2014年06月04日

嫌な予感ほどよくあたる (原発のような不安なもの不吉なものは置くな!)


嫌な予感ほどよくあたる

(原発のような不安なもの不吉なものは置くな!)


危険察知という生物に備わった機能のおかげで事前に知らされているのに無視しているだけなのですから。
無視とまではいかなくても社会生活では避けて通れない事も多々ありますね。
そんな時も否応なく嫌な予感が当たってしまう事が多々あるかと思います。

やっぱり解雇されるかなと思った会社は、解雇された。


その後塾へ行き、塾の帰りにパトカーがある場所を取り囲んでいて、警察が
そのおばあさんの遺体に毛布を掛けていました。自殺だったそう。

二回目は社会人になってすぐ。友人とあるシティーホテルに泊まりに行った時。

チェックインをするためにフロントで待っていて、他の女性のお客さんを見て
すぐに「この人自殺する」とまた感じました。


慶長2年(1597)、義胤は居城を牛越城に移した。小高の地に築いた村上城が移転直前に火災で焼失し、
そのため不吉として牛越城を修築して入城したためである。

これも単なる不吉だけではかたづけられない理由があった。
もしあそこに城下町が形成されていたらどうなったか
慶長津波(1611)が来て全滅になっていた。

不吉な予感には何か全く漠然としたものではなく合理的な背景、原因があってなるのも多い、
だからこそ嫌な予感ほどよくあたる・・・というときそれなりの理由があってそうなる。

自分の経験でも交通事故で実の兄弟ではないにしろ死んだ時、その保険金でもめた。
雇主までかかわってきてその保険金を奪おうとした。
静岡とか離れていたのでそこに行くだけで大変であった。
ただ死んだのだから行かざるをえなかったが金でもめたので嫌なので自分はすぐに帰って家族と親戚にまかせた。
その時金のことでもめたので嫌だなと予感した、それは先のことになるが何か自分にも災いが後に起きてくるのではないかと不安だった。
それにかかわった人は死んで自分がその後任者になった。

でもすでに20数年前のことだから法律的には保険金のことは関係ないが以前として金のことをひきづっていたのである。
だからその子供が裁判にかけるとか法律を知らないから責めてきた。
自分は何かそういうことをあとで嫌なことになるからかかわりたくないと予感したのである。それが現実化したのである。
その悪い予感はその時は何もないかもしれない、10年後20年後に実際に現実化して害を及ぼすことが多々ある
この予感は的中していてその通りになった。


もう一つはプログに書いてきたけど自分の家族のことだった。
これも複雑であったけど自分にとっては恵まれたものとなっていた。
でもいづれは何か自分にとって辛いことが起きてくる予感はしていた。
そんなにいつまでも恵まれていることがありえないと思っていた。
ただ恵まれていれば楽だと楽な方に人間は流されるのである。
そこに人間の弱さがある。
親が援助していてもいづれはいなくなる。
そのことはみんな目に見えているしわかるからこそ不安になるのだ。
あんまり幸せな人もこんな幸せな日がつづくのだろうかという不安があり
それが現実化して突然の不孝に見舞われることがある


この物は落ちそうだと余会する時、それはただ何の根拠もなくてそう見るのではない
何か不安定であり何かの調子に落ちるような所に置いてあるからそう感じるのである。
もちろん全く不吉な予感を感じないこともある
こんな人と接すると害が及ばされるなとか感じないで受け入れて大損害になった。
その人に対してそういう予感がしなかったのである。
悪い予感がするとき、それは何か理由があり後ろめたいものがあったりするとなる
こんなに金が入っていて強盗でも入ってくるんじゃないかと思った時
本当に入ってきて殺されたりすることもある
お手伝いさん二人も雇っていて不動産屋なのか金持ちが東京で強盗に殺された
お手伝いさん二人は別に何の被害もなかったのである。


悪い予感がするとき、病気でもそうである。
何か兆候があり悪い病気になるんじゃないかと思うとなったりする
そもそも悪い予感が全く根拠のないものではないから当たりやすいのである。
人間は必ず病気になるし病気になる不安がありやっぱり病気になる
金をもっている人もこんなに金をもっていると金をねらわれるという不安になる
それが極端な形で現実化するのが強盗とかに入られて殺されるとまでなる
まず金のない人はそんな不安をもたないだろう。
不安にはそれなりの理由があり何の理由もない所に不安は起こらない
大金持ちもいるけどそういう人も不安をもっている
大不況が来て金も紙切れになるんじゃないかという不安がある
そういうことが過去にもあったからいくら金をもっていても不安になる


だから不思議なのはなぜ海岸沿いに住んでいる人たちが津波に対して予感をもたなかったのか?
海に面していても3キロとか離れていればまた違っている、それでも津波来て被害があった
絶えず福島県の浜通りとかなると荒い波が打ちつけていてその波音を毎日聞いているだけでも怖いと感じないかと思っていた。
つまりなぜ津波に対する不安がなかったのか予感がなかったのか解せないのである。
それは別に海岸沿いに住んでいる人たちだけではない、危険な場所に住んでいる人たちは今は文明が発達して膨大になっている

例えば東京のような高層ビルが倒れないと保証できるのか?
何かこのビルはいくら倒れないと設計され作られているとしても
どんなことが起きるかわからない、すると倒れるということもありうる
高層ビルにはそういう不安がつきまとっている
だからそういうところに良く住めるなと他からは見るのである
だからSF映画でなくても高層ビルが倒れることがありうる
そういう予感が現実化することがありうる
するとなぜそんな危険な所に住んでいたのかとまた問われるのである。


そして原発は一番実際は不吉なものだった
そういう悪い予感をもたらすものだった
安全、安全としつこく安全神話を形成したのはかえってその不安を打ち消すために
政府も東電もマスコミも必死だったのである。
ただ地元に住んでいれば近いのだから近ければ近いほどやはり不安があり不吉なものがあり嫌な予感をしていた人たちはいたろう
ただ金をもらえるから黙認していた。


嫌な予感がするもの不吉なものは置くな!


原発はトロイの木馬でもあった、なにかわからないものだったが不吉なものだった
だからそんなものを城内に引き入れるべきではなかった
田舎でも会津での凶悪な強盗殺人事件があったけどこれも何か不吉な人が来たと予感すべきだった
田舎でも今はそういう人が入り安くなっているからだ
誰かわからない人は簡単に家でも村でも危険なことになることがある


ともかく原発はそもそも不吉な嫌な予感がするものでありその根拠もあった
核の廃棄物でもそうでありそういうものが将来どうなるのか不安になる
そしてその不安が的中して大被害を将来に及ぼすことになる
それが千年後一万年後にすら現実化する

もちろん原発だって科学が発達して核の廃棄物処理ができる技術が生れれば
合理的に見ても安全だとなることはありうる。
それができなければ以前として不安があり不吉なものとしてある


不安となるもの不吉なものは引き入れるな、置くな!

だから日本という地震国に50数基も原発があること自体日本の不安になる
世界でもそうである、核自体が原発でも不安な未来を不吉なものをもたらすものである
そういうものは作らず置かない方がいいとなる
それが必ず災いをもたらすからそうなる


posted by 老鶯 at 18:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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