2014年05月03日

野蒜海岸や東松島の牛綱や浜市の津浪の跡をたずねる(1) (奥松島⇒野蒜海岸⇒鳴瀬町⇒石巻(自転車の旅-夏)


野蒜海岸や東松島の牛綱や浜市の津浪の跡をたずねる(1)


(奥松島⇒野蒜海岸⇒鳴瀬町⇒石巻(自転車の旅-夏)
http://musubu2.sblo.jp/article/29414836.html

nobirutebou1.jpg

nobirutebou22.jpg

nobiruyama1.jpg



東松島(牛綱、浜市、白萩)

matuhama1[1].jpg

matuuuuuuu111111111.jpg

nokorumatuuu111.jpg

前の写真と重ねると確かにこの松である

newmatumagaru1[1].jpg


newmatumagaru1[1]_FotoSketcher222.jpg

newmatumagaru1[1]_FotoSketcher.jpg


matumaruse1[1].jpg

ここにあった家はほとんど流された

shirahagiiii222.jpg

社があった


shirahagiiii1.jpg

tagayasuuuu11.jpg

クリック拡大


自分のプログのこのページが長い間一定の人が見ていたことが不思議だった。
というのは写真にしてもたいしたこともないし紀行文としてもたいしたものではない
ではなぜ見られていたのか?
それが今回同じように野蒜から鳴瀬街から石巻と訪ねてみてわかった。
特に松の写真をとった場所がなんにもなくなっていたのである。

つまり野蒜から東松島市になった鳴瀬町とかは1000人が死んだとか被害が大きかったのである。

まず野蒜は未だにその被害が大きいことが感じられた。
かなりの家が破壊されたし駅も復興していない。更地が多く松も残っていても痛々しい、ただ結構松は残っている。
その理由が防潮堤にあった。幅が広く分厚いために津浪でも破壊されなかったのである。
低い防潮堤だったが全く壊れていない
これだけ厚ければ津浪でも壊れないことがわかった。
ただ低いから軽くその上を越えて津浪がおしよせた。
でも結構松が残っているのは津浪の勢いがこの防潮堤でそがれたためなのである。
だから防潮堤が無駄だとは言えない
ただこの防潮堤にしてもその上を津浪が押し寄せたのだから被害が大きかった。
ここは前に島もないのでもろに津浪に襲われた。
電車も津浪におそわれて曲げられらた映像が写された。


ここは今は高台に住宅地を移すために大工事が行われている。
高台の山の土を削りそれを機械で運び野蒜駅前には高い大きな山を作っているから驚く
その山の高さが高いのである。まるで人工の山である。
あんなに高くしたら景観的には海辺の街という感覚はなくなる。
野蒜の海は変わらず砂浜が広がりきれいだった


そこから陸前小野まで代行バスで行き前通った白萩地区の町の方に向かった。
浜市小学校などがありここも大被害だった。ここは廃校になった。
かなり海が近い場所であり被害が大きかった。
鉄道まで津浪をかぶった。
鳴瀬川の堤防も越え津浪の水が流れてきたので堤防を高くする工事をしていた。
津浪はまず川をさかのぼってくるから川が意外と危険なのである。
大川小学校の悲劇は北上川を津浪がさかのぼってきたことにあった。

白萩地区というのは地名の考察では真っ白に土がばきとられるという意味だとかなるとまさにそうなっていた。
萩がはぎ取る意味だというのも謎である。

ここは牛綱村とか浜市にしても江戸時代の文書が残っているように古い村だった。
家が密集して狭い道があり写真のように松が道を覆っていた。
そこで思ったことはこの道はトラックなどが通れない道だと思った。
だからこの松が印象として残っていたのである。
何か隠された車も通りにくい場所とかイメージした。
実際はここは東松島の自衛隊の基地がありジェット機が飛ぶ所で有名だった。
その騒音で早い時期から移転問題すらあったのだ。
そういうことを知らないから隠された村のように錯覚していたのである。


いづれにしろここは自転車で一回だけ通っただけである。
それでもここがそこに住む人にとっても自分にとっても忘れられない場所になったのは
一回だけ通ったにしろその村すらほとんど消失してしまったことなのである。
津浪はこうして村ごと町ごと消滅させるから怖いのである。
ただ自分がとった松の写真の一本は確かに残っていた。
だから確かにあの道を通ったことは確かである。
それもなんともいえず不思議な光景としかいいようがない。
近くに津龍院という寺があるのも不思議である。津浪と関係あるのかとも思う。


帰りに陸前小野駅の鉄道線路の前で畑を耕す女性に聞いた。

「どの辺まで津浪が来ましたか」
「鉄道の線路を越えましたよ」
「ええ、あの線路も越えたのですか」
「今は移転している家が多いですがもっと家があったんです」
「確かに家があったようですね」
「松もありましたが塩水をかぶり枯れたして残っていない、塩分に強いのは欅です」
「ここも津浪をかぶっていますが大丈夫ですか」
「塩分に強い野菜をつくっています」
「そうですか、自分の近くにも津浪が来ましたが、津浪は低くても被害が大きい、いろんなものが流れてきますから」
「この辺もそうですよ,だから家を壊したのが多いんですよ」


塩分に強いというとき、松は弱いらしい、松は津浪には弱い、
ただ原始状態の混生林だと竹でも他の樹でも根を深く張るから津浪の衝撃に耐えやすくなるとか書いている人がいた。
松林は防潮林でも津浪を防ぐものではなく塩害を防ぐものとして作られていたのである。
津浪には竹藪のようなものがかえっていい、現実に相馬市の新田では竹藪があり津浪の勢いがそがれたとか聞いた。

今回の津浪ではいろんなことが問題になったのである。
それはあまりにも多岐にわたるものであり日本の国土を見直すきっかけとなった。

いづれにしろ自分にとってそこを通ったのは一回だげであり
それが今回の津浪でその通った場所が村が消えてしまうというのが信じられないことだったのである。

ともかく津浪はなかなか映像だけからでもわからない、現場に立たないと実感しえない。
あの野蒜の土を運び山を作っているのもその高さが実感しにくい、こんな高くしてどうするのだという感じになる。
そのことがいかに今回の津浪が高いものだったかを逆に証明しているのである。

 
 
posted by 老鶯 at 11:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/95179445
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック