何を復興させるのか?
(少子高齢化などで第一次産業は復興できない)
現代農業は老人でも可能なので、三ちゃん農業へ移行した⇒老人が多い
林業は輸入品が単価を押し下げたので産業自体が壊滅した⇒老人が多い
漁業は「3k+危険」なのでなり手が少ない⇒老人が多い
農林水産業は地方中心⇒過疎化で若者が少ない⇒老人が多い
日本は高学歴化したので第一次産業のなり手がいない⇒老人が多い
日本は一次産業じゃ食っていけないからな
農業・漁業・畜産業・林業
どれも貧乏老人ばかり
どれも費用ばかり掛かって実際年収だとクソ
漁師って海に良い事を、何一つやっていないよな。
俺の海だとかわめいていながら
遭難すれば、全部国が丸抱えだろ、しかも。
福島の汚染水が、あれだけ増えたのも、
地下水バイパスに漁師が反対したからだ。
そのうちデカイ余震が来て、汚染水タンクは全壊し、海に流出だ。
今回の津波原発事故で復興がすすまないというときその原因は何かと問われた。
極端なのはジジババしか住んでいない三陸沿岸に金を注ぎ込むのは無駄だと
官僚が言ったことでもわかる。
もともと跡継ぎもいない老人だけでやっていた地帯が多い。
南相馬市原町区の大原でも病院で同室だった農家の人も跡継ぎがいないと嘆いていた。
息子は市街に住んで一緒に住んでいなかった。
大原には三軒くらい廃屋があり放射能汚染で避難区域に半分くらい指定された。
それで仮設に住んでいる人がいる。
だから放射能汚染で農地でも賠償金もらった方がいいともなっていた。
漁業についてはわからなかったがこれもそもそも原発の補償金がなくては成り立たなくなっていた。
地元でもそういうことがわからないから苦労して魚をとって売っているのだと思っていた。
実際は漁業権を原発に売り原発成り金になっていた人がかなりいたのである。
つまり第一次産業主体の地方はそのしめる割合は全生産の一割にも満たない
この辺では三割は火力や原発の発電関係でしめられていた。
三分の一は東電の社員化していたのである。
だから浪江町では廃炉のための作業員が宿泊できる、受け入れる5000人くらいの規模の
コンパクトシティにしようという計画がある。
まさにそれは具体的に東電の社員化であり東電に所属して食べてゆく計画なのである。
なぜ復興がすすまないのかというとき、そもそも津波原発事故前でもこういう衰退した状態であり
それはもう復興できない状態にあった。跡継ぎもいない、老人だけであとはどうしたらいいのという状態であった。
そこに津波原発事故になったのだから致命的になったのである。
復興がすすまないというときそうした第一次産業の復興が進まないとなるが
それは津波原発事故前から老人だけの未来のない産業になっていたのである。
だから第一次産業の復興というのは何なのだろうとなる。
そんなところにジジババだけが住む所に金をかけても未来はない、金を浪費するだけだとなる
これが戦前だとかなると違っていた。農業主体であり第一次産業主体だから今とは考え方が違っていた。
相馬藩で400年前の慶長津波で700人が溺死したし今の宮城県の伊達藩でも今回と同じような大被害があった。
でも相馬藩ではその津波の被害地域に侍が開拓に入ったのである。
例え津波の被害地域でも米がとれるからあえて移住した。
稲作には土地が必要であり土地が不足するから海岸の湿地帯を埋め立てて開拓してきたのが日本である。
そういう時代は津波の被害にあったからと広大な土地をほうっておく荒地にしておくことはできない、
津波の後でも塩害があっても米はとれたというから別に田んぼにまたなるのである。
ただ米あまりであり他に産業があるからやらなくてもいい、どうせジジババ農業だとなっていたから余計にそうなった。
ただ故郷から田んぼとか畑のない世界は想像すらできなかった。
水というのは山から流れてきて平地を潤して田んぼに流れて米ができる。
田んぼがあって水が山から平地へと循環して生きていたのである。
だから春には山から神となった先祖が平地におりてくるというのは
田んぼを活かす水が山から流れてくるからである。
それがなくなったときどうなるのか?
そういう風景は千年以上もつづいていたのである。
それがなくなることが想像もできないことだった。
ただ現代は別に都会化して都会に膨大な人口が集中しいてるから都会ではそんなことを見ていない、
米を食べていても米がどうして作られるのかさえ見ていない人もいる。
野菜にしても果物でも同じである。それが普通の景色ともなっているのが現代である。
だから不思議なのは神戸という大都会で地震災害があってもそこは田舎とは違う、
第一次産業は関係ないからそういうことは考える必要はなかった。
ただ靴工場があって火事で焼失したとかが問題になった。
神戸の地震災害と今回の津波原発災害は根本的に違っていたのである。
神戸は苦しかったが復興も早かったのである。
今回の津波原発事故の災害の復興が進まないのは広範囲に第一次産業が壊滅状態に陥ったことにあったのである。
それはもともと老人が担い手であり衰退していた。
この辺では原発事故も重なり一体どう復興するのだろうとなる。
いろいろ模索はしている、クリーンエネルギーで再生するとかいろいろ計画はある
それにしてもこれだけ破壊されると田んぼも畑もない荒地の前にたつと
一体ここはどうするべきなのかとまどってしまうだろう。
何もないとなるとそこに新しいものは建てやすい、でもその新しいものは何なのだろうとなる
製造業と商業とかもそれも積み重ねが必要であり簡単にできるものではない
第一次産業は衰退していても千年とかの歴史があってできていたからまた復興しようとする、
でもその農業すら今までとは違う新しいものを模索するようになる。
要するに新しいものが作りやすいといってもそれが簡単には作れないということである。
それも結局外部の力に頼るとかなってしまうだろう。
とても地元でそれだけの発想と構想をして具体化することはできない
実際は東電に頼って生活していたような地帯だからそうなる
それで南相馬市長選挙で敗北した渡辺氏の構想がシルバータウン構想とかになってしまったのである。
老人が多くなって若者が流出している所に老人を呼んで老人の街にしたらどうなるのか?
それはやがて死んだ街になってしまうのではないか?
結局復興がすすまないというとき、神戸だったら苦しくても元の状態にもどせばいいのであった。
ところが津波原発事故は元の状態にもどせない、第一次産業主体の社会だったら元の状態にもどせばよかった。
それは江戸時代でも戦前でも同じだった。
しかし現代では老人だけの跡継ぎもいない第一次産業に戻してもあとでまた衰退するだけだとなってしまう。
だからいくら金をかけてもそこに未来がないということで無駄だというのも本音を言えばそうなる。
「農業も漁業も金にならない、俺は跡継ぎたくない」
「もう 俺の代で終わりか、まあ、補助金は国から出るから形だけでもつづけなきゃなんねえべえ、それはわかるな」
「んだな、田んぼは請け負わせて俺はやらねえ、それで金にはなる、農業は手間のわりには金になんねえからやらねえ」
そんなところに津波原発事故が襲った
「もう農業は終わりだ、もともと跡継がないつもりだった
この際、原発賠償金をもらってやめたらいいよ」
「まあ、漁業でも原発では東電からはあんなに金をもらっていたんだな
あそこはこれからも賠償金がさらに加えられるからいい」
「農家はずっとは補償されないからやめるほかないよ」
「でもここで何してくらしてゆくんだ」
「んだな、何も目立った産業もなくなったしな、東電で働いていた人もこの辺には結構いたけどな」
「農家は土地を手放すことは最後の最後だった、だから形だけでも田んぼにしていれば良かったんだよ」
「跡継ぎしないとしても誰かに土地を貸して作らせれば良かったからやっぱり損だった」
「もう、俺らの代は終わった、あとのことはもうわかんねえ」
「こっちも何をしていいのか、わかんねえ」
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これほど破壊されると未来を描くことは本当にむずかしい
戦後の焼け野原とはまた違った状態にある
少子高齢化であり高度成長の余地はない
老人が都会でも増え空家が増え高度成長から衰退へ向かう国で起こった災害だった
第一次産業主体の社会でないからそれを復興させるとしてもそれで復興にはならない
だから何を復興させるのか?
未来のために何を復興させて何を新しくしてゆくのかそれがわからないのである。
国で計画を立ててもその通りにはいかない、計画した新しい街に住んでもらいたいと言っても
住まないで人口が津波の被害地域でもでている
三陸などでも漁業も零細だったから見切りをつける人もでてくる
それで人口流出して街の復興より崩壊の危機にさらされているのである。
この際過疎地域から脱出して便利な都会にでようとする若い人も多い
だから復興しようにもその人材もないとなる
慶長津波の時のように相馬藩から津波の被害地域に開拓に入るような人はいない
ボチンティアは確かにいたけどそこで骨を埋めるまでの覚悟ができるのか?
ボランティアにはそんな過酷なところに追われるものがない
地元の人すら楽な方に向いているのだからそれも頼りにならない
様々な悪条件が重なっているから今回の復興はむずかしいのである
だから防潮堤でもそんなものに莫大な費用をかけるのが無駄だというのも一理ある
それはゼネコンが利するだけだとか除染にしても一兆円でも無駄だとされる
何か有効な手が打てないのが現実なのである。