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山頭火の旅(乞い歩き水と食と宿を求める旅)
山頭火ほど旅した人はいない、20年間くらい歩きつづけていた。半生は歩きつづけていた。野宿の旅でもあった。今でも野宿の旅だったら辛い、テントなどないから洞窟みたいなところで寝ていたのである。今は自転車でもバイクでもテントをもっているから雨露をしのげる。寒さもしのげる。今は金がなくて旅している人はほとんどいない、だから食料に事かくことはない、乞食もいない、まず食料を手に入れるために乞い歩くことが仕事になる。だから水を求め食料を求める旅だった。あまり宿を求める旅ではなかった。ただ宿に泊まれないで野宿することが多かったからだ。そういうことは何度も経験している。私自身の旅は安宿を探し求める旅だった。長い旅になるとどうしても安い宿が必要だった。だから安い宿を求めて駅から街の中を探し歩いた。でも日本では安い宿はない、千円くらい安いということで満足するほかなかった。
安宿や凍てる雪踏み路地の裏
秋田辺りで安宿を見つけたときはうれしかった。3千円だと日本では相当安いから助かる。そしてこの安宿を求めて外国までも旅がつづくとは思っていなかった。やはり旅は宿代によって安く旅行できるかできないか決まるからだ。だから外国ではユ−スホステルとかに泊まった。ここは別に若い人だけが泊まるのではない、年配の人も普通に泊まっているのだ。ヨ−ロッパには安宿が多いし旅しやすいようにできていた。そしてパリの東駅から落葉した運河を歩き安宿らしい所に泊まろうとしたら一杯で泊まれず断られた。そこは下宿みたいだから泊まるところではなかった。外国の宿探しは辛い、若いのは百円でも安いところを夜遅くまで探しているが50才にもなったらこうしたことはするべきではない、そもそもできないのだ。だから外国の旅はうまくいかなかった。失敗が多すぎたのだ。それにしても私は30年も旅していたのだから今更ながら死んでも旅をつづけ安宿を探ししている自分をリアリティあるものとしてイメ−ジした。
人間の一生は死後もその人の一生の延長ではないか?一生を旅に明け暮れた人はやはり死後も旅をつづけているのだ。現実に西行であれ芭蕉であれ山頭火も死んでもやはり旅している、その人を回想するとき旅しつづける人として見ている。今生きている人はその旅した人の跡をたどり旅しているのだ。西行と芭蕉などはやはり時代的に旅の困難な時代にしているからその意味は大きく深い。山頭火はやはり本当に自由に歩いた最後の旅人だった。ただその頃木賃宿とか安く泊まれる所があったからそれなりに自由な旅ができたともいえる。現代の方が歩くような長い旅をすることはかえってむずかしくなっている。安宿がないということが致命的なのである。
泊めてくれない村のしぐれ歩く
暮れても宿がない百舌鳥が啼く
泊まるところがないどかりと暮れた
ついてくる犬よおまへも宿なしか
我が死すも旅はつづかむ安宿を外国までも探し歩るきぬ
山頭火の俳句についてはこれが俳句なのか?季語も何もないし俳句として自分は鑑賞できない、ただ旅したものとして共感はしているが俳句は鑑賞できないのだ。西行とか芭蕉は最初から感受性豊かな詩人だった。啄木もそうである。しかし山頭火にはそうした詩の教養が感じられないのだ。それは反面破天荒なあまりにも行動的なるが故に詩人と見れないのである。むしろ冒険者のように見えてしまう。冒険者は詩を残さなくても前人未到の世界を切り開くことに価値がある。一方詩人は冒険者と創作者という二つの側面をもっている。詩人も冒険者にならなければ大きな詩は書けない、、自分自身がそれなりに英雄的な経験をしないと英雄の詩は書けない、上野霄里氏などは冒険者の側面が大きいから山頭火にひかれる。芭蕉とかはあまりひかれないのもわかる。本人が冒険者であり冒険者の行動者の価値を高いものとしているからである。
ゆふ空から柚子の一つをもらふ
この句は非常に不思議である。柚子をゆう空からもらうというのはどこにあった柚子なのか、誰の家のものともわからぬ柚子だったのか?そういうものが確かにある。一つくらい失敬する。それをゆう空としたのが面白いし自由な旅人であったことを彷彿とさせる。つまり旅人はもはや乞い歩くのではない、人に食べ物を銭をもらうのではない、ゆう空から食べ物をもらう、果物をもらうのである。神から食べ物をもらい旅をするのである。誰も自由な旅人は無料で寝れるところ、食べ物があるところを夢想する。自由な旅人はゆう空から食べ物をもらうのが理想でありいちいち一軒一軒回って食べ物をもらうことは疲れる、本筋は旅することであり食べ物を乞うことではなくなることが理想なのである。山頭火は絶えず水を求め、食べ物を求め旅していたのだから余計に無料で手に入る食べ物を夢想するようになった。
物乞ふ家もなくなり山には雲
物乞う家もなくなる。いや物乞うことも嫌になった。物乞うことも忘れてその時山の雲になってしまう。青い青い山に分け入り俗世を忘れる。歩き歩き歩き尽くして遂には雲となり青い山と同化してゆく。それほど歩きつづけたのである。
濁れる水の流れつつ澄む
歩き歩いて濁った水も澄み心も澄んでいった。反面絶えず水を食料を宿を求める旅でもあった。西行や芭蕉は何を食ったかなどほとんど書いていない、文学に昇華している。それだけにつてがあり食うことには困る旅ではなかったとも言える。
旅ごろも吹きまくる風にまかす
山頭火の足元から砂ぼこりがたち風が吹き出す、それは突風であり常に風雲の旅であり宿のない水と食べ物を求める旅だったのである。だからまた絶えず死を意識する旅でもあった。野垂れ死にを意識する旅だった。そこに旅の真剣さがあった。今は旅でも二十三重に保証されているから旅で死ぬことはない、要するに金さえあれば新幹線で飛行機で外国からも帰れるからである。遍路でも命懸けの旅をしている人はいない、物見遊山的な観光コ−スなのだ。野垂れ死にするようなことはないのである。
一日の食を水を宿を求め
炎天下乞い歩く
宿なければ洞にもぐり寝る
ホトトギス鳴いて
明日はまたかの山越えむ
山深くいづべの村や
乞う家をもなしも
山頭火雲となるらむ
風となるらむ
山のかなたへかなたへ
ゆう空より柚子をもらい
ひたすらに歩み
宿無しや洞よりまたいで
旅路の果ても知らじも
一日の食を水を宿を求め