2022年11月06日

宮城県山元町の地名ーかすべ田ー犬塚古墳の由来


宮城県山元町の地名ーかすべ田ー犬塚古墳の由来

KASUBETA22.jpg

かすべ田の由来

磯の西、雷神山の山裾に窪地に五坪くらいの田んぼ数枚あった
ここをかすべ田と呼んでいた
昔荒地を拓いて小さな田んぼにして耕していた
田んぼが小さいので魚のかずべくらいということから、誰言うともなくかすべ田の名がついた
(山元町ーふるさと地名考)

「かすべ」の語源は「安くて不味(まず)い魚の滓(カス)」という意味から名付けられたという説も述べている。「かすべの干物は関西地方では肥料として使われていた」とも。すると、前説は「ジョーク」だろう・・・だが、「酒粕・酒糟」の「かす=粕・糟」ならば「魚の粕(糟)漬け」である・・・

かすべとはカスの魚のことか、カスにするような魚のことか、カスべはこの辺でもとれていて食べていた、93歳のレンガ職人だった人はそのカスべを良く食べていたという
それほどいい魚ではないからカスの魚となったのか?

かすべの干物は関西地方では肥料として使われていた

意外と魚が肥料として使われていた、それは日本が海に囲まれていて魚がとれるからそうなった、ニシンでも大量にとれたが肥料として使われていたのである
それで相馬藩からでも船でその肥料となるニシンを買いに行った、米を積んで米を売ってニシンを買ったのである

土地に海の魚の名前つけたのは魚をとっていた人達、漁師かもしれない、確かなことは
その魚は日常的に獲ったり食べたりしていた人達である
第一そんな名前を普通はつけないからである、日本では土地が少ないから少しでも土地があれば田んぼにした、そこで米をとれば食料になるからである
漁師が魚をとるにしても米はとれないと米が食べれないからである
でも魚を売って米を買うことはできる、だから魚は売って金になったとなる

そのレンガ職人がカスべを子供の時でも食べていたという時、私にはカスべという名前すら知らないのである、知っているのは塩引きの鮭とかサンマとか年越しの魚の石鰈である石鰈は一番ぜいたくな魚だった、だから年に何度かしか食べられない、それで年越しに食ものとしてあった、それは烏浜に漁師がいて売りに来たとなる
その石鰈は震災前でも高いものだったのである
でも子供時代の記憶としてこのカスべという名を知らないのである
それを食べた記憶もその味もわからないのである
でも確かにこの辺ではカスべを食べていたということである
山元町にも漁港があり漁師がいて魚をとっていたからカスべを食べていた
身近な魚だったのである、山元町の津浪の被害は大きかった
根こそぎ海岸近くの家が失われたとなる
山元町は相馬藩と隣り合わせで伊達藩と争ったこともある
でも近いから太平洋岸として繋がりがある


犬塚古墳の由来

主人公サンを乗せた犬神が、たたらばを襲撃するというシーンがありました。ある研究によれば、製鉄の集団は砂鉄を探すのに犬を使っていたと考えられているのですが、もしかしたら、そのような研究を踏まえているのかもしれません。

伊藤:砂鉄と犬ですか?

奈良:はい、意外な組み合わせかもしれませんが、身近なところでいくとお伽噺の「桃太郎」を例に考えると、わかりやすいかもしれません。この研究について読んだとき、「桃太郎」が鬼退治に行くときに犬を連れていたことを思い出しました。


鉄づくりは日本の文化 0たたら製鉄の「たたら」って何?

義犬塚古墳と捕鳥部萬(ととりべのよろず)

捕鳥部萬と忠犬の白い犬の事が、「泊瀬部天皇 崇峻天皇」(『日本書紀』)に書かれている。

犬は製鉄と関係していた、桃太郎が犬を連れて鬼退治した、それも製鉄と関係していた
だから犬塚古墳は山元町だけではないほかにもあるとなる
とにかく福島県から宮城県の浜通りは砂鉄を求めて渡来人が来た跡が明確に残っている
そして地名化もしている、そのことは前も書いた、南相馬市の真野地域は産鉄族が拓いた土地だともなる、それで境界にもなり真野の草原の万葉の歌が残された
産鉄族の真野氏一族は石巻から北上川に入り上り登米までその跡を残した、そこに真野と記された木簡が発見されているからである
また石巻には濃厚に真野氏関係の和邇氏がかかわり和邇(わに)山もある、また萱原という地名もありそこが真野の草原だという説もある
それはやはり濃厚にその跡が想像ではなく証拠品もでているからである