2011年11月29日

震災被害地の冬(残る残らないでゆれる心)


震災被害地の冬(残る残らないでゆれる心)



小高区の仮設に住みて落葉かな


人消えて雪のふるかな一本の松の残りて車行き交ふ


飯館に風花舞いてアグリなる喫茶店あり我がよりにしを


5つほど石のよりあい飯館に人のあれかし冬になるとも

この辺は何か津波から原発事故になってから奇妙な異常事態になってしまった。この辺の大きなテ-マが「残る」ということになっている。残って住んでいけるのかどうかが常に問題になる。
仮設住宅に住んでいること自体、すでに故郷に住めない状態を作り出しているのだから一体故郷に帰り残り住めるのだろうか?そういうことが常に現実問題として離れることはないだろう。一応30キロ圏外でも何かそういう気分の中にある。現実に飯館や20キロ圏内では人は住んでいないのだ。
残っていないのだ。だから残るということが重要なテ-マとなる。津波の被害にあった三陸などもそうである。そこに残れるのか残れないのかということが迫られている。現実にもう残れないとあきらめて住居を移す人もいる。なんとか残ろうと頑張る人もいる。常に残るか残らないかが迫られる。

この辺でも若い人は残れないと思う人はすでに住居を移している。残ろうとする人と残れない人とが分かれている。飯館村でもこれから残ろうとする老人組などともう残れないとする若い人たちが分かれている。そういうことで気持ちが引き裂かれているのだ。ここにはもう将来がないとあきらめて残らないと決めた若い人たちもいる。でも老人は残る他ないとここにいる。


残るというとき人だけではない、それは自然もそうなのである。津波で残った松とか庭の石とか家でも地名として残り谷-残り家というのが岩手県の津波の被害にあった海岸の集落に残ったのがわかる。家がなんとか残ったなということで地名化した。それは残らない家が多かったから残った家が貴重になった。陸前高田市では一本だけが残った松が奇跡の松となった。何万本の松が流されたからだ。飯館村では川俣に通じる幹線道路の一本の松は住民が消えても残っている。自然は残っている。でも住民は消えたという不思議がある。放射能汚染があっても自然は消えていない、飯館村とか立入禁止区域には残されたものがいろいろある。それらは残ったままなのである。残ったものと残らないものとの間で心がゆれている。なぜなら完全に故郷に帰らないといいうわけでもないからだ。いづれは帰るとはなっているから残されたものに思いを深める。これは数人とかの思いではない、避難した全員の気持ちであり30キロ圏外で避難しなくてもこの辺の人々の気持ちがそうなっているのだ。「残る」ということが常にテ-マとなってしまうのである。見切りをつけて残らないという人もいるしなおも残るという人もいる。そういうゆれる気持ちが働いていて落ち着かないのである。


飯館村のアグリというパンが食べられる喫茶店も終わった。それも福島市でまたはじめた。場所として飯館村は良かった。でも飯館村ではもう再開しないのだろう。そもそも飯館村が人々が帰れるのか帰れないのかわからない、でもまだ自然は残っている。墓も残っている。家も残っている。いろいろ残っているものがある。人々も残ってゆくのかそれがわからない、ただ残る残らないとか心がゆれたまま今年は終わってゆく、これは津波の被害にあったところでも同じである。果たして残って前のような生活に戻れのか、もう残れないのかということが常にも問題になっている。いづれにしろ仮設住宅手仕事もしないが金をもらっているからパチンコや飲み屋が繁盛しているとか異常である。金をもらっているから働かないという人々もでているという。酒を飲んでいる人もいる。そんな状態がつづいたらどうなるのか?精神的にこの辺は荒廃してしまうのではないか?ただどうしていいのかわからないというのが現状である。おそらくやはり20キロ圏内でも帰らない限り落ち着かないだろう。全体が落ち着かないのである。30キロ圏外でもそうなのである。ここでは落ち着いた生活が回復するのはいつになるのか?落ち着かないとそれぞれが落ち着いて仕事もできないのである。


飯館-松
http://musubu2.sblo.jp/article/34907113.html

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2011年12月02日

南相馬市中央産婦人科院長の奮闘


南相馬市中央産婦人科院長の奮闘
http://www6.ocn.ne.jp/~syunran/

原発事故でいろいろな人が地元でテレビにでてくる。普通の生活していたら別に地元で関係しなければその仕事に関心をもつことがなかった。産婦人科などでも関心をもつことがなかった。考えてみたらここで産婦人科が奮闘しているのは放射線が妊婦と子供に一番影響すると報道していた。それで妊婦と子供が一番放射線について敏感になり避難した人が多い。宮城県の大崎の主婦が苫小牧に避難したというのも驚きである。そこで瓦礫を受け入れるなと抗議活動している。大崎など放射線量が相当に低いし誰も注目していないだろう。そんな人まで避難する必要があるのだろうかと思うし非難している人がいる。そんなに放射能に過敏になっていいのだろうかという疑問もある。結局放射能のことが一般人にはいくら説明されてもわかりにくいのである。そして現実に具体的にどう影響するのかも明確にわからない、ただ憶測だけが広がっているのだ。そのことがまた不安にもしている。


傷ついた遺伝子の修復能力も、尿中の排泄能力も、
からだの組織別の半減期も、数段成人より能力が高いのです。


このホ-ムペ-ジにでていたがたれは本当なのだろうか?子供は影響されるがかえってまた修復能力も高いというのは意外である。若ければ遺伝子も修復能力がある。それは若い人は細胞も若いのだから修復能力も高いということは素人でも想像できる。しかし放射能の危険は妊婦と子供については盛んに言われたしそのために子供を優先的に避難させた。これは科学的結果であり専門家も認めているものだから憶測ではないだろう。要するに放射能がどう実際に影響するのか科学的に実証されていない。それで記録を正確にとって後世に役立てるのが使命だと書いてある。
他にも泥に付着したセシウムは植物は吸収しにくいとかあり米にはさほど影響なかったという研究者の発言もあった。ある人は放射性物質は日本では雨が多いから雨と一緒に海に流れだすという人もいる。実際に阿武隈川の河口では


阿武隈川河口で放射性セシウム525億ベクレル


福島県伊達市内では、計1763億ベクレルに達した。放射性セシウムの9割以上は、水中の土砂に含まれており、河口までのダムで一定量はせき止められたとみられる。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111124-OYT1T01108.htm

これも日頃聞いているものからすると驚くべき量である。ということはやはり泥とか砂とかについてセシウムは流れだしている。それにしてもダムでせきとめたというがダムの水はセシウムに汚染される。その水を飲む場合もある。真野ダムの水は相馬市で利用しているのだ。真野ダムの公園のぬれた砂は10マイクロシ-ベルトとか高かった。砂とか泥にセシウムは付着していることはまちがいない、その砂や粒子や泥と一緒に河に流れて河口にそれだけのセシウムが計測された。ただチェルノブエリでは乾燥地帯であり雨が少ないから水で流されるということはない、日本では雨が多いから雨と共に海に流され放射線量が下がってくるというのも風土的にはそうなるかもしれない、しかし放射能の影響については実際はわかっていないのだ。未知な部分が多すぎるから福島県は放射能汚染の実験地帯だ、モルモットだと言われる。


あと1年も経たない内に、南相馬の病院は全て破産すると思います。多分南相馬村となってしまい
ます。南相馬崩壊するのをじっと待って狙っている市長がいます。


ねらっているいうのは相馬市なのだろうか、それしか考えられない、南相馬市と相馬市が仲良くないというのも意外である。同じ野馬追いをしているには解せないことである。ただ相馬市の病院が南相馬市がこういう状態だから繁盛しているだろう。自分も相馬市の病院に通うようになった。南相馬市は将来的に相馬市と合併する、相馬市主導でそうなる。そういうことはありえる、見えているのが現状なことは確かである
いづれにしろ産婦人科が一番放射能の危機を感じていたのはわかる。だからその重荷を背負ったのがここの院長だった。それなりの年であり南相馬市に長いから愛着がありテレビで見ていても好感がもたれる。「最後のミッションだ」というのも何か使命感を感じて奮闘した。


今回の津波や原発事故ではそれぞれが何か日頃の仕事が何なのか自覚させられた。日頃は何か使命感とかミッションとか大げさのもので仕事している人はいない、ところがこうした異常事態で仕事が奪われたとき仕事について考えるようになった。仕事しない人がふえた。特に農家の人などは仕事していない、それで仕事について考えるようになった。それで「万葉集の歌と心境が一致する避難者」というペ-ジが常に読まれいる不思議がある。それだけ仕事がなくなり仕事が問題になっているからだろう。第一確かに避難者が金をもらっても仕事をせずにパチンコ屋通いとか飲み屋通いというのは普通じゃない、そしてそんな生活がいつまでもつづいていたら心も荒廃してしまうだろう。避難者を受け入れた方にしてもその人たちの扱いに困ってしまうだろ。定住して労働するわけでもない、そしていつまでも補償を受けて生活するというわけにもいかないからだ。小高区の海岸近くは警戒区域の解除されるのは当然だろう。
放射線がもともと低かったのである。だから全部が避難させることに疑問だった。


ともかくここの産婦人科の院長は過労のためとも言えるのか、癌になって入院することになったのも不運である。悪いことは何か重なる。70代で仕事ができる年齢だがやはり無理がたたったのか?
病気を背負ってしまった。そして「人生はギャンブルだ」とテレビで言っていたのもわかる。人生は先がよめない、一寸先は闇だというのをこの辺でみんな経験したのである。自分も次から次と災難に見舞われた。これは一体何なのだろうとつくづく思った。まあ、津波で死ななくて良かったなとともかく思ってなぐさめるほかない。津波で死んだ人よりは良かったなと思うほかないのである。


I will be back


とメッセ-ジをのせていたが回復をお祈りします。

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2011年12月11日

この国は会社も政府も腐っている、と 日刊ゲンダイ (福島県も腐っている)


この国は会社も政府も腐っている、と日刊ゲンダイ

(福島県も腐っている)


http://kokoroniseiun.seesaa.net/archives/20110704-1.html

watanabe1111.jpg

政経東北12月号


国民が腐っている。
右も左も腐ってる。
金持ちも貧乏人も腐ってる。
男も女も腐ってる。
大人も子供も腐って


貧乏人も腐っているというところがミソ、清貧なんていう言葉もすたれた、貧乏人でそんな人はいない、ただ金持ちをうらやましがっているだけ、あいつうまいことやっているな、俺たちにおすそ分けはない、働いたって馬鹿らしいよ、正直者は馬鹿を見るというのは本当だよ、金持ちから金なんか盗んだ方がいいよ、おいしい思いをしていやつらは公務員のように泥棒なんだよ、天下りで何億とか濡れ手で粟に入ってくる、俺たちはいくら働いたって時給いくらだ、たかがしれているから働くのが馬鹿らしいんだよ、俺たちは金持ちの奴隷なんだよ、その金持ちは濡れ手で粟に金が入るやつだよ、努力しなくても金が入るんだよ、俺たちはいくら働いてもたかがしれている、金持ちの奴隷にすぎないんだよ・・・・


サラリーマン根性はマスコミも同じだろ
民主主義において一番神聖な職業でないといかんはずなのに
スポンサーや権力におもねったり
女子アナウンサーが取材対象の選手と交際するとか、プロ意識の欠片も無い世界


日本はもともと長いものに巻かれろだからな、おいしい思いしたけりゃ、上にごますって利益にあづかることだよ、マスコミには必ずどこからか金が回ってくるんだよ、宣伝費でかせいでいるんだから当然だよ、金をもらった会社は批判できないよ、東電ばどこでも金をばらまいたからな、文句言う奴はいなかった、それで今度の原発事故だよ、民主主義においてマスコミが大事なのは真実を知らない限り批判できないからだよ、日刊ゲンダイも腐っているからな、そんて子といえるのかともなる。マスコミは自分自身のことはさておき責任なんかとらないよ、弱いものをたたきおしいしところをちょうだいする、正義なんか追求していないからな、特に東電のような国家なみの巨大企業になったらとても批判なんかできないよ,権力をもっているものが情報も操作できるんだよ、情報など真実が先というより権力者の都合いいように操作されるんだよ、東電でわかったろう。何度もプルサ-マルで前の知事が指摘して改善を求めても何の反省もしない、うるさくいちいち言うなよくらいでかたづけられる、そんなことで知事も変えられたんだよ、渡部恒三一派によって追い落とされた、検察すらかかわっていた、権力者が腐敗したら下々もすべて腐敗するんだ、腐るんだ、上だけおいしい思いをしている、働くのが馬鹿らしいとなるんだよ、昔だったら奉公するということがあるけどその奉公する殿様が遊んでばかり浪費していたら奉公したくないだろう、商家だってそうだよな、奉公するにはその家に尽くすということだからな、馬鹿殿には誰も奉公したくないだろう。

上が腐れば下も腐るんだよ、一体天下りなんかどうしてできるんだよ、上はただ税金をかすめとり下々は働いて税金を納める気になるか?働くことが馬鹿らしくなるいだよ、そういうのは国から税金をかすめとる泥棒じゃないか?だから庶民も泥棒の方がいいともなるんだよ、昔の侍は庶民と同じく貧乏だった、ただ尊敬されたのは身分として高くされていたのは上に立つものとして自覚がありモラルがあったからだろう。今は官僚は身分化していて金も入ってくる特権階級だ、でも昔の侍のようにただ金になればいいとなっているから批判されるんだよ、上に立つものが責任も果たさなければ誰も責任なんかとらないよ、侍は切腹させられたけど上に立つものは切腹などさせられない、金だけたんまりもらってあとはしらないだからな、まあ、貧乏人もくさっているというとき、今の貧乏人は誰も尊敬したりしないよ、庶民は誰も尊敬しない、政治家も尊敬しない、ただ地位があり権力をもった人にはへつらう、医者でもへつらう、つまりへついこびるということしかないんだよ、もともと卑しいやつらだから上が腐ればますます下々その本性に拍車をかけて腐るだけだよ、もう見本となるべき尊敬するべきものなどない、ただ金を追い求め金を持っている人のみが偉いし目標なんだよ、上から下まですべてそうなった。そもそも庶民には何が偉いかなどわかりっこない、上が腐れば庶民自体が最も低級なものになってゆく、それが今の悲しむべき状態だよ だから橋下氏に人気がでた、すかっとしたんだよ、ともかくおいしい思いをしているやつらをばっさりだよな、悪者をつるし上げてばっさりやるから庶民はすかっとしたんだよ、そういう人が望まれているのも腐っているものを誰もばっさりやってくれないからだよ・・

福島県も何かおかしい、全体がくさっていたんだろう。なぜ政経東北で渡部恒三の文をのせているのか?渡部恒三は福島県をだめにした張本人の男じゃないか?そんな人の言うことをのせている。やっぱり金が回ってくるのかな、多分そうだろう。福島民報なども聖教新聞刷っているしな、ふくしま財界なども最初は原発を批判したけど二三回でやめた、あれは脅しでありあとから東電に金が入ってきたから批判するのをやめた、でも佐藤栄佐久氏を呼んでしゃべらせている、福島県人は渡部恒三等に怒らないのか、なぜ自分のしたことをしこ謝罪しないのか?庶民がくさっているというとき原発を誘致した人々も地元が加担したから批判できないのか?つまりみんな腐っているから原発事故も起きたんだよ、日本はなんらか大変革しないと腐り切って死んでしまうかもしれない、頽廃して滅びてゆく、双相地域の問題は双葉地域が欠けると南相馬であれ相馬市であれ影響が大きかったのだ。体が病気ならないと意識しないけど腕一本なくすとそのことを痛切に意識する、双葉地域も相馬地域も一体だった、一つの体だったんだよ、それが経済にもろに影響したんだよ、経済は双葉地域も一体となって回っていたんだよ、特に原発があってそれで経済も回っていたんだよ、直接の補助金がなくても双葉地域がうるおいば回りの波及効果があった、それは福島県全体にも及んでいたんだよ、浪江とか双葉地域から住民がいなくなったことでそれがわかった。その影響は南相馬であれ相馬市であれ大きかった。全体の経済規模が縮小したことの影響が大きい。

ああ 罪深い国びと、不義を負う民
悪をなすものの末・堕落せる子よ
イザヤ-1-4


その後あなたは正義の都
忠信の町ととなえられる
イザヤ1-24

どこに正義の都があるのか?いまだかつてなかった。すべては悪徳に染まった都じゃないか
この世に正義の都などありえない、忠信の町などもありえない、悪徳と不義の町じゃないか?
福島県もうつくしま福島などと宣伝していたがそうじゃない、やっぱり腐っていたんだよ、
福島県は自然が確かに美しかったからそういう悪徳が隠されていたんだよ、それが津浪とかで原発事故になり暴かれたんだよ、富岡町長の流された五億円の金庫とか、請戸の漁業権者が東電から5千万もらって御殿を建てたとかそういうことが今責められるようになった。暴かれたんだ。

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2011年12月19日

なつかしい昔の道 (原発事故で途切れた街道)-詩




なつかしい昔の道

(原発事故で途切れた街道)-詩

人は歩いていた
常に歩いていた
一すじつづく街道を歩いていた
松並木に風が鳴り
道の辺に野の花が咲いていた
季節の変わる度に
犬ふぐりや月見草やあざみや野菊
細い街道を歩いていた
茅葺きの家や石置き屋根の家
貧しい街道の家並み
人は行き来し歩いていた
その歩いている人の姿がなつかしい
ひよいと昔の人が話しかける
旅は道連れ、長い旅
分去で分かれを惜しむ道
その人とは二度と会わなかった
人と人が出会い分かれる道
今この街道にたたずみ
昔の人の歩く姿が見える
この道に昔歩いた人達の記憶がしみこんでいる
時雨がふれば淋しい旅人が去ってゆく
山頭火の後ろ姿が消えてゆく
その風景が心にしみる
昔の人がなつかしんでその道を歩いている
馬頭観世音の碑
馬とともにも歩いていた
馬の名前を呼んで歩いていた
馬は家族の一員であった
だから曲屋で一緒に寝た
ああ 人の歩く姿がなつかしい
当たり前のことが当たり前なくなる
便利さを求めて何かを失った
大きなものを失った
豊かさを求めて心を失った
日本の素朴な風景は消えた
歩く姿も消えた
車は無謀に突っ走してゆく
眼中に人はない
人は邪魔なだけ
早く早く過ぎ去ってゆくだけ
そうして人は何か大事なものを失った
遂に原発事故で道は途切れた
その道はいつ回復するのだろう
人はばらばらになり道は途絶えた
大阪や東京のアパ-トやら団地やら
故郷を離れてばらばらになった
陸前浜街道はとぎれた
道を通じて人間も通じていた
それが離散してばらばらになった
道はいつ通じるのか
故郷にいつ帰れるのか
それはすでに遠い道のりだ
もう今年も暮れようとしている


 

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2011年12月26日

原発事故はやはり天罰であり神の力が働いた結果 (マンモンの神を崇拝するグロ-バル化経済の結果)


原発事故はやはり天罰であり神の力が働いた結果

(マンモンの神を崇拝するグロ-バル化経済の結果)



人間が地球に対する掠奪を始め、その冒とく無残な手をもって母なる大地の臓腑(はらわた)を探り
本来そのままに秘められてきてこそしかるべきだった、数々の宝を奪取するにいたったのももとはといえばこのマンモンの示唆によるって大いに教えられたからにほかならなかった。

まもなく、彼の率いる一隊は山腹をうがってそこに大きな傷口を開き続々と金塊を掘り出した。
地獄に財宝が生じていることを異とする人があればそれは間違っている。
地獄の土壌であればこそ、こういう貴重な有毒物を生じるのにふさわしいからだ
(ミルトン-失楽園)



現代社会を支配しているのマンモン(財の神)である。地球からどれだけの財を掘り出せばいいのか?石油だけでも大変な財だった。それでもあくことなく人間は文明は財を求めてきた。それが原子力発電につながっていた。原爆であれだけの被害を受けた日本なのに原発利用には無防備だった。財の力に抗することはできなかった。世界を支配しているのは宗教などでない、キリスト教国でもそうである。アメリカはマンモンを崇拝している国である。江戸時代まで日本はマンモンの力に支配されていなかった。もちろん財の力が金の力は大きくなっていた。でも侍のモラル、行動規範は今の利だけを求める行動規範とは違っている。支配階級の侍自体がヨ-ロッパのように財産をもっている貴族階級とは違っている。商人の方が豊になり侍は貧乏になっていった。「武士は食わねど高楊枝」というときまともに食えない侍もいた。ヨ-ロッパの貴族は住んでいる館も大きいし庶民との差は一目瞭然である。広大な庭を造るために農民の集落を移動させたということもあり大きな権力をもっていたのが貴族である。日本の一侍にそんな権力はない、富もない、貧乏なのである。貧乏だから侍屋敷では柿とか夏みかんとかを造ることが奨励されたり盆栽や植木も侍の内職だった。手間賃稼ぎだった。


それで皮肉なことに明治維新で侍階級がなくなるとそうした経験が役に立ち職につけたということでもわかる。各地のお土産になっているのも侍の内職から発展したものが多いのもそのためである。金が必要になっていたが貧乏だったのである。それでも侍の矜持は金ではなく別なものにあった。侍としての誇りがありそれが支えとなっていた。明治維新を成したの庶民ではない、侍だった。その行動規範が利だけで動くものではなかったからできたという。その辺はわかりにくいが司馬遼太郎などが書いているのは要するに命を惜しまず格好良く死ぬということにあった。利だけに生きている現代人とは根本的に違った価値観をもっていたのである。マヤ文明などでも一番強いものが競技に勝って自ら命を神にささげた、それも生きた心臓をささげたのだから信じられない、でもそれがその当時の価値観だった。弱い体をささげることは神に対する冒涜になったからだ。現代人の利だけの価値観とは違っている価値観は今や理解できないものとなる。現代人はとにかく介護でもどこまでも長生きして欲望を充たすことが是認される。一方何かのために神のためにでも命を惜しまないことが価値観としてあった時代があった。価値観は時代により文明によって違っている。しかし今や世界の価値観はマンモンの神を崇めることで共通している。グロ-バル化とは世界を支配するものがマンモンの神になったということである。


いづれにしろ原発事故は現代文明から起こるべくし起こったものだった。財の崇拝はもともとあった。でもこれほどグロ-バル化に富を財を求めた時代はなかった。財は技術的にも地理的にも交通が発達していなから抑制されていたのである。その抑制がとりはらわれたときグロ-バル化した富の追求がはじまった。アメリカでも中国でも崇拝しているのはマンモンの神である。中国はもともと財の神を崇拝していた。中国人で禅宗が起きたのはやはり実利的国民性を繁栄したものである。目に見えない神仏は否定して実利的なものを追うのが国民性だった。アメリカもまた神秘的な哲学とか宗教を嫌うのである。プラグマチズムというときそれは実利的なもの求める。だから現代文明はアメリカ文明だというときそうである。科学でもすべて技術的実利的なものとして具体的な富になるものを追求している。一方でヨ-ロッパでは科学は哲学として起こり神秘的なものを追求していた。それが芸術となって残った。


エジプト文明でもあれも一つの宗教文明であり王に庶民が奴隷が使役されてピラミッドを作ったというのとも違う。ピラミッドは聖殿であり宗教のシンボルだったのである。ただ大きいとかではない精神的文明のシンボルだったのである。マヤ文明の神殿もそうだった。現代の利だけを唯一の価値観として過去の文明をみると見誤るのである。アメリカには産業であり技術であれ実利的なものしか起こっていない、エジソンが代表する人物になる。それはすべて実利的なものとして通用するものしか追求していない、文明国とはいいがたい、アメリカはむしろ新興国の野蛮な国であった。そのマモンの神を崇拝するアメリカに習ったことが世界の堕落であり日本の堕落を生んだのである。それは明治時代にアメリカに留学した内村鑑三とかも言っていた。アメリカではすべては金だと日本ではまだそうではないものがある。それは彼自身が侍の出身だったからそういっていたのだ。世界がアメリカに習うこと自体が現代の世界を作ったのである。エジプト文明であれマヤ文明であれ江戸文明であれ別な価値観の文明を否定したこと別な価値観の文明を作り得なかったことに問題があった。


地獄の土壌であればこそ、こういう貴重な有毒物を生じるのにふさわしいからだ


これはまさに放射能だった。マンモンの神を崇拝するものが放射性物質を生み出す核を作り出した。それは何より富を生み出すからすべての人が群がった。結果としてそれより大きな津浪によって破壊された。それは天罰だった、神からの恐るべき罰が与えられた。そのあとはまさに地獄と化した。
政界から財界から官僚から学者の学会からカルト宗教団体からマスコミから地元もマンモンの崇拝であった。それらに神から過酷な罰が与えられたのだ。あなたもそうじゃないかといえばある程度はそうである。ある程度の利を求めることは否定できない、そうではなくて過度の富を求めることが災いをうむのである。原子力は核はいかに危険なものか身をもってこの辺では知った。それは過度の富を求める結果だったのである。人間は何か制限されるなかで生きているのが地球的に調和する生き方だった。グロ-バル化経済はその調和を破壊したのである。制限できない富の追求になった。会社が社会となり会社の過度な利益追求も止めるものがない、政府すら止めることができない、会社と一体となり原発を推進してきたのである。


今年は津浪、原発事故のことで明け暮れた、そして未だに何ら解決していない、津浪の被害地域も何ら復興していない,その無残な被害の跡は何ら復興していない、このまま年を越して来年にこの問題はもちこすし先が長いのである。今年は寒いけど厚着して寒さを防ぐ他ない、介護のために一部屋エアコンを使うとエアコンや電気製品は使いにくい、二部屋になるとかなり電気をくうので今年はエアコンが電気節約で使えない、それでも厚着すると寒さを防げるして現代は別にエアコンなくても寒さを防げる、エアコンは相当贅沢なものである。ただ介護とか寝ている人とか老人は体が弱いのでエアコンが必要になる。そういうのも贅沢であった。でも寒さをがまんできる人はがまんするようにしないとこれからの生活は成り立たない、それをしないと原発が必要だとまたなるからそのくらいしょうがないという態度が必要になったのが原発事故以後の心構えとなった。

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2011年12月29日

狭い地域で決められる原発 (小高と浪江で決められていた東北電力の原発)

 

狭い地域で決められる原発

(小高と浪江で決められていた東北電力の原発)

●浪江町と小高町で決められていた東北電力の原発


南相馬市が小高町と原町市と鹿島町が合併して南相馬市になる前に小高と浪江で東北電力の原発が建てられることが決まっていたしすでに補助金も入っていた。小高区は南相馬市になったので南相馬市の市長が電源交付金を今回は東北電力から断った。でもそもそも東北電力の原発が建つかどうかは小高町と浪江町でその是非が決定される。選挙にしても議員が賛成、反対派に分かれても原町市とか鹿島町と相馬市は参加できない、原発は原発が建つ10キロ圏内とかで決められることでありその回りの人は関与できない。10キロ圏内と福島県知事だけで決められる。議会も関係しているが直接的な力はないみたいだ。どうして原発が建てることが決められるのか、決める権利があるのか?それは狭い地域と県の知事によって決められる。福島県外でもそうでありそこが原発の大きな問題点だった。一旦事故になったら今回のように広範囲になる。でも小高町で原発がすでに建てられる予定になっていたことがあまり問題視されなかったように近くでも原発は知らない内に決められるということである。もちろんそのために10キロ圏内などは経済的にも恩恵が受けられる。小高だとすると原町も10キロ圏内であり鹿島も20キロ圏内であり相馬市も30キロ圏になるからそこが全部避難することになった。しかし小高に原発が建てられることにそれほど騒ぐこともなかった。南相馬市に合併してからもそれほど騒いでいないし知らない人もいたのである。


小高の大工さんが原発が建って景気よくなるとか言っていたがそれもピンとこなかったけどすでに原発が建てられることが決まっていたのである。だから先の長い話しということでもなかった。現実に準備のための工事もしていたのである。十年先で長いにしてもやはり建てられることは決まっていたのだから周辺に工事もふえてくるし合併した南相馬市に電源交付金もおりていた。しかしこれも怖いことだった。そんな近くに建つことでも原発に無関心だったのである。他の原発が建っているところでもそうである。狭い地域で決められてその狭い地域は大きな恩恵があるから住民エゴだとして今は外から批判されている。そんな狭い範囲で決められていいのかということが今回の事故でわかったからである。民主主義の矛盾は原発のような危険なものでも結局民衆の多数決で決められる。それがどうであれ多数決で決められる。それも怖いものだった。どうしても利益になる、いい暮らしができるとかなれば危険を考えないで利益を得たいという人が多くなり原発に反対できない、小高でも一時反対した人はいた。だかいつのまにかそれも消えてしまった。そして建てられることは決まっていたのである。でも原町市は五万ほどの人口があっても原発を建てるかどうかを決めるのに関与できなかった。合併して直接関与するようになった。でも小高町で容認していたからそれを引き継いだのである。その原発について南相馬市で是非を議論したり議会で議題になったりもしなかった。


つまり原発は建てる方にとって実に都合いいようにできていた。非常に狭い範囲で決められる。極端な話しが原発を建てる土地の利権者とあとは県の知事の決定で決められる。そんなことでこんな大事なことが決められていたし今でもそうである。これだけ広範囲に事故になったら影響するのにその原発を建てるときは関与できないのである。住民エゴというというときそれを是認する仕組みがあることも問題だったのである。県全員の住民投票とかで決めていればそんな簡単には建てられなかった。実際はそれだけの影響が事故になったらあるのだから原発を建てる仕組みが偏りすぎていたのである。そして地元の人はともかく利益優先になるから放射能のことなど事故前までは怖がらない、安全神話を作られていたこともあるがやはり地元住民は利益になればいい、金がおりればいいとなる人が多いのだ。原発はやはり回りに莫大な金をばらまくのである。大工さんにしてもいろいろ事業もやっているから大歓迎だとなっていた。あんなに事業をやって金儲けすることも疑問である。なかなか人のことは言えないにしてもやはり欲張りだなと思う。ブラックなことをする必要もない、腕はいいしそれなりに収入はあった。人間の欲は何度も書いているけどキリがないということであてる。そういうキリのない欲が原発でも何でもいいとなっていた。だからそうした欲が先になるから地元で原発を反対することはむずかしくなる。


新潟県西蒲原郡巻町が初めて常設型住民投票条例を制定して住民投票を行なって以来、地方自治体の重要な課題について、住民投票に関する条例を制定し、実施された住民投票の結果に基づいて政策決定がなされる事例が増えてきている


これをしても議会や市長などが決定権をもっていて有効になるとは限らない、そういう仕組みが法律が制定されていないのだ。


●重大なことは住民に知らされない(権力により操作される情報)


そして今回の事故でわかったことは重大なことは住民に知らされないということである。スピ-ディの結果はでていて山の方が危険だということは政府でわかっていても浪江町には知らされなかった。それで危険な津島の山の方に集団で避難した。飯館村では何か月も放置されて被曝させられた。なぜスピ-ディがスピ-ディに公表されなかったのか疑問であった。つまり政府は重大なことを知らせないということである。戦争のときも負けたとかは知らされない、知らせると政府にとって困るからである。今回もパニックになることを恐れて知らせなかったというのが弁明だった。政府は肝心なことを知らせない、それで民は犠牲になる。そうしたら何らか自治体で自衛手段をとらない限り命も守れないとなる。でも自治体で放射能のことなで対処できるかとなったらできない、それで政府の安全神話を信じさせられて犠牲になった。戦争に絶対勝つと言われて犠牲になった戦死者ともにている。死んではいないにしろ住めなくなったのだからその被害は大きかった。


重大なことが知らされないというとときこれはマスコミとか報道機関でもそうである。福島県の報道機関でも新聞でも雑誌でもテレビ放送でも原発が危険だなど知らされていない、ただ前の佐藤栄佐久知事がフルサ-マルについて批判したとき報道はしていた。でも原発が危険だということを批判してはいていない、財界フクシマが最初何回か批判したが東電から金をもらってからやめた。単なる脅しだった。つまりマスコミからも重大なことは知らされない、現実にマスコミの主だった人を東電の会長が中国に招待していたとき事故が起きたのである。その時あらゆるマスコミが東電に招待されていたのである。だから今になって東電を批判していることが納得がいかない、これは戦争中と同じである。マスコミからも報道機関からも重大なことは知らされない、でも全然原発が危険ということを警告されていなかったかとういとそうでもない、学者は三十年前でも本を出して警告していた人がそれなりにいた。ただ大きな声とはならなかった。大きな声とならないかぎりその危険性を言ってもそれは虫の声になってしまう。大きな声となるのはやはりマスコミとか権力が加担しないとならない。つまり報道も大きな声にするのは権力の操作による。東電は莫大な金をもっているから政府と一体となり安全神話を作り上げてきた。マスコミは金で買収できる、マスコミは会社の一宣伝部のようにさえ思う。権力をチェックするような役割を果たしていない、そういう力もない、なぜなら宣伝費がもらえなければ成り立たないとなれば宣伝費を払う会社に従うほかないからだ。現実に民報や毎日とかでも聖教新聞を刷っていれば創価に批判はできない、創価を批判したものは報道から抹殺されるのは安全神話と同じである。創価のタブ-は強烈であり自分の本も町の図書館に置けなかった。公務員にも創価の会員がいて権力をもっているからそうなる。検察にも司法にも外務省などにももっている。


それは東電と同じだった。ただそれも権力がなくななればマスコミは叩く、権力をチェックするのではない、常に権力側につくのがマスコミである。そういう機能しかないのである。そうさせられているという一面もある。そしたら政府も信用できない、マスコミも信用できないとなれば何を信用すればいいのかとなる。自治体すら利権が先であり結局多数決でも利権を求めるものが勝つのだから原発をとめることはできない、新潟県の巻町では原発を建てさせなかった。だから自治体でもできないことはない、でもそれは全国でも例外的なことであった。原発の根底には人間の欲が深くからんでいる。その欲がおさえられないから反対できない、南米でも金の採掘で水銀を使い汚染中毒が問題になっている。でも会社が中毒を少なくしようとしたりしたら地元の住民が反対した。金の採掘で金儲けするのに地元の人が困るからだろう。ここでも地元住民の利益が先になる。人間の欲が抑制できない、先になるから地元住民のエゴを止めることができない、河は下流にも通じているし魚が水銀で汚染されても先に利益ありきであり地元住民のエゴが通ることになる。一旦そうした利益にあづかると双葉町であれ富岡町であれもっと原発を建てろとか言っているのに驚く、もうそういう利益か逃れることはできない、ただ回りの人は迷惑でありなんとかしろとなる。でもそういう仕組みがまだ作られていない、ただ今回はさすがに世論が反原発になったから歯止めができたとはいえる。


●故郷に住むということがどういうことか問われた


今回の事故ほど故郷に住むということがどういうことか問われたことがない、故郷に住めなくなって故郷か何なのだろうかと真剣に問うようになった。要するに自然があるから故郷に住むとか田舎に住むということがある。しかしその自然が破壊されたらそもそもそれも破壊された。故郷にそもそも住めなくなるということになった。多少一部汚染されても住めるならいい、しかし住めないことほど深刻なことはない、故郷に住めなくなるなど考えたこともないだろう。故郷に住むなど当たり前でありそこまで考える人はいなかった。原発事故は故郷に住めなくなるんだよとなれば必ず投票でも反対に回る人はふえた。そこまで原発のことを深刻に考えていた人はいない、金になるからと漁業権者も金をもらって喜んでいた。原発からもらえる金の方が大きかったのである。漁業者も魚をとれなくなると考えたこともなかった。農家の人も農地を耕せなくなる、自分の土地で自分達の食べる米さえつくることもできなくなった。こんなことになることなど考えもしなかった。そして故郷に住めなくなるということほど深刻なことはなかった。つまり生存権すら奪われたということである。当たり前に暮らしていた生活全部を奪われてしまった。生存権を剥奪されてしまった。今でも「故郷になぜ住めないんだ」という理不尽に納得いかない人が仮設住宅で年を終えようとしている。そして働くこともできずにいる人々がいる。それで会津でもパチンコにサウナにと贅沢に遊んでいるとか大熊町とか富岡町とか避難した人たちが地元の人に批判されている。故郷とに住むということがそもそも何なのか?

故郷自体住めなくなる奪われるということが起こった。故郷の土地も家も奪われて住めなくなった。それは一個人ではない、故郷の全員がそうなった。どうしてそんなことになったのかとやはり今年は自問自答しているだろう。それはそこに住んでいる人も責任あったんだよとか外から盛んに言われまた住んでいた人も自問自答している。故郷に住むなど当たり前だが当たり前でなくなった。故郷に住むには故郷に住む意志をもち故郷を守るという意志をもたないと住めなくなるということでもあった。別にそんなに故郷にこだわる必要があるのかとなって放射能汚染で他に移った人も多い。だから別に故郷が嫌なら今の時代なら他に移り住めばいいじゃないかとなることもあった。故郷は自然と維持されるものではなかった。故郷の自然もそうである。故郷の自然を守りそこに住む意志がなければ故郷すら奪われてしまうということになった。原発事故はそういうことをつきつけたのである。


故郷はみんなで守らなきゃ奪われる
自然も守らなきゃ奪われる
故郷の何が大事なんだ
自然なのか?それより金なのか?
住んでいる人も問われた
故郷の一員であり住むということはどういうことなのか
それぞれが真剣に問われた


地方自治とか政治に無関心だったけど故郷に住めなくなったら誰も真剣になる、生活的にもそうだし生活が補償されても仕事が奪われたりしたら何の生き甲斐がないとものだともなる。農家などでも日頃当たり前として仕事していた。その仕事の意味も問われた。農家などでも常に金にならないとかどこでも金にならないという声しか聞かない、そういうなかで仕事もできなくなったとき心から仕事ができる喜びを仮設などで感じたのも今回の津浪と事故だったのである。仮設で酒飲んでパチンコしてぶらぶらしてしいることで仕事したいとなったのである。仕事できることは収入はともかく生き甲斐であり喜びだったのである。そういうことも今回の津浪と原発事故で問われたのである。

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2012年01月11日

原発とロウソク(蠟燭) (蠟燭(ロウソク)も高価だった江戸時代)


 原発とロウソク(蠟燭)

(蠟燭(ロウソク)も高価だった江戸時代)


ロウソクの油にはいわしやさんまの油を使っていましたが、けむりが多くてたいへんでした。 ろうそく1本で6時間ともせました。でも、ろうそく1本2,800円もしたので、庶民は簡単に買えませんでした。ろうそくのしずくを買い集める。江戸時代、ろうそくはたいへん貴重な物だったから、燃えた後に残るしずくも貴重な物だった。


江戸時代には、ろうそくの流れ買いという職業がありました。ろうそくの流れとは、燃やしたろうそくの滴が落ちて固まったものです。ろうそくの流れ買いとは、家々を回ってこれを買い集める仕事です。
現在一般家庭で使われているろうそくはパラフィンなどを使った西洋ろうそくです。しかし日本古来の和ろうそくとは、はぜや漆などの実からとったロウが原料で、それを取り出すのは専門の技術が必要でした。
和ろうそくを作るためのロウの取り出しにはかなり手間がかかったため、ろうそくの滴は貴重であり、買い集めることで一つの職業として成り立っていたのです。
買い占められたロウは再びろうそくを精製するための材料として、再び溶かして型に流して利用されました。


現代の日本では、石油に代表される化石燃料だけでも、毎日一人当たり10万キロカロリー、石油換算で約10リットル分も使っています。ところが江戸時代の先祖は、今と同じ基準で計算するならゼロ・エネルギーで暮らしていました。ゼロと10万の差



昔をふりかえることはやはりいつの時代でも必要である。今がどうしてこうなったのかわからなくなっている。すると今のこの豊かな生活のありがたみがわからなくなる。電気なんかあって当然じゃないか、停電になればもう大騒ぎになる。今や現代人はあまりにぜいたくになれすぎてしまった。あって当たり前でありでありこのようになにもない時代のことを忘れてしまった。いかにロウソクですられほど貴重なものだったか?今は電気を使いどれだけ贅沢をしているのか、電気くらいみんな少しは節約できるだろう。これは極端にしても現実そういう時代があった。ロウソクの雫さら買い集める、そんな時代だった。こうした生活を忘れたとき、原発などという超危険なものに手をだした。双葉町辺りでも貧しい貧しいというけど高度成長時代は別に原発なしでもやれた、それなりに高度成長の波にのって豊になれる時代だった。原発なしで何もなりたたないということありえなかった。全国的にも別に双葉町が特別ではなかった。会津の奥地などもっとひどかったろう。江戸時代に帰れというのは無理にしても江戸時代がどういう生活をしていたか、それを知る必要がある。 ロウソクは相当に贅沢なものでありロウソクは今の電気とするとどこでも大きな産業だった。会津などでの絵蠟燭などがそうだった。だから会津藩領域以外に販売されていた。それでもロウソクが高価なものであり絵ロウソクになればもっと高価であった。


原発の南西約12キロに位置。富岡町内の残留者は一人だけという。震災から約1カ月後、松村さんも同県郡山市内に一時避難した。だが、すし詰め状態で避難所に横たわる被災者を見て「自分には無理だ」と思い、3日ほどで自宅に戻った。「『自分勝手だ』と非難があることも分かっている。罰金ならいくらでも払う。でも自宅に帰ることが犯罪なのか。おれたちは被害者なのに」


 自宅は電気、水道などライフラインが寸断されたままだ。だが、自家用車に使うガソリンなどの燃料は火災を心配する町民が「使って」と提供してくれた。食料は備蓄のコメや缶詰。風呂は井戸水をまきで沸かし、夜はろうそくをともす

双葉町で離散した家族の人がロウソクでもいい、原発はこりごりだと言っていたのが印象的だった。自分の住む場所すら奪われてはじめてそのことに気づいた。便利な生活も大きな代償があった。

原発などなくても石炭とか石油は簡単に枯渇しないという学者もいる。本当はそうだったが原子力をはじめたのはそういうことではない、別な意図が政府にもあった。現実に未だにベトナムに原発を売るとかトルコに売るとか決めているからだ。原発を輸出してもうけられるという思惑もあった。
そのために原発をやめるわけにはいかないとか石炭でも石油でもあるのだが原発をはじめた意図は別なところにありだから危険でもやめられない、技術立国である日本を維持するためにはやめられないとかの裏の事情があった。現代人は余りにも贅沢になれすぎてそれが過去のことを忘れてしまった。それは津波にも言えた。過去に津波は何度もありどこでも危険なのが日本だった。しかし忘れていた。だから忘れたころに災害が来るということに日本ではなっていたのだ。


戦前でも自転車は貴重で一生修理して使っていたとか、なんでももったない時代だった。それが消費こそ美徳と何でも使い捨てで新しいものにするのがいいのだということが高度成長時代から急速に始まった。そのことが原発でも危険でもいい、便利ものを危険を度外視して作られた原因でもあった。豊になればなんでもいい、危険は見逃されたのである。現代は絶えず捨てるものが多すぎる。ゴミが大量に暇なしでてくるのだ。リサイクルした江戸時代とは正反対なのである。そういう生活が必然的に原発という危険なものでも便利な生活を選んだ背景にあった。江戸時代をいろいろな点で見直すというとき江戸時代が最大のエコの生活だったからそうなる。日本にはその手本があったからこそそう言われる。意外と江戸時代は平和な時代であり歴史的に注目されない、戦国時代が歴史のすべてのようになっている。そこにも歴史を知る問題があった。ほとんど戦国時代とか戦争とかそういう面白いことだけを歴史としてとりあげるからそうなる。それだけが歴史ではない、゛日常的に生活に密着したのも歴史でありそういうことが語られなさ過ぎている。津波のことなどもそうだった。戦国時代の目立つことばかりが語られていた。津波も大惨事なのだからもっと語られてもいいはずだが語られていなかった。人間の興味がそういうところに向かないということもあったから大事なことでも忘れられてしまう。信長や秀吉のことはあくことなく語られてもそうした庶民の日常的生活は語られないのである。

posted by 老鶯 at 06:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2012年01月19日

奈良からの遷都の万葉集の歌 (原発で故郷を離れる人の心境の一致)


奈良からの遷都の万葉集の歌

(原発で故郷を離れる人の心境の一致)


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あをによし奈良の家には万代に我れも通はむ忘ると思ふな


●奈良の都を離れる歌


大君の 命畏み 柔びにし 家を置き こもりくの 泊瀬の川に 舟浮けて 我が行く川の 川隈の 八十隈おちず 万たび かへり見しつつ 玉桙の 道行き暮らし あをによし 奈良の都の 佐保川に い行き至りて 我が寝たる 衣の上ゆ 朝月夜 さやかに見れば 栲の穂に 夜の霜降り 岩床と 川の水凝り 寒き夜を 息むことなく 通ひつつ 作れる家に 千代までに 来ませ大君よ 我れも通はむ

作者不詳巻1−79


大君のご命令を畏くもお受けし、住み慣れた我が家を離れた。山深き泊瀬の川に舟を浮かべて、私の行く川の幾つもの曲がり角にさしかかる度に、数え切れないほど、我が家の方を振り返り見てやって来た。玉桙の道を行き美しい奈良の都の佐保川に到着した。私の寝ている衣を透かして朝の月明かりが清清しく、重なる草の穂一面に夜の間に霜が降り、岩と川面は凍りついている。それほど寒い夜を安息することもなく、通って来て作った家に、千年先までいらして御住み下さい。私もまた通って来ますよ。


あをによし奈良の家には万代に我れも通はむ忘ると思ふな
http://blogs.yahoo.co.jp/nosolu2003/4371004.html


寧樂の故りにし郷を悲しびて作る歌一首 短歌を并せたり

やすみしし わご大君の 高敷かす 倭の国は 皇祖の 神の御代より 敷きませる 国にしあれば 生(あ)れまさむ 御子のつぎつぎ 天の下 知らしいませと 八百万 千年(ちとせ)をかねて 定めけむ 平城の京師(みやこ)は かぎろひの 春にしなれば 春日山 三笠の野邊に 櫻花 木の晩こもり 貌鳥(かほどり)は 間なくしば鳴く 露霜の 秋さり来れば射駒山 飛火が嵬(たけ)に 萩の枝を しがらみ散らし さ男鹿は 妻呼び響む 山見れば 山も見が欲し 里見れば 里も住みよし もののふの 八十伴の男の うち延(は)へて 思へりしくは 天地の 寄り會ひの限 万代に 栄え行かむと 思へりし 大宮すらを 恃(たの)めりし 奈良の都を 新世(あらたよ)の 事にしあれば 大君の 引のまにまに 春花の うつろひ易(かは)り 群鳥の 朝立ちゆけば さす竹の 大宮人の踏み平し 通ひし道は 馬も行かず 人も往(ゆ)かねば 荒れにけるかも

  反歌二首
立ちかはり古き都となりぬれば道の芝草長く生ひにけり(六ー一〇四八)
なつきにし奈良の都の荒れゆけば出で立つごとに嘆きし益(まさ)る(六ー一〇四九)


 大汝(おほなむち) 少彦名(すくなひこな)の いましける
    志都(しつ)の石室(いはや)は 幾代経(へ)ぬらむ 」

     巻3−355 生石村主真人( おひしの すぐり まひと)


この辺で起きていることは何なのか、この混乱は何なのか理解しがたい、警戒区域になり故郷から離れて暮らす人は余計にそうだろう。浪江の人は二本松のマンションに移り住んだけどそこが津島の採石場の石を使っていたので放射線量が高くここに住んでいられないと泣いていた。浪江の人は本当に災難だった。津島に町民ごと移動してそこが一番放射線量が高かったのである。スピ-ディはアメリカに知らせても肝心の地元の人には知らされなかった。そして津島が山だから安全だと思い町民が避難したのである。今度はその津島の石の放射線で苦しんでいる。それにしても津島は石の産地でありあれだけ各地に売っていたことに驚く。津島石とかあり石の産地としてはそれなりに有名だった。


ともかく故郷に住めるのか住めないのかとかが未だに原発事故で問題になっている。宮城県とか岩手県でも津波で被害にあった壊滅的被害を受けた地域でももともと住んでいたところに住めるのかすめないのかが問題になる。もう住むことをあきらめる人もかなりでてくる。それだけ被害が大きかった。原発事故関係では放射能の問題が解決しないと住みにくい、この放射能はやっかいでありどれだけ危険なものかもわかりにくい、住めるという人と住めないという学者もいてわかりにくいのだ。
でも人間はそんな簡単に故郷を捨てて別な地域に全員が移住したりできるものなのか?移住したとしても実際に移住はあってもほんの一部だった。町民村民全員が移住する、いなくなるということを想像できなかった。ただ今直面していることは全員が町から村からいなくなる住めなくなっている。
そしていつ帰れるのか、もう帰れない、住めないのかということが問題になる。


 万葉集の歌と心境が一致する避難者
http://musubu2.sblo.jp/article/45938544.html


なぜこのペ-ジが読まれているのか不思議である。これを読んでいる人は避難している人なのか、そうとしか考えられない。仕事ができないということでそうなっている。昼間から酒飲んでいる人とかパチンコしている人とか仮設住宅でやることがなくそうなっている人が増えているからだ。


●都を離れることと故郷を失うことの心境の一致


万葉集の歌をとりあげたのは奈良から遷都するとき人々はどうなったのか、その心はどうだったのか記されている。奈良の都に長く住みたいとしても遷都することになり住めなくなった。その都は荒廃していった。それは今の警戒区域の状態とにている。


玉桙の 道行き暮らし あをによし 奈良の都の 佐保川に い行き至りて 我が寝たる 衣の上ゆ 朝月夜 さやかに見れば 栲の穂に 夜の霜降り 岩床と 川の水凝り 寒き夜を 息むことなく 通ひつつ 作れる家に 千代までに 来ませ大君よ 我れも通はむ

夜の霜降り 岩床と 川の水凝り 寒き夜を 息むことなく 通ひつつ 作れる家に 千代までに 来ませ大君よ 我れも通はむ ・・・


困難な状態をのりこえて作った家だからこそ愛着がある。だからその都を家を離れがたいものとなる。家を作ることはやはり昔も今も大事業になる。自分の家も姉がいつもこの家を作ったと自慢していた。そのことを何度も聞かされたからその話しとともに家への愛着が生まれる。ましてや何代もつづいている農家などは家と土地が一体化ししているから余計に愛着があるからこそ故郷を離れたくないとなる。


あをによし奈良の家には万代に我れも通はむ忘ると思ふな

こんなふうに愛着が深いものとなる。家はやはり一代では終わらない、最低二代はつづくから今の感覚だと長いのである。10年20年でいろいろなものが変わるから家の寿命は長いのである。この万葉集にでてくる家は貴族の家だからもっと長く住んでいた。しかし都が移るとなると長く住んだ家からも離れることになる。


さす竹の 大宮人の踏み平し 通ひし道は 馬も行かず 人も往(ゆ)かねば 荒れにけるかも


現在の警戒区域はこうなっている。馬ではない、車も通らないとなる。そんなことがありうるのかというけど現実にこれと同じ様な状態がここで起きている。市町村が崩壊して衰退してゆく危機に見舞われている。ギリシャではオ-ストラリアなどに移住しようとする人が急増している。東欧でも仕事がなく移住しようとする人が増えている。原発事故だけではない、経済的に困窮すれば人は故郷でも離れ住む人が増えてくる。外国に移住するとなると大変だがヨ-ロッパ辺りはそうした移住が歴史的にもあり英語ができれば移住しやすいとなる。日本でもかつては北海道とかプラジルとか集団移住した歴史はある。けれども故郷自体がなくなるということなどはない、そこに暮らす人がいてわずかの一部の人が故郷から離れたのである。もし故郷に住む人がいなくななれば歴史の断絶が起こる。
身近なものとして墓も個々人の家の歴史を伝えるものであればそれも断絶してしまう。相馬藩としての歴史も警戒区域にありそれも断絶してしまう。歴史は土地に記されているからだ。そうなるとアイディンティティも喪失する。


 大汝(おほなむち) 少彦名(すくなひこな)の いましける
    志都(しつ)の石室(いはや)は 幾代経(へ)ぬらむ 」

     巻3−355 生石村主真人( おひしの すぐり まひと)


これはそれぞれの家の墓ではないにしろそれ以上にその土地に記された歴史が石室として残っていた。それはそこに最初に住み着いた先祖のことをさしていたのだろ。


萩の枝を しがらみ散らし さ男鹿は 妻呼び響む 山見れば 山も見が欲し 里見れば 里も住みよし もののふの 八十伴の男の うち延(は)へて 思へりしくは 天地の 寄り會ひの限 万代に 栄え行かむと 思へりし 大宮すらを 恃(たの)めりし


さ男鹿は 妻呼び響む 山見れば 山も見が欲し 里見れば 里も住みよし・・・とかこういう牧歌的風景も喪失する。これは鹿だけではない夫婦のことでもあるだろう。奈良の都は今の都とは余りにも違っていた。東京などとは想像すらできないものだった。  天地の 寄り會ひの限 万代に 栄え行かむと 思へりし 大宮すらを 恃(たの)めりし・・・天地のなかにあったのであり天地を頼みとしていた都だったのである。それはエジプト文明でもマヤ文明でも同じである。天地を頼みとした文明であり原発とか機械とか科学などこれだけ人工のものを頼りにした文明ではなかった。そこが今の都とはあまりにも違っていたのである。電気を頼りにした文明でもあった。この電気はどこからくるのかといえば天地からではない、石油であり石油なら遠い中東から運ばねばならない、石炭も日本にはなくなっているからオ-ストラリアからなど運んでいる。原町の火力発電所も石炭を使っていてオ-ストラリアから運んでいた。オ-ストラリアには石炭の埋蔵量がまだまだあり百年とか間に合うと言われている。原発でなくても発電はできるのである。原発をつづける意図は日本の技術力の維持であり核兵器につながる技術力を持つことでありまた海外に輸出するという別な意図もあった。電力を供給するなら別に石油、石炭でも間に合うのである。ただ原発をもつことが先進国であり技術力を示すことになるから作っていたのである。


●欲望、金だけの追求で他の大事なものを見えなくした現代の危険


いづれにしろ故郷に住めなくなるという代償はあまりにも大きすぎた代償だったのである。それまでして原発に頼る必要があったのかというと実際はそうではなかった。その辺が政府とか財界とかにより隠されて情報は操作されて原発は作られてきた。地元でも金になるということで経済的効果のみを求めて容認してきたのである。津波にしても20年前に仙台市の海近くが住宅地として開発されたとき学者が貞観津波の痕跡が発見されたとして警告していたが住宅開発をすすめる業者などから脅迫されたという。安全より開発による利益優先でありこれは原発でも同じだった。安全よりコストカットして東電では利益を上げることだった。だからこそコストカッタ-として社長にのしあがった。人間の欲望は限りなくその欲望が無限に肥大化して安全とか何かほかのものは見えなくなる。欲望にただひたすら突っ走る、金になればなんでもいいんだというのが高度成長時代であった。そこに戦前からあった義理人情もへったくれもない、モラルもなにもない、ただ金にさえなればいい、相手も蹴落としてもなんでもいい、金をもうける奴が偉いんだとなった。「武士は食わねど高楊枝」などということはありえない、金のない奴は誰も相手にしない、そういう欲望剥き出しの社会を形成したのが戦後だったのである。カルト宗教団体でもそうしたぎらぎらした欲望が前面に出して恥もしない、それが当たり前だとなってしまった。欲望しか金しか頭にないから見えないからある分野では怖いことになる。

福祉の分野などではヘルパ-などと入ってきて認知症の老人を簡単にだますことになる。家に入る人は本当に危険である。あらゆる人が頭に金のことしかない、ここでいくらになるんだ、なんだたいした金にならないとか絶えず仕事でも金の計算しかしていない、金のこと以外見えなくなっている。そういうことが原発事故になり天罰だったというとき確かにそうだったと納得もする。人間の欲望はどこかで抑えられることが必要でありそれがないと原発事故のように恐ろしいことが起きる。津波で被害にあったところも千年前の津波など全く無視して宅地開発したのである。自分も時事問題の深層で書いた相馬市の奥まで貞観津波では来ていたいうのに驚いた。なぜ津波に宮城県とか福島県が無防備だったのか不思議だった。確かに自分も警戒していなかったけど海側は何か本能的に怖い感覚は誰でももっていた。そういう本能的な恐怖の感覚、自然に対する畏怖とかが失われたのも現代だったのである。「安全神話」が形成されたのもそのためである。それほど人間は人工的な文明人となって自然に対する畏怖を失い、天地から離れた生活になっていたのである。


家という建物の歴史
(土地や家に愛着するのはなぜか)
 http://musubu2.sblo.jp/article/47280019.html
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2012年02月03日

啄木の望郷の歌は怨念化していた (原発事故で故郷から離れた人たちの無念と重なる心境)

 
啄木の望郷の歌は怨念化していた


(原発事故で故郷から離れた人たちの無念と重なる心境)

やまひある獣のごとき 
わがこころ 
ふるさとのこと聞けばおとなし


やはらかに柳あをめる
北上の岸辺目に見ゆ
泣けとごとくに
 
石をもて追はるるごとく
ふるさとを出でしかなしみ
消ゆる時なし


啄木の望郷の歌は何か怨念のようなっている。何か感傷的なものを越えて怨念化したような凄味がある。肺病で血を吐き出すようにして歌ったからである。現実に二七才という若さで死んでいる。ただその時啄木だけではない、肺病で若くして死んだ人は多いから国民病と恐れられていた。
自分の母の実家の墓にも亭年二七才と記されて肺病で死んだ人が埋められている。墓参りするときその年齢に着目する。するとそこから何か無念というか怨念というかもっと生きたいという切実な声が聞こえてくるのだ。


二七才の死の無念や故郷の墓に刻みて変わらざるかも


啄木の望郷の歌はもし長生きしていたらこれほど凄まじいものとはなっていなかった。若くして死に故郷に帰れないということが切実となったのである。神社は怨霊を鎮めるために建てられたというのもあながち否定はできないだろう。菅原道真の神社が多いのはそのためだというのもわかる。
ただ有名な人だけではない、怨念をもって死んだ人は無数にいる。そもそも六〇年前とかの戦争で四百万人も死んだことが今になると信じられない、それらは無念の死でありそれ故に靖国神社に祀り鎮める。それも怨霊化することを恐れ靖国神社がある。人間の念は実際に凄まじいものがある。恨みの念はそれほど強いのである。だから非業の死をとげた人たちの霊は祟るとか恐れのもわかる。だから靖国神社でも祟らないように鎮めの場所としてある。無駄な死だったとしてかたづけられないから靖国神社がある。


やまひある獣のごとき 
わがこころ 
ふるさとのこと聞けばおとなし


これは故郷を思う動物的本能である。鮭が生まれた所の川に帰って産卵して死んでゆく、そういう本能的凄まじさである。望郷の念はそれほど強いとなる。その時東京と田舎は交通の便がまだ悪く離れていた。新幹線で簡単に行ける場所ではなかったのだ。故郷に住んでいる人は故郷が恋しいなどと思わない、むしろ故郷を離れたいという意識が強い、自分もそうだった。故郷から離れたいから東京の大学に行ったし旅ばかりしたのもそもそも故郷から離れたいからであった。若いときはそういう意識が普通である。でも啄木のように故郷に病気で帰れない、もう死んでゆくとなると望郷の念は切実となったのである。その歌は感傷的に鑑賞できるものではない、強い生の渇望の怨念がこもった歌となっていた。


やはらかに柳あをめる
北上の岸辺目に見ゆ
泣けとごとくに


それほどまで北上川のことが目に浮かんだ。「泣けとごとくに・・」という表現が凄まじいのである。それは怨念化している歌である。その次の


石をもて追はるるごとく
ふるさとを出でしかなしみ
消ゆる時なし


原発の事故に故郷追われたる
    無念は忘れじたとえ死ぬとも


これは故郷では別にそういうことはなかったが啄木の勝手でそう思ったにしろやはり菅原道真などと同じ様に怨念化していたのだ。原発の事故で故郷を追われた人もそうである。誰を恨んだらいいのか、東電をまず恨むことは確かである。人間の怨念はもしかしたら放射能より怖いかもしれない。人間の怨念はそれだけ強烈なのである。その怨念というか悪い念が自然にも作用して自然災害が起きてくる。今回もその津波の原因が人間のそうした怨念など悪い念が集積して自然界に作用して大災害になった。そういうこともありうるのかと思うほど人間の怨念は凄まじいし強いのである。「泣けとごとくに・・」とは凄まじく怨念化した歌である。感傷的な領域を越えている。東京という自然が少ない所であったことも影響している。別にもし自然があるところだったらこんなに望郷の念が強くならなかったかもしれない、例えば富士山が見えるような所だったらかえって最後の場所としてふさわしい。故郷から離れても富士山が見えるということは日本人にとって最高である。自分も最後に見たいものは何かと思ったら富士山だった。富士山を見て死にたいと思った。だから病院は他の人も言っているが景色のいいところにあるのがいい。なぜなら病院で死ぬ人が八割とか多くなった。すると最後に目にする光景は美しいものであってほしいとなるからだ。

何か穴蔵のような無機的な病院だといやだとなるのだ。いづれにしろ啄木の望郷の歌はあまりにも凄まじいから怨念化している。単に言葉というよりその歌が呪詛のようにもなる。その言葉から熱い血が流れてだしてくる。天才だからそれだけ情念が強いためだということもいえる。ただ人間はどんな人でもかなえられないものがありそれが怨念化する。啄木の歌は望郷という感傷的なものではなく怨念化した望郷だった。この辺で故郷に住めなくなった人たちも怨念化したりするのか?そういうこともありうる。


遙か彼方は 相馬の空かよ なんだこらよ〜と
          相馬 恋しや 懐かしや なんだこらよ〜と


  民謡「新相馬節」です。 私は相馬の生まれですが、数々ある民謡も田舎のお年寄りの唄かと、大した愛着もなく生きてきました。
  ですが、先月、この民謡が思いもかけずテレビから流れ、胸をぎゅっと掴まれました。

  隣の南相馬市から、福島第1原発事故による避難指示で、いま埼玉の施設(学校だったか)に移った高齢者たちが、涙ながらに歌っているのでした。
http://flat.kahoku.co.jp/u/blog-seibun/xaS0Ezh1byW6OKentC4g/


やはりこういうことあった。ただ相馬といっても城のあった相馬市とか南相馬市ではない、双葉郡の人たちだった。そこも相馬藩内であった。相馬と磐城の境にあった地域である。高齢者だと望郷の念は切実になる。土地もあり家もありそこで一生過ごしたからである。それは啄木の望郷とは違っている。故郷に生きたものと故郷に帰れず生きられなかったものの違いがある。ともかく生きたんだからいいとしろともされるが故郷で生きてきたんだから最後を故郷で全うしたいというのは人情である。

かにかくに渋民村は恋しかりおもいでの山おもいでの川


おもいでの山、おもいでの川がありそこにもどり死にたいとなる。浪江は二つの川があったから川に恵まれていた。高瀬川渓谷もあった。浪江に帰れない人もでてくるのだろうか?東京の方の団地のような所に移った人は望郷の念が啄木のように強くなることは確かである。会津の方でも雪に悩まされるからいやだとなるが会津だと自然はあるからまた違ってくるだろう。ともかく故郷自体を失ってしまうことなど想像したこともないだろうしそういうことを過去に経験し市町村もなかったのではないか?ダムに沈んだ移り住んで過去をなつかしみ村の人が集るということは報道されていた。でも今回は規模が大きいのである。浪江でも二万人いたのである。それだけの規模の町村が喪失することは経験しないことだったのである。

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2012年02月10日

複雑化する細分化する社会は誰も責任をとらない (パソコンの故障とにていた原発事故)

 

複雑化する細分化する社会は誰も責任をとらない

(パソコンの故障とにていた原発事故)

●パソコン化しているテレビの故障


テレビはデジタル化して番組もふえたし教養番組もふえたから見ることが多くなった。でも操作が結構めんどうになった。パソコンをやっていたからなれているにしてもボタン一つで操作していたのとは違っている。認知症になると機械の操作ができなくなる。テレビのボタン一つ、エアコンのボタン一つ操作できない、するといちいち押してやらねければエアコンも使えない。テレビは前はリモコンでもポタンいくつか押しさえすればよかった。今はいろいろな機能が増えてパソコン化しているのだ。東芝のレコ-ダ-が「UPDATE」ととなり操作できなくなった。updateはパソコンで知っていたから
ソフトが入っていてアップデイトしているのかとそれも無線で衛星放送からソフトをアップデイトしている。それが原因で故障になった。東芝の相談センタ-に電話してもつながらなかった。その不具合を知ったのは2ちゃんねるだった。インタ-ネットだった。そこで東芝のサイトでUSBにダウンロ-ドしたソフトをさしこむと直った。これは明かにパソコン化しているレコ-ダ-だった。パソコン化するとパソコンが前は不具合が頻繁におきていたように故障が多くなる。ソニ-のテレビも記憶できるのだがそのBDが二回も記録できなくなった。機械が複雑化高度化してくると故障が多くなるのだ。


パソコンは初期の段階はそういうふうなものとしてしかたないとして使っていた。とにかくソフトで買っても使えなかったり外部の危機を接続しても相性が悪いから使えないとなっていた。それがテレビがパソコン化してきたとき同じことが起きた。どうしても見る番組が増えると記録するハ-デデスクが必要になり外付けのハ-トデスクを買ったがこれも一発でつながらない、認識されなかった。こういうことはパソコンの初期段階ではよくあった。でも最近はほとんどなくなったしパソコンは簡単に壊れないようになった。だからテレビもそうなったのかと思っていたがテレビはまだパソコン化するのに遅れていた。そこでソフトの問題が起きている。初期のパソコンの時は会社がみんなぱらぱらでありどこが悪いかわかりにくいから必ず相談しても買った本人が悪いことにされていた。複雑だからどこが悪いのかわかりにくい、すると・・・が悪いのではないですか、私の会社では責任もちませんとなっていた。外部機器の方が悪いとなれば責任をもたないし自社のパソコンでもどこが悪いか特定しにくいから責任をもたない、それで買っても使えなくて損した人はいくらでもある。そういうことがテレビがパソコン化して起こっている。


●細分化した部分の集合の社会は誰も責任をとらない


官僚の決まり文句では「私の担当ではないので責任はとれません、私の部門ではないので別な部門で聞いてください」というのが普通にある。するといろいろな部門が多すぎると何かあっても誰も責任はとらない、私の担当の部門ではありませんので責任はとれませんとなる。初期のパソコン時代はそうだった。様々な会社がかかわるにしろつなぐ線まで会社によって違っていて相性が悪いとかで使えないものがかなりあった。一つの会社でないのだからどこが悪いのかもわからない、それで線が悪かったとかわかるまで大変である。私の担当の部門には問題がありません、他のものが悪いのではないですか、必ずこういわれて誰も責任をとるものがないしソフトは複雑だからソフトの不具合となるともうどこが悪いか聞くこともできない、使えなくてもあきらめた人はかなりいる。パソコンはそういうものでありあきらめていたのだ。東芝のレコ-ダ-でもハ-ドディスクは別な会社になっているからその時とにている。ソフトの不具合とかなるとめんどうになるからだ。

現代の社会は無数の細分化された部分の集合体として機械であり社会も組み立てられている。だから部分を知っていても全体を知る人はいない、病気でも体の部分を見る人はいる、でも体全体を診る人はいない、部分に詳しい人が尊ばれる。耳であれ鼻であれ肝臓であれ腎臓であれ体の部分を診る人に別れている。現代の社会も無数に部分化した細分化した専門化した社会である。文学でも俳句雑誌があり短歌雑誌があるけど実際は一つのものでもいいはずだがそうはならない。サイエンスというとき宗教もサイエンスとして取り上げていた時代があった。サイエンスは科学は総合的なものとして人間を研究するものだった。その科学が無数に部分化して専門化してしまった。人間自体もただ単なる一つの機械の部品のように見られるようになった。全人間などというと異常な人間でありアウトサイダ-にされてしまう。社会の部品に収まるとき、ともかく・・・員として組織に所属するときその時その人が現代の社会の一員として認められるのだ。それは宗教でも同じであり・・・会員となっているときその時その人は社会に認定される。どこの会員でないものは何物なのか?得体の知れないアウトサイダ-にされるのだ。


●原発事故も誰も責任をとらない


原発事故もやはり現代社会の特有なものとして起きた。何か特殊なものではない、現代社会で起きた事故だからパソコンやテレビの故障と同じになる。原発はそもそも巨大な技術の機械の部分の集合体である。誰も全体を知り得る人などいない、どれだけ複雑な集合体の装置なのか、原子力の科学者は本当は原発のことなど全然知らないという、その学者が説明しても本当はわかっていないから御用学者として安心させるために嘘を言っていた。知っているのは原発を作った東芝とか日立とかの技術者であった。原発は東大であり何であれ学者がすべて知っているようなものではなかった。それは技術の巨大な集合体だからそうなる。最初に建てるときには土木技術でありそれから原子炉や配管やら電気技術など様々な総合体だからその全部を知る人は誰もいない、でも最初の段階で土木技術の段階で安全性をないがしろにしたことは素人でもわかった。高く盛り土して作る計画だったのが低くした結果、津浪に襲われたのである。非常用の電源も地下に置いたことが致命的だった。

土木技術にしても電源の問題でもそれぞれ切り離さず総合的に考えて作る必要があった。総合的見地から安全性を計る必要があった。中央司令室がすでに電気が通じなくなったからその時点で操作不可能になった。パソコンのソフトが動かなくなり使えなくなったのとにている。福島第二原発は中央司令室が操作できたから紙一重で助かった。こうした細分化した社会では誰が悪い、何が悪いとかいろいろ糾弾しても誰も責任をとらない、政府すら責任をとらない、保安院もとらないし東電もとらない、原発を作った東芝や日立でもとらない、マスコミも責任があってもとらない、それは戦争のときと同じである。どこが悪かったのか明確な責任をもたないのが現代なのである。


原発は初期のパソコンともにていた。初期のパソコンは故障して当たり前、ソフトはつかなくても文句言うな、自己責任だとかなっていた。外部機器でも会社は責任をもたない、ソフトが悪いとかパソコンが悪いとかですんでいたのである。そういう情報をやりとしりしていたのはパソコンを使っていた人たちであり最初はそうしたパソコンの使用者がパソコンを技術者と一緒になり開発していたのである。実際にパソコンは今からする高いから金をもっていないとできない代物でもあった。技術開発の初期にはそういうことが起きている。原発も最初日本にアメリカからもたらされたとき、マ-ク1という古い原子炉であり危険なものだと作った技術者が指摘していたのである。原発は最初は成熟した技術ではなかったか。そういう古いまだ未熟な原発をあえて導入した人たちにも問題があった。

どれくらい危険なものか調べもしないで導入したのである。まず金になればいいというのが最初にあり危険をかえりみず先に金であり安全は二の次にされた。だからこそコストカッタ-といわれた社長が安全性よりもうけを優先して作った。津浪を想定して盛り土して高くすると不便になる。金がかかるということで低くして海に排水しやすくしたりした。非常用電源を地下にすべて置いたのはアメリカは竜巻を恐れてそうしていたので日本もまねたのである。津浪を想定していなかったのだ。地震国であったのにそこが油断だった。日本とアメリカの風土を考慮しないで技術を導入したのが問題だった。風土の問題は科学技術の面でも重要なのである。そうした危険なものを導入するにはいかにその国の風土や歴史とか様々な分野の総合的な考察が必要だった。その総合的に考えることが現代ではしにくい最大の弱点でありそれがとりかえしのつかない事故につながったのである。


現在、日本中で鉄筋コンクリ-トが崩壊の兆しを見せています。そういった手抜き工事のほとんどが東京オリッピック(昭和三九年)以降の高度成長期に作られたものだということです。材料をけちり、工期を短縮してただひたすら純利益をあげることのみに邁進するどんなインチキ仕事でも数さえこなして金儲けすればいいという風潮が高度成長時代にあったのです


70年代に建設されたコンクリート構造物が2005年から2010年ころに一斉に崩れ始める
http://www.asahi-net.or.jp/~pb6m-ogr/ans040.htm


機械でも古くなれば故障が多くなる。そういう原発がマ-ク1の原発が他にもあるし40年とか使っている原発があるけどそのままにしている。コストの面からしたら古くても使っていたのである。原発は特に危険だからそうであってはならないにしてもやはり高度成長時代の感覚がありともかくコストの面から安全性をないがしろにされたのである。人間はつくづく個人的にも怠惰である。古いものでも金がかかると使っているし津浪の危険も人間が怠惰であるから起こったということもいえる。400年も津浪が来なかったら人間は津浪のことをリアルにイメ-ジすることができなくなっていた。

ともかく人間の作ったもの技術であれそういうものは不完全であり壊れるのが普通である。原発はなおさら危険なものだからそういう認識があってもいいのに「安全神話」にまで作り上げられていたのが事故の原因だった。人間の作ったものはいづれ故障したり破壊されたりする。そういうことは機械では常に起こることである。原発だけは起こりえないという「安全神話」が馬鹿げたものかわかる。それはただ権力をもつものによって情報もすべて操作されたからそうなっていたのである。戦争のとき日本は神国だから絶対に勝つと言って400万人死んだのともにている。神は絶対だけど人間の成すことに絶対はありえないのである。科学は今や宗教に近い絶対化しているから事故が起きたのである。

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2012年02月12日

故郷を奪われし人々の詩 (仮設住宅に暮らす人を思いて・・)

 

故郷を奪われし人々の詩

(仮設住宅に暮らす人を思いて・・)

故郷の住み慣れし土地や家を奪われ

仮設住宅に住む人こそあわれ

今何を思うや日々つとめもなく

故郷の我が家や土地を耕す

常なる日々を奪われぬ

ある者は遠く都会のマンションに

ある者は雪に埋もれし会津に雪かき

思わざることにしあれや悔し恨めし

森の香気につつまれし山の里

広々とした海を望むあたたかき地

そこに生業のありて暮らせし日々を思うかな

ああ 故郷にいつの日帰らむ

祖父母の父母の眠る故郷

老いにし人もあまた辛しも

先祖の培い育みし故郷の大地

そこを継ぎ耕す日々を偲びけるかな

 


万葉集の歌と心境が一致する避難者
http://musubu2.sblo.jp/article/45938544.html


なぜこのペ-ジが常に読まれているのか不思議である。どう考えてもそういう心境の人が読んでいる、避難した人が読んでいる。ただ普通の人は万葉集は読んだりしないような気がするから不思議である。


ひさかたの 天路は遠し なほなほに 家に帰りて 業(なり)を為(し)まさに 山上億良


他人(ひと)の植うる田は植えまさず今更に国別れして吾はいかにせむ 228 狭野茅上娘子


おそらくこういう心境だからこそこれを読んでいるのだろう。仮設住宅でもインタ-ネットしている人はいる。時代的にインタ-ネットしている人は思った以上今は増えている。だからそれなりに影響がある時代になった。


故郷を奪われたというとき自分は確かに仮設住宅には住んでいないけど30キロ圏外だけど何か心境的に共通している。自分にしても飯館村とかは故郷の一部のように行っていたし相馬藩内は歴史的にも故郷だとも言える。一つの体でありその体の半分が奪われた感じになるのだ。そして浪江とか2万人もいたとすると経済的にも南相馬市であれ相馬市であれ影響が経済的にも大きかった。相馬藩内は一つの経済圏としてあり仕事のつながりもあった。それが六号線とか鉄道が遮断されたことでわかった。浪江の二万人小高の一万人、他に一万以上とかそうした人口が失った。小高の人は南相馬市に移ったが他は移っていない。ともかく自分にしてもやはり故郷を奪われた一人だから心境的に一致する。そうしてこういうふうに故郷自体を奪われ住民すべてが移住させられるようなことが歴史的にあっただろうか?こういうことは確かに十津川村で災害にあい北海道に集団移住したことあったけど全村民が移住したということはない。こういうことを過去に体験したということはなかったかもしれない、戦争でも故郷自体を奪われるということはなかった。啄木の望郷の歌は啄木という一人の天才の放浪者の身勝手から生まれた個人的な望郷の歌だった。今回は故郷自体が奪われて故郷を偲んでいる。それは個人的なことではない、何万人の人が故郷を失ったという歴史的なことだった。確かに外国では民族同士の抗争が激しく奴隷にされた人が多数いた。その時故郷から移住させられ外国で使役された。ユダヤ人は故郷を失い2千年国もなく過ごした。これは国自体失ったのだから故郷が失うのとはまた違う。


それにしても故郷自体が奪われ住めなくなるということが信じられないのである。未だになぜ故郷を離れ仮設住宅に住まねばならないのか、納得しえない人々は多数であろう。これは津浪の被害で仮設住宅に住んでいる人たちとも違う。原発事故による避難は別のものである。ともかくすでに津浪から原発事故から一年にもなる。これからいつまで仮設暮らしがつづくのかとか、仕事しない人がパチンコとかサウナに通って遊んでいるとか土地の人に非難されている。それも困ったことなのである。仕事は食うためにもあるけど人間の本源的なものとして生きがいとして仕事がある。それが奪われるということが深刻なのである。特に農業などに従事していた人はやはり土地とか家と一体化しているから特にそう思うだろう。仮設住宅はまさに仮の住まいであり土地の人となるわけではない、だから仮設住宅の建設地を貸してくれと市で頼んでも断った土地所有者がいた。それは一時的なものでありそこを住宅地にすると農耕地にできなくなるとかの問題が生じるからである。いづれにしろずっと長く仮設に住むことはできない、もし故郷を離れるなら他の土地で仕事をもち暮らす他ない、そういう人たちも若い人にでてきている。そうして仕事をもち暮らすなら土地の人にも受け入れられるのである。仮設住宅暮らしは土地の人には受け入れられないのである。


 

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2012年02月15日

原発事故で途絶えた道(2)-詩

 

原発事故で途絶えた道(2)-詩

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常磐線に美しい虹がかかった
虹は何を意味していたのか?
虹は遠くと結ぶためにかかった
常磐線は今二駅の間を行き来しているだけ
それも二両だけの電車
鉄道も道も遠くとつながっていてこそ
線路であり道だ
江戸時代なら街道として江戸まで
鉄道でも道でも東京まで通じるからこそ道
家々は村や町や市は道を通じて結ばれていた
東京からさらに西の市町村とも結ばれていた
その道が原発事故で途中途絶えてしまった
津浪で鉄道は仙台までも途絶えた
道が途絶え人と人の絆は断たれた
相馬の市から出発する浜街道でも
そこに立てば江戸までの道のりをイメ-ジする
大きな動脈として道は生きていた
道を通じて血管のうよに新鮮な血液が流れる
生き生きとしたものが道を通じて流れる
途中は放射能の暗雲と霧で閉ざされる
道は死んでしまった
トコトコ二両の電車が行き来する
何かオモチャのようにちゃちなものに見える
それも遠く通じ合わないからそうなった
ス-パ-ヒタチが走ったのは夢だったのか?
その流線型の車体が走るのを見ることができない
道も線路もめぐりめぐって効果を発揮して活きる
ああ 道も死に土も死に森も死に川も死に
放射能の霧はいつ晴れるのだろう
冬の暮何か遠い世界に取り残された感じ
原発の廃炉は何十年もかかる
完成するころは死んでしまうだろう
仙台方向へは夢を託せるのか
原発周辺の街は死滅する
ああ 常磐線に虹がかかっても虹にならない
遠くへと通じないから結ばれないから
虹がかかり遠くへ通じる日はいつ来るのだろう
もう来ないのかもしれない
・・・・・・・・・・・・



この辺で起きていることは何なのか、かつてあったものが失われてしまった。普通に生活していた日常が失われた。故郷が失われた。それとともに道が失われた。鉄道の路線が途中でたたれた。津浪で家がなくなり村ごとなくなった。右田の松原や松川浦の船溜が消えた、松原も消えた、新地駅や山下駅は津浪で流された。鉄道の線路も流された。こういう情景は未だに信じられない、原発事故で六号線や常磐線が途中遮断されたことの影響は大きかった。道はそもそも普通だったら東京にも関西にも通じている。遠くに通じていることに意味があった。ただ当たり前だから意識しなかったのである。道を通じて人間は結ばれていたのだ。現代の生活は交通に頼ることが多い、全国が網の目のように交通で結ばれていた。それは車社会だからできたことでてある。それが車社会の利点でもあった。マイナス点も大きいが道がこれほど重要だったことは途中道が途切れてしまったことで余計に意識するようになった。陸前浜街道があり江戸時代でも江戸まで通じていた。その道は江戸を必ず意識していた。江戸まで通じることで街道になっていたのだ。もし江戸まで通じないなら意味がないのだ。だから今の状態は何か縄文時代にすら帰ったような気分になる。せいぜい隣の村くらいとしか通じ合わない道になってしまう。だからトコトコと二両の電車が行き来するだけになった。

常磐線で前にとった虹がかかった写真があった。まさに虹は遠くと結ぶことで虹なのである。だから虹は海にかかるとき一番気持ちいいものとなるだろう。八両の電車も通りス-パ-ヒタチも通っていた。それがもう見れない、これも想像すらしなかった。あったものがなくなるというとき人間は余計意識する。死んだ人がいつまでも思うのはもう二度と会えないからである。会えないからこそ写真を見ては悲しくなりいつまでたっても慰められることもないのである。つまり会えない限り心は慰められることはないのだ。それと同じ様に一旦あったものがなくなるということでそのあったものを余計に意識することになる。そのありがたみを感じる。故郷にしても普通に生活していたのに住めなくなるということで故郷を意識する、当たり前にあった故郷で暮らせないということで故郷を意識する、故郷が何だったとか自問する。故郷に当たり前に住んでいれば考えもしない、空気のように当たり前に故郷はあったからである。この辺で起きていることは当たり前にあったものがなくなっている。
それでそれがいかに貴重なものだったとか意識する。そういうことが毎日のように意識させられているのである。

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2012年02月18日

真野ダム水道水の放射能不安 (泥としてセシウムは付着して流れだす)


真野ダム水道水の放射能不安

(泥としてセシウムは付着して流れだす)

 


昨年11月に環境省調査した真野ダムの水底から一キロ辺り9900べクレルの放射性セシウムが検出された。ダムの水質に関しては1リットル当たり1ベクレル以下だったが水底一メ-トル地点で採取した水から同22ベクレルの放射性セシウムが発見された。


相馬地方広域水道企業団(相馬市、新地町、南相馬市鹿島区)の水道施設の配水量の78.7%が飯舘村を広く水源とする真野ダムの水を水源としており、急速濾過及び塩素滅菌をしております
(政経東北2月号-今も水道水を飲まない南相馬市民・・)


南相馬市原町区の水源は、飯舘村東側の高倉ダムから放流される水無川から取水されています。こちらも、真野ダムと同様の条件、いやそれ以上に汚染水の流入が危惧されます
http://www.nagaoclinic.or.jp/doctorblog/nagao/2011/05/post-1577.html

 


南相馬市は地下水から水道水をとっていると思って警戒しなかった。水道水を普通に飲んでいた。南相馬市の広報でも地下水から水道水をとっているとあった。この辺の情報もはっきりしなかった。
ミネラルウオタ-を買うと結構な料になるし手間もかかる。だから水道水を飲んでいた。一日の水の飲む量は多いから内部被曝が心配になった。自分が真野ダムの付近で計測したときは公園の所で雨にぬれた土は乾いた土より倍あった。10マイクロシ-ベルトはあった。雨と共にセシウムがふって濡れた土に付着して高くなった。自分の家の近くの樋も10マイクロシ-ベルト以上で高かった。アスファルトは0・1-0・2で低いのにそれだけ高い、雨と共にセシウムは流れて土に付着すると高くなるのだ。22ベクレルでも200日で計算したら2.7588 μSvになっていた。これは体内被曝した量である。
レントゲン写真一回が20マイクロとかになっているのか、ただ体内被曝は22ベクレルでもこれから何十年とつづきセシウムの量は減らない、森から流出してくるからへらない、泥となってダムの水底に堆積するのだ。


阿武隈川河口で放射性セシウム525億ベクレル


福島県伊達市内では、計1763億ベクレルに達した。放射性セシウムの9割以上は、水中の土砂に含まれており、河口までのダムで一定量はせき止められたとみられる。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111124-OYT1T01108.htm


これはものすごい量である。いかに放射性物質が泥に付着して流れだしているか証明している。
興味深いテレビを見た。ナイル川が肥沃なのは黒い土がエチオピアの上流青ナイルの渓谷から黒い土が流れてきて洪水でその黒い土がもたらされるから豊穣があった。そのエチオピアの高原地帯は畑になっているけど黒い肥沃な土であった。それが雨と共に渓谷に流れだしている。その黒い土が流れださないように石垣でせきとめていた。そして驚くべきはその黒い土は火山でふきだした玄武岩が土になったものだという。その壮大な地球のドラマに驚嘆した。岩から土になったということに驚いたしナイル川に流れその岸にその黒い土が運ばれていたことに驚いた。その量も莫大なものだからそんなに川が泥を運ぶことに驚いたのである。それだけ泥は川に流れだすのだ。だからこそ阿武隈川の河口で泥となって流れだしたセシウムが高濃度となっていたのである。ある人が言うには日本では雨が多いからセシウムは泥と共に山や森から流だし消えてゆくと言っていた。チェルノブエリは乾燥地帯であり雨が少ない、日本の急流となる川ではない、泥となって流れだしにくいのである。日本は急流の川だし山や森からも流れだしやすいかもしれない、ただこれからどうなるかはまさに様子をみるほかない、福島県人は実験台にされているのだ。体内被曝でもそうである。真野ダムの水道水を飲み続けて5年後なのか10年後なのか20年後なのかガンがふえたとかなるのか?そういう実験台にされているのだ。それは科学者でも結果を見ない限りわからないものなのである。放射性物質、セシウムなどは泥に付着させて水を吸収してセシウムが付着した泥として保管する方法が一番良いと機械も開発された。泥に付着させてセシウムをとりその水を流してもセシウムは流れないことがわかった。


科学が苦手もこの辺では放射能にどうしても関心があるからそういう情報に敏感になる。問題は体内被曝として蓄積されることが怖いのである。ヒロシマの原爆のように一過性じゃないからだ。30年とか長い期間にわたって放射性物質の影響を受けるから困るのだ。それで水道水が危険だからと住めないという人もでたのがわかる。老人ならガンになってもどうせ何らか病気になるとあきらめるが若い人はそういかないし子供をもっていればそういかない、ともかく放射能にどう対処していいか、素人にはわかりにくくて困るのだ。結局各自で危険を判断してくださいとかなり自己責任にされてしまうからだ。おそらく放射能が原因でガンになっても東電も国も責任はとらない、その因果関係が証明しにくいからである。



真野ダムの水底に泥がたまりセシウムも高濃度になってくる。それが水道水に何らか影響してくる。ナイル川のアスワンダムではエチオピアの高原から流れだした黒い土がせきとめられて流れない、
洪水もなくなった。それでナイルの下流では化学肥料を使っている。
せきとめられた泥が堆積したらその真野ダムの泥を取り除く必要が出てくるのではないか?
そういう所を放射能の専門家に聞いてみる必要はないのか?
なかなか素人ではわかりにくいけどそういう対策も市にしてみる必要があるのではないか?
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2012年02月20日

医者には愛郷心がない、土着性がない職業? (福島県から流出する医者の問題)


医者には愛郷心がない、土着性がない職業?

(福島県から流出する医者の問題)



東日本大震災で原発事故に遭った福島県で、医師の流出が深刻な問題になっている。
県内138病院の常勤医が、原発事故当時から71人減少していることが判明。
看護師の減少も続いている。放射線への不安から首都圏などの大学も医師派遣に二の足を
踏んでおり、医療機能の停滞が復興の遅れにつながる恐れも。危機感を強める地元では
優遇策の検討も始めた。

福島県によると、震災から9カ月の昨年12月1日時点で、県内の常勤医は1942人。
震災当時(3月1日調査)に比べて71人も減った。

中でも、原発に近い沿岸部の相双地域では震災前の120人から61人に半減。
県全体では4月以降さらに7人が減る見通しだ。

*+*+ Sponichi Annex +*+*
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/02/17/kiji/
K20120217002650120.html

 


まあ、医者や看護士はどこ行っても仕事あるから
移動しやすいってのもあるだろうね
俺の従妹のねーちゃんも福島で看護士やってたけど
他県に引っ越したよ


医師免許を福島でとった人は
福島でしか医療活動できないようにすべき

そうしないと医者がいなくなる

県立医大卒業した奴は県外での勤務を禁止しろ。
それに違反したら1億円くらい罰金を取れ。

毎年100人くらいの卒業生がいるわけだから65歳までを現役としたら
4000人くらい医者がいないとおかしい。
元々半分は県外に流出していることになる。
福島県民は怒らないと駄目だぞ。


医者じゃなくてもわざわざ住みたい人なんていないでしょ
福島どころかそこそこの地方の公立病院でさえ
勤務医不足で閉ざされてしまった科も多い
税金投入して医者を育てても
卒業したら都会で美容整形医や眼科医とかになる人多すぎ
大学病院でさえ金持ち中国人で商売しようとしている
国が決定的な政策を打ち出さないかぎりもう無理だと思ってしまう


医者が福島から逃げるのって、本人の意志じゃないケースがほとんどなんだけどな。

親、嫁、嫁の親族などから相当なプレッシャー受ける。
福島から離れないと離婚させると嫁の親に迫られ、辞めた人を何人も知ってる。
うちはいわきで線量もたいしたことないからやめないけどね。


医者は土着民と違ってしょっちゅう転勤しているので引越しに対する抵抗感がそもそも少ないし、
再就職先はいくらでもある。
今現在被曝のリスクは殆ど無いにしても、また揺れれば再爆発の可能性はあるわけだし、
引っ越すために払うコストが医者の場合は極小だから念のため引っ越すのは当たり前。


もともと大学から派遣された勤務医ってのはローテーションみたいに交代するのが普通。
そうでないと、たまたま都会に赴任できたヤツと、ど田舎に赴任したヤツとで不公平になる。
持ち回りで一時期我慢しなければならないならお互い様、という論理だ。

これは別に福島だけで起こってる訳じゃ無い。全国の田舎で起こってる医師不足と全く同じ。
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1329433779/



●第一次産業主体の社会から移動社会の変化が社会を変えた


土着性などというと何か古い感じになるけど土着性と愛郷心は密接に関連している。一番土着性があるのは第一次産業に従事している人たちである。農民であり漁民であり林業であれそうである。そういう職業は代々受け継がれてきた。そもそも農家が三代つづいて農民として認められるというのもそのためである。林業にしても木が育つのに50年かかるとすれば一代で収入が得られないから気の長い仕事なのである。そういう一次産業主体の経済が戦後10年くらいまではつづいていたのである。山では炭焼きしていたし炭が燃料だった時代は江戸時代から戦後10年までつづいていたのである。そういう時代が長いのであり最近の石油を頼りにしているとか原発になったとかはまだ非常に日が浅いのである。第一次産業を主体にしているときの感覚、価値観、物の考え方、モラルと非常に短い時間でもの考えることはかなり違ったものとなる。そもそも人と人の信頼は長い間にしか築かれない、だからともかく長い間つきあいのある人は相手がどうであれそれなりに信用する。そこが信用の基本だった。はじめて来るような人を家に入れるのがどれほど危険なものか身をもってしった。


農家ではすでに一代だけでは仲間に入れてもらえない、信用されないということがある。そんなことは封建的だとかいろいろ批判はあるが物の見方は多様なのである。ある一面からみれば別な見方がでてくる。土着性とかから原発事故を見ている人はまれかもしれない、外部からは簡単に移住しろとか無責任に言うけど人間はそんな簡単に故郷を移住できるのか?故郷というのが何なのかこの辺では故郷を失って考えるようになった。故郷と土着性が密接に関連している。戦後十年くらいまでは大方日本人は土着的に生きてきた。その後工業化が進展して東京などに労働者が金の卵として移住した。労働人口が流動化した。それまでは第一次産業主体だからそんなに全国的に人口が流動的になることはなかった。交通の発達も今のような車社会でもなかったから近くでも移動すること自体容易でなかった。江戸時代でも長屋暮らしであり何か今の社会からイメ-ジするから頻繁に移動しているように見える。でも実際は同じ長屋で暮らしそこで死ぬ人が大半であった。だからこそ親密な関係や助け合いも生まれたのである。そういう社会のことが今はイメ-ジしにくくなったのである。


●勤務医は土着性なく開業医はある


ここの問題でも福島県で育てた医者が県外に流出することが問題になっている。せっかく県で金かけたのに県に残らないのでは育てる意味もないとなる。南相馬市で医者とか看護師が一時半分も流出したし今もなかなか回復しない、医者は外部から入ってきている人が多い。だから愛郷心がない、土着性がないことはわかる。看護師は地元の人が多い。その人たちも流出した。子供をもっている人が多いから放射能不安で流出した。看護師は愛郷心がないとはいえない、地元で育った人が多いし親も祖父母も地元にいるというのが多い。医者は開業医だと地元に根付いた人が多い。ただ新しい開業医もいるけど土着性がある。だから原町の産婦人科の医者は最後のミッションだとして尽くしていた。年でもありその土地や人と一体化して愛郷心があるからそうなった。ただ一般的に医者は地元に愛着がないとかいうのはわかる。だから放射能問題で医者だから敏感になって移るということもあるしどこでも医者や看護師は仕事ができるからそうなる。土着性がない職業でもあった。ただ自分が思うに医療という仕事が本当に体だけを診るものなのか?医療にかかわる分野は広い。特にタ-ミナルケアとかなると医者だけではない、回りの環境が大事になる。もちろん建物も関係してくる。その点南相馬市立病院は理想的だった。建物の立地もいい、見晴らしもいい、環境的に癒される所だったのである。病院に求めるのは他の人も景色のいい病院に入院したいという希望をもっていた。それは東京のような所ではなかなかありえない、田舎だったらそういう病院が結構多いだろう。ただ相馬市立病院は見晴らしが良くなかった。建物も劣っていた。医療というのは単に体の一部分をみているのではない、環境まで関係してくる広範囲のものとしてみる必要があるのだ。死ぬときは眺めのいい所で死にたいということもある。無味乾燥な病室だけを見て死にたくないとなる。そういうことにも病院は関係している。病院というと病気だけを直すということを見ている。でも実際はその病気にしろ自然環境から癒されるということもある。


●土着性がないと安定して仕事もできないし文化も生まれ育てられない


本来仕事は土着的なものだった。江戸時代から戦後10年までは人はこんなに移動していない、一カ所に留まり仕事していたのである。その変化がいかに大きいものだったか自覚していないのだ。山伏とかが山に籠もり何か自然の神秘な力を見につけて加持祈祷するというのはそのためだった。そんなもの今じゃ非科学的であり迷信だとかなるが自然には人間を越えた神秘な力が未だ働く、癒しがあるのだ。もちろん現代の医療技術の進歩には眼を見張るものがあるからこれは否定できない、でも余りにもその急速な進歩により目を奪われ人間的なものが見失われてしまった。人間という存在は自然と宇宙とも密接に結びついた一つの生命体であり医療となればやはりその自然や宇宙の生命体としての癒しが必要になる。ものと心は一体なのである。ものとは自然や宇宙のことである。西洋医学では思想ではすべてを部分として分割して見る傾向が強い、東洋的な思想は全体として見る傾向が強い。医療もそういう違いがある。でも西洋医学の方が効果が現れやすいから東洋医学は漢方などは忘れられた。確かに人間は機械なのかということを思うことがある。血管でも人工血管やら人工心臓、人工心肺まで可能である。人間の体が機械に肩代わりできることは人間の体も機械なのかということもある。だからこそ医者を神のように崇めるようになった。つまり昔はそれだけの効果を期待できないから科学信仰になったことはわかる。


でも土着性というときそれは薬師堂のようなものに例えられる。今どき病気になったら薬師堂にお参りしたりはしない、みんな病院に行く、でも開業医などは薬師堂とにてい役割がある。開業医は勤務医より土着性がある。その土地に根付くようになるから土着的になる。流出している医者は勤務医の方が多い。仕事には何か土着性、長く腰を落ち着けてするということが必要である。それは別に農家でないにしろ必要である。文化的なものだってそうである。文化がcultureが耕す意味から来ているのも当然なのである。その土地の自然から文化が生まれてきているからだ。その文化が生まれのには育つのには長い時間が必要なのである。薬師堂はどこでも村の中心にありそれは病気が治らないまでも癒しとして機能するものだったのである。そんなもの何にも役に立たないとか今では思っても歴史的にはそういう役割があったからこそ今も残っているのである。人間の問題は決して一部分に留まるものはない、どんなものも全体に影響するし全体の関係から逃れられない、医療の問題でも自然環境まで考慮する必要があるようにあらゆるものがそうなのである。そういうように全体の関係を考慮せずに原発などを作るからとりかえしのつかない事故となる。今必要なのはこの全体の思考なのである。原発事故にしてもそもそも津浪のことを考慮しない、地震のことは考えても津浪のことを考えないことから起きた。全体的地球的思考力の欠如だったのである。人間は部分を見るのは得意でも全体をみることが不得意なのだ。現代のように極端に細分化して専門化した時代は特にそうでありそれが致命的なものとなる危険性をはらんでいるのである。

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2012年02月28日

一番立派な仮設住宅 (南相馬市原町区のイオンス-パ-の隣にできた)


一番立派な仮設住宅

(南相馬市原町区のイオンス-パ-の隣にできた)


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仮設住宅はまだすべて完成していなかった。南相馬市の原町区のイオンス-パ-の隣にある仮設住宅は今まで見たのでは一番立派だった。写真で見たより木の質感がいいし奥行きが深く部屋が広く感じた。これは今まで見たのとは随分違って立派に見えた。外見もそうだし内部そうみたいだ。
真ん中に廊下があり両側がつながれているのも独特である。すぐ近くがイオンス-パ-だから買い物に便利であり歩いて行けるから車がなくてもここなら街から離れていても不便にならない。

仮設住宅は二年間が期限だけどそのあとも使えるようにするには木の仮設がいいという。あとで建て増しとか木だからいろいろ応用できる。木だからあたたかいみがあるし隣との騒音も遮断できるとかいい点が多々ある。そもそも津浪の被害で家を流された人は簡単に家を建てられないのだから仮設に長く住む人もでてくる。そうなると一時的なものでなくて長く住める場所、借り上げて住む場所にするべきだという意見もある。今回見た仮設はそれに近いものとして使えるように見えた。


原町区では道の駅と市の体育館の脇にもあるが体育館の脇は立地が悪い。体育館の建物にさえぎられて日がささず暗いのである。住む場所は建物自体もそうだが立地も問題になる。立地が悪い場所は原町区の体育館の脇と鹿島区の小池にある所だった。それにしてもまだ仮設住宅を建て続けていた。

それだかけ仮設が必要であった。南相馬市の人でも市内から外に出た人がいて帰ってくるために建てたのかもしれない。一、二割は長く仮設に住むようになるのではないか?小高区の人などは警戒区域が解除すれば帰れるだろうがなかなか帰れない人たち、津浪の被害者などは家がないのだから帰れないのだからその人たちの住宅はまた別なものとして建てる必要が出てくるだろう。相馬市では老人の施設として長屋風の住宅を建てるとか今はそういう安価なもので老人用の施設が必要になっているのだ。

ともかく仮設住宅は一時的なものであり住んでいる人も回りの人も落ち着かないのである。回りでもいづれすぐにいなくなるとか住んでいる人もここにいつまでもいるわけではないとかなると何か落ち着かない状態がつづいているのだ。何軒か新しく家も建っているからこっちに住居を移す人もでてくる。ただ金がないと家は建てられない、津浪の被害者と原発事故の避難者は事情が違っているから分けねばならない、この辺では両方の被害者もいるから困る。津浪だけの被害者は補償はないが原発事故の被害者は補償があるからまた違っている。イオンス-パ-の隣の仮設は点検していたからまもなく入れる。すでに募集ししているだろう。あそこに入った人は得である。
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東風(こち)が吹きはじめた (3月11日は不運が重なったと同時に権力の横暴が暴かれた日)


東風(こち)が吹きはじめた

(3月11日は不運が重なったと同時に権力の横暴が暴かれた日)


海よりし東風(こち)吹きはじむ不運かな


今日強くはないが海の方から東風(コチ)が吹いた。今頃になると東風が吹きはじめるのだ。
3月11日の時、この東風が東南の風が海の方から吹いた。その後に雪となり浪江や飯館村の方に
放射性物質が大量に流れたのだ。一種のプル-ム・・雲の固まりのようになって流れたと学者が指摘していた。2月までは風は北風であり北西の風であり東風はまだ吹き始めない、3月になるとこの辺では東風が吹き始める。

北風だったら浪江の阿武隈山地や飯館村の悲劇は起こらなかったかもしれない、海側は比較的放射線量が低くかったのは風も関係していたし海側に半分流れたのである。原発から5キロの煙突が見える
請戸でも放射線量は一マイクロシ-ベル以下だった。そんなに低いのかと驚くべきものだった。
つまり放射性物質は風の影響も大きかったのだ。そんな近くでそんな低い放射線量になっていたことが証明している。放射性物質の固まりが不運にも雲のように一塊になり浪江の山の方と飯館村に流れ福島市や伊達市や郡山市まで流れたのである。もし北風が吹いているときだったらこうはならなかったろう。雪がふったのも不運だった。飯館村などは不運が重なったのである。

今年は寒いから東風が吹くのは遅いかもしれない、でもやはりすでに吹きはじめているからやはり3月になればさらに東風が吹く頻度が多くなる。3月11日は不運、不吉な日だったのである。

放射能がこれほど風に影響されるものだということをスピ-ディを巨額の金を使って作っていたのだから予測できたけど知らせることをしなかった。最初に知らせたのはアメリカだったというから自国での安全管理もできないのが原発だった。アメリカ頼りだったのである。最初にマ-ク1の古い原子炉を導入したときもアメリカの意向がありアメリカ頼みであり自国の安全を自国で計っていなかった。なぜ地下に非常用電源を置いたのか?それはアメリカでは竜巻が怖いから地下に非常用電源を置いていた。日本でもそれをまねて地下に置いた。これも日本側の安全対策の馬鹿げたミスだった。
日本で怖いのは地震とそれにともなって起きる津浪だったのである。こういう危険なものを他国まかせにしていたため起こった。福島第二原発は自国で改良したものだから事故をまねがれたという。

アメリカでは地震、津浪が怖いから西海岸には原発を作っていない、東部に作っている。日本では
地震、津浪があるのにあえて海岸に作り津浪対策もしていないのだからいかに日本が安全対策していない、のんきなものだったかわかる。なぜそんなことが許されたのか?

それは戦争と同じだった。アメリカの強大さも教えられず無謀に戦争に突っ込んだのと同じである。いろいろなことを知らされずに戦争に強いられたのである。そこで権力による情報操作が行われていた。文部科学省も深くかかわっていたのだから驚く、子供に安全神話の洗脳教育をしていた。しかし誰も指摘するものもいなかった。これは戦争と何らかわりないものだった。つまりその構造自体日本では何ら変わっていなかったのである。戦争のときも官僚であれマスコミであれあらゆるものが戦争へと一丸となって突入したのである。そこには必ず情報操作が行われる。戦争して負けるかもしれないなどと言えば特高に連れていかれる。原発もそうだったのである。

権力による情報操作は常に行われている。テレビであれ新聞であれ雑誌であれ出版であれ常に権力により情報操作されたものとして出されているのだ。それは創価が新聞社に聖教新聞をすらせて権力で情報を操作しているのと同じ手法である。幸福の科学にも支配されていると
なると宗教団体も強大な権力で金でマスコミを買うことができる。東電は莫大な金でマスコミを買収していたのである。

雑誌のwillの記事をみたまい、信じられない、原子力で日本を復興とかそこで執筆している人は今や信じられない、いかに知識人がでたらめなのかこれでわかる。戦争のときただ戦争を讃美していたのが知識人だったのである。莫大な金が流れるから官僚でもどこでも買収できたのである。その結果として民衆は犠牲になった。400万人死んだし原発事故では故郷を奪われ住めなくなった犠牲がでた。
しかしなぜそうなったのか?深く考える人は地元でもいない、地元にはアメを金をやればいいとされ地元もそれに従った。その結果として故郷にすら住めなくなった悲劇が生まれた。


情報は権力によって操作されたものしかでてこない、アメリカ自体も今やそうでありイラク戦争などに突入したのもそうだったと今反省している。一方的な情報しか権力に操作された情報しか入ってこなかったのである。巨大な権力化したもの、会社でも宗教団体でもそういうものがいかに危険なのものか認識していないのである。「権力で社会を動かすことができる、まず権力をとることだ、掌握することだ」何が正義だとか安全だとかより権力で操作するということがまずある。つまり権力自体が人間にとって危険なものなのである。キチガイに刃物である。そうした危険な団体が権力をもったとき誰ももう歯止めができないのである。オウムだってオウム王国だといって権力をもとうとしていた。それだって馬鹿げたことではない現実化することがありえたのである。政府と東電が一体となり
オウム化していたということに驚いたからである。権力が巨大化するとき誰も制御しよがないから怖いのである。



原発もそうだけど自国の安全、防衛もアメリカ頼りだよな、
戦後は原発もアメリカ頼りで日本滅亡の危機にひんするミスをした
日本は何でもアメリカ頼りで滅亡する
自国での防衛とか安全を作る時期にきた
TPPもアメリカ頼りだから危険なんだよ
今やアメリカ人自身が言っている
アメリカ自身が変わりアメリカに追随する国はアメリカとともに壊れてゆくと・・・
 
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2012年03月04日

南相馬市鹿島区の新しくできたログハウス風仮設住宅



南相馬市鹿島区の新しくできたログハウス風仮設住宅

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シンボルとして塔を建てた、他の仮説でも塔を作っている

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ここは間が広いのか、車が駐車できる

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水無川をはさんでこの辺は仮設住宅で一杯だ

新しくできた南相馬市の仮設住宅は半分はログハウス風で感じがいい、がっしりした感じがする。
でもここは半分がログハウス風でありあとは普通のプレハブである。
地元の会社で作ったのは木で作っている。

外から見た感じでもずいぶん違っている。中もやはり違っているのだろう。

それにしても仮設は数が多い、ほとんど小高の人であり鹿島区に小高町ができたと同じである。
こんな生活いつまでつづくのだろう。水道とか整備できないから簡単には帰れないととか小高の人が言っていた。やっぱりパチンコをやっていた。

もともと仕事しないニ-トかもしれない、今はそういう仕事しない若い人が田舎でもかならずいる。
そういう人は結構目立つから田舎だといずらいのだけど時代でそういう若者も普通にいる
原発の避難者は一人十万とかもらえるからかえっていいとなる。
そしてみんな働いていないから気楽だとなる。
でも暇だと言っていたから暇なことは確かである。だからパチンコ屋に行っている。
津浪の被害者でも何もやることがないからパチンコ屋に行きパチンコ屋が繁盛している。
そのパチンコ屋で求人して近くで働いている人もいる。


仮設はやはり一時的なものだから回りのものもあまり良く思わないだろう。定着して仕事するなら受け入れるとなるがそうではない、一時的に滞在するだけだからである。でも人口がふえるから消費に使うから金はおりる。それも長くつづくとそろそろひきとってもらいたいとなるだろう。
本来の生活じゃないのだから当然である。地元の人は働き仮設の人が働かず遊んでいるとなると
嫌がられる。働かないというとき少数だったら変わり者でかたづけられる。多くなるとそうはいかない、ニ-トなども百万とかいるとなると多すぎるから社会的に問題にされるのである。

団塊の世代の時代は働かない人はほんのわずかである。ほとんど数にもならないから誰もそんな人を注意もしなかったのである。

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2012年03月07日

真野川の生物の放射能の調査

 

真野川の生物の放射能の調査

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真野川の生物の放射能の調査を独立行政法人の環境調査研究所でしていた。

人はとても被曝に弱く、遺伝子構造が単純な生物ほど強いです。
ミジンコなんて、人の致死線量の数千倍でも楽勝です


これは本当なのかな、調査している人の話では動物は魚でも川の虫などでも寿命が短いから影響が少ないという。人間は寿命が長いから影響がでてくる。そういえば5年後10年後20年後30年後にガンがふえるというから気の長い話である。幼虫なんか命が短いから細胞や遺伝子が傷つかないのか、
人間は長生きするから長い間細胞や遺伝子が放射線を受けるからガンになるのか?


10年後20年後になると確かめようがなくなる。川の虫であれ生物を食べる鳥なども影響するという。それでも鳥も10年とか生きていないからやはり影響が少ないとなる。鮎のようなものでも一年しか生きていないから影響が少ない、鮭の稚魚も多いと調査する。今真野川には海鵜が飛んできている。
田んぼには餌がないけど川には餌があるから鳥がかなり飛んでくる。雲雀も鳴いていた。
川には生物が生きられる環境がある。ただ真野川はかなり放射能汚染されているはずである。

真野ダムでも泥にセシウムが付着して水道水に使われることを心配して水道水を飲まないという人がいる。なぜかというと飯館村があれだけ高いとするとその山や森からセシウムが流れだしてくるのだから川自体相当汚染されているはずだとなる。真野川の公園のぬれた砂は10マイクロシ-ベルトとかになり高かった。阿武隈川の河口でも何百億ベクレルとか泥となってセシウムが付着して流れだした。泥に付着して放射性物質は流れるのである。


チェルノブエリではネズミは放射線の影響をほとんどなく繁殖しふえた。燕などの渡り鳥はへった。放射能は特に低放射線の影響は誰もわからない、資料もないからである。だからいろいろな憶測をいう人が専門家でも言っている。だから素人でも余計混乱するのである。非常に影響を誇大化されたり縮小化されたりとただ憶測だけが乱れ飛び不安になるだけなのである。結局放射能の問題は人間の体にどれだけ影響するかが問題なのである。別に放射能に汚染された食糧を食べても体に影響しなかったら問題ないとなる。それがどのくらいで影響するのか個々に違うとかいろいろ言うから誰もわからない。ただ不安だけが増幅される。体内被曝が怖いことはわかる。だからどうしても水や食糧には敏感になるのだ。


ともかく毎日放射能に関する話題はつきない、放射能は何が真実なのか見極めることがむずかしい。フクシマ原発はまだまだ危険でありいつまたメルトダウンとかになるとか原発の中がどうなっているのかも正確にはわからない、東電はあてにならないとかなると一体地元の人はどう判断していいのかもわからない、ただ不安になるだけなのである。こうした川での調査結果にしても時間がかかり大変な作業になる。全く放射能ほどやっかいなものはなかった。放射能ノイロゼ-になるから困った。

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2012年03月12日

子供の検査で甲状腺に腫瘍が見つかり心配で山形に移る (震災から一年先が見えない不安)


子供の検査で甲状腺に腫瘍が見つかり心配で山形に移る
(震災から一年先が見えない不安)


甲状腺に腫瘍があるのは人口の1%程度。丸森町は子供の20%近くに腫瘍が
直径5・1ミリ以上のしこりなどが確認され、二次検査の対象となったのは26人(0・7%)だったが、検討委座長の山下俊一福島医大副学長は「原発事故に伴う悪性の変化はみられない」と説明している。二次検査が不要の3739人(99・3%)のうち、1117人(29・7%)は5・0ミリ以下のしこりなどが確認されたが、県は「良性」と判断している。


それは「検討委員会」の座長・山下俊一福島県立医大副学長が、全国の日本甲状腺学会員あてに
>次回の検査を受けるまでの間に自覚症状等が出現しない限り、追加検査は必要がない」というメールを送っているからだ。

福島の子供の甲状腺に半端ない異常が起きてる件
http://www.youtube.com/watch?v=be9F21sxCIo

 


南相馬市原町区の知人の孫が検査したら喉にポリ-プがあったとい。この甲状腺のポリ-プは見つかっている数が多い。これからもまだ発見されるだろう。それで原町には孫を置けないから山形でみてもらい移るほかないとか言っていた。というのは福島医科大学は国の管理化に入っていたて都合の悪い情報は出さない、情報操作をしているからだという。医大の副学長になった山下氏はその役をになっている。その人はこのポリ-プは結節は危険なものではなく甲状腺ガンになるものではないと言っている。ただ国で管理するところでだまされたのだから信用できない、放射能については国の出す情報が信用できなくなっている。それで山形でみてもらうとなった。福島市でも山形は近いから移っている人が多い。自主避難で移っている。そもそも郡山市でも福島市でも南相馬市より放射線量は高いのである。子供を心配する人はどうしても移る。やはり安全だといっても腫瘍だとなると心配になる。youtubeの説明はわかりやすいしやはり良性でもガンになる可能性はある。子供が影響が大きいから一番心配することになる。


ともかく放射能の負担が大きい。放射能にふりまわされている。回りがそうだから子供をもたない人でもふりまわされる。すみずらいのである。津波でも山元町とか被害の大きかった町は人口が一割とか減っている。実際にあの津波の跡に立ったら「これはだめだ」と思ってしまう人はいる。ここではもうやっていけないと判断する人がいるのは当然である。それは原発被害地域でも起きている。
もう帰れないとかここには子供を置けないとか仕事もないからここにはいられないとかそういうことがうずまいている。盛岡の医者が大槌町とかで役に立ちたいと診療しているのは感心する。医者でもいたくないという人が多い、この辺では放射能で医者も看護師も半分いなくなったとか深刻である。農家の人だって農業できないとなれば絶望的になる。そしてパチンコばかりしているわけにも今後いかないだろう。全体的に心も荒廃してくる。津波被害とものの被害もあったが心の被害も大きい。
いろいろなストレスをかかえる。さらにこういうときはいろいろな問題が重なり追い打ちをかける。借金で苦しむ、親の介護で苦しむ、病気で苦しむ・・・負のスパイラルになってくる。
こうなると平和時の仕事ができない、福祉であれ教育であれいろいろなこれまでの普通の活動が阻害されるのだ。

自分も親の介護とかずっとかかえてきたしそういうところにこういう被害が重なると辛いとなる。

自分の仕事のまとめとしては詩の創作のまとめがあった。これまで旅行した所を思い出して俳句や短歌にする。他にも継続した創作的仕事あった。年をとると評論に向いている。評論は結構力量がないとできない、誰かを批評するにしても一段上にたたない限り批評などできないからだ。こういうことも余裕がないとできない、それがこういう回りの状態とかでなかなかできない、芸術どころじゃないということもある。でも仮設に入っている人などは暇なのである。暇だということは芸術家活動もできるということである。ただそういうことをしていなかったからパチンコをしているだけなのである。ともかくこの辺もそうだが先の見通しがたたない、復興というのが目に見えてこないのが津波の被災地でもそうだし原発被災地でもそうである。ただ混乱状態がつづいているだけである。


津波で流された水産加工場が復活して仕事ができると女性の人が海に向かって祈っていた。同僚の名前を呼んで祈っていたのが印象的である。前のように同じ仕事ができるということに感激していたのである。そんなこと当たり前だったけど当たり前でなくなった。久々に漁に出て魚をとれたことに感激していた漁師もいた。この辺でも農家の人なら今度は米作りでも農業できれば感激してやることになる。実際にいつなったらこの辺では農業ができるのかわからないのだ。あきらめる人もいるだろう。農業関係の人も多いのが地方の特徴である。田んぼがない世界というのを農業しなくても想像すらできなかった。都会だったら田んぼがないのが普通である。田舎だと田んぼがないと何か生活基盤が失われた感覚になる。でも東京などあれだけの人が住んでいて田んぼがない、それでも現代は食糧に困ることはない。金さえあれば現代は飢饉になったりしないのである。田舎ではどうしても田んぼがあって何か生活の安定、心の安定もあった。その感覚が都会とは違っているのだ。

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2012年03月14日

津浪原発事故で仕事を奪われた人たちの荒廃化 (原発避難者  東電の賠償金(一人当たり最大12万円)で働くのバカらしくパチンコへ)


津浪原発事故で仕事を奪われた人たちの荒廃化

(原発避難者  東電の賠償金(一人当たり最大12万円)で働くのバカらしくパチンコへ)


震災後、福島県いわき市で飲食関係の会社を立ち上げた30代後半の男性は憤慨していた。
「原発事故で避難区域となった町から逃れてきた顔見知りが、昼間からパチンコ店に入っていくのを見た。

聞くと、震災後に失業手当を受給し、さらに東電の賠償金を貰えるから働くのが馬鹿らしくなったらしい。
カネをどう使おうと自由だけど、みんなが復興に向けて頑張っているのに……」


行政による被災者への“生活保護”の厚遇ぶりが、逆に復興を遅らせていると指摘されている。
一部の被災者には、「働かない方が震災前に比べて収入が多くなる」という異常なケースが生じているからだ。

厚生労働省によると、岩手、宮城、福島の3県で、震災翌日の3月12日から8月21日までの間に、
15万3173人が失業手当の手続きをした。雇用保険から給付される失業手当の額は、
退職前6か月間のボーナスを除いた賃金と年齢などで決まるため、「月給40万円で、雇用保険加入期間が10〜20年間の場合、
最大で月に約20万円」(厚労省職業安定局雇用保険課)となる。

これに加え、東電の賠償金(避難生活等にかかる精神的損害)が一人当たり最大12万円出る。

支出が減っていることも大きい。各種国税の減免など、税金の優遇措置に加え、

仮設住宅や借り上げ住宅に住めば家賃は県が負担するため、被災者が支払うのは食費や光熱費程度で済む。
自営業者ならば、仕事上必要な経費もかからない。


「例えば漁師なら、原発事故の影響で漁に出られない分、漁船の油代がかからない。
結果として、可処分所得が大幅に増えたという家庭が少なくないと聞いています」(被災地のカマボコ工場で働いていた主婦)

福島県漁業協同組合連合会には、原発事故後、東電から過去5年間の漁獲実績により、

今年1月までに約76億円の補償金が出ている。これは各漁民に割り当てられ、金額は月に百数十万円に上るケースもあるという。

前出のいわき市の男性はこう語る。


「やることがないから、パチンコ店や競輪に行ったりする。仕事がないわけではないのに……」
http://www.news-postseven.com/archives/20120313_94134.html

 


人間の特徴は仕事によって尊厳が与えられているのが特徴である。もちろん仕事とあいまって地位でも人間はみられる。会社の社長であれ公務員であれ学者であれ地位があれば社会で見方が違ってくる。外国でもあなたのプロフェショナルは何ですかとなるから同じなのだろう。別に地位がなくても
農民であれ漁民であれ一次産業に従事していた人たちはそれなりの尊厳が与えられていた。今は収入だけで人をみるがパチンコ屋やその他ブラックなことでいくら金をかせいでも社会ではその仕事に尊厳を与えないだろう。農民には専業農家とかが少ないからいろいろだからいちがいに言えないけど農民はそれなりに仕事でも尊厳が与えられていた。国民の食糧をまかなうものとして尊厳が与えられているから国では多分な援助もしていた。農業なんて今は金にならないからやる気しないとなっていたがではその農民が今仕事もしないで仮設住宅に住みパチンコばかりしていたらどうなるのか?
現実に今そうなっている。収入はともかく農民や漁民でも仕事を奪われたらその人にいかなる尊厳があるのだろうか?仕事ともにその人に尊厳が与えられていた。仕事が奪われたらどうなるのか、確かに生活保護のように今は援助されて生活できる、パチンコ屋にゆくこともしょうがないとなる。
でもその人の尊厳がない、それは会社を退職した人にも言える、特にちいがあったりすると余計にそうである。会社をやめるとただの人、価値のない人になる。議員でも落選したらただの人となると同じである。仕事をなくしたとき


陸にあがった河童になる・・・


陸にあがったら何もできない、無用の人ととなる。一人のアウトサンダ-ならいいがみんながそんなふうになった社会は異常である。しかし現実この辺ではそうなっているのだ。つまり水のなかで生き生きとして活動していた河童も陸にあがったら成すすべがない、ただ茫然として干上がってしまうだけだとなる。そういうふうに見えてしまうのである。今は仕事でも収入のことだけ見るけど本当は仕事の方が大事だともいえる。仕事は天から与えられたから天職になる。仕事は人間にとって不可欠なものであり仕事が人間に尊厳を与えている。そのことが一番わかりやすいのは医者とか看護師とか病院に働く人である。医者とか看護師には仕事としての尊厳が与えられているが目に見えてわかる。
命を救うことでもありそれ故にその仕事を通じて尊厳が与えられているのだ。病院という場で働く人はみな患者のために尽くしている。掃除する人もそうだったのである。病院全体が患者を癒すものとして働いていたのである。


だからこの辺で仕事をしない、仕事を奪われたというとき意外とそれが深刻なのである。故郷の家も土地もそして仕事も奪われたということが深刻なのである。例え補償されても人間としての尊厳が与えられない、もちろん生きがいも奪われた。回りに仮設住宅があってもそれは一時的なものでありそこで根付いて仕事するというわけではない、だから何か定着するものでないから地元の人にとって受け入れにくいということがある。一人二人ならどういうこともないのだかそれがこれだけ多いとなると仕事していないというとき異常なのである。


疑問なのは漁業権というのは余りにも大きい権利でありすぎた。一体海は漁業者だけのものですか?
あなたたちだけがどうしてそんな権利があったのですか?それならあなたたちが海を守るものでしたか?漁業権をたてに電力会社から莫大な補償金をもらう、そのための漁業権だったのでしょうか?
原発事故のあとも漁業権者には手厚い補償が成されている。そもそも海や土地や山や森は誰のものですか?漁業者や農民や山林業者のためだけのものとはいえない、もともとは上の所有であったが全国民の所有物でもある。海でも漁業にたずさわる人は少ない、それで原発のようなものを建てることを阻止することなどできない、漁業権者だけが海を勝手にすることができるものでしょうか?
海を守るならいいが原発のような巨大な利権を利益を生むものには漁業権をたてにして補償金をもらう、肝心の海は放射能で汚染されてしまった。海や土地や森や山はそれ関連して従事しているだけのものではない、みんなものであり関連した仕事でないにしろ言う権利はあるのだ。

第一次産業に従事する人は今や一割にも満たないし低い地位に落とされた。でもそこに従事している人自体もその仕事を軽んじるようなことがあった。それはもともと尊厳が与えられる仕事だった。

大事な食糧を供給するのだからその仕事に尊厳が与えられていたのだ。だから国でもいろいろ補償していたのである。そのことが仕事を奪われたときその人たちが何ら尊厳のない価値のないものにされてしまったことでわかった。結局第一次産業にたずさわる人は自らも収入が少ないからと仕事の価値を低くみていたのではないか?そんなことお前に言えるのかということも確かにある。でも現実を見れば今や仕事を奪われた人たちは収入はあっても人間としての尊厳や価値は認められないのである。

今やだから仕事を奪われた人が水産加工場で働いていた女性も同僚の名前を海の方に向かって呼び仕事が再開されたことを祈るようにして喜んでいた。漁師も津浪のあとに漁にでて魚を獲ったことで今までにない喜びをかみしめていた。看護師もまた病院で生き生きとみんなで働きたいと言っていた。仲間とともに働くということが価値あることだったのである。仕事が辛い金にならないとか常に言われるけど一旦仕事を奪われたとき生きがいもない人としての尊厳を与えられないということを知ったのである。仕事が収入が低いにしろそれだけ人間にとって大事なものだったということを自覚していなかったのである。それがいやおうなく自覚させられたのが津浪と原発事故だったのである。

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2012年03月16日

原発事故の原因-縦割り行政 (文明崩壊破綻の象徴が原発だった)

 

原発事故の原因-縦割り行政

(文明崩壊破綻の象徴が原発だった)



自ら所管する分野では非常に高い管理能力を有しながら、むしろ相互協調メカニズムが欠落しているため、常に深刻な効率低下を招いてきた。

いわゆる縦割り行政とは、日本政府の各省庁が上から下を管理する、という中央から地方につらなるピラミッド型の公務員システムのことであり、それは極めて大きな既得権階層を形成した。


政府が絶えず首脳を交代させても、各機関は平常どおり機能する。官僚システムを制約するのは首相官邸や閣僚の命令ではなく、規則と制度であり、常軌を逸してもいろいろと口実を設けて埋め合わすこともある。
http://japanese.china.org.cn/politics/txt/2011-03/28/content_22237378.htm


東京電力は先ず、原発立地町村の自治体を取り込む。トップは首長であるが、実質的には総務課長、教育長、、など、従来からのやり手職員が東電と結託していくのだある。
首長が交代しても結局は原発を安全神話プロパガンダを発信続けることができるのは行政執行部である。
http://blogs.yahoo.co.jp/chikako_5155/5805956.html


文科省は学校での被曝のことだけ、


農水省は食事のときの被曝のことだけ、


観光庁は旅行の時の被曝のことだけ、


班目春樹・原子力安全委員長らは聴取に「文科省が勝手に決め、安全委に(公表の役割を)押しつけた」と証言した。事故調は「文科省が安全委に一方的に役割を『移管』した」と推定。「文科省の対応は、責任回避を念頭に置いた組織防衛的な兆候が散見され、公表遅れを招く一因になった可能性は否定できない」とした。
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20120228k0000e040165000c.html

 



縦割り行政というとき江戸時代までは横の力が強かった。地方の力、藩の力を基にした国造りであった。それはそもそも農民を中心にした社会であり土地を基盤にした封建社会だから当然だった。
燃料も炭であり山の薪だったし地方地方で自給自足が建前の社会だから横に力は分布していた。
縦型社会になったのは明治維新からの工業化であり欧米列強に抗する為の富国強兵のためである。
そのためには日本を強力な中央集権国家にすることが急務だった。それで廃藩置県を実行して中央が国が強力に地方を支配する国家造りになった。それはあらゆる面でそうだったのだ。情報分野でも新聞が全国に配達されるとき新聞の力は大きかった。本も出版されたがそれも東京経由でしか出版されないとか文化も東京中心の世界を作った。標準語も東京中心の中央集権国家から必然的にそうなった。情報は中央集権的一方的なものとして縦割りとして統制されたのである。こういう強力な縦割り社会は戦争とかするには機能的なのである。横の力、地方の力はあらゆる面で弱体化したからである。

東京電力は先ず、原発立地町村の自治体を取り込む。トップは首長であるが、実質的には総務課長、教育長、、など、従来からのやり手職員が東電と結託していくのである。
 

中央からの力が東電や官僚や政府が一体となった力が自治体の幹部をとりこみ原発の安全神話を作らせる。それで富岡町長の5億円入っていた金庫が津浪で流されたとか噂になった。それはまさにこうした縦割りの行政になっているから噂されたしそういうことがあっても不思議でないとなったのだ。上層部を抑えれば下々も従ってゆく、操作することができるという縦割り社会になっていた。

東電の力は国家並の力をもっていたしそれと同調してし経団連もあるのだからその縦型の圧力が結託すれば下々のものは逆らえない、そこに情報を管理するものとしてマスコミも結託する。それは戦争体制そのものだった。そしてそのヒエラルキ-には東大とか東工大とかも結託して中央の国の管理を強化する。裁判官も原発訴訟でも原発は安全だと安全神話を作った側でありその一人は東芝に天下りしているとか法の番人も原発事故の大きな責任があった。縦割り社会行政のなかでトップの責任はやはり重いが問われることもない、これは戦争と同じだったのである。現実に戦争を推進した人たちは罰せられることなく戦後も国の重要な要職についていたのである。

今回の津浪と原発事故ではいろいろなものが暴かれた。それは日本の敗戦と構造がにていた。

縦割り型の強力な中央集権的国家体制が起こした犯罪とも言える。地方自治体の力は余りにも弱すぎたのである。トップはスピ-ディも公表せず一番危険な場所に住民を追いやった。浪江などは一番放射線量が高い津島に避難したのである。地方自治体は東電から政府からも安全神話だけをおしつけられ肝心な放射線の情報など入ってこなかったのである。これは徳川幕府支配ともにていた。民には見ざる、聞かざる、知らざるである。放射能のことは見せるな、聞かせるな、知らせるな・・だったのである。それは今でも疑心暗鬼になりつづいている。モニタリングポストが各地の公園に設置されたがその下の土をとったりすれば放射線量は低くおさえられるというのも本当である。だから実際は回りはもっと高いところがあっても一番低く表示されるとかなる。政府のやっいることが信じられなくなったのである。信頼関係がなくなったのである。甲状腺ガンの検査でもポリ-プができても福島医科大学では国の管理下に入ったから本当の情報は出さないから信用できないから山形の大学で調べてもらうとかなる。そういうふうに中央集権の縦型社会行政が信じられなくなったのである。


文科省は学校での被曝のことだけ、


農水省は食事のときの被曝のことだけ、


観光庁は旅行の時の被曝のことだけ


原発事故でも様々な分野の人が管理してたけど土建屋は土建屋で自分たちの専門に口だすなとか原子力の専門家は原子力について放射線について素人はわからないとか互いに専門家同士の意志疎通もなかった。今でもこうして部門ごとに省ごとに分化して責任逃れしている。そのことはすでに政府の問題だけではない゛文明自体の問題でもあった。ナチスについてもそうした文明の専門家、多様に部分化したなかで自分の部門だけのみの責任でありあとは知らない責任がないとなる。上司の命令でガス室送りのサインを押しただけであり私には責任がないとかなる。下のものは殺人でも上司に責任がありとなり上司は上司で他の部門の責任があり私の部門の責任ではないとなる。そういう社会体制が原発事故が起こした原因でもありそのあとの放射能の処理でもそうなっている、問題は継続しているのだ。原発はこんな縦割りの無数に分化した体制では管理できない代物だったのである。

こうした文明が作り出したものが文明自体を破壊してしまう。そういう代物だったのである。
被曝に関しても総合的被曝としては計算されないことでもわかる。結果的に被爆量は低いものとなる。原発事故はやはり文明の崩壊、破綻のシンボルだった。自ら作り出したものを遂にはコントロ-ルもできず放棄さえされる状態になった。今でも原子炉の中が何になっているかわからない、もう一度大きな地震が来たらまた再爆発したりメルトダウンしたりして手に負えなくなるとかの恐怖から解放されないのである。

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2012年03月20日

南相馬市鹿島区寺内の二番目の仮設住宅 (一軒家風でペットが飼える)

 

南相馬市鹿島区寺内の二番目の仮設住宅

(一軒家風でペットが飼える)

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一軒家風であるが二組が一軒である。
木の仮設は感じがいい、それにしても仮設が増えた


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赤い色の仮設が新しくできた仮設
道で通じているから行き来できる

寺内の桜田山の下にできた仮設住宅は一番最初にできた。キクチス-パ-がすぐ近くだから歩いて買い物ができるから便利である。その仮設から新しい道ができて上ってゆくとまた新しい仮設住宅ができていた。墓所の隣の仮設だった。木の仮設であり一軒家風になっているが二組入れる。
こんなに仮設ができたことには驚きである。あれで終わりだとか犬を散歩していた人が言っていた。原町区にはまだできるらしい。仮設暮らしは暇じゃないですかと聞いたら「除染」に行くとか言っていた。すると除染で収入になる。原発避難者の場合、一人十万もらってその他に除染の仕事で金がもらえるとなると恵まれているとなる。6人家族のような大家族も田舎ではまだある。すると一か月50万とか60万とかなったらその収入はかえって働いているときより田舎では多い。

金がたまって貯金すらできる。これは津浪の被害者とは違っている。津浪の被害者は東電からも国からも補償かないから金銭的には相当辛い。

何かその犬を連れている人は明るい顔していた。金銭的にはかえって事故前よりいいとかなっている人がいることは確かである。それもいつまでもつづくとはならないのが問題である。

今のところ原発の避難者はそれほど困ったという感じではないのかもしれない、ただ20キロ圏内の警戒区域と20キロの圏外になると補償はない、そこにかなりの不公平がでる。でも郡山市とか福島市は何の補償もないとなると補償としては警戒区域でも恵まれている。
飯館村などでは除染費用を村民がもらって一億円で出直したいという人もいる。津浪被害者はそうはいかないからその点では随分違っている。ただそれだけの代償があってもしかたないという面はあった。

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2012年03月22日

原発事故にも関係していた 「天の時、地の利、人の和」 (地理を知らずしてすべての学問は成り立たない)

 

原発事故にも関係していた 「天の時、地の利、人の和」

(地理を知らずしてすべての学問は成り立たない)


●すべての学問の基礎に地理がある


自分は旅に明け暮れたから一番興味をもったのが地理であり地形であった。そこで全国の地名に興味をもった。地名は地理と地形の学問分野の一つだった。最近出された本で「この地名が危ない」(楠原祐介)という本は面白かった。津浪に由来する地名が今回の津浪で話題になった。地名には不明なものが多いしいろいろな解釈があり本当の所はわからない、だから科学的に証明することはむずかしいから一つの学問分野になりにくい。でも地名からいろいろ地理とか歴史に興味をもったからそのことについてずいぶん書いてきた。学問の基礎となるべきものに明かに地理がある。地理がわからなければ世界のことすらわかりようがない、世界で起こっていることでも日本で起こっていることでも地理がわからなければわかりえようがないのだ。世界の歴史もほとんど地理がわからなければわからない、その地理は自らその土地を踏まないとまた実感しえないのである。だから世界史はその土地を踏んだ人の方が本で読んだりして理解するより直観的にわかるのだ。グランドキャオニンなど百聞は一見にしかずでありいくら日本で想像してもわからない、ここが地球なのかと思うような地であり別な惑星に来たのかと思った。日本では想像しえないものでありそれがアメリカだったのである。
ホイットマンの詩もアメリカの地を踏まない限り理解できない、スケ-ルが余りにも違いすぎたのだ。中国でもそうである。大陸では川は巨大な運河である。四大文明が川の側から生まれたのは当然である。インド文明もガンジス川から生まれ、エジプト文明もナイル川から生まれた。中国も黄河や揚子江から生まれヨ-ロッパもライン川やセ-ヌ川や川が重要な要素となって生まれた文明である。川というとき日本の川とはまるで違う。日本の川は滝だと外国人が言うように外国の大河とはまるで違う。
外国の川は文明を生む、文化を生んだ源であり全存在にかかわっている。だから日本では外国の河を理解できないから世界史も苦手なのである。他に砂漠とか草原も日本にはないから世界史を理解しにくいのだ。

●地の利を考慮した東北電力は原発事故からまねがれた


「天の時、「地の利、人の和」これは三国志から出た教訓だから戦争に関係しているものかと思っていたがそうではない、現代でも古今の歴史でも通じる、科学時代の今日でも通じる真理だったのである。それが原発事故となんの関係があるのか?現実にあったのだ。それも最も肝心な所で原発事故と関係していた。それは地の利だったのである。東電の大失敗は地の利に通じていなかったことだった。なぜ女川の原子力発電所が津浪の被害をまねがれたのか、それも危機一発で助かった。津浪の想定を高くしていたから助かった。あらかじめ東北には津浪が来るということを想定していた。三陸沿岸が特に何度も津浪に襲われているから高く津浪を想定していたのである。地元だから地の利に通じていた。地の利を考慮していたのだ。それで今は南相馬市になっいる小高区と浪江の間に東北電力で原発を建てることが決まって工事もしていた。それは今回の津浪でとりやめになった。でもそこは20メ-トルという台地でありそこには今回の津浪で避難した人がいて助かった。20メ-トルは相当に高い、でも今回の津浪ほど高い津浪はなかった。現場に建てばその高さに驚く、原町区の中古自動車販売の島商会の工場の前の駐車場まで津浪が来ていた。あそこに立てばわかるけど原町区が一望できる本当に高い所なのだ。そんなところまで津浪が来たということに驚嘆する。それほど高い浪おしよせたのである。これは津浪の現場にたたないと実感できないのだ。


そして地の利というとき福島県の地の利を理解するのは外部からむずかしい。浜通りと中通りと会津は地理的に隔絶されている。浜通りと中通りは阿武隈山地で隔絶されている。だから地理的に意志疎通ができないと一体感がもてないと書いてきた。そして放射能問題でも風の影響がその複雑な地形に影響して飯館村が一番汚染された悲劇の村となった。それも風と地形の地の利によって悪い方に影響したのである。これはある意味で意外だった。海に面したところは五キロ圏にある請戸港でも放射線量は低い、海に風で流されたのである。いわきでも南相馬市でも相馬市でも海に風で流されたから放射線量は低かったのである。反面中通りの郡山市や福島市は放射性物質が風で流れて堆積してしまったのである。その意外な結果をもたらしたのも地形のせいだった。地の利だったのである。地の利に通じていなければこうした現象も科学的現象すら理解できない、原発を立地するにはまずこの地の利に通じてなければならなかった。これは戦国時代と同じだったのである。戦争でも信長の桶狭間の急襲のように地理に通じていたからこそ勝利した。そういうことは歴史でもいくらでもある。それが原発でも同じだった。まずその土地の地理をしり地の利を地形を知り戦略をたてるのが戦争に勝つ基本だったのである。原発のような危険なものは戦争するような覚悟で作らねばならないものだった。
だから指揮官がいて戦略をまず第一にする。個々の戦術、技術的なものより指揮官は戦略を第一にして原発を構築せねばならなかったのである。そういう戦争なのだという危機感とか覚悟に欠けていたのである。個々の専門的技術とかばかり問題にしていた。原発はそういうものではなかった。


●原発のような巨大技術は地の利を基にした戦略が必要だった


巨大技術は個々の細部にこだわる技術的なものにこだわったら構築できない。そういうものだという認識に欠けていたのである。日本人はそういう大局的にグランドデザインする戦略は不得意である。大陸では戦略的思考が得意である。それはその土地のスケ-ルの相違によっている。土地の広さがあまりにも違いすぎるからだ。アメリカや中国でも土地の感覚がまるで違っている。そこから思考されることも根本的に違う。戦略的思考がその土地からまさに地の利として自然と湧いてくるのである。だから文明や文化でも地理から地の利が作られてくるのである。そしてアメリカではこの地の利の上に原発を建てていたのだ。地震や津浪がある西部には原発は建てず東部にほとんど建てていた。日本では地震や津浪からまねがれない所に建てていた。そして津浪のことをフクシマ原発では考慮しなかった。地下に予備電源を置いたのもアメリカが竜巻で被害があるから地下に設置したのであり日本では津浪の方が怖いのだから高台に設置すべきだったが津浪は考慮されなかったのである。日本人の技術者はこうした自分の住んでいる地の利について全く考慮しなかったのだ。ただ東北電力では地元だから地の利を考慮して津浪の被害をまねがれた。この地の利は原発事故のあとの放射能問題でも関係していた。飯館村に核の廃棄物の処理場を作るというときそこから放射性物質がもれたら水などとともに南相馬市やら相馬市に流れて水で汚染される。今でも真野ダムのことが問題になるのはそのためである。飯館村の問題は下流の南相馬市や相馬市の問題でもあるから飯館村だけで決められるものではない、そういうことは原発が浜通りの極狭い範囲で作られたことも問題であった。それで中通りの郡山市や福島市の方が放射線量が高くなっていたことでわかったのである。


いづれにしろ地の利に通じない、考慮しない地元でない、東電がフクシマに原発を建てたことが事故の大きな要因であった。地の利があらゆるものの科学でさえ考慮せねばならないものだった。そういう認識が欠けていた。液状化現象でも地の利に通じていないためだった。あらゆる問題の根底に地の利がある。地の利に通じていなければ何事も成し得ない、それは歴史にも通じることでありそういうことを知らないと考慮しないと今回のような大失敗をしてしまう。その地の利に通じている地元の日本がその考慮を怠ったのである。それは科学者ですらそうであった。ただ事故の原因はその他いろいろある。天の時、人の和という問題もあった。早急にアメリカの古い型の原子炉を導入したり急いだり人の和を無視して危険なもの一方的に作ったとかもある。ともかく原発事故や津浪は様々なもの隠されたものを暴いたのである。地の利を無視した科学がいかに危険なものとなるか?それも大失敗だったのである。



トップの判断の責任の重さ(東電と東北電力の相違)
http://musubu.sblo.jp/article/54780044.html

世界史を地理風土から解明する 世界の地理から首都の位置から世界史を読む
http://musubu2.sblo.jp/article/52950415.html

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2012年03月23日

高齢化社会を直撃した津浪,原発事故 (2) (若い人たちと老人の分断化が進行している-仮設にも多い老人所帯)

 

高齢化社会を直撃した津浪,原発事故 (2)

(若い人たちと老人の分断化が進行している-仮設にも多い老人所帯)

http://musubu2.sblo.jp/article/47825858.html

津浪で死んだ人も実に高齢者が多かった。神戸のような都会ではない、高齢者がもともと多い地域であり問題になっていた。農業に従事する人の年齢がすでに60から70才とかになっている。そして跡継ぎもないとか高齢者の問題がもともとありそこに津浪原発事故が襲った。原発の避難騒ぎで高齢者が衰弱死した人が百人くらいいる。一人も死んでいないというけど避難して死んでいるのだ。
漁業関係も実際は零細であり跡継ぎもいない、老人が三陸地方などの小さな港には多かった。
石巻や気仙沼は水産工場などがあったから別だった。でも小さな港では高齢化した人が細々と漁業や牡蠣の養殖などをしていた。そういう小さな港も軒並み津浪で壊滅的打撃を受けた。高齢化しているからもうあれだけの被害があると漁業でも農業でもあきらめる人がでてくる。60以上ではそれだけの気力もでてこないからだ。のんきに隠居でもいいとなる。

これは原発避難者にも言えるのだ。南相馬市では小高区から避難した人が大半である。南相馬市だけで一万五千戸もの仮設住宅を作った。この数は二倍にしても3万人とかの人口になる。これは明かに南相馬市内だけではなく浪江とか飯館とか他からも受け入れている。今は原町区に増設している。

でも聞いたところでは中に人が入っていない仮設があるという、形だけ入って支援されている。洗濯物だけ干していて中に人がいないという、ええ、そうなのと不思議だった。仮設に住んでいないで他の家に住んでいる?元の家に住んでいる。小高区などは警戒区域だから入れないとしたら住めない、津浪被害の人は住んでいても数が少ない。仮設に入っていると支援が受けられるから形だけ入っている言うのも解せなかった。そしたらもっと仮設に入りたい人がいるのだからそういう人に入ってもらいたいとなる。


仮設に入っている人たちは無駄に甘やかされていると思います。
ほぼ毎週NPO団体やらが物資を持ってきたり
散髪のボランティアがきたり・・・・・・。
何が必要なものを言うとすぐに送られてきます。
しかし、仮設も入っている人たちの中には家屋が全流出した人だけでなく
リフォーム工事の合間に入って、すぐに退去(揃えてあった家電は持っていく)する人たちもいると聞きます。
支援する団体にすれば、仮設のように、被災者が密集した場所が都合のいいことはわかります。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1368399793


こういうことが仮設にあった。援助物資を得られから仮設に仮りにいる。一部にしてもそういう人たちもいる。仮設には予算の無駄使いがかなりある。復興にはかなりの金が出ているから義援金でもその金がどこに流れたのか不明になっている。それで相馬市などでは200万が議員に流れたとか噂になったがまんざら嘘ともいえないのがそういう事情があるからだろう。市長も病院を建てたとか病院関係に使っていて一般の人に金が回らないというのもそういうことなのか、義援金は未だに配布されていないが市長には権限があり使っているのかもしれない、義援金には不透明な所が多いのだ。

確かに復興バブルのような現象が起きた。金が入らないところに一時的に金が入ったのである。

原発避難者の仮設でも老人が実に多いのだ。若い人は老人と姑などと一緒にいるがいやで補償金をもって他に移りたいからもう老人のいる地元に帰ってこないという、この際、いい機会だから別れて暮らす方がいいと若い家族は子供ともに故郷を離れて行く、いろいろな方面に若い人が住居を移しつつあるのだ。そして老人だけがとりのこされてゆく、これも明かに高齢化した社会の一面が津浪原発事故で露骨に現れたのである。仮設に入った老人は買い物すらなかなかできないから県から委託された復興支援の車が仮設を回って野菜など売っている。その売っている人も若い人ではない、年の人であり売るのも高齢者なのである。そして高齢者は津浪でも原発避難者でも小高でも帰れないからずっと住み続けるようにししてもらいたいとか言っている。若い人は老人の世話はいやだから市の方でしてくれとなる。そのために相馬市では長屋風のずっと住める住宅を作る。一種の安上がりな老人ホ-ムが必要になっているのだ。それは津浪原発事故前から要望があった。そういう施設をつくることが強いられることになった。復興の力となるの若い人のはずだが老人だけがふえてくるから復興とはなりにくい、福祉関係の高齢者を保護するような施設が必要になる。若い人たちが去り老人だけが取り残される、姥捨て山になる恐怖がある。自分もそうだが老々介護とかそういう人たちだけが取り残される。高齢化問題が津浪原発事故で深刻化したのである。


やはり仮設の期限が切れてももう地元に帰れないとかいう人がでてくるのか?なぜなら若い人たちがいなくなったら街自体維持できないしインフラでも街を建て直すことがむずかしくなっている。広野町では避難解除地域になっても地元住民がもどらないというのもそのためである。そこの一番のネックが高齢化の問題があるのだ。深刻なのは若い人たちと高齢者が津浪原発事故で分断化されてしまったことである。それは飯館村でもそうだしほとんどの市長村でそうなっている。確実にこの辺は老人の町になってしまう。老人の町ということは未来もないということである。ただ高齢化社会でも老人だけで住むということも他の場所でも起こりうる。現実に都会でも団地は今や老人がふえて老人の団地になっている。そこもまた都会のうば捨て山になっているのだ。そういう高齢化社会の問題が津浪原発事故で深刻化した。原発避難者は政府や東電からずっと補償された方がいいとなる。でもみんながそうはいかない、若い人たちがいなくなれば老人も住めなくなる。老人はかえってこの際お荷物として捨てられる、ていのいい姥捨山の町にされてしまう。そういう高齢者をどうするのかということはここだけではない、日本全国の問題なのだがここは津浪事故で露骨に現れたのである。


いづれにしろ津浪原発事故は様々な問題をさらに浮き彫りにした。その一つが高齢化の問題だった。本当に政治的課題というのが山積みなのである。政治に関心なかったけど被災地にいると無関心ではいられない、関心が強いられる。一体被災地の市町村はどうしたらいいのかというのはそれぞれの個々人にとっても深刻な問題なのである。農家の人が米を作らないでどうするんだとか子供を放射能から守るためにどうするんだとか問題が山積みでありそれぞれどう解決していいか暗中模索になる。
農家は米とか野菜と作れないけど花の栽培だったらできるなら花を栽培して花畑にするばいいとか思ったりする。花は放射能汚染と関係ないのである。口に入るものはすべて放射能と関係してしまうのである。ひまわりを植えたが放射性物質はセシウムは吸収しないことがわかった。でも一面ひまわりの畑になれば荒地になっているよりはいいそのひまわりを見たいという人もでてくる。レンゲの畑はなくなったけどレンゲの畑や菜の花畑になったら米は作れなくてもきれいな場所だとなり人もくるかもしれない、そうしたいろいろな問題が山積みになっている。だから一人一人が政治家的になり政治の課題となり政治家として果たす役割が日々ある。でも議員が何かしているということでもない、高齢化した地域の問題をどうするのかということも大きな政治的課題なのである。それは自分にもかかわってくる問題である。

 
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2012年03月24日

古代文明と原発事故 (科学技術の力が権力を作ったことで同じだった)


古代文明と原発事故

(科学技術の力が権力を作ったことで同じだった)


●未来は過去から作られる


「岩戸隠れ」神話とは、弟の素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴な行為に怒り、
天照大神が天の岩屋にこもると、世の中が真っ暗になり、


困り果てた神々が相談して、一計を案じ、岩戸を開けて大神を外へ連れ出すと、
世の中がもと通り明るくなった、という物語です。


天文学者の斎藤国治氏は、この物語のモチーフを皆既日食と見て、
日本列島上で起こった日食を分析したそうです。
http://www.geocities.jp/yasuko8787/1-1-4.htm


古代文明というと原発と何の関係があるのかと思うが今起きることはいかに複雑高度化しても常に過去と関係していないものはない。すべての期限は過去に求められる。だからこそ歴史が人間にとって欠かせない知恵の源になる。歴史を忘れれば人間に未来すらない、未来は過去から起こるということを知らねばならない、明治維新も日本古来の伝統の復古、維新があり国が改められた。今度の津浪ほどそれを意識されたことはないのだ。こうした災害すら過去をふりかえることが歴史がいかに大事なものだったか思いしらされたのである。なぜなら三陸のリアス式海岸では何度も津浪に襲われているから津浪対策をしていた。それでも巨大津浪で大被害を受けた。そして仙台平野とか福島県までの浜通りは津浪は来ないと思っていたから警戒もしなかった。でも過去に400年前に相馬藩の記録に700人溺死した慶長の津浪の被害があったのである。ただそれを取り上げる人も話題にする人もいなかった。一行700人溺死としか記されていなかった。その前に貞観津浪があり相馬市の奥まで津浪の堆積物が発見されたことを最近になり科学者が発表していたしフクシマ原発でもそのことを警告していたのである。

津浪でもいかに過去をふりかえることが大事だったか思いしらされたのである。過去をもっと重視していれば津浪も予測できたのである。そして今回いかに予測するということが大事なものか生死にかかわるものか思い知らされた。未来を予言することが人間にとってもっとも大事なことだから聖書が生まれた。聖書は予言の書であり予言者は未来を予言するものであった。ノアの方舟でも誰も大洪水のことを言っても信じなかったから津浪のように水にのまれて死んでしまったのである。人間は未来を予言する予測することがいかに大事なことか思い知らされた。今は予言者の代わりを科学者がしている。それで貞観津浪のことも科学的な物証として提示して警告していたのであったが無視された。原発に従事する科学者はフクシマ原発は百万年に一回の割合でしか事故にならないと確率論で計測した。これがいかに馬鹿らしいものだったか露呈した。貞観津浪のことをすでに知っていたのだからその規模の津浪が来れば確実に原発は破壊されたのだ。ということは千年に一度の大津波が来たら破壊された。百万年に一度しか事故にならないというその科学そのものがまるででたらめだったのである。


●権力の源泉は古代も現代も科学技術だった


古代文明と現代の高度な文明が原発が何の関係があるかというとき古代文明も文明だから今の文明と由来は同じ面があるのだ。文明とは人間の力を神のような力をもつものとして作られる。神のような力をもつにはどうすればいいのか?それは権力をもつことである。どうしたらその権力をもつことができるのか、そこに原発と同じ起源があった。科学の力によって権力をもつのである。エジプト文明でもマヤ文明でも高度な知識をすでにもっていたのである。マヤ文明は謎であるが宇宙人が作ったとか言われるほど高度な文明だった。その力は天体の知識にあった。王は神殿に立つとき背後から太陽の光にまばゆく映えるように設定され建築されていたのである。それはエジプト文明もナイル河を観測して氾濫の時期を予測して権力をもつようになった。テクノクラ-ト、科学技術神官が権力をもつようになった。今なら科学技術官僚であり東電の会社である。つまり権力と科学技術はすでに古代文明から権力の源だったのである。これを考えれば古代文明と原発は人間の文明の歴史の流れとして必然的に生まれたことがわかる。技術の進歩の極限として核が原発が生まれた。日食にしてもその日食の日をあらかじめ予言すれば民衆は科学技術神官に従うことになる。神のごとき力をもつことになるのだ。つまり権力の源泉は古代文明と現代の文明と同一であり変わらなかったということである。
人間は本質的には古代から変化していないともなるのだ。


権力というとき歴史では宗教が大きな力をもっていた。それはエジプト文明でもマヤ文明でも同じである。その宗教の力の源も科学と密接に結びついていた。最初は奇跡の力が宗教の力となった。次に奇跡より科学的なものが技術が人間の権力をもつ力となった。宗教も結局は科学や技術と同じく力をもちたいということでは同じである。病気になれば宗教に今でも頼っている。科学が医学でもいくら発達しても万能ではないからだ。カルト宗教団体がこの科学全盛の時代になぜこれほど増えているのかそれはこの世の人間のことが以前として科学だけで解決できないからそうなっている。人間がいかにしてし権力をもつか権力の源泉は何なのかと問えばそれは今と同じ様に科学やそこから発した技術にあった。人間はこの科学技術にひれ伏すのだ。もともと天皇が日本の王が鉄の王だったというとき鉄が権力の源だったというときこれも科学技術がテクノクラ-トが権力をもち支配者になったことと同じである。権力はテクノクラ-トが持ち王もそのテクノクラ-トの上にある。


それはエジプト文明でもマヤ文明でもそうだった。農業の上に実は鉄器を作り得る技術が必要だった。鉄器は鍬や鎌など農業生産を増大するのに不可欠なものだった。だから天皇は鉄の王だったというのもそこからきている。つまりテクノクラ-トによって日本も支配されていたのである。そのことを顕著に示したのがオウムだったのである。サリンを製造して権力を持とうとしたのがオ-ムだった。テクノクラ-トが優秀な理系の人が集ったのもそのためである。それは原発を作った技術官僚や科学者や会社の技術者と同じ構造だったのである。権力の源はまさにその科学技術を操作するものにあったのだ。それに付随したのが政治家でありマスコミでありカルト宗教団体でもあった。巨大な利権がそこに生まれたからである。金が紙幣が権力の源泉ではない、金を生み出すものが権力の源泉である。それが科学技術であり原発だったのである。


●文明の崩壊は科学技術(テクノクラ-ト)の破綻から起こる


その権力がもろくも崩れ去ったのはまさに科学技術神官が未来を予測できない、予言できない、ヒュ-マンエラ-のためだった。科学技術神官の権威と権力は事故で一挙に失墜した。それはマヤ文明の崩壊とかともにている。何らかで科学技術神官が権威を失墜したのである。それは原発事故と同じ様なことが起こったのかもしれない、太陽が衰えてゆき死んでゆくとかの迷信に陥ったためかもしれない、それは日本の天の岩戸神話と共通している。それは明かに原発事故とにている。この事故によって科学技術官僚、神官の権威は権力は一挙に失墜した。もともと政治家やマスコミには権力はなかった。科学技術にこそ力の源があった。だからそこに巨利を生むから政治家や官僚やマスコミが群がったのである。現代でも古代でも権力の源泉は科学技術だったのである。天皇が鉄の王だったとするとき電力を生むものが王になっていた。東電は電力会社はテクノクラ-トであり国家より政治家より力があったのである。マスコミなどは軽くとりこむことができた。現代の文明は電気の文明だった。その前は鉄の文明であったから天皇は鉄の王となっていたのだ。その権力の構造は変わらなかったのである。そして人間にとって未来を予測することがいかに大事かそこに生死がかかわっているかわかる。でもその未来を知るのは神のみである。


個々人の運命すら神が支配している。なぜなら未来がどうなるかわからない、一寸先は闇なのである。別に津浪がこなくてもそうである。突然の病に倒れるものもいるし認知症とかわけのわからない病気になる人もいる。人間がいつ死ぬのかもわからない、百才近くになっても死にそうでも死なない人もいるし突然若くても死ぬ人もいる。人の死ぬ時期は知り得ようがないのだ。人間の未来は神しかしりえないのである。そこに人間の限界があるのだ。それはどんなに科学技術が発達してもそうである。その科学技術がいかにもろいものだったか原発事故で思い知らされた。完全な科学技術などありえないのだ。人間が作るものは不完全であり必ず事故が起きてくるのだ。百万年に一回などという科学者の馬鹿げた確率論がでてきたのもそのためでてある。人間は全能ではない、神のみが全能だからそうなる。文明が崩壊するというとき科学技術文明が崩壊するということである。人間は全能の神のような力をもちえないからである。


鉄は国家なり 、石油は国家なり、原子力は国家なり
(原発事故の歴史的考察)
http://musubu2.sblo.jp/article/47022054.html

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2012年03月31日

原発事故での混乱状態はつづく (南相馬市などの不安は解消しない)


原発事故での混乱状態はつづく

(南相馬市などの不安は解消しない)

●原町区の孤立死


この辺は混乱状態がつづいている。そもそも仮設住宅が南相馬市だけで1万5千戸というのは驚く。このことが一番混乱状態を如実に示している。原町で孤立死があったというのはその混乱状態とも関係していたのか定かではない、三階建ての家だから父親が商売しているときはそれなりに繁盛していた。ただ知的障害のある息子をかかえていて母親が病気を悪くした。息子は母親のめんどうみれず凍死した。金はあったが息子は何もできないからそうなった。現金があっても死ぬ人はいる。二人だけの家庭で一人が病気で倒れもう一人みている人も看護している人も倒れればそうなる。金があっても助けられるとは限らない、そういうことを自分も経験している。家の中に入る他人は危険であるし簡単に信用はできない時代であり近くでもそうだった。
そういう交渉もできない人もいる。日頃から親しい人でないと出入りできないということもある。代は孤立死が増えてくる、それは都会だけの問題ではないし田舎でも増えてくる。ここが混乱状態にあったからというがそれだけが原因ではなかった。確かに近くの人がどこに行ったかわからないとかの状態はつづいた。自分たちがどうしていいのかと精一杯の状態がつづいたから回りのことを気にする余裕がないのもこの辺だった。


●子供の甲状腺ガンの恐怖


知人の人が孫にまた一つ喉にポリ-プが見つかったという、甲状腺ガンは男女とも生殖能力に影響するから怖いという。子孫を残せなくなるから怖いと言っていた。その人の孫は会津に避難した。
城の近くだという。会津にも避難している人がかなりいる。会津は人口が多いから仕事が見つかって移住した。中通りでも会津の方が安全だとなり移住する人がいるだろう。ただ山形県に自主避難している人が多い。なかなかこの子供の甲状腺ガンについてなどは表に出てこない、一人でも子供が甲状腺ガンになったとなったらこの辺はパニックになるし全国的にも大騒ぎになるからこれは隠されるからわからないのだ。ただ今のところそのポリ-プが癌になるかどうかは不明である。


●ソ-ラ-パネル発電の問題


その知人は仕事として電気関係だからソ-ラ-パネルの仕事が東北電力から頼まれたという、でもそのソ-ラ-パネル発電でも場所を確保するのが大変だという。なぜなら津浪の被害にあったところはまた津浪が来るから利用できない、田畑は利用できないという、それで山側に設置するにしても場所を確保するのが大変だという、ソ-ラ-パネルの問題は日本のような狭いところでは場所の確保が問題になる。日本では狭いから向いていないという面がここにもあった。日本にあった発電というと温泉が多いから地熱発電が望まれた。しかしこれも観光業者、温泉旅館に反対される。新しい発電を試みてはいるがその量を確保するのがむずかしい。電力はそれだけ巨大な規模が必要になってくる。ただこんな状態だから原子力ではない発電が模索されるがそれがまだ見えてこないから原発の再稼働が問題になる。


●小高区が避難区域の解除でももどりたくない人が多い


仮設住宅では南相馬市の小高区が警戒区域が解除されるから来月からもどれるとしてもインフラが整備されていないからもどらないと仮設に入っている人は言っている。特に老人はそうらしい。インフラというとき医者もインフラだと言って災害地で志願して働いていた人がいた。確かに重要なインフラであり水道とかと同じであり医者がいないと住めないというのは本当である。思うに今の時代は人が広い田舎にばらばらに住むのが時代にあわなくなったのかもしれない、でも田舎の生活基盤が農業であるから当然土地が生産のための基盤なのだから広い土地に分散して住んできた。それを簡単に壊せるのかという問題がある。人を街中に集めたら農業はできない、でも車があるから出張して農業をやるということは可能なのだろう。そして鹿島区などは人口が増えたからそこに老人施設とかを作る。街中を便利にするというのは自分にとってもいい、仮設の商店街の食堂は他より200円とかラ-メンとか豚どんなどが280円とか安いから原町からなども来ているという。あういうのができると便利である。人口が街中に増えると暮らしに便利なものが増えてくるのだ。それがコンパクトシティ構想となった。人を集中させて住まわせることは現代の交通が便利になった時代には向いているのかもしれない、ただこれもすべてがいいとはならない、いろいろな問題が生じる。人間を土地から分離させるというのが農民には抵抗があるだろう。そういう生活が延々とつづいてきたからである。


●農家が田畑を耕さないでも暮らせる不思議


それにしても現代はこの辺で食糧を生産しなくても別に金があれば食糧はいくらでも他から入ってくる。例えば昔だったら戦争中でも食糧がなくなったら他から入った来ない、買い出しなどしたがこれも大変な苦労だった。農家では食糧があったが街の人が食糧を手に入れるために大変な苦労をした。それが今はこの辺では農家が食糧生産していないのだから農家自体に食糧がないという異常事態なのである。こんなこと農家でも経験していないだろう。それでも飢饉にもならない、食糧はいくらでも入ってくるのである。だからこういう経済生活は地元すら助け合わないという仕組みを作り出してしまったのである。本当は食糧がなかったら農家の人に助けてもらわねばならないとなり農家なしでは生活は成り立たないとなっていたはずなのである。それだけ農家の価値は前は高いものだったのである。今でもそういう感覚はもっていた。でも減反政策やら交通の発達で農家の価値は低くなった。外国からでも食糧が入ってくるから金さえあればいいとなり金が極端に重いものとなり金だけが頼りだという社会になった。郷蔵とか飢饉のために食糧を貯えていたのが昔の農家だったが今はそれより食糧を買う金の方が大事であり金があれば別に故郷に住む必要はないとさえなる。それで原発の補償金をもらって外に移る若い人がでてくる。老人の世話、姑と一緒にいるのは嫌だと外に去ってゆく。


それも現代なのである。考えてみると田舎もこうした時代にあっても都会化している。都会には田畑がなくても食糧が入ってくる。東京には一千万人住んでいても回りに田畑がなくても食糧が全国から交通が発達しているから入ってくる。食糧が入ってこないという恐怖感もないし田畑がないから別に変だと思っていない、それが普通なのである。だから子供でも田畑を見ていないのだからどうして食糧が米が作られるのかわからなくてもかまわないとなる。田舎では田畑がないと農家が機能していないと不安定になり不安になるのである。これからこの辺は農業を再開できるのか?農業がなくなったら田舎はありえないのではないか?でも現実に農業関係者は今仕事していない、農家自体が外から食糧を買っている、農家の人は自分の食べ物を作ることも食べることもできないとなげているのもわかる。ともかくこうしてこの辺は混乱状態にあり先が見えない、ただ右往左往している人が多いのである。こういう場所では堅実に落ち着いて仕事することがむずかしい。常に動揺があり不安な状態に置かれているのだ。



まず、今回の調査で稲は土壌汚染の1割を吸収する効果があったそうだ
つまり3年も続ければ3割近く放射性物質は取り除かれる

またそもそもセシウムの半分は半減期が2年である為
全セシウムの内少なくとも25%は崩壊する

半減期30年の方も3年あれば7%位崩壊する
つまり3年で3割は減る

全部あわせれば水田に含まれる放射能が半減している事になる


実際には水溶性のセシウムは、大雨が降れば一定量海に流れていったりと
もっと放射能は減ると予想される



放射能は時間が解決するものなのか、二三年だったら何とかなるのか、それまで待つほかないのか


 
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2012年04月02日

写真でみる最近の南相馬市 (写真が語る心象風景)

写真でみる最近の南相馬市

(写真が語る心象風景)

百聞は一見にしかずという。言葉より写真が語る時代でもある。


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ここも仮設なのか?人が住んでいるのか、ガスボンベなど設置しているから住んでいるのか?
それともこういうい仮設を売り出しているのか、人が住んでいる気配はない、仮設の需要が多いから作ったのか、一軒一軒の仮設である。南相馬市で1万5千戸の仮設は多いよな


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ダイナムというパチンコ屋ではいつも車が一杯である。パチンコ屋でがんばってどうなるのだろう、パチンコ屋に通って復興になるのか?しかしこれもこの辺の現実である。

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ス-パひたちはとまったままである。一体これはいつ走り出すのだろう。これは時がとまったままなのだ。つくづく交通は遠くとつながってこそ交通の役割を果たしていた。常磐高速道が南相馬市と
相馬市の間を開通しても意味がない、何の効果もないのだ。鉄道も常磐線全通が開通しないと意味がない。効果がないのだ。


ス-パひたちは3・11からとまったまま

身動きしない展示物のようになっている

春風を受けて光の中を走るのはいつの日なのか

自分もここ五年旅行にも行けない

また旅に出る日が待ち遠しい

これもまるで自分の姿だ

あの時以来時がこの辺では止まっている

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イオンの近くの新興住宅地で二軒が空家だった。一軒は車が置いてあるが人はいない、障子はやぶれてぼろぼろになっていた。一見人がいるように見えるがいない、ただ車が置いてあるから帰ってくるのかもはしれない、一時的に避難したのかもしれない、そういう家もあった。


この家は明かに人がいなくなった。一目見てわかる。ここは新興住宅地だからこんな空家になるはずがない、ここはもう人は帰ってこない、ただまだ売りには出されていないのだろう。
原町区の新興住宅地だと小高や鹿島より値がかなり高かった。今は原町区の地価や家は安くなっている。鹿島区は空家が浪江の人などに利用されている。そういう浪江の人に二人もあったからだ。
浪江の人はなかなか住めないとなると移住する人が増えてくるのかもしれない、子供をもっている若い人は遠くに避難する。新興住宅地だから若い人が住んでいたので避難したのか?
見切りをつけて去る人もでてくる。

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五本松のこの枯れた松もとうとう死んでゆく、この松も自分を象徴していた、介護している身内が
もうこんな状態である。これを見るといつも思う、これも自分の心象風景だった。

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トップの判断の責任の重さ (東電と東北電力の相違)


トップの判断の責任の重さ

(東電と東北電力の相違)

東電の清水社長はコストカッタ-としてのしあがり社長になったという。だから効率的ではない金のかかる安全対策はしなかった。津浪でも一旦土台を高くして作っていたのにわざわざ不便で効率的でないと土を削り低くして原発を建てた。これが致命的だったのである。一方東北電力は本当は今の高さでは高すぎるという批判があった。でもあえて副社長かここは津浪が来る、高くなくてはだめだと言って今の高さにして辛うじて津浪からまねがれた。この相違は大きい、やはりトップの判断が生死を分けるということがあった。もちろん今の社会は複雑すぎるからもうそうしたトップの役割はない、巨大複雑なシステムによって動かされているとかなる。そこに英雄は存在し得ないということも現実にある。なかなか個人が人間が介在しにくくなっている。信長のようなかつての英断による時代変革はありえないとなる。でもやはり以前としてトップの判断が大きな影響力をもっていた。みんなで議論して決める合議制なのだから現代はトップは飾りにすぎないとか言うけど原発を作るにはやはりトップの判断がありそれが事故につながった。ただ誰が土台を高くしていたのになぜ削り低くしたのか?その決定をしたのは誰なのか、それがわかりにくい、責任の所在ははっきりしないのだ。

それでも東電と東北電力のトップは違っていた。浪江と小高の原発建設予定地も20メ-トルと高台にあり今回津浪から避難した人がいたし女川の原発にも地元の住民が避難した。

女川原発の敷地をめぐっては、社内で12メートル程度で十分とする意見もあった。だが平井氏は譲らず、社内の検討委員会も15メートルを妥当と結論づけた。
 大島さんは「平井さんは、海岸を知っていた。15メートルに確たる根拠があったわけではないが、経験と直感で導き出された安全な数字だったはず」と振り返る。
 1970年に国に提出された1号機の原子炉設置申請書では、周辺の津波の高さは想定約3メートルにすぎない。だが原子炉建屋の敷地は14・8メートルとされた。


 津波対策は敷地の高さだけでなく、「引き波対策」にも表れている。取水口の内部に段差を設け、波が引いて取水できなくなっても冷却用の水が確保できる。「40分間は冷却が続けられる」(東北電力)という設計は、74年の変更申請で実現した。

 東芝のプロジェクトマネジャーとして計画に携わった小川博巳さん(73)は「東北で津波を考えなかったら何をやっているんだということ。そういう雰囲気が東北電力内にあった」と話す。
http://blog.goo.ne.jp/nishidenjigata/e/615a11152f39b896e7a3b9806e490fe1

 


東電の会議


           「原発は高い所に建てないとまずい、津浪も来るかもしれないし」


清水社長「この辺は津浪の来ない地域だよ、高い所だと効率が悪い、金もかかる

          津浪を防ぐ防波堤など金がかかるから作れないよ」


建設会社「そうですか、それなら低くしましょう、私たちは責任は持ちませんよ」

          保安院(東電でそう言っているんだからしかたないじゃないか、低くしても」


          「そろそろマ-ク1はもともと古い型であり危険性が指摘されていますがとめた方がいいのではないでしょうか」

         「馬鹿言うな、どれだけ建設に金がかかっているんだよ、ぎりぎりまで使うのが原発なんだよ」


  勝俣会長「清水よくやった、コストカットだよ、お前を社長にしたのオレだ、それでいい」


こんな会話だったらやはりトップの責任は重いはずでなのだが問われていない。東電の責任は重いのである。政府の保安院の責任も重い、何ら保安院の役割を果たしていないのだ。東電主導になっていた。


東北電力の会議


     
           「津浪の想定は12メ-トルでいいじゃないですか、これでも高く十分だと思いますが・・・」

平井副社長
「この辺では何度も大きな津浪が来ている、もっと高く想定しないとだめだ、15メ-トルだ」

              「それで高すぎます、金もかかりますし効率的ではないです」

平井副社長
「原発は安全が第一なんだよ、コストじゃない、この辺は津浪が必ず来る、だから高くしない とだめだ、15メ-トルで
な               い と だ めだ 非常用電源も高台に設置しておけ」

           「そこまで言い張るならやむをえないでしょう、従う他ないです」


こういう会話がなされていたとしたらやはりトップで決まるとしたらそのトップの判断が生死を握るということもっあった。一旦事故になったらその影響は今回のように計りしれないのだ。原発はそもそも本当は電力会社や政府だけにもまかせられるものでもなかった。自治体でも知事でも地元民でも広く参画して決めるものだった。それが原子力村が形成されて素人は全くシャットアウトされていたのである。議会や議員でもほとんどの人が推進派であり賛成なのだからすでにこの点で選挙民はもう何も言うことはできないつ、埒外だったのである。やはりこのようにトップの責任があるとすれば
清水社長や勝俣会長は死刑に値するし保安院もそれに準じる罪である。検察も原子力推進に加担して判決を下していた。ここも罰せられる対象だったのである。


いづれにしろ砂漠を日本人の集団がキャラバンのようなものを組んで旅したとき、道に迷い水のあるところの方向を一人の指導者の日本人が決めてあたり命が救われた。砂漠のような所では方向が命を決する。だから北極星など方向の目印になるのが重要になるから砂漠地帯の国の旗は星になる。
その時のトップの判断が生死を決するのだ。そういう所では英雄が生まれ安いのである。
どっちに行くかはトップの判断で決まる。いくら議論しても多数決でも決められないだろう。
そもそも生死がかかるとき多数決で決められるだろうか?人はその多数決に従うものだろうか?
議論していれば時間がかかる、危険が迫っているときは即座に決めねばならないことがある。
即断、英断が危機を救う、それが信長の桶狭間だったのである。家来の意見を聞いていてはもう助からないのである。


現代は民主主義の社会だとすると平常時には時間をかけてもいい、危機のときは対応できない、復興会議など会議ばかりしても何ら対策が成されなかった。会議は踊るなど悠長なことをしていられないのだ。即断して英断して決めねばならない、そういう危機の時代に民主主義は効果を発揮しないのだ。でも社会がそういう仕組みになっているのだから有効な手を打てずいるうちに状態はますます悪化するだけなのである。この辺でもいかに市町村長が重要な役割をになわされたか、その能力が問われたか、普通の平常時なら誰がなっても同じだとなっていた。しかし今回は本当にその役割は大きかった。市町村の運命を決めるほどに大きな役割と責任をになわされたのである。だから批判もあって当然だったしそれに答えきれないということもあった。現実に南相馬市長の評判は地元では良くないし相馬市長も良くない、この危機にさいしして答えきれない現実と重荷を課せられたためでもある。
こういうときもう誰か特別優れた人を選びまかせる方がいいとなる。ただそういう仕組みもないし人もいないとなるからどうにもならないとなる。集団指導制ではどうにもなちらなくなったのである。

それにしても平井副社長は貞観津浪のことまで考えていた。


平井氏の実家(宮城県岩沼市)近くには、千貫(せんがん)神社がある。今の海岸線から7キロ以上内陸にあるが、仙台藩に伝わる記録では慶長津波が到達した。

 東京帝国大(現東京大)の後輩で、東北電力で土木を担当した大島達治さん(82)によると、平井氏はしばしば千貫神社に津波が到達したことに触れ、「貞観津波クラスの大津波に備える必要がある」と力説していた、という

地質調査で貞観津浪のことを東電に警告していたのである。ただ岩沼辺りでもそんなに津浪のことを心配する地域ではなかった。ところが岩沼は実はかなり海が近かった。岩沼から館腰駅もすぐ近くまで津浪が来ていたのには驚いた。それと遠見塚古墳とか名取の雷神塚古墳がかなり津浪の来た地点と近い。


愛島丘陵南東端(写真中央左下)に雷神山古墳がある。また、写真左上の同丘陵北東端に飯野坂古墳群が見える。
愛島丘陵はその東端が縄文海進で南北に直線的な海食崖(現在は木々が植えられている)となり、その崖下に沿って浜堤が形成されてい
る。


縄文時代は海が迫っていた地点でもあったのだ。館腰駅のすぐ近くが雷神塚古墳だから津浪もすぐ近くまで迫っていたのである。遠見塚古墳もまさに海の遠くを見る古墳でもあった。海に近かったのである。津浪は明かに縄文海進の時を再現した。将来的に千年後とかにはまた海になる地域だった。

そういう土地の歴史とかにも通じている必要が電子力会社にはあった。市長村長にもあった。
つまり昔の長老のような人が必要だったのである。科学者は専門家は外から来た場合こういうことを軽んじる。ただ原子力の専門家であり総合的にとらえることは苦手なのである。その総合性が要求されたのが原発の建設だったのである。


原発事故にも関係していた 「天の時、地の利、人の和」
http://musubu2.sblo.jp/article/54567694.html

(地理を知らずしてすべての学問は成り立たない)
http://musubu2.sblo.jp/article/54567694.html

posted by 老鶯 at 23:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2012年04月05日

(科学技術が未来である時代から変われるのか?)


 未来とは何であったのか

(科学技術が未来である時代から変われるのか?)

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原子力明るい未来のエネルギー(大熊町)

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原子力郷土の発展豊かな未来”と掲げてあります(双葉町)


●未来という言葉の由来


未来は何かと問うとき、未来という言葉自体明治以前にはなかった。日本語は大和言葉と漢語から成り立っていた。それに西欧的なものが入ってきたときそれを翻訳するに大変な苦労した。どうしても大和言葉では翻訳できないので漢字で翻訳した。その漢字も日本人が造語した漢字であり奈良時代に大和言葉を漢字にしたのとは違っている。その時も中国の文化の大量に流入して翻訳して漢字をとり入れた。その時もすでに漢字の解釈はある程度は日本語化、大和言葉化していたのである。
本居宣長が大和言葉と唐の言葉を分けて日本人の淵源をたどろうとしたことは正解である。
なぜなら言葉の中にその国の文化が凝縮して残されているからだ。日本人を知るなら大和言葉を知るのが一番わかりやすいからである。詩にしても大和言葉のみで表現したとき日本人の詩になっている。そこに漢字や外国語が入ってくると何か詩になりにくい、大和言葉にすると理屈ではなく情緒的になる。日本語は情緒的な言葉だということがわかる。文の構成も理屈として解明できない、英語でも文法は一つの学問であり数学と数式と多少にているところがある。だからコンピュタ-と相性が良くコンピュ-タ-のソフトを作る言語となった。とても日本語や漢字ではなりえなかったのである。
つまり英語という言葉の上にコンピュ-タ-が作られたというとき正にそれも西欧の文化の流として作られたとなる。ともかく未来という言葉は未だ来ないものという意味であり漢字にすると意味がその漢字から視覚としてわかる。未来という言葉は大和言葉にはないし江戸時代には使われていないのだ。

明治以降こうした言葉の面でも大変な変革を強いられた。その造語の数も多くあとで中国人が日本人の西欧化した造語を使用するようになった。西欧の文化を日本人が解釈したものを中国人が使用するようになったのである。未来という言葉を何気なく使っていてもこれも日本語の造語でありこの言葉を発明した人は日本文化も創造したのである。西欧化で具体的な技術の導入は鉄道などはわかりやすいけどこうした言葉の創造は誰が創造したのかわからなくなっているものが多い。でもこの言葉を創造した人はやはり大きな功績があった。天才は新しい概念と同時に言葉を作る。その言葉今までにない概念や発明につながっていたのである。だから簡単に造語は普通の人はできないのである。

未来というとき未だ来ないものとは何であったのか?それは明治以降の西欧文明でありその主なものは科学技術であった。未来とは西欧文明であり科学技術であった。江戸時代の未来は何か、それは限られた世界で生きていたのだから米の生産の増大とかで豊になるとかであったがそれには限度があった。自給自足的たいして変わらない世界で生きていたし世界観も変わらないものだった。西欧文明が入ってきたとき急激な変化の波にさらわれた。民主主義にしてもそういう概念もないし投票ということもわからない、だから札入れとか約していた。投票して代表者を決めるという手法すらないから訳すにしてもその概念自体が訳せないものがいくらでもあった。だから日本人は西欧文明をとり入れるのに苦心したし努力したのである。だから未来というとき西欧文明が未来になっていた。その西欧文明は科学技術だったのである。これは世界的なものとしてグロ-バル化した。未来とは常に科学技術のことである。宇宙への挑戦も科学技術だしいかに最先端の科学技術をもつことが未来を制する国になるかしのぎをけずる。パソコンのようなものでも発明すれば世界を制して巨大な富をもたらす、パソコンは鉄道や飛行機などと違った頭脳としての科学技術だったのである。


●未来は科学技術になった


現代は科学技術なしではありえない社会である。現代で一番尊敬されているのは科学技術者である。宗教家にしても昔は病気を祈祷するものとして山伏などが必ず小さな単位の村に一人二人はいた。それは病気を直すために祈祷のためにいた。薬師堂が各地に多いのは病気直ることを祈ったためである。今はみんな医者に行き病院が薬師堂になっている。そして医者が神様のようになっいるのもまさに病気を直してくれる医者は神様に近いのである。つまり科学技術者が未来をもたらす、そこにもう老化をしない薬が発明されるだとか中国人の不老長寿が現実になるとか未来を期待している。あらゆるものは科学技術によって問題が解決されるという信仰にもなっているのが現代なのである。だから科学技術なしでは現代は成り立たない、オウムでもサリンを作る優秀な理系の人が中核であった。
オウムの犯罪は極めて現代的なものを象徴していたのである。なぜなら原発事故でわかったことが
政府自体が東電と結託したオウムでありオウムはサリンをばらまいたがそれ以上にしまつにおけない放射性物質を広範囲にばらまいてしまった。そして科学技術者は現代では神官であり僧侶であり一番権威をもっていた。だから容易に安全神話が宗教のように作られたのである。その科学技術に官僚やら政治家やらマスコミや自治体やらが付属して利益を得ていたのである。現代では政治家が力をもっていない、宗教も力をもっていない、現実の権力をもっていたのは科学技術であった。ただその背景となる資源がないと力をもつことはできない、そのことが露骨に現れたのが電力会社が電力をとめると脅したときその本性が露にされた。電力をとめられたら文明の活動は停止してしまうからだ。また石油も同じであり石油がなくなったらどうするのだとなるとき石油のためにも戦争になる。電力をとめてもいいのか、そのためには原発なしではやっていけないぞと脅されるのである。その脅しは一番効果的だというとき電気なしでは文明が維持できなくなっているからそうなる。


●原発事故で未来は見直される


未来が科学技術だというとき今回の原発事故はその未来に大きな暗雲をもたらした。それは致命的なものにさえなった。一旦事故が起きたら国が滅亡しかねないほどの災害をもたらすことがわかった。つまり科学技術の最先端の原発が未来でなくなった。原発周辺の町では原発が未来を作るものだったのである。その未来は根本的に破壊された。そもそも故郷に住めないとなると町自体の未来もなにもない、町自体の未来は根こそぎ奪われたのである。町自体の未来などももう描けないだろう。町民は村民はばらばらになりただ事務手続きとして賠償を要求するものとして町があるだけになった。それはもはや町とは言えないだろう。現代の科学技術の最先端の原子力が未来であったがそれが完全に未来を喪失させたのである。では何が原発の前は未来だったのか?農業に未来があったのか、農業は金にならない、農業やっても何の未来ものないよ、だから子供は跡を継がない、漁業もそうだろう。

この辺では漁業は零細であり何か原発ができたとき漁業権で巨額の金をもらった。漁業権は大きな権利がありそれをもっていた人のみが巨額の金をもらったのである。漁業には未来はなかったが原発ができてその漁業権で補償され未来が生まれたとまでなる。でも原発事故でそうした未来はすべて喪失した。漁業権をもっていた港は津浪で壊滅的打撃を受けた。農業も放射能で再開できない耕すこともできない、でももともと農業や漁業や山林業には未来がないとして原発を導入したのである。
だから一体未来とは今何なのだろうとなる。個々人の未来は別に町や村がなくなってもありうる。

一億円補償されたらそれで子供を大学にあげるとか家がない人は家を建てるとかありうる。個々人的には移動が容易な社会だから医者になりたいといえばその金があれば大学に入れるかもしれない、画家になりたいといえばパリに留学させるとかある。しかし市町村として自治体としての未来は町自体がないのだからありえない、それは消失したのである。だから市町村の未来とは何なのだろうかと考えさせられた。今になれば別な市町村の未来が模索されたとかなる。農業や漁業でも山林業でも他にも何か未来を作るものがありえたとか反省する。
それは実は原発事故の被害にあったここだけではない、これは全国の問題であり日本だけではない、世界の問題でもある。なぜなら科学技術最優先の文明では世界で同じだから一旦原発事故が起きればここと同じ様な被害にあうからだ。未来は奪われるのである。

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2012年04月11日

南相馬市小高区は16日警戒区域解除-でも帰る状態ではない・・・ (分断される原発事故の被害地域・・・)


南相馬市小高区は16日警戒区域解除-でも帰る状態ではない・・・

(分断される原発事故の被害地域・・・)


 
警戒区域が16日解除される南相馬市は7日、立ち入りに関する注意などについて住民説明会を開いた。住民は県外からも参加し、会場に入り切れずに急きょ2回に分けて開催。期待と不満から激しい質問が相次ぎ、国の対応の遅れにいらだちの声が上がった。

97歳の母親を亡くした経験を話す。林さんの母親は事故後、老人ホームを転々と移されたあと、遠く離れた施設で昨年4月に亡くなった。だが東電は、林さんが受けたと主張する精神的損害600万円の支払いを拒否した。林さんが東電にその理由を尋ねると、単に請求は「補償の範囲外」とだけ説明した書簡が送付されてきたという。


 それから間もなくして、妻の輝子さんが心臓の手術を受けた。医者によると、避難のストレスで健康状態が悪化したことが原因だった。林さ
ん夫妻は避難所となっていた学校の体育館の床で1カ月、寝泊まりし、その後4カ月はホテルの1室を別の夫婦と共有していた。だが東電は、輝子さんが請求した精神的損害賠償1000万円について、既に医療費を支払ったとして拒否した。
http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/article/4579


宿泊禁止で、水道もトイレも使えない。家庭ゴミやがれきの処理、除染は国の責任で行うが、日程すら決まっていない。桜井勝延市長は「許可や時間制限なく帰宅できるようになるが、住める訳ではない。避難は続く」と説明した。
http://mainichi.jp/area/fukushima/news/20120408ddlk07040060000c2.html


準備区域解除は、除染やインフラ整備の終了、病院や学校の再開にめどがつくことが条件。「早く復旧しないと、誰も戻らなくなる」などの意見もあり、復旧は住民帰還に向け時間との闘いになる。



警戒区域内工場を閉鎖=大日本印刷と藤倉ゴム−再開決断企業も
 大日本印刷と藤倉ゴム工業は6日、福島県南相馬市小高区の「警戒区域」内にある工場を閉鎖する方針を固めた。工場周辺は16日、東京電力福島第1原発事故の影響で立ち入り禁止となっている同区域から解除されるが、両社は既に他県への生産移転を決めており、「コスト面から再開は難しい」と判断した。
 震災発生から1年。「被災地の復興に水を差しかねない」と閉鎖や撤退の判断を先送りしてきたが、「いつまでも放置できない」(藤倉ゴム)として、警戒区域の見直しを機に決断した。(2012/04/06-21:03)


昭和53年 浪江町に福島工場新設 エスエス製薬福島工場閉鎖(エスカップ生産)



警戒区域では富岡、双葉・大熊≫浪江≫南相馬市小高区≫南相馬市原町区≫南相馬市鹿島区


この順序で被害も住民意識の違いが現れた。富岡、双葉、大熊は原発の恩恵を一番受けていたが被害も一番大きかった。真意はともかく富岡町長の5億円の金庫が話題になったのもそのためである。
浪江で富岡、双葉・大熊が原発を積極的に誘致したためだと恨む人がでている。浪江の被害も大きかったからである。次に小高区もそれほど放射線量が高くないのに警戒区域になったので被害が大きかった。ただ浪江と小高の間に東北電力の原発が建てられることが決まっていたので南相馬市内で原町区や鹿島区で今になって避難する人たちがいる。自分は知らないし知らない人もいた。原発は秘密裏に行われ知らないという人が結構いる。政府も東電も知らせないのである。スピ-ディを最初に知らせたのはアメリカ政府であり日本政府でなかったことでもわかる。政府も東電も安全管理などしていなかった。事故はほぼ絶対に起こらないという安全神話の上に成り立っていたからである。だから危険な山側に浪江の人たちは避難した。双葉とか大熊は埼玉とかに避難したから放射能の危険を知って遠くに避難した。それなりに情報が入っていたのか、事前の準備があったのか、浪江とは違っていた。飯館も全く放射能のことは知らないから知らせられないから避難しなかった。一時1000マイクロシ-ベルトになった所があったというから驚く。危険は政府からも東電からも知らせられなかった。
一か月あとくらいに要約政府東電以外の専門家が入って危険を指摘して避難したのである。

小高区はやはり警戒区域になり強制的に避難させられたから精神的被害の補償を要求している。体育館などに避難した人はそうである。避難の過程で高齢者が弱って死んだ。その数は100人くらいいるとか表にでてこない。自分でも高齢の母親を介護しているから避難したら確実に死んだ。避難するほかないと言ったときふるえていたからである。避難する体力もなかった。南相馬市原町区は緊急時避難区に指定された。30キロ圏内でありここでも避難することが要求されたが妊婦とか子供をもっている人は避難したが高齢者や介護している人は残っていた。ここでも補償は要求している。南相馬市鹿島区は30キロ圏外であったが市役所の人が避難するように言ってバスで避難した人がそれなりにいた。ただ残った人も多かった。屋内待避だった。あとで補償金をもらった。相馬市は補償金はゼロだけと耕作禁止にもならないから普通に暮らしている。でも原発の被害はそれなりに受けている。


原町区は精神的補償の被害などを要求できるが鹿島区はできない。でも体育館などに避難した人はしているだろう。こうして原発事故では市町村で被害が違っていてそこで住民感情が違ったものとなってしまった。住民が感情的に分断されてしまったのである。特に南相馬市は四つくらいに分けられて分断させられた。居住困難地域もわずかだがある。これは双葉や大熊でも他でもも放射線量が多い地域と少ない地域がありそこで地域のまとまりがなくなり分断される。伊達市の小国地域などがそうである。隣は避難できて援助があっても自分の家はないと嘆いている人がいる。こういうふうに分断されるのは政府とか東電にとっては都合がいいのかもしれない、もちろん全部補償しきれないということもある。でも地域のまとまりがなく分断されれば自治体の力は弱まり政府や東電の言いなりになるということもある。

人間はともかく金のことになると目の色を変えるし妥協はしない、親族の遺産争いがそうであり金がからむと人はばらばらになる。そもそも原発自体が金のなる木であったことに問題を発していた。

金になるのなら危険もかえりみない、それは政府でも官僚でも自治体でもマスコミでも莫大な金が流れたからそうだった。人間の欲が深くからんでいたのである。そして第一産業でも農家でも漁業でも跡継ぎがいないとか建築土木関係も公共事業の減少で衰退していた。だから仕事かないと盛んに言っていた。小高の大工さんも原発ができれば景気よくなるとか言っていた。そして大堀の相馬焼の人も東京に避難したが斜陽産業だからつづけられるかどうかわからないと告白していた。相馬焼も焼き物も斜陽産業なのかと思った。 小高区の人で南相馬市立病院でしりあった人はエスエス製薬のエスカップの生産にたづさわっていた。昭和53年 浪江町に福島工場新設とあり浪江町の工場があって通っていた。こういう工場の閉鎖は大きな痛手となる。これは斜陽産業ではないだろう。


不思議なのは回りが田んぼだと田舎は第一次産業が中心だと感覚的に思ってしまうけど今は違う。工場とか会社かなくなったら働く場所がなくなり住めなくなる。浪江の人で二本松に工場を移して通っていた人がいた。会社とか工場がやはり重要な役割を果たしている。昔だったら第一次産業が中心の世界だったら田畑を耕さないから死に直結していた。そういう危機感が全くないのも不思議である。食糧は金さえあればどこからでも全国から世界中から入ってくる。だから米を作らなくても別に金さえあればいいとなる。でも田もない畑も耕されないとなると荒寥としてくるのが田舎である。原発事故は放射能汚染であり一番第一次産業に影響した。山林が汚染されたし水も汚染されたりとか生活の基となる所が一番汚染されたのである。都会の場合だったらまた違っていた。食糧をもともと生産していないのだから他から買えばいいとなっているからだ。でも放射能汚染はアスファルトの道でもコンクリ-トのビルでも汚染されると削るほか放射性物質をとる方法がないからこれまた除染ができないとなる。
樋の下のコンクリ-トの所は高くいつまでも放射線量が高いのである。一方森とかの放射性物質は泥と共に川に流れたりしてへってゆく、コンクリ-トの中にしみこんだものはへらないのである。


いづれにしろ住民が補償金のことで感情的に分断されていることは政府や東電にとっては都合がいいから放射能汚染地帯の自治体は何か手を打つ必要があるのかもしれない、それより本当は広い範囲で原発は反対しなければとても政府とか東電とかの財力に負けてしまうものだった。原発に関してそういう認識がなかった。原発はここから遠いと思い安心していた。中通りの郡山でも二本松でも福島市でもそうだろ。自治体が分断されている所には原発はもともと建てやすいということがあったのだ。福島県全体で反対していれば原発は建たなかったのである。前も書いたけど非常に狭い範囲で決められていた。他の人は門外に置かれた。被害があってはじめて原発が遠くも危険だと認識したのである。今になれば中通りの人も被害にあったのだから郡山と福島市の人たちが反対したらとても原発は建てられなかった。一地域の住民エゴで原発が建てられたから今になって問題になった。そして今度は補償金の問題で地域が分断されている。金で分断されている。金がからむと人の心は分断される。これまた金であり金が諸悪の根源だともなる。補償金で目がくらんでいる人もいる。一億円補償してもらうとか現実味帯びてくるとそれで目がくらみ金の勘定ばかりして原発事故のことなど忘れる人もでてくるかもしれない、問題の本質は忘れ金の問題だけになってしまうこともありうる。金がなくても故郷で先祖代々の地で仲間と暮らすのが一番いいのだとかいう心の問題も喪失してしまう。一億円もらって移った方がいいとなる。そしてそれは政府とか東電には都合がよく核の廃棄物の処理場にされてしまう。人間は金がからむともう眼がくらみ本質が心の問題は無視されるのである。

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2012年04月14日

南相馬市石神から国見山の放射線量を計る


南相馬市石神から国見山の放射線量を計る

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南相馬市のイオンから石神-高倉-国見山とアマゾンで買った放射線計測器で計った。
石神第二小学校の見えるところでは道路は0・9であり道の脇の土の所は1・1とかであり草の所は
1・3とかでありそんなに高くない、それでも石神小学校がはじまったのは最近であり校庭などを
除染してはじまった。あそこに子育地蔵があったのも注目した。子育てもできない地域になったことがあの地蔵を見て里の人々はどう感じたのか?

子育てできなかったらその地域は存続し得ないのではないか?
その時子育地蔵に祈るほかない、放射能汚染に負けないように子育てできますようにとか祈るほかないまでなっていた。そもそも一地域でも村がなくなるというこなど考えられない、飢饉のときは相馬藩でそういう危機にひんした。

今回はまた事情が違っているから対策も違ってくる。人はもう子育てできないとよそに移ってしまう。残されるのは高齢者だけになったらその地域を支えるものもなく遂には消滅してしまう。
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それなら今度は中国人でも移民をつのり住まわせて村を維持するほかないとなるかもしれない、
中国人なら多少の放射能を気にしないかもしれないと思うからである。
それなりに援助してもてなせば来る人がいるかもしれないとまで考える。

石神から高倉に行くと道路で2・1じ道端の落葉では3・5とか高くなっている。山側に近づくにつれ高くなる。流れを上って山に入ると3・3-道端の落葉で8・6となり高くなる。

一番高かったのは頂上付近であり道路で7あり落葉で9あって最高だった。高いところはやはり高くなっている。山では山菜とりとか野草をとることはできない。でも外見は何も変わりない、山鳩が鳴き鶯が鳴き他の鳥もさえづっていた。放射能は気にしなければ変化がわからない、草木は芽ぶいていた。鳥も住んでいるし普通と変わらないのである。

 


居住制限区域


高倉の字助常、字吹屋峠、字七曲、字森及び字枯木森の区域
片倉の字行津の区域
馬場の字五台山、字横川及び字薬師岳の区域

高倉は居住制限区域になっている。横川ダムの方も高い同じである。
http://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/pdf/20120330_02d.pdf



家の近くでは意外と瓦屋根を直してもらったが瓦自体を計ったら0・6とか道路より高いにしろ思った以上低かった。というのは瓦から放射性物質が水で流れ樋にたまり樋から流れ出た。だから樋の下のコンクリ-トの出口は高く、その下の泥化した土も高い,でも泥化した土の方がコンクリ-トの出口より低くなっているのだ。泥でもセシウムが泥となり流れだすからそうなる。それで阿武隈川には毎日何億ベクレルのセシウムが泥と共に流れだししているのだ。その量はものすごいものである。その分森とかの放射性物質は減っているのだ。コンクリ-トのようなものに付着したものは削らない限り消えないのである。
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2012年04月15日

統計で見る浜通り-相双地域 (原発、火力発電地帯の恩恵の大きさ)

 

統計で見る浜通り-相双地域

(原発、火力発電地帯の恩恵の大きさ)


福島県市町村民経済計算の概要
http://wwwcms.pref.fukushima.jp/pcp_portal/PortalServlet?DISPLAY_ID=DIRECT&NEXT_DISPLAY_ID=U000004&CONTENTS_ID=17021

統計とかグラフで見るとやはり相双地域は原発や火力発電所とか電力供給地帯として潤っていた。産業は電力だった。さらに今居住困難地域となった原発に一番近い大熊とか双葉は収入が県内で一番良かった。普通南相馬市から大熊まで働きに行くということはないけど原発関係でない人も働きに出ていた。働き口もあった。原発関係でも東電の人も南相馬市にもいた。それから火力発電所でも南相馬市にも相馬市にもあり千人も雇っていた。この経済的影響は大きいのである。原発は燃料費が安いからコスト的に電力会社では推進したいことがわかる。石油だと高すぎるのだ。原発は電力会社でも地元でも金のなる木だったのである。そして一時産業農水山林業とかなるとグラフで見るといかに少ないか一目瞭然である。一割にも満たない、ところが感覚的には土地をしめているのは田んぼであり山林である。飯館村でも7割が山林であり除染がむずかしくなっている。ここに田舎に住んでいるものの現代の錯覚がある。経済的には農林とか漁業の経済でしめる割合は極端に少ないのが現代なのである。ただ感覚的に農林漁業が主体のように見えてしまうのが田舎なのである。農協でも以前として票田として力をもっている。でも実質は農林漁業ではなく収入は別になっている。会社とか工場勤めの収入であり専業農家は少ない、兼業農家が多くそれでも田をもっていれば国から補償される。

そういう矛盾が原発事故問題にも現れていた。戦前までは八割は一次産業であった。ほとんどが東北では特に農民で貧しかった。そこで問題になっていたのは土地をもたない小作であり地主に対する恨みが深かった。ところが経済の一割くらいしか経済でしめる割合がなくなったとき農業の実体は変わってしまった。田舎に住んでいると田舎を支えているのは田畑をもっている今でも農民だと感覚的に思ってしまうのである。でも現実は変わっている、第一次産業のしめる比率は一割に満たないのである。

だから今回の津浪や原発事故で一番困ったことは交通の問題だった。車がガソリンなどが入らないことで物資が入らないことだった。南相馬市では特に放射能を恐れて物流が途絶えたのである。食べるだけだったら米だけでも一二週間ならまにあう。ところがその前に物流が途絶えると不足するものが現代の生活では多すぎるのだ。医療では薬とかが不足して外から入らず困ったことでもわかる。

医療関係も第一に困ったのである。困る優先順位は必ずしも食糧ではない、水道とか電気や道路、交通のインフラだった。水道が壊れたところもあり電気も通らなくなったら米があっても米もたけないのである。かえってこういう時は自給自足している生活は強い、現実に三陸の方では牡鹿半島などでも水源に裏山の清水とか利用して薪を燃やして米をたいていたのである。水道も電気も途絶えればそうせざるをえない。田から都会などは災害には弱いのである。電気も水道も途絶えるとお手上げになってしまうからである。現代は外からいくらでも物資が入ってくる時代である。でも交通が途絶えたら何も入ってこないからかえって災害には弱いとなる。なるべく近くのあるもので生活していれば災害には強いのである。


いづれにしろいかに浜通りが電力供給地として経済的に大きな割合をしめていたかグラフでわかる。だから原発事故の影響は計り知れなく大きい、もちろん浪江町とか双葉とか大熊も町として消滅すれば全体的に経済は縮小してしまう。田舎を支えているのは今は第一次産業ではない、だからこそ漁業権者は原発から多額の補償金をもらっていた。福島県では漁業がなくなってもそれほど影響がない、原発とか火力がなくなることの方の影響が大きすぎたのである。農業もそれほどの影響がないというのも感覚的にわかりにくくても実質の経済ではそうなっていた。でも農業などは第一次産業は経済的統計的にだけ見れるものかどうかはわからない、田舎に住んでいれば感覚的にそうはなっていないからだ。田んぼに人がいないで耕していないということは田舎ではない、すでに都会と同じになってしまう感覚なのである。でも実質的には第一次産業が一割にも満たないということは経済的影響は少ないとかなる。おそらく農業漁業がなくなっても他の産業があれば市町村が経済的には成り立つ、それがどんな市町村になっているのか今は想像しにくいし未来を描けないのが実情である。

経済規模が縮小して若い人がさり高齢者だけがふえて限界集落のように高齢者の街になってしまう。限界集落化してゆく恐怖がある。

南相馬市では原町区で震災前は4万7千であり震災後は3万2千である。
鹿島区で震災前は1万1600であり震災後は一万三千くらいである。
鹿島区であれだけ仮設住宅建ったのに人口は2000くらいしかふえていないのは意外である。
少なくとも5千人くらい増えた感じがする。
小高の人は一万二千人いても全国に散ったのである。他の人も親戚などを頼り全国に散った。
南相馬市内に移動している人はどれくらいなのか、意外と南相馬市より外に出ている人も多い。
鹿島区に小高区の人が多いと思ったが意外と少ないから全国に散らばったのである。
南相馬市のホ-ムペ-ジでは5千人は南相馬市以外に転出した。

南相馬市立病院の看護師が130人にいたのが108人まで回復したのは心強い。一時半分以下になり崩壊状態だった。病床数は半分である。医者の数はどこも3人くらいへっているからこの回復が問題である。
看護師の数をみると確かに前よりは意外と増えているから何か安心する。でも医者の数は以前として少ない、医療関係は高齢化社会では重要なインフラだからこれが弱いところに高齢者も住みたくないとなる。


南相馬市の統計資料
http://www.city.minamisoma.lg.jp/shinsai2/sinaijokyo/hinan-jokyo.jsp

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2012年04月25日

相馬市の長屋風共同住宅完成 (相馬市の放射線量は意外と高いのでは?)


相馬市の長屋風共同住宅完成

(相馬市の放射線量は意外と高いのでは?)

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ここは共同の食堂

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●共同生活の住宅だった


相馬市長が、仮設住宅について、予想される「孤独死」を防止するために、「長屋」方式によって、共同生活が営めるようなものにするよう提唱している。
お風呂も、共同浴場を併設することを求めている。


阪神大震災の時、その後、仮設住宅において、多くの「孤独死」が見られた。実は、四川大震災の時は、中国は、阪神大震災の教訓に学んで、仮設住宅に共同浴場を設け、被災者相互のコミュニケーションの確保に意を配り、「孤独死」を防いだ。


立谷秀清・相馬市長さんは、新しい仮設住宅を日夜考案中です。
医師として、また病院・介護施設の経営者としての知恵が活きます。
「今後の目標は孤独死、自殺を出さないことだ!」と断言されます。

阪神大震災の時も同じことが言われました。
しかし、多くの2次犠牲者が出ました。
今回は、規模があまりにも甚大なので相当な対策が必要です。

立谷秀清さんは、井戸端会議ができる長屋を考案しました。
比較的元気な単身高齢者が暮らす長屋です。
食事は、原則、皆で集まってします。

大型浴槽での入浴も。
1ユニットで、12人が暮らします。
「立谷S−12型被災高齢者共助生活住宅」の設計図を見ました。


設計趣旨は

1 夕食は一堂に会して摂る
2 共通ランドリースペースに「井戸端」を作る
3 ランドリースペースの外側に「濡れ縁」を設ける
4 16.5uの畳コーナーを設け団欒の場とする
5 全館ユニバーサルデザインとする
6 全館バリアフリーとする
7 手摺付きの大型浴槽を1ケ配備する
8 ボランテイア対応スペースを設ける
9 来客対応の客間を設ける
10 共助スペースは、災害時の支援拠点とする
http://www.nagaoclinic.or.jp/doctorblog/nagao/2011/05/post-1533.html


部屋はスペ-スが二つある。実際は一間になる。ホテルのような部屋割りになっている。真ん中に
共同の食堂があり大型浴槽があるから個室には風呂はついていないのか、これは孤独死をさけるためだとあるから一人暮らしの老人の共同住宅である。馬場野にありコジュウケイが鳴いていたように山際だから環境はいい。でもこれは明かに共同生活でありプライバシ-はそれほど保てないかもしれない、共同生活になってしまう。食堂が真ん中にありそこで毎日みんなで食事するとなるとそうなる。個室はあるにしてもホテルの部屋のような感じになる。仮設住宅よりはいいにしても共同生活になる。老人ホ-ムでも共同生活だから共同生活に向いていない人は暮らしにくいとなるが共同だから孤立せずにすむし一人暮らしの人にとっては心強い。老人の一人暮らしはいろいろ不安になるのである。部屋数は思った以上少ない、一つの建物で12人では少ない、二棟建てていたがそれでも24名くらいしかないとなるとみんなが入れるとは限らない。


これもあくまでも災害のための住宅として市が用意したのである。相馬市の道の駅は曲屋風だとか何か伝統的に工夫している。相馬市では津浪の被害が大きいから家がなくなってもう家を建てられない人が多数でているから仮設ではない、住みつく住居を必要とされる。これはあくまでも一人暮らし用であり夫婦でもそういう施設が必要になっている。でも二人用となるとさらに大がかり建物となる。一間で二人ならいいが二人になるとやはり一人用とはなりにくい。普通のアパ-トでも二間あるのがこの辺では普通である。でもこの共有住宅で二間作るとかなり大きな建物になってしまう。この長屋風住宅は外から見ても相当大きく見えた。さらに大きくなったら費用も相当にかかる。見た感じだと庭なんかもないしやはり一軒家がいいとはなる。


庭の空間が作られていないのだ。そこまで贅沢はできなかったとなる。一軒一軒にはなっていない、ホテルの個室みたいだからそうなる。家は狭い庭でもあるのとないのでは心に影響する。田舎で広い庭をもって田畑をもって暮らしている人が多いのだからあのようなホテルのような部屋だと閉塞感がある。マンションやアパ-ト暮らしになったような人たちもそれを感じているだろう。まず理想的だったのは飯館村の家だったのである。一軒一軒が森に隠れるようにしてあった。隣との間は離れているしみんな広い庭をもっていたのである。あそこは住環境としては理想的だったのである。

 

これはアメリカの会社の援助で作られた・

間取り

http://www.city.soma.fukushima.jp/0311_jishin/kouei_jyuutaku_pdf/kihon_keikaku.pdf

六畳と四畳がある、二間だと余裕がうまれる。一間だと窮屈になる





●相馬市の放射線量は意外と高いのでは?


相馬市の放射線量は思った以上高かった。イオンの前で道で0・5あり道端の土で0・7とかあり
市内で0・4とか道端の土で0・7とかなっていた。相馬神社でも0・5とかなっているのは高い。
南相馬市の原町区では普通は道で0・2くらいである。鹿島区でもそうである。ただ場所によって違っている。鹿島区でも寺内0・5になってる。原町区でも高い所はある。放射線量は平均していないのだ。相馬市はそれなりに高いからなぜ普通に耕作しているのかわからない、原町区や鹿島区より高い所がそれなりに多いのだ。これが山上とか玉野とかになるとさらに高いし住めない地域になってくる。玉野で自殺した酪農家の人は妻と子供がフィリンピンに帰ったことにあった。補償地域になっていなかった。そういう個人的事情と原発事故が重なって自殺に追い込まれたのだ。津島にも中国人妻が夫に東京で暮らしたいとナタで襲ったことには驚いた。外国人の女性がそうした辺鄙な所に嫁に来ているのだ。


・丸森町 1.05
・角田市 0.51
・山元町 0.38


丸森町はこれくらいなのか?角田市が意外と高い、相馬市なみである。この辺は余り話題にならない。南相馬市意外で南相馬市より高い所があるのだ。そこは賠償の範囲内にならなかったりする。
丸森では妊婦や子供に20万円補償するとかなった。丸森町は本当はもっと高くなっているだろう。
なぜなら飯館村のすぐ隣なのだからこれくらいの放射線量とは思えない。道で1・05としたとき山では道の脇の土では三倍くらいになるから3にはなる。宮城県は全国的に放射能の話題にならない、それで損している面はある。相馬市の隣の山元町でも高い、相馬市で0・5なのだからこのくらいあるのがわかる。放射線量はぱらつきが意外と大きい。警戒区域内でも少ない所は少ないし人が住んでもいい所があるのだ。ただ近くに高い所があれば影響するから全体的に放射線量は計らねばならない。
いづれにしろ相馬市では普通に田畑を耕作できるのに南相馬市では相馬市より低い放射線量なのにできないことが納得いかない、20キロ圏内とか30キロ圏内で区切ったことがこういう問題を起こさせているのだ。30キロ圏内でもばらつきがあり30キロ圏外でもばらつきがあるのが放射線量だったのである。

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イオンの前


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相馬市に入る橋の手前

アスファルトの道と道端の土や草むら


相馬市の放射線量
http://www.city.soma.fukushima.jp/0311_jishin/housyasei_bussitu/jyosenkeikaku_1_.PDF

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2012年05月09日

広い畑と塔がある仮設住宅 (新しい街作りが望まれている)


広い畑と塔がある仮設住宅

(新しい街作りが望まれている)

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グル-プホ-ム

鹿島の中学校のすぐ近くの仮設住宅の横の畑は広い、一面に花が咲いていたから気持ちいい。
野菜も栽培しているしハウスもある。あれだけの用地が確保できるところはそれほどないだろう。
あそこはもともと空き地のようになっていたから使いやすかったのである。
他では用地確保に困っている。三陸の方ではそもそも平地がないからこれだけの用地を確保することはむずかしい。農家の人だけでなく野菜作りとか楽しんでいる。小さい畑だとできる。
仮設は庭がないから癒しがない。ただあそこは脇に水無し川でも雨が降って流れているし
環境はいいところでてある。田舎はそれなりに環境はいい。


同じ地域の仮設住宅に塔を建てた。万葉の塔と名づけられた。これもアイディアだったのか、曲線にしたところが建築的に優れているのだろう。色もつけたところがいい。
南相馬市として合併したから小高-原町-鹿島の統一的シンボルにもなる。
鹿島区では万葉がシンボルになったけど南相馬市が合併して全体のシンボルになるようなものは作っていない。仮設がなくなっても南相馬市に合併のシンボルとしての塔を建てるのにいい。
それは建てるにしても中心地の原町区に建てることになる。

南相馬市といって合併して日が浅いからまだなじんでいないのだ。

ただ国見山から南相馬市がきっちり視界に入るからまさに南相馬市は地理的一体感があった。
国見山は原町市だけではない、南相馬市の国見山だったのである。
相馬市までは国見山か視界にはいりにくい、南相馬市はぴったり視界に入る。


新地はここも鹿狼山があり海が近く平地が少ない、地形的に相馬市とは違っているから地形的に別になっている。手長明神の伝説があり貝塚があり貝をとって暮らしていたと巨人伝説がある。
鹿狼山は海に近い、その山の麓から海が近くに見える。その海岸の釣師浜が津浪で壊滅した。
もともとあそこも海が深く入り込んでいた。貝塚のある所辺りまではいりこんでいた。その湾のようなところで貝をとって縄文人が暮らしていたのである。

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新緑や海の青さに新地かな


こういう俳句もできる。海の青さが山に映える。国見山は海の青さは見えないのである。
南相馬市でも相馬市でも新地でも飯館村でも地形の相違があり結果的に合併したのは南相馬市だった。地形は地理はあらゆる所に影響する。旅ばかりしていたからこの地形に地理に一番興味を持ったのである。近くでもこの地理がわからないと郷土のこともわかりにくいのである。


浜通りは海があるということが最大の魅力だった。中通りと会津には海がない、これが最大の相違だったのである。その海側が津浪で甚大な被害にあったのだ。海があるとないでは魚がとれるとれないというより精神的に影響が大きいのである。万葉集は奈良を中心としているから山によってたつ思想になる。これは会津などではそうなる。ただ阿武隈高原があるから山がここにもあるが高い山はない。万葉集は日本が海に囲まれていても山によってたつものが万葉集だった。山を神として祭ったことでもわかる。ただ天の香具山などは余りにも低い山だった。それが国見山になった。飛鳥にしてもあまりにも小さい国だったとなる。

ともかくこの辺の変わりようははげしい。この際外部の力を利用して新たな街作りを考えるのもいい。
相馬市では長屋風共同住宅をアメリカの会社の援助で建てた。
あれはいいものだと思った。
海岸地域はすでに人が住めないようになっているから何か新しいものが必要になったのである。
それが今の内なら援助があるからできる。
だんだん援助が途絶えるとできなくなる。
小高で帰れないとか言う人もでている。
高齢者でそう言う人がいる。
となると相馬市のような長屋風共同住宅を計画するのもいいかもしれない
除染するよりこういうほうに使った方がいい。
グル-プホ-ムも仮設住宅内に作っていた。
新しい街作りが強いられているし逆にそれができるチャンスでもある

 
 
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2012年05月11日

山尾三省の詩を読む (原発事故で見直されたその生活)


山尾三省の詩を読む

(原発事故で見直されたその生活)



びろう葉帽子の下で

チェルノブエリの灰降り
百の怒りが
わたしのうちにないわけではない
チェルノブエリの灰降り
また百の悲しみが ないわけではない
それらに 身と心をゆだねないために
またじゃがいも自身を掘るために


つわぶきの煮つけ


野にはつわぶきの新芽がのびる
うす皮をむき
シイタケや油揚げで一緒に煮る
お皿にもりつけてやっと春になった
にこにこしながら食べる
こんなおいしいものはない
これは地のものたちの文化であり
核兵器を作る人たちや
原子力発電所を作る人たちへの捧げものではないと


秋のはじめ(2)


田舎がある
田舎の真理がある

田舎の苦しさがあり、田舎の真理がある


島の真理がある
島の苦しさがあり、島の真理がある



最近集めたいろいろな本を読み返している。本を集めただけのが多かったが今なって理解できる。理解したことを即座にプログに書く、書くということで朦朧としたものが明確な輪郭を帯びてくる。
それも自由に書ける、いくらでも書けるということがいいのである。本にしようとしたらまず何も書けない、そもそもが本にしたって一年くらいかかったりその労力も金もけたはずれだから素人では本を作り出すことはできない、書店にも置けない本では一般の人とっては何かを発表することはできなかった。だから大きな出版社により情報は操作される結果になった。書店はその支店にすぎないのである。書くために自由にいくらでも書けるということを前提にしていないと十分に発表できないのである。


山尾三省という人は62才で死んでいる。妻もその前に死んでいる。ええ、早く死んだなと思った。今の時代60代は早死になる。思うに労働が過酷だから早死にしたのかもしれない、島の農業で貧しい暮らしとなると栄養もそれほどとれない、インテリだと自分もそうだが体力がないから体にひびくのである。妻も東京から島で農業したということは楽ではない、それほどまでして島に棲むのは自分たちの思想の実践として農業をしたのである。ただ農業をしている人はいくらでもありそれをいちいち俺は特別なことをしているのだとしない、ただなぜこの人に注目したのかというとこの辺で起きた原発事故で注目した。核だけではない原子力にも反対していたのである。その抵抗としてジャガイモをただ掘るとか農業を実践していた。左翼ともかかわる人だけどそれとも違ったものがあった。不思議なのは原水協が核兵器に反対しても原子力発電には賛成していたのである。推進派だったのである。
というのは原水協にしてもそこには電事連の組合の人が参加していたからそうなった。電事連は大きな力をもっている。そういう労働者でも宗教団体でもどこでもはいりこんでくる。だから巨大な団体になればなるほど反対できない構造ができあがっている。今回の原発事故でも安全神話そうして作られたのである。何かの団体に属しているとその意向に従うようになるから逆らえなくなる。
今はどこかの会社にみんな属しているのだから会社の意向に従うようになるから結果的に安全神話は作られたのである。官吏もすべてまきこんで作られたから強固なものだった。戦争のときと同じように逆らえないものとして作られたのである。


核兵器も原子力発電も根っこでは同じだった。ただ最初の内はその認識が甘かった。原発がどういうものかわからなかった。最初の導入のとき慎重さをかいた。地震がこれだけある災害国に原発を造るのはどうかとか議論も検討も良くしなかった。金になるし科学の発展、経済の拡大としてすべてが容認される時代である。ただ盲点は日本の風土を考慮しなかったことなのだ。地震、津浪がどれほど怖いものか知っている。その責任はやはり科学者にもあった。核の恐ろしさを知っているのだからもっと慎重にするべきだった。

そしてチェルノブエリ事故が起きたとき原発を根本的に見直す作業が必要だったのである。チェルノブエリに対する怒りがここで言っているのもわかる。詩にも原発に抵抗する反対することがかなり書いてある。原子力の危険性を指摘して自ら貧しい農夫になった。それは一つのアンチテ-ゼを実行したのである。原発事故が起きた10キロ圏内で避難した人が家族がばらばらになりこれならロウソクで暮らした方がいいと言っていたのがわかる。人間は追い詰められるとそういう極端な思想になる。逆にそうでいなときはそういう思想は生まれない。逆に高度成長からバブル時代と農業は減反政策となり農業をしたいという人は激減した。農業では生活にならないという不満が毎日のように農民から語られた。もちろん専業農家ではない、その中に兼業農家でいい暮らしをしている人がいたし今も兼業農家が多い。農地だけをもっていて補助金がもらえるとかそういう人も多い。今回事故の起きた双葉であれ大熊であれちょうど相馬市地帯とか磐城から離れた江戸時代の境にあった。その辺は出稼ぎで貧しいとか農業だけではやっていけないということで原発を積極的に導入したのである。原発は金のなる木だったのである。


逆説的なのは山尾三省のようにあえてこの時代に島で農業をするような人は変人になっている。そんな苦労してどうなるんだ、何が目的なんだ、インテリがなぜそんなことするんだ、そういう批判もされる。農業を誰もしたくない時代だからである。でも逆性的なんだけど今になるとそういう生活は今までは農家にとって当たり前だった。しかし農家にとってそういう貧乏な生活から逃れようとして原発を導入した。そしてあの辺りは豊になった。もっている車もいい車だとか避難先でうらやましがられたしまだ補償金がもらえるとか言われた。農家にとって当たり前の生活が今になるとそれを実践することは変人になっていたのである。

この生活は極端にしても人間の欲望は戦後限りなく拡大した。マイホ-ムが欲しいから電気製品が欲しいから車が欲しいからあらゆるものが欲しい欲しいという時代だった。近くの人でも腕がいい大工なのに収入もそれなりにあったのにブラックな仕事をして金を得ようとしていたり一人は貧乏でも遂に犯罪者になった。また他の人は見栄で借金して困っているとかそういう無理な欲望の追求があった。一方でこうした貧しい農民へ還ってゆくというのも逆説だった。回りから認めがたいものとなる。でもそういう生活が見直されたのは故郷にも棲めなくなったことでそうした貧乏でも故郷に住めるなら満足だと思う人も今でているかもしれない。一方であきらめて補償金をもらい他で再出発する人もでてくる。ただ老人はなじんだ場所にすみつづけたいし人生の総決算の場所になっている。田から他に移りにくいのである。


びろう葉帽子の下で(14)


びろう葉帽子の下で
山に還る
その山がたとえチェルノブエリの灰で汚染されているとしても
わたしはほかに還る所がないのだから
山に還る
びろう葉帽子の下で
死期を迎えた動物のように
山に還る


びろう葉帽子は素朴なものの象徴である。虚飾や見栄の世界ではない、それを恥じずにかぶっていた。ただ別に農民はみんなそうだった。それをあえて誇りにもしていない、当たり前だったのである。それでも人間は故郷でなくても長く住んでいるとその土地の自然と一体化してくる。そしてその土地土地には他からはわからないものがある。長く住んでいないとわからないものがある。気づかれないものがある。あの隠された石はそうでありあれは他の人は気づかない、地元の人すら気づかない注目していない。ただそれが聖なる石に見えてきたのは最近のことである。人間は最期にどんな愚かな人でも見えてくるものがあることは間違いない、終わりにあらゆる真実が見えて明かにされる。


その人がどういう人だったのか、人生であった人がどういう人だったのか、それぞれしてきたことの意味が自ずと明かにされる。結婚でも金持ちの人と結婚して楽したいとか女性はなる。しかしそれが最期になったとき、こんな暮らしに価値があり意味があったのかと問われる。山尾三省の妻は夫についてきてこんな暮らしをするのが嫌だったかもしれない,農業も経験なければしたくない、それでも夫の価値観に従った。そのあと夫は妻のことを切実に偲んでいた。一緒に苦しい生活をともにしてくれたらかである。そこに金持ちで楽に都会で暮らすのとは違った価値が死後に生まれた。本当の価値は死後に現れる場合がある。ともかくずいぶん本を読んだけどその本を読み直して深く読めるようになったのは不思議である。山はやはり古来から死に場所であり現実に山に死体を葬った場所だった。山に還ってゆくというのはそういうことである。そして飯館村でもあれだけ汚染されているのだから帰れないとされている。でも老人は帰りたいのである。老人は長く住んだ所が死に場所になるのだ。だから避難しないで墓にはいりますと言って百才の老人が自殺したのもわかる。放射能などもうどうでもいい、死期が迫っているんだから長年住んだところで死にたいとういことがあるのだ。自分もそういう気持ちに病気になって死期を感じたとき本当に思った。


田舎の苦しさがあり、田舎の真理がある


島の真理がある
島の苦しさがあり、島の真理がある


これもわかる。それぞれの場所ですべてが満足できる場所などないのだ。島なら昔から水不足で悩んでいたし沖縄では井戸が枯れて放置された何軒か住んだ所があった。最果ての波照島だった。
どこにもすべてを満足させるような所はない、でも戦後の経済成長は欲望が肥大化してそれが可能だという妄想も生み出したのである。だから決してこれは極端にしろ農民であれ誰であれこんな昔の窮乏生活をしようとする人はいないし満足しないのである。田舎の真理があるというとき、島の真理があるといいうときそれぞれの田舎には島でもそこが前にもかいて有機的ミクロコスモスでありそこに中心があり聖なる自然となるべきものがある。それぞれの場に真理が自然のロゴスとなるべきものがある。苦しいけどその自然のロゴスの中に安住する、最期はそこが死に場所になるのだ。だからこそその真理となるべき最期の場所は重みをもつのである。そこにはそうして死んだ先祖も葬られているから故郷はさらに重みある場所となっている。そうして何代にもわたって作られてきた場所が故郷なのである。それを原発事故で喪失したときどうなるのか?簡単に金をもらって他に移り住んでくださいとなりうるのか?そこでもう死んだ方がいいとさえ思う気持ちがこの年になるとわかるのだ。

人間は最期は石のように動けなくなる。これは惰性でもない、必然的な結果としてそうなってしまう。そういう心情がくみとられていない、だから金もらって他に移ればいいじゃないかという他からの無責任な言動には腹がたつのだ。この気持ちはやはり年をとらないとわからないのだ。今更他に移るのは嫌だ、ここに住んで死にたいという人はその願いをかなえてやるべきかもしれない、ただ援助が必要となるとなかなかむずかしい面はある。でもその心情はくみとられるべきなのである。

 
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2012年05月21日

放射能汚染(ホットスポットの恐怖)


放射能汚染(ホットスポットの恐怖)

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佐須の峠
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27・8は高い



放射線量はおおよそは距離に比例していた。相馬市は40キロ離れているからやはり南相馬市よりは放射線量が低かった。街中はほぼ同じで0・5くらいだった。かえって南相馬市の海側よりは高い。
でも南相馬市と相馬市の相違は山上から玉野へ上った所、落合などは道側で1とか草むら1・5くらいだった。丸森に入っても思った以上低かった。1から2だった。山の中でこんなに低いのかと思った。ただ玉野はやはり高い。道側で1・5であり草むらで4・6とかであった。霊山の方、伊達市に入ってもこのくらいだろう。伊達市で霊山付近でも子供をもっている人は避難しているという。


霊山から行合道の峠道では道で3・1で草むらで5・7だった。側溝で6・8だった。木が切り出されていて計ったら2・4だった。驚いたのは佐須の店のあるところから少し離れた草むらで27マイクロシ-ベルあったことである。これは二回計ったから計器のせいではない、まちがいなく27が出たことに驚いた。そこは側溝でもない、普通の道の草むらだったのである。前は田んぼになっていたところである。どうしてそこがそれだけ高くなったのかわからない、少し舗装の道から下り坂にはなっていた。

水が流れ泥となって放射性物質がそこにたまったのだろうか?そういうホットスポットが放射性物質にはある。八木沢の麓の地蔵木とか大芦は意外と高いので危険視された。側溝で20マイクロシ-ベルトあったから驚いた。放射性物質にはたまりやすいところがありホットスポットができる。
そこは除染しないとまずいと思った。放射線量は一様ではない、ホットスポットができる。街中でも樋の下はこの辺でも10マイクロシ-ベルトあった。泥とともにセシウムが流れてたまった。

27マイクロシ-ベルトになると怖いと感じる。飯館村にはそういうホットスポットが探せばあるのだろう。

相馬市では普通に田植えしているのは上流の宇多川の源などがそれほど汚染されていない、真野川は飯館村から泥となってセシウムが真野ダムにたまっている。そこから攪乱してセシウムが流れてくる。水も汚染されないとも限らない、だから田畑を耕作禁止にしたことがうなづける。東京でも利根川の水源が汚染されている警告されている。利根川の水源の山に放射性物質がふった。水の汚染は毎日飲むものだから怖いとなる。

山形県の方は水が汚染されていないから外国でも輸入してはならない県に入っていないのだ。山形県の山は汚染されていないから水が安全なのである。かえって栃木県などは外国でも輸入を禁止していた。水道の水をとる山が放射性物質に汚染されることが深刻なのである。毎日飲んでいれば微量でも知らず知らずのうちに体内被曝する。それで東京に警告がだした本をでたのである。


除染するにも山全体とか森全体は除染できない、するとそこから流れてくる泥まじりの水はセシウムの汚染をとりのぞくことができない、水が
汚染されることが一番怖いとなる。水の汚染が解消しない限り耕作もできないとなる。
土壌も南相馬市はやはりかなり汚染されている。すると土を除染したりするのは完全にはできない、そしたらいつ耕作できるのかとなる。

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2012年05月23日

北九州市民が全部が石巻市の瓦礫受け入れに反対ではない (マスコミ報道により扇動される錯覚に注意)


北九州市民が全部が石巻市の瓦礫受け入れに反対ではない

(マスコミ報道により扇動される錯覚に注意)

 東日本大震災で発生したがれきの受け入れ問題で、北九州市は22日午前、試験焼却する宮城県石巻市のがれき約80トンを北九州市小倉北区の市の倉庫に搬入しようとした。しかし、反対派の人々がトラックの前に立ちはだかり、搬入を阻止する状況が続いている。

この報道でも何か北九州市全体が瓦礫の受け入れに反対しているように見える。すると東北の人は何でそんなにみんな反対するのと反感をもつ、狭い了見の人が多いなとか思ってしまう。でも実際は反対しているのはほんの一部であり全体で賛成したから議会で議決した。つまりほとんどの北九州市民は反対していない、ところがこうした過激な行動をすると北九州市民の全体が反対していると思ってしまう。ここに常に報道の錯覚がある。報道はマスコミは何か過激なことをねらって報道する、平穏無事なことは報道しても関心をもたないからだ。だから犯罪は毎日のように報道する、それ自体がさほど重要でなくてもみんなが関心をもつから報道する。でも重大な事件でもない、かえって重大なことは見逃されやすい、イスラムのテロでもイスラム教の大半はテロとは関係ないと何度も言っていたけどそのテロにひきずられてアメリカはイラクを攻撃した。別に危険な武器をもっていたわけではなかった。アメリカ市民が今になるとなぜそうなったかわからないという。


つまり一部の過激な行動をしたものが目立ってそれがイスラム教の人が全員がテロをするのだと錯覚するようになる。となるとテロする方もそういうことを目論んでいる。テロをしてアメリカを激怒させ戦争にもちこむことがテロリストの狙いだったとなる。それが成功したとなる。
陰謀史論になると9・11のビルのテロはアメリカのロスチャイルドとかユダヤ人によって仕組まれて起こされたとしきりに言う。その目的がイラクなどを叩き石油利権を手に入れるためだとかなるからだ。確かに得した人はそういう人たちだったかもしれない、結果から見ればそうなるからそうした
陰謀史論から解析されるの一理あることになる。あのテロには何か謎が多すぎることもあったのだ。ビンラデンはアメリカの手先であったとかいうのもそのためだろう。それも今になれば不可解な闇の中になったのである。

このことと同じことが北九州の瓦礫問題で起きている。ええ、なぜ北九州市民がこんなに反対するんだ、石巻でありたいして放射能などないんじゃないか、なのに-なぜなんだとなる。自分も怒りを覚えた。その怒りは実はその一部の過激的な行動する人々の扇動のためだったのである。報道にはそういうことがある。マスコミで報道されただけでそれがクロ-ズアップされさも重大でありすべての人が反対していると錯覚させるのである。それは中核派とかがまぎりいれ扇動しているんだという人もいる。それはイスラムのテロとにているのだ。ほんの一部の人でも行動が過激だからそれに引きつられてしまうのである。報道はテレビではそうした過激なセンセ-ショナルなものを報道の第一にしやすい、すると瞬間的にそのセンセ-ショナルな映像がすりこまれて感情的になってしまうのである。何だ北九州のやつら、そんなやつらばかりだったのかとか、、、でも実際は大部分の人は反対している人を知らないという。


一方で原発反対のデモのときテレビで報道されないこともあった。これまで原発反対デモなどなかった。あったとしても報道すらされなかったろう。そうなるとかえってよほど過激な行動をしないととりあげられない、抹殺されてしまう。そういう重大なことであってもまた抹殺される報道されないことが多々ある。何か重要なのか優先順位はマスコミで決める、テレビ局が決める、新聞社が決めるとなるからだ。スカイツリ-など地方では関心がない、そんなこと逐一報道しているのはおかしいとなる。でも東京中心の報道ではそうなる。東京中心に報道も政治も経済も組み立てられているとき地方のことはなおざりにされる。だから原発を東京に作っていたら事故など起きなかったかもしれない、逐一報道せざるを得ないし結局、反対が激しくなるからとても作れないというこたとはあった。
フクシマに作った結果、東京の人は無関心になったともいえる。報道力はやはりどれだけの人がみているかということで決まる場合がある。何か報道するのにもその数が少なければ影響力がないのである。プログなどもそうである。読む人の数で影響力が決まる。自分のプログは原発事故以後増えたのでそれなりに読まれているという実感はある。ただ大衆向きでないからあまり読まれない。
読まれるためには大衆向きにする必要がある・・・となるとこれはマスコミの報道と同じになる。


結局人間は民主主義などと言っても民衆が賢くならない限り機能しない、情報にしても結果的には原発事故でわかったように権力によって操作されていたのである。その権力が見えなかった、隠されていた。今でも情報は操作されている。マスコミだとテレビ局とか新聞社と大手の出版社をおさえれば情報を操作できた。創価なんかは今もしているしカルト教団は資金力で悪い情報を流さないようにできる。それが検察とか官僚とかも一体となっているのだ。それが原発事故を起こした原因でもあった。原発事故の前はマスコミはすべて何の疑問もさしはさまなかった。報道すらされないのが現実だった。東電の会長がマスコミの有力者を中国に招待しているとき事故が起きたのである。
朝日新聞社すら原発推進だったのである。それは戦争のときと同じだった。情報は巨大な権力によって操作されている。現代は露骨にこいつが悪者だなどとわからない、ただ権力に執着して権力を得たいために運動しているから結局ロシアでも中国でも革命は特権階級を生み出して終わったという皮肉がある。そもそも権力を得たいために起こした革命だから権力をとったら今度は逆に中国でも巨万の富を手中にして

貧民のことなどかまわないとなってしまう。明治維新にしても何の目的だったのか?
誰が得したのかとなれば権力をもった人が得した。それは薩摩長州閥であり奇兵隊からのしあがった人たちが権力を手中にして悪政になったという。それから寄生地主が得したから明治維新を推進人たちはそういう権力を得た人たちだったという新説もでてきている。下級武士でも武士階級がなくなったら損したのである。革命という名のもとに権力闘争であり権力をもちたいという欲望の方が強いから結果的にそういう人たちが権力をもったらまた同じ結果になったのである。


日本国民の分裂を策動する環境テロリストに鉄槌を!


                    http://banmakoto.air-nifty.com/blues/2012/05/post-45f0.html

市役所に勤めていた人だから説得力ある


東日本大震災のがれき搬入をめぐり、警戒に当たっていた警察官に暴行を加えたなどとして、福岡県警小倉北署は22日、公務執行妨害容疑で、自称熊本県荒尾市の飲食店従業員の男(25)ら2人を現行犯逮捕した


イスラムのテロリストも外部の外国人だった

感情的なメデアのテレビの危険

テレビは人間を感情的にする
イスラム教はテロリストだ
この際、イラクは目の上のたんこぶだったから
ぶっつぶせ

日本人(小日本)には戦争で同胞が大量に殺された
日本人を憎め、巨利を得る共産党幹部より日本人を憎め


テレビの映像は何か瞬間的に感情的にする
憎悪の感情をかきたてるメデアである


冷静を失うので注意が必要

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2012年05月25日

過酷な貧乏時代と原発事故 (変人であった山尾三省と猪狩満直の対比)

過酷な貧乏時代と原発事故

(変人であった山尾三省と猪狩満直の対比)

●食パンが贅沢だって・・・・


食パンの歌


たまに食パンを食べるのは 病人がでたときとか
思いもかけぬ金が入ってきたときとかである
家の中に食パン一本あると それだけでたいした幸福を感じる

日本中世界中どこへ行っても 人々は朝から晩までお金のことを考え
カライモより麦の飯、麦の飯より真っ白な食パン
けれどもそれは間違っている
僕たちはただ命の原郷を求めている
その原郷とは屋久島の樹齢七千年の縄文杉と呼び、
ある時はヤマト呼び 海と呼ぶ・・・・・


山尾三省が求めたものはそういうものである。都会生まれであったからこそ余計にそういう田舎を求めたのである。田舎に住んでいるものはそういうものは意識しない、求めもしない、当たり前だからである。田舎が求めたものはその逆である。カライモより麦の飯、麦の飯より真っ白な食パン・・・都会風な暮らしでありそれは現実化した。田舎の方が都会より贅沢している。家や広い庭があり車も一人一台とかもっている。だからええ、食パンがぜいたくだって・・・馬鹿な・・・食パンなんか田舎でも贅沢でもなんでもないよ、米を作っていても毎日食パンを食べているよ、食パンなんか安いもんだよ、この人は何を言っているんだ、今は江戸時代でも戦前でもないんだよ、戦前なら病人になってはじめて卵が食べられたとかある、今の時代食パンをぜいたくなどと言っているのは異常だよ、よほどの変人だ、むしろ変人として批判される。何でそんな生活をわざわざするんだよ、何か魂胆があるのか、そういう変わった生活を見せびらかして本を書いてもうけているんだろうとかさえなる。
それほど豊かな時代でそんな生活するのは異常であり変人であり何か魂胆があってのことだろうかとなる。実際に何でそこまでしなければならないのかという疑問もわく、別に何か現金収入になるもので働いて食パンくらい食べさせてもいいだろうとなる。どこの田舎でも今はそうしている。


ただ求めたものは原郷だということは共感する。その原郷が原発事故で失われたから余計にそう思う。贅沢を求めて原郷を失ったからこそそう思う人も多いだろう。ただでは食パンも食べられないような生活にもどるのかとなったら誰もそうはしない。それは現代では極端すぎるからだ。つまりそれほど現代の生活は贅沢になれた贅沢が当たり前となってしまった。だからわざわざそんな生活するのは変人でありなんでそんな貧乏生活見せつけるんだ、なんか魂胆があるのか、貧乏生活をドラマにしてテレビ局から金をもらっているのかともなる。そういうふうに見られてしまうのが現代なのである。誰もが日本でも貧乏時代が長かった。その貧乏から脱出するために延々と苦闘してきたからである。

●猪狩満直や三野混沌のどん底の貧乏


一方猪狩満直などは


貧乏は病気のおらを雪の中にひきずりだした
堅いい木
重いい鋸
鎌をふりあぐるたんび
おらは胸が痛いいい

かでをもってくるための
かでのために生を奪われるおらでないか
強制労働
おらは反抗する
あくまでも敵対する


貧乏でも病気でも働かねばならない切実さがここにはあった。都会からわざわざ北海道のような所にその当時は行かない、貧乏が働く場所がないために強いられたのである。その切実さの度合いが違っていた。戦前の農民の貧乏はどん底だった。地主階級をのぞいて農民の多くがどん底だったのである。そのどん底から脱出しようとあえいでいた。農民の生活は明治維新でも何ら変わらなかった。かえって地主階級に搾取されるようになったと言われる。明治維新で得したのは地主と一部の会社工場経営者、商業にたずさわった人たちだったとなる。ほとんどの農民は何ら改善されなかったのである。大正生まれの母の話でもその当時女中は金もらえるから良かったとか、製糸工場も金もらえるから良かったと言っている。現金収入になったから良かったのである。女工哀史というのも当時からすると見方が分かれる。現金収入になったのだから良かった、街に出てうまいものが食べられたから良かったという人もいる。一方で肺病をうつされて若くして死んだ人がいて悲惨だったという人もいる。

でも肺病は工場に働いている人だけではない、若い人がなりやすかったのである。これは外国でもそうである。その時代には時代のいい点と悪い点があった。それが今の時代からみて肺病になったから不幸だったとなる。今は肺病になる人がいないからそうみるのである。減反政策というのも当時の農民からすればそんなことありうるのかと想像すらできないことである。減反して国から補償金をもらった方がいいとなるのも考えられないことなのだ。農業に対する補助ができるのも国が豊になったからなのだ。

猪狩満直のような北海道に入った開拓者はその時特別なものではなかった。貧乏のどん底はみんな経験している。


一日を死んで
一日生きればいい
おれたちが
おれたちの体
おれたちの体ではない


こういうふうに極限の貧乏を生きていた。それは山尾三省のとは違った、そういう貧乏のどん底時代の切実なのものである。今のような時代
だったら猪狩満直でもそんな無理はしないし働く場所があるからわざわざ病気持ちなのにそんな過酷な場所で働かない。ただ山尾三省の妻も早死にしているし自分も六十二才で死んだのはそういう生活がたたったからかもしれない、でも別な道も選ばれていたのが現代でありそれはあえてそういう生活を選んだ。でもそこまでする必要があるのかという見方もある。猪狩満直の時代はみんながそういう貧乏を強いられていた。だからこそその生活は呪詛的なものとまでなった。もうどうにもならない怒りとなっていった。それは三野混沌でもそうである。農民の大半がそうだったのである。

辛苦をともにした妻も無理に無理をかさねたあげく病気で死んだ。入植して一年あまりだった。二人の幼い子供をおいて死んだ。これほど過酷だったのである。だから呪いともなっいった。


俺たちには火のような呪いがある
俺たちには石コロのような決意がある


まさにこれほど凄まじい怨念とも化していたのである。

上野霄里氏なども賢治よりそうした生活をした詩人に共感している。
だから猪狩満直などを知ったら涙を流して書いているだろう。そういう貧乏の時代に生まれたからである。だから貧乏の哲学をもっていたのである。自分の父親も病気になり死ぬ間際になり言い残した言葉がやっと刺身を食えるようなったが食いたくないということだった。病気で食欲がなく食えなかったのである。そういう貧乏の中に生きたのが大半だったのである。だから極端な貧乏の時代を今の時代に適応させることは何か変なものになる。なぜそんなことする必要があるのか、何か魂胆があるのか、貧乏を見せ物にして本を出して売るためとかまで思う人はいる。ちょっとアルバイトでもして食パンくらい食べたらいいだろうとなる。猪狩満直や三野混沌は厳しい現実そのものだった。山尾三省はあえて厳しい現実を作り出して生きた。だから作為的なものとして感じるから変人に見えるのである。江戸時代から戦前までそういう貧乏が当たり前でありそれが現代になるとめずらしいから話題にされるだけなのである。今どき貧乏暮らしするとそれは変人になる。着るものでも米くらいくれる人はいる。だからあえて余ったものすらいらないという生活は変人になる。でも人間は逆説的である。あまりに物がありすぎるということは心が貧しくなることにも通じていたのだ。


●豊かな時代は何にも感謝しない


受け取るものがない、両手で受ける   尾崎放哉


何もないからこそ受けられる。ありすぎるともらってもありがたいとも思わないのである。もっとくれもっとくれとなって何も感謝しなかった。そして金持ちだったらだましてでも金を得ようとする。今の人は物でも金でも例え与えても感謝する人はいない、ただ盗んでもだましてもともかく金を得ることでありそれしかないのである。何か与えられて感謝する人などいない、一般的に豊かな時代とはそういう時代なのである。それは神とか自然に感謝することもない、あって当たり前だ、神様よ、自然よ、たりないんだ、たりないんだ、何を感謝するというんだ、いろいろ今は金かかるんだよ、金なしではどうにもならんのだ、農業だけではどうにもならちん、家も車も教育費もかかるものがいくらでもある。とても農業だけではやっていけない、何に感謝するんだよ、・・・・延々とたりない、たりない、欲しい欲しいしかない、それは食糧かない時の猪狩満直や三野混沌の時代とは余りにも違う。食うのやっとの時代とはあまりにも違う。そこでの不満は理解できる。しかし今の時代の不満を神が許すか?何でそんなにたりないのか、いいかげんにしろよ、それが津浪になり原発事故になったのかもしれない、欲望はきりがないのだ。

当時はみんな厳しい貧乏生活を強いられた。だからなぜ今そんな貧乏生活をあえてするのかとなる。

彼は語る
地震で逃げてきた人たちに
何もできない高原をあてがった者があるんですな
草を刈るとあとが生えないというふ
薪にする木の一本もない土地で
幾家族も凍え死んだそうですな
(高村光太郎)


こんなことが北海道であった。関東大地震なのか、北海道は開拓する場所として土地があったからそうなった。十津川部落で災害で村ごと移住した。北海道はそういう入植者を受け入れる場所だった。ただそこで挫折した人も多い。過酷な場所でもあったのだ。外部の人も原発の避難車は補償されているから恵まれている。なぜあんなに金、金と金を要求するのだろうと批判している。当事者からすれば言い分はあるし自分にもある。でも外部から見ると津浪の避難者には賠償金は出ないからそう見えるのである。人間は誰でも金のことになれば貪欲になる。ただ外部から見ると原発避難者は恵まれていると見えるのである。そもそも中国辺りでは日本はあんな立派な仮設に入れとうらやましがっていた。中国での地震で死んだときそんな仮設住宅に入れないからである。日本はやはり豊なんだなとうらやましがっていた。原発避難者はそういうことが外部からみるとある。ただ内部からまた別な見方もある。そういうことは当事者でしかわからないからなかなか言えないのである。失ったものが実は金以上に大きいものがあったというのもある。それは金で計れないものでもあった。それは賠償すらできない、金をいくらもらっても故郷でつちかわれた思い出とか歴史を失ったら何もないと老人は思う。そこに内部のものと外部のものの見方の相違がある。それでも北海道に支援もなく凍死した人たちよりはいいとはなる。そういう事実をふりかえってみるのも歴史である。


●避難した人はただ生きがいとしての仕事を喪失したことが問題


一方この辺で起きている原発事故も深刻なのだけど実際はそうでもない、なぜなら補償金で働かないでバチンコしているとか批判があるからだ。現実にパチンコ屋が満員でそこが働き口になっているというのも異常である。猪狩満直のうよな切実なものはなにもない、かえって遊び暮らしているとなる。問題なのは金がないことでも明日食うものがないことでもない、働けないから生きがいがない、それで昼間から酒飲んでいるとかその方が問題になっている。だから「万葉集の歌と心境が一致する避難者」このペ-ジが読まれている不思議がある。


ひさかたの 天路は遠し なほなほに 家に帰りて 業(なり)を為(し)まさに 山上億良


これまでのように当たり前にしていた生活ができないことが問題になっている。別に食べることや寝ることには困っていないのである。賠償金も二十キロ圏内だと相当にもらえる。そんな金に代えられるかということはある。でも猪狩満直のような人と比べるとのんびりしたものなのである。もちろん賠償金ももらえず北海道に追いやられて凍死したという人も悲惨である。災害があっても貧乏な時代は国でも支援しないのである。そういう過酷な時代だったのである。

いづれにしろ猪狩満直のような三野混沌のうよな生活を考えたら双葉地域でも原発など誘致することもなかった。それなりに工場だって誘致できたし食パンくらいは食べられる。車だってもてただろう。出稼ぎしなければならないというがそれも現金収入になったのだからいいとも見れた。原発は安易なものとして誘致されたのである。そんな切実な貧乏ではない、高度成長時代は食パンくらい食べられるし車だってもてる、そういう時代だったのである。


日本中世界中どこへ行っても 人々は朝から晩までお金のことを考え
カライモより麦の飯、麦の飯より真っ白な食パン・・・


そういう限りない欲望を追求して原発を誘致した。原発事故で何兆円も補償するとかいかに事故後でも金になるかわかる。北海道の不毛の地にほうりだされるようなことはない。こうした時代の相違が普通だったら当たり前のことでも変人にしてしまう。ニ-トなどがいるのも高度成長時代にはかえっていない、働かない人はめずらしいし姿も見えない、話題にもならない、今の時代ほど働かない人がいる時代はない、退職した人をふくめて働かない人が若い人でも全体でも三分の一はいる。そういう豊かな時代である。一般的には田舎暮らしを志向しているのは退職金で趣味として農業をする人たちである。山尾三省のような人たちは変人である。ただそこに現代人が見失われたものを志向していた。それは見習うべきである。放射能の灰の中で生活するというのはやはり予見していたのである。
核戦争には反対でも原発の危険性は見逃されていた。でも具体的にそう思って生活していたというのは原発に危機感をもっていたからである。


未開の荒野に荒々しく挑んだ人たちがいる
それは実りならず挫折した
その才能も打ち砕かれ埋もれた
過酷な労働で妻は死に本人も若くして死んだ
そういう犠牲が歴史には多い
その人たちをふりかえる今もみる
いかに幸せなことか、何か不満があるのか
なんという贅沢、恵まれすぎている
一日生きればすべてのエネルギ-使い果たす
明日は考えられず寝込んでしまう
あんたたちのような生活を俺たちは夢見ていたんだよ
それ以上何を望むというんだ
原発も建ててもっと欲しい欲しいと・・・
その果てしない欲望にはあきれてしまう
だからお前たちは呪われたんだよ
俺たちの切実な呪いとは違う
俺たちの苦闘の生活は天も神も同情していたんだよ
お前の原発の贅沢な生活は同情しない
だから天罰があたったんだとも言われるのさ


原発は金のなる木であり政治家から官僚から科学者からマスコミから地元の人からあらゆる人がむらがった。だから危険をかえりみることもなくなっていた。金のなる木だったからである。
人間の限りない欲望の結果として原発ができた。その危険性は目をつぶり欲望を追求したのである。

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2012年06月20日

原発事故は正力松太郎からはじまった (太平洋戦争と同じ構図だった原発事故-巨悪は見えない)


原発事故は読売新聞の正力松太郎からはじまっていた

(太平洋戦争と同じ構図だった原発事故-巨悪は見えない)


●加熱した尊皇思想家の吉田松陰のアジア侵略が太平洋戦争に

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吉田松陰伝説は、山県有朋が創り出したという一面もあるでしょうね。

吉田門下の維新を成し遂げた長州志士たち=スゴイ
明治の元勲たちを育てた松陰=エライ
いちおう松下村塾に入っていたワシ=スゴイ

ということを言いたいがために、意図的に吉田松陰をやたらに持ち上げ、そのうちに吉田の親戚の乃木が軍神になってしまったりして完成されたみたいな感じでしょうか。
山県は西郷も賛美しまくってるしね。


確かに薩長にも調子に乗ったところが合ったかも知れないね。

でも、仕事にあぶれた幕臣や東北諸藩の士族が「仕事」を求めて
征韓論や征台論を強く支持したのも事実だよ。
もちろん、明治政府から冷遇された西国の不平士族も
征韓論や征台論を強く主張してたけどね。


明治維新はいろいろな見方があるから全部を検討はできない、ここではどうして太平洋戦争が起こったのだろう?そしてどうして太平洋戦争に負けただのだろうというその原因をつきつめてゆくと明治維新にその原因があった。今起きていることの原因をつきつめてゆくと今にはない、すでにその発端となった過去にあった。原発でもそうである。原発を導入した人からすでに原発事故ははじまっていたのである。太平洋戦争は明かに吉田松陰のアジア侵略の思想を実行したものであり西郷の征韓論を現実化したものだったのである。吉田松陰の評価も必ずしも歴史的には確定していない、過激な尊皇思想家でありアジア侵略思想をふきこんでそれをその弟子が実行したのである。太平洋戦争は起こるべくして起こったというとき明治維新にその根がありそこですでに決定されていたのである。


これは国家的問題だが個人的な家庭の問題でも何か起きると先祖が悪いからだとか言われるがこれもあながち否定できない、迷信だともなるがそうでもない、なぜなら家庭問題でもその問題となる根はすでに何十年か前にありその根から起きているのだ。一見今が問題で起きていると思っているけど実際はその根をたどると何十年も前の継続として問題が起きてくる。突然に離婚になどならない、すでにその前に何十年も前にも問題の根があるのが普通である。その問題が積み重なって今にその問題が事件となる。健康問題でも若いときからタバコや酒を飲み不摂生な人はいくら体力があっても60代から病気になりやすい、無理した人もなりやすい、ただこれは一般的に確率的そうであり例外的なものは必ずある。でも生活習慣病というのが必ずあるのだ。今病気になるのは過去の生活、積み重ねの生活が原因となっていることが多い。その人の体質とかいろいろあるからすべてには言えなくても確率的に一般的には言える。明治維新を問題にしたのはその詳しい分析ではなく太平洋戦争の原因は明かに明治維新にあったということを指摘したいからだった。それは原発事故問題とも共通していたのである。


現在の双葉郡の若年層には原発を誘致した責任はなく、ましてや子供たちには何の罪もない。原発の危険性を知らされる事もなく、特に反対する理由もなかったため、ほとんど慣習的に原発と共存してきたというケースがほとんどだろう。


すでに前の世代によって決まられたことなのである。責任は今の世代の人にはない、今起こっていることは事故でも事件でも前の代のものが原因なのである。ただ未来にならないと今起こっていることが何なのかわからない、そして今起こっていることの原因は過去にあったのである。


でも、仕事にあぶれた幕臣や東北諸藩の士族が「仕事」を求めて
征韓論や征台論を強く支持したのも事実だよ。

これも原発事故とにている。原発は戦争と同じく危険でも「仕事」が第一とされる。地元でも仕事が欲しい、金が欲しいとなり原発を誘致したのである。

●原発事故の原因は正力松太郎に原因していた


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正力は野望実現のために、当時の吉田茂首相やアメリカとの交渉に奔走した。しかし、正力はほどなく一つの結論にたどりつく。それは、野望を実現するためには自らが最高権力者、すなわち日本の首相になるしかない、というものだった。そして、正力は同じく当時将来が嘱望されていた原子力発電は、そのための強力なカードになると考えた。しかし、正力の関心はあくまでマイクロ波通信網であり、原発そのものは正力にとってはどうでもいい存在だった。
(原発 正力、CIA-有馬哲夫)


CIA直営のテレビ局として日本テレビの創立を命令する。CIAスパイエージェント正力松太郎は、CIAの資金で読売新聞を日本最大の新聞に育て上げるが、戦争中読売新聞は、日本の中国侵略と日米戦争を大々的に「アオッタ」新聞である。日本に中国侵略と日米戦争を行わせる事は、CIA新聞である読売新聞を使った米国の戦略であった。


読売に堅固な砦を確立したナベツネは、最後には中曽根康弘の刎頸の友として策動し、中曽根に天下を取らせてヤクザ政治の実現を果たした


そしてこのCIA。エコノミックヒットマンなどの存在から分かるように、自国アメリカの利権の為には手段を選ばないのです。原発を日本に作ったのも、彼らとその手先となった読売新聞が行った煽動の仕業といえます。


世界をリードしたいアメリカが、広島と長崎への原爆投下などで、反核と反米ムードが高まっていた日本に、この状況を打破しようと目をつけたのが、日本の新聞業界に深い影響力を持つ「読売中興の祖」そして後に日本テレビを開局した初代社長の正力松太郎の存在でした。

地震が多発する小さな島国に原発を乱造する危険性など顧みず、正力は自身の影響下にある新聞やテレビなどのマスメディアを動員し、核の平和利用キャンペーンを展開していった


アメリカ国防総省に、日本テレビを日本支配=米国の政策宣伝TVとして創立する趣旨を伝え、ペンタゴンに協力を要請、承諾を得る。この「提携」の下、ペンタゴンの資金提供で、日本テレビは創立される。

福島原発周辺で広められた安全神話 Part3
http://homepage3.nifty.com/jmaffili/nuclear/fukushima3.htm

 


ここでは原発は積極的にマスコミが推進していた。佐藤栄佐久知事がプルサ-マルに反対したときマスコミは一体となり反対したし検察も佐藤栄佐久はやめさせるべきだと言っていた。これは戦争中と全く同じだったのである。権力によって操作されていたのである。このサイトはわかりやすく詳しい。
アメリカのCIAは情報工作して日本でもそのエ-ジェントを育ててアメリカのスパイ、エ-ジェントとして働いていた。正力はそもそも何物だったのか?権力欲だけで原発にかかわった。首相になりたい、そのために原発を導入する。原発は権力欲の手段として日本に導入する。読売新聞もメデアとしてもつのは自分の権力欲のためだった。原発が日本にどう影響するのかそんなことを検討していない、これは政治の道具として使えると直感して原発導入うをたくらんだ。その動機からして不純である。新聞とマスコミで大衆を操作する。デズニ-と組んでアニメで「我が友、原子力」とかを放映して原発の安全性を洗脳する。そのために読売新聞と日本テレビとかを所有して大衆を洗脳する。

つまり自分の権力欲のためにメデアを所有する。それも一個人の力でそうできたというから一人の人間の力もと大きいとなる。新聞とかは戦前は大本営発表の機関となり戦争を推進した。今度は原発を推進したことでは同じだった。そこには日本を愛するとか愛国心とかはない、一個人の権力欲で国をとりしきり私欲でもって原発を導入する。そういう人は原発の危険性などを考えないだろう。そういう一人の暴君的個人に権力が左右されていたことの驚きである。つまり新聞とかテレビとかマスコミとはそういうものであったと自覚するべきである。権力をもつものの道具として宣伝部隊としてある。それは戦前と変わりなかった。読売新聞だけではない、日本経済新聞でも原発推進であり佐藤栄佐久知事を批判していた。


自分のところにも郷土史関係で日本テレビのアナウンサ-が誘おうとしていた。今になるとそういうことは権力にとりこまれることなのだ。だからマスコミにでている人は信用できない、ほとんど権力に取り込まれた人であり安全神話を作り上げた人たちだった。マスコミとは読売新聞でも他の新聞でも自分たちの期間が原発推進だったことを戦時中と同じく反省していないのである。それで双葉郡に入りあたかも事故に同情するかのように取材する。一方で双葉町の責任は佐藤雄平知事すらプルサ-マルに反対していたのに推進していて許可させたとここに書いてある。双葉町の責任も大きいのである。一番被害を受けたけど自業自得だとも他から言われるのにはそれなりの理由があった。原発なしで町が成り立たなくなり事故後も原発に頼っているのである。


マスコミの問題はこのように報道機関として自立していないのである。正力松太郎のように一個人の権力欲でしきられるようなものだったのである。そこに自立した使命感もモラルもないのである。だから容易にマスコミは安全神話にくみして事故が起きてからは原発に反対しているがその前は朝日新聞ですら原発推進だったのである。広告で金をもらっていたのである。地元の新聞もみなそうである。福島民報は報道の独立性はない、聖教新聞を刷っているのだからそれが月給になっているのだからありえようがない。他も広告が資金源になっているとき自立した報道はありえないのだ。だから民主主義はなりたちえようがない、権力を監視する機関ではない、権力を補佐して強化する方だったのである。官僚でも検察官僚でも政治権力でも監視はできない、情報は権力側がにぎっているからその情報を得るためには情報機関も権力者にすりよるほかないとなっている。だからマスコミは特に新聞とテレビは信用できない。
小さな街の図書館などでも権力側が官僚が支配しているから批判的な本を置かせないこともできるし自分の場合はそうだった。創価を批判したりしたら必ず報道機関や官僚側から除外されるものとなる。それだけの権力をもっているのだ。報道機関はすべてそうしたカルト宗教団体であれアメリカであれ中国であれそういうそういう権力に操作されているから真実はわからなくなる。原発問題も安全神話もそうして作られていたのである。


●ロ-マ時代と変わりない現代-パンとサ-カスが大衆を支配の定番


ペンタゴンの資金提供で、日本テレビは創立される。
目的は米軍が日本本土で行う軍事作戦に関し、日本人が関心を持たず、警戒せず、無知で居続けてもらうため。
TVで、娯楽番組、スポーツ番組を大量に放送し、そちらの方に、日本人の気を反らすため。
http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-entry-615.html


それでも馬鹿な愚かな大衆を洗脳するには今でも有効である。結局これはロ-マ時代から変わらない、大衆を手なづけるのは「パンとサ-カス」である。パンは経済であり金になることでありサ-カスはテレビの大衆受けする低俗な番組である。デズニ-のアニメで「わが友原子力」を放送したのと同じである。漫画も大衆洗脳には役立つのである。そうして大衆から腐敗して国自体が腐敗して衰退してロ-マのように衰退してゆく、そういうことがまざまざと情報弱者にも事実として隠せないものとして見せつけたのが原発事故だった。今も放射能問題で隠している所がある。以前として権力側が情報をにぎっているからだ。事故前でも事故があっても隠されていたのである。権力によって不都合なことは隠されるからである。だから前の佐藤栄佐久知事が事故が起きてプルサ-マルで追求したとき知事を渡辺耕恒三派に追いおきされた。渡辺恒三の息子はGEの社員でありエ-ジントだった。


権力をすべて否定はできない、権力でもって何をするのか、それが国のために個々人のためになるのなら権力も否定できない、ただ宗教ですら権力欲の手段として大衆洗脳手段として使われ権力欲を達成しようとする、そこに人間の欲望、権力欲があからさまにでている。ソビエト連邦が崩壊したのもその権力欲の争いの結果でもあった。権力者として地位を維持するために反対者を粛清して殺害してゆく、そういう内部の権力争いは会社でもある。それが人間の業として延々としてあった。
権力をすべて否定できないにしろ人間は最初に権力欲ありきでありその権力をとって一体どうするのか、国民のためになることがしえるのかということがないのである。まず権力ありきでありそのあとその権力でもってどうするかはないのである。だから原発も権力を得るための道具として一個人の野望のために使われていたことが恐ろしいのである。それは一個人が原発をもってテロすることでさえあった。現実原発を核をたてにテロをされたら恐怖である。そういう恐怖は常にあるし核をもっている限り人間の心理として感情的になり核を使うことがありうる。人間の心理でそれを解明した人がいる。銃があれば銃を使うし核も同じなのである。


インタ-ネットには報道の自由がある。報道とは何かということを考える契機にもなった。そもそも一個人など報道すらできなかった。だから民主主義を促進するものにはなる。ただ以前としてマスコミの力はまだ強い、それでもインタ-ネットを通じてアラブで革命が起きたとういのには驚きだった。そんな力があるのかと驚きだった。いづれにしろ権力あるものに操作されているかぎり報道の自立はありえない。権力をもつものによって操作されるのだからそこにモラルもありえない、報道のモラルなど追求できないのである。検察官僚-政治家-東電-マスコミ-これら権力をもつものが強力に一体化して安全神話は作られていた。そこに創価などのカルト宗教団体も加担していた。それは戦争中と同じである。恐ろしいのは検察官僚も一体となり特高の役割を果たしていたことである。戦争中と同じ権力構造になっていた。ある意味で鉄壁とも言える権力構造の上に安全神話は作られていた。


人間の社会は巨悪というのは昔から見えない、何が悪なのか明確化されない、泥棒でも10万とか盗む小悪人は断罪され見える。しかし一千万とか一億盗んでいる人はかえってつかまらない、不正は大きくなればなるほど見えなくなる。国民から盗むものは大盗賊だけど英雄にもなるし大善人にされる。一人殺したら殺人犯だけど千人殺せば英雄になるのと同じである。戦争中はみんなそうなっている。悪が明確にされれば断罪されやすいけど巨悪は明確にされない,かえって大善人としてほめたたえられるのである。今回の原発事故はそううい悪を明確化したのである。巨悪を暴いたのは津浪であり自然だったということになる。マスコミは権力の走狗になりやすい機関である。そしてマスコミによって知らず洗脳されるのが大衆である。

 
 
 
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2012年06月24日

原発そのものに反対する人は誰いなかった (厳格な安全管理を要求していただけだった)


原発そのものに反対する人は誰いなかった

(厳格な安全管理を要求していただけだった)

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●安全管理ができないから反対だった


まず、原発を止めることによる直接のコストは、原発を代替するための火力発電所の追加燃料費である。現状では原発を代替できる技術は火発しかない。化石燃料価格などによるが、この追加燃料費だけで年間3兆〜4兆円ほどになる。国民一人当たり年間3万〜4万円にもなり、日本の年間生活保護費の総額よりも多く、年間防衛費に匹敵する巨額の金が失われる
http://blogos.com/article/41721/?axis=&p=1


原発の議論のやりかたはいろいろある。そもそも鉄は便利でも殺傷力がありそれで戦争で死んだ人間が多いから鉄そのものが悪い、鉄のない社会がいい、そういうふうにギリシャ神話では語られていた。鉄そのものは恩恵があってもまた災いが大きいものとなるからそういう神話が生まれた。原発だけではない、人間は長い歴史でそういうことを経験してそういう神話が生まれた。だから原子力そのものが悪いという考え方も議論すればある。そういう危険なものを操作すること自体悪いしてはならないことだという意見もある。どうしても核をもっていれば核戦争になることがありうる。核がなければ核戦争になることはないからだ。銃をもっていればどうしても銃を使うからアメリカでは銃の犯罪は減らないのだ。


そういう議論があるのだが自分がここで問題にするのはそういうことではない、あることが誤解されている。不思議なことは原発そのものに反対していた人は誰もいないとういことなのだ。今になるとそんなことあるのかというとこれは良く調べればわかる。共産党すら反対していない、前の佐藤栄佐久知事も原発そのものに反対していなかった。ただ安全管理をしっかりしてくれ、危ない情報は県に出してくれと言ってプルサ-マルに反対したのである。ところが原子力村にはばまれてそういう安全管理もできない、県でも何も言うことも安全を守ることもできないということで反対した。そうしたら検察から官僚かと政治家からマスコミから責められることになって知事を失脚させられた。そして地元もからも原発を増設しろだとか要求されて今の佐藤雄平知事すらそれを承認させられた。一地域の地元でそんな権限があるのかと思った。原発は県全体の国全体の問題だったからである。そんな狭い一地域のエゴで決められることに問題があった。今は双葉町などが棄民だとか町長が言っているけど自分たちの経過を考えると同情されない面がある。原発を推進して一旦事故になったら双葉町だけではないその立地した町民は棄民にされるのである。


原発が低コストでやれるとか石油を輸入するのにかえって莫大な金が必要だとか中東は危険だとかいろいろあるから原発がいいという議論はわかる。でも原発はそういう問題なのだろうか?なぜなら誰も原発そのものに反対した人はいないからである。ただ佐藤栄佐久知事のように安全管理の面で問題があると何度も指摘して受け入れられなかったのである。そういう東電とか政府の安全管理がいいかげんだからそのことが問題で反対していたのである。津浪のことも指摘していたし東電も14メ-トルの津浪のことを想定ししていたとかそういう危険性を科学技術者の集団なのだから衆知していた。それでもコストがかかるとかその安全対策を実施せずただ安全神話を作るためにマスコミに莫大な金を流していた。社長はコストカッタ-で出世したとか安全対策をとっていない、政府の保安院はただ飾りにすぎなかった。安全を管理する立場なのに何の役目も果たしていない、ただ国の税金をもらう無用な存在にすぎなかった。そういうことが事故で見えてきたからそのことを事故の被害者でも国民も怒っているし原発は危険だというとき根本的なところで安全管理ができないことと日本は地震とか津浪とか災害が多い国だから危険だと言っている。他の国よりさらなる安全管理が必要なのにしていないのである。


●最初に神国神話があり安全神話があった


そして戦争のときと同じ様に最初に「日本は神の国だから、天皇は神だから戦争に負けることはない」このように日本の戦争はカルトとにていたのだ。宗教だから絶対であり日本は負けることはない、負けるとかいうと非国民であり神に逆らうやつだとなりそれを言うことさえできないし言ったら特高に連れていかれたりした。つまりそれは宗教裁判と同じだった。そういう手法が問題だったのだりそれが原発とにないた。最初に安全管理をするより安全神話を作ることに精力をそそいだ。肝心の安全管理は二の次でもない三の次くらいになっていたのである。だからこれもカルト宗教ににていたのである。「安全神話」があり原発は危険な所があるから逐次隠さないで報告してくださいと知事が言っていたのにしなかった。なぜそういうことができたかと言えばそれだけの権力を知事より権力をもっているからそういうことができた。権力をもてば情報を操作できるし何でも可能だとなる。カルト宗教団体でもそれで権力をもとう必死になっている。読売新聞の正力松太郎もそうであり原発は権力をとる道具だった。カルトでは創価などでも宗教は権力をとるための道具にもなる。権力をとる動機が不純なのである。それが国民に災いをもたらすのでてある。

つまり権力が強大化して監視できなくなると戦争であり宗教独裁であり今回のような原発事故もおきる。検察から官僚から政治家からマスコミからあらゆるものが権力と一体化したらそれを監視したり何か批判したりもできない、権力の独占になり権力をもつものは当然傲慢になりお前らには権力はない、何も言うなで簡単に終わる。
世の中は結局権力だけで動かされる時危険なものになってくる。そういう権力を監視するものとして民主主義の三権分立ができた。互いに権力の監視を行わせることだし独占禁止法もできた。民主主義とは巨大化する暴走する権力の監視を目的にしている制度でもあった。それが権力の一体化強大化が戦争のときのように原発では行われた。そのことの危険性を指摘していたのだし国民も今全部が原発そのものをなくせとかではない、原発は安全管理ができないのと日本は地震国でより高度な安全管理必要なのにできないからこそ反対しているのである。


●民主主義制度は権力の相互監視が基本にある


権力一体の危険は災いとなる。権力は相互に監視すべきなものである。例えは原発などでも企業などでも一見利益をあげるものでもいいものとしてあっても便利を供給するものであってもそれが巨大化して権力化するとその企業が世界まで支配するようになる。それで世界の森林資源も破壊されてしまうなど問題が起きる。権力が対抗しておさえるものがないとそうなるのだ。つまり人間自体が権力をもつこと自体が危険なのである。だから独占禁止法ができた。政教分離もできた。宗教も権力をもったら非常に危険なものになることは歴史が証明している。そういうことに鈍感であるし原発に対しても危機感がなかった。そして権力が巨大化して制御できなくなったとき国民全体が災いを受ける。
そして権力はより巨大な権力の下に従う従属しやすいのである。マスコミでも今は資金がかかりすぎるしその資金をまかなうためにはより巨大な組織権力に従うほかない、それで東電であれ企業から
カルト宗教団体が資金源になって経営しているのだから権力の独立性がないから巨大な権力と一体化して一直線化して制御できなくなるのである。民主主義の課題は権力の巨大化、横暴化、暴走化にいかに歯止めをかけられるかなのだ。原発事故の根底に原発のコスト問題より根底にそうした権力化することの問題があったのである。

 
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