2006年07月17日

白薔薇(秘められた花)

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庭の奥秘めし白薔薇今日一日誰もさやることなくつつまれ咲きぬ

無垢なる花

森の奥に秘められて妙なる花
そは人に見せるためにあらじ
神に見られるために隠されている
人に見せようとしたとき
その花の神秘性と無垢は失われる
花はその本来の美を保つためには
時に森の中に隠されてつつしみ
その無垢なる美を損なわさすべからじ
その花は神に献げるべきものなり


最近前にアイドルだった歌手が42歳で自殺した。華やかな絶えず注目をあびていた人は普通の人と精神状態が違う。自分の美を絶えず露出して人目にさらしている。その言動も常に人にどう受けるとか腐心する。絶えず人目を意識するから疲れるて本来の美もそこなわれるのだ。世の中は商業主義になるとすべてが売り物になるから美貌も当然売り物になるのだがそこで本来の美は失われる、消耗されやすい、あらゆる場所、教養の世界でも出版でも売れること最優先することテレビでは視聴率を最優先するから情報はゆがんだものとなる。目立たないもの変わったものでないと注目されないから大事なことでも報道されないのだ。デジタル放送でもテレビはだめである。6局くらいが独占するためにもくろんだのがデジタル放送でありテレビ放送は独占されたままなのだ。だから新しい放送はデジタルからも生まれないのだ。インタ−ネットではマスコミとかベストセラ−の売るための商業主義から脱した情報世界を作れることなのだ。

日本語のつつむには意味深なものがあり前にも書いた。これは日本語のもっている美徳が言葉となって伝えられた物であった。ただそれが忘れられて自覚できないのである。言葉は常に見直して洗い直しその意味と美を再認識することが必要なのだ。これは言葉だけでなく伝統というのはそういうものである。歴史的に伝えられたものには価値があってもその価値を見直し更新していかないと価値がなくなってしまうことがある。外国からなんでも取り入れる時代は終わった。再び国風文化の時代に入ってくる。時事問題で国風文化というキ-ワ-ドで来るものが多かった。そういう時代風潮にある。奈良時代と明治時代は外国の唐風文化と二つの文化が融合したのでルネサンスが起こった。明治時代も同じだったのであり日本ではこの時代が一番文化的には豊かだった時代なのである。奈良時代の次は源氏物語やかなの発明など国風文化の平安時代になったのである。

とにかく現代の商業主義情報社会から脱しないと自ら情報を遮断しないと精神が汚されることは間違いない、売れる物は軽薄なものであり宣伝される物も軽薄なものなのだ。商業主義情報社会からは新しいルネサンス、価値は生み出されないのである。

参考−整形美容は本来の美ではない
失われた日本人の美徳


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