2014年03月25日

春の溜池 (田んぼがないと溜池も無用になる)


春の溜池

(田んぼがないと溜池も無用になる)

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山陰に喫茶店あり春の雲

我が町に喫茶店一つ春の雲
樹々ゆれて我は走りて芽吹きかな
春風にしなりゆるるや樹々も生く
春の昼猫の眠るや広き家


満々と水を湛えし溜池の水面光りて春の雲浮く

満々と湛えし水も用なきや田んぼに流れず春となりしも

慶長と田中城主の墓のあり散りし椿や我がたずねけり

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屋形の石の宮の溜め池も広い、日本には別にこうした溜め池はいくらでもある。
つまり田んぼには水がかなり必要であり溜め池もそれに比例して必要になる。
だからそもそも稲作は溜め池を作るだけでも土木事業となり文明なのである。
溜め池や水路を作るために相当な苦労をしているからである。

今日は北海老のニコニコ堂の喫茶店は休みだった。
あそこには案内板もないからわかりにくい、
あそこは場所的にはいいと思っていなかったがそうでもなかった。
外から来た人はわかりにくいが鹿島区の一番歴史的な場所だった。
阿弥陀寺の岩松氏の悲劇からはじまり江戸時代は北の方は八沢浦が浦になっていた。
だから風光明媚な所だった。
だからあそこで鹿島区の歴史を思いめぐらし語ることに向いていた。
そういうイメージされる場所なのである。

自分は旅をして休むことを求めるから喫茶店が好きだった。
食堂だとそこで本読んだり瞑想したりとか何か思いめぐらすことには向いていない
喫茶店には喫茶店の役割があった。
ただ全国的に喫茶店だけではやっていけないので喫茶店に入ることはなかなかできない
原町区には喫茶店だけというのがほとんどない
六号線沿いにないのである。相馬市にはあるからいい。
相馬市だとある程度城下町の情緒にひたるということはある。
ただ外から来た人は城も何もないのだから感じないだろう。
それでも歴史的な場所は何かはある。
ただ発見されないだけである。


田中城主の墓は案内板があるがあそこは盲点だった。
あの墓には慶長とあるから本当に古いのである。
今まで見たのではこの辺では一番古かった。
田中城があったところからそう遠くはないから場所的にも昔を偲べる

いづれにしろこの辺では溜池に満々と水を湛えられていても用がない
田んぼが作られないのだから水も必要ない
だから溜め池も無用のものとなっている。
田んぼがあるからこそ水も活かされていた。
水は単なる飲む水だけではない、田んぼに不可欠の水だったのである。

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