2008年01月08日

会津(伊南川−山里橋−写真から作る俳句と短歌)

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花にあき石に休みぬ夏の蝶

渓流の音のひびくや夏の蝶

我が室に会津をとりし写真見る曲屋もあり冬籠もるかな

合歓の花月見草咲き茅葺きの家も残りて山里橋かな


山里橋事件は、30代後半の恰幅のいい鮎釣り男性が27日(金)午後に山里橋から亀岡橋(只見町明和地区)まで流され、亡くなった件ですね。


伊南川は釣りする人にとっては有名である。会津をとった写真を見ていたらたまたまそこに山里橋と書いてあったのでここが山里橋だとわかった。でなければここがどこかはわからなくなっていた。写真をとってもどこのばしょかからなくなっていた。旅ではこういうことがかなりあるのだ。だから場所の地名を書いておく必要があるのだ。そうすればあとで思い出すことができる。それで地図を見ると山里橋があり橋を渡ると二軒在家とある。もともと二軒があったのか良くみると茅葺きの家が一軒残っているからここは古い部落だったのか、それにしても山里橋という名前は何か新しい名前の気がする。普通わざわざここは山里だと名づけないし里山とかも明治になってから言われたことである。
旅ではいかに記憶したもの自分の頭にでもそうだがやはり書いたものや写真が貴重になってくる。この写真ではじめてここに茅葺きの家があったことを知った。記憶にも全然なかったからだ。この辺の宿に泊まったことは記憶している。それが小林という地名だった。そしてここに確かに小林山とあったのだ。小林という姓も地名を基にしているから地名としてあるのはめずらしいことではない。ただ写真を手がかりにしてインタ−ネットで調べてこれだけわかった。これだけわかるだけでも収穫はあった。旅の記憶は消失しやすいのである。10年20年前となると記憶はあやふやとなり写真の方が正確に記憶していたのだ。蝶の写真もそうでありそのとき俳句など作っていない、写真を見てあらためて俳句を作った。
ここは釣りで有名だから死んだ人もいたというのもわかる。山里橋辺りで死んだというのも一つの事件として記憶されることであった。
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