2006年07月18日

認知症研究日記をカテゴリ−に分化−アルツハイマ−はやはり介護する人が医者より大事


介護とかアルツハイマ−について興味があるのでテレビを見ていく。今日の番組の一組目の若年性アルツハイマ−は女性だったが最初から病識をもっていた。そのあとも悪化したのだが笑っているとか穏やかなアルツハイマ−だった。それでも徘徊とかしていたが主人がやさしくついて歩っていた。病院でみてもらったとき、ARIでは単なる疲れだと写真をみて診断されていた。次は確実なアルツハイマ−で4年で普通は寝たきりになると医者に言われた。でも介護がいいのでそれから9年も生きているし歩くこともできていたのである。主人の介護はいないよりはいたほうがいいとか笑っているからいいとかすべてを受け入れて介護しているから介護される方も精神的に安定しているから落ち着いているのだ。

若年性アルツハイマ−は防ぎようがなく進行するだけだとか言うがこれまた個々に違っていることがわかる。この病気は医者はなんら手助けにならない病気である。私の場合も脳梗塞が起きてなったとか脳血管性アルツハイマ−だとか言うがアルツハイマ−と脳梗塞の因果関係は証明されていないのだ。アルツハイマ−は介護する人により良くもなり悪くもなることはいえる。医者より介護する人の方が大事であり治療効果があるのだ。薬や手術で直るならいいがそれもほとんど効果ないとしたら介護することの方が大事だとなる。
ではなぜ若年性アルツハイマ−でも老年性アルツハイマ-でも病気が進行してし悲惨な結果になってゆくのか?介護する人に左右されるとしたら介護する人がいないのか悪いのかとなる。これは確かに統計的にも証明されるものだろう。ただ精神の病気は個々に違ってかなりの差があるからパタ-ン化できないのである。

この病気で医者はあてにならない、医者自体この病気についてわからない人が多いのだ。この病気を個々に知っている人は介護する人なのである。ともかく介護はそれぞれの家庭環境とか個性とか地域とか様々なものに影響される。いい介護環境があればアルツハイマ−でも良くならないにして病気の進行を止められるとか介護者によって病状は安定したり悪化したりする。薬とか病院とか施設とかでもそこに入ってもあまり効果ないのがこの病気の特徴である。だから例えばスリランカの村では医者がいないから祈祷師を頼み村人全員で集まり回復を願う、こうした原始的な治療方法がかえって効果があるのだ。つまりみんながそんなふうにして親身になってその人を思うということは本人にとって精神的にいい影響を及ぼすから治療効果がある。また今のところこの病気にはそういう方法しかないのだ。そもそも何故なるのかが原因がわからないから手の施し用がないのだ。

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保健所、病院あらゆるところに相談に行きました、多くの医師や看護士や
精神衛生の専門家が家を訪ねてきてくれましたが全て妻に追い返されました。
どんなにこの病気になったら信じてあげても、優しくいたわっても効き目が
ありません。

あらゆる手を使い、2度目の強制入院です。
2度目の独房は1ヶ月に及びました、私は妻からみると「呪われた悪魔」なの
です。それでも妻が自分は病気なのだと言う事を知らせる為に、毎日医師との
格闘がはじまりました。
どの医師も妻が病気であると言う事を教えることが出来ないのです。
3ヵ月後心静かになってきた妻にようやく話が出来るようになりました。
最終的に妻に病気であることを納得させたのは医師でなく、一緒にいる入院患者と私の共同作業でした。
半年後病識のもった妻はどんどんよくなりついに退院しました。

退院してからもう1年半以上立ちます。
夫婦の絆は今は病気になる前以上に良くなりました、24時間妻と一緒にいます。
家事その他一切私の仕事ですが、いまは協力して家事が出来るようになりました。時々病気の時の話をしたりする事が笑って出来るようになりました。
もう病気は過去の事のようです


http://human.sakura.ne.jp/bbs/mibbs.cgi?mo=p&fo=kzk&tn=0008&rn=100

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こうした精神の病気は医者があまりあてにならない病気だことがわかる。これも夫の介護が良くて回復した、治療効果は医者になく介護する夫にあったとなる。ただいちがいに介護する人で決まるとしたら介護する人が悪いから病気が悪化したとされるのも問題である。テレビとかにでてくるのは一握りの成功した例だし作られている部分も大きいから鵜呑みにできないのである。ただ一般的にはこの病気は介護しかいやす方法がないのが現実である。介護が主で薬とか医者は補助作用になってしまうのだ。だから介護者にそれも関係の良かった介護者に負担が全部かかってしまうことがありそれが重荷になる。みんな模範的な介護者にはなれないからだ。特に若いと介護はしたくない、犠牲にされたくないというのがわかる。若い人はもっと別なことをやりたいことをやらせるのがいい、介護が人生になるというのは異常なことである。この人は前にも述べたが病識をもったからこれほど回復したからやは病識を持つことは回復につながっていたのだ。
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