2005年12月03日

みぞれ

ichijikukare2.JPG

初老なる青春遠くみぞれかな

三四枚残る無花果の枯葉しみじみと見つつ過ぎけり今日はみぞれけるかな


みぞれというと今まで作ったことがない、季語は多いからすべての季語を利用した人はいないしまた鑑賞した人もいないだろう。みぞれと雪の感じはかなり違う、みぞれの方が何か寒々とした感じがしないか?雪はかえってあたたかい感じさえする。というのは私の住むところは東北でも福島県でも浜通りだから雪はめったにふらないからむしろ雪は美しいロマンチックなものとしてみている。現実雪国で暮らす人は雪下ろしとか雪はやっかいなものなのである。そこに雪に対しての感覚も地域によって違うのである。また年によっても様々なものに対して感じ方が違う。青年と老人の感じ方は全く違っている。それは人間の見方も全く違ってくる。老人になって病気かちの人は病気のないこと健康のことがどれほどいいかありがたいかわかってくる。健康でさえあればさほど金がなくても人間は幸せなんだということがわかる。80とか90とか生きる時代でも老人はやはり歩くのもままならず女性は肌が老化して腐れてゆくようにさえみえる。するとつやつやの人の肌を見るとうらやましいに違いない、つまり当たり前の健康な人のことさえうらやむのである。だから青春は何もなくても恵まれているのだから自殺を考えるなんて馬鹿げている。老人が自殺するのはほとんど病気に苦しみ悩んでのためだからだ。

詩は時間の経過とともにある。隣の無花果の木をずっと窓から見ていた。枯葉が何枚か残っていたが次に北風吹いて一枚もなくなった。この写真は二三枚残る前の写真だった。本当に二三枚が最後の時を迎える、散る時の写真は絵だった。だからデジカメは絶えずきろくするよように毎日とることが必要なのだ。
刻々の変化が詩になっているし絵になっているからだ。最後に残った二三枚の枯葉を描いていればそれは心に沁みた写生の絵だったのである。写生を常に心がければ詩にも俳句にも絵にも短歌にもなるのである。

このプログはまだわからない、書きやすいことは確かだがアクセスなどもまだよくわからない、まあ、もともと何年かやってきても「今日の一句一首」はあまりアクセスないみたいだ。プログの特徴として一回ごとにタイトルにリンクはられるからタイトルごとの文章は長くした方が一つのまとまったものとして読まれようになるみたいだ。一題を長く書かないとクリックしても読みごたえないとなるからだ。プログはプログなりに書き方が違ってくるのだ。

http://www.musubu.jp (本サイト)
http://www.musubu.jp/2004dairyhaiku4.htm (過去の今日の一句一首)ログ
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