2014年05月08日

機械に代われないものに価値がでてくる時代 (モノ余り、豊かな社会の価値観は変わるー人間にしかできなものが常に残る)


機械に代われないものに価値がでてくる時代

(モノ余り、豊かな社会の価値観は変わるー人間にしかできなものが常に残る)


しかしロボット開発はそう簡単ではない。少なくとも基礎としては、工学の世界で4力と呼ばれる「材料力学」「機械力学」「熱力学」「流体力学」が最低限必要だし、これだけでは足りず、「電気回路・電子回路」の知識も必要だ。
さらにこれらを知っているためには、物理学の「力学」「電磁気学」「解析力学」「統計力学」ぐらいは必要な知識だ

http://mathcut.seesaa.net/article/385235486.html

こんな頭のいい人がロボットを生産して働かせる。人間の代わりにロボットが働いてくれる。
すると人間はロボットに代わられた所では失業する
ロボットを作り出した頭のいい人は特別の高給取りになり
他の人は働く場すら奪われる、そして最底辺から生活保護にもなる
ここはネズミの実験用のロボット化なのか何かわからないがロボットが屋ことによって
人力がその研究分野で省かれたのである

これはあらゆる分野で起きている。

機械化とはロボット化でありロボットが高度に発達すれば知能部分も機械化される
コンピューター化して事務部門の労働が省かれたのと同じである
家事でも前にも書いたが機械化しているから主婦がかかりきりで家事をやっていた時代とは違う。
男一人でも家事はできる。自分は介護士ながらやっている。
機械がある程度してくれるということはロボットがしているのである
主婦がかかりきりで家事をする必要がないからパートにでて現金収入を得る
主婦という家事が機械化されて専門の専業主婦がなくなったのである。


ロボットは歴史的には昔なら奴隷である。
ギリシャでもソクラテスなど知識人が輩出したのは日常の家事など
または生産をしていたので知識や哲学の探求ができた。
「スコーレ」暇がありスクールができた。
学校の起源が暇にあったということは重要である。
暇を作り出さなければ知識の探求や哲学など生れないのである。
なぜなら毎日労役に費やされるからである。
自分だって家事と介護に追われているがそれでも知識の探求ができるのは
家事も機械化していてそこで暇がなんとか作り出されているからである。


マルクスの理論では労働力だげが資産で労働しか売ることができないものは
資本主義では搾取されると見た、そういう無産階級は土地ももたないから余計にそうなった。
でも現代で格差社会、階級社会になるのは土地とか資産もっているとか
そういうものではない、地主とか小作の関係でもない
そこに機械化された知能までコンピューター化された労働がロボットに代行される
それが大規模に起きたためである。




産業革命では繊維工業で機械が発明され,それによって手工業職人たちは失業と賃金が安くなるかもしれないという不安に襲われました。
さらに食料価格が非常に高くなり,経済不況も加わって機械破壊運動が爆発的に発生したわけです。
この運動の最初の犠牲になったのは,1779年当時イギリス最大の紡績工場であったアークライトのランカシャー工場でした。そこから始まり1810年代に入って運動はもっとも激しくなりました。1811年にはノッティンガムシャーで熟練手工業職人が,靴下やレースを編む織物機械を破壊しました。翌年1812年にはランカシャー,チェシャー,ウェスト=ライディングなど北部で,新しい紡績機や織布機の打ちこわしが続発しました。

この運動の被害者の多くは新しい機械の発明者たちでした。ケイやハーグリーヴズ,アークライト,カートライトなどは工場や住宅を破壊されました。



こういうことが過去にあった。機械というのはそれだけ社会を変えてしまうものなのである。
格差社会という時常に公務員が得しているとかある特権化した人間にその恨みを妬みを向けているけど
機械にその恨みを向ける労働運動は日本では起きていない
機械は自然と同じように人間ではないから天災のように恨みを受けない
具体的に恨みや妬み受けるのは人間である

だから現代では本当の特権階級とか金持ちが見えないということもある
では頭脳労働者が高給取りでもなかなかそういう人たちは社会では表立って見えないのである。
そもそもIT長者といっても田舎などではそういう人たちのことを理解できないだろう。
山持ちとか地主とか何か具体的になものがあればわかりやすいが
現代の金持ちは見えにくいのである。
だから公務員とか官僚とかそうしたものは巨額の税金を扱い国民から奪い楽していると常に怨嗟の目で見られるのである。


文明は結局機械化で起きている問題が特段に顕著になった時代である。
あらゆるものが機械化してその機械によって人間が動かされている
だからついにはコンピューターが世界を支配するというSF映画があったことでもわかる
原発事故にしたってこうした一連の文明の進展のなかで起きた事故である。
機械化して機械が故障して破壊されて大事故になり悲惨な結果をもたらしたのである。
戦争すら現実にロボットが無人兵器がすでに実用にされて殺傷までして問題になっている
人間の戦争ではなく機械と機械の戦争になる、ロボットとロボットの戦争になる
それは鉄腕アトムのテーマでもあった。
それは未来を先取りしていたから漫画でも歴史に残るものとなった。


これだけ機械力が巨大になると自然破壊も巨大化する
原発事故はその機械化によりこの辺が大被害になった
機械というのは確かに苦役から人間を解放した
一方で人間から人間的なものを奪ったのも機械であった。
だから鉄道でも最初はソローのように自然を破壊するものとして驚異だったのである
車社会だってそれも大規模な自然破壊でもあった
便利になったが商店街やら他にも失われたものはある


機械化をおしすすめたのはエジソンなどが生れたアメリカである。
アメリカはあれだけ巨大な国だから国土だから機械化に向いていたのである。
広大な土地をトラクターで耕すことが向いていた。
機械化文明はまさにアメリカ文明だったのである。
不思議なのはホイットマンが生れたアメリカの開拓時代は日本の江戸時代とにていたのである。
ホイットマンが賛美したのは農民であり牧畜民であり手仕事をもった職人であり
そうした巨大機械化しない人間そのものが働いていた時代なのである
それは江戸時代とにている。個々の職人がその技を競い農民でも人力社会である
だからそこには機械より人間中心の人間を賛美するものが生れる

牛と馬とかも機械の代わりに利用されているがそれは機械ではない
生物であるから人間扱いされて馬が人間と結婚する、動物と結婚するという
民話が生れる動物は人間と同じ生物であり機械とは違う
やはり命をもったものであり人間化する
機械は生物ではないから人間化しない、ロボットもいくら知能化しても人間にはなれない
ロボットはペットにはなれないし介護も精神的な面ではできないのである。
物を運ぶくらいはできるが精神的交流はできないのである
そこに機械とロボットの限界があるのだ。

americaland.jpg
マークス「楽園と機械文明」ーテクノロジーと田園の理想

この本は面白い本だから何回も読み直している。アメリカの理想はその広大な土地を利用した農業にあり機械を利用した製造業に開拓時代はなかったのである。
その製造業はイギリスのヨーロッバにさせて田園の農本主義が理想だった。
そこには大規模な自然破壊は起きない社会であった。
農本主義になると江戸時代までの日本とにているのである。

なぜ現代は三分の一も働かないで暮らしていけるのか?
それは労働が機械化されているからでありそれだけの余剰が機械を生み出しているからである。
でも実際に労働するとなると機械の方が安上がりで人間は高くつく
手伝いさんでも家の中では働いてもらうとなるとその労力が大変なものになる
犯罪にあったように気を許すことができないからええって疲れる
炊飯器や洗濯機のように人間は使いないからである
人間はそもそもそんな機械の部品のように使えるものではないし
機械より能力がないものとして扱われること自体異常だったのである

生産性とか効率性とか合理性を追求すれば機械がいいしロボットの方がいい
人間の効用は機械にやれないことにこそある
それはこれだけ機械化してもそうである
機械にできない、人間にしかやれないことはいつまでも残る
それは別に高度な知能とか技術だけではない
介護なんかはまさにそうした人間でなければできない
ただその価値がまだ認められていないのである。
必ずしもこの世の中価値があってもその代価が払われないことがある
そういう価値の不公平の故に格差社会になっているということもあるのだ


要するには人間の社会の価値は実はあまりにも多様なのである。
だからボランニィーの人間の経済学がある。
何が価値になるのかその土地により国により時代により違ってくる
それは食料の心配がなくなると贅沢品を求めるから
あらゆるものが価値となってくる
珍しい石でも庭に置きたいとか高い価値が出てくるのである。

結局価値を決めるのはその人の価値観にもなる
一億円あったら家とかは別にしてその人の価値観で金を使う
自分の場合は庭を作ってみたいとか
家事を手伝ってくれるひんいい人があれば高い金でも払うとか
その人の価値観で金を使うのである


だから老人はあまりモノがいらなくなるから
かえって個人的に人間的サービスをしてくれるのがいい
宅配の弁当でもそこで老人の話しを聞いてくれるとかがいいとなる
しかしそれは若い者にはなかなかできないかもしれない
なぜならただモノを配達すればいいというのが仕事になるからだ

そういう老人と話をできるのはかえって経験の積んだ老人が向いている
これも誰でもできるというのではない、一つの能力なのである。
女性でも話しがうまい人と下手な人とがいるのと同じなのである
いづれにしろそういうものは機械ではできない価値があるし
その価値に金が加算して支払われる時代にもなっている。
モノに付加された価値の方が高くなるということも豊かになればある時代になる
ペットブームが象徴しているのは犬は番犬でもない、猫はネズミ取りでもない
そうした実用的なものでなくで何かかわいいから癒されるとか
別な価値観でペットブームになっているのとにているのである

posted by 老鶯 at 17:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題
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