2011年08月24日

最近起きた津浪と原発事故のミステリアスなこと 週刊朝日の「富岡町長の金庫の謎」を追う

最近起きた津浪と原発事故のミステリアスなこと

週刊朝日の「富岡町長の金庫の謎」を追う



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週間朝日9月2日

「現在も福島第二原発の仕事を受注しようと、町議自体営業攻勢かけている」

町議は建設業を営み長男が今はその建設会社を勤めている。 町長は加害者である東電を全然追求しようとしない・・・


あれだけの事故があったのに以前として福島原発とかかわり仕事を受注して金を得ようとしている。ここにまさに原発とかかわる町の実体が如実に現れていた。

富岡とか双葉町は未だに原発推進だから驚く。南相馬市も小高区に東北電力の原発が建つ予定であり交付金ももらっていた。それを市長は今度は断った。しかし原発近くの市長村は財政的に深く原発ともかかわっていた。そういう実体がある。これは原発を誘致した市町村には必ずある。それでその金庫には5億円入っていたというのもわからないにしろそれだけの金が原発の仕事の中から入るということはありうるから噂になった。そういう噂には何か真実がこもっている場合があるのだ。原発は金になるし東電も金なるからそういう噂がつきまとう。ともかく津浪で金庫が流されて火事場泥棒が出たというのは本当である。これも真実はわからないにしろありうることであり津浪で他にも金庫は流され金は消えたのである。ともかく原発利権は凄いものだった。これも想像を越えたものだった。何兆円という利益をあげていた東電だった。
だから「原発埋蔵金」があっても不思議ではないのである。

こういうことがあるから双葉町でも原発の回りの市町村は外から批判される。そもそも原発の近くでだけでなく福島市の方まで放射能の影響があったのだからそうした狭い地域の問題として原発が決められたことに大問題があったのだ。双葉町とか富岡町でも評判が良くない、飯館村は同情されているけど外からあまり同情されない、そういう町や村に住むと何か住んでいる人全体もいい目で見られないことはある。そうはいってもここも事故がなければ将来そうなっていたかもしれない、原発は非常に身近な問題だった。もう双葉町でも富岡町でも放射能などより金だとなればそこに住みたい人は住めばいいしもういやだという人は他に移り住むほかないかもしれない、これから原発を建てることに反対してもどうしても敗れることがありそうしたらそこにいたくない人は移り住む他ない。そういう現実を見せつけられたからだ。原発を誘致することはそれだけのリスクがあったのである。

富岡町には遠い親戚の共産党員が住んでいた。その人は数年前死んだ。ビキニのことなど語っていたが今なら堂々と原発に反対できたし町民の支持も得られた。事故前は今でこんな調子だから富岡町民には相手にされない、それだけどっぷりと原発の町となっていたのである。
その人とは付き合いもほとんどなかったが事情あって墓参りしている。原発は共産党くらいしか反対できないものだったことは確かである。今回は共産党の株はあがった。別に支持はしないけど原発はそれだけ反対しにくいものだったということは確かなのである。そもそも自分も放射能について関心などもったことがなかったのである。放射能の危険については眼をつぶらされていたのである。

ともかくこんなに身近でいろんなことが起こることはなかっ。津浪の被害でも一人一人聞いてみればいろいろな話しがあるだろう。小高 区でも津浪の被害にあった人は帰れないとか言っていた。仮設住宅でも津浪の被害にあった人と原発事故だけの避難者は違っている。30キロ圏外では補償がなく相馬市玉野の酪農家は死んだのそのためだとかいうのもそうかもしれない、20キロ圏内はさらに補償されているから食うに困ることはないのだ。原発は補償問題でもあとあとまで尾をひくのである。
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2011年08月25日

原発事故の30キロ圏内の市町村の対応と影響まとめ (プルサ-マルまで要求していた富岡、双葉町など)


原発事故の30キロ圏内の市町村の対応と影響まとめ
(プルサ-マルまで要求していた富岡、双葉町など)


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富岡町町長の遠藤勝也、双葉町町長の江戸川克隆、楢葉町町長の草野孝、大熊町町長の渡利綱、の4町長が2009年(平成21年)1月28日(水)、協議会の会長職にあった遠藤勝也氏の富岡町で臨時総会を開き、「プルサーマルに関する約7年間の事前協議の白紙撤回問題」を、@東電の原発トラブル隠し発覚後の東電・国の再発防止策は評価できる。A地球温暖化防止の観点からプルサーマルを含む核燃料は重要などを理由に凍結から推進に方針転換を図るべく県議会並びに県に対して要望書を提出した。更に「交付金ありきの合意ではない!」とのコメントを付けてけての要望でしたネ・・・原発に素人同然の貴方達が、何を根拠に再発防止策が評価出来たのでしょうか・・・さしずめ、東電のワンサイドデーターを与えられ、補助金で煽られ・・・凍結解除を推進したのでは・・・


双葉町の財政は、予算規模は約47億円。
町税19億1400万円のうち15億2500万円は固定資産税で、そのうちおよそ9割は原発関連。
また、国庫補助金9億6400万円のほとんどが、電源立地交付金。


平成21年度の電源三法交付金は
 いわき市 ¥2,088,319,832(いわき市は三法以外にももらってる)
 双葉町  ¥1,953,262,984
 大熊町  ¥1,695,668,074
 双葉郡内で最も金額の少ない自治体は葛尾村で¥47,987,806


双葉町は90%以上原発利権で食ってた町。
それにいまの町長は自分から7号機・8号機を誘致している。金が欲しいから。


噂なので、テキトーな回答は出来ませんが、震災後、中学生らが、数千万円もの大金を盗んだと、岩手の友人から聞いています。
火の無いところに煙は立たず、かもしれません。


上にも誰か書いてるけど、双葉町と大熊町は半永久的に
居住、立ち入り禁止区域になるだろうね。
なぜなら、猛毒のプルトニウムが周囲数キロに飛散してる。
プルサーマルは危険と言ってた反対派の言うとおりの惨事になってしまった。
それを踏まえて、いずれ街の移転とかになると思うけど、
そのあたりの都合が悪いことは政府や東電は何も言いませんねえ。
浪江とか富岡町は運が良ければ20年くらいで戻れるのかも?
でもその頃には年寄りは全部亡くなってるし、若い人は他に生活の基盤が出来てるだろうし。


本当に原発の恩恵を受けているのは、原発関係に勤めててそれなりの報酬を
もらっていた者。浪江町民に「双葉大熊のせいで・・・」と言われ嫌で仕方
がない。双葉町民だが原発関係とは関係ない職場だし、町は財政破綻し税金
は高いので原発交付金年1万円など何の意味もない。あんなくだらない地域
に戻る気はないので、別に構わないが原発関係に勤めててましな報酬を受け
ている浪江町民に言われ、カチンときた。「あなたの旦那はT電関係じゃな
いんですか?」と言おうかと思ったが関係が悪くなるのを考え控えたが、は
っきり言ってありがた迷惑である


俺は請戸に住んでた者だ。717の言っていることは
本当だ。漁師関係者以外はビタ一文東電からはお金は
ってない!!!
2000年の補償金のときは、請戸一帯が新築ラッシュで
傍から見てて「これは異常だよな、、そのうち天罰くらうぞ
クソが、」と思ってた。
それが10年ちょっとでこのザマ。


東電関係の奴に「大熊双葉・・・」と言われるのはやっぱむかつくわ。
あ〜俺も1メートルでもぎりぎり浪江とかに住んでればよかった。
こんなバカ東電のために、全てそこの住民のせいにされなきゃならんのか?
「原発関係でなんか働いてないし恩恵なんか受けていない」と言えば「原
発推進者を選んだのはそこの住民だろ」になるしな。こんな地域なんて
みんな原発推進者だろ。そもそも、俺は選挙になんか行かないけど。
http://tohoku.machi.to/bbs/read.cgi/touhoku/1309192538/

 



原発は距離によっても変わってくるし市町村でもその影響の色合いが変わってくる。
一番近い、大熊や双葉や富岡などは東電から金もらったということで批判されている。でも被害も一番大きい地域で帰れないとか言われている。でも自業自得だとか言われる。その内部に住む人でも金銭的に恩恵があった人とない人がいるがその町民ということで一緒にされる。
いわき市が意外と金もらっていることに驚いた。南相馬市も全然もらっていなわけではなかった。ただ原発の利益は10キロ圏内くらいだろう。浪江町も恩恵は少ないが原発で働いていた人を知っている。原発で働くという人はそれなりにいた。


それにしてもあまりにも10キロ圏内の双葉町や大熊町や富岡町などはプルサ-マルを県に認めるように要請していたというのはひどい。危険より金だと露骨である。恩恵を受けない人は住みたくないとなってしまう。なぜならいっしょくたくに見られるからだ。双葉町民というだけで肩身の狭い思いをしてしまう。それでも20キロ圏内など補償があるからいい。補償がなくて被害があるところは損だとなる。富岡町長の金庫には何億の金がつまっていた。それは本当らしい。なぜなら原発利権はそれだけ大きいから権力あるものはとりつかれる。浪江の請戸では船主は漁業権ももっている人は大金が入ったことは地元の人が言っているのだからまちがいない。でも船主ではない漁業権がないと金は入らなかったのである。そういう金って意外と天罰で吐き出される場合がある。福島県の伝説で長者の倉から米俵が飛んでなくなったとかある。それは回りのものもその長者をうらやましがりそうした財産はみんなで分けるべきだという気持ちがあったからそんな伝説が生まれたかもしれない、何かそうした訳ありの金は紛失したりする。

それは運命だったのかもしれない、つまり津浪でその金が吐き出されたのかもしれない、原発事故も天罰だったというのもそのためである。東電は安全対策があまりにもお粗末だったのである。東電の罪はあまりにも大きいのだ。

広島と長崎に原爆が落とされたのは地元には何の責任もない、でも今回の原発事故は地元にも国民全部にも国策でしたのだから多少の責任はあるから税金が使われてもやむをえないという判断がある。そういうことも違ってる。つまり距離やその土地土地によって影響も違うし思いも違ってくる。

南相馬市に住んで今一番感じることは六号線や常磐線が遮断されて使えないことが不便なのである。これは自分だけではない、仕事している人はみんなそうなっている。
今の社会はこれだけ広く交通している社会だから交通が大事になるのだ。他でも三陸の方でも津浪で道路が遮断され不便になってるところがある。只見地方なども洪水で道路が寸断され鉄道も破壊されたから交通の面で不便になる。それだけ今の時代は交通に頼ることが多いからである。江戸時代なら自給自足でがまんするほかない。そういう生活になれているからできる。それが今はできないから困る。逆に田畑を作らなくても食糧が入るのは交通が発達したからである。

 
 
posted by 老鶯 at 06:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2011年08月26日

原発事故の30キロ圏内の市町村の対応と影響まとめ(2) (浪江町などの対応)


原発事故の30キロ圏内の市町村の対応と影響まとめ(2)
(浪江町などの対応)
 



被災町村、どこの町村長も議員上がりで弁が立たず困ったものだ。マイクの前でまともにしゃべれない。全国放送のNHKのインタビュ―等初めてなので無理もないが。

○原発工事関係の下請け労働者は浪江町に多く住んでいた。
○浪江町には呑み屋も多くあるし、特急も停車する。それに仙台空港にも近い。
○富岡町よりはるかに浪江町の方が人口も多いし便利だった。その浪江の呑み屋で下請け労働者がよく言っていたのは、「保安院」と「東電梶vのなれ合いの話と年に1〜2回避難訓練をやっていたが、単なるセレモニーで誰も気合を入れてやってないという話ばっかりだった。

津島避難所(小学校、中学校、浪江高校津島分校などで指定避難所ではないと思う)近隣は、1万人以上の人と車でごった返していたが、川俣町にも分散した模様であった。
 


浪江町役場の原子力事故の情報はどこから入ったかわからない。
○双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町の原発がある町は、原発と役場間にホットラインがあるが浪江町にはない。浪江町は県の指示で動いたのではないか。


日当は一日7万円というが、孫請け、ひ孫請けの現場労働者には1万5000円しか払われない。今回の事故後は日当が40万円にも膨れあがったというが、ピンハネされて作業員の手取りはほんの少しだろう。これまでも被曝事故で亡くなった家庭には、法外な現金を積んで口を封じたこともあった。


東北電力が2020年稼働の目標で浪江・小高地区に原発建設を計画してきたことにも触れ、「双葉町の現状を見ている私たちは、みんな反対で農業を守ろうと話し合ってきた」と語気を強めた。


飯舘村で林業を営む男性は、「山間地の多い飯舘村は林業が盛んだったが、海外からの輸入が増えていくなかで、林業で生計をたてていく人は東北地方全体でも減っていった。このあたりで切り出した木を保管する場所も石巻の港にしかなく、津波で流されたため木の持っていき場所がなくなっている」
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=249748

 


双葉町について


 確かに生活様式の変貌は目を見張るばかりです。ワラ屋根の農家なんて、いくらも残っていない。
みんなアルミサッシのついた新建材の家ですよ。車のない家は数えるほどでしょう。

 応接セット、カラーテレビ、ステレオ、ピアノ・・・・・・。
どれも必要に迫られて買うわけじゃないけれど、勢いというものがあって、
村中が競って揃えるんだから、無理してでも買わないと、みじめで暮らしていけない気持ちになる。

 それでも金がある家はいいですよ。ない家は月賦です。
畑はあっても荒れていくか、減っていく一方。必然、家中が現金収入を求めて外へ出ます。
http://hato.2ch.net/test/read.cgi/lifeline/1313911029/l50


元町議「双葉町を最終処分場に」−−絶望の果ての覚悟

 東京電力福島第1原発の近くに住んでいた人々から悲壮な声が出始めている。
 同原発5、6号機のある福島県双葉町。原発から7〜8キロの所で果樹農家を営む元町議、大塚憲さん(61)は言う。
 「廃炉にした後、周囲数キロは国が買い上げ、高レベル放射性廃棄物の最終処分場にする。それくらいのことを考えてもいい」
 



浪江町は意外と原発で働く人が多かった。実際近い、請戸から煙突が見えた、5キロくらいしか離れていない。浪江もこれといった産業もないから原発に頼ることが多かったのかな?
実際に遠い親戚にも働く人いたし回りを見ればそういう人多かったんだろう。地形的には平地が拓けているのは請戸の海の方である。山の方はそれほどの耕地はない、山際には大堀の陶工の住む村がありそれは江戸時代からの唯一ともいえる産業だった。浪江には高瀬川と請戸川とか二つ川があるから自然には恵まれていた。高瀬川を上ると葛尾(かつろう)村になる。そこが自分の父の出た実家だった。南相馬市病院に一か月入院したとき同じ病室の人は請戸の農家で賞までもらった篤農家だった。後進の指導もしていた。15町の田畑をもっていた。平市(今はいわき市)に野菜などを売っていた娘を三人も大学に出したと自慢していた。それで主人は寝たきりになりやっと手をあげるくらいしかできない、脳もやられていて話すこともできない、
奥さんはこの人は働いたんですよ、働いたんですよと一生懸命語りかける。でも話すこともなにもできない、やっと手をにぎって通じている。この人はわかっているんですよ,わかっているげすよと懸命に介護していた。


もう一人は南相馬市の原町区の大原の農家の人でその人とも毎日話していた。その人は5町の田畑をもっていたがそれでも大きい方である。でも息子は市役所に働き跡を継がない、そしてあのうよな重病ではもう農業はできない、一人で暮らしていた。猫が友達だった。あんなところにもイノシシがしきりに出て荒しているというのには驚いた。県道も通っているからあんなところに出ないと思った。廃屋が三軒ほどありすぐ近くにも幽霊屋敷のようなのがあった。大原も放射能汚染が高かったからあそこにはもう住まない、むしろ東電に補償された方が良かったろう。今は農家でそういう農家が多い。跡継ぎがいなくなっているのだ。もう一人は双葉町から来ていた。泌尿科がないためだった。あの辺は近くに都市がないから不便である。いわき市は遠いからだ。もともと相馬藩と磐城藩の境だった。その双葉の人はバスで埼玉のかず市に移動した。バスに乗っているのを見たからだ。娘が埼玉にいるいうことでも移動した。もうなかなか帰ってこれないだろう。そもそも夫は結構悪い認知症だから施設にでも入ったかもしれない。請戸の農家の人は郡山に移動した。娘が郡山にいて時々介護していたからだ。それにしてもどうなったかわからないがあれだけの重病人をかかえてどうなったのか?請戸のどの辺に住んでいたのか心配である。港ではないだろう。ただ浪江は海の方に耕地が広がっている地域だった。高瀬川はいい渓流だったが行けなくなったのが残念である。


浪江町役場の原子力事故の情報はどこから入ったかわからない。
○双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町の原発がある町は、原発と役場間にホットラインがあるが浪江町にはない。浪江町は県の指示で動いたのではないか。


浪江の人は命令で最初津島に避難した。ところが津島は放射線量が高すぎた所だった。誰の命令で津島に避難したのか?東電からの支持ではない、政府からでもないだろう。津島から相馬市に逃れた人とあった。これも相当な手落ちだった。ただ誰の責任になるのかわからない。
双葉や富岡にはホットラインがあったということはやはり東電では事故の危険性かあるので備えていたのである。浪江には備えていなかったからそうなった。双葉町ではいち早く埼玉に避難した。それも素早い支持があったからだろう。浪江にはないから津島のような放射線の高い所に逃げた。原発の近くの人は今度は事故に備えていた方がいい。

この辺の市町村長はテキパキしていない、今の知事もだめである。すると佐藤栄佐久氏は優秀だったのだと思う。別にこんな緊急事態にならなければ市町村でも知事でも誰でもいい、首相すら誰でもいいとかなっていた。しかし緊急事態になると指導者の役割はすごく大きくなる。
指導者によって命運が左右される。だから指導者を選ぶことは住民の命をさゆうしかねないのだということを本当に自覚させられた。相馬市長は評判がいいがその他はあんまりかんばしくないようだ。


富岡町よりはるかに浪江町の方が人口も多いし便利だった。その浪江の呑み屋で下請け労働者がよく言っていたのは、「保安院」と「東電梶vのなれ合いの話と年に1〜2回避難訓練をやっていたが、単なるセレモニーで誰も気合を入れてやってないという話ばっかりだった。



こんなものだったのだろう。東電の危機感のなさがここに現れている。あまりにも原発に対する考えが甘すぎたのである。金をばらまいて百姓や漁業者をだまちせばいいんだよ、あいつらは金を握らせばだまる、マスコミも金を握らせば何もいわないよ、安全対策は適当でいいよ、金をかけたくないからな・・・こんな調子だったのである。それに呼応した地元の人も同罪だ言えば同罪である。請戸には原発長者が生まれいたことはまちがいない,この辺でも火力発電所ができたとき漁業権のあった人達には大金が入り呉服屋がもうかった。高い着物など買ったからである。漁業権は大きな権利である。億の金も入る人がいたかもしれない、立派な家だったらそうかもしれない、漁業や農業だけではこの辺では金にならないからだ。磯部ですらそうして立派な家が建ったというのをそこに住んでいる人から聞いた。松川浦まで漁業権をもっていれば東電からか金が入るのである。今でも放射能関係で補償はあるのだ。ただ15町も田畑をもっていた人は別だった。そういう人は少ない。ともかく浪江には原発労働者が多かった。葛尾(かつろう)村から浪江におりてきて原発で働いた人も知っている。浪江は原発の利益を受けていないとか言っていたが必ずしもそうではなく受けていたのだろう。補助金はさほどもらわなくても近いから経済的恩恵はあったのである。 双葉町などが高レベル放射性廃棄物の最終処分場にするほかない、土地はかいあげてもらうというのも原発と未だに一体なのである。しかし回りの人からするとその高レベル放射性廃棄物とは何なんだ。そんなものがまたどう影響するのだとなる。原発の問題は10キロ圏内だけでは決められない、その人たちの利権で勝手に決められないものである。


それにしても飯館村では木材を石巻までもっていっていた。その石巻が津浪で大被害を受けた。そんな影響まであった。いかに様々な今回は津波と原発事故であったかわかる。

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2011年08月27日

マヤ文明の崩壊の原因と共通 (原発事故周辺の市町村の崩壊)

 

マヤ文明の崩壊の原因と共通
(原発事故周辺の市町村の崩壊)

●マヤ文明崩壊はエネルギ-問題だった


環境破壊
内部抗争
交易ル-トの変化
外部からの侵略
宗教(偶像崇拝→迷信化)


これは都市国家が文明が滅びる原因では世界的に共通している。内部抗争とか内乱が必ずどこの国でもありそれがかえって国を衰退させる。そこから国も滅びてゆく。それが宿命的にある。それから環境破壊もそうである。その環境破壊もいろいろと伝説として語られている。レバノン杉が船の材料として使われすぎてギルがメッシュ王国が滅びたとかある。都市国家形成には膨大な資源を消費するからそうなる。マヤ文明も森林を消費しすぎて滅びたとかいうのもそのためである。そして気候変動とか天変地異でも都市国家とか文明は滅びの原因となる。そういうことは海に沈んだアトランティスとかでも語られている。もう一つは交易ル-トが変わり都市国家がほろびてゆく。交通手段が変わり都市の繁栄は衰退する。船という交通から鉄道に変わり鉄道から車に変わりで衰退する都市がある。だからマヤ文明で起きたことは特殊なことではなく世界的に共通していたことだった。だから特殊なものとして理解されないものではない。人間の共通の文明として解析できる。ただ太陽が弱り太陽が死んでゆくという恐怖で人間の生きた心臓を神にささげたということは今からすると信じられないことである。それほど太陽が大事なものだからそうなった。それが異常なことかといえば現代にあてはめてもエネルギ-ほど大事なものはない,今騒がれている原発問題もエネルギ-問題なのである。石油ショックの時もそうであり戦争中も石油の一滴は血の一滴だとか言うのはマヤの文明の異常性と比べても変わらないものがある。エネルギ-が枯渇したら人間も文明も終わりだという恐怖からそうなっているのだ。
原発問題も電気がエネルギ-源とするとき電気がなくなればどうするんだという脅しがある。電気がなくなれば現代の高度な文明は滅びる。その恐怖が一番大きいのである。


●モアイ像を作ったイ-スタ-島も同じ原因で衰退


陸の孤島のモアイ像を作ったイ-スタ-島の崩壊もマヤ文明の崩壊とにていた。ヤシの木をきりすぎた環境破壊であり宗教の過ちモアイ像を作りすぎた偶像崇拝にもあった。偶像崇拝は迷信の基である。だからユダヤ教から起こった偶像崇拝の拒否はイスラム教でも科学を発達させて今日に至っている。科学を最初に発達させたのはイスラム系だったのである。それが西欧に輸入されてルネサンスが起きた。他ではマヤ文明のように迷信化して科学として発展しなかった。科学というとき最初は技術ではなく一つの思想であり哲学であったのだろう。その応用が技術であった。その後イ-スタ-島では大航海時代に外部と接触してばい菌や商人の略奪で急激に衰退した。その前に激しい内部抗争もあった。これもまさに陸の孤島であれ一つの文明が滅びるのはその原因が共通していることがわかる。


こうしたことは学問的に自分の住んでいるところとはあまり関係ないものとして追求していた。それが自分の住んでいるところで現実化していることのショックである。津浪と原発事故で自分の住んでいる場所が崩壊しつつあるという現実である。それは過去の都市国家であれ文明であれ崩壊するさまとにている。原発事故で放射能で耕作もできなくなり地域が崩壊してゆく。
交易ル-トも交通も遮断されて都市が衰退してゆくのはまさに自分の住んでいる場所である。

都市国家であれ国が滅びる原因は環境破壊、エネルギ-の枯渇、交易ル-トの変化とか同時進行的に起きてくることがわかる。ここもまさにそうなっているからだ。しかしわからないのは太陽のエネルギ-は50億年とか枯渇しないとありその点マヤ文明は大きな迷信に陥っていた。イ-スタ-島も同じだった。それは宗教が原因でもあった。科学的知識がなかったというより太陽が弱り死んでゆくという思想は他ではみられないからだ。でもその恐怖は今でも別な形で共有している。ともかく原発を神とまで宗教とまでなり安全神話形成され推進されたのはまさにそれだけエネルギ-が文明の血だからである。エネルギ-なくなれば衰亡して滅びるという恐怖は同じなのである。


●フクシマの再生は自然エネルギ-で計るほかない


エジプト文明が三千年もつづいたのはその基礎が農業でありナイルなどの自然の恵みに頼るものだったからだという説も正しいのだろう。今日のように資源を急激に大量に消費する文明、原発など危険なものまでもエネルギ-とする文明は今回のような事故で放射能で一挙に崩壊する恐怖だった。食糧さえままならなくなる。これがまだ一地域であったがもっと大きな事故となり各地で起これば本当に日本は終わりだとなっていた。その原因もエネルギ-問題なのだからマヤ文明人の都市人の恐怖を馬鹿にはできないのだ。マヤ文明崩壊は現代文明の崩壊する原因でもある。 森林などの資源は再生できる。石油は枯渇して原発は危険すぎる。新しいエネルギ-源も簡単にはみつからない、だから百年間くらいで現代の文明は日本だけではない急激に衰退してゆくのかもしれない、文明は共通しているからだ。

だから福島県が再生可能なエネルギ-の基地、バイオマスとか森林資源の活用や自然のクリ-ンエネルギ-の基地として再生を計るのは向いている。会津は山国であり森林に恵まれている。福島県全体を考えるとき交易ル-トは中通りにあり中央と結びつくが会津が大きくても山国でも結びついていない、浜通りも阿武隈高原にさえぎられ結びつかない、今回の津浪と原発事故を契機に福島県の未来を構想するとやはり一つの文明の転換モデルとしてまたは再生可能エネルギ-環境優先の県として再興することが望ましい。ただ福島県の弱点は会津が大きくてもそこが県全体として結びつかないのである。むしろ浜通りだといわき市は茨城県に相馬の方は宮城県に結びついているのだ。それは阿武隈高原にさえぎられている地理的要因が大きいのである。


ここ百年の変化があまりにも大きかった。その歪みが負荷が地球に与えたのは計り知れない、エネルギ-的には千年くらいの消費がこの時代に行われ環境を破壊した。戦争も世界戦争となり人命が大量にモノのように消尽された。まさに文明が人命までも大量消費した結果であり戦争の原因はエネルギ-大量消費する文明にあった。そういう視点がないと現代の問題は解決しない。国際的関係だけではない、戦争の原因の源に文明そのものがあったのである。だから文明の転換とか江戸時代の見直しとか日本でも過去へ復帰する傾向が強くなる。それは文化的にそうなのである。江戸時代への懐古主義や万葉集の自然と一体化した世界への伝統への回帰が起こっている。津浪と原発事故によって日本の文化も変化を遂げる。

今回のことで文明の転換は日本から起きてくるのかもしれない、ただ一方で暗黒の世界のはじまりになるかもしれない、世界的恐慌とか世界的動乱とかも起きやすくなる。交易ル-トが世界的に変化するのとにている。一文明が崩壊することそれは今や世界がグロ-バル化した世界が崩壊するのと同じである。内部抗争は国家間同士の地球の内部抗争が激烈になり環境破壊やエネルギ-問題で人類そのものがほろびてゆくことになる。マヤ文明やイ-スタ-島と同じ運命になるのが人類でもある。宗教も現代はカルト組織宗教だから世界的に滅びの原因になる。世界的にもカルト宗教は危険である。それは本来の宗教ではない、形を変えた偶像崇拝であり現代の科学万能時代に急激に増加したことも何か共通している。モアイ像が大量生産したこととも共通している。いづれにしろこうした文明の変換の大きなことが自分の住んでいる場所に起きていることがショックなのである。象徴的に文明崩壊のはじまりが自分の住んでいる場所で起きている。
そしてこれは文明の負荷が大きくなりすぎた結果でありそれで文明自体の破綻崩壊が世界的なものになってゆくはじまりかもしれない、2012年が文明の最後でありその先がわからないというマヤの予言も何か一致している。地球が文明を支えきれなくなり巨大津浪が起こったのかもしれないのだ。

 


参考にしたサイト

古代・中世、現実・異世界、魂の半分はいつも何処かを旅しています。
現在の旅先からお送りします。(イ-スタ-島崩壊の原因)
http://55096962.at.webry.info/201002/article_16.html


エジプト文明を中心に語られているが説明がわかりやすいから面白い。
文明史とか歴史は本当は身近なものなのだけど学問的専門的になるとわかりにくいのだ。
わかりやすいものとして現代の問題を解くのはやはり過去の歴史である。人間の歴史はやはり共通していて全く理解できないものはない,原因と結果が必ずあるのだ。とすればその原因を良く知れば事前に文明の崩壊を防ぐこともできるとなる。

マヤ文明とは

http://www.maya13.net/what/index.html


その1つに考古学者が『カレンダー・ラウンド』と呼ぶ『52年周期』をもつ暦があります。

戦後60年で時代の変わり目に来たことは確かである。2012年に世界が滅びる予言はやはり現代文明のゆきづまる恐怖と呼応している。地球に与える負荷が大きくなりすぎたのである。
それが今回の大津浪の原因にもなっていたのだ。

本当の自分の姿は、心の刻印が教えてくれます。 これこそが、マヤの時間の教えです。
http://www.jp-spiritual.com/maya1.htm


心に刻印されているというときこれは別にマヤとは関係ない、あなたの行為や思想が心に刻印されているのだ。それは老人になってみればわかる。あなたのしたことや罪なことは決してぬぐいされるものではない、心に刻印されているからだ。そういうことを軽くみているから犯罪がたえないのである。


マヤ文明崩壊の原因
http://www.crc-japan.com/research/mayan/index.html

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2011年08月28日

福島県や原発周辺はこの先どうなるの? (放射能被害の閉塞感の大きさ)


福島県や原発周辺はこの先どうなるの?

(放射能被害の閉塞感の大きさ)



▼しかし当の福島県民にとって、穴蔵に閉じ込められたような現在の閉塞感はいかに
腹立たしくやりきれないものか想像を絶するものがあるだろう。当地を訪れた人々が
「現地を見ないと悲惨さを実感できない」と語るように、原発事故被害地を見れば
その深刻さが肌で感じられるだろう
▼福島県全体の現在を語ってくれた当地来訪団の面々によると、放射能汚染警戒区域
だけでなく避難の輪はその周辺から外側にどんどん広がり、手が付けられない状態
だという。安全を求めて県外へ移住する動きは増幅するだけで、「何より子どもを持つ
母親たちの不安がそれを加速させている」という
▼何より商売柄身につまされたのは、福島県紙についての動向だ。ここには「福島民報」
と「福島民友」の2紙があるが、いずれも読者が激減して減収を余儀なくされ、
幹部らが退陣しているという。やり場のない怒りがひしひしと伝わってきた。
http://jishin.ldblog.jp/archives/51722385.html


原発事故の影響は広範囲である。福島民報や民友も読者が激減した?自分はいろいろ情報をとるためにやめていたのをまたとった。前は母が読んでいたからとっていた。こんなところまで影響していたんだ、でもさ、民報とか民友とかで原発の情報を出していた、反対しなくても原発がどういうものか県民に知らせていた?財界ふくしまのようにプルサ-マルを最初避難してあとでやめた。それは東電を恫喝して金をまきあげるためだったとか、県民を主体にしたものではなく、自分たちの会社の利益優先だろう。それは他で同じでも結局原発事故の被害は福島県の報道機関にもあった。それも自己責任だった。福島県に住んでいる人は責任あったと言われる。
報道機関の責任は重いのだからしかたないよ、福島県の住民なんだから福島県民を守るために情報を出すというのが地元紙の使命なんだよ,もちろん福島県民だけではない、原発は国策なんだから国民にもみんな責任がある。それで税金をはらってもしょうがないと言っている。
原発事故はみんな被害者であり加害者でもあったんだよな・・・・
本当に福島県は特に浜通りは何か閉塞感が大きいんだよ、交易ル-トは断たれ先の見通しはたたない、ただ原発が廃炉のモニュメントととして建っている、マヤの遺跡のようになるのか?
マヤは別に環境は汚染されていないから観光地になっているけどここはなれない、核廃棄物の処理場としてしか利用価値がなくなった、悲しい・・・・



いわきの知り合いに聞いたが
仲間内で話す時は「仕事が無い」とか「これからどうなる」とか
そんな話ばっかりで死んだようだって言ってたよ


空洞化ってのはそういうものだからなぁ
人が減るとあらゆる産業が成り立たなくなっていく


今後、人口減はあっても増はなし。
原町区は2万人程度の町になるだろうな。しかも、大半が老人。
そんな町で産業か成り立つはずがない。
したがって俺は移住(^-^)/~~


商工会もあれ程大型店の出店を反対していたのに、今は結局大型店頼りなんじゃないですかね?
住民は一部の良心的なお店を除き、震災時に足元をみて暴利を働いたお店には、もう騙されませんよ。



経済活動だけをとれば人口は目安なんだよ、一人ふえれば貧乏人でもそれだけ消費はするから、モノを買うからな、経済活動は活発になるんだよ

商店街はすでに頼りにならないものになっていた?ス-パ-がなければ生活していけない、ス-パ-開いたときは本当に安堵したよ、商店だけではもう成り立たなくなっている。一番街にとって痛手なのは若い人が去ってゆくことだよ、南相馬市が2万くらいになって半分が老人だったりしたら悲惨だよな、老人は誰かの助けがないと生きていけないんだよ、もう今のような手厚い介護などできる人手がいなくなるよ、若者が住みたくない街はすたれてゆくんだよな、あとに残されたのは老人だけ、姥捨山のようになってしまうのか?



本当に今でも住んでいます。泌尿器科病院で透析患者の面倒を見ています。
経済が衰退しようが何だろうが、生まれ育った土地に対する尊敬と愛情は、そんなに簡単に消え去るものではありません。風評や不便な生活に耐え、「住めなくなる」という外野の声にめげず、復興を目指しています。


お世話になっています゛土地への尊敬と愛情をもっているということよほどその土地に愛着ある人でないと言えないでしょう。自分もこの土地で生きてきたから自然と一体化しているから年もとればここがいいとなる、でもこういう人は若い人では少ないよな、若いときは外に憧れるからな、その土地の良さはわからないもんなんだよ、会津は雪だし、中通りは福島市などは夏は蒸し風呂でくそ暑いし気候的に嫌だという人が避難した人達にいることがわかるよ、いわき市に移り住みたいとう人が多いのもわかるよな、自分も気候的にはここがいいし自然もいいし今は何か特別欲しいものもないしここで創作活動をつづけたいんだよ、

老人になると外面的なものより内面的価値の方がずっと大きくなるんだよ、芸術が外面的なものから自然があるから生まれるものでもない、美しい自然に囲まれていても何ら反応しない人もいる、その人は内面が心が汚れているから美しいものでも心に映らないんだよ、内面的にモノが自然が見えてくるのはやはり老人になってからだな・・・天才をのぞいてはそうだよ、どんな才能ない人でも老人になると内面的哲学的宗教的になるからな・・・俳句なんか実に単純なものだった、でもその単純なものの意味や深さを知ることができなかった。芸術はそれだけ奥深いものなんだよ、それはどの分野でもそうだろう。なかなか一つの道を極めることはむずかしいんだよ、それはつまらない趣味だってそうだからな、でも積み重ねてゆくと見えてくるものがあるんだよな


医者や看護師は大事だった、看護師にはてぐさめられたな、看護婦のやさしさにいやされた、若い看護師がいないということは老人にとっては辛い、もっとも住みにくい地になるよ、その土地に尊敬と愛情をもっている人ってすくないと思うからな・・・


かくて日本国は領土の一部を失うことになった。失った面積が、政府による借り上げ可能な範囲に収まったことを天に感謝すべきだろう。これ
からも原発を推進したい人たちには、ぜひ福島の政府借り上げ地に居住することをお薦めしたい。そして身をもって放射線は怖れるに足りないことを実証していただきたいものである。その医学データは、今後の放射線対策の貴重な資料になるだろう。



放射線の影響ってどれくらいあるんだろうか?未だにそれがどう理解していいかわからないんだよ、目に見えるわけではないし、放射能にばかりおびえて暮らすこと自体、閉塞感がますます高まる、そこに住む人はそれだとやりきれないよ、毎日毎日放射能の話しばかりでもう嫌になってしまうよ、そうした風評被害とか精神的圧迫が大きいのが放射能問題だった。自分はもう放射能を余り気にしたくないんだよ,放射能が高い山でも森でも行きたい、自然は何ら変わっていないのが不思議なんだよ、でも森に入ると放射能たまっているから放射線をかなりあびる、森には放射性物質が集積している、なんかそいう話を聞くと精神的に嫌になる、放射能でも老人ならあと10年後にガンになると言ってもみんな何かしら病気になる人多いよ、そうなると放射能にびくびくして暮らすのが嫌なんだよ、そんなにびくびくしていたらそもそも生活を楽しめないだろう。子供は影響が受けやすいからと外で遊べないというのも悲惨だよ、どれくらい影響するからわからないということが一番困っているんだよ、実験デ-タ-にされる・・・・それって今後の原発の開発に役立てるのの、廃止してしまえば不用なものとなるだけじゃない、放射能は目に見えないからどう対処していいかわからないから一番困るんだよ・・・


まあ、自分は残り少ない人生だから放射能を気にしていたら貴重な時間を無駄にしてしまう、津浪のあとでも放射能で耕作されない土地でも楽しめるよ、草原化した自然は水田とは違う気持ちいいもの感じたんだよ、津浪の跡でも水葵が咲いたし自然は美しいものを提供しているんだよ、とをもその辺が神戸の都会型の災害とは違っている。自然が全く喪失することはない、だから美は残っている。かえって湿原化して北海道のような原初の自然がもどっている不思議があるんだよ、こんな経験生きているうちにするとは思わなかったよ、だから今のところ毎日興奮するんだよ、別世界に変わってしまようなったから・・・・田んぼ作れなくてどうするんだと農家の人にはなるが別に飢死するわけではないから飢饉よりはましなのかな、お前は以前としてノ-テンキなやつだと言われるかもしれんがそれが偽らざる現在の心境なんだよ、ただこの辺は何か

放射能の雲が厚くたれこめおおわれている。それは放射能の被害というより放射能がわからないからその心の不安がそういう閉塞感を作り出してしまっているんだよな・・・

 
 
 
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2011年08月29日

納得いかない原発誘致の原因 双葉町や大熊町などが特別貧しかったからか?


納得いかない原発誘致の原因


双葉町や大熊町などが特別貧しかったからか?

 


1966年(昭和41年)
12月23日 :漁業権損失補償協定を周辺10漁協と締結する。
9月29日 :1号機を着工する。
1968年(昭和43年)3月29日 :国が2号機の原子炉設置を許可する。
1970年(昭和45年)1月23日 :国が3号機の原子炉設置を許可する。
1月26日 :1号機に最初に装荷する燃料がこの日と2月4日にGE社ウィルミントン工場より運び込まれた[33]。
11月17日 :1号機の試運転を開始する(翌年5月11日に記念式典を実施する)。
1971年(昭和46年)2月22日 :5号機の原子炉設置許可申請を提出する。
3月26日 :1号機の営業運転を開始する。 
 


 補償を受けたのは、直接三組合の請戸漁業協同組合・富熊漁業協同組合・久之浜漁業協同組合、入会五組合の四倉漁業協同組合・小高漁業協同組合・鹿島漁業協同組合・磯部漁業協同組合・相馬原釜漁業協同組合、隣接組合の新地漁業協同組合であった。

誰も原発など建設して欲しくないのですよ。





でも、本当に働き口一つない寒村なのです、地元にいたら冬場は都会へ出稼ぎです。
それでも貧しい暮らしを強いられるのです。
原発が出来る以前は、板の間にワラを敷いただけのところで眠る家もあったと聞きます。
それほど貧しい村だったのです。
若者はそんな村の暮らしを嫌って都会へ出て行ってしまう。
ますます過疎と高齢化が進む、何とかしなければ村が立ちゆかない。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6676652.html


大野駅前通りの商店街はみずぼらしい古い家が散見され、人通りも少く閑としていた。人を招いてご馳走するといえば刺身が一番のもてなしであり、肉屋には牛肉がなく入手したければ平市か原町市へ行かねばならなかった。人々は大熊町まで相馬藩に属しており、隣接町村が天領であるのに比べて「我々は違う」という気位の高さを誇っていた。

http://p.tl/JnMW

双葉町は夜ノ森が有名なように相馬藩主の余の森として磐城藩と境界争いがあった。広野とか大野という地名があるように野と森が多かった。だから明治時代に開拓された所でもあった。双葉町から逃れた人で相馬藩の武士の家系につながるものだと系図を見せた人が新聞社で紹介された。だからあの辺まで相馬藩だったのである。「小良が浜」というのまさにおらの浜だと境界争いがあったからだ。

しかし謎のは1970年に原発が始動したというとき、その頃は高度成長時代の盛りであった。

始動したのがちょうど大学を卒業した頃であった。でも同教生は中学で金の卵として都会に出された。都会の人手不足を補った時代であり出稼ぎ時代でもあった。でもわからないのは出稼ぎでもそれは現金収入になるのだから悪いことではない、それなりに豊にしたはずなのである。高度成長時代は商店街でも町の小さな工場でも活気にみなぎっていた時代である。それも十年間くらいは急速に成長したのである。所得倍増計画もその頃でてきたのだからそのくらい経済に勢いがあった時代である。それが双葉町辺りには及ばなかったのだろうか?

戦前ならわかる。自分の父親が葛尾(かつろう)村から丁稚として双葉町の新山に働きに出た。

富沢酒造店が今でも残っているが酒屋は大きな勤め口だった。戦前ならどこでも貧しさを極めた。戦後十年くらいはもそうだった。でも戦後十年すぎたころから急速に高度成長の時代に突入した。その恩恵をいち早く受けた人々がいる。双葉町辺りだと10年くらい高度成長の時期から取り残されたのかもしれない、それは地理的条件によったのだ。今でも双葉町辺りには大きな病院がない、泌尿器がないから南相馬市立病院に双葉町で入院した人と同室だった。その人は埼玉の加須市に避難したのをテレビで見た。タクシ-で帰らねばならないとか言っていたがあそこまでタクシ-で帰るとしたら大変な料金になる。金はあったのかもしれない、今でもそういう不便な場所であった。


人を招いてご馳走するといえば刺身が一番のもてなしであり、肉屋には牛肉がなく入手したければ平市か原町市へ行かねばならなかった。


平市と原町市に遠いということが海のチベットとかなった。でもさしみがごちそうだというのは戦後十年くらいはみんなそうだった。私の父は病気になり最後にさしみ食えるようになったが食えないと言って死んだ。その前は味噌を焼いたりして酒の肴にしていたのだ。思うに個々の家でも高度成長の恩恵にあづかったものとないものがでたが日本経済はその時うなぎ上りだったのである。確かにその頃は肉が贅沢だったかもしれない、よく子供の頃は塩引きを食べていた。肉はあんまり食べていなかったかもしれない、だんだん肉を食べるようになった。自分の家では高度成長の恩恵にいち早くあづかっていた。

だから頭が悪くても大学まで出れた。同教生で大学に行けたのは5人くらいである。でも都会ではもっと大学に行けていた。田舎からだと仕送りなど金がかかるからだ。マンモス大学であり講堂に3000人とか学生がつめこんだ。団塊の世代はとにかく人が多いからどこでもそうなったのだ。団塊の世代は高度成長の落とし子であった。そういう時代にみんな豊になりたいというのはわかる。でもその豊になりたいということが原発の誘致に結びついたのである。高度成長時代に地元に仕事がないから出稼ぎだというときそれは東北全体でもそうだった。でも出稼ぎで現金収入になり子供を大学に出した人も多いのである。だから貧しいから原発を誘致するほかなかったということがちょっと理解できないのである。高度成長時代は豊になる方法がほかにもあったはずなのである。原発がなければ何もできないというものでもないはずだった。ただ地域地域でもさらに分かれて事情が違ってくる。
東京でも千代田区は一番金持ちで恵まれた所だったとある。。区によって差が相当あるのだ。


ただ原発の恩恵が双葉町だけではない、新地まで恩恵を受けていた、特に漁業権をもっている所はそうだった。磯部でも立派な家が建ったというのはそのためだった。原発事故で放射能で漁業ができなくなったけどやはりまた東電からは補償があるから恵まれているともなる。 双葉町だけでその頃別にそうした貧乏な所は全国にあった。だからその理由で原発を作ったのはやむをえないとはならない、特別貧しかったというけど出稼ぎだったというけど東北では農家はみんな出稼ぎでありそれでも子供を大学に出したほどの収入になったからだ。戦前や前後
10年くらいの貧しさと比べると明かに原発が建つ頃の事情は違っていたのである。


原発が出来る以前は、板の間にワラを敷いただけのところで眠る家もあったと聞きます


戦後十年くらいはみんなひどかった。燃料は炭だし自分の家もトタン屋根で雨漏りがひどい家だった。戦後十年は双葉町だけではない、農家でもそういう家は全国にあった。だから特別貧しい地域だからどうしても原発が必要だったという理由に納得がいかないのである。

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2011年09月01日

継続する時間感覚の喪失が原発の事故の要因にも (農業や林業など自然から離れた時間感覚の危険)

 

継続する時間感覚の喪失が原発の事故の要因にも
(農業や林業など自然から離れた時間感覚の危険)

江戸時代の人が言わなかった口癖の一つは「時間がない」。こういう言葉は江
戸の頃にはなかったのです。時間は無尽蔵にある。自分が生まれる前からあったの
だし、死んだ後もずっとあるのだと。
http://members.jcom.home.ne.jp/matumoto-t/sugiura56.html


こういうことは今信じられない、ということは現代が時間感覚でもどれだけ違ったものになっているかを示している。「時は金なり」という感覚も資本主義がはじまったときの時間感覚である。時間を効率的に使い生産力をあげる、金も土地もそうだが時間も資本なのである。江戸時代に効率的時間の使用方法が問題にならないこと自体想像もできない、現代は分刻みで効率化を目指しているのとは大違いである。つまりそれほど江戸時代は異次元の世界になっている。

社会が無数の部品化されるとき時間も断片化されている。時間は継続しているものであり土地も継続しているものでありそういう感覚がなくなっている。その感覚は農民的自然的感覚であった。農家は三代にして農家になるというのもそのためであり林業にしても木が50年で育つとなると一代だけの時間感覚では仕事が継続できないのである。江戸時代の時間感覚はだから子々孫々を考えて生活していた。それは農家であれ山の林業であれ工業的時間感覚とあまりに違っていたからだ。もちろん今の時間給などという感覚とはまるで違っている。人間は今は時間も搾取されている、奪われているのだ。工業的効率的時間の追求になったのはやはり自然から離れた生活が主流となってしまったからである。それは一般的に世界的にも近代化したとき世界共通の時間感覚になった。絶えず時間に追われる生活になった。時間がない、時間がないの生活である。時は金なり、あらゆるものが金なり金なりの生活になったのである。それが工業的資本主義の時代である。


そういう時間感覚が子々孫々のことなど関係ない時間感覚を作り出す、今時間を消費すればいい、今あらゆるものを消費する時だとなる。子々孫々のことを考える余裕もない、今の時間にすべてが費やされるのである。その中では過去の時間も失われている。今という時間があっても過去は消失している。過去からの時間がない、歴史的時間、継続の時間を生きている感覚が消失した。だから慶長地震の津浪がこの辺にあったのは400年前くらいだとするとその記録はあっても全く忘却されていたのである。その津浪は初めて津浪と表記されたから何か津浪を別なものとして認識した時だったのである。継続した時間もない、子々孫々を思う時間感覚もない、ただ今がいいければ今が豊であればいい、あとは野となれ山となれという感覚が今の時代である。だからこれだけの膨大なエネルギ-を消費している。原発に対する考え方も子々孫々のことまで考えない、目先の利益を追求するだけになる。確かにそこには農民も漁民も住んでいたがすでに資本主義的工業的時間感覚になっていて農民すらとても江戸時代のような自然感覚、時間感覚をもつことはできない、時間感覚は単に時間が別個にあるものではなく大地とか自然と一体化して時間もあり、その大地とか自然から離れた生活になったとき時間感覚も変わってしまった。みんな目先の富を求めて急ぐだけなのである。


急いで得た富は減る、少しづつたくわえる者はそれを増すことができる


はじめに急いで得た資産はその終わりが幸いではない-箴言-20-21


欲の深い人は急いで富を得ようとする、かえって欠乏が自分のところに来ることをしらない
箴言-28-22


結局原発問題にしてもそういうことが言える。急いで富を得ようとした。原発そのものが急いで建てたものである。その技術も未完成であり危険はわかっていても目先の利益が大きいから原発に頼るようになった。子々孫々まで考える余裕はない、時間感覚はないのである。それは世界に共通している。中国すら高速鉄道で急ぎすぎて失敗した。大陸的時間感覚の国ですら今はそうなっているのだ。文明の時間感覚はだから意識しなくても危険な要素をもっている。

自然から遊離した時間の中でいきているとおそらく時間にも復讐される。歴史をかえりみなかったのも歴史に復讐されたためでもあった。自然を考慮しないものは自然にも復讐される。それが津浪でもあった。漁業権をもっていた漁師は海を原発のために東電に売り渡した。そして金を得た。その漁業権をもっていた海岸沿いの集落は壊滅的な打撃を受けた。それで天罰だったというとき海を守るべきものが簡単に金で売り渡したということにもあった。 海に復讐されたのである。原発によって自分たちの住んでいる土地も山も海も奪われた。それはあまりにもありふれたもの自然への感謝やつつしみなどが喪失したためだろう。目前の富にまどわされたのであく。 そして子々孫々に残したのは核の廃棄物になってしまったのである。

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2011年09月02日

イノシシとゴルフ場 (イノシシは放射能に一番汚染されていた)


イノシシとゴルフ場

(イノシシは放射能に一番汚染されていた)

●森のイノシシは一番放射性物質をとりこんでいた


 宮城県は19日、県猟友会の会員が捕獲したイノシシの肉から、暫定規制値(1キロ・グラムあたり500ベクレル)を超す1キロ・グラムあたり2200ベクレルの放射性セシウムが検出されたと発表した。


 イノシシ肉は市場に流通していないが、県は野生動物の食用摂取を控えるように呼びかけている。発表によると、イノシシは7日に同県南部の角田市で捕獲され、同会が16日に検査機関に検査を依頼した。イノシシは通常、土中の虫や畑の作物を餌にしている。

野生イノシシからセシウム 最大で基準値6倍以上


福島県は26日、同県二本松、相馬、南相馬の3市で捕獲された野生のイノシシ12頭の肉から、食肉の暫定基準値(1キログラム当たり500ベクレル)を超える563〜3221ベクレルの放射性セシウムを検出したと発表した。

(2011年8月19日23時09分  読売新聞)

ウクライナのチェルノブイリ原発事故でヨーロッパが放射能の雲に覆われてから25年を経た今日でも、イノシシの放射能が高いため、食べないよう勧告が行われている。イノシシの好物のキノコ類も食用に適さない。

ドイツの経験は、もし福島原発の状況が悪化を続ければ、日本でもこれから起きうることを示しているといえる。
ドイツのイノシシが生きている森はチェルノブイリから1,500km離れている。だが、その体内組織に含まれる放射性のセシウム137の濃度は、食べても安全とされるレベルの数十倍、通常の数千倍に達することも多い。
イノシシがゴルフ場に現れ芝生を掘り起こしミミズを食う(南相馬市)


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いわき市のゴルフ場

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福島第一原発事故による放射能汚染とサル、イノシシの生息域=2011年5月25日夕刊
 http://www.asahi.com/photonews/gallery/infographics4/0525_animals-exposure.html



イノシシが近くのゴルフ場まで出てきて芝生を掘り起こしミミズをあさった。原発の放射能汚染で放置されたゴルフ場である。イノシシは街近くまででてきている。近年山に餌不足でそうなった。生息域を見ると広範囲であり街近くまで出てきている。ノウサギも六号線のすぐ側まででてきたのに驚いた。やはり餌を探して街近くまででてくる。今やイノシシや猿などにとっては人が消えた場所は住みやすい、飯館村でも人は住んでいないから格好の住み処になる。自由に人の住んでいる所に出てきても追い払われない、猿もそうである。チェルノブエリでも野生の楽園になったというのはそのことである。しかしイノシシからやはりセシウムにかなり高く汚染されていた。 ドイツのイノシシが生きている森はチェルノブイリから1,500km離れている。だが、その体内組織に含まれる放射性のセシウム137の濃度は、食べても安全とされるレベルの数十倍、通常の数千倍に達することも多い。


これは恐ろしい事実である。森は一番放射性物質に汚染されやすい、森は堆積しやすい、そして放射性物質は森の中で循環して消えないのである。草むらとか木の葉などにも付着しやすい。だから森は放射線量が高い。その森にイノシシが住んでいるのだから当然放射性物質をセシウムをとりこんでいるからこれほど高くなっている。イノシシがそれほど放射性物質をとりこんで将来的にどうなってしまうのだろうか?繁殖はつづけるだろうし数もふえる。その中で奇形のイノシシが生まれるのだろうか?飯館村や浪江の山中ではすごく放射線量が高いところがあるからあの辺だとイノシシも大量の放射性物質をとりこむことになる。宮城県ですら高いからもっと高くなる。放射能イノシシが人のいなくなった自然のなかで生きることの不思議である。


●ゴルフ場は必要なのか?


私達の地域では山のふもとにゴルフ場が出来た後,江戸時代から使われていた地下水路への源泉が枯れ,地下水も汚染されました.
何を持ってゴルフ場の存在を正当化できるのか,教えてください


◆就業4000人超◆

 周辺にゴルフ場が集中する同校には今春、189件の求人があり、うち21件がゴルフ場関連。
就職した卒業生の約4分の1の就職先がゴルフ場だった。ゴルフ関連の就業人口は市内だけでも4000人以上と需要は高く、
同校は芝の種類に応じた管理やグリーンの整備など専門技術を身に着けた即戦力の供給を目指す。



ゴルフ場が必要かどうかというときゴルフ場を経営する人は必要というし自然破壊でもないという、農薬もそれほど影響ないとかともいう、ただ経営者が言うときはこれも信じられない、原発を作る方と同じだからである。それなりの自然破壊はある。それで反対する人もいる。そもそも自分などはゴルフなど無駄だと思う。贅沢であり何で金かけてやっているのかと思う。でもゴルフ三昧の人が多い。退職した人も暇だからやっているしそんなものに良く金をかけると思う。外国まで行ってゴルフをやっていることに驚く。韓国から福島に来る団体客はゴルフのためだというのもそのためである。ゴルフやらない人にとってはゴルフなんか贅沢だと思う。しかしゴルフをやる人にとってはそうではない、車を乗らない人には無駄だと思う点があるが全部を否定はできない、でもゴルフはたかが遊びじゃないかとみてしまうのである。そんなものになぜ金と手間をかけているのだろうと疑問になる。贅沢な時代だからそういうことも許される、多様な価値観に生きる時代だからしょうがないといえばそれまでである。


inoshshs3333.jpg

●価値観の対立の恐怖


実際に人間の価値観の対立は恐ろしく深刻である。大将生まれの娯楽も何も楽しみを知らない働きづめの人は絶対に無駄な金を使わない、例えば庭を作ってもその庭を無駄だと思っている、死んだように寝ていたと思ったら起きてきて何を言うかと思ったら庭は無駄だとそれだけを言い張る。それは一種の恐るべき狂気だと思った。それは決して当事者になれば笑い事ではない、老人のそうした頑固さは狂気である。そういう人と一緒にいることは狂人と一緒にいると同じだった。認知症もそうだったが老人は自分の主張を絶対に曲げない、それがどんなに異常なことでも曲げない、それが狂気なのである。人生をただ何の楽しみもなくただ働きづめだった人生も恐ろしいと思った。そういう人は花にも何ら美しいと見ないのだ。花を観賞する余裕もなく働かさせられたからである。その生い立ちの不幸がそうさせけいるのだ。だから無駄をしないという価値観を曲げることはない、それが狂気になっているのだ。他人だったらいいが身内だったら笑い事ではすまされない、身内だったら認知症でも他では笑っていても当事者はものすごく深刻なものとなる。毎日狂人とつきあわさせれられるのだからこれほど辛いことはないのだ。だから結婚するときとか共同生活するときで大事なのは価値観を同じくするものでないとだめである。例えば共同生活してゴルフばかりやっているときそのゴルフの価値を認めない人は一緒にはすめないのである。価値観の対立ほど恐ろしいことはないのだ。老人になったら価値観を変えることはもはやできないからである。


いづれにしろゴルフ場も原発で存続が危ぶまれる異常事態である。イノシシに荒され元の森に戻ってしまうのか?損害は何百億だと東電に賠償請求をしている。一体この辺は田んぼは草茫々になり人は近くに人は住まなくなり一体どうなってしまうのか?こうした異常事態はいつまでつづくのか?ここに住んでいること自体何か落ち着かない不安に襲われるのである。田舎の生活は基本的に農業がなくなれば成り立たない、そういう農業なしの生活がここで可能なのかとなる。混乱状態もやがておさまってくるのか?そういうことがわからない、先が見えない、かといって老人になると移動するのはむずかしい。正直ここにいること自体何か不安であり落ち着かないからもっと落ち着いたところで生活したいということがある。でも移れないのが現状なのである。

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2011年09月06日

天地から離れた人間の傲慢が原発事故に (万葉集時代は天地と一体)


天地から離れた人間の傲慢が原発事故に

(万葉集時代は天地と一体)



天地と 共に終へむと 思ひつつ 仕(つか)へ奉(まつ)りし 心違(たが)ひぬ」(2-176)


宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと天壌(あめつち)と無窮(きはまりな)けむ


天地も 依(よ)りてあれこそ 天地を 訴(うれ)へ乞(こ)ひ?(の)み



「天地 日月と共に 足(た)り行(ゆ)かむ 神の御面(みおも)と 継(つ)ぎ来(きた)る」(2-220)、「天地と 長く久しく 万代(よろづよ)に 変はらずあらむ 行幸(いでまし)の宮」(3-315)
天地と 長く久しく 万代(よろづよ)に 変はらずあらむ 行幸(いでまし)の宮」(3-315)
http://k-amc.kokugakuin.ac.jp/DM/detail.do?class_name=col_dsg&data_id=68224


万葉集は天地と密接に結びついていた。天地と離れてはありえなかった。だから政(まつりごと)もそうだった。天地も 依(よ)りてあれこそ 天地を 訴(うれ)へ乞(こ)ひ?(の)み・・・・このように訴えるもの乞(こ)うものも天地しかない、天地に仕え天地に依り天地に訴えていた。そもそも歌は訴える(うったえる)から歌(うた)になったというとき天地への呪文の役目を果たしていた。
政(まいりごと)は天地は切り離せずあった。これは古代の文明では天地を祭ることは普通にあった。マヤ文明では太陽に祈っていて太陽が弱り死んでゆくことを畏れていたので生きた人の心臓を犠牲に捧げた。それほど太陽を畏れていたのである。訴えるべきものが天地でありその天地なくして人間の存在はありえなかった。


今の時代、為政者が天地のことを思っていることがあるだろうか?天皇は伝統としてそういう天地のまつりごとを受け継ぐことはありうる。しかし今や人間を支えているのは天地ではない、科学であり技術になったのである。天地をまつったり乞うたりしない、科学と技術力が解決するのであり天地は無力になった。科学と技術が天地をしのいで解決するものだと思っている。病気になれば医学に頼り医者は神様のようになる。それはとりもなおさず天地に祈るより科学の力が天地より大きいし実際に細部では実効力があるからそうなる。天地に祈っても病気は治らない、神に祈っても直らない、これは事実である。奇跡の起きた時代は終わり今は科学の時代なのである。科学万能時代なのである。気象にしても衛星から写真をとり気象は科学的に解析されるものとしてある。天地として不可解なものとしてあった古代とは余りにも違いすぎる。宇宙から天地が解析されているのだ。解析しているのは他ならぬ人間の科学の力なのであ。神ではない、ただ地中のことに関しては解析できないから今回のような地震と津浪に驚嘆したのである。想定外だとして天地を恐れることになった。奈良県の山でも台風で想定外の水が出て堤防は決壊した。それもまた人間に対する奢りに対する神の警告でもあった。人間は天地をなお凌駕するものとしては存在しない、原発もその一つであり人間には操作しえないものをあえて無理して操作した故、事故になり大被害を受けた。天地は汚されて人は住めなくさえなった。人間の奢りが罰せられたのである。


万葉時代の天地を尊ぶ世界とはあまりにもかけ離れているからその時代と今も比べても役にたたないということもある。絶えず政(まつりごと)と言えば天地に訴え祈ることだった世界とは余りにも違っている。人間は今や天地に祈る人などいない、科学力、技術力に訴える。想定外の天地の力にうちのめされば人間の技術力はたりなかったのだとなる。確かに想定外の津浪で高い防波堤は無惨に崩壊した。そこで人間の奢りは打ち砕かれた。でもその堤防を作った人達はその堤防故に安心していたのである。それが徒になり大被害を受けた。その堤防こそ自分たちを守るものであり天地になど祈ることはなかった。天地に祈るときは人間の力ではどうにもならない、神に祈るほかないというとき祈る。しかし現代では科学万能だからそうはならない、科学の力に頼るのである。科学に頼るのが悪いものではないにしろ科学を越えたものとして天地があるということがないことが問題なのである。科学者が天地のことを全部知っているのかというと知らない、そしたら科学者さえ天地に対して謙虚にならざるをえない、そういう謙虚さが科学万能時代に喪失して大事故につながったともいえる。天地に祈るとは人間の力には限界があるからこそ祈る、限界がなくなれば祈る必要がなくなるのだ。


天地と 共に終へむと 思ひつつ 仕(つか)へ奉(まつ)りし 心違(たが)ひぬ


これは天地にひたすら仕えようとしていたが人間社会では宮仕えではそうはいかなかった。
無垢なる天地とは違う人間社会では心は違ったものとなってしまう。政争があるし天地に仕えるのとは違っている。天地に仕えていれば心は清浄でありえる。しかし政治の人の世界ではそれはありえないものとなっていた。この 心違(たが)ひぬは極端化している。天地から全く離れて政治は動いている。国民総生産とか科学技術の力であり国の力はすべて人間の力でありそこに天地が入る余地などない、原発も国の力を示すものだからこそ国策として推進されたのである。天地に仕えるのではない、科学万能となるとき一番偉いのは科学者であり神のごときものとなる。それが無惨にも津浪で打ち砕かれたのである。その権威は地に堕ちた。放射能は天地を延々と汚しつづける。科学者にその放射性物質をなんとかしてくれと言ってもそれができないのである。火を盗んだプロメテウスのようにその過酷な罰は科学者が受けるものだった。そんな危険なものに手を出すべきではなかったのである。天変地異は神の意志でありだから人間社会も天変地異によって改められるというとき本当にそうだった。人間では暴けない悪を自然の驚異的な力が暴いたのである。人間の奢りを打ち砕いたのである。原発はバベルの塔だったかもしれぬ、なぜなら科学万能の象徴であった、それがバベルの塔が崩壊したときそこに住む人間は離散してばらばらにされた。ただ右往左往してばらばらにされなす術がなかったのである。


天地は時に怒る

人間の奢りに対して

天地を畏れつつしめ

そして天地と和さしめよ

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2011年09月07日

放射能汚染で無人化する村に猪が増える (周辺に猪が増え広がり害になる)


放射能汚染で無人化する村に猪が増える

(周辺に猪が増え広がり害になる)

●対馬藩の猪対策


対馬藩は10万石の格付けであるが、山がちで平野の少ない対馬では米4,500石、麦15,000石程度の収穫であり、藩収入は朝鮮との交易によるものであった。作付面積のうち最も多いのは畑で、それに次ぐのは「木庭(こば)」とよばれる焼畑であり、検地では「木庭」も百姓持高に加えられた。また、石高制に代わって間高制という特別の生産単位が採用された。
17世紀後半は、日朝貿易と銀山の隆盛から対馬藩はおおいに栄え、雨森芳洲や陶山鈍翁(訥庵)、松浦霞沼などの人材も輩出した
http://tsushima-otoriyose.com/archives/11


「生類哀れみの令」(動物を殺したら死刑だ法)が出ているさなか、それでもイノシシ害に耐えかねて、島ぐるみで9年かけてイノシシを殺しまくり、ようやく全滅させることができた。
 住民は「イノシシ害から解放された」と焼き畑をばしばし広げまくる。
 20年後。
 木は刈り尽くされ、山は荒れ、土砂崩れも起き、土地もやせ、収穫もがた落ちに!
 一世代の間に、ひどい状態になってしまった。
 それに懲りて”焼き畑禁止”の令も出されることになる。
http://ep.blog12.fc2.com/blog-entry-397.html


対馬を九つの区画に区切り、柵を作り、農民に銃の扱い方を教え、冬場の農閑期を利用してイノシシを一区画ずつ殲滅していく方法により、9年後には対馬からイノシシが姿を消しました。狩られたイノシシは8万頭、動員された農民はのべ23万人にのぼります。

対馬と島原半島におけるイノシシ害:対馬地区のイノシシは近年人為的に持ち込まれたものである

猪の最新ニュ-ス

対馬か九州から泳いで上陸?



  イノシシの生息が確認されていなかった玄界灘に浮かぶ長崎県・壱岐島(壱岐市)で昨年から今年にかけ、イノシシの
死骸や似たような足跡が相次いで見つかった。


  上陸していれば農作物などに被害を及ぼす恐れがあるだけに、壱岐市は自治会や警察などと連絡会議を発足させ、わなやカメラを設置して本格的な対策に乗り出す。
http://32259407.at.webry.info/201106/article_17.html




●万葉集時代からあった猪の被害


魂合はば相寝むものを小山田の鹿猪田禁((シシタモ)る如く母し守らすも 』(万葉集巻第十二 3000)


鹿猪田は鹿猪が出て荒らす田の事で、禁るとは立ち入らないように監視する事です。
この意味は難解で定まった解釈はない、小山田というのはもともと山間にあり猪が出やすい場所だったのである。


安積皇子が天平十六年正月十三日に十七歳の若さで
亡くなったのを痛み、大伴家持が詠んだ歌六首の中に、


『わご王 皇子の命 もののふの 八十供の男を
召し集へ 率ひ賜ひ 朝猟に 鹿猪ふみ起こし
暮猟に 鶉雉ふみ立て』(万葉集巻第三 478)


とあり、安積皇子が、まだ寝入っている鹿猪を踏み起こして
朝猟をするというのですから、都よりそう遠くないない場所で、
鹿猪は走り廻っていたのでしょうか。

安達太良の嶺に臥す鹿猪のありつつも吾は到らむ寝処な去りそね』(万葉集巻第十四 3428)

鹿や猪はいつも同じ場所に寝る習性があるといい、
そこを襲う方法もありました。習性を知らないと動物の狩りはできない、熊刈りでもそうである。

万葉時代から猪の害は深刻だった。安達太良も鹿と猪の住み処だった

新墾田の鹿猪田の稲を倉に蔵みてあなひねひねしわが戀ふらくは』(万葉集巻第十六 3848

鹿や猪に荒らされる前に多少条件が悪くても
早めに刈り取り倉へ貯蔵しておかなければなりません。



鹿猪垣について
http://www.sukima.com/08_hida00_02/02shishigaki_.html


「小豆島には、万里の長城のミニ版がある。延長120キロに及ぶ、という土塁と石垣の鹿猪垣(ししがき)だ。明治時代初期まで、サツマイモや野菜などを狙って山からやってくる猪の侵入を防いだそうだ。」
長大な猪垣を作っていたからいかに猪の害が大きいのかわかる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


●猪が増えすぎても減りすぎても困る(生態系のバランスが大事)


狩られたイノシシは8万頭、動員された農民はのべ23万人にのぼります。


猪の被害は甚大だった。対馬は山ばかりで平地が少ない、その山は高い山ではないから焼き畑に適していた。猪がいなくなって焼き畑が盛んになり自然破壊が起きた。猪がある程度生息するような自然環境が人間にとっても必要だった。だからその島にもともと住んでいた種を絶滅させることは人間にも危険なことだった。焼き畑も稲作も自然破壊だったのである。農業自体自然破壊だった。そうしなければ人間は住んでいけないし人口もふやすことはできない、対馬のような所では平地がまれなのだから稲作もできない、朝鮮との貿易で栄えることくらいしか方法がない、今では韓国人の観光客がおしよせてホテルを建てるために用地が買収されていることで問題になっている。

猪がまた対馬に増えて長崎県・壱岐島(壱岐市)まで泳いできたということは驚きである。猪も増えるとそうなるのか、対馬なでも生存数は限定されるからそれを越えると海をわたる。人間でも北朝鮮辺りから政変があれば日本にヤハな船でも渡ってくる。猪も泳げば鹿も泳ぐ、島なら適当な距離なら泳いでわたるのだろう。つまり猪の害が壱岐島まで及んでくる恐怖がある。

壱岐島は九州に博多などに近いからその周辺に渡ってきて害になることもありうる。そういう恐怖が飯館村に人が住まなくなって現実となる。ともかく原発事故での影響は生態系にど影響するのかわからないし住民はどうなるのだろうかとかみんな困っている。今日もNHKのクロ-ズアップ現代で浪江町の問題を追求していた。町が消失する危機になっている。もし町が消失したら野生の楽園になるとかは猪のことでならないことがわかった。日本は狭いからチェルノブエリのようにならない、猪が消失した町内に増えたら大変である。繁殖力が強いのだから大変である。浪江の山中は放射性線量が特別高い地域なのである。生態系のパランスが崩れるとその周辺にも大きな変化や害を受ける。日本は特に狭いからそうなのだ。対馬の問題は猪を絶滅させたことが焼き畑をふやして自然破壊になった。そして人間も住みにくくなった。猪は害だからと全部駆逐することは危険なことを警告している。ただ増えすぎると人間にとって害になるから駆逐せざるをえないのである。


ここを参照して書きました
http://musubu2.sblo.jp/article/47693562.html#comment

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2011年09月08日

浪江町は消失するのか? (老人は代替地で住むのには反対)

 

浪江町は消失するのか?

(老人は代替地で住むのには反対)

今この辺で日々起きていることは不思議である。NHKのクロ-ズアップ現代でも浪江町のことを放送していた。若い人は代替地を国から譲ってもらってそこに浪江町の住人が住むべきという案を出した。浪江駅ですら3マイクロシ-ベルトくらいになると結構高いなと思った。除染をしようにもできないとなり若い人たちがそう判断した。すでに散り散りになって全国に住んでいる。浪江町の人を結束するには代替地に住み人とのつながりを求める他ないと判断した。つまりもう浪江町には帰るのはむずかしいと判断した。若い人たちと50代以上の人の考え方は合わない、若い人たちは子育てもあるしとてもこの放射線量では住めないと判断している。一方50代以上の人だと土地への愛着があるから浪江町に帰るべきであるとして結束を保つようにする。
世代間で分断されてしまっている。一方で50代以上が残るにしても若い人がいないなら町は消滅すると言っていることも深刻なのである。その判断はなかなかできない、でもいづれ決めなければならないとしている。


そもそも土地が大事なのか人とのつながりが大事なのかという問いはまた極めて哲学的な問題なのだ。故郷とは土地なのか人とのつながりなのかとなる。両方だというのもわかる。実際は両方だとして何ら問題はないのである。でも故郷はその代々住んだ土地のことである。土地の思い出とともにある。老人が涙ながらに故郷の思い出を語ったことでもわかる。例えば墓などは土地と一体化してある。日本では古来、先祖の霊が山に宿るとしたのは山から水を絶えず供給して田に流れ米の恵みをもたらしてくれたからそうなる。稲作が自然と一体化しているから啄木の「ふるさとの山はありがたきかな」という感情が生まれた。ありがたきかなというのは絶えず山が水を供給してくれるものとしてそうなった。そういう感覚があるから代々の土地に密着して生活してきたから故郷とは日本では土地のことである。土地への愛着が一際強いのである。そうなれば土地を離れて故郷はないとなる。

この感覚は今にはじまったことではない、万葉時代からそうだった。ヤマトが日本の基となったときそれはその土地のことだった。三輪山でも奈良の回りの山々は田に水を供給する故神聖なものとなった。


やまとは 国のまほろば たたなづく 青垣 山ごもれる やまとしうるわし


国のまほろばは土地のことであり土地を離れて国はない、・・・大和し思ほゆ・・・というときそれは土地のことである。土地なくして故郷はありえないのだ。代替地に住めば故郷はなくなるというときそれと同じである。大和の故郷は大和という土地のことだからである。土地から切り離されたとき先祖からも切り離されることになる。なぜなら先祖は土地に住むからである。もはや死んだのだからその土になるというように故郷の土となり霊となったのである。地(ち)と霊(ち)は同じである。でも現実問題として代替地に移るとしたらそこが浪江町の第二の故郷にはなりえる。それは北海道はそうなった。十津川村がある。

1889年に起きた奈良県吉野郡十津川村での十津川水害の被災民がトック原野に入植し新十津川村と称した。この関係で十津川村とは同じ町(村)章を用いている。


ここでは人とのつながりも保ち新しい土地を得たのだから第二の故郷となりえた。原発もやはり災害と同じである。有利な点は東電から補償が得られることである。ただその人数が多いことである。それも老人が多い。おそらく北海道に移住した人達はまだ若かった。それでもうどうにもならないと移住できたのだろう。その時北海道には土地がありあまっていたのである。でも今回は時代が違う、別に個々に住みやすい所に住んでいいのでてある。北海道のような寒い所に移住する必要はない、今ほど移動している時代はないからである。移動の自由は確保されているからだ。第一代替地として広い土地が確保できるかとなると今やむずかしい。日本にはそんな広いフロンティアは未開の地はないのである。今の産業は農業中心ではない、農業には土地が必要だった。満州までも土地を求めたのは農業中心の社会だったからだ。商工会議所の若い人が集まっていたが農家の人はいなかったのである。


そう考えると代替地案はむずかしいのかもしれない、でも現実問題としてやはり浪江町は若い人が住めないとなる消失する、すると老人は50代以上の人達はどうなるのだろうとなる。取り残されてどうなるのだろうかとなる。そういう高齢化の問題も深刻なのである。若い人たちが放射能問題で故郷から出て行くときもう医療でも看護師やら医者がいなくなり支えるものがいなくなる。その恐怖も自分も味わった。医療を受けられないと死ぬということがある。ちょっとしたことでも管が交換できなくても死ぬ。老人が今長生きできるのは医療が発達したからである。その医療が若い人がいなくなり支えられなくなったから老人は死ぬ。そういう深刻な問題が原発事故で起きているのだ。若い人が去り老人だけが取り残される。その恐怖がここにもある。老人だけでは住めないからその町は消滅するという恐怖である。町の命運は若い人が握っていることになる。若い人に従わざるを得ない面がある。老人だけでは町を支えきれないからだ。そういう深刻な問題にどう対処していいのか、極めて困難な問題に直面しているがいづれ判断せざるをえないのである。

 

予測

代替地案は無理→浪江町から人々は分散して消滅する

南相馬市は人口が半分くらいに減り相馬市が中心になり合併する

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2011年09月09日

日本の天地とともにあった万葉人 (万代までと願った日本の自然が原発事故でげがされた)


日本の天地とともにあった万葉人

万代までと願った日本の自然が原発事故でげがされた


吉野川巌と栢と常磐なす我れは通はむ万代までに


皆人の 命も我れも み吉野の 滝の常磐の 常ならぬかも


吉野川巌と栢と常磐なす我れは通はむ万代までに


 かはづ鳴く吉野の川の滝の上の馬酔木の花ぞはしに置くなゆめ


天地とともにもがもと思ひつつありけむものを.......


天地と  相栄えむと  大宮(を 仕へ祀れば  貴( たふと )く嬉しき 


天地と久しきまでに万代に仕へまつらむ黒酒白酒を


天地を照らす日月の極みなくあるべきものを何をか思はむ


吉野なる菜摘の川の川淀に鴨ぞ鳴くなる 山かげにして 」
             巻3−375 湯原王 (天智天皇の孫)




吉野というと桜で有名だがその華やかな表に対して裏側がいつも山陰になる吉野川沿いである。ここは今回の台風でも被害があったところである。相当に山深い場所である。

吉野川巌と栢と常磐なす我れは通はむ万代までに


これは別に吉野川を真野川としてもいい、


真野川の巌と栢と常磐なす我れは通はむ万代までに


現実にそこに原生岩と名づけた岩があった。万葉人は古代人は清浄な地を知っていたしその清浄な地がいつまでもあってほしいという願いが常にあった。万葉時代なら自然は今とは違い清浄な所が多かった。でも万葉人はいつまでもこの清浄な地がありつづけることを願った。それが現代になるとこうした古代人の清浄への感覚が消えた。清浄を保つ感覚は消えてただ経済的繁栄のみを望むようになった。それが原発事故で本当に飯館村とか真野川の上流も警戒区域となり入れなくなるということにさえなった。自分はそこに清浄の地を見出して通っていた。

自分はまた天地に仕えていた。天地とともにあることを願った。それが原発事故で失われようとしたとき怒りを覚えた。誰がそうしたのか?それは清浄の地域をないがしろにした地元の人の責任もある。ただただ物質的繁栄を求める文明自体にもあった。しかしこの地が自分の住む場所が放射能に汚染されると思わなかった。清浄な地域に通えるものと思っていた。万代までもあるこを通えることを願った。万葉人の願いは無惨に放射能によって砕かれたないがしろにされた。津浪は神の怒りだったかもしれぬ。


日本の清浄の天地を汚したものへの神の怒りだったかもしれぬ、特に東京の都会人は原発を清浄な地域にもってきて汚したのである。もちろん地元の人も悪いのは悪い。地元の人も清浄なものへの感覚が消失していた。ただ目前の金こそがすべてとなっていた。語られるのは望むのは金であり経済的な繁栄であれそれしかない。地元にある自然の清浄さを貴重なものだと思う人はまれである。今故郷を失われた老人は泣いている。その恨みは深い、誰が一体こうさせたのだ。それは自分にもふりかかってくる問題であった。故郷を失うことそれがどれほど辛いことか思いしらされた。こんなになるんだったらなぜ命がけでも反対しなかったのかと思う人もでているかもしれない,自分もそういう強い思いに欠けていた。原発の被害がこれほど広範囲なことに驚いたのである。


天地から離れた人間の傲慢が原発事故に
http://musubu.sblo.jp/article/47762171.html

 
posted by 老鶯 at 10:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

南相馬市鹿島区の現在の状態


南相馬市鹿島区の現在の状態

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保育所前の公園の除染

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仮店舗の建設


田は荒れて残れる人や秋薊


復興の希望のひまわり百輪ほど


鹿島区では人の流出はそんなにないだろう。原町区はやはり人口が多い分、子供をもっている人は一部流出している。また仕事がない人も出ている。仕事の問題が深刻なのである。
年金で暮らせる人は残る。老人は故郷に残りやすいのである。田が荒れている、これも湿地帯になるとそうは感じない、湿地帯化すると自然にもどるから荒れた感じにはならない、こういうところも放置したら日本では雨が多いから湿地帯化してゆく、水たまりができて沼になってしまうのだろう。


保育所前の公園では除染作業をしていた。あそこの公園に人がいたというのを見たことがない・・・この辺ではそういうことがある。公園は子供が多ければ集るだろうけどこの辺では公園はあまり利用しない、都会とは違って自然が広がっているからだ。今はたまに子供が公園で遊んでいるのをみかけるがここの公園で人を見たことがない、草や芝生には放射性物質がつきやすい、それをとりのぞいても燃やすこともできない、どこかに埋めることになるがそれでも放射性物質は残るやっかいなものである。除染するにしても河原の茂みやら森やらいたるところにぼうぼうたる草むらがあるのが田舎である。そういうところを全部除染などできない、ほんの一部、人が集りやすいところしか除染はできない、しかし除染しないと放射性物質は消えないから困るのだ。この辺はやっぱり子供がいるから優先的に除染したのだろう。


仮設に盆栽を飾っている。あのくらいの小さなものだったらおける。家では広い庭に置いていたのだろう。仮設住宅は昔の長屋ににている。あんなふうにして狭い所で暮らしていた。隣の声がつつぬけでありプライバシ-がない、自分の家は昔は長屋として貸していたからその話
を聞いているから知っているのだ。ツルハドラッグの前には仮店舗を建設している。おそらく小高区の人がふえたから小高区の人が出すのだろう。鹿島区は店すら何にもない、閑散とした町である。仮設ができてにぎわった感じになっているのも不思議である。


秋薊の季節だけど荒れた田にもふさわしいのが秋薊なのか?農家の人は今何を思っているのだろうか?仕事もしていない、除染の仕事や他の仕事をしているのかもしれない、それにしても
この辺の異常状態はつづく。避難しなくて良かったといえばそうである。それでも一人十万は東電からもらえる。小高区の人は一人十万仮設にいるかぎりもらえるから仕事がなくても生活はできるから津浪の被害にあった人達より恵まれているのかもしれない、ただ復興という点では放射能汚染は延々とつづくのだから不利である。


ひまわりはどこにでも植えられて咲いている。これは復興のシンボルになるのだろうか?
ひまわりは復興のシンボルには最適である。、力強い花だからふさわしいのである。この辺が正常化するのはいつなのか・・・もう正常化しないのか・・・・・なんとか南相馬市は浪江町とかと違ってやっていけるのか?医者や看護師が流出していることは復興するには最大の問題である。仕事もなくなっていることも若い人が流出する大きな問題である。老人はこの薊のように残るほかない、薊は荒れた田にもあっていたのか、薊はたくましい花である。

 
 
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2011年09月10日

原発は東京に作るべきだった (安全ならばそうするのが正論だった)


原発は東京に作るべきだった

(安全ならばそうするのが正論だった)



「原発が本当に安全であるのなら、何も田舎ではなくエネルギー効率、送電効率の一番いい、東京湾にこそ作るべきだ」という至極まっとうな切り口で述べる、反原発の教科書的作品。


「安全」「安全」という言葉が本当ならば原子力推進派の方たちは原発の近くに家を建て居住すべきだ。原子力保安院の職員は、なぜ福島原発現地から逃げだし50キロも離れた郡山市にいるのか?

枝野官房長官は放射能防護服に身を包み、なぜ5分しか現地に滞在せず、すぐに遠くに離れたのか?
原発が危険で制御できないのならやめるしかない。安全なものなら家の隣に建てても問題はない。
新宿に原発を作った方が送電ロスも減りメリットが大きい。


 
もし東京に東電の原発があったなら、こんなめちゃくちゃな運営していただろうか? 
安全対策も指摘されれば直ぐにうっていたんではないだろうか? 
東北(福島)にあったればこそ、安全に対しての危惧、津波に対しての危惧を受け 
ても無視し続けたのではないだろうか? 
もしそうなら、原発は使用すべき自らの登地に作るべきではなかろうか? 

福島県の一部住民は、金に目を眩まず、拒否するべきだったな…今更だけど。 
札束で顔ひっぱたかれて、東電と政府と推進派政治家(知事も含む)に 
屈したんだな。 

清貧を望むべきだったんだろうな…


原発を専門家はみんな危険なことを知っていた。専門家であるがゆえにこんな危険なものをやってられないよと思っている人がいた。だからこそ保安院は危険なことを知っているから郡山市に住んでいた。馬鹿だったのは安全だとばかり思わされていた地元の人だった。よくよく検討などしない、最初に金ありきであり積極的に誘致したという面があった。10キロ圏内などはそうである。富岡町長の金庫が話題になったのもそのためである。それに原発は象徴されていたのだ。湯水のように金が出るのが原発だったのである。町長が郡山市に家を建てたというのも本当らしい。町長が原発で金を得て町を放棄してもいいわけである。もうそこに住まないとしたらそうである。町民が帰りたいという時、お前たちにも責任があったとなる。民主主義では選ぶ方にも責任がある。その選ぶ方も原発推進を望んだのだから同罪だともなる。町民全部の責任だと他から言われるのだ。


原発がどういうものか地元ですら本当に無関心だったし国民も無関心派が多かった。そもそもその危険性を知らされていない、チェルノブエリ事故の時はあれはずさんな国だから起こった。日本は違うよと技術に優れているし日本は管理もロシアのようにずさんではない、日本の工業品と同等のように原発を見ていたのだ。技術や科学に疎い人もそのようにすりこまれていた。地元ではもちろん福島県でも詳しく検討していない、調べてもいない、ただ前の佐藤栄佐久氏だけがプルサ-マルは危険だと何度も警告していた。原子力村と直接対決していたからそうなった。でも選挙で落とされたのである。マスコミも原発推進であり東電から金をもらっていないところはない、それほど東電には何兆円もの利益を出す巨大企業だった。その企業に政府ものみこまれていたのだ。背後にある電事連などは政府を簡単に動かす力をもっていたのだ。そうなるとマスコミから原発は危ないという声は聞こえなくなる。でも原発を東京にという本が出ただけでも話題になっただけでもそれなりに危険を訴える人はいた。ただ単にその時は無謀だと思われていた。


日本の技術を高く評価している研究機関として、PHP研究所や三菱総合研究所などがある。これらの研究機関は、どちらも大手メーカーの御用機関となっている。PHP研究所は松下電器産業と、三菱総合研究所は三菱グループと深い関係がある。特にPHP研究所の息のかかった技術評論家や技術評論関係の著作は数が多い。
http://musubu2.sblo.jp/article/47465113.html


出版は何か大きな組織がパックにつかなければできない、出版社自体そうである。だからPHP研究所の本は良く書店でみかける。書店でみかけることは本を手にとる人も増えてくる。だからみんなもその本を読むと日本の技術の優秀さをほめたたえるからそうかと思い日本人は優秀なんだと思いうぬぼれる。PHP研究所は背後に松下電器産業と、三菱総合研究所は三菱グループなど深い関係にある。こうした巨大企業をあとおしするものとして出版もしているのである。だから企業の悪口は書かないし原発の推進になるから日本人の技術は優秀だから事故にはならないと洗脳されるのである。メデアでもそうだがそういう洗脳機関が張りめぐらされていた。それは知らなくてもそうなっていた。マスコミでも今でこそ原発の危険性を叫んでいるが事故が起きる前は東電からどこでも広告費をもらっていた。 それは戦争の時と同じだった。戦争に負けたら戦争反対派になった。だから信用できない、その時の時勢にのって宣伝費をかせぐだけだとなる。原発を東京にというときもそういう本を出せるのは左翼系統からの応援があったからだ。原発に反対した人は左翼系統でありあいつらは極端なものとして異端視されていた。それで誰も本当に原発が危険なものだということをまともに考えることができなかった不幸がある。


マスコミからは何か重大なものは知らされない、原発がそうだった。戦前は日本が負けていても勝ったとなっていた。事故は起きない、起きると言ったら非国民にされる。でもこの本が出たというのはやはり日本にはまだ民主主義があったということにもなる。でも何かその時誰も真剣に考えない、酔狂なこととして誰も真剣に考えなかった。今になると原発を東京にというのは正論だった。コスト的にもそうだしそれだけ安全を言うなら東京でも問題ない、そして放射能汚染されてわかったことは原発の放射能汚染は田舎ほど甚大になるということである。土から森から海から汚染されたら除染もできない、何十年と放置するほかない、チェルノブエリがそうなった。あそこは広大なの地域だからまだ移転できたが日本では狭いからできない。都会の方が事故があっても除染はしやすいことがあった。ビルなどの建物なら洗い流すとかできた。放射性物質は土とか水とか森とかそういうところに入ったら死の世界になってしまう。食糧をえられなくなる。幸い他から食糧が入ってくる時代だから生きていられる。都会だったらそもそも食糧を作っていないから他からとり入れているのだからそういう害はないのだ。他から食糧を得ればいい、つまり食糧基地に原発は建ててはならないものだった。食糧を得られなくなるからだ。しかし原発はほとんど食糧基地となる風光明媚な所に建っていたのである。東京に原発を建てられないのなら東電でも保安院でもその近くに住むべきでありそれが安全を証明していたのである。

飯館村の早春(神話の村)
http://musubu2.sblo.jp/article/36056980.html


神話の村が放射能の村になったショックがある。これが許せないのである。それはゼウスの神域を汚した火を盗んだプロメテウスなどの過酷な罰に匹敵する。そういう罰を与えるべきだが誰もそうした罰も与えられない責任をとる人はいない、これも戦争のときと同じだったのである。



科学者の責任は問われない科学万能社会
(日本人の技術は優秀だという思い上がり)

http://musubu2.sblo.jp/article/47465113.html

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2011年09月11日

原発を作らせた福島県の責任 (周辺の市町村長が問われている)


原発を作らせた福島県の責任

(周辺の市町村長が問われている)



原爆が爆発してすぐ福島にマンションを買い家族で早々避難
村民やメディアに対し 安全だと言い続けていたが自分は福島からのご出勤。


双葉町長も富岡町長も原発城下町の町長はみんな悪だが
プル佐藤と飯館村長は「みんなで○にましょう」だから鬼畜だよ


それに飯館村も長年、交付金はもらってきてる
村民は知らない人が多いようだが、村長が知らないわけないじゃん?
なのに完全なとばっちりみたいな態度してるのも、同情ひくためだろ
腹黒さでは知事と飯館村長がずば抜けてると思うね


それに村にある老人ホームの老人は避難もさせてもらえず
ずっと村にいる訳だからね。
村長が直属で理事長やってるから閉鎖したら困るもんね。


そういう相馬の立派な市庁舎は原発の交付金で建てられてるからなぁ。


第二原発のある楢葉町の町長は、
公用車がセンチュリーだ。
しかも、いちばん高い12気筒エンジン。

あれを見たら、いまさら東電に文句は言えない。
http://logsoku.com/thread/ninja.2ch.net/newsplus/1300158192/


2009/10/2 太田光秋(自民)平成21年9月定例会10月2日一般質問及び質疑(代表)03号 


 「我が党はこの間、原子力発電対策本部において、耐震安全性も含め、東京電力及び国の安全・安心に向けた不断の取り組みを
 検証し信頼が回復されたものと判断し、プルサーマルを実施しないよう求めた県議会意見書を凍結すべきとの結論で一致している」

2009/12/7 清水敏男(自民)平成21年12月定例会12月7日一般質問及び質疑(代表)02号

 プルサーマル計画について「既に安全性が確保された技術であり、国内第1号のスタートは我が国の原子力史上 大きな意味を持った前進であると我々は認識している」
 

最大会派・森まさこの自民党福島県連が全員一致でプルサーマル推進

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009/6/22 県議会最大会派の自民党 プルサーマル反対の県議会採択の意見書を凍結すべきと申し入れる (福島民報2009/6/23 10:02)
2009/6/25  斎藤健治(自民)県議会6月25日

 「私たちは、7年前にフランスのメロックス社を視察し、MOX燃料を製造している工場も直接見てきました。 フランスの原子力発電所では、既にプルサーマルを実施しており、安全対策をしっかりと行えば問題はありません。
 (中略)6月22日、我が党の原子力発電対策本部会議を開催し、東京電力株式会社から原子力発電所の耐震安全性 評価結果中間報告について説明を聞くとともに、原子力発電問題について検討いたしました。その結果、平成14年10月に意見書を採択して以降、東京電力及び国においては安全・安心のためさまざまな取り組みにより信頼関係は回復し、意見書採択当時の状況と大きく変化しているものと認められることから、我が会派としては この意見書は凍結すべきであるとの意見で一致しており、議長に対し本県における原子力発電問題について協議されるよう要望いたしました。」
 

福島原発が作られた当時の東電社長も福島人

東電関係者の解説 渡部氏は、東電の“中興の祖”といわれる
故・木川田一隆元会長と駝懇の仲だったのです。
渡部氏が一年生議員のころ、当時社長だった
木川田氏が福島出身だったので後援会長就任を打診したほどです。
また、福島第一原発を作ったのは木川田氏が社長の時代でもありました。
正確には原発を福島に誘致したのは、福島が木村王国と呼ばれていた頃
当時県知事の「木村守江」が福島第一、第二の原発を誘致した。
当時の東電社長 木川田一隆と親交が深く雇用対策として誘致した。

http://read2ch.com/r/lifeline/1308733936/
 


これだけ並べられると福島県の責任も重い、だから外から盛んに福島県民も責任があった。金もらっていい思いしたのではないか、今更被害者づらするなとか盛んに言われるのだ。そういう側面は否定できない、飯館村まで交付金もらっていたの?村長が福島市にマンションを買ったということは相当な金があったから金はあった。市町村でも公務員は金が入る。公務員がこんなことだったら福島県に原発建てるべきではなかったとか言った人がまた批判されている。
そういわれてもうかたがない面はあった。金のために積極的に誘致したということを否定はできないのである。渡部恒三氏を筆頭にしてその甥の今の佐藤雄平知事がプルサ-マルを許可した。いわき出身の森まさこ議員もそうだった。いろいろ津波の被害や原発事故で発言していたけどこの人もそうだったことは意外だった。これだけ原発推進派がいれば鬼に金棒ではないか?南相馬市の太田光秋も推進派だった。
原発は自民公明政権が10年の間に強固に利権化していた。だから自民党は民主を原発では責められないのだ。その利権を民主が引き継いだのである。
南相馬市の市庁舎がそんなに立派なのか?南相馬市立病院は一か月入院したけど立派だった。あのような建物を建てられる金はどこから出たのかとも思った。あそこは眺めもいいし気持ちいい所だった。相馬市立総合病院は建物自体が古い。比べるとずいぶん違っている。南相馬市には原発交付金が入り相馬市には入っていなかったのかもしれない、今回もなんとか放射能の被害をまねがれたが一部山の方に被害があった。漁業関係は漁業権をもっているから相当な金をもらっていた。それで磯部に立派な家が建っていたというのは本当だった。新地までもらっていた。その漁業権をもっていたところが軒並み津波の被害があり天罰だったといわれる。なぜならそこに一番原発の金が入っていたからだ。浪江の請戸港では5千万円漁業権をもっている人達がもらい原発御殿を建てた。そういうところはみんな家の土台しか残っていないから悲惨である。


福島県は被害者づらして補償金をふんだくろうとしている、国民の税金がまた使われるとか外から言われる。福島県にも責任があった、金がもらったとしきりに言われる。その恩恵を一番受けているのは誰か?市町村長とかになるからそこが問題視されるようになった。もちろん福島県の公務員も恩恵を受けていたとも言われる。でも公務員は他の県でも同じである。原発なくても同じだからそうはいえない。そもそも故郷を失うなど地元の人も考えたこともないだろう。そして故郷を愛するということはどういうことなのか考えたこともない、でも今現実に故郷に住めなくなったとき故郷に帰りたくても帰れないとなったとき深刻なものとして考えるようになったのである。故郷を愛するといっても故郷を福島県を利権の場としてとらえている人もいる。渡部恒三などがそうである。原発利権の福島県のドンだったのである。前知事の佐藤栄佐久氏が失脚されたのは原発推進にプルサ-マルに反対したからである。その時検察までからんできた。検察によって失脚させられたのである。検察も官僚だとするとき東電の力が背後で働いたしアメリカの力も働いた。渡部恒三の息子はGEの社員だったということでもわかる。福島県の指導する人がこれだけ原発の利権構造を作っていたのである。もちろんその議員を選んだのは県民だから県民にも責任がある。県のマスコミにも責任があった。県内でも原発の危険性を指摘する人はほとんどなかったろう。財界ふくしまなどは最初だけ危険性を指摘していた。でもあとは金をもらってからはしていない、すべてが東電の金で動いていたのである。


ともかく川内村の村長は仮設住宅に住んでいる。金庫で話題になった富岡町長は郡山市に家を新築した。飯館村の村長も福島市にマンションを買った。そうなると別にもう故郷に帰らなくてもいいのだ。それで故郷に帰れない人を二年以内に帰らせるとかいうのは行動と言動が一致しない、故郷を愛する故郷の人々を愛するというよりまず自分のことが先であり安全圏を確保してあとは村民の要望を聞く、そうなると真剣味がなくなる。これも指導者は責任はとらない戦争のときと同じだとなる。苦しむのは民だけだとなる。やはり福島県の指導者は戦犯だった。でも責任はとらない、なぜなら民主主義で一番責任があるのは選んだ人達でもあるからだ。ただ
本当に日本に民主主義が機能していればである。報道関係とか厳しく追求していれば原発は危険だと知るから違ってくる。でもそういうことがないとしたら民主主義は機能していないから民衆は判断できないのである。民主主義では報道が大事になるのはそのためである。報道によってマスコミによって判断する人が多いからである。だからマスコミの責任は大きいのである。
そういう責任を今回も全く果たしていなかった。マスコミにしても一企業であり不利益になることは報道しないという理屈もわかる。ただ現実には報道しえるものは特権をもっているものしかできないとするとその責任は重いのである。

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2011年09月14日

一団体組織に権力が集中して独占巨大化することの危険 (東電が巨大化して第二の国家となり歯止めがなくなっていた)

一団体組織に権力が集中して独占巨大化することの危険

(東電が巨大化して第二の国家となり歯止めがなくなっていた)


●人間は権力者同士権力をそぐために争った

人間というものは本質的に変わらないものがある。そうでなければ歴史でも時代が変われば人間のことは理解できない、人間はこういうものだという変わらないものがあるから過去のことでも理解できる。戦国時代になると弱肉強食や下克上とかなり人間の争いがむきだしになるからかえってそれがもともと人間なのだということで現代にも通じる。ただ時代が変わると弱肉強食でも相手を殺したりはしない、でも強いものと弱いものはいつの社会にも存在する。常に弱肉強食の社会は継続しているというときまさに人間はとても宗教の説く世界とはあまりにも違っているからこそ遂に世は欲で滅びるとなる。社会が変わったというとき江戸時代から明治時代になるときの変化が大きすぎた。その大きな変化をまだひきずっているのが現代なのである。江戸時代が何か不思議な理解できない時代になっているのはまさに現代がそれほど変わってしまったこめである。その変わり方が激しいからまるで江戸時代が別な世界になってしまった。


その一つに会社組織がある。江戸時代には会社が存在しない、個々に職人や農民や商人がいても今のような大きな会社が存在しない、家を大きくしたようなものが会社の前進だった。それは今の会社とは相当違ったものである。会社員で月給もらうとかのとは違う、奉公するということである。これは封建時代には御家に奉公するということからきていて同じエ-トスが共通のモラルとしてあった。下々の者も侍を模範にしていまからそうなった。今日のような東電とかトヨタという大会社は存在しない、その点も大きな相違である。ただその代わりに豪商とかは西では存在した。ただ権力者は武家であり武家は豪商を血書にできた。なぜそうしたかとなるとやはり権力者にとっては権力を持つものを危険視する。それは古代からあったのだ。立派な家を建てたたものを危険視して壊させるとかあった。そもそも社会は常に権力争い弱肉強食が人間社会に変わらないものとしてあるとき権力者は対抗するものの力をそぐことをしてきた。誰かがのしあがって権力者の地位を奪うことを恐れていた。だから敵対するものを弱らせるために力をそぐために非情なことをしてきたのが権力者である。そうしなければ権力が維持できなかったのである。


●敵対する権力者を徹底的に弱体化した信長


織田信長がそれが戦国時代だから徹底していた。誰かがのし上がるのを恐れていた。徳川家康にも非情なことをした。秀吉も織田信長を恐れていたからのしあがるものではないといろいろ手を打っていた。戦国時代は露骨に敵を弱体化するために戦争だけではなく戦っていたのである。経済力をつけさせないとか武器をもたせないとかいろいろした。これは今も同じである。アメリカは世界の権力者たるがために敵対するものを弱体化させるためにそういうことを今もしている。徳川家康にしても全国を治めるというときいかに敵対するものが出てこないようにするために苦心したかわかる。参勤交替もそでありこれで財力をそぎのしあがれないようにした。町は枡形などを作り敵から侵入しにくくした。現代からするとそういうことは経済的発展からすると非効率的なのだけど常に歴史では敵対するものの力をそぐことが大事だった。権力を維持するためにそうすることが必然だったのである。
信長が真宗などと敵対化したのは真宗の組織が強大化していたからである。自分達の権力を脅かすものとして敵対したから殺戮した。それが徹底していたから恐怖したのである。歴史で人間が権力を維持することは常に敵対者に力をもたせないことだった。


そのことが原発事故と何か関係あるのかというとある。権力者とは今は誰なのかということである。織田信長とか秀吉とか家康とか侍ではなくなった。明治時代以降権力者は誰になったのかということである。戦争を起こしたのは財閥だったというときそれは江戸時代の豪商とにている。権力者は豪商を血書にできた。そういう豪商でも国を栄えさせるものというより権力者に敵対するものとして潰すことができた。しかし明治以降は一体誰が権力者なのか?なかなかわかりにくい、財閥だというというときそれはロスチャイルドやロックフェラ-などになるのかもしれない、大会社が背後にあって世界を支配しているというときまさにそうなる。一見政治家のように思える。表面に出てくるのは政治家なのだが実質の権力をもっているものは背後にいる。だから政治家だけでは物事は決められない、前の管首相が突然に原発を全部廃止するとか言ったとき財界からは反発されてとめられる。すると財界が権力者なのかとなる。財界と言っても東電も入っている電事連などは労働組合でもある。財界と労働組合が一体化している。大会社ではそうなっているからだ。現代では政治家は背後にある権力者の操り人魚にすぎないように見える。
信長と秀吉とか家康といった権力者とはずいぶん違っている。実質の権力者は誰なのか、官僚だという人もいるし政治家は絶えず変わるけど官僚は変わらないからそうなのかもしれない、創価なども権力を操作したいがために組織化している。信長だったら真宗信徒などのように殺戮することになる。なぜなら権力の脅威となるものを徹底につぶしたのが信長だったからだ。
宗教団体であれ何であれ権力に脅威になるものはつぶすのが権力者だった。


●東電は第二の国家であり政治家より上の権力者である


現代の権力者は誰なのか?マスコミが第三の権力だというときマスコミも大きな権力になった。
ただ現代の本当の権力者はやはり大会社である。トヨタとか東電の力は国の財力とも拮抗するほどのものである。何兆円の利益を出して莫大な補償に応じるというのにも驚きである。そんな金があったのかと驚いたのである。まちがいなく一つの国家の中の国家である。トヨタとか東電とかは国より大きな力をもっているし国を政治家を動かしているのはむしろ今は大会社であった。トヨタであり東電だったのである。そういうところを見間違いるとなぜ東電があのように力をもったのか理解できないだろう。これだけの権力をもったら横暴なことでも通る。江戸時代以前なら武家など権力者がその力をそぐために方策があったが今はない、王の権力を維持するために会社を大きくさせないような方策はしていたがそれが歯止めが聞かなくなった。その時大会社はすでにもう一つの国家となっていたのだ。


自民党公明党でも東電の下僕にすぎなかった。地元の自民党議員が危険なプルサ-マルに賛成していた。前知事の佐藤栄佐久氏にプルサ-マルを開始するよう再三強く要求していたのである。その結果検察まで乗り出して佐藤栄佐久氏を失脚させた。その背後の力がいかに大きなものかわかる。つまり東電は国家以上の国家だったのである。原子力発電を国策化したというけどそれは東電の力が大きいのである。そうなると東電は鬼に金棒であり国家を支配して会社が国家になっていた。そしたら誰もとがめるものがいない!その権力は増大化してとめるものがいない、それが会社の思い上がりとなりただ儲けを優先させる、安全は二の次になる。なぜなら国家自体の派遣した原子力保安員も東電の社員と変わりないのである。要するに権力に歯止めがかからないとき相互に権力をそぐことができなくなると一面社会にとって怖いものとなる。


それが例え経済を活発にするものでもそうなる。会社が独占化して巨大化することは社会にとって恐怖となるから独占禁止法が生まれたがそれも東電には通じなかったのである。だから東電を弱体化するために送電と発電を分離させるというのは正論なのだろう。独占を阻止しないと原発などのようなものすら作ることをとめることができない、東電は実質上国家だからこそそうなっていたのである。人間社会は何か抑制するものが必要なのである。会社でも監視して抑制するものが必要なのである。しかしそれがないとき会社の横暴に歯止めをかけるものはいなくなるのだ。結果として原発事故が起こったともいえるのだ。巨大権力化するものを抑制するものが必要である。それはカルト宗教団体にもいえる。これらも権力志向であり社会の災いになることはまちがいない、それらは小さい内ににたたかないともうあとは叩くことできない、巨大化して誰も叩くことはできなくなる。それが最後にどうなるのか?それが東電の原発事故だったのである。ナチスなどもそうして巨大化してもう手をつけられなくなった。誰も制御できない、権力の横暴だけが最後にあるだけになった。

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2011年09月16日

故郷とは何なのか? 原発事故で故郷を離れた人に問われる故郷


故郷とは何なのか?


原発事故で故郷を離れた人に問われる故郷



あなたが死んだら、そこは故郷ではない。
何の思い入れもない、ただの土地です。
あなたがいるから、あなたに愛されている。
あなたがいなくなった時、それは終わる。
http://ameblo.jp/c-dai/entry-10923929878.html



故郷とは何か?そのこと自体故郷に住んでいてもわからない、故郷が自分だけのものでもないし故郷は自分が死んでも継続している、土地はなくならない、故郷は継続している、長い歴史があるのが故郷である。一代で終わるのは故郷ではない、歴史とはそういうものである。日本の歴史にしてもそうである。歴史は継続しているから意味があるのだ。長い時間の中で作られてきたから意味があるのだ。自分が死んだら消えるものではない、土地は永続している。そこに土地の意味がある。そもそも万葉集が日本の古典というとき奈良という土地が継続してあるから万葉集もありえる,土地が消失したら万葉集は理解できないのだ。土地の命は人間一代の歴史よりずっと長い、土地は太古からもつづいている。だから奈良の盆地がかつて海だったということも書いた。それほど長い昔にさかのぼるのが土地の歴史である。人間一代の生はわずかにその土地に記すだけなのである。すると人間より土地の方が価値がずっと高いともなる。
土地というものがあって長い歴史が形成されるからだ。土地に人間の歴史は刻まれている。人間の血と汗がしみこんでいる。例えば不毛の地を開拓した土地とかなるとそうである。そこに先祖の労苦が刻まれているのだ。

確かに自分という存在が消えればすべて終わりだというのも真実である。この世のことは終わってしまうからだ。でも歴史で語っているのは死んだ人であり何百年とか千年前とかに死んだ人も語られる。死んでも終わるとは限らない、何かが継続される。受け継がれるのが歴史である。

それは土地と共にある。でも土地がなくても人間のことは受け継がれる。それは土地と結びつかなくても人間として受け継がれるものがある。人間の心が受け継がれることがある。すべてが土地を通じて受け継がれることでもない、聖書はイスラエル人はユダヤ人は故郷を失ったがユダヤ人は今も残っている不思議である。そして二千年後に故郷に帰還して回復されたという不思議がある。それほどまでに一民族が故郷を離れ維持できるのかとなるとこれは例外的なものである。多くの民族は歴史から消えているのだ。人間の故郷が天にあるというとき別に土地にこだわる必要はない、一時的な場所として地はあるだけである。これは遊牧民的発想である。結局人間は旅人でしかないとなる。異邦人にすぎない、これは芭蕉にも通じている。


しかし一方で人間のまともな思想は天地がなくして地がなくして形成されるだろうか?大地があり岩があり樹があり山があり川があり野があり花が咲き種々の生物が嬉々として活きるところに人も和して生きるのである。日本の万葉集の時代はそうだった。だから人間は東京などのように自然がないところに生きていることが異常に思える。そこに一千万も自然がないところに生きることが異常に思える。自然がないところに故郷はない、自然とは土地である。火星のような所で食糧があっても誰も住みたくないし故郷とはなりえない、しかし東京のような所に住んでいる人は自然とは切り離されている、だから人間は別に自然がなくても住める。都会での思想形成は回りがビルとか車とか密集する家の中で形成されるから自然から離れた異常なものになる。


ただ故郷は


埋骨何期墳墓地        骨を埋づむる何ぞ期せん 墳墓の地
人間到処有青山        人間(じんかん)到るところ青山あり


これも真実だから生まれた土地にこだわるたとはない。故郷が自然のあるところならどこにでもなりえるというのも本当である。だから自分の生まれたところにこだわる必要はないのだ。ただ長く生きているところが故郷となりやすい、老人はその土地の土になり死に場所となる。だから離れられないのである。
老人は10年後に癌になると言ってもすでにその頃何かしらの病気になる。放射能でなくても癌になっているのだ。だから今更放射能を恐れてもしょうがないとなる。慣れた土地に住んでいた方がいいとなる。ただこれも個人差があるからいろいろである。別に特別故郷がいいくて住んでいるとは限らない、自分もそうである。自分は東京のような所でなかったら自然がある田舎だったらどこでも良かった。だから別に自然があればどこでもいいと言える。こんなふうになると落ち着かないから嫌になる。もっと落ち着いたところで老後を過ごしたいとなる。だから故郷を追いやられて落ち着かず住んでいる人は悲劇である。老人はどこでも平穏で落ち着きたいからである。

会津の仮設住宅に住むようになった人も不思議である。会津の城で桜をみて今は秋になりつつある。


会津の城に花散りはや秋となりて故郷思ふ人もがな


新潟県と埼玉県に避難した人が一番多い。会津は福島県だから同じ県人としての意識となるのか?会津は会津人であり浜通りとは歴史的に地理的にも別な意識になる。でも会津でも他の県に避難するのとは違ったものとなるだろう。そもそも人間の一体感は江戸時代300年ありその長さのなかで培われたものが基礎にある。だから福島県になってから百年であり福島県の一体感は薄い、福島県は大きいから地理的にも一体感がもてないのである。ただ原発事故で福島県全体が問われたことは福島県人の意識を高めたことは皮肉であるがそうである。知事を選ぶにももっと真剣に考えれば良かったとか原発は中通りまでも影響すると思わなかったから遠い所のものとして関心がなかった。30キロ離れていても影響が大きいのが原発事故だった。
福島県の歴史でこれほど大きな事件はなかった。百年目で最大の危機に瀕したのである。

いづれにしろ人間は何か突然に事件が起きて激変することがある。故郷に住めなくなる故郷が消失するなど考えた人もいなかったろう。しかしそれが今の現実なのである。


限りあれば 吹かねど花は 散るものを 心短き 春の山風 蒲生氏郷


風は吹かなくても花はちる・・・それなのに春の山風が吹いて桜は散ってしまった。山風というのが会津らしい、浜通りだったら春は東風であり海から吹いてくるからだ。人間の命は短い、思わず命は散ってしまう。当時だったらみな寿命は短いから余計にそうなる。蒲生氏郷は近江の人であり会津に生まれた人ではない、ただ思わずに人間は死ぬのは長生きでもそうではないか?津波で死んだ人達がそうだった。そんなふうにして死んだことが信じられない、でも思わずに死んでしまったのである。津波、原発事故は本当に思わざるさとだったのである。そういうことが歴史や人生にはつくづくある。

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2011年09月18日

原野化した南相馬市 (南相馬市はこの先どうなるの?)


原野化した南相馬市

南相馬市はこの先どうなるの?


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高松

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真宗系移民の墓

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空家

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栗の木
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子育て地蔵

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片倉村


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小高区へ道

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鹿島区川子の高台のボランティアのテント

南相馬市の原町区の高松から大木戸を通り片倉村を回ってきた。まだ今日も暑い陽差しだった。高松の墓所を見たら釈とあるから越中からなどの真宗系の移民の墓である。相馬藩では墓所を見れば必ず越中などの真宗系の移民の墓は一目で他から区別できるからわかりやすい、必ずそれは江戸時代の移民の末裔なのである。相馬藩では飢饉三分の一の人口が減ったときどれだけ困ったか真宗系統の墓を見ればわかる。墓所に三分の一も真宗系統の墓が残っているからそれだけ移民に負うことが多かったことがわかる。墓が語らずも証明している。
高松では山田という姓だった。高松は山田の姓が多いことがわかる。その辺で栗の木が一本あり大きなイガが実っていた。けれども家には人の気配がなく玄関はしめきっている。人はいない、前に無縁仏とあったがこれも何なのだろうと思った。


南相馬市では農家でも酪農家でも廃業する家が増える。田畑でも放置すると原野と化して荒れてしまう。元の田畑に戻す作業が大変だと経営が苦しかった農家はやめることになるかもしれない、南相馬市ではまだ原町区でも子供のいる家は避難して帰っていない家が結構あるのかもしれない、空家になっている所がある。子供を育てるのに難儀するから放射能の困る点だった。六号線の牛丼屋のチェ-ン店でも店員一人でてんてこまいだった。アルバイトの若い人を労働力として確保できなくなっているのだろう。若い人はいなくなるとこういう所に影響してくる。チェ-ン店のレストランは閉じている所が多いから淋しさを感じる。繁盛しているのはパチンコ屋だというのは仮設住宅に入っている小高区の人などが仕事をできないので暇で行っているからそうなる。パチンコ屋のアルバイトに行っている人を知っているからだ。そんな所には仕事がある。それも異常事態である。パチンコ屋だけが繁盛してもどうにもならないのだ。


高松から大木戸村辺りに来ると昔の街道からは離れている。原町は雲雀が原辺りから原はつく地名が多いように原っぱだから原町となった。その広大な原に野馬追いのための馬を放し飼いにしていたのである。その回りに柵を設けて木戸を回りに作っていたから野馬土手とか大木戸村が生まれた。原町村は野馬追いには一騎しか出ないあとからできた小さな村だった。宿場町となり人口が集中したのである。そして今は原っぱだった原野と化しているのも不思議である。元の原っぱにもどってしまったのである。馬が二頭を草を食べているが放射能の草である。牛はあまりいないだろう。農家も今や空洞化して原野が広がっているから荒寥としている。
途中の明治テックとかマイアスの工場も閉鎖中である。200百人とか働いていたらそこで仕事があるから人もいつく、その仕事がなくなると人は流出してゆく、流出してゆく人は若い人なのである。だから若い人がいなくなると働く人がいなくなりいろいろな店も閉じるようになるのだ。
高松から石神まで通りは閑散としていた。石神小学校も子供はいないから余計淋しいとなる。



明治テック株式会社

従業員数: 135人
建築工事用シートの分野では業界屈指の生産量を誇っています


マイアス電気株式会社
従業員数 62名



それから片倉村に出たらここも草茫々であり淋しい、トラクタ-で除染しているみたいだ。除染の草や土が積み上げられている。それもどこに始末していいかわからない、旧国道の浜街道を小高の方に行ったら立入禁止であり許可なく入ると罰金とられる。小高に家がある人もそうなるから悲しい。この道は車もほとんど通らない道になった。店はみんな閉じている。車が通らないとこれほど静かになるのかと思った。まるで江戸時代にもどったようだ。そこから原町の街中をぬけて川子に出るとテントを張ってボランティアの人がいた。横浜から来たとか歌を歌うとか言っていた。あそこは長居できるようになっているから便利だ。でも今ボランティアは何をするのか良くわからない、かたづけはだいだい終わったからである。

南相馬市はこれから一体どうなるのだろうか、原野化した田畑は来年回復するのか?それとも当分そのままなのか、若い人は去って老人だけの斜陽の街と化していくのか?今みる限りはそうなっている。こんな風景は本当に異様である。常磐高速道路は工事をつづけるにしても大幅に遅れるだろう。それでも原発事故で得した人もいるだろう。家族が多いと得する。小高区なら5人家族の家を知っているが50万が一月に支給される。その額は大きい。一年つづけば貯金さえできる。運の強い人はこういうときでも得する。いい悪いにしろ金銭運も運なのかもしれない、原町区の人は一時金の支給で終わるからかえって損だともなるか仕事がない人は出て行ってしまうだろう。津波の被害には補償はなく原発事故には補償があるのでその差も大きいのだ。いづれにしろ南相馬市では福祉関係のサ-ビスでも他の市よりは劣る。その他医療も正常化していないし看護師も出て行った人が多い。そうなるとますます活気を失い人が出て行く、何らかの方策を建てないとずるずる衰退してしまうのではないか?

江戸時代は移民政策で盛り返したが今度はどうしたらいいのか?中国人でも移民させるのか、中国人ならこれくらいの放射能は気にしないかもしれない、黄砂の方がひどいからだ。放射能のこを良く説明したらこれならたいしたことがないとなるかもしれない、それでも研修生も中国にいち早く逃げた。放射能は怖がればきりがないからだ。老人は免疫があるから居残る。ただ草茫々の元の原っぱに残されるのか?そういう異様な状態からいつ脱すことができるのか?ソ-ラパネルの会社が来るなどはいい面である。その他になにかいいことはないみたいだ。工業商業もしぼんでゆゆき農家もだめになるとすると衰退するばかりではないか?相馬市の方はまだ南相馬市よりはいい。南相馬市から相馬市に移った人もいる。相馬市は普通に田畑を作れるからいいのだ。ともかく南相馬市はどうなるのか、立入禁止区域から野良犬などが入ってきてウィルスをばらまくとかも騒がれている。こんな異様な世界はまるで映画のようである。でも現実なのだから現実を見つめる他ないのである。

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2011年09月19日

南相馬市周辺の負のスパイラル (土地価格が下落、医者看護師の流出など)


 南相馬市周辺の負のスパイラル

(土地価格が下落、医者看護師の流出など)

●南相馬市相馬市の土地価格が下がっている


一坪は約3.31平米なので
70×3.31=231.7平米です。


南相馬市の土地価格
http://toushi.homes.co.jp/owner/fukushima/city070212/chika24504.html

http://chika.m47.jp/datak-24281.html


相馬市の土地の価格
http://www.tochi-d.com/soumashi/


南相馬市は土地の値段が半分以上に下がっている。一平方メ-トルが6万から2万5千円に
不動産価値も下落している。10年前の半分以下である。南相馬市は全体的に土地からして価値がなくなってきている。原発事故前から下降線をたどっていた。今や誰も放射能の土地を買いたいとう住みたいとかなくなってくる。つまり放射能のせいで南相馬市全体の財産は下落させられたのである。これも原発事故のせいだった。相馬市も土地の価格が下がりつづけていた。仮設住宅に5000人入っているというのも驚きである。相馬市だけではないにしろ相馬市の被害も甚大だった。相馬市は田畑は普通に耕作している。でも土地の価格は下がっているのか?南相馬市から相馬市に移っている人もいる。それはアパ-トを借りる人でありその需要はある。しかし日本では家を建てるとなると土地から家から金がかかりすぎる。特に今は設備費などがかかるので家を簡単には建てられない、こんな放射能汚染になると余計にここには建てないだろう。


まず津波の被害にあった所は住みたくない、するとそこの土地はもう誰も買わない、誰も住まないともなる。これは津波の被害にあったところに共通している。土地の価値がゼロにもなってしまった。なぜなら誰も買わないし住まない、ただ原野化、湿原化しているだけである。 家を建てる人もへってくる。津波原発事故で財産が消失している。富岡町長の金庫のように金がある人は郡山にも新築できる。飯館村長も福島市にマンションを買った。つまり金のある人は外に出ることができる。その人たちはすでに故郷には帰らない、捨てたのである。ない人はとどまるほかないが老人だけになってしまう斜陽のこれまた異様な街になってしまうかもしれない、ソ-ラパネルの会社などが来ることは良いニュ-スである。火力発電所の東北電力の人も残る。その寮もある。田畑を耕す人は農家の人はもともと高齢化で経営も苦しかったから農地は放置されるかもしれない、残れる人は年金をそれなりにもらっている人と仕事が持てる人になってしまう。そういう衰退する街には若い人はますます住みたくないと流出してゆく。負のスパイラルが起きてくるのだ。

確かに南相馬市には核処理の仕事もない、一体この先何があるのだろうか?相馬野馬追いすら数が少ないと迫力に欠ける。しょぼい祭りに
なってしまう。それだけの数も集められなくなる。

限界集落では祭りを受け継ぐ人がいない、万葉祭りなどはなくなっていいにしても相馬野馬追いはなくなったら相馬には何もなくなる。観光と
してはチェルノブエリのように20キロ圏内の野生化した地帯を見る、原発事故現場を見るようなものがでてくる。飯館村は野生化してしまうだろう。鉄格子の窓からイノシシ見学などをするようになるかもしれない、ただ高瀬川などは別に放射能に汚染された水自体はきれいだし気持ちいい場所なのだ。ただ相当に山と森は放射能に汚染されているからそこも行きたくないとなる。老人はあまり気にしないから老人ツア-になる。自分も放射能など気にせず今まで行っていたのだから行きたいとなる。でもそんな未来なんてあるのだろうか?それはチェルノブエリと同じように異常な世界である。そんな世界に住みたいと思うだろうか?来たいという人も研究者と物好きになってしまうだろう。ゴ-ストタウンだ、まるで映画と同じだとか無責任な奴の見せ物になる世界は異常である。


●医者、看護師の他県への流出


毎日新聞で、福島県南相馬市で暮らしていた看護師の記事が掲載されていました。

横田明美さん(46)は南相馬市で勤務していた病院が福島第1原発から30キロ圏内であったため、今月から、山梨県の富士吉田市の市立病院で看護師として働き始めました。
長男と二人で山梨に避難してきたそうですが、夫で市職員である美明さんは、南相馬市に残っています
http://nurse-time.com/blog/2011/06/16/5893.html


透析が復活しない限り、緊急時避難準備区域が解除されても私は帰れない」。南相馬市原町区から福島市内に避難している高野融さん(82)はため息をついた。3年前から週に1度、南相馬市の大町病院で人工透析を受けていたが、震災に伴う医師不足で同病院が透析を休止、福島市内の病院で透析を続けている。同病院の透析患者は10人以上いるという。

南相馬市の緊急時避難準備区域内にある5病院では、震災前に計48人いた常勤医師が28人に、計457人いた常勤看護師も189人に激減した。近く始まる同区域の解除に向けた体制整備は急務だ。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/fukushima/feature/fukushim1315838901498_02/news/20110913-OYT8T01057.htm


相馬市と隣接する相馬市の病院関係者によると、「深刻な人材流出は起きていない」。むしろ事故直後には、原発周辺から避難した看護師が「働かせてほしい」と訪ねてくることもあったという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110912-00000006-cbn-soci


渡辺静さんは、いわき市で生まれ育ち、同市内の病院で看護師として勤務。
しかし、福島原発事故が発生したため、高校2年と中学2年の娘2人とともに、先に父親の知人を頼って下関市に避難。

その後、原発事故の収束の見込みもなく、娘も下関での生活を望んだため、下関市立済生会豊浦病院に看護師として就職することを選んだそうです。
http://nurse-time.com/blog/2011/06/17/5898.html


医者とか看護師は資格と経験があればどこでもひっぱりだこである。だからこういう災難が来たら他県に移る人も出やすい。他は就職がむずかしいから簡単に他県に出ても苦しい。医者と看護師は人材が流出しやすいから医療崩壊は深刻である。みんな子育てのためにはやむをえないと判断する。それを責めることもできないのが現状である。子育地蔵が石神にあったが今回は無力だった。地蔵に願ってもどうにもならなかった。


透析のようにもし治療を受けられないと死ぬというのは深刻である。自分も南相馬市立病院と民間の医院と相馬総合市立病院の三カ所に通い病院側のミスで危険状態になった。その時たまたま原町の医院が開いていたので助かった。緊急事態だったけど受け付けられなかった。その時混んでいたのである。医療には緊急事態がある。それに対応できなければ死ぬ人がでてくる。南相馬市とかではそういうリスクを受け入れて住まねばならないというのも辛いのである。

南相馬市立病院には一か月入院して看護師に世話になった。その人たちも他に流出したのだろう。若いから結婚していない人も多い、そういう人は看護師資格をもっていればどこでも働き場所があり将来結婚して子育てするのには放射能汚染地帯では危険だということで流出する。これをとがめることもできない、放射能は妊婦や子供に影響しやすいからそうなる。
もう南相馬市とかにいると死期も早めるということも考慮して住むほかないのかもしれない、ただ簡単に他へ移るのがむずかしい人はいる。土地とか家がありそこでなんとか暮らせる人は老人は出にくいのである。だから老人が残って若い人は出てしまったという家も多いのである。
ともかく医療は即命にかかわるから深刻なのである。ただ50代以上はあまり放射能を気にする必要がないということで残りたいという人が多いのである。新しい土地でなじむことはむずかしくなっているからだ。


● 飯館村は放射能汚染物質などのゴミ捨て場になるのか?


飯館村は南相馬市より深刻である。放射性物質の土などを空き地が多いのだから谷間のような所に集積して埋めるとかを村長が決定したみたいだ。飯館村の村長は福島市にマンションを買ったのだから帰らなくてもいい、金庫騒動の富岡町長も郡山市に家を新築したから帰るなくてもいい、金も十分にある。ただ本当にこのように市町村が崩壊するということはどういうことなのか理解できない、これが単に一時期的なものなら回復もある。ただ本当に帰れなくなる場合は市町村は消滅する。飯館村はどうしても放射線量が高いから簡単に帰れるとは思えないのだ。するとそこは国で管理するようになる。そこでの用途は産業廃棄物とかでもめたことがあったが核の処理場となり放射能汚染物質の置き場になりやすいのである。人がいないのだから反対する人もいなくなるからだ。ただ政府にしても東電でも補償金がかさむからそのあと長く補償しきれないだろう。補償をうちきり土地を買い上げることするとしてもその金が莫大だからこれからどうなるのかわからない、ただそう簡単に帰れないというのは現実である。放射線はセシウムだと30年とか減らないし除染にも限界がある。森を除染できないとすると一区画をしてもそれ以上は減らせないことがわかった。その森林が70パ-セントとかの地帯だから除染には限界がある。こういう点でも負のスパイラルが原発事故周辺で起きているのだ。

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2011年09月22日

ここ二日間に起こった相馬での自分の緊急事態 救急車を利用、台風で交通が混乱、相馬市のランチメニュ-


ここ二日間に起こった相馬での緊急事態

救急車を利用、台風で交通が混乱、相馬市のランチメニュ-


●総合病院では行く度に先生が変わるので困る

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小便出なくなって七転八倒した。軽い手術のようなものをしたが効き目はなくかえって苦しむだけだった。前も入院したときそうだった。かえって管を入れていた方が楽である。だから何か手術しても良くならないように思う。胃ろうでも今の世の中3年も四年も生きている人がいる。よくそんなことで生きられると思う。自分の場合は食欲もあるし普通に動ける、前とそれほど変わりなく動ける。
だから体力がねんなに落ちたとは思えない。病気は普通は食欲なくなると病気だと思う。食欲あるうちは病気とは思えない。ただ糖尿病とか腎臓病は別であるが、腎臓も悪くなると食欲がなくなる。

病気は食欲がなくなることだと思うのが普通である。また動けなくなるのも病気である。そうでないかぎり病気だとはあまり思わないのだ。治療したり手術したりして良くなるならいいが悪くなる場合もある。病気に関しては田舎は不利である。医者を選ぶことはできない、こんなに混乱しているとさらにそうだった。医者にかかれるだけいいと思えとなってしまう。病気になると都会の方が有利である。金さえあれば高度な治療ができる。ただ都会がすべていいとは限らない、地元だと知っている人がいるとか安心感がある。精神的な面でいいことはある。都会だとたとえいい治療が受けられても他の面で不満があったりする。つまり何事すべてに満足させられるものはない、ただ病気はかかる医者に大きく左右される。しかしその医者がうまいかどうかもわからない、すべての人にとっていい医者がいるわけではないからだ。技術の問題もあるが人間性の問題もある。あの先生とはあわないとか嫌だなとなると技術がうまい先生ともうまくいかないことはある。総合病院の問題は行く度に先生が変わっていることである。研修生も処方箋を書くからさらにややこしくなる。誰か一貫して責任をもたない、共同責任体制になっている。開業医だと評判に大きく左右される。どうしても一人の人間としてずっとみるからこの先生はいいとかだめだとなる。総合病院ではそういう判断がしにくいのである。

●交通の混乱

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今回は一回は真夜中の救急車であり次の日はタクシ-とタクシ-は1万5千円かかった。相馬市までだと高くなる。代行バスは台風で休みとか夜遅くなってしまったとかタクシ-を利用せざるをえなかった。この辺は交通も混乱している。普通に運行している福島交通のバスを今回は利用した。これも一日三回くらいだから利用したことがない。昨日今日とJRの代行バスが運行していない、今日は外からきた人ともめていた、なぜバスを出さないのだ。回送するバスが原町まで行くのでのせろとJRの職員にくってかかっていた。しきりに悪口言っていたから東北人ではない、ボケナスとかなんとか激しい言葉でどついていた。民間なんだからこんなことしていたら首だぞとか言っていた。東北人は忍耐強いというとき会社にもあんまり文句をいわない、そのことが東電とか政府にも原発事故で強い抗議をしないことに通じてもいる。大阪や九州あたりだったらすごいことになっていたろう。あの辺で原発事故があったら東北のようにはならない、大騒動になっていた。そういう東北人の性格をみぬいて原発を建てたとも言える側面はある。


JRは原町-相馬市間を走らせる計画だというが電気は新地の方からとってくるとかかなりめんどうらしいからいつになるかわからない。鉄道を走らせることはコストもかかるしめんどうなのである。ところがバスだと道路さえあればどこにでも行ける融通さがある。事実代行バスとか相馬市と福島市の間の定期バスが福島交通から新しく開通して乗客もかなりある。相馬市と原町区間はあんまり乗っていないのは同じだった。昨日と今日は代行バスも走らないので利用した。バスの方が緊急事態には対応が早い。鉄道はもう復旧するにも時間がかかりすぎる。だからバスでもいいとなる。ただ原町-相馬市間はバスでも相当に不便だった。外からきた人は原町までタクシ-で行った。かなり急いでいてそうなった。外からきた人はあまり待っていられないからそうなった。この辺ではこの交通の問題も大きな問題である。こうなると相馬市-福島市のバスが出るようになったようにそこから東京などへ出る人がふえる。外からの人は東京から福島市に来て相馬市に出るのが一番近道である。ここの高速道路は決まったというのも交通体系が原発事故で変わってしまったからだ。今の時代は交通は大きな問題になる。交通で世界に網の目のように結ばれるようになったのが現代だからである。だから交通がたたれると陸の孤島のようになってしまい不自由になるのだ。災害でそういうことが起きている。本当にこの辺の混乱はずっと長くつづく、簡単に前の状態にはもどらないのである。




●2ちゃんねるののりで放射能の危険を大げさに地元の人が話していた


相馬市に度々行くようになって駅前のレストランとかを利用する。中華料理の李龍とかうしろのホテルのランチなどを食べた。バイキング形式でランチを出しているのは安くてうまかった。500円は安いというのは本当だろう。コ-ヒ-も百円でのめる。そこで話していたのが相馬市に住む人で放射能のことだった。真野ダムの水は飲んでいないとかこの台風で放射性物質が流れて相当にたまったから気をつけろとかその人は年の割りには放射能のことを恐れている。地元の水は飲んでいない、青森地方の水を飲んでいるというのはトラック運転手にコネがあり頼むと言っていた。会社を経営している人らしく今ハロ-ワ-クでは人を安く雇えるとか言っていた。ともかく働く場がないからこの辺ではそうなっている。

この人は水にこだわっていて炭とかで濾過していい水を作っている。その人が話するのに浪江の川に上ってくる鮭は危ない、それも放射能づけになり海に帰って再びもどってきた時が危ない、頭二つとか巨大化したものとか、ヒレがいくつもあるとか、勝手に言いたい放題の放射能被害のことを言っている。いろんな奇形の動物が生まれることをおもしろおかしく言っている。足が六本のイノシシとかなんとかかんとか馬鹿話をしている。これはいつも2ちゃんねるで言っていることだった。それが地元の人が言っていたから2ちゃんねるの会話はこうした巷の会話と共通性があると思った。とるにたらぬものというのではなくそこに庶民の本音がでている場合があるからだ。そういうところでは本音がしゃべる、東電の社員が爆発のとき逃げて食堂でそのことをしゃべったのも真実なのだろう。そういうところでは本音がきけるということにもなる。相馬市にどういう店がレストランがあるかどうかは実際に利用してみないとわからないのだ。どこの街でもそういうことはそこに暮らす感覚でないとわからないのである。相馬市駅界隈には結構いい食堂やレストランがあることがわかった。李龍のゴマのアイスはうまかった。ランチは得でありそのレストランの売りが何かがわかるときがある。レストランでもそれを見込んで安く出しているのだろう。

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2011年09月25日

アメリカの9・11の単純な疑問 (原爆、原発のアメリカの罪)


アメリカの9・11の単純な疑問

(原爆、原発のアメリカの罪)


●原爆とフクシマ原発事故の相違


アメリカについての疑問はいろいろある。9・11のニュヨ-クのテロで3000人死んだこと、日本人も20人くらい死んだことは確かに痛ましいことだった。その衝撃が大きかったことはわかる。でも日本に原爆を落とされたことと比べると桁が違っている。10万人も死んだ原子爆弾ほど空恐ろしいものがなかった。その被害にあったヒロシマ、ナガサキはこの世の終わりと思ったかもしれない、確かにあのテロも凄まじいものだった。しかしアメリカは原子爆弾を日本に落とした。そのことの方が恐ろしい。そして今回も報復としてイラク戦争でイラク人が20万人とか死んでいる。3000人殺されて20万人以上が殺された。アフガニスタンではまだ戦闘がつづき犠牲者がでている。アメリカ人も4400人死んだから3000人の犠牲者にプラスされる。アメリカは真珠湾攻撃でもそうだが敵には必ず報復する。百倍にしても報復する。汝の敵を許せ・・・というキリスト教国でもなんでもない、やられたらやりかえせ、絶対に許すなというのがアメリカである。


原子爆弾ほど恐ろしいものはなかった。そのことを遠いから余り考えなかった。その時世の終わりだと思った人もいたろう。なぜそのことを考えるようになったかというとつくづく放射能の恐ろしさを身近で知ったからである。放射能の怖さを原子爆弾としてしか知らない、原子爆弾は一目見てその恐ろしさに愕然とする。しかし一方で原子爆弾は爆弾であり放射能に関してはフクシマの原発事故の百分の一くらいしか放射性物質が出ていないということがあった。それでも放射性物質は拡散された。

http://www.hiroshima9.com/yougo/yougo.html


フクシマの原発事故は10万人の死人が出るというようなものではなかった。ただ放射性物質が出た量は百倍であった。放射能汚染の広さが違っていた。ヒロシマなどでは集中的に爆心地で10万人が死んだ。その衝撃と比べるとずいぶん違っている。しかし放射能の恐ろしさは別なものとして現れた。土や水や森や山や生活の基盤になるものを汚染したのでそこに居住できなくなったことである。農業や漁業、林業など自然にかかわるものが一番被害を受けた。除染するにしても山や森はできないから一区画を除染しても放射線量は減らせないのである。その期間は長くつづくので居住できなくなった。そしてその被害が今後どのようにでてくるかわからない、放射能は遺伝情報も破壊するのでそれも怖いと思った。子供には大きな影響があることも怖かった。放射能は結局逃れる術がない、聖書では岩の陰や山に逃れよとあるがその山に逃れることもできない、山が一番汚染されていたのである。放射能の危険から逃れることができないというのがその恐ろしさだった。

原子爆弾を落としたのもアメリカであり原発をもたらしたものも最初はアメリカだった。アメリカの罪はやはり大きい。原爆を落としたのだから日本には原発を作らせたくないというのが恩情だったかもしれない、それは日本で望んだことだといえば共犯でもあった。読売新聞の正力松太郎が宣伝して原発を最初に導入する原動力となった。


●アメリカの属国となった結果としての原発の導入


正力松太郎
http://blogs.yahoo.co.jp/hougafan7/19275308.html

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=226482


戦犯であり刑務所から出て日本はエネルギ-で石油でアメリカに負けたから原発は必要だとして新聞を通じて宣伝したことからはじまった。日本は戦争に負けてアメリカの従属国になったのだから逆らえないという弱みがありそこにつけ入れられたとも言える。アメリカにとってはビジネスであり危険なマ-ク1を日本に売りつけた。たいがい後進国は安い武器を売りつけられる。それで内戦とかなると安い武器で戦う。そういう構図が日本にもあった。アメリカから日本に原発をとり入れるとき安全面での指導が不十分だった。日本の風土に適したように作れなかった。地震があり津波がありマ-ク1は地震にも弱いとされていた。それはわかっていたのでありアメリカの技術者も警告していたのである。日本はまた狭い国だから一旦事故が起きたら逃れようがない、それも原発とはあわない風土でもあった。日本がアメリカの従属国となってしまったということそれがまた原発事故の要因ともなっていたのだ。湯川秀樹などは原発を早く導入することに反対だった。やはり危険性を知っていたからである。必ずしも科学者指導で作られたものではなかった。日本の技術の未熟さがありそこに古い型のマ-ク1を売りつけられたのである。それを導入したことも批判されるべきだった。


日本にとってアメリカの害悪は大きいものだった。世界でもそうである。イラクはテロの主犯でもない、今になるとスケ-プゴ-トにされたのである。3000人のアメリカ人が死んだのだから誰かがその犠牲にならねばならなかった。それがイラクだったのである。太平洋戦争では犠牲にされたのは日本だった。それが原爆であり次に原発でまた犠牲にされたのである。アメリカの従属国になったとき日本の良き伝統は失われモラルも失われた。ただ金だけがすべての社会になってしまった。これもアメリカ化した結果なのである。アメリカをまねればアメリカとにてくる。いい面があるとしても悪い面でもにてくるのだ。ともかく10年すぎてやはりアメリカは世界に害悪を与えてもいるのだから自重するべきだった。結局イラクやアフガンで20万人の犠牲者が出てテロが終焉したかというとそうでもなかった。アメリカは自国の防衛のために他国を徹底的に痛めつける。正義もなにもない、ただうちのめすことが目的なのである。それは日本の原爆ですでに証明されていたのである。だからアメリカは
必ず日本に復讐されるということを恐れているというのもわかる。それだけのことをしたのだからそうした恐怖感は消えることはない、殺人者の心理と同じなのである。やましいことかあるからそうなっているのだ。いづれアメリカも神に裁かれるのである。


●時事問題深層の10年前の詩


9・11のテロの詩

耐え難き悲しみに耐えたるあとに

この非道、残酷は何故か知らじ
その暴虐、その無謀、狂気は何故ぞ
一瞬にして3000人の命を奪う
ただ茫然自失として佇むのみ
その悲しみはぬぐいがたし
ニューヨークを死の影が覆う
その怒りは煮えたぎるマグマとなり
敵なるサタンに向い爆発する
一転して敵地を見ればそこも無惨
大旱魃に長年の戦乱に飢えたる大量の難民
その敵に向い押し寄せてくる
ロシアに国土は踏みにじられて
地雷に足をなくす子供
その置き土産は地雷なり
アメリカはかつての友なりしを
その友の送るミサエルは今度はアメリカに向かう
イラクもかつてのアメリカの友
武器は売られ蓄えられまたアメリカに向かう
武器そのものが災いならじや
アフガニスタンはアメリカの敵たるや
その国は疲弊しその民は飢え苦しむ
アメリカは正義の国なりと
原子爆弾を落とし裁きを与える
ベトナムになお爆弾の痕生々し
そして不敵に逆らうイラクに爆弾の雨
アメリカは強者故に裁きを与える
人なれ国なれ裁くべからじ
裁くは神のなすことなり
その耐えがたき悲しみに耐えたる時に
世界の同情はアメリカに集まり
神の哀れみもそこに注がれ
テロの魔の手も神によりそがれむ
また強者のアメリカの裁きを実行すれば
そこに憎しみは残り深まり
またテロがアメリカに向けられる
眼には眼を、歯には歯を
そこに解決の道は平和はこない
その耐えがたき悲しみに耐えたる時
テロの無謀も収まらん
暴力は暴力を生み、憎しみは憎しみを生む
その悪の連鎖は断ち切れぬ
主、キリストの十字架に祈るべきにあらじや
その時その無謀に流せし涙は無駄にならじ
世界の人々の分け隔てなく集う
平和の鳩の憩う都とならん
その耐えがたき悲しみに耐えたる故に
戦争の悲惨さを自らの国で知り
ヒロシマの悲劇にも同情の及び
ニューヨークは再び世界の自由の都とならむ


結局10年前にこの詩を書いた。10年間インタ-ネットで書いてきた。最初は書いて発表することがなかったのでうまく書けなかった。書くことも訓練だった。アメリカはあの時怒り狂った。しかしよくよく自分達のしたことをかえりみれば冷静にみつめればなぜあんなことが起こったのかわかるはずである。あの時感情が爆発した。その結果として20万人がイラクやアフガニスタンで犠牲になったのである。結果としてそうなったのである。アメリカとはそういう国なのである。正義も何もない、ただ結局は大国の覇権争いである。第二次世界大戦もそうだった。アメリカ、ロシア,日本の覇権争いになった。日本は背伸びしてその覇権争いに敗北しただけである。まず「汝の敵を愛せよ」などありえない、「汝の敵を殲滅せよ」これがアメリカだったし今もそうである。

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2011年09月27日

今日一日のできごと(除染、農家の補償問題など)


今日一日のできごと(除染、農家の補償問題など)


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謎の鳥、飛べない鳥ではないが高くは飛べない鳥だった。何かの雛鳥だったのか?
こんな大きな鳥がどうしてここにいるのだろうか?草原化したためなのか?
これは海の鳥だろう、迷い込んだのかもしれない・・・・・・


fukushimagen123.jpg
川子のボランティアのキャンプ場にこの車があった。広島から来ていた。あそこのテントは減っていた。ここでは除染作業をする。車まで特別用意しているから本格的である。


原発有志作業隊
http://mainichi.jp/area/hiroshima/news/20110911ddlk34040384000c.html

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原町の小学校の校庭や公園の除染作業をしていた。この土の量がはんぱじゃない、多いから困る。

次に駅前の喫茶店で食事、そこで鹿島区の農家の人がいた。補償の相談のために来ていて弁護士と相談することを話していた。38町歩もっているというのには驚いた。そんな広い土地を一家族でできるのかと思った。15町歩でも一家族で耕作するのには広すぎると思ったからだ。蛙の卵死んでいたとか今年は蛙はほとんど鳴かなかった。補償問題はやっかいである。南相馬市で30キロ圏外でも一人10万は最低もらえることになった。その他は交渉しだいである。実際の損失がない人はもらえない、農家などは確実にもらえるが補償額がどうなるのか、38町歩の補償となるととても個人ではできないから弁護士に頼むことになる。


自分もわからないことがあり東電の係に聞いたが東電の社員に聞いても話しにならない、相手は払いたくないからだ。だからあんなめんどうな書類を送ってきたのである。第三者機関を通さない限りまともに賠償金はえられない、毎月払われる人も来年9月頃で打ち切りとか期間を限定している。2,3年は回復するにかかる。なるべく早期に補償を打ち切りたいからそうなる。一年伸びてもその額が巨額になるからだ。おそらく二年補償してくれても原発周辺の市町村は元のような状態にもどらない、農業でも廃業する人はふえてくる。回りでも医者が二軒やめたし惣菜屋もやめたし廃業する所がふえている。これは原町区だともっとふえている。緊急時避難地域を解除されても人口はへってゆく。


それでもなぜ飢饉のような深刻な状態にならなのか?それはス-パ-に今年の米が福岡の米が積まれていたように食糧は金さえあれば九州であれ外国からも容易に入ってくる時代だからそうなっているのだ。もし江戸時代だったら米を作れなかったら飢饉である。原発事故も大変だが食糧が入ってこなかったら生きるか死ぬかの瀬戸際にたたされる。食糧の奪い合いも起きる地獄になってしまっている。そこまでならないのはそもそも食糧過剰時代であり牛でも米でも牛乳でも日本全国レベルになれば余っているのだ。交通が発達しているから食糧はどこからでも入ってくる。現代は相馬藩とかいう極々狭いなかでの生活ではなくなっている。日本全国の中で経済は動いている。グロ-バル化でも動いている。だからギリシャの財政難がなぜ世界にこれほど影響するのか?逆に経済は世界化しているからそうなる。

でも草茫々の田んぼを見ていると不安になってくる,それだけではない一体ここでこれからまともに生活していけるのだろうかという不安が常にある。自分もだから何か落ち着かなくて困っている。
何か落ち着いて仕事ができないのである。おそらく子供にしても落ち着いて生活できないし勉強もできないとなる。これは全般的に影響している。こういう状態はまだ何年もつづくだろう。するとみんなこの先どうなるのだろうと不安になる。そういう生活は普通ではない、時間のロスが大きいのである。ここでは先がない若い人は出て行くようになるのも困る。


もう一つ問題としてもしこの辺で米作りがなくなったら田んぼがなくなったらどうなるのか?そんなこと考えたこともない、それは食糧を得るというだけではない、風景を作ってきたということもある。江戸時代から何百年という営みがたたれる。生態系を変わってしまう。でも現実問題として農業なくても食糧は他からえられる時代なのである。そこが時代が変わってしまったことである。食糧は全国から補うことができる。別にここで農業をしなくてもそうなのである。ただそれでここで何するのか?田んぼなくなった田舎が考えられないのである。食糧としてだけ田んぼがあるのかという疑問があるのだ。北海道のように牧場になることもありえる。でもそれも放射能汚染で先のことである。
一体この辺は将来どうなってしまうのだろう・・・?????? こんなふうな生活がいつまでつづくのだろうという不安ばかり増大してくるのである。

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2011年09月28日

金の力が極端に大きくなった原因を原発事故から考える (交通の発達のため遠くと一体化したため-一方近隣の共助関係は喪失)

 

金の力が極端に大きくなった原因を原発事故から考える

(交通の発達のため遠くと一体化したため-一方近隣の共助関係は喪失)

●物資が外から入らなくなった時


なぜこれほど金の世の中になったかということが今回の原発事故で具体的にわかった。この辺は農家が多い、でも米を作らなくなってもここに住んでも影響しない不思議だった。ス-パ-に福岡の米が積まれていた。九州でもどこからでも食糧は入ってくる。多少は食糧は高くなっているから困るにしても食糧がなくなることはないのだ。これを江戸時代とから比べると全く違っていた。江戸時代は相馬藩内の経済である。飯館村も山中郷であり相馬藩であり飯館で飢饉があったとき相馬藩全体で支援した。でも伊達氏は敵対しているから支援はされない。つまりすべて相馬藩でまかなうとしたらもし米がとれなくなったら即餓死につながってしまう。だから農家でなくてものんびりかまえていられない、ただその時農家が大半にしても自分たちの食べる米がなくなったら餓死につながる。それで飢饉のために郷倉が作り米を貯えていた。原町区に豪倉がありバス停としてあったからそこに確かにあったのだ。


これは各地にあったからめずらしいものではない。それは地域で村で飢饉のために備えて米を貯えていたのだ。南相馬市では一時交通が途絶えた。それで何とか米が多少あったので食いつないだ経験をした。電気が通っていたので一人炊き用の電気釜で米をたいて二週間くらい米だけを食べていた。ノリとかカンヅメとか多少があったがすぐにきれた。それでも米はあったから食いつなぐことができた。十日間過ぎるころ米もなくなった。その時ここでは米を配給したのである。その時は助かった。それから一週間くらいして支援物資が入るようになった。人間は米があればなんとか生きられることがわかったのである。ただ電気が通らなくなったら大変だった。ガスがあったからガスを使うほかなかったかもしれない、そのガスも都市ガスだったりしたらだめである。緊急時の備えに適したものと適さないものがあるのだ。電気も通らなくなった三陸の方では燃料も薪を燃やしたり水も井戸水を使ったり坂を上り何度も運んでいた。水道も使用できなくなることがあった。その時井戸水がなかったら交通も途絶えているから生き延びることができなくなった。そういうとき近くで米を供給してくるれだけでありがたいと思った。


●農家近隣が大事にされなくなった理由


それがなぜ回りでも米を作らないのに困ることもない、そうなると農家が大事だとも思わない、近隣が地域が大事だとも思わない、そういう地域社会が喪失していても困ることがないからすでにそうなっていた。それは食糧がどこからでも入ってくるとなると近くの農家すら大事に思わないのだ。近くの農家がなくても別に食糧などどこからでも入ってくるではないかという感覚になっていた。そこで農家の価値はすでに低くくされていた。もしどこからも食糧が米が入ってこなかったら米の価値は百倍の価値も出てくるだろう。米が手に入らなかった死んでしまうからである。現代は飢饉の備えとか災害の備えというときそれはすでに全国規模で備えられているのであり一地域での備えではない、一地域が災害にあっても交通さえ遮断されなければ死ぬことはないのだ。だから現代では交通こそが一番大事なものとなっていた。

南相馬市では一時困窮したのは交通が遮断された、放射能で外部から人が入らず物資が運べなかったためである。内部でそれだけの食糧は今はみんな備えていないからだ。現代では交通は血流であり道路は血管なのである。それが断たれると危機に瀕する。ガソリンがなくなって毎日長蛇の車の列がそれを示していた。車が足となった時代はガソリンがなかったら身動きとれなくなっていたのだ。外から物資を運ぶのにもガソリンがなくなった運べなかったのである。それで放射線の権威の学者の人がまず常磐高速道などを開通して交通で東京と結ぶべきだという意見はそこからでている。道路はたいして汚染されていないからそう言っている。交通の回復がまず復興のたへに不可欠になっていたのである。


●福祉関係などでは近隣の協力が必要


現代の安心安全は交通にあった。全国規模で考えればどんな災害でも交通さえ途絶えなければ助かる。支援物資が届けば助かる。それで物資を運ぶ人がありがたいと思ったのも不思議である。命をつなぐ物資をその時運んでいたのである。放射能など気にせず運んできてくれたらどれだけ助かるのかと心から思ったのである。交通が生命線だというとき東京などでも帰宅困難者の問題も交通が途絶えて帰れなくなるということから起きてくる。交通は血流であり手足だからそうなってしまう。交通の重要性は日頃意識しないけどそれだけ現代では生命線になっている。つまり病気なったとき体のどこでも大事なものだと意識するけど健康なときは意識しないと同じである。一方でこうした交通の極度の発達は近隣を大事なものとしない、近くより遠くが大事だという社会になってしまい、金の力が大きくなる。外部から物を買うというとき金の力が大きくなる。それも全国規模になり世界規模になるときますます金が大きな力を持つようになった。


だから今は地域社会で解体しやすい、地域のつながりが希薄化している。そういうことが原発事故で避難者に起きている。町長自体が五億円入った金庫があったとか話題になったようにそして町長は郡山市に家を新築したように町長自体が自分の住んでいる場所にこだわらない。金さえあれば他の場所に移り住むことができる、飯館村の村長もマンションを買った。江戸時代だったらそういうことはありえないだろう。金さえあれば移り住むことは容易な時代なのである。だから地域社会も意外と解体しやすいのかもしれない、どれだけ市町村のつながりが保てるのかということが問題になっているのだ。

そしてそこに矛盾が生まれた。近隣で助け合うということがなくなった。近隣で助け合わなくても困らないからそうなった。もし自分の生活している土地で米がとれなかったら即飢死だとなれば近隣の農家は大事になる。江戸時代あたりはみなそうだった。なに金さえあれば近隣は関係ないという社会になれば隣同士さら無関心になってしまう。そして福祉の面だと金だけ助けてもらうことはできないことがつくづくわかった。時給とか払って家で働いてもらうことがそのモチベ-ションが皆無なのでできないことだった。江戸時代あたりは普通に行われていた助け合いは喪失した。その時金だけではどうにもならない、金が万能にはならないのである。人間の世の中は便利さを求めるといい面と悪い面が必ずでてくる。原発も悪い面だけではない、いい面があったからこそ作られた。でもその悪い面は最悪でありそれを想定していなかったのである。
便利さを追求している社会は一面大きな危険がひそんでいたのである。だから便利さの技術がいいとして全面的に追求することは危険があった。それを制約するものも必要だったがそれが人間にはできない、車もわずかでも減らすことができない、電気でもなかなか減らせない、それが人間のアキレス腱となって原発事故が起きたともいえるのだ。


 

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2011年10月02日

原町火力発電所と相馬共同火力(新地)発電所の津波の被害の違い (ちょっとした地形の相違で被害の大小があった)


原町火力発電所と相馬共同火力(新地)発電所の津波の被害の違い

(ちょっとした地形の相違で被害の大小があった)


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原町火力発電所

この建物の半分くらいまで津波が来た


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ここは一時火事になった

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相馬共同火力(新地)



ここの被害は少なかったのはちょっとした地形の相違だった


避難時に社員1人が死亡し、油漏れによる火災が発生。揚炭機全4機が破損し、8万トン級の石炭船も沈没した。同発電所は福島第一原子力発電所事故による緊急時避難準備区域に当たり、現在も復旧の見通しは立っていない[7]。東北電力によると復旧は2013年夏頃の予定としている
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%94%BA%E7%81%
AB%E5%8A%9B%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80

ここは思った以上被害が大きかった。再開できるのが二年後というのもそのためである。特に海岸に接して突き出した所が大きな被害を受けた。その後ろはそれほど受けてないみたいだ。堤防のような丘にさえぎられているためでもあり多少高い所にあっただけで被害は少なくなった。新地ではすでに再開されているとなるとあそこも海に面していたが地形が違っていた。直接海に接しているというのではなく湾のような所にあったためかもしれない、津波は地形の影響が大きかったのだ。湾が深く入っていれば波は弱められる。だから東京湾はそれほど津波の被害がないとされている。三陸のような地形が一番津波にとっては被害を大きくする地形だった。松島や塩釜は島が防波堤になり被害が少なくてすんだ。


津波はここに丘が防波堤のようになっているけどこうしたものがあるだけで全く被害の度合いが違ってくる。福島第一原発は直接に海岸に接していた。この原町火力発電所とにていたのである。低い場所であり直接に海に接していたら津波の衝撃をもろに受けた。最初は高い場所に建てる予定だったがわざわざ土をきりとり低い場所に建てた。地震を恐れて地盤を固い所にしようとしたためである。それが命取りになった。予備の電源も地下に置いていた。津波のことは想定していなかったのである。そういうことは共産党の質問などで指摘されていたが何ら変えるつもりもなかった。津波は想定していなかったのだから当然だった。


ここでは千人も働いていたというのには驚いた。ここだけの雇用でもこの辺では大きい。退職した人が警備で働いている人が結構多かった。近くに警備会社があったのもそのためである。原発も雇用の場所として地元ではいい就職先だったのである。その恩恵を受けていた人はかなりいる。ただ火力と原発ではまるで違ったものだった。火力にしても二酸化炭素問題で環境問題があった。原発は二酸化炭素を出さないから環境にいいと言われていた。科学にうとい人はそういわれればそうかと思う人はいた。ともかく原子力は素人には非常にわかりにくいものだからである。未だに説明されてもどこまで危険なのかわからないのである。


この画像を見れば津波の高さが建物の半分くらいまできている。これだけ大きい建物だから上に逃れて助かった人がいた。千人くらい一時とじこめられたのだ。津波でも大きなビルならなんとか逃れられた。でもその建物も三階建てくらいでは今回は津波にのみこまれた。結局福島第一原発は津波にとっては一番危険な場所に建てていたのである。それはどうしてもそうした方が便利でありコスト的にもその方が安くすむからである。その便利さを追求した結果が安全がなおざりになった。そして津波は来ないという前提で工事ししていたのである。


それにしても新地の被害が少なかったのはわずかな地形の相違だった。地図で見てもちょっと海岸から離れていて前に多少障害物のうような丘があるだけで違っていた。前にちっとした障害物となるものがあると津波の勢いがそがれるのである。津波は浪の高さもあるがその浪か押し寄せる衝撃力も影響している。福島第一原発は海岸に接しているからもの凄い衝撃力で浪がおしよせてきた。浪の力が緩和されなかったのである。原発は日本ではそういう危険な場所に建っている。津波には弱い場所に建っている。また地震の巣の上にも建っている。例え三十年四十年事故なくてもどこかで事故は起きる。想定外の事故が起きる。そして一旦事故が起きたら今回のような惨禍になり人が住めなくなるのだ。

福島第一原発写真
http://www.anaroguma.org/komake/fukushima/photo_March/index.htm

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2011年10月05日

東電と国家の関係 (原発事故の責任は誰に-戦争と同じだった)

 

東電と国家の関係

(原発事故の責任は誰に-戦争と同じだった)


●政府の責任のあいまいさ

そもそも原発事故の責任は誰にあったのか?国では東電にあったとするが国策で進めたのだから国にも責任はあった。安全神話を形成したのは国の力もあった。文部科学省では教科書に原発が危険だ書かせなかった。子供にすらそういう教育をして洗脳していた。それは戦争に絶対に負けない、日本は神の国だから天皇がいるから負けないという洗脳と同じだった。東電の管理のずさんさを今は嫌というほど指摘している。ところがそのずさんな管理を指摘するのは原子力保安委員だったが何ら機能していなかった。東電の社員と同じだったのが原子力保安委員だったのである。東電はそれをいいことにコストカットに走って安全は見逃された。今になるとなぜ津波に備えていなかったのか?そういうことが厳しく問われている。


「津波に備えろよ、もっと高い所に原発を建てろ、土地を削って低くしてはだめだ、予備の電源を地下に置いてはだめだ」


そういう命令する権限は原子力保安委員にあった。地震に備えることもあるがもっと津波にも備えろという命令をだしていれば土地を低く削って建てることを許可しないだろう。そういう権限が政府にはあった。それをしなかったということは政府の責任も大きい。東電にまかせきりになっていた。すると東電は企業だから安全よりコストを重視してコストカットに走った。私企業であるかぎりコストを追求するのが資本主義社会の宿命でもあった。でも原発は一私企業が運営するのには余りにも危険なものだった。だからこそ国策として政府が加担するものとなった。それでも政府も原発に対しては認識が甘すぎた。東電の言いなりであり政治家もただ原発の利権だけに目を向けていた。これは自民党と公明党の時代にその基礎は作られていた。政治家も原発利権の虜(とりこ)になっていた。原発推進の議員が自民でも民主でも福島県の議員でも非常に多いのである。そういうなかで誰も原発の危険を指摘できなくなっていた。これは日本は必ず勝つという誤った信念に陥っていた戦争のと時と同じだった。そういう危険なものを一企業にまかせきりになったのも大問題だった。原発は戦艦大和を建造するとにている、国の威信がかかっている。アメリカなどではそういう覚悟で運営していた。日本ではそういう覚悟が弱かった。


●原発の危険に対する甘さ


つまり戦争するような覚悟でないと原発は作り得ないような代物だったのである。もしそういう決死の覚悟で作るなら国指導で津波にも備えろと強く検討されてわざわざ土地を削ったりさせなかったかもしれない,高い防波堤も作っていたかもしれない、まず東電の建設許可の段階でそうしたことを許可させない、そういう権限が政府にあったし責任もあった。でも原発に関しては政府の影が薄い、政府は官僚でも50人が東電に天下りしていたとか検察も警察関係もしていたとか議員には金をばらまかれて買収していたとかマスコミにも湯水のごとく金を使っていたとかそういうことしか聞こえてこない、政府が東電にとりこまれたとしかいいようがない。一企業が国家のようになっていた。それはすべて巨額な金を持っていたことによる。一企業の力がすでに国家をとりこむようになっていた。
一企業でも一宗教団体でもそれが巨大化すると国家の中の国家になってしまう。政治家もそういう巨大な組織の代表者でありその組織の意向を無視しては政治家にもなれない、するとむしろ国家はそうした巨大組織が運営するものとなる。


政治家の権力、指導力がどれほど現実的に通用するのか?首相の権限がどれほどあるのか?原発でも首相がやめるといえばやめられるのかといえばできない、財界からの圧力があって管首相もひるがえした。首相でも決める権限がない、背後の組織の圧力があるからだ。戦争にしてもどういう経過をへて戦争に突入したのか?一首相の独断でできるわけがない、しかしその誤った判断はやはり無駄死にともいえる大量の死を生んだ。原発も何か戦争とにているのだ。誰が責任化あったのか明確ではない、東電すら被害者だと思っているから謝罪にしても真剣ではない、戦争のときもそうだった。結局誰も責任はとらなかった。責任者が明確化されないからあやふやにされるからまた同じ過ちがくりかえされる。

それが日本的体制としてある。結局その時の空気にさからえなくなった。その場の空気が重大な決定につながる、空気だから誰かに責任があるわけではない、全体が国民までもその空気を作っていた。だから誰も責任がないというのが日本だというのも本当かもしれない、科学者も科学的判断に忠実ではなかった。ただ安全神話を形成するばかりだった。ただ科学者はやはり科学的に探求していたのである。津波のことも10メ-トルとか想定して対策をたけようとしていたがその前に津波が来てしまった。その想定にしても不確実だとなれば金がかかるとなればとりあげられないし対策は東電ではとらなかった。政府そのものでも安全対策を真剣に考慮していない、東電側の言いなりになっていた。管首相がベントがどうのこうのというときだけ政府が指導権を発揮するように見えたがそれもかえって逆効果だったとか批判されている。政府は何ら原発に対して強く働きかけるものがなかった。ただ東電から金をもらったり官僚は天下りの得意先だったりマスコミも東電の言いなりであり厳しく安全を問うことがなかった。共産党だけが福島第一原発で厳しく危険を指摘していた。それも軽く一周されて具体的な行動にはつながらなかった。


●原発事故は第二の敗戦


結局原発事故も広島長崎の原子爆弾で終戦になったように日本の第二の敗戦だった。その責任も明確化されずうやむやとなる。その責任は自民公明政権の時に基礎が築かれていたのだからそこにも波及するからされたくないとして責任はあいまいになる。そもそも原発は国の命運を左右するようなものとして考慮されていなかった。そういう危険を覚悟の上で運営されているわけではなかった。だからあんなずさんな運営になっていたのである。ただ危険を隠す方にだけ安全神話を作る方だけに過剰に労力が財力が費やされたのである。日本が勝っている、勝っているという報道しか耳にしない戦争と同じだった。地元でも原発で働いている人が近くにいると原発は危険じゃないかとさえ言えなくなっていた。その人たちは強く原発は安全だとにらみつけるように言われる。それは戦争に負けているんじゃないかとか言うと回りの人に非国民と言われた時代とさほど変わらなかったのである。地元でもそういう意識が強かったのである。それは原発利権のあまりの大きさによっていた。やっぱり双葉町の庁舎は6千人しか人口がないのに立派である。双葉郡では小さな市町村でも合併しなかったのも財政が豊だったからである。そういう構図は戦争とにていた。日本はそういう失敗をくりかえす国となっていた。それは明治維新で武士がいなくなり指導者が変わりそういう体質に変わったことにも起因している。日本という国を責任をもって指導すべきものが喪失した。ただ求めるのは利権だけであり金だけである。それが一企業ならしかたない面があるにしろ政治もそうだし宗教団体もそうだし大衆もそうだし日本人のもともとあったモラルも崩壊している。そういう中で原発事故も起きてきた。


國のため 重きつとめを 果たし得て 矢弾つき果て 散るぞ悲しき 栗林忠道


ここには国のためにとあるから国家を背負っていた指導者の最後の姿があった。東電は一私企業であり営利追求の会社だから国家の命運を左右するなどと思っていなかった。そんな責任が自分たちが負っているとも思っていなかった。でも事故をおこしたとき国家の命運を左右するほどになっていたのだ。だから自衛隊から消防隊から警察まで総動員になった戦争と同じ状態になったのである。そこで大和魂と救ってくれと地元の人は一挙一投足を見ていた。日本の命運を左右するほどのものになっていたのだ。散るぞ悲しき・・・ここに万感の思いがあった。戦争の是非は別にして現代で国のために重き勤めを果たして・・・とかそういう気概をもった政治家も官僚も指導者もいなくなった。ただすべてが利益追求になってしまった。東電に官僚が50人も天下りしていることでもわかる。東電の社長も5億円の退職金をもらっていたとかでもわかる。遂には最後硫黄島の地獄の戦場で散るぞ悲しきと言って死んでいった人の悲しみはこういう人には今の日本人にはわからない、この歌に国に対する万感の思いがあったのである。飽食の経済的豊さのみ戦後追求してきた結果としての原発事故だったかもしれない、国の誇りも威信もない、ただ個々にも全体にも経済的豊さ金の追求だけになっていたのである。戦争の是非は別にしてこうして死なねばならない人がいた,大勢の日本人がいたのである。その悲しみは深いのである。


 



終戦時にはGHQという強力な権力を持って日本の既得権益とか利権構造を平気で破壊できる力のある組織があった
今はみんな自分の既得権益と利権構造を守ることに汲々として、誰もまじめに国のことも国民のことも考えていない
http://unkar.org/r/lifeline/1303532577

そういうことはわかりやすい、政党なら自分たちの政党の既得権益を守ろうとしているし官僚なら省庁の既得権益が第一だし天下り先の確保だし会社は会社で既得権益を失いたくない、東電なども会社の既得権益を失いたくないから送電と発電の分離をしたくないとかそれぞれの組織が既得権益を守ろうとして働き手いるだけ,そこに国の意志の統一はない、ただそうした既得権益のために働く集団があるだけだとなる。そこで自分たちの利益になることだけを追求している。国難に一致して立ち向かうということはなくなった。それが原発事故を起こした原因でもあった。要するにみんな権益だけを求めてバラバラなである。誰かが統一して事にあたることはなかった。安全をないがしろにするようになっていた。それも見過ごされたのはただどの組織も既得権益を失いたくないし利権を最優先したからである。マスコミだって東電は最大の得意先だった。みんな利益のみを求めていたからそうなった。

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2011年10月09日

人間の業(わざ)-文明の限界 (原発事故はその象徴として起きた)

 

人間の業(わざ)-文明の限界

(原発事故はその象徴として起きた)

原発事故を今の時点ではなくて人類史から考究する必要もある。エネルギ-革命として必然的に原子力が夢のエネルギ-として生まれた。人間は絶えず技術革新してきた最終段階として原子力発電があったのかもしれない、また兵器にしても核兵器が最終兵器として生まれたように人類を滅ぼすものとして生まれたようにそういう意味合いがある。青銅器や鉄の兵器ができたとき殺傷力が格段にましたから殺戮される人の数も増えた。戦争では兵器の差は大きい。マヤとかインカがスペインの馬と鎧と甲冑の少人数の兵隊に侵入されて滅びたことでもわかる。技術が世界を変えたのである。船にしても大航海時代になったのも船の技術革新があったからである。戦争はどうしても武器が大きな力を発する。武器が発達すれば国家も強大化できる。それで最終的に現実に日本に原爆が落とされたのである。

エネルギ-革命としては石炭から石油になったとき飛躍的技術革新が起こった。石油の応用範囲は非常に広い。原子力さえ石油で成り立っているという人もいる。車も石油なくしてはありえなかった。ガソリンがこの辺からなくなったとき車は使い物にならなかった。足を奪われたら現代では陸にあがった河童になってしまった。身動きとれなくなった。物資も入らなくなった。車は石油なしでは動かない、船も飛行機もそうである。石油なしでは今の文明は成り立たない、正力松太郎が戦争に負けたのは石油がなくなりエネルギ-戦争に負けたからと原発を導入したと言っているのもエネルギ-がそれほど大事なものだったからである。石油がないなら今の文明は存続しえないのである。でも石油は中東に依存して中東紛争にまきこまれるし運ぶのに遠いということで危険がともなうコストがかかる。すると原子力発電が非常に魅力的に見えたのもわかるのである。そこに落とし穴があったのである。

人間の業-技(わざ)には限界がある。プロメテウスが火を盗んで過酷な刑罰を受けたように人間の業には限界がある。その限界を越えようとしたときイカロスは墜落した。人間の業(技)には常に呪いが付与されている。そういう宿命にある。鉄を生産して便利なものになってもそうなると自然破壊は巨大化して殺戮も飛躍的に増大してしまう。人間の作り出す業には常に何かそうした呪いが付与されている。だから仏教では業であり職業になる。職は業をともなっているから職につかなかった。これも現代文明では明治維新以降はそうした業となる職が増えた。会社でも増えた。財閥でも利益のみを追求すると他国とも戦争をいとわないとなる、業をもつことになる。これまで江戸時代までは侍だけが戦争していた。しかし明治以降は会社が大きくなり強大化して戦争をしかけたり後押ししたりする。財閥が戦争のあとおししたとかアメリカでもロックフェラ-などが戦争を企画して巨額の金をもうけたとか常に言われるのはそのためである。職業が会社という巨大な業となってしまった。江戸時代には個々の職人がいて会社はない、個々の職人が自分の技を磨いていたのである。明治以降の変化は余りにも大きいものだった。

その時、職の業(ごう)が巨大化した。そして会社は必ずブラックな所をもっている。ブラック企業が増大したのである。銀行とか保険とか金融業はそもそもブラック的なものだという詐欺的なものだというとき説明されると確かにそうなのかと思う。紙幣を勝手に作り出すのが銀行だというのも説得力がある。金融業には何かいかがわしいものがある。それで世界的金融業となると何かいかがわしいとなる。世界的を金によって支配する悪魔の仕業だとなる。江戸時代の職人なら個々人だからブラック的なものはない、仕事にのみ精進していたのである。明治以降はブラック的なものが増えたのである。


原子力発電を作った東電もそういうブラック的会社だった。それが政府と一体化していたのだ。財閥と一体化して戦争が起こされたというときと同じだった。原子力発電は巨利を生み出すから政治家から官僚からマスコミから地元からあらゆる人が群がったのである。それだけ原発の魅力が大きいものだった。原発が成功していれば中東紛争にまきこまれる必要もないメリットはあった。石油に依存することはそれだけ中東紛争にまきこまれる割合が強くなる。原発があればそういう危険を回避できる。そこでアメリカでも他の国でも原発にシフトしたのである。つまりそれは石油文明から一段上のエネルギ-革命をめざした結果だった。それが今回の事故でその革命に失敗した。人間の技の限界を見たのである。人間の技術には限度がある。医療にしても限度がある。癌がやはり直せないのも医療の限界を感じる。人間の技術には限界がある。そして人間の技(わざ)はわざわいというように日本でも技(わざ)はわざわいをもたらす呪われたものをもっていたのである。そのわざわいが原発に現れたのである。つまり人間の文明はエネルギ-問題で限界に達してしまった。ということはこれ以上人類はもう地球の資源を食い尽くして環境破壊をしてはならないという天からの神からの警告である。

今回の津波にもそういう警告があった。人類はこれ以上人口が増えたりGDPをふやしたりすることはひかえねばならない、そんなにもう地球は経済発展できない、成長できない、限界に達している。
それをおしすすめれば地球に歪みができる、それが反動として巨大な災害として自然から復讐される。そういう時代になっているから資本主義的無限の資源の消費や経済発展は抑制すべきものとなっているのだ。

この抑制することが人間には一番むずかしい。キリスト教も仏教も宗教は必ず欲の抑制を説く、それは理にかなったことである。そういうことは2千年前にすでに東西の賢者が説いていたことである。

人間の欲を無限大に拡大すれば地球環境は破壊されるしモラルも破壊されるしあらゆるものが破壊され滅亡にいたる。人間が欲で滅びるというのはそのことである。原発は人間の限りない欲望の象徴として生まれた。そこに危険があり落とし穴があり事故につながった。人間の技に対する呪いだった、わざわいだった。科学技術はあらゆるものをかなえてくれる人間の願望、祈り、宗教ともなっていたがそこには限界があったのである。科学には限界がないと信仰のようなものがあるがそこには原発でも医療でも限界があるのだ。その限界を認識して文明を見直さないとまた危険なことになる。それは人類滅亡に通じているのだ。

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2011年10月11日

インタ-ネットは緊急時に頼れなかった (テレビに中でもNHKに頼る度合いが強かった)


インタ-ネットは緊急時に頼れなかった

(テレビに中でもNHKに頼る度合いが強かった)

●インタ-ネットは共時的 通時的
 

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【共時性】

(時間系列に従っての変化)一方有る変化が同じ時間の中で、あちらこちらで起こることもあります。

【通時的】

複数の現象が時間の継起に従ってあるさま。また、ある対象を時間的・歴史的な変化の相にしたがって記述しようとするさま

インタ-ネットのメデアは何なのかまだその全容はわからない、インタ-ネットは軍事用として作られた。どこかが爆撃されて破壊されてもどこかで通信できるように作られた。一本化されないメデアである。インタ-ネットはだから規制しにくいのである。今までのメデアは一方通行であり一方的メデアなのである。テレビにしろ新聞にしろリアルタイムでは共時性では一方的なメデアである、放送する局は限られている。その中でNHKは群をぬいて力をもっていた。だから緊急時はNHKに頼ることが多いからNHKの役割は大きい。今回の地震と津波と原発事故では速報がリアルタイムの共時性が一番大事だった。地震で物が散乱してパソコンを二週間くらい使わなかった。電気は停電しなかったから使えたのだが津波と原発事故のことをテレビで見るだけで時間がとられたのだ。それと自分の場合、介護もしているし食事の用意だけで忙しくてとてもインタ-ネットができなかった。テレビも停電で使えなくなったところもあった。そうなるとラジオが頼りになるがラジオをもっていない人もありそれで津波の正確な情報が伝わらず死んだ人もいた。


今何が起きているのか知ること自体が容易ではなかった


それで衝撃的な津波のことや原発事故のことを見ていた。それだけで時間がとられたしとてもインタ-ネットを操作したり見ることもできなかった。その時ツイッタ-とかで情報交換していた人はいた。でもそれもなれていないと、じっくり見ないとなかなか操作しにくいのがインタ-ネットである。
それが自分には忙しくてできなかった。つまり緊急のときは今何が起きているのか知ることが一番大事になる。原発が爆発したりしたのは何なのかさえわからなかった。

その時、学者が出てきて「安全だ、安全だ」と強く言っていたので安全なのかと思った。テレビはNHKでも安全というのが多かったから放射能はたいしたことないのかと思ってしまった。そもそも放射能自体についての知識がゼロだった。だから何が起きたのかしりえようがなかった。それは自分だけではない、浪江の人は津島に避難したのである。そこは放射線量が凄く高い所だったのである。どうしてそんなところに避難したかというと政府からも東電からも指示がないから役所でそう命令したのである。原発より離れた山の中の津島が安全だと思ったのである。その時スピ-ディで放射性物質の流れしりえてもその情報は流されなかった。それで飯館村も避難しなければならなかったのにずいぶん遅れて村民はかなり被曝したのである。その責任は政府と東電にあったのだ。メデアにもあった。危険情報を流さなかったのである。そういうときインタ-ネットから情報を得られるのは限られている。また数が膨大なのでどこを信用していいかわからなくなる。流言蜚語が飛びやすいのがインタ-ネットだから特にそうなる。


●緊急時はインタ-ネットよりテレビになった


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すると最初はどうしてもテレビの情報にたよる、その中でもNHKにたよりやすいのである。最初の津波の情報もそうだった。6メ-トルとでて驚いたがそれでも6メ-トルということで安心ししていた人もいた。磯辺辺りでもチリ地震津波を考えて6メ-トルの防潮堤があるから安全だと思っていた人がかなりいる。最初に10メ-トルと出せば緊急の危険性を感じて避難した人が多かったかもしれない、その緊急性がテレビの警報でNHKで伝わらなかったことは言えるのだ。自主的に判断するにも時間がないから判断できないのである。ましてやインタ-ネットを見たからといってそこではどこを見て信用していいかわからないから判断しようがないのである。


緊急時にはインタ-ネットは意外と役に立たない、それでも何か月も新聞は来ないし雑誌は見れないし物資すら運ばれなくなった。その時テレビは電気が停電しなかったから見れたのである。インタ-ネットもできたので二週間後からははじめた。でも放射能についてはなかなかわかりにくくかった。ただ何か月かすぎてアマゾンの流通も絶えた。すると本も注文できないから電子化していたら簡単に読めるのにと思った。新聞にしても三か月くらい来なかったのである。テレビだけは通じていたから毎日見ているとテレビに影響されやすいのである。それは一方的になりやすいのである。だから放射能は安全、安全とばかりすりこまれてしまったのである。最近になって放射能の危険性を冷静に認識するようになったのである。そうはいっても共時性とはリアルタイムにはいくつものことを知り得ようがない、津波のことだけでも知ることが精一杯になりその他、放射能は何なのだということを知ることは容易ではない、そこでテレビの影響で放射能はたいしたことがないのだと思ってしまった。


●政府、メデアの責任は重い


しかし原発が爆発したことは相当な危険なことであり放射能のことを知っていた人はいち早く逃げた。知らない人は逃げようもなかったのである。放射能がどういうふうに危険かも原発近くでもそもそも教えられていない、ただ安全だ安全だしか教えられていないからもちろん避難訓練などもしていないのである。さすがに双葉町などはいち早く全町民が避難したのはそれなりに備えていたからだろう。隣の浪江町などは備えがなくて一番放射能が汚染される場所に逃げたのである。この責任も政府と東電にあった。スピ-ディは機能しない教えない、いかに危険に備えていないかわかった。原発自体が実に危険に脆弱なものとして作っていた。その責任は本当に大きい。これほど危険なものがあまりにもずさんに管理して一旦事故あることも想定していない、ただ安全神話作るために金をばらまいていたのである。政府もいかに原発に対しては無知でありいいかげんであり厳しい管理もしていなかった。ただ文部科学省の教科書でも危険であるという文字を入れさせなかったのである。そういうふうに危険なものを隠しつづけて安全神話を作った政府の責任も重いのである。


そもそも政府もこんなに頼りないものかと思った。何の権限もないのかと思った。ただそうした危険なものを東電にまかせきりにしていたのである。保安委員などは名ばかりであり何の働きもしていなかった。そして東電に官僚が50人も天下りしていたのである。その中には警察関係もいたから東電の用心棒だったとか揶揄される。上層部が指導者がこれほどずさんな体制だったのかとわかった。これはやはり戦争の時もそうだったのだろうとなった。戦争になったときも指導者はずさんだった。指令系統も統一されていない、海軍と陸軍が別々の行動をとったりと指導するものがばらばらになっていた。そういうことが今回の原発事故から見えてきたので日本は戦争の時から変わっていないとされた。戦争のときも大本営発表であり勝った勝ったばかりしか言わない、言わせない、新聞も同じである。だから戦争に負けてからはまるっきり反対になったので何を信用していいかわからなくなった。政府とか政治家とかがこれほど信用できないものなのかとなる。マスメデアも政府にならう、大企業にならう、批判はしない、ただ宣伝費として金をもらうだけである。でも緊急時に頼るのはマスメデアであり特にNHKであった。そういうところが責任を果たさなければどうにもならなくなる。


そういうトップが責任を果たさなかったらその下々もどうすることもできないのである。しかし戦争のときと同じく今回も指導者は何ら責任をとらないのである。緊急時は誰かが一元化して命令を出さないと危険を脱出できない、砂漠で水のありかを方向を指導者が決めて助かった場合と同じである。戦争のとき英雄がでて機転をきかして敵に勝ったというのもそうである。そういう危機のときは誰かが適格な判断を下し導かない限りその部下も助からないのである。でも今はその指示するものが一人の英雄とかではない、NHKのようなメデアになるのだ。だから緊急時のメデアの役割は大きいのである。特にNHKの役割は大きくなるのだ。インタ-ネットでは対処できない、どこを信用していいかわからないからである。常日頃流言蜚語が日常化しているところでは信用できないからである。

結局何を信用していいかわからない、御用学者は安全ばかりをいい、政府は何ら助けにならなかった。それは自分も個人的に経験しているけど誰も頼るものがなく身寄りもないので強盗のような人に頼ってしまって大変な目にあったのと同じだった。肝心なとき頼ったのが強盗のような人だったのである。それも頼る家族がいない身寄りがないのだからどうにもならなかったのである。原発事故でもそういう状態に陥っていたのである。信用して頼るべきものがいなくなっていたのである。そういうとき強力な信頼にたる指導者がいなかったら民に多くの犠牲者がでる。戦争の被害がとどまることなく拡大化したのもそのためだった。原爆を落とされる前でもとめることはできたのである。それがもうとめることができるものはなくなっていたのである。天皇すらできなかった。暴走はつづき歯止めがきかなくなっていたのである。

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2011年10月12日

限界集落とにてくる原発事故周辺の市町村 (消滅する、衰退する自治体)

 

限界集落とにてくる原発事故周辺の市町村

(消滅する、衰退する自治体)

●高齢化で置き去りにされる老人


2794集落に消滅の恐れ=高齢者5割以上は1万−総務省調査総務省が過疎地などの6万4910集落について行った調査で、全体の4.3%に当たる2794集落が、人口減少や高齢化の進展により今後消滅する恐れのあることが30日、分かった。

このことは原発事故で避難して消滅しそうな市町村にも起きている。働き手の若い世代は放射能のために去り老人だけが高齢者だけが残される。高齢者が多くなると福祉のサ-ビスも満足に受けられなくなる。現実に南相馬市では医者も看護師も半分いなくなった。この影響は大きい。会社もやめる所が多く若い人の働く場所が失っている。人口流出が街を衰退させる。南相馬市はすでにそういう状態になりつつある。相馬市は人口がまだ流出していないからもちこたえる。南相馬市か医療が崩壊してしまうことは残された高齢者も医療サ-ビスを受けられないから深刻である。一時救急医療も閉ざされた。福島市の方まで運ばれた人もあった。救急医療ができないと死ぬ人もでてくる。そういう危険がましてくるところで高齢者が暮らすのも苦しい。高齢者だけ残るというけど高齢者を支える若い世代がいなくなったらそれもむずかしい。あきらめて早く死んでしょうがいないという人が残るのか?そういう選択も迫られるのである。限界集落に残る人は贅沢だという意見もある。


人が住んでいる限り現代の便利な生活を維持しようとする。そのために物を運んだり様々なサ-ビスをするのがコストがかかりすぎる。それで一カ所に集めてコンパクトシシティ化するのがいいという案がでた。昔なら別に辺鄙な所でも他の市町村に頼らず自給自足していた。医者がいないとしたら早く死ぬのもあきらめていた。現在はそうはいかない、いざとなればやはり救急車を頼り助けてもらおうとするし様々なサ-ビスを受けたいと思う、すると限界集落はみんなの負担になるのだ。すでに今の社会は交通が発達しているから全国規模で地域を考えざるをえなくなっている。全国民の税金が限界集落に注がれることになる。今回の津波や原発の災害でも全国民の義援金もあったが税金も投入されるからそんなところに無駄となり一カ所に集めろと言われるようになった。津波の災害地でもあまり金をかけることはやめろというのはその金が全国民から出る税金になるからである。社会が全国民規模でまたは世界規模ですら考えざるをえない社会になった。だから一地域のエゴは許されないともなる。自給自足なら全国規模の援助がないのだからかまわないが今はそうではないのだ。限界集落に留まるにしても誰かが助けなければならないからだ。そのコストが高くつくからそう言われる。昔ならまず高度な医療サ-ビスなどないしあきらめているから良かった。それが今はできないからそういう要求をするならコンパクトシティ化して住めとなるのだ。森林の保全とかは車時代だから通ってするのが能率的と言われる。ただそこにもいろいろな意見はある。


●10キロ圏内は核の処理場に


8市町村がまとまる、「ふたば市」構想は悪くない、その場合原発周辺を処分場にして国からの交付金で自治体運営をやりくりするのが現実的だと思う。


この意見は何を意味しているのか、国の補償といい東電の補償といい、それは町村が消滅して国の管轄になり東電の準社員化することではないか?そもそも原発を作ったとき10キロ県内とか国と東電に町村を売り渡したようになったのではないか?もはやそこが核の処分場としてしか用がないというのはまさにそうである。そこの住民も国や東電の準社員化することになる。給料は国と東電から払われることになる。その前に原発で働いていた人はそうなっていた。それで世話になっているからと東電を擁護していたのである。ただ若い人は放射線量かあれほど高いのだから帰らない、若い人もが子供も帰らなければ町村の存続はありえない、それが10キロ圏内や飯館村ではほとんど不可能だという専門家の指摘がある。

放射能は一定量が常時維持されて減らないことが困るのである。一部を除染しても7割をしめる森を除染はできない、30年たってようやく半分にへるとかでは先が長すぎるのである。すでに2年が帰るための限度というけどとても変えれる年数ではない、そうなると帰れないということで生き残る対策をしなければならない、それがどういうものになるのか検討せねばならない、代替地案もあった。それも簡単にはすすまない、そのうちまとまらず散り散りになり町村は消滅してゆくかもしれない、互いのつながりも薄れてゆきあきらめて散り散りになってしまう。残されたのは国の核の処理場員として残る人である。それは東電の準社員化でもある。そもそも田んぼでも漁業でもとても現代では自立できないと原発を誘致した。それは東電の準社員化だったのである。それだけ東電は巨大な会社だったのである。つまり市町村を買収できるほどの財力をもっていたのである。だから事故になり現実的な案として東電の核の処理場になるのが残された道となる。ただそういう場所に若い人はもどらないからすでに町村は消滅しているのだ。国の管轄であり東電の敷地になってしまうのである。土地の買い上げもするというからそういう方向に進んでいる。


●代替地や他の市町村に移ることは可能か


これは現代で可能なのか?十津川村は災害で北海道に移住して同じ村を作った。この時はみんな農民だったからできた。土地さえあれば農業主体の生活だからできたのである。今は農業は経済の一割りにすぎないのである。移住するにしてもそれだけの仕事を用意できるのかとなる。核の処理場としての仕事は現実的だというときそれは確かに仕事になるから国と東電で支払ってくれるからそうなる。では他ではどうなるのかとなると何ももっていない人がどうして他の市町村に町ごと住めるのだろうか?もし大きな会社がありトヨタのような工場があればそこを仕事先として与えてくれればできる。そうでなければそれだけの人数を受け入れる市町村はあるだろうか?この辺でも仮設住宅ができて人口が5千人くらい増えたかもしれない、でもそれはあくまでも仮設住宅であり仮に住んでいるに過ぎない、恒久的にここに住むわけではない、だからここで恒久的に住む対策をとられていない、いづれ帰るものとして住んでいる。小高区だと20キロ圏内でさほど放射線量が高くないから帰れるとは思う。その点10キロ圏内とは事情が違っている。結局予想としては10キロ圏内とかは浪江町でも飯館村でもすでに存続することがむずかしいのではないか?現実的に見ればそうなってしまうのではないか?

放射線量は最近南相馬市でも0・5から減らないのである。他でもそれほど減っていない、放射線量は一定の量から減らない、セシウムなら30年間で半分になる、その30年間は長いのである。それはもうそこには住めないということである。だから帰るということで町村自体維持できるのだろうか?
若い世代と老人世代が分断されるのも一致できないのも市町村を維持するためには不利である。
しかしそう簡単に故郷を捨てることもできない、帰りたいというのはわかる。だからチェルノブエリでは老人は故郷に帰ってほそぼそと畑を耕して暮らしていた。放射能のことを気にしないと言ってとれた野菜を食べていたのである。

そういうふうにこの辺もなるのか、もうそれは市町村は消滅してしまったのである。ただ市町村が消滅するということを日本で経験したことはない、徳山村がダムに沈んでそうなった。でもここはまた規模にしても大きいし南相馬市では7万以上の人口があった。

双葉郡8町村で5万5千人とかいる。この人口は多い。相馬藩で飢饉のとき三分の一の人口がへった。そして越中を中心にその三分の一を補った。その墓がどこにでもあるからわかる。でも現代は農業中心の社会ではない、そもそも農業自体で生活できないから原発を作ったのである。どこかの市町村にそれだけの人が集団で移ること自体むずかしいだろう。だからどうしても散り散りになって生活するようになる。どこにでも移動は容易な時代だからである。むしろまともって町村が移住するとなるとかえってむずかしい。そういう場所か今はないである。分散するならあるがまとまった人数を受け入れる場所はない、市町村はないのである。

ただ何かいい知恵というのはあるかもしれない、それも簡単にはでてこないだろう。まとまった人数を引き受けるにしてもそれだけ余裕があり受け入れる力がある市町村はあるのか?南相馬市は近くても経済的に苦しくここも縮小してゆきどうなるかわからない、いわき市と南相馬市と相馬市に分散するというのは歴史的地理的にはいいがそういう状態に受け入れる所もない、ともかく南相馬市自体一体どうなるのか?その不安が大きいのである。限界集落となる不安が迫っているのである。縮小して衰退してゆく不安が消えないのである。それはイ-スタ-島とかマヤ文明のように取り残される市の不安になる。衰退してゆく市町村には誰も住みたくない、なぜなら心も衰退してしまうのではないか?単に物質的な面だけではない、イメ-ジは放射能の廃棄場、核処理場でありかつての自然豊かな市町村とも違っている。そういう市町村には誰も住みたいという気分になれないのである。気分やイメ-ジの問題も大きいのである。放射能は実被害がどれだけあるのか不明である。それでも風評被害とイメ-ジがそこなわれる被害も大きいのである。ただここに長く生きてきた老人はなかなか離れられない、だから墓に入りますとか百才の老人も自殺したのである。死に場所としてはもうここしかなくなっていた。60くらいまで住んでいる場所は一般的にはついのすみかであり死に場所にもなっいるし先祖の墓もあるから離れがたいのである。その死に場所すら原発事故は奪ったのである。

参考にした雑誌-政経東北-「消えゆく自治体」
 
 
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2011年10月14日

南相馬市の最近の様子


南相馬市の最近の様子

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日本財団ROADプロジェクトHeart Care Rescue 。自宅退避者へのカウンセラー、医師募集中!早急な心のケアが必須です!24日より南相馬市立総合病院内に現地対策本部設立


南相馬市立病院を駅の方に入った道に新しくできた今準備中である。もう一つサイヤのとなりにもボランティア団体の事務所ができた。そこで放射線を計る器械を貸し出している。二週間くらい待たないと借りられないから不便だ。


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小島田の船が打ち上げられた場所で火事があった。船から火事になった。今船の撤去作業をしていた。

真野小学校の前は雨がたまり湿地帯化した。ここは明かに湿地帯になっていた。水が深くたまるとそこは沼になる。ここには水葵も咲いたのか?何かしら水生植物が繁茂している。

小島田まで津波が来た。あそこまで来るとは思わなかった。真野小学校は廃墟になった。

草はどこでも除染のために刈られている。だから草ぼうぼうの風景ではなくなっている。


原町区の道の駅で仮設住宅を建てていた。あそこはは便利だからいい。買物がキクチス-パ-とかが近くだからいい。

posted by 老鶯 at 16:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2011年10月16日

放射線計測器で南相馬市の大原から橲原を計る 大原は3マイクロシ-ベルトで高い


放射線計測器で南相馬市の大原から橲原を計る

大原は3マイクロシ-ベルトで高い



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ここはまだ高かったみたい

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大原から橲原渓谷は平均してこのくらいだった


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道路と道端の草むらの比較

大原の平地で台畑辺りでも草むらで5くらい出ていたようだ

これは最高値だったようだ

橋を渡れば5マイクロシ-ベルトの地帯に入っている


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原町のサイヤで放射線の計測器借りたけど原町の街内では0.2マイクロシ-ベルにしかならない、
草むらでもわずかに増えるだけでありこの計測器ではあがらなかった。 驚いたのは大原に来たとき1から2から3と上がったのに驚いた。街内だとたいしたことないなと思っていた。大原に入るまで放射線量0・2くらいであり変わらなかった。栢木橋の手前で急に放射線量が高くなった。0・2くらいしかならないので驚いた。大原は高いと出ていたが本当だった。放射線は見えないので実感できない、結局計測器が頼りでありそれで実感するほかない、0.2から1でも驚く、そこから1.5とか2になると驚く10倍になっているからだ。そして大原の奥に行くとますます高くなってゆく、自転車のハンドルの高さで変化を見ていたがあの高さで3とか出るので驚いた。


そして舗装道路と道端の土や草むらでは二倍の約放射線量が出ている。大原から八木沢までの道は
道路で3であり道端でその約二倍がでていた。大原では病院でしりあった人はまだ一人残っているという、犬を連れた老人にここは放射線高いな、避難した人ありますかと聞いたら子供をもっている人は避難したが老人は残ると言っていた。知り合った人は重症だったから一人で生活するのも大変だと思っていたから息子の住んでいる市街に移ったのかと思った。今は老人と一緒に暮らさない若い人が多くなった。それが実は大きな問題起こす要因にもなる。大原で3マイクロシ-ベルトは高い、道端で6であり常時それだけの放射線量を受けることは子供にとっては危険である。3×24h×30×12m=25920は25ミリシ-ベルとなる。20ミリシ-ベルトを政府で限界としてさらに1ミリシ-ベルトに引き下げるとかしているので5ミリを越えると危険なのだろう。3マイクロシ-ベルトはやはり危険地帯である。これはバラ坂のバス停から八木沢峠までつづいている。八木沢峠近くなるとさらに高くなっているだろう。
ただ南相馬市独自の調査やその他では1・5とかになっている。自分の借りた放射線の計測器は中国製であり正確には計れないかもしれない、でもこんなに差が出るのも変である。


バラ坂から交通止めになっている橲原渓谷をくだる、児頭橋、滝のある所で計ったが1・5くらいに落ちていたが草むらでは倍になっていた。そこでは草の葉の方が高くなり土は低くなっていた。たいがいおしつけて計ったものである。でも自転車のハンドルの位置で同じ様に値は出ていた。そこも道路では1・5でも草むらでは二倍になっている。小池のコンビニでは0・5になっていた。その辺から危険地帯ではない、町の方では原町の市街と同じ0・2にしかなっていない、道端の草むらでもそうだった。この辺は除染してもそれほど変わりなかったみたいだ。

結局は大原から八木沢峠までの道路沿いは危険地帯であり橲原はやや危険地帯であり小池に出るとほぼ安全地帯になる。大原から八木沢の道路沿いは子供がいれば避難するほかないだろう。道路で3であり道端で倍の6くらいになっているからだ。道路の約二倍が道端の草むらにでる。そういうところに常時生活していると一定量の放射線量をあびる。その放射線が減らないから困るのである。

そして意外と高い位置で自転車のハンドルの位置で3が出ていたことはやはり強い放射線が出ているのだろう。その高さでも下に置いても変わりない場合があった。ただ放射線量は一番高いのから低いのと変化する。一番高いときの量を目安にした。放射線は舗装道路でも除染などできないだろう。削り取るとしたら大変な作業になるからだ。大原から八木沢峠までの人は子供がいれば避難対象になるだろう。老人はあきらめて住むとなるが家族全体の問題だからそうもいかない場合があるだろう。橲原はなんとか住めるがそれでも道路で1・5でも道端になると倍の3になっているのだ。その辺をどう考えるのか専門家に聞いてみないとわからないだろう。風穴の湯では子供が川で裸で水遊びしていた。水は汚染されても飲まない限りたいしたことはないのだろう。あまりにも神経質になるとかえって子供でも大人でも精神的に良くない、小池から町の方は全く問題ない放射線量であった。


思うに大原が高かったのは前に自分は風の影響でそうなったと書いたがそれが正しかったのだろう。なぜなら風が大原の平地に吹き出すように飯館の山から吹いた。橲原は渓谷があり山がある程度さえぎって半分になったともとれる。橲原は大原の半分だったからだ。放射線は目に見えないし匂いもないからどうして感じるかわからない、だから計測器が頼りになる。今回計測器で計ってみてそれなりに放射線を実感したのである。そうでないと実感しようがないのである。怖いとも感じないのである。

一週間以上使えるからまた詳しく計ってみよう

放射線量の計算が間違っていました

3×24h×30×12m=25920は25ミリシ-ベルとなる

1時間の限度を3.8マイクロシーベルトと発表した。これは国際放射線防護委員会が、年間の積算放射線量20ミリシーベルトとしているものを根拠としている。

放射線量は内部被爆量もぷらすされるのでもっと多くなってきます
posted by 老鶯 at 21:07| Comment(1) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2011年10月17日

家の回りの放射線量の計測(除染は効果ない・・・)


家の回りの放射線量の計測

除染は効果ない・・・

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道の脇の苔は高かった、道路は0・1だった

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樋から下の土に流れた所が一番高かった


原町区と鹿島区の街内はほとんど同じである。0・1か0・2である。草むらとかでやっと0・26とかなっていた。田んぼの土の所でも0・1とか0・2だった。思った以上広い所は放射線量は低い、ええ、こんなに低いのかと意外だった。それでも河原でも公園でも主な所を除染している。0・2の所を0・1くらいにしても変わりないのかと思った。そんなに除染する必要がある地域なのかとも思った。


高かったのは苔のある道端と樋の下と流れるその土の上だった


樋の下は高い、そこは下がコンクリ-トでありそれでも高い、驚いたのはその樋の下から水が流れだした土だった。そこが粘土のように汚泥になっていてそこにたまった。9マイクロシ-ベルトは異常に高い、八木沢の麓で樋から100マイクロシ-ベルトとなっていたというのは本当だった。

放射性物質の性質は雨が土にふりそこが粘土質の土だと粘着してそこにたまる。そしてその粘土にたまりなかなか水と一緒にながれでない、それが特徴だった。全部の土にたまるかと思ったが違っていた。現実に二本松では米の放射線量を計ったが安全だった。なぜかと言えば普通の土であり粘土質の土でないからだと報告があった。セシウムは雨で粘土に付着してたまりそこで雨で流れださない、たまりつづけるのである。樋にたまったのは雨が降り屋根にたまったセシウムが流れだして樋にたまったのである。放射性物質は風も影響あったが雨も大きな影響があった。雨で粘土質の土にたまりやすい、苔にたまったのは苔はただ草だけではない、雨を吸収して土が粘土質になっていたからである。単に草むらは低い、0・2くらいしかなっていなかった。


除染といってもこの辺ではそんなおおがかりなものが必要なのだろうか?土を取り除いても0・1くらいへらしてもさほど変わりないからだ。今回のことで放射性物質を知るには計測器が欠かせない、これがなければしりえようがない、感じようがない、計測器の値は正直であり嘘をつかないから自分でたこめしてみるほかない、計測器にもよるがそれほど変わりないみたいである。



セシウムは除染できない


http://onodekita.sblo.jp/article/47679482.html

除染は無駄
http://logsoku.com/thread/hato.2ch.net/lifeline/1315374871/

チェルノブエリで除染をあきらめた、除染してもほんのわずかへるだけであり気休めていどなのだ。でもこんなに除染している,除染しているのはなぜなのか?その除染した土を集めるなげる場所がないというのはなぜなのか?これも無駄な公共事業なのだろうか、全く無駄ではないにしろその効果がうすい、確かに一部の高い所の除染は効果的だが土全部とか草全部を刈っても0・1へるくらだったらしてもしょうがないのではないか?
そもそも二本松で土がそれほど汚染されていなかったのは粘土質の土ではなかったから米作りにはさほど影響しない、すると広範囲な地帯が放射性物質に汚染されていないのだ。それはやはり不幸中の幸いだったとなる。
posted by 老鶯 at 22:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2011年10月18日

南相馬市原町区の仮設住宅は立地が一番いい (人間の住環境を考える-樹の必要性)


南相馬市原町区の仮設住宅は立地が一番いい


人間の住環境を考える-樹の必要性

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360度バノラマ




南相馬市原町区に最近避難区域解除で建てられた仮設住宅は一番立地がいいとみんなが言っている。道の駅が近くにありス-パ-もすぐ近くでありレストランも多くある病院も近くに見える。
ただこの病院は今は建物だけが立派になり医師や看護師が半分いなくなったので機能しなくなった。ここには一か月入院していたので見晴らしがよく気持ち良かった。そのことを前にも何度も書いてきた。病院は総合的なものとしてあり回りの環境も影響する。ここはあまり考慮されていない、大都会だったら眺めのいい場所にはない、ただ中都市だったらそれなりの眺めのいい場所はある。
やっぱり住みやすいのは中都市なのかもしれない、相馬市立総合病院と建物が古く環境もあまり良くない、南相馬市立病院はそういう点ではまさっていたのだ。

建築というとき建物だけに目をそそぐが実際はその回りの環境も大事なのである。回りの環境は自然なのである。建物が自然と調和するときなんともいえぬ安らぎを与える。仮設住宅を建つまでは樹に注目していなかった。一本の樹があるだけで人間の住居に何か安らぎを与える。それは人間が住むことによってその樹が活きてきたのである。原自然とは違う、人間が住んで活きてくる自然もある。
樹と人間が一体化する。その時は樹も原自然の樹ではなく人間化した樹になっているのだ。庭の石や樹も人間化したものとなってるのと同じである。


実際にあそこにまず三本の樹があることに気づかなかった。あそこに仮設住宅が建設されてここにも人が住むようになるということで注目したのである。三本の樹があるだけでここが建物だけではない安らぎを与えることになる。自然は人間のモラル的象徴であることを詩にしてきた。樹は信頼して三本そこに建っている。互いに信頼しあい住む人間も象徴している。ただここはあくまでも仮設だということでそういう象徴にはなりにくいのが残念である。人間の住む所には必ず樹や石が必要である。それを個々の家の庭で作るとなると狭い日本ではむずかしい、すると公共的な場所に樹を植えることが好ましい。街路樹はそうだがまた別に樹が必要なのである。

相馬市では長屋風の高齢者向きの仮設ではない、そこに住み続ける家を建てるというのはいいアイデアだったし神戸地震でもそれは実行された。つまりもう津波被害にあった所には家を建てられない人がかなりいるしするとどこかに仮設ではない、ずっと住み続ける家が必要になってくるのだ。それも個々に一軒一軒建てることは今はコストがかかりすぎる。だから集合住宅的なものが必要になる。高齢化社会でもありみんなが施設にも入れないのでそういう場所や家を提供すれば入る人はいると思う、自分なんかも入りたいなと思う。
施設ではないにしろそれに近いものである。そこでは高齢者に気を使うようにできていればいい、今は高齢者は孤立しやすいからそういう場所が必要になっている。


ともかく原町の道の駅の仮設住宅は本当に立地が一番いい、高齢者の施設は街から離れるのはいい施設ではないというときそうである。自然があるからいいとはならない、別に10万以下の都市なら回りに自然はまだある。むしろ都市機能が充実している所が今は住みやすいのである。みんなが見ている、街の活気にもふれられるところがいいのである。

posted by 老鶯 at 16:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2011年10月20日

原発の深い闇2(宝島社)を読む (オウム-創価-東電の共通性)

 

原発の深い闇2(宝島社)を読む

オウム-創価-東電の共通性

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●インタ-ネットの意見を集める


出版社にとって、広告収入は販売収入とともに
経営の基盤。

広告ページの表現、内容にかかわらず、広告主
、スポンサーとの関係はレギュラー(年間契約)
なら大切な収入源、お客様です。


東電は、電事連などのダミーをつかって、直接
圧力をかけたりしませんが、広告代理店経由で
原発事故や不祥事が記事として書かれることを
防いでいます。

書いたら、広告出稿を止める!と脅しをかければ
記事にはなりません。原子力安全神話化の成り立
ちには、広告が果たした大きな役割がありました。
http://www.asyura.com/11/genpatu16/msg/181.html


事故前の2009年度、東電の広告宣伝費は約245億円、販売促進費約240億円、さらに中部電力などの各電力会社、その連合体である電気事業連合会などを含めると年間2000億円にものぼる巨大な電力マネーがメディアに流れているのだ。
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/139.html


潮、婦人公論、文藝春秋、ダイヤモンド、新潮、ウェッジ…原発広告漬けのダメ雑誌ランキング
http://www.mynewsjapan.com/reports/1477


それとも個人的には疑問や不安を感じていても、「社の報道方針」が決まれば、それに従い書き、論じることができるのだろうか。私にはやはりわからない。
http://tombo1960.exblog.jp/13273535/


ジャーナリストの寺澤 有氏が「電力会社は警察署長らの優良天下り先 脱原発運動の取締で活気づく『警備・公安警察』」と題してルポを掲載している。警察署長の天下り先一覧も添えられている。 これを読めば反、脱に関わらず、電力会社と一体となった国家権力は原発に異議を唱える側をいとも簡単に身柄勾留することがよく分かる。
http://nipponism.net/wordpress/?tag=%E5%8E%9F%E7%99%BA%E3%81%AE%E6%B7%B1%E3%81%84%E9%97%87

一方で原発に反対する人を暗殺する指令が出されたこともあったらしい。
電力会社も恐ろしいが利権政治家(原発族議員)による国家統制の恐ろしさもこの本から伝わってくる。電力会社は警察官の有力な天下り先だという。
http://iwate-guide.seesaa.net/article/216475182.html


福島県知事の佐藤雄平は、福島県民が放射線被曝検査を受けられないよう、さまざまな裏工作をしてきた
http://hiwihhi.com/yukiko_kajikawa/status/109503097541361664


●メデアの大罪


1位―読売新聞
2位―産経新聞
3位―朝日新聞
3位―日本経済新聞
5位―毎日新聞

新聞のランキングで何といっても特筆すべきはワースト1位の『読売新聞』である。

同紙は原発広告数が11と突出しているのが特徴である。広告の中身も異様を極めている。
なんと同紙では井川陽次郎という現役論説委員が顔写真アップで大々的に原発をPR。

さらに驚くべきなのは、同紙の原発広告のうち5割の広告主になっている「フォーラム・エネルギーを考える」という団体の背景である。
これは1990年に、エネルギーについて「生活者の立場」から考えるために発足した団体で、メンバーには松田英三(読売新聞論説委員)、東嶋和子(元読売新聞記者、科学ジャーナリスト)、舛添要一(参院議員)、山谷えり子(同)、山名元(京大教授)、木場弘子(キャスター)、露木茂(フリーアナウンサー)、大山のぶ代(声優)、今井通子(登山家、医学博士)、ダニエル・カール(タレント)、ケント・ギルバート(同)、増田明美(スポーツジャーナリスト)、出光ケイ(同)、小松左京(SF作家)、小泉武夫(東京農業大学名誉教授)、堺屋太一(評論家)、吉村作治(早稲田大教授)といった面々が名を連ねている。



なぜかこれは創価とかの権力掌握とにている。テレビに出演する芸能人は創価関係はだんとつに多いし創価グル-プになっている。宣伝用に使われているのだ。創価だけではないカルト宗教団体は芸能人を利用する。大衆を洗脳するには一番効果的だからである。ともかくむずかしいことを言っても人はついてこないのだ。大衆を洗脳するには知性などは必要ない、むしろ人間を自ら考えなくさせることなのである。人間は必ず疑問をもつ、その疑問をもたせないことがカルトの手法である。それはナチズムに通じていた。いかに大衆を導くかを徹底していた。嘘も百回しつこく言えば真実になる。

大きな嘘をくりかえせとゲッベルスは言った。原子力の安全神話もそうして作られた。権力者が大衆を洗脳するときどうするか共通していたのだ。宗教とそれが何関係しているかとなるが原発も一つの宗教とすら化していた。安全神話の宗教である。それに逆らうものは実際に警察や検察に罰せられることにすらなった。それほど強力なものとして安全神話は作られたのである。東電は有力な官僚の天下り先であり50人も天下っているし警察関係でもそうである。東電と関係ある会社の数も凄い,何らか取引がありそこで権力を持つようになる。


創価も財力が東電よりは小さいにしても大きい。また大衆を手なづけるにはどうしたらいいか知ってナチスの手法をとる。題目を唱えれば何でもかなえられるはハイルヒットラ-とたいして変わりがない。ともかく自主的に考えることをさせないのである。あれだけの数を集めればそれだけ巨大な権力と化している。その数で恐怖を社会に植えつける。そして絶えず権力掌握に精をだす,外務省にも司法にも創価大学で人材を育て送り込む。それは草だとか言って情報を流すし国家権力を掌握するための先兵として働かせる。次に掌握すべきはマスコミである。ここにも東電と同じ様に湯水のように金をそそぎこんできた。福島民放も聖教新聞を刷っているし地方新聞は刷っている。大王製紙が問題になっているけどあそこにも聖教新聞を作る紙を作らせて実権を握ろうとしていた創価大出身者がいた。新聞は膨大な紙を消費するから利得と関係する。新聞は紙の消費する一番のお得意先なのである。池田大作は金日成だったのである。宗教によって大衆を奴隷化して権力をもつ、その落日の日も近い。遂に介護状態になり認知症化してゆく、それが人間の定めだった。組織は瓦解してゆきただ奴隷の墓としての無数の墓標が残された。それらはやがて見捨てられるだろう。それは非人間化した番号のようなものだろう。組織化の文明はみんなそうなるのである。数にしかすぎないとなる。


大成建設が創価と関係が深くなったのは正本堂を建てたのが大成建設でありその時利害関係で結びつくようになった。それで団地の大成建設の社員の家が活動の拠点になったこともあった。東電とも創価は結びつき会員を獲得したらしい。そういう利害関係から権力を掌握する手法をとる。権力を掌握する手法は東電も同じだった。ただそれが巧妙に大衆の目に見えないように行われていた。それは原子力というのがそもそも大衆にとってはわかりにくいものだからそうなった。なんとなく危険を感じてもその危険をしりえようがないのである。今でもその危険がわからないのだ。放射線計測器で自分で計ってはじめて放射線を実感した。このわかりにくいことが原発マフィアにとっては好都合だったのである。


オウムも異常な団体だと思っていたけどあういうものもやはり現代文明の鬼っ子として必然的に生まれたのだとわかった。なぜなら東電は国家とも結託したオウムだったのである。安全神話を作り出してサリンより猛毒の放射性物質をばらまいたのである。オウムを異常だとは責められるだろうか?国家自体がオウムだったともいえるのである。現代では科学が権力や力の源になりやすい、だからこそオウムでもサリンを製造したのである。それは毒だけだった。原発は利得をもたらしたのは違っていた。その利得も毒でもあったのである。現代の権力の源は科学であり技術であるからこそオウムが生まれた。アメリカの裏側にはロックフェラ-とかの会社があり今回の事故でもGE制の古い型の原子炉を使ったことが自己の大きな要因となっていた。でもアメリカの押し付けでも半場植民地となった日本は逆らえないのである。アメリカが嫌なら今度は中国につくのかと責められる。前門の虎後門の狼である。これが外交というものであり世界史は弱肉強食だったのである。アメリカと手をきれば後門の狼、中国とロシアが虎視眈々と日本をねらっているのだ。


●国家的詐欺が暴かれた


それにして国家までもとりこんだ詐欺だったことには驚いた。これを暴いたのは人間ではない、津波だったのである。もし津波が来なければわからなかった。ただいづれは事故は起きた。それにしてもなぜこれほどの大がかりな詐欺か国家的詐欺が公然と行われたのか?その歯止めがなくなっていたのはなぜなのか?それはこの世の中すべてが利権、利得で動くということであった。一見正義とか公正とかを追求していようでも利権が利得が第一であり正義とか公正などは第二義的なものとなる。ましてや宗教のように真理を追求することや覚りを追求するようなカルト宗教団体はない、ただひたすらここも利権であり利得でありご利益しかない、だからこそあれだけの数となっている。カルト宗教団体だけではない、様々な団体は利権団体なのである。その筆頭が官僚団体だったのである。その官僚はアメリカに負けてからはアメリカの意向に従うようにされた。検察もそうである。だから公安は反原発のものを取り締まろうとしている。そしてこの世の中は今やあらゆる団体の一員であり個は存在しないのだ。実際に会社の一員自体がすでに会社という団体に属しているのであり会社の利益や意向に逆らえなくなる。江戸時代なら職人は個々の職人であり独立していたのである。腕一本でやっていけたのである。明治以降会社社会になったとき大きく変化した。かえって皮肉なことに民主主義だ自由だというが自由が団体によって制限されることになったのである。江戸時代の方が人間は自主的で自由があったと見直されるのもそのためである。人間は会社とか巨大なカルト宗教団体とか国家に使役される奴隷と化していたのである。社蓄といわれるようになったのもそのためである。そういうことが自主的に判断できるようでできない状態を作り上げたのである。


マスコミを通じてしか意見が反映されないとなるとマスコミの力は強くなる。マスコミが第三の権力だというのもそのためであった。だからマスコミを通じて出される表にでてくる人間はうさんくさいのだが内容は関係なくたちまち有名人になるのである。中味がなくてもいいのである。大衆にとって中味などどうでもいいのだ。そこまで深く考えて読む人などいないからである。これみんな読んでいるから読まなきゃならないのかとなる。みんな入って宗教なのよ、悪いわけないじゃないの、偉い人もみんなやっているのとか見なさいよ、有名な芸能人や学者も推薦しているでしょう、あなたもやりなさいよ読んでみなさいよとなる。仏教のことを言っている有名人がいたとしてもそれも仏教界の団体の代表として言っている。


戒名や観光の商売団体としてその利権を守るために仏教界の団体として言っている。出版もそういうところだからできる。出版も必ず背後にそうした団体があってできることなのである。それも大衆の洗脳にはいい、本も一つの権威を作っていた。書店はその出先機関なのである。PHPなども財界の大企業の代表として日本の技術を称賛する本を出している。日本の技術がすべてで優秀かというとそうではなかった。テレビもそうであるし新聞も雑誌もそうだった。NHKすらそうである。NHKだってそうした団体の推薦する者を出すのである。そういう圧力がかかっているのだ。在日の人が権力を握っているというのもそのためである。NHKも偏向した団体の出先なのである。そういう所にカルト宗教団体や東電は目をつけて権力を掌握する。その資金は十分にある。今でもそうなっているのはそもそもこうしたマスコミも利得団体なのだから利益が得られないと成り立たないのだからそうなる


●人類への裁きの日が近づいている


いづれにしろこれほど闇が深く、その闇が暴かれたことはない、その闇を暴いたのは人間ではない、津波であり自然であり神だった。今社会で高いとされたものがみんな低くされたのである。社会のエリ-トと言われる人が実際は犯罪者だということが劇的に目に見えて断罪されたのである。高いとされていたものが低くされたのである。すべてそれらは社会にとって優秀だとされた人達である。権力者だった。その権力者が低くされた。学者の権威も失われた。会社の権威も失われた。国家の権威も失われた。これは一体何なのだと思う。これは天罰であり神の裁きだったということも実感した。現実に神の裁きが今起きたということを実感した。この世でいかに大きいとされたものが高いとされたものが低く小さいものとされたか?それは人間の奢りにすぎなかったか、人間の奢りなど簡単に打ち砕かれる。津波の防波堤も役に立たず、原発のずさんな管理も津波で打ち砕かれ明るみに出された。それは人間が成したことではない、神が成したことである。誰が最も高いものなのか、神か人間の奢りを打ち砕いたのである。文明は神によって崩壊させられる。そういう力をもっている。そういう恐るべき力を見たのである。これは文明の崩壊という大きなものに直面した事件である。エジプト文明が終わりマヤ文明も終わりイ-ス-島の文明も終わった。そして明治維新から近代化した百年の文明も終わる。そういう場に直面しているのだ。日本が文明の転換期の先駆けとなっているのかもしれない、そういう大きな局面の認識が必要となっているのだ。


主は命を絶ち、また命を与え
陰府に下し、また引き上げてくださる。(*5)

主は貧しくし、また富ませ
低くし、また高めてくださる。サムエル記一2章1-10


まさにこれである。個人的にそうすると思っていたが社会全般にあてはまっていた。地位あるもの学識あるもの、富めるもの、力あるものが低くされたのである。文明そのものが人間の奢りの産物だった。神はだから文明も打ち砕く、文明を支配してしいたのは誰か?その人たちが低くされたではないか?専門家の科学者の権威は失墜した。原子力は極めて人間の知能の産物である。石油はもともと地下にあったものであり原子力とは違っていた。原子力は人間の知能が作り出したものである。それが事故でその誇った知能が崩壊したのである。それはあたかも認知症とにていた。認知症は優秀な人がなると悲惨である。そして優秀な人がなりやすい病気かもしれない、その特徴は人間の知能の崩壊だったのである。原子力もまさに高度な人間の知能の崩壊でありその修復ができないのである。原子力は人間の奢りの産物だったのである。そして今や最後の審判の時が来ているのかもしれない、日本というだけではない、人類全体への裁きの日が来ているのかもしれない、限りない欲望の追求の資本主義は崩壊する、次なるものは何なのか?それはもはや人間の手で業では作れないのである。人類滅亡の日は近いのかもしれない、人類が滅亡して新たな神の世界が生まれる。そういう約束の日が近づいているのかも知れない、その前兆が日本に現れたのかもしれない、津波や原発事故はその前兆であった。

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2011年10月21日

福島県議会が県内の原発10基の廃炉の請願を採択 (原発は一地域のエゴで決められない)


福島県議会が県内の原発10基の廃炉の請願を採択

(原発は一地域のエゴで決められない)

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島県議会は20日、福島県内にある東京電力の原子力発電所10基すべての廃炉を求める請願を賛成多数で採択しました。原発が立地する道や県の議会が、原発の廃炉を求める請願を採択するのは全国で初めてです
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111020/t10013402201000.html


原発はそもそも30キロ圏とかで被害は区切られない、今回の事故でいかに広範囲に被害が広がるかわかった。それはチェルノブエリでもわかっていたことでありそういうことを想定していなかった。
事故が起きないことを前提としていたのだからそういうことを知らせもしないし報告もしなかった。SPEEDIの結果をあとで公表したが遅かった。最初に事故が起きた時、政府と東電の考えたことは混乱させないことであった。正確な情報を流すことではない、この時も原子力の隠蔽がつづいていたのである。そもそもそういう体質で原発は推進されてきたからそうなった。危険なものだから常に隠蔽されなければならない、真実は知らされないのだ。それは事故の後もずっとつづいているのである。
SPEEDIの予測は正しかった。飯館の方に放射能雲が流れたのである。ところが浪江町では山の方が安全だと思い町民を津島に避難させた。この時政府からも東電からも何の指令もなかったのである。

SPEEDIを公表していればすぐにわかったことである。飯館村も避難したのはずっとあとのことである。その間かなり被曝したのである。自分もテレビばかりみたから放射能などわからないから安全だというし外にでていた。幸いここはほんの一時期高いレベルだったがあとはすぐに低くなった。飯館や福島市や郡山市はかなり長い間高いレベルがつづいたのである。その高いレベルの時放射性物質は堆積したのである。

原発は事故が起きたとき本当に広範囲に影響する。国全体にも影響する。世界にすら影響する。現実に海は広く汚染されたからである。それなのに原発を造るときは非常に狭い範囲で決まるのである。

「原発の深い闇2」でも書いてあるように実に狭い範囲を買収することが第一要件になる。だから金がばらまかれるのは10キロ圏内とかが一番多く恩恵にあづかる。公聴会に参加したのも小高までであり原町区や鹿島区は参加していない、現在小高区は20キロ圏内であり仮設住宅に避難生活をしている。小高と原町と鹿島が南相馬市として合併したのは最近である。その前に小高町は東北電力の原発を建てることが決まっていたのである。その交付金を南相馬市がもらうようになったが今度の事故で断った。そして公聴会には前の原町市では参加していない、ということはそこまで原発の利権も及ばなかったとなる。多少は交付金を得てもたいしたことはなかった。東電からの恩恵はほとんどなかったのである。ただなぜ南相馬市立病院があれだけ立派なものを建てられたのか?その財源がどこからでたのかというとよくわからない。


双葉町などの役所は実に立派であるから原発資金でうるおっていることが一目でわかる。そして事故後も原発なしでは町はやっていけない、原発を増発しろとか東電には世話になったから責められないとか言う人がかなりいる。それを新聞とかにでてくるしテレビでも言っている人がいた。そのことは東電を擁護している、原発はまだ必要なのだと宣伝させているという人もいる。福島民報でもそのことをのせている。そういうこともメデアで操作される場合がある。原発を10キロ圏内の地権者や漁業権者で決められるのか?そこだけに害がに及ぶならかまわなっかった。その被害の範囲は広いのである。だからずいぶん身勝手だなと今は全国の人が思う。

「お前らが恩恵受けたんだからお前らの自己責任であり被害にあってもしょうがない、自業自得だ」と責められてもしょうがない立場になった。結果的因果応報なのだろうか、公聴会に参加した20キロ圏内までは避難地域の警戒区域になった。公聴会といってもこれも゛やらせであり原発推進を承認する公聴会にすぎなかった。ただその結果責任をこうした公聴会に参加した範囲の人はとらされたのである。この公聴会には飯館村や福島市や郡山市や二本松市は参加していない、そこには被害が及ばないと政府と東電では想定していたのである。


それにしても「東電のおかげでいい思いしたから責められない、原発なしでは町は成り立たない、もっと原発を再稼働してもっと増発しろ」こういうことを堂々と言う10キロ圏内の町村はその回りの被害にあった市町村のことを全く考慮していないのである。要するに東電側であり原発ある市町村は明かに東電の準社員化しているから東電側につくことになる。東電なしでは生活が成り立たないとなっているからである。でもその回りの人は迷惑になるから今は県単位で反対する県が多くなった。事故が起きたら県全体の存亡にかかわるし国全体にも世界にも影響するのだ。一地域エゴで原発を決められるのかとなる。だから漁業権をもっていた人達は津波で被害を受けたのは天罰だとか言われている。請戸では5000万もらっていたと報告した人がいた。別に自分が言っているのでない、地元の人も言っている。地元の人でも利益を受けている人といない人がいる。全般的には受けていてもその差はあるからだ。


ともかく原発はとても一地域の狭い範囲で許可できるものではなかった。一地域の財政が苦しいとしてもそれで原発を必要なんだ、回りのものは黙っていろとは言えない、被害かその地域に限定されるならかまわない、南相馬市は今やがたがたである。医療は崩壊してゆく、産業は衰退する、福島県全体が人口は減ってゆくとその影響は広範囲であり余りにも大きかったのである。一地域の狭い範囲のエゴで未だに原発は必要だとか増発しろとまで言っていることは許せないのだ。どうして回りがこれだけ被害を受けたのにそのことを考慮しないのか?多少は申し訳なかったという気持ちがないのか?

なぜメデアにそういうことが堂々とのせられるのか?双葉町の人は避難先で評判が悪かったというときそういう回りを考慮しないことにあり被害者だということを前面にだしすぎた。もっと謙虚になる必要があった。あなたたちにも責任があったのですよ全国の人に言われる。それは原発を立地している所は一旦事故が起きたらそういう目で見られる。そういうことを前提にして覚悟で原発を建てるほかない、嫌な奴は他に移るほかない、ただ被害者面したら全国の人から非難される。福島県全体も非難されている。それで議会で全部の廃炉を決定した。事故の前までは共産党をのぞいて全部が原発推進だった。これだけの被害にあえば当然の結果だったとなる。つまり一地域のエゴで原発の設置を決めてはいけないということなのだ。そのリスクはあまりにも大きすぎたのである。

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2011年10月27日

放射線量の計測 栃窪→大倉(真野ダム)→飯館村(草野→八木沢)を回る


放射線量の計測

栃窪→大倉(真野ダム)→飯館村(草野→八木沢)を回る


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草野へ行く道-ここからさらに峠を上る

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●森の中は高い
●落葉は高い
●雨に濡れた砂や汚泥は高い
●標高が高い所は高い
●飯館に近い山際は高い

栃窪から飯館村を回ってきた。今回は警察の見回りは少なかったようだ。飯館の草野のゆく峠道は落石で通行止めになっていたこともあった。車では行けない、自転車はどこでも行ける。
放射線は町の近くの森で1・5とかあり森の中は高い、外の道は0・1とか0・2である。
栃窪で意外だったのは道に沿った所は下栃窪では0・1きか0・2であり低いと思った。こんなに低いのは変だと思った。なぜなら大原が高くなったのは驚いた。大原の手前の平地で1・5とか高くなったのに驚いたからだ。大原に近づくと3になり道端は倍の6になっていた。それと比べると栃窪は低いと思った。あとでわかったことだが飯館に近い山際は1・5とかそれなりに高かった。栃窪という平地でも放射線量は違っていたのである。狭い地域でも放射線量は違っている。さすがに坂を上り大倉に近づくと高くなった。でも2・4くらいだった。


大倉の真野ダムで驚いたのは橋をわたった休む場所で濡れた砂を計ったら12マイクロシ-ベルトあった。その脇の草は5くらいだった。放射性物質は集りやすい場所があることは確かである。砂がぬれて固まったとか汚泥は集りやすい。大倉の飯館側の道は2から3であり道端も高くなっていない、5とかになってんなかった。通行止めになったところもさほど高くなっていない、高くなったのはやはり飯館の中に入った平地である。6から7になり草野の川俣に通じる道でも6近くあり道端で8以上だった。やはり飯館村の中は高いのである。ストロンチウムやプルトニウムも検出されたというとき何となく気味悪くなる。それでも50代以上は癌になっても10年後20年後だとなると気にしない、いづれにしろ癌になる割合が大きくなるからだ。おそらくもうその癌になっても放射能のためなのかどうかはわからないのである。


草野中心地帯から八木沢の方へ行った。八木沢の上萱へゆく道の一番高い所が落葉で14マイクロシ-ベルとあった。ここが一番高かった。八木沢ではストロンチウムが検出された。標高が高いとそこは放射線量も高いことがわかった。ここの道は土砂崩れで車は通れない。ここは栃窪まで下る道が道路で3で道端で倍の6くらいになっていた。その値は変わらなかった。麓まで変わらなかった。落葉はやはり高くなる。栃窪に下りて飯館側の道は1・5はかで道端はその倍の3とかなっていた。ずっと下っても飯館の山側は1・5から2と高くなっていた。


結局飯館はやはり高い、中心の街の所で道路で7とかあり道端の草むらで9とかあった。これだとなかなか住めないだろう。ただ川俣にゆく道はひっきりなしに車が通っているからゴ-ストタウンとは違う。村の人も出入りが自由であり人をみかけた。トラクタ-で土を削っているのか働いている人もいた。立入禁止区域の20キロ圏内とは違っている。でも実際は相当に放射線量は高かった。ただ警戒区域の立入禁止の街とは違ってゴ-ストタウンという感じはしない、また人が帰ってくるような雰囲気であった。人が自由に出入りしているからそうなっているのだろう。いづれにしろ放射性物質は目に見えないから危機感がもてない、緊張もしないのである。それだからこそ怖いということなのかもしれない、まあ、50代以上はあんまり気にしなくてもいいのだろう。


崩壊する日本-飯館村-プルトニウムの大量検出
http://blog.goo.ne.jp/tarutaru22/e/fdc93e3a96779b3048015777dd7ef8de


これが事実としたらもう飯館村は住めないのかもしれない、放射能は秘密にされるからわからない、感じるものがないから怖さを感じないのである。ただプルトニウムは本当に怖いだろう。2万年も減らないとしたらどうにもならない、住めずに放置するほかないだろう。ただ立入禁止区域ではないから普通にゆくことができたた。警察の見回りも厳しくなくなった。誰でも行ける、仙台の方から写真をとりに来た人がいた。それほど警戒されていないのが助かった。

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2011年11月22日

情報は権力によって操作されたものである (渡部恒三を中心にした権力の構図)


情報は権力によって操作されたものである

(渡部恒三を中心にした権力の構図)

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●松下政経塾グループ-創価池田大作-渡部恒三-アメリカが結ばれる


 そして、反小沢勢力である松下政経塾グループを組織して「7奉行の会」という派閥を作り、民主党を分裂に追い込んだのは渡部恒三であり、背後にはジェラルド・カーティス(コロンビア大学教授)と息子の渡部恒雄(元CSIS研究員)がいる。

 息子の恒雄は若い優秀な日本人留学生をアメリカのエージェントに仕立て上げる目的で「ヤングライオンズ」(http://www.younglions.jp/members/)という在米留学生の団体の顧問(アドバイザー)の立場にある。何も知らない善良な留学生は知らない間に、渡部恒雄の助言によって、アメリカの無自覚的なエージェントに仕立て上げられていくわけである。
http://chikyuza.net/n/archives/10943


松下政経塾グループとあるがやはりこれは一つの政治勢力として結成されたものなのだろう。松下政経塾と創価の池田大作は結びついていた。それは政治を操作するため権力を操作するために結ばれた。松下政経塾とか創価などは表看板はきれいごとを並べている。仏教を看板にしていること自体今では信じられない、松下政経塾もPHPとか発行していてカルト宗教めいた所があるのだ。そして盛んに日本の技術は優秀だと企業をほめることを趣旨としている出版事業を行っている。それは農協関係の家の光とか雑誌とも共通していた。団体の権益のために働くのである。聖教新聞はあまりに露骨だから一般人は読んだりしない市販されていない、でもPHPはそうした露骨な団体色組織色を出していないのである。何か常識的なものであり過激性はない、だから大衆が洗脳されやすいということもある。特に技術的なことはわかりにくいから余計にそうなのである。


●権力に操作される情報


情報は権力に操作された情報としてでてくる。それは組織や団体の権益を守るためのものとしてでてくる。実際に松下政経塾とかも一つの団体として権力を操作する団体として結成された。創価もそうである。そして渡部恒三もその息子がGEの社員でありアメリカの工作員の一員として働いていたのである。それらはみな原発推進をしてきた。こうした大きな組織や団体の意向として情報が操作されるのである。こういう団体や組織をみればなぜ小沢氏が選挙で負けて首相になれなかったのか?松下政経塾が反小沢になっているのかわかる。小沢氏は中国よりでアメリカにとっては首相にしたくないから組織団体を通じて権力を操作して首相になれないようにする。民主主義だと公平な選挙で決まるように見えても実質は大きな組織や団体の意向で決められているのだ。だから情報も操作されたものでありマスコミもそうした組織団体に操作されたものである。


現実に福島民報社で聖教新聞を刷っていたり地方新聞社で刷っていること自体創価の意向が反映されるようになっている。マスコミはほとんど原発推進だったのは東電から宣伝費をもらっていたからである。マスコミは金がかかるから宣伝費をもらなければ会社が成り立たない、だから表に出てくる情報はそういう組織団体の意向にそったものになる。マスコミ自体で自主判断した報道はしないのである。一見そういうふうに見えても実質は巧みに操作されているのだ。その操作された情報で大衆は判断する。原発事故は政府までその情報操作していたのだから鬼に金棒だった。プルサ-マルに反対した知事がなぜ突然失脚させられたのだろうか?それは渡部恒三とかGEの社員の息子とかその甥の佐藤雄平知事とかがかかわっていたのである。それは小沢が首相になれないと同じ構図ではないか?いづれにしろある団体組織に情報は常に操作されたものとしてでてくる。個人の意見などはない、それが美名のもとできれいごとのように見えるが裏では常に情報は巨大な権力かかわっているのだ。情報はより巨大な権力によって操作されるのだ。アメリカが最も大きな権力だとするときそれによって操作される。検察官僚もアメリカ側につく、とするとなぜ小沢が首相になれず前の佐藤栄佐久知事が失脚されたのか見えてくる。渡部恒三と組んだその息子やアメリカによって失脚されたとなる。


●表に出ない情報が重要


原発を建てるときもその後も原発は危険だという情報はこのようにして権力により隠されていた。政府まで加担して検察まで背後で動いていたら反対者はつぶされる。ただプルサ-マルは地元の人も県議会員もほとんど強力な賛成者だった。議員にもそれだけの圧力がかかっていたのか?すべてやはり利権の金で動いていたのかとなる。漁業権のこともそうだった。これは非常に強力な権利だった。
その権利を利用して東電から補償された金は大きかった。上から大きな権力が働いたにしろ地元でも権益のために動いていた。金で動いていた。現代の一番の権力は金てあり金にはマスコミだろうがどこだろうがひれ伏すからである。言論人の矜持など戦争のときも今もない、現実にマスコミか全部原発推進だったことでもわかる。今は全部反対してしいるのは戦争のとき同じだった。そして指導者は誰も責任をとらないのも戦争とにていたのである。


東京地検に知事の後援会幹部が呼ばれて出頭した部分を抜粋します。そこでは検事から次のように言われたとの事です。
「知事の悪口をひとつでもいいから言ってくれ」
「15分以内で言え」
「想像でいいから言え」
「会社を潰されたくなかったら言え」

 評判の良い知事でしたから、事件性がないことであってもとにかく新聞社が飛びつくネタが欲しかったのでしょう。
http://okwave.jp/qa/q6676286.html


佐藤栄佐久知事は本当に評判良かった。聖人とかまで言われていた。それが突然検察にとらえられたときは驚いた。その時も福島県の報道関係はその裏事情は伝えていない、だから福島県人は何があったのかなと唖然としていた。その変わり方が白から黒になったからとまどったのである。自分なそれにしても何にも話題がないから話題作るためにミスのない知事がこんなことでネタができたと喜んでいるのは恐ろしいことではないか?マスコミはテレビでも事件を話題にして視聴率をとっている。事件がないと話題がないと視聴率がとれないのである。そのために事件がなかったきにやらせまでやらせていたこ恐ろしさがある。視聴率をとるために演技して話題作りしていたとにているのだ。そもそも事件がないことはいいことだった。今やこの辺は事件と事故と災難つづきで嫌になってしまうし疲れてしまうのである。

ども政治には興味なかった。原発も遠いと思い関心なかった。中通りあたりも遠いから関心ない人が多かったと思う。でもこれだけの被害が出て今さらながら佐藤栄佐久知事の失脚には関心をもつべきだったのである。検察というのも昔の戦争中の特高と同じだった。権力はそういう面が常にある。情報は背後の権力によって操作されたものである。とするとその背後の権力が何なのかわからないと判断できないのである。検察官僚の背後には常にアメリカがいるということである。日本はアメリカの植民地であり原発の原子炉の不良品も買わされる。後進国は武器でも古いのを買わされ戦わされて武器で先進国は武器商人はもうける。そういうことは今でも普通に行われている。アフリカなどがそのために内戦で多数犠牲になっている。アヘン戦争ではアヘンを売りつけられたりしたからTPPもアメリカが有利になり日本がアメリカの利益のために損を引き受ける。そういう構図は戦後変わらなかったのである。

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2011年11月23日

暗示にかかりやすい人間心理 (科学も万能でないから暗示にかかる)


暗示にかかりやすい人間心理

(科学も万能でないから暗示にかかる)


●暗示にかかりやすい人間心理

人間の心理として暗示にかかりやすい。病気は気からだというときこれも病気を科学ですべて解明できないからそうなる。体を機械のように考えられないからそうなる。科学的思考、根拠を頼りにだけできないから病は気からとなる。またあなたの体はこれこれしかじかの科学的根拠で直ることがないと言われても直るかもしれないと思うのも人間である。あきめきれないから科学的根拠を無視する。そういうことで以前としてそこに宗教が入りこめる余地が残されている。また必要でもあるのだ。
ただカルト宗教の場合はそうした人間の不安な心理につけこんで勢力拡大、権力拡大を計る。そうでなければ宗教が全部悪いとは言えない、仏教だって神道だってすべてを否定はできない、ところが仏教だと戒名を商売にしたり金儲けの種にするのがあまりにも多すぎるのだ。宗教をすすめるなら一切金をとったり選挙の一票代わりとか権力獲得のためとかそうした目的なしでやるべきである。でも組織化した宗教は全部勢力拡大を目的としているからそういう人間の不安な心理につけこみ自分たちの権力拡大、利権を得るための駒にされるのである。


人間の不安な心理につけこむ商売はいろいろある。週刊誌も必ず不安をあおっている。貯金もパ-になるとかこの頃不安がつきない、するとその不安をあおりたてる。それで週刊誌も売れる。ただその記事も全く根拠がなかったら人は読まない。この世の中すべて不確実だからそうなる。確実なものがないから不安になる。原発でも本当は科学者は危険なものだと知っていた。だからこそそれを知られると困るから安全神話を作り上げたのである。科学的根拠は別にしてただ安全、安全と唱えさせていれば安全なように東電でも保安員でも科学者すら錯覚に陥っていたのかもしれない、まさに科学的思考が喪失して一種の宗教になっていた。題目をただ唱えていれば願いかなうとかと同じである。安全、安全と唱えていれば本当に安全のように暗示をかけられて本当のように思えてしまう。戦争中もそうだった。日本は勝つ、勝つ、勝つと唱えていれば勝つように実際に思えてくる。日本には言霊信仰があったというのもそのことだろう。科学的思考ではなく言葉が呪術化する。それで日蓮宗や真宗の題目だけを唱える信仰が生まれた。これも日本的の言霊信仰だったのである。


根拠はないにしろ日本は神国だから負けないというのも安全神話と同じ心理状態に陥っていた。人間はそもそも科学的思考合理的思考よりそうした単純な暗示にかかりやすいのだ。百回嘘を言えば本当になるというナチスの手法もそうした人間の心理を利用したのである。人間はつくづくむずかしいことにはかかわりたくない、面倒なことをしたくない、だからインタ-ネットでも長文は嫌われる。即席で簡単に理解するものがいいのである。だから題目を唱えるのが一番誰でもわかる、題目を唱えればすべて解決すると教える日蓮宗や真宗の信者が多いのはそのためである。その内容より簡単だから理解しやすいからあれだけの数がふえたのである。暗示にかかりやすい人間が多いから数が増やせるのである。人間は知的なことでもめんどうなことはしたくないのだ。調べることだって嫌がる。そうした人間の怠惰が操りやすい人間を作っているのである。


●科学も万能でないことが不安を作る


科学の時代で科学的思考や合理的思考が不可欠でも一般大衆でも科学者でもカルト宗教にはまったように人間はとてもじゃないが万能ではないからそうなる。知識にしても膨大でありすべてに通じることはできない、医者にしたってほんの一部しか知らない、すると不安になる。あらゆることが知り得ないから人間は不安になるのだ。これだけ複雑な文明だとそもそも仕事も多岐に分かれていて理解するのがむずかしい。だから推理ドラマなどを見てこんな職業もあるのかとか役に立つ、職業だってあらゆる職業の人と直接話すことなどできないからである。だから現代社会そのものを理解することが困難を極めている。人間はこの文明社会の前で蟻一匹のようになってしまう。巨大な迷路にまきこまれる蟻一匹だから不安になる。皮肉なことに江戸時代辺りだと現代のような不安はなかったろう。非常に狭い世界に生きていたから世界の果てで起こったことなど全く無関心でいられたからである。人間は今やグロ-バルな不安におびえる。世界中の騒乱で不安になる。不安は今や尽きることなく日々増産されている。決して不安がなくなったりとまることはない、世界のどこかで必ず事故があり騒動が起きているからだ。


原発も今や大きな不安要因である。前からも不安だったけどそれは安全神話で隠されていただけである。今やいかに不安なものか危険なものか身をもって知ることになった。不安が具体的なものとなった。もはや不安を払拭することはできない。科学も地震や津波に無力なことが露呈した。科学者は万能でないから安全神話を暗示で大衆を洗脳した。政府さえ今や信用できない、検察もアメリカの指令で動き権力を乱用するから信用できない。マスコミはまた大衆に暗示をかける方だった。テレビは対話がないし質問できないから一方的だから暗示をかけるのに催眠療法のうよになりやすい、テレビは人を考えさせないメデアなのである。本を読むということは多少は能動的になり考える。テレビは考えさせないメデアである。テレビは暗示をかけるのに大きな力をもったのである。そもそも大衆自体も何かわからない、マスメデアというときマスを支配するためにメデアがあった。科学さえ暗示力を利用する。微量の放射能は危険ではない、危険ではないとテレビなどで何回も放送されれればそう思う人はでてくる。眼にも見えないしわからないからだ。

科学的根拠をいくら言ってもなかなか理解できなからそうなる。科学が万能でないからそうなっている。一方でチェルノブエリで放射能の被害にあってその後を見てきた医者は放射能を余りに意識してストレスをためるのは良くないという助言をしていた。そのことによってかえって放射能よりストレスで影響を受けて病気になったりするという。放射能がどれだけ人間の体に影響するのか本当のところがまだわからないからそうなる。すると過剰反応してストレスがたまりかえってそれが原因で病気になる。人間は科学だけではすべてが解決しない。つまり地震や津波でも科学は無力だったように放射能に関しても実際はすべては知らない、となると科学的に放射能すら対処できないからあまり過剰反応すると過剰防衛になると負担がストレスが大きくなりかえってそれが原因で病気になる。


●科学万能主義は頼る人々によっても作られていた


地震や津波に対して科学は無力だったのである。科学はこれまで起きた経験科学でありこれまで起きていなかったことは考慮しない、でも地球が何十億年でできたとするときそき一万年くらいのことしかわかっていないとしたら科学の力も本当は小さいものだった。何か人間が作ってきた科学的なもの合理的なものシステムなどが崩壊した様を見た。だから想定外のことはこれからも起こる。宿命的にそういう運命のもとに人間は生きているのだ。科学も万能ではない、人間も万能ではない、だからこそ人間は昔から宗教にたより神に頼ってきた。科学が発達しない前は宗教があれだけ力をもったのは宗教しか頼る術がなかったからである。庶民の地蔵信仰にしても耳から眼から腰が悪いとか祈る地蔵が分業化していた。地蔵さんに祈るほか術がなかったからそうなった。今はみんな病院に行くのである。だからこれほど医者があがめられるのだ。でも医者も医療も万能でないからやはりここでも常に不安が生まれ暗示にかかりやすいのである。


科学者の医者の言うことを神のように聞いていたら直るということでもない、科学的なことが暗示ともなる。薬だってすべてきくとは限らない、薬には必ず副作用がありそれが体を悪くする。それは科学的根拠がある。薬がすべてきかないにしても祈るような気持ちで薬を飲むのである。だから薬は高くても売れる。自分も一か月6千円近くかかるのは高いと思った。その中に不用な薬が入っている。薬には無駄な薬を必ず与えられるのである。結局人間は万能でないし弱いものだから暗示にかかりやすい、何かに頼らざるをえないから暗示にかかりやすい。幸福の科学などというものも科学的なものを宗教にするのもそのためである。科学と切り離せない社会になっているとき当然そういうカルトが生まれても不思議ではない。オウムだって科学と切り離せないカルトだった。科学がそれだけ力をもった時代である。そもそも宗教自体が病気で困ったとき宗教者に相談にきた。でも最初の内は奇跡で直したというのは本当である。でもだんだん本当に万人を直すには宗教ではできない、それで科学が発達したという経緯がある。

科学や技術はそれだけ実効力があったからこれだけ科学の時代になったのである。でも科学には限界がありそこで常に人間は不安にかられ暗示にかかりやすいのである。

実際に医者が直らないといった癌でも直った人もいる。医者が万能者ではない、直せないものは直せない、医者自体がその無力感を言っている。人間を直すのは医者ではない、人間自体がもっている抵抗力でありそれがなくなるとき人間は病気を直せないのである。人間が本来もっている治癒力が病気を直す根幹にあり医者が直すわけでなはいというのは本当である。科学が万能ではない、しかし科学を軽んじることでもない、科学には科学の役割がある。それがあまりにも大きくなるとき危険なのである。原子力も危険なものであったしその効力があまにも大きいものだから危険を見逃すようになった。医者が万能者のようにみるようにまた医者に頼りすぎるように科学者に頼りすぎるということがある。医者も科学者もすべてを知っているわけではない、そういうことが双方にあって問題が起きたのである。


病気は不安になると悪くなる。病気に対する不安が強く、もっと悪くなるのではないか、死んでしまうのではないかと不安になり、不安を自分で打ち消せないと病気は悪化する。 悪くなるという自己暗示によってあなたの身体はあなたの暗示の通りになる
http://www16.ocn.ne.jp/~fukiages/new_page_41.htm


医者自身が言っているのだから説得力がある。科学的に対処しても対処しきれない、それは人間の体と心は一体だからそうなる。薬のんでもこれはきかないと思えばきかないかもしれない、水を飲まされてそれが良くきく薬だと思ってのめばきいたりする。体にも心が作用するからすべてを科学で人間は処理できないのである。


頼るべきところは頼り
すべてを頼りきりにしない
この世に万能者はいないから
それはすべての分野で言える
政治家でも役人でも医者でも
宗教家でも科学者でも法律家でも学者でも
・・・・・・・・・・・
頼るべきところは頼る
しかしすべてをまかせ頼るべきではない
最終的には自己判断の決意であり
個人の信仰であり集団の信仰ではない
確かにそこには自己責任が生まれる
でも結局は誰もすべてを他者に頼りまかせることはできない
あなたの責任を全部他者が負えるわけがないから


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2011年11月25日

福島国際復興マラソン


福島国際復興マラソン


fukkpumarason.jpg
真野川をわたる

テレビにでていた学者の人がいた。あの人は最初原発事故の説明のとき頻繁にテレビに出ていた。
それで顔を覚えていた。コンビニの前で会うとは思わなかった。何やっているのですかと聞いただけである。ハンガリ-だ、ル-マニアだ、ドイツ、フランス、スイスとか福島復興国際マラソンだという。こんなところを走るのをめずらしくて自転車でついていった。市役所まで行った。

フクシマは何か世界でも有名になった。南相馬市長もyouyubeに出て有名になった。
フクシマは世界に旅したらフクシマですと言ったらあの原発事故のフクシマかとして通じるだろう。チェルノブエリと同じくなった。ヒロシマともにているだろう。


でも主催している人は御用学者と言われる人である。最初にテレビに出た人は安全だ安全だ、メルトダウンしていないと何度も言っていたが嘘だった。あの時は最初だから皆目放射能がわからなかった。放射能は最初発見したキュ-リ-夫人だけどフランスでは美容にいいとか使われ放射能が害になることがわからなかった。今になるとキュ-リ-夫人とかもがっかりしているだろう。世の中に役に立ちたいというのが願いだったという。こんな危険な悲惨なものとなることを予測できなかった。

科学者でも全く予測できないことが起きる。最初の動機は博士号をとりたいということだけだった。それがこんな結果になることは予測がつかなかった。自分の発見発明したものが社会的にどう影響するのかなど科学者は考えない、科学には薬でもすべて副作用があるように危険がある。薬も毒でもある。放射能も毒にもり薬にもる。ただ毒の面があまりにも恐ろしかったのである。人類を滅亡させるほどの猛毒だったのである。


猿の惑星の続編だったが映画で核爆弾に祈っている人が最後に生き残っていた。人類は最後に核爆発とともに滅びた。人間の最終兵器で
人類が滅びる。それが核戦争でそうなると思っていたが実際は平和利用の原子力利用でもそうなる。それも誤算であった。科学は社会にどう影響するかわからないもの予測つかないものとして影響する。想定外のことが人間社会に起きる。そこも問題だったのである。

yukisnow.jpg

飯館の方は今日は雪だった、北風吹いて寒かった
マラソンした人も寒かった。


後で思ったこと


これだけの国籍の人が自主的に福島を応援するようになるとは思えない
第一、ハンガリ-とかル-マニアとかなるとそういう人達が集まり福島を応援しようなどと
相談すること自体理解しにくい、大学関係で主催者が集めたのか?

他でも御用学者が国際復興マラソンを主催しているから自主的なものではない
ただアイデアとしては良かった。一緒についていったら
世界の人が応援してくれているんだとかなれば元気になることは確かである。

ただ何かこういうものも主催するものがありそれで団体化して活動する
個々人が自主的に参加するというのはデモだってなかなかない
主催者がやはり原発事故の時最初に安全を言っていた学者だった。
その顔を知っていたのでそこからどうかなと思ってしまった。

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2011年11月26日

原発の安全対策は戦術ではなく戦略が必要だった (日本は巨大技術に向いていない)


原発の安全対策は戦術ではなく戦略が必要だった

(日本は巨大技術に向いていない)

●戦略と戦術


戦略(strategy:ストラテジー)
全体的な方針。
変更は困難。


戦術(tactics:タクティクス)
戦略に基づいて細かい個所を決める。
戦略に基づいていることが必須。
変更は可能。
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-SanJose/7769/hard2a/senryaku.html


人間は日々個々の戦術に生きている。目の前の利益を獲得することは戦術である。あらゆる人がどうしたらもうけられるかとかどうしたら売れるとか日々の戦術に生きている。人間は宿命的にそうなっているのだ。戦略を考えるのは特殊な人であり一般人は日々の糧を得るための戦術に生きているのだ。ところが戦略となると個々の利益を得る戦術的思考と違ってくる。全般的総合的な視野が必要になってくる。でも日々の生きるための戦術に生きている大多数の人にとって戦略的に思考することはできない、それを担ったのは戦国時代なら君主になる。戦争になったら総大将になる,城主になる。
信長とか秀吉になり家康になる。戦略的に優れていなければとても勝つことはできない、布陣するにもそれは戦略であり戦術ではない、大軍の布陣は戦略であり個々の戦いは戦術になる。戦略は戦争の最初に決められてあとで変更しにくい。戦術は戦争のなかでも変えられる。戦略全体を見渡さなければ作れない。地形とか相手の人間を見たり様々な視点から決めれる。天候なども関係してくる。
総合的判断力が必要になってくる。諸葛亮孔明などは戦略であり戦術家でもあった。そういう人はまれである。


●現代文明は総合的に判断する戦略家は育たない


戦略を考えるとき何も戦争のときだけではない、平和時でも戦略となると総合的判断が必要となると学問でも最初は総合的に見る人が偉大とされていた。それが哲学者だったのである。学問のはじまりは哲学からはじまった。総合的な視野をもった人が学問の指導者だった。今回の原発事故で問題になったのはまさに総合的に考える指揮官がいなかったことが事故につながった。現代は無数に細分化して専門化しているときそれらを総合する人はいなくなった。総合する人はどういう人かも思いつかないだろう。今は総合してものを考える人、哲学者が一番低い位置にある。というより総合家は存在しえないし見えないのである。すべてが専門化して部分化し細分化している。それが原発事故につながっていた。

原子力発電は戦艦大和を作り動かすのとにている。国の命運を背負って作り動かすものだと学者が言うときそういう気概と総合的な力を結集して運営するものだったのである。でも専門家同士の意志疎通もできないし総合的に判断することができなかった。社長でも国の首相でもできなかった。唯一実務を担当した現場の所長がその役割を果たしたのである。それだって原発を建てるときは力をもっていない、社長がもっていても社長はコストカッタ-として知られていた。それが安全をないがしろにしたのである。様々な危険が指摘されても真剣に考慮しなかった。原発にしても生きるか死ぬかだとかそういう戦国時代のような意識をもっていない、そもぞれの専門家もそうした意識をもっていない、建設するにしても地盤やら地震やら津波のことやら天候のことやら歴史的な災害の記録やら何やら総合的判断が必要とされていたけどそれをできる人はいなかったのである。現代文明自体がそういう総合的にみること自体不可能になっていることもありそれが要因となり大事故につながったともいえる。


太平洋戦争でも最初から戦略がまるでなかった。真珠湾攻撃でも追い詰められて暴発したのであり戦略的なものではない、その後もずっと暴発的侵攻であり戦略的侵攻ではない、戦術はあっても戦略なき戦争だったのである。あれだけの戦争となれば世界的総合的戦略が必要になるがそれはまるでなかった。ただ暴発して戦略無き無謀な戦線の拡大だったのである。そして医者のような責任意識に欠けていた。医者は何かに言っても手術するとかなると責任をもたされるから責任意識が強い。だから手術するとき合併症のリスクのことを盛んに言っていた。、、、なになにだから危険ですよ何度も言っていた。原発を運営するものにはそういうことはなかった。だからリスクを覚悟するということもありえなかった。ただ安全だ安全だとしか教えられない、だから事故があっても避難することもできない、安全しか教えられていないからどう避難していいかもわからなかったのである。結局個々に専門家は原発にかかわっても総合的に見て判断する人はいなかった。要するに全体の責任者は誰もいないのである。だから戦争のときと同じ様に誰も責任者をとる人はいないのである。想定外の暴発だとなり戦争と同じだったのである。


●日本は巨大建造物を作るのに向いていない


確かに日本の技術が優秀な面はある。それをあえて否定するものではない、しかし技術はすべての面で優秀ではない、原子力はやはりフランスとかアメリカの方が進んでいたのである。安全対策も進んでいた。アメリカは宇宙開発のように巨大な技術開発に向いている。ここは地球なのか火星なのかとかそんな広大な土地であり宇宙基地を作るにしても向いている。原子力発電所も巨大技術でありそういう巨大なものを扱うのには向いている。これは中国でもそうかもしれない、万里長城を作ったような国だから巨大なものを作るのには向いているのかもしれない、スケ-ルが日本では考えられない巨大なものを作る。エジプトのピラミッドもそうである。大陸には巨大なものを作るのに向いているのだ。日本はそういう巨大な技術を開発するのに風土的に向いていなかった。日本は太平洋戦争でも指揮系統もばらばらであり全体を指揮することすらできなくなっていた。そううい全体を戦略的にみることが苦手なのである。戦術があっても戦略がなかった。

戦略となるとき技術だけではどうにもならい、技術は戦術なのだ。技術家は戦術家である。細分化して技術にこだわり個々の技術を極限まで追求する。でも大局的総合的にみることは養えない、あくまでも全体の部品の品質向上などには適格になるが全体を見る眼は備わらない、技術はあくまでも戦術である。戦略はその技術家を応用する総合家でありそういう総合家はまれである。そうした人を育てるのも専門化した現代では育てられない。これだけ複雑になるとその全体を見渡せる人はいないのである。最後はバベルの塔のように破壊されてしまう。現実にそのあと言葉が通じなくなったということは専門化してそれぞれの分野で言葉が通じなくなっていた。これは現代がまさにそうである。あらゆるものが専門化してその専門家の間で言葉がすでに通じなくなっていたのである。結局そうして文明は崩壊する運命にありそれを誰もとめることができない、悲観論になるのである。


戦略は眼前の利益をあげる戦術的なものではなく長期的なことも戦略である。現代はすべて眼前の利益に眼前のことに関心があるが長期
的なものは関心をもてない、だからめまぐるしく変わる世界になる。長期的ビジョンをもって戦略をたてて結集することはありえない、民衆自体がすべて毎日眼前の利益をあげる戦術に生きている。そういう人達を導くには常にニンジンをぶらさげないとついこない、長期的なことを言ってもついてこない、民主主義はそういう民衆が大衆か指導者を決めるのだから当然眼前の利益を与える人を選ぶ。長期的に国家をどうしようかと言う人にはついてこない、民主党の政策が子供手当てとかすべてにんじんをぶらさぜたものであった。それが地震やら津波やら対外問題で崩壊したのである。今や国家自体がどこも世界恐慌の恐怖におびえている2。そういうなかで子供手当てとかなどただ眼前の利益を与えることもできなくなった。国自体がつぶれるかもしれないというとき別な国家的問題に立ち向かう総合的戦略が必要になる。しかしそうした総合的戦略を出すには民主主義ではできないという矛盾につきあたっている。民主主義は大衆主義でありそうした長期的なものに眼が向かない、日本を長期的にどうするかなど考えない、目の前の利益のみ追求している。そういう人達が要求するのは目の前の利益であり長期的なものではないのである。でも目の前の利益のみに眼を奪われていると原発事故のように全体も崩壊してゆくことになる。

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2011年11月27日

医療と原発事故の相似性 (自分の専門意外の責任はとらない医者)


医療と原発事故の相似性

(自分の専門意外の責任はとらない医者)



外科医は切りたいから外科医なんだよ
彼らは切る事がアイデンティティな訳だからね
内科的な治療ができる疾患でも
外科にかかると手術をすすめられるのはよくある話


医者のくせに専門医あれば自分の専門科じゃないと患者が死んでも構わないってことになってるんだよね


自分の専門領域外の病気で死ぬのはOK
がん専門医だが、癌死は自分にとって敗北だが
心筋梗塞や脳梗塞で死なれても「仕方がない」と思う
「俺には関係ないし」


医者は船長さんのようなものなのね。
船に乗ったら船長の権限は絶対。
外でいくら地位があろうと年が上であろうとそれがどこでも通じると思っている方が間違い


http://members.jcom.home.ne.jp/invader/works/works_8_d.html


彼らは、名目だけの3か月程度のにわか仕込みの教育を受けて、医療業務をまかされたのである。
子供医師にかかり注射を受けた者の多くは、傷口が化膿した。
腫瘍が腫れ上がり体全体に広がり命を落とす者が続出した。
多くの者は、医療の知識もなく、ろくに消毒もせず注射をしようとする子供医師を恐れた。
彼らは、手術すら行うこともあったが、しかし、その実体は、人体実験に等しいものだった。


ここでの話
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1322257065/l50

 



原発もこういうことあったのでは、医者のくせに専門医あれば自分の専門科じゃないと患者が死んでも構わないってことになってるんだよね


原発を作るのにもこれは総合的なものだけいろんな分野の専門家がかかわっていたけどその専門家同士で意志疎通できない、他の科だったら責任もたない、これも官僚的役所的になっていた
これは現代はどこでもそうじゃないか、私の担当の部門ではありません、別な部門に文句を言ってください、・・・・これで責任逃れになるよな

医者は船長さんのようなものなのね。
 
船に乗ったら船長の権限は絶対。
外でいくら地位があろうと年が上であろうとそれがどこでも通じると思っている方が間違い


原発を一旦作ったら安全神話が作られる、誰も安全ではないと言わせない、その船長は誰なの?
政府も東電も一体化して安全神話を作っていた、原発は本当は危険なものでありあぶなかしいものであってもあえて運転していた。カンボジアの子供医師の例はひどすぎるけど周辺住民の配慮がなかった。福島県民は放射能のモルモットだよとか、そんなふうにみている人もいる。

医療は必ずミスあるんだよな、子供の時、足に注視したのが化膿してあとで傷口が拡大化してしまった。女性だったらショック的なことだよな、医療ミスはほとんど交通事故のように頻繁にあるものなんだよ

原発事故はあったら致命的だったけどさ、医療とにていたんだよ、もっと危険に敏感になるべきだった、相手がいつ死ぬかわからないしそれで責任をとらされることをどれだけ真剣に考えていたのか?
誰も真剣に考えていない、ただ安全神話を作り仲間うちで安心していた、でも不可避的に事故は起きるものなんだよ、一旦事故が起きたらとりかえしがつかない、原発の場合その被害が大きすぎたんだよ、それは最初からわかっていたことだけど医者のように日常的に危機に対処していなかった

それが危機意識をもてなかったのかもな、それより地震と津波の想定があまりにもあますぎたのだろう、これだけ危険なものに対して危機意識が欠如していたんだよ・・・周辺の住民だって医者に文句言えないように何も言えないようにされていたからな・・・・不安だって手術してもらわぺはならないことがあるからな・・・金をくれればいいと危険に対して眼をつぶってしまったんだよ


今は何をするにも様々なパ-ト、専門の集まりだとすると「私の部門は他の部門はわかりません、責任もちません」これがいいわけになり誰も責任もたない、原発には船長がいたの、首相が船長だったの?東電の社長が船長だったの?それだって責任が明確ではない、福島県の知事はプルサ-マルを反対して追求していたけどそれがもとで検察もかかわってやめさせられた、これって誰の責任なの?

 

プリニウスの博物誌より(古代のいざない)より

鉄は人を殺すことに関係があり、深い疑惑の眼で見られていた金属である。
「飛ぶ鉄」は矢は文明化された国民にとって無価値な野蛮な発明だと遠慮会釈鳴く避難されている。
鉄を無害なものにしようと農業の目的にのみ鉄を使用すべしというのが諸王放逐後、ボルセナがロ-マ国民に対して認めた協定に含まれていた。

協定まで決めていたのだからいかに鉄が危険なものか、殺戮にたいして危険なものかロ-マ人はわかっていた。農業のみに限定した平和利用を望んでいた。しかし戦争に用いられた。

原子力もそうである。放射能も鉄と同じ運命になった。人類にとって最も放射能の発見は危険なものだったのである。


どの医者もそれぞれに異を唱えなければ、他の診察が優れていることを認めているように思われるだろうとおそれるのである。またこのことから記念碑に「わたしを殺したのは一群の医者だ」
というような、縁起でもない銘が刻まれるようになるのだ。医学は日々変わり、後からと一新する
。そしてわれわれはギリシャの賢い頭脳の息吹きにあちこちと吹き飛ばされる
そのものもは直ちにわれわれの生死に対して至上の支配権を掌握するということは明らかだ。
まるで幾千という人々は医者がなくては命がないように・・・
ところが昔から薬があってロ-マ人は600年以上それでやってきたのだ。もっとも彼らは科学や技術を歓迎して実際医術に対して貪欲であっ
た。そのためにそれによってひどい目にあって、今度はそれを非難するようになったのだが・・


この文は現代のことではないか? 2ちゃんねるの
40代中堅専門医はプライド高く助言断るから誤診が多いの指摘
まさにこれと同じである。ロ-マは現代の文明の水準に達していた?


医学は日々変わり、後からと一新する
。そしてわれわれはギリシャの賢い頭脳の息吹きにあちこちと吹き飛ばされる


これも現代と変わりない、ギリシャの賢い頭脳とはヨ-ロッパとかアメリカである。明治維新後そうなっていた。「昔から薬があってロ-マ人は600年以上それでやってきたのだ。」これは漢方薬のことであり日本と同じではないか?日本人は科学や技術に本当に貪欲だった。そのために医療でも原発でもひどい目にあって非難するようになった。これは明かに現代のことである。ロ-マ時代にすでに現代が予告されていたのである。鉄が危険なこと知っていて制限しようとしたができなかった。放射能も同じである。科学と技術は制限できない、人々がその効能を求めているからだ。科学と技術の問題はロ-マ時代からのテ-マになっていたのだ。それは現代も同じだった。歴史はくりかえしただけだとなる。特別現代に起こったことではなかった。そこに歴史を研究する意味がある。ロ-マ時代が現代に結びつき日本と結びついていたのである。



 

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