2014年05月27日

南相馬市は鹿島区は賠償金の他に不満が大きい (不便な所は現代ではますます住みにくくなる)


南相馬市は鹿島区は賠償金の他に不満が大きい

(不便な所は現代ではますます住みにくくなる)

鹿島区にあるキクチスーパーと原町市にあるキクチスーバーは同じなのに品揃いから値段も相当違う。
アスパラガスは同じものが日本産で鹿島では240円であり原町では180円だった。60円の差は大きい。
今はメキシコ産がでていないから余計に損である。
他でもシジミなどでも値段がかなり違う。カシマのキクチは何でも高いし品揃いが全然違うのである。
同じものでこれだけ差があることは相当に損になる。
原町には大きなイオンもありこれも品揃いがらさらに良くなっていて新鮮なものが多い。
鹿島はだから生活するには不便だけではなくかえって金がかかるのも損なのである。

現代の生活は不便な所に住むと物価が安くなるのではない高くなり住みにくくなる。

不便という時、5万くらいの都市と一万くらいの町の差が大きくなる。
もちろん村になるとまた大きくなる。飯館村には歯医者もなかった
歯医者は今はどこにでもある。コンビニにより本当に多いのである。
でもスーパーの方が毎日利用するから家計にひびくし重要になる。


鹿島区は東電の賠償金でも割りをくったし不満が大きい
原町より半分ももらっていないし原町と被害は同じなのに30キロで区切られて損したのである。
そして鹿島より相馬市も実際に放射能では同じ被害なのに全然もらっていない。
だから避難している人は賠償金でぜいたくしていると高いものを買っていると見ている。
そして飯館村の人がトマトを栽培している農家で働かせてもらいたいと頼んだら断られたとNHKで放送していたことがあった。
でも飯館村でも避難した人たちは補償金の額が大きいのだから別に働かなくてもいいではないと見られる。

避難者にも浪江の工場を経営している人が浪江の人たちは補償金の額が大きいから
仕事しなくてもやっていけるだろうと言われて仕事ができないと言っていた。
これも双方に言い分はある。でも浪江の人たちはさらに補償金が大きい、
一人十万から今度は5万プラスされるというから一人十五万になるのも大きい。
だからもうすでにいろいろな財物補償を加えると一億円になる人も普通にいるだろう。
それだけの補償金があれば誰も働かなくてもいいと遊ぶだけの人もでてくる。
何か新聞などでも海に流す汚染水問題で漁業組合が「苦渋の決断」をしたとか社説で書いているが
その本音はまた違っている、交渉することによってまた漁業組合に補償金が増加される
漁業組合に入っていない人はうらやましいねえともなる、ここでも金をめぐって互いに離反している

人間は仕事がないということは単に金になるというだけではない仕事には仲間意識をもつとか別な要素が必ず付加されてくる。
仕事しないで毎日パチンコだ競馬だとなってしまったらその人はどうなってしまうのか?
別に金がもらえるのだからいいではないかとはならないだろう。
だから浪江でも田植えをした農民の顔がかがやいていたのである。

そして問題は金があるから働かなくてもいいというとき、それが地元の人に反発を受ける。
つまり普通だったら避難民などは世界では最低のテント生活とかなっている。
ところが原発避難民は避難民様になっている。なんでも病院でも無料だし
介護でも小高の人は優先順位が上になる。
ところが鹿島区では追加補償があったが一人7カ月分10万でも前に一所帯百万もらっているからそれがひかれるから
実質は自分は二人で140万だった。これは嘘ではない
、原町の人は二年間の期間て補償金がもらっているから鹿島区では損だったのである。
だから原発避難民はどこでも金をもらっているからそれで威張っていられるということでもない、
地元の人が避難民のために働かせられる、病院は避難民が優先的になり無料になっているとなると
地元の人たちの不満が大きくなりイワキでは落書きとか実際に不満がいやがらせにもなったのである。

今鹿島区では小高の人たちと交流している人はまれだろう。
なんであいつらは補償金もらって遊んでいるんだということの不満が大きくなっている

実際に鹿島区の老人保健施設の厚寿苑では岩手県の方から介護士でも来ているし
会津とか外部から来ていてやっとやっている。だからみんな利用しにくいのである。
人手不足はこの辺で深刻なのである。
そういうとき補償金で遊んでいるとなると反発がある
実際に助けてくれているのは外部の人であり内部の人は遊んでいるという奇妙な現象が生れたのである。
だから金の社会だけどでは金をもっているからいいかというと避難民の場合は全部はそうならないのである。
別に金持ちでも非難されない人たちはいる。あの人はそれだけ実力で稼いだからとなり非難しない、
でも避難民はそうではないから非難されるのである。
何か地元に貢献するものがあれば地元でも非難したりしない
ただ金があり消費するだけでは非難される、別に今までの状態だったらかまわなかったろう。

いづれにしろ南相馬市は金で分断されてしまったのである。心が一つになっていないのである。
人間は何か得したと思ったら実際は損したとか損したと思ったら得していたとか損得も両面があり
幸不孝もそういうことがある。何が損で得なのかもわからないし幸不孝もわからない。
だから今得だと思っていてもあとで損になっていたとかなる。
原発周辺では事故になる前からも金がばらまかれていて得していたのである。
それが結局損になった。それを反省している人もいる。


今日は帰りは末広亭でエビフライとカキフライの料理を食べた。あそこは高いのでめったに入らなかった。
高見食堂は6時からしかやっていないので困る。
カキフライは大きなものだから本当にのカキを食べた感じたった。
松島でもカキフライが小さくなっていておいしくなかった。
あれだけ大きいと満喫できる。だから牡蠣が好きだから牡蠣料理だったら秋から冬はたまにあそこで食べた方がいいと思った。
にんげん
高くてもたまにならいいものを食べた方が結果的には得である。
うまいものを一回食べるとまた食べたくなる
ネコもそうだった。うまいものを食べさせるとその味を覚えてねだりつづけるのである。

自転車だとなかなか原町への買い物はできない、自転車で帰ると遅くなるからだ。
でもやはり鹿島のスーパーだけでは今の標準の生活にはならないから困るのである。
ともかく大内村の人が郡山市に住んで帰りたくなくなったという気持がわかる。
大内村だったら食べ物でもぜいたくでとない、うまいものがあるときそれが食べられないことがかえって辛くなるのだ。
貧乏な時代は貧乏でがまんするほかないがあるのに食べられないとなるとかえって不満が大きくなる。

人間は貧乏なときはかえって協力するけど豊かになるとしない、自分だけでも贅沢したいとなるとき、
他人は貧乏でも自分は金持ちでいたいという気持が強くなるからである。
一回贅沢を覚えるとと質素な生活はしにくくなる。
一番不便だと今感じるのは食料品の買い物なのである。
車もないから特にそうなる。4万くらいの都市でないとなかなか食料品でも標準にならないのである。
さらに10万の都市で生活している人は4万の都市と比べると田舎だなとなってしまうのが現代なのである。

posted by 老鶯 at 18:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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