南相馬市に住みつづける意味なんてあるの?
(今津波や原発事故で土地に留まる意義が問われている)
家畜に関しては簡単に言うと東電側や政府は安上がりに済むから
一頭あたりいくらいくらの計算ができる
これが移動OKとなると移動にかかる料金
移動したあとにかかる受け入れ先の手配
移動したあとの餌代や飼育費
さらに売れないのでその補填と
雪だるま式に支払額が増えるのを嫌っている
日立工機って、40人位しか居ないよね?
大内新興も休業。フジクラも小高工場は移転するって。
タニコーは小高工場分を鹿島へ。
ジャムは、横浜とどっかに移転予定。
原町電子も一部移転。
デルモンテは、先月で残務終了。
工場がどんどん無くなりますね!
その辺市長は対策考えてるんかね
悲しいけど原町に職はないよ。
ハローワーク行けば
現実を見ます。
南相馬市の求人募集は震災前の日付で止まったままです。
俺は小高だけどもうこの地域にこだわる意味無いよ
事故前は、不便で雇用は無くても空気、水は旨かった
だけど、今では雇用は無い、空気は汚染されてる、水も怪しい
故郷を捨てるしかないな。だから他地域に家買えるだけの賠償金どうにかして
くれよ
結局、千葉の一戸建てなんか築10年で600万くらいなわけ
んだから俺は、小高の実家の家屋賠償金1000万を東電からもらえれば許す
ほかに住めばいいし
津波で家を瓦礫にされた石巻、気仙沼よりマシだろ
金貰って他に小高よりも利便性の良い家が買えるんだからな
南相馬に何があるっていうんだよ。
先祖の墓!?今までの思い出?母校?故郷?
そんなのな、一円の価値も無いんだよ
さっさと金貰って他の地域に住居買えれば好都合だろ
問題は金額なんだよ
だけどうちの親とか、ここのところ原発事故の情報にはあんまり興味示さなくなったのに
補償金だけ注意深く様子を伺っている。
自分からそんなことしたことないのに、申請書もらってきやがったよ。
656が、勝手に頑張ればよいだろう。他人を巻き込むなよ
南相馬を捨てて他地域で人生をやり直したほうが安全で豊かな生活が出来る
南相馬に何があるって言うんだよ。
教育水準は低い。水も空気も汚染されてる。政府から見捨てられた地域
原町に住んでも南にいったら検問。
南相馬に新築の一戸建てを立て替えするよ
りも賠償金で、競売の物件をキャッシュ購入したほうが安い。
建替え資金に1500万借り入れの30年ローンで総支払額2300万になる
しかし、競売なら600万で築10年の一戸建て選びたい放題
東海村の時の弁護団に一括して頼むか。
去年裁判終わったばかりだし、肩は冷めてないんじゃね?
20km圏内は一人当たり1億円
30km圏内は一人当たり5000万円
飯舘、川俣は一人当たり5000万円
こんな感じになりませんか?
損する被害も居るだろうから、高い基準に合わせる方向で。
http://www2.machi.to/bbs/read.cgi/touhoku/1303630677/
こうして金の計算ばかりしている人はすべて金に換算する人は別に南相馬市に住まなくてもいいしどこでもいい。都会でも田舎でもいい、小高に住まなくてもいい、そういう人はすでに立入禁止区域から避難して帰ってこない、そういうふうにあきらめる人もでてくる。それが政府の思惑かもしれない、帰ることをあきらめる人が増えてくれば核廃棄場にしやすいからだ。そもそも今回のことではいろいろなことが問われている。当たり前に田を作り米を作ってきたし畑で野菜を作り果物を育て花を栽培したり魚をとったりとそんなこと当たり前のことだから自分たちのしていることがどういう意味をもっているかなど考えたこともないだろう。でもそうして当たり前にしてきたことが実際にできなくなったときどうなったのか?今やそのことが毎日問われているのではないか?もちろんその日常の生活なのかで言われるのは米作りは金にならない、野菜作っても金にならない、もうやっていけないよとかそういうことも常に言われてきた。誰も好き好んで農業などやる人はいないよとかも言われる。これは漁業でも同じだろう。だから後継ぐ人もいない、親も生計を考えるとすすめられないということをいやというほど聞いてきた。だから原発事故で30キロ圏内は政府と東電から保証される、これ幸いと他で暮らそうという人もでてくる。もともとここて暮らすことがいやだった人はそうなる。ここにいつづける理由がないからだ。
では長年いつづける人はどうなるかというとそれも惰性なのかもしれない、ずっとなじんできた土地だからそのままいたい、知り合いも多いしなじんだ人も多い、そういうなかで暮らしたい、都会のような誰も知らないところではもう暮らせないというのもいつづける大きな理由である。認知症なんかはなじんだ所にいるのが一番の治療である。自分がどこにいるのかさえわからなくなるからだ。なじんだ人といることも治療になる。認知症でなくても60過ぎると環境の変化に弱くなるからそうなる。チェルノブリでは放射能の被害で死んだ人よりなじんだ故郷から出て心労やら病気で死んだ老人が多いのである。それは特別にそこにいつづけるというのではなく惰性もある。ずっと住んでいたから住んでいたいとなるのは人情である。別にそこに特別住みたいというのでなくてもそうなのである。また介護している人などは出にくい、自分もそうだったが他の人もそうだった。そういうやむをえない事情で出れない人はいた。それは別に特別な理由もない、長年の習慣がなかなか変えられないと同じように慣れた所にいつづけたいというだけである。
しかし今回の本当に不思議である。牛と別れるとき悲しむ人、牛は家族と同じだ、牛に活かされ牛と共に生きてきた。外から見る人はそんなに牛は大事なものだったのかと思う。牛は肉牛もいて屠殺するし、乳牛にしても乳を出す機械のようお思っている人もいる。女性が子供を生む機械だと言った人がいるから別に動物だとそういうことはできる。ただ動物も生き物だから機械とは違うから人間の情がうつり人間化した動物となっている。でもあらためて牛と別れるとなったとき牛をいとおしむ、牛は大事なものだった再認識したのではないか?それは牛だけではない、実りをもたらす大地が大事なものと認識した。先祖代々の土地だからなとという農民特有の言葉も何度も聞いた。果たしてそういう第一次産業にたずさわる人は自然とじかに接触して仕事をしている人たちである。戦前なら第一次産業にたずさわる人がほとんどである。だから土地がなくなると土地を求めて満州やブラジルに移住したのはそのためである。土地がなければ農業はできないからである。高度成長時代から工業化すると第一次産業の価値は極端に低くなる。だから常に農家でも漁業にたずさわる人でも収入の面で不満がたえなくなったのだ。漁業組合の人が東電の社長に向かって俺たち漁師を馬鹿にするよなと面と向かって言っていたのでもわかる。双葉町で原子力に頼るようになったのはそのためである。それは地方ではみなそうである。豊になりたいという気持ちが一致している。第一次産業では豊になれない、それで原発を誘致したのである。それは金だけを言う人とさほど変わりない、原発だろうが何だろうが金になればいいということがあったのだ。
そうならばそういう人たちは政府であれ東電であれ保証金さえもらえば別にそれでいいとなる。仕事は別にどこでもあるところで見つけて住めばいいとなるのだ。若い人だったらどうしてし南相馬市のようなしょぼい街にさらに衰退する街にはいたくないとなる。それをとがめることもできないだろう。そもそも農業の跡継ぎなどしたくないと親が言っていたからである。収入の面でどうしても成り立たないということで子供に言っていれば見ていれば農業などでは食べていけないということで農業を捨てるのは当然である。でも一旦田植えも、米作りもエチゴ作りも、畑での野菜作りも土地と結びついたことができなくなったときどうなったのか?やはりそういう仕事をしたい、今までしてきたというのもあるがやはりその仕事がいい、その仕事自体が生きがいなのだ、収入の面は今はさておき仕事がしたい、土にかかわる仕事がしたいとか言う人がいる。簡単にそういう仕事をしてきた人たちが職業を変えることはむずかしい。それは単なるスキルの習得であるだけではないやはり何か根源的な問題としてある。仕事は常に言われるけど収入だけではない生きがいが大事なのだと、でも実際に自分の仕事の価値を知ってしている人は少ないだろう。どれだけの価値があるかなどわからない、たいがい金銭に換算している。こんな収入じゃやっていけないというのが常に農業だけではないどこでも言われている。収入が少なくても足りなくてもここに住み牛と田畑と自然環境のいい所で暮らすのがいいのだと言う人も確かにいる。それは少数者になる。
不思議なことは今回のことでそういうふうに農業でも漁業でも他の仕事でもこの土地に働きここから離れないという人がどれだけいるのか、保証金もらえばこんな所にいたくないという人が多ければ市町村は崩壊するだろう。分離解体するだろう。つまり双葉町でもどこでも原発を誘致したような市町村はすでに分離解体させられていたのではないか?
そんな農業や漁業や林業やその他野菜作り果物作りで豊にはなれないよ、それに比べれば原発の電気事業はとてつもないもの、その金は巨大なもので市町村の財政も潤すとなるとそっちにみんな目が向くし簡単に今の状態のように牛も殺されたり農地が使えなくなったりひどいことになっても保証金さえもらえばどこかに移ればいいと若い人ならそうなり事実テレビでも仕事がないから南相馬市から人口が減ってここは衰退してゆくから出て行こうとなる。そういうことが今までなら知識人が頭の中で考えて言っていたから現場の人は聞かない、でも今やそれが現実なのである。頭の中ではない、牛は殺される、土地は田植えもできない、耕すこともできない、そうなったとき単に収入がないということだけで終わりなのだろうか?何かそうした根源的なことが問われている。これはお医者さんとかもそうである。医者は市町村にはなくてはならない中核的な存在である。医療が崩壊すると市も崩壊することでわかる。お医者さんは医者不足だからどこでも給料が良くて暮らせる。ここに留まる理由もないのだ。でもここに留まる医者もいる。
長年やってきたから奉公だといって戻ってきた老人の医者もいた。奉公だというとき何かこの土地に市に奉公したいとうい古いモラルの持ち主だった。そういう価値観をもっていたのである。そういう人はこの土地を離れないしまた老人ということで離れにくいのだ。
いづれにしろこうして南相馬市であれ浜通りであれ津波の被害にあった宮城県沿岸であれ岩手県であれそこに留まることの意義が問われている。もちろんもう仕事がないとか家もないとか何もないとかで移る人はでる。でも何かそこに留まる強いモチベ-ションとかさらに高等にはなるがミッション(使命感)がなければ留まることはできなるのではないか?そうでなければ30キロ圏内の市町村は政府の意向によりつぶされ解体され核の廃棄場となるのではないか?それより双葉町などは別にその場所に住む必要が前からなかったのだ。多額の保証金をもらって他に移り住んでも良かったし政府でも東電でもその方が好都合だったのである。
住む人にそこに住みつづけるモチベ-ションとかミッション(使命感)とかがないとそうなるのではないか?そんな高等なものはわからないともなるが現実にとそれぞれが問われているのではないか?野馬追いに出たいからここに留まるという人もいていい、それも一つの明確なモチベ-ションである。それでも野馬追いには武家の出の一部しか出れないのだからみんなのモチベ-ションになりえないからそれだけで市は維持できないだろう。おまえはどうなのだとなるが、自分もまた同じである。やはり問われているからこうして考えてプログに発表しているのである。 自分の場合はここの土地を基にして芸術とか学問の創造をしてきた。でもまたそれはこの土地には限らないことである。ただ基本的にこの土地を基にしている。自分にしてもここに本当に留まる強いモチベ-ションがあるのかとなるとわからないのである。年取るとどうしてもただ継続としていることがある。何かの継続としていつづけるのだ。その継続が歴史であり留まる動機にもなっているのが老人なのである。その土地の石や樹のように自然となっているのが老人でもあるのだ。
いろいろな人がやはりここに住む価値が問われている。
一千万もらった方がそこに住みつづけるより良いというのはもともと原発の事故で住めなくなるということを苦にしていない人である。ここに住むこだわりがないから一千万の方が価値があるのだ。そういう人が多数になれば市は解体してゆく。そういう市町村なら簡単に核の廃棄場に政府でも電気会社でもできる。金で買収できるからだ。
近くに老いた哲学者がいて同じことを考えていた。ともかくいろいろな人がその立場立場で取り上げられているから毎日考えることになるのだ。
モノディアロゴス
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