2014年04月05日

みちのくに桜が咲く


みちのくに桜が咲く

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羚羊の歩む足元蕗の薹

新築の家のあまたや燕来る

みちのくの桜咲きそめ北風の唸り吹きつつ寒さかえれど

美しき日本に生まる命かな今いくたびの桜見るかも


花は今日咲いた,しかし北風が吹いて寒かった。
寒もどるとまではならない
それでも炬燵に入り外にでるとさらに寒かった
今年は冬は寒かった

ここ一週間ほどは春らしかった

さくら前線もようやくみちのくに到達した
でもなんか今年はそうした徐々に北上して咲く桜の感覚がない
やはり家事や介護に追われるからそうなる

さくら前線についての短歌を連作したけど
このさくら前線の桜を見るには相当暇でないとできない
稚内までさくら前線はつづいていた
それは六月まで咲いていたのである。

結局旅は金より時間がないとできないものだった
現実に今は金があっても時間がないから
近くにさえ自由に行けないのである
だから金がなくて何もできないのではなく
たいがい旅でも何でも時間がなくて何もできなくなるのだ
時間ほど貴重なものはなかったのである

才能などなくても努力する時間がもし人の倍あったら
人よりぬきんでることができる
語学だって才能がなくても上達することはありうるのだ
ただ何するのでも時間が限られているからできないのである


ともかくこの辺の変化は激しい
新築の家は次々に建っている
八木沢の麓の家はもう人が住まなくなり
羚羊が住むようになった
元の自然に還った所がこの辺ではかなりある
浪江とか警戒区域には入れないがそこも元の自然に還り
野生の動物が増えている


桜というとき、東北でも福島県が最初に咲く
次に宮城県であり岩手県と遅くなる
東北でも咲く時期が違ってくる
距離に比例して咲く時間が遅くなるのが桜である
だから桜はとても一部の桜しかみれないのである。
そして桜はどこにでも咲いているから
名所でなくてもいくらでもみれるのである

美しき日本に生まる命かな今いくたびの桜見るかも

日本は桜であり富士山である。これなくして日本はない
ただその桜でも富士山でもいつかはみれなくなる
その日がついにくることを知らねばならない
美しいものでもいつまでもみれるものではない
人間はだから美しいものを見るように心がけなければならない
汚いものばかり見ていたらこの世はただ汚いものばかりになる
花でも山でも美しいものを注意して見る必要があるのだ

でも実際は頭の中は金と欲望に追われて見ないのである
そういうふうに仕事でも追われているうちに人生の時間は消失してしまう
だから長い時間生きたから人生をよりよく生きたとは言えない
自分の母は何にも花にも何にも興味ない
ただ長生きすることが目的のように生きて百才になる
それは強制された奴隷のような人生だったともなる

 
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