2014年05月20日

東電社員650人が事故の時逃げていた (現代では真のエリート意識がもてないから責任ももてない)


東電社員650人が事故の時逃げていた

(現代では真のエリート意識がもてないから責任ももてない)

●指導すべきエリートたる東電社員が真っ先に逃げた


 東京電力福島第一原発所長で事故対応の責任者だった吉田昌郎(まさお)氏(2013年死去)が、政府事故
調査・検証委員会の調べに答えた「聴取結果書」(吉田調書)を朝日新聞は入手した。それによると、東日本大
震災4日後の11年3月15日朝、第一原発にいた所員の9割にあたる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、
10キロ南の福島第二原発へ撤退していた


朝日新聞デジタルhttp://www.asahi.com/articles/ASG5L51KCG5LUEHF003.html


そこで、一番安全と言われる免震棟に行くと、東電社員やガードマンが大勢いたんです。我々が被害状況を話すと、驚いていました。作業員を誘導するより先に、どうして東電の社員が逃げているんだと、作業員達は皆、不満気に話していました
http://ameblo.jp/nukfree/entry-10859394480.html


韓国のフェリー沈没事故で真っ先船長が逃げたとか問題になった。
原発事故でも同じだった。責任あるものが真っ先に逃げた。
原発で下請けやらで5000人から6000人も働いていた。
その人たちのことをかまわず東電社員が率先して逃げた。
それで残った70人が称賛された。
それは東電社員は原発の危険性を下請けや地元の人より知っていたからなのか?
だからいち早く逃げた。
地元の人は浪江町などでは知らないので危険な津島に町長の指示で避難した。
そこは一番放射線量が高い所だったのである。

政府であれ東電でもスピーディでどういうふうに放射線が流れるかわかっていたけど知らせることもなかった。
そんなふうになったのはそもそも放射能について皆目わからないからである。
「安全神話」しか教えられていなかったのである。

韓国の船長が危険を感じて真っ先に逃げたのと同じである。
そういう時は自分だけは助かりたいとうだけになる。
生きるか死ぬかとなるとみんなそうなるだろう。

自分は30キロ圏外で屋内退避だったから爆発したときも外を出歩いていた。
何が起こったのか放射線とは何なのかわからなかったからである。
ただその時は30キロ圏外でも避難しろということで避難した人たちが半分はいた。
あの爆発はやはり衝撃的であり危険を感じた人は感じた。
医者とか看護師などは危険を他の人より感じたから半分逃げたとかあった。
ただ今になるとそれらの人を批判もできないと言われている。
南相馬市立の院長が死ぬかと思ったという時、それほど危機感をもったとき、
看護師でも他の人より危機感をもったことは確かだからである。


●東電社員は真のエリートとの意識をもっていなかった


東電社員は6000人の下請けの人たちや地元の人たちを誘導する立場にあった。
しかし真っ先に逃げてしまった。何の指示もださなかった。
政府でも保安院でもそうだった。
東電社員はエリートで月給も高い、それはそれだけの責任をまかせられていたからである
原発の中では単に掃除しているだけの人とかいろんな人がいるが東電社員は
その中枢をになうものであったから責任がありその責任が問われた。
原発のことを他の人よりわかっていると思われていたからまかされていた。
でも逆に原発の危険性を知っていたからこれは危険だといち早く察して逃げたともなる。
その時下請けの人を誘導しようとか地元の人を誘導しようなどと考えなかった。
自分たちの命が先になっているからである。


東電社員が6000人の下請けの人たちとか地元の人たちを導くエリートだとか自覚していなかったろう。
ただエリートとして上に立ち威張っていればいいんだという感覚だった。
東電社員に優先的に採用された地元の人にもそのように下請けなどには威張っていれと指示されていたという。
東電社員になっていた人には地元の人もいたのである。
地元から採用された東電社員はその時、どうなっていたのか?

そもそも現代のエリートとは何か国家の命運をになうとかそのために働いているという感覚はないだろう。
会社は別に国家とは違う、そこでは利益をあげることであり国家の意識などもたない、
そして教育は戦前とはまるで違う、団塊の世代から受験戦争がはじまった。
それは他者を蹴落としてでも受験戦争に買って得する収入の高い所に官僚でも会社でも入ればいいと教育されたのである。
戦前はすべて国家のためにになっていたが戦後は個々人が個々人の利益を追求すればいいとなったのである。
それは官僚でも会社員でも下々で上でもみんなそうなのである。

そうは言ってもやはり社会は責任をもたされる地位にある人とない人がいる。

原発で掃除だけをしていると事務をしているとか人たちと東電社員は違っていた。
東電社員になった人たちはただ威張って月給も高いというだけではすまされなかった。
そういうエリートであることは常に責任がともなっていたのである。
でも現代ではエリートはただ官僚のように濡れ手で粟の得する立場であり
それに重大な責任が課せられていることを意識しないし教育もされていない
それは中国でも共産党エリートでも得する地位にあり濡れ手で粟の金が労せず入ってくると同じである。
つまりどこでもエリートの支配層の堕落があり腐敗がありそれが庶民にも還ってくる。


●責任あるエリートの自覚をもてない時代


今はエリートとかはいない、侍はエリートとして選ばれたものであり侍はどうあるべきかとか
モラルが侍の家に生れた時から植えつけられていたのである。
庶民はそんなことはまるでない、教育にしても読み書きソロバンの実用的なものだけである。
現代は本当のエリートととかないしエリートがどうあるべきかなどもない、
ただエリートは月給も高く得するからなりたいというだけである。
エリートとは本来は地の塩たるべき人たちだった。
だからその責任とか使命とか自覚してなっていた人がいた。


イギリスでは


ノブレス・オブリージュ(仏: noblesse oblige、フランス語発音: [n?bl?s ?bli?] とは、直訳すると「高貴さは(義務を)強制する」を意味し、日本語では「位高ければ徳高きを要す」などと訳される。一般的に財産、権力、社会的地位の保持には責任が伴うことを指す


こういうエリートがエリートだったのだろう。
現代では大衆社会とか大衆にへつらうことしかない、そうしないと上にも立てない社会である。
だから大衆にこびなければ議員にもなれないとなり大衆をもちあげるから
かえって真のエリートとはならないから大衆もそういう指導者を選んで大被害を受けるのである。
つまり東電社員は別にそんな侍とかイギリスの貴族とかのエリート意識などない。
得をするためにだけあるから危険があればいち早く逃げるだけだとなる。

現代の社会は真のエリートを養成されない社会である。
結果的には大衆化して卑いレベルに合わせた指導者しか生れない。

大衆社会はそもそもそうしたエリートを嫌うし育つ土壌ではない、
むしろ否定するから生れないとなる。卑いレベルの大衆に見合った指導者から生れないのである。
大衆は何を尊敬していいかなとわからない、ただ利益を求めるだけだから真のエリートは育てられないのである。
そうは言っても常に上にたつものは権力をもつものなどは地位あるものは必ず重い責任が課せられているのである。
その責任が日頃から自覚されいてれば別に高貴な義務を意識しなくても責任を果たそうとするだろう。
それで残った70人は称賛されたのである。

ともかく原発は国家的命運がかかわっていたなど東電社員でも地元の人でもそんなふうに思っていなかった。
ただ得をすればいいとしかなかったのである。

いづれにしろ真のエリート意識などもたないにしろ必ずどんな人でも責任は課せられて
る。重さは違っているにしろ課せられている。人間は責任から逃れることができないようになっている。
現代では金持ちは責任があり貧乏人は責任がないというのが明確にある。
人間の価値が金で判断されるとなると何でも金で判断されるとなるとそうなるのである。
だから月給がいくらだとか常に話題になる。そして公務員は批判される。
収入の多寡によってその人の責任が問われるのが現代社会である。

理系の問題は専門化した細部の研究に向いているマニア的な人はいて
その人たちが果たして真のエリートに値するのかどうかわはわからない
だからそういうふう専門分野で技術者として優秀であっても経営では失敗した人がいた。
東電も技術的問題あるにしろ経営で失敗したのである。
国家にしても国家を運営することだから指導者は経営者になっているのである。

posted by 老鶯 at 18:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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