2014年03月14日

夏に燃える雲雀が原 (野馬追い神旗争奪戦ー詩)


夏に燃える雲雀が原

(野馬追い神旗争奪戦ー詩)

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大将が雲雀が原に到着

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相馬流山の踊り


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ここはクリック拡大



雲雀が原に続々と相馬の武士の結集する
宇多郷、北郷、中ノ郷、小高郷、標葉郷、
三社の神輿をかつぎねり歩く
大将の兜に身をひきしめその凛々しさよ
夏の真白き雲の沸き上がり
日ざしは強く照りさしぬ
相馬流山の軍歌は朗々とひびきわたり
打ち揃い金の扇は一切に翻り光を受けてまぶしも
夏空に神旗はあがり
この時馬はいななき競いせりあい
この時雲雀が原は戦場なれ
神旗をとれば馬も踊り跳ね御本陣に向かう
人馬一体となり御本陣に駆け上る
武士(もののふ)の誉れよ、馬も人も
殿よりの褒美を受けて誇らしく
かの武士は誰そ、いづこの家や村や
その旗指物の一段と映えにけり
注目の的となりしこの一時よ
そのために一年の長きを馬を飼う
青春の日の蘇りしように
真夏の暑さに馬も人も奮闘する
野馬追いの日の待ち遠しかも
その時の相馬の武士(もののふ)の奮いたち
法螺貝は街中にひびきわたり
晴れ舞台に夏の日ざしをまともに受ける


 

伊達に抗して荒ぶる馬

 

黄金の扇のそろい日に映え眩しも

竹に雀は仙台様の御紋、相馬六万石、九曜星

粛々と相馬流れ山の軍歌ひびけり

いななきて荒ぶる馬は伊達に抗す

相馬の武士(もののふ)の心意気

武田流法螺貝鳴りて先陣を切るは

誰が家の旗印、馬も勇み馳せるも

御使い番−若者一の旗走りゆく

中ノ郷、小高郷、標葉郷、北郷、宇多郷

雲雀が原に総結集して旗の列

かつては山中郷も一枚加わりしも

ここに鍛えて伊達を退ける昔の武勇

いななきて荒ぶる馬は伊達に抗す

緋の母衣大将の威風堂々と従者

先頭に藩主の旗、最後尾に藩公奥方旗

相馬藩主の若殿を守り列なす絵巻かな

本陣に勲し駆け上る旗印は誰が家そ 

雲雀が原に今し夏の雲湧きにけるかも
 
今や城より出て主君から厳しき命下る

馬上一せいに勇ましき法螺貝鳴りわたり

相馬の山々、大地、海にも木霊して

藩主の下に 集結して打ち揃う相馬の武士(もののふ)

先祖代々の旗印はなびきて華麗に練り歩く

相馬流山の軍歌の雄々しくひびき

藩内の社もここに総結集して雲雀が原へ

武田菱の旗の護衛に総大将の紫の衣鮮やかに

先導す一の旗の伝令の若者は駆けめぐる

雲雀が原に千の旗ゆれ御神旗を馬せりあいて奪い合う

主君の誉れを得むと馳せ上る若武者の馬よ

この時老将も勇みかつての武勲の蘇る

人馬一体、荒ぶる馬の鼻息荒しも

山中郷、中ノ郷、小高郷、標葉郷、北郷、宇多郷

代々の郷士、大地を耕し郷土を守る者たち

今雲雀が原に相馬藩の力は結集せり

夏の大空に法螺貝はひびきわたり

村々に土着して、代々の旗は眩しい光のなかにはためけり

相馬藩の隅々の力のここに総決起して伊達に立ち向かう

三百年つづきて変わらず君主をいただき

相馬の武士の誇らかに年に一度の祭りかな


詩としては前の方が優れていた。今回はただ夏の野馬追いということで作った。

野馬追いでは雲雀が原の神旗争奪戦て最高潮にもりあがる。
野馬追いが旗祭りというとき、旗の種類は多い。


平成4年の約、408騎を調査した結果


伝来旗 101

役旗 140
家紋旗 69
創作旗 43
(原町市市史10)

旗で多いのが意外と役旗だった。何が役旗見ていてもわかりにくい、
伝令の一の旗はわかりやすいが他はわかりにくい、
でも役旗が多いということは戦場では何かの役目があって旗があった。
旗を見て戦場で戦った。だから役旗は実際は一番大事になる。
家紋旗は最近増えているのは伝来の旗が布であり劣化して残らないからだそうである。
鎧とか兜は残っているというのもわかる。鉄だから残りやすいのである。
確かに布だと痛みは激しくなるからいつまでも使えない、それで家紋旗に変える。
野馬追いは歴史の再現だから創作旗はまれだと思っていたが多くなっている。


野馬追いでいつも不思議に思うのは何であんなに華麗であり美的なのかということがある。
殺し合いのときそんなに飾りつけることに夢中になることが今では解せないのである。
「昔はその家紋に代わって図柄を工夫して、ほかには絶対にないというものを作った」

こういうふうだから図柄にこった。他にないものを作るには独創的になるから芸術的にもなる。
それでも戦場にゆく、人を殺しにゆくという時、何かあんなに鎧でも実用性があっても装飾性があるこが解せないのである。

現実に明治維新の時の戦争は着飾る武士はなく機能的な兵士になった。
さらに元体の戦争は機械の戦争でもあり着飾るものもなくただ
人を大量に殺せばいいとか戦争ですら非人間的なものになっていった。
そしてついにロボットが戦場で人を殺しロボット同士が殺し合う
SFの世界が現実化している。そこにはもう人間臭いものもなくなる。


兜でもあれをかぶると身がひきしまるし見ている方も格好いいとかなる。
庶民が武士になりたいうといときあのような格好いいということを見ればそうなる。
今は兵士になりたいという人はいない、ただ人殺しの機械のようにされるからである。
全面に出てくるのは人間ではない、最先端の飛行機とか戦車とか船とか主役は兵器であって人間ではない。

野馬追いで感じるのは野馬追いの時だけ馬も生きる。馬も街中を通りいななき着飾って馬も誇らしく見える。
馬もその時人間と同じなのである。馬は今競争馬としてしか生きていない。
この時は昔の晴れ舞台にもどる。馬が一頭だけではない相当な数として馬が活きていることを実感する。
旗祭りだけど馬の祭りでもある。


ともかくこの辺では標葉郷は浪江町だけどそこが消失すると規模が若干小さくなる。
やはり野馬追いは数が多いと圧巻になる。江戸時代は山中郷の今の飯館村からも出ていた。
大熊町や双葉町も相馬藩内だった。その相馬藩が一部欠けてしまう。

祭りは地域を一体化するものであることは確かである。
一体と化した相馬藩を実際に見れるのが野馬追いである。そこに祭りの意義がある。
ただ野馬追いに参加している人は500頭出たとしても500家族だから少ない、人口が10万として500所帯しか出ないのである。
武士は相馬藩でも選ばれた人たちだった。ただ相馬藩では武士といっても在郷給人が多く農民であり武士だったのが多い。
鍬先給人がいたように何か農民的なのである。

今でも野馬追いに出るのは農家であり相馬藩でも相馬市の街内から出る人はほとんといないのである。
城下町を形成していた時は野馬追いの訓練にてていたが明治以降は城がなくなったきだからいなくなった。
でも相馬市は鉄道が通っても町並みはもとのままであり防衛のために細い道が多く入り組んでいる。

野馬追いは一年に一度の晴れ舞台だとは言える。だから金がかかっても出たいとなるがみんながでれわけではない、
そこに祭りとして問題がある。

青森のネブタ祭りが誰でも飛び入りでもハネトとなって参加できるのとは違う。
つまり相馬藩内でもただ見ている人が大勢であり実際に祭りに参加できるのは極めて限られた選ばれた人たちなのである。
だから完全に実際に祭りに参加する人とたた見る人に分かれてしまうのである。

野馬追いは写真をとる題材としていいのだが意外といい写真がとれない
地元の人でもとれない、それは動いているからいい場面をとりにがすのでてある。
そして祭りは一年に一回しかないから写真は祭りの時したとれない
だから写真とるとなるとここに長年住んでもいい写真がとれなかったのである。

posted by 老鶯 at 15:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)
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