2014年05月17日

津波の跡に残る樹々 (それは人間化した木々)


津波の跡に残る樹々

(それは人間化した木々)

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津波にもめげず立ちにき一本松夏の陽輝き明日を見むかな

津波にも残れる樹々の青葉して朝風そよぎ海の光りぬ
津波跡枯れつつ残る二本の樹のなお立ちて人住まぬかも
痛々し樹皮の剥がれてなお立ちぬ津波跡の家の跡かな

太しくも津波の跡に残る樹の青葉して風に鳴りにけるかも

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津波の跡に残った樹々はいつも不思議だった。なにか普通の樹とはちがう
それは庭に立っていたから人間化した木々だった。
つまりその樹をみて人間のようにみていたのである。
また人間のように見えるのである。

樹皮がはがれているのもいたいたしく傷ついた人間のように見えるのだ。
枯れつつある樹もそうである。そこを離れがたくいつまでも立っている。

自然でも人間が住んで樹があるとそれは人間化してくる
ペットでも人間と暮らしていればほとんど人間化した動物になる。
だから家族の一員のようになり墓まで作っている。
樹はそうでないと思っていたが津波の跡の樹を見ていると何か違うのである。
だからいつも不思議な光景だなと見ていた。

樹でも塩分に強い欅などは残って青葉になっている。
その青葉には風がそよぎ朝の海がまじかに光っている

それにしてもあそこの道の両側に門のように残った樹は力強い
あの辺は相当に海に近かったのだ
だからとても住める場所でなくなっていた。
庭の石が残っている所はまだ被害が少なかった
そこはかなりの距離があったから残ったのである。


右田の一本松は有名になったけどあの松も果たして残るのだろうか?
ただその一本松にも人間を見ているのだ。
ここに立って残ってほしい、生きていて欲しいと人間を見ているのだ
ここに立って生きていれば明日を見ることがある
明日とは何か、それは復興した明日かもしれない
復興とはまた何なのか今はわからない

しかしやはり明日を見たいということがある
その明日はこの一本松が生きることにより明日を人間と共有するのである。

だから陸前高田市でも残った一本松にこだわったのである。
ただあの松は死んだから代わりに人工の松にしたから実際はその松は生きてはいない
死んだ松になってしまっている。
実際に生きていてこそシンポルになりえたのである。
生きているということはやはり違っている、それは人間と同じように
生きているものには感情移入ができるが人工物にはできないのである。
だから植物でもペットでも人間化するのは人間と同じようになるからである。


月でも火星でもそこにあるものはまだ人間化していない
もし人間が住めばそこも石があり山があれば名付けられて人間化するのである
人間化しないところはそこはまさに非情の世界であり火星と同じなのである。
人間化することによって自然も宇宙も価値を帯びてくるのである。

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