2014年05月09日

夏の花々(増える花)


夏の花々(増える花)

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菜の花や里に餌あれ雀かな

貸家の狭き庭にも春の花
夏の日や三つの花の調和かな
夕風に藤そよぎゆれ蝶眠る
葉桜や今日もこの道仕事かな
我が庭の石の涼しく眠る母


夏になると花が増える、花屋にゆくと品種改良した花も多くなっているからさらにふえる
菜の花はまだ咲いているから春でもある。
雀は何を食べているのか虫も食べているということは鳥の餌は虫が多い。
虫はそれだけいるということなのか?
菜の花と雀はあっている。ただこの辺は田植えなど

生活が消失しているから里という感じがない。相馬市は普通の状態である。
藤も咲きはじめた。葉桜にもなっている。桜の花は散って葉桜になる。

葉桜は日常の生活なのだろう。その日常の生活をまだこの辺はとりもどしていない。
菜の花にしても何か農業がないと映えない、
菜の花だったら田舎の風景でありそこに素朴な暮らしがある
素朴な人たちがいるとなればいいが今はそうならない

なぜなら田舎だって専業農家はわずかでありあとはみんな会社員になる。
会社員だということは商業工業の従事者になるから
回りは田んぼでも昔の田舎とは違うのである

だから昔のように貧しくても素朴な人たちがいるとはならない
やはり金中心の社会になっているのだ。

ともかく消費社会だというとき、なぜ毎日こんなに買い物があるのか
自分で家事をやってみればわかる。買い物が次々にあるのだ
買うことが暮らしになっているのも変なのかもしれない
昔は農家で納豆まで作っていたというから買うことはまれだった。
そうした時代から比べると10倍とか買い物をしているだろう
結果的にどうしても金が必要になり金が欲しいとなり金にふりまわされる社会になる
そういうことも原発事故の原因になっていたのである。

猫でも今はカンズメでもうまいものを売っている。
余った魚やサシミまで一切れとかタイまで食べさせた
やはりそういうものはうまいとわかる
普通の猫の餌は食べるがそういうものと比べるとそれほどうまくないのかもしれない
だから体をすりよせてきてねだるのは一度覚えた魚などがほしいとなる
そういうふうに猫もぜいたくになると普通の餌では物足りなくなる
ただ野良猫が多いから野良猫と比べると餌は必ずあるのだから恵まれている
飼い猫と野良猫の差は大きいなと見ている
でも猫も人間と同じである
いったん贅沢を覚えたらやめられない、うまいものは食べたいとなってしまう。
その味が脳に記憶されるからそうなるのだ


今年は心にも余裕ができて花々が一段と美しく映える。花は個性があり争うことがない
調和して映えるだけである。人間社会にそれがないのが悲しい。

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