2014年06月15日

一九七〇年代からふりかえる (高度成長時代から日本は物質欲が減退して文化の時代に)


一九七〇年代からふりかえる

(高度成長時代から日本は物質欲が減退して文化の時代に)

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●団塊の世代の大学生活

案外忘れられてるけど卓上電卓がオフィスに普及したのも最近なんだよね。
70年代からじゃない? つまり団塊が社会人デビューしたころは算盤上等なわけで
電卓はあっても値が張るわけで、まだまだ算盤やら手計算がメジャーなわけだ。
いわんや簿記なんか分厚い帳簿を引っ張り出さなきゃいけない。
 経理だろうと人件費計算だろうと大量に人間がいたわけだ。

書類がコンピューターでデジタル化した。だから相当書類が減った。書類の整理だけで大変な労力がこれまではあった。そういう所が省力化すると人手がいらなくなる。
本や情報もデジタル化すると効率がいい、ただ本なんかはやはり本としての良さがあり
なくならないだろう。ただコストがかかるということで衰退してゆく。

今や自分は忙しくて図書館などで調べられない、図書館は何か調べ物するには効率が悪いし時間がかかりすぎるのである。
町とかに図書館があっても小さすぎて役にたたないのである。
インターネット化すると郷土史の研究が全国的ネットで結ばれるメリットがあった。
郷土史研究はマイナーであり本で調べるのがむずかしい分野である。
大学で論文を出していたのでそれを読んで参考にした。
一般の人が大学と結ばれるのもインターネットではできる。
今までは情報にアクセスするには壁があった。
大学には一般の人は入ることはできなかった。
ただまだまだ情報や論文を公開している大学は少ない。


それにしてもずいぶん時間がすぎてしまった。遠い昔になってしまった。
団塊の世代も歴史的に語られる存在になっているのだ。
高度成長時代を作ったのが団塊の世代である。
大学時代に車に乗っている人がいたがあの時車は贅沢であり車もっている男性は格好いいと女性から見られていたのかもしれない。
車はそんなにみんながまだもてるものではなかったろう。
ただその頃から急速に普及し始めていたのだろう。


自動車の普及が急速に進むなか、1968年日本の自動車生産台数が世界第2位に躍り出ました


日本の技術の開発のスピードは意外と早かったなと思う。その時すでに世界二位というのは驚きである。集団就職の時代であり人手がたりな金の卵として田舎から大量の労働者が東京などに送られた時代だった。
この日本車もすでに世界で通用していたのである。

●団塊の世代でもすでに大学は大衆化していた

クラスで田舎では大学に入れたのは4,5人だった。
集団就職が三分の一くらいいたようだ。
それでも大学だと私立はマンモス大学であり凄い数が集まっていた。
この時大学は特別なものではなく大学の大衆化がはじまっていたのである。
3000人とか入る大講堂で講義しているのも異様な風景だった。
高校からするとあまりにも違っていたからとまどい勉学の意欲を失う人もいて
全学連など学生運動に身を費やす人もいた。


大学はレジャーランドとか言われた時代であり毎日マージャンをしている人もいた。
大学で授業にゆくやつは遊ばないやつだとうとまていたのも不思議である。
大学とは高校と違って遊ぶ場所だったのである。
マージャン大学、パチンコ大学にもなっていた。
パチンコはその当時本当にヤハなものだっ。
誰でも手作りできるようなもので板の箱でただ釘を打っているだけのものだったのである。
その釘の調節で出るのと出ないのを調節していた。
そのころからみるとぶいぶん変わったなと思う。


高校では考えられない落差がありとまどう人も多かった。
高校は毎日通い遅刻も許されない、大学は授業に出るのも出ないのも自由だというのはあまりにもその差が大きかった。
かといって自主的に勉強している人はまれだったのである。
文系は特にそうでありそれでも卒業できたのだからでたらめな大学が多いとういこともあった。
それでも社会に出ると学歴で判断されることが多い。最終学歴はあとあとまでついてくる理系ならともかく文系なら学歴などほとんど関係ないものだったかもしれない

そういう大学で自由に過ごしたのに卒業したら企業戦士として会社人間となったのも不思議である。全共闘の闘士は今度は企業戦士に変身したのである。

●高度成長時代から労働欲減退の衰退の時代へ

その時丁度高度成長期で経済は鰻登りで波にのっていた。
給料は毎年確実に上がっていた。だからメーデーなどの賃上げのパレードは祭りとなっていた。
労働組合もその時最盛期であったのはそれだけの賃上げが確実に要求すればあったからである。
それは日本経済が家電分野でも自動車でも世界の最高レベルにありプランドとなっていたからである。
今になると高度成長期は日本の黄金時代だったともなる。

現代の経済状態はアベノミックスとか金融で経済を活性化しようとできない、
なぜなら世界で売れるものが作れていないからだ。
家電でも中国韓国においつかれているしこれは日本製でないとだめだというものがないのである。そうしたらいくら金融で経済を活性化しようとしても無理だろう。


紙幣をすって紙をすって景気よくなるなら苦労しないよな


これ本当だと思った。日銀で一兆円でも紙幣をすっても景気良くなるとは思えない。
日本はどうみても衰退社会に向かっている。高度成長の黄金時代から少子高齢化とか非正規雇用が一千万とかまともに働く場所すらなくなっている。
その一つが引用したパソコンなど機械化により労働力をはぶいている。
2001年にwindows xpがでたとき急速に普及した
農家でも田植え稲刈りも機械であり片手間に農業をしている人が多いしそれでもできる。あとは専業農家に田んぼでも頼んでいる。

高度成長時代は会社人間であれみんな働く意欲があった。
それは物質欲が強い時代だったからだろう。
ギブミーチョコレートからはじまった戦後があり物質欲が異常に高い時代だった。
戦後の何もない焼け野原からはじまっていたからである。
その物質欲、欲望に高度成長が火をつけた。
その時、若年人口が多く人手はいくらでもあったがそれでも人手不足の時代だったのである。


●機械化がすすみ底辺化した労働者

現代は非正規の人が多いという時、機械化により労働力がはぶかれ会社の正社員にもなれず、底辺労働化した時代である。
高度成長時代はどんな大学出ても会社に就職できていた。正社員になれたのである。

今後何十年も新卒は6割しか就職出来ず、その多くは非正規の仕事か数年以内の早期退職になって、 

 毎年数十万人以上の若者がニートやフリーターになるんだぞw
 氷河期やニートを含めたらやがて1000万人を越えるぞ。 
大卒や弁護士や会計士の資格の有る人ですら就職難なのです、
それ未満の学歴の人には更に就職先は有りません。


大学などは今やこれだけ数が多くなれば価値がない。大学でて当り前とまでなっている。そうした非正規労働とかブラックな企業で働くとかが問題になるとき、高度成長期のような労働意欲が衰退しているのだ。
そして別にテレビでも車でもなんでも一応もてるしそれが特別ほしいという物欲も衰退している。そんなもの安く誰でも手に入るという感覚になった。
つまり団塊の世代のような物質欲も今は衰退している働く意欲もない
そして働く場所がそうした底辺労働しかなくなっていることもある。

つまり現代は物質欲の減退した時代になっているのだ。テレビがほしい、車がほしい、マイホームがほしいという欲望が希薄化した時代である。
そういうものはすでにあり充たされている人が多い。
だから経済を活性化させようとするとき高度成長のような物質欲を刺激してもすでに充たされているとなるとそれはできない。
日本ではすでにそうした物質欲を刺激して経済成長を計る時代は終わっている。
そしたら何をもって経済成長するのかとなる。

だんだんモノではなく心を豊かにするものを求めてゆく時代になる。
中国でも経済成長とする世界旅行がプームになったことでもわかる。
物を買いにもくるがやがて日本文化というものに興味をもつようになる。
つまり文化の問題がクローズアップされるようになる。
その日本文化というのが明治維新以来の欧米化で衰退してしまった。
だから日本人自体が日本の文化を見直す時代が来る。
こういうことは奈良時代や平安時代にも起こったことである。
インターネットは事業化してもうけようというビジネスに利用するという風に騒いだが
本来インターネットはそういうツールではない
情報の共有とか格安で自力で発信できるとかビジネスの金儲けとは違ったコンセプトで作られた。
だからインターネットを金儲けしようとすることにあわないのである
それは何か知的なものとかハードからソフトへと移行するツールでもあった
それはハードの物作りよりソフトなものが要求されている


ともかく人間は働くという自主性が労働にあるときはいい,でもたいがい非正規でも働かせられているという受け身にさせられている。だから働くことに生きがいを感じない。
また働く場所でも人間はただ部品のように付け替えさせられているだけであり機械と代わりないとなる。時給いくらというときそれは人生の貴重な時間を切り売りしている。
労働がworkというとき、作品になるのだから働くことが自分の人生の作品を作るような働き方でないと自ら働くとはならないだろう。
ただ強いられて働かせられているというのは人間本来の労働ではない、
そんな贅沢がいえるかというのもあるが豊かになればやはり労働の質も変わってゆくのである。


ともかく現代の問題は過去から考えないと見えないのである。
すでに団塊の世代は過去になり歴史となりふりかえる時代になっているのだ。
60まで生きれば個々人も一つの歴史を生きたとなりふりかえる。
そしてその時自分はどう生きたのかどういう時代を生きたのか自ずと理解できる。
その人の人生が個々人でもどういうものだったか否応でも解答が出る。
だからでたらめに生きた人は過去をふりかえるのも苦しくなるだろう。
ただ人間は過ちを犯さない罪を犯さない人間はありえない
でも最後は後悔が多くなるというのが人間の繰り返しだったのである。

posted by 老鶯 at 12:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題
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