2014年03月21日

ちゃっこいは宮城県の方言? (方言は多様であり文化である)



ちゃっこいは宮城県の方言?

(方言は多様であり文化である)

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ちっちぇ、ちっちぇけ とも言います。


小さい という意味です。


「あんやぁ〜、このびっきちゃっこくてめんけごど」

(あら〜、このカエル小さくて可愛いこと〜)


んだいっちゃ〜 (そうだよね〜 肯定の同意を求めるとき)


えてみっど山形じゃちゃっこい頃は
http://blogs.yahoo.co.jp/haradakuse/23370919.html?p=2&pm=c


ちんちゃい(茨城方言)



ちゃっこいは相馬地方では聞いたことがない、子供の頃思い出すと「ちんち」と聞いたことがある。
子供の頃は今より方言を聞いていた。今は子供も標準語を話すから方言を聞く機械か少ない、
でもなぜちゃっこいとその女性は言うのか?
それはその人が宮城県の人と結婚していたからである。
相馬地方では宮城県との関係が深いのである。

江戸時代の碑でも宮城県関係の神様の碑が多い、小牛田神は小牛田の山神信仰であり山神とあるのは小牛田由来である。
館腰宮もあり館腰駅があり金華山とあればまさに金華山であり他にも伊達藩から入った信仰が多いのである。
逆に妙見信仰は相馬藩から入っている。相馬藩の殿様の旗印は北斗七星であるからだ。
その妙見信仰は亘理の辺りでも集中的に広がっているのだ。

ちゃっこい というのが相馬地方で自分は聞いたことがない、
すると宮城県の方言をその女性はしゃべっていることになる。
前の女性も名取に相馬から移り住んでいて長くなるとしきりに だっちゃだっちゃとしゃべっていた。
方言は生まれ育った所ではない、その土地に長く住んでいると
土地の人に合わせるのでその土地の方言をしゃべるようになる。

つまりその土地の方言をしゃべれば仲間だとして信頼されるということもある。
ただ東京辺りではそういうことはない、みんな標準語だからである。

んだちゃ、んだいっちゃーなどというのも丸森の人かしゃべっていた。
んだ、んだ・・は東北人の共通の相槌をうつ言葉である。
ただ宮城県になるとんだちゃとなる、語尾が変化してくるのだ。
ちゃっこいは山形でもしゃべっている、これは宮城県だけでなく広範囲に広がっている。
宮城県と山形県はまた方言も違っている。
ちんちゃいというとき茨城県であり多少福島県との共通性がある。

いづれにしろ相馬藩の地域は伊達藩の影響を強く受けている。
今でも常磐線が通じていた時は仙台に通勤していた人もそれなりにいた。
通勤圏にもなっていた。だから仙台は身近な都市だった。
そこで仙台弁にふれるということがある。
でもそこに住んだり結婚しないと方言はしゃべらない
その土地と深く密着して生活すると方言をしゃべるようになるのだ。
だから方言は土着的てありこれも文化なのである

文化は地域地域で異なる時文化であり言葉でも料理でもみなん一様化すれば
文化はなくなる。そういう社会は面白くなくなる。
だから東京の人でも田舎に来ても東京と同じだとなり旅もつまらないと言う時
日本社会が地域の文化を失い一様化した結果なのである。


江戸時代あたりは隣の村とさえ方言があり言葉もりてまりも違ったものとなっていた。
なかなか隣の村さえ交わらない自給自足の経済だったからそうなった。
農業は共通のものを作りにくいという時、その土地に根ざして動かないからである。
商業は商人は移動して広く交わるから共通のものを普及させる。
それで共通のルールを作ったのは商人であった。
アルハベットもフェニキア人が発明したことでもわかる。地中海を船で行き来した商人であったからだ。
エジプトのような象形文字ではとても共通に読み解くことがむずかしいからである。

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