2008年01月04日

子(ね)の年がはじまる

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新年の光柔らか我が居場所

子の年やこまめに働く人あまた

子の年や男こまめに介護かな

子の年や遠くに行けぬ我が身かな

子の年や小金をためて長寿かな

子の年やマウスさばきも板につく


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十二支の「子(ね)」は「了」つまり「おわり(終了)」という字に、「一」つまり「始まり」を組み合わせたもので、ものごとの終わりと始まりを意味するそうで、「子」とは「新しい生命が宿る兆候」だそうです

それと、直近の1948年(昭和23年)はいわゆる「団塊の世代」(第一次ベビーブームの世代)が生まれたピークの年で、まさしく「繁茂」して「新しい生命が宿る兆候」の年だったのかもしれません。そういう訳で、今年は団塊の世代のピークの方々が還暦を迎え、定年になる年です
 
甲子園とかも子の年と関係していた。私の状態はここ二年は家族の状態がまるっきり変わってしまった。一人は認知症で一人も92とかなって家は二つになってしまった。そして一日も出かけることができない日が二年つづいたしその一日すらゆっくり出かけることもできない、この二年間一日も食事の用意を休むことができなかった。信じられない変わりようである。これほど境遇が一変するものかとがっかりした。そして還暦だということも自分もその年になったのかと一つの区切りだと確かに思った。山頭火だって60で死んでいたの意外である。彼の場合は旅しつづけてそのまま60で死んでいたのである。丈夫なわりに早く死んだので意外に思ったのだ。私の場合はまだそのあとがつづく、介護になっているのだ。
 
確かにここにきて騒がないから落ち着いてきたので楽である。だから障子通し入る新年の光に憩う正月だった。暮らしはやはり鼠のように動かされているのだ。人間社会はそもそも鼠のように働く、働かせられているの実情である。4時ころから働きに出ている若者とかいたしそれに比べれば介護といってもかなり余裕はある。認知症でも騒がなければ三食用意するくらいでいいとなると楽である。それでもこまめさが要求される。家事には女性のこまめさが要求されるからだ。子の年というと母の金の計算にはあきれた。国民年金を60の年にもらって30万にみたなくても30年で一千万たまったとかこれはねずみの計算なのか?鼠講なんていうのもあった。鼠にはあまりいいイメ−ジない、やはり虎とか龍とかの方がいい、鼠にされるのはいやだ。人間は鼠になってはだめだ。虎や獅子や龍を目指すべきだ。特に若者はそうである。私の幸運は鼠のように働かせられないことにあったのだ。憎まれるくらい悠々とのうのうと生きてこれた。一面鼠のように知識をため込んでいたことも確かである。そうした雑学的知識でもどこで役立つかわからないのが人間である。どんなことでも知識でもその人により活かされるのである。
 
マウスというとパソコンのマウスを思いついた。パソコンという道具は20世紀では車につぐ大きな発明だったのだ。パソコンは応用範囲が広いのである。抽象画作りには一番向いている。偶然に意図せざるものができるのである。パソコンは習うより慣れろである。ソフトもフリ−ソフトでもまにあうし今では2000円ので十分だったのである。つまりその人の応用する能力によって決まるのでありソフトによって決まるとはいえない、ソフトを利用する人によって使い方によってパソコンの利用は活きるものなのである。子の年が物事の終わりでありはじまりであるというのも変である。物事は延々と終わらないのだ。人類は蟻のように鼠のように働きつづける。それは終わることはない、これだけ文明が便利になってもますます忙しくなって人手不足になっているからだ。仕事はますます増えている。コマネズミのように働かせられるのだ。今や私も老親二人のためにコマネズミのように働かされている。宿命といえば宿命となるが今年もこの境遇は変わりない、まさに子の年である。
 

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