2014年04月09日

新地の鹿狼山(かろうさん)の花木山で海を見て話す (相馬市のK院長は双葉出身だって・・・)


新地の鹿狼山(かろうさん)の花木山で海を見て話す


(相馬市のK院長は双葉出身だって・・・)

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鹿狼山の花木山でそこの庭を管理する人と話しした。
その人も新地の海沿いで一メートルの津波の被害にあっていた。
でも家は流されず住んでいる。

面白かったのはあそこは広く太平洋が見える。牡鹿半島も金華山も見える。
あいにく今日は晴れて天気がいいのだが見えなかった。

「ここは海が近いから海の景色がいい」
「あの船があの辺にくると何時になり船がすれ違う時、2時半なんですよ」
「ええ、そうですか、確かに船はゆっくり進んでいるからまるで時計の針みたいだな」
「あそこの火力発電所の所ですれちがうんですよ」
「なるほど、自分も太平洋フェリーには良くのりましたよ、あそこですれちがって
汽笛をどっちも合図のために鳴らすんですよ、ずいぶん接近してすれちがですよ」
「私は乗ったことがありませんから・・・」

自分は太平洋フェリーには北海道の苫小牧に行くのに10回は乗っている、
たいがい梅雨の時期が嫌なので船に乗って北海道を旅していた。だから北海道には一番行っている。
名古屋にも何回かわからないが3回くらい行っているかもかもしれない、
一回は自転車で行って奈良まで行ったから遠かった。だから太平洋フェリーはなじみなのである。
船旅はのんびりしているからいい、疲れないのもいい、ゆっくり眠れるからいいのである。高齢者でも船の旅は楽である。


その人の話で興味深かったのは病院の話である。

「あそこに渡辺病院が建ったんですよ、あそこはみんなが欲しがる一等地だったんですよ」
「あれがそうですか、自分も南相馬市立病院に一カ月入院していました、あそこの病院もながめがいいですよ、
海が見えて船が通るのが見えるんですよ、あそこは一番高い建物だから見えるんですよ、
大原の方も見えましたから、大原の人と一緒だったんで話しして暇つぶししていたんですよ、
建物が立派だ気持いいのは確かですよ、でも看護師や医者が集まるのか、それが問題ですよ」
「相馬市立病院ではもう限界でしたよ」
「あそこは迷路で建物継ぎ足し継ぎ足ししていましたから、あそこは入院しても眺めが良くなかった、気晴らしになりませんでした」
「あそこは眺めはいいですよ、新地の一等地ですから」
「この辺では病院が大事ですよ、双葉や浪江から来ていましたから、・・・科はないから南市立病院に来るほかなかったんですよ」
「相馬市立の院長は双葉出身ですよ、双葉高校ですよ」
「えっ本当ですか、それは知りませんでした、双葉高校は一回甲子園にも出ました
あそこになぜ高校があるのか、6000人くらいしかいないから、そんなところから優秀なお医者さんが生まれたのは驚きです、
何かと双葉の人達は評判が良くないですから
すると原発事故の双葉と関係していた、実家は双葉にあったんですか」
「福島医大で腕はいいですよ」
「確かに相馬市立病院で・・科は三人もいましたから、南相馬市病院では一人若い人にまかされていました、
その人は原発事故騒ぎでやめたようです K先生には実際にみてもらったしお世話になりましたけど・・・」


この辺ではまず東大に入ったなどという人は何年に一人もいない地域である。東北大に4,5人入ればいいとかなっていた。
そもそも地元から医者になれる人は相当に優秀な人である。歯医者はほかにいるが他の医者は少ない、
たいがいよそから来た医者である。
だからよそから来た人だと思っていた。それも双葉の人と聞いて驚いたのである。
まず医者の価値は高い腕がいいければまたさらに高くなる。地元から腕のいい医者が出れば
そして勤めればかなり助かるし地元に貢献することになる。

それで地元で奨学金のようなものを出すからその条件として地元に勤めるようにしてもらいたいと医者の養成に必死なのである。
もちろん看護師もたりないからなんとかしてくれとなっている。
それで南相馬市の最近できた老人健康施設が新しくできたが百人収容できるが
働く人は会津だとか福島県内からの応援ではじめた。十人の介護士を募集しても人が集まらないのである。
だから渡辺病院で集まるのかという疑問がある。
建物は立派でもそこで働く人材を確保できるのかどうかが問題になる。


「双葉というと自分の父親は酒屋に丁稚奉公していた、葛尾村(かつろう)村の出身で双葉の新山の酒屋で働いた。
その隣が原発事故以後有名になった大きな酒屋で話題になった
今でも街の中で大きな煉瓦の煙突があるから街の中心みたいになっているんですよ」
「そうですか、K院長は双葉出身ですよ」
「それは知らなかった、てっきりよそから来た人だと思っていた」
「ああ、そろそろ船がすれちがうころです」
「本当にすれちがっています」
「今日はちょっと遅れたな」
「あの船を見て時間がわかるのは本当に面白い」
「今日は牡鹿半島も金華山も見えない、晴れても見えない」
「まあ、なかなか見える日は少ないです」

「高速道路がこの前にできていたんだ」
「今年木の11月には全線開通です」
「それは復興にとっては大きい、すぐ前にあるからここにもよりやすい
東京当たりからもここは眺めがいいから来るんじゃないですか」
「まあ、三年目ですけどなんとかやっています」


あそこの花木山で一番面白いのは確かにあの船を見て時間がわかることだった。
何も見えないが船の進み具合で時間がわかる。毎日見ているからそのことに気づいた。
本当にまるで船は時計の針のうよになっていたのである。
高速道路もじき前にできていた。いつのまにできたのかと思う。
急ピッチで工事をしていたのだろう。
この常磐高速道路がつながると鉄道代わりになるしそれ以上のものになるから復興には大きい

いづれにしろk院長が双葉出身だったということで何かこれも原発事故と関係していたのかと思う。
もちろん新地にも双葉の人が土地を買って家を建てたということも言っていた。
縁故が相馬藩内に多い、結婚しているのも相馬藩内が多い。ただ今はとんでもない遠い所に嫁に行っているから変わっている。
それでも縁故をたどってゆくと田舎ではまるで織りなされた糸のように人が関係しあっているのだ。

新地も自分の父親の前の妻は新地出身だった。現在でも新地の人を知っている。それは悪い面で知ってしまった。
田舎はだからあいつは誰々の子供でその親はどうだったとかたどる。するとなかなか悪いことが本当はできにくくなっている。
信用は一代だけではなく二代三代とつづいて築かれているからだ。

農家などはその土地に根付いているから余計にそうなのである。
農家では三代つづかないと農家として認められないというのはそのためである。
一代だげではその土地のものとして認められないのである。
だから本当は田舎では悪いことはできないのである。その話しが一代だけで終わらない、
恨みで次の代でも受け継がれたりするからそうなる。

ともかくK院長が双葉出身だということはかなり重要なことかもしれない。
それは今回の原発事故の当事者にもなっている。よそごとではないものとなっている。
ただ双葉出身者でもそういう腕のいい医者が輩出したということは誇りだろう。
田舎の高校はレベルが低いからである。だから医者になれるような人はなかなか出ないのである。
歯医者は多いから別である。

いづれにしろ双葉となると全国で知れ渡ってしまった。町長も有名になり参議院選に出たが落選した。
双葉は何かと悪い印象をもった人が全国で多かったろう。
まず双葉高校となるとそんなところからも医者になれる人が出れるのかという疑問をもつだろう。
でも一回はこの辺では出たことがない甲子園に出場した高校だからこれも不思議である。
医者でも看護師でも地元で確保できるのにはこしたことがないし力強いものとなる。
相馬看護学校を作ったのはそのためである。

そういう地元に貢献してくれる人材養成がこの津波や原発事故で特にみんな感じたのである。
若い人が流出して老人ばかりとりのこされるような恐怖を感じたからである。
ここで育ててもみんなよそに行ってしまっては何になるのだとなる。
それは地元でそれだけ困っているからそうなったのである。
職業でも仕事でも土着的であるべきだというとき、医者でもそうなのである。

東京のようなところだったら郷土意識地元意識もない、ただ機能的に腕がよければいいとなる。
土着的というとき医者という職業でも地元全体にかかわるものとして仕事する必要がある。
要するに原発で働く東電の人たちにはそういう意識はまるでなかった。
ただ東京に電気を送るために土地を借りているという意識しかなかった
だから事故になっても無責任だし作る前も無責任だった。
どうけ東京には被害が及ばないとか安心していた。
だから原発は東京に作るのが一番良かったし理にあっていたのである。
それは東京でも地元であり巨大にしても運命共同体になる。

福島なんか離れているからどうなってもいいとかの意識では責任もって原発を稼働はできない
故郷とは運命共同体のことかもしれない、戦国時代だったらそうである。
勝つにしろ負けるにしろ運命共同にするほかないからである。
日本も戦争で負けたにしろ間違った戦争にしろ運命共同体だからやむをえないとなる。
それで外国人を労働者にいれても運命共同体としての責任がないから便宜的なものだから
あとあとやっかいなことになるというのも現実にヨーロッパでは起きているのである。


原発を作るにしろ作らないにしろそれは地元では運命共同体という意識をもつ必要があったのかもしれない、
戦国時代なら生死をともにしたから運命共同体だったけど今は故郷といっても都会化しているから
そういう意識も薄れていた。だから危険な原発のことを真剣に考えることも地元でもなかったのである。
そして運命共同体としての基礎となる故郷すらなくなったのである。
そしたら何がその町の絆となるのか?そんなことまで問われることになった不思議がある。
原発を作ることはどういうことなのかこの辺では問われたし他でもそういうことが問われているのである。



この双葉高校の同窓会長でもあった田中清太郎元町長が、町への原発誘致を推進した

双葉高校はイワキに継ぐ進学校だった。創立も古い。だからやはりそれなりのこの辺では高校だったとなる
http://getnews.jp/archives/239731

posted by 老鶯 at 21:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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