2014年04月18日

南相馬市鹿島区栃窪村の桜ー短歌十首 (午後にたずねて・・・)


南相馬市鹿島区栃窪村の桜ー短歌十首

(午後にたずねて・・・)

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これも桜なのか、鮮やかである。
寒緋桜なのか?

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スクールバスで児童一人がおりた

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ここで背後の菜の花が写っていないのが致命的
だから見た目とは違っている。


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ここでも後ろは菜の花だが写っていない

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ここで石の橋を渡る




川の上磐の硬きにすみれかな
磐を打つ流れのひびき芽吹きかな
山に来て磐の硬くすみれかな
山吹やイノシシ駆けて原野かな


大きなる柳の長くしだれけりここにし長く人も住むかな

道分かれチューリップ映えこの道をさらに遠くへ我が行かむかな
児童一人スクールバスをおりにしを栃窪淋し春の夕暮
栃窪に放射線計る三年の過ぎて田畑の荒れにけるかも
栃窪に午後の日さして石一つこの家に咲きし桜散るかな
栃窪の夕暮れあわれ名もしれぬ墓のあまたに花の散るかな
菜の花に枝垂桜や古碑並ぶ栃窪あわれ街の遠しも
栃窪に蔵ある農家この夕べ桜の映えて流れひびきぬ
大倉に人の住まじも鶯の鳴く声聞きつ帰りけるかも
大倉へ細道残る草萌えてこの道行きし昔の人かな
大倉へゆく道遠く石の橋ここに残るや春のくれかな
なつかしき昔の道や人歩む姿も見えて春のくれかな
一時や高みに咲きぬ山桜はや散りにしを見過ごしにけり
我が里の桜をなおも見なむかななお見ざりき桜ありしも

故郷を離れ散り散り満開の桜も散らむ帰れざるかも

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コントラストの調整で鮮やかになった

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南相馬市で村らしい村というのはどこか?大原村は軒数も百軒以上あり多いから古い農家がある。
ただあそこも川俣までの幹線道路があるから一見わからなかった。
ただ原町区の大原はその道路だけではない、その両脇もかなり広いから地名のように大原になっていた。
実際に椿の垣根に囲まれた農家があった。
村らしい村とはやはり代々の農家があるところなのである。
そこに桜でも大きな木があるということは気か育つに歳月がかかるからその家も古いとなるのだ。

栃窪村は家々を見ると古い農家があり村らしい村である。軒数もそれなりに多い。
橲原村は軒数が少ないから農家数も少ない、自分が見て回った限りでは寺内と小池とか石神でも
その他海辺の村でも何か村らしいものを感じなくなっている。
石神などは実際原町の郊外化した街の延長のように見える。
今はそもそも村らしい村がないというとき、炭焼きとか貧しくても
自給自足していたとき一番村らしい村だったのである。
その時は車もないからその村で自給自足するほかなかった。
それで屋形村の農家では納豆まで自家生産していたことでもわかる。
自分の家でその土地でとれたものでまかなっていたのである。
車がないのだから町までも遠いからそうなっていた。

今は村というのはどこでも街の郊外化しているのである。
そこで自給自足している家などないのである。

今回発見したのは細い道があり古い石橋があった。それは昔大倉の方へ通じていた古い道だった。
これは見逃していた。今の車の道の前はあのような細い道だったのである。
古い道が残りそれが地名となることもある。
都路村の古道は家が集まった中心地にある。古道は町の中心地だったのである。
栃窪村はあの古碑が並べてあるがあの碑も実際はあそこにあったのものではない
道が新しく作られてあそこに他からも集められたのである。
古い碑は昔の道にそってばらばらにあったのである。
それがあそこに集められるとあそこにあったという錯覚を生むのである。

それは大倉がダムになる前の道でありそれは真野川にそってあった。
今も立石にゆく道がそうであり新しい道は上の道路になった。
ダムがないときがありそれはずいぶん昔になったのだろう。
でも自分はその時も自転車で大倉村を通っていた。
谷底にありその村の家はダムの底に沈んだのである。
その時ダムの底に沈んだ家は多額の賠償金をもらった。
それで大倉御殿ができたとか騒いだ。
この辺でも大倉ぱっぱが近くにいると聞いたとき街の方へ移住した人なのである。
]今度は放射能汚染で人が住まなくなった。
そしてイノシシが夕暮れにでてきた。イノシシが増えたことは確かである。
そんなにイノシシはみかけなかった。

 

真野川渓谷は芽吹きであり山桜はもう散りはじめていたし散ってしまったのもある。
桜はやはり咲く時期が短いから見れないのである。
近くだって見る時期が短いから見れない、見ようと思うと散ってしまっているのが桜なのである。

桜の特徴は山桜だと高い所にも咲き孤高の趣きがあるが染井吉野とかになると人間臭い花なのである。
栃窪村内になっている上萱でも桜が一本残っているがそれも何か昔ここに住んでいて人を懐かしんで咲いている。この桜はここに住む人になじみその花も見ていたからそうなった。
津波でも庭に残っている木はペットと同じように人間の情が通じたような不思議なものを感じた。
人がいなくなって何か淋しく取り残された人をなつかしんでいるような人のようにも見えて残っているのだ。
木も人間化していたのである。
自然のままの野生の木とは違っているのだ。


浜通りで自然環境で恵まれていたのは海と山があったことである。
海だげではない、山の村があり山の感覚がある。
今回は海は危険で恐怖を覚える場所となった。
ただ海はもともと安定していない、不安と動揺の世界である。
浪は山や磐のように安定しないものである。
水そのものが実は一定のものとして動かずに収まるものではない
水自体が流動的だから危険なものとしてあった。
それで溜池すら決壊して死んだ。
この辺の溜池でも大きいし土手が決壊したらその下の家が流され人も死ぬのである。

一方山は石でも安定しているからそれはモラルの象徴になる。
動かないということ不動だということは信頼とか誠実とか正直とかに通じるからである。
海にはそうしたものがない、もともと不安と動揺の世界だったのである。
だから今になると余計に山の方にゆくと何か安心した気分になるのである。
もともと人間のアイディンティティが山や樹や石には見いだされるが海には見いだされないのだ。
もともと人間の心とは相反するものが海にはあった。
だから天国には海がないというのも不思議だけどそういうことがあるのかもしれない。
水そのものが流動的だから危険になっているからだ。
だからこそノワの洪水も起きたのである。
海のようにあれだけの流動的なものがあればそれは危険に通じているのだ。
海の水位が温暖化で高くなれば島が消えるとか陸地も消える所があるとかなってしまう。


現代は写真て伝える時代である。デジカメはいいのを買うといい、その差がかなり大きくなる。
ソニーの6万くらいで買ったRX1002はそれなりに高感度のカメラなのだろう。
今までとは写りが違っている。
そしてわかったことは必ず写真はそのままでなく見栄えよくするために加工する必要があったのである。
加工するということはまた絵のようにするソフトの活用もある。
とっただけでは見栄えしないのである。
ただ写真技術もこれも技術を向上させないといい写真はとれない。
だから写真も芸術になっている。
眼で見たようにとるには結構めんどうであり技術がないとできない
それは今のデジカメよりレンズなとで工夫しないととれないことがわかった。
そうなるとまた時間も手間もかかるからなかなかできない
しかし写真にしないと今の時代は訴えないのである。
だから写真俳句や短歌が生まれたのである。
これは文字だけでないからインターネットでしか発表できないのである。

 
 
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