2011年04月12日

放射線の一番高い場所

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放射線の一番高い場所

安全委によると、現時点の線量が続くと仮定した場合、椚平では東日本大震災発生から1年が経過する来年3月11日には313.9ミリシーベルトに達すると推計。健康に影響を与える可能性が高まるとされる100ミリシーベルトを上回る。


放射線は地域によって差がある。計画的避難地域に指定されたのが飯館村全村と川俣村の一部と南相馬市の一部である。これをどう計算したのか?一番放射線が強いのは赤字木(あこうぎ)椚平(くぬぎだいら)だった。ここに近い領域は計画的避難地域に指定された。飯館村の長泥も高いから最初から放射能が高い地域として注目されていた。でも放射線は一様に高いとは限らない、まだらに分布している。風の関係でこんなところに放射能が集中した。飯館村の長泥(ながとろ)はここから近いから高かった。しかし飯館村にしても相当に広い領域だからすべてが放射能が高いとは限らない、風の関係で飯館村の一部が高いことは確かである。それにしてもこんな山奥が放射能騒ぎで住めなくなるということが信じられない、桃源郷だなどと詩にしていた地域である。桃源郷に忘れられたような山奥に放射能をあびる。


これであまりにもイメ-ジが破壊されたから信じられないのだ。放射能の不思議はそれによってすぐに草が枯れたり木が枯れたり花が咲かなくなったり実がならなくなったりしないのである。もし草木も放射能をあびて枯れて荒野のようになるなら放射能の怖さは一目瞭然である。でも放射能をあびたからとすぐに植物が成長しなくなったり奇形になったり枯れたりはしない、だから放射能を危険と感じないしそこに暮らしていても別に今は何も感じないでいられる、おそらく普通に暮らしていてもわからないから病気になったり奇形の子供が生まれたり何かそうした症状が現れない限り放射能のことはわからないのだ。いくら危険だといってもわからない人にはわからないし自分の長年慣れ親しんで住んだ場所を離れたくないという人はでてくる。実害をすぐに感じないからである。五年後10年後癌になるよと言っても危険を感じない人は感じない、むしろ長年住んだ場所を離れることの方が苦痛の人が多い。村を離れたら村は終わりだと嘆いていた人がいるけど本当である。

村が街が消滅することが信じられないのだ。津波でも街は壊滅した。これも信じられないことだった。放射能のために街がゴ-ストタウンになることも信じられないことだった。あの辺は自転車で行ったことがある。その道の塩浸(しおびで)は塩を運んでいた川に塩を落とした場所というから塩の道だった。津島も三春に近い奥深い場所である。
そんな場所が放射能が一番高い所として避難せねばならないというのが信じられない、何故なら浪江の街に住んでいる人は最初津島の方に移動した。距離的換算して原発から離れたところがいいと思ったからである。でも実際は一番放射能が高いところに逃げてしまったのである。その後また相馬市の方に移った。


ともかく放射能騒ぎにはうんざりした。地震も余震も毎日起きていて落ち着かない、こんなことではまともな生活はできない、落ち着かないのだ。本当に原発をねらって地震兵器で攻撃しているのかとさえ思う。今度の地震の狙いは福島の原発だったともなる。イワキで強い余震が起きているのはそのためなのかとさえ思ってしまう。つまり原発を攻撃すればこれだけ恐るべきことになることが証明された。原発をもっていること自体危険極まりないことなのだ。ここがねらわれたら人類滅亡にもなる。その核燃料は広島の千倍以上だとかこれが放射線をばらまいたら世界の終わりだとかなる。それほど原子力は恐ろしいものだった。余りにも原子力に無知だったのである。放射能は海も空気も水も土も草木も全部汚染するから怖いのである。そして人が住めなくなるということこそ大きな被害はないのだ。でも目に見えないからその怖さを認識できないのである。それでチェルノブエリでも近くで農民が野菜を作り食べて今も生活している。それはそこを離れることができないからである。そしてその被害の結果が出るのは随分先だから怖さを知らずに当分は生きられるのだから逃げねばならないという強い意識は生まれない。
それがまた放射能の怖さだとなる。ともかく毎日地震だ、放射能だ、避難地域がどうだとか落ち着かない、それでここに住んでいること自体嫌になってしまうのである。こんなことがつづいていたら心身が疲れてしまう。特に放射能だけはどうにもならない、どうしていいかわからないからだ。

 


 

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2011年04月17日

放射線の危険性は土から計るのが一番の目安になるのか? (30キロ圏内の同心円では決められない)


放射線の危険性は土から計るのが一番の目安になるのか?
(30キロ圏内の同心円では決められない)

江町と飯舘村。地面から高さ1メートルの地点では、浪江町で毎時23・0マイクロ・シーベルト、飯舘村で同14・0マイクロ・シーベルトが最高値だった


浪江町というと津島とか三春の方に伸びている。海の方には津波の被害が大きかった請戸がある。浪江町でも放射線の量は違っている。浪江町で放射線が高いというとき浪江の津島近くで高いというとわかりやすい、浪江町でもすべての地点でモニタリングされていない、ともかく放射線で注意せねばならないのは放射線の量が一様ではないということである。それが素人にわかりにくい、未だに30キロ圏内は危険地帯と政府から指定されるから30キロ圏内が全部危険というイメ-ジになってしまう。自分が住んでいるところは30キロから数キロしか離れていない、奇妙なことに30キロ圏内は危険だ、危険だ、避難だ、避難だ、というとき30キロで区切って危険なのかと思い込まされるのである。実際は30キロも40キロも放射線量は変わらないかもしれないのだ。だからどうしても30キロ圏内の同心円で危険を決めるのは納得がいかない、放射線のことはわからないにしても一番高い地点が前に指摘したように浪江の山中にありそこを中心にして放射線は飯館の方に高くなったのである。原子力の建屋が爆発したとき放射能のかたまりが北西方向に風にのり放散された。そしてその時丁度雨が降ったため地中に堆積された。それで地上からの放射線が以前として高く危険だとなっている。地面から高さ1メートルの地点ということがそれを示している。小学校なども子供が校庭で遊ばないようにしているのはやはり地中から地面から放射能が出るからそういっている。地中に堆積しやすいのが放射性物質でありセシウムは半減期が30年だから放出する量が減らないから困るのである。多少減っても以前として放射線の量が減らないのは原子力発電所から放出されてくる放射能物質ではない、地中に堆積された放射性物質(セシウム)のようなものによって放射線の量が以前として減らないのである。


放射能のことはいくら説明されても素人にはわからない、専門家でもわからないそうである。放射線が放射性物質がその量によって人体にどれだけ影響するのか正確には誰もわからない、未知の世界であるという、それも原子力発電所で作業しているような大量の被爆した人には確実にすでに症状が現れるが徐々に一年の積算で放射能をあびる人はどうなるのかわかりにくい、微量の放射能をあびても一日で細胞は元に回復するという、微量な場合はだから心配ないという学者もいる。つまり放射能はデ-タ-をとるだけでむずかしいものであり正確なことがわからないのである。チェルノブエリと今回の福島の原発の放出した放射性物質の量は10倍以上違っているからそれも全部参考にならないのだ。放射能についての風評被害が広がるのはそもそも学者でも両論がありわからないものを素人が判断しろというのも酷である。何を信用して判断していいかもわからない。ともかく同心円の30キロ内が危険に避難指示に指定されるとき逆に30キロから数キロ離れていたから安全だったとはいえない、でも不思議なのは人間の心理なのだろうか?自分などは数キロ離れて助かったとか思うし相馬市などはさらに安全だとすぐに平常の世界に戻ったのである。距離から計算すればそうなるが放射線は距離だけですべてが安全だとは言えない、現実に福島市でも郡山市の方が30キロ内の南相馬市より放射線の量が高いのに危険性を指摘しないのもわからないのだ。


チェルノブエリは妊婦や子供には被害が明確に出たから子供は要注意だとなる。それは過去のデ-タ-から言っているから信頼できる。でもまたその放射線の量によるし日本人はヨウ素を海藻類から十分にとっているから甲状腺ガンにはならないという説明もそうかなと思う。要するに放射線については各自その危険性を勝手に判断しろとなる。だから60以上過ぎた人は10年後とかにガンになるとか言われても長年住んでいたところには住み続けたいとなるからそれはしかたないと許してもいいとなる。でも60才以上の老人だけで生活がなりたつのかとなるとこれもむずかしい。子供とその親がいなくなり老人だけが残された村や町や市は生活していけなくなる。放射線の問題は単に同心円でその危険性が確定されるわけでもないし年齢によってもその感じ方は大きく違っているのである。ともかく放射能の拡散は風によっても地形によっても影響されるから30キロ圏外でも危険であり同心円では特定できない、影響されやすいにしても平坦な地なら東京や仙台にも風向きで飛んでゆく、さえぎる山がないから飛んでゆく、チェルノブエリでも遠くに放射線が高く検出された地域があった。風向きや地形や気候条件で変わってくる。途中さえぎる山がないと高濃度の放射性物質が飛んできたら遠くに高い放射線が計測される。


30キロ圏内は保証がありそれから数キロはずれたら保証はない、これも差別化であり金銭の保証のために30キロ圏内以上は政府では保証しないとするための同心円の設定だともなる。放射線はやはり地面にふったものが堆積されることが一番の目安になるのだろうか?
原発自体からは放射性物質の放散をおさえられば空中からは飛んでこないし空中は拡散するから滞留しない、堆積しないから一旦原発自体から放射性物質がもれなければ安全になる。
でも土に堆積された放射性物質はセシウムだったら30年とか消えないで放射線を出し続ける。するとその土の中の放射性物質を除染しないかぎりそこには住めないとなる。放射線を抑えることができないからである。土からの計測では南相馬市でも相馬市でも同じくらい放射性物質が出ている。つまり10キロくらいではたいして変わらないということになる。放射能は本当にこのようにやっかいなものでありいくら学者が説明してもその学者でも見解が分かれるし素人はなおさら判断できない、それでも30キロ圏内とか圏外でも何とかそれなりに知ろうとして努力するほかない。みんな命にかかわっているから知らないではすまされない、そんなやっかいなものにかかわらせたこと自体大罪だったのである。

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2011年04月19日

福島第一原子力発電所の事故の原因の深層 (イリイチの「専門家時代の幻想を読んで)


福島第一原子力発電所の事故の原因の深層
(イリイチの「専門家時代の幻想を読んで)


●専門家集団に牛耳られたことが事故の最大の原因

 


この専門家の時代は政治家が衰え教授らの導きのもとに有権者たちが必要を規定する力を技術官僚に委ね、誰が何を必要としているかを決める権威を放棄してしまい、そしてこれらの必要を満たす方法も、独占的寡占体制に決めさせてじっと辛抱していた時代であったと後世の人たちに記憶されるだろう。(専門家時代の幻想-イバン、イリイチ)


あなたが何を必要か断定し、処方を書く力を自分たちはもっているのだと主張する


専門家は顧客にとって最高の利益-国家理由をも上回ることがある。


専門家は現在認められている銘柄の科学的正統性を教える点で僧侶の役割を演ずる。
国の後ろ楯をもった聖職者の方にはるかに近い。


それぞれの専門職はまるで編成された教団のような観を呈するのである。


彼らの役割は傍観者、証人のそれに限定される。まるで法的プロセスとは何か大がかりな、きしみ音をたてる機械のようなもので、一旦動き出したらその仕組みに精通したものしか近づいても操作してもいけないというかのようである



今回の福島第一原子力発電所の事故の原因は何であったのか?また責任は誰だったのかとかいろいろその真相が明かにされつつある。それは明かに現代文明がもたらしたものであり文明そのものにあったのだ。文明についての批判はこれまでも時事問題の深層などで書いてきた。今回の原子力発電所の事故はまさに文明崩壊を象徴的に示した事故だった。この原因を深く究明すればそうなる。イリイチの言うことがいかにあてはまっていたか納得した。今や人間は専門家集団によって無力化されている。医療でも教育でも法律でも科学でも専門家集団によって牛耳られていてその専門家集団に抗することは誰もできない、いわば昔の聖職者が専門家だからである。法律にしても素人にわかるものではない、「お前は何もわからないのだ、何も言う権利もない、法律家に従いばいいのだ」となる。そして交通事故などでも結局専門家集団の弁護士などは保険会社側に有利になり保険金は少なく見積もられる仕組みになっている。保険会社と弁護士は結びついているし大きな会社が常に有利になるようにできているのだ。医療にしても専門家集団がいて医療ミスをしてもその集団でもみ消すことが簡単にできる。そういう仕組みが文明の中に作られていて無力化されている。要するにはお前のような素人は何もわからない、専門家の命令にしたがっていればいいのだということになる。それが今度の原発の事故のことでも同じだった。本当にその構造があまりにも明確に現れたのでかえってその秘密が白日の元に見ることができた。


この専門家の時代は政治家が衰え教授らの導きのもとに有権者たちが必要を規定する力を技術官僚に委ね、誰が何を必要としているかを決める権威を放棄してしまい、そしてこれらの必要を満たす方法も、独占的寡占体制に決めさせてじっと辛抱していた時代であったと後世の人たちに記憶されるだろう


政治家はほとんど科学に無知であり指導権は専門家教授達が原子力発電を推進した。政治家は利権が目的であり危険でもそれを良しとした。それは自民党時代にその基礎が確立され民主党が引き継いだのである。政治家で原子力発電に反対する人はいなかった。共産党は反対ではない、安全を確立して進めるということだった。政治家が原発の核となる推進者ではなかった。でもその利権と利益の享受者であり名だたる国会議員が大臣経験者でも東電と縁戚関係にあったり密接にその利権と結びついていたのである。それは中曽根首相からはじまり原発の推進者であった。歴代の首相で原発に反対する人などいなかった。


●福島第一原発に反対した佐藤栄佐久は検察により失脚させられた!


佐藤栄佐久は福島県知事時代、原発の安全性について問題提起したが収賄事件をでっちあげられて失脚した。そして事故が昨日おきた。
佐藤栄佐久前知事失脚の後に福島県知事に当選したのは渡部恒三の甥っ子で恒三の秘書だった佐藤雄平だ。そして福島のプルサーマル原発は佐藤雄平知事の下で先日稼働を始めた。


これはネットで盛んに言われているが重大な責任があった。原発に反対した知事が陥れられたのである。渡部恒三だけではない、地元の議員はほとんど原発推進者であった。議員が力あると思っているが現代で力あるのは専門家集団である。政治家はただ利権にのっかるだけである。


この専門家の時代は政治家が衰え教授らの導きのもとに有権者たちが必要を規定する力を技術官僚に委ね、誰が何を必要としているかを決める権威を放棄してしまい、そしてこれらの必要を満たす方法も、独占的寡占体制に決めさせてじっと辛抱していた時代であったと後世の人たちに記憶されるだろう。

教授のもとにとは名だたる原子力にかかわる学者である。それは主に東大と東工大でありここにも研究費が東電から流れている。技術官僚とは官僚の天下り先が原子力関係でいろいろな名のもとに作られていた。そして何より教育関係でも文部科学省でも原子力は安全だということを教科書に書かせて危険だということを書かせなかったのである。


●文明を維持するために原子力は必要だ


専門家は顧客にとって最高の利益-国家理由をも上回ることがある。


原子力を推進することその理由は国家理由を上回っていたのである。それは文明を維持するために車が無くすことができないように原子力も絶対に必要なものだということになるからだ。
原子力なくして今の電力は維持できないとか脅迫もされる。これは日本だけではない、文明に原子力が絶対に必要だとなっているからである。東電は国の後ろ楯をもっていたから安全でなくても東電の社長がコストカッタ-として出世できたのである。安全神話は文明を支配する専門家集団がトップとなり政治家から技術官僚から教育官僚から暴力団まで動員されていた。誰も安全ではない、危険だと言わせない体制が作られていた。要するに原子力に関しては民は盲目にされていたのである。これだけ危険なものだから安全に必死に気を配っていればそれだけ努力していたからと同情することもある。想定外の津波だったというが実際は津波の準備がないとか電源が危ないとか何度も指摘されても安全には金を使わなかった。金を使ったのは政治家や官僚やマスコミにその豊富な資金を運用したのである。それを後押ししたのが、そしてこれらの必要を満たす方法も、独占的寡占体制・・・独占的寡占体制が作り上げられていてこれには誰も批判することができない、安全神話は完全に作られていた。


そもそもアメリカの古いタイプのGE社の原子炉で作られたのでありこのGE社の批判はどこでもしない、マスコミもしない、最も恐るべきは検察は原子力の推進者でありこれに反対するものをとりしまる戦前の特高の役割を果たしていたのである。検察は必ずアメリカの意向にそうように行動する。検察にも正義などない、佐藤栄佐久は原子力に疑問をもち反対したから検察にぬれぎぬを着せられて逮捕され失脚させられたのである。これまで安全神話を形成する権力機構が作りあげられていればこれに抗することは至難になる。わずかに原子力の危険を言う学者がいたか隅の方に追いやられていた。その声は大きな声とはならなかった。ただ聞こえるのは「安全、安全」しかなかった。


まるで法的プロセスとは何か大がかりな、きしみ音をたてる機械のようなもので、一旦動き出したらその仕組みに精通したものしか近づいても操作してもいけないというかのようである


法律もそのむずかしさは素人には近づけないものにしている。そして今福島第一原発で起きていることはこのことである。もはやその専門家すら精通したものすらこの事故を収めることができない、それは人類滅亡まで通じているような危険なものだった。専門家集団もお手上げの恐ろしい結果につながるものだった。実際は原子力に精通したものはいない、本当に今や原発の全容を知り得るものはない、それは全能の神しかいないだろう。配管無数にはりめぐらせて迷路のようになっている。この配管も防水はしていなから停電になり使えなくなった。原子力は安全、安全という割りには実際は相当に脆弱なものであった。実験段階のものでもあった。だから制御できなくなる危険性は指摘されていたが独占的寡占体制ができあがっていたからできなかったのである。津波という想定外のことではない、そもそも津波にも最低限すら備えていなかった。安全に金をかけずに安全神話を作るために政治家や官僚やマスコミに金を使っていたのである。官僚というとき検察も官僚の一部であり原子力に反対するものには公的権力で刑罰を与えることができるのだからこれに逆らうことはもはやできないということになっていたのだ。

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2011年04月25日

津波、原発事故の原因は何であったのか?(日本人のモラルの崩壊だった)


津波、原発事故の原因は何であったのか?
(日本人のモラルの崩壊だった)

●民主主義がなかった福島県民


まともな民主主義国じゃあ、もう当分は原発新設は無理だろう。
ドイツやアメリカは地方分権だから、地元が反対したらできない。
フランスだって、中央集権+官僚国家で国策で進めてきたが、
もう新規立地は難しくなって、海底原発とか開発してる。
今原発を熱心に買おうとしてるのは、独裁国とか途上国。


デモクラシ-のデモスは民衆とかの意味もあるけど地方という意味もあるようだ。ポリスといっても都市は各地にあり自治をしていたのだからポリス間ではその利害関係が問題になる。つまり地方の主張が反映されるのが民主主義でもあった。交通も発達しない時代は地方のもっている力は大きい。クニというとき「あなたのクニはどこですか」というときはその出身地であり狭い範囲が国なのである。その国が拡大したときもやはり地方のもっているクニ意識は残った。


福島県民は権勢について無関心である。知事の選挙などいつも投票率が低い、誰がやっても同じだとかなる。その無関心さが今回の事故の犠牲者になった。もちろん無関心にされたということもある。地元でも安全、安全しか言うことができない、それは利益優先になるからだ。すべての人が利益優先でありそれを否定することはできない、金が入れば原発もいいじゃないか、事故なんか起きないよ、安全だとあれほど言っているのだからと言った軽い気持ちだったのであり福島県民とか地元の双葉町は特にそのことで今責められている。東電から莫大な金もらっているではないかとか原発を町のシンボルにしたことが責められている。福島県民も責められているのだ。なぜなら双葉町内に原発を作るなら双葉町の許可と福島県の許可を得れば原発は作られるからだ。それで損したのはその回りの浪江町と南相馬市とか近隣の市長村だったとなる。そこに金は落ちていないのである。ましてや飯館村など全然関係ないと思っていたしなぜこんなに苦しめられるのかとなる。だから双葉町とか一つの町とか村で決められないのが原発だった。でも普通の庶民はその土地に生きているものはやはり経済優先であり利益優先である。不景気になってから小高に住む人が原発できればまた景気良くなるよとか言っていた。その人が小高にいられなくなった。原発に関しては一般庶民はそんな知識しかない、誰も原発の恐ろしさを教える人もいないからだ。そして現実に小高に原発を作る予定だった。それは南相馬市で推進していた。すると自分の住んでいるところも今度は20キロ圏内とかなり住めなくなるのだ。原子力発電の事故が起きればその周辺の被害は甚大であり住めなくなる。これほどの被害はない、もしそういうことを教えられていれば誰も原発を容認することはない、ただ聞こえてくるのは原発は安全だ安全だしかないから今回のような悲劇になった。


●メデアにより操作された安全神話


今回の原発事故でいろいろなことが明かにされた。情報がメデアによって操作されていた。福島県民も完全に操作されていた。なぜ佐藤栄佐久が急に検察に目をつけられ逮捕されたのか、その裏は複雑でも明かに検察がアメリカの意向を受けて原発推進なのである。日本ではアメリカの悪は追求されないようになっている。検察はアメリカが戦争で日本に勝利したときアメリカの意向に従うようにされた。だから必ずアメリカ側につくのだ。アメリカに反抗して中国側についたりすると犯罪の濡れ衣を着せられ逮捕される。小沢氏などもそうなのだろう。ただ佐藤栄佐久も原発反対ではなく安全に原発を管理しろということであった。これは共産党も同じである。原発そのものに反対する政党も政治家もいなかった。でも安全には極力注意しろということでそのことを再三言ったが通じなかった。安全でないということすら口にできない体制ができあがっていたのである。だから何度も佐藤栄佐久は福島の第一原発は危険だから対策しろと言っていた。でもそれは通じなかった。安全だという包囲網がありその中にマスコミもあった。そもそもマスコミとか地方の雑誌にでも東電の宣伝はのせられるしそこが大きな収入源となる。地方で雑誌など出してもそれだけで運営できるように思えないからだ。必ず企業とかから宣伝費とかの名目で金が入ってくる。これは新聞でもテレビでも同じである。


東電から出る金は桁外れだった。だから政治家から官僚からマスコミから学者から様々な人々がたかる構造ができあがっていたのだ。文部科学省で教科書に原発は安全でないということも書かされなかった。検閲を受けていたのである。誰でも金をもらえばいいとなることをなかなか否定できない、ただ言論に関して金をもらうと歪められるから致命的となる。雑誌とか出すにしても本を出しても利益にならないのだ。ただ毎日のように青汁が健康にいいよと芸能人などが宣伝するとき疑う、金をもらっているのだからいいというに決まっている。そういう人たちただ金さえもらえればいい、自分のことしか考えていない、みんな自分が金になればいいあとは知らなとなっている。ともかく会社であれどこであれ金をもらうとき中立性はなくなる。その点インタ-ネットは金がかからないメデアだから真実が報道されることがある。でもテレビとかのように大衆を洗脳する力はない、原発が安全だ安全だという声に抗することはできなかった。原発は余計にむずかしいから専門家の独断上になる。すると素人は質問すらできなくなる。そんな馬鹿な質問なんかするな、素人は口出すなとなる。そして結局専門家集団のいいなりになり今度の悲惨な結果となったのである。自分も原発のことなどわからない、でも金をもらうことには普通うしろめたいもの感じるのが普通である。金をもらえるから企業の言いなりになることはさけられないのだ。余りにもすべてが金、金、金になっていることが原発事故にも関係していたことは確かである。金さえもらえればいい、そこに節操がなくなっていた。すべてが金で動いているからそうなる。そういう点で人災であり日本人のモラルの崩壊が引き起こした事故だったとも言える。


●モラルの崩壊が津波の原因でもあった


そもそも自然災害はただ単に自然的に人間の社会とは関係なしに起こるものなのだろうか?普通は自然災害は不可抗力であり人間の社会がどんなものであれ関係ないとなるのか?大洪水が起きてノアの方舟は作られたのは悪に満ちていたから大洪水が起きたと聖書にある。モラルと関係して大災害が起きた。普通はそんなことはないと思うかもしれないがモラルが崩壊することで神の怒りをかった。そして大洪水が起きた。今日本の社会はまさにモラルが崩壊している。モラルというとき宗教的なものだけではなく日本人の伝統的なモラルが崩壊しているのだ。結局人間関係も家族関係も金が第一だとなる。金をもっていなければ親すら大事にされない、姑とか嫁の関係も変わっている。姑は家族から追い出されるようなことが起きている。嫁の力が大きくなっているからだ。これもともかくそんなもの古いのだというのがわかるにしても秩序が破壊されることはまちがいない、親や目上のものが金がなければ大事にされないとなれば金さえもっていればとなってしまう。家族関係の中にも金が大きな力をもつようになってしまった。「武士は食わねど高楊枝」とかは武士というものは食えなくても誇示するものがある、尊敬されるものがあるからそう言えたのだろう。


今の時代は金がなければ何の力もない、誰も相手にもしない、金意外に尊敬するものもないのだ。金中心の資本主義も限度にきている。そうしたモラルの崩壊が神の怒りをかったかもしれない、もちろん千年に一回の津波だからそんなことは自然法則によるものでありモラルとは関係ないともいえる。でも神からの自然からの警告だったかもしれない、もっとみんな協力して生活しろよとかの警告だったかもしれない、日本人が今一丸となって被災者のために働いていることは悪いことではない、この大災害は社会にも大変革を要求しているのだ。エネルギ-に関してもそうである。そんなに電気を湯水のように使うことがどうなるのか、結果的に原子力という一番危険なものに手を出すようになったではないか、そして罪もない飯館村のような山の奥の村が一番被害を受けた。何で自分たちだけがこんな被害を受けねばならないのか、それはまさに現代文明の犠牲者になったのである。20キロ圏内の牛などが無惨に放置されて死んでいるように何の罪もないものが死ぬと同じである。原子力でも文明でもみんないいものだと思っていたけど文明は恐ろしいものを秘めていた。それが今回の原発事故で明かにされたのである。資本主義も崩壊して別なものを要求されている。つまりこの津波や原子力事故の災害は新たなものを作れという神からの命令だったかもしれない、そのために多くの犠牲者が生まれた。死んでしまった人も多数だが20キロ圏内や飯館村のように十字架を背負って生きつづけねばならない人たちもいる。それは長崎と広島と同じ運命になったのである。

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2011年04月27日

原子力の事故の原因の一つ (福島県の地形が意志疎通を阻んだ)

 

原子力の事故の原因の一つ
(福島県の地形が意志疎通を阻(はば)んだ)

●ハマ、ナカ、アイヅに分断された福島県の地形


地理はそこに住んでいるものさえわかりにくい、福島県は広すぎて山も多いからわかりにくい、まず会津は別の県として地形的にも地理的にとらえるべきである。地形的にも会津は会津県なのである。


二本松、若松及 び  平 の  3 県 に統合された。
しかし、 間もなく二本松県は11月14日 に福島県に改称、また、平県も同月28日 に磐前県と

改称され、 更  に明治9 年  8 月21日には若松及び磐前の 2 県 は福島県に併合されるに至った。

会津は若松と言われていた。磐城は平であり平駅があった。この中に相馬藩は入っていない、相馬藩は福島県に入るのには地理的にも無理な面があったのだろう。かといって伊達と争っていた歴史から宮城県に入ることもできない中途半端な地域になっていた。今でも地理的には交通的には福島市より仙台が近く感じられるし実際に仙台に勤めて通っている人も多いのである。実際に新地は伊達藩の境にあり代々の武士の家系の古い家があり伊達氏に属していると言い張っていて相馬藩と合併することを拒んでいた。それだけ伊達家への思い入れが強い家があったのである。

福島県はハマ、ナカ、アイヅと三つの地域に分かれている。この三つの地域は気候的にも明確に違っている。会津は雪がふっても浜通りはほとんどふらない海洋性の気候なのである。浜通りは気候的に本当に住みやすい場所だった。福島県が最初二本松県であり若松(会津)と平県に分かれていたことが地理的にもそうなった。二本松のあの天守閣のあったところから回りを見回すとここが福島県の中心だったことが実感できるし十万石となるとその規模も大きいから歴史的にもそうだった。でも福島市の人たちから見ても浜通りの人たちから見ても阿武隈山脈、高原が横たわっているから交流も地理的にさえぎられるから少ない、磐城と郡山は鉄道が通っているが相馬と福島市には通っていない、交通的にも不便なところなのである。
福島県はこうして地理的に隔絶されているから県としての一体感をもちにくかった。会津はさらに高い山々がありその地理はさらにわかりにくい。


こうした地理的環境が福島県としての意志疎通を阻み一体感をもちえないようにした。でも地形的には福島県は山あり川あり海ありで魅力的な所だった。浜通りから阿武隈高原だけでも高瀬川などの急流があり葛尾(かつろう)村や飯館村などの高原地帯の村があるなど魅力的だった。そこが原子力事故で立入禁止となりそこに住んでいた人も住めなくなるなどということになったことが信じられないのだ。こうしたいつも行っていたところが自由に行けなくなる。行けなくなるだけならいいが住めなくなるのだからこれほどの苦痛はない。県によっていろいろ個性がある。歴史的にもあり地形も様々である。でも福島県というとこうした地形的にも隔絶されていて一体感がもてない所では意志疎通もなかなかうまくいっていなかったのではないか?


●原発は双葉町と知事と東電の社長だけ決められた


今回の原子力事故でも原子力発電所そのものは双葉町が提供して福島県が許可を与え作られた。その時の知事が磐城出身の木村守江であった。今の原発の近くであった。その後に利権で渡部恒三が受け継いだ。


大合併で郡山市やいわき市を誕生させ、農村部への工業誘致、原発立地などで実績を上げた。


浜通りから出た知事が原発を誘致したことが納得がいく、そして双葉地方はもともと夜(余)ノ森地方であり相馬藩主が余の森だ、自分の森だとした磐城藩との境の未開の地だった。そうした地帯に原発が建てられた。原発は福島県の県民が全体で議論して建てられたものではない、原発がどういうものか知り得るものでもなかった。そして意外だったのは原発は事故を起こしてみて広範囲に影響する恐怖だった。南相馬市は遠いと思っていたが30キロくらいであり近かった。その距離感の目測も誤っていた。やはりここでも地理的なものが影響していた。福島県は広いから福島県に住んでいる人たちもみんな危険なものと思わなかった。中通りの人たちすらそう思っていなかったろう。阿武隈高原が壁となりさえぎるから放射線が影響するとは思わなかったろう。飯館村が一番影響したことでもわかる。そして県政の中心点の福島市が距離的に60キロ地点ありそれでも南相馬市よりずっと高かったのである。そして中通り公園が4マイクロシ-ベルトの放射線が検出されて一時間だけしか使用できないようにしたことでもわかる。放射線の影響は実は中通りも大きいものだった。事実須賀川の農家の人が風評被害で悲観して自殺している。中通りこれほど原子力が身近なものとしてあることに事故で気づいたのである。県庁のある福島市もそうである。もしこんなふうに影響あるものだったらもっと中通りの人も真剣に考えていた。


東電の原発は関東に置けばいいと言うが、そもそも誘致したのは福島県。
木村守江衆院議員(いわき市四倉出身、後に知事)が
仲のよかった木川田一隆東電社長(旧梁川町出身)に頼んだ。
当時の双葉地方は働くところがなく、出稼ぎも多かった。
そこで、木村は同郷の木川田に雇用の場をつくれないかと話を持ち掛けた。
それが原発。
木川田は木村と同じ医者の家系に生まれた。
本人は医者にならなかったが、東電の歴史に残る大物社長になった。


実は原発は福島県全体の民主主義合意討論の上に生まれたものではない、双葉地方の私的事情とか知事と東電の人脈から狭い範囲で決められた。コネで入社するとかそんなことだったかもしれない、これだけ大きなことが福島県の合意で決められたとはいえないのだ。40年前の話だから今とは事情は違うにしろその決められ方は非常に狭い範囲の中で決められた。それが今日の大惨事の基になっていたのである。それも全体的に見れば福島県が地形的にも一体感の持ちにくい事情があったのだ。会津だったら浜通りは遠いとなるし中通りから遠いという感覚でいたのである。それが放射能は福島県の中心地帯を最も人口の多い郡山から福島市に風の影響で大きかったのである。今になってこんなに放射線が影響するのかと震撼としているだろう。自分もそうだった。30キロしか離れていない、そして毎日恐怖におびえていたし今もそうである。福島県は民主主義がなかったからこそ恐ろしい原発も非常に狭い範囲や二人だけのトップで決められたりしていたのである。おそきにしていたのだが今ようやくその恐ろしさに気づきなぜなのかと底辺層まで怒り心頭になって声をあげている。住むところすら奪われ空気や水や土まで奪われたらどんな無関心派でも怒りにふるえるだろう。何事無関心なことは罪になり自らが害される。チェルノブエリも遠いから関心がなかったしそもそも日本の技術は優秀なんだということを信じていた人が多かったのである。その日本の安全神話は政治力や宣伝力などで作られたものであった。こんなに危険なものなのに安全に心血を注いでいなかったのである。民衆の無知、無関心は為政者にとって都合がいい、そして犠牲になるのは民衆であった。
福島県の県民は今犠牲者になってしまったのである。戦争の犠牲者もいろいろであり凄まじいが広島、長崎の犠牲者が原爆の最悪の犠牲者となった。そして今福島県が原子力発電の最大の犠牲者になったのである。


 

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2011年04月29日

あくなき人間の欲望を追求するものとなった科学の危険 (原子力事故の恐怖)


あくなき人間の欲望を追求するものとなった科学の危険
(原子力事故の恐怖)
http://musubu.jp/jijimondai-41#atomic2(時事問題の深層41へ)

現代は科学が万能化して宗教化すらした。科学に成しえないものがない、限界もない、科学は無限に発展して人間の要望に答えてくれる。科学は現代の神であり科学者は神官である。
これほどまでに科学が大きな力を持った時代はない、それは何故なのか?丁度金がすべての欲望をかなえてくれる、金が万能の資本主義社会ともにている。これもやはり人間の欲望が金に象徴されるからである。科学はもともと錬金術のように石を黄金に変えるという深い欲望から生まれたのである。人間は自分たちの欲望を満たしてくれるものならあくことなく追求する。
人間には長く宗教が権威をふるった時代があった。宗教は人間に欲望を抑えることを教えた。
科学はその反対にあくことなき人間の欲望を具体的に追求してきた。病気にしても奇跡で直していた時代もあったがもはやそいういうことは通用しない、病気を追求するのは科学であり医学である。そこでも人間の欲望は無限に拡大化してゆく、制限がない、長寿を望み不老不死を望みそれさえ可能なのだと科学に望むようになる。科学は人間の欲望を何でもかなえてくれるから是認される。今は宗教すら科学であり欲望を肯定する。そうして結局欲望の歯止めがなくなる。


そして電気も無制限に使いそれがいかに作られるのかもわからず使っている。空気のように使っていた。そしてその人間の欲望に答えるために原子力に手を出すようになった。正に原子力は石を黄金に変える現代の錬金術だった。しかしそこに恐るべき危険が隠されていた。人間はやはり神から火を盗み錬金術で人間の欲望を達成しようとした。その罰がいかに過酷なものとなったかは今回の原子力発電の事故で自ら体験した。20キロ圏内はすでに永久に住めないとかなる。人間の盲点は制限する力がない、そこから人間は神のような力を持てるのだと錯覚する。人間にはまた減らす思想というのが欠けている。何でもとにかく増えねばならない、無限に経済も発展して科学も発展していかねばならない、そこに歯止めがないのである。歯止めをかけるものがないのである。そこに恐るべき危険がひそんでいたのである。

posted by 天華 at 18:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2011年05月02日

福島市から郡山市に風で流された放射性物質

kazenagarehh2222.jpg


わかりやすい放射線分布の地図
http://static.ow.ly/photos/original/aN0E.jpg


福島県は1日、県中浄化センター(郡山市)で処理する下水汚泥から
1キロ当たり2万6400ベクレルの放射性セシウムが検出されたと発表した。

放射性物質は風の影響が非常に大きかった。3月11日の時期は春の始めであり東風(こち)が吹きはじめる時期だった。東南の風も吹く、その風に乗って飯館村から福島市に流れた。でも郡山市がなぜ高いのかとなると解せなかったが今回の地図を見てわかった。つまり福島市の方に流れた放射性物質が今度は北風にのって中通りを流れた。福島市→郡山市だったのである。原発のある双葉町から風に乗って流れたのではない福島市から北風にのって中通りを流れた。なぜなら中通りは平地が多いのだから風に乗って流れ安いということがある。
一方田村市は山にさえぎられて風向きも違っていたので影響なかった。放射性物質はその時の風の影響が大きい。南相馬市も東風だから低かったのである。この東風は3月11日の時期はいつも吹いているわけではない、すぐに北風に変わるし4月まで春北風(はるきた)という季語があるように北風は吹きつづける、すると福島市から北風にのって郡山市に放射性物質が持続的に流れた。郡山市の下水道から高濃度のセシウムが検出されたというのも福島市から北風にのって流れた放射性物質が堆積したものなのだろうか?

ともかく放射性物質はチェルノブリでも同心円には拡散しなかった。だから20キロから30キロ圏内が南相馬市が緊急避難地域になっているが地図で見る限り相馬市も確実に放射線の量は同じであり変わらない、そしたら同心円で決めるのは科学的ではない、政治的判断でそうしているのだ。相馬市まで保証できないからそう言っているにすぎない、30キロから数キロ離れた鹿島区は保証の協議中だという。相馬市はなんの保証もないのかとなれば現実に土の中から南相馬市と同じくらいの放射線が出ているのだ。いづれにしろ緊急避難の命令が出たら相馬市に逃げてはだめである。それ以上80キロ以上逃げないと安全圏にはならない、仙台辺りまで逃げないと安全にはならない、原子炉が爆発したりしたらそこまで逃げなければ安全ではない。浪江の人は最初津島に逃げたのである。これも距離だけ計算して逃げたからそうなった。津島は最も放射線が高い場所だったのである。その人は次に相馬市に逃げた。でも相馬市でもこれからは安全ではない、緊急避難地域はこの地図で見る限り新地まで入る。政府で緊急避難地域と指定したのはあくまでも科学的ではない政治的判断である。指定すると保証問題が出てくるからしないだけで危険なことは危険なのである。避難命令を出したらあとの保証が鰻登りになり保証しきれなくなるからだ。だからあえて危険でも避難命令を出さないということがありうる。現実にそうしているのだ。何故なら福島市や郡山市の方が避難してもいいくらいに放射線が高いからである。


この地図では飯館村でも8マイクロシ-ベルトと2マイクロシ-ベルトの地帯がある。大倉辺りは2マイクロシ-ベルトかもしれない、なぜなら山にさえぎられているからだ。ただ8マイクロシ-ベルトの帯は霊山の近くまで伸びているとする佐須辺りも8マイクロシ-ベルと地帯なのか?伊達の方にも2マイクロシ-ベルト地帯は伸びている。地形の影響もあったが第一に風の影響が大きかった。飯館村は風の影響で不運だったのである。大倉でも計画的避難地域になり避難することがうながされている。いづれにしろ福島市とか郡山市に風で放射性物質が流れたのは自業自得かもしれない、飯館村は全く不運であり同情するが福島市は県庁のあるところであり今の知事は原発を許可した原発利権知事だったしもし30キロ圏内しか放射線で影響しなかったらいかに原発が危険なものか体で知ることはできなかった。全国でも最初にアメリカが80キロ圏外に脱出しろといったのは正解だった。危険も最も見込んでそう警告した。実際に原子炉が爆発したのかと思ったしその時大量の放射性物質が流れた。だから80キロ圏外に出ろというのは別に大げさでなかったのである。地図をみても新地までは2マイクロシ-ベルト地帯であり危険地帯である。 政府からの避難命令は政治的判断が入る。保証問題が出てくるとめんどうだから危険を言わない、現実に東電の社員は危険をいち早く察知して子供を遠くに避難させて自分たちも逃げた。放射線の危険を知っていたからである。その恐怖は知っているからこそ敏感であった。放射能の危険を知らない人は今でも知らない、毎日数値だけで計るほかない、何かすぐに目に見えて被害がないのである。だから怖がらない人は怖がらない、自分も無知だから怖がらなかった。でも今度はいくらか学習したので怖がるようになったのである。


あとがき

地図を見ると福島市より流れたというより飯館村辺りからも風向きで北風が吹いて郡山市に流れた。地図ではそのような分布になっている。福島市まで流れて郡山市に流れたのではなく
途中風向きで北風になり郡山市に流れたのである。
posted by 天華 at 00:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

狭い地域でも放射線量は違っている謎

 

狭い地域でも放射線量は違っている謎
fukushimaradio1111.jpg
クリック拡大
以下も同じ

shiobede1.jpg
teshichi.jpg
nagatoro33.jpg


akougi.jpg
赤字木手七郎から山木屋は山にさえぎられ
離れている
放射性物質も山にさえぎられた

放射性物質の分布は一様でなかった。放射線は飯館村で高かったのだけど飯館村全体で高いかとなるとそうでもなかった。5月2日のモニタリングでは赤字木椚平が37マイクロシ-ベルトで以前として一番高いのである。その線に沿って赤字木手七郎から長泥への道が高いレベルになる。ここのところは福島の第一原発が水素爆発してからずっと高いし変わっていない高レベルの放射性物質が堆積していて放射線を出している。ただ放射線はどういうふうに計っているのか、土から一メ-トルなら高い、それはビデオでも写していたが土に接ししていると20マイクロシ-ベルトとなっていたが土から離れると高さにより1マイクロシ-ベルトとか下がっているのだ。つまり放射性物質は土に堆積して放射線を出し続ける。セシウムなどは半減期が長いから一旦土に堆積したものは消えずに放射線を出しつづける。ここは土ではないけど舗装した道路でもレンガでもそうしたモノにも付着して放射線を出しつづける。土でないから水で洗いばいいのか?放射性物質は落下して下にたまることは確かである。


これを見ればいかに地表面から放射線が強く出ているからわかる。
http://www.monipo.net/blog/monipo/20110424/


そして放射線で注意しなければならないが一様に分布するのではない、スポットスポットで放射線の量が違っているのだ。特に阿武隈山中に放射性物質が流れたとき非常に複雑に分布した。赤字木椚平は37マイクロシ-ベルトだから以前として一倍高い、そこから塩浸(しおびて)に行き津島方面と手七郎とかの方面に分かれる道がある。ここに店があり良く休んでいたから知っている。津島の方へ行く道は広い道であり三春まで通じている。普通だったらこの広い道に沿って放射性物質も流れるはずである。ところが細い道に入っていったことが不思議である。人の感覚ではそこは細い道であり風の流れがそこに入ってゆくように見えない、ただ塩浸が別れ道であり方向が違ってくる。そこで風の方向が分かれたのだろうか、東から吹いた風が北西方向に向かった。その風の別れ道が塩浸だったことになる。津島方面は5マイクロシ-ベルくらいだからあの辺では低くなっている。東風、東南の風が影響してあの細い道に風と共に流れていったのだろうか?実際は放射性物質の流れは相当な謎である。そんなふうに山間を謎のように流れてゆくものだろうか?ここが気になったのはあの辺を何度か確かに行っているからである。人間的感覚でも風のあの道を山間を選んで通って行ったのかと思うしミステリ-なのである。塩浸から赤字木手七郎への道がありその道をたどって飯館村の長泥へ出た。とにかくその辺に放射性物質が一番堆積したのである。セシウムだとするとなかなか消えないのだろう。


それから川俣町の山木屋は5月2日の時点で2・7マイクロシ-ベルトであり長泥からなどからすると低い。高太石山などにさえぎられているからだろう。つまり放射性物質とか放射線はかなり隣接した地点でも違っているのだ。飯館村が高いと言っても全部が平均して高いわけではない、南相馬市では大原台畑が2・1マイクロシ-ベルトで一番高い、大原は八木沢峠に近い方だが台畑はどの辺かわかりにくい、大原について書いてきたがあそこも汚染されたのかと思う。伊達の霊山の石田は2マイクロシ-ベルである。南相馬市より高いのである。今回なぜこのように放射性物質の分布が一様でなくて複雑化したか、それは阿武隈山中に流れて地形に影響されたことは確かである。その阿武隈山中をどうして風が流れて放射性物質が赤字木付近に一番堆積したのか、雨もふったせいだとある。ともかく気象条件と地形とかなどが影響し合ってそうなった。


そして恐怖のシュミレ-ションはこれだった。南風だと明かに南相馬市は飯館村と同じとなり相馬市もそうであり完全な避難地域であり南風だと仙台も安心できない、風で放射性物質が運ばれる。百キロでも二百キロでも運ばれる。新宿辺りで放射線量が高かったというのもそのためである。つまり放射性物質は一様に流れない、分布しない同じ近接した地域でも違ってくることが今回の事故でわかったのである。だから逃げるとき風によくよく気象に注意する必要があるのだ。


ここの風のシュミレ-ションでは相馬地方は放射能の影響を受けていない?
http://ribf.riken.jp/~isobe/mon/sim/comp.pdf


ドイツのシュミレ-ションでは海に流れのが多い-南風だったら゛相馬市から仙台まで危険地帯
http://ameblo.jp/hope-after-despair/entry-10831522449.html


ともかく科学音痴でも地元の地理とか地形はわかりにくいのだ。それが関係していたとしたら多少発言できることになる。放射線は学者でも言っていることが違っているしその影響はすぐに現れないからますます今の時点は言い放題になる。結果は五年十年後だとすると余計に今の時点では言ったことの結果は出ない、出るのは二〇年後にもなるとしたらもうどうでもいいとなる人はでてくる。放射能はだから騒ぎだけで終わってしまうこともありうるのか?なんだ何人か癌になったけどそれは放射線の影響だったのかないのか誰もわからないとなってしまうのだろうか?
結局放射能の怖さはまさにそうして意識化できないことにあった。水が汚れるという現象もない、空気も何かスモッグや黄砂のように汚れることを感じない、まさにそのことがかえって恐怖となっている。恐怖する人はだから恐れなくてもいいのに百倍の感覚で恐れる。そういうふうにどう対処していいかわからないから困るのである。


ふるさと林道栃窪橲原線の放射線量
http://blogs.yahoo.co.jp/ht_sue/27698256.html

これは個人で計ったものである。でも正確みたい、橲原(じさばら)とか飯館に近く山が高くなると放射線量が高くなるのだ。
信田沢(しだざわ)が高くなっているのは注目である。山側といかわけでもないからだ。

ooharashida1.jpg

大原台畑-信田沢---この辺が2マイクロシ-ベルトのスポットになっている
最近は南相馬市は0・6マイクロシ-ベルトである。
ここだけがなぜか高いのも不思議である。放射線が高いスポットができる
そこには放射性物質セシウムなど堆積している。


posted by 天華 at 22:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2011年05月04日

世界的に注目される福島県-南相馬市 (自分のプログがノルウェ-語に翻訳されていた)


世界的に注目される福島県-南相馬市
(自分のプログがノルウェ-語に翻訳されていた)

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原子力の事故の原因の一つ En av arsakene til atomulykker

http://translate.google.no/translate?hl=no&sl=ja&u=
http://musubu2.sblo.jp/article/44557564.html&prev=
/search%3Fq%3D%25E7%25A6%258F%25E5%25B
3%25B6%25E7%259C%258C%25E5%258E%259F
%25E5%25AD%2590%25E5%258A%259B%25E4%
25BA%258B%25E6%2595%2585%26start%3D10%26hl


(福島県の地形が意志疎通を阻(はば)んだ) (Barrierer a kommunisere topografien i Fukushima Prefecture (ikke hvis) jeg)


●ハマ、ナカ、アイヅに分断された福島県の地形 Hama ●, Naka, Prefecture ble Fukushima delt inn i terrenget Aidzu


地理はそこに住んでいるものさえわかりにくい、福島県は広すぎて山も多いからわかりにくい、まず会津は別の県として地形的にも地理的にとらえるべきである。 Geografi forvirrende selv de som bor der, Fukushima Prefecture fra mange obskure fjell for bred, er First Aizu menneskeheten geografisk ulike provinsene, sa vel som geografisk. 地形的にも会津は会津県なのである。 Aizu er ogsa et topografisk Aizu prefektur.


二本松、若松及 び 平 の 3 県 に統合された。 Nihonmatsu, integrert i de tre provinsene Wakamatsu og及.
しかし、 間もなく二本松県は11月14日 に福島県に改称、また、平県も同月28日 に磐前県と Men snart ble omdopt i Fukushima Prefecture Nihonmatsu 14. november, og Bandai den 28. september for fylket og prefekturs av

改称され、 更 に明治9 年 8 月21日には若松及び磐前の 2 県 は福島県に併合されるに至った。 Har fatt nytt navn, den 21. august 1876 til ytterligere to foregaende prefekturene og Bandai har fort til annektering Wakamatsu i Fukushima Prefecture.
会津は若松と言われていた。 Aizu Wakamatsu hadde blitt fortalt. 磐城は平であり平駅があった。 Rettigheter av stasjonen og hadde Zyou Iwao. この中に相馬藩は入っていない、相馬藩は福島県に入るのには地理的にも無理な面があったのだろう。 Soma klanen har ikke inngatt, a ga inn i klanen Soma, Fukushima Prefecture, var det et fly ville vare geografisk umulig. かといって伊達と争っていた歴史から宮城県に入ることもできない中途半端な地域になっていた。 Jeg var ikke engang halvveis inn i omradet i Miyagi Prefecture, var pa kant med historien eller Dato a si. 今でも地理的には交通的には福島市より仙台が近く感じられるし実際に仙台に勤めて通っている人も多いのである。 Geografisk og transport er fortsatt mange mennesker som arbeider gjennom a faktisk fole seg nar Sendai fra Sendai Fukushima City. 実際に新地は伊達藩の境にあり代々の武士の家系の古い家があり伊達氏に属していると言い張っていて相馬藩と合併することを拒んでいた。 Shinchi hadde faktisk nektet a fusjonere med Tei Souma klanen insisterer han tilhorer familiens gamle hus har en dato, en samurai klan fra generasjon til generasjon i grensen til Italia. それだけ伊達家への思い入れが強い家があったのである。 Familien hadde sterke folelser at mye av Date familien.

福島県はハマ、ナカ、アイヅと三つの地域に分かれている。 Hama Fukushima, Naka, og er delt inn i tre regioner Aidzu. この三つの地域は気候的にも明確に違っている。 Disse tre omradene er ogsa klart forskjellig fra klimaet. 会津は雪がふっても浜通りはほとんどふらない海洋性の気候なのである。 Aizu sno som faller fra himmelen selv som stranden er litt Furanai havklima. 浜通りは気候的に本当に住みやすい場所だった。 Som stranden var virkelig et sted a bo klima. 福島県が最初二本松県であり若松(会津)と平県に分かれていたことが地理的にもそうなった。 Og Wakamatsu, Fukushima Prefecture, den forste Nihonmatsu (Aizu), sa var ogsa at det var geografisk delt inn i provinser og flat. 二本松のあの天守閣のあったところから回りを見回すとここが福島県の中心だったことが実感できるし十万石となるとその規模も大きいから歴史的にもそうだった。 Det gjorde historisk og fra en storre skala til hundretusen stein og kan fole at det var sentrum av Fukushima Prefecture, hvor rundt her og se deg rundt slottet som var Nihonmatsu. でも福島市の人たちから見ても浜通りの人たちから見ても阿武隈山脈、高原が横たわっているから交流も地理的にさえぎられるから少ない、磐城と郡山は鉄道が通っているが相馬と福島市には通っていない、交通的にも不便なところなのである。 Abukuma Fjell som folk selv fra stranden selv fra folket i Fukushima City, men ogsa mindre geografisk blokkert fra borsen fordi de lyver plata, og Soma har Kooriyama Zyou Iwao og jernbane gjennom Fukushima City, ikke gjennom, noe som gjor dem vanskelige er et sted for trafikk.
福島県はこうして地理的に隔絶されているから県としての一体感をもちにくかった。 Risen var hard, Fukushima Prefecture, fra en folelse av samhold er dermed geografisk isolert. 会津はさらに高い山々がありその地理はさらにわかりにくい。 Aizu er et hoyt fjell geografi som har enda mer forvirrende.


南相馬市の市長が窮状をyutubeで訴えて世界的な話題になった。原子力で福島県が実は世界的に注目されている。世界的に福島県の原子力発電のことは大きな話題になった。だから福島県は第二のチェリノブエリになったのである。福島県の南相馬市が有名になったのは野馬追いとかではない、原子力事故の被害のためである。津波も世界的関心だがこの原子力は世界的には関心が強い。何故ならどこの国でも原子力発電しているからだ。そこで関心が大きいのだがなかなかその土地の地理のことなどわかりにくいから自分のプログにアクセスしたのかもしれない、福島県の地理について書いたからである。

ノルウェ-語はデンマ-ク語から分離したものでありドイツ語が根幹にある。英語がわかるとドイツ語もわかりやすいのである。この訳をわからないにしても読んだら翻訳でも大意がわかるのかな、結構良く訳されているようだ。相当いい翻訳のソフトを使っているようだ。翻訳もかなり進んでいるからノルウェ-語にも訳せたのか、おそらく一旦英語に訳してそれからノルウェ-語に訳したのか?英語からだと欧米語ならかなりの精度で翻訳できているだろう。日本語となると翻訳はむずかしい。とにかくこういう時期だか福島県でも南相馬市でも世界から注目されていることは皮肉である。南相馬市長が一躍世界の十人にニュ-ヨ-クタイムズで選ばれたのもそのためである。インタ-ネットは世界とリンクしているグロ-バルなものだけどももう一つ利用していなかった。言葉の壁が大きいのである。いちいち翻訳していたら疲れるし能力がない、翻訳の機械化が進むから多少は改善されるかもしれない、世界的に発信するとなると英語になる、世界的に発信できれば凄いものになることは確かである。


 

posted by 天華 at 02:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

原子力事故で見えてきた権力の構図




原子力事故で見えてきた権力の構図
http://musubu.jp/jijimondai-41#atom3(時事問題の深層41)

今回の原発事故では権力の構図が否応でも見えてきたことは救いである。そうでなければ闇はさらに深い闇になり何がどうなっているのか不明のままで終わっている。戦争の敗戦のように何がこのような事態を作り出したのかその権力の構図が暴かれたのである。それぞれに出てくる情報がみんなかたよっている。それは必ず背後にそう言わせる組織がかかわっているからである。組織なしで発言することはできない,その組織がなかなか今回のような事故にならないと見えない場合がある。今回の事故はあまりにも深刻だったので隠すことができなくなったのである。それでも様々なかたよった見方はでてくる。それはやはり背後に大きな組織があり隠されるからだろう。個人が発言しているようでもある組織の不利になることは言わないとかある。マスコミでも言わせないということがある。そのために安全神話は作られたのである。この世が闇の主-サタンによって支配されているということはそのことである。闇の主は誰という特定のものではない、それは一般大衆の欲望であったりする。地元の人が双葉町の人はさらに7号8号機の原発を要求していたのだからその責任はある。原発利権が麻薬のようになっていたのである。そういう利権の構図がピラミッドとして形成され人災として事故になったといえる。
情報とは様々であり今回のような放射能騒動になるとますます混乱する。素人にはわからないし学者すら見解が分かれている未知の分野が放射線の問題にある。真実はかたよったところではなく中間にあるというのも真実なのだろう。ただ今までは全く安全を言うものしか出る幕はなく危険を言う人は表に出れない、出ていてもほとんど気づかないようにしか出れなかった。それでますます安全神話が強化されて見えないものとなってしまったのである。
posted by 天華 at 23:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2011年05月06日

放射線は体内被曝が危険(逃げるときは風向きに注意)


放射線は体内被曝が危険(逃げるときは風向きに注意)

市町村調査学校名 ※測定値(μSv/h)(調査日:4月5日)
浪江町津島小学校 1m高さ 23.0、1cm高さ 30.1
浪江町津島中学校 1m高さ 18.8、1cm高さ 22.9
浪江町津島保育所 1m高さ 22.8、1cm高さ 27.9
飯舘村飯樋小学校 1m高さ 9.6、1cm高さ 10.7
飯舘村飯樋幼稚園 1m高さ 10.0、1cm高さ 11.3
飯舘村やまゆり保育所 1m高さ 8.3、1cm高さ 9.5
飯舘村臼石小学校 1m高さ 11.5、1cm高さ 12.5
飯舘村草野小学校 1m高さ 14.0、1cm高さ 18.2
飯舘村草野幼稚園 1m高さ 12.1、1cm高さ 14.7
飯舘村飯舘中学校 1m高さ 9.7、1cm高さ 12.2

南相馬市 児童館・児童センター 上町児童センター 1.2 4月30日
南相馬市 児童館・児童センター 高平児童館 0.59 4月29日
南相馬市 児童館・児童センター 仲町児童センター 1.4 4月30日
南相馬市 児童館・児童センター 橋本町児童センター 0.67 4月30日
南相馬市 児童館・児童センター 東町児童センター 0.68 4月29日
南相馬市 放課後児童クラブ 千倉臨時児童クラブ 0.61 4月29日
南相馬市 児童デイサービス あ一す 1.5 4月29日
南相馬市 児童デイサービス のびっこらんど愛愛 0.78 4月30日
南相馬市 その他 原町学園 0.61 4月30日


横川ダム5.98〜6.14
高倉ダム7.41〜7.88


えーと私のカウンタでは本陣前で累積1.5mSv前後だよ
もちろん配給で外にいるときも測ってる
でも風で数値は変わるんで絶対とはいえないですが・・・
で現在部屋の中では0.43μSv/hです


福島市と郡山市の放射線レベルは一定の数値まで下がったけれども、それ以後全く変化が無く、原発事故前の平常値の40倍で止まったままだ。この事実が何故報道されないのか不思議だ。


福島と郡山の中通りは盆地だから高いのかなぁ〜
そして原発から近いいわき市や田村市常盤町、小野町は低いんだよな


5月1日から1年間の大学屋外での被曝予測量は15.0mSvから6.8mSv,屋内では2.3mSvから1.1mSvとなっており


放射線はわかりにくい、放射線は地域によってかなり違っている。測り方によって違ってくる。土から一センチだと高いが一メ-トルになると放射線は弱くなっている。ただ飯館村では
飯舘村やまゆり保育所 1m高さ 8.3、1cm高さ 9.5・・・これは高さによってたいして変わっていない、ということは強い放射性物質が高いベクレルのものが土に堆積している?放射性物質から離れれば離れるほど放射線は弱くなる。屋内だと 半分以下になったりする。ガイガ-カウタ-では足を計ることでもわかる。足に一番放射性物質がつきやすいのである。何故なら地面から舗装道路でもそうだが土から堆積した放射線が出る。表土を取り除いたら放射線が下がったことでもわかる。放射線は土から何センチとして計るのが目安になる。空中から放射線は飛んでこない、一時的には水素爆発などしたときは飛んできたが今は地面に堆積した放射性物質が放射線を出している。そして郡山市と福島市では放射線の量が変わっていないのはセシウムなどが半減期が30年とか長いものが堆積したためだろうか?なぜ屋内退避になるのかといったらやはり外は土などに放射性物質が堆積して持続的に放射線を出すからだろう。


ともかく飯館村も高いが津島が高いのはわかる、赤字木椚平が一番高いし塩浸の別れ道で津島に行く方面は道が広いから風の通り道になる。南相馬市では山の方が特に横川ダムとか高倉が高いのはわかる。赤字木に近い山にあるからだ。浜通りは海にそった所は低くなっている。阿武隈山脈の山側が高いのである。それは飯館から霊山とか月館や伊達も高いのだ。山が壁となり風や雨などの気象条件で放射性物質が土に堆積した。もし平坦な地だったらこんな分布にはなっていない、チェルノブリなどロシアのような大陸だとどこまでも平地がつづく、すると300キロとか離れた地点に放射線が高い地帯が生まれた。つまり山がないから放射性物質が留まるところがなかった。遠くに飛んだのは障害物がなかったからである。20メ-トルくらいで飛んでゆくとしたらそうなる。またそのくらいの高さだとどうしても山があれば壁となり堆積する。赤字木の椚平とか手七朗の山中に一番高い放射性物質が堆積したのはそのためである。南風になったら浜通りの平地に風の通り道ができたら仙台も危険かもしれない、山のような障害物がないと風に遠くまで飛ぶかもしれないからだ。茨城県も山がないから磐城辺りを越えて海側に風が吹くと東京辺りまで飛ぶことはありうる。風に影響されることは確かである。そういうことはありうる、離れれば離れるほどいいというがもし平坦な地だったら百キロ二百キロでも風にのって飛んでゆくのである。

放射線の地図では一番高い赤字木椚平とかから等高線のように放射線量が高くなっている。つまり中心点は原発のある所ではない、放射性物質が一番堆積したところから等高線のように分布しているのだた。ただ福島市とか郡山市は風にのって飛んだのだろう。東風で流され北風が吹いた。東風より北風が常時まだ吹く時期だったからだ。放射線はやはり風がどうなっているか一番問題になる。浪江の人が津島に逃げたのは一番危険な地帯に逃げたのである。
放射線は素人には説明されてもわかりにくい、放射性物質は体内被曝の方が危険である。体内被曝のキ-ワ-ドでいくらでもインタ-ネットで説明がでている。放射性物質が体内にとりこまれると細胞やDNNをきずつける。たとえ一ミリしか飛ばなくても細胞を持続的に傷つけるから怖いのである。体内被曝は体外被曝よりずっと怖い、体内被曝が細胞を傷つけて癌などにするからである。染色体も傷つけるとか遺伝にも影響する。一旦放射性物質を体内にとりこむと持続的に放射線をだしつづける。それで細胞が長い年月の間に傷つけられ癌になりやすいとなる。

放射性物質は空中からとりこむより土に堆積したもの埃などが舞い上がり口などから入りやすい、だから放射線の危険は土や水や食べ物や牛乳などから体内に取り込むことが危険なのである。放射線のやっかいなのは土や水や空気や人間にとって欠かせないものを汚染するからである。水を飲まないわけにいかないし空気も吸わないわけにいかない、土も食料を得るには不可欠である。そういうものが奪われたら人間は生存できなくなる。いづれにしろ土が一番危険だとすると耕すこともできなくなる。土からは埃が立ち放射性物質を一番吸い込みやすいから学校の校庭で規制したのである。南相馬市の校庭は危険にはなっていないのだろう。3マイクロシ-ベルトとなると危険領域になる。ただ放射線については学者でも言うことがまちまちなのはしっかりとしたデ-タ-がないのである。どうにでも解釈できる分野なのである。確かなことは微量の放射線は体にいいというときそれは体外の被曝であり体内被曝でないことである。体内被曝だったら持続的に放射線を細胞が受けるのだから影響は一時的なものでないからだ。


浪江の山中から等高線のように拡散する放射性物質
http://www.sss.fukushima-u.ac.jp/FURAD/FURAD/data-map-datail.html

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放射性物質が爆発したときどういうふうに流れたかの検証 (やはり風が影響した)

 

放射性物質が爆発した時どういうふうに流れたかの検証
(やはり風が影響した)

■3月12日午前10時17分■  東電が1号機のベントを開始。
■3月12日午後3時36分■  1号機原子炉建屋で水素爆発が発生。
■3月14日午前11時1分■  3号機原子炉建屋で水素爆発が発生。

■3月15日午前9時38分■  4号機の使用済み燃料プールで火災が発生。
このプールには1300本以上の使用済み燃料が保管されていた。


■3月12日午前10時17分■  東電が1号機のベントを開始
1-soma.jpg


赤枠は南相馬市の放射線量


3月12日午前10時にベントを開始した、その時大量の放射性物質が放出された。
3月12日午後3時に一号機で水素爆発した。

この二つの事故によってその時風にのっておそらく東風より南風だったのかもしれない、南相馬市にその放射性物質が大量に流れてきた。だから夜の8時から11時ころまで17−20−12マイクロシ−ベルトを記録した。これは南相馬市では一番高い放射線の記録だった。
この時福島市といわき市は記録されていない。

 

3月13日は何も起きていないから放射性物質は流れてこない
南相馬市でも急速に4マイクロシ-ベルトかに下落している

福島市もいわき市も0・0代であり通常の放射線量だった。


■3月14日午前11時1分■  3号機原子炉建屋で水素爆発が発生

水素爆発しても南相馬市でも3マイクロシ-ベルトとか下落したままである。
福島市でもいわき市でも放射線量は上がっていない


■3月15日午前9時38分■  4号機の使用済み燃料プールで火災が発生。
このプールには1300本以上の使用済み燃料が保管されていた。

2-iwki.jpg

赤枠はいわき市の放射線量

この時いわき市で方放射線量が午前2時から3時代に急激に増大した。でも火災が発生したのは午前9時であり放射線量が増えたのは午前2時ころだった。火災の前に放射線量が増大した。その前に何らか燃料から放射線がもれたのかもしれない・・・
いわきでもここだけが放射線量が増大してあとは増えていない、南相馬市も最初の12日が増大したが増えていないのだ。

3-fukushima.jpg
赤枠は福島市の放射線量

3月15日午後4時から16日まで福島市で放射線量が増大している。福島市の放射線量はその後もなかなか減らない、ここでは郡山市と飯館村は計測されていない。

kazehoushasen1.jpg

南相馬市が放射線量が増大したのはベント開始した3月12日午前9時でありこの時一時的にでも南風が吹いた。次に午後3時に水素爆発した。南相馬市には午後8時から11まで放射線量が一番増大したがすぐに低下した。つまり風によって一時的に増える。でも継続的に南相馬市には放射性物質が流れなかった。その時福島市やいわき市には放射性物質が流れなかった。放射性物質はその時の風の影響が大きい。風の方向が違うと全然量が違う。ベント開始して水素爆発した日にいわき市には放射線量は計られていないか13日は南相馬市でも4マイクロシ-ベルトくらいに減っている。南相馬市ではあとはふえていない。
 


■3月14日午前11時1分■  3号機原子炉建屋で水素爆発が発生。

■3月15日午前9時38分■  4号機の使用済み燃料プールで火災が発生。
このプールには1300本以上の使用済み燃料が保管されていた。


3月15日午前2時にいわき市で放射線量が増大した。水素爆発の影響だった。その時は北風だったのだろう。

3月15日午後4時から福島市で放射線量が20マイクロシ-ベルト代に増えた。それまでは平常だった。ここで急激に増えた。これは使用済み燃料の火災の影響でそうなったのだろうか?その時東風が吹いていたことが福島市に影響した。その時浪江の赤字木椚平など一番放射線量が高くなったところは計測されていない、飯館村も高くなって福島市も高くなったのである。その原因は東風にあった。なぜなら南相馬市も12日のベント開始したとき風の影響で20マイクロシ-ベルトにもなっていたからである。
その後放射性物質は浪江の赤字木椚平から手七朗や津島や飯館村の長泥に東風にのり堆積した。それでそこを中心として福島市に東風で流れて福島市で放射線量が高い日が長くつづいた。
やはり放射性物質は風の影響が大きい。南相馬市だって12日にベントが開始された日に20マイクロシ-ベルトと高くなっていた。その時南風だった。その後は一時北風になりいわき市が高くなりあとは飯館村から福島市に東風が吹き山が壁となり放射性物質を土に貯えてしまった。それで今もその土に堆積した放射性物質がセシウムなどが風にのって福島市や郡山市に拡散しているのだろう。南相馬市といわき市には堆積しなかったのは山がないからなのか、空中に拡散したのだろうか?ともかく放射性物質の流れは風の影響が大きいことは確かである。風向きで大きく変わる。同心円では計られないのだ。そして一旦密度が高く堆積したところは飯館村のようになかなか放射線量が低下しない、福島市も低下しない、でも1・5マイクロシ−ベルトくらいだからたいしたことはないようだが南相馬市よりは高いのである。飯館村が堆積したのは山間でありその山が壁となり放射性物質が堆積してしまった。福島市も盆地であり山が壁となり堆積したのだろうか?山は低くても壁となり堆積しやすいということがあるのかもしれない、とにかく風向きで変わる放射性物質の流れには注意である。



福島県放射線量の変化
http://www.pref.fukushima.jp/j/7houbu86.pdf

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放射線量は最初のベントや水素爆発-燃料棒の火災のとき大量に放出されたがその後積算では一定であり
その後は原子炉から放射線はそれほど流出していなようである。
やはり最初の爆発など放出が大量の放射性物質の流出が起きた。

posted by 天華 at 23:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2011年05月07日

爆発時の時系列での風の影響の分析(訂正)


timewind1.jpg

時系列で説明が間違っていた。

一号機で3月12日に二回放射性物質大量に放出された
10時にベント開始→15時に水素爆発→20時に南相馬市に到達
時間差が5時間で到達

3月14日午前11時に3号機で建屋が水素爆発→3月15日午前2時から5時に
いわき市に大量に放射性物質が北風で流れる
ここで時間差が14時間くらいある。この理由はわからない。
この時の水素爆発で北風が吹きいわき市に流れた。


■3月15日午前9時38分■  4号機の使用済み燃料プールで火災が発生。
このプールには1300本以上の使用済み燃料が保管されていた。

3月15日午前9時に燃料プ-ルで火災が発生→3月15日午後4時から福島市で放射線量増大・・この時東風が吹いた。途中の浪江の山中や飯館村に大量に流れ山が壁となり堆積した。福島市ではなかなか放射線量が下がらなかった。その原因は浪江の山中や飯館村の土にセシウムなどが大量に堆積したためなのだろうか? それとも燃料プ-ルに本尊されていた1300本の使用済み燃料から大量の放射性物質がもれたのか?なぜならいわき市は3月14日午前11時に3号機で建屋が水素爆発の時の放射性物質が北風にのって流れた、
■3月15日午前9時38分■  4号機の使用済み燃料プールで火災が発生。このプールには1300本以上の使用済み燃料が保管されていた。
この時水素爆発より大量の放射性物質が放出されたのだろうか?ここは量が原子炉内にあるものより非常に多いからである。火災が発生したとき東風であり大量に流れ山が壁となり土に堆積した結果、継続的にセシウムなどから放射線が出て浪江の山中や飯館村では放射線量が下がらない、今でも土から近くで計ると相当に高いのである。


ベントや水素爆発ではそんなに放射線は出なかったのか?4号機の燃料プ-ルから出た放射性物質が一番多くそれが浪江の山中から飯館村に堆積して福島市に東風で流れたのだろうか?つまり南相馬市といわき市の放射線量は水素爆発が影響したものであり燃料プ-ルのは影響していない、なぜならその時の風で何時間か大量に流れてきたがすぐに低下しているのだ。でも飯館村から福島市はなかなか低下していないのである。やはり放射性物質は風に影響されて一時的に爆発したりすると増大する。でも空中を流れてしまいば土には堆積はしない、土に堆積したら持続的に放射線は放出されるしセシウムなどだったら半減期が30年とか長いから放射線量が減らないのだ。おそらく南相馬市やいわき市には風でちょっとの時間流れたが土にはそれほど堆積しなかった。いわき市は地理的には近いのだが今は南相馬市の半分くらいしかない、この時期は風は北風の方が多い、そしたらいわき市にはもっと放射性物質が流れてもいいはずなのである。放射性物質は爆発したりするとき一時的に大量に放出するからその時風が影響するのか、それとも水素爆発ではそれほど放射性物質は放出されなかったのか?その辺はわからないが南相馬市といわき市は水素爆発の時風の影響で増大したが土には堆積されなかった。


3月の初旬の時期は一番多いのは北風でありこの北風は持続して吹いている。だから春北風(はるきた)という季語がある。次に西風が吹くのか東風(こち)は確かにこの時期に吹き始めるのでありでもすぐ北風や西風に変わる、継続しては吹かない、そして南風は一番吹く量が少ない、この時期に南風はほとんど吹かない、でも東南の風は吹く。南相馬市には南とあるごとくベント開始して水素爆発したとき南風にのって放射性物質が大量に流れてきたが3、4時間で急速に減少した。いわき市も急速に減少している。ところが浪江の山中と飯館村と福島市と郡山市は減少しても長くつづいて高かった。これは山中の土に堆積してそれがのちのちまで影響したのだろうか?結局放射性物質はセシウムなど土に堆積することが怖い、ヨウ素は消失しやすいからいつまでも影響しない、ヨウ素からの放射線はすぐに消えてしまうのである。ヨウ素とセシウムなどがどういう割合で流れたのかも問題になる。南相馬市の場合はベントした時と水素爆発した時だからその時ヨウ素の方が大量に流れてきて土に堆積しても消えやすいから放射線が低下したのか?いわき市もそうだったのか、燃料プ-ルの火災の時はセシウムが大量に飯館村や福島市に流れて土に堆積したのか?こういうことはこれから専門家が解析してくれるのだろう。素人としてはやはり風に注意することくらいしか深い所はわからない、ただ放射性物質は目に見えないのだから常に数値として判断することになる。数値で安全したり恐怖したりしているのだ。2マイクロシ-ベルか、ここは0・6だから安全だな、こっちは0.3だからさらに安全だよとか数値だけが頼りなのである。だから異常に数値にこだわるのが放射線の問題だった。実際どこまで数値で安心できるのかとなるとこれもわからない、目安がないからそうしているだけなのである。

kazebupu1.jpg


3月初旬は東風が吹きはじめるが北風が主に吹き西風も吹く
南風はめったに吹かない、放射性物質は風だけではなく地形が影響する
それで飯館村や福島市は持続的に放射線量が放出され減らなかった。?


 
文部科学省は7日、福島第1原発周辺の土壌に含まれる放射性物質の調査で、
原発の北西24キロの福島県浪江町で6日に採取した土1キログラム当たり、
セシウム134とセシウム137を合計で78万ベクレル検出したと発表した。
原発の半径20キロ圏外の土壌調査では最高値となった。

半減期約2年のセシウム134を35万ベクレル、半減期約30年の
セシウム137を43万ベクレル検出。同地点で3月30日に採取した土壌と比較すると、
半減期約8日のヨウ素131の検出値は10分の1以下で、文科省は
「減少していくヨウ素より、セシウムが放射線の主な放出源となる」としている。

http://www.chunichi.co.jp/s/article/2011050701000372.html

浪江町というとき平坦な町のあるところではない、赤字木椚平とか手七朗とか津島の山中だよ、浪江全体じゃないんだよ、そこがいつも誤解するんだよな、全国的には、スポットスポットで放射線量は違っている、やはりヨウ素は減ってセシウムは減らないから問題になっている。
 

posted by 天華 at 14:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2011年05月08日

南相馬市は避難する必要なかった!(福島市は避難地域だった)


南相馬市は避難する必要なかった!(福島市は避難地域だった)

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●政府の支持は信用できない


南相馬市は12日の3時間くらい放射線量が高かった。最高20マイクロシ-ベルトになった。それも3時間くらいで5マイクロシ-ベル以下に下がりあとは下がる一方だった。
一方福島市はグラフで10日間の推移を見ても放射線量が高いのである。
この放射線量から見れば福島市が避難地域に指定されのが一目瞭然である。
飯館村は計られていなかったが飯館村も福島市以上に高かった。浪江の山中はもっと高かった。浪江は避難指示になった。飯館村と福島市はなっていなかった。
南相馬市はほんの一部が放射線量が高いところがあったがほとんど高くなっていない
3時間くらい高かったが急速に低下してあとは5-4-3マイクロシ−ベルトと低下する一方だったのである。これはいわき市も同じであり3時間くらい高い時があったがあとは低下する一方であり南相馬市よりさらに半分以下になって低下している。
すると同心円の30キロで避難地域を決めることは何ら根拠のないものだった
肝心の避難地域は飯館村や福島市になっていたのである。
でも南相馬市の人が避難した地域が福島市だったというのもおかしなことになる。
放射線の高い領域に避難したのである。郡山も南相馬市より高かったのである。
南相馬市は屋内退避とかいろいろ政府から指定されて混乱した。
それは実際は科学的には根拠のないことであった。
政府の一方的指示で混乱させられたのである。
もちろん風向きが変われば30キロ圏内は危険だからそうしたことはわかる。
でも南相馬市といわき市は水素爆発の影響を最初の一回だけ受けてあとは全く受けていない、放射線量は低下する一方だった。
それに比べ福島市は10日間からさらに10日間となかなか低下しなかったのである。
風向きしだいだから政府も避難指示をだしにくいことはあった。
でも明かに福島市は高いのだから避難指示が出ても良かった。南相馬市より高い日が持続したのだ。それをしなかったのとは福島市を避難指示にしたら人口が多いから混乱するからである。郡山市もそうである。中通りを避難地域にしたら大混乱になるからしなかっただけなのである。おそらくこれからもそうである。避難指示にしたら政府に保証問題が生じる。
人口が多ければ保証しきれないから避難指示はこれからもしない、
東京なんかもいくら放射線量が高くても避難指示は最後までしない
安全です、安全ですと言いつづけるだけである。
放射線量はガイガ-カウンタ-があれば個々人でも計れる。
そうした自衛手段も必要になってくるかもしれない、政府では危険でも避難指示をしない
30キロ圏内だけしかしない、でも実際は30キロ圏内の避難指示は全部必要ではなかった。
政府は放射線の後遺症とかについても責任はもたない、因果関係は今も証明されていないからもつよう必要がないからだ。


●放射線が一番高い地点

hirusone.JPG
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南相馬市原町区の片倉村から横川ダムを通り原浪トンネルを通って浪江町の昼曽根に出て津島の方に行く椚平(くぬぎたいら)が一番放射線量が高い。原浪トンネルは原町区と浪江の境目にあった。ここのトンネルは新しいトンネルである。そしして今日NHKのテレビで浪江の請戸地区に入った人を見たが原浪トンネルを出たところが20キロ圏内の立入禁止区域になっていた。
あの辺が同心円で20キロ地点だった。あそこは何回も自転車で行っていたからわかっている。
梅林があったからまちがいないだろう。あの辺にもまばらに家はあることはある。もう誰も住んでいないだろう。あの辺は人が住めなくなってしまうのか?

南相馬市では横川ダム近辺の片倉村などが放射線量が高くなることがわかる。一番放射線量が高い椚平に近いからである。だからこの辺は飯館村と同じ計画的避難地域に指定されている。
 
posted by 天華 at 11:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2011年05月10日

放射性物質の風と雨との影響は?


放射性物質の風と雨との影響は?

●福島市が放射線量が高かったのはやはり東風のため


燃料の余熱でプールが沸騰し、露出した燃料棒が過熱して被覆管が水と反応。水素が発生し爆発したとされる。その後、コンクリート圧送車で水を補給し、事態は落ち着いたとされていた。
ところが、今月12日に燃料棒の損傷度を調べるためプールの水を遠隔操作で採取した結果、水温が爆発前日の84度を上回る90度と判明。プールの約6メートル上空で通常の10万倍以上の放射線量が計測された
http://blc.dreamlog.jp/archives/51877962.html


放射線は水でさえぎられるとあるから水に入っていないと空だき状態になり放射線も空中に出る、放射性物質も放出される。浪江から飯館村から福島市に流れた放射性物質は4号機のものだった。その前に1号機であり3号機でもあったがこの時は相馬といわき市に流れても3時間くらいしか放射線量は上がっていない、あとは急速に低下する一方だった。爆発したときに南相馬市は南とあるごとく南風の影響を受けた。いわき市は北風の影響を受けた。そして最後の4号機爆発の時は東風の影響を受けた。それで浪江町の山中や飯館村から福島市が東風の影響を受けて放射線量が高かった。


福島市の放射線量の推移と風向きの図
http://www.rb.sss.fukushima-u.ac.jp/user/taka/radiation/
kazegraph1.jpg
これはだいたいの風向きの感じをグラフ化したものであり正確ではない
でも3月は北風と西風が大部分である。東風は吹きはじめても割合は少ない
すぐに北風、西風になる。陸から海の方に風が吹くのが多かったから陸地にはすくなかった。
チェルノブエリではすべてが陸地だから陸地に放射性物質が堆積したため
被害が大きかったともいえるのでは・・・

この図を見ても東風がこの時だけ多く吹いた。この時期はグラフでもわかるように北風、西風が多いのだ。東風はそれほど吹かない、南風はさらにめったに吹かない、自分でグラフにしたのは正確な数値のグラフ化ではない、だいたいの感である。風といっても東風といっても完全な東風はない、北東の風とか東と北の間の風が多い、東風が吹いてもこの時期すぐに北風に変わり西風になる。この時期は実際は圧倒的に北風、西風が多いのである。だから陸から海の方へ吹く風が多いから放射性物質が海の方へ流れたから良かったのかもしれない、南相馬市に吹いた南風はこの時期めったに吹かないから本当は南相馬市は風の影響を受けないはずだったのである。ただ夏になると南風の影響を受けるから爆発したりしたら福島市のようになるかもしれない、だから海から山へ向かって吹く、ヤマセが危険だというのもわかる。
4号機の爆発のときの影響で福島市方面が最も影響を受けた。そして爆発したときだけではなくその後も放射線量がさほどへらず持続したのか?東風はその後そんなに吹かないからだ。放射性物質は爆発したとき大量に放出され流れる。その時風の影響を受けたとなる。南相馬市は爆発のときわずかに流れただけだった。チェルノブリも風の影響だったのだろうか?するとその時の風しだいになる。特に4号機からの放射線量が特別高かったとするとそこから放射性物質が他の原子炉より多く流れたとなる。燃料棒が保管されていたしそこから出たものが大量だったとなる。


飯館村では長泥が10マイクロシ-ベルトくらいが平均して今でも下がらない、津島も高く津島から一山越えた葛尾(かつろう)村の柏原も8マイクロシ-ベルトくらいと今でも下がらない、飯館村の役場のあるところは3マイクロシ-ベルトくらいと低下している。やはり土に堆積したら下がらないのだろうか?これだけ日にちがたって放射線量が下がらないのセシウムなどが土に堆積してしまったからとしか考えられない、原発からは放射性物質は流れていないからだ。


●放射性物質は雨で流される?


福島県は1日、同県郡山市の下水処理場「県中浄化センター」で、汚泥と汚泥を焼却処理した溶融スラグから高濃度の放射性セシウムを検出したと発表した。県は、降雨により地表の放射性物質が混入したとみている。

 県によると、汚泥からセシウムを1キログラム当たり2万6400ベクレル、溶融スラグから同じく33万4千ベクレルを検出した。原発事故前の溶融スラグは同246ベクレルだった。


チェルノブイリでは雨はほとんど降りませんし、海からも離れています。
これでは撒き散らかされた放射性物質はそこに残ったままです。
日本では年間2m近い雨が、特にこれからの梅雨時に集中して
降ります。河川も短くすぐに海に拡散してしまいます。
原発周辺の汚染も意外と早く10年程度で洗い流されてしまうのでは
ないでしょうか?


東京の場合にはコンクリートやアスファルトで覆われていますので、激しい雨が降ればあらい流されるかもしれません。雨が降らなければ、原則的には道路や壁等に放射性物質がついていますので、なかなか放射線が減らないということに .


科学音痴でも風土的なもの地形とか地理に旅をして興味をもった。ロシアのチェルノブリは大陸であり日本とは全く違う地形であり風土なのだ。日本のような地形と雨の多い風土では放射性物質は雨に流されるものなのか?郡山市の下水処理場の汚泥から高い放射性物質が堆積していたのが発見されたのはそのことを裏付けている。そして日本は湿潤な地域であり雨が多い、これから梅雨にかけて大量の雨がふる。その雨が放射性物質を洗い流すものなのだろうか?それから日本の地形は海に直結している。川でも日本の川は滝だと外国人が言ったように滝のように海が近く山からの水が海に流れだしてゆく、その時土の中の放射性物質は流れだしてゆくものなのか?道路や壁等に放射性物質がついていますので、なかなか放射線が減らないということに ・・・これはわかるが土に堆積した放射性物質はどうなるのだろう?地中深く水で浸透してしまうこともあるのか?雨の影響がどうなるのかも注意である。

こうして科学でもいろいろな事象というものは歴史もそうだったが地理や地形や風土の影響を受けるのだ。日本人が海産物からヨウ素を十分にとっているから外国人のように甲状腺癌になるのはまれだろう。何かそういうとき信じてしまうのだ。日本人の腸が長いのは米食のためであり体が外国人と違っているから当然放射線の影響も一様ではないのだ。

そもそも日本のような地震国に原発を作ること自体風土にあわないことだったのである。
日本でトンネルの技術が発達したというのも当然である。山だらけの地形だからである。オランダとかは風車が発達したのも風を受けやすい地形だからである。技術的なものもその土地や地形にあったものが発達する。日本は地震国だから地震に強い建築は発達した。しかし原子力発電に備えるまでの技術力はまだ未熟だったのである。今回のような津波も想定されていなかった。技術もその国の風土に見合って発展する。アメリカや大陸のような所では巨大技術が発展する。だから原子力発電などには向いているのかもしれない、ただ完全に安全なものは人為的ミスもあるから作れないのである。

チェルノブリでもスリ-マイルでも自然災害で事故になったのではなく人為的ミスだったのである。風土にあった人間の生活を考えることは大事である。津波でも地形によって被害が違っていた。牡鹿半島の小竹浜では被害が少なかった。前の弁天島が防波堤の役割を果たした。
松島もそうであり塩釜も被害が少なかった。地形の影響が大きかったのである。地形と地理は宿命であり人間では変えられない、だからそれに見合った村作り街作りをする他ないのである。石巻市など海の前になんにもなくもろに海に接していて街になっていたから被害が甚大だった。海に接して前に島などないところはみんな壊滅したのである。

posted by 天華 at 11:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

緊急避難準備地域は政府の都合で指定されただけ (相馬市(新地)も避難準備地域に入る)

 

緊急避難準備地域は政府の都合で指定されただけ
(相馬市(新地)も避難準備地域に入る)
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今回の放射性物質の図からは相馬市も緊急避難準備地域になる。最も放射性物質が堆積したのは今回は浪江の山中と飯館村と福島市だった。この図から南風だった場合の予測をするとこのようになる。この図からだと南相馬市だけではない、相馬市も緊急避難準備地域なのである。今回の爆発で浪江とかから相馬市に逃げた人がいたが爆発した時点で南相馬市が3時間くらい10-20マイクロシ-ベルトと高かった。南相馬市だけではない、新地辺りまで今回のような爆発で放射性物質か拡散したらそうなる。辛うじて山元町辺りに逃げれば安全圏とは言えなくても一応安全だとなる。でも風はどうなるかわからない、チェルノブリでは200キロまで飛んだ。大陸だから大陸の風にのった。日本でも海岸線は山がないからどうなるのかわからない、結局風次第であり予測はできない、ただ今回の場合がらシュミレ-ションすればこうなるのじゃないかということである。南相馬市と相馬市は完全に避難準備地域なのである。30キロ圏内で区切っているがそれで安全ということはないのだ。政府では保証するのは30キロ圏内だけだと言っているだけなのである。より安全圏を求めるなら山形とか会津や日本海側に逃げるほかないだろう。今回のことでわかったように福島市も郡山市も中通りも緊急避難地域なのである。だからその辺に移動するのは安全とは言えない、安全圏は風によって違うがまちがいないのは会津や山形や日本海側ならそうなる。今の状態だとまた爆発しないとも限らない、ふりかえると一機だけではない四機もあって三機も爆発なるなんていかに危険だったか今になるとわかる。
四機もあって燃料プ-ルもある。それらが不安定な状態にあるのだ。

津波でも災害の避難訓練をするが原子力事故の場合はその時の風向きに大きく影響されることがわかった。飯館村はそのために大被害を受けた。福島市も60キロでも南相馬市より実際は危険地帯になった。30キロ圏では決められないものだった。緊急避難準備地域とは突然双葉町や浪江町など20キロ圏内のように避難させられ立入禁止区域にされる。家にも戻れなくなる。緊急避難地域はそういう地域だから子供を原町区の学校に通わすことができない、医療も崩壊している。自分も相馬市の病院に移る他なかった。でも緊急避難地域のあいまいさは30キロ圏外でも相馬市から新地までも緊急避難地域なのである。なぜなら爆発したら結局逃げるほかないからだ。放射線量はほぼ同じ地域になる。ただ政府の都合で30キロ圏内にしているだけである。爆発したとき相馬市の人も逃げたということは正しかった。南相馬市から相馬市に逃げても放射線量は変わらないのである。だから緊急避難準備地域という政府の指定はただ政府の都合であり安全だという基準とは何ら関係ないのである。安全を求めるとしたら自分で決めるほかなくなる。


今回のことでわかったことはそもそも原子力事故ははじめてであり政府自体が混乱していた、もちろん東電もそうである。命令すべき人たちが混乱していた。そもそも東電の社員はいち早く危険を察して逃げた。残ったのは50人だった。つまり危険なときは誰も安全を保証しないということだった。事故を起こした当事者自体が何かわからない、制御できない、逃げるほかないとしたらその回りの人にどう指示していいかもわからないのだ。その混乱は今でもつづいている。
もちろん放射能のことなど全然わからない人たちは自分をふくめどう対処していいかなどわからなかった。要するに安全だ安全だとか教えられていない、危険じゃないですかと口に出すことも地元ですらできない、だから津波のように危険な場合、事故が起きた場合どうしたらいいのかとか何の対策もない、百億円かけたスビ-ディは何の働きもしなかった。それだけ安全安全というだけで危険な場合の用意はゼロだったのである。津波でも絶えず危険を言われても危険を感じなかった。


原発の場合はそういう危険を言うこともできないしそのために準備しろなどと言ったら誰も容認しないから言わないのである。それが事故が起きた場合の対策は何もない、ただ混乱があるばかりであり安全も自分で判断する他ないのである。しかし安全のためにどうしたらいいとか教えられてもいないから対策などないのだ。御用学者が放射能が異常に高くても安全ですと言えばそうかなと思うだけだった。素人には判断しようがないからだ。今度大爆発起こしたらどうなるのか?もはや政府でも命令すらできなくなるかもしれない、放射能を抑えることもできない、そして原子炉が爆発する。それも一機だけではない6機もあるのだから連鎖的に爆発したら東日本は人が住めなくなる。原子力事故とはそういう危険なものだということを今回の事故でみんなわかったのである。そんなときはもはや政府は指示すらできない、逃げる奴は勝手に逃げろとなってしまう。それともチェルノブリのように決死隊が人力で抑えるしかなくなる。
日本でそれができるのかとなるとそれも予測できない、英雄的な行為に出る人もでてくるかもしれない、それにしても六機もあるということは空恐ろしいことだったのである。これからもどうなるのかわからないから原子力は恐ろしいものだということを肌で感じたのが今回の事故だったのである。

 


 

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2011年05月14日

原発事故で東電社員は逃げた (残ったのは50人-あぶりだされた真実)


原発事故で東電社員は逃げた
(残ったのは50人-あぶりだされた真実)


14日に亡くなった60歳代の協力企業の男性の死因は、わかっていないものの、 
放射線量を気にしながらの防護服での作業は、身体的、精神的な負担も大きく、 
作業員に不安が広がっている。 
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110514-OYT1T00511.htm 



女「これは○○(大学名)の方から聞いたんだけどね、
  原発でトラブルがあった直後からニュースで報道されるまでの間にね
  政治家の上のほうの方たちの家族とね、東電の重役の家族が
  国外へ避難したそうよ。
男「国外ってどこへ」
女「スイスやドイツとかヨーロッパの別荘とか言ってたわ」
男「チケットなんてとれるのかね」
女「政府や大企業の家族には特別措置がはかられるのがあるじゃない。
  それよりそういった家族全員が海外へ避難したのを確認してから
  ニュース報道がされたそうよ」
男「そりゃひどい」

 



大阪に逃げた浪江の女性もビデオで語っていたけど東電職員は危険をいち早く察知して逃げた。子供を逃がした。やはり放射能の危険を知っていたからだ。日頃から放射能のことを現実的仕事として知っていたからこそ逃げた。自分は15日間テレビばかり見ていた。そしたら放射能は危険ではない、直ちに影響はないとかばかりテレビの言うことを聞いていたので放射能なんか恐れるひつようがないと思って外にでていた。爆発したときは30キロから二三キロ離れても回りの人は逃げた人が多かった。結局自分は放射能に無知だったのである。はじめてのことだから放射能が何かとっさにわからなかった。日頃から放射能の危険を知っている人は逃げたのである。自分の場合は介護しているから逃げようもなかったこともある。それにしても爆発がつづいたときは放射能のことを知っていれば逃げるのが普通だろう。飯館村はかなり被曝してから計画避難地域になった。やはり一か月くらいは一時的にでも避難すべきだったのだろう。あまりにも今でも放射線量が高いからだ。南相馬市では一号機が爆発したとき3時間くらい20マイクロシ−ベルにもなったから高かった。そのあとは急速に低下した。だから外に出ていても幸運にも被曝量が少なくてすんだということがある。東電社員は原発で常時働いているのだからとっさに反応して逃げた。残ったのは50人だけであり外国からも無名の50人として称賛されている。


でも原発については無関心だった。原子力発電所内で働いている人でこれまでも被曝して死んだりしていた人がいたが隠されていた。そういうことにも無関心だった。原子力で働くことは危険なことだった。人間はそうした底辺で働く人を注目していない、別にこの世の中で建設現場でも危険な労働をさせられている人は普通にいる。そんな人を注目している人はいない、なぜ今回はそうした底辺で働く人が注目されたのだろうか?これも原発事故がなかったら別に注目していない、危険だとしても金になるからやっているだろうくらいにしか思っていない、それがなぜこれほど注目されるようになったのか?世論ではみんな原子力利権で潤った幹部たちが社長であれ原子力委員であれ御用学者であれ東電の社員が率先して危険な現場で働いて原発事故をおさめろと言っている。それも当然だと思う。どれだけの金を手にしたか、普通の庶民とは桁違いの金である。これも別に事故さえ起こさなければ責められることがなっかた。それだけの責任をになっていたからである。今になってあまりの責任の重さがあったことを自覚した。日本全体を放射能汚染して世界も汚染した。その被害の大きさが自覚させたのである。


結局原子力という危険なものにたづさわっていてもその危険を真剣に考慮していなかった。一旦事故になったらどうなるのかを考慮していなかった。危険はわかっているはずでも真剣に考慮していなかった。そしてただ莫大な原子力利権のみがその金が官僚や学者やら政治家にマスコミに回り安全神話が作られたのである。今回はなぜか右翼の街宣車が東電前で騒がない、右翼系統は放射線は健康にいいという人が多い。これも変だなと思う。官僚とか学者とかを責めているけと東電をあまり責めないのは何故なのだろうかと思う。やはり金が回っていたのかなる。右翼はまた暴力団と関係していることが多いから東電の金が回っていたのかもしれない、地元でも東電に勤めている人は暴力団的な役割を果たしていた。原子力は危険だと言わなくさせていたのである。利権にかかわっていたら食堂の人でも原子力は危険だなと言えなくなるのだ。現実今でも原発あるところでは地元で生活する人は恩恵があるからそうなっているのだ。現実利権はそれだけ大きいからそれで安全神話が作られていった。国策でもあるのだから逆らうことはむずかしい。文部科学省も危険だという項目を教科書入れさせなかったのである。それだけ危険ということを言わせないなら原子力の危険性を知っていたかというとそうでもなかった。危機感もなかった。いかに原発がずさんだったかをみてもわかる。今回の津波か原因だけではない、地震でも主要部分が壊れたのである。


ともかく人間の価値観はその時々に変わってくる。価値が一定していることがない、こういう事故とか大災害が起きると価値観も変わってしまう。今回の事故では否応なくあぶりだされたものがある。エリ-ト層が断罪されたことである。濡れ手で粟の収入を東電から得ていたが原発で一番肝心の安全のためには働かなかった。東電から金をもらいあとは適当に茶を濁して金をもらうだけだった。安全のことなど何ら手を打つことなく安全だと言っているだけだったのである。事故が起きても放射能は安全だと言いつづけている。普通だったら底辺の労働者に注意を向けられることはない、価値を認められることはない、今回は放射線をあびてガレキ一つでも取り除くことが価値あることになった。東電社員はそれをやれとみんな言っている。社長や学者でも原発推進者は事故現場に行って底辺労働者になれと言われる。つまり頭だけではどうにもならない、結局最後は原発事故を収めるのはチェルノブリのように人海戦術になる。人の手でやるほかない。ロボットでもやれないことがわかった。その時犠牲になる人は価値ある人になる。

60以上の退職した人が放射線の影響をあまり受けないから志願した。そのことが褒めたたえられている。確かに技術も必要だけどそれ異常に犠牲的精神が望まれている。特攻隊のような犠牲的精神が必要とされている。やはり最後は機械ではない人間が解決する、そして人間の精神が最も大事になってくる。エリ-トの頭のいい上層部はただ自分の保身しかないから醜いずるいとなる。その時犠牲になるのは底辺層でありその人たちただそうした志があるとは限らない、今一番大事な仕事をしているのだ。日本人の命を救うために奮闘している。普通だったら建築現場で底辺で働いてもさほどの評価はないし注目もしない、今は違う、みんながち注目しているのだ。上層部は何にも役に立たない、お前ら原発事故現場で働けと言われる。そこに価値の変化が起きた。原発事故でいかにエリ-トがずるい人たちでありモラルがなくただ金だけをもらう人たちだったか、そのことがあぶりだされたのである。その人たちがなぜ高額の金をもらっていたのか、今現場で命をかけて働いている人たちに払いと言われる。責任を果たしていれば事故がなけれはこうは言われなかったのである。


利権の構図
http://www47.atwiki.jp/goyo-gakusha/pages/13.html


冷却の仕事を放り出して逃げた福島原発東電社員が行方不明

http://kashiwataro.iza.ne.jp/blog/entry/2206970/


浪江の人の原発からの逃避行

http://www.youtube.com/watch?v=EcF_75slgwk
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110429/dst11042903050002-n2.htm

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2011年05月16日

放射性物質は南相馬市といわき市は半分は海の方へ風で流れた


放射性物質は南相馬市といわき市は半分は海の方へ風で流れた

windsea1.jpg
3月12日に女川の方向へ南風が吹いている、南風とはいってもより海側に吹く風もある。
一方は北風も吹いた。これも方向は一定していない、より海側に吹けば放射性物質は海の上に流される
それで南相馬市といわき市は放射性物質が山の中より堆積しなかった。?

参考にした地図とグラフ

http://lockerz.com/s/84349337

 


南相馬市で放射線量が増大したのは3月12日の20から23時だった。水素爆発したのは3月12日の06だとするとその間に時間差がかなりある。風は赤線と紫の線であり南風き北風が吹いた。同じ方向に風は吹かない、放射線量は14日にいわき市が増大して次に15日に浪江の山中から飯館村から福島市と増大した。南相馬市といわき市は3時間で急速に放射線量が低下した。南相馬市に一時期南風が吹いた、でも南風はすぐ北風に変わる。この時期一定して南風は吹かない、女川の原発で高い放射線量が計測されたのは南風の赤い線上に女川原発があるからだ。ただ06時に爆発したとしてなぜ20−23時に南相馬市で放射線量が増大したのか、時間差がある。南風とはいえ海岸線は海側による風だと海に流れてしまうのである。つまり海側に海の上に放射性物質は拡散されたのではないか?
なぜ南相馬市といわき市は意外と放射線量が少なくてすんだのか?それは風の影響もあったが海に半分以上拡散されてしまった。風は陸地より海に吹く時期である。海の方に吹いた風は放射性物資も海へ飛ばしたのでは?


一方で15日に放出された放射性物質は浪江の山中から飯館村から福島市に持続したのは
放射性物質は比較的低いところを飛び山にさえぎられ滞留した。谷間のようなところに滞留しやすいともあり浪江の山中の請戸川に沿う谷間に滞留して土に堆積してしまった。
そこが今でもセシウムなどの影響で放射線量が高いのである。放射性物質は風の流れに影響されまた地形に影響される。海岸線は半分は海の方へ流れてしまう。汚染水も海に流したように海に放射性物質を流してしまった。だから海が相当に汚染されたことはまちがいない、ただ海によって拡散されたことも確かである。海側に沿った所はだから海に放射性物質が拡散されるからそんなに飯館村のような山中のように堆積しないのかもしれない、南相馬市といわき市は3時間くらいしか放射線量が上がらなかった。あとは低下する一方だったのである。
チェルノブリは大陸であり地形も平坦であり風の影響もまた違っている。何より大きな海がない、海がないということはやはり陸地に放射性物質は堆積しやすい、それが雨もふらないとなると流れない、堆積したままにずっと長く影響する。だから放射性物質はそうした風土の影響も受けやすいから世界的に一様な影響にはならないのではないか?


日本の特徴は海に囲まれていることでありそれが今回も大きく影響したのでは?原子炉を海に沈めろというのは極端でも最後の手段としてそれも考えられる。ロシアの原子力潜水艦が事故で海に沈んだ。その後のことは不明なのである。放射能も海で浄化する。それは汚染であるけど陸地が汚染されるより救いがあるのか?飯館村は山中の村だから放射性物質が堆積してしまった。海岸線の街は放射性物質も海に半分は流れてしまうのではないか?人間は住んでいる場所で幸不幸がある。海側に住んで津波で悲劇が生まれ山の中に住んで放射能で悲劇が生まれた。必ず人間の事象にはいい面と悪い面がともなうのである。

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2011年05月17日

大津波、原発事故の意味するもの(2) (暴走する技術、制御、制限されない技術)


大津波、原発事故の意味するもの(2)
(暴走する技術、制御、制限されない技術)
http://musubu.jp/jijimondai-41#atomic4(時事問題の深層41へ)

今回の大津波や原子力事故は今までの価値観を変える大きな変化をうながすものだった。原子力発電は戦艦大和とと同じだった。巨大技術を運営するのには軍隊となり国家的使命感が必要となる。月給をもらうだけのサラリ-マン意識ではとても巨大技術は運営できないと武田教授のような技術者が言っているのは興味深いことである。技術を越えたものが必要であり技術と言っても最後には人間の精神が大事なんだと言っている。つまり今起きていることがそうである。技術だけではどうにもならない、なんとか事故をおさめてくれ、国民の命がかかっている、国家存亡の時だとなると単なる技術だけはどうにもならない、日本は原爆落とされて敗戦して国家をひたすら否定してきた、国家は悪いものだとして否定してきた。しかしここになって原子力のような巨大技術は国家的使命感なくして運営できないものだった。国家的威信をかけてやるものだった。もう最後は技術を越えてなんとか日本を救わねばならない、国民を救わねばならないという特攻精神が求められているのも不思議である。利とか技術を越えたものを要求されているのだ。原子力とはそういう巨大技術でありそもそも人間の手に負えるものではなかった。そして人間は技術を制御する思想がない、技術は暴走してイカロスになり墜落する。それが原子力でもあった。人間は減らすということができない、電力を減らすとなるとどんなに大変なことになる計画停電になりわかった。減らすという思想が現代文明にはない、だから技術に歯止めがかからない、危険な技術でも歯止めがかからない、そうした様々なことが今回の津波や原子力事故で明らかになったのである。
 
 
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2011年05月18日

神奈川県の足柄の茶の葉から基準値を越えるセシウム発見(東京も安全地帯でなかった)

 

神奈川県の足柄の茶の葉から規制値を越えるセシウム発見
(東京も安全地帯でなかった)


ashigara111.jpg

東京から神奈川県や千葉県や栃木県まで風で放射性物質は運ばれた
途中に高い山がなければ遠くまで飛んでゆく



なぜ神奈川県の足柄まで放射性物質が飛んで足柄茶の葉からセシウムが出てきたのか?これも風と地形の影響だった。放射性物質が大量に放出されたとき北風が吹き茨城県と関東平野には高い山がなく神奈川県の足柄まで飛んだ。そこに丹沢などの高い山々がある。足柄茶を作っているところは山の斜面なのである。この山の斜面とか谷間が放射性物質が滞留しやすい、放射性物質が飛んできたときちょうど雨か雪が降っていた。それに付着して土にたまって根からセシウムが葉に蓄積した。浪江の山中の赤字木(あこうぎ)地帯も谷間でありその時雪がふっていて放射性物質が土にたまってしまった。神奈川まで放射性物質が飛んだのだから途中の関東平野の東京にも放射性物質のホットスポットができた。それはビルが谷間の役割を果たして滞留したのである。神奈川まで飛んだなら東京もそうしたホットスポットができても不思議でなかった。それにしても放射性物質はずいぶん遠くまで飛ぶことに驚く。福島市が放射線量が20マイクロシ−ベルになりその後ずっと下がっていない、それもやはり神奈川の足柄と同じだったのだろうか?吾妻山などの高い山がさえぎり放射性物質が雪に付着して降ったためなのだろうか?

阿武隈山脈は阿武隈高原というように1000メ-トル級の山はない、低山地帯である。
飯館の役所のあるところなどが一番標高が高い地点である。飯館村でも放射線量の高いところと低い所がある。長泥などが高いのは浪江の赤字木(あこうぎ)地帯からつづいて高いのである。山が壁となり斜面のようになる所は放射性物質も滞留しやすい、その一つが霊山子供の村が高いのは霊山が壁のようにさえぎったからである。伊達市霊山町(原発の北西48キロ)で年間21.2ミリシーベルトと予測された。伊達氏ではこの辺の一部に避難指示を独自に出した。あの辺から今度は高い山がないから福島の盆地まで飛んで吾妻山などにさえぎられ放射性物質が滞留した。風と地形と気象に放射性物質の行方はかなり影響されることがわかった。同心円には広がらない、海側だと明かに海に風で飛ばされる割合は確実に大きくなる。

これから南風が吹いたとして仙台方向に飛んでも半分は海に風で飛ばされる。ただ山側は滞留しやい。その時の気象条件、雨や雪も影響した。それにしても神奈川まで飛んだということはその途中の東京も安全地帯ではなかった。風向きではそれだけ放射性物質は飛びやすいのである。距離だけでは計れない、東京も200キロ離れているから安心ではなかった。たまたま山がなかったから通りすぎて足柄まで飛んで滞留したのである。


放射性物質は同心円で計れない、浜通りでも海に接している所は低いのである。風で海に流されるのが多いためである。陸地から海に吹く風の季節は特にそうである。今回はそういう時期だった。福島は東京から離れているかと安全地帯ではないことがわかった。もしそうなら東京都民は福島に原発を建てても実際は安全でなかったのである。東京都民にとっても危険な場所にあったのである。実際にチェルノブリでは200キロ300キロまで放射性物質は広がり強制的に避難させられた人たちがいたことでもわかる。風向きと放射性物質の放出される量によっては東京もチェルノブリと同じになった。なぜなら途中にさえぎる山がない、茨城から関東平野には高い山がない、やっと神奈川県の足柄で高い山々がありそこでさえぎられたからである。風向きしだいだが3月は北風が多く吹くから明かに神奈川の足柄もその影響であり東京も影響があったのである。

 
 
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2011年05月24日

原発と産業廃棄物の問題 (発展途上国は日本の地方と同じ?)


原発と産業廃棄物の問題
(発展途上国は日本の地方と同じ?)

桜井市長は、現在も、行政・法廷の命令で、産業廃棄への反対運動を煽ったとのことで「業務執行妨害」との判断で、給料の差し押さえ
http://ameblo.jp/azizaworld/entry-10887237207.html

共栄クリーンが念願の最終処分場建設工事に着工。(第1期工事200億円)


(株)原町共栄クリーンは既に処分場の第1期工事に着手しており、金200億円と言われている工事費用はNECが負担していると聞いていますが、(株)シンシアが中平から買い取った株券が偽造ということが事実であればNECにとって重大な問題となりますね。
http://keiten.net/articles/big_business/051_01.html


これももしかしたら原発利権とにていたのか?200億円としたら原発とは比べられないけど巨額だ。こうした巨額な金が動くときやはり人間の欲も動く。原発利権と同じ構図ができる。ここは20キロ圏内の立入禁止区域内に入り御破算になった。廃棄場以上の放射能汚染地帯となった。でもなぜ今頃になって桜井南相馬市長が裁判で敗訴して給料までさしおさえるような判決が出たのも解せない、今こんな問題にかかわっていたら市長自体が復興の仕事に集中できない、これも無関心だったけど明かに原発ではないにしろダイオキシンなどの毒を出す施設だからにていた。この産業廃棄物問題も文明そのものの問題だった。膨大な産業廃棄物を出すのが文明なのである。文明は結局様々な毒になるものを出すのである。電気を作るにも火力でも二酸化炭素を出して空気を汚すし原子力発電は二酸化炭素を出さないからいいと推進された。これもそれ以上悪性の放射性物質を出して福島県を塗炭の苦しみに陥れた。この毒は産業廃棄物だけではない、人間そのものから発せられていた。利権と欲がからみ背後に暴力団も関係していた。原発の作業員も暴力団が関係してホ-ムレスを働かせていたように危険な仕事をさせてピンはねしてもうけていた。それで作業員が放射能汚染で死んだ人もいた。原発で実際は千人くらい放射能汚染で死んでいるのではないかと疑われている。それも巨大な権力で国までかかわるのだから隠されていた。


用地買収に絡み7000万円の自作自演の強盗事件が過去発生している、電源開発側から自作自演の強盗犯である買収工作請負人に1億が渡され、そのうちの7000万円が”あさこはうす”所有者に渡る予定だったものを、急遽強盗と見せかけて奪取した事件だ。
(TBS報道特集)


これも買収工作請負人とか原発の用地買収には暴力団が関係していた。そういう裏の仕事は東電でも暴力団にまかせていたのだ。だから東電の前で右翼は街宣車を出さないのも不思議だった。やはり東電から金をもらっていたからなのだろうか?国民がこれだけ憤っているのに右翼もそれに便乗しないのも不思議である。やはり東電の巨額な工作資金が動いているのだろうか?右翼と暴力団の区別とつきにくい、とても愛国心とか崇高な志がある団体とは思えない、結局様々な団体や組織は利権で結びついているのだ。会社そのものが利益を追求する団体であり利益のためなら悪いこともする。会社が利益追求のみを目的化して肥大化することが原発事故の一因にもなっていた。東電は巨大な利益を生む会社であり政府もそれに加担した。学者も官僚もマスコミも加担した。


現代の問題は国より会社が大きな存在になっている。トヨタという一企業がすで日本なのかもしれない、そこに膨大な労働者をかかえるからトヨタがつぶれることは日本がつぶれることだとさえなりかねない、東電だってそうである、東電がつぶれたら国がつぶれるという感覚になる。だから労働組合も企業側にたつ、利益追求は経営者と同じだからである。マスコミだって一会社だから東電から宣伝費として金をもらっていれば東電の悪いことは言わない。すべてが利益追求から成り立っているからそうなる。組織団体はすべて自分たちの権益を追求している。そこにモラルは消失する、権益であり金がすべての社会になる。その利権のために暴力団も背後で動くことになる。これはカルト宗教団体も同じである。団体の利権追求でありモラルはゼロである。創価なども目的は権力奪取だと公然と言っている。まさに今権力をもって甘い汁を吸っている官僚やら政治家やら企業の代わりを自分たちもその利権にあづかりたいということなのだ。実際に公明党が政権をとればそうなるのだ。まず組織団体で本来の宗教があるところはゼロである。世間のどろどろしたものがそこに集る。そして誰でもこの世に生きる限りこの利権からは逃れられない、この利権から脱することが仏教で言う出世だった。今や国より巨大化した組織集団が国を動かしているのであり国はその付属品のようになっているのだ。だから会社の横暴を規制できない、保険会社でも何でも会社の有利に法律が作られている。社会とは社(やしろ)に会すものだったけど今や会社が国以上のものになってしまった。


共栄クリーンもNECの子会社だとするとNECもそんな土地売買とか産業廃棄物にも関係していたのかと思う。コンピュ-タ-の会社だったと思っていたからだ。いづれにしろ現代は会社国家であり会社の利益追求のみが優先され、それにお墨付きを与えるのか国や県の仕事になっている。国や県でもそうした莫大な利益を生むものに加担する。前にも言ったように国でそうしたものを規制したり制限することはできない、経営者だけではない労働組合でも加担している。
そこで最初に産業廃棄物問題でも一地域の住民が反対した。南相馬市市民が全部反対したわけではない、六人だけが裁判に訴えたのである。だから多勢に無勢となる。企業の横暴というときやはり原発でも金をばらまいて地元民を買収したようにとりこまれてしまう側にも責任がある。巨大な企業の横暴を許さないためにはどうするのか?双葉町の家族がばらばらにされた人がロウソクでも暮らした方がましだったといっていたけど極端にしろ個々人の生活を見直さねばならなくなる。江戸時代に帰れとは言わなくてもやはり地方の人が第一次産業を大事にした質素な生活でもいいから美しい自然との共生を計る道を選ぶ、そういう個々人の意識改革も必要である。結局これが絵空事として現実化するのが一番むずかしいから巨大な企業の利益追求にのまれてしまうのである。自分自身もそんな理想を言っているけど電気使わないで暮らせるかとかなるから同じ面はある。でも車がなくても暮らせないことはないのだ。現実不便でもわずかでも車なしで田舎でも暮らしている人はいる。全員にそうしろとは言えなくてもやはりできないことはないのである。文明は負の部分が必ずありそれが交通事故から産業廃棄物から原発の事故による放射能の問題だった。そういう負の部分を背負って文明がある。その負の部分を全くなくすことはできない、それが呪いのようにふりかかってきたのが原発事故だったのである。


現在のグロ-パル経済システムで得しているのは低賃金の零細下請業者に生産を任せ、原生林を伐採し、人件費削減のために新技術を導入して何万人もの従業員を解雇し有害廃棄物を垂れ流し、政界に圧力をかけて人間より会社を優先する政策を進めさせる大会社とそこで莫大な年収を得ている重役であるこのシステムでは彼らの行為にともなうコストはすべて弱者に押しつけられる。弱者は解雇されて収入を失い、森林に暮らす人々は生活の場を奪われスラムの近くに有害廃棄物が持ち込まれ会社のしりぬぐいに国民の税金が使われる、者の目にはコストは映らず、自分は単に新しい富を生み出していると思い込んでいるが実際は庶民の生活や地球環境を犠牲にした富の集中が図られている。
(グロ-バル経済という怪物-デビットコ-テン)


今回の原発事故は構図が発展途上国とG7の先進国の問題とにている。零細下請業者に生産を任せ・・は放射線で被曝して千人くらい死んでいるとかいう零細下請業者がいて暴力団がからんでいる。暴力団が脅しの役目を果たしている。政界に圧力をかけて人間より会社を優先する政策を進めさせ大会社とそこで莫大な収入を得ている重役である・・・・となるとまさに原子力村を構成していた政治家から官僚から学者から技術者からマスコミやら大きな収入を得ている人が多かった。そういう人たちが一番責任あったことはまちがいない、地元の人も発展途上国とは違うからやはり責任はあった。


森林に暮らす人々は生活の場を奪われスラムの近くに有害廃棄物が持ち込まれ会社のしりぬぐいに国民の税金が使われる


森林に暮らす人々(地方)は生活の場を奪われ・・・有害廃棄物(放射能・・)を持ち込まれ会社のしりぬぐいに国民の税金を使われる、国策としてやったことにしても会社が国よりも大きくなっているからそういうことが起きる。会社の力が国を圧倒するからそうなる。そもそもアメリカのGEが日本に原子力を売り込んだことが契機となり日本も原発先進国になった。アメリカに原爆を落とされて次に原発を売り込まれて第二の原子力による惨事が生まれたのである。それも国より巨大化した会社が世界をグロ-パル化して動かすようになったからである。グロ-パル化した世界では会社の力が圧倒する。会社が利益になることは国でもとめることができない、グロ-パル化した企業となり国より大きな力を持つようになっているのだ。先進国の原発は地元も利するから違ってるけど構図はにている。特に経済的疲弊した地域に産業廃棄物とか原発が持ち込まれることではにていたのである。

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2011年05月25日

放射能の影響は風+雨+地形

 
放射能の影響は風+雨+地形


放射能の影響はチェルノブリでは極端だったからその資料が参考になる。しかしチェルノブリと福島県の浜通りにあった原発と地形が余りにも違っていた。それでチェルノブリの放射性物質の拡散はあまり参考にならなかった。ウクライナの穀倉地帯の地平線が見えるような平坦な地形とは余りにも違っていたのだ。そこは日本のように雨もあまり降らない乾燥地帯である。ところが日本はこれから梅雨になり雨がふる。それもまた違った影響を及ぼすしどうなるのか先がわからない、梅雨の最初の時期は浮遊している放射性物質が雨と共に落ちてくるから放射線量は高くなるから気をつけるべきだという。また放射性物質は森のような所に循環するという、葉から幹へ吸収して土に入ってゆく、土からまた吸収されて葉に蓄積される葉が散って土に帰る。そうしてセシウムのような半減期の長いものは森の中で消えないという、一方で雨になると放射性物質は流れだすことは確かである。それは山や森から平地に流れだしてくる。それで山から流れる川を取水して田んぼに流れるから南相馬市では田植えをしなかった。でも相馬市では田植えをしている。飯館村の山が近いし放射性物質が流れ込むことはまちがいない、飯館の山中からは南相馬市が一番流れやすい、飯館村は南相馬市と合併しなかったがやはり地理的にも飯館の山や森にたまった水は南相馬市に一番流れてくるのである。だから真野ダムの水などはどうなるのか水道の水は放射能-ベクレルが高くなるのか?その辺が心配だが発表されていない。梅雨の時期に何かしらの変化があるのか注意したい。


いづれにしろ日本のような狭い国土では山と平地と海は一体化している。山から流れる栄養分の高い水が海に流れて牡蠣に影響していたというのもそのためである。それはいい面での影響だったが悪い面での影響が放射性物質だった。飯館村に向かう浪江の山中の赤字木(あこうぎ)地帯とか津島とか30とか40マイクロシ-ベルトとかまでなっていた。そこから山や森にしみこんだ放射性物質、セシウムなどが流れてきたら平地も川も海もまた汚染される。ただ浪江や南相馬市の小高区は20キロ圏内で立入禁止区域になっているから人は今は汚染されない、田植えもしていないから水が流れてきても土は汚染されない、ともかく梅雨の時期に雨で放射性物質がどうなるのか、今一番高い放射線量の所から流れだせば低くなるのか?その辺はまた計ってみる必要がある。雨の影響もわからないのだ。チェルノブリでは乾燥地帯だから雨がふって流れだすことはなかった。日本は雨が降れば流れ出す、それかどういうふうに影響するかはわからない。そして雨がふると付着して放射性物質も土にふりたくわえられるのだ。福島市では高い山が壁となりちょうど雨が降った時がありその時放射性物質もふりつもり放射線量が高くなった。山の地形が影響した。それは栃木県でもそうである。茨城県は平地が多いが栃木県になると山国になる。その山が壁となりさえぎりそこに雨がふると放射性物質が土に堆積しやすくなるのだ。それで栃木県にも放射性物質は堆積した。神奈川県の足柄茶も丹沢などの高い山々がさえぎり壁となりそこにちょうど雨がふって茶にセシウムがでてきた。やはりその丹沢辺りまで高い山がないから風で流され雨がふり茶に出てきたのである。


放射性物質の流れはなかなかとらえにくい、風+雨+地形であり一定したものがない、変数として変化を与えるためにとらえられないのだ。中通りの本宮とか郡山から近い天栄村では放射線量が高かった。中通りが意外と高いことに驚いている。それは風と地形の影響が大きい。浜通りは30キロ圏内でも放射性物質は半分海に流れた。風向きが南風でもちょっとでも風向きが変わると海に流れてしまうのである。それは放射線量の測定で証明されている。山が壁のようになっているとそこにセシウムなどが堆積するが海に接していると海の方に流れやすいのである。それで海側の影響は少なかったのである。そういうことはチェルノブリではなかった。山がない地形だから日本とは放射性物質の流れは違ったものとなった。放射性物質の流れは気象条件と地形に影響される。風は一定方向に吹いていない、それなのに何故飯館方向に一直線に高い放射線量が広がったのか?チェルノブリでは帯状ではなくまだらに広がっている。
日本のように帯のようになっていないのだ。 風の影響もあるが地形も影響した。


やはり大陸だから山がないからそうなった。拡散の状態が違っている。日本では山や谷間の地形が放射性物質を吸い込むような働きをしたのかもしれない、日本の地形はロシアとか中国とか大陸と比べると非常に複雑である。その地形の複雑さが放射能汚染分布にも影響したのだ。海岸沿いは風の影響で海に流れやすいからそれほどどこも高くならないかもしれない、ただこれも地形による。半島のような所から流れたらどうなるかわからない、福島県の浜通りは直線的だから影響が少なかったとも言える。 つまり日本はどこまでも平坦な地形がつづく大陸とは違っている。フランスでもドイツでも山がない、アルプスをのぞいて山岳地帯はない、日本は山と海との複雑な地形だから放射性物質の影響も違ったものとなる。海に大量に流された放射性物質や日本の山や森に堆積した放射性物質が雨でどうなるのかとか被曝したあとの人の健康状態がどうなるのか?そうしたことがまだ未知である。放射性物質の影響がこれからどうなるのか結局未知の分野であり誰もまだ正確に指摘することはできない、だから結局学者でもいろんなことが言える。放射線は体にいいといえば信じる人もいるしこれは非常に危険だと言えば異常に危険だと感じる人もいる。それは誰も正確な知識などもっていないからだ。学者さえそうだとしたら素人などわかりえようがない。そこに混乱の原因があるのだ。

 

winds3-15.JPG
3月15日の風向き


やっぱり図のように飯館村の方向に東風が3月15日に吹いた。それから福島市や伊達氏から北風が吹いていた。そのために東風で流れた放射性物質が北風に押し戻されて郡山市に流れた。霊山辺りが高いのはそのためである。郡山市まで北風で流された放射性物質はさらに東風で天栄村に流れた。天栄村が放射線量が高くなっているのは風の影響だった。
南相馬市は3月15日は影響がなかった。東風だったからだ。そして海側は風がちょっとでも方向が変わると海に流れていた。山の方は山に堆積してしまったのでその後も長く放射線量が低下しなかったのである。

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2011年05月26日

セシウムは雨で流れない?(土に付着したまま)


セシウムは雨で流れない?(土に付着したまま)



大枠としては、原発の現場での戦いと降着したセシウムの戦いになっていくと思うのでこの話題はウォッチし続けることになると思う
なんで放射線量高いのに水にでない。。


要するに雨がふっても全然流れないということだな。


セシウムを吸着しているバンドが地下に下がれば、空中線量は下がってくるはずです。また、耕耘によってバンドが上下に乱されれば線量は
下げられます。


道路や建物に積もった放射性物質が雨で洗い流され、側溝を通して下水処理場に流れます。

郡山市の下水処理場、「県中浄化センター」には広い範囲からの下水が集まります。

 


今日のNHKのアサイチで放射線のことをやっていた。セシウムは土に付着しやすい、だから土が一番の問題になる。セシウムは雨がふっても流れださない、土から離れにくい、だから雨がふっても土から流れてダムなどに流れ込まないから水道にさほど影響がない、下水道からは流れやすいのはコンクリ-トとかアサファルトからは流れやすい、側溝や下水管から流れて下水処理施設にたまった。なぜ学校の校庭が放射線量が高いのかというと土だからである。土に付着しやすいのである。土の面積が広いとそれだけ放射線の影響を受けやすいのだ。


セシウムが逆に雨に流れださないとなればいつまでも土に付着したまま残留する。つまり半減期が30年としたらなかなか放射線量は減らないから飯館村では村民は帰れないとなる。一方で南相馬市とか相馬市では飯館村からなど梅雨の雨でセシウムは流れてこない、放射線量はさほど上がらないとなる。泥とかと一緒にセシウムも流れだす、川の方には流れだすのか?でも別に田植えしてもいいのか、相馬市ではしている。ただセシウムは土に付着しやすく、とれにくい、表土をとるとかしか方法がない、土に付着しているから風で簡単に舞い上がらないともいうからこれもいい面と悪い面がでている。セシウムが土の下の方にしみこんでゆくと放射線量は低くなる。雨で多少はそういう効果がでてくる。

ただ結局この放射能問題は正確なデ-タ-が科学者でとれていない、どういうふうに影響するのか未知である。チェルノブリでは雨がふらない地域だからデ-タ-がない、すべてについてデ-タ-がないから各人の判断で決めろという人がいる。老人は影響がないから神経質になる必要はない、地元の野菜でも自分は食べる。原発はかえって東京のような都会の真ん中に作った方が良かったともなる。なぜなら土がないから洗い流すことができる。土に付着したら取り除くことは容易ではない、放射能は土を一番汚染することが今回のことでわかった。田舎だったら土の面積が広いのだから長くその影響を受けるのだ。今も放射線量が高いのは土からのセシウムから出る放射線なのである。
posted by 天華 at 10:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2011年05月27日

風は地形の影響を受けて変化する (なぜ飯館方面に放射性物質が流れたのか?)


風は地形の影響を受けて変化する
(なぜ飯館方面に放射性物質が流れたのか?)

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原発事故があった3月15日の風の変化
http://ribf.riken.jp/~isobe/mon/sim/comp.pdf


浪江の山中の赤字木(あこうぎ)地帯から谷間になり飯館村まで風の通り道ができていた。


同様に本流が南風という予報でも、全ての風が南に吹くとは限りません。
 風の流れは水と同様、地形に沿って流れます。例えば、山の斜面に当たった風はその地形に添って斜面をかけ上がり、その山の後側にローターと呼ばれる乱流を発生させます。さらに山と山の合間や山の切れ間には、吹き抜けと呼ばれる風が集束し、風速が急激に上昇するポイントを作ります
http://www.geosports.co.jp/pghtchikei.htm


吹き抜けと呼ばれる風が集束し・・・とは放射性物質も集束するということになる。


特に南と東よりの卓越風は,市街地や工業地域の汚染物質を内陸に輸送して,酸性雨や土壌pHの空間分布に影響を与えていることが推測される。

平の市街地の汚染質はこの東風によって,小川や遠野などの谷状地形の地域に入り込むことが分かる。
http://homepage1.nifty.com/albedo-kobayashi/wind-iwaki.htm


放射性物質の流れで常に不思議に思ったことがなぜ飯館村が放射線量が高いのか、浪江の山中の赤字木(あこうぎ)地帯がなぜ高いのかという疑問だった。30キロ圏内の同心円には放射性物質は広がらなかった。その原因が風と地形とその時の気象条件にあった。そしていかに風というのが単なる方向だけではとらえられないもの、地形に影響されて風は吹いている。
だからなぜ南東の方向に風が吹いて飯館村や福島市に放射性物質が帯のように流れ高くなった。とはいえ風の方向が一定していることの不思議だった。風の方向は一定していない、常に変わっているのだ。ところが原発事故があった3月15日の風の方向は浪江の山中(赤字木(あこうぎ)地帯から飯館村に吹いた風の方向は変わっていない、これは地形が谷間になっていて風の通り道になっていた。その時ちょうど雪も降ったとなればそこに放射性物質が一番高く堆積した。谷間が放射性物質を風を吸い込み風の流れを作ったからそこに堆積しやすかった。

一方海側をみるといわき市でも南相馬市でも風の方向は一定していない、変わりやすいのである。南風は確かに南相馬市に影響して3月12日には放射線量が20マイクロシ−ベルになったときがあり上がった。でもそのあと1、2時間で急速に低下した。それは風の流れが常に変わっているからである。特に海側はその頃北風や西風が吹くから海に流れやすいのである。

そして浜通りは海側は平地であり風の流れは変わりやすい、一定していない、ところが浪江の山中から飯館に向かうところの谷間は風の通り道になっていた。だから南東の風の方向は変わっていない、津島の方向も風の流れがあり津島は相当に今でも高い。しかしそこから三春に行く方向は低いのである。それが不思議なのだがやはり地形が関係していた。高い山はないにしろ山がさえぎる働きをした。風の流れが違っていた。郡山の方に放射性物質が流れたのは福島市や伊達市方面からその時絶えず北風が吹いていて中通りを吹き抜けて白河までも高くなった風の通り道ができた。


風の流れは地形によっても相当影響される。飯館村の不運は地形のためだった。必ずしも風の方向によっているのではなかった。なぜなら海側では風の方向は変わりやすい、だから放射線量が高くなったのは2-3時間だった。あとはすぐに低下した。ところが飯館村から福島市や郡山市は放射性物質が堆積して徐々にしか低下しなかった。長い間高い放射線量を記録したのである。風の流れは時々刻々に海側だと変わっている、山は谷間は特に一定方向に風の通り道を作る。すると放射性物質も一定方向に集中したとなる。


福島県でも阿武隈高原がありそこは中通りから越えるとき風の分岐点になる。なぜなら夏は中通りは特に福島市などは盆地だから蒸し風呂のように暑くなる。でも阿武隈高原を越えると海からの東風が吹いてくるから涼しさを一段と感じるのである。これは車ではわからない、自転車で何度も行ったからその時の風を覚えているのだ。車は風を感じないから旅には向いていないのだ。風を感じることも旅では欠かせない、自然を感じることなのだ。鉄道とかも風を感じないから旅をしたとはならない、風をとらえて海を行き来した帆船はより自然を感じるものである。風というときどうしても浜通りで生まれた人は海からの風を東風を感じる度合いが多いから海からの風を受けたいともなる。その風は人の性格を作ることも確かである。海からの風は人間を開放的にもするからだ。ただ自然とはそこに長く住んでいないとわかりにくい、どういう風が吹くかなどそこに長く住んでいないとわからない、地形もわかりにくい、地理が一番わかりにくいのだ。大陸だと平坦であり河が運河のように流れていることでわかりやすい、境界は河になる。日本の地形は余りにも複雑なのである。

 
posted by 天華 at 00:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

風のダイナミズム (海風と陸風-山谷風が放射性物質の流れを作った)


風のダイナミズム
(海風と陸風-山谷風が放射性物質の流れを作った)

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盆地は山に囲まれ風が少なく高温になった空気が淀んだままとなり、夜間にも寝苦しい高温が続きます

関東地方では,関東平野に侵入した海風が中部山地の谷風と結合することによって,碓氷峠を越えて,長野県に侵入するような大規模な海風が形成されることが知られている.
http://www.dpac.dpri.kyoto-u.ac.jp/thesis/sokei.pdf

関東地方では,関東平野に侵入した海風が中部山地の谷風と結合することによって,碓氷峠を越えて,長野県に侵入するような大規模な海風が形成されることが知られている.
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E9%A2%A8

 


風には大きくは海風と陸風に分かれる。昼は海から陸に吹き夜は陸から海に吹く、温暖の差でそうなる。海が冷えて陸が温かいと海から陸に吹き、陸が冷えて海が温かくなると陸から海に吹く、海が冷えて陸の方が温かくなる冬は北風、西風が吹く、陸が温かく海が冷える夏は海から陸に吹く、春になって東風が海から吹いたのは温暖差が生じたからでありその南東の海風が浪江の山中の赤字木(あこうぎ)地帯に谷風と一緒になり吹き抜けて放射性物質をもたらした。

関東地方では,関東平野に侵入した海風が中部山地の谷風と結合することによって,碓氷峠を越えて,長野県に侵入するような大規模な海風が形成される。浜通りの平坦な陸地から阿武隈高原の山岳地帯の谷間をぬけて山谷風となり飯館までふきぬけて行った。碓氷峠を越えて,長野県に侵入するような大規模な海風・・・・この海風が福島市の盆地まで到達したのだ。ここに大きな風のドラマがあった、風の不思議があった。

山谷風というのは確かにある。祖谷というのは四国の奥深い山の中の隠里である。山も2000メ-トル級の山がありその谷間から見上げると残雪でありのしかかるように聳えている。かずら橋がありその谷間はこの辺の山とは違い奥深い。そこから春風がその谷間を通り抜けて吹いてきた。春を告げる風はやはり海風が谷風となりはるか山の奥地まで吹いてきた。その時岸辺には桜も咲いていた。その風は谷間をさかのぼり吹き抜けるようにそよいできたのだ。海からの風は常に受けているがあのような山深い所に吹いてくる春風があることをその時感じた。この風を感じることは明かにその土地を感じることである。風は土地土地によって違っているのだ。だから明日香風とか風に特有の名前をつけたりしている。風は映像化できないからその土地に立たない限り感じることはできない、でも風を感じる時間がない、何かあわただしく旅しているとその土地のことが自然がわからない、歴史的なものもあり自然的なものも一度におしよせるから旅ではいろいろなものを見逃す感じないで記憶から消えやすいのである。


祖谷のかずら橋
http://www.miyoshinavi.jp/02miru/detail.php?genr=101&uid=SS000048


今回の放射性物質風が流された経過は地形によって変わり海風が福島市まで吹いたこと、それは風の不思議であり風のドラマがあった。好ましくないものではあったが風の思わぬ動きを知ることになった。福島市が放射性物質の影響をあれぼと受けるとは思いもよらなかった。でも実際はすでに東電でも研究していて予想していたのである。風の研究をしていればわかるからだ。そういう科学者がいくらでもいる。東電ではまちがいなく今回の危険も察知していた。そういう報告はされていた。ただ実際にその対策をとらなかっただけなのである。なんかこの機械が調子おかしいな、この車はどうも古くなってどこかおかしい、危ないなとか感で気づく人もいる。そうしているうち必ず事故になったりする。原子力の場合はそう思っても現場の人が感じていても余りにも巨大なるもの複雑になっているから古くなってもそのまま使うほかないとか危険を見過ごしていたのである。一部を直してもどうにもならない、全部直す他ない、廃炉にした方がいいかもしれないと思っても余りにも費用がかかるとか巨大なるが故に手をつけることさえできなくなっていたのかもしれない。そんな危険なものを人はもはや操作できないのだ。


ともかく風の流れは意外と大きな流れだったし予想しにくかった。福島市とか郡山市とかまで風が影響したことに驚いたのである。伊達市の小国とかは山間の小盆地でありそこが放射線量が高くなっていたり一部で避難するようになった所もある。盆地には風の関係で放射性物質が堆積しやすかった。日本では小国という地名が実に多い。山間の小盆地の地形が多いからである。そこが小さな国となったのもわかる。福島市も盆地だから放射性物質が堆積した。海風が陸の奥深くまで影響するというとき最近のアメリカのミズリ-州の竜巻はメキシコ湾の温暖化にあったというから海が関係していたのである。風には地球のダイナミズムがある。福島市まで海風が影響したとは思わなかったからだ。

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2011年05月28日

セシウムは雨で流れるのか流れないのか? (セシウムは不溶性)


セシウムは雨で流れるのか流れないのか?
(セシウムは不溶性)


福島市で浄水過程でできる不純物から、20万ベクレル/kgを超える高濃度の放射性セシウム等が検出されたようです。


福島県郡山市の下水処理場の汚泥24000ベクレル/Kgもの放射性セシウムが検出された

 


屋根や舗装道路に降り落ちた放射能は雨水に洗い落とされ、洗い落とした水の中の放射能は排水溝中の汚泥と結合して不溶性となります

地では耕作を行いますので、その結果として耕土はかき混ぜられ土壌の遮蔽効果により外具線量率が著しく低下しました。
http://www.enup2.jp/newpage55.html


生体に吸収されるには水に溶けなければいけないので、不溶性の物質は植物に吸収されない。そのため、セシウムはピート(泥炭)地帯で一番よく植物に入り込む。
http://blogs.yahoo.co.jp/hatsugenya/3349264.html


森林や山岳地帯の土壌は泥炭土のような有機質土壌の上に腐植した落ち葉が重なっている。このため森林の草木や動物は放射性セシウムの吸収が特に高い。また森林生態系における放射性セシウムの永続的なリサイクルも放射性セシウムの蓄積を加速している。
http://www.enup2.jp/newpage31.html

 



今日の週刊新潮には梅雨になったら飯館からセシウムが雨とともに南相馬市に流れてくるから注意しろと書いてあった。一方で土に付着したセシウムは雨で流れないということも学者は言っている。週刊新潮では
「放射性物質で汚染された土壌や汚泥が濃縮して堆積されたものが雨によって徐々に流出することは過去のデ-タ-でも示されている。特に南相馬市と相馬市は水源が飯館村にあるから雨がふると放射能に汚染された水が平地に流れます、相馬市などの農業用水を使う場合は十分に注意が必要です」学者の名前もでている。でも過去のデ-タ-とは何なのか?これを知ることはここからはできない、チェルノブリしかないのが普通である。相馬市では田植えしているからやはり危険をともなうものなのか結果を見ないとわからない。

なぜ福島市とか郡山市の下水処理場か高濃度のセシウムが発見されたのか?それは都会のコンクリ-トととか舗装道路から側溝に流れ下水管を伝わって流れてきたセシウムではないか?

道路より側溝は10倍くらい高くなっていた場合を放送していた。下水に泥に交じり流れたのではないか?下水は糞尿など流れるようにそいうものについてセシウムは流れやすいと学者が言っていた。雨と交じって流れることはない、土に堆積したセシウムはなかなか土から離れない、その土の性質によるが粘土質になると余計に離れない、不溶性の性質があるからだ。だから山とか森からは汚泥炭のような土壌からセシウムが流れにくいだろうと言っている。ただコンクリ-トとかアサファルトからは流れて下水の水道管に流れ汚泥化したのが高濃度のセシウムとして発見されたのである。

土の塊りとともに付着して一体化して流れてきた。水に溶けては流れにくい、セシウムが不溶性だということがポイントではないか?

飯館の山中から流れるとしても泥のよう交じって流れて来たら高濃度のセシウムが発見される。でも田んぼに流れるのは水であり水に溶けてセシウムは流れない、だから田んぼの影響は少ないのか?やっぱり放射能問題はチェルノブリの報告を詳しく読むと参考になる。そこしか実際に実験場になった所はない、土への影響もそこで研究されたし日本人も放射線問題ならチェルノブリに実際に行って研究する。結局福島もそうなる、放射能の研究の場になるのだ。特に飯館村は一番放射能の研究の場になり研究所ができるようになる。世界中から研究者が来ることになる。チェルノブリになってしまうのである。


ともかくもし水に溶けてセシウムが流れたら水道が一番問題になる。水が飲めなくなるから大変である。一時期そういうことがありパニックにもなった。でもそうならないのだろう。多少の変動はあるかもしれないが梅雨の雨で大量の雨でもセシウムが雨とともに流れだすということはない、ただ実際のところはわからない、インタ-ネットからだけでもわからない、もちろん自分のようなのは科学ということが余りにも疎いからわからない、それでも自分なりに辻褄を合わせるとどうもセシウムは不溶性であり土に付着して離れない、泥のようなものに付着したら余計に離れない、セシウムの団子のようになり下水処理場からの汚泥に非常に高いセシウムが発見されたことがそれを証明している。

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2011年05月29日

南相馬市鹿島区の放射線量 (狭い地域でも違う放射線量)


南相馬市鹿島区の放射線量
(狭い地域でも違う放射線量)
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クリック拡大
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5-4-3マイクロシ-ベルトと色分けされる


「私たちの地区は隣の飯館村に負けないくらい放射線量の数値が高いのに、避難が求められる、『計画的避難区域』にも『緊急避難準備地域』にも入っていない、私たちの地区は安全なんでしょうか、ここは水道もなく、井戸水で暮らしているだけに心配です』
(南相馬市鹿島区橲原地蔵木地区に住む人) -FRIDAYの記事



これも地理(地形)がわからないとわかりにくい、地元の人なら知っているが八木沢峠へ通じる所が地蔵木であり橲原渓谷を下ってゆくと回りが山で囲まれた平地の橲原村がある。ここまでは結構距離がある。不思議に思うのは放射性物質はどういうふうに流れたのか?南相馬市に20マイクロシ-ベルトが流れてきたのは3月12日である。それも2-3時間で急速に低下した。その後確かに4-5マイクロシ-ベルトになったときが水素爆発したときになった。でもそれは少ない。

ここで5月9日のデ-タ-を基にすると地蔵木では地上一メ-トルから計って約4マイクロシ-ベルトあった。一センチだとプラス一マイクロシ-ベルトになる。地蔵木から橲原渓谷を下って滝のあるところの新しい橋の児頭滝では約3マイクロシ-ベルトになる。5月9日では高いのかもしれない、栃窪も1.42だから高い、町内(西町)は0.4である。鹿島区内でも高低がある。学校の校庭が比較的高くなるのはセシウムは土に付着するからその面積が広いと影響する。それから土よりも草と葉につきやすい。だから草とか葉からは高い放射線が出た。

南相馬市は立入禁止区域-計画的避難地域-避難準備地域-普通の地域と分断された。

不思議に思うのは放射性物質は風で流れてきたことを考察したがそれでは一体八木沢峠へ向かう地蔵木とか橲原渓谷を下って橲原村に出る所がなぜ高いのか?海の方から吹いた東風が浪江の赤字木(あこうぎ)地帯から飯館村に吹き抜けて高くなったということは前に書いた。
でも南相馬市の場合は海側から東風が吹いて山側に放射性物質が流れたとはいえない。
放射性物質は赤字木(あこうぎ)地帯を中心にして等高線を描いて広がっている。だから風は夜に山から海に吹くとしたら飯館方面から吹いた風が谷間などを吹き抜けて橲原の児頭橋付近が高くなった。南相馬市の場合は海側から吹いて高くなったとは思えないのだ。これは地理が地形がわからないとイメ-ジできない、浪江が高い高いと言っても地理がわからない人は海側ではなく山側だということをイメ-ジできない、そして橲原といってもまた地形は複雑であり地蔵木近辺と児頭橋付近は距離もあり違っている。やはり飯館の山側から吹いた風が影響して橲原の児頭橋付近も高くなっている。栃窪も1.4だから飯館村の大倉から真野川の谷間を夜に吹いてきた風が影響したのか?小山田は0.7で低い、これも山がさえぎっているからだろう。
原町区の大原もやはり風の影響なのか、八木沢峠から下ってくる風が影響したのだろう。?

ただこの辺でも海側から吹いた東風が影響して高いと思うのが普通である。でも等高線のように赤字木(あこうぎ)地帯から放射線が分布してしいるのをみると南相馬市の海側から放射性物質が広がったようには思えないのである。ただ風の流れを知ることは容易ではない、地形にそって流れるということも書いたように複雑になるからだ。風は天気予報でも今でも東風が昼間に多く夜になると北風になっている。山から吹き下ろす風になる。それが谷間をぬって橲原渓谷や真野川渓谷を流れでた地点が高くなることイメ-ジできる。結局風の流れは今は関係なくやはり放射性物質が一時高く流れたとき森や土に堆積したのが今も影響している。


いづれにしろ水道水だけでくな井戸水を利用していた。山からの湧き水を利用している人もまだ山の方にはいる。そうなると流れてくる水が放射性物質、セシウムなどに汚染されていると問題になる。FTIDAYでは雨水が樋から流れる場所で114マイクロシ-ベルト記録したという、これはどうしてそうなったのか信じられない、雨水にセシウムが交じってそうなったのか?それなら危険だとなる。葉とか草にセシウムはつきやすくそういう水が集ると高くなることは確かである。

ともかく酪農でも農業でも高齢者が多い、跡継ぎのない人もいる。大原の人はそうだった。それで廃屋になっている所もある。農業漁業は定年がないから長くやれることは確かだが労働は苦しい。そうなると保証してもらってやめるようになる。でも保証されないと避難もできないことは確かである。大原は計画的避難地域には入っていないが避難準備地域には入っている。鹿島区は30キロ圏内からはずれたら全然国の指定地域に入っていないのである。

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南相馬市で餓死を10人以上確認しました


「南相馬市で餓死を10人以上確認しました」 森まさこ議員


◇2011年5月28日

「南相馬市等で餓死」メールが来たのが20日。監察医の連絡先を調べ23日電話。
監察医「3月11日から5月2日までに餓死12名、自殺3名。・・・
http://blogs.yahoo.co.jp/uwajima_sophia/9837843.html


これは衝撃的本当なのか?
どこの地区で餓死があったのか?それが問題だ。
津波の被害もあったからその時着の身着のままで避難した人がいた。
避難所に逃げたらそこで最低の食料があるから死ぬことはない
ところがそこまで行けない人がいた、車がガソリンなしで使えなくなっていた。
街から遠ければ避難所にも来れなかった。
でも食料がないということは信じられない
田舎だったら農家では米の貯えがあるからな


自分は15日間苦しかった。三食用意するのが大変だった。食料として餅とか米があった。あと海苔とかあった。米は一人分でもたける電気の炊飯器でたいた。30分くらいでたけたから助かった。一人は寝ていて何もできない、全部自分でやるほかなかった。電気は来ていたから米さえあれば餓死することはありえない、水道も出ていた。一部水道が使えなくなっいた地区があった。

10日間頃過ぎてから米の貯えがなくなった。その時ちょうど米の配給があった。でも南相馬市は一時物資が入らなかった。その時期が結構長かった。ちょうど米がなくなったとき鹿島区では米が配給されたので助かった。近くの農家の人は米をもっていた。借りようとしたが配給されたので助かった。米さえあれば死ぬことはないと思った。ただ電気がないと米を炊くことができないから大変なことになった。

ただ南相馬市は一時放射能汚染で外から物資が入らないことは確かだった。貯えもしていない人もいた。今は一週間分でも貯えている人は少ない、たまたま米をス-パ-で一袋買ってあったのが良かった。あと餅を一袋とか買ってあったので助かった。あとは缶詰が何個かあったくらいだ。でも餓死するとは考えられない、どういう事情でなったのか詳細がわからない。

南相馬市は一時物資が入らず窮乏した、でも餓死はありえないと思う。避難所に行けばおにぎりとかもらえたからな、これが本当だとしたら悲惨である。津波の被害でも小さな部落ではあるもので助け合っていた。水も井戸水とか湧き水とか山の水とか利用して協力してしのいでいた。
街だと孤立している人がいる。無縁死になる。自分も回りとつきあいないからそうなりやすかった。ざいの方で死んだのか?街の中で死んだのか?それが問題である。かえって街中で助けがなくて死ぬとういこともある。津波もあったから何が起きたのかわからない、それにしてしも10人は多いし自殺した人も3人もいたというのはショックである。それは津波に襲われた人なのか?
そもそも意外と近くのことをわからないことがあるんだよ、無縁死ということが田舎だった起こりえる。結局詳細がわからない限り信じがたい、ただ10日から15日間くらい外から物資が全く入らないときがあったからその間に餓死した人もいたのか?

爆発があったとき南相馬市では逃げた人が多い。でも残った人もそれなりにいた。逃げた人はつてのある人だった。また市で用意されたバスで避難した。残った人で食料がなく死んだのだろうか?それが信じられないというかイメ-ジできない、人間は水だけ飲んでいたって10日間くらい死なないだろう?原町区では米をもらいないから死んだのか?米はざいから避難所にもちこまれたはずである。都会と違うから米かなくなる、米に窮するということはありえないはずだが・・・

田舎はたいてい自分ちで食うくらいは畑に野菜うわってるので

その野菜だけど路地野菜は放射能に汚染されていたんだよ、その時知らないで食べた人もいるだろう。飢えて死ぬよりは良かった。

津波があり原発事故がありあの時何が起きたのか?異常なことが起きても不思議ではない・・・
でも十人も餓死するということはショックである。その詳細がわからないと信じられないだろう。
病人が死んだのか、介護さているような瀕死の人が死んだのか?そういうことはありえる。弱っているから食料もままならなくて死んだとなる。病院に置き去りにされた死んだ人もいるからそういう人たちだったのか?ともかく情報がないのでわからないが本当だったらショックである。

猫が一匹とりのこされていた。飼い主がいなくなっていた。餌をやっても食う気力もなくなっていた。あの猫は死んだのか?そういう人がいたのか、人間はそんな簡単に死ぬものなのか?
たいして食べなくても人間はそんな簡単に死ぬはずがない、いろいろ考えてもわからない謎である。こういう時は人と人のつながりがない人は窮乏するかもしれない、普通は金さえあればモノには困らない、でも物資が入らない、店もやっていないから金があっても役に立たなかった。

金で買える所がなくなったのである。緊急のときは金が役に立たなくなる。金で物資を譲ってほしいといってもみんなも今の食料を確保せねばならないとしたら売ってくれない、そういう状態に置かれたことも確かである。金で何でもできるわけではない、人と人のつながりをもっている人は助けてもらえる。その時金があっても役に立たない、そういうことが緊急時にはあるがあとはまた金がないと困る。仮設住宅に入りたくないというのは避難所だと三食は用意してくれるけど自前になり金がかかるからだそうである。とにかく緊急時のために10間くらいの備蓄は必要である。

人間はみんな助け合うとは限らない、津波で金庫が流されたとか金券などを探し歩いていた人がいたとか、立入禁止区域に入って泥棒していた人とかいろいろだよ、火事場泥棒が必ず出てくるんだよ、それも人間だよ、自分もそういう目にあったから人間がひどいやつがいるもんだとつくづく思った、遠くからも入ってくるし近くでもいる。結局こんな動乱の時は何が起きるかわからない、今も津波の被害で泣いている人が無数にいる。75日間たっても何ら解決していない、悲惨なままなのである。

posted by 天華 at 05:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

20キロ圏内の南相馬市小高区の強制退去の理不尽 (浪江町も海側は1マイクロシ-ベルトにも満たない地域がある)


20キロ圏内の南相馬市小高区の強制退去の理不尽
 (浪江町も海側は1マイクロシ-ベルトにも満たない地域がある)


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●理不尽な政府の強制された命令
 


「家に帰ったら逮捕するのか」 原発20キロ警戒区域設定に住民は不満
2011.4.20 13:21


これでは、罰金付きで一律退去を強制される住民は納得できないだろう。政府の原発事故避難対策は矛盾だらけ、これに関しては政府は無能というほかない。一方では、本来は1ミリシーベルト以下にとどめる べき年間被曝量を、放射線の影響を受けやすい子供についてさえ20ミリシーベルトまで許容、子供を見殺しにするのかとの批判さえ呼ぶ”現実的”な選択をする。かと思うと、このレベルに達しない区域の住民はすべて強制的に追い立てる。何の罪を犯したわけでもないのに、理由も告げられず、行先も保証されないで出て行けと言われて納得できる住民がいるだろうか。
http://www.juno.dti.ne.jp/~tkitaba/earth/nuclear/tepco-nuclear-disaster/11042201.ht


◆2011年4月21日(木) 立ち入り禁止(警戒区域指定)は憲法違反だ
政府は、22日午前0時から福島第一原発から20キロ圏内を警戒区域に指定し、罰則を伴った立ち入り禁止措置を取るという。
http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/628bdb5b6343cc6c1c783030ad68d3ac


自己責任なら別に帰っても良いでしょ?
どっちみち国はちょこっとしか補償しないんだしね
伝染病ならともかく放射能が移るわけでもないんだし
そこまで規制する必要なんてどこに有るんだろ?
家畜とか残してきた人も居るんだから心配なのは当り前でしょ?
一体国は政府は何がしたいの???



放射線量地図で見れば明らかなように小高区の平地から海側は原町区とほとんど変わりない、0・7とかであり放射線の影響はない、浪江でも平地は0・7があった。浪江というと常に一番高くなった山側なのであり平地だと0・7になっているところもあるのだ。浪江は高いなといつも全国の人が見ているけどこまく見れば0・7の所があるのだ。放射線量は本当に一様ではない、南相馬市鹿島区の橲原など山側は高いから3-4-5マイクロシ-ベルトとなると避難地域になる。そういう細かい割り振りで避難地域が決められていないのだ。つまり今回はやはりチェルノブリを参考にして30キロ圏内を立入禁止区域にした。チェルノブリでは適用されたことを浜通りでは適用できない、なぜなら地形とかがまるで違っていたからだ。海があり山があることが全く違っていた。海側に半分は風で放射性物質は流れたのも大きく違っていた。だから海側は10キロ内でも浪江でも0.7があった。チェルノブリは30キロ圏内は一様に高かった。日本では違っていたのだ。もちろんまた爆発したとき30キロ圏内は危険なことは危険だから準備しなければならないし何か科学的理由もあるのかもしれない、しかし他の人も言っているように理不尽でありこれは科学的根拠というより政府の勝手な意図が働いた。それで地元の人が大迷惑した。南相馬市は一番迷惑をこうむった。三つに分断されてしまったのだ。


●立入禁止区域は中央政府の権力の横暴


小高区の人は明かに帰れる、それを全部立入禁止区域にしたことは政府の横暴であり大迷惑である。立入禁止区域になって入ると罰金までとられるから理不尽である。政府の一方的強権的命令でありこれは確かに憲法違反にもなる。そんな簡単な線引きができるのかとなる。中東地域が勝手に欧米列強によって国境を線引きされたのとにている。そして国境によって分断された人々がいる。イスラエル紛争のようにガザ地区に閉じ込められたのともにている。検問所を通らないと外に出れないからだ。小高区の人は原町区の小学校にまだ避難していた人がいた。別に帰ってもいいのに散り散りにされてしまった。これは放射線量を根拠にしたら理不尽な仕打ちであり過酷であり政府が何を意図しているのか疑うというのもわかる。めんどうだから20キロ圏内を立入禁止区域にした。スポットスポットで高くてもそうすると行政でめんどうになるためなのか?それにしてもそこに住んでいる人にはその土地から離れられないような人がいる。その人たちは不満だからあえて出なかった。でも強制的に退去させられて立入禁止区域にされたのである。


政府と東電によって浜通りはずたずたにされた。地元も責任あったが事故のあとの対応でもいい加減でありきめ細かい対応はしていない、飯館村が高いのだから早い時期に避難指示をだすべきところを同心円で避難指示を出した。南相馬市は一時避難地域に指定されて物資が入らず困窮した。ともかく地方自治はなく政府の強権によって踏みにじられた。住民はただ政府の命令のままに従順に従うだけでいいのか?何らかの住民の自治が要求される。小高区は明かに帰ってもいい地域なことは一目瞭然なのである。つまりそこで今までのように普通に生活できる所なのだ。鹿島区とも同じであり放射線量は変わらないのだ。結局政府の強権によって翻弄されるだけたった。事故の処理も政府の間違いがあったらしいとか政府の対応は悪かった。そのために一番苦しめられたのは地元の住民だったのである。


●浪江町の海側は南相馬市小高区、原町区、鹿島区と同じレベルで低い


作業中の放射線量は常に1時間当たり1マイクロシーベルト未満だった

(請戸に一時的に帰った人)

浪江町がいつも高いなと全国の人は見ているけどそれは浪江は阿武隈山中に深く入っているえびつな町の領域になっているからだ。津島など三春に近くここが浪江町かと思うほど山奥になる。爆発したとき浪江の人が距離をとるために津島に逃げたのはそれたけ遠いと思ったからである。浪江町でも放射線量はばらつきがある。権現堂などでは1・5とかだが海側は0・5とかなっているからいかに低いかわかる。それも4月18日とか初期の段階で低かったのである。

放射線量は最初に爆発したときなど大量に流れるから最初である程度決定する。あとは増減はなくなる。でも海側は0・5とかなると低いしここだったら生活しても支障がない、海側の請戸の港は1・5だから多少高くても福島市と同じである。ここは原発から10キロ圏内であり福島第一原発の煙突が見える場所だった。そんなに近くても1・5なのである。これは4月2日頃計ったものだからその後はまだ低くなっている。なぜ海側が山側に比べてこれほど低いのか、やはり海に風で流されたからだろう。相馬焼きで有名な大堀はマイクロシ-ベルトとと高くなっている。山側になるとみんな高くなる。でも浪江町でも南相馬市でも山側と海側ではこれだけ放射線量にばらつきがあるのだ。それが全然考慮されていないのである。放射線量は地形の影響も大きく
チェルノブリでは山もないし海もなかったから30キロ圏内を立入禁止区域にした。日本も習ってしたのか、日本では同じようにならなかったから同心円の30キロ圏内で決めることは間違っていた。政府の間違った判断で住民は苦しめられた。東電の対応も悪くて住民はふりまわされて苦しんだのである。

明かに六号線は浪江まで1マイクロシ-ベルトくらいであり封鎖する必要がなかった。海側は1マイクロにみたない低い放射線量の地帯がつづいていた。海側に放射性物質は流れた。風の影響もあり低かった。山側はどこも高くなった。放射線量の詳細なマップを作れば浪江ですら帰れる所がある。町内から海側は福島市と郡山市と同じレベルでありそれより低いのである。
原発が見えるくらい近いのだから警戒地域にしたことはわかるにしても科学的な根拠はない、
六号線は浪江まで通じて何ら放射線量としては健康に害はない、なぜなら福島市や郡山市より低いからだ。

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posted by 天華 at 21:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2011年06月05日

南相馬市鹿島区に移り住んだ浪江の人

 
南相馬市鹿島区に移り住んだ浪江の人

川俣町の小学校などが避難所へ指定され、同町へ至る国道114号は
住民のいわきナンバーの車が約950台、数珠つなぎになった


今浪江から移り住んでいる人に六号線のコンビニであった。その人は浪江の人だった。車のナンバ-見ているといわきナンバ-の車が多いことに最近気になっていた。どうしていわきナンバ-なのだろうといぶかっていた。なぜなら六号線は閉鎖されているし浪江町には避難区域で人は住んでいない、六号線を通らないとするとかなりの遠回りになる。中通りを回ったら遠回りである。その人は二本松に仕事に行っているという、二本松に会社を移したことも聞いている。二本松に通うとなるとまた大変である。



第1区 福島市、相馬市、南相馬市、伊達市、伊達郡、相馬郡
第5区 いわき市、双葉郡

なぜ浪江町がいわきナンバ-かというと双葉郡内に入っていて選挙区で区が違っていたからである。


旧・標葉郡
浪江町(なみえまち)
双葉町(ふたばまち)
大熊町(おおくままち)
葛尾村(かつらおむら)


旧・楢葉郡
富岡町(とみおかまち)
楢葉町(ならはまち)
広野町(ひろのまち)
川内村(かわうちむら)




標葉郡と楢葉郡とが一緒になって双葉郡になった。双葉町とか戦後できた名である。
双葉駅は元は長塚駅だった。双葉郡の選挙区福島県の5区になっているからいわきナンバ-になる。福島のナンバ-は一区だから福島になっている。いわきというと磐城太田駅や葛尾(かつろう)村の落合に磐城落合とかのバス停があるように磐城国に入っていた時があった。その後双葉郡は相馬藩内に入っている。旧楢葉郡は磐城藩の領域である。


その人は最初に防護服を来た人が爆発した時入ってきていたという、その人たちは国の関係の人たちだった。そして津島に逃げろと指示された。それは浪江町で指示したのであり国ではない、その時浪江の山の方に放射性物質が流れるとは思っていなかった。国の関係の人もわからなかった。だから相馬市に逃げた人も最初津島に逃げた。それは距離が遠いということで逃げたのである。ところが津島は放射線量が今でも本当に高い場所だった。国でも町でも放射線のことがその時わからなかったのである。その後浪江の人の移動がはじまった。その人は95才とかの祖母をかかえているのと子供が小学一年生をかかえていた。最初は会津に避難した。今でも祖母は会津に置いてきて鹿島区で空家を借りて二本松に仕事に通っている。空家がいま田舎でも多くなっているから家族の人数が多い場合は移り住むのにはいい。
ともかくなぜいわきナンバ-が多いのかと気になっていたが鹿島区であれ相馬市であれ浪江から移ってきた人がかなりいるのだた。そのためにいわきナンバ-の人が多いのである。相馬の方だと親戚とか知り合いとかいるから移る人が多いのだ。その人は前に鹿島に住んでいた。

いろいろ話してみると請戸は金持ちが多かったという。漁業権をもっていた人は東電からかなり保証金をもらっていた。でも船主でないともらえないとか言っていた。鹿島区でも火力発電所が建ったとき烏崎では金が入り町の呉服屋で高価な着物が売れたと聞いた。浪江では原発の下請けで働いていた人を知っている。浪江は思った以上に原発に近かった。10キロ圏内にも入っている地域があり請戸からは原発の煙突が見えていたのだ。


鹿島区や相馬市には浪江の人であれ移り住んでいる人が増えているのかもしれない、いわきナンバ-がこんなに多いということはそのためだった。仮設住宅も三百戸以上できているが今のところ入居した人も見ない、そこにも人が入ってくると外部から入ってくる人が増える。原町区避難準備地域で移り住みにくいし医療関係や学校などが正常化していないし仕事もできないなど住みにくくなった。浪江の人が会津から大阪まで避難したのをyoutubeで見たけど全国に散らばった人はこれからどうなるのか?一体いつ帰れるのだろうかとなる。田植えもできない田が広範囲に広がり異常な状態はいつまでつづくのか?鹿島区は移り住む人で人口が増える。
相馬市も増えている。


原発20キロ圏、警戒区域に 区域人口7万8千人


これだけの人が避難している。福島県外にも避難している。そういう異常な動乱状態がいまでつづくのか?原発事故の先が読めないから困るのだ。

posted by 天華 at 14:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2011年06月07日

20キロ圏内立入禁止区域の理不尽の謎(2) (動物を理不尽に殺すものは人間も理不尽に殺す)


20キロ圏内立入禁止区域の理不尽の謎(2)
(動物を理不尽に殺すものは人間も理不尽に殺す)

●原発事故の避難者は楽観的すぎないか?


「なぜ20キロ圏内が立入禁止にして動物まで殺処分にしたのですか」
「20キロ圏内は放射線が高いからだよ」
「30キロ圏内でも10キロ圏内でも低い所はありますよ、1・0以下の所がありますよ」
「20キロ圏内は近いのだからいつ危険な状態になるかわからない、警戒のためだよ」
「そうすると南相馬市の一部のように避難準備地域で別に住民を全部追い出して住まわせない立入禁止区域にする必要はない、動物までみな殺しにするのは残酷でしょう」
「それはしかたないことだよ、原発がいつ爆発するかわからないんだから・・・」
「そのことは今のところははっきりと予測できないでしょう、住民にとっては住めなくなり体育館に避難していることがどれだけ辛いことかわかりますか」
なぜ放射線量の低い所にわざわざ大業な防護服を着させて20キロ圏内に入らせているのですか そんなに危険な所ですか?浪江山中のの赤字木ならわかりますがず1・0マイクロシ-ベルの所にそんな防護服着させる必要があるのですか、そうさせているのは政府であり20キロ圏内は特別危険だからみんなに知らせるためにそうしている、それが政府の何か意図がありそうさせていると地元でなくても全国の人も見ているんですよ、そのものものしい姿は原発の中ならわかりますがね・・・」
「政府に意図などありませんよ、危険だからそうしているだけですよ」
「放射線量からしたら危険とはならない、そこが納得いかないんですよ、理屈的にわからないんです」
「しつこいな、20キロ圏内はもう何十年もすめない・・」
「それはどうしてですか?」
「原発から近いし危険地帯であり放射線量は減らない」
「放射線量が10キロ圏内でも低い所がありますよ」
「地下水なども汚染されているし専門家でないとわからないことなんだよ」
「なるほど専門家ですね、専門家が出てきたらすべて素人は何も言えない、立入禁止と言えばそうなるし動物も殺処分にされる、専門家に言わせているのは政府じゃないですか?」


「近い内に帰れるよ、原発事故もまもなくおさまるだろう、そしたらみんな帰れるよ、政府も国策でやったことだし東電もあるし保証はされるよ、一時的なものだからもう少しの辛抱だ」
「いや、あなたたちはだまされている、政府と東電にだまされている、あなたたちはもう故郷には帰れない・・・」
「放射線量は高くないのに・・・」
「そういうことは関係ないよ、とにかくわからないけど20キロ圏内立入禁止区域でこの何十年もそうだよ、チェルノブリは今でもそうなっているように」
「本当に帰れない、土地も家も仕事も奪われて飼っていた牛も殺されて・・・でも保証はあるだろう」
「百万くらいで終わりかもしれんよ、そんなに東電でも政府でも払えないよ、法律的には天災になり人災だという証拠はなかなか証明できないよ」
「そんなことないよ、いや、あなたたちは政府や東電がどれだけ力をもっているかわかるかい、今度のことでわかったろ、自分の家や土地にすら入ることもできなくなった、入ったら警察に逮捕され罰金までとられる、こんな理不尽なことがあるかい、でも検察も政府側に立つんだよ、そしたら裁判では負けるに決まっている、つまりあなたたちは端金で土地も家も仕事も奪われて自分の家族の一員だった牛でもペットも殺されたようあなたたちもそれと同じ運命になるんだよ」
「馬鹿な、そんなことありえないよ、むしろ手厚い政府の保護あるとうらやましがられているからな・・・」
「それは甘いな、政府も東電も自分を守るために非情だよ、国民だってあいつらは原発で得していたんだからということをしきりに言う人がいるからな、世論は必ずしも原発誘致した地元の人の味方とは限らないよ、政府で保証金払うとしたら国民の税金だから国民も原発の避難者のために払いたくないともなるしな・・・」


「ええ、帰れなかったらどうするんだ、浪江から南相馬市の方に避難してきたけど二本松に会社を移したからそこまで通いつづけねばならないのか?90才のばあちゃんは会津の避難所に置いたままだし子供のことがあるから避難したけど浪江に帰れないとしたらどうなるんだ・・・
二本松まで通いつづけられないよ・・・・・」



20キロ圏内立入禁止にしたことがなぜなのか?そのことが理屈としてもわからない、素人には放射能のことはわからないというが放射線量はわかる。10キロ圏内でも低い所はある。浪江の山中の赤字木(あこうぎ)からその周辺や飯館村の長泥ならわかるけどそれ意外は何を基準にしているのかわからない?政府でも明確に説明していない、だから核の廃棄場にするだとか何か政府の意図があるのだと疑う人もいる。人が住まなくなることは政府や東電にとって何か都合がいいことがあるのか?それでも保証金の問題もあるから避難した人を放置するわけにはいかない、でも百万くらいで打ち切り放置されるとしたら20キロ圏内の人は悲惨である。犠牲者にされる。30キロ圏外でも自分も犠牲者の一人である。政府の権力は強いのだから逆らうことはできない、そしてただ犠牲者にされるだけなのか?そのことを追求している人も少ない、メデアは東電などから多額の宣伝費をもらっているからそうしたことは追求しない、かわいそうだなとかは放送するがあくまでもおなみだ頂戴で終わりである。事の真相はマスメデアは追求しない、もしそういうチェック機能があったら原発のことをもっと批判していただろう。そいうことは全くなかった。完全に原子力村にしきられて一言も批判できないし安全神話を作ってきたのもマスメデアである。そうなると結局20キロ圏内立入禁止とか避難準備地域とかなぜ南相馬市など放射線量が低いのにそうした指示で取り仕切られているのかわからないのだ。


●動物を理不尽に殺すものは人間も理不尽に殺す


半径20キロの圏内に、家畜のウシ3300頭やブタ、ニワトリなど計65万匹以上が取り残されているとみられることが、福島県の調べでわかった。大半は死んでいるとみられる。



私が、自分の脳で2週間、悩み苦しんだ末にわかった真実は、動物たちの殺処分だけでなく、この原発から20キロ圏内に暮らしていた福島の住民たちに対する、恐るべき政治的殺処分が行われようとしているのである。そのことに私はようやく気付いた。


補償金など数百万円にもならず、農家の場合は、「農協を通して実額で損害額を請求せよ」という残酷なものである。 東電が自分たちに思
いやりをもって、処遇してくれるであろうと、自分たち原発避難民や住民たちは、勝手に甘いことを考えている者たちもいる。自分たちが、実質、口封じされ、猿ぐつわを咬(かま)まされ、殺処分されつつあるのだということに気付かない。しかし、本能で、勘づいている。

http://ski.vitaljapan.net/?eid=1283070



これが現実になろうとしたら恐るべきことである。今回起きたことは平時と違う,津波もそうだし原発事故もそうである。平時的感覚では対処できない、そして事の真相はやはり原発安全神話を作られたように隠されている。秘密裏に行われている。一見被害にあった地元の人が強いように見えるし権利を主張できるように見える。でも現実に地元の政治家が原発を誘致して利権にあづかったのだから政治家は政府や東電の味方になる。そういう人がどうして住民の権利を代弁できるのだろうか?もちろん地元の雑誌であれ放送局であれいろいろ報道しても何かそうした真実を追求はしないことは確かである。だから真相はいつも闇になってしまうのだ。背後に圧力かけるアメリカなどが表にでないからである。国際機関もアメリカの手先だというのもそのためである。今回も国際機関がレベル7にしたというのもそのためである。
楽観的だというとき危機を言う人がいなこともある。津波にしても危機感がたりなかった。平和がつづくと危機感がなくなる。だから原発事故でも危機感はないし立入禁止になってもすぐに帰れると楽観的であり危機感がたりないのである。また当事者意外は見物人化するから危機感をもてないのである。そのうちいつのまにか見捨てられ殺処分にされる。そしてあとでなぜこうなったのかとか時はすでに遅しとなる。


動物が人によって飼い馴らされ
貧困と困難の末に話しだしたとき
避雷針によって非常に有害な稲妻は
地面からとられて空中に浮かぶ
(ノストラダムの予言)


このように動物はある意味ですでに人間化した動物であり今のペットは家族の一員と化している。実際に話しだしているのだ。人間の心を持ち人間と話し通じ合っている。
「貧困と困難の末に話しだしたとき」と言っているがまさに何度も放送されている。ペットが飼い主が車で去ってゆくときなんとか一緒に連れていってくれとよってきて話そうとしてしいたとかペットとの辛い別れを聞くし見ている。避雷針によって非常に有害な稲妻は・・とは電気のことである。東電の電気のことであり地面からとられて空中に浮かぶとは原子力発電所の電気であり空中に浮かぶとは放射性物質が空にばらまかれたことなのである。予言にはこじつけがあるにしろそれなりに現在の状況にマッチしているのだ。動物を殺すものは人間も容易に殺す、原発事故の避難者は政府と東電に殺処分にされるかもしれない、それだけ政府と会社の権力は大きなものなのである。だから一地域など簡単に見殺しにされる危険がある。それは戦争で犠牲にされた日本民衆ともにているかもしれない、今は確かに動物が犠牲にされた、その動物にしたって人間に近いすでに人間の心をもった動物である。それを殺した時、その怨念はその土地に残るし人にもふりかかる。つまりそこは呪われた土地になり人間にも呪いがふりかかってくることはまちがいない。


神と生き物は一体であり無闇に人間が殺せば神が許さない、恐ろしい罰が与えられるかもしれない、今回の津波にしても何か人間の力を越えた力が働いた。それは天罰だったのか何かわからない、でも人間を超えた力が働く場合があることを実際の経験として知った。原発事故だって人間の傲慢に与えた神からの罰とも考えられる。20キロ圏内をそんなに簡単に立入禁止にして動物を勝手に殺処分したことは許されるのか?その罪は非常に重いし神に自然に復讐されるかもしれない、そういう畏れを感じなくなったこと無視していることがやはり津波とか原発事故とか関係しているかもしれないのだ。今回の大津波にはそうした人間を超えた大きな力を神の力を感じた。それは人間の作った文明など一撃で木っ端みじんにしてしまう恐るべきものだった。さらに勝手に動物を殺処分にしていると恐るべき罰が人間に下されるかもしれない、そういう畏れが今やなくなっている。そこがまた恐ろしい結果となって現れたことはありうるのだ。

posted by 天華 at 19:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2011年06月08日

20キロ圏内立入禁止の理不尽(3) (地下水汚染のため?-明確な説明がされない)


20キロ圏内立入禁止の理不尽(3)
(地下水汚染のため?-明確な説明がされない)


●戦争のときもあった理不尽な強制


ユダヤ人も、最初の頃に捕まって貨物列車で運ばれた人達は、
ちょっと事情聴取されるか作業が課せられるだけで、早く帰れると思ってたんだよね。


土壌汚染マップに応じて、陸ではイスラエルの壁のようなものが、不定形で建築され隔離
されると思う。100年とかの単位かもしれない。塀の外は土壌の入れ替えや作物による
放射性物質の吸収などが行われると思う。


これが旧ソ連だったら住民が戻らないように
家屋を破壊されて、ペットも家畜も全部殺処分だぞ


土壌の入れ替えしても無理だよ。これから地下水脈に侵入するんだから。
どんだけの汚染された土の量やねんw


昔の満州と同じ。
無敵関東軍がいるから、絶対大丈夫と長年言い続け、東北出身の大勢の日本人が住み着いた。
ある時、不意に、列車に乗って、全員脱出しろと軍に言われて、危険なのかと聞くと、
念のため、とりあえずだと言われる。結局拒否。危険でもないのに、脱出の必要はない。
そしたら、軍は軍人家族だけを列車で脱出させた。
全員を逃がせる列車はなかったから、ペテンにかけて、軍人家族だけをうまく逃がしたわけだ。
残った一般日本人は、中国人の襲撃で、ぼろぼっろ。

東北人は本当に間抜けだ。

そういう無責任な政府だから制空権を完全に奪われても

保身の為に戦争を続けて
原爆x2や沖縄や日本大空襲のような悲劇を招いた
今の民主政権と重なるわ


戦争(原発)開始自体は当時の状況考えると間違っていなかったが
危険なものに対して国民守る意識が利権の為に欠如しているが諸悪の根源

戦争を続けた東条のように菅やミンス政権、東電幹部や保安員幹部、
御用学者は重過失の戦犯として裁かれるべき


土壌は入れ換えても農業は完全に無理。燃料棒が溶解してどんどん地下に進行してる。
水脈から一気に拡散する。

上司から、違法行為を命じられた警察官は、
その違法行為が、発覚しかけると、口封じのため、
仲間の警察官によって、殺害されている。
http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1307221957/

 



20キロ圏内の強制的に避難させられた人は帰れると思っている。そう長いことではないと思っている。政府でも帰れないとは言わない、たまたま何十年も帰れないと言ったのは本心がもれたためだというのもわかる。避難させられた人たちは深刻に考えていない、一時のことであり
帰れると思っている。でも何か変だとも思っている。なかなか自分達の置かれた状態を理解しない人たちも多いだろう。自分も本当に今回は津波であれ原発事故から一体何が起こったのか理解できない、これは家族が認知症になってから身の回りに起こったこともそうだった。様々な悪いことばかり起こったからだ。一体これは何なのだろうと未だに理解できない、そういう状態にあるのかもしれない、でも人間は突然そうした最悪の状態に強制的にもちこまれることがありうる。それが戦争の例だったのだろう。単に一時のことだと思っていたがそうでとはなかったし命まで奪われることになった。

政府の命令でそうなり命令した人は逃げて助かった。それは東電の人が爆発したとき逃げたのとにている。残った50人は称賛されている。命令する政府が緊急の場合は自分のことの方が大事であり命令しても責任はとらない、原子力の村の人たちも誰一人事故の責任をとらない、とらされたのは地元の住民である。原発で利権を得ていたから自業自得だとか今になって責められる。国民も必ずしも全部が同情するわけではない、だから動物が殺処分にされたように20キロ圏内の人たちもそうさせられることはありうる。平和時にそういうことがありうるのか戦争ではない、でもこうした平時ではない、ある意味で戦争状態のような時には満州で起きたようなことが起きる。政府自体が東電自体もう機能しなくなっていた。そしたら命令することさえできない、現場の所長も生きるか死ぬかだったと言っていた。そういうとき現場の人は爆発した原子炉を見ているのだから凄い恐怖心があったことがわかる。離れていればそういう恐怖心はない、そして放射能のことを知らない人は余計にない、自分も全くしらないから爆発したとき外に出歩いていた。しかし原子炉を見ていた人の恐怖は凄いものだったろう。その人たち放射能の危険を知っていたから当然逃げる人もいたのである。

ここに警察のことを出ていたがこういうこともありうる、警察でも検察でもきれいごとではすまない、どろどろしたものがある。権力にかかわる
ものはそういう一面が必ずある。政治家が汚いというときどうしても利権にかかわるからそうなる。利権にかかわるものはみんなそうなる。宗教団体でも利権団体だから汚いものがある。利権を追求している組織は大なり小なり汚いものをがある。
表面ではきれいごとを言っても裏ではそうではない、権力を追求するものはそれぞれ命懸けであり敵を抹殺しなければ生きていけない、それは戦後時代から同じだろう。共産主義の粛清で殺された人はどれだけいるのか、中国では一千万人殺されたとかなるから一地域の住民が殺処分に犠牲にされることはありうる。そんなことをしないだろうとかやはり甘い見通しのなかで避難生活しているのだろう。現実に地元の政治家は原発利権にあづかった人たちであり何ら避難した人たちを助けない、見捨てているではないか?だから見捨てられることはありうるのだ。


●20キロ圏内の立入禁止は地下水汚染のため


僕は北海道旭川市の生まれですが、核廃棄物最終処理場が予定されていた、北海道幌延町において、それが住民投票で破棄されたのは、地下水脈汚染の問題があったからなのですよね。


地下水は何十キロと、水脈が繋がっているからです。

↓下は、臨界の時に出てくるセシウムが地下水に流れ込んだということでしょう。


地下水も河川水と同じように高い所から低い所へ流れます。
http://blog.goo.ne.jp/hiroyasu-king/e/b9b4c40e69bb70317f44a753f3021f41


地下水脈は数十キロという長さで流れています.
そして一度出た放射性物質は全て地下に向かってゆきます.
地上にあるものの行きどころは全て地下なのです.
場所によることは確かですが, 地下水が安全. 土壌が濾過するという認識は正しくありません.
福島の地下水脈に高濃度の放射性物質が浸透するのにそれほど時間が掛かるわけもなく, その水脈と繋がっている地下水は上水よりもより危険です.

空気中に散布した放射性物質等とは比較にならない高濃度の放射性物質が今福島原発の地下に向かってどんどん潜ってます.
誰も止められません.
間違いなく拡散しますし, コレは放射線のように2乗で減水せずそのまま物質として流れてきます.
放射性セシウムの半減期30年は100年たってようやくゼロになるかどうかです.



大量の汚染水を海に流したり地下にしみこんだことは確かである。でもその地下水が20キロ圏内に影響するものだろうか?高い所から低いところに流れるとしたら海に流れるのが普通である。汚染された地下水は海に流れる。でも飯館村の土壌が汚染されているからそこからしみだして地下水に流れれば麓の南相馬市や相馬市は確実に地下水が汚染される。それで八木沢を下った南相馬市鹿島区地蔵木では井戸水を使っているところがあるし山の湧き水を利用している所もある。そうした水がどれくらい汚染されているのかわかりにくい、政府でもそうしたものを詳細に教えていない。つまり20キロ圏内を立入禁止にしたことでも政府は明確な説明をしていないのだ。地下水にしてもそしである。放射線量が低く報告されているのにどうして立入禁止なのかも説明せずにあなたたちは今日からここを出てください、そうしないと罰金をとります、一時帰宅はものものしい防護服を着せられて数時間しかいられない酷さである。実際は一マイクロシ-ベル以下のところすらそうしているのだ。それはなぜなのだろうと疑問に思う人がいる。いづれにしろ飯館村にある「作見の井戸」は豊作をうらなうために井戸水を見ていたがその井戸水はどれくらい放射能汚染されたのか?そいうこともわからない、豊作かどうかなど井戸を見ていたとき今からすると平和な時だったなと思う。今や人は消えて無人化しつつある飯館村だからである。計っているのは放射能だけだという悲惨である。

放射能汚染のことは素人にはわかりにくい、そもそも地下水汚染のことは政府では説明していない、放射性物質がどれくらい汚染しているのかもわからない、ただ説明もなく一方的に20キロ圏内立入禁止とか避難準備地域とか設定されたのである。別に出たくない人は出なくてもいい、年齢にもよる。立入禁止にしたら牛やペットもみな殺しになった。そういう非情さはかつての満州でも起きたから歴史はくりかえすというのは本当である。あまりにも平和が長くつづいて人間は自分もそうだが麻痺していたのである。だから甘い見通しかたてられないのだ。しかし現実はそうではない厳しさがある。明かに今は平時ではない、戦争状態とにているからこんな理不尽なことも起こりうるのだ。そういうことを自覚できない、それは津波にのみこまれし一瞬の内に死んだ人とにている。否応なく一瞬で命は奪われてしまった。そういうことが自然界ではなく人間界でもありうるしかつてもあったけど平和がつづいていたから忘れていたし戦争の異常状態の出来事として関係ないと思っていたのである。

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2011年06月09日

崩壊する南相馬市(震災で崩壊する市町村)


崩壊する南相馬市(震災で崩壊する市町村)

病院としては6人以上の受け入れは可能だが、県の地域医療課がゴーサインを出さないらしい。また入院しても3日以内に退院させろなどと無理難題を病院に押し付けている。南相馬市は私の勤務している福島市よりも放射線量も4分の1しかないというのになんで緊急時避難準備区域なのだろうか。


崩壊する南相馬市
http://blog.livedoor.jp/yamasaumasa572/archives/4645085.html


南相馬市は7万人の人口があるとして小高区は立入禁止区域になり住むこともできないから事実上崩壊している。原町区も緊急避難準備地域であれ様々な制約があり医療、福祉、教育という面で崩壊状態である。ここはお医者さんのプログだけど適格に分析している。原発の廃炉にともなう仕事は楢葉町の方が拠点になりここは遠いからならないというのもそうだろう。仕事もなくなり疲弊ひてゆく、人口が流出する、すでに流出ははじまっている。工場や会社が移動している。浪江でも二本松に移動して鹿島区に移住して通っている人がいた。これも大変だなと思うけどすでに浪江町とかも崩壊している。浜通りから人口移動がはじまっている。それはここだけではない、津波で被害にあった三陸地方でもそうである。


市によると、震災前(2月末)の町の人口4300人が、現在は4分の1の1000人弱にまで減った。仮設住宅を希望する約560世帯のうち、町内を望むのは約150世帯にとどまる。
震災津波に多くの集落がのみ込まれた県北部沿岸部は、高齢化率が高いうえ、避難による住民流出が人口減に拍車をかけている。


本当に今回の津波は街や村を壊滅させたことが特徴だった。この辺では磯部とか海老とか烏崎などがそうである。そういうところは家の土台しか残っていない。そういうところは町や村が復興するように思えない、陸前高田市など見ているともうただ茫然としているだけであり復興する気力さえなくなってしまうだろう。そして今回の震災津波の特徴は被災者が高齢化で老人が多いから余計に復興自体が厳しいものとなる。そういう人は本当に老人ホ-ムに入った方がいいしそれが望まれているのかもしれない,安い多人数が収容できる老人ホ-ムが必要とされていた。別に立派な施設は必要ない、仮設住宅に手を加えたようなものでも可能なのである。在宅で苦労して限界になっている人もいる。自分もその一人である。介護は施設とかのハ-ドよりいかにソフトとしての人が機能がするか人の力の方が重要になる。その方面に金を使うべきなのである。それが充実していればハ-ド面は補うことができる。


いづれにしろ南相馬市が崩壊してゆくというとき若い人とか市を支える中核的な人が出て行く、病院を支える医者や工場や会社を経営する人など中核的人材が流出してゆく、そして残されるのは老人だけになるかもしれない、第一次産業は農業でもすでに高齢化であり後継ぐ人もいなくなっていた。今回の震災の影響の特徴は高齢化社会や地方の第一次産業に打撃を与えたのだ。神戸の震災とは違う、一番経済的に弱いところに打撃を与えられた。老人だけで残って市を支えることはできない、自らが支えられる方になっているからだ。病院や福祉関係が崩壊すれば老人も生き残れないからだ。いづれにしろ誰も市が崩壊してゆくなど考えたこともない、でも現実に起こっていることは市が崩壊してゆきつつある現状に向かっているのだ。
だから南相馬市は相馬市と合併するとかなるが仲良くないからしないという、その理由はわからないが南相馬市の生徒を相馬市が受け入れなかったそのためだった。野馬追いで一体感あるきかと思ったらそうでなかったか?ともかく南相馬市立病院は相馬市立病院のサテライト化するとお医者さんが言っているから現状からの発言である。入院もできないとなればそうである。そもそも緊急避難地域が解除されないことには正常化しないからだ。


人口が流動化することは大きな変革が起きざるを得ないし起きている。南相馬市は原発事故のため田畑を放棄させられてしまった。零細な漁業も農業もいい悪いは別にして成り立たなくなってしまった。だから集約的会社化した運営形体に移行せざるをえない。小さな田畑とか港とかで零細でも助け合い暮らしてきた日本人の生活があったがそれが根こそぎ破壊されたのだ。だから漁業でも農業でも土地などを集約して対処しなければ成り立たない、そして田舎は人が広く散在しているからその人口も集約化してゆく、コンパクトシティ化してゆく、現実に鹿島区に350戸とかの仮設住宅が建った、人口が町の中に集中してきたのである。浪江などから移り住んだ人もいるから人口が流動化して今は鹿島区や相馬市に移動している。南相馬市は小高区がすでに崩壊して中心が教育なら鹿島区や相馬市に移動している。実質的に相馬市中心になりつつあるのだ。常磐線は寸断して交通は相馬市からのバスになった。交通も相馬市中心になっているのだ。相馬市に中心が移っているのだ。 飯館が立入禁止区域になると福島市に通じる道は相馬市からの道になるからだ。


六号線や常磐線が遮断されて南相馬市の小高区が立入禁止区域になったことの影響が大きいのである。そしてやがて相馬市は宮城県に編入されるかもしれない、相馬は宮城県と仙台方面とつながりが深いからだ。行政的にもその方が便利だからである。それより福島県は中通りと浜通りが原発事故で崩壊して会津県にしろという人も外部からもいる。放射能汚染された地域は将来性がないとかなり危険だとか言われるためである。つまり南相馬市だけでなく福島県自体が崩壊の危機にさらされているのだ。もちろん原発の20キロ圏内の市町村はすでに崩壊している。人口は流出して戻らない人もかなり出てくる。もう見切りをつける人がでてきている。20キロ圏内はすでに核処理場として永久的に立入禁止になるかもしれない、そういうふうに政府で画策しているためにいろいろな制限を課している。南相馬市の病院の入院を76時間としか認めないのもそのためである。30キロ圏内は人が住めないように政府で画策しているのかもしれない、放射線量が低いのになぜそうするかわからないからだ。

posted by 天華 at 09:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

南相馬市の避難準備区域は住民を保証せずに追い出すため? (立入禁止区域は核廃棄場にするための政府の画策)


南相馬市の避難準備区域は住民を保証せずに追い出すため?
(立入禁止区域は核廃棄場にするための政府の画策)

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●非常事態に政府の指示は絶対ではない

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今一体何が起きているのか?このような非常事態には平時の感覚が通用しない、またシステムもマニュアル通りにも機能しない、要するにただ混乱状態になり命令する人も命令される人も混乱してくる。わかったことは国の指示も命令も絶対的なものでないしそれに従う必要もないということである。従っていたら命すら奪われかねないこともある。今回の混乱を図にしたがなぜ
管首相がベントを指示したしないとかなんかいろいろ責任問われたり東電が問われたり現場の所長が問われたりと錯綜している。それが政府と東電と現場で綱引きが行われていた。政府では管首相は政府の命令に従いと言って自ら現場にのりこんで指示した。それはパフォ-マンスだという人もいた。一方で東電と現場でも綱引きがあった。結局政府でもない、東電本社でもない、現場の所長が海水注入を指示して実行させていた。現場を知っているのは現場の人であり原発事故現場に残ったのは50人であり命懸けだった言っている。大爆発したら死ぬ危険があったのだ。幸いにそうしたことをまねがれただけである。現場こそ最大の危機感がありそれで海水注入を政府でもない東電でもない所長の判断で続行していたのだ。つまり非常事態では政府の命令も絶対ではない、本社の命令も絶対でない、なぜなら現場で取り仕切る人が操作できるからである。日本の戦争でも関東軍が天皇の命令にも逆らい独善に陥り独走した結果、大きな災いの端緒となった。天皇の命令さえ非常事態では通じない、各自の組織団体が勝手に行動している。今回の原発事故の処理もそうした混乱から起きているのだ。


●住民の命も保証されない危機


病院としては6人以上の受け入れは可能だが、県の地域医療課がゴーサインを出さないらしい。また入院しても3日以内に退院させろなどと無理難題を病院に押し付けている。南相馬市は私の勤務している福島市よりも放射線量も4分の1しかないというのになんで緊急時避難準備区域なのだろうか。


このことでもめたのも同じ非常事態だからである。その裏は読み解くと政府から南相馬市の30キロ圏内の一部は避難準備地域とかあいまいなものにしている。そこでは学校に行けないとか命令されている。県庁では別にこうしたことを南相馬市の病院に命令していないという。じゃ誰が命令したのだというと誰でもないという。ええ、そんなこと馬鹿げている、誰かが言ったから命令されたからそうしている。それも権力をもつ組織から言われたからそうししている。だからこそ従うほかないからそうしている。明かに政府から命令があったから従ったのである。県庁ではまちがいなくそうである。ところが南相馬市の市民にしたら入院できないと病院が正常に機能しないと命にもかかわる。それで病院も南相馬市に要求して県庁に要求する。県庁ではそんなことを指示しないというが指示したのである。ただ南相馬市からと政府からの命令で板挟みになったのである。だから非常事態では政府の命令に従うことはかえって国民の命も奪われる。
地元の人も黙っていたら命も守れなくなる。そういうことは放射線量問題とかいろいろ今起きている。住民の自治が要求されているのだ。ただ唯々諾々と従っていたら命すら奪われる。
政府に従うことがすべて正しいとは今やなっていないのだ。


●20キロ圏内立入禁止区域も政府に従っていいのか?


政府もマスコミも、一番危ないときは「安全だ」といってばかりで、線量が下がった今ごろになったら「危ない」「危ない」「メルトダウン(炉心溶融)していた」「避難せよ」といい出した。
 これは情報操作だ。立入禁止の警戒区域で一時帰宅、つまり域外追放、飯舘の立ち退きというなかで、あきらめさせるための意図的な宣伝だといえる


そして住民生活を干上がらせて各地に分散移住させ、土地を取り上げるという意図が見えている。福島県内では強権的な土地接収だ。ここは明らかに核廃棄物の処分場にするという意図がある。福島原発に関わる核廃棄物の量は膨大になるが日本中の原発も使用済み燃料の処分に困っており、それらも含めた核廃棄物の処分場にしたいという願望は強いものがある
飯舘村は岩盤が強いところで、今度の地震の被害は少なかった。飯舘村では2、3年前に東電が「核廃棄物処分場にしたい」と話を持ち込んでいた。「今回がいいチャンスだと見ている」「そうでなければ全村が強制避難というのはどう考えても異常すぎる」と語られていた。
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/itotekinajuuminrisantotiseltusyuu.html


もちろんここの長周新聞とは何か仔細はわからない、自分は右翼でも左翼でもない、ジャ-ナリストは何かの組織に属していたり会社であれ何であれ派閥であれそこに与していると中立性が失われる。報道で大事なのは中立性なのである。どちらにも偏りがない、偏りみない立場にあることが大事なのである。マスコミはそうはならない、なぜならマスコミはそれぞれ会社であり会社という組織を第一にする。会社に勤めて利益をあげることが第一とされる。だから莫大な金が宣伝費として入っているから金をくれるところは批判しない、金がくれないところは厳しく追求する。東電は莫大な金をそうしたマスコミに投入している。創価などもそうであり新聞社も現実に買っているのだ。だからマスコミには報道の中立性がなく地元民の味方となるとは限らない、今要求されているのは一番受難にあっている地元民の自治なのである。ただ政府の言いなりになっていたら命さえ奪われるという危機になっているからだ。ただ混乱しているから自分たちがどういう立場に置かれて何をしていいのかわからない人もいる。


でも20キロ圏内が別に放射線量が高くないのに立入禁止区域にされたり避難準備地域の医療、福祉、教育が崩壊させられる。それは明かに政府の画策があるというのは本当ではないか?飯館村に核廃棄物の処分場にしたいということが現実にあったとしたらそういうことがすでに事故の前からも画策していたのだからこれは幸いと実行に移ったとも言えるのだ。立入禁止区域になればすべて政府の思い通りになる。核廃棄場にしても誰も反対するものもいないからだ。そういう企みがあって20キロ圏内の立入禁止とか避難準備地域とか設定して住民の追い出しを計っている。放射線量が高くないのにものものしい防護服を着させて2,3時間家に帰らせたりしている。それも政府の企みの一環として成されている。放射線量からしたらそんな危険な場所ではないからだ。だから政府の命令に唯々諾々と従っていたら政府の思い通りになりもう帰れるのに帰れなくなるし保証もわずかで終わってしまうかもしれない、なぜなら緊急避難地域には保証はない、病院に入院させないことや教育でも地元の学校に通わせない、会社も成り立たないとなれば出て行く人が増えてくる、そうなれば政府の企みにとって都合いいのだ。保証しなくても邪魔な住民を追い出すことができるからだ。だから原町区の避難準備地域という設定は政府の目論見でそうなったのである。住民を追い出して保証金を払わないためである

●東電も政府の命令に従わない


東電は東電で独自にヘリウムガスで冷却をしようとしている。

「政府はあてにならず、今回は意図的に米国を優先して外圧によって政府に行動をうながしいる。」サンデ-毎日でこういうことが書いてあった。野党の人の言として述べられていた。つまり政府があてにならない、原発の集束は政府があてにならないから東電独自でやりたいがそれができないのでアメリカ頼みでやるとなっている。アメリカ頼みだということは主導権がアメリカに握られることになる。そもそもアメリカのGE製の危険な原子炉であった。アメリカにも責任があった事故だった。でもアメリカの責任は追及できないのが日本なのである。日本政府がいかに独自性がなくその指示もアメリカに仰ぐだけだとなる。20キロ圏内の立入禁止もアメリカに指示されたからだと言う人もいる。日本政府の指示に従うことはアメリカに従うことだともなりかねない、だから政府の支持に従うことはかえって住民を苦しめるだけだとなる。政府の命令に従うだけだと住民の命すら守れなくなる。そういう非常事態、危機でありその対処はただ政府であれ東電であれ県であれ従うだけだと住民の命さえ守れなくなる。いつか帰れるんそれも近いうちだし保証金もがっぽりもらえるとか思っている人もいる。でもそうでない今まで述べたような政府の企みの上の立入禁止区域の設定とか住民追い出し作戦だったらどうするのか?確かにそういうことはありうるのだ。そしたら一方的に住民は犠牲にされるだけだとなる。原爆では広島、長崎が犠牲になったようにそれとにたようなことが浜通りで起こりうるのだ。そうなりつつあるともいえる。だから住民のしっかりとした自治がないと政府の企み通りになってしまうだろう。

posted by 天華 at 16:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2011年06月10日

アメリカのハリケ-ンでのカトリ-ナ被災と同じになる南相馬市 (30キロ圏内は人を住めなくさせるのが目的)


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アメリカのハリケ-ンでのカトリ-ナ被災と同じになる南相馬市
(30キロ圏内は人を住めなくさせるのが目的)

●政府は公的機関をつぶし住民を排除する


アメリカのカトリーナ被災でも同じで、際立って進められたのは徹底的な住民排除と公的機関の民間への売り飛ばしだった。救援隊を送らず、被災地を長期間放置したので、避難所の体育館に何体もの遺体が横たわっているテレビ映像は世界中を驚かせた。食料供給がないため避難民が店などを襲って略奪しはじめたところに軍隊を出動させ、反発する住民を撃ち殺した。その後、ほとんどの住民を州外に追い出し、黒人貧困層の多いニューオーリンズ市では、人口が被災前の約半分にまで減っている。


南相馬市でもこれとにたようなことが起こった。20キロ圏内は立入禁止区域にされ30キロ圏内は屋内退避にされ放射能を怖がった業者が物資を運ばなくなった。それで一時窮乏した。自分もなんとか地元から米をもらい食いつないだ。


救援隊を送らず、被災地を長期間放置したので、避難所の体育館に何体もの遺体が横たわっているテレビ映像は世界中を驚かせた


南相馬市で10人餓死したとか自殺した人が3人いたとか地元の国会議員が追求したのもそういう背景があったからだ。窮して南相馬市長がyoutubeで世界に訴えた。軍隊を主導させ反発する住民を撃ち殺した・・・・20キロ圏内の立入禁止は突然になされて住民は着の身着のままで追い出された。そして家に帰ることもできなくなった。警察官が入り政府が管理するようになった。同じ手法がとられている。その後、ほとんどの住民を州外に追い出し・・・正に20キロ圏内から南相馬市はそうなりつつあるのだ。住民追い出し政策がとられているのだ。公的機関も病院、学校なども30キロ圏内の南相馬市では使用禁止にされつつある。なんとか自力で病院を復興しようとしても県から通達で75日間しか入院してはいけない、病床は5つとか制限している。これも南相馬市の住民を追い出し作戦なのだ。放射線量もそれほど高くないのに何か理不尽であり急激すぎる。住民を説得することもしていない、強権発動であり政府の思いのままにされる。


●非常事態では考える余裕がないから政府にとっては好都合


大災害とか戦争とか大事件が起きたらそれをチャンスにして、人人が動揺している隙に、一気に政府、財界主導で市場原理改革をやるという手法だ。アメリカの新自由主義の旗手である経済学者ミルトン・フリードマンが提唱してきたものだ。1973年のチリのクーデター、2003年のアメリカによるイラク侵攻、2004年のスマトラ沖地震、2005年のアメリカ本土を襲った大型ハリケーン・カトリーナなど、世界各地の災害対応で実際におこなわれてきた。その乱暴さから「ショック・ドクトリン」ともいわれる。

人々が動揺しているときに一気に政府財界指導で主導権を握ってしまう。その時住民は動揺しているし抵抗できない、放射線が危ないから逃げるほかないですよと言われれば従わざるを得ない、もちろんそういう危機的状態になったことは確かである。しかしその後の対応を見ていると不自然なのである。海側は放射線量はすぐに低くなって飯館村のように山側と違いたいして問題にする必要はないものだった。だか異常に危険な地帯として外部にものものしい防護服を着させてみせつけるそこは一マイクロシ-ベルトにもなっていなかったのである。20キロ圏内を特別危険地帯とするために意図的に政府で芝居をしたともとれる。あんなものものしい格好する必要はなかったのだ。浪江の山中の赤字木(あこうぎ)ならわかる。でも浪江の街中でも2マイクロシ-ベルトとか海側で一マイクロシ-ベルトの所もあった。地理を知らない外部の人は浪江は高いなと思うからその20キロ圏内の浪江に入っているからあんなものものしい防護服を来て入るのだろうと納得する。20キロ圏内は特別危険なのだと印象づける。しかし外部の人でも見ている人は見ている。憲法違反だという人もいる。



原町区に運よく見付かった物件だったのに、30キロ圏内の緊急時避難準備区域内と言うだけで家賃援助もないのです。
30キロ圏外だから、放射線は大丈夫と言われ実際は危険だったり、
30キロ圏内だから、家賃補助は出来ませんと言われる・・・

http://fisco-tyokusenn1500.seesaa.net/archives/201103-1.html


原町区に運よく見付かった物件だったのに、30キロ圏内の緊急時避難準備区域内と言うだけで家賃援助もないのです。 これも南相馬市に人を住まわせたくないから政府で援助しない、政府の意図でそうなっている。いつまで経っても、なぜ同心円にこだわるのでしょう?・・・・こう疑問に思うのは当然である。この人は最近飯館で農業するために移住した人である。南相馬市は崩壊しているのではない、政府によって崩壊させられつつあるのだ。鉄砲で住民が撃たれるまではないにしろ強制退去はそれとにている。民主主義の世界だったら議論したり討議したりいろいろ手続きがあって成されることになる。でもそういう余裕がない、非常事態だから政府の一方的命令が容易に通ってしまうのである。お前たちここにいたら死ぬぞ、早く出ろとなる。それに抵抗することはできない、最後まで双葉町に残った老人がいた。でも電気は断たれる水道も使えないとかなり暮らしていけなくなる。住めなくさせるのだ。あとでもうここは20十年住めなくなると管首相が言ったというとき本音が出た。20年も住めなくさせるというのが本音だった。そしてそこを核の処理場として永久的に政府が管理して利用することである。それが目的でそういうことを言ったのである。


●30キロ圏内は人を住めなくさせるのが国策


30キロ圏内は人を住めなくさせる、人が住んでない方が政府にとって好都合だから政府では住めないように画策している。そうみるとなるほどとその謎が溶解するように理解できるのだ。
これは南相馬市だけではない、宮城県でも三陸でも政府指導が発揮しやすい状態にあり、うちひしがれている住民だから抵抗もない、政府や財界やアメリカ主導にもっていきやすいのである。土地でも漁業権でもとりあげやすい、そうするとどうなるのか、原子力発電所などはさらに建てやすくなるのだ。反対する住民がいなくなるからである。政府はアメリカ主導のもとに原子力発電をやめるとは限らない、外堀が覚めたころにまた原子力発電をはじめるかもしれない、現実に地元にしてもやめられたら困るとなっているからだ。また原子力発電に国民すべてが反対というわけではないからだ。犠牲になる人たちとならない人たちの差もでてくる。犠牲にならない人たちは他人事になる。自分も広島とかの原爆は長崎は他人事だった。今になると浜通りは原爆の被害者と同じになりつつあるのだ。あの悲惨な状態からも放射能をあびつつも復興したように浜通りも飯館村も実際は復興できる。でもそうさせないようにしているのが政府主導の国策だというのはあながち偏った見方ではない、当事者になったときそういうことかと納得することが多いからだ。


予測されたルイジアナ洪水のための堤防強化の資金をカットした。被災者は全米に棄民され今も復興していない。黒人とともにヒスパニックも棄民されている。いい就職先は軍しかない。三章は医療保険がなく、高額な医療費で破産していく中間層が貧困層に転落して行く実態である-堤未果「ルポ 貧困大国アメリカ」(岩波新書、2008年)。


これからも浜通りは就職先は原発しかない、農業すら土地を放棄させられている。放射能汚染が低くてもである。黒人とともにヒスパニックも棄民されている・・・棄民化させられている。
仮設住宅にしても玄関まで必要なかと疑問に思ったがそれも大資本の会社を潤す公共事業である。


仮設住宅は無駄だ
http://d.hatena.ne.jp/manybook/20110423/1303528524


こういう様々な問題が今回の津波や原発事故にはある。つまり緊急なことだから人々はじっくり考える余裕もない、だからこれは何だろうとか思っているうちにあれよあれよという間に悪条件を受け入れ成すがままになっている。仮設住宅がいらないというのではなく、別な地元の人の意向にそった金の使い方があるのだがそれがうちひしがれているから考えることもできないのである。それで政府や利権をねらう大企業やアメリカの思う壺になってしまっている。非常事態では考える余裕がない、混乱状態のなかで黒人とともにヒスパニックも棄民されているという状態になる。30キロ圏内や南相馬市はそうなっているのだ。

参考にしたプログ(他にも同じようなことを言う人は多くいた)
http://lemon69.cocolog-nifty.com/kurobune/2011/06/post-a6b8.html

posted by 天華 at 01:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

八木沢峠でストロンチウムが1000検出された (南相馬市鹿島区の地蔵木は避難すべきか?)


八木沢峠でストロンチウムが1000検出された
(南相馬市鹿島区の地蔵木は避難すべきか?)

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危険派
ストロンチウムは内部被曝に限って言うと、10倍?100倍の危険がある。魚、海藻、貝類には多く蓄積される。魚等の放射能は、海水中の濃度よりも必ず高い濃度になる。

今おっしゃったのはkg当たり570Bq。
ストロンチウムというのは、セシウム134あるいは137に比べると、
内部被曝という事に限って言うなら、たぶん10倍100倍の危険があると思います
http://hiroakikoide.wordpress.com/2011/05/09/tanemaki-may9/

 

安全派



ストロンチウムについて
http://tnakagawa.exblog.jp/15214540/


http://www.janjanblog.com/archives/41617


http://rokushin.blog.so-net.ne.jp/2011-04-07


八木沢でストロンチウムが1000というのは高いだろう。500を越えると基準値を越危険になる。
八木沢峠を下ってすぐに地蔵木がありその辺は放射線量が高く避難地域に指定されるべきだ、住んでいる人は計画的避難区域 に指定されて保証されて避難したいとあった。ストロンチウムがやはり1000も出たということは危険地帯である。ストロンチウムというのは危険を言う人は-危険派は大変な危険を言う、それほどでないとんう安全派を言う人の意見を読むとそんなものかと安心ししてしまう。結局のその幅が大きすぎるから不安になる。危険派の意見を言う人を聞いていれば極端な話、東日本は終わりだ、住めないとか言うし何で福島県人にみんな脱出しないのだとか盛んに面白がって言っている。そんな簡単にみんな脱出できないのだ。そんなに簡単に脱出できるなら放射能の問題は解決できる。脱出できないからこそどうしていいかわからなくなる。広島でも長崎でもそこに住み続けるほかない人はたくさんいた。放射能と共存して生きてきたのである。


南相馬市内でも飯館とか浪江の赤字木(あこうぎ)に近い山側は本当に放射線量が高い。だから子供をもっている人は避難する必要があるのだろう。30キロ圏から1、2キロ離れている乳幼児をもつ母親も脱出した。30キロ圏外は保証がないとか嘆いていた。30キロ圏外でも田畑は耕せないということで被害を受けている。そもそも緊急避難準備地域というややこしい設定が疑問なのである。いつ緊急事態が発生するかわからないというけどそんなに今福島原発が危険な状態にあるのか?爆発する危険があるのか?爆発してからすでに3か月だっているしそれなりに改善している。それほどまだ危険なのだろうか?避難させるのなら避難させるべきだが緊急避難準備地域という設定が不自然なのである。ここに住んでいいのか悪いのかもわからない、ただ病院やら学校やらが正常化しない、入院も制限されている。それも緊急避難準備地域に政府で指定したからでありその意図がわからないことを書いた。それは30キロ圏内をチェルノブリのように将来的には立入禁止区域にするためではないか?緊急避難準備地域にしていれば住みにくくなり自発的に住まなくなり保証しなくてもいいとなる。郡山市や福島市は南相馬市より放射線量が高いのに避難区域にしないのは政治的判断であり保証できないからだ。保証する範囲は20キロ圏内としてそこを核の処理場とする。飯館村にもそういう計画があった。そういう政府の画策があり緊急避難準備地域というあいまいなわかりにく設定となった。


南相馬市の八木沢から下った地蔵木では雨樋から114マイクロシ-ベルの放射線量が出たのは嘘ではない、雨樋を計ると10倍くらい高くなっている所が他でもあった。側溝でもそうである。雨で流れた放射性物質が側溝にたまっていた。それがさらに泥とか一緒になり汚泥となり下水処理場に流れた。森とかは葉につきやすく放射性物質がたまりやすい。放射性物質は消しようがない、循環している。元素として30年とか消えず循環している。この辺りで井戸水とか利用しているとストロンチウムがこれだけ出たら危険にならないか?水道水でも井戸水でも水の放射線の情報はあまりない、調べられていないのか?水は毎日飲むものだから不安になる。
地蔵木辺りの川の山女を調べたら放射性物質はどうなっているのか、ヤマメはとっても食べられないのだろう。あの辺の水は澄んでいたけど今も水は汚れていないけど放射性物質に汚された。


水もそうだが土にたまったら消えないから土から取り去るのは大変な作業になる。20年は人が住めないというのは浪江の赤字木(あこうぎ)辺りだとそういわれてもしかたないのだろう。でも他ではそうともいえない、放射線量は一マイクロシ-ベルトにも満たないとしたらその影響はどれだけあるのか?立入禁止区域でも南相馬市でも大半は一マイクロシ-ベルトにも満たない地域なのである。ただストロンチウムでも雨などで水に溶けて八木沢峠から橲原渓谷を流れて真野川に流れてくる。田の水を取水しているところもある。とすると危険になるのか、水に関してはあまり調べた報告もない、水を飲んだりすると内部被曝するから危険性が高まる。橲原でも子供がいるから避難したいという人がいた。結局その判断がわからないからむずかしいのだ。

そうして心配すればきりがなくなる。そしてあきらめるほかないとなる。50、60以上はそうなる。だからまだ千人近く飯館村には留まっている。でも生活しにくくなるからインフラも電気もとめられたりすると結局出ざるをえない、そして無人化するとそこは政府の思い通りになる。核の廃棄場として使用できるともなる。ただ保証の問題があるからそんなに住民を避難させてどうなるのかという問題がある。ただ保証にしても約束したわけではないし法律で決まっているわけでもない、非常事態だから平時とは違う。その責任もうやむやにさるかもしれない、

ともかく事態は日々変化している。ストロンチウムを計るのは時間がかかるからやっと出てきたのでありもっとこれからも出てくるのだろう。放射性物質の全容は誰もわからないのだ。素人なら余計に何を判断の基準としていいかわからないのだ。
posted by 天華 at 11:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2011年06月11日

南相馬市に住みつづける意味なんてあるの? (今津波や原発事故でめお土地に住む意義がとわれている。)


南相馬市に住みつづける意味なんてあるの?
(今津波や原発事故で土地に留まる意義が問われている)

 



家畜に関しては簡単に言うと東電側や政府は安上がりに済むから
一頭あたりいくらいくらの計算ができる


これが移動OKとなると移動にかかる料金
移動したあとにかかる受け入れ先の手配
移動したあとの餌代や飼育費
さらに売れないのでその補填と
雪だるま式に支払額が増えるのを嫌っている


日立工機って、40人位しか居ないよね?
大内新興も休業。フジクラも小高工場は移転するって。
タニコーは小高工場分を鹿島へ。
ジャムは、横浜とどっかに移転予定。
原町電子も一部移転。
デルモンテは、先月で残務終了。
工場がどんどん無くなりますね!
その辺市長は対策考えてるんかね


悲しいけど原町に職はないよ。
ハローワーク行けば
現実を見ます。

南相馬市の求人募集は震災前の日付で止まったままです。

俺は小高だけどもうこの地域にこだわる意味無いよ
事故前は、不便で雇用は無くても空気、水は旨かった
だけど、今では雇用は無い、空気は汚染されてる、水も怪しい
故郷を捨てるしかないな。だから他地域に家買えるだけの賠償金どうにかして
くれよ


結局、千葉の一戸建てなんか築10年で600万くらいなわけ
んだから俺は、小高の実家の家屋賠償金1000万を東電からもらえれば許す
ほかに住めばいいし
津波で家を瓦礫にされた石巻、気仙沼よりマシだろ
金貰って他に小高よりも利便性の良い家が買えるんだからな


南相馬に何があるっていうんだよ。
先祖の墓!?今までの思い出?母校?故郷?
そんなのな、一円の価値も無いんだよ
さっさと金貰って他の地域に住居買えれば好都合だろ

問題は金額なんだよ

だけどうちの親とか、ここのところ原発事故の情報にはあんまり興味示さなくなったのに
補償金だけ注意深く様子を伺っている。

自分からそんなことしたことないのに、申請書もらってきやがったよ。

656が、勝手に頑張ればよいだろう。他人を巻き込むなよ
南相馬を捨てて他地域で人生をやり直したほうが安全で豊かな生活が出来る
南相馬に何があるって言うんだよ。
教育水準は低い。水も空気も汚染されてる。政府から見捨てられた地域
原町に住んでも南にいったら検問。


南相馬に新築の一戸建てを立て替えするよ
りも賠償金で、競売の物件をキャッシュ購入したほうが安い。
建替え資金に1500万借り入れの30年ローンで総支払額2300万になる
しかし、競売なら600万で築10年の一戸建て選びたい放題
東海村の時の弁護団に一括して頼むか。
去年裁判終わったばかりだし、肩は冷めてないんじゃね?
20km圏内は一人当たり1億円
30km圏内は一人当たり5000万円
飯舘、川俣は一人当たり5000万円
こんな感じになりませんか?
損する被害も居るだろうから、高い基準に合わせる方向で。
http://www2.machi.to/bbs/read.cgi/touhoku/1303630677/

 



こうして金の計算ばかりしている人はすべて金に換算する人は別に南相馬市に住まなくてもいいしどこでもいい。都会でも田舎でもいい、小高に住まなくてもいい、そういう人はすでに立入禁止区域から避難して帰ってこない、そういうふうにあきらめる人もでてくる。それが政府の思惑かもしれない、帰ることをあきらめる人が増えてくれば核廃棄場にしやすいからだ。そもそも今回のことではいろいろなことが問われている。当たり前に田を作り米を作ってきたし畑で野菜を作り果物を育て花を栽培したり魚をとったりとそんなこと当たり前のことだから自分たちのしていることがどういう意味をもっているかなど考えたこともないだろう。でもそうして当たり前にしてきたことが実際にできなくなったときどうなったのか?今やそのことが毎日問われているのではないか?もちろんその日常の生活なのかで言われるのは米作りは金にならない、野菜作っても金にならない、もうやっていけないよとかそういうことも常に言われてきた。誰も好き好んで農業などやる人はいないよとかも言われる。これは漁業でも同じだろう。だから後継ぐ人もいない、親も生計を考えるとすすめられないということをいやというほど聞いてきた。だから原発事故で30キロ圏内は政府と東電から保証される、これ幸いと他で暮らそうという人もでてくる。もともとここて暮らすことがいやだった人はそうなる。ここにいつづける理由がないからだ。


では長年いつづける人はどうなるかというとそれも惰性なのかもしれない、ずっとなじんできた土地だからそのままいたい、知り合いも多いしなじんだ人も多い、そういうなかで暮らしたい、都会のような誰も知らないところではもう暮らせないというのもいつづける大きな理由である。認知症なんかはなじんだ所にいるのが一番の治療である。自分がどこにいるのかさえわからなくなるからだ。なじんだ人といることも治療になる。認知症でなくても60過ぎると環境の変化に弱くなるからそうなる。チェルノブリでは放射能の被害で死んだ人よりなじんだ故郷から出て心労やら病気で死んだ老人が多いのである。それは特別にそこにいつづけるというのではなく惰性もある。ずっと住んでいたから住んでいたいとなるのは人情である。別にそこに特別住みたいというのでなくてもそうなのである。また介護している人などは出にくい、自分もそうだったが他の人もそうだった。そういうやむをえない事情で出れない人はいた。それは別に特別な理由もない、長年の習慣がなかなか変えられないと同じように慣れた所にいつづけたいというだけである。


しかし今回の本当に不思議である。牛と別れるとき悲しむ人、牛は家族と同じだ、牛に活かされ牛と共に生きてきた。外から見る人はそんなに牛は大事なものだったのかと思う。牛は肉牛もいて屠殺するし、乳牛にしても乳を出す機械のようお思っている人もいる。女性が子供を生む機械だと言った人がいるから別に動物だとそういうことはできる。ただ動物も生き物だから機械とは違うから人間の情がうつり人間化した動物となっている。でもあらためて牛と別れるとなったとき牛をいとおしむ、牛は大事なものだった再認識したのではないか?それは牛だけではない、実りをもたらす大地が大事なものと認識した。先祖代々の土地だからなとという農民特有の言葉も何度も聞いた。果たしてそういう第一次産業にたずさわる人は自然とじかに接触して仕事をしている人たちである。戦前なら第一次産業にたずさわる人がほとんどである。だから土地がなくなると土地を求めて満州やブラジルに移住したのはそのためである。土地がなければ農業はできないからである。高度成長時代から工業化すると第一次産業の価値は極端に低くなる。だから常に農家でも漁業にたずさわる人でも収入の面で不満がたえなくなったのだ。漁業組合の人が東電の社長に向かって俺たち漁師を馬鹿にするよなと面と向かって言っていたのでもわかる。双葉町で原子力に頼るようになったのはそのためである。それは地方ではみなそうである。豊になりたいという気持ちが一致している。第一次産業では豊になれない、それで原発を誘致したのである。それは金だけを言う人とさほど変わりない、原発だろうが何だろうが金になればいいということがあったのだ。


そうならばそういう人たちは政府であれ東電であれ保証金さえもらえば別にそれでいいとなる。仕事は別にどこでもあるところで見つけて住めばいいとなるのだ。若い人だったらどうしてし南相馬市のようなしょぼい街にさらに衰退する街にはいたくないとなる。それをとがめることもできないだろう。そもそも農業の跡継ぎなどしたくないと親が言っていたからである。収入の面でどうしても成り立たないということで子供に言っていれば見ていれば農業などでは食べていけないということで農業を捨てるのは当然である。でも一旦田植えも、米作りもエチゴ作りも、畑での野菜作りも土地と結びついたことができなくなったときどうなったのか?やはりそういう仕事をしたい、今までしてきたというのもあるがやはりその仕事がいい、その仕事自体が生きがいなのだ、収入の面は今はさておき仕事がしたい、土にかかわる仕事がしたいとか言う人がいる。簡単にそういう仕事をしてきた人たちが職業を変えることはむずかしい。それは単なるスキルの習得であるだけではないやはり何か根源的な問題としてある。仕事は常に言われるけど収入だけではない生きがいが大事なのだと、でも実際に自分の仕事の価値を知ってしている人は少ないだろう。どれだけの価値があるかなどわからない、たいがい金銭に換算している。こんな収入じゃやっていけないというのが常に農業だけではないどこでも言われている。収入が少なくても足りなくてもここに住み牛と田畑と自然環境のいい所で暮らすのがいいのだと言う人も確かにいる。それは少数者になる。


不思議なことは今回のことでそういうふうに農業でも漁業でも他の仕事でもこの土地に働きここから離れないという人がどれだけいるのか、保証金もらえばこんな所にいたくないという人が多ければ市町村は崩壊するだろう。分離解体するだろう。つまり双葉町でもどこでも原発を誘致したような市町村はすでに分離解体させられていたのではないか?
そんな農業や漁業や林業やその他野菜作り果物作りで豊にはなれないよ、それに比べれば原発の電気事業はとてつもないもの、その金は巨大なもので市町村の財政も潤すとなるとそっちにみんな目が向くし簡単に今の状態のように牛も殺されたり農地が使えなくなったりひどいことになっても保証金さえもらえばどこかに移ればいいと若い人ならそうなり事実テレビでも仕事がないから南相馬市から人口が減ってここは衰退してゆくから出て行こうとなる。そういうことが今までなら知識人が頭の中で考えて言っていたから現場の人は聞かない、でも今やそれが現実なのである。頭の中ではない、牛は殺される、土地は田植えもできない、耕すこともできない、そうなったとき単に収入がないということだけで終わりなのだろうか?何かそうした根源的なことが問われている。これはお医者さんとかもそうである。医者は市町村にはなくてはならない中核的な存在である。医療が崩壊すると市も崩壊することでわかる。お医者さんは医者不足だからどこでも給料が良くて暮らせる。ここに留まる理由もないのだ。でもここに留まる医者もいる。
長年やってきたから奉公だといって戻ってきた老人の医者もいた。奉公だというとき何かこの土地に市に奉公したいとうい古いモラルの持ち主だった。そういう価値観をもっていたのである。そういう人はこの土地を離れないしまた老人ということで離れにくいのだ。


いづれにしろこうして南相馬市であれ浜通りであれ津波の被害にあった宮城県沿岸であれ岩手県であれそこに留まることの意義が問われている。もちろんもう仕事がないとか家もないとか何もないとかで移る人はでる。でも何かそこに留まる強いモチベ-ションとかさらに高等にはなるがミッション(使命感)がなければ留まることはできなるのではないか?そうでなければ30キロ圏内の市町村は政府の意向によりつぶされ解体され核の廃棄場となるのではないか?それより双葉町などは別にその場所に住む必要が前からなかったのだ。多額の保証金をもらって他に移り住んでも良かったし政府でも東電でもその方が好都合だったのである。

住む人にそこに住みつづけるモチベ-ションとかミッション(使命感)とかがないとそうなるのではないか?そんな高等なものはわからないともなるが現実にとそれぞれが問われているのではないか?野馬追いに出たいからここに留まるという人もいていい、それも一つの明確なモチベ-ションである。それでも野馬追いには武家の出の一部しか出れないのだからみんなのモチベ-ションになりえないからそれだけで市は維持できないだろう。おまえはどうなのだとなるが、自分もまた同じである。やはり問われているからこうして考えてプログに発表しているのである。 自分の場合はここの土地を基にして芸術とか学問の創造をしてきた。でもまたそれはこの土地には限らないことである。ただ基本的にこの土地を基にしている。自分にしてもここに本当に留まる強いモチベ-ションがあるのかとなるとわからないのである。年取るとどうしてもただ継続としていることがある。何かの継続としていつづけるのだ。その継続が歴史であり留まる動機にもなっているのが老人なのである。その土地の石や樹のように自然となっているのが老人でもあるのだ。

いろいろな人がやはりここに住む価値が問われている。

一千万もらった方がそこに住みつづけるより良いというのはもともと原発の事故で住めなくなるということを苦にしていない人である。ここに住むこだわりがないから一千万の方が価値があるのだ。そういう人が多数になれば市は解体してゆく。そういう市町村なら簡単に核の廃棄場に政府でも電気会社でもできる。金で買収できるからだ。


近くに老いた哲学者がいて同じことを考えていた。ともかくいろいろな人がその立場立場で取り上げられているから毎日考えることになるのだ。


モノディアロゴス
http://monodialogos.fuji-teivo.com/archives/3561

 
posted by 天華 at 23:53| Comment(2) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2011年06月14日

福島・相馬市の玉野の酪農家自殺=乳牛処分し廃業、「原発なければ」


福島・相馬市の玉野の酪農家自殺=乳牛処分し廃業、「原発なければ」
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011061400329

霊山から玉野も放射線量が高くその近辺では避難するようになった。飯館村に近いと放射線量が高い、3マイクロシ-ベルトになっていると住んでいられないんだろう。特に子供いる人は避難するようになる。玉野でも子供がいる人は市の仮設住宅に避難するという。3マイクロシ-ベルトでも子供はその3倍くらいの影響がある。子供をもっている人はみんな避難している。飯館村でも残るのは最後に老人である。もう老人は石のように動けないのだ。ここで自殺があったのは牛乳を廃棄していたこともあるがテレビのニュ-スではフィリンピンの妻が原発事故以来放射線のことでフィリンピンに帰ったこともその一因になっている。浪江の津島でも前に中国人妻が東京に住みたいとナタで夫に襲いかかった。あんな山奥とは思わなかった。その女性は都会に住みたかったのである。山村が嫁不足で外国人が結構入っていることがこれでもわかる。原発事故関係で自殺したのは須賀川と飯館村の102才の人と今回は玉野で三人目である。
酪農は草から放射性物質がとりこまれてミルクになるから危険である。チェルノブリではそれを政府で黙認して牛乳を飲ませていたから子供が甲状腺ガンになった。日本では最初段階で乳牛の原乳をとめているから安全である。


この放射能はかえって自然と共に暮らしていたところに甚大な影響があった。土とか水とか植物に影響があった。そして土とか水が一旦汚染されたらなかなか消えない、百年も消えないとか、地下水の汚染はやがていわき市や郡山の方に浸透ししてゆくとかその全容は誰もわからない、百年後にも地下水から放射性物質が発見されたとかなる。地下水には江戸時代に降った雨がたまっているのも神秘的だがそこに放射性物質がたまる。それはなかなか消えないのである。森の中でも葉にたまり葉が落葉になり循環して放射性物質は消えないやっかいなものなのである。広島と長崎の原爆とは違った放射性物質の被害が延々とつづくのである。広島とか長崎は都会であり草木も生えないというとき土とかが汚染されたのとは違っていた。都会だとコンクリ-トのビルでも洗い流すことができた。でも土や木や地下水となると放射性物質を取り除くことができない、結局時間が解決するとなるがこれも長い。そもそも森をどうして除染するのか?森を切ってできるというが森の樹をみんな切っていいのかとなる。森が枯れるわけではないのだから自然の浄化作用にまかせればいいともなる。そのためには30年から100年かかるとなるが森の木を全部切るようなことをしていいのか?そのことが疑問なのである。結局チェルノブリのように荒野化野生化するほか、放置しておくほか手段がないのかもしれない、それでもそこには生物は繁茂している。死の世界にはなっていないのだ。狼が戻ってきたということがそこが野生に戻ったということである。自然が死に絶えるわけではないのだ。飯館村の佐須の山津見神社には狼を祀っていて狼の伝説があり白狼というどぶろくを作っていた女性が紹介されていた。狼はもどらないにしろ正に狼の伝説がある場所にふさわしいとなる。


ともかく飯館村でも悔しいとかモノを投げつけていた人がテレビで写っていたり酪農家の被害も大きすぎた。原発事故で起きたことは様々なことを示唆ししていた。豚が死んだ豚を食べていたとか信じられない凄惨なことが報告された。豚は肉食だからそうなった。一方で牛は餌がなく力尽きて死んでいた。牛は肉を食べないからとも食いは起こらないのだ。人間は飢饉になり人間も食った。人間は肉食だからである。草食動物と肉食動物の違いがある。人間は肉食動物だからとも食いにもなるのだ。津波であれ原発事故であれ日常的なことから非日常的なことが起きている。高度化した文明は高度成長以後は第一次産業が経済のしめる割合は極端に低下した。現代では石油が電気がどれほど大事なものであるか、米や野菜や牛乳はありあまにほどある、だからその価値は低く見られていた。それで漁業組合の人が漁業を馬鹿にするなよと東電の社長に言っていた。そうした価値観の相違が露骨に現れたのである。生命を維持することに直結する第一次産業が低く見られ工業化によってその他のものの価値が高くなりすぎた。そして原子力の事故ではその低く見られていて第一次産業が一番打撃を受けたのだ。

社会でも農業や漁業などより電気がエネルギ-が大事だとなっていた。都会の田舎の対立もあった。そうした諸々の価値の相違による社会も原発事故と関係していたのだ。命と直結する第一次産業の基盤が失うと人間はもはや生きていけないということに気づいていなかった。それで双葉町の人が家族がばらばらになり苦しんでロウソクでも家族一緒に暮らせた方がいいと言っていた。家族まで崩壊させた。ここに移り住んだ人も会津に祖母がいて二本松に会社があり通っている。浜通りから二本松に通っていたら大変である。でも原発事故でそうなってしまったのである。様々な悲劇を生んだのが原発事故だった。その被害は一時期のものではない,百年もつづくというから放射能の怖さを今になって被害を受けてはじめて知ったのである。


核戦争の中で死ぬことは三度死ぬことである。自分自身が死ぬことであり子供たちの世代において死ぬことであり、是自然と共に死ぬことである。
ああ、友人たちよ、高く見上げたまえ、まだ空が相討ちに高く空をみあげたまえ、大地がぼろぼろに崩れないうちに、大地に触れたまえ、

泉が汚染されないうちに、走って清水を飲みたまえ、海が荒されない前に思い切り泳ぎたまえ
とりわけ、あなたの子供たちがぐったり倒れないまえに、ようく遊んでいる姿を見ておきたまえ
(ランザ、デル、パスト)


本の山からこんな言葉が出てきた。ガンジ-の時代の人だとするずいぶん古いがフランスの人だった。フランスの核実験反対運動した人だった。核戦争ではなく原子力発電も同じだった。
子供たちの世代にもの凄く影響する。放射能もそうだし放射能は子供の世代にも消えずに影響する。子供が外で遊べなくなったのもにている。ただ福島で起こった原発事故で違っていたのは放射性物質汚染は目に見えないから広島や長崎の被害と違っているからあれこれは何だと思う。何ら風景は変わっていないのだ。水は澄んでいるし大気も澄んでいる、森も変わらずに水々しい緑である。どこが汚染されているのかと思う。現実にチェルノブリは原始の森に戻って野生の楽園になったという。つまり生物が死に絶える世界ではない、長崎と広島ではそういうふうに思った焼け野原になり生物は生きていけないと思った。でも原発事故ではそうならなかった。そこがどうしても深刻に考えないことにもなった。飯館村でも老人は残るというのはそのためである。老人は放射能の影響を受けないから別に住んでもいいのである。放射性物質に汚染されたものを食べても別にあと10年でガンになるといってもその頃はみんな何かしら病気になって死ぬから同じなのである。だから広島と長崎と比べるとずいぶん違っているし深刻なものとそこに住んでいる人は考えない、ただ避難させられたり農業ができないということで深刻になる人はいて自殺したのである。放射能に直接やられて死んだというのではないのだ。放射能の影響がどうこれから現れるかはわからない、その結果により今回の事故の大きさがどれほどのものだったか判断される。

 
 
 
posted by 天華 at 22:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2011年06月15日

南相馬市(鹿島区寺内の仮設住宅→原町区大原→鹿島区橲原村を回る)


南相馬市(鹿島区寺内の仮設住宅→原町区大原→鹿島区橲原村を回る)


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鹿島区寺内仮設住宅



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大原から橲原地区

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通行禁止-橲原渓谷



深々と森に流れや夏鶯


草深く馬頭観音菖蒲かな


大葦にパス停残され菖蒲かな

橲原や二羽交じるや黒揚羽



南相馬市の鹿島区の寺内の仮設住宅は人が相当入っていた。朝日新聞社の人が原町区の雫(しどけ)の人をたずねていた。地図で見てもあの辺に津波が来たとは思えないが広い地域では来ていたのだろう。あそこは道路が広く一つの街になっていた。道路に駐車もできるし車をもっている人も多い。比較的恵まれた人が入ったのかもしれない、玄関のあるのとない部屋があった。車が町の真ん中を通れるというので便利である。西町と千倉では囲われたようになっているから車も人も外部から入れない、ただ千倉には樹があり木陰になるので夏は気持ちいい、ここは新し町ができたということが不思議である。

そこから小池を回り原町区に出て大原の方に行ってきた。何軒か避難しているかもしれない、でも車がある家は避難しないのか、よくわからない。病院で知り合った人の家はどうなったのか、寄らなかった。そもそも年で病気なのだからとても五町あるとしてもできない、市役所で息子が働き街に住んでいるとしたらそっちに移ったのかもしれない,廃屋になっている家が三軒くらいある。そこから橲原の方へ上ってゆくとやはり空家になった家がふえてくる。家は少ないにしろ明かにふえている。牛車には牛はいない、牛はもうここでは飼えないだろう。放射線量は高い地域になっている。大原から大葦は前のバスの停留場だけど廃止になってから一年くらいになるだろう。そこに馬頭観音と草深く菖蒲が咲いていた。馬頭観音でもバスでも交通があった標である。 ここに一回だけおりたことがあった。折り畳み自転車で飯館村に行っていたからである。まだ車の行き来は盛んである。でも飯館村が立入禁止区域になったら極端に淋しくなる。まだ交通は遮断されていないからかえってここは車の行き来が激しく山の村とも思えないところである。警察の車も多いのだ。見回りをしているからである。もともとこの辺は家がまばらでありこの辺でもう酪農とか肉牛でも生活できないとか避難したいということを報告があった。相馬市の玉野も相馬市街から離れた辺鄙なところであり原発がなければとか書き残して自殺した人がいたがそれだけの理由とはいえないだろう。フィリンピンの嫁と子供が故国に帰ったことも痛手だった。その方が一層死んでしまうとした原因かもしれない、借金もしていたとかやはり今は農家でも酪農家でも苦しかったのである。東電で国で保障されて移った方が楽な人もいることは確かである。ただつづけたいという人もそれなりにいるからその事情はいろいろなのである。

この辺では確かに井戸水を使っていた。井戸水は地下水は放射能に汚染されているから危険で飲めないだろう。山の湧き水をとり入れて所もある。そういうのも危険になるのだろう。ということは山で暮らすメリットがなくなる。なぜなら水道代を払わないで良かったからである。

それから橲原渓谷は通行止めになっていたが自転車ならそういう場所でも行けるから下ってきた。落石があり木も崩れ落ちていたところがあった。橲原に出たがここでもテレビで写していたが放射線が高く子供がいるという家は移ると言っていたから移動した人がいるのだろう。空家になっている家があるみたいだ。道路の脇に九輪草が一杯咲いて夏の蝶が乱舞していた。
あそこに蝶だけが集まりあとは今は耕されない畑に田植えされていない田があるだけである。
でも蝶があんなに飛んでいることでほっとした。自然は放射能に汚染されても表面上は何ら変わっていないのである。だから俳句でも短歌でも詩にも絵にも写真にもなる。放射能汚染だからといって森の樹を全部を切って除染すべきだと学者が言うがそんなことしたら森がどうなるのか?むきだしの土のはげ山になってしまう。第一そんなことができるのかと思う。


橲原村というと何か隠棲するのには一番いい所であった。大原などもそうだったがあそこは車の通りが激しいからそんなにいい場所とは思えなかった。今はどこでも車が騒々しくするから隠棲するのにふさわしい場所はまれである。ただ橲原村というときその場の雰囲気を知るのにはどうしても一回はたずねる必要がある。テレビとかではわからない、なぜならテレビを見て俳句や短歌を作れないからだ。確かに震災の映像を津波の被害の映像を見て作ったがやはりリアルな表現に写生の表現にはなりにくい、真実味が出てこないのだ。ともかく橲原村でも大原村でも人が流出すると村自体がなくなる危機になるかもしれない、前から山の暮らしは単に単に風流で見ているならいいが実際に暮らす人には大変だった。だから保障さえあればこのさえ街に出ようとする人が増えてくるかもしれない、回りの人がいなくなると余計に住みにくくなるからだ。今回のことで不思議なのはこうしてなれ親しんだ所に住んでいた人がいなくなるという不思議である。最後の見納めのように見ている不思議である。大げさになると人類最後の日を見ている、人が住まなくなるということはそういうことでもある。

まあ、人類がいなくなっても放射能汚染でも自然は残るし回復する。死に絶えることなどないのだ。自然のスケ-ルは千年から一万年だからそのうちにまた回復するからだ。だからその間に人間の住む街や村が消えても不思議ではないのかもしれない、こんなとき俳句など作っているのがおかしいのかもしれない、ただ習慣で作ってきたから作っているのだ。それもやはり自然が別に枯れてもいない表面上は同じだから作れるのである。ただこういうとき俳句とか短歌を作るために見て歩くというのは不遜になるのかもしれない,みんな困っているとしたらそうである。ただ報告として出しているのである。

posted by 天華 at 17:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2011年06月16日

マスメデアと原子力安全神話の形成 (インタ-ネットはマスメデアを監視するべき)


マスメデアと原子力安全神話の形成
(インタ-ネットはマスメデアを監視するべき)
http://musubu.jp/jijimondai-41#media (時事問題の深層41へ)


マスメデアとインタ-ネットとのメデアを対称的にするとき見えてくるものがある。人は情報を得るときほとんどが二次情報である。どこかで事件があってもそれを見た人から直接聞くことはまれである。テレビで知るということはあくまでも一次情報ではない二次情報である。また聞きだから一次情報に接するのとは違っている。マスメデアはテレビをはじめとして新聞でも雑誌でもそうだが二次情報なのである。一番公平なことは人にはそれぞれの主張があり意見もある。それは個々によっても違ってくる。でもマスメデアを通したらマスメデアによって編集され脚色されたものになる。常に今はマスメデアの編集された脚色された二次情報に接しているのだ。


もし単なるメデアとするなら媒介を役目とするならテレビで五分間何でも訴えたいことをいいたいことを言ってくださいとなる。そういうことはありえない、誰がしゃべるかもメデアによって取捨選択される。するとその人だけがメデアを通して巨大化されるのだ。議員にしてもテレビに出ると顔が売れるというだけで選挙に有利ともなるのが現代の情報空間である。一次情報としてインタ-ネットでプログなどで気軽にだす人も増えた。でもまだまだインタ-ネットは未成熟な情報を空間である。取捨選択するマスメデアがなくなるとき今度は自分で取捨選択して編集して読まなければならない、これも大変な作業になるのだ。そうできる人とできない人もいる。自分は何とかそういう編集作業をして読み書いてきた。インタ-ネットはただ単にテレビを見るように受動的では何も得られないのである。インタ-ネットは個々がメデアになっていることが今までの情報空間とは相当に違っている。今までの情報空間はあくまでもマスメデアを通して形成されていた。それは原子力の安全神話が形成されたこともそうした組織集団の権力構造があったからである。一見個々人が発言しているようでも実際は組織集団の代表として発言しているのだ。

その組織権力が強力だからそれらが一体化したときもう原子力の安全神話にたてつくことはできない構造になっていた。その権力構造は人間によって破壊されたのではない、地震や津波によって破壊されたのである。

長いので時事問題の深層に書いた。プログに書くと一記事がどれくらい読まれているかわかるからいいがホ-ムペ-ジに書くとわからない、でも本のように一連のものとして読むにはいいし長くなるとホ-ムペ-ジの方が書きやすいのである。
posted by 天華 at 20:23| Comment(2) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連