2014年06月05日

津波被災地や原発事故周辺の復興はむずかしい理由 (高齢化と豊かな広域社会で復興する意気込みがない)


津波被災地や原発事故周辺の復興はむずかしい理由


(高齢化と豊かな広域社会で復興する意気込みがない)

そもそも日本の山奥や田舎には遊んでる土地がいっぱい有るし
使ってないのに持つだけで税金ばかり取られて損する土地が有るから
地主も税額に相当するだけの激安にて喜んで貸してくれるわ


そして健康で若いのから送り込んで開墾からやらせてやればよいのさ
人間てのはイザとなりゃ野垂れ死ぬよりはマシと必死で頑張るからな


人間の本性はやはり楽な方に流れる、あえて苦労などしたくない、それがまたのちの災いにもなる。楽しすぎることも人間を堕落させる。
ローマ帝国崩壊ももともと農民出身の質実な人たちが貴族となり富裕になり堕落した結果だった。
平家でも貴族化して質実な農民育ちの関東武士に敗れた。それはゲルマン人に滅ぼされたローマとにもにている。
人間はやはりその根底に質実なものを失うと堕落してついには社会は衰亡して終わる。

それは歴史の教訓だけど原発事故周辺もそういう状態になりつつあるのだろうか?

仮設暮らしは前は同情されていたけどそんなに悪いものじゃないと思う人も三年すぎてでてきている。
補償金で遊び暮らしていればいいんだというふうに思う人も増えてくる。
小高の人はおそらく年金生活者であり自宅に友達を集めてカラオケなどをしていて楽しんでいた人だから余計にそう思えた。
それなら原発補償金の方が格段にもらえるのだからその方がいいと考える人もいる。
自分があった70歳の人は東京の方までギャンブルだとか風俗だとか遊びに行っていた。
もうどうせあとは生活保護でいいんだと言っていた。
ある人は一日で400万もうけたよとかも言っていた。
70歳でも若く見えたのでわからなかったが避難民にはやることがなくそういう人も多い。

一つの今回の津波震災原発事故で浮き彫りにされたのが高齢化の問題だったのである。
三陸のような街自体が壊滅したような所でも漁村でも跡継ぎがいないとか高齢化が問題だった。
それが津波と原発事故でよりその問題点が露骨に現れたのである。


そして健康で若いのから送り込んで開墾からやらせてやればよいのさ
人間てのはイザとなりゃ野垂れ死ぬよりはマシと必死で頑張るからな


老人にはこんな気持になれないしできない、楽をしたいというだけになる。
畑をやるにしても75歳の人はもうやれないとか言うし楽ではないからつづかない。
その人は病気をもっているから余計にそうなる。

相馬藩で天明の飢饉の時に越中などからの移民を受け入れて復興した。
三分の一に人口は減っていた。だから荒地が増えていた。
そこに越中の移民が入り開墾して復興した。
その移民は禁制を犯して別な藩に逃れたのだから命懸けでありもう帰ることができないというせっぱつまった状態にあった。
だから相馬藩内で必死に働いた。ここで生きていかなければ死ぬほかなかったからである。
それでかえって越中などの移民の方が豊かになっていったというのも皮肉である。


結局人間を動かすのは必ずしも富ではなく意気込みというか何かそうしたものが作用する。
かえってそうした不利な所に苦しい場所に金を与えて住めと言ってもうまくいかない、
意気込みが全然違うことだった。だから女川だったかボランティアが来てここで住むと言った時、
最後までここでやってくれるならめんどうみるとか若い人が集まり言っていた。
あんなところで働くとなるともう越中の移民のような覚悟が必要になる。
でも現代は広域社会であり金があればどこにでも住める、
それでかえって地元の若い人たちは流出しているところに困難な地域に人は移住しないのである。

つまりあまりにも江戸時代とは時代が違いすぎているのだ。

この辺はそういうことで復興はむずかしい、復興する主役である若い人が流出していることでもわかる。
あとは楽をしたい生活保護でもいいという老人だけになる。
だから生活保護者だけや老人だけやそうした無気力な頽廃的な所になっているかもしれない。
それは三陸など零細な漁村でも事情は同じである。
だから国自体でも人手不足で移民を入れるということになるが貧乏な国の移民はかえって
越中の移民のように働くとなる。それでも外国人だからいろいろ問題がでてくる。
越中などの移民の場合、農業中心の社会では土地が荒廃地でも自分のものになるということが大きな働く動機になっていた。
それは伊達藩でも津波の跡に開墾に入ったのももだれの土地か不明になりその開墾すれば自分の土地になるということで入って来たと同じである。


資本主義でももともとのエトスというか働く信条というのが宗教的だったというとき、それが逆に富を築いてきたのは皮肉である。
最初は修道院で勤勉に浪費しないで神のために働くということであり欲望の資本主義とはまるで違っていた。
つまり欲望を抑えることが資本主義の発生でありそのあとは欲望の無限の拡大になってしまったのである。

いづれにしろこの辺は生活保護と老人社会になると頽廃的な活気のない所になる。
今は外部から建築土木関係でも除染でもかなりの人が入ってきて活気がある。
そういう人たちが去ると火の消えたような場所になる恐怖である。

低放射能など気にしない人たちが何か追い詰められたような人々が必死に働くような場所にならないと復興はない、
だから老人で補償金で暮らせばいいやとかなると衰退するだけの場所になる。
そのことはこの辺でもみんな言っているから近い将来にそうなることは見えている。
それで東京から大内村に住んだ人は去って行った。
補償金に頼るだけの人たちを見て嫌気がさしたのである。
それは豊かな社会がそうさせたのであり皮肉な現象なのである。

いい庭をもっている人は津波の後、年齢的にも病気もありその庭を荒廃させた。
自力では自分の庭すら手入れできないとなるとその立派な庭がもったない
誰か活用してくれる人にゆずった方がいいとまでなる
そういうことが全国的に起きている人口減少化では全国で起きている。
津波の被災地や原発事故周辺では荒廃地は膨大に増えたのである。
低放射能など気にしないという人が入ってくればそれは活かされる
そうでないとただ荒廃するだけで復興などありえないのである。

posted by 老鶯 at 10:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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