2014年05月18日

原町の道の駅で山野草展 (記憶をたどる花の旅)


原町の道の駅で山野草展

(記憶をたどる花の旅)

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八角蓮その花黒く笠の下老いし人と語りけるかな

繊細に白糸草や一鉢に見守りけるや老いし人かな
蘭の花愛でつつ老いぬ一鉢の花によせにし愛しさ思ふ


知られざるヒトリシズカのここに咲く消残る雪を踏みつ来たりぬ

橲原渓谷上流へ花と岩をたずねる
http://musubu2.sblo.jp/article/65440460.html

今年また山の奥処にひそけくも我がたずねむやヒトリシズカを

原町の道の駅で山野草展をやっていたので見た。
知らない花が多かった。
高山植物の類もあったが蘭の種類が多かった。
花は相当見ているのだけど身近な花の種類でもわからないのが未だにある
花の種類はそれだげ多いということである。
特に最近は品種改良したものが出ているから外国産もあるから多くなった
ドイツスズランなどというのも出ていた。葉に筋が入っていた。

千島薄雪草というのは小さい、礼文薄雪草はこれよりは大きい、薄雪草は種類が違うと大きさが違っている。
尾瀬のは大きかった。蛇紋岩に塊り咲いていた。

至仏山霧の流れて蛇紋岩薄雪草の塊り咲きぬ


尾瀬には原始の自然環境に咲いているから特別であった。ただいろいろ花がありすぎて思い出せなくなった。
でも三回くらいは行っている。10回くらい行ったという人もいるから花好きの人には最高の場所である。
デジタルカメラのいいのをもっていって写真をもう一回とってみたい。意外と花は写真をとることが大事である。
すぐにしぼみ色あせてしまうからである。今回買った花もそうだった。


礼文島も花の島で知られているので三回くらい行った。そこに礼文薄雪草が一面に咲いていた。


一面に礼文薄雪草の島覆い夕闇おおい人は去りにき


旅をしても思い出せばいいのだが忘れてしまうのは残念である。なぜならせっかく
苦労して行ったから思い出せないとあとで行ったということすらわからなくなる。
団体旅行などはその場のことを思い出せなくなるだろう。
現代は忙しい旅だから余計に記憶しにくいのである。

ただ現代の旅はデジカメで記録させることで思い出す作業ができる。
自分が行った時は普通のカメラだからあまり写真をとっていないから損だった

北海道の平地でも高山植物が咲いている。宗谷岬の方に自転車で行ったときは
平地の草むらに白山千鳥が咲いていた。あの花は目立つから記憶に残っている。

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はるけくも宗谷岬に我が来る白山千鳥の雨しととぬる


千島というとそこも日本なのか、千島薄雪草を見たら感激だろう。

蘭の種類は多い、蘭は南国系統である。でもヒマラヤの奥地、山の上に蘭が咲いていた。
苔むした樹に白い蘭が雨にめれてしっとりと咲いていた。
あんなところに咲くのも不思議だった。

この世には外国まで行けば不思議はいくらでもある。
ただ外国では何でもゆっくり見れないことが問題だった。
だから意外と記憶されないということがある。
ゆっくりその場にいれば記憶されるが早く過ぎ去るだけだと記憶されないのである。
結局記憶されなければこうしたエッセイなども書けないのである。
最後は記憶したものをたどることになるから記憶されていなとそれはもう存在しないと
同じになるから記憶することが大事なのである。


岩手山にも三回くらい上った。
その頂上付近の岩盤に高根釣鐘人参という大きめの花が咲いていた。
その時は濃霧が流れ見分けがつかなかった。
ただその花が高根に咲くから名付けられたのか大きいので印象に残っていた。
平地に咲くの花が小さい、それは秋の野にいつも見ていた。
それにしても人間の記憶は濃霧の中に消えるように消えやすいことだったのである。


濃霧のタカネツリガネニンジン


山頂に濃霧が流れていた
視界はさえぎられていた
その足元の岩盤に
タカネツリガネニンジンが咲いていた
それは霧にぬれしっとりと咲いていた
それは今は遠い記憶となった
その花を定かに思い出せない
しかしその花が名前とともに
時折遠い記憶として浮かんでくる

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花は名前も大事である。名前と共に記憶されるのが多い。
電車の旅では駅名だけが記憶に残っていたりする。あとは景色は覚えていない、
なぜなら電車の旅は景色が早く過ぎ去っ消えてしまうからである。記憶が定着しにくいのである。
そして60過ぎるとすでに人の名前を覚えにくくなる。顔もそうである。
いろいろなものの名前が出てこなくなる。
これがひどくなると認知症になると人の顔も名前もわからなくなるのだ
息子娘の名前すらわからなくなり記憶から消えてしまう。

それは何を意味しているのか?その人はもうすでに息子娘でも
記憶から消えたとしたら存在しなくなるのである。
だから認知症というのは記憶がきえてゆく、記憶できない病気であるが老人になると
認知症ではないにしろにたような症状がでてくるのである。
人間の記憶は頼りないのである

 
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