道路は除染したのが多い。

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緑は草むら-茶色は泥-灰色は道路


2011年7月13日

飯館村の放射線濃度が急激に低下

3月20日に38.5μSv/h、4月1日に16.5μSv/h、5月1日に7.7μSv/h、6月1日に5.0μSv/hあったのが、7月4日には4.3μSv/hと低下している。最新の7月11日のデータは3.4μSv/hとなった。福島市杉妻町もここ一週間で1.0μSv/hから、0.8μSv/hへ低下している。
放射線濃度の低下理由は明確ではないが、放射性セシウムが雨などで流されているのだと思われる
http://www.anlyznews.com/2011/07/blog-post_1791.html

耕し、また耕し、堆肥を入れ、種を蒔き、収穫するという営みの中で、放射能を急激に減少させていたのです!
中島先生の科学的解説では、このようなプロセスがあったと思われます。
➊地中の粘土質がセシウムを電気的に吸着した。
➋堆肥の腐植物質が吸着した。
➌土中の微生物や地虫が取り込んだ。いったん微生物が吸収した放射性物質は根から吸収されにくくなる。
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-432b.html



これの不思議は2011年7月13日の時点でこれだけ減っていたのである。やはり雨が降ると泥と一緒になって放射性物質が流れるというのは科学的に説明される。放射性物質は泥に一体となり付着しているから泥と共に流れてもゆく。日本では雨が大量にふるからその時放射性物質も泥とともに流れてゆく。川に流れ海に流れてゆく。飯館村は放射線量が高かったのだけど流れる量も大きかった。
今は2013年でありこんなに流れてからまた二年とかたてばさらに放射線量はへっへゆく。

それからやはり残っている人がいて畑を一部作っている。そこでも放射線量は減っている。つまり人が住み畑を耕すということで放射線量も減ってゆく不思議である。人間が住まないということが何かかえって放射線量を放置することになるのか?それも不思議な現象である。もともと放射性物質がどういう影響するのか実ははじめての経験だから予測できないしわからないということがある。科学者でもわからないのである。こうしてみたら効果があったとかどうして減ったのかとかわからないのである。ただ現実的に放射線量がへればそれでまた対処が変わってくる。老人なら住めるじゃないかとかなる。老人が住むには影響ない程度になってきているのだろう。ただ幼い子供をもっている人は敏感だから南相馬市でも子ども連れて流出している。

大倉では泥の所は前も高かった。今でも7マイクロシ-ベルとになっていたから高い、草は5であった。道路は2くらいだった。道路は除染している所がありへっている。7になっているのは泥がセシウムとともに流れないためだろう。泥には放射性物質はたまっていて高いのである。草むらも道路よりいつも高かった。ただ平均して3マイクロシ-ベルトくらい低くなっている。約二年たってこれだけ減ったというのは放射性物質は泥と流れて徐々に減ってゆくものなのか?あとまた一年に二年とたって減ってゆけばやがて住めるようになるのだろうか?チェルノブヘリでは老人だけがもどって住み野菜も作って食べていた。飯館村もそんなふうになるかもしれない、他の地域でも老人だけが戻り住むようになるかもしれない、誰も住まないと土地も荒廃してゆく、一旦人が住んだ地域は人が住まないと荒廃がひどくなる。人が住まなくなった廃墟のような村の写真が良くでているけど何か凄まじい。
幽鬼の棲家のようになっているのだ。成仏しない霊がさまよっている地獄のような所になっている。家は朽ちてゆくとそうなる。だから墓でも地蔵でも石碑でも何でも捨てられてしまうと人が住まなくなると霊が彷徨い出て漂っているような異様な風景になっているのだ。

科学的にわからないにしろ畑を耕していて放射線量が減ったというのは何か土も人の手が加えられると毒がのぞかれ生きた土となるのかもしれない、一旦人の手が加えられた自然は放置されるとそこは荒寥としたものとなる。だから人の手を加え続けねばならない、それは森や山でもそうである。
人間の住んだ所は純粋な自然の場所ではなくなっているからなのだ。人の手を要する自然に変化したものなのである。
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2013年04月16日

相馬市の復興住宅1200万 (二階建てと平屋で46軒が建った)


相馬市の復興住宅1200万

(二階建てと平屋で46軒が建った)


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こっちが部屋数多いようだけど三つで同じだという
奥行きがなかったからだ

これは大曲地区の辺にあった。ここはもともと住宅があり新しくした。この前に住んでいた人が言っていた。自分はこの前に住んでいて津浪が来たと・・・
ここはもともと住宅であり土地が確保しやすかった。46軒たっているが平屋でも二階建てでも三つの部屋があるという、三つもあればそれなりの家である。平屋は敷地が広くなっているから三つの部屋であり二階建ては奥行きがないのだろう。二階は二階で棲み分けできるからいい。

値段は最初の五年間は賃貸であとは1200万だという、やっぱりそれなりに高い、建売住宅並なのか
家はやはり高い。


これだけあれば仮設から移りたい人がかなりいるだろう。たいがい老人が多いというのもやはりそういうことかと思った。馬場野にできたのは一人老人用でありそこでも二部屋あったからいい。
ここは夫婦が住むにはいい、三部屋だから余裕がある。子供をもっている人はすでに住んでいた。

仮設に住んでいる小高区の人は帰りたくないという、そしてこのような復興住宅に住みたいから市で建ててもらいたいと言っていた。今日のテレビでも老人は帰りたいけどもう子供は帰らないということでばらばらですとか言っていた。小高区の場合さらに老人だけが残されるし回りが町としての機能をもてないとなると住みたくないとなる。


でも1200万は高い感じもするがやはりこの辺で家建てたら土地が800万とかした。だから土地代こみだと高いとも言えない、最低でも土地代はやはり高いから500万となるとプラス700万だから妥当な金額なのかもしれない、鹿島区では新築の住宅がふえた。町内に人口が集中してきた。一軒は街から離れた所に建った。それは東京から来た人だという、子供もいる。東京から移り住む人もいたのか、やはり何らかの仕事ができて移り住むようになった。こういう人が増えると活気がててくるからいい、一見新築の家がふえたとしても津浪の被害者だったりただ今まであった人口が町内に集中しただけだともなる。図らずもコンパクトシティ化したということもある。


 

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2013年04月26日

機械文明崩壊の中で(星野芳郎)を読む (40年前に警告されていた原発の危険性)


機械文明崩壊の中で(星野芳郎)を読む

(40年前に警告されていた原発の危険性)


●原子力発電の重大事故は起こりうる
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日本の原子力委員会はアメリカの原子力機器メ-カ-のカタログを鵜呑みにして信頼性を高める実験はなんらやらなかった。日本の原子力行政はこれほど官僚的でかつ植民地的な性格をもっている。

もともと工業は農業や漁業とはちがって自然の地形や気性に致命的に制約されない、自然条件から多分に解放されているところに大きな歴史的意味があった。しかし工業の生産力が今日ほど大きくなり技術の上でも決して重大事故を起こしてはならない技術が登場してくると工業の展開も自然条件に大きく制約されるに到ったのである。
日本の自然条件は少なくとも現在の形の原子力発電の展開を許さないことを知るべきである。
あえてそれを強行するならば自然は必ずや日本に復讐すると考えなければならない。


この本に注目したのは40年前に出版されたものであったことだ。フクシマ原発の一号機が作られたのは1971年でありこの本が出版されたのは1974年なのである。この時期に適格に原発の危険性を指摘していたのである。事故があっての今ならいろいろ言うことができる。しかしその当時はそもそも原発が何か知らない人が多かったろう。その危険性も科学者ならわかっていたのである。この人は技術評論家であるから原発の危険性を専門的に知っていた。これまで原発事故に関してプログで究明してきたがその原因は何なのか、この本を読めばすでに原発事故が起きることは予測されていたのである。でもなぜそれをとめることができなかったのか?それはひたすらに経済成長を望んだことであり巨大工業化の道が自然条件を越える規模になっていた。人間は自然条件の制約の元で生きているのでありそれを越えるとき危険をはらんでいたのである。瀬戸内海のコンビナ-トの公害から原発の危険性も指摘していたのだがまだコンビナ-トは小規模なものであり限定されていた、原発事故は規模が地球大にも拡散される危険なものだった。一旦事故が起きたらどうなるか科学者はわかっていた。


それではなぜ無理して原発が作られたのか?それは政治的意図が働いたのであり政治家の責任が大きかったのである。ただ科学者も原発は専門的にみて危険なことがわかっていたのだから政治家の圧力に屈してはならず危険性を指摘するべきだった。つまり原発は政治家と官僚とかの圧力で無理やりに安全を無視して作られたものなのである。正力松太郎などという一個人の野望のためにも原発は利用された。正力松太郎はCIAのアメリカのエ-ジェントだった。アメリカの植民地としてなお日本はあり危険な原発を売りつけられたのである。その後継者として福島県の渡辺やその息子の・・がいてこれらもアメリカのエ-ジェントであった。原発を作っているGEの社員だったのが渡辺耕造の息子だったことでもわかる。中曽根首相もかかわっていた。原発は新幹線の駅を政治家の口利きで作られたように政治家の圧力で作られたのである。安全より原発のその巨大な能力にひかれて誘致したのである。


自然条件を無視したというとき日本には地震や津浪の頻発地帯だった。それが小規模な工業だったら原発のような大事故にはならなかった。そもそもこれだけの巨大な工業化はすでに限界に達していたのである。自然条件を越えて発展していた。一千万の東京があること自体すでにそれだけのエネルギ-をまかなうものを用意することは危険なものとなっていた。自然条件を越えたものとなっていたのだ。自然条件を越えたというとき日本古来の白砂青松の風景も自然条件に適合していた美しい風景だと思っていたが津浪で破壊された。これも自然条件に適合していたものではなかったのである。
人間は自然条件の制約を越えて生きられない生物だったのである。これは生物である限りその宿命をまねがれないものである。人間だけが自然条件を越えて生きられるものではない、その自然条件をはるかに越えた文明は自然から復讐されることは予見されていたのである。


●公害患者の賠償で金で解決して会社や国の責任は問われない

 


瀬戸内海の汚染地域を訪れて痛感させられることはコンビナ-トができてはじめて農業が破壊されたのではない、コンビナ-ト来る前にすでに農業が破壊されていたから地域は工場を誘致してその工場がさらに農業を大きく破壊した。 農業の破壊とは若年労働力の流出であり年配の農民の出稼ぎでなどである。


農民や漁民や林業にたずさわるものの政治力が強ければ農民や漁民や林業者は生産労働の上で汚染にもっとも敏感であるから大会社のように廃棄物を垂れ流す自然環境を汚染させることはできなかったろう

自然環境は金でかえない、汚染は金で解決できるものではない、健全な自然にもどすことによって
真に解決できる。


この意味で公害基金の思想は有害である。公害患者に金を払うということは企業の責任を追求せずということにほかならない。企業は公害基金のかげに隠れて公害患者からの直接的追求をまねがれる。
四大公害裁判いづれも企業の補償金の支払という形で解決されたがほんらいならば企業の幹部の社会的責任が法的に追求されなんらかの社会的制裁が当然ともなうべきだった。


公害基金などで公害患者に賠償して事をすませる。会社自体は責任をとらない、NHKのクロ-ズアップ現代でもとりあげていた。JRの事故で会社自体を罰することはできない、会社の罪は問えない、個々人の罪は問えるが会社自体を罰する法律はない、だから会社は安全対策に真剣にならないという。
会社とか大きな団体は不正があってもその罪を問えないのである。これは大きな団体自体の罪は問えないのと同じである。カルト宗教団体だってあれほど大きな団体になればその団体の罪を問えないとなる。大きな団体を罰する法律がないのである。国自体の過ちを問えないのと同じである。
今回でも賠償問題でこの辺はもめているけどその賠償金ですべて責任がないがしろにされかえって高額な賠償金を要求する人たちが悪いとされるようになった。東電とか政府の責任は追及されないし誰も責任をとらされないのである。それはなぜか?会社とか大きな団体を罰する法律ないからなのだ。


●安全は結局は機械だけではない人間の管理である


機械や装置にどれほどの安全のシステムがほどこされていようと安全を守るのは人間である。つまるところ人間の管理である


安全はいくら機械をコンピュ-タ-で制御しようとしたってできない、機械もコンピュ-タ-も人間が監視しているのだから人間が安全を作るのであり機械ではない、そして原発のような巨大なシステムはすでに人間が管理する能力を越えていたのである。その結果としてメルトダウンが起きた。つまり手のほどこしようがなくなっていた。それは必然的にそうなる運命にあったのである。人間が安全を管理するというとき清水社長がコストカッタ-といわれてのしあがったように安全よりコスト重視した。それを保安委員は点検していないし東電のコストカットを許していたのである。保安委員は何の役目を責任も果たしていなかったのである。いくら機械やコンピュ-タ-駆使しても安全は守られない、それは人間が安全を守るからである。コストカットで利益中心の会社なら安全よりコストだとなる。それは管理するのが機械ではない、人間だからである。津浪を考慮しないでわざわざ高い所に建てるのを低い所にたてて利便性をましたのもコストカットであり安全を計らなかったからである。それは人間の判断でありトップの判断であり指示だったのである。

もはや巨大化した文明の安全は守れない、いくらシステムを構築しても守れない、それは人間の手から離れて巨大化しているから最終的には原発の事故のようにメルトダウンするのが運命だともなる。いくら事故が起きても自然の制約の元で生きていればそうはならない、一部の損傷だけですむ。しかしこれだけ巨大化した文明は全体に波及して全体がメルトダウンしてしまうのである。それがとめられないということである。それが人類の滅亡に通じている。だから原発事故は文明そのものを見直さない限りもはや制御できない、文明の巨大化がエネルギ-の膨大な消費文明が破滅に導いているのだ。何らかの小規模なダウンサイジング的経済が要求されているのである。これは個々人の電気の節約などですまないのである。でも国民総生産の増大が望まれとめることができない、景気を良くするために縮小生産などできない、そして最後は文明の破滅、メルトダウンになってゆく宿命にある。

制御すること縮小することができない文明だからそうなる。そして最後に自然から復讐されて滅亡することになる。だから小子化の人口減も自然的条件維持のために自然の作用でそうなっているのかもしれない、日本は6千万人くらいが適正規模でありその中で自然条件に見合った文明を作るべきなのである。自然条件を無視していはいかなる文明も成り立たない、エジプト文明が三千年維持できたのは自然条件に適合して生活していたからである。現代の文明は百年ほどで衰退して滅びるのは自然条件に適合していないからなのだ。だからこそ自然に復讐され破滅させられるのである。

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2013年05月01日

消えた六号線と常磐線の活気 (プログに記録された原発事故前の写真二枚)

 

消えた六号線と常磐線の活気

(プログに記録された原発事故前の写真二枚)

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常磐線でもス-パ-ヒタチが走っていたときは常磐線が活きていた。今は二両の電車であり原町と相馬市間を走っているだけであるから淋しい。まだ走っているだけでいいともなる。
常磐線が開通するのは相当に先である。その見通しがたたない。
津浪の被害にあったわけではないから線路はつうじていても原発をかかえてんるから
警戒区域になっているところが広いからなかなか復旧できないだろう。
住民がもどってこないと駅も開けないだろう。それがいつになるのか見通しがたたないのである。

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六号線でもこのサイクリングの一団が走っているような時は活気があったなと思う、東京と通じていたときは六号線も活きていたのだ。自分は長距離トラックの音などが嫌だった。
今は全く通らないのだから聞こえない、東京からの車は六号線では来ない。
でもこの写真を見たとき不思議に思う。今でも一人のサイクリングの人がきている。
でもこのうよに何人かで組んで走る姿はない、だからこの写真見たときつくづく六号線も活気あったなと思う

東京から歩いて来た人もいたし鹿児島から歩いて来た人には驚いた。
六号線では遠くから来る人良くみかけたのである。今は東京と通じしていないのだからみかけない

でもサイクリングで一人津浪の見聞にきている人が結構いる。
でもこのうよな感じにはならないのだ。
だからこの写真を見ると六号線は活きていたなとつくづく思う

常磐高速道は二年後とかに開通しても六号線の方が自分には身近だった。高速道路ではこんなふうに走っているサイクリングの人を見ることはできないからである。

まだここは人間的なものがあったとなる。高速道路になると何か人間的なものがなくなる。
まずこんなふうに風景はない、全く隔離されたところで車だけが走っているから
車に名乗らない限り関係できないものとなる。


でも常磐線の代わりになるから東京と直接通じることで電車の代わりの役目を果たすことは確かである。するとまた活気がでてくるだろう。
すでに常磐線は原町-いわき間は乗る人が少なかった。仙台が多くていわき間は少ない、いわきにゆく人はこの辺では少なかった。それでも六号線を通じて交通があり人と物の往来があった。

常磐線もス-パ-ヒタチが通っていたときが活気があった。ス-パ-ヒタチには何度も乗ったからである。それが乗れないということ走らないのである。原ノ町駅にス-パ-ヒタチは時が停止したように停まったままなのである。

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2013年05月13日

小人閑居して不善を成す (原発避難民が東京でギャンブル遊び)


小人閑居して不善を成す

(原発避難民が東京でギャンブル遊び)


いわきにはパチンコ屋が多いのですが、どこもかしこも平日の昼間から駐車場が満車です。
普通じゃありえない混雑振りです。

原発被災者の方もほどほどにしておかないと、批判にさらされるでしょうね。電気代の値上げも結局そういう人たちに行くわけですから。一人10万円で5人家族で50万円も毎月入るなら湯水のように使うでしょうね。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1485326309


今日あった人は東京まで行ってギャンブル、競馬をしていた。新しい靴を東京で買ったとか自慢していた。靴自体安物であった。東京とか仙台で原発避難民が遊んでいるというのは本当だったと思った。近くでパチンコ屋に行くことは聞いていたが東京までけいはに行くというのはちょっと贅沢であり今まで競馬するにしても福島市まで行っても東京まで行かないだろう。金が入るから東京まで行っているのか?競馬のことはわからない。仲間が400万もうけたとか言っていた。もともと競馬をしている人はいたしパチンコをしていた人もいた。ただその時ほとんどの人が働いていたのである。
だからそのことでそんなに批判する人はいなかった。気晴らしにやっているくらいだと思っていた。今原発避難民は毎日ギャンブルであれ何であれ遊んでいるだけである。それも東京まで行くとなるとそれは贅沢だなとなる。ギャンブルだけではない東京に行ったら風俗などの遊びに行っているかもしれない、それだけの金が入るとなると一般的にそうなりやすい。


第一高尚な趣味は相当な年期が必要なのである。老後に軽い気持ちで俳句を作ろうかなどとなるが俳句でも季語や花の名前を覚えるだけで十年二十年とかかるのだ。簡単に俳句だって作れないのである。だから一般的には仕事でも強いられてしてでもしていればそうはならないのだ。
「小人閑居して不善を成す」このことが今は原発避難民に起こっているのだ。自分も小人だったから若いときから仕事していないからそうなった。暇で暇でしょうがなかったのである。いつも三食用意されているし時間はありあまるほどあった。だから旅ばかりしていたとなる。読書も趣味だからしていた。パソコンもその間に覚えたとかは違っていた。でもやはり小人は暇を与えられると不善を成すのである。暇を有効に使うことは簡単にできないのだ。


英語 school(スクール)の語源は古代ギリシャ語で、schole(スコレー、暇)。古代ギリシアや古代ローマの「市民」(市民権をもつ男。裕福で、労働は奴隷がおこなう)が、音楽や芝居、議論を楽しんだり、スポーツを嗜んだりする暇な時間、そしてその暇つぶしの場所から由来し、ラテン語でそれをschola(スコラ)と訳したのが直接の語源になる。scholaは、「学院、僧院」の意味で、思想史では「スコラ学」(僧院哲学、スコラ哲学)の名前で出てくる。実際には、スコラはキリスト教の教義の研究や教育に専念する修道士たちの生活と研究の場であった僧院のこと。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E6%A0%A1


暇があったからこそ学問も芸術も生まれたことも確かである。一方でロ-マではパンとサ-カスのように堕落した民衆にもなった。現代でもやはりパンとサ-カスになっている。ただサ-カスはテレビとかいろいろ大衆的娯楽が増えたが本質的には変わっていない。民衆の知的レベルはやはり上がらないしそういうものが人間である。最近思うに民衆は民主主義になりただすべてが平等となりもう誰も何が人間として尊敬すべきものかなどない、貴族がなくなったとき貴族ならそれなりに芸術の鑑賞や価値を知るものがいた。何が人間にとって価値あるものか精神的に価値あるのもか知るものがいた。


そういうエリ-トは社会にとって必要だった。それがなくなったとき、どんな下劣なものでも対等の原理が働くようになった。そのことは誰も偉い人はいないし認めない時代である。江戸時代あたりなら分をわきまえるということがあった。それは差別で不平等だということもあった。でも今の時代になるとどんな下劣でも分をわきまえる人などいない、相手が金持ちだったら自分も金持ちであるべきだ。相手が才能があったら自分も同じ才能があるべきだ。そうならないのは金がないからだと極端化しているのだ。だから非常識な人が増えているというとき民衆自体がただ民主主義ではすべてが対等でありあらゆるものの平準化を均等化を要求する。そうしないとみんな不満になる。だから学校では競争させないとまでなった。何か差をつけることが否定されるのである。

だからもう大衆に何かモラルとか理屈とか言うのは無益だとさえ思うようになった。なぜこんなひどい人ばかり増えたのかと思う。知識がなくても分をわきまえるとかなればそう思わない、民衆は今や民主主義、資本主義の下では欲望の無限の追求である。そこで分をわきまえて欲望を抑えることなどしない、大衆にはもはやモラルは喪失して欲望の野獣化したのである。
だから民衆が素朴だといういうことは田舎でもない、一部にあっても一般的にはそうである。だから欲望を満たしてやる欲望を刺激することが進められる。そのことを大衆は一番求めていることなのだ。カルト宗教団体もだからあなたたちの欲望が拝めばかなえられますよとしか言わないからこそあれだけの数が集まってくる。だから今までの素朴な分をわきまえる民衆というのはいなくなったのである。非常に利己的に分をわきまえないどこまでも欲望を追求する人しかいない、それが戦後の民主主義と資本主義で拍車がかかったのである。


原発避難民ではさらにそうしたことが露骨に現れる場所になったのである。もう補償金ずっともらって遊んでいればいいんだ、今がいいければいいんだと言っていた。補償金はあといつまでももらえないよと言っても無駄である。刹那的快楽を求めているだけとなっている。そして政府とか東電とかが払うのだから払ってもらえると思っている。そしてその権利があると思うようになったのである。
今の時代は被害者になると被害者特権が生まれてそうなりやすいのである。沖縄なんかもそうなっているし韓国でも常にそうだった。中国も被害者だということで日本から賠償金を請求し続けていたのである。そういうふうに原発避難民は堕落してゆく。

それで浪江町長の馬場町長が補償金いらないと言ったそうである。この真意はわからないがもしかしたら補償金ばかり請求して堕落している避難民のことがあったからかもしれない、これは何なのか実際はわからないが原発避難民と化している市町村にはそういうことを危惧することがある。この辺ではこれから生活保護所帯がかなり増えてくる。そういう地域はやはり外部からまともな市町村とは見られないだろうしイメ-ジが悪くなるのだ。
飯館村のように所得が低くてもまでいな村として村作りしていたとき外部の人から好感がもたれていて訪ねる人も結構あったのだ。今はこの辺にはそういうことがなくなったのだ。原発事故周辺はこうして人心の荒廃がすすみ外部から入ってきた人もここに住みたくないと大内村では出て行った。


でもその解決策はあるのかとなるとこれまたむずかしい。職につけといっても簡単につけないこともある。遊んで暮らせるならめんどうだからその方がいいともなるのが人間でありそうしたことを変えることは簡単ではないだろう。人間はどうしても楽な方につきたいのである。何か強いられない限り苦しいことはやりたくないのだ。それは自分でもそうだった。仕事でも若いときから流れ作業のアルバイトはかりしていたからもう仕事がしたくなくなった。仕事はこんなものしかないのとか思いしたくなくなったのである。なかなか生きがいある仕事につけないのが社会なのである。だから遊んで暮らせるならそれでもいいやとなる。でもそれは「小人閑居して不善を成す」になる。仕事をしていればやはり仕事なのかで培われるものがある。ただ単に金をもらうというだけではない、ギャンブルばかりしていたらその一生は恐ろしい浪費として終わる。例えそれで生活できたとしても浪費意外なにものでもないとなる。だから今になって仕事なくても生活できるけど虚しい生きがいがないと思う人も増えたのである。


いづれにしろ小高の人は下水道などが整備されれば帰らざるをえなくなるのではないか?インフラが調えば帰ってくださいとなり補償金も打ち切られる。仮設住宅は5年住むのが限界だという。すでにかなり痛んでいるというからだ。すると復興住宅がこの辺でも建設されているがここに入れる人は津浪の被害者であり原発避難民はまた別である。小高に家があれば帰ってくださいとなる。ただ南相馬市は小高でも南相馬市民だから違っている。いわきで問題なのはいわき市民になっていないからである。相馬市の場合も相馬藩というアイディンティティはあってもやはり南相馬市とはまた事情が違っている。補償金は全くもらっていないから反発されるだろう。結局金があればいいだけでは解決できない問題が実は結構あるのだ。それでもしかしたら馬場町長が金をいらないと言ったのはそういうことがあったからなのか真意は不明である。

つまり金を要求すればするほどなぜか原発避難民は強欲だと事故も前も金をもらっていた。事故後もまた補償金で潤っているとか実は東電とか政府は批判されず批判の矛先が原発避難民に向けられているのだ。そうなるとだんだん原発事故地帯は国民から同情されず生活保護も増えてやっかいな人たちが増えたとなる。東電社員は最初責められていたが今は責められないのである。会社の幹部も事故の責任追及もされない。だから補償金を大目に払い批判の矛先を原発避難民にむけるという意図があるのかもしれない、ただそんなに補償金を払い続けることもむずかしい。ただ避難の矛先は原発避難民の方に向けられていることは確かなのである。

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2013年05月18日

災いの家(災いが災いを呼ぶ-原発事故被害市町村も同じになっている)


災いの家

(災いが災いを呼ぶ-原発事故被害市町村も同じになっている)


●寝たきりになりボ-タブルトイレから災いが・・・


災いの家ということで前にも書いた。自分の家は身内の一人が認知症になってから災いがはじまった。それからまた身内は高齢化して病気になり介護になり災いはつづいた。今回の災いも技術的なものであってもやはり介護状態になってベッドに寝てポ-タブルトイレになったから起こったことである。ポ-タブルトイレのたまった糞尿や紙を流そうとして水洗トイレがつまってしまった。結構紙がたまるからそれを一度に投げることができなくなっていた。こういうトラブルももともと寝たきりになりポ-タブルトイレになったこら起こったことである。それで昨夜はトイレにたまりつづけるのでパケツで出していた。水道の元栓を閉じれば良かったのだがきづかなっかた。意外とこうした緊急事態では簡単なことにも気づかないのである。その時一種のパニック状態になるから簡単なことに気づかない、冷静になればいいが水がどんどんでてくるので困った困ったとなりそのことに気をとられて気づかないのである。一回も水道の元栓をしめたりしない人は余計にそうである。一回だけ元栓をしめた経験があったので気づいたのである。ポ-タブルトイレに紙が多くなっていたのは小便でも利用していたからである。介護とかは思わぬことが必ず起きてくる。病気でもそうである。必ず災いが災いを呼ぶのだ。災いは一つでは来ない、いくつかの災いが必ず重なるようになっているのだ。

悪いことは重なる。良いこともそうである。病気になれば一つの病気だけではない別な病気を併発しやすい、死ぬと気になれば体中病気にな
ってしまうのである。

災いの家というとき別に自分の家だけではない、どんな宗教団体に入ろうが災いを逃れることはできない、そもそも人間は病気にならない人、老いない人はいない、とするとどんな家でも病人をもつ。すると必ずそのことで災いの家となるのだ。高齢化社会では必ず介護する家が多くなる。するとその家は災いの家になりやすい。老人になること自体いろんな機能が衰えるし弱体化するから災いになりやすいのだ。認知症になったりしたら最大の災いだけどこれも高齢化で増えつづけているのだ。
高齢化社会とは災いが増大する社会でもある。介護している人の数が膨大でありそれらは家庭だけではない、社会の災いとなっているのだ。かといって病人にならずに死ねる人はいないし老化も防ぐことができないのである。みんなぽっくりとは死ねないのである。


●災害と事故に弱い便利な文明社会


この世にこんなに災いが多いということを震災と津浪で感じたことはないだろう。津浪の結果さらなる災いが生まれた。原発事故でありこれは収拾がつかないものとなった。この災いはあまりにも大きすぎたのである。この災いはどこからきたのか?災いは技わいであり人間の技がわざわいを生んだのである。水洗便所でもトイレでも便利なものだけど一旦事故になるとめんどうになる。災いになる。便利なものも圧りに追求すると必ず大きな災いが待っている。電気に頼り水道にたより車に頼りと便利なものに頼る現代生活は災害や事故になると弱いし莫大な被害にもなる。だから今になると大都会は本当は神戸地震のように非常に危険なものに見える。高層ビルが本当に崩壊しないかのか?それだって保証はない、地下を津浪で水浸しになるとか予想もつかない被害がでてくる。電気も水道も停まったりしたら交通も途絶える、車があっても石油がないと走らなかった。長蛇の列がガソリンスタンドにつづいた。水道も壊れ裏山の清水で急場をしのいだ人もいた。文明化した便利な生活は災害と事故に極端に弱いのである。裏山の清水や井戸水を利用していれば水道がなくても水は用意できる。
電気や石油を利用していなければ薪を燃やして煮炊きするほかない、それが電気に頼りガスにたよっていたらできないのである。ガスでも外から入ってこなかったら利用できないのだ。でも近くにあるもので水でも薪でも利用していたら自給自足の生活ならそうした災害事故にもしのぎやすいのである。

過去にも大きな災害が日本には度々あった。特に火事が多く、江戸だけではない火事はどこにでもあり町全体が被害にあった。でも江戸だったら長屋住まいだから火事になったら家財道具もなにもないから身一つ逃げればいいとなっていた。あとは延焼をとめるために家を壊すことしかなかった。そしてかえって多数の家が燃えて新しく家を建てるので景気よくなったとか言われる。災害に対しては何ももたないのがかえって有利だという逆説があるのだ。今の時代はいろいろなものをもちすぎるからかえって津浪から早く逃げろと言っても逃げない人が多くいて死んだ。江戸の長屋住まいのように身一つで逃げる習慣があったらとっさに逃げていたかもしれない、現代人はあまりにも多くのものをもちすぎるのである。復興するにも今度は水道だなんだかんだとインフラを整備するために大変な時間がかかるから進まないのである。海岸地帯でもそもそもなぜまた津浪がくる処に住んでいたかというとそこが便利だからである。また生活の糧が海にあるからどうしても海の近くに住むようになった。でも掘っ建て小屋のようになものを建てるなら簡単である。トイレにしても水洗となれば下水道が必要とかとても簡単にはできないのである。それが今回の津浪や原発事故でこの辺は復興できないほどの痛手をこうむったのである。市町村自体が災いの場になった。


●原発被害市町村には災いが外からももちこまれている


水洗トイレのトラブルはたいしたことがないようでもそれなりにパニックになった。文明化した生活はトラブルに弱い。一旦事故になると交通事故やその他被害が大き々なる。便利なものは何もなければ意識しない、パソコンでも壊れなければ意識しない、でも突然壊れるとパニック状態になりすべての記録も消失するのである。紙ならそういことはなかったのである。そういう経験を何度かしているからパソコンも一旦急に壊れると恐いしその被害が甚大になるのだ。水洗トイレと同じとは言えないにしても文明社会は一旦事故が起きたりとりかえしつかなくなる。それが原発事故だった。水洗トイレの水あふれてとめれなくなったように汚染水の処理ができなくなり海に流れだすとか止めようがなくなる。一時自分もパニックになったようにパニックになり解決できなくなり災いは災いを呼びとめられなくなる。それが原発事故だった。原発は事故さえ起きなければ悪いとはいえない。一旦事故が起きたら収支がつかなくなり抑えることもできなくなる恐怖であった。水も土も森も放射能汚染されて30年は使えないとかなってしまった。でも災害必ず来るしそれも予想できない、事故は必ず起きるようになっている。万全を尽くしても事故は起きるのである。実際災害や事故は予想されるからその予想をぬきにしては原発なども建設できない、人間の力ではどうにもならないものが自然から起きてくるからだ。一旦これだけの大事故になるともう修復できなくなる。災いが災いを呼び原発の被害地域は町も村も復興するにもすでに崩壊状態にある。


飯館村などでは個人の土地を買ってそこを放射能汚染したガレキの処理場にしようとか宗教団体も入りこんでいるという。つまりこのうよに弱体化した家でも市町村でもいいものだけが入ってきるとは限らない。悪いものが入りやすくもしているのだ。自分の家でも身内が認知症になってその後も介護になったりしてさんざんだった。その弱みにつけこまれ火事場泥棒があり今度借金を要求される。
自分が病気になっても同情などまるっきりない、弱者化したときこれ幸いと入院の保証人欄に名前を書くだけで借金が要求されるのである。それが世の中だということをつくづく知った。人が困ったら助ける人は今はほとんどいない、人が困ったらその困ったことで責めて借金してやろうとかなるのが普通である。だから連帯保証人が何百万にいるとなるとそれだけそうした恩とか義理ができるから断れないとなり自殺している人がそこで一番多いというのもわかる。災い家だけではない、災いの市町村とこの辺はなっていてそれで土地までそうした悪いものに奪われ遂にもう村は復興できなくなる。村の土地は虫食い状態になり村として維持できなくなる。まさに家が災いで維持できなくなるのと村が維持できなくなることもにているのだ。村が連帯するにしてもそれぞれの思惑は入り乱れもう村に帰れないから土地を売って他で生活するという人もかなりいるからすでに村はばらばらになり心もばらばらになっている。そういう状態では外からの圧力に負けてしまう。村を守るという気力も団結もなくなっているのだ。家でもそうだが外から食い荒らされるとまでなる。


政経東北5月号にこの個人の土地が買われることは書いてあったので参照を

 
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2013年05月19日

飯館村の土地か外部のものに買われようとしている (核廃棄物の最終処分場にするのがねらいだった?)


飯館村の土地か外部のものに買われようとしている

(核廃棄物の最終処分場にするのがねらいだった?)

●放射線量が低くてもなぜ強制移住させられたのか?


フクシマ第一原発付近の20キロ圏内の土地を、国が一兆4000億円で購入し、使用済み燃料の最終処分場にする

いろいろな形で買収範囲や買収価格など検討しているのは事実です

農業や畜産が不可能な地域となれば実質的に国が買い上げて移住していただくほかありません


放射能というのは素人にはわかりにくい、今でもわかりにくい、過度に危険だというものもいるしこのくらい何ら影響がないしかえって健康にもいいとか言う学者もいて混乱した。
そして30キロ圏外でもなるべくすぐ避難して下さいと急に言われたことである。確かに原発が爆発したからあれをみたら危険を感じた人も多いだろう。しかし自分などは何が起こったのかすぐに理解できなかった。30キロ圏外でも南相馬市でも鹿島区の人でも半分くらい避難した。バスが用意されたからである。それにしてもすぐバスにのって自分の土地から移ることは簡単にできない、だから30キロ圏外では半分にとどまった。20キロ圏内は強制的に移住させられた。その時やはり爆発したのだから危機感があったから住民は放射能のことはわからないにしても政府の支持に素直に従ったのである。でもあとから冷静に考えると小高区などは放射線量は実は中通り福島市や郡山市より低くかったのである。ただフクシマ原発が近いということで避難区域になった。


最初からこういうことを言う人がいた。核の廃棄物処理場にするために移動する必要ない人も移動させた。そのことも良くわからなかった。なぜなら移動させるにしても住民の数が多い、最初は補償金のことを考えなかったけど実際は莫大な補償金が払われることになった。そんな補償金が払えること自体驚きだった。そんな莫大な補償金を払ってまで核の廃棄物処理場にしたいのかというのも疑問だった。今でも補償金の額が大きいからそう思ってしまう。今後も国や東電で補償金を払い続けられるのかと思う。しかし今になるとなぜこんなに町民全部を移動させたのだろうか?放射線量の低い地域でも移動させたのだろうか?そのことが疑問になった。そして飯館村で放射線に汚染された廃棄場にしよと政府ではないが民間の人が土地を買ってくれと個人に頼んでいるという。他にも宗教団体が飯館村の土地を取得しようとはたらきかけているという。それは国がしていることではないが国も飯館村の土地を取得して核の廃棄物処理場にしたいということもある。それは20キロ圏内の住民を移住させた政府の意図だったということと通じていた。


●住民が移住することで分断された


町の住民が全部強制移住されたことで二年がたち何が起きてきたのか?住民の心がすでに分断されたことである。帰りたいという人帰りたくないという人によって分断された。老人は帰りたいというが若者はすでに帰りたくない、補償金をもらって新しく他の土地で生活を建て直したいという。この時点ですでに帰りたくない人はもう町や村や故郷を心の中で捨てたのである。老人は故郷に執着しているが農民の人は自分が耕した土地に一木一草に愛着があるとか言っていた。でも現代の生活はそうした第一次産業の割合が田舎でもこの辺でも全体の経済の一割にも満たなかったのである。原発の経済的効果は大きすぎたのである。敦賀原発でも経済が原発で成り立っているからとめられると困ると言っていたし原発があるところはどこでもそうなる。

そして現代は広域社会となっているとき移動するのが容易な社会である。農民だったら土地と一体だから移動しにくい、第一産業主体ならそうなりやすい、資源がその土地にあるだ。でも現代は会社員が大多数だとしたら会社があれば生活が成り立つとなる。だから浪江の人が鹿島区に家を借りて二本松に移った会社に車で通っていたのである。
つまり土地に糧を求めて生活していた時代とは違うから故郷に執着する人がいてもまた別に執着しない人もいる。その割合は大きくなっている。だから金さえもらえれば別に故郷の土地に執着する必要はないという心情になっている人が多いということも言える。


飯館村でインタ-ネットで主張していた人はあからさまに除染なんか無駄だ、補償金でもらって新しい土地でやりなおした方がいいと主張していた。その人は若い人ではない、年齢に関係なく補償金をもらって新しい土地でやりなおしたいという人も増えている。それも一つの主張である。ただそういう人たちはもう飯館村を捨てている。飯館村に住まないのだからその土地をできるだけ高く売りたいということしかなくなる。今までだったら飯館村に住んでいればこういう心情にはならない、例え住みにくくても貧しくても飯館村に住み死ぬのだという感覚になり自分の土地に愛着をもち住みよい場にしようとなる。それが移動したことによりその住んでいた土地から切り離されたことによってそういう心が失われたのである。ここが意外と深刻なものなのかもしれない、すると誰でもいい、悪徳業者でも宗教団体でも何でもいい、政府が買ってくれないなら高く売れるなら誰でもいいとなる。
そこにはもはや飯館村を維持するなにものもなくなっている。ただいかに土地を高く売ることしか頭になくなっているのだ。俺の土地は俺の土地であり財産でありどこに売ろうが関係ない、どうせ住むことはないのだから関係ないとなってしまった。


●市町村の連帯感を喪失させた強制移住


20キロ圏内とか飯館村や大内村の強制移住で起きたことは何か?それは住民の連帯が失われたことである。その一番の原因が自分たちの住んでいる村や町や市から離れたことなのである。これが結局致命的なものとなっていた。もしいくら公害があっても水俣病でもそこに住んでいればこうはならなかった。ヘドロの海になってもそこに住んでいればなんとかきれいにしてもらいたい、元の海にもどしたいとなり現実にそこに住んでいたから元のきれいな海にもどったのである。それはそこに住んでいる住民がヘドロの海と一緒に住んでいたからそうなった。そこに住んでいればなんとかしてきれいにしてもらいたいと運動するからである。ところが今回の原発事故は肝心の住民が移動させられたことである。そして帰りたいという人と帰りたくない人とかに分断されたことなのである。そこに住んでいればなんとか海をきれいにしてもらいたいと住民運動がありうる。でもそこに住んでいないのだから住めなくされたとしたらもう住めないのかとなりでは補償金をもらって新しい土地でやり直す他ないと考える。新しい土地でやりなおすにはまず金だとなり除染なんか無駄なんだからゼネコンに金を払うより個人に補償金を払ってくれというのも理にかなっている。

現実に避難した人たちは補償金が一か月百万とかもらえるとなることに驚いているかもしれない、こんなにもらえるならいいや、もう他で暮らそうとか、仕事のしていなかった、ニ-トとかは喜んでいるのである。生活保護もらえばいいやとかなりギャンブルに明け暮れている。東京の方まで行って遊んでいるのも事実なのである。
金の世の中だというとき金があれば容易に他に移っても生活できる広域社会だということである。
金の力はかえってグロ-バル社会になったとき外部で大きな力を持つ、後進国では日本の金が十倍の価値にもなっていた。これまでの社会は金より土地とか森林の木材とかそうした資源の方が価値があった。土地もち山もちが裕福な人だったのである。そういう資産があって金にも価値があった。

現代は金が第一だというとき広域社会になったから金さえあれば外部からも食糧でも何でも買うことができる。現実に避難した人でも食糧を現地で生産しなくてもいくらでも食糧が入ってくるから困らないのである。つまり現代社会は土地中心の社会でないからまたその市町村も解体しやすいということも起きているのかもしれない、大内村の人が郡山市で便利な生活をするようになったら帰りたくなくなったというのもそうである。補償金をもらって生活した方がいいとなった。そうしたところでは都会にはない住民のつながりがありそこに価値があったというのもある。でもそういう人とのつながりも広域社会になると便利さの方がいいともなる。人とのつながりといっても希薄化してたともいえる。実際は人とのつながりより金だというのも現実だった。そういうことも露骨に現れているのかもしれない、現代の社会はこうして金が第一の社会になるとまた解体しやすいということがあった。

村を守ろうだとかならず、個人個人がまず補償金だ、それで広域社会の中で個人個人が金を頼りに生きているように村の人とのつながりとかが解体しやすくなり一旦住まなくなったら金しか関心がなくなった。

結局このことは村が解体して喪失してそこが核廃棄物の処理場になりやすいことになった。それは政府の目論見であったからその通り進んでいるともなる。そうさせられたのは強制移住の結果だった。人がすでに住んでいないということは致命的になった。そして帰らないという人も増えたことも致命的だった。だから政府の思惑通りに20キロ圏内とか飯館村とか放射能汚染の町や村は核の廃棄物処理場になりやすい、まず人が住んでいないのだから反対するにしても抵抗する人がいない、立入禁止なのだから強制的に政府が廃棄場にしても強制執行しやすいのである。
 

法律でも占有権とかありその土地に最初に住んだものが権利が生まれる
また土地をもっているだけでも権利が生まれない、その土地を有効活用するものが権利が生まれる。その土地に労働を加えたものがその土地に権利をもつ、それで地主制度は廃止された


その土地に住まないものはすでにその土地の権利を放棄した!


法律はわからないにしても現実問題として避難住民は強制的に権利を喪失させられたとも言える。

 


 

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2013年05月30日

空間的グロ-バル化志向の時代に土着的時間的志向が欠如 (相馬藩の飢饉のときの危機が津浪原発事故でよみがえる)


空間的グロ-バル化志向の時代に土着的時間的志向が欠如

(相馬藩の飢饉のときの危機が津浪原発事故でよみがえる)

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●第一次産業主体の生活は時間的思考をうながした


現代社会の急激な変化の最大の特徴は何か?それはいろいろあるにしろやはり社会構造、経済の変化が一番大きいだろう。戦前から戦後十年くらいまでは前にも書いたけど江戸時代の継続、延長だった。自給自足経済だったのである。燃料は炭だし食糧も外国からも遠くからも運ばれない、身近にあるものでまかなっていた。つまり第一次産業主体の経済である。7割8割が農民であり漁民であり山林業にも従事していた。常磐炭田があったように炭坑は今の石油や原子力の代わりでもあった。炭田でも落盤事故があり大きな犠牲がでた。エネルギ-を供給するのにはやはり大きな犠牲がともなっていたのだ。でも経済の基本が自給自足であるときは極めて地元志向であり土着的に意識しなくても自然となっていた。まさに自然に則した生活に自ずとなっていた。

それは今から比べると極めて貧乏なのだけど自然に則した生活だった。そういう生活は例えば出稼ぎ時代がありその時東京に金を稼ぐために農民が出ていったが戦前は東京で失業したら田舎に帰る、実家に帰る、田舎に帰れば農業中心の生活だから貧乏でも食うことはできるとなっていた。現代では田舎に仕事がないから東京に働きに行くとなっている。その人たちは田舎にはもどってこない、仕事がないからである。農業だけで食うだけでいいという時代ではないからだ。そうして田舎の限界集落が生まれ田舎は捨てられるとまでなった。そういう基本的経済活動の変化が根底にあって社会をみると今回の原発事故にも見えてくるものがある。


現代はその土地に密着した土着的志向の生活ではない、経済ではない、地球の裏側からも食糧が入ってくる時代である。空間的にはグロ-バル化した中で生きている。隣のことより地球の裏側のことをニュ-スでみて関心をもち心配している時代である。皮肉なことに隣に困った人がいても飢え死にする人がいても関心をもてない時代でもあるのだ。空間の視野はグロ-バル化した。でも人間の生活というのはもともとグロ-バル化して生きられるものなのかと問うとそうはならない、常に毎日生活しているのは狭い範囲なのである。つきあう人も限られた狭い範囲である。地球の裏側からモノが入ってきてもモノだけが入ってくるのでありそれに付随ふするものには人には関心がないのである。

空間的志向はグロ-バル化した、でもそのグロ-バル化の中で失われたのは土着的時間的思考ではないか?時間的思考(志向)と空間的思考がある。空間的思考は今なち飛行機で世界を見て回れる、ところが時間になると過去にさかのぼることが容易にできない、過去をたどることはすでに個人の一生でもあいまいになる。60過ぎると過去がどんどん脳裏から消えてゆく、会った人のことも経験したこともどんどん忘れてゆくのだ。人間はこんなに忘れるのかと驚くほどである。記憶が喪失してゆくのだ。最後には認知症になったら家族の顔すら忘れる、あんた誰なの?これほど忘れるのである。これは病気にしても人間を象徴していた病気だったのである。人間ほど忘れやすいものはいないということである。


個人の一生でもこれほど忘れやすいとしたらもう個人が経験しない過去は歴史はまたたくまに忘れられる。現実にあれだけの300万人以上死んだ戦争も忘却される。歴史の基本は正確な記録を残すということだった。津浪にしても津浪を記念して建てた神社が津神社だったというけどこれも忘れていた。津が津浪と連想する人もまれだった。祭りでも違った祭りをしていたのである。烏崎の津神社は鯨の祭りをしていたから津浪とは何の関係もなくなっていた。神社そのものが由来がはっいりしないものが結構多かったのである。人間はそういうふうに忘れやすいものなのである。津浪から400年たって津浪のことは全く忘れられてしまっていたのである。


●土着的時間思考が欠如した現代


現代はますます自分の住んでいる場所のことすら関心をもたくなくなっているのかもしれない、情報もグロ-バル化すると絶えず外の方に関心をもたされるからだ。世界的なニュ-スを理解するだけで大変な労力がいる時代である。空間的にグロ-バル化するとそうなる。でも時間的思考はかつての第一次産業の自給自足的土着的思考から起きてくる。つまり時間的思考とは定着的生活から起きてくる。ある場所に定住して長く暮らすことで土着的時間的思考が生まれる。それは山や大地や樹や石とにているのだ。それらは動かないということで存在感をもち意味をもち時間的思考をうながすのである。そして時間的思考にはまさに時間がかかるのだ。その土地を理解し自然を理解することは時間がかかる。その土地と一体となることは時間がかかるのである。それはそこに生きた人間の歴史もありその歴史と一体化することも時間がかかるのである。外国を旅行しても空間的に移動してもどうしてもそこで培われた時間の歴史が理解しにくいのである。空間を移動しても今しかそこにはない、過去があってもそれを理解することがむずかしいのである。過去を理解するには時間がかかるのである。


現代は空間的拡張がグロ-バル化したのであるがそれで人間の思考が深くなったとはならない、かえって時間的思考が欠落してきたのである。歴史的土着的思考が欠落してきた。だから原発事故でも金さえもらえば今まで生きてきた村がなくなってもかまわないとかなり故郷に執着しなくなってきた。金あればほかでも別に生きられるとなる。会社が移れば会社と共に移動すればいいとか土着思考がなくなった。移動が容易な社会だから金がまた力をもつのである。江戸時代は移動そのものができなかった。そこが過去と現代の大きな相違である。では人間が時間的思考が欠如してくるとどうなってくのか?過去からの歴史的時間的認識ができなくなってくる。過去からめんめんとつづいた時間的認識ができなくなる。そのことは何を意味しているのか、過去が抹殺される、過去が忘却されるということである。人間でも認知症になったら記録が喪失するのだからその一個人でも何ものなのかすら不明になる。過去が忘却されることは過去に生きた人たちも忘却される。それは現在生きている人もたちまち忘却されるということにも通じている。そしてその生きた意味も忘れられる。


私たち人間は過去の現実の経験によって始めて人間にとって可能な水準というものを設定できるのだが私たちはそうした過去の経験の実例に対する関心をほとんど失ってしまっている。


私たちは現在にとりつかれているので自分自身どのような過去からいかなる道をへて今日にいたったのか頭にないのである。
(過剰化社会-DJブ-アスティン)


アメリカノ特殊性は歴史が短いことである。広大な土地に突然街が生まれ常に移動するのが生活である。アメリカ自体がグロ-バル化であり広大な土地であり現代を象徴する国なのである。ヨ-ロッパのような歴史がないから今だけが突出して時間的思考ができないのである。アメリカが他の国を攻撃するとき文化まで無頓着に破壊するのはそういう国柄があるかかもしれない、古いものを歴史がないからその国の歴史を無視することになる。


とにかく過去の現実の経験によって始めて人間にとって可能な水準というものを設定できるのだ


この言葉には重要な示唆がある。例えば現代の生活の水準は過去と比べれどうなっているのか?
戦後十年は炭を燃料としていた江戸時代からつづいた自給自足生活が基本だった。それが今はどうなっているのか?その水準ははるかに越えて想像を絶するものとなっているのだ。
自分の父親は病気になりさしみ食えるようになったが体が悪いから食欲がないから食いたくないと言って死んだ。さしみもまともに食えずに死んだのである。たいがいそういう人が多いのである。
そういう生活の水準から比べると今の生活は庶民でも食生活では王侯貴族の生活なのである。
それでもみんな不満が尽きないのである。


●相馬藩の飢饉がよみがえる


それ以上に相馬藩でも天明の飢饉とかでは三分の一の人口が減った。他でも飢饉で東北では現に人肉を食べたという記録がある。飢饉など特殊であり異常なことであるとされるのが現代だけどそれが注目されたのは津浪原発事故だったのである。飢饉とは違っても相馬藩の最大の危機に直面したからである。飢饉でも町自体村自体がなくなることはなかったのである。三分の一は残りあとから越中などの移民が入ってきたのである。そして確かに歴史として飢饉のことは言われてきた。でもそれは具体的に今のことから真剣に飢饉のことを考える人はいなかったろう。現代の飽食時代では考えることもできなくなっていた。だけど今回の津浪や原発事故は相馬藩の最大の危機の飢饉についてふりかえるようになった。飢饉で無惨に死んだ人や恨みを残して餓死したような人の声がその土地から聞こえてくるのだ。


「俺たちはな、食うものもなく、家族も死んだ、その苦しみがわかるか?お前たちまだ食うものがある、それも何も変わらず贅沢している、毎日マグロのサミシ食っているんだってな、サシミ自体食べたこともないやつがと多いんだぞ、俺たちの恨みをしれ、お前たち恵まれているんだ、・・・」


こういう声が地の底から聞こえてこないか?その声は一つの供養の碑に残っている。しかし今では片隅に忘れられている。でもその声は相馬藩の危機に際して大きく聞こえてこないか?飢えに苦しんだ人々の声が今また相馬藩に聞こえてこないか?歴史が蘇るとはこのことかもしれない、戦争で死んだ人もまた戦争になって死んでゆく人が多数あればそのことがよみがえるのである。歴史はくりかえすとはこのことである。「なぜ戦争で死なねばならないんだ、ああ、こんなふうにして死んでいったのが戦争だったのか」とかなる。そこではじめて戦争のことを頭でなくて体で理解するのである。
頭でなくて体で理解しない限り人間は理解したとはならないのである。歴史も頭だけでは理解できない、戦国時代でも理解できない、無惨に敵に殺される身になって理解できる。人間の歴史もまた無情残酷の歴史だったのである。

飢饉ありその碑の一つ重きかなあまたの苦しみここにこもれり

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2013年06月12日

働かない人ばかりふえてきて社会地域の崩壊(続編) (原発避難者が非難されるのは金もって働かないから)


働かない人ばかりふえてきて社会地域の崩壊(続編)

(原発避難者が非難されるのは金もって働かないから)


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働かない人ばかりふえると働く人への負担が比例して増大する

その働く人がへるのだから働かない人たちによって地域は崩壊する

 


地方の名産品を通販で取り寄せようとしたら、送料が価格と同じくらい高くてびっくり。
なかなか届かない商品を待ち続け、やっと鳴ったチャイムにドアを開けたら、超高齢ドライバー
が立っていてまたびっくり。スーパーの陳列棚からはモノが消え、資材が届かない建設現場
では工事が中断されたまま――。
http://osigotosokuho.blog.fc2.com/blog-entry-858.html
現代の社会の特徴は膨大な人が働かないで生活できることだった。それは例えば土地の効率化で生産性があがり機械化でも人手が少なくてすむようになった。だから少ない労力で品質のいい米が多く作れるようになった。農業でも昔のように全部人力でないから人手がかからない、それで働かない人もふえてくる。他でも工場でも機械化して人手のかからない社会を作ってきた。単純な仕事は機械化して効率化できる。ス-パ-でもレジを機械化すれば客が支払いできる。それをしている所もこの辺である。支払いもカ-ドですれば効率化できて人手を省くことができる。そういうことで4千万人が働かない人が生まれても社会が成り立っている。


ところがこの辺で起きていることは働かない人ばかり増えているからサ-ビスを受けられないという事態になっているのだ。チェ-ンのレストランでも時給1200円でも昼間でも働かないから支配人のような人が配膳していた。それは病院であれば看護師もたりない、医者もたりないとか介護士もたりないとか外部から応援を頼んでいる。建築現場で働いている人は外部の人であり地元の人は少ない、原発避難者は補償金がもらえるから毎日パチンコ屋通いであり東京まで競馬に行っていた人もいた。その人は老人ではない若い人だったのである。だから外部から来たボランティアとなぜ若いのに働かないのかと喧嘩にもなった。原発事故の周辺では多数の避難者が出てそういう問題が起きている。

補償金が大きいから働かなくてもいいとなっている。額がまた大きい、一家で百万とか百五十万とかもらっている場合もある。だから食費などは贅沢している。最近この辺で大熊の人が新しく家を建てたという。新築の家がかなりたっている。津浪で家を流された人たちも建てている。立派な大手のアパ-トも二軒たった。百人くらい収容できるかもしれない、これも地元の人が建てたのではない、だから外部から入って仕事している人が多いから長期滞在のホテルが何軒も建ったのである。


ただこうして一時的に外部から来た人が工事関係とかで働いていてもやがて工事が終わればいなくなる。そして変なのは浪江とか大熊でも他から来た人が家を建てて住むにしてもその人たちがみんな働く人とは限らない、大部分の人が働かないから非難されているのだ。避難者であっても原発貴族とか言われる。いわきで問題になったのは数が多いせきもあった。二万人とかが避難して毎日パチンコだ飲み屋だと遊んでいて地元の人は家も建てられないしアパ-トすら不足して若い人が困るとか病院も満員でこまるとかなり非難された。

つまり働かない人ばかりが大量に流入したとき金がその人たちがもっていてもいいとはならなかったのだ。金を使うからいいではないかというのが今までの常識だった。金を使うものが消費者が王様だったという社会だったのである。金さえありさえすれば王様になれたのである。でもその金が通用しなくなったらどうなるのか?誰かがその金で働く人がいればサ-ビスを受けられる。でもいなくなればサ-ビスを受けられないのだ。そういうことがこの辺で現実に起こっている。金を持っていても働かない人ばかり増えたらどうなるのか?金の価値はなくなる。金を出しても誰も働いてくれないというのが現実になってくる。人を使うことは極端にコストが高くなりレストランでも人がいないと廃業になるかもしれない、そういうことは他でも起きてくるかもしれない、金はあっても金が有効に働かないのである。


こういうことはここだけではない、人手不足が深刻になり配達する運転手もいなくなったときコンビニやス-パ-さえ成り立たなくなる。そして原発事故周辺では補償金がもらえるからと働かない人ばかり流入してくるのだ。今までなら家を建て人口が増えることは経済が活発化していいとかなっていた。でも働かない人々がまた増大してくるといくらその人たちが金を持っていても働かない人ばかりなのだからサ-ビスも受けられなくなる。高齢化社会で老人ばかり増えるのもそうである。介護者ばかりふえて介護する人も老人であり人手不足である。金がいくらあってもサ-ビスが受けられない地域となってゆく。だから金ある人は外に出た方がいいとなる。原発事故周辺地域でいくら金があるとしてもサ-ビスが受けられないとしたら金が有効に働く地域に家を建てた方がいいともなる。

金が万能であったが今やここではそうではない、金を持っていても働かない人ばかり増えたらその金は何の価値もなくなるのである。だから働かない人は来るなともなって当然だともなる。いわき市のように一軒経済が活発になっていいじゃないかという面があるがそれよりそこで原発避難者-貴族に働かせられることが不満になるのだ。あいつら補償金で家を建てている。俺たちは地元なのに建てられないとかなる。そういう不満が渦巻きいやがらせにもなる。


だからこの辺で起きていることは未来を先取りした地域となっているのかもしれない、金万能社会が崩壊する。これは昔の村の共同社会のようにもなる。金のために働くのではない、協働して村を維持する。俺は金があるから働かなくてもいいとはならないのだ。もちろん働くといってもいろいろあるからいちがいに強制はできない、とにかく働かない人ばかり増えることはその市町村は崩壊してゆく、放射能汚染もそうだがこれも深刻な問題である。ただまだ金が万能であり金の力に頼っている。それも頼れなくなるかもしれない、働かない人は来るなとなるかもしれない、金があっても来るなとなるかもしれない、その人たちのために働かさせられるのはいやだとなるのである。だから金があるからこの辺ではすべていいとはならない、こういうことはもしかしたら一つの資本主義社会、金万能社会を見直す切っ掛けになるかもしれない、これまでの社会が変わる契機になるかもしれない、地域通貨などの試みもあったが何かそうしたことが現実化してくる。金万能社会の終わりが近づいているともなる。

 
 
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2013年06月13日

相馬藩の飢饉を救った移民と原発事故の危機の相違 (人口の三分の一減ったが移民が働き回復した)

 

相馬藩の飢饉を救った移民と原発事故の危機の相違

(人口の三分の一減ったが移民が働き回復した)

●移民は資産がなくても「労働力」に価値があった


津浪も原発事故も相馬藩の歴史をふりかえると大きな危機、相馬藩存亡の危機となる。時代があまりにも変わりすぎても同じ傾向はある。だから歴史をふりかえることは意味がある。相馬藩の危機は三分の一の人口が減ったのだからもう相馬藩を維持できないほどになっていた。その危機をどうして脱出したのか?それは移民政策だったのである。三分の一がへった人口の穴埋めが必要になったのだ。そのためで藩全体で人を呼び込む宣伝をした。その時の民謡を利用したので相馬民謡が全国に広がった。相馬へ、相馬へ草木もなびく・・とかなった。移民は九州の方からも来ていたし全国から来たのである。それで九州の福岡の地名とかが残ったのだろう。ただ江戸時代は移動自体が藩を出ることは禁止されているから危険なものとなっていた。それで越中の真宗の移民のそのときの苦労話が語られている。それではなぜそんな危険を犯してまでまたわざわざ困窮している場所にあえて移動したのだろうか?双方にそれなりの動機はあった。

江戸時代は戦前までは農業中心だからどうしても土地中心の経済になる。土地不足になると土地を求めて移住も辞さないとなる。そのことは戦前は満州に土地を求めてそれが戦争の原因になったり戦後もブラジルとかに移民があったことでもわかる。農業中心の経済は土地が求めるからである。

そして越中の真宗系の移民が今の原発事故の避難民と根本的に違っていたのは彼らには何ももっていなかったのではない、移民した人たちは老人でもないし働くために移民したのである。移民した人は相馬藩の欠落した村の建て直しの労働力となったのだ。彼らは確かに何ももっていなかった。でも労働する力をもっていたのである。相馬藩の土地は人口が減り荒廃したがその土地を回復させたのは移民の労働力だった。人間の価値は資産があるからだけではない、土地をもっていても土地を耕す労働がなかったらなんのかちせ出てこないのだ。それで地主制は戦後廃止されたのである。土地をもっていても労働しないものはただ働かせているだけのものは土地をもつ権利がないとされたのである。

「労働」にこそ人間の価値があった。だから「働かざるもの食うべからず」というマルクスの理論が根強く生き残る。武士も働かないから否定された思想も生まれていた。この思想は実際はやはり相当に人間の根本の問題として強烈にある。そういう思想は現実に根ざして具体的だから常に訴えるものをもっていた。土を耕す百姓から生まれた思想は学者が机上で考えていたのとは違う。血と汗がにじんだものとなるから訴えるものが出てくる。それは芸術にしても詩にしても言える。自分もそういうところに欠けているから批判される。


●農民の詩の力強さ


絶えず蹂躙されながらも
太く黒く生気に満ちて伸び上がる麦畑に
とても新鮮な空気を力強く呼吸して
自ずからわきわがる正義感に
がんじょうなこの体をうねらせて
おれは大樹のごとくじぃっと立って動かない
新しき生産者
百姓渋谷定輔
 (農民哀史より)

この詩ではそういう大地に根付いて生きるものの力強さを理屈なしで感じる。これは山尾三省などより力強い詩である。山尾三省の場合はどうしてももともとの農民ではないし都会民だったから何かこうした土着的な根っからの百姓とは違っていたのである。
この人は絶えず地主きことを批判していたのもわかる。それだけ労働が過酷だったのである。正直逆に労働が過酷だともう芸術もありえなくなるだろう。ただ労苦だけが延々とつづくのである。家事だけでも自分一人で全部やると相当な労働であり考えることすらできなくなるし絵を描いたりする余裕もなくなるのだ。

ただ人間の価値を作り出したのは労働である。家事でも自分で労働したときその価値がわかる。農業でも自分で土地を耕して野菜を一つでも作ってみればその価値がわかる。こんな苦労してできるものかとなり自分で食べてもありがたいとかなる。でもそれを他人に与えたとき他人は労働していないからその価値がわからないともなる。今やこれだけの多様な社会になるとモノが別に金を払えばいくらでもあるではないかとなりそれを作り出したり運んだりする人の労働を知り得ないのである。
地球の裏側からも果物などが入ってくるけどそれを作り出している人の労働の苦労は知り得ないのである。


ただ労働というとき現代は多様になっている。肉体労働は機械に代わり知的労働が重んじられる時代である。知的労働がコンピュ-タ-を作ったような人が新たな価値を生み出している。原子力でもこれは知的労働の成果だったのけど崩れさってしまった。労働というとき古い観念にとらわれている。
肉体労働の比重は極端に低下していても何か労働というと体を使う労働をイメ-ジする。
だから知的なものはまだ評価されないことがある。情報産業の時代、インタ-ネットの時代でもいくら情報を発信しても評価されないことがある。金にならないものはまた価値もないとされる。
知的労働もやはり労働であり生産者なのである。

ともかく相馬藩の飢饉を脱出したのは真宗の移民の労働のおかげだったということである。何故なら移民は土地でもいい土地は与えられていないから苦労した。草分けという農家に世話になりいろいろ苦労した。でもそれに耐えて相馬の土地に根付いたのである。そういうことが三陸の町で同じ様なことが起こっていた。外から来た人がボランティアだったのだがそこで根付いて暮らしていくといっていたが土地の人から本当にここで働き続けるのかと何度も訪ねていた。なぜならそんな回りも住まなくなってしまうよな土地に誰も住みたくないからだ。別にあえてそんな悪い条件の場所に住む必要もないのである。現代は移動が楽だからかえって地元の人もこんなところに住みたくない補償金もらえば外で住むとなっているのだ。江戸時代の意味はまた別なものがあったにしろやはりその苦労はなみたいていのものではなかった


●原発避難民は労働力もない金だけもっていても価値にはならない


つまり相馬藩の飢饉のときと今の原発避難民を比べるとあまりにも違いすぎるのである。補償金があるから原発貴族で毎日ギャンブルしている、それも東京まで行っているとか一体これは何なのだろうとなる。江戸時代の移民が見たらとても理解できないだろう。働かずに働かせる、避難民貴族になってるからだ。もちろん高齢化社会とかいろいろ時代の事情があるにしろあまりにも違いすぎる。
もはやこうした危機を乗り越える力も方策も地元にはない、そして国から東電から補償金だけをぶんどる、生活保護地域特区とかなってしまう。相馬藩の飢饉のときは移民は労働力で奉仕して相馬藩を建て直した。でも原発避難民は寄食者であり労働力ともならないから例え補償金をもらってもそれが相馬藩と福島県全体に貢献するプラスになるとは限らない、価値を生み出すものは必ずしも金ではない、労働が価値を生み出すからである。


今回の株の値上げや値下がりも実体の経済が反映していないからそうなる。ただ紙幣をすって金をふやしただけでは経済は良くならないのだ。ただ金を右に左に流してもうけるファンドなどはやましいものがあるというのはそのためである。銀行とかそうした株でもうけるものは虚業だというのもわかる。自分も株を買ったが金余りというのも株を買う原因になっている。でも金はその人の価値観に基づいて使うとき生きてくる。投資信託は他人任せだから何に投資しているかもわからないから金がどういうふに流れいきくるのかわからないのだ。投資する人もある会社を見込んでその会社を成長するために投資するというふうに変わっているというのもわかる。投資とは株で一攫千金のような宝くじとも違っていたのである。だから金をどう使うかの方がむずかしいというのもわかる。大金を使うことには相当な経験とかその人なり価値観をもっていなとできない、自分なら花とか好きであり庭作りに興味をもつからそういう投資はしてみたいとなる。そこには多少知識もあるからである。投資するにしてもその分野にまるで知識がないならできない、でもめんどうだから全面的に頼むだけになる。また実際に分野に知識をもつことは容易ではない、一朝一夕にはできないのである。


 

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2013年06月18日

過度な富の呪い (文明も過度な富を求めた結果呪いがあった-原発事故もそうだった)

 

過度な富の呪い

(文明も過度な富を求めた結果呪いがあった-原発事故もそうだった)


豊富な資源が経済発展に結びつかない原因として、イギリスの経済学者リチャード・アウティは以下のような事例があるとした。

資源に依存し、他の産業が育たない
資源確保の為過度な開発が進み、土地が荒廃する
資源確保をめぐる内戦や政治腐敗の進行
資源の富が宗主国に吸収される

石油はその国の富を国家に集中させ、物を作って売るのではなく、政治家や官僚を丸め込んで金儲けをするという文化をつくりだす
http://jijieigo.at.webry.info/200804/article_14.html

石油を産出している国が富むことができない、かえって呪いとなっている事実がある。石油という富はあまりにも巨大な世界をゆるがすほどの富だったのである。それ故に石油をめぐって絶えず世界戦争が起こるなど現実にそういう危機があった。日本の戦争も石油がアメリカによって断たれた経済封鎖がありそれか真珠湾攻撃につながった。石油がたたれたら船も動かないし飛行機も動かない、戦車も動かないとしたら戦争もできなくなる。石油は今も生命線になっている。石油の富はこのように巨大なるが故に世界の災いともなった。
現実にその石油を産するところが豊になっていないというから石油の恩恵を受けていない、石油を産出してもその国の富になっていないのだ。災いの面も大きいのである。黄金が必ずしも富とはならない、これにも呪いが隠されていた。スペインはインカ帝国などから黄金を集めて一時期富んだが没落した。黄金だけを集めても国は豊にならない、産業革命を起こしてプロテスタントの勤勉をエ-トスとしたドイツやイギリスが豊かな国となった。そこには資源はなかったのである。アメリカが豊になるのはわかる、それだけの広大な土地と資源があったからだ。でも資源のない国でも豊になることができた。


日本は資源がない、国土狭いけど効率よく利用することで生産性をあげ米の品質を世界一にした。
狭い国土でもそれなりにうまく利用すれば豊にもなれるということである。
今回のたまたま自分が書いた童話で言いたかったことは過剰な富、過度な富は危険でもある。
それが滅びに向かっていた。狭い範囲で蟻が餌を求めていればそれなりに生きることができた。
ところが過剰な富、甘いものがふんだんにある所に吸いよせられるように集った結果、その蟻の巣は消滅した。蟻の不思議は餌がなにもないようなところでも生きている。そこにも神は餌を与えているのだろう。そういう狭い範囲でも生きるための糧を蟻に与えている。それが神の摂理なのだろう。
そこに過剰な富が与えられるとその富が呪いとなる。危険なものとなっていた。
それは人間社会にも言える。石油が欲しいとはるか中東に行くにしても危険がともなっていた。実際にテロで死んだり戦争にもまきこまれもした。石油は甘い蜜であり過剰な富だったのである。
過剰な富は一個人でも呪いとなる場合がある。遺産相続で兄弟の殺し合いまでになるのは何も特別なことではない。それは突然過剰な富として与えられるからそうなる。


そして文明そのものが現代は過剰な富を追求して得た。甘いものがふんだんにありありすぎる。それにむらがり度をこしている。原発もその甘い蜜だった。過剰すぎる富をもたらすからそこにむらがったのである。それが事故につながりとりかえしがつかないものになった。もし江戸時代のような鎖国でもしていたら限られた資源で工夫して生きていたらそれなりに自然は破壊されず平和に生きられたろう。鎖国時代の評価は別れる。でも世界史では特異なものとして評価されるだろう。それは島国ということで成し得たことだった。島国が一つの宇宙となり自給自足の世界を作った。自給自足というときでもそうだったが地域地域が自給自足だったのである。そういう世界は他者を頼りにしないから地域で自給自足なのだから遠い地球の裏側の情勢などに左右されないのである。

グロ-バル化の問題は巨大な富が過剰な富がもたらされるにしろ石油のように地元で活かされない、富にならなかったとか、世界で貧富の差が拡大して新しい奴隷制が生まれたとかいろいろあった。
世界から商品が入るにしてもそれが新しい安価な奴隷制によってもたらされたものでありその商品にはその奴隷となった人たちの汗がしみこんでいるとなる。でもそれを意識すてることはできない。

労働というのは例えば野菜一つ作るにしても苦労して作った人はわかるが消費する人はただ金で買えるものとしか思わないのだ。グロ-バル化した世界では地球の裏側でどうして生産しているかなとわかりえようがないのだ。しかし世界は市場化してすべていやおうなく組み込まれているのも現実である。テレビ一台のために少女が売られるというのもグロ-バル化経済の結果である。グロ-バル化経済にはそうした暴虐的に貧しい国を経済的に侵略する仕組みがある。金の価値でも十倍も違うからそうなる。カンボジアでは5ドルで少女が買えるとか世界中の中高年が集まっている。これもグロ-バル化経済がもたらした異常な光景である。こんなことから世界を支配しているのは巨大企業でありロスチャイルドやロックフェラ-が影の支配者だといわれる。信じられない巨額な富が一部に集中するのが
グロ-バル化経済なのである。マネ-ゲ-ムでもそうである。マネ-を右から左に流すだけで巨額の収入を得る、一方で奴隷化されて食うや食わずの人が世界にはまだ多い。グロ-バル化経済の暗黒面も直視する必要があるのだ。


文明はあまりにも過剰な富を追い求めすぎたのである。それが文明の崩壊、滅亡に通じている。グロ-バル化経済とはあくなく人間の欲望を世界的にすべての国が求めることになった。それで自然は破壊されるし資源がある国でも豊になれなかった。世界的に欲望の抑制ができなくなった。これまでは距離を克服できないとかありその国々であるものでまかなうということが多かった。技術が発達して距離が克服されたとき問題が起きた。大航海時代は一面、新しい時代を作ったがヨ-ロッパによるアジアなどの富の掠奪でもあった。それはすでに日本の戦国時代でもそうだった。日本人が奴隷としてヨ-ロッパに連れ去られたとか最近メキシコで奴隷にされていた日本人の記録があったなどその頃からグロ-バル化経済は奴隷を作り出していたのである。


ともかく原発も過剰な富、過度な富であったが故に災いとなった。そこに群がったものはみんな災いとなった。そうした過度な富には呪いが隠されていたのである。もちろんあまりにも貧しい過去にもどれというのかとなるがそれとは別に過度な富を求めることが災いを生んだなのである。結局原発事故の被害地域はまた金でもめていることでもわかる。過剰な補償金が災いとなっているのだ。
富の無制限の過度な追求は災いを生むのである。鎖国時代にもどることはできないにしろ鎖国時代に現代文明は学ぶものがあり見直すものがある。過度な富を追い求めていけば危険になるしまた災いが生まれるのである。

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2013年06月20日

企業は人なり 事業は人なり 経営は人なり (東電の社長の責任は重かった)

 

企業は人なり 事業は人なり 経営は人なり

(東電の社長の責任は重かった)


「事業は人なり」という言葉を聞いて、たいていの人は「人」=「社員」とおもうのでしょう。しかし、ここでいう「人」というのは社員ではなく「社長」を指してます。ほとんどトップの実力で事業は決まってしまいます。したがって、この言葉は今でも時代遅れではありません
http://okwave.jp/qa/q743323.html


お客様に対しての心遣いや、優しさや思いやりの精神を養い、
自分に厳しく出来る人間性を養い、
高い目標を常に持ちつづける信念を社員一人一人が合わせ持てる会社こそ
一流の会社なんだと言っていました
http://ameblo.jp/sapsyoshisato/entry-11138077523.html


●藩札について(江戸時代の信用)


これは信義の問題だ。藩札を発行する時に、これをもっ て来ればかならず正貨に換えると約束したのだ。その約束を破り続けたから結局、藩札の信用がなくなってしまった のだ。正貨はなんとしてでも私が集めるから、お前たちは とにかく旧藩札を全部引き上げろ。  

山田様はこのお国にとって大切な方だ。いま山田様にも しもの事があったら、困るのはわれわれだ。どうだろう。 交換していただいた正貨を山田様に差し出して、お城のお 役に立てていただこうではないか。
 

これは何を意味しているのか、藩札は貨幣はその紙に信用があるのではなく人に対する信用と信頼だった。特定の個人の山田様を信用して信頼した結果、藩札、貨幣が信頼されるようになった。江戸時代というのは狭い社会だから人を信頼することで社会改革ができたのである。今日のような巨大社会になると何を信用していいかわからない、小泉首相を信用しろとなるが小泉首相を信用するだろうか、民主主義では力あるのは議員ではない、議員は民衆に多数に選ばれた人であるが別にこのようにその人を深く信頼して選んだわけでもないのだ。様々な組織、団体がかかわり権力構造の中で選ばれたのである。今日では人を信頼するということは成り立たない、人が見えない社会なのだ。制度とか団体とか組織とかマスコミとかに動かされる社会なのである。山田様とか特定の人を信頼して貨幣の信頼が取り戻せるような社会ではないのだ。外国とも関係しているから個人の力を超えた目に見えない巨大なものによって動かされているからユダヤ人陰謀説とかいろいろ背後のものがとりざたされるのである。

紙幣の信用が一個人の信用に基づいていたなどありえない。江戸時代にはあったということである。江戸時代はすべて顔と顔見合わすなかで信用があり社会が動いていたのだ。だからこそ勝つ改修と西郷隆盛の談判で江戸は戦場にならずにすんだ。そこに個人と個人の信頼関係で決まったのである。

相馬藩の街道を伊達氏が通るとき殿様の許可をえなければならなかった。それは伊達政宗との信頼関係があってできた。ただ敵対するだけでなく信頼するときは信頼し合ったのが戦国時代でも江戸時代でもそうだったのだ。人間同士のやりとりであり巨大な無機的な会社のやりとりとはあらゆる面で違っていたからわかりやすい社会だったのである。
明治まではそうした個人を信頼して物事を決めるということがあった。だんだん国家が巨大化すると社会が巨大な機械化した組織体のようになりそこに人間個人などはとるにたらぬものとして埋没した。だから近未来の映画ではコンピュ-タ-が人間を支配するまでになっているのだ。
ともかく例えば日銀の総裁の人を信用してまかせている人はいない、そもそもそんな力がいくら日銀の総裁でも現代のような複雑な社会ではありえないと思っているからだ。


●経営とは何なのか?


経営の実践のないものはなかなか語れない、経営とは人なりというとき何なのか?それは東電の事故で東北電力と東京電力のトップの差が大きかったことが判明した。東北電力の副社長の平井弥之助氏は岩沼に住んでいてそこまで津浪が来た伝説を聞いていたので女川の原発を低く想定していたのだが高くさせて作った。そしてぎりぎりで助かったのである。本当にぎりぎりだった。決してその高さでも安全とは言えなかったのである。一方東電は全く津浪のことを警告されても聞く耳をもたなかった。清水社長はコストカッタ-として社長にのし上がったということでコストを重視して安全対策を怠っていた。それより再三警告されても聞くことがなかったし嘘もついていたのである。そういう傲慢になったのはあまりの一方的な巨大な権力構造ができあがっていいたためである。政府も言いなり官僚も言いなりマスコミも金で言いなりだったのである。


事業は人なり、経営は人なりというときまさにこんなに複雑巨大化した会社でもいえたことだった。社長が文系で理系でないから失敗したんだというものでもない、まずコストカットありきであり安全は二の次三の次になっていた。騒ぐものがあれば金でおさえればいいという経営姿勢ができあがっていたのである。だからこそコスト追求をどこまでもできたのである。経営というときやはり実際は単純なものかもしれない、嘘をつかないとか何か子供でもわかることを実行することである。でも実際は嘘をつかないということができない、それは巨大会社の社長でも政治家でもそうである。嘘をつかないで議員になれる人はいないということでもわかる。そうした簡単なモラルが実行できないことにのちのちの災厄が起こる基になる。

除染でも下の土をとって低くしたという大成建設の社員が問題になった。これも一見たいしたことがないようでもごまかしているのだしそれを上からの命令でしているとしたらやはり嘘ついていると同じなのである。だからあれだけ大きな会社でも信用できないとなる。


●技術があり頭がよくても他人に思いやりもない人が経営できるのか?


経営は人なりというときそんなこと今はなくなっている。第一今は人を見るとき何を見るのか?人間性など見ているだろうか?最初にこの人は何ができるのかで評価される。次に会社がどこかとかどこに勤めるかで評価されてゆく、人間性とかモラルとかこの人は嘘をつかない人だとか誠実な人だとか何かそうした人間性で判断されるだろうか?この人は英語できる、この人は歯医者であり先端の歯の治療ができる、この人は心臓の専門医であり心臓をみるのは第一人者だ、医者でもいろいろな分野に別れていて専門性があり心臓の専門医ですとなるとこの人は心臓には詳しいと評価するしそれ以外に何か人間性を評価するだろうか?だから医者は人格的におかしな人が多いというときそんなことより手術がうまい、神の手をもった医者だとかが宣伝される。この人は人格的にいい医者だなどで評価されないだろう。かえってそういう医者はだめなんだよな、人がいいだけで医者としては優秀じゃないんだよとかなる。このことはすべてにあてはまる。


お客様に対しての心遣いや、優しさや思いやりの精神を養い、
自分に厳しく出来る人間性を養い、


こういうことが常に言う人がいるんだけどまず人はまずその人が何ができるか、どんな会社や団体に属しているか、その人の個人の人柄など見ている人はいない、経営者でも社長でも同じ傾向がある。社長の人柄がいいなどと評価しているだろうか?東電の清水社長がコストカッタ-としてのしあがったというときその人柄や人間性など関係ないのである。かえって押しの強い傲慢な性格の人が上に立ち謙虚の遠慮がちの人は上には立てないとかあるだろう。性格的には悪くても成果が上がれば評価される。清水社長もコストカッタ-として成果をあげていたから社長になった。


そして一般的に人間は優秀な人は何か性格的に冷たい人が多い。自分は優秀なんだとして他者をさげすみ優しさや思いやりのない人の方が多いのである。そういう人を身内で見てきたからそう思った。でもそういう人はしっかりしているしやはり何でこんなにできるんだろうと自分のような優秀でない人間は常に思っていたのである。優しさとか人柄がいいという人は社会では何か上には立てない、そんな人は宗教家になれとかなるだろう。この厳しい競争社会を勝つにはそんな優しいということでは成功しないということがある。だから優しさを重んじるということが現実にあるのかとかなる。
福祉関係の仕事だったら優しさは仕事にとって重んじることを言うのは当然である。他は優しさより仕事ができることであり才能であり専門性であり人格的なことはあまり関係ないように思う。


●現代社会はモラルより人間性をみるより技術や専門性で決める


どうしてある会社の社長とか重役が決められるのか?そういうことがわかりにくいから推測になるが
モラルでもないし人間性がいいとかで決めてはいないだろう。あの人は正直だから嘘をつかないから社長に適任だなどと決める会社はいないだろう。でも技術職ではない社長とかなると経営者になると意外とモラルが大事になる。技術的な専門的なことだけではなく人との交渉とか社会的責任とかが課せられてくる。それて一時公害問題があったし原発事故もそうだった。会社の独断で会社の利益だけを追求すればいいというものではなかった。モラルは技術のようにむずかしいものではない、単純な面があるのだ。嘘をつかないとか正直であるとかである。でもまたこれが意外とトップに立つと大事な面があった。例えば大成建設が除染作業して下の土をとって放射線を計るモニタリングボスとを設置して放射線量を低くしていたのだ。これもたいしたことがないようで社員がなぜこんな偽りの作業しているのかと思う。そうなるとやはり社員でも嘘をついて仕事をしていることになることがわかる。それはさせているのは上の人である。つまりトップが嘘ついて命令していることになる。それは何も技術的にむずかしいことではない、土をとれば放射線量が低くなることくらい専門家でなくても誰でもわかる。


そういうことが社長がトップにされるときそれに従う社員も嘘つくことになる。すると何かやましいことをしているということで指揮が落ちてくる。人間はモラルがなくなると例え利益を得ても何かを失うし一番の問題は社員の指揮が落ちることなのだ。こんなことして働いて利益を得ていいのかと自問すると働く気力がそがれるのである。それは社会の全般に影響している。戦争のときでも人を殺すのだからその戦場で実際に人を殺すとなるといくら上の命令でも国の命令でも簡単にはできない。だからどんな戦争でも大義名文が必要になる。我々の国はこうこうで戦争しているという理由が必要になるのだ。ただ相手の国を領土が欲しいからとかでは他の国も容認しないからだ。人間はモラルがないと指揮が落ちる。例え誤ったモラルでもそうである。カルト宗教団体がそうである。宗教にカムフラ-ジュした大義名分があって運動している。実際は権力を掌握することであり権力を我が物にしたいだけでも大義名文を言うのである。それ嘘でもそうしないと容認されないからである。その大義名文も嘘だとわかったとき組織は崩壊する。そのトップもそんなモラルなど全然なかったとわかるからである。そこにはただ私欲であり権力への欲望だけだったとわほかるからである。つまり黒なのを白といいふくめて嘘ついているのがカルト宗教団体である。中味が真っ黒なのに白だと公言して活動している。その矛盾がやがて暴露され組織は崩壊してしまう。


そして結局このモラルのなさが勝敗を最終的には決していたのだ。日本の戦争が負けたのも日本が指揮が高いというのではなく指揮はアメリカが高かったのである。真珠湾攻撃の怒りが義憤があり日本は負けた。またアメリカでもベトナム戦争で負けたのは何が大義名文なのかわからなくなったからである。モラルが低下して指揮が落ちて兵士も戦争をやる気しなくなるのだ。だから一番上に立って指導する人はモラルが大事になる。技術的なことがわからなくてもモラルをもって指導する人でないとできない。技術とか専門性は枝葉のことになる。肝心なモラルが喪失したら指揮もなくなり敗北するのである。


なぜ原発事故で東電が失敗したのか?それは原発はもともと危険で無理な面があったにしても技術的な面だけではない、モラル的な面で失敗した。嘘をつかないということなど単純なモラルのなさで失敗した。何度も警告しても嘘をついて報告して安全だ安全だと言い張り権力で隠すことができた。
そういう嘘をついていることが命取りになった。だから宗教と経営は関係ないようで関係していた。宗教とはモラルを最高のものとしているからである。技術よりモラルが大事だとしているからだ。
でも技術の方が実際は現代では大事であり技術しかみていない、ここの人間でも全体でもそうである。身近に接した人でも嘘はつくし借金はしていても技術がももっていて頭がいいとか専門性があるとか知識もあるとかで評価されて仕事がまかされている。優しさとか思いやりもその人にはない、身近な人にそうであるなら全体に対してもそうである。でもその人間性など関係ないのである。それはまたなかなか見ようがないということもある。でもそういうことから経営も破綻することがある。

ワタミ社長のことなど問題になっているが人間性に問題になるのは特に福祉関係だからである。
福祉関係は一番優しさなどが必要なる分野だからである。


和民でバイトしてたことあるけど店長の目が死んでた


モラルがなくなると社員全体に影響しているのだ。

東電の失敗はモラルの欠如にあり戦争の失敗もモラルの欠如にあった。モラルが欠如した結果、指揮が落ちてたたかかなくなったのである。アメリカがあれほど経済力も武力も格段に上なのにベトナム戦争で勝てなかったのは兵士がもはや何のために戦っているのかわからなくなった。ただ人殺ししているだけではないかという地獄の黙示録になってしまったのである。モラルもなにもなく俺たちはただ人を殺す機械だとなったらまさに地獄になってしまう。


 

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2013年07月01日

人の住まない警戒区域が縄文時代にもどる (ネズミやイノシシがふえ荒らされてもどれない状態)

 

人の住まない警戒区域が縄文時代にもどる

(ネズミやイノシシがふえ荒らされてもどれない状態)


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老夫婦が釣りにきていた


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海水が入り込んだところ
フグが何十匹か死んでいた,これは生きていたフグ


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破壊された防潮堤


ことに東日本は、豊かな木の実や山芋などのほかに、サケ、マスなどの川魚にも恵まれていた。カツオ、マダイ、スズキといった海の幸。イノシシ、シカ、マガモ、キジといった山の幸。それに豊かな貝類。このように比較的、食料に恵まれていたので、日本列島の住人は、すぐには大規模な農耕を開始する必要がなかった。

 大型獣にかわって、中型獣(熊、鹿、猪)、小型獣(狸、狐、兎)、さらなる小型獣(ムササビ、リス、ネズミ)、鳥類(キジ、カモ、アホウドリ)などが登場し、弓矢を中心とした縄文型狩猟がおこなわれた。

草原は安定しない環境だ。高校の理科の教科書を引っ張ってくるまでもなく、草原はやがて陽樹の林となり、陰樹の森となる。つまり、ずっと草原である場所というのは長いスパンで見たら存在しない、はずだ。人間の力なしでは。つまり、人間が火入れをするとか、草刈りをするとか、放牧をするとかして、初めて草原は草原としてそこに存続できる。
http://d.hatena.ne.jp/ast15/20120511/p1


この辺が草原化したり湿地化したりした驚きを書いた。湿地化して沼ができて水葵が咲きだしたことも写真と共に紹介した。海岸沿いは津浪で湿地帯化して沼が生まれ大きなトンボが飛んでいることにも驚いた。トンボをドラゴンフライというけど巨大な太古の恐竜時代にもどったような感覚にさえなった。海にススギフタバリュウでもよみがえるような錯覚さえ起きた。小高の井田川の開拓地が縄文の海にもどったというのもそうだった。八沢浦もあんなに奥まで水が入り込んで浦になったことは信じられない光景だった。まさに縄文時代がもどったのである。原発事故で田畑が放置されそこが草原化したことも驚きでありそのことを書いてきた。


でもNHKの東北クロ-ズアップで浪江などの人の住まなくなった地帯がネズミやらイノシシやらなどが増えて家が荒らされて帰れるような状態ではないという。もう帰りたいと思ったが帰ることをあきらめたと婦人は言っていた。何か不思議なのは人間はもう縄文時代のことをリアルに知り得ない、それは田舎に住んでいてもそうである。知識で知るのと実感として知るのとは余りにも違うのである。
だから歴史でも過去をたどるとき必ず現代の便利な生活から想像するから過ちがうまれる。

縄文時代はとても想像できない時代である。でも津浪や原発事故で縄文時代にこの辺はタイムスリップしたのである。

まず草原というのは何か自分は想像できなかった。湿地帯は北海道などで見ていたからある程度想像できた。日本では草原は見れない、北海道は牧草地であり草原とも違う。この辺が草原化したというとき草原は一時期であり湿地帯に生える柳などが生え森になってゆくという。柳は乾燥地帯ではなく湿地帯向きだった。ヨ-ロッパでも柳細工が発達しているから湿地帯が多かった。どこも原初の状態は湿地帯が多い。湿地帯が多いということはそこは虫や蛇や細菌が繁殖して住みにくい場所だから人類が最初に住んだのは高台だったということは共通している。最初に住んだ場所は高台であり低地ではない、だから海岸に接して低地に集落ができたのはかなり後の時代である。例え海に近いにしろ高台に住んでいたのである。磯部のような海岸の砂州のような地域には住まない、そういう場所は今回の津浪で壊滅した。もちろん縄文時代は誰も住まない場所だった。


そして不思議なのは警戒区域となり人の住まない地域は草原から森になってゆき、森に生きる動物が増えてくるという。日本では草原は自然の状態ではないという、森が自然の状態である。草原という感覚はない、草地というとき草原とも違う、一部草が生えている感覚である。野はもともと草原ではない、傾斜地であったり森もふくまれている。日本にはモンゴルのような草原はない、平坦な地域は湿地帯になる。モンゴルの起源が祖先が狼をト-テムとするとき森の民から狩猟の民から牧畜の民になった。人間の起源が森に住み草原で立って歩くようになったという説はそこからでてきている。

日本でも縄文人は森の民なのである。ただ浪江などで草原化したところにイノシシや雉が増えた。

縄文時代は鹿も多かった。これらは食糧として十分に豊かなものである。イノシシにしても鹿にしても雉だって大きいから食いごたいがあり豊かな食糧だった。それに海に接しいてると貝類もとれたし魚もとれた。縄文時代は津浪でわかったように奥まで水が入り込んでいたから魚も入ってきたのである。それで魚が海岸に大量に打ち上げられてそれを食べたということもあった。労せずして海の幸を得たこともあった。今回の津浪で海岸の防潮堤が壊されてフグが数十匹打ち上げられいた。一匹は生きていた。フグだから毒にあたって死んだ人もいたかもしれない、このように魚は縄文時代は豊富だから労せずしてとれたこともあったろう。もちろん栗とかの山の幸もあり縄文時代はそれなりに豊かな食生活があったのだ。川魚もあったから余計にそうである。要するに常に過去は今から考えるから間違ってイメ-ジしているのだ。縄文時代は山の幸海の幸に今よりずっと恵まれていた。それもとれたてのを食べるから新鮮でありうまいし体にも良かったのである。


ともかく草原化してイノシシが増えたとかキジが増えたというとき何かそれが常にこの辺では想像ではない、リアルな現実として感じるから違っているのだ。まるで猿の惑星をみている感じにすらなる。イノシシを駆逐するために檻を作った人が人間が入るようだと言ったときまさにそうだった。
人間は消え駆逐され猿が支配者になっていた。ニュ-ヨ-クは核戦争で滅びてしまいその廃墟が野生化して猿の惑星になっていたのだ。


いづれにしろ浪江は帰れないというとき生態系が変わってしまったということも深刻だった。それは隣の小高にも影響している。ネズミとか増えれば浪江から小高に侵入する。それをさえぎることはできない、だから小高に帰るのが嫌だというのもわかる。隣があんなになっていればそうなる。
ただ六号線が通行証もらえるとイワキまで行けるというのは復興を進めるのに大きな力になる。
六号線は今ではそれだけ大きな役割をになっていたのである。

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2013年07月03日

津浪や原発事故で起きた草原化の考察 (草原や原は人為的に作られたものだった-原町はその象徴だった)

 

津浪や原発事故で起きた草原化の考察

(草原や原は人為的に作られたものだった-原町はその象徴だった)

浪江が警戒区域になり家はネズミに荒らされて原野化して草茫々になっていた。そこで研究に入ってきた学者が原野化するとそこは湿地帯に生える柳などが増え森になってゆくという。
草原は日本ではほとんどみかけないように日本では森になってゆく、木が繁殖して森になってゆく。草原という風景はもともと日本では原生環境の自然ではない、人為的に作られた自然だったのである。そもそも日本の原生環境は森でおおわれていたということである。木が繁殖しやすい風土だった。そして錯覚していたのは草原とか原とつく名がそこは原野であり原生の自然環境だと思っていたが違っていたのだ。日本の原は原野は森になりやてすい、放っておくと森になるのだ。


このことを地名から考察すると木の地名が相馬藩内でも結構ある。その木の地名でもなぜ木の地名がついつたかというとそれはただそこに木があったからというのではない、人間が木と深くかかわるとき木の地名がついたのである。地名はただそこの原始状態からは名づけられたのではない、人間の生活に深くかかわったとき地名がついた。だから地名は人為的なものであり人間的なものである。

人間は全く自然そのものが何なのか知り得ないし自然に接するにもすでに人為的に人間生活で深くかかわった自然なのである。だから何かそこで誤解が生じているのだ。原とあればそれが原始状態の原だと思っていた。原とつく地名は多い。そこは人間の手の入らない原だと思っていた。ところが草原は日本では人間が手の入れた人工的なものでありそうしないと維持されなかった。原は日本では森になってゆくからである。森は鎮守の森というように日本ではいたるところが森であり大都会に鎮守の森があるのはそこももともと森だったからである。

だから津浪や原発で草原化したとき原始の状態にもどったのかと思った。でも実際は草原が原始の状態ではなく草原から森になってゆく。

この辺でも橲原(じさばら)とあるときこのジサは


「山萵苣(やまぢさ)の白露しげみうらぶれし 心に深くわが恋止(や)まず」。
万葉集にでてくるこの「やまぢさ」はエゴノキのことだという。


 木材は緻密で粘り気が強く、各種の木工細工 に適しているため、「ろくろ木」とも呼ばれてい ます。 薪炭にも使用される。
http://www.wood.co.jp/wood/m053.htm


そもそも人間はなぜこうしたここの木に注目したのか?何か目的があった。ジサの木は木工細工に適しているからそのことで注目された。他にも真弓-檀(まゆみ)という地名が新地にある。


陸奥の安達太良真弓弦はけて引かばか人の我を言なさむ

陸奥の安達太良真弓はじき置きて反らしめきなば弦はかめかも


マユミ(檀、真弓、檀弓)というのは弓にするのに適した木として注目されてそこが地名化された。

柏原というのも地名としては全国に多い。これも柏(かしわ)の木は


印南野の 赤ら柏は 時はあれど 君を我(あ)が思(も)ふ 時はさねなし(巻20−4301)

(意味)

印南野の赤ら柏の照りはえる時節は、決まっていますが、私の天皇を思う心は、変わることなどは決してありません。

*さね・・・決して、ちっとも
この歌の「君」は孝謙天皇を指します。


柏の葉は大きく、葉肉が厚いので古くは食物を盛るのに使われ、祭式用としても用いられていました。
ことに播磨から献上される柏は有名で、宮中において祭りなどに用いられるのが慣わしになっていました。

http://azaleapines.blog.ocn.ne.jp/hirokazu/2010/06/post_99f7.html

これも実用的なものとして慣習化して柏といえば何の目的で使用されるかみんな指摘するまでもなく日常的に知っていたのである。柏餅の柏は江戸時代になって使われた。柏原の地名はすでに古く万葉時代からのものである。葛尾(かつろう)村に柏原というところがある。戸籍をたどったらここが自分の父の父のまた父の住んでいた場所らしい。江戸時代の人の名前が記されてあった。戸籍は江戸時代までたどれるのだ。ここも柏の木が繁っていたところとして地名が生まれた。ただいつこの地名ができたか?江戸時代以前なのか?そこは森をぬけて平らになっている地帯だから人が住み着いたことは確かである。だからそれなりに古い地域なのだろう。真弓という万葉集時代からとすると新地の方が古くなるのだろう。ただ柏原という地名の方が全国的に普通に見られるのである。


ともかく錯覚していたのは原とつく地名は原始の状態のことではない、原は人為的に残さないと残らないのである。そこは森になってゆくからだ。その原の効用として草が繁るからその草は馬や牛の餌になる。森だとなりにくい、餌場として原が人為的に必要だったのである。だから原は野焼きしたりいろいろと人が手が食えわて残されていたのだ。日本から草原が消失したのはそうして人間の手が加わらなくなったからだというのも意外だった。原はまた馬が中国や朝鮮から入ってきたとき馬を放牧する地として人為的に維持されたのである。東北にはその牧草地として牧が多い。馬の産地だからそうなった。秣をとるためにも原が必要だったのである。それは葛尾(かつろう)村にも多かった。葛尾(かつろう)村は秣(まぐさ)の供給地だった。


そして最も原が象徴していたのは原町だったのである。原町は広大な原でありそこはただの原っぱではなく野馬追いのために馬を放牧するためにも人為的に作れていた原だったのである。今の街があるところはほとんど野馬追いのための放牧地だったのである。原とつくと何もない原野だと思っていたがそうではない、原は人間によって手を加え維持された土地だったのである。日本の自然は放っておけば森になるからだ。


いづれにしろ今回の津浪原発事故は様々なテ-マを生んだ。縄文時代にもどったというのもそうだった。草茫々になって森になってゆく、そのことも実際にそれを見たとき驚きだったのである。
ただこのことでわかったように人間が接しいてるのは全くの原始の状態の自然ではなかった。
縄文時代でもすでに人為化した文明化した自然だったのである。人間が住み始めたときから自然は長い間に人為化されていたのである。だから人間は全くの原始の状態の自然を知らないのである。
全く人間の手の入らない自然は地球上でほとんどなくなっている。何らか人間の手が入っていて草原とか原となるともうすでに人間の手が入らないと維持できないものになっていたのだ。

 
 
 
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2013年07月14日

数字で確認する南相馬市の現状 (若い人の流出-福祉介護医療の労働力不足が深刻)

 

数字で確認する南相馬市の現状

(若い人の流出-福祉介護医療の労働力不足が深刻)


原子力発電所事故における南相馬市の状況について
平成25年6月22日
南相馬市
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/kaihatu/016/
shiryo/__icsFiles/afieldfile/2013/06/24/1336650_1_1.pdf



○人口について

@○避難等の状況について(H25.5末現在南相馬市避難者情報及びH25.4南相馬市教育委員会調べ)
○避難者の帰還意向について(H24.8旧警戒区域及び旧計画的避難区域の市民を対象とした意向調査

◆市外避難者:16,138人(約22%)
◆市内避難者(津波被災者含む):11,254人(約15%)
◆転出者:6,411人(約9%)
◆市内居住者:46,512人(約65%)
◆子育て世代(20〜39歳)の約44%が市外へ避難
◆小中学校の児童生徒数は約54%に減少
◆保育園・幼稚園の児童数は約40%に減少

◆雇用保険加入者:約44,000人(H23.1)⇒約32,000人(H25.4)(▲1万2千人)
◆有効求人倍率:0.54倍(H23.2)⇒1.92倍(H25.4)

事業所の休止や閉鎖により働く場が失われた一方で、
復興需要の高まりによる労働力不足が発生


○人口について
○避難等の状況について(H25.5末現在南相馬市避難者情報及びH25.4南相馬市教育委員会調べ)
○避難者の帰還意向について(H24.8旧警戒区域及び旧計

◆ 「戻りたい」 43%
◆ 「戻りたくない・戻らない」 21%
◆ 「現在は未定(悩んでいるなど)」 34%
震災前の71,561人から64,368人に減少

○鹿島区、原町区(旧警戒区域外)の雇用と事業所等の状況について
◆震災前の事業所数約3,000、従業者数約24,000人
◆震災後の事業所数約2,500、従業者数約20,000人
○小高区(旧警戒区域内)の雇用と事業所等の状況について
◆震災前の事業所数約550、従業者数約4,000人
◆震災後の事業所数131、従業者数約900人
※事業再開の状況(対象事業所数476、H25.4小高区役所


○介護施設(入居系)と介護認定者の状況について(H25.5南相馬市長寿福祉課調べ )
◆介護施設数:事故前15施設⇒12施設(▲3)
◆床数:事故前680床⇒491床(▲189)
◆職員数:事故前529人⇒390人(▲139)
◆要支援・要介護認定者数:事故前2,761人⇒3,380人(619)


◆原町区(旧緊急時避難準備区域)(H23.9)

55.5%「営農を継続したい」
20.4%「農業をやめたい」
19.0%「迷っている」
5.1%「無回答」


◆小高区(旧警戒区域)(H24.8)

25.0%「営農を継続したい」
46.3%「農業をやめたい」


◆子育て世代(20〜39歳)の約44%が市外へ避難
◆小中学校の児童生徒数は約54%に減少
◆保育園・幼稚園の児童数は約40%に減少


この数字は思った以上深刻である。数字的に44パ-セントもかとなる。約半数になる。小中学校の生徒数が半分も減っているのか?この数字はかなり深刻である。なぜか?南相馬市の未来をになう人背負う人が個々の家庭でも地元全体でも半分いなくなる?それはどういうことになるのか?
ここの家でもすでに跡継ぎがいないとか言われてきた。
それに拍車をかける。跡継ぎがいなくて消失する家が増えてくる。この影響は相当に大きい。南相馬市の将来をになうものが半減する。
少子化もここでは極端な数字として現れているのだ。

事業所の休止や閉鎖により働く場が失われた一方で、
復興需要の高まりによる労働力不足が発生

これは失業保険とか補償金で働かなくても金がかなり入るので労働力を必要としていてもその働き手がいないのである。


南相馬でも、連日のようにパチンコ屋に通う仮設住宅の住民は少なくない。
ここ半年で2店舗も新規にオープンしているほど繁盛している。
中には子供をボランティアに預け、パチンコ屋に向かう母親もいると聞く。
地元市民は怠け、外部からボランティアを募集する。

自粛や団結を忘れた市民には、復興は遠いかもしれない。
http://blade1024.blog.fc2.com/blog-category-1.html

パチンコ屋で遊ぶ人がいてパチンコ屋で働く人がいる。そこで人手たりないんだよなとか言っているのも変なのである。人手たりないところは他にいくらでもある。福祉関係で働くのもいい、ただ資格とか今はめんどうである。家の中に入ってくるので本当はこの仕事は信用が一番大事だった。その信用をどうして得られるのか?それが一番むずかしいことだった。
南相馬市では福祉とか介護とか医療はかなり深刻である。人材を確保できない


◆要支援・要介護認定者数:事故前2,761人⇒3,380人(619)


これだけ介護する人が増えても人材は確保できない、するとどうなるのか在宅でしてくださいとかなりなんらか地域の助けが必要でもそれも今はできない、すると放置されて死ぬ人もでてくるかもしれない、ショ-トスティは事情あってやめた。その分福祉関係では他に人材をまわせるだろう。ショ-トスティでも相当に手間であり人材が労働力が必要なのである。でも一方で仮設に入って暇な人が今はいくらでもいる。その人たちは補償金もらえるから働かないのである。
「自粛や団結を忘れた市民には、復興は遠いかもしれない。」団結など絆など内部ではないのである。外部でボランティアなどが騒いでいるだけなのだ。

◆小高区(旧警戒区域)(H24.8)

25.0%「営農を継続したい」
46.3%「農業をやめたい」


小高区ではやはり農業をやめたいという人がこれだけ多かった。相当に荒れてしまったからだろう。そもそも小高の人は帰りたくないという人が多い、特に老人に多い。そういう人は復興住宅を作ってもらって入りたいという希望がある。小高に帰りたくないと言っているからもちろん農業していた人も農業をもうやらないとなる。

結局津浪や原発事故の被害地域では何が起きているのか?小子高齢化の影響が極端化して現れている。未来をになう子供が半減する、子育て世代、40代前の労働の担い手が流出している。そして働かない老人や介護者などが増大してゆく、するとこの辺はいづれどうなるのか?老人はうば捨て山化する。もう福祉の担い手が少なくカバ-できなくなる。老人は金をもっていても働く人がいないのである。金は銀行でも福島県庁でも使えないくらい増えているのだ。金があっても労働力の人手は確保できないのである。若い労働者が流出して会社が経営できなくなって他に移った会社もいる。するとますます老人だけが取り残される。その老人は金をもっていてもその金が有効に働かないのである。

つまり自分も経験しているが金だけではどうにもならないことがある。金があるからといってすべてが解決はしないのである。現実自分の家では働く人手を確保できなかった。病気だったからひどかったが家のことで手伝ってもらうこともできなかった。今は病気も直ったのでなんとか一人でできるから助かった。でもここではさらに介護者などばかりふえてくる。その重圧にもう耐えられなくなる。それはまさに小子高齢化の影響がここでは極端化して現れているのだ。
もう老人なんかめんどうみる余裕がない、捨ててしまいとさえ本気でなってしまうかもしれない、それは日本の将来の厳しい現実なのかもしれない、金があるからといって労働力は確保できないのだ。
だからここで福祉は限界にくるから外に出ることを考える必要があるかもしれない、もうそれだけの人材の余裕がここにはないのである。一方で田舎では家や土地をもっているしなかなか老人は移動できないこともある。そういうことで老人はかなり苦しい立場に立たされる。金だけでは解決しないのである。

 


 

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2013年07月15日

前双葉町長・井戸川氏が南相馬市の鹿島区の仮設住宅で演説 (緑の風の比例区で参議院に立候補はなぜ?)



前双葉町長・井戸川氏が南相馬市の鹿島区の仮設住宅で演説

(緑の風の比例区で参議院に立候補はなぜ?)



前双葉町長・井戸川氏涙の誓い、腹の底から反原発
「井戸川さん、オレはこんな所で死にたかねえよ」。断熱性のないプレハブの4畳半は、暑くて、窮屈で高齢者の体にはこたえる。「国会に行ってこの無念を晴らすから。投票してけろ」。握手をした井戸川氏は目に涙をにじませながら「これは生き物の住むところじゃない。物置だよ…」とつぶやいた。復興庁によれば、3・11以降、全国にいる災害避難者は27万5969人(6月1日現在)。そのうちプレハブ仮設住宅には、10万7768人が暮らしている。


 井戸川氏自身も埼玉県加須市に借り上げた住宅で、妻と2人で避難生活を送る被災者。「住む所も奪われた者が国会議員を目指すのは初めてでしょう。だからこそ腹の底から反原発を訴えることができるんです」と他候補との違いを強調した。
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20130712-OHT1T00034.htm

http://hochi.yomiuri.co.jp/photo/20130712-451027-1-L.jpg(ここに写真)



「緑の風」の比例区から立候補した前双葉町長の井戸川氏が南相馬市の鹿島区の仮設住宅の前で演説していた。あの人はよくテレビにでていたから知っていた。テレビに出るということは顔を覚えられるから選挙では有利かもしれない、全然知らない人だと親しみがわかないからだ。だから選挙で一人でも多くの人と握手するのがいいとか言われる。どぶ板選挙がいいと選挙のベテランの小沢氏は言っていた。確かに直接あった人は何であれ票に結びつきやすいかもしれない、そういう心理は人間にあるからだ。

ただみんななぜ双葉町長だった人が緑の風で原発反対で出ているのだろう。聞いてみたら「前の町長が原発推進だった」これがいいわけでありこれは必ず聞かれるからそう言っているのだろう。
このいい訳も何かしっくりいかない、ここが一番反発を受けている。

何か今回の原発事故や津浪では被害を受けた人が市町村別でモザイク模様のようにその心も色分けされたのだ。双葉町とか大熊町は原発の恩恵を一番受けていたからと福島県内でも反発が多くなった。それから双葉町の隣の浪江町でもまた違った感情が生まれた。双葉町や大熊町は一番恩恵を受けていたが浪江はそうではなかったとかなる。でも浪江はやはり相当な恩恵を受けていた。原発で働く人がかなり多かった。それで経済的には潤っていた。請戸では船主は億の金をもらい原発御殿が建っていたとか今になると批判されている。相馬総合病院の特等室に入っていたのも請戸の人であり家を建てると言っていた。億の金はもっているだろう。鹿島区でも大熊の人が家を新築した。地元では家も建てられない人もいるからねたまれるだろう。


今回の被害はみんな一様になっていない、仮設に入っていても津浪の被害者は補償金が原発被害者のようにもらえないとか不満である。南相馬市内でも小高と原町と鹿島で心情的に一致しない、だからまとまりが必要だというのもわかる。30キロ圏外とかで区切らないで南相馬市で共同一致して補償金などの交渉をすべきだと市の広報でも指摘している。補償金などでもらえる人ともらえない人とが分断されていることがあるからだ。だから被害が一様でないから団結しにくいということがある。


井戸川氏が反原発で立候補した一番の問題はなぜ推進だったのが反原発なのだろうとなる。もちろんその被害を受けたことで仮設住まいをしていることは評価できる。富岡町長は郡山に新築の家を建てたとか飯館村長は福島市にマンションを買ったとか言われるからだ。そしたら確かに仮設に住む人の痛みはわからないとなる。仮設に住んでみればはそこも物置だという感想にもなる。たいがい一戸建ての広い庭の家に住んでいた人が多いからだ。住まいについてはかなり不自由していることはわかる。ただその他は補償金で楽々暮らしていけるのも現実である。ただ他で新しく生活をするとなるとその資金は相当なものになる。5千万でも足りないと被害を受けた人は思うだろう。
ともかく今回の津浪原発の被害は住む地区によっても一様ではなくモザイク模様に分断されてしまったのである。


井戸川氏については一人の政治家としてはなぜ原発推進派から反対派に変わったのかということが納得いかない人が多いだろう。前町長が推進したというのも納得いかないだろう。そういうことは政治では常に起こってきた。戦前から戦後になったとき鬼畜英米から親米にがらりと変わってしまった。その時マスコミも戦争高揚推進派から平和主義になった。その時も国民はその変化にとまどった。
そういうふうに黒から白に変わるのは信用できないのである。
人間個人でも人生でも何か一貫性があればその人は評価できる。一貫性がないとその人自身が何なのか評価できないのである。右から左、左から右と政治は変わりやすいからわかりにくいのである。
一貫性があるのは共産党くらいだともなる。


そして緑の風があったが緑の党もあった。これは同じじゃないかと思った。これも実にまぎらわしいのである。政党もあまりに小党分裂するともう何がなんだかわからなくなる。だから民主党が分裂して全く力を失ったのである。
いづれにしろ一貫性のない人は信じられない、人間が一貫性がなくなるのは何か権力とか利権のために信条を曲げるからである。人間はみんな権力によって支配されその主張も曲げる、それはマスコミでも戦争中がそうだったようにずっとそうだったのである。
今回の原発事故も全く政府とか東電でもマスコミでも官僚でも戦争中と全く同じ構造が権力的にできあがっていたのである。それに反対を唱えることはできなくなっていた。それは戦争中と同じく非国民になっていた。だから原発を推進してきた前双葉町長にそうした反省があるのかとなる。
それが一番の疑問なのである。


今回の参議院選挙の争点は何なのかわかりにくい、原発が争点でもない、衆議院選挙でも原発を争点にしてもそうはならなかった。ただこの辺では実際に被害を受け苦しんでいる人がいるのだから原発が選挙の争点となる。だから前も原発に反対した未来の党とかに入れたのである。今回もやはりそうなりやすいのである。だから一貫しているのは実質の野党は共産党しかないともなり票を入れるひともいるかもしれない、実際に都議選ではそうだった。野党がいなければ民主主義は成り立たない、独裁になってしまうからだ。自民党と公明党の独裁も危険なのである。そういう歯止めは必ず必要なのである。権力の独占ほど恐ろしいものはないからだ。東電がそれをまざまざとみせつけたことでもわかる。創価などカルト宗教団体だって権力独占すれば恐ろしいものとなる。牙を隠しているが牙がむきだしになり国民を襲ってくる。原発事故の原因はいろいろあっても明かに権力の独占が東電によって行われていたことだったのである。それは戦争中と同じだったのである。権力が独占化されチェックできなくなるとき民主主義は崩壊して独裁になり民衆は独裁者の犠牲にされるのである。だから
自民党一党独裁となることも危険なのである。

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2013年07月17日

原発事故の責任者は誰なのか? (巨利に目がくらんで事故になった-烏崎の津神社も鯨の恵みで津浪は忘れられた)

 

 原発事故の責任者は誰なのか?

 (巨利に目がくらんで事故になった-烏崎の津神社も鯨の恵みで津浪は忘れられた)
 
 ●地域の利益優先のボリティシャアンにならざるをえなかった地方議員

原発事故の責任は誰にあったのかというとこれもわかりにくい、うやむやになっている。
それが民主主義社会になったから余計にわかりにくいのである。
例えば前双葉町長の井戸川氏のことを今になって反原発というのも変だ、辻褄が合わないとか一貫性がないと批判した。でも政治家になる方にしたら町長になるには原発推進でしかなれないのである。その政策でしか町長にはなれなかった。反原発だったら町長には絶対になれなかった。なぜなら町民の大多数が原発推進であり民主主義が多数で決めるとしたらそれに逆らえるものはいない、町長は町民の大多数の意志を代弁したものにすぎないとなる。


ポリティシャンかステーツマンかの政治家の判断基準として「自分の支持者だけを向いている」か、「国民全体を向いている」かという点がある。自分の選挙が優先と考えれば、自分の支持者に顔が向いてしまう。つまり、ポリティシャンになってしまう。しかし、選挙で選ばれる政治家にとってステイツマンになる事は口で言うほど簡単でない。選挙で落選することも覚悟の上で行動する勇気が要る

地方議員はほとんどがポリティシャンであったが、これからの地方のことは地方で責任を持って決める地方分権時代である。地方分権時代はあわら市全体のことを考えるステーツマン議員が求められる。
http://blog.goo.ne.jp/forza_awara/e/0678776374bfdaaf5128993d567a9cff


ポリティシャアンは「政党政治家」「政治屋」「政略家[とか権力だけを。操作したい権力の恩恵にあづかりたいという人たちをさして言っている。

地方政治ではどうしてもボリティシャアンになりやすい、国政だったら大きなテ-マがあり利益追求だけとは限らない。地方ではみんな利権政治屋になりやすいのだ。それが原発事故に結びついていた。そもそも当選できないとしたら反原発などの政策をかかげない、利益求める選挙民に従った方が得だとなるからだ。当選できなかったら何の意味があるのかとなるからだ。でも今になると原発には誰も反対しなかったのかと外部からも問われているのだ。いたのいても数人でありいないと同じだったのである。反対していたらその町に住めなくさえなっていたかもしれない、でも事故後、例え当選しなくても反原発で選挙にでていたら今になるとその人は内部からも外部からも相当に評価されることになっていたのだ。


ともかく町長にしてみれば原発推進でなければ町長にはなれないから原発推進になったのでありそれは町民の意向であり町民が決めたことであり町長なかったとなる。今度は町民が原発事故で苦しんだから反原発になったから反原発の緑の風から立候補したとなる。つまりそうした政策を決めているのは一個人ではない、一個人がそんな力をもっていないのが民主主義社会である。それを決定するのは投票する民衆である。だから原発事の責任は民主主義社会では民衆にあったとなる。結果としても原発推進だった民衆が苦しむことになった。


●極論の中に真実が見えてくる


原発はまた必ず電気がなくていいのかとかなる。電気なしで今の時代暮らせるのかとか脅迫的にもなる。電気なしでは暮らせないという現実もある。だから原発がすべてだということではない。でも原発はもうなくてはならないものだとなっている。それは脅迫的に強制される。映画で原発を信仰のようにして崇めて原発と共に命をともにするのだという映画あった。原発推進を極端化すればそうなる。それはそれなりに筋が通っている。つまり原発と命をともにする、死ぬ覚悟で原発を推進しろとなる。一方で山尾三省のようにパンすら贅沢の極貧の生活あえてする極端がある。しかしその極端の中に真実が見えてくる。中間の人は自分でもそうだが電気を恩恵は受けたいが原発は嫌だとなる、原発を徹底的に拒否することはない、電気が不可欠なのだから原発もやむをえないなと中間派は思っている。原発が嫌なら本当に山尾三省のように極貧にならなければ説得力がない、中間派は原発に反対するにしてもデモに行っても暑かった、どんどんク-ラ-で冷やしてくれとかなる。そういうことに矛盾を感じないのである。

原発反対でも本当に真剣になっていないのだ。だから原発とともに命をともにするのだという極端な人の方が説得力がある。そこまでやるならしかたない容認しようともなる。

一方で反原発はそんな覚悟はない、電気はなくなることがないとみている。だからデモしたあとでもク-ラ-でどんどん冷やしてくれとかなる。山尾三省なら一切電気も使っていない、江戸時代のような暮らしをしていた。燃料は囲炉裏で薪だった。つまり中間派はどっちつかずであり説得力がない、ただ電気の利益とか恩恵は受けたいと虫のいいこと考えている。電気がなくなるという深刻に考えていない、電気がなくなるはずがない、原発がなくなっても石油があるじゃないか、天然ガスがあるじゃないかとか楽天的に考えている。だてから中間派はずるいとなる。本当に現実は二者選択を迫られることさえありうる切迫したものとなるかもしれない、ただ大多数は中間派であり原発推進にしても反原発にしても極端な危機感はもっていないのである。自分もある意味でそういう中間派であり大多数は中間派である。電気の恩恵は受けたい、でも原発はノ-だといって無難な方を選んでいるのだ。

でもいづれは中間派ではいられなくなる。戦争中でも戦争はノ-だといえなくなり3百万人以上が犠牲になり死んだからである。極論が説得力あるのはそれだけの命をかけて主張する真剣さがあるだ。
原発なしではやっていけない、原発とともに死ぬんだというのも間違っていても説得力がある。
そんなことはいやだが電気は欲しいというのは中間派であり中間派には真剣味がないのである。


●人間は目前の巨利に目がくらみ危険を忘れていた-津神社は鯨の神社に変わった訳


人間は利に弱い、それか巨額な利益をうむとなるとそれか危険であっても眼がくらみ、後先なく危険に突入することがある。それが一番現れているのが巨額の遺産相続で遺産争いが骨肉の争いとなる。遺産というのは労せずしてもらえる大きな利になるからそうなる。そういうことは交通事故とかの保険金などやその他巨額の利益が公共事業とかで入ってくるとき起きてくる。その大きな利益のために今までは善人だったものが悪人にもなる。実際そういうことを経験してきた。遺産相続の権利もない雇用主が交通事故に庵た社員の保険金をもらおうとして画策した。それは犯罪になるところだった。その雇用主は別に普通の人だったが保険金が5千万入るとか騒いでいた。その時自分もびっくりしたのである。自分はその時車をもっていないからそんなに金が入るのかと驚いた。そこでいろいろもめたのである。人間はそうした普通の生活で稼ぐ金とは違う大きな金が入るとき突然心も変わるのだ。その大きな金に眼がくらみ犯罪者にもなるのだ。そういうことは常に推理小説のテーマとなっている。


そういうことが津浪とも関係していた。南相馬市の鹿島区の烏崎村の津神社はもともと津浪を記念して建てられたものである。ところがそのことをまるっきり忘れられていたのである。その理由がわかった。その神社は鯨の神社になり鯨の祭りを行っていたのは鯨が烏浜でとっていたからである。
鯨の碑があったのもそのためである。鯨は巨利を生むものだったのである。一匹の鯨をとればその利益は大きい。


島嶼部性の高い日本において「寄り鯨」「流れ鯨」[2]と呼ばれた漂着鯨[3]が高い頻度で発生する。それらのクジラを「えびす」と呼んで神格視しながら受動捕鯨として盛んに資源利用し、これが「寄り神信仰」の起源となった。特に三浦半島や能登半島や佐渡島などに顕著に残り、伝承されている。
寄り鯨の到来は「七浦が潤う」ともいわれ、えびす神が身を挺して住民に恵みをもたらしてくれたものという理解もされていた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8D%95%E9%AF%A8%E6%96%87%E5%8C%96


烏浜の鯨も寄り鯨だった。その利益が大きいから祭りとなったのである。そして津浪の被害のことは忘れてしまった。ここに人間の変わらない心理があった。人間は個人的なことでも嫌なことは忘れたい、でもいいことは覚えていた、利益になることの方に夢中になりやすい、人間の心理は常に利益追求なのである。欲望の追求なのである。大勢の人にとって共通することは欲望の追求である。みんな豊かな暮らしを求めることは共通しているのだ。誰も山尾三省のような極貧の暮らしなど求めていないのである。だからこそ原発が実際は積極的に誘致されたのである。そして請戸の船主などは億の補償金をもらったとか原発御殿が建ったとか実際は原発の巨額な利益に目がくらみ酔っていたのである。漁業だけではそんな豊かな暮らしができない時代になっていたからだ。それは磯部でもそうだったというとき相馬と双葉漁業組合は一体だから補償金をもらっていたのである。事故後も漁業組合には巨額の補償金が支給されているのだ。それで罰あたったとか言われるのである。


つまり原発は鯨と同じだった、巨利を生む故に眼がくらみ危険性をないじんがしろにされた。
東電の清水社長でも危険をないがしろにしたのはコストカットでのしあがったからである。ただ人間は利だけを追求していると思わぬ誤算が生じてくる。結局鯨という巨利を生むものがあり津浪で被害を受けて建てた神社の由来など忘れて鯨神社になっていたのである。それは原発だって事故がなければ巨利を生むのだから原発神社にすらなっていたのである。現実はそうだった。巨利に目がくらむことは人間にとって危険である。石油もまた巨利をもたらすものだからそこから中東の戦争も起きた。童話で未完成だったがジャムの蓋をあけていたらその中に蟻が侵入してかなりの数の蟻がその甘いジャムのなかで死んでいた。そして蟻の列は部屋にまでできていてそのジャムを目指して軍隊のように入ってきたのである。ジャムはあまりにも甘すぎるものでありそれが蟻を殺す結果になったのである。余りの巨利が人間にも災いを生む。そういう教訓があった。日常的に質素に暮らしていればそうした災いにはならない、そこに人間の問題があったのである。

文明はあらゆる面で限度を越えたものとなっている。富の追求でももう限度を越えている。原発という危険なものに手をだしたのもあくことなき限度なき富の追求のためだった。それは原発だけではない、人間の度を越した富の追求は自然も破壊するし公害にもなっているしあらゆる面で弊害が大きくなりすぎたのである。現代文明はあらゆる面で限界に来ている。文明の問題は制御するものがないことなのだ。ギリシャには富や無制限の技術を抑える思想があった。だから自然と調和したものとして後世に残された。現代文明は無制限の欲望の追求であり限界なき技術の追求、利益の追求でありそこに歯止めがないのである。それか文明の滅亡に通じしているのだ。

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2013年07月18日

原発事故で昔の自給自足の生活が見直されるのか? (便利なものに頼りすぎると事故が起きたらもう直すこともできない)


原発事故で昔の自給自足の生活が見直されるのか?

(便利なものに頼りすぎると事故が起きたらもう直すこともできない)


今日はアマゾンでLEDのしーリングライトを買ってとりつけようとしたができなかった。結構めんどうだった。電気工事会社に聞いたら今は人手なくでできないという。やれるのも何か月先だとか言っていた。自分の電気工事というものでもないからできないというのもわかる。でも電気工事関係の人も人手だたりない、住宅建築でも地元の大工はたりない、注文しても何か月先になるという。

しゃれたアバ-トを建てた大手の会社は茨城県でありそこから来て建てていた。他では亘理の方から来て建てていた人もいた。結構家が建っている。それでも家がもっと建つのだが人手がたりなくて先送りになっているのだ。電気工事関係でも人手がいないということは意外だった。電気工事は家を建てる時に必ずかかわる。水道関係の人とかも人手が足りないという。家を建てるにしてもいろいろなものが設備が必要だからその関係の人手が必要になる。その人たちが不足している、働き手が流出したということもあるだろう。この人手不足が思った以上深刻なことがわかった。

これは医療福祉関係だけではない、あらゆる面で人手がたりないのである。

自分は何でも自分でやりたいということがある。でも電気関係は危険である。一つ壊してしまった。そこから火事になったりするから恐い。でも角形のはめてあるところがとれないのはとったことがないから固くなっているのではないかとアドバイスがあり確かにベンチでまわしたら簡単にとれた。

手ではとれにくかった。意外と道具を使いこなすことが大事になる。料理だってそうである。
まずいろいろな道具がありこれを使いこなせないと効率的にできない。料理とか家事はなかなかコツがわからないのだ。とういうのは誰も指導してくれないからそうなるのだ。いろいろ買うものが多いのである。自分は他の人より毎日食糧でも2千円とか使っているから使いすぎである。でもオカズが作れないからどうにもならない、どうしても時間がかかることはやりたくないのだ。だから無洗米などがあるのも便利なのである。IHヒ-タ-も必ず必要である。ガスは何度注意してもつけばばなしのときがある。自動で時間で消えるのが必要であり電気も自動的に消えたりするのがいいのだ。それで
LEDのライトを買った。


何か変なのは通販で買ったのはこれは自転車だと大きすぎて運べないからである。通販は送料もかからないで三日以内には配達される。ところが量販店でも配達されるまでは二週間とかそして配達料も結構高いのである。通販はその点で便利なんだけど今回のように失敗することが何回かあった。
大きさと重さがわからずバッグを買って失敗した。やはり手にとってみないとわからないものがある。でも相当に通販で買った。通販で買えないものが今は相当あるからだ。
ただ量販店の競争相手が今と通販だということをあまり意識していない、例えば商品でも説明がわかりやしい場合が通販にある。かえって商品が良く説明されていないのが量販店にあるのだ。
そしてすぐに必要になったとき買えるのが便利なのである。何か必要だというときそれか近くでも売っているのもがわからないことが結構あるのだ。それで品物の数が増えたということもある。
何かこまごまとしたものの買い物がふえた。料理しているから余計にそうなったのである。


まず自分がこの六年間していたことは家事でありこれは結構多岐にわたるものだと思った。家事をこなすには料理もそうだが台所を効率的にいかすのは結構手間と時間がかかる。介護もしていたら余計にそうである。介護は家事の延長みたいなところがあるから家事ができる女性に向いていたのである。ただ家事にはちょっとした大工仕事などもあり庭いじりもしているからいろいろとある。
そうした能力を身につけることが結構むずかしい。器用な人はいいがそうでないは苦労する。

昔の人は自分で大工仕事をしたりした。自分の父親も風呂場を作ったりしていた。自分でせざるをえなかったのである。人に頼めば金がかかるということもあった。今回の地震で壊れたタイルとかもそのままであり家は地震津波から荒れたままだった。いくらかたづけてもかたづけきれないのである。タイルも人にたのみ修理もできないから自分である程度直すほかない。セメントをぬってはりつけるほかないだろう。前にはアンテナをとりつけるのを自分でやったのには電気屋の人も感心していた。線を削ったりしてインタ-ネットを見てやったのである。それは確かに正確にできていたのである。

だから手間賃はただにしてくれた。これは結構むずかしい仕事だった。今回のとりつけはそれより楽なものであるが実際はそうでなかった。

家事でもある程度自分でこなせないとんいけない、みんな専門家頼りではまずいのである。だから原発事故以後あまり複雑なものは使わない方がいいとかも思った。自分である程度処理できないものは使わない方がいいのかとも思った。便利でもめんどうになるからだ。原発なんかもあまりにも便利なものでありそれでも一旦こういう便利なものは事故起こしたり壊れると直しようがないのである。
そこが最大の弱点だった。自分で直しようがないものは使っていると危険である。昔の電気製品は電気屋で直していた。今はも直せないから困るのだ。そういうものに頼っていると直せないのだから使い物にならなくなる場合がある。臨機応変に使いないのである。

結局原発事故では車がガソリンか入らず使えなくなった。水道もでない所もあった。電気もつかないところもあった。そうなるとお手上げになり死にさえ追い込まれる。だから裏山の清水を運び飲んで薪を燃やしてしのいだ三陸の人たちがいた。そういう自給自足の生活にもどったのである。

この辺でももう便利すぎた電気などの生活から昔の自給自足生活にもどる。そうしたモデル地域にするのもいいかもしれない、確かに不便であり不自由であっても災害には強いとなる。ただ電気など全部を否定しては現代の生活はなりたたない、通信とか絶対に必要なのである。何が起こっているかさえわからなくなるからだ。そういう電気はそんなに多くの電気を消費しないのである。

なぜこういうことを言うかと現実に技術をもっている人とかいなくなっているからだ。医療関係もそうだが福祉関係だってそうである。
そうしたち昔のように隣近所で介護など助け合えばいいとなる。介護などご飯作ってあとはたいしたことはしないですむ場合がある。
そうしたら遊んでいる人は介護士の役をやればいい、現実に人手がたりないのだからそうせざるをえなくなっているのだ。
やれることはそれぞれやらなければもうここではやっていけないのだ。


まず自分がしていることは多様である。家事でも今度はお客さんが来るというので一日でも家の掃除やら飾りつけをした。そしたら自分は今度は旅館の女中、下男みたくなっていた。ただ違っているのはかざりつけは絵などは飾ったりしたからそれは芸術的センスも必要としていた。旅館業も意外といろいろな能力を必要とされている。料理もそうだが何か絵を飾ったり庭を見せたりするのも必要だしもてなしの心も必要である。それは茶の湯にも通じてている。このもてなしはまた介護にも必要なのである。家事の能力は実際は多岐にわたりこれを全部こなすことは不可能である。肝心の料理がうまくなることは自分にはできない、これは相当な能力が必要なことがわかった。


ともかくお客さんを一日とめることは容易ではない、それほど歓迎する人でないにしろそれなりの用意をするから大変である。部屋は床の間があり八畳間でありそれが古い作りだから手のこんだものとして部屋が作られていた。この家は土壁でもあり地元の大工さんなどが丹念に作ったものだった。
だから今になると気持ちよくゆったりするのである。だから一人か二人泊める民宿にしたらいいなとも思った。ただ料理などはできない、この家をどういかすのかそれも問題になっている。

 
 
                                                          
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2013年07月24日

放射能除染の不毛

 

 放射能除染の不毛
 
 青森から来たという人が除染のことで言っていた。除染の仕事は何か成果が見えない、先が見えないと言っていた。普通の仕事だと家作るにしても土台を作り次に柱を建てるとか成果かがみえてくる。土木事業でもそうである。その成果が目に見えないから何かやる気がそがれるという。これは金をもらっても何か成果が現れないとやる気がないということである。
 
 本当に除染はどれだけ効果あるのか不明である。一部を除染しても回りの森は除染されていないからやはり多少減らされてもそれがどれくらいの効果があったのかもわからない、シーシュポスの神話のようにあと少しで山頂に届くというところまで岩を押し上げると、岩はその重みで底まで転がり落ちてしまい、この苦行が永遠に繰り返される。何のためにそんな仕事をしているのか何の成果があるのかということで悩む。金をもらっているからいいとはならないのが仕事である。人間のことは何でも金では解決できないのだ。
 
 その人は話した感じでは真面目そうな人だったから余計にそう思ったのかもしれない、そしてなぜみんな地元の人が除染の仕事しないのかと疑問に思っていた。補償金もらえるから働かないと言ったら納得した。
 
 人間の仕事はつくづくその仕事に実際にしてみないとわからないことが多すぎるのだ。ここ6年間家で介護の仕事していて毎日料理をして家事をしている。すると料理を出す方になるとそれなりに苦労して作ったのになぜ残したりするのだろうかとか思うようになる。苦労して世話しているのに感謝の言葉がないと看護師が患者を殺した人までいた。これは一見極端でもそうした仕事を毎日しているとなぜ自分がこんなに他人に尽くさねばならないのかと疑問に思う人もいるだろう。
 それでこの人は感謝もしないと殺人までになった。
 
 自分もそうだけどサ-ビスしてくれるその人の仕事をどんなものかどんな苦労があるのかわからないのである。実際に料理して与えてみるとわかるのである。
  サ-ビスしてくれる人が与えるものならこんなまずいもの食えるかなどあまり言えないだろう。
 ただ今はすべてが金であり金が出せばなんげもサ-ビスしてくれると思い込まされている。
 だから相手が苦労して料理して運んでくれても感謝などしない、金をだしているから当然だとなる。かえってサ-ビスが悪いと文句言うのが常なのである。
 自分は旅行してもそうしたサ-ビスを期待したことはない、ただ泊まればいいだてけであった。
 食事は外食であり安く泊まるだけのサ-ビスが欲しかっただけである。それでもそれなりにサ-ビスを受けていたのである。
 今になったら旅館でうまい料理を食べてゆっくりしたいとなる。それも毎日料理を自分で作り与えることが仕事になっているからだ。その仕事をしてみてはじめて料理をだしてもらうことにも感謝するのである。

母の継母が弁当を作って残したので怒って子供の前で「俺の作ったものは食えないのか」とその弁当を投げつけるように捨てたのはひどい話だけどやはり弁当を作るものにも苦労があるから極端だけどそんなことをした。看護師が患者に感謝の言葉がないと殺したのとにている。
意外とこういうことが人間関係では多々あることなのだ。
自分が世話しているのに苦労して与えているのに全然感謝しないとかそのことを自覚できない人が実際は本当に多いのである。苦労して作り与える方になるとそういうことになる。
相手のことを考慮しない人が実に多いのである。金持ちの家に育てばただ何でも与えられるとなり
そうした感謝の気持ちは育ちにくくなる。そういう人はやはり上に立つ人には向いていないともなる。
 
 この世にある無数の仕事について自分でできないから理解できないのである。宅配業者でも本一冊運ぶのも手間であるしそれも苦労かもしれない、しかし金を出せば魔法のようにポンと本が今やでてくるという感じになっているのだ。インタ-ネットでもプログで情報提供しても書いても誰も感謝しないのである。だから何のためにやっているかもわからなくなる。ただ時々文句を言う人がいるだけだとなる。これはあらゆるところで起きているのだ。誰のために働いているかわからないしただ金のために働いているだけだと働く意義が見いだせないのが現代では多くなっているのだ。
 ただすべてはその成果は金で計られている。金を多く得るものが成果を出していると評価されるのである。金を得ないものは何の価値もないとされる。それが価値があっても価値を認められないのである。
 
 ともかく除染は何か不毛の仕事である。だからこそ飯館村の人がそんなことに金を使うより補償金にして他の土地で再出発の資金にした方がいいというのもわかる。結局30年とかたたないと放射性物質は減らないのである。すでに地中深くに放射性物質がしみこんで今は除染も効果ないという人もいる。除染は目に見えて効果が現れないのだ。そもそも一体放射能汚染は人体でもどこまで影響するかわからないのである。ただ福島県が壮大な実験場になっているのだ。ただ除染は国の事業だから環境省の仕事だから市町村が口出しできないということもある。結局これも無駄な公共事業なのかもしれない、ゼネコンなどの会社の利権なのかもしれない、青森の除染の人でもここに仕事が生まれたから青森からも来ているのである。全国から今は除染であり工事関係の人が集まっているのだ。そのために今のところはこの辺はかえってにぎわっているのである。

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2013年08月07日

便利すぎる文明の不安と危険 (電気の貴重さは?燭や薪や炭のように実感できない)


便利すぎる文明の不安と危険

(電気の貴重さは蠟燭や薪や炭のように実感できない)


●社会が目に見えて把握された自給自足の時代


人々が着る衣服は大部分家庭においてつくられた。家族の者たちは通常、羊の毛を摘むことにも羊毛をくしけずりつむぐことにも機織りを使うことにもなれていた。ボタンを押して家中を電灯の光でみなぎらせるのではなく照明をうる全過程は動物を殺してその脂肪を精製することから蠟燭のシンをつくってこれをシンの中にひたして?燭をしあげるまで面倒な手順を逐一踏んで行われるものだった。
麦粉、材木、食料品、建築材料、家具から金属器物、針、ちょうつがい、金槌などの類までその供給は近くで行われそこがしばし隣近所の寄り合いの中心であった製作所で行われたのである。

知識を授けるための実物教育をどれだけやっても農場や庭園で実際に植物や動物とともに生活して世話するうちに農場や植物に通じるその呼吸にはとうてい代わりうべくもない・・・
(学校と社会-デュ-イ)


今なぜまともな人間形成ができないのか?デュ-イが学校を批判したことは当然だし今でもそうである。学校は人間教育の場ではない、学校という場は今では社会から切り離された場なのである。社会と結びついていない、知識だけを教える場所である。その学校を批判しても現代が世界的にも学校なしではありえない社会だから学校を廃止して別なものなど作り得ようがないのだ。

ただ人間は今の問題を考えるとき常に過去にさかのぼり過去からどういうふうに現在にいたったのか知る必要がある。するとこの指摘のように教育は自ずとその生活する場でなされていたのである。


●電信柱の時代


戦後十年くらいまでは燃料が炭であり江戸時代から自給自足の生活の延長だったのである。だから自分の子供時代の経験は貴重だった。電気は裸電球一つくらいで使っていない、なぜか自分の家では駄菓子屋をはじめてその前に電柱が一本あった。そこは舗装されていない、その電柱が不思議な存在感をもってよみがえってきた。なぜなら電柱というものがその当時今とは違って何か文明の象徴のようになっていたかもしれない、その電柱は木の電柱だっかたことも当時を偲ばせる。この電柱のあるところにベンチがあり子供が群れていた。キャンディなどを食べて群れていたのである。この電柱の思い出は水害のときこの電柱に流れたものが流木がぶつかり自分の家が流されずにすんだのである。
この時の家は平屋でありトタン屋根であった。ブリキ屋が近くにいたというのもそのためである。
賢治の童話の「月夜の電信柱」で電信柱が歩く話しがあるのはやはり電柱が何か今とは違って存在感があり人間的なものに見えたからかもしれない、


「ドッテテドッテテ、ドッテテド
 二本うで木の工兵隊
 六本うで木の竜騎兵
 ドッテテドッテテ、ドッテテド
 いちれつ一万五千人
 はりがねかたくむすびたり」


木の工兵隊、六本うで木の・・・ここで電柱が木であり電信柱が軍隊に見えたというときまさに文明が田舎の町に軍隊のように進出してくる様を描いている。まさに電気そのものが文明化するものだった。


はじめて電燈がついたころはみんながよく、電気会社では月に百石ぐらい油をつかうだろうかなんて云ったもんだ。


月に百石ぐらい油をつかうだろうかなんて云ったもんだ。つまり電気を起こすのにどれくらいの資源を使うのか当時の感覚で計算していた。百石と計算するのはまるで江戸時代の感覚が残っていたということである。電気もその頃人間的感覚でとらえようとしていたのである。
現代ではあらそるものが人間的感覚では計り得ない世界となっている。その規模も巨大であり電気を計るなどできない、特に原発になると全く素人には想像もできないアンタッチャブルな世界となっていたのである。


●人間的感覚でとらえられない世界の危険


現代の問題はデュ-イの言うように具体的な事物、存在から世界を把握できない、世界観を確立する場がないのだ。そして学校では非情に抽象的場としてあり現代文明を象徴した場所なのだ。そこで人間形成が行われない、むしろ村社会での場の方が人間形成しやすい、そこには確かに人間的などろどろしたものがあるがやはり人間的な場として社会を知り人間形成するのである。
学校ではやたら数字ばかりおいかける。理科系では数学でも物理でも化学でも数字が一番大事なのである。膨大な数字の世界として世界を認識する。それはまさに抽象的世界として世界を認識する。
それが最初の学問の場となっている。現代は極めてすべてが抽象的な世界であり人は数字化してとらえらているからまた学校も社会の一部だからそうなりやすい、数字的観念として社会をみるようになってしまう。

なぜ今の社会は人間形成されにくいのか?社会が見えないからである。社会での役割も認識できない、社会で自分がどういう役割を果たしているのか見えないのである。無数のパ-ツに細分化されているから労働もパートであり全体の役割を認識できないのである。そして今は自然にじかに接触して生活するより機械を通じて世界に接触する。これも抽象化をすすめる。機械を通じてみるものと現実の世界は違う。デジカメでも機械を通して新たに見えるものを作り出したことはあるが一方で機械を通じて見えるものと実際の人間の五感で感じ取るものとは違っている。人間でもインタ-ネットなどでは言葉だけのコミニケーションになると問題が生じる。生身の人間と接しないから誤解が生まれやすい。人間は生きた動物と牛でも馬でも接していればそこからじかに影響を受ける。機械とばかり接していれば人間も機械の性質を帯びてくる。機械社会は人間を機械としているというのもそのためである。だから老人は機械が苦手になるから社会から取り残されるということもある。抽象化している世界は老人にとって苦手なのである。認知症になると漢字を書けなくなるのもそのためである。文章を読めなくなるのも言葉が極めて抽象化されたものだからである。
現代が電気の時代というとき、電気がどうしてつくられるのか?それを知り得ることは普通はできない、


ボタンを押して家中を電灯の光でみなぎらせるのではなく照明をうる全過程は動物を殺してその脂肪を精製することから蠟燭のシンをつくってこれをシンの中にひたして


こんなふうにして照明が得られるということを感じることもできない、だから現代はあらゆる所で無駄が多すぎるのだ。照明をうるのにも動物が犠牲になるとすればさらに照明は貴重なものとなる。江戸時代の蠟燭もこれと同じ様に貴重だった。そういう感覚が現代から育ちようがないのだ。毎日大量のゴミをなげねばならない、ゴミの処理に追われている。電気もボタンを押せば使える、たから電気に対して貴重なものだという感覚が起こらない、魔法のように電気はボタンを押せば使えるという感覚になる。ところが実際は電気を作ることは途方もない労力と危険があったのだ。火力発電所にしても石油を手に入れるのに中東まで行って命懸けで得なければならないし原発でも一旦事故になれば国が滅びるほど危険なものだった。途方もない危険の中で電気がつくられていたのである。でもそれを認識する方法がなかった。現代は一個人など計り得ない世界で経済も動いている。


●数字化抽象化された文明社会の不安


原発はその象徴だったのである。放射能にしてもただ数字としてしか計測できない、これも極めて抽象化されたものであり人間的五感で感じえるものではない、ただ数字としてしか感じられないのだ。別に電気だけではない、あらゆるものが数字としてとらえられている。銀行に貯金している金でも実際は数字にすぎないという、だからいつかその数字はゼロとなっても不思議ではない、かえって米俵を蔵に積んでいるとか、何か物でもっている方が安心だともなる。

数字ほど頼りがないものはない、だから金持ちでも金だけもっている人は金持ちのように思えないだろう。土地をもって家をもって何か具体的な資産の方が金持ちなのである。昔の金持ちは山村でも山をもっていれば木材は資源であり売れるから金持ちなのである。そしてこの辺では補償金で金をもっていても土地が買えないと嘆いている。土地は高くなっているしそもそも土地は簡単に売らないから土地自体が手に入らないのである。そうしたらいくら金があっても金は役に立たない、価値がないとなるのだ。


昔の燃料だったら火をおこすのに大変な労力がかかった。薪であれ炭であれそうである。そしてその燃料の材料は近くの森であり山にあるから人間的感覚でとらえることができた。炭でも薪でも使うときは無駄にはしない、無駄にできないのが昔だったのである。山から薪をとるにも運ぶのにも燃やすのにもボタンを押してできるものではない、そこには人間の労力がかかっていることを肌で感じていた。前にも書いたけど人間でも自ら労働してみないと労働の価値を実感し得ないのである。汗水たらしてみないと労働の価値を実感しえない、家事でもそうである。今でも機械で便利になっても以前として人間の労力がかかり価値を生み出している。


電気は膨大な無駄が生じる。無駄をしても無駄を感じないのである。こうして文明がすべて人間的感覚から離れてゆくとき原発でもあるとき事故が起きてとりかえしのつかない事態になる。グロ-バルな影響すらある。世界が崩壊するという危機が起こる。誰も原子力発電の構造とか原理とか知り得ようがない、そしてある時突然事故が起こりメルトダウンして手のほどこしようがなくなり住むことさえできなくなってしまう。
便利すぎる文明は実は安価なものではなく安全なものではなく大きな危険がひそんでいた。それは世界を崩壊させるほどの危険でもあった。あまりにも便利なものを追求することは危険があった。
では江戸時代にもどれというのか?それはまた違った問題としてある。このように便利すぎる時代と過去を比べて現代を相対化する作業のなかで未来が模索され見えてくるものがある。

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2013年08月22日

東電から送られた原発賠償書類の混乱 (追加の精神的損害は南相馬市鹿島区は一人4万だけ?)


東電から送られた原発賠償書類の混乱

(追加の精神的損害は南相馬市鹿島区は一人4万だけ?)

精神的追加賠償一律8万円
http://chienowa.ldblog.jp/archives/24084861.html


精神的損害賠償の対象は2万4000世帯で、24年1月から8月の間に18歳以下だったか、妊娠していた住民が対象。また、事故発生時に旧屋内退避区域と南相馬市の一部地域に住んでいた妊婦と子どもについては、避難の有無を問わず支払う。


gennpatuhosho.jpg
 


最初にこの書類が来たから混乱した。ええ、70万もらえるの?前に百万くらい鹿島区ではもらっていた。これは市の財政から出したので不満があった。
ただ小高などが補償金が多いので平等にしろということであえて市長が市の財政から負担した。

今回来たのは東電からだった。赤枠で70万と書いてあるからここも70万なのかと思った。それで何度も電話で確認したが取り次ぐ事務の人がはっきりしない、これは三人に聞いたが言うことがみんな違っている。
おかしいと思ったのは取り次ぐ人が賠償について明確に知らないのである。

「鹿島区に住んでいれば70万、精神的損害もらえるのですか」
「その点は明確に答えられません、」
「とういう基準で決めるのですか」
「それもこちらの方では決められません」
「公平にしてもらわないと困ります」
「それはそうですがなんともいえません」
「鹿島区に事故のあったときに住んでいた人はもらえるのですね」
「一応そうはなっていますが・・」
「本当にもらえるのですか」
「それははっきりいえません」


こん問答がつづいた。最初から70万もらえるとか思ったから強く問うたがそもそも取り次ぎの人は知らないのである。
おそらく東電でも賠償する方でも賠償する方でも相当混乱している。
鹿島区はすでに損害として一所帯百万とか賠償されていた。
それに加えて賠償されるのかと思った。結局最近新聞読んでいないので賠償のことがわからなくなっていた。

24年1月から8月の間に18歳以下だったか、妊娠していた住民が対象。また、事故発生時に旧屋内退避区域と南相馬市の一部地域に住んでいた妊婦と子どもについては、避難の有無を問わず支払う。

この人たちが賠償の対象と書いているのだからそう書いておけば良かった。
取り次ぎの人はそれを知らないのか言わないのだ。
「どういう基準で審査するのですか、鹿島区に住んでいれば70万払われるのですか」
と何度も聞いたのに答えがなかった。そもそも賠償の取り次ぎのなのに知らないのというのも変なのである。アルバイトのようなものを雇っているからわからないのだろう。原発賠償は東電でも被害者でも混乱しているために
書類の送り方でも混乱している。

最初に精神的損害70万と来たからこれをもらえるものかと思って何度も電話したがもらえるとは限らない、どういう基準でもらえるのかと何度も聞いたがわからないという。
ここの記事にははっきり書いてあるしそう書類にも書いておけばよかったのである。そもそも70万は額が大きいと思ったから何度も聞いたのである。
実際は妊婦でもない18歳以下の人がいなければ精神的損害は一律一人ここでは4万なのだろう。最初から追加の補償が四万の書類が送られてくればこんな混乱はなかった。


ただ鹿島区では精神的損害でも住民が法廷に賠償を請求している。4万だと少なすぎるからだろう。それでも原発の賠償金は3兆円になるとかあまりにも莫大すぎる。それは国の補償であり税金となると国民からの反発もある。
賠償金で国がつぶれるとかなればもう出せないとなるだろう。
すでに東電は補償金をはらえきれず国有企業にした方がいいとされるのもわかる。
原発事故はとんでもない賠償金を払わされる羽目になる。国にそれたけ請求するとなるとまた国民の反発も大きくなるのである。
鹿島区で一人70万となると大きい、やはり妊婦と18歳以下が基準だと明確に書いてあればこんな混乱はなかった。ただもう一つのこの辺の情報が不足していた。


また今度は他人のもめごとにまきこまれて混乱して賠償金でも混乱した。
何かここ6年間介護で自分の病気で親戚関係で賠償などで混乱が収束しないのである。原発事故は十年間は国が入り工事とか除染とかいろいろつづくと外部から来た人が言う。それだけの大事故だからなかなか収束しないのである。
一身上でも次々に自分は問題が起き続けているのだ。

 
 
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2013年09月01日

津波の前に起きた南相馬市などの事件 (モラルの荒廃が津波を呼び起こした?-インターネットで発見した自分と同じ感想)


津波の前に起きた南相馬市などの事件

(モラルの荒廃が津波を呼び起こした?-インターネットで発見した自分と同じ感想)




東仙坊、その事件のことを知らなければ、福島県南相馬市なる地域に関し、全く想像する術もなかった。
しかも、その事件が公開捜査になったのは、3月11日の地震発生のちょうど1週間前の3月3日。
やはり、どこかその事件が今回の大震災、そして大震災後の卑怯で卑劣な犯行ともコネクトしている気がするのだが…。
きっとこのままでは、天の怒りを抑えられないと思うが、どうだろう?


2月19日の午後6時ごろ、福島県南相馬市原町区桜井町に住む、福島県立相馬農業高校3年女子生徒(18歳)が、「男友だちと会う」と家族に伝え外出。
その後、家族に携帯電話のメールで「これから家に帰る」と連絡があったが(?)、いまだに帰宅せず、携帯電話はつながらない状態。
2月21日(??)、家族が福島県警南相馬署に「娘が帰らない」と捜索願。
失踪女子高生は、身長約160cm、中肉で面長、髪は黒の直毛で肩まで伸びていて、外出時の服装はカーキ色のフード付きジャンパー、灰色のスエットズボン、サンダル履き(??)。

そこで、親が知っていたのか(?)、会いに行ったはずの20代男友だちに、警察が任意で事情聴取。
そのオトコは、「女子高生とつき合っていた(?)。2月19日夜に数時間会って別れ話をした後(?)、市内で車から降ろし別れた」とその日に会ったことを認めたが、その後、自宅近くで自殺しているのが見つかったというから、???
また、南相馬市内の海岸で、オトコの車が焼けた状態で発見。
さらに、女子高生の所持品も見つかっていない。


この「福島県南相馬市女性歯科技工士失踪事件」の被害女性の車の状況と、「茨城県北茨城市女性殺人事件」の被害女性の状況は、極めて酷似していると思わないか?
そして、こんな卑怯で卑劣な犯行が簡単に行われてしまう風潮に、天が怒っていると思うのだが…。
実際、昨日からメチャクチャ群発している地震の震源地である「福島県浜通り」って、福島県南相馬市付近では?
も、も、もしかして、今回の大震災で、この「福島県南相馬市女性歯科技工士失踪事件」の被害女性(?)、「福島県南相馬市女子高校生失踪事件」の被害女子高生(?)の亡霊(??)が出てきたりしたら、そのうえ、そのドラムスコの店や家族が、自殺したオトコの家族が改めて被災していたら、ますますそう思えてこないか?


これだけ日本中が、襟を正し、極めて真摯な気持ちで、それこそ燃えるキャンドルの炎を見つめながら、命の大切さ、命の儚さを再認識しているときに、こともあろうにその被災地で、略奪だけはさすがにないものの、窃盗、空き巣、強姦、そして、卑怯で卑劣な殺人を犯す人非人が現れ、メチャクチャ暗澹たる気持ちにさせられているのは、東仙坊だけではあるまい。

(この機会に、経済復興よりも、モラル再生を優先すべき)!
http://tohsenboh.blog41.fc2.com/blog-entry-1206.html





津波の一週間前に萱浜(かいはま)で女高生が行方不明になり男が松林で自殺した。これは津波が来る直前のできごとだった。その後行方不明の女高生は死体で発見された。そして一週間後に津波がきて萱浜(かいはま)は悲惨な状態になった。このことが津波と何の関係があるのか?つまりこういう事件と津波を関連づけて考えている人はまれである。津波は自然の法則のように起こるものであり人間のこうした事件と関係ないと思っている。
でも自分も最初から人間の怨念が悪い念がたまりにたまってその悪い念を一掃するために津波が起きたと前に書いた。ただ個々の事件と津波を結びつける人はまれである。それでもこうしたことを考える人がいることはインターネットならではのものなのだ。なぜなら常にキーワードで探しているから同類のものを探すことになるからだ。これはやはり自分と同じようなことを考えていたなというものにあたる。

日本の災害をモラルの荒廃のためだとしたことは新しい考えではない、古くからあったのである。
それはノアの洪水からはじまっているから新しい考えではない、なぜこんな巨大な災害が起きたのか?
それが明らかに人間側にあり人間の罪が積み重なってもう自然界から神からみたとき許せないとなり巨大な自然災害が起きてくる。台風のような災害と今回の津波のような災害は違っている。
津波はノアの洪水とにていたというとき本当にそういう恐怖を味わった。原発事故も一緒になり本当に人類の最後が来たのかと恐怖した。人類滅亡の恐怖でもあったのだ。


天変地異が人間の責任として道徳的に理解されていたように衣食住の恵みも福祉も点の恵みあるいは神仏の恩寵として理解させられていた。(日本倫理思想史-和辻哲郎)


古来こういう思想は世界的にあった。天皇とは本来は天地の神に祈りをささげ災いをもたらさないように祈る司祭だった。だから天皇は権力者ではない、司祭だから精神的シンボルとなりえた。神道でもあかき心というときすなおな心というときその心が正すことにより神に仕える。そうしたあかき心とかなおき心とかが喪失するとき災いが起きてくる。天皇が災害地を巡るのは日本の国土の平安を神に祈るためなのである。具体的な復興事業は政治がするものだが災害をまねがれるためにはそれだけではできない、どんなに防波堤を高くしても津波は越えてきた。人間の技術には限界がある。原発にしても科学という人間の奢りが災いをまねいたのである。

現代のモラルの荒廃は極点に達していた。単なる技術の問題ではない、モラルの荒廃、人間の欲とか科学者の奢りでもそうしたモラルの荒廃があり津波が天罰のごとくもたらされた。今は科学の時代だからそんなことがあるのかと否定するがやはりあかき心やなおき心の人が多ければ多いほど自然と和み平和が増進される。
それが江戸時代だったのである。もちろん盲目の人が栄養失調で一割いたとか暗黒面はあった。ただ比較的大災害が少なかった。だから江戸時代は戦争もない、大災害もない平和がつづいた。その前は戦国時代であり南北朝騒乱の時代でありその時も慶長津波のように大災害があった。そして明治維新以後は関東大震災とか大きな災害もあり戦争でも3百万人以上が死ぬという災難の時代だったのである。西欧文明が入り物質的には豊かになっても技術的には進歩しても人心は乱れる荒廃する時代だったのである。もちろん日本人のモラルとなったあ
あかき心とかなおき心などはない、ただ利だけを追求する心しかなくなった。きたなき心しかなくなったのである。
戦後でもアメリカ化一辺倒になったこともアメリカの物質至上主義と金だけが価値観となりただ人は金をもうけるものが偉いとなり何もモラルが喪失したのである。明治維新後日本人の人心の荒廃は極点に達していたとき今回の大津波が起こったのである。そういう時代的には末世になっていたからこそそうした天変地異も起こるし外国からの驚異もましてくるのである。

人間に災いが起きるのは「人間の力で恵みがもたらされた、ゆえに栄光は人間にある」こう思うとき人間に天罰が下る。ネブカドネザルが正気を失う直前に自慢して,「この大いなるバビロンは,わたしが自分の偉力の強さをもって王家のために,またわたしの威光の尊厳のために築いたものではないか」と語った

こう思ったときこの王は正気を失い牛になったのである。バベルの塔も神の怒りにふれて崩れた。今回の原発事故も神の怒りにふれたのである。そこには科学者からあらゆる原発を推進した人たちが裁かれた。国にも大きな責任があったしその恩恵をこうむった地元の人にもあり官僚にもあり政治家にもありあらゆる人にあったのである。いかに人間にとって奢りが危険なものになるかである。神のような力をもつ・・・科学者はそういう奢りになっていた。それが無惨に打ち砕かれたのである


自分の個人的ことに関してもふりかえると信じられないことの連続だった。それは身内の一人が認知症になったことからはじまったのである。認知症自体も本当に不可解な病気であり未だに訳のわからない病気だった。しかしこれにもモラル的なものがあったのかもしれない、自分の身内のの場合は確かに冷静にみればあった。身内だからなかなか客観的には見れないがモラル的に問題があった面はある。ただ功罪があり身内だから客観的に評価するのはむずかしい。いい面と悪い面があったからだ。
個々の犯罪のことをとりあげたが自分もむごい犯罪にあった。今までは人間はみんないい人だとのんきに楽観的に見ていた。今はそうみない、これほど人間はひどいのかとここ六年間の経験で変わってしまった。

だから犯罪にあってから毎日その犯罪者をのろい憎みつづけた。それは自分でも激しいものだった。やはり金の恨みは一番大きくなる。それは具体的だからそうなるのだ。津波が起こるまで呪い憎みつづけた。そうしているうちに津波が来たことに驚いたのである。だから南相馬市の萱浜(かいはま)で津波の直前に起きたことが津波を誘発したというのも自分の体験と共通していたのである。何か現代は凶悪な犯罪が続発していないか?
それは人間のモラルが喪失して人間が欲望の野獣化していて歯止めがなくなっている。一人一人が他人は狼だともなっていないか?そういう野獣化したモラルもなにもない社会への罰として警告として津波が起こったというのも当然だとも思うようになる。ただこういうことを指摘する人はまれである。実際に津波や原発事故以後も
東電の幹部はみんな外国の東電関係の会社に入り安泰であり誰も責任をとらないのである。補償金問題でも欲むきだしになり地元でももめているようにその後もやはりモラル的なものは荒廃している。
そしてこの後モラルが改めることもないとき、どうなるのか?さらなる巨大な津波か、災害が日本を襲ってくる。世界にも襲ってくるのではないか?なぜなら別に一向にモラルは改まらないしかえってまた補償金でもめているように南相馬市はまた津波の前の事件があったようにそういう状態に戻っているからである。

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2013年09月03日

南相馬市で起きている小高、原町、鹿島区の対立 (住民エゴが復興をはばんでいる)


南相馬市で起きている小高、原町、鹿島区の対立

(住民エゴが復興をはばんでいる)


●住民エゴのキーワード


本当に「自分さえ良ければ・・・」「自分の為には、他人が譲歩すべきだ・・・」みたいな、自己中心的な思考回路の連中が多くて息苦しい時代になってきましたね。
http://damasareruna.blog65.fc2.com/blog-entry-980.html


本音を云えば、基地を撤去せよなんて地元の人々は思っちゃいない。わざわざ基地の隣に住んで庭に鉄塔を建て、ひたすら戦闘機の離着陸を邪魔する連中だって、騒ぎを起こして補償金をせしめようと企むだけで、基地がなくなると逆に困る。かって基地周辺の学校を移転させようと県が決定したら、住民から俄かに反対運動が起こったと云う
http://yohkan.iza.ne.jp/blog/entry/2491564/


原発をこの地に誘致した旧浜岡町時代の元町長は桜ヶ池のある池宮神社の境内で銅像となってその功績を称えられ、その次の町長は浜岡原発が5号機まで建設されたことに対する大功労者として、中部電力から毎月30万円という慰労金が支払われている。この金は、生涯受け取ることができるのだという。このように、この地では原発の功労者は篤く報われ、原発に異論を唱えるものはアカではないかと後ろ指を差され、ひどい場合には村八分にされたのだった。
http://www.janjanblog.com/archives/29147


住民は、「お金をもらえればよい」「補助金をもらえればよい」と思っているだけかもしれないが、そういう風潮が蔓延したならば、政治家が、自分が当選するためだけのバラマキ政策をやり続けることになり、国全体としては赤字体質になってしまう
http://blogs.yahoo.co.jp/tosimitu1962/14138330.html

いつまでも地域エゴを許容し、ガレキの処理もできないようでは、
日本という国は立ち直れない
http://kunimatu.seesaa.net/article/253241479.html


住民エゴのキーワードで調べるといろいろでている。一番出ているのは沖縄である。沖縄は常に基地問題で政府から援助されている。基地のあるところに住んでいた人は東京で贅沢な暮らしをしているといわれるのも基地に土地があった人の補償金は大きいのである。だから表面的に反対しても実際は基地があってほしいとなる。
その補償金が大きいので原発地域でも同じようになっている。原発が建つ前に利権があり建ってからも利権があり事故後も利権があった。その一番の利権を得たのは浜通りの漁業組合だった。請戸に原発御殿が建ったとかいわれるのもそうでありそれが相馬市の磯部でもそういう人がいた。漁業組合に入っている人は船主だったらその利権は大きかったのである。そして今では海は汚染され漁業は壊滅的打撃を受けた。


漁師の人が「自分がどうしてこの浜にいるのかわからない」とテレビで言っていたが漁師なのに魚をとらないとしたら自分はなんなんだという疑問が生まれた。でも手厚い補償金がでているから別に生活には困らないのである。補償金で暮らせるけど魚をとらない漁師は漁師なのか、ただ毎日海をながめて何もしない、それはもう漁師ではないだろう。農家でも補償金がもらって働かなくてもいいにしても毎日暇だからパチンコばかりしていたら農民なのかとなる。働くということが単に金を得るという行為ではない、自然界の中で働くことは第一次産業は自然と直接かかわるものでありその仕事自体が他の仕事と違っていたのではないか?何かそうした根源的なことが問われたのが津波であり原発事故だった。


●鹿島区が一所帯百万もらえたのも住民エゴだった


鹿島区の人たちが小高区の人が仮説に入ったとき、土地を貸しているのだから小高区の人と同じように補償金をもらえるべきだと訴えて桜井市長が市の財政から鹿島区の人たちに一所帯百万払った。これも批判された。
これも鹿島区の住民エゴだったのである。最初は義援金とかで払われるのかと思った。でも最近精神的損害として鹿島区にも一人十万七カ月分はらわれることになった。これは原町区ではすでにもらっていたのである。
その不満が鹿島区にもあったから訴えて東電でも政府でも補償するようになった。この補償金と政府や東電からの補償金が性質がまるで違っていた。南相馬市の財政からでたというときそれは南相馬市全体のために使うべきものだった。そのことにより南相馬市全体で不利益をこうむったのである。それは鹿島区の住民エゴであった。でも自分も得したからいいと思っていた。それでも今になると別に一カ月十万を七カ月補償されるとなるとこの金は大きいと思った。すると鹿島区の人たちの住民エゴは間違ったものだと思った。

なぜなら実際は南相馬市全体のサービスに使うべきものであり鹿島区の住民のためだけに使うべきものではない、市の財政からは出すべきものではなかったのである。それは鹿島区の住民さえ得したようで損したのである。なぜなら南相馬市全体のサービスに使われるものが鹿島区の住民にも使われなくなるからだ。

ここまで深く考えが及ばなかったのか、議論がたりなかったのか?
今回はいろいろ混乱していて事情がのみこめない人がかなりいると思う。
もっと情報を伝えて議論すべきだった。それは議員レベルだけではない、南相馬市全体が一つの家族のようになり家族会議を開き喧々諤々になっても議論してみればどういうことなのか理解できたのである。
つまり今南相馬市の問題は直接民主主義のようなことが必要でありもう議員や市長や役人だけでは解決つかないのである。市長は鹿島区の住民エゴに応じるべきではなかった。

それだけの財政支出をどうするのか,家族会議のようなものを開けばそう簡単にそんな巨額の金を鹿島区の住民のために使えなかったかもしれない、何を優先順位にして使うべきかが今や問題になっている。

つまり一番困っている人を優先順位にしなければならないし仕事にしても医療が第一ならそこに金を使ったりするべきなのである。津波で家をなくした人なども優先順位として高いからそこにこそ予算を組み金を有効に使うべきだったのである。何でも平等というのは結果的に不平等になっているのが民主主義になってしまった。
みんな一様にするのが平等だということではない、実際に一番困っている人が優先的に援助を受けられるべきだからである。結果的に鹿島区の住民エゴで鹿島区の人が得したようで損もしたのである。
なぜなら南相馬市全体としての財政が減ったのだからそれだけ他のサービスが受けられなくなる。老人だったら介護関係とかそうした施設の建設にも金が回らなくなるから南相馬市に住むことは老人にとって損だとなる。


結局南相馬市は本当に小高区-原町区-鹿島区に分断されてそれぞれの思惑が入り乱れてエゴがむきだしになっているのだ。だから合併したのは損だったと鹿島と小高では言っている。小高は小高の事情があり鹿島には鹿島の事情が生まれたからである。ならば小高は小高町としてしまとまり国でも主張すればわかりやすい、ところが小高、原町,゛鹿島は事情が違うのに南相馬市として一つのものとして考えるからわかりにくくなったのである。そして原町区だけが得しているというのはそもそも南相馬市は原町区中心にあるのだから当然そうなったのである。


●やっかいなお荷物となった小高区


南相馬市で一番の問題は小高区である。ここは人は住んでいないしこれからも住めるかどうか見えてこない、帰らないという人も多いし、帰るところではないというし自ら帰らないのだというのもある。住むことをあきらめている人もかなりいる。小高区は小高区全体が一時人が住まなかったし今も住んでいない、会社もなくなり働く場所もないし病院もないしと鉄道も通らないからそんなところに住めるかと言うのもわかる。
一方で家や田んぼ土地がある人はが多いから帰ってもう一度住みたいという人もいる。

津波の被害にあった浦尻の人などはもう住む場所もないから鹿島区で土地を探し家を建てたいと言っていた。
あの家は一週間で建ったんだよとかうらやましそうに言っていた。暇だから家を建つの見ていた。
土地がなくて土地が売ってくれる人がなくて家が建てられないとしきりに言っていた。
鹿島区ではすでに百軒くらい新築になったように見える。だから鹿島区は活気がでている。人口も外部からの人もあわせると三割以上増えたかもしれない、浪江の人も来ているし大熊の人も家を建てたとか言っている。
一軒は旧式だけど立派な家だった。あとは最近の組立式の家だった。


小高区の人たちは南相馬市民としては今ややっかいなお荷物となっているのだ。ただ補償金が多くもらえるとかやっかみの対象にもなりそれで鹿島区の人たちも訴えて補償金がもらえるようになった。
小高区の人にすれば鹿島区にいても原町区にいても肩身が狭い、これは原発避難民はみんなそうなる。
仮設住宅から外に出ないという人もテレビで放送していた。仕事もせずぶらぶらしていると何をしているのかと見られるからそうなる。一方ではパチンコ屋通いや飲み屋で札びらを切ったとか批判される。
普通だったらそんなことをひかえるのだが何もすることがないからそうならざるをえない事情もある。補償金をもらっても仕事がないということもこの辺では問題になっているのだ。


漁師が一体自分はこの浜で何でいるのかわからないということがそうである。魚をとることがないなら補償金で暮らしていても自分は何なのだとなる。それは農業関係者にも言える。
自分の仕事がなんだったのかも問われている。普通だったらそんなことか考えない、むずかしいことなど考えない、でも「魚をとらないならこの浜にいる自分は何なのだ」と問うときそれは哲学的問題になっているのだ。
仕事の根源的意味を問うているからだ。仕事は金だけではない、人間の根源的な問題として今までもあった。
金を得るというだけのものではない、ただ普通はそんなことを問うことはない、魚がとれれば喜びとれなければがっかりすくというだけであった。それがそもそも魚をとることもないで日がな海をながめてるだけなら自分は何なのだと問うようになったのである。

南相馬市民として合併したのは日が浅いから小高ー原町ー鹿島と言っても一体感がまだ作られていない、それも影響しているのかもしれない、でも同じ南相馬市民となったときそういう連帯を作るのはこれからであり歴史を作るのはこれからだとも見れる。それもあっても小高区はやっかいであり切り捨てた方がいいとかにもなる。

小高区の住民をみんなかかえこむことは原町でも小高でも重荷になる。土地の問題にそれが一番現れている。
土地は限られているから小高に帰って住んでもらいたいと市の方で言うのもわかるのである。
小高の住民は小高に住むようそれぞれみんなで努力してほしいとなる。小高の人たちが小高を放棄すれば土地がもったいなとなる。南相馬市全体でもかなりの経済的損失になる。だから小高の人たちは確かに多額な補償金をもらっても自らの住む基盤を失いもてないとすると苦境にたたされている。それもまたそこに住む人の宿命だったのだろうか?原発事故に距離に比例してその苦難を負わされたのである。


●原発が作られたのも住民エゴだった


原発そのものが住民エゴから作られていたのだ。原発が作られれば町が豊かになる。その一点で町は団結できる。小高町は合併する前に小高町の住民エゴで東北電力の原発が建てられることになっていた。南相馬市に合併してからそれはすでに小高町の時に決められていたから引き継いだ。しかしこのことがもし合併後に問題になったら簡単に決められなかったかもしれない、なぜなら原町区が入るとそこは5万とかの人口がありそれなりに反対勢力もでてくるからである。そうした知識人もいたし勢力もある。小高区になると狭い地域だから反対派は村八分になりつぶされてしまう。でも原町区が入るとそうはならない、原発が住民エゴで決められていたことがそもそも間違いだった。漁業組合にしても一つの団体エゴだった。全体のことを考えてはいない、自分たちだけが得すればいいというだけである。漁業組合の会合で原発事故以後も汚染水問題でもめていて海に流すことを反対していた人がいたがその人も少数派であり全体の意向としては海に流すのもしかたがないとなっていた。

それも東電の補償金がからんでいるのかもしれない、まず原発事故以後も漁業組合には莫大な補償金が流れているからだ。

結局こうした団体組織のエゴがあることはやむを得ない、地域エゴもすべてが悪いとはならない、ただ民主主義が機能していない、そのエゴを主張するなら漁業者だけが住んでいるわけではない、その漁業者は実際はわずかな一部なのである。第一現代は地方でも第一次産業は漁業でも農業でも木材業でもこの辺でも全体の生産の一割にもみたない、そうだからこそ常に漁業だけでやっていけないとか、農業だけでやっていけないとか、跡継ぎもできないとか言われてきた。それだけの収入が得られないからそう言われてきた。その一割にも満たない、漁業組合の人達が原発では大きな利権を得ていたのである。ではあとの9割の人たちはどういう人たちなのか?
それは大方会社員であり直接漁業組合の人たちのように原発の利権にあづかることは少なかったろう。


結果的には事故になり一番打撃を受けたのは第一次産業の人たちだった。魚もとることもできない、米も作ることができない、森林も汚染されたから木材も売れないとか第一次産業が一番打撃を受けたのである。
でも現代は第一次産業主体の経済ではないからそれで致命的打撃とはならない、会社が存続すればまだ成り立つ、米とか外部から仕入れても安いからそれほど打撃を受けていないのである。六号線とか常磐線が寸断されたことが一番打撃だったのはそうした広域経済圏の中に組み入れられているからそうなったのである。

いづれにしろ本当は南相馬市は膝つきあわせてそれぞれの問題を話しあうことが大事なのかもしれない、ただそれぞれのエゴをむきだしにしても今の問題は解決しない、自分の得ばかり考えても解決しない、そういうことは自分にも言える。どうしても自分のエゴが優先される。でもお互いに話し合いないことには相手のことを見えてこないからそうもなる。
ともかくこの津波原発事故以後この辺が様々なテーマをもつ地域になった。民主主義がどうのこうのというのもそうした話し合ってこそ見えるものがあるからそうなる。それはあまりにも様々な深刻な問題をかかえる地域になったからである。

 
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2013年09月04日

地方政治の堕落が原発事故にも結びついていた (議員も生業化して利権追求のみとなった)


地方政治の堕落が原発事故にも結びついていた

(議員も生業化して利権追求のみとなった)


どこの党も避けて通る現代日本が抱える3大問題B ・・・地方議員の生業化の残念さ
http://damasareruna.blog65.fc2.com/blog-entry-1073.html


※日本の地方政治が腐っている根本原因 → 「議員の家業化・生業化」
 
日本の地方政治のレベルが異常に低いのは、議員が専業化し、家業・生業となっているからに他なりません。
大して決めることもないのに(諸外国なら無報酬ボランティアでできる程度の仕事)、昼日中から、大の大人が何十人も集まって、ミミッチイ公金の使い先を考えてるだけ・・・

こんなモチベーションの上がらない仕事を生業にする人間の資質など、たかが知れているので、・・・

→ 地方議員の人的レベルは、非常に低い。 
→ ロクなことが出来ない、ロクなことをしない。
  (そもそも地方議会など大してやることないのに、専業議員なので、研修という名の観光旅行や談合で時間つぶし・・・)
→ 家業・生業化しているので、政治信条・主張などよりゼニ・カネ(生活)優先
→ 与野党もなく、利害共通 オール与党。全く牽制効きません。
→ 政・財・官も癒着、腐敗しまくり、公金ムダ使いし放題
→ 二世議員や役人出身の天下り議員が再生産され、永久機関のように悪循環!



このサイトの指摘は盲点をついていた。「住民エゴ」のキーワードからリンクして見つけた。
なぜ原発事故が起きたのか?原発が作られたのか?
その原因を追求してゆくと様々あるにしろ地方政治の問題もあった。
それがすでに地方政治が地方議員などが何の役にも立たない、政治として機能していない問題があった。
その主要な原因が実は生業化した給料も安定して年金までもらえる利権としての職業となっていたことだという。議員は昔のように土地の有力者が金持ちがボランティアとしてやるものではない、明確に職業として給料を得るためでありその給料も今では大きいから議員を目指すという人が主流となった。
一見それはプロ化していいことではないか?
ところがかえって給料が報酬が確実にもらえるから議員になりたいという人が主流になったとき、その報酬の方に目が奪われて議員に立候補する。そこに議員になる動機が不純なものとなっていた。


人間は働くというとき前にもベーシックインカムについて書いた時、そのことを指摘した。
ベーシックインカムとは働く明確な動機がないなら働かなくてもいい社会である。
それは昔、議員が名誉職として自腹をきって金持ちの人が故郷に尽くしたいという動機でしていたのとにているのだ。給料を得る必要がないのだから純粋にその動機のために仕事することになる。
だからボランティアという働き方はその動機にかなった働き方にもなる。
被災地の何らか役に立ちたいというときその動機は金を得るためではないからだ。
働くというとき本当はその動機が重要であり動機が不純だと結局、利権が自分の利益だけを追求するようになる。

地方政治が堕落して機能しなくなったというとき議員もそうだし住民エゴでもそうだったようにエゴの利益、利権だけの追求になる。政治は今や利益、利権の追求が目的であり議員も議員になれば名誉も得られる金も得られる権力がもてるとなりなる人が多数である。その原因がボランティアではなれない、それだけの経済的余裕がないからそうなっているのだ。だから民主党の鳩山由紀夫が財閥で金を出して民主党を作ったときそれはボランティアであり自分の利益を得るためではないからかえってそれが悪いものとはならない、小沢氏がいつも悪者として批判されたのは鳩山由紀夫のように政治資金をもてないからいかがわしい献金でもとらねばならないからそうなっていた。ボランティアにもいろいろ批判があるけど自分の利益を求めないのだから動機が純粋だとなる。


そして地方政治は左翼系に蹂躙されて支配されているとか言われるのも地方政治がある一部の団体の利権の場としてただ利権を利益を得る場としてのみあるようになったからそうなる。公明党でもカルトの創価がバックにあって利権追求になっている。共産党でもやはり自らの団体の利権追求の場として地方の政治を蹂躙する。もともと江戸時代は寺は役所化していて利権を一人じめしていた。僧侶が俺は宗教の専門家だというときこれも利権化していた。宗教の専門家が堕落の原因だった。京都辺りではやはり観光利権として寺があり僧侶がある。
これもすべ利権化した職業化したからそうなったのである。戒名利権もそうである。宗教自体職業化することが間違いだった。それはカトリックの歴史が語っている。
全く宗教が政治化して利権化していたからである。土地所有などでも教会が利権をにぎったとかこれは仏教の僧侶組織が利権化したために
権力掌握を目指す信長と争うことになったのである。
要するに政治は権力追求であるからしかたないにしても共産主義政権も中国では露骨に賄賂政治になったようにそれが政治だからとめようがないというのもわかる。
そうした地方政治の行き着く先はただ利益を得ればいい、利権獲得だけが問題になる。もしボランティアの金持ちなどが議員だったらそうはならない、金持ち喧嘩せずというように自らの利益を得ることではない、余裕をもって政治に参加できるし主張もできる。もちろん政治には利権利得から離れられないにしても別に議員やめても経済的に困ることはないのだから主張は通すことができる。


これはマスコミでも同じである。スポンサ-が会社でありカルト宗教団体でありそうしたものの宣伝であり宣伝機関になっているから東電のような巨大スポンサーは批判できない、新聞を出すには金はかかりすぎるし本だって流通させるとなるとそうなる。マスコミが何らフクシマの原発について批判できなかったのはよって立つ基盤の経済力がないからである。それはすべてのマスコミに言える。新聞やテレビは金がかかりすぎるから巨額の金を必要とするから大会社やカルト宗教団体や組織、団体の応援がないとできないからそうなる。
インターネットだと問題はあるにし無料でも報道できるからしているのである。そこには利益を得る給料をもらえるからということはない、かえって自ら支出してもそれも無料と同じだからみんなしているのである。
だから意外とインターネットの報道には真実をつくものがある場合がある。
今回のサイトでもそうだった。これは誰も指摘していないというときそうなのかと納得したからである。


なぜフクシマ原発が作られ事故が起きたかというとこういう政治の構造があった。すべてが漁業組合でもそうだし地方の議員でもそうだしただ利権、利益の獲得を第一として政治があることにあった。それで富岡町長の5億円の金庫が津波で流されて拾ってくることを頼まれたとかの噂になったのである。
相馬市の議員にも義援金が200万円支払われたとか市長が殴られたというかのもそうである。
議員も利権、利得追求しかないからそうなる。ボランティアの金持ちだったらそんなものいらないよと拒否できるがそれぞれが議員が生業であり家族を養わねばならないとなるとそういう利権のみに敏感になり公の目的はないがしろにされるのである。

ともかく原発の利権は莫大なものでありそこに地方政治はもう利権が利得が第一としてのみこまれしてしまったのである。住民ももちろん利益を求めるからそうなる。それに逆らうものは村八分にされてその町に住めなくなっていた。こういうすべてが利権構造と利益を求める結果として原発が作られ事故にもなった。
東電でもコストカットを第一として安全を計らなかったし政府も官僚も安全を計らなかった。東電では金がかかるから安全対策は後手後手になっていた。官僚も監督しないで東電への天下り先として見逃していた。
すべてが利権利得として追求するから必然的に大事故になったともいえる。
だからそうした人間の限りない欲に対して自然が神が怒ったのかもしれない、原子力発電は魔法のようだけどきわめて極めて危険なものだということを専門家でも知っていても知らせなかったのである。

エネルギーとは簡単に手に入るものではない、それは江戸時代からロウソクがどれだけ貴重だったとか書いてきた。明かりをともすことは相当な贅沢なことだった。それが電気の時代になったときあまりにも簡単にエネルギーが得られるので忘れてしまったのである。

家事をやっていてジャガイモはなかなか煮えない、するとIHヒーターでもガスでもかなりのエネルギーを消費するなと思った。一人分とか二人分だとジャガイモ一個二個をにるのにもったいなとかなる。現代のエネルギーの浪費は個々の家庭でエネルギーを消費するからそうなっているということにも気づいた。ジャガイモをたくさんにて大勢で食べた方がエネルギーを浪費しない、風呂でも銭湯屋があったらみんなで入るからエネルギーを浪費しない、一軒一軒になるとそのエネルギーの消費がどのくらいに拡大化したか想像がつかない、それだけエネルギーを浪費する贅沢な時代になっていた。電気は便利だからそうした経済感覚がつきにくいのである。


ともかく南相馬市などでももう市長とか議員レベルだけではもう解決できない、様々な問題が生まれた。
もともと地方政治は住民のために機能しなくなっていた。それが議員の問題でもそうであり要するにただ利権利得の追求が最優先されるだけものでありそれが原発事故に通じていたのである。

ベ-シックインカムの悪い例が原発事故周辺の市町村
(補償金で誰も働かず市町村は衰退、荒廃、消滅?)

http://musubu2.sblo.jp/article/68953307.html

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2013年09月10日

廃村になり人が住まなくなるとどうなる (原発事故で人が住めなくなった町村ーそこは幽鬼の住まいとなるのか?)


廃村になり人が住まなくなるとどうなる

(原発事故で人が住めなくなった町村ーそこは幽鬼の住まいとなるのか?)

村一つ消えにけるかな廃屋に祖母の写真や何を語らむ


祖母ありてこの家の歴史幾代や人は消えにし秋風の吹く


●廃屋に残された一枚のおばあちゃんの写真


 2009年2〜7月の大規模地滑りで、最終的に7戸32人が移転し廃村状態になった鶴岡市大網の
七五三(しめ)掛(かけ)集落でこの春、「再生の桜」が初めて咲いた。集落の中心部にあった渡部大吉さんの
所有地に今もある樹齢50年ほどのしだれ桜「大吉桜(通称)」の苗木だ。
豪雪と酷寒の冬を乗り切って咲いた再生の桜は集落に住んだ人たちの希望になっている。【佐藤伸】


廃村に残されたおばあちゃんの写真
http://fesoku.net/archives/6595298.html


どこの家でもその家の祖母とか祖父でも死んだ人の写真が飾ってある。自分の家にも50年前に死んだから余りにも遠くなってしまった。それでも写真が飾ってあり人が住んでいればその人は生きているのだ。最近はつくづくと父の写真とかを見ている。早く死んだので自分がまだ中学二年くらいだったので思い残すことがかなりあったみたいだった。「上の学校にあげてくれ」というのが遺言だったみたいだ。酒屋の丁稚奉公で苦労したから上の学校へ行けばいい暮らしができると思ったからそういったのかもしれない、明治生まれの人でその出自は葛尾(かつろう)村であり双葉の新山の酒屋で丁稚として働いていた。通帳を書いていたから字は書けていた。どうもまともに尋常小学校も出ていなかったのかもしれない、どうして筆で字を書けたのか不思議である。葛尾(かつろう)村のような所ではそもそも学校などその頃なかったろう。自分の父の印象としてはよく筆で字を書いていたということである。だから将棋盤や他のものにも自分の名前を筆で書いていた。


酒屋の通い帳も残っていてその字が残っている。明治生まれでは字を書けない人がまだいたのだ。その人は人に書いてもらっていたのでそのことで気を使っていた。江戸時代になるとさらに字を書けない人、読めない人はいたのである。日本人は幕末でも字を読み書ける人が多かったと外人が驚いてもそうでない人もそれなりにいた。その割合はわからないにしても遊女でも客の誘いの代筆してもらったりとかそういうことがあったから農村出となるとそういう人はいた。字をどこで習ったのか、葛尾(かつろう)村に寺子屋のようなものがあったのだろうか?寺子屋は古くからあった。鹿島区の町中の鹿島神社の脇の墓地はもともと神社であり次に寺になりそこが寺子屋の役割もしていた。そこに天保という字が刻まれてあり気づいていない、その碑の文字には暗誦するようにと書いてあるみたいだ。その頃の学習は暗誦することだったのである。今でも若いときは暗誦すること暗記が主になるから今とにている。


●時間軸で積み重ねられた歴史の消失


なぜこの廃村の廃屋の一枚の写真が印象に残ったかというとそこにはまだ生きた時の人間のぬくもりを感じた。これは写真のよう地も見えない、絵なのだろうか?何か人間的なあたたかみを感じる。
写真は何か冷たいものを感じるからだ。祖父とか祖母はその家の重みをになっている場合がある。
それが今は大家族でないからそうした縦のつながりが薄れてしまう。祖父とか祖母は今の家族ではかえってそれぞれ別に暮らしているのが多い。家族形態や住居形態が変わってしまったからだ。
これも封建的だとか批判されるがそもそも人間の歴史をふりかえれば近代化の百年はかえって異常なことが多い。異常を異常と気づかないのである。人類始まって以来からある習慣やモラルを伝統を否定することがどうなるのか真剣に考える人はいないだろう。でもそんなことを考えないにしても結果として事実として社会を変えてしまう人間を変えてしまうから恐いのである。民主主義なども全く利己主義であり何でも自分のためにだけ自分の欲望を前面解放して追求することになった。
民主主義が実はピュ-リタニズムから宗教から発していたという考察もあり資本主義も宗教から修道院から発していた。全く違ったものとして解釈してモラルの荒廃が起きたのである。

ここで考察するのは限界集落とか廃村とか廃屋が全国的に増えている。東京のような都会のなかでも廃屋が増えている。少子高齢化は深刻な問題なのである。村が維持できなくなる、村が消えるということが何を意味しているのか?それがまだよくわかっていないのだ。人間のいなくなった村が何なのか?それが今や現実問題として過疎化の限界集落で現実化しつつある。村の歴史でも鉱山とかのためにできた村は歴史が短いから鉱山がなくなるとともに消えるのもわかる。炭坑の村などもそうである。でも何か災害などで消えた村は違っている。そこには江戸時代からの歴史もあるかもしれないし一般的に日本の村の歴史は長い、そういう長い歴史をももつ村が消えることはその長い間で代々住んで来た歴史も消失する。東京の人たちはそんな限界集落は税金の負担だけだから消えた方がいいとか原発事故の周辺は住めないのだからもうあきらめて補償金もらって他に住めばいいとか簡単に言うがそういうものなのだろうか?人間は一代で考えればそうなる。ところが時間軸で考えるとき歴史になりそれは国の歴史でなくても家や家族は歴史である。家は歴史が必ずあり歴史に興味を覚えるのはその家の系譜であり先祖をたどることなのである。だから代々つづく家からは歴史家が出やすいかもしれない、自分の家は葛尾(かつろう)村の柏原から出たということが原戸籍簿を調べてわかった。名前も嘉永生まれの人で清吉とのっている。江戸時代までさかのぼれたのである。普通由緒ある家でなくても江戸時代まではさかのぼれるのである。


●人間は一代では作れない


家系の因縁のことも書いたが人間はそもそも一代では作れない、代々積み重ねて人間や地域も作られてきたのである。その家系にどうしてそれなりの人物が出たかをたどれば家系をみるとそういう人物が出たことがたどれる。家系的に良い家は何か良くなるように努力を積み重ねた家のなのである。
悪い家はどうしてもその家系に放蕩したものとか犯罪者とか交じり家系が乱れているからかもしれない、女性についても不埒なものがいたからかもしれない、これは数式のようには解明できないにしろ良い家系と悪い家系があり良縁とは良い家系につくことなのである。その人物だけではなかなか判定できないものがある。女性は特にその家の影響を強く受けるかもしれないからだ。

家族は横の関係でも兄弟姉妹がいて一つの社会である。一人っ子はそうでないから何か性格的に社会性が作られない、自分などがそうである。その横の関係もあるがなかなか理解しにくいのが時間軸の縦の関係なのである。両親から祖父母からその先祖のことはわかりにくいのである。これはかえって60代以降になると意識するようになる。意識せざるをえなくなる。なぜなら両親も祖父母もはんな死んで墓参りするだけに名てしまうから死んだ人のことを考えるようになるからだ。そうすると死んだ人が自分にどういう働きをしたのか考えるのである。

結局廃村や廃屋化するとこうした家の歴史も理解しにくくなる。古い家はその土地とともに作られてきたからである。一つの家がなくなる廃屋化するのと村全体が廃墟化する消失するのとことはまた相当に違っている。一つの家が消失しても村が残っていればそれほど深刻ではなかった。村全体が消失すればその影響は計り知れない、一つの家も全体の中に村という全体の中にあって存在しえたからである。その村自体が消失したらすべてが喪失する。時間軸で何百年と積み重ねた歴史が消失する。

歴史で積み重ねで作られてきたものが消失することはまた新しい土地で一代からはじめることはやりなおすことは容易ではない、何十代とつづいた農家などは余計にそうなる。野馬追いなどはそうした歴史を伝える祭りである。村が失われたらそういうものもなくなってしまう。するとそこに住むアイディンティティもなくなってしまう。人間が生きるということは時間軸で縦の関係で培われてきたのである。代々伝えられるものがありそれを継承することが生きることでもあった。それがなくなるときどうなるのか?現代のモラルの荒廃はそうした伝えられべきものが消失したということにもあった。新しいモラルが民主主義がモラルだというときそれもただ別の解釈になり個々人の自由な欲望の追求になったように新しいものはモラルは簡単に作れないことを実証しているのだ。


●廃墟のなかを幽鬼が彷徨う


短歌でも書いたけど一つの古い碑が道端にあるとするとそれに秋風が吹いて自分も老いたというときその碑と一体化している。ということはその場にある長い時間あるものと一体化する。それは人間が住んでいればこそなのである。人間が住まなくなったらその碑も見捨てられ誰もかえりみないし放置される。ただの石くれになってしまう。意味のないものとされてしまうのである。そういうものを博物館に飾っても活きてこないのである。その土地と一体化して長い間存在してきたからである。

村が消失したときそうしたものが見捨てられどうなるのか?幽鬼が彷徨う異様な光景となる。それは無数にある廃墟の写真をみればわかる。人がいなくなった村がいかに異様なものか?そこにはやはり人の匂いがまだあり人は離れがたくあり幽鬼となり彷徨っているのだ。地蔵であれ社であれ古い碑であれ人に見捨てられたことで幽鬼化しているようである。誰もお参りしない社や御堂や地蔵は逆に人間への呪いと化すのかもしれない、人間が住んでこそそうした歴史的に残されたものも生き続ける。廃屋に残された祖母の笑っている写真がそうであった。その写真一枚でもまだそこには人のぬくもりがあり人が住んでいた往事を偲んでいるのだ。

なぜこんなことを書いたかと言うと津波や原発事故で村が消失したり住めなくなったりもう町自体が消失する住めないということが何を意味しているのか考えざるをえなくなっんたからでてある。

山形の村のように十軒くらいではない浪江町のよう2万とかの町が消失することは何を意味しているのか?これだけ大規模に町自体が消失することは過去にあったのか?災害で草戸千軒とか流されてなくなったらしいが津波ではそういうことが起きた。でも原発事故の避難の規模は大きいのである。
2万くらいの町が消失したらどうなるのか?そんなことがありえるのか?そうした疑問が次々に出てくるのがこの辺のなのである。

桜は人がいなくなっても咲く、花も咲く、樹々も芽吹く自然は廃墟の中でも生きてゆく、それは上萱でも人が住まなくなっても桜は咲いていた。その桜は人となじんだ桜だから自然の桜と違っていたのである。山桜ならいいが染井吉野だから人間の手で植えられたものだから
人間が住まないとその花も映えない、それはペット化した犬や猫と同じである。それも人間化した動物だから野生の動物とは違っているからそうなる。一旦人間の情を感じた野生の動物は人間化したものだから違っている。
だから野良猫になるとあわれだとなるのである。花見もしない染井吉野桜は何か淋しいのである。
それは栃窪の廃村となった上萱の桜に感じたのである。

 
 
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2013年09月12日

なぜ原発事故は起きたか? (企業社会に対抗できるものはいなかった)


なぜ原発事故は起きたか?

(企業社会に対抗できるものはいなかった)

●会社が国も地方も支配して原発事故が起きた


原発事故の原因は一つにはならない、様々な要因がありその解明は技術的問題もあったが現代の社会的問題でもあった。今の社会の仕組みの問題が根底にあった。現代とは会社社会であり会社や企業中心の社会である。
東電は巨大化してすでに国家の中の国家になっていた。現代のテクノクラートであり支配層は企業であり官僚でも政治でもない、保安員というのがいかに無力だったか事故で証明された。東電を監視するものではなく単なる東電の飾りであり何の力も持っていなかった。保安員の院長の西山とかいう人は法学部出であり技術的なものは知らない、だから何も監視も助言もできない、官僚はそううい人たちでありこれは原発だけではない、ディバインでも薬会社の社員がデーターを大学の研究所に入って改竄していたように官僚は医療関係でも監視できない、なぜなら会社の方が現実社会に効力を発する実践している。官僚よりも当然技術力も格段に上でありとてもたちうちできない、要するに原子力発電のようなことは何もわからなかったのである。とても法学部では監視できない、ただ東電から天下り先として東電の言いなりになっていただけである。東電が重大な安全上の問題があってもそもそも見逃すというよりわからないのである。何が問題かも指摘もできないのである。

企業が国の官僚より強力であり実際は技術力もあり仕事できる。官僚はただ予算を組んで適当に配分するだけであり企業の言いなりになっている。ただ自分たちの利権利益の天下り先を確保するのが仕事だとなってしまう。その最大の要因が官僚にはそれだけの知識力も経験も技術力も何もないからである。
そういう実際の仕事の蓄積は企業が積み重ねているからとてもたちうちできない、ただ金を出す予算を組む力が官僚にはある。その金も無駄に費やされるのが多いのは官僚には民間のような実際の現場で培う知識も技術力もノウハウも何もないからである。法律の知識だけではとても対応できないからである。


ただ今になると土木工事でなぜ最初は高くしていたのにわざわざ低くしたのか?→危険


緊急時の電源を地下に置いたのか?→危険


この二つは知識がなくても官僚でもわかったかもしれない、ただそれも事故のあとでそれが明確になったのであり事故の前は官僚は適当であり安全が何かも官僚はわからないから東電の言うなりになっていた。土木工事関係者も東電の発注で工事したとなると清水社長がコストカッタ-として知られて社長になったのだからその意向に従ったとなるのか?わざわざ低くしたのこれは相当な危険なことであり責任問題だった。
地下に緊急時の電源を置いたのも津波対策を全くしていない危険なものだった。

現代の社会とは企業(会社)>官僚>政治家の力関係にあるのだ。政治家は官僚より力がないのはこれまた官僚は会社と企業と同じく予算を組む専門家であり選挙の度に変わらず仕事しているから専門家だからとても選挙で一時的に当選しても官僚にはかなわないとなる。政治が機能しないのはそもそも現代社会は会社社会であり東電が国家の中の国家でありそれを制御するものはないのである。除染もゼネコンのように利権化して官僚の天下り先となるのか?二本松では地元の工事関係者で元請けとして地元のために国の予算を地元の会社に回してやっている。ゼネコンになるとその利益は大半もっていかれるからである。官僚はそういうことは面白くないかもしれない、なぜなら自分たちの利権と権限がそこなわれるからである。


そもそも歴史でも侍が力を持ったことは理解できる。現実社会で武力で実効性があるから支配者になった。武力のない官僚はその時支配者にはなれないのだ。江戸時代になると平和になり官僚化してきた。そして明治維新になるとこの時も侍が武力が前面に出てきた。武力でないと解決できないからだ。それで武士の出の人が力をもつようになっていた。警察官になったのは侍出身者が多いことでもわかる。軍隊関係もそうである。その時まだ侍がいたから指導力があったからのちの軍部とは違っていたという。侍というのが日本から喪失して多分に軍部でも官僚的になっていたのである。だから強力な指導者が喪失してただ犠牲だけ強いられる無駄な戦争にもなっいいった。


●グローバル経済という怪物


会社とか企業とかが国家になるとき社会はどうなるのか?トヨタでも自動車が売れることが国家の目的になる。社会はトヨタの企業下に組み入れられ全国が部品工場と化してゆく、つまり自動車が売れなければ国家の命運も終わりだともなる。飯の食い上げだなりトヨタの会社の意向が何より優先される。例えそれが原発のように他の会社のように公害をもたらしても会社の意向が優先されるのだ。つまり現代は国家の一員というよりはみんな会社の一員なのである。会社は給料を与えるし日々仕事する場だから人生をそこで日々生きる場所だから会社に命まで捧げるともなり会社からリストラされたらアイディティティを失って自殺したドラマがあった。
まさに会社が人生だからそうなってしまっている。高度成長時代は企業戦士と言われたのもそのためである。
誰も太平洋戦争の時のように国家の戦士とはならない、国家への意識は希薄化しているのだ。

みんな会社に所属して所属意識は会社にある。江戸時代のように封建時代のように土地に所属して藩に城に所属するという感覚はない、会社が現実の所属する仕事する場所なのである。だから仕事は土着的であるべきといっても郷土愛も希薄となり今回の原発事故のように避難を強いられて町も村も解体されてゆくのかもしれない、戦前だったらまだ第一次産業が八割とか郷土に根付いて仕事していた。養蚕にしても兜作りの立派な家がまだ残っているように地元中心に生産活動が全国で行われていたのである。奇妙なことは東京などで失業しても田舎の実家に帰ると一応田畠があり食うことかできた。そういう避難所としても田舎は実家は機能していた。
今はそんなことはない、東京で失業したからと田舎に帰る人はいない、田舎では食うことさえできなくなっている。そういう社会の変化の中で原発事故は起きたのである。


会社は・・・莫大な財源と多様な利害と優秀な専門家を武器に今では堂々と政治的支配を目標にかかげるようになった。民主主義が崩壊するのはまさにこの新し現実のためである。会社が目指すのは利潤の最大化であり社会全体の利益ではないからだ。会社を動かすのは少数幹部の意見であり社会全体の意見は反映されない
ウィリアム、グライダー(グローバル経済という怪物-デビットコーテン著の引用)

東電の幹部はこういう人たちだったのか?7決して責任はとらないし会社を支配しているのだから今でもこういうことができる。


 清水正孝社長  (現在、家族と共に海外在住)
  →関連会社・富士石油の社外取締役に天下り
・ 武井優副社長  (現在、家族と共に海外在住)
  →関連会社・アラビア石油の社外監査役に天下り
・ 宮本史昭常務  (現在、家族と共に海外在住)
  →関連会社・日本フィールドエンジニアリングの社長に天下り
・ 木村滋取締役  (現在、家族と共に海外在住)
  →関連会社・電気事業連合会の副会長に再任
・ 藤原万喜夫監査役  (現在、家族と共に海外在住)
  →関連会社・関電工の社外監査役に再任


現代はグロバ―ル化しているからこいうことができる。日本国の制限を受けないのだ。これだけの会社だからまさに日本国より会社に属しているのだ。国が守っているのではない以前としてこ会社が守ってくれているのだ。これは国籍が会社にもなっているのだ。会社が治外法権化して守っているともなる。なぜ国でも糾弾しないのか?


あなたのような会社に興味をもっていただけるように・・・・私たちは山をならしジャングルをきりひらき沼を埋立て水路を動かし町を移動させました。あなたの会社が操業しやすくするためです
(フオーチューン誌に載せられたフィリッピン政府の広告)


まさにこの辺では 町を移動させました 町自体が住民が移動させられたのである。
ヨーロッパの貴族は村を移動させて自分用の土地として使った。広大な庭園を作るためだった。この権力が一番大きい権力かもしれない。容易に人は長年住んでいた所は動かないからである。


それとは対照的に地域に根付いた自給経済にもとずくシステムは政治部経済文化への参加を通じて民衆が自分たちの希望や歴史文化を、生態系を尊重しながらそれぞれの未来に向かってゆくことができる。


ここで生態系ということに重点を置いていることに注意する必要がある。現代の文明は生態系から離れている社会である。一千万人の東京は生態系などと関係していない、そういう意識もない、田舎だとどうしても生態系を感じぜずには生きられないのだ。田んぼでも畑でもそれは生態系の一部としてあった。戦前から戦後十年くらいまでは貧乏でもその土地の生態系の発展として利用として地域の経済は成り立っていた。生態系というとき精神的にも生態系より人間の心も形成される。このことは無視されているが自分は石や樹や花を詩にしたときそれは生態系に依存して書いている。石が岩が示すのは人間の精神でもある。人間の精神を象徴化したものとして石があり岩がある。人間の精神も生態系から作られてゆくのだ。東京のようなところではもう生態系がないのだからその精神はどこから作られのか?巨大グローバル会社の利益優先から精神が作られてゆく・・・そこに世界的な歪みと心の荒廃が起きてくるのだ。


●会社中心の社会で失われたモラル


そもそも国家とは何かというとそれも明確ではなくなっている。心の青雲ではしきりに官僚を批判しているのもわかる。なぜなら会社に勤めていたから官僚の理不尽を直接感じたからである。だからそれはすでに感情的になっている。官僚にいじめられたからその恨みが深くなっている。それで日本が優れた国として愛国心を高揚させる。それはやはり会社企業社会の利益優先の目的ではない、国家としての歴史に培われた日本への所属をこむすることになる。それは利益優先社会の会社とは違う、国への誇り忠誠心ともなるのか?そういう愛国心は現代では現実問題として希薄化している。それだけ大局的に長い時間の歴史的にも見れない時代である。
ただ目先の利益や利権のみに追われる。官僚も国を背負っているというような気概はなくなった。
明治の侍のようなエリートではない、サラリーマンになったということである。受験戦争を勝ち抜き東大を出て利権にありつくことが目的であり日本国家がどうのこうのなどなくなっていた。だから当然官僚になれば天下り先が一番大事になる。もちろん自ら犠牲になるようなことはありえない。損することはしない。
現代はかつてのエリートは存在しない、官僚でも政治家でも教育者でもみんなそうである。
ただ利益を得るものが金を多く得るものが偉いのでありみんなそのために働き生きている


これはどこでも同じである。カルト宗教団体でも創価でも共産党でも実質は同じである。権力を得て利権を得ることが目的で活動している。政治家になれば権力が得られる、やがては社会の支配的階級になる。共産党一党独裁になれば中国のように巨額の利権を得られと活動している。仏教も共産主義もにたようなものなのである。
仏教民主主義とか仏教社会主義とか勝手に言葉など作れる。内容などなくてもいいのである。実質は権力を手中にすることなのである。でも現代社会の実質の権力は会社が握っている。現代では病院でもそうであり医者が実質の支配者であり宗教は実際の力をもちえないのである。宗教が政治化するとき実効力をもちたいから政治に進出する。いくら拝んでもいても何の効力もなければいづれは離れてゆくからである。それは上から下からみんなそうであり原発事故も金がばらまかれて今避難している双葉町や大熊町でも数千万もらったとかは今の補償金を考えたらそれも嘘ではない、誇張でもない、それだけの金が入るのが原発だったからこそ率先して誘致したのである。


結局資本主義も最初は修道院からはじまった宗教的なものから発していたから利益だけを追求するものではなかった。共産主義でもそれなりの理想はあった。仏教にもそれなりの理想はあった。民主主義すら宗教的なものから発していたというのもそうである。ピューリタニズムが発祥だという。理想主義があってもそれが堕落するのは結局人間の欲がそうしたイデオロギーを曲げてしまうのである。馬は目の前にぶら下げられたにんじんしかみえなくなっている。人間も同じである目の前にぶら下げられた金しかみえなくなる。今はみんな補償金だけになっているのと同じである。それは自分にもあるし否定できない、そもそも宗教は金で得られないもの権力で得られないものを目指していたのだから本末転倒の世界になっているのだ。宗教も権力化したきヨーロッバでも日本でも堕落した。権力の魅力の方が大きいからもともと天使だったものがサタンにも変貌したのである。それがこの世の有り様でありそういうことは変わらなかったのである。

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2013年09月26日

避難民の仮設に住む人たちが負担になっている (優先的に施設に入居できるのは仮設の人)

 

避難民の仮設に住む人たちが負担になっている


(優先的に施設に入居できるのは仮設の小高の人)

今日ケアマネか言っていたけど仮設の人は優先的に特養に入れるという、仮設は部屋が狭いし在宅で介護できる状態ではない、だからどうししても仮設の人が優先的に特養に入れる。他の人は順番待ちになるのだがもう何百人待ちになるから入れるのは困難を究めている。近くの人は障害者と母親の二人を兄弟で介護している。一人は首が頸椎が悪いとか言って特養に入れないんだとなげていた。今は普通の状態でも特養に入ることはむずかしくなっていた。それで津波原発事故でこの辺は混乱して仮設の人が増えた。

そこでイワキ辺りでも避難民だけがなぜ優遇されるのだと問題が起きた。

避難民は介護する人をかかえたら仮設ではできない、だから優遇されるというのはここでも同じだった。そういう不満がイワキにもあったし南相馬市だと鹿島区にもあり補償金をもらえないから鹿島区ももらえるべきだとしてもらったのである。それは東電からではない市長の判断で市の財政から出したのである。今度は東電から補償金が同じようにもらえるらしい。精神的損害として一人十万がもらえる。とすると前にもらった一所帯百万は市の財政から出したのだからそれまでする必要はなかったともなる。


ただ結局南相馬市の混乱は小高と原町と鹿島が合併して長くはない、そこにも混乱する原因があった。利害調整でも不公平だったのである。小高の区役所はモダンで立派だった。鹿島区は前の役場を利用しているだけだった。小高は合併後にあのガラス張りの区役所を建てた。なぜ小高は鹿島より優遇されているのだろうとなる。小高には高校もあり鹿島にはないから鹿島には前からも何ら施設もないとなげていたのである。


津波原発以後は小高は苦境にたたされた。町が消滅するのではないかまでになった。そして原町区であれ鹿島区であれ仮設に大勢が住むようになった。しかし二年半すぎて何か小高の人たちが南相馬市では重荷になってしまったのである。その顕著なものとして仮設に入っているために介護できない、もともと自分の家に住んでいたら在宅でできたかもしれないけどできない、それで特養に優先的に入れる。そうなると他の人は近くの人のように入れないで困っている。小高の人が重荷であり負担になっているからそうなったのである。いくら補償金をもらっていてもそれだけで金だけでいま状態は解決できない、小高の人の問題は第一住む場を失ったのだからどこに永住的な住まいを求めるかというとそれが小高に土地と家があってもできない人が多くなれば原町区とか鹿島区に求める。でも土地が得られないから家が建てられないともなる。津波で家を失った人はもう小高には建てないだろう。そういう負担が南相馬市全体にかかるようになったのである。
だから市では小高に住んでくださいと言っても小高の人は鉄道も通らないなど嫌だとなる。ではあなたたちはどこに住むのですかとなると小高以外の地域になるがそれだけの用地を確保できない、復興住宅は鹿島区に三カ所工事している。


小高の人もどうしたらいいのか?帰るべき帰らざるべきとか思案しているだろう。これは他の避難民でもそうである。どうしていいのかわかりにくいのは放射能の影響が明確にわからないからである。ほとんど影響がないのだと言う人もいるし非常に危険だと言う人もいてわからないのである。それを各自で判断することもむずかしいのである。
とくに子供をもつ母親や若い女性は流出している。そうすると残されるのは老人になるがその老人では復興はできない、老人に金があっても労働力がないのだから復興できない、相馬藩の飢饉の時は相馬藩に別に荒れた土地しかないのに越中の移民が来て建て直した。越中の移民は別に金もないし着の身着のままで移民してきた人たちである。

それでも復興できたのは移民は何もなくても労働力として荒れた土地を開墾したりして住んだから復興できたのである。今は補償金とかあっても若い労働力がないのだから復興できないのである。だから復興は必ずしも金だけではできないのである。
荒れた土地でも必死に働きそこに住もうという人たちがいたから相馬藩の飢饉のときは立ち直った。今は放射能が怖い、インフラがない、鉄道が通らない、働く会社がない、なにかやにやと便利な生活ができないからもう住まないとなる。それでもう復興はできない。

そしておかしなのは避難民は毎日パチンコで遊んでいる。現実に東京まで競馬に行っていた若い人がいた。一方で医療や介護の負担で苦しんでいる人たちがいる。要するにイワキでもそうだが避難民は市全体では確かに財政収入になっても負担になる、重荷となってしまう。だから生産活動をして下さいと市長が言った。でも避難民にすれば簡単にそんな仕事ができるスキルをもっている人は少ないのである。それと六〇以上とか若くて五〇以上とかが多いから仕事したくない仕事に就けないということもある。農業だったら慣れているからできるにしてもそういう土地もないのだからできないのである。

要するにどうしも避難民は負担であり重荷でありやっかいものとなってしまい嫌われる。
ただ沖縄のように政府から賠償金を要求するだけのものとなってしまう。それで今嫌われているのが東京都民の次に福島県民になってしまったのである。
浜通りでもそうしたツケが回ってきたのかもしれない、原発では恩恵を受けていたのである。前の知事の佐藤栄佐久氏の娘が東電に就職していたというのは本当なのか?「心に青雲」のプログに今日書いてあった。佐藤栄佐久氏は東電にプルサーマルでしつこく嘘つくなと問いただしていた。それで嫌がられ渡辺恒三一派に失脚されたと書いてきた。
でも佐藤栄佐久氏もそうした東電から甘い汁を吸っていたのかとなる。東電にはそうして縁故就職した人たちがかなりいるらしい。そうしていろいろな権力をもつものをとりこむのが東電だったのである。権力とは常にそういうものである。


いづれにしろ小高には合併する前に東北電力の原発が建つことが決まっていたのである。それですでにその交付金が小高には下りていたのだろう。その後合併して南相馬市にもその交付金がおりたが反対してもらわないようになり原発は中止するようになった。
その敷地が残っている。その土地の利権だけでも大きかったろう。それで大工さんが小高には原発が建つから景気よくなるよと言っていた。みんな利益になることしか考えない、原発は人間の欲望の象徴だったのである。科学もそうである。人間のあらゆる欲望がかなえられるものとして科学技術が信仰になったのである。それはカルト宗教団体でもあらゆる欲望がかなえられるとして毎日題目あげているのと同じである。
そうした人間の限りない欲望が原発事故に結びついていたのである。

 
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2013年10月01日

ボランティアの限界 (相馬藩が飢饉の人口減少を救った越中などの移民)

 

ボランティアの限界

(相馬藩が飢饉の人口減少を救った越中などの移民)

ボランティアが今でもきている。今は小高を中心にボランティアは来ている。鹿島区にも津波で残った家に若者が集まっている。それが不思議なのは自転車旅行している若者なのである。その人は学生というものでもない20歳の労働者だった。ただ自転車旅行の途中に寄ったのである。今回はボランティアというのが被災地では目立った。それがどういう人かというといろいろあってもその中に自転車旅行の途中に寄ってボランティアになったという人が結構多いのである。それはなぜか?と考えると普通自転車旅行は遊んでいる者とみられるから地元の人でもつきあわない、一時的に通りすぎる人間と見ていたのである。旅人だからなかなか受けれることはない、通りすぎてゆくものとして見ている。
そもそも田舎だとよそ者をなかなか受け入れない、だからよそ者が田舎に住み着くことはなかなかむずかしいとなる。でも今回はよそ者を受け入れることが抵抗なかった。
ボランティアを必要としていたからである。無料で働いてくれるから助かるとなる。


でもボランティアは自転車旅行の途中による若者が結構いたように特別の意識をもってボランティアしているのではない、受け入れられるからここでちょっと寄ってボランティアして帰ろうかなというのが多かったろう。ここに住み着いて働こうという人はまれだったろう。それで三陸の方でボランティアに何度もここで本当に働き生活するのだなと何度も土地の人が念を押していた。一時的にボランティアしても帰る人も多いからそうなる。
あれだけ困窮している所に地元の人すら去ってゆく所に住み着いて暮らすことは容易でないからだ。だからここで働き続けるのなら生涯の仲間だめんどうみてやると地元の漁業関係の人が言っていたのである。もちろんスキルがあり大工は土地の女性と結婚したからその人はすみつくことができる。

ただボランティアにはどうしても限界がある。一時的なものとして通りすがりちょっとボランティアしようかというのでは土地の人も信用しないだろう。

それで相馬藩が飢饉で三分の一に人口が減った時、越中などから移民が命懸けで来て働き相馬藩を建て直すことができた。今になるとこの移民が見直されることになった。
この移民は別にボランティアではない、相馬藩を援助するとか助けるという意識もない、第一当時は藩から抜け出すことが命懸けになっていた。そういう苦労が語り継がれてきた。そもそもなぜ相馬藩にそんなにしてまで移民する必要があったのかとなるとボランティアとはまるで違った意識があった。詳しくはわからないにしろそうした移民する側にも命懸けで移民する事情があった。だから別に相馬藩が困窮しているから困っているから助けてやろうとか言う意識は今のようになかったのである。つまり移民も生きるために必死であり土地を求めて相馬藩にある意味で決死の覚悟で移民したとしか思えないのだ。


そもそも人間はもし住みよい所だったら簡単に移住しないのである。移住するということは何か切羽詰まった事情があって移住する。ゲルマン人の大移動とかなるとやはりそれは人口が増大して土地を求めて移住したのが歴史では多い。遊牧民は常時移動しているからそういうことができる。農民はなかなか土地にしがみつき移動しにくい。
特に江戸時代は移住が禁止されていたし藩内から脱出することは命懸けにもなっていた。そういうなかでどうして越中の人たちがそれも飢饉で瀕死の状態にあった相馬藩に移住したのだろうか?それはなボランティアとか援助とかいう次元ではない、越中の人たちも生きる場を求めて相馬藩に移住した。それはもう故郷には越中には帰れないものとして困窮している相馬藩に移住した。なぜなら帰ることができないのは一旦藩を出たらもどれない、罰せられるかもしれないからだ。だから困窮している相馬藩でもそこで生き抜かねばならない、そういうふうに追い詰められていた。


たから荒廃した相馬藩の土地を必死で開墾して豊かにして相馬藩を結果的に建て直すことになった。最初は草分けという農家に入りその下で働いた。そのうち未開の地や飢饉で捨てられた土地を開墾して実りある土地にした。その苦労は並大抵ではなかった。
その逸話として「加賀泣き」という言葉が残っている。この伝えられた言葉の中に移民の苦しさが凝縮されている。泣き泣き苦しみ働いていたのである。もうそれはボランティアなどというものではない、ただ生き抜くために必死でありここで暮らすほかない、死ぬほかないとまでなっていたから苦しくても留まっていた。それが江戸時代だったのである。だからこそ相馬藩を移民によって建て直すことができたのである。


このことをふりかえるとき津波であれ原発被災者であれあまりにも違っているのである。多額の補償金で被災者が東京まで行って競馬で遊んでいるとかバチンコに毎日通っているとか相馬藩の飢饉の時とはあまりにも違っている。食べ物はかえって毎日マグロの刺身を食べているとか贅沢しているのだ。そこに通りがかりのボランティアがきてちょっと働いてみようかとかなる。あまりにも相馬藩の飢饉の時とは深刻さが違いすぎるのである。
かえって地元の人が遊んでいてボランティアが働いているというのも変なのである。
ニートなどはこのまま生活保護が必要だとか言っている。補償金でこれから生活をしようとしている人たちも多いのかもしれない、老人が多いとどうしてもそうなるのだ。

だから相馬藩の飢饉の時のような危機意識はまるでないのである。
それも時代といえば時代なのだが結局広域化社会は江戸時代の閉鎖された社会と違うのだからかえって容易に解体しやすいということもある。土地にしばりつけられることもないのだからここで苦しんで生きぬくんだとか思いこむ人は少ない、若い人は見切りをつけて補償金もらって他で暮らす方がいいとなってしまう。それをとがめることもできないのだ。


ただ越中の移民にしてもそういうふうに追い詰められていたからこそ相馬藩で必死で生き抜こうとした。移民は何か特別の事情があり追い詰められているから住み慣れた土地を離れる。アイルランドでもジャガイモ飢饉があり食えなくなりアメリカに移住したのである。そうした切羽詰まった事情がありイチカバチカでも未知の国に移民したのである。
航海にしても危険でありアメリカといっても何があるかわからない土地だった。それでやはり飢えてインディアンに食料を恵んでもらって生き延びたということも記されている。やはり慣れない土地に移れば勝手がわほからないからそこに住んでいた原住民の助けを借りなければならない、アメリカの場合はその原住民を虐殺して自分たち主人になってしまったのである。


ボランティアというのは悪いものではない、でもそこには自ずから限界がある。
人間が必死になり真剣になるのはやはりそういう場に追い詰められてなる。ボランティアならいつでもやめることかできる、去ることができるがそこに住み着くとなると去ることはできない、そこで死ぬのだとまでなる。ただ現代ではどこに住んでもいいのだからそういう感覚は喪失している。金があれば住みよい場所に移った方がいいとなっている。

だから津波の被災地でも三陸などでも現地の人が去っていっているのに他の人が住み着くことは容易ではないだろう。とてもボランティアの意識では住み着くことができないだろう。現代はそういう点で恵まれているからそういうふうに強いることもできない、第一地元の人が去ってゆくのに働きもしないのに外部の人が働いているというのも奇妙なのである。だからかえって外部の働く人が現地の働かない人を追い出し住み着く権利がでるともなる。


復興するというとき地元の人がまず復興しようとする気にならなければ外部の人も援助する気分になれないだろう。これは尖閣問題でも日本が守ろうとしないならアメリカは助けやしないというのも本当だろう。日本の領土なのだからまず日本が必死で守ろうとしなければ他国も助けないのである。何でもアメリカが助けてくれるという他力本願では日本自体守れないだろう。それと同じで自ら助けようとしないものは他者も助けないのである。その辺が何か津浪の被災地でも原発避難者でも特に原発被災者は多額の補償金でもう復興といってもやる気がなくなっていることがある。特に老人が多いとどうしてもそうなるのである。

加賀泣きと伝えられにし相馬藩飢饉を救う移民を思いぬ
 
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2013年10月02日

南相馬市の鹿島区の東電の賠償額


南相馬市の鹿島区の東電の賠償額

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前に確かに鹿島区では一所帯百万もらっていた。追加して二十万ももらっていた。それは市の財政から出たとか思っていたがこれも東電から出ていた。
そこが勘違いしていた。鹿島区では小高の人からみると不公平だということで騒いでもらうことになった。それが市の財政からだと思っていた。

すでに一所帯120万はもらっている。今度の精神的損害として一人70万もらえる。

原町区ではすでにもらっていたのでそれも不満で訴えてもらえるようになった。
原町区はすでに7カ月分以上もらっているのだろう。
これもそれなりに大きい金かもしれない、家族が多いと5人いたら350万とかなる。
そのほかもし就業できなくなったらその分を請求すればもらえる。
ただそうなると書類が多くてめんどうになる。


自分は生命的身体的損害は自己当時混乱して南相馬市立病院にかかっていたがそれによって大きな支障があったともいえないのでそれは要求しないことにした。
医者が認めない限り払われない、医者が認めることはまれだというのを病院から聞いたのめんどうだから請求しないことにした。


結局鹿島区ではそれぞれ要求は違うが精神的損害として7カ月分一人10万はもらえる。
農家の人とかは土地に対してもらえる。漁業関係者はもっともらえる。漁業権がありその権利が大きすぎるのである。だからといって漁業権で海を守ったわけでもなかった。
ただ原発から巨額の利権を得たとなる。だから海の資源を守るために漁業権があるとしたらそういうものでもなかった。海は放射能で今もよごされつづけている。
漁業権というのは辻褄の合わないものだったのである。

それでも南相馬市までは一応補償金がそれなりにもらえる。隣の相馬市は何にももらえないから不満になるだろう。放射能の被害ではたいして変わりないから不満が出る。

ただ鹿島区は屋内退避であり一時混乱した。
半分は避難した。介護していたから自分は避難できなかった。
あの時は何になったのかわからなかった。それで放射能が一番高かった時外を出歩いていたのである。そういう影響がこれからどうでるのか?子供には出やすいだろうが老人はあまり出ないだろう。


結局自分の場合は補償金問題はこれで終わりである。書類がめんどうで嫌になる人がいるだろう。東電の方でも審査に相当な手間がかかる。
これからも生命的身体的損害は受けられない、5年後に病気になってもそれが放射能とどう因果関係があるのか説明できない、医者が決めるとしても放射能と因果関係があるのか立証するのは困難である。するとあいまいになり補償されない。
放射能の被害はごまかしやすいのである。

 
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2013年10月04日

南相馬市屋内退避地区の賠償 (鹿島区などの賠償は二冊あった)

 
南相馬市屋内退避地区の賠償

(鹿島区などの賠償は二冊あった)
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表紙が同じだからわりにくくかった

本賠償
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追加賠償一人4万

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この二冊が全く同じだから混乱した。他に精神的生命的損害を請求すると十冊くらいの冊子になるからめんどうである。
たた本賠償と追加賠償は決められているから簡単である。
それでも18歳未満の子供さらにもらえるし妊婦ももらえる。
そうした区分けがあるのでめんどうになる。


病院にかかったけどめんどうだから精神的生命的損害の請求はしない
これはよほど明確にならないと医者の許可がないと認定されないというので出さない
その書類を書いたり許可をもらうだけで大変な手間である。

東電で一律に屋内退避地域に住んでいたというだけでもらえるのは簡単である。
ただいろいろな書類が来たので混乱したのである。


精神的損害は一人10万で7カ月分で70万である。
追加賠償は一人⒋万で8カ月分で32万となる。

これは一人約100万である。
18歳以下の子供がいるとさらにもらえる

例えば5人家族だと500万だけどさらに就業している人はもらえるし
子供がいるともらえる。その額はかなり大きくなる。
だから小高区この倍以上とかもらっていたのだからその額は大きくなっていた。

ただ仕事がないということは収入がないのだからそれだけ苦しいとなっていた。

これからも仕事がどうなるのか、できない人もいる。
避難している人は避難していればもらえるが屋内退避地域はこれで終わりである。
それでもかなり得したと思っている人も多いだろう。


相馬市などは全然もらえないから損だとなる。
ただ相馬市と南相馬市は様相が違っている。
田畑が南相馬市は荒れ地化している。相馬市は全体か普通なのである。
ただ放射能の被害はそれほど変わらないだろう。

ただ南相馬市での賠償金の不公平感はこれでかなり解消したかもしれない
あまり文句も言う人もいなくなるだろう。


ただ恐怖はあと10年後くらいなのだ。もう5年後くらいから工事関係者がへって
何か急激にさびれた市になるかもしれない、補償金もいつまでももらえないし
援助や予算も削られる、するとやがて夕張のようになる恐怖があるのだ。


原発でも働き場所としてかなりのひとか勤めていた。それもなくなる。廃炉や除染はつづのかもしさないがそれも産業とはなりにくいだろう。一次産業は木材さえ売ることができない、すると何が産業になるのか?ソーラー発電事業ももうかるどうか未知である。
ソーラー発電は風致を乱すから自分はあまり歓迎しないし農家の人も反対していた。
ソーラー発電は広い土地が必要だから中国のような所にあっていた。
日本はそれだけの土地がなのである。


結局補償金バブルもいつか終わりあとに何が残るのか?
どうしてもこの辺の将来はいいものが見いだせないとなる。
ただ老人はもうあきらめてここで死ぬほかないとなる。


放射能は花などには影響しなかった。だから花の市にするというのもいい、川内村ではそうしようとした。ただそれが経済的効果になるのかは未知である。
自分は花を探求してきたから以前として自然に花が映えているということは救いだった。放射能は別に見た限りてはどこが汚染されているのかわからない
むしろ中国のような大気汚染の方が深刻に見えてしまうのである。
放射能で皮膚がただれたみたくなれば怖さを感じるかその怖さが感じられないのだ。
その怖さを感じられないことが本当は一番怖いのかもしれない

なぜなら津波で全く400年前のことは忘れ怖さを感じなくなっていたからだ。
怖さを感じないということも実際人間にとって怖いことたったのである。

津波の恐怖が伝えられていればあんな海岸に接して家があんなに密集して建てない、
人間は恐怖を感じないことも怖いことなのだ。

戦争にしてもだんだん忘れられてゆき戦争の怖さわすれられてゆきまた戦争にもなる。

ともかく補償金て今は潤っていてもそのツケはまだあとでやってくる。
今がいいことでも後で悪いことになったり今か悪いことでも後で良くなったりと
人間のことは左記かよめないのである。でも確実にこの辺はあと十年後とかは
かなりさびれて衰退することが見えるだろう。
金は一時的でありそれだけでは資産にはならないのである。

 
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2013年10月09日

浪江の請戸の地名はやはり請け負う土地だったのか? (漁業権から原発事故を考える)


浪江の請戸の地名はやはり請け負う土地だったのか?


(漁業権から原発事故を考える)


●請山は明確である


請山(うけやま)


寺社を含めた領主所有の山林を支配下の村や家臣・特定の個人などに一定期間貸与したもの。留木と称される領主が利用する有用樹を除いた雑木・下草を採取を認め、大体として銭米や薪炭を徴収したり、有用樹の植栽・保護・管理義務を行わせた。また、有用樹であっても領主の許可を得て一定価格で払い下げられる場合もあった。

入会地である山林を持つ村が、それを持たない村に対して一定の条件(期限・採取量・料金)の下に入会としての利用を認めること。通常、一定の期限が定められた山林を請山と称し、期限を定めないものは卸山(おろしやま)もしくは定請山・永請山と称した。
山の所有者が業者に対して一定の期間とその期間に納めるべき運上額を定めて経営を請負わせること。材木業者の山林伐採や鉱山師の鉱山経営などがその典型例で、請負山・運上山とも称した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%8B%E5%B1%B1


労働者の家の回りの畑など私作させた外に、谷の入り岡の陰、川の向こうなどにもわずかある田は監督もむずかしいから人に請負はしめたという例はまれではとなかったろう。
今日でも作何男がのためにシンガイ田またはホリ田などど称して励みに少しづつ小遣いとりの田を作らせる慣習は残っている。
柳田国男全集(16巻-水飲み百姓の増加)


請山というのは請け負わせた山であるから説明のように明確である。ただ請け負わせるというとき山だけではない田とか畑もあった。田の場合は土地の所有者から地主からもらう許可された田などは説明のようになる。あまりいい土地はもらえ胃のか常である。
ホマチなどもホマチとしてわずかの土地か与えられたのである。わずかの土地でもそこは畑にすれば家一軒くらいはまかなえるかもしれない、自給自足だけならわずかの土地でもまにあうのである。自分の家も農家ではないから河原の岸の土地を畑にしていたことがあったのだ。土手の中が畑であったことは今でもあるしわずかの土地でも収穫があるのだ。隣の家でも同じように河原に畑を作っていたのである。町の人はそういう人が多かったのである。つまり戦後でも自給自足だったのである。自給自足だから他からは食料など入ってくるのは極めて少ないのである。現代から考えると膨大な食料でも地球の裏側からも入ってくる時代とはあまりにも違っていたのである。だから津波であれ原発被害地域であれこれだけの被害を受けても田畑も耕さないでも食料はいくらでも入ってくるのだ。金さえあれば困ることは食料については言えるのである。その差があまりにも大きすぎるのである。

請負山とか小請田とかある。請田というのはやはり土地をもっているものが請け負わせた田だろう。京都にある請田神社は出雲だとすると出雲の人が請け負った地なのか?


築城年代は定かではないが保元年間(1156年〜1159年)に標葉四郎隆義によって築かれたと云われる。 標葉氏(しねは)は平国香の二男繁盛の後裔で、海東小太郎成衡の四男隆義が保元年間に標葉一郡を分与され請戸の御館を築いて居城としたことに始まる。


双葉郡に属するが、1896年以前は標葉郡に属していた地域である。元々は新山町(しんざんまち)と長塚村(ながつかむら)であったが、これら2つが1951年に合併して標葉町(しねはまち)となり、その標葉町が1956年に改名して双葉町となった。

請戸の名前がとうしてついたのかは請戸城にしても古い、そしてめずらしいのはこの城が海側にあったことである。海側にある城はめずらしい。今回の津波で請戸が壊滅したように海に近く城はなかった。村山城は海岸に接してあったか縁起が悪いとすぐに移ってしまった。あそこに請戸城があったということはあそこもかなり古いということなのだ。
ただ請戸という地名が請戸城があった時、その地名はすでにあった。とすると請け負わせたというときすでにその土地が有力者の所領になっていた。請戸港は江戸時代にはすでにあり岩手県の宮古から鉄の素材を船で運んで葛尾大臣で有名な葛尾で鉄を精錬して作っていた。その跡が史跡として残っている。

請戸の由来は受戸神社になっている。ただその意味かよくわからない。請戸では安波(あんば)祭りが有名だからこれは茨城県から移ってきたのだから漁師などが請戸に定着して港になっていったのかもしれない、もともと請戸は請け負うからきているから土地と関係していた。つまり請戸は古くから人間の営みを思わせるものであり原野ではなかった。

普通地名は原初の状態を現しているのが多い。烏崎などは鎌倉時代に岩松氏が上陸した地点であり烏崎は神武天皇の故事にしているがその烏とは関係ない、烏とつく地名は空の州なのである。何もない空っぽの州であり海岸だったのである。だから唐津とあってもそれが唐とはならないかもしれない、空っぽだった津を現していたのかもしれない、萱浜(かいはま)でもそこは萱の繁る浜で人は住んでいなかった。越中などの移民が開拓に入った場所だった。あそこは一段と低い場所だったのである。烏崎とか小島田とか右田も低湿地帯だった。そこは津波で一時海になってしまったことでもわかる。

つまり請戸とは漁師とは関係ない、あの辺の土地を請け負うものがいて請戸になった。
ということはよそから入ってきたものがいて請戸になった。それだけ荒れ地でありよそからの開拓する場所が広くあったのかもしれない、ただもう一つ資料がないので調べようがない。浪江はあのような状態になって調べる資料も保存できなくなったろう。


浪江の請戸で思い出したのは南相馬市病院で瀕死の重症の農家の人が請戸の人だった。
その人は15町の田畑をもって指導的立場にあった人だった。賞ももらったというから優秀な農家の人だった。なぜなら娘3人を大学にあげたというからだ。一人は死んだとか言っていた。それでも三人も大学にあげるのはやはりそれだけの収入を15町の田畑から得ていて優秀な農家だったからである。その豊かさは今はイワキだが昔の平市まで野菜を商品として売っていたからそれだけの財を築くことができた。もちろん野菜を作る技術にもたけていた。それだけではなく近くに市場があったということがそれだけの財を残した理由だったのである。浪江から今でもイワキナンバーになっているから浪江からは磐城と関係が深くなっているのだ。

双葉ももちろんそうである。双葉駅は元はなく長塚駅だった。新山は城があったところで有名である。あそこに自分の父親が酒屋の丁稚をしていたのである。その話を姉から何度も聞かされていたので親しみがある。新山というと井田川の陰の方に新山神社があった。あれは新山から移されたのだろう。それがいつの時代なのか?井田川は大正時代に開拓されたのだから新しいものなのだろう。常磐線は原町から磐城までは開通するのか?
かなり先のことであり本当に開通するのかどうかもわからなくなった。仙台まではあと6年とかで開通すると言っていた。


●漁業権というのは鎌倉時代からあった


「竈」は、塩を焼く竈

『竈』の字を持つ集落は、いずれも入り江の奥まったところにあり、近くに川と山がひかえています。落人の人々は、ここで塩焼き竈を築いて製塩業を行い、生計をたてていました。というのも、南伊勢町には『浦』の字が付く漁民の集落があり、落人がこの地に逃れてきたときには『浦方』と呼ばれる漁民たちが海を生活の場にしていたため、海に出ることをあきらめて、塩を作るしかなかったのです。


失われた赤崎竈

かつて、平氏が壇ノ浦で敗れた際、平維盛(たいらのこれもり)の子・行弘(ゆきひろ)は、紀伊山地の奥地に隠れ住み、その三代目の子孫にあたる行盛(ゆきもり)が、一族を引き連れてこの地に移り住んだと云われており、『八ヶ竈』の人々は、その子孫に当たります。

『八ヶ竈』のうち、赤崎竈は、安政元年(1854)の津波で流されて廃村となり、現在は新桑竈(さらくわがま)、棚橋竈(たなはしがま)、栃木竈(とちのきがま)、小方竈(おがたがま)、大方竈(おおがたがま)、道行竈(みちゆくがま)、相賀竈(おおかがま)【現在は相賀浦】の七つになってしまいました。
http://www.town.minamiise.mie.jp/modules/gnavi/index.php?lid=427&cid=15


第一海岸に出て魚をとらない、先住民の古和浦、神前浦、贄浦等の漁民との間に「魚を撮らない」と約束して住まわせてもらったからだ。
8百年前約束を未だに守っているのもかれらの武士魂という。

これらの部落民は古和浦の漁民の子より礼儀正しく成績も良い、悪いことはしないという祖先からの誇りをもっているからだという・・
これらの住民がなぜ竈のつく字を土地に用いたかというとそこで竈を作り塩を焼いたから、漁業権はおさえられ山間地で生きてゆくためには塩水を蒸留して塩をとり売る以外なかった。海の水だけは浦の住民も文句を言わなかった。
地名(土地に刻まれた歴史-丹羽基二)


この話は興味深い、漁業権でもそうだが入山の権利もそうであった。先に住んでいる人が権利をもっていたのである。漁業権の成り立ちはこういうところにあった。歴史的には古いものなのである。魚とらせないというのはやはり魚は限られた資源となるからだろう。ただあれだけ海に近くて魚がとれないということは悔しいというか残念というか差別されたというか苦しいことがわかる。それでも律義にその約束を守ってきたということはどういうことなのか?昔の生活は動物の縄張りのように隣あっても時給自足が基本である時、そこの資源は勝手に犯してはいけないという不文律があったのかもしれない、そうでないと争いになってしまうだろう。資源といってもそんなに大勢の人が分け合うものではない、それぞれの土地でわずかの資源でも自給自足で生活していた。

この話で不思議なのは800年前の約束を守りその伝統が伝えられてきたことである。
それが村の人たちの性格も変わらず作ってきたというのが不思議である

そんなに長い間、そんな性格が気質が保たれものなのだろうか?この辺では400年前の津波のことをまるで忘れていた。800年もそんな伝承が伝えられるだけでなく生きていること自体が不思議である。もしそうならかなり貴重なことになるだろう。

ここで最も興味深いのは津波で流されて消えた町があったと記されていることである。
それは非常に重要な記録だろう。ここでは津神社があってもそうした村単位の記録はなかった。津波は村一つなと簡単に消してしまうことがわかった。もう市でさえ町でさえ消されるほどの恐ろしいものだったのである。


●原発事故では漁業権は不利に働いた


漁業権というのは確かに古い時代からあったことはわかった。でもそれは今の漁業権とは違った性質のものだろう。漁業権は昔からこのように排他的なものとしてあったことは言える。独占的な利権だったともなる。しかし現代の漁業権は何なのか?今回の原発事故では漁業権をたてに莫大な利権を得たとなる。自分たちの権益を守ることは昔からあったにしろそれがただ東電から莫大な利権を獲得するためのものにさえなっていたのだ。
事故後も漁業権は大きな力を持ち続けているのだ。その補償金は船主なら桁違いになる。今でも50万もらっているとか普通は一人十万だから額が違ってくる。


相馬総合病院に入院していた人は請戸の人で漁師なのだろう。特等室に入っていた。
億の金はあるのだろう。請戸には原発御殿が建っていたという、それは相馬双葉漁業組合になっているからこの組合は新地まで入っていて原発からの莫大な補償金が出ていたのである。だから磯部にも立派な家が建っていたという、それが津波で流されたのである。
今でも汚染水が海に流すなというけどそういうふうに東電と交渉するとまた補償金があがってゆく。だから漁業権とは一体何なんなのだろうとなる。


なぜ漁業権をもっているだけでそんなに東電から金がもらえるのかとなる。
だから他の人も海は漁師のもの漁業権だけをもっているものだけのものではないと他ても言っている。確かに今になると海を魚を守るならいいがそのために命を張って東電と戦ったならいいがそんなことはない、ただ巨額な補償金がをとるための漁業権だったとなる。だからこそ海は一体誰のものなの?漁業権者にのみ権利が与えられているのか?
そういう疑問が起きてきたのである。原発事故が起こらないならそんなに問題ないし問うこともなく見逃していたし漁師でないてものはそうしたことがわからないのである。


そもそも農民もそうだが漁業でもそれだけでは現代では生活が成り立たなくなっていた。農民でも政府からの支援があって成り立っていた。それは食料は自国でまかなうことが防衛のために必要だからであった。でも漁業権というのは一般国民にしても関心がなくわかりにくいものだったのである。


日本全国には多くの原発がある。
原発立地場所から30KM以内にある漁業協同組合の漁業権は、
今どんなっているのだろうか。
○○%電力会社で持っていると思う。
原発を新設するときには、
漁業権は漁師から電力会社へ譲渡していて、
原発事故が発生しても漁業の補償はないのだ。
漁師は漁業権補償金を電力から事前にもらっているのだ。
一隻当たり数○○○万円くらい貰っていて
家屋の新築や自動車の購入や新造船などを
作った漁師は震災前に補償金で買っている。
もし事故が起きたからといって補償金の請求は無効力なのだ。

http://blog.goo.ne.jp/296minnade/e/1f653405ab266f2d36d5a644084b824d


漁業権は東電に売り渡しているから消滅しているの?これもわかりにくい、補償金がもらえないというけど魚がとれないのだからその分は過分にいまでももらっている。
30キロ圏内でも30キロ圏外でも南相馬市ならもらえるようになった。
補償金は漁業組合に一番手厚いのである。事故前もそうであた事故後もそうだったのである。


漁民に漁業権が与えられたのは、魚をとるから与えられた権利であって、魚をとらない人間にそのような権利は発生しないはずである。漁民が漁業権を「売った」瞬間に、漁業権はこの世から姿を消してしまう。つまり幻の取り引きが平然とこの世でおこなわれ、漁業が衰退してゆこうとしているのが今日の姿である。
http://blog.livedoor.jp/kikennahanashi/tag/%E6%BC%81%E6%A5%AD%E6%A8%A9


魚をとる漁師が魚をとる権利を東電に売った。その代わりに莫大な補償金を得た。これも奇妙なことである。魚を獲って暮らす人が魚をとる権利を売る。発電所の回りでは釣りができないというのもそのためである。ここのプログでは原発は東京のど真ん中に建てるべきだという。それも理にかなった話であった。
なぜなら確かにそれでこそ東京は大繁栄する!美しい福島県の大地を海を汚さずにすんだというのもわかる。その反動として原発があった地域はかなりの貧乏になる。補償金ももらえないのだ。ただ漁業で魚はとれるし自然は汚されることはなかった。東京は東京で原発で栄えるし事故が起きない限りそうである。田舎は田舎で貧乏でも美しい自然とともに暮らせよと東京の人に言われることになった。今になると原発事故周辺ではそういう覚悟して暮らす人もいた。


電気というのは非常に貴重なものだということがわかったからである。骨身にしみてわかったともなる。だから多少不自由でも自然が汚されない所で貧しくてもやっていこうとなっていたかもしれない、東京は東京で原発は必要であり電気は東京のど真ん中の原発で栄えさせて豊かさを享受するとなっていた。それだと何かわかりやすいことは確かだった。そもそも福島にもってきたことが間違いだったとなる。
あれだけ安全を言っていたのだから当然東京でも安全であり東京に東電が作れば安全の照明てありそれだけの覚悟があったということであったのだ。
今でも新潟の柏崎とか東京から離れた所に作っているのはやはり事故を恐れているから東京に作れないのである。

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2013年10月10日

漁業権の素朴な疑問(2)(魚の話)



漁業権の素朴な疑問(2)

(魚の話)

●漁業権の本来の目的


漁業権とか入山権とかの権利はそもそも漁業権だったら貝類であれ魚であれ海の産物を育成して守ることが基本になっている。それが犯されると海の幸で生活しているものが生活できなくなるから深刻であった。それで浦安では漁業権を守るために三義人が死んて祭られている。それほどまでに漁業権は大事なものとしてあった。

浦安の歴史
http://members.jcom.home.ne.jp/ums/urayasu.html

原発か建てられた周辺の双葉相馬漁業組合の漁業権の矛盾は原発が建ったら海が汚され魚でも貝でもとれなくなる。その生活の場が失われことは命にかかわる。でも現代は別に金さえもらえば生活はできる。漁業するより十倍ものを金を補償金としてもらえるなら漁業するより金をもらって暮らした方がいいともなる。それだけ払える金か東電にはあった。

そもそも漁業権とは漁業を守るためのものに与えられていたのである。その漁業権を巨額な補償金とともに売り渡すということが矛盾している。理屈にあわないと他の人が言うのは当然である。素人の人が魚をとっていけないというがでは漁業権をもっている人がそれほと漁業のことを大事に思っているかとなるとそうではない、素人の人はただ釣りを楽しむ遊びだが俺たち漁師は命をかけて漁をしているのだ。その言い分もわかる。現実に漁は危険をともなっていて遭難する船が必ずある。松川浦でも最近でもあったし妻は無事を祈り送りだしていた。だから外から見れば漁師はそれだけ危険を犯して魚を獲って与えてくれるからありがたいとなる。前は石鰈を売りに来るのを食べていた。新鮮だからこれが一番うまい、ただ一匹二千円とかなったときもあり高いから地元の人でもあまり買わなかった。

そういう魚を食べられることはありがたいことだったのであり海側に住む人の特権でもあった。そして漁師は新鮮な魚しか食べない、とれたての魚しか食べない、二日もしたら古いとなる。自分でとったものを作ったものを食べる人は新鮮なものが食べられる。農家でも自分の畑からとれたてのものを食べるからうまいとなる。

日本でもサシミでもそうだが旬のものをとれれたてのものを食べることが文化であり健康を保つ所以だった。海の幸は特にそうだった。こうして石鰈を会津の友達に送り会津の身知らず柿が代わり送られてきた。この石鰈は会津の人に喜ばれたことがわかる。新鮮だからうまいとなるし食べられないものだからである。確かにスーパーで売っていたとしても古くなっているからうまくないのである。魚は鮮度が一番問題であるから


●江戸の魚河岸

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人いきれのなかを売り手の怒号のような声が飛び交います。威勢が良いというか、乱暴というか、まるで喧嘩でもしているかのような勢いですが、これが魚河岸流。何といっても魚は鮮度が命、サッと並べてパッと売ってしまうのを身上としましたから、恐ろしいほどの勢いで取引が行われます。魚河岸の威勢の良さは鮮魚の活きの良さと競争するようなものだったわけです。

だから魚河岸といえば江戸っ子の見本のようなものだといわれました
http://www.sakanaya.co.jp/history/03_02.html


江戸っ子の威勢のいい言葉ここから生まれている。日本橋に魚河岸があった。そこでは常にとれたての魚が取引されていた。だから魚を売る人買う人で人が行き交いにぎわっていた。日本橋でも空が明けてゆく江戸の街が描かれている。そこには魚を天秤棒で運ぶ魚屋がいる。大名は国へ日本橋をわたり出立してゆく、あの風景は冬なのだろう。


寒の空明けて大名に魚売り


こんな句が想像で作られる。庶民は目黒のサンマであり大名は鯛とかマグロとかカツオを食っていたのだろう。江戸の風景にはこの魚河岸とか魚売りか欠かせなかったのである。

ゆく春や鳥啼き魚の目はなみだ


芭蕉のこの句も不思議なものの一つである。これが何を意味しているのかいろいろ言われてもわかりにくいのである。魚の目となみだというとき隅田川を魚河岸と身近に暮らしていて魚を常に見ている親しいものだからこうして魚と常に接していたけどこの魚河岸ともお別れだなとという意味なのかもしれない、鳥が鳴くというとき何の鳥なのか?
鶯だと言われるが繁華な所に鳴いていたのか?鳥と魚が何か関係があるのか?
これほど不思議なの句もない、ただ魚の目は涙というときいかに魚を見ていたかだけはわかる。普通魚の目に注意している人はいない、ただ料理する時、魚の目に注意することはある。ともかく江戸の魚河岸の近くに住んでいたからこんな句が生まれたことは確かだろう。


浜通りは海に面しているし魚と関係している。原町区の金沢では前のように浦にってしまって一部が干潟になってしまった。そこにフグの稚魚だと思うが大量に押し寄せて跳ねていた。前にもフグを見たからフグは結構大量にいる。それを手づかみしてとった。子供に帰ったようで興奮した。子供の時とっていたのは川の魚である。海の魚は松川浦のような所に住んでいないとなじみがないのである。福島県の浜通りには海の文化がそれなりにあった。これは中通りや会津にはない。津波も400年前に現実にあり津神社がその時の記念として祭られていた。

いづれにしろ漁師でも自分たちでとったとれたての魚が食べられない、農民でも自分の土地でとれる米でも野菜でも食べられない、いくら補償金でまかてえてもそのことが一番わびしいやるせないことではないか?魚を自分でとることの喜び、そして自ら一番鮮度のいい魚を食べることが海に住むものの幸せだった。それは農民にも言えた。自ら実りを手にするときの喜びは他に変えがたいものがあったはずである。ただ現代は米にしても売るために作っている。米作くたってこの辺じゃ売れないよと言う時、自分で食べる米をすでに考えていない、売ることだけを考えている。それだけ金が必要になっているからそうなってしまったのである。


●漁民も農民も本来の目的をないがしろにしていた


ここでは漁業権のことを問題にしているけど漁業は宮城県の十分の一しか福島県には生産量がなかった。福島県でもそれほどの漁港がなかった。そしてそもそも第一次産業自体が全国で衰退していた。だから江戸時代のように漁業権を守るために死ぬほどのことはしない。かえって原発が建つからそれて多額の補償金の虜になるのもわかる。
ただ漁業権はもともとは海の資源を育て守るために漁業権が与えられているのであり
東電から補償金をもらうために漁業権が与えられているのではなかった。
そこが理屈にあわないし外から見ても納得がいかないのだ。

だから海は誰ものですか、漁業組合のものですかと疑問になった。漁業組合が独占するものですか?海とはみんなのもでありただ漁師に漁業組合に委託されたものではなかったか?それはあくまでも海の資源を守るためであり東電に漁業権を売り渡し多額の補償金をもらうためではなかった。そんなことのために漁業権が与えられてはいなかった。

そもそも自然は誰のもでもない、その土地だって農民のものとは限らない、もちろん農協のものでもない、それはただ委託されたものであり所有できるものでもないのだ。
たた先住民にはそれなりの権利があった。ただその権利が農地でも農業を守り育てるものとは違い企業に売るものとして権利が変わった時漁業権でも農業権でも変わってしまった。

だから歴史的にも漁業権でも農地でも本来の目的のための権利ではない、それが会社や国から補償金を得るための権益と化してしまっていたのである。
漁業権もない農地もない人も別に田舎に住んでいる。その人たちは全く権利がないのか、直接たずさわらない人には全く権利がないのかとなった。
外部のものは何にも言うなとかなるとそれはただ私益のためであり結果的に海は汚染されてしまった。だから漁業権に対して外部のものが何も言えないこと権利ももたされないということが何か理屈にあわないものでもあったのだ。
これは原発に土地を売った人でもそうである。その土地が権益化してその狭い土地を買えば原発が建てられるというのも危険なことだった。ただ直接原発が建つためにはそうした狭い範囲の許可があれば建てられたのである。でも事故が起きて広範囲に被害があり原発はそんな狭い範囲で決めていいものではなかったのである。


ただ原発は何なのか、国自体も安易すぎたのである。最初、読売新聞の正力松太郎がアメリカのエージェントとなり自分の野心のために原発を利用しようとして宣伝した。
マスメデアの国民の洗脳が最初にあり今度はそれにのっかって政府が中曽根首相などが原発導入に政治的に働きかけた。原発というものが何か深く国民的議論や国レベルでも検討していないのである。一番変に思ったのはアメリカでは地震や津波を恐れて西海岸に原発を作らず東側に作っていた。アメリカの方が安全性には注意を払っていた。
日本では地震国であり津波国なのに国の風土を考えず原発を安易に導入した。
第一なぜ読売新聞社の社長が率先して原発導入したかもわかりにくい。
アメリカに古いマーク1を買わされたといっても日本の責任で買ったことになるから日本に責任がないとは言えない、拒否もできた。


結局原発は人間の限りない欲望の象徴と化していたのだ。東電の経済力は3兆円の資産があったとか田舎では想像を越えたものとなっていた。だから金であらゆるものを買収できたのである。官僚自体もそうであり天下り先となっていたし地域でもそうである。
原発の問題の根源には一電力会社では原発は危険だから国で保証してくれないとやれないとなっていた。原発は国策として作られたものであり国の責任も重かったのである。

一地域とかの問題ではなかった。国自体の問題であった。ところが国といっても国ってなんだろうとなる。国も読売新聞社の社長に私物化されたり一東電の会社の意のままにされるとか権力をもっているものに意のままにされる私物化される。現代では国より会社が大きな存在となる時、会社の方が国じゃないかとさえなる。ただ東電でも国のお墨付きが与えられなければ原発は作れなかった。ともかく原発は一地域のレベルの問題ではなかった。国家的な重要問題であったけど国は管理を怠り東電の意のままになっていたのである。
つまり現代は国といってもそれほどの力がなく会社の力が巨大であり会社の意向のままに動く。なぜなら国家の一員というより常に活動しているのは会社の一員として日々活動しているからだ。戦争の時だったらまさに命をかけて国家の一員として活動していたことになる。現代は企業戦士というように国家の力が希薄になっているからかえって問題を起こしたともなる。

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干潟と化した金沢地域

ここはもともと浦だったのである、その浦にもどったのである。
ただ水門から魚が大量に進入してきた。
ここで魚がぴちぴち跳ねていた。
だから手掴みで5匹とってきた

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この稚魚だけどやはたフグの子なのか?
稚魚でもフグは毒がある書いてあった。
これを野良猫に食わせたら中毒になったかもしれない、
猫は内蔵う食う食うからである。
あそこが干潟になれば様々な海の生物がすみつくようになる
松川浦には干潟はないからだ

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2013年10月18日

原発事故の責任のなすりあい (一体誰が責任者だったのか?権力の独占巨大化が事故を生んだ)

 

原発事故の責任のなすりあい

(一体誰が責任者だったのか?権力の独占巨大化が事故を生んだ)

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●政府の責任の方が重かった?


原発事故は今や責任のなすり合いになっている。東電が責められているが東電に言い分あり主張しているのがネットにあった。政府に責任がある。保安院に責任がある。政府の許可と命令があって原発は作られた。政府の指導の下に東電が作ったのであり主導権は政府にあった。だから東電が責任者ではなく政府である。なぜもっと専門的技術者を雇い政府で管理しなかったのか?それを強く問うている。これも一理ある。保安院まるで機能していなかったのは東電の責任ではなく政府の責任だというのも正論になる。
全部が東電の責任とはならない。


政府はもともと原発導入に関してその危険性を専門家に詳しく調査させたり論議させたりしていないのだ。そもそも読売新聞社の正力松太郎が自分の野望のためにアメリカのエージェントとなり新聞やテレビを通じて安全性を宣伝したのである。それにのって中曽根首相などが原発を推進した。その時日本では地震が頻発するから危険だとか津波が起きるから危険だとか論議されていないのだ。原発というものに対して政府の対処は非常にずさんだったのである。

アメリカを見ればわかる、アメリカの方が地震対策していた。西側には建てずほとんど東側に建てた。西側は地震があるからだ。日本はこれだけの地震国なのにそもそも原発にあった風土なのかも検討されていなかったのである。ただそこにアメリカのおしつけとかがあり断れないとかがあったのかせしれない、アメリカの強制が原発には多分にあった。

でも日本側でも断ることはできたのである。すでにこの最初の段階で事故の起きる種がまかれていたのである。

考えてみれば東電がすべてしきり何でもできるようにはなっていなかった。保安院が権限があるのだから東電が一旦高くして作って建てたのを不便でありコストカットのためわざわざ低くした時、保安院が拒否すればできないことだったのである。そういう権限が政府にはあった。もし権限がないなら責任もないである。権力をもつことは責任をもたされることである。ただ闇雲に権力を欲しいと活動するがその権力には重い責任が課せられている。何でも権力があるからできるということではないのだ。

ただ原発に関してはとても東電の能力に勝るものはないから結局は東電にまかせきりにてってしまった。それだけ原発というのは専門性が高く政府でも管理とか対処できないものだったのである。現代の社会はあまりにも複雑であり政府がすべてに対処できない、会社の方が政府より専門性でも上なのだから政府が監査すこともできなのである。
結果的には政府がすべて指導できない、会社が指導することになってしまう会社社会なのである。大企業に付属して政府があるともなっている。だから会社が暴走すると政府は何もできなくなる。そこに大きな危険がひそんでいる。


●市町村の自治体の責任


自治体の責任も大きかった。大島の土砂災害でもなぜ避難警告を出さなかったのかと町長が責められている。気象庁では危険を町長に知らせていた。しかし町長は夜ということで被害がかえって拡大すると避難警告を出さなかった。ここでわかったことは町長とか自治体の権限が国より大きいことであった。気象庁で政府で勧告しても避難指示を出す権限は町長にあった。そして町長の権限と責任がいかに重いものか知った。

この辺でも津波原発事故で市町村長の責任がいろいす問われる。それは現実が深刻だからどうかしてくれとなり何もしてくれないとなり市長は何にも役に立たないからやめるべきだとか南相馬市でも言われている。いかに重い責任がのしうかかっているかわかる。
だからこんな緊急時に重責をになえるのはよほどの人でないとできないだろう。

ただ誤解しているのは国の権限がすべてではなかったということである。国の命令に
自治体がすべて従うことはない、国の権力がすべてではない、現代は国の権力が弱体化しているのだ。むしろ会社の権力が強大となっていることが東電などをみてもわかる。
それはし社会が専門的になり政府とて容易に立ち入れない、特に原発ではそうだった。
それは自治体でも原発が何かというときこれに対処することは容易でない、原発のことがわかるのか?放射能のことがわかるのかというとほとんどわからないし質問することさえはばかれるだろう。専門家がまずそうした素人をシャットアウトしているから質問すらできない状態だったのである。だから専門家社会の問題を前に指摘した。


科学コミュニケーション以前の段階のクライシスコミュニケーションや具体的な対応策で明らかな失敗をした政府・行政の関係者や、まともな専門家の主張を取り上げず政府・行政に悪影響を与えたメディア関係者ではないでしょうか。
http://icchou20.blog94.fc2.com/blog-entry-452.html


だから原発事故の責任が一体どこにあったのか?今やそれぞれのなすりあいになっいる。それは戦争の時と同じである。みんな責任のなすりあいになる。そして不思議なのは原発など素人にはわかりにくいのだから専門家の科学者技術者にも相当な責任があった。
でもその科学者とか学者とか技術者き責任はあまり問われないのである。
つまり科学が現代の宗教になっているとき医療でも医者のミスは問われないように科学社会だから科学は一つの信仰だから科学者は現代の司祭だから責任が問われない、医療でも必ずあらゆる病気は直せるという信仰になっている。失敗があっても今は直せないが科学者は直してくれるという信仰になっているからミスの責任も問われないのである。原発も今は危険でも研究が進めば危険でなくなるという信仰があるから科学者の責任は問われないのである。科学専門家が現代の司祭だからそうなる。ミに払っていた。だからほとんどの知識人にも東電から金が流れていたのである。

東電の罪はそうした巨大な権力があったということなのである。だから権力を独占するとそれがいかにいいものでも悪いものになる。権力があれば何でもできる、権力のないものは何もできない、たまっていろとなるだけになる。

ただ自治体が責任あるというとき原発を許可するのは政府でもなかった。そこに住んでいる住民が自治体が拒否すれば拒否できたのである。現実に新潟県の巻町では原発を拒否したから建っていない。町民を二分しても拒否する方が強く原発を作らなかったのである。このことも良く検討されていない、原発には福島県の知事も権限をもっていた。知事の許可があると建てられる田とになっていた。ただその前に市町村の自治体で導入が決められるのである。


●住民の責任


今はなぜ双葉でも大熊でも浪江でも原発を誘致した住民は手厚い補償金をもらっているのかと国民から責められている。盛んに住民が積極的に原発を誘致したのだから住民に責任があるのになぜそんなに補償金が払われるのか、それは国民の俺たちの税金が使われているだ。住民も責任があり責任をとるべきでありそんな補償金をもらう資格がないと責められる。ではその住民を責める国民にもまた責任があったのである。なぜなら原発が国策であったなら国民が支持して作られたのであり政府かその意志を代行しただけだともなる。住民を責める国民に全く責任がないとは言えないのだ。つまり原発は日本国民の責任で導入したものだとなる。だから日本国民全部に責任がある。そういう理屈になってゆく。
何かこれは戦争の責任論と通じるものがある。戦争も結局誰が責任あったのか今でももめているからだ。


住民のなかでもまた責任が分かれる。前にも書いてきたけど漁業組合が一番責任があるという時、原発は住民といっても全部の住民ではない、漁業権をもっている漁業組合の許可がないと建てられないのである。とすると漁業組合が反対すれば原発は建てられないとなっていた。そうなれば漁業組合の責任は重いものとなる。原発前もあとでも補償金が一番大きいのが漁業者だったから批判されている。原発御殿が建っていたとか言われる。船主になると億の金が入ってきたとかも言われるし富岡町長の5億円の金庫が流されたことが話題になった。


ては責任とは何にあるのか?それは権力や実質的権限をもっているものに責任が課せられているのだ。権力がないものには責任はないのである。つまり政府でも公務員でも会社でも検察でもマスコミでも権力をもっているから責任が問われる。マスコミでも報道する権力をもっているから問われる。今では確かにインターネットで個々人でも報道する権力を持つようになった。でもまだまだその力は弱い。報道できることは大きな権力だったのである。権力をもたないものは責任がないともなる。何もできないものは何の権限も与えられないもは責任もないのである。自分の本を図書館に置くのを断った公務員は権限をもっていた。公務員はそれなりに権力をもっているのだ。特に一個人は現代では権力がないから簡単に無視されるのである。


現代の権力構造はすべて団体にある。団体化したとき権力をもつからみんな団体化組織化して権力をもち社会に訴える。そこであらゆる団体化組織化した間で権力闘争が行われる。そこにはカルト宗教団体も組み入れられている。団体化は宗教とは今は何ら関係ない、大きな利権なのである。利権追求団体でしかない、カルトではない檀家でもそうであり
京都は僧侶が寺院が観光利権をにぎって金持ちになっているのだ。何らか組合とか団体化とか組織化したら利権追求団体としてあるのだ。無数にある会社自体がそうである。
こういう社会は一見個人が主張しているようでも団体の利権の代表者なのである。
必ず背後に団体組織があって主張できるのである。そこが見えないからだまされるのである。マスコミに出れる人は学者の芸能関係事務所の人だということでもわかる。
その人選は団体の意向を代弁する人なのである。東電では電事連でも莫大な宣伝費をマスコミに払っていた。だからほとんどの知識人にも東電から金が流れていたのである。

東電の罪はそうした巨大な権力があったということなのである。だから権力を独占するとそれがいかにいいものでも悪いものになる。権力があれば何でもできる、権力のないものは何もできない、たまっていろとなるだけになる。

なぜ自分が権力というものにこだわるのか?それはなぜ創価などがあれほど権力追求になっていたかという反省だった。そこでは権力さえとればすべてがかなうという信仰になっていたのである。もう宗教など関係ない巨大権力化したものを人は恐れるのである。宗教が権力をもつことほど本末転倒なことはない、巨大な団体組織と化して脅しつけるこれは宗教とは正反対のことなのである。お前ら罰あたるぞというときそれが一人なら何の影響力もない。でも7百万人でも一体となって言えば恐ろしいものとなるし脅迫である。それは何ら宗教とは関係はないにしろそうなる。だから政教分離の法律が西欧ではできた。
宗教が権力をもつこと自体が否定されるべきものとしてあったのだ。イスラムでも原理主義者が権力をもつことで問題が起きた。それは人間の普遍的課題としてもあった。
別に個人で信仰の自由はある。団体組織化するときそれは権力志向になっているから問題になる。でも実際はすべて団体組織化しているのが宗教なのである。


権力をもつことは誰でもわかりやすいから権力志向はとめることができない、それは人間の欲望と密接に結びついている。人間の欲望をとめることはできないから権力志向せとめることはできない、権力という時、金か誰でも欲しいというとき、金を一番もつものが権力をもつことになる。だからたいした金てなくても金がある人は権力をもっているから責任がある。金持ちはただ金があるからといって浪費していいとはならない。それはやはり必ず責められることになる。でも実際はそんなことはかまわずみんな金が欲しいとなるのだ。東電てもあれだけの巨大会社だから政府でもマスコミでも何でも金で動かせるとなっていた。天下り先として検察も警察関係者も入っていてたいして仕事しなくても巨額の報酬がもらえたのである。権力にはそれだけうまみがあるからみんな下々のものも権力が欲しいとなりその権力が得られということてカルト宗教団体に入ったりする。結局このことは別に今に始まったことではない、権力闘争は人間が生まれてから始まっていたのである。


結局カルト宗教団体でも何でも団体化して組織化して社会に権力を独占するようになるとそれは必ず弊害を生む。権力をもつものを否定できないにしろそうした権力を抑制する装置がないと社会は大きな権力をもつものに一方的に蹂躙される。それは一党独裁のファシズムになることは歴史が証明している。だから民主主義が生まれ一党独裁とか独占とかを抑制しようとした。三権分立にもそういう思想があってできた制度である。
原発事故の原因は複雑にしろ根本的には権力の独占だったのである。

 
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2013年10月25日

人はなぜ御用学者になるのか?」島村英紀を読む (科学者は政治家、企業、マスメデアの力に対抗できない弱い立場?)


「人はなぜ御用学者になるのか?」島村英紀を読む

(科学者は政治家、企業、マスメデアの力に対抗できない弱い立場?)

●科学者のことが素人にはわからない


現代が科学の時代というときそもそも科学というのが素人には近づけないものになっている。専門家しかそこには近づけないし何をしているのかもわかりにくい。科学者も他の専門家が何を研究しているかもわほからないという。それもそうである。それだけ科学にしても多岐に分化している。無数に科学という分野でもパーツ化している。
今回の原発事故では盛んに科学者の責任も問われた。しかし科学者というのはベールにつつまれていた存在であり普通の人は何をしているかもわからない。また問うこともできなくなっている。それはまた危険にも通じていた。錬金術師でありいかがわしいとされた中世とは違いか科学者は社会の重要な責務を与えられたエリートである。
ただこの本では科学者は非力な存在だとしているのは理解できない、科学者でもいろいろあり医者とかとはまた違ったものなのだろう。
科学という時自分は科学音痴であり数学音痴であり高校も落第して卒業できないような状態だった。その原因が数学とか科学が嫌いであり他の勉強も嫌いだった。
受験勉強で強いられてしていただけである。性格がわがままで団体生活になじめなかった。多分に勉強嫌いになったのはそうした自分の責任もあった。

若い時の影響はあとあとまでつづく、三流大学を出ても仕事をしたのはアルバイトでありその時していたのがほとんど流れ作業でありそれ以来仕事したくなくなって今日にいたっている。だから科学アレルギーであり科学について語ることがはばかれるしそういう知識も能力もないのである。ただこの辺がこんな原発事故になったとき否応なく放射能被害にあいみんな放射線量を計ったりして知らないでいられない状態になったのである。

原子核がどうのこうのという次元で素人にはもうついていけないのが科学てある。
でも今はもう科学なしではありえない社会である。科学が宗教になっている時代である。でも科学者というと一体何なのだろうとなり問う術もないのである。

科学でも例えば地震のことなると耐震性を考える時、それは日本の歴史を振り返れば古代から地震に備えて法隆寺の五重塔などが作られていた。それは今でも倒れずに残っているから日本の技術は優れていたと評価される。それでも五重塔どまりであり七重の塔はない、古代に奈良時代にはあったがなくなった。その土台だけが残っている。七重の塔は地震に耐えられなかったのである。城にしても会津の城がもとも七層であった黒川城だったが地震で壊れ今の五層の城になったのである。


日本ではそもそも地震が多いから地震に強い建築が発達するのは風土によっていた。技術も風土が影響する。絶えず風が吹いている所では風を利用するものができてくる。風車はアラビアの方からオランダに伝わったという時、砂漠辺りだと風が絶えず吹いているから風車が向いている。それぞれの国にはその国にマッチした技術が発達する。日本では木の国だから木の建築が多いから木に対する技術が発達する。またトンネルが多いからトンネル技術は優れている。山国だから絶えずトンネルを掘る必要があるからだ。

必要は発明の母になる。大陸ではどこまでも平地がつづく風土でありそこでは見晴らしを重んじる塔がどこでも建っている。それは中国でもそうでありその塔は日本のより何倍も高いのだ。塔の文化は外国にある。それでも地震で一部破壊されることは必ず経験している。ただあれだけ塔が建つのはやはり必要性と風土にマッチしていたのである。
アメリカでは地震が起きる西側には原発を極力作らず東側に作っていた。アメリカの方が地震に警戒して日本では地震国であり津浪国であった。それを科学者が考慮していということはなぜたったのか?なぜ科学者は御用学者になったのか?それをこの本では問うている。

●権力をもつものが責任が課せられていた


科学者も政治の圧力、企業の圧力、マスメデアに圧力に弱い非力なものだという。研究費でもなかなか得られず政治や企業やマスメデアを恐れるのはそのためである。予算が出ないと研究も進められない、予算を握るのは政治家だとすると政治の圧力に屈することになる。つまり政治主導で原発も進められることになっていた。マスメデアも集団で取材に来る時は怖いというのは実感なのだろう。マスメデアはそれだけ権力を実際にもっていて強制できるのである。本当ははマスメデアは私的な会社であり私的な利益を追求しているのだけど電波を独占したから権力をもつようになった。それだけ特権が与えられたのだからまた公的なものとして責任が与えられたのである。今回の原発事故では誰か責任者なのか戦争と同じように問われた。それは権力をもっているものがやはり責任の度合いが重かった。それは何でもそうである。権力には責任が課せられている。権力が悪用されると致命的なものとして被害を受ける。軍隊でも権力でありこれを悪用したら恐ろしいことになる。検察でもそうである。警察が権力を悪用すると恐ろしい木はそのためである。公務員でも権力をもっていているから影響が大きい。戦国時代も様々な権力の相剋であり戦いだった。今でもは様々な利権団体か権力でもって利権を利益を得るために戦っている。


今回の原発事故では漁業組合が天罰だったとか責められるのは一番原発に対して権力を行使する立場にあったからである。漁業組合が拒否すれば原発は建てられなかったからである。それが東電に漁業権を売りわたし巨額の補償金をもらっていた。今でもそうである。そもそもおかしいのは漁業権とは何のためなのか?海の資源を守るためにあるとしたらそういう責任も果たしていなかったのである。つまり権利とかが与えられるのは権力が与えられるのは責任が課せられていたのである。一般的金の時代になると金のもっている人は責任を課せられている。ある金持ちの子供は家庭教師を三人もつけられているが全く効果がないという、こういう人は金持ちとして責任が果たせないからとがめられくだろう。
金持ちでも放蕩したりしたらそれもとがめちれる。金は実際はみんなの共有のものであり役に立たせないと責められるのである。金があるからと勝手に何でも使っていいとはならないのだ。

●権力をもっていたものは科学者ではなかった


原発関係の科学者がほとんど御用学者になったのはそのためだという。理系と文系とか分かれて論議されるが文系が支配しているからこうなったとかとも理系の人は言う。理系と文系が何のかこれまた良くわからないが研究者は理系である。現代のように科学技術社会になれば理系が支配者になるのかと思ったが文系指導になっているのかとも思った。もちろん指導者になるのは理系の人もいる。どういうわけか民主党では首相になった人は鳩山でも管でも優秀な理系だった。でも原発事故ては何の力も発揮しなかった。つまり理系の指導者だから現代の指導に適しているとはならないのだろう。そもそも原発事故が起きてわかったことは原発というのは広範囲な総合的なものとして起こっていたのである。すでに理系が中心でもその原因を探れば社会の人的組織の問題であり狭い原子核だけを研究していることだけては治まりつかないものになっていたのである。


ただ明らかに現代社会の複雑なシステムのなかで起きたものでありその原因は理系の科学者だけのものではなかった。政治問題であり情報にしてもマスメデアの報道も責任かあった。そういう複合的社会全体の問題として原発事故が起きたのである。それは日本の戦争の敗北ともにていただから第二の敗戦とまげ言われたのである。マスメデアの責任というとき津波警報では狼少年になっていたという指摘もそうである。絶えず現代は情報洪水になっている。インターネットでさらに情報が無限大になり何が重要かもからなくなっている。情報を自主的に選択しようにもできない状態、情報のカオスにもなっている。


今までは何が重要かはマスメデアが決めていた。マスメデアに出れば大勢の人にしられるだけであたかも重要人物のようにされる。アナウンサーは本来なにか重要な人物ではないただニュースを伝えるだけのものである。でもアナウサーが主役になっている。それはテレビというメデアが媒体がそうさせてきたのである。朝にテレビのニュースを見るから自ずとアナウサーが全面にでてきてあれやこれやその中心になっている。ただ事実を伝えるだけの違う,必ずなにかにやと批評して色をつけるからその色をつけたものが頭に刷り込まれるのである。そういうことは常にテレビでは行われてきた。ただ大衆は面白いものわかやすいものでないと見ないからその原因は大衆にもあったのである。実際にテレビ局では馬鹿な大衆をいかに操作するかそれが俺たちの仕事だとまで言っている。


●情報洪水社会で情報を的確に処理できなくなったのも原因


だから地震にしても津浪にしても今回その伝え方が問題になった。それ以上にそもそもがマスメデアがもっている問題があった。気象庁でも常に予報を出しているがそうした地震情報とか津浪情報に慣れていてかえって軽く見てしまった。また地震か津浪も来るにしてもそんてものかと避難しなかったのである。それは結局情報時代は常に情報の洪水にあり何が重要なのかどう判断するのかそうした自主性が大衆に欠けているからそうなる。

情報の洪水という時、ある情報が次から次と流れているともう情報の稀少性が喪失する。毎日起きる事件の報道がそうである。事件ばかり報道していると事件の起きることに麻痺してしまい驚くこともない、それが津浪にも波及していた。常に報道されることだからまたかというふうになり軽くみてしまう。情報が多くなりすぎて無関心化しているということもある。情報はいろいろな番組があってもその人自身の興味や経験で深くコンタクトしないと情報の価値がでてこないのである。例えば松本城の紹介で松姫が持ち歩いたという道中お守り筒に興味をもった。なぜか旅が長いから江戸時代の旅に興味がりなるほど江戸時代の旅は苦労が多いからあのようなものをお守りとしてもって旅していたことに共感したのである。あんな大きなものだったということが今のお守りは違って旅するにもいかに苦労が多いからとそれをみれば一目瞭然になる。そういうふうにして昔の残された物から想像力を働かせてゆくことで歴史に興味を覚える。松姫が24歳で死んだのもあわれだともなる。そこには松本城には様々なストーリーが編まれているのだ。松本城もまた耐震性建築では優れていたというのもやはり日本の匠の技がそこにあったのである。


文系でも科学に原発でも何らかタッチする方法があったのかもしれない、ただ安全神話が作られてアンタッチャブルなってしまった。その安全神話を作ったのは御用学者だけではない、戦争の時のように大本営発表の権力構造が作られていてそうなった。だから第二の敗戦と言われたのである。ただ戦争の時のように原発は華々しいものではなく周到に隠されてそうした神話は作られてしまったのである。事故は起こらないは日本は戦争には負けない、神の国だから負けないという傲慢と同じだったのである。それが津浪で打ち砕かれたのである。何より日本が地震国であり津浪国だということすら日本人が自覚していなかった。だからこそ安易に原発を導入したのである。それは科学者の責任でもあったが科学者が非力だったとすると政治や官僚やマスメデアとかそうした社会構造の権力にも由来していた。

そこで見直されたのは実に広範囲なものでありとても科学者だけが責任あったというものでもなかった。社会構造そのものが原発事故を引き起こしたともなる。明らかに原発を誘致した側の地元にもあった。その原因はすべてが利をも求め自らの欲望しか眼中にない、東電から電事連から広告代でも高くむしとりればいいとかマスメデアでなっていた。それは科学技術社会になれば必然的に起こるものだったともなる。
でも科学時代を指導するものはやはりその権力をもった人たちである。権力が独占される暴走することが必ず悲劇を生むのである。科学技術も今や制御できない巨大な権力でありその権力に蹂躙されてしまう。だから人間は科学技術と心中するとまでなってしまう。
原発は外国に売るためにはやめられない、原発と心中するのだとまでなってしまう。


島村英紀氏のホームページ
http://shima3.fc2web.com/

ここでだいたいの要点は読めていた。本だと1500円で高かった。でも本は全体の要点を読むにはいい、ネットはこまぎれになりやすく要旨がとらえにくいのである。
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2013年11月01日

戦後経済を振り返る (石炭ー石油ー原発は文明を支えるもので最終的に滅亡)


戦後経済を振り返る

(石炭ー石油ー原発は文明を支えるもので最終的に滅亡)

中核になったのが炭鉱であり国鉄であり、いわゆる昔の「3公社5現業」の構造である。

人間が太陽の恵みのみを唯一の生産行為として時代は過去のものとなり、人間がエネルギーを利用して人間へものを供給する時代それが産業革命以降の流れになってきたのだから。
http://speech.comet.mepage.jp/news02/mint_106.htm


確かに福島県でも常磐炭鉱は有名であった。その記念館が今もある。そして国鉄も大きな力をもっていた。社会党のバックは国鉄でありそれは一貫して変わらなかった。その社会党は反対するだけの党として長い間国会で存続していたのも不思議である。その社会党も今になと全く過去のものになった。その後続の社民党などあるのかないのか消えるのかとかなっている。社会党というと万年野党として団塊の世代でも印象づけられていた。

それもいつのまにか遠い過去になっていた。国鉄がなぜあれほど大きな力をもっていたのか?それは全国の輸送網を握っていたからだ。それは東京という中心だけではない地方に根を張っていた組織だった。国鉄職員はエリートでありそれは明治維新以来、鉄道は国家なりということもあったのだ。だから国鉄が民営化されると国鉄職員には組合が大きく退職金が高いものであった。ちょうどその時、日本経済が高度成長の最中でありそれだけの資金を用意することができたのである。地方でも国鉄職員は多く地方の経済もになっていたのである。国鉄の官舎なども駅前にあり国鉄がいかに全国に根を張っていたかわかる。蒸気機関車の時代が燃料が石炭だったのだから常磐炭鉱とも直接結びついていたのである。国鉄とか社会党とかは全く過去のものになってしまった。だから社会党という名前も知らない何だったのか知らない若い人も増えてくる。過去のもの歴史になってしまったのである。


戦後のはじめは農業社会の継続であり農協が一時勢力をもっていた。農協は世界まで知られていた。その農協をバッグにして自民党があった。自民党が50年も政権担当できたのはなぜか?それは社会党のように国鉄とか特定の企業の組合を票田としていない、国民的政党だったからだというのもそうかもしれない、社会党は国鉄であれ一部の大企業の組合の代弁者だったところに政権がとれない限界があった。そして国鉄が車社会になり民営化されたりしていつのまにか消滅してしまった。ただ今になると社会党はそれなりに長い間万年野党でも存在感があった。でも今や社会党を知っている世代はみんな老人になっている。政治というのはその時代の勢力あるものをバッグにして成立している。その後自民党の長期政権で田中首相が有名だけとその時は日本列島改造論でゼネコンか政治のパッグになっていた。それも時代を反映していたのである。高度成長にのってまさに日本列島がゼネコンの仕事場になった。全国の道路網などの整備が行われた。そのゼネコンの力も高度成長が終わると衰退した。そしてそのあとはバブルであり低成長不況とか失われた20年とか日本経済は低迷がつづき今日にいたっている。


だから何が経済をひっぱっているのか明確ではない、車の生産と電機関係と最近はIT熱があった。でも国鉄とか農協とかゼネコンとか明確な大きな牽引力となる力は見えない時代になった。ただ電力会社が電機は国家なりとなっていたことは確かである。
東電があれだけ大きな会社だと知らなかった。エネルギーは人間の血液のような働きをする。エネルギーが作り出すものによって文明は変わる。石油の前は石炭でありイギリスで産業革命が起きたのは石炭が自前でとれたからであった。それが蒸気機関車とかの発明になり世界的に普及したのである。それは石炭がとれたということにあったのである。

イギリスの対岸のカレ-という所でゴッホが石炭の採掘場で一時働いていたことでもわかる。石炭がエネルギー源の時はどこでも石炭が重要であった。福島県でも石炭をいたるところで少量でも探してとっていたのである。この辺でも南相馬市の鹿島区の小池で石炭とっていた女性がいた。そんなところでとっていたのかとなるが日本全国極めて小規模でも石炭を探してとっていたのである。それだけ石炭を必要としていたのである。
エネルギーか産業の血だからそうなっていたのである。


なぜ日本が戦争に負けたかというと石油の流通が海上でとめられたからだったとか常に言われのもそうである。石油がなければ船も飛行機も動かせないからである。その反省から軍人だった正力松太郎とか中曽根首相は原発を作るために奔走した。日本はアメリカの科学技術に負けたから科学技術を進行させることが国力を増すことだと思ってそうしたのである。文明はエネルギーが作るとなれば原発が文明を作るともなる。
インカ帝国では太陽を崇めていたがそれは当然太陽がエネルギーの基だと自然になってたからそうなった。それで太陽の力が弱ると終わりだとなり太陽に生贄がささげられた。
これは一見野蛮な科学を知らない時代だからそうなったと思うが今も変わりなかった。
エネルギーか供給できなければ文明は終わりなるのである。そうしたら文明を維持するためにエネルギーが必要であり原発だって必要だからそのための犠牲はやむをえないとなる。つまり福島県人のように生贄にされるということである。


つまり大きく考えればエネルギーは文明の問題であり原発も文明の問題である。トルコ辺りでも経済が発展すると必ずエネルギーがたりなくなるから日本から原発をつくってもらいたとなり承認した。日本でこれだけの事故が起きたのになぜなのかと思うが文明を維持するために発展するために原発を必要としている。それ意外の方策がないからそうしている。だから文明というのは最終的に原発と心中して崩壊するとまでなる。文明の維持のために人間の命は犠牲にされても文明は維持されねばならないのである。それが人間の運命だとなってしまうのである。原発問題は文明の発展過程で必然的に起きたことであり最終的には文明が滅亡する過程として原発事故が起きた。そしてその犠牲になったのが福島県だったとなる。文明の崩壊をまのあたりにして見たのが自分の住んでいる場所だったともなるのだ。



原子力規制委員会は30日、福島第1原発4号機の使用済み燃料プールから「燃料棒」を取り出す実施計画を認可した。水素爆発で破壊された建屋から、使用済み燃料1331体未使用燃料202体の計1533体もの燃料を取り出す作業は人類史上初だ。
地上に運ぶ際、何らかのトラブルでキャスクが傷付いたり、落下したりして燃料棒が空気に触れれば、たちまち即死レベルの放射性物質が放出される。仮に1500本を超える燃料棒がムキ出しになれば、放出される放射性物質の量はチェルノブイリ事故の10倍。東日本に人が住めなくなるのは間違いない。失敗が許されない命懸けの「UFOキャッチャー」作戦だ。




今でもこうした危険性があり事故は収束していない、それは東日本全体で人が住めなくなるとかの危険性なのである。それは日本の滅亡であり将来的には世界全体の滅亡に実際問題してありうることを現実に示しているのだ。空想ではなく未だに現実問題として文明崩壊、滅亡の危機にさらされているのだ。
posted by 老鶯 at 10:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連