2011年06月17日

被災者はなぜ貯金がないのか? (常に話題になる南相馬市など)


被災者はなぜ貯金がないのか?
(常に話題になる南相馬市など)


ていうか1年ぐらい暮らせる預金もなく生きてる奴が
いること自体驚き
まだ、たった3ヶ月だぜ?
1年暮らす預金もないなんて、その日暮らしの乞食かよ
そんな貧民がムリに家建てたり、自動車買ったり、ガキを学校にやったり
身の程知らずの生活をしてたツケじゃねえの?


6500万ほど貯金があるわしが
11年目のカローラ乗って慎ましい生活をしてるのに、
身の程知らずのとうほぐの貧民が後先考えずに自動車買ったり
家族で外食したり、旅行に行ったりして貯金もせずに
散々、散在して来たツケだろ?
自分のケツは自分で拭かせろ。国民の血税をあてにするな


東北人ってあまりにも自分たちが危ないことの自覚がなさすぎるんだよ
しかも子供まで犠牲にしてる
東北の飢饉の時、子供を助けて親が死ぬんじゃなく
親が子供を見捨てる村が多く、そういう村は絶滅したらしいが

東北もそうなるんじゃないの?
余りにも爺婆の意固地な土地に執着する意地で子や将来できる
孫を犠牲にしすぎ


福島だと、義援金受け取った人は生保打ち切りの刑だって。
相馬と郡山であったって記事になってた。
厚生労働省からの指導だそうだ。


仮設住宅にも格差があるらしい。
当たりの所は、玄関なんかもしっかりしてて、施工もまずまず。
外れのとこだと、ベニヤがめくれてたり、釘出てたり、玄関がサッシ戸。
韓国企業が受注したんじゃねーのってお袋と言ってたw





そうなんだよな、なぜこんなに借金している人が多いのが不思議だ。現代の標準的な暮らしをするには借金するほかないのか?車を一人一台田舎ではもっている、そういう暮らしをするのは余裕があってしているのではない、借金でしている。家を建てるにも借金でしている。
この前のタクシ-運転手も借金している、一千万くらいしているとか、小高の家を立派な家を建てている人も借金している。親戚も借金して貯えがない、貯金が全然なくて借金していたら病気になったり災害にあったりしたらどうするのだろうか、不安にならないのかな、日本人は借金はめったにしない、貯金民族だとさんざん言われてきたけど貯金していなというのも不思議である。借金をしている人が実に多い、借金している人はまた借金しようとする。アメリカも借金経済でリ-マンショックになり世界不況へ導いた。アメリカは金がなくても金を使わせる、カ-ドで使わせる。そういう消費優先の社会であり日本人は貯蓄民族だと思っていた。確かに高齢者は大正生まれや80才以上の人は消費を知らない、ただ働きためることしか能がないとも言われた。そういう人を知っている、金だけをためて決して使わない人がいた。だから高齢者は多額の貯金をもっている人が多い。ちょうど利子が高いとき貯金した人は倍になった。そういうふうに恵まれた時代だった。今は貯金すらできないし利子もゼロだから貯金のメリットはない。


確かに今回の津波災害やら原発事故でも一体一年くらいの生活費がないということが考えられない。こんな時代にその日暮らしだったのかとなる。やはりアメリカのように消費過剰になっていたのか?勤勉な貯蓄民族でなくなっていた。団塊辺りからそうなった。?本当に賢い人がいた。夫に生命保険をかけ、家に保険をかけ、子供にも学資保険をかけていたから当座の金はまにあう。仕事の道具も買える、保険はこういうとき大きな力を発する。入院して16万もらったり地震保険では33万もらったからそれなりに得だった。掛け金は一年に一万とかの掛け捨てだから高いとは言えないからだ。貯金しないなら保険くらいかけておくべきものなのだろう。
人様のことはいえない、借金している人は金に困窮するから遂には犯罪者にまで落ちることもありうるだろう。借金して身を亡ぼす人など日常的である。それにしてもなぜ容易に借金するのかわからない、日本人はそれほど金にル-ズになったのだうか?節操がなくなったのだろうか?多分そうだろう。一年分くらい暮らす貯金がないことが信じられないのだ。


東北の飢饉の時、子供を助けて親が死ぬんじゃなく
親が子供を見捨てる村が多く、そういう村は絶滅したらしいが


これはとをいう根拠で言っているのかな、子捨て川とか子捨てという地名が結構ある。姥捨山は少ないのだ。間引きとか子捨ての方が多くしていた。ただここがどういう根拠でこの人が言ったのかわからない。


昔の日本では、しばらく山へ隠れて神隠しになり、ほとぼりを冷ましたころ戻れば、山の神様の子として、村全体で面倒みる風習があったようです。


子供を村のものとして村全体で育てたというのはやはり群れを成す動物と同じであり人間も動物の一種だから村を維持するために子供を守るという本能が働いたのだろう。そういう感覚は今はまるでない、その代わりとして福祉というのが生まれたのだろう。東北が特別子供を捨てることをしていたとは思えない、全国的にそういうことはあった。


ともかく一年も暮らせないその日暮らしとなると江戸時代であり借金があるとなるとさらに悪い状態である。財産を失った人は山ほどいる。津波の被害にあった地は土地も価値がなくなった。原発の回りもそうである。でも価値の変動が起きている。原町区は避難準備地域で不安定であるから不動産の価値は下落している。鹿島区は仮設住宅が三五〇戸とか建ち人口が増えて土地があれば家を建てたいという人もでてくるから多少土地の価値は上がったかもしれない、相馬市はもっと価値があがった。アパ-トも原町などから移り家賃が高くなったりするかもしれない、仙台辺りではそうなっているみたいだ。空き室が多かったがうまることになる。小高区だけでも一万人以上住んでいた。その人たち移動するだけで回りの影響は大きいのである。

小高区と鹿島区が一つになったら二万以上になる。それだけ人口がふえることは大きな変化になる。でも働く場がないからそうはならないだろう。仮設住宅は仮の家であり何年かしたら消える。原発関係の避難者は東電から補償金もらえるからしばらくは生活できるのだろう。


福島だと、義援金受け取った人は生保打ち切りの刑だって。
相馬と郡山であったって記事になってた。
厚生労働省からの指導だそうだ。


国や厚生労働省の指導には逆らえないのだろう。国の命令をきかないと金がもらえない、これは地方交付金でもそうである。中央の支配の命令の結果として原発が作られたこともある。
地方の行政としてはしたくないと言っても逆らえないのだろ。そういうことは他にもいろいろある。なぜ緊急避難準備地域などというめんどうな指定になったのか?そのことがよくわからない、これも中央政府からの指令であり逆らえない、南相馬市から自主的に住民を追い出すことをしているとも考えられる。本当に原町区は住みにくくなっているからだ。

仮設住宅が今話題になる。仮設はいろいろあるみたいだ。玄関あるのとないのが確かにある。中味も違っているのだろう。最近電気製品を入れている。これも電器店にとっては大きな需要である。とにかく南相馬市は必ず全国ニュ-スで必ず話題になることが起きている。全国の人が

語るのも東北のことであり南相馬市も必ずニュ-スとなるのだ。こんなことは今までなかった。
だからアクセスも増えた。地元の人もアクセス増えたがおそらく全国の人も読んでいる。南相馬市からミニ放送局となる。そしてどうして南相馬市の中心部の原町区が緊急避難準備地域というあいまいな指定になっているのかわからない、理不尽である。このまま解除されないなら南相馬市の崩壊につながってゆく、徐々に原町区は解体して離散してゆく、南相馬市自体が全部そうなってしまうこともありうる。それは放射能とは関係ない、0・4マイクロシ-ベルでは低いからだ。放射線のために緊急避難準備地域に指定したのではないとしたら一体何のためにこんな指定をして混乱させているのだろうとなる。中央政府の魂胆がありそのために南相馬市が犠牲にされるのか?ともかく人が消え人が増える所もある。これだけの変化したことはない、その中で住民も不安定な状態がつづく、絶えず動揺している。いづれにしろ中央政府の意向にふりまわされている南相馬市であり福島県である。戦争ではないにしろそれとにた動乱なのである。

posted by 老鶯 at 00:40| Comment(1) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

福島県全市町村、財政破綻危険度ランキング(H17) (双葉町は2位だった)


福島県全市町村、財政破綻危険度ランキング(H17)
(双葉町は2位だった)
http://www.kiminari.info/fk/ranking.html

双葉町は原発から金もらっていても無駄使い多かったのか
2位だよ、驚き、富岡や浪江町も16位以内、双葉町が何かと批判されのは東電から金が入っているのに財政状態が悪ん。ハコモノなどの公共事業に使いすぎた。


相馬市(23位)より南相馬市(32位)が財政状態良かったのは意外
南相馬市が500億円の負債で財政状態悪く市がつぶれる危機なのかと思った。
しかし今は市はつぶれる危機だよ,生活保護を払えなくなってきているんだろう
市そのものが存続できるかどうかわからんからな
他でも財政が苦しくなった市町村は生活保護費ももう払えないよ


不思議なのは飯館村が54位だよ、大熊町も60位で原発から金をもらった町ではここだけが財政的にはいい、他は別に原発から金をもらっても財政事情が改善していない、こういうところに
市町村経営の問題が見えてくる。飯館村に同情が集るのがわかるよな


県レベルで県政を考えることをしていない、知事選なとに行ったことがない、その無関心はやはりいかに政治に関心をもてないことにあった、でも今度のことで本当に政治に関心もった


福島県の権力構造も明るみにだされた。渡部恒三は相当な悪だったんだよ

渡部恒三派は、甥であり元自分の秘書であった佐藤雄平氏が知事になるやいなや、東電と足並みをそろえる動きを見せ、昨年8月にはプルサーマルを受け入れ、早速核燃料リサイクル交付金を受け取った。この件に関し、佐藤栄佐久氏は、議会でまともな議論もされずに通してしまい、その結果、3月11日の震災で、福島原発は大事故になり大変なことになっていると抗議を入れている。指摘は正しい
http://blogs.yahoo.co.jp/seizaikai_club2006/53431188.html


どこに住んでも同じとはならない、平和時はそんなに関係ないけどこうなると大変なことだよ
南相馬市は本当にこれから存続するかどうかさえわからないんだから

政治とか市政でもやはり財政状態を見るとその県や市がどういう状態なのかわかりやすい。

福島県政となると大きいからわかりにくいが双葉町は経営がどれほどひどいか一目瞭然である。双葉町の批判が大きいのはやはり理由があった。富岡町も東電から金もらっていて財政状態が悪いのもおかしい。浪江町は東電からさほどもらっていないだろう。南相馬市ももらっていない。火力発電所があるからその税収で潤っているのか、相馬市には港もあるし松川浦もあったのになぜか南相馬市より平成17年では悪かった。南相馬市は合併して7万になったけど相馬市は合併しないから4万くらいだった。そのことも影響しているのか?南相馬市と相馬市が仲が悪いというのも理由がわからない、将来的に合併するとき主導権争いがある。今度の原発事故では相馬市と断然優位になってしまった。


ともかく県政とか市政とかをどうみるか、そういうことが今回の事故で無関心でいられないことがわかった。原発は双葉町とかの利権だけ決められるものではない、福島全体の問題だった。
だから郡山市も福島市も被害受けたのは自業自得だ。それだけ影響あるものだということを思い知らされたのだ。会津はさほど関係なかったけどやはり浜通りから一時的に避難した人で影響受けた。双葉町は埼玉県に避難した。10キロ圏内となるともう町に戻れるのか、再建されるのか?10キロ圏内は核の廃棄場になる。町自体なくなってしまう。そういう準備もしているようである。

 
posted by 老鶯 at 13:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

南相馬市の真野川のアユ、ヤマメ基準値を越える (飯館村などでの釣りの自粛)


南相馬市の真野川のアユ、ヤマメ基準値を越える
飯館村などでの釣りの自粛



2011.6.3 00:34

 福島県は2日、同県白河市の阿武隈川のヤマメ、南相馬市の真野川のアユ、いわき市の沖や岩場で採取したホッキ貝とウニの水産物4種から、食品衛生法の暫定基準値(1キログラム当たり500ベクレル)を超える放射性セシウムを検出したと発表した。


 県内では福島第1原発事故の影響で海での漁は自粛中でホッキ貝、ウニは流通しておらず、真野川のアユは7月1日の解禁までは禁漁。4種のうち人の口に入る可能性があるのはヤマメだけで、県は地元漁協などを通じ白河市内の阿武隈川での釣り自粛を要請する。


 県によると、検査した4種は5月26〜28日に採取。セシウムは1キログラム当たりアユ2900ベクレル、ウニ1280ベクレル、ホッキ貝940ベクレル、ヤマメ620ベクレルだった。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110603/trd11060300350000-n1.htm


相馬地方広域水道企業団(相馬市、新地町、南相馬市鹿島区)の水道施設の配水量の78.7%が飯舘村を広く水源とする真野ダムの水を水源としており、急速濾過及び塩素滅菌をしております。残りは3つの浅井戸地下水を利用しており、水質が良いため塩素滅菌のみで水道水として利用可となっています。

真野ダム水源だけは、4月11日までヨウ素131が検出され、それ以降は不検出となっていました。セシウム134,137は真野ダム水源のみ検出され、3月21日、28日、4月7日、5月3日11ベクレル/kg〜最後7ベクレル/kg程度でその後は不検出でした。
http://www.nagaoclinic.or.jp/doctorblog/nagao/2011/05/post-1577.html


最初アユを調べてセシウムが検出された。次にヤマメだった。八木沢峠の麓からはストロンチウムが発見された。これは骨に影響するとか、つまりヤマメなどの骨に蓄積したものを食べると放射線の影響を体内被曝する。真野川のダムは南相馬市の水道水にはならない、相馬市で利用しているから相馬市は飯館村の放射性物質汚染の影響を受けやすいのだ。南相馬市では鹿島区でも真野ダムの水は飲んでいない。


南相馬市の水源は全て地下水です。給水区域は図1をご覧下さい。
http://www.city.minamisoma.lg.jp/suido/shisethu/
H23-suishitu/H23-suishitu-plan/3-suigen.jsp


これも意外だった。地下水が水道水だった。地下水からも一次ヨウ素、セシウムが発見された。飯館村からの雨がしみこんで真野川に流れダムから水道水を取水するとなると相馬市は放射性物質の汚染の影響を受けやすい。地下水はどうなっているのか、これもわかりにくい。
原発周辺の汚染は信じられないほど汚染水があふれている。それが地下にしみこんでいる。その量は恐るべき量だという人がいる。そもそもメルトスル-した溶解した核の燃料が溶けて地下まで達しているとかいろいろ言われている。地下への影響は甚大である。それでこれから百年もいわき市や郡山市まで地下水の影響があるという、なぜなら百年前の江戸時代の雨が地下水脈にはたまっていたというから百年後に放射能に汚染された水を飲むことになるのだ。


飯館村に蓄積した放射性物質は雪となり雨とな土に堆積した。でもセシウムなどは地下が粘土質だと流れにくいとあった。土に付着しやすく雨でも流れにくい、ただ土についた粒子は土と共に泥などともに流れや安いので汚泥から放射性物質が団子のようになって塊りとなりベクレルが高かった。側溝なども土や草やゴミが流れ込むから異常に放射線量が高かった。10倍くらいあった。雨樋も雨と共に流れてきたので10倍にもなった。放射性物質はあるところに集中して高くなるところがある。


今は水に関して放射性物質の危険性を言われないのは飯館村などが高くても流れなかったのかだろう。南相馬市の水道水はすべて地下水であり地下水は深いのでそこはそれほど影響しなかった。地下水には泥とかとともに流れにくいからかもしれない、ただ原発周辺は地下水の影響はこれから大きいから飲めなくなる。あれだけの汚染水だからもう百年飲めないかもしれない、実際事故のあとの処理で汚染水が一番問題になったのである。

posted by 老鶯 at 14:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

一方的なテレビなどの放送には何かの意図が (管首相バッシングの裏は・・)-(原発と双葉町の歴史)


一方的なテレビなどの放送には何かの意図が
(管首相バッシングの裏は・・)-(原発と双葉町の歴史)

●管首相パッシングは自公政権の原発の責任を隠すため?


今回の原発事故に対する報道を、ずっとTVで見ているが、自民党の
責任を追及する局は一局もない。
物凄い違和感を感じていた。
そして菅が浜岡停止・送発電分離・クリーンエネルギー転換を口にした途端、
参議院の西岡議長は発狂し、自民党は不信任を出し、小沢と鳩山が
それに便乗し、原発族の渡辺と前原は、犬猿の仲だった小沢に擦り寄り、
菅にお前の味方はいないよとアピールする。
なんという分かりやすい猿芝居。w
自公は、事故の原因が自分たちにあることが明らかになってしまうと焦った。
東電に飼われているマスコミと結託して、菅に全ての責任があるかのように
印象誘導した。小沢がそれに便乗した。
菅を擁護しているように見えるマスコミもいますが、重要なのは
反菅勢力のみを、繰り返し繰り返しTVに出し、好き勝手に喋らせることです。
そうすれば、徐々に庶民は、菅に原発事故の全ての責任があるかのように
洗脳されていきます。 擁護してるマスコミも、最後は「辞めた方がよい」と
やんわり寝返ります。
これが今回の不信任劇の正体です。
こんなミエミエの猿芝居を見抜けない人にも呆れます。


根元二郎−東京新聞の記事
http://nemoji.blog.ocn.ne.jp/ashita/2011/06/63_c101.html


菅を擁護しているように見えるマスコミもいますが重要なのは反菅勢力のみを、繰り返し繰り返しTVに出し、好き勝手に喋らせることです

テレビは知らずに洗脳されやすいメデアなんだよ、テレビは見ていて一方的になり受け身になってしまう。テレビに出されるのはテレビ会社の都合の良く編集できる人なんだよ
メデアのことを書いたけどメデアはそれだけ力をもっていた。インタ-ネットで発信することは自らもメデアになることである。だから今度は逆にテレビ局のように自分で編集することになる。
この作業は結構大変なことなんだよ、本は消えても編集者は残ると書いたが自分がやってみて書いたわけ、編集は創造的作業なんだよ、時間もかかる、いろいろな意見や主張や情報があるとしてそこからえり分けて自分なりのものに編集する、それはテレビ局でやっていることを個人でやるから大変なんだよ、だからこそみんなただ一方的に流され編集されたテレビの情報に洗脳される、楽しているから真実がわからないともいえる。インタ-ネットはえり分ける作業が大変なんだよ、そこが弱点なんだよ、そしてまだインタ-ネットのメデアは未熟なメデアである。社会の中で本当に活かされていない、だからまだマスメデアの力は大きい。


でもどうしてそんなに管首相がパッシングされるのか?そういう一方的になるとき日本人は本当に危険だなと思った。原発の安全神話が作られたのもそのためである。戦争のときも一方的になり反対意見はもはやゼロだった。検察は特高になって暴力的にとりしまる役になった。原発の安全神話も検察もかかわっていた。なぜ前の知事の佐藤栄佐久が原発をとめようとしたときやめさせられたのか、濡れ衣を着せられて検察によって失脚させられた。これも原発がからんでいたんだよ、原発の推進派はもともと自公にありその跡を継いだのが民主党だった。自公の責任も問われべきなんだよ、それは中曽根首相からはじまっていたことは歴史をたどればわかる。アメリカと一体化してすすめられた事業なんだよ、原発周辺は建設当時すごかったらしいよ,管首相はパッシングされてもしかたない人にしても余りに一方的だと何か裏があるんじゃないかとなる。日本人に民主主義が向かないのはみんな同一方向に同調しやすい民族性があるからだ。少数者を重んじない、少数者は全く無視される。原発の原因もみんな同調して推進一色になる。権力による情報操作にしてもやはり何か疑い別な見方や意見を言う人も排除してしまう。そういう民族性は民主主義は向かないのかと思う。新聞でも多数あるから今回東京新聞と京都新聞の記事が紹介されて読んで書いた。これなども新聞もインタ-ネットの中に入ってきたからこそ情報が多様化しているからこそできることである。マスメデアの中で判断するのとインタ-ネットのなかで判断することは違ったものになる。ただこの作業は手間がかかる。それで大衆向きではない。過渡期のメデアだからそうなっている。


●双葉町の歴史と原発


原発が元特攻隊の基地だったり、
原発誘致に至るまでの歴史には製塩業の衰退や、
その原因として林業の衰退もあったというのは
驚きでもありこの国の歴史の秘密のつながりを覗きみた気もしました。

そしてまたそこはアメリカの植民地でもあったのです
「敷地内には、プラントの製造を一括受注した米ゼネラル・エレクトリック社の家族が住む「GE村」が完成。小学校やテニスコートも設けられた。クリスマスやハロウィーンのパーティー。運動会が開かれ、町民と交流を深めた。」
http://reliance.blog.eonet.jp/default/2011/06/post-bf50.html


双葉町のような辺鄙な場所にアメリカが入ってきたんだからその時町民も原発は凄いものだと思ったろう。その頃外人なんか来ない時代だから特にそう思ったろう。
歴史をたどれば多角的に原発を見ればいろいろなことがわかってくる、本当に原発は金のなる木だったんだよ,だから双葉町では食らいついたんだ、危険よりマネ-だった。アメリカの古い型のマ-ク1を買わせられたことも知らないし調べることもなかったろう。かえって原発景気に浮かれている町民が浮かんでくる、町民は原発を作って得意だったんだよ、何もないところに原発が来た!そこは浜岡でもそうだしそういうことが現実にはある。双葉町は極端だったんだな、

そこはアメリカの植民地でもあったのです

日本は以前としてアメリカの意向のままに動き植民地であり属国である。真に独立していないからである。アメリカのものを受け入れざるをえなかった福島第二原発は国産化したのが多く事故がなかったというのもそのためである。

ともかく不景気になっていたとき建築関係の人が小高に原発できれば景気良くなるよと盛んに言う人がいた。その人は津波と原発事故で原町区に避難してきた。どこでも底辺では金だからな今は・・・双葉町だけをとやかく言えない面はあるよ、福島県もそうなんだけど原発をできた背景にはそうした事情があったこともふりかえることが必要だ。


双葉町はもともと長塚村とかであった。新山には自分の父親が関係していた。葛尾(かつろう)村の小出谷やから丁稚として酒屋に勤めたんだよ、小出谷は小出屋であり出小屋のことだよ、平な所もない所で林業が唯一の暮らしの糧だったみたいだ。電気も来るのも遅かった。そんなところだから貧しい、そもそも戦前はみんな貧しい、そうして今の富沢酒店の近くの酒屋に勤めたんだけど暖簾分けして鹿島の方に移った。その話しを何度も聞いているから双葉町は因縁がそれなりにある場所だった。小出谷が実家になるがそこから浪江に下りてきた人の一人は若くして死んだ。原因はわからない、原発に勤めていたんだよ、浪江の親戚もそうだった。原発が原因ではない、理由はわからない、でも原発が関係していたんだ、ともかく戦前は本当にみんな今からすると極貧だよ、卵すら食べていない、自分の父親は最後にさしみ食えるようになったら食いたくないと言って死んだ、日本が豊になりはじめたとき死んだだんだよ、テレビも入ったときだったが病気でそうなった。そんな話はいくらでもあるよ、日本はともかく貧乏だったんだよ、出稼ぎの時代もあった。でも別に原発をもってこなくてもその頃高度成長だったんだから他の工場を呼び込むこともできた。他ではそうしていた。原発がなくては経済が成り立たないという時代でもなかった。出稼ぎではあったけど働き口はあったからな、ともかく原発ができる前にも双葉町にも歴史がある。江戸時代までさかのぼる、相馬藩の一部でもあったんだよ、とにかく

双葉町は消える、10キロ圏内にはとても住めない、公務員宿舎を借りて集団で住むとかそうした準備もしている。もう帰れることは無理だろう。原発事故の様子を見ていたらわかるよな、信じられない汚染水が地下に流れ込んでいるんだから水が飲めないからな、一つの町の歴史が終わるということあるのか?双葉町も父親が関係していたことで郷土史の一部なんだよ、今回の事故はまず密接に地元に関係していた、それで書くことが多い、総決算のように書くことが多い。

失われた平和な風景(夜ノ森-請戸)
http://musubu2.sblo.jp/article/17459204.html

あの辺の風景が津波と原発事故で失われた。あの川は熊川だった。沖に船が行くのが見えた。平和な春の一時だった。
請戸にしても悲惨すぎるし双葉町も帰れないとか今になるとしんじられない、こういう平和なときもあった。
今になるとここにも行けなんから信じられない、悲しいとなる。

posted by 老鶯 at 20:58| Comment(2) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2011年06月18日

管首相は原発を争点に解散-選挙でその是非を問う!

 

管首相は原発を争点に解散-選挙でその是非を問う!

菅直人首相は31日、福島第1原発事故を踏まえ、2030年までに原発を現状より
14基以上増やすとした政府のエネルギー基本計画を抜本的に見直す方針を表明した。

原子力利用を推進する経済産業省から原子力安全・保安院を分離できるか検討する 考えを重ねて強調。「『原子力村』の雰囲気が存在する。反省が必要だ」と指摘し、電力業界と省庁が一体で原発を推進する態勢を見直す考えを示した。


確かに5月まではそういう印象が強かったから
早く菅を引き摺り下ろせと思っていたけど、
実は国民の想像を絶するほど強大な原子力マフィアに
独りで立ち向かおうとしているのだと、今はわかったよ。
ここで菅が負けたら国民の負け。マフィアの勝利。


電力労組は長年どこの超有力支持母体だよ、言うてみ?w
民主党の国会議員・県市町村議員に何人東電出身がいるか言うてみ?wwww
電力マフィアのとんでもない力を削ぐにはジミンガーだけではダメってこった


原発利権の最大の大物@
 東京電力の年金減額とボーナス返上に大反対して押し切った「電力総連」は発電送電分離に大反対のシュプレヒコールを上げてる「電力総連」は電力総連は民主党の支持母体です!


大島は信用置けない。民主もダメだが、そもそも事の発端は自民の原発推進政策にあった。
大島も、さすが原発推進は、もう言わないだろうが、電力会社の既得権の擁護はカネを貰ってる手前、言い続けるだろう。

原発完全停止法案で


衆院通過→参院否決→衆院解散→原発完全停止を争点で総選挙


これでもし衆院で2/3をとれば
あと4年間、総理ができるかもしれないんだぜ


原発を争点に選挙すべき何だが。今までは国、推進派知事と、狭い誘致自治体 だけで原発を作ってたんだし。今回の大事故でも、結局静岡県のお茶までフランスで放射能汚染で止められてる。原発は、利益の入る地元だけじゃなく、国民が是非を決めるべき問題ですね。それが、今までは村民・町民を買収するぐらいで全国に原発が 出来ていた。こんな構造の方が問題。次の選挙は、原発推進か脱原発かの二択でやれ ばいい。




昨日のつづきだけど「東京新聞」で指摘したことはやはりそれなりのインパクトあった。東電から金をもらっていないのは前の小泉首相と管首相だというのも原発停止で総選挙に出れる強みがある。自公政権は10年つづき原発を推進してきた。民主議員もそうであってもまだ2年間しか政権の座にはついていない、原発推進はしてきたのは自民党でありそれは中曽根首相の時からはじまっていた。基礎は自民党だから自民党が一番責任がある。だから自民党とは正面切って反原発になりにくいし未だに東電の味方である。ただ民主にしてもやはり党内で反原発に全部をまとめるのは至難である。渡部恒三は本当に福島県をだめにした原発利権の最たるものだった。余りにも露骨な原子力村の利権のドンだった。この人の罪は重すぎる。小沢に寝返ったのも原発利権が関係しているみたいだ。そうはいっても反原発になるのは今度は民主の支持母体の電力総連だったから手強い、それで東電のボ-ナスは下がらなかった。こんな非常事態にでもそうなった。それだけの力がある。管首相が打ち出した原発停止の政策の抵抗はやはり大きい。
原発を争点に選挙すべき何だが。今までは国、推進派知事と、狭い誘致自治体 だけで原発を作ってたんだし。今回の大事故でも、結局静岡県のお茶までフランスで放射能汚染で止められてる。原発は、利益の入る地元だけじゃなく、国民が是非を決めるべき問題ですね。それが、今までは村民・町民を買収するぐらいで全国に原発が 出来ていた。


原発の被害は10キロ圏内くらいに留まるなら誰も地元の利権だとか批判しない、被害の範囲が実は外国まで及ぶものだとしたら人類まで滅びかねないとしたら一地域のエゴや利権で決められるものではない、全国民が塗炭の苦しみに追いやるものだった。南相馬市など関係ないと思っていたそれ以上に郡山市も福島市もこれだけ影響受けるものだと思っていなかったろう。報道特集で東京からも神奈川からも沖縄に避難している人がいた。子供をもっているとどうしても過剰に心配する。だから無理しても避難する人が多い。福島市からも千人避難ていることには驚いた。幼稚園に相談する母親が出ていた。原発は双葉町とかそれよりその双葉町の一私人の土地所有者とかによって決められる問題でなかった。その被害は30キロ圏内でもない60キロから80キロとなり実際は日本の信用も落としたから全国民の全地域の問題である。

全世界的な問題でもある。隣の国に原発があることはその危険性を感じるからだ。韓国だって北朝鮮だってそうである。中国もそうなのだ。そういう問題を一地域との土地売買のようなことで決めていたことが論外だった。少なくとも30キロ圏内の市町村やら県全体の意志を反映させて決めるべきものだった。県民投票とかして決めるべきものだった。ともかく渡部恒三のような原発利権のドンのような人が福島県を牛耳って福島県をだめにしたのだ。そういう政治家は今も責任もとらない、何か責任をとらないのはそれだけ原発村というのは今も強力である。だからこそ管首相もあれだけ一方的にバッシングされることになったことは見えてくる。その支持母体の電力総連からの圧力もあるから手強い、国民全体を味方にしないとこの戦いには勝てないのだ。自民党も責任をとらない、自民党は今戦々恐々としているのだ。自分たちの責任が問われるからである。マスコミだってそうである。相当な金を東電から広告費としてもらっている。今は国民の反発があるからその流れに乗っているだけである。


やっぱり今は新聞でもインタ-ネットで検索して読めるようになったりするといい。「東京新聞」「京都新聞」など読めないから、福島民報はそもそも福島県の政治とかで厳しいチェック作用がある機関ではない、創価の聖教新聞などを刷っているような所はまず信用できない、ただ私的営利会社でありこういうところ期待はできない、当然東電などからも金をもらっているだろう。
そういってしまいばみんな大きなマスコミはそうなってしまうのだ。だから管首相が東電から金をもらっていなかったということは強みでありそれだけ原発停止で勝負できる、解散してその是非が問えるとなる。別に管首相支持ではないけどそれだけ原発を停止して廃止することは容易でないということを国民も自覚すべきだろう。民主党内でも原発停止でまとめること自体容易でないのだからやはり管首相の一つ賭けになる。人物はどうにしろそれができる背景を持っていたとなる。原発推進派をあぶりだして責任をとらせない限り原発停止は困難である。未だに誰も責任をとっていないからだ。責任を逃れることができるからだ。そしてまた原発推進になってしまうこともありうるからだ。

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2011年06月22日

津波、原発事故は天罰だった? (漁業権者の責任は重かった)


津波、原発事故は天罰だった?
(漁業権者の責任は重かった)


漁師は何かあればすぐに漁業補償と言ってくる
海がいつから漁師の物になったんだ?
漁師が海をつくったのか?
漁師にもっと厳しい行政になってもらいたい


漁協組合員一人一人の原発に対する賛否の意志はもちろん、家族構成から、姻戚関係、影響力のある知人や友人まで、
プライバシーを細部にわたって調べあげ、「どうすれば、その組合員を原発賛成派として説得できるか」まで結論づける激しいものであった。
http://simanto114.blog116.fc2.com/blog-entry-520.html

 


原発がどうして作られたのか?それは非常に狭い範囲で決められていた。原発利権者同士の権利で決められていた。原発を建てる場所の地権者と漁業権者が実際の権利者だった。それに県知事の許可があればできる。でも逆に漁業権者が反対すれば原発は建てられないともなっていた。だから漁業権者の責任は重いものだった。そしてそんな狭い範囲で原発が建てられることが今回のような事故につながっていた。福島県の漁業は盛んではない、まず三陸のような入江が少ないから港になりにくいのだ。小名浜が一番大きな港だった。小名浜は常磐炭田の石炭の積み出し港から大きくなった。漁業はそれほど大きなものではない、この辺が三陸と事情が違っている。双葉町の海岸が塩田であったし松川浦もそうだった。漁業より塩田として活用されていた。その塩を東京に売っていたのである。森林資源に地方が活用された歴史がある。いたるところにある森林鉄道がそうである。浪江でも葛尾(かつろう)村まで通っていたことに驚く。かなり急峻な坂がつづくからである。

なぜこの漁業権について考えるようになったかというと今になると盛んに外部から東電から福島県は多額の金をもらっていただろうと批判されるからだ。では具体的に東電の金はどのうように流れたのか?そういうことはその金に直接関わらない人はわからない、直接交渉でかかわるのは地権者と漁業権を持っている人なのである。そこがまず買収されて突破口が開かれる。

漁業権が財産権であり国でも東電でも簡単に奪うことができない、ここで反対されると東電でもあきらめることになる。でも福島県の浜通りは漁業がそれほど盛んではない、むしろ農家が多い。でもその少数者が権利を持っていたのである。それで双葉だけではない、請戸は金持ちが多かったというとき漁業権をもっていて東電から補償金をもらっていたことはまちがいない、浪江は東電から何ももらっていないというが漁業権をもっていた人には金が回っていた。だから病院にいた磯部の人が磯部には立派な家が建っていた。原発でもらった金で建てたと言っていた。30キロ圏外でもそういうことがあった。すると松川浦の漁港でももらっていた。もちろん今回の事故で漁業の補償がある。海で魚をとっても売れなくなくなったからだ。


ただ市町村全体が恩恵を請けたのは10キロ圏内である。その他はあまり恩恵を受けていない、ただそんな狭い範囲で原発が建てられる法律があるということ自体とんでもないということに気づいた。隣接県でも原発を建てるには許可が得るとか主張するようになったのもそのためである。一旦事故になったらその被害は広範囲なのである。へたをすると国を亡ぼすほどの危険なものだったのである。今は地位とか名誉とかは重んじられない、金を多くとるものが偉いのである。金で人も会社も報道も国さえ買える。何故なら一体今や国とは会社であり国より大きな存在となっている。

東電>国家になっていた。トヨタもすでに国家より大きな存在である。国家の拠り所は会社になっている。天皇すら東電の株主になっていたし東電は国家より大きな存在である。国家は会社を規制できない、会社が国家を規制している。それだけの権力をもっている。そして司法は必ず権力側につくというとき国策を推進する側につく、それだけ会社の力が大きくなりすぎたのである。会社が巨大化するまえからその危険性は指摘され法律で会社の巨大化を防ぐことがなされていた。でもグロ-バル化社会とは巨大化した会社優先の世界にしたことである。だから常にアメリカのロスチャイルドやロックフィラ-の意のままにアメリカは動く、原発が売り込まれたのもアメリカのそうした財閥の意向だったと陰謀説では必ず言われているのだ。会社の権限は大きくなりすぎてもはや規制できない、国も会社にのっとられた。


全国すべての選挙区の議員(政治家)たちを各選挙区で、実質的に選出する決定権限を持っており、その若い政治家たちが大臣になっていくことまでも左右する。さらには、市長や県知事などを差配(さはい)することなどはもっと当たり前のことである。
http://d.hatena.ne.jp/longtonelongtone/20110505/1304554653


国の力が大きいようでも今や違っている。会社が国となっている。そしたら巨大会社に逆らうことはできない、検察も軍部も会社のために動くのである。現実強制執行されるときはそうなる。
原発に反対しても最期は検察の命令で警察が強制執行するのである。ただその最前線は漁業権者にあった。でも簡単にその漁業権を東電に売り渡したことは否めない、さほどの抵抗はないし金をもらった方がいいとなった。結局今回の原発事故は様々な問題を浮き彫りにした。
漁業している人でもあなたたちは本当に海の恵みで暮らしていて海を大事にしていましたか?

農民は大地から実りを与えているのに本当に大地に感謝していましたか?それは別に漁業者や農民だけではない、国自体がそうした自然の恵みに感謝していましたか?むしろ電気の方が車の方が文明の便利な道具の方が大事で価値あるものとしていませんでしたか?そういうことが問われてもいたのである。江戸時代まで9割が第一次産業だからそんことはなかった。それが一割のみが第一次産業の従事者になったとき社会は余りにも変わりすぎたのである。
だからはこれは天罰だというのも一がいに否定できない、漁業権者は簡単に金のために大事な漁場を東電に売り渡した。農家もまた常に金にならないという不満だらけだった。なぜ金にならないのだばかりしかない、大地や神に感謝している人など一人もいない、絶えず金のことで不満だけなのである。そういうことに自然が怒ったのかもしれない、東電から金をもらっていた直接の利権者は漁業権者は天罰だったということを言われてもしょうがない面はあった。それは自分だけけが言っていることではない、磯部に住んでいた人も天罰だったと言っている。

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2011年06月23日

南相馬市原町区大原はなぜ放射線量が高い?


南相馬市原町区大原がなぜ放射線量が高い?


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3カ月間と一年の放射線量が図のようになっている。大原がなぜこれほど高いのか?大原でも八木沢に近い地蔵木は一番高い。そこで雨樋を計ったら113マイクロシ-ベルトあった。それはおそらく本当だろう。それだけこの辺は危険地帯になった。ストロンチウムも発見されたということでさらに危険になった。これも風が影響したのだろう。八木沢峠から北風が吹いて大原地域と橲原渓谷を通りぬけて橲原村に放射性物質が流れた。なぜ大原がそれほど高いのか、八木沢の麓の地域は飯館に近いし風が吹き下ろす真下にあった。それから平らな大原地域まで風通しが良かったのである。地形が影響したのである。そこからさらに台畑が高くなったのも地形の影響である。風がここまで運んだ。運びやすい地形になっていたのだ。信田沢も半分くらいに低下するが高い。この辺が高くなったのは風が運びやすい地形だったからである。

八木沢の麓の地蔵木から吹き下ろした風は橲原渓谷へも吹いた。それは大原より多少低いのは橲原渓谷はうねり曲がっていてそれなりに距離があった。一方で地蔵木から坂を越えて大原の前田の方に吹く風は通りやすかった。それが台畑まで風で放射性物質が運ばれた原因だった。

栃窪が低いのは大倉へは結構山で阻まれた。飯館の草野から八木沢へ出る坂道はそれほど高くない、吹き抜けやすい、大倉へは多少高くなって障害となったかもしれない、確かに風の影響が放射性物質の拡散には相当影響したのだ。

山側に近いほど放射線量は高くなる。鹿島区の西町では六号線の西側では1マイクロシ-ベルトだが六号線の海側になる鹿島小学校では0・5である。半分に減っているのだ。海側になるほどどこでも放射線量は減っている。鹿島中学校は鹿島小学校よりは倍は高いことは間違いないだろう。


伊達市でも小国が高いのはこれも地形だった。ちょうど山を下ると山に囲まれた平らな小盆地になっていた。小国というときそうした山間の小さな小盆地になっているような地形である。だから小国という地名は全国的に多い。あういう所に放射性物質はたまりやすい。それは福島市は大盆地だけどやはり盆地ということで放射性物質がたまったのである。

この図で見るとやはり年間で10ミリシ-ベルと以上になると危険が相当に増してくる。そこは避難地域になっている。10ミリシ-ベルが目安になるのか、5ミリシ-ベル地帯も相当にでている。
伊達の霊山地域は10ミリシ-ベルト以上になっているから避難した。


ともかく大原地域が高いことは意外だった。あそこの農家の人とは病院で知り合った人がいた。でも大病しているのだから5町の田などもうつづけることができなかった。だからかえって東電に補償してもらった方が得だったともなる。息子は市内に住んでいるのだから移り安いということもある。大原地域の山側は避難して人がいなくなってゆく。橲原でも避難した人がいた。子供がいる家は自主避難もしている。

 

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今回のことで火事場泥棒もでてきたし弱者を食い物にするものもでてくる。戦国時代みたくなる面もあるのだ。いい面としては協力することもあり悪い面では人間の醜さが露骨に現れるのもこうした混乱して無秩序になると時である。人間が野獣化する。人間はそうした恐ろしい側面をもっているのだ。食うか食われるかが戦国時代だったから油断も隙もない、下克上でもある。
そうして犠牲になる人もいる。三陸では津波の被害で身売りした女性もいたとか過去にあった。そういうこともすでに起こっているからやはり同じようなことか大災害では起きてくる。


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介護されているような人が避難したら死ぬ率は非常に高くなる。実際に自分も親を介護しているがここを出なければならないと言った時体がふるえていた。そのまま避難していたら確実に死んだ。放射能被害でもチェルノブエリでは老人で避難した人はかえって死んだり寿命を縮めたのである。だから老人は移動しない方がいいのだがインフラがたたれるといられなくなる。老人にとっては過酷である。弱者はこういうとき苦しい、病人もいるしそういう人はやはり死んでいった。30キロ圏外であり避難しなかったから命が伸びたとも言える。


 

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2011年06月24日

真野川のアユの放射能 (鹿島区西町は放射線量が高い)


真野川のアユの放射能
(鹿島区西町は放射線量が高い)

アユの放射能(一キロあたり)


夏井川(いわき)-620ベクレル

鮫川(いわき市)-2900ベクレル


真野川(南相馬市)-2900ベクレル

真野川河口の泥一キロあたりセシウム137が7800ベクレル


淡水魚がセシウムなど吸収しやすいという。いわき市も南相馬市の真野川も高い。セシウムは水にとけるが土とか泥に付着しやすい、だから粘土のようなところに付着するとなかなか水と一緒には流れない、流れるとしたら土と泥と一緒になって流れる。それで真野川河口にはそのセシウムが付着してたまった泥から普通より高い放射性物質が発見される。下水の汚泥でもそうだった。純粋に水に溶けては流れにくい、水にとけて流れだすなら真野川の真野ダムは相馬市が水道水としているから危険になる。南相馬市の水道水は全部地下水だからまだ安全である。地下水は深いし放射性物質はそこまでまだ浸透しない、その前に粘土などに付着して堆積している。水にとけて流れだして海に流れれば山に堆積したセシウムなどは減るからかえっていい。それがないから長く放射線を出し続ける、除染できないとなる。


チェルノブエリ近辺では今でも年間5ミリシ-ベルトで立入禁止


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鹿島区の西町が1・5であった。3か月の平均であり一年に換算すると4・9ミリシ-ベルトであり5ミリにはなっていないが危険地帯となっている。チェルノブエリで5ミリシ-ベルトで立入禁止というのは福島より相当に厳しい。日本はやはり人口が稠密だから避難させることができない、郡山市と福島市は南相馬市より高くても避難させないし避難地域にも指定されないのは科学的なものではなく政治的に補償できないからである。

鹿島区お西町が高いのはなぜだろう。寺内が1・2でねんでは3・6ミリシ-ベルトなのである。栃窪は5ミリ以上だからやはり危険なのか?
西町は橲原とか山の方から吹いてきた風が影響して高くなったとも思えない、これは爆発したとき一時20マイクロシ−ベルに南相馬市がなった。その辺の影響でホットスポットができたのかもしれない、今鹿島小学校は0・5マイクロシ-ベルとであり西町から離れて海側になるとまた低くなるのだ。だから鹿島中学校や保育所がある西町は注意が必要だとなる。なぜなら放射能は
胎児>妊婦>児童>成人女性>男性>老人の順に影響するからである。それは科学的に証明されている。胎児とか児童になると何倍もの影響があるから子供がある家は避難しているのが多い。

六号線の千倉体育館のある元の校庭の仮設住宅に10所帯くらい入居



やっと仮設住宅に入ってきた犬をかかえた老人や車もっている人が多い。どこから来たのか、小高だと津波の被害はないから車はもっている。小高は立入禁止区域になったから避難している人が一万以上になるから多い。車をもっているとそうかもしれない、あそこで暮らしがはじまる。何か急ににぎやかな感じになるのも不思議である。

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原町デイサ-ビスの車
介護するとなるとここでは大変になるか
部屋が二つしかないから
そもそも介護している家で被害にあったら大変


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この鴨は水田に放たれていた鴨だ、右田の松原にも近い所だった
水田のなかに食べるものがあった、水田の雑草を食べていた
稲は食べないから飼われていた
この鴨は津波にも生き残った
水には強いから生き残れたのかもしれない
いかにも水田がないな,探し回っている
水田がないと生きられない動物は鷺もいるし他にもいる

posted by 老鶯 at 16:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

簡単な掲示板を作りました



簡単な掲示板を作りました


相馬郷土史研究の互いの研鑽や津波の被害や原発事故についての
情報の提供交換に利用してください


何かサポ-トなどできればしたいと思います

不都合があればすぐに消しますのでよろしく

ここです
http://bbs.jp-net.ne.jp/01/01/soma.html

posted by 老鶯 at 21:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2011年06月25日

仮設住宅入居優先順位

 
原発から北へ15キロの南相馬市の沖合い3キロの海で、プルトニウムが検出されました
松川浦ではいつ漁が開始されるのか?避難した人で再開しようとするやる気のある人はいた。原釜の人だった。ただとっても放射能で売れないから困る。5年位したら放射能が薄まると東電で発表した。その頃は正常化するのか、それまでも待っているから魚はとって売られる。結局放射能に余りにも神経質になるのも問題である。原発を作ったのは全国民の意向が反映したものだというとき多少の放射能汚染されたものを食べることはもう運命というほかない、自分だけは食いたくないという人は外国に逃げるほかないのだ。福島県だけが汚染されたから福島県を差別しているがこれも間違っている。原発は事故になれば必然的に全国に影響する。今は福島県でも次はどこかの県がなり全国に影響するのだ。だから多少の放射能汚染した食物を全国一様に食べざるを得ない、それが原発を作った国の運命でありその運命を共有せねばならない、犠牲を福島県だけにおしつけるのはずるいのである。これは全国民の問題であり責任だったのである。


仮設住宅入居優先順位


東日本大震災の影響により、自宅が全壊、全焼、流出してしまった世帯、および福島第1原子力発電所の事故による警戒区域、計画的避難区域に居住地がある世帯で、自らの資力により住家の確保が困難な世帯等となります。 


優先世帯(次のいずれか)に該当する世帯

 ・乳幼児(3歳未満)のいる世帯
 ・妊婦のいる世帯
 ・3歳以上15歳未満の児童が3人以上いる世帯
 ・高齢者(75歳以上)のいる世帯
 ・重度の障がい者のいる世帯


東日本大震災の影響により、自宅が全壊、全焼、流出してしまった世帯


半壊ではない全壊の人しか津浪の被害者は入れない?半壊の人が入れないのは厳しい。
半壊の家が多いからだ。半壊でも住めない人がかなりいるだろう。その間仮設に入りたいという人もいる。


・高齢者(75歳以上)のいる世帯
・重度の障がい者のいる世帯


原発関係では子供のいる所帯とか老人とか障害者が優先される。千倉体育館の校庭には中学生の女の子とかいたし車椅子の人を原町のデイケアセンタの車が迎えに来ていた。ハッピ-ケア-では自分も介護士用品を注文したことがある。原町区の人がここにも入っている。原発関係の小高の人はまだ入っていないのか?橲原の人が仮設に入りたいというのもわかる。
子供とかいるとみんな避難するようになるからだ。鹿島区には10カ所くらい仮設建ったのか、今三カ所はわかっている。桜平山と西町と六号線の千倉である。西町が一番戸数が多い。でもここは1・5マイクロシ-ベルとあり4・8ミリシ-ベルトに一年ではなる。あそこに保育所があるが問題ないのか?子供を仮設に入って大丈夫なのか?きめこまかな対応が必要になってくる。


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千倉の体育館の前

きめこまかなというとき今回の放射能問題は放射線量が狭い範囲で違っている。浪江の請戸でも原発の見える所でも0・2とかで低い、海側は海に放射性物質が流れたので低い。小高区などでも放射線量が低いから立入禁止区域の解除してくれという要求を出したのは当然だった。山側は高くても海側はみんな低いのである。だから津浪の被害にあった海側になぜものものしい防護服で警察などが死体を探したのか?そこが疑問である。政府にすると20キロ圏内と区切ると管理しやすいというだけなのか?それでは住民は困る。原町区の緊急避難準備地域の指定は本当に変だ。仕事がなくなり人が流出してゆく。鹿島区に人が集ることで鹿島は土地の値段とか空家の値段が上がった。30キロ圏内は下がった。そういう価値の変動も起きている。


廃業する人が増えた


橲原の風穴の湯はボイラ-が地震で破壊して廃業した。自分も温水器の配管が壊れて三週間風呂に入れなかったのは苦しかった。近くの整形の医院も廃業した。ここも高齢化が一因である。家族が東京なので帰ってこない。広い屋敷が残っている。新しく建てた診療所も残っている。鹿島区では他にも廃業している所がある。一般的に漁業でも三陸の方でも高齢化が廃業の大きな原因である。
原町区の大原の農家の人も大病して80にもなったら5町ある田をつづけることはできない、原発の補償があるとしたら補償して避難した方が楽である。ただまだ橲原でも勧奨地点として指定されても政府から避難地区に指定されないと仮設に入りたくても入れないということがある。そういう要望が大原や橲原地区で出ている。


今回の放射能問題など身近に起こったことはやはり身近に住む人のきめこまかな対応が望まれた。だからニュ-スも報道も地元のきめこまやかな報道が望まれたのである。例えばそれは福島県だけでもむずかしい。福島県となるとやはり広いからだ。元の相馬藩内でのきめこまやかな報道が必要とされたのである。その点相馬郷土史研究の範囲内ということで自分のプログも参考になった。昨日のNHKでも放送していたがおそらく磯部の人だろう。60才の人が孫も妻も失い一人になって避難所に取り残されたのは悲惨だし子供だけ残して家族が全部死んだとか悲惨である。ただ写真だけを見て思い出している。

 
 
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2011年06月27日

原発事故の情報の混乱 (5ミリシ-ベルトで立入禁止区域ではなかった)

 

原発事故の情報の混乱
5ミリシ-ベルトで立入禁止区域ではなかった
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週刊誌でチェルノブエリでは5ミリシ-ベルトで立入禁止区域だと書いてあったので驚いた。日本の放射線の管理は甘い、低く見積もられているというときそうかなと思った。週刊誌とかでも一般的に市販され活字になっているのは信用しやすいのである。今までのメデアの方が人は信じやすい、なぜならそもそも情報はそうしたマスメデアによって独占されていたからである。
テレビとか雑誌でも本でも一個人などだせるわけがないから情報はそういうマスメデアに頼っていたのが実情でありそれ以外知りようがないということでマスメデアが力をもった。その結果としてマスメデアも加担して原発の「安全神話」が作り上げられた。マスメデアは今はみんな原発を批判しているけど今まで原発が危ないなど批判したテレビや記事があったかというとないことでもわかる。新聞でもそうである。危険情報が全然知らされない、それを知らせるのがメデアの役割だった。でも全然なかったのは東電は宣伝費に莫大な金を使っている。おそらくどんな小さな地方誌にも金は多少なりともながれていたのである。マスメデアはそもそも金がかかるから宣伝費をもらわなければ成り立たない、会社の宣伝部隊でもある。とても公平なニュ-スを流すことはできない、それぞれ私的営利会社だから自分たちの利益にならないことは報道しない。

ただ以前として報道というとき今までのメデアを信用しやすいのである。インタ-ネットの情報を信じることはなかなかできない、そこでは無責任なデマが飛んだり何を信じていいかもわからないしあまりにも数が多いから選ぶのも大変だとなりどうしても緊急の場合はやはりマスメデアに頼っているのだ。それで最初はテレビばかり見ていた。そしたから放射能は害はない、健康にいとか言う学者がいた。これくらいの放射能そんなものかと自分も信じて平気で外を歩いていたのである。放射能のことを全然知らなかったからである。

ふりかえると原発が爆発したとき東電の現場の社員も学者も何が起こったかわからなかった。

結局そのことにつきている。現場の人もわからないのだからもう終わりだと思った人もいたしも逃げるほかないと逃げた人もいた。残ったのは覚悟した50人だった。その時もどうなったのか誰もわからなかったのだ。だからこそ情報の混乱が起きたのである。バニック状態になったから誰も正確な判断などできなくなっていた。これは津浪でもそうである。パニックであり情報を適格に判断できる人はいない、時間もないから判断できない、とっさに判断するとなるともはや考える余裕もないのだから混乱する。結果として車の渋滞で死んだ人がかなりいた。日頃歩く生活をしていたら歩いて逃げようとするが車で生活していたら車で逃げようとする。でも狭い街中では車はかえって邪魔になっていたのである。便利なものはあるとき不便なものになる。車はガソリンがなくて使えなくなった。車は極めて便利なものだけど使えなくなった。ガソリンがないと全く使えない、そのガソリンが全く入らなかったのだ。

かえって電気はとまらなかったから電気自動車なら充電して使えたかもしれない、実際に自分は電動自転車だから相馬市まであとから買物にゆくことができて助かった。相馬市でも店を開いたのはかなりあとだったがもし電気がなくても自転車なら行けたのである。原発事故でも電源が停止して原子炉を冷やすことができない、さらに予備の電源もだめになったとかその予備の電源も使えないとか結局電気に頼る他ないからお手上げになった。電動自転車は電気がきれても自分の足でである程度走ることができる、人力で動かせるからいいのだ。今はそれほど重くなっていないから人力で走ることができる。それが原発ではできないから致命的になったのである。そういう盲点が常に便利な文明社会にあったことをみせつけられたのである。


ともかく5ミリシ-ベルトで立入禁止区域だと週刊誌に書いてあったときそきまま信じた。週刊誌では嘘はないだろうと思った。しかし5ミリでは低すぎると今までの情報から思っていた。チェルノブエリではずさんだったのにそんなに高い設定をしていたのかと疑問だった。5ミリで立入禁止区域になったらその範囲は郡山市とか福島市とか拡大しすぎる。あくまでも1・3から20ミリは
管理区域であり危険なのは立入禁止区域になるのは20ミリ以上であるからそれは全体的には飯館村とか南相馬市の八木沢峠の麓は20ミリシ-ベルト以上になっているから明かに立入禁止区域の設定になる。でも年間で20ミリ以下は橲原がそうだし立入禁止区域にはならない、
そして20ミリシ-ベルト以下では害はないという見方が多いが子供の場合はそうはならない、

結局その設定も根拠となるべきものがないから混乱しているのだ。そして放射線の問題はスポットで違っている。ホットスポットがありそこは異常に高かったりする。側溝とか水たまりとかたまりやすい場所がありそこを何十倍もの放射性物質がたまっていた。結局様々な情報に踊らされる。混乱しているとき何が真実かわかりにくくなる。週刊誌を信じて前に損したことがあった。円安になるからドルを買っておけと週刊誌に書いてあった。それを信じてドルを買っていて損した。急激な円高になったのである。こうした経済予測は週刊誌だろうが専門誌でもあてにならないのである。インタ-ネットとこれに関してほとんど同じである。

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人間は心理的に「危険」という表示があると身構える、安全とあれば安心する
しかし原発という危険という表示は見かけることはなかった。一部の人が言っていても
安全という表示があまりにも多く危険という表示はほとんど見かけない

マスメデアでも週刊誌でも「原発は危険だ」と大見出しで書いたこと見かけました?
ほとんどみかけませんよね、今だから盛んに危険だと言っている。

これは津浪でも同じですよね、そんな津浪来るわけがないとかとりあわないことがある

原発は危険だとかここは放射能危険地帯だとか表示してあると危険を感じる
明かに安全神話は人間の心理的影響も大きかった。原発が危険だという表示がどこにもなかったのである。

posted by 老鶯 at 17:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2011年06月28日

マスメデアは警鐘の役目を果たせなかった (原発事故を防げなかった原因の一つ)


マスメデアは警鐘の役目を果たせなかった
(原発事故を防げなかった原因の一つ)

ムラの仲間や子分であれば可愛がり助け合うが、ムラ以外の異質な人間はよそ者として排除する。政策とか、正義とか、公正さとか民主政治にとって大切な次元からの批判ではないということだ。
http://blog.livedoor.jp/man_ji/archives/51718980.html


日本人に民主主義が向いていないというとき、村単位の社会が基本になっていることがある。
社(やしろ)に合う範囲がまさに社会なのである。その反対が会社になっているのだ。民主主義が向いていないというときムラ社会を作ればそこに反対意見とかチェックする側がいなくなる。
原発も原発村となり政治家、官僚、学者、専門家、企業、マスメデア、地元・・・あらゆるものが強固な原子力ムラを形成した。その中でチェック機能があったのはマスメデアだがこれも全然機能しなかった。原子力ムラの一員となっていたからだ。佐藤栄佐久氏が原子力ムラのことを盛んに言っていた。この強固なムラには対抗できないとそして検察までこの原子力ムラの一員であり濡れ衣を着せられて逮捕された。だから


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ということがどこにもみかけない、週刊誌などはコンビニに置くだけで目立つ、それだけで宣伝効果があるのだ。でも「原発は危険だ」という表示は見かけなかった。原発反対は左翼的な少数派のものとして議論にものぼらなかった不幸がある。反原発になると左翼のレッテルを張られるからだ。つまり原発に関しては国民で議論することなどなかった。議論すること自体タブ-になっていた。マスメデアの役目とか使命感は何かというと警鐘を鳴らすことである。危険なものがあれば危険だと警鐘を鳴らすことである。マスメデアで「原発は危険だ」と警鐘を鳴らしていればみんなも注目するし気づくのである。それができなかったのはなぜか?つまりマスメデアを責めるのもいいが国民にも責任があった。マスメデアにしても国民が育て作るものであり政治家にしてもそうだし民主主義そのものが国民が育て発展させてゆくものである。マスメデアにしてみれば営利企業でありもうからねばやっていけない、そのためにはどうするか?そのことが第一義になる。それには大会社を宣伝するしくだらない大衆向けの記事をのせて興味をひかねばならない、そうしなければ売れないのだから売れなければ採算がとれなければやめるほかないからだ。本当は真面目な記事を書いて真摯なものを追求して読者を得てその読者から金をもらって会社が成り立つのが一番いいのである。もし宣伝費の方が半分とかなると結局会社や特定の団体の宣伝のためのものとなる。


現実新聞などでも半分は宣伝になっているしテレビでもそうである。宣伝費が経営の主体となるともはや公平な報道は成り立たない、でも実際はほとんどそうなっている。他の報道は聖教新聞でも赤旗でも党派の報道は偏ったものとして見る。
新潮社は創価を批判しても阿含宗は宣伝しているからある団体組織を批判するとき公平にはならない、公平に見るというときいかにむずかしいことかわかる。実際は神しかできないことである。裁判でも公平にならないのはそのためである。人間の限界がそこにある。国と国の戦争などももはや裁けない、ただ勝った方が正しいとなっているだけである。組織団体そのものが全部利権団体だからかたよっている。宗教団体が震災復興のために課税するべきだというのもわかる。利権団体として自分たちの権益の増大だけに運動している。しかし宗教団体はこういうとき寄付はしない、やはりマスメデアに批判されないように莫大な金を使うのは東電とにている。マスメデアは警鐘の役割を果たせない仕組みになっている。それは国民がそうした警鐘となるものを育てないということにもある。国民にも責任がある。今回共産党では原発の危険性を度々警告していたが国民は関心を示さなかった。それが国民的議論にならなかったのは党派としての発言であり国民的なものとしての発言ではないからだ。党派は利権団体であるからその利権にとりこまれるから抵抗がある。党派を離れて原発の危険性を指摘するものが必要だった。それがなかったことが今回の事故を起こした要因でもあった。


結局公平な報道をしようとしたら利権とかかわらないことである。でも利権とかかわらないマスメデアはありえないのだ。一地方誌だってかかわっている。宣伝がない雑誌などないし何かしら利権とかかわっている。それがわかったのは左翼系をのぞいて原発の危険性を警告した記事がほとんどなかったことである。「原発は危険だ」という警告がそちこちにあればそれだけで影響する。そこは危険な場所だと原子力のむずかしいことなどわからなくても身構える。ここは危険な場所なのだとここに立ち入っては行けないと自覚する。ところがそういう警告の表示板でもなければ危険な場所に入っているのが人間の心理だった。そしてここは危険だと書いてあるのに入ってケガしたらその人の責任なのである。ところが原発には安全の文字しかない、危険だとはどこにも表示させなかったのである。強固な原子力ムラが形成されて危険という表示はさせなくしていたのである。危険の警鐘を鳴らすには利権としてかかわっているものはできない、でも実際はみんな利権とかかわっているのだから安全神話は作られた。

結局マスメデアに警鐘の役を期待してもできない仕組みになっている。それが致命的結果になった。貞観津浪のことを東北大の教授が科学的に証明して警告していた。その人が言うには結局千年に一回起きるようなことを忠告しても誰も聞かない、予言者と同じであり無視されると。福島の第一原発でも貞観津浪のことを言ったけど軽くあしらわれ無視された。福島原発では再三危険性を指摘されていた。佐藤栄佐久氏が言うように原子力ムラにはばまれてどうにもならなかったと言っている。千年に一度のことを言っても笑われるだけだった。聖書でもノアの方舟とかで大洪水が来るとして巨大な方舟をノアが作っても笑っているだけだった。それがもし今回の津浪のように巨大な方舟を作っていれば助かった。沖に出た船はは助かっていたのだ。巨大な浪ものりきっていた。もう逃げる時間がなくなったら方舟に乗れば助かったのである。今回の津浪はそれくらいスケ-ルが大きかったのである。だから神話とか伝説が蘇った、そういうスケ-ルの大きなものを実際に見たのである。

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2011年06月29日

南相馬市の人で避難中に介護されている人が死んでいた


南相馬市の人で避難中に介護されている人が死んでいた


doming様の報告-掲示板より

体調を崩したが震災の混乱の中で病院への入院を断られ介護の従兄夫婦は苦悩した。
息をつめて一族が見守ってきたがついに須賀川に脱出したものの2ヵ月後に息絶えた。


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この中の一人だった。今回の津浪、原発事故のことはまだ詳細は知らされていないしわかっていない、被害者の数が多いから全体像をつかみにくいのだ。在宅介護していた人で本県で16人死んでいる。その一人だったことになる。自分の母も移動するほかないと言ったときふるいていたから移動したらその混乱の中で医者にもかかれず死んでいたと思う。こういうとき医者が大事である。救急医療もできないとなると即死につながる。相馬市の病院に自分も移って何度か不具合があった。ところが手術中とかで断られたわけではないがそれに近い返答があった。でもなんとか原町区で診療していた開業医で救急医療してもらい助かった。南相馬市立病院は最近一週間に一回とか診療をはじめたが正常ではない、入院できないとかまともに治療ができていない、こういうとき救急医療ができなかったら人間は死ぬと思った。重病というのではなくカ-テルの交換とかでもしないと死ぬ時があるのだ。だから病院は大事だと思った。


今回のことでは病院も相当混乱した。看護師とか医者もいち早く避難して患者を置き去りにして死んだ所もある。双葉町ではそうなった。緊急だからそうなった。そういうときしわ寄せは弱いものに来る。病人や障害者や老人は本当に苦しくなる。介護する面倒みる方がかまっていられないのである。そういう中で死んだ人がいた。犠牲者になった。病院で知り合った請戸の人は介護度5で在宅だからどうなったのか?津浪もあったからどうなったのか?郡山に行ったことは間違いない、娘の妹がいたからである。でもあれだけの重病では移動するだけで大変であり生きていないかもしれない、動くこともできない、しゃべれない、本当に重体だったからである。そういう人は動かすだけで死に至ったかもしれない、原町区でも介護している人は避難できずに最後まで残っていた。

浪江は残ることができなかったからその中で死んだ人もいることは確かである。ともかく今の世の中介護している人が実に多い。高齢化社会だからそうなっているのだがこれも一旦こういう緊急事態になると大変なことになる。津浪でも原発事故でも高齢化社会を襲ったことが今回の特徴だった。だから津浪の犠牲者も高齢者が65才以上が6割とか本当に多いのだ。飯館村の人も月館に避難してそこも放射線量が高いからと会津に避難すると言っていた。50代の人が父親を介護していた。寝たきりだから楽ではない、そういう人が今の世の中多い。「心に青雲」のプログの人も介護なんか若者はするべきではないと言っていたが自分の母親を介護していたのである。いかに介護時代かをこれも象徴している。仮設住宅の優先順位が介護度が高い人になっているのもそのためなのである。


細野氏は放射線量の着実な減少などの目標期限にあたる7月17日をめどに避難区域の縮小を検討すると述べていた。
枝野幸男官房長官は29日午前の記者会見で、「残念ながら、まだ具体的にどこをいつ、どう解除できるかという段階ではない」と批判した。
http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920019&sid=ad4YJS64HnL0


政府で放射線量が低い所に帰れるように警戒区域の縮小とかを解除とかを言った。でも当事者は買物するところも病院も機能していないから帰れないと言っていた。確かに市町村が崩壊するということはそういうことなのだ。機能していない町に帰っても病気になったりしたら大変である。だから警戒区域の一部分に帰ることはむずかしい。市町村は全体として機能して活きているからだ。全体というとき六号線とか常磐線も開通しないと物流が回復しない、通信販売も回復していないし商店にモノが運ばれない、六号線が遮断されてしまった影響が南相馬市などでは大きい。六号線は東京と直通だからである。


 

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2011年06月30日

木陰(原発事故や津浪で変わってしまった故郷の風景)


木陰(原発事故や津浪で変わってしまった故郷の風景)

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広々と緑野展けて夏雲雀


夏菊や仮設住宅三百戸


悠々と尾長飛び去る夏の空


玄関にとんぼ飛び来て去りにけり


故郷や老人休む木陰かな



回りの風景が変わってしまった。自然まで変わるとは普通はありえない、自然そのものまで津浪や原発事故で変わった。耕されない畑や田植えもしない田に雑草が生えて草原化している。
水田がないから白鷺はいない、川には餌があるから青鷺とカワセミなども来ている。雲雀はもともと草原にあった鳥だった。水田はどこにでもあるわけではない、世界の半分は麦とか作っている。世界の半分以上はパンを食べているからだ。雲雀は北海道のような広々とした草原のある所がにあっていたのだ。放射能で自然がなくなったわけではない、自然はあるけど手をつけられくなった。田がなくなればそこは雑草が生えて緑野と化して草原化するのかもしれない。

真っ白な夏菊が咲いて寺内の仮設住宅は満室のようになっていた。西町はちらほらであり千倉もまだ少ない、寺内はキクチス-パ-が近いから便利である。仮設というのもこれも今までにない風景である。集会場がある所は西町にはあった。あそこが一番多い。昔の長屋とにている。
昔は一軒一軒家をもっている人が少なかったかもしれない、江戸時代は長屋暮らしが普通だった。人はそこに密集して住んでいたのである。でもこの仮設から津浪の被害にあった人は元の場所にもどる人は少ないだろう。三陸では外からも人が入ってきたしもどっていったのは豊かな漁場があったからである。この辺では松川浦に漁港があったが他はたいした漁港ではない、だから漁業をする人はあきらめるかもしれない、ではそういう人達はどうするのか、ここで新しい仕事を見つけて町中に住みついたりするようになるかもしれない、他の場所に出て行く人もあるだろう。仮設は仮の場だからそうなる。その後はどうなるのかわからないのが仮設である。
長屋だったら長く住んでいる、江戸時代の長屋は同じ場所に死ぬまでなじみの人と住んでいる場所だった。そこが錯覚している。だからこそ親密な関係が生まれたのである。


仮設住宅、高い買い物も2年後には処分?備蓄提案も放射能懸念


 東日本大震災で家を流失するなどした被災者のために建設が進む仮設住宅。建材価格の高騰などで自治体にとって“高い買い物”になっているが、原則2年3カ月後に住民は退去し、撤去される。1万戸以上の大規模な処分が想定され、発注者の岩手、宮城、福島の各県は今から対応に苦慮している
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110630/dst11063014060025-n1.htm


老人が木陰に休んでいる。それはどこでも故郷の一つの光景である。都会だったら公園だけど田舎だったら古い樹の下の木陰に休んでいるのが絵になっている。それがどこでも日本の故郷の光景だった。沖縄辺りでは古いガジュマルの木陰に休んでいる人が絵になっている。
そういう故郷を奪われた人達が今は何を思っているのか?飯館村の人が福島市の団地などに住むと違和感感じるだろう。つまり故郷とか町でも村でも一つの全体としてある。その全体の風景の中にとけこみ人の暮らしもあったのである。それが福島市のような所に移れば奪われてしまうのである。故郷を強制的に離れさせられた人が今何を思っているのか、それが不思議である。


いつの間も 神さびけるか 香具山の 鉾杉がもとに 苔生すまでに 259


故郷とはこういう場所である。長くいるからこそ故郷なのである。長い時間の中で培われたのが故郷である。それを原発事故で故郷から離され帰れなくなったら核の処理場になったらもはやそこは故郷はない、永久に故郷は失われる。もう故郷を偲ぶことすらできない、この世からなくなってしまうからだ。そうした長い時間の中で故郷は培われた。人は自然の中の悠久の時間の中で生きるものである。だからこうした危機の際は日本の伝統を歴史を見直すことが要求されるのだ。苔むすまで共にあるところが故郷である。

それを原発事故で終わりにすることはゆるしがたい、電気はどれだけ必要でも故郷を奪われなくすのと天秤にかければそのもっている重みは計られないものである。でも10キロ圏内はもう故郷は喪失するのだろうか?二度と帰って住むことができなくなる。核の処理場として百年とか国によって放射能管理区域とされてしまうのである。
 
 
 
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2011年07月02日

女性、避難苦に自殺か 山木屋の自宅近くで焼死 (老人は住み慣れた土地を離れられない)


女性、避難苦に自殺か 山木屋の自宅近くで焼死
(老人は住み慣れた土地を離れられない)

今回の自殺は焼身自殺だとなると尋常じゃない、なぜそんな死に方を選んだだろう。よほどのことがない限りそんな死に方はしない、それも女性だから余計にそうである。これまでの自殺者は一人は須賀川で有機農業をしていた人が野菜が売れなくなると死んだ。
野菜農家の男性(64)、飯館村では102才の人が移るのが嫌で自殺した。あとは相馬市の玉野村では54才の男性が自殺した。山木屋で自殺した女性は58才だった。


102才、64才、58才、54才・・・高齢者が住み慣れた土地を離れるとなるなと苦しくなる。酪農して死んだ相馬の人はフィリンピン人の妻がいて子供がいて故国に帰られたことがショックが重なり死んだ。50代でも結構苦しくなる。大原の人も息子があとを継がない、市役所に勤めているから跡を継がない、5町あっても継がない、漁業関係でも高齢化であり跡を継ぐ人がいないということがすでに問題になっていた。津浪で死んだ人も6割は65才以上の高齢者だった。60以上になるともっと多くなる。第一次産業の問題は高齢化であり跡を継ぐ人がいない、それはさんざん言われてきた。そういう状況の中に津浪と原発事故が襲った。50以上になると移住してやり直すような気力がなくなっている。今までの継続したことをやるしかないしそれ意外なかなかできない、だから移住するとなると負担が大きすぎるのだ。つまりもうあきらめる人がでてくる。

そもそも農家は三代で農家になるとか林業でも50年で木が育つとか息が長いのが特徴なのである。代々土地に住んでいてこそ実りあるのが第一次産業なのだ。だからその土地から離れることは致命的なのである。山木屋辺りも代々そこに住んでいた人達が多いだろう。でもあそこは相馬から二本松への塩の道のル-トであり交通の要所だった。飯館から相馬へ原町へ三春へ二本松へゆく交差点、別れ道だった。それなりに交通の要所だったから集落ができたともいえる。


今回津浪であれ原発事故であれどれだけの被害者が出たかわかりにくい、在宅介護されている人が120人以上死んだのも高齢化を象徴している。高齢者はこうした災害に耐える力がない、それで自ら命を絶つ人がでてくる。山木屋にはコンビニもあり食堂もあった。それだけでも近くにあれば生活しやすくなる。それもなくなるから結果的に住めなくなってくる。コンビニも結構店がなくなったとき役立つものであった。山木屋となると二本松までも遠いし辺鄙な地域になるから何軒か残るというわけにはいかない、そこもまた無人化してゆく。あそこでも小中学校があったのだから子供もそれなりいた。だから子供のために移る人がでてくるからそれに高齢者もついてゆくほかなくなる。高齢者だけ残るわけにいかないのだ。 農家だとその土地や自然と一体化している。認知症を悪化させるのは環境の変化だというときまさに変化に耐えられないのだ。なじみの人や場所にいることが落ち着くのである。だからその土地を離れることは老人にとっては一番酷い仕打ちになったのである。


いつの間も、神さびけるか、香具山の、桙(ほこ)杉の本(もと)に、苔生すまでに


このうよに苔むすまでにいつづける。それが田舎なのである。そして何かそこにいつづけ死ぬはまさにその土に還るというごとくその土地の霊ともなり先祖ともなる。死者が山の神になるというのもそのためだろう。そういう心性はなかなか変えることはできない、都会人の感覚とはかなり違っている。ただ都会でも高齢化しているのだ。団地も高齢化して問題になっている。高齢化問題は田舎も都会も同じなのである。田舎にとって長年住んだ所から離されることが一番酷いことだった。それが原発事故の酷さだった。


会津の昔話に「伊勢参りをした大欅」というのがある

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樹木にまつわる民話より(google book)


欅も一緒に伊勢参りしたという話である。つまりそれほどその欅と村人は一体化していたのだ。
長年住んでいる土地では木とも石とも一体化している。木も村人と離れがたくなっている。
そういうふうに長年、代々生活していた人にはその土地を離れることが一番辛いのである。
北海道に移住した人達が村の社を移したのもそのためである。今回はそうした開拓で移るのとは違う。無理やりに移動されるのだから死ぬ人でてくるのだ。


おれは移りたくねえ
ここにいつまでもいるんだ
ここで生きて死ぬんだ
放射能なんかしらねえ
ここから離れねえ
死んでも離れねえ


こういうことが怨念となりこの土地に伝えられるようになる。原発事故に対する恨みが延々と語られることになる。

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2011年07月05日

南相馬市仮設住宅位置図(鹿島区)

 

南相馬市仮設住宅位置図(鹿島区)

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鹿島中学校に出る道(上真野川の側)

ここは200戸だから一番規模が大きい。

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地元の庄司建設などが請け負う
他も地元である。

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小池の一番離れた所゛家の造りがいい、屋根が普通の家のようになっている
ここは半分くらい入っているみたい

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六号線-千倉のグランド(鹿島小学校の近く)

ここも三分の一くらい入ってきた、ほとんど小高の人である。

犬を飼えることが他と違っている


千倉は犬専用
http://blog.sakura.ne.jp/pages/my/blog/article/edit/input?id=46572358


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桜平山の下(寺内)

ス-パ-キクチに一番近い

ここだけは満員



あとは角河原にあるらしいからみておこう


桜平山の下の寺内の仮設住宅はほぼ満員である。六号線の鹿島小学校の近くのグランド、野球場は三割くらい入っている。西町は一割くらいで最近入っている。小池の一番町から離れた仮設も半分以上入っている。

建設中なのは上真野川の鹿島中学校へ出る道に建てられた仮設は庄司建設や地元の会社が三つほど請け負っている。ここは2百戸だから一番数も多く敷地が広い。真ん中の広い空間に集会所が建つ、浪江の会社も来ているなど地元で請け負っているから仕事を与えられた。
部屋は二部屋が普通であり三部屋のもある。子供がいる5人くらいの家族だと三部屋くらい必要になるだろう。そういう家族もいた。やはり狭いと感じるのはどうにもならない、仮設だからぜいたくはいえないとなる。

小池の一番離れた地点の仮設は屋根の傾きが大きく家らしい、あとは平たい屋根である。
請け負った会社によって仮設は違っている。千倉や西町は東海リ-スとか大阪から来ていたし
働き手がたりないと青森からも来ていた。


鹿島中学校へ出る所の仮設は工事中であり時間がかかる。あとは完成して入れる。立地としては今はス-パ-キクチが食料品を売っているので頼りであるから近い方がいい、桜平山の下の仮設はすぐ近くだから歩いても行ける。一番離れた小池の仮設は車がないと買物もできない、たいがい車をもっている。仮設でも今は車がないと生活できない時代である。三陸の方とか宮城県では離れた所に仮設を建てて買物に不便だとか困っていた。


一番便利なのは仙台の長町の開発しようとした駅前である。仙台は人口の移動が激しく集中して部屋を借りるのはできなくなっている。人口の移動が起きている。鹿島区にも相当な人口が移動している。




仮設住宅3100軒ほどの申し込みがありますけれども、何度言っても、国は30キロ圏外にしか許しておりません
最初は 505 戸、次に 405 戸、次に 170 戸、そして今、1605 戸まで、ようやく鹿島区で建てる場所をわれわれが見つけて、申し入れしておりますけれど、残念ながら、希望に沿うだけの戸数は、30 キロ圏外の鹿島区では建てることはできません。原町区に建ててくれと申し上げていますが、認めておりません。


桜井市長の報告
http://www.jca.apc.org/labornow/sakurai20110612.pdf

 


3100軒申し込みがあって1605戸を鹿島区に建てる、鹿島区でたりないから相馬市や新地まで適地を探したがうまくいかない、こんなに必要なことに驚く。立入禁止区域になった小高区が無人になり人口流出したことが南相馬市では大きい。一万人以上が避難した。全国に避難した。それでこれだけの仮設住宅が必要になった。


立地が悪い仮設住宅(小池の一部)(感じがいいのは角河原)
http://musubu2.sblo.jp/article/46950569.html

鹿島区の仮設住宅はこれで全部だと思う。
建設中なのは二百戸と大規模なのがまだ残されている。
あとは入居者も徐々に増えている
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2011年07月06日

南相馬市仮設住宅(鹿島区千倉校庭)は犬専用


南相馬市仮設住宅(鹿島区千倉校庭)は犬専用

千倉の鹿島小学校の近く六号線沿いの仮設住宅は「犬専用」だった。その犬も小さい犬と大きい犬に分かれている。住む場所が違っている。やたら犬が多いと思ったら犬をここでは飼える。今は犬とか猫を飼っている人が多い。だからペットの問題は大きな問題になる。

千倉で問題になっていたのは仮設住宅の間に雨で水がたまっていたことである。その水がはねたりして困っていた。砂利をしいてくれと役所の人に頼んでいた。ここに入ったのは小高の人である。ともかく小高の人がどこでも多いのはわかる。一万以上の人が立入禁止区域になり避難したのだから数が多いのだ。相馬市では避難していた人達は津浪の被害にあった人である。でも南相馬市では原発事故で避難させられた人がずっと多いのだ。それでなければ3000戸もの仮設は必要ない、小高区の人を収容するにはそれくらい必要になる。合併していいことはなかったというのは良くきく話しである。きめ細かな対応ができない、いろいろな要求が身近な問題に対応できないことはある。小高区だけを考えるわけにもいかないからだ。小高区の人は温泉に避難していたから良かったなとか言っていた。でもここは気楽だとかも言っていた。

原発で避難した人は津浪で避難した人とは違う,車も流されていないから車をもっている人が多い。ここでは自転車を買う人が増えてゆく。そうなると自転車屋ももうかるかもしれない、何しろ人口が何千人と一挙に増えるからだ。鹿島区はいろいろなものがたりないしょぼい町である。それにス-パ-が食料品を販売しているのがス-パ-キクチしかなくなった。それで人口も増えたのだから混雑する。

小高でも鹿島は近くでも地理にうとくなる。真野はどのへんだというけどそれは広い範囲のことであり上真野となれば山の方になる。それでも近い方がいいから南相馬市内に移りたいとなり今仮設は鹿島区にしか建てられない、相馬市や新地の方にも建てられるが土地を確保するのがむずかしい。ともかく3000戸も必要だということ自体、用意するのが容易ではないことがわかる。3000として×3にしたら一万近くの人口になるかもしれない、それだけの人口が一挙に増えることの影響は大きい。ス-パ-一軒ではたりない、鹿島区にはチェ-ンのレストランなど一軒もないから困る。みんな車をもっているから他に行けるからいいがそれでも近くにないと困るものはあるだろう。


東北地方ではこの仮設住宅がどこにでも建っていて目立つ、それが今回の一つの大きな変わった現象である。千倉の校庭ではかり人が入ってにぎやかになってきた。他でも次々に人が入ってくる。それでも入らない人がいて空いているという、老人が多いというのも特徴である。
へたすると老人施設になりかねないのが今回の特徴でもあった。ともかく千倉でも人で一杯になるといろいろ影響がある。金も使うからそれだけ経済効果もある。原発事故で避難している人は自宅が流されたわけでもない車も流されていない、それなりに財産をもっている人達である。だから津浪の被害にあった人達とは違っている。余裕あるとも言える。だから温泉旅館の方が良かったともなる。話した人は鹿島区に知り合いも多いからとかなんらかつながりがある人が多いからいいとは言っていた。会津の方になるとないからその点は気を使うと言っていたのだろう。

それから赤十字社の人が何人か来ていた。電気製品などを入れるためである。
赤十字社に寄付したことがあっても具体的に赤十字社の人に会うことはない、今回はそうして援助する人に直接会うことが違っている。

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2011年07月09日

大和魂は死んではいなかった-津浪原発事故で蘇る日本の歴史


大和魂は死んではいなかった-津浪原発事故で蘇る日本の歴史
(戊辰戦争「幻の東北列藩・プロイセン連合」を見て-続編)

http://musubu.sblo.jp/article/46596711.html

これの続きだけと会津藩はプロイセンと結びついて北海道を売り渡すとなると攘夷派からは相当な攻撃を受ける。今でも右派からは売国奴となる。北方四島でさえロシアともめていることでもわかる。もちろん時代が違うといえばそれまでだが今の時点からみて歴史は判定される。だから歴史の判断は百年後とかでないと見えてこない場合がある。百年後たってそのことはそういうことだったのかと霧が晴れるように見えてくることがある。その一つがこの事実だったのである。

これがどういうことかというと明治維新は中国のように日本が外国勢力、欧米列強に分断される危機だったのである。内乱状態だった。そこにつけこまれて日本は分断され植民地化される危機だった。だから日本は内戦をやめてなんとか日本を統一しようとして勤皇派などが生まれた。日本統一のシンボルとして天皇は危機の時いつでも出てくる。大東亜戦争でもそうだった。
外国勢力を知らずして日本の歴史も理解できないものになっている。その重要な事実の一つがプロイセンと連合を企み北海道を売り渡そうとした会津藩と庄内藩があった。ぎりぎりに追い詰められてただ自分たちの藩を守らねばならないという危機のためにそうなった。プロイセンにすがったのである。


日本の歴史や政治をそうして外国勢力によって決められてゆくというのは百済と新羅の対立が奈良時代に日本にもちこまれたとかあった。その時韓国が技術的に優れたものをもっていたからである。技術力は兵器力でもあった。それが明治維新後は常に日本の歴史の背後にでてくる。武器商人が暗躍するのは内戦とかのときでありそれで一儲けする。薩摩についたのはイギリスであり武器商人がそこでもうける。そして現代ではロスチャイルドやロックフッラ-が陰ですべてあやつっているという陰謀史観となる。日本人はただこうしたアメリカの大金持ちや財閥や軍事勢力に支配され動いているアメリカの植民地にすぎないとなる。そういう面から歴史を見るのは偏ったものとはいえない、その一つが会津藩のプロイセンとの連合計画だったのである。

明治維新も絶えず欧米列強との連携があって成されている。ただその中で日本独自の道を、植民地化されない道を進むことができたのは日本は中国とも違う、外国人も明治維新を高く評価している。日本人はそういう歴史をもているから一面恐れられている。アメリカでも実際は日本をまだ恐れている。それは太平洋戦争のトラウマがある。硫黄島の戦いや怖いことを経験しているのだ。原爆も日本をなんとか徹底的にうくのめすためにあえて投下した。アメリカの人道主義は全くの嘘ばっちであり偽善である。アメリカは金を崇拝して戦争屋であり武器商人としてもうける国である。


新ベンチャ-革命

http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/archive/2011/07/2


ここで現場の技術者が書いているから興味深かった。一連のものとして読む価値がある。日本の原発事故で現場に残った五十人がいたことを称賛している。その裏返しはまだ日本人は戦争のように自分を犠牲にしてまで仕事をする、尽くす人がいたということである。それがアメリカは特攻隊の恐怖のように称賛すると共に恐れたのである。だいたい日本はすでにそうしたものはなくただ功利的に動くだけの会社人間になっているとみていた。確かに日本人自体も戦争のことなどを忘れ否定するようになっている。金もうけだけに金をすべとしてアメリカのように限りない欲望の追求だけになっているというのも事実だった。ただ日本の魂が死んだのかというとそうでもなかった。それが何とか日本を救おうと決死隊が出てきたことにアメリカは賛嘆するとともに恐怖したのである。

日本人の歴史的メンタリティというかそういうものは喪失したと思ったけど意外とそういうメンタリティは変わっていない、大和魂などというとそんなもの何の意味があるのかとなっていた。一部の右翼のなれのはてのような意味のないものとして見ていた。しかしそうではない、日本人のメンタリティは変わらない面があった。特攻精神が残っていた。最後に日本人は日本のために命をすてる、命を惜しいと思わない、そういうメンタリティは変わらなかったのだ。日本は大和魂で一丸になるメンタリティは変わらない面があったのだ。それは理屈ではなく本能的に日本人なら誰でももっているものだった。


ただ今は外国人が日本に入ってきて本当にわけのわからない雑種になりつつある。在日勢力もそうだし中国人も増えるとかそういういろいろな外国勢力が日本人のメンタリティを破壊しつつある。だから今新たな勤皇派が出現してくるかもしれないしその反勢力もでてくる。つまり明治維新の混乱状態が思想的にも現実の政治でも起きてくる。それぞれがどういうふうに動くかは明治維新の混乱を見ればわかる。その一つが今回の会津がプロイセンと組んで北海道をうりわたしてでも自分たちの藩を守ろうとしたことである。それはロ-カルヒロイズムでありナショナルヒロイズムではない、今起きていることはやはりナショナルヒロイズムが要求されているのだ。
だから経済の合理性の論理だけで会社の利益追求だけで動いていいのか?日本は電気がないから大会社は外国に出るという、それは日本を捨てることになる。それでいいのか?会社にとって日本にいても得はないとただ利益だけで判断して日本を見捨てる。戦争中だったら国賊となったろう。今は東電に残った五十人のように日本の危機であり日本滅亡になるかもしれない、そういうとき経済合理性だけで行動していいのかとなる。そんな褊狭なナショナリズムなど今にはあわないというのも意見である。それも否定はできない、それは明治維新では攘夷派に撃たれることになる。


今回の津浪と原発事故は単なる自然災害でもない、事故でもない、日本の危機としてとえらる必要がある。だから大和魂の再現の国粋派が台頭しても不思議ではない、結局歴史はくりかえす、明治維新の動乱と太平洋戦争が蘇る。「大和魂」が蘇る。志願する特攻隊が現れる。
そういう動乱の時代である。政治が混乱するのもやむを得ない、明治維新でも混乱を極めたからだ。未だになぜそうなったのかも解明されていないのである。


 

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2011年07月10日

失われた日本の海の風景(原発事故も文明の必然だった)


 失われた日本の海の風景(原発事故も文明の必然だった)

海 『尋常小学校唱歌五』(大正2年)

 松原遠[とほ]く消ゆるところ
 白帆[しらほ]の影は浮かぶ
 干網[ほしあみ]浜に高くして
 鴎は低く波に飛ぶ
   見よ昼の海
   見よ昼の海

 島山闇に著[しる]きあたり
 漁火[いさりび] 光淡[あは]し
 寄る波岸に緩[ゆる]くして
 浦風軽[かろ]く沙[いさご]吹く
   見よ夜の海
   見よ夜の海


「沙(いさご)」は砂のこと。


われは海の子  作詞者不詳「尋常小学校本唱歌」明治43


 我は海の子白波の
 さはぐいそべの松原に
 煙たなびく とまやこそ
 我がなつかしき住家[すみか]なれ


青松白砂の風景で松原が作られたのは江戸時代である。この風景は江戸時代である。大正時代にもこれとにた風景がまだあったのかもしれない、でも白帆はなくなっていた。


煙たなびく とまやこそ
 我がなつかしき住家[すみか]なれ


こょ風景も江戸時代である。戦前まで確かにこうした風景は日本独特のものとしてあった。


 寄る波岸に緩[ゆる]くして
 浦風軽[かろ]く沙[いさご]吹く


この風景はやはり瀬戸内海にふさわしい。このことは八沢浦が津浪で深い入江になり浦風も吹き何より浦波がよせてきたことに奇跡のように感じた。その波は春の光にきらきら光っていた。

福島県の海岸線にはこういう風景がなかった。入江がほとんどないからである。入江は九州でも四国でも日本海側でも多い、そこは船が停泊するのにいい浦なのである。浦といっても日本には小さな浦も無数にある。今回の津浪でわかったように津浪が押し寄せて海になったところは浦だった。そこは水深が浅い浦であり入江である。こうした浦は小さい船が入り停泊するのに向いていた。丸木舟のようなものでも入り停泊できる湊である。だから古代でも万葉集の時代でもそういう船で瀬戸内海は航海できたから歌にも残された。やがてこうした小さな浦々は北前船のように大型化すると見捨てられた。さらに船が大型化すると港湾が必要になる。そうなると
海から港から人間臭さが消失する。軍港とかなるとさらに庶民とはかけ離れたものになる。
この辺で磯部漁火が北山八景とかの短歌に残っている。そういう風景は日本ならどこでもあった。その時人と海は結びついていた。人間臭いものとして結びついていた。


しかし船の巨大化や港湾型になるとそこは石炭の積み出し港だったり最近では石油のタンクが並ぶ港だったり工場地帯になったりと江戸時代のような人間臭いものは消失した。例えば近くに火力発電所があるがそこに千人も働いていると思わなかった。中に入らない限り人影も見えない、無人にしか見えない、そして大きな建物だけがある。港もあるがそこには外国から石炭などが運ばれてきても外国人がこの土地に下りてくる港でもない、貿易でにぎわい外国人が出入りする江戸時代のような港ではない、何かただモノを運び出し入れするところであり人間臭くない、無機質である。だから倉庫などばかりが並ぶ港でもある。原発も海側にあったが火力発電所と同じようにそこには外からは人影も見えない、働いている姿も見えない、だからそこに働く人たちとの交流もないのだ。ただ巨大な利権であり金をくれるものとしてしか意識しない、江戸時代の港ならそこに人間臭いものがまだあるから北前船の日本海側の港には西の文化、京都や大阪の文化が残された。言葉も伝わって今に残っている。それは人間的交流があったからである。


そもそも経済というとき互いのコミニケ-ションが目的であったとポランニ-は言っている。
贈答貿易が貿易の始めでありそれは見知らぬ人が交流するためでありこ親交を結ぶために貿易があった。物々交換もそうであり経済は極めて人間的なものからはじまった。だからその時貨幣経済がすべてではなかった。今日のような金がすべての価値になったことはない、結果としてもはや金でしか人間と人間の交流はできなくなった。それは原発事故でも同じである。
金がくれるからいいとなるだけだったのである。

原発問題を考えるときその事故の背景には全く地元民との日常生活レベルでの交流がなかった。そもそも原子力などむずかしくて教えられてもわからない、ただ自分たちに触ることもできないものとしてあった。そこに働く人々との交流もない、そこに深い断絶があった。コミニケ-ションをとることができない、ただ金になるから容認しているだけだった。別にそういうことは現代文明では普通にある。互いのコミニケ-ションがとれない、都会と田舎でもそうであり為政者と民衆でもそうである。専門家と技術者と一般人でもそうである。余りにも高等に複雑になったから である。そうして分離隔絶した中で知らずに恐ろしいものを容認して醸成していたことがあった。

つまりもう知り得ないものとして原発は専門家や利権者にすべてゆだねられる。何らそこに住む人もかかわれない、ただ金やるから黙っていろで終わりである。海から人間臭い風景が消失したようにそもそもそこに住む人すらかかわれないというものであった。結局現代文明では官僚と一般人も隔絶しているし密なコミニケ-ションがとれない時代である。そして互いが遊離しているから危機に直面したとき弱い、もはや対処できない状態になっている。やはり人間は自然でもそうだが風景とマッチしたときそこに調和が生まれる。江戸時代は自然とマッチしてまた人間臭いもののなかで育まれたらなごみが生まれる。すべてがいいとはならないがあまりにも現代文明は互いに巨大化組織化して干渉しあうこともできない、それぞれが一人歩きしてそれが大きな取り返しもつかない事故にもなる。ヒュ-マンサイズを超えたものとしてありそれがある時破局的なものとして襲いかかってくる。それはこれからも必ずありうる。東京なども大地震が破局的なことになり滅亡してゆく恐怖が現実的になったのである。文明は迷宮化して滅びる運命にあるのだ。



参考にした本

海岸線の歴史(松本建一)


 
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2011年07月11日

福島市はなぜ放射線量が高かったのか?(風と標高差のため)


福島市はなぜ放射線量が高かったのか?(風と標高差のため)

fukushiimazu111111.JPG

fukusjimazu222222.JPG

わかりやすい放射線分布図(地名がでてくる)
http://www.nnistar.com/gmap/fukushima.html

heightwind.jpg

この放射線量分布図はわかりやすい、やっぱり風の方向があった。
標高差も関係していた。赤字木(あこうぎ)は一番高いが標高は飯館の中心地からすると
かなり低い、そこは谷間であり放射性物資が堆積しやすかった。一番放射性物質が流れたときそこに雪がふったりした余計に堆積しやすかった。


そしてなぜ福島市が放射線量が高いのか?それは標高差と関係していた。
飯館村の役場のある中心地は標高が高い、霊山も標高が高い、その標高が高い所から低い所に風が吹いて放射性物質が流れた。だから途中の小盆地になっていた小国は比較的高い
福島市は思った以上高いの標高差が関係していた。
飯館の高いところから福島市の方へが風が降下した
黄色の所が高いのはそのためである。

そして田村市などが低いのは山にブロックされたためである。
安達太良山も高い壁となりさえぎった。そして東北新幹線の通る中通りは風の通り道になり
比較的放射線量が高くなった。何故なら三月は東風が吹いてもすぐに北風に変わるから
東風が北風に変わったのである。その時放射性物質も郡山市の方に流されたのだ。


風と標高差と山の地形によって放射性物質の流れは決定された。田村市は近いのに山にブロックされて低かった。そして放射性物質の半分は風で海の方に流された。海岸沿いが低いのはそのためである。山は放射性物質が堆積しやすく海側は風と飛ばされるので堆積しにくいことがわかった。チェエルノブエリではどこまでも平らな土地だから一様に30キロ圏内は放射性物質は均等に広がった。日本ではそうならなかった。だから30キロ圏内の同心円で決めるのは間違っていた。浪江の数キロしか離れていない請戸ですら一マイクロシ-ベルトにもなっていなかったのである。


ただ結局日本が地形が複雑であり放射性物質の分布もまだらであり近くても違っていたし一地域をまるごと避難区域にするのも金がかかるから勧奨地点とか決めるようになった。これもかえって避難する人にはめんどうになった。

 

今日の朝日新聞で福島の大気中の放射線量数値は1.37でした。
たとえば福島で路上生活されている方は
1.37×24×365=12,001

大まかな計算として年間12ミリシーベルトの放射線を浴びると思われます。
福島だけでなく郡山も同様の数値で推移しています。
http://okwave.jp/qa/q6785181.html



今日のアサイチでチェエルノブエリで暮らしている人を紹介していた。1・5マイクロシ-ベルくらいのところで厳しく放射線を管理していて子供も住んでいる。これは福島市や郡山市と同じである。年間一ミリシ-ベルトを基準にしているというからチェエルノブエリの放射線管理の方が厳しい、
日本はそこまでしていない、20ミリでも大丈夫だとか言っている。ロシアより管理ができないのは住んでいる人の数が多いためである。福島市と郡山市は人口が多くて避難させることができない、それだけの理由である。3マイクロシ-ベルトとかなると確実に避難地域になるのだろう。
1・5はぎりぎりの線であり厳しく管理して居住できる放射性線量だとなる。



 

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2011年07月13日

海から吹いてくる東風(こち)の考察 (飯館村の不運は風と地形のため)



海から吹いてくる東風(こち)の考察

(飯館村の不運は風と地形のため)

●風の地名では東風が主流


 海に珍しいものが流れてきたり、木の実が熟して落ちる事をアユ、アエル、と言い、
  それを約束する風であることからくる。


寄木神社が各地にあり何か海から寄ったものを集め生活の糧としていた。津浪が来た磯部辺りにもありそこにはちょうど海が奥に入っていた地点だった。海はもっと奥にあり寄木神社は昔の海の地点を示していた。




かひよせ【貝寄風】


 (貝を浜辺に吹き寄せる風の意) 陰暦の二月二十日頃に吹く西風
 
貝寄する風の手品や和歌の浦 (芭蕉)


 ふるさとや東風寒き日の鰯売り 鈴木真砂女


この辺で海から吹く東風はまだ寒いからこれはわかる。海近くに住んでいるからこの句ができた。


あゆのかぜ【東風・鮎の風】


 「俳諧歳時記栞草」に書かれたように越(富山県)では俗に「アユノカゼ」と呼ぶ、と万葉集の細注にはある。


   東風痛久吹良之奈呉乃安麻乃都利須流乎布禰榜可久流見由    家持
  (アユノカゼイタクフクラシナゴノアマノツリスルヲブネコギカクルミユ)


 谷川健一『日本の地名』によれば、「アユの風」(アイカゼ・アイノカゼ)は秋田県仁賀保では「北風」を指し、越(越中=富山県)では「東風」を指し、 さらに、
 
   年魚市潟(あゆちがた)潮干にけらし知多の浦に朝漕ぐ舟も沖に寄る見ゆ


 という万葉集巻七の歌を引用して、名古屋市熱田あたり、つまり太平洋側では「アユの風」は「南風」だと述べる。
 
 ならば、「アユの風」は海から陸へうち寄せる「貝寄風」と、同じ方向から吹く風と考えていいだろう。


はえ【南風】


「牛深はいや節」の「はいや」とは南風だという。

    
         はいやはいやで 今朝出した船は
     何処の港に 入れたやら
     牛深三度行きや 三度裸
     鍋釜売っても 酒盛りやしてこい    
        戻りにや本渡瀬戸 徒歩渡り


しろはえ【白南風】


 (九州地方などで) 梅雨明けの頃に吹く南風。また、8月頃の昼間吹く南風。  『広辞苑5版』
やませかぜ【山背風】


明治20年代の追分節に
 
 やませ風 わかれの風だよ あきらめさんせ 又いつ逢ふやら逢はぬやら

というのがある。これは、最上川舟歌でも


   山背風だよ あきらめしゃんせ (ヨイトコラサノセー)
   おれを恨むな 風うらめ

 



風を一番敏感に感じるのは誰か?生活に直結して風を感じているのは誰か?それはやはり漁師だろう。帆船の時代とかでも風が大事であ
る。万葉集では風待ちの湊があった。強い風が吹いたらその頃の船では航行できないからだ。風は普通は海と一番関係している。そして海から吹いてくる風で春を感じるのが東風でありコチである。だから沖縄に東風原(こちんだ)という地名がある。コチは古語であり青森や沖縄の辺境に残っている。風の方言も伝播している。ヤマセはもともとは・・・であり東北の方に伝わって変化した。

はいやはいやで 
今朝出した船は
何処の港に 入れたやら


まさにはいやはいやが出だしに歌われるのはそれだけ風とともに漁師が暮らしていたことがわかる。


● 鮎川は万葉集の年魚市潟(あゆちがた)から名づけられた


  年魚市潟(あゆちがた)潮干にけらし知多の浦に朝漕ぐ舟も沖に寄る見ゆ

この歌は鮎の風が吹く潟であり潮が退いたら舟も近くに見えたとなる。潮が満ちていれば同じ地点でも遠くに見えるからだ。そういう自然の変化を歌にした。知多の浦となるとこれも相当に広い湾になっている。年魚市潟(あゆちがた)が東風原(こちんだ)と同じように固有名詞の地名になっていることは常にこの辺に住む人が東風を意識していたのだ。鮎川は年魚とあるから今の鮎(アユ)とは関係ない、もともと東風のことであった。ただ鮎となったのは万葉集の当て字の類だった。鮎川の川は海を川とした。牡鹿半島の付け根と金華山の間が海峡であり川のようになっいたからかもしれない、陸の川ではないだろう。このあゆちがた(年魚市潟)は愛知という県名の元となったといいます。
東風が吹くと春が来るから意識する。一般的には海に面する地域が風を一番意識する。津浪が来ても海側に住む人が増えたのは暑いとき風が涼しいし冬はあたたかくなるからだ。福島県の浜通りもそうであり何か特別にいいものはないにしても気候には恵まれているから住みやすいのだ。


東風吹けば匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ


この歌も東風にしても実際は海から吹いてくる風である。この辺では明かに丸森辺りだとこの東風だとわかる。山を越えて海から吹いてきた風だとわかる。山を越えれば海が見えるからだ。

飯館村は海から遠いと言っても八木沢峠から海が見える。山の奥でも風は海から吹いてくる。特に春は東風が吹き山の奥まで吹いて春を告げる。祖谷(いや)のかずら橋まで深い谷間を吹き上げてきた風も海から吹いてきた東風だったのだろう。その深い谷間は風の通り道になった。ただ夜は空気が冷えて山から海に風が降下する北風になる。風を感じるのは方向を感じることである。方向に敏感なのが船を操る漁師や航海民である。また方向に一番敏感なのが草原や砂漠の民である。遊牧民は方向を知るために北極星を目印とする、だから星が旗印となる。相馬藩の氏神、妙見神も北斗七星が旗印であり大陸から伝わってきたのだ。遊牧民にとって方向が生死を分ける。それは砂漠で水がある方向へ導くことが命を分ける。それは砂漠を旅行した日本人のベテランが水のある方向へ仲間を導いて命が助かったことでもわかる。方向がまちがって水がなかったら死ぬ。アラ-の神はどこにあるというものでもない、でもアラ-の神の神殿のある方向に向かって祈る。偶像がなくても方向が偶像だというのが如実に示している。
そして遊牧民が航海民になったことは方向が生死を分けることでは同じだから文化も同じものとなるためである。


●飯館村の不運-谷間が風の通り道となり放射性物質を運んだ

heightwinds3232.jpg

seasidewind.jpg


今回の原発事故の放射性物質の流れは予測されにくものだった。放射性物質がどういうふうに流れかよく準備もしていないし研究もしていなかった。高額なスビ-ディの機械を準備していても役立たせることができなかった。まず事故が起こらないとしていたのだから事故が起きたらどうなるかなど詳しく研究などしていないのだ。また誰も予測し得ないものとして事故が起きたのである。だから事故が起きたときただ茫然と現場の人も見ているだけだった。どう処理していいかもわからなかったのである。その後の膨大な汚染水処理を見ていてもわかる。そしてこれほど風と地形に影響されるとは思いもよらなかった。海側は本当に放射線量が低いの山側は異常に高かった。南相馬市が避難準備地域とかに指定されて牛から基準値の何倍もセシウムがでたというとき南相馬市全体のように見ているが違っている。南相馬市でも山側であり海側ではない、これは浪江でも一様に高いと思っているが山側であり山の奥に入った所である。


図のように標高と風の通り道を示した。椚平は標高としては低いが放射性物質は比較的低く流れるとなるとその辺に堆積しやすい、次に赤字木辺りは狭い谷間でありそこが風の通り道を形成した。3月15日に爆発したときその谷間に一定の風、東南の風が吹いた。その方向は昼間は変わらなかった。なぜなら谷間は風の方向が変わりにくいのだ。ちょうど筒のようになっていて風の方向は変わることはできない、一方海側は風の方向はしょっちゅう変わっている。だから一時南相馬市に南風が吹いて2,3時間20マイクロシ-ベルトになったが風の方向が変わり急速に低下した。風の方向が変わり海の方に飛ばしたのである。それが海に出て牡鹿半島に吹き一関まで風が吹いてそこがホットスポットになった。風はこのように複雑なのである。一旦海の方に吹いた風がまた海から陸に向かって吹いて陸の奥、一関まで吹いて放射性物質を運んだのである。今回の事故でわかったことは海側は放射性物質が堆積しにくい、海に吹き飛ばされる。山側は危険である。なぜなら谷間が風の通り道となりその風は赤字木を通り長泥(ながとろ)に吹き出した。だから長泥や曲田は20マイクロシ-ベルトとか異常に高い、長泥や曲田は風の吹き出し口になっていた。そこから標高の高い飯館村の中心地に向かって風は吹いて放射性物質を運んだ。でも中心地の草野辺りでは低くなっていた。そして今度は北風が吹いて風は北風に変わり標高の高い飯館村から降下して吹いた。そもそもその辺になると谷間はない、だから風は変化しやすくなっていた。北風にあおられやすくなっていた。それで福島市や郡山市に放射性物質が流れやすくなっていたのだ。


海側から吹くときは細い谷間をぬって吹きあげてきたが標高が高くなると高いところから北風にあおられて平坦な地に飛んだ。ともかく風をとらえることは機械でもむずかしいし予測つかない、だから東風が方言で今度は北風となっていた。それだけ風はどちらから吹いてくるかわかりにくいのである。そもそも風は科学でも解析できない、千の風があり自在である。そして風は今の時代また感じにくくしている。車でも電車でも風を感じない、船でも今や潮流に乗らなくても航行できる。旅をするときやはり風を感じなければ旅にならない、だから便利になりすぎて旅もなくなった。阿武隈高原を海の方に越えてゆくとき夏すずしい風を感じる、でも車だったら感じないのである。峠が風越し峠という地名も多いのもそのためなのか、峠を越えると風が変わるということがあるからだ。現代人は科学で何でも知っているように錯覚している。でも自然でも実際はわからないのが多い。科学的に分析できないのも多い。風はいくら科学的に説明されてもわからない、あまりにも多様すぎる
からである。


山背風だよ あきらめしゃんせ (ヨイトコラサノセー)
   おれを恨むな 風うらめ


 東風ふかば思いおこせよ放射能飯館村の恨み深しも


飯館村の不運は風とその地形にあった。真冬だったら北風だから放射性物質は海の方に流されたかもしれない、3月11日という春になるころの東風が災いしたのである。それだけではなく地形も風を呼ぶような地形になっていた。谷間は風を吸い込むような働きをした。それが放射性物質の通り道にしてしまったのである。まあ、風を恨むことはできないにしろ東電への恨み、政府への恨みは消えない、福島県の政治家も結託しているから恨むべきだ。なぜ責任を問わないのか、怒らないのか、風だけでそうなったのではないからだ。


風は地形の影響を受けて変化する
(なぜ飯館方面に放射性物質が流れたのか?)
http://musubu.sblo.jp/article/45497821.html

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2011年07月17日

オウムとにていた原発事故(専門化した知識人の犯罪だった)


オウムとにていた原発事故(専門化した知識人の犯罪だった)

http://musubu.jp/jijimondai42.html#oom(時事問題深層42へ)


http://musubu.jp/jijimondai-41#tunami
のつづきで同じテ-マで書きました。

今回の原発事故が盛んにオ-ムのテロと同じだとインタ-ネットで騒いでいる人達がいた。
インタ-ネットだから何の責任もなく烏合の衆が騒ぐだけだとなるが何かそれでもヒントを得るのだ。人間一人の知識はたかがしれている。やはり千人一万人集ると情報も集るのだ。
オウムのテロだ、これはテロだなどと言う人はマスコミではいない、でもこれは明かにオウムの犯罪とにていた。オウムはサリンを隠れて作っていた。東電も原発は絶対安全だとして危険な
原発を推進した。それに加担したのは今の指導層全部だったのである。

政治家から官僚から検察から警察から専門家の学者からマスコミから全部そうだった。この人たちが全部犯罪人だった。これも戦争の時と同じように誰も裁くことができない、検察も犯罪者の一味だったからである。裁いたのは津浪という自然であり神だったとなる。
オウムも小さい団体にしても暴力化してサリンまで製造する怖いものとなっていたし本当に異常に暴力的だったことに驚いた。ヤクザなみだった。そしてタブ-化したとき危険が隠された中で増大していた。タブ-化して危険を育んだのである。カルト宗教団体とか創価でもそうである。
もう巨大化してタブ-化したら批判できなくなる。そしてその時それらは批判されないから思うがままにふるまうことができる。「絶対安全なんだよ」「お前らは低能は口だすな」とか傲慢になっていた。政府まで加担して一体化したときもう誰も批判できない、危険はその時ますます増大していた。でも誰も危険だからもっと慎重にやれとかも言えなくなっていた。それは極端化した
オウム集団と同じだった。検察や警察が東電に天下りして用心棒になっていたのだ。
これはオウムよりたち悪いものだった。政府-検察(警察)や官僚やマスコミが一体となりテロ集団になっていた。サリンのようにあからさまな毒をふりまくというのではないにしろそれ以上に危険な毒をふりまくものだった。放射能という毒が出ることは専門家は知っていたのである。

結局これは知識人であった専門家集団の犯罪だった。今や科学者が聖職者であり崇められる。その権威の象徴が原子力だった。それが津浪の一撃で崩壊した。そしてその権威は偶像は地に堕ちた。偶像は津浪の一撃て倒された。人間の作ったもの文明などそれだけもろいものだったのである。現代の聖職者の奢りは簡単に砕かれた。その権威をとりもどすことはもはやできない、なぜなら聖職者たる科学者も原子力を操作できるものではなかった。原子力の科学者がもっと核を操作することに畏れをもつべきだったという発言はわかる。人間の知識や知恵や技術はたかがしれている。想定外のことが起こるのである。絶対安全などということはない、それでも百万年に一度しか事故が起こらないとしていたのだからあきれる。どんな計算でそうなったのか?ただ科学者の数学遊びだった。それほど傲慢になっていたのである。


一つのテ-マで書くのにはホ-ムペ-ジの方がいい、ただここだとどのペ-ジがアクセスされたかわからなくなる。プログだと何が読まれているかわかりやすいからいい、自分の場合これだけ記事が多くなると整理する必要が出てきた。整理するのはホ-ムペ-ジの方がしやすいので徐々にしていこう。

posted by 老鶯 at 22:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2011年07月19日

木陰(仮設住宅の問題)


しばらくは仮設住宅に住みにつつ小高の人の木蔭に休む

鹿島区の仮設住宅に入った人はほとんど小高区の人である。一万人以上避難したのだからその数が多い。津浪で避難した人は一割にも満たない、仮設住宅に入っている人は津浪の被害にあった人と原発事故で避難した人にはかなりの相違がある。両方の被害を受けた人もいる。
だから鹿島区の地権者が南相馬市の役所の人が来て仮設住宅のための土地を貸してくれというときできないと言った。その理由は一時的なもの二年間とかしか住まない人達でありそのあとはまた移動してししまうからである。そうなると村作りでも町作りでも市作りもできない、将来の市町村作りの指針も作れない、ただ一時的に移動した人達を一時的に収容しているだけだとなるとそこに住んでいる住民にしても困ることになる。つまり小高区の人は避難解除されたら小高に戻り生活再建する。そこには土地も家も無傷で残っているからだ。津浪の被害者はやはり一割にみたない、町が全滅したりしたところではない、そういう事情があり対処がむずかしいのである。そもそもここに仕事があって移ったわけでもない、そして鹿島区に仕事となる場がない、ただ人口だけは相当増えた。だからス-パ-でも道行く人でも小高の人が目立つののである。


相馬市では仮設住宅を長屋風にして長く共同的生活をするものとして一部を作る。神戸でも障害者なども一緒に住める住宅を作った。割安の介護施設としても作ることができる。特養に入れずに困っている人は本当に多い。安くても入れる施設が欲しいという要望は多いのである。
そういうことも南相馬市として政策として立案して実行することも必要なのかもしれない、高齢者は一人一人住むより共同で住んだ方がいいということもある。飯館村では三所帯で住んでいた家族がいたけどこういうのは今はめずらし、家族が小単位になり一人所帯にもなり介護になると困るのである。隣近所は町の方になると本当に都会と同じである。社会が変わったときそれに対応する政策も必要になる。今回の津浪や原発事故はそうした社会を変えるチャンスでもある。でも原発事故はまだ集束していないからこの避難者の対処がむずかしい。それが将来の計画を作れないものにしている。


南相馬市は相馬市と比べるとこういう点、不利であり混乱しているだけである。相馬市は長屋風の共同住宅のようなものを建てるというのはやはり将来への計画を描くことができて実行できたのである。南相馬市は原発事故でできない、田んぼも畑も荒地になっているだけである。
だから南相馬市は自分たちで市を再建しようとする意欲より国からの命令に大きく左右されている。緊急避難指示地域の解除命令がでてからどうするとか国の命令いかんによっているのだ。仮設住宅にしても国から金が支払われる。相馬市では独自で長屋風の共同住宅を作る計画をした。南相馬市ではそれがしにくい、だから南相馬市の市政は国の意向が大きく作用して身動きとれなくなっている。国に半分管理されてしまっているのだ。


人間は人が住むことによって生きてくるものがある。自然もそうだった。千倉のグランドは野球場としてしか見ていなかった。その時ここにある樹に注目していなかった。でも一本大きな樹がありその下で憩う人を見ているとその樹が住宅ができたことで活きている。木蔭のある仮設住宅となってなごみがある。自然も人間が生活して活きてくる場合があった。自然だけで自然が活きるということでもないのだ。人間が住んで自然も活きるということがある。木蔭に休んでいる時そこに平和を感じる。木蔭には風がそよいで涼しい、今年は普通の夏だからク-ラ-はほとんど必要はない、自分は夏にも弱いから体を不調になったがこのくらいの夏は夏らしい夏である。
ともかく当分仮設住宅というのは何か目立つし問題になる。

案はけっこうと思いますが、財政からいうと金がありませぬ


http://mypo.li/page/78203

やはり自治体主導でやれないことを指摘していた、やはり地域によりみんな事情が違っているからだ。
一律に仮設住宅を建てても被災者にとっていいとはならない・・・

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2011年07月22日

風の詩(放射能の思わぬ行方)

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風の詩(放射能の思わぬ行方)

風よ、定めない流れのなかに

刻々と生まれ、死ぬものよ

ぼくの日々はすぎてゆく一陣の風にすぎない

(ロランドルランク-ル)




風は何人もとらえられないもの
明日は明日の風が吹く
まことに明日の風は今日とは違う風


刻々と風は変わっている
変幻自在千の風
風は自在に遊んでいる


今日は嵐の風だった
明日は明るい日の中のそよ風
風の調べは常に変わる


風は遠くから吹いて
遠くへ吹き去ってゆく
風はどこにも留まることない


風の神になり風にのり
どこでも自由に吹いて
留まることをしらない


人生もとらえがたく
明日のことは知り得ない
風のごときもの


風は思わぬ所に吹き
思わぬ遠くに運ぶ
風を知る術はない


風は今日どこに向くのか
それは誰もしりえない
心もまた風のままに吹く


尽きることのない風の魅惑
捕らえがたい気まぐれな魅惑
瞬間瞬間に浮かび消えるもの


人も自然も刻々変化している
昨日と違ったステップで踊り
その時喜びに一時満たされる


その喜びも一瞬にして消え
新たな風のステップを試す
風の妖精のダンス




また、放射能汚染が最も深刻だった事故当初の風向きは、北東への風と、南南西への風。
これで最初は宮城の牡鹿半島の方向へ向けて、次は関東地方全域へと向けて、放射性物質は拡散した


風の吹く所はしりえない、だから牡鹿半島から宮城県の登米とか栗原に放射能を運び、一関まで運んだ。南々西の風が吹き北東の風が一関に放射性物質を運んだことになる。一旦海に吹いた風が一関の方まで今度は吹いて放射能を運んだ。風はとらえがたい、風はつくづく自在であり人格化すればギリシャ人ののように神にすれば風の神をいくら追っても追いつけない、その変化は激しく予測がつかない、つまり風を追うことはできない、放射能の追跡を風からしたがそれができなのはそのためである。一旦海に出た風が海風となって一関まで吹いた。その風の流れはダイナミックなのである。そんなところまで良く吹いたと思うように意外なのである。


牡鹿半島から一関に吹いたのは明かに海の東風である。海だと障害がないからこの時期に東風が吹く、それが吹き抜けて一関まで吹いたのである。これも大きな風でありダイナミックだから予測し得ないのである。ともかく海風は大きな風になる。その大きな風の流れが放射性物質の流れにも影響したのだ。喜多方にも吹いたのはやはり吾妻山の山頂から雪から放射線量が
かなり高く発見されたことでもわかる。山を越えて風は吹き喜多方にも流れたから牛に食べさせる藁にセシウムが積もったのである。


人間の心も風である。どこに吹いてゆくかわからない、そういうものが本当の旅である。今日はここに行こうなど目的を設定して行くのが旅ではない、道があったらその道をどこまでも行き別れ道があったら気のむくままに選ぶ、それが本当の旅だった。そんな旅している人はもういない、定められた旅しか今はない、レ-ルの上を高速道路の上を車で計画した通りに行くだけである。阿武隈高原辺りは道が複雑でありそこを自転車で気ままに行っていた。それで風と放射能の関係を書いたのである。

ボレアースは冷たい冬の空気を運ぶ北風で、ノトスは晩夏と秋の嵐を運ぶ南風であり、ゼピュロスは春と初夏のそよ風を運ぶ西風であった。東風のエウロスはいかなる季節とも関連付けられておらず、ヘーシオドスによる『神統記』や、後代の『オルペウス賛歌』の中で言及されていない唯一の上位のアネモイである


ヨ-ロッパだと風の向きは逆になっている。北風は同じでも秋になる風が南風とは日本ではならない、春と初夏の風がゼピュスであり西風なのはこことは逆である。ただ東風は季節と関連されていないというのはやはり海から吹いてくる風になるからか?地中海でも東風は海から吹いてくるからかもしれない、大西洋から吹いてくる風が西風になる。


冬の大地のニンフ・クロリスが春の西風ゼフュロスに触れられて唇から花を出し、堂々と歩む花の女神フローラに変身する情景が描かれている。

古代ギリシアでは、西風は穏やかで良い風とされ、しばしば冬を運んでくる冷たく厳しい北風の神であるボレアス(Βορέας, Boreas)と比較されました。
 また、イギリスでは、西風と云えば春の軟風です。西風は、メキシコ湾流(Gulf Stream)の流れる大西洋の波の上を吹き抜けてくる風で、暖気と水分を含んで柔らかく感じられると云うことです。
 http://ch08180.kitaguni.tv/e961328.html


ここのプログは放射能のことや文学や詩のことを書いているし翻訳もしている。インタ-ネットには実際はいろんな人がいる。寺田寅彦ににた人もいるということか?なかなか見つけられないのが難なのである。


いづれにしろ風はそもそも土地によってこれだけ違っている。北風は世界共通でも他は違っている。風はとらえることができない、確かに放射性物質の流れはおおまかには風に左右されたことは言える。でもまだまだ全体がわかったわけではない、だいだいの見取り図のようなものは見えて来ているのかもしれない、0・5マイクロシ-ベルトの一関は南相馬市と変わりない、だからそんな遠くまで放射性物質が飛んだことに驚くがこれもチェルノブエリで予想されていたのである。

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2011年07月25日

立地が悪い仮設住宅(小池の一部)(感じがいいのは角河原)


立地が悪い仮設住宅(小池の一部)(感じがいいのは角河原)


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ここは立地が悪い

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ここは立地がいい

小池の神真野川の上の方はじき側が川だからいいと思うがここは一番立地が悪かった。
前は会社の建物にさえぎられすぐ前が製材所であり木を切る音がうるさい、今までみた鹿島区内の仮設住宅では立地が悪い。土地がないからこうなった。地権者が断った所もありなかなか
いい土地が見つからないからこんな悪い場所になった。田んぼは荒れ地になっているけど整地するのが大変である。となると校庭とかが地盤としていいとかなるがみんなそこに集めるわけにはいかないからこんなに分散した。

角河原は一番立地がいい、人間の住む所は樹が一本あるだけで活きてくるものだと思った。
樹も人間が住むことで活きてくるということがあった。木蔭などは人間が休むことで木蔭なのである。もちろん太古なら動物が休むことで木蔭はなんともいえぬ安らぎを作り出す。

木蔭の効用を普通はあまり考えないが仮設住宅を見ていて一本の樹があるだけで何か憩いの空間を作り出すことに気づいた。そもそも人間の生活に樹は欠かせないものである。でも樹を活かすとなると広い庭が必要である。

鹿島の仮設住宅はこれで全部である。小池の上とか角河原だと車がないと買物ができない、ス-パ-が遠いからだ。小高の人がほとんどだがその他津浪の被害にあった人でもみんな農家が多いし広々とした家に住んでいたから狭いと感じる。都会の団地のように住んでいた人はたいして変わらないと感じる。

長屋風の共同住宅として高齢者が住むもいいかもしれない、孤立化する高齢者が増えている。庭や野菜などを作る畑などの用地を確保する、そういう住み方を考える時代になった。
一軒家に住むことは思った以上コストがかかり一人で住むとなるとやっかいなのである。今は隣近所も助けにならないからそうした共同住宅が高齢者に向いているかもしれない、このさいそういうことも考え実行してみるのもいい。


小高の人がネットで言っていた、仮設住宅に入るの拒否するのは入っても仕事がないとか帰れる状態でないのに帰れと言われるのは問題だ、避難所で暮らしていた方がいいと、そういうこと本にも書いてあった。「避難所にしがみつけるだけしがみつけ」仕事もないのだから仮設住宅に入っても自前で食費など払うと生活費が大変になる。そういうことで拒否する人もでてくる。仮設住宅に入っても自立しろと言ってもできない相談なのである。ただ政府の方針としてそうさせたいのである。原発の避難者は補償金はでるから津浪の被害者とまた違っている。

でも小高は双葉などよりは待遇が悪いとかあったのか、地域によって違っているのか?
ともかく小高の人が目立つし災難だった。小池の立地の悪い所に入ったら嫌だともなる。
でも土地が確保できない、そこが仮設住宅の一番の問題だった。でも仮設住宅で建築関係の人の提案がいろいろあった。仮設住宅を思い出の場にしようとして塔を真ん中に建てようとか立案した建築家もいる。塔はコミニュティのシンポルのようなものになる。仮設住宅は本当にどこでも目立つ、建物はにたりよったりだが立っている場所には差がある。場所を選ぶわけにもいかないがいい土地が確保されないので南相馬市以外でも悪い場所に建てざるをえない場合がかなりあると思う。

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2011年07月29日

鉄は国家なり 、石油は国家なり、原子力は国家なり(原発事故の歴史的考察)

 

 鉄は国家なり 、石油は国家なり、原子力は国家なり
(原発事故の歴史的考察)



鉄はヒッタイトが使い始めて以来、
人類の発展と争いの背景にこれからも居続けます。


ビスマルクは、デンマーク、オーストリア、フランスとの相次ぐ戦争を勝ち抜き、「帝国」を完成させた。その軌跡に寄り添ったのが、「大砲王」と呼ばれたアルフレート・クルップが提供した「大砲」と「鉄道」であった。近代以降の戦争では、「大砲」は軍隊の破壊力を意味し、「鉄道」は軍隊の機動力を意味した。ドイツは、「大砲」と「鉄道」、即ち「鉄」によって築かれた「帝国」だったのである


「鉄は国家なり」って叫ぶ人って、歴史を部分的にしか見ない人が多い。日本の歴史を全体的に眺めると「鉄は日本文明なり」ということになる。


 古代、鉄は朝鮮半島南部の伽耶(加羅)地方の特産品で、日本は鉄を伽耶からの輸入に頼っていた。やがて伽耶からの渡来人がこの地方で砂鉄からの製鉄事業を始めたようで、


稲作と鉄とは不可分だと言われています。イナリは鋳物(いもの)が成りと言い 炉の中の赤い鉱石に見立てたという説や 稲穂が成りとも言い 田甫にこうべを垂れる稲穂は黄金色に輝くと言いますがこれを朱色に見立てたという説もあります。
http://kamnavi.jp/inari/shu.html


弥生時代は土木時代と言ってもよい。土木道具の主要なものは鉄である。
       弥生農耕を探る 稲作以前の農耕 焼畑農耕 陸稲 大麦 イモ類       
      驚きの木製農耕具 平鍬 丸鍬 狭鍬 諸手鍬 斧膝柄 鋤 丸鋤 堅杵 宮城県中在

 


鉄は国家なりというのは弥生時代、稲作がはじまったときからである。稲作は大規模な土木工事と鉄の道具が必要だった。だから稲作と鉄は密接にむすびついていたのである。天皇の起源も鉄の王とも言われたりするのもそのためである。鉄の資源をめぐって朝鮮半島で争ったのもそのためであり渡来人が日本に大きな力をもったのもそのためである。鉄に関する地名が日本に膨大にあるのがそれをもの合建ている。

鉄は国家なりというとき、そもそも国家とは何なのか?ということなのである。それは今回の原発事故で明かになった。今や電気が国家なりとなっていたのだ。石油が国家なりというのも言える。鉄を作るのには技術が必要でありその技術は原子力の技術でもあった。そして鉄作りで公害もあった。地名に残されている寒田とかは錆びた田であり田が鉄作りで赤い錆びた汚れた水が流れてきた使い物にならなくなったのかもしれない、寒川も鉄作りで汚れた川でもある。原子力も放射能をふりまいて人も住めなくなった。歴史を古代からふりかえると原子力も人間の歴史の必然として生まれてきたように思える。唐突に生まれたものでもない、つくづく何事も歴史的に人間の問題を解く必要がある。
自然現象すら津浪すらそうだった。この辺でも500年前に大きな津浪があったが記録を喪失したとか全く省みられなかった。津浪は何度も日本列島を襲っているのだから歴史的に考察する対象だった。それが見逃されていた。


歴史的に今回の原子力事故が何であったのかを考察するとこれは現代に唐突に起こったものではない、歴史的連続性として起こっているのだ。「鉄は国家なり」というのは近代まで連綿としてつづいていた。次に石油が国家なりというのも近代に起こった。そして原子力発電は国家なり、電気は国家なりと最近はなっていたのである。「電気が国家なり」とはおそらくまだ歴史的に短いから気づかないという面があった。でも電気なくして国家も成り立たない、自動車産業でも電気が高いと外国に行く他ないとかなる。東電や全国の電力会社がどれだけ力をもっていたか?国の中枢まで支配するようになっていたか気づかなかった。官僚も政治家も東電の手中にあり東電の支配下にあり東電の莫大な金が流れた。マスコミにも金が流れ容易に支配できた。電気が国家なりとなれば当然電力会社が国家なりともなるし現実にそうなっていたのだ。

原子力が安全だというと国のお墨付きもあり国で情報の管理もしていて安全神話が作られた。
天皇も稲作の神となり鉄の神ともなる。天皇も権力の象徴だから王としてそうさせられた。だから不作になったりすると王が殺されたりもした。権力の象徴としてあればそうなる。人間が求めているのは権力である。それが人間の歴史だった。その人間自体は変わっていないから同じような問題が人間社会には時間がたっても起きてくる。

今回の事件がオウムとにているというときオウムも権力を求め日本を支配しようとした。それはサリンと宗教を合体したものだった。サリンは原子力であった。宗教も権力に欠くべからずものだった。カトリックが政治化して権力化したことは歴史が証明している。宗教が権力者にとって必要だというとき本来の宗教ではなく宗教を人民支配に使うためである。だからマルクスが宗教は阿片だと批判したとき支配者が阿片として宗教を供給している。今のカルト宗教団体はすべてそうである。カルトとは正に宗教の阿片化なのである。原発も安全神話となり宗教化していたということも言われる。その安全神話に政治家も官僚もマスコミもすべて組み入れられた。反対する異端者は徹底して排斥されていた。ただ表面的には露骨にはわからないようにそうさせられていたのである。人間の事象は常に千年二千年の歴史的なものとして考える必要かある。

自然災害だってそうだった。今回の津浪もはじめて起こったことではない、500年前に千年前に起こっていた。原発の安全神話は「電気が国家なり」となったときから作られていたし事故も予想されていた。でも電気が国家なのだから国家に逆らえるものはいない、そして国民も権力を求めている。それが人間社会であり日本だけではない世界で共通したことである。だから権力を求めるもの、人類は欲で滅びるというのはそのことを言っている。


神々は青銅の種族を作りましたが、彼らの武器や道具は全て青銅で、前の種族よりも更に凶暴であったため、互いに殺しあい全滅したそうです。

最後の鉄の種族は、昼も夜も労役にさいなまれる種族で最も不幸な種族だそうです。そしてこの鉄の時代こそが現代であるようです。ヘシ
オドスは鉄の時代に生まれたことを嘆いていました。


鉄の時代はどうしても武殺傷能力が高くなるから殺し合いも激しくなる。明治維新後の戦争がそうだった。大量殺戮の国民戦争だった。そして鉄の時代より最も悪い時代が核の時代だった。核戦争の人類滅亡の恐怖だった。原発も戦争の道具ではないしにしろこれほどの災いをもたらすものはなかった。要するに人間は最善の時代ではない、最悪の時代を目指して歴史があった。そして最後に核で滅亡する。それが目の前で現実化した。歴史的総決算として核がでてきたのも人間の歴史的必然だった。核も人間の権力の象徴としてあり鉄もそうだったように同じだったのである。

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2011年08月05日

ふるさとの山はありがたきかな・・・ (原発事故で故郷に帰れない人の気持ちは・・?)


ふるさとの山はありがたきかな・・・
(原発事故で故郷に帰れない人の気持ちは・・?)


ふるさとの 山にむかいて言うことなし ふるさとの山はありがたきかな 啄木

この山は岩手山だった。あの山は独立峰で姿形もいい、阿武隈山脈には高い独立峰がないからものたりない、会津には2000メ-トル級の山がいくらでもある。だからあういう高い山を毎日望んで暮らしている人の気持ちがどうなるのだろうかとなる。会津の文化は山を知らなければ知り得ないものである。今回津浪にあった所は海を知らなければ知り得ないものである。だから浜通りと会津は全く対称的であり違った世界なのである。だから同じ福島県でも全く違った風土の中にある。


啄木の生まれた渋民村からは岩手山が見えた。盛岡にも住んだことがある。岩手山のような山は何度見てもあきないだろう。だから故郷の
象徴になる。でもこの辺では山が故郷の象徴になるりえない、そうした眼をひく独立峰がない、中通りは高いやまがあるからなる。安達太良山や吾妻山は高いから山が故郷の象徴となりえる。現実に万葉集にすでに安達太良山は歌われている。ただではこの辺で山が故郷と関係ないかというとそうでもない、山は岩手山のような高い独立峰ではない、身近な山でありそれは柳田国男が指摘した祖先となる山である。それは葉山信仰に通じていた。山で潔斎するというか山は神聖な場所としてあった。それは結局深く稲作、水田と結びついていた。日本の文化の基に水田が稲作があり稲作の最大の特徴は水の管理だった。ここから共同性が生まれ国が生まれた。狩猟や採集や焼畑などからは水田のような共同性は生まれない。だからみちのくの蝦夷には国が作れなかった。国としての大きな共同体を作り得なかった。縄文時代には大きな統合した国はなかった。弥生時代になり稲作がはじまって国ができたのである。


まず山がありがたきかな・・・という感覚が今では生まれない、啄木は都会でこの歌を作ったし農民ではない、農民出だったらこういう歌ができるのもわかる。放浪の詩人でありむしろそうした狭い郷土から脱出したいという強い願望があって実行した。自分なんかそうでありだからこそ
ふるさとの山はありがたきかな・・・という感覚がわからない、これは切なる望郷の心から生まれた歌である。でも故郷の山がありがたきかなというときそれは高い独立峰の岩手山より裏の小高い葉山信仰に通じている感覚である。そうした山は水田による稲作と密接に関係していた。



山の森は水をたくわえ水を供給するからこそ神聖な山となり祖先の山となり信仰にまでなった。
最初からなぜ日本の中心でなく大和盆地の飛鳥が先になったのかというと飛鳥から水田を造り始めたからだ。大阪は難波江であり八十島であり大きな入江であり葦原の入江であり水田に適していなかったのだ。まずなんらかの生産力がないと貯えがないと国は興らない、飛鳥で水田を米を作り始めて国力がついてきて飛鳥から藤原宮-平城宮-平安宮と発展した。
http://www.musubu.jp/hyoronoosaka.htm


「県〔あがた〕」は、大和にあった大王〔おおきみ〕家の直轄地である「大和六県〔やまとのむつのあがた〕」(=「曾布〔そふ〕県・山辺〔やまのべ〕県・磯城〔しき〕県・十市〔とおち〕県・高市〔たけち〕県・葛城〔かずらき〕県」)の他、「河内県」「吉備県」「筑紫県」など、西日本に多く見られ、朝廷の直轄的性格が強いようです。


岩手県植樹祭

岩手なるあがたの民の憩場(いこひば)の森となれかしけふ植えし苗 昭和天皇

 


あがたの民と言うから天皇のなかには感覚的に古いものが受け継がれた来たからこそこの歌ができた。基本的に最初は上田(あがた)であり下田が田の地名である。南相馬市鹿島区では栃窪が古代より早く拓けた古い栃であり上田(あがた)とにている。上田は水がいいからいい米がとれる。栃窪の米がうまいというのはそのためである。
最近津浪でわかったことは原発事故で水田がなくなって草原化した、それは水田と全く違った自然だった。風まで違っている。草原をふきわたる風と水田を吹き渡る風はまるで違っていた。この感覚はモンゴルの平原であり北海道である。ある一面水田と違って気持ちいいということもあった。海から草原に風がわたってくる。何か心まで広々とした感覚になった。つまりそれだけ感覚的に水田と草原は違ったものなのである。北海道の苫小牧に上陸したときすでに空気まで違っている感覚と同じだった。


今原発事故で故郷に帰れなくなり故郷に帰りたいという人々が何万といる。でも啄木がふるさとの山はありがたきかなという望郷の感覚は生まれないだろう。浜通りならそうした感覚はうまれがたい。そもそも農民でもそういう感覚は今はうまれがたい、だから原発を積極的に双葉町などでは誘致した。盛んに故郷に還って農業をしたいというが一方で外からは原発から金をもらい恩恵受けていたのだから同情しないという人も多くいる。そんなに故郷が大事ならなぜ反対しなかったのかと言われる。それも確かにあった。今や原発はありがたきかなというふうになっていたのだ。葉山信仰など今はない、経済的効率とか産業としての農業しかない、だからふるさとの山はありがたきかな・・・と今思っている人はほとんどいないだろう。ありがたきかなというと何か自然信仰に通じるものがあった。今は農民さえそうした信仰もないしあるのはどうしたら金になるのかしかない、それはどこでも同じだからそれほど故郷にこだわる必要があるのかと外からみられる。ただ老人は惰性で動けないだけなのである。


葦辺(あしへ)行(ゆ)く、鴨の羽交(はが)ひに、霜(しも)降(ふ)りて、寒き夕(ゆふへ)は、大和(やまと)し思(おも)ほゆ
志貴皇子(しきのみこ)

これも望郷の歌だった。寒々しい難波の宮で歌った。これからも原発事故で避難した人は仮設住宅などで冬も越す、そういうとき寒い冬に耐えてやがて故郷に帰れる日があると思う。そういう気持ちとしてこの歌は秀作である。これも望郷の歌だったが啄木などとは違い荒寥とした自然の中で歌ったものだから感覚的には相当違っている。
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2011年08月06日

山は死者の眠る神聖な所 (科学万能主義の危険-原発事故の原因)


山は死者の眠る神聖な所
(科学万能主義の危険-原発事故の原因)



祖父の山放射能にけがされてその眠りしも安からならぬも


祖父の霊山に鎮まるその山を放射能けがし山神怒らむ


人住まぬ山となれるや祖父の山誰か祀らむ山神淋し

今起こっていること何なのか?浜通りというと海岸線だから海を糧にした生きてきたように見えるけど漁業より農業が主である。仙台湾辺りまでそうである。漁業が主なのは三陸や岩手県のリアス式海岸である。そこで田を作る平地がそもそもないからだ。ただ海の恵みは豊だった。
仙台平野は稲作のために開拓された土地であり漁業とは関係していない、つまり稲作が主だというとき実は山との関係の方が密接なのである。そこが見落とされている。だからこそ浜通りは阿武隈山脈-高原と密接な関係がある。例えば浪江町の領域は津島までありそこは相馬藩の山中郷の領域であり葛尾村もそうである。そしてこの葛尾村が自分の父親の生まれた出身地だった。双葉町の酒屋に奉公に出たということで原発のある双葉町とも関係が深かった。
良く我が家に子供の頃来ていたじっじとばっばがいた。その人も30年前に死んだし葛尾村の実家もなくなった。今になってそのじっちとばっばのことを思い出してなつかしくなった。その人たちは葛尾村の山の中の墓に埋められていた。日本人は山に死者を埋めていた。だから山が神聖な場所ともなった。死者が眠る場所は神聖なものとなる。

 こもりくの初瀬の山の山の際(ま)にいさよふ雲は妹にかもあらむ 柿本人麻呂


これは死者のことを雲にみたてたのである。こもりくとは奥深い山である。山で死者に会うのである。海や平地で死者に会うということはない、古来から日本では山に死者が葬られ眠っている。だから葉山信仰もそういう死者が眠る山と水田をうるおす水を与えてくれる山として信仰の対象になった。里山が葉(端)山である。村はムレから来ておりこれは水田とはそれほど関係していない、ただ人が群れるからムラとなった。里はそのあとにできた言葉でありこれは弥生時代に水田化されたときできた言葉であり里山もそうである。これも稲作によりできた日本の風景にマッチした言葉であり白砂青松の風景も稲作のために海岸近くを干拓して塩害から守るために松原として防潮林を作っのである。日本の風景は極めて稲作、水田により人工的に作られたのである。そのこは今この辺で水田がなくなり草原化したことでわかった。水田は人間の手で作られた風景だった。

葛尾村であれ飯館村であり江戸時代は山中郷でありそれは水田と深くかかわっていた。水を供給する場所として浜通りの阿武隈高原はあった。だから放射能の汚染で水源になるからこそ心配した。放射能汚染はそうした祖父母が葬られ水田を維持する水源をけがしたことで浜通り全体にかかわる人災だった。その罪は自然だけではない祖父母の眠る神聖な山をけがしたのである。ただその原因をすべて政府や電力会社にすることはできない、すでにそうした江戸時代の稲作の祭りは農民から喪失していたからである。そういう山と深くかかわる神聖な感覚は消えていた。ダムをあらゆる所に作ったりといろいろ山も海岸も人工化してきたからである。


今回の津浪やそれによる原発事故は海の神や山の神の怒りかもしれない、江戸時代までは自然と調和した開発だったが明治時代以降は自然破壊が大規模になった。戦後はさら高度成長時代になり日本列島改造とかで日本の美しい自然は大規模に破壊された。その極点に達したのが原発だったのである。原発は日本の自然を亡ぼすだけではない、日本民族すら亡ぼしてしまう恐ろしいものだった。そういう危険なものに歯止めをかけるものがなかった。農民も漁民もただ金だけしか頭になく金さえもらえば良しとした。それで海の神や山の神の怒りが生じたことは言える。そんなことは非科学的だというとき、現実に核を研究する学者がもっと自然を畏れるべきだったということを言っている。核の力を人間の力では操作できないものだった。根本的に無理があったのである。ただ誰もそれに歯止めをかけるものはなかった。そこで暴走して事故になった。歯止めをかけるものはやはり神や自然に対する畏れが喪失したことでもあったのだ。江戸時代にはそうした自然への畏れがあったからこそ山への信仰が生まれた。科学万能の社会となったときそうした畏れがなくなり傲慢となり罰を受けたのである。科学万能主義は時代には危険がひそんでいた。山への信仰など非科学的でありとか必ずなり何か自然に対する恐れを消失させる。だから古来からある祭りを否定する。もちろん自然の事物を神とすることは偶像崇拝になるから否定されるべきである。ただ自然を尊ぶという観念は常に必要なのである。自然は神が作り神が人間に与えたものでありそれをないがしろにすると今回のような大きなとりかえしのつかない罰が与えられる。そういうことは非科学的とは言えない、そもそも科学でこの世のことすべてを解明などできないからである。


原発を建てるにしても単に工学的科学的面からではなくこうした回りの自然との調和を計ることも考慮せねばならなかった。ただ工学的な見地からのみ計画され建てられる。回りには海もあり山もあり水田もある。そういうものを考慮しなかった。結果としてそういう考慮しない所が甚大な被害を受けたのである。海の神や山の神を祭り許しをこうて建てるべきでもあった。地鎮祭をするにしてもそれは余りにも今や形式的なものであり深いところで自然との調和計るのが祭りだったのである。もちろん科学者にそうしたものを要求することは無理でありそういうものに対して考慮は全くない、だからこそ事故が起きたとも言えるのである。ともかく現代文明には経済的効率的視点とか科学的合理的視点きかそういうものしかない、江戸時代には別な自然に対する接し方がありそれが祭りだった。またこういう視点から原発事故を考える人もまれである。それだけ科学万能主義におおわれた世界になっていたのだ。平気で何百万年に一回しか原発事故は起きないなどと真顔で言っていた。それだけ科学万能主義に陥っていたのである。

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2011年08月07日

原発の深い闇(戦争中と同じ統制-宝島社より)


原発の深い闇
(戦争中と同じ統制-宝島社より)

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これをみると名だたる日本の雑誌は全部が東電から金をもらい原発推進してきた。テレビ関係もそうだった。意外なのは「潮」であるがこれは創価と公明党の機関紙である。ここに入社した人の仕事はまず広告をとることである。新聞社でもどこでもそうだけど広告なくして経営がなりたたない、その時点ですでに言論は制約されけいるのだ。何か批判するにしても金をもらっているとすでにその会社を批判はできない,そしたらすでに偏った報道しかできない。ともかく何を主張しても批判してもいいが金をもらった時点でそれができなくなる。でも現実問題として雑誌であれ出版であれ新聞であれテレビであれ金がかかりすぎる。だから宣伝費でまかなうほかないから公正な報道などできないのである。

それを象徴しているのが福島民報などが創価の聖教新聞を刷っていることである。地方新聞に新聞をすらせて批判をおさえる。この時点ですでに地方新聞も公正な報道などできない、一つの創価公明の機関紙の一部とさえなっているのだ。創価は目的が権力奪取と公然と主張している団体である。宗教もその手段にすぎない、だからこそ司法や公務員や警察とかを会員を入れておさえろとかそうした権力をとるためにあらゆる手を尽くしている。このことは東電ともにていたのである。当然東電は金になるとなれば食いつくから宣伝費をとるために積極的に働きかけたし公明党も積極的な原発推進だった。原発を推進したのは自公政権だった。東電は信じられないほどの利権をもっていた。今になると巨額の賠償金問題になっているがそれにも応じるとういから驚く、3兆円のもうけがなくなるとかいうのもにも驚く、それだけの金がなる木だったのである。その力は国さえも簡単にとりこむほどの財力をもっていた。何も創価と公明党だけではない、原水協にも電事労連とか電力会社の組合の会員がいるので原発に反対できなかったというのもそのためである。確かに一向に原発に関しては何の反対の声もなかった。
「電気は国家なり」というときそうだった。国の教科書でも原発は危険だとか国の力で書かせなかった。まるで戦争中の言論統制と同じだった。というより金になるから積極的にマスコミも応援して加担していたのである。

 


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いかがわしい雑誌社として地元の「財界ふくしま」などもそうだった。プルサ-マルなどで原発を批判した記事をのせていたがあとでぷっつりと批判をやめた。そもそもここの主催者は竹内氏は何かと闇の多い人物だった。つまり雑誌を出してそれを脅しに使っていた



明治時代の新聞記者が、羽織を着て立派な身なりをして、正義の味方のようにふるまい、事件・事故をかぎつけては金品を巻き上げたことからつけられたあだな。
今でいうインテリ・ヤクザといった感じなのだろう。
http://d.hatena.ne.jp/Syouka/20100429/1272547997

こういうところから発しているのが新聞とか雑誌の成り立ちだった。だから今でもそういうことはあり現実に竹内氏などはそうだった。福島県出身でも福島県のことなど思っていない、利得だけを追求している。福島県はその種にすぎない、福島県とか郷土を愛すとかは全くないのである。そういう人が出している雑誌を信用できるだろうか?地元には地元に思い入れある人がかかわるべきである。今になると本当に福島県のことを思い原発の批判記事を書き続けたら福島県民に支持されてその株は上がったのである。本当に今になると手の裏を返したように原発を批判のオンパレ-ドだけど3月11日前はその正反対だった。朝日新聞も推進派であった。右翼だろうが左翼でも一部をのぞいて推進派だった。つまりこれは戦争のとき同じだった。大本営発表であり日本国民全員が原発を推進し戦争を推進してそれに逆らうことはできなかった。

いかにマスコミなどは戦争の時と同じように信用できないものかわかった。中国のことを批判するが中国と変わりなかったのである。それはすべてが利得しか眼中にないから利得になるものは飛びつく、それが原発のようなものでも危険なものでも利得になればいいとなりマスコミも金になるからと容認したのである。だから今になりそんなに反対しても信用できないのである。


原発を誘致した渡部恒三。そして、GEを手引きしている息子の恒雄。原子炉の冷却を実現できた、
http://hiwihhi.com/togofujita/status/62759917974597633


渡部恒三は福島県の政界のドンである。この人も福島県のために働くというより福島県を利用して自分の利権を追求した人でもあった。佐藤栄佐久前知事が選挙で追い落とされた。濡れ衣を着されて検察が動いた。新しく知事になったのは甥だったのである。これもいかに原発に関しての闇が深かったかわかる。原発ムラに反対すればどうなるか?検察まで動く、検察はもともとアメリカに日本が負けたときアメリカ側につくように仕向けられていたし今でもそうであるから信用できない、GEに息子が就職していたというのも手先だったことが明確である。 GEのアメリカの責任は日本では問うことができないのである。


いづれにしろ津浪がなければこうした原発の深い闇は暴かれることはなかった。もちろんいづれ事故は津浪でなくても起きた。でもこれほど劇的に闇が暴かれることはなかった。もはや人間の手では暴くことはできないようになっていた。でも津浪が自然の力が神の力がその闇を暴いたともいえる。だから人間にはつくづく限界がある。自然の力でも神の力でも働きその闇は暴かれ裁かれるということを実感した。そういうことがなけれは闇は延々とつづいていたのである。

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2011年08月09日

南相馬市30キロ圏外の不満 (8月から医療費も普通に払わされる)


南相馬市30キロ圏外の不満
(8月から医療費も普通に払わされる)



 主婦の女性(61)は「30キロ圏外の地域は、仮設住宅用の土地提供や避難区域の子供の受け入れなど行政に貢献している。それなのに(30キロ圏内では減免対象となる)国民健康保険税や介護保険料は免除されない。さらに東電の仮払い補償(1世帯100万円)も対象外だった」と指摘。「原発事故は30キロなどで線引きできず、健康への不安は同じ。
http://woman.infoseek.co.jp/news/society/story.html?q=sankein_snk20110807069

7月までは医療費が無料で得したと思った。8月から普通にとられる。30キロからわずか離れても医療費の援助はなくなった。30キロ圏外が本当に被害たいして変わらない所なのに損だったことは確かである。ただ義援金5万はもらった。それで良しとしろということだろう。一所帯百万の補償金はもらえないにしても医療費くらいの援助があってもいいと思った。鹿島区では確かに仮設住宅の土地を提供したりいろいろ援助している。原発事故の時でも半分は避難した。残った人も不安だった。その後も精神的苦痛やいろいろな不便を強いられている。アマゾンの通販も利用できないとか被害もある。でも田畑をもっている人とか地震で半壊以上とか具体的な被害がないと医療費も補助されない、要するにこれからは何も補助されない、でも六号線が開通しないのは原発事故のためである。津浪の被害では今はない。いづれにしろ原発事故の補償を言ったらもはやきりがない、休業補償としての支払いがありこれを適用したらその範囲は福島県だけではない、それだけ大変な補償となる。得した人がいても泣き寝入りの人も多数出てくる。


もう正直放射能の話しを聞きたくない、嫌になった。放射能で何か食べられない、ここも年間やその後の放射能の影響でガンになるとかそうした話すら聞くの嫌になった。そうした精神的苦痛が大きいのが原発事故の放射能騒ぎだった。その苦痛は実際は全国に及んだ。原発事故の被害がこれほど広範囲になるとは国民も予想していなかった。毎日、毎日、放射能、放射能で日が暮れることは異常である。それ自体が精神的苦痛を与えたのである。浜通りでも中通りでもこうした精神的苦痛を与えられたが郡山市でも福島市でも何の補償もないからここに補償がないと声高にも言えない、もう東電でも政府でも補償には限度がある。あとは犠牲させられるのだ。もちろん不満な人は東電に要求すればいい、でも補償しきれないから泣き寝入りになる人も多い。それもこれも原発事故はそれだけ広範囲に被害を与え犠牲をうむ。40年間恩恵を受けた双葉町や大熊町などはしかたないだろうとか言われる。それもそうかもしれない、その他の市町村は今まで恩恵はほとんどない、だから腹ただしくなる。


いづれにしろ原発事故になったら被害がこうなるんだという見せしめが福島県だった。放射能のモルモットだというのも本当である。一旦事故が起きたら原発の回りはあんな被害を受けるんだよという見せしめである。アメリカは黄色人種の日本人だから原爆を落とした。人間を原爆のモルモットにした。原爆では実際に10万人以上死んだから今回の事故とは性質が違っていた。でも精神的苦痛は原発事故の方が長引く、放出された放射能の量もけたはずれに多いのである。ただ爆発しないから死者はでていない、だかそのあとの処理が大変であり精神的苦痛が大きいし長びくである。広島の原爆などではこんなに広範囲に死の灰はばらまかれない、その量も少なかった。原発事故はその後が大変だし広範囲になり精神的苦痛が長びく、ガンになく奇形になくとかそれが風評被害でも無視するわけにはいかない、そういうことで精神的に疲れてしまう人も多くなる。自分も毎日そうしたことを聞いているのが嫌になった。子供をもっている人はさらに大変であり心配が尽きない,今回はその心配することで疲れてしまうのである。例えガンにならないにしてもそうしたことを毎日言われるだけで心配になり疲れてしまう人が多ちなる。本当に原発事故の放射の問題は心労の部分や風評被害が本当に重くのしかかることだった。


ともかく一か月後に入院するとして無料になると思ったが損だった。30キロ圏外でも医療費くらいは無料にしてもちいたかった。30キロ圏外やその他は泣き寝入りであり犠牲にされる。それが原発事故だったのでる。

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2011年08月11日

南相馬市は仮設住宅8月まで約2500戸完成


南相馬市は仮設住宅8月まで約2500戸完成


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ベンチがあるのもはめずらしい、ここで休める

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建築中

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地図クリック拡



鹿島中学校の裏は一大仮設住宅地となった。ほとんどが小高から来た人となると鹿島区に小高区ができたようなものでる。

福島県南相馬市は12日、福島第1原発事故などの影響で市外に避難している市民約2万8000人に対し、8月末までに避難所を退去して、自宅や市内の仮設住宅などに入居するよう求める文書を送付した。
市は「避難所を出て自立を促すのが狙い」と説明している。
南相馬市が「帰還要請」 市外避難2万8000人来月中に 市によると、市外にいる避難者は11日現在、福島県1万565人、宮城県2200人、山形県2007人、新潟県2548人など。送付した文書では、体育館などの公共施設などに開設された1次避難所の避難者は今月中に、
宿泊施設などの2次避難所は8月末までに、それぞれ退去するよう促している。

ただ、南相馬市は原発事故で警戒区域や緊急時避難準備区域などに分かれており、自宅に戻れないケースもある。市は8月中に約2500戸の仮設住宅を完成させ、入居希望者に入ってもらうという。 市地域振興課は「放射性物質への警戒感が強いのは承知しており、市内に戻るのを強制しているわけではない。戻らない場合は、民間の賃貸住宅に入るなどしてほしい」と説明している。
1次避難所閉鎖後も136人が2次避難中の山形県米沢市では12日、同市駐在の市職員による説明会が行われた。 説明した職員によると、山形県内では9月末に2次避難先のホテルや旅館と滞在契約が切れる。滞在を延長することによって、夏から秋の観光シーズンに影響を及ぼさないよう配慮したという。


<避難者猛反発 「あまりに唐突」 米沢で説明会>


福島第1原発事故で全国に避難している市民に向け、南相馬市が「帰還計画」を提示した。136人が2次避難する,米沢市内では12日、2カ所で説明会が開かれたが、原発事故が収束しない中、避難先から退去する時期の目安だけが示された形だ。一日も早く帰郷したい気持ちとは裏腹に、避難者の多くは「あまりに唐突だし、現実的でない」と反発した。
説明会会場の一つ、市中心部の置賜総合文化センターには、主にビジネスホテルに避難する17人が集まった。

説明が終わると出席者が次々に発言。「放射線の値は明らかに安全なレベルでない。それを浴びに戻れと言っている のと同じだ」「仮に戻っても、仕事や生活環境を補償してくれるのか」「病院も学校も元に戻っていないのに、帰ってどうするんだ」など、計画を批判する声が上がった。


説明会後、原発から20キロ圏内に自宅がある南相馬市小高区の元会社員斎藤祐樹さん(28)は「市内が安全だと言い切れるのか。現在進行形の原発問題が収束しない限り、不安で帰れるわけがない」と語った。 20キロ圏内で建設会社を営む木幡竜一さん(47)は「市は早く戻ってきて復興に力を貸してほしいと言っているが、まだまだ復興に動き出せる段階ではない」と首をかしげた。

米沢市三沢コミュニティーセンターでも説明会があり、温泉旅館などに身を寄せる11人が出席した。30キロ圏内の自宅から9日がかりで同市に避難した板金業水本サチさん(75)は「帰還後に再び原発事故が起きた場合の再避難の方法は考えているのか。あてもなく逃げるような思いは、もうごめんだ」と話した。
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/07/20110713t61011.htm

南相馬市が示した帰還計画について質問する避難者たち=12日、米沢市の置賜総合文化センター
http://www.kahoku.co.jp/img/news/2011/20110712037jd.jpg
 


鹿島中学校の裏の仮設住宅は数が多いから敷地も広い。まだあそこにあの倍はふやす。工事中である。2000戸くらいまで完成したのか?どこも満員になるくらい入ってきた。ただ鹿島中学校の裏はまだできる。ともかくほとんど小高の人である。知り合いの商売していた女性は山形の娘の所に行っていた。それから今は鹿島中学校の裏の仮設に母親と一緒に入っていて昨日も来た。仕事で困っている。でも病気などしたりしているから仕事できるのかとも思う。部屋は二人だと一部屋であり窓も小さく窮屈だというのは外から見てもわかる。でも小高の人は原発関係だから一人十万とかもらえるから生活費には困らないと思う。津浪被害の人で仮設に入っている人は一割にもみたない、小高は一万以上人口がありいなくなったのだからその数の移動が大変である。それでも土地も家も残してあるのだから事情が違う、小高は放射線量からしたら帰れるように思う。今日は鹿島区で行うのは津浪の被害者の合同慰霊祭であり真野川で灯籠流しみたいなことを行う。これは原発事故とは違っている。漁民していた人でも津浪は原発事故を一緒に考えている人がいる。津浪の被害が原発被害になり補償を要求する。松川浦では沖に船をだして120隻あった船の90隻以上助かったというから津浪への心構えができていたしそういう言い伝えもあったから全く津浪に無防備ではなかった。魚もとっていないから今ならとれるというが原発事故でできなくなったのでこれは補償されるだろう。ともかく福島県は原発事故の方が大問題だった。津浪だけならこれだけの被害にはならなかった。


どうでも良いと思ってんだろ?人口さえ戻れば地方交付金と住民税が入る。
公務員どもにとっては貴重な現金収入だ、というかそれ以外に稼ぐ方法を
知らなかったりするんでない?住民が多数流出してしまうようでは、税収の
大幅減が避けられない。すると公務員はペイカットに苦しむことになる。
結局はテメーの銭の問題なんだよな。帰還させた所為で何人死のうが
知ったこっちゃ無いんだよ。みんな逃げて。特に妊婦と子供と若い人。
子供は遠い遠い町まで逃げて児童養護施設に転がり込みましょう。
公務員さん、村民を騙す前にあなた方こそ自助努力をしなさい。



公務員にしても市がこんなふうになると仕事自体も大変であり公務員は楽だとはならなくなった。だからいちがいに今や公務員を批判はできないだろう。公務員も住民がいなくなり税金が入らなければ勤まらない、こんな状況では税金も入らないし給料も払えないとかなる。実際に市でも夕張のようになる。普通そんなに市民の税金で給料をもらえていることを意識しない特権階級である。こうなると税金もらえないと公務員でも食べていけせないとなってしまうのだ。  
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2011年08月12日

福島県の報道メデアの怠慢 (地元のメデアも地元の味方ではなかった)


福島県の報道メデアの怠慢
(地元のメデアも地元の味方ではなかった)


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静岡放送局



福島民報社で昨晩の真野川の灯籠流しの写真を写して報道していたけど写真は一枚だけだった。自分のプログでは写真を4枚と動画も出した。するとどうしても地元の人が写真をとるにしても有利だとなる。民報や民友も地元だけどそれでも福島県全体となると広い、さらに細かい地域の情報が必要になる。そして地元に住んでいる人は地元のことが自然体で身についているから報道するのにも福島県全体からみるより詳しく報道できる。実際に会津には会津新聞が必要である。会津は山国でありあまりにも同じ福島県でも風土が違いすぎるのである。今回は浜通りということで原発事故がありいろいろ自分もプログで分析して報道した。インタ-ネットは実際活用範囲が広いのである。動画すらのせられる。これを拡大化すれば一つの新聞にもテレビ局にだってなれる要素があるのだ。


今回原発事故で問題になったのは地元からのメデアの怠慢がかなりあったと思う。福島県民に対する思い入れが欠けていた。広告を出すにしても福島県の会社や市町村が多い。そこから収入を得ているとしたらそのよってたく基盤は福島県民でありさらにその市町村だとなる。その福島県民が今回は最大の被害にあった。ただ福島民報では聖教新聞を刷っているようにその資金源が福島県民だけだとは限らない、「財界ふくしま」の主催者の竹内氏なども福島県出身者でも福島県民を利用するというだけであった。なぜならプルサ-マルのことで東電を批判する記事を連載していたがある時からぷっつりとやめた。それは東電から金をもらったためである。

ただ雑誌を大会社の脅しのために使っている。これはマスメデアにはテレビでもある。なぜかといえば報道するのには巨額の金が必要だからである。出版するにしてもそうである。そして新聞でもテレビでも雑誌でも一方的メデアでありそれが大衆の洗脳的メデアとなっていた。テレビなどは何か催眠効果すらありテレビを見ていると一見洗脳されていないようでされているのである。マスメデアが批判されるのそうした広告とか視聴率とか大衆洗脳メデアとしてありモラルが欠けているからである。でも報道する方にしてはむずかしいこと言っても大衆はついてこない、視聴率がとれないから宣伝効果もない、広告料も多くとれないから視聴率をとれる番組作りになる。それが大衆洗脳メデアになっている。やはりよってたつ基盤が根本的に悪いからそうなる。


前知事の佐藤栄佐久氏は福島県では悪いことを聞かなかった。聖人とまで言われてた。それが突然なぜ逮捕されたのか?そのことを福島県の人は違和感を覚えた。でもその真実は福島県のメデアでは報道されなかった。今になってその背景が明かになった。渡部恒三一派が佐藤栄佐久知事を東電と一体となり追い落としを計った。今の知事は渡部恒三の甥であり原発の推進派であり佐藤栄佐久前知事が問題にしたプルサ-マルのことはうやむやになった。このことについてなぜ福島県民はもっと怒らないのか不思議である。もちろん福島県のマスメデアもあまり問題にしない、これは明かにテロになるくらいの重大な問題であった。これほどの被害を与えた張本人というべき人がのうのうとしていることがわからないのである。大石英司氏のプログを毎日見ているけど渡部恒三が首相に一時的にでもなればいいと言っているのも信じられない、福島県のことが作家でプロであるのわかっていないのか?まあ、作家などはでたらめな人が今までも多かった。だからそんな人かとも思う。要するに福島県人は特に双葉町は原発推進をすすめたから責任あると外からは見られている。福島県民自体が責任あるともいわれる。確かに福島県の政治家のドンがそうなのだからどうにもならない、メデアも原発に関しては何も問題にしていなかった。東電から金が入っているから全国のメデアと同じである。福島県としての地元に根付いた報道がなかったのである。


情報は身近な所でもわからない、小高町はすでに前から原発を立地する契約を東北電力会社と契約していた。その後に南相馬市と合併したから問題だったと地元のプログで指摘する人がいた。これもプログで知った。そういう大事なことでもわからないことが多いのだ。このままだと10年後に原発がまたできていた。小高の建築関係の人は原発できたら景気よくなるよとか盛んに言っていた。その人は津浪でやられ原発事故で命からがら逃げた。地元の人も利益優先の人が多いのだからメデアだけを批判できないことは確かである。でも小高町が東北電力とすでに原発を建てる契約をしていてその交付金までもらっていた。それを今回は断った。もはや原発は建てられない。地元の人でも地元のことがわからないという盲点がある。それはやはり知らせる人がいないとかメデアがないということもある。確かにインタ-ネットはそういうことができても目立たないから広がらないということがある。いづれにしろ報道する権利は誰にでもあった。ただできなかっただけである。


今回の真野川の灯籠流しでは静岡かの放送局からも来ていた。こんな遠くからも来るのかと思った。原発事故は全国的関心が高いから実際は全国から来ているのだ。でも地元の人でないと思い入れが薄いから報道するにも興味本位になりやすい、地元の人だったらそれも実際に津浪で死んだ人が供養して灯籠流ししているのと他から見ているのでは思い入れが違ってくる。地元の人でも津浪の被害にあわなくてもかかわり方は違ってくる。そういう差が報道にでてくる。報道というのはこれまでマスメデアでありマスを一方的に洗脳するメデアだったのである。だから肝心なことは報道されなかったり大問題も追求されないしその結果として福島県民であれ全国民であれ原発事故でこんなひどい被害を受けたのである。メデアが全部責任あるわけでないにしろそういう一方的洗脳メデアだったからこそ東電はそこに莫大な金を出して今日の大事故の原因を作っていたことは否定できないのである。 結局民主主義の社会とは指導者が全部責任があるわけではない、ただ事実も知らせないなら中国と同じように報道統制があり共産主義と同じだった。日本も原発に関しては政府と東電とマスコミと官僚と政治家と一体となって真実は知らされることはなかったのである。

マスメデアの時代は終わった
http://www.musubu.jp/jijimondai39.html#mass

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2011年08月13日

原発事故で自覚させられた歴史と文化 (稲作は歴史で培われた文化)


原発事故で自覚させられた歴史と文化
(稲作は歴史で培われた文化)

 


故郷に実りなき日ありにしや飢餓の碑残るその片隅に


相馬藩苦難のときの形見かな飢餓の苦しみここに残りぬ


故郷に実りなき日や稲穂なく草茫々と今日も暮れにき


故郷に一代のみならず何代も住みにし土地を離る苦しさ


人住むは一代にあらじ故郷を築く年月その長さかな



お盆でまだ実りの日は早いけど外を見れば稲穂が風になびいている姿は見えない、こういう光景は稲が作られてから見たことがない風景だろう。津浪の被害でも水田は稲を作れなくなった。二つの被害が重なった。こういうことはこの辺では有史以来はじめてだとなる。その有史となるとこの辺ではいつになるのかむずかしい。相馬藩が成立してから正式な歴史が残されるようになった。相馬藩は国替わりしていないから一貫した資料が相馬藩政記にあり外部の研究者も参考にしている。飢餓の歴史は全国にある。ただ相馬藩の被害が大きい時があった。三分の一の人口が減った。この時は相馬藩がつぶれるかつぶれないかの瀬戸際だった。何とか移民政策で穴埋めして立ち直った。その時越中などからの移民が多くそれで真宗系統の寺がその歴史を伝えている。相馬の民謡はそう移民を呼び込むために作られた今で言えばコマ-シャルソングだった。それだけ人を呼び込むために必死になっていたのである。なぜなら三分の一の人口がへれば藩が成りたたなくなる。そういう危機から生まれたのである。越中の人は相馬で苦労したが勤勉に働き相馬に土着した。

しかし今起きていることは飢餓によって人口が激減することではない、原発事故によって人が住めなくなる。現実に双葉町から浪江町から小高区から飯館村とこの辺は相馬藩の範囲内だけど人が住んでいない、これは相馬藩の半分の人口にあたる。だから三分の一の人口がへった飢饉よりひどいとなる。土地そのものも放置されて田んぼは津浪の被害も加わり放置された。だから毎日草ぼうぼうの故郷を見ていること自体未だかつてありえないことだった。飢餓があっても多少は実りはあった。今回は全くない、でも飢えることはないからまた違っている。ともかくこうして田んぼの風景がないということはもはや故郷ととはならない、故郷とは田んぼとともにあったのである。原発や工場がなくなっても故郷でありえる。田んぼがなくなったら故郷でなくなる。稲作とは単に経済的なもの、米を食べるというだけではない、前にも書いたけど米作りは水の管理が大事でありそれは水を供給する山とつながり共同性を育んだ。葉山信仰もそこから生まれた。稲作は文化である。文化というとき芸術的なものだと思っているが実際は違っている。人間の根本的な生のアイディンティティを形成するものである。そんなことを言うと都会の人は米ナショナリズムだとか何とか批判するけど文化は命と直結している。それが腹を満たすだけではない、心を満たすものだった。そういうことを意識して稲作をしている人はいなかったろうしそんなむずかしいことは関係ない、米の値段をあげてくれしか稲作に関わる人自体も思っていなかった。だからこそ簡単に原発が金になるということで無防備に誘致したのである。文化は意識しなくても命にかかわるということを存在意義にかかわっていたのである。


最初は稲が国家なりだったとことは間違いない、それで天皇が大嘗祭を行ない稲の神にもなった。次に鉄は国家となり鉄の王となった。そして電気が国家となり天皇まで東電の株をもっていたことで電気の神とはならないにしろ天皇の役目は民衆の要望によって変わってくる。原発は安全神話とともに絶対化して宗教にまでなっていたというときそれとにているのだ。津浪にしろ原発事故にしろ現代の文明生活を見直す契機となった。現実に一代だけではない代々その土地に住んでいた人が住めなくなるということ自体考えられないことでありこの被害は余りにも大きすぎた。生きる存在意義すらなくなるということもありえる。つまり米など作っても金にならないとか常に言っていた人達が今何を思っているのか?また現にここに住んで水田がない米作りしていない水田のない平野を見ていて思うことは何なのか?すぐに飢餓にはならないから深刻ではないにしろ精神的面での影響は大きいのである。ゴ-ストタウンになるのはゴ-ルドラッシュとか金属を掘って資源なくなったときになる。でも稲作はそうはならない、常民であり常にそこに継続している民である。

今回のことで人間は一代だけの思考で生きることの危険である。原発が作られたのはすでに40年であってもその歴史は最近のことである。原発もこれからも長くつづけて危険がなくなれば一つの文化となりえるかもしれない、鉄道はすでに文化であり工業がすべて悪いとはいえないからだ。ただそうなることはほとんど不可能な代物だった。米作りはすでに日本では千数百年の歴史があるから根強い文化なのである。この辺でも遅いにしても千年とかあるかもしれない、そういう長い年月で培われたのが文化なのである。文明は便利な道具としてその歴史は短い、でも文化は長い年月をかけて作られてきたものだからそれを失うと人間の存在意義すら失うのである。そういう深刻な問題を今回の事故で自覚させられたことは確かである。


今ドラマで見た会社をリストラされた人が存在意義を喪失して自殺した。それは単に経済的な問題だけではなかった。会社の存在がすべてになっていた。人間関係も仲間もすべて会社にありその会社をリストラされたときその肩書もなにもかも奪われて絶望して死んだのである。
この人にとって会社は命とさえなっていた。それが奪われたから自殺した。会社は文化でないにしろやはり存在意義が会社にあったのだからそれを奪われたことで自殺したのである。
農民より会社の方が身近な社会ではこっちの方がより真剣な社会問題としてあった。なぜならほとんどが会社人間になっているからそれだけ深刻になったのである。
 

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2011年08月14日

戦争と原発事故(特攻隊の大和魂の再現)

 
戦争と原発事故(特攻隊の大和魂の再現)

原発事故が何であったのか、そもそも自分など放射能のことなどわからないから逃げようともしなかった。逃げられない事情もあったが放射能の怖さを知らなかった。広島長崎の原爆はその恐ろしさを即座にわかった。十万も死ねばその恐怖にうちのめされる。しかし今回の原子力事故はそういうものではなかった。即座に爆発して人が多数死ぬということは起こっていない、確かに一人も死んでいない。でも放射能の危険を知っていた人はその現場で働く人だった。

爆発したときは相当に危険だったしどうなるかわからない危機感があった。もしあの爆発した現場にいたらさらなる大爆発が起こり原爆のようになるとさえ思った人がいた。だからこそ東電の社員も大勢逃げた。それは放射能の危険を知っていたからだ。放射能の危険を知らないものは簡単に逃げない、津浪でも津浪の恐ろしさを知っていたら即座に逃げた。そういう危機感がないものは逃げない、放射能の恐ろしさを知って逃げなかった50人が称賛されたのはそのためである。その時は死ぬのではないかという恐怖に襲われても残っていた。30キロくらい離れていれば爆発してもたいして害はないと考えていた。そういう人が結構多かったが郡山市や福島市まで放射能の影響があった。それは意外なことであった。


そしてその後の経過をみると爆発してまた爆発して黒煙があがった。あれば原爆のキノコ雲のように見えたから恐怖があった。そしてこれからどうなるのだろうと毎日テレビに釘付けになり見ていた。というのは逃げられないしそのあとどうなるのかが見当つかなかったからである。最悪爆発したらどうなるのかと戦々恐々して見ていた。自衛隊や消防隊の決死隊が来て消化活動したときはなんとかおさめてくれと祈るような思いで近くの人は見ていた。それは離れている人にはわからない危機感だった。人間はそうして被害を受けない限り被害を受けたものの気持ちはわからない、ただ事件でもテレビで第三者として高みの見物になる。その時大和魂の特攻隊の再現だというときこれが特攻隊なのかと当時の戦争のことがリアルなものとして共感した。

戦争のことは家族にも従軍看護婦としてシンガポ-ルに四年間いた人がいて死ぬまでその話を聞かされていたので身近なものではあった。しかし戦争という異常事態を理解することはむずかしかった。それは余りにも日常生活とかけ離れたものとなっているからである。しかしこの時
大和魂は死んでいないとかなったとき戦争のことも理解した。日本が危機に瀕したとき日本を救うために命をかける人達がいた。それは自分たちの命も守ることでもあったからよりリアルなものとしてあった。人間は直接的に自分の利害に関係しないものは関心がもてない、自分の命が危うい、その命を守ってくれのが今命をかけて消火活動している人達だとなると祈るような気持ちになった。一挙一頭足を注意してみていた。


特攻隊も戦争の原因は何であれわかりにくいにしろ特攻隊を志願した人や強いられた若者でも日本を救う日本の危機を最後に救おうとして自分の命を国のためにささげたことは間違いない、それは大和魂に通じるものであった。日本はぎりぎりになったときそういう人達がでてくる。一方で官僚や政治家のようにただ一身の安全を計り暴利をむさぼるものもいる。これは明治時代からそうなった。人間は危機のとき真価が発せられるのは同じである。戦争というのは今になっても何かわかりにくい、全容をとても理解できない、人間の弱点は今の時点からしか理解できないからである。今の時点からしか過去を考えることができない、そこに過去に対する誤解がいろいろと生まれてくる。それはどうしようもないことである。特攻隊についても国のために犠牲にされた気の毒な人達だったというのもわかる。その責任は誰にあるのかともなる。ただ特攻隊の若者の心は純粋でありただ国のために命をささげた。最後のぎりぎりのところでそうなった。それは今回の原発事故のことでわかった。日本中がなんとか原発事故をおさめてくれということでは一致していた。日本国が滅んでしまうとかの危機感すらあったからだ。もうチェルノブエリのように決死隊で収めるほかないとまでなっていたからだ。現実にチェルノブエリでは30人くらい死んだからである。その人たちは今は英雄として祀られている。


本当に国のために民衆のために働くものは誰なのか?それは官僚でも政治家でもなかった。
消防隊やら自衛隊やら警官でもそうだった。官僚や政治家や学者は率先して津浪でも原発事故でも救助にあたらなかった。自衛隊では三人死んでいることでもわかる。そういう過酷な現場で働いた人は官僚ではない、そして原発事故でも残った50人をのぞいてはそうではなかった。保安院とかは一番あてにならない、危険のさい何の役にもたたなかった。だから不安院と呼ばれた。日本人の強みは危機にさいしては一致団結して最後にぎりぎりになったら大和魂で国のために命を捨てる人がでてくる。そういう国であることが今回の津浪と原発事故で起こった。

ただ津浪などでは火事場泥棒が横行したから暗黒面はあったからすべて称賛はできない,特に現代はそうした日本人的モラルは喪失していた。金だけを追い求めるのが常態だったからこうしたこが起きても普通のことである。ただ一方で危機のときには日本人は一致団結して協力するということはまだあった。そういうことを身近で目の当たりにした。戦争というのは未だに何なのか理解できない、それはあまりにも日常から離れすぎていて理解できないのである。そこには平和な日常でありえないことが普通に起こっている。殺人が日常だという世界がとても今の世界からは理解できない、だからなかなか戦争は何だったのかということが語れないのである。


みくにのため命ささげる若人のたぎる思いや鬼百合の咲く

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2011年08月15日

NHK-ETV特集アメリカから見た福島原発事故 (起こるべくして起こった事故)


NHK-ETV特集アメリカから見た福島原発事故
(起こるべくして起こった事故)



●原発のマ-ク1の危険性はGEも知っていた

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東電のHP(注1、注2)によれば、BWR(沸騰水型原子炉)にはマークT、マークU、そしてマークU改良の3タイプがあります。今、危機に瀕している第一原発1号機、2号機、3号機、4号機はいずれもマークTという旧式です。この旧式原発マークTの特徴は、米国GEオリジナルタイプであるということです。マークTは、GEの設計図に沿って、GEの指導の下で東芝、日立が建設したものです。

危機に瀕しているのは、もっとも旧い同じ敷地内の1〜4号機(GEオリジナル)に絞られます、つまり同じ第一原発でも5号機、6号機(1号機〜4号機の建設後のフィードバックにより改良されているはず)は危機に瀕していません。


後藤さん、マークT問題は分かっていたがアメリカでは廃止しようという話にまでなっていたのは知らなかった。日本ではさらにもっと柔らかくされ、問題の深刻さとして伝わっていない。ト



今回のNHKの番組はわかりやすかった。GE制のマ-ク1の原子炉は作った人も危険を感じていた。原子炉が小さいことなど初期のもので改良されていなかった。日本に導入されたときまだ営業運転すらアメリカでしていなかった。そういう原子炉技術として不完全なものを日本はアメリカからいち早く導入した。そこがつまづきの元だった。結果的に福島第二原発は日本によって改良されたものだから事故からまねがれた。理系でなくても今になるとその原因を説明されると霧が晴れたようにわかる。最初に失敗したのが津浪を想定しないから地盤を切り取り地震にそなえるため安定した所に建てた。これは鹿島建設が請け負った。建設会社も参加する総合的なものとして原発は造られた。そこで一番悔いているのが津浪を想定して高くしていれば女川の原発のように津浪にも持ちこたえた。東北電力は地元だから津浪を想定していた。地元というときやはり地元と風土に通じているから風土の影響を考慮する。


●風土と文化の影響を考慮しなかったのも原因

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そしてこの風土の影響は文化の基である。風土が文化を作っている。稲作が水の管理が大事だと書いたときそうであった。技術でも風土にあったものが必要である。日本でトンネルの技術が発達したのは山国だからそうなった。技術と風土は関係している。アメリカではマ-ク1の原子炉は津浪や地震に弱いということで西海岸には作っていなかった。これは重要なことである。アメリカではすでに西海岸には津浪と地震がありそれを想定していた。しかし日本ではこれだけ地震があり津浪もあるのに地震には想定したが津浪にはしていなかったことが致命傷となった。地盤を地震に備えて低くしたのもそうだし非常用のデ-ゼル電源をなぜか二つも地下にもっていた。これも津浪を全く想定していない大ミスだった。日本には安全の思想がない、多様な危険に備える安全の思想がないというのも本当なのだろう。ここにも安全に対する文化の相違があった。日本の製品が安全だというとき個々の製品の安全でありこうした巨大な原発のような安全とは違ったものになる。電気製品を作るような安全では日本人は優れていても巨大技術の安全を計る思想には欠けていた。


最初に危険なマ-ク1をアメリカから良く調査しないで導入した。もちろんアメリカ側にもかなり責任がある。危険なものだと知っていたからである。そして良く安全を計ることを注意していなかった。アメリカでは地震も津浪もない東側に作っていたからである。グロ-バル社会になると相手の地理や文化や風土を知らないで安易に便利ものとして文明の利器を導入すると問題が起きる。グロ-バル化社会とは常にそういう思わぬ危険にさらされている社会なのである。外国から思わずウィルスが侵入してくるのもそうである。グロ-バル化といっても風土と文化の相違があるからそこに合わないものが問題を起こす。それが致命傷になって民族が滅亡することさえありうる。そういうこはインディアンが白人によってアルコ-ルがもたらされ中毒になり病気になったとかインカ帝国がスペイン人の少数の侵略者によって簡単に滅亡したことなど例がある。馬を見たことがないから馬に乗った人を神と見たということなどが原因だった。日本ではもともと魏志倭人伝には、「その地には牛・馬・虎・豹・羊・鵲なし」とあり海産物を主体に食糧として生きてきた民である。だから日本では海産物からヨウ素をとっているからチェルノブエリのうよに甲状腺ガンにはならないというのは風土の文化の影響なのである。そういうことが必ず世界にはあるのだ。遣唐使を派遣しても他国の文化が日本を圧倒することはなかった。日本的文化になるのが文化なのである。仏教なども全く日本的文化で骨抜きにされた。いい悪い別にしてお盆の先祖供養とか死者の供養は極めて日本的な習俗であり仏教徒は何ら関係ないものである。でもそれは日本の習俗、文化だから仏教も日本の習俗化したのである。


●縦割り分業化も失敗の原因


後藤さん、ある分野では技術者同士が議論しているが、今はそれが欠けている。一つには分業が進み、自分の所掌以外に踏み込むのが越権行為と見なされる部分がある。昔は原子力に関わらずそうではなかったのではないか。技術屋同士は互いに踏み込んで交流があったが薄れているのではないか
http://togetter.com/li/174540


もう一つ重要な事故の原因として分業体制があったという指摘である。縦割りの分業体制であり他の分野に立ち入れないし議論も綿密な話し合いも部署が違うとしない、しかし原発のような危険なものを運営するには総合的に見る指令する人が必要になる。それがもてなかった。それは常に複雑化した文明で日常的に起きている。全体を総合的に見れる人は誰もいないのである。指令すること自体不可能な社会になっている。人間がバラバラな部品になっている。その無数の部品を組み合わせ総合的に見れる人などいないのである。それはそれぞれの対応がばらばらになっていることでもわかる。全体を包括して見れる人はいない、部分的に専門的になれる人はいる、でも全体的に見れる指揮官はありえない、無数の配管が迷路のように張りめぐらされている。その一つ一つを知る人などいないのである。だからいったん事故になったらパニックになるのである。もう治める人がいないのである。結果的に恐ろしいことはもうどうにもならないと放置されることさえありえた。原発事故はもう収拾できないとして逃げる他ないとして大部分は逃げた。そしてそこは放射能をだしつづける核の墓場とさえなりえた。今でも一体溶けた核の燃料棒がどうなっているのか明確にわかっていない。原発がそれだけ危険なものなのに日本ではこうして安易に導入されたのである。


失敗の大きな原因として地震にばかり気がとられていた。地下に非常時のデ-ゼル電源を置いたのも地震に対する安全を計ったためである。地震と津浪はセットになっているのだけど地震ばかりに気がとられていた。多様な安全性を計らなかった。多様だということは総合的にみるということである。それが文明では一番できないことだから文明社会の事故はそういうところから必ずまた起きてくる。文明社会は無数の部分の集合であり全体を見る人はいない、日本人が優秀だというとき個々の製品を作るのには優秀でも全体を統括するような安全を計る技術ではアメリカなどより遅れをとっていたのである。日本はアメリカの宇宙開発や核開発や大型の技術開発には向いていなかった。もともと細部にこだわる職人芸には狭い風土で優れていた。小さいものにはこだわり精巧なものを作り上げる。しかし原発のような巨大なものになるとそうはならない、日本が技術が優秀だというとき技術にはいろいろあるからすべてにおいて優秀だとはなりえないのである。そこには必ず風土や文化の差がでてくるからである。アメリカとか中国の風土はあまりにも日本と違いすぎる。グランドキャニオンでもそこが地球なのかとさえ思う。地球の割れ目というべきものでとても日本では考えられない風土である。とてつもないでかさが共通してある。万里長城もそうである。日本はだからグランドデザインが苦手なのである。そうしたどこまでも広い平坦な土地がないのである。


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危険な核開発f原発の秘密主義 (素人にも説明されればわかることがある)

 

危険な核開発原発の秘密主義
(素人にも説明されればわかることがある)

核が核開発として核爆弾として開発されたため秘密にされたということが原発にも受け継がれた。アメリカでもそうだったし日本でもさらに秘密にされた。それほど危険なものでも秘密にされてアメリカからまだ営業運転もしないときから古い型のマ-ク1の原子炉が導入された。これは小さいとかいろいろ不十分なものがありその後のものは改良されている。日本ではそうした古い型の危険なものをあえて導入した。そしてアメリカでは地震も津浪もない東側にマ-ク1の原発は建てられた。そこも詳しく研究せず危険なものを導入した時点からすでに安全は保障されない、事故が起こることが予想されていた。作った技術者が言っているのだから今になればそういうことはみんな技術者も知っていたのである。ただそれでも原発を建てるために秘密裏の内に行われたのである。秘密だということはすでに危険なものでも隠してやるということである。その時点で事故が起こる予想はされるのである。


人間社会は秘密だということはやはり回りのものにとって危険なものである。一体何をやっているのか?オウムは秘密裏の内にサリンが製造されていた。それも秘密であり近所ものでも近寄れないものだった。カルト宗教団体も秘密裏に何かを画策しているということで近隣のものは恐怖を感じる。でも相手が怖いから何も言えない,その内にそうした団体はいつのまにか社会の巨大な勢力となって社会を支配してしまうことがある。

創価なども何を拝んでいるのだろうと不気味に思う人はいる。それも秘密にしているからそうなる。なかなか何を目的に集まり何をしようとしているのか問うこともできない、信教の自由を犯すのかとなりオウムのように近づけなくなる。そうして秘密裏の中に知らない内に社会がカルト宗教団体にのっとられたということがありうる。東電もまさに秘密裏の内に原発を建て政府と一体となり安全神話がいつのまにか形成されてもはや誰も何も言うことすらできなくなっていた。それは専門家集団の学者なども加わり何も言わせないようにした。マスコミも東電の莫大な資金で何も言わせないようにした。秘密裏に行われたのはまさにそうした検察や警察までもまきこんで権力化してしまっていたからである。官僚や検察の天下り先でありそれにのっかているから誰もチェックするものもいない、保安院も外部のものではない内部のものであり形だけのものでしかなかった。


人間社会が秘密裏になるとその内部のことは外からチェックできないから内輪のものだけで狭い視野になり暴走することがある。それがオウムだったしカルト宗教団体にはそういうところがある。外部から何をしているのかなどチェックできない、別に何教でも日蓮宗でも真宗でも日蓮や親鸞は巨人であり崇拝する。でも宗教のことでカルト宗教団体と論じることはできない、何か批判すれば何百万人の人が宗教弾圧だとか騒ぎ宗教で呪うのも普通だからである。そこに宗教が団体化するとき社会にとって怖いものとなる。そういう危険性を感じないでいるがやはりこれも原発の安全神話の形成と同じだった。官僚、司法から学者からマスコミを抑えて反対するものは公安で尾行していたかもしれない、現実そういう戦争のときと同じ状態にまでなっていたのだ。東電ではそういうことができる権力をもっていた。政府もとりこむ検察までもとりこむことが簡単にできたのである。


原発の安全神話は宗教にまでなっていた。安全の絶対化でありそれに逆らうとお前は神を信じないのかまでなっていた。もちろん東大の学者などがずらりと並んで素人に説得するのだから素人は何も言えなくなる。特に原子力はむずかしいからそうなる。自分などもまともに数学も理科もだけであり高校も出れないほどだからそういう人達を前にするとその権威の前に普通の人は何も言えなくなる。何を馬鹿なことを質問するのだ話しにならんとかなる。医者でも医学博士となっていると何か博士とつかないものより素人にとってはこの先生は他とは違っているのかなと思ってしまう。そういう効用は常にある。素人にはわからないことが今は多いからである。

しかし今回の原発事故でいろいろ事後の原因を教えられると全く理解できないものでもないことがわかった。事故の後だからわかりやすいことがあった。失敗の一番の原因が地震のことは想定していた。地震のことはいろいろ事前に予想して準備していたのである。その結果として津浪のことはないがしろにされた。地震のことばかりで頭が一杯になっていたのである。こういうときは交通事故でも事故が起こりやすい、一つのことに集中しているともう一つのことがないがしろにされ忘れたり思わぬ事故を起こすのである。


地震を予想して原発を低い地盤の安定した所に建てた。そこは高いところだったが土を切り取って低くしたのである。その低くしたところが津浪に襲われた。次にどういうわけか地震を怖がり地震に強いと地下にデ-ゼルの非常用電源を二つも設置した。一つはあとから地下に設置した。この時も津浪のことは全く想定外だったのである。女川では津浪を想定していたから持ちこたえた。建築学的に土台作りで津浪を想定しないで大失敗した。次にマ-ク1は古いもので安全性に問題があった。それは最初からわかっていたことである。相互に安全について真剣に検討しないのも事故の原因だった。細分化され分業で意志疎通ができない、それぞれの分野では俺の領分に入るなとか狭い了見になっていた。そして何より全体をみるものがいない、総合的に判断できるものがいなかった。ばらばらの集合体でありそういうものはいつ事故につながってもおかしくない。別に地震や津浪でなくても人間のエラ-で事故になる。チェルノブエリも東海もスリ-マイルもヒュ-マンエラ-であった。原発はこうして実際は事故が起こりやすいものであった。それは外部からチェックされない安全神話が二十三重の権力で作られていたからである。


結局事故後にしても素人でもわかることがある。失敗の原因は津浪を予想しないことにあった。津浪対策をしていればこんな大事故にはならなかった。しかし素人は原発に対しては一言も真実を教えられない、近くの住民にしても教えても無駄だよ、お前ら素人にはわかるはずがないと一方的に秘密裏にすすめられる。医者でも手術するときは合併症がどうのこうのとその危険性を患者に教えている。でもこうこうだから私たちは責任をもちませんとしつこく言っていた。あとから責任を問われるのが怖くてそうなっていた。実際に一言質問したら頭から怒鳴りつけられた。まさに原発を推進した人達も医者とにているのだ。ただ医者は危険性を指摘して手術した。原発は何ら説明すらしない、わからないからしないというが今になるとなぜ事故が起きたのかわかることがある。津浪を想定していないのが致命的なミスだったことも説明されればわかった。だから素人は何もわからないとして最初から相手にしないのは問題だった。生死にかかわることとなると素人でも真剣に聞くし調べもする。素人だからそこには限度があるにしろやはりまず専門家がわかりやすく説明すれば原発のこともわかることがある。それは今回の事故で証明されたのである。

 
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2011年08月17日

専門家は現代の聖職者(原子力専門家の大罪)

 
専門家は現代の聖職者(原子力専門家の大罪)

1455年、フストとグーテンベルクは二巻本のラテン語聖書(Biblia Sacra)を完成させた。15世紀の記録にはその値段は「二冊で100グルデン」であるという。(「グーテンベルク聖書の行方」、p83)当時の物価で平均的な労働者の二年分の賃金にあたるほど高価なものだったが、それでも写本に比べれば安価であり、写本が一冊をつくるのに一年近くかかることを考えれば大量生産につながる画期的な事業といえた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3
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秘密主義というとき、これは今にはじまったことではない、これは古代から中世とずっとつづいてきたことであった。聖書という重要な書物をそのもの自体を読むこともできない人が大多数であった。それは読み書きできない人が大多数であったからだ。だから読み書きできる聖職者だけが聖書を読むことができて他の人は直接はできない、そして修道院での仕事は聖書を書写すること写本だった。それは精緻な芸術となった。これは仏教の教典を書写するのが仕事だった僧侶とにている。そもそもなぜ聖職者が力をもったかというと庶民が読み書きできないということにあった。すると文字は神聖なものにさえなった。ヒエログリフのように文字が神聖化した。文字の神聖化、呪術化は日蓮宗とか真宗にもある。題目をひたすら唱える、それは文字に何か特別な力が宿っているという信仰である。それも偶像になるのだがそれはやはり文字というのが誰でも読み書きできない特別なものとなった結果である。聖職者が力を得たのは庶民の無能力になったのだ。そしてカトリックは政治的にも社会を支配することができた。それに異を唱えたのがルタ-だった。ドイツ語に訳してわかりやすく庶民に聖書を読ませたし自ら聖書を解読した。その時ちょうどグ-テンベルグの印刷革命が起こり中世の手書きで書写することから脱皮した。その時何より聖書が秘密でなくなった。すべての人が読めるようになったことが宗教革命だったのである。つまり宗教の専門家だった聖職者の支配から脱することができたのである。
現代は別な聖職者、専門家が支配する時代になった。それが今回の原発事故の原因にもなっていた。原子力のことなど専門家でないものは全く立ち入ることはできない。


近代化された専門家サ-ビスの使用言語は問題点、解決策とも神秘の霧につつまれていて市民による評価が不可能となるように仕向けられている。そのそのサ-ビスに何からかの価値がああるかどうかあ決められる唯一の有資格者は同じ専門家仲間である。(専門家時代の幻想-イリイチ)


聖書より秘密主義になりやすい、その秘密にふれえるものは専門家しかない、つまり文字の読み書きもできない多数の庶民と原子力という文字を解読しえる科学の原子力の専門家しか原子力発電所の内部には立ち入ることはできない、結局あなたたちには何の能力もないから聖書を読み書ける聖職者の指導に従えばいいのだとなる。それがいかに危険なものでも危険は隠されるしその危険について専門家しか言うことはできない、その外のものは一言も発言はできない、だから専門家同士が結託していたからもはや誰も危険についてチェックできなくなっていた。


今の時代は専門家によって牛耳られた社会である。報道するのも報道する権利があるのはマスコミだけであり庶民にはない、新聞でも雑誌でもテレビでも出版でもそうだった。報道するのは報道する専門家がするものであり庶民は報道するものに従えばいい、すると報道する専門家が権利を独占して過大な収入を得ることになる。だからこそ東電でも政府でも報道する権利を持っているマスコミを重んじる。ここさえ抑えれば危険なものでも危険でなくさせることができる。それを象徴していたのが名だたるマスコミの新聞社やその他テレビ局などの記者たちが会長の勝俣氏によって中国に歓待されているとき事故が起きたのである。マスコミには何百億という金が宣伝費として支払われているしほとんどのマスコミには金が回っている。三兆円も利益をあげるのだから何百億ははした金だった驚きがあった。何兆円もの賠償に応じるというのも驚きである。そんなにもうかるのか、それなら電気料金を安くしたらいいじゃなかったかとなる。

実際は日本の電気料金は高すぎるのである。庶民には利益の金を還元しないのである。独占企業になっている。これは宗教団体などでもそうである,マスコミをおさえるためには湯水のように金を使う、創価などがそうである。他でも宣伝費には金を使う、それは報道する権利をマスコミという専門家だけがもっていると社会で認定していたからである。これは出版でも同じである。出版するのには出版社を経由しなければできない、書店にも並ばないとなっていた。書店も自費出版などの本は置かない、書店も出版社の支店にすぎない、自主的に判断する力はない、でもインタ-ネットになったとき別に誰でも報道することができるし出版も別にできる。庶民も自由に発言できる、今まではマスコミを通じてしか発言できなかった。マスコミが取捨選択するのである。そこですでにマスコミが全権を握っている、力が証明される。マスコミを通さなくても一言も発言もできないとなっていたからである。


原発推進は、大熊由紀子記者(朝日科学部員)だけでなく、上司・木村繁科学部部長をはじめ、朝日新聞社をあげての方針だったに違いない。そうでなければ、朝日新聞紙上で48回もの連載をし、その後、朝日新聞社から単行本の出版という大キャンペーンが行われるはずもない。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20110618/1308375425


原発事故もこうした専門家された社会の中で起きてきた。つまり原子力には専門家しか立ち入ることはできない、秘密主義でありその近くの人もいくら危険でも立入ることはできない、その代わり金が湯水のようにばらまかれてそれで満足させられた。そして今どうなっているのか?無能力な集団は自分の住む所からも追いやられている。それは結局専門家によって無能力化されていた群れである。自分たちで原発の危険性に立ち向かわなかった無能力集団がその罰を受けている。自分もその一人である。金さえもらえばいいとなり是認したのだから原発を誘致した人達にも責任があると言われる。これもいかに現代が専門家によって庶民が無力化されていたためである。命にかかわることだからよくよく説明されればわからないことない、でも専門家は鼻から専門家以外の人を相手にしない、専門家は専門家の話しか聞かない、法律家は法律家の話ししかきかない、一切庶民は立ち入ることができない、彼らの文字はヒエログリフ(神聖文字)なのである。それを解読するのは特権のある専門家だけなのである。


でも専門家が万能だったかというとそうではなかった。ずさんな管理をしていたし素人からみても原発の安全性はいいかげんなものであった。そういうことが津浪で暴露されたのである。
放射能に関しても専門家で意見が分かれていてどっちの専門家を信用していいかもわからない、つまり専門家でも統一した見解がない、そしたら素人はますます混乱する。混乱してただただ恐怖におびえているだけである。専門家もわからないことを素人におしつけられているのだ。これほど馬鹿げたことあるのか?専門家ならそのことに精通しているから信用している。それが放射能に関してはどのくらいの量で被害がでるかわからないとなっている。それで専門家なのか?そんな専門家でもわからないものに専門家ずらするなともなる。そういう危険なものを押しつけるなとなる。専門家は万能ではない、しかし万能のような幻想を抱くの現代社会である。
専門家にもそうした限界があることを提示するべきであり秘密主義にしていたことが今回の惨事の原因の一つだった。

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2011年08月19日

時代によって変わる大和魂 (戦争のときとは違った原発事故の大和魂)


時代によって変わる大和魂
(戦争のときとは違った原発事故の大和魂)

 


敷島の 大和心を人問はば 朝日に匂ふ 山桜花(本居宣長)

かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂(吉田松陰)

身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂(吉田松陰)

しきしまの 大和心のをゝしさは ことある時ぞ あらはれにける(明治天皇)


大和魂は明治維新の時、吉田松陰の大和魂が今日に受け継がれた。本居宣長は唐心と大和心を対比させた。大和心となると国粋的なものは感じられない。文化的なものとして日本の本源に帰り日本人の原点に立ち返った。大和魂というと外国の侵略に対して戦う国粋的な強い意味を帯びていた。それは幕末からの黒船などから日本が危機に陥ったからである。その時強く国粋的なものとして大和魂が生まれた。明治天皇も明治時代には大和心と言っている。
大和魂とは言っていない。大和心というとき何か強い調子にはならない。源氏物語から本居宣長が大和心を解きあかしたことでもわかる。大和心には日本の国のために死ぬのだという強いものはない、唐心に対して大和心を対比させたのであり太平洋戦争のような国のために犠牲になる大和魂ではない、平和な時代に唐心と大和心を対比させたのである。


言葉でも時代によって意味が変わってくる。同じ大和魂でも原発事故での大和魂というときそれは戦争のときとはまた違っていた。他国に侵入して人を殺すとかではない、事故を防ぎ日本の人々を救う、特に原発のすぐ近くの人の人命を守るという行為であり戦争とは違っている。
権力者の犠牲になる強いられたものとも違う。原発事故も日本の危機だったことは同じである。でもそれは戦争とは違う、確かに権力者の罪は大きいしそれは戦争の時とにていた。でも他国との戦争のときの大和魂とは違っていた。何であれ原発事故は近くの人にとっては最初は本当に怖いものだった。放射能のこともわからないということもありあのまま原子炉が爆発したりしたら日本が破滅だとか騒がれていたのである。回りの人が半分もいなくなり逃げることもできない自分はどうなるんだろうかと実際問題として恐怖した。原子炉が爆発したらそれも4つも爆発したらどうなったのか?それは実際に空恐ろしいことになっていた。そういう恐怖感を一番感じていたのは近くの人達だったのである。そういうとき誰かがなんとか収めてくれ、助けてくれと祈るように見ているとき大和魂などで犠牲になるのは馬鹿らしいとか言ったら放置されてしまい日本滅亡の大惨事になったかもしれない、そういう危機のとき誰かが大和魂でも犠牲にならなければ日本が滅びる。それを汚れた権力者の犠牲になることは戦争のときのように馬鹿らしいとしたら日本は滅亡してしまかことになりかねなかったのである。


しきしまの 大和心のをゝしさは ことある時ぞ あらはれにける(明治天皇)


それはやまにやまれぬものとして大和魂が生まれたのであり戦争中のような強いられた犠牲とは違っている。つまり大げさに言えば日本民族が存続できるのか、滅亡してしまうのではないかとかまでなっていた。そんなとき日本の歴史を維持するために大和魂でも犠牲心がなかったら愛国心が生まれなかったら日本という国と歴史は滅亡する。原発事故で故郷に住めなくなった人達はすでに愛郷心をうむ土地を奪われてしまった。そしたらどこに愛郷心を求めるのだろうかとまでなってしまった。ユダヤ人のように彷徨う民となってしまうのか?その地域の歴史も失われる。地域でも歴史が消失することは存在意義を失うことにもなりかねない。先祖代々住んだ地域から離れたとき歴史はまた一からはじめねばならなくなる。これは大変なことなのである。


津浪で被害を受けた東北地方でも全国から支援された。そういうとき日本人としての一体感を感じた。それも大和魂としての一つの国としての一体感がある故である。もちろん現代ではそうした国をこえたものとして人道的なものとして助け合いがある時代である。国だけにこだわるのは褊狭だとなる。しかし自国を救うのは自国民であり他国の人は救わない,ぎりぎりではそうなる。アメリカだってぎりぎりになれば日本を助けない、最後に助けるのは日本人しかいなくなる。そういう恐怖も尖閣諸島問題で中国に侵略されるとき感じた。アメリカは傍観して日本は独自に対処しなければならなくなった。その時戦争と同じようなことが見えてきた。日本は誰も助けない、アメリカも助けないとしたら中国やロシアが日本を虎視眈々として領土を奪おうとしている。そういう危機にさらされる。日本人を助けるのは日本人しかいなくなる。そのために日本人は中国からロシアからアメリカまで敵にしたのである。尖閣諸島問題でそういうことが日本がどうしてあんな歯止めがない戦争になったか理解した。日本が独自の道を歩もうとするときそうなってしまうのである。その結果としての多大な犠牲が太平洋戦争だったのである。


藪野氏のコメントの指摘があったが戦争の犠牲となった大和魂を否定するのとまた今回の原発事故での大和魂は違っている。同じ言葉でも意味と価値が違ってくるのだ。ただ一貫した日本の歴史のなかで生まれてきた言葉であり歴史と民族を維持するものとして大和魂がありつづける。


絶えず新たにされる健全な力はある大きな目的のためにする非利己的な活動から生まれる。
このうよな場合にのみ世の人々から正当な援助をうけうるのである。(ヒルティ)

大和魂とは個人的利益の追求ではなく非利己的なものであるから支持される。現代は国のためとかそうした非利己的なもの追求することがなくなった。ただ今回のような危機になったとき
犠牲心が要求された、それが大和魂でありそれは戦争のときとはまた違った意味合いももっていたのである。

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2011年08月20日

科学者はなぜ騙されるのか (原発の安全神話は科学者の妄想だった)


科学者はなぜ騙されるのか
(原発の安全神話は科学者の妄想だった)



http://blog.ousaan.com/index.cgi/links/20070326.html
(科学の世界は不正と盲信に満ちている)


プトレマイオスやガリレオは観測結果をでっち上げ、ニュートンやメンデルは実験結果を改竄し、ミリカンは測定データを取捨選択することでノーベル賞を受賞した。野口英世のおよそ 200編の論文は、今では科学的業績と認められていない


新千円札に想う
http://www.med.kyushu-u.ac.jp/clipharm/about/pdf/essay04.pdf

 

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現代の社会は専門家を介することによって信用を得る社会である。
専門家の役割がそれだけ大きいのだからその責任も大きいのである。


科学者が今や神のようになっているし科学は明かに現代の宗教である。カルト宗教団体でもそこに医者や科学者が信仰をすすめるとき信用する。幸福の科学などという団体が生まれのもそのためである。科学の力はそれほど大きくなった。宗教が一時あれほど盛んになったのは別に心から宗教に帰依したということではない、拝めば病気が直るとか思ったからである。その頃の医学は病気は直らないものとっないたから医者にとっては気が楽である。例え直せなくても誰も医者をとがめる人などいない、医は仁術だということは宗教と同じである。直すことではない、患者を慰めるのが仕事だった。科学が全部悪いとかではない、科学をあまりにも宗教のように信用する。そういうことが原発事故にもあったのだ。

科学がこの世のことをすべて解きあかしたわけでもない。もちろん科学の力は大きいから魅了される。自分のことでも大失敗は早めに医者に行っていれば良かった。薬くらいですんでいたかもしれない、そして人間は病院に入ると一種の機械のようにされる。尿でも管を入れてとれるし人工心臓まであるのだか人間は一部は機械の代わりになる。将来は人間はもっと機械化される。人工臓器になるものがでてくる。するとそれでさらに長生きできる。頭脳でもコンピュ-タ-などが頭脳に埋め込まれたりするサイボ-グ人間ができる。すでにコンピュ-タ-はそういう働きをしているのだ。人間の脳の補足をしている。デジカメなどは明かに人間に見えないものを日常的に見えるようにする機械だった。人間の眼では見えないものが見えるのだ。科学の効用はそれだけ現代では余りに大きくなったから科学を信用する、宗教までになることもわかる。


でも科学とは科学者が言うように科学者自体がわからないことが多いのである。その研究成果でも捏造が多いということでもわかる。あたかもわかったように研究成果を出しているが実際は捏造が多いということはわかっていないことが多いからそうなる。原子力や放射能のことなど科学者が全部わかっていてやったわけではない、放射能の被害についても学者によって一ミリシ-ベルトで被害が出るという人と20ミリシ-ベルトまで大丈夫だという学者もいる。ただ科学者も政治家の言うままに科学的根拠がなくても政治的意図でそういう場合が多い。


政治家が、自分の政策に科学の衣をまとわせたいと思ったとき、科学界に直接圧力をかける必要はない。少し世論を引っぱってやれば、まっさきに科学者がなびく。そして、科学者は、政治家が意図する通りの「科学的」結果を提供する。


科学者は、政治家が意図する通りの「科学的」結果を提供する。科学者は世論や政治家の意図にかなう都合のいい研究成果を出すことができる。そしてその科学者の専門家の研究成果をさらに科学信仰の時代には信頼されるのである。政治家は信用できなくても科学者は信用される。政治家の意図によって放射能も20ミリシ-ベルトまで安全だとされたのは別に科学的根拠があるわけではない、あくまでも郡山市とか福島市まで補償できないという政治的意図でそうなったすにすぎないのである。科学的根拠は何もないのである。放射能の被害については誰もわほからない、科学者さえもわからない、チェルノブエリを参考にしていてもそこも秘密におおわれていて実際の所はわからない、ただ甲状腺ガンが子供に増えたということは確かである。それ以外秘密のベ-ルにおおわれている。何が真実なのか科学的根拠がそこにあるのかわからないのだ。そこに政治的意図が入ってくればますます素人は混乱してわからなくなる。


科学者のモラルがどこにあるのか?政治家の意図に従うだけならない、企業の利益優先主義に従うなら危険なもの毒を出すものでもかまわないとか科学者にモラルがない、ガリレオがそれでも地球は回っているというときそれは科学的真理は真理で変わらないということで言った。
政治家でもなんと言おうと科学的根拠、真理があれば主張していい、しかしその科学的根拠も容易に曲げられ捏造されている。原発事故で科学者にはモラルがそもそもないことが問われた。東電から金さえもらえば科学的に原発は安全だと安全神話を作り上げてきた。百万年に一度くらいの確率でしか起こらないというのにはあきれた。それならば千年前にあった貞観地震の津浪を想定しているはずだった。それも全く想定しないことが事故につながった。原発事故で科学者の信用は失墜した。科学者がわからないものをわかるとして安全神話を作ってきた。

原子力についても放射能についてもわからないことが多かった。科学者は企業の利益優先主義にも政治家の意図にも従い嘘の科学的根拠でだますことができる。それも詐欺の手口なのだが科学的詐欺になると直らない病気、ガンなどに困っている人はそれを信じたくなくても信じる。先に直りたいという願いが強いから直らない薬でも直ると思い頼る。昔だったら宗教に頼る意外なかったが今は科学に頼るのである。

安全神話もただ安全であってほしい、安全なんだという一つの妄想にすぎなかった。そういう妄想が現実化したのは官僚であれマスコミであれ検察までもとりこめる権力化したからである。

科学的根拠などなくても人間は妄想を信じる。病気をどうしても直したい人は直らないとしても薬に頼ると同じである。それが科学者が安全だと科学的専門用語で御託宣(ごせんたく)を並べていたのである。人間は太平洋戦争の時でもそうだったように巨大な妄想を信じやすい、
妄想には根拠がないけど現実とはかけ離れていても妄想を信じる傾向がある。どんなに負けていても日本は神国だから勝つという妄想を信じていたのである。オウムだってオウム王国が現実となる妄想を抱いていたしカルト宗教団体も妄想の団体である。創価なども創価王国が到来するのだ。それも世界広宣流布で世界の創価になる。中国を大事にするのはその布石のためである。それは誇大妄想にしても戦争のときと同じ様にそうした巨大な妄想は信じやすいのである。カルト宗教団体はみな妄想団体なのである。原発の安全神話も科学者の科学的根拠ではない、妄想から生まれた。安全であってほしいという妄想でありそれが科学的には確率的に百万年に一度しか起こらないとかの戯言になった。これこそ科学者がいかに一面幼児的な妄想に陥っていたかわかる。それも科学的根拠でそうなると言っていたのである。

人間は巨大な妄想や詐欺になると弱い、現代はこうした世界的妄想にだまされやすい、株のことや円高のことでもそうだかすぐに世界恐慌で破滅するとかなる。それも一種の妄想でもグロ-バル化しているからそうした妄想でも信じやすいのである。大東亜共栄圏などというのも大妄想だったがそういう巨大なものを人間は信じやすいのである。原発の安全神話は科学者の妄想であり安全などありえなかったのである。科学の世界は不正と盲信に満ちている・・・と科学者が言っているのだから間違いない、この世は現実より妄想を信じるというのも真実である。科学も妄想を信じるために使われる。こういう科学的根拠がありますよとか言われると信じるからである。
その科学的根拠自体が嘘なことが多いのである。


 

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2011年08月21日

科学者の責任は問われない科学万能社会 (日本人の技術は優秀だという思い上がり)


科学者の責任は問われない科学万能社会
(日本人の技術は優秀だという思い上がり)

●科学者は現代の聖職者


社会の重要度に比して、彼らは 余り 社会の表面に その姿を見せませんね。
社会の黒子に徹しています。その科学・技術の使用で、何か不都合があっても
その発見・開発の責任は 一切 問われません。まさに、これが 彼らが 現代の
聖職者であるゆえんでしょう。 発見・開発は その祈祷であるからです。
http://blogs.yahoo.co.jp/kyomutekisonzairon/60721507.html


科学者が悪いんだと今回の原発事故でもさぼど言われないのは科学者は現代の聖職者だからでしょう。カトリックでも聖職者が不正を働いても告発できなかったでしょう。これほどの害を与えても科学者の責任が問われないのは現代がまさに科学優先の社会であり科学なくして成り立たない社会だからとなる。政治家とか官僚やマスコミがいろいろ責任を言われるけど科学者にはこれほどの害を与えても言われない、そういう風潮を作り出しているのはまさに現代が科学者優先の社会であり科学なくして成り立たない社会になっているからである。医者が神様のようになっているのもそうである。どうしたって命にかかわる問題になると弱い、医者がその時なんとか直してくれるとなれば神様に見えてくるのである。だから医療ミスがあっても問うことも普通はできない、ところが医療ミスが実際は非常に多いのである。そのミスも普通では考えられないようなミスが多いのだ。手術してガ-ゼが残していてそれが膀胱から一年後に出てきたとか信じられないようなミスがあるが訴えることもできない、自分も三回も管を取り替えて尿が出なくなったのは明かに病院のミスとしか思えない、でもそれを言うこともできない、ミスだといえば他に行ってくださいとか現実に苦しくなったときみてもらえなかった。今はこの辺りは医療で混乱しているから余計にそうなるのだ。これは怖いことだなと思った。生死にかかわるのにみてもらえいないとなる。この辺では救急医療でも支障をきたしたことがあった。遠くの福島市の方まで行ったとかある。医療は生死にかかわるから病院や医者は最も重要なものとなることがわかった。

科学というと一番医療の面で身近なのである。原子力についてなど身近にあっても関心をもとうとしても素人には手も足もでないものだった。だから近くでも何をしているのだろうとただ不安でもみているほかなかった。

政治家などは誰がやっても同じとかなるから現代社会で政治家がそれほど尊敬されて重要視されることはない、でも科学者は聖職者であり別である。優秀な科学者が必ず必要でありそうでなければこの社会は成り立たない、政治家のように簡単に選挙で代替(だいたい) できないものである。やはり現代文明の神官は科学者なのである。黒子に徹していても科学なしで成り立たないからこそこんなに害を与えてもさほど責任を問われない、つまりさらなる科学の発展を望まれるからそうなる。いづれは科学者も原子力を操作できる知識と技術を身につけるとか開発をすすめればそうなるとか望まれているのだ。開発と発見は現代の祈祷だというのは本当である。常に新しい開発と発見が科学の世界ではありそれによって不老長寿の不可能ではないとかの幻想を抱かせる。だから科学万能主義は宗教であり現代の信仰なのである。祈っていれば直るとか科学がない世界ではなっていたが今は祈りが科学者の開発であり新しい発見なのである。それがあれば問題は解決すると望まれているから科学者の責任はあまり問われないのである。


●科学には限界がある


でも科学にも確実に限界がある。その限界を呈示するのも科学者の責任である。何でも可能であるとか宗教のように信仰のようになるのはやはり科学の偶像崇拝なる。また科学に何でも可能だということを期待するのも科学者にとっては重荷となりその期待に答えるために嘘を言うことにもなる。原発事故も科学者の間では原子力のことはまだまだ不明な未知な分野であることはわかっていた。危険なことも承知していた。ただ企業とか政治家から原発を不完全でも作ることを強いられたという一面がある。科学者はその要望に答える他なく不完全でも原発を作った。それがどれほど危険なものかわかっていてもそうしたのである。科学者が現代文明を担っている責任はそれだけ重い、でもその責任の重さを自覚させられない、良心的な科学者だったらとても原発は危険で日本では特に地震で危険だから作るべきではないという科学者もわずかにいた。そういう人はまったく異端視されていた。

今回の原発事故では科学者の責任は本当に重いことを知った。こんな危険なものに科学者が従事しないよとなれば原発は作れなかったからである。政治家でも企業でも科学者の協力が無ければとても原発は作り得ないからだ。

そういう点で科学者の責任は重いのだけど罰せられることもない、科学者の罰は神から火を盗んだプロメテウスでありその罰は過酷なものだった。そういう責任があった。ただその責任を自覚させられない立場にもあった。現代文明を担うのが科学者だとするときその責任も重大になる。そういう自覚をしている科学者は少ないだろう。核は人類を破滅さけるほどの危険なものだ、こんなものに手を出すべきではない、もっと畏れをもつべきだったというときそういう自覚が科学者にあればこんな事故で苦しめられることもなかったのである。だから今回ほど科学者の無責任さが問われたことはない、放射能問題でもあまりにも無責任であり生死にかかわることでもいいかげんであり実際はわからないとなっている。そして福島県民は放射能のモルモットにされただけなのである。つまり結果は10年後とかたたないとわからないのである。科学者にとってはいいモルモットができたという考えさえしかない人もいる。これで放射能の研究が進むとか思っている人もいる。科学者が優先される文明ではそうなってしまうということである。おそらく放射能を無害にできる研究も進み可能にするだろう。その実験材料が福島県民だとされてしまう。科学が宗教だとすると福島県民はその尊い科学のための生贄になれとまでなっている。
科学の進歩のために実験にされた多数の動物と同じである。それだけ科学が力をもっている文明社会だからそうなっている。


●日本人が技術は優秀だという思い上がり



日本の技術を高く評価している研究機関として、PHP研究所や三菱総合研究所などがある。これらの研究機関は、どちらも大手メーカーの御用機関となっている。PHP研究所は松下電器産業と、三菱総合研究所は三菱グループと深い関係がある。特にPHP研究所の息のかかった技術評論家や技術評論関係の著作は数が多い。


日本企業の経営者で尊敬できる人は殆どいない。しかし、事実を客観的に判断しないと社会に大きな損失をもたらすことになる。

極右であろうと極左であろうと科学技術に対して客観的な判断のできる技術評論家に対して私は敬意を払う。しかし、このように技術評論とかけはなれた右寄りの思想が入り込んでくるとなると問題だ。


このように、得てして人間は自分に都合よく考えたがるものだ。時として冷静さを失い、客観的な判断力を失ってしまう。特に日本人はその傾向が強い
http://www.geocities.jp/fghi6789/shizen.html#dai1shou

 


このサイトは経験を積んだ技術者が言っているから興味深い。日本人は技術的に優秀だとか日本製品が優秀だとかそうしたことはナショナリズム的な日本礼賛であり実質がともなっていないという。技術も客観的評価が大事だと言っている。その客観的評価が技術という分野でもむずかしい。やたら日本人は技術的に優秀だとすりこまれてきた。それは戦争のとき同じだった。日本人は優秀だ、だから日本人はアメリカにも勝つ、さらに日本礼賛が極端化すると日本は神の国だとなり宗教にまでなる。そういうところが今回の原発事故の原因にもなっていた。科学的なものは世界でも客観的に評価しやすいものだがここでもナショナリズムとして礼賛されすぎた。素人の人でも日本の技術は優秀なんだと思い込んでいたのである。技術的なものは物理的現象として客観的評価しやすい、それに加えて社会的要因が事故の原因となった。社会的要因としては科学や技術が中立的であり客観的評価をしやすいがそれも成されていない、日本人は優秀なんだから事故は起きないという刷り込みが成されていた。そういう反省が技術者から成されているのでこのサイトは興味深いものだった。他にも原発事故に関してはインタ-ネットでも膨大な発言があるから全部読むのは大変である。インタ-ネットでは権威者に対して辛辣な批判があるので本で読むより興味深いものがある。PHP研究所から出される本は過剰な日本礼賛になる右よりになりすぎるという指摘もわかった。これは国でなくても人間の思い上がりと傲慢さが破滅の元になっていることは歴史でも変わりがない、思い上がりが誇大妄想になってゆく。そういう失敗をしてきたのに以前として思い上がりがあり原発事故につながったのである。  
 
 
posted by 老鶯 at 00:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連